2024年10月23日 福岡・天神のアクロス福岡シンフォニーホールにて
博多へ。
午後7時から、アクロス福岡シンフォニーホールで、九州交響楽団の第425回定期演奏会を聴く。指揮は九州交響楽団(九響)初登場のシャルル・デュトワ。
デュトワは、6月に来日して、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団と札幌交響楽団を指揮する予定だったが、体調不良によりキャンセルしてヨーロッパに帰っていた。だが、年内に再び来日して、九州交響楽団、そして名誉音楽監督を務めるNHK交響楽団を指揮することになった。
デュトワが九響を指揮することになった経緯は明らかではないが(おそらく依頼したら承諾してくれたという単純な理由ではないかと思われるのだが)、九州の人々にとっては思いも掛けない僥倖であったと思われる。今丁度、東京では97歳になったヘルベルト・ブロムシュテットが、桂冠名誉指揮者を務めるNHK交響楽団を指揮していて話題になっているが、88歳になったばかりのデュトワの指揮する九響のコンサートもそれに負けないほどの話題となっている。
今更デュトワの紹介をするのも野暮だが、知らない方のために記しておくと、1936年、スイス・フランス語圏のローザンヌに生まれた指揮者で、生地と、スイス・フランス語圏(スイス・ロマンド)の中心都市であるジュネーヴの音楽院でヴィオラ、ヴァイオリン、指揮などを学ぶ。ジュネーヴ時代にフランスものとロシアものを得意としていた指揮者のエルネスト・アンセルメの薫陶を受けている。ボストンのタングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュに師事。この時、1歳年上の小澤征爾と共に学んでおり、後年のセイジ・オザワ松本フェスティバルへの客演に繋がる。ヴィオラ奏者としてデビューした後に指揮者に転向。まずヘルベルト・フォン・カラヤンにバレエ指揮者としてのセンスを認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者にならないかと誘われているが、オールマイティに活躍したいという意向があったので、これは断っている。オーケストラコンサート、オペラ、バレエなど多くの公演を指揮。ただ有名になってからはバレエ音楽の全曲盤を出したりはしているものの、ピットでバレエを指揮したという情報は聞かない。
最初のポストとして祖国のベルン交響楽団の首席指揮者に就任。スウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者も務めた。この間、主に協奏曲の伴奏の録音を多くこなして知名度を高める。その時期は「伴奏指揮者」などと陰口を叩かれたりしたが、1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、以後、短期間でオーケストラの性能を持ち上げて、「フランスのオーケストラよりフランス的」と称されるアンサンブルに仕上げた。デュトワとモントリオール交響楽団は、英DECCAのフランスものとロシアのもの演奏を一手に引き受け、その分野での第一人者との名声を獲得するに至った。デュトワとモントリオール響の蜜月は、2002年までの四半世紀に渡って続く。デュトワ自身、「有名曲よりもまず自分達の得意なものを」という戦略を持っており、「アンセルメの録音が古くなったので新たなコンビを探していた」DECCAと思惑が一致した。ただデュトワはモントリオール響の性能を上げるため、「腕が良くない」とみたプレーヤーにはプレッシャーを掛けて自ら辞めるよう仕向けるという方針を採っており、最後は、こうしたやり方に反発した楽団員と喧嘩してモントリオールを去っている。デュトワ辞任後のモントリオール響はストライキに入るなど揉めに揉めた。
1970年に読売交響楽団に客演したのが、日本のオーケストラを指揮した最初だが、解釈と棒の明晰さですぐに高い評価を獲得。その後、日本のオーケストラとの共演を重ね、1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任する。それまでN響は長きに渡ってシェフのポストを空位としており(ウィーン・フィルを真似たものと思われる)、久々の主の座に就いた。NHK交響楽団との演奏では、NHKホールのステージを前に張り出させるなど、音響面での工夫を行っていて、これは現在でも踏襲されている。その後、同楽団初の音楽監督に就任。辞任後は名誉音楽監督の称号を贈られた。
この時期は北米のモントリオール交響楽団、アジアのNHK交響楽団、ヨーロッパのフランス国立管弦楽団という三大陸のオーケストラのシェフを兼ね、多忙を極めている。優先順位としては、モントリオールとNHKが上で、フランス国立管弦楽団の元コンサートマスターは、「パリではいつも時差ボケ状態」であったことに不満を述べているが、フランス国立管弦楽団とも「プーランク管弦楽曲、協奏曲全集」という優れた仕事を残している。3つのオーケストラのシェフを辞めてからは、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督を務めた。またヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督に就任し、同楽団のメンバーが参加する宮崎国際音楽祭の音楽監督も兼務している。
主にヨーロッパでセクハラ疑惑が起こってからは、N響との共演も見送られていたが、久しぶりに同楽団を指揮することも決まっている。
N響との共演が途絶えてからは、日本のオーケストラによる争奪戦が始まり、まず大阪フィルハーモニー交響楽団が手を挙げて、毎年の客演を取り付ける。それに新日本フォルハーモニー交響楽団が追随し、札幌交響楽団や九州交響楽団も手を挙げるようになった。
そんな中での今回の九響客演である。
曲目は、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、グラズノフのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワ得意のフランスものとロシアものである。
アクロス福岡シンフォニーホールに来るのは初めて。正式には、アクロス福岡という複合文化施設の中に福岡シンフォニーホールがあるという構造なのだが、一般的にはまとめてアクロス福岡シンフォニーホールと呼んでいるようである。
1995年の竣工ということで、京都コンサートホールと同い年である。構造的にもシューボックス型ベースで(日本人は視覚を重視するため、どちらも客席に傾斜があるが、福岡シンフォニーホールの方が傾斜は緩やかである)、天井が高めで反響板がないという共通点がある。福岡シンフォニーホールにはパイプオルガンはなく、シャンデリアがいくつも下がっていて、木目もシックであり、見た目が洋風である。京都コンサートホールは和の要素を取り入れる術に長けているとも言える。音響であるが、音は通りやすいが、残響は短め。残響2秒とのことだったが実際はそんなにはない。音は京都コンサートホールの方が広がりがあり、福岡シンフォニーホールはタイトである。特に優劣をつけるほどの違いはないので、後は好みの問題となるだろう。
九州交響楽団の実演奏を聴くのは2度目。前回は、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、沼尻竜典の指揮した演奏会を聴いている。本拠地で九響を聴くのは初めてである。
今日のコンサートマスターは扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)。ドイツ式の現代配置での演奏である。
ドビュッシー(ビュッセル編曲)の「小組曲」。九響が洗練された瑞々しい音を出す。九響の音をそれほど多く聴いている訳ではないが、透明で洒落た感覚と、他の楽団員が出す音に対する鋭敏な反応は、デュトワが指揮するオーケストラに共通した特徴である。浮遊感や推進力などもあり、これぞ「エスプリ・クルトワ」の音楽となっている。フランス語圏のケベック州とはいえ、カナダのオーケストラがフランス本国やヨーロッパのフランス語圏の名門楽団を凌ぐだけの名声を手に入れることがいかに困難かは想像に難くなく、それを実現したデュトワの力に改めて感服させられる。
グラズノフのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン独奏の辻彩奈は、最も将来が嘱望される若手ヴァイオリニストの一人。可愛らしい容姿や、Web上でファンと気さくにやり取りする飾らない人柄も人気の一因となっている。1997年、岐阜県生まれ。以前、インターネット上で質問に答えるという企画で、「岐阜県の良いところはどこですか?」との質問に「良いところかどうかは分かりませんが、夏は暑いです」と答えていたが、それは多分、良いところじゃない。ただこれだけでも彼女の人柄が分かる。2016年、18歳の時に、モントリオール国際音楽コンクールで第1位獲得。5つの特別賞も合わせて受賞して、一躍、時の人となった。今でも「モントリオールの子」と呼ばれることがあるのはこのためである。ということでデュトワとはモントリオール繋がりである。小学生の頃から全国大会で1位を獲り、12歳で初のリサイタルを行うなど神童系であった。
東京音楽大学附属高校及び東京音楽大学に特別奨学生として入学して卒業。卒業式では総代を務めている。
純白のドレスで登場した辻彩奈。グラズノフのヴァイオリン協奏曲は、知名度こそ高くないが、後半のノリや、高度な技巧で聴かせる隠れた名曲的存在である。
辻彩奈は、今年の4月に京都市交響楽団に客演してプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番を弾いているのだが、仕事が入って聴きに行けず、実演に接するのは久しぶりである。
高音のキレが抜群の辻であるが、まずはロシアの音楽ということで、荒涼とした大地を表すような太めの音から入る。意図的に洗練を抑えた感じである。そこから音楽の純度を上げていき、左手ピッチカートなど高度な技を繰り出しつつ、第3楽章の軽快で祝祭的な音楽へと突き進んでいく。耳を裂くほどの鋭い高音は名刀の切れ味。顔は可愛いが精悍な女剣士のように音と切り結んでいく。技巧面が優れているだけでなく、曲調の描き方も鮮やかで、優れた構築力も感じさせる。デュトワ指揮の九響もロシア的な仄暗くてヒンヤリとした響きを出し、最後は華やかさが爆発する。
演奏終了後、喝采を浴びた辻。アンコール演奏として、親しみやすい旋律を持つが、やはり左手ピッチカートなど高度な技巧が要求される曲を演奏する。スコットウィラーの「アイ・ルーションラグ~ギル・シャハムのために」という曲であった。
なお、辻が出しているCD購入者には、終演後、サイン会参加の特典があり、折角なので私もブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集を購入してサインを入れて貰った。
チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワは、チャイコフスキーの交響曲第5番を2度録音している。最初はモントリオール交響楽団とのDECCAへのスタジオ録音であり、2度目はNHK交響楽団とのライブ収録盤で、「チャイコフスキー後期三大交響曲」としてリリースされている(モントリオール交響楽団とも、交響曲第4番と第6番「悲愴」はレコーディングしている)が、両者の解釈は大きく異なる。モントリオール交響楽団とレコーディングを行った時期は、ソ連当局による統制でチャイコフスキーの情報を西側で得ることは困難であり、美しいメロディーと豊かなスケールを歌い上げる演奏が主流だった。
しかし、N響との後期三大交響曲のライブ収録を行った時には、チャイコフスキーの悲劇的な最期が明らかになっており、当然ながら曲に込められたメッセージを暴くような演奏が主流となっていた。交響曲第6番「悲愴」では、第3楽章を終えて拍手が起こるも、それを無視してアタッカで第4楽章に突入するなど、表現を優先させている。
今回も当然ながら、この曲の深刻な面を掘り下げるような演奏が展開される。
ゆったりとしたテンポの憂いを込めたクラリネットソロによる「運命の主題」でスタート。クラリネットのソロが終わると更にテンポは落ちる。蠢くような木管と、冴え冴えとして潤いはあるが滲んだような色彩の弦が呻吟する。チャイコフスキーらしい美しさは保たれているが、金管の咆哮が立ちはだかる。デュトワはバランス感覚に優れているため、深刻な表現になっても暗すぎることはないが、それでも聴いていて苦しくなる演奏である。
デュトワの指揮は指揮棒を持った右手と同等かそれ以上に左手の表情が雄弁である。
第2楽章の冒頭も、灰色のような色彩であり、広がりはあるが、行方が定まらないような印象を受ける。
この楽章のハイライトであるホルンのソロ、首席のルーク・ベイカーが豊かで美観に溢れた演奏を行う。遠い日の回想の趣であり、今は手に入らない往年の輝きを愛おしむかのようである。その後も愛しい旋律が続くが、激情が押し寄せ(長調なのに痛切なのがチャイコフスキー作品の特徴である)流されていく。やがて運命の主題が立ちはだかる。
バレエ音楽にも繋がるようなワルツである第3楽章。小粋な旋律であり、演奏であるが、どことなく涙をためながら無理に伊達を気取っているようなところがある。基本的にチャイコフスキーは哀しみを隠さない人なので、自然に憂いの表情が可憐さの裏から現れる。諦めにも似た「運命の主題」。それを強引に振り払うようにして第4楽章へ。デュトワは、チャイコフスキーの後期三大交響曲では、第3楽章と第4楽章をいずれもアタッカで繋ぐという解釈を採用している。第3楽章と第4楽章で一繋がりと見なしているのだろう。
堂々と始まる第4楽章であるが、やはり気分は晴れない。21世紀に入ってから、第4楽章を明るく演奏する解釈は極端に減り、憂いを常に潜ませた演奏が主流となった。無理矢理気分を持ち上げようとしているところが逆に切なかったりする。往時は堂々と演奏した部分も懐旧の念がどうしても加わる。勝利はもはや過去のもので、今は思い返すだけである。それでも低弦の不気味な蠢きなどが表す過酷な運命と格闘し、取り敢えずの休止という形で擬似ラストを迎える。
ここから先は、堂々とした凱歌であり、主旋律は確かに運命の主題を長調にした凱歌なのだが、その他で鳴っている音は、どこか不吉であり、特に弦の荒れ狂い方は尋常ではなく、やはりまともな精神状態とは思えない。デュトワは糸車を撒くように左右の手を前で回転させる巧みな指揮棒捌き。九響は輝かしい音で応えるが、虚ろさを表現することも忘れない。
最後の一暴れが終わり、ティンパニが鳴り響く中、別れを告げるような「タタタタン」のベートーヴェンの運命主題が決然と奏でられる。ここを大袈裟にする人もいるが、デュトワとしては意識はもう向こうにあるという解釈なのか、あるいは最後の一撃なのできっぱりとということなのか、とにかく外連とは対極にある終え方であった。
デュトワの十八番の一つであるチャイコフスキーの演奏ということで、多くの聴衆が拍手と「ブラボー!」でデュトワと九響を讃える。
デュトワは各パートごとに奏者達を立たせる。ホルンやクラリネットといった活躍する楽器は特に一人ずつ立たせていた。
九響の団員が去った後も拍手は続き、デュトワはコンサートマスターの扇谷を伴ってステージ下手側に現れて、聴衆に応えていた。
京都市交響楽団の楽団員も演奏会終了後のお見送りを行うようになったが、九州交響楽団の楽団員のお見送りはもっと聴衆との距離が近く、常連客と親しげに話している楽団員も多い。

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