カテゴリー「コンテンポラリーダンス」の25件の記事

2020年10月31日 (土)

観劇感想精選(362) 森山未來リーディングパフォーマンス『「見えない/見える」ことについての考察』

2020年10月27日 阪神尼崎駅近くのあましんアルカイックホール・オクトにて観劇

尼崎へ。午後7時30分から、あましんアルカイックホール・オクトで、森山未來のリーディングパフォーマンス公演「『見えない/見える』ことについての考察」を観る。関西出身の森山未來による全国ツアーであるが、関西公演はフェニーチェ堺と、あましんアルカイックホール・オクトの2カ所で行われることになった。森山未來はロームシアター京都でもダンス公演に出演しているが、残念ながら今回は京都公演はなしである。初演は2017年で、この時は東京芸術大学上野キャンパス内のみでの公演となったが、森山未來初のソロ全国ツアー作品として再演が行われることになった。

ジョゼ・サラマーゴの『白の闇』(翻訳:雨沢泰。河出書房新社)とモーリス・ブランショの『白日の狂気』(翻訳:田中淳一ほか。朝日出版社)をテキストに用いているが、断片的であり、新型コロナウイルスの流行の喩えとして用いられていることがわかるようになっている。演出と振付は森山未來自身が担当する。企画・キュレーションは、長谷川祐子(東京芸術大学大学院国際芸術創造研究科教授)。

あましんアルカイックホール・オクトのコロナ対策であるが、チケットの半券に名前と電話番号を記入。兵庫県独自の追跡サービスへ(メールを用いるものとLINEを使ったものの二種類)の登録も強制ではないが勧められているようである。今回は整理番号順による全席自由(午後7時開場)で、友人や夫婦同士で隣に座ったとしても一向に構わないようになっている。入場時に検温があり、手指の消毒が求められる。

客層であるが、当然というべきか、女性客が大半である。また余り積極的に宣伝がされていなかったためか、あるいは規制のためか、観客はそれほど多くはない。

入場口で音声ガイドが配られる。片耳に引っかけるタイプのイヤホンであるが、セリフや音楽などが流れ、劇場内でも他のセリフや音楽が鳴っているためラジオの混線のような効果が生まれている。

間に15分ほどの休憩を挟む二部構成の作品であり、共に上演時間30分ほどだが、第2部は第1部を手法を変えて繰り返すという形態が選ばれていた。第1部では森山未來がマイクを使って語ったセリフが、第2部ではマイクを使わずに発せられたり、その場で発せられていたセリフが録音になっていたり、その逆であったりと、中身はほぼ同じなのだが、伝達の仕方が異なる。これによって重層性が生まれると同時に、同じセリフであっても印象が異なることを実感出来るよう計算されている。

 

話は、ある男が、車を運転していた時に視力を失うという事件で始まる。視野が暗闇ではなく真っ白になり、まるで「ミルクの海」の飲み込まれたかのようと例えられる。同じ日に、子どもと16歳の売春婦が視界が白くなる病に冒され、病院に運ばれてきた。眼科医は、「失明は伝染しない。死がそうであるように。だが誰でもいつかは死ぬんだけどね」

だが、白の失明は蔓延するようになり、罹患した者はことごとく隔離される。他の多くの伝染病でも同様の措置がなされて来たわけだが、パンデミックを題材にしたテキストということで、新型コロナウイルスの騒動を直接想起させる形となっている。

断片的であるため分かりにくいが、戒厳令が敷かれ、軍部にも罹患する人が現れ、殺害事件まで起こり、それに反対する人々が反乱を起こすという展開になる。新型コロナでも似たようなことが起こっており、新型コロナ以外でもやはり同じようなことは起こっている。

第1部では、「見えなくなった? 見えなくなったっていつから? 最初から見えなかったんじゃないの? 私は最初から見えない状態で見ていた」というセリフが印象的である。コロナでも盲目的な行動が確認されたことは記憶に新しいが、新型コロナが蔓延してから急に人間性や国民性が変わったということではなく、今まで意識されていなかったことが可視化出来るようになったということである。同時にこれまで当たり前と思ったことが闇に飲み込まれ、見えなくなってしまっていたりもする。そうしたことは史上何度も起こってきたのだが、それでも変われないほど人間は愚かしく、世界は単純にして複雑である。
あましんアルカイックホール・オクトのエントランスで撮られた写真や上演中に撮影された客席の写真がスクリーンに映り、今行われているパフォーマンスが他人事ではないことが示唆される。

iPhoneを始めとするスマホの着信音が鳴り、その中で森山未來が踊る。情報化社会の中でもがき、サーバイブする姿のようだ。
それとは対称的に、J・S・バッハの「ゴルトベルク変奏曲」よりアリアが音声ガイドから流れ、高雅にして悲痛なダンスがダイナミックに展開されたりもした。

第2部でも音楽は同じだが、ストーリーの結末は異なる。ストーリーと書いたが、「物語はやめてくれ」というセリフがある。今のこの状況は危険な物語に溢れている。
「街はあった」という救いともそうでないとも取れる言葉でパフォーマンスは終わるのであるが、容易に答えが出せないというのもまさに「今」であると思える。人智を超えた状況であり、本来はそのことに恐怖すべきなのだが、なぜか国同士や人種間もしくは同じ人種同士で争いが起こってしまっており、これまた妙な状況を生んでしまっている。生んでしまっているというより曖昧だったものがはっきり見えるようになってしまったというべきか。全ては「無知」が原因なのだが、人類はそれに対して謙虚になれないでいる。バッハはおそらく「己を超えた存在」に対して謙虚であった人物だと思われるが。

構成が良く、テキストや展開が抽象的であるのもまた良く、森山未來のキレのあるダンスが間近で見られて、見終わった後でも考えさせられる。これは観ておくべき公演だったと思う。

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2020年10月15日 (木)

湖南ダンスカンパニー×糸賀一雄記念賞音楽祭ユニット公演「湖(うみ)の三部作 音と身体で綴る叙情詩『湖(うみ)』」

2020年10月11日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、湖南ダンスカンパニー×糸賀一雄記念賞音楽祭ユニットによる公演「湖(うみ)の三部作 音と身体で綴る叙情詩『湖(うみ)』」を観る。

大津や草津、守山などを中心とする滋賀県湖南地域に住む障害者と福祉施設のスタッフ、プロのダンサーが協働するパフォーマンス集団、湖南ダンスカンパニー。2004年に結成され、1年に1作ダンス作品を上演することを目標に作品を作り上げている。関西を代表するダンサーである北村成美(きたむら・しげみ。女性)がディレクターと振付を担当し、自分もリーダーとしてパフォーマンスを披露している。

湖南ダンスカンパニーのメンバーは、知的障害者が中心のようである。野洲市にあるにっこり作業所(就労継続支援B型事業所)と守山市にある螢の里(生活介護入所施設)を始めとする福祉施設に通所している方々が参加しているようだ。身体障害者による舞台作品上演は大阪の劇団態変が行っており、重複を避けるのと、身体障害者の場合はダンスはどうしても困難になることが予想される。障害としては精神障害や発達障害も上げられるが、彼らの場合は知能や身体能力が高い人も多く、その場合は障害者という枠でなく作品を作り上げられる。トム・クルーズは有名な発達障害者だが、彼の演技を障害者のものと捉える人は皆無に近いだろう。
湖南ダンスカンパニーの在籍者は総勢31名。そのうち障害のあるダンサーは24名で、7名がダンサーと福祉施設職員のようである。

演奏を担当する糸賀一雄記念賞音楽祭ユニットは、滋賀県の福祉界に多大な貢献を行った糸賀一雄の業績を讃える音楽祭に参加したミュージシャンからなる。メンバーは、小室等(歌、アコースティックギター)、坂田明(アルトサックス、クラリネット、鈴、ベル)、高良久美子(パーカッション:ビブラフォン、マリンバ、ティンパニ、シンバル、小物等)、谷川賢作(ピアノ、ピアニカ)、吉田隆一(バリトンサックス、フルート、バスフルート)と驚くほどの豪華さである。ちなみに湖南ダンスカンパニーのチケットは1000円なので、入場料を考えるとあり得ないほどの充実した演奏を聴くことが出来る。

ということもあって、チケットは完売御礼である。客席前後左右1席空けのソーシャルディスタンスフォーメーションであったが、音楽陣の充実を考えると、通常の公演だったとしても完売は必至であったと思われる。

 

今回のびわ湖ホールのコロナ対策は、サーモグラフィーによる検温とチケットを自分でもぎる、パンフレット等も自分で袋に入ったものを取るという基礎的なものである。またアナウンスで、ホール内は十分な換気が行われていることが告げられた。

 

今回の演目である、湖の三部作・音と身体で綴る叙情詩「湖」は、これまで湖南ダンスカンパニーが作り上げてきた3つのダンス作品(2017年の「うみのトリックスター」、2018年の「うみのはた」、2019年の「うみのはもん」)の一挙上演である。振付・演出:北村成美、音楽監修:小室等。

北村成美は、「なにわのコリオグラファーしげやん」という自ら名乗る愛称でも知られている。愛称で分かる通り大阪市出身だが、現在は滋賀県草津市在住である。滋賀県は新快速という高速列車によって京都府や大阪府と繋がっており、京都や大阪への通勤通学も十分可能で、「滋賀府民」という言葉も存在する。北村成美自身の公演は大阪で行われることが多いが、草津市から大阪市は新快速に乗ればすぐである。
高校卒業後、アルバイトをして貯めた資金でロンドンに留学。ロンドン・ラバン・センターで学んだ。帰国後はダンスユニットを結成したが、破産により解散。以後はソロダンスを中心に活躍中である。結婚を機に大阪から草津に移住。平成22年に滋賀県文化奨励賞受賞。

 

作品構成は、
オープニング(夜明け前) 「湖の波紋」(作曲:谷川賢作)

うみのはもん

うみのはた 「希望について私は書きしるす」(作詞:谷川俊太郎、作曲:小室等)

シエスタ(昼下がり) 「木を植える」(作詞:谷川俊太郎、作曲:小室等)、「ON THE TEPPEN」(演奏:高良久美子)、「星の灯は彼女の耳を照らす」(作曲:吉田隆一)、「かすかなほほえみ」(編曲:谷川賢作 Inspired by ほほえむちから)、「ほほえむちから」(作詞:谷川俊太郎、作曲:小室等)

うみのトリックスター 「Dance」 (作詞・作曲:坂田明)

真夜中 「翼」(作詞・作曲:武満徹)、「ぶっきらぼうのほほえみ」(編曲:谷川賢作 Inspired by ほほえむちから)、「くーらんぷ」(作曲:谷川賢作)

フィナーレ

 

舞台上の出演者だけではなく、舞台後方のスクリーンに映った映像内でのパフォーマンス、また映像と音楽のセッションなどもある。

 

知的障害者ということで、そんなに器用に踊れるわけではないが、以前は知的障害者というと単純作業のみを行うというイメージであり、びわ湖ホールのような第一級の劇場のステージで、日本を代表するミュージシャン達とダンスを行うことなど想像の埒外にあった。それが実現しているということだけでも結構凄いことだと思える。しかも1回きりでなく継続してである。

知的障害があるから全員ダンスが拙いというわけでもなく、中には創造的でキレのあるダンスをする人もいる。坂田明がそのダンサーの動きに合わせてサックスを吹く場面もあったが、面白いものになっていたように思う。

前半はダンサーと他のメンバーが同じ動きをするものも多かったが、休憩を挟んで後半は、ダンサーと他のメンバーがそれぞれに表現することも多くなる。木枠を使っての表現もあるが、自由度は増していく。

武満徹の「翼」が最初はインストゥルメンタルで演奏され、その後、小室等のボーカルによって再度登場する。フォーク「死んだ男の残したものは」や映画の主題歌「燃える秋」などでも知られる武満徹であるが、ポップスの部門でヒットらしいヒットを飛ばしたことはない(武満自身、「ユーミンのCDは200万枚も売れるのに、僕のCDは2万枚も売れない」と語ったことがある)。だがその純度の高さは売り上げで測られる音楽とは別の次元にあるものであり、今回のような公演には最高にマッチする。

フィナーレでは、糸賀一雄生誕100年記念として、谷川俊太郎の作詞、小室等の作曲で制作された「ほほえむちから」が再度演奏され、舞台と客席が一緒になって盛り上がる。

障害者が絡むとどうしても一方的な「感動」を押しつけられることが多くなるのだが、大切なのはそうではなく、一体感を得ることなのだということを実感する。こうして同じ場所と時間を共有する体験こそが、歴史的文化的背景を超えた根源的なものへと我々を導いていくのだ。

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2020年10月 2日 (金)

YouTubeLive「ポーランド・フェスティバル2020 ONLINE」(アーカイブ動画掲載)

2020年9月26日

午前11時から、YouTubeLiveで、「ポーランド・フェスティバル2020 ONLINE」が配信されるので見てみる。

毎年、東京で行われているポーランド・フェスティバルであるが、今年はコロナのために配信で行われることになった。ポーランド・フェスティバルには興味があるのだが、そのために東京に行くわけにもいかず、しかも私がポーランドについて興味があるのは主に映画と音楽であり、他のことに興味が持てるからどうかの自信もない。
というわけで行くに行けないという状態だったのだが、今年は配信となったので家にいながら色々と楽しむことが出来た。

まず、簡単なポーランド語講座があるのだが、どうにも覚えられそうにない。語学の才能のある人はちょっと目にするだけで単語や言葉を記憶出来たりするのだが(私の場合は物語的な記憶はかなり強いが、単純暗記は向いていない)、私の場合はアルファベットを使った言語というだけでお手上げになってしまう。「そのまま読む」とのことだったが、どう見ても変則的な読みをしているようにしか見えない。
ユダヤ系ポーランド人のザメンホフは、英語を学習してその余りの簡単さに驚き、ルールを簡約化した言語は作れるということでエスペラントを生み出した。だが、私の場合は英語は全く出来ないため、英語が簡単だと思う感覚がわからない。ポーランド語はスラブ系の言語ということで怖ろしく複雑だと思われ、私では入り口に立つことさえ出来ないだろう。


続いて、ポーランドの絵本朗読のコーナー。「ミツバチのはなし」という邦訳も出ている(3千円以上するのでちょっと高い)絵本を、ポーランド語と日本語で同一内容を交互に朗読していく。
ミツバチが恐竜の時代よりも以前から地球に存在したという話に始まり、元々はスズメバチなどと同様、肉食だったと思われるのだが、花粉を運ぶ役割を虫に託していた花々の計略(?)により、蜜を吸って花から花へと移ることで花粉を運ぶ役割を担うのと同時に主食も変わって食糧事情が安定するという、花とミツバチにとってWin-Winの関係に変わったことなどが語られる(あくまでも一つの説だと思われるが)。
その他に蜂蜜の種類が紹介されたり、宗教方面に蜂蜜が影響したことなど、興味深い内容が盛り込まれている。元々、大人も子どもも楽しめる絵本として書かれたもののようだ。


ポーランドシベリア孤児100年の話。100年前、日本の敦賀港にシベリアからポーランド系の孤児達がたどり着いた。1920年、ロシア革命が起こった3年後である。中世には強国であったポーランドだが、その後は他国に侵略される歴史を繰り返す。
20世紀前半にはポーランド独立のためにロシアで活動していた人々が政治犯としてシベリア流刑となっていた。その後、第一次世界大戦でポーランドはドイツとロシアとが戦う戦場となったため、シベリアに逃げてきた人もそれに加わり、シベリア移民は一説には20万人にも達したという。シベリアでの生活は苦しく、特に孤児となった子ども達への救助要請が出されたのだが、それを受けたのが日本赤十字社であったという。孤児達の受け入れには今も東京都渋谷区広尾にある福田(ふくでん)会という育児院が大きな役割を果たしたということである。


ずっと見ているわけにも行かないので、その後は配信を離れたが、ポーランド国立民族舞踊合唱団「シロンスク」の新作上演の紹介と、ポーランド映画祭の話が行われる時間にパソコンに前に戻る。
私は昨年、「シロンスク」の公演を大阪のフェスティバルホールで観ており、昨年は京都でも行われたポーランド映画祭も同志社大学寒梅館と出町座で作品を目にしている。

ポーランド映画祭は今年は東京のみで行われるようだが、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の大作「デカローグ」が上演されるようだ。また、昨年は同志社大学寒梅館クローバーホールでの「バリエラ」上映の前に舞台挨拶を行ったイエジー・スコリモフスキ監督もビデオレターでの出演を果たす。ビデオレターは急遽届いたものだという。

「シロンスク」は、昨年の日本ツアーではポーランドの伝統舞踊を中止とした公演を行ったが、今年は一転してコンテンポラリーダンスで別の面を披露する予定だったという。残念ながらコロナで来日公演は出来なくなってしまったが、収録録された映像を東京、大阪を始め、札幌など日本各地で上映する計画があるそうだ。予告編はすでに出来上がっていたので流されたが、シャープで格好いいダンスである。


昨年の「シロンスク」では、日本でもお馴染みのポーランド民謡「森へ行きましょう」が歌われていたが、ポーランド語の発音を片仮名にしたものを字幕として出し、みんなで歌うというコーナーも設けられている。配信なので合唱にはならないわけだが、参加しやすい試みになっていたように思う。

その後、グルメなどの話になるのだが、あんまり興味はないのでパソコンの前から離れ、ポーランドのクラクフとワルシャワからの映像が流れる午後6時30分からのコーナーが始まるまで待つ。

「ポーランドの京都」に例えられることがある古都・クラクフからの生中継。留学してクラクフで学ぶ日本人の女性や、日本について学んでいるポーランド人女子大学生などが出演する。クラクフには日本美術技術“マンガ”館があり、そこからの配信である。日本人留学生である女性が、アンジェイ・ワイダ監督が、ウッジ映画大学に転学する前にクラクフ美術大学で日本画の影響を受けた絵を描いていたという話をして、美術技術館に展示されているワイダ監督が若い頃に描いた絵を紹介するのだが、スタッフが小声で言った言葉をそのまま繰り返していることが分かるため、かなり頼りない。まあ、芸能活動などを行っていない一般的女子大生のレポート能力はこんなものだと思われるが。

そしてワルシャワの映像。こちらは収録されたものである。ポーランドが生んだ世界的作曲家、フレデリック・フランソワ・ショパンゆかりの地を訪ねるというもので、合間にはショパンのピアノ曲も演奏された。

「ポーランド・フェスティバル2020 ON-LINE 」は、来年の6月頃までアーカイブを残す予定だという。


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2020年8月18日 (火)

配信公演 ロームシアター京都「プレイ!シアター」 at HOME2020 京都市交響楽団 0歳からのコンサート「ステイキャッスルはもううんざり!」+康本雅子&ミウラ1号 移動型ライブパフォーマンス「どこ行くダンス?ここいる音楽」 in ロームシアター京都+サウスホールバックステージ映像

2020年8月15日 左京区岡崎のロームシアター京都から配信

ロームシアター京都の夏のイベント、「プレイ!シアター」がコロナの影響によって今年は「at HOME 2020」としてオンラインを使っての開催となった。ロームシアター京都のホール等で公演は行われるが、観客としてロームシアターに入れるのは関係者や抽選に当たった人など最小限に絞られ、一般人はYouTubeなどを使っての配信で楽しむことになる。


午前11時からは、メインホールで京都市交響楽団 0歳からのコンサート「ステイキャッスルはもううんざり!」がYouTubeを使って配信される。
チャンネルは2つあり、ロームシアター京都のYouTubeチャンネル1では指揮者の頭に着けたカメラからの映像が流れ、クラシック専門配信サービスであるカーテンコールによるYouTube配信では、上演される人形劇を中心としたオーソドックスな映像が流れる。

指揮は垣内悠希。ロームシアター京都メインホールはステージが広いため、編成も比較的大きめだが、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラはいずれもワントップである。

コンサートマスターは泉原隆志。フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子、クラリネットの小谷口直子、トランペットのハラルド・ナエスといった首席メンバーが顔を揃えている。例年なら8月は音楽祭のシーズンであり、そちらを優先させるメンバーも多いのだが(京都市交響楽団は珍しく8月にも定期演奏会があり、宗教音楽の演奏が恒例となっている)、音楽祭自体が中止になるケースが大半となってしまっている。


糸あやつり人形劇団みのむしによる人形劇が行われ(脚本・演出はヨーロッパ企画の永野宗典と松宇拓季)、オーケストラ演奏がそれを彩っていくという趣向である。

とある国のお姫様(声はヨーロッパ企画の藤谷理子)が、城での生活に飽き飽きして国を飛び出し、ロームシアター京都の楽屋に籠城する。お付きの竜の騎士メロウ(声はヨーロッパ企画の酒井善史)と教育係のガミット(声はヨーロッパ企画の石田剛太)が音楽の力を借りて姫を城に連れ戻そうとあの手この手を繰り出すという物語である。


ロームシアター京都のYouTubeでは、先に書いた通り、指揮者の垣内悠希の頭に取り付けられたカメラからの映像が流れるのだが、カメラが揺れまくってしまっている上に、垣内の息づかいも盛大に聞こえるため音楽に集中出来ない。といういうことでカーテンコール制作のYouTube映像に切り替える。


チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」よりワルツでスタート。有名曲が多く、京響も手慣れた演奏を聴かせる。

各楽部の紹介として、弦楽器がモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」冒頭、木管楽器がチャイコフスキーの「白鳥の湖」より“小さな白鳥の踊り”、金管楽器が大野雄二の「ルパン三世」のテーマ、打楽器がビゼーの「カルメン」より闘牛士のテーマを奏でる。

その後、ルロイ・アンダーソンの「ワルツィング・キャット」、ハーライン作曲(岩本渡編曲)の「星に願いを」、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」より結婚行進曲などが演奏される。グリーグの「ペール・ギュント」第1組曲より“山の魔王の宮殿にて”の演奏の際に、“朝”とクレジットされるというミスがあったが、すぐに直された。“朝”はその次の場面で演奏された。

ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」では、視聴者もチャットに手拍子の絵文字を打ち込んで参加する。

その後は、天岩戸的な展開となり、盆踊りの手拍子が気になったお姫様がドアを開けたところをメロウが引きずり出す。作戦成功をデュカスの「ラ・ペリ」のファンファーレが祝福する。

最後は、久石譲作曲(和田薫編曲)の「さんぽ」(「となりのトトロ」より)が演奏された。


その後、ロームシアター京都のYouTubeチャンネル2で、康本雅子とミウラ1号による移動型ライブパフォーマンス「どこ行くダンス?ここいる音楽」in ロームシアター京都を視聴。ミウラ1号の音楽に乗って、ダンサーの康本雅子がコンテンポラリーダンスを披露しながらロームシアター京都内を移動する。3階共通ロビーに始まり、3階ロビー(サウスホール2階席ロビー)、2階共通ロビーなどロームシアター京都を訪れたことのある人なら見覚えのある景色が映し出されるが、ベランダなど通常は関係者以外は立ち入れない場所にもカメラが入ってダンスが行われ、配信ならではの良さも生んでいた。

ダンス公演の後は、ロームシアターのバックステージの紹介が行われ、サウスホールへののピアノ搬入の模様などが映し出される。ちなみに、例年の「プレイ!シアター」ではメインホールのステージ上や一部の楽屋などは立ち入り可となっていたが、サウスホールの舞台裏に入れる催しは行われておらず、貴重な映像である。

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2020年8月 5日 (水)

京都芸術センター ティディエ・テロン 「ラスコリニコフの肖像」

2005年8月28日 京都芸術センターフリースペースにて

京都芸術センターのフリースペースで、フランス人のダンサー、ディディエ・テロンの公演がある。テロンは今年5月に、アトリエ劇研で行われた、「GEKKEN dance selection」にも参加しており、詰め襟の学生服を着たユニークなダンスで会場を沸かせている。
今回、テロンが演じるのは、「ラスコリニコフの肖像」という作品。なによりもタイトルに惹かれる。というより、タイトルが気になって見に行ったようなものだ。ラスコーリニコフ(ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公)は、私がもっとも関心を寄せている小説中の人物の一人である。

「ラスコリニコフの肖像」の上演時間は25分ほど。テロンは滑らかで勢いのある「動」の部分と、緊張感漲る「静」の部分を演じ分ける。ノイズが観客の耳の中に入り込んできて、ラスコリニコフの焦燥感が、こちらの心にもダイレクトに伝わるかのようだ。もちろん、テロンのことなので、ユーモアにも欠けていない。
そして、突然、ノイズをかいくぐるように、J・S・バッハの『マタイ受難曲』の冒頭部分、「来たれ、娘達よ。我とともに嘆け」が流れ始め、やがてその曲が会場を支配する。殺人を犯した自分への慰めなのか、救いの響きなのか。

『罪と罰』という小説の中で、最も印象深かった、大地への口づけのシーンがあったのかなかったのかはわからない。それらしいシーンはあったが、あくまで、「それらしい」シーンであった。ただ、それが大地への口づけでなかったとしても、慚愧と悔恨の(ような)感情は上手く表現されていたと思う。

ラストでジーン・ケリーの「雨に唄えば」が流れるのは、少々、能天気な気がするが、演出意図はなんとなくわかる。


舞台公演を観るというのは疲れるものだ。何といっても舞台上から演じ手のエネルギーがビュンビュン飛んでくる。それを受け止めなけれならない。当然、こちらにも相応のエネルギーは必要であり、疲弊する。

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2019年1月22日 (火)

笠井叡 迷宮ダンス公演「高丘親王航海記」@ロームシアター京都

2019年1月11日 ロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、笠井叡 迷宮ダンス公演「高丘親王航海記」を観る。マルキ・ド・サドの紹介者としても知られる澁澤龍彦の遺作小説の舞台化。出演:笠井叡(高丘親王)、黒田育世(藤原薬子)、近藤良平(コンドルズ。安展/狂王世隆)、笠井瑞丈(笠井叡の三男。円覚/航海天文士カマル)、植村なおか(陳家蘭、蜜人、自然霊)、岡本優(秋丸)、篠原くらら(パタリヤ・パタタ姫)、寺田みさこ(春丸/迦陵頻伽)、伊佐千明、岡江麻美子、大熊聡美、熊谷理沙、政岡由衣子、矢嶋久美子、浅見裕子、野口泉、原仁美、三上周子、山口奈緒子。クリエイティヴディレクター:榎本了壱。


日本の耽美派文学の中でも独特のポジションを占める澁澤龍彦(1928-1987)。東京大学文学部仏文科を卒業後、フランス文学の翻訳家として活動を開始。翻訳、批評、小説など多ジャンルで活動している。死後に出版された『高丘親王航海記』で、1988年の読売文学賞を受賞。

私が、『高丘親王航海記』を知ったのは、1996年頃のこと。その頃は、「ダ・ヴィンチ」という月刊誌を毎月購入していたのだが、ある月のカバーを飾った佐野史郎がお薦めの一冊として推していたのが、『高丘親王航海記』であった。澁澤龍彦唯一の長編小説であるが、7つの章からなっており、個々の関連性は薄いため、連作短編集という捉え方も出来る作品である。

高丘(高岳)親王は実在の人物である。桓武天皇の子である平城天皇の三男として生まれ、一時は皇太子となるが、薬子の変で平城上皇が失脚すると同時に廃太子となり、出家。その後、唐に渡って更に天竺を目指して船出し、そのまま行方不明となっている。

平城天皇の寵妃であり、希代の悪女として知られる藤原薬子がファム・ファタルとして重要な役割を担っている作品である。

笠井叡は、生前の澁澤龍彦と交流があり、澁澤は知り合ってから笠井が渡独するまで13年間、ほとんどの舞台を観に来てくれていたそうだ。


まずは、舞台下手から舞台監督が登場し、リハーサルが行われる。流れるのはモーツァルトの交響曲第25番より第1楽章。その後、藤原薬子が現れ、「真夏の夜の夢」のパックのような格好をした秋丸が現れ、安展、円覚と船の舳先に立つ高丘親王が登場する。

『高丘親王航海記』から採ったナレーションによって、親王一行の道行が語られる。ちなみにナレーションは、千葉県市川市にある「八幡のやぶしらず」を「はちまんのやぶしらず」と読んでしまっており、意味が全く分かっていないことが明らかになってしまっていたりする。


音楽は、モーツァルトの歌劇「魔笛」のものが中心となっている。笠井自身の選曲であり、「魔笛」と「高丘親王航海記」に共通点がある(例えば、主人公が二人とも王子で、冒険に出掛けるところなど)ことから採用されたものだそうだ。他にも中国風の音楽が奏でられたり、カタロニア民謡の「鳥の歌」が二胡とピアノのための編曲版で演奏されたり、ハウスミュージックが響いたり、読経の声が轟いたりと、多彩な音楽が流れる。「蜜人」のラストでは映像も用いられる。

儒艮(ジュゴン)、大蟻喰い、獏などの動物たちは着ぐるみで表現され、陳家蘭(顔と上半身は人間、下半身は鳥という生き物)や蜜人(蜜の芳香が漂うミイラ)などはダンサー達が衣装と仕草で表す。「蜜人」での空海の登場はなしである。その代わり、笠井叡がサングラスに咥えパイプで澁澤龍彦に扮して登場する。


物語をコンテンポラリーダンスで表現するとはどういうことか、という問題がまずある。
笠井がダンス雑誌「danceposition」誌上で答えたインタビューによると、「言葉を入れるのなら小説を読めばいいとなってしまう」ということでダンス作品として編み上げるために台本を自分で書いたのだが、最初は言葉が多すぎて、それだけで120分を超える作品にあってしまっていたそうで、かなり削ってダンス込みで上演時間約120分のものに仕上げたそうだ。

ダンスというのは、人間そのものの美しさを肯定し続ける行為だと思われるが、その点において人間を賛美する耽美派文学に通ずるものがあるように思われる。ナレーションはあるが、印象に強く残るのは物語展開よりも視覚と聴覚からのハレの美しさだ。

南アジアを舞台としてエキゾティシズムと仏教を背景とした神秘感、躍動する身体のパワーとバランスの妙、各ダンサーの個性など、見所は多い。ラストは捨身飼虎であり、ゴータマ・シッダールタの前世と高丘親王の近似性が示されている。物語は時空を超えて展開されるため、「あり得なくもない」仮説となっている。

小説を読んだだけでは単なる物語上の出来事としか思えなかったことが、こうして目の前で立体的に表現されると、背後にある繋がりが把握出来るようになるという面白さもある。

カーテンコールで、笠井は、再びパイプにサングラスで登場。物真似で、「どうも、澁澤龍彦です。京都の皆さん、今日は僕の『高丘親王航海記』を観に来てくれてありがとう」と述べた。


終演後に、ホワイエで笠井叡と近藤良平によるアフタートークがある。笠井によると、ダンスは「身体自体が言葉」であるため、言葉や物語をダンスに取り入れることに苦労したと語る。
また榎本了壱の手掛けたセットに関しては、「単なるセットではなく、ピラミッドの中にあった鳥獣のような言ってみればトーテム」と語り、船の舳先のセットなども崇高に見えてくるそうである。
近藤良平は、そもそも活字が苦手だそうで、笠井が書いた「高丘親王航海記」の台本もちゃんど読んできておらず、内容も活字では上手く把握出来ず、笠井に質問してやっと理解出来るようになるそうで、「聞く人」なのだそうだ。
ちなみに、今回の公演は、笠井叡 迷宮ダンス公演と銘打たれているが、当初は「迷宮ダンス公演」ではなく普通に「新作ダンス公演」となる予定だったそうである。しかし、クリエイティヴディレクターの榎本了壱が、「この作品は、新作ダンス公演では駄目だ、迷宮ダンス公演でないと」と言ったことで、銘が変わったそうである。



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2019年1月11日 (金)

コンサートの記(502) 京響クロスオーバー「バレエ×オーケストラ」New Year Gala

2019年1月6日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、京響クロスオーバー「バレエ×オーケストラ」New Year Galaに接する。指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の下野竜也。今日のコンサートマスターは泉原隆志。少し浅めにしたオーケストラピット内での演奏である。

出演は、首藤康之(しゅとう・やすゆき)、中村恩恵(なかむら・めぐみ)、イ・ドンタク、カン・ミソン、福岡雄大(ふくおか・ゆうだい)、渡辺理恵、山井絵里奈全京都洋舞協議会メンバー。演出・振付:中村恩恵。

曲目は、第1幕が、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠れる森の美女」よりワルツ(出演:山井絵里奈全舞踏協議会メンバー)、シベリウスの「悲しきワルツ」(福岡雄大のソロ)、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」第2幕より(イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥ)、シベリウスの交響詩「4つの伝説」よりトゥオネラの白鳥(首藤康之と中村恩恵のパ・ド・ドゥ)、チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」第3幕より(福岡雄大と渡辺理恵のパ・ド・ドゥ)、プロコフィエフのバレエ「シンデレラ」第1幕よりワルツ(全員)。第2幕が、ベルリオーズの幻想交響曲より第2楽章(オーケストラ演奏のみ)、マーラーの交響曲第5番より第4楽章「アダージェット」(首藤康之と中村恩恵のパ・ド・ドゥ)、マスネの「タイスの瞑想曲」(福岡雄大と渡辺理恵のパ・ド・ドゥ)、フォーレの「パヴァーヌ」(渡辺理恵のソロ)、チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」第2幕より(イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥ)、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」(全員)。


下野竜也指揮の京都市交響楽団は、華やかで分厚く、密度の濃い響きでメインホールを満たす。下野竜也、流石のオーケストラ操縦術である。京響も予想を上回る力強さだ。

新春公演ということで、華やかな演目も多いのだが、人間の根源的な孤独やすれ違いを描いたものが複数ある。

シベリウスの「悲しきワルツ」は元々は「クオレマ」という劇付随音楽の中の1曲で、病の床に伏せる若い女性が、現れた紳士の正体が死神だと気づくことなく一緒にワルツを踊るという場面の音楽である。
今回のバレエ公演では、福岡雄大のソロで、何かを求めて思索し、彷徨うも、結局どこにも辿り着けずに戸惑う男性を描いているように見える。

プロコフィエフの「シンデレラ」第2幕よりの、イ・ドンタクとカン・ミソンのパ・ド・ドゥも、踊るときは息が合っているが、去り際にはもう心が離れてしまっている男女のようで、バラバラに退場する。「タイスの瞑想曲」のパ・ド・ドゥでも同様で、ラストでは互いの姿が確認出来ないようであり、「パヴァーヌ」のソロへと続く。

マーラーの交響曲第5番より第4楽章「アダージェット」は、レナード・バーンスタインがJ・F・ケネディ大統領追悼の1曲としてこの作品を選んだことや、映画「ベニスに死す」のテーマ音楽となったことにより「死」に結びつけられることが多い。今回の公演でも、彼女を亡くした男声が、思い出の中の彼女と共に踊るも、ラストは蘇生することはないと悟って悲嘆に暮れるという筋書きになっていたようだ。かなり印象深い舞である。

最後の「美しく青きドナウ」では、白い衣装を纏ったバレリーナ達が愛らしくも幻想的な舞で魅せ、華やかに幕を下ろす。


アンコール曲目であるヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏される中、カーテンコール。演奏終了後は下野竜也もステージに上がり、喝采を受けた。上質の公演である。京都市交響楽団も幸先が良い。


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2018年12月 6日 (木)

「破壊の子ら ―演出家・筒井潤とダンサー4人の野望」

2018年12月1日 京都芸術劇場春秋座にて

午後3時30分から、京都芸術劇場春秋座で、ダンス公演「破壊の子ら ―演出家・筒井潤とダンサー4人の野望}を観る。演出家の筒井潤が、演出と振付を行う公演。企画:山田せつ子。出演:倉田翠(akakilike)、野田まどか、福岡まな実、松尾恵美。

春秋座の舞台上に設けられた仮設席が上手と下手から空間を挟むように設置されている。両サイド(本来の客席側と舞台奥側)からカーテンが下りており、演じるスペースは細長(短冊形)になっている。開演30分前からロビー開場が行われ、客席入場は10分前から整理番号順に行われる。

午後3時30分になると、客席側にダンサー4人の舞台奥側に男性の影絵が現れる。男性がレバーを回すと回り舞台が回転を始め、女性ダンサー達の影が大きくなってから左右に分かれ始める。

ダンサーが1人ずつ回転舞台に運ばれるようにして登場し、ダンスが始まる。

「破壊の子ら」というタイトルに従って物語を読み取ることは前半に関しては出来る。女性しかわからない下ネタは、生殖行為に繋がり、女性に取っては人生で最も大切なことの一つなのだが、リアルに男と女とでは洒落にならない。しかし、女性同士なら笑いになるのである。途中で、稽古中に取られた声が入り、筒井が「何で笑ってるの?」と言っていたりする。
そして突き破って出てくるという行為は「破壊」と見ることも出来るだろう。昔は出産は死に繋がりやすく、3人が横になった1人を担ぎ上げて歩く様を「葬送」に見立てることはたやすい。動きの類似性と象徴性に鑑み「生死」を描いた、そう取ることも可能である。
ただ、後半は特にストーリー性はなく、ダンスの動きそのものに焦点を当てている。前半も物語めいたことはあったが、それも「そう見えた」というだけの可能性も高い。

私自身は、「ダンスは音楽と物語から自由になるべきだ」と考えており、ダンスの独立性を支持しているため、夾雑物になりかねない物語と音楽を排した公演であるということも納得がいく。ただ、動きのみでどれだけ見る者を魅了出来るかということでもあるのだが。


そしてこれを観た後で、「ダンス批評というのは果たして本当に必要か?」という疑問が浮かぶ。私もダンスはそれほど好きではないが、観て感想は書くし、文章として残しておくことも重要だと思っている、記録としてなら。ただダンスそのものを言葉で置き換えることは出来ないし、する意味もないとは思っている。そもそもダンスというのは他者に伝達するために始まったものではないだろう。
ダンス批評なるものを読むと、単なる公開自慰に陥ってるものがあり、薄気味悪かったりするのだが、彼らはダンスを感覚的で自己完結的な文章に置き換えることに対してなんの羞恥心も感じていないように思える。


終演後に、ポスト・パフォーマンス・トークがある。出演者は筒井潤と演劇批評家の高橋宏幸。高橋は名前をひっくり返すとミュージシャンの高橋幸宏と同姓同名になるが、今日も「高橋幸宏さん」と紹介されるも頷いていた。多分、間違えられることがかなり多いのだろう。

筒井潤は、コンテンポラリーダンスで「強度」が求められることに対して疑問を抱いたそうで、それとは違うダンスを指向したという。コンテンポラリーダンスにおける「強度」という言葉の用い方は人によって違うだろうが、動きのシャープさや迫力などを指していることが多いだろう。そうした密なものに対するある種の緩さを求めたそうだ。

筒井はダンスの経験はほとんどないため、振付自体も変なものになるそうで(本格的なダンスはしたことがないので身体的な発想が出来ない)、4人のダンサーが独自に変えたり進化させたりという作業が必要になる。ただ、そうした一種の翻訳作業を演出家である自分には教えないよう筒井は求めたそうで、そこに一種の化かし合いが起こることになる。

いわゆる「境界」にあるダンス作品である。

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2018年10月22日 (月)

京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2018 セシリア・ペンゴレア&フランソワ・シェニョー 「DUB LOVE」

2018年10月18日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後8時から、ロームシアター京都ノースホールで、京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT 2018 セシリア・ベンゴレア&フランソワ・シェニョーの「DUB LOVE」を観る。

セシリア・ベンゴレアとフランソワ・シェニョーはフランスのパリを拠点に活動しているダンサー兼振付家である。先日、ロームシアター京都サウスホールで公演を行ったロレーヌ国立バレエ団の「トリプルビル」第1作目「DEVOTED」の振付も担当している。

コンセプト:セシリア・ベンゴレア、アナ・ピ、フランソワ・シェニョー。構成・出演:セシリア・ベンゴレア、フランソワ・シェニョー、アレックス・マグラー(役割構成:アナ・ピ)。ヒップホッフ振付コラボレーション:アンジェ・クエ。ダブルプレートプレーヤー:DJ High Elements。

ジャマイカの音楽に乗せて行われるコンテンポラリーダンスである。
タイトルにもある「DUB」というのはレゲエの音響加工技術だそうで、様々な音を加工する。
1950年代のジャマイカで興り、60年代にはスカ(東京スカパラダイスオーケストラでも知られる裏打ちの高速テンポを特徴とする音楽)の要素も取り入れて、その後もロックやミニマルの影響を受けつつ発展したという。


上手側に鏡が張られており、下手から照明を照らすことで、反射した光が下手の壁に影を作る。舞台上のダンサー、上手の鏡像、下手の影の3つが平行して進む形になる。

8分の6拍子の音に合わせてまずフランソワ・シェニョーが登場。 2番手がアレックス・マグラー、ラストがセシリア・ベンゴレアという順に登場。
思い思いの振りで踊った後で、同じ仕草で踊り始める。

その後、3人とも爪先立ちでバランスを取った後で、3人が肩を組み、しゃがんで右足を上げたり、男性ダンサー2人の支えで、セシリアが上体を反らせつつ移動したりするなど、バランスの芸が行われる。

バランスを取るには相手に合わせる必要があるため、この時点で「愛」である。

ちょっとした休憩タイムの水入り後で、3人のダンサーがDJに合わせて歌う。メロディーよりリズム優先で、即興性に富む。

その後も、4分の4拍子のスカのリズムに合わせてダンスが行われ、やがてスカが後退すると全員同じ振付になり、バランス芸が再び現れた後で、爪先立ちで肩を組んだ3人がソロリソロリと退場して終わる。あたかも鏡像のように、あるいはバッハの音楽のように遡行されて。


描いているものはシンプルなのであるが、演劇にしろ音楽にしろ映画にしろ、単純なものを単純に描くのは案外難しい。その点、コンテンポラリーダンスは簡単なものを簡単に表現することに長けている。それがダンスの強みでもある。

今日は満員札止めの観客がDJも含めた4人を大いに称えた。



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2018年10月 6日 (土)

春秋山荘観月祭2018 山田せつ子ソロダンス 「月を聴く 竹に舞う」

2018年9月24日 山科区の春秋山荘にて

山科区の山奥にある春秋山荘というところで行われる観月祭で、山田せつ子のダンス公演が行われるというので出かけてみる。山科の北の果てともいうべき場所にあるのが毘沙門堂だが、春秋山荘は更にその奥にある。

山科川に沿って北西に進む。右手、やや高いところに建つのが春秋山荘である。
午後5時過ぎに到着。山田せつ子のダンス公演は午後7時頃の開演で、しばらく時間があるので、辺りをぶらぶらする、といっても特筆すべき何かがあるわけではない。
庭で絵画の制作が行われており、山の上ではかがり火が焚かれているのが見えるが、ダンス公演はかがり火の付近で行うようだ。

山田せつ子ソロダンス「月を聴く 竹に舞う」は裏山の中腹にあるスペース(月逍台という名が付いているようだ)で行われる。急坂を上り下りする必要があり、注意していないと足を取られる可能性がある。

竹林の中、竹を横に並べた木琴(竹琴?)状の舞台の上で舞踏が行われる。音楽は用いられず、秋の虫の声のみが通奏低音となる。
木琴状の竹舞台の上で山田が仰向けになった状態から公演スタート。竹の上でステップを踏んだり、立っている竹に抱きついたりした後で、公演を観に来ていた岩下徹と手でサインを交わす。その後、竹舞台から降りた山田がかがり火に近づいてから再び岩下と手で会話を交わす。そして岩下もダンスに参加。山田と岩下二人の関係性の変容が繰り広げられる。最後は、山田一人のダンスに戻って終了したが、その後、中庭で第2部が展開される。山田と岩下による陣取りゲームのようなダンスで、幣に見立てた小枝の受け渡しが行われたりする。ラストは石の上に老男女にように寄り添って公演は終わった。投げ銭制の公演であり、スタッフが持った籠に観客達がお金を投じる。参加者となったはずの岩下徹もお金を入れていて、ちょっとした笑いを誘っていた。

その後、月の出を待つが、雲が多く、主役は姿を現さない。
春秋山荘を後にし、毘沙門堂の前まで来たところで月がようやく顔を覗かせる。その後、山科駅まで月と一緒に歩いた。


十五夜 山科にて

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