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2025年3月 4日 (火)

コンサートの記(892) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 宇治演奏会2025

2025年2月21日 宇治市文化センター大ホールにて

午後7時から、宇治市文化センター大ホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団宇治演奏会を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者の大植英次。
大植と大阪フィルは今後、奈良県の大和高田さざんかホール大ホールで同一プログラムによる演奏を行った後、神戸国際会館こくさいホールで、阪神・淡路大震災30年メモリアルとなるコンサートを行う。その後、大阪フィルは、指揮者を音楽監督の尾高忠明に替えて、和歌山、彦根、姫路という3つの城下町での特別演奏会を行う予定である。城下町でのコンサートを企画するということは、大フィルのスタッフの中に城好きがいるのだと思われる(日本人でお城が嫌いという人は余りいないが)。

宇治市文化センター大ホールであるが、厳密に言うと、宇治市文化センターという複合文化施設の中にある宇治市文化会館の大ホールということになるようだが、長くなるので宇治市文化センター大ホールという表記に統一しているようだ。宇治市を主舞台とした武田綾乃の小説及び宇治市に本社を置く京都アニメーションによってアニメ化された「響け!ユーフォニアム」の聖地の一つとしても知られているようである。
以前にも、夏川りみのコンサートで訪れたことがあるのだが、とにかく交通が不便なところにある。駅からは遠く、公共の交通手段はバスしかないが、本数が少ない。私は歩くのは得意なので、京阪宇治駅から歩いて行くことにした。なお、駐車場はあるのでマイカーがある人は来られるようである。

延々と歩く。高さ制限があるため、目に付く大きな建物は宇治市役所のみである。京都府内2位となる人口を誇る宇治市。誇るとはいえ18万程度で、140万を超える京都市とは比べものにならない。その割には市役所は立派である。

宇治市文化センターは、登り坂の上、折居台という場所にある。周りは一戸建ての住宅が並んでいる。おそらく住民は皆、自家用車を使って移動しているのだろう。
大ホールは、約1300席で、音響設計などはなされておらず、残響は全くといっていいほどない。首席奏者には立派な椅子があてがわれているが、他の奏者はパイプ椅子に座っての演奏で、いつもとは勝手が違うようである。

入りであるが、かなり悪い。大植と大フィルのコンビはブランドであるが、宇治市文化センターは交通の便が余りに悪く、来たくても来られない人が多数いたと思われる。私のように足に自信があれば別だが、普通の人はあの坂を歩いて上りたいとは思わないだろう。
帰りであるが、バスがないので特別にJRおよび京阪宇治駅行きのシャトルバスが運行されるようであった(ちなみに有料である)。大フィルメンバーは駅までは送迎があったのか、帰りの京阪宇治線で楽器を背負った人々を何人か見かけた。

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曲目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:阪田知樹)とチャイコフスキーの交響曲第4番。

コンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。指揮台は高めのものが用いられていたが、おそらく大フィル所有のものの持ち込みだと思われる。

 

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
宇治市文化センター大ホールは響きが良くないが、その分、阪田の輪郭のはっきりとした清冽なピアニズムははっきりと分かる。華麗にして的確な表現である。
冒頭がゴージャスなことで知られるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番であるが、大植と大フィルは壮麗さは生かしながら外連味は抑えた伴奏。ただ響きが良くないので派手さが抑えられた可能性もある。
第2楽章のリリシズムなども印象的であった。
第3楽章のラストでは阪田が強靱にしてスケールの大きい、巌のような演奏を展開。大フィルも負けじと大柄な伴奏を行った。

阪田のアンコール演奏は、ラフマニノフ作曲・阪田知樹編曲の「ここは素晴らしいところ」。吹き抜ける風のようにリリカルで涼やかな曲と演奏である。
アンコール演奏の間、大植は下手袖に立って、演奏に耳を傾けていた。

 

チャイコフスキーの交響曲第4番。大植は譜面台を置かず、暗譜での指揮である。要所要所で指揮棒を持っていない左手を効果的に用いる指揮。
21世紀に入ってから、解釈がガラリと変わったチャイコフスキー。「ロシアの巨人」「愛らしいバレエ音楽と交響曲の作曲家」から、「時代の犠牲となった悲劇の天才作曲家」へとイメージが変わりつつある。昨年は、ロシア映画「チャイコフスキーの妻」が日本でも公開され、実生活では英雄とは呼べなかったチャイコフスキー像を目にした人も多かったと思われる。ソ連時代は「聖人君子」的存在であったのが、ロシア本国でも次第に「人間チャイコフスキー」へと変化しているのが分かる。

大植は、冒頭の運命の主題を力強く吹かせた後で、弦楽などを暗めに弾かせて、最初から悲劇的色彩を濃くする。強弱もかなり細かく付けている印象である。
孤独なつぶやきのような第2楽章。同じテーマが何度か繰り返されるが、大植はテンポを落とすなど、次第に寂寥感が増すように演奏していた。
第3楽章は、弦楽がピッチカートのみで演奏するという特異な楽章であるが、音響の面白さと同時に、明るいはずの管の響きもどことなく皮肉や絵空事に聞こえるようである。
盛大に奏でられる第4楽章。「小さな白樺」のメロディーが何度か登場するが、やはり次第に精神のバランスを欠いていくような印象を受ける。そして最後はやけになったとしか思えない馬鹿騒ぎ。チャイコフスキーは、交響曲第3番「ポーランド」までは叙景詩的な曲調を旨としていたのだが、交響曲第4番からいきなり趣向を変えて、以後、最後の交響曲となった第6番「悲愴」まで、苦悩を題材とした人間ドラマを曲に込めるようになる。その第1弾である交響曲第4番は、「第5番や第6番『悲愴』に比べると粗い」などと言われてきたが、実際にはチャイコフスキーが自身の煩悶が最もダイレクトに出した曲であるようにも思われ、評価が上がりそうな予感がある。本当に粗いならチャイコフスキーなら直しただろうが、それをしていないということは本音の吐露なのだろう。

 

大植は、「宇治の皆さんありがとうございました。アンコール演奏を行っていいですか?」と客席に聞き、「チャイコフスキーの『くるみ割り人形』よりマーチ。(コンサートマスターの須山に)なんていうんだっけ? 行進曲」と言って演奏開始。安定した演奏であった。

 

大和高田さざんかホール大ホールでも同一演目による演奏家が行われる訳だが、大和高田さざんかホールは、小ホールで萩原麻未のピアノリサイタルを聴いたことがある。傾斜なし完全平面の客席のシューボックス型ホールで、ピアノ演奏などを主とするホールとしては、これまで聴いた中で最高の音響であった。大ホールはまた勝手が違うかも知れないが、おそらく音響は良いのだろう。宇治で聴くより良いかもしれないが、大和高田はやはり少し遠い。

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2025年2月27日 (木)

コンサートの記(891) 準・メルクル指揮 京都市交響楽団第697回定期演奏会

2025年2月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第697回定期演奏会を聴く。指揮は、日独ハーフの準・メルクル。

NHK交響楽団との共演で名を挙げた準・メルクル。1959年生まれ。ファーストネームの漢字は自分で選んだものである。N響とはレコーディングなども行っていたが、最近はご無沙汰気味。昨年、久しぶりの共演を果たした。近年は日本の地方オーケストラとの共演の機会も多く、京響、大フィル、広響、九響、仙台フィルなどを指揮している。また非常設の水戸室内管弦楽団の常連でもあり、水戸室内管弦楽団の総監督であった小澤征爾の弟子でもある。
現在は、台湾国家交響楽団音楽監督、インディアナポリス交響楽団音楽監督、オレゴン交響楽団首席客演指揮者と、アジアとアメリカを中心に活動。今後は、ハーグ・レジデエンティ管弦楽団の首席指揮者に就任する予定で、ヨーロッパにも再び拠点を持つことになる。これまでリヨン国立管弦楽団音楽監督、ライプツィッヒのMDR(中部ドイツ放送)交響楽団(旧ライプツィッヒ放送交響楽団)首席指揮者、バスク国立管弦楽団首席指揮者、マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督(広上淳一の前任)などを務め、リヨン国立管弦楽団時代にはNAXOSレーベルに「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音。ラヴェルも「ダフニスとクロエ」全曲を録れている。2012年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエ賞を受賞。国立(くにたち)音楽大学の客員教授も務め、また台湾ユース交響楽団を設立するなど教育にも力を入れている。

 

曲目は、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲(ピアノ独奏:アレクサンドラ・ドヴガン)とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:京響コーラス)。
「ダフニスとクロエ」は、組曲版は聴くことが多いが(特に第2組曲)全曲を聴くのは久しぶりである。
今日はポディウムを合唱席として使うので、いつもより客席数が少なめではあるが、チケット完売である。

 

午後2時頃から、準・メルクルによるプレトークがある。英語によるスピーチで通訳は小松みゆき。日独ハーフだが、日本語の能力については未知数。少なくとも日本語で流暢に喋っている姿は見たことはない。同じ日独ハーフでもアリス=紗良・オットなどは日本語で普通に話しているが。ともかく今日は英語で話す。
ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲だが、パガニーニの24のカプリースより第24番の旋律(メルクルがピアノで弾いてみせる)を自由に変奏するが、変奏曲ではなく狂詩曲なので、必ずしも忠実な変奏ではなく他の要素も沢山入れており、有名な第18変奏はパガニーニから離れて、「世界で最も美しい旋律の一つ」としていると語る。私が高校生ぐらいの頃、というと1990年代初頭であるが、KENWOODのCMで「ピーナッツ」のシュローダーがこの第18変奏を弾くというものがあった。おそらく、それがこの曲を聴いた最初の機会であったと思う。
「ダフニスとクロエ」についてであるが、19世紀末のフランスでバレエが盛んになったが、音楽的にはどちらかというと昔ならではのバレエ音楽が作曲されていた。そこにディアギレフがロシア・バレエ団(バレエ・リュス)と率いて現れ、ドビュッシーやサティ、ストラヴィンスキーなどに新しいバレエ音楽の作曲を依頼する。ラヴェルの「ダフニスとクロエ」もディアギレフの依頼によって書かれたバレエ曲である。演奏時間50分強とラヴェルが残した作品の中で最も長く(バレエ音楽としては長い方ではないが)、特別な作品である。バレエ音楽としては珍しく合唱付きで、また歌詞がなく、「声を音として扱っているのが特徴」とメルクルは述べた。またモチーフライトに関しては「愛の主題」をピアノで奏でてみせた。
また笛を吹く牧神のパンに関しては、元々は竹(日本語で「タケ」と発音)で出来ていたフルートが自然の象徴として表しているとした。

往々にしてありがちなことだが、バレエの場合、音楽が立派すぎると踊りが負けてしまうため、敬遠される傾向にある。「ダフニスとクロエ」も初演は成功したが、ディアギレフが音楽がバレエ向きでないと考えたこともあって、この曲を取り上げるバレエ団は続かず、長らく上演されなかった。
現在もラヴェルの音楽自体は高く評価されているが、基本的にはコンサート曲目としてで、バレエの音楽として上演されることは極めて少ない。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。フルート首席の上野博昭はラヴェル作品のみの登場である。今日のヴィオラの客演首席は佐々木亮、チェロの客演首席には元オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。チェレスタにはお馴染みの佐竹裕介、ジュ・ドゥ・タンブルは山口珠奈(やまぐち・じゅな)。

 

ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲。ピアノ独奏のアレクサンドラ・ドヴガンは、2007年生まれという、非常に若いピアニストである。モスクワ音楽院附属中央音楽学校で幼時から学び、2015年以降、世界各地のピアノコンクールに入賞。2018年には、10歳で第2回若いピアニストのための「グランド・ピアノ国際コンクール」で優勝している。ヒンヤリとしたタッチが特徴。その上で華麗なテクニックを武器とするピアニストである。
メルクルは敢えてスケールを抑え、京響の輝かしい音色と瞬発力の高さを生かした演奏を繰り広げる。ロシアのピアニストをソリストに迎えたラフマニノフであるが、アメリカ的な洗練の方を強く感じる。ドヴガンもジャズのソロのように奏でる部分があった。

ドヴガンのアンコール演奏は、ショパンのワルツ第7番であったが、かなり自在な演奏を行う。溜めたかと思うと流し、テンポや表情を度々変えるなどかなり即興的な演奏である。クラシックの演奏のみならず、演技でも即興性を重視する人が増えているが(第十三代目市川團十郎白猿、草彅剛、伊藤沙莉など。草彅剛と伊藤沙莉はインタビューでほぼ同じことを言っていたりする。二人は共演経験はあるが、別に示し合わせた訳ではないだろう)、今後は表現芸術のスタイルが変わっていくのかも知れない。
今まさにこの瞬間に生まれた音楽を味わうような心地がした。

 

ラヴェルの音楽「ダフニスとクロエ」全曲。舞台上に譜面台はなく、準・メルクルは暗譜しての指揮である。
パガニーニの主題による狂詩曲の時とは対照的に、メルクルはスケールを拡げる。京都コンサートホールは音が左右に散りやすいので、最初のうちは風呂敷を広げすぎた気もしたが次第に調整。京響の美音を生かした演奏が展開される。純音楽的な解釈で、あくまで音として聞かせることに徹しているような気がした。その意味ではコンサート的な演奏である。
京響の技術は高く、音は輝かしい。メルクルの巧みなオーケストラ捌きに乗って、密度の濃い演奏を展開する。リズム感も冴え、打楽器の強打も効果を上げる。

ラストに更に狂騒的な感じが加わると良かったのだが(ラヴェルはラストでおかしなことを要求することが多い)、「純音楽的」ということを考えれば、避けたのは賢明だったかも知れない。オーケストラに乱れがない方が良い。
ポディウムに陣取った京響コーラスも優れた歌唱を示した。

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2024年12月28日 (土)

これまでに観た映画より(360) National Theatre Live「ワーニャ(Vanya)」

2024年11月14日 大阪の扇町キネマにて

大阪の・扇町キネマで、National Theatre Live「ワーニャ(Vanya)」を観る。チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を、ロイヤル・コート劇場のアソシエイト劇作家でマンチェスター・メトロポリタン大学の脚本教授でもあるサイモン・スティーヴンス(1971年生まれ。ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作プレイ賞やトニー賞プレイ部門最優秀作品賞を受賞した経験がある)が一人芝居用にリライト(翻案&共同クリエイターとクレジットされている)した作品。演出&共同クリエイターはサム・イェーツ(1983年生まれ)。
1976年生まれのアイルランド出身の俳優で、イギリス映画「異人たち」(原作:山田太一 『異人たちとの夏』)、英国のTVドラマ「SHERLOCK」やNetflix配信ドラマ「リプリー」で知られるアンドリュー・スコット(2019年にローレンス・オリヴィエ最優秀主演男優賞を受賞)が、一人で9役を演じ分ける。突然変わるため、すぐには誰の役なのか分からないところも多い。
2024年2月22日、ロンドンのデューク・オブ・ヨークス劇場での収録。上演時間は休憩込みの117分である(映画版には休憩時間はない)。ローレンス・オリヴィエ賞最優秀リバイバル賞受賞作。

チェーホフの「ワーニャ伯父さん」は、チェーホフの四大戯曲の一つなのだが、「かもめ」、「三人姉妹」、「桜の園」の三作品に比べると地味な印象が強く、上演機会も4つの作品の中では一番少ないはずである。それでも濱口竜介監督の映画「ドライブ・マイ・カー」では西島秀俊演じる舞台俳優兼演出家の主人公・家福が積極的に取り上げる作品として、一時、注目を浴びた。
ワーニャというのはイワンの相性で、英語版なのでアイヴァンという名で呼ばれている。47歳。なんと今の私よりも年下である。ちなみにチェーホフは44歳と若くして他界しているので、この歳にはたどり着けていない。
ワーニャ伯父さんは、大学教授のアレクサンドルに心酔し、支援を惜しまなかったが、結局は、アレクサンドルに失望し、怒りの余り発砲騒ぎを起こしてしまって、姪のソーニャ(今回の劇での役名はソニア)が慰めるという物語である。ちなみにソーニャについては、戯曲にはっきりと「器量が良くない」との記述がある。

今回は舞台を現代のアイルランドに置き換え、アレクサンドルはアレクサンダーという名で映画監督という設定に変わっている。ちなみに医師のマイケル(原作ではミハイル)はテニスボールをつくという謎の癖がある。
チェーホフというと「片思い」の構図が有名で、「かもめ」では好きな人は別の人を好きという片思いの連鎖が見られるのだが、「ワーニャ伯父さん」でも片思いが見られ、今回の「ワーニャ」にもそのまま反映されている。
中央にドアがあり(デザイン&共同ディレクター:ロザンナ・ヴァイズ)、それを潜った時に人物が変わることが多いが、それ以外にも突然、別人になるなど、一貫性があるわけではない。

アイヴァンは、アレクサンダーの映画監督としての才能に惚れ、援助を惜しまず、作品はセリフを全て覚えるほど何度も観たが、今はアイヴァンはアレクサンダーを「詐欺師」だと思っている。アレクサンダーは「国民的映像作家」と呼ばれたこともあったようなのだが、17年に渡ってスランプに陥っており、作品を発表出来ていない。アイヴァンの妹のアナがアレクサンダーの妻だったのだが、アナは若くして他界。アレクサンダーはヘレナという二番目の妻と一緒になっている。そのアレクサンダーとヘレナがアイヴァンの住む屋敷に長きに渡って滞在している。ヘレナはいい女のようで、アイヴァンも、主治医のマイケルも思いを寄せている。マイケルは特に診察が必要な訳でもないのに、毎日のようにヘレンが現在いるアイヴァンの家を訪ねてくる。

一人の俳優が男性女性問わず、入れ替わりながら演じることで、俳優、おいては人間の多面性が浮かび上がることになる。何の前ぶれもなくいきなり変わるので、正直、すぐに誰にチェンジしたのかは分かりにくいのだが、要所要所でははっきり分かるよう示されている。

ある男が将来を賭けてある人物に期待したのに、実態はろくでもない人間だった。地位に騙された。もし彼のために費やした歳月を自分のために使っていたのなら、自分も一廉の人物に――なれたかどうかは分からないのだが――アイヴァン(イワン、ワーニャ)はそう思っており、最終的には発砲事件を起こして、自己嫌悪に陥る。ソーニャ(ソニア)がそれでも生きていくことの大切さを説くという、現在でも多くの人々が抱えている問題を描いたチェーホフの筆致は、他の戯曲ほどではないが冴えているように思う。ちなみに発砲はライフルを用い、実際の発砲音に近い音が用いられている。

アンドリュー・スコットはコミカルな表現も得意なようで、デューク・オブ・ヨークス劇場の客席からは、しばしば爆笑の声が聞こえる。

様々な表情で多くの人物を演じていくアンドリュー・スコットであるが、ラストのソニアのメッセージは誠実さをもって語られ、「何があっても生きていかなければならない」という人間の業と宿命と、ある種の希望が示される。

複数の人物が登場する戯曲を一人芝居に置き換えるというのは、さほど珍しいことではないが、一人芝居というのは、文字通り、ステージ上に一人しかいないため、誤魔化しが利かないということと、役者に魅力を感じなかった場合、客が付いてこないというリスクがある。複数の俳優が出ている芝居だったら、中には気に入る役者が一人はいるかも知れないが、一人芝居は一人しかいないので一人で惹きつけるしかない。その点で、アンドリュー・スコットはユーモアのセンスとイケオジ的雰囲気を前面に出して成功していたように思う。

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2024年11月 4日 (月)

観劇感想精選(474) NODA・MAP第27回公演「正三角関係」

2024年9月19日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後7時から、JR大阪駅西口のSkyシアターMBSで、NODA・MAP第27回公演「正三角関係」を観る。SkyシアターMBSオープニングシリーズの1つとして上演されるもの。
作・演出・出演:野田秀樹。出演:松本潤、長澤まさみ、永山瑛太、村岡希美、池谷のぶえ、小松和重、竹中直人ほか。松本潤の大河ドラマ「どうする家康」主演以降、初の舞台としても注目されている。
衣装:ひびのこずえ、音楽:原摩利彦。

1945年の長崎市を舞台とした作品で、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と、長崎原爆が交錯する。「欲望という名の電車」も長崎に路面電車が走っているということで登場するが、それほど重要ではない。

元花火師の唐松富太郎(からまつ・とみたろう。『カラマーゾフの兄弟』のドミートリイに相当。松本潤)は、父親の唐松兵頭(ひょうどう。『カラマーゾフの兄弟』のフョードルに相当。竹中直人)殺しの罪で法廷に掛けられる。主舞台は長崎市浦上にある法廷が中心だが、様々な場所に飛ぶ。戦中の法廷ということで、法曹達はNHK連続テレビ小説「虎に翼」(伊藤沙莉主演)のような法服(ピンク色で現実感はないが)を着ている。
検察(盟神探湯検事。竹中直人二役)と、弁護士(不知火弁護士。野田秀樹)が争う。富太郎の弟である唐松威蕃(いわん。『カラマーゾフの兄弟』のイワン=イヴァンに相当。永山瑛太)は物理学者を、同じく唐松在良(ありよし。『カラマーゾフの兄弟』のアレクセイ=アリョーシャに相当。長澤まさみ)は、神父を目指しているが今は教会の料理人である。
富太郎は、兵頭殺害の動機としてグルーシェニカという女性(元々は『カラマーゾフの兄弟』に登場する悪女)の名前を挙げる。しかし、グルーシェニカは女性ではないことが後に分かる(グルーシェニカ自体は登場し、長澤まさみが二役、それも早替わりで演じている)。

『カラマーゾフの兄弟』がベースにあるということで、ロシア人も登場。ロシア領事官ウワサスキー夫人という噂好きの女性(池谷のぶえ)が実物と録音機の両方の役でたびたび登場する。また1945年8月8日のソビエトによる満州侵攻を告げるのもウワサスキー夫人である。

戦時中ということで、長崎市の上空を何度もB29が通過し、空襲警報が発令されるが、長崎が空襲を受けることはない。これには重大な理由があり、原爆の威力を確認したいがために、原爆投下候補地の空襲はなるべく抑えられていたのだ。原爆投下の第一候補地は実は京都市だった。三方を山に囲まれ、原爆の威力が確認しやすい。また今はそうではないが、この頃はかつての首都ということで、東京の会社が本社を京都に移すケースが多く見られ、経済面での打撃も与えられるとの考えからであった。しかし京都に原爆を落とすと、日本からの反発も強くなり、戦後処理においてアメリカが絶対的優位に立てないということから候補から外れた(3発目の原爆が8月18日に京都に落とされる予定だったとする資料もある)。この話は芝居の中にも登場する。残ったのは、広島、小倉、佐世保、長崎、横浜、新潟などである。

NODA・MAPということで、歌舞伎を意識した幕を多用した演出が行われる。長澤まさみが早替わりを行うが、幕が覆っている間に着替えたり、人々が周りを取り囲んでいる間に衣装替えを行ったりしている。どのタイミングで衣装を変えたのかはよく分からないが、歌舞伎並みとはいえないもののかなりの早替わりである。

物理学者となった威蕃は、ある計画を立てた。ロシア(ソ連)と共同で原爆を作り上げるというものである。8月6日に広島にウランを使った原爆が落とされ、先を越されたが、すぐさま報復としてニューヨークのマンハッタンにウランよりも強力なプルトニウムを使った原爆を落とす計画を立てる。しかしこれは8月8日のソビエト参戦もあり、上手くいかなかった。そしてナガサキは1945年8月9日を迎えることになる……。

キャストが実力派揃いであるため、演技を見ているだけで実に楽しい。ストーリー展開としては、野田秀樹の近年の作品としては良い部類には入らないと思われるが、俳優にも恵まれ、何とか野田らしさは保たれたように思う。

NODA・MAP初参加となる松潤。思ったよりも貫禄があり、芝居も安定している。大河の時はかなりの不評を買っていたが、少なくとも悪い印象は受けない。

野心家の威蕃を演じた永山瑛太は、いつもながらの瑛太だが、その分、安心感もある。

長澤まさみは、今は違うが若い頃は、長台詞を言うときに目を細めたり閉じたりするという癖があり、気になっていたが、分かりやすい癖なので誰かが注意してくれたのだろう。あの癖は、いかにも「台詞を思い出しています」といった風なので、本来はそれまでに仕事をした演出家が指摘してあげないといけないはずである。主演女優(それまでに出た舞台は2作とも主演であった)に恥をかかせているようなものなのだから避けないといけなかった。ただそんな長澤まさみも舞台映えのする良い女優になったと思う。女優としては、どちらかというと不器用な人であり、正直、好きなタイプの女優でもないのだが、評価は別である。大河ドラマ「真田丸」では、かなり叩かれていたが、主人公の真田信繁(堺雅人)が入れない場所の視点を担う役として頑張っていたし、何故叩かれるのかよく分からなかった。

竹中直人も存在感はあったが、重要な役割は今回は若手に譲っているようである。
たびたび怪演を行うことで知られるようになった池谷のぶえも、自分の印を確かに刻んでいた。


カーテンコールは4度。3度目には野田秀樹が舞台上に正座して頭を下げたのだが、拍手は鳴り止まず、4回目の登場。ここで松潤が一人早く頭を下げ、隣にいた永山瑛太と長澤まさみから突っ込まれる。
最後は、野田秀樹に加え、松本潤、長澤まさみ、永山瑛太の4人が舞台上に正座してお辞儀。ユーモアを見せていた。

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2024年10月30日 (水)

コンサートの記(865) シャルル・デュトワ指揮 九州交響楽団第425回定期演奏会

2024年10月23日 福岡・天神のアクロス福岡シンフォニーホールにて

博多へ。

午後7時から、アクロス福岡シンフォニーホールで、九州交響楽団の第425回定期演奏会を聴く。指揮は九州交響楽団(九響)初登場のシャルル・デュトワ。
デュトワは、6月に来日して、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団と札幌交響楽団を指揮する予定だったが、体調不良によりキャンセルしてヨーロッパに帰っていた。だが、年内に再び来日して、九州交響楽団、そして名誉音楽監督を務めるNHK交響楽団を指揮することになった。
デュトワが九響を指揮することになった経緯は明らかではないが(おそらく依頼したら承諾してくれたという単純な理由ではないかと思われるのだが)、九州の人々にとっては思いも掛けない僥倖であったと思われる。今丁度、東京では97歳になったヘルベルト・ブロムシュテットが、桂冠名誉指揮者を務めるNHK交響楽団を指揮していて話題になっているが、88歳になったばかりのデュトワの指揮する九響のコンサートもそれに負けないほどの話題となっている。

今更デュトワの紹介をするのも野暮だが、知らない方のために記しておくと、1936年、スイス・フランス語圏のローザンヌに生まれた指揮者で、生地と、スイス・フランス語圏(スイス・ロマンド)の中心都市であるジュネーヴの音楽院でヴィオラ、ヴァイオリン、指揮などを学ぶ。ジュネーヴ時代にフランスものとロシアものを得意としていた指揮者のエルネスト・アンセルメの薫陶を受けている。ボストンのタングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュに師事。この時、1歳年上の小澤征爾と共に学んでおり、後年のセイジ・オザワ松本フェスティバルへの客演に繋がる。ヴィオラ奏者としてデビューした後に指揮者に転向。まずヘルベルト・フォン・カラヤンにバレエ指揮者としてのセンスを認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者にならないかと誘われているが、オールマイティに活躍したいという意向があったので、これは断っている。オーケストラコンサート、オペラ、バレエなど多くの公演を指揮。ただ有名になってからはバレエ音楽の全曲盤を出したりはしているものの、ピットでバレエを指揮したという情報は聞かない。

最初のポストとして祖国のベルン交響楽団の首席指揮者に就任。スウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者も務めた。この間、主に協奏曲の伴奏の録音を多くこなして知名度を高める。その時期は「伴奏指揮者」などと陰口を叩かれたりしたが、1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、以後、短期間でオーケストラの性能を持ち上げて、「フランスのオーケストラよりフランス的」と称されるアンサンブルに仕上げた。デュトワとモントリオール交響楽団は、英DECCAのフランスものとロシアのもの演奏を一手に引き受け、その分野での第一人者との名声を獲得するに至った。デュトワとモントリオール響の蜜月は、2002年までの四半世紀に渡って続く。デュトワ自身、「有名曲よりもまず自分達の得意なものを」という戦略を持っており、「アンセルメの録音が古くなったので新たなコンビを探していた」DECCAと思惑が一致した。ただデュトワはモントリオール響の性能を上げるため、「腕が良くない」とみたプレーヤーにはプレッシャーを掛けて自ら辞めるよう仕向けるという方針を採っており、最後は、こうしたやり方に反発した楽団員と喧嘩してモントリオールを去っている。デュトワ辞任後のモントリオール響はストライキに入るなど揉めに揉めた。

1970年に読売交響楽団に客演したのが、日本のオーケストラを指揮した最初だが、解釈と棒の明晰さですぐに高い評価を獲得。その後、日本のオーケストラとの共演を重ね、1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任する。それまでN響は長きに渡ってシェフのポストを空位としており(ウィーン・フィルを真似たものと思われる)、久々の主の座に就いた。NHK交響楽団との演奏では、NHKホールのステージを前に張り出させるなど、音響面での工夫を行っていて、これは現在でも踏襲されている。その後、同楽団初の音楽監督に就任。辞任後は名誉音楽監督の称号を贈られた。
この時期は北米のモントリオール交響楽団、アジアのNHK交響楽団、ヨーロッパのフランス国立管弦楽団という三大陸のオーケストラのシェフを兼ね、多忙を極めている。優先順位としては、モントリオールとNHKが上で、フランス国立管弦楽団の元コンサートマスターは、「パリではいつも時差ボケ状態」であったことに不満を述べているが、フランス国立管弦楽団とも「プーランク管弦楽曲、協奏曲全集」という優れた仕事を残している。3つのオーケストラのシェフを辞めてからは、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督を務めた。またヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督に就任し、同楽団のメンバーが参加する宮崎国際音楽祭の音楽監督も兼務している。
主にヨーロッパでセクハラ疑惑が起こってからは、N響との共演も見送られていたが、久しぶりに同楽団を指揮することも決まっている。
N響との共演が途絶えてからは、日本のオーケストラによる争奪戦が始まり、まず大阪フィルハーモニー交響楽団が手を挙げて、毎年の客演を取り付ける。それに新日本フォルハーモニー交響楽団が追随し、札幌交響楽団や九州交響楽団も手を挙げるようになった。

そんな中での今回の九響客演である。


曲目は、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、グラズノフのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワ得意のフランスものとロシアものである。


アクロス福岡シンフォニーホールに来るのは初めて。正式には、アクロス福岡という複合文化施設の中に福岡シンフォニーホールがあるという構造なのだが、一般的にはまとめてアクロス福岡シンフォニーホールと呼んでいるようである。
1995年の竣工ということで、京都コンサートホールと同い年である。構造的にもシューボックス型ベースで(日本人は視覚を重視するため、どちらも客席に傾斜があるが、福岡シンフォニーホールの方が傾斜は緩やかである)、天井が高めで反響板がないという共通点がある。福岡シンフォニーホールにはパイプオルガンはなく、シャンデリアがいくつも下がっていて、木目もシックであり、見た目が洋風である。京都コンサートホールは和の要素を取り入れる術に長けているとも言える。音響であるが、音は通りやすいが、残響は短め。残響2秒とのことだったが実際はそんなにはない。音は京都コンサートホールの方が広がりがあり、福岡シンフォニーホールはタイトである。特に優劣をつけるほどの違いはないので、後は好みの問題となるだろう。

九州交響楽団の実演奏を聴くのは2度目。前回は、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、沼尻竜典の指揮した演奏会を聴いている。本拠地で九響を聴くのは初めてである。

今日のコンサートマスターは扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)。ドイツ式の現代配置での演奏である。


ドビュッシー(ビュッセル編曲)の「小組曲」。九響が洗練された瑞々しい音を出す。九響の音をそれほど多く聴いている訳ではないが、透明で洒落た感覚と、他の楽団員が出す音に対する鋭敏な反応は、デュトワが指揮するオーケストラに共通した特徴である。浮遊感や推進力などもあり、これぞ「エスプリ・クルトワ」の音楽となっている。フランス語圏のケベック州とはいえ、カナダのオーケストラがフランス本国やヨーロッパのフランス語圏の名門楽団を凌ぐだけの名声を手に入れることがいかに困難かは想像に難くなく、それを実現したデュトワの力に改めて感服させられる。


グラズノフのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン独奏の辻彩奈は、最も将来が嘱望される若手ヴァイオリニストの一人。可愛らしい容姿や、Web上でファンと気さくにやり取りする飾らない人柄も人気の一因となっている。1997年、岐阜県生まれ。以前、インターネット上で質問に答えるという企画で、「岐阜県の良いところはどこですか?」との質問に「良いところかどうかは分かりませんが、夏は暑いです」と答えていたが、それは多分、良いところじゃない。ただこれだけでも彼女の人柄が分かる。2016年、18歳の時に、モントリオール国際音楽コンクールで第1位獲得。5つの特別賞も合わせて受賞して、一躍、時の人となった。今でも「モントリオールの子」と呼ばれることがあるのはこのためである。ということでデュトワとはモントリオール繋がりである。小学生の頃から全国大会で1位を獲り、12歳で初のリサイタルを行うなど神童系であった。
東京音楽大学附属高校及び東京音楽大学に特別奨学生として入学して卒業。卒業式では総代を務めている。

純白のドレスで登場した辻彩奈。グラズノフのヴァイオリン協奏曲は、知名度こそ高くないが、後半のノリや、高度な技巧で聴かせる隠れた名曲的存在である。
辻彩奈は、今年の4月に京都市交響楽団に客演してプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番を弾いているのだが、仕事が入って聴きに行けず、実演に接するのは久しぶりである。
高音のキレが抜群の辻であるが、まずはロシアの音楽ということで、荒涼とした大地を表すような太めの音から入る。意図的に洗練を抑えた感じである。そこから音楽の純度を上げていき、左手ピッチカートなど高度な技を繰り出しつつ、第3楽章の軽快で祝祭的な音楽へと突き進んでいく。耳を裂くほどの鋭い高音は名刀の切れ味。顔は可愛いが精悍な女剣士のように音と切り結んでいく。技巧面が優れているだけでなく、曲調の描き方も鮮やかで、優れた構築力も感じさせる。デュトワ指揮の九響もロシア的な仄暗くてヒンヤリとした響きを出し、最後は華やかさが爆発する。
演奏終了後、喝采を浴びた辻。アンコール演奏として、親しみやすい旋律を持つが、やはり左手ピッチカートなど高度な技巧が要求される曲を演奏する。スコットウィラーの「アイ・ルーションラグ~ギル・シャハムのために」という曲であった。

なお、辻が出しているCD購入者には、終演後、サイン会参加の特典があり、折角なので私もブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集を購入してサインを入れて貰った。


チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワは、チャイコフスキーの交響曲第5番を2度録音している。最初はモントリオール交響楽団とのDECCAへのスタジオ録音であり、2度目はNHK交響楽団とのライブ収録盤で、「チャイコフスキー後期三大交響曲」としてリリースされている(モントリオール交響楽団とも、交響曲第4番と第6番「悲愴」はレコーディングしている)が、両者の解釈は大きく異なる。モントリオール交響楽団とレコーディングを行った時期は、ソ連当局による統制でチャイコフスキーの情報を西側で得ることは困難であり、美しいメロディーと豊かなスケールを歌い上げる演奏が主流だった。
しかし、N響との後期三大交響曲のライブ収録を行った時には、チャイコフスキーの悲劇的な最期が明らかになっており、当然ながら曲に込められたメッセージを暴くような演奏が主流となっていた。交響曲第6番「悲愴」では、第3楽章を終えて拍手が起こるも、それを無視してアタッカで第4楽章に突入するなど、表現を優先させている。

今回も当然ながら、この曲の深刻な面を掘り下げるような演奏が展開される。

ゆったりとしたテンポの憂いを込めたクラリネットソロによる「運命の主題」でスタート。クラリネットのソロが終わると更にテンポは落ちる。蠢くような木管と、冴え冴えとして潤いはあるが滲んだような色彩の弦が呻吟する。チャイコフスキーらしい美しさは保たれているが、金管の咆哮が立ちはだかる。デュトワはバランス感覚に優れているため、深刻な表現になっても暗すぎることはないが、それでも聴いていて苦しくなる演奏である。
デュトワの指揮は指揮棒を持った右手と同等かそれ以上に左手の表情が雄弁である。

第2楽章の冒頭も、灰色のような色彩であり、広がりはあるが、行方が定まらないような印象を受ける。
この楽章のハイライトであるホルンのソロ、首席のルーク・ベイカーが豊かで美観に溢れた演奏を行う。遠い日の回想の趣であり、今は手に入らない往年の輝きを愛おしむかのようである。その後も愛しい旋律が続くが、激情が押し寄せ(長調なのに痛切なのがチャイコフスキー作品の特徴である)流されていく。やがて運命の主題が立ちはだかる。

バレエ音楽にも繋がるようなワルツである第3楽章。小粋な旋律であり、演奏であるが、どことなく涙をためながら無理に伊達を気取っているようなところがある。基本的にチャイコフスキーは哀しみを隠さない人なので、自然に憂いの表情が可憐さの裏から現れる。諦めにも似た「運命の主題」。それを強引に振り払うようにして第4楽章へ。デュトワは、チャイコフスキーの後期三大交響曲では、第3楽章と第4楽章をいずれもアタッカで繋ぐという解釈を採用している。第3楽章と第4楽章で一繋がりと見なしているのだろう。
堂々と始まる第4楽章であるが、やはり気分は晴れない。21世紀に入ってから、第4楽章を明るく演奏する解釈は極端に減り、憂いを常に潜ませた演奏が主流となった。無理矢理気分を持ち上げようとしているところが逆に切なかったりする。往時は堂々と演奏した部分も懐旧の念がどうしても加わる。勝利はもはや過去のもので、今は思い返すだけである。それでも低弦の不気味な蠢きなどが表す過酷な運命と格闘し、取り敢えずの休止という形で擬似ラストを迎える。
ここから先は、堂々とした凱歌であり、主旋律は確かに運命の主題を長調にした凱歌なのだが、その他で鳴っている音は、どこか不吉であり、特に弦の荒れ狂い方は尋常ではなく、やはりまともな精神状態とは思えない。デュトワは糸車を撒くように左右の手を前で回転させる巧みな指揮棒捌き。九響は輝かしい音で応えるが、虚ろさを表現することも忘れない。
最後の一暴れが終わり、ティンパニが鳴り響く中、別れを告げるような「タタタタン」のベートーヴェンの運命主題が決然と奏でられる。ここを大袈裟にする人もいるが、デュトワとしては意識はもう向こうにあるという解釈なのか、あるいは最後の一撃なのできっぱりとということなのか、とにかく外連とは対極にある終え方であった。


デュトワの十八番の一つであるチャイコフスキーの演奏ということで、多くの聴衆が拍手と「ブラボー!」でデュトワと九響を讃える。
デュトワは各パートごとに奏者達を立たせる。ホルンやクラリネットといった活躍する楽器は特に一人ずつ立たせていた。
九響の団員が去った後も拍手は続き、デュトワはコンサートマスターの扇谷を伴ってステージ下手側に現れて、聴衆に応えていた。


京都市交響楽団の楽団員も演奏会終了後のお見送りを行うようになったが、九州交響楽団の楽団員のお見送りはもっと聴衆との距離が近く、常連客と親しげに話している楽団員も多い。

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2024年10月25日 (金)

コンサートの記(864) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2024年10月11日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は、デイヴィッド・レイランド。京響には2度目の登場である。

休憩時間なし、上演時間約1時間のフライデー・ナイト・スペシャル。今回は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロ演奏の後に京響が登場。京響は1曲勝負である。


曲目は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロで、ラフマニノフの前奏曲作品23から、第4番ニ長調、第2番変ロ長調、第6番変ホ長調、第5番ト短調。デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団の演奏で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。


アンドリュー・フォン・オーエンは、ドイツとオランダにルーツを持つアメリカのピアニスト。5歳でピアノを始め、10歳でオーケストラと共演という神童系である。名門コロンビア大学に学び、ジュリアード音楽院でピアノを修めた。アルフレッド・ブレンデルやレオン・フライシャーからも薫陶を受けている。1999年にギルモア・ヤング・アーティスト賞を受賞。レニ・フェ・ブランド財団ナショナル・ピアノ・コンペティションで第1位を獲得。アメリカとフランスの二重国籍で、ロサンゼルスとパリを拠点としている。

午後7時頃からのデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)でも、オーエンが、ロサンゼルスとパリを拠点とするピアニストであることが紹介されている。
プレトークでは他に作品の解説。共にロシアの作品で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」はラヴェルの編曲なのでフランスの要素も入ってくるということを語る。組曲「展覧会の絵」は、ムソルグスキーが、若くして亡くなった友人のヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作の展覧会を見て回るという趣向の作品だが、ハルトマンの絵は今では見られなくなってしまったものが多いと語る(いくつかは分かっていて、ずっと前にNHKで特集が組まれたことがあった。その際、「ビィドロ」は牛が引く荷車ではなく、「虐げられた人々」という意味でつけられたことが判明していたりする)。最後の曲は「キエフの大門」(今回は、「キエフ(キーウ)の大門」という併記表現になっている)で、これは今演奏することに意味があるとレイランドは語る。キエフ(キーウ)は、現在、ロシアと交戦中のウクライナの首都。更に、レイランドは知らないかも知れないが、京都市の姉妹都市である。ロシアはそもそもキエフ公国から始まっており、ロシアにとっても特別な場所だ。「キエフ(キーウ)の大門」の絵は現物が残っている。その名の通り、キエフに建てられる予定だった大門のデザインのコンペティションに応募した時の作品なのだが、不採用となっている。

アンドリュー・フォン・オーエンのピアノは、音がクリアで、構築もしっかりしている。全曲ラフマニノフを並べていることからメカニックに自信があることが分かるが、難曲のラフマニノフを軽々と弾いていく感じだ。

第4番のロマンティシズム、第2番のスケールの豊かさ、第6番のリリシズム、第5番のリズム感といかにもラフマニノフらしい甘い旋律などを的確に表現していく。ロシアものにかなり合っているし、おそらくフランスものを弾いても出来は良いだろう。

アンコール演奏は、ラフマニノフの前奏曲作品32-12 嬰ト短調であった。これも好演。


デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団によるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。ピアノをはけさせるなど舞台転換があるため、まず管楽器や打楽器の奏者が登場し、最後に弦楽器の奏者が現れる。通常は一斉に登場して客席からの拍手を受けるのだが、今日は拍手をするタイミングはなかった。

デイヴィッド・レイランドは、ベルギー出身。ブリュッセル音楽院、パリのエコール・ノルマル音楽院、ザルツブルク・モーツァルティウム大学で学び、ピエール・ブーレーズ、デイヴィッド・ジンマン、ベルナルト・ハイティンク、ヨルマ・パヌラ、マリス・ヤンソンスに師事。イギリスの古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団の副指揮者として、サー・マーク・エルダー、ウラディーミル・ユロフスキ、サー・ロジャー・ノリントン、サー・サイモン・ラトルと活動している。ウラディーミル・ユロフスキだけはイギリス人ではなくロシア出身のドイツ国籍の指揮者だが、長年に渡ってロンドン・フィルの指揮者を務めており、名誉イギリス人的存在である。
ルクセンブルク室内管弦楽団の音楽監督を経て、現在はフランス国立メス管弦楽団(旧フランス国立ロレーヌ管弦楽団)と韓国国立交響楽団の音楽監督を務めるほか、スイスのローザンヌ・シンフォニエッタ首席客演指揮者としても活動している。

今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置での演奏。ヴィオラの客演首席に東条慧(とうじょう・けい。女性)が入る。サクソフォンの客演は崔勝貴(さい・しょうき)。
ハープの客演は朝川朋之。朝川は以前にも京響に客演していたが、日本では男性のハーピストは比較的珍しい。ヨーロッパではそもそも女性が楽団員になれないオーケストラも多かったので、男性ハーピストは普通である。今は指揮者として活躍している元NHK交響楽団の茂木大輔氏が、エッセイで、「ハープは女性には運搬が大変なので、男性にやらせたらどうか」という内容を書いており、その後なぜかハープ演奏がヤクザのしのぎの話になって、「ハープの演奏をする」が「しばいてくる」になったりしていた。
トランペットは首席のハラルド・ナエス、副首席の稲垣路子が揃い、曲はナエスの輝かしいトランペットソロで始まる。
京響は音に艶と輝きがあり、音のグラデーションが絶妙な変化を見せる。まさに虹色のオーケストラである。京響も本当に魅力的なオーケストラになった。

レイランドの指揮は簡潔にして明瞭。指揮の動きに合わせれば演奏出来る安心感があり、オーケストラの捌き方も抜群。どちらかというと音の美しさで聴かせるタイプで、ムソルグスキーというよりラヴェル寄りであるが、十二分に満足出来る水準に達していた。

演奏終了後、京響の楽団員はレイランドに敬意を表して立たず、レイランドはコンサートマスターの会田莉凡の手を取って立たせて、全楽団員にも立つよう命じていた。

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2024年10月21日 (月)

コンサートの記(863) 安達真理(ヴィオラ)&江崎萌子(ピアノ) 「月の引用」@カフェ・モンタージュ

2024年10月4日 京都市中京区 柳馬場通夷川東入ルのカフェ・モンタージュにて

午後8時から、柳馬場(やなぎのばんば)通夷川(えびすがわ)東入ルにあるカフェ・モンタージュで、ヴィオラの安達真理とピアノの江崎萌子によるコンサート「月の引用」を聴く。

曲目は、ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番とショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタ。ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番は、ブラームス最後の室内楽曲。ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは、ショスタコーヴィチの最後の作品で、死の5日前に完成している。


人気ヴィオリストの安達真理。関西で実演に接する機会も多い。国内ではソリストや室内楽での活動が多かったが、2021年に日本フィルハーモニー交響楽団の客演首席ヴィオラ奏者に就任している。
桐朋学園大学、ウィーン国立音楽大学室内楽科、ローザンヌ高等音楽院ソリスト修士課程を修了。若手奏者との共演の他、坂本龍一との共演経験もあり、6月に行われた日本フィルの坂本龍一追悼演奏会でも客演首席ヴィオラ奏者として乗り番であった。指揮者のパーヴォ・ヤルヴィとはエストニア・フェスティバル管弦楽団のメンバーとして、ヨーロッパ各地で共演を重ねている。コロナの時期にはインスタライブなども行っていて、私も見たことがあるのだが、かなり性格が良さそうで、彼女のことを嫌いという人は余りいないのではないだろか。笑顔がとてもチャーミングな人である。
ロングヘアがトレードマークであるが、今日はポニーテールで登場した。

ピアノの江崎萌子は、東京出身。桐朋女子高校音楽科を首席で卒業後、パリのスコラ・カントルム(エリック・サティが年を取ってから入学し、優秀な成績で卒業したことでも知られる音楽院である)とパリ国立高等音楽院修士課程に学び、ライプツィッヒ・メンデルスゾーン音楽大学演奏家課程で国家演奏家資格を取得している(日本と違って資格がないとプロの演奏家として活動出来ない)。ヴェローナ国際コンクールで2位獲得、東京ピアノコンクールでも2位に入っている。


ブラームスのヴィオラ・ソナタ第1番。カフェ・モンタージュは空間が小さいので音がダイレクトに届く。ブラームスらしい仄暗い憂いの中に渋さと甘さの感じられる曲だが、憧れを求める第2楽章、そして第3楽章などは清澄な趣で、穏やかな魂の流れのようなものが感じられる。
間近で聴いているので迫力が感じられ、二人のしなやかな音楽性も伝わってくる。

演奏終了後に安達真理のトーク。マイクがないので、地声で話す。空間が小さいので十分に聞こえる。ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタが彼の最後の作品であり、もう右手が使えず左で記譜したこと、死の直前まで奥さんにチェーホフの小説「グーセフ」を読み聞かせて貰っていたことなどを話す。
今回のタイトルは、「月の引用」であるが、ショスタコーヴィチはヴィオラ・ソナタの第3楽章でベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「月光」第1楽章の旋律を引用しており、そこからタイトルがつけられたことを明かす。第1楽章には「ノベル(小説)」、第2楽章には「スケルツォ」、第3楽章には「偉大な作曲家の思い出に」という副題が付いていたようだ。

休憩後に演奏開始。ヴィオラはピッチカートで始まる。深遠さと諧謔の精神を合わせ持ついつものショスタコーヴィチであるが、背後に何か得体の知れないものが感じられる。
第2楽章は、流麗な舞曲風の曲調。再びピッチカートの歩みが始まり、悲歌のようなものが歌い上げられて、再びピッチカートが姿を現す。

第3楽章には、「月光」ソナタからの引用と共に、自身の交響曲全15曲からの引用がさりげなくちりばめられてるのだが、それが発見されたのは、作曲者が亡くなってから大分経ってからであった。それほど巧妙に隠されていたということになる。ベートーヴェンをカモフラージュにして意識をそちらに向かわせるよう仕向けたのであろう。
「月光」からの引用はまずピアノに現れ、すぐにヴィオラが歌い交わす。
次第にピアノが叩きつけるような音に変わり、その上をヴィオラの月光の旋律が滑る。
ベートーヴェンの「月光」は、「神の歩み」「十字架」「ゴルゴダの丘」などを描写しているという説があるが、ショスタコーヴィチがそうしたことを知っていたのかどうかは不明である。

二人ともショスタコーヴィチの鋭さの中に優しさを含ませたかのような演奏。


アンコール演奏は1曲。聴いたことのない曲だったが、安達真理は、「なんの曲かは私のXをご覧下さい」と告げていた。確認すると、平野一郎の「あまねうた」という曲だったようだ。

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2024年10月12日 (土)

コンサートの記(860) 2024年度全国共同制作オペラ プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」京都公演 井上道義ラストオペラ

2024年10月6日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、2024年度全国共同制作オペラ、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。井上道義が指揮する最後のオペラとなる。
演奏は、京都市交響楽団。コンサートマスターは特別名誉友情コンサートマスターの豊島泰嗣。ダンサーを使った演出で、演出・振付・美術・衣装を担当するのは森山開次。日本語字幕は井上道義が手掛けている(舞台上方に字幕が表示される。左側が日本語訳、右側が英語訳である)。
出演は、ルザン・マンタシャン(ミミ)、工藤和真(ロドルフォ)、イローナ・レヴォルスカヤ(ムゼッタ)、池内響(マルチェッロ)、スタニスラフ・ヴォロビョフ(コッリーネ)、高橋洋介(ショナール)、晴雅彦(はれ・まさひこ。ベノア)、仲田尋一(なかた・ひろひと。アルチンドロ)、谷口耕平(パルピニョール)、鹿野浩史(物売り)。合唱は、ザ・オペラ・クワイア、きょうと+ひょうごプロデュースオペラ合唱団、京都市少年合唱団の3団体。軍楽隊はバンダ・ペル・ラ・ボエーム。

オーケストラピットは、広く浅めに設けられている。指揮者の井上道義は、下手のステージへと繋がる通路(客席からは見えない)に設けられたドアから登場する。

ダンサーが4人(梶田留以、水島晃太郎、南帆乃佳、小川莉伯)登場して様々なことを行うが、それほど出しゃばらず、オペラの本筋を邪魔しないよう工夫されていた。ちなみにミミの蝋燭の火を吹き消すのは実はロドルフォという演出が行われる場合もあるのだが、今回はダンサーが吹き消していた。運命の担い手でもあるようだ。

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オペラとポピュラー音楽向きに音響設計されているロームシアター京都メインホール。今日もかなり良い音がする。声が通りやすく、ビリつかない。オペラ劇場で聴くオーケストラは、表面的でサラッとした音になりやすいが、ロームシアター京都メインホールで聴くオーケストラは輪郭がキリッとしており、密度の感じられる音がする。京響の好演もあると思われるが、ロームシアター京都メインホールの音響はオペラ劇場としては日本最高峰と言っても良いと思われる。勿論、日本の全てのオペラ劇場に行った訳ではないが、東京文化会館、新国立劇場オペラパレス、神奈川県民ホール、びわ湖ホール大ホール、フェスティバルホール、ザ・カレッジ・オペラハウス、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール、フェニーチェ堺大ホールなど、日本屈指と言われるオペラ向けの名ホールでオペラを鑑賞した上での印象なので、おそらく間違いないだろう。

 

今回の演出は、パリで活躍した画家ということで、マルチェッロ役を演じている池内響に藤田嗣治(ふじた・つぐはる。レオナール・フジタ)の格好をさせているのが特徴である。

 

井上道義は、今年の12月30日付で指揮者を引退することが決まっているが、引退間際の指揮者とは思えないほど勢いと活気に溢れた音楽を京響から引き出す。余力を残しての引退なので、音楽が生き生きしているのは当然ともいえるが、やはりこうした指揮者が引退してしまうのは惜しいように感じられる。

 

歌唱も充実。ミミ役のルザン・マンタシャンはアルメニア、ムゼッタ役のイローナ・レヴォルスカヤとスタニスラフ・ヴォロビョフはロシアと、いずれも旧ソビエト圏の出身だが、この地域の芸術レベルの高さが窺える。ロシアは戦争中であるが、芸術大国であることには間違いがないようだ。

 

ドアなどは使わない演出で、人海戦術なども繰り出して、舞台上はかなり華やかになる。

 

 

パリが舞台であるが、19世紀前半のパリは平民階級の女性が暮らすには地獄のような街であった。就ける職業は服飾関係(グレーの服を着ていたので、グリゼットと呼ばれた)のみ。ミミもお針子である。ただ、売春をしている。当時のグリゼットの稼ぎではパリで一人暮らしをするのは難しく、売春をするなど男に頼らなければならなかった。もう一人の女性であるムゼッタは金持ちに囲われている。

 

この時代、平民階級が台頭し、貴族の独占物であった文化方面を志す若者が増えた。この「ラ・ボエーム」は、芸術を志す貧乏な若者達(ラ・ボエーム=ボヘミアン)と若い女性の物語である。男達は貧しいながらもワイワイやっていてコミカルな場面も多いが、女性二人は共に孤独な印象で、その対比も鮮やかである。彼らは、大学などが集中するカルチェラタンと呼ばれる場所に住んでいる。学生達がラテン語を話したことからこの名がある。ちなみに神田神保町の古書店街を控えた明治大学の周辺は「日本のカルチェラタン」と呼ばれており(中央大学が去り、文化学院がなくなったが、専修大学は法学部などを4年間神田で学べるようにしたほか、日本大学も明治大学の向かいに進出している。有名語学学校のアテネ・フランセもある)、京都も河原町通広小路はかつて「京都のカルチェラタン」と呼ばれていた。京都府立医科大学と立命館大学があったためだが、立命館大学は1980年代に広小路を去り、そうした呼び名も死語となった。立命館大学広小路キャンパスの跡地は京都府立医科大学の図書館になっているが、立命館大学広小路キャンパスがかなり手狭であったことが分かる。

 

ヒロインのミミであるが、「私の名前はミミ」というアリアで、「名前はミミだが、本名はルチア(「光」という意味)。ミミという呼び方は気に入っていない」と歌う。ミミやルルといった同じ音を繰り返す名前は、娼婦系の名前といわれており、気に入っていないのも当然である。だが、ロドルフォは、ミミのことを一度もルチアとは呼んであげないし、結婚も考えてくれない。結構、嫌な奴である。
ちなみにロドルフォには金持ちのおじさんがいるようなのだが、生活の頼りにはしていないようである。だが、ミミが肺結核を患っても病院にも連れて行かない。病院に行くお金がないからだろうが、おじさんに頼る気もないようだ。結局、自分第一で、本気でルチアのことを思っていないのではないかと思われる節もある。


「冷たい手を」、「私の名前はミミ」、「私が街を歩けば」(ムゼッタのワルツ)など名アリアを持ち、ライトモチーフを用いた作品だが、音楽は全般的に優れており、オペラ史上屈指の人気作であるのも頷ける。


なお、今回もカーテンコールは写真撮影OK。今後もこの習慣は広まっていきそうである。

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2024年9月10日 (火)

これまでに観た映画より(345) 「チャイコフスキーの妻」

2024年9月9日 京都シネマにて

京都シネマで、ロシア・フランス・スイス合作映画「チャイコフスキーの妻」を観る。キリル・セレブレンニコフ監督作品。音楽史上三大悪妻(作曲家三大悪妻)の一人、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの妻、アントニーナを描いた作品である。ちなみに音楽史上三大悪妻の残る二人は、ハイドンの妻、マリアと、モーツァルトの妻、コンスタンツェで、コンスタンツェは、世界三大悪妻の一人(ソクラテスの妻、クサンティッペとレフ・トルストイの妻、ソフィアに並ぶ)にも数えられるが、モーツァルトが余りにも有名だからで、この中では比較的ましな方である。

出演:アリョーナ・ミハイロワ、オーディン・ランド・ビロン、フィリップ・アヴデエフ、ナタリア・パブレンコワ、ニキータ・エレネフ、ヴァルヴァラ・シュミコワ、ヴィクトル・ホリニャック、オクシミロンほか。

主役のアントニーナを演じるアリョーナ・ミハイロワは、オーディションで役を勝ち取っているが、これぞ「ロシア美人」という美貌に加え、元々はスポーツに打ち込んでいた(怪我で断念)ということから身体能力が高く、バレエや転落のシーンなどもこなしており、実に魅力的。1995年生まれと若く、将来が期待される女優なのだが、ロシア情勢が先行き不透明なため、今後どうなるのか全く分からない状態なのが残念である。

芸術性の高い映画であり、瞬間移動やバレエにダンスなど、トリッキーな場面も多く見られる。映像は美しく、時に迷宮の中を進むようなカメラワークなども優れている。

冒頭、いきなりチャイコフスキー(アメリカ出身で、20歳でロシアに渡り、モスクワ芸術座付属演劇大学で学んだオーデン・ランド・ビロンが演じている)の葬儀が描かれる。チャイコフスキーの妻として葬儀に出向いたアントニーナは、チャイコフスキーの遺体が動くのを目の当たりにする。チャイコフスキーはアントニーナのことを難詰する。

神経を逆なでするような蝿の羽音が何度も鳴るが、もちろん伏線になっている。

チャイコフスキーとアントニーナの出会いは、アントニーナがまだ二十代前半の頃。サロンでチャイコフスキーを見掛けたのが始まりだった(ロシアの上流階級が、ロシア語ではなくフランス語を日常語としていた時代なので、この場ではフランス語が用いられている)。作曲家の妻になりたいという夢を持ったアントニーナは、チャイコフスキーが教鞭を執るモスクワ音楽院に入学。チャイコフスキーが教える実技演習を立ち聞きしたりする。しかし学費が続かず退学を余儀なくされたアントニーナは、より大胆な行動に出る。郵便局(でだろうか。この時代のロシア社会の構造についてはよく分からない)でチャイコフスキーの住所を教えて貰い、『ラブレターの書き方』という本を参考に、チャイコフスキーに宛てた熱烈な恋文を送る。
チャイコフスキーから返事が来た。そして二人はアントニーナの部屋で会うことになる。しかし、そこで見せた彼女の態度は、余りにも情熱的で思い込みが激しく、一方的で、自己評価も高く、チャイコフスキーも「あなたは舞い上がっている。自重しなさい」と忠告して帰ってしまう。そして彼女には虚言癖があった。「チャイコフスキーと出会った時にはチャイコフスキーのことを知らなかった」という意味のことをチャイコフスキーの友人達に語ったりとあからさまな嘘が目立つ。

一度は振られたアントニーナだが、ロシア正教のやり方で神に祈り、めげずに恋文を送る。そしてチャイコフスキーは会うことを了承した。チャイコフスキーは同性愛者であった。当時、ロシアでは「同性愛は違法」であり、有名人であるチャイコフスキーが同性愛者なのはまずいので、ロシア当局がチャイコフスキーに自殺を強要したという説がある。この説はソビエト連邦の時代となり、情報統制が厳しくなったので、真偽不明となっていたのだが、ソビエトが崩壊してからは、情報の網も緩み、西側で資料が閲覧可能になったということもあって、「本当らしい」ことが分かった。以降、チャイコフスキー作品の解釈は劇的に変わり、交響曲第6番「悲愴」は、初演直後に囁かれた「自殺交響曲」説(チャイコフスキーは、「悲愴」初演の9日後に他界。コレラが死因とされる。死の数日前にコレラに罹患する危険性の高い生水を人前で平然と口にしていたことが分かっている)を復活させたような演奏をパーヴォ・ヤルヴィやサー・ロジャー・ノリントンが行って衝撃を与えた。また交響曲第5番の解釈も変わり、藤岡幸夫はラストを「狂気」と断言している。荒れ狂い方が尋常でない交響曲第4番も更に激しい演奏が増え、人気が上がっている。ただ、同性愛を公にしていた人物もいたようで、この映画にも架空の人物と思われるが、一目でそっち系と分かる人も登場する。
チャイコフスキーは、「今まで女性を愛したことがない」と素直に告白。「それにもう年だし、兄妹のような静かで穏やかな愛の関係になると思うが、それでも良ければ同居しよう」とアントニーナの思いを受け入れる。二人は教会で結婚式を挙げた。チャイコフスキーには自分が同性愛者であることを隠す意図があった。

プーシキンの作品を手に入れたチャイコフスキー。サンクトペテルブルクから仕事の依頼があり、二人の愛の形をオペラとして書くことに決め、旅立つ。この時書かれたのが、プーシキンの長編詩を原作とした歌劇「エフゲニー・オネーギン」であることが後に分かる。
しかしチャイコフスキーは帰ってこなかった。モスクワで見せたアントニーナの行動が余りにも異様だったからだ。夫婦の営みがないことにアントニーナは不満でチャイコフスキーを挑発する。二人の生活は6週間で幕を下ろすことになった。
史実では、アントニーナとの結婚に絶望したチャイコフスキーは入水自殺を図っており、それがアントニーナが悪妻と呼ばれる最大の理由なのだが、そうしたシーンは出てこない。

アントニーナをモスクワ音楽院の創設者でもあるニコライ・ルビンシテイン(オクシミロン)が、チャイコフスキーの弟であるアナトリー(フィリップ・アヴデエフ)と共に訪れる。有名音楽家の来訪にアントニーナは舞い上がるが、チャイコフスキーの親友でもあるニコライは、チャイコフスキーと離婚するようアントニーナに告げに来たのだった。アナトリーは、キーウ(キエフではなくキーウの訳が用いられている)近郊に住む自分たちの妹のサーシャ(本名はアレクサンドラ。演じるのはヴァルヴァラ・シュミコワ)を訪ねてみてはどうかと提案する。サーシャの家に逗留するアントニーナは、サーシャから「兄は若い男しか愛さない」とはっきり告げられる。

離婚協議が始まる。当時のロシアは、離婚に厳しく、王室(帝室)か裁判所の許可がないと離婚は出来ない。また女性差別も激しく、夫の家に入ることが決まっており、そこから抜け出すのも一苦労であり、選挙権もないなど女性には権利らしい権利は一切与えられていなかった。アントニーナにも男達に激しく責められる日々が待ち受けていた。
チャイコフスキーの友人達は、離婚の理由を「チャイコフスキーの不貞」にしても良いからとアントニーナに迫るが、アントニーナは「私はチャイコフスキーの妻よ。別れさせることができるのは神だけよ!」と、頑として離婚に応じない。チャイコフスキーの友人達はチャイコフスキーは天才であり、天才は「なにをしても許されており」褒め称えられなければならない。凡人が天才の犠牲になるのは当然との考えを示す。元々、性格に偏りのあったアントニーナだが、チャイコフスキーとの再会を願って黒魔術のようなことを行う(当時のロシアでは主に下層階級の人々が本気で呪術を信じていた)など、次第に狂気の世界へと陥っていく……。

チャイコフスキーを描いた映画でもあるのだが、チャイコフスキー作品は余り使われておらず、ダニール・オルロフによるオリジナルの音楽が中心となる。最も有名なメロディーである「白鳥の湖」の情景の音楽はチャイコフスキーの友人達が旋律を口ずさむだけであり、本格的に演奏されるのは、オーケストラ曲は「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一部、またピアノ曲は「四季」の中の2曲をアントニーナが部分的に奏でるだけである。あくまでもアントニーナの映画だという意思表示もあるのだろう。

俳優の演技力、独自の映像美と展開などいずれもハイレベルであり、今年観た映画の中でもおそらくトップに来る出来と思われる。

アントニーナは本当に嫌な女なのだが、自分自身にもてあそばれているような様が次第に哀れになってくる。

ちなみにチャイコフスキーと別れた後の実際のアントニーナの生涯が最後に字幕で示される。彼女がチャイコフスキーと別れた後に再会するチャイコフスキーが幻影であることは映像でも示されているのだが、史実としてはアントニーナはチャイコフスキーと再会することなく(数回会ったという記録もあるようだが、正確なことは不明)、最後は長年入院していた精神病院で亡くなった。

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2024年8月 7日 (水)

コンサートの記(853) 井上道義指揮 京都市交響楽団第690回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2024年6月21日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第690回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は京響第9代常任指揮者兼音楽監督であった井上道義。井上の得意とするショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番(チェロ独奏:アレクサンドル・クニャーゼフ)と交響曲第2番「十月革命」(合唱:京響コーラス)の組み合わせ。明日はこれにショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番が加わる。

プレトークは開演の30分前が基本なのだが、今日は特別に開演10分前となっている。
井上道義は、「どうも井上です」と言いながら登場。「ショスタコーヴィチで完売になる日が来るなんて。今日は違います。明日です」
京都市交響楽団の音楽監督と務めたのがもう35年ほど前、京都コンサートホールが出来てから約30年(正確にいうと、1995年開場なので29年である)ということで時の流れの速さを井上は語る。あの頃は京響の宣伝のために燕尾服を着て鴨川に入った写真を撮ってテレホンカードにしたが、「今、テレホンカードなんて何の役にも立たない」

今ではショスタコーヴィチ演奏の大家となった井上であるが、ショスタコーヴィチの魅力に気づいたのは京響の音楽監督をしていた時代だそうで、京都会館でのことだそうである。ここから先は他の場所で話していたことになる。

以前に京都市交響楽団が本拠地としていた京都会館第1ホールは前川國男設計の名建築ではあるのだが、音響が悪いことで知られていた。音響の悪い原因は実ははっきりしており、なんとも京都らしい理由なのだが、ここには書かないでおく。井上は色々と試したのだが、何をやっても鳴らない。ただ唯一、ショスタコーヴィチだけはオーケストレーションが良いので音が通ったそうで、ショスタコーヴィチの凄さを知ったという。

ここで、今日、井上が語った内容に戻る。それまでは井上も、ショスタコーヴィチの音楽について、「重ったるい、暗い、社会主義的な音楽」だと思っていたのだが、いったん開眼するとそうではないことに気づいたという。明日演奏するチェロ協奏曲第2番についても、「クニャーゼフにも聞いたんだけど、暗い曲じゃない」。ただチェロ協奏曲第2番を演奏するのは明日なので、詳しくは明日話すことにするという。
ショスタコーヴィチの交響曲第2番「十月革命」は、ショスタコーヴィチが二十歳の時に書いた作品である(交響曲第1番は17歳で書いている)。この頃、ショスタコーヴィチは作曲家よりもピアニストに憧れていたというが、ショパン・コンクールでは入賞出来なかった。井上は客席に「二十歳以下の人」と聞く。結構手が上がるが、井上の見える範囲内では8人程度。「二十歳と言ったら(作曲家としては)まだ青二才です」
ショスタコーヴィチは「天才中の天才」と言える人で、「ソ連が生んだ初の天才作曲家」と言われているが、私の見るところ、「音楽史上最高の天才」で、おそらくモーツァルトよりも上である。ただモーツァルトの音楽が「天から降ってきた」ような音楽であるのに対し、ショスタコーヴィチの音楽は「あくまで人間が創造したもの」であるところが違う。
ロシア革命が起こり、それまでの体制が全てひっくり返る。若い人々がやる気に満ちている。井上は、「レーニンがみんな平等の社会を作ろうとした。ただ人間はそこまでクレバーじゃなかった。善意だけで国を作ろうとするとどうなるか」とその後のソ連の運命を暗示した。ただショスタコーヴィチが二十歳の頃のソ連は、世界のどこよりも自由で、ロシア・アヴァンギャルドなどの芸術が興り、何をどう表現してもいいような雰囲気に満ちていた。これはスターリンが台頭するまで続く。
無料パンフレットによると、ショスタコーヴィチはアレクサンドル・ベズィメンスキーの書いた「十月革命とレーニン礼賛」の詩を嫌っていたとあるが、井上はショスタコーヴィチはレーニンを尊敬していたと語った。
この曲ではサイレンが鳴るのだが、井上は、「サイレンが鳴りますがびっくりしないでね。心臓の悪い人、気をつけて」
この時代のショスタコーヴィチの音楽は、「まだ二枚舌じゃない」と井上は語り、「分かりやすい」とも付け加えた。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーには泉原隆志。チェロの客演首席には櫃本瑠音(ひつもと・るね)が入る。佐渡裕が創設したスーパーキッズオーケストラ出身のようである。
ティンパニは中山航介(打楽器首席)が皆勤状態だったのだが、今日は降り番。終演後にホールの外で京響の団員に「今日は中山さんどうされたんですか?」と聞いている人がいた。


ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番。私が初めて聴いたショスタコーヴィチの曲の1つである。聴いたのは高校1年生頃だっただろうか。今はソニー・クラシカルとなっているCBSソニーのベスト100シリーズの中に、レナード・バーンスタインとニューヨーク・フィルハーモニックが東京文化会館で行ったショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏のライブ収録のものがあり、それにカップリングされていたのがショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番であった。ヨーヨー・マ(馬友友)のチェロ、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の伴奏。2曲とも今でもベスト演奏に挙げる人がいるはずである。
今回、チェロ独奏を務めるアレクサンドル・タニャーゼフはロシア出身。1990年のチャイコフスキー国際音楽コンクール(ヴァイオリン部門で諏訪内晶子が優勝して話題になった年である)チェロ部門で2位入賞。ロシア国内外の名指揮者と共演を重ねている。一方でオルガンも習得しており、バッハ作品などをオルガンで演奏して好評を博しているという。今、ロシアは戦争中であるため、具体的には書かないが色々と制約があるようである。タニャーゼフも以前はウクライナで何度も演奏を行っていたが、今は入ることも出来ないそうだ。ちなみに井上とタニャーゼフの初共演は20年前だそうで、タニャーゼフが20年前とはっきり覚えていたようである。

力強いが豪快と言うよりは粋な感じのチェロ独奏である。ロシアよりもフランスのチェリストに近い印象も受ける。ロシア音楽はフランス音楽を範としているため、フランス的に感じられてもそうおかしなことではない。歌は非常に深く印象的である。
指揮台なしのノンタクトで指揮した井上の伴奏もショスタコーヴィチらしい鋭さと才気に溢れた優れたものであった。

タニャーゼフのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第3番よりサラバンド。深々とした演奏であった。


ショスタコーヴィチの交響曲第2番「十月革命」。京響コーラスの合唱指揮(合唱指導)は大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者である福島章恭(あきやす)が務めている。京響コーラスを創設したのは実は井上道義である。
宇宙的な響きのする曲で、一体どうやったら二十歳でこんな曲が書けるのか全く分からない。井上と京響も迫力と透明感を合わせ持った名演を展開し、「これはえらいものを聴いてしまった」という印象を抱く。なお、井上道義指揮による2度目の「ショスタコーヴィチ交響曲全集」を制作する予定があり、ホールの前にはオクタヴィア・レコードのワゴンが停まっていて、ホール内には本格的なマイクセッティングが施されていた。
粛清の嵐を巻き起こしたソビエト共産党との関係の中で、ショスタコーヴィチはミステリアスでアイロニカルな作風を選ぶ、というより選ばざるを得なくなるのだが、もっと自由な世界に生まれていたらどんな音楽を生み出していたのだろうか。更なる傑作が生まれていたのか、あるいは名画「第三の男」のセリフにあるように、「ボルジア家の悪政下のイタリア、殺戮と流血の日々はルネサンスを開花させた。一方、スイス500年の平和と民主主義が何を生み出したか。鳩時計さ」という聴衆にとっては不幸なことになっていたのか。想像は尽きない。

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