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2024年11月 4日 (月)

観劇感想精選(474) NODA・MAP第27回公演「正三角関係」

2024年9月19日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後7時から、JR大阪駅西口のSkyシアターMBSで、NODA・MAP第27回公演「正三角関係」を観る。SkyシアターMBSオープニングシリーズの1つとして上演されるもの。
作・演出・出演:野田秀樹。出演:松本潤、長澤まさみ、永山瑛太、村岡希美、池谷のぶえ、小松和重、竹中直人ほか。松本潤の大河ドラマ「どうする家康」主演以降、初の舞台としても注目されている。
衣装:ひびのこずえ、音楽:原摩利彦。

1945年の長崎市を舞台とした作品で、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と、長崎原爆が交錯する。「欲望という名の電車」も長崎に路面電車が走っているということで登場するが、それほど重要ではない。

元花火師の唐松富太郎(からまつ・とみたろう。『カラマーゾフの兄弟』のドミートリイに相当。松本潤)は、父親の唐松兵頭(ひょうどう。『カラマーゾフの兄弟』のフョードルに相当。竹中直人)殺しの罪で法廷に掛けられる。主舞台は長崎市浦上にある法廷が中心だが、様々な場所に飛ぶ。戦中の法廷ということで、法曹達はNHK連続テレビ小説「虎に翼」(伊藤沙莉主演)のような法服(ピンク色で現実感はないが)を着ている。
検察(盟神探湯検事。竹中直人二役)と、弁護士(不知火弁護士。野田秀樹)が争う。富太郎の弟である唐松威蕃(いわん。『カラマーゾフの兄弟』のイワン=イヴァンに相当。永山瑛太)は物理学者を、同じく唐松在良(ありよし。『カラマーゾフの兄弟』のアレクセイ=アリョーシャに相当。長澤まさみ)は、神父を目指しているが今は教会の料理人である。
富太郎は、兵頭殺害の動機としてグルーシェニカという女性(元々は『カラマーゾフの兄弟』に登場する悪女)の名前を挙げる。しかし、グルーシェニカは女性ではないことが後に分かる(グルーシェニカ自体は登場し、長澤まさみが二役、それも早替わりで演じている)。

『カラマーゾフの兄弟』がベースにあるということで、ロシア人も登場。ロシア領事官ウワサスキー夫人という噂好きの女性(池谷のぶえ)が実物と録音機の両方の役でたびたび登場する。また1945年8月8日のソビエトによる満州侵攻を告げるのもウワサスキー夫人である。

戦時中ということで、長崎市の上空を何度もB29が通過し、空襲警報が発令されるが、長崎が空襲を受けることはない。これには重大な理由があり、原爆の威力を確認したいがために、原爆投下候補地の空襲はなるべく抑えられていたのだ。原爆投下の第一候補地は実は京都市だった。三方を山に囲まれ、原爆の威力が確認しやすい。また今はそうではないが、この頃はかつての首都ということで、東京の会社が本社を京都に移すケースが多く見られ、経済面での打撃も与えられるとの考えからであった。しかし京都に原爆を落とすと、日本からの反発も強くなり、戦後処理においてアメリカが絶対的優位に立てないということから候補から外れた(3発目の原爆が8月18日に京都に落とされる予定だったとする資料もある)。この話は芝居の中にも登場する。残ったのは、広島、小倉、佐世保、長崎、横浜、新潟などである。

NODA・MAPということで、歌舞伎を意識した幕を多用した演出が行われる。長澤まさみが早替わりを行うが、幕が覆っている間に着替えたり、人々が周りを取り囲んでいる間に衣装替えを行ったりしている。どのタイミングで衣装を変えたのかはよく分からないが、歌舞伎並みとはいえないもののかなりの早替わりである。

物理学者となった威蕃は、ある計画を立てた。ロシア(ソ連)と共同で原爆を作り上げるというものである。8月6日に広島にウランを使った原爆が落とされ、先を越されたが、すぐさま報復としてニューヨークのマンハッタンにウランよりも強力なプルトニウムを使った原爆を落とす計画を立てる。しかしこれは8月8日のソビエト参戦もあり、上手くいかなかった。そしてナガサキは1945年8月9日を迎えることになる……。

キャストが実力派揃いであるため、演技を見ているだけで実に楽しい。ストーリー展開としては、野田秀樹の近年の作品としては良い部類には入らないと思われるが、俳優にも恵まれ、何とか野田らしさは保たれたように思う。

NODA・MAP初参加となる松潤。思ったよりも貫禄があり、芝居も安定している。大河の時はかなりの不評を買っていたが、少なくとも悪い印象は受けない。

野心家の威蕃を演じた永山瑛太は、いつもながらの瑛太だが、その分、安心感もある。

長澤まさみは、今は違うが若い頃は、長台詞を言うときに目を細めたり閉じたりするという癖があり、気になっていたが、分かりやすい癖なので誰かが注意してくれたのだろう。あの癖は、いかにも「台詞を思い出しています」といった風なので、本来はそれまでに仕事をした演出家が指摘してあげないといけないはずである。主演女優(それまでに出た舞台は2作とも主演であった)に恥をかかせているようなものなのだから避けないといけなかった。ただそんな長澤まさみも舞台映えのする良い女優になったと思う。女優としては、どちらかというと不器用な人であり、正直、好きなタイプの女優でもないのだが、評価は別である。大河ドラマ「真田丸」では、かなり叩かれていたが、主人公の真田信繁(堺雅人)が入れない場所の視点を担う役として頑張っていたし、何故叩かれるのかよく分からなかった。

竹中直人も存在感はあったが、重要な役割は今回は若手に譲っているようである。
たびたび怪演を行うことで知られるようになった池谷のぶえも、自分の印を確かに刻んでいた。


カーテンコールは4度。3度目には野田秀樹が舞台上に正座して頭を下げたのだが、拍手は鳴り止まず、4回目の登場。ここで松潤が一人早く頭を下げ、隣にいた永山瑛太と長澤まさみから突っ込まれる。
最後は、野田秀樹に加え、松本潤、長澤まさみ、永山瑛太の4人が舞台上に正座してお辞儀。ユーモアを見せていた。

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2024年10月30日 (水)

コンサートの記(865) シャルル・デュトワ指揮 九州交響楽団第425回定期演奏会

2024年10月23日 福岡・天神のアクロス福岡シンフォニーホールにて

博多へ。

午後7時から、アクロス福岡シンフォニーホールで、九州交響楽団の第425回定期演奏会を聴く。指揮は九州交響楽団(九響)初登場のシャルル・デュトワ。
デュトワは、6月に来日して、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団と札幌交響楽団を指揮する予定だったが、体調不良によりキャンセルしてヨーロッパに帰っていた。だが、年内に再び来日して、九州交響楽団、そして名誉音楽監督を務めるNHK交響楽団を指揮することになった。
デュトワが九響を指揮することになった経緯は明らかではないが(おそらく依頼したら承諾してくれたという単純な理由ではないかと思われるのだが)、九州の人々にとっては思いも掛けない僥倖であったと思われる。今丁度、東京では97歳になったヘルベルト・ブロムシュテットが、桂冠名誉指揮者を務めるNHK交響楽団を指揮していて話題になっているが、88歳になったばかりのデュトワの指揮する九響のコンサートもそれに負けないほどの話題となっている。

今更デュトワの紹介をするのも野暮だが、知らない方のために記しておくと、1936年、スイス・フランス語圏のローザンヌに生まれた指揮者で、生地と、スイス・フランス語圏(スイス・ロマンド)の中心都市であるジュネーヴの音楽院でヴィオラ、ヴァイオリン、指揮などを学ぶ。ジュネーヴ時代にフランスものとロシアものを得意としていた指揮者のエルネスト・アンセルメの薫陶を受けている。ボストンのタングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュに師事。この時、1歳年上の小澤征爾と共に学んでおり、後年のセイジ・オザワ松本フェスティバルへの客演に繋がる。ヴィオラ奏者としてデビューした後に指揮者に転向。まずヘルベルト・フォン・カラヤンにバレエ指揮者としてのセンスを認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者にならないかと誘われているが、オールマイティに活躍したいという意向があったので、これは断っている。オーケストラコンサート、オペラ、バレエなど多くの公演を指揮。ただ有名になってからはバレエ音楽の全曲盤を出したりはしているものの、ピットでバレエを指揮したという情報は聞かない。

最初のポストとして祖国のベルン交響楽団の首席指揮者に就任。スウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者も務めた。この間、主に協奏曲の伴奏の録音を多くこなして知名度を高める。その時期は「伴奏指揮者」などと陰口を叩かれたりしたが、1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、以後、短期間でオーケストラの性能を持ち上げて、「フランスのオーケストラよりフランス的」と称されるアンサンブルに仕上げた。デュトワとモントリオール交響楽団は、英DECCAのフランスものとロシアのもの演奏を一手に引き受け、その分野での第一人者との名声を獲得するに至った。デュトワとモントリオール響の蜜月は、2002年までの四半世紀に渡って続く。デュトワ自身、「有名曲よりもまず自分達の得意なものを」という戦略を持っており、「アンセルメの録音が古くなったので新たなコンビを探していた」DECCAと思惑が一致した。ただデュトワはモントリオール響の性能を上げるため、「腕が良くない」とみたプレーヤーにはプレッシャーを掛けて自ら辞めるよう仕向けるという方針を採っており、最後は、こうしたやり方に反発した楽団員と喧嘩してモントリオールを去っている。デュトワ辞任後のモントリオール響はストライキに入るなど揉めに揉めた。

1970年に読売交響楽団に客演したのが、日本のオーケストラを指揮した最初だが、解釈と棒の明晰さですぐに高い評価を獲得。その後、日本のオーケストラとの共演を重ね、1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任する。それまでN響は長きに渡ってシェフのポストを空位としており(ウィーン・フィルを真似たものと思われる)、久々の主の座に就いた。NHK交響楽団との演奏では、NHKホールのステージを前に張り出させるなど、音響面での工夫を行っていて、これは現在でも踏襲されている。その後、同楽団初の音楽監督に就任。辞任後は名誉音楽監督の称号を贈られた。
この時期は北米のモントリオール交響楽団、アジアのNHK交響楽団、ヨーロッパのフランス国立管弦楽団という三大陸のオーケストラのシェフを兼ね、多忙を極めている。優先順位としては、モントリオールとNHKが上で、フランス国立管弦楽団の元コンサートマスターは、「パリではいつも時差ボケ状態」であったことに不満を述べているが、フランス国立管弦楽団とも「プーランク管弦楽曲、協奏曲全集」という優れた仕事を残している。3つのオーケストラのシェフを辞めてからは、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督を務めた。またヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督に就任し、同楽団のメンバーが参加する宮崎国際音楽祭の音楽監督も兼務している。
主にヨーロッパでセクハラ疑惑が起こってからは、N響との共演も見送られていたが、久しぶりに同楽団を指揮することも決まっている。
N響との共演が途絶えてからは、日本のオーケストラによる争奪戦が始まり、まず大阪フィルハーモニー交響楽団が手を上げて、毎年の客演を取り付ける。それに新日本フォルハーモニー交響楽団が追随し、札幌交響楽団や九州交響楽団も手を挙げるようになった。

そんな中での今回の九響客演である。


曲目は、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、グラズノフのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワ得意のフランスものとロシアものである。


アクロス福岡シンフォニーホールに来るのは初めて。正式には、アクロス福岡という複合文化施設の中に福岡シンフォニーホールがあるという構造なのだが、一般的にはまとめてアクロス福岡シンフォニーホールと呼んでいるようである。
1995年の竣工ということで、京都コンサートホールと同い年である。構造的にもシューボックス型ベースで(日本人は視覚を重視するため、どちらも客席に傾斜があるが、福岡シンフォニーホールの方が傾斜は緩やかである)、天井が高めで反響板がないという共通点がある。福岡シンフォニーホールにはパイプオルガンはなく、シャンデリアがいくつも下がっていて、木目もシックであり、見た目が洋風である。京都コンサートホールは和の要素を取り入れる術に長けているとも言える。音響であるが、音は通りやすいが、残響は短め。残響2秒とのことだったが実際はそんなにはない。音は京都コンサートホールの方が広がりがあり、福岡シンフォニーホールはタイトである。特に優劣をつけるほどの違いはないので、後は好みの問題となるだろう。

九州交響楽団の実演奏を聴くのは2度目。前回は、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、沼尻竜典の指揮した演奏会を聴いている。本拠地で九響を聴くのは初めてである。

今日のコンサートマスターは扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)。ドイツ式の現代配置での演奏である。


ドビュッシー(ビュッセル編曲)の「小組曲」。九響が洗練された瑞々しい音を出す。九響の音をそれほど多く聴いている訳ではないが、透明で洒落た感覚と、他の楽団員が出す音に対する鋭敏な反応は、デュトワが指揮するオーケストラに共通した特徴である。浮遊感や推進力などもあり、これぞ「エスプリ・クルトワ」の音楽となっている。フランス語圏のケベック州とはいえ、カナダのオーケストラがフランス本国やヨーロッパのフランス語圏の名門楽団を凌ぐだけの名声を手に入れることがいかに困難かは想像に難くなく、それを実現したデュトワの力に改めて感服させられる。


グラズノフのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン独奏の辻彩奈は、最も将来が嘱望される若手ヴァイオリニストの一人。可愛らしい容姿や、Web上でファンと気さくにやり取りする飾らない人柄も人気の一因となっている。1997年、岐阜県生まれ。以前、インターネット上で質問に答えるという企画で、「岐阜県の良いところはどこですか?」との質問に「良いところかどうかは分かりませんが、夏は暑いです」と答えていたが、それは多分、良いところじゃない。ただこれだけでも彼女の人柄が分かる。2016年、18歳の時に、モントリオール国際音楽コンクールで第1位獲得。5つの特別賞も合わせて受賞して、一躍、時の人となった。今でも「モントリオールの子」と呼ばれることがあるのはこのためである。ということでデュトワとはモントリオール繋がりである。小学生の頃から全国大会で1位を獲り、12歳で初のリサイタルを行うなど神童系であった。
東京音楽大学附属高校及び東京音楽大学に特別奨学生として入学して卒業。卒業式では総代を務めている。

純白のドレスで登場した辻彩奈。グラズノフのヴァイオリン協奏曲は、知名度こそ高くないが、後半のノリや、高度な技巧で聴かせる隠れた名曲的存在である。
辻彩奈は、今年の4月に京都市交響楽団に客演してプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番を弾いているのだが、仕事が入って聴きに行けず、実演に接するのは久しぶりである。
高音のキレが抜群の辻であるが、まずはロシアの音楽ということで、荒涼とした大地を表すような太めの音から入る。意図的に洗練を抑えた感じである。そこから音楽の純度を上げていき、左手ピッチカートなど高度な技を繰り出しつつ、第3楽章の軽快で祝祭的な音楽へと突き進んでいく。耳を裂くほどの鋭い高音は名刀の切れ味。顔は可愛いが精悍な女剣士のように音と切り結んでいく。技巧面が優れているだけでなく、曲調の描き方も鮮やかで、優れた構築力も感じさせる。デュトワ指揮の九響もロシア的な仄暗くてヒンヤリとした響きを出し、最後は華やかさが爆発する。
演奏終了後、喝采を浴びた辻。アンコール演奏として、親しみやすい旋律を持つが、やはり左手ピッチカートなど高度な技巧が要求される曲を演奏する。スコットウィラーの「アイ・ルーションラグ~ギル・シャハムのために」という曲であった。

なお、辻が出しているCD購入者には、終演後、サイン会参加の特典があり、折角なので私もブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集を購入してサインを入れて貰った。


チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワは、チャイコフスキーの交響曲第5番を2度録音している。最初はモントリオール交響楽団とのDECCAへのスタジオ録音であり、2度目はNHK交響楽団とのライブ収録盤で、「チャイコフスキー後期三大交響曲」としてリリースされている(モントリオール交響楽団とも、交響曲第4番と第6番「悲愴」はレコーディングしている)が、両者の解釈は大きく異なる。モントリオール交響楽団とレコーディングを行った時期は、ソ連当局による統制でチャイコフスキーの情報を西側で得ることは困難であり、美しいメロディーと豊かなスケールを歌い上げる演奏が主流だった。
しかし、N響との後期三大交響曲のライブ収録を行った時には、チャイコフスキーの悲劇的な最期が明らかになっており、当然ながら曲に込められたメッセージを暴くような演奏が主流となっていた。交響曲第6番「悲愴」では、第3楽章を終えて拍手が起こるも、それを無視してアタッカで第4楽章に突入するなど、表現を優先させている。

今回も当然ながら、この曲の深刻な面を掘り下げるような演奏が展開される。

ゆったりとしたテンポの憂いを込めたクラリネットソロによる「運命の主題」でスタート。クラリネットのソロが終わると更にテンポは落ちる。蠢くような木管と、冴え冴えとして潤いはあるが滲んだような色彩の弦が呻吟する。チャイコフスキーらしい美しさは保たれているが、金管の咆哮が立ちはだかる。デュトワはバランス感覚に優れているため、深刻な表現になっても暗すぎることはないが、それでも聴いていて苦しくなる演奏である。
デュトワの指揮は指揮棒を持った右手と同等かそれ以上に左手の表情が雄弁である。

第2楽章の冒頭も、灰色のような色彩であり、広がりはあるが、行方が定まらないような印象を受ける。
この楽章のハイライトであるホルンのソロ、首席のルーク・ベイカーが豊かで美観に溢れた演奏を行う。遠い日の回想の趣であり、今は手に入らない往年の輝きを愛おしむかのようである。その後も愛しい旋律が続くが、激情が押し寄せ(長調なのに痛切なのがチャイコフスキー作品の特徴である)流されていく。やがて運命の主題が立ちはだかる。

バレエ音楽にも繋がるようなワルツである第3楽章。小粋な旋律であり、演奏であるが、どことなく涙をためながら無理に伊達を気取っているようなところがある。基本的にチャイコフスキーは哀しみを隠さない人なので、自然に憂いの表情が可憐さの裏から現れる。諦めにも似た「運命の主題」。それを強引に振り払うようにして第4楽章へ。デュトワは、チャイコフスキーの後期三大交響曲では、第3楽章と第4楽章をいずれもアタッカで繋ぐという解釈を採用している。第3楽章と第4楽章で一繋がりと見なしているのだろう。
堂々と始まる第4楽章であるが、やはり気分は晴れない。21世紀に入ってから、第4楽章を明るく演奏する解釈は極端に減り、憂いを常に潜ませた演奏が主流となった。無理矢理気分を持ち上げようとしているところが逆に切なかったりする。往時は堂々と演奏した部分も懐旧の念がどうしても加わる。勝利はもはや過去のもので、今は思い返すだけである。それでも低弦の不気味な蠢きなどが表す過酷な運命と格闘し、取り敢えずの休止という形で擬似ラストを迎える。
ここから先は、堂々とした凱歌であり、主旋律は確かに運命の主題を長調にした凱歌なのだが、その他で鳴っている音は、どこか不吉であり、特に弦の荒れ狂い方は尋常ではなく、やはりまともな精神状態とは思えない。デュトワは糸車を撒くように左右の手を前で回転させる巧みな指揮棒捌き。九響は輝かしい音で応えるが、虚ろさを表現することも忘れない。
最後の一暴れが終わり、ティンパニが鳴り響く中、別れを告げるような「タタタタン」のベートーヴェンの運命主題が決然と奏でられる。ここを大袈裟にする人もいるが、デュトワとしては意識はもう向こうにあるという解釈なのか、あるいは最後の一撃なのできっぱりとということなのか、とにかく外連とは対極にある終え方であった。


デュトワの十八番の一つであるチャイコフスキーの演奏ということで、多くの聴衆が拍手と「ブラボー!」でデュトワと九響を讃える。
デュトワは各パートごとに奏者達を立たせる。ホルンやクラリネットといった活躍する楽器は特に一人ずつ立たせていた。
九響の団員が去った後も拍手は続き、デュトワはコンサートマスターの扇谷を伴ってステージ下手側に現れて、聴衆に応えていた。


京都市交響楽団の楽団員も演奏会終了後のお見送りを行うようになったが、九州交響楽団の楽団員のお見送りはもっと聴衆との距離が近く、常連客と親しげに話している楽団員も多い。

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2024年10月25日 (金)

コンサートの記(864) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2024年10月11日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は、デイヴィッド・レイランド。京響には2度目の登場である。

休憩時間なし、上演時間約1時間のフライデー・ナイト・スペシャル。今回は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロ演奏の後に京響が登場。京響は1曲勝負である。


曲目は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロで、ラフマニノフの前奏曲作品23から、第4番ニ長調、第2番変ロ長調、第6番変ホ長調、第5番ト短調。デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団の演奏で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。


アンドリュー・フォン・オーエンは、ドイツとオランダにルーツを持つアメリカのピアニスト。5歳でピアノを始め、10歳でオーケストラと共演という神童系である。名門コロンビア大学に学び、ジュリアード音楽院でピアノを修めた。アルフレッド・ブレンデルやレオン・フライシャーからも薫陶を受けている。1999年にギルモア・ヤング・アーティスト賞を受賞。レニ・フェ・ブランド財団ナショナル・ピアノ・コンペティションで第1位を獲得。アメリカとフランスの二重国籍で、ロサンゼルスとパリを拠点としている。

午後7時頃からのデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)でも、オーエンが、ロサンゼルスとパリを拠点とするピアニストであることが紹介されている。
プレトークでは他に作品の解説。共にロシアの作品で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」はラヴェルの編曲なのでフランスの要素も入ってくるということを語る。組曲「展覧会の絵」は、ムソルグスキーが、若くして亡くなった友人のヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作の展覧会を見て回るという趣向の作品だが、ハルトマンの絵は今では見られなくなってしまったものが多いと語る(いくつかは分かっていて、ずっと前にNHKで特集が組まれたことがあった。その際、「ビィドロ」は牛が引く荷車ではなく、「虐げられた人々」という意味でつけられたことが判明していたりする)。最後の曲は「キエフの大門」(今回は、「キエフ(キーウ)の大門」という併記表現になっている)で、これは今演奏することに意味があるとレイランドは語る。キエフ(キーウ)は、現在、ロシアと交戦中のウクライナの首都。更に、レイランドは知らないかも知れないが、京都市の姉妹都市である。ロシアはそもそもキエフ公国から始まっており、ロシアにとっても特別な場所だ。「キエフ(キーウ)の大門」の絵は現物が残っている。その名の通り、キエフに建てられる予定だった大門のデザインのコンペティションに応募した時の作品なのだが、不採用となっている。

アンドリュー・フォン・オーエンのピアノは、音がクリアで、構築もしっかりしている。全曲ラフマニノフを並べていることからメカニックに自信があることが分かるが、難曲のラフマニノフを軽々と弾いていく感じだ。

第4番のロマンティシズム、第2番のスケールの豊かさ、第6番のリリシズム、第5番のリズム感といかにもラフマニノフらしい甘い旋律などを的確に表現していく。ロシアものにかなり合っているし、おそらくフランスものを弾いても出来は良いだろう。

アンコール演奏は、ラフマニノフの前奏曲作品32-12 嬰ト短調であった。これも好演。


デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団によるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。ピアノをはけさせるなど舞台転換があるため、まず管楽器や打楽器の奏者が登場し、最後に弦楽器の奏者が現れる。通常は一斉に登場して客席からの拍手を受けるのだが、今日は拍手をするタイミングはなかった。

デイヴィッド・レイランドは、ベルギー出身。ブリュッセル音楽院、パリのエコール・ノルマル音楽院、ザルツブルク・モーツァルティウム大学で学び、ピエール・ブーレーズ、デイヴィッド・ジンマン、ベルナルト・ハイティンク、ヨルマ・パヌラ、マリス・ヤンソンスに師事。イギリスの古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団の副指揮者として、サー・マーク・エルダー、ウラディーミル・ユロフスキ、サー・ロジャー・ノリントン、サー・サイモン・ラトルと活動している。ウラディーミル・ユロフスキだけはイギリス人ではなくロシア出身のドイツ国籍の指揮者だが、長年に渡ってロンドン・フィルの指揮者を務めており、名誉イギリス人的存在である。
ルクセンブルク室内管弦楽団の音楽監督を経て、現在はフランス国立メス管弦楽団(旧フランス国立ロレーヌ管弦楽団)と韓国国立交響楽団の音楽監督を務めるほか、スイスのローザンヌ・シンフォニエッタ首席客演指揮者としても活動している。

今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置での演奏。ヴィオラの客演首席に東条慧(とうじょう・けい。女性)が入る。サクソフォンの客演は崔勝貴(さい・しょうき)。
ハープの客演は朝川朋之。朝川は以前にも京響に客演していたが、日本では男性のハーピストは比較的珍しい。ヨーロッパではそもそも女性が楽団員になれないオーケストラも多かったので、男性ハーピストは普通である。今は指揮者として活躍している元NHK交響楽団の茂木大輔氏が、エッセイで、「ハープは女性には運搬が大変なので、男性にやらせたらどうか」という内容を書いており、その後なぜかハープ演奏がヤクザのしのぎの話になって、「ハープの演奏をする」が「しばいてくる」になったりしていた。
トランペットは首席のハラルド・ナエス、副首席の稲垣路子が揃い、曲はナエスの輝かしいトランペットソロで始まる。
京響は音に艶と輝きがあり、音のグラデーションが絶妙な変化を見せる。まさに虹色のオーケストラである。京響も本当に魅力的なオーケストラになった。

レイランドの指揮は簡潔にして明瞭。指揮の動きに合わせれば演奏出来る安心感があり、オーケストラの捌き方も抜群。どちらかというと音の美しさで聴かせるタイプで、ムソルグスキーというよりラヴェル寄りであるが、十二分に満足出来る水準に達していた。

演奏終了後、京響の楽団員はレイランドに敬意を表して立たず、レイランドはコンサートマスターの会田莉凡の手を取って立たせて、全楽団員にも立つよう命じていた。

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2024年10月21日 (月)

コンサートの記(863) 安達真理(ヴィオラ)&江崎萌子(ピアノ) 「月の引用」@カフェ・モンタージュ

2024年10月4日 京都市中京区 柳馬場通夷川東入ルのカフェ・モンタージュにて

午後8時から、柳馬場(やなぎのばんば)通夷川(えびすがわ)東入ルにあるカフェ・モンタージュで、ヴィオラの安達真理とピアノの江崎萌子によるコンサート「月の引用」を聴く。

曲目は、ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番とショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタ。ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番は、ブラームス最後の室内楽曲。ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは、ショスタコーヴィチの最後の作品で、死の5日前に完成している。


人気ヴィオリストの安達真理。関西で実演に接する機会も多い。国内ではソリストや室内楽での活動が多かったが、2021年に日本フィルハーモニー交響楽団の客演首席ヴィオラ奏者に就任している。
桐朋学園大学、ウィーン国立音楽大学室内楽科、ローザンヌ高等音楽院ソリスト修士課程を修了。若手奏者との共演の他、坂本龍一との共演経験もあり、6月に行われた日本フィルの坂本龍一追悼演奏会でも客演首席ヴィオラ奏者として乗り番であった。指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとはエストニア・フェスティバル管弦楽団のメンバーとして、ヨーロッパ各地で共演を重ねている。コロナの時期にはインスタライブなども行っていて、私も見たことがあるのだが、かなり性格が良さそうで、彼女のことを嫌いという人は余りいないのではないだろか。笑顔がとてもチャーミングな人である。
ロングヘアがトレードマークであるが、今日はポニーテールで登場した。

ピアノの江崎萌子は、東京出身。桐朋女子高校音楽科を首席で卒業後、パリのスコラ・カントルム(エリック・サティが年を取ってから入学し、優秀な成績で卒業したことでも知られる音楽院である)とパリ国立高等音楽院修士課程に学び、ライプツィッヒ・メンデルスゾーン音楽大学演奏家課程で国家演奏家資格を取得している(日本と違って資格がないとプロの演奏家として活動出来ない)。ヴェローナ国際コンクールで2位獲得、東京ピアノコンクールでも2位に入っている。


ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番。カフェ・モンタージュは空間が小さいので音がダイレクトに届く。ブラームスらしい仄暗い憂いの中に渋さと甘さの感じられる曲だが、憧れを求める第2楽章、そして第3楽章などは清澄な趣で、穏やかな魂の流れのようなものが感じられる。
間近で聴いているので迫力が感じられ、二人のしなやかな音楽性も伝わってくる。

演奏終了後に安達真理のトーク。マイクがないので、地声で話す。空間が小さいので十分に聞こえる。ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタが彼の最後の作品であり、もう右手が使えず左で記譜したこと、死の直前まで奥さんにチェーホフの小説「グーセフ」を読み聞かせて貰っていたことなどを話す。
今回のタイトルは、「月の引用」であるが、ショスタコーヴィチはヴィオラ・ソナタの第3楽章でベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「月光」第1楽章の旋律を引用しており、そこからタイトルがつけられたことを明かす。第1楽章には「ノベル(小説)」、第2楽章には「スケルツォ」、第3楽章には「偉大な作曲家の思い出に」という副題が付いていたようだ。

休憩後に演奏開始。ヴィオラはピッチカートで始まる。深遠さと諧謔の精神を合わせ持ついつものショスタコーヴィチであるが、背後に何か得体の知れないものが感じられる。
第2楽章は、流麗な舞曲風の曲調。再びピッチカートの歩みが始まり、悲歌のようなものが歌い上げられて、再びピッチカートが姿を現す。

第3楽章には、「月光」ソナタからの引用と共に、自身の交響曲全15曲からの引用がさりげなくちりばめられてるのだが、それが発見されたのは、作曲者が亡くなってから大分経ってからであった。それほど巧妙に隠されていたということになる。ベートーヴェンをカモフラージュにして意識をそちらに向かわせるよう仕向けたのであろう。
「月光」からの引用はまずピアノに現れ、すぐにヴィオラが歌い交わす。
次第にピアノが叩きつけるような音に変わり、その上をヴィオラの月光の旋律が滑る。
ベートーヴェンの「月光」は、「神の歩み」「十字架」「ゴルゴダの丘」などを描写しているという説があるが、ショスタコーヴィチがそうしたことを知っていたのかどうかは不明である。

二人ともショスタコーヴィチの鋭さの中に優しさを含ませたかのような演奏。


アンコール演奏は1曲。聴いたことのない曲だったが、安達真理は、「なんの曲かは私のXをご覧下さい」と告げていた。確認すると、平野一郎の「あまねうた」という曲だったようだ。

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2024年10月12日 (土)

コンサートの記(860) 2024年度全国共同制作オペラ プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」京都公演 井上道義ラストオペラ

2024年10月6日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、2024年度全国共同制作オペラ、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。井上道義が指揮する最後のオペラとなる。
演奏は、京都市交響楽団。コンサートマスターは特別名誉友情コンサートマスターの豊島泰嗣。ダンサーを使った演出で、演出・振付・美術・衣装を担当するのは森山開次。日本語字幕は井上道義が手掛けている(舞台上方に字幕が表示される。左側が日本語訳、右側が英語訳である)。
出演は、ルザン・マンタシャン(ミミ)、工藤和真(ロドルフォ)、イローナ・レヴォルスカヤ(ムゼッタ)、池内響(マルチェッロ)、スタニスラフ・ヴォロビョフ(コッリーネ)、高橋洋介(ショナール)、晴雅彦(はれ・まさひこ。ベノア)、仲田尋一(なかた・ひろひと。アルチンドロ)、谷口耕平(パルピニョール)、鹿野浩史(物売り)。合唱は、ザ・オペラ・クワイア、きょうと+ひょうごプロデュースオペラ合唱団、京都市少年合唱団の3団体。軍楽隊はバンダ・ペル・ラ・ボエーム。

オーケストラピットは、広く浅めに設けられている。指揮者の井上道義は、下手のステージへと繋がる通路(客席からは見えない)に設けられたドアから登場する。

ダンサーが4人(梶田留以、水島晃太郎、南帆乃佳、小川莉伯)登場して様々なことを行うが、それほど出しゃばらず、オペラの本筋を邪魔しないよう工夫されていた。ちなみにミミの蝋燭の火を吹き消すのは実はロドルフォという演出が行われる場合もあるのだが、今回はダンサーが吹き消していた。運命の担い手でもあるようだ。

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オペラとポピュラー音楽向きに音響設計されているロームシアター京都メインホール。今日もかなり良い音がする。声が通りやすく、ビリつかない。オペラ劇場で聴くオーケストラは、表面的でサラッとした音になりやすいが、ロームシアター京都メインホールで聴くオーケストラは輪郭がキリッとしており、密度の感じられる音がする。京響の好演もあると思われるが、ロームシアター京都メインホールの音響はオペラ劇場としては日本最高峰と言っても良いと思われる。勿論、日本の全てのオペラ劇場に行った訳ではないが、東京文化会館、新国立劇場オペラパレス、神奈川県民ホール、びわ湖ホール大ホール、フェスティバルホール、ザ・カレッジ・オペラハウス、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール、フェニーチェ堺大ホールなど、日本屈指と言われるオペラ向けの名ホールでオペラを鑑賞した上での印象なので、おそらく間違いないだろう。

 

今回の演出は、パリで活躍した画家ということで、マルチェッロ役を演じている池内響に藤田嗣治(ふじた・つぐはる。レオナール・フジタ)の格好をさせているのが特徴である。

 

井上道義は、今年の12月30日付で指揮者を引退することが決まっているが、引退間際の指揮者とは思えないほど勢いと活気に溢れた音楽を京響から引き出す。余力を残しての引退なので、音楽が生き生きしているのは当然ともいえるが、やはりこうした指揮者が引退してしまうのは惜しいように感じられる。

 

歌唱も充実。ミミ役のルザン・マンタシャンはアルメニア、ムゼッタ役のイローナ・レヴォルスカヤとスタニスラフ・ヴォロビョフはロシアと、いずれも旧ソビエト圏の出身だが、この地域の芸術レベルの高さが窺える。ロシアは戦争中であるが、芸術大国であることには間違いがないようだ。

 

ドアなどは使わない演出で、人海戦術なども繰り出して、舞台上はかなり華やかになる。

 

 

パリが舞台であるが、19世紀前半のパリは平民階級の女性が暮らすには地獄のような街であった。就ける職業は服飾関係(グレーの服を着ていたので、グリゼットと呼ばれた)のみ。ミミもお針子である。ただ、売春をしている。当時のグリゼットの稼ぎではパリで一人暮らしをするのは難しく、売春をするなど男に頼らなければならなかった。もう一人の女性であるムゼッタは金持ちに囲われている。

 

この時代、平民階級が台頭し、貴族の独占物であった文化方面を志す若者が増えた。この「ラ・ボエーム」は、芸術を志す貧乏な若者達(ラ・ボエーム=ボヘミアン)と若い女性の物語である。男達は貧しいながらもワイワイやっていてコミカルな場面も多いが、女性二人は共に孤独な印象で、その対比も鮮やかである。彼らは、大学などが集中するカルチェラタンと呼ばれる場所に住んでいる。学生達がラテン語を話したことからこの名がある。ちなみに神田神保町の古書店街を控えた明治大学の周辺は「日本のカルチェラタン」と呼ばれており(中央大学が去り、文化学院がなくなったが、専修大学は法学部などを4年間神田で学べるようにしたほか、日本大学も明治大学の向かいに進出している。有名語学学校のアテネ・フランセもある)、京都も河原町通広小路はかつて「京都のカルチェラタン」と呼ばれていた。京都府立医科大学と立命館大学があったためだが、立命館大学は1980年代に広小路を去り、そうした呼び名も死語となった。立命館大学広小路キャンパスの跡地は京都府立医科大学の図書館になっているが、立命館大学広小路キャンパスがかなり手狭であったことが分かる。

 

ヒロインのミミであるが、「私の名前はミミ」というアリアで、「名前はミミだが、本名はルチア(「光」という意味)。ミミという呼び方は気に入っていない」と歌う。ミミやルルといった同じ音を繰り返す名前は、娼婦系の名前といわれており、気に入っていないのも当然である。だが、ロドルフォは、ミミのことを一度もルチアとは呼んであげないし、結婚も考えてくれない。結構、嫌な奴である。
ちなみにロドルフォには金持ちのおじさんがいるようなのだが、生活の頼りにはしていないようである。だが、ミミが肺結核を患っても病院にも連れて行かない。病院に行くお金がないからだろうが、おじさんに頼る気もないようだ。結局、自分第一で、本気でルチアのことを思っていないのではないかと思われる節もある。


「冷たい手を」、「私の名前はミミ」、「私が街を歩けば」(ムゼッタのワルツ)など名アリアを持ち、ライトモチーフを用いた作品だが、音楽は全般的に優れており、オペラ史上屈指の人気作であるのも頷ける。


なお、今回もカーテンコールは写真撮影OK。今後もこの習慣は広まっていきそうである。

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2024年9月10日 (火)

これまでに観た映画より(345) 「チャイコフスキーの妻」

2024年9月9日 京都シネマにて

京都シネマで、ロシア・フランス・スイス合作映画「チャイコフスキーの妻」を観る。キリル・セレブレンニコフ監督作品。音楽史上三大悪妻(作曲家三大悪妻)の一人、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの妻、アントニーナを描いた作品である。ちなみに音楽史上三大悪妻の残る二人は、ハイドンの妻、マリアと、モーツァルトの妻、コンスタンツェで、コンスタンツェは、世界三大悪妻の一人(ソクラテスの妻、クサンティッペとレフ・トルストイの妻、ソフィアに並ぶ)にも数えられるが、モーツァルトが余りにも有名だからで、この中では比較的ましな方である。

出演:アリョーナ・ミハイロワ、オーディン・ランド・ビロン、フィリップ・アヴデエフ、ナタリア・パブレンコワ、ニキータ・エレネフ、ヴァルヴァラ・シュミコワ、ヴィクトル・ホリニャック、オクシミロンほか。

主役のアントニーナを演じるアリョーナ・ミハイロワは、オーディションで役を勝ち取っているが、これぞ「ロシア美人」という美貌に加え、元々はスポーツに打ち込んでいた(怪我で断念)ということから身体能力が高く、バレエや転落のシーンなどもこなしており、実に魅力的。1995年生まれと若く、将来が期待される女優なのだが、ロシア情勢が先行き不透明なため、今後どうなるのか全く分からない状態なのが残念である。

芸術性の高い映画であり、瞬間移動やバレエにダンスなど、トリッキーな場面も多く見られる。映像は美しく、時に迷宮の中を進むようなカメラワークなども優れている。

冒頭、いきなりチャイコフスキー(アメリカ出身で、20歳でロシアに渡り、モスクワ芸術座付属演劇大学で学んだオーデン・ランド・ビロンが演じている)の葬儀が描かれる。チャイコフスキーの妻として葬儀に出向いたアントニーナは、チャイコフスキーの遺体が動くのを目の当たりにする。チャイコフスキーはアントニーナのことを難詰する。

神経を逆なでするような蝿の羽音が何度も鳴るが、もちろん伏線になっている。

チャイコフスキーとアントニーナの出会いは、アントニーナがまだ二十代前半の頃。サロンでチャイコフスキーを見掛けたのが始まりだった(ロシアの上流階級が、ロシア語ではなくフランス語を日常語としていた時代なので、この場ではフランス語が用いられている)。作曲家の妻になりたいという夢を持ったアントニーナは、チャイコフスキーが教鞭を執るモスクワ音楽院に入学。チャイコフスキーが教える実技演習を立ち聞きしたりする。しかし学費が続かず退学を余儀なくされたアントニーナは、より大胆な行動に出る。郵便局(でだろうか。この時代のロシア社会の構造についてはよく分からない)でチャイコフスキーの住所を教えて貰い、『ラブレターの書き方』という本を参考に、チャイコフスキーに宛てた熱烈な恋文を送る。
チャイコフスキーから返事が来た。そして二人はアントニーナの部屋で会うことになる。しかし、そこで見せた彼女の態度は、余りにも情熱的で思い込みが激しく、一方的で、自己評価も高く、チャイコフスキーも「あなたは舞い上がっている。自重しなさい」と忠告して帰ってしまう。そして彼女には虚言癖があった。「チャイコフスキーと出会った時にはチャイコフスキーのことを知らなかった」という意味のことをチャイコフスキーの友人達に語ったりとあからさまな嘘が目立つ。

一度は振られたアントニーナだが、ロシア正教のやり方で神に祈り、めげずに恋文を送る。そしてチャイコフスキーは会うことを了承した。チャイコフスキーは同性愛者であった。当時、ロシアでは「同性愛は違法」であり、有名人であるチャイコフスキーが同性愛者なのはまずいので、ロシア当局がチャイコフスキーに自殺を強要したという説がある。この説はソビエト連邦の時代となり、情報統制が厳しくなったので、真偽不明となっていたのだが、ソビエトが崩壊してからは、情報の網も緩み、西側で資料が閲覧可能になったということもあって、「本当らしい」ことが分かった。以降、チャイコフスキー作品の解釈は劇的に変わり、交響曲第6番「悲愴」は、初演直後に囁かれた「自殺交響曲」説(チャイコフスキーは、「悲愴」初演の9日後に他界。コレラが死因とされる。死の数日前にコレラに罹患する危険性の高い生水を人前で平然と口にしていたことが分かっている)を復活させたような演奏をパーヴォ・ヤルヴィやサー・ロジャー・ノリントンが行って衝撃を与えた。また交響曲第5番の解釈も変わり、藤岡幸夫はラストを「狂気」と断言している。荒れ狂い方が尋常でない交響曲第4番も更に激しい演奏が増え、人気が上がっている。ただ、同性愛を公にしていた人物もいたようで、この映画にも架空の人物と思われるが、一目でそっち系と分かる人も登場する。
チャイコフスキーは、「今まで女性を愛したことがない」と素直に告白。「それにもう年だし、兄妹のような静かで穏やかな愛の関係になると思うが、それでも良ければ同居しよう」とアントニーナの思いを受け入れる。二人は教会で結婚式を挙げた。チャイコフスキーには自分が同性愛者であることを隠す意図があった。

プーシキンの作品を手に入れたチャイコフスキー。サンクトペテルブルクから仕事の依頼があり、二人の愛の形をオペラとして書くことに決め、旅立つ。この時書かれたのが、プーシキンの長編詩を原作とした歌劇「エフゲニー・オネーギン」であることが後に分かる。
しかしチャイコフスキーは帰ってこなかった。モスクワで見せたアントニーナの行動が余りにも異様だったからだ。夫婦の営みがないことにアントニーナは不満でチャイコフスキーを挑発する。二人の生活は6週間で幕を下ろすことになった。
史実では、アントニーナとの結婚に絶望したチャイコフスキーは入水自殺を図っており、それがアントニーナが悪妻と呼ばれる最大の理由なのだが、そうしたシーンは出てこない。

アントニーナをモスクワ音楽院の創設者でもあるニコライ・ルビンシテイン(オクシミロン)が、チャイコフスキーの弟であるアナトリー(フィリップ・アヴデエフ)と共に訪れる。有名音楽家の来訪にアントニーナは舞い上がるが、チャイコフスキーの親友でもあるニコライは、チャイコフスキーと離婚するようアントニーナに告げに来たのだった。アナトリーは、キーウ(キエフではなくキーウの訳が用いられている)近郊に住む自分たちの妹のサーシャ(本名はアレクサンドラ。演じるのはヴァルヴァラ・シュミコワ)を訪ねてみてはどうかと提案する。サーシャの家に逗留するアントニーナは、サーシャから「兄は若い男しか愛さない」とはっきり告げられる。

離婚協議が始まる。当時のロシアは、離婚に厳しく、王室(帝室)か裁判所の許可がないと離婚は出来ない。また女性差別も激しく、夫の家に入ることが決まっており、そこから抜け出すのも一苦労であり、選挙権もないなど女性には権利らしい権利は一切与えられていなかった。アントニーナにも男達に激しく責められる日々が待ち受けていた。
チャイコフスキーの友人達は、離婚の理由を「チャイコフスキーの不貞」にしても良いからとアントニーナに迫るが、アントニーナは「私はチャイコフスキーの妻よ。別れさせることができるのは神だけよ!」と、頑として離婚に応じない。チャイコフスキーの友人達はチャイコフスキーは天才であり、天才は「なにをしても許されており」褒め称えられなければならない。凡人が天才の犠牲になるのは当然との考えを示す。元々、性格に偏りのあったアントニーナだが、チャイコフスキーとの再会を願って黒魔術のようなことを行う(当時のロシアでは主に下層階級の人々が本気で呪術を信じていた)など、次第に狂気の世界へと陥っていく……。

チャイコフスキーを描いた映画でもあるのだが、チャイコフスキー作品は余り使われておらず、ダニール・オルロフによるオリジナルの音楽が中心となる。最も有名なメロディーである「白鳥の湖」の情景の音楽はチャイコフスキーの友人達が旋律を口ずさむだけであり、本格的に演奏されるのは、オーケストラ曲は「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一部、またピアノ曲は「四季」の中の2曲をアントニーナが部分的に奏でるだけである。あくまでもアントニーナの映画だという意思表示もあるのだろう。

俳優の演技力、独自の映像美と展開などいずれもハイレベルであり、今年観た映画の中でもおそらくトップに来る出来と思われる。

アントニーナは本当に嫌な女なのだが、自分自身にもてあそばれているような様が次第に哀れになってくる。

ちなみにチャイコフスキーと別れた後の実際のアントニーナの生涯が最後に字幕で示される。彼女がチャイコフスキーと別れた後に再会するチャイコフスキーが幻影であることは映像でも示されているのだが、史実としてはアントニーナはチャイコフスキーと再会することなく(数回会ったという記録もあるようだが、正確なことは不明)、最後は長年入院していた精神病院で亡くなった。

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2024年8月 7日 (水)

コンサートの記(853) 井上道義指揮 京都市交響楽団第690回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2024年6月21日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第690回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は京響第9代常任指揮者兼音楽監督であった井上道義。井上の得意とするショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番(チェロ独奏:アレクサンドル・クニャーゼフ)と交響曲第2番「十月革命」(合唱:京響コーラス)の組み合わせ。明日はこれにショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番が加わる。

プレトークは開演の30分前が基本なのだが、今日は特別に開演10分前となっている。
井上道義は、「どうも井上です」と言いながら登場。「ショスタコーヴィチで完売になる日が来るなんて。今日は違います。明日です」
京都市交響楽団の音楽監督と務めたのがもう35年ほど前、京都コンサートホールが出来てから約30年(正確にいうと、1995年開場なので29年である)ということで時の流れの速さを井上は語る。あの頃は京響の宣伝のために燕尾服を着て鴨川に入った写真を撮ってテレホンカードにしたが、「今、テレホンカードなんて何の役にも立たない」

今ではショスタコーヴィチ演奏の大家となった井上であるが、ショスタコーヴィチの魅力に気づいたのは京響の音楽監督をしていた時代だそうで、京都会館でのことだそうである。ここから先は他の場所で話していたことになる。

以前に京都市交響楽団が本拠地としていた京都会館第1ホールは前川國男設計の名建築ではあるのだが、音響が悪いことで知られていた。音響の悪い原因は実ははっきりしており、なんとも京都らしい理由なのだが、ここには書かないでおく。井上は色々と試したのだが、何をやっても鳴らない。ただ唯一、ショスタコーヴィチだけはオーケストレーションが良いので音が通ったそうで、ショスタコーヴィチの凄さを知ったという。

ここで、今日、井上が語った内容に戻る。それまでは井上も、ショスタコーヴィチの音楽について、「重ったるい、暗い、社会主義的な音楽」だと思っていたのだが、いったん開眼するとそうではないことに気づいたという。明日演奏するチェロ協奏曲第2番についても、「クニャーゼフにも聞いたんだけど、暗い曲じゃない」。ただチェロ協奏曲第2番を演奏するのは明日なので、詳しくは明日話すことにするという。
ショスタコーヴィチの交響曲第2番「十月革命」は、ショスタコーヴィチが二十歳の時に書いた作品である(交響曲第1番は17歳で書いている)。この頃、ショスタコーヴィチは作曲家よりもピアニストに憧れていたというが、ショパン・コンクールでは入賞出来なかった。井上は客席に「二十歳以下の人」と聞く。結構手が上がるが、井上の見える範囲内では8人程度。「二十歳と言ったら(作曲家としては)まだ青二才です」
ショスタコーヴィチは「天才中の天才」と言える人で、「ソ連が生んだ初の天才作曲家」と言われているが、私の見るところ、「音楽史上最高の天才」で、おそらくモーツァルトよりも上である。ただモーツァルトの音楽が「天から降ってきた」ような音楽であるのに対し、ショスタコーヴィチの音楽は「あくまで人間が創造したもの」であるところが違う。
ロシア革命が起こり、それまでの体制が全てひっくり返る。若い人々がやる気に満ちている。井上は、「レーニンがみんな平等の社会を作ろうとした。ただ人間はそこまでクレバーじゃなかった。善意だけで国を作ろうとするとどうなるか」とその後のソ連の運命を暗示した。ただショスタコーヴィチが二十歳の頃のソ連は、世界のどこよりも自由で、ロシア・アヴァンギャルドなどの芸術が興り、何をどう表現してもいいような雰囲気に満ちていた。これはスターリンが台頭するまで続く。
無料パンフレットによると、ショスタコーヴィチはアレクサンドル・ベズィメンスキーの書いた「十月革命とレーニン礼賛」の詩を嫌っていたとあるが、井上はショスタコーヴィチはレーニンを尊敬していたと語った。
この曲ではサイレンが鳴るのだが、井上は、「サイレンが鳴りますがびっくりしないでね。心臓の悪い人、気をつけて」
この時代のショスタコーヴィチの音楽は、「まだ二枚舌じゃない」と井上は語り、「分かりやすい」とも付け加えた。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーには泉原隆志。チェロの客演首席には櫃本瑠音(ひつもと・るね)が入る。佐渡裕が創設したスーパーキッズオーケストラ出身のようである。
ティンパニは中山航介(打楽器首席)が皆勤状態だったのだが、今日は降り番。終演後にホールの外で京響の団員に「今日は中山さんどうされたんですか?」と聞いている人がいた。


ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番。私が初めて聴いたショスタコーヴィチの曲の1つである。聴いたのは高校1年生頃だっただろうか。今はソニー・クラシカルとなっているCBSソニーのベスト100シリーズの中に、レナード・バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックが東京文化会館で行ったショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏のライブ収録のものがあり、それにカップリングされていたのがショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番であった。ヨーヨー・マ(馬友友)のチェロ、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の伴奏。2曲とも今でもベスト演奏に挙げる人がいるはずである。
今回、チェロ独奏を務めるアレクサンドル・タニャーゼフはロシア出身。1990年のチャイコフスキー国際音楽コンクール(ヴァイオリン部門で諏訪内晶子が優勝して話題になった年である)チェロ部門で2位入賞。ロシア国内外の名指揮者と共演を重ねている。一方でオルガンも習得しており、バッハ作品などをオルガンで演奏して好評を博しているという。今、ロシアは戦争中であるため、具体的には書かないが色々と制約があるようである。タニャーゼフも以前はウクライナで何度も演奏を行っていたが、今は入ることも出来ないそうだ。ちなみに井上とタニャーゼフの初共演は20年前だそうで、タニャーゼフが20年前とはっきり覚えていたようである。

力強いが豪快と言うよりは粋な感じのチェロ独奏である。ロシアよりもフランスのチェリストに近い印象も受ける。ロシア音楽はフランス音楽を範としているため、フランス的に感じられてもそうおかしなことではない。歌は非常に深く印象的である。
指揮台なしのノンタクトで指揮した井上の伴奏もショスタコーヴィチらしい鋭さと才気に溢れた優れたものであった。

タニャーゼフのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第3番よりサラバンド。深々とした演奏であった。


ショスタコーヴィチの交響曲第2番「十月革命」。京響コーラスの合唱指揮(合唱指導)は大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者である福島章恭(あきやす)が務めている。京響コーラスを創設したのは実は井上道義である。
宇宙的な響きのする曲で、一体どうやったら二十歳でこんな曲が書けるのか全く分からない。井上と京響も迫力と透明感を合わせ持った名演を展開し、「これはえらいものを聴いてしまった」という印象を抱く。なお、井上道義指揮による2度目の「ショスタコーヴィチ交響曲全集」を制作する予定があり、ホールの前にはオクタヴィア・レコードのワゴンが停まっていて、ホール内には本格的なマイクセッティングが施されていた。
粛清の嵐を巻き起こしたソビエト共産党との関係の中で、ショスタコーヴィチはミステリアスでアイロニカルな作風を選ぶ、というより選ばざるを得なくなるのだが、もっと自由な世界に生まれていたらどんな音楽を生み出していたのだろうか。更なる傑作が生まれていたのか、あるいは名画「第三の男」のセリフにあるように、「ボルジア家の悪政下のイタリア、殺戮と流血の日々はルネサンスを開花させた。一方、スイス500年の平和と民主主義が何を生み出したか。鳩時計さ」という聴衆にとっては不幸なことになっていたのか。想像は尽きない。

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2024年4月29日 (月)

コンサートの記(842) ローム ミュージック フェスティバル 2024 オーケストラコンサートⅡ ショスタコーヴィチの真骨頂!「ピアノ協奏曲」&「革命」 三ツ橋敬子指揮 東京フィルハーモニー交響楽団、阪田知樹(ピアノ)

2024年4月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ローム ミュージック フェスティバル 2024 オーケストラ コンサートⅡ ショスタコーヴィチの真骨頂!「ピアノ協奏曲」&「革命」を聴く。午後4時開演。

ローム ミュージック フェスティバルはここ数年、毎年東京のオーケストラを招いているが、今年は東京フィルハーモニー交響楽団が選ばれた。指揮は東京フィルとの共演も多い三ツ橋敬子。
ナビゲーターは例年通り朝岡聡が務める。

オール・ショスタコーヴィチ・プログラムで、祝典序曲、ピアノ協奏曲第1番(ピアノとトランペット、弦楽オーケストラのための協奏曲。ピアノ独奏:阪田知樹、トランペット独奏:菊本和昭)、交響曲第5番「革命」の3曲が演奏される。

今日のコンサートマスターは近藤薫(男性)。ドイツ式の現代配置での演奏である。

日本一の大所帯である東京フィルハーモニー交響楽団。新星日本交響楽団を吸収合併したためで、楽団員は約160人と、通常のフル編成のプロオーケストラの倍近くいる。そのため、やろうと思えば同日同時間帯に2カ所で東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会を開くことも出来るが、リハーサル会場の関係もあって行われたことはないはずである。だが、一方が演奏会を開いている時に、もう一方はリハーサルを行っているといったようなことはよくあるようである。定期演奏会は渋谷のBunkamuraオーチャードホールで行っているが、このホールは音響が悪い上に安普請。場所がないところにシアターコクーンなどの文化施設を詰め込んだため、出演者にとっても使い勝手が悪いそうで、環境には恵まれていない。
いつの間にか日本最古のオーケストラということになっている東フィルであるが、本格的にオーケストラとして活動を始めたのは1938年になってからである。
オペラやバレエ上演の際にピットに入ることが多く、オペラで鍛えたカンタービレを最大の特徴とする。尾高忠明が若い頃から長年に渡って常任指揮者を務め、勇退する際には東フィルの財団理事長だったソニーの大賀典雄から名誉指揮者の称号を打診されるも、当時まだ若く「名誉指揮者は年寄りが名乗るもの」と考えていた尾高は、「桂冠指揮者でどうですか」と返し、大賀に「なんだそりゃお巡りか?」と言われたというエピソードが知られている。
チョン・ミョンフンがスペシャルアーティスティックアドバイザーを務めていた21世紀初頭に一時代を築き(現在は名誉音楽監督の称号を贈られている)、現在は首席指揮者に期待の若手、アンドレア・バッティストーニ、特別客演指揮者にミハイル・プレトニョフ、桂冠指揮者に尾高忠明と大野和士、ダン・エッティンガーと指揮者陣は充実している。ポピュラー音楽の仕事も多く、2013年と2014年には坂本龍一と「Playing the Orchestra」で共演している。2013年のアンコール演奏と、2014年の演奏会は坂本の指揮で演奏しており、東北ユースオーケストラと共に坂本が本格的に指揮した日本でただ2つのオーケストラの1つとなっている。
NHKとも関係が深く、FM放送での演奏や、「名曲アルバム」の収録、NHK紅白歌合戦の演奏なども務めている。そのためN響からの引き抜きがたまにあるとされている。

指揮者の三ツ橋敬子は、関西での演奏会に登場することも多く、お馴染みの存在である。「可愛すぎるマエストラ」と呼ばれることもある三ツ橋は、幼時から音楽の才能を発揮して地元では「天才少女」と呼ばれ、東京藝術大学と同大学院を修了。その後、ウィーン国立音楽大学とイタリアのキジアーナ音楽院に留学。海外での学歴は下野竜也と同じである。これまでに指揮を小澤征爾、小林研一郎、ジャンルイジ・ジェルメッティ、ハンス=マルティン・シュナイト、湯浅勇治、松尾葉子、高階正光に師事。第10回アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで日本人として初めて優勝。聴衆賞、ペドロッティ協会賞も受賞し最年少で3冠に輝く。第9回アルトゥーロ・トスカニーニ国際指揮者コンクールでは準優勝し、女性初の入賞者となっている。
華麗な経歴の持ち主であるが、楽団のポストには就いておらず、就いた経験もなく客演指揮者生活を続けている。東京フィルハーモニー交響楽団とは何度も共演しているが、声は掛かっていない。高いバトンテクニックを持ち、特にタクトを持たない左手の使い方が上手い。安定度が高く、何でも器用に指揮するが、本当は何が得意なのかはっきりしないところがあり、それがポストに恵まれない理由の一つなのかも知れない。

三ツ橋は左手を挙げながら登場する。

祝典序曲。東フィルの金管は輝かしい。昨日、関西の6つのオーケストラを立て続けに聴いたばかりだが、東フィルの金管は一段と煌めいている。弦にも威力があり、音に潤いがある。ショスタコーヴィチらしい才気も各所で表現された。


ピアノ協奏曲第1番。トランペットの独奏と弦楽の伴奏を伴う特殊な編成の協奏曲である。
ピアノ独奏の阪田知樹は、2016年フランツ・リスト国際ピアノコンクールで1位獲得に加えて6つの特別賞を受賞。2021年エリザベート王妃国際音楽コンクール・ピアノ部門で第4位入賞、19歳の時に受けた第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで最年少入賞を果たしている。キッシンゲン国際ピアノオリンピックでは日本人初となる第1位を獲得した。
トランペット独奏の菊本和昭は、元京都市交響楽団トランペット奏者で、現在はNHK交響楽団の首席トランペット奏者を務めている。京都市立芸術大学及び同大学院修了。フライブルク音楽大学、カールスルーエ音楽大学に学び、2002年の日本管打楽器コンクールで1位獲得。翌年の日本音楽コンクールでも第1位に輝き、合わせて増沢賞、E.ナカミチ賞、聴衆賞受賞。2004年に京都市交響楽団に入団し、2012年にNHK交響楽団に首席奏者として移籍している。大阪音楽大学では客員教授も務めている。

ナビゲーターの朝岡聡が登場し、ピアノ協奏曲第1番の解説を行う。作曲家兼ピアニストとして活動していたショスタコーヴィチは、優勝を目指して1927年の第1回ショパン国際ピアノコンクールに出場するが、優勝出来ず、名誉賞止まり。落胆したショスタコーヴィチはピアニストとしての活動よりも作曲家としての仕事に力を入れるようになる。その6年後に書かれたのがピアノ協奏曲第1番である。
第1楽章には、ベートーヴェンの「熱情」ソナタの冒頭がパロディーとして用いられ、途中にはハイドンのピアノ・ソナタの旋律も盛り込まれるなど、ショスタコーヴィチらしい諧謔の精神に満ちた作品である。

トランペットの菊本は指揮者の正面、第2ヴァイオリン最後列の少し後ろで立ったまま演奏する。
阪田はクリアなタッチを持ち味とするピアニストで、一音一音の輪郭がクッキリしている。
メカニックも冴え渡っており、誰がどう聴いても難しいパッセージも軽く弾きこなしてしまう。
ショスタコーヴィチの協奏曲は全体的に暗めの作風のものが多いのだが、この曲にはリリカルな部分や馬鹿騒ぎのような場面も存在し、ガラクタ箱をひっくり返したような面白さがある。
菊本のトランペットは音が輝かしく。ノリが良かった。

演奏終了後、阪田、菊本、朝岡が登場し、朝岡が「菊本さんが阪田さんに『あんたは凄い!』と言っていた」と明かす。菊本は「ずっと年下だけど尊敬出来る」と語る。阪田は今年30歳だが、菊本は「その歳の時、(自分は)こんなにしっかりしてたかな」と語っていた。
阪田は、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番について、「舞曲など色々な要素が出てくる」と分析していた。
菊本が第2ヴァイオリン最後列の後ろで吹いたことに関しては、リハーサル時はピアノの横、阪田の背中が見える場所に立って演奏したが、「生音過ぎる」というので後ろに引っ込むことにしたという。


交響曲第5番「革命」。「革命」というタイトルは作曲者が付けたものではなく、日本のレコード会社がセールスを上げるために命名したもので、他国では「革命」交響曲と言っても通じない。
朝岡の解説が入る。スターリンの時代になり、年間70万人が粛正されるようになった。音楽など文化面にも粛正の波は押し寄せ、ショスタコーヴィチの友人や知人も命を落とすようになる。ソビエト当局が気に入らないものを書けば即強制収容所送りか死刑である。そんな中、ソビエト共産党の機関紙である「プラウダ」紙上においてショスタコーヴィチの作品は「音楽の代わりに荒唐無稽」と批判されてしまう。それまで鮮烈な作風を発揮してきたショスタコーヴィチだが、自信作の交響曲第4番は先鋭的過ぎて危ないということで初演を取りやめ、ショスタコーヴィチは当局の方針に従って社会主義的リアリズムに基づいた明瞭な作品を作ることを決意。こうして交響曲第5番が書かれた。初演は大成功。のみならず世界中で称賛され、「20世紀最大のヒット曲」と呼ばれるまでになっている。ベートーヴェンの交響曲第5番の筋書きに則ったこの曲は、苦悩を経て皮相なまでの勝利に至るという分かりやすい展開と、当時まだ余り評価されていなかったマーラーを尊敬していたショスタコーヴィチ一流の迫力あるオーケストレーションが魅力である。
しかし、曲の内容はそう単純ではない。朝岡は、第1楽章にビゼーの歌劇「カルメン」の“ハバネラ”が隠れていることを指摘し、「自由」への意志が見え隠れてしていることを仄めかす。
また第3楽章は、スターリンに粛正された犠牲者へのレクイエムではないかとの見解を述べた。
今年の大河ドラマが『源氏物語』の作者である紫式部を主人公にした「光る君へ」ということで、同じ平安文学とされる「いろは歌」(空海作という説もある)を朝岡は挙げ、47文字1つも重なることなく作り上げた文学作品であるが、7文字ごとに切ると「とかなくてしす」となり、「罪なくて死す」つまり冤罪を訴える内容が隠されているのではないかという説があることを紹介し、ショスタコーヴィチも様々なメッセージを曲の中に隠している可能性があることを告げていた。

第1楽章。冒頭は迫力をそれほど出さず、流れ重視。低弦はさほど強調されず、ピラミッド型のバランスではない。管楽器はパワーと輝きがあり、弦楽も冴えている。“ハバネラ”を模した旋律はまずヴィオラに現れ、フルートとホルンが歌い交わす場面もある。
三ツ橋の指揮は、151㎝という小柄な体を補うように大きく伸び上がるもので、三ツ橋によると勢い余って指揮台から転げ落ちることもあるそうだが、私は幸いそうした場面には出くわしていない。ラスト付近の阿鼻叫喚の描写もよく整理されて迫力があった。

第2楽章は、マーラーの「巨人」交響曲の第2楽章を連想させる音楽で、皮肉を効かせた曲調がよく表されている。コンサートマスターのソロなどにレガートが用いられていたが、そうした譜面があるのか解釈として取り上げたのかは不明である。

第3楽章。繊細にして痛切な音楽である。ロームシアター京都メインホールはオペラ向けの音響仕様なのでオーケストラコンサートには余り向いておらず、弦楽のさざ波やその上につぶやかれるオーボエやクラリネットのソロの美しさは十分であったが、オーケストラコンサート仕様の会場だったらもっとリアルな響きがしたのではないだろうか。

第4楽章。三ツ橋はやや速めのテンポで演奏を開始。この楽章は、作曲家の指示通りに演奏するとちょいダサになるため、レナード・バーンスタインのように倍速にして格好良さを出す(作曲者の了承済み)演奏もあるのだが、あるいはダサさこそショスタコーヴィチが目論んだ揶揄なのかも知れず、判断が難しいところである。西側では皮相な凱歌と見なされたこの楽章であるが、ジョン・ウィリアムズの映画音楽にも通じる部分があるなど、ショスタコーヴィチの新しさも感じることが出来る。時折現れる悲壮な旋律は挽歌のようでもあり、ホルンの牧歌的なソロは、勝利した安心感というよりも、見果てぬ安住の地への憧れのように響き、ラストへ向かう進行も前に立ちはだかる何か巨大なものを感じさせ、勝利がまだ訪れていないことを暗示しているかのようである。

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2024年4月27日 (土)

コンサートの記(841) 第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」

2024年4月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後1時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」を聴く。関西に本拠地を置く6つのプロコンサートオーケストラが一堂に会するイベント。

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これまでは、大阪府内に本拠地を置く4つのオーケストラ(4オケ)の共演や合同演奏会を行ってきたのだが、今回は関西全域にまでエリアを拡大し、兵庫と京都から1つずつオーケストラが加わった。日本オーケストラ連盟の正会員となっている関西のオーケストラはこれで全てである。

以前、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長(現・事務局長)の福山修氏が大フィルの定期演奏会の前に行われるプレトークサロンで、6オケ共演の構想を話していたのだが、その時点では、「上演時間が長すぎる」というので保留となっていた。それが今日ようやく実現した。
ちなみに午後1時から午後6時過ぎまでの長丁場である。

出演順に参加楽団と演奏曲目を挙げていくと、山下一史指揮大阪交響楽団がリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団がエルガーのエニグマ変奏曲、下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)がアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」とベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団がシベリウスの交響曲第5番、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団がドビュッシーの3つの交響的素描「海」、沖澤のどか指揮京都市交響楽団がプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。


トップバッターの大阪交響楽団は、大阪のプロコンサートオーケストラの中では2番目に若い存在で、本拠地は大阪府堺市に置いている。定期演奏会場は大阪市北区のザ・シンフォニーホールであるが、堺市に新たな文化拠点であるフェニーチェ堺が出来たため、そちらでの公演も始めている。結成当初は大阪シンフォニカーと名乗っており、「シンフォニカー」はドイツ語で「交響楽団」を表す言葉であるが、シンフォニカーという言葉が日本に浸透しておらず、営業に行っても「カー」がつくので車の会社だと勘違いされたりしたため、大阪シンフォニカー交響楽団に改名。しかし、意味で考えると大阪交響楽団交響楽団となる名称に疑問の声も上がり、「なぜ大阪交響楽団じゃいけないの?」という話が各地で起こっていたということもあって、大阪交響楽団に改名して今に至っている。


今回出演するオーケストラの中で一番歴史が長いのが「大フィル」の略称でお馴染みの大阪フィルハーモニー交響楽団である。1947年に朝比奈隆を中心に関西交響楽団の名で結成。戦後の復興を音楽の面から支え続けたという歴史を持つ。1960年に、NHK大阪放送局(JOBK)が持っていた「大阪フィルハーモニー」の商標を朝比奈隆が買い取り、大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。定期演奏会の回数も1から数え直している。
朝比奈隆とは半世紀以上に渡ってコンビを組み、ブルックナー、ベートーヴェン、ブラームスなどドイツ音楽で強さを発揮してきた。京都帝国大学を2度出ている朝比奈隆の京大時代の友人が南海電鉄の重役になった縁で、西成区岸里(きしのさと)の南海の工場跡に大阪フィルハーモニー会館を建てて本拠地とし、練習場も扇町プールから移転している。
フェスティバルホールを定期演奏会場にしている唯一のプロオーケストラである。


兵庫芸術文化センター管弦楽団は、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターの座付きオーケストラとして2005年に創設された、今回登場するオーケストラの中で一番若い楽団である。しかも日本唯一の育成型オーケストラであり、楽団員は最長3年までの任期制で、その間に各自進路を決める必要がある。オーディションは毎年、世界各地で行われており、外国人のメンバーが多いのも特徴。愛称のPACオーケストラのPACは、「Performing Arts Center」の略である。結成以来、佐渡裕が芸術監督を務めている。毎年夏に、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われる佐渡裕芸術監督プロデュースオペラのピットに入るオーケストラである。


関西フィルハーモニー管弦楽団は、1970年に大阪フィルと決別した指揮者の宇宿允人(うすき・まさと)により弦楽アンサンブルのヴィエール室内合奏団として誕生。その後、管楽器を加えたヴィエール・フィルハーモニックを経て、1982年に関西フィルハーモニー管弦楽団に改称。事務所と練習場は大阪市港区弁天町にあったが、2021年にパナソニックの企業城下町として知られる大阪府門真市に本拠地を移転している。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールで、京都府城陽市や東大阪市などでも定期的に演奏会を行っている。


日本センチュリー交響楽団は、大阪センチュリー交響楽団の名で大阪府所管の大阪文化振興財団のオーケストラとして1989年に創設。大阪の参加楽団の中で最も若い。大阪府をバックとするオーケストラで、最初から良い人材が集まり、人気も評判も上々だったが、維新府政が始まると状況は一変。補助金がカットされ、楽団は大阪府から離れて日本センチュリー交響楽団と改称して演奏を続けている。中編成のオーケストラであり、小回りが利くのが特徴。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールだが、大阪府豊中市を本拠地としていることもあり、新しく出来た豊中市立文化芸術センターでも豊中名曲シリーズを行っている。


京都市交響楽団は、1956年創設の公立公営オーケストラ。以前は京都市直営だったが、今は外郭団体の運営に移行している。結成当初は編成も小さく、それでも演奏出来るモーツァルト作品の演奏に磨きをかけていたことから「モーツァルトの京響」と呼ばれた。音響の悪い京都会館第1ホールを定期演奏会場とするハンデを負っていたが、1995年に京都コンサートホールが開場し、そちらに定期演奏会場を移している。近年は京都会館を建て直したロームシアター京都での演奏も増えているほか、公営オーケストラということで、京都市内各地の市営文化会館での仕事もこなす。地方公演にも積極的で、大阪公演、名古屋公演も毎年行っている。
初期は常任指揮者を2、3年でコロコロと変えていたが、井上道義が第9代常任指揮者兼音楽監督として長期政権を担った頃から方針が変わり、第12代と第13代の常任指揮者を務めた広上淳一は人気、評価共に高く、計14年の長きに渡って君臨した。


正午開場で、12時40分頃から、指揮者全員出演によるプレトークがある。司会進行は朝日放送アナウンサーの堀江政生が務める。なお、指揮者のトークの時間は撮影可となっている。

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まず、大阪交響楽団(大響)の常任指揮者である山下一史から。山下は現在、大響常任指揮者の他に、千葉交響楽団と愛知室内オーケストラの音楽監督を兼任しており、東大阪で3楽団合同の演奏会も行っている。いずれも経営の厳しいオーケストラばかりだが、N響や都響、京響のような経済的に恵まれた楽団に関わるよりも危機を乗り越えることに生き甲斐を見出すタイプなのかも知れない。桐朋学園大学を経て、ベルリン芸術大学に進み、ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。ヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントとなり、カラヤンが急病になった際には、急遽の代役としてジーンズ姿でベルリン・フィルの指揮台に立ったという伝説がある(誇張されてはいるらしい)。
大阪交響楽団はこれまで、ミュージックアドバイザーや名誉指揮者を務めていた外山雄三が4オケの共演で指揮を担ってきたが、その外山が昨年死去。作曲家でもあった外山は多くの作品を残しており、オール外山作品の演奏会を今月行うことを山下は宣伝していた。


尾高忠明。大阪フィルの第3代音楽監督のほかに、NHK交響楽団の正指揮者を務める。海外での経験も多く、イギリスのBBCウェールズ交響楽団の首席指揮者として多くのレコーディングを行ったほか、オーストラリアのメルボルン交響楽団の首席客演指揮者も務めている。東京フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者、読売日本交響楽団名誉客演指揮者、札幌交響楽団名誉音楽監督、紀尾井シンフォニエッタ東京(現・紀尾井ホール室内管弦楽団)桂冠名誉指揮者など名誉称号も多く、日本指揮者界の重鎮的存在である。

尾高は、オーケストラが6つに増えたことについて、「来年は8つになるんじゃないか」と述べる。関西には日本オーケストラ連盟準会員の楽団として、オペラハウスの座付きだがザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(大阪府豊中市)、定期演奏会は少ないが奈良フィルハーモニー管弦楽団(奈良県大和郡山市)、歴史は浅いがアマービレフィルハーモニー管弦弦楽団(大阪府茨木市)、いずれも室内管弦楽団だが、テレマン室内オーケストラ(大阪市)、京都フィルハーモニー室内合奏団、神戸室内管弦団などがあり、反田恭平が組織したジャパン・ナショナル・オーケストラも大和郡山市を本拠地とするなど、プロ楽団は多い。
今日演奏するのはエルガーのエニグマ変奏曲だが、尾高はイギリスに行くまでエルガーが嫌いだったそうで、エニグマ変奏曲を勉強したことで好きに変わっていったそうだ。今では尾高といえばエルガー演奏の大家。変われば変わるものである。


今回の演奏会ではどのオーケストラも、楽団のシェフか重要なポストを得ている指揮者が指揮台に立つが、下野竜也は兵庫芸術センター管弦楽団のポストは得ていない。ということで、「本当は、(芸術監督の)佐渡裕がここにいなきゃいけないんですが」と下野は述べ、「どうしても予定が合わないということで、『毎年のように客演してるんだからお前が行け』ということで」指揮を引き受けたそうである。今年の3月で広島交響楽団の音楽総監督を勇退し、今はNHK交響楽団の正指揮者として活躍する下野。元々、NHKの顔である大河ドラマのオープニングテーマを毎年のように指揮して、N響との関係は良好だった。
NHK交響楽団の正指揮者は現在は、下野と尾高の二人だけであり、二人ともに同一コンサートの指揮台に立つことになる。
鹿児島生まれの下野竜也は、子どもの頃から音楽にいそしむ環境にあったわけではなく、音楽に接したのは中学校の吹奏楽部に入部した時から。大学も音大ではなく鹿児島大学教育学部音楽科に進み音楽の先生になるつもりだったが、指揮者になるという夢が捨てられず、卒業後に上京して桐朋学園の指揮者教室に通い、指揮者としてのキャリアをスタートさせている。朝比奈隆の下で、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮研究員をしていたこともあり、大阪でのキャリアも豊富である。
エストニアの現役の作曲家であるアルヴォ・ペルトが作曲した「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」は、イギリスの天才作曲家であるブリテンの追悼曲として書かれたもので、続いてブリテン本人が作曲した曲が続く。合間なしに演奏することを下野は告げた。


昨年の夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校出身の藤岡幸夫。慶應には中学から大学まで通っており、その間、シベリウス演奏の世界的権威であった渡邉暁雄に師事している。慶大卒業後にイギリスに渡り、英国立ノーザン音楽大学指揮科に入学して卒業。その後、15年ほどイギリスを活動の拠点としてきたが、今は日本に帰っている。関西フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を25年に渡って務め、現在は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者でもある。BSテレ東で放送中の「エンター・ザ・ミュージック」の司会(ナビゲーター)としてもクラシックファンにはお馴染みで、同番組のオープニングで語られる言葉をタイトルにした『音楽はお好きですか?』という著書も続編と合わせて2冊上梓している。

シベリウスの交響曲第5番は、藤岡が最も好きな曲だそうで、第1楽章のラストの「喜びの狂気」や「16羽の白鳥が銀のリングに見えた」というシベリウス本人の体験を交えつつ、「生きる喜び」を描いたこの楽曲の魅力や性質について語った。


神奈川県葉山町出身の飯森範親。公立高校の普通科から私立音大に進学という指揮者としては珍しいタイプである。高校時代には葉山町出身の先輩である尾高忠明に師事。桐朋学園大学指揮科に進んでいる。公立高校普通科出身で桐朋学園の指揮科に入ったのは飯森が初めてではないかと言われている。東京交響楽団正指揮者、ドイツ・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦弦楽団の音楽監督を経て、現在は日本センチュリー交響楽団の首席指揮者のほかに、パシフィックフィルハーモニア東京の音楽監督、群馬交響楽団常任指揮者、山形交響楽団桂冠指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督、東京佼成ウインドオーケストラの首席客演指揮者、中部フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者など多くのポジションに着いて多忙である。山形交響楽団の常任指揮者時代にアイデアマンとしての才能を発揮。「田舎のオーケストラ」というイメージだった山形交響楽団を「食と温泉の国のオーケストラ」として売り出し、映画「おくりびと」に山形交響楽団のメンバーと共に出演したり、ラ・フランスジュースをプロデュースしたりとあらゆる戦術で山形交響楽団をアピール。定期演奏会の会場を音響は優れているがキャパの少ない山形テルサに変え、その代わり1演目2回公演にするなど演奏回数増加とアンサンブル向上に寄与し、今や山形交響楽団はブランドオーケストラである。山形交響楽団とは「モーツァルト交響曲全集」を作成するなどレコーディングにも積極的である。現在、日本センチュリー交響楽団とは、「ハイドン・マラソン」という演奏会を継続しており、ハイドンの交響曲全曲録音が間近である。
自称であるが、演奏会前に指揮者が行うプレトークを最初に実施したのは飯森だそうである。山形交響楽団の常任指揮者時代だそうだ。

飯森は、藤岡の楽曲解説が長いのではないかと指摘するが、飯森の解説も長く、藤岡は隣にいた下野に何か囁いていた。
ドビュッシーの「海」は、飯森の亡くなった母が好きだった曲だそうで、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏による「海」(EMI)を愛聴していたそうである。飯森は別荘地としても有名な葉山町出身であるため相模湾が身近な存在であり、葉山の海とドビュッシーの「海」には似たところがあるそうだ。現在、大阪中之島美術館ではモネの展覧会をやっているが、印象派のモネとドビュッシーには共通点があることなどを述べていた。


ラストは、沖澤のどか。京都市交響楽団の第14代常任指揮者で、京響初の女性常任指揮者である。青森県生まれ。東京藝術大学と同大学院で尾高忠明、高関健らに師事。パーヴォ・ヤルヴィや広上淳一、下野竜也のマスタークラスでも学んだ。2007年の第19回アフィニス夏の音楽祭では下野竜也の指導の下、指揮研究員として在籍する。芸大在学中には井上道義に誘われてオーケストラ・アンサンブル金沢の指揮研究員として籍を置いていたこともある。芸大大学院修士課程修了後に渡独してハンス・アイスラー音楽大学ベルリン・オーケストラ指揮専攻修士課程を修了。2019年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、東京国際音楽コンクール指揮部門でも1位獲得。ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーに学び、ベルリン・フィルの芸術監督であるキリル・ペトレンコの助手も務めた。現在もベルリン在住である。
今回の出演者の中では飛び抜けて若い(二番目に若い下野の弟子という関係である)が、京響の常任指揮者には兼任しないことを条件に選ばれている。その後、セイジ・オザワ 松本フェスティバルの首席客演指揮者に就任しているが、夏の短期の音楽祭なので支障はないのだろう。
沖澤は、他の指揮者が話しなれていることに驚くが、藤岡は音楽番組の司会を務めているし、飯森はプレトークの先駆者、下野も京都と広島でトークを入れた子ども向けの音楽会シリーズを行っており、尾高もトーク入りのコンサートをよく開いている。
京都市交響楽団も定期演奏会の前にはプレトークを行っているが、沖澤が出演したのは4回ほど。トーク力が必要なオーケストラ・ディスカバリーというシリーズにも1回しか出演していない。
沖澤は、「ラスト」ということでラストに来るのは「死」という発想から死で終わる「ロメオとジュリエット」を選んだという話をした。また客席には「京都に来て下さい」とアピールした。


山下一史指揮大阪交響楽団によるリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲。
コンサートマスターは森下幸路。なお今日は、兵庫芸術文化センター管弦楽団と関西フィルハーモニー管弦楽団がチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキー・シフト)での演奏。その他はドイツ式の現代配置での演奏である。

大阪交響楽団は、重厚さが売りの大阪フィルや、音の密度の濃さで勝負するセンチュリー響とは違い、大阪のオーケストラの中ではあっさりとした味わいのアンサンブルが特徴であり、庶民的な響きとも言えたが、今回の「ばらの騎士」組曲では音が煌びやか且つしなやかで、以前とは別のアンサンブルに変貌したような印象を受ける。ここ数年、オペラ以外で大響の演奏は聴いていなかったのだが、児玉宏時代に様々な隠れた名曲の演奏、外山雄三時代に将来有望な若手指揮者の登用という他のオーケストラとは異なる路線を歩んだのがプラスになっているのかも知れない。
譜面台を置かず、ノンタクトにより暗譜で指揮した山下のオーケストラ捌きも見事だった。

演奏終了後にも外山雄三作品の演奏会をアピールした山下。トップバッターを務めることについては、「その後の演奏をずっと聴いていられる」というメリットを挙げた。その後に抽選会があり、くじ引きが行われて当選者には今後行われるコンサートのチケットが当たった。
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尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるエルガーのエニグマ変奏曲。コンサートマスターは須山暢大。
大阪フィルは他のオーケストラと比べて低弦部の音が明らかに太く大きい。朝比奈以来の伝統が今に息づいていることが分かる。他のオーケストラは摩天楼型だが、大フィルだけはピラミッド型のバランスである。
音に奥行きと深みがあり、これは大阪交響楽団からは感じられなかったものである。イギリスで活躍した尾高ならではの紳士の音楽が空間に刻まれていく。優雅なだけではない渋みにも溢れた音楽だ。

終演後のトーク。6つのオーケストラの共演を、これまでの4つオーケストラの共演と比べて、「短い曲が選ばれるので仕事としては楽になった」と尾高は述べる。階級社会であるイギリスにおいて、エルガーが労働者階級出身(楽器商の息子)で、上流階級の女性と結婚しようとして相手の両親から猛反対されたという話もしていた。
大フィルに関しては上手くなったと褒め称えていた。
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下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団。コンサートマスターはゲストの田野倉雅秋。
サックスの客演奏者として、京都を拠点にソロで活躍している福田彩乃の名前が見える。
エストニアの作曲家であるアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」。エストニア出身の名指揮者であるパーヴォ・ヤルヴィがよく取り上げることでも知られる。強烈なヒーリング効果を持つ曲調を特徴とするが、あるいはペルトの音楽はライブよりも録音で聴いた方が効果的かも知れない。
間を置かずにベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムが演奏される。200年以上に渡って「作曲家のいない国」などとドイツ語圏などから揶揄されてきたイギリスが久々に生んだ天才作曲家のベンジャミン・ブリテン。指揮者としても活躍し、自作のみならず他のクラシック作品の指揮も手掛けている。指揮者としてもかなり有能である。
シンフォニア・ダ・レクイエムは、大日本帝国政府から皇紀2600年(1940年)奉祝曲として各国の有名作曲家に依頼して書かれた曲の一つであるが、タイトルにレクイエムが入っていたため、「祝いの曲にレクイエムとは何事か」と政府から拒否され、演奏もされなかった。1956年になってようやくブリテン自身の指揮でNHK交響楽団により日本初演が行われている。
兵庫芸術文化センター管弦楽団は、任期3年までと在籍期間の短い奏者によって構成され、メンバーも次々に入れ替わるため、独自のカラーが生まれにくい。その分、指揮者の特性が出やすいともいえる。
若い奏者が多いからか、下野はいつもに比べてオーバーアクション。鋭い分析力を駆使して楽曲に切り込んでいく。各楽器の分離が良く、解像度が高くて音が細部まで腑分けされていく。オケを引っ張る力もなかなかだ。

演奏終了後のトークで、下野は、基本的にソリスト志望の人が多く集まっているため、最初はまとまりがなかったというような話をする。PACオーケストラは多くのオーケストラに人材を供給しており、京都市交響楽団でいえば首席トランペットのハラルド・ナエス、NHK交響楽団では首席オーボエの吉村結実が有名である。
「関西6オケ!」については下野は、「関西でしか出来ない企画」と述べる。東京にはプロコンサートオーケストラが主なものだけでも9つ。関東地方には埼玉県と栃木県を除く全県にプロのオーケストラ(非常設含む)があり、それぞれが忙しいということで一堂に会するのは無理である。
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藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団。コンサートマスターは客演の木村悦子。
日本とフィンランドのハーフで、シベリウスの世界的な権威として知られた渡邉暁雄の最後の愛弟子である藤岡幸夫。自身もシベリウスを得意としており、たびたびコンサートで取り上げ、関西フィルで1年に1曲7年掛けるというシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音が行われて「シベリウス交響曲全集」としてリリースされている。

喉に腫瘍が見つかり、手術を受けたシベリウス。腫瘍は陽性だったが、死を意識したシベリウスはその時の感情をそのまま曲にしたような交響曲第4番を発表。初演時には、「会場に曲を理解出来た人が一人もいなかった」と言われるほどだったが、自身の生誕50年を祝う演奏会のために書かれた交響曲第5番は一転して明るさに溢れた作品となった。初演は成功したが、シベリウス本人は出来に納得せず、大幅な改訂を実行。4楽章あった曲を3楽章にするなど構造をも変更する改作となった。そうして生まれた改訂版が現在、シベリウスの交響曲第5番として聴かれているものである。ちなみに初版はオスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団によって録音され、聴くことが出来る。

藤岡指揮の関西フィルは雰囲気作りが上手く、音に透明感があり、威力にも欠けていない。曲目によっては非力を感じさせることもある関西フィルだが、シベリウスの楽曲に関しては力強さはそれほど必要ではない。疾走感や神秘性なども適切に表現出来ていた。
藤岡は細部まで丁寧な音楽作り。奇をてらうことなくシベリウスの音楽を全身全霊で表現していた。
シベリウス作品は基本的に内省的であると同時にノーブルであるが、それがイギリスや日本で人気がある理由なのかも知れない。

東京生まれである藤岡(学者の家系である)は、東京は情報は多いが、文化度は大阪が上という話をされたと語る。日本初のクラシック音楽専用ホールは、大阪のザ・シンフォニーホール(1982年竣工)で、サントリーホール(1986年竣工)より先という話をする。その他の文化を見ても宝塚歌劇団があり、高校野球の聖地は甲子園で高校ラグビーは花園(東大阪市)と全て関西にあると例を挙げていた。
ちなみに日本初の本格的な音楽対応ホールも1958年竣工の旧フェスティバルホールで、東京文化会館がオープンするのはその2年後である。
なお、司会の堀江の息子である堀江恵太は関西フィルのアシスタント・コンサートマスターだそうで、今日は降り番で家で休んでいるという。
首席指揮者は、普通は1シーズンに20回ほど指揮台に立つが、藤岡の場合はその倍の40回は指揮しているそうで、共演回数は1000回を超えている可能性があるらしい。
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飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団によるドビュッシーの3つ交響的素描「海」。コンサートマスターは松浦奈々。フォアシュピーラー(アシスタントコンサートマスター)に田中佑子。飯森は譜面台を置かず暗譜での指揮である。バトンテクニックはかなり高い。
現在では管弦楽曲として屈指の人気を誇る曲だが、ドビュッシーが恋愛絡みで事件を起こした時期に発表されたものであり、そのせいで初演が成功しなかったことでも知られている。
日本センチュリー響はくっきりとした輪郭の響きを生む。たまにある曖昧さを抱えたドビュッシーではなく全てがクリアだ。音にキレがあり、スケールも大きすぎず小さすぎず中庸を行く。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による太洋を思わせるような名演奏があるが、それとは正反対の性格で、日本なら太平洋よりも日本海、イギリスなら北海といったような北の地方の海を連想させるような響きである。
音の密度の濃さは相変わらず感じられ、それが長所なのだが、「海」に関しては音の広がりがもう少し欲しくなる。

演奏終了後、飯森はホルンの新入りである鎌田渓志を呼ぶ。鎌田は鎌倉にある神奈川県立七里ヶ浜高校出身であるが、司会進行の堀江政生もまた七里ヶ浜高校出身で先輩後輩になるという話であった。
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沖澤のどか指揮京都市交響楽団によるプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。第2組曲を中心とした選曲である。コンサートマスターは泉原隆志。尾﨑平は降り番で、フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)には客演の岩谷弦が入る。
京都市交響楽団の音のパレットはどの楽団よりも豊かで、様々な表情に最適の音色を生み出すことが出来る。
「モンタギュー家とキャピュレット家」のブラスの威力と弦の厳格な表情、「少女ジュリエット」の楚々とした可憐さなどは同じ楽団が出している音とは思えないほど違う。
沖澤の指揮は女性らしく柔らかだが、出てくる音も威圧的ではなく、優しさや悲しみが自然に宿っている。「タイボルトの死」も迫力はあるが暴力的にはならない。「僧ローレンス」の慈しみに満ちた表情と音のグラデーションも理想的である。終曲である「ジュリエットの墓の前のロメオ」も鮮度と純度の高い音が空間を自然に満たしていく。感動の押し売り的なところは微塵もない。

プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」はバレエ音楽の最高傑作だけに全曲盤、組曲盤、抜粋盤含めて名録音は多いが(ロリン・マゼール盤、ヴァレリー・ゲルギエフの2種類の録音、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ盤、チョン・ミョンフン盤など)、1つだけ、今日の演奏に似た音盤がある。シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の抜粋盤(DECCA)で、美音を追求した演奏であり、ドラマ性重視の他の演奏に比べて異色だが、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の一つの神髄を突いた名盤である。私がデュトワ指揮の「ロメオとジュリエット」のCDを買ったのは高校生の頃だが、初めて聴いた時のことを懐かしく思い出した。

演奏終了後のトークで、堀江から「青森生まれで東京で学んだとなると関西には余り縁がないんじゃないですか」と聞かれた沖澤は、「修学旅行で京都に来ただけ。お上りさん」と答え、関西では「歩いているとよく話しかけられる」と文化の違いを口にしていた。今日、会場に来るときも「美術館どこですか?」と聞かれ、一緒に行ってそれから戻ってきたそうである。
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抽選であるが、当選した席は私の席のすぐ後ろ。だが、誰もいない。後ろにいた人が「帰った!」と言い、堀江も「帰った?」と呆れたように繰り返す。結局、無効となり、堀江が「帰るなよ、帰るなよ」とつぶやく中、再度くじが引かれた。

最後はこの公演に関わったスタッフ全員がステージ最前列に呼ばれ、拍手を受けていた。

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2023年2月 1日 (水)

コンサートの記(824) 鈴木優人指揮 京都市交響楽団第674回定期演奏会

2023年1月21日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第674回定期演奏会を聴く。指揮は古楽界のサラブレッドでもある鈴木優人。

バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の首席指揮者としてもお馴染みの鈴木優人だが、今回は20世紀に書かれたロシアの作品が並ぶ。プロコフィエフの交響曲第1番「古典交響曲」、ストラヴィンスキーの弦楽のための協奏曲ニ調、ラフマニノフの交響曲第2番。全員、亡命経験がある。


午後2時頃より、ステージ上で鈴木優人によるプレトークがある。鈴木は、今日の作曲家を若い順に並べたこと、また年の差が9歳ずつであることなどを述べ、プロコフィエフやストラヴィンスキーの一筋縄ではいかない諧謔性、そしてラフマニノフの交響曲第2番の美しさ、特に第3楽章の美しさについて語った。


今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターである会田莉凡。フォアシュピーラーに泉原隆志が入る。ドイツ式の現代配置をベースにしているが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄りに入り、その横に打楽器群が来る。
フルート首席奏者の上野博昭は、プロコフィエフとラフマニノフの両方に出演。クラリネット首席の小谷口直子は、美しいソロのあるラフマニノフのみの参加である。


プロコフィエフの交響曲第1番「古典交響曲」。鈴木の才能が飛び散る様が見えるような、生気に満ちた演奏となる。弦は軽みがあり煌びやか、管も軽快で、プロコフィエフがこの交響曲に込めた才気がダイレクトに伝わってくるような演奏である。


ストラヴィンスキーの弦楽のための協奏曲ニ調。
迷宮を進んでいくような第1楽章、華やかで祝典的だがどことなく陰りもある第2楽章。再び迷宮へと迷い込んだような第3楽章が緻密に演奏された。


ラフマニノフの交響曲第2番。鈴木らしい「気品」をもって演奏されるが、時に「荒ぶる」と書いてもいいほどの盛り上がりを見せる。「上品」と「豪快」の二項対立を止揚したようなラフマニノフであり、単に美しいだけでないパワフルさが示される。
第3楽章の小谷口直子のソロも理想的。こぼれそうな美音が憂いを込めて演奏される。無常観を砂糖でくるんだような甘悲しさが耳を満たす。
第4楽章の爆発力も素晴らしく、この曲が20世紀の大交響曲(良い意味でも悪い意味でも)であることが如実に示された。優れたラフマニノフ演奏であった。

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