コンサートの記(949) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第708回定期演奏会
2026年2月13日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第708回定期演奏会を聴く。
今日の指揮者は、京都市交響楽団首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーント。ウィーン室内管弦楽団首席指揮者、ノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団のアーティスティック・パートナーも務めている。
曲目は、シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」とブルックナーの交響曲第3番(初稿/1873年)。
いずれも作曲者の精神状態に危うさが感じられる曲であるが、デ・フリーントはそうした理由ではなく、ウィーンで暮らした二人の作曲家の交響曲を並べるという意図があったようだ。
両曲とも、ある程度の知名度はあるのだが、「好きで好きで仕方ない」という人には会ったことがないという演目であるためか、入りは4割行かないかも知れない。
午後6時30分頃から、デ・フリーントによるプレトーク。英語でのスピーチである(通訳:小松みゆき)。
デ・フリーントは、「悲劇的」について、「そんなに悲しい曲ではありません」と述べる(実はかなりの苦みを感じる曲である)。作曲時、シューベルトは19歳で、デ・フリーントは、「信じがたい」と述べるが、確かにこれだけの曲を書くことの出来る19歳は凄いというより異常だろう。
「悲劇的」は作曲者の命名であるが、19歳の若者にとっての悲劇とは何なのか気になるところである。現代の日本なら生育環境に始まり、いじめ、教職員などの行き過ぎた指導、病気や事故、受験、就職などで悲劇に見舞われることはある。
デ・フリーントは、シューベルトがハイドンの指揮で演奏したり、モーツァルトから直接教わったことなどを述べ、この曲の主題がベートーヴェンの弦楽五重奏曲から取られたということも指摘する。シューベルトはベートーヴェンとも会っている。
実はシューベルトの主任教師と呼べる存在なのは、アントニオ・サリエリなのであるが、それについては触れることはなかった。
ブルックナーの交響曲第3番は、「ワーグナー」の愛称で呼ばれることがある。今回は、ワーグナー風の旋律を取り入れた初稿での演奏。ブルックナーの交響曲第3番(初稿)の演奏は、90年代にヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団の定期演奏会で聴いており、「とにかく長い」という印象を受けた。その後、ブロムシュテットは、カペルマイスターを務めたライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とのライブ録音BOXを出し、それにもブルックナーの交響曲第3番(初稿)が含まれていたが、その時の印象も「長い」であった。
ブルックナーの交響曲第3番は、第2稿が決定稿となり、この稿で録音したものが多い。朝比奈/大フィル(キャニオン・クラシックス)、クラウス・テンシュテット/北ドイツ放送響(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)なども第2稿の演奏で、この2つが私が推せるブルックナーの交響曲第3番のツートップである。
ブルックナーの交響曲第3番(初稿)は、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されることになるが、リハーサルで、「長い」「難しい」「退屈だ」との意見が出て、演奏を拒否されてしまう。
ブルックナーはオルガンの名手で、オルガンの手法を管弦楽に置き換えたものが多いのだが、当時の音楽界にあっては異様な音楽であり、理解を得るのは難しかった。
通常ならすぐに改訂に入るところだが、初演の話よりも前に心酔していたワーグナーに会っており、献呈を申し出ている。ビールを飲みながらの会談で、交響曲第2番と第3番のどちらかを献呈することになり、ワーグナーは2曲とも気に入ったのだが、飲み過ぎたせいで二人とも眠ってしまい、どちらの曲を献呈するのか忘れてしまって、結果的にはワーグナーの楽曲からの引用が多い交響曲第3番が選ばれ、作曲家自身により「ワーグナー交響曲」と名付けられた。ワーグナーに気に入られたためか、改訂作業に入るのは遅めとなった。
それから9年が経ち、ブルックナーは交響曲作曲家として評価されるようになっていたが、もうワグネリアン(ワーグナー信奉者)ではなくなっていた。ということで、ワーグナーの旋律をどけて新たなる版を作った。ちなみに他人の曲の旋律を用いることは、今では著作権法違反となるが、当時はリスペクトと捉えられており、ヨハン・シュトラウスⅡ世も他人の作品の旋律を多くの作品で取り入れている。
さて、第2稿の演奏は、作曲者指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が受け持ったが、ウィーン・フィルが非協力的だったこともあって、失敗している。評価は初稿のリハーサル時にウィーン・フィルの団員が抱いたものとほぼ同じだった。ただ、若き日のグスタフ・マーラーはこの曲の真価を見抜き、フィンランドからウィーンに留学していたシベリウスもこの曲に感銘を受け、ブルックナーに師事しようとして断られている。
第3稿により、三度目の正直で大成功を収めた。この時も演奏はウィーン・フィルである。大巨匠であるハンス・リヒターの指揮であったことも大きかったかも知れない。
なお、ブルックナーの交響曲第3番の日本初演を行ったのは、ハンス・ヨアヒム・カウフマン(京響第2代常任指揮者)指揮の京都市交響楽団であった。1962年5月23日のことである。
1977年に初稿が日の目を見て高く評価され、4、5年前にデ・フリーントは知り合いから、「ブルックナーの交響曲第3番の初稿を知っているか?」と言われ、「初稿の存在は知っているけれど」と答えたが、いざ初稿のスコアを見てみると強く引き込まれるものがあったという。
今日のコンサートマスターは、京響ソロコンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置での演奏である。ティンパニが2種類用意されていて、シューベルトではバロックティンパニが、ブルックナーではモダンティンパニが共に中山航介によって叩かれた。
首席客演ヴィオラ奏者は、安藤裕子。
デ・フリーントは背が高いため、指揮台を用いずノンタクトでの指揮である。総譜は随時確認する。
シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」。私はヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる「シューベルト交響曲全集」(ドイツ・シャルプラッテン)でよく聴いている。ということでブロムシュテット繋がりの2曲である。
デ・フリーントが生み出す演奏はピリオドを援用しており、ブロムシュテットのものとは趣が異なる。毒のある音楽を生み出したシューベルトであるが、ピリオドで聴くと力強さの方が印象的になる。ただ時折現れる狂気のようなものが、あちらの世界の音楽のような印象を強くする。
ピナ・バウシュだったか、ドイツのダンスカンパニーがこの曲を効果的に用いていたのを覚えている。
19歳で悲劇的な音楽を書こうと思ったシューベルトの真意は今となっては分からないが、異色の生き方をした作曲家であるシューベルトの一面を知ることが出来る。「悲劇的」というより鬱のような曲想の部分があり、やがて焦燥へと変わる。間違いなく天才作曲家であるシューベルトであっても若き日にこれほど追い詰められているかのような曲を書いていることは、多くの人々の慰めになるかも知れない。
弦楽のビブラートであるが、完全ノンビブラートではなく、旋律の始まりの部分などにビブラートを掛ける傾向のあることが見て取れた。
プレトークで、デ・フリーントが、「終わった時に拍手が来るかも知れない」と語った第3楽章は短いものである。
左右の手を交互に挙げて、泳いでいるかのような仕草をしたデ・フリーントの指揮姿はユニークであった。
ブルックナーの交響曲第3番(初稿)。初稿の実演に接するのはブロムシュテット以来2度目である。やはり長く、同じような旋律が何度も繰り返されたり、かと思ったら本道をそれて脇道を延々と進んだりと、バランスはやはり良くない。戸惑う人が多かったというのもよく分かる。
冒頭はミステリアスであり、「まっとうな精神ではないのではないか」という危うい感じを受ける。一方で、ブルックナーの交響曲の中でも最も格好良い冒頭であるとも思える。
ワーグナーの引用としては、第2楽章に出てくる「タンホイザー」からの引用が最も分かり易い。この時期、ウィーンではエドゥアルト・ハンスリックという大物音楽評論家がブラームスを崇拝し、ワーグナーを否定するということが起こっていた。ワーグナー崇拝者であったブルックナーは当然、評価を得られない。そのワーグナーであるが借金踏み倒しに始まり、自身のファンだったルートヴィッヒ2世王をたぶらかして自身の作品上演のためだけの劇場をバイロイトに作らせるなど、作曲家としては歴史に残る存在だったが人間としては褒められた人ではなかった。ブルックナーがワーグナーから離れたのも、ワーグナーの性格によるところが大きかったのか。
そんなワーグナーの旋律を取り入れた初稿。急に別世界が現れるようで、面白さと違和感の両方を覚える。
これまで聴いてきて「長い」としか感じられなかったブルックナーの交響曲第3番(初稿)であるが、ミニシカゴ交響楽団のような輝かしく陽性なブラスの威力、残響が長く、音が美しいまま天井に留まっている京都コンサートホールの響きなどがプラスになり、今日は「長い」と感じずに聴くことが出来た。失敗を重ねた作品だが、ブルックナーだけに時折、神々しい旋律が顔を覗かせる。
ブルックナーの曲はゲネラルパウゼ(ブルックナーの場合は特に「ブルックナー休止」とも言う)が特徴なのだが、交響曲第3番(初稿)は特にブルックナー休止が多い。ブルックナーの演奏に京都コンサートホールは向いているようである。デ・フリーントは時折、天井を見上げる仕草をしていたが、京都コンサートホールの響きの特性に感心していたのかも知れない。
なお、天井からマイクが下がっていたほか、舞台上にも本格的なマイクセッティングがあった。どちらか、あるいは両曲をライヴ録音しているのかも知れない。










































































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