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2026年1月 2日 (金)

コンサートの記(938) 2025年度大阪音楽大学4年生 オペラ研究Ⅱ モーツァルト 歌劇「魔笛」

2025年12月25日 大阪府豊中市庄内の大阪音楽大学ミレニアムホールにて

午後5時から、大阪府豊中市庄内の大阪音楽大学第2キャンパスP棟ミレニアムホールで、2025年度大阪音楽大学4年生 オペラ研究Ⅱ モーツァルトの歌劇「魔笛」を観る。
授業公演であり、入場無料である(要予約)。昨年末は学生オーケストラによる「魔笛」の上演もあったようだが、今年はピアノ(連弾)、キーボード(三人まとめてピアノ演奏として紹介。關口康祐、竹村美和子、辻未帆)、フルート(早川奈那。大学4年)、バロックティンパニ(東寿樹。大学4年)という編成である。演出は昨年同様、中村敬一。ディクション指導:三々尻正、声楽指導は、石橋栄実(えみ)と晴雅彦(はれ・まさひこ)が受け持つ。指揮は瀬山智博。下手端の客席通路ステージ寄りに楽器を並べ、そこをピット代わりとしている

大阪音楽大学は特に声楽科において評価が高いが、在籍者も多い。男性は多くないが、女性が多いということで、一つの役を数人で演じ分けることになる。
「魔笛」というと、女性歌手からはパミーナ役の人気が高い。マンガ「のだめカンタービレ」おまけ的続編(オペラ編)でも、容姿は良くないが歌は上手く、実家が太いソプラノ歌手が自らがパミーナを演じる「魔笛」の上演を企画し、千秋真一が指揮を手掛けるという展開になっていた。「魔笛」の場合、夜の女王のアリア「復讐の心は炎と燃え」が最も印象的なアリアだが、高難度である上に、夜の女王は良い役とは言えない。三人の童子や三人の侍女も脇役である。それに比べればパミーナは出番も比較的多い。
ということで、パミーナはなんと5人体制(岸野羽衣、大島彩夢、宮本黎花、芝山聖玲南、田口華蓮)。パパゲーナ(吉田薫穂)、夜の女王(槇楓子)は1人ずつである。夜の女王は喉を痛めやすいので2日続けて歌えなかったりするが、公演は今日の1回だけなので問題なしである。三人の侍女も第二の侍女だけ2人体制である(三盃瑠奈子と長瀬いつき)。三人の少年も第二の少年は共にパミーナ役も歌う大島彩夢と岸野羽衣が入れ替わりで歌う。第1幕前半で第二の侍女を歌う三盃瑠奈子は、その後は第三の少年に回る。ということで、人気のある役とそうでない役がはっきりしていそうだ。
男性は、タミーノは野勢真稔が一人で歌うが、パパゲーノは、島羽槻と塚原波音で第1幕と第2幕を分ける。ザラストロは船本洸、モノスタトスに山澤奏仁。
その他の配役であるが、全部書くと時間が掛かりすぎるため、割愛とする。
合唱は、オペラ研究Ⅱの受講生が受け持つ。大学院生2年生から学部の1年生までいるが、4年生は全員役が付いているため、合唱には入っていない。

 

久しぶりの豊中市、久しぶりの庄内、久しぶりの大阪音楽大学、ザ・カレッジ・オペラハウスでなく、ミレニアムホールまで来たのは初めてである。
ミレニアムホールはその名の通り、西暦2000年に完成。9月の竣工である。外観も内装もどう見ても音楽ホールなのであるが、区分としては教室としているようである。P棟という校舎の一教室という位置づけである。「ミレニアムホール」も正式名称ではなく愛称としているようだ。

フリーメイスンの影響を受けているとされる「魔笛」(台本を書き、出演もしたシカネーダーとモーツァルトは共にフリーメイスンの会員だった)。フリーメイスンでは、「3」が重要な数字とされ、序曲で3つの音が鳴らされる他、三拍子の曲も思いのほか多い。
ただフリーメイスンの思想を広めるための作品ではない。

今回は、字幕で、物語が始まる前のストーリーが語られる。世界は絶対的な王によって支配されており、幸せに満ちていたが、王が亡くなる直前に、後継者を夜の女王からザラストロに変えたことで、世界の均衡を揺らぐ。王はまた、夜の女王の娘であるパミーナを高く評価していたが、甘やかされすぎているため、彼女をザラストロの下に送ることにする。

タミーノが蛇に追いかけられている(客席通路を使った演出あり。客席通路を使った演出はその後も繰り返し行われる)。ステージに上がったタミーノは気絶するが、三人の侍女によって助けられる。その後、現れた鳥刺し男のパパゲーノは、「助けたのは俺だ」と嘘をつくが、三人の侍女によってとっちめられる。
タミーノは美しきパミーナの肖像を見て一目惚れ。パミーナが夜の女王の下からザラストロの神殿へとさらわれたと聞き、救出へと向かう。
RPGによく似ているといわれる筋書きで、宮本亞門は実際にRPG内での出来事として「魔笛」を演出している。

夜の女王から娘を誘拐したザラストロが悪役なのではないかと言われることもあるが、基本的には陰を受け持つ夜の女王より、陽を抱くザラストロの方が善として終わる。ザラストロの神殿には、モノスタトスという黒人の奴隷頭がいるのだが、今日は肌を黒く塗っての出演であった。黒人を演じる際、肌を黒く塗るのは良くないとされるようになって来ているが、結局の所、塗らないと黒人なのかどうか分からないのが現状であり、他に良い方法も見つからない(「黒人です」という札を下げたりしたら、余計に嘲笑的である)。
ザラストロの宮殿は異国調(ゾロアスター教由来である)であるが、黒人も雇って面倒を見ているようだ。悪いことをしたら77回の鞭打ちの刑に処されるようだが。ザラストロ自身は人種には余り関心を持っていないようである。

タミーノもパミーナも王子であり王女である。つまり世間のことは余り知らずに育ってしまっている。そこでタミーノはパパゲーノを共にイニシエーションを受け、深く広い世界を知ることになる。仏教の「二河白道」に似たシーンが出てくるが、「二河白道」はゾロアスター教由来とされるため、同じようなシチュエーションになるのだろう。
この作品の特徴として、すぐ死のうとする人が出てくることが挙げられる。パミーナもパパゲーノもちょっとのことで死のうとする。傍から見るとちょっとのことでも本人にとっては深刻なのだろうが、やはり大人の悩みではないように思う。口を利いてくれなくなった(実際は、タミーノは「沈黙のイニシエーション」と受けている最中で話すことが出来なかった)、孤独になった(多分、世界中に孤独な人は数億単位でいる)というだけで死ぬ死ぬ言うのは、「魔笛」が最後に行き着いた境地から見れば子どもなのだろう。
なお、多くの人と交流することで自殺願望が弱まることを「パパゲーノ効果」と呼び、NHKがパパゲーノのサイトを開いていて、自殺防止に努めている。

夜の女王や三人の侍女、モノスタトスらは、ザラストロによってやっつけられるのだが、今回は最後に勢揃いし、和解があったことが示される。以前、びわ湖ホールで、佐藤美晴の演出で観た「魔笛」は夜の女王や三人の侍女の亡骸をそのままにして神殿へと戻ろうとするザラストロを描き、ザラストロの残忍さを明らかにしていたが、では本当のところザラストロは善なのか悪なのか。答えとしては、そんな簡単に善悪二元論で捉えるべきではないというのが今のところの答えである。

ザラストロがいなかったら、タミーノとパミーナは真の意味では結びつかなかったかも知れないが、同時にそのために夜の女王らが犠牲になるのは仕方ないと思っているようだ。そもそも夜の女王はパミーナにザラストロ殺害を命じている。これまではともかくとしてこれ以降は毒親である。パミーナの前に障壁として立ちはだかったのは実母であった。
これまでのことは深くは分からない。しかし夜が終わり朝が来る。
夜の女王という存在はまだ何かを隠していそうだ。

そして「善」という概念も危うい。ヒトラーもスターリンも「善」として登場した。ロシアもウクライナもイスラエルもパレスチナも皆自分が「善」だと信じているはずだ。「善」のような絶対的なものはとにかく脆く危うい。心して掛からねばならない。

 

瀬山智博指揮のアンサンブルは少人数ながら活気に満ちた音楽を奏でる。特にバロックティンパニを採用したのが成功で、強打が豪奢であると同時に、どこか戦時色を帯びているように聞こえた。従来の柔らかい音のティンパニだったらそうした印象は受けなかっただろう。

演技面ではもう一つの人もいたが、歌唱は一定のレベルをクリアしている。ただ、これでオペラ歌手になれるというほど甘いものでもない。大学4年生の発表としてはなかなかだったということである。

艱難辛苦をくぐり抜けたタミーノとパミーナに対し、イニシエーションを途中で止めてしまったパパゲーノであるが、パパゲーナというピッタリの相手が見つかる。聖道門に対する易行門。
誰もが聖人になってしまっては、世界はもたない。パパゲーノとパパゲーナのように子どもを増やしてこそ人類は繁栄する。

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