カテゴリー「トークイベント」の36件の記事

2021年7月27日 (火)

これまでに観た映画より(265) 京都シネマ 中村壱太郎×尾上右近 「ART歌舞伎」 中村壱太郎舞台挨拶付き

2021年7月19日 京都シネマにて

午後4時35分から、京都シネマで「ART歌舞伎」を観る。
中村壱太郎と尾上右近が、コロナ禍の中で作成した配信用作品。昨年の7月1日に東京・九段の靖国神社能楽堂で収録され、7月12日から期間限定で配信された。
本編(86分)上映後に、中村壱太郎出演による舞台挨拶がある。
「ART歌舞伎」は、まずポレポレ東中野で上映され、今日1日限定で大阪・シネマート心斎橋と京都シネマで上映される。

出演は、中村壱太郎、尾上右近、花柳源九郎、藤間涼太郎。演奏は、中井智弥(箏・二十五弦箏)、浅野祥(津軽三味線)、藤舎推峰(笛)、山部泰嗣(太鼓)、友𠮷鶴心(琵琶)。

「四神降臨」「五穀豊穣」「祈望祭事」「花のこゝろ」の4部からなり、「四神降臨」と「祈望祭事」は歌舞伎舞踊、「五穀豊穣」は三味線の謡、「花のこゝろ」は中村壱太郎が歌謡集『閑吟集』に出てくる言葉を選んでストーリーを組み立てた舞踊物語である。


「四神降臨」では、壱太郎、尾上右近、源九郎、涼太郎がそれぞれ四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)となり、舞踊を行う。玄武を受け持った尾上右近は黒の紋付きを着ていたが、他の演者は、顔の一部分に該当する色を入れていたり、背景のライトの色を変えたりすることで処理していた。

外は大雨で、雨音がマイクにも入っている。2020年7月1日は台風が近づいている日であったが、収録が行えるのはこの日しかないということで強行したそうである。ちなみにリハーサルも十分に行えない上に一発録り。カメラは7台用意したそうで、それでも上手くいかない場面があり、良く聴くと音楽が止まっていたり、よく見ると「あれ、ここなんか事故あったかな?」と分かる場面もあるそうだ。

「祈望祭事」では、藁が効果的に使われているが、たまたま靖国神社のそばで藁が手に入ったために使っているそうで、即興的要素も多いようである。

字幕入りの国際版での上映であるため、謡入りの「花のこゝろ」は英語での表現も気になる。
壱太郎は、白塗りの真ん中に日の丸を入れるというメイクである。壱太郎演じる女は、良き夫と子に恵まれ、幸せに過ごしていたが、突如として戦乱の世となり、夫は戦死、子は病死、自身は狂気にさいなまれ、遊女へと身をやつすことになる。
一方、尾上右近が演じるのは、「生涯を戦場(いくさば)にて過ごす若者」(英語字幕では、“Natural bone warrior”という凄い表現になっていた)。腕に覚えがあったが、朋に裏切られ、落ち武者となる。
そんな二人が巡り会うが、平穏が訪れる日を願いながら別れることになる。ちなみに西方浄土は、“Western Pure land”になるそうだ。

若者が去った後で、海兵の英霊(やはり尾上右近が演じている)が現れ、無用な戦をするなという意味のメッセージを女に伝える。
英霊というのは靖国神社に祀られている御霊のことだが、ここに登場する英霊は具体的には、『きけわだつみの声』の巻頭を飾ることになる遺書を残した上原良司だと思われる。上原良司は慶應義塾大学在学中に学徒出陣して戦死しているが、壱太郎による大学の先輩へのリスペクトということになるのかも知れない。


中村壱太郎による舞台挨拶。この後、午後6時45分からの回も観て欲しいため、壱太郎は色々と宣伝を行う。「うっとうしいのは僕の舞台挨拶を2回聴かないといけない」と冗談を言っていたが、壱太郎のファンなら2回聴けるのはむしろプレゼントだろう。
稽古は2週間ほど行えたが、本番は1日だけで、取り直しが利かない一発録り。「春のこゝろ」については半分ほどしか当日リハーサルが行えなかったそうである。

収録中も、「(尾上右近の)髪型がおかしいじゃない?」など、臨機応変に変えた部分も多いそうだ。なお、雨がやむ気配がなく、邦楽器は雨に弱くていつ故障が起こってもおかしくないということで、よく見ていると出演者の顔がどんどん青ざめていくのが分かるそうである。
配信用の収録であり、スクリーンでの上映は念頭に置いていなかったが、「映画館で上演するには録音が貧弱」ということで、音楽に関しては全て一から録音し直したそうである。なお、再録音したものはCD化されており、壱太郎が舞台挨拶の最後でグッズの一つとして紹介していた。「CDはちょっと」という人向けのダウンロード版も発売されているそうである。
なお、舞台での初演がすでに決まっており、岡山市で行われるそうである。

舞台挨拶中は写真撮影や録画は一切禁止であるが、舞台挨拶終了後に短い時間ではあるが、フォトセッションの時間が設けられており、壱太郎もこの時は、「何も喋らないんで」とマスクを外すファンサービスを行っていた。

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2021年4月27日 (火)

観劇感想精選(394) 井上芳雄主演「十二番目の天使」

2019年4月26日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「十二番目の天使」を観る。原作:オグ・マンディーノ、翻訳:坂本貢一、台本:笹部博司、演出:鵜山仁。出演:井上芳雄、栗山千明、六角精児、木野花、辻萬長ほか。東宝と新潟市のりゅーとぴあの製作。

ビジネスマンとして活動しつつベストセラー作家にもなったオグ・マンディーノの同名小説の舞台化である。

ジョン・ハーディング(井上芳雄)は、三十代にして大手コンピューター会社の社長にまで上り詰めたエリート。子供の頃から地元の英雄視されており、大学で怪我をするまではメジャーリーグのスカウトからも注目されるほどの野球選手だった。

前途洋々に思えたジョンの人生だが、妻のサリー(栗山千明)と息子のリックを事故で喪ったことで希望を失い、社長の座を辞することを決める。辞任は認められず、4ヶ月の休職が決まったが、心は晴れず、拳銃自殺をしようとまで思い悩むが、幼馴染みのビル(六角精児。「俺たちは同級生だ。誰も信じてくれないけど」というセリフあり)から「リトルリーグの監督にならないか」と誘われる。

リトルリーグは1チーム12人の編成で行われる。ジョンが監督になったエンジェルスは4つのチームからなるリーグに所属しており、選手獲得はウェーバー制によって行われる。

4チームの監督がくじを引き、1を引いた監督が最初の選手を指名することが出来るが、2巡目は逆に1を引いた監督が4番目に指名することになり、1を引いたジョンは投打に長けたトッドを獲得するが、12巡目の最後まで残ったティモシーも引き取ることになる。リトルリーグのルールではベンチ入り12人全員が1試合に1度は出場しなければならず、1度は必ず打席に入り、6つのアウト分は守備につかねばならない。つまり上手い子だけ出すのは駄目で全員を戦力として育てる必要がある。
ティモシーは亡くなった息子のリックにそっくりだが、1年前までサッカー大国のドイツで暮らしていたということもあって走攻守全てで劣る存在。ただ前向きでひたむきで、「諦めるな諦めるな、絶対、絶対、絶対諦めるな」(ウィンストン・チャーチルのモットーとしても有名である)「日々なにもかもが良くなっている」を信条に懸命に練習に取り組んでいた。

 

オグ・マンディーノは自己啓発系の小説を書く人であり、いかにもそれらしい展開とセリフが鏤められている。小説の舞台化ということで内容を観客に知らせるためのナレーションが多く、余り演劇らしくないが、その手法を取らないと上演時間が恐ろしく長くなってしまうため、こうした端折り方も納得のいくものではある。

ストーリー自体はこれまで映画やドラマなどで何回も観たことのある類いのものであり、特にひねりもないため既視感を覚えるが、野球を主題にした作品ということで野球好きにとっては悪くない芝居である。

井上芳雄主演の舞台ということで、ラストに井上が歌う場面が用意されている。ほかのキャストも合唱で参加し、なかなか楽しい。

 

終演後、井上芳雄、栗山千明、六角精児によるアフタートークがある。「先ほどまで、皆さんお気づきだと思いますが、一番セリフの量が多かった私、井上芳雄が司会を務めるという光栄に浴しまして、愚痴を言ってるわけじゃないですよ」ということで井上芳雄を中心に話を進める。

六角精児は姫路生まれということで、客席に向かって「ただいま!」とやる。生後6年ほどは兵庫県内に住んでいたそうだ。井上芳雄が香川県生まれの福岡県育ちであり、今回は香川公演と福岡公演があったため、両方で「ただいま!」と言ったそうで、その影響を受けてのことらしい。井上芳雄は、「香川生まれということはむしろ隠して、福岡県出身としておいた方がメジャーなので」と冗談を言う。今回は、栗山千明の出身地である茨城県でも公演があったのだが、香川公演よりも先で、「私ごときがやっていいのか」と思っていたため、「ただいま」発言はしなかったそうである。
ちなみに香川県から福岡県に移動する際、大半の人は岡山まで出て新幹線で博多に向かったのだが、六角は地方列車に乗るのが好きということで、JR予讃線で松山に向かい、道後温泉で一泊。その後、八幡浜に向かい、船で臼杵に渡って大分経由の在来線で福岡入りしたそうである。

名古屋では井上がラストで歌うときのためのこめかみにつけるマイクが汗によって駄目になるというハプニングがあり、代わりとして普通のハンドマイクを渡されたそうだが、溶明時にいきなりマイクを持っているのは変だとの判断から腹の前まで下げてボールで隠しながら歌ったそうである。それでも案外ばれなかったそうだ。

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2021年2月15日 (月)

2346月日(29) 「フェスティバルホール×大阪大学 フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」2021.2.8(後半のみ映像あり)

2021年2月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「フェスティバルホール×大阪大学 フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」に参加する。文学部や大学院文学研究科に芸術研究系の専攻を持つ大阪大学が、中之島一帯で行っている「クリエイティブアイランド中之島-創造的な実験島-」という9つの芸術&情報系イベントの一つである。ただ新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発出中であるため、プログラムのいくつかはオンラインのみに切り替わり、「フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」に関しては、トーク部分のみオンライン配信が行われることになった。

司会進行は、大阪大学の加藤浩介(専門は音響学)。大阪フィルハーモニー交響楽団のチェロ・トップ奏者である近藤浩志(こんどう・ひろし)がステージ上でチェロを弾き、ツアー参加者が席を移動しながら響きの違いを確かめるというもの。

まず1階席前列に参加者が着座して近藤のチェロを聴く。全席自由であるが、コロナ対策として両隣を1席か2席空けるのが好ましいとされる(夫婦や知り合い同士の場合は隣に座っても構わないようである)。
私は新しいフェスティバルホールの最前列で2回ほど大阪フィルのコンサートを聴いたことがあるのだが、フェスティバルホールステージの前方は弧を描いており、いずれも端の席であったため指揮者の姿が見えないという状態であった。今日は前から3列目の真ん中付近に座る。その後、1階席後方と3階席に移動して近藤のチェロを聴くのだが、1階席後方と3階席には何度も座っているため、特に良い席で聴く必要はなく、適当な席に座った。

曲目は、3回ともアイルランド民謡「ダニーボーイ」のチェロ独奏版。

1階席前方で聴くと、キャッチコピー通りの「天から音が降り注ぐ」という感覚がよく分かる。音の広がり方も自然である。

1階席後方。左手、中央、右手の3つの別れているが、後ろ寄りの左手の席に座る。音響は1階席前方とは異なり、重低音のずっしりとした響きが印象的。おそらくステージに跳ね返った音が届いてくるのだと思われる。

3階席も左手、前から3列目に座る(全員、エレベーターを使う必要があるので、エレベーターに近い右手の方が席が埋まりやすい)。3階は1階で聴いた広がりとはまた違ったストレートな音色となり、音の通りが良く感じられる。三者三様の良さがあるが、チェロということもあり、重低音が豊かに感じられる1階席後方の音響が最も気に入った。他のお客さんの好みもそれぞれで、加藤浩介が挙手によって行ったアンケートでは、三つ等しくという程ではないが、いずれの席も人気であることが分かった。

その後、1階席に戻り、中央通路より後ろ側の席に着座して、演奏者がステージ上で場所を変えて弾くチェロの音色に耳を傾ける。曲目は、サン=サーンスの「白鳥」。ラスト付近の演奏である。
まずは、ステージの真ん真ん中での演奏。上方へと飛んでいく音が多いように感じられる。続いて、ステージ一番前での演奏。通常、チェロがこんな場所で演奏することはない。上へ飛ぶ音が減り、低音が豊かに感じられる。今度は、ステージ最後列、壁を背にしての演奏である。後ろの壁にも音が当たって前に飛んでくるため、自然な広がりが感じられる。チェロと同時にホールの響きの豊かさも実感出来るため、私はこの位置での音が最も気に入った(ただし、チェロがステージ最後方で演奏することはまずない)。最後はステージ上手奥のコーナーでの演奏。音響は最も豊かであるが、響きすぎるため、私のいた右手(上手側)の席ではハウリングも多く聞こえる。
アンケートでは、好きな音響はやはり人それぞれであることがわかる。1階席後方といっても、フェスティバルホールは間口も広いため、席によって聞こえる音も大分異なるはずである。


その後、加藤浩介と近藤浩志によるミニトークが行われ、近藤浩志はフェスティバルホールの音響について、「全ての席が良い」と語っていた。昔、東急が「全ての席をS席に」というキャッチフレーズで、東急Bunkamuraオーチャードホールを使ったテレビCMを制作していたが、オーチャードホールは「S席がない」と言われるほど響きが悪いため、演奏家には余り人気がない。使い勝手も悪いようで、N響首席オーボエ奏者時代の茂木大輔がエッセイでけなしていた渋谷のホールというのはおそらくオーチャードホールであると思われる。フェスティバルホールは、「全ての席がS席」と言っても過言ではないと思われる。ただし、音響に関してはで、視覚面では3階席は遠く、傾斜も急である。そして真に音の良い「正真正銘のS席」がフェスティバルホールには存在する。

今日は近藤はフェスティバルホールの音響を意識せずに弾くことを心がけたそうだが、実際はステージ上で弾く際には、どこで弾くかによって演奏法を微妙に変えるという。チェロの場合、ドイツ式の現代配置の時は指揮者の正面付近上手側、アメリカ式の現代配置の時は客席に近い方、古典配置の際はドイツ式の現代配置の真逆で正面付近下手側で弾くことになり、全体の音響のバランスを考えると、「どのポジションでも同じ弾き方」にならないことは察せられる。またホールや曲によっても奏法は当然ながら変わってくる。

その後、加藤浩介と大阪大学の下倉亮太による「音響学の観点より解説」。下倉亮太も専門は音響学であり、加藤とは先輩後輩の間柄だそうだ。共に大阪大学ではなく神戸大学の出身だそうで、下倉亮太の方が1年先輩になるという。一緒に大学院で学んでいたのだが、師事していた先生が退官したため、音響学の研究所自体が閉鎖されてしまったそうで、その代わりとなる進路が二つ示されたそうだ。一つは熊本大学大学院で、加藤浩介はこちらに転籍した。もう一つはイタリアのボローニャ大学大学院の研究科で、下倉は「失恋したばかりでむしゃくしゃしていた」ということもあり、思い切ってイタリアに渡ったという。
ボローニャでは、クラシック音楽が日常の一部となっており、ボローニャに着いた時に、「歓迎」ということで地元のオーケストラコンサートに連れて行って貰ったという。下倉は時差ボケで眠かったのだが、なんとか最初の1曲を聴いた。隣の席に座った指導担当の教授(だったかな?)は始まってすぐに寝始めてしまったそうだが、1曲目が終わると同時に起き上がり、「あんなつまらない音楽を聴いてたのか、お前は?」と呆れていたそうである。クラシック音楽に日常的に触れているため、出来の良し悪しには敏感で、またよくいわれる通り、ヨーロッパの聴衆というのはシビアで、有名な演奏家でも「悪い」と思ったらすぐ帰ってしまうという話がある。1曲目の演奏も招待した側なので帰りはしなかったということなのかも知れない。

フェスティバルホールの内装は、数多くの凹凸があるのが特徴であるが、これは拡散体と呼ばれるもので、その名の通り音を拡散させる効果があるという。クラシック対応のコンサートホールの場合、音が響きすぎるといけないので、吸音材を使うのが一般的なのだが、フェスティバルホールの場合は、拡散体をつけることによって音響障害が発生するのを防ぐという特徴があるようだ。
ちなみにフェスティバルホールの残響は、空席時が2.2秒、満席時が1.8秒だが、コンサートのおける理想の残響は1.8秒だそうで、「フェスティバルホールさんは強気です。満席時がデフォルトです」と下倉は解説した。

コロナ禍により、空席の多いフェスティバルホールでのオーケストラ公演もあるが、残響過多になったり、使い慣れていない声楽の団体が演奏会やオペラで声を張り上げると壁がビリビリいってしまうのは残業が長めに設計されているためだと思われる。フェスティバルホールは残響からいってオーケストラコンサート向け、ロームシアター京都メインホールや兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールは、残響はそれほど長くはなく、オペラ向けの音響であると思われる(音響は全て永田音響設計が手掛けている)。

世界最古のホールは、紀元前のギリシャの劇場であるが、当時は科学が発達していなかったため、「反射音は悪魔の所業」と思われており、残響のない屋外劇場でギリシャ悲劇などが上演された。その際、海のそばに劇場を建て、海がステージの後ろに来るよう設計し、セリフが海風に乗って客席に届きやすくなるよう工夫が凝らされていたそうである。
紀元後のローマ帝国の時代になると、「残響が悪魔の声」などというのはまやかしだと気づくようになり、壁を立てることで音が響きやすくなる構造の劇場に変化していったという。

下倉は、日本にいた時はオペラには興味がなく、観たことすらなかったそうだが、イタリアはオペラの本場ということで、留学時代にオペラに嵌まり、オペラハウスに足繁く通ったそうである。オペラは歌手が主役で、声や歌詞やセリフをハッキリ聞き取れることが最優先、オーケストラは脇役か盛り上げ役であり、声を聴き取るには残響が長いと不利ということで、残響は1.2秒から1.6秒程度とコンサートホールに比べると短くなるよう設計されている。日本でも純粋なクラシック専用ホールと、オペラ対応多目的ホールを聞き比べるとこれは分かる。
残響については、ハーバード大学の教授であったウォーレル・セイビンが、ハーバード大のフォッグ講堂だけ声が聴き取りにくいという学生の声を受けて、音響を測ることにしたのがその始まりとされる。オルガンを使っての測定で、フォッグ講堂だけが他の講堂に比べて残響が長かったそうだ。残響というものが人類史上初めて意識されたのは、音楽ではなく講義だったのである。


最後は、近藤浩志のチェロ独奏によって締められる。演奏されるのは、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第3番よりサラバンド。更にアンコールとしてカタルーニャ民謡(カザルス編曲)の「鳥の歌」が演奏された。

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2021年2月 9日 (火)

これまでに観た映画より(247) フレデリック・ワイズマン初監督作品「チチカット・フォーリーズ」

2021年2月5日 京都シネマにて

京都シネマでスケジュールを確認。連続講義「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜」というイベントが行われており、今日は最終日で、フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画「チチカット・フォーリーズ」が上映され、終映後に想田和弘監督を講師とするレクチャー(リモートによるもので、日本全国6都市7つの映画館を繋いで行われる)があるというので観ることにする。

アートハウスというのは、日本でいうミニシアターのことで、海外ではアートハウスという呼び方が一般的であるようだ。

上演前にちょっとした事件があったりしたが、5分遅れで上映スタート。想田監督が出演する配信は東京から行うので、上映時間が遅れるとまずいのだが、なんとか間に合った。

「チチカット・フォーリーズ」は、フレデリック・ワイズマン監督の第1作で、1967年の制作。マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者矯正施設(州立マサチューセッツ矯正院。刑務所のようなものだが微妙に違うようである)を題材にカメラを回したものだが、題材が題材ということもあり、完成後に色々と難癖がついて、お蔵入りになりかけた作品である。全米公開が許されたのは1991年になってから。日本初公開は1998年となっている。

オープニングとクロージングは、矯正施設の入所者(スタッフが混じっていると思われるが、判別は付きにくい。男性のみの収容所であることは分かるので、女性は全員スタッフであると思われるが、男性は区分が曖昧な人もいる)による学芸会のようなもののシーンである。合唱が中心である。歌のシーンは中盤にも登場する。

何人かの精神異常犯罪者が登場する。11歳の少女を強姦したことで施設送りになった中年男性。いわゆるロリータコンプレックスがあるようで、実の娘を強姦したこともあるという。少年院、感化院を点々としており、人生の多くの時間を塀の中で過ごしているが、実の娘がいることからも分かる通り、奥さんもいる。容姿はまずまずなので結婚出来たのだろうか。奥さんからもずっと「あなたはおかしい」と言われ続けてきたようであるが。医師は同性愛について聞いたりもする(1967年ということで、異常性愛者は他の性的嗜好も持っているはずだと決めつけられたようである。ただ、実際にそのけもあるようだ)。ちなみに、矯正施設を謳っているが、特に矯正プログラムらしきものは見受けられず、投薬と医師との面談が中心のようである。精神医学がまだ進んでおらず、医師も煙草を吸いながら面談を行って、「鬱がハイになったから、薬で戻そう」などと今の精神医学から考えると無茶苦茶なことを平気で言っている。食事を摂れない入所者には、鼻からチューブを入れて強引に栄養を押し込む。

自分が精神病(分裂病=今でいう統合失調症や、偏執病=パラノイアと診断されている人が多いようである。おそらく、当時はそれぐらいしか診断名がなかったのだろう)と診断されたことを強く否定する入所者もいる。「刑務所に戻りたい」と繰り返していることから、矯正施設は刑務所より環境が悪いことが察せられる。男性入所者が全裸であることを強制される場面もあり、彼らの奇行を施設関係者が見下しているように見える(いや見えるだけではないな)時もある。独房(でいいのかどうか)も狭く、殺風景である。
独房だけでなく、中庭があり、そこで入所者が思い思いのことをしている場面も映されている。トロンボーンで「私の青空」を演奏している黒人男性。とにかくお喋りで政治や歴史について語り続ける老人(内容は微妙に間違っている)。三点倒立のようなことをして歌い続ける人。ボーッとしている人も多い。明らかに投薬の後遺症が出ている人も何人かフィルムに収められている。

施設で過ごす人と並行して、施設内で亡くなった人への死に化粧と火葬の様子などが挟まれる。

入所者の来歴はほとんど不明だが、一人だけ、それまで何をしていたか分かる男性がいる。学校の数学と音楽の教師をしていたようだ。

ワイズマン監督は、矯正施設の環境の悪さを映画にして訴える気があったようだが、先に書いた通り公開は大幅に遅れた。ラストに「1968年以降、マサチューセッツ矯正院の待遇は大幅に改善された」という内容の文字が出る(ワイズマン監督ではなく、マサチューセッツ州や政府当局の見解)。

 

想田和弘監督によるレクチャー。まずはフレデリック・ワイズマンの紹介から入る。
フレデリック・ワイズマンは1930年生まれ、今も現役のドキュメンタリー映像作家である。弁護士を父にボストンで生まれ、自身も父の後を継ぐべく法曹を志し、名門イェール大学のロースクールを卒業して弁護士資格を取得。大学でも法律について教え始めるのだが、自身は「法律は退屈」と思っており、文学や映画の方が好きであった。大学でも法律の講義だけだと学生も退屈するだろうから、ということで学外に出向いての実地授業を行い、様々な施設を学生と共に訪れた。その中で見た精神異常犯罪者矯正施設に興味を持ち、撮影することに決めた、というのがワイズマン監督デビューに至るまでだそうである。ワイズマンはマサチューセッツ州の副知事と仲が良かったため、撮影許可も簡単に下りたらしい。医師達の異様に見える言動も「当時は正しいこと」とされていたようだ。

ワイズマンの撮影の特徴としては、主人公の不在がまず上げられ、具体的な個人が主人公として設定されることはなく、「組織」が主役となっている。
また、インタビューは行わず、ナレーションはなく、テロップも示されず、BGMも使わない、「四無い主義」といわれる手法も特徴で、想田監督もかなり影響を受けている。
想田監督は、NHK出身であるが、NHK時代に「四無い主義」を用いたドキュメンタリーを撮ろうとしたところ、「そんなもの出来るわけがない」と却下されたことがあるという。
ストーリーらしいストーリーもなく、場所が移動することで対象物の実態が示される。

「チチカット・フォーリーズ」は、1967年の制作であるが、1960年にシンクサウンドカメラが発明され、その後にこうした手法のドキュメンタリー制作が可能になったそうである。それまでも、スタジオでの大型カメラでの収録なら映像と音声をシンクロさせる技術はあったそうだが、持ち運びの出来るカメラは、1959年以前は画と音声を同時にフィルムに残す技法はなく、ドキュメンタリーを作るにしても音声は後からナレーションで入れるしかなかったそうである。1960年以降になってやっと、今のドキュメンタリーに繋がる映像作成が可能になったそうである。

ワイズマン監督は多作であるが、ドキュメンタリー撮影は短くて4週間、長くても8週間くらいで終えてしまうそうで、その代わり編集は10ヶ月ぐらい費やすそうだ。ドキュメンタリーの撮影を行っていると、「まだ撮れるんじゃないか、もっと良い場面があるんじゃないか」との思いから、撮影が長引いてしまうことがよくあるそうだが、ワイズマン監督は予め撮る期間を決めて、その中で勝負するという。ドキュメンタリー作家としては珍しいそうだ。ちなみに全てフィルムで撮影しているが、フィルムの場合、1時間の撮影で現像料も含めて日本円にして10万から15万くらい掛かるそうで、ドキュメンタリーに十分な時間の撮影を行った場合、途轍もない金額が必要となる。アメリカの公共放送であるPBSやフォード財団など世界中で7つ団体が出資協力してくれるため、撮影が可能だったとのことだ。

 

想田監督のアートハウス=ミニシアターへの思い。
想田監督は、「ミニシアターが主戦場」と語ったことがあるそうだが、一般的には低予算映画がミニシアターで、予算がつぎ込めるようになるとシネマコンプレックスなどの大型スクリーンに移行するものだと勘違いされているそうである。「次、シネコン行けますね」などと言われたりするという。ミニシアターの良さはなんといってもラインナップで、大型映画館では掛からない映画が上演されるのが最大の魅力だそうである。
ドキュメンタリー映画については、フレデリック・ワイズマンとマイケル・ムーアの貢献度が高いという。それまではドキュメンタリーは興行的にスクリーンで行うのは難しいとされ、ワイズマン監督は全てのドキュメンタリー作品を映画館で上映すべく、フィルムを使って撮影したのだが、テレビでしか放送されないものも少なくなかったそうである。
マイケル・ムーアの作風については、想田監督は余り好みではないそうだが、ムーアが監督したドキュメンタリー映画がヒットしたことにより、風向きが変わったそうで、「あれ? ドキュメンタリー、映画館で行けるんじゃないか」という潮流が生まれ、想田監督はその波に丁度上手く乗れたそうである。

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2020年12月29日 (火)

2346月日(26) 東京芸術劇場オンライン「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦――芸術と矯正の融合を目指して――」

2020年12月21日

東京芸術劇場のオンラインイベント、「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦 ――芸術と矯正の融合を目指して――」を視聴。約3時間の長丁場である。事前申し込み制で、当初定員は先着100名であったが、申し込みが多かったため、150名に増えている。

事前に、稽古やワークショップの様子や、本番のダイジェスト映像、資料などにアクセスするURLが書かれたメールが送られて来ており、それに目を通すことで、内容がわかりやすくなるようになっている。

ドイツで刑務所の受刑者に演技指導をして上演するという活動を続けているアウフブルッフ(ドイツ語で「出発」という意味)の芸術監督で舞台美術家のホルガー・ズィルベによるレクチャーと、坂上香監督のドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」にも出演していた毛利真弓(同志社大学心理学部准教授、元官民協働刑務所民間臨床心理士)による日本の刑務所で矯正のために行われている治療共同体(Therapeutic Community。頭文字を取ってTCと呼ばれる)の活動報告、そしてホルガー・ズィルベと毛利真弓の対談「矯正教育による芸術の可能性」からなるオンラインイベントである。モデレーターは、明治大学国際日本学部教授の萩原健(専門はドイツの演劇及びパフォーマンスと日本の演劇及びパフォーマンス)。

アウフブルッフは、刑務所演劇を専門に行っている団体ではなく、フリーのプロ演劇カンパニーだそうで、1996年に結成。翌1997年から刑務所演劇に取り組みようになったという。

アウフブルッフが本拠地を置くベルリン都市州は大都市ということもあって犯罪率も高めだが、「移民が多い」「教育水準の低い人が多い」「再犯率が高い」という特徴があるそうで、刑務所演劇によって再犯率が低くなればという狙いもあったようだが、演劇を行ったことで再犯率に変化があったかどうかの立証は不可能であるため、統計も取られていないようである。
「移民で教育水準が低い」と悪条件が重なった場合はドイツ語も喋れないため、犯罪に手を出す確率は高くなることは容易に想像される。また職業訓練も上手く受けられない場合も多いようだ。そうした状態にある人に芸術でのアプローチを試みたのが、ズィルベ率いるアウフブルッフである。アウフブルッフは、ドイツの他にもロシアやチリの刑務所での上演も行っているようだ。

刑務所演劇の意義として、刑務所のマイナスイメージに歯止めをかけることが挙げられる。受刑者以外で刑務所に入ったことのある人は余り多くないため、その中やそこから出てきた人に対するイメージはとにかく悪い。ただ、刑務所で受刑者が演じる演劇を観て貰うことで、両者を隔てる壁が少しだけ低くなるような効果は生まれる。少なくとも「断固拒絶すべきスティグマ」ではなくなるようである。
1997年にドイツ最大の男性刑務所であるテーゲル司法行刑施設での、「石と肉」という作品で上演が始まり、今に到るまでベルリンの全ての刑務所で公演を行ったほか、外部プロジェクトとして元受刑者で今は社会に出ている人などをキャスティングし、プロの俳優や市民と共同で上演を行う混成アンサンブルによる上演が、博物館、裁判所、教会、ベルリンの壁記念碑の前などで行われているそうである。

ちなみに小さい刑務所の場合は上演を行うスペースがないため、代わりに演劇のワークショップなどを行っているという。

キャストであるが、刑務所側が止めた場合(暴行罪や暴力癖のある人)を除くと希望者がトレーニングを受けて本番に臨むというスタイルのようである。アウフブルッフ側は敢えて受刑者の知識は入れないようにしており、罪状なども一切知らないで稽古を進めるようだ。最初は1回4時間の稽古を4~6回行い、その先に行きたい希望者向けに計300時間ほどの稽古を行うという。刑務作業以外の自由時間は全て稽古に費やす必要がある。無断欠席を3回行った場合は脱落者と見做されるそうである。

ラップや合唱など、コーラスを使った演出も特徴で(演出は全てペーター・アタナソフが行っている)、その他にもセリフの稽古、書き方のワークショップなどが音楽の練習と並行して行われる。本番は6回から14回ほど、キャパは75人から250人までだそうである。受刑者には芸術に触れた経験も興味もない人も多いため、最初は暇つぶしのために参加したり、人から勧められて参加したりと、前向きな理由で加わる人はほとんどいないそうだが、稽古を重ねるうちに社会性が高まる人もおり、更に本番では観客からの拍手を受けるのだが、それが生まれて初めての称賛だったという人も多いそうで、「人生で初めて何かを最後までやり遂げた」と感激の表情を浮かべる受刑者もかなりの数に上るそうである。これにより自信を付け、自己肯定感を得て再犯率も減り……、だといいのだが先に書いたとおり、再犯率低下に演劇が貢献しているのかどうかまではわからないようである。
ただ、刑務所に入るまでに抱き続けていた劣等感は、仮にたった一時であったとしても振り払えるため、何らかの形での再生に繋がっている可能性は否定出来ないように思う。
稽古の終わりに、毎回、キャスト全員で反省会を行い、各々の意見を述べるのだが、これも受刑者がそれまでの人生で余りやってこなかったことであり、人間関係と他者の存在とその視点を知るという意味では有意義なように思われる。

ズィルベによると犯罪者はいずれ社会復帰することになるため、社会の側も刑務所演劇を観ることで受刑者に対する新たな見方を得て彼らを受け入れるための準備をすることが出来る。そうした意味での刑務所演劇の可能性も語られた。

 

毛利真弓による刑務所の報告。「プリズン・サークル」の舞台となった島根あさひ社会復帰促進センターという半官半民の刑務所で臨床心理士をしていた毛利だが、島根あさひ社会復帰促進センターでTCを受けた人の再犯率は9.5%と、TCを受けていない人達の19.6%より優位に低かったそうである。
日本の刑務所は、あくまで収監し、懲役を行うのが主目的で、社会復帰のための教育は遅れているのが現状であり、職業訓練などはあるが、再犯防止のための教育策は基本、取られてこなかった。それでも2006年から少しだけ風向きが変わっているという。

島根あさひ社会復帰促進センターでは、アミティという海外で考え出されたプログラムを使い、イメージトレーニングや加害者と被害者を一人二役で演じる自己内対話を経て他者の視点を得る訓練、また受刑者が受刑者に教えるというシステムもあり、他者と接する機会を多く設けている。これまでの日本の刑務所は他者と触れ合うこと自体が禁じられていることも多かったため、画期的なことであったといえる。

島根あさひ社会復帰促進センターは、初犯の男性受刑者のみが収監されるが、それまでの人生で他者と向き合う機会がほとんどなかったという人も少なくなく、「他者を通して自己と向き合う」「生身の人間のリアルに触れる」ことを目標としたトレーニングが組まれているようである。

ホルガー・ズィルベが島根あさひ社会復帰促進センターの情報を得て、「社会と繋がっていないように感じる」と述べたが、やはり日本の場合、受刑者が社会と直接的な繋がりを持つのは難しいだろう。刑務所演劇の場合は、目の前で受刑者が演技を行い、終演後に観客と受刑者が会話を交わすことも許されているようだが、日本の場合は受刑者という存在に対するスティグマがかなり強いため、少なくともドイツと同様というわけにはいかないように思う。

「犯罪の加害者と上演をしているが、被害者とはどうなんだ?」という視聴者からの質問が来ていたが、被害者とは接点が持てないそうで、まず被害者同士で纏まるということもなく、接触も禁じられているため、手を打とうにも打てないようである。加害者が出演している芝居を観た被害者から一度連絡が来たことがあったそうだが、その一例だけのようである。

刑務所演劇も稽古や上演に到るまで、何ヶ月にも渡って行政と話し合いを持ったそうだが、最終的には「やってやる!」というズィルベの意志が勝ったそうで、毛利も「日本では(刑務所演劇は)難しい」ということを認めながら、「違いを超える」必要性を説いていた。

折しも、日本では第九の季節である。シラーとベートーヴェンが唱えたように「引き裂かれていたものが再び結び合わされる」力にもし演劇がなれるとしたのなら、それに携わる者としてはこの上ない喜びである。

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2020年12月28日 (月)

YouTubeLive ONTOMO(音楽之友社)「おめでとう!ベートーヴェン~3時間ノンストップ音楽トーク」(ダイジェスト記事。アーカイブ映像あり)

2020年12月16日

午後7時から音楽之友社によるYouTubeLive配信、「おめでとう!ベートーヴェン~3時間ノンストップ音楽トーク」を視聴。音楽評論家でベートーヴェン研究家の平野昭、音楽ジャーナリストの林田直樹を中心に、音楽之友社スタッフが作るベートーヴェンの250回目の誕生日祝賀オンラインイベントである。ウィーンから指揮者でピアニストの大井駿がベートーヴェンゆかりの地のライブ中継を行うほか、音楽之友社のSNS等で募ったベートーヴェンの好きな曲アンケートの発表などがある。
視聴者プレゼントなどもあったが、面倒くさいので参加はしなかった。

年末ということで第九の分析などもあり、第4楽章は特に顕著だが、戦いと平和の対比があるという。第九と一対をなすとされる「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」にもそうした場面があり、ベートーヴェン自身も双子の作品と考えていたようだ。

ベートーヴェンは「双子」とされる作品が多いのも特徴で、交響曲第5番と第6番「田園」が最も有名だが、交響曲第7番と第8番も同じ事を形を変えて表しているようなところがある。

リモートとして、鈴木優人が東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”でのコンサートの休憩中に参加したり、元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で現在は指揮者として活躍、エッセイでもお馴染みの茂木大輔や、ベートーヴェン研究家で『ベートーヴェンとバロック音楽「楽聖」は先人から何を学んだか』の著者である越懸澤麻衣(こしかけざわ・まい)が自宅から参加。二人はベートーヴェンの好きな曲ランキングの予想や、自分が好きなベートーヴェンの楽曲5選などにも加わった。

また、録画メッセージとして、ピアニストの金子三勇士(かねこ・みゅうじ)や小菅優、田中彩子(ソプラノ)、鳥木弥生(メゾソプラノ)、藤木大地(カウンターテナー)と成田達輝(ヴァイオリン)、吉田誠(クラリネット)、葵トリオ(ピアノトリオ)が自分が好きなベートーヴェンの楽曲について語った。

好きなベートーヴェンの楽曲アンケートは1位から発表されていく。
トップスリーだけ挙げるが、第1位は第九こと交響曲第9番「合唱付き」、第2位は交響曲第7番、第3位はピアノ・ソナタ第8番「悲愴」であった。

第2位に交響曲第7番が入っていることについて、「『のだめ(カンタービレ)』効果ではないか」と平野が言い、「茂木さんの領域かな?」という話になる。茂木大輔はテレビドラマ「のだめカンタービレ」の音楽監修を手掛け、「のだめカンタービレ」コンサートを全国各地で行い、指揮を手掛けている。
茂木によると、「オーケストラを始めた頃にも交響曲第7番はそんなに有名な曲とは思ってなかった」そうである。


最後は「不滅の恋人」についての平野昭の考察。不滅の恋人については、アントーニエではないかと推測しているそうである。
もう一人の有力候補であるヨゼフィーネについてだが、ベートーヴェンがヨゼフィーネに宛てて書いたラブレターが13通ほど残っているそうである。ヨゼフィーネは当時未亡人だったが、その後に他の男と再婚。ただその再婚相手が変わり者であり、再び離婚することになって、貧困の内に若くして亡くなっている。



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2020年9月23日 (水)

2346月日(23) KYOTO CMEX第1回コンテンツクロスメディアセミナー 戸田奈津子「世界の映画俳優が愛した京都」

2020年9月18日 烏丸六角のホテルモントレ京都大宴会場「ケンジントン」にて

午後4時30分から、烏丸六角にあるホテルモントレ京都2階大宴会場「ケンジントン」で、KYOTO CMEX 第1回コンテンツクロスメディアセミナー「世界の映画俳優が愛した京都」に参加する。映画字幕翻訳者として著名な戸田奈津子の講演である。

予約先着順無料で行われる講演会。本来ならもっと大勢の方に来て貰いたかった講演会であるが、コロナのためソーシャルディスタンスを保つ必要があり、90名限定となった。

異国情緒を売りとするホテルモントレグループ。7月に泊まったホテルモントレ京都はスコットランドの首都エディンバラをイメージした内装であり、「ケンジントン」もお洒落である。クラシック音楽の演奏なども似合いそうな空間であるが、お高いのだろうか。

 

映画の字幕翻訳家の代名詞的な存在である戸田奈津子であるが、若い頃に映画と英語に憧れ、津田塾大学学芸学部英文科在学中に映画の字幕翻訳を志すのであるが、当時は映画の字幕翻訳家は日本中で10人いるかいないかという専門性の強い仕事であり、全員男性でそれぞれ得意分野を持っていた。大学を出たばかりの女性が割り込む余地はなく、戸田奈津子も短期間のOL(秘書)やフリーの翻訳業をしながら清水俊二に師事するなどして機会を窺っていたが、最初の映画の字幕の仕事を貰った時にはもうすでに40歳を過ぎていたそうで、20年越しの夢の達成となったそうである。
ただ、今回話すのは字幕翻訳家としての仕事ではなく、その中で出会ったハリウッドスタートの思い出話である。字幕翻訳家を目指しながら仕事に全く恵まれなかった時代にその物語は始まる。1980年以降、ハリウッドスターが続々と来日するようになるのだが、ハリウッドスターは英語しか話さないので通訳が必要ということになった。ということで字幕翻訳家希望の英語が出来る女性がいる、英語にも映画にも詳しいので大丈夫だろうというので、その話が戸田奈津子に回ってきたのである。だが、戸田は英文科出身なので英語の読み書きは得意であるが、今の若い人達とは違って学校でリスニングもスピーキングも習っていない。いわば「文字専門」の人だったわけである。というわけで断ろうとしたのであるが、実際に会ったロバート・レッドフォードの美しさに胸がときめいたということもあって、ハリウッドスターとの通訳としての交流が始まっていく。ちなみに若き日のロバート・レッドフォードの美しさは今の若手ハリウッドスターとは「格が違う」そうである。

スクリーンに写真を投影しながらのトーク。映るのはロバート・レッドフォード、リチャード・ギア、シルヴェスター・スタローン(大河内山荘で撮影)、ロバート・デ・ニーロ、アーノルド・シュワルツェネッガー(新幹線内で)、シガニー・ウィーバー(嶋原の角屋で撮影)、ロビン・ウィリアムズ、トム・クルーズである。ハリソン・フォードとも京都を旅したことがあるが、残念ながらハリソン・フォードとの写真は残っていないそうだ。

リチャード・ギアは、千家(どこの千家かは不明)の茶室、苔寺(西芳寺)、そして余り人がいない寺院での写真に写っている。リチャード・ギアはダライ・ラマを崇拝する仏教徒であるが、若い頃はまだ何を信仰しようか迷っており、写真に写っているのは仏教を志し始めた頃の姿だそうである。ギアがカメラを構えた姿を捉えた写真もあるが、当時からモノクロームの写真を撮ること趣味で、毎年誕生日プレゼント代わりに自身が撮ったモノクロームの写真を伸ばしたものを送ってくれるそうである。
「アメリカン・ジゴロ」(1980)がヒットして、初めての来日。リチャード・ギアは大学で哲学を専攻したということもあって、思索を好む若者だったそうだ。人混みが嫌いであるリチャード・ギアは、清水寺や金閣寺といった観光寺には興味を示さず、「寂」が支配するような無名の寺院を好んだという。

1980年代初頭、来日したハリウッドスターはまず東京で会見を行い、更に大阪に移って再び会見を行って、その後、1週間ほど京都で遊ぶというのがスタンダードだったそうである。今のハリウッドスターは忙しすぎて、来日して会見してすぐ帰らなければいけないそうで、若いハリウッドの俳優達は往時の映画スターの来日スタイルをうらやましがっているそうである。一方、残念ながら映画のマーケット的にはもう日本は重要拠点ではなく、中国に取って代わられてしまったそうである。人口が多いところには勝てない、のであるが、実は日本の映画人口の減少も関係していると思われる。平均的な日本人が1年のうちに映画館で観る映画はわずかに2本。映画は「観る人は滅茶苦茶観る」というものであるため、実際は1本も観ないという人が圧倒的多数であると思われる。一方、中国や韓国では映画は国策の一つであるため、観ることを習慣としている人が多い。実は日本はクラシック音楽のマーケットとしても中国は勿論、韓国にすら負けてしまっており、オペラのDVDやBlu-rayの輸入盤に中国語や韓国語の字幕は入っていても日本語の字幕が入っていないというケースが散見される。韓国の人口は日本の半分にも満たないが、韓国の方がマーケットとして重視されているということである。私の周りにもオペラを観たことがないのにオペラを馬鹿にする人が普通にいる。かなりまずいことだと思われるのだが、危機意識を持っている日本人は少ない。中国にはいつの間にか座付きオーケストラを持つオペラハウスまで建つようになっており、かつて文化大革命を推進していた国とは思えないほどだ。

リチャード・ギアは、禅寺を回っている時に、“I was here.”と言ったことがあるそうだ。当然ながら輪廻の考えを知っており、昔、日本人だった時にこの寺院で修行していたことを思い出したという。本当かどうかはわからない。
京都から奈良に向かう途中、京田辺の一休寺(酬恩庵)に寄ったことがあるのだが、一休宗純の人物像や一休が詠んだ和歌(「有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け」だろうか?)にもリチャード・ギアは詳しかったそうだ。また桂離宮も愛したそうである。懐石料理なども好み、またなぜか「ひじき」が大好きだそうだ。

 

ロバート・デ・ニーロは、二条城の唐門で家族と共に撮った写真に収まっている。2006年に撮影されたものだという。
「レイジングブル」で、体重を20キロ増やし、20キロ落としたという伝説で知られるデ・ニーロ。戸田奈津子には、「体に悪いのでもう二度とやらない」と話していたそうだが、普通の人は一度だってそんなことはしない、と書きつつ、私も2003年に半年で17キロ体重を落としたことがあるのだが、みんなに心配され、病気説が流れ、重病説に変わるという経験をしたため、今では体重は「自然のまま」に任せている。

なんにでもなれる俳優として尊敬を集めるデ・ニーロ。ハリウッドでは売れない俳優や女優がウエイターやウエイトレスをやっていることが多いのだが、ウエイターに「憧れの俳優」を聞くと、10人中9人が「ロバート・デ・ニーロ」と答え、ウエイトレスに「憧れの女優」を聞くと、10人中9人が「メリル・ストリープ」と答えるそうで、この二人は神様扱いだそうである。

デ・ニーロが家族を連れて二条城に来たとき、息子達が「チャンバラが見たい」と言ったため、太秦の東映映画村で大部屋の俳優がチャンバラショーをやっているということを知り、息子達は太秦に向かうことになった。デ・ニーロも「見たい」と言ったのだが、大部屋の俳優のショーをロバート・デ・ニーロが見るとなると演じる方も困惑するということで、子ども達が映画村に行っている間、車の中で本を読んでいたそうである。物静かで「Sweetな」性格の人だそうだ。初来日前は、「気難しいらしいよ」などと聞かされていたそうだが、会ってみたら話とは別人であり、以降、戸田奈津子は「自分の目で判断したこと」以外は信じなくなったそうだ。

 

双極性障害(躁鬱病)に苦しみ、6年前に自殺したロビン・ウィリアムズ。戸田奈津子とツーショットの写真がスクリーンに映る。戸田奈津子は「東山の寺」とした覚えていなかったが、おそらく法然院だと思われる。
彼は本物の「天才」だそうで、コメディー出身ということもあり、人を笑わせるのが得意だった。記者会見でも即興による芸でその場を爆笑の渦に巻き込むことが得意だったそうである。アメリカのコメディーは作家が書いたものをコメディアンが演じるというケースが多いのだが、ロビン・ウィリアムは作家を使わず、全て自分で考えて演じていたという。
彼もロバート・デ・ニーロ同様、素顔は物静かな人で、それが人を前にするとサービス精神に火が付き、楽しませることに夢中になっていたという。
その二面性が、個人的には双極性障害に繋がっているようにも見える。悲劇的な死は天才であったことの代償なのか。

 

トム・クルーズもエンターテインメント精神に関しては誰にも負けないという。ディスレクシア(読字障害)を持ち、人一倍苦労して育ったトム・クルーズ。新宗教に入れあげていて、それで批判されることも多いが、現役としては最高の映画スターであることは間違いなく、戸田奈津子はトム・クルーズのことを「映画のために生まれてきた人」と評している。二条城での「ラスト サムライ」公開時の記者会見の写真がスクリーンに映る。
トム・クルーズは、「ラスト サムライ」出演に当たって、武士道や剣術などを徹底して研究したそうで、プロ意識も高く、日本など諸外国へのリスペクトも忘れないという。

危険なシーンにもスタントマンなしで挑むことでも知られるトム・クルーズであるが、他の映画を観た時に、あきらかに別人が吹き替えているとわかるものがあり、自分がそうなるのはみっともないという考えがあるそうだ。そのためトム・クルーズが危険なシーンに挑んでいる時は、必ず自身の顔が映るようにして貰っているそうである。「ファンが僕がやってるんだとわかると喜んでくれるから」だそうである。

トム・クルーズは笑顔が印象的な俳優であるが、朝起きた瞬間から笑顔というような人だそうで、「ちょっと気持ち悪いかも知れないんですけど」と戸田もいうが、とにかく人を喜ばせることを生き甲斐としているそうである。

 

ハリウッドスターの共通点は、「ビッグになればなるほど謙虚」だそうである。残念ながら写真はないが、最後はハリソン・フォードの話になる。ハリソン・フォードは30代になってから売れ始めた遅咲きの俳優であるが、売れ始めた頃から今に到るまで、内面は全く変わらないそうである。
ハリソン・フォードは20代の頃は丸々売れず、「大工をしていた」という話があるが、正確にいうとしていたのは大工というよりも「家具職人」に近いそうである。
アメリカの場合、売れない俳優にはポルノ映画からの声が掛かることがあるそうで、有名俳優にも若い頃はそうやって日銭を稼いでいた人はいるそうだが、ハリソン・フォードはポルノ映画から声が掛かっても、「それをやってしまうと俳優の仕事への誇りを失ってしまいそうだ」という理由で断り、職人仕事を行いながら映画俳優への道を模索し続けていたそうである。

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2020年8月30日 (日)

笑いの林(125) ネイビーズアフロ 「ネイトークアフロ vol.19」@よしもと祇園花月

2020年8月24日 よしもと祇園花月にて

午後6時30分から、よしもと祇園花月でネイビーズアフロの公演「ネイトークアフロ vol.19」を観る。上演時間約1時間のトーク公演。

京都市立堀川高校を経て、神戸大学に進んだという経歴を持つネイビーズアフロ。高学歴漫才コンビである。ただ皆川勇気は卒業したが、はじりは中退のようである。ただ二人とも神戸大学ということになると、片方だけが上位国立大卒というコンビよりも学歴だけなら高いということになるのかも知れない。一方で今は高学歴芸人は多いため、枠が少なくなっているようにも思う。

ソーシャルディスタンスを保つために、客席は最低でも1席空けるポジショニング。お客さん自体はそれほど多くないが、ほぼ全員女性で、男しかもおっさんは私一人であり、かなり目立ちそうである。

揃いの青い背広がトレードマークのネイビーズアフロだが、今日は30度台後半の気温ということで夏らしい格好で現れる。

祇園花月のめくりの話をした後で(西川きよし師匠だけが「やるとお客さんの反応が気持ちいい」という理由で自分でめくるらしい)、新型コロナの影響により、夏にどこにも行けなかったという話から始まる。はじりは、難波のエディオンの夏祭りに行ったのだが、今年唯一の夏祭りらしきものだったという。

ちなみに、「ネイトークアフロ」はこれまで大阪・道頓堀の中座跡にあるZAZAで行われていたようだが、そこが使えなくなってしまったため(私も何度も吉本の公演を観ている小屋だが、現在は演劇の公演優先になっているようである)祇園花月で「ネイトークアフロ」を行うことになったようだ。京都の人も私を含めて5人ほどいたようだが、他は道頓堀ZAZAで観て今回は京都という人のようで、「大阪から観に来るのに6時半開演はちょっと不親切」と皆川は述べていた。

残念ながら京都在住で祇園花月に通う習慣のある人は極々少数派であると思われる。

私も二人のインスタグラムはフォローしているので、ステイホーム期間中、皆川勇気が高学歴を生かしてインスタライブで数学など勉強の講座を開いていたことは知っていたのだが、皆川によると叩かれまくったらしい。見知らぬ人から、「おもんないねん! 芸人だったら面白いことせえ!」というコメントがあったため、皆川が「あなたと私の『面白い』は違う」という反論を英語などを交えながら理路整然と語ったところ、相手から即刻ブロックされたらしい。はじりは、「あ、これあかん奴や。関わると面倒くさい奴や」と批判コメントの主の心境を代弁する(?)。

はじりは、ネット上の無料の姓名判断で遊んでいたそうで、皆川を占った結果、よく当たっているという。その結果を発表するためにはじりがいったん引っ込み、その間、皆川は上手の壁に張り付いてはじりが出てきたところを驚かせようとするが、はじりも気付いて下手側から出てきた。
どの姓名判断を用いたのかは分からないが、はじりによると皆川は「頭が良く、才能もセンスもある。独立運も強いが孤独運がある。犯罪に遭いやすく、犯罪を起こす運もある」と、大体こんな感じであった。全体的には良いのだが、孤独運と犯罪運が気に掛かる。

はじりは自身の姓名判断も同じサイトで行ったが、結果が良かったので信じることにしたという。

 

皆川は、ネタを考えるため、4時間ぐらい街中を放浪することがあるそうだが、そんな時に、同期である筋肉金魚の川畑と出会う。川畑は今、良くも悪くも話題のUber EATSでアルバイトをしているそうだが、時節柄、「ひょっとして俺らもいつバイト生活を始めんといかんようになるかも」ということで、後で川畑にLINEを送ったのだが、いつまで経っても返事が来ない。よく見てみると、筋肉金魚の川畑ではなく、吉本新喜劇の川畑座長にLINEを送ってしまっていたことに気づき、川畑座長に謝りに行ったという話をする。川畑座長は優しい人なのですぐに許してくれたそうである。

ちなみに吉本興業も川畑違いをやってしまったことがあるそうで、ある時、筋肉金魚の川畑が給与明細を見て、「今月大分多い」と感じたそうだが、一番上に「引田天功プリンセスショー」とあるのを見て、「あ、これ川畑座長や」と気付いたという話をしていた。

私がネイビーズアフロを初めて見たのは大分前だが、その時は、高校、大学と順調に来て、今は「アルバイトをしながら漫才してます」と残念な感じを前面に出していたのだが、今はテレビにも出るようになり、今日もここに来る前にラジオの二本録りあったそうで、アルバイトはしなくても良くなったようだ。ただ、NSCだと同期に当たる人(ネイビーズアフロはNSC出身ではなくオーディション勝ち抜き組である)には今も売れずにアルバイト生活をしている人も多いようである。

同期がどんどん少なくなっていくという経験も勿論しているだろうが、皆川は後輩からもため口を利かれるようなキャラクターであるらしい。

とある番組で、皆川は滑りまくったのだが、他の出演者達から、「それが皆川の真骨頂」と言われたそうである。いつの間にか滑り芸人と認識されるようになっているのだが、吉本に入る前に憧れていたポジションと大分かけ離れているようだ。

二人は京都市出身であるため、皆川がはじりに、「今日は実家に帰って麦茶飲め」と勧めるが、はじりは「うちは麦茶ちゃう、プーアール茶」という実家の謎の習慣を語る。

ちなみに皆川の家はお堅いが、はじりの家はフレンドリーが売りだそうで、10年前は「羽尻の家は全員、テレビに出ても大丈夫」と言っていたが、最近は別路線(?)を行きだしたようである。
テレビで「実母に大喜利に挑んで貰う」という企画をやった時は、はじりの母親は息子よりも面白いかも知れないものを作ったが、皆川の母親は「NHKは本当は何の略?」とのお題に「よくわかりません」と率直に答えたそうで、漫才師になろうと誘ったのは皆川の方であるが、本来ならお笑い芸人が出るような家ではないらしいことがわかる。


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2020年6月16日 (火)

ステージナタリーZoom対談 白井晃×谷賢一 2020年4月(文字のみ)

ステージナタリーにアップされた白井晃と谷賢一のZoom対談を見る。4月18日に行われたもので、24日に公開されている。

まず、演劇に関わるようになったきっかけを述べた後で(白井さんは高校までは演劇に関心がないというより嫌いだったようだ。この点は私と一緒である。松田正隆も高校時代は演劇部をうさんくさい存在だと思っていたという話をしていた)。映画に関しては二人とも撮りたいと思ったことがないという話をする。実は私も映画を撮りたいだとか映画監督になりたいと思ったことはただの一度もない。谷賢一も語っていたが、演劇と映画はストーリーがあるということだけが共通点としてあるだけの全く別の表現形態である。勿論、映画を舞台化したり、場転や暗転を多くして映像作品のように見せる演劇も少なくないが、本来は三一致の法則を遵守するとまではいかないが、三一致の法則に従ってリアルタイムで行われるものが最高の演劇作品なのではないかと思っている。大学でも映画・演劇科などといったように(私も映像・舞台芸術学科出身だ)一緒くたにされることが多いが、映画は小説などに近く、舞台はむしろボードゲームなどと親和性があるように思われる。舞台は空間の芸術なのだ。ストーリーは空間に対しては従でしかあり得ない。映画は全く逆である。鑑賞する立場ならその差は余り気にならないだろうし、批評も同じスタイルでこなせる。ただやる側としては全くの別物と考えて行った方が少なくとも利口ではあるだろう。

劇場はその場に演者がいて、観客がそれを固唾をのんで見守っているという特殊な表現スタイルである。演者が一人欠けていても成り立たない。音楽もそうだが、音楽は今は録音物がライブ以上の価値を持つこともある。トスカニーニ、フルトヴェングラー、カラヤン、レナード・バーンスタイン、ピアノならラフマニノフやホロヴィッツ、アルトゥール・ルービンシュタインの録音を聴くことにライブ同等以上の価値を見いだす人もいる。グレン・グールドのように録音しか行わないピアニストすら存在したほどだ。だが、演劇の場合は映像に収められたものが劇場での体験と同一視されることは今後もないだろう。私自身は映画でない映像のための演劇があってもいいとは思っている。矢口史靖と鈴木卓爾のショートフィルム作品集である「ONE PEACE」のような作品が生まれたなら、今のような窮地もしばらくはしのげるだろうとも思う。だがやはり演劇は劇場に通って観るものだと思う。チケットが手に入らなかっただとか、その日体調が悪かったり別用があったりで行けなかった場合は映像が手に入ればありがたいが、それはあくまで補足であって、本来の演劇を観たことにはならないだろうと感じている。映画館通いもそうだが、そこに至るまでの過程にも良さがある。例えば梅田芸術劇場(メインホールとシアター・ドラマシティ)ならば、阪急電鉄大阪梅田駅で降りてから茶屋町に向かうまでの道のり、たまに参拝する綱敷天神御旅社、これまた時折立ち寄るMBS本社やロフト、NU茶屋町や終演後に乗ったエスカレーターから見える宝塚大学看護学部の高層校舎(安藤忠雄設計)、カッパ横丁や阪急三番街、京都までの帰路、全てが観劇という行為に含まれている。以前にそこで観た別の芝居との差違を帰りの阪急電車の中で味わったりもする。初めて行く劇場なら、例えば青山のスパイラルホールなら、開場前に寄った岡本太郎記念館の内装や表参道の街並みによって、その日その時でしかあり得ない自分だけの空間とその場の空気を、劇を観る前も観ている間も観た後も纏うことになる。それは人生の中で今でしかあり得ない瞬間の連続でもある。

その時間と空間の共有を白井さんは「共犯」という言葉で語っていたが、人生の中でこの一度しか巡って来ない時間の流れを共に味わうということは、生きているということのまさに本質である。そこにいたことが重要且つ幸福なことなのだ。少なくともその限られた時間においては。

白井さんが、スポーツはテレビ観戦が当たり前になっているという話もする。白井さんも谷さんもスポーツ観戦はテレビで済ませていて、最後に競技場や野球場に通ったのは小学生時代が最後ではないかという話もする。これは私とは大違いで、私は出来るなら毎日でも神宮球場に通いたいが、現実的に無理。かといって神宮球場に通うためだけに東京に住みたいとは思わない。京都という、それほどスポーツ文化が発達していない場所にあっても、2月にサンガスタジアム by KYOCERAのオープニングに行ったばかりだし、わかさスタジアム京都(西京極球場)には女子プロ野球やNPBを観に出掛ける。京セラドーム大阪には阪神対ヤクルトの開幕戦を観に行ったことがあるし、バファローズとスワローズの交流戦もよく観に行く。今年も交流戦のチケットを2日分取ったが、コロナ禍によって試合自体が流れてしまった。

私事が長くなったが、白井さんも谷さんも余りスポーツ好きには見えないので実感はないのだと思われるが、NPBなどは毎年観客動員数は増加している。地上波で試合が流れなくなったということもあるが、野球場に行って、お気に入りの食べ物や飲み物を買って、早めに着いたなら練習を眺めて、周りの面白い観客などをそれとなく見て、歓声に包まれて、たまに他のお客さんと話したりすることもあって、というボールパーク的喜びは多分、二人ともご存じないと思われる。だから演劇がスポーツのテレビ中継のようになることはないと個人的には思っている。テレビでのスポーツ中継はスタジアムに行けないので仕方なく見るものなのだ本来は。

谷さんは、4月は小説を書く予定が入っていたのだが、公演が出来ないということでそれどころではなく、白井さんは基本的に演出メインなので、「本でも読むか」と思って小説を読むと、「あれ、これ、舞台にしたらどうなるだろう」と考える職業病のようなものが出てしまい、ではあるが今は上演自体が出来ないというので胸が苦しくなってしまうそうだ。

もしコロナ禍が早めに収束したらという仮定の話を白井さんは行う。通常はリハーサルに最低1ヶ月は掛かるのだが、2週間しかなかったら2週間の稽古期間で出来るものを探してやればいいという考えを示す。今の段階では最も実現性の高い路線であると思われる。

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2019年12月 6日 (金)

2346月日(19) 「カルチャートーク Creator@Kamogawa」 第1部「場所の記憶」&第2部「ラ・長い息」 2019.11.30

2019年11月30日 荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川にて

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で午後3時から「カルチャートーク Creator@Kamogawa」を聴くことする。
始まる前にゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川内にあるカフェ・ミュラーで食事。本格的な食事は2種類だけで、鳥料理のものを選ぶ。

 

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川での「カルチャートーク Creator@Kamogawa」は1階のホール(ザール)での開催。ドイツの建築家・美術家であるミヒャエル・ヒルシュビヒラーと宗教人類学者の植島啓司の対談による第1部「場所の記憶」と、ドイツの美術家であるレニ・ホフマンと美術家の今井祝雄(いまい・のりお)との対談である第2部「ラ・長い息」の二本立てである。いずれも司会進行役は小崎哲哉が務める。イヤホン付きの機械を使うことで日独同時通訳音声を聞くことが出来る。

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第1部「場所の記憶」。ミヒャエル・ヒルシュビヒラーは、1983年生まれ。哲学と建築をベルリンとチューリッヒで学び、現在はミュンヘンとチューリッヒを拠点に美術と建築の境界領域で活動。パプアニューギニアでの調査や教育活動も行っている。

ヒルシュビヒラーは、「ナラティブな考古学」と称した調査探索をパプアニューギニアで行っており、パプアニューギニアに伝わる怪談話や口語伝承を現地の人から聞き取っているそうである。
また、アゼルバイジャンの首都バクーの油田では、石油を使って絵を描き、組み上げポンプの音を録音して音楽を作るという試みも行っている。実は、石油を使って絵を描いている時に、立ち入り禁止のところに入ってしまって逮捕されたこともあるそうだ。
石油で描いた絵をギャラリー内に再現するということも行っているそうだが、これらをアゼルバイジャンの外に持ち出すのは許可がいり、下りていないため、ヨーロッパでの再現はまだ果たされていないそうである。おそらくバクー市内のギャラリーでの再現に留まっているのだろう。

一方の植島啓司は、1947年東京生まれ。東京大学と同大学院博士課程修了。ニューヨーク・ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、関西大学教授などを歴任し、現在は京都造形芸術大学空間演出デザイン学科教授を務めている。熊野の民俗学や聖地の研究などを行っている。

植島は「聖地は自然発生的に出来るもので、個人が聖地を作り出すことは出来ない」と主張しており、全く反対の考え方をしている荒川修作と共に聖地調査を行ったこともあるそうだ。
植島は、世界的な聖地としてアルメニアに注目しているという。アルメニアのアララト山は、エデンの園のモデルとなったところだそうで、またアルメニア国内にはノアの箱舟伝説の最初期の形態が残っているという。
熊野に伝わる小栗判官の話などもする。地獄に落とされた小栗判官が蘇るという物語だが、このように非業の死を遂げた人を神様として祀るという習慣が日本にはある。京都での例として北野天満宮が挙げられていたが、京都にはそれ以外にも上御霊神社、下御霊神社、白峯神宮、崇道神社など、怨霊を神様として味方にするという風習がある。これは世界的に見ても珍しい習慣であることは間違いない。小崎によると、他の国では地獄に落ちた人が罰せられるという救いのない話になることが多いそうだ。ヒルシュビヒラーによると、パプアニューギニアにもそんな話はないそうである。パプアニューギニアに伝わるナラティブには、例えば、母親が留守の時に父親が息子を殺してバラバラにし、庭に撒くと草木や花が生えてきて、戻ってきた母親がそれを見て喜ぶという、論理も倫理道徳もない不思議な話が多いそうである。

ヒルシュビヒラーも、「個人で聖地を作ることは出来ない」という植島の意見には賛成するが、「聖地から影響を受けて新たなものを作り出すことは可能」という考えを持っているそうだ。京都に来て、様々な妖怪の話や怪談を集めて回っているが、文学からのアプローチでは、まず日本の古典を読むことを始めたそうで、上田秋成の『雨月物語』を読むことにした。それもドイツ語訳されたものではなく、日本語の文章をGoogle翻訳機にかけたもので読もうとしたそうだが、翻訳機能がまだ正確ではないので、わけのわからないものになったそうだ。ただその滅茶苦茶さが面白いという。これはパプアニューギニアで採取した物語のわけのわからなさにも繋がっているのだろう。
京都について、ヒルシュビヒラーは、「古いものと新しいものがこれほど渾然一体となっている都市は世界中を探しても存在しない」ということで、京都という場所の歴史的重層性を芸術作品にしようと、妖怪が描かれた絵巻物を、幽霊が出るという噂のあるトンネルの中に置き、一晩寝かせた状態のものを作品とするという試みなどを紹介する。トンネルというのは近年になってから出来たもので、絵巻物の上にはタイヤの跡などがついているが、自動車も古くからあったものではない。時代の異なるものが合わさったものを重層性のある芸術作品として捉えるというあり方である。

植島は曼荼羅が土地の代わりになるという日本の考え方を紹介する。これもある意味、土地が芸術作品を生み出す例と見ることも出来る。また記号の中に物語が展開される例があるとして、中央オーストラリアのワルビリ族のイコノグラフィーを紹介する。不思議な絵のようなものが並んでいるが、全てに意味があるそうで、見て感じる物語のようなものとなっているようである。また、蛇の物語が最初に置かれているのだが、この蛇の物語は世界中の至る所で見られるそうで、例としてメソポタミアの英雄マルドゥクと大地の精霊ティアマトの絵が資料に印刷されていたが、考えてみればエデンの園の物語で悪役となっているのは蛇であり、日本でも箸墓伝説など蛇が重要な役割を果たすものは枚挙にいとまがない。

あるいは、聖なる意識というものは人類の奥底で繋がっていて、それが特別な場所や手段を経て、人類の意識上において再結合するものなのかも知れない。

 

第2部「ラ・長い息」。タイトルは、レニ・ホフマンが決めたそうだが、ドイツ語で「LA LANGER」という語感で決めたそうである。レニ・ホフマンは、自らを「アナーキスト」と語っており、前衛芸術を生み出す人であるようだ。

レニ・ホフマンは、1962年生まれ。デュッセルドルフとカールスルーエを拠点に、サイトスペシフィック(場所に帰属する芸術)な創作活動を行っているそうである。2002年よりカールスルーエ芸術アカデミーの教授を務めている。レニ・ホフマンの芸術を捉えるには「パンク」や「遊び」が重要なワードとなるようだ。

対談相手の今井祝雄は、1946年生まれ。1965年に吉原治良が率いる具体美術協会の最年少会員となる。その後、大津市にある成安造形大学教授を経て現在は同大学の名誉教授の称号を得ている。
具体美術協会では、展覧会に出展する作品などは全て吉原治良が選定していたそうだが、評価に関しては「ええで」か「あかん」の二つだけだったそうで、「ええで」と言われた時はいいが、「あかん」と言われたときは理由がわからず、悶々とすることもあったという。自分が教育者や選定者として活動する立場となった時は、流石に「ええで」と「あかん」の二つで決めるというわけにはいかず、駄目なときでもその理由を説明するようにはしているそうである。
吉原には、「これまでにないものを作れ」と何度も言われたそうで、それが作家としての指針となってきたようだ。ただ小崎によると現代芸術は新しいものを求める一方で、その根拠や歴史的な文脈を求めるところがあるそうで、真逆のことをやらねばならない難しさがあるようである。

レニ・ホフマンは、サイトスペシフィックとはいうが、デジタルな思考として「昨日」「今日」「明日」が一度に見えるような作品を指向するなど、重層性ということに関してはヒルシュビヒラーと繋がる部分があるように感じられる。
レニ・ホフマンの芸術観は、日本の観念だと「無常」と相性が良く、その日、その場所、その人でなければ味わえないアートを理想としているようである。第2部開始前に聴衆全員に粘土をこねたボールが配られたが、粘土は誰でも手軽に形を変えることの出来る芸術という意味があるようだった。私も色々と押しつぶして形を変えてみた。結局のところありきたりの形にしかならなかったわけだが。他の人も色々と試していたが、飛び抜けて創造的な作品を作ることは難しいようだった。

ある意味、「個」としての体験を重要な芸術感覚と捉えているようで、第2部終了後、ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川の裏庭に設けられたレニの作品を皆で鑑賞したのだが、様々な角度を向いたミラーに人々が映り込むことで、1回きりの芸術体験が出来るようなものであった。1回きりではあるがそれは瞬間瞬間においてはということで、形を変え続ける作品をずっと見続けることは出来る。ただ、写真とは相性は悪く、私もスマホで何枚か撮影したが、「写真には写らない美しさがある」作品だと確認した。

レニは芸術の幅を広げることを重要視してるようだが、今井によるとメンターの問題として美術系芸術系大学が増えて、売り出し方までも教えるようになった結果、アカデミズムから抜け出ることが難しくなっているという。
都市芸術にも話は及ぶ。都市芸術というと、私などは名古屋市立美術館で観たハイレッド・センター(高松次郎、赤瀬川源平、中西夏彦による前衛芸術グループ。東京の路上で過激なパフォーマンスを行うことで都市における芸術を提唱した)を思い浮かべるが、今井も御堂筋の3階建てのビルの最上階のネオンを使った都市芸術作品を作ったことがあるそうである。レニも都市は市民にとって重要な表現の場という考えを抱いているようであった。

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