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2026年3月の16件の記事

2026年3月31日 (火)

コンサートの記(954) 森山直太朗 Two jobs tour 2025~26「あの世でね」Yeeeehaaaaw@フェスティバルホール

2026年3月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、森山直太朗 Two jobs tour 2025~26「あの世でね」Yeeeehaaaawを聴く。昨年、森山直太朗がリリースした2つのアルバム、「弓弦葉」と「Yeeeehaaaaw」の楽曲によるコンサートツアー。今日は、「YeeeeHaaaw」というフォークブルース、ブルーグラスを中心にした構成。母親の森山良子から受けた影響も大きいようだ。「弓弦葉」のコンサート会場だが、今日、発表が行われ、京都コンサートホール大ホールで、6月に開催される。京都コンサートホールは、クラシック専用ホールだが、それにあった編成で行われるはずである。今日も編成が大きめのバンドだったが、全てアコースティックの楽器であり、柔らかさが伝わってくる。今日は終演後に京都公演のチケットも発売されていた。京都公演の翌日は、大阪・上本町の新歌舞伎座で公演を行うという。森山は新歌舞伎座という劇場名から歌舞伎の劇場だと思ったようだが、新歌舞伎座は、なんばにあった頃から「歌舞伎の上演されない新歌舞伎座」として有名で、若手の歌舞伎俳優が公演を行うことはあるが、歌舞伎のビッグネームが登場することはない。演劇、ミュージカルの上演が多く、演歌歌手のショーも盛んに行われている。松竹も支援しているが近鉄の小屋で(歌舞伎は松竹の独占興行で近鉄だけでは歌舞伎の公演は打てない)、ミュージカルの上演が多いということで、音響は一定の水準が保たれている。

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「あの世でね」というタイトルであるが、昨年9月に公開された映画「風のマジム」のために書き下ろされた新曲で、舞台になった沖縄のことが歌われている。典型的なアイリッシュテイストのブルーグラスの楽曲である。私も何度かカラオケで歌っているが、「メロディーは陽気だけど、歌詞が怖い」と言われた。沖縄戦で戦死した人々が天国から戻ってきて歌うという趣向で、まじむのことについても歌われ、語られる。民俗的要素も、沖縄・本土関係なく歌われている。この曲にはフル編成によるバージョンと、ギター弾き語りによるアンプラグドバージョンがあり、「弓弦葉」公演ではアンプラグドバージョンが歌われる可能性が高い。

客席の年齢層であるが、若者はほとんどいないものの、中年以上のお客さんの年齢幅は広いように感じられた。男女比は私の席の周りでは半々。開場時間と終演後のみ写真撮影可となっている。音声を録ることは本番以外の時間であっても厳禁。

森山直太朗は、現れてすぐに客席に「立って立って」とジェスチャー。バラードが来るまでスタンディングで聴く。

森山直太朗の楽曲は裏声(ファルセット)を多用するのが特徴で、私も好んで歌う楽曲が多いが、最近は年齢のためか、裏声が素直に出なくなっている。また森山は音をかなり伸ばす。

フォークブルースの楽曲ということで、「赤い鳥」という曲を作曲している時に母親の、「歌わせろー!」という声が頭の中で聞こえたりしたそうだ。ただ母親に歌わせるわけにもいかないので、バックコーラスを頼んだところ、食い気味に「いいよ」と返ってきたという。

今日はバックバンド全員が赤の服装。「あの世でね」のミュージックビデオでも着ているものだが、YMOの赤い人民服(実際はスキー服をモチーフに高橋幸宏がデザインしたもの)を連想させる。
メンバー紹介の時に、チェロのはるかさん(林はるか。実妹は作曲家・編曲家・ピアニストの林そよか)が、大阪出身だという話をするが、「大阪弁、聞いたことない」と森山が言う。はるかさんは、「いつもは皆さん標準語なので標準語ですが、大阪に帰ると大阪弁になります」
森山は、「もっと乱暴な感じの大阪弁が聞きたい」というも、はるかさんは、「箕面(みのお)なので」。これで客席は大体納得したが、森山は東京の人なので、「箕面がどうしたの?」とよく分かっていないようだった。箕面は阪急の前身の会社が大阪市までの線路を引いたところで、その後、専務の小林一三の提案により、箕面周辺に大阪市内まで通勤する、比較的アッパークラスのサラリーマンのための住宅街を造成。大阪市内の「家が手狭」という層の移住を目論んだ。鉄道とそれに乗る乗客の両方を生み出すという画期的な政策を行った街の一つである。ということで高級住宅街もあり、お上品な人が多く言葉も綺麗なのである。はるかさんもプロのチェリストになっているということはお金のある家の出身であると思われる。吉本の芸人が使うような河内弁ベースの言葉とは根本的に異なる。なお、はるかさんは鉄道好きの「鉄子」なので、みんな「はるか」ではなく「鉄子」と呼んでいるそうだ。

アルバムの曲以外では、「夏の終わり」が歌われる。この歌も反戦歌で、サビはほぼ全てファルセットで歌われるという、ファルセットが出ないと歌うのが難しい曲である。

「さりとて商店街」は、某有名曲のパロディー。お客さんも歌ったので「共犯」関係のようだ。

肝心の「あの世でね」。春分の日に相応しい楽曲だ。この曲にはセリフの部分があるのだが、森山直太朗はセリフを言った後、しばらく歌ってからまたセリフを言おうとしてしまい、セリフを止めて演奏だけを行い、バックバンドは上手くついてこられなかったが最後のフレーズを歌って、何とか格好をつけた。演奏終了後も悔しかったようで、色々言っていた。
最後の曲、「僕らは死んでしまうのだけれど」の前に、「アンコールが欲しいというのなら演奏する曲は用意しています」

アンコールは3曲だったが、最後は一人語り「生きてることが辛いなら」。作詞の御徒町凧(おかちまち・かいと)が第50回日本レコード大賞で作詞賞を得た作品。心が「自分」で占められている人へのメッセージソングである。この曲がラストというのもいい。

なお、全編終了後、森山直太朗がアルバム購入者全員にお渡し会を行うという。男の人に貰ってもねえ、というわけで私は参加しなかったが、多くの人が並んでいた。森山がステージを去る際に、「良かったで!」「また来てや!」と声が掛かる。大阪でも珍しいことで、森山がいかに愛されているかが分かる。

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2026年3月28日 (土)

「科捜研の女」Season4概要

「科捜研の女」Season4 File.1。本来は、「科捜研の女」は、Season3で一区切りだったと思われるのだが、半年後にSeason4がスタートすることになった。科警研に辞表を出し、榊マリコ(沢口靖子)が京都府警科捜研に戻ってくる。科警研は日本における科学捜査の最高峰であるが、それであるが故にドラマが作りにくい。千葉県柏市だと東京などを含めてもロケ地としての魅力に欠けるということで、沢口靖子で続編を作るなら京都での「科捜研の女」であろう。元々、京都を舞台としたサスペンス&ミステリーの枠である。
科警研を辞めて京都府警科捜研に戻ることは現実にはあり得ないのかも知れないが、これは現実の話ではない。
2002年の放送。私が京都に移ってから初めての「科捜研の女」である。

東京から京都へ。榊マリコは、新幹線ではなく京阪高速バスで向かっている。京都から柏の科警研へは新幹線を使ったはずだが、なぜ今回は高速バスなのかはよく分からない。だが、この高速バスの中で殺人事件が起こり、バスは平安神宮の近くで停車し、捜査を行うことになるが、マリコが勝手に科学捜査を始めてしまう。
今は平安神宮の応天門の前、冷泉(れいせん)通から二条通の間は歩道となっており、岡崎公園が一体感を出しているが、以前は冷泉通から二条通まで応天門の前から大鳥居に向かって南北に走る車道(名前は神宮道で変わらず)があり、岡崎公園は東西に分けられていた。このドラマの映像でも、南北に走る応天門前の神宮道が映っている。

バスという狭い空間での殺人は、すぐに犯行がバレるため、通常は行われない。

さて、葛山信吾が演じていた上原刑事が久美浜署に異動になり、後任の新山は、「人相悪いな」と思ってよく見たら榊英雄だった。マリコとは榊繋がりだが、後に映画監督として強姦・準強姦容疑などで逮捕される人物である。丁度今日(2026年3月6日)判決が下り、懲役8年の実刑が言い渡されたようだ。「人は見た目によらぬもの」というが、この人は一目見て避けた方が賢明と判断すべきである。

バスに乗り合わせた容疑者役として、徳井優、宇梶剛士、本田博太郎らが乗っている。本田博太郎はプロのスリ師役である。ちなみにマリコは、引っ越しはサカイ引越センターを使っているが、だから徳井優が出演というわけでもないだろう。すでに売れている俳優であった。徳井優は売れる前は色々な仕事を受けており、ホテル備え付けの有料エロビデオにも出演していた。人気作だったのか大規模チェーンのホテルだったのか、複数の友人から「お前が出てきてどうすんねん?!」と言われたそうである。

京都の名所としては、鴨川沿い、みそそぎ川上の川床(ゆか)などが映っている。


「科捜研の女」Season4 File.2。中山忍登場。目が少し姉に似ている他は、見た目にさほど共通点はないが、声と言い回しが似ている。中山美穂がややきつめの顔であったのに対して、中山忍は柔和な表情であるためか、中山美穂は生前、ことあるごとに「妹の方がずっと美人」と口にしていた。

嵯峨嵐山の旅館で執筆を行っていた小説家の藤尾が殺害され、担当編集者の高須洋子(中山忍)が、その旅館の門から飛び出してきたところを車に轢かれて、二条院大学病院(同志社女子大学京田辺キャンパス友和館でロケが行われている)に入院する。洋子は旅館にいた時の前後の記憶だけが飛んでいたが、マリコは局限性健忘と断定、記憶はなくなっても意識下では残っているとして、脳指紋検査P300を使い、黒井千佳巡査(小林千晴。小林稔侍の娘である)をJR嵯峨嵐山駅に向かわせ、犯行現場までの映像を送らせる。結果としては洋子は、犯行現場と凶器に反応を見せたのだが、マリコは「目撃者の可能性もある」と犯人かどうかの決断は下さない。映像には桂川など風光明媚な場所も映っており、視聴者へのサービスとなっている。
洋子は、退院するが、「自分が犯人かも知れない」という心の動揺から、風呂場で自殺未遂を起こしてしまう。なんでよりによって風呂場なんだ。
再び二条院大学病院に入院した洋子に、マリコは再度の脳指紋検査を受けさせようとするが洋子は拒否。そこでマリコは前回の脳指紋検査からヒントになるものがないか徹夜で目を通し続ける。
脳指紋検査は実際に存在するようである。
藤尾の書いた小説の内容が、「沙粧妙子最後の事件」に出てくる梶浦(升毅)を連想させるが、多分、偶然であると思われる。ただ、沙粧妙子(浅野温子)は京都大学卒という設定であるため、京都という共通点はある。

Season4 File.3。洋館に若い男女が忍び込み、肝試しをする。というのは本編の導入部ではなく、テレビ局が事前に収録した映像という設定であった、WESTTVという民放が制作する生放送の心霊番組に、マリコは「幽霊不在派」の論客として出演するのだが、入りが遅れる。メイクの時間がないので、エレベーターの中で化粧をしようとして、人が降りるときにワイシャツを汚してしまう。プロデューサーの星野智里(星遙子。現・星よう子)の機転でスカーフを巻いて貰って汚れを隠し、本番スタート。MCは昔懐かしい北野誠。本人役での出演である。視聴率25%を狙える番組だそうで、15%で御の字という今とは状況が異なる。マリコは相変わらず空気が読めない言動だが、ロケ先である京都市中京区の旧領事館で異変が起こる。旧領事館の内部をレポートしていた城戸章吾が幽霊のような影を目撃。脇の部屋に飛び込んだのだが、老朽化した床が抜け落ち、転落してそのまま死亡した。
マリコは収録を抜け出して現場に向かう。
大きなテレビ局は東京と大阪に集中しているので、大阪のテレビ局かと思ったら、京都の局であった。まあ大阪からの放送だったら京都の現場に駆けつけられないので、芝居の嘘、もしくは現実とは違う世界である。

千佳は、「ワイルドで、その辺にいる優しいだけの男とは違う」と新山に惚れるが、悪いことは言わない、優しいだけの男にしておけ、そいつ実刑8年食らうぞ。

旧領事館の外観は、浜大津にある旧大津公会堂(収録・放送当時の名称は、大津市社会教育会館)が用いられている。1933年の竣工で、丸窓がアールヌーヴォーの影響を受けており、三条御幸町の1928ビル(旧毎日新聞社京都支局)に外観が似ている。
幽霊と思われた影の正体は、ブロッケンの怪物(ブロッケン現象)だとすぐに分かったのだが、城戸の死が事故なのかどうか謎が残る。
マリコはたまたま蓄光テープを発見。蓄光テープ(略称:蓄光)は、演劇の溶暗もしくは暗転の際に、俳優に進路などが見えるように床に貼る物で、溶暗や暗転のある舞台では必ず用いられる。
智里は、床が抜ける場所を知っており、城戸に安全のために貼らせた蓄光をその後にずらして城戸に腐った床を踏ませて下の階に転落するよう仕向けたのだった。
智里はWESTTVの編成局長と結婚して一児を設けたが、元アイドルで今はレポーターの城戸が何度も復縁を迫っており、殺害を決めたのだった。
トリックとしては今ひとつであるが、女性がマスコミを始めとする男性優位の社会で働くことの厳しさを訴える回でもあった。女性というだけで意見が通らない。同じ企画を男性が提案すると成功する。
マスコミに入ると女は女を捨てなければいけないという状況は今も変わっていないようだが、改善はされているようである。マスコミに多いパワハラもしくは体育会系体質は女性スタッフに対しては緩くなっていると聞く。1ヶ月家に帰れないなんてことはなくなったようである。


「科捜研の女」Season4 File.4。
北山。カップルがキノコ狩りをしている。しかし、女性の方が硬い何かを感じ、引っ張り上げると髑髏であった。結局、全身白骨化した遺体が見つかり、20代の女性で、身長160㎝前後、左利きであることが分かる。行方不明者の中で該当者は2人。うち1人はフィリピン人の女性テレサであった。テレサはフィリピンパブで働いており、毎週、彼女に巻き寿司を送りに来る男がいた。テレサは沖中という木工細工の職人とおそらく日本滞在のために偽装結婚していたが、次第に親しくなり、何もかも投げ出して駆け落ちを計画。しかし、借金のあるテレサの夜逃げをブローカーの溝口は許さず、沖中との待ち合わせ場所である面影寺に先回りして、抵抗されたためにテレサを殺してしまう。沖中は待ち合わせ時間に面影寺の山門に着いたが、いつまでもテレサが現れないため、駆け落ちを止めたのだと思い、帰るしかなかった。実際は彼が到着するより前にテレサは殺されていた。
紅殻の屋根を特徴とする面影寺の本堂にテレサの遺体は隠されていたが、3年前に本堂の一般公開が決まり、それで遺体を山奥に移していたのだった。
宮前(山崎一)が初めて科捜研の所長らしい仕事をする。科捜研も最初のうちは皆で科学捜査に取り組んでいたのだが、Seasonを重ねるうちに役割分担が出来、光子(深浦加奈子)は会計しかしておらず、捜査に関しては怖れすら抱いているようである。
今回、京都らしい観光名所で移ったのは仁和寺のみ。仁和寺の二王門はよく登場する。嵐山の法輪寺も面影寺として登場。
また、洛北医科大学の名前が出たが、名前が出ただけで、実際は京都医科大学が久しぶりに登場する。以前は龍谷大学深草キャンパスがロケ地で、巨大な正門も登場したが、今回は小さな門が登場しただけだった。


Season4 File.5。今回は京都市を離れ、マリコは有給を取って山奥の旅館に泊まりに出掛ける。チケットが二枚あったというだけで、なぜか新山を同行させることに。
ここに中高と同級生だった女性5人組が同窓会で来ていた。演じているのは、中島ひろ子、大西結花、魏涼子、冨樫真(まこと)、浅野麻衣子。80年代後半から90年代に掛けて活躍していた女優達である。収録・放送時点では余り売れなくなっているが、名前だけを見ると壮観である。と同時に芸能界を生き延びる厳しさも感じる。放送時点で見ても「懐かしい」と感じる顔ぶれである。全員が全盛期の時であったら、ギャラはかなり高額だったはずだ。劇中でも同じ年代だとしたら、彼女達は、就職時にバブルだったため、良いとされる職種に就いている人もいる。
5人は高校生の時にある男子に恋をするも悪戯を仕掛けて殺してしまったという過去を持っていた。
山奥で科学捜査は出来ないが、マリコはいつもよりは原始的な科学を用いて容疑者を割り出していく。ちなみに泊まる旅館は断崖絶壁の上で危険なことこの上ない。
血液型占いの話が出てきて、元同級生は5人ともA型であるが、実は本当は別の血液型で、性格を偽りたくてA型にしている人もいた。なお、マリコが断言するように、血液型と性格には何の関連性もない。日本の陸軍が、「血液型と任務遂行能力に何らかの関係性があるのではないか」というので調査したが、結論としては「一切関係なし」。だがそのデータがいつしか民間に流れて「血液型占い」が成立する。日本人の場合、A型4、O型3、B型2、AB型1という比率だったため、占いに用いやすかったのだろう。他の国ではB型が9割だったりするため、血液型占いは意味がない。今では先入観を持たせないために、子どもの頃に血液型を教えることはないそうである。


「科捜研の女」Season4 File.6。豪邸で投資トレーダーを行っていた男が、遺体で発見される。家政婦の女性は、遺体が発見される前の1週間休みを取っており、久しぶりに豪邸に出勤して遺体を見つけたのだった。
男には妻がいたが、四六時中パソコンに向かって取引を行っていたため、妻の時子(石野真子)は愛想を尽かして出て行った。
マリコは遺体から砒素が検出されたことから、砒素を使った殺人事件と断定。ではどこに砒素が盛られていたのかが焦点となる。砒素は長年に渡って部屋に漂い、被害者をじわじわと死に追い込んでいった。
被害者には絵の趣味があり、中には妻の時子を描いたものもあった。マリコは絵画には全く興味がなかったが、木場がアドバイスを行う。
被害者が亡くなった部屋には土壁が使われた部分があり、砒素はここに忍ばせられていた。被害者は妻に興味がなくなったのではなかった。土壁に妻を描いた絵の額を飾ろうとして土壁を痛めてしまい、妻の幼馴染みで工務店を営む和美に補修を頼んだが、時子は砒素をひそませるよう仕向ける。和美の営む工務店も倒産寸前でどんなことにも従うしかなかった。
時子は被害者が自分を愛していたことを知り、悲嘆に暮れるももう後の祭りだった。


Season4 File.7。巨大マンションから女性が転落して亡くなる。京都市内には珍しい巨大マンションであったが、住所は伏見区桃山町。京都人からは、「伏見は京都ちゃう」と言われるようなところで、高さ制限は緩い。
被害者の里子は、企業に務めるOLで、フリーターで友人の清美と同居していた。
そんな里子が、血染めのラブレターを送られるなど、ストーカー被害に遭い、警察に訴えていた。
実は里子が住んでいたのは、新山と同じマンションである。今日も女子達は新山が「格好いい」のなんのと口にするが、止めておいた方がいいって。
新山が清美と車でマンションに向かう途中、里子と思われる女性がマンションの自室から転落するのを目撃する。
里子の部屋を望遠鏡で監視している人物をマリコが見つける。粕谷亨、10年引きこもりを続けている男で、大体、テレビでこの手の人物を描くと、女性から相手にされないような男になりがちなのだが、粕谷亨はそれなりに男前である。クレジットを見て津田寛治であることに気付いた。1999年頃テレビドラマデビューなので、まだまだ駆け出しの頃である。
犯人は粕谷ではなく、ワイヤーを使うなどご大層なトリックを使っていた。また清美も共犯だった。
豊臣秀吉の指月伏見城跡の下付近にある大島病院(伏見区桃山町)がクレジットで出たが、小林稔侍演じる木場が診察を受ける場面で、本編の最後に使われていた。


「科捜研の女」Season4 LastFile。左京区岡崎の私立桜谷女学園高校(モデルになった高校はないと思われる。左京区岡崎には京都文教中・高校がある)に通う芦原利奈(加藤夏希。加藤夏希はSeason3にも別の出ていたはずである)が誘拐される。マリコは監禁場所を写した写真に京都タワーの上層階が移っており、階段の見えない東側からの撮影と見て、角度などを計算し(実際にはそれほど簡単には計算は出来ないはずだが)監禁場所を特定する。しかしこれは、利奈が母親の仁美(多岐川裕美)に不満を抱いて起こした狂言誘拐であった。
しかしこの狂言誘拐に、先代からの運転手である相沢(石丸謙二郎)が便乗。携帯電話を偽装し、二億円の身代金を運ぶ役を担ったとして、仁美を車から降ろし、一人で車を走らせる。そのまま車で逃げるつもりだったと思われるが、邪魔が入る。先代の芦原壮介は京都府警から政治家に転身。裏社会とのパイプを持っており、スキャンダルを察知した第一秘書の下条を、近江八幡の裏社会の人間である大神(大杉漣)を使って抹殺していた。
そんな中、鴨川の河原(実際に鴨川の河原か分からず、そうだとしてもかなり下流の方)で木場(小林稔侍)が遺体となって発見される。マリコは何としても木場の仇を討つと心に誓う。木場の検視はマリコが洛北医科大(京都学園大学、現・京都先端科学大学亀岡キャンパスでロケが行われている)で行う。木場が赤こんにゃくを食べていたことが分かり、赤こんにゃくが近江八幡の名産だと知ったマリコは近江八幡に向かう。ロケは八幡堀付近で行われているが、八幡堀地区は、日本で最も美しい街並みを残す町であり、見栄えがするところを撮影すると、京都ですら敵わないので、比較的地味な場所でロケは行われている。
近江八幡の赤こんにゃく屋の前に怪しい事務所かある。ここを根城にしているのが、おそらくヤクザと思われる大神である。
マリコは、木場が監禁されていた場所を探し出すが、大神に襲われる。木場をすぐ殺さなかったのは、ある人物と会わせて、話を付けさせるためだった。現れたのは正宗岳尋本部長(小木茂光)。京都府警出身の芦原壮介元民友党幹事長が発端となっているだけに、京都府警全体の事件に発展する可能性があり、それを止めようとしていたのだった。
正宗は木場の遺品を持ち出そうとして科捜研のメンバー全員に目撃され、チェックメイトとなった。
木場は殉職により二階級特進。警部→警視→警視正となった。
マリコのメンター的存在だった武藤(内藤剛志)が、今回はなぜか、科捜研の部屋にも現れる。マリコと食事をしながら、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する」と、「あるベストセラー作家の一説」を引用する(村上春樹の言葉である。『ノルウェイの森』に登場する)。そしてどこへともなく去る。Season4の武藤は、小説家というよりも妖精のような存在である。
ラストは、これで最後の出演となる小林稔侍の名場面集。泣いていたマリコも、木場から受け取ったこれまでの恩義を回想しつつ、次の事件に向かうことを誓うのだった。

テレビ朝日系列の「世界の車窓から」でナレーターを長年に渡って務めている石丸謙二郎。やはりテレ朝系のドラマには出やすい。


Season4は総じてコミカルな要素はこれまでよりも控えめ。美人女優が変なことをすると見ていて痛くなることが多いが、沢口靖子もその例に漏れない。コメディエンヌのセンスは持って生まれたもので、演技力でカバーすることは出来ない。仲間由紀恵などは極めて貴重な美形コメディエンヌで、「トリック」シリーズの成功は主役が彼女だったからである。後ろから殴られて、「ニャー!」と言いながら倒れるなんて、普通の女優がやったら激痛ものだが、彼女の場合はコミカルになる。ただ若い頃はコメディアンヌとしての力を発揮しても、ある年齢に達すると本格派女優にシフトしてしまう人が多い。コメディエンヌよりも本格派女優の方が格は上だが、ある程度の経験を重ねるとなれる。美形コメディエンヌは希少種。というわけでもったいないことが起こりやすい。

ということで、今回が深浦加奈子などがコミカルな場面を受け持つことが多い。

大杉漣は、徳島県出身で明治大学中退後に転形劇場に入団。看板俳優となるが、劇団解散後は無職同然になり、俳優業を細々と続けていた。北野武に気に入られて、多くの北野武作品に参加。下半身不随となった元警察官で、絵画作品に力を入れる男を描いた「HANA-BI」での演技が高く評価され、以後は北野武作品のみならず多くの映画に出演。出過ぎだというので、「大杉漣複数人説」が飛び出し、三池崇史監督は、外国人記者からの「大杉漣は何人いるのか?」との質問に、「少なくとも大杉漣3号までは確認されている」と冗談を飛ばしている。

小木茂光は、一世風靡セピア出身だが、俳優転身にあたり、その経歴を隠すよう頼んだという。一世風靡セピアではリーダーで、「哀川翔よりも強いのでは」と言われたが、YouTube番組に出演した時に否定。哀川翔については、小木と柳葉敏郎が口論になった時に止めに来たそうで、「仲裁役をやれるとは強い」と一目置いたそうだ。だが、自身の話になると、「チンピラ紛いのファンが騒いでいるので、『ステージ上がれ!』と喧嘩を売った」「帰り、楽屋から出るとき襲われるかも知れないけど、『まあ、大丈夫だろう』と」と、明らかに喧嘩が強い人の発言をしている。
初めて演技を見たのは、CX系の深夜番組「マエストロ」においてで、西村まさ彦(西村雅彦)がマエストロで、小木茂光がコンサートマスター役であった。

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2026年3月26日 (木)

観劇感想精選(511) 下鴨車窓 「点滅ハーバー」

2026年3月13日 京都市東山青少年活動センター創造活動室にて観劇

午後7時から、東山区総合庁舎の2階にある、京都市東山青少年活動センター創造活動室で、下鴨車窓の「点滅ハーバー」を観る。上演時間約70分の中編。

東山青少年活動センター創造活動室は、以前は京都の小演劇の公演が行われていたのだが、その後、主な上演会場は、アトリエ劇研(現存せず)、ART COMPLEX 1928(現在は、GEAR専用劇場となっている)、京都芸術センターのフリースペースや講堂での上演が多くなり、最近ではTHEATRE E9 KYOTOや木屋町のイベントスペース&レストランUrBANGUILDなどでの公演が増えている。
ということで、東山青少年活動センター創造活動室に来るのは、ひょっとしたら20年ぶりぐらいになるのかも知れない。

作・演出:田辺剛。出演:菱井喜美子(人間座)、鈴木嵩久、福井菜月(下鴨車窓)、酒井信古(人間座)、岡田菜見(下鴨車窓)。

京都の老舗新劇劇団には、劇団くるみ座、人間座、劇団京芸などがあったが、くるみ座はすでに解散。人間座も下鴨にあるアトリエを劇場として使えない状態にある。

 

どこともいつとも知れない時代が舞台。場所は海と船着き場の見える病院である。基本的には病院の一室のみが描かれるが、病院内の通路や外に出られる場所、そして架空の空間なども出てくる。

本作は、昨年、49歳で他界した舞台人の小早川保隆の死が反映されていることが、田辺によって無料パンフレットに書かれている。
小早川さんは主に音響など裏方として活躍された方で、私とは接点はなかったが(Facebookでは友達になっていた)、河原町広小路にある京都府立文化芸術会館で小早川さんが演出されたシェイクスピアの「オセロー」を観ている。「オセロー」はタイトルロールがムーア人で肌が黒い、だが黒人以外が肌を黒く塗って上演すると侮辱に当たるということでシェイクスピアの四大悲劇の中では上演が難しくなっている。その時の「オセロー」は、ラストシーンに始まり、どんどん時を遡っていくという演出で、こうした筋書きだとオセローよりもイアーゴーの活動が目立ち、「これは『イアーゴー』だなあ」と思った記憶がある。
ただ気になったのは、「わからんかったやろ。わからんことやったらあかんねん」と言う人がいたこと。私はかなりの高確率で捉えられたつもりだが、この人は「自分がわからないんだから他の人もわからない」と自分を軸にして全てを判断してしまうようだ。「このような人物は極めて怖ろしい」

 

本作には喫煙シーンがあるが、事前にスタッフにより偽煙草の使用であると説明される。

 

上手に枠で窓が示されている。
ベッドのそばに座って外を見つめる老女が一人。ヨシコ(菱井喜美子)である。だが、ここはヨシコの病室ではない。
この病室の主は、戦地から来たカイ(鈴木嵩久)だ。カイはこの病院がどこにあるのか分からず、ここに来た経緯を覚えていなかった。
ヨシコは、順番待ちをサボって人の病室にいたため、看護師(福井菜月)に見つかって注意され、順番待ちに戻るよう言われる。なお、ヨシコの病状であるが、腰痛である。腰痛なのに入院していて順番待ちというとある言葉や状況が浮かぶが、ここではそうした意味ではない。ここでは。
カイは、戦場で活躍し、メダルを手に入れた。今も戦地の仲間が恋しく、病院を抜け出して戦地に帰りたいと考えている。
カイを見舞う男(酒田信古)が一人。「おじ」だと言うが、「伯父」なのか「叔父」なのかは分からない。男はある経験により、「家族」(ここでは親族だが)以外は信用出来ないと考えるようになっていた。

カイとヨシコの二人のシーン。偽煙草を吸う。劇場もある日、急に「喫煙シーンがありますが、使用しているのは芝居用の偽煙草です」という表示がどこに行ってもされるようになった。当初は、「ご気分の悪くなられた方は」という文章が続いていることもあり、煙や匂いに敏感な人のための措置であることが分かるが、今はそうした説明もないため、筒井康隆の「最後の喫煙者」の世界が近くなったような気分になる。全ては小泉純一郎内開時の健康増進法が元ではあると思われる。健康は間違いなく良いものだが、「健康でなくてはならない」とナチスが突っ走った先例があるため、注意が必要である。健康であることは絶対的に「善」であるため、異議は唱えにくい。

ただ、この劇で扱っているのはそうしたものではないと思われる。

人々は火を求めるようになる。煙草を吸うための火だ。最初は火を求めるのは少数派だったが、今では多くの人が火を求める。人の心はその集合体の「世論」のように移ろいやすい。
プロメテウスが盗んだ火は、人類に進歩をもたらしたが、同時に戦乱も広めた。

夜中の病院をカンテラで照らしながら、出口を求めて彷徨うカイとヨシコ。しかし翌朝、看護師にとがめられる。そういえば看護師も昔は看護婦で良かった言葉である。今は「看護婦」と書いたら直される。ちなみに看護師は、カイとヨシコがベッドの上で二人でいるときは、架空の場所に現れて糸を引っ張り、灯りを揺らす。タイトルにある「点滅」ではないが、揺れる感じはする。人生のように不安定に。

二人はベッドの船で海に出る話をする。漕ぐものの名称が出てこない(オールでも自分の名前の櫂でもいいのだが思い浮かばない。近すぎると見えないのかも知れない)が、海を行く話をする。そんな中、ヨシコは子どもの頃に父親と釣りに行った話をする。ヨシコは退屈であったが、父親は昼と夜の入れ替わる時の話をしていた。

カイが死に瀕していることは、始めの方で明かされる。そもそもこの病室は余命いくばくもない人が入る部屋なのだ。

船着き場からは、故郷に帰るような、あるいは新天地に向かうような気持ちの人々が船に乗って海へと繰り出す。まるでおとぎ話の中の出来事のようだが、「実際にこういう人達、北にも南にもいたよね」

カイは死ぬ。

それより前に、若い女性(岡田菜見)がカイの病室を訪れている。ヨシコは「誰かと思ったら若い頃の私じゃない」と彼女が去ってから気付く。時空が歪んでいるのか、あるいは歳の離れたドッペルゲンガーか。ドッペルゲンガーを見たものは直後に死ぬとも言われているが、死んだのは別人だ。今の時点では。

冒頭と同じようなシーンが来る。順番が来た。ただ、私はこのラストシーンは取らない。
一人の人が死ぬということ。その重みを感じていたい。

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2026年3月24日 (火)

コンサートの記(953) 出口大地指揮 京都市交響楽団高槻公演2026

2026年2月21日 高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールにて

午後3時から、高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールで、京都市交響楽団の高槻公演を聴く。

以前にもトリシマホールには来ているが、黛敏郎が音楽を手掛けた東京バレエ団の「ザ・カブキ」という公演であり、黛は様々な音を重ね録りしたテープ音源を作っていて、それで公演を行ったため、生音を聴くのは今日が初めてになる。

「ザ・カブキ」では、ホリゾント幕や中仕切り幕などを使っていたため、ホールの壁が見えなかったが、木材を転々とちりばめた独自のものであることが分かる。おそらく適度に音を散らせる効果もあるのだろう。

以前は、高槻城公園付近には、城跡らしきものは何も残っていない高槻城公園と、えらく古い高槻現代劇場というホールがあった。1973年竣工で、渋谷区神南のNHKホールと同い年だが、稼働率が高く、人がどんどん入るNHKホールに比べると高槻現代劇場はオンボロで、やはり人がいないと建物が朽ちるのは早いようだ。NHKホールのように修繕費が潤沢でもない。ということで取り壊されて、南館を新設。従来からあった高槻市立文化会館を北館としている。

 

今日の指揮者は、若手の出口大地。左利きの指揮者である。大阪府豊中市生まれ。元々は弁護士を目指して、関西(かんせい)学院大学法学部に入学したのだが、在学中に「自分は争うのが嫌いな性格なので弁護士にはなれない」と悟り断念。「みんなを笑顔に出来る仕事がしたい」ということで、卒業後に東京音楽大学作曲指揮専攻(指揮)に入学。広上淳一に師事する。左利きであったが、当初は慣例によりタクトは右手に握っていた。しかし余りに鈍いというので、広上から「左利きなら左手で振れ」と言われてサウスポーの指揮者となっている。左利きの指揮者は数は少ないが存在しており、シベリウス演奏の大家であったパーヴォ・ベルグルンドが有名である。
東京音大卒業後はドイツに渡り、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンのオーケストラ指揮科修士課程を修了。
2021年に、本番一発勝負である第17回ハチャトゥリアン国際コンクール指揮部門で日本人初の優勝を飾る。同年にクーセヴィツキー国際指揮者コンクールでも最高位及びオーケストラ特別賞を受賞。指揮を広上の他に、下野竜也、クリスティアン・エーヴァルトらに師事。オペラ指揮をハンス・ディーター・バウムに習っている。また、ネーメ、パーヴォ、クリスチャンのヤルヴィ一族のマスタークラスに参加という面白い経験もしている。2024年からの1年間は、ベルギーのリエージュ王立フィルハーモニー管弦楽団のアシスタントコンダクターを務めている。ちなみにリエージュ王立フィルハーモニー管弦楽団は来日ツアーを行った経験があり、京都コンサートホールでもクリスティアン・アルミンクの指揮で演奏を行っている。

 

曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、グリエールのホルン協奏曲(ホルン独奏:福川伸陽)、チャイコフスキーの交響曲第4番。オール・ロシア・プログラムである。

いつも通りのドイツ式の現代配置だが、指揮者の正面にはトランペットが来て、ティンパニはやや下手寄りに配される。おそらくステージの大きさと他の打楽器との位置関係だろう。
コンサートマスターは、客演の白人奏者。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。尾﨑は老眼鏡を掛けての演奏である。
今日は管楽器の首席奏者が何人か降り番だったが(フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子ら)、その代わり、いつもは後半だけを吹くことが多い首席クラリネット奏者の小谷口直子や首席トランペット奏者のハラルド・ナエスが全編に出演した。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。歌劇本編は滅多に上演されることはないが、序曲はとにかく有名な楽曲で、いかに速く弾くかを競うようなところもあるが、出口はスピード感より安定性重視。京響の各楽器が美しい音を奏でる。

 

グリエールのホルン協奏曲。NAXOSレーベルの録音第1弾がグリエールの交響曲第1番だったことで知名度を上げたグリエール。ただその後、爆発的な人気を得ることなく、「そういう作曲家もいるよね」という認識に留まっている。
グリエールは、ウクライナの首都キーウ出身。1950年、モスクワにてホルンという楽器の可能性を感じたグリエールは、翌1951年にホルン協奏曲を完成。ボリショイ劇場管弦楽団の首席ホルン奏者であるヴァレリー・ポレフの独奏、作曲者指揮のレニングラード放送交響楽団の演奏によりレニングラード・フィルハーモニー大ホールで初演を行っている。
今回、ホルン独奏を受け持つ福川伸陽(ふくかわ・のぶあき)は、NHK交響楽団首席ホルン奏者として活躍している。第77回日本音楽コンクール・ホルン部門第1位獲得。
リッカルド・ムーティやパーヴォ・ヤルヴィから賛辞を受けている。
東京音楽大学准教授。

ロシアはヨーロッパから見てかなり東にあり、離れているため、情報の伝達も遅い。今と違ってIT環境も発達していないため、作品の内容が西欧に比べると遅れていたりする。
グリエールのホルン協奏曲も、伴奏などを聴くと20世紀に書かれているのにモーツァルトのホルン協奏曲のような様式を保っている。
一方でホルン独奏はかなり伸びやかに旋律を歌い上げ、広大な大地が広がる様が目に見えるようである。
福川のホルンは音の透明度が高く、愉悦感を覚える演奏である。
グリエールのホルン協奏曲は余り録音が出ていないと思われるが、ウクライナが生んだ音楽として聴いてみるのも一興かも知れない。

福川のアンコール演奏は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。編曲者は分からなかったが、温かな演奏であった。

 

チャイコフスキーの交響曲第4番。後期3大交響曲の中では荒削りとされる作品だが、手直ししなかったということは、これがチャイコフスキーの荒ぶる魂そのものだったのかも知れない。
悪妻アントニーナと別れたチャイコフスキーは、弟のアナトールに連れられてスイスを経てイタリアに旅行。創作意欲を取り戻し、交響曲第4番を書き上げるが、その後、スランプに陥り、純音楽による交響曲が書けなくなってしまう(叙事詩的交響曲の「マンフレッド」交響曲は書いた)。それほどのエネルギーを費やしたのが交響曲第4番だったということになる。

出口の指揮する京響は力強くも輝かしい音を奏でる。「ベテラン指揮者ならここで」というところを通過してしまうが、出口が指揮者としてはまだ若いということだろう。本当なら胸が苦しくてたまらなくなるところでもそれほどではない。そういう気分になりたくない人には向いている。
孤独が身に染みる第2楽章。チャイコフスキーの音楽に賛辞を送る人は多かったと思われるが、同性愛など、プライベートなところまで理解してくれる人は多くはなかったはずである。
アントニーナとの結婚についてだが、チャイコフスキー本人が同性愛者であることを隠したかったのと、いざとなれば女を愛せるという思い込みがあったと思われる。ただアントニーナは、チャイコフスキーと別れてから20年以上精神科の閉鎖病棟で過ごすことになるという、最早恐怖の対象であった。アントニーナ以外だったらどうだったのかは、想像のしようもないが、アントニーナの熱烈な恋文が結婚に結びついているので、女性と接する機を持てず、生涯独身だったかも知れない。

第3楽章は弦が大半をピッチカートで演奏するという特殊な楽章。浮遊感があり、魂が解放されるかのようだが、その後に来る第4楽章を考えると、束の間の想像の世界が描かれているのかも知れない。

第3楽章からアタッカで第4楽章に突入。コンサートマスターは最後の音までピッチカートなので、素早く切り替える必要がある。
「小さな白樺」の旋律が流れる。あるいはチャイコフスキーが子どもの頃に好きだった民謡なのかも知れない。ただそれが次第に威圧的に響くようになる。子どもの頃にはもう戻れない。
次第に曲調が激しくなるが、最後の方はもうまともな精神ではない。何もかも忘れてしまったかのようば馬鹿騒ぎである。
運命の動機の前に崩れ落ちるかのようにラストが訪れる。そもそも乗り越えられる程度のものならば運命とは呼ばないわけだが。

 

高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールの音響であるが、残響は短いものの、音がストレートに飛んできて実に心地良い。大阪府内は音楽専用ホールが次々にオープンしているが、海外の名門オーケストラも来る堺は別格として、豊中、箕面、枚方、東大阪などと比べても、音響は高槻が一番だと思われる。
定期的に演奏会を行うプロオーケストラも出てくるだろう。

 

アンコール演奏は、チャイコフスキーの組曲第4番「モーツァルティアーナ」第3曲「祈り」。典雅な演奏であり、京響の弦が特に美しかった。

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2026年3月22日 (日)

森山直太朗 「あの世でね」概説

森山直太朗の「あの世でね」。現在開催中のツアーのタイトルにもなっていますが、映画「風のマジム」のエンディングテーマとして書かれたもので、内容も「風のマジム」とクロスします。

歌詞をあまり引用してしまうと問題になるので控えめにいきますが、まずはメッセージについての内容です。これは歌詞の主人公のメッセージのはずですが、より客観的に第三者が込めたものと見ることも出来ます。伝えることの大切さです。言葉もそうですが、言葉でないものを伝えるというシーンが映画にも出てきます。

さて、焼けてなくなった鳥居が出てきますが、「戦で」とあるので沖縄戦で焼けて再建されていないのだと思われます。続く「焼き尽くされた夏祭り」は沖縄戦の比喩です。
「迎えがない」という言葉が出てきますが、どこが出典なのかは分かりませんが、自然死でない死に方、事故死、自殺、戦死などをした者のお迎えは遅れるといわれています。歌詞の主人公も戦死したのでしょう。悲しみが続いて涙も涸れて悲しくなくなった後に沈丁花が出てきますが、花言葉は「不滅」で死んでも魂は終わりではないことを意味していると思われます。

「雲の上」という言葉が出てきますが、これは主人公が天国にいるということでしょう。なので、彼らは天国から地上に戻ってきて宴を行っているということになります。

セリフの部分に出てくる「あの子」というのがまじむ(伊藤沙莉)のことです。「あなた」もやはりまじむのことです。

「ひ孫の代」。映画にはまじむの母と祖母が出てきます。父親は出てきません。理由は原作小説には書かれていますが、映画では敢えて伏せられています。おばあ(高畑淳子)の孫がまじむですので、まじむの子の代まで見届けてほしいという意味になります。ちなみに映画の中ではまじむは結婚しておらず、子どももいません。

最後に幽霊達は天国へと帰って行き、「あの世でね」と死後のめぐり逢いを誓います。御霊は自分たちのことで、蝉時雨は別れの歌。具体的どの蝉のことかは明示されていませんが、ヒグラシかも知れません。蝉時雨は季語としては晩夏。「夏の終わり」です。

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2026年3月21日 (土)

これまでに観た映画より(432) 又吉直樹原作・行定勲監督作品「劇場」

2026年1月31日

ひかりTVで、日本映画「劇場」を観る。原作:又吉直樹。ということで、吉本興業が制作した映画である。脚本:蓬莱竜太。監督:行定勲。
出演:山﨑賢人、松岡茉優、寛一郎、伊藤沙莉、上川周作、井口理(king Gnu)、大友律ほか。ケラリーノ・サンドロヴィッチや吹越満が観客役で出演している。観客「役」といっても座っているだけだけれど。
行定勲というと、演技指導が最も厳しい映画監督として知られているが、この映画は出演者に実力派が揃っているため、どの程度だったのかは、観ていても分からない。

一貫して東京23区内が舞台である。
表参道で自問自答する男、永田(山﨑賢人)。やがて、原宿へ向かう。原宿の画廊で猿の絵を観ていた永田。そこへ、同じ絵に興味を持った沙希(松岡茉優)が近づいてくる。それが出会いであった。
劇団おろかを、野原(寛一郎)と共同主宰している永田。劇評サイトなどを見ても最低点しかついていないが、OFF・OFFシアターということで客は入っている。それが東京の利点でもある。野原は、高校時代から「悲劇喜劇」を読むタイプ。永田を演劇の道に誘ったのも野原だった。

「前衛過ぎる」などの評価を受けた永田。しかし、「その日」という公演に沙希を起用したところ評判を呼び、次第に観客が増え、好評を博す。沙希は中学から演劇部の活動を始めており、キャリアは最低でも6年。高校の時に演劇に興味を持ち、卒業してから劇団を立ち上げた永田や野原とは演劇に費やして来た時間が違う。しかし永田はその後の芝居に沙希を起用しようとはしなかった。「沙希のお陰で成功」とは認めたくなかったのかも知れない。
劇団おろかの初期の女優として所属していたのが、青山(伊藤沙莉)である。容姿で選ばれたのではないということで、永田に暴言を吐かれそうになるのだが、野原が押しとどめる。その後、青山は劇団を辞めて、演劇関係のライターとなり、更に他の分野からの執筆依頼が殺到して捌ききれなくなったため、永田に仕事を回す。永田は最初は日雇いの仕事をしていたが、下北沢の沙希のアパートで同棲するようになってからはこれといって仕事をしていなかった。青山がくれる仕事はわざとなのかどうかは分からないが、原稿料は安い。
沙希は服飾の専門学校に通いながら、朝はアパレル、夜は居酒屋の仕事をこなしている。

OFF・OFF劇場で、劇団まだ死んでないよの舞台が上演される。小峰(井口理)が戯曲を手掛けたこの作品は、ケラリーノ・サンドロヴィッチや吹越満も観に来るほど話題になっており、終演後にはオールスタンディングになる。

永田は「才能とは何か」について考えさせられるのだが、この劇を観に来ていた沙希を責めてしまう。

なんとなく続いた同棲に見切りを付けるように、永田は高円寺へと引っ越すのだが、それでも足は下北沢の沙希の部屋へと向かうのだった。


「劇場」というタイトルで、小劇場が舞台になっているが、又吉直樹の主舞台である漫才やコント、ピン芸なども小劇場に似た場所で行われているため、要素が取り込まれていると思われる。小劇場もお笑いも食えない世界であり、自然、雰囲気も似てくる。
前作、「火花」では売れないお笑い芸人を題材にしていたが、「劇場」では恋愛の要素が増え、ラストも夢を諦めずに続けることで終わるのが違いとなっている。

ラストは劇場を現実世界が包含する形で終わるが、演劇の部分はもう少し短くても良かったかも知れない。最後には、初期の劇団のメンバーも含めて全員が登場し、カーテンコールとなる。

山﨑賢人は、主演映画の興行収入が悪い俳優というイメージがついてしまっているが、個性が他の俳優と重なってしまうことが大きいのかも知れない。演技自体は特に悪いと思うところはない。
松岡茉優は、もっとはじけた役が似合う女優だが、ありふれた女性をしっかりと演じていた。
伊藤沙莉は、もっと若い女性役も出来るが、本作のような大人の女性も、上品な色気があって良い。

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2026年3月19日 (木)

コンサートの記(952) 「大阪フィル×ザ・シンフォニーホール ソワレ・シンフォニー」Vol.26 大植英次指揮

2026年3月12日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「大阪フィル×ザ・シンフォニーホール ソワレ・シンフォニー Vol.26」を聴く。現在は本拠地を中之島のフェスティバルホールに移した大阪フィルハーモニー交響楽団が、ザ・シンフォニーホールで行う演奏会。「マチネ・シンフォニー」もある。
今日の指揮者は、大フィル桂冠指揮者の大植英次。大植英次が第2代音楽監督を務めていた時代には、大フィルはザ・シンフォニーホールを定期演奏会場としていた。ザ・シンフォニーホールは1700席と音響のために客席を絞っていたため、満員御礼も珍しくなかった。フェスティバルホールは2700席とキャパが広いため、大フィルの定期演奏会で満員は難しいと思われる。

ハノーファー音楽大学の終身正教授も務めた大植だが、昨年辞任したようである。

 

曲目は、オール・ロシア・プログラムで、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」、リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」

午後6時50分から大植英次よるプレトークがあるが、「誰も知らない話」「ネットやSNSに書き込まないで」と注意喚起した上で、ロシア音楽史の話が語られた。
内容は秘密である。

 

有名曲が並ぶが、ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」は、実演では聴く機会は少ない。演奏時間的に載せにくいというのが最大の理由と思われる。ちなみにボロディンと私は誕生日が一緒である(グレゴリオ暦において)。余り有名な人がいない誕生日で、有名どころでも岩崎宏美や串田孫一といったところである。

 

コンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーは尾張拓登であると思われる。
ドイツ式の現代配置での演奏。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。大植は譜面台を置かず、暗譜での演奏である。
速さを競うような演奏もあるが、大植は強弱とメリハリで聴かせる。先日、枚方で大フィルの演奏を聴いたが、ザ・シンフォニーホールでの演奏は、慣れているということもあって弦の勢いが良い。

 

ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」。その名の通り、アジア的な音楽要素を取り入れた楽曲である。
この曲では、大植は譜面台に総譜を載せ、老眼鏡を掛けて演奏スタート。途中で老眼鏡を外し、ノンタクトでの指揮に切り替わる。
オリエンタルな雰囲気に満ちた曲調を的確に生かした演奏で、風景が目に浮かぶかのようである(実際に行ったことはない)。特に管楽器が味わい深い。

 

リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲。今日はオール・ロシア・プログラムであるが、「ロシア独自」と「ロシアの外」の2つが演奏会のテーマであるため、ロシアを題材にした曲は少ない。「ルスランとリュドミラ」も舞台はウクライナのキエフである。
瞬発力のある演奏で、オケの鳴りも良い。リズム感も秀でている。スペインはリムスキー=コルサコフのみならず多くの作曲家が題材にしている。ナポレオンは、「ピレネー山脈の向こうはアフリカだ」と言ったが、イスラムの支配が長かったということもあり、他の西欧の国々とは異なる文化が作曲家のインスピレーションを刺激した。

 

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。実は昨年、大植英次はOsaka Shion Wind Orchestraを指揮して、吹奏楽編曲版の「シェエラザード」を演奏している。編曲が独自なので聴き比べや比較にはならないが、音の厚みや多彩さは当然ながら、オリジナルのオーケストラ版の方が上である。
沖澤のどか指揮京都市交響楽団も熱演系の「シェエラザード」を演奏したが、沖澤と京響の方がアラブの香りがするような雰囲気重視で、大植と大フィルの方はリムスキー=コルサコフの巧みなオーケストレーションを明かしていくようなタイプの異なる演奏である。

コンサートマスターの須山暢大のヴァイオリンソロも艶やかで、大フィルの演奏も力強い。ハープの平野花子もオリエンタリズムの醸成に貢献する。
なお、ホルンファーストの高橋将純はこの曲のみの参加である。
弦楽器がうねる中、管楽器が的確にポイントを射貫いていく。大植も時に声を出しながら熱い指揮を繰り広げる。
最も有名な第3曲“若い王子と王女”では、弦が透明感に溢れた伸びやかな演奏を聴かせた。ラストの“バグダッドの祭り、海、青銅の騎士の岩での難破、終結部”でもスケール豊かで揺らぎに満ちたキレと厚みを両立した演奏を聴かせた。

 

演奏終了後、大植は大フィルのメンバーに2回立つように命じたが、オーケストラのメンバーは敬意を表して立たず、大植が一人で喝采を受ける。大植も客席に向かって360度拍手を送った。

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2026年3月17日 (火)

「科捜研の女」Season3概要

「科捜研の女」Season3 File.Ⅰ。今回は、京都府の日本海側、久美浜の海岸から始まる。大学の同級生達と集まったマリコ。在学中から美貌が注目されていたマリコであるが、バツイチで子どもがいないことを明かすと、急に周りが焦り始める。マリコは、「結婚や子育てが女の幸せだなんて」と不満そうである。
久美浜の海に、潜水服を着た死体が上がる。科捜研の女であるマリコは、男が潜水出来るような状態ではないことを見抜き、他殺と捉える。遺体となって発見されたのは栗田(高杉亘)という自称ルポライターだが、著書は売れず、最近は書けなくなりあちこちに借金を重ねていた。
栗田が逝った海を日傘を差して見つめる美しい女性をマリコは見つける。女の名は美咲(南野陽子)。栗田とは高校の同級生であった。今は木屋町で小料理屋「活魚料理 みさき」を営んでいる。南野陽子クラスの美人が木屋町に店を開いていたら、客が押し寄せそうだが。
栗田と美咲と柏崎(石橋保)の3人は仲が良く、高校を卒業してからも3人で過ごしたりしていた。栗田はルポライターになった当時は羽振りも良かったという。
生け簀トランクの仕事をしていた柏崎。しかし、栗田が暴力を頻繁に振るうようになり、美咲は栗田を久美浜の海水を入れた生け簀トランクに突き落として溺死させ、遺体をトラックで久美浜まで運び、海で溺れ死んだように見せかけたのだった。
ということで最初からの殺意がなかったとは言え、美咲が犯人ということになる。美咲は栗田の子を宿していた。
美咲やマリコが、「34歳だから」「もう若くない」と話す。だが、20年以上を経て、今の34歳は若い。
南野陽子は兵庫県出身だけに上品な関西弁を喋る。沢口靖子と南野陽子は、細かいところまで計算せずに感情に正直にセリフを語るという点で似たタイプである。

京都の名所としては、昨年、近くに熊が出没したことで話題になった仁和寺と、二条城の東南隅櫓が映っていた。

Season2では、伊藤裕子演じる城丸準子と左京区岡崎のマンションで同居していたマリコだが、伊藤裕子がリストラされたので、一人で京町家に住んでいる。だが、母親の榊いずみ(星由里子)から見合いを促す書類が届く。最後には、マリコの住む町屋にいずみが現れて、やはり見合いを勧める。

科捜研のメンバーは一新されている。深浦加奈子が科捜研の会計係役で出ているが、この数年後、深浦加奈子は癌のため48歳の若さで帰らぬ人となる。第三エロチカの看板女優だった深浦加奈子。元第三エロチカ主宰で、劇作家・演出家・俳優の川村毅は深浦加奈子について、「あの人は天才だからすぐ出来ちゃうけど、そこから伸びない」と評していた。山崎一も科捜研の所長として出演しているが、故宮沢章夫は、「NOVAの山崎一君とか、読み合わせの時、下手くそなのな。そっから本番に向けてレベルを上げていく」ということで、一口に役者と言っても様々なタイプがある。
なお、Season2でプロファイラーとして科捜研のメンバーに加わっていた武藤(内藤剛志)は、人気推理小説家に転身。代表作は『科捜研の男』であるようだ。
ちなみに人生の最後に食べたいものとして、マリコは真っ先に新福菜館のラーメンを挙げていた。


Season3 File.Ⅱ。今回は陶芸を巡る殺人事件である。
陶芸家の高槻幽斎が、自宅の工房で頭を打って死亡しているのが発見される。何者かに後頭部を殴られたことがマリコの検視で分かる。工房内に荒らされた跡があったため、物取りの犯行として捜査が行われる。
一方、マリコは陶芸家の円城寺光斎(井田州彦)という幽斎の弟弟子に目を付ける。26歳の時に「鳳凰」という作品で高い評価を得た光斎。怪しい人物だが、彼にははっきりとしたアリバイがあった。個展の準備のために展示場にいたという。また幽斎は私生活がだらしなく、破門されており、陶芸家としては死んだと断言する。
だが実は「鳳凰」は光斎ではなく幽斎が焼いた作品であり、それをネタに光斎は強請られていた。
東福寺がロケ地になっていると考えられ、通天橋と思われる橋の上を4人で渡るシーンもあるのだが、通天橋は拝観有料である。お金払ったのだろうか? 「大人4人」と言ったのだろうか?

Season2では、科捜研の主任であったがマリコだが、今回は所長として宮前(山崎一)がいる。ただどんな仕事をしているのかは今のところ分からない。いるだけ上司かも知れない。
徹夜で焼き物の復元をすることになった科捜研の面々。皆が嫌々やるなかでマリコだけがやる気満々。ただやはり彼女は他人の心を読み取る能力は低そうだ。

実は井田州彦(現・井田國彦)は、Season2の最終回にも大衆演劇の座長役で出ており、ほぼ連続しての出演となった。


「科捜研の女」Season3 File.Ⅲ。京都市内のホテルが舞台。母の招きでホテル(京都東急ホテルでロケが行われている)で行われるライトアップショーに参加するマリコ。マリコのイメージカラーは赤なので赤いドレス姿である。
ショーが始まる前に、マリコはホテルのバンケット主任の荻野美奈(若林しほ)が部下を厳しい態度で叱りつけているのを目にする。
ライトアップショーでは、美奈が司会を務め、新進のライトアーティストの園部さやか(粟田麗)がデザインした、ライトアップされた屋上の庭がスクリーンに映るが、すぐに停電してしまう。同時刻、ホテルの屋上でプールに入ろうとしていたと思われる、ホテルのオーナーの息子の柿崎実が感電死する。その後、実が美奈の元彼であり、今はさやかの彼氏であることが分かる。自分のライトショーで、それも自分が点灯させたことで柿崎を死にを追いやったと思ったさやかは手首を切って自殺を図る。

かなり無理のある設定が目立ち、ツッコミどころも多い。

これまで名前しか出てこなかった洛北医科大学のキャンパスが登場。その後は、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)人間館がメインの建物となるが、この時点ではまだ竣工していないので、同じく洛北にある京都精華大学のキャンパスが洛北医科大学に見立てられている。精華大の学生もエキストラとして参加しているのかも知れないが、残念ながら医学生には見えない。

ホテルの屋上にあれだけ広いプールと中庭がある場所は京都にはないので、同志社女子大学京田辺キャンパスの施設が使われているようである。

若林しほ(若林志保)は、「天までとどけ」の長女役でブレークしたが、殺人事件を目撃してPTSDになり、休養。追い打ちを掛けるように、「天まで届け」の共演者の事故死などがあり、精神的ショックから芸能界を引退している。

その後、有名ミュージシャンから受けたDVや、「天までとどけ」の共演者からのいじめを告白。「天までとどけ」の制作側や、母親役だった岡江久美子は否定するが、その岡江久美子は新型コロナウイルスに感染し、若くして亡くなってしまう。
現在も生活保護と障害年金に頼る不安定な生活を送っているようである。
同世代では、川越美和が、やはり精神的不調から引退し、故郷の鹿児島に帰るも生活保護となり、程なく病死している。
向く向かないはあると思うが、本当に厳しい世界である。

粟田麗(あわた・うらら)は、私と同い年である。玉川大学で演技・演劇を専攻し、映画「東京兄弟」で注目を浴びる。可愛いが美形タイプではないので、なかなか主役とはいかないようだが、コンスタントに作品に出続けている。映画版「白夜行」の薄幸な女性や、寺島しのぶ主演版の舞台「書く女」で主人公の樋口一葉とは違ったタイプの妹を好演している。本人がどう思っているのかは分からないが、薄幸役がかなり似合う人である。


Season3 File.Ⅳ。神社で赤子が捨てられているのが発見され、その近くに死体が転がっていた。京都府警は、赤子の母親と死体の身元を探る。
今回は、京都精華大学(洛北医科大学という設定)、仁和寺、堀川通、二条陣屋、京都タワー、JR京都駅大階段と展望台など、京都の名所が多く映っている。
犯人の真壁裕一(加勢大周)は、死体の身元である阿部和夫(三上市朗)と施設で兄弟のように育った。だが、真壁は子どもの頃に事故で人を殺してしまったことがあり、阿部が身代わりとなって少年刑務所に入って真壁を庇ってきたのだが、出所して生活が苦しくなった阿部は風景画家として成功した真壁を脅迫し始めたのだった。

現場で見つかった赤子の顔には土が塗りつけられていたが、民俗学的なものではないかと木場から聞かされたマリコは、民俗学の本を山のように集めて、所員に読むよう強要し、更に4万円もする民俗学の本を購入して、科捜研会計係小向光子(深浦加奈子)を呆れさせるなど、やはり頭は良いのに他人の心を読む能力や常識に欠けているのが分かる。最初は面白がってそういう設定にしたのかも知れないが、長く続くとなると、そうした欠点を克服する姿も描かれるようになるのだと思われる。

その後、麻薬所持と栽培容疑で逮捕されることになる加勢大周。芸名の問題でも話題になり、新加勢大周が現れたりした(その後、坂本一生に改名)。逮捕後は芸能界を引退。函館でバーテンダーとして働き、その後、東京に戻り、六本木でバー数店を経営していると聞く。

劇団M.O.P.の看板役者の一人であった三上市朗。だがテレビでは最初のうちは余り良い役は貰えないようだ。

赤ん坊の母親役である池田真紀は、赤ん坊がいるのに煙草を吸うという設定だが、煙を肺に吸い込むことが出来ないため、非喫煙者である可能性が高い。若林しほも喫煙シーンがあったが、煙草を口に付けるだけで吸うこともせず、煙草嫌いなのが分かる。


「科捜研の女」Season3 File.Ⅴ。木屋町にある空きビルから、警備員が墜落し、死亡するという事件が発生。突き落とされたと見て捜査が行われたが、死亡した警備員の土方は、木場と京都府警捜査課同期だった(この回は捜査課という言葉が使われる)。同じ女性を好きになり、彼女は土方と結婚した。老いた彼女(草村礼子)は病気で洛北医大病院(京都学園大学、現・京都先端科学大学亀岡キャンパスでロケが行われている)に入院している。
土方は木場とタッグを組むことが多かったが、ある日、木場が暴漢に脚を刺された時に、土方は相手をピストルで撃って殺害してしまう。指名手配犯の射殺であるが、過剰防衛として問題視され、土方は懲戒免職は何とか免れて依願退職となり、警察官の再就職先の王道である警備員になった。
7月、祇園祭の季節。祇園囃子が鳴り響く。実は録音による祇園囃子も京都市内で鳴り響いている。祇園囃子のCDも発売されている。

実際には木屋町は高さ制限があるため、撮影された高さのビルはおそらく存在しない。
寺町京極や、新京極商店街を木場が聞き込みに回る場面があり、六角広場も出てくる。

ネタは半分まで来たところで明らかになる。土方は奥さんに手術を受けさせたかったが、警備員の給料では捻出出来ない。そこで生命保険に入り、死ぬことで金を受け取ろうとしたのだが、自殺では下りないため、他殺を装うべく、木屋町のチンピラを巻き込んだのだ。

マリコと上原(葛山信吾)が祇園白川沿いを歩いている場面があり、祇園囃子が聞こえてくるが、あの場所では祇園囃子は聞こえないため、木屋町辺りに見立てられているように思う。木屋町でのロケは一度も行われていないが、やはり人が多く治安も悪いからだと思われる。

マリコは、木場の自宅を訪れ、事件が自殺か事故かどちらかを選ぶよう木場に言う。

脚本は、Season2までは砂本量などが書いていたが、Season3からは、「世にも奇妙な物語」で名を上げた戸田山雅司の回が増えて世代交代が進んでいる。Season3からは音楽も川井憲次に変わり、テレ朝全体で「科捜研の女」を看板番組にしようという熱意が伝わってくる。

ラストシーンはJR京都駅。横浜に帰る母を見送りに来たマリコだが待ち合わせ場所を2階にしていたこともあり、間に合わなかった。

映画「Shall We ダンス?」で、可愛らしいお婆ちゃん先生として話題になった草村礼子。今も存命中である。今年で86。「Shall We ダンス?」は1996年公開の30年前の作品なので、実はその時も見た目より若かったことになる。


Season3 File.Ⅵ。今回は女子高の寮が舞台である。京都市内でもお嬢様学校として知られる清明女学院高等部(校舎はプロテスタントの学校である同志社女子大学今出川校地の栄光館が映っているが、清明女学院はノートルダム=フランス系カトリックという設定である)の寮で、怪奇現象が起こる。本来は科捜研の仕事ではないのだが、所長の宮前が清明女学院の理事長と親しいので是非にと頼まれたようだ。
清明女学院高等部には清心寮(「清心」もまたノートルダムを表す言葉だが、京都ノートルダム女子大学は協力はしてくれなかったのだろう)という寮があるのだが、建設から半世紀が経つということで老朽化。取り壊して新しい寮を建てる計画があるが寮生数名が反対の声を上げている。
清心寮の舎監を務めるのは、南妙子という女性(「みやむー」のニックネームで知られる声優の宮村優子が演じている。キリスト教の学校なのに日蓮宗みたいな名前なのはわざとだろうか)。彼女も清心寮の出身である。寮の取り壊し反対の中心人物は綾川みどり(加藤夏希)である。反対派グループの一人に、三輪ひとみの妹である三輪明日美がいるが、余りセリフが貰えていない上に割と酷い扱いである。ただ彼女の場合は庵野秀明監督の実写映画第1作である「ラブ&ポップ」で仲間由紀恵らを押しのけて主演を張っているため、日本映画史上に残る女優になりそうである。
さりげなく「鴨川で連続殺人」があったとして捜査員の半分がそちらに回るのだが、連続殺人がありふれたことのように言われるなんて、京都ってのはどれだけ怖ろしい街なんだ。

科捜研のメンバーの一人である鶴田(遠山俊也)が中学時代の妙子の後輩であり、放送部の1学年下で、妙子はみんなのアイドル的存在だったと語る。ちなみに放送部では妙子はアナウンス担当だったが、鶴田は機材担当だったので、マイクに向かって話したことはないようだ。

3年もいれば出て行く高校生が取り壊しに反対するのはおかしいとして、マリコは黒幕を見抜く。超常現象のトリックも見抜くが、超低音で物体を動かしてポルターガイストを起こすというのは強引。人間の聴力には限界があり、ある程度から下の重低音は聞き取れないとされ、CDでは超低音はカットされているが、その後の実験では無意識に感じ取っていることが分かっている。その超低音で物体を動かすにはかなり大きなスピーカーと超低音の音源が必要なはずだが、あるのはミニコンポだけである。コンポで再生可能なのは基本、CDで、CDでは先に述べたように超低音を出すことは出来ない。

最近(といってももう20年前からの傾向だが)の女性声優には美人が多い。宮村優子もその一人だが、それには理由があり、声優業は厳しいので、声優で駄目となったときにタレントやモデル、女優に転身しやすい美形の人を選んでいるそうで、美貌が保険になっているようだ。水樹奈々のように美貌と歌唱力で声優よりも歌手のイメージが強い人もいる。
平野綾なども、声優よりも舞台女優、ミュージカル女優のイメージが強い。
宮村優子はその後に二度結婚し、二度目の夫と間に子どもも設けるが、結局離婚。オーストラリアで生活していたが、声優の仕事を増やすためか日本に拠点を戻している。

宮村優子の声優としての見せ場を作るためか、妙子が中学校(北安中学校という架空の学校)時代に放送部で吹き込んだカセットテープのものという設定の音声を、中学校の後輩の鶴田が聴き続けるという場面がある。やはりプロの声優のものであることがすぐに分かる。


Season3 File.Ⅶ。小向光子(深浦加奈子)が準主役的立場となる回である。光子が商店街(西の方の京都三条会商店街)で買物をして帰る途中、町内会長の糸川が、「人が殺された!」と呼びに来る。近くの小さな公園で、同年配で共に背の高い若い男性が争い、最後は片方が片方を刺して死亡させたという。光子が京都府警に電話をする。駆けつけたマリコは、翌日の検視で、血痕が低い位置に付いていることに疑問を抱く。
光子は共働きであるため、一定の時間までは息子のシンヤを児童館に預けている。シンヤは小学校4年生ほどだと思われる。シンヤは児童館の先生である岸田萌に好意を持っている。といっても子ども特有の愛着である。
光子は当日シンヤが履いていた半ズボンに血痕が付着しているのを発見。検視の結果、殺された竹本の血痕に間違いないことが分かる。シンヤは、「僕が殺ったんだ」というが、子どもに大人を殺すことは不可能に近い。
萌は、おそらく西院春日神社の境内で、「自分が刺した」と告白する。だが、刺したのは一度だけで、これだけでは死に至る可能性は低い。萌は兄を、竹本とグルの飯沼に自殺に見せかけて殺害されていた(飛び降り自殺だが、京都は建物の高さ制限があるため、飛び降りて確実に死ぬことの出来る建物は少ない)。
実は、萌が竹本を刺した後、町内会長の糸川が二人を発見し、何とかしようとするが、その隙を突いて、竹本との間に金銭トラブルを抱えていた飯沼がもう一度刺して殺していたのだった。凶器を探す際に再び神社が映るが、その後に糺の森が映るため、今度は下鴨神社で間違いないと思われる。

このSeasonではメンターとして、マリコにヒントを与える役割になっている武藤。しかし、マリコは朝6時前に武藤宅を訪れるという、これまた非常識なことをやっている。武藤はジェラートを作るために徹夜していたため、特に怒られたりはしなかった。武藤は名画「ローマの休日」の思い出を語る。マリコも「ローマの休日」を観たことはあるようだが、非現実な大人のおとぎ話という趣向の映画であるためか、リアリストのマリコにはほとんど響いていないようだった。ちなみにオードリー・ヘップバーンが武藤の初恋相手のようである。


「科捜研の女」Season3 LastFile。1時間30分に枠が拡大されている。
車に轢かれて死亡した男性の遺体から、銃弾が見つかる。照合したところ、線状痕が、当時東山署にいた伊塚夏子(山本未來)の拳銃から撃たれたものであることが分かった。夏子はキャリアとして警察庁に採用され、京都の東山署に赴任したのだが、初めての捜査で容疑者を射殺してしまい、キャリアの道を外れて、今は琵琶湖北警察署の総務課で課長を務めている。琵琶湖北警察署は、マリコの元夫である倉橋拓也(渡辺いっけい)が署長を務めている警察署であり、倉橋は夏子のことを気に入っていて、再婚相手に選ぼうとしていた。
そんな中、夏子が容疑者を射殺したとされる事件の真の殺害者が明らかになる。現在は京都府警副本部長となっている小此木(中丸新将)だった。更にこの事件によって間接的に息子の命を奪われた男がおり……。
マリコは、千葉県柏市にある科学警察研究所(科警研)への異動が決まる。本当は左遷させられてもおかしくないところだったが、倉橋が手を回して形の上では栄転ということになった。
関東に向かう日、JR京都駅で、直木賞を受賞した武藤要(内藤剛志)のインタビューを巨大モニターで見ながら笑顔を見せたマリコは科警研での活躍を誓うのだった。


同じテレビ朝日系の「トリック」と出演者が被るドラマである。中丸新将は伊藤公安(きみやす)公安部長を、渡辺いっけいは「口調が丁寧すぎる番頭」平山平蔵(ひらぞう)を、深浦加奈子は新興宗教の幹部女性を演じていた。

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2026年3月15日 (日)

観劇感想精選(510) 小早川保隆演出 C.T.Tプロデュース公演「オセロー」

2005年12月9日 河原町広小路の京都府立文化芸術会館にて観劇

京都府立文化芸術会館でC.T.Tプロデュース公演「オセロー」を観る。原作:ウィリアム・シェイクスピア、翻訳:福田恆存(ふくだ・つねあり 新潮文庫刊)、脚色・演出:小早川保隆。
京都の新劇と小劇場劇団から選ばれたメンバーによる公演である。

ショパンの夜想曲第20番(遺作)のソプラノ編曲版が流れ、幕が上がる。いきなり本来のラストシーンであるオセローのデズデモーナ殺しと自殺の場から始まってしまう。そこから時間が遡行していくという描き方である。
「オセロー」を観たことも読んだこともない人の中には途中まで展開がわからなかった方もいるかも知れない。巨大な時計の文字盤がセットにあったので、それを左右逆にしておけば、内面的時間における再構成ドラマとして、もっとわかりやすく見せられただろう。
率直に言ってしまえば、これは「オセロー」ではなく(少なくとも悲劇「オセロー」ではなく)、「イアーゴー」と名付けた方が適当な劇であった。
思い切った脚色と演出で試みとしては面白かったけれど、「オセロー」を観たことがない人が、「『オセロー』とはこういう芝居なのか」と誤解してしまう可能性があるのが少し恐い。それに、結果から冒頭に進む形態にしてしまうと、イアーゴー以外の人物が愚かに見えて仕方がない。

更に徹底して脚色し、ピカレスク・ロマン「イアーゴー」と銘打って公演してしまうのも一つの手であっただろう。もともとイアーゴーはオセロと並んで人気のある役であり、オセロー俳優を喰ってしまうイアーゴー役者も歴史上には沢山いた。

1番前の席だったので、各々の役者が演技をする上で何を大切にしているのかがわかり過ぎてしまい、演技の方に注意が行ってしまって、ストーリーになかなか入り込めなかった。
心理を重視する人は、ジョギングに例えると気ばかりが走って体が前のめりになり、今にも足がもつれそうな演技だったし、文化芸術会館の広さを気にする人は(特に小劇場の俳優は)声が通るように滑舌に気を配ったり、姿勢を含めた見た目に注意が行ったりで、心理面がフラットになってしまっている。ナチュラルな演技を心がけている人も周りの演技スタイルからは浮いている。別に統一感がある必要はないけれど、スタイルに差がありすぎるのは気になる。

ラストはテレビドラマでよくやるような、視覚的に美しいものだったが、やはりイアーゴーがオセローを憎む理由を強化して、ピカレスクな終わり方にした方が全体の統一感が出て、より効果的だったと思う。「イアーゴー」として観た方が楽しめる劇であった。

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2026年3月10日 (火)

観劇感想精選(509) 稲垣吾郎主演「プレゼント・ラフター」

2026年3月5日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で、「プレゼント・ラフター」を観る。ノエル・カワードが自身の生活をモデルにしたとされるドタバタ喜劇。ノエル・カワードはシチュエーションコメディが得意な人だが、この劇は完全にスラップスティックである。

ロンドンにあるギャリー・エッセンディーン(稲垣吾郎)の高級アパートメントの一室が舞台であり、セットの転換はない。

作:ノエル・カワード、テキスト日本語訳:徐賀世子(じょ・かよこ)。演出:小山(こやま)ゆうな。
出演:稲垣吾郎、倉科カナ、黒谷友香、桑原裕子、望月歩、金子岳憲、中谷優心、白河れい、浜田信也、広岡由里子。

時代から言って、多くの人が喫煙をするが、ニコチンなしの茶葉スティック、つまり偽煙草であることがホワイエに掲示してある。今はどの芝居も演技で用いるのは「ネオシダー」などの偽煙草であることが掲示されており、事実上、舞台上で本物の煙草を吸うことは不可能になっている。この茶葉スティック、結構匂う。

トップクラスのスター俳優であるギャリー・エッセンディーン。間違いなく成功者だが、俳優の職業病故か、常に演技をしてしまう癖がある。そう言いつつ演技でない部分も多いと思われるが、「マクベス」の「眠りを殺した」など有名ゼリフを引用してしまうことがある。

2日間の出来事が描かれる。ギャリーの朝は遅め。スウェーデン人の家政婦であるミス・エリクソン(広岡由里子。広岡由里子に家政婦役だけではもったいないので、もう一つ別の役を演じる)が掃除をし、付き人兼使用人のフレッド(中谷優心)が朝食を作り、秘書のモニカ(桑原裕子)が、ギャリーが起きる前にやるべきことを始める。主が起きるより先に働いているので、この人達は住み込みなのだと思われる。
ギャリーには妻のリズ(倉科カナ)がいる。彼女は劇作家で業界人だが、現在は別居中だ。

だが、この家にやたらと人が訪ねてくる。アフリカでのツアーが迫っており(この時代、イギリスはアフリカに多くの植民地を持っていた。今は全て手放しているが、元英国領の多くは英語を公用語としている。ということでアフリカの植民地でなら英語での芝居が打てたのである)、その関係者が来るのは分かるのだが、劇作家志望のローランド・モール(望月歩)が戯曲を読んでほしいと訪ねてきたり(リズが本職の劇作家なのでリズに聞いた方がいいような気がするが、二人が夫婦と知らないのかも知れない。ギャリーは「20回作品を書け、そうすれば21回目に光が見える」とアドバイスする)、プロデューサーのヘンリー・リピアット(金子岳憲)の妻のジョアンナ(黒谷友香)が、「トスカニーニ(指揮)のコンサートを聴きに行ったけれど鍵を落とした」というので夜遅く訪ねてくる。二人が抱き合うのが第1幕のラストだが、二人は普通に考えて男女の関係になっているということで、仕事関係で女を巡るゴタゴタが起こりそうになったりする(ギャリーが大スターなので、よく起こるような展開にはならない)。

その他にも、ギャリーに憧れた母子が訪ねてきたりする。

なんでこんなに人が訪ねてくるんだろうという展開には、三谷幸喜作の「巌流島」の佐々木小次郎(益岡徹)のセリフ、「どうして今日に限って沢山人が訪ねてくるんだ!」が思い起こされたりするが、三谷幸喜も連なる英米系の喜劇作家の作風を作り上げたのがノエル・カワードだと言っても差し支えないので、似てはくるのである。「巌流島」で人が訪ねてくる理由は、「宮本武蔵の居場所が珍しく知られているから」だが、ギャリーに会いに来るのは、「今日を逃すとしばらくギャリーに会えないから」だと思われる。

ノエル・カワードは、1899年生まれ。聖歌隊で知り合った両親の子であり、音楽的才能にも優れていた。階級的には下層中流階級で、余り大金を稼ぐことは望めないが、母親が「子役募集」のチラシを見つけ、息子の才能を信じて応募。ノエルは売れっ子子役となり、そのまま俳優、劇作家へと進んでいく。学校教育はほとんど受けていない。

常に自分を格好良く見せる強迫に駆られているようなギャリーだが、稲垣吾郎なら伊達男を演じても嫌な気はしない。
倉科カナは、初舞台を観ている女優である。2008年、兵庫県立芸術文化センター中ホール。クラシックの室内楽とコラボレーションした「4×4」という芝居である。当然ながら演技は上手くなかったが、それから5年後に上川隆也主演版の舞台「真田十勇士」にくノ一役で出たときはかなりの成長が見られ、今日の演技も役に馴染んでいる。
なお、イギリスが舞台なので、基本的に新劇スタイルの演技が採用されている。
黒谷友香は久しぶりだが、大人の女の色香がほんのりと漂い、魅力的。彼女とならギャリーが間違いを犯したとしても仕方ないように思える。

出捌けが多く、とにかく導線が重要となる舞台である。登場人物達も個性的で、ローランドが2日目に特に用もないのに訪ねてきたり、ジョアンナが夫のヘンリーの前で2人の男と関係を持ったことを明かしてしまったりと、2日間だというのに、10年分のことが起こったりする。

ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」の話が出てくる。イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲)として書いたもので、上演を想定していなかったが、クリスチャンセン(現・オスロ)の国民劇場から何度も上演依頼があり、イプセンも「グリーグの劇附随音楽付きでなら」と許可。当初は大ヒットするが、一度上演が途切れるとほとんど上演されなくなる。
「ペール・ギュント」は、山の魔王の娘と結婚させられそうになったり、モロッコで富豪になったり、アラビアで予言者となって尊敬されるも騙されて無一文になったりと波乱万丈のストーリーである。予言的ではある。
「ペール・ギュント」の舞台でもあるアフリカでのツアーには妻のリズも愛人となったジョアンナも同行するようだ。

稲垣吾郎に最も合う音楽は、マーラーの「アダージェット」だと思っていたが、今日は実際にアダージェットが響く。ギャリーが蓄音機から流した。

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2026年3月 9日 (月)

これまでに観た映画より(431) National Theatre Live「ハムレット」(2025)@ナショナル・シアター・リトルトン劇場,ロンドン

2026年2月18日 大阪ステーションシティシネマにて

大阪ステーションシティシネマで、National Theatre Live(NFL、NFLive)「ハムレット」を観る。ハムレットはカットして上演しても3時間掛かるという大作だけに途中に15分間の休憩があり、実際の上演と近い形になっている。なお、「ハムレット」の創作に迫った「ハムネット」という映画が4月10日に公開予定で、ややこしいことになっているが、「ハムネット」の内容も面白そうである。

「多様性」に気を配ったと思われる配役である。出演:ヒラン・アベイセケラ、アストリー・ペトリ、アイーシャー・ダルカール、フランチェスカ・ミルズ、テッサ・ウォンほか。演出は、シェフィールズ劇場芸術監督時代にローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作ミュージカル賞を2度受賞した演出家であるロバート・ヘイスティ。現在は英国ナショナル・シアターの副芸術監督である。

2025年9月25日に、ロンドンのナショナル・シアター・リトルトン劇場で行われた上演の収録である。

まず、タイトルロールを演じる、ヒラン・アベイセケラからしてアングロサクソン系ではなく、スリランカ出身である。またオフィーリアを演じるフランチェスカ・ミルズは、小人症である。人に「ダウン」を言わせる場面があるため、ダウン症でもあるのかも知れないが、見た目でははっきり分からない。ただ演劇や映画、テレビドラマなどに出演するプロの俳優である。蜷川幸雄が、小人症の人を墓掘り人役で「ハムレット」に出演させたことがあるが、ヒロインであるオフィーリア役への抜擢ということで、それよりも大胆である。フランチェスカ・ミルズであるが、短めのタンクトップを着るシーンがあるのだが、腹筋が鍛えられているのが分かり、プロの俳優としての誇りがありそうだ。

ガートルード役のアイーシャー・ダルカールもイギリス国籍で、はっきりしたことは分からないが、中東の女性によく似ている。

テッサ・ウォンは女性であるが、ホレイシオを演じる。この他にも本来男性だが女性が演じる役がいくつかある。ウォンは、王(ワン)の広東語読みなので、広東省か香港の出身だと思われる。20世紀だったら、中国本国の人は簡単に国から出られなかったので香港人だと分かったが、今は好きに出られるので、広東省出身なのか香港出身なのか分からない。ブリストル・オールド・ヴィック演劇学校に学んでいる。

ホレイシオを女性にするという変更はかなり効果的である。今回のハムレットとホレイシオは男女の関係ではないはずだが、男女の親友であり、物語を受け継ぐのが女性というのは、稗田阿礼(男性説と女性説があるが、稗田氏は代々女性が宮中に勤めに出るという家であり、女性でないと辻褄が合わない)や清少納言、紫式部、赤染衛門という女性が記すという伝統があった日本にも馴染みやすい(稗田阿礼は記憶するだけで筆は太安万侶が執ったが、おそらく女性なので文字が書けなかったのだろうと思われる)。

とにかく多国籍で、性別も異なる「ハムレット」である。オーソドックスな演出ではなく、着ているものも現代のそれだが、物語の進行においては、人種はさほど気にならない。
小人症のオフィーリアだが、王妃になるのは難しいと思われるが、この世界ではそうしたことも気にされてはいないようだ。佯狂のハムレットが元に戻るよう神に祈るシーンでは、余り痛切さが感じられなかったが、狂乱の場では独特の迫力があった。

「生か死かそれが問題だ」は一番オーソドックスな訳を採用。ただオーソドックスと言いながらこの言葉が用いられている翻訳戯曲は1冊だけである。小田島雄志の「このままでいいのかいけないのか、それが問題だ」も有名である。
この言葉は、そのまま取ると父王ハムレットの言葉通り復讐を果たすべきか、という場面で用いられているため、単純なことを言っている可能性もある。

クローディアスとガートルードのことをハムレットが、「一心同体」と評する場面がある。クローディアスを殺すとガートルードをも殺す、つまり母親殺しになってしまうという考えである。これは、ハムレットがクローディアスと勘違いしてポローニアスを殺害する場面があるため、「名答」とはならないのだが、今回の演出はどうもクローディアスとは思わずにポローニアスを殺している(指ピストルでである)ようであり、「一心同体」説が通る余地がある。今回のハムレットはこれまでの中でもかなり露骨にマザコンである。今回は上手く通じたように思う「母親がいるから」という「一心同体」説だが、1回だけでは有力説には上がってこないかも知れない、何しろハムレットについて書かれた論文は、文学史上最も膨大であるとされており、「ハムレット学者は、ハムレットに関する論文を読むのに忙しくて、『ハムレット』を読む暇がない」というブラックジョークがあったりする。
ただこの「一心同体」説が通れば、ハムレットについては、「うじうじ悩んでばかりで行動しない『ハムレット型性格』(対義語は『ドン・キホーテ型性格』)」という汚名をそそぐことが出来るかもしれない。

ラストは、女性に見取られて英雄が亡くなるシーンである。多くの主人公達がこうして最期を遂げた。世界のミステリー小説家の中にはハムレットの悲劇の黒幕がノルウェーのフォーティンブラスとする説を唱える人がいるようだが、それはない。ただデンマークの王室全滅で、フォーティンブラスが何もしないで領土を獲得するのも事実である。
しかし、描かれているのはあくまでデンマーク王室の悲劇だ。元々デンマーク王室は人が足りないという状態であり、そんな中で欲に駆られてことを行うと、結末は悲惨ということである。

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2026年3月 7日 (土)

「科捜研の女」Season2概要

「科捜研の女」Season2 File.1。新シリーズとなり、京都府警科学捜査研究所のメンバーも一新され、マリコが主任となる。ただ科捜研のフロアはリノベーションのため、別の場所があてがわれる。
京都府警捜査一課の土門薫刑事としてマリコとタッグを組むことになる内藤剛志が、Season2では新人プロファイラー武藤要として登場。精神年齢が実年齢より幼い感じがするが、事件に立ち向かうときは正義感に溢れているという役どころである。
「関西のキョンキョン」(はもう死語なのかな?)羽野晶紀が出演するなど、相変わらずコメディー路線が継続となっていることが分かる。旦那さんの和泉元彌が大河の主役を張るのが2001年。しかし急速に落ちていった。今でも「宗家狂言」という公演はやっており、山科・毘沙門堂の本堂には中央に、「宗家 和泉元彌」の札が掲げられている。

最初は、マリコ(沢口靖子)が淡路島での合宿免許に参加するシーン。Season1では、自転車通勤する様子が見られたが、免許を取る必要が出来たらしい。しかし実技が下手で、教官役のチャーリー浜から何度も駄目出しされる。チャーリー浜は、「じゃ、あ~りませんか」、「いずこへ」とオリジナルのギャグを繰り出していた。

さて、今回は、マリコが京都市内を車で駆け抜けるシーンがある。まだ仮免だそうで、見るからに運転が不安だが、それでも京都中の名所に向かう(名所でのシーンはない)。№12という、京都府警ストーカー犯罪集団があるのだが、背中に傷を12刻んだ遺体が発見されたことで№12の犯行の可能性が浮かぶ。
ここで、当時もそこそこ有名で、今は更に有名な俳優が裏切り者だったことが分かる。そこそこ有名というのが、裏切り者の役に向いているようだ。

マリコが祇園白川付近を自転車で駆け抜けるシーンがSeason1であったことから、彼女が左京区岡崎付近に住んでいるらしいことが分かったが、城丸(伊藤裕子)も祇園白川沿いに住んでおり、合宿免許参加中に部屋の更新が切れたというマリコが、勝手に城丸の部屋に住み着くという展開になる。おそらく最初からご近所さんだったのだろう。


「科捜研の女」Season2 File.2。天才子役、神木隆之介登場。まだ顔が出来上がる前だが、可愛らしい顔をしている。その後、大河ドラマ「義経」で義経の子ども時代を演じてイケメン子役として話題になり、成人してからはNHK朝の連続テレビ小説「らんまん」で牧野富太郎をモデルとした主役を演じ、今は主演俳優クラスに育った。舞台でも観ているが、今のところ良い役ではない。成人してからは誰もが認めるイケメンではなくなったが、いい顔をしている。
神木隆之介が演じているのは、工芸作家であった母親が、やはり工芸作家である叔母を殺害するのを目撃してしまった子ども。シチュエーション的には「古畑任三郎」の最終話、松嶋菜々子が演じた作家の話に似ている。
神木隆之介演じる少年は、寡黙だが悪戯好きである。口を閉ざしていたが、初めてマリコのことを「おばさん」と呼ぶ。マリコは、「お姉さんでしょ」と直させようとするが、Season1ですでに30歳であり、数年が経っている。「お姉さん」は流石に無理があるかも知れない。沢口靖子は実年齢より上に見える顔立ちであるし。


「科捜研の女」Season2 File.3。大企業の令嬢を狙った身代金目的誘拐事件である。誘拐される役を演じているのは三輪三姉妹の長女である三輪ひとみ。脇役が多い女優だが、本人も「主役を食う」役の方を好んでいるようである。妹の三輪明日美の「ラブ&ポップ」のような絶対的な代表作はないが、和製ホラークイーン(佐伯日菜子がなろうとしてなれなかった地位である)という称号を得て、他の姉妹が女優活動を縮小したり引退したりする中、一番長く活動している。確かに3人の中で一番美人ではある。三姉妹の中でスカウトで芸能界入りしたのは彼女だけのようだ。

犯人は実は女なのであるが、演じている石堂夏央は、テレビドラマはそれほどでもないが、映画は有名作にいくつも出演している。

叡山電鉄沿線の電気を止めるという作戦が取られており、監禁場所となっているのは北区雲ヶ畑、峯山(比叡山)地区だけ電気を止めたようだ。


「科捜研の女」Season2 File.4。今や懐かしいレンタルビデオ店が舞台。レンタルビデオ店で、人質を取った立てこもり事件が起こる。レンタルビデオ店、お金そんなにないと思うけどなあ。
マリコが借りたVHS(これも懐かしい)を同居人の城丸が返しに来て事件に巻き込まれる。
犯人が妙な音を出しているのを科捜研のマイクがキャッチ。真犯人は被害者になりすましているが、妙な音は、腕時計の外側の金具を回す音だった。科捜研で徹夜したマリコが、「わかったわ!」と喜びながら出てくるが、多分、一晩では当てられないと思う。


「科捜研の女」Season2 File.5。Season2であるが、Season1よりも俳優の平均的質が落ちてしまっている。
賀茂川の河原で、新聞集金人の男性の遺体が見つかる。容疑者になった不良少年を山崎裕太が演じている。放送の翌年である2001年に、大阪松竹座の公演「大江戸ロケット」に主演していたいしだ壱成が、麻薬所持容疑で逮捕され、山﨑裕太が、三日三晩台本を読み続けて主役の量のセリフを全て頭に入れて代役を務めて話題になった。だがそれが出世に結びついていないのがこの世界の難しさである。大河ドラマ「麒麟がくる」を撮影中の沢尻エリカが麻薬で逮捕され、代役の川口春奈が一躍CM女王に躍り出た例もあるのだが。
東映京都撮影所から、人工の雨を降らせる目的で技術者が呼ばれるが、セリフが明らかに俳優のそれではないため、本物の職人が呼ばれたことが分かる。


Season2 File.6。木屋町で起こった火災で死亡した若い女性を巡る話である。木屋町(主に三条通から四条通の間)は京都の繁華街だが、「祇園で飲めない人が木屋町で飲む」といった調子で、どちらかというと雑多な街である。大学生など若い人達が飲み会などを開くことも多いが、まだ解決していない殺人事件が起こってもいる。また木屋町にあるイベントスペース兼レストランのUrBANGUILDで、早朝に金庫が荒らされ、現金を盗まれるという事件があった。最近は、立誠小学校の跡に出来た人工芝スペースやホールなどが人気で、治安は良くなっている印象を受ける。以前はキャッチがうるさかったが、今はキャッチ行為自体が違法になっている。
若い女性とつるんでいたグループの一人を演じているのは、若い頃の塚本高史だ。
木屋町は人が多いのでロケは行えず、実物の木屋町よりも大分上品な通りで撮影が行われている。高瀬川と同じくらいの幅を持つ川が流れる通りだが、川に沿ってではなく、川を渡る橋の上などが撮影場所になっている。地下にあるライブスペースは、左京区岡崎のNAMホールに似ているが、周辺は映されていないため、はっきりとは分からない。
第三舞台出身の筒井真理子がジャズピアニスト役で登場。簡単なピアノ曲を演奏するシーンがあるが、引きで撮っているため、弾く真似をするだけで実際はプロが演奏していると思われる。まだガラケーの時代であるが、ガラケーは着信音を自分で作成することが出来た。
今回は、薩摩弁がキーとなる。「ラーフル」、黒板消しのことである。


Season2 File.7。脅迫状を送った上で殺害を行うという三連続殺害事件が発生する。この京都って街はどれだけ治安が悪いんだろう。三連続殺人事件なんて日本犯罪史上数回しか起こっていないはずである。マリコの同僚である美華(羽野晶紀)の家にも脅迫状が届く。脅迫状は定規などを当てた角張った文字で書かれていた。その情報をマスコミが流したため、模倣犯や悪戯が相次ぐ。武藤(内藤剛志)が筆跡鑑定を行うが、誤字などでも見分けているようだ。
犯人はクリーニング店店主の恩田。この2年後に40歳の若さで他界することになる伊藤俊人が演じている。恩田は、美華の自宅マンションを襲撃。美華は恩田の左脚を刺すが、美華も恩田に腹部を刺される。負傷したにも関わらず、恩田は警察病院まで美華を襲撃しに来る。武藤は「サイコパス」と断じるがしつこい犯人である。
クリーニングはクレームの多さナンバーワンと言われる業界である。客とトラブルになることも多い。恩田はクレームをつけた人物を恨み、殺害していた。

伊藤俊人と羽野晶紀二人の場面は、東京サンシャインボーイズVS劇団新感線という東西の人気劇団の名前を彷彿とさせる。伊藤俊人は、「古畑任三郎」では警視庁科学研究室の桑原技官を演じていたが、「科捜研の女」では犯人役ということで両方を演じたことになる。
東京サンシャインボーイズは、昨年、31年ぶりに復活。伊藤俊人も生前録音された声による出演をした。
だが復活上演となる「蒙古が襲来」は、出演者が皆殺しになるという内容であり、次回の東京サンシャインボーイズの公演が80年後と告知されたことで、三谷幸喜が自らの手で東京サンシャインボーイズを葬ったことが分かった。


「科捜研の女」Season2 File.8。心理的に理解出来ない部分がある。
京都市北部で、轢き逃げ事件がある。
マリコの東亜大学(マリコは東亜大学と同大学院博士課程修了という設定である。ただ、東亜大学という大学は実在する。博士課程はないが、修士課程の大学院もある。なぜ実在の大学と同じ校名にしたのかは不明。同名ながら別の大学であるが、実在の東亜大学の公式Xには同じ校名が使われたことが誇らしげに書かれている)時代の恩師である神林(神山茂)とたまたま出会ったマリコだが、神林は昨晩轢き逃げをしたので逮捕して欲しいと頼む。
赤い服を着た人を轢いたと語るのだが、現場には事故の痕跡はあるものの、被害者は影も形もない。
神林は認知症(一昔前なので、痴呆症という言葉が使われている)の傾向を示すが、後に全て演技であることが分かる。
神林はある女性をかばっていた。ところがこの女性が赤い服を着て現れる。別に着ていても良いと思うが、被害者が赤い服を着ているのを確認したのはこの人なので、赤に嫌なイメージが付いているため、避けがちになるはずだが。
この女性も、知り合いの男性開業医をかばっていた。
事故の現場となったのは、別荘が数軒、民家が数軒の寂しい場所。一帯に交通事故に遭った人はいない。
実は被害者はちんけなコソ泥で、別荘を荒らして金の鶏像を盗んでいた。運転していた医師の妻が夫の轢き逃げを庇うために自身も医師として勤務している夫の病院にコソ泥を入院させていたのであった。


「科捜研の女」Season2 LastFile。早朝、武藤からマリコと準子が住むマンションに電話が掛かってくる。かつて精神科医時代に自分が担当し、大衆演劇の座長へのストーカーを止めさせようとするも今度は武藤のストーカーとなったことのある女が助けを求めに来たが、いつの間にか刺殺されていたという。この刺殺されていた女性、私の母の旧姓での本名と同姓同名である。この回に初めて洛北医科大学が登場。ただ校名が出てくるだけである。Season1では京都医科大学という架空の大学が登場したが、京都府立医科大学と紛らわしいので、別の大学と提携したという設定にしたのかも知れない。
武藤に容疑が掛かるが、武藤は自宅を脱出し、マリコと準子が住むマンションに忍び込むことに成功していた。
それまでにオールナイトの映画館で過ごし(現在は京都市内にオールナイトの映画館は存在しないが、当時存在していたかどうかは不明。京都市内の映画館はシネマコンプレックスの台頭により、従来からのものは全て消滅。2001年に新京極に出来たMOVIX京都が最も歴史の長い映画館となっている)長い髪の女が隣に来て向こうから声を掛けられたという。その後、ラブホテルに行くが何もなかった。
この長い髪の女はかつらを付けており、普段はもっと短い髪型をしていた。
長い髪の女は、科捜研までマリコを殺しに来るが、京都府警って、こんなに警備緩いの?
木場は、大衆芸能の一座の座員である静という女に刺される。彼女が武藤に罪をなすりつけようとした張本人であった。静は一座の中では出来の悪い座員であったが、師匠に罵倒され続けているうちに隷属の快感を覚えるようになる。Mとは少し違うかも知れないが、一部被っていそうである。
ロケ地としては、左京区岡崎の祇園白川沿いにある三谷稲荷、またメジャーな観光地である六角堂頂法寺が映っている。

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2026年3月 4日 (水)

コンサートの記(951) 京都市立芸術大学第179回定期演奏会大学院オペラ公演 ドニゼッティ 歌劇「愛の妙薬」 阪哲朗指揮

2026年2月19日 京都市立芸術大学・堀場信吉記念ホールにて

午後6時から、京都市立芸術大学崇仁新キャンパスの堀場信吉記念ホールで、京都市立芸術大学第179階定期演奏会大学院オペラ公演、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」を観る。指揮は京都市立芸術大学音楽学部作曲専攻出身で、京都市立芸術大学指揮専攻教授の阪哲朗。佐渡裕と共に、京都芸大出身指揮者の筆頭候補だが、佐渡もフルート専攻出身であり、指揮専攻からはこれといった指揮者が出ていない。指揮専攻から次から次へと逸材が登場する東京芸大や桐朋学園大、東京音大とは対照的である。オーケストラは京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団。合唱は京都市立芸術大学声楽科在学生が務める。
出演は、アディーナが4人体制で、北田実佳、石原のぞみ、伊吹日向子、碓井莉子。「愛の妙薬」には準ヒロイン的立場の人がいないので、当然ながらアディーナに出演者が集中する。ネモリーノに廣瀬響、ベルコーレに池田智樹、ドゥルカマーラに大西凌、ジャンネッタに松井偉乃里。他に大学院生4名、大学院研究生1名が出演する。
恋愛を題材にしたドタバタ劇だが、最後は恋愛に必要なのは妙薬ではない、という結末に至る、一種の人間讃歌である。

イタリアの作曲家によるイタリア語の歌劇だが、スペインのバスク地方が舞台となっている。イタリアの歌劇というと、この間触れた、ヴェリズモオペラも有名だが、「愛の妙薬」はオペラ・ブッファ(喜劇的オペラ)である。
関西では上演の機会が少なかった「愛の妙薬」だが、このところ3度立て続けに上演される。内容的には笑いが中途半端なので関西人には受けないかも知れない。

演出は、久恒秀典。ICUこと国際基督教大学で西洋音楽史を専攻した後、東宝演劇部を経て、イタリアに渡り、ボローニャ大学、ヴェネツィア大学文学部、マルチェロ音楽院オペラ科に学び、ヴェネト州立ゴルドーニ劇場演劇学校でディプロマ取得。
現在は、新国立劇場オペラ研修所、東京藝術大学、東京音楽大学、京都市立芸術大学などで教えている。

 

純朴な農夫のネモリーノは、教養ある農場主の美女アディーナに恋しているが、アディーナが読書などをたしなむのに対して、ネモリーノはおそらく文盲で、アディーナは高嶺の花であり、アプローチすら出来ない。
一方、軍曹のベルコーレが、アディーナに求婚。恋のレースにおいてリードする、と書きたいところだが、ネモリーノはアディーナの視界にすら入っていない。
そこへインチキ薬売りのドゥルカマーラ博士が登場。これを飲めば恋路が全て上手くいくという「愛の妙薬」をネモリーノに売りつける。ちなみに「愛の妙薬」の中身はボルドーワインで薬ですらない。ただボルドーワインは美味しそうである。
「恋の妙薬」は1日経たないと効き目が出ない。しかし、1日経つ前にネモリーノに不利な出来事が次々に起こり……

抽象的だが可愛らしいセットでの上演である。服装は、初演された時代に近いものを採用。

阪はいつもながらに活気に満ちた音楽を引き出す、と書きたいところだが、阪の要求に応えるには京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団は非力で、美しく纏めた音楽を奏でた。阪の個性を生かすためにはプロオーケストラ相手でないと難しいようだ。

京都市立芸術大学大学院声楽専攻の歌手達は、いずれも美声であり、セリフの内容を上手く把握した歌唱をしていたように思う。
オペラ歌手の動きには、定番と呼ぶべきものがあり、今回も歌手達はそれをなぞっていたが、これからもそうあり続けるのかどうか微妙なところである。ただオペラの演出を演劇の演出家が手掛けるケースが増えているが、外国語も分からなければ、背景の把握も同時代の他の芸術との絡みなどに関しても知識不足であるため、止めた方が良い。日本人がオペラ演出するのはそれほど難しいということである。

「愛の妙薬」というタイトルだが、最終的に「愛の妙薬」なんてなくてもハッピーエンドとなる。ひょっとしたら「愛の妙薬」が登場しなくても完成する話だったのかも知れない。そういう意味では、「愛の妙薬」というタイトルが「愛の妙薬」を否定する仕掛けになっているとも言える。

演技面だが、軍隊が登場する際に、ダラダラとした感じで、「この国、どこと戦争しても勝てないぞ」という感じなのがマイナス。女性の出演者が多いが、全員で同じ動きをするときに今ひとつ決まらず。ただ個々に動いているときはリアルで良かった。

京都市立芸術大学A棟ビルの3階にある堀場信吉記念ホール(長いので略称として、「ホリバホール」を使うことが増えるかも知れない)。入り口までは階段で行くのだが、照明がないため、ソワレ終演後は足下の段差が分からず危険だったが、思うことは皆同じであるため、誰かの提言で照明が取り付けられた。これで欠点はトイレの狭さだけということになる。急勾配のホールだけに、それが危険と感じる人はいるかも知れない。

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2026年3月 3日 (火)

コンサートの記(950) 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXXⅠ ヴェルディ:歌劇「椿姫」 ディエゴ・マテウス指揮

2025年3月16日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡﨑のロームシアター京都メインホールで、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅩⅠ ヴェルディ:歌劇「椿姫」を観る。

小澤征爾は亡くなったが、その志は若い人々へと受け継がれている。

今回も指揮者は、小澤征爾音楽塾首席指揮者のディエゴ・マテウス。演出は、デイヴィッド・ニースが手掛ける。小澤征爾には、創設者と共に永久音楽監督の称号が追贈されている。
小澤征爾音楽塾副塾長(実質的なトップ)には、チェリストの原田禎夫。アシスタント・ディレクターには、小澤征爾の娘である小澤征良(せいら)が就いている。

出演は、ニーナ・ミナシアン(ヴィオレッタ)、カン・ワン(アルフレード・ジェルモン)、クイン・ケルシー(ジョルジュ・ジェルモン)、メーガン・マリノ(フローラ)、牧野真由美(アンニーナ)、マーティン・バカリ(ガストン子爵)、井出壮志朗(ドゥフォール男爵)、町英和(ドビニー侯爵)、河野鉄平(こうの・てっぺい。医師グランヴィル)。
管弦楽は小澤征爾音楽塾オーケストラ。合唱は小澤征爾音楽塾合唱団。

原作小説・戯曲:アレクサンドル・デュマ・フィス。台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ。

 

ベネズエラの「エル・システマ」出身のディエゴ・マテウス。「エル・システマ」が輩出した有力指揮者としては、グスターボ・ドゥダメルに次いで二人目であり、単にドゥダメル一人に才能があったわけではなく、「エル・システマ」の有効性を示した人物でもある。「第二のドゥダメル」と呼ばれたこともあるが、最近はこの称号で呼ばれることは余りないようである。
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトの演出の多くを手掛けているデイヴィッド・ニースは、メトロポリタン歌劇場の演出家として長年活躍してきた人物である。
ヴィオレッタを歌うニーナ・ミナシアンは、アルメニア出身。アルフレード役のカン・ワンは中国系オーストラリア人である。アルフレードの父親役のジョルジュを歌うクイン・ケルシーはハワイ出身。見た目から原住民系であると思われる。ハワイ大学マノア校で音楽を学び、卒業後に欧米で活躍している。
日本人キャストも全員出身校が異なり、バラエティーに富んだ人選となっている。

 

紗幕にパリの情景が描かれている。エッフェル塔、セーヌ川、ポン・ヌフ、ノートルダム大聖堂。おそらくこれらが一度に見える場所はないので架空のパリなのだろう。「椿姫」が初演された時には、エッフェル塔はまだなかったと思うが、パリらしさを演出するためなのでいいだろう。

前奏曲を、マテウスは極めて小さな音でスタートさせる。その後も繊細な表現が続くが、華やかさが徐々に増していく。小澤征爾音楽塾オーケストラは、日本、韓国、中国などで行われたオーディションで選ばれた若い音楽家による団体だが、よく訓練されていて、アンサンブルの精度も高い。このオペラではフルートが重要な場面で演奏されるのだが、マテウスはフルートを上手く浮かび上がらせていた。
「椿姫」の音楽は三拍子系のものが多いのも特徴である。最も有名な「乾杯の歌」も三拍子であるが、この曲はカラオケ(JOYSOUND)に入っていて歌うことが出来る。

前奏曲の途中で紗幕が透け、ヴィオレッタ達が立っているのが見える。
ヴィオレッタは高級娼婦である。大金を手に入れることが可能だが、結婚は許されていない。そのヴィオレッタがアルフレードという若者に恋をしたことから起こる一騒動と、若くしての病死を描いた悲劇である。
私は、2002年に京都芸術劇場春秋座で行われた京都造形芸術大学(当時)と京都市立芸術大学音楽学部との合同公演で初めて「椿姫」を観ており(あの頃は二校は仲が良かった)、その後も春秋座のオペラ、佐渡裕が指揮した神戸文化ホールでの上演を観たことがある。

近年は、象徴的な演出が行われることも多い「椿姫」だが、デイヴィッド・ニースの演出は奇をてらわないオーソドックスなもので、まず「演技で見せるのだ」という強い意志が感じられる。ヴィオレッタは不治の病に冒されている。通常は死因となる結核という解釈が取られるが、結核の割りには元気な描写があったり、隔離されたりなどの措置が取られていないため、結核にかかったのは死の直前で、不治の病は別のものなのかも知れないが、ヒントとなるものがないため、現状ではやはり結核とするのが無難なように思う。

歌手達の水準は高く、ロームシアター京都メインホールということで声もよく通り、オーケストラの音も美しく聞こえる。

装置や衣装を手掛けたのはロバート・パージオーラだが、フローラの屋敷の場では、壁も登場人物の衣装も真っ赤で統一。特に深い意味はない(吐血のイメージは込められていると思う)と思われるが、インパクトはある。その他の場面でも装置はお洒落である。

第3幕で瀕死のはずのヴィオレッタが朗々と歌うのが、「リアルでない」と言われることもあるが、内面の吐露なのでそんな指摘をしても仕方ない気もする。今回、ヴィオレッタを演じたニーナ・ミナシアンは、ベッドの上にアルフレードと並んで座った時に、何度か頭に手をやって具合が悪そうに見せるなど、リアルな演技を見せていた。

 

この上演もカーテンコールでの撮影は可となっており、SNSへのアップも許されていた。

なお、今回の公演を持って、ロームは小澤征爾音楽塾から撤退することを明らかにした。

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2026年3月 2日 (月)

「科捜研の女」Season1概要

J:COM STREAM/TELASAで、連続ドラマ「科捜研の女」Season1 File.1とFile.2、File.3を見る。File1、つまり初回は1999年10月21日放送。私はまだ千葉にいて、京都についてはよく知らない時代である。

ファイナルの頃とは、作風も、沢口靖子演じる主人公の榊マリコのキャラクターもかなり異なる。

まずコミカルであることが、シリアス一辺倒となる時代とは異なる。コメディーを得意とする俳優が多く起用されているのもユーモラスなものを目指していたことの証左になっている。
榊マリコであるが、チャキチャキとした性格である。沢口靖子は堺市出身だが、榊マリコは関西人というよりも江戸っ子のような性格である。これも大きな相違点だ。セリフ回しは相変わらず平坦で、これが演技力のなさと捉えられる最大の原因だと思われるのだが、普段からそうした喋り方をしている場合はどうしようもない可能性がある。今は病気療養中の鷲尾いさ子なども不自然なセリフ回しに聞こえたが、トーク番組でも同じ喋り方をしており、そういう話し方をする人だったのである。
榊マリコの場合は説明をする役割が多く、感情を交えないフラットな話し方が合っていたため、「科捜研の女」が長寿番組になったのであろう。
沢口靖子は、頭の良い人だと思われるが、頭の回転に口や体がついて行けていないようなところもあるようだ。容姿だけなら芸能界史上のトップ争いに加われる人だけに惜しい気がする。
なお、マリコは突飛な行動をすることが多く、場の空気を読むのが苦手だったり、想像力に欠けたりと、発達系の何かを抱えている可能性があるが、今のところは明かされていない。「科捜研の女」が始まった翌年の2000年に放送されたの金曜ナイトドラマ「トリック」は、山田と上田の主役二人が明らかに発達障害系天才の特徴を示している。

マリコは、仕事は出来るが日常生活では全くのダメ女。掃除が苦手で、ご飯も炊けず、とにかく家事が出来ないタイプである。部屋に洗濯機がないが、コインランドリーに行くのが面倒くさいため、溜めるだけ溜めてから洗いに行く。そんな調子なので旦那にも逃げられている。植木等の「ハイそれまでョ」の3番の歌詞の世界である。
古畑任三郎などもそうだが、海外にもこうしたタイプの推理の天才キャラクターは多い。シャーロック・ホームズもハドソン夫人の家の2階(ベイカーストリート221B)に下宿しているが、ピストルで壁を撃ってヴィクトリア女王のイニシャルの形に穴を開けるなど、「ロンドン最低の下宿人」を自称している。ちなみに地球が太陽の周りを回っていることを知らないという極端な設定もある。
榊マリコは服装も色気がなく、中学校の部活動のような格好をしている。それと対比させるためか、伊藤裕子演じる城丸準子巡査部長はいつもミニスカートを履いている。マリコはSeason2から次第に衣装にも気を配るようになり始める。

さて初めての事件であるが、送り火の日、つまり8月16日に起きている。男が神社の階段から突き落とされて殺され、女の容疑者が逮捕されるのだが、実は別の女が犯人だったことが分かるという展開である。犯人の女は鈴を鳴らしているのだが、正直、鳴らし過ぎ。あれだけ鳴ってたら男も気付くはずだが、お茶の間に届けるためには鈴の音を大きくしないといけないのだろう。
今は消えてしまったDAT(デジタル・オーディオ・テープ)が出てくる。新時代の録音機材として期待されたDATだが、音楽のプロ以外にはほとんど広まることはなく、録音媒体として新たに登場したミニディスクにその座を奪われたが、ミニディスクも短期間で役目を終えている。今はちょっとした録音ならスマホのPCM録音アプリで行える時代であり、音楽を録音しなくてもクラウド上に溜めてダウンロードしたり、配信サービスで無料で楽しむことも出来る。
プロのレコーディングも、今はテープは使わず、ハードディスクに直接刻むのが基本である。

大文字は、やや南側から撮られている。あの辺りには大文字が大きく見えるスポットがあるのだが、人が増えても困るので教えないでおく。

事件の現場となる神社であるが、黒住神社の可能性が高いが、境内が殺害事件の現場となったという設定では外聞が悪いためかロケ地は明かされていない。

2つめの事件では、京都医科大学という大学が登場。京都には京都大学医学部と京都府立医科大学があるが、京都医科大学という大学は実在せず、架空の医大である。撮影は龍谷大学深草キャンパスで行われている。

京都府警察であるが、外観は積水化学工業京都研究所を映し、内部はおそらく別の企業のオフィス(協力に島津製作所の名がある)を借りて京都府警内に見立てて撮影。科捜研の部屋はセットを用いている。


File.3では、京都府警の刑事役である小林隆と、容疑者である大学助教授(まだ准教授ではない時代)役の相島一之が共演。元東京サンシャインボーイズの二人がやり取りを行った。
京都は大学が多いということで、今回も大学が舞台。黎明館大学という、立命館大学をもじった架空の大学が殺人現場となるが、そんなものの舞台となっても何の得にもならないので立命館大学は協力しておらず、当時はまだ亀岡市にしかキャンパスがなかった京都学園大学(現・京都先端科学大学)がロケ地となっている。
今回も強引に笑いを取りに行ったり、やってはいけない捜査方法が行われているなど、この頃の「科捜研の女」は必ずしも本格的な推理ではなく、エンターテインメント路線であったことが分かる。
マリコの元夫である倉橋(渡辺いっけい)と京都府警巡査部長の城丸準子が付き合っており、妊娠の話になると、なぜか決まってガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」が流れるのが奇妙であった。


J:COM STREAM/TELASAで、「科捜研の女」Season1 File.4を見る。
ピクニックに出掛けた科捜研と京都府警の人達。水辺の場所で、おそらく北山の方だと思われるが、自動車でないといけない場所だと思われる。今回は、京都らしいロケ地はなし。また梅田が、「大阪の梅田」というセリフで語られ、字幕でも「大阪 梅田」と出る。京都近辺だけだったら梅田がどこにあるか大半の人は分かるだろうし、そもそも梅田は全国区の地名でもあるのだが、地方の人は知らないかも知れないので説明する必要があるのだろう。梅田の場面であるが、おそらくリアルにする必要はないので、実際の梅田ではなく近場で撮影されていると思われる。
ピクニックに出掛けた一行が、白骨死体を発見するという、偶然が過ぎる展開だが、マリコは頭蓋骨に最初はパソコンで生前の顔の再現を試みる。完成品を「マネキンみたいですね」と言われたマリコだが、「コンピューターは人間には勝てないということ」と言って、今度は頭蓋骨に粘土を貼り付けての再現を試みる。
「あと四半世紀ほど経ったら、AIというものが本物そっくりに再現してくれて、表情まで動かせるよ。人間はコンピューターに負けるよ」と言っても、この当時の人は誰も信じないだろう。
顔を整形した元風俗嬢が、元同僚に揺すられて犯した殺人事件の話である。
沢口靖子のセリフ回しはやはり一本調子であるが、科捜研の人だけに事件について真摯に語っているように見える。やはり適役だったのだろう。

伊藤裕子は、翌年の「トリック」にも最初のゲストとして出演しているが、その後、余り見かけなくなる。単発での出演は続いているようだが、大きな役に就くことはほとんどないようだ。


「科捜研の女」Season1 File.5。今回は連続爆弾魔の話だが、緊迫する場面があるためかそれを緩和するためにギャグも多めである。そば屋の出前持ちとして、吉本新喜劇の辻本茂雄が登場。この時代の辻本茂雄については何も知らないが、特にギャグなどをやることはない。役名も辻本で、マリコに「良い名前でしょ?」と語りかける。
犯人役を演じているのは前田耕陽。その後、海原やすよ・ともこのともこと結婚。大阪在住となっている。ただ仕事は名古屋と東京で行うことが多く、大阪で流れている番組は少ないため、「奥さんに食べさせて貰っている」と勘違いされることも多いようだ。
洛北大学という架空の大学が出てくるが、嵯峨美術短期大学でロケが行われているようである。現在は4年制の嵯峨美術大学もあるが、この頃は短大しかない。
京都産業大学が洛北大学に改称しようとしたが、学生を省略すると「洛大生=落第生」になるので止めたという話がある。本当か嘘かは分からない。
病気がお笑いの要素として取り上げられる場面もあるが、これは余り感心しない。


「科捜研の女」Season1 File.6。今日はマリコが、高校の特別講義に招かれる場面から始まる。今熊野の京都女子大学附属小学校(共学)がロケ地である。小学校と幼稚園以外の京都女子大学、京都女子中学校・高等学校は全て女子校であり、阿弥陀ヶ峰に向かって上る道は俗に「女坂」と呼ばれていて、説明書きもある。
マリコの講義は不評だったが、今回はこの学校の看守が焼死体で発見されるという事件である。
マリコが大学時代の知り合いと再会し、大堰川の手漕ぎボートや嵐山でデートする場面もあった。
前回からCGが登場するようになっているが、20世紀末のCGは今に比べるとおもちゃ同然である。ただ映画などでは21世紀に入ってすぐに凝ったCG映像が使われるようになっているので、進歩も早かったことが分かる。

File.7も見てみるが、怪しいと思った男がやはり犯人だったという芸のない展開である。
マリコが、金魚のための情報を得ようとインターネットで検索していると、縛られた若い女性が追い込まれて銃で殺害されるという映像に行き当たる。科捜研全体で情報を探したところ、やはり縛られた若い女性が今度はナイフで刺殺されるという映像が見つかる。どちらも同じ部屋での犯行だった。
マリコは京都医科大学の西大路恵(一路真輝)に協力を求める。
京都医科大学は、以前にも登場し、龍谷大学の深草キャンパスがロケに使われていたが、校門にかなりの特徴があるためか、今回は使用されず、黎明館大学と全く同じ門が、大学名だけ変わって使われている。京都学園大学、現在の京都先端科学大学亀岡キャンパスである。校舎なども京都学園大学のものが使用されていると思われる。
犯人にあと一歩というところまで追い込まれるマリコだが、資料を強引に見ようとして謹慎中の木場(小林稔侍)に救われる。木場は捜査一課から外され、交通課に異動になった。犯人役は沢向要士。余り見ないと思ったら、一時期俳優を廃業としてホストとして働き、また俳優に戻っているようだ。

小林稔侍は、高倉健が著書で演技を褒めていたりするが、この人も悪い噂がある。伊藤裕子も悪い噂は聞く。ただ本当かどうかは分からない。


「科捜研の女」Season1 File.8とFile.9(最終回)を見る。連続した回で、牧野光(田中美奈子)という名の女性が登場。だが牧野光は偽名で、正体は分からない。
4年前に起こった内山刑事殺害事件、更に木場の奥さんの事故死、更には西大路恵(一路真輝)の旦那で新聞記者の篠田(長谷川初範)と全く同じ状況で事故死。マリコは、レーザーポインターを照射された可能性があると判断。小清水(橋本さとし)らは、「野球で使われて」という話をするが、もう随分前の話なので細く書くと、当時ヤクルトスワローズの吉井理人投手がマウンド上でサインを見ていた際に、観客席からレーザーポインターを当てられて目に入り、投球を続けられなくなるという事件があった。そのことである。
倉橋拓也(渡辺いっけい)は、警察庁へ昇進する可能性もあったが、事件の責任を取って日本海側へ左遷となる(記述によると日本海側ではなく琵琶湖北警察署署長のようである)。
なお、今回も京都医科大学が登場するが、龍谷大学の巨大な門をそのまま使用しており、校風が変わってしまったような印象を受ける。
ラストには企業ビルが登場。景観規制のある京都市内にあれだけのビルはニデック本社ビルなど、南部以外には建てられないため、京都市外のビルだと思われるが、検索してもヒットしなかった。

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2026年3月 1日 (日)

これまでに観た映画より(430) 中山美穂主演・岩井俊二監督作品「Love Letter」

2025年4月7日 TOHOシネマズ二条にて

TOHOシネマズ二条で、岩井俊二監督作品「Love Letter」を観る。京都府内ではTOHOシネマズ二条のみでの上映である。1995年の作品。岩井俊二監督の長編映画第1作である。この時、助監督を務めていたのが行定勲監督で、行定監督は後に自身の長編第1作として、「Love Letter」へのオマージュともいうべき「ひまわり」という作品を制作している(主演:麻生久美子)。
公開30年を記念した4Kリマスター上演。映像の美しさに定評のある岩井俊二監督であるが、画像の鮮度が全く落ちておらず、30年前の作品とは思えないほどの瑞々しさと臨場感を湛えている。以前は、30年も前の映像と言ったら、劣化しているのが当たり前で、いかにも「昔の作品」という感じだったが、これからの俳優は恵まれていると言える。だが、恵まれているはずの本作の主演女優、中山美穂は昨年(2024)12月に54歳の若さで死去。佳人薄命を地で行く生涯となってしまった。公開から30周年という話は岩井監督と中山の間で交わされていて、舞台になった「小樽にもう一度行こうよ」という話も出ていたようだが、叶うことはなかった。

出演:中山美穂、豊川悦司、酒井美紀、柏原崇、范文雀、篠原勝之、鈴木慶一、田口トモロヲ、加賀まりこ、光石研、鈴木蘭々、塩見三省、神戸浩、酒井敏也、山崎一、徳井優ほか。
光石研、酒井敏也、山崎一、徳井優らは、ロードショー時点ではほぼ無名に近い存在。彼らは90年代も終わりに近くなってから売れ出している。
一応、中山美穂と豊川悦司のW主演となっているが、実質的には中山美穂の単独主演作と捉えて間違いないだろう。豊川悦司は、映画賞によって主演男優賞だったり助演男優賞だったりと見られ方が異なっている。

神戸と小樽が主な舞台となっている。どちらも風光明媚で知られる街だが、観光名所となっているようなところでのロケは行われていない。

音楽:REMEDIOS。

 

渡辺博子(中山美穂)の彼氏である藤井樹(いつき)が登山中に遭難して命を落とす。彼の三回忌に、博子は、樹の中学の卒業アルバムを見て、彼の中学時代の住所を知る。小樽の銭函二丁目という場所だった。今は国道が敷かれて、家は存在していないとのことだ。博子は、「どうせ届かないなら」とその住所に宛てて手紙を出す。すると返事が来た。実は同級生に同姓同名の藤井樹という女性(中山美穂二役)が存在しており、博子が樹の住所だと思ったものは、女性の方の藤井樹の住所だったのだ。
二役であるが、外見上は区別を付けておらず、話し方が樹はナチュラル、博子は内気そうに囁くように喋るという違いで演じ分けを行っている。なのでぱっと見だと今どっちなのか分かりにくい場面もある。
小樽の藤井樹は、市立図書館で司書をしている。当時はまだワープロ(ワードプロセッサー)が普及していて、樹は、ワープロで返事を書いている。樹は風邪を患っており、中々抜け出すことが出来ない。それでも体調不良を押して働いている。
博子は、実は謎が多い存在で、神戸在住なのに標準語を話す(他の登場人物は関西の言葉を話している)ため、関西出身でないことが分かるが、職業などに関しても直接的な描写はない。彼氏だった樹の友人であった秋葉茂(豊川悦司)の工房をよく訪ねる博子。秋葉はガラス工芸の職人であり、松田聖子の「青い珊瑚礁」をよく歌っている。工芸の技術は大学で身につけたようで、芸術系の大学を卒業しているのだと思われる。そんな秋葉から博子は、「小樽に行かないか」と誘われる。小樽で博子と樹は何度かニアミスすることになる。

博子に聞かれて、樹は、自身と男の藤井樹について書き始める。中学時代の話だ。女の樹は酒井美紀が、男の藤井樹は柏原崇が演じている。同姓同名で、中学時代、3年間同じクラス(正確に書くと男の藤井樹は3年の3学期に転校)だった二人の藤井樹。樹は、「いつき」の他に「たつき」や「たつる」とも読むが、今回はたまたま「いつき」だったということである。酒井美紀と柏原崇は、この翌年に青春ドラマの金字塔「白線流し」で主役クラスのメンバーとして共演している。柏原崇は、その後、不祥事を起こして仕事が減り、最終的には俳優を引退。現在は、内田有紀の内縁の夫兼マネージャーを務めている。
酒井美紀は女優業の傍ら、亜細亜大学を卒業し、その後に三十代で東洋英和女学院大学大学院修士課程を修了し、「インテリ女優」枠でクイズ番組でも活躍している。
同姓同名であるため、カップルのように扱われたりもする二人。ついには勝手に二人で図書委員にさせられてしまう。男の樹の方は、仕事をせず、誰も読まないような本を借りて、図書カードに名前を書き、結局は読みもしないという行動を繰り返す。
また、自転車で走っている女の樹に自転車で近づいて、相手の頭に袋をかぶせるといった意地悪を行うのだが、「好きな子には意地悪をしてしまう」男性は一定数いて、男の樹はそのタイプであることが見ていて分かる。図書カードに書いた「藤井樹」の名も自分の名前だったのかどうか。種明かしはラストで行われる。

成人した女の藤井樹は、風邪をこじらせ、41.8度の高熱を出して倒れてしまう。
一方、博子は男の藤井樹が命を落とした山の麓に秋葉と向かい、「お元気ですかー?! あたしは元気です」と叫ぶのだった。

 

世界的にヒットした映画であり、特に韓国では、「お元気ですかー?!」は流行語になっている。
無理があると言えば無理のある展開で、「そんなに似た人と生涯何度も会うわけないだろ!」と突っ込みたくもなるのだが、映画の見せ方としては上手いものを感じる。ただ岩井俊二監督はこれよりも出来の良い映画を何本も撮っており、あくまで入門編として観るべき映画という気もする。

実は公開時には、豊川悦司の大阪弁によるセリフも話題になっている。
豊川悦司は大阪府八尾市の出身なので、関西(かんせい)学院大学を中退して上京するまでは大阪弁は日常的に使ってきた言葉なのだが、この時点では全国区になったばかりであり、トヨエツ=大阪というイメージが全くなかったため、新鮮に感じられたようである。なお、豊川悦司は監督として、中山美穂を主演に迎えた大阪を舞台とするドラマを制作している。この時は、中山美穂も大阪弁のセリフを話していたはずである。

画像的には今と変わらないのに、ワープロ、ポラロイドカメラ、手書きの手紙など、今ではほぼ見られなくなった品々が登場するのもノスタルジアを掻き立てられる。

 

ラストに英語で、「天国にいる中山美穂にこのフィルムを捧げる」というメッセージが映された。

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