カテゴリー「イギリス映画」の31件の記事

2024年9月26日 (木)

これまでに観た映画より(346) 伊藤沙莉&須賀健太主演「獣道」

2024年9月13日

ひかりTVの配信で、日英独合作映画「獣道」を観る。監督・脚本は、「ミッドナイトスワン」の内田英治。出演:伊藤沙莉(主題歌も担当)、須賀健太(ナレーショ兼任)、アントニー(マンテロウ)、吉村界人、でんでん、矢部太郎、韓英恵、広田レオナ、近藤芳正ほか。

実話に基づく話とされる。

長く続く初恋の物語でもある。

伊藤沙莉演じる愛衣は、いくつもの新宗教にのめり込んでいる母親の下、地方都市で育ち(シングルマザーのようである。演じるのは広田レオナ)、やがてある新宗教の施設に引き取られて、アナンダ(釈迦の十大弟子の一人であるアーナンダに由来)の法名を得て信仰生活を送るようになるのだが、教祖ら教団幹部が警察に逮捕されて事実上の解散。初めて学校(中学校)に通うようになり、ここで亮太(須賀健太)と出会うが、共に暴走族のグループに関わるようになる。高校には進まなかったか早々に辞めたかで、彼氏が出来て、彼の家族と暮らすようになった愛衣は、髪を金色に染める。彼ら北見家は半グレ一家であり、万引きや生活保護(おそらく不正受給)で暮らしている(愛衣は煙草を吸うが、演じている伊藤沙莉は大の煙草嫌いであることが兄のオズワルド・伊藤俊介の証言で分かっている。オズワルド伊藤は喫煙者であるが、妹と同居していた時代に、「家では絶対煙草を吸わないで」と言われていたにも関わらず、風呂場で何度も吸ってしまい、ついには「家賃上げるよ(兄が4万、妹が12万と言われている)」「お前は、馬鹿お兄ちゃんか」とキレられたとのこと)。
だが彼と別れて行き場をなくした愛衣は、男絡みのいざこざに巻き込まれ、拉致された上、生き埋めにされて危うく殺されそうになる。何とか救い出された愛衣は、半グレの一家にいる同級生を訪ねてきた女の子であるユカに誘われ、家にやっかいになることに。清楚系に変わった愛衣。実の娘のように可愛がられる。だが、媚びた態度がユカの反感を買う。夜には工場で働いているということにしていたのだが、実はホステスをやっていた。愛衣の後を付けてそれを発見したユカの告げ口を受けて、義理の父親(ユカの実父。近藤芳正)が店に訪ねてくる。義絶を仄めかされた愛衣は女の武器を使って、何とか気持ちを引き留めようとするが上手くいかず、やがてホテトル嬢へと身を落とす。亮太と再会した愛衣は、「東京に行こう」と告白されるが、拒絶した。最終的には人気AV女優となり、身内からも尊敬されて多くのファンを持つことになる愛衣だが、表情はどこか寂しそうである(つま先をくっつけ、足の開きを「∧」の形にすることで愛らしくも弱々しく立っているように見える演技を行っていることが確認出来る)。

基本的に伊藤沙莉を見るための映画である。新宗教時代のすっぴんと見られる表情、清楚系からヤンキー、友人キャラに夜の仕事そして性風俗業界に生きる女性、可愛らしさから狂気までと様々な顔を見せてくれる。一々顔や声が変わるのが面白い。かなり妖艶なシーンもあり、AV女優になってからのとろんとしたあざとい目つきなどは実際にAVを見て研究しているようでもある。

伊藤沙莉の演技により、内容がかなり変わったそうで、他にも色々とあるのだが、伊藤沙莉を楽しむための映画と割り切った方が良さそうである。

なお、愛衣のモデルとなった女性がこの映画に出演しているようだが、はっきりとは分からない。

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2024年7月22日 (月)

これまでに観た映画より(341) 「関心領域 THE ZONE OF INTEREST」

2024年5月27日 京都シネマにて

京都シネマで、アメリカ・イギリス・ポーランド合作映画「関心領域 THE ZONE OF INTEREST」を観る。監督・脚本:ジョナサン・グレイザー。出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラーほか。音楽:ミカ・レヴィ。原作:マーティン・エイミス。音響:ジョニー・バーン&ターン・ウィラーズ。ドイツ語作品である。
第76回カンヌ国際映画祭グランプリ、英国アカデミー賞非英語作品賞、ロサンゼルス映画評論家協会賞作品賞・監督賞・主演賞・音響賞、トロント映画批評家協会賞作品賞・監督賞、米アカデミー賞国際長編映画賞(元・外国語映画賞)・音響賞などを受賞している。

ドイツ占領下のポーランド領アウシュヴィッツにあった強制収容所の隣に住んでいたナチス親衛隊中尉一家、ヘス家の日常を描いた作品である。アウシュヴィッツ強制収容所の直接的な描写は一切ないが、遠くからなんとも言えない声や音がヘス家の中まで響いてきて、目に見えない惨劇を連想させる。音響のための映画とも言えるだろう。
アウシュヴィッツ強制収容所との対比を出すために、意図的に何気ない日常が中心に描かれており、隣で何が起こっているのかについては、登場人物の多くが関心を持たない。ドラマとしては面白いものとは言えないだろうが(実際、いびきが響いていた)、それが狙いであると思われる。実際にアウシュヴィッツで撮られた映像は理想郷をカメラに収めたかのように美しい。

主人公のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)は、アウシュヴィッツ強制収容所の隣に住み、収容所の所長をしているが、近く異動になる予定である。出世であるが、単身赴任する必要があり、妻子がアウシュヴィッツの家で暮らすことが出来るよう取り計らってくれるように頼んでいる。ヒムラー、アイヒマン、ヒトラーなどのナチスを代表する人物達の名前が登場するが、彼らが画面に登場することはない。なお、ルドルフ・ヘスは実在の人物で、アウシュヴィッツ強制収容所の所長をしていた頃の告白遺録『アウシュヴィッツ収容所』を遺しており貴重な史料となっているようである。

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2024年5月 1日 (水)

これまでに観た映画より(330) 山田太一原作 イギリス映画「異人たち」

2024年4月22日 京都シネマにて

京都シネマで、イギリス映画「異人たち」を観る。日本を代表する脚本家で、昨年亡くなった山田太一の小説『異人たちとの夏』(1987年刊行)を原作とした作品である。第1回山本周五郎賞を受賞した『異人たちとの夏』は山田太一の小説家としての代表作と言える。

大林宣彦の監督により1988年に映画化されているが、山田太一は脚本には関わらず、市川森一に任せている。大林宣彦監督版「異人たちとの夏」(出演:風間杜夫、片岡鶴太郎、秋吉久美子、名取裕子、永島敏行ほか)は評価も高く、これが映画デビュー作となった片岡鶴太郎は、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞で助演男優賞を獲得。日本アカデミー賞受賞時は男泣きした。鶴太郎が俳優として認識されるきっかけを作った作品でもある。
その他、大林宣彦監督が毎日映画コンクール監督賞、秋吉久美子が毎日映画コンクールとブルーリボン賞の助演女優賞、市川森一が日本アカデミー賞の脚本賞を受賞している。作品自体もファンタスティック映画祭審査員特別賞を受賞した。風間杜夫の代表作の一つであるとも思われるが、意外にも無冠である。風間杜夫演じる脚本家の原田はプッチーニのオペラを愛聴しているが、私がプッチーニという作曲家を知るきっかけとなったのはこの映画であった。

舞台化も何度かされており、椎名桔平の主演による2009年の公演がメジャーで、すき焼き屋のシーンでは、実際に舞台上ですき焼きを作り、芳香が客席にまで立ちこめていた。

2003年に『異人たちとの夏』の英訳版が出版され、大林宣彦監督の映画も含めて広く知られた存在になっているという。今回のイギリス制作の映画は、2003年の英訳版『異人たちとの夏』を原作に、大幅な改変を加えて映画化されたものである。大林宣彦版の映画とは趣が大きく異なり、ほとんど参考にされていないようだ。
ロンドンの高層マンションと、そこから電車で少し掛かる郊外の住宅街が主舞台となっている。
監督:アンドリュー・ヘイ。出演:アンドリュー・スコット、ポール・メスカル、ジェイミー・ベル、クレア・フォイほか。

ロンドンの高層マンションに住む脚本家のアダム(アンドリュー・スコット)は、スランプ気味であるようで、ダラダラとした生活を送っている。アダムが住むマンションは夜になると人気がなくなる。友達が一人もいないアダムは孤独な日々を過ごしている。ある夜、マンションの6階に住むハリー(スコット・ポール)という男が訪ねてくる。寂しいので日本産のウイスキーでも一緒にどうかと勧めるハリー。アダムはゲイであり、同じくゲイであるハリーもそれを見抜いているようだったが、アダムはハリーを室内には入れずに帰す。

12歳になる前に両親を交通事故で亡くしたアダム。ふと思い立って子ども時代を過ごした郊外の住宅街を訪れる。そこでアダムは亡くなったはずの両親と出会う。それがきっかけで、アダムは両親を題材にした脚本を書き始めることになる。
両親はアダムが物書きになったことを喜ぶが、ゲイだと告白したことに戸惑いも見せる。

アダムはハリーとの仲も深めていくが、ゲイであるために差別され、子どもの頃から、からかわれたりいじめられたりしたことが深い傷となっている。だがそのことを両親に告げることが出来なかった。再会した父親にも、自分がアダムの同級生だったらいじめに加わっていただろうと告げられる。ハリーもまた同じような境遇にあったことが察せられ、最初にアダムの部屋を訪れた時から孤独に押しつぶされそうな雰囲気を湛えていた。

「孤独」を主題にした作品に置き換えられている。原作や大林版の映画にも恐ろしく孤独な女性が登場するのだが、男女の恋愛要素も強くなっている。だが、今回のアンドリュー・ヘイ版では、二人ともゲイであるということで、濃密なラブシーンこそあるが、周囲から理解されない孤独な魂を抱えた二人の話となっている。大林版では、日本的な抒情美や東京の下町を舞台としたことから起こるノスタルジアも印象的であったが、今回の映画からはそうしたものはほとんど感じられない。また実は山田太一の原作は結構怖い話であり、大林版の映画にもそうした部分はあるのだが、そうしたものは今回の映画では省かれている。
大林宣彦作品のイギリス版を期待するとかなりの違和感を覚えるはずであり、全く別の映画として捉えた方が良いように思える。

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2024年4月25日 (木)

これまでに観た映画より(329) ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師「ZOO」

2024年4月1日 京都シネマにて

京都シネマで、ピーター・グリーナウェイ監督作品「ZOO」を観る。独特の映像美を特徴とするピーター・グリーナウェイの代表作4作を上映する「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」の1本として上映されるもの。出演:アンドレア・フェレオル、ブライアン・ディーコン、エリック・ディーコン、フランシス・バーバー、ジェラード・トゥールン、ジョス・アクランドほか。音楽:マイケル・ナイマン。

動物園で動物学者として働くオズワルド(ブリアン・ディーコン)とオリヴァー(エリック・ディーコン)の双子の兄弟は、交通事故で共に妻を亡くす。事故を起こした車を運転していたアルバ(アンドレア・フェレオル)は一命を取り留めるが、右足を付け根から切断することになる。アルバとオズワルド、オリヴァーは次第に接近していくのだが、双子の兄弟は腐敗する動物の死骸に興味を持つようになる。

全裸のシーンが多いため、日本でのロードショー時にはかなりの部分がカットされたというが、現在はカットなしで上映されている。
シンメトリーの構図が多用されているのが特徴で、フェルメールの話が出てくるなど、グリーナウェイ監督が元々は画家志望だったことが窺える要素がちりばめられている。絵画的な映画と呼んでもいいだろう。

動物の死骸が腐敗していく様子を早回しで映すシーンで流れるマイケル・ナイマンの曲は、映画のために書かれたものではなく、先に「子どもの遊び」として作曲されていた曲の転用である。

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2024年4月 5日 (金)

これまでに観た映画より(328) 「ラストエンペラー」4Kレストア

2024年3月28日 アップリンク京都にて

イタリア、中国、イギリス、フランス、アメリカ合作映画「ラストエンペラー」を観る。4Kレストアでの上映である。監督はイタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ。中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(宣統帝)の生涯を描いた作品である。プロデューサーは「戦場のメリークリスマス」のジェレミー・トーマス。出演:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、英若誠、ヴィクター・ウォン、ヴィヴィアン・ウー、マギー・ハン、イェード・ゴー、ファン・グァン、高松英郎、立花ハジメ、ウー・タオ、池田史比古、生田朗、坂本龍一ほか。音楽:坂本龍一、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)。音楽担当の3人はアカデミー賞で作曲賞を受賞。坂本龍一は日本人として初のアカデミー作曲賞受賞者となった。作曲賞以外にも、作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣装デザイン賞、美術賞も含めたアカデミー賞9冠に輝く歴史的名作である。

清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(成人後の溥儀をジョン・ローンが演じている)。弟の愛新覚羅溥傑は華族の嵯峨浩と結婚(政略結婚である)して千葉市の稲毛に住むなど、日本にゆかりのある人で、溥儀も日本の味噌汁を好んだという。幼くして即位した溥儀であるが、辛亥革命によって清朝が倒れ、皇帝の身分を失い、その上で紫禁城から出られない生活を送る。北京市内では北京大学の学生が、大隈重信内閣の「対華21カ条の要求」に反対し、デモを行う。そんな喧噪の巷を知りたがる溥儀であるが、門扉は固く閉ざされ紫禁城から出ることは許されない。

スコットランド出身のレジナルド・フレミング・ジョンストン(ピーター・オトゥール)が家庭教師として赴任。溥儀の視力が悪いことに気づいたジョンストンは、医師に診察させ、溥儀は眼鏡を掛けることになる。ジョンストンは溥儀に自転車を与え、溥儀はこれを愛用するようになった。ジョンストンはイギリスに帰った後、ロンドン大学の教授となり、『紫禁城の黄昏』を著す。『紫禁城の黄昏』は岩波文庫から抜粋版が出ていて私も読んでいる。完全版も発売されたことがあるが、こちらは未読である。

その後、北京政変によって紫禁城を追われた溥儀とその家族は日本公使館に駆け込み、港町・天津の日本租界で暮らすようになる。日本は満州への侵略を進めており、やがて「五族協和」「王道楽土」をスローガンとする満州国が成立。首都は新京(長春)に置かれる。満州族出身の溥儀は執政、後に皇帝として即位することになる。だが満州国は日本の傀儡国家であり、皇帝には何の権力もなかった。

満州国を影で操っていたのが、大杉栄と伊藤野枝を扼殺した甘粕事件で知られる甘粕正彦(坂本龍一が演じている。史実とは異なり右手のない隻腕の人物として登場する)で、当時は満映こと満州映画協会の理事長であった。この映画でも甘粕が撮影を行う場面があるが、どちらかというと映画人としてよりも政治家として描かれている印象を受ける。野望に満ち、ダーティーなインテリ風のキャラが坂本に合っているが、元々坂本龍一は俳優としてのオファーを受けて「ラストエンペラー」に参加しており、音楽を頼まれるかどうかは撮影が終わるまで分からなかったようである。ベルトルッチから作曲を頼まれた時には時間が余りなく、中国音楽の知識もなかったため、中国音楽のCDセットなどを買って勉強し、寝る間もなく作曲作業に追われたという。なお、民族楽器の音楽の作曲を担当したコン・スーであるが、彼は専ら西洋のクラシック音楽を学んだ作曲家で、中国の古典音楽の知識は全くなかったそうである。ベルトルッチ監督の見込み違いだったのだが、ベルトルッチ監督の命で必死に学んで民族音楽風の曲を書き上げている。
オープニングテーマなど明るめの音楽を手掛けているのがデヴィッド・バーンである。影がなくリズミカルなのが特徴である。

ロードショー時に日本ではカットされていた部分も今回は上映されている。日本がアヘンの栽培を促進したというもので、衝撃が大きいとしてカットされていたものである。

後に坂本龍一と、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3部作を制作することになるベルトルッチ。坂本によるとベルトルッチは、自身が音楽監督だと思っているような人だそうで、何度もダメ出しがあり、特に「リトル・ブッダ」ではダメを出すごとに音楽がカンツォーネっぽくなっていったそうで、元々「リトル・ブッダ」のために書いてボツになった音楽を「スウィート・リベンジ」としてリリースしていたりするのだが、「ラストエンペラー」ではそれほど音楽には口出ししていないようである。父親が詩人だというベルトルッチ。この「ラストエンペラー」でも詩情に満ちた映像美と、人海戦術を巧みに使った演出でスケールの大きな作品に仕上げている。溥儀が大勢の人に追いかけられる場面が何度も出てくるのだが、これは彼が背負った運命の大きさを表しているのだと思われる。


坂本龍一の音楽であるが、哀切でシリアスなものが多い。テレビ用宣伝映像でも用いられた「オープン・ザ・ドア」には威厳と迫力があり、哀感に満ちた「アーモのテーマ」は何度も繰り返し登場して、特に別れのシーンを彩る。坂本の自信作である「Rain(I Want to Divorce)」は、寄せては返す波のような疾走感と痛切さを伴い、坂本の代表曲と呼ぶに相応しい出来となっている。
即位を祝うパーティーの席で奏でられる「満州国ワルツ」はオリジナル・サウンドトラック盤には入っていないが、大友直人指揮東京交響楽団による第1回の「Playing the Orchestra」で演奏されており、ライブ録音が行われてCDで発売されていた(現在も入手可能かどうかは不明)。
小澤征爾やヘルベルト・フォン・カラヤンから絶賛されていた姜建華の二胡をソロに迎えたオリエンタルなメインテーマは、壮大で奥深く、華麗且つ悲哀を湛えたドラマティックな楽曲であり、映画音楽史上に残る傑作である。

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2022年7月24日 (日)

これまでに観た映画より(302) ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」

2022年7月21日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」を観る。今年で96歳になる世界最高齢元首のエリザベス女王(エリザベス2世)の、即位前から現在に至るまでの映像を再構成したドキュメンタリーである。時系列ではなく、ストーリー展開も持たず、あるテーマに沿った映像が続いては次のテーマに移るという複数の断章的作品。

イギリスの王室と日本の皇室はよく比べられるが、万世一系の日本の皇室とは違い、イギリスの王室は何度も系統が入れ替わっており、日本には余り存在しない殺害された王や女王、逆に暴虐非道を行った君主などが何人もおり、ドラマティックであると同時に血なまぐさい。
そんな中で、英国の盛期に現れるのがなぜか女王という巡り合わせがある。シェイクスピアも活躍し、アルマダの海戦で無敵艦隊スペインを破った時代のエリザベス1世、「日の沈まない」大英帝国最盛期のヴィクトリア女王、そして前二者には及ばないが、軍事や経済面のみならずビートルズなどの文化面が花開いた現在のエリザベス2世女王である。

イギリスの王室が日本の皇室と違うのは、笑いのネタにされたりマスコミに追い回されたりと、芸能人のような扱いを受けることである。Mr.ビーンのネタに、「謁見しようとしたどう見てもエリザベス女王をモデルとした人物に頭突きを食らわせてしまう」というものがあるが(しかも二度制作されたらしい。そのうちの一つは頭突きの前の場面が今回のドキュメンタリー映画にも採用されている)、その他にもエリザベス女王をモデルにしたと思われるコメディ番組の映像が流れる。

1926年生まれのエリザベス2世女王。1926年は日本の元号でいうと大正15年(この年の12月25日のクリスマスの日に大正天皇が崩御し、その後の1週間だけが昭和元年となった)であり、かなり昔に生まれて長い歳月を生きてきたことが分かる。

とにかく在位が長いため、初めて接した首相がウィンストン・チャーチルだったりと、その生涯そのものが現代英国史と併走する存在であるエリザベス女王。多くの国の元首や要人、芸能のスターと握手し、言葉を交わし、英国の顔として生き続けてきた。一方で、私生活では早くに父親を亡くし、美貌の若き女王として世界的な注目を集めるが(ポール・マッカートニーへのインタビューに、「エリザベス女王は中学生だった私より10歳ほど年上で、その姿はセクシーに映った」とポールが語る下りがあり、アイドル的な存在だったことが分かる)、子ども達がスキャンダルを起こすことも多く、長男のチャールズ皇太子(エリザベス女王が長く生きすぎたため、今年73歳にして今なお皇太子のままである)がダイアナ妃と結婚したこと、更にダイアナ妃が離婚した後も「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号を手放そうとせず、そのまま事故死した際にエリザベス女王が雲隠れしたことについて市民から避難にする映像も流れたりする。この時は、エリザベス女王側が市民に歩み寄ることで信頼を取り戻している。

その他に、イギリスの上流階級のたしなみとして競馬の観戦に出掛け、当てて喜ぶなど、普通の可愛いおばあちゃんとしての姿もカメラは捉えており、おそらく世界史上に長く残る人物でありながら、一個の人間としての魅力もフィルムには収められている。

「ローマの休日」でアン王女を演じたオードリー・ヘップバーンなど、エリザベスが影響を与えた多くのスター達の姿を確認出来ることも、この映画の華やかさに一役買っている。

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2022年4月 1日 (金)

これまでに観た映画より(290) 「ベルファスト」

2022年3月29日 京都シネマにて

京都シネマで、ケネス・ブラナー脚本・監督作「ベルファスト」を観る。アイルランド・イギリス合作。アカデミー賞では脚本賞に輝いた作品である。イギリス(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)の北アイルランドの中心都市、ベルファストを舞台としたカトリック派とプロテスタント派の闘争を少年の視点から描いた作品。ケネス・ブラナーはベルファストに生まれ、9歳の時までこの街で生活していた。ということで、自身の子供時代を重ねて描いた映画である。

出演:ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、ジュディ・デンチほか。

宗教闘争が鍵となっているが、それには北アイルランドの成り立ちについて知らないと内容がよく分からないことになる。
カトリックの国であったアイルランドであるが、徐々にイギリスに浸食されることになり、遂にはイギリスに併合されてしまう。その過程で、イギリスはカトリックを離れたイギリス国教会(英国聖公会)を樹立させ、更に多くの派が分離してプロテスタント系へと流れていく。ということで、イギリスはプロテスタントが主流、アイルランドはカトリックが主流ということになる。その後、ようやく20世紀に入ってからアイルランドはイギリスからの独立を勝ち取るのだが、北アイルランドはカトリック系の住民よりもプロテスタント系の住民の方が圧倒的に多かったため、アイルランド独立後もイギリスに属することになった。これが火種となる。

映画は現在のベルファスト市の上空からのカラー映像に続き、1969年8月15日のモノクロ映像へと移る。9歳のバディ(ジュード・ヒル)が戦士ごっこを終えて家へと帰ろうとした時のことだ。向こう側から、武装した異様な風体の男達が現れる。男達は火炎瓶を投げるなどして周囲を混乱と恐怖へと陥れていった。バディが住む街ではプロテスタント派もカトリック派も家族のように仲良く暮らしていた。だが、プロテスタントのタカ派青年達がやって来て、カトリックの住民を排斥するために暴力に訴え出たのである。これがIRAなどを生んだことで知られる北アイルランド紛争の始まりであった。実はバディの一家はプロテスタントを信仰しており、直接的に排除される対象ではなかった。後にバディは従姉のモイラによって反カトリック派によるスーパーマーケット襲撃の列に強引に加えられてしまったりする。

一方、バディの父親(本名不明。演じるのはジェイミー・ドーナン)はその日、家を空けていた。北アイルランドでは待遇が悪いため、ロンドンに出稼ぎに出て大工(正確には建具工のようである)をしていたのだ。平日はロンドンで働き、週末にベルファストに戻るという生活をしていたが、ベルファストが物騒になってきたため、週末にロンドンで働いて、それ以外はベルファストにいるという逆の生活を選ぶことになる。経済的に苦しくなることが予想されたが、そんな折り、契約しているロンドンの会社から大工の正社員にならないかという誘いを受ける。それも新居が約束されているという好待遇でである。しかしバディの母親(こちらも本名不明。演じるのはカトリーナ・バルフ)は生まれ育ったベルファストに愛着があり、またアイルランドなまりによって差別を受けるのではないかとの怖れからロンドンに移ることを渋る。

バディは小学校では成績優秀。クラス一の秀才であるキャサリンに好感を抱いている。小学校では、テストがある度に席替えが行われ、成績優秀者が最前列で、点数が低いと後ろに下がることになる。今回のテストでバディの成績は3番。オリンピックになぞらえて「銅メダル」と呼ばれる。あと一つ、順位を上げれば「金メダル」であるキャサリンの隣の席になれる。
そうした事情もあり、また祖父(キアラン・ハインズ)や祖母(ジュディ・デンチ)と別れたくないとの理由もあって「ベルファストから離れたくない」と泣きわめくのだった。


ケネス・ブラナーが自身の子供時代を投影していると思われるシーンがいくつかある。バディの一家は映画好きで、たびたび家族で映画館に出掛けており、映画館で「チキ・チキ・バン・バン」を観るシーンがある。またバディが一人でテレビで放送される西部劇映画を食い入るように見つめている場面がクローズアップなども使って描かれている。また、一家は劇場にも通う習慣があったようで、ディケンズ原作の「クリスマス・キャロル」を舞台化したものを観るシーンも盛り込まれている。夢見る少年にとって、生まれた場所を離れるのは耐えがたいことであったが、ベルファストの状況が日毎に悪化していく中で、母親も移住賛成派に回り、ベルファストを去ることが決定的となるのであった。


人生の最も重要な時期の一つである少年時代の夢と悪夢を絡めながら描いた瑞々しい作品である。状況的には悲惨なのであるが、幼い日の淡い恋心や映画への憧れなど、子供を主人公にしたからこそ可能な、心が軽くスキップするような瞬間が丁寧に描かれている。そしてそうであるが故に、それと対比される暴力や争うことの愚かさが、より際立って見える。

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2021年5月30日 (日)

これまでに観た映画より(261) 「戦場のメリークリスマス」

2021年5月27日 京都シネマにて

京都シネマで、「戦場のメリークリスマス」を観る。大島渚監督作品。日本=イギリス=ニュージーランド合作作品で、撮影は主にニュージーランドで行われている。出演:デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティ、ジャック・トンプソン、内田裕也、ジョニー大倉、内藤剛志ほか。オール・メイル・キャストである。結構よく知られた話だが、無名時代の三上博史も日本軍の一兵卒役で出演しており、比較的目立つ場面に出ていたりする。脚本:大島渚&ポール・マイヤーズバーグ。製作はジェレミー・トーマス。2023年に大島渚の作品が国立機関に収蔵される予定となったため、全国的な大規模ロードショーは今回が最後となる。4K修復版での公開となるが、京都シネマの場合は設備の関係で、2Kでの上映となる。

映画音楽の作曲は坂本龍一で、略称の「戦メリ」というと通常では映画ではなく坂本龍一作曲のメインテーマの方を指す。おそらく映画よりも音楽の方が有名で、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」は観たことがなくても、坂本龍一作曲の「戦場のメリークリスマス」は聴いたことがあるという人も多いだろう。サウンドトラック盤の他に、ピアノアルバムとして発表した「Avec Piano」も有名で、坂本龍一本人の監修による楽譜などが出版されている。私は坂本龍一本人の監修ではなく、許可を得て採譜され、kmpから出版された楽譜を紀伊國屋書店新宿本店で買ってきて、よく練習していた。「戦場のメリークリスマス」メインテーマよりも、「Last Regrets」という短い曲の方が好きで、これまでで一番弾いた回数の多い曲であると思われる。
私のことはどうでもいいか。

ローレンス・ヴァン・デル・ポストの小説『影の獄にて』を原作としたものであり、インドネシアにおける日本軍の敵国兵捕虜収容所が舞台となっている。捕虜収容所を舞台とした映画としては「大いなる幻影」が有名であるが、「戦場のメリークリスマス」も「大いなる幻影」同様、戦争映画なのに戦闘シーンが全くないという異色作で、おそらくであるが、「大いなる幻影」はかなり意識されていると思われる。

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1942年、ジャワ島レバクセンパタにある日本軍の捕虜収容所。収容所所長はヨノイ大尉(坂本龍一)である。部下のハラ軍曹(ビートたけし)と、捕虜であるが日本在住経験があるため日本語も操れるジョン・ロレンス(トム・コンティ)は敵であり、時には一方的にハラがロレンスに暴力を振るう関係でありながら、友情のようなものも築きつつあった。

当時日本領だった朝鮮半島出身の軍属であるカネモト(ジョニー大倉)が、オランダ兵俘虜のデ・ヨンに性行為を働いたかどで捕縛され、ハラから切腹を強要されそうになるというところから始まる。実はこの同性愛の主題がずっと繰り返されることになるのがこの映画の特徴であるのだが、単なるホモセクシャルの話で終わらないところが流石は大島渚というべきだろうか。戦場には男しかいないため、洋の東西を問わず同性愛は盛んに行われたのだが、この映画では、それが単なる性欲という形で終わることはない。

ヨノイは、バタビヤ(現在のジャカルタ。長年、インドネシアの首都として知られたジャカルタだが、首都移転計画が本格化しており、ボルネオ島内への遷都が行われる可能性が高い)で行われる軍律会議に参加したのだが、そこで被告となったジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)に一目惚れする。ここで流れる音楽は「The Seed(種)」というタイトルで、メインテーマ以上に重要である。

死刑を宣告されたセリアズであったが、ヨノイによって日本軍捕虜収容所に入れられることとなる。

「戦場のメリークリスマス」は、まだ千葉にいた二十代の頃に、セルビデオ(VHSである。懐かしいね)で観たことがあるのだが、スクリーンで観るのは今回が初めてとなる。日本公開は1983年。当時、私は小学3年生で、まあ10歳にもならない子どもが観るような映画ではない。


大島渚は京都大学在学中に学生運動に参加し、左派思想からスタートした人だが、坂本龍一も都立新宿高校在学中から学生運動に加わり、芸大在学中も、――当時は学生運動は盛りを過ぎていたが――、美術学部の学生を中心に(音楽学部の学生は純粋なお坊ちゃんお嬢ちゃんばかりで、政治には全く興味を示さなかったとのこと)自ら学生運動の団体を興していたということもあって、大島渚に憧れていたという(この辺りの記述は坂本龍一の口述による著書『Seldom Illegal 時には、違法』が元ネタである)。大島渚は学生劇団でも活動していたが、坂本龍一も芸大在学中はアンダーグラウンド演劇に参加しており、吉田日出子などとも知り合いで、舞台音楽を手掛けたほか、舞台に立ったこともあるというが、この映画での演技はかなり酷いもので、本人も自覚があり、坂本龍一のお嬢さんである坂本美雨によると、「試写後、たけしさんとフィルムを燃やそうかと話していたそうですからね(笑)」(「戦場のメリークリスマス/愛のコリーダ」有料パンフレットより)とのことである。日本語のセリフは切るところも変だし、感情と言葉が一致していなかったりする。ビートたけしは、喋りを仕事としているので、癖は強いが聞ける範囲であるが、坂本龍一はあのYMOの坂本龍一でなかったら降板もやむなしとなっていたとしてもおかしくない。ただ、大島渚は演技の巧拙ではなく、人物の持つエネルギーを重視する映画監督であり、当時、時代の寵児と持て囃されていた坂本龍一の佇まいは、やはり印象に残るものである。実際、坂本龍一の姿がメインで映っているが、坂本が喋っていないという場面が最も効果的に撮られている。
なお、当時の坂本龍一は「美男子」というイメージで女子学生のファンが多く、坂本龍一目当てで観に来ている女の子も多かったそうである。

敵味方や性別といった境界全てを超える「愛」というものを、変則的ではあるが思いっ切りぶつけてくる大島の態度には清々しさすら感じる。また、主役にデヴィッド・ボウイと坂本龍一という二人のミュージシャンを配しながら、ボウイ演じるセリアズは歌が苦手で、頭脳明晰でありながら自己表現が不得手であることにコンプレックスを感じているという設定なのが面白い。

余り指摘している人は見かけないが、デヴィッド・ボウイが担っているのはイエス・キリストの役割だと思われる。十字架への磔に見立てられたシーンが実際にある。物語の展開を考えれば、むしろない方が通りが良くなるはずのシーンである。そして何よりタイトルにメリークリスマスが入っている。


坂本龍一へのオファーは、最初は俳優のみでというものだったようだが(今日BSプレミアムで放送されたベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー」も同様である)「音楽をやらせてくれるなら出ます」と答え、自身初となる映画音楽に取り組む。デヴィッド・ボウイが出るなら、ボウイのファンと音楽関係者はみんな「戦場のメリークリスマス」を観るから、映画音楽を手掛ければ世界中の人に聴いて貰えるという計算もあったようだ。映画音楽の手本となるものをプロデューサーのジェレミー・トーマスに聞き、「『市民ケーン』を参考にしろ」と言われ、書いたのが「戦場のメリークリスマス」の音楽である。インドネシアが舞台ということでアジア的なペンタトニックで書かれた音楽で、試写会を終えた後にジェレミー・トーマスから、“Not good,but Great!”と言われたことを坂本が自慢気に書いて(正確に書くと「語って」)いたのを覚えているが、かなり嬉しかったのだろう。坂本はその後も数多くの映画音楽を手掛けており、一時は本気で映画音楽の作曲に専念しようと思ったこともあるそうだが、処女作である「戦場のメリークリスマス」は、今でも特別な音楽であり続けている。

1992年頃に、坂本龍一が、日本人として初めてハリウッドで成功した俳優である早川雪洲役で大島渚の映画に主演するという情報が流れたが、予算が足りずにお蔵入りになってしまったようで、代わりに「御法度」という、これもまた同性愛を描いた大島渚の映画に坂本は音楽担当として参加している。


ラストのクローズアップでの笑みが、「仏の笑顔」、「これだけでアカデミー助演男優賞もの」と海外で騒がれたというビートたけし。たけしのイメージに近い役を振られているということもあって、演技力は余り感じられないが、ハラ軍曹その人のように見える。

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2020年12月 8日 (火)

これまでに観た映画より(232) 手塚治虫原作 手塚眞監督作品「ばるぼら」

2020年12月2日 京都シネマにて

京都シネマで「ばるぼら」を観る。日本・ドイツ・イギリス合作映画。原作:手塚治虫。監督は息子の手塚眞。脚本:黒沢久子。撮影監督:クリストファー・ドイル。音楽:橋本一子。出演は、稲垣吾郎、二階堂ふみ、渋川晴彦、石橋静河、美波、大谷亮介、片山萌美、ISSAY、渡辺えり他。9月に自殺という形で他界してしまった藤木孝も大物作家役で出演している。

手塚治虫が大人向け漫画として描いた同名作の映画化である。原作を読んだことはないが(その後、電子書籍で買って読んでいる)、エロス、バイオレンス、幻想、耽美、オカルトなどを盛り込んだ手塚の異色作だそうで、そうした要素はこの映画からも当然ながら受け取ることが出来る。

主人公は売れっ子作家の美倉洋介(稲垣吾郎)である。耽美的な作風によるベストセラーをいくつも世に送り出し、高級マンションに住む美倉。美男子だけにモテモテだが、未婚で本命の彼女もいない。秘書の加奈子(石橋静河)や、政治家の娘である里見志賀子(美波)が思いを寄せているが、美倉は相手にしていない。仕事は順調で連載をいくつも抱えているが、「きれいすぎる」ことばかり書いているため、奥行きが出ておらず、才能に行き詰まりも感じていた。

ある日、美倉は新宿の地下街で寝転んでいたホームレス同然の女(原作漫画では「フーテン」と記されている)ばるぼら(スペルをそのまま読むと「バーバラ」である。二階堂ふみ)を見つける。ヴェルレーヌの詩を口ずさんだばるぼらに興味を持った美倉は自宅に連れ帰る。実は美倉は異常性欲者であることに悩んでいたのだが、自分のためだけに書き上げたポルノ小説風の原稿をばるぼらに嘲笑われて激怒。すぐに彼女を家から追い出すが、それから現実社会が奇妙に歪み始める。

街で見かけた妖艶な感じのブティックの店員、須方まなめ(片山萌美)に心引かれた美倉は、彼女の誘惑を受け入れ、店の奥へ。美倉のファンだというまなめだったが、「何も考えずに読める」「馬鹿な読者へのサービスでしょ」「頭使わなくていい……ページ閉じれば忘れちゃう」と内心気にしていることを突きまくったため美倉は激昂。そこに突然ばるぼらが現れて……。

長時間に渡るラブシーンあるのだが、ウォン・カーウァイ監督映画でスピーディーなカメラワークを見せたクリストファー・ドイルの絶妙のカメラワークが光り、単なるエロティシズムに終わらせない。美醜がない交ぜになった世界が展開されていく。

ばるぼらの登場により、美倉の頭脳と文章は冴え渡るようになる。美倉はばるぼらのことをミューズだと確信するのだが、ばるぼらは映画冒頭の美倉のナレーションで「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、垂れ流した排泄物のような女」と語られており、一般的なミューズ像からは大きくかけ離れている。取りようによっては抽出物ということでもあり、究極の美と醜さの両端を持つ存在ということにもなる。

原作では実際にミューズのようで、バルボラ(漫画内では片仮名表記である)と会ったことで美倉はテレビドラマ化や映画化もされるほどの大ベストセラー『狼は鎖もて繋げ』を生むようになるが、バルボラと別れた途端に大スランプに陥り、6年に渡ってまともな小説が書けなくなってしまう。そして時を経てバルボラの横でバルボラを主人公にした小説を書き始める。のちに大ベストセラー小説となる長編小説『ばるぼら』がそれだが、美倉は執筆中に小説に魂を奪われてしまうという展開になっている。

この映画でも、ラストで美倉が『ばるぼら』という小説を書き始めるのだが、その後は敢えて描かずに終わっている。

この映画では、美倉の作家仲間である四谷弘之(原作では冒頭のみに登場する四谷弘之と、筒井隆康という明らかにあの人をモデルとした作家を合わせた役割を担っている。演じるのは渋川晴彦)がミューズについて、「お前にミューズがいるとしたら加奈子ちゃんだろ?」と発言している。美倉が売れない頃から苦楽を共にしてきた加奈子。清楚で真面目で家庭的で頭も良くて仕事も出来てと良き伴侶になりそうなタイプなのだが、それでは真のミューズにはなり得ないのだろう。おそらく耽美派の作家である美倉にとって、創作とは狂気スレスレの行いであろうから。

SMAP時代から俳優活動にウエイトを置いてきた稲垣吾郎。風貌も耽美派小説家によく合い、演技も細やかである。優等生役から奔放な悪女まで演じる才能がある二階堂ふみは、真の意味でのミューズとしてのばるぼら像を巧みに現出させていたように思う。出番は多くないが、美波、石橋静河、片山萌美も印象に残る好演であった。

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2020年11月22日 (日)

これまでに観た映画より(228) アルフレッド・ヒッチコック監督作品「三十九夜」

2006年7月25日

DVDでアルフレッド・ヒッチコック監督作品、「三十九夜」を観る。500円DVDシリーズの1枚。原作はジョン・バカンの『三十九階段』(詩人でミステリーマニアでもあった、故・田村隆一大推薦の小説)。映画の原題も“The 39 steps”なのだが、どういうわけか、「三十九夜」という邦題になってしまった。1935年、ヒッチコックの英国時代の作品である。

ロンドンの劇場で、記憶男という抜群の記憶力を持つ男のショーを観ていたハネイというカナダ人が、劇場内での発砲事件をきっかけに英国の機密を海外に持ちだそうとする陰謀に巻き込まれていくというストーリー。ヒッチコックお得意の巻き込まれ型サスペンスだ。

「第三の男」の、どういうわけかスピーチをする羽目になるというエピソードを思わせるシーンがあったり(勿論製作は第二次大戦後のウィーンを舞台とした「第三の男」の方が後である)、「北北西に進路を取れ」でも見ることになる手法の原型が登場するなど興味深い。

最初は相手の男を殺人犯だと疑っていたのに、違うことが判明すると、途端にその男と恋に落ちてしまうという「お約束」を守る女性もきちんと出てくる。ヒッチコック作品の中ではそれほど知名度が高い方ではないと思うが(それでも有名ではある)傑作だ。

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