カテゴリー「スペイン」の8件の記事

2020年10月17日 (土)

観劇感想精選(359) 「ゲルニカ」

2020年10月10日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で「ゲルニカ」を観る。作:長田育恵(おさだ・いくえ。てがみ座)、演出:栗山民也。栗山民也がパブロ・ピカソの代表作である「ゲルニカ」を直接観た衝撃から、長田に台本執筆を依頼して完成させた作品である。出演:上白石萌歌、中山優馬、勝地涼、早霧せいな(さぎり・せいな)、玉置玲央(たまおき・れお)、松島庄汰、林田一高、後藤剛範(ごとう・たけのり)、谷川昭一郎(たにがわ・しょういちろう)、石村みか、谷田歩、キムラ緑子。音楽:国広和毅。

上白石姉妹の妹さんである上白石萌歌、関西ジャニーズ所属で関西テレビのエンタメ紹介番組「ピーチケパーチケ」レギュラーの中山優馬、本業以外でも話題の勝地涼、京都で学生時代を過ごし、キャリアをスタートさせた実力派女優のキムラ緑子など、魅力的なキャスティングである。

ピカソが代表作となる「ゲルニカ」を描くきっかけとなったバスク地方の都市・ゲルニカでの無差別爆撃に到るまでを描いた歴史劇である。当然ながらスペインが舞台になっているが、コロナ禍で明らかとなった日本の実情も盛り込まれており、単なる異国を描いた作品に終わらせてはいない。

京都劇場のコロナ対策は、ザ・シンフォニーホールでも見た柱形の装置による検温と京都府独自の追跡サービスへのQRコード読み取りによる登録、手指の消毒などである。フェイスシールドを付けたスタッフも多い。前日にメールが届き、半券の裏側に氏名と電話番号を予め書いておくことが求められたが、メールが届かなかったり、チェックをしなかった人のために記入用の机とシルペン(使い捨て用鉛筆)が用意されていた。客席は左右1席空け。京都劇場の2階席は視界を確保するために前の席の斜交いにしているため、前後が1席分完全に空いているわけではないが、距離的には十分だと思われる。

紗幕が上がると、出演者全員が舞台後方のスクリーンの前に横一列に並んでいる。やがてスペイン的な手拍子が始まり、今日が月曜日であり、晴れであること、月曜日にはゲルニカの街には市が立つことがなどが歌われる。詩的な語りや文章の存在もこの劇の特徴となっている。

1936年、スペイン・バスク地方の小都市、ゲルニカ。フランスとスペインに跨がる形で広がっているバスク地方は極めて謎の多い地域として知られている。スペインとフランスの国境を挟んでいるが、バスク人はスペイン人にもフランス人にも似ていない。バスク語を話し、独自の文化を持つ。

バスク地方の領主の娘であるサラ(上白石萌歌)は、テオ(松島庄汰)と結婚することになっていた。サラの父親はすでになく、男の子の残さなかったため、正統的な後継者がこれでようやく決まると思われていた。しかし、フランコ将軍が反乱の狼煙を上げたことで、スペイン全土が揺るぎ、婚礼は中止となる。教会はフランコ率いる反乱軍を支持し、テオも反乱軍の兵士として戦地に赴く。当時のスペイン共和国(第二共和国。スペインは現在は王政が復活している)では、スペイン共産党、スペイン社会労働党等の左派からなる親ソ連の人民戦線が政権を握っており、共産化に反対する人々は反乱軍を支持していた。フランコはその後、世界史上悪名高い軍事独裁政権を築くのであるが、この時には人々はまだそんな未来は知るべくもない。
反共の反乱軍をナチス・ドイツ、ファシスト党政権下のイタリア、軍事政権下のポルトガルが支持。日露戦争に勝利した日本も反乱軍に武器などを送っている。一方、左派の知識人であるアメリカのアーネスト・ヘミングウェイ、フランスのアンドレ・マルロー、イギリスのジョージ・オーウェルらが共和国側支持の一兵卒として参加していたこともよく知られている。
バスクは思想によって分断され、ゲルニカのあるビスカヤ県は多くが人民戦線を支持する共和国側に立ち、1936年10月、共和国側は、バスクの自治を認める。だが翌1937年4月26日、晴れの月曜日、反乱軍はゲルニカに対して無差別爆撃を行った。市民を巻き込んだ無差別爆撃は、これが史上初となった。当時、パリにいたピカソは怒りに震え、大作「ゲルニカ」の制作を開始する。

 

サラの母親であるマリア(キムラ緑子)は、サラがテオと結婚することで自身の家が往年の輝きを取り戻せると考えていた。バスクは男女同権の気風が強いようだが、家主が女では見くびられたようである。しかし、内戦勃発により婚礼を済まさぬままテオは戦場へと向かい、マリアの期待は裏切られる。その後、サラはマリアから自身が実はマリアの子ではないということを知らされる。今は亡き父親が、ジプシーとの間に生んだ子がサラだったのだ。サラはマリアの下から離れ、かつて料理番として父親に仕えていたイシドロ(谷川昭一郎)の食堂に泊まり込みで働くことを決める。


一方、大学で数学を専攻するイグナシオ(中山優馬)は、大学を辞め、共和国側に参加する意志を固めていた。イグナシオはユダヤ人の血を引いており、そのことで悩んでいた。田園地帯を歩いていたイグナシオはテオとばったり出会い、決闘を行う格好になる。結果としてテオを射殺することになったイグナシオは、テオの遺品である日記に書かれたサラという名の女性を探すことになる。

イシドロの食堂では、ハビエル(玉置玲央)やアントニオ(後藤剛範)らバスク民族党の若者がバスクの誇るについて語るのだが、樫の木の聖地であるゲルニカにバスク人以外が来るべきではないという考えを持っていたり、難民を襲撃するなど排他的な態度を露わにしていた。

一方、従軍記者であるクリフ(イギリス出身。演じるのは勝地涼)とレイチェル(パリから来たと自己紹介している。フランス人なのかどうかは定かでない。演じるのは早霧せいな)はスペイン内戦の取材を各地で行っている。最初は別々に活動していたのだが、フランスのビリアトゥの街で出会い、その後は行動を共にするようになる。レイチェルはこの年に行われた「ヒトラーのオリンピック」ことベルリン・オリンピックを取材しており、嫌悪感を抱いたことを口にする。
レイチェルが事実に即した報道を信条としているのに対し、クリフはいかに人々の耳目を引く記事を書けるかに懸けており、レイチェルの文章を「つまらない」などと評する。二人の書いた記事は、舞台後方のスクリーンに映し出される。

イグナシオからテオの遺品を受け取ったサラは、互いに正統なスペイン人の血を引いていないということを知り、恋に落ちる。だがそれもつかの間、イグナシオには裏の顔があり、入隊した彼はある密命を帯びてマリアの下を訪ねる。それはゲルニカの街の命運を左右する任務であった。マリアは判断を下す。

 

ゲルニカの悲劇に到るまでを描いた歴史劇であるが、世界中が分断という「形の見えない内戦」状態にあることを示唆する内容となっており、見応えのある仕上がりとなっている。

新型コロナウイルスという人類共通の敵の出現により、あるいは歩み寄れる可能性もあった人類であるが、結局は責任のなすりつけ合いや、根拠のない差別や思い込み、エゴイズムとヒロイズムの暗躍、反知性主義の蔓延などにより、今置かれている人類の立場の危うさがより顕著になっただけであった。劇中でクリフが「希望」の残酷さを語るが、それは今まさに多くの人々が感じていることでもある。

クリフはマスコミの代表者でもあるのだが、センセーショナルと承認を求める現代のSNS社会の危うさを体現している存在でもある。
報道や情報もだが、信条や矜持など全てが行き過ぎてしまった社会の先にある危うさが「ゲルニカ」では描かれている。

ゲルニカ爆撃のシーンは、上から紗幕が降りてきて、それに俳優達が絡みつき、押しつぶされる格好となり、ピカソのゲルニカの映像が投影されることで描かれる。映像が終わったところで紗幕が落ち、空白が訪れる。その空白の残酷さを我々は真剣に見つめるべきであるように思われる。

劇はクリフが書き記したゲルニカの惨状によって閉じられる。伝えることの誇りが仄見える場面でもある。

 

姉の上白石萌音と共に、今後が最も期待される女優の一人である上白石萌歌。薩摩美人的な姉とは違い、西洋人のような顔と雰囲気を持つが、姉同様、筋の良さを感じさせる演技力の持ち主である。

 

関西では高い知名度を誇る中山優馬も、イグナシオの知的で誠実な一面や揺れる心情を上手く演じていた。

 

万能女優であるキムラ緑子にこの役はちょっと物足りない気もするが、京都で学生時代を過ごした彼女が、京都の劇場でこの芝居を演じる意味は大いにある。ある意味バスク的ともいえる京都の街でこの劇が、京都に縁のある俳優によって演じられる意味は決して軽くないであろう。

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2019年9月15日 (日)

観劇感想精選(317) 松本白鸚主演・演出 ミュージカル「ラ・マンチャの男」2019

2019年9月7日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて観劇

午後6時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、ミュージカル「ラ・マンチャの男」を観る。今回は1969年の日本初演から半世紀が経過したことを記念しての上演である。主演・演出:松本白鸚。脚本:デール・ワッサーマン、作詞:ジョオ・ダリオン、日本語訳:森岩雄&高田蓉子、作曲:ミッチ・リー、振付・演出:エディ・ロール(日本初演)。出演:瀬奈じゅん、駒田一、松原凜子、石鍋多加史、荒井洸子、祖父江進、大塚雅夫、白木美貴子、宮川浩、上條恒彦ほか。
50年に渡って「ラ・マンチャの男」で主役を張ってきた松本白鸚。50年前に演じ始めた時には市川染五郎の名であり、松本幸四郎を経て、松本白鸚の名では初の「ラ・マンチャの男」となる。

前回、「ラ・マンチャの男」を観たのは、丁度10年前の2009年の5月、今はなきシアターBRAVA!に於いてだった。その時、アルドンザを演じていたのは松たか子であり、親子共演であった。
おりしも、5月2日、忌野清志郎が亡くなり、以前に大阪城ホールで清志郎と共演したことのあった松たか子は訃報を聞き、シアターBRAVA!の前で第二寝屋川を挟んで向かいにある大阪城ホールに向かって頭を下げ、清志郎への感謝の祈りを捧げたという。

 

フェスティバルホールの入っているフェスティバルタワー2階には、「ラ・マンチャの男」の写真パネルや公演記録が展示されている。それによると松たか子はまずアントニア役として出演を重ねた後で2002年から2012年までアルドンザを務め、2015年からアルドンザは霧矢大夢に交代。今回からは、瀬奈じゅんがアルドンザを務める。

 

地下牢が舞台であるが、「ドン・キホーテ」が劇中劇として行われ、即興劇という設定なのでセットこそさほど変わらないが、小道具などを用いることで場面は次々に展開されていく。
宗教裁判にかけられたセルバンテス(松本白鸚)は、地下牢の中で判決を待つことになる。その間、牢名主(上條恒彦)に牢内での裁判に問われることになったセルバンテスは、即興劇の形で申し開きを行うことにし、自作の「ドン・キホーテ」を牢内の人々と一緒に演じ始める。騎士の時代が終わってから数百年が経つのに、自身を騎士だと思い込み、遍歴の旅に出るドン・キホーテ(松本白鸚二役)。風車を巨人だと勘違いして突っ込み、城郭だと思い込んで乗り込んだ小さな旅籠で出会った売春婦のアルドンザを思い姫のドルシネアだと思い込んだドン・キホーテは、端から見ると滑稽でしかない騎士遍歴を繰り返す。
滑稽でしかないのだが、ドン・キホーテには信念がある。それはセルバンテスも同じで、二人ともラ・マンチャの男であり、夢の大切さとそれを追うことの重要性を観る者に訴えかける。本来は道化役でしかなかったドン・キホーテが夢を貫くことで人々を鼓舞する英雄に変わるのである。
セルバンテスはラストで、「私もドン・キホーテも、ラ・マンチャの男だ」というセリフがあるのだが、半世紀に渡って二人を演じ続けてきた松本白鸚もまた、見果てぬ夢に生きるラ・マンチャの男なのだろう。

 

フェスティバルホールはオペラ上演を前提としている劇場で、オーケストラピットも当然ながら存在するが、今回は演出の都合上、オーケストラピットではなく、ステージの両袖にミュージシャンが陣取って演奏を行うというスタイルである。音が通りやすいフェスティバルホールであるが、楽器の音が鮮明に聞こえるため、歌が覆い隠されてしまう場面もあった。

セルバンテスとドン・キホーテという二人のラ・マンチャの男は、松本白鸚が千回以上演じている当たり役であり、貫禄の出来映え。他にも10年前からずっと「ラ・マンチャの男」に出続けている俳優が複数おり、今回の新キャストを含めて優れたアンサンブルを見せていた。

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2018年10月 2日 (火)

美術回廊(16) 美術館「えき」KYOTO 「フランス国立図書館版画コレクション ピカソ 版画をめぐる冒険」

2018年9月25日 JR京都駅ビルの美術館「えき」KYOTOにて

京都駅の近くで用事があったので、ついでに美術館「えき」KYOTOで、「フランス国立図書館版画コレクション ピカソ 版画をめぐる冒険」を観に行く。

パブロ・ピカソが残した版画作品と、影響を受けた版画作品などを紹介する展覧会。ピカソがレンブラントの作品を再構成した作品なども展示されている。

ピカソというと、デフォルメされた人物が特徴的だが、極限までデフォルメするまでの中間地点を描いた作品もあり、ピカソがどこを強調したのかを知ることが出来る(目が特に誇張されている)。

祖国であるスペインの闘牛を題材にした版画がいくつかあるが、闘牛そのものを描いた作品からは不吉な印象を受けるものの、ピカドールと闘牛の戦いを描いたものから受けるのはピカドールの軽やかさと躍動感の方であり、闘牛は脇役に過ぎないように見える。

ピカソはスペイン出身者である自身のリビドーの象徴としてミノタウルスを描いており、画面全体を揺るがすような迫力を与えている。

またミノタウルスの時代である古代ギリシャの影響を受けた作品も残していて、シンプルな裸体画や、牧神やディオニソスの巫女、ケンタウルスといった想像上の生き物を題材としたリトグラフなどを観ることが出来る。

マネの「草上の朝食」をヴァリエーションとして描いたり(エロスへの転換が見られる)、レンブラントの「エッケ・ホモ(この人を見よ!)」の主役をイエスではなく自分に置き換えてしまったりと、やりたい放題なのがいかにもピカソらしい。

ピカソの肖像画は、モデルのみでなく自分を含めた画家を作品の中に登場させるというのも特徴だそうで、一人真面目くさった画家を登場させるという皮肉を効かせたものもある。


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2018年8月22日 (水)

スペイン国立ダンスカンパニー 「ロミオとジュリエット(ロメオとジュリエット)」@びわ湖ホール大ホール

2008年11月29日 びわ湖ホール大ホールにて

午後3時から、大津市のびわ湖ホール大ホールで、ナチョ・ドゥアト芸術監督率いるスペイン国立ダンスカンパニーの公演、バレエ「ロミオとジュリエット」(音楽:セルゲイ・プロコフィエフ、振付:ナチョ・ドゥアト)を鑑賞。プロコフィエフの音楽を演奏するのは、ペドロ・アルカルデ指揮の関西フィルハーモニー管弦楽団。

ペドロ・アルカルデは作曲家でもあり、近年は1年に1作ずつバレエ音楽作品を発表しているようだ。
スペイン国立ダンスカンパニーは、1979年にスペイン国立クラシックバレエとして創設。その後、「クラシック・バレエを否定することなく、より現代的なスタイルを取り入れた」団体となり、名称も現在のものに変更された。

スペイン国立ダンスカンパニー芸術監督のナチョ・ドゥアトは、バレンシア地方の生まれ。ベルギーでモーリス・ベジャールに師事し、その後、ニューヨークに渡って更なる研鑽を積んで、1990年にスペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督となる。コンテンポラリーダンスに主軸を置いていて、クラシック・バレエの全曲作品の振付を手掛けたのは、「ロミオとジュリエット」が唯一だそうだ。

スペイン国立ダンスカンパニーは、さいたま市でも公演を行ったが、その時は、演奏してくれるプロオーケストラが確保できなかったのか、テープ録音によって音楽を流したとのこと。
今日の公演は生演奏で音楽が聴ける。もちろん、その場でオーケストラが演奏した方がずっと感動的である。

幕が開くと、ロミオ(ゲンティアン・ドダ)がベンチで休んでいる。やがて、友人のマキューシオ(フランシスコ・ロレンツォ)らがやってきてロミオと戯れるが、ロミオは、たまたまそばを通り過ぎた女性の後についていってしまう。どうも、今回のバレエでのロミオは遊び人という解釈のようだ。シェークスピアの原作でもロミオはいい加減な奴なので、こういうのもありだろう。

一方のジュリエット(ルイサ・マリア・アリアス)はというと、ピョンピョン跳びはねながら口うるさそうな婆やから逃げ回っている。かなりお転婆なジュリエットである。

さて、イタリア・ヴェローナの名門、モンタギュー家とキャピュレット家の争いというのが、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の枠組みであるが、今日のバレエでは、モンタギュー家の人々は男女ともに庶民のような格好で、広場で踊るなどして楽しんでいる。そこへ正装のキャピュレット家の男達がやってきて、楽しんでいるモンタギューの人々にちょっかいを出し、剣を抜く。モンタギューの人々は鋤で応戦。ということは、スペイン国立ダンスカンパニーのバレエではモンタギュー家の人々はどうやら本当に庶民で、キャピュレット家が貴族であり、原作の権門争いではなく、階級闘争に設定が変えられているようだ。

キャピュレット家での舞踏会に、ロミオやマキューシオは仮面を付けて、道化に化けて忍び込み、手品をしたり悪ふざけをしたりしている。
そして、ジュリエットに一目惚れしてしまうロミオ。ジュリエットも無理矢理結婚相手に決められたパリス(アモリー・ルブラン)やジュリエットの親戚であるティボルト(クライド・アーチャー)ではなく、仮面のままのロミオと踊りたがる。露骨に悔しがるティボルト。
やがて、ジュリエットが一人になったところにロミオが現れ、仮面を取る。瞬く間に恋におちる二人……。

モンタギューの人々が広場で車座になり、中央で踊っているマキューシオが乗ってくると皆で同時に手を打つところなどは、まさに「オーレー!」で、スペイン的味わいが出ている。
モンタギューの人々の踊りがダイナミックで、マスゲームのように良く計算されているのも印象的。
幕、布、旗などの使い方も効果的である。

ラスト。仮死状態になったジュリエットを見て本当に死んでしまったと思い、短剣で胸を突くロミオ。ロミオが崩れ落ちるのとほぼ同時にジュリエットが目を覚ます。何てずるい演出なんだ。ストーリーを知っていても、「あー、ロミオがもっと迷っていれば上手くいっていたのに」と悔しくなる。
そして、ロミオが死んだことを知って自らも死を選ぶジュリエット。ここは音楽だけでも十分に美しくて悲しいのに、ジュリエットの動きが加わると、もう卑怯なほど美しくて悲しい。
こういうものを見てしまうと、それを言葉で語るのが馬鹿らしくなる。言葉なんてもう余計なものだ。プロコフィエフの音楽だけで十分である。
といいながら言葉で書いてしまっているけれど。

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2008年5月24日 (土)

ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」 カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

最もスペイン的なクラシック音楽として真っ先に思い浮かぶのが、ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)の「アランフェス協奏曲」。悲劇的なメロディーが印象的な第2楽章が特に有名ですが、全曲を通して名曲です。今日紹介するのは、カルロス・ボネルがギターを弾き、シャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団が伴奏を務めたCD。DECCAレーベル。「ある貴紳のための幻想曲」を併録。

ロドリーゴ 「アランフェス協奏曲」 カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団 カルロス・ボネルのギターは音が美しく、それも含めた技術が万全です。

シャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団は、極めて洗練されたスタイルで、特に澄んだ弦楽の響きは、どこまでも高く真っ青な空を想起させます。

スペイン的な土俗感からは遠い演奏ですが、誰が聴いても曲の素晴らしさを味わうことの出来る好演でもあります。

ロドリーゴ/Concierto De Aranjuez  Fantasia: Bonell  Dutoit / Montreal.so

カルロス・ボネル(ギター) シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団 「アランフェス協奏曲」の現行版ジャケット

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『ロルカ詩集』(土曜美術社出版販売)

詩が好きにとってはおなじみの、土曜美術社出版販売から出ている『ロルカ詩集』を紹介します。世界現代詩文庫の第21巻として出ているもの。小海永二:訳。

『ロルカ詩集』(土曜美術社出版販売) 小海永二:訳 20世紀のスペイン詩壇を一人で代表しているといっても過言ではない、フェデリコ・ガルシア・ロルカ。
1898年にアンダルシア地方のグラナダ近郊に生まれ、グラナダ市、マドリッド、ニューヨーク、キューバなどで生活。
スペインに戻ってからは、素人劇団を立ち上げて、主に劇作家として活躍しています。

しかし、この素人劇団が左派であった共和政府からの援助を受けていたため、フランコが独裁政権を築くと同時に、ロルカは左派知識人として追われることになり、グラナダの友人宅に潜んでいるところを見つかって、すぐそばのオリーブ畑で銃殺されました。時に38歳。

フランコ政権下のスペインでは、ロルカ作品は発禁となり、長い間読むことが出来ませんでした。
沢木耕太郎の『深夜特急』にも、スペインを訪れた沢木が、「ロルカの詩を読むことは出来るのか?」と現地の人に訊いて否定される場面があります。

濃厚なスペイン情緒とダダイズムなどの影響も受けたロルカの詩。わかりやすい詩とイメージ連鎖が必要な難解な作品が混在していますが、難解なものでも声に出して読んでみると、案外すっと体と心に染み込んでくるところがあり、そこが魅力です。

『ロルカ詩集』(世界現代詩文庫 土曜美術社出版販売) 紀伊國屋書店BookWeb

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2008年5月23日 (金)

観劇感想精選(36) アトリエ・ダンカン・プロデュース「血の婚礼」

2007年5月17日 東京・新大久保の東京グローブ座にて観劇

東京・新大久保の東京グローブ座で、フェデリコ・ガルシア・ロルカ作、白井晃:台本・演出の舞台「血の婚礼」を観る。
スペインが生んだ悲劇の詩人、ロルカの代表的戯曲の上演。大阪での上演もあるが、紀尾井ホールでのコンサートを聴くついでに東京で観ておくことにしたのだ。


「血の婚礼」は午後7時開演。出演は、森山未來、ソニン、浅見れいな、岡田浩暉、尾上紫(おのえ・ゆかり)、陰山泰、根岸季衣、新納慎也、江波杏子。
ギター演奏を渡辺香津美が担当する。

「血の婚礼」は、詩人であるロルカらしく韻文が多用されるなど、上演の難しい作品である。
演出の白井晃はロルカが書いた歌詞をカットし、その代わりにダンスを多く取り入れる。森山未來、ソニンなど、ダンスの達人がキャスティングされているだけに、舞踏のシーンは迫力がある。

最初は、パーツパーツは優れているものの、それが上手く噛み合わないもどかしさがあったが、森山やソニンのダンスはセリフ以上に雄弁であり、詩人ロルカの戯曲上演への期待が良い意味で裏切られる。
「血の婚礼」の“血”には3つの意味があるが、血が持つ因縁を表現するには言葉よりも肉体の動きがより適している。言葉も肉体より発せられるが、肉体そのものの動きの方が、より血に直結しているのは明らかであり、言葉は情熱の血を沸き立たせる媒体でしかない。

婚礼から2人が逃げ去る場面以降は、役者の動きとセリフとが絶妙の止揚(という表現を敢えて用いる)を見せる。

情熱的で呪わしいという“血”の両面を描き出すことに成功した優れた舞台であった。

出演者では、森山未來、ソニン、尾上紫の3人が特に良かった。森山未來は期待通りであるが、ソニンは予想以上に優れた表現を見せ、尾上紫の可憐さと妖しさの両方を兼ね備えた演技にも魅せられた。

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たぎる血の惨劇 森山未來主演 「血の婚礼」

2007年5月に東京・新大久保の東京グローブ座で上演されたアトリエ・ダンカン・プロデュース「血の婚礼」を収録したDVDを紹介します。TBSの制作、ポニー・キャニオンの販売。

「血の婚礼」は、フランコ独裁政権下で殺害された、スペインを代表する詩人、フェデリコ・ガルシア・ロルカが書いた戯曲。韻文が多用されていたり、月の成りをした人物が登場するなど、そのままでは、少なくとも現代の日本で上演することは難しい作品です。

森山未來主演 「血の婚礼」DVD

台本と演出を手掛けた白井晃は、多くのセリフをカットし、ダンスの場面を数多く取り入れています。「血の婚礼」の“血”には少なくとも3つの意味が掛けられていると思いますが、そうした血を表すには言葉よりもダンスの方が説得力があります。たぎる血は言葉よりも肉体により近しく、ダンスを生かした情熱と因縁と愛の迸りが見事です。
音楽は渡辺香津美を起用。渡辺は舞台上でギターを奏で、その熱い演奏も極めて効果的です。

原作:フェデリコ・ガルシア・ロルカ、台本・演出:白井晃、主演:森山未來、ソニン、出演:尾上紫(おのえ・ゆかり)、江波杏子、岡田浩暉、池谷のぶえ、陰山泰、浅見れいな、新納慎也、根岸季衣。

Original Cast/血の婚礼

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