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2021年7月17日 (土)

広上淳一×小林研一郎×下野竜也 NHK総合「ディープピープル」指揮者 2011.8.3

2011年8月3日

深夜1時15分から、NHK総合で放送された「ディープピープル」を見る。再放送である。本放送は都合により、見逃してしまっていた。テーマは指揮者。
下野竜也、広上淳一、小林研一郞という、日本を代表する個性派の指揮者3人が東京オペラシティのリハーサル室に集まってそれぞれの指揮に対する思いを語る。3人の中では広上が一番饒舌なので、自然に広上が進行役を務めるようになる。

個性派と書いたが、3人ともいわゆるオーソドックスなタイプの指揮者ではない。下野は41歳で(今年42歳。2011年当時)と指揮者としては若いが、若さに似合わず、30代のころから渋い音を出す指揮者だし、広上はハチャメチャな指揮スタイルとそれに似合わぬ美音をオーケストラから引き出す指揮者。また「炎のコバケン」こと小林研一郞は熱烈なファンとアンチが共に多いという変わった指揮者である。

指揮棒の話になり、3人とも自分の指揮棒を持参していて見せ合う。広上の指揮棒が比較的長めなのは実演に接しているので知っていた。ただ、明らかに長いというほどではない。遠目から見てもはっきり他の指揮者とは違うと感じる指揮棒を使用しているのは大植英次で、彼の指揮棒は一目で違いがわかるほど短い。広上さんは「背が低い」(自称164cm。学生時代の身長だと思われる。今はそれよりもかなり低いはず)から長めの指揮棒を使っていると語っていたが、大植は広上と同じか、あるいは更に背が低いのに指揮棒は短い。

クラシック以外の音楽の話題にも触れ、小林研一郞は美空ひばりが好きだそうだ。広上淳一は娘さんの影響もあって意外にもAKB48をカラオケで歌ったりするそうで、「『ヘビーローテーション』いいよ」と言っていた。私もAKB48は特に好きではないが、「ヘビーローテーション」だけは好きで(といってもCDは持っていないが)カラオケでも歌う。ただ、なぜか他の曲には惹かれない。下野はクラシック以外の音楽を聴くことはほとんどないそうだ。

演奏会前の楽屋にもカメラが入っており、小林研一郞は演奏会の前に楽屋で一度素っ裸になるそうだが、カメラが入っているので流石にそれはせず、NHKのスタッフが希望するポーズを取った。下野竜也は演奏会前に楽譜を入念にチェックする。かなりの緊張しいだとも語っていた。広上淳一は着替えるのがおそらく日本人指揮者としては一番遅いと語っていた。本番の2分前ぐらいに着替えるという。それより前に着替えると緊張してしまうそうだ。実は広上指揮の京都市交響楽団の定期演奏会で、オーケストラがチューニングを終えて待っているのに広上がなかなか出てこないということがあった。おそらく着替えが遅れたのだろう。

3人のリハーサルにもカメラが入る。小林研一郞はリハーサルでの言葉遣いが非常に丁寧なことで知られているが、70歳になった今でもそれは変わっていない。広上のリハーサルはオーケストラのメンバーと和気藹々といった感じである。下野のリハーサルは厳しいという噂があったが、実際は楽しくやっているようだ。

「第九演奏対決」という企画があり、3人の指揮者が同じオーケストラ(東京フィルハーモニー交響楽団)と同じリハーサル室を使って、ベートーヴェンの第九の第1楽章の終結部を演奏する。音の大きさでいうと、広上、小林、下野の順に大きい。下野が一番オーソドックスな演奏で、広上は指揮棒の振り方は一番個性的なのに生まれる音楽は一番カッチリしたフォルムを持っているという特徴がある。小林は一番テンポが遅く、最後の方は一音毎に指揮棒をくねらせ、最後もゆったりと大見得を切るように終わる。小林が楽譜にない間を取っていることも話題になる。

広上が教授を務める東京音楽大学のリハーサル室にもカメラが入り、広上の指揮指導姿が撮される。学生指揮者と学生オーケストラによる授業。広上は以前、「東京音大の指揮科に定員を設けるのをやめ、その代わり授業を厳しくする」と語っていたが、言葉通り、学生指揮者の演奏を何度も止め、駄目だしをしていた。

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2021年7月 1日 (木)

コンサートの記(726) 広上淳一指揮京都市交響楽団第657回定期演奏会

2021年6月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第657回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

先月行われた第656回定期演奏会、鈴木優人が初めて京響の指揮台に立った演奏会は、残念ながら緊急事態宣言下ということで、ニコニコ生放送での配信のみの無観客公演となったため、会場に聴衆を入れての演奏家は2ヶ月ぶりとなる。ただ、緊急事態宣言の余波のためか、客の入りは良くなかった。クラシックコンサートの聴衆は、昔も今もお年寄り中心であり、緊急事態宣言が解除になったからといってすぐには客は返ってこない。


曲目は、ウェーベルン(ジェラード・シュウォーツ編曲)の「緩徐楽章」(弦楽合奏版)、尾高惇忠(おたか・あつただ)のヴァイオリン協奏曲(世界初演。ヴァイオリン独奏:米元響子)、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。

午後6時30分頃から、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。今年2月に76歳で逝去した尾高惇忠(1944-2021)は、広上淳一の師匠ということで、公演プログラムにも広上の筆による尾高惇忠追悼メッセージが寄せられているが、プレトークも尾高惇忠の話が中心になる。
奥田佳道は、広上が指揮したマーラーの「復活」の解釈を指摘したことで広上に評価されていたような記憶があるが、かなり昔の話なので本当にそれが奥田だったのかはよく覚えていない。

広上淳一は湘南学園高校音楽コースの出身で、尾高惇忠、そしてその弟で指揮者の尾高忠明の後輩である。なお、その後に湘南学園高校は、難関大学を目指す進学校に模様替えしたため、音楽コースは現存していない。

中学校の頃は桜田淳子の追っかけをしていたため学業成績が振るわず、進路に悩んでいた広上淳一。中学校の校長先生が進路のアドバイスをしてくれたそうで、「あなたは音楽の道に進みなさい。湘南学園高校の音楽コースに女性の良い先生がいるから、そこに行きなさい」ということで、湘南学園高校は小学校から高校までの一貫校だったが、高校から特別に編入を認めてくれたそうである。そして湘南学園高校音楽コースの、女性の先生のアシスタントとしてついていたのが実は尾高惇忠だったそうだ。

奥田佳道が以前、尾高惇忠に、「広上さんの最初のレッスン覚えてますか?」と聞いたことがあるそうなのだが、尾高によると、「覚えてるよ。何にも言うこと聞かない奴だった」そうである。「課題で出したピアノ曲の演奏もいい加減だった」そうなのだが、「上手いピアノじゃないが、味があるので、才能はあるかも知れない」と思ったそうである。
その他にも、尾高惇忠がレッスンの合間に珈琲を入れる習慣があり、それを楽しみにしていたり、尾高が自作をピアノで弾きながら解説を入れるレッスンに感激したという話を広上はする。

「ペール・ギュント」組曲については、広上が縁を感じた時に取り上げることの多い曲なのだそうなのだが、私が初めて広上の実演に接した時のメインプログラムも「ペール・ギュント」組曲第1番第2番であった。1997年4月4日に東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団の土曜日マチネーの定期演奏会。私がN響の学生定期会員になって初の演奏会でもあった。当時、土曜日マチネーのN響定期演奏会はBSで生放送されていたが、数年前にこの時の演奏がEテレで再放送されているはずである。「アニトラの踊り」で、指揮台の上でステップを踏みながら踊っていた広上さんの姿が今も目の前に甦る。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン客演首席は直江智沙子。京響の演奏会は、第2ヴァイオリン副主席の杉江洋子が真っ先に登場するという習慣があるのだが、直江が間違えて先に出てしまい、直後に「ああ、違った」という表情をして杉江に一番乗りを譲っていた。今日はヴィオラ首席にソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。
尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲だけで、他は「ペール・ギュント」からの出演である。


ウェーベルンの「緩徐楽章」。元々は弦楽四重奏のための作品だが、シアトル交響楽団の指揮者として膨大な録音を残していることでも有名なジェラード・シュウォーツ(ジェラード・シュワルツ)が弦楽合奏にアレンジ。1982年に初演されている。
グリーグを思わせるような叙情的なメロディーと、マーラーを思わせるような響きが特徴で、今日のプログラムの幕開けに相応しい。
広上の立体的な音響作りもいつもながら優れている。


尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲。2020年5月30日に完成し、尾高惇忠の遺作となった。同年2月に病気が見つかり、闘病しながら作曲を行っていたようである。

尾高惇忠は、新交響楽団(現・NHK交響楽団)育ての親であり年末の第九を初めて指揮したともいわれる指揮者・作曲家の尾高尚忠(おたか・ひさただ)の長男である。前述通り実弟は指揮者の尾高忠明であり、音楽一家であった。また尾高家は渋沢栄一の親族であり、尾高尚忠、尾高惇忠、尾高忠明は渋沢栄一の血を受け継いだ子孫でもある。現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」に登場し、田辺誠一が演じている尾高惇忠は曾祖父であり、その名を受け継いでいる。
東京芸術大学作曲科で矢代秋雄らに師事。その後、パリ国立高等音楽院に留学し、モーリス・デュリュフレらに師事した。自作に厳しかったため作曲家としては寡作であり、母校の東京芸術大学での教育活動を中心に、室内楽や歌曲伴奏のピアニストとしても活躍している。父親である尾高尚忠の名を冠した作曲賞、尾高賞を二度受賞。2001年には別宮貞雄を記念した別宮賞も受賞している。

ヴァイオリン独奏の米元響子は、実は今日が誕生日だそうである。桐朋学園の「子供のための音楽教室」に学び、1997年にイタリアのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて、史上最年少となる13歳で入賞。その後、モスクワのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝に輝いている。パリで学んだ後にオランダに渡り、マーストリヒト音楽院修士課程修了。現在は母校のマーストリヒト音楽院の教授も務めている。

広上のプレトークによると、尾高惇忠は「音楽は美しくあらねばならない」と考えていたそうで、「美しい現代音楽」を目指していたそうである。

第1楽章はオーケストラによる鮮烈な響きでスタートし、ヴァイオリン独奏がそれを追うように現れるが、終盤ではスマートなロマンティシズムを湛えた曲想が現れ、色彩感が増していき、ラストで冒頭の音型へと回帰する。近現代のフランスの作曲家や武満徹などにも繋がる妙なる響きが最大の特徴である。

米元のヴァイオリンは、ボリューム豊かな音が特徴。最近流行の磨き抜かれたタイトな音とは異なる。ボリス・ベルキンに師事したそうだが、確かにそんな印象を受ける。技術は高く、揺るぎがない。

第2楽章は、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」の序奏(有名なヴァイオリンソロが加わる前)に似た旋律が展開されていく。叙情的な美しさが印象的である。

第3楽章は一転してダイナミック。ストラヴィンスキーの「火の鳥」に似た曲想が盛り上がりを見せる。

広上は演奏終了後に、米元に、そしておそらくは作品自体にも「素晴らしい」と呟く。
その後、広上は客席にいる女性(おそらく尾高惇忠の奥さん)に向かって、スコアを掲げて見せた。


後半、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。
ノルウェーの国民的作曲家であるエドヴァルド・グリーグ。国民楽派の時代を代表する作曲家でもある。ただグリーグは、ピアノ曲などの小品の作曲を得意とする一方で、大作に関しては思うように筆が進まず、本人も悩んでいた。交響曲も完成させたが、不出来と見なして取り下げている。ということで、オーケストラコンサートで演奏されるのは、ピアノ協奏曲イ短調、「ホルベルク」組曲、そして「ペール・ギュント」組曲など限られる。

「ペール・ギュント」の音楽は、同名のヘンリック・イプセンの戯曲の劇付随音楽として書かれたもので、組曲のみならず劇付随音楽全曲か、それに近い数の楽曲で演奏会が行われることも稀にあり、私はシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団の定期演奏会で、そうした上演に接している。
また録音も「ペール・ギュント」組曲ではなく、劇付随音楽「ペール・ギュント」が増えており、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団盤、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団盤、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団盤などが人気である。ブロムシュテットはスウェーデン人、ヤルヴィ親子はバルト海を挟んでフィンランドと向かい合うエストニア出身で、やはり北欧やその隣国出身の指揮者が取り上げることが多いようである。

「戯曲の劇付随音楽」という妙な書き方をしたが、「ペール・ギュント」は、イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲。「安楽椅子の演劇」と呼ばれたりもする)として書いたものであり、舞台が次々と移り変わる上に、自己との対話など形而上的要素を含むため、イプセン自身は上演を想定していなかったのだが、「どうしても上演したい」という国民劇場からの要望に押し切られ、「グリーグの音楽付きなら」という条件で許可。こうしてグリーグの「ペール・ギュント」の音楽が生まれた。
グリーグの音楽が好評だったこともあり、初演は成功。その後も上演を重ねた「ペール・ギュント」だが、やはり読むための戯曲を上演するのは無理があり、その後は「グリーグの音楽のみが有名」という状態になっていく。近年、上演作品としての「ペール・ギュント」再評価の動きがあり、日本でもグリーグの音楽に頼らない「ペール・ギュント」の上演がいくつか行われたが、残念ながら現時点では成功に至っていない。

約四半世紀ぶりに聴く、広上指揮の「ペール・ギュント」。やはり京響の音の洗練度の高さがプラスに働いている。1997年時点のNHK交響楽団も良いオーケストラではあったが、現時点の日本のプロオーケストラの平均的な演奏に比べると野暮ったかったような記憶がある。広上もまだ若く、グリーグのロマンティシズムに飲み込まれていたような感じがあったが、今日は万全の表現力でグリーグの名旋律の数々を巧みに歌い上げる。

とにかく響きが澄み切っており、「オーセの死」などを聴いていると、「澄み渡った悲しみ」という言葉と、日輪の前を横切っていく雲の片々の映像が目に浮かぶ。
「オーセの死」は、冒頭のメロディーが「さくらさくら」に似ており、日本でグリーグが人気があるのも頷ける。どことなく演歌っぽいところもあり、コバケンこと小林研一郎が指揮した場合などはド演歌にもなるのだが、広上の場合は土俗性は余り出さないため、過度に感情に傾くこともない。

速めのテンポで壮快に進む「朝の気分」(上野博昭のフルートの涼しげな響きが良い)、蠱惑的な雰囲気満載の「アニトラの踊り」(今回は流石に広上さんも無闇には踊らず)、京響の鳴りの良さが痛快な「山の魔王の宮殿にて」、異国情緒と華やかさに溢れた「アラビアの踊り」、ヒンヤリとした音色でノスタルジックに歌われる「ソルヴェイグの歌」などいずれも見事な出来である。「ソルヴェイグの歌」では、広上はノンタクトでバネ仕掛けの人形のように手足を揺さぶるというかなり個性的な指揮を見せていた。アンサンブルも完璧とまでは行かなかったが、キレとボリュームと立体感があり、オーケストラを聴く醍醐味がホールいっぱいに弾けていた。


今日はアンコール演奏がある。尾高惇忠の先祖である渋沢栄一が今年の大河ドラマの主役ということで、「青天を衝け」メインテーマが演奏される。作曲は佐藤直紀であるが、佐藤直紀は東京音楽大学出身であり、広上の後輩に当たる。佐藤直紀は、「龍馬伝」でも大河ドラマの音楽を手掛けており、その時はメインテーマは広上が指揮したが、「青天を衝け」のメインテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫である尾高忠明が担っている。
豊かな広がりと、明治以降も描かれるということで洗練された味わいも持つ「青天を衝け」のオープニング曲。NHK職員の息子で、「大河フェチ」を自称する広上の指揮ということで、思い入れたっぷりの爽快な演奏となった。

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2021年6月 1日 (火)

コンサートの記(723) 広上淳一指揮 第5回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2010年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第5回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は広上淳一。

曲目は、スッペの「軽騎兵」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、シベリウスの交響曲第2番。


京都市ジュニアオーケストラは京都市在住・通学の10歳から22歳までの青少年を対象としたオーケストラで、オーディションを通過した約110名からなる。


スッペの「軽騎兵」序曲では、冒頭のトランペットが野放図に強かったり、弦がもたついたりということがあったが、全般的には整った演奏。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」。京都市ジュニアオーケストラは良く言うと音に余計なものが付いていない、悪くいうと音の背後に何も感じさせないところがあって、そこが不満だが、華のある演奏にはなっていたと思う。


メインのシベリウスの交響曲第2番。この曲をやるには京都市ジュニアオーケストラは基礎体力が不足していることは否めない。だが、聴いているうちにそれは余り気にならなくなる。

広上淳一とシベリウスの相性は気になるところだが、曲が交響曲第2番ということもあってか、ドラマティックで見通しの良い演奏であった。シベリウスの他の交響曲も広上の指揮で聴いてみたくなる。


アンコールは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。楽しい演奏であった。

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2021年5月 8日 (土)

コンサートの記(717) 広上淳一指揮 京都市交響楽団みんなのコンサート『サウンド・オブ・ドリーム』@京都市西文化会館ウエスティ 2009.8.23

2009年8月23日 上桂の京都市西文化会館ウエスティにて

午後2時半から、京都市西文化会館ウエスティで、京都市交響楽団みんなのコンサート『サウンド・オブ・ドリーム』を聴く。京都市交響楽団と京都市ジュニア・オーケストラの演奏によるコンサート。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

前半は京都市ジュニア・オーケストラの演奏で、ビゼーの『アルルの女』から「前奏曲」「パストラール」「メヌエット」「ファランドール」と京都市立芸術大学音楽学部4回生の東珠子(あずま・たまこ)をソリストに迎えてのサン=サーンスの「ハバネラ」。


後半は京都市交響楽団の演奏で、ルロイ・アンダーソンの「ブルータンゴ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「新ピチカート・ポルカ」、ベートーヴェンの交響曲第8番より第2楽章、フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」から“シシリエンヌ”、ドリーブのバレエ音楽「コッペリア」から“チャルダッシュ”と“前奏曲とマズルカ”というプログラム。


京都市西文化会館に行くのは初めて。位置的には阪急電車の桂駅と上桂駅の中間に位置する。上桂駅からの方が道順がわかりやすいので、乗り換えが面倒ではあるが上桂まで行くことにする。

京都市西文化会館は思ったよりも小さな建物で、ホールも予想よりずっとこぢんまりとしている。


全席自由なので、開場時間を少し過ぎた当たりに着いて座席を確保。ロビーでは子供達が大太鼓やら銅鑼やらを鳴らす“楽器体験”で遊んでいる。そういう趣向のコンサートである。子供連れも多いが来客の年齢層は幅広い。


まず京都市ジュニア・オーケストラの演奏。その前に広上淳一がマイクを手にして挨拶をする。「今日はちょっとしたことがありまして京都市交響楽団のメンバーがこんなに若くなっちゃいました」と冗談を言っていた。

京都市ジュニア・オーケストラはオーディションで選ばれた10歳から22歳までのメンバーからなるオーケストラ。今日はホールの残響がほとんどないということも手伝ってか、弦が薄いのが少し物足りない。「ファランドール」のラストで広上は猛烈な追い込みをかけるが、弦が鳴りきっていないように感じた。

サン=サーンスの「ハバネラ」のソリスト、東珠子のヴァイオリンは線は細いが音は美しい。


後半、京都市交響楽団の演奏。ショーピースが並んでおり、盛り上がる。特に「コッペリア」の“チャルダッシュ”の迫力が凄い。
広上は「ブルータンゴ」と「新ピチカート・ポルカ」をノンタクトで指揮し、指揮台でピョンピョン跳びはねてみせる。


アンコールはヨハン・シュトラウスⅡ世の「ピチカート・ポルカ」。広上は極端な溜めを作るなど、遊びに満ちた演奏であった。

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2021年4月23日 (金)

コンサートの記(712) 広上淳一指揮京都市交響楽団西宮公演2021

2021年4月25日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後3時から、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団の西宮公演を聴く。

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新型コロナの感染は留まるところを知らず、大阪府内では1日の最多記録を更新する1220名の新規感染者が出た。昨日は梅田とその北の茶屋町に行ったのだが、梅田駅構内と茶屋町はそれなりに人がいたが(それでも平時の半分程度)梅田芸術劇場の入る茶屋町アプローズの前は本当に人がいなかった。大阪市民が手をこまねいているというわけでも、感染拡大防止のための努力を怠っているというわけでもないと思われるのだが、変異によって感染力が強まったのだろうか。

今日の京都市交響楽団の西宮公演に関しても、「大阪から兵庫に行くわけにはいかない」という自粛コメントをTwitterなどでしている人が多い。兵庫県立芸術文化センターもホームページにおいて今日付で、「症状が無くても自粛したいという人に関してはチケット料金払い戻しに応じる」という旨の発表を行った。

 

今回の京都市交響楽団の西宮公演は、本来なら1年前に行われているはずだったのだが、コロナ禍により開催が見送られ、同一プログラムによる演奏会が組まれることになった。状況的に再度中止もしくは延期になってもおかしくなかったが、開催されることになった。
本来なら緊急事態宣言が出されてもおかしくないのだが、東京オリンピックが関係しているのかそうでないのか、「まん延防止等重点措置」に留められている。それにしても略称「まん防」ではユーモラスで深刻さが感じられないが、そんなレベルの人が作っているという証でもある。

行きの阪急電車でも淡路駅では、「不急不要の外出はお控え下さい」とのアナウンスがあった。
コンサートホールの入り口に置かれたチラシの束(コロナの感染を考慮してスタッフからの手渡しでなく、積み置かれたものを聴衆が自分で取るというシステムになっている)の中にも、井戸敏三兵庫県知事からの「座席配置の工夫又はアクリル板の設置、消毒液の設置等の感染対策を行っていない飲食店、カラオケ店など、リスクのある場所への出入りを自粛してください」という要請が記された紙が含まれている。

そんな中でのコンサート。曲目は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:金川真弓)とマーラーの交響曲第5番。共に指揮者としても大活躍した作曲家、というよりもマーラーに関しては当代一の指揮者として評価されたが、作曲家としての名声が高まったのは死後であり、生前は指揮者としてのみ評価されていた。マーラーも自身の交響曲が聴衆から容易に受け入れられないということは心得ており、指揮者としての名声が下がるのを避けるため、自作の初演は本拠地であるウィーン以外で行っている。

偶然ではあるが、先週、広上と京響が行った「スプリング・コンサート」のメインが「死」を描いたチャイコフスキーの「悲愴」交響曲で、その次となる今回の演奏会のメインが「死からの復活」を描いたマーラーの交響曲第5番という並びになった。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの客演首席には神戸室内管弦楽団の西尾恵子が入る。テューバも武貞茂夫の後任が決まらず客演奏者を招くことが続いているが、今日は仙台フィルハーモニー管弦楽団のピーター・リンクが初めて入った。
今日はクラリネット首席の小谷口直子が全編に出演する。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳、トランペット首席のハラルド・ナエスなどはマーラーのみの出演である。

今日もドイツ式の現代配置だが、ティンパニが指揮者の真正面に置かれ、金管奏者はその前に横一列(向かって左側がホルン、向かって右側にトランペット)に並ぶという布陣である。マーラーの交響曲第5番で活躍するハープの松村衣里はチェロの第1プルトの後ろという指揮者に近い場所で演奏した。

 

今日は3階席3列目のほぼ正面。チケット発売時は収容最大観客数の半分までという基準だったため、発売日の午後にはもう通常の手段ではチケットは手に入らず、いつもとは異なる手段でチケットを買った(勿論、正規のルートである)。その後、満員でもOKとなったため追加発売が行われたが、自重した人も多く、空席も比較的多めである。

 

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(通称:メンコン)。ソリストの金川真弓(かながわ・まゆみ)は、2019年のチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で4位入賞、2018年のロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門では第2位&最優秀協奏曲賞を受賞というコンサート歴を誇る若手。それほど知名度の高くないコンクールでは1位も獲得している。1994年、ドイツ生まれ。幼時に日本に戻り、4歳でヴァイオリンを開始。その後、ニューヨーク、ロサンゼルスでの生活を経てドイツに戻り、ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学でコリヤ・ブラッハーに師事。現在もベルリンを拠点に活動している。

金川のヴァイオリンを聴くのは初めてだが、美音でスケールも大きい。それだけのヴァイオリニストなら数多いが、音の強弱の付け方がきめ細やかで、名古屋で聴いた諏訪内晶子独奏のメンコンを想起させる。時折見せる弱音の抜き方は諏訪内同様、日本人的な感性による演奏と取ることも出来るだろう。
一方で、高貴な印象の諏訪内のヴァイオリンに対して金川はかなりエモーショナルであり、第1楽章のカデンツァなどでは情熱全開の演奏を聴かせる。
富豪の家に生まれたメンデルスゾーン。育ちの良さと同時に、指揮者としてJ・S・バッハの「マタイ受難曲」を復活初演させるなど、意欲的な音楽活動を行った。そうした彼の多面性が、様々な演奏を聴くことで明らかになっていくようだ。
広上指揮の京都市交響楽団も表現力豊かな伴奏を聴かせる。

金川のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。美音とスケールの大きさはそのままに、確かな構築力も感じさせる優れた出来であった。今後がかなり期待出来そうなヴァイオリニストである。

 

マーラーの交響曲第5番。トランペットの独奏で始まる曲だが、広上は出だしだけ示して、後は首席トランペットのハラルド・ナエスに任せる。余談だが、兵庫県立芸術文化センターのポッケと呼ばれる展示スペースでは現在、兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称:PACオーケストラ)の卒団生からのメッセージが展示されているのだが、その中にハラルド・ナエスのものもあった。ナエスにとっては凱旋公演ということでもある。

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マーラーも得意レパートリーとする広上淳一。第1楽章前半などは、これまで聴いてきたマーラーの演奏に比べると今回はややタイトな印象を受けたが、第2楽章や第3楽章、第5楽章のいずれも終盤においてはスケールを拡大し、師であるレナード・バーンスタイン指揮のマーラーを念頭に置いたような巨大な音像を構築する。日本人指揮者と日本のオーケストラで、ここまでスケールを拡げても高密度であるため大風呂敷にならないというのは大したものという他ない。
広上の指揮姿は今日もユーモラスで、指揮台の上でステップを踏んだり、右から左へと両手を素早く振ったりする。肩で指揮をすることが多いのも広上の最近の特徴である。

有名な第4楽章のアダージェットも、ユダヤ系のマーラー指揮者によるものとは違って濃厚さはないが、ノスタルジアや儚さ、淡い憧れなどが浮かび上がる出来で、これも一つの解釈として納得のいくものである。アダージェットについては、マーラーと親交のあったウィレム・メンゲルベルクによる、「妻であるアルマに向けてマーラーが書いた音楽によるラブレター」という解釈がよく知られており、またレナード・バーンスタインがジョン・F・ケネディ大統領追悼演奏の一つに加えたことから「死」に繋がるというイメージも生まれたが、それらとはまた違った味わいである。ちなみにアダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で使われて有名となったが、主人公のアッシェンバッハ(トーマス・マンの原作では作家、映画ではマーラーをモデルとした作曲家となっている)は疫病で死ぬということになっており、今と重なる。
第5楽章もスケール雄大で、響きも磨き抜かれており、全てのパートが雄弁。マーラーの交響曲の重層性も明らかになっていく。

金川がアンコールで演奏したバッハの時代の音楽がどちらかというと抒景詩寄りで「神からの恩寵」的であったのに比べ、メンデルスゾーンの時代には人間の内面が音楽の主題となり、マーラーに至ると無意識にまで視点が向けられるようになる。実際にマーラーはジークムント・フロイトから精神分析を受けたことがあり、グスタフ・クリムトに代表されるウィーン分離派など、世紀末芸術の深層心理重視の作風にも近いものが感じられる。
結果として演奏だけでなく、ドイツ語圏の音楽や文化の歴史の流れを確認するという点でも興味深い演奏会となった。

演奏終了後、広上はまず冒頭のトランペット独奏などを吹いたハラルド・ナエスを立たせ、次いで第3楽章で活躍したホルン首席の垣本昌芳を立たせる。その後、各パートの首席奏者を立たせた後で、パート全員に起立を指示するが、打楽器はティンパニの中山航介(打楽器首席)を除くメンバーを立ち上がらせたため、中山が左右の手で自分を指さして、「僕も! 僕も! 僕も立たせて! 今立たせて!」というようにアピール。事情を知っている人達からの笑い声が起こる。広上は「後でね」という風に手で制して、今日も中山をトリとして立たせ、指揮台の上から拍手を送った。最近、このショートコント(?)が定番となりつつある。

 

広上は、「このような状況の中、このように沢山の方にお越し下り、『感謝!』です。感染にお気を付けて、でも演奏会には来て下さい」と言って、アンコール楽曲、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「カプリッチョ」から月光の音楽の演奏が始まる。美演であった。

ちなみに広上さんは、YouTubeで「週刊かんべぇ」という企画を始めるようである。

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2021年4月15日 (木)

コンサートの記(710) 広上淳一指揮「京都市交響楽団 スプリング・コンサート」2021

2021年4月11日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 スプリング・コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼音楽顧問で、京都コンサートホールの館長も務める広上淳一。

オール・ロシア・プログラムで、しかも春だというのに全て短調という曲目が並ぶ。
ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小曽根真)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。
チケットは完売である。1階席の第1列だけは発売されていないが、それ以外はほぼ埋まっている。なお、新型コロナウイルスに感染して隔離中だったり、当日の体調不良者にはチケット料金払い戻しに応じるという形での開催である。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーには尾﨑平。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子も降り番。オーボエ首席の髙山郁子は全編に出演し、トロンボーン首席の岡本哲はトロンボーンが編成に加わるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番からの登場。それ以外の管楽器首席は「悲愴」のみの出演である。

 

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。冒頭部分はやや音がかすれ気味でバランスなども不安定な印象を受けるが、会田莉凡がソロを奏でるあたりから抒情的な美しさが増していく。広上自身は曲にのめり込むことはせず、旋律美を自然に出すことを心がけているように見えた。

 

日本を代表するジャズピアニストである小曽根真をソリストの迎えてのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。小曽根はジャズのピアニストであるが、クラシックの演奏会に登場する機会も多い。

小曽根のピアノは、ラフマニノフを得意とするクラシックのピアニストのような堅牢さはないが、音は澄み切っており、第2楽章や第3楽章のカデンツァでジャズピアニストならではの即興演奏を繰り広げ、第3楽章の他の部分でも音を足して弾くなど、自在なピアニズムを発揮する。広上指揮の京都市交響楽団も雰囲気豊かな伴奏を奏でるが、第2楽章の木管のソロなどは首席奏者でないだけにやや情感不足。ここは勿体なかった。

小曽根のアンコール演奏は、自作の「Gotta Be Happy」うねりの中から繰り出される力強い響きが印象的で、小曽根の本領が発揮される。

 

メインであるチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ここでは「ヴォカリーズ」とは対照的に、広上が思い入れたっぷりの演奏を行う。小柄な体を目一杯伸ばし、足音を響かせ、体を揺らしながら指揮する。

低弦とファゴットで形作られる第1楽章冒頭の陰鬱から雰囲気満点だが、ヴァイオリンが加わると不思議な清明さが音楽の中に満ち、彼岸の世界への道が眼前に開けたかのような、不吉な見通しの良さが生まれる。
第2主題の弦も透明感はそのままで、過去の良き時代を回想するような趣が生まれている。

第2楽章の5拍子のワルツも美しい演奏だが、華やかさとは違った澄んだような美しさであり、チャイコフスキーの別世界への視線が伝わってくるかのようだ。

第3楽章も力強い演奏だが、押し続けるような印象はなく、作曲者による弦と管のニュアンスの微妙なずれも感じ取れるような、明快さも持つ。胸を高鳴らせることで破滅の予感(ベートーヴェンの運命主題の音型が鳴り続ける)から目を逸らしているような曲調であるが、ラストのピッコロの悲鳴により、精神的な破綻が訪れたかのように聞こえて、第4楽章を待つことなく一途に悲しくなってしまった。

そして第4楽章。広上は旋律を大袈裟に歌うことはないが、唸り声を上げつつ思い入れたっぷりの演奏が行われる。音自体はクールなのだが、その背後ではマグマが吹き上がりそうになっている。再び過去の良き日々が回想され、ノスタルジアが聴く者の胸をかき乱す。だが銅鑼が鳴らされて、この世界との絆も絶たれ、従容と死へと赴くかのようなラストが訪れる。止みゆく鼓動を描いたとされるコントラバスのピッチカートも全ての音がはっきり聞き取れるよう鳴らされた。

演奏終了後、広上は、弦楽最前列の奏者とグータッチやエルボータッチ、リストタッチを行い、各楽器をパートごとに立たせるが、今日もティンパニの中山航介は素通りして、コントラバス奏者達に立つよう促す。中山は、「えー、今日も?」という感じでうなだれ、トリとして盛大な拍手を受けた。

広上は、「本日はお越し下さり、ありがとうございます。コロナで大変ですが、なんとかやっております。感染しないよう十分にお気を付け下さい。ただ、演奏会にはお越し下さい」というようなことを言って(正確に記憶出来た訳ではないが、ほぼこのようなことだったと思う)、「しんみり終わりましたので、明るい曲を」ということで、ビゼーの小組曲「こどもの遊び」から第5曲“ギャロップ(舞踏会)”が演奏される。立体的な音響と推進力が魅力的な佳演であった。

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2021年4月 3日 (土)

コンサートの記(703) 広上淳一指揮京都市交響楽団第654回定期演奏会

2021年3月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第654回定期演奏会を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼音楽顧問の広上淳一。

ヴァイオリン独奏としてダニエル・ホープが出演する予定であったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のための外国人入国規制により来日不可となったため、1月の京都市ジュニアオーケストラのコンサートでもヴァイオリン独奏を務めた小林美樹が代役として登場し、曲目も変更となった。

その曲目は、ドヴォルザークの序曲「自然の王国で」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、ドヴォルザークの交響曲第7番。

 

今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志が入る。第2ヴァイオリンの客演首席は大阪交響楽団の林七奈。
ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄りに置かれる。
管楽器の首席奏者はドヴォルザークの交響曲第7番のみの登場となる。

 

ドヴォルザークの序曲「自然の王国で」。広上の指揮は相変わらず冴えており、抒情美と清々しい音色と快活さを合わせ持った響きを京響から引き出す。

 

小林美樹が独奏を務めるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。ターコイズブルーのドレスで登場した小林は、持ち味である磨き抜かれた美音で勝負。音の美しさのみならず、力強さや音の広がり、表現の幅広さなど十分であり、優れた独奏を聴かせる。
広上指揮による京響の伴奏も描写力の高さと雰囲気作りの上手さが光る。

コロナ禍が訪れてから、ソリストによるアンコールが行われないケースが目立ったが(ソアレの場合は退館時間を早めにする必要があるということも影響していると思われる)、今日はアンコール演奏が行われる。曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。音の純度が高く、静謐さと気高さが感じられる演奏であった。小林美樹もこのところ成長著しいようである。

 

ドヴォルザークの交響曲第7番。ドヴォルザークの交響曲第7番、第8番、第9番「新世界より」は、「後期三大交響曲」とも呼ばれるが、交響曲第7番は、第8番や「新世界より」に比べると演奏機会は多くなく、スラヴ的な要素が薄い分、ドヴォルザークならではの魅力には欠けている。

広上の表現であるが、第1楽章からドラマティック。リズム感が抜群であり、音にもキレがある。金管への指示を敬礼のようなポーズで行うのも特徴的。
京響は冒頭付近こそ音がかすれ気味のように感じられたが、次第に洗練度を高めていき、その上にドヴォルザーク的な濃厚さも加えた音色を聴かせていく。

第3楽章と第4楽章の出来が特に良く、スケール豊かで迫力ある音像が築かれる。ラスト付近ではアゴーギクも用いられ、スラヴ的な味わいも加えられていた。

 

演奏終了後、広上は、各奏者を立たせるが、大活躍したティンパニの中山航介には笑顔を向けるも飛ばす。中山も「えー、なんで?」という顔であったが、広上は大トリとして中山を立たせた。

その後、広上はマイクを片手に再登場。第一声が「疲れました」で客席の笑いをとるが、コロナの中で演奏会に駆けつけてくれたことへのお礼や、京都市交響楽団が京都市民の心を癒やす役割と担っていることや、ヨーロッパに代表されるように街のオーケストラを育てるのはその街の市民であることなどを述べた。
そして、京都市交響楽団副楽団長である北村信幸と森川佳明が異動によって京響を去るということで(京都市交響楽団は公営のオーケストラであるため、スタッフも音楽を専門としている訳ではなく、京都市の職員が交代で受け持っている)、広上がそれぞれの話を聞き(広上は、「愚息、娘なので愚か娘になるんでしょうが、受験に落ちてばっかりだったのが、森川さんから合格のお守りを頂いてから受かり始めた」と語る)、アンコールとしてドヴォルザークの「チェコ組曲」よりポルカが演奏される。ドヴォルザーク的なノスタルジックな趣と憂いと快活さを上手く表現した演奏で、今年度の最後の定期演奏会の掉尾を飾るのに相応しい音楽となった。

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2021年1月 2日 (土)

Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー ベートーヴェン交響曲全曲演奏2020

録画してまだ見ていなかったEテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第一夜を見る。ベートーヴェンの交響曲を日本全国のオーケストラが1曲ずつ演奏していくという企画で、通常の演奏会ではなく、この企画のために特別に収録されたものが演奏される。

交響曲第1番は、広上淳一指揮京都市交響楽団が京都コンサートホールで行ったものが、第2番は飯守泰次郎指揮仙台フィルハーモニー管弦楽団が名取市文化会館で行ったものが放送される。

共にリハーサルの様子が収められており、広上はピアニカ(鍵盤ハーモニカ)吹きながら音楽を示し、飯守はオーケストラ奏者からの質問に真摯に答えている様子を見ることが出来る。

 

広上淳一指揮京都市交響楽団は、交響曲第1番の前に、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番より第3楽章の弦楽オーケストラ編曲版も演奏する。

交響曲第1番は、バロックティンパニを用い、ピリオドを意識した演奏になっている。ただ弦楽のビブラートは要所要所での使い分けとなっており、ベートーヴェンの生きていた時代の演奏の再現を目指しているわけではない。
ヴァイオリンやフルートといった高音の楽器を浮かび上がらせており、それがフレッシュな印象を生んでいる。京響の持つ力強さを生かし、広上らしい流れの良さとエネルギー放出力が印象的な演奏を築き上げた。

ちなみに、広上のベートーヴェン解釈は独特で、元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、広上淳一に指揮を師事し、現在では指揮者として活躍する茂木大輔の著書『交響録 N響で出会った名指揮者たち』(音楽之友社)に、茂木がベートーヴェンの交響曲第1番フィナーレ(第4楽章)序奏部の解釈を広上に聞いた時のことが描かれているのだが、
広上(話し手の名前表示は引用者による)「あ、あれはね、花園があって。まず」
茂木(同上)「は、はい、花園……(メモ)」
広上「そこにね」
茂木「はい、そこに?」
広上「桜田淳子ちゃんが(引用者注:広上は桜田淳子の大ファンである)」
茂木「じゅ、淳子ちゃん……(メモ……)」
広上「遠くに、楽しそうに立っているのを、目指して、だんだん近寄って行くわけね。するとその花園がね……(どんどん続く)」
というものだそうである。

 

交響曲第2番を演奏する仙台フィルハーモニー管弦楽団。東北にある二つあるプロオーケストラの一つである。山形交響楽団の方が先に出来たが、仙台フィルの前身である宮城フィルハーモニー管弦楽団が生まれる際に、山形交響楽団から移籍した人も結構いた。仙台市と山形市は隣接する都市となっており関係は密である
山形交響楽団は飯森範親をシェフに迎え、関西フィルハーモニー管弦楽団の理事長であった西濱秀樹が移籍してからは、大阪でも毎年「さくらんぼコンサート」を行うようになったが、仙台フィルは関西での公演に関して積極的ではない。山形交響楽団がクラシック音楽対応のコンサートホール二つを本拠地としているのに対し、仙台にはまだクラシック音楽用のホールは存在しない。
ただ、録音や配信で聴く仙台フィルハーモニー管弦楽団はかなりハイレベルのオーケストラであり、かつて東京に次ぐ第二都市とまで言われた仙台の文化水準の高さを示している。

飯守も広上も関西に拠点を持っているが、タイプは正反対で、流れを重視する広上に対し、飯守は堅固な構築力を武器とする。
飯守は日本におけるワーグナー演奏の泰斗であり、ワーグナーに心酔していたブルックナーの演奏に関しても日本屈指の実力を持つ。

仙台フィルの音色の瑞々しい音色と、飯守の渋めの歌が独特の味となったベートーヴェン演奏である。

 

ベートーヴェン愛好家の多い日本に生まれるというのは、実に幸運なことである。生誕250周年記念の演奏会の多くが新型コロナによって中止となってしまっても、こうして放送のための演奏を味わうことが出来るのだから。第九の演奏を毎年のように生で聴けるということを考えれば、ドイツやオーストリアといった本場を上回る環境にあるのかも知れない。

 

 

録画してまだ見ていなかった、Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第二夜と第三夜を続けてみる。

ベートーヴェンの交響曲を日本各地のプロオーケストラが1曲ずつ演奏し、収録を行うという企画。
交響曲第3番「英雄」は高関健指揮群馬交響楽団、交響曲第4番は小泉和裕指揮九州交響楽団、第5番は阪哲朗指揮山形交響楽団、第6番「田園」は尾高忠明指揮大阪フィルハーモニーが演奏を行う。基本的に本拠地での収録であるが、大阪フィルはフェスティバルホールでもザ・シンフォニーホールでもなく、NHK大阪ホールでの無観客収録が行われた。

 

建築としては第一級だが音響の評判は悪かった群馬音楽センターから高崎芸術劇場へと本拠地を移した群馬交響楽団。談合問題によるゴタゴタもあったようだが、クラシック音楽対応の大劇場や室内楽用の音楽ホール、演劇用のスタジオシアターなどを備え、評判も上々のようである。

日本の地方オーケストラとしては最古の歴史を誇る群馬交響楽団。学校を回る移動コンサートが名物となっており、小学生以来のファンが多いのも特徴である。コロナによって活動を停止せざるを得なかった時期にも、ファンからの激励のメッセージが数多く届いたそうだ。

Twitterで「高崎で高関が振るベートーヴェン」と駄洒落を書いたが、高関健は、1993年から2008年までの長きに渡って群馬交響楽団の音楽監督を務め、退任後は同交響楽団の名誉指揮者の称号を得ている。

古典配置での演奏。高関はノンタクトでの指揮。速めのテンポで颯爽と進むベートーヴェンであり、第1ヴァイオリンに指示するために左手を多用するのも特徴である。

「英雄」の演奏終了後には、プロメテウス繋がりで、「プロメテウスの創造物」からの音楽が演奏された。

 

交響曲第4番を演奏する小泉和裕指揮の九州交響楽団。アクロス福岡 福岡シンフォニーホールでの収録である。

九州も比較的音楽の盛んな場所だが、プロオーケストラは福岡市に本拠地を置く九州交響楽団のみである。人口や都市規模でいえば熊本市や鹿児島市にあってもおかしくないのだが、運営が難しいのかも知れない。

小泉和裕は徒にスケールを拡げず、内容の濃さで勝負するタイプだが、この交響曲第4番は渋めではあるが情報量の多い演奏となっており、なかなかの好演である。

演奏終了後に、序曲「レオノーレ」第3番の演奏がある。ドラマティックな仕上がりで盛り上げも上手く、交響曲第4番よりも序曲「レオノーレ」第3番の演奏の方が上かも知れない。

 

交響曲第5番を演奏するのは、阪哲朗指揮の山形交響楽団。長く一地方オーケストラの地位から脱することが出来なかったが、飯森範親を音楽監督に迎えてから攻めの戦略により、一躍日本で最も意欲的な活動を行うオーケストラとしてブランド化に成功した。キャッチフレーズは、「食と温泉の国のオーケストラ」。山形テルサ・テルサホールという音響は良いがキャパ800の中規模ホールを本拠地とするのが弱点だったが、今年、オペラやバレエ対応のやまぎん県民ホールがオープン。更なる飛躍が期待されている。
今回はそのやまぎん県民ホールでの演奏。
山形交響楽団はピリオドアプローチや、弦楽器をガット弦に張り替えての古楽器オーケストラとしての演奏に早くから取り組んでおり、今回の演奏でもトランペットやホルンはナチュラルタイプのものが用いられている。

阪哲朗はノンタクトで振ることも多いのだが、今回は指揮棒を使用。
冒頭の運命動機を強調せず、フェルマータも比較的短め。流れ重視の演奏である。速めのテンポで駆け抜ける若々しくも理知的な演奏であり、中編成の山形交響楽団とのスタイルにも合っている。

演奏終了後には、「トルコ行進曲」が演奏された。


尾高忠明と大阪フィルハーモニー交響楽団は、一昨年にフェスティバルホールでベートーヴェン交響曲チクルスを行っているが、「田園」だけが平凡な出来であった。「田園」はベートーヴェンの交響曲の中でも異色作であり、生演奏で名演に接することも少ない。

まず「プロメテウスの創造物」序曲でスタート。生き生きとした躍動感溢れる演奏である。

「田園」も瑞々しい音色と清々しい歌に満ちた満足のいく演奏になっていた。

 

 

録画しておいた、Eテレ「クラシック音楽」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第四夜を視聴。川瀬賢太郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番、秋山和慶指揮札幌交響楽団による交響曲第8番、下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」の演奏が放送される。

今年36歳の若手、川瀬賢太郎。広上淳一の弟子である。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者は契約を更新しないことを表明しているが、名古屋フィルハーモニー交響楽団の正指揮者としても活躍している。
神奈川フィル退任の時期や広上で弟子であることから、あるいは京都市交響楽団の次期常任指揮者就任があるのかも知れないが、今のところ広上の後任は発表になっていない。

「のだめカンタービレ」で有名になった交響曲第7番だが、曲調から若手指揮者が振ることが多く、佐渡裕のプロデビューも新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した第7をメインとしたコンサートだった。川瀬もやはり第7を振る機会は多く、今までで一番指揮したベートーヴェンの交響曲だそうである。
リハーサルでも単調になることを嫌う様子が見て取れたが、しなやかにして爽快な第7を演奏する。

愛知県芸術劇場コンサートホールで何度か実演に接したことのある名古屋フィルハーモニー交響楽団。意欲的なプログラミングでも知られており、今年もベートーヴェン生誕250年特別演奏会シリーズが予定されていたようだが、そちらは残念ながら流れてしまったようである。

第7の後に、「英雄」の第3楽章が演奏された。

 

第8番を演奏する秋山和慶指揮札幌交響楽団。日本屈指の音響との評判を誇る札幌コンサートホールKitaraでの演奏である。
秋山はレパートリーが広く、何を振っても一定の水準に達する器用な指揮者であり、外国人指揮者が新型コロナウイルス流行による入国制限で来日出来ないというケースが相次いだ今年は、各地のオーケストラから引っ張りだことなった。
岩城宏之が、「日本のクリーヴランド管弦楽団にする」と宣言して育てた札幌交響楽団。尾高忠明の時代に「シベリウス交響曲全集」や「ベートーヴェン交響曲全集」を作成し、好評を得ている。
秋山の適切な棒に導かれ、透明感のある音色を生かした活気ある演奏を示した。

 

下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」。序曲が有名な「エグモント」だが、劇音楽全曲が演奏されることは珍しい。

NHKの顔となる大河ドラマのオープニングテーマを何度も指揮している下野竜也。NHKとN響からの評価が高く、来年もN響の地方公演を振る予定がある。
下野は広島交響楽団に音楽総監督という肩書きで迎えられており、期待の大きさがわかる。
語りをバリトン歌手である宮本益光(歌手の他に語りなどをこなす器用な人であり、寺山修司ばりに、職業・宮本益光を名乗っている)が務め、ソプラノは石橋栄実(いしばし・えみ)が担当する。
下野らしいドラマティックな演奏であり、広島交響楽団の実力の高さも窺える。
人口で仙台市とほぼ同規模である広島市。両都市とも地方の中心都市でありながら音楽専用ホールがないという共通点があったが、広島は、旧広島市民球場跡地隣接地に音楽専用ホールを建設する予定がある。

 

 

午後8時から、オーケストラでつなぐ希望のシンフォニーのダイジェストを含む今年のクラシックシーン(例年に比べると寂しいものである)を振り返った後で、12月23日に東京・渋谷のNHKホールで収録されたNHK交響楽団の第九演奏会の模様が放送される。指揮は、スペイン出身のパブロ・エラス・カサド。フライブルク・バロック・オーケストラを第九と合唱幻想曲で本年度のレコード・アカデミー大賞を受賞した指揮者である。ノンタクトで汗をほとばしらせながらの熱演。

新型コロナ流行下での第九演奏であるため、合唱を務める新国立劇場合唱団は人数を抑え、前後左右に距離を空けての配置。歌唱時以外はマスクを付けていた。

HIPを援用した快速テンポによる演奏であるが、音が磨き抜かれており、N響の技術も高く、耽美的な演奏となる。
N響も本当に上手く、真のヴィルトゥオーゾオーケストラといった感じである。90年代にN響の学生定期会員をしていた時にも、「不器用だが上手い」という印象を受けていたが、今、90年代に収録された映像やCD化された音源を聴くと、「あれ? N響ってこんなに下手だったっけ?」と面食らうこともある。それほど長足の進歩を遂げたという証でもある。
カサドがスペイン出身ということも影響していると思われるが、音の重心が高めであり、フルートやヴァイオリン、ピッコロといった高音を出す楽器の音が冴えているのも特徴である。全体的に明るめの第九であり、アバド、シャイー、ムーティといったイタリア人指揮者の振った第九との共通点も見出すことが出来る。
第3楽章もかなり速めのテンポを取りながら溢れるような甘さを湛えているのが特徴である。
合唱も例年に比べると編成がかなり小さいが、収録されたものということで音のバランスは調整されており、迫力面でも不満はない。ライブではどんな感じだったのであろうか。

見通しの良い第九であり、甘美なのもこうした年の最後を締めくくる第九としては良かったように思う。

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2020年12月30日 (水)

コンサートの記(676) 広上淳一指揮京都市交響楽団 特別演奏会「情熱のチャイコフスキー・ガラ」

2020年12月26日 京都コンサートホールにて

午後6時から、京都コンサートホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団による特別演奏会「情熱のチャイコフスキー・ガラ」を聴く。

本来なら今日と明日、同じコンビによる第九演奏会が行われる予定だったのだが、合唱の飛沫が危険であることは否定出来ないということで、声を出さない器楽のソリストを呼んでのガラコンサートとなった。ピアノ、チェロ、ヴァイオリンの独奏ということで、いずれにおいても代表作のあるチャイコフスキーが選ばれたのだと思われる。ドヴォルザークもピアノ、チェロ、ヴァイオリンの協奏曲全てが名曲だが、チェロ協奏曲以外は知名度が低い。ヴァイオリン協奏曲は隠れた大傑作であると思われるが、隠れた曲ではお客が集まらない。やはり季節的にいってもチャイコフスキーが最適であろう。

曲目は、ピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:岡田奏)、ロココ風の主題による変奏曲(原典版。チェロ独奏:佐藤晴真)、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)。ピアノ協奏曲第1番の演奏の後に休憩が入る。

チケット完売御礼であるが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンスフォーメーションであり、入りは900名程だと思われる。

今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(あいだ・りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。チャイコフスキー作品ではフルートが活躍することが多いというので、首席フルート奏者の上野博昭が全曲に登場する。クラリネット首席の小谷口直子は降り番であるが、他の楽器は首席奏者が出演する。第2ヴァイオリンの客演首席には読売日本交響楽団の瀧村依里が入る。

 

ピアノ協奏曲第1番のソリストである岡田奏(おかだ・かな)は、北海道出身の女性ピアニストである。函館市に生まれ、パリ国立高等音楽院に学び、プーランク国際ピアノ・コンクール第1位、ピアノ・キャンパス国際コンクール1位、エリザベート王妃国際コンクールでファイナリストなどのコンクール歴を誇り、世界中の名オーケストラや名指揮者と共演を重ねている。

広上指揮の京響はゴージャスな中にも初冬の空気のようにひんやりとした感触のある音を奏で、(行ったことはないけれど)ロシアの広大な大地が目に浮かぶようなスケール豊かな演奏を展開する。ちょっとした音の揺らしも効果的である。
岡田奏は、女性ピアニストであるが、がっしりとした構築感を持つ堅固なピアノを奏でる。高音の霞がかったような響きも独特である。
今日は3階席の上手側ステージサイド、広上淳一を斜め前から見る角度の席だったのだが(チケットは京響友の会優先であるため、一般は発売の時点で良い席がほとんど残っていなかった)、天井が近いため、真上に飛んだ音が比較的長い間留まっているのがわかる。また各楽器の技量も把握しやすいのだが、上野博昭の冴え冴えとしたフルートの音色が印象的であった。こういう時はやはり上野さんでないと。

 

チェロ独奏とオーケストラのためのロココ風の主題による変奏曲(原典版)。
チャイコフスキーはチェロに余り詳しくなかったため、ドイツ人のチェリストである友人のヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンに監修を依頼し、初演が行われたのだが、その後にフィッツェンハーゲンがチェロパートを大幅に改変したものが決定稿として出版され、以後はこちらの版がスタンダードとなっている。その後に、フィッツェンハーゲンが手を加えたスコアからチャイコフスキーの筆跡をX線で読み取るという方法で原典版が復元され、今回はこちらの版での演奏となる。

チェロ独奏の佐藤晴真は、現在22歳という若手チェリスト。2019年にはミュンヘン国際音楽コンクール チェロ部門にて日本人として初めて優勝。その前年にもルトスワフスキ国際チェロ・コンクールで1位と特別賞に輝いている。現在はベルリン芸術大学にてチェロをJ=P・マインツに師事している。

佐藤晴真のチェロは温かくて張りのある音を出す。広上指揮の京響もピアノ協奏曲第1番の時とは違い、ぬくもりのあるチャーミングな音で応え、真冬に暖炉に当たりながら聴くのに相応しいようなノスタルジックな趣を讃えていた。

 

人気若手ヴァイオリニストである三浦文彰が独奏を務めるヴァイオリン協奏曲ニ短調。
広上と京響は春の蠢きのような冒頭から生命力に満ちた音を響かせる。同じ指揮者とオーケストラによる演奏であるが、曲ごとに色と温度を変え、透明感も増していく。コロナ禍の真っ只中であるが、今日この場所にだけはいつもと変わらぬ豊かな自然が音として息づいているかのようである。
三浦のヴァイオリンはシャープ。特に弱音に艶があり、難敵を次々と斬り伏せていく若武者のような勇ましさも備えている。
上野のフルートが春の息吹を伝え、最終楽章における春爛漫の爆発を予言する。
広上もヴィオラを浮き上がらせたり、低音部を立体的に築くなど効果的なバランスによる生き生きとした音楽作りを行い、明日への希望へと繋がるようなエネルギーでホールを満たした。

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2020年9月10日 (木)

コンサートの記(653) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2020「オーケストラを聴いてみよう!」第2回「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」

2020年9月6日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2020「オーケストラを聴いてみよう!」第2回「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」を聴く。

第2回とあるが、新型コロナの影響で第1回は公演中止となり、今回が今シーズン最初の公演となる。オーケストラ・ディスカバリーは4回の通し券が発売され、余った席を1回券として発売していたが、再開するに当たり、ソーシャルディスタンスを取る必要があるため、ほぼ完売状態だった通し券が全て払い戻しとなり、希望者は改めて1回券を購入するという措置が取られた。今年度予定されている第3回、第4回の公演も1回券が今後発売される予定である。

 

今日の指揮者は、京都市交響楽団第13代常任指揮者兼芸術顧問、更に京都コンサートホール館長も兼任することになった広上淳一。本来は第2回の指揮者は今年の4月から京響の首席客演指揮者に就任したジョン・アクセルロッドが受け持つはずだったが、外国人の入国制限が解除されないということで広上が代わりに指揮台に立つことになった。広上は来年の3月に予定されている第4回の指揮も担う予定である。

広上淳一の指揮する京都市交響楽団を生で聴くのは今年初めてのはずである。1月にあった京都市ジュニアオーケストラの公演は聴いているため、指揮姿を生で見るのは今年初ではないが、京都市交響楽団の今年の3月定期はカーテンコールの配信する無観客公演となり、その後に予定されていたスプリングコンサートや兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールでの公演も中止となった。この夏の「京響 みんなのコンサート」の指揮台には広上も立っているが、平日の午前11時からの公演ということで、聴きには行けなかった。

 

曲目は、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」(G線上のアリア)、ハイドンの交響曲第94番「驚愕」から第2楽章、ブラームス(シュメリング編曲)のハンガリー舞曲第5番、ヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーヴス」による幻想曲、ベートーヴェンの交響曲第7番から第1楽章、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ、リムスキー=コルサコフの歌劇「サルタン皇帝の物語」から“熊蜂の飛行”、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲、ファリアの歌劇「はかなき人生」から“スペイン舞曲”、ビゼーの「カルメン」第2組曲から“ハバネラ”、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲から“カンカン”

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの客演首席は大阪交響楽団の林七奈。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子は降り番である。
今日は管楽器は弦楽と間を空けてステージの最後部に並ぶ。弦楽器群との間に飛沫防止のためのアクリル板が立ててある。通常ステージ最後列に陣取ることが多い打楽器群は今日はステージ下手側への配置となる。
編成はほぼフルサイズであるが、弦のプルトは譜面台を二人で一つではなく個々で用いており、通常よりは間を置いての演奏である。
管楽器の飛沫が上から下へと飛ぶの避けるため、ステージをすり鉢状にせず、平土間での演奏であるが、音は良く響く。

 

J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」。京響が取り上げることの多い曲だが、広上ならではの見通しの良さと音の抜けの良さが広がりと優しさを生んでいる。耳と心が清められるかのような演奏であった。

 

今回のナビゲーターはガレッジセールの二人。ナビゲーターは話す必要があるため、今回はステージ上ではなく、席を取り払ったポディウムに距離を置いて並んで進行を行う。
ゴリが、「普段は我々は指揮者の方の横で話すのですが、離れて上にいた方が広上さんと同じ大きさに見えるということで」とボケ、川田広樹に突っ込まれて、「コロナ対策ということで」と本当のことを述べていた。

「G線上のアリア」という別名についてゴリは、「ヴァイオリンの一番太い線をG線というそうですが(コンサートマスターの泉原がヴァイオリンを立てて持ち、G線を示す)、ヴァイオリン独奏用に編曲した時にG線のみで弾けるようにしたということでG線上のアリア、じじいが好きというじじい専門もジイ専というわけですが」とボケていた。

 

ハイドンの交響曲第94番「驚愕」から第2楽章。曲を紹介する時にはゴリは、「西郷隆盛は『おいどん』、こちらはハイドン」とボケる。

ハイドンは現在ではピリオドで演奏するのが基本ということで、弦楽の弓の使い方はHIPを用いている。「驚愕」の音が起こる場面で広上は指揮棒を持った右手を思いっきり引いてから叩きつけるという大見得を切る。今日も広上は応援団が「フレー! フレー!」とやる時のような仕草を見せるなどユニークな指揮ぶりだが、出てくる音楽はオーセンティックである。

 

ブラームスのハンガリー舞曲第5番でも重厚さと軽妙さを合わせ持った優れた音楽作りを行う。

 

ヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーヴス」による幻想曲。今回のテーマは「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」であるが、「グリーンスリーヴス」による幻想曲はメロディー重視の佳曲である。淡さを宿した弦楽の音色の上に管が浮かび上がってくるという儚さと懐かしさに満ちた演奏である。

ゴリが、「キユーピーのCMにも使われたことがあるということで、聴いたことのある方も多い曲だそうですが。今、キューピーといった時に広上さんが『俺か?』という顔をなさいましたが、広上さんではありません」

 

前半のラストはベートーヴェンの交響曲第7番から第1楽章。ゴリが「今年はベートーヴェン生誕250周年だそうで、ベートーヴェンも250歳です。今もご健在で」とボケて、川田に「そんなわけあるか!」と突っ込まれる。ゴリは交響曲第7番について、「『のだめカンタービレ』で一躍有名になった」と紹介する。

広上が得意とするベートーヴェン。交響曲第7番はリズムを旋律や和音よりも重視するという、当時としては特異な楽曲である。ノリの良い明るめの演奏が展開されるが、広上と京響のコンビということを考えると音に厚みがやや不足気味。ソーシャルディスタンスのための配置が関係しているのだと思われる。

 

後半。チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ。京響の音の輝きと広上の躍動感と盛り上げの上手さが光る演奏。スケールも大きい。

演奏終了後、広上はマスクを着けてマイクを手に取り、ガレッジセールの二人に「会いたかったよー!」と話し掛ける。その後、オペラについての解説を行う。広上が、「前半は45分丁度で終わった。『マエストロが話し出すと10分も20分も延びる』」と裏方から言われたことを語り、ゴリが「広上さんのトークは交響曲1曲より長いと言われてますもんね」と返し、広上は「2分で纏めます」と言って、オペラというのは芝居であるがセリフも音楽であると語り、「俺はゴリだー、俺は川ちゃんだー」というメロディーを即興で歌っていた。

 

リムスキー=コルサコフの歌劇「サルタン皇帝の物語」から“熊蜂の飛行”とマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲。
リムスキー=コルサコフの“熊蜂の飛行”は京響の団員の妙技が目立ち、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲は弦楽の磨き抜かれた響きと抒情性が見事である。

演奏終了後、ゴリは「蜂が一杯飛んでましたね」と言い、熊蜂というタイトルであるが実際はマルハナバチという蜜を運ぶ優しい感じの蜂で、いわゆる熊蜂やスズメバチといったようなイメージではないと説明した。

 

ファリアの歌劇「はかなき人生」から“スペイン舞曲”と、ビゼーの「カルメン」第2組曲から“ハバネラ”。スペイン絡みの曲が並ぶ。共に情熱的で蠱惑的な表情も持つ魅力的な演奏となる。ファリアはスペインの作曲家ということで、カスタネットが用いられるなど、スペインの民族性が強烈に発揮されている。

 

オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲から“カンカン”。ゴリが「『天国と地獄』の序曲は全部演奏すると10分ぐらい掛かる曲なのですが、今日はその中から“カンカン”を演奏します。皆さん、“カンカン”をご存じですか? そうです、上野動物園のパンダです」

ゴリがボケている間、広上はヴィオラ首席の小峰航一と向かい合って、右足を軽く上げていた。
京響の威力が発揮された演奏であり、弦も管も力強く、それでいてバランスも最良に保たれている。ノリも良く、熱狂的であるが踏み外しはない。
演奏活動が再開されてから、秋山和慶、松本宗利音、三ツ橋敬子、阪哲朗の指揮で京都市交響楽団の演奏を聴いたが、広上とのコンビによる演奏がやはり最も高いレベルに達していることが実感される演奏会であった。


「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」に関するガレッジセールからのメッセージは、京都市交響楽団の公式ブログに一字一句正確に記されているのでそちらを参照されたし。

 

アンコール演奏は、レナード・バーンスタインの「ディヴェルティメント」から第8曲、行進曲“BSO(ボストン交響楽団)よ永遠なれ”。レナード・バーンスタイン独自のイディオムを消化しつつ京響のゴージャスな響きを存分に鳴らした快演であった。

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