カテゴリー「コンサートの記」の759件の記事

2022年1月26日 (水)

コンサートの記(760) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第554回定期演奏会

2022年1月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時からフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第554回定期演奏会を聴く。当初はウェイン・マーシャルが客演する予定だったが、外国人が基本的に日本に入国出来なくなったため、大フィル桂冠指揮者の大植英次が指揮台に上がる。曲目も一部変更になった。

オール・アメリカ・プログラムで、ガーシュウィンのキューバ序曲、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:中野翔太)、ガーシュウィンの「ガール・クレイジー」序曲、グローフェのミシシッピ組曲、ガーシュウィンの交響的絵画「ポーギーとベス」(ベネット編)が演奏される。

今日のコンサートマスターは須山暢大。

昨年の1月、出町柳の名曲喫茶・柳月堂でガーシュウィンの組曲「グランド・キャニオン(大峡谷)」をリクエストで入れて聴き、「アメリカ音楽はカラッとしていて新年に合うなあ、例年なら」と思ったが、たまたま今年の大フィルの1月定期はオール・アメリカ・プログラムとなった。

二十歳でアメリカに渡り、タングルウッド・ミュージック・センターとニューイングランド音楽院に学び、レナード・バースタインに師事した大植英次。アメリカ音楽も得意である。

大植は大フィルの分厚い音色を生かしたシンフォニックな演奏を築きつつ、キレや華にも欠けない理想的な音像を引き出す。


ガーシュウィンのキューバ序曲。この曲と交響的絵画「ポーギーとベス」は、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団によるDECCA盤で初めて聴いて大好きになっている。大植と大フィルはデュトワとモントリオールのラテン的なノリとは異なるが爽快な演奏を展開する。


ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。ファーディ・グローフェがオーケストレーションした最も有名な版による演奏である。
ピアノ独奏の中野翔太は、1999年からジュリアード音楽院プレカレッジに学び、その後に同音楽院と同音楽院大学院を修了。それ以前の1996年には第50回全日本学生音楽コンクール小学生の部で全国1位及び野村賞を受賞している。

冒頭のクラリネットが少しデフォルメされた音型を吹いてスタート。アメリカ音楽の中では演奏頻度の比較的多い楽曲だけに、大フィルも慣れた演奏を聴かせる。

中野は、作曲、編曲、ジャズ演奏も行っているだけに、即興性にも富んだ演奏を展開。特にカデンツァではモダンジャズとカントリーの間を往来するような音楽を奏でた後で、「イパネマの娘」を主題とした変奏を展開。洗練されていてお洒落であった。

演奏終了後、中野は何度もカーテンコールに応えたが、最後は大植英次が共に登場。鍵盤を白い布で拭い、アンコール演奏を要請するというパフォーマンスを行う。
中野はガーシュウィンの「A Foggy Day」を自身で編曲したものを演奏した。


ガーシュウィンの「ガール・クレイジー」序曲。有名な「アイ・ガッタ・リズム」を含むミュージカル作品の序曲で、「アイ・ガッタ・リズム」も効果的に用いられている一方で、全体的に洗練された旋律とお洒落なオーケストレーションが印象的な楽曲である。
大植も、「どうです? お洒落でしょ?」という風に客席を振り向いたりする。


グローフェのミシシッピ組曲。日本テレビ系で放送されていた「アメリカ横断ウルトラクイズ」の勝ち抜けの音楽に第2曲の「ハックルベリー・フィン」と第4曲「マルディ・グラ」が使用されていたことで知られているが、コンサートで取り上げられることはほとんどなく、録音点数も多くはない。私はNAXOSのアメリカ音楽シリーズの一つであるウィリアム・ストロンバーグ指揮ボーンマス交響団の演奏で聴いている。

比較対象が余りないのだが、大植はストロンバーグよりはやや遅めのテンポを採用し、堂々たる演奏を展開する。年代的にだが、多分、大植さんは「ウルトラクイズ」を見たことはないと思われる。
日本ではアメリカのクラシック音楽は余り重要視されておらず、アメリカ音楽がプログラムに載ることも少ないため、オーケストラも慣れていないことが多い。大フィルの個性もアメリカ音楽からは遠めであるが、かなり健闘しているように思える。

日本だけでなく、日本が範とする独墺系のオーケストラもアメリカ音楽は不得手で、録音は少なく、その少ない録音も出来は今ひとつのものが多い。


ガーシュウィン作曲、ベネット編の交響的絵画「ポーギーとベス」。「サマータイム」が一番有名だが、その他にもよく知られたメロディーがいくつも含まれている。バンジョー(演奏:福田晃一)が往時のアメリカ南部の雰囲気を上手く描き出している。

ガーシュウィンの歌劇「ポーギーとベス」は、サイモン・ラトル指揮によるオペラ映画を観ているが、感動的な出来となっていた。これまで接したオペラの中で実演、映像含めて最も感動したかも知れない。日本でも歌劇「ポーギーとベス」を観てみたいが、オール黒人キャストである必要があるため、難しいと思われる。日本人が外面を黒人に見せることは現在では宜しくないとされているため実現することはないであろう。

最後に大植が総譜を掲げて曲に敬意を表し、演奏会はお開きとなった。

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2022年1月18日 (火)

コンサートの記(759) 佐渡裕指揮 オペラde神戸「椿姫」

2022年1月7日 神戸文化ホール大ホールにて

午後6時から、大倉山にある神戸文化ホール大ホールで、オペラde神戸「椿姫」を観る。「佐渡裕と神戸市民で創るオペラ」と銘打たれており、現在は神戸市内の御影に日本における自宅を構える佐渡裕の指揮で、神戸市民によるアマチュアの合唱団などを起用した上演が行われる。

最も人気のあるオペラ演目の一つであるヴェルディの「椿姫」。「オペラは筋書きが簡単」な例として挙げられる作品であり、今回の公演の無料パンフレットにも佐渡裕が、「素晴らしいオペラは大抵ストーリーが単純です」と挨拶文の冒頭に記している。

なお、「椿姫」のオペラの原題は「ラ・トラヴィアータ(La Traviata)」であるが、寅年の年始公演だから選ばれたという訳ではないと思われる。

高級娼婦であるヴィオレッタは、その美貌故にパトロンに恵まれ、教養面でも金銭面でも恵まれていたが、本当の愛を知らなかった。そこに現れたアルフレードという美青年。二人は瞬く間に恋に落ちるが、アルフレードの父親であるジェルモンが息子と高級娼婦との結婚に反対。泣く泣くアルフレードとの別れを決めるヴィオレッタであるが、すでに結核に冒されていた。別れの理由を知らないアルフレードはヴィオレッタをなじるが、彼女が余命いくばくもないと知り、ヴィオレッタの下に駆けつける。ジェルモンも許しを請いに現れるが、ヴィオレッタはそのまま命を落とす。

これが大体のあらすじであるが、よくありそうな話で、特段ドラマティックという訳ではない。ただこれに音楽が加わると、優れた芸術作品となる。理性よりも情に訴えかける作品である。
この時期のヴェルディは、「オペラは歌が主役」と考えており、歌手が歌っている時のオーケストラはシンプルな伴奏に徹している。一方、ドイツではワーグナーが声と管弦楽による一大交響詩として歌劇、更にそれを発展させた楽劇を発表するようになるが、ヴェルディも対抗意識を持ったのか、やはり声と管弦楽による重厚な作風へと転換していくことになる。

原作:アレクサンドル・デュマ=フィス。作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ。佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)による演奏。演出は井原広樹。プロデューサー:井上和世。
出演は、住吉恵理子(ヴィオレッタ)、西影星二(アルフレード)、油井宏隆(ジェルモン)、平瀬令子(フローラ)、清原邦仁(ガストン男爵)、青木耕平(ドビニー公爵)、下林一也(ドゥフォール男爵)、武久竜也(グランヴィル医師)、岸畑真由子(アンニーナ)、佐藤謙蔵(ジュゼッペ)。合唱はオペラde神戸合唱団。バレエ:貞松・浜田バレエ団。児童合唱:須磨ニュータウン少年少女合唱団。舞台装置:増田寿子。


前奏曲が始まると同時に幕が開き、白い服を着たヴィオレッタの幽霊(貞松・浜田バレエ団のダンサーである武用宜子が演じている)が横たわっているのが見える。周囲には生前のヴィオレッタと親しくしていた人がいるのだが、ヴィオレッタが目覚めても彼女の霊の存在に気付かない。自分が幽霊となってしまったことを悟ったヴィオレッタは孤独感に打ちのめされ、泣き崩れる。ラストシーンの続きを本来の幕開けの前にやる演出は、最近ではよく行われるが、悲劇ということで「死してなお孤独」という救いのないものになっている。

佐渡による音楽作りだが、以前に比べ艶や一種の色気のようなものが強く感じられるようになって来ている。若い頃はとにかく溌剌とした音楽性が売りだった佐渡裕だが、最近、西宮の兵庫県立芸術文化センターのホワイエで流れている映像を見ると顔も声もくたびれた感じで、日本と欧州の往復による疲労が溜まっているようである。ということで躍動感よりも丁寧に音を重ねることを重視しているのかも知れない。
内部が改装された神戸文化ホールは残響がオペラとしても不足がちなところがあったが、音の通りは良く、音楽を楽しむのに不足はない。神戸文化ホールは、1973年竣工ということで、東京・渋谷のNHKホールと同い年。NHKホールは現在、改装工事に入っており、同時期に出来た金沢歌劇座は数年後の閉鎖が決まっている。神戸も2025年を目標に新ホールを三宮地区に完成させる予定で、神戸文化ホールも一応廃止の方向性のようだが、詳しいことは決まっていないようである。

歌手達の水準も高く、タイトルロールということになる(劇中では「椿姫」とも「ラ・トラヴィアータ」とも呼ばれないが、「椿姫」というのが彼女のことであるのは確かである)ヴィオレッタを歌った住吉恵理子の可憐さと儚さは特に良かった。

ヴィオレッタのサロンや、同じく高級娼婦であるフローラのサロンはアイボリー系の色彩による豪華な壁が特徴であり、ヴィオレッタの別荘やヴィオレッタの寝室では真逆のダークトーンのセットが用いられて、対比が鮮やかであるが、ヴィオレッタが別荘の寝室で力尽きる直前に、黒い壁面が上方へと動いてキャットウォークへと消え、華麗な場面で用いられていたアイボリーの壁面が姿を現す。正直、演出意図が良く分からなかったのだが、ヴィオレッタが死の直前の夢の中で見た風景が、かつての華やかな世界だったということなのかも知れない。他の意図は思いつかない。その華やかな景色が、冒頭で示されたヴィオレッタの死後の孤独をより深くするようでもある。

「椿姫」ということで、サロンでの夜会のシーンが大勢の登場人物で彩られていたが、今後、コロナが生み出す状況如何によっては、またしばらくの間、こうした演出は難しくなるかも知れない。


カーテンコールでは、井上和世も着物姿で現れ、喝采を浴びていた。

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2022年1月12日 (水)

コンサートの記(758) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!」第3回「物語とオーケストラ」

2021年12月5日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!」第3回「物語とオーケストラ」を聴く。今回の指揮者は、京都市交響楽団首席客演指揮者のジョン・アクセルロッド。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

曲目は、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲、ワックスマンの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:服部百音)、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メインテーマ、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」(ナレーション:福山俊朗)。

今回は開演前にロビーコンサートがあり、ジョン・アクセルロッドが電子ピアノを弾く。
「ヒーロー」がテーマであり、まずチェレスタの音色で「ハリー・ポッター」のメインテーマが奏でられる。
アクセルロッドは続いて自分自身のヒーローだというJ・S・バッハの「平均律クラーヴィア」曲集よりプレリュードを弾いた。
また質問も受け付け、音楽家になるにはとの質問に、「まず音楽への愛を持って学ぶ必要」があり、そして「プラクティス、プラクティス、プラクティス(練習、練習、練習)」だそうである。呼吸をするように音楽が出来るようになれば、音楽家になれるだろうとのことであった。アクセルロッドは、「皆さんのヒーローは誰ですか? スーパーマンですか? スパイダーマンですか? 侍ですか?」と聞いていた。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭は降り番。オーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子は全編に出演する。


ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲。
アクセルロッドは、曲によって勿論異なるが、基本のテンポは速めである。またシャープな音楽性が特徴である。この演奏では何故か弦の音にモヤがかかったように聞こえ、分離や輪郭がはっきりしなかった。

ガレッジセールとのやり取りは、通訳の小松みゆきを通して行う。アクセルロッドは、ガレッジセールの質問に、まずは「はい」と日本語で答える。アクセルロッドは、歌劇「ウィリアム・テル(ギョーム・テル)」の少年の頭の上に置いた林檎を弓矢で射落とすという有名な物語を語った。ゴリは「ウィリアム・テル」序曲のラストに出てくる「スイス軍の行進」について、「俺ら50代近くの人間は、『俺たちひょうきん族』を思い出す」話す。


ワックスマンの「カルメン幻想曲」。映画音楽の作曲家として知られるフランツ・ワックスマンが、ビゼーの歌劇「カルメン」の旋律を取り込んでヴァイオリン協奏作品に仕上げたものである。アクセルロッドはカルメンについて、スペイン一美しいが最も怖ろしい女性であると述べる。アクセルロッドは、スペイン王立セビリア交響楽団の音楽監督を務めていたことがあるが、セビリアはカルメンの舞台である。

ヴァイオリン独奏の服部百音は、1999年生まれの若手ヴァイオリニスト。服部隆之の娘であり、音楽一族服部家の四代目である。5歳でヴァイオリンを始め、8歳でオーケストラと共演。2009年のポーランド・リピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで最年少での第1位を獲得。その後いくつものヴァイオリン国際コンクールで優勝を飾っている。今年10月に仙川の桐朋学園大学大学院に入学したばかりである。

真っ赤なドレスで登場した服部。まだ若いためか線がやや細いのが気になるが、高度なメカニックを駆使して情熱的な演奏を展開する。京響の鳴りもロッシーニに比べるとかなり良い。オーケストレーションの違いなのか、時代背景が異なるためか(ロッシーニの時代にはまだ音響の良いコンサートホールやオペラハウスは存在していない)ジャンルの違いなのかは不明である。

服部百音とガレッジセール(主にゴリ)のトーク。演奏中に弓の一部が切れたそうで、弓が切れた場合、垂れた弓の糸の一部が左手に絡まることがあるそうで、それに気をつけながら弾く必要があるという。また今日は顎乗せを留めているネジが外れかかっていたそうで、途中で留め直したそうだ。
ゴリが、「百音さんがジョンさんに近づいていくので、ジョンさんを刺すんじゃないかと」
百音「あ、カルメンは逆にカルメンが刺されるお話です。ラストで刺されちゃいます」
ゴリ「で、今回はジョンさんを刺そうと」
百音「それは違います」


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メイン・テーマ。
ゴリが、「あれ、ジョンさんいませんね」と言いつつ進めようとするが、ここでダース・ベイダーの「スースー」という吐息が聞こえる。ジョン・アクセルロッドがダース・ベイダーの面を被り(その上から黒いマスクを付けている)、ライトセーバーを持って登場。ただ持っているのはライトセーバーではなく、警備員が用いる普通の棒(警備棒)である。
アクセルロッドはそのまま指揮台に立つが、演奏前には面を取り、指揮棒を持って指揮した。オーケストレーションに定評のあるジョン・ウィリアムズの作品ということで、鳴りは抜群に良い。


後半。チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」。舞台俳優、福山俊朗(しゅんろう)のナレーション入りである。台本はアクセルロッドが書いたもののようだ(翻訳者がいるはずだが不明)。

フルートが上野博昭でなかったのが少し残念だが、色彩感豊かで洒落た演奏が展開される。福山のナレーションも安定したものであった。

演奏終了後、ゴリは、「お客さん、『福山さんの席が一番良い席だな』と思ったんじゃないでしょうか。あんな良い席ない」と語る。

アンコールとして、「ウィリアム・テル」序曲より「スイス軍の行進」が再度演奏された。

ロビーコンサートから「ヒーローについて」語っていたアクセルロッドだが、「コンサートに駆けつけてくれた皆さんこそが本物のヒーローです」と締めていた。

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2022年1月 8日 (土)

コンサートの記(757) 沼尻竜典指揮 「オーケストラ・キャラバン~オーケストラと心に響くひとときを~」 九州交響楽団西宮公演

2021年12月21日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後7時から、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、「オーケストラ・キャラバン~オーケストラと心に響くひとときを~」九州交響楽団西宮公演を聴く。指揮は沼尻竜典。

福岡を本拠地とする九州交響楽団。九州唯一のプロオーケストラである。人口からいえば政令指定都市である熊本市や中核市である鹿児島市にもフルサイズでなくても良いのでプロオーケストラがあっても良さそうだが、やはり難しいようである。


オール・チャイコフスキー・プログラムで、バレエ組曲「くるみ割り人形」より“小序曲”~“行進曲”、ヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、交響曲第4番が演奏される。


九州交響楽団を聴くのは初めて。東京の有力オーケストラが関西で公演を行うことは比較的多いが、それ以外の地方のオーケストラは本拠内以外で公演を行うこと自体が余りない。東京での公演ならある程度集客が見込めるが、国内第2位の経済規模を誇る関西地方においても集客面で勝算があるとは言えない状況である。コロナ禍の最中ということもあるが、今日の公演も入りがいいとは言い難い。

九州交響楽団の響きは、これまでに聴いたことのある日本のオーケストラの中では日本フィルハーモニー交響楽団の音に比較的近いように思える。ただ音自体は日フィルより渋めである。

ドイツ式の現代配置での演奏。クラリネット首席に京都市交響楽団の小谷口直子が客演で入っている。


バレエ組曲「くるみ割り人形」より“小序曲”~“行進曲”。沼尻らしい明晰でシャープな音作りで、愉悦感もよく出ている。スケールはやや小さめであるが、この曲に関してはそれで一向に構わない。
チャイコフスキーのオーケストレーションは視覚面でも楽しい。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストである神尾真由子の十八番の一つである。
白いドレスで登場した神尾は、万全の演奏を聴かせる。メカニックが抜群なだけではなく、タメや細やかな表情付けに由来する彼女ならでは味わいが耳に心地よい。本当に良い曲であり、良い演奏だと思える。沼尻指揮の九州交響楽団も巧みな伴奏を聴かせる。


神尾のアンコール演奏は、シューベルトの「魔王」(おそらくエルンスト編曲版)。ゲーテの詩に作曲した「魔王」は語り手、父親、子供、魔王の4役を一人で歌い分ける楽曲であるが、ヴァイオリン独奏版も同様の一種の演技力が必要となってくる。高度な技術が要求される曲だが、子供が歌う部分の痛切さが印象的な演奏となっていた。


チャイコフスキーの交響曲第4番。解釈面での見直しが進むチャイコフスキーの楽曲。それまでに完成させた3つの交響曲がいずれも抒景詩的であったのに対し、交響曲第4番から第6番「悲愴」に至るまでの後期3大交響曲ではいずれも私小説のような趣を醸し出しており、作曲者の心境の変化が感じられる。

衝撃的に演奏されることが多い第1楽章の冒頭だが、沼尻は悲劇性を抑え、純音楽的な美音で奏でる。のどかに感じられるほどだが、これはその後の展開への伏線だった。
第1楽章も中盤に入ってから、沼尻は大きなギアチェンジを見せ、聴いていて胸が苦しくなるほどの慟哭を歌い上げる。前半との対比により、この曲の異様さがクッキリと浮かび上がる。あたかも地獄を見続けながら必死で正気を保っているような陰惨さが波濤のように押し寄せる。見事な設計である。

第2楽章の孤独に満ちた表情も痛烈。リアルな響きである。私にとっての「リアル」とは「切実である」ということだ。

チャイコフスキーはこの曲を完成させた後、交響曲作曲家としてはスランプに陥る。バレエ音楽などの劇音楽は作曲しており、また憧れの作曲家であったモーツァルトの楽曲研究を行うなど、それなりに有意義には過ごしていたようだが、自身の本領である交響曲が書けないという焦りは常にチャイコフスキーの中にあった。それまでの感情を全て吐露してしまったのが交響曲第4番であり、作曲を終えて空っぽになってしまったのかも知れない。

第3楽章での徹底したピッチカート演奏など、アイデアに溢れているが、どうも音楽の方から勝手にチャイコフスキーの下にやって来たような印象もあり、作曲家自身が制御し切れていない部分も多いように感じる。
交響曲第5番や第6番「悲愴」も同傾向にあるが、この2曲は第4番に比べればまだ抑制が効いているように感じられる。交響曲第4番の荒れっぷりはやはり尋常ではない。

沼尻はスケールや輪郭をきっちりと決めて、その範囲内で音楽の密度や精度を高めていくことの多い指揮者であるが、交響曲第4番においては、そうした自身の得意とするスタイルではなく、この楽曲が持つ異常性を炙り出すことに腐心しているように感じられた。ラストは本当に「狂気のパレード」という印象である。


アンコール演奏は、チャイコフスキーの弦楽セレナードから第2曲「ワルツ」。爽やかな演奏で、交響曲第4番の後で心のざわめきが少しだけ穏やかになったように感じられた。

九州交響楽団。また聴いてみたいオーケストラである。

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2022年1月 3日 (月)

コンサートの記(756) 2021年度公益事業文化公演京都府教職員互助組合創立70周年記念「新妻聖子&サラ・オレイン Special Concert」@ロームシアター京都

2021年11月28日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時30分から、ロームシアター京都メインホールで、2021年度公益事業文化公演京都府教職員互助組合創立70周年記念「新妻聖子&サラ・オレイン Special Concert」を聴く。

このコンサートは、チケット発売初日に席を確保出来ず、同じ日に行われる京都市交響楽団のチケットを取ったのだが、その後に教職員のキャンセルが出たのかどうかは知らないが、新たにロームシアター公演のチケットが発売になっていたため購入。ロームシアターを優先させることにした。

「ミュージックフェア」での共演などを経て、森山良子、平原綾香と4人でLA VITAを結成した新妻聖子とサラ・オレイン。日本歌謡界の若手を代表する二人の共演による豪華なコンサートを格安で聴ける機会である。ただ前後左右一席空けのソーシャルディスタンススタンスであるが席は埋まり切っておらず、そこは残念な気がした。なお、肉親などの親しい関係であれば一席空けなくても大丈夫なようである。

第一部がサラ・オレイン、第二部が新妻聖子という二部制のコンサート。二人のデュオがあるとは書かれていないが、普通に考えて、ないとは思えない。
果たしてアンコールでは二人揃って登場した。


第一部に登場のサラ・オレイン。オーストラリアの出身で、日本文学を学ぶために東京大学に留学。その後に歌手として日本で活動するようになっている。音楽活動は多岐に渡り、楽器演奏や作曲、指揮もこなすという才女である。言語学が専門領域であり、今日も、「ほな、いきまっせ」「おいでやす。おこしやす」など関西弁でのトークも行った。
三島由紀夫の『金閣寺』を読んで感動し、「これは日本に行くしかない」と思ったそうで、数年前には金閣寺でのコンサートも行っているという。

2018年に京都コンサートホールで行われた「時の響」に出演した時に聴いて以来のサラ・オレイン。まず1曲目に久石譲の「君をのせて~天空の城ラピュタより」を歌い、その後に自作などを披露。ヴァイオリンやキーボードを弾きこなすなど多才である。
葉加瀬太郎とセリーヌ・ディオンの「TO LOVE MORE」でヴァイオリン弾き語りの一人二役を行ったり、チック・コリアの「スペイン」に歌詞を付けたものを歌ったり、最後はプッチーニの歌劇「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」(本来はテノールの曲である)を歌うなど、バラエティに富んだ選曲。歌声も澄んだソプラノからソウルフルなものまで幅広い。


最も好きなミュージカル歌手の一人である新妻聖子。歌声にも演技にも全幅の信頼の置ける人である。今日は青いパンタロン(でいいのかな?)姿で登場する。
まずはお得意のミュージカルナンバーから。「ラ・マンチャの男」から同名曲、「アニー」から「Tomorrow」、「レ・ミゼラブル」から「夢破れて」。「ラ・マンチャの男」は英語、「Tomorrow」と「夢破れて」は日本語での歌唱である。「Tomorrow」は少女が主演する「アニー」のナンバーということで、新妻聖子が歌うようになったのは最近だそうだが、歌詞が深く、「子どもが歌う曲だからとは侮れない」そうである。「レ・ミゼラブル」は、新妻のミュージカルデビュー作(エポニーヌ役)であるが、エポニーヌが歌う「On My Own」ではなく、最も有名な曲である「夢破れて」を歌う。客席に「『レ・ミゼラブル』をご覧になったことのない方っていますかね?」と聞いて、数名拍手する人がいたので、「7人ぐらいいらっしゃいますね」ということで、説明しようとするが、「ある人がパンを盗んでですね、改心する。割と早く改心するんですが、その前に出てくる恵まれない人がフォンテーヌ。フォンテーヌは人を信じやすいんですが、不幸になって、子どもを宿して、でも子どもがいたら働けないから、信用出来そうな夫婦(テナルディエ夫妻)に預けたら、実際には酷い人達で」と大まかなものに留める。『レ・ミゼラブル』はミュージカルとしても大作であるが、原作小説も岩波文庫の厚いもので4冊あり、そう簡単に説明出来るものではない。「Tomorrow」も優れていたが、「夢破れて」は入魂の出来で素晴らしかった。

続いては「ピコ太郎さんの歌をうたいたいと思います。ふざけてるんじゃないですよ。ピコ太郎さんは真面目な曲も書いてるんです。さだまさしさんの『関白宣言』という歌がありますが、みんな知っているという前提で言いますけど、結婚した旦那さんが割と高圧的な、半分冗談なんですけど、それを生まれてくる子どもの視点から書いた『完パパ宣言』というのがありまして、刺さるものがあったので、ピコ太郎さんに『歌いたいんですけどいいですか?』とお伺いしたら『いいですよ』ということでレパートリーに入れた」そうである。赤ちゃんの視点で歌うということで、椅子の上に座り、胎児のように脚を抱えて歌う。途中で録音された産声が流れるが、新妻聖子の長男が生まれた時の産声だそうである。

新妻聖子の実姉は、シンガーソングライターだそうだが、姉妹のことを書いた「sisters」という曲も歌われる。新妻の姉の声が録音で流れて「疑似デュオ」になるが、実の姉ということで声が新妻聖子にそっくりである。

LA DIVAでは、韓国の音楽グループであるBTSの「Dynamite」をカバーしているのだが、それを「ラウンジでブランデーを傾けながらシャム猫を撫でているイメージ」でアレンジして貰ったものを歌う。モダンジャズなテイストであった。

新妻は現在、ミュージカル「ボディガード」の稽古に励んでいるそうで、「有名な『エンダーイ』を歌います」ということで、「Always Love You」が日本語と英語が混じったミュージカル日本上演バージョンで歌われた。

最後はお別れのイメージがある「Time to say goodbye」。伸びやかな歌唱であった。


アンコールは、サラ・オレインと新妻聖子の共演で、中島みゆきの「時代」とABBAの「ダンシングクィーン」が歌われる。先頃の再結成宣言でも話題になったABBAはスウェーデンのグループということで、サラ・オレインは新妻の青の衣装と合わせてスウェーデンの国旗に見えるよう黄色のドレスを選んだのだが、新妻はそれに気付かず、昨日の綾部市での公演では、「サラちゃん、黄色のドレス素敵だね」としか思っていなかったそうである。
新妻はサラに「京都の思い出」について聞いたのだが、「先程語り尽くした」ということで再び三島由紀夫の『金閣寺』の話をする。新妻は、「日本人なのに(『金閣寺』を)読んだことない」そうだが、「京都がサラちゃんを日本に呼んだと」と纏めていた。

「時代」には英訳された歌詞が存在するそうで、二番は英訳詞でのデュオとなった。
ミュージカル「マンマ・ミーア!」の振り付きで歌われた「ダンシングクィーン」もノリノリであり、「良いものを聴いた」と心から満足出来るコンサートとなった。

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2021年12月31日 (金)

コンサートの記(755) ガエタノ・デスピノーサ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2021

2021年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。昨年の「第9シンフォニーの夕べ」では、指揮台に立つ予定だったラルフ・ワイケルトがコロナ禍で来日不可となり、音楽監督の尾高忠明が代役を務めた。今年の「第9シンフォニーの夕べ」の指揮者にもワイケルトは再び指名されたが、オミクロン株の流行などによる外国人の入国規制強化によってまたも来日不可となり、入国規制が強化される前に来日して、日本滞在を続けているガエタノ・デスピノーサが代役として指揮台に立つことになった。なお、来年の大フィル「第9シンフォニーの夕べ」は尾高忠明の登壇が決まっており、ワイケルトの第九は流れてしまったようである


1978年生まれと、指揮者としてはまだ若いガエタノ・デスピノーサ。イタリア・パレルモに生まれ、2003年から2008年まで、名門・ドレスデン国立歌劇場のコンサートマスターを務めた、同時代にドレスレデン国立歌劇場の総監督であったファビオ・ルイージの影響を受けて指揮者に転向。2013年から2017年までミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の首席客演指揮者を務めている。

独唱は、三宅理恵(ソプラノ)、清水華澄(メゾ・ソプラノ)、福井敬(テノール)、山下浩司(やました・こうじ。バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。フォアシュピーラーにはアシスタント・コンサートマスターの肩書きで客演の蓑田真理が入る。ドイツ式の現代配置での演奏だが、通常とは異なり、昨年同様ホルンが上手奥に位置し、通常ホルンが陣取ることが多い下手奥には打楽器群が入る。独唱者4人はステージ下手端に置かれた平台の上で歌うというスタイルである。


デスピノーサはフォルムを大切にするタイプのようで、先日聴いた広上淳一指揮京都市交響楽団の第九とは大きく異なり、古典的造形美の目立つスッキリとして見通しの良い演奏が行われる。
朝比奈隆時代に築かれた豊かな低弦の響き、俗に言う「大フィルサウンド」を特徴とする大阪フィルハーモニー交響楽団であるが、デスピノーサがイタリア人指揮者ということもあって音の重心は高め。通常のピラミッド型とは異なる摩天楼型に近いバランスでの演奏が行われる。大フィルならではの演奏とはやや異なるが、こうしたスタイルによる第九も耳に心地よい。
全編を通して軽やかな印象を受け、ラストなども軽快な足取りで楽園へと進んでいく人々の姿が目に見えるようであった。

大阪フィルハーモニー合唱団は、今年も「歌えるマスク」を付けての歌唱。ザ・シンフォニーホールでの大フィル第九では、指揮台に立つ予定だった井上道義が「歌えるマスク」での歌唱に反発して降板したが(井上さんはコロナでの音楽活動縮小やマスクを付けての歌唱に元々反対だった上に、「歌えるマスク」がKKKことクー・クラックス・クランに見えるということで、降板している。KKKは、白人至上主義暴力肯定団体で、映画「国民の創生」や、シャーロック・ホームズ・シリーズの「5つのオレンジの種」などに描かれている。現在も活動中であり、先日、公園で集会を開いて周囲の住民と揉み合いになった)、マスクを付けていても歌唱は充実。フェスティバルホールの響きも相俟って堂々たる歌声を響かせていた。

演奏終了後に照明が絞られ、福島章恭指揮によるキャンドルサービスでの「蛍の光」が歌われる。再三に渡るリモートワークを強いられるなど、去年以上に大変であった今年の様々な光景が脳裏をよぎった。

日本語詞の「蛍の光」は別れを歌ったものであり、寂しいが、第九同様に明日へと進む人々の幸せを願う内容であり、目の前に迫った来年への活力となるようにも感じられた。

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2021年12月30日 (木)

コンサートの記(754) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2021

2021年12月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がメインの曲目だが、その前に同じくベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番が演奏される。

今日のコンサートマスターは京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式現代配置での演奏で、管楽器の首席奏者はほぼ揃っている。

第九の独唱は、砂川涼子(ソプラノ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は京響コーラス。


序曲「レオノーレ」第3番。ベートーヴェンが書いた序曲の中では最も演奏される回数の多い楽曲だと思われるが、暗闇の中を手探りで進むような冒頭から、ティンパニが強打されて活気づく中間部、熱狂的なフィナーレなど、第九に通じるところのある構成を持っている。
広上と京響は生命力豊かで密度の濃い演奏を行う。トランペット首席のハラルド・ナエスがバンダ(一人でもバンダというのか不明だが)として、二階席裏のサイド通路とポディウムでの独奏を行った。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
第1楽章と第2楽章は、クッキリした輪郭が印象的なノリの良い演奏で、ピリオドを意識したテンポ設定とビブラートを抑えた弦楽の響きが特徴。時折きしみのようなものもあり、整ったフォルムの裏に荒ぶる魂が宿っているかのようで、バロックタイプでこそないが硬い音を出すティンパニが強打される。

第3楽章は、第1楽章と第2楽章とは対照的に遅めのテンポでスタート。途中からテンポが変わるが、旋律の美しさをじっくりと歌い上げており、第九が持つ多様性と多面性を浮かび上がらせる。最近では全ての楽章が速めのテンポで演奏されることが多い第九だが、こうした対比やメリハリを付けた演奏も魅力的である。

第4楽章は再びエッジの効いた演奏。京響コーラスはマスクを付け、一部の例外を除いて前後左右1席空けての歌唱で、やはり声量も合唱としても密度もコロナ前に比べると劣るが、かなり健闘しているように思えた。

広上は跳んだりはねたり、指揮棒を上げたり下げたりを繰り返すなど、いつもながらのユニークな指揮姿。また全編に渡ってティンパニを強打させるのが特徴である。
第九におけるティンパニは、ベートーヴェン自身のメタファーだという説を広上も語ったことがあるが、打楽器首席奏者の中山航介が豪快にして精密なティンパニの強打を繰り出し、ベートーヴェンの化身としてコロナと闘う全人類を鼓舞しているように聞こえた。

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2021年12月24日 (金)

コンサートの記(753) 「玉置浩二 Concert Tour 2021 故郷楽団~Chocolate Cosmos」@ロームシアター京都 2021.9.26

2021年9月26日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後5時30分から、ロームシアター京都メインホールで「玉置浩二 Concert Tour 2021 故郷楽団~Chocolate Cosmos」を聴く。
玉置浩二のコンサートに接するのは三度目だが、いずれも雨で、玉置浩二も結構な雨男のようである。

2015年に行われた「故郷楽団」公演の再演で、曲目も2015年のものに近い。オリジナルの他に尾崎豊の「I LOVE YOU」のカバーもあってとても良い。イントロに特徴があるため、客席がすぐに「あ!」という空気になった。
2部構成で、前半は明るめの茶色の、後半は白のコートを着て歌った玉置浩二。秋から冬にかけての道産子のファッションやチョコレートをイメージしたものだと思われる。「故郷楽団」のタイトル通り、前半は「ママとカントリービール」(作詞:竹中直人)、「花咲く土手に」、「青い“なす”畑」といった子供時代や故郷である北海道を歌った曲も多く、ホール全体がノスタルジアに包まれる。玉置浩二は歌声だけで世界を構築出来る人だけに、京都にいながら北の大地の清冽な風に吹かれているような気分になる。

「MR.LONELY」「JUNK LAND」を経て歌われた「田園」では観客総立ちになり、玉置浩二は今日も「愛はここにある」の後を「京都にある」とご当地に変えて歌って喝采を浴びる。
曲を終えてから、玉置は「こんばんは。皆さん足を運んでくれてありがとう。感謝します。メンバー紹介をします」と述べてからメンバーを一人一人紹介する。紹介してからギターをライフルに見立てて撃つ真似をするなどお茶目な仕草を続けていた玉置。テレビだとずっとハイテンションで喋ってばかりのイメージがある玉置浩二であるが、ライブで彼が話すのは珍しいことらしい。

玉置浩二のオールタイム人気曲アンケートで1位になった「メロディー」で本編は終わり、アンコールとして「しあわせのランプ」が歌われる。アンコールで歌われたのはこの曲だけだったが、最後の曲に相応しいメッセージに溢れた歌声が、空間を幸福感に満たしていた。

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2021年11月14日 (日)

コンサートの記(752) 「ALTI 民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」@京都府立府民ホールアルティ

2021年10月28日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて

午後6時から、京都府立府民ホールアルティで、「民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」という音楽会に接する。津軽三味線(itaru)、二胡(尾辻優依子)、馬頭琴&ホーミー(福井則之)、ヴァイオリン(提琴&ヴァイパー。大城淳博)に古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ(中野潔子)を加え、各国・各地域の音楽が奏でられる。

曲目は、「もみじ」(全員)、「津軽よされ節」(三味線)、「楓葉繚乱(ふうようりょうらん)」(三味線)、「ナラチメグ」(馬頭琴、提琴、ガンバ)、「蘇州夜曲」(二胡)、「灯影揺紅」(二胡)、「スーホの白い馬」(馬頭琴)、「ホーミー・ホルバー・アヤルゴー」(馬頭琴&ホーミー)、「こきりこ節」(三味線、二胡)、「だんじゅかりゆし」(提琴、ガンバ)、「久高万寿主/唐船どーい」(ヴァイパー)、「かごめかごめ」の即興演奏(三味線、提琴、ガンバ)、「牧羊姑娘」(二胡、馬頭琴)、即興演奏(馬頭琴、三味線)、「茉莉花」(二胡、提琴、ガンバ)、「アメイジンググレイス~津軽あいや節」(三味線)、「津軽じょんがら節」(三味線)、「良宵」(二胡)、「三門峡暢思曲」(二胡)、「ドンシャン・グーグー」(馬頭琴)、「白馬」(馬頭琴)、「月ぬ美(ちゅら)しゃ」(ヴァイパー、ガンバ)、「てぃんさぐぬ花/闘山羊」(提琴、ガンバ)、「賽馬」(全員)。

全席自由だが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンススタイルで、舞台席の上方、二階席と呼ばれる部分(一般的な二階席とは違う意味で使われている)は今日は関係者以外立ち入り禁止となっている。


ヴァイパーという楽器は、目にするのもその名を聞くのも初めてだが、アメリカで開発された6弦のエレキヴァイオリンで、日本では大城淳博が第一人者ということになるようである。

馬頭琴は演奏や曲を録音で聴いたことがあり、以前に訪れた浜松市楽器博物館では、「体験できる楽器」の中に馬頭琴(もどき)が含まれていたので、ちょっと音を出したこともあるのだが、演奏を生で聴くのは初めてかも知れない。

ホーミーは、今から30年ほど前に日本でも話題になったモンゴルの歌唱法である。低音の「ウィー」という声に倍音で中音域、高音域が重なるのが特徴となっている。坂本龍一の著書には、日本にホーミーを紹介したのは「いとうせいこう君」という記述があるが、これは本当かどうか分からない。坂本龍一は、日本で初めてラップを歌った人物もいとうせいこうであるとしている。


個人的なことを書かせて貰うと、民族音楽は比較的好きな方で、二十歳前後の頃にはキングレコードから出ている民族音楽シリーズのCDを何枚か買って楽しんでいた。「ウズベクの音楽」はかなり気に入った(HMVのサイトで、各曲の冒頭を聴くことが出来る)。
二胡は、姜建華が弾く坂本龍一の「ラストエンペラー」や、坂本龍一がアレンジしたサミュエル・バーバーの「アダージョ」を聴いて憧れ、キングレコードの民族楽器シリーズの中の1枚もよく聴いており、25歳の頃に先生について習い始めたのだが、色々と事情もあって3ヶ月でレッスンは終わってしまった。考えてみれば、二胡は単音しか出せない楽器なので、一人では「ラストエンペラー」を弾くことは出来ない。演劇を学ぶために京都に行く決意をしたのもこの頃ということもあり、以降は二胡とは疎遠になっている。

こうやって書いてみると、坂本龍一という音楽家の存在が私の中ではかなり大きいことが改めて分かってくる。ちなみに今日演奏された「てぃんさぐぬ花」も、初めて聴いたのは「BEAUTY」というアルバムに収められた坂本龍一編曲版であった。


客席に若い人が余りないのが残念であるが(親子連れはいた)、民族楽器が終結した演奏会を聴くという機会も余りないため、印象に残るものとなった。


福島則之の説明によると、馬頭琴は二弦からなる楽器であるが、一本の弦に馬の尻尾の毛100本ほどが束ねられているそうで、二弦と見せかけて実は二百弦という話をしていた。馬頭琴の音は人間の声に近い。西洋の楽器を含めて、これほど人間の声に近い音色を奏でる楽器は他に存在しないのではないだろうか。

ちなみに、弓の持ち方であるが、ヴァイオリンだけ上から掴むように持つオーバーハンドで、馬頭琴、二胡、ヴィオラ・ダ・ガンバは箸を持つように下から添えるアンダーハンドである。二胡とヴィオラ・ダ・ガンバは手首を返しながら左右に弓を動かすが、馬頭琴は二胡やヴィオラ・ダ・ガンバほどには弓を動かさないということもあってか、手首を固定したまま弾いている。

ヴィオラ・ダ・ガンバの、ガンバは「足」という意味で、両足で挟みながら演奏する。Jリーグのガンバ大阪も、フットボールの「フット」のイタリア語である「ガンバ」と、「頑張れ!」の「頑ば!」を掛けたチーム名である。
エンドピンのないチェロのようにも見え、ヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれた曲も現在はチェロで弾かれることが多いことから、「チェロの祖先」と思われがちだが、実際は違う体系に属する楽器であり、弦の数も6本が基本と、チェロよりも多い。


「茉莉花」は、中国の国民的歌謡で、第二の国歌的存在であり、アテネオリンピックや北京オリンピックでも流れて話題になっている。尾辻は、上海に短期留学したことがあるのだが、街角のスーパーや薬局などで「茉莉花」の編曲版が流れているのを普通に耳にしたそうで、中国人の生活に「茉莉花」という曲が根付いているのが分かる。

「良宵」は、二胡の独奏曲の中で間違いなく最も有名な曲であり、二胡奏者は全員この曲をレパートリーに入れているはずである。作曲した劉天華は、それまで京劇などの伴奏楽器でしかなかった二胡を一人で芸術的な独奏楽器の地位まで高めた人物であり、中国の民族音楽の向上に多大な貢献を行っているが、多忙が災いしたのか37歳の若さで他界している。
「良宵」は、元々のタイトルは「除夜小唱(大晦日の小唄)」というもので、大晦日の酒宴をしている時に浮かんだ曲とされる。尾辻によると、後半になるにつれて酔いが回ったような曲調として演奏する人もいるそうである。


アンコールとして、こちらは日本の国民的歌曲となっている「故郷」が独奏のリレーの形で演奏された。

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2021年11月10日 (水)

コンサートの記(751) オペラ「ロミオがジュリエット(Romeo will juliet)」世界初演

2021年11月5日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて

午後7時から、東九条のTHEATRE E9 KYOTOで、オペラ「ロミオがジュリエット(Romeo will juliet)」(ソプラノ、ギター、電子音響のための。2021年委嘱・世界初演)を聴く。作曲は、足立智美(あだち・ともみ。男性)。出演は、太田真紀(ソプラノ)と山田岳(やまだ・がく。エレキギター、アコースティックギター、リュート)。この二人による委嘱である。演出は、あごうさとし。

テキスト生成用のAI(人工知能)であるGPT-2に、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の原文を始め、文献やWeb上の情報など数百年分のデータを入れて記述されたテキストを基に作曲されたオペラである。足立本人は敢えて「ロミオとジュリエット」の原文には触れないようにしたそうで、「おそらく、オペラ作曲家が原作を読まずに作曲した世界初のオペラでもあります」(無料パンフレットに記載された足立本人の文章より)とのことである。

英語上演(一部日本語あり)字幕なしということで、予約を入れた人に届いたメールには英語の原文と日本語訳が載ったPDFが添付されており、事前に読むことが推奨されている。テキストは当日に席の上に置かれたチラシの束の中にも入っている。

私は事前に2度読んで行ったが、AIは意味というものを理解することが出来ないということでハチャメチャなテキストになっている。「ロミオとジュリエット」の主筋は登場せず(別れの場だけ多少それらしかったりする)、突然、ゲームの話になったり(「ロミオとジュリエット」をビデオゲーム化したものがいくつもあって、その影響らしい)、「あんた誰?」という登場人物が何の予告もなしに出てきたり(「ロミオとジュリエット」の二次創作からの還元の可能性があるようだ)、矛盾だらけの文章が続いたりと、とにかく妙である。ただ、そんな妙な文章の中に、時折ふっと美しい一節が現れることがある。それまでの過程が奇妙なだけに、その美しさは際立つ。

中央から左右に開くタイプの黒い幕が開き、オペラ開始。ソプラノの太田真紀は中央に黒いドレスを纏って(正確に言うと、床に置かれた黒いドレスに潜り込んで)座り、ベールを被っている。顔は白塗りで、そのために真っ赤に口紅が引き立つ。山田岳は上手奥にいてギターを弾き始める。両手は血をイメージしたと思われる赤い塗料に染められている。

今日が世界初演の初日である。

9場からなるテキスト。上演時間は休憩時間15分を含めて約1時間20分である。
英語テキストなので聞き取れない部分も多いが、聞き取れたとしても意味は分からないので、そう変わらないと言えないこともない。

まずは第1場「ロミオ」は朗読から入り、第2場「ジュリエット」では、冒頭の「目をいつもよりちょっと大きく動かしてみましょう!」が日本語で語られる。
ボイスチェンジャーが使われたり、声が重なって聞こえるよう加工されたりする。

そんな中で第4場の「ジュリエットとサクラ」は純然とした朗読。太田真紀も情感たっぷりに読み上げるが、その実、文章の意味は通っていなかったりする。サクラなる人物が何者なのか良く分からないが、なぜか子どもが登場し(誰の子どもなのかも、サクラやジュリエットとの関係も不明)、街には当たり屋(?)がいて、裕也というこれまた謎の男が突如現れ、白人の男が黒いカーテンのようだと形容される(白人なのに黒とは如何?)。

第5場「カンティクル」も朗読だが、サクラと独立した彼女の腕との話になっており(「ロミオとジュリエット」からどうしてそんな話になったのかは不明。そもそもジュリエットはどこに行ったのだ?)、中上健次の初期の短編小説「愛のような」を連想させる。
ノーベル文学賞候補と言われながら若くして亡くなった中上健次。一週間後には私は中上健次の享年を超えることになる。

音楽的には、声が重層的になる部分がクイーンのアルバム「オペラの夜」を連想させたり、ラストの第9場「ジュリエット」では、山田岳の弾くリュートに乗せて、太田真紀がシェークスピアと同時代のイギリスの作曲家であるジョン・ダウランドを思わせるような叙情的な旋律を歌うなど(「A drop」のリフレインが印象的)、全体的にブリティッシュな印象を受けるのだが、実際には「イギリス」をどれほど意識していたのかは不明である。ただ、アフタートークで足立は第9場の音楽についてはやはりダウランドを意識したと語っていた。
エレキギターからアコースティックギター、リュートという時代に逆行した流れになっているのも面白い。

ジョン・ダウランドは、近年、再評価が進んでいる作曲家なので紹介しておく。シェークスピア(1564-1616)とほぼ同じ頃に生まれ(1563年説が最有力のようだ)、シェークスピアより10年長生きした作曲家で、オックスフォード大学で音楽を学んだリュートの名手であり、エリザベス女王の宮廷楽士になろうとするが、なぜか不合格となってしまい、やむなくヨーロッパ大陸に活躍の場を求めている。イタリア、ドイツ、デンマークなどで名声を得た後、1606年にイングランドに帰国し、1612年にようやくジェームズ1世の王宮にリュート奏者として仕官。シェークスピアは、その頃には引退間際であり、共に仕事をすることはなかった。同じ時代を生きながらすれ違った芸術家の代表格と言える。


テキストとしては、第7場「ジュリエット」における、「ロミオここにあり」「来たれ」が繰り返されるミニマルなものや、第8場「ロミオ」の「愛」と「死」と「肉体」の観念、第9場「ジュリエット」での「死」と「ひとしずく」の関係などが面白い。AIは意味というものを理解することは出来ないので、自動記述的に生み出されたものなのだが、理屈では捉えきれないが感覚的に飲み込むことの出来る何とも言えない愉悦がここには確かにある。

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