
朝食を広島駅そばの定食屋で済ませ、朝9時前にホテルをチェックアウト。京橋川を渡り、9時に開く庭園、縮景園に入る。祝日ということもあってか、朝一なのに訪れる人は結構多い。
縮景園という名前から地味な庭園を想像しがちだが、実際はかなり立派な庭園。流石は芸州広島浅野藩の庭園である。水戸・偕楽園、金沢・兼六園にも行ったことがあるが、それらに勝るとも劣らない美しさ。こうした美しい庭園に出会うと日本人でよかったと思う。


北京語を話している団体がいたので話しかけてみる。実はホテルのエレベーターの前でも白人に出会ったので、英語も出来ないのに「どこから来たのか?」と訊いたのだ。ポーランド出身で、今はプラハのオーケストラでトロンボーンを吹いているという。そこで「Yesterday,I Listend Hiroshima Symphony Orchestra's Concert.I Like Music」と言って、笑顔で別れることが出来た。
私の場合、英語よりも北京語の方が話せるので話しかけてみた。
するとは最初は北京語で答えてくれたが、私の発音からネイティブではないとわかったのか、途中から日本語で答えてくれる。日本在住だという。金沢から来ていて、金沢が一番だというが、私が京都から来たというと、「あ、一番は京都です」と譲ってくれた。

それにしてもこれだけの庭園が関東はもちろん、関西でも知られていないというのはちょっと勿体ない気がする。
庭園を一回りした後、売店で抹茶と和菓子のセットを頂く。元々、入場券に売店での抹茶セット100円割引券が付いていたのだ。お茶もお菓子も美味しかった。

縮景園を出て、昨日も登城した広島城に向かう。昨日は広島交響楽団の演奏会の開演時間が迫っていたので、天守内の展示を十分に見ることが出来なかったのだ。また、本丸内にあるという、崩れた石垣(福島正則が居城である広島城の石垣を無断で修繕をしたことを咎められ、改易を免れるため破却した名残りとも言われる。結局、「破却が不十分である」として福島正則は改易された)、印のある石垣なども見てみたい。
昨日と違い、二の丸からではなく、本丸から直接城内に入る。本丸の東側に裏御門(搦手門)がある。広島城は原爆で灰燼に帰したので、当然ながら門や櫓などの建物は残っていない。その代わり、広島護国神社の参道となるため鳥居が設けられている。

崩れたままの石垣があるというので見に行く。福島正則が広島城主だった時に、広島城の石垣を勝手に改修したとして徳川幕府から咎められ、福島正則は「石垣を崩す」という条件を受けいれて石垣を崩したものの、不十分であるとして結局、改易の憂き目に遭っている。下の写真が崩れたままの石垣である。福島正則が崩したものかはわかっていないという。

本丸の北側を歩いて天守に向かう。昨日は下の階しか見ることが出来なかったので、今日は全ての展示を見るつもりだ。

昨日、裃体験コーナーで裃を着せて貰って記念写真を撮って貰ったのだが、裃の右袖から萌浅葱色ジャケットが出てしまっていることにホテルに帰ってから気付き、みっともないのでもう一度、裃を着て、写真を撮って貰う。担当は昨日と同じお姉さんである。なんでもまだ大学生だそうで、就職のための職業体験のようなもので来ているそうである。学芸員のための研修かと思ったがそうではないそうだ。
天守の4階で、江戸時代の髪飾りや笄(こうがい)、刀の目抜きなどの説明をしている。耳かきのような髪飾りがあるが、これは江戸時代は今と違い、毎日風呂に入る習慣がなく、週に一度ぐらいしか風呂に入らなかったので(日本の風呂というと蒸し風呂であるが、江戸時代には湯を張った入浴が行われるようになったことがわかっている)、頭がどうしても痒くなり、取り出して頭を掻くために耳かき状の髪飾りを付けていたそうだ。刀の鍔にも穴が開いているが、武士もやはり頭は痒くなるので、そこに頭を掻くための道具を差し込んでいたという。
広島城天守内は基本的に写真撮影禁止だが、武家屋敷と商家のセットがあり、そこだけは例外的に写真撮影OKだったので撮ってみる。



全ての展示を見終えた後で天守の最上階に登り、広島の街を見渡す。


ここでも白人の男性がいたので、どこから来たのか聞いてみたところ、「バージ」との答えが。どこのことかわからなかったが、隣国などを挙げてくれたのでベルギーのことだとわかる。「ベルギー?」と聞くと、「ヤー」と答えてくれる。ベルギー人で世界的に最も有名なのはオードリー・ヘップバーンだと思われるが、有名すぎて聞くまでもないことである。ベルギーの首都ブリュッセルはEUの首都的位置にあたる都市なので、「ブリュッセルから?」と聞いてみたが、「違う」とのことだった。ベルギー人の世界的作曲家、セザール・フランクについても聞いてみたが、「ショパンなんかはよく聴くけど、フランクというのは知らないねえ」とのことだった。意外に知られていないらしい。まあ、日本でも武満徹を全員が知っているわけではないだろうから、状況が同じといえば同じである。
その後、広島平和記念公園に歩いて向かう。
広島平和記念公園の北にあった旧広島市民球場は現在、取り壊し作業中のようである。

そのすぐ南にあるのが広島の、そして世界平和祈念の象徴である原爆ドームである。

その後、広島平和記念資料館を見学。原爆の悲惨さを思い知る。

その後、ビル全体が広島風お好み焼きのお店で埋まっているという「お好み村」というところに立ち寄る。

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