これまでに観た映画より(423) 「ドマーニ!愛のことづて」
2025年4月3日 京都シネマにて
京都シネマで、イタリア映画「ドマーニ!愛のことづて」 を観る。2024年の制作であるが、モノクロームを使っているのは(解像度はかなり高い)、ネオリアリズモからの影響や、第二次大戦後間もなくということと、当時のイタリアの女性は彩り豊かな人生を歩むことが困難ということの両方を表しているように思われる。
監督・脚本・主演の三役をこなすのは、パオラ・コルテッレージ。イタリアは基本的にファーストネームがaの音で終わるのが女性、oで終わるのが男性である(例外あり)。
パオラ・コルテッレージは、劇団出身で、イタリアではコメディエンヌとして知られる人物であるという。ただ今回は女性蔑視という、根源的で根深い問題に切り込んでいる。
ちなみにパオラは、左利き。日本だとこの世代では強制的に右利きへの矯正が行われることが多かったが、イタリアではどうだったのか分からない。ちなみに人種に関係なく、10人に1人の割合で左利きは存在するという。日本も今でこそ左利きに寛容であるが、江戸時代までは、右利きが当たり前であり、左利きは身体障害者と見なされて差別の対象となった。そのため右利きへの矯正が当たり前であった。
出演は他に、ヴァレリオ・マスタンドレア、ロマーナ・マッジョーラ・ヴェルガーノ、ヴィニーチョ・マルキオーニ、エマヌエラ・ファネッリほか。
1946年5月、イタリアが第二次世界大戦で敗北してからほどない時代のローマが舞台となっている。
デリア(パオラ・コルテッレージ)は、半地下の家で家族と暮らしているが、戦争帰りの夫のイヴァーノ(ヴァレリオ・マスタンドレア)は暴力的である。また部屋で寝たきりの義父のオットリーノがいるのだが、彼も男尊女卑の思想の持ち主である。実は彼が亡くなった後、人々は口々に彼を「聖人」と称賛しているが、ここから女性は見下されるのが当たり前の存在であったことが分かる。男同士で評価が高ければ、女性に対してどれだけ冷淡でも評価されるのだ。
デリアは、自動車整備工のニーノ(ヴィニーチョ・マルキオーニ)と長年に渡り惹かれ合っているが、妻子がいるため踏みとどまっている。ニーノは後悔を口にした。
デリアの娘であるマルチェッラ(ロマーナ・マッジョーラ・ヴェルガーノ)は、ジュリオという色男と付き合っている。彼を家に呼ぶため、デリアは奔走するが、ジュリオはマルチェッラに、「仕事を辞めて家に入ってほしい」など、いかにも男性的な要求を行う。デリアはジュリオに不審を抱く。
妻や義理の娘を時に女中のように扱う男達。今の観点から見ると化け物のようにも見え、ステロタイプに過ぎるようにも思えるのだが、おそらく似たようなことは往時もあったであろうし、何よりも女性の立場が弱い状態は現在も世界各地で続いている。
突然、歌が始まるなど、インド映画が始まったのかと思うようなところのある演出。音楽が重要な役割を担っており、重苦しい展開の中で、音楽パートだけは希望が持てるようになっている。
ラストシーンは、女性に選挙権が認められての初めての選挙。デリアは投票券をうっかり家の中に落としてきてしまうが、マルチェッラが届けに現れ、事なきを得る。女性参政権に反対のイヴァーノが引き下がるのも印象的である。
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