宮川町 第七十五回「京おどり」
2026年4月12日 宮川町歌舞練場三ツ輪座にて
午後4時から、宮川町歌舞練場三ツ輪座で、第七十五回「京おどり」を観る。五花街のうち四つが「をどり」表記を採用し、宮川町だけが「おどり」と書くが、理由に関しては誰も知らないとされる。おそらくなんとなく「おどり」にしたので理由も分からないのだろう。
宮川町歌舞練場は経年劣化により5年前に取り壊され、新しい歌舞練場が同じ場所に建つまでは、京都府立文化芸術会館や京都芸術劇場春秋座で「京おどり」を行ってきた。宮川町は比較的新しいもの好きなので、京都芸術劇場春秋座で「京おどり」を行った際には、母体である京都芸術大学のアニメ専攻と組んで公演を行ったりした。正直、失敗だったと思うが。京都芸術大学と同じ瓜生山学園の京都芸術デザイン専門学校とは今年もコラボレーションを行っていて、舞芸妓のアニメ風似顔絵ポストカードなどを売っていた。
今回、ようやく新しい宮川町歌舞練場三ツ輪座での「京おどり」公演が行われる運びとなった。三ツ輪というのは宮川町の紋である。以前の入り口は宮川筋に面していたが、新しい歌舞練場の入り口は、宮川筋から東に入った新道通寄りにある。なお、公的な道標には「宮川筋」と書かれているが、「京おどり」の有料パンフレットには「宮川町通」と記されており、宮川町としては花街の名前三文字全てが入った名称にしたいようである。
「京おどり」に先駆けて、市川右團次や九團次が出演した公演があったようだが、バーで九團次さんに会っていないので、公演のことは知らなかった。
入り口から入ってすぐのところは二階席の入り口で、一階席に行くには階段を使うかエレベーターに乗る必要がある。今回は珍しく抹茶とお菓子付きの券を買ったのだが、いただくには一番上の階まで行かないといけない。点茶担当は、ふく兆さん。控は富美彩さんである。
今回の京おどりは、北林佐和子の作による「京洛振袖始(みやこふりそではじめ)」全八景である。振袖というと東京では縁起が悪そうだが、京都ではそういうことはない。
宮川町歌舞練場三ツ輪座の一階席は手頃な広さ。良い劇場である。左右に花道があり、有効に使われる。緞帳は上手に桜、下手に紅葉である。地方の前の幕も上手側は桜、下手側は紅葉である。
第一景「柱建」四方の柱への感謝を唄い、三ツ輪の由来や宮川町の歴史が示される。三ツ輪は、鴨川の宮川(祇園祭の際に四条大橋で神輿を洗うので、四条大橋と団栗橋の間だけ鴨川を宮川と呼ぶ習慣がある)、川端通、四条通の南座と八坂神社の参詣の賑わいに由来すると唄う。その後は、歌舞伎由来の曽我の仇討ちの話なども出てくる。舞台上で芸妓さんが舞い、その後ろで舞妓さんが三味線を演奏する。
続く第二景「ささ(酒)売り」では、セリフがあるが通りが良かった。途中でお客さんに手拍子を呼びかける場面あり。
第三景と第四景の「京洛振袖始」。元ネタは近松門左衛門の「日本振袖始」。「古事記」をアレンジしたものである。なぜか素戔嗚命が、京の南で木花開耶姫と岩長姫に会うという展開になる。本来は、木花開耶姫と岩長姫は、天孫降臨中の瓊瓊杵尊と会い、岩長姫は醜女であったため、瓊瓊杵尊は木花開耶姫を妻に選ぶのだが、木花開耶姫には寿命があった。岩長姫には寿命がなかったが、見た目で選んだため、人間に寿命というものが出来てしまったという話である。
今回の話では岩長姫が妹である木花開耶姫への嫉妬から岩戸に閉じこもる。多分、天岩戸だと思われるのだが、そこ入ったら死ぬよ。ただ岩長姫には寿命がないためか死ぬことはない。やがておろちへと変身する。その後、素戔嗚命が現れ、おろち(槌のようなもので戦う)や水の精に翻弄されるが、木花開耶姫から草薙剣を貰い、岩長姫の嫉妬を剣に封じる。そして姉妹は仲良く振袖を着てこれが振袖始となったのだった。
水の精を演じる芸妓達にはかなり素早い動きが求められる。また殺陣は分かっていてもハラハラする。
続く第五景と第六景「都の染織」。そのまま都の染織を題材にした舞である。「恋はタテ糸 愛はヨコ糸」という中島みゆきみたいな歌詞が出てくる。またオノマトペが効果を上げている。西陣や千本(通)といった京の機織りで有名な場所も出てくる。実は友禅染は現在の左京区高野の高野川で行われていたのだが、残念ながら登場せず。
次いで呉服屋の店先での話となり、「浅黄にあらぬ情けの末」という言葉が出てくるが、浅黄は「浅き」に掛かっていることは間違いない。ただ「浅黄」には二種類あって、そのまま浅い黄色と、新選組のイメージが強い浅黄である。新選組の方は浅葱と書く方が多いが、永倉新八などは「浅黄色」と書き記している。おそらく浅い黄色は似合う人が少ないので、浅葱と書く方の「あさぎ」の可能性が高いと思われる。
第七景「狛犬さん招き猫さん」は、全員舞妓による舞。ただ「誰が見ても可愛い」というタイプの舞妓さんは最初からセンターにいて、その後にフォーメーションが変わっても必ず目立つポジションにいる。以前から思っていたが、やはり容姿はかなり重要なようである。舞妓の募集に「容姿端麗」とは書かれていないが、それは大前提だからだと思われる。
晴明神社、一条戻橋、下鴨神社、上賀茂神社などを巡る。背景は五山送り火である。正確に書くと火は灯っていないので、送り火が行われる五山である。
可愛らしい舞だが、やはり芸妓さんの方が腕などはピシッと止まる。
今は舞妓さんの方が芸妓さんより知名度が上だったりするが、これは宮川町の戦略により始まったと言われている。元々は「半人前」「修行中」を意味する言葉だった舞妓が、初々しさを売りに人気となった。もっとも、宮川町だけの力ではなく、山村美紗の「舞妓さんは名探偵シリーズ」など複数の要因はあるだろうが。
第八景はお馴染み「宮川音頭」。総踊りである。背景は桜。
煌びやかな場面なのだが、音楽の「これも所詮ひとときの宴」という調子により、今が華でいずれ失う舞芸妓の儚さが染みてくる。華々しいから悲しくなるというのはモーツァルトの音楽のようだ。転調を経てアッチェレランドとなり、緞帳が下りる。終わりが急かされているかのよう。それまでの1時間がまるで夢だったかのような心地になる。緞帳は桜の花びらだけのものに変わっていた。
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