コンサートの記(956) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第597回定期演奏会
2026年4月10日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて
午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第597回定期演奏会を聴く。指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。
今年に入ってからスケジュールが合わず、久しぶりの大フィル定期である。枚方での特別演奏会などは聴いている。
曲目は、尾高尚忠(ひさただ)の交響曲第1番、ディーリアス作曲(ビーチャム編曲)の歌劇「村のロメオとジュリエット」より間奏曲“楽園への道”、エルガーの「エニグマ」変奏曲。尾高の十八番が並ぶ。
コンサートマスターは須山暢大、フォアシュピーラーに尾張拓登。ドイツ式の現代配置での演奏である。
尾高尚忠の交響曲第1番。戦中・戦後を代表する音楽家の一人、尾高尚忠。尾高忠明の父親である。ユダヤ人であっためドイツを離れ、日本に来ていたクラウス・プリングスハイムに指揮と作曲を師事。プリングスハイムはマーラーの弟子であり、尾高尚忠はマーラーの孫弟子ということになる。戦前にはウィーンに留学し、フェリックス・ワインガルトナーに指揮を習っている。ベルリン・フィルの指揮台にも立った。
戦中の1942年にNHKの資本を受けた日本交響楽団(現・NHK交響楽団)の常任指揮者として活躍し、作曲も行った。しかし過労が祟り、1951年に39歳の若さで死去。NHKによる酷使が問題視され、「NHKが尾高を殺した」という文句が躍った。
尾高氏は渋沢栄一の子孫に当たる名家。尾高忠明の兄である尾高惇忠は作曲家である。
尾高尚忠の交響曲第1番は単一楽章の交響曲と思われており、1948年に完成し、「平和のために世界に贈る交響曲懸賞」で第1位を獲得。同年、作曲者指揮の日本交響楽団によって初演されている。
しかし、2005年に遺品の中から第2楽章が見つかる。ほぼ完成形に近い出来で、発見者である尾高惇忠の補筆により、2006年に外山雄三指揮のNHK交響楽団によって2楽章版が初演されている。なお、第2楽章の最後に「アタッカ(続けて入る)」の表記があったことから、少なくとも3楽章以上からなる曲想の存在が明らかになっている。
天地を揺るがすような巨大な音によってスタート。大阪フィルの機能の高さもあって、大軍による前進が続く。平和のために書かれた曲のはずだが、戦のおぞましさが描かれているのだろう。マーラーの孫弟子ということで、影響を受けているのは明らかで、この時代にここまで力強い楽曲を書いていた人は少数派であろう。マーラー自体、ウィレム・メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)による演奏が高い評価を受けていたが、マーラーの愛弟子であるブルーノ・ワルターはユダヤ人だったため、ナチスから逃れるのに必死でマーラーの曲の演奏は限られ、それ以外ではマーラー作品は「おどろおどろしくて不気味な曲」として評価されていなかった。そんな中、マーラーの音楽性を受け継ぐ作曲家が東洋の島国に現れたというのはかなり驚くべきことである。
第2楽章は第1楽章と異なり耽美的であるが、「大地の歌」に繋がるものが感じられる。東洋的な曲想も顔を覗かせるが、尾高尚忠は正真正銘の東洋人。ということでマーラーを凌ぐオリエンタルな典雅さが花を咲かせている。
晴れた日に散りゆく桜を眺めながら、春の名残を味わうようなそんな趣である。
この後に「アタッカ」で来るなら、第1楽章のような鋭い音楽だった可能性が高いが、それはもう想像するしかない。
休憩後、ディーリアス(ビーチャム編曲)の歌劇「村のロメオとジュリエット」より間奏曲“楽園への道”。楽園というのはいわゆる楽園ではなくて、劇中に出てくる居酒屋の名前だそうである。
繊細な作風で知られるディーリアス。英語圏では知名度が高いが、それ以外ではさほど有名ではない。一時、出谷啓がやたらと推していた作曲家である。ビーチャムによる編曲版であるが、指揮者のサー・トーマス・ビーチャムはディーリアスの良き理解者であった。
ディーリアスは、オランダ系ドイツ人の両親の下、イングランドの裕福な商家に生まれるが、商売には興味がなく、アメリカに行ってフロリダでオレンジ栽培をしながら黒人霊歌に興味を持ち、ドイツに渡ってライプツィッヒ音楽院で教育を受けてパリで作曲活動をスタート。ライプツィッヒ音楽院では留学していたグリーグと出会っている。
デビュー後、40歳近くになって名声を得るようになるが、次第に梅毒に悩むようになり、最後は失明しながらも作曲を続けた。
歌劇「村のロメオとジュリエット」より間奏曲“楽園への道”であるが、穏やかで優しい弦の響きが次第に輝きを増したかと思うと、一瞬不吉な旋律が現れ、元へと戻っていく。
歌劇「村のロメオとジュリエット」であるが、やはりバッドエンドのようである。
エルガーの「エニグマ」変奏曲。ニムロッドの大英帝国の栄耀栄華を描いたかのようなゴージャスで輝かしくノーブルな響きが印象的であるが、それ以外の曲も堂々且つチャーミングで、「イギリスを代表する1曲」といっても過言ではないだろう。
「エニグマ変奏曲(謎の変奏曲)」は、二人芝居のタイトルになっており、南座で一度観たことがある(沢田研二と杉浦直樹)が、上演は余り多くないようである。「エニグマ変奏曲」に「書かれていない謎」があることから、それ同様に登場人物の一人である小説家の小説にも書かれていない謎があり、それを探るという内容。実際、エルガーは、「演奏されない中心的主題」があると記しており、その謎は今も解かれていない。
尾高の十八番である「エニグマ」変奏曲。余り腕を振らずにオーケストラを操ることが可能である。「ニムロッド」の最初の方は腕をほとんど動かさずにオーケストラに任せていた。「ニムロッド」が終わってからは少し間を置いて演奏を再開し、「ニムロッド」が他よりも一段格上の音楽であることを示していた。
ベストかと言われるとそうではないかも知れないが、「尾高らしいエニグマ」というべき仕上がり。エルガー作品の良き表現者によるエルガーを聴けるのは幸せなことである。
| 固定リンク | 0





































































コメント