カテゴリー「コンサートの記」の725件の記事

2021年6月 5日 (土)

コンサートの記(725) 高関健指揮 京都市交響楽団第536回定期演奏会

2010年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第536回定期演奏会に接する。今日の指揮者は高関健。

曲目は、ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」と「大管弦楽のための6つの小品」、マーラの交響曲第7番「夜の歌」という意欲的なものである。

ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」はチェレスタ2台が指揮台の横で向かい合うという特殊で小規模な編成、「大管弦楽のための6つの小品」はその名の通り、大編成による演奏。「大管弦楽のための6つの小品」は古典的配置による演奏であった。いずれの曲においても京響は精緻な演奏を繰り広げ、充実した響きを生んでいた。


マーラーの交響曲第7番「夜の歌」も古典配置による演奏である。マーラーの交響曲第7番「夜の歌」は比較的演奏会プログラムに載ることが少ない曲である。様々な要素が無秩序に並べられたようなところがあり、失敗作と断じる人も決して少なくはない。

京響は弦も管も充実した響きを奏でる。高関の構築力は確かであり、優れた演奏になった。欲を言えば、エリアル・インバルやレナード・バーンスタインらの名盤に比べると歌がやや硬めなのが気になるが、そうした名盤の名演と比べるのも野暮だろう。

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2021年6月 2日 (水)

コンサートの記(724) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第545回定期演奏会

2011年4月22日 京都コンサートホールにて

京都市交響楽団の第545回定期演奏会に接する。今日の指揮は日本人の若手としてはトップランクと目される下野竜也。

曲目は、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」とマーラーの交響曲第5番。

パンフレットによると、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」の第2楽章に、マーラーの交響曲第5番冒頭のトランペットソロによく似た音型のトランペット独奏が出てくるのでこの2曲を選曲したとのこと。


開演20分前から下野竜也によるプレトーク。赤い襟のピンクのシャツに黒のジャケットという姿で現れた下野は、マーラーの交響曲第5番の思い出を語る。マーラーの交響曲第5番を下野が初めて聴いたのは、鹿児島にいた高校生の頃のテレビ放送でだった。エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(現在の正式名称はhr交響楽団。英語名の訳は相変わらずフランクフルト放送交響楽団)の演奏だったという。マーラーの交響曲第5番というと「ベニスに死す」で用いられた第4楽章アダージェットが有名だが、下野は、アダージェットの美しさは当時はそれほどわからず、第2楽章の最後に出てくるコラールの格好良さに感動したとのこと。ここで、話はマーラーの妻であるアルマの話になり、マーラーがアルマに求婚したのは丁度、交響曲第5番を書いていた時であったこと(アダージェットはアルマに捧げた音楽のラブレターであるとの解釈が有力である。近く、このことを取り上げた映画が封切りになるという)、そして、完成したばかりの交響曲第5番をマーラーはピアノでアルマに聴いて聴かせるが、アルマが唯一不満を漏らしたのがコラールの部分であったという。マーラーは「だってブルックナーは」と尊敬するブルックナーを引き合いに出すが、アルマは「ブルックナーはいいのよ。あなたは駄目よ」と言ったというエピソードを紹介する。ちなみにブルックナーは当時は不人気な作曲家であり、ブルックナーの才能を見抜いていたマーラーとアルマは先見の明があったことになる。


下野は渋い音色を持ち味とするが、今日は2曲とも曲の性格から、輝かしい音で演奏する。両曲とも古典的配置での演奏。コントラバスはハイドンでは下手奥に置いたが、マーラーでは最後列に並べるスタイルを取った。

ハイドンの交響曲第100番「軍隊」の演奏は典雅で、弦のきめ細かさが特に印象的。タイトルの由来となったトライアングル、シンバルなどによるトルコ風軍楽も楽しい。トランペットのソロも良かった。


マーラーの交響曲第5番。トランペットによる序奏が終わり、一斉合奏によってスケールが壮大に広がる。このスケールの大きさは流石、下野である。

一方で、構築感は先輩指揮者に一歩譲る(特に第3楽章)ようで、どことなく焦点の定まらない印象を受けたのも事実だ。

アダージェットは旋律に溺れることなく、程よく共感した演奏であったが、ラストでテンポをグッと落としたのが印象的。アダージェットの余韻に浸ろうとしていたところ、下野は、間を開けることなく最終楽章に突入した。マーラーの交響曲第5番は5楽章からなる交響曲であるが、第1楽章と第2楽章を第一部、第3楽章を第二部、第4楽章と第5楽章を第三部とする指示がマーラーによって示されており、下野はそれに従ったのだろう。

第5楽章も、曲調の変転の巧みさなど、下野の優れた資質が感じられるが、ラストは力業で、「アンサンブルがこんなに粗くていいのか?」という印象を受けた。興奮を誘う解釈で、終演後は普段以上に盛り上がったが、私自身は客席と距離感を感じた。フルトヴェングラーによる「バイロイトの第九」のように、最後の音が潰れていても名演とされるものは存在する(実際は演奏ではなくEMIの録音に問題があったらしいのだが)ので、アンサンブルの乱れもそれほど気にすることではないのかも知れないが、今日の私は普段より気分が落ちていたため粗さが気になってしまったのかも知れない。

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2021年6月 1日 (火)

コンサートの記(723) 広上淳一指揮 第5回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2010年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第5回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は広上淳一。

曲目は、スッペの「軽騎兵」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、シベリウスの交響曲第2番。


京都市ジュニアオーケストラは京都市在住・通学の10歳から22歳までの青少年を対象としたオーケストラで、オーディションを通過した約110名からなる。


スッペの「軽騎兵」序曲では、冒頭のトランペットが野放図に強かったり、弦がもたついたりということがあったが、全般的には整った演奏。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」。京都市ジュニアオーケストラは良く言うと音に余計なものが付いていない、悪くいうと音の背後に何も感じさせないところがあって、そこが不満だが、華のある演奏にはなっていたと思う。


メインのシベリウスの交響曲第2番。この曲をやるには京都市ジュニアオーケストラは基礎体力が不足していることは否めない。だが、聴いているうちにそれは余り気にならなくなる。

広上淳一とシベリウスの相性は気になるところだが、曲が交響曲第2番ということもあってか、ドラマティックで見通しの良い演奏であった。シベリウスの他の交響曲も広上の指揮で聴いてみたくなる。


アンコールは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。楽しい演奏であった。

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2021年5月26日 (水)

コンサートの記(722) 「原由莉子 ウィーン世紀末シリーズ Vol.3 ピアノで聴くブルックナーの神髄」

2021年5月23日 左京区岡崎の京都NAM HALLにて

午後2時から、左京区岡﨑にある京都NAM HALLで、「原由莉子 ウィーン世紀末シリーズ Vol.3 ピアノで聴くブルックナーの神髄」というコンサートに接する。交響曲作曲家として知られるアントン・ブルックナーが残した数少ないピアノ曲と交響曲のピアノ独奏用編曲から成る演奏会である。

原由莉子は、「はらゆり」の愛称で知られているピアニストのようである。大阪府岸和田市生まれ。大阪市内にある大阪府立夕陽丘高校音楽科を経て、京都市立芸術大学ピアノ科卒業。京都市立芸術大学ではイリーナ・メジューエワにも師事しているようである。第16回KOBE国際音楽コンクールではピアノ部門で1位を獲得。京都市立芸大卒業後はオーストリアに渡り、ウィーン国立音楽大学大学院を修了。イタリアで行われた第2回ヴィッラフランカ・ディ・ヴェローナ国際音楽コンクールと第5回タディーニ国際音楽コンクールで優勝を果たしている。2019年に帰国。今年は7月に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われる“生で聴く「のだめカンタービレ」の音楽会”にも出演するということで、関西テレビで深夜に放送されている「ピーコ&兵動のピーチケパーチケ」にもゲスト出演、スタジオでの演奏も行っている。生で聴く「のだめカンタービレ」の音楽会の企画や指揮を担当する茂木大輔(元NHK交響楽団首席オーボエ奏者。数々の音楽エッセイで知られ、マンガとドラマの「のだめカンタービレ」の監修も務めた)からも原は高く評価されているようである。
今日の演奏からは、明快で構築力に長けたピアノを弾く人という印象を受けた。

そもそもブルックナーという作曲家は、女性のファンがほとんどいないということでも知られている。スケール雄大だが、音の運びはやや鈍くチャーミングさに欠ける、ということで女性が好むタイプの音楽とは真逆であろうことは想像出来る。そのブルックナーの音楽のみによるリサイタルを女性ピアニストが行うというのだから、企画自体がかなり珍しい。

丸太町通沿いにあるNAM HALL。前を通ったことは何度もあるのだが、入るのは今日が初めてである。NAMは「南無」に由来しているようだ。上川隆也主演のドラマ「遺留捜査」の葛山信吾や小橋めぐみが出た回に、ライブ会場やリハーサルスペースとして登場していた。
ホールは地下にあり、1階にもグランドピアノがあって音楽サロンとして使われているようだが、今日は密を避けるため、休憩時間には1階の音楽サロンも開放された。

曲目は、Ⅰ部が、「幻想曲」、4つのランシエ カドリーユ、「思い出」、ピアノ・ソナタト短調。Ⅱ部がオルガンのための4つのプレリュードと交響曲第7番第1楽章(ヒュナイス編曲)。冊子としての楽譜が手に入りにくい曲もあるようで、そうした曲はタブレットに譜面をダウンロードして演奏していた。

今では残した9つ(実際にはプラス2曲に異稿多数)の交響曲、特に後期3大交響曲がオーケストラコンサートの王道となっているブルックナー。ただ存命中は交響曲を書いても書いても認められないという日々が続き、気が弱い人であったため、「誰がなんと言おうと、自分の考えが一番」とはならずに「書き直せば認めて貰えるに違いない」と思い込み、楽章を一から書き直すなどして、異なるバージョンがいくつも残ることになってしまった。

生前のブルックナーは交響曲作曲家としてよりも、即興演奏を得意とするオルガン演奏の大家やウィーン音楽院の教授として知られていた。ワーグナーに心酔し、わざわざバイロイト音楽祭を訪ねて自作をワーグナーに献呈したり(この時はまだ作曲途中の作品で、後に交響曲第3番として発表。「ワーグナー」の愛称でも知られることになる)、ワーグナーが死の床にあると知った時は、鎮魂の意を込めて交響曲第7番の第2楽章を作曲したりしている。

若くしてドイツ語圏一のオルガニストとして評価されていたブルックナーであるが、交響曲作曲家になることを思い立ったのは三十代に入ってからで、そのために本格的に対位法や管弦楽法などを学び始め、40歳になろうかという時に交響曲作曲に着手。初期の交響曲は習作として破棄されたため(だが近年録音される「ブルックナー交響曲全集」には収録されることも多い)、本人が認めた交響曲は全て四十代以降に書かれたという遅咲きの作曲家である。原由莉子によると、リンツでオットー・キッツラーに師事していた時代にベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第1楽章のオーケストラ編曲を行っており、演奏がYouTubeにアップされているそうである。

当時のウィーン楽壇ではブラームスが尊敬を集めていた。当時、音楽界に大きな影響を与えたいた音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックがブラームスを崇める記事を書き、一方でワーグナーをこき下ろしていた。ブルックナーはワーグナー支持派ということで、ハンスリックからも攻撃されることが多かった。そのことにより、ブラームスとブルックナーの関係も疎遠な状態が続く。ハンス・ロットなどはこの不幸な関係の犠牲となった。

ブルックナーの交響曲が初めて聴衆から全面的に支持されたのは交響曲第7番初演時である。交響曲第7番がブルックナーの交響曲の中で一際メロディアスであることが成功の理由として想像される。やはり旋律が明確な交響曲第4番「ロマンティック」が比較的好評を得ていたことを考えても、なんだかんだで人々は分かりやすいものが好きなのである。


原由莉子が、今回のオール・ブルックナー・プログラムのピアノリサイタルを企画するきっかけとなったのが、今年2月に行われた尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で演奏されたブルックナーの交響曲第9番だそうで(コロナでなかったら私も聴きに行っていたはずであるが、この時期にブルックナーの交響曲第9番を聴きたいという気分にはなれなかったため見送った)、演奏終了後に、興奮した原は、「近い将来【オールブルックナーピアノ作品リサイタル】を企画するから」とTwitterに書いたのだが、「ブルックナーのピアノだけでリサイタルをやろうという女性ピアニストがいる」ということで拡散されてしまい、「2、3年後にやれたらいいな」と思っていたはずが、3ヶ月後にはもう本番を迎えるということになってしまったようである。ブルックナーの交響曲は大フィルの指揮者であった朝比奈隆が頻繁に取り上げたということで、日本、特に関西では人気があり、反響を呼んでスピード開催となったようである。

ただ、ブルックナーはピアノ作品を積極的には作曲しなかったため、残されたのは小品のみということで、原もトークを長めに入れるというスタイルでの演奏会となった。
ちなみに、リハーサルを行った時に履いていた靴がピアノと合わず、ペダリングの際にキュッキュッと音が出てしまうため、裸足で演奏することにしたそうである。「靴を履き忘れてきたわけではありません」と冗談を言っていた。


幻想曲と「思い出」は、共に1828年頃の作曲である。彼の交響曲第1番が初演されたのと同時期に当たる。メロディーなどはブルックナーらしいかと聞かれると疑問だが、左手の和音進行などにはすでにブルックナーの個性が顕著に出ている。

4つのランシエ カドリーユは、25歳頃の作品。完全な舞曲であり、ブルックナーらしさ皆無のシンプルな楽曲である。ウィーンというとウィンナワルツなどの舞曲も有名だが、ワルツなどの他にも舞曲が数多く作曲されている。舞曲なので複雑さはない方がいい、ということでブルックナーもこうした捻りのない曲を生むことになったのだろうか。シューベルトも舞曲などでは、本来の毒や苦悩、悲哀などを抑えた楽曲を作曲しており、生前はそうした作品の方が人気があった。今のように録音で手軽に音楽が聴ける時代ではない。好き好んで苦悩に満ちた音楽に浸りたいという人も少なかっただろう。
ピアノ・ソナタ ト短調も習作で、ピアノ・ソナタではあるが、作曲したのは第1楽章のみである。シューマンを意識したようなロマンティックな作風だが、やはり自身の書きたかったものとは音楽性が異なったのか、続く楽章に筆を進めることはなかった。

オルガンのための4つのプレリュードは、ブルックナーが12歳頃に作曲したシンプルなオルガン曲であるが、ブルックナーの最大の強みである構築力が発揮されており、複雑さや奥行きはないが、ローティーンの作品としてはなかなかの完成度を誇る。ブルックナーというとローティーンの女の子しか好きになれず、当時は婚期が今より早めとはいえ、老年に達していたブルックナーの恋が実るはずもなかったという奇妙な話が知られるが、ある意味、ローティーンの頃に抱いた理想像を生涯に渡って抱き続けたという彼の純粋さがうかがい知れ、そうした人間性が若い頃の作品に表れているのかも知れない。


交響曲第7番より第1楽章(ヒュナイス編曲)。ブルックナー入門に最適とされるのが交響曲第7番である。甘いメロディーが数多く登場するのが特徴で、ブルックナー独特の奥行きに乏しい代わりに明快で、耳に馴染みやすい。以前は交響曲第4番「ロマンティック」が物語性があるということでブルックナー入門曲とされていたのだが、「ロマンティック」は異色作でもあるということで、交響曲第7番の方が入門の定番に変わったのもうなずける。
交響曲第7番の初演は大成功し、そのため異稿が多いブルックナーの交響曲の中では、ノヴァーク版とハース版の違いがあるだけで、大きく異なる部分も第2楽章の一部を除いてほとんど存在しない。ブルックナーも手を加える必要なしと感じたのであろう。初演の指揮を担ったのは、後にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第2代常任指揮者に就任したことでも知られるアルトゥール・ニキシュであった。「指揮棒の魔術師」といわれるほど魅惑的な演奏を行ったニキシュであるが、若い頃にはオーケストラのヴァイオリン奏者として活動しており、ブルックナーの交響曲第2番を演奏したこともあったそうで、ブルックナーの弟子であるヨーゼフ・シャルクから譜面を受け取ったニキシュは、交響曲第2番に好感を抱いていたということもあって初演の指揮を快諾。当時ヨーロッパでトップクラスの指揮者であったニキシュと名門ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演された交響曲第7番は拍手が鳴り止まないほどの大成功を収め、交響曲作曲家としてのブルックナーにようやくの春をもたらした。

ブルックナーはオルガニストからスタートしたということもあって、鍵盤で音楽を考え、パイプオルガンの響きを管弦楽に反映させたところがある。ゲネラルパウゼ(総休止)が多いのもそれを裏付けている。そうした音楽をオルガンではないが、鍵盤楽器であるピアノに再度トランスクリプションするという面白さがある。
ピアノで聴くブルックナーの交響曲第7番第1楽章は、敬虔なカトリック信者であったブルックナーの神への畏敬の念がよりダイレクトに出るという印象を受ける。管弦楽のような多彩な音色はピアノでは再現出来ないため、一番の真髄(神髄)の部分が伝わりやすくなるということもある。ブルックナーは、人間中心主義へと向かう同時代の作曲家と違い、音楽がまだ神の恩寵であった時代の精神性を心のどこかに宿していたように思われる。


アンコールとして、プレリュード ハ長調が演奏される。短い曲で、これもブルックナーらしさは余りないが、構築力などにはそれらしさが感じられた。

ちなみに、ウィーン世紀末シリーズの第4弾の開催日時が4日前に決まったそうで、来年の1月に兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホールで、ツェムリンスキーを特集するそうである。

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2021年5月25日 (火)

コンサートの記(721) 井上道義指揮 京都市交響楽団第529回定期演奏会

2009年10月30日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第529回定期演奏会に接する。今日の指揮者は、以前に京響の音楽監督を務めていたこともある井上道義。

曲目は、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」と、リンツ近郊生まれでリンツで学んだ大作曲家であるブルックナーの交響曲第9番。


プレトークで、井上は桐朋の同級生で、今月9日に亡くなった工藤千博(元・京響コンサートマスター)の思い出話を語った。


モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。この曲は4日間で書かれたということもあってか、名作揃いのモーツァルトの後期6大交響曲の中にあってワンランク落ちる印象を受ける曲である。

井上の指揮はスプリングを効かせた歌い方といい、スマートなフォルムといい、実に爽快である。しかし、それだけに「リンツ」という曲の弱さがそのまま出てしまったようで、聴き終わった後に残るものが少なかったように思う。腕をグルグル回したりする井上のパフォーマンスは面白かったのだけれど。


ブルックナーの交響曲第9番。指揮者には、ブルックナー指揮者とマーラー指揮者という二つのタイプがあって、それぞれ芸風が違い、ブルックナーもマーラーも得意としている演奏家は少ない。

ショスタコーヴィチも得意とする井上は典型的なマーラー指揮者である。マーラー指揮者の特徴として、棒による統率力が高いということが挙げられるが、井上もそれの例に漏れない。だが、ブルックナーの演奏は、棒で全てを統御しないところに本当の旨味が出てくるものなのではないだろうか。

ブルックナー指揮者には老巨匠が多いが、彼らの多くが体力の限界を感じたが故に棒を余り振らずに音楽を創り上げる術を心得た指揮者である。

井上のようにまだ棒が振れて、全ての音を統御しようという指揮者には本当の意味での優れたブルックナー演奏は生み出せないのかも知れない。

良くも悪くも抑制が利いた、人間業のブルックナー演奏であった。

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2021年5月12日 (水)

コンサートの記(720) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 石橋栄実&藤井快哉「もしあなたと一緒になれたなら」+福原寿美枝&船橋美穂「女の想い~シューマン歌曲集」+砂川涼子&河原忠之「ベルカント!」

2021年5月2日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

今日もびわ湖ホールで、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021がある。今日が2日目にして楽日である。

今日は午前中に、児玉姉妹の姉である児玉麻里によるベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏があるのだが、午前中からベートーヴェンの音楽を聴くのは気が引けたたため、ソプラノの石橋栄実、メゾソプラノの福原寿美枝、ソプラノの砂川涼子が立て続けに登場する3つのコンサートのみを聴くことにする。

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今日も昨日同様、雨がパラつく天気だったのだが、びわ湖ホールに着く直前に太陽が顔を覗かせる。

 

午後12時40分開演の、公演ナンバー2-L-3「もしあなたと一緒になれたなら」。出演は石橋栄実(ソプラノ)と藤井快哉(ピアノ)。

2019年の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」では、体調不良で降板した砂川涼子の代役としてプーランクのモノオペラ「声」に出演し、大成功を収めた石橋栄実(いしばし・えみ)。大阪音楽大学声楽科卒業、同専攻科を修了。大阪舞台芸術奨励賞、音楽クリティック・クラブ奨励賞、坂井時忠音楽賞、咲くやこの花賞などを受賞。現在は大阪音楽大学の教授と大阪音楽大学付属音楽院の院長も務めている。

藤井快哉(ふじい・よしや)は、大阪音楽大学を経て同大学院を修了。インディアナ大学音楽学部アーティストディプロマ課程修了。坂井時忠音楽賞、兵庫県芸術奨励賞、佐治敬三賞、神戸灘ライオンズクラブ音楽賞などの受賞歴があり、現在は大阪音楽大学の教授を務めている。

曲目は、ベネディクトの「四十雀(しじゅうから)」、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」より“もしあなたと一緒になれたなら”、プーランクの歌劇「ティレジアスの乳房」より“いいえ、旦那様”、團伊玖磨の歌劇「夕鶴」より“与ひょう、体を大事にしてね”、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ“私が街を歩くと”。

ベネディクトは、ドイツ出身のイギリスの作曲家だそうである。石橋栄実のトークによると、選曲した時には「今頃(「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021開催の頃)は、色々と大変だったことが過去になって、『良かったね』という状況で歌いたい」ということで1曲目に選んだのだが、残念ながらコロナ禍は却って深刻さを増してしまっている。

昨年の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」では、小ホールで全曲日本の歌曲によるプログラムを歌う予定だったのだが中止になってしまい、本来は今年も日本の歌曲を歌う予定だったのだが、会場が大ホールになり、「オペラの殿堂ということでオペラの曲を並べることにした」そうである。
ベートーヴェン歌劇「フィデリオ」より“もしあなたと一緒になれたなら”は、男装してフィデリオと名を変えたレオノーレを本当に男だと勘違いして恋をしてしまう娘、マルツェリーネのアリアである。石橋栄実は、典型的なリリック・ソプラノであり、声が澄んでいて可憐、ただ芯がしっかりしており、私が最も好むタイプの声質の持ち主である。

藤井快哉によるプーランクのピアノ曲「エディット・ピアフを讃えて」の独奏。「エディット・ピアフを讃えて」は、若手ピアニストの牛田智大がアンコールなどで好んで取り上げる楽曲である。藤井快哉が演奏前に解説を行い、エディット・ピアフがシャンソンの名歌手であることや、プーランクがピアフの大ファンだったことなどを語り、「私も石橋栄実さんの大ファンです」と言って、プーランクとピアノの関係を重ねたりする。

続く曲は、歌劇「ティレジアスの乳房」より“いいえ、旦那様”なのであるが、「エディット・ピアフを讃えて」の演奏前、いったん退場する際に石橋が、「なんていうタイトルなんでしょうと思いますが、女性が、『自分はフェミニストだ!』と言って、掃除やら洗濯やら家事一般が女性の仕事とされることに納得がいかず、兵士になりたいとか弁護士ですとか、当時、男性しか就けない仕事に就けるよう要求するのですが、すると顎にひげが生えて、胸の膨らみが飛んでいっちゃって」と解説する。
「エディット・ピアフを讃えて」演奏終了後に、石橋は胸の前に風船を二つ付けて登場。ヘリウムガスで膨らませた風船であるため、胸の膨らみを否定する場面では、風船が上に浮かぶ。その後、石橋は風船を二つとも割る。演奏前に風船を割るという演出の説明をしなかったのは、事前に言うと風船を割ることだけを意識してしまう人がいそうだったからだそうで、風船が割れる音を嫌う人もいるので、怖がらせたらまずいとも思っていたそうだ。「皆さん、こういう演出見たことあります?」と客席にも聞いていた。無反応だったので、見たことがある人はほとんどいないようであったが、私はたまたま川越塔子が青山音楽記念館バロックザールでのリサイタルでそれに近いことをしていたのを覚えている。もう4年も前なので、正確には記憶していないが、変わった演出だったので、それらしきことをしていた映像がぼんやりとではあるが浮かぶ。
演奏終了後に、藤井は、「尊敬している方にああいうことをされると結構な衝撃で」と語っていた。リハーサル時にも風船は使っていたが、割ったのは本番だけだったそうである。

切々と歌われる團伊玖磨の歌劇「夕鶴」より“与ひょう、体を大事にしてね”は、今のコロナ禍を念頭に置いて選ばれたと思われ、「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ“私が街を歩くと”では一転してコケティッシュな歌声を聴かせた。「夕鶴」と「ラ・ボエーム」ということで振り幅がかなり広い。

日本歌曲を予定していたのに、團伊玖磨の1曲だけになってしまったということで、アンコールとして中田喜直の「歌をください」が歌われた

 

午後2時10分開演の、公演ナンバー2-L-4「女の想い~シューマン歌曲集」。出演は、福原寿美枝(メゾソプラノ)、船橋美穂(ピアノ)。

福原寿美枝は、京都市立芸術大学卒業、同大学院修了。平成25年神戸市文化奨励賞、2015年度音楽クリティック・クラブ賞受賞などの受賞歴がある。現在は武庫川女子大学音楽学部教授を務め、京都市立芸術大学でも後進の指導に当たっている。

船橋美穂(ふなはし・みほ)も京都市立芸術大学出身。大学卒業後に渡米し、エール大学大学院音楽科講師などを務めた。2002年藤堂音楽褒賞、第29回京都芸術祭京都府知事賞などの受賞歴がある。

曲は、いずれもシューマンのリートで、「女の愛と生涯」と「メアリー・スチュワート女王への詩」

歌唱の前に福原は、「緊張で心臓がバクバクしてる。飛び出そう」と語り(なんでもコンサートでリートを歌うのは約30年ぶりだそうである)、また年齢を重ねるにつれて声が低くなってきているので、低音版の楽譜で歌うことを告げる。

「女の愛と生涯」は、愛しい人との出会いと結婚生活、出産、死別を描いたシャミッソーの詩に基づく歌曲で、背景にはシューマンのクララとの結婚がある。歌う前に「声が低いので、可愛らしい女の人にはなりません」と語った福原だが、これはこれで若き日を回顧する趣があり、味わい深い。

「メアリー・スチュワート女王への詩」。生後まもなくスコットランド女王に即位し、あらゆる才能に恵まれながらも様々な男性との恋に破れ、最終的にはエリザベス女王により追い込まれて処刑された悲劇の女王であるメアリー・スチュワート。その生涯は様々な文学作品や映画や芝居で描かれ、多くの人が知るところとなっている。
「メアリー・スチュワート女王への詩」に関しては事前に歌詞をチェックしていかなかったのだが、シューマンらしい個性に満ちた旋律を味わうことが出来た。
シューマンは、晩年は梅毒に起因する精神障害が進み、作曲活動が思うようにはかどらなくなっていた。シューマンが自身をメアリー・スチュワートに重ねても不思議ではない気はするが、「重ねている」という絶対的な根拠は当然ながらないようである。


午後3時30分開演の、公演ナンバー2-L-5「ベルカント!」。出演は、砂川涼子(ソプラノ)と河原忠之(ピアノ)。「ベルカント!」は砂川の最新アルバムのタイトルでもあるようだ。
びわ湖ホール大ホールの2階席(びわ湖ホールの1階席と2階席は繋がっている)の後ろの方では、本番を終えた石橋さんと福原さんが並んで聴いているのが確認出来た。

砂川涼子(すなかわ・りょうこ)は、沖縄県生まれ。ということで、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」でもオール沖縄民謡によるリサイタルを行ったことがある。武蔵野音楽大学と同大学院を修了。ミラノに渡って研鑽を積み、第34回日伊声楽コンコルソで優勝。第69回日本音楽コンクール声楽部門でも第1位を獲得している。第12回R・ザンドナイ国際声楽コンクールではザンドナイ賞を受賞。現在は藤原歌劇団団員であると共に、母校の武蔵野音楽大学で講師を務めている。

河原忠之は、歌手の伴奏ピアニストとして高い評価を受けている。太メン4人によるユニットIL DEVU(イル・デーヴ)のピアノメンバーであり、指揮者としても活躍している。国立(くにたち)音楽大学と同大学院を修了。母校の大学院教授を務めると同時に、新国立(こくりつ)劇場オペラ研修所シニアコレペティトゥアとしても活躍している。

曲目は、いずれも砂川のニューアルバム「ベルカント!」に収録されているもので、ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」より“おいでください、膝をついて”、ビゼーの歌劇「カルメン」より“何も恐くないといったけれど”、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」より“妙薬よ!僕のものだ”~“ラララの二重唱”(清水徹太郎との共演)、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より“あなたの愛の叫ぶ声に”、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」より“氷のような姫君の心は”。

プッチーニの歌劇「トーランドット」より“氷のような姫君の心は”は、女奴隷であるリューのアリアであるが、砂川は一昨年にびわ湖ホール大ホールで行われた大野和士指揮バルセロナ交響楽団ほかによる歌劇「トゥーランドット」にリュー役で出演している。

砂川涼子は見た目は可憐であるが、ドラマティックソプラノであり、声量豊かでスケールも大きい。トークでも河原に、「見た目と歌声が一致しない」と言われていた。

ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」は初めて聴く曲である。思ったよりも長い。
歌劇「フィガロの結婚」より“おいでください、膝をついて”は、スザンナが幼いケルビーニを無理矢理伯爵夫人に見立てようとするいたずら心たっぷりの歌で、そうした心持ちを存分に発揮する。

ビゼーの歌劇「カルメン」より“何も恐くないといったけれど”はミカエラのアリア。砂川はミカエラを得意レパートリーの一つとしているが、今年の夏にびわ湖ホールで行われる「カルメン」でもミカエラを歌い、次の曲で登場する清水徹太郎(ドン・ホセ役)と共演するそうである。

ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」より“妙薬よ!僕のものだ”~“ラララの二重唱”。愛の妙薬が手に入ったと勘違いしたドタバタの場面である。演技付きでの演奏。ユーモラスな演技が客席の笑いを誘う。

プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より“あなたの愛の呼ぶ声に”と歌劇「トゥーランドット」より“氷のような姫君の心は”。同じプッチーニ作品であるが、求められるものは真逆である。実際にびわ湖ホール大ホールで上演を観たことのある“氷のような姫君の心は”がダイナミックでとても良い。
“氷のような姫君の心は”は、プッチーニが最後に書き上げたアリアであり、リューはプッチーニ版の「トゥーランドット」にのみ登場する役で、実際にプッチーニに仕えていた女召使いがモデルになっているとも言われている。

 

びわ湖ホールを出ると、晴れ間が覗く中に雨粒がポツリポツリと落ちてくるという天気で、三上山の方を振り返ると、巨大な虹が架かっているのが見えた。

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2021年5月11日 (火)

コンサートの記(719) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 高木綾子「神秘の無伴奏」+前橋汀子&松本和将「踊るヴァイオリン」+舘野泉「多彩なる左手の音楽2」

2021年5月1日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

びわ湖ホール大ホールで行われている「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021。午後2時10分からは、公演ナンバー1-L-4「神秘の無伴奏」というコンサートがある。高木綾子のフルート独奏である。

高木綾子は、愛知県豊田市生まれ。3歳でピアノ、8歳でフルートを始める。東京藝術大学附属高校、東京藝術大学音楽学部、同大学院を修了。1995年に毎日新聞主催全日本学生音楽コンクール東京大会フルート部門で第1位を獲得した頃に、主にルックスで注目を浴び、テレビなどでも取り上げられたが、音楽家としてそうした見られ方をするのはやはり本意ではなかったようで、1997年の神戸フルート国際フルートコンクール奨励賞受賞を皮切りに、宝塚ベガコンクール優勝、日本フルートコンベンションコンクール優勝及オーディエンス賞受賞、第17回日本管打楽器コンクール・フルート部門第1位及び特別賞、第70回日本音楽コンクールフルート部門第1位獲得、ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクール第3位入賞、神戸国際フルートコンクール第3位入賞など、数多くのコンクールに出場して好成績を収めている。現在は、東京藝術大学准教授、洗足学園音楽大学、日本大学藝術学部、武蔵野音楽大学、桐朋学園大学の非常勤講師も務めている。

曲目は、ドビュッシーの「シリンクス」、武満徹の「VOICE」、ドンジョンの「サロン・エチュード」より1番「エレジー」、2番「セレナーデ」、5番「ジーク」、7番「いたずら好きな妖精」、メルカダンテの『ドン・ジョヴァンニ』より「奥様お手をどうぞ」の主題による変奏曲、クーラウの「3つのファンタジー」より第1番、ヴァスクスの「鳥のいる風景」

フルート独奏曲として、クラシック好きならまず上げるのがドビュッシーの「シリンクス(「シランクス」とも表記する)」だと思われる。というよりフルート独奏曲で世界的に知られているのは、「シリンクス」ぐらいしかない。
高木綾子はスマートな音色でこの神秘的な楽曲を奏でる。

武満徹の「VOICE」は、タイトル通り、フルートを吹くと同時に声やセリフを加えて演奏するという作品である。声を加えるというアイデアはひとまず置くとして、尺八や篠笛といった和楽器を意識した節回しが聴かれるという武満らしい楽曲である。ちなみに武満の遺作はフルート独奏のための「エア」であった。

ドンジョンの「サロン・エチュード」。8曲が残されているが、1番から6番までと7番、8番は別人の作品である。苗字は共にドンジョンなので、「親子ではないか」と推測されているが、確かなことは分からないようだ。いずれにせよ粋な作風の楽曲が並ぶ。

イタリアの作曲家であるメルカダンテの『ドン・ジョヴァンニ』より「奥様お手をどうぞ」の主題による変奏曲と、デンマークの宮廷作曲家であったクーラウの「3つのファンタジー」より第1番は、共に「ドン・ジョヴァンニ」の「奥様お手をどうぞ」の主題をモチーフにした作品。正統的なメルカダンテの変奏曲と、抒情美が特徴的なクーラウ作品の聴き比べの妙がある。

トークで高木は、「神秘の無伴奏ということで、物語性のある曲を選んだ」と語る。

ラストに演奏されるヴァスクスの「鳥のいる風景」。武満の「VOICE」もフルートを吹きながら声を出す作品であったが、「鳥のいる風景」は旋律を声でなぞりつつフルートでも重ねるという特徴を持つ。少し趣は異なるが、1990年頃に流行ったホーミーの神秘性を連想させる。ただ30年前の流行りということで、今の若い人はもうホーミーを知らないかも知れない。声とフルートの音色により表現に奥行きが出ていた。

高木のフルートはいつもながらキレとクッキリとした輪郭、軽やかさが特徴。フルート独奏のみによる演奏会に接する機会は余りないため、貴重な体験ともなった。

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午後3時30分開演の、公演ナンバー1-L-5「踊るヴァイオリン」。出演は、前橋汀子(ヴァイオリン)と松本和将(ピアノ)。

日本を代表するベテランヴァイオリニスト、前橋汀子(まえはし・ていこ)。非常に人気の高いヴァイオリニストで、録音の数も多いが、私は実演に接するのは初めてである。自分でも意外である。ヴァイオリン協奏曲やヴァイオリン・ソナタなど大作も当然ながら弾くが、小品の演奏も得意としており、今日はヴァイオリン小品の名曲が並ぶ。今回の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」は誰もが知るような曲が演奏されることは思いのほか少ないが、前橋の演奏会は有名曲揃いということで入りも良い。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーもたまたま私の隣の席で聴いていた。

ピアノの松本和将は、1998年に19歳で第67回日本音楽コンクールで優勝。2001年にはブゾーニ国際ピアノコンクール第4位入賞、2003年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで5位に入賞している。

曲目は、ドヴォルザーク(クライスラー編曲)の「わが母の教え給いし歌」とスラヴ舞曲 Op.72-2(第10番)、マスネの「タイスの瞑想曲」、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」、ブラームス(ヨアヒム編曲)のハンガリー舞曲第1番と第5番。

近年の若手ヴァイオリンストは皆、美音を競うようなところがあるが、前橋は敢えてハスキーな音を出したり、歌い崩しをしたり、パウゼを長めに取ったりと表現主義的であり、19世紀以来のヴァイオリニストの伝統を受け継いだ演奏を展開する。名人芸的なヴァイオリンともいえる。高音が独自の妖しさを放っており、理屈ではなく本能に訴えるところのある音楽作りである。

アンコールがあり、サラサーテの編曲によるショパンの夜想曲第2番と、フォーレの「夢のあとに」が演奏される。ロマンティックな演奏であった。

 

午後5時開演の、公演ナンバー1-L-6「多彩なる左手の音楽2」。出演は、舘野泉(ピアノ)。
若くしてフィンランドに渡り、「フィンランドで最も有名な日本人」となった舘野泉。ダンディーな風貌も相まって人気ピアニストとなる。フィンランドで当地の女性と結婚。息子は山形交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者や長岡京室内アンサンブルのメンバーとしても活躍するヤンネ舘野である。
フィンランドを代表する作曲家であるシベリウスのピアノ曲や、日本で学んだフィンランド人作曲家であるノルドグレンの作品、フランスの作曲家であるセヴラックのピアノ曲を得意演目としていたが、2002年、演奏会の最中に脳溢血で倒れ、以降は右半身不随となる。舘野が選んだのは引退ではなく、左手のピアニストとして活躍することであった。
ラヴェルに左手のためのピアノ協奏曲を委嘱したパウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄。戦争で右手を負傷)など、左手のピアニストとして活躍した先例は何人かいたが、舘野は多くの作曲家に左手のためのピアノ楽曲の作曲を委嘱し、レパートリーの拡大に努めている。

今回の演奏曲目も全て舘野が委嘱したり献呈されたりした作品で、パブロ・エスカンデの『悦楽の園』、新実徳英の『夢の王国』より「夢のうた」と「夢階段」、光永浩一郎の左手ピアノ独奏のためのソナタ“苦海浄土によせる”より第1楽章「海の嘆き」と第3楽章「海と沈黙」である。

演奏の前に、舘野が作曲家と作品の紹介を行う。
パブロ・エスカンデは、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれの作曲家で、生まれてからの20年をブエノスアイレスで過ごし、その後、古楽器の演奏を学ぶために古楽の盛んなオランダに渡り、そこでも20年を過ごす。そして今は日本に移住し、京都に居を構えているという。
『悦楽の園』は、ヒエロニムス・ボスの三連祭壇画にインスピレーションを受けた幻想曲。導入部「天地創造の第3日目」、パネル1「楽園でのアダムとイブ」、パネル2「悦楽の園」、パネル3「地獄」の4部からなる新作。
前半は印象派の音楽に近いものを感じたが、その後はジャズを感じさせるような曲想へと転換していく。「地獄」は低音の強打とバッハのようなシンプルにして構造的な旋律の対比が印象的。ちなみに、今日は空がめまぐるしく変わる天気だったが、舘野がびわ湖ホールに向かうためにホテルを出たときは空が真っ暗で、天地創造の第3日目、光が出来る前の漆黒の闇を連想した舘野は、「わあ、地獄に行っちゃう」と思ったそうである。

ちなみに、エスカンデには小学校1年生の娘さんがいるそうなのだが、『悦楽の園』の中では、「私、『地獄』が一番好きよ」と言っていたそうである。

新実徳英の『夢の王国』。4つのプレリュードからなる作品であるが、今回は第2曲の「夢のうた」と第3曲の「夢階段」が演奏される。『夢の王国』も昨年の3月に完成したという新しい作品である。
「夢のうた」は、シンプルで懐かしい旋律が繰り返されるという構図を持つ。一方、「夢階段」ではドミソではない音楽が上っていくというアンバランスな感覚が特徴となっている。

熊本の作曲家、光永浩一郎の作品、左手ピアノ独奏のためのソナタ“苦海浄土によせる”より第1楽章「海の嘆き」と第3楽章「海と沈黙」。2018年の作品である。石牟礼道子の『苦海浄土』を基に、水俣病の苦しみに隠れキリシタンの苦難なども加えて描いた作品だそうで、第3楽章「海と沈黙」の「沈黙」は、遠藤周作の小説『沈黙』を意識したものだという。波のうねりの描写のような旋律が続くが、ドビュッシーの「海」を意識したような和音が現れるのも特徴である。いずれの楽章も最後の音はダンパーペダルを踏み続け、余韻が長くなるよう設計されていた。

舘野は、「予定時間より長くなったようで、まだ何か弾こうとも思いましたが、疲れたので」と言ってアンコールなしで終演となった。

 

帰路。琵琶湖は湖面の色彩が次々と変わる時間帯であり、見る者の目を楽しませてくれた。

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2021年5月10日 (月)

コンサートの記(718) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 辻彩奈&江口玲「情熱のプロコフィエフ」+藤原真理&倉戸テル「至高のチェロ」

2021年5月1日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

大津市の滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで行われる「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021の初日に参加する。
新型コロナウイルスの流行で昨年は開催中止となった「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」。今年はコロナ対策として、ステージ上が密になりやすいオーケストラやオペラの公演を取りやめ、空間が広く飛沫が留まりにくい大ホールで室内楽、器楽、声楽の演奏会を行うという形に変更となった。「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」はオペラ上演が目玉だったが、現在の状態で音楽祭の催しの一つとしてオペラを上演することは現実的ではない。

音楽祭は朝から行われるが、最初に行われるサキソフォンの上野耕平の公演は時間が早すぎるということでパスし、午前11時20分開演の辻彩奈(ヴァイオリン)&江口玲(ピアノ)、午後12時40分(0時台と12時台は午前でも午後でもないという説もあるが通じれば良いので無視する)開演の藤原真理(チェロ)&倉戸テル(ピアノ)、午後2時10分開演の高木綾子(フルート)の公演は事前にチケットを手に入れていた。続く前橋汀子(ヴァイオリン)&松本和将(ピアノ)、舘野泉(ピアノ)の公演も興味があったのだが、コロナ禍ということで様子見であり、これらは当日券を買って入った。最後の公演はびわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバーによる合唱であったが、一日に接する公演としては5公演でもかなり多いということで、こちらは見送った。

 

京都を出た時は曇り空だったが、びわ湖浜大津駅で降りて、琵琶湖畔を歩いている時に日が射す。

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公演ナンバー1-L-2(1日目-Large hall-2回目)「情熱のプロコフィエフ」。出演は、辻彩奈(ヴァイオリン)と江口玲(ピアノ)。

若手女性ヴァイオリニストの代表格となりつつある辻彩奈。1997年、岐阜県生まれである。2016年にモントリオール国際音楽コンクールで第1位を獲得し、一躍注目を浴びている。特別特待奨学生として東京音楽大学に入学し、卒業。現在は東京音楽大学のアーティストディプロマにやはり特別特待奨学生として在籍しているようである。「題名のない音楽会」などメディア出演も多い。

ピアノの江口玲(えぐち・あきら。男性)は、日本を代表する名手の一人で、東京藝術大学附属音楽高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業後に渡米し、ジュリアード音楽院のピアノ科大学院修士課程を修了。同校のプロフェッショナルスタディーにも学ぶ。ピアニスト、作曲家、編曲家として活躍し、2011年までニューヨーク市立大学ブルックリン校の教員を務めたほか、東京藝術大学ピアノ科の教授としても活躍している。

曲目は、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第18番とプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番。

今でこそ、ヴァイオリン・ソナタというとヴァイオリンが主役の楽曲だが、モーツァルトの時代のヴァイオリン・ソナタは、ヴァイオリン付きのピアノ・ソナタという捉え方が一般的であった。モーツァルトはこのヴァイオリン・ソナタ第18番においてヴァイオリンとピアノを同格に扱う試みを行っている。ヴァイオリン・ソナタにおいてヴァイオリンが完全に主役になるにはベートーヴェンの登場を待たねばならない。

辻の滑らかなヴァイオリンも魅力的だが、ここはやはりキャリアがものをいうのか、江口のまろやかで甘いピアノの調べの方がより印象の残る。

演奏終了後に辻がマイクを手にしてトーク。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第18番は、10年前、辻がまだ中学校1年生だった時に参加した、びわ湖ホールでのセミナーの時に弾いた想い出のある曲で、今回、びわ湖ホール芸術監督で「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」の芸術監督も兼ねる沼尻竜典から「この曲を弾いて欲しい」と提示されて驚いたという話をする。

メインであるプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番。昨年の2月、初めての緊急事態宣言の発令する直前に、フェスティバルホールで行われた秋山和慶指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で、辻はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番のソリストを務めて成功を収めている。

独自の個性により、音楽史上に異彩を放っているセルゲイ・セルゲイヴィッチ・プロコフィエフ(1891-1953)。モーツァルト没後100年目に生まれ、スターリンと同年の同日に他界した。
プロコフィエフは、ロシアン・アヴァンギャルドに影響を受けた作曲家には実は含まれないことの方が多いようだが(ライバルで犬猿の仲でもあったショスタコーヴィチはロシアン・アヴァンギャルドに影響を受けた作曲家に入る)、とんがった独自の才気が特徴であり、それは辻の個性にも繋がる。瞬発力抜群で諧謔的な部分もあっさり飲み込んでみせる辻の未来は明るいように思う。

 

通常は、大中小のホール、更には屋外のテラスも使って行われる「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」だが、今回は大ホールのみの使用で、中ホールのホワイエが飲食可のスペースとなり、中ホールの客席は休憩に利用できる(飲食等は不可)。
共通ロビーでは、滋賀県の物産展が行われており、あんパンを買って中ホールのホワイエで食べた。

 

午後12時40分開演の、公演ナンバー1-L-3「至高のチェロ」。出演は、藤原真理(チェロ)と倉戸テル(ピアノ)。

ベテランチェリストである藤原真理。大阪生まれ。1959年に桐朋学園「子供のための音楽教室」に入学し、以降、斎藤秀雄にチェロを師事する。指揮の斎藤メソッドで有名な斎藤秀雄であるが、元々はチェリストとして音楽活動を始めた人である。
1971年に第40回日本音楽コンクール・チェロ部門第1位および大賞受賞。1978年にはチャイコフスキー国際コンクール・チェロ部門で2位入賞。
坂本龍一と共演するなどメディア活動も多い人だが、私は藤原真理の実演に接するのは初めてである。
DENONレーベルに録音した、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲全曲が高い評価を得ており、私も持っているが情緒豊かな演奏である。

ピアノの倉戸テル(男性)は、東京藝術大学大学院修士課程を修了し、ジュリアード音楽院大学院も修了。ソロの他、室内楽でも強さを発揮し、藤原真理との共演数は200回を超える。宮城教育大学教授。

オール・ベートーヴェン・プログラムで、『魔笛』より「恋人か女房があれば」の主題による12の変奏曲と、チェロ・ソナタ第3番が演奏される。

『魔笛』より「恋人か女房があれば」の主題による12の変奏曲は、パパゲーノのアリアを変奏曲にしたもので、モーツァルト作品のバリエーションということもあってベートーヴェンとしてはユーモアに富んだ楽曲となっている。

チェロ・ソナタ第3番であるが、タイトルはピアノとチェロのためのソナタであり、まだピアノが主役と見なされていた時代の作品である。ただ藤原真理のトークによるとベートーヴェンの5曲あるチェロ・ソナタの中で、第1番と第2番はピアノが主役であるが、第3番はチェロが初めて前に出始めた作品だそうである。
チェロの独奏に始まるドラマティックな曲想だが、第3楽章は爽やかで、愛の囁きのような情熱的な部分があるのも特徴である。

藤原のチェロは渋めの音色で朗々と歌う。スケールも大きい。

藤原は、ベートーヴェンの時代のピアノで聴かせてみたいとも語っていた。当時のピアノはハンマーの戻りが現在のモダンピアノより早いため、テンポも自然と速くなるという。ただ、ベートーヴェンの時代のピアノはもう世界に数台しか残っていないそうである。

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2021年5月 8日 (土)

コンサートの記(717) 広上淳一指揮 京都市交響楽団みんなのコンサート『サウンド・オブ・ドリーム』@京都市西文化会館ウエスティ 2009.8.23

2009年8月23日 上桂の京都市西文化会館ウエスティにて

午後2時半から、京都市西文化会館ウエスティで、京都市交響楽団みんなのコンサート『サウンド・オブ・ドリーム』を聴く。京都市交響楽団と京都市ジュニア・オーケストラの演奏によるコンサート。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

前半は京都市ジュニア・オーケストラの演奏で、ビゼーの『アルルの女』から「前奏曲」「パストラール」「メヌエット」「ファランドール」と京都市立芸術大学音楽学部4回生の東珠子(あずま・たまこ)をソリストに迎えてのサン=サーンスの「ハバネラ」。


後半は京都市交響楽団の演奏で、ルロイ・アンダーソンの「ブルータンゴ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「新ピチカート・ポルカ」、ベートーヴェンの交響曲第8番より第2楽章、フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」から“シシリエンヌ”、ドリーブのバレエ音楽「コッペリア」から“チャルダッシュ”と“前奏曲とマズルカ”というプログラム。


京都市西文化会館に行くのは初めて。位置的には阪急電車の桂駅と上桂駅の中間に位置する。上桂駅からの方が道順がわかりやすいので、乗り換えが面倒ではあるが上桂まで行くことにする。

京都市西文化会館は思ったよりも小さな建物で、ホールも予想よりずっとこぢんまりとしている。


全席自由なので、開場時間を少し過ぎた当たりに着いて座席を確保。ロビーでは子供達が大太鼓やら銅鑼やらを鳴らす“楽器体験”で遊んでいる。そういう趣向のコンサートである。子供連れも多いが来客の年齢層は幅広い。


まず京都市ジュニア・オーケストラの演奏。その前に広上淳一がマイクを手にして挨拶をする。「今日はちょっとしたことがありまして京都市交響楽団のメンバーがこんなに若くなっちゃいました」と冗談を言っていた。

京都市ジュニア・オーケストラはオーディションで選ばれた10歳から22歳までのメンバーからなるオーケストラ。今日はホールの残響がほとんどないということも手伝ってか、弦が薄いのが少し物足りない。「ファランドール」のラストで広上は猛烈な追い込みをかけるが、弦が鳴りきっていないように感じた。

サン=サーンスの「ハバネラ」のソリスト、東珠子のヴァイオリンは線は細いが音は美しい。


後半、京都市交響楽団の演奏。ショーピースが並んでおり、盛り上がる。特に「コッペリア」の“チャルダッシュ”の迫力が凄い。
広上は「ブルータンゴ」と「新ピチカート・ポルカ」をノンタクトで指揮し、指揮台でピョンピョン跳びはねてみせる。


アンコールはヨハン・シュトラウスⅡ世の「ピチカート・ポルカ」。広上は極端な溜めを作るなど、遊びに満ちた演奏であった。

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2021年5月 6日 (木)

コンサートの記(716) 川瀬賢太郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団第446回定期演奏会「サンクトペテルブルク/ロシア革命100年」

2017年6月2日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて

午後6時45分から、愛知県芸術劇場コンサートホールで、名古屋フィルハーモニー交響楽団の第446回定期演奏会を聴く。今日の指揮は名古屋フィルハーモニー交響楽団指揮者の川瀬賢太郎。

「サンクトペテルブルク/ロシア革命100年」と題されたコンサートで、曲目は、吉松隆の「鳥は静かに...」、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ノア・ベンディックス=バルグリー)、ショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」

神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者としても活躍する川瀬賢太郎。1984年生まれであり、主要な日本人指揮者の中では最年少である(2017年当時)。私立八王子高校音楽科を卒業後、広上淳一に師事するために東京音楽大学指揮科に進学。広上の東京音大における一番弟子的存在でもある。

吉松隆の「鳥は静かに...」。1998年に藤岡幸夫指揮マンチェスター・カメラータによって初演された作品である。この作品は最小編成では弦楽12名、最大編成では弦楽37名によって演奏されるよう指定されているが、今回は最大編成が採用されている。
吉松らしい繊細な曲であるが、ミニマルの要素を取り入れており、内容はわかりやすい。

チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリンソロのノア・ベンディックス=バルグリー(男性)は、2009年のエリザベート王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門でファイナリストに入り、2014年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターに就任している。
とにかく美音家である。歌い回しなどにも個性があるが、音の美しさが何より印象的だ。
名古屋フィルであるが、弦楽は「渋い」といえば聞こえはいいが、東京や関西のオーケストラに比べると音の輝きが十分に出ていないように思う。
木管は音の通りも良く、堅調。金管はトランペットが第1楽章では不安的であった。

ベンディックス=バルグリーのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタより“ラルゴ”。これも美演であった。

ショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」。今日はこれを聴くために名古屋に来たのである。
21世紀に入ってからショスタコーヴィチの交響曲がオーケストラコンサートのプログラムに載ることが増えたが、交響曲第12番「1917年」は、「駄作」という評価もあり、プログラムに載ることはまだ少ない。
今年(2017年)2月に井上道義指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の第505回定期演奏会で同曲が取り上げられ、ちょっとした仮説が浮かんだのでそれを確認する意味もある。

第1楽章冒頭の暗く力強い響きと旋律に続き、ブラームスの交響曲第1番第4楽章の凱歌や、第九の「歓喜の歌」のパロディーのような旋律が現れる。この旋律は全楽章を通して登場するのだが、このメロディーだけ場違いなほど砕けた印象を受ける。やはりこの妙なメロディーがこの曲を読み解く鍵だと思われる。
ただ、川瀬自身はそうした解釈は行っていないようで、皮相にすることなく音を運ぶ。
川瀬の指揮は若さを生かした勢いのあるもので、ジャンプも飛び出すなどダイナミックである。
名古屋フィルはこの曲では音の煌めき十分の演奏を行った。弦も管も安定している。
ただ、ショスタコーヴィチの交響曲第12番を演奏するには愛知県芸術劇場コンサートホールは空間が狭いようで、フォルテシモで音が飽和するところもあった。

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