コンサートの記(958) 「びわ湖の春 音楽祭」2026 楽日 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」ハイライトほか
2026年4月26日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールほかにて
今日も「びわ湖の春 音楽祭」へ。チケットはファイナル・コンサートとなる沖澤のどか指揮京都市交響楽団ほかによるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」ハイライト(演奏会形式)のものしか持っていないが、それまでは無料公演を聴くことで潰せそうだった。
曇天であり、琵琶湖の湖面も濃い灰色である。
びわ湖ホールに到着してすぐに、メインロビーでのロビーコンサート「平和堂財団奨励賞受賞者」によるディオコンサートがある。平和堂といっても、関西以外の人はご存じないかも知れないが、滋賀県内でほぼ独占的にスーパーマーケットチェーンを展開している、滋賀の一大企業である。他県にも店は出しているが、滋賀県内への出店が圧倒的に多く、「滋賀県人かどうかを見分けるには平和堂のポイントカードを持っているかどうか」調べるとよいという話もある。
平和堂財団奨励賞を受賞したのは、フルートの吉延佑里子(よしのぶ・ゆりこ)とピアノの久津内瞳(くつない・ひとみ)。共に比較的珍しい苗字で、一発では読めないかも知れない。
2階席で聴く。姿はガラス越しに見ることになるが、音にはさして支障はない。
まず、ロシア五人組の一人で、本職は軍人のキュイの「スケルツェット」を演奏することになるが、ピアノ伴奏が始まってもフルートが上手くは入れずやり直し。ロシア五人組の中では室内楽曲や器楽曲が多いことから作品が演奏される機会がほとんどないキュイ。生前は辛口の音楽評を書くことでも知られたが、悪く書かれた方はキュイの作品を演奏することなど当然ない。ということで作品が埋もれていった可能性が指摘されている。シューマンのように評論を音楽の重要な柱にした人物もいるが、マイナスに作用した人物がキュイだったのかも知れない。ただ酷評を書くことで知られたドビュッシーの作品は人気なので、それだけが原因という訳でもないだろうが。
続いてフォーレの「シチリアーノ」。フルートの名曲である。「シチリアーノ」が含まれた「ペレアスとメリザンド」自体が名曲である。「ペレアスとメリザンド」の話は多くの作曲家が作品に取り上げているが、名曲が多い。
背景が琵琶湖ということで、それを意識したゴーベールの「水面」が演奏される。
最後は女性作曲家として初めて「売れた」人であるシャミナードの「舞曲」が演奏された。
アンコールの曲目についてはよく聞き取れなかったが、スロベニアの現役の作曲家のものだそうだ。
その後、ホール内を回ったが、特にこれといって惹かれるものはなかったため、次のロビーコンサート、「第2回びわ湖ホールピアノコンクール入賞者」の演奏を聴く。途中で大ホールが開場するので、時を見て、大ホールへと移動することにする。
髙橋俐子(小学生以下)第3位、吉田知史(ちふみ。小学校以下)第2位、木目唯花(きめ・ゆいか。高校生以下)第3位の3人の演奏を聴く。
吉田知史(ちふみ)が男の子なのか女の子なのか分からない。普通は「ともふみ」と読んで男の名前だが、吉田知史は眼鏡を掛けた女の子だった。
3人とも技術は高く、ピアノコンクールで上位入賞したのも頷ける。ただこちらを驚かせるような音楽性がない。「もっと強く鍵盤を叩けば」というところがあったりする。それをできる人が第1位を獲ったり、世界へ羽ばたいたりするのかも知れない。
午後6時40分から、びわ湖ホール大ホールで「びわ湖の春 音楽祭」ファイナル・コンサート モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」ハイライト(演奏会形式)に接する。
演奏は、沖澤のどか指揮の京都市交響楽団。レチタティーヴォのチェンバロ伴奏は阪哲朗が務める。
パッと見、ドイツ式の現代配置に見えるが、第2ヴァイオリンとヴィオラが入れ替わっており、変形対向配置となる。第1ヴァイオリン8、第2ヴァイオリン6、ヴィオラとチェロが3、コントラバス1という小さめの編成での演奏だが、びわ湖ホール大ホールは音響が良いので十分である。
出演は、大西宇宙(たかおき。アルマヴィーヴァ伯爵)、船越亜弥(伯爵夫人)、甲斐栄次郎(フィガロ)、石橋栄実(えみ。スザンナ)、森季子(ときこ。ケルビーノ)、びわ湖ホール声楽アンサンブル(農民達など)。案内は山崎バニラ(活動弁士)。構成は中村敬一。山崎バニラは、現役の活動弁士としては、おそらく日本で一番目か二番目に有名な人だが、大津では余り知られていないようである。大正琴の弾き語りもするが、大正琴は私も弾いた経験がある。ピアノが弾ける人なら大正琴は初日に弾ける。
山崎バニラは、前日譚であるロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」の解説から入る。音楽祭なので、理髪師の良い面だけを取り上げないといけない。本来はそんなに良い職業ではない。
また歌劇「フィガロの結婚」について、「副題は、ラ・フォル・ジュルネ。訳すると狂乱の日。たった一日なんですね」と語った。「フィガロの結婚」は、三一致の法則の時間の一致は守っている。
オペラは、西洋の言葉や文化、習慣や一定の教養がないと日本人が理解するのは難しい。完全に理解出来る人はほとんどいないと思われる。その上で、上演時間1時間ちょっとのハイライト上演とあっては、「なんとなく分かった気になるものでいい」で上等である。
最初のアリアは、フィガロの「もう翔ぶまいぞこの蝶々」だが、蝶々が「伊達男」のメタファーだと分からないと意味が通りにくくなる。そしてケルビーノは悪戯がすぎたので戦争に行かされることになる。フィガロが戦のことを歌うのはそのためだが、その前の話は抜けているので、初めて観る人は、なんでフィガロが物騒なことを歌っているのか分からないだろう。
ハイライトでは筋は追えないので、ラストの伯爵の敗北と改心と熱狂的な合唱に重心が置かれる。農民達は「初夜権廃止ありがという」を言いに伯爵邸に押しかけるのだが、この時点では伯爵は初夜権復活を目論んでいた。
ちなみに伯爵が夫人のことを「ロジーナ」と名前で呼んでしまう場面があるが、これも当時は一定の階層から上の人にとってはマナー違反だったようである。
ケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」。ちなみにカラオケに入っているが、歌う人は余りいないと思う。ケルビーノは若年だが、1行6単語韻律文のソネットで書いており、ただの悪戯小僧に見えて、実は教養と文才があるようだ。というわけで、伯爵邸の物語ということを考えれば当然なのかも知れないが、知識階級の物語ということになる。そうでない登場人物もいるが、今回のハイライト上演には出てこない。
この時のケルビーノの解釈については、様々なものがあるが、ソネットを書けたということで内容とは裏腹にかなり自信があったのではないだろうか。
ケルビーノはズボン役といって、女性が男性を演じる。これは正解だと思われる。一度、野田秀樹演出の「フィガロ」で、これを破ってケルビーノを男性(カウンターテナー)が演じたことがあったが、「女の人がやってるからまだ許せるけど、男がやるとなんだこのうっとおしい奴は」といらついてしまった。女性らしさがケルビーノの嫌な部分を中和しているということである。
今日もノンタクトの沖澤指揮する京都市交響楽団はどちらかというとタイトな音像。編成が小さいということもあるだろう。ただ音の生命力は抜群で、モーツァルトがこの曲に込めたエネルギーをそのまま引き出したかのようだ。
歌唱も充実していたが、例えば「手紙の二重唱」などでは、伯爵夫人役の船越亜弥とスザンナ役の石橋栄実とでは、声量に違いがある。明らかに石橋栄実の方が声が広がり密度も濃い。本来は伯爵夫人が主でスザンナが従なのだが逆転してしまっている。これがソプラノ歌手として一人でキャリアを積み重ね、大学教授にまでなった人と、プロとはいえ声楽アンサンブルの一員との違いなのかも知れない。
「オペラ」を楽しむにはハイライト上演なので不十分かも知れないが、音楽としてはなかなか質の高いものであった。カーテンコールでは、沖澤と阪が前列に出る。指揮者二人が距離があるとはいえ、前列に並ぶというのは珍しいことである。
帰りは雨となる。祝福の時は雨や雪になるというが、冷たい。ただ京都市内は雨は上がっていた。
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