コンサートの記(959) 遊佐未森 「cafe mimo Vol.25 ~春爛漫茶会~」2026@大阪公演
2026年5月10日 大阪・東梅田の梅田クラブクアトロにて
午後5時から、東梅田の梅田クラブクアトロで、遊佐未森の「cafe mimo Vol.25 ~春爛漫茶会~」を聴く。今回が25周年となる。
心斎橋クラブクアトロには行ったことがあるが、梅田クラブクアトロに入るのは初めてである。
遊佐未森(ヴォーカル&ピアノ)、西海孝(ギター)、楠均(くすのき・ひとし。ドラムス&パーカッション&打ち込み。バンドマスター)の3人による恒例の春の演奏会。ただ、開催時期は年々遅くなってきている。最初は桃の節句の頃に東京で行われた女性限定公演だったが、その後、性別関係なしに入れる演奏会となった。しかし春の初めに行われていたものが、今では春の盛りに行われ、それゆえタイトルも「春爛漫茶会」となっている。
梅田クラブクアトロはかなりわかりにくい場所にある。京阪淀屋橋駅と阪急大阪梅田駅の中間。淀屋橋から行ったが、巨大な歩道橋があった。
雑居ビルの10階にあるが、看板が見にくい。
ライブハウスということで、ドリンク代600円を支払う。ライブハウスは「飲食店」として届けた方が許可が下りやすいので飲食店としてオープンし、飲食代としてドリンク料金を徴収するシステムになっている。
ステージはやや高めだが、音は良い。といっても、今日は最前列の下手端の席。視覚面が問題になることもなく、良い音で聴けた。
遊佐未森は、白とクリーム色のワンピースで登場。銀色のハイヒールを履いている。
舞台下手側に西海孝、舞台上手側に楠均。楠の背後の壁の後ろにサポートメンバーがいるように見えたが、いたとしたらキーボード。ただ電子音は楠の打ち込みでだいたい何とかなるので、音楽面以外でのスタッフだったのかも知れない。
今年は25周年なので、冒頭は「花」を題材にした曲を選んだという。2曲目は「ブーゲンビリア」だったが、昨日の名古屋市千種区での愛知公演では「ブーゲンビリア」はゲストの石嶺聡子が歌ったそうだ。候補曲を遊佐が何曲か選び、その中から石嶺聡子は「ブーゲンビリア」を歌ったという。元々、遊佐も石嶺に「ブーゲンビリア」を歌ってほしいと思っていたそうだ。出来は素晴らしかったようで、遊佐は石嶺の歌を聴いて泣いてしまい、楠も「イメージが」と語る。同じ沖縄出身の夏川りみも声に風景が宿っているかのようだが、石嶺の声にも同様の性質があるのかも知れない。ただ残念ながら私は石嶺聡子の生歌を聴いたことがない。
石嶺聡子は今の拠点は沖縄だそうで、沖縄から昨日、飛行機に乗って愛知県に来て、本番に臨み、今日午後2時の飛行機で沖縄に帰ったそうだ。遊佐は「もう(沖縄に)着いたかな?」と言うが、楠は、「飛行場分からないって言ってたからまだ(愛知県に)いるんじゃない?」
遊佐は、「聡子ちゃんから、『未森さん、今乗りました』とLINEがあった」と語り、沖縄に向かったようである。ただ、「飛行場分からない」という人はやはり不安になる。
「cafe mimo」の大阪公演は、心斎橋PARCO SPACE14(イチヨン。旧大丸心斎橋劇場、旧そごう劇場)のような音楽よりも演劇向きの劇場や、ザ・フェニックスホールのようなクラシック専用ホールで行われることが多かったが、今回はライブハウスである。遊佐未森をどのようなアーティストに分類するかは聴衆に任せられているが、クラシック寄りだと思う人は劇場が、ポップスだと思う人はライブハウスの方がいいかも知れない。ただ、編成的には、「cafe mimo」は全てアコースティックである。遊佐未森のライブ自体オールアンプラグドであることが圧倒的に多い。
「cafe mimo」25周年だが、個人的にも遊佐未森のコンサートの通い始めてから20周年である。
遊佐未森の昭和・大正カバーアルバムである、「檸檬」と「スヰート檸檬」は名盤で、日本音楽好きは必聴だが、その中から、「ゆらりろの唄」が歌われる。「ゆらりろ」であるが、特に意味はない。ただ日本人的な感情が動いたときとは結びついているようである。そうした解釈の手前、なんとも言えない気持ちを心に抱いて歌うのが良いのかも知れない。
今日の遊佐未森は、8字唱法と呼ばれる、「完全な裏声を使うことなく高い音程を発する」技法を使うことが比較的多い。他の8字唱法を行う歌手は知らないので、比較は出来ないのだが、クラシックのコロラトゥーラには似ているがよりそこまでは高くなく、地声に近いので別物だということは分かる。
今日は元たまの柳原陽一郎がゲストである。遊佐も「どうなるんでしょうか」と言っていたが、これからレコーディング用の新曲を歌い、雪の東京を歩く話を歌う。
それからデビュー当時の話になる。たまのデビューは1990年5月5日、遊佐のデビューは1988年4月1日である。当時、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」の深夜版があり、バンドと新しい人はそれに回るということで、遊佐とたまが出たことがあった。たまは当時売れていて、1番入りが遅かったという。
若い頃の遊佐は帽子を被っていたが、当時の収録でも被っていた。「夏草の線路」のMVが流れる中、遊佐がリハーサルを行っていたが、柳原は、その横でwinkが音楽を聴かずにひたすら自分達の振付の練習をしていたのが可笑しかったという。
更に、プロデューサーを交えてみんなで飲んだことがあったのだが、プロデューサーの福岡智行が遊佐に、「おい、これからはマッキントッシュで音楽作るようになるんだぞ」と言ったが、その場にマッキントッシュが何か分かる人がいなかったという話もした。ただAppleのMacintoshは、比較的現れるのが早く、MicrosoftのWindows95が出る前は、AppleのMacintoshがコンピューターの代名詞であった。
珍しい曲としては、細野晴臣がプロデュースし、遊佐未森が、甲田益也子、小川美潮と共に参加した、LOVE,PEACE&TRANCEというユニットの同名アルバムから、マキシシングル「Hasu Kriya」を歌う。1994年、私がよくスペースシャワーTVを見ていた頃に、「Hasu Kriya」のMVを何度か見て、一番高音を歌う遊佐未森のことが気になったのが、遊佐ファンになった始まりである。細野さん経由なんですね。まさか、「Hasu Kriya」が歌われるとは思わなかった。知らない人に是非聴いて貰いたい曲である。ただ、細野さんが南アジアの信仰などに興味を持っていた頃のアルバムなので、どことなく宗教臭く、合わない人には合わないと思う。
その後、細野さんの興味がまた別のものに移ってしまったため、LOVE,PEACE&TRANCEは自然消滅している。
新しいアルバムからは、「潮騒」より同名曲が歌われた。更に新曲がピアノ弾き語りで披露されたが、「cafe mimo」25周年のためだけに作詞作曲したもので、録音してリリースするつもりは全くないとのこと。つまり今回だけの特典である。
アンコールであるが、まず遊佐が一人で出てくる。「cafe mimo」では西海孝と楠均がbpb(物販ブラザーズ)として出てくるのが恒例だったが、今回は、bpm(物販mimo)だそうである。
アンコールは柳原陽一郎とのセッションで1曲。93年から94年に書いた曲であるが、柳原のよると、「その頃、バンドブームが崩壊しまして」ということで、「シンガーソングライターにならないといけないのかな。たまも続けるかな」と考えていたとき、柳原の家には遊佐未森のCDが全て揃っていて、その中から適当に選んで、掛けたのが次に歌う曲だそうである。柳原が遊佐について、「学教委員長とかやってそう」と言って、遊佐が「やったことないです」と否定するが、この間、高校時代の友人と久しぶりに電話で話すことがあって、「昔より話すの速くなったね」と言われたそうである。柳原も「ゆっくりじゃ選ばれないか」と言っていたが、基本的に話すのは遅く、女版中島歩である。
歌うのは「ブルッキーのひつじ」。遊佐には珍しいコミカルソングである。柳原は、「のんきにメーメー歌っちゃって」と言っていた。
楽屋は遊佐が一部屋で、男性陣は3人で一部屋だったそうだが、大盛り上がりだったそうで、「お客さんに聞こえないかな」と心配したようである。
最後は、「cafe mimo」で恒例のように歌われる「一粒の予感」。ここ数年はイントロを変える。充実した歌唱だった。
今後のスケジュールについては遊佐は、「大阪は」と言ったが、「関西は、9月下旬にどこかでやります」と告げた。大阪と言って取り下げ、「関西」と直したので、あるいは遊佐未森お気に入りのホールである、京都府京都文化博物館別館ホールでの「京都日和」があるのかも知れない。
遊佐未森は、写真で見ると62歳というのも納得出来るが、ステージ上では四十代で通じるほど若々しい。西海孝と楠均は年相応に外見が変わってきた。楠さんは最後に、「みんな元気に健康で」と言っていたが、顔がかなり痩せて彫りが深くなっている。元気そうではあったが、少し心配になる。
最後は遊佐が、「春の盛りを楽しんでください」と言って退場した。
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