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2026年1月12日 (月)

これまでに観た映画より(425) ジャン=リュック・ゴダール監督作品「新ドイツ零年」

2025年1月9日 京都シネマにて

京都シネマで、ジャン=リュック・ゴダール監督作品「新ドイツ零年」を観る。ロベルト・ロッセリーニ監督作品「ドイツ零年」を意識した作品だが共通点はほとんどない。
1990年10月3日の東西ドイツ再統一を意識し、東ドイツから西ドイツへと向かった男の話となっている。1991年制作。20時台からの遅い上映である。

主演俳優は、アメリカ出身のエディ・コンスタンティーヌが務めている。FBI捜査官などを当たり役としたコンスタンティーヌがこの作品で演じるのはスパイである。
東ドイツに潜伏していた元ナチス諜報員、レミー・コーション(エディ・コンスタンティーヌ)。30年ほど潜伏生活を送っていたが、金のために旧東ドイツ側での諜報活動を行いつつ西ドイツに向かうことになる。
いきなり、ニーチェの『善悪の彼岸』が朗読されるなど、ドイツ文化があちこちに配されている。若い女性ドラ(クラウディア・ミヒェンゼン)からは、「明日からはシャルロッテ。ゲーテと仕事するの」と、『若きウェルテルの悩み』にちなんだ冗談を言われる。
「今年はモーツァルトイヤーだ」というセリフもある。1991年は、モーツァルト没後200年だった。
字幕とセリフが別々のことを述べるなど、かなりせわしない印象を受ける。「カール・マルクス通り」(東ベルリン)の道標が倒れているのは、共産主義の終焉のメタファーだと思われるが、余り上手くないように思う。仮に1991年当時に観ていたら感想は異なったと思われるが。
今はもう時代が進んでしまって、カール・マルクスがロシア人だと本気で思っていたりする人もいる。「カールだよ。典型的なドイツ人男性の名前だよ」と思うが、外国の文化に興味がない人にはピンとこないのかも知れない。一番有名な「カール」であるカール・ルイスはアメリカ人だし。

音楽はクラシックが断片的に用いられている。ドイツ語圏に限らず様々な国の作曲家の作品が流れる。モーツァルト以外に名前が出てくるのは(フランツ・)リストであるが、リストによるピアノ編曲版と思われるベートーヴェンの第九の第2楽章が流れたりする。

「孤独」をテーマにした変奏曲であることが冒頭で示される。
哲学的な言葉が次々に流れてくるが、どれもみな借用という印象を受ける。コラージュのようだ。ゴダールは、「気狂いピエロ」でもすでにコラージュのようなことをやっていた。ゴダールは本の最初のページと最後のページを読むことで読了とし、多くの本に目を通していた。だがコラージュが重なると、自身の核や言葉が、他者にハイジャックされるような気分になる。
そもそもエディは、長く潜伏生活を送っており、孤独な存在である。時間の流れに取り残された存在である東ドイツの中で更に取り残された存在であるエディが西ドイツに行く意味は。
あるいは圧倒的な喪失が今後待ち受けているのかも知れない。

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