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2025年12月31日 (水)

コンサートの記(937) びわ湖ホール プロデュースオペラ コルンゴルト作曲「死の都」 阪哲朗指揮京都市交響楽団ほか

2025年3月2日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

大津へ。午後2時から、びわ湖ホール大ホールで上演されるコルンゴルトの歌劇「死の都」を観るためだが、午前11時から、演出家の岩田達宗によるワークショップがあるというので、それも聴くために早めに家を出る。ワークショップの会場は大ホールで、自由席、先着順である。誰もが知っている有名オペラではないので、多くの人が押し寄せるということはなかったが(オペラ自体マイナーなので有名オペラでも多くの人は来ないかも知れないが)、それでも「知られざる傑作」としてある程度の知名度はある作品なので、まあまあの入りであった。

びわ湖ホールの館長である村田和彦からの挨拶とびわ湖ホールの四面舞台の紹介があり、その後、岩田達宗のトークとなる。今回の「死の都」は、「竹取物語」、「三文オペラ」同様、オペラ演出家の栗山昌良が演出を担当した歌劇作品の再現を目指して上演が行われるもので、岩田達宗は再演演出となっている。ただ岩田さんから直接伺った話や、びわ湖ホールのSNS記事によると、特別な演出はしないで、どちらかというと演技指導を行っているような印象を受ける。栗山昌良に師事した岩田達宗であるが、生前の栗山から「演出家が自分の色を出すんじゃない」と何度も言われていたそうで、それを考えると栗山が施した演出を再現するだけと考えるのが普通であろう。実際、自分のことを「演出補」と語っていた。
まず、歌劇「死の都」から。コルンゴルトが23歳の時に書いたオペラであり、初演からしばらくは大成功を収めていた作品である。原作はローデンバックの『死都ブリュージュ』。ただ、直訳すると『死 ブリュージュ』で、「これでは収まりが悪い」というので、『死都ブリュージュ』としたようである。「死の都」というも良いタイトルだが、ドイツ語のタイトルを直訳すると「死の町」で(歌詞には「死の町」という言葉が登場する)、ちょっと味気ないので、『死都ブリュージュ』から取って、「死の都」というタイトルになったようだ。今間違えて、「四宮(しのみや)」と打ってしまって直したのだが、四宮という駅は京阪京津線に存在する。
原作は、ベルギーの斜陽の街、ブリュージュ。ひきこもりの男性が愛する女性を殺害するというだけのもので少し味気ないので、台本作者のパウル・ショット(正体はコルンゴルトの父親のユリウス・コルンゴルト)とコルンゴルトは、幻想劇のような作品に仕上げている。今もある夢オチ。比較的評判の悪い手法だが、本格的な夢オチを行ったのは「死の都」が初めてだそうである。「全てが夢でした」という意味での夢オチのようなものはそれまでもあったが、ジークムント・フロイトの『夢分析』の影響を受けて、「夢には意味がある」とした上での夢オチを積極的に使ったのが「死の都」となるようだ。

栗山昌良は、1925年生まれ。ということで、生きていれば100歳になる年だったという。ということもあって、世代的にオーソドックスな演出家と評する向きもあり、栗山昌良本人もそう評価されることを喜んだというが、実際の作風はアヴァンギャルドで、表現主義をベースにしたものであった。「演出家は自分の色を出すな」とは言ったが、「死の都」冒頭の主人公の部屋に関する長いト書きは全く守られていない。ただこれも無視したのではなく、内容を抽出した結果だそうである。幕を上げて、第1幕第1場のセットを見せたのだが、指示とは全く別の部屋が目の前にある。
演技も写実を嫌い、二人の人物が向かい合って喋ることすら「写実だから」と嫌ったそうである。
稽古に関しては、「昭和の人は説明をしない」ということで、細かい指示は出さず、「もう一回、もう一回」を何度も繰り返していたそうだ。何が駄目なのかを聞いても答えはないそうである。現役の演出家としては岩松了が同じような演出を行っていると竹中直人が明かしたことがあり、高岡早紀が稽古場の隅で涙を拭っていたという話が思い起こされる。
さて、「死の都」であるが、1920年にハンブルクとケルンで同時初演されているが、その直前に第一次世界大戦があり、約3400万人が戦死。その約3分の2が兵士などではなく民間人であり、廃墟のようになった街が「死の都」に重なって見えたことは大きかったようだ。その後、第二次世界大戦では全世界で約Ⅰ億人が死亡。しかし、その後、ヨーロッパは戦争をしなくなった。しょっちゅう戦争を起こしており、イメージとは違って野蛮な場所であるヨーロッパであるが、80年以上戦争がないというのはヨーロッパ史上稀なことである(東欧などは含まない)。
「死の都」には有名アリアがあるが、それよりも第3幕のマリエッタのアリアを聴いてほしいとも語っていた。

 

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、現在のチェコのブルノ(モラヴィアの中心都市である)生まれのオーストリア=ハンガリー二重帝国出身の作曲家。幼少期から楽才を発揮し、ヴォルフガングというミドルネームから「モーツァルトの再来」と呼ばれ、マーラーなどにも激賞されている。しかし、ナチスが政権を取ると、彼の人生は暗転。ユダヤ系であったためアメリカの亡命したが、アメリカでは彼のクラシック音楽は受けず、生活のために映画音楽の作曲に進出。こちらでは好評を得た。オーストリアに帰る機会もあったが、前衛の時代に彼の作風は「時代遅れ」と見なされるようになっており、受け入れられることはなかった。映画音楽は当時は格下扱いであり、そのことも影響した。アメリカでも終生、クラシックの作曲家としては評価されず、アメリカに多い毒舌評論家から、「KORNGOLDは、ゴールドではなくてコーンだ」などと揶揄された。若き日の栄光を取り戻せないまま60歳で死去。
1990年代半ばに、アンドレ・プレヴィンやフランツ・ヴェルザー=メストといった有名指揮者がコルンゴルト作品をレコーディング。ようやくコルンゴルト再評価なるかと思われた直後にピアソラ・ブームが起こってしまい、コルンゴルトはどこかに飛んでしまった。運のない作曲家であるが、びわ湖ホールで「死の都」が上演されるのと同時に、九州ではコルンゴルト作品を集めたコンサートが行われており、今度こそは広まるかも知れない。

そんな中、「死の都」だけは知名度が高く、映像も数点出ている。
ちなみに、「死の都」の演奏会形式での日本初演は、1996年に井上道義指揮の京都市交響楽団が行っており、演出ありのオペラ形式での日本上演は、2014年に沼尻竜典指揮京都市交響楽団によってびわ湖ホール大ホールで行われており、この時の演出が栗山昌良である。

 

 

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホール プロデュースオペラ コルンゴルト作曲「死の都」を観る。2014年にびわ湖ホール大ホールでオペラ形式での日本初演が行われた作品である。びわ湖ホールの芸術監督である阪哲朗指揮の京都市交響楽団(コンサートマスター:泉原隆志)の演奏。Wキャストで、今日の出演は、山本康寛(パウル)、木下美穂子(マリー/マリエッタ)、池内響(フランク)、山下牧子(ブリギッタ)、小川栞奈(おがわ・かんな。ユリエッテ)、秋元悠希(ルシエンヌ)、島影聖人(しまかげ・きよひと。ガストンの声/ヴィクトリン)、迎肇聡(むかい・ただとし。フリッツ)、与儀巧(よぎ・たくみ。アルベルト伯爵)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル。児童合唱は、大津児童合唱団。演出:栗山昌良、再演演出:岩田達宗。

舞台下手側がパウルの部屋。上手側が幻の教会(神殿)となっている。
パウルの部屋の奥にマリーの巨大な肖像画が掛けられている(木下美穂子をモデルにしたもの。昨日は昨日のマリー役である森谷真理をモデルにした絵だったようである)。
ブリギッタとフランツの二人の場面なのだが、絵の事柄に関するものなのに二人とも絵に背を向けて歌う。これが栗山流の写実でない歌い方のようだ。
ブリュージュに住むパウルは、妻のマリーを失ったのだが、友人のフランクには「マリーが戻ってくる」と語る。マリーを見かけたというのだが、それはマリーに似たマリエッタという踊り子であった。パウルは彼女が何者なのか分からないまま家に呼ぶ。
マリエッタがパウルの部屋を訪ねる。マリエッタはパウルがマリーという女性を自分の中に見ていることに気づき、部屋を後にする。やがてマリーの亡霊が現れる。

びわ湖ホール館長の村田和彦が、四面舞台の話をしていたが、第2幕では、その機構を生かし、これまでの舞台が奥に引っ込んで、下から新たなセットが現れる。三段になったヘアピンカーブである。ここでマリエッタの一座が余興のようなものを繰り広げる。
さて、いつからパウルが夢、または幻覚の世界に入っていったかであるが、第2幕ではブリギッタが「修道院に入る」と言って出て行くシーンがある。しかし現実にはブリギッタはパウルの屋敷で女中を続けており、この時点で夢であることは確かである。友人のフランクもマリエッタへの思いを語るのだが、これも夢か幻である。更にいうならその前にマリーの姿(幻覚)を見る場面がある、ということで、大半が夢の中での出来事となる。

絵空事が繰り広げられる訳だが、それこそが実はパウルの欲していたことであり、フランツはこのままではいけないとブリュージュを去るようパウルに告げるのだと思われる。「ブリュージュを離れられない」というパウルの真意は「マリーから離れられない」であり、街と一体化した「今の自分を離れられない」である。そこから出るのだ。

 

阪哲朗指揮の京都市交響楽団が輝かしくも重厚で、かつ瞬発力もある演奏を展開。プッチーニ(おそらくペンタトニックは使っていると思われる)やワーグナー、モーツァルトにリヒャルト・シュトラウスと、様々なオペラ作曲家に影響された響きや旋律が登場するが、いずれも「リアル」な音として鳴り響く。この場ではこの音が鳴らなくてはならないという、説得力に満ちた演奏だ。
退廃的でミステリアスで、それでいて魅力的という音楽である。1920年に初演された作品だが、世紀末的な彩りがあるのは、やはりフロイトの影響を受けているということもあるのだろうか。あるいは初の世界大戦が終わり、次の世界大戦前夜の荒廃した思い故だろうか。
阪の指揮する京都市交響楽団は、おそらく日本初演時の沼尻竜典指揮の時よりも妖艶な音を奏でているような気がした。

オペラ形式の初演も観ている「死の都」。記憶には余り残っていないが、コミカルな部分に関しても、初演時と同じなのかは不明である。

ラストでは、パウルはマリーへの未練を見せるが、今回の演出ではそれほど執着はなく去って行く(例えば、チェーホフの「かもめ」の主人公、トレープレフとは好対照である)。ブリギッタが一人残り、前方に置かれた燭台を手にし、また後ろに下がる。そして幕が下りる。このブリギッタの動きは台本にはなく(ブリギッタはフランツと共に退場することになっている)、オリジナルである。

 

演出家の岩田達宗さんとは、2幕と3幕の間に話をした。

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2025年12月20日 (土)

京都市交響楽団・京都コンサートホール・ロームシアター京都「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」

2025年12月19日 ロームシアター京都ノースホールにて

午後7時から、ロームシアター京都ノースホールで、「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」を聴く。

京都市交響楽団の常任指揮者である沖澤のどか、そして京都を拠点に絵本やポスターなどの絵画制作を行っている夫婦二人組、tupera tuperaを招いて行われるトークショー。女性の方が司会を務めたが、残念ながらお名前は頭に残らず。

ロームシアター京都は来年、開場10年を迎えるが、それを祝した2026年1月10日と11日に行われる「プレイ!シアター」のポスターもtupera tuperaが手掛けているという。「なるべく色々な人を描いたということだが、沖澤は「自意識過剰かも知れませんが私もいるような」と発言。実際、沖澤をモデルにした人が描かれている。ただ遠目なので「指揮者」としか分からないかも知れない。髪が長いので、「ひょっとしたら女性かも」と思うかも知れないが、男性指揮者も髪が長い人は多い。なぜ男性指揮者も髪を長くするかだが、松尾葉子が学生時代の山田和樹に、「指揮者は大きく見えなければいけないと」言い、山田をそれを汲んで学生時代はパーマを掛けていたという話があるため、そうしたことと関係しているのかも知れない。

 

沖澤のどかは、次の日曜日にロームシアター京都メインホールで、「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、これがロームシアター京都でのデビューとなるそうである。
青森県生まれ。東京芸術大学および同大大学院修了。コンクール歴などは語られなかったのでここでも記さない。ベルリン在住。二児の母である。

tupera tupera(ツペラ ツペラ)は、京都に拠点を置く美術ユニット。メンバーは、亀山達矢(三重県伊勢市出身。武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒)と中川敦子(京都府出身。多摩美術大学染織デザイン科卒)の二人。10年ほど東京で活動していたが、「今の時代、東京じゃなくても仕事出来るよね」。ということで移住を決意。中川が京都府出身、亀山も伊勢市出身で京都には馴染みがあるということで、京都市に転居。子どもが二人いたが、「秒の速さで京都弁を覚えた」そうである。亀山は、「京都に来てから東京に行く楽しみが増えた」と語る。今も関西在住の友達より、東京にいる友達の方が多いが、離れている分、会える喜びが増すようだ。

亀山は、小学校1年生の時に出した絵が伊勢市で1等を取ったのだが、実は失敗作だったらしい。だが、賞を取ったことで親から絵画教室に通うように言われ、嫌々通っていたそうだが、高校に進み、進路を考えた時に過去を振り返って、「やっぱり美大がいいんじゃないか」という結論に至り、今に至るまで美術の仕事をしているという。

 

沖澤のどかは、田舎で育ったので、虫取りをしたりツララにかじり付いたり、「ワイルドな」子ども時代を送ったそうである。チェロを習っている姉がおり、沖澤も小学校3年生の時からチェロを習い、小学校5年生からジュニアオーケストラに入ったそうである。ただチェロの練習は苦手で、独習は集中力が続かなかった。ジュニアオーケストラに入ってからも、「弾く真似をしてたら隣で上手い子が良い音で弾いてくれる」というので弾いている真似ばかりしていたそうだ。技術は当然ながら上達しなかったが、オーケストラは好きになったそうである。沖澤は子供用のチェロを弾いていたため、「音大目指すならお姉ちゃんと同じ立派なチェロを買ってあげるよ」と言われたが、当時は音大に行くほど音楽が好きになるとは思っていなかったため、良いチェロを手に入れる機会を逃したそうである。
高校ではオーボエに励んだが、オーボエは学校からの貸与。「自分のオーボエが欲しい」と思ったが、オーボエは高価。そこで、「指揮棒だったら手に入る!」というので指揮者になる決意をしたそうだ。「持たない人もいますけどね」と沖澤は続けていた。ヘルベルト・ブロムシュテットや尾高忠明は若い頃は指揮棒を使って指揮していたが、今は専らノンタクトである。小澤征爾も晩年はノンタクトが増えた。ピエール・ブーレーズのように指揮棒の存在を否定する人もおり、ブーレーズの影響を受けたフランスの指揮者にはノンタクトで振る人も多い。

外国で、tupera tuperaが京都在住と知れると、あちらこちらから、「京都なの? 京都の良いところ教えて?」と質問攻めにあうそうだが、みんな京都という街の存在は知っているようである。沖澤も京都でオーケストラのシェフをやっていると自己紹介すると、「京都の良いところ教えてよ」とやはり同じような結果になるようである。

沖澤も京都市交響楽団から常任指揮者の話を貰った時は、「わーい、京都に行ける」と無邪気に喜んだそうだ。「修学旅行以来」。ただ、常任指揮者の仕事は忙しく、まだ嵐山のモンキーパークと京都水族館、大徳寺にしか行けていないそうで、京都マスターにはほど遠い。大徳寺も塔頭巡りなどではなく、そばにある和菓子の店に娘と入っただけのようだ。京都市交響楽団を指揮する時は、一家で京都の民泊を行うそうで、近所での買い物ぐらいは出来ているようである。ちなみにようやく巡ってきたシェフの座なので、「受けない」という選択肢は、はなからなかったそうである。
なお、自炊はするが料理は得意ではないそうである。「料理が得意な指揮者も多いんですけれど」と沖澤は語っていたが、チョン・ミョンフンのように料理本を出している人もいる。
指揮者の常として、次回振る曲が頭の中で鳴っていたり、雑音が気になったりするそうだ。ベルリンは「大きな田舎」のような街で、快適に過ごせているそうだが、学生時代を過ごした東京は雑音だらけで、ずっと鬱々としていたらしい。最初は芸大から遠い、おそらく家賃の安いところで暮らしていたが、雑音に耐えきれず、大学のそばに引っ越したという(東京芸術大学は、東京の中でも駅前以外は閑静な上野にある)。京都は雑音がしないので快適だが、それでも街中は避け、出雲路の練習場の近くに民泊し、自転車で通っているそうだ。
ちなみに京都市交響楽団のコンサートマスターである泉原隆志も自転車通勤なので、京響は大都市にありながら常任指揮者とコンサートマスターが自転車通勤という風変わりなオーケストラということになる。
沖澤は、自宅にテレビもラジオもCDプレーヤーもないそうだ。昔、シャルル・デュトワは「好きなCD」について聞かれ、「私はCDなどというものは聴いたことがありません」と答え、質問者は「冗談なのかふざけているのか」と思ったそうだが、この調子だと実際にCDを聴いたことがない音楽家は結構いそうである。パーヴォ・ヤルヴィのように「朝比奈隆のブルックナーのCDは全部持っている」というCDマニアもいるが、自分の頭の中にある音を優先させる人もいそうである。

沖澤は、京都での音楽の展望について、「私はいかないんですけれど京都市交響楽団の方が」京都府内のあちこちでミニコンサートを行う計画があるということを話す。今年は沖澤は振らなかったが、京都市内各所の文化会館でまた指揮する予定もあるようだ。
展望とは余り関係がないが、沖澤が新しい「常任指揮者発表記者会見」に臨んだとき、ニコニコ生放送による中継が行われたのだが、後でニコ生のコメントをチェックしたところ、「十二単似合いそう」というコメントがあって嬉しかったそうである。司会者の方が、「着物を着て指揮したことのある方っていらっしゃるんでしょうか?」と聞き、沖澤は「ないです。演奏する方はいらっしゃいますけど」と答えていた。わざわざ着物を着てオーケストラを指揮するというのは絵面としても滑稽であり、単騎西洋文明に挑むドン・キホーテのようでもある。「意味がない」の一言でも済ますことが出来る。

海外での話としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーはティンパニなどのすぐ後ろが客席となっていて、足で音楽を感じられるだとか、先日、ボストン交響楽団に客演した際には、女性チェロ奏者が演奏中に「So Wonderful Sound!」と叫んでいたという話をしていた。「本人は自分が声を出したと気付いてないと思うんですけど」ということで無意識に言葉が出たのだろうとのことだった。

 

亀山は、絵本だけが売り上げが右肩上がりで、他の書籍は電子書籍に食われていると語る。
絵本はめくる行為が重要な意味を持っており、紙の書籍でないとそれは出来ないため、絵本だけが電子書籍に勝っている要因なのではないかと分析していた。

 

中川は、AIの台頭に危機感を覚えていた。今年に入ってから、YouTubeなどで、「実在なのかAIなのか分からない」レベルの人物が溢れるようになってきている。音声読み上げソフトのレベルがまだ低めで、いかにも「文章をコンピューターで読み上げました」といったセリフ回ししか出来ていないため、音声なら見分けは付くし、シナリオも誰でも思いつくような低レベルのものが多いが、こうした中途半端な出来であっても満足してしまう人はいるだろうし、そうした人は嘘も拡散してしまう。見分けのつく人は拡散しないので、ネット上は嘘が上位になってしまう。そしてこの程度のクオリティでも娯楽として商品化したり消費したり出来るのも問題である。

生身の人間が演じる演劇には影響は余りないだろうが(劇場に来ずにYouTubeばかり見ている人が増えるという間接的な影響はあるかも知れないが)、映画やドラマなどは、主役級や重要な脇役陣は流石に俳優に任せるが、端役などはAIが務める時代が来てもおかしくない。AI俳優は危険なアクションに挑んでも怪我をしない。

ただ生身の俳優に出来てAI俳優に絶対に出来ないことが一つだけある。アドリブだ。AIはコンピューターが規定した予定調和の言葉しか喋れないし動けない。アドリブなど即興性の高い演技を行えるのは人間の俳優だけだ。
このところ、アドリブや即興を重視した演技について語る俳優が増えており、彼らはアドリブが巧みだ。決まり切ったことを決まり切ったように行うのがAIの得意技。NGも出さないだろう。だがそこに本当の面白さはないのではないだろうか。
即興の巧みさが演技のバロメーターになる日が来るような気がする。いや、もう来ているのかも知れない。

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2025年12月 3日 (水)

これまでに観た映画より(414) 日本映画「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」アベラヒデノブ監督&武田梨奈さん舞台挨拶付き上映

2025年10月18日 大阪・十三の第七藝術劇場にて

大阪へ。
十三(じゅうそう)の第七藝術劇場で、映画「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」の舞台挨拶付き上映を観るためであるが、阪急十三駅の外に出るのは、実に20年ぶりぐらいである。阪急十三駅ではしょっちゅう降りているが、基本、神戸線、稀に宝塚線に乗り換えるためで、十三駅を目標として阪急電車に乗ったことは久しくなかった。
チケットはネットでの事前申し込み。発券機に予約番号と電話番号を入れるとチケットが発券される。

第七藝術劇場は、サンポードシティビルの6階にある大阪の老舗ミニシアター。何度か閉鎖に追い込まれているが、映画好きの尽力によって再建されている。尖った企画も多く、大阪の中でも特にファンの多い映画館とされる。

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今日観る「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」は、アベラヒデノブが、2017年に撮影した作品。5日ほどで全編を撮影したという。タイトルは英語で「袋とじ」という意味であるが、武田梨奈が演じる女性が袋とじを開けるのを特技としているほかに、外国とは違った「日本の流儀=ジャパニーズスタイル」が存在することも意味している。主演した吉村界人と武田梨奈も企画で参加している。劇場公開は2022年。

大晦日。画家の茂田を名乗る長谷川平太(吉村界人)は、元カノをモデルにした作品の目を描くことが出来ずにいた。共同での展覧会で発表する必要があり、長谷川が作品を出さないと展覧会は中止になって、損失は長谷川が埋めることになる。タイ人の知り合いが運転する自動三輪タクシー(トゥクトゥク)で、元カノと別れた空港に向かった長谷川は、倫(りん)という女性(武田梨奈)と出会い、行動を共にすることになる。倫には8歳の時に父親に捨てられた苦い記憶があるのだが、その父親が自分と同い年の中国人女性と再婚することを知らされていた……。

羽田空港と横浜の街で撮影が行われており、中華街やみなとみらい地区の観覧車など横浜の名所が映っている。

元カノの幻影から逃れられない男と、父親から受けた傷と向き合う女の物語である。二人は気が合いそうにも見えるのだが、ラストシーンの後でアメリカに共に向かったのかどうかは観る者の想像に任されている。倫は空港で誰でも出来るようなアルバイトをしており、失うものは何もないため、一緒に行きそうな予感は感じられる。

怒りを抱えている登場人物が多く、カリカリしたようなひりついた感じを受ける映画で、観ていて良い印象は受けないのだが、撮影現場でもそうしたカサついた空気はあり、喧嘩などもしながら撮っていったそうで、それが映画に影響しているのだろう。現場の空気が反映されているという点では成功作と言える。

 

終映後、アベラヒデノブ監督と、主演女優の武田梨奈による舞台挨拶。「虎に翼」では、金持ち弁護士の遺産を独り占めにしようと謀る愛人役を演じていた武田梨奈。生で見るのは初めてだが、想像以上にスポーティーな印象を受ける。スポーツを欠かさずにしている人が持つ雰囲気で、肩周りの盛り上がりなどもそれを裏付けている。空手家でもあり、「芸能界最強女子」とも言われる人だが、柔らかい感じで、自分から行くタイプではないことが分かる。

 

限られた時間での舞台挨拶であったが、アベラヒデノブ監督は大阪芸術大学映画科の出身で、第七藝術劇場には学生時代から思い入れがあったことを述べた。
武田梨奈は、先に記した通り映画が短期間で撮られたことと、現場の雰囲気について述べていた。また二人によると、「上映出来る場所があるかどうか分からない」状況で撮影が始まり、とにかく撮るというスタイルで進んでいったのだが、アベラヒデノブ監督が行方不明になる事件があったそうである。脚本に不備が見つかったため、漫画喫茶に閉じこもってずっと脚本を書いていたそうだ。

 

 

約20年ぶりの十三の街。大阪市の中でも下町の色が濃い場所である。一般の店のみならず、コンビニも出店を設けて声を張り上げている。コンビニがこうしたことを常時行っているところは日本でも余りないはずだ。
メインストリートを少し外れた所に神津神社という社があったので参拝してみる。高木彬光の神津恭介シリーズが好きな人には聖地になりそうだが、今の日本で神津恭介のファンがどれだけいるのか不明である。明智小五郎や金田一耕助のファンは多いだろうけれど。

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2025年10月 6日 (月)

これまでに観た映画より(403) 「Voice from GAZA ガザからの声 Episode:Now」

2025年10月3日 烏丸御池のアップリンク京都にて

烏丸御池、新風館地下のアップリンク京都で、「Voice from GAZA ガザからの声 Episode:Now」を観る。アップリンク代表の浅井隆によるアフタートーク付きでの上映。

「Voice of GAZA ガザからの声」は、アップリンクとガザ地区の映像会社との共同制作として今年に入ってから始まったドキュメンタリーによる政策作品で、映像を通してイスラエルのネタニヤフ政権を国際的に孤立させることで終戦に持ち込もうという狙いがあるようだ。今日のアフタートークは、アップリンク京都と東京都武蔵野市のアップリンク吉祥寺をネットで繋いで行われた。

イスラエルが、ガザ地区への本格攻撃を開始してから2年近くが経つが、それ以前からイスラエルとガザの関係はくすぶり続けてきた。だが、イスラム教原理派のハマスがガザ地区を制圧してからは、イスラエルも一気に態度を硬化させ、ガザのパレスチナ人掃討を狙い始める。
「ガザ地区の北部を攻撃するので住民は南部に移動するように」との突然の要求。そんなことに急に対応出来るはずがないのを承知で、一応は人道的措置をとったように見せかけるという本来の意味での姑息なやり方であった。

「ガザからの声」は、まず、今年の春に「Episode1」が撮られ、イスラエル軍の攻撃により手や足を失いながらそれでもスポーツ選手になりたいと夢見る少年が主人公。「Episode2」はガザ地区で音楽を教える男性の複雑な心境を描いたものだったという。再上映される予定のようだ。

戦争ものというと、軍人の英雄視と悲劇、住民の日常と惨劇などがよく描かれるが、戦時中ではあっても我々のように日常的に好きなものに打ち込んだり、夢や希望を描く人がいる。世界が小さくなり、ガザ地区と日本とで共同でのドキュメンタリー映画が制作出来るようになったから分かることも多く、我々は多くのものを見逃してきたのかも知れないと、今日のドキュメンタリー映画を観て思った。

本来は、「家族」をテーマにした「Episode3」として公開する予定だったが、10月の頭から再びイスラエル軍が軍事行為を活発化させており、ガザ地区の北部に「北部の残る者は容赦なく殺害する」と書かれた紙を空から大量にばらまき、またカッシ国防相が「ガザ市に残る者は全員ハマスのテロリストと見なす」という事実上の皆殺し宣言を行った。民間人は南部のハーンユーニス市に集まるよう指示されており、狭いところに追い込んで一気に殲滅という手は見えているのだが、今すぐ殺されないようにするためには向かう以外の選択肢はなく、何らかの助けの手が差し伸べられるのを待つしかない。
なお、パレスチナ住民には「パレスチナは今のままアラブ人のための土地にするよ」、ユダヤ人には「パレスチナの古代イスラエル王国とユダ王国があった場所に、ユダヤ人のための国を建国するよ」と二枚舌外交を行った真の悪玉であるイギリスは、パレスチナ自治州を国家と承認。フランスも追従した。
一方でユダヤが強い力を持つアメリカ(元々はWASP一強だったが、経済面でそれらを十八番とするユダヤ人が台頭。ナチスドイツがユダヤ人の迫害を始めてからは、ナチス勢力下にいた多くの有能なユダヤ人ビジネスマンや経営者がアメリカに亡命。世界一の経済大国の座を揺るぎないものにしている)はイスラエル支持。バラク・オバマ元大統領もXで「イスラエル人大量虐殺を行ったハマスが悪い」とかなり強い口調で批難のポストを行っている。
アメリカに守って貰っている立場の日本はこういう時には弱く、アメリカに従うしかないということで属国 であることを自ら現している。

多くの車が海沿いの道を北から南へと走っている。北爆(と書くとベトナム戦争のようなので北部攻撃と書くべきか)が予告されたため、南部の都市へと一家総出で脱出の最中なのだ。だが、道は狭く、北へ向かう車もいるため遅々として進まない。

そんな中、とある一家は車道の傍ら、海沿いの場所にテントを張ってそこで暮らすことに決める。日本と違い、ガザ地区の家は子だくさんであることが多い。隣にもテントがあったが、そこの住人も子ども達もすぐに彼らを受け入れている。アラブ人同士ならこんなにもスムーズなのだ。

子ども数人に対するインタビュー映像もあるが、みな、北部に住んでいて家を失い、ひどい人になると何度も何度も住む場所を焼かれたそうだが、それでも次の場所で元気に生きようと目をキラキラさせている。先進国の人達よりもこうした面では逞しい人が多いような気がする。

水であるが、海から調達する。「塩分を蒸発させなければいけないのでは?」、「濾過しないと飲めないのでは?」と思うが、普通に飲んで調理に使っている。地中海なので、太平洋や日本海、瀬戸内海などの日本の海とは塩分濃度が異なるのかも知れない。この辺はよく分からない。
土を掘っている、もう若くはない男性がいるが、そこに埋まっているビニール袋などをエネルギー資源に用いているそうだ。

目を輝かせて遊ぶ子どもたちや、父と幼い娘の姿を見ていると、ただ単に「ガザ地区攻撃反対!」や「SAVE GAZA」を表明するよりも、誰のため何のために支援をどうやって行うかが至上命題であることが明白になる。そしてそれらは、「自分のための正義」ではない。2025年10月3日を生きている意味がクッキリと形をなし、時代と共に在ることが実感される。

こういうことをトークの時間に言えると良かったのだが、目立つのが嫌なので言えなかった。

今日は編集が十分でなく、字幕も一部しか出なかったということもあって、料金は1500円均一であったが、完成したものを10月下旬に公開する予定であること、「Episode1」と「Episode2」も再上映が決まっていること、売り上げは全てこれからの「ガザからの声」の制作費(ガザ地区の制作責任者はムハンマド監督)に回すことなどが発表された。

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2025年9月20日 (土)

これまでに観た映画より(400) 伊藤沙莉主演「風のマジム」

2025年9月12日&18日新京極のMOVIX京都、9月14日 梅田の大阪ステーションシティシネマにて

日本映画「風のマジム」を観る。実在の人物をモデルに、原田マハが書いた同名小説の映画化。監督:芳賀薫(男性)、脚本:黒川麻衣、企画プロデューサー:関友彦、音楽:高田漣、主題歌:森山直太朗「あの世でね」。5人とも私と同世代である。
出演:伊藤沙莉、染谷将太、シシド・カフカ、富田靖子、小野寺ずる、橋本一郎、眞島秀和(ましま・ひでかず)、なかち、下地萌音(しもじ・もと)、玉城琉太(たましろ・りゅうた)、肥後克広、川田広樹(ガレッジセール)、尚玄、滝藤賢一、高畑淳子ほか。
沖縄が舞台。契約社員の女性が、ベンチャーコンクールに応募したことで、沖縄のサトウキビを原料にしたラム酒を開発し、子会社の社長にまで上り詰めるサクセスストーリーであるが、主人公の伊波(いは)まじむ(伊藤沙莉)がギラギラした女性ではないため、爽やかな余韻を受ける。まさに「風のマジム」だ。

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まじむの祖母(おばあ)、伊波カマル(高畑淳子)が豆腐を作る音が、画よりもまず印象に残る。その後、まじむの母(おかあ)であるサヨ子(富田靖子)が朝食の準備をし、まじむが起きてきて、サヨ子に言われたことをやっているうちに、まず、まじむが主題歌の「あの世でね」をハミングし、サヨ子やカマルがそれにつられるようにユニゾンする。印象的な冒頭である。その後、森山直太朗が歌う「あの世でね」のアンプラグドバージョン(全編は分からないが映画で使われるのはアコースティックギター弾き語り)が流れ、映画のラストでは弦楽器が盛大になるフルバージョンが流れる。
更には、高畑淳子と富田靖子が二人で、「てぃんさぐぬ花」を歌う場面もある。なお、まじむには父親がいないが、そのことに関しては特に触れられていない(原作には書かれている)。

おばあ役の高畑淳子の見事なウチナンチューぶりが特筆事項。逆に、「あれヤマトの役者だよ」と言われても「嘘でしょー」と言われる水準である。余談であるが、高畑淳子は脚本が読めないタイプだそうである。脚本を一から読むと寝てしまうので、自分のセリフを一つ一つ書き出し、家の中のあちこちに貼って、通り過ぎるたびに見て覚えるそうだ。一口に役者といっても色々な人がいる。

おばあは豆腐屋を営んでいるが、あれはセットではなく、実際に今も豆腐店を営業している場所を借りて撮影したそうだ。伊藤沙莉と高畑淳子による印象的な場面があるのだが(特に伊藤沙莉は真骨頂発揮)、伊藤沙莉の後ろの裏に、本物の豆腐屋の人が隠れていて、その場面を見て大泣きしていたそうである。

 

まじむという変わった名前であるが、「ちむ」というのは沖縄で「魂、肝、心」のこと。それに「ま」が付くということで、「真心」という意味である。

伊波まじむは、那覇にある比較的大きな通信会社・琉球アイコムの契約社員である。沖縄という元々は別の王朝があった独特の風土に憧れて、本土から沖縄の大学に進む人もいるが、沖縄の産業は観光と農業に依存しており、就職先が見つからないため、ほとんどの人が本土に戻って就職するという「通過する場所」の性質を持つ。そういった意味では京都に似た部分がある。沖縄では稼げないので本土に出る沖縄の人も当然おり、千葉(台湾のスター、金城武の父親は沖縄の人であるが、金城武の自身の本籍は千葉県である)や京都といった私と関係のある土地も移民は多い方だが、最も多いのはほぼ全部埋め立て地という大阪市大正区で、大阪の沖縄といった趣であり、関西で沖縄関連のイベントを行うとなると、まず大正区の人が駆り出される。

まじむも正社員での就職が叶わず、契約社員に甘んじている。契約社員も正社員を手伝ったりすることはあるが、責任ある仕事は任されない。責任は正社員が取るもの。そして契約社員では、いつ契約を切られるか分からないので、任せるわけにはいかないのだ。日常の職務もパソコンでのデータ入力や書類のシュレッターがけだったり、正社員が食べるお菓子の補充と買い出し、といってもお菓子を食べているのはほとんど仲宗根光章(「沖縄の一発屋」こと仲宗根美樹と同じ苗字。演じるのは橋本一郎)一人だけなので、使いっ走りだったりである。仲宗根個人の趣味に沿ったお菓子の買い出しが業務としてセーフなのか分からないが、とにかく雑務だけである。キャリアなど身につかない。

いつもお昼を一緒に食べているテルちゃんは司法書士の試験に合格。新たなる道を歩むことになった。「ここにずっといても良いことなんてないんだから」と忠告するテルちゃんだが、元々就職口が少ないのだ。転職先もおそらくほとんどないだろう。そう言われてもなあ、という感じて屈託するまじむだったが、シュレッダーがけの最中に社内ベンチャーコンクールのチラシを発見し、「※契約社員含む」の文字を見つけて、挑んでみる気になる。ちなみに契約社員の中で応募したのはまじむだけだった。

まじむは行きつけのバーのマスター、後藤田吾朗(染谷将太)に入ったばかりのラム酒を飲ませて貰う。沖縄はサトウキビの産地であるが、沖縄のサトウキビを使ったラムについては、
吾朗「あんまり聞いたことないな」
ということで、沖縄産のサトウキビを使ったラム酒醸造の企画がまじむの頭に浮かぶ。
そして、まじむの企画は一次審査を通過し、更に最終候補の一つに残った。
だが、細部が詰められず、クールな先輩社員の糸数敬子(甲子園で活躍してプロにも入った糸数投手がいた。演じるのはシシド・カフカ)に相手が大幅にリードしていることを告げられる。
競争相手は、「養殖珊瑚」の企画を打ち出す男性社員の仲村渠(なかんだかり。昔、仲村知夏の芸名でデビューした仲村渠睦子という沖縄出身の歌手がいたが、売れなかった)悠太で、協力企業を見つけ、おおよその見積もりなども弾き出しているらしい。それに比べればまじむはアイデアがあるだけで、具体的な動きは何も行っていない。そもそも契約社員はそうしたビジネス的な仕事を任せて貰えないので、ノウハウもないと思われる。まじむは思い切って有給を取り(契約社員が有給を取るとよく思われない。というより日本の社会では有給は軽視されがちで、「取るのは悪」という風潮すらある)、沖縄一のサトウキビの産地である南大東島に向かう……。

 

2024年のJOAK制作のNHK連続テレビ小説「虎に翼」に主演し、驚愕の演技力を示して話題をさらった伊藤沙莉。その後、FODで配信された連続ドラマ「ペンション・恋は桃色3」に出演したが、それ以外はCMの仕事、ナレーション、ラジオ、バラエティ番組出演、イベント参加など、俳優の仕事は控えめだった。「風のマジム」も撮影自体は昨年の暮れに行われている。
高畑淳子、富田靖子という現代を代表する女優達と一族として共演という豪華さもあり、かなり手応えのある作品になっている。

伊藤沙莉の巧みな表情表現は真似の出来ないものである。泣きながら笑っているようなまなざしを見せた時も、「ああ、こんな演技も出来るのか」と感心した。

飲むとき食べるときの表情も良い。これほど美味しそうに飲んだり食べたりするのは彼女と稲垣早希ちゃんだけである。

そして髪型などに注意して見てみると面白いかも知れない。まじむの思考がさりげないところに現れていそうだ。

 

まじむは契約社員の時はキュロット(今はそういわないのかな)などラフな格好をしていたが、ベンチャーコンクールの最終候補に挙がり新規事業開発部の一員となって(身分は契約社員のままである)からは、毎回、日替わりのスーツで凜々しく決めている。伊藤沙莉は背が低いので、高身長の女優ほどには凜々しくならないが。
その代わり、とても可愛らしい。序に当たる部分で、南大東島のサトウキビ畑の間の道を一人でチョコチョコ歩いている姿は、「人間」というより「可愛らしい何か」である。

 

糸数はラム酒の醸造を東京で名声を上げている朱鷺岡明彦(ときおか・あきひこ。演じるのは眞島秀和)に頼もうとするが、糸数に勝手に付いて東京まで来たまじむは、朱鷺岡の、「沖縄本島にもサトウキビなんていくらでも生えてるんでしょう? 那覇の近くの、どこかその辺の適当な場所に」という言葉に、本土人の沖縄に対する無意識の見下しと不誠実なものを感じる。まじむは更に朱鷺岡に「南大東島に常駐で」という条件を出す。朱鷺岡は当然、南大東島行きを断る。
「沖縄の人で沖縄のサトウキビでラムを造ってくれる人でないと」と理想を口にするまじむ。やがて吾朗が瀬那覇仁裕(せなは・じんゆう。演じるのは滝藤賢一)という醸造家の名前を挙げる……

非常に爽快なサクセスストーリーだが、アドレナリンが増えるというよりも、柔らかなウチナーグチの効果もあってか、穏やかな幸せに浸れる映画である。

 

沖縄は、日本でありながら日本とは異なる文化を持った場所。ある意味、日本を相対化出来る場所である。

これは、まじむのサクセスストーリーであるが、沖縄のサトウキビ産のラム酒を思いついたのは、行きつけの吾朗のバーでたまたま新しく入ったラム酒を飲んだからであり、彼女が0から創造した訳ではない。その場にいたみんなのアイデアだ。「スーパーヒロインとその他」にならないのがこの映画の最大の美点の一つである。

契約社員でノウハウがないため(ベンチャーコンクールのオリエンテーションで、クールビズ期間とはいえまじむが一人だけ派手な格好でペンを走らせている場面があるが、会議に出たことがないので、要領が分からないのだろう)、居心地が悪そうなマジム。他の参加者が退出しても一人残ってメモなどを取っているが、新規事業開発部長の儀間鋭一(尚玄)に声を掛けられる。契約社員が出しゃばって応募し、その場から去らないので怒られるのだと思ったまじむが謝ると、「(悪いことをしていないのに)謝るのは止めなさい。君のアイデアが面白かったから通ったんだよ。堂々としていればいい」と言われ(この時の伊藤沙莉の目の演技も見事)、契約社員にありがちなマインドを変えて、資料作成などに意欲的に取り組みようになる。おばあやおかあは、「まじむは飽き性」だと思っていたが、ノートにびっしりと企画を書き込み、絵も自分で描くなど生き生きと制作を続ける。それはただ単にコンクールに勝ちたいとか、契約社員に甘んじている自分の力を見せつけたいとか、そんな野心がらみのものではなく、「自分がやりたいことを納得出来るようにやる」これだけで一点突破していく。嫌味なところがまるでないヒロインだ。

緩やかな時間の流れる映画である。日本は東京を軸にして動き、この映画の主な出演者もスタッフも普段は東京で仕事をしているのだが、東京的なものとは違った映画がまた一つ加わった感じである。

さて、この映画を観て、「うちゆ(浮世)わたら(渡ら)」

 

 

JR大阪駅ビル直結の大阪ステーションシティシネマで、「風のマジム」を観る。主演女優である伊藤沙莉と、監督の芳賀薫の舞台挨拶付きでの上映である。

チケットは事前に購入していた(満席であるため当日券は販売なし)が、発券機の前や、シアターに入るまでに長蛇の列が出来ていた。早めに出てきて良かったと思う。

大阪ステーションシティシネマに入るのは初めてである。ザ・シンフォニーホールでコンサートを聴いた後、阪急大阪梅田駅まで向かう際に大阪ステーションシティの横を通るのだが、だいたいがソワレを聴いているため、ステーションシティシネマではレイトショーしかやっていない、しかもレイトショーを観ると京都に帰れないという訳で縁がなかったのだ。

「風のマジム」の舞台挨拶は、先に東京都内の3カ所で行われ、今日は朝になんば、昼に梅田、そしてその後、名古屋に飛んで伏見(名古屋の伏見はJR名古屋駅と栄の中間にある)と名駅にある映画館で舞台挨拶を行う。
一昨日もMOVIX京都で「風のマジム」を観ているが、あれは予習で、今回が本番のつもりである。舞台挨拶は上映後に行われる。

客層であるが、比較的年輩の男性が多いような印象を受ける。おそらく上白石萌音のコンサートに来ていた客層と被っているはずで、朝ドラを見て知り、出来の良い娘や孫を愛でる気分なのだろう。

大阪ステーションシネマの3番シアターでの上映であったが、MOVIX京都よりもスクリーンの横幅が広く、MOVIX京都でははっきり見えなかった端の部分もクッキリ見える。
そして舞台挨拶ありということで満席。自然に笑いが起こったり、つられて笑ったり出来るので、映画館は満員の方が良い。そう思うと有楽町マリオンが懐かしくなる。

上映終了後の舞台挨拶で、芳賀監督は、「伊藤沙莉さんに主役をお願いしよう」と思い立ち、直筆の手紙を送ったことを明かす。伊藤沙莉はその手紙を読んで出演を決める。
基本的には出世するキャリアウーマンの話なのだが、バリバリのキャリアウーマンに見えてしまう人ではこの映画の流れに合わない。バリバリのキャリアウーマンを得意とする女優は比較的多く、伊藤沙莉も演じようと思えば演じられると思うが、そうではないヒロイン像が求められる。それが出来る女優は限られる。本当に難しい。伊藤沙莉は、その数少ない女優の一人だ。

まじむは、基本的には本質が変わらない人である。ベンチャーコンクールに応募してからも、スーツを着こなすようになってからも、基本的には自分が好きなことに正直な人だ。コンクールを勝ち抜くために、がむしゃらになってしまうようでは、まじむになれない。

スクリーンに映る人が伊藤沙莉と認識しながら、伊波まじむに見えてくる。彼女はそんな魔法を使える人だ。

伊藤沙莉は数種類の笑顔を操れるのだが、今回はクライマックスでどの笑顔を選ぶのか。観てのお楽しみである。

 

舞台挨拶。女性司会者の辻さんが進行する。まず伊藤沙莉が上手側から腰を低めにしながら登場。上下黒(に見えたがマスコミの写真で見ると濃い茶色だったようである)のスーツでシックである。オーラなどは感じられないが、そういう人でないとまじむは演じるのは無理だろう。続いて芳賀薫監督が現れた。

以前、もう四半世紀ほど前に川崎市の新百合ヶ丘の映画館で、富田靖子の舞台挨拶に接したことがあるのだが、「なんか異世界の人が来たなあ」という印象で、伊藤沙莉とは完全にタイプが違う。

沖縄映画となるとなんといってもウチナーグチが難しく、芳賀監督も俳優陣が出来ているのか判断が難しかったのだが、先行上映された沖縄では「自然に感じる」「聞きやすい」と好評だそうである。また、「この映画は本当に悪い人が一人も出てこないものにしたかった」と語る。悪い人が一人も出てこないと、ドラマとしては盛り上がらないのだが、この映画は「流れを見るような感覚」で観ることも可能であるように思う。

伊藤沙莉はウチナーグチの難しさについて、沖縄独特の言葉よりも「ありがとう」のようにヤマトでも日常的に使うがイントネーションの違う言葉の方がつられるために難しいと語る。音程に例えると「そこからそこ行く?」という言い回しも多いそうで、まるで服部良一のメロディーのようである。
ちなみにウチナーグチは癖になると抜けにくいようで、伊藤は、「滝藤さん、この間、沖縄弁喋ってました」と語って笑いを取っていた。

ちなみは伊藤は、大阪に来るとアメリカ村で服を探すそうで、草彅剛と相性が良さそうだ。また舞台「パラサイト」(WOWOWで放送されたものを録画してあるがまだ観てない)の大阪公演の際、打ち上げで古田新太に、「さきいか天」を紹介されて、「めちゃくちゃ美味しかった」と今、口にしているように語る。
大阪の印象については、「東京よりも優しい。『バカ』よりも『アホ』の方が優しい」(※個人の感想です)

本筋とは関係ないが、サトウキビ畑の間の道で、伊藤は野生のマングースを見たそうである。芳賀監督は遠くにいたが確認は出来たそうだ。

 

伊藤沙莉は、昨年秋の「PARCO文化祭」で見た時よりも顔がすっきりした感じ。個人的には前のような丸顔が好きなのだが(ちなみに私の妹が丸顔なんですね)。
沖縄で行き足りなかったところについては、「海」と語る。伊藤沙莉のお姉さんが海が大好きなのだが、その影響で伊藤沙莉も海好き。ただ水恐怖症で「完全カナヅチ」だったが、今度、水に深く潜る役を引き受けたそうで(詳細は不明)、水恐怖症克服も込めてプールに通い、15mほど潜れるようになったそうだ。ただクロールやバタフライなどは出来ないので、前への移動は2mほどらしい。潜る話は、今回の舞台挨拶でも話していた。また6月にUSJで行われた水鉄砲で遊ぶイベントにもシークレットゲストとして参加しており、それ以来の大阪だと話す。

伊藤沙莉は、「エゴサばばあ」を名乗るほどエゴサーチが好きで(彼女も含めて彼女の女友達は自分のことを「○○ばばあ」と呼ぶ習慣があるらしい)、「風のマジム」のエゴサーチで、「好きなことを諦めなくていいんだ」という感想を読んで感銘を受けたようだ。何かを与えられた気分になったのかも知れない。
更に伊藤沙莉は、「皆さんのところにも行きますので」と言っていた。

 

記者達によるフォトセッションの後で、観客のためのフォトセッションもあったのだが、スマホのカメラの機能が低い上に、沙莉さんも芳賀監督も両手を振っているので、良い写真は撮れなかった。取りあえず、アップするに堪える写真をXに文章と共に載せた。

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舞台挨拶も終わり、退場する沙莉さん。舞台上手端の端まで手を振り、階段を一歩降りたときも右手で手を振る。こちらは「大丈夫かな」と見守っていた。

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2025年4月 8日 (火)

これまでに観た映画より(383) 中国映画「石門」(ホアン・ジー監督と大塚竜治監督、瀧内公美さんによる舞台挨拶あり)@新宿武蔵野館

2025年3月20日 新宿武蔵野館にて

午後2時45分から、JR新宿駅の東にある新宿武蔵野館という映画館で、女流のホアン・ジー(黄骥)監督と大塚竜治監督の共同監督による中国映画「石門」を観る。二人の監督は夫妻である。中国湖南省長沙市を舞台に、妊娠などを巡るダーティーな話が繰り広げられる。日本では昨年、桐野夏生原作、長田育恵脚本の「燕は戻ってこない」というドラマが放送されたが、それに繋がるものがある。

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この回の上映には、ホアン・ジー監督と大塚竜治監督、更に女優の瀧内公美さんによる舞台挨拶がある。

新宿武蔵野館に入るのは初めてだが、小綺麗な映画館である。歴史の長い映画館であるが、何度か改装を行っているらしい。瀧内公美のことは贔屓にしているようで、彼女が浅野忠信と共演する「レイブンズ」の展示があり、また新宿武蔵野館は武蔵野ビルの3階にあるが、エレベーターの扉に「レイブンズ」の宣伝用写真が使われている。瀧内公美は新宿武蔵野館で「レイブンズ」の初日舞台挨拶を行う予定がある。

 

素人を俳優として起用した作品。主演のヤオ・ホングイ(姚红贵)は、ホアン・ジー監督作品に3本目の出演で全て主役だが、それ以外の監督の映画やドラマには出演しておらず、職業俳優とは呼べないようである。今は出身地で公務員をしているという。
セリフ回しの上手さなどが正確に分かるほどの北京語力はないが、明らかに機械のように話している人などセリフが苦手な人は流石に分かる。

長回しと長ゼリフの多用が特徴。長回しや長ゼリフは製作国を問わず、増加傾向にあるように見える。この作品はセリフのない長回しがかなりの長尺という特徴がある。

小さな英語教室の場面からスタート。
ヤオ・ホングイが演じるリンは大学生。フライトアテンダント(キャビンアテンダント。CA。空中小姐、空姐)になるための勉強をしている。中国にはCAになるための大学があるらしい。ただ日本にもパイロット養成の専攻を持つ大学はあるし、CA輩出数日本一の関西外国語大学(大阪府枚方市にある)は、現役CAのOGを呼んで講義や相談会を行うなど、CA養成にかなり力を入れている。なお、校名は「職業学院」(学院は中国では単科大学のこと。大学と呼ばれるのは総合大学のみ)という文字が見えるだけで、架空の大学かも知れない(長沙航空職業技術学院という大学があり、ホームページに卒業生がCAとして活躍している写真が掲載されているのでここなのかも知れない。ただやはり架空の大学の可能性もある)。
リンの親は産婦人科を開いているが、患者の子の死産により訴えられている(今では死亡率は低くなっているが、昔は出産は命がけの作業であり、今でも他の診療科に比べると、子もしくは母親あるいは両方の「死」にまつわる事柄で訴訟を起こされることは多く、日本でも産婦人科を目指す医学生の減少に繋がっている)。にも関わらず、ネズミ講のようなイベントに入れ上げている。
そんな中、リンの妊娠が発覚する。死産になった子どもの代わりにリンの子を養子にすることが話が丸く収まりそう。全然、丸くはないのだが。
リンは、学費を稼ぐためにアルバイトを始めるのだが、これも若い女性の世話や、どうやら卵子提供など、アウトの可能性が高く……。やがてリンは出産に備えて大学を休学する。

映画は合宿する形で、妊娠してから生まれるまでと同じ10ヶ月程度を掛けてじっくりと撮られたようである。また台本はあるが、上手くいかないところはカットし、アドリブを撮って上手くいった場合は採用したりもしたそうである。そうやってフィクションの中にノンフィクションを忍び込ませるやり方を採用したことが分かる。
2019年の場面から物語は始まるが、やがてコロナ禍が起こり、みなマスクをする。実際にはコロナが酷い時期には撮影は中断して、落ち着いてからコロナ禍の真ん真ん中という設定で俳優達はマスクをして撮影を行ったようである。

生まれてくる子どもについて、「1年間面倒を見てほしい」だの「それは嫌だ」のという会話が繰り広げられ(これはアドリブらしい)人間の扱いの軽さが感じられる。
ラストシーンでも泣く我が子を車の中に残してリンは出て行ってしまう。育てる権利はなく、自分の子どもにはならないので情が薄いのか、それとも他に意味があるのか。いずれにせよ救いはなさそうだ。
とにかく現代中国の闇が正面から描かれている。

 

舞台挨拶。司会は配給会社の松田さん。上手側から、大塚竜治監督、ホアン・ジー監督(通訳あり)、瀧内公美が出席する。瀧内公美は眼鏡を掛けて「その辺を軽く走ってきました」というようなラフな格好。この映画の関係者でない瀧内公美が出席するのは、映画の大ファンだからだそうで、特に長回しのシーンを「絵画みたい」と語り、素人達の演技に「どうやったらあんな演技出来るんだろう」と興味津々であった。なお、自分が出ている作品以外の舞台挨拶に参加するのは初めてだそうだが、他の作品に対してあれこれ言うのは俳優としてはよろしくないんじゃないかとの思いがあったため控えてきたそうだ。ただ今回は絶賛出来るので参加を希望したそうである。
大塚監督によると、皆、普通語(北京語をベースにした標準語)が上手くないので、それで苦戦したところはあったという。

撮影は禁止とのことだったが、最後に瀧内公美が、「ちょっとだけみんなで写真撮っちゃいましょう」と提案したため、撮影会が始まってしまった。私はスマホの起動が遅くて撮れなかったが。
瀧内公美は、映画のパンフレット購入者限定のサイン会にも参加。イメージ通りのかなり気さくな人である。女優とはいえ、映画製作者二人とファン一人という妙な組み合わせによるサイン会となった。
私もサイン会に参加し、瀧内さんとは彼女が主演し、2月に公開された一人芝居映画「奇麗な、悪」についてちょっと話す。隣のホアン・ジー監督には北京語(正確に言うと普通語)で話す。何の前触れもなく北京語で話し始めたため、瀧内さんも0.1秒ほどだが、「ん?」という感じでこっちを見ていたのが面白かった。

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2025年3月11日 (火)

これまでに観た映画より(381) 「その街のこども 劇場版」

2025年1月17日 京都シネマにて

京都シネマで、阪神・淡路大震災30年特別再上映「その街のこども 劇場版」を観る。2010年1月17日に阪神・淡路大震災15年特別企画としてNHKで放送されたドラマの映画版(2011年公開)。NHK大阪放送局(JOBK)の制作である。放送から15年が経っている。監督:井上剛。脚本:渡辺あや。出演:森山未來、佐藤江梨子、津田寛治ほか。音楽:大友良英。京都では今日1回のみの上映。神戸では今日から1週間ほど上映されて、森山未來がトークを行う日もあるようだ。
森山未來も佐藤江梨子も1995年当時、神戸に住んでおり、阪神・淡路大震災の被災者である。ただ佐藤江梨子はどうなのかは分からないが、森山未來は実家付近にほとんど被害が出なかったそうで、知り合いに亡くなった人もおらず、当事者なのに部外者のような気がしてコンプレックスになっていると語ったことがある。

2010年1月16日。森山未來演じる中田勇治は、阪神・淡路大震災被災後年内に、また佐藤江梨子演じる大村美夏は、震災の2年後に東京に転居し、以後、一度も神戸を訪れていないという設定である。
東京の建設会社に勤める中田は、先輩の沢村(津田寛治)と共に広島への出張で新幹線に乗っている。新神戸駅で下車しようとするスタイルのいい女性の後ろ姿を見掛けた二人。中田はふいに新神戸で降りることに決める。
スタイルのいい女、美夏から、「新神戸から三宮まで歩いて何分ぐらいですか?」と聞かれたことから、二人の物語が始まる(私は新神戸から三宮まで歩いたことがあるが、15分から20分といったところである。地下鉄で1駅なので普通は地下鉄を使う)。美夏は、明日の朝に東遊園地で行われる追悼集会に出る予定だった。中田は灘の、美夏は御影の出身である。
喫茶店や居酒屋で過ごした後、二人は御影(美夏の祖母の家がある)へと歩いて向かう。

オール神戸ロケによる作品である。震災から距離を置きたかったという気持ちが、少しずつ明らかになっていく(共に親族に問題があったようだが)。見終わった後に染みるような感覚が残る映画である。

ラストシーンは、2010年1月17日午前5時46分からの追悼集会で撮影され、即、編集が施されてその日のうちに放送されている。

撮影から15年が経っているが、森山未來は今も見た目が余り変わっていない。十代の頃の面影が今もある人なので、年を取ったように見えないタイプなのだと思われる。

 

上映終了後に、井上剛監督と配給の石毛輝氏による舞台挨拶がある。
キャストが森山未來と佐藤江梨子に決まったことで、当初よりも恋愛要素の濃い設定となったようである(ただし二人が恋仲になることはない)。色々と新しい試みを行ったそうで、カメラマンは、ドラマではなく報道専門の人を起用したそうである。また「百年に一度の災害」というセリフがあるのだが、放送の翌年に東日本大震災が発生。その後も熊本や能登で大規模な地震が発生している。関西でも大阪北部地震があった。ここまで災害が続くとは制作陣も予想していなかったようである。

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2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

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2024年12月21日 (土)

「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program2

2024年12月8日 京都芸術劇場春秋座

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program2に接する。今日上映されるのは、「エンドゲーム」、「フィルム」、「ハッピーデイズ」の3本。
司会進行役は昨日に引き続き、小崎哲哉が務める。


「エンドゲーム」は、目が見えず椅子に座ったままの主人公・ハム(演じるのは、「ハリー・ポッター」シリーズのマイケル・ガンボン)と、下半身を失いバケツに入れられたその両親、そしてその使用人で足の悪いグロヴ(デヴィッド・シューリス)である。監督はコナー・マクファーレン。
グロヴが部屋の両方にある窓にかかったカーテンを開けるところからスタート。
グロヴは常にこの部屋にいるわけではなく、厨房などに行っている場合もある。
セリフは情報量が多い上に早口で、こちらが字幕を読み終わらない間に次の字幕に移行してしまうことも多い。
様々なことが語られるが、一貫性がないというのも特徴。あたかも時間を言葉で埋める作業をしているかのようだ。
バケツに入っているという奇妙な設定の両親であるが、出番やセリフは余りなく、ハムとグロヴとのやり取りが中心となる。
出演者全員が障害者であるが、使用人のグロヴが次第に雇い主で暴君のハムよりも優勢になっていくように見えるのが、タイトルである「エンドゲーム」(チェスの用語で、チェックメイトが近い終盤戦のこと)を表しているようである。


「フィルム」はバスター・キートン主演映画。チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドと共に三大喜劇人の一人に数えられるバスター・キートン。ベケットはこの映像作品の脚本と総合製作を担当しているが、様々なアドバイスをしていることから、実質共同監督と見なされている。監督はアラン・シュナイダー。上映時間24分の短編である。ベケットが唯一、映画だけのために脚本を書いた作品でもある。
ベケットは、当初はチャップリンに出演依頼をしたが、チャップリンは自身が監督した作品にしか出ないということもあって断られ、バスター・キートンに話が回った。キートンも依頼を受けたときは特に興味を示さなかったようだが依頼は引き受けている。

キートンの目のクローズアップから始まり、キートンが目を閉じたときに出来る襞に似た模様を持つ壁が立った公園内を走るキートンの後ろ姿に繋がる。
一組の男女をキートンは追い抜くのだが、そこから先に何かがあったようで、男女は顔をしかめる。
とある建物に入るキートン。階段を老女が降りてくるのを見て姿を隠すのだが、この老女が何かを発見したのか、もの凄い表情をする。その間にキートンは老女の横をすり抜けて階段を上がる。
部屋に入ったキートン。落ち着かない様子であるが、椅子に腰掛けた時に初めてキートンの顔が正面から捉えられる。キートンは片方の目を黒い眼帯で隠している。
そして現れるキートンのドッペルゲンガー。
「ドッペルゲンガーを見た者は死ぬ」と言われているので、キートンも最期を迎えることになると思われるのだが、キートンを追っていたカメラは実はドッペルゲンガーの視点なのではないかと思われるところもある。


ここで、映画批評家で、京都芸術大学映画学科主任の北小路隆志を迎え、小崎哲哉が聞き手となるゲストトークの時間となる。
北小路もベケットについては特に詳しくはないとのことだったが、「映画と演劇は別物」とした上で、先ほど上映した「フィルム」や昨日上映された「ねえ、ジョー」は映画作品として成功しているが、「エンドゲーム」や昨日上映された「クラップの最後の録音」は、役者の演技が前に出すぎているため、ベケット作品の映画化としては上手くいっているとはいえないのではないかとの感想を述べた。ベケットの理想を考えれば、もっと「機械的」になった方が良いという。


最後に上映されるのは、「ハッピーデイズ」。老女が第1幕は腰まで埋もれ、第2幕は首まで埋まりながら話し続けるという奇妙な設定の作品であるが、埋まれば埋まるほど死が近いというメタファーはよく分かる。監督:ジャン=ポール・ルー。出演:マドレーヌ・ルノー、レジス・ウタン。
体が埋まっているという不自由な状態でありながら、「今日もハッピーな1日」と語るセリフが興味深い。言葉と体の分離が行われているようである。回想が語られることが多いが、カバンの心配をしたり、手がまだ自由な第1幕ではピストルを取り出したり、パラソルを差したりと、まだ体の動きが表現出来ることは多いのだが、第2幕になるとそれもなくなっていく。死を意識したようなセリフも出てくるのだが決して悲観的にはなっていないのが印象的である。


小崎哲哉による締め。「昨日、ゲストに来ていただいた森山未來さんから、『ベケット、1日3本はきついっすね』と言われましたが、皆さんお疲れ様でした」と語り、京都芸術大学舞台芸術学科主任の平井愛子からも挨拶があった。

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2024年12月20日 (金)

「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1 ゲスト:森山未來

2024年12月7日 京都芸術劇場春秋座にて

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「疫病・戦争・災害の時代に―― サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1に接する。2019年のベケット没後30年のサミュエル・ベケット映画祭に続く二度目のサミュエル・ベケット映画祭である。前回は京都造形芸術大学映写室での上映会がメインだったが、今回はキャパの大きい春秋座での開催である。
先にオープニングイベントがあり、今日が本編の初日となる。今日は、「ゴドーを待ちながら」、「ねえ、ジョー」、「クラップの最後の録音」の3作品が上映される。またトークの時間が設けられ、俳優・ダンサーの森山未來が登場する。森山未來を生で見るのは、先月17日のPARCO文化祭以来、と書くと不思議と長そうに思えるが、半月ちょっとぶりなので、同一の有名人に接する期間としては比較的短い。
総合司会兼聞き手は、京都芸術大学大学院芸術研究科教授の小崎哲哉(おざき・てつや)。


まずベケットの代表作である「ゴドーを待ちながら」が上映されるのだが、その前に小崎による解説がある。ベケットが長身で男前だったこと、語学の才に長け、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などを操ったことを紹介する。性格的には怖い人だったようである。また人前に出るのが嫌いで、ノーベル文学賞を受賞しているが、授賞式には出なかったという。また、下ネタが好きで、「高尚なものから下品なものまで描くのが芸術」だと考えていたようである。便器を「泉」というタイトルで芸術作品にしたマルセル・デュシャンとは仲が良かったようである。


「ゴドーを待ちながら」は、2019年のサミュエル・ベケット映画祭で、京都造形芸術大学映写室で上映されたものと同一内容だと思われる。この時は再生トラブルがあり、途中で中断があって、デッキを交換して上映を続けている。この時はこうした手際の悪さに呆れて以降に上映された作品は観ていない。この大学のいい加減さを象徴するような出来事であった。

「ゴドーを待ちながら」は、エストラゴン(ゴゴ)とウラディミール(ジジ)が一本の木が生えた場所で、ゴドーなる人物を待ち続けるという作品である。途中で、資本家の権化のようなパッツオと、奴隷のラッキーとのやり取りが2回ある。
監督:マイケル・リンゼイ=ホッグ。出演:バリー・マクガヴァン、ジョニー・マーフィーほか。マイケル・リンゼイ=ホッグ監督は、瓦礫だらけの場所を舞台に設定している。明らかに第二次大戦後の荒廃した光景を意識している。
エストラゴンとウラディミールという二人の浮浪者については、余り分かりやすいセリフではないのだが、いい加減に生きてきたから浮浪者になっているのではなく、頑張ってやるだけのことはやったが結局努力が実らなかったことが察せられるものがある。そして二人の人生はもうそれほど長くはない。大人の男の寂寥感が漂っている。ベケットは黒人による「ゴドー」の上演は強化したが、女優による「ゴドー」の上演は禁じている。「女性差別じゃないか」との批判もあったが、ベケットは「女性には前立腺がないから」というをその理由としている。ただ女性二人組にした場合、寂寥感は出ないかも知れない。男性でしか表現出来ないもの、女性にしか表現不可能なものは確かにある。
資本家のポッツォと奴隷のラッキーであるが、こうした組み合わせは戦前までは当たり前のように存在していた構図でもある。法律上は禁止されていても、金持ちが貧乏人がいいように扱うというのは一般的で、今でもある。世界の縮図がこの二人の関係に表れている。
人生そのものを描いたかのような「ゴドーを待ちながら」。何があるのか分からないのだが、とにかく待って生き続けるしかない。


上映終了後、15分の休憩を挟んで、森山未來を迎えてのトークがある。先に書いたとおり、聞き手は小崎哲哉が務める。

小崎はベケットと森山の共通点として、「多領域で活躍し」「格好いい(森山は「イヤイヤ」と首を振る)」などを挙げていた。森山はこれまでベケット作品にはほとんど触れてこなかったそうで、「初心者です」と述べていた。
「ゴドーを待ちながら」は、事前に映像データを貰っていたのだが、冒頭をパソコンで観て、「これはパソコンで観られる作品ではない」と感じ、知り合いの神戸の喫茶店がスクリーン完備だというので、そこを貸してもらって観たそうだ。「見終わって体力的に疲れた」という。
小崎が「ゴドー」が人生を描いたものという説を紹介し、森山も「人生暇つぶし」というよくある解釈が思い浮かんだようだ。

NHK大河ドラマ「いだてん」では森山は落語家の古今亭志ん生の若い頃を演じ、老成してからの志ん生は北野武が演じたが、入れ替わりになるので接点はなかったそうである。ただ、小崎は北野武はベケットから影響を受けているのではないかと指摘する。監督4作目の「ソナチネ」で、沖縄のヤクザに戦いを挑んだ弱小ヤクザ軍団が見事に敗れ、離島に逃げて何もやることがないので時間を潰すというシーンがあるのだが、これは「ゴドー」を念頭に置いているのではないかとのことだった。
なお、落語家の演技は、亡くなった中村勘三郎が抜群に上手かったそうだが、実は勘三郎は、立川談志の楽屋を訪れて弟子入りを志願したそうで、談志に実際に師事していたそうである。また殺陣は勝新太郎に習っていたそうだ。

ベケットの作品は自身の戦争体験が基になっているということで、ダンサーの田中泯の話になる。田中泯は、1945年3月10日、東京の西の方で生まれている。実はこの日、東京の東の方では、いわゆる東京大空襲があり、田中泯自身には東京大空襲の記憶はないだろうが、その日に生まれたということで様々な話を聞かされたのではないかと小崎は語っていた。

小崎は、森山が2020年に行った朗読劇「『見えない/見える』ことについての考察」の話をする。実は小崎はこの公演は観ていないようだが(私は尼崎での公演を観ている)、使われたテキストの作者、ジョゼ・サラマーゴとモーリス・ブランショは共にベケットから強い影響を受けた作家とのことだった。森山未來はそのことについては知らなかったという。


森山未來は神戸市東灘区の出身である。11歳の時に阪神・淡路大震災に被災。しかし東灘区は神戸市内でも特に被害が大きかった場所であるにもかかわらず、森山未來の自宅付近は特に大きな被害はなく、周囲に亡くなった人もいないということで、当事者でありながら周縁者という自覚があり、コンプレックスになっているそうだ。「ゴドー」を観てそんなことを思い出したりしたそうだが、小崎に「ラッキーをやってみたらどうですか? 合うと思いますよ」と言われてちょっと迷う素振りを見せた。

なお、阪神・淡路大震災発生30年企画展「1995-2025 30年目のわたしたち」が兵庫県立美術館で今月21日から開催されるが、森山未來も梅田哲也と共に出展している。


続けて「ねえ、ジョー」の上映。上映時間16分の短編である。監督:ミシェル・ミトラニ、出演:ジャン=ルイ・バロー。声の出演:マドレーヌ・ルノー。
モノクロの映像。男が室内を歩き回り、やがてこちら向きに腰掛ける。そこへ女の声がする。「ねえ、ジョー」と呼びかける女の声は、ジョーのこれまでの人生などを語る。ジョーは涙を流す。
声と表情を分離したテレビ作品である。


「クラップの最後の録音」。ベケット作品の中でも知名度は高い部類に入る。
監督:アトム・エゴヤン。出演:ジョン・ハート。
69歳になる老人、クラップは、これまで毎年、誕生日にテープレコーダーにメッセージを吹き込んできた。30年前に録音した自分の声を聞いたクラップはその余りの内容の乏しさに、自身の人生の空虚さを感じ、悔いを語るメッセージを残すことにする。
小さめのオープンリールのテープレコーダーを使用。実際には民生用のテープ録音機材が発売されてから間もない時期に書かれているため、30年前の録音テープが残っているというのはフィクションである。
老年の寂しさ、生きることの虚しさなどが伝わってくるビターな味わいの作品である。


最後に森山未來が登場。「皆さん、これ3本観るわけでしょう。体力ありますね」と述べていた。

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