« 2026年3月 | トップページ | 2026年5月 »

2026年4月の12件の記事

2026年4月30日 (木)

Netflix連続ドラマ「地獄に堕ちるわよ」概要

2026年4月27日

Netflixドラマ「地獄に堕ちるわよ」が配信開始。全9話同時配信のようである。流石に全9話を一気には見られないので、細切れで見ていく。
占い本の売り上げがギネス記録になっている一方で、暴力団との直接的な関係を利用した恐喝など裏社会を利用した悪女でもある細木数子の一生を描くドラマ。主演:戸田恵梨香(細木数子役。ナレーション兼)。出演:伊藤沙莉(ナレーション兼)、富田靖子、高橋和也、細川岳、田村健太郎、余貴美子、根岸季衣、市川実和子(ナレーション兼)、田中要次、杉本哲太、生田斗真、三浦透子、青山テルマ、ヒコロヒー、細田善彦、石橋蓮司ほか。監督は、瀧本智行(友人に名前が似ている)と大庭功睦(おおば・のりちか)。脚本は真中もなか。音楽は、「どうする家康」の稲本響。

「SPEC」などでエキセントリックな人物も演じている戸田恵梨香。怪物クラスの人物である細木数子も、妖艶かつ時折凄みを出して演じている。終戦後、母(富田靖子)と四人姉弟でひもじい思いをした細木数子。弟や妹には街角のお供え物を与え、自分は仕方がないのでミミズを口にした。その味は、生涯忘れないと語る。一家でおでん屋を立ち上げた数子。早泣きが得意で、客から喝采を受ける。早くに稼ぐために高校時代にクラブデビュー。クラブではナンバーワンとなりやっかみを受けるもオーナーの落合元(奥野瑛太)に気に入られ、初めての体験をする。しかし、落合には裏の顔があった。自殺を図った数子だが、命を取り留める。高校を辞めた数子は、おでん屋の常連だった中園榮一(高橋和也)の紹介で、スタンド食堂「ポニー」を立ち上げる。店は繁盛するが、事実はどうか知らないが、数子は窓口係で食事の多くを姉が作ったため、姉が憤る場面がある。そのスタンドは半年で計画的にやめ、新橋にクラブ「潤」を起こす。水商売の女は教養がないと馬鹿にされるため、新聞を読み、更に大学に潜り込んで授業を受ける。どの大学なのかは明らかにしていないが、ロケでは立教大学が用いられている。一つの大学だけに潜るとは限らないが、交通費が掛かるため、複数の大学で学ぶということはなかったと思われる。
新橋の店が繁盛すると、今度は目標の地である銀座に「カズサ」という店を出す。オープン前に出資者の中園に土下座する場面がある。カズサというと千葉県の中部である上総を連想するが、彼女と千葉県には接点がない。織田上総介信長が、「総ての上に立つ」という意味で上総介を自称したが、あるいはそれを見抜いたのか。単に「カズコ」の「カズ」なのか。
数子は、最初は上司に連れられて来てその後は一人で週3回ペースで訪れるようになる三田麻呂彦(田村健太郎)のことが気になる。このままだと破産するのではと心配するが、実は三田は静岡の大地主の息子であった。三田の父親が亡くなった日、静岡に帰る三田との結婚を決意する数子。ただそれ以外の部分で三田に惚れたというより、金銭的な上がりを意識して三田と結婚したように見えてしまう。
これが第2話までの細木数子の人生である。
二番目にクレジットされている伊藤沙莉は小説家役である。伊藤沙莉本人も小説家という職業に憧れを持っているが、1から増やしていくことは出来るても、0から1を生み出す才能はないため、来世ではそうした才能を持つ天才作家になりたいようだ。おそらく蓬莱さんに惚れたのもそこだろう。売れない作家とクレジットされた魚澄美乃里であるが、実際は文芸新人賞を受賞した実力の持ち主である。しかし次の作品が書けなくなってしまい、書けないと金にはならないのでクリーニング工場でアルバイトをしている(余談だが、伊藤沙莉は若い頃にクリーニング工場ならぬクリーニング店でアルバイトをしていたことがあり、その時のことは著書やネットラジオで語られている)。細木数子のことを小説に書くことで再起を狙っている美乃里。美乃里のことは編集者が推薦し、細木からも「期待してるわ」と言われる。細木の自宅でのインタビューも行えていることから、全くの無名作家という訳でもないらしい。今後、対立が予想されるが、今のところ不仲という訳ではない。伊藤沙莉も取材対象を観察して「何でも書いてやる」と意気込んでいるためか、いつにもましてキリッとした姿勢である。

ただ気になるのは、Episode2で、美乃里の書棚が映る場面があるのだが、マンガのほかは、よしもとばななななどの現代小説と茨木のり子などの現代詩しか見当たらない。それも女性の作品ばかりである。漱石、芥川、太宰といった近代文学の王道や、泉鏡花や谷崎潤一郎などの耽美派、日本の古典文学、外国文学などは見当たらない。処女作『透明な女たち』であるが、帯を見ると私小説らしいことが分かる。誰でも私小説なら1冊は書ける。上手いか下手かは別にして。本当に何冊もヒット作を生み出す小説家になりたいのならこの読書量なら明らかに勉強不足である。私小説として『透明な女たち』に全て書いてしまったら、もう何も書けないのはむしろ当たり前といえる。
ただ第1作で自分に向き合ったというのなら、第2作で向き合うのは細木数子。細木数子が美乃里にとっては初めて描く他人だ。


静岡の旧家である三田の家(浄土真宗門徒のようで「正信偈」が唱えられる。浄土と地獄の対比である)に嫁いだ数子。しかし、眉をうすくして、『犬神家の一族』に出てきそうな風貌になった麻呂彦の母キヨ(余貴美子)が家の支配権を握っているようである。
初夜の日、麻呂彦はこれがはじめてだそうで、数子に指南して貰う。その間、鶏の映像が流れる。翌朝、起きた数子は麻呂彦の手伝いをしようとするが、キヨから何もしなくていいと言われる。それでも何かしようとするが、女中の仕事を奪うということで、何とか鶏小屋の掃除だけさせて貰う。名家である三田家では、跡継ぎを生むことだけが嫁の仕事だった。弟で「カズサ」の経営を任せた久雄への長距離電話もキヨに止められる。女中達が自身の悪口を言っていることを耳にした数子は、女中達を追い出し、鶏を皆殺しにして、夕食の膳に総て鶏料理を並べて家を出て行く。ちなみに親子丼は持って東京へ帰る途中のバスの中で食べるが(バスの中での食事は余り褒められたものではないが)卵だけ産む鶏の肉だけに、美味しくはなかったようだ。
それほど面白い話ではないが、美乃里は声を上げて笑う。数子はその理由も見抜いていた。美乃里は新人賞受賞直後に編集者の男と結婚。一女を設けるが、2作目の小説を書けない美乃里は、夫から「お前には才能がない」「小説家の道を諦めて子育てに専念しろ」と暴言を浴びせられたため離婚。娘の親権も取っている。
夫に酷い目にあった女。その復讐心や開放感が笑いへと繋がったのだと。ただ美乃里の夫はそれほど悪い人物ではない。

1963年。翌年には東京オリンピックが開催される。都内は突貫工事だらけであった。そんな中、「シンザン」と「だりや」という新店舗を銀座に出した数子は、不動産会社を経営している須藤豊という男(中島歩)と出会う。
一方、法外なみかじめ料を取ろうとした暴力団員に割って入った客がいる。滝口宗次郎(杉本哲太)。滝口組の組長だった。ここで初めて暴力団との接点が出来る。


この時点では、数子は占いを全く信じていないようだが、母親のみね(富田靖子)が占いを頼りにしており、辻占い師(田中要次)に頼み、娘の将来が明るいことを喜ぶ。
富田靖子も髪の毛を薄くするなど、かなり思い切った老けメイクを行っており、パッと見、富田靖子だと気付かない人もいそうである。

Episode5。1964年。細木数子は銀座で3軒のバーを流行らせ銀座の女帝となった。
だが好事魔多し。須藤と共同で赤坂のクラブ「艶歌」をオープンさせる計画を立て、中園と手を切るが、資金の半分を提供するはずだった須藤が金を持ち逃げして消えてしまう。新事業に力を入れていた数子だったが、須藤に欺されることになった。須藤は以前から密かに数子の内偵と欺す手口を考えていた。
そんな折、母親が死去。辻占い師に「数子が地獄を見る」と言われたという。実家にまで借金取りが来ていたそうだ。
再び自殺を考えた数子。須藤と滝口はグルだったようで、滝口は「艶歌」を存続させる代わりに自分の「おもちゃ」になるよう要求した。数子は飲むしかなかった。

現代(といっても2000年代)。細木数子は日本で最も有名な占い師となっていた。六星占術の本は世界で最も売れた占いの本として、ギネス記録になっていた。
だが、細木数子の本を書こうとしている魚澄美乃里役の伊藤沙莉は、観察の意味もあってか、厳しい眼差しを崩さない。細木数子への個人診断は10万円もし、その価格に見合うだけの診断を行っているとも思えない。やたら先祖供養を勧めるが、高い墓石を紹介し、美乃里のナレーションによると、細木はバックマージンを受け取っているという。

眼差しの演技が特徴的な伊藤沙莉。普段は強い眼差しを続けているので、それ以上のことは分からないが、細木数子が一万円札を燃やしたときに、最初は何が起こっているのか分からないという眼差しをし、その後、動揺を気取られないよう目を無表情に近づける。2枚目の一万円札に火を付けた時は流石に怒るが、これで1枚目を燃やしたことの意味が出る。火を付けてすぐ怒ったらドラマにならない。

細木数子が「最良の年」と呼んだ1964年が終わり、1965年。銀座の店は悉く閉店。数子は、「艶歌」の中では自由だが、滝口の情婦で外に一人で出ることも出来ない。滝口の求めにも応じなければならなかった。ある日、滝口の部下達が「艶歌」で騒ぐ。それを静めたのが江戸川一家の堀田雅也(生田斗真)だった。遅れてきた滝口を博打に誘う堀田。しかし堀田は博打の腕は確かであり、滝口を追い込むつもりだった。最終的には滝口は大負けし、負債を追う。そして復讐のために堀田を撃ちに現れる。

1973年。オイルショック。時短営業が求められ、「艶歌」の営業も上手くいかない。コロナを連想させる出来事だ。そんなある日、数子はついに占いに出会う。辻占い師だったが、「占いは統計学だから」(そう言いながら、占いの統計を取っている人はいないと思われる)ということで、「今付き合っている人とは相性が良いが、良すぎるかも知れない。そして新しいことを始めるのが良いかも知れない。あなたは人の何倍もエネルギーがある」
それを本気にしたのか分からないが、数子は「艶歌」をディスコ「マンハッタン」に模様替えすることにする。人一倍商才に長けた数子は再び時流に乗るが、車を運転している時に、橋から飛び降りようとしている女性を見かけ、声を掛ける。その女性は当代一の人気女性歌手、島倉千代子(三浦透子)であった、彼氏が出した手形に署名しているうちに借金が4億3千万を超え、マスコミが報じることに。数子は千代子を保護し、新宿コマ劇場でのリサイタルを完走させるのだった。
映画「ドライブ・マイ・カー」のドライバー役で注目された三浦透子。伊藤沙莉の友人である。東京理科大学数学科卒という理系の中の理系。今度、イギリスで生まれた一人芝居に挑む予定である。伊藤沙莉は高校の時にテストで0点を取ったと明かしているが、おそらく数学の試験においてであると思われるので、数学について語った場合は全く話が通じないと思われる。
伊藤沙莉がなかなかオーディションに受からず、受かったと思ってもエキストラだった時に、役を貰っていた三浦透子と昼ご飯を食べ、「ここじゃないから、沙莉のいる場所は」と言ってくれたという話がある。

Netflixドラマ「地獄に堕ちるわよ」Episode7からEpisode9(最終話)。

眼差しが険しかった美乃里だが、細木数子の話を聞いているうちに段々視線が柔らかくなる。数子は島倉千代子のマネージャーを務め、稼がせるためにドサ回りから刑務所慰問まで何でもやらせる。年間200ステージの強行軍。更にレコード購入者限定のサイン会など、金になることなら何でもやらせた。そして円満のうちに関係解消。
だが、数子の弟で一緒にバーやディスコを手伝っていた久雄から「そんなの全部嘘に決まってるじゃん」と美乃里は告げられる。久雄はその後に二度逮捕されて有罪になっており、数子からは離縁されていた。数子は姉や妹からも距離を置かれており、家族には好かれなかった。
久雄が言うには、芸能界と暴力団の両方に詳しいフィクサーから堀田に連絡があり、島倉千代子と面会し、傘下に置くことになかった。橋で千代子と会ったというのは大嘘だった。
数子が千代子に課した仕事そのものには嘘はないようだが、得た金の大半を懐に入れていた。千代子は月3万円を給料として貰っていたが、千代子の元マネージャーで今は新人のマネージメントを行っている男に聞くと、明らかにおかしいらしい。島倉千代子クラスなら、呼ぶだけで200万から500万かかるため、借金の4億円など1年で返せるという。数子は1年で稼いだという1億5千前円を出して、これで山分けとしていたがそんなはずはないというのだ。欺されたことを知り、週刊誌に離別の記事を載せて、「これで手切れ」としたようだ。美乃里は、テレビ局に島倉千代子を訪ねるが、千代子は数子への感謝を述べ、着服されたことについても「欺されたことに気付かない方が幸せなこともあるのよ」と取り合わなかった。そして数子が笑うようなタイミングで笑い声を上げる。数子の人に取り入る術を見せられる思いだ。

数子が最初に占ったのは千代子だったが、本格的に占いを学ぶことに決める。初めて占って貰った先生(木村優子)に弟子入りし、「占いには10年掛けないと」と言われるが1年でマスター。本当にそんなことが可能だったのか分からないが、これをベースにした六星占術を生み出すきっかけとなる。ちなみに先生に借りた本はついぞ返しにこなかったという。
更に思想界の大物、安永正隆(石橋蓮司)にも近づく。最初は推命学を教えて欲しいと近づき、得意の泣き真似もする。最初の先生によると「安永正隆は易経の人」で四柱推命には詳しくないそうだが、各界に顔が利く正隆との付き合いにより、数子も顔と知名度を上げていく。正隆の娘の加藤十和子(市川実和子)によると、正隆には軽度の認知症があり、それを数子が見抜いたのではないかという。認知症は徐々に進んだようで、正隆と数子が二人で部屋で飲んでいる時に、危機感を覚えて駆けつけた十和子を「静子」と母親の名前で呼ぶ。そしてその時、数子は正隆に印鑑を押させていて、婚姻届を出す準備を整えていた。しかし婚姻については後に裁判により無効となる。
正隆の葬儀の日、駆けつけた数子は、心から絞り出したかのような泣き声を上げるが、元々泣きの演技は得意であり、数子に同情する人はいなかった。
正隆が推薦文を書いた六星占術の本は売れに売れ、数子はテレビ界に進出することになる。

「ヤクザの女」じゃなくて「女ヤクザ」と呼ばれた細木数子。テレビ局の前での出迎えは、テレビ局ではなく暴力団事務所の前のような光景である。

それでも数子を悪く言う人は少数派。番組ADは不満をぶつけるが、ディレクターは大絶賛。以前、10万円払って数子に見て貰った老婆も、状況は全く改善されていない上に高額の墓石まで買わされているが、「有名な方」に見て貰って嬉しいと、述べる本人が良いと言うなら良いで収まる結果となっている。

数子は、美乃里を鑑定することにする。放送には流さずカメラも回さないという条件下だ。美乃里は今書いている小説の話をする。モデルがいて、それが誰のことなのかは明かさなかったが、数子にはすぐに分かったはずだ。

1冊しか書けていないが、小説家の血が騒ぐ美乃里。ノートパソコンのワープロソフトに向かって縦書きで書く、とにかく書く、アルバイト先でも(本来の仕事はさぼってるが)書く。そうして文字を奏でた美乃里は、2冊目の小説となる『虚飾の自画像(原題『女の自画像』)』を書き上げる。週刊誌に細木数子のスキャンダルを連載する予定があり、美乃里の小説はそれに対して細木数子擁護の書籍となるはずだった。だが、美乃里は耳にしたままを小説にした。
美乃里は、「誰よりも先に読んで欲しい」ということで、出勤前の細木数子の家に向かい、プリントアウトしたばかりのA4用紙を入れた紙袋を車中の数子に手渡す。
実のところ、数子は美乃里が書いた小説に泣いた。感受性も強い人らしい。
しかし、再び美乃里と自宅であった数子は、「面白かった」と言いながら「嘘ばかりで表に出せない」と美乃里を責める。おそらく本は世に出ないだろう。だが美乃里と対峙した時にぶちまけた原稿を、数子は美乃里が帰ってから1枚1枚慈しむかのように丁寧に拾う。
虚飾と嘘に満ちた人生。知力、商才、胆力、演技力に長けながら、それを悪へと向かわせてしまった女。それでも人々は「虚飾には虚飾を」なのか、本来の数子に向けられたとは思わない言葉を掛ける。これは自分じゃない、それも自分じゃない、あんなものも自分じゃない。そんな中でただ一人、等身大の自分に向き合う人がいた。美乃里である。美乃里は自分のことを分かってくれていた。だが、この内容で出版する訳にはいかない。

翌2006年、週間「現代」が細木数子の数々のスキャンダルを書き立てた。数子はテレビ界から追放。表舞台から姿を消す。しかし死ぬまで「占いなんて信じてない」と言いながら占い師の仕事を続け、ケータイ向けの六星占術のサイトが爆発的にヒットするなど、占いに関わり続けた。また姪を養女に貰い、細木家を繋いだ。
「細木数子は欲しいものを全て手に入れた」ように見える。本当の理解者以外は。

| | | コメント (0)

2026年4月29日 (水)

観劇感想精選(515) アーサ・ミラー作「るつぼ The Crucible」(坂本昌行主演)

2026年4月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「るつぼ The Crucible」を観る。「アメリカの頭脳」アーサー・ミラーの代表作である。「アメリカの頭脳」に名前負けせず、彼が残した戯曲の数々は今も各国で上演され、高い評価を得ている。「るつぼ」は、日本でも数年前に堤真一の主演で上演されたが、チケット争奪戦に敗れて観ることは叶わなかった。

今回は坂本昌行の主演版である。テキスト日本語訳は水谷八也、演出は上村聡史。

「エクソシスト」を先取りしたような、奇怪にしておどろおどろしい作品だが、主軸にはキリスト教などの権威の傲慢さへの冷めた目があるように思う。

出演:坂本昌行、前田亜季、松崎祐介、瀧七海、伊達暁、佐川和正、夏子、大滝寛、那須佐代子、大鷹明良ほか。

舞台美術は長田佳代子で、○を八百屋飾りにし、中間の何もない部分に、こちらも少し八百屋になったセットを作っている。出入り口は背後、階段を降りた先にある。

 

魔女狩りが主題である。中世ヨーロッパでは魔女狩りが横行し、ジャンヌ・ダルクも魔女として火刑台に消えた。今もイギリスなどでは魔女として暮らしている人は多いが、特に他者を害するということはないようである。一方、新大陸では……。

アメリカ合衆国独立前の英領アメリカで起こったセイラム魔女裁判がモデルとされる。

黒人役の人が出てくるが、肌を塗ったりは出来ないので、髪型をそれらしくして演じている。鍵を握るのは、アビゲイルという17歳の女性(瀧七海)である。アビゲイルというと、オーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートミストレスであるアビゲイル・ヤングを連想してしまう。アビゲイルという名前の人を彼女以外に知らないからでもあるが。
アビゲイルは他の女の子と共に、夜の森で踊り、それが悪魔崇拝だとして問題視される。特にパリス牧師の娘であるベティ(前田亜季)は意識不明となり、ベッドで寝ているのだが、突如起き上がって暴れたりする。本当に「エクソシスト」の世界である。ベティの出番は短いが、前田亜季はその後は成人女性であるエリザベス(エリザベスの愛称もベティである)役で登場する。

パリスというのも意味ありげな名前だが、この人物は魔女騒動を焚きつけているようなところがあり、好人物とは言えない。魔女を巡る人々の心に寄り添うのはヘイル牧師(松崎祐介)の方である。

しかし、おそらく集団ヒステリーによるものだと思われるが、街の若い娘達が悪魔を目撃するなど奇妙な精神状態へと陥り、奇声を発するようになる。

主人公のジョン・プロクター(坂本昌行)は、信仰心はそこそこ。畑仕事をしている方が好きで、安息日である日曜日にも畑に出掛けて土を耕していたことがある。日曜の集会にも出られる日だけ出ている。
妻のエリザベスとの関係は良好だが、つい侍女のアビゲイルと関係を持ってしまう。アビゲイルはそれをネタに……。

 

魔女狩りという前近代的な習慣を題材にしながら、絶対的権威と個人など、現代においても起こる対立を緻密に描いた作品である。魔女審問では次々に死刑とされるなど、血なまぐさい出来事が背後で起こっているが、そうした凄惨な出来事は今は終わったわけではない。

この小さな街の魔女狩りの話をスライドさせれば日本で言えば特高警察の話になる。アーサー・ミラーは、そうした作劇法を確信犯的に用いている。

 

坂本昌行はミスもあったが集中力の高い演技を見せ、ジョンという男の多面性を表していた。ジョンという人物は必ずしも格好良くはないのだが、坂本昌行は多くの女性の目に格好良く映るだろう。
近年は舞台を活躍の場に選ぶことが多い前田亜季。やはり可憐な役も多かったが、今回は心揺れる女性を情感豊かに演じていた。

Dsc_9802

| | | コメント (0)

2026年4月25日 (土)

コンサートの記(955) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団枚方公演2026年2月

2026年2月28日 枚方市総合文化芸術センター 関西医大 大ホールにて

午後3時から、枚方市総合文化芸術センター 関西医大 大ホールで、尾高忠明指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団枚方公演を聴く。枚方市総合文化芸術センターまでは、エスカレーターもしくは階段を昇った後で歩道橋を歩くと便利なのだが、今日は婦警さん、とはもう言わないんですね。女性警察官がホールへの行き方をずっと大声で案内していた。
関西医大 大ホールは、オープンした時からこの名前だが、ネーミングライツによるもので、関西医科大学が運営するホールではない。関西医科大学のキャンパスに隣接しているため、勘違いする人もいそうである。
関西医大 大ホールは、オープン時に、たまたま私が1番最初にホワイエに入り、そのまま1番で客席内にも入ったというホールである。第1号の客ということになる。特に目出度くもないが。杮落としの公演は能と狂言で、その後も鈴木京香主演の演劇公演なども行われているが、今日置かれたチラシを見る限り、今後行われるのは音楽公演のみである。
関西のホールも建て替えの時期が重なり、次々に新しい施設が生まれている。枚方市総合文化芸術センター 関西医大 小ホール(小ホールも関西医科大学がネーミングライツ)は比較的小規模の演劇向けで、今日は子どもが参加する劇の公演があったようだ。

今日も1番で入れそうだったが、残念ながら2番であった。急いだら1番になれたかも知れないが、1番であることに大した価値はない。

 

曲目は、ドヴォルザークの交響曲第8番とブラームスの交響曲第1番。

コンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーが誰なのかは分からず。男性であった。尾張拓登である可能性が高い。

ドイツ式の現代配置であるが、ステージが余り広くないので、ティンパニは指揮者の正面ではなく下手端に位置する。指揮者の正面にはトランペットが来る。
管楽器はドヴォルザークよりもブラームスの方が首席奏者が多そうだ。

 

ドヴォルザークの交響曲第8番。第9番「新世界」交響曲の次に人気がある曲だが、かなり差がある。以前は、イギリスの出版社からスコアが出版されたことに由来する「イギリス」というタイトルを付けることがあったが、内容にはイギリスらしさのかけらもないため、今では使われることは滅多にない。
チェロのまろやかな響きが特徴で魅力的である。どちらかというとインターナショナルな解釈で、チェコやボヘミアといったローカリズムは余り感じない。
関西医大 大ホールの響きであるが、前回、藤岡幸夫指揮の関西フィルハーモニー管弦楽団を聴いた時から大分経つため、初めてに近い感覚になる。関西フィルを聴いた時は「平均的」という印象を受けたが、今日は弦楽群、特にヴァイオリンが痩せて聞こえる。大フィルの弦楽は分厚いのが特徴だが、音が吸われてしまう感じである。枚方市は京都市と大阪市の中間で、京阪枚方市駅には特急も停まるし、大阪に行くより楽なのであるが、中之島のフェスティバルホールか、福島(目の前まで福島区ながら実際の所在地は北区になるが、最寄り駅がJR福島駅)のザ・シンフォニーホールまで行った方が大フィルの醍醐味を味わえそうである。残響であるが、短めで、たまに濁る。一方で、ホールの音は時と共に変わり、京都コンサートホールなども以前とは別の響きである。関西医大 大ホールも今後変化していくと思われる。

 

ブラームスの交響曲第1番。コンサート演目の王道であり、私自身、コンサートで最も耳にした曲のはずである。
尾高は、比較的スマートにスタート。情熱的に演奏する人もいるが、そうした演奏からはブラームスの狂気のようなものが見え隠れするため、嫌う人もいるかも知れない。名盤として知られるシャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団盤などはそうした1枚である。
管の精度がやや落ちる感じだが、渋みのある、音符を墨で書いたような渋いブラームスである。ただし黒塗りという意味ではなく輝かしい音も奏でられる。
第2楽章の須山と、ホルンのファーストの高橋将純の掛け合いも良かった。
端正な第3楽章を経て第4楽章へ。尾高はそれほど燃焼度は上げなかったが、凱歌の部分は広がりのある演奏に仕上げた。

 

演奏終了後、尾高はマイクを使わず、「このホールでやるのが何回目か忘れましたが、良いホール」と称え、「最初の頃は無観客でやって、それから10人ぐらいお客さんを呼んで、パラパラとした拍手で。今は大きな拍手を貰えます。音楽家にとってそれが心の栄養です」と語った後で、ブラームスの交響曲第1番について「今日のが最速です。年々速くなる。若返ったのかな。この曲を初めてやったのは東京フィルハーモニー交響楽団の第150回定期演奏会。23歳でした。それから55年経ちました」

 

アンコールは、シューベルトの「ロザムンデ」より間奏曲第3番。天国的な音楽と演奏。こういう曲を聴くと、シューベルトには常人には見えないものが見えていたのではないかという気がする。

Dsc_9667

| | | コメント (0)

2026年4月24日 (金)

観劇感想精選(514) ニットキャップシアター第47回公演「土曜日の過ごし方」

2026年2月20日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて、ニットキャップシアター第47回公演「土曜日の過ごし方」を観る。ロームシアター京都10周年連携事業の一つである。脚本・出演:ごまのはえ、演出:橋本匡市(万博設計)。出演:千田訓子、仲谷萌、山﨑茉由、西村貴治、門脇俊輔、尾澤ショータロー、山谷一也、越賀はなこ、澤村喜一郎、高田晴菜、小野毅、高橋敏文。

昼に見た有名俳優に比べると、個々が反するエネルギーが小さいのが分かるが、向こうは普通の人が出来ないことをいくつも経験している一般人とはかけ離れた人。舞台での演技経験しかない、街の舞台俳優の存在が弱く見えたとしてもそれは仕方ない。別個で考えるべきである。

戦前の京都に実在した新聞「土曜日」を巡る群像劇。
主な舞台となるのは喫茶デイジーであるが、地図を見ると凄いところにある。今は綺麗になっているはずだが、往時はどうだったのだろう。
一方、京都の専門家を揃えていない弱さで、木屋町の喫茶店を「フランソア」ではなく「フランソワ」と書いてしまうなど、思い込みによるミスが目立つ。
さて、下鴨警察署であるが、元々は田中警察署であったが、移転して下鴨警察署を名乗っている。この時、現在地に移転したのか他の場所に移転したのかが不明。現在の住所は田中だが、下鴨が目の前で、田中警察署から移ったので下鴨警察署としたのか、あるいは下鴨に移ってから田中の現在地に再移転したのか、戦中、どこにあったのか気になるが、下鴨警察署は川端警察署と合併して左京警察署になるため、その手の記事しかヒットしなかった。

なお、戦前には松竹の撮影所は太秦ではなく下鴨(下加茂)にあった。下鴨神社の糺の森が、時代劇の風景に相応しかったからかも知れない。

新聞「土曜日」は、昭和11年7月から12年11月まで京都で発行されていた新聞である。映画批評などの文化欄、海外情報、京都のことを載せた社会欄などがあったが、警察に検挙されて短命に終わっている。ソ連のモスクワとの通信網なども問題視されたようである。
新聞「土曜日」を発行していたのは斎藤雷太郎という映画俳優である。大部屋俳優としての待遇に納得がいかず、新聞の発行を始めたのだった。映画欄には若き日の淀川長治も寄稿しているようだが、批評として成立していない短い文章だったので、これを機に映画評論家へ、とはならなかったようである。
ただ単に映画評を載せるだけでなく、伊丹万作(伊丹十三の父親、池内万作の祖父)監督の「新しい土」が満州への進出を促す内容であり、それによって満州国が傀儡国家であることが明らかになっていることを、ヒントとして載せるなど、政治的な批評に及ぶ場合もあり、特高に目を付けられるようになる。

ちなみに喫茶デイジーの白瀬キミ(山﨑茉由)が通っている学校は校名が記されていないが、現在は御所東小学校が建つ場所で、架空の学校である可能性が高い。

齋藤雷太郎が、主人公格かと思いきや、当時の特高のやり方などを体験した館林(門脇俊輔)の方が与えられた役割は大きいようだ。

政府に従う人々は日々増えていき、それは無表情の面で示される。個人的には面を使った演出は好きではないが、単純に好きではないだけである。

館林は大学で独逸文学を学んだ学者であるが、共産主義者ということにされ、転ぶよう命じられる。共産主義者でも何でもないので転ぶも何もなかったが、特高の刑事(ごまのはえ)と出町柳(往時は一帯は、「柳ヶ辻」、「柳」、「柳元」といういい方の方が一般的だったようだ。由来となった柳の巨木が倒れてからは、叡山電車のターミナルである出町柳に呼び方が移ろう)に食事に行ったりするなどして過ごし、最終的に作文を書いて釈放される。
「人民戦線」という言葉がある。奥寺(澤村喜一郎)は、戦争を阻止しようとし、電柱に「戦争反対」と書いた紙を貼ったり、「帝国主義侵略戦争反対」という言葉を広めようとするが、特高に逮捕される。

途中からは、録音した音声による、戦時下のメッセージが延々と流れる。面を被った人々が時計回りにせわしなく歩き回る。

ただ、戦後のシーンはもっと軽く済ませても良かったかも知れない。

無料パンフレット代わりに、新聞「土曜日」を模したタブロイド判が入っているが、東京ヤクルトスワローズの応援をしている人の記事があって楽しかった。

 

時代的に笠置シヅ子が重なっており、最初は、「Smile」、「東京節」の替え歌、「アラビヤの唄」「リンゴの木の下で」(ジャズバンド版)など、アメリカの曲やアメリカの影響を受けた音楽が流れるが、戦時色が濃くなるにつれて軍歌が流れるようになり、玉音放送を経て、最後は復興ソング第1弾の「リンゴの唄」が流れるなど、音楽でも時代の経過が把握可能であった。

Dsc_9652

| | | コメント (0)

2026年4月22日 (水)

「新・科捜研の女1」Season5概要

「新・科捜研の女1」Season5 File.1。寝台特急(ブルートレイン)が出てくる。今はブルートレインは全廃となった。私は上野初金沢行きのブルートレインに乗ったことがあるが、一睡も出来なかった。1996年のことである。

新たに田中健が、佐久間誠として京都府警刑事部長となる。

寝台列車の中で中年男性が毒物によって殺害されていることが分かる。長崎発の特急あかつき。事件は1年前に遡る。文学系のサイトで知り合った5人がワゴンの中で練炭による集団自殺を図る。実際にこの時期には練炭などによる集団自殺が流行っていた。
寝台列車の中で死んでいた中年男性は、借金で首が回らず集団自殺に加わろうとしていた。その後、練炭自殺に加わっていた美咲(さとう珠緒)と響子(遠山景織子。特別出演となっている)が相次いで殺害される。美咲はOLだったが、執筆した小説がベストセラーとなっていた。
京都府警も新しい顔を迎える。最終回まで出演することになる土門薫が登場。前回までは小説家の武藤要役だった内藤剛志が演じる。武藤も出てきた当時は関西のアクセントだったが、すぐに標準語に変わった。土門も基本は関西弁であるが、犯人に迫るときには標準語に変わる。何と言っているのか分からない地域があるためだと思われる。なお終盤に京言葉を使ってマリコをからかう場面があるが、これは京都の人でないと分からないと思われる。土門がマリコの関西訛りを聞いて、「あんたも関西か」と聞く場面がある。マリコは横浜市出身という設定で、関西の言葉は基本出ないが、この時はたまたま出ていた。沢口靖子は堺市出身なので関西の言葉は普通に扱える。

実は土門は、過剰暴力により、舞鶴東署に飛ばされていたのだが、妹であるハイテク捜査部の土門美貴(加藤貴子)の働きで、京都府警本部に栄転となった。内藤剛志は五分刈りにしての役作りである。

その他では斉藤暁もSeason1とは顔はそのままだが別人という役で出ている。

犯人は練炭自殺に参加していた有紀(有森也実)。メイクでかなり暗めの顔にしている。苦しみを抱え、心中にも失敗して一人だけ生き残り、死ぬしかないと思っていたのに、美咲は自殺するつもりはなく、練炭での集団自殺を題材にした小説を書くために参加していた。響子もサイトの管理人と結婚に向けて歩き出していた。皆、幸せになろうとしている。それが恨めしかった。
なお、有紀は長崎にある篠山金属工業という小さな会社で事務員のような仕事をしているが、篠山金属工業の社長をなぜかハマコーこと浜田幸一が演じている。
長崎市での場面は、マリコが迷ったという設定にして、観光名所をこれでもかとばかりに映している。


「新・科捜研の女1」Season5 File.2。パティシエール(女性パティシエ)の遠山喜和子(丘みどり)の誕生日パーティーで、爆発事件が起こるパーティー会場となった洋館は、2000年に復元された京都女子大学錦華殿が用いられている。2階ベランダに出るシーンがあり、2階の内装は見えるのだが、1階が用いられているのかどうかは不明。キッチンはないので他の場所で撮っているはずである。
Season5に入ってから、マリコがコミカルなことをすることは減り、表情も敢えて固くして才気を感じさせるなど、我々が知る榊マリコに近くなっている。お笑い的要素は深浦加奈子などが受け持ち、元気で明るいキャラは加藤貴子が担当する。演技の分業制である。
主役はマリコだが、チームで演技する体制である。Season4では何のためにいるのかよく分からなかった宮前(山崎一)が、マリコに検査を頼まれて仕事をしている場面も多い。
また、番組の最後に、マリコと土門が関西弁でやり取りをしている。ただこれがいつまで続くのか分からない。先に書いたとおり、沢口靖子は堺市出身なので、関西の言葉を喋りながら育っているが、マリコは横浜市の生まれ育ちという設定なので、そんなに流暢な関西弁を喋られると違和感を抱く。
しかし、前回、遠山景織子(とおやま・きょおこ)が殺される役で出たのに、今回は遠山喜和子という名前の似た人物が出る。脚本家が異なるのだと思われるが、事前の打ち合わせの問題はあるとして、事前にいくらでも役名は変えられたはずなのにそれをしなかったということは、「問題なし」という見解なのだろう。
喜和子には、出来の良い弟子がいた。沢木美沙である。喜和子も日本最高のパティシエとして賞を受けているが、美沙はミラノ・コンクールで賞を受け、師匠である喜和子を侮るようになっていた。だが、実際、美沙の方が調理のバリエーションも多く、喜和子は嫉妬していた。
ということで、喜和子は美沙殺害を企てるのだが、そもそも自分の誕生日に殺人を犯そうと思うかという話である。おそらく喜和子と美沙は今は疎遠なので顔を合わせる機会が誕生日パーティーしかないのかも知れないが、めでたい日なのに。
マリコは、砂糖が爆発する可能性を指摘。実際、粉砂糖をオーブンに入れると爆発する。喜和子は、美沙がオーブンを開けたときに爆発するよう準備していた。だが、美沙は電子レンジでケーキを作ろうとしていた。
だが、オーブンの電源を切った後で必ず中を確認という喜和子からの教えを守った美沙は、オーブンを開け、爆発が起こったのだった。
喜和子はとっさに、クッキングテーブルの裏に身を隠し、左手のやけどだけで済んだ。
しかし、電子レンジで作るケーキをマリコが再現したことで、喜和子の美沙に対する思いが明らかになっていく。

京都らしい場面は五条大橋西詰と思われる場所しか出てこなかった。御池大橋西詰にも似た場所があるのでそちらかも知れない。


Season5 File.3。男性の絞殺体が見つかる。貝の一部が付着しており、首はクッキリとした墨の入ったもので絞められていた。
貝はボタンに使われているものだということが分かり、海外産。土門は、同じ貝を使っている仕立屋をピックアップし、殺されたのがテーラー貫井の店長であったことから、テーラーの石津(秋野太作)がホシとにらむ。しかし、石津にはアリバイがあった。
だがマリコは高温多湿の場所に遺体を置けば、死亡推定時刻が変わる可能性を述べる。そして、石津がアイロンのスイッチを入れたまま外出していたことが分かる。トリックを使ったのではなく、偶然死亡推定時刻が変化したのだ。
石津は40年前に貫井に拾われ、以後、評判のテーラーとして勤めてきた。だが、近年はミスが目立つようになり、貫井にクビを言い渡されていたのだった。まだ隠居出来る歳でもなく、テーラー一筋では他に何も出来ない。職人の悲哀が滲む回であった。
マリコと土門が歩くのは、鴨川の丸太町橋下から南。旧京都中央電話局上分局という名建築が上にあるが、ほとんど映っていない。京都は洋式建築の宝庫でもあり、これまでも学校の建築に見立てられた使い方はされているが、視聴者が京都にモダンなものを望んでいないのかも知れない。


「新・科捜研の女」Season5 File.4&5。今回は、「科捜研の女」シリーズ初の回跨ぎとなる。
山奥の採掘現場で男性の白骨死体が発見される。傍らにはICレコーダーが落ちていた。鑑識の進藤(山本圭)が現場でマリコらと共に現場検証を行う。死体が完全に白骨化するまでには7年ほど掛かるそうだ。
遺体は井上という男のもので、遺品から指紋が出る。1年前に殉職した木場警部(小林稔侍)のものだった。ということでオールアップしたはずの小林稔侍が再度登場する。
木場は生前、松山寿子(としこ)という女性と親しくしていた。寿子は女優で、現在は芸名の木村彩(渡辺典子)を名乗っている。今は小劇団である「蒼天」の主宰者でもある。以前、劇団付き演出家だった男とは内縁関係にあったが暴力が酷く、ある日、演出家に殴られて顔を腫らしながら雨の中を彷徨っている時に木場に出会った。木場の助言で心も強くなり、演出家とも離れて、現在は演出も自分でやっているようである。進藤は木場と彩の関係を知っており、昨夜、ミステリードラマが好きな娘と共にテレビを見ていたところ、松山寿子=木村彩が犯人役で出演しており、木場と彩の関係を思い出していた。
彩はDVで警察に4度ほど相談に訪れていたが、同じく暴力に悩む長山照子(川上麻衣子)というホステスと、同じ悩みを共有する仲として親しくなる。照子は、安西というチンピラに借金があり、返すことが出来ずたびたび暴力を受けていた。
マリコは現場に残されていたICレコーダーの音声を解析して貰うが、そこには木場の声が入っていた。このICレコーダー、感度が良すぎてツッコミのネタになりそうである。

5年前のマリコについての話が進藤から語られたり、生前の木場とマリコの再現映像が流れたりするのだが、明らかに以前のシリーズのマリコではない。「アメリカ帰りの氷のように冷たい女」にも見えるのは、今シリーズからで、「科捜研の女」Season1が始まった5年前のマリコは、「頭が良く、有能で明るいがちょっと残念な人」であった。「新・科捜研の女」とタイトルを変えたことで、マリコの性格も一新されたようである。
これまで沢口靖子が受け持っていたコミカルな場面も、いつの間にか若いイケメン(丁度、この回が放送された2004年頃に普及した言葉である)好きで甘えるという設定になった深浦加奈子と、土門薫刑事の妹役である加藤貴子が分散して担っている。沢口靖子は目以外は余り表情を付けないクールな演技だ。

劇団の話ということで、三条御幸町にある1928ビル(その名の通り1928年=昭和3年竣工の旧毎日新聞京都支局)の3階にあった小劇場のART COMPLEX 1928がロケで使われている。ART COMPLEX 1928は、以前は京都の小劇団のメッカであったが、現在はGEAR専用劇場となっている。
ここで本番を行うのだと思っていたが、実際はリハーサル会場という設定のようで、本番は外観からいって京都市右京ふれあい文化会館をロケ地にした劇場で行われるようだ。リハーサル会場で通し稽古を行っていたという謎の設定がある(本番の会場で全てやり直しになってしまう)。また舞台上のトップが舞台監督(監督とあるが、映画監督とは異なり、裏方の総責任者を差す。本番中はこの人がトップになることが多い)ではなく彩のマネージャー(Season4まで別の役で出ていた小林千晴が演じている)になっているのも、小劇場の知識が余りない状態で本を書いたからだと思われる。

浅田という井上の遠縁の金貸しから度々借金返済の催促があり、暴力も受けていた照子は彩に電話で浅田を殺すことに決めたと告げる。慌てて浅田の事務所に駆けつけた彩。照子は浅田殺害に失敗し、浅田に死ぬほどに殴られていた。彩はその場にあった壺で浅田の後頭部を打つ。二人は更に井上も殺害。彩が井上の喉をナイフで刺す。
操作線上に上がった照子であるが、結局は彩に殺される。
5年前、雨の日に出会い、木場からラーメンをおごって貰った彩。「夢を応援している」とも言われたが、結局は薄幸な女に留まることが出来ず、3人を殺害した殺人鬼に落ちてしまった。照子絡みの事件も殺害を受け持ったのは全て彩だ。

ロケ地として、今は内部改装されて別の施設になってしまった烏丸御池の新風館が映っている。兄妹を演じる内藤剛志と加藤貴子の場面だ。
土門美貴役の加藤貴子が取調室に忍び込んでパンを食べ、マジックミラーの向こうから土門薫役の内藤剛志に注意されるという場面もある。ここで加藤貴子が、「お兄ちゃん、今朝もトイレ流してなかったでしょう。汚いからやめてよね」と、その場には関係のないセリフを話すのだが、これは二人が同居していることを視聴者に分からせるためのテクニックとしてのセリフである。

渡辺典子や川上麻衣子といった放送時点でも懐かしい女優の共演。二人ともかなり若い頃に頂点が来てしまったため、保つのは難しそうだ。

クールな女に変貌した沢口靖子とマリコだが、木場刑事との最後の思い出(映っていないがインクラインの上を歩いていると思われる)や本編のラストでは笑顔を見せた。

「新・科捜研の女」Season5 File.6。
洛北医科大学に自転車で向かうマリコ。しかし、途中で無灯火運転ということで、東山署の婦警、で当時は良かったのだが(劇中にも「婦警さん」という言葉が出てくる)、今は女性警察官の村岡葉子(菊池麻衣子)に呼び止められる。盗難車ではないかと疑われ、後部のタイヤに空気が十分入っていないと指摘される。
遅れそうになったマリコは、自転車を鍵を付けたまま空き地に止めてタクシーを使うが、案の定、盗まれる。自転車を取りに来たマリコだが、自転車はないので帰ろうとするが、警察のサイレンが聞こえる。すぐそばの事務所で京都府議会議員の古谷要一が胸を果物ナイフで一突きにされて殺されていたのだ。古谷は京都政界での評判も良く、次の参院選に立候補が期待され、当選確実と見なされていた。
高架があることから、亀岡方面に向かうJR嵯峨野線沿いであることが分かる。本来なら東山署の管轄ではないが、芝居の嘘である。
犯人はマリコの自転車を盗んで逃走した可能性が高いことが分かる。そこでマリコの自転車のタイヤ痕を追うことに。

今回は観光地が比較的良く映る。祇園の辰己大神宮、京阪四条駅(現在は京阪祇園四条駅。舞妓が歩いている様子が映るが、舞妓は昼間にお座敷の格好で出歩かないので、イメージ映像、もしくは舞妓体験サービス中の観光客である)、平安神宮前の神宮道(岡崎公園内の車道は現在は歩道に変わっている)、太秦の広隆寺、哲学の道など。
犯人は、左京区岡崎の東天王町まで来たことが分かる。
深浦加奈子演じる光子が、古谷をワイルドでセクシーでナイスミドルで投票しようかと思ってたと言ったり、10円玉を見つけて大喜びしたり、血痕を追って男子トイレに入ってしまったりする。沢口靖子がコミカルな演技を止めたため、他の人がコメディー部分を受け持つが、この回は加藤貴子もシリアスな役目を帯びることになるため、深浦加奈子に集中しているのだと思われる。Season4では、あんたそんな人じゃなかったじゃん。

マリコの自転車は、JR嵯峨野駅で発見される。タイヤ痕は鴨川の東岸に集中しているが、嵯峨野は京都市内でも西の方である。更に一つ、よくロケに協力してくれている同志社女子大学今出川校地付近でも見つかった。この二つだけが逸れている。また、自転車に数種類の毛髪が付着しており、理髪店に行った後の可能性が考えられた。

マリコは、自分の自転車の後部タイヤに触ったはずの葉子の指紋が出ないことを不審に思う。また葉子は以前はロングヘアだったのに今はショートにしている。
葉子は、土門美貴と同じ京都府警内のテニスサークルに所属しており、美貴によると、水泳以外の運動能力はかなり高いそうで、ダブルスを組んだこともあるという。マリコは美貴に葉子の毛髪を手に入れるよう頼む。最初は反発した美貴であったが、一緒にテニスサークルに参加した日に、タオルに付着した葉子の髪の毛1本を手に入れる。毛髪鑑定の結果、同一のものとの結果が出た。

葉子は哲学の道沿いの自宅アパートに犯人を匿っていた。犯人は葉子の幼馴染みである飯島陽一郎。共に愛媛県新居浜(にいはま)市出身であり、幼馴染みであった。川で溺れた葉子を陽一郎が助けたこともあり、葉子は陽一郎のことを命の恩人と感じていた。別の高校に進んで別れたようだが、先日、行きつけの理容室が満員だったために、初めての店に訪れた葉子は陽一郎と再会した。だが、陽一郎は同じ新居浜市出身である古谷の不倫の証拠を掴み、強請っていた。古谷は陽一郎の父親に儲け話を持ちかけて破産させ、自殺に追い込んでいた。古谷の家は愛媛の地元ではよく知られた資産家のようである。

葉子は、マリコの自転車を、今出川通沿いに走らせ、嵯峨野駅に返したようだ。途中で、本来なら同志社女子大学がある場所も今出川通沿いである。

葉子が犯罪に加担したことが分かり、葉子がアパートの外に出たところで、土門らが尋問に訪れる。ここで菊池麻衣子が大声を出すのだが、哲学の道という観光地沿い、銀閣寺ハイツも実在のアパートで住人がおり、一戸建ての住宅や店舗もあるということで、おそらく全家屋に撮影への協力を呼びかけたのだと思われる。哲学の道には誰もいないので通行も止めているはずである。

京大生役が多く、「京大女優」と呼ばれたこともある菊池麻衣子。実際には慶應義塾大学卒である。京都に縁のある女優だが、最近は余り見かけない。今回は髪型がショートだったが、ロングの方が似合う。陽一郎に髪を切ってもらう前はロングヘアだった。おそらくだが、陽一郎ともっと話したくてショートになるまで切って貰ったという設定もあるのだと思う。
「科捜研の女」シリーズは、これまで京都市の東側でロケを行うことが多かったのだが、今回は広隆寺が登場するなど、西側でのロケも行っている。本作品でも小道具を扱う高津(こうづ)商会があるも広隆寺のそばだ。

Season5 File.7。「科捜研の女」シリーズは、脚本も演出もオーソドックスで、それゆえ長寿ドラマとなったのだと思われるが、この回は映画でよく見られるような実験的な要素をいくつも取り入れている。まず時間が移動するという演出が冒頭付近にあり、その後、窓の向こうを移動する人物を撮っていると思ったら、光子がクリーナーを吹き付けて窓の掃除をし始める(つまりカメラは誰かの視線ではない)、左側から背中を映しながらカメラが移行し、右側に抜けると別の場所になっている。若手刑事が捜査一課の部屋で一人語りをしていて、顔をちょっと左に向けるとそこはもう科捜研の部屋であり、科捜研のメンバーが話を聞いているという瞬間移動もある。その他にも主役であるはずのマリコが一番遠くから回ってカメラに入ったり、マリコが夕陽を背に立って始めは表情がよく見えないが、回り込んで見えるようになるなど、他の刑事ドラマでは余り見られない演出が施されている。沢口靖子が走ってドアの前まで来て、ドアが開いて数秒後に振り返ると、それまで誰もいなかったはずの場所に3人立っているという人物のワープもある。かなり特殊な回である。

右京区のアパートの一室で、若い男が銃殺される。モデルガンを改造した拳銃で、1発で死亡しているところを2発目も浴びせている。死んでいる相手を撃つというシーンは北野武監督の映画なら見かけるが、ドラマでは珍しい。若い男の名前は伊勢本隆。スーパー「ライフ」の主任である。実は伊勢本は15年前に同じ「ライフ」でパートとして働いていた菅久美子を射殺したことがあるのだが、当時は交番勤務だった土門によって吉沢(徳井優)が誤認逮捕され、15年間服役することとなった。徳井優は以前は別の役で「科捜研の女」に出ていたが、「よく似た他人扱い」である。
15年前に射殺された菅久美子の夫である建築士の菅勝(すが・まさる。渡辺裕之)は土門の昔からの友人である。
土門は誤認逮捕をしたことで自ら捜査一課の捜査を離れ、マリコと独自の捜査を始める。まず自宅を兼ねた町家の菅の建築事務所を訪ねるが、
土門「刑事が聞き込みに来るかも知れない」
菅「もう来てる」
と、土門がいきなりボケる。これも実験なのだろう。
菅は妻と城南宮で出会い、城南宮の名物であるカキツバタが二人とも好きだったことから交際がスタートしている。
土門は、捜査一課の若手からの要望で、刑事としての捜査に復帰するが、恨みを持っている吉沢に包丁で腹部を刺され、「西陣病院」に入院する。
吉沢がシロで伊勢本が妻を殺した犯人だと知った菅は、伊勢本の住所をメモする。住所的には京都市内で出さない方が良い場所である。この住所のメモの上に同じ人物が別のことをメモしていた。「P.S. ラーメンで」。今はラーメンズが有名になったが、放送当時はそれほどでもなかったことが察せられる回で、いずれも建築用語である。

「ライフ(LIFE。ライフコーポレーション)」は、関西でメジャーなスーパーで、あるいは他のスーパーだったら、「殺人犯と被害者が勤めていた」という設定を嫌がったかも知れないが、大型のライフの店舗が映し出され、コマーシャルになることの方が大きいと踏んだのだと思われる。「ライフ」はその後も店舗を増やし続けている。
観光名所は、今回は金戒光明寺の三門と石段、文殊塔などが映っており、墓地も撮影されている。


渡辺裕之は、コロナ禍に、自宅の地下にあったトレーニングルームで死去。「縊死」と発表されたが、自殺なのか事故なのかは明らかにされていない。

「新・科捜研の女」Season5 File.8。火災があり、焼死体が発見される。洛北医科大学で解剖が行われ、焼死ではなく扼殺された後で放火されたものと断定される。
京都市内では放火殺人が続いており(なんて治安の悪い街なんだ)、多くの現場に顔を見せていた影山(近藤公園)が逮捕された。影山は無職だが、若手刑事二人がかりでやっと取り押さえることが出来たほどの武闘派で、普通の若者ではないように思える。殺し屋なのかも知れない。
火災現場を捜査しているマリコは、京都中央消防署の鮫島(勝村政信)と合同で調査を行うことになる。京都中央消防署の顔でもある鮫島は、立て続けに火災現場で人命を救助して雑誌に載り、深浦加奈子と加藤貴子のコメディ担当組からキャーキャー言われる存在である。深浦加奈子はなぜかセクシーポーズもするが、少なくとも映像作品では慣れていないので嵌まっていない。誰が発案して、なんでやらせようと思ったんだろう?
研究員の日野(斉藤暁。Season1には別人の役で出ていた)は鮫島と旧知の仲である。

犯人逮捕を祝ってか、鮫島の家でホームパーティーが開かれる。だが、マリコは群れるのが嫌いなのかベランダに。そこに鮫島がやって来て花をプレゼントしようとする。
二人ともバツイチの独身。招かれた研究員は、「お似合い」「マリコさんのバツイチ生活にピリオド」などと言うと、加藤貴子演じる土門美貴は、「うちのお兄ちゃんどうなっちゃうの?」

番組が始まった当初から、社会性に欠け、スタンドプレーが目立ったマリコだが、今回は他の研究員の反発を招いてしまう。

発火原因を探るマリコは、ニトログリセリンが使われたのではと考える。ニトログリセリンが炭酸マグネシウムに変化して発火するのだが、市販の材料でどう作るか。下剤にはニトログリセリンが半分ほど含まれているので、薬局に行って買い占める(おーい、本当に必要な人にとっては迷惑だぞ。マリコ相変わらず)。最終的には海外から輸入した花の肥料を使うと発火するのだが、マリコは美貴に放火の記録と鮫島の足取りを辿るようお願いする。そしてマリコは夜中に鮫島の後をつける。火事の現場に出くわしたマリコは、大声で人々に教えようとするが、影山に襲われる。
鮫島が現れてマリコを助け、あんパンと牛乳というベタなものを手にした若手刑事(多分、笑うところなんだろう)が影山を取り押さえる。
影山が逮捕されて鮫島は、「やはり影山でしたね」と言うが、マリコは放火を行っていたのが鮫島だと見抜いていた。
おそらく、殺しを行っていたのが影山で、火付けは鮫島ということなのだと思われる。鮫島には殺害動機がない。
鮫島は、「火の中でしか生き甲斐を感じられない」と語る。

レギュラーのように出てくる祇園白川沿いでのロケが今日もある。京都らしい古い街並みの場面があるが、これはセットだと思われる。ラストに出てくる新風館は、名前と外観は変わらないが、改装が行われ、内部は撮影当時から大きく変わっている。ホテルとショップ、地下には映画館のアップリンク京都が入った。

なお、この回から、専門用語は字幕で表記されるようになっている。


Season5 LastFile。通常の1時間(CMなしで45分)枠での放送である。この回から、馴染みのない実験法などは字幕で説明されるようになる。
街中のネオンサインに、吊り下がる形で老年の男性の遺体が発見される。洛北医科大学法医学部教授の利根貝進一である。感電死と思われたが、洛北医科大学での検視に立ち合ったマリコは首に薄く絞められた跡があるのを見つける。一方、洛北医科大学で利根貝の下で助教授(まだ准教授となる前の話)を務める楠木里香(戸田恵子)は、利根貝の足の裏に感電の跡があるのを発見する。
利根貝の妻である数子(梅沢昌代)は、夫のことを「女にだらしない。浮気ばかり。天罰」と憤っていた。ずっと別居していたようだ。
死因を誤ったとして落ち込むマリコ。一方、里香は死因を見抜いた功績で教授に上がることが決まる。

「科捜研の女」の最初の方で、京都医科大学のキャンパスとして登場した龍谷大学深草キャンパスが、今回は洛北医科大学のキャンパスとして登場。以前は正門付近のみの使用だったが、今日は正門の裏に校舎が見えるアングルでも撮られており、校舎や校地も用いるなど全面的に協力している。
戸田恵子は、声優出身であるためか、他の女優よりも声に張りがあるのが分かる。マイクの加減もあるかも知れないが、声に芯が通って聞こえる。

薫と美貴の兄妹が、京都府警の屋上で語らう場面があるのだが、薫は塀の上に乗り、美貴はバドミントンをしている。最初は手前側にバドミントンの相手がいるのかと思われたが、そうではなく、一人でシャトルを打っているようだ。何してるんだろう?

| | | コメント (0)

2026年4月15日 (水)

宮川町 第七十五回「京おどり」

2026年4月12日 宮川町歌舞練場三ツ輪座にて

午後4時から、宮川町歌舞練場三ツ輪座で、第七十五回「京おどり」を観る。五花街のうち四つが「をどり」表記を採用し、宮川町だけが「おどり」と書くが、理由に関しては誰も知らないとされる。おそらくなんとなく「おどり」にしたので理由も分からないのだろう。

Dsc_9857

宮川町歌舞練場は経年劣化により5年前に取り壊され、新しい歌舞練場が同じ場所に建つまでは、京都府立文化芸術会館や京都芸術劇場春秋座で「京おどり」を行ってきた。宮川町は比較的新しいもの好きなので、京都芸術劇場春秋座で「京おどり」を行った際には、母体である京都芸術大学のアニメ専攻と組んで公演を行ったりした。正直、失敗だったと思うが。京都芸術大学と同じ瓜生山学園の京都芸術デザイン専門学校とは今年もコラボレーションを行っていて、舞芸妓のアニメ風似顔絵ポストカードなどを売っていた。
今回、ようやく新しい宮川町歌舞練場三ツ輪座での「京おどり」公演が行われる運びとなった。三ツ輪というのは宮川町の紋である。以前の入り口は宮川筋に面していたが、新しい歌舞練場の入り口は、宮川筋から東に入った新道通寄りにある。なお、公的な道標には「宮川筋」と書かれているが、「京おどり」の有料パンフレットには「宮川町通」と記されており、宮川町としては花街の名前三文字全てが入った名称にしたいようである。

「京おどり」に先駆けて、市川右團次や九團次が出演した公演があったようだが、バーで九團次さんに会っていないので、公演のことは知らなかった。

Dsc_9854

入り口から入ってすぐのところは二階席の入り口で、一階席に行くには階段を使うかエレベーターに乗る必要がある。今回は珍しく抹茶とお菓子付きの券を買ったのだが、いただくには一番上の階まで行かないといけない。点茶担当は、ふく兆さん。控は富美彩さんである。

 

今回の京おどりは、北林佐和子の作による「京洛振袖始(みやこふりそではじめ)」全八景である。振袖というと東京では縁起が悪そうだが、京都ではそういうことはない。

宮川町歌舞練場三ツ輪座の一階席は手頃な広さ。良い劇場である。左右に花道があり、有効に使われる。緞帳は上手に桜、下手に紅葉である。地方の前の幕も上手側は桜、下手側は紅葉である。

第一景「柱建」四方の柱への感謝を唄い、三ツ輪の由来や宮川町の歴史が示される。三ツ輪は、鴨川の宮川(祇園祭の際に四条大橋で神輿を洗うので、四条大橋と団栗橋の間だけ鴨川を宮川と呼ぶ習慣がある)、川端通、四条通の南座と八坂神社の参詣の賑わいに由来すると唄う。その後は、歌舞伎由来の曽我の仇討ちの話なども出てくる。舞台上で芸妓さんが舞い、その後ろで舞妓さんが三味線を演奏する。

続く第二景「ささ(酒)売り」では、セリフがあるが通りが良かった。途中でお客さんに手拍子を呼びかける場面あり。

第三景と第四景の「京洛振袖始」。元ネタは近松門左衛門の「日本振袖始」。「古事記」をアレンジしたものである。なぜか素戔嗚命が、京の南で木花開耶姫と岩長姫に会うという展開になる。本来は、木花開耶姫と岩長姫は、天孫降臨中の瓊瓊杵尊と会い、岩長姫は醜女であったため、瓊瓊杵尊は木花開耶姫を妻に選ぶのだが、木花開耶姫には寿命があった。岩長姫には寿命がなかったが、見た目で選んだため、人間に寿命というものが出来てしまったという話である。
今回の話では岩長姫が妹である木花開耶姫への嫉妬から岩戸に閉じこもる。多分、天岩戸だと思われるのだが、そこ入ったら死ぬよ。ただ岩長姫には寿命がないためか死ぬことはない。やがておろちへと変身する。その後、素戔嗚命が現れ、おろち(槌のようなもので戦う)や水の精に翻弄されるが、木花開耶姫から草薙剣を貰い、岩長姫の嫉妬を剣に封じる。そして姉妹は仲良く振袖を着てこれが振袖始となったのだった。
水の精を演じる芸妓達にはかなり素早い動きが求められる。また殺陣は分かっていてもハラハラする。

続く第五景と第六景「都の染織」。そのまま都の染織を題材にした舞である。「恋はタテ糸 愛はヨコ糸」という中島みゆきみたいな歌詞が出てくる。またオノマトペが効果を上げている。西陣や千本(通)といった京の機織りで有名な場所も出てくる。実は友禅染は現在の左京区高野の高野川で行われていたのだが、残念ながら登場せず。
次いで呉服屋の店先での話となり、「浅黄にあらぬ情けの末」という言葉が出てくるが、浅黄は「浅き」に掛かっていることは間違いない。ただ「浅黄」には二種類あって、そのまま浅い黄色と、新選組のイメージが強い浅黄である。新選組の方は浅葱と書く方が多いが、永倉新八などは「浅黄色」と書き記している。おそらく浅い黄色は似合う人が少ないので、浅葱と書く方の「あさぎ」の可能性が高いと思われる。

第七景「狛犬さん招き猫さん」は、全員舞妓による舞。ただ「誰が見ても可愛い」というタイプの舞妓さんは最初からセンターにいて、その後にフォーメーションが変わっても必ず目立つポジションにいる。以前から思っていたが、やはり容姿はかなり重要なようである。舞妓の募集に「容姿端麗」とは書かれていないが、それは大前提だからだと思われる。
晴明神社、一条戻橋、下鴨神社、上賀茂神社などを巡る。背景は五山送り火である。正確に書くと火は灯っていないので、送り火が行われる五山である。
可愛らしい舞だが、やはり芸妓さんの方が腕などはピシッと止まる。
今は舞妓さんの方が芸妓さんより知名度が上だったりするが、これは宮川町の戦略により始まったと言われている。元々は「半人前」「修行中」を意味する言葉だった舞妓が、初々しさを売りに人気となった。もっとも、宮川町だけの力ではなく、山村美紗の「舞妓さんは名探偵シリーズ」など複数の要因はあるだろうが。

第八景はお馴染み「宮川音頭」。総踊りである。背景は桜。
煌びやかな場面なのだが、音楽の「これも所詮ひとときの宴」という調子により、今が華でいずれ失う舞芸妓の儚さが染みてくる。華々しいから悲しくなるというのはモーツァルトの音楽のようだ。転調を経てアッチェレランドとなり、緞帳が下りる。終わりが急かされているかのよう。それまでの1時間がまるで夢だったかのような心地になる。緞帳は桜の花びらだけのものに変わっていた。

Dsc_9851

| | | コメント (0)

2026年4月14日 (火)

京都新聞 京都・宮川町「京おどり」5年ぶり地元開催へおおざらえ

| | | コメント (0)

2026年4月 9日 (木)

これまでに観た映画より(434) コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Trio Tour 2012」

2026年4月6日 イオンモールKYOTO内のT・ジョイ京都にて

イオンモールKYOTO内の映画館T・ジョイ京都で、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto |Trio Tour 2012」を観る。文字通り、坂本龍一が2012年にピアノ三重奏で行ったツアーの最終日の演奏を収録したものである。収録はWOWOWが行っている。
坂本龍一は、翌2013年と2014年に東京フィルハーモニー交響楽団と「Playing the Orchestra」公演を大阪と東京で行っており、それにも繋がるクラシック音楽の編成でのツアーであった。曲はアルバム「THREE」に収録されたものが中心。

2012年12月19日、東京・赤坂ACTシアターでの演奏と収録。共演は、ヴァイオリンのジュディ・カンとチェロのジャケス・モレレンバウム。坂本はモレレンバウムとは90年代に知り合い、「チェロでこんなに即興演奏が出来る人がいるんだ」と驚き、共演を申し込んで、何度も一緒に演奏しているそうだ。
ジュディ・カンはオーディションで選ばれたという。三次までの予選を突破した3人にニューヨークまで来て貰って、ジョイントを行い、カンが最も優秀だったという。ちなみにカンはニューヨークに住んでいたが、他の人はわざわざ外国からニューヨークにやって来たという。
坂本龍一としてはトーク多め(ちなみに坂本龍一は、全米のワーストMCに選ばれたことがある)で、本人も「どうしちゃったんでしょう?」と言っていた。

セットリストは、WOWOWが作ったホームページに載っているので繰り返さないが、ピアノ、ヴァイオリン、チェロだけで演奏された「ラストエンペラー」は3つの楽器で演奏されたとは思わないほどスケールが大きく、力強い演奏となった。

「Bibo no Aozora(美貌の青空)」は、元々は歌詞付きの作品で、イタリアで演奏するとなぜか大受けすると坂本は語っていたが、結果的にはインストゥルメンタルバージョンでの演奏が増えたことで、坂本の歌唱による「美貌の青空」を生で聴く機会はなかった。

「Playing the Orchestra2013」では、大河ドラマの「八重の桜」メインテーマがフルオーケストラに篠笛尽きで演奏されたが、2012年のピアノトリオ版では、ドラマ性よりも抒情美が勝って聞こえる。個人的にはフルオーケストラ版の方が好きだが、ピアノトリオ版もなかなかである。

「1919」は繰り返しと力強い音が特徴。1919年というとワイマール憲法が有名だが、ソ連ではレーニンが演説を行っていた。CDに収録されたバージョンにはレーニンの演説が入っている。非常に力強い演奏で、教授とモレレンバウムの即興でのやり取りがスリリングである。ちなみにモレレンバウムは、ドイツ語で「桜の木」という意味だそうで、坂本は「日本の苗字が出来ました。『桜木』さん」と命名したことを告げ、以後は「桜木さん」と呼んでいた。

必ず演奏される「戦場のメリークリスマス」。楽曲としてのタイトルは、「Merry Christmas Mr.Lawrence」の方が良いのかも知れないが、サウンドトラック盤とは異なる染みる系の演奏に胸が清められるかのようだ。

映画「ラストエンペラー」から“Rain”。“! Want A Divorce”の副題があり、満州国皇帝(あるいは執政)愛新覚羅溥儀の第二夫人・文繍が離婚を申し出る時の音楽である。外は雨、三人は車の後部座席に並んで座っている。文繍は「離婚したいの」と申し出る。
坂本龍一はこの曲を気に入っていたようで、ライブでも度々演奏している。
疾走感と痛切さが印象的な楽曲。ヴァイオリンの返しの音が、文繍の揺れる心境を表しているかのようである。

ラストは、「Parolible」で締めくくった。

Dsc_9821

| | | コメント (0)

2026年4月 8日 (水)

観劇感想精選(513) 舞台「私立探偵 濱マイク 『罠 THE TRAP』」

2026年3月14日 大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて観劇

午後5時から、COOL JAPAN PARK OSAKA TTホールで、舞台「私立探偵 濱マイク 『罠 THE TRAP』」を観る。林海象監督の「私立探偵 濱マイク」三部作の完結編である。林海象監督は、「濱マイク三部作」を撮るために探偵学校に通い、免許を取得している。
映画の「私立探偵 濱マイク三部作」は、不良上がりで今は横浜・黄金町の映画館、横浜日劇(実在の映画館だったが現存せず)の2階に事務所を構えている私立探偵、濱マイク(本名だ。永瀬正敏)が、横浜を舞台に繰り広げるハードボイルドサスペンスである。第1作の「我が人生最悪の時(「我等が生涯の最良の年」という映画をもじったもの)」はモノクロで撮られ、東京サンシャインボーイズの俳優も多く出演。東京サンシャインボーズの俳優(ちなみに近藤芳正は東京サンシャインボーズの俳優ではない)達は以後も出演する。第2作「遙かな時代の階段を」は、マイクの出生に迫る物語である。岡田英次と鰐淵晴子という往年のスターがノスタルジックな味わいを生んでいる。岡田英次は、「白い男」と呼ばれ、横浜の河川の権益を裏で操るヤクザであり、他の組も手出し出来ないという設定である。

第3作の「罠」は、サイキックホラーの色彩が強い。個人的には「罠」が3部作の中では一番好きである。
濱マイクが人命救助によって横浜市長賞を受賞し(写真には当時の本物の横浜市長が写っている。かなり有名な人である)、妹の茜は有名私立大学への推薦合格が決まる。そしてマイク自身にも百合子という口の利けない恋人が出来ており、永瀬正敏演じる濱マイクが運転をしながらカメラ目線で「人生は薔薇色だ」と得意になる。
口の利けない恋人・百合子を演じているのが夏川結衣だが、この頃の夏川結衣は驚くほどの透明感で健気な女性を演じていて魅力的である。この映画の成功の3分の1程度は彼女をキャスティングしたことによるものだろう。そして犯人像(犯人グループ)は実に不気味である。永瀬正敏演じるミッキーもこの一味なのだが、怪物的な要素がいくつも備わっている。

原作:林海象。脚本・演出:西田大輔。出演(カッコ内は役名):佐藤流司(濱マイク)、福井巴也(神津)、川上千尋(百合子)、上田堪大(かんだい。ミッキー)、矢野昌暉(星野)、小泉萌香(濱茜)、七木奏音(ななき・かのん。王百蘭)、なだぎ武(中山刑事)、大沢健(神父)、野々花ひまり(水月/影男)ほか。
映画では、ミッキーは、永瀬正敏の二役だが、演劇では一人二役は困難なので、別の俳優をキャスティングしている。
若者向けの演劇であり、キャスティングも若い人向け。知っている俳優はなだぎ武と大沢健の二人しかいない。ただ、声優として有名だったり、マルチな活動で一部ではすでに高い評価を受けている人がいたり、これから有名になっていくであろう人もいるだろう。

映画が原作なので、複数の場所が舞台になるが、汎用性のあるセットを用いていたため、場面転換がさほど不自然にはならず、ストーリーに集中出来た。またライティングは素晴らしいの一言。これほどハイレベルのライティングにはなかなかお目にかかれない。
東京ではサンシャイン劇場で上演された本作品だが、まだ新しい大阪のTTホールの方が良い条件で観劇出来ると思う。
なお、客席通路を使った演出も多かった。

1996年公開の映画の30周年を記念しての舞台制作だが、舞台上にも客席にも、ロードショー時生まれていなかった人がかなりの割合を占めると思われる。

 

映画とは異なり、コメディーの要素の多い上演で、アドリブもビシバシ飛び交う。映画とは異なる趣だが、今の時代、映画はいつでも観られるので、映画との違いを楽しんだ方が得である。

七木奏音は、中国人の役(映画には登場しない舞台オリジナルのキャラクター)だが、本場でも通じるレベルの北京語を話していた。

元々吉本のお笑い芸人で、たまたま演劇に出演したところ宮本亞門の目にとまり、俳優としての仕事も増えたなだぎ武。今日はズボンのお尻の部分を破ってしまうというアクシデントがある。東京でも同じアクシデントがあったようである。捌けている間に衣装さん(だと思う)に縫って貰ったらしい。
役者陣は、若い人は動きにキレがあり、流れの良い芝居を作る。特別素晴らしい人がいるわけではないが、特別素晴らしい人は滅多にいないので、この水準で文句なしである。映画版の方が豪華なキャスティングで演技も優れているが、その場合はやはり映画を観ればいいわけで、舞台で観るならこれで良い。ただ、映画版を知らないのはもったいないので、観たことがない人はこれを機会に原作映画を観てみると良いだろう。

ダンス、音楽、様々な要素が盛り込まれ、エンターテインメント演劇となっている。上演時間は途中休憩なしの約2時間半であったが、長くは感じなかった。

ラストは、佐藤流司が、「我が人生最悪の時」のエンディングテーマである「キネマの屋根裏」(オリジナルシンガーは永瀬正敏。なお、カラオケに入っている)を歌った。

 

本編終了後に、主要キャストによるアフタートークがある。明日はマチネーでアフタートークはなく、愛知公演でもアフタートークは企画されていないので、今回が最後のアフタートークとなる。
司会はなだぎ武で、出演者に、「名前と、何か面白いこと言って」と振っていた。百合子を演じた川上千尋は、なだぎに「あなた吉本なんだから期待してるよ」と言われる。なお、川上は、隣にあるCOOL JAPAN PARK OSAKA SSホール(森ノ宮よしもと漫才劇場)で、BKBことバイク川崎バイクに挨拶してきたそうだが、なだぎに「なんで、BKBなの。もっといるでしょう!」と言われていた。COOL JAPAN PARK OSAKAは吉本も出資している劇場であり、一番小さいSSホールは、「森ノ宮よしもと漫才劇場」となっている場合が多い。WWホール、TTホール、SSホールがあるが、命名は全て明石家さんまである。

今日は1日2回公演で、1回目と2回目の間に何をしているかという話になる。大沢健は大阪城公園を散策したそうで、事前に見つけておいたJR森ノ宮駅の近くに新しく出来た四文字のラーメン店(店名は思い出せなかった)で食事をしたそうだ。若い男性陣は昼寝。なだぎ武は年の近い大沢と話をしようと思っていたが、大沢の姿が見えないため、仕方なく一人で過ごしたようである。なだぎによると、大沢はラーメンを食べたにも関わらず、帰ってきてすぐに用意されていた弁当を掻き込むようにして食べていたそうである。
女性陣は4人が同じ部屋に集まり、アンサンブルキャストの2人も含めて女6人で、間もなく解散してしまうグループの音楽をランダムにして聴いていたそうである。野々花ひまりは、元宝塚娘役スターだが、宝塚の癖が抜けず、1日複数回公演でも、公演が1回終わるごとにメイクを落として、次の公演の前に再度メイクをするそうである。

 

帰り道、大沢健が行ったという四文字のラーメン屋に行ってみる。「一揚一杯(いちあげいっぱい)」という店であった。

Dsc_9733

| | | コメント (0)

2026年4月 6日 (月)

観劇感想精選(512) 花形歌舞伎特別公演「曽根崎心中物語」松プログラム

2026年3月6日 京都四條南座にて

午後3時から、京都四條南座で、花形歌舞伎特別公演「曽根崎心中物語」を観る。
近松門左衛門が、人形浄瑠璃(文楽)のために書いた「曽根崎心中」の義太夫狂言を中村鴈治郎の監修で若手歌舞伎俳優が上演。お初と徳兵衛は、中村壱太郎(かずたろう。中村鴈治郎の息子)と尾上右近が、上演回ごとに替わるというスタイルを取っている。
午後3時開演の「曽根崎心中物語」は、尾上右近のお初、中村壱太郎の徳兵衛である。これが「松」プログラム。今日の午前中に開演した「桜」プログラムは、中村壱太郎のお初、尾上右近の徳兵衛であった。尾上右近は立役女形の両方やるが、中村壱太郎は女形(彼自身は「女方」表記の方を好むようである)が大半。そもそも女形でない中村壱太郎は、踊りの時と歌舞伎映画のアフタートークゲスト、京都芸術センターでの講演の時しか見ていない。ということで、中村壱太郎の立役を見ることの出来る貴重な機会である。

Dsc_9719

「曽根崎心中」は、大坂の曾根崎新地と曾根崎の森を舞台とした作品で、実際に起こった事件に基づいている。
なお、曾根崎新地は蜆川(しじみがわ。曾根崎川)を挟んで南北から覆うように色町が軒を連ねていたが、現在は蜆川は埋め立てられて車道になり、南北にはキャバクラなどが建ち並んでいる。ビルの一角に蜆川と蜆橋を示す文字が刻まれており、現在では説明も刻まれている。大坂に下った壬生浪士組(後の新選組)が力士に行く手を阻まれ、芹沢鴨が力士を殴り倒したというのが、この蜆橋である。
曾根崎の森であるが、露天神(お初天神)のある辺りが想定されている。露天神はそれほど大きな神社ではないが、曾根崎の森はかなり広かったようだ。

「曽根崎心中」は文楽ではヒットして、ジャンルを代表する作品となっているが、歌舞伎の演目としては余り人気がないようである。人形を使えば出来ることが、生身の人間だと出来ないということも大きいだろう。
戦後に二世鴈治郎の徳兵衛と二世扇雀(後の四世坂田藤十郎)のお初による上演が話題となる。台本を時代に合うよう変えての上演だった。
ただ、その後も上演回数が爆発的に増えるということはなく、平成の30余年で上演されたのは僅かに5回。そして今回は令和初の上演となる。全て成駒家(上方の成駒屋)による上演である。

出演:中村壱太郎(成駒家)、尾上右近(音羽屋)、中村鴈成、片岡松十郎、板東竹之助、上村折之助、中村翫政、上村吉太朗、尾上菊次、片岡孝志、片岡千次郎、片岡仁三郎、尾上菊三呂ほか。

 

上演時間約1時間25分、冒頭の大坂三十三所観音廻りの場を復活上演、休憩なしである。背景は大坂のはずであるが、大きな御堂が並んでいる様が本願寺のように見えるし、生玉神社の場でも、池とその向こうの建物などが長岡京市の八条池に見える。生玉神社にあんなに大きな池はないはずなので、京都に合わせた背景にした可能性もある。背景が京都寄りでも上演には特に差し支えない。

右近の女形を見るのは初めてかも知れないが、骨格がガッシリしているので、この人はやはり立役の方が生えそうだ。壱太郎の徳兵衛であるが、滑舌が悪い上に早口。右近も早口なので、余計に拍車がかかるようである。壱太郎は女形としてはトップクラスの評価と人気を得ているので、女形一本で行った方が良いように感じる。ただ今回は成駒家の演目なので、ファンサービス的にやるのは良いかも知れない。

あらすじを書くと、曾根崎新地・天満屋の傾城であるお初と、醤油商・平野屋手代の徳兵衛の話である。徳兵衛には嫁を取って平野屋を継ぐ話があったのだが、徳兵衛には無断で進められたため、徳兵衛は好いているお初と一緒になろうとする。それが主の癇にさわり、大坂から追い出されることに。更に徳兵衛は友人の油屋久兵衛の窮地を救うために金を貸したところが、しばらくして会った久兵衛になじられ、嘘つき呼ばわりされ、袋だたきにあって大恥をかいてしまう。徳兵衛は天満屋に行く。お初は天満屋の人に見られないよう、徳兵衛を縁の下に隠し、足でやり取りをする。そして現代人の感覚には合わないが、心中を決意する。徳兵衛25歳、お初19歳である。
天満屋を出て、二人は曾根崎の森に向かう……。

本当に二人は死ななければならなかったのか。これは時代によって異なるところである。ただ、近松の「曽根崎心中」が大当たりしたことで、心中(「忠」を上下逆さにした言葉)が流行るようになってしまい、幕府も心中禁止令を出して、「心中未遂を犯したものは非人階級に落とす」と脅しを掛ける必要があった。

文楽と歌舞伎ということもあり、ラストは大きく異なる。梅田橋に出る二人。橋は此岸と彼岸を繋ぐものに見立てられ、死への覚悟が語られる。本音では怖ろしいのか、二人はなかなか橋を渡ろうとしない。

そして曾根崎の森へ。白い花が咲いている。お初と徳兵衛は、ヘアピンカーブを行くように右へ左へと進む。
人形でなく生身の人間であるためか、刺殺と自死のシーンはない。人形は人間の手を離れれば(また使われるとしても)魂が抜けた状態になる。そう考えれば文楽とは違ったラストの方が良いかもしれない。
鳴り物に甘美な音色の胡弓が使われていたのも印象的だった。

 

35分の幕間(幕の内弁当を食べる人が多い)を挟んで、壱太郎と右近による「花形歌舞伎特別対談」が行われる。上手から右近が登場し、下手から壱太郎が現れる。
右近が「若手は良い役が貰えない」ということで、若手による「三月花形歌舞伎」が決まったが、最初は何をしていいか分からなかったという。始まったのはコロナの頃であっため、客席を市松模様の着席可にして、お客さんも少なかった。
自分たちにしか出来ないことをしようということで、SNSを駆使し、更にグッズなどにも力を入れたという。南座で買えるだけでなく、ネットショップも同時オープンして、しばらく先まで買えるようにしてあるという。
ちなみに、右近の「『国宝』を観ていらっしゃった方、どれぐらいいるでしょう?」の質問には、多くの人が手を挙げ、壱太郎は、「『国宝』の恩恵にあずかりまくり」と話していた。
壱太郎は、「生まれも育ちも東京だが、上方の歌舞伎の家ということになっている成駒家」を紹介し、右近は「江戸の荒事の家なんで、江戸だったら徳兵衛はやられないで全員やっつけちゃう」と語っていた。
後半は質問コーナーとなり、これまでインスタライブをしていたのに今回はやらないの? の声には、「すぐやります。三日後ぐらい」と答えていた。

早めに終わった公演。團十郎などは早めに終えて遊びに行くそうだが、この若い人達は夜遅くまで稽古をしていると聞く。

Dsc_9696

| | | コメント (0)

2026年4月 4日 (土)

これまでに観た映画より(433) 村上春樹原作・市川準監督作品「トニー滝谷」4Kリマスター版

2026年3月28日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、村上春樹原作・市川準監督作品「トニー滝谷」4Kリマスター版を観る。音楽は坂本龍一。今日(3月28日)は坂本龍一の命日で、イオンモールKYOTOのT・ジョイ京都では、坂本龍一のフィルムコンサートも行われている(WOWOWの制作で放送された際の映像は録画して持っている)。残念ながら時間的にはしごは出来ない。

原作:村上春樹。脚本・監督:市川準。出演に:イッセー尾形、宮沢りえ、篠原孝文、四方堂亘、小山田サユリ、猫田直、木野花(特別出演)ほか。ナレーション:西島秀俊。音楽:坂本龍一。西島秀俊の敢えて感情を込めない語りが、トニー滝谷の心境を却って明らかにする。

「トニー滝谷」は、短編集『レキシントンの幽霊』に収められた短編小説が原作である。トニー滝谷という人物は、実は『ねじまき鳥クロニクル』の中の笠原メイのセリフにも登場している。こちらの方が短編小説「トニー滝谷」よりも先だと思われる。

「僕はとにかく『トニー滝谷』という小説が書きたかったんだ」ということで書かれた小説。トニー滝谷(イッセー尾形)は本名で日本人である。ジャズトロンボーン奏者、滝谷省三郎(イッセー尾形二役)の息子として生まれ、幼い頃から絵画を得意とした。父親は戦時中、魔都上海のおそらく租界で気楽に過ごした。日本本国の惨状は彼の知るところではなかった。しかし日本は戦いに敗れ、滝谷省三郎は抑留される。そのまま処刑されてもおかしくなかったが、罪に問われることはなく、日本に帰ることが出来た。そしてすぐに結婚。おそらく親族が決めた結婚だったのだろう。そしてトニー滝谷が生まれた。アメリカの将校から、「これからはアメリカの時代だからアメリカの名前を付けてやる」ということでトニー滝谷という名前になったのだ。トニー滝谷が生まれてすぐに母親は死んだ。
幼年時代、絵画教室でトニー滝谷はおそろしく緻密な絵を描いて、絵の先生(四方堂亘)を困らせた。上手いことは上手いのだが、情感が感じられないのだ。
そのまま美術を極めるために美大に進んだトニー滝谷だが、同級生からは、「物語性」「思想性」などが欠けていると言われる。だがトニー滝谷にとってはそんなものは幼稚で不正確なものでしかなかった。

トニー滝谷は絵画ではなくデザインの世界に進む。メカニックなものを描くのは彼の得意とするところだった。仕事は楽しく、金は貯まった。
ある日、トニーはデザイン誌の編集者である英子(宮沢りえ)と自宅で打ち合わせをする。英子に惹かれるトニーだったが、15歳も年齢の開き(つまりかなりの歳月がはしょられていたことになる)があることから素直に気持ちを伝えることが出来ず……。

 

晩年の市川準は、自身の作風を捨て、カメラが左から右へと移行する(人物は逆に右から左へと移る)、絵巻物的な絵作りを行っている。

市川準監督は小説について「乾いた」という表現を使っているが、実際には「トニー滝谷」は村上春樹の作品の中では、『ノルウェイの森』に代表されるウエットな路線の話である。

頼りにならない父親、もうすでにいない母親、自分の絵を認めてくれない周囲。孤立の中で孤独感を深めていくトニー滝谷。小説でもそうだが、映画でも仕事の関係者はいるが親しい友人はいないようである。

一部を除いて、ほぼ全編に流れる坂本龍一のピアノ曲「Solitude」。諦めながら沈みつつ、それでもなお美しいものを追い求めるようなこの曲は坂本の作品の中でも異色である。物語が進むごとに孤独が深まっていく。

純粋に一人を楽しんで生きれば、トニー滝谷は真に孤独ではなかったのかも知れない。
だが英子と「出会ってしまった」。出会ってしまったことが彼を幸福にもし、別個の孤独へと押し込んだ。

だが、これが本来なのかも知れない。孤独を知ることなく人生を味わうことは出来ないのかも知れない。華やかな人生など花火のようなものだ。

この作品は、DVDで観ており、坂本龍一のサウンドトラックも買っている。スクリーンで観るのは初めてで、当然、スクリーンで観た方が良い、と思ったのだが、一人の部屋でモニターを見つめていた方が、この作品の真の味が分かりそうだ。孤独と孤独がよりそうことの。

これまでに観た映画より(230) 村上春樹原作 市川準監督作品「トニー滝谷」

Dsc_97632

| | | コメント (0)

2026年4月 1日 (水)

上七軒 第七十四回「北野をどり」

2026年3月28日 上七軒歌舞練場にて

午後4時30分から、上七軒歌舞練場で、第七十四回「北野をどり」を観る。
これまで、五花街の内の四花街、いずれも鴨川に近い、祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町の春のをどり(宮川町だけは「おどり」)は観ているのだが、一つだけ離れたところにあり、始まりも早い上七軒のをどりは観たことがなかった。交通の便がそれほど良くない(悪いという程ではない)ことに加え、始まりが早いので、「そういえば上七軒は」と思った頃には券が売り切れているということもよくあった。「都の賑い」など、五花街総出の催しでは、上七軒の芸舞妓も見たことがあるが、上七軒単独ではないということである。

一つだけ離れたところにあるということで、上七軒は他の花街とは性質も異なる。
まず室町時代に、時の将軍・足利義稙の命ですぐそばにある北野天満宮の社殿造営工事が行われた際に、余った木材で七軒の茶屋が作られたのが最初とされる。豊臣秀吉が行った北野大茶会では、団子などを提供して、秀吉に気に入られ、日本初の茶屋を営む権利を許されたという。
そして江戸時代になると、西陣織や染め物など、西陣の旦那衆が遊ぶ花街として上七軒は発展する。しかし、昭和に入り、西陣での工芸や工業が振るわないようになると、上七軒も規模を縮小するようになり、去る人も多かったので、芸舞妓募集の貼り紙が行われるようになったという。今はやや持ち直しているが、インターネットで舞妓の募集をしているそうで、上七軒をもじった下八軒という架空の花街を舞台にしたミュージカル映画「舞妓はレディ」と全く同じことが行われていることが分かる。おそらくインターネットでの舞妓募集は周防正行監督の思いつきではなく、上七軒を取材して実際に行われていることを描いたのだろう。OLなど他の職種からの芸舞妓受け入れも行っているようだ。

以前はよく、上七軒文庫に通って絵本の朗読を聞いたり、仏教について教わったりしていたため、上七軒への生き方は分かっている。バスで行くのだが、行きも帰りも空いていて、座ることが出来た。北野天満宮の祭りの日には満員になるが。

 

少し早めに上七軒に着いて、上七軒通を歩いて回る。すぐそばに北野天満宮があるが、何回参拝したか分からないくらい来ているので、今日は遠慮する。
ちなみに、上七軒歌舞練場は上七軒通から外れたところにあり、歌舞練場の前の通りにはおそらく名前がついていない。これも五花街で唯一である(祇園甲部は花見小路通、祇園東は東大路通、宮川町は宮川筋、先斗町は先斗町通に面している)。

Dsc_9772

 

上七軒歌舞練場は大正時代に建った建物を大規模改修して使用している。管理は行き届いているようだが、他の花街の歌舞練場に比べると一回り小さめ。花道は下手に一本あるだけで、その裏が地方のスペースとなる。上手側は桟敷席になっている。
なお、席順は前から「いろは」順。いろは四十七文字全てを言えない人もいるだけに迷う人も出そうである。外国人観光客もいたが、彼らはそもそも「いろは」を知らないはずである。

Dsc_9774

 

演目は二部構成で、第一部は、舞踊劇「鐘を数えるお姫さま」(原作は「シンデレラ」)、第二部が純舞踊「俗曲(ぞっきょく)わすれな草」そしてフィナーレ「上七軒夜曲」が続く。前半が舞踊劇で後半が純舞踊というのは、先斗町の「鴨川をどり」と同じである。

 

舞踊劇「鐘を数えるお姫さま」。実は「シンデレラ」が坪内逍遙の訳で紹介されたとき、シンデレラの名は「おしん」になっており、連続テレビ小説風の役名になっていた。今回もヒロインの名は「おしん」になっている。
舞踊劇なのだが、皆、声が聞こえない。腹式呼吸ではなく、明らかに胸式呼吸である。男役の人も声を作らず女声のままで演じる。
先斗町がしっかりした演劇を行うことが多いだけに、上七軒はこのままでは評価出来ない。通路を演者が通るなど、工夫も凝らされているが、その前にちゃんと演じられないと。
上七軒は一つだけ離れているだけに、他の花街の芸舞妓は来ていないと思われるが、先斗町の芸舞妓が観たら「勝った!」と思うだろう。何と言っても声が聞こえないというのは致命的である。
ちなみに今回の劇は、おしんがお城に行くのではなく、王子様に相当する若殿、その正体は猿田彦命で、おしんが見初められるという展開になる。可哀相だったけど優しさに気づけたかららしい。
ちなみに「とんでもございません」というセリフがある。
猿田彦と一緒になるということは、彼女は天鈿女命で、猿女になるということである。猿女氏の子孫が稗田氏であり、現在の大和郡山市を根拠地として、稗田阿礼を生んでいる。

 

第二部「俗曲わすれな草」。十日戎に始まり、愛宕山を越えて(おそらく亀岡の方から)更に近江に出て八景を巡る。結構、露骨な色町の描写を経て、上七軒の名物の団子と江戸から明治に掛けての京都が描かれる。そして「名所名所」となるのだが、出てくるのは金閣寺だけ。後はお軽と勘平の話になる。次は「京都名所」で、こちらは、祇園、円山(公園)、清水、八坂となぜかライバル花街のそばを通り、南禅寺、知恩院、黒谷真如堂(「黒谷」こと金戒光明寺と、「真如堂」こと真正極楽寺。隣接している)、三十三間堂、金閣寺、銀閣寺、北野天満宮、平野神社、嵐山、高雄、永観堂、下鴨(神社)、上賀茂(神社)、御所の遊園地(不詳)、新京極と寺町京極、四条通、千本通と経て上七軒に至る。ちなみに京の東側の名所の方が多い。

フィナーレの「上七軒夜曲」は、短調の楽曲。宮川町の「宮川音頭」もそうだが、儚い感じがする。「宮川音頭」については、男性は儚く感じ、女性は威勢が良いと男女で違うものを聴いているような現象が起きているのだが、「上七軒夜曲」も男女で印象が異なるのかも知れない。歌詞は色っぽいものである。

踊りに関してだが、ちょっと大人しい気はする。やはり一つだけ離れた花街であることは大きいだろう。他の四花街は、色々なお客さんが来て中にははしごする人もいるのかも知れないが、上七軒は近くに大きな企業があるわけでもないし、繁華街のそばにある鴨川沿いと比べて行きにくい。
他の花街は、色々実験して、結果的には失敗しているが、実験が必要なのは他の花街ではないのかも知れない。そしてその前に、セリフが聞き取れるようでないと厳しい。

パンフレットは、800円で、セリフと歌詞の全てが載っているという良心的なものであった。

| | | コメント (0)

« 2026年3月 | トップページ | 2026年5月 »