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2026年5月30日 (土)

コンサートの記(961) 沖澤のどか指揮京都市交響楽団第710回定期演奏会

2026年4月11日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第710回定期演奏会に接する。指揮は京響第14代常任指揮者の沖澤のどか。
沖澤は、先月の定期演奏会も指揮し、今後も京響を指揮する予定があって、これまでで一番の長期滞在だと思われる。

曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、矢代秋雄のチェロ協奏曲(チェロ独奏:堤剛)、リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲。家庭交響曲というタイトルだが、アルプス交響曲同様、交響詩である。

 

午後2時頃から、沖澤のどかによるプレトークがある。沖澤は、「昨日の雨で桜が散ってしまいましたが、(出身地である)青森ではゴールデンウィーク前に桜が咲くので、入学などに合わせて桜が咲くのを経験するのは初めてです」。東京藝術大学と大学院を出ているので、東京も京都とそう変わらない時期に桜が咲いていたはずだが、雑音が苦手という話をしていたため、お花見などは行わなかったのだろう。

リヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」については、「コンクールでよく使われる」という話をする。コンクール出場者の全員が「ドン・ファン」を指揮する訳ではないが、出だしが難しいので指揮者の腕を試すために最適らしい。佐渡裕は、ブザンソン国際指揮者コンクールに出たときだったと思うが、「出場者の中で一番格好いい『ドン・ファン』を振ることになってラッキー」というようなことを記していたはずである。沖澤も気に入っている曲で、折に触れて取り上げているという。
矢代秋雄のチェロ協奏曲であるが、1960年に初演された際のチェロ独奏が今日も演奏する堤剛(つつみ・つよし)であったことを紹介し、若くして亡くなった矢代の没後50年に堤剛のチェロで矢代のチェロ協奏曲を演奏することは、「結構凄いことだと思います」と沖澤は述べていた。
リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲では、テーマというかライトモチーフというか、そうしたものを歌いながら紹介する。声楽家にはなれないかも知れないが、なかなかの美声である。
リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲は、「取り上げられる回数が他の作品に比べて低い」と紹介していたが、単純に余り面白くないからだと思う。他人の家庭に興味を持つ人がそもそもいない、というよりいたら怖い。ということで、私も実演に接するのは3回目程度だと思われる。ウルフ・シルマー指揮NHK交響楽団と沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団。そして今回。NHK交響楽団は学生定期会員だったので、好きじゃないが聴きに行かなければならない。沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団はみなとみらいホールで行われた横浜定期演奏会で、目当ては家庭交響曲ではなく、前半に置かれた蓮佛美沙子(当時18歳)が語りを務める武満徹の「系図 family tree」であった。

ホワイエには、矢代秋雄のチェロ協奏曲に関する資料(複製)が展示されている。堤剛が矢代秋雄に宛ててポーランドから送った手紙や、寺山修司(青森県出身)が矢代秋雄に送った手紙などである。矢代秋雄と寺山修司はある共通の趣味を持っていたのだが、ここには書かないでおく。

今日のコンサートマスターは、京響特別名誉友情コンサートマスターの豊嶋泰嗣(とよしま・やすし)。フォアシュピーラーに泉原隆志。いつものドイツ式の現代配置での演奏である。首席奏者が埋まらないパートがまだいくつかある。

 

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」。管楽器の首席はこの曲と家庭交響曲にのみ出演する人が多い。矢代秋雄のチェロ協奏曲が演奏されている間はどうやって過ごしているのだろう。本番中なので楽屋で音は出せない。読書をする人もいるかも知れないが、異世界に行く行為なので集中力が切れてしまうかも知れない。譜面の確認が一番無難だろうか。
茂木大輔氏のエッセイによると、本番中ではなく本番前の話になるが、NHKホールには昼寝部屋があって、そこに行く人がかなりいるようである。
さて「ドン・ファン」。音が広がりやすい京都コンサートホールとしては冒頭はスケールがやや小さめだったが、そこから構造を拡げ、音も極彩色となる。派手ではあるが下品ではない。あたかもクリムトの絵画のような。
沖澤の指揮は指揮棒を持った右手主体だが、時には左手が右手以上に雄弁になる。
華麗な音絵巻であった。

 

矢代秋雄のチェロ協奏曲。1959年に創作を開始し、翌年完成。堤剛(18歳)のチェロ、岩城宏之(27歳)の指揮、NHK交響楽団により放送初演が行われ、同じ顔合わせによるN響世界一周ツアーのワルシャワの地で、演奏会初演が行われている。日本初演はN響がツアーから戻った後で、指揮者を外山雄三に変えて行われている。矢代は、フランス流の作曲を行っていた橋本國彦に師事し、パリ国立音楽院でメシアンなどにも師事しているが、フランス的な作風に傾くことはなかった。
堤剛は、以前「日本チェロ界の徳川家康のような人」と形容したことがあるが、年齢、腕、容貌全てに貫禄があり、天下人である。
単一楽章による協奏曲で、チェロ独奏(カデンツァとあるが即興演奏ではなく単騎という意味)に始まりチェロ独奏に終わる。途中、フルートが尺八に見立てられたような旋律を吹いたり、ハープが箏のように奏でられ、西洋音楽でありながら和との融合が図られている。矢代の才気が感じられる作品である。

堤のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第3番より“ブーレ”。「完熟」といった感じのバッハであった。

 

沖澤のどかの指揮ということで男性の聴衆が多いようで、休憩中に男子トイレの前には長蛇の列が出来ていた。

 

リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲。煌びやかだが深みがある。深みに輝きをコーティングしたような独特の響きである。CDでしか聴いたことがないが、昔のボルチモア交響楽団がこうした響きを出していた。ただ「MOSTLY」のインタビューで、昨年末の第九を振った時、沖澤は「他の音源は聴かず」総譜だけを頼りに音楽を想像したと話していること、また昨年末のトークショーでも「CDプレーヤーも持ってない」と話していることから、今回も他のオーケストラを念頭に置いたりはしていないと思われる。彼女にとって音楽とは他の演奏家が生んだものを聴くことではなく、自分が指揮してオーケストラから引き出したものを味わうことのようである。
当時まだ新しい楽器であったサックスを4本用いるなど、ユニークにして巨大な編成。甘い旋律も登場し、豊嶋のソロも美しい。
これでこの曲が好きになった、ということにはならないが、沖澤と京響の魅力は全開である。響きだけで聴いていられる。沖澤と京響のコンビは沢山とは言えないものの聴いているが、この家庭交響曲の演奏が一番の出来である。曲と言うよりもオーケストラを聴く醍醐味を味わったというべきであろうか。

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