カテゴリー「コンサートの記」の638件の記事

2020年6月29日 (月)

コンサートの記(643) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第539回定期演奏会

2020年6月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第539回定期演奏会を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者の大植英次。大植英次はドイツ在住であるため、新型コロナウイルス対策として日本に入ってから2週間の隔離生活を行う必要があったが、それを乗り切って指揮台に立つことになった。他のオーケストラだっらそんな面倒なことに耐えてまで指揮したいとは思えなかったかも知れないが、それが大植にとっての大フィル愛なのだろう。

約4ヶ月ぶりのフェスティバルホール。大阪市内で「過ごす」といっても良いほど長時間滞在するのも約4ヶ月ぶりである。

曲目に変更がある。当初はリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンスと組曲「キャンディード」が演奏される予定であった。特に「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンスは、1990年に行われたレナード・バーンスタイン指揮ロンドン交響楽団の来日演奏会東京公演で、当初はバーンスタインの自作自演となるはずが、当日になってこの曲だけを当時無名だった大植が指揮することがアナウンスされ、演奏は成功したのに、バーンスタインの自作自演を期待していた聴衆から叩かれまくったという因縁の曲であり、聴くのが楽しみであったのだが、やはり当初の曲目だとオーケストラプレーヤー間のディスタンスが十分に確保出来ないということで、ベートーヴェンの交響曲第4番と第5番が休憩なしで演奏されることになった。2曲共に今の状況下で演奏するに相応しい作品だと思われる。

曲目変更に納得出来ない場合は払い戻し可であり、また客席もディスタンス確保のため両隣一席空けでの対応が必要となり、事前に購入したチケットに記載された席には座ることが出来ず、入場前に新たに割り振られた座席券への引き換えが行われる。
私は2階席の8列目(最後列)下手端から、同6列目ほぼ真ん真ん中の席に移る。音響的には良い席に変わったことになる。

「ブラボー!」など大きな声を上げることは禁止。会話等もなるべく行わないことが推奨される。入場時に手のアルコール消毒を行うほか、サーモグラフィシステムを使っての体温検査も行われる。ビュッフェは閉鎖。飲料水のサーバも使用中止で、飲み物は7階(ホール3階)の自販機で買い求める必要がある。

 

コンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、ティンパニは指揮者の正面ではなく左寄りに配置される。

トランペット奏者やオーボエ奏者が演奏開始前にステージ上で練習を行っていたが、集客が通常よりもかなり少なめということもあって音がよく響く。

 

開演前に大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長の福山修氏がマイクを持って登場し、曲目の変更や席の移動などを受け入れてくれたことへの感謝を述べ、弦楽奏者やティンパニ奏者はマスクをしての演奏であること、また奏者の間も通常より広く取っており、そのために予定されていた曲目が演奏不可となったことを詫びていた。

譜面台であるが、プルトで1台ではなく各自1台であり、なるべく距離を保てるよう工夫されている。また管楽器奏者は交響曲第4番と第5番で総入れ替えとなり、同一人物の飛沫が長時間飛ぶことのないよう工夫されていた。

普段とは異なり、オーケストラメンバーがステージ上に登場した瞬間からずっと拍手が起こる。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。大植は、コンサートマスターの須山暢大と握手をする前に右手に白い手袋を嵌め、客席からの笑いを誘う。

合奏の練習が出来ないということで演奏水準の低下が心配されたが、細かな傷はあったものの、一定水準は確保出来ており、安心する。

 

交響曲第4番は、「ベートーヴェンの交響曲の中では比較的小型で女性的」というイメージがあるが、大植は昨今の同曲演奏の一般的なテンポよりは少し遅めのものを採用し、第1楽章後半や第2楽章、最終楽章後半などではHIPを生かした一音ごとの強調や生命力を表に出して、重厚にして雄渾という男性的な第4を描いていく。闇の中を手探り状態で進んでいくような第1楽章序奏は、おそらく今現在の状況に重ねられているのだろう。
響き過ぎるためか、輪郭がややぼやけ気味なのが気になったが、渋い音による大フィルならではのベートーヴェン演奏となった。

 

交響曲第5番。大植は指揮棒を振り下ろして体の前で止めた時に運命主題が鳴るという振り方を採用する。フォルムはスタイリッシュだが、奥にマグマを秘めているという大植らしい音楽作り。大植はマーラー指揮者であり、ベートーヴェンの演奏では「成功」という評価をなかなか得られなかったが、今日は「コロナ禍を乗り越える」という精神で挑んだためか、密度の濃いなかなかのベートーヴェン像を提示する。
この曲でもビブラートを控えめにしたり、音の分離をくっきりさせるためのボウイングを用いたりとピリオドを援用。ピリオドであることを強調こそしないが、ピリオドならではの効果も随所で上げる。ホルンを警告としてかなり強く吹かせているのも特徴である。第4でもそうだったが、管による内声部が浮き上がる場面があり、採用した版が気になる。

最終楽章で第2ヴァイオリン奏者の楽器の弦がミシッという音を立てて切れ、リレーを行って最後列の奏者が弦の切れたヴァイオリンを持って退場するハプニングがあったが、演奏そのものには特に影響しなかった。

新型コロナに対する人類の勝利を祈念したかのような盛り上げ方も鮮やかであり、テンポの伸縮など、大植らしい外連も発揮されていた。

演奏終了後、大植はオーケストラプレーヤーに立つように命じたが、大フィルの楽団員は大植に敬意を表して立たず、大植が一人で客席からの拍手を受ける。大植は白手袋を嵌めてコンサートマスターの須山と握手。その後、弦楽最前列の奏者全員とグータッチを、コントラバス首席奏者とはエルボータッチを行い、客席を盛り上げた。

 

危機を迎えた時には何よりもベートーヴェンの音楽が良い薬になるということを実感した演奏会でもあった。ベートーヴェンの音楽に接する機会のある限りは、人類はいかなる危機であっても乗り越えられる、少なくとも新型コロナウイルスごときに容易く屈しはしないという勇気が胸の奥からふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

 

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2020年6月24日 (水)

コンサートの記(642) mama!milk 「Concert at The Museum of Kyoto」2020.6.14

2020年6月14日 京都文化博物館別館ホールにて

午後4時30分から、三条高倉にある京都文化博物館別館ホールで、mama!milkの「Concert at The Museum of Kyoto」を聴く。
mama!milkもYouTubeでの配信は行っていたが、聴衆を前にして演奏するのは久しぶりである。

入場料3000円、上演時間約1時間のコンサート。YouTubeでの無料同時配信も行われるが、やはり音楽は生で聴くのが一番であり、旧日本銀行京都支店社屋であるお洒落な京都文化博物館別館ホールはmama!milkの音楽によく合う場所である。

新型コロナウィルス感染防止のため、入場者数は少なめに抑えられている。椅子を3つ並べて3人掛けにしたものが一定の距離を保って並ぶが、聴衆は中央の椅子にしか座れず、左右は空けておく必要がある。3人掛けの椅子が30個ほどということで、聴衆は全部で30人ほど。これにスタッフが加わるが、それでも計40名ちょっとである。別館ホールに入る前にはガンスタイル(と書くと物騒だがこうした表現で良いのだろうか?)の体温計を額に近づけて検温をする必要がある。ちなみに京都文化博物館本館には入ってすぐのところにサーモグラフィー機能付きのスクリーンが張られているのだが、私だけ35度台と体温が低めであった。

京都に本拠地を置くmama!milk。アコーディオンの生駒祐子とコントラバスの清水恒輔のデュオである。本拠地は京都なのだが、日本国内は勿論、海外での公演も多く、京都だからいつも聴けるというわけではない。

 

曲目は、「Parade(これからのパレード)」、「intermezzo Op.28(間奏曲第28番)」、「rosa moschata」、「微熱のtango」、「永遠のワルツ」、「Amber(さまよえるアンバー)」、「Sometime Sweet(かすかに甘くてほろ苦かったこと)」、「Waltz for Hapone(かのハポネのワルツ)」、「Veludo(ヴェルード,月の居ぬ間に)」、「ao(そして、青)」、「Sanctuary Ⅲ(3つのサンクチュアリより)」、「逃避行のワルツ」、「kujaku(孔雀)」、「your voice」

今回は、日本銀行京都支店時代にはカウンターだったところ、つまり現在の別館ホールの南側に背を向けての演奏である。

曇りであったため、南側2階に設けられた窓からはどんよりとした雲しか見えなかったが、会場としての雰囲気は良い。

 

mama!milkの音楽は、甘美且つミステリアスな要素を多く含み、ノスタルジックな迷宮へと誘われるような趣がある。どこかで見たことがあるような風景なのだが、気がつくと見知らぬ異国にたどり着いているような。

タイトルからも分かる通り、3拍子系の音楽も多く、優美であるが表層的な美ではなく血の通った音楽性で勝負している。

プログラム終了後、会場に駆けつけた聴衆のためだけのアンコール演奏が1曲だけあった。

 

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2020年6月10日 (水)

コンサートの記(641) 田部京子ピアノリサイタル2004@神戸新聞松方ホール

2004年11月12日 神戸新聞松方ホールにて

神戸へ。JR神戸駅から歩いてちょっとのところにある神戸新聞松方ホールに行く。今日はここで田部京子のピアノリサイタルを聴く。

松方ホールは海の見える、まだ新しい小綺麗なホール。シューボックス型のホールだが、音響的にはややもやもやして直接音が届かない憾みがある。5列目だからかなり前の方だ。

田部京子は日本を代表する女流ピアニストの一人だが、客の入りはそれほどでもない。今日は何といっても大阪のフェスティバルホールでヴァレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会という超弩級の人気公演があるので関西のクラシックファンはそちらに集結したと思われる。

今日は客席からくしゃみや咳がたびたび出るのが少し気になる。風邪が流行っているのだろうか。

田部のピアノは明晰でテクニックも抜群だ。

シューベルトの即興曲は私も大好きな曲だが、これは田部の十八番で典雅な音世界が展開された。左側の席なので田部の手元がよく見える。華麗な鍵盤捌きだ。

メンデルスゾーンの「無言歌集」も味わいある大人の演奏となっていた。

グリーグの「ペール・ギュント」第1組曲がプログラムされているのが面白い。田部のグリーグを生で聴くのは2度目。以前は池袋の東京芸術劇場コンサートホールで、日本フィルハーモニー交響楽団のサンデーコンサートで聴いている。グリーグのピアノ協奏曲を弾いていた。その時も感じたのだが、田部のグリーグは清冽だ。透明でいながら滴るような瑞々しさがある。清潔感溢れる演奏で北欧の抒情というものを堪能する。

グリーグのピアノ曲はノルウェーのピアニスト、アイナル・ステーン・ノックレベルグの演奏を世田谷美術館講堂で聴いているが、田部のグリーグはノックレベルグと比べると煌びやかな印象がある。ノックレベルグの素朴さの方がグリーグに近いとは思うが。

ラストはシューベルトの「さすらい人幻想曲」。麗しきさすらい人だ。歌が実に清々しい。

アンコールは3曲。シューベルト作曲リスト編曲「セレナーデ」。しとやかな「セレナーデ」だ。

リスト「リゴレットパラフレーズ」。超絶技巧の曲だが、間然するところがない演奏。

3曲目はシューベルトの「アヴェ・マリア」。テクニック的には簡単だと思うが聴かせる。優しさ溢れる演奏で、幸せに浸れる。

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2020年5月29日 (金)

コンサートの記(640) 「“いにしえ”からベリオ」 ルチアーノ・ベリオ「セクエンツァ」全曲演奏会2日目 知恩院三門裏

2004年10月24日 知恩院三門裏にて

知恩院へ。ルチアーノ・ベリオの「セクエンツァ(連続)」2日目にして楽日、金管楽器と鍵盤楽器のコンサート。世界で最も巨大な木像門である三門の裏での演奏である。

トランペットとピアノの作品。ピアノは弾かずに、トランペットがピアノの弦に吹きかけて共鳴効果をつけるためだけに用いるという。ただ演奏している姿が見えないので、どこで吹きかけたのかわからない。音で判断出来ないとなると、わざわざピアノに吹きかける意味がないような気もする。

ピアノの演奏。ピアノで曲を弾いたことがある人には何となくだが理解出来る曲だ。奏でるのではなく、音を置いていくといえばいいのだろうか。ストーリーではなく韻文、あるいは俳句を作るような感じで弾く曲だと思う。

「女声のためのセクエンツァ」。ソプラノは、先日神戸国際会館国際ホールで行われた佐渡裕指揮の「VIVA! バーンスタイン」にも登場した天羽明惠(あもう・あきえ)。いかにも前衛作家の書いた歌(のようなもの)という印象。天羽は途中でサングラスを掛けたりしたが、これも楽譜に書かれているのであろうか? あるいは天羽の演出だろうか?

アコーディオン。「シャンソン」という副題がついているせいかも知れないが、「セクエンツァ」シリーズの中ではメロディアスな曲だ。奏者はフィンランド出身のヤンネ・ラットゥワ。1974年生まれだから私と同い年だ。表情の豊かな演奏である。

アコーディオンの次がラストの笙。吹奏楽器と鍵盤楽器の違いはあるが音の出る原理は同じで、笙とアコーディオンは親戚のような関係だ。妙なる音色が三門の庇に反射する。朱雀門の前で笛や笙を奏でたという伝説の残る源博雅を彷彿させる。小鳥が囀るなどいい雰囲気。ヘリコプターのはばたきや、バスを誘導する笛の音は少しかまびすしかったが。


知恩院境内を歩く。ここは城郭のような設計である。というより本当は隠れ城郭である。特に黒門付近は明らかに城郭の装いだ。
京都の城郭というと二条城だが、これはどちらかというと政庁の色彩が濃く守りは手薄なので、いざという時には、ここ知恩院を城として立て籠もれるようにしたのである。ここは浄土宗だった徳川氏に手厚い保護を受けた寺。境内のあちこちに徳川氏の葵の御紋が輝いている。

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2020年5月28日 (木)

コンサートの記(639) 「“いにしえ”からベリオ」 ルチアーノ・ベリオ「セクエンツァ」全曲演奏会初日 百万遍知恩寺&法然院

2004年10月23日 百万遍知恩寺御影堂&法然院本堂にて

今日と明日、浄土宗の三寺院で無料演奏会が行われる。「“いにしえ”からベリオ」と題し、ルチアーノ・ベリオの独奏曲集「セクエンツァ(連続)」全曲を演奏する試み。ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)は20世紀を代表するイタリアの前衛作曲家である。
私も知恩寺(百万遍)と法然院での演奏を聴きに行く。

百万遍知恩寺は御影堂(みえいどう)での演奏。弦楽器による独奏曲の演奏である。チェロの安田謙一郎、ヴィオラの川本嘉子、ハープの吉野直子などかなり有名な演奏家が出演する。ちょうど影になって奏者が見えない席だったので、伽藍を彩る音に耳を澄ますという感じで聴くことにする。知恩寺の御影堂には何度も来ているので、静寂の中にあるいつもとは違い、音の着いた伽藍の雰囲気を楽しもうというわけだ。音によって堂内のイメージが変わっていくのが面白い。ギターの呆れるほどのミスマッチ間もいいし、ハープ演奏の時には竜宮城のように見えた須弥壇が、琴の演奏になるとあの世への入り口という印象に変わったりする。

プログラムとは違い、ヴィオラよりヴァイオリンが先になったが、見えない席の人はわからないので、ヴァイオリンの音をヴィオラと取り違えたりしていた。両曲とも、いかにも超絶技巧という感じの曲で、特にヴィオラはとてつもなく難しいことが聴いていてわかる。

現代音楽なので聴いていて心躍るというわけではない。しかし寺院でやると異空間に迷い込んでしまったような気にさせられる。
ハープの曲が音の美しさもあって一番聴き応えがあった。


続いて法然院で演奏会が行われる。知恩寺の演奏が終わってすぐに歩いて法然院に向かう。15分ほどで到着。まだ開場していないので、近くの喫茶店でケーキなどを食べる。

法然院の本堂で演奏会を行うのだが、ここは特別公開が行われる春と秋の数日間を除いては入ることの出来ない場所なので興味深い。こちらでは管楽器の演奏を行う。

しかし本堂は狭く、お客が入りきれないので、障子を開け、縁側にも客席を設けたりしていた。夜風は冷たく震えながら聴く人もいた。予想を上回る人が来てしまったのだと思われるが、余り手際が良くない。

ファゴット独奏には、聴衆、沸く。曲が面白かったからというよりも、息継ぎの間なく吹き続ける曲だったので、頑張った奏者(パスカル・ガロワ。この曲の初演者である)に拍手が起こったのだ。

一番面白かったのはフルート独奏の「セクエンツァⅠ」。フルートは横笛に似ているので吹く姿もどことなく寺院に合う。

最後は横笛(龍笛)の演奏。これはベリオの作品ではなく古来から伝わる曲だ。

「セクエンツァ」はかなり高度なテクニックが要求される曲であろうことは容易に察せられて、奏者にとってはやりがいのある曲だが、聴いて面白いという感じではない。ベリオは楽器のこれまで見出されていなかった可能性を追求するので、今まで聴いたことのない音がしたり、音がとてつもなく美しい塊として響いたりと興味深くはあったのだが、聴くよりも演奏して楽しい曲という印象を受ける。これは邦楽(雅楽など)にも通じるところがある。

夜の法然院境内は、ライトアップされた山門が闇に浮かび、上を見ると月が輝いている。幻想的な光景。京都だな、と思う。

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2020年5月27日 (水)

コンサートの記(638) アジアオーケストラウィーク2004 金洪才指揮 ソウル・フィルハーモニック管弦楽団

2004年10月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪、ザ・シンフォニーホールでソウル・フィルハーモニック管弦楽団の来日公演を聴く。どうでもいいが、一瞬、ソウルフル・ハーモニーと勘違いしそうな名前を持つ楽団である。ソウル・フィルというオケは何故か2つあるようだが(紛らわしいな)、こちらは1945年創設の韓国一長い歴史を持つオーケストラ。

指揮は在日指揮者、金洪才(キム・ホンジェ)。

韓国といえば、20世紀後半にクラッシック界の逸材を多く生み出したことで知られる。特にヴァイオリンのチョン・キョンファ(鄭京和)と、彼女の弟で指揮者・ピアニストのチョン・ミョンフン(鄭明勲)が有名である。ただオーケストラの充実は大分遅れ、10年前のインタビューでチョン・ミョンフンは「(韓国のオーケストラは)日本より20年は遅れている」と語っていた。

しかし、今日の演奏を聴くと大分腕を上げてきたなという感じを受ける。弦がやや薄いが、日本のオーケストラとも十分に渡り合えそうだ。


1曲目は金成珍(キム・ソンジン)の「帰天」。ソプラノ独唱は姜権洵(カン・グォンスン)。チマチョゴリでの登場だ。
ソウル・フィルの音はやや暗め。少し淡泊で墨絵のような味わい。音楽は韓国らしさを感じさせるものだが、露骨に韓国していないのがいい。この曲は今年作曲された新作だ。


ドヴォルザークのチェロ協奏曲。独奏は梁盛苑(ヤン・ソンウォン)。音は相変わらずやや地味、独奏の梁の演奏も渋いが深みがある。これ見よがしのテクニックを披露するのではなく、音を誠実に奏でていくタイプだ。演奏終了後、梁はJ・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番よりプレリュードをアンコールとして演奏した。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、あのブラームスをして「こんな曲がチェロで書けると知っていたら私も書いていたのに」と言わしめた傑作である。


後半の曲はあのブラームスの交響曲第4番。多分狙ったプログラミングのはずである。ソウル・フィルの音は今度はやや華やか。金の指揮も若々しく、名演となった。


アンコールは韓国民謡「イムジン河」のオーケストラ編曲版。しみじみとしていい演奏である。

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2020年5月25日 (月)

コンサートの記(637) アジアオーケストラウィーク2004 本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団

2004年10月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールでベトナム国立交響楽団の来日演奏会を聴く。アジアオーケストラウィーク2004参加団体として招聘されたもの。指揮は本名徹次。本名は2001年からベトナム国立響のミュージック・アドバイザーを務めている。ベトナム国立響は1959年の創設。最初のコンサートでホー・チ・ミン(胡志明)が指揮台に上がってベトナム国歌を指揮したという何とも社会主義なエピソードを持つ。本拠地は首都ハノイ。ハノイは漢字では河内と書く。かなり大阪っぽい。

ベトナム国立響というと大分前にテレビのドキュメンタリーで日本人指揮者、福村芳一を相手に演奏に苦戦している姿が流された。

ということもあって今回は不安だったのだが、杞憂に終わった。世代交代が進んだようで、メンバーは若い。昨日のソウル・フィルは女性メンバーが全員、ドレスではなくスーツで登場したのが印象的だったが、ベトナム国立響の女性メンバーはドレスだったり民族衣装風だったり様々だ。

弦には輝きがある。たまに雑然とした感じになるのは仕方ないだろう。管はやや不安定だ。

第1曲はド・ホン・クァンの「ベトナム狂詩曲」。面白い曲だがやや長い。後半になるとだれた感じがする。

2曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲。ソリストは1981年生まれの若手、ブイ・コン・ズイ。曲自体は渋いものである。ソヴィエト当局の妨害に遭い、初演は7年も遅れた。ブイのヴァイオリンは昨日のヤン・ソンウォンとは正反対でテクニックを前面に押し出す。いかにも熱演という感じだが、力任せの感じは否めず。ずっと攻めのヴァイオリンなので聴いていて疲れるところがある。


メインもショスタコーヴィチ。交響曲第5番。いうまでもなく交響曲としては20世紀最高のヒット曲である。最近、生でショスタコーヴィチを聴く機会が多くなった。それも第5だけでなく、第10、第11などがプログラミングされる。ショスタコーヴィチの大ブレイクはもうそこまで来ている気がする。

冒頭は音に厚みが不足しているが、煌びやかさはあるし、構築もまずまずである。第2楽章はアイロニカルな表情が生きている。第3楽章も悪くはないが、歌にやや不足。表情ももっと豊かに出来るはずだ。第4楽章、トランペットが落ちる。本名のテンポはかなり速い。トランペットが落ちてからは更にテンポを上げる。この楽章がこれほど速く演奏されるのを聴くのは初めてである。ラストも重みがもう少しあればいいと思ったが、このオケの現状を考えるとよくやったと思う。国立のオケとはいうものの財源が不足しているため、メンバーの多くはアルバイトをしながらリハーサル、本番をこなすという。

アンコールではベトナムの曲と、大阪での演奏会ということで「六甲おろし」が演奏された。

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2020年5月24日 (日)

コンサートの記(636) アジアオーケストラウィーク2004 岩城宏之指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 伊福部、武満、外山ほか

2004年10月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴く。アジアオーケストラウィーク2004のトリを飾る演奏会。チケットはいつもに比べれば安いが、台風が近づいているためか客の入りは良くない。指揮は岩城宏之。

岩城の公演を生で聴くのは2回目。いずれも彼の病気が悪化した後だが、今日も歩みがたどたどしい。

1曲目は伊福部昭の「管弦楽のための日本組曲」。伊福部は北海道生まれの作曲界の重鎮。土俗的な迫力ある作風が特徴。世間一般には「ゴジラのテーマ」の作曲者としての方が有名だ。岩城なかなか好調。

武満徹の「夢の時」。誰が聴いても武満の曲だとわかる曲である。武満の前に武満なく、武満の後に武満なし。武満の曲を聴く機会はコンサートでは意外に少ないが(2004年当時)、ホールが武満色に染まってしまう貴重な時間を体験する。

3曲目は徳山美奈子の「大阪素描」。大阪生まれの女流作曲家の作品。祭りや童謡、民謡などを題材にしており、伊福部に共通するところがあるが、彼女の方が洗練されている。演奏後、作曲者登場。喝采を受ける。


メインはシベリウスの交響曲第2番。岩城とシベリウスという組み合わせは意外だが、相性ははっきり言って良くない。ベートーヴェンの交響曲に対するのと同じようにシベリウスに向かってしまったため、結果として迫力はあるが、曲想をはっきり捉えることが出来なくなってしまっている。
ベートーヴェン的シベリウスというものが成功し得ないことを知る。少し眠たい演奏だった。シベリウスの交響曲第2番を生で聴くのは4度目だが、退屈するのは初めてである。


アンコールは外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。岩城はこの曲の初演者。ちょっとバランスが悪い気もするが手慣れた演奏となる。迫力も十分であるが、ザ・シンフォニーホールは残響がありすぎて直接音が届きにくい気がする。ラストのパーカションは聴覚的にも視覚的にも格好いい。

この曲の演奏は作曲者である外山雄三の指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による演奏が良かった。サントリーホールでの演奏会で聴いたのだが、これはライヴ録音されてCDでも聴くことが出来る。
民謡が露骨に使われているので、「真面目」な評論家からは、「オリエンタリズムの押し売り」などと言われるが、こういう人は西洋の作曲家が西洋の民謡を使って作曲すると絶賛したりするのだ。ただの西洋コンプレックスであるような気がする。

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2020年4月19日 (日)

コンサートの記(635) 高関健指揮京都市交響楽団第588回定期演奏会

2015年3月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第588回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。

プログラムは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:滝千春)、ショスタコーヴィチの交響曲第8番。

開演20分前から高関によるプレトークがある。高関はモーツァルトのヴァイオリンのための作品がザルツブルク時代に集中しているのは、モーツァルトがザルツブルクの宮廷楽団でコンサートマスターとして活躍するなど、ヴァイオリンに接する機会が多かったためだと説明する。モーツァルトはその後、ザルツブルクのコロラド大司教と喧嘩してウィーンに飛び出すのだが、ウィーンでは主に自分で演奏するためのピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなどを作曲したため、ヴァイオリン協奏曲などが書かれることはなくなったのだろうと推理する。

ショスタコーヴィチの交響曲第8番については、交響曲第7番「レニングラード」と対になる曲として知られるし、「レニングラード」が凱歌(とされるが本当の意図は不明)であるのに比べて陰鬱な曲調であると紹介し、交響曲第5番に似ていることに気付かれるとも思うと述べる。第1楽章ではかなり長く美しいイングリッシュホルンのソロがあるということにも触れる。

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーは泉原隆志。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」の編成にはフルートもクラリネットも登場しないが、オーボエトップの位置に座ったのは首席奏者である高山郁子ではなくフロラン・シャレールであった。高山郁子はショスタコーヴィチのみの参加。フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子もショスタコーヴィチのみに加わる。

今日は古典配置での演奏。ヴァイオリン両翼で、コントラバスは最後部に横一列に並ぶ。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。ヴァイオリン独奏の滝千春は、2001年にノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門で優勝、2002年にメニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第1位、2006年にオイストラフ国際ヴァイオリンコンクール第3位などの経歴を持つ若手ヴァイオリニスト。桐朋女子高校音楽科、チューリッヒ音楽大学を経て、現在はベルリンのハンス・アイスラー芸術大学在学中である。

滝のヴァイオリンであるが、独特の甘美な音色を持ち味とし、今の季節や彼女の名前とは関係がないが春風のように爽やかなヴァイオリンを奏でる。

高関はこの曲はノンタクトで指揮。きっちりとした指揮であるが、彩り豊かでノリの良い演奏を京響から弾き出す。なお、モーツァルトの時代には弦楽5部の曲であっても、当時の弦楽器は今ほど大きな音が出なかったことから、楽譜には記されていなくてもファゴットで低音を形作るのが通例、というよりファゴットが加わるのが当たり前だったためファゴットのパートが書かれなかったという解釈に基づき、ファゴットを加えての伴奏となった。


ショスタコーヴィチの交響曲第8番。演奏される機会の比較的少ない曲だが、京響は数年前に沼尻竜典の指揮で演奏している。

第1楽章から、弦楽の透明感に驚かされる。透明なだけでなくボリュームもある。京響の弦楽は絶好調であり、管もそれに負けていない。

第3楽章の疾走感のある阿鼻叫喚の世界から沈鬱な葬送行進曲(第4楽章)、諧謔的な旋律が登場し、爆発を経て、交響曲第7番「レニングラード」第1楽章のおどけた旋律を連想させる音の進行で静かに終わる第5楽章。この3つの楽章は連続して演奏されるのだが、高関と京響はショスタコーヴィチがこの曲に込めたメッセージを詳らかにしていく。

高関は第4楽章のみノンタクトで振ったが、ソヴィエト共産党によって粛正された人々へのレクイエムのような哀切なメロディーを切々と歌い上げていた。

第5楽章の爆発力も凄まじく、その後もスターリン独裁下で粛正された人々への鎮魂と祈りのような旋律が続き、曲は静かに閉じられる。
ちなみにこの曲は1943年に初演されており、スターリンはまだ存命中である。交響曲第8番は一応は赤軍の闘争と勝利を描いたものだと作曲者は述べているが、スターリン圧制下で率直な発言をしたとは考えられない。以前は交響曲第7番のタイトルである「レニングラード」(ただし忠実にはレニングラード攻防戦を描いたからではなくレニングラード市に献呈されたためにこの名がある)に対して交響曲第8番は「スターリングラード」というタイトルで呼ばれたこともあった。だた、今はこの曲を「スターリングラード」と呼ぶ人はほとんどいない。

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2020年4月13日 (月)

コンサートの記(634) 太田弦指揮 大阪交響楽団第31回いずみホール定期演奏会

2018年10月17日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会を聴く。


午後6時30分開場と、クラシックの演奏会にしては開場時間が遅めなので、大阪城に向かう。山里郭で秀頼公・淀殿自刃の地碑に手を合わせた後、本丸を横切って豊國神社に参拝。鳥居の横の木が何本か倒れているが、台風21号によって倒されたものだと思われる。

大阪城本丸にある大阪市立博物館が内部改修を経てミライザ大阪城としてリニューアルオープンしている。1階にタリーズコーヒーと土産物屋、2階と3階にレストランが入っている。レストランメニューは高そうなので、今日はタリーズコーヒーでブラッドオレンジジュースを飲むに留める。

京橋花月がなくなり、シアターBRAVA!も閉鎖(跡地には読売テレビの新社屋が建設中である)いずみホールも改修工事が行われていたということで、京橋に来る機会が減ってしまっていた。

大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会。1日2回同一演目公演であり、昼公演が午後2時開演、夜公演が午後7時開演である。

指揮は今年24歳という、若手の太田弦。

曲目は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:チャン・ユジン)とシベリウスの交響曲第2番。


太田弦は、1994年、札幌生まれ。幼時よりピアノとチェロを学び、東京芸術大学音楽学部指揮科を経て同大学大学院音楽研究科指揮専攻修士課程を修了したばかりである。2015年、東京国際音楽コンクール指揮部門で2位に入り、聴衆賞も受賞している。指揮を尾高忠明、高関健に師事。山田和樹、パーヴォ・ヤルヴィ、ダグラス・ボストックらにも指揮のレッスンを受けている。


いずみホールであるが、大幅改修というわけではないようである。だた、身体障害者用トイレが新設されており、ユニバーサルデザインに力を入れたようだ。


今日のコンサートマスターは森下幸路。ドイツ式の現代配置での演奏である。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのチャン・ユジンは、韓国出身の若手女性ヴァイオリニスト。9歳でKBS交響楽団やソウル・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、11歳でソロリサイタルを開催という神童系である。2004年にメニューイン・コンクールで3位入賞、2009年のソウル国際音楽コンクールで4位に入り、マイケル・ヒル国際ヴァイオリンコンクールで第2位入賞と聴衆賞を得て、2013年には名古屋で行われた宗次エンジェル・ヴァイオリンコンクールで優勝している。2016年には仙台国際音楽コンクールのヴァイオリン部門でも優勝を果たした。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を十八番としており、「炎のヴィルトゥオーゾ」と呼ばれる情熱的な演奏スタイルを特徴とするそうである。

指揮者の太田弦であるが、童顔であり、十代だと言われても通じそうであるため、見た目はいささか頼りない。全編ノンタクトで指揮する。

独奏のチャン・ユジンであるが、ヴィルトゥオーゾ的な演奏スタイルである。音楽に挑みかかるような演奏を聴かせ、情熱的であるが没入的ではなく、適度な客観性が保たれている。

今日は前から2列目の上手寄り。1列目には発売されていないため、実質最前列での鑑賞である。この席は音が散り気味であり、オーケストラを聴くには余り適していないように思われる。太田は若いということもあって「統率力抜群」とまではいかないようである。


チャンのアンコール演奏は、ピアソラのタンゴ・エチュード第3番。温かみと切れ味の鋭さを共存させた演奏であり、今日の演奏会ではこれが一番の聞き物とあった。


シベリウスの交響曲第2番。太田はやや速めのテンポで演奏スタート。
金管の鳴らし方に長けた指揮者であり、伸びやかで煌びやかな音像を描く。一方で、金管を鳴らし過ぎたためにバランスが悪くなることもある。
若手らしい透明感のある演奏で、ヴァイオリンの響きの築き方などはかなり巧みな部類に入る。そのために影の誇張はなく、第2楽章や第4楽章では単調になる嫌いあり。
第4楽章でもクライマックスで音が飽和してしまい、音型が確認出来なくなったりしたが、ラストのまさにオーロラの響きのような音色の豊かさは印象的である。二十代前半でこれだけのシベリウスを聴かせられるなら将来有望だと思われる。

拍手に応えた太田は、最後は総譜を閉じて「これでおしまいです」と示してコンサートはお開きとなった。


大阪交響楽団のパンフレットは、月1回の冊子という、NHK交響楽団や読売日本交響楽団と同じスタイルを取っているが、ミュージック・アドバイザーの外山雄三の回想が連載されているなど、興味深い内容の記事が多い。

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