カテゴリー「イギリス映画」の19件の記事

2020年4月24日 (金)

これまでに観た映画より(167) 「もうひとりのシェイクスピア」

配信で映画「もうひとりのシェイクスピア」を観る。イギリス・ドイツ合作作品。監督:ローランド・エメリッヒ。出演:リサ・エヴァンス、ジェイミー・キャンベル・バウアー、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ジョエリー・リチャードソン、セバスチャン・アルメスト、レイフ・スポール、デヴィッド・シューリス、エドワード・ホッグ、ゼイヴィア・サミュエル、サム・リード、パオロ・デ・ヴィータ、トリスタン・グラヴェル、デレク・ジャコブほか。

シェイクスピア別人説に基づいて作られたフィクションである。

世界で最も有名な劇作家であるウィリアム・シェイクスピアであるが、正体については実のところよく分かっていない。当時のイギリスの劇作家は、この映画に登場するベンジャミン・ジョンソン(ベン・ジョンソン)にしろ、クリストファー・マーロウにしろきちんとした高等教育を受けているのが当然であったが、シェイクスピア自身の学歴は不明。というより少なくとも高学歴ではないことは確実であり、古典等に精通していなければ書けない内容の戯曲をなぜシェイクスピアが書けたのかという疑問は古くから存在する。実は正体は俳優のシェイクスピアとは別人で、哲学者のフランシス・ベーコンとする説や、クリストファー・マーロウとする説などがある。これが「シェイクスピア別人説」である。この映画では、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアをシェイクスピアの名を借りて戯曲を書いた人物としている。

二重の入れ子構造を持つ作品である。ブロードウェイでシェイクスピアの正体を解き明かす作品が上演されるという設定があり、前説をデレク・ジャコブが語る。劇中劇として行われるエリザベス朝の世界はベン・ジョンソン(セバスチャン・アルメスト)が事実上のストーリーテラーになるという趣向である。ストラットフォード・アポン・エイボンで生まれたいわゆるウィリアム・シェイクスピアはこの映画では文盲に近い低劣な人物として描かれている。

エリザベス朝においては、演劇は低俗な娯楽として禁じられることも多かった。当時の演劇は、社会や政治風刺と一体となっており、貴族階級はそれを嫌っていたからだ。
その貴族階級に属するオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア(リス・エヴァンス)が戯曲を発表するというわけにはいかず、匿名の台本での上演を行う。そして宮内大臣一座に所属していた三流の俳優であるウィリアム・シェイクスピア(レイフ・スポール)が調子に乗って「ヘンリー五世」の作者が自分であると観客に向かって宣言したことを利用する形で、オックスフォード伯エドワードは自身の戯曲にウィリアム・シェイクスピアと署名する。エドワードの書いた戯曲は当時の権力者である義父ウィリアム・セシル(デヴィッド・シューリス)やその息子のロバート・セシル(この映画では「リチャード三世」に見立てられた人物とする説を取っている。演じるのはエドワード・ホッグ)が行う言論弾圧や、スコットランド王ジェームズ(後のジェームズ6世。メアリー・ステュアートの息子)へのイングランド王継承を図っていることに対する批判や揶揄を含む内容であり、矢面に立つのを避ける意味もあった。実際に当時を代表する劇作家であったクリストファー・マーロウは謎の横死を遂げ、ベン・ジョンソンも逮捕、投獄の処分を受けている。最初はベン・ジョンソンと結託してその名を借りることを考えていたエドワードだが、シェイクスピアに白羽の矢を立てたことになる。次第に高慢な態度を取るようになるストラッドフォードのシェイクスピアとジョンソンは対立するようになるのだが、怒りに任せてジョンソンが行った密告により、エリザベス朝は悲劇を招くことになる。

複雑な歴史背景を描いた作品であり、歴史大作としても楽しめる映画だが、なんといってもシェイクスピアが書いた「戯曲」への敬意が主題となる。実際のところ内容が優れていればそれが誰の作であったとしても一向に構わない、とまではいかないが生み出された作品は作者に勝るということでもある。シェイクスピアの戯曲はシェイクスピアが書いたから偉大なのではなく、偉大な作品を生み出した人物がシェイクスピアという名前だったということである。仮にそれらがいわゆるシェイクスピアが書いたものではなかったとしてもその価値が落ちるということは一切ない。
ロバート・セシルは父親同様、演劇を弾圧しようとしたが、ジェームズ6世が演劇を敬愛したため、政治的にはともかくとして文化的および歴史的には演劇が勝利している。

ただこの映画に描かれるオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアという人物の生き方に魅せられるのもまた事実である。イングランドで一二を争う長い歴史を誇る貴族の家に生まれたエドワードだが政治的には全くの無能であり、戦争に参加して能力を発揮する機会もなかった。だが、当時は無意味と見做されていた文芸創作に命を懸け、結果として家は傾いたが、書き残したものは永遠の命を得た、というのは史実かどうかは別として文学者の本流の生き方でもある。

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2020年2月14日 (金)

これまでに観た映画より(154) 「イエスタデイ」

2020年2月6日 京都シネマにて

京都シネマで、イギリス映画「イエスタデイ」を観る。ダニー・ボイル監督作品。昨年暮れに大型映画館でロードショー公開が行われたが、観に行く機会がなく、ミニシアターでの公開が今月から始まったため観に行ってみた。脚本:リチャード・カーティス。出演:ヒメーシュ・パテル、リリー・ジェームズ、ジョエル・フライ、ケイト・マッキノン、アレクサンダー・アーノルド、ロバート・カーライル、エド・シーランほか。
人気ミュージシャンのエド・シーランが本人役で出演しているのも見所の一つである。

イギリスの地方都市。売れないシンガーソングライターのジャック・マリク(ヒメーシュ・パテル)は、元教師だが音楽家としての成功を夢見て、スーパーマーケットのパート社員として働きながらパブで自作の弾き語りを行っている。ただ聴いてくれるのはいつも友人や知人だけ。マネージャーやドライバーを務めてくれている中学校の数学教師、エリー(愛称は「エル」。リリー・ジェームズ)がフェスティバルの仕事を取ってきてくれるが、やはり知り合い以外は誰も聴いてくれない。エリーはジャックの才能を信じているが、ジャックはフェスティバルでの歌唱を最後に音楽を辞めるつもりであり、エリーにも打ち明ける。
だが、自転車での帰り道、全世界で12秒の停電が起こり(日本が映る場面もある)、その間にジャックは事故に遭って前歯を折るなどして病院に運ばれる。だが、友人達がビーチで退院祝いを行ってくれた時に、ジャックは不思議なことに気づく。事故でそれまで使っていたアコーティスティックギターが壊れてしまったので、友人達が新しいギターをプレゼントしてくれたのだが、ジャックがビートルズの「イエスタデイ」の弾き語りを行うと皆の表情が変わる。「いつの間にそんな良い曲を作ったの?」と聞く友人達に、「ビートルズの曲だよ」とジャックは説明するが、ビートルズを知る人は誰もいない。驚いたジャックはまさかと思い、自宅に帰ってGoogleで「ビートルズ」を検索。引っかかるのは「甲虫」のビートルズだけで、バンドのザ・ビートルズはこの世に存在しないことになっていた。この世から消えたのはビートルズだけではなく、コカコーラやハイスクール時代にジャックがカバーソングを歌っていたオアシス、煙草なども存在しないことになっている。イギリスを代表するあの有名なキャラクターも生まれていない。

ジャックは、ビートルズナンバーを自作として披露することになる。最初のうちは見向きもされなかったが、レコーディングエンジニアのギャビン(アレクサンダー・アーノルド)の耳にとまり、レコーディングを行うことに。最初はジャックが働いているスーパーの景品として世に出るが、地元のテレビ局で取り上げられたところを大物ミュージシャンのエド・シーラン(本人)が目にし、楽曲に惚れ込んだエド・シーランはジャックの自宅に押しかけて、自身の欧州ツアーコンサートの前座として出ないかと口説く。モスクワでのステージに立ったジャックが歌う「バック・イン・ザ・U.S.SR.」にモスクワっ子は熱狂。SNSで情報は瞬く間に拡散され、ジャックは天才音楽家としてたちまちのうちに世界的な有名人となるのだが、やがて罪悪感にも苛まれるようになり……。

地位や名声と幸福について問いかける作品である。実は最初の段階で「青い鳥」的な作品であることは察しがつくため、どう着地させるかが見所となってくる。目の前に幸せがありながら、成功を求めて遠回りしてしまったともいえるのだが、夢が膨らむごとに相手と遠ざかるという体験を経たからこそ、愛に正面から向かい合えるようになったとも考えられる。ビートルズも「愛こそは全て」という歌を歌っているが、真の愛があるなら、音楽はもう二の次三の次で構わないのかも知れない。

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2020年2月13日 (木)

これまでに観た映画より(153) 「CATS キャッツ」(字幕版)

2020年2月8日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、ミュージカル映画「CATS キャッツ」(字幕版)を観る。世界的ヒットミュージカルの映画化であるが、前評判は散々。アメリカの本年度最低映画を決めるラジー賞に最多ノミネートされている他、アメリカやイギリスの映画評論家達が「最低の作品」「とんでもない駄作」との評価を下しており、興行収入も散々で、大コケ映画確定となっている。日本は劇団四季が看板ミュージカルとしていて知名度抜群なためか、入りはまだ良い方であるが、日本の映画評論家や映画ファンからの評価も芳しくない。

「レ・ミゼラブル」のトム・フーパー監督作品。作曲はミュージカル版同様、アンドリュー・ロイド=ウェバーで、ロイド=ウェバーは、映画のための新曲も書き下ろしている。制作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ。出演は、フランチェスカ・ヘイワード、ロビー・フェアチャイルド、ジェニファー・ハドソン、ジュディ・デンチ(実は「キャッツ」の世界初演の際にグリザベル役を務めるはずだったのがジュディ・デンチであるが、怪我により降板している)、ジェームズ・コーデン、ローリー・デヴィッドソン、スティーブン・マックレー、ジェイソン・デルーロ、レベル・ウィルソン、イアン・マッケラン、イドリス・エルバ、テイラー・スウィフト、ダニー・コリンズ、ニーヴ・モーガンほか。本来は雄猫の役であるオールドデュトロノミーをジュディ・デンチ演じる雌猫としているのは、先に挙げた理由によるものであり、一定の効果を上げている。

 

ロンドンの下町に、一匹の子猫が捨てられる。白い雌猫のヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)である。ヴィクトリアが包まれた袋に集まってくるジェリクルキャッツという猫たち。今夜開かれる舞踏会と歌合戦で選ばれた最も優れた猫が天上の世界で再生する権利を得るのだという。様々な猫たちが個性溢れるパフォーマンスを披露する中、この集いに入ることを許されない猫もいて……。

 

余談になるが、浅利慶太がこの作品を劇団四季のメインレパートリーに据えたのには明確な哲学があったとされている。舞台で主役を演じるのは美男美女という常識に、猫のメイクをする「キャッツ」でアンチテーゼを掲げたのである。顔が良いのか悪いのかも分からないほどのメイクをして演じられる「キャッツ」(そもそもこの作品には主役らしい主役はいないわけであるが)では、容姿でない部分で評価されたり良い役を勝ち取る可能性が広がる。そしてこれは「キャッツ」というミュージカルの根幹にも関わるものである。ただ、映画の場合はクローズアップを使う必要もあるため、そうしたテーゼは通用しないわけだが。

ミュージカル「キャッツ」は、T・S・エリオットの詩集『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』という詩集を元にしたものである。『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』は、実は90年代にちくま文庫から日本語訳が出て(邦題は『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』。池田雅之の訳)、私も明治大学在学中に今はなき明大の生協で買って読んでいる。哲学的な面もあるが子ども向けの詩集であり、特にどうということもないものなのだが、詩集を原作にしているということもあって「キャッツ」には明確なストーリーが実はないのである。ショー的な要素が極めて強いのであるが、登場する猫達が歌うのは基本的に自己紹介が多く、広がりのある舞台空間で行われるなら良いのだが、映像だとそうもいかないため話が遅々として進まないように感じられ、そこが映画版の悪評に繋がっていることは間違いないと思われる。特にフーパー監督はクローズアップを多用しているため、尚更空間を感じにくい。かといって引きで撮ると迫力が出ないのも目に見えているため、そもそも映像化が難しい題材ではある。他にもCGが気持ち悪いだの、猫なのか人間なのかわからなくて不気味だとの声もあるが、今の技術ならこんなものだろうし、ビジュアル面で気になることは個人的には特になかった。

個人的には結構楽しんでみられたが、それは過去の自分とはぐれてしまった猫や、いざという時に弱い猫などの悲哀がきちんと描かれているからである。底抜けに明るいミュージカルも良いが、実は「キャッツ」はそうした路線のミュージカルではない。気持ち悪いといわれたメイクやCGの多用も、猫でありながら人間を描いていると取れば(ラストにはそうしたセリフがちゃんと用意されている)納得のいくものである。「猫を描いたから成功した」といわれるミュージカル「キャッツ」であるが、今回の映画版でも猫といいながら様々な人間の諸相が描かれていることで、皮相でない充実感も味わうことが出来たように思う。

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2019年12月 8日 (日)

これまでに観た映画より(146) 「ボヘミアン・ラプソディ」

録画してまだ観ていなかった映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観る。イギリス=アメリカ合作作品。クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記映画である。監督:ブライアン・シンガー&デクスター・フレッチャー。出演:ラミ・マレック、ルーシー・ボイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョゼフ・マゼロ、エイダン・ギレン、トム・ホランダー、アレン・リーチ、マイク・マイヤーズほか。

1970年のロンドン。ペルシャ系でゾロアスター教を信仰する移民の家に生まれたファルーク・バルサラ(ラミ・マレック)は、ヒースロー空港で「パキ野郎(パキスタン野郎)!」と差別を受けながら働いている。仕事の合間にも作詞を行い、作曲をするなど音楽への情熱に燃えていたファルークは、ボーカルに去られた学生バンド・スマイルに参加し、やがて彼らはクイーンとして世界的な人気バンドとなっていく。ファルーク・バルサラは、芸名ではなく本名をフレディ・マーキュリーに変更した。ライブ会場で出会ったショップの店員、メアリー(ルーシー・ボイントン)と恋に落ち、やがて結婚に至るなど、公私ともに順調かと思えたフレディだが、出自の問題やバイセクシャルに目覚めたことなどが影響してメアリーとの仲は次第に疎遠になっていく。CBSからのソロデビューの話を断り続けていたフレディだが、遂にはソロデビューを受け入れることになり、家族と呼んでいたクイーンのメンバーとも仲違いすることになる。クイーンの他のメンバーは有名大学卒のインテリで、本当の家族を作り、子どもを産んで育てることを当然のように行えるが不器用なフレディはそうではない。彼の第一の家族はクイーンのメンバー達だったがそれも失うのだ。

フレディと仕事仲間にして、同性愛の関係でもあったポールは、北アイルランドのベルファスト出身のカトリックで同性愛者と、自らがイギリスから阻害された存在であることを語る場面があるが、フレディもまたペルシャからインドを経てイギリスに渡った移民の子供であり、タンザニアの生まれで、ゾロアスター教徒の子であるが、教義に背いて男も愛するという阻害された存在である。ボヘミアン=ジプシーは、まさに彼のことであり、「ボヘミアン・ラプソディ」は彼自身のことを歌ったプライベートソングである。間違いなくロックではあるが、同時に阻害された者の孤独なアリアであり、バルサラからマーキュリーへの痛みを伴った転身と再生、怖れと希望を歌い上げるソウルナンバーである。
「ボヘミアン・ラプソディ」は、6分という長さと難解さ故、EMIのプロデューサーからも理解されず、シングルカット当初は音楽評論家達から酷評されるが、音楽史上初ともいわれるプロモーションビデオが大衆に受け入れられ(多重録音を用いて製作された「ボヘミアン・ラプソディ」は全曲を通してはライブで歌うことの出来ない曲であり、そのためプロモーションビデオが作成されて公開されたのだが、これが予想以上の人気を呼ぶ)大ヒット。2002年にはギネス・ワールド・レコーズ社によるアンケートで、全英ポップミュージック史上ナンバーワンソングに選ばれることになる。

成功したアーティストになったフレディだが、合同記者会見を行っても記者達は音楽のことではなく自らのプライバシーに切り込もうとばかりする。成功者ではあっても理解された存在ではなかったのだ。

父親から言われ続けた「良き思い、良き言葉、良き行い」から背いたと見做され、両性愛者であったことと奔放な私生活が原因でメアリーに去られ、子供も残せない。そしてルーズな行動が目立ち始めたことに端を発するクイーンのメンバーとのすれ違い。
最後は、この3組の家族の和解と音楽を通しての世界の融合が行われる。全てが結びつけられるのだ。

音楽の力を見せつけられるかのようなラストシーンは、実に爽快である。

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2019年11月 6日 (水)

これまでに観た映画より(137) 「エセルとアーネスト ふたりの物語」

2019年11月1日 京都シネマにて

京都シネマでアニメーション映画「エセルとアーネスト ふたりの物語」を観る。「スノーマン」などで知られる絵本作家、レイモンド・ブリッグズが自身の両親を描いたベストセラー絵本のアニメ映画化。監督:ロジャー・メインウッド、音楽:カール・デイヴィス。声の出演は、ブレンダ・ブレッシン、ジム・ブロードベント、ルーク・トレッダウェイほか。エンディングテーマはポール・マッカートニーが手掛けている。ポール・マッカートニーはレイモンド・ブリッグズの大ファンだそうで、レイモンドから直筆のオファーを受けて快諾したそうだ。

まず原作者のレイモンド・ブリッグズを写した実写映像が流れる。ブリッグズは両親が共に普通の人物であったことを語り、両親を描いた絵本がベストセラーになったことを不思議に思っていると率直に述べている。

物語は1928年に始まる。日本でいうと昭和3年。京都では毎日新聞の京都支局であった1928ビルが完成し、ロシアでは名指揮者であるエフゲニー・スヴェトラーノフが生まれた年である。

ロンドン。牛乳配達夫のアーネストは自転車を走らせている時に、豪邸の窓を掃除していたメイドのエセルを見掛け、手を振る。それが運命の出会いとなった。アーネストは毎朝、エセルを見掛けることを楽しみとし、エセルはアーネストのことで頭が一杯になって気もそぞろ。そしてある日、アーネストが花束を持ってエセルが働いている豪邸のチャイムを鳴らす。アーネストにプロポーズされたエセルは一緒に映画を観に出掛ける。実はアーネストは1900年生まれであるが、エセルは1895年生まれと5歳上であった。エセルは30代半ばに差し掛かっており、子どもを産むためには結婚を急ぐ必要があった。
二人は新居を買い、エセルはメイドを辞める。アーネストにもっと稼いで欲しいエセルであったが、アーネストは街に出て働くことが好きなため牛乳配達夫を続けており、出世すると事務方になって表に出られなくなるため消極的であった。エセルは自身を労働者階級ではないと考えており、プライドを持っていたが、アーネストの稼ぎは労働者階級よりも低かった。
政治的にもエセルが保守党支持者であるのに対してアーネストは労働党を支持しており、夫婦で思想なども異なっている。
エセルが38歳の時に、後に絵本作家となるレイモンドが生まれる。だが、高齢出産のため難産であり、エセルの命が危ぶまれたということで、出産直後にエセルとアーネストは産科医から「もう子どもは作らないように」と釘を刺されてしまう。

ドイツではヒトラーが政権を取り、1939年にドイツがポーランドに侵攻するとイギリスはナチスドイツに対して宣戦を布告。アーネストもイギリス軍に協力するようになる。ロンドンでも空襲が始まり、アーネストは防空壕を作るのだが、出来上がったのはなんとも心許ない代物であった。空襲は激しさを増し、アーネストとレイモンドもあわやという場面に遭遇したため、レイモンドは疎開することになる。エセルはレイモンドの疎開に反対するが、戦況は差し迫っていた。やがてエセルとアーネストが暮らしていた家も空襲によって破壊されてしまう。
ナチスが降伏し、ヨーロッパ戦線は終結を迎えた。しかし、1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、10万人を超える市民が一瞬にして犠牲になる。アーネストは余りのむごさを嘆くが、エセルは「戦争を終えるためには」という姿勢であった。エセルもアーネストも第1次世界大戦で肉親を失っており、戦争が一日も早く終わることを願っていた。

戦後、エセルはチャーチルの選挙での敗北を嘆くが、アーネストは労働党による新しい政治に期待する。思想も指向性も正反対であったが、夫婦としては上手くやっていく。

レイモンドは神経質な子どもだった。パブリックスクールに合格を果たし、これでオックスフォード大学かケンブリッジ大学に入って出世コースに乗れるとエセルは喜んだのだが、レイモンドは夢を追いかけるためにパブリックスクールを自主退学して美術学校に進んでしまう。やがてレイモンドは独立し、彼女を両親に紹介するのだが、その彼女が統合失調症を患っているということで両親は心配し……。

 

特別なことは何もない二人の41年の共同生活を描いた作品である。二人は息子と違って特別な才能があったわけでも何かしらの分野で有名であったわけでもない。日々生活し、子どもを生み、育て、将来を見守る。ただ、世の中の大多数を占めているのはそうした人々であり、これはエセルとアーネストの物語であると同時に、世界中の多くの家族の物語であるともいえる。激動の時代の中を淡々とただしっかりと生きていくという姿勢こそ、あるいは「世界」にとっては最も偉大なあり方なのかも知れない。
ありふれた人生だが、それだけに素晴らしい。


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2018年2月14日 (水)

コンサートの記(346) 大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」

2018年2月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「Enjoy!オーケストラ ~オーケストラで聴く映画音楽の世界!~」を聴く。指揮とお話は大阪フィルハーモニー交響楽団ミュージック・アドヴァイザーの尾高忠明。

大阪フィルハーモニー交響楽団は、フェスティバルホールを本拠地としているが、定期演奏会はフェスティバルホールで行い、その他の企画はザ・シンフォニーホールを使う傾向がある。音響だけとればザ・シンフォニーホールは日本一だと思われるため、使用しないと勿体ない。今回は武満徹とジョン・ウィリアムズという二人の作曲家の作品を取り上げる。

曲目は、第1部が武満徹作曲による、3つの映画音楽(「ホゼ・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」)、「夢千代日記」、「乱」、「波の盆」組曲。「夢千代日記」と「波の盆」はテレビドラマのための音楽である。 第2部がジョン・ウィリアムズ作曲の映画音楽で、「未知との遭遇」メインテーマ、「ハリー・ポッターと賢者の石」メインテーマ、「シンドラーのリスト」メインテーマ、「E.T.」よりフライングシーン、「ジョーズ」メインテーマ、「スター・ウォーズ」メインテーマ。

まず武満の3つの映画音楽。大フィルは元々音量は豊かだが音の洗練については不足気味の傾向がある。初代の音楽監督である朝比奈隆が「愚直」を好み、骨太の演奏を指向したということもある。2代目の音楽監督である大植英次は現代音楽も得意としたが外連を好む傾向にあり、首席指揮者を務めた井上道義に関しても同傾向であったことは言うまでもない。ということで、もっと緻密で繊細な音作りも望みたくなるのだが、洒脱さは出ていたし、まずまずの出来だろう。

演奏終了後、尾高はマイクを手に振り返り、トークを始める。「僕は桐朋学園に学びました。齋藤秀雄という怖い怖い先生に教わりましたが、『尾高! 良い指揮者になりたかったらあんまり喋るな!』」といういつもの枕で笑いを取る。「大阪フィルハーモニー交響楽団は人使いが荒くて、指揮だけでなく話もして欲しい」。ここから武満の思い出となり、「コンピューターゲームが大好きな人でした。うちによく遊びに来てくれて嬉しかったのですが、コンピューターゲームで自分がお勝ちになるまでお帰りにならない」「これは喜ばれると思うのですが阪神タイガースの大ファンでした。阪神が負けた日には話しかけない方が良さそうな」という話をする。雑誌のインタビューで読んだことがあるのだが、尾高はこの話を日本だけではなく海外でも行っており、海外のオーケストラ団員も「タケミツってどんな人?」と興味津々で、この話をすると喜ばれるそうである。

その後、次の「夢千代日記」の話になり、主演した吉永小百合が今でも「バレンタインデーにチョコレートを貰いたい有名人アンケート」で1位を取るという話もする。どちらかというと響きの作曲家である武満徹。世界で彼にしか書けないといわれたタケミツ・トーンは海外、特にフランスで高く評価され、フランス人の音楽評論家から「タケミツは日系フランス人作曲家である」と評されたこともある。ただ武満本人は、「ポール・マッカートニーのような作曲家になりたい」と望んでおり、メロディーメーカーに憧れていた。残念ながらメロディーメーカーとしてはそれほど評価されなかった武満であるが、「夢千代日記」や「波の盆」に登場する美しい旋律の数々は、武満の多彩な才能を物語っている。

「乱」に関しては、監督である黒澤明と武満徹の確執を尾高は話す。黒澤明は武満に作曲を依頼。レコーディングのためにロンドン交響楽団を押さえていた。「ロンドン交響楽団で駄目だったらハリウッドのオーケストラを使ってくれ。ゴージャスにやってくれ」と注文したのだが、武満は岩城宏之指揮の札幌交響楽団を推薦。黒澤は「冗談じゃない!」と突っぱね、ここから不穏な空気が漂うようになる。武満が想定した音楽は黒澤が想像していたものとは真逆だった。
よく知られていることだが、黒澤映画のラッシュフィルムにはクラシック音楽が付いており、黒澤は「これによく似た曲を書いてくれ」というのが常だった。「乱」に関してはマーラーの曲が付いていたことが想像される。黒澤はマーラーのようにど派手に鳴る音楽を求めていたようだ。武満も「強い人だったので」折れず、じゃあ一緒に札幌に行こうじゃないかということになり、札幌市の隣町である北広島市のスタジオで札幌交響楽団に演奏を聴く。黒澤は納得したようで、札幌交響楽団のメンバーに「よろしくお願いします」と頭を下げたそうである。実はこの後、武満と黒澤は更に揉めて、絶交にまで至るのだが、それについては尾高は話さなかった。ただ演奏終了後に、「この音楽はハリウッドのオーケストラには演奏は無理であります」と語った。

武満の映画音楽の最高峰である「乱」。色彩豊かなのだがどこか水墨画のような味わいのある音楽である。巨人が打ち倒されるかのような強烈な悲劇性と群れからはぐれて一人ヒラヒラと舞う紋白蝶のような哀感の対比が鮮やかである。タケミツ・トーンがこれほど有効な楽曲もそうはない。

「波の盆」。尾高は日系ハワイ移民を題材にしたストーリーについて語る。笠智衆、加藤治子、中井貴一が出演。日米戦争に巻き込まれていく姿が描かれている。「あんまり詳しく話すとDVDが売れなくなりますので」と尾高は冗談を言っていた。
叙情的なテーマはよく知られているが、いかにもアメリカのブラスバンドが奏でそうなマーチが加わっていたりと、バラエティ豊かな音楽になっている。武満自身がマニア級の映画愛好者であり、オーケストレーションなどは映画音楽の仕事を通して学んだものである。

ちなみに尾高は子供の頃は指揮者ではなく映画監督に憧れていたそうで、果たせずに指揮者となり「一生を棒に振る」と冗談で笑いを取っていた。


第2部。ジョン・ウィリアムズの世界。最初の「未知との遭遇」メインテーマでは、高校生以下の学生券購入者をステージ上にあげての演奏となった。演奏終了後に子供に話も聞いていたが、今の子供も「未知との遭遇」のテーマは「聴いたことがある」そうである。

尾高は、ジョン・ウイリアムズは武満を尊敬していたということを語る。

ジョン・ウィリアムズは、「ジュリアード音楽院、日本でいうと東京芸大のようなところ」で学び、カステルヌオーヴォ=テデスコに師事した本格派であり、スピルバーグもジョージ・ルーカスも「自分が成功出来たのはジョンの音楽があったから」と語っていることを尾高は紹介する。

「ハリー・ポッターと賢者の石」はスピルバーグ作品でもルーカスフィルムでもなく、クリス・コロンバス監督作品であるが、「ハリー・ポッター」シリーズは、イギリス人の魂そのものだと捉えられているそうである。ミステリアスな曲調を上手く現した演奏であった。そういえば、私が「ハリー・ポッターと賢者の石」を観たのはまだ千葉にいた頃で、富士見町にあるシネマックス千葉での上映を観たのだった。

「シンドラーのリスト」では、今日は客演コンサートマスターに入った須山暢大(すやま・のぶひろ)が独奏を担当。サウンドトラックでソロを受け持ったイツァーク・パールマンのような濃厚さはなかったが技術面ではしっかりした演奏を聴かせる。

「E.T.」よりフライングシーンの音楽。今日取り上げたジョン・ウィリアムズ作品の中で、この曲だけがメインテーマではない。CMでもよく使われる曲で、尾高はピザのCMに使われたものが印象的だったと述べた。大フィルの音楽性には武満よりもジョン・ウィリアムズ作品のようが合っているように思う。

「ジョーズ」メインテーマ。スピルバーグが「28歳ぐらいの時の映画だと思うのですが」「自分より1つか2つ上なだけの人間(尾高は1947年生まれ、スピルバーグは1946年生まれである)がこうした映画を撮るのか」と衝撃受けたそうである。演奏を見ているとかなり高度はオーケストレーションが用いられているのが確認出来る。

今日はチケット完売、補助席まで売り切れという盛況である。尾高によると満員というのが文化の高さの指標になるそうで、以前、新国立でベンジャミン・ブリテンの「ピーター・グライムズ」をやった時、二日とも満員御礼で初日は良かったのだが、二日目に1階席の真ん真ん中2列が空いてしまっていたという。そこはスポンサー関係者用の席で誰も聴きに来なかったようなのだが、2幕の始まりに、ビーター・グライムズ役のイギリス人歌手が尾高の所に飛んできて、「チュウ! チュウというのは僕のことです。『もう歌わない! あそこが空いてるじゃないか!』となりまして」と語った。

さらにチケット完売時の返券(キャンセル)の話になる。尾高がウィーン国立音楽アカデミー(現・ウィーン国立音楽大学)でハンス・スワロフスキーに師事していた時代のこと。ヘルベルト・フォン・カラヤンが毎年夏に自身が主催するザルツブルク音楽祭を開いており、「カラヤン指揮のオペラが聴きたい」と思った尾高はザルツブルク祝祭劇場(カラヤンが大阪の旧フェスティバルホールをモデルに自らも設計に加わって建てさせたもの)まで出掛けた。
帝王カラヤン指揮のオペラなので前売り券は当然ながら完売、尾高は返券を求めて、開場の1時間半ほど前から並ぶことにしたという。午前8時半頃にザルツブルク祝祭劇場の前に着くと、すでに100人ほどが列を作っている。「こりゃ駄目かな」と思いつつ尾高が列に並んでしばらくすると、黒塗りの豪華な車が劇場の前で止まり、いかにも上流階級といった風の男性が降りてきた。男は尾高に、「おい、君は何やってるんだ?」と聞く。尾高が「オペラを聴くために並んでます」と答えると、「そんなことはわかっている。なにをやっていて、どうしてこのオペラを聴こうと思ったのかを聞いている」。尾高がウィーンで指揮を学んでいることを話すと、男性はチケットをくれたという。なんとS席の中でも特等の座席であったそうだ。
男性はカラヤンの知り合いで、毎年、ザルツブルク祝祭劇場でオペラを観ていたのだが、この年はどうしても抜けられない仕事が出来てしまい、「チケットを無駄にしたくないから、音楽を学んでいる奴にやろう」と決めて、目的地に向かう途中で高速道路を下りて、わざわざザルツブルク祝祭劇場に車を横付けしたのだった。

ラストの「スター・ウォーズ」メインテーマ。輝かしい演奏で掉尾を飾った。

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2017年3月 5日 (日)

これまでに観た映画より(93) ヒッチコック9「快楽の園」

2017年2月27日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時から、MOVIX京都で、ヒッチコック9「快楽の園」を観る。

「快楽の園」はアルフレッド・ヒッチコックの監督デビュー作である。1925年(大正14年。日本ではラジオの放送が始まった年である)制作、1926年(大正15年=昭和元年)公開の作品。オリヴァー・サンディスの同名小説を翻案したものである。イギリス映画であるが、当時のイギリス映画界は不振が続いており、制作費が見込めないため、すでに映画大国であったドイツのミュンヘンに本社を置くエメルカ社と提携し、ドイツとイタリアで撮影が行われた。映画黄金期にあったドイツの映画資本は英国の実に10倍ほどはあったという。
ただ、映画が完成したのは良いが、制作会社が出来に難色を示したため、公開は1年ほど遅れている。

今日も古後公隆のキーボードとチェロによる即興生演奏付きでの上映。字幕の日本語訳は大野裕之ではなく、別の男性が読み上げた。


「快楽の園」というのは劇場の名前である。若い女性ダンサーを目当てに、多くの男性が「快楽の園」に通っている。タイトルバックではすでにダンサー1人が踊っており、妖艶な雰囲気を出している。
ヒッチコック映画というと螺旋階段が多く登場することで有名だが、最初の映画の最初のシーンが螺旋階段を駆け下りる女性ダンサー達を撮ったものである。

パッツィ(ヴァージニア・ヴァリ)は「快楽の園」で働くダンサーの一人。パッツィの美貌に惚れて言い寄る男性もいるほどだ。パッツィはウィットに富んだ話で言い寄ってきた男性を退ける。
本番が終わった後、若い女性が「快楽の園」を訪ねてくる。女の名はジル(カルメリータ・ゲラティ)。田舎での生活が耐えられなくなってロンドンに出てきたのだが、お金がない。そこで「快楽の園」の支配人であるハミルトン(ジョージ・スネル)への紹介状を持って「快楽の園」を訪れたのだ。だが紹介状は劇場に入る前にスリの男性に奪われてしまい、バッグを引っ繰り返しても出てこない。見かねたパッツィは、ジルを自分の下宿先に泊まらせる。ジルはパッツィに婚約者の写真を見せる。ヒュー(ジョン・スチュアート)というハンサムな男性だ。

翌日、ジルはハミルトンの前でダンスを披露。「何でも踊れる」と豪語するジルは言葉通り見事な身のこなしを示し、ハミルトンに気に入られる。「週給5ポンドでどうだ」と誘うハミルトンに、ジルは「20ポンドがいいわ」と強気に出て認められた。
ヒューがパッツィとジルの下宿を訪ねてくる。ヒューは東洋へ海外転勤するのだと告げる。同僚のレヴェット(マイルス・マンダー)も少し遅れてから海外に赴任するそうだ。

ハミルトンは、ジルを王子であるアイヴァン(イヴァン。演じるのはC・ファルケンブルク)と娶せることを画策。望み通りアイヴァンとジルは恋仲となり、上流階級の人々に囲まれることに慣れたジルはヒューの転勤先に向かうこともなく、パッツィとの部屋も「狭すぎる」という理由で出て行ってしまい、アイヴァン王子の屋敷で贅沢な暮らしを送るようになる。

一方、レヴェットはパッツィにプロポーズして成功。二人は結婚することになる。イタリアのコモ湖畔に新婚旅行に行った後で、「資金が出来たら迎えに来る」と言い残して出港したレヴェットだが、現地に着くなり現地妻(演じるのはニタ・ナルディ)を作り、パッツィが出した手紙にも返事を書かない。
やがて、レヴェットは「病気になったので返事が書けない」という手紙を寄こす。心配したパッツィは渡航しようと思い立つがお金がない。パッツィの様子を見かねた大家夫婦が棚の上からへそくりを取り出し……。

かくして海を渡ったパッツィ。だが、病気になったのは本当だったが、現地妻といちゃついているレヴェットを目撃したパッツィは失望する。レヴェットは現地妻を追い出そうとするが、パッツィの方から家を出て行った。
現地妻は、本国に本妻がいたことを知って入水自殺を図る(「蝶々夫人」のような展開である)。現地妻の元へと泳いでたどり着くレヴェット。助けに来てくれたのだと思い、笑顔を見せる現地妻だったが、レヴェットが彼女の顔を海へと沈め……。


監督処女作にしてスリラーの要素を取り込んだロマンスに仕上げており、まだ二十代半ばの映画監督が撮ったものとしては完成度はとても高く、後年のヒッチコックの監督としての大成功を早くも予見させるものとなっている。
モノクロ映画であるが、フィルムは彩色されており、セピア色、グリーン調、パープル調、ピンク調と様々な色が用いられているのも特徴である。

なお、この映画で監督補&スクリプターを務めたアルマ・レヴィとは、これが縁となってヒッチコックは後に結婚することになる。

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2017年3月 3日 (金)

これまでに観た映画より(92) ヒッチコック9「恐喝(ゆすり)」(サイレント版)

2017年2月26日 新京極のMOVIX京都にて

午後5時から、MOVIX京都で、ヒッチコック9「恐喝(ゆすり)」を観る。1929年の作品。この映画はサイレントとトーキーの端境期ということで、サイレント版とトーキー版の両方が作られたという。私もトーキー版の「恐喝(ゆすり)」は観たことがあるのだが、サイレント版を観るのは今日が初めてである。というよりサイレント版「恐喝(ゆすり)」の存在を知らなかった。

この作品もまた舞台作品の映画化である。監督&翻案:アルフレッド・ヒッチコック、原作:チャールズ・ベネット、脚本:ガーネット・ウェストン&チャールズ・ベネット。

今日も、古後公隆によるキーボードとチェロの即興伴奏付きの上演。ディレクターである大野裕之は、作品の紹介と進行役を担当したが、字幕の日本語訳は今日は大野ではなく、劇団とっても便利の女優である佐藤都輝子(さとう・ときこ)が読み上げた。


ロンドンが舞台。スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の刑事であるフランク(ジョン・ロングドン)がホシを挙げることに成功。恋人で雑貨店の娘であるアリス・ホワイト(アンディ・オンドラ)と共に映画館に行くデートを楽しむことにするのだが、途中で寄ったレストランで、アリスは画家のクルー(シリル・リッチャード)からの誘いを優先させ、映画を観るのをやめて帰るとフランクに言う。アリスはクルーと共にレストランを後にする。フランクはそれを目撃し、後を追う。
クルーのアトリエに寄っていくことに決めたアリス。そこには悲しげに笑っているようにも見える道化の画があるのだが、それが後々、意味をなしてくる。
クルーが突然本性を露わにし、アリスに襲いかかる。ベッドに連れ込まれたアリスは近くにあったナイフを手に取るとクルーを滅多刺しにして殺してしまう。

クルー殺害事件の担当にはフランクが就くことに決まった。だが、現場でフランクはアリスがつけていたものと同じ指先の破れた手袋を発見する。フランクは手袋をポケットにしまい込み、証拠隠滅を謀る。

人を殺めてしまったショックで一晩中、ロンドンの街をさまよい歩いたアリス。だが、母親に悟られないように自宅(1階でホワイト雑貨店を営む)に帰り、2階の自室のベッドでずっと寝ていたふりをする。
ホワイト一家が朝食を終えた頃にフランクが訪ねてきて、アリスに昨夜何があったのかを聞く。と、そこへ人相の悪い男がホワイト雑貨店に入ってきて、一番上等な葉巻を注文する。男は火を点けて吸い始めるが、金を持っていないのでフランクに立て替えてくれるよう頼む。男の名はトレイシー(ドナルド・キャルスロップ)。昨夜の殺人事件の犯人がアリスだと知っていた。トレイシーは「朝食でも食べよう」と言って、ホワイト雑貨店の居間に上がり込み、アリスとフランクをゆすろうとする。
だが、トレイシーが指名手配されたという情報が電話を通してフランクに伝わる。殺害現場近くにトレイシーは足跡を残しており、トレイシーという名を照合したところ、殺人の前科があることが判明したのだ。今度はフランクが俄然反撃に転じ、トレイシーをゆする番となった。そしてフランクからの話を受けたスコットランドヤードの刑事達がホワイト雑貨店に踏み込んでくる。追い詰められたトレイシーはホワイト雑貨店の窓ガラスを破って逃亡。ロンドン中を逃げ回るが、どこに行っても追っ手は迫る。大英博物館に逃げ込んだトレイシーは大捕物を演じたあげく、ガラス屋根から転落死する。これで死人に口なしとなり、ハッピーエンドを迎えるかと思われたのだが……。

イギリス映画としては、初めて全編に渡ってトーキーが採用された映画となった「恐喝(ゆすり)」。だが、心理サスペンスであるため、サイレント映画にもまた強烈な魅力がある。心の揺れを眼差しや細かな仕草で表現したアリス役のアンディ・オンドラ、ふてぶてしさを表情のみで表現したトレイシー役のドナルド・キャルスロップ、弱気だったのが一転して復讐の鬼と化すフランク役のジョン・ロングドンなど、出演者の演技がとても素晴らしい。今日は字幕によるセリフは比較的多めだったが、しっかりと状況設定と役者の表現力さえあれば、サイレントであったとしてもかなり雄弁な映画となるうることが証明されたかのような作品であった。

のちに「ヒッチコック・シャドー」と呼ばれることになる長く不気味な影、ヒッチコック映画の定番でもある螺旋階段、殺害の瞬間を観客に見せない技法、ロンドンの象徴でもあるビッグベンの使い方や、手の差し出し方によって思い起こされるアリスのトラウマなど、ヒッチコックはサイレント映画の粋を集めたかのような巧みな映画作りを見せている。


ヒッチコックというとカメオ出演が有名であるが、「恐喝(ゆすり)」では、かなりわかりやすい形で登場する。フランクとアリスが地下鉄でレストランへと移動するシーンで、同じ車両に乗り合わせた男がヒッチコックである。車内で暴れ回る子供をにらみつけるという演技まで行っている。
 
 

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2017年3月 2日 (木)

これまでに観た映画より(91) ヒッチコック9「農夫の妻」

2017年2月25日 新京極のMOVIX京都にて

アルフレッド・ヒッチコック監督のサイレント時代の映画全9本をイギリス国営映画協会が2012年に最新デジタルマスターで1コマずつ復元した映像で日本初上映しようというヒッチコック9。ヒッチコックのサイレント映画は日本では映画館で上映されたこと自体が少なく、日本初上映となる作品も多い。
今日観るヒッチコック9は、ラブコメディーである「農夫の妻」。1928年の作品である。
「ふしだらな女」同様、この映画も戯曲が原作であり、イーデン・フィルポッツの大ヒット舞台を映画化したものだという。ヒロイン役は、「リング」でもヒロインを務めたリリアン・ホール=デイヴィス。ミュージカル映画「雨に唄えば」では、サイレント映画のスターがトーキーの時代になって通用しなくなる様が描かれているが、このリリアン・ホール=デイヴィスもトーキーに対応出来ずに精神を病み、この映画が作られたわずか5年後の1933年にガス自殺を遂げている。享年35。

イギリス南西部の農村が舞台。ヒッチコックは実際にイギリス南西部のマインヘッド郊外でロケを行っているが、主人公の家はロンドン市内に作られたセットで撮影されている。
サミュエル・スウィートランド(ジェイムソン・トーマス)の妻が亡くなる。妻は遺言と「早く再婚して」というメッセージを残していた。ただし、結婚相手は誰が良いのかは書かれていない。そこでサミュエルは、家政婦のアラミンタ(リリアン・ホール=デイヴィス)と協力して結婚候補のリストを作る。リストの載ったのは4人。いずれもサミュエルに対してその気があるような気配を見せていた女性達だ。
だが、「一人で生きていける」、「結婚相手には考えられない」、「年齢が離れすぎていて考えられない」などという理由で断ってくる。
ヒットした舞台の映画化であり、求婚される女性の一人、サーザ・タッパーを演じたモード・ジルは舞台版でも同じ役を演じていたそうである。
大傑作というわけにはいかないだろうが、愛らしい作品であり、俳優達の表情の演技も巧みである。リリアン・ホール=デイヴィスだけが飛び抜けた美女で、他は普通のおばさんであり、最初から結末はわかってしまうのであるが、納得出来る終わり方をするため、予定調和であるがハッピーエンドと感じられる。
気が変わってサミュエルと結婚する気満々でいたメアリー・ハーン役のオルガ・スレイドの錯乱を表す演技も面白い。

今日も英語の字幕の日本語訳を大野裕之が読み上げ、古後公隆がキーボードとチェロによる即興伴奏を生演奏した。


今日は映画監督を迎えたアフタートークがある。ゲストは映画「淵に立つ」で、第69回カンヌ国際映画祭・ある視点部門審査員賞を受賞した深田晃司(ふかだ・こうじ)監督。ヒッチコック9のディレクターである大野裕之と二人でトークを進める。深田は、ヒッチコック監督の「裏窓」という映画にサイレント映画の要素が見られると指摘する。「裏窓」では、足を骨折した主人公(ジェームズ・スチュアートが演じている)が裏窓から双眼鏡を使って向かいのアパートを眺めているうちに事件に巻き込まれるという展開をするのだが、向かいのアパートの住人達の仕草は見えるのに、声や音が聞こえてこないところがサイレント的であるという。
大野によるとヒッチコックはサイレント映画について、「最もピュアな映画の形」と形容していたそうで、サイレント映画こそが映像作品の究極形態の一つと考えていた節がある。
大野はチャップリン研究の専門家であるが、チャップリンもよく知られている通りトーキー映画に敵愾心のようなものを抱いており、「モダンタイムス」ではチャップリンは意味不明の言葉で歌ったことを挙げる。チャップリンがトーキーに本格的に乗り出すのは「自分の声でメッセージを伝えたかった」という理由で長大な演説シーンを盛り込んだ「独裁者」からである。
深田監督は、サイレント映画の中では、「イントレランス」、「裁かれたジャンヌ」、「ファウスト」が好きだそうである。サイレント時代には、英国には実は映画予算がなく、ドイツやアメリカの映画会社が資金潤沢だったそうで、ヒッチコックもアメリカの映画会社(のちのパラマウント)のロンドン撮影所に入社し、ドイツで最初の映画を撮っている。
チャップリンもバスター・キートンも喋る表情をしないサイレント映画を作っているが、「農夫の妻」では、声は聞こえないものの口は動いており、そこが他のサイレント映画の作家と違うところだと深田は指摘した。
また深田は、階段が効果的に使われていることについて述べ、左右だけでなく上下を有効に生かしていると語った。

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2017年3月 1日 (水)

これまでに観た映画より(90) ヒッチコック9「ふしだらな女」

2017年2月24日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時からMOVIX京都で、ヒッチコック9「ふしだらな女」を観る。1928年の映画。今日が日本における劇場初上映となる。「私生活(プライベート・ライヴズ)」などで知られる劇作家、サー・ノエル・カワードの戯曲の映画化。ただサイレント映画であるため、戯曲通りに映画を制作することは不可能であり、脚本のエリオット・スタナードがサイレント映画用に再構成を行って完成させている。

1928年というと、日本の年号に直すと昭和3年。日本国憲法第9条の元となるパリ不戦条約が結ばれた年でもある。

今回は生演奏付きでの上演となる。作曲家でピアニスト、チェリストでもある古後公隆がキーボードとチェロの演奏を行った。
「ふしだらな女」も字幕によるセリフは比較的多めで、ディレクターの大野裕之が日本語訳を読み上げる。

まずは裁判所の場面から始まる。被告人はラリータ・フェルトン(イザベル・ジーンズ)。ラリータは画家のクロード(エリック・クランズビー・ウィリアムス)に肖像画を依頼してたのだが、ラリータの夫のオーブリー(フランクリン・ダイアル)はアル中で癇癪持ちであり、酔ってはラリータを殴りつけるなどのDVを行っていた。クロードがラリータの肖像画を描いている時も、様子を見に来たオーブリーは堂々と酒を飲んでいる。オーブリーの不在時、二人きりで絵を描いていた時にラリータがDVを受けていることを知ったクロードは打撲痕のある腕を取ってラリータを慰めるのだが、折悪しく、丁度そこへオーブリーが帰ってきてしまう。ラリータとクロードの浮気の現場を押さえたと勘違いしたオーブリーは二人をなじる。激怒したクロードはピストルを発砲。オーブリーはクロードを散々に殴りつけるが、最後は倒れる。急所は逸れていて命に別状はなかったのだが、発砲音を聞きつけた警察が駆けつけてくる。追い詰められたクロードは自殺する(自殺のシーンはなく、法廷での証言のセリフでクロードの死が語られる)。
姦通罪で、有罪となったラリータは南仏へと移り、傷心を癒やそうとする。ある日、ラリータがテニスの試合を見ていた時に、テニスボールが逸れてラリータの顔に当たってしまう。ミスショットをしたのはジョンという青年(ロビン・アーヴィン)。これがきっかけとなり、ラリータとジョンは急接近。瞬く間に結婚に漕ぎ着けた二人はイギリスに帰ることになる。
しかしジョンの母親(ヴィオレット・フェアブラザー)はラリータに不審を抱いている。ジョンの母親は元々はジョンの幼なじみであるサラ(イーニッド・スタンプ=テイラー)を義理の娘として迎えるつもりでいた上に、何故か見覚えのあるラリータの顔から不穏なものを感じていた。サラはラリータに優しかったが、ジョンの母親はラリータには冷たく当たり……。

特に誤ったことはしていないのに、勘違いされたり間違われることで不幸になるという、ヒッチコック映画ではお馴染みのパターンが見られる映画である。
実は元のフィルムはすでに消滅しており、残っていたのは家庭用の16ミリフィルムに転写されたものだけだったという。なお、元々は94分の作品だったそうだが、今現在残っているのは69分のみであり、今回はそれが上映された。元々が粗悪な映像であったわけだが、イギリスが国費を注ぎ込んでデジタルリマスターしたというだけあって、予想よりも良い画像で観ることが出来た。

以前にも京都会館第2ホール(現・ロームシアター京都サウスホール)で、齊藤一郎指揮京都市交響楽団の伴奏によるチャップリンのサイレント映画を観たことがあるが、やはり生演奏による音楽の力には大きなものがある。その分、十分に注意しないと物語が音楽に飲み込まれてしまう可能性が高くなるということでもある。

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