カテゴリー「パーヴォ・ヤルヴィ」の31件の記事

2022年3月28日 (月)

配信公演 パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団 フィルハーモニー・ド・パリ セカンドガラコンサート2015(文字のみ)

2015年1月17日

インターネット録画中継で、フィルハーモニー・ド・パリのセカンドガラコンサートを視聴。パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏。arteの制作。休憩時間にはパーヴォへのインタビュー映像が流れ、パーヴォはフィルハーモニー・ド・パリの内装について、「東京のサントリーホールから影響を受けた」と語る。パーヴォは指揮者としてサントリーホールのステージに上がったことがあるだけではなく、一聴衆としてサントリーホールの客席でギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団の来日演奏会を聴いたことがあると、以前語っていた。

曲目は、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」より“ダッタン人の踊り”、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:ラン・ラン)、ベルリオーズの幻想交響曲。


ボロディンの歌劇「イーゴリ公」より“ダッタン人の踊り”。オリエンタリズムに溢れた旋律をパーヴォは瑞々しく歌い上げる。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。ソリストであるラン・ランは中国を代表するピアニストである。神童として有名で、幼い頃から日本のテレビでも紹介されていたが、今は立派な青年になった。ただ、情感を込める余り、弾きながら変顔をする癖があり、それを苦手とする人も多いと聞く。

今日もラン・ランは半目になったりと、顔の表情を付けすぎであるが、ピアノの表情は個性があって豊か。普通は力強く弾くところを軽く流して旋律の美しさを際立てたりする。
ただ崩して弾くだけでなく、造形は堅固で、スケールの大きさにも欠けていない。

パーヴォ指揮のパリ管弦楽団も、ラン・ランに負けじと雄大な演奏を繰り広げる。

ラン・ランは、アンコールとして、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」より1曲を弾く。叙情味溢れる演奏であった。


ベルリオーズの幻想交響曲。

2011年に京都コンサートホールで聴いたパーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の幻想交響曲をメインとするコンサートは、私が生で聴いた演奏会の中でナンバーワンである。
あの時の幻想交響曲は視覚的演出もあって、迫力と狂気の放出が半端ではなく、パーヴォの指揮者としての才能を思い知らされたのであった。

映像であるため、当然ながら生で聴くような臨場感はないが、巧みな演奏であり、聴かせる。

パーヴォはシンシナティ交響楽団を指揮して幻想交響曲をレコーディングしており、素晴らしい出来を示しているが、そのCDも今日のインターネット中継も実演には敵わない。

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2022年3月21日 (月)

配信公演 パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団 フィルハーモニー・ド・パリ オープニングプレミアムガラコンサート2015(文字のみ)

2015年1月15日

フランス・パリに出来上がった初の本格的コンサートホール、フィルハーモニー・ド・パリのオープニングプレミアムガラコンサートをインターネットで視聴。arteの制作である。パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏。

パリとロンドンには本格的なコンサートホールがなく、「ロンドンとパリには一流のオーケストラはあっても一流のコンサートホールはない」と言われ続けてきたが、パリ管弦楽団の音楽監督に就任したパーヴォ・ヤルヴィが「今のままでは駄目だ」ということで、新たな本拠地とするための音響設計のきちんとなされたホールを作るよう進言。パリ管弦楽団の評価を高めたパーヴォの発言力は大きく、すぐさま実行に移されることになった。一方で、パリ管弦楽団がこれまで本拠地としてきたサル・プレイエルは歴史があり、パリの都心に近いとして(一応、パーヴォがパリ管弦楽団の音楽監督に就任した際に内部改修工事が行われている)新ホールへの本拠地移転に反対する意見もあるようだ。

フィルハーモニー・ド・パリのオープニングにパーヴォが選んだのはオール・フランス・プログラム。エドガー・ヴァレーズの「チューニング・アップ」、アンリ・デュティユーの「ひとつの和音の上で」(ヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏:ルノー・キャピュソン)、フォーレの「レクイエム」、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、ティエリー・エスケシュ(Thierry ESCAICH)の管弦楽のための協奏曲(世界初演)、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。

通常の定期演奏会の倍近い時間を要する特別コンサートである。

マイクを通してだが、音響の良さが伝わってくる。映像で見る限り、内装はベルリン・フィルハーモニーに似ており、左右非対称なのも特徴である。


ヴァレーズの作風はそれほど易しいものではないが、「チューニング・アップ」は冗談音楽のような作品であり、楽しい。デュティユーの「ひとつの和音の上で」はクリスティアン・テツラフのヴァイオリンとパーヴォ指揮パリ管のCDが発売されたばかりだが、音だけで聴くより、演奏している風景が伴った方がわかりやすいような気がする。

フォーレの「レクイエム」は、パーヴォとパリ管はすでにCDと映像(Blu-rayとDVD)をリリースしているが、今回の演奏でも好演を示している。


ラヴェルのピアノ協奏曲。フランスを代表する天才ピアニストにして変人美人のエレーヌ・グリモーのピアノ。
チャーミングにしてリズミカルな演奏をグリモーは展開。パーヴォ指揮パリ管の伴奏も粋だ。

アンコールとしてグリモーとパーヴォ、パリ管は、ラヴェルのピアノ協奏曲の第3楽章を再度演奏した。


ティエリー・エスケシュの管弦楽のための協奏曲(オーケストラのための協奏曲)。
ティエリー・エスケシュはフランスの現役の作曲家兼オルガニスト。才気溢れる作風で知られているようだ。
今回が世界初演となる管弦楽のための協奏曲も分かり易い音楽ではないかも知れないが響きは美しい。


ラストの曲目となるラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。繊細さ、緻密さ、熱狂の度合い、どれを取ってもお手本となるような高水準の出来。フィルハーモニー・ド・パリのオープニングプレミアムガラコンサートは大成功とみて良いだろう。

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2019年11月30日 (土)

コンサートの記(611) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団来日演奏会2019堺

2019年11月23日 堺市・堺東のフェニーチェ堺大ホールにて

この秋にオープンしたばかりのフェニーチェ堺で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日演奏会を聴く。

最寄り駅は南海堺東駅である。堺市庁舎23階にある展望台で世界文化遺産への登録が決定したばかりの百舌鳥・古市古墳群を眺めてからフェニーチェ堺に向かう。最初は堺市役所の西側にある大通りからフェニーチェ堺に近づき、北側を通って東側にあるエントランスにたどり着く。北側からの眺めはまるで美術系専門学校といった雰囲気である。その後、堺銀座通り商店街に戻り、今度は、東側からフェニーチェ堺に向かったのだが、今度はいかにも文化施設といった外観に見える。角度によって印象が大きく異なるようだ。

 

フェニーチェ堺大ホールは、3階まではエスカレーターがあるのだが、4階席へは細い階段を上がる。ロームシアター京都メインホールと同じような感じだが、フェニーチェ堺大ホールは4階までエレベーターは上がる。細い階段はロームシアターは2本あるが、フェニーチ堺は1本だけなので、4階席に行くならエレベーターで一気に行ってしまった方が良いかも知れない。

構造的にはちょっと使いにくいといった印象は受ける。4階席自体の面積が余りないので、最寄りの入り口からの入場となる。他のホールのように少し遠い入り口から入って場内を移動ということは難しい。
4階の傾斜から見て、「これは今日は指揮者は見られないぞ」と思ったが、なんとか見える。だがそれはロームシアター京都メインホールのベランダ席にもあるハイチェア席だったからである。席が高めに設置されおり、折りたたみ式の足乗せ台が下にある。視角は良くなったがやはり疲れる。

内装は、一昔前の公会堂を木目にした感じで、意外であった。ステージから遠いのでちゃんと聞こえるか不安だったが、音の通りはかなり良い。

 

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の日本ツアーは今日が楽日である。午後5時開演。

当初は、音楽監督であるダニエーレ・ガッティとの来日になるはずだったと思われるが、ガッティがセクハラ疑惑で馘首となったため、代役としてパーヴォが指名されたのであろう。パーヴォはそう度々コンセルトヘボウ管弦楽団に客演しているわけではないので、急遽の抜擢だったと思われる。パーヴォが日本に拠点を持っていたということも大きいのだろう。

 

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第10番。いずれもパーヴォはレコーディングを行っている曲目である。

コンセルトヘボウ管は古典配置での演奏。パーヴォは基本的に古典配置を好んでいるようである。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。パーヴォはドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとレコーディングを行っており、同コンビの実演にも接したことがある。
パーヴォとドイツ・カンマーフィルが作成した「ベートーヴェン交響曲全集」の中で最も衝撃的だった演奏の一つがこの第4番である。ベートーヴェンの交響曲の中で最もアポロ的と思われた同曲をディオニソス的に演奏し、常識を覆してみせた。もっとも、そうした演奏をするだけならそう難しいことではなかったのかも知れないが、パーヴォの凄さは説得力に溢れていたことである。

コンセルトヘボウ管との演奏も、ドイツ・カンマーフィル同様、ピリオドによるアプローチ。バロックティンパニが用いられている。
流石に手兵であるドイツ・カンマーフィルに比べると、コンセルトヘボウはパーヴォの棒への対処が遅れがちで、もどかしいところもあったが、強弱、緩急ともに自在のエネルギッシュで面白いベートーヴェンを聴かせる。クラリネットは特に即興的に吹かせている。ゲネラルパウゼも長め。パーヴォの腕をグルグル回す指揮も見ていて爽快である。
第1楽章ではまろやかで明るめの音色を出していたコンセルトヘボウ管だが、第2楽章ではお馴染みの渋めの音色も披露。エレガントな描写力もあり、ある意味、最もヨーロッパ的といえるオーケストラの実力をいかんなく発揮する。
第4楽章のラストは超スローテンポからの一気の加速というユニークさで、聴衆を沸かせた。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第10番。パーヴォはシンシナティ交響楽団とこの曲をレコーディングしている。

コンセルトヘボウ管は極彩色の音色で阿鼻叫喚の地獄絵図を奏でる。その異常さ痛切さに胸が苦しくなるが、同時に美と悲しみが隣り合わせであることを実感させられる。
第1楽章のラストでは、ピッコロ2本が遠くに霞んで見える希望を浮かび上がらせるのだが、やがてピッコロは1本での孤独な囁きとなり、ティンパニがこだまして希望が雲の彼方に消える。

「スターリンの肖像画」といわれる第2楽章を嵐のような勢いで進撃したパーヴォとコンセルトヘボウ。第3楽章では、ショスタコーヴィチの「天才」としか思えない至芸を明らかにする。
最初、警告のように聞こえたホルンのソロが、弱音で演奏されると先程のピッコロ同様、遙か遠くに霞む希望のように聞こえる。ピッコロが伏線になっていたとはいえ、全く同じ音型で別のものを描くということ自体が天才でしか着想し得ないものである。

第4楽章では重苦しい響きの中で突如、クラリネットとファゴットが奇妙だが明るい旋律を吹き始め、曲調がガラリと変わる。クラリネットとファゴットはそれまでずっとシリアスな役割を演じていたのだが、その楽器が端緒になって趣を変えていくというのもショスタコーヴィチらしいひねりである。
やがて壮大なうねりが訪れ、遠くにあった希望が目の前に到来するかと思ったその手前で止めてしまうというのもショスタコーヴィチらしい。

美音と凄惨という相反するかのように思える要素を巧みに止揚させたパーヴォとコンセルトヘボウ管。野田秀樹が「カノン」で用いた発想が思い起こされる。

 

アンコールは2曲。アンコール演奏の前にパーヴォはホールのスタッフだと思われる女性から花束を受け取り、譜面台の上に乗せていったん退場。その後、再び指揮台に上がり、指を1本立てて(ONE MORE)演奏を行おうとしたのだが、花束を譜面台に乗せたため「今日はアンコールなし」と思い込んで譜面を交換していなかったメンバーが何人もいて、楽団内からも客席からも笑いが起こる。

1曲目は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より“トレパーク”。年末になると聴く機会の多くなる曲である。この曲でもコンセルトヘボウ管の美音がなんといっても印象的である。パーヴォは内声部を表に出す場面などがあり、個性を発揮していた。

2曲目は、パーヴォのアンコール曲目の定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。今日も黄泉の国から聞こえてくるかのような超絶ピアニッシモが聴かれる。超弱音でもピッチカートが丸みを帯びているのがコンセルトヘボウ管らしいところである。

 

楽団員の多くがステージを去ってからも拍手は鳴り止まず、パーヴォが再び登場。ここでパーヴォはステージ上にまだ残っていた女性ファゴット奏者を指揮台に上げて喝采を浴びさせるというユーモアを披露。父親のネーメ・ヤルヴィもユーモアが大好きであり、この面では似たもの親子ということになるのだろう。

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2019年5月 5日 (日)

コンサートの記(556) パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年4月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア・フェスティバル管弦楽団の演奏会を聴く。

エストニア・フェスティバル管弦楽団は、パーヴォ・ヤルヴィが創設したオーケストラである。
エストニアの保養地・避暑地であるパルヌで毎年行われる音楽祭のレジデンスオーケストラであり、2011年にパーヴォが父親であるネーメ・ヤルヴィと共にパルヌ音楽祭の指揮マスタークラスを始めた際に結成された。メンバーのうち半分はエストニアの若い音楽家、残りの半分はパーヴォが世界中から集めた優秀な音楽家たちであり、教育的な面と表現拡大の両面を目指しているようである。

 

曲目は、ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:五嶋みどり)、トゥールの「テンペストの呪文」、シベリウスの交響曲第2番。

 

午後2時15分頃からプレイベントがある。ナビゲーターはソリストの五嶋みどり(MIDORI)。
黄色いTシャツで登場した五嶋みどりは、プレイベントの説明と、エストニア・フェスティバル管弦楽団の簡単な紹介を行った後で、エストニア・フェスティバル管弦楽団の女性ヴァイオリニスト、ミーナ・ヤルヴィと二人でプロコフィエフの2つのヴァイオリンのためのソナタハ長調より第2楽章を演奏する。今日は2階の最後部の席で聴いたのだが、ヴァイオリンの音がかなり小さく感じられ、当然ながらフェスティバルホールが室内楽には全く向いていないことがわかる。

続いて、エストニア・フェスティバル管弦楽団の創設者兼音楽監督で今日の指揮も務めるパーヴォ・ヤルヴィに五嶋みどりが話を聞く。
パーヴォはまずエストニアの紹介をする。人口150万ぐらいの小さな国だが、音楽が重要視されていること、優れた作曲家や音楽家が大勢いること、自分は17歳の時にエストニアを離れてアメリカで暮らしてきたが、人からエストニアについて聞かれるうちに、エストニアの音楽親善大使になる団体を作りたいと思い、エストニア・フェスティバル管弦楽団を創設したことなどを語る。
エストニアの音楽文化のみならず、バルト三国やポーランド、フィンランド、スウェーデン、ロシアなどとも互いに影響し合っており、そのことも表現していきたいとの意気込みも語った。
パルヌはフィンランドの温泉のある保養地で、パーヴォの父親であるネーメもそこに家を持っていて、パーヴォはショスタコーヴィチやロストロポーヴィチなどとパルヌのヤルヴィ家で会っているそうである。

最後は、エストニア・フェスティバル管弦団のヴィオラ奏者である安達真理に五嶋が話を聞く。安達がステージに出ようとする際に誰かとじゃれ合っているのが見えたが、パーヴォが「行かないで」という風に手を引っ張ったそうで、五嶋は「今のはマエストロのエストニアンジョークですか?」と聞いていた。
エストニアの首都タリンについては、安達は「可愛らしい、可愛らしいなんて軽く言っちゃいけない悲しい歴史があるんですが、古き良きヨーロッパが凝縮されているような」街で、ヨーロッパ人からも人気があるそうだ。パルヌ(五嶋みどりは「ペルヌ」と発音。おそらく「パ」と「ペ」の中間の音なのだろう)にはビーチがあるのだが、「サンフランシスコのビーチのようなものではなくて、わびさびというか」と思索に向いた場所らしいことがわかる。
プレイベントの締めくくりは、五嶋と安達によるヴァイオリンとヴィオラの二重奏。モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲変ロ長調より第1楽章が演奏された。

 

ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏である。ティンパニは上手奥に陣取る。

 

ペルトの「カントゥス ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」。
エストニアのみならず世界を代表する現代作曲家の一人であるアルヴォ・ペルト。ロシア正教の信者となってからは強烈なヒーリング効果を持つ作品を生み出し、1990年代にはちょっとしたペルトブームを起こしている。
タイトル通り、ベンジャミン・ブリテンへの追悼曲として作曲された、弦楽オーケストラとベルのためのミニマル風作品である。
冒頭の繊細な弦のささやきから魅力的であり、色彩と輝きと光度のグラデーションを変えながら音が広がっていく。あたかも音による万華鏡を見ているような、抗しがたい魅力のある作品と演奏である。エストニア・フェスティバル管弦楽団の各弦楽器の弓の動き方など、視覚面での面白さも発見した。

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。
ソリストの五嶋みどりは、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と同曲をレコーディングしており、歴代屈指の名盤に数えられている。
五嶋のヴァイオリンであるが、集中力が高く、全ての音に神経が注がれて五嶋独自の色に染まっていることに感心させられる。全ての音を自分のものにするということは名人中の名人でもかなり難しいはずである。
第3楽章における弱音の美しさもそれまで耳にしたことのないレベルに達していた。
パーヴォ指揮のエストニア・フェスティバル管は表現主義的でドラマティックな伴奏を繰り広げる。音の輝きやニュアンスが次々と変わっていくため、シベリウス作品に似つかわしくないのかもしれないが、面白い演奏であることも確かだ。

五嶋みどりのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番からサラバンド。まさに音の匠による至芸であり、バッハの美しさと奥深さを存分に伝える。

 

トゥールの「テンペストの呪文」
トゥールは1959年生まれのエストニアの作曲家。パーヴォの3つ年上である。1979年にプログレッシブ・ロックバンドバンドIn speで注目を集めており、リズミカルな作風を特徴としている。パーヴォはトゥール作品のCDをいくつか出している。
「テンペストの呪文」は、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」に影響を受けて書かれたもので、2015年にヤクブ・フルシャ指揮萬バンベルク交響楽団によって初演されている。煌びやかにしてプリミティブな音楽であり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に繋がるところがある。パーヴォは打楽器出身ということもあってリズムの処理は万全、楽しい演奏に仕上がる。

 

メインであるシベリウスの交響曲第2番。全編を通して透明な音で貫かれる。
パーヴォがかなりテンポを動かし、即興性を生んでいる。パーヴォは音のブレンドの達人だが、この曲ではあたかも鉈を振るって彫刻を行うような力技も目立つ。ゲネラルパウゼが長いのも特徴だ。
「荒ぶる透明な魂の遍歴」を描くような演奏であり、第4楽章も暗さは余り感じさせず、ラストに向かって一直線に、時には驚くほどの速さによる進撃を見せる。
終結部はなんとも言えぬほどの爽快さで、フィンランドと人類の魂の開放が謳われる。

 

アンコールは2曲。まず、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」が演奏される。今日も超絶ピアニシモが聞かれた。

アンコールの2曲目は聴いたことがない作品。アルヴェーンの「羊飼いの娘の踊り」だそうである。弦楽による民族舞踊風の音楽が終わった後で拍手が起こったが、パーヴォは「まだまだ」と首を振って、オーボエがリリカルでセンチメンタルな旋律を歌い始める。
その後、冒頭の民族舞踊調の音楽が戻ってきて、ノリノリのうちに演奏を締めくくる。爆発的な拍手がパーヴォとエストニア・フェスティバル管を讃えた。

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2019年4月 7日 (日)

コンサートの記(543) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2013名古屋

2013年11月23日 名古屋の三井住友海上しらかわホールにて

三井住友海上しらかわホールへ。パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。
オール・ベートーヴェン・プログラムで、歌劇「フィデリオ」序曲、交響曲第4番、交響曲第3番「英雄」が演奏される。

三井住友海上しらかわホールは前を通ったことはあるのだが、中に入るのは今日が初めてである。

ピリオド・アプローチによる演奏を得意とするドイツ・カンマーフィル。トランペットはピストンのないナチュラルトランペット。二階席下手の席に座っていたので、舞台下手側に座るホルン奏者の姿は見えないが、間違いなくナチュラルホルンであろうと思う。実際に音を聴くとやはりナチュラルホルンであることがわかる。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。

三井住友海上しらかわホールの内装は、壁が全て木目であり、とても美しい。天井はやや高めであるため、オーケストラが演奏するには残響がやや短い。室内楽やピアノのリサイタルなどでは残響は余り必要でないため、そういう風に音響設計されているのかも知れない。内装、音響共に、大阪の、いずみホールに似ている。


パーヴォ登場。今日は全曲暗譜で指揮をする。

歌劇「フィデリオ」序曲。出だしが実にリズミカルである。パーヴォのバトンテクニックは真に鮮やかで、あたかも指揮棒の先で音符を拾い上げて、オーケストラの方へすっと投げているかのような印象を受ける。本当に動いたとおりに音楽が生まれるのである。少なくとも実演に接したことのある指揮者の中でパーヴォほど高度なバトンテクニックを持っている人は他にいない。サー・サイモン・ラトルやマリス・ヤンソンス、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の先代音楽監督であるダニエル・ハーディングの指揮も見ているが、ここまで見事ではなかった。
ナチュラルホルンであるが、モダン楽器のホルンでも「ホルンといえばキークス(音外し)という言葉が思い浮かぶ」と言われるほど演奏が難しい楽器である。そのため、音程を外す場面があった。
交響曲第5番同様、ピッコロが1オクターブ上を吹いて浮き上がる場面があり、ベーレンライター版の楽譜を使っていることがわかる。これまでずっと使われてきたブライトコップ(ブライトコプフ)版の楽譜で演奏された歌劇「フィデリオ」序曲のCDを聴いてもピッコロが浮かび上がる場面に出会ったことはない。
躍動感あふれる演奏であった。


交響曲第4番。私はパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニーの実演を横浜で聴いている。
今日も密度の濃い演奏である。楽章1つ演奏するだけで、並みの演奏の交響曲1曲分の聴き応えがある。
パーヴォは、CDにおいて、ベートーヴェンの交響曲第4番と第7番の演奏をカップリングでリリースし、アポロ芸術的と思われる交響曲第4番をディオニソス芸術的に、ディオニソス芸術の代表的存在であった交響曲第7番をアポロ芸術的に演奏するという真逆の解釈を示し、私は一聴して驚いたのであるが、パーヴォはそうした楽曲の光が当たらない一面を見つけるのが得意なようである。
緩急、強弱ともに自在な演奏であった。


後半、交響曲第3番「英雄」。同じ名古屋にある愛知県立芸術劇場コンサートホールで、パーヴォとドイツ・カンマーフィルによるこの曲の実演を聴いている。

ベートーヴェンのメトロノーム指示に近い速度を採用。そのためかなり速めの演奏である。ロマンティクな演奏になれている人は「速すぎる」と思うだろうが、20世紀後半の演奏から聴き始めた私などの世代にとっては、意気揚々と進軍する英雄の姿が目に見えるようなフレッシュな解釈である。
パーヴォは音のバランスを取るのが天才的に上手いため、クライマックスで、主旋律がトランペットから木管楽器に移る時にも、主旋律は行方不明にならず、木管が演奏しているのがきちんと聴き取れる。

第2楽章の葬送行進曲も白熱の演奏であり、哀感が強く胸に染み込む。

第3楽章。ティンパニの強奏が凄まじい。弦楽器であるが、各楽器の首席奏者だけが別の旋律を弾く場面が見られる。トリオにおけるナチュラルホルンの演奏も上手い。

最終楽章。序奏でパーヴォは歌い崩しをする。この楽章では、弦楽器の、コントラバスを除く各首席奏者のみが演奏し、弦楽四重奏になる場面がベーレンライター版の楽譜にはある。元々「solo」と書いてはあったようだが、「何かの間違いだろう」ということで採用されていなかったのだ。パーヴォの指揮するベートーヴェンは基本的にベーレンライター版の楽譜を用いているのだ、これが忠実に履行される。憩いの場ともいうべき印象を受ける。そして快速による凱旋行進。心躍る演奏であった。


アンコールは2曲。ブラームスの「ハンガリー舞曲」より第1番と、パーヴォのアンコールピースの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。

ハンガリー舞曲第1番は、ブラームスがハンガリーの民謡や舞曲を収集して、まずピアノ連弾のための曲として纏められたもので、ブラームス自身もブラームス編曲として出している。舞曲であるため、目まぐるしく緩急が変化するのであるが、パーヴォは魔法のようにテンポを操り、「寄せては返す波のように激し」い演奏になった。

シベリウスの「悲しきワルツ」。超絶ピアニシモが今日も聴かれる。この時は会場内にいる全員が耳を澄ませるため、独特の張り詰めた空気がホール内を占拠する。

全て秀演。名古屋まで聴きに来るだけの価値のある演奏会であった。名古屋の聴衆は非常にマナーが良く、それも嬉しかった。

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2018年12月21日 (金)

コンサートの記(474) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018西宮

2018年12月15日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。名古屋公演と同一プログラムである。
今日は1階席で聴くことになる。ただ、1階席とはいえ、補助席の前の最後列であり、頭の上に2階席が張り出しているため、音響的には余り良くない場所である。

兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール(兵庫芸文大ホール)でパーヴォ指揮の演奏を聴くのは2度目。前回は、シンシナティ交響楽団の来日演奏会を聴いている。


曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」

同一演目を聴くということで、ホールの音響の違いがよくわかる。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲は、名古屋で聴いたときよりも濃い陰影が感じられたが、愛知県芸術劇場コンサートホールはもともと響きが明るいため、ホールの響きで生まれた印象の違いであろう。もっとも、演奏者もホールの音響に合わせて演奏を微妙に変えるのが普通である。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。独奏者のヒラリー・ハーンは、兵庫芸文大ホールがお気に入りのようで、関西公演時にはここを使うことが多い。

音響の影響もあり、オーケストラのデュナーミク、パースペクティブ共に名古屋の時よりも狭く感じられ、第1楽章の優しい終わり方なども視覚ではわかるのに、音として十分に捉えられない憾みがある。第3楽章でも音が余り飛んでこない。
一方で、ヴァイオリンの響きは良く届く。過ぎていく今この時を愛でては儚むような、日本人の琴線に触れるヴァイオリンである。純度は高く、歌には淀みがない。これぞヴァイオリンの「至芸」である。


アンコール演奏が今日は2曲ある。まず、ヒラリー・ハーンが「バッハのプレリュードです」と日本語で言って演奏開始。自在感溢れる才気煥発のバッハである。
続いて、「バッハのサラバンドです」とやはり日本語で告げてからスタート。今度は精神的な深みを感じさせる「祈り」のようなバッハであった。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。兵庫芸文大ホールでは、ジャナンドレア・ノセダが兵庫芸術文化センター管弦楽団を指揮した「ザ・グレイト」を聴いたことがある。

残響は短めであるため、ゲネラルパウゼなどには間が感じられるが、全体的に速めのテンポであり、一瀉千里に駆け抜ける。「天国的な長さ」と評される曲であり、演奏によってはしつこさを感じさせるものなのであるが、パーヴォとドイツ・カンマーフィルの演奏は、そうしたものを一切感じさせない爽快感溢れるものである。
速いだけなら味気ないものになってしまうが、パーヴォの抜群のコントロールによって各声部が浮き上がるために楽曲の構造把握が容易になり、発見が多く、新鮮な息吹をこの曲に与えている。
兵庫芸文大ホールの響きは愛知県芸よりも広がりと潤いがないが、その分、スケールが大きく感じ取れたように思う。ただ、細部に関してはステージと私の席との間に目に見えない巨大なカーテンが下りているような感じで、臨場感を欠きがちではあった。悪い音ではないのだが。

同じコンビによる「ザ・グレイト」を2度聴いたことになるが、実演に接した「ザ・グレイト」の中ではパーヴォとドイツ・カンマーフィルのものが総合力で1位になるだろう


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。シベリウス・ファンに「好きなシベリウスのアンコール曲」を聞いたら1位になると思われる曲である。どこまでも清澄で優しい「親愛なる声」に接しているかのような演奏であった。



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2018年12月20日 (木)

コンサートの記(473) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2018名古屋

2018年12月13日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて

午後6時45分から、愛知県芸術劇場コンサートホールで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマ―フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ・カンマ―フィルハーモニー・ブレーメン)の来日演奏会を聴く。午後6時45分開演というと他の地方では中途半端な時間帯のように思えるが、名古屋では主流の開演時間である。

曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:ヒラリー・ハーン)、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」


改修工事が終わったばかりの愛知県芸術劇場コンサートホール。パイプオルガンの工事が行われたほか、ホワイエのカーペットが全面的にブルーものに変更され、内部も白木の香りが漂っていて新鮮な空気である。詳しい改修部分についてはホームページで発表されているようだ。


名古屋では何度も聴いているパーヴォとドイツ・カンマーフィル。以前、パーヴォが舞台上手から登場したことがあったのだが、今日は下手袖から登場する。ドイツ・カンマーフィルはお馴染みとなった古典配置での演奏。無料パンフレットにメンバー表が載っており、第1ヴァイオリンにHozumi Murata、ヴィオラにTomohiro Arita、ファゴットにRie Koyamaと、日本人が3人参加していることがわかる。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲。パーヴォは冒頭で低弦を強調し、他の弦よりわずかに長めに弾かせるなどして迫力を十分に出す。ただ、主部はドラマ性よりも煌びやかで快活な雰囲気をより前面に出している。
ナチュラルトランペットとバロックティンパニを使用し、弦がビブラートをかなり抑えたピリオド・アプローチでの演奏である。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」
現代最高クラスの天才ヴァイオリニストであるヒラリー・ハーン。以前に名古屋で、パーヴォ指揮ドイツ・カンマーフィルと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴いている(諏訪内晶子の代役)。

極めて純度の高いヴァイオリンの響きをヒラリーは奏でる。美と悲しみが寄り添い合い、一瞬混ざり合っては儚げに散っていくという、桜のようなモーツァルトだ。時折、聴いていて胸が苦しくなる。
パーヴォ指揮のドイツ・カンマーフィルは、楽章の末尾をふんわりと柔らかく演奏したり、急激な音の増強を効果的に用いるなど、効果的な伴奏を奏でる。第3楽章のトルコ風の堂々とした響きも見事だ。

アンコール演奏。ヒラリーは、「バッハのジークです」と日本語で紹介してから弾き始める。彼女が15歳でデビューした時の曲がバッハの無伴奏である。この程、続編が出て、全曲がリリースされたが、「聖典」と呼ばれてベテランヴァイオリニストでさえ演奏することをためらう作品に、若い頃から取り組んで発表していたことになる。というわけで万全の演奏。技術、表現力ともに満点レベルである。


シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。この曲ではトランペットはモダンを用いているが、ピリオドのスタイルは貫かれている。

冒頭から速めのテンポを採用。この曲でもロッシーニ・クレシェンドのような音の急激な盛り上がりが効果的である。やはりパーヴォのオーケストラコントロールは最上級で、タクトで描く通りの音がオーケストラから引き出される。まるでベーゼンドルファーを華麗に弾きこなすピアニストを見ているかのようだ。
また、各楽器を巧みに浮かび上がらせ、普通の演奏では渾然一体となってしまう部分を重層的に聴かせることに成功している。古典的なフォルムを構築しつつロマン的内容を詳らかにするという理想的演奏の一つである。
「天国的な長さ」といわれる「ザ・グレイト」であるが、テンポの速さに加えてパーヴォとカンマーフィルの巧みな語り口もあり、全く長く感じなかった。
美しい音型が蕩々と続く「ザ・グレイト」。この演奏を聴いていると、ブルックナーの初期交響曲がシューベルトに繋がっていることがよくわかる。


アンコールは、パーヴォの定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。いつもながらの超絶ピアニシモが聴かれる。
以前に比べると随所でテヌートが聴かれるのが興味深かった。



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2018年3月 6日 (火)

コンサートの記(355) 龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版~

2018年3月4日 東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて

午後3時から、渋谷のBunkamuraオーチャードホールで、龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版を聴く。レナード・バーンスタインの弟子であり、現在NHK交響楽団首席指揮者の座にあるパーヴォ・ヤルヴィが師の代表作を取り上げる。

龍角散Presentsということで、入場者には龍角散ダイレクトのサンプルが無料配布された。

1957年に初演された「ウエスト・サイド・ストーリー」。まさに怪物級のミュージカルである。ミュージカルは一つでも名ナンバーがあれば成功作なのだが、「ウエスト・サイド・ストーリー」の場合は名曲が「これでもかこれでもか」とばかりに連なり、「全てが有名曲」といっても過言でないほどの水準に達している。とにかく世界的にヒットしたということに関していえば20世紀が生んだ舞台作品の最右翼に位置しており、超ドレッドノート級傑作である。

出演は、ジュリア・ブロック(マリア)、ライアン・シルヴァーマン(トニー)、アマンダ・リン・ボトムズ(アニタ)、ティモシー・マクデヴィット(リフ)、ケリー・マークグラフ(ベルナルド)、ザカリー・ジェイムズ(アクション)、アビゲイル・サントス・ヴィラロボス(A-ガール)、竹下みず穂(ロザリア)、菊地美奈(フランシスカ)、田村由貴絵(コンスエーロ)、平山トオル(ディーゼル/スノー・ボーイ/ビッグ・ディール)、岡本泰寛(ベビー・ジョン)、柴山秀明(A-ラブ)。東京オペラシンガーズ(ジェッツ&シャークス)、新国立歌劇場合唱団(ガールズ)

今日のNHK交響楽団はチェロ首席奏者の藤森亮一がステージ前方に来るアメリカ式の現代配置を基調とした布陣である。コンサートマスターは客演のヴェスコ・エシュケナージ。N響はステージ後方に陣取り、舞台前方に歌手が出てきて歌ったりちょっとした演技をしたりする。

久しぶりとなるオーチャードホール。中に入るのは2度目だが、実はここでコンサートを聴くのは初めて。前回は「カタクリ家の幸福」という映画の完成披露試写会で訪れている。忌野清志郎が「昨日」というタイトルのどこかで聴いたことがあるような曲をギターで弾き語りしていた。

オーチャードホールの音の評判は良くないが、今日聴いた2階席4列目には残響は少なめだが素直な音が飛んできていた。ステージは遠目だが思っていたほど悪くはない。

第1部が60分、第2部が35分という上演時間。合間に30分の休憩がある。

N響は音には威力があるが、余り慣れていないアメリカものということもあり、ジャジーな場面では金管などに硬さが見られる。パーヴォは打楽器出身であるためリズム感は抜群のはずなのだが、N響からノリを思うままに引き出せていないようにも感じられる。
一方でリリカルな音楽では弦の艶やかな音色が生き、歌も秀逸で、万全に近い出来を示していた。パーヴォの棒もやはり上手い。

歌手陣の大半はクラシック畑出身。トニー役のライアン・シルヴァーマンはブロードウェイを活躍の主舞台としており、三役で出演の平山トオルもミュージカル出身だが、他は純然たるクラシックの歌手かミュージカルにも出たことがあるクラシック歌手である。バーンスタイン自身がドイツ・グラモフォンにレコーディングした「ウエスト・サイド・ストーリー」に聴かれるように、クラシックの歌手が歌った場合は声が肥大化してしまって余り良い結果が出ないのだが、今回は歌手達は健闘した方だと思う。ただジェッツやシャークスが集団で出てきて歌う時は、ギャングなのに首を振って音楽を聴いているだけでそれらしさが出ず、違和感がある。かといってクラシックの歌手達が踊れるはずもなく、粋なパフォーマンスを繰り広げるというわけにもいかないのでどうしようもない。そういう上演なのだと思うしかない。

コンサート上演を前提にしたものであり、ストーリーは飛び飛びになっているが、それでもラストに感動していまうのは音楽の力ゆえあろう。

残念ながらBunkamuraオーチャードホールは渋谷のど真ん中にあり、JR渋谷駅に向かうためには道玄坂の人混みを突っ切る必要がある。コンサートの余韻に浸れる環境にはない。出来ることなら別の会場で、パーヴォ指揮の「ウエスト・サイド・ストーリー」を聴いてみたい。



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2017年1月10日 (火)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団) モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」

ナチュラルトランペット使用です。

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2016年12月19日 (月)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮hr交響楽団(フランクフルト放送交響楽団) ニールセン 交響曲第4番「不滅」

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