カテゴリー「広上淳一」の110件の記事

2022年3月19日 (土)

コンサートの記(768) 広上淳一指揮京都市交響楽団第665回定期演奏会 広上淳一退任コンサート

2022年3月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第665回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。広上淳一の常任指揮者兼芸術顧問の退任公演となる。

曲目は、マーラーの交響曲第3番が予定されていたが、出演予定であった京都市少年合唱団のメンバーにコロナ陽性者が出たため少年合唱の練習が出来なくなり、曲目変更となった。

新たなる曲目は、尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃(いし)のうへ」(詩:三好達治)と「子守唄」(詩:立原道造。2曲とも合唱は京響コーラス)、マーラーのリュッケルトの詩による5つの歌曲(メゾ・ソプラノ独唱:藤村実穂子)、マーラーの交響曲第1番「巨人」


プレトークでは広上と門川大作京都市長が登場し、門川市長から広上に花束の贈呈があった。門川市長が退場した後は、音楽評論家で広上の友人である奥田佳道と、京都市交響楽団演奏事業部長の川本伸治、そして広上の3人でトークは進む。90年代だったか、広上が指揮したマーラーの「復活」について書いた演奏批評を後に広上が絶賛するということがあったが、その批評の書き手が奥田だったような気がする。かなり昔のことなので、正確には覚えていない。奥田は当初は客席で聴くだけの予定だったようだが、広上から「プレトークに出てよ」と言われたため、東京からの新幹線を早いものに変えて京都に来たそうである。
奥田は、広上と京響について、「日本音楽史に残るコンビ」と語り、サントリー音楽賞という通常は、個人か団体に贈られる賞を、「広上淳一と京都市交響楽団」というコンビでの異例の受賞となったことなどを紹介する。「ラジオで話すよりも緊張する」そうだが、音楽評論家というのは基本的には人前に出ない仕事なので、当然ながら聴衆を前に話すことには慣れていないようである。

川本は新日本フィルハーモニー交響楽団からの転身であるが、その前はボストン交響楽団と仕事をしていたそうで、「ヨーロッパテイストの響き」や「前半と後半で管楽器奏者が変わる」ことなどが京響とボストン響の共通点だと語っていた。

広上が京響を離れることについては、広上自身が「今生のお別れではありません」「また遊びに来ます」と語る。

曲目変更についてだが、前半の曲目については、「キザな言い方になりますが、我々の絆の温かで一番しっとりとした部分」が感じられるようになったのではないかと広上は述べる。

今日も尾高惇忠の作品が1曲目に演奏されるが、広上は最近、プロフィールの変更を行い、まず最初に尾高惇忠に師事したことを記すようにしたようである。湘南学園高校音楽科時代に尾高に師事しており、最初のレッスンで広上が弾いたのモーツァルトのソナタの印象を尾高が「バリバリに上手い訳じゃないけど、この年でこれほど味のあるピアノを弾く奴はそうそういないと感じた」と奥田に語ったことが紹介される。ただ広上によると続きがあったそうで、「でも来週も聴きたいとは思わない」というものだったそうである。
尾高惇忠の女声コーラス曲「春の岬に来て」は、元々はピアノ伴奏の曲だったようだが、「オーケストラ伴奏の曲にしたら面白いんじゃない」と進言したのが広上であることも奥田から紹介された。

また、ヨーロッパで通用する唯一の日本人声楽家といっていい、藤村実穂子が今回の京都市交響楽団の定期演奏会に出演するためだけにドイツから帰国したことが奥田によって語られる。


今日のコンサートマスターは、「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。
ドイツ式の現代配置での演奏だが、ピアノやチェレスタが舞台下手に来るため、ハープは舞台上手側に置かれている。


尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃のうへ」と「子守唄」。女声合唱はポディウムに陣取り、左右1席空け、前後1列空けでの配置となって、マスクをしたまま歌う。
叙情的で分かりやすい歌曲であるが、入りが難しそうな上に、技術的にも高度なものが要求されているようである。


藤村実穂子の独唱による、マーラーのリュッケルトの詩による5つの歌曲。
藤村の深みと渋みを兼ね備えた歌声による表現が見事である。ノンシュガーのコーヒーの豆そのものの旨味を味わうような心地に例えれば良いだろうか。広上指揮の京響も巧みな伴奏で、第4曲「真夜中に」の金管の鮮やかさ、第5曲「私はこの世から姿を消した」における弦の不気味な不協和音など、マーラーならではの音楽を巧みに奏でる。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。マーラーの青春の歌である「巨人」だが、冒頭の弦の響きから明るめで、第1楽章では強奏の部分でも爽やかな風が吹き抜けるような見通しの良さなど、濃密系が多い他の「巨人」とは異なる演奏となっていた。

広上の指揮はいつもよりオーバーアクションであり、縦の線がずれたところもあったが、生命力豊かな音楽作りとなる。
低弦や打楽器の威力と金管の輝きという京響の長所が引き出されており、「これが常任指揮者としては最後」とは思えないほどのフレッシュな演奏となっていた。

1956年創設の京都市交響楽団であるが、これからのことを思えばまだまだ青春期である。未来に向かって歩み出すような軽やかさと半世紀以上の歴史が生む濃密が上手く掛け合わされていたように思う。


演奏終了後に広上はマイクを手にして再登場し、スピーチを行う。京都市交響楽団の潜在能力に高さに気付いたのは自分(「不肖、私であります」と発言)であるが、それを伸ばすにはどうしたらいいか、急いでも駄目出し、そのままだと変わらないと思いつつやっていたら急に良くなったことなども述べたが、国内に二つ三つ優れたオーケストラがあるだけでは駄目で、ヨーロッパの名門オーケストラを上げながら、日本各地のオーケストラを個性ある団体に育てる必要を感じていることなどが語られた。

今月一杯で対談する廣瀬加世子(第1ヴァイオリン)と古川真差男(チェロ)への花束贈呈、広上に肖像画が贈られるという話(京都市立芸術大学学長である赤松玉女の推薦により、同大学及び大学院出身の城愛音によってこれから描かれる予定である)があった後で、アンコール曲として尾高惇忠の「春の岬に来て」から「子守唄」がもう一度演奏された。

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2022年2月 5日 (土)

コンサートの記(762) 広上淳一指揮 第17回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2022年1月30日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第17回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は京都市ジュニアオーケストラのスーパーヴァイザーを務める広上淳一。広上は今年の3月をもって京都市交響楽団の第13代常任指揮者兼音楽顧問を離任し、オーケストラ・アンサンブル金沢のアーティスティック・リーダーに転じる。京都コンサートホールの館長は続けるが、京都で広上を聴く機会は減ることになる。

京都市在住もしくは在学の10歳から22歳まで(2021年4月時点で)の選抜メンバーからなる京都市ジュニアオーケストラ。奏者の育成のみならず、出身者がよき聴衆、よき音楽人となるための足掛かり的な意図も持って結成されている。

今回の曲目は、サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」からバッカナール、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ラフマニノフの交響曲第2番。

サン=サーンスとチャイコフスキー作品のコンサートミストレスは神千春が、ラフマニノフの交響曲第2番のコンサートミストレスは田村紗矢香が務める。紗矢香という字は、有名ヴァイオリニストの庄司紗矢香と同じだが、あるいはご両親が庄司紗矢香にあやかって名付けたのかも知れない。


サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」からバッカナール。音の厚みや密度は不足気味だが、そもそもそんなものはこちらも求めていない。オーケストラメンバーの広上の指揮棒への反応も良く、終盤は大いに盛り上がる。広上の音楽設計も見事である。


チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。ドラマティックな演奏が展開される。サン=サーンスもそうだったが、この曲でもティンパニの強打が効果的である。個人的にはコントラバスの音型に注目して聴いたが、理由は教えない。ともあれ、切れ味の鋭さも印象的な好演であった。


ラフマニノフの交響曲第2番。大曲である。
ラフマニノフの交響曲第2番は、20世紀も終盤になってから人気が急速に高まった曲である。「遅れてきたロマン派」ともいうべきラフマニノフの大作であるが、初演以降、長きに渡って音楽関係者からは不評で、「ジャムとマーマレードでベタベタの曲」などと酷評され、そうしたマイナスの評価が支持されてきた。ラフマニノフ自身も「曲が長すぎることが不成功の一因」と考えて、カットした版も作成している。
この曲の評価上昇に一役買ったのがアンドレ・プレヴィンである。プレヴィンはこの交響曲を高く評価し、カット版での上演が普通だった時代に完全版をたびたび演奏。レコーディングも行ってベストセラーとなっている。その後にウラディーミル・アシュケナージなどがこの曲を演奏会やレコーディングで取り上げて好評を博した。日本では1990年代に「妹よ」という連続ドラマで取り上げられ、知名度が急上昇している。
今回の演奏も完全版によるものだが、カット版も今でも演奏されており、「のだめカンタービレ」のマンガとドラマに登場したことでも知られる故ジェイムズ・デプリーストが当時の手兵である東京都交響楽団を指揮したライブ録音でカット版を聴くことが出来る。

広上がヨーロッパで修行し、当初はヨーロッパでキャリアを築いたということも影響しているのだと思われるが、今回の京都市ジュニアオーケストラもギラギラしたアメリカ的な輝きではなく上品なヨーロピアンテイストの響きを紡ぎ出す。光度も十分だが、ビターな憂いを秘めていることがアメリカのオーケストラとは異なる。
京都市交響楽団ともこの曲でベストの出来を示した広上。今回もテンポ設定、スケール共に抜群で、この曲を指揮させたら日本一だと思われる。
この曲を演奏するには京都市ジュニアオーケストラのメンバーはまだ若いと思われるが、メカニックのみならず、細やかな表情付けなど内面から湧き上がる音楽を生み出せていたように思う。


広上は何度かカーテンコールに応えた後で、マイクを持って登場。「いかがでしたでしょうか? 私はもう疲れました」と言った後で、「ジュニアオーケストラとしては、私は普段はこんなこと言わないんですが、本当にこんなこと言わないんですが、日本一でしょう」と京都市ジュニアオーケストラを讃えた。また京都市ジュニアオーケストラのメンバーが音楽だけでなく、医学や化学や教育学を学んでいることに触れ、様々なバックグラウンドを持った人々が一緒に音楽をやるという教育法を「オーストリー(オーストリア)のウィーンにも似ている」と語った。ウィーンと京都は、その閉鎖性というマイナス面も含めてよく似ていると音楽家から言われることがあるが、姉妹都市にはなっていない(京都市の姉妹都市となっているのはヨーロッパではパリ市とプラハ市、ケルン市にフィレンツェ市にザグレブ市である。今注目のウクライナの首都、キエフ市とも姉妹都市になっている)。

最後に、京都市ジュニアオーケストラの合奏指導に当たった、大谷麻由美、岡本陸、小林雄太の3人の若手指揮者が登場し、広上から自己紹介するよう求められる。

大谷麻由美は、「私は30歳で京都市立芸術大学に再入学して」指揮を学んだことを語る(近畿大学を卒業後、会社員をしていた)。広上に、「大谷翔平選手のご親戚?」と聞かれて、「全く違います」と答える。

岡本陸は京都市ジュニアオーケストラの出身で、その時も指導に当たっていた広上に師事したいと思い立ち、広上が教授を務める東京音楽大学の指揮科に入学。昨年の3月に卒業したという。
広上が、「広上先生は怖かったですか?」と聞き、岡本は「怖いときも多かったです」と答えていた。

小林雄太は新潟県長岡市の出身。余り関係ないが、司馬遼太郎原作で長岡藩家老の河井継之助を主人公とした映画「峠」(役所広司主演)が近く公開される予定なので、長岡も注目を浴びそうである。
小林は岡本陸と東京音楽大学で同期であり、やはり広上に師事している。京都に来るのは中学校時の修学旅行以来久々だそうである。


アンコール曲はこの3人がリレー形式で指揮することになるのだが、大谷が作曲家名のドリーヴをドリップと言い間違い、広上に「ドリーヴね。フランスの作曲家。ドリップだとコーヒーになる」と突っ込まれていた。アンコール曲はドリーヴのバレエ音楽「コッペリア」から前奏曲とマズルカであるが、3人とも「コッペリア」についてよく知らないようで、広上に「なんだか恥ずかしいことになって来ました」と突っ込まれていた。純音楽ではなくバレエ音楽なので、少なくとも大体の意味と内容は知らないと本来なら指揮出来ないのである。
指揮者の世界には、「40、50は洟垂れ小僧」という言葉があり、指揮者として成長する道の長さと厳しさが知られている。40歳にも満たない場合は「赤ちゃん」扱いである。
ということで、アンサンブルの精度や細部までの詰めや表情付けなど、「指揮者でここまで変わるか」というほどの雑さが感じられたが、それが指揮者として成功するまでの困難さを表してもいた。

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2021年12月30日 (木)

コンサートの記(754) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2021

2021年12月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がメインの曲目だが、その前に同じくベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番が演奏される。

今日のコンサートマスターは京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式現代配置での演奏で、管楽器の首席奏者はほぼ揃っている。

第九の独唱は、砂川涼子(ソプラノ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は京響コーラス。


序曲「レオノーレ」第3番。ベートーヴェンが書いた序曲の中では最も演奏される回数の多い楽曲だと思われるが、暗闇の中を手探りで進むような冒頭から、ティンパニが強打されて活気づく中間部、熱狂的なフィナーレなど、第九に通じるところのある構成を持っている。
広上と京響は生命力豊かで密度の濃い演奏を行う。トランペット首席のハラルド・ナエスがバンダ(一人でもバンダというのか不明だが)として、二階席裏のサイド通路とポディウムでの独奏を行った。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
第1楽章と第2楽章は、クッキリした輪郭が印象的なノリの良い演奏で、ピリオドを意識したテンポ設定とビブラートを抑えた弦楽の響きが特徴。時折きしみのようなものもあり、整ったフォルムの裏に荒ぶる魂が宿っているかのようで、バロックタイプでこそないが硬い音を出すティンパニが強打される。

第3楽章は、第1楽章と第2楽章とは対照的に遅めのテンポでスタート。途中からテンポが変わるが、旋律の美しさをじっくりと歌い上げており、第九が持つ多様性と多面性を浮かび上がらせる。最近では全ての楽章が速めのテンポで演奏されることが多い第九だが、こうした対比やメリハリを付けた演奏も魅力的である。

第4楽章は再びエッジの効いた演奏。京響コーラスはマスクを付け、一部の例外を除いて前後左右1席空けての歌唱で、やはり声量も合唱としても密度もコロナ前に比べると劣るが、かなり健闘しているように思えた。

広上は跳んだりはねたり、指揮棒を上げたり下げたりを繰り返すなど、いつもながらのユニークな指揮姿。また全編に渡ってティンパニを強打させるのが特徴である。
第九におけるティンパニは、ベートーヴェン自身のメタファーだという説を広上も語ったことがあるが、打楽器首席奏者の中山航介が豪快にして精密なティンパニの強打を繰り出し、ベートーヴェンの化身としてコロナと闘う全人類を鼓舞しているように聞こえた。

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2021年9月12日 (日)

コンサートの記(743) 広上淳一指揮 京都市交響楽団×石丸幹二 音楽と詩(ことば) メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」

2021年9月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団×石丸幹二 音楽と詩(ことば) メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」をメインとしたコンサートは、本来なら昨年の春に、広上淳一の京都市交響楽団第13代常任指揮者就任を記念して行われる予定だったのだが、新型コロナの影響により延期となっていた。今回は前半のプログラムを秋にちなむ歌曲に変えての公演となる。

出演は、石丸幹二(朗読&歌唱)、鈴木玲奈(ソプラノ)、高野百合絵(メゾソプラノ)、京響コーラス。

曲目は、第1部が組曲「日本の歌~郷愁・秋~詩人と音楽」(作・編曲:足本憲治)として、序曲「はじまり」、“痛む”秋「初恋」(詩:石川啄木、作曲:越谷達之助)&“沁みる”秋「落葉松(からまつ)」(詩:野上彰、作曲:小林秀雄。以上2曲、歌唱:鈴木玲奈)、間奏曲「秋のたぬき」、“ふれる”秋「ちいさい秋みつけた」(詩:サトウハチロー、作曲:中田喜直)&“染める”秋「紅葉」(詩:高野辰之、作曲:岡野貞一。以上2曲、歌唱:高野百合絵)、間奏曲「夕焼けの家路」、“馳せる”秋「曼珠沙華(ひがんばな)」(詩:北原白秋、作曲:山田耕筰)&“溶ける”秋「赤とんぼ」(詩:三木露風、作曲:石丸幹二。以上2曲、歌唱:石丸幹二)。
第2部が、~シェイクスピアの喜劇~メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」(朗読付き)となっている。

ライブ配信が行われるということで、本格的なマイクセッティングがなされている。また、ソロ歌手はマイクに向かって歌うが、クラシックの声楽家である鈴木玲奈と高野百合絵、ミュージカル歌手である石丸幹二とでは、同じ歌手でも声量に違いがあるという理由からだと思われる。
ただ、オペラ向けの音響設計であるロームシアター京都メインホールでクラシックの歌手である鈴木玲奈が歌うと、声量が豊かすぎて飽和してしまっていることが分かる。そのためか、高野百合絵が歌うときにはマイクのレンジが下げられていたか切られていたかで、ほとんどスピーカーからは声が出ていないことが分かった。
石丸幹二が歌う時にはマイクの感度が上がり、生の声よりもスピーカーから拡大された声の方が豊かだったように思う。

足本憲治の作・編曲による序曲「はじまり」、間奏曲「秋のたぬき」、間奏曲「夕焼けの家路」は、それぞれ、「里の秋」「虫の声」、「あんたがたどこさ」「げんこつやまのたぬきさん」「証誠寺の狸囃子」、「夕焼け小焼け」を編曲したもので、序曲「はじまり」と間奏曲「秋のたぬき」は外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」を、間奏曲「夕焼けの家路」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章(通称:「家路」)を意識した編曲となっている。

佐渡裕指揮の喜歌劇「メリー・ウィドウ」にも出演していたメゾソプラノの高野百合絵は、まだ二十代だと思われるが、若さに似合わぬ貫禄ある歌唱と佇まいであり、この人は歌劇「カルメン」のタイトルロールで大当たりを取りそうな予感がある。実際、浦安音楽ホール主催のニューイヤーコンサートで田尾下哲の構成・演出による演奏会形式の「カルメン」でタイトルロールを歌ったことがあるようだ。

なお、今日の出演者である、広上淳一、石丸幹二、鈴木玲奈、高野百合絵は全員、東京音楽大学の出身である(石丸幹二は東京音楽大学でサックスを学んだ後に東京藝術大学で声楽を専攻している)。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。首席第2ヴァイオリン奏者として入団した安井優子(コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団からの移籍)、副首席トランペット奏者に昇格した稲垣路子のお披露目演奏会でもある。

同時間帯に松本で行われるサイトウ・キネン・オーケストラの無観客配信公演に出演する京響関係者が数名いる他、第2ヴァイオリンの杉江洋子、オーボエ首席の髙山郁子、打楽器首席の中山航介などは降り番となっており、ティンパニには宅間斉(たくま・ひとし)が入った。


第2部、メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」。石丸幹二の朗読による全曲の演奏である。「夏の夜の夢」本編のテキストは、松岡和子訳の「シェイクスピア全集」に拠っている。
テキスト自体はかなり端折ったもので(そもそも「夏の夜の夢」は入り組んだ構造を持っており、一人の語り手による朗読での再現はほとんど不可能である)、上演された劇を観たことがあるが、戯曲を読んだことのある人しか内容は理解出来なかったと思う。

広上指揮の京響は、残響が短めのロームシアター京都メインホールでの演奏ということで、京都コンサートホールに比べると躍動感が伝わりづらくなっていたが、それでも活気と輝きのある仕上がりとなっており、レベルは高い。

石丸幹二は、声音を使い分けて複数の役を演じる。朗読を聴くには、ポピュラー音楽対応でスピーカーも立派なロームシアター京都メインホールの方が向いている。朗読とオーケストラ演奏の両方に向いているホールは基本的に存在しないと思われる。ザ・シンフォニーホールで檀ふみの朗読、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団による「夏の夜の夢」(CD化されている)を聴いたことがあるが、ザ・シンフォニーホールも朗読を聴くには必ずしも向いていない。

鈴木玲奈と高野百合絵による独唱、女声のみによる京響コーラス(今日も歌えるマスクを付けての歌唱)の瑞々しい歌声で、コロナ禍にあって一時の幸福感に浸れる演奏となっていた。

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2021年8月16日 (月)

コンサートの記(739) 広上淳一×京響コーラス 「フォーレ:レクイエム」

2021年8月9日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

ロームシアター京都サウスホールでの「広上淳一×京響コーラス フォーレ:レクイエム」を聴く。午後6時開演。ロームシアターへはバスで向かったが、ロームシアター前に並ぶ木々の枝がいくつか強風によって落下していた。

京都市交響楽団は、世界的にも珍しいと思われるが8月にも定期演奏会を行っており、宗教音楽を演奏するのが恒例となっている。だが、今年はデイヴィッド・レイランドの指揮でモーツァルトの交響曲と協奏曲を演奏するプログラムが組まれたため、ロームシアター京都でフォーレの「レクイエム」が演奏されることになった、のかフォーレの「レクイエム」が演奏されるために8月定期が宗教音楽でなくなったのか、どちらかは不明だが、とにかく定期演奏会以外で広上淳一の指揮によるフォーレの「レクイエム」が演奏される。
広上と京響は、昨日一昨日とベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のオーケストラ付レクチャー・コンサートを行っており、三連投となる。


フォーレの「レクイエム」の前に、京都市少年合唱団の指導者としてもお馴染みのソプラノ歌手、津幡泰子(つばた・やすこ)の指揮、小林千恵のピアノによる廣瀬量平の混声合唱組曲「海鳥の詩」が京響コーラスによって歌われる。京響コーラスは全員、「歌えるマスク」を付けての歌唱である。

北海道出身の廣瀬量平であるが、京都市立芸術大学の教授として作曲を教えており、京都コンサートホールの館長を2005年から2008年に亡くなるまで務めている。広上と京響は2009年に「廣瀬量平の遺産」という演奏会も行っている。

「海鳥の詩」は、“オロロン鳥”、“エトピリカ”、“海鵜”、“北の海鳥”の4曲からなる組曲で、詩人でアイヌ文化研究家の更科源蔵の詩に旋律を付けたものである。おそらくアイヌ民族の孤独と悲劇が海鳥たちの姿に託されている。
廣瀬の旋律は洒落た感じも抱かせるが、その寸前で敢えて王道の展開を避けて、北海道の冬の空のような暗さが出るよう設計されているようにも思われる。


広上淳一指揮京都市交響楽団と京響コーラスによるフォーレの「レクイエム」は、第3稿と呼ばれる一般的なものや、フォーレ自身が決定版としていたと思われる第2稿ではなく、信長貴富が2020年に編曲した弦楽アンサンブルとオルガンによる版での演奏である。初演は三ツ橋敬子の指揮によって、ヴァイオリンとチェロとコントラバスが1、ヴィオラが2という編成で行われたが、今日はヴァイオリン3、ヴィオラ4(第1ヴィオラ、第2ヴィオラとも2人ずつ)、チェロ2、コントラバス1という編成である。今日のコンサートマスターは、昨日一昨日と降り番であった泉原隆志。ヴァイオリンは泉原の他に、木下知子、田村安祐美。ヴィオラは、第1ヴィオラが小峰航一と丸山緑、第2ヴィオラが小田拓也と山田麻紀子。チェロが佐藤禎と佐々木堅二(客演)。コントラバスは石丸美佳。電子オルガン演奏は桑山彩子が務める。ソプラノ独唱は小玉洋子。バルトン独唱は小玉晃。流石に独唱者が「歌えるマスク」を付けて歌唱という訳にはいかないが、フォーレの「レクイエム」は、独唱者による歌唱が少ないのが特徴である。

ロームシアター京都サウスホールは、旧京都会館第2ホールを改修した中規模ホールだが、多目的であり、残響はほとんどない。クラシックではピアノや室内楽の演奏が行われているが、声楽を伴う宗教音楽が演奏されるのはあるいは初めてかも知れない。残響のないホールで聴くとやはり神聖さを感じにくくなるため、宗教曲に関しては音響がより重要になるのは間違いないようだ。残響のないホールでグレゴリオ聖歌を聴いたことがあるが、予想と異なって平板な印象に終わっている。京響コーラスも独唱者二人も良かったが、声の輪郭がはっきりし過ぎる音響だったため、音響設計のなされたホールでもう一度聴いてみたくなる。
信長貴富が編曲した弦楽合奏は、金管の迫力なども弦楽でノーブルに置き換えるなど、温かな響きを重視したもので、小編成の京響弦楽アンサンブルも精緻にして多彩な演奏を披露した。
広上淳一は合唱メインの曲ということで今日はノンタクトで指揮したが、手の動き、指の動きなどが音楽的で、「やはりこの人は指揮者になるために生まれてきた人なんだろうな」と感心させられた。

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2021年8月11日 (水)

コンサートの記(736) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

2021年8月7日 伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターにて

午後2時から、伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターで、京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のレクチャーと全曲演奏が行われる。ベートーヴェンの演奏に定評のある広上の指揮ということで呉竹文化センターは満員の盛況となった。2回のワクチン接種を済ませたお年寄りが増えたということも影響しているかも知れない。

先日、ミューザ川崎コンサートホールで行われたフェスタサマーミューザKAWASAKI2021でも「英雄」を演奏して好評を博した広上と京響。今日もミューザ川崎での演奏とほぼ同じメンバーによる演奏と思われ、管楽器の首席奏者もほぼ全員顔を揃えていた。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置による演奏である。

まずは広上と、京都市交響楽団シニアプロデューサーの上野喜浩によるレクチャーが行われる。広上はアドリブ飛ばしまくりで、「英雄」について、
「俗に英雄(ひでお)と呼ばれたりしますが」とボケ、
上野「ひでお?」
広上「そこは笑わないと! (広上が)台本にないことばかり言うから(上野は)顔が真っ青になってない?」
というようなやり取りがあったりする。

広上が大作曲家を「ベートーヴェン先生」というように「先生」付けで呼ぶことについては、「先に生まれたから先生、というのは冗談ですが(「先に生まれたから先生と呼ぶ」というのは、夏目漱石の『こゝろ』に出てくる話でもある)、偉大な作曲家なので、亡くなった方には、基本、先生を付けます」と語った。

ベートーヴェンが肖像画などで気難しそうな顔をしていることについて(肖像画を描く直前に食べた料理が不味かったからという説が有力だったりする)広上は、「耳が聞こえない、最近で言う基礎疾患があったということで。作曲家でありながら耳が聞こえないというのは、指揮者なのに手足がないようなもので、信用して貰えない」「元々は社交的な性格で、人と一緒にいるのが好きな人だったと思うのですが」作曲家として致命的な障害を抱えているということを悟られないよう人を遠ざけて、性格も内向的に、顔も不機嫌になっていったのではないか、という解釈を述べた。

第九を書いている頃に、ジャーナリストから、「自身の交響曲の中で一番出来がいいと思うのは?」と聞かれ、「英雄!」と即答したという話については、上野に「なぜ一番良いと思ったんでしょうか?」と聞かれ、「そんなこと知りませんよ! 先生じゃないんだから!」と言って笑いを取るも、前例のないことを色々やっているというので、自信があったのかも知れないという見解を述べていた。「英雄」の第1楽章は4分の3拍子で始まるが、第1楽章が4分の3拍子で始まる交響曲はそれまでほとんど存在しなかったそうである。最も新しい部分については、「冒頭」と答え、「NHKではビンタと語ったのですが」と2つの和音の衝撃について口にする。

その後、「英雄」の冒頭部分を演奏し、更にチェロが奏でる第1主題をチェロ副首席の中西雅音(まさお)に弾いて貰う。今回は語られなかったが、第1楽章の第1主題をチェロが奏でるという発想もそれ以前にはほとんど存在していなかったと思われる。第1主題を奏でる弦楽器は大抵は花形であるヴァイオリンで、オーケストラにおけるチェロはまだ「低音を築くための楽器」という認識である。

「英雄」は第1楽章だけで、それまでの交響曲1曲分の長さがあるという大作であり、ミューザー川崎コンサートホールでは、広上と京響は全曲を約55分掛けて演奏したそうであるが、広上曰く「うるさがたの聴衆から、『遅い! お前の「英雄」には流れがないんだ! 55分も掛けやがって、今の「英雄」の平均的な演奏は40分から45分』」という言葉に逆に「速すぎるよ!」と思ったという話をする。

第2楽章が葬送行進曲であることについては、「ハイリゲンシュタットの遺書」との関係がよく語られるが、「ハイリゲンシュタットの遺書」自体はベートーヴェンの死後に発見されたものであるため、推測することしか出来ないようである。

第3楽章をこれまでのメヌエットではなくスケルツォとしたことについては、広上は社交好きだった頃の性格が反映されているのではないかと考えているようだ。事情により表向きは気難しさを気取る必要があったが、本音は音楽に託したと見ているようである。

コーヒー豆を毎朝60粒選んで挽いたという話については、広上は、「稲垣吾郎ちゃんの『歓喜の歌』だったかな?(稲垣吾郎がベートーヴェンを演じた舞台「No.9 -不滅の旋律-」のこと)剛力彩芽ちゃんがやってた役(初演時は大島優子が演じており、剛力彩芽が演じたのは再演以降である)が、コーヒー豆を59粒にしたらベートーヴェンが気づいて怒った」という話をしていた。
上野は、「広上先生も、京響と共演なさる時には必ず召し上がるものがあるそうで」と聞くも、広上は「興味ある人いるんですか?」と乗り気でなかった。リハーサルの時にはいつも鍋焼きうどんを出前で取るそうで、餅と海老と玉子入りの「広上スペシャル」と呼ばれているものだそうである。

なお、トリオのホルンについて、ベートーヴェンの時代のホルンにはバルブが付いておらず、口だけで音を出していたという話に、広上は「ガッキーちゃんに聞いて」と振るも、ホルン首席のガッキーちゃんこと垣本昌芳は、「マスクを持ってくるの忘れました」ということで、隣にいた「澤さん」こと澤嶋秀昌が代わりに答え、実際にホルンを吹いて音を出していた。
ちなみに広上は、「ガッキーちゃんとはシュークリーム仲間」と話していたが、以前、広上がラジオで「四条のリプトンのシュークリームがお気に入りと話したら、演奏会前に差し入れをしてくれるようになった」と話していたため、本番前に一緒にシュークリームを食べる習慣があるのかも知れない。

その後も随所を演奏。上野は演奏が始まるたびに舞台から降りて聴いていたが、広上が「降りなくていいよ」と言ったため、以後はステージ上で聴いていた。

第4楽章に出てくる「プロメテウス主題」については、上野が「生涯の作品の中で4度用いられている」という話をする。広上が前日にどんな作品で何回使われているか調べるよう上野に言ったようで、上野が使われている作品全てを挙げると、広上は「よく調べてきたね」と感心していた。ちなみに「英雄」はプロメテウス主題が用いられた最後の作品となるようである。

第4楽章は変奏曲形式で書かれているが、ベートーヴェンが最も得意とした作曲形式が他ならぬ変奏曲であることを広上が告げる。ちなみに、ベートーヴェンはフーガの作曲を大の苦手としていたそうだが、「全ての交響曲でフーガを書いている。第九なんかが有名ですが。苦手だからといって逃げない」という姿勢を評価したところで上野が、「もうそろそろお時間で」と言ったため、「え? 逃げるの?」と冗談を飛ばしていた。


20分の休憩を挟んで、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」全編の演奏が行われる。広上はノンタクトで指揮する。

日本で最良のコンサートホールの一つとされるミューザ川崎コンサートホールは残響も長いと思われるが(行ったことがないのでどの程度かは不明だが)、呉竹文化センターは多目的ホールであるため残響はほとんどない。ということでテンポはミューザ川崎の時よりも必然的に速くなったと思われる。
時折、弦楽のノンビブラートの音も聞こえるが、基本的にはモダンスタイルの演奏であり、第1楽章のクライマックスではトランペットが最後まで旋律を吹いた。

音響の問題か、空調が影響したのか(余り冷房は効いていなかった)、いつもより細かなミスが目立つが、スケールの大きい堂々とした「英雄」像を築き上げる。生命力豊かであるが強引さを感じさせない。

ナポレオン・ボナパルトに献呈するつもりで書かれたという真偽不明の説を持つ「英雄」交響曲。だが、最終楽章にプロメテウス主題(天界から火を盗み、人類に与えたプロメテウスは、「智」の象徴とされることが多いが、ベートーヴェンが書いたバレエ音楽「プロメテウスの創造物」は「智」そのものというより「智」が生み出した芸術作品を讃える内容となっている)が用いられていることを考えると、政治・戦略の英雄であるナポレオンよりも音楽が優位であることが示されているように捉えることも出来る。表面的な英雄性は一度死に絶え、芸術神として再生するということなのかも知れない。その象徴を文学の才にも秀でていたといわれるナポレオンに求めたために、皇帝に自ら即位したという情報が、より一層、ベートーヴェンを憤らせたのかも知れない。

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2021年7月17日 (土)

広上淳一×小林研一郎×下野竜也 NHK総合「ディープピープル」指揮者 2011.8.3

2011年8月3日

深夜1時15分から、NHK総合で放送された「ディープピープル」を見る。再放送である。本放送は都合により、見逃してしまっていた。テーマは指揮者。
下野竜也、広上淳一、小林研一郞という、日本を代表する個性派の指揮者3人が東京オペラシティのリハーサル室に集まってそれぞれの指揮に対する思いを語る。3人の中では広上が一番饒舌なので、自然に広上が進行役を務めるようになる。

個性派と書いたが、3人ともいわゆるオーソドックスなタイプの指揮者ではない。下野は41歳で(今年42歳。2011年当時)と指揮者としては若いが、若さに似合わず、30代のころから渋い音を出す指揮者だし、広上はハチャメチャな指揮スタイルとそれに似合わぬ美音をオーケストラから引き出す指揮者。また「炎のコバケン」こと小林研一郞は熱烈なファンとアンチが共に多いという変わった指揮者である。

指揮棒の話になり、3人とも自分の指揮棒を持参していて見せ合う。広上の指揮棒が比較的長めなのは実演に接しているので知っていた。ただ、明らかに長いというほどではない。遠目から見てもはっきり他の指揮者とは違うと感じる指揮棒を使用しているのは大植英次で、彼の指揮棒は一目で違いがわかるほど短い。広上さんは「背が低い」(自称164cm。学生時代の身長だと思われる。今はそれよりもかなり低いはず)から長めの指揮棒を使っていると語っていたが、大植は広上と同じか、あるいは更に背が低いのに指揮棒は短い。

クラシック以外の音楽の話題にも触れ、小林研一郞は美空ひばりが好きだそうだ。広上淳一は娘さんの影響もあって意外にもAKB48をカラオケで歌ったりするそうで、「『ヘビーローテーション』いいよ」と言っていた。私もAKB48は特に好きではないが、「ヘビーローテーション」だけは好きで(といってもCDは持っていないが)カラオケでも歌う。ただ、なぜか他の曲には惹かれない。下野はクラシック以外の音楽を聴くことはほとんどないそうだ。

演奏会前の楽屋にもカメラが入っており、小林研一郞は演奏会の前に楽屋で一度素っ裸になるそうだが、カメラが入っているので流石にそれはせず、NHKのスタッフが希望するポーズを取った。下野竜也は演奏会前に楽譜を入念にチェックする。かなりの緊張しいだとも語っていた。広上淳一は着替えるのがおそらく日本人指揮者としては一番遅いと語っていた。本番の2分前ぐらいに着替えるという。それより前に着替えると緊張してしまうそうだ。実は広上指揮の京都市交響楽団の定期演奏会で、オーケストラがチューニングを終えて待っているのに広上がなかなか出てこないということがあった。おそらく着替えが遅れたのだろう。

3人のリハーサルにもカメラが入る。小林研一郞はリハーサルでの言葉遣いが非常に丁寧なことで知られているが、70歳になった今でもそれは変わっていない。広上のリハーサルはオーケストラのメンバーと和気藹々といった感じである。下野のリハーサルは厳しいという噂があったが、実際は楽しくやっているようだ。

「第九演奏対決」という企画があり、3人の指揮者が同じオーケストラ(東京フィルハーモニー交響楽団)と同じリハーサル室を使って、ベートーヴェンの第九の第1楽章の終結部を演奏する。音の大きさでいうと、広上、小林、下野の順に大きい。下野が一番オーソドックスな演奏で、広上は指揮棒の振り方は一番個性的なのに生まれる音楽は一番カッチリしたフォルムを持っているという特徴がある。小林は一番テンポが遅く、最後の方は一音毎に指揮棒をくねらせ、最後もゆったりと大見得を切るように終わる。小林が楽譜にない間を取っていることも話題になる。

広上が教授を務める東京音楽大学のリハーサル室にもカメラが入り、広上の指揮指導姿が撮される。学生指揮者と学生オーケストラによる授業。広上は以前、「東京音大の指揮科に定員を設けるのをやめ、その代わり授業を厳しくする」と語っていたが、言葉通り、学生指揮者の演奏を何度も止め、駄目だしをしていた。

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2021年7月 1日 (木)

コンサートの記(726) 広上淳一指揮京都市交響楽団第657回定期演奏会

2021年6月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第657回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

先月行われた第656回定期演奏会、鈴木優人が初めて京響の指揮台に立った演奏会は、残念ながら緊急事態宣言下ということで、ニコニコ生放送での配信のみの無観客公演となったため、会場に聴衆を入れての演奏家は2ヶ月ぶりとなる。ただ、緊急事態宣言の余波のためか、客の入りは良くなかった。クラシックコンサートの聴衆は、昔も今もお年寄り中心であり、緊急事態宣言が解除になったからといってすぐには客は返ってこない。


曲目は、ウェーベルン(ジェラード・シュウォーツ編曲)の「緩徐楽章」(弦楽合奏版)、尾高惇忠(おたか・あつただ)のヴァイオリン協奏曲(世界初演。ヴァイオリン独奏:米元響子)、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。

午後6時30分頃から、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。今年2月に76歳で逝去した尾高惇忠(1944-2021)は、広上淳一の師匠ということで、公演プログラムにも広上の筆による尾高惇忠追悼メッセージが寄せられているが、プレトークも尾高惇忠の話が中心になる。
奥田佳道は、広上が指揮したマーラーの「復活」の解釈を指摘したことで広上に評価されていたような記憶があるが、かなり昔の話なので本当にそれが奥田だったのかはよく覚えていない。

広上淳一は湘南学園高校音楽コースの出身で、尾高惇忠、そしてその弟で指揮者の尾高忠明の後輩である。なお、その後に湘南学園高校は、難関大学を目指す進学校に模様替えしたため、音楽コースは現存していない。

中学校の頃は桜田淳子の追っかけをしていたため学業成績が振るわず、進路に悩んでいた広上淳一。中学校の校長先生が進路のアドバイスをしてくれたそうで、「あなたは音楽の道に進みなさい。湘南学園高校の音楽コースに女性の良い先生がいるから、そこに行きなさい」ということで、湘南学園高校は小学校から高校までの一貫校だったが、高校から特別に編入を認めてくれたそうである。そして湘南学園高校音楽コースの、女性の先生のアシスタントとしてついていたのが実は尾高惇忠だったそうだ。

奥田佳道が以前、尾高惇忠に、「広上さんの最初のレッスン覚えてますか?」と聞いたことがあるそうなのだが、尾高によると、「覚えてるよ。何にも言うこと聞かない奴だった」そうである。「課題で出したピアノ曲の演奏もいい加減だった」そうなのだが、「上手いピアノじゃないが、味があるので、才能はあるかも知れない」と思ったそうである。
その他にも、尾高惇忠がレッスンの合間に珈琲を入れる習慣があり、それを楽しみにしていたり、尾高が自作をピアノで弾きながら解説を入れるレッスンに感激したという話を広上はする。

「ペール・ギュント」組曲については、広上が縁を感じた時に取り上げることの多い曲なのだそうなのだが、私が初めて広上の実演に接した時のメインプログラムも「ペール・ギュント」組曲第1番第2番であった。1997年4月4日に東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団の土曜日マチネーの定期演奏会。私がN響の学生定期会員になって初の演奏会でもあった。当時、土曜日マチネーのN響定期演奏会はBSで生放送されていたが、数年前にこの時の演奏がEテレで再放送されているはずである。「アニトラの踊り」で、指揮台の上でステップを踏みながら踊っていた広上さんの姿が今も目の前に甦る。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン客演首席は直江智沙子。京響の演奏会は、第2ヴァイオリン副主席の杉江洋子が真っ先に登場するという習慣があるのだが、直江が間違えて先に出てしまい、直後に「ああ、違った」という表情をして杉江に一番乗りを譲っていた。今日はヴィオラ首席にソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。
尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲だけで、他は「ペール・ギュント」からの出演である。


ウェーベルンの「緩徐楽章」。元々は弦楽四重奏のための作品だが、シアトル交響楽団の指揮者として膨大な録音を残していることでも有名なジェラード・シュウォーツ(ジェラード・シュワルツ)が弦楽合奏にアレンジ。1982年に初演されている。
グリーグを思わせるような叙情的なメロディーと、マーラーを思わせるような響きが特徴で、今日のプログラムの幕開けに相応しい。
広上の立体的な音響作りもいつもながら優れている。


尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲。2020年5月30日に完成し、尾高惇忠の遺作となった。同年2月に病気が見つかり、闘病しながら作曲を行っていたようである。

尾高惇忠は、新交響楽団(現・NHK交響楽団)育ての親であり年末の第九を初めて指揮したともいわれる指揮者・作曲家の尾高尚忠(おたか・ひさただ)の長男である。前述通り実弟は指揮者の尾高忠明であり、音楽一家であった。また尾高家は渋沢栄一の親族であり、尾高尚忠、尾高惇忠、尾高忠明は渋沢栄一の血を受け継いだ子孫でもある。現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」に登場し、田辺誠一が演じている尾高惇忠は曾祖父であり、その名を受け継いでいる。
東京芸術大学作曲科で矢代秋雄らに師事。その後、パリ国立高等音楽院に留学し、モーリス・デュリュフレらに師事した。自作に厳しかったため作曲家としては寡作であり、母校の東京芸術大学での教育活動を中心に、室内楽や歌曲伴奏のピアニストとしても活躍している。父親である尾高尚忠の名を冠した作曲賞、尾高賞を二度受賞。2001年には別宮貞雄を記念した別宮賞も受賞している。

ヴァイオリン独奏の米元響子は、実は今日が誕生日だそうである。桐朋学園の「子供のための音楽教室」に学び、1997年にイタリアのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて、史上最年少となる13歳で入賞。その後、モスクワのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝に輝いている。パリで学んだ後にオランダに渡り、マーストリヒト音楽院修士課程修了。現在は母校のマーストリヒト音楽院の教授も務めている。

広上のプレトークによると、尾高惇忠は「音楽は美しくあらねばならない」と考えていたそうで、「美しい現代音楽」を目指していたそうである。

第1楽章はオーケストラによる鮮烈な響きでスタートし、ヴァイオリン独奏がそれを追うように現れるが、終盤ではスマートなロマンティシズムを湛えた曲想が現れ、色彩感が増していき、ラストで冒頭の音型へと回帰する。近現代のフランスの作曲家や武満徹などにも繋がる妙なる響きが最大の特徴である。

米元のヴァイオリンは、ボリューム豊かな音が特徴。最近流行の磨き抜かれたタイトな音とは異なる。ボリス・ベルキンに師事したそうだが、確かにそんな印象を受ける。技術は高く、揺るぎがない。

第2楽章は、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」の序奏(有名なヴァイオリンソロが加わる前)に似た旋律が展開されていく。叙情的な美しさが印象的である。

第3楽章は一転してダイナミック。ストラヴィンスキーの「火の鳥」に似た曲想が盛り上がりを見せる。

広上は演奏終了後に、米元に、そしておそらくは作品自体にも「素晴らしい」と呟く。
その後、広上は客席にいる女性(おそらく尾高惇忠の奥さん)に向かって、スコアを掲げて見せた。


後半、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。
ノルウェーの国民的作曲家であるエドヴァルド・グリーグ。国民楽派の時代を代表する作曲家でもある。ただグリーグは、ピアノ曲などの小品の作曲を得意とする一方で、大作に関しては思うように筆が進まず、本人も悩んでいた。交響曲も完成させたが、不出来と見なして取り下げている。ということで、オーケストラコンサートで演奏されるのは、ピアノ協奏曲イ短調、「ホルベルク」組曲、そして「ペール・ギュント」組曲など限られる。

「ペール・ギュント」の音楽は、同名のヘンリック・イプセンの戯曲の劇付随音楽として書かれたもので、組曲のみならず劇付随音楽全曲か、それに近い数の楽曲で演奏会が行われることも稀にあり、私はシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団の定期演奏会で、そうした上演に接している。
また録音も「ペール・ギュント」組曲ではなく、劇付随音楽「ペール・ギュント」が増えており、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団盤、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団盤、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団盤などが人気である。ブロムシュテットはスウェーデン人、ヤルヴィ親子はバルト海を挟んでフィンランドと向かい合うエストニア出身で、やはり北欧やその隣国出身の指揮者が取り上げることが多いようである。

「戯曲の劇付随音楽」という妙な書き方をしたが、「ペール・ギュント」は、イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲。「安楽椅子の演劇」と呼ばれたりもする)として書いたものであり、舞台が次々と移り変わる上に、自己との対話など形而上的要素を含むため、イプセン自身は上演を想定していなかったのだが、「どうしても上演したい」という国民劇場からの要望に押し切られ、「グリーグの音楽付きなら」という条件で許可。こうしてグリーグの「ペール・ギュント」の音楽が生まれた。
グリーグの音楽が好評だったこともあり、初演は成功。その後も上演を重ねた「ペール・ギュント」だが、やはり読むための戯曲を上演するのは無理があり、その後は「グリーグの音楽のみが有名」という状態になっていく。近年、上演作品としての「ペール・ギュント」再評価の動きがあり、日本でもグリーグの音楽に頼らない「ペール・ギュント」の上演がいくつか行われたが、残念ながら現時点では成功に至っていない。

約四半世紀ぶりに聴く、広上指揮の「ペール・ギュント」。やはり京響の音の洗練度の高さがプラスに働いている。1997年時点のNHK交響楽団も良いオーケストラではあったが、現時点の日本のプロオーケストラの平均的な演奏に比べると野暮ったかったような記憶がある。広上もまだ若く、グリーグのロマンティシズムに飲み込まれていたような感じがあったが、今日は万全の表現力でグリーグの名旋律の数々を巧みに歌い上げる。

とにかく響きが澄み切っており、「オーセの死」などを聴いていると、「澄み渡った悲しみ」という言葉と、日輪の前を横切っていく雲の片々の映像が目に浮かぶ。
「オーセの死」は、冒頭のメロディーが「さくらさくら」に似ており、日本でグリーグが人気があるのも頷ける。どことなく演歌っぽいところもあり、コバケンこと小林研一郎が指揮した場合などはド演歌にもなるのだが、広上の場合は土俗性は余り出さないため、過度に感情に傾くこともない。

速めのテンポで壮快に進む「朝の気分」(上野博昭のフルートの涼しげな響きが良い)、蠱惑的な雰囲気満載の「アニトラの踊り」(今回は流石に広上さんも無闇には踊らず)、京響の鳴りの良さが痛快な「山の魔王の宮殿にて」、異国情緒と華やかさに溢れた「アラビアの踊り」、ヒンヤリとした音色でノスタルジックに歌われる「ソルヴェイグの歌」などいずれも見事な出来である。「ソルヴェイグの歌」では、広上はノンタクトでバネ仕掛けの人形のように手足を揺さぶるというかなり個性的な指揮を見せていた。アンサンブルも完璧とまでは行かなかったが、キレとボリュームと立体感があり、オーケストラを聴く醍醐味がホールいっぱいに弾けていた。


今日はアンコール演奏がある。尾高惇忠の先祖である渋沢栄一が今年の大河ドラマの主役ということで、「青天を衝け」メインテーマが演奏される。作曲は佐藤直紀であるが、佐藤直紀は東京音楽大学出身であり、広上の後輩に当たる。佐藤直紀は、「龍馬伝」でも大河ドラマの音楽を手掛けており、その時はメインテーマは広上が指揮したが、「青天を衝け」のメインテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫である尾高忠明が担っている。
豊かな広がりと、明治以降も描かれるということで洗練された味わいも持つ「青天を衝け」のオープニング曲。NHK職員の息子で、「大河フェチ」を自称する広上の指揮ということで、思い入れたっぷりの爽快な演奏となった。

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2021年6月 1日 (火)

コンサートの記(723) 広上淳一指揮 第5回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2010年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第5回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は広上淳一。

曲目は、スッペの「軽騎兵」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、シベリウスの交響曲第2番。


京都市ジュニアオーケストラは京都市在住・通学の10歳から22歳までの青少年を対象としたオーケストラで、オーディションを通過した約110名からなる。


スッペの「軽騎兵」序曲では、冒頭のトランペットが野放図に強かったり、弦がもたついたりということがあったが、全般的には整った演奏。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」。京都市ジュニアオーケストラは良く言うと音に余計なものが付いていない、悪くいうと音の背後に何も感じさせないところがあって、そこが不満だが、華のある演奏にはなっていたと思う。


メインのシベリウスの交響曲第2番。この曲をやるには京都市ジュニアオーケストラは基礎体力が不足していることは否めない。だが、聴いているうちにそれは余り気にならなくなる。

広上淳一とシベリウスの相性は気になるところだが、曲が交響曲第2番ということもあってか、ドラマティックで見通しの良い演奏であった。シベリウスの他の交響曲も広上の指揮で聴いてみたくなる。


アンコールは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。楽しい演奏であった。

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2021年5月 8日 (土)

コンサートの記(717) 広上淳一指揮 京都市交響楽団みんなのコンサート『サウンド・オブ・ドリーム』@京都市西文化会館ウエスティ 2009.8.23

2009年8月23日 上桂の京都市西文化会館ウエスティにて

午後2時半から、京都市西文化会館ウエスティで、京都市交響楽団みんなのコンサート『サウンド・オブ・ドリーム』を聴く。京都市交響楽団と京都市ジュニア・オーケストラの演奏によるコンサート。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

前半は京都市ジュニア・オーケストラの演奏で、ビゼーの『アルルの女』から「前奏曲」「パストラール」「メヌエット」「ファランドール」と京都市立芸術大学音楽学部4回生の東珠子(あずま・たまこ)をソリストに迎えてのサン=サーンスの「ハバネラ」。


後半は京都市交響楽団の演奏で、ルロイ・アンダーソンの「ブルータンゴ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「新ピチカート・ポルカ」、ベートーヴェンの交響曲第8番より第2楽章、フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」から“シシリエンヌ”、ドリーブのバレエ音楽「コッペリア」から“チャルダッシュ”と“前奏曲とマズルカ”というプログラム。


京都市西文化会館に行くのは初めて。位置的には阪急電車の桂駅と上桂駅の中間に位置する。上桂駅からの方が道順がわかりやすいので、乗り換えが面倒ではあるが上桂まで行くことにする。

京都市西文化会館は思ったよりも小さな建物で、ホールも予想よりずっとこぢんまりとしている。


全席自由なので、開場時間を少し過ぎた当たりに着いて座席を確保。ロビーでは子供達が大太鼓やら銅鑼やらを鳴らす“楽器体験”で遊んでいる。そういう趣向のコンサートである。子供連れも多いが来客の年齢層は幅広い。


まず京都市ジュニア・オーケストラの演奏。その前に広上淳一がマイクを手にして挨拶をする。「今日はちょっとしたことがありまして京都市交響楽団のメンバーがこんなに若くなっちゃいました」と冗談を言っていた。

京都市ジュニア・オーケストラはオーディションで選ばれた10歳から22歳までのメンバーからなるオーケストラ。今日はホールの残響がほとんどないということも手伝ってか、弦が薄いのが少し物足りない。「ファランドール」のラストで広上は猛烈な追い込みをかけるが、弦が鳴りきっていないように感じた。

サン=サーンスの「ハバネラ」のソリスト、東珠子のヴァイオリンは線は細いが音は美しい。


後半、京都市交響楽団の演奏。ショーピースが並んでおり、盛り上がる。特に「コッペリア」の“チャルダッシュ”の迫力が凄い。
広上は「ブルータンゴ」と「新ピチカート・ポルカ」をノンタクトで指揮し、指揮台でピョンピョン跳びはねてみせる。


アンコールはヨハン・シュトラウスⅡ世の「ピチカート・ポルカ」。広上は極端な溜めを作るなど、遊びに満ちた演奏であった。

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