カテゴリー「コンサートの記」の658件の記事

2020年10月29日 (木)

コンサートの記(665) クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル2006京都

2006年6月3日 京都コンサートホールにて

午後5時から京都コンサートホールで、クリスチャン・ツィメルマン(クリスティアン・ツィマーマン)ピアノリサイタル2006を聴く。

ツィマーマンは現代最高のピアニストの一人であるが、完璧主義で知られ、演奏曲目も「その時点で最も良く弾ける曲」を選ぶため、今回も演奏会の1ヶ月前まではプログラムが決定していなかった。チケットはもちろんもっと早く発売されているから、聴きに行く方は、何が演奏されるのか知らないでチケットを買うことになる。それでも世界最高のピアニストの一人が来洛するとあって、客席はほぼ満員であった。

さて、ツィマーマンはどこへ演奏に行く時も自分のピアノを持って行くそうで、今日も京都コンサートホールの楽屋入り口に「スタインウェイ&サンズ(という世界で最も有名なピアノメーカー)」と書かれたトラックが横付けされていた。ツィマーマンはピアノの鍵盤にセンサーをつけてコンピューターで解析し、当日演奏するホールで音がどう響くのか、その曲でどの音が何回弾かれるのかを把握した上で、調律を行わせるそうだ。鍵盤にセンサーをつけたりすることはホールが持つピアノでは出来ないからどうしても自前のピアノを帯同することになるのである。


モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、ショパンの「バラード第4番」、ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」、そしてツィマーマンの祖国・ポーランドの20世紀の作曲家、グラジナ・バツェヴィチのピアノ・ソナタ第2番というプログラム。
ツィマーマンは完璧主義なので、レコーディングも完璧に弾けるまで行うことがない。今回のコンサートの曲目のうちでCDでも聴けるのは、ショパンの「バラード第4番」のみである。


モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番。第1音で別世界へと意識は運び去られる。甘く澄んだ美音。これほど美しいピアノの音を聴くのは初めてである。モーツァルト自身がそこで弾いているような錯覚に何度も陥りそうになる。煌びやかな音の中にも影を潜ませたモーツァルトのピアノ曲。それがこれほどの迫真性を持って弾かれた演奏を私は他に知らない。

ベートーヴェンの「悲愴」ソナタ。出だしは力んだのかツィマーマンにしては珍しく音が濁り気味であったが、その後は安定したテクニックと独自の解釈で音の彫像を創り上げていく。
ベートーヴェンにしては音がきれいすぎるところもあり、ロマン派ベートーヴェンよりも古典派ベートーヴェンを想起させられる(ベートーヴェンは古典派とロマン派の中間に位置する)演奏だが、普通は弾き流すところを丁寧に弾いたり、造形が崩れるのではないかと心配になるほど長い休符を設けたりと、一筋縄ではいかない。フォルテシモが強烈過ぎて唐突に感じられたりもしたが、優れた演奏であった。少なくともツィマーマンしか表現し得ない独自のベートーヴェン像を打ち出すことに成功していた。


ショパンの「バラード第4番」は、スケールが大きく、音色が万華鏡のように変わっていく魔術的な演奏で、神業を見る思いであった。

ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」は、フランスのピアニストのような明るい音色が欲しくなる場面もないではなかったが、エスプリとはまた違った粋な精神が溢れ出る快演。

バツェヴィチのピアノ・ソナタ第2番。現代の音楽であるが、わかりにくいところはほとんどない。超絶的なテクニックが要求される第1楽章、マイケル・ナイマンのピアノ曲を思わせる出だしとその後の激しい展開、内省的な深さを感じさせるパッセージを経て、またマイケル・ナイマン風に戻る第2楽章。華やかで機知に富み、祝祭的な賑やかさを持った第3楽章、どれも面白い。
この曲をラストに持ってきただけあって、ツィマーマンはあたかも自作を弾いているような自在さと共感と説得力を示す。パーフェクト。


曲が終わって熱狂的な拍手に応えるツィマーマン。ピアノの方を示して「よく鳴ってくれたピアノにも拍手を」とゼスチャーで示すユーモアも発揮して会場を沸かせる。


アンコール。驚いた、ガーシュウィンを弾き始めたのだ。まさかツィマーマンがガーシュウィンを弾くとは。
「3つのプレリュード」全曲を弾く。ジャジーなスウィングは感じられないが、クラシック音楽として解釈するなら文句なしの演奏である。

そういえば、ツィマーマンを最初に認めた指揮者、レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)がピアノの弾き振りをした時にアンコールとしてよく弾いたのがガーシュウィンの「プレリュード第2番」であった。レニーの演奏する「プレリュード第2番」はロサンゼルス・フィルハーモニックに客演したときのライヴ録音(ドイツ・グラモフォン)で聴くことが出来る。

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2020年10月26日 (月)

コンサートの記(664) 村治佳織ギター・リサイタル2006@いずみホール with シャーリー富岡

2006年5月12日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後2時から大阪・京橋の「いずみホール」で、ギタリスト村治佳織のコンサートを聴く。昨年の12月22日に予定されていたコンサートだが、村治の右手の故障で延期となったものである。

今回のコンサートは、前半がランス音楽をギター用に編曲したものが中心、後半は映画音楽をアレンジしたものが並ぶ。

村治は前半は鮮やかなターコイスブルーの衣装で登場。右手の故障は治ったようだが、長くギターの練習が出来なかったわけで、その影響からか、たまに妙な音を発したりする。「亡き王女のパヴァーヌ」では一瞬、「止まるか?」と心配になる箇所があったが、何とか切り抜ける。

後半は、FM802「SATURDAY AMUSIC ISLAND」のパーソナリティーを務めるシャーリー富岡と村治による映画音楽に関するトークが入る。
シャーリー富岡は前半の村治の衣装を意識したのか、やはりターコイスブルーの上着で登場。村治は後半は白い衣装に着替えていた。

シャーリー富岡、名字と顔から、マイケル富岡と関係があるのかな? と思っていたら、中盤で、やはりマイケル富岡の姉であることが判明。シャーリーの口から、弟がマイケル富岡であることが発表されると、客席から一斉に「あー」という声が起こる。
シャーリーは年間150本から200本の映画を観ているそうで、映画音楽にも詳しいことからゲストとして呼ばれたようだ(昨年予定されていたコンサートでは、作曲家の大島ミチルがゲスト参加する予定だった)。

『ディアハンター』の「カヴァティーナ」、『サウンド・オブ・ミュージック』から「マイ・フェイヴァリット・シングス」(JR東海の「そうだ! 京都行こう」のCMで使われている曲。京都では当然のことながら「そうだ! 京都行こう」のCMは流れていない)。『バグダッド・カフェ』より「コーリング・ユー」、『思い出の夏』より「夏は知っている」(原題の“Summer of 42”でも知られている)、『シェルブールの雨傘』より「アイ・ウィル・ウェイト・フォー・ユー」が演奏される。
ちなみにマイケル富岡の舞台デビュー作が『シェルブールの雨傘』だったそうで、その時、シャーリー富岡がマイケルの姉であることを打ち明けたのだった。

村治の演奏はどの曲もテンポが速めで、抒情味に欠けるきらいはあったが、テクニックは安定していて(一箇所怪しいところはあったが)楽しめる演奏であった。

ちなみにシャーリー富岡が生まれて始めてみた映画は「ウエストサイド物語」で、4、5歳の頃、映画好きだった祖母に連れられて観に行ったそうだ。村治の方は最初に観た映画はよく憶えていなくて、「多分、『ドラえもん』シリーズかなんかだったと思う」とのことだった。

最後の曲は、大島ミチルの「ファウンテン」。村治の依頼で大島が書き下ろしたギター曲である。「ファウンテン」とは「泉」という意味だそうだが、いずみホールとは無関係で、大島が故郷・長崎の平和公園内にある「平和の泉」をイメージして作った曲であるという。
爽やかな佳曲であった。

アンコールは、「アルハンブラの思い出」と「タンゴ・アン・スカイ」を演奏。これは文句なしの出来であった。

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2020年10月23日 (金)

コンサートの記(663) 能「隅田川」×オペラ「カーリュー・リヴァー」連続上演「幻(GEN)」ソーシャルディスタンス対応公演@よこすか芸術劇場

2020年10月18日 横須賀・汐入の横須賀芸術劇場内よこすか芸術劇場にて

午後2時から、京急汐入駅前にある横須賀芸術劇場内よこすか芸術劇場で、能「隅田川」×オペラ「カーリュー・リヴァー」連続上演「幻(GEN)」を観る。世阿弥の息子である観世元雅の作による狂女ものの有名作「隅田川」と、20世紀のイギリスを代表する作曲家、ベンジャミン・ブリテンが「隅田川」を東京で鑑賞した時にインスパイアを受けて書かれた作品「カーリュー・リヴァー」(台本:ウィリアム・プルーマー)の連続上演である。「カーリュー・リヴァー」は最初はオペラと定義されず、「教会上演用の寓話劇」と題してサフォーク州オーフォードの聖バーソロミュー教会という小さな教会で初演されたが、現在ではオペラとして歌劇場で上演されるようになっている。2014年に大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスで、山下一史の指揮、井原広樹の演出で観ているが、それ以来、久しぶりの再会となる。

能「隅田川」は、映像や歌舞伎版(南座にて坂田藤十郎の狂女)では観ているのだが、劇場で観るのは初めてとなる。

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よこすか芸術劇場の感染症対策であるが、まず横須賀芸術劇場が入っているベイスクエアよこすかの3階入り口からは1階席前方の席を取った客が入場し、それ以外の客はベイスクエアよこすか4階から入ることで分散を図る。チケットの半券は自分でもぎって箱に入れ、パンフレットも自分で取る。サーモカメラによる検温も行う。
そもそも「幻(GEN)」はチケット発売時に通常の形で売り出したが、それをいったん全て払い戻しとし、客席前後左右1席空けのソーシャルディスタンス対応公演として再度チケットを発売して行われている。
終演後は、混雑を避けるために時差退場が行われた。

 

能「隅田川」の出演は、観世喜正(シテ・狂女)、観世和歌(子方・梅和若丸)、森常好(ワキ・渡し守)、舘田善博(ワキツレ・旅人)。笛:竹市学、小鼓:飯田清一、大鼓:亀井広忠。演出は観世喜正が行う。観世喜正は2005年からよこすか芸術劇場で「よこすか能」をプロデュースしているそうである。「よこすか能」は蝋燭を使った演出が特徴だそうで、今回も巨大蝋燭数本に小型の蝋燭数百本が灯される中での上演である。日本語字幕付き。

武蔵国と下総国の国境を流れる隅田川。現在とは水路も異なるが、川幅も今の2倍ほどはあった巨大な川である。後に荒川放水路が出来て川幅は狭くなっている。
国境ということで(江戸時代中期以降には二つの国に跨がることが由来である「両国」の東岸が栄えるようになり、後に隅田川以東の葛飾は武蔵国に編入されることになる)、あの世とこの世の境、つまり三途の川にも見立てられている。
とにかく川幅が広いため、渡るのも容易ではない。また坂東の川はよく荒れる。ということで渡し守も何度も川を渡ることはままならず、客を溜めてから渡すことにする。旅人が現れ、渡し守と子細を話す。丁度1年、商人に連れられて来た少年が隅田川を渡ったところで病死した。商人は少年を見捨てて行ってしまったという。今日はそれから1年目ということで供養のための大念仏が唱えられているという。
そこへ、狂女がやって来る。京・北白川に住まいしていた女であり、我が子がさらわれたため、追って東国までやって来たのだ。
隅田川で詠まれた歌として知られる、「名にし負はばいざ言問はむ都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」が効果的に用いられ、狂女がただの狂女ではなく、元は教養溢れる人物であったことが偲ばれ、一層の哀感を誘う。

船の上で渡し守が1年前に亡くなった少年のことを語り、狂女がそれが自分の息子だと徐々に気付く。狂女役の観世喜正は、少しずつ少しずつ体を時計回りに回転させ、そのことを表現する。

少年を埋葬した塚の前で念仏が唱えられ、狂女もそれに加わるのだが、突然、念仏に子どもの声が混じり、少年の幽霊が現れる。

少年の幽霊を登場させることに、観世元雅の父親である世阿弥が大反対したという話が残っているが、子方を出すと生々しくなるというのがその理由の一つだと思われる。幽玄さも後退するだろう。だが、この能の本質が「哀感」であるとしたのなら、子方を出した方が狂女の悲しみへの共感はより強まるだろう。目の前に見えているのに触れることも叶わずに訪れる別れ。それこそが「隅田川」を傑作へと昇華しているのだと思われる。
狂女を演じる観世喜正の動きは抑制されたものであったが、それゆえにその心情が惻々と伝わってきた。語らざる雄弁であり、動かざるダイナミズムである。

 

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ブリテンのオペラ「カーリュー・リヴァー」。日本語字幕付きの上演であるが、タイトルには「キリスト教会上演用の寓話劇」と記されており、舞台に教会のステンドグラスが映されるなど、キリスト教的要素の濃い上演となる。「隅田川」に念仏を唱えるシーンがあるため、よりクッキリと対比を付けたいという意図もあるのかも知れない。

演出は彌勒忠史。小編成のオーケストラのための作品で、指揮者を置かないというのがブリテンの指示である。ただ、今回、オルガンと音楽監督を務めるのが鈴木優人というのが最大の売りであり、鈴木優人だけが客席に背中を向けての演奏し、またそのキャリアから事実上の指揮者であることは明白である。演奏は鈴木の他に、上野星矢(うえの・せいや。フルート)、根本めぐみ(ホルン)、中村翔太郎(ヴィオラ)、吉田秀(よしだ・しゅう。コントラバス)、高野麗音(たかの・れいね。ハープ)、野本洋介(パーカッション)。邦楽器を模した音型が登場するのが特徴である。
出演は、鈴木准(狂女)、与那城敬(渡し守)、坂下忠弘(旅人)、町田櫂(霊の声。ボーイソプラノ。横須賀芸術劇場少年少女合唱団員)、加藤宏隆(修道院長)。巡礼者役(合唱)として、金沢青児、小沼俊太郎、吉田宏、寺田穰二、寺西一真、山本将生、奥秋大樹、西久保孝弘が出演する。

 

「カーリュー・リヴァー」も大型蝋燭2本に火を灯しての上演となる。
まず、「隅田川」でも鳴り物を務めた、竹市学、飯田清一、亀井広忠の3人が登場し、邦楽の演奏を行う。その後、修道僧が登場し、オペラ「カーリュー・リヴァー」が始まるのだが、いかにもキリスト教的な賛美歌風合唱から始まるため、かなりの落差が感じられる。

ブリテンとプルーマーは、亡くなった子を「聖人」としており、そのことからして「隅田川」とはかなり趣が異なる。
出演者達は、口元を布で隠し、頭巾を被っている。大谷刑部こと大谷吉継のようだが、これはコロナ対策であると同時に、宗教的な雰囲気を出す役割も担っていると思われる。

カウンターテナーでもある彌勒忠史は、観世喜正と2018年まで数年に渡って、市川海老蔵の「源氏物語」で共演してきたそうで、能の要素を取り入れた演出となっている。元々はもっと能の型を全面に取り入れるはずだったのだが、コロナの影響で少しシンプルになったようだ。だが、狂女が、さらわれてきた子が我が子だと気付く場面で、「隅田川」の観世喜正と完全に同じゆっくりとした振り返りを取り入れており、能との連続上演ということで、違う作品に同じ動きを取り入れることで却って明らかになる差違を示していく。

「隅田川」では現れるだけだった少年が、「カーリュー・リヴァー」ではキリスト教的な救済を述べる。ブリテンもプルーマーも「隅田川」的哀感ではやはり救いがないと思ったのだろうか。「隅田川」も、日本的「哀れ」を描いた作品であり、他国の人に完全に伝わるかどうかは疑問である。また宗教観の違いもあり、有名な「悲しむ者は幸いである」をメッセージとして入れるべきだと感じたのかも知れない。なによりこれは救済のための「寓話」として再現された「隅田川」である。

鈴木優人を音楽監督とする演奏者達は、邦楽からの置き換えを上手く表現しつつ、高雅な響きを紡ぎ上げる。独唱者も合唱も充実しており、ブリテンの叡智と才気を十全に表現していた。

両作品とも、突如として響き渡る子どもの声が効果的に用いられている(「カーリュー・リヴァー」では舞台奥の紗幕の後ろに少年の姿が浮かび上がる)。それは突然の啓示のようでもあり、闇の中に不意に差し込んできた光のようでもある。金曜日に小林研一郎指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で聴いた、チャイコフスキーのマンフレッド交響曲のオルガンにもそうした要素があるが、新型コロナウイルスの世界的な蔓延により、未来が全く見えない今現在、求められている救いにも似たものである。
もののわかった振りをした山師的な人々が現れては消えているが、そうした打算的なものとは違った本当の恩寵が、フィクションの世界の中とはいえもたらされていることが、あるいは救いなのかも知れない。

フィクションとは絵空事ではなく、人類の歴史が凝縮されたものである。これまで人類に降りかかってきた数々の悲劇が、そこには詰め込まれているが、にも関わらず人類は今も存在して歩みを続けている。それは希望に他ならない。

 

 

上演終了後、どぶ板通りを歩いてみる。コロナの影響からか、あるいは日曜の夜だからかはわからないが閉まっている店も多い。
一昔前に比べるとアメリカ系の店舗は減ったといわれているが、それでも迷彩服姿の米兵が何人も歩いているなど、日本離れした光景が広がっている。
舗道には横須賀ゆかりの有名人の手形が押してあり、指揮者の飯森範親(鎌倉生まれの葉山育ちだが、横須賀市内にある神奈川県立追浜高校出身)と横須賀市出身のヴァイオリニストである徳永二男(元NHK交響楽団コンサートマスター)の手形が並んでいた。

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2020年10月22日 (木)

コンサートの記(662) ラデク・バボラーク指揮山形交響楽団さくらんぼコンサート大阪2018

2018年6月22日 豊中市立文化芸術センター大ホールにて

午後7時から、豊中市立文化芸術センター大ホールで、山形交響楽団さくらんぼコンサート2018大阪公演を聴く。今回の指揮者は山形交響楽団首席客演指揮者に就任したばかりのラデク・バボラーク。

1976年生まれのラデク・バボラーク。チェコのパルドビツェに生まれ、8歳からホルンを学び始める。13歳でプラハ音楽院に入学。94年にはミュンヘン国際コンクール・ホルン部門で優勝している。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルク交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などの首席ホルン奏者を歴任し、現在ではラデク・バボラーク・アンサンブルの主宰を務める。
指揮者としてはチェコ・シンフォニエッタを創設して活動を開始。日本でも水戸室内管弦楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、紀尾井シンフォニエッタ東京(現・紀尾井ホール室内管弦楽団)、新日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団などに指揮者として客演している。指揮を誰かに師事したというわけではないようだ。

 

曲目は、モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲、モーツァルトのホルン協奏曲第1番(バボラークによる弾き振り)、シニガーリャの「ロマンス(ホルンと弦楽合奏のための)」(バボラークによる弾き振り)、ミロシュ・ボクの「交響的黙示録」(山形交響楽団委嘱新作。関西初演)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」

午後6時45分頃から、関西フィルを経て山形交響楽団事務局長に就任した西濱秀樹氏によりプレトークがある。西濱さんは今日もユーモアたっぷりのトークを披露。途中で大阪北部地震への山形からの義援金が送られたり、ゆるキャラが登場したりと色々ある。その後、指揮者のバボラークも山形県の法被を着て登場し、トークに参加した。

 

モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」序曲。
山形交響楽団は音楽監督である飯森範親の指揮でモーツァルトの交響曲全曲をレコーディングしており、モーツァルトに自信を持っている。HIPを援用した演奏で音色は美しいが、音の密度の薄さを感じるのは事実である。バボラークの指揮であるが、拍を刻むタイプの指揮であり、指揮姿が面白いタイプではない。演奏全体として焦点が定まっていない印象も受ける。

モーツァルトのホルン協奏曲第1番。山形交響楽団はこの曲でも美しい音を出すが、バボラークのソロが入ると次元が異なることがわかる。バボラークのホルンは芳醇にして典雅。やはり国際レベルの響きである。山形交響楽団も日本国内では戦えるが今のところそこまでという気がする。

 

シニガーリャの「ロマンス(ホルンと弦楽合奏のための)」。
レオーネ・シニガーリャはトリノ生まれのイタリアの作曲家。ユダヤ人家系に生まれ、ドヴォルザークに師事。ブラームスとも交遊した。ナチス・ドイツの台頭すると絶望を強め、創作意欲を失うようになったという。1944年、警察がシニガーリャの身柄を拘束しようと自宅に踏み込んだ際に心臓発作を起こして急死したという。
イタリア出身の作曲であるが、仄暗い曲調を持つ曲を書いている。なかなか充実した出来であるように思われる。バボラークと山響も優れた演奏を行った。

 

ミロシュ・ボクの「交響的黙示録」は、山形交響楽団の委嘱によって書かれた新曲である。これまで山形市で2回、酒田市で1回演奏されているが、山形県外でこの曲が演奏されるのは今日が初めてである。
ミロシュ・ボクはチェコの作曲家。1968年、プラハ生まれ。ピアノの神童であり、15歳でリサイタルを成功させる。作曲は独学で学んだそうだ。1986年に「ミサ・ソレムニス」を発表、大反響を得るが、当時のチェコスロヴァキア政府の勘気に触れ、発禁処分を受けた上で政府の監視下に置かれる。プラハ音楽院も退学になりそうだったが、チェコの著名な音楽家達の嘆願によってなんとかそれは免れた。ビロード革命によって自由の身となるとプラハ音楽院に戻り、指揮を学ぶと同時に作曲活動も再開。2020年の東京オリンピックで流れるチェコ国歌の編曲はボクが手掛けているという。

山形交響楽団は演奏時間15分ほどの曲を委嘱したのだが、ボクは気合いが入ったようで、35分の大作に仕上げた。
マイケル・ナイマン、ジョン・ウィリアムズといった現役の映画音楽作曲家の作品や、ストラヴィンスキーやラヴェルといった20世紀の大作曲家の作風からの影響が感じられる曲である。部分的に面白い部分はあるものの、やはり「長い」という気はする。一回聴いただけで判断を下すのは難しいが、今後も演奏され続ける作品かというと微妙な感じは受ける。CDでも聴いてみたい気はするが。

 

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。
豊中市立文化芸術センター大ホールの音響であるが、やはり残響は短めで素直な音がするという印象は変わらない。そのためかちょっとしたミスでもはっきり聞こえてしまうという難点もある。山形交響楽団は飯森範親政権で大幅な実力アップに成功したが、関西や東京のAクラスのオーケストラに比べるとまだメカニック面での弱さがあるようだ。
比較的速めのテンポによる演奏。チェコ出身であるバボラークの思い入れの感じられる演奏だったが、オーケストラが中編成ということもあり、第4楽章の迫力などはもう一つだったように思う。

演奏時間が長いということもあって、アンコール演奏なしで終演。来場者全員に山形県名産の東根さくらんぼが贈られた。

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2020年10月21日 (水)

コンサートの記(661) 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第542回定期演奏会

2020年10月13日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第542回定期演奏会を聴く。当初はイタリア系アメリカ人のロバート・トレヴィーノ(京都市交響楽団に客演したことがあり、その時はイタリア風のロベルト・トレヴィーノ表記であった)が指揮台に立つ予定だったが、新型コロナウイルス流行による外国人入国規制ということで、小林研一郎が代役として登場する。

曲目も一部が変更になり、ジョン・アダムズの「ハーモニウム」に代わってベートーヴェンの交響曲第2番、そしてチャイコフスキーの交響曲「マンフレッド」(マンフレッド交響曲)が演奏される。

小林研一郎は、1940年生まれということで、今年で傘寿を迎えた。東京で傘寿記念として交響曲「マンフレッド」を含むチャイコフスキー交響曲チクルスを行う予定があったのだが、延期となっている。そんな中、たまたま交響曲「マンフレッド」の演奏を行う予定だった大阪フィルの指揮者が来日不可となったため、小林が代役を引き受けることになったのだと思われる。

東京ではベートーヴェンの交響曲全曲を一日で演奏するという企画に何度も挑んでいる小林であるが、関西で小林の指揮するベートーヴェンを聴く機会はそう多くない。大フィルのサマーコンサートには毎年登場して、「未完成」「運命」「新世界」を指揮しているがそれぐらいである。


今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。今日はベートーヴェンが第1ヴァイオリン14、チャイコフスキーが第1ヴァイオリン16という大編成での演奏となる。

チューニングが終わってすぐに、小林が猫背の早足で登場。コンサートマスターの崔とフォアシュピーラーの須山とエルボータッチを行った後で、「本日はお越し下さりありがとうございます。こんな状況ですが、チャイコフスキーのマンフレッドに感銘を受けました」と語り、「大阪フィルのメンバーの情熱」と「お越し下さった皆様方のオーラを受け取って」演奏を行うと述べた。


ベートーヴェンの交響曲第2番。譜面台は置かれているがその上に総譜は乗っておらず、暗譜で指揮となる。ピリオド援用スタイルの演奏であり、弦楽はビブラートを抑え、ボウイングもHIPの様式で行う。ただテンポは昨今の演奏としてはやや遅めであり、時に豪快でスケール豊かな演奏が展開される。
小林は大フィルから極めて瑞々しい音を引き出す。第2楽章冒頭のヴァイオリンの響きの繊細さなどは、耳の疾患の予兆に苦しみながら創作を続けたベートーヴェンの心の震えや憧れなどを伝える。
テンポが遅めであるため、音型の細部まで聴き取ることが可能で、面白さにも溢れたベートーヴェンとなった。一方で密度は薄めで、テンポ設定の難しさが感じられる。両立は困難であるため、どちらかを選択することになるのだが、小林の個性を考えると今回の判断は正しかったと思える。


チャイコフスキーの交響曲「マンフレッド」。標題作品であり、交響曲でなく交響詩と捉えられることもある曲であるが、チャイコフスキーの交響曲としては知名度が低く、「チャイコフスキー交響曲全集」などにも含まれないことが多い。交響曲第4番と第5番の間という、チャイコフスキーの創作が今ひとつ乗らなかった時期に作曲されており、作曲者自身も後に第1楽章以外を破棄しようとしたり、作り替えたりしようとして果たせずに終わっている。
大阪フィルは、2013年にウラディーミル・フェドセーエフの指揮で交響曲「マンフレッド」を演奏しているが、その時はラストにオルガンの入らない「原典版」での演奏であった。今回はオルガン入りの演奏であり、電子オルガンを関西ではお馴染みの桑山彩子が弾く。

小林は、名古屋フィルハーモニー交響楽団を指揮した交響曲「マンフレッド」のCDをリリースしており、ベスト盤に挙げたいほど出来が良かっただけに期待が高まる。

交響曲「マンフレッド」は、ロシア五人組のリーダーであったバラキレフがチャイコフスキーに持ちかけた企画だという。バラキレフは最初はベルリオーズに提案を行ったが、断られたため、話がチャイコフスキーに行ったようだ。ベルリオーズに提案を行ったということで、バラキレフが幻想交響曲のようなものを期待していたことが窺えるが、チャイコフスキー自身も当然ながら幻想交響曲を念頭に置いて作曲を行ったと思われる。だが最終的には叙事詩や物語というよりも4つの場面の風景画のようなものとして作曲、結果としてまとまりに欠ける印象の作品となった。チャイコフスキーが残した手紙から、躁鬱状態で作曲された可能性が分かっており、まとまりのなさに繋がっているのかも知れない。メロディー的にはチャイコフスキーらしい美しさがあるのだが、旋律が浮かんでは消え、浮かんでは消えといった印象でとりとめがない。

譜面台の上にマンフレッド交響曲の総譜が乗っていることは確認出来るのだが、小林がそれに手を伸ばすことはなく、やはり暗譜での指揮となった。

小林の指揮する大フィルは、ベートーヴェンの交響曲第2番の時と同様、瑞々しい音色がまず印象に残る。スケールも大きく、細部の描き方も丁寧である。楽曲の弱さは否めないが、大フィルの長所を十分に弾き出し、演奏自体は充実したものとなる。
ラストにオルガンが高みからの響きのように奏でられ、オーケストラがそれに寄り添っていく。いかにも仰々しく、取って付けたような救いにも感じられる場面なのだが、こうしたコロナ禍の中で聴くと、「こういうラストも案外良いかも」と思われてくる。聴く状況によっても音楽の印象は変わってくる。「歌は世につれ世は歌につれ」というが、あるいは時代と音楽が突如マッチする瞬間というものもあるのかも知れない。

演奏終了後、小林は弦楽最前列の奏者全員とエルボータッチを行い、コントラバス奏者の下にも歩み寄って2人とエルボータッチ。管楽器奏者のトップにも足を運んで演奏を讃える。その後、パートごとに声を出して紹介して、拍手を受けさせた。

小林はマイクを手にスピーチを行う。「80歳にもなると昔と違って上手く頭が回らなくなります」と言いつつ、大フィルの演奏を「人間業を超えた音」と讃えた。
「大きな声を出すことが出来ないということで、残念に思われてる方もいらっしゃるでしょうが、代わりに私が言っておきます。素晴らしかったよ!」

今年はサマーコンサートも中止となり、年齢も80になったということで、大フィルへの客演も「もうこれで」と、今回が最後となりそうなことを仄めかしたりもしたが、最後は「明日もまたいらっしゃって下さい」と言って笑いも取っていた。

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2020年10月 8日 (木)

コンサートの記(660) 幸田浩子 「美しき日本のうた 秋」2020

2020年10月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「美しき日本のうた 秋」を聴く。ザ・シンフォニーホールが、季節ごとに日本を代表する歌手を招いて送るリサイタル。今回は大阪府出身の人気ソプラノ、幸田浩子が登場する。ピアノ伴奏は、作・編曲家でもある藤満健。

大阪府豊中市出身の幸田浩子。幸田姉妹の妹さんである。実姉はヴァイオリニストの幸田さと子(本名:幸田聡子)。150年程度の歴史しかない日本のクラシック音楽界において、「幸田」という特に珍しくもないがありふれてもいない苗字の姉妹が二組いる(もう一組は日本クラシック黎明期の幸田延、幸田幸の幸田姉妹。幸田露伴の妹である)、というのは結構不思議なことだと思われる。日本を代表する音楽家姉妹は他にも何組かいるが、ピアノの児玉姉妹も幸田姉妹と同じ豊中出身である。豊中市には大阪音楽大学もあり、音楽が盛んなところである。大阪府立豊中高校を卒業後、東京藝術大学声楽科に進学し、首席で卒業。同大学大学院を経て、文化庁オペラ研修所で研鑽を積み、イタリアに渡る。ヨーロッパで多くのコンクールで好成績を収め、ウィーン・フォルクスオーパーと専属契約を結んだことで有名になっている。美人クラシック音楽家の一人であり、人気も高いが、容姿以上に(まあ、当たり前であるが)ハイトーンボイスの魅力で高い評価を受けている。二期会会員。

幸田浩子とコンビを組むことも多い藤満健も東京藝術大学と同大学院を修了。作曲専攻で学んでおり、修士作品は東京藝術大学が買い上げている。作曲コンクールで好成績を上げている他、ピアニストとしても活躍。ピアノ伴奏だけでなくリサイタルも開催している。1995年から2008年まで桐朋学園大学講師を務め、2006年からは桜美林大学の音楽専修講師として後進の指導に当たっている。録音なども多く、映画「おくりびと」ではピアノ演奏を担当している。
藤満も西宮生まれの芦屋育ちということで関西人である。

 

新型コロナウイルスの影響で、制限された中での演奏活動が続けられているが、クラシックの中でも声楽は飛沫が前に飛ぶため最も危険とされており、オランダの合唱団でクラスターが発生するなど、自由な活動が行えなくなっている。日本の年末の風物詩でもある第九演奏会も今年は中止が相次いでおり、京都市交響楽団も第九演奏会でなく「チャイコフスキー・ガラ」を行うことが正式に決まっている。
だからといって声楽のコンサートは全て中止というわけにもいかないので、今日のコンサートも厳戒態勢の中、実施される。

まず事前に発売されたチケットは、ソーシャルディスタンスを保つために振替となる。振替となったチケットには、大きい方に氏名、住所、電話番号を記す必要があり、半券といっても小さい方ではなく大きい方をボックスに入れる。
検温もサーモグラフィーは使うのだが、より正確に測定出来ると思われる柱状のものを用い、3人ずつの検温が行われる。出入り口付近担当のスタッフはフェイスシールドを着用しての対応である。また、陽性判定者が一人も登録しなかったことで「無意味では」と問題視された大阪府独自の追跡サービスもQRコード読み取りで登録出来るようになっている。「特典なしでは使って貰えない」という結論が出たのか、ポイントを貯めると景品が当たるチャンスを得るシステムに変わっている。
アナウンスでは、最新式の除菌システムが採用され、また10分でホール全体の空気が入れ替わる換気装置が作動していることが告げられる。

「5mは離れている必要がある」ということで、ステージに近い前から5列程度は未使用となり、他の席も前後左右最低1席は空けてのフォーメーションとなる。

 

曲目は、第1部が、「この道」、「かやの木山の」、「赤とんぼ」、「からたちの花」、「鐘が鳴ります」、「ばらの花に心をこめて」、「ちいさい秋見つけた」、「里の秋」、「花の街」、「ひぐらし」、「舟唄(方戀)」、「希望」。第2部が、「浜辺の歌」、「椰子の実」、「浜千鳥」、「初恋」、「悲しくなったときは」、日本のうたメドレー(藤満健ピアノ独奏)、「このみち」、「奇跡~大きな愛のように」、「糸」、「見上げてごらん夜の星を」

第1部の前半は山田耕筰作品が並び、秋の歌を経て團伊玖磨作品が4曲続けて歌われる。第2部は前半が「海」を歌った作品で固められ、藤満健のピアノソロを経て、近年作曲された作品やポピュラー楽曲で締められるという構成である。

 

前半は、幸田は真っ赤なドレスで登場。昨日、友人から譲られたばかりのものだという。
楽曲の間に幸田がマイクを手にトークを行うというスタイルで進行していく。
大阪出身ということで、「大阪はまさに故郷」ということから始まり、公開での演奏活動が約半年ほど止まってしまったことなどを語っていた。

冒頭から山田耕筰作品が並ぶが、幸田の母校である豊中高校の校歌が、北原白秋作詞・山田耕筰作曲のものということで思い入れがあるそうだ。と言いつつ、歌詞などはもう忘れてしまっていたそうだが、幸田がそういう話をしているということを知った高校時代の友人達が歌詞をコピーして送ってくれたという。多くの伝統校がそうであるように豊中高校も最初は男子校としてスタートしてるため、校歌も「質実剛健」という言葉から始まる男子校風のものだそうである。

美声を生かしたスケールの大きな歌唱を持ち味とする幸田浩子。日本の童謡を歌うにはもっと素朴な声の方が合っているのかも知れないが、美声でスケール雄大でありながら素朴というのはあり得ないので、声の魅力を楽しむ。素朴な歌声を楽しみたいなら他の歌手で聴けば良い。

團伊玖磨の歌曲は聴いたことのないものばかりだったが、歌詞の生かし方が巧みである。「希望」は北原白秋の詩で、シンプルなものであるが、シンプルであるが故の盛り上がり方を見せ、魅力的な仕上がりとなっていた。

第2部の「海」の歌曲集。私は海に囲まれた千葉県出身だけに「海」を扱った曲には思い入れがある。幸田浩子はクリーム色の衣装に着替えて登場。有名な楽曲が並ぶが、「浜千鳥」の計算された歌声と、寺山修司作詞である「悲しくなったときは」の物語性の的確な描写が印象に残る。

藤満健のピアノソロによる「日本のうたメドレー」は、四季を代表する童謡を藤満自身が編曲したものが演奏される。印象派風の編曲による「朧月夜」に始まり、「夏の思い出」、「もみじ」を経て、「雪の降るまちを」が演奏されるのであるが、「雪の降るまちを」の演奏前には出だしがよく似ていることで知られるショパンの幻想曲ヘ短調冒頭の演奏が挟まれるなど、クラシックファンをくすりとさせる仕掛けが施されていた。

「このみち」は金子みすゞの代表的童謡の一つに伊藤康英がメロディーを付けたものである。金子みすゞの童謡に曲を付ける試みは以前から行われているが、金子みすゞの童謡は、独創的な着眼点や日本語の響き自体の美しさを特徴としているため、メロディーが負けることが多く、これまで成功した例がほとんどない。今回の「このみち」も童謡を読んだ時の印象とかけ離れているため、成功とは言い難いように思う。やはり金子みすゞの童謡は童謡として読むべきものなのだろう。
「このみち」は仏教的要素、特にみすゞが信仰していた浄土真宗本願寺派の影響が顕著であり、「サンガ」的解釈をするのが正解であろうと思われる。

 

多くのシンガーにカバーされていることで知られる中島みゆきの「糸」。幸田は後半をオペラ的なアレンジによるもので歌った。こうしたアレンジに好き嫌いはあると思われるが、最後の一節は原曲のメロディーに戻るため、安心感が得られるという良さもある。

 

「見上げてごらん夜の星を」は、当初はお客さんにも歌って貰おうということで無料パンフレットの裏表紙に歌詞を載せていたのだが、コロナなので大勢で歌うのはやはり「よろしくない」ということで、お客さんには心の中で歌って貰うということになる。
実際には小声で歌う人も何人かいたが、マスク着用必須であり、小声ならそうそう飛沫も飛ばないので問題なしだと思われる。

 

アンコールは2曲。まずは、今や日本語歌曲の定番となった感もある武満徹の「小さな空」。「ポール・マッカートニーのようなメロディーメーカーになりたい」と願いつつ、基本的には響きの作曲家として評価された武満徹。歌曲の旋律は「素朴」との評価もあるが、幸田による「小さな空」を聴いていると、広がりのあるメロディーラインが浮かび上がり、生命感に溢れていることが感じられる。「素朴」というこれまでの評価はあるいは誤りなのかも知れない。今日のコンサート全編を通して、この「小さな空」が幸田の個性に一番合っていた。

最後は、沼尻竜典の歌劇「竹取物語」よりかぐや姫の「告別のアリア~帝に捧げるアリア」。初演時に幸田がかぐや姫を演じて好評を博した歌劇「竹取物語」。今年、東京の新国立劇場と、沼尻竜典が芸術監督を務める滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールでの再演が行われるはずだったのだが、コロナのために中止となっている。
幸田の最大の持ち味である高音を駆使した哀切な歌唱となっていた。

 

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2020年10月 5日 (月)

コンサートの記(659) 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第396回定期演奏会 「わが祖国」全曲

2006年3月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第396回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大阪フィルを振るのは9年ぶりになるという小林研一郎(愛称:コバケン)である。
コバケンの演奏会には東京にいる時は良く出かけたが、考えてみれば、私がコバケンの指揮を見るのも7、8年ぶりだ。
演目はスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲。

「わが祖国」は名曲ではあるが、聴き通すには集中力がいる。CDも何枚か持っているが、いずれも聴き通すには覚悟がいる。気楽に聴ける曲ではないし、気楽に聴くと面白くない曲でもある。

コンサートなら自ずと集中せざるを得ないから、この曲の真価を堪能するにはやはりライヴということになる。

「わが祖国」のコンサートでは、チェコ人のイルジー(イエジー)・コウトが指揮したNHK交響楽団の演奏が二つの意味で印象に残っている。一つは勿論、演奏の素晴らしさだが、もう一つはNHKホールの3階席上部を占拠した修学旅行生のマナーの悪さ。しかし、最初に接したコンサートが「わが祖国」だったりしたら、「もう一生、クラシックなんて聴くものか」と思う生徒が大半を占めてしまうのではないだろうか。長い上に、「モルダウ」を除いてはポピュラリティーに欠ける。芸術性の高い曲だが、ごく一般的な中高生に芸術性なんてわかるはずがない。というわけで、これは教師のミスだろう。そもそも教師も「わが祖国」がどのような曲か知らなかった可能性も高い。こうして日本の音楽教育は音楽嫌いを増やすことになっていくのかも知れない。

思い出はこれぐらいにして、今日の演奏の出来は文句なしである。この間演奏を聴いた下野さんにも佐渡さんにも悪いけれど、やはり現時点では二人ともコバケンさんの敵ではない。

コバケンさんは視覚的にも面白い指揮者である。「炎のコバケン」の異名の通り、情熱の噴出する指揮ぶり。しかし大袈裟というほどでもない。指揮棒を持った右手のみで指揮する場面も多く、左手は要所要所で用いていたが、以前もこのような指揮だっただろうか? 記憶では右手も左手も同程度用いていた気がする。指揮が変わったのか、あるいは曲目からか。

大阪フィルは非常に良く鳴る。下野竜也の指揮でも良く鳴っていたが、比較にならない。

今日はポディウム席で聴いていたが、音に問題はなし。ザ・シンフォニーホールは舞台背後の席も音が良い。

コバケンさんは指揮者として芽が出るのが遅かったからか、謙虚なところがあり、一曲ごとに指揮台から降りて、オーケストラに向かって一礼してから振り始める。普通はそういうことをするとオーケストラに舐められるのであるが、コバケンさんは音楽がしっかりしているからか、逆に好感を持たれているようだ。

「モルダウ」の終結部、二つの和音が鳴る直前のピアニッシモのところで何故か拍手が起こり、会場が白けてしまったのが残念だが(白熱した演奏なので曲が終わってから拍手が起こるのなら自然だったと思う。しかしこんな有名な曲でフライング拍手をしないで欲しい。曲が終わってから拍手するつもりだった人が白けて熱心に拍手できなかったのがわかった)、前半はオーケストラをものの見事にドライブした快演であった。コバケンさんは唸り声も凄いので、それが気になった人もいるだろうが。

「わが祖国」はタイム的には全6曲を通して演奏してもCD1枚に収まる程度なのだが、やはり演奏者も聴衆も集中力が持たないので、3曲目の「シャールカ」と4曲目の「ボヘミアの森と草原から」の合間に休憩が入る。

休憩時間に、「何だあの拍手は」と話題にする人が多い。

後半も快調、「ボヘミアの森と草原から」の悠揚たる迫力に圧倒され、「ターボル」の間をしっかり取った緊張感溢れる演奏に息を呑む。

ラストの「ブラーニク」には私の好きなオーボエソロがあるのだが、オーボエの音がスムーズに出ない。どうやらリード作りに失敗したようである。オーボエソロの美しさが堪能出来なかったのは残念だが、阿修羅と不動明王に毘沙門天が取り憑いたかのような、恐ろしくなるほどスリリングな演奏であった。終演後、いつも以上に会場が沸く。

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2020年10月 1日 (木)

コンサートの記(658) 佐渡裕指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団京都デビューコンサート

2006年3月14日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールへ。兵庫芸術文化センター管弦楽団京都デビューコンサートを聴く。指揮は勿論、兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称:PACオーケストラ)の音楽監督・佐渡裕。

まずは、イベールの「ディヴェルティメント」でスタート。メンデルスゾーンの「結婚行進曲」冒頭の真似や、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」のパロディーのような旋律が飛び出す愉快な曲である。佐渡はラムルー管弦楽団を指揮してこの曲をレコーディングしており(ナクソス)、十八番の一つであるようだ。
ナクソスのCDでは大人しい印象を受けた佐渡の同曲演奏だが、やはりライヴになると熱さが違う。ノリが良く、パロディーの場面も強調こそないもののユーモアと勢いに溢れていて楽しい。


2曲目は大澤壽人(おおさわ・ひさと)のピアノ協奏曲第3番「神風」。ナクソスの「日本作曲家選輯 大澤壽人」に収録され、発売と同時に大きな話題となった曲である。
パンフレットに記された片山杜秀氏筆の紹介文と、演奏前に佐渡さんが行ったスピーチを要約すると、大澤壽人は1907年、神戸に生まれた作曲家(最新の研究では1906年生まれが正しいとされる)。中等部から専門部まで関西学院に学び、卒業後はボストンに留学。ボストン大学とニューイングランド音楽院で作曲を学ぶ。その後パリに渡り、ナディア・ブーランジェなどに師事。イベールやオネゲルといった当時のフランス楽壇を代表する作曲家達から、「天才」と評されるまでになった。帰国後、自作の演奏会を開くが、当時の最先端を行く作風が日本人には理解されず失望。すぐにヨーロッパに戻る気になるが、折悪しく、第二次大戦が勃発。大澤は日本に留まることを余儀なくされ、映画やラジオ番組の音楽を担当、神戸女学院の音楽講師にもなっている。1953年、46歳(最新の研究では47歳)で死去。日本楽壇が成熟する以前に逝去してしまったため、長く忘れられた存在になっていた。

「神風」というと右翼的なものを連想してしまうが、ここでいう「神風」とは、元寇の時の神風でもなければ、太平洋戦争における「神風特攻隊」とも無関係。実は朝日新聞社が所有していた民間機の名前だそうである。1937年に神風号は、東京-ロンドン間の飛行最短時間新記録を出したそうで、それを讃えた曲がこのピアノ協奏曲第3番「神風」なのだそうだ。1938年、大阪で初演。

今日、ソリストを務めるのは、最近、評価を上げている迫昭嘉(さこ・あきよし)。

ナクソスから発売されたCDを聴いたときは、戦前の日本人作曲家による作品とは思えないほど洗練された作風の驚いたものだが、実演だとやはり印象が異なる。

ピアノの部分は素晴らしく洗練されているが、オーケストレーションには時代を感じる。言い換えると時代を超えられていないように思う。

迫のピアノはクリアな音色で作品の魅了を余すところなく伝えていた。PACも金管に癖があるものの好演。


メインはブラームスの交響曲第1番。佐渡の指揮なので勢いよく始まるのかと思いきや、悠然とした音運びでの開始。意外である。弦、特にヴァイオリンはやや薄く感じられる場面があったが、高音の煌めきが魅力的である。管もたまに音を外したりユニゾンが合わなかったりするが、まだ定期公演を行っていない出来たてのオーケストラ(第1回定期演奏会は来月行われる)にしてはまずまずの滑り出しである。

佐渡の表現は彼にしてはあっさりしていたが、曲が短く感じられたので聴く者を惹きつける力はあるのだろう。

休憩時間中に佐渡のCDを買う。終演後、佐渡裕サイン会が行われるというので参加することにする。ライナーノーツにサインを貰い、佐渡さんが手を差し出したので握手(佐渡さんは全員と握手するようだ)。大きくて分厚い手であった。

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コンサートの記(657) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第395回定期演奏会

2006年2月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第395回定期演奏会を聴く。指揮は音楽監督を務める大植英次。
曲目は今年没後10年を迎える武満徹の「ノスタルジア」(ヴァイオリン独奏は大阪フィルのコンサートマスターである長原幸太)と、前任者である朝比奈隆の十八番だったブルックナーの交響曲第7番。

大阪フィルは他のオーケストラと違い、開演直前にオーケストラのメンバーが一斉にステージ上に現れるというスタイルは取っておらず、メンバーが三々五々出て来て思い思いに旋律をさらう、というのが日常化している。
今日はメンバーが出てくるのが普段より少し遅かった。
メンバーが揃い、ソリストが登場して拍手が起こり……、と思ったら出て来たのはソリストではなく、一人遅刻したフォアシュピーラー(コンサートマスターの隣りで弾く奏者)であった。足早に出て来て、席に座り、さっと髪をなでつける。会場から笑いが漏れる。
ソリストの長原幸太と指揮者の大植英次が登場。大植が「しっかりしてくれよ」とばかりにフォアシュピーラーの背中を叩いたので会場は再び笑いに包まれる。

「ノスタルジア」は私が最も気に入っている武満作品の一つ。憂いに満ちたヴァイオリン独奏と繊細この上ないオーケストラが作り出す、「大仰でない悲しみを歌う」曲である。
演奏開始直後は大阪フィルの弦楽合奏に潤いが不足しているように感じられ、「タケミツ・トーン」が出ていないように思ったのだが、オーケストラの洗練度と繊細さが徐々にアップしていき、この世の音楽とは思えないほど個性的な表情が現れる。長原幸太のソロも適度な抑制を持った演奏で、ストイックなこの曲によく合っている。
ただ、曲が余りにも繊細なので、客席から頻繁に起こる咳の音がとても気になる。武満が亡くなったのは10年前の2月20日だから、この時期にプログラムに入れたのだろうが、風邪の流行るシーズンにこの曲を演奏するのは少し無理があるようだ。

メインのブルックナー交響曲第7番。ブルックナーが残した9曲の交響曲の中で最もメロディアスな曲である。ブルックナー入門用の曲として、交響曲第4番「ロマンティック」(「ロマンティック」とは恋人同士がうんたらかんたら、ではなく、「中世の騎士道精神」という意味)を挙げる人が多いが、私は交響曲第7番の方が入りやすいように思う。第1楽章は雄大、第2楽章は哀切、第3楽章はリズミカル、第4楽章は爽快であり、聴き易い。
演奏が始まると同時にステージ上が別世界に変わる。優れたブルックナー演奏にはそうした力がある。大植はマーラーだけでなく、ブルックナー指揮者としても実力者のようだ。フォルテ、フォルテシモなど、強弱記号の処理も曖昧さがない。
第2楽章も哀切なメロディーが心に響く。この楽章の作曲中にブルックナーは尊敬する作曲家のワーグナーが危篤状態にあることを知る。この楽章はワーグナーの死を確信したブルックナーが、ワーグナーへの哀悼の意を込めた鎮魂の曲となっていく。ワーグナーが自作演奏のために作り出した楽器・ワーグナーチューバがこの楽章では大活躍する。ただ、大阪フィルのワーグナーチューバ陣は粒が揃わず雑然とした演奏に終始。全体としては良い演奏だっただけに、これは残念であった。

朝比奈は、ブルックナーの演奏をする際には「ハース版」(ブルックナーは作品を否定されるたびに楽譜を改訂したため、様々な種類の譜面が残ってしまった。それを編纂したのがロベルト・ハースとレオポルド・ノヴァークで、ハースが編纂したものが「ハース版」、ノヴァークのものが同じく「ノヴァーク版」と呼ばれている)の楽譜を用いるのが常だったので、大植もそれに従っているのだろう、と思いきや第2楽章のクライマックスでシンバルの一撃があり、ティンパニとトライアングルが鳴り響いた。シンバル・トライアングル・ティンパニによるクライマックス形成が採用されているのは「ノヴァーク版」のみである。どうやら朝比奈とは違う流儀であることを示すために「ノヴァーク版」を用いたようだ(プログラムには「ハース版」としっかり書かれている。「ハース版」でも打楽器を鳴らすバージョンは存在するようである)。
第3楽章はリズミカルで迫力があり、最終楽章も活気と感動に満ちた演奏であった。
大阪フィルが朝比奈時代から大植時代に完全に移行したことを示す名演であった。朝比奈のブルックナーを聴き慣れた人には不満があるかも知れないが、いつまでも朝比奈の幻影を求めていても仕方がない。大阪フィルは新時代に入ったのだ。

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2020年9月22日 (火)

コンサートの記(656) 兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会「佐渡裕 アルプス交響曲」

2020年9月19日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会「佐渡裕 アルプス交響曲」を聴く。リヒャルト・シュトラウス最後の交響詩となったアルプス交響曲1曲勝負の演奏会である。

ドイツ・ロマン派最後の巨匠といわれたリヒャルト・シュトラウス。管弦楽法の名手として、30代までに数々の傑作交響詩をものにしているが、40代以降はオペラに力を入れるようになり、オーケストラ曲を書く機会は減っていたが、51歳の時に完成させたのがアルプス交響曲である。交響曲とあるが、いわゆる交響曲ではない。リヒャルト・シュトラウスは長命で85歳まで生きており、51歳というのはまだ人生を振り返るような年齢ではないが、それまでに書かれた交響詩の要素を取り込みながら登山に人生を重ね合わせるという作品になっており、情景と心情をオーケストラで描くというショー的要素と独特の深みを合わせ持っている。フリードリヒ・ニーチェの著作に影響を受けた交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を代表作の一つとしているリヒャルト・シュトラウスだが、アルプス交響曲もニーチェの「アンチクリスト(反キリスト主義者)」にインスパイアされたことを作曲家自ら明かしている。

 

兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ。PACは、Performing Arts Centerの略)は、元々今月の定期演奏会のメイン楽曲としてアルプス交響曲を演奏する予定であったが、コロナで全てが白紙となり、それでも演奏活動が再開されたら大編成のものをやりたいと、芸術監督の佐渡裕が希望を出していたそうだ。

現在、オーケストラのコンサートでネックとなっているのは、楽団員がソーシャルディスタンスを確保しなければいけないということであり、大編成の楽曲はステージ上が密になるため変更せざるを得ない状態となっている。だが、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールは、元々オペラ対応劇場として設計されているため4面舞台を持っており、反響板を後方に7m下げてメインステージを拡げ、両サイドの舞台との風通しを良くすることで換気対策を十分に取り、管楽器や打楽器はひな壇に乗せて視界を確保することで演奏会に漕ぎ着けた。

今日のコンサートマスターは豊嶋泰嗣。チェロが手前に来るアメリカ式の現代配置を基本としている。ゲスト・トップ・プレーヤー及びスペシャル・プレーヤーとして水島愛子(元バイエルン放送交響楽団ヴァイオリン奏者、兵庫芸術文化センター管弦楽団ミュージック・アドヴァイザー)、戸上眞理(東京フィルハーモニー交響楽団第2ヴァイオリン首席)、石橋直子(名古屋フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者)、林裕(元大阪フィルハーモニー交響楽団首席チェロ奏者)、石川滋(読売日本交響楽団ソロ・コントラバス奏者)、中野陽一朗(京都市交響楽団首席ファゴット奏者)、五十畑勉(東京都交響楽団ホルン奏者)、高橋敦(東京都交響楽団首席トランペット奏者)、倉田寛(愛知県立芸術大学トロンボーン科教授)、奥村隆雄(元京都市交響楽団首席ティンパニ)の名がクレジットされているほか、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団フルート奏者の江戸聖一郞、関西フィルハーモニー管弦楽団首席トランペット奏者の白水大介(しろず・だいすけ)、元京都市交響楽団トランペット奏者の早坂宏明、元京都市交響楽団首席テューバ奏者の武貞茂夫らの名を見ることが出来る。
KOBELCO大ホールにはパイプオルガンがないため、電子オルガンの演奏を室住素子が行った。

1階席の中央通路前の席に譜面台が並び、ここで金管のバンダが演奏する。2階下手サイド席ステージそばも空席となっており、ここにはトロンボーン奏者2人が陣取ってバンダ演奏を行った。

客席は左右最低1席空けのソーシャルディスタンス対応。KOBELCO大ホール入り口ではサーモグラフィーを使った検温と手のアルコール消毒が必要となり、チケットも自分でもぎって半券を箱に入れる。また強制ではないが、兵庫県独自の追跡サービスにもQRコードを使って登録出来るようになっている。コンサートスタッフは全員、フェイスシールドを付けての対応である。

 

演奏前に、佐渡裕が一人で登場してマイクを手に挨拶を行う。春から、中止、延期、払い戻しなどが相次いだが、6月からコンサート再開に向けての実験や検証が行われ、9月に演奏会が再開されると決まった時には全員が、「アルプス交響曲は何が何でも演奏しよう」と意気込んでいたという。ステージ上でのソーシャルディスタンスがやはり問題となったが、「6月頃には、2mから2m半が必要といわれたが、うちの楽団、それだけ離れていても、アルプス交響曲、なんとかなるやろ」ということで上演のための努力を続けてきたそうだ。佐渡はご存じない方のためにKOBELCO大ホールが4面舞台であるという話をし、ひな壇については、「見た目もアルプス交響曲っぽい」と冗談を交えた話をしていた。一番上のティンパニが置かれている段は、ステージから約2mの高さがあるという。

兵庫芸術文化センター管弦楽団がアルプス交響曲を演奏出来ることになったのは、その名の通り劇場付きのオーケストラであることが大きいと佐渡は語る。貸し館での演奏となるとリハーサルが十分に行えないため、通常とは異なる配置での演奏は諦めざるを得ないのだが、ここは本番と同じホールでリハーサルが何日も行えるため、万全の体制を整えることが出来たという。
佐渡は、「今、アルプス交響曲を演奏出来るのは日本でここだけ」と自信を見せていた。
またアルプス交響曲が人生を描いているという解釈も語り、リヒャルト・シュトラウスに関しては、「今の時代に生きていたら、ジョン・ウィリアムズのような映画音楽を沢山書いたんじゃないか」「ジョン・ウィリアムズもリヒャルト・シュトラウスから影響を受け、リヒャルト・シュトラウスもベートーヴェンの『田園』などに影響された」と法灯のように受け継がれていた音楽の生命力にも触れていた。

 

本当に久しぶりの大編成オーケストラ生体験となる。兵庫芸術文化センター管弦楽団は、オーディション合格後、最大3年在籍可能という育成型オーケストラである。オーディションは毎年行われて楽団員が入れ替わるため、独自のカラーが望めない一方で、指揮者の個性が反映されやすいという特徴を持つ。

ゲスト・プレーヤーを何人も入れたPACオーケストラの響きは輝かしく、佐渡の基本的には陽性の音楽作りがよく伝わってくる。活動再開後初の特別演奏会ということで、オーケストラメンバー達も気合いが入っており、雄渾な音楽が奏でられる。配置の問題もあって、金管が強すぎる場面もあったが、やり過ぎという感じははなく、むしろ祝祭性が伝わってくる。佐渡は若い頃とは違い、丁寧な音楽作りが特徴となっている。描写力にも長けており、滝や草原の場面での抒情性や清々しさの表出も十分である。嵐の場面の大迫力もいかにも佐渡らしいが、日没は音色が明るすぎ、まだ日が高いように思えてしまう。ここのみならず陰影の付け方には物足りないものも感じた。
佐渡は、エピローグ以降は指揮棒を置いてノンタクトでの指揮。ここでも風景描写以上のものを感じ取るのは難しい。

前半がかなり好調だっただけに終盤の描き方に不満も感じてしまうのだが、全体を通せば今の時期に貴重な「特別な演奏」となっていたように思う。大編成の楽曲を演奏することは他ではまだ難しいため、「フルオーケストラの響き自体」が何よりも素晴らしいものに感じられた。

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