カテゴリー「広上淳一」の107件の記事

2021年9月12日 (日)

コンサートの記(743) 広上淳一指揮 京都市交響楽団×石丸幹二 音楽と詩(ことば) メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」

2021年9月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団×石丸幹二 音楽と詩(ことば) メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」をメインとしたコンサートは、本来なら昨年の春に、広上淳一の京都市交響楽団第13代常任指揮者就任を記念して行われる予定だったのだが、新型コロナの影響により延期となっていた。今回は前半のプログラムを秋にちなむ歌曲に変えての公演となる。

出演は、石丸幹二(朗読&歌唱)、鈴木玲奈(ソプラノ)、高野百合絵(メゾソプラノ)、京響コーラス。

曲目は、第1部が組曲「日本の歌~郷愁・秋~詩人と音楽」(作・編曲:足本憲治)として、序曲「はじまり」、“痛む”秋「初恋」(詩:石川啄木、作曲:越谷達之助)&“沁みる”秋「落葉松(からまつ)」(詩:野上彰、作曲:小林秀雄。以上2曲、歌唱:鈴木玲奈)、間奏曲「秋のたぬき」、“ふれる”秋「ちいさい秋みつけた」(詩:サトウハチロー、作曲:中田喜直)&“染める”秋「紅葉」(詩:高野辰之、作曲:岡野貞一。以上2曲、歌唱:高野百合絵)、間奏曲「夕焼けの家路」、“馳せる”秋「曼珠沙華(ひがんばな)」(詩:北原白秋、作曲:山田耕筰)&“溶ける”秋「赤とんぼ」(詩:三木露風、作曲:石丸幹二。以上2曲、歌唱:石丸幹二)。
第2部が、~シェイクスピアの喜劇~メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」(朗読付き)となっている。

ライブ配信が行われるということで、本格的なマイクセッティングがなされている。また、ソロ歌手はマイクに向かって歌うが、クラシックの声楽家である鈴木玲奈と高野百合絵、ミュージカル歌手である石丸幹二とでは、同じ歌手でも声量に違いがあるという理由からだと思われる。
ただ、オペラ向けの音響設計であるロームシアター京都メインホールでクラシックの歌手である鈴木玲奈が歌うと、声量が豊かすぎて飽和してしまっていることが分かる。そのためか、高野百合絵が歌うときにはマイクのレンジが下げられていたか切られていたかで、ほとんどスピーカーからは声が出ていないことが分かった。
石丸幹二が歌う時にはマイクの感度が上がり、生の声よりもスピーカーから拡大された声の方が豊かだったように思う。

足本憲治の作・編曲による序曲「はじまり」、間奏曲「秋のたぬき」、間奏曲「夕焼けの家路」は、それぞれ、「里の秋」「虫の声」、「あんたがたどこさ」「げんこつやまのたぬきさん」「証誠寺の狸囃子」、「夕焼け小焼け」を編曲したもので、序曲「はじまり」と間奏曲「秋のたぬき」は外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」を、間奏曲「夕焼けの家路」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章(通称:「家路」)を意識した編曲となっている。

佐渡裕指揮の喜歌劇「メリー・ウィドウ」にも出演していたメゾソプラノの高野百合絵は、まだ二十代だと思われるが、若さに似合わぬ貫禄ある歌唱と佇まいであり、この人は歌劇「カルメン」のタイトルロールで大当たりを取りそうな予感がある。実際、浦安音楽ホール主催のニューイヤーコンサートで田尾下哲の構成・演出による演奏会形式の「カルメン」でタイトルロールを歌ったことがあるようだ。

なお、今日の出演者である、広上淳一、石丸幹二、鈴木玲奈、高野百合絵は全員、東京音楽大学の出身である(石丸幹二は東京音楽大学でサックスを学んだ後に東京藝術大学で声楽を専攻している)。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。首席第2ヴァイオリン奏者として入団した安井優子(コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団からの移籍)、副首席トランペット奏者に昇格した稲垣路子のお披露目演奏会でもある。

同時間帯に松本で行われるサイトウ・キネン・オーケストラの無観客配信公演に出演する京響関係者が数名いる他、第2ヴァイオリンの杉江洋子、オーボエ首席の髙山郁子、打楽器首席の中山航介などは降り番となっており、ティンパニには宅間斉(たくま・ひとし)が入った。


第2部、メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」。石丸幹二の朗読による全曲の演奏である。「夏の夜の夢」本編のテキストは、松岡和子訳の「シェイクスピア全集」に拠っている。
テキスト自体はかなり端折ったもので(そもそも「夏の夜の夢」は入り組んだ構造を持っており、一人の語り手による朗読での再現はほとんど不可能である)、上演された劇を観たことがあるが、戯曲を読んだことのある人しか内容は理解出来なかったと思う。

広上指揮の京響は、残響が短めのロームシアター京都メインホールでの演奏ということで、京都コンサートホールに比べると躍動感が伝わりづらくなっていたが、それでも活気と輝きのある仕上がりとなっており、レベルは高い。

石丸幹二は、声音を使い分けて複数の役を演じる。朗読を聴くには、ポピュラー音楽対応でスピーカーも立派なロームシアター京都メインホールの方が向いている。朗読とオーケストラ演奏の両方に向いているホールは基本的に存在しないと思われる。ザ・シンフォニーホールで檀ふみの朗読、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団による「夏の夜の夢」(CD化されている)を聴いたことがあるが、ザ・シンフォニーホールも朗読を聴くには必ずしも向いていない。

鈴木玲奈と高野百合絵による独唱、女声のみによる京響コーラス(今日も歌えるマスクを付けての歌唱)の瑞々しい歌声で、コロナ禍にあって一時の幸福感に浸れる演奏となっていた。

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2021年8月16日 (月)

コンサートの記(739) 広上淳一×京響コーラス 「フォーレ:レクイエム」

2021年8月9日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

ロームシアター京都サウスホールでの「広上淳一×京響コーラス フォーレ:レクイエム」を聴く。午後6時開演。ロームシアターへはバスで向かったが、ロームシアター前に並ぶ木々の枝がいくつか強風によって落下していた。

京都市交響楽団は、世界的にも珍しいと思われるが8月にも定期演奏会を行っており、宗教音楽を演奏するのが恒例となっている。だが、今年はデイヴィッド・レイランドの指揮でモーツァルトの交響曲と協奏曲を演奏するプログラムが組まれたため、ロームシアター京都でフォーレの「レクイエム」が演奏されることになった、のかフォーレの「レクイエム」が演奏されるために8月定期が宗教音楽でなくなったのか、どちらかは不明だが、とにかく定期演奏会以外で広上淳一の指揮によるフォーレの「レクイエム」が演奏される。
広上と京響は、昨日一昨日とベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のオーケストラ付レクチャー・コンサートを行っており、三連投となる。


フォーレの「レクイエム」の前に、京都市少年合唱団の指導者としてもお馴染みのソプラノ歌手、津幡泰子(つばた・やすこ)の指揮、小林千恵のピアノによる廣瀬量平の混声合唱組曲「海鳥の詩」が京響コーラスによって歌われる。京響コーラスは全員、「歌えるマスク」を付けての歌唱である。

北海道出身の廣瀬量平であるが、京都市立芸術大学の教授として作曲を教えており、京都コンサートホールの館長を2005年から2008年に亡くなるまで務めている。広上と京響は2009年に「廣瀬量平の遺産」という演奏会も行っている。

「海鳥の詩」は、“オロロン鳥”、“エトピリカ”、“海鵜”、“北の海鳥”の4曲からなる組曲で、詩人でアイヌ文化研究家の更科源蔵の詩に旋律を付けたものである。おそらくアイヌ民族の孤独と悲劇が海鳥たちの姿に託されている。
廣瀬の旋律は洒落た感じも抱かせるが、その寸前で敢えて王道の展開を避けて、北海道の冬の空のような暗さが出るよう設計されているようにも思われる。


広上淳一指揮京都市交響楽団と京響コーラスによるフォーレの「レクイエム」は、第3稿と呼ばれる一般的なものや、フォーレ自身が決定版としていたと思われる第2稿ではなく、信長貴富が2020年に編曲した弦楽アンサンブルとオルガンによる版での演奏である。初演は三ツ橋敬子の指揮によって、ヴァイオリンとチェロとコントラバスが1、ヴィオラが2という編成で行われたが、今日はヴァイオリン3、ヴィオラ4(第1ヴィオラ、第2ヴィオラとも2人ずつ)、チェロ2、コントラバス1という編成である。今日のコンサートマスターは、昨日一昨日と降り番であった泉原隆志。ヴァイオリンは泉原の他に、木下知子、田村安祐美。ヴィオラは、第1ヴィオラが小峰航一と丸山緑、第2ヴィオラが小田拓也と山田麻紀子。チェロが佐藤禎と佐々木堅二(客演)。コントラバスは石丸美佳。電子オルガン演奏は桑山彩子が務める。ソプラノ独唱は小玉洋子。バルトン独唱は小玉晃。流石に独唱者が「歌えるマスク」を付けて歌唱という訳にはいかないが、フォーレの「レクイエム」は、独唱者による歌唱が少ないのが特徴である。

ロームシアター京都サウスホールは、旧京都会館第2ホールを改修した中規模ホールだが、多目的であり、残響はほとんどない。クラシックではピアノや室内楽の演奏が行われているが、声楽を伴う宗教音楽が演奏されるのはあるいは初めてかも知れない。残響のないホールで聴くとやはり神聖さを感じにくくなるため、宗教曲に関しては音響がより重要になるのは間違いないようだ。残響のないホールでグレゴリオ聖歌を聴いたことがあるが、予想と異なって平板な印象に終わっている。京響コーラスも独唱者二人も良かったが、声の輪郭がはっきりし過ぎる音響だったため、音響設計のなされたホールでもう一度聴いてみたくなる。
信長貴富が編曲した弦楽合奏は、金管の迫力なども弦楽でノーブルに置き換えるなど、温かな響きを重視したもので、小編成の京響弦楽アンサンブルも精緻にして多彩な演奏を披露した。
広上淳一は合唱メインの曲ということで今日はノンタクトで指揮したが、手の動き、指の動きなどが音楽的で、「やはりこの人は指揮者になるために生まれてきた人なんだろうな」と感心させられた。

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2021年8月11日 (水)

コンサートの記(736) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

2021年8月7日 伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターにて

午後2時から、伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターで、京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のレクチャーと全曲演奏が行われる。ベートーヴェンの演奏に定評のある広上の指揮ということで呉竹文化センターは満員の盛況となった。2回のワクチン接種を済ませたお年寄りが増えたということも影響しているかも知れない。

先日、ミューザ川崎コンサートホールで行われたフェスタサマーミューザKAWASAKI2021でも「英雄」を演奏して好評を博した広上と京響。今日もミューザ川崎での演奏とほぼ同じメンバーによる演奏と思われ、管楽器の首席奏者もほぼ全員顔を揃えていた。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置による演奏である。

まずは広上と、京都市交響楽団シニアプロデューサーの上野喜浩によるレクチャーが行われる。広上はアドリブ飛ばしまくりで、「英雄」について、
「俗に英雄(ひでお)と呼ばれたりしますが」とボケ、
上野「ひでお?」
広上「そこは笑わないと! (広上が)台本にないことばかり言うから(上野は)顔が真っ青になってない?」
というようなやり取りがあったりする。

広上が大作曲家を「ベートーヴェン先生」というように「先生」付けで呼ぶことについては、「先に生まれたから先生、というのは冗談ですが(「先に生まれたから先生と呼ぶ」というのは、夏目漱石の『こゝろ』に出てくる話でもある)、偉大な作曲家なので、亡くなった方には、基本、先生を付けます」と語った。

ベートーヴェンが肖像画などで気難しそうな顔をしていることについて(肖像画を描く直前に食べた料理が不味かったからという説が有力だったりする)広上は、「耳が聞こえない、最近で言う基礎疾患があったということで。作曲家でありながら耳が聞こえないというのは、指揮者なのに手足がないようなもので、信用して貰えない」「元々は社交的な性格で、人と一緒にいるのが好きな人だったと思うのですが」作曲家として致命的な障害を抱えているということを悟られないよう人を遠ざけて、性格も内向的に、顔も不機嫌になっていったのではないか、という解釈を述べた。

第九を書いている頃に、ジャーナリストから、「自身の交響曲の中で一番出来がいいと思うのは?」と聞かれ、「英雄!」と即答したという話については、上野に「なぜ一番良いと思ったんでしょうか?」と聞かれ、「そんなこと知りませんよ! 先生じゃないんだから!」と言って笑いを取るも、前例のないことを色々やっているというので、自信があったのかも知れないという見解を述べていた。「英雄」の第1楽章は4分の3拍子で始まるが、第1楽章が4分の3拍子で始まる交響曲はそれまでほとんど存在しなかったそうである。最も新しい部分については、「冒頭」と答え、「NHKではビンタと語ったのですが」と2つの和音の衝撃について口にする。

その後、「英雄」の冒頭部分を演奏し、更にチェロが奏でる第1主題をチェロ副首席の中西雅音(まさお)に弾いて貰う。今回は語られなかったが、第1楽章の第1主題をチェロが奏でるという発想もそれ以前にはほとんど存在していなかったと思われる。第1主題を奏でる弦楽器は大抵は花形であるヴァイオリンで、オーケストラにおけるチェロはまだ「低音を築くための楽器」という認識である。

「英雄」は第1楽章だけで、それまでの交響曲1曲分の長さがあるという大作であり、ミューザー川崎コンサートホールでは、広上と京響は全曲を約55分掛けて演奏したそうであるが、広上曰く「うるさがたの聴衆から、『遅い! お前の「英雄」には流れがないんだ! 55分も掛けやがって、今の「英雄」の平均的な演奏は40分から45分』」という言葉に逆に「速すぎるよ!」と思ったという話をする。

第2楽章が葬送行進曲であることについては、「ハイリゲンシュタットの遺書」との関係がよく語られるが、「ハイリゲンシュタットの遺書」自体はベートーヴェンの死後に発見されたものであるため、推測することしか出来ないようである。

第3楽章をこれまでのメヌエットではなくスケルツォとしたことについては、広上は社交好きだった頃の性格が反映されているのではないかと考えているようだ。事情により表向きは気難しさを気取る必要があったが、本音は音楽に託したと見ているようである。

コーヒー豆を毎朝60粒選んで挽いたという話については、広上は、「稲垣吾郎ちゃんの『歓喜の歌』だったかな?(稲垣吾郎がベートーヴェンを演じた舞台「No.9 -不滅の旋律-」のこと)剛力彩芽ちゃんがやってた役(初演時は大島優子が演じており、剛力彩芽が演じたのは再演以降である)が、コーヒー豆を59粒にしたらベートーヴェンが気づいて怒った」という話をしていた。
上野は、「広上先生も、京響と共演なさる時には必ず召し上がるものがあるそうで」と聞くも、広上は「興味ある人いるんですか?」と乗り気でなかった。リハーサルの時にはいつも鍋焼きうどんを出前で取るそうで、餅と海老と玉子入りの「広上スペシャル」と呼ばれているものだそうである。

なお、トリオのホルンについて、ベートーヴェンの時代のホルンにはバルブが付いておらず、口だけで音を出していたという話に、広上は「ガッキーちゃんに聞いて」と振るも、ホルン首席のガッキーちゃんこと垣本昌芳は、「マスクを持ってくるの忘れました」ということで、隣にいた「澤さん」こと澤嶋秀昌が代わりに答え、実際にホルンを吹いて音を出していた。
ちなみに広上は、「ガッキーちゃんとはシュークリーム仲間」と話していたが、以前、広上がラジオで「四条のリプトンのシュークリームがお気に入りと話したら、演奏会前に差し入れをしてくれるようになった」と話していたため、本番前に一緒にシュークリームを食べる習慣があるのかも知れない。

その後も随所を演奏。上野は演奏が始まるたびに舞台から降りて聴いていたが、広上が「降りなくていいよ」と言ったため、以後はステージ上で聴いていた。

第4楽章に出てくる「プロメテウス主題」については、上野が「生涯の作品の中で4度用いられている」という話をする。広上が前日にどんな作品で何回使われているか調べるよう上野に言ったようで、上野が使われている作品全てを挙げると、広上は「よく調べてきたね」と感心していた。ちなみに「英雄」はプロメテウス主題が用いられた最後の作品となるようである。

第4楽章は変奏曲形式で書かれているが、ベートーヴェンが最も得意とした作曲形式が他ならぬ変奏曲であることを広上が告げる。ちなみに、ベートーヴェンはフーガの作曲を大の苦手としていたそうだが、「全ての交響曲でフーガを書いている。第九なんかが有名ですが。苦手だからといって逃げない」という姿勢を評価したところで上野が、「もうそろそろお時間で」と言ったため、「え? 逃げるの?」と冗談を飛ばしていた。


20分の休憩を挟んで、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」全編の演奏が行われる。広上はノンタクトで指揮する。

日本で最良のコンサートホールの一つとされるミューザ川崎コンサートホールは残響も長いと思われるが(行ったことがないのでどの程度かは不明だが)、呉竹文化センターは多目的ホールであるため残響はほとんどない。ということでテンポはミューザ川崎の時よりも必然的に速くなったと思われる。
時折、弦楽のノンビブラートの音も聞こえるが、基本的にはモダンスタイルの演奏であり、第1楽章のクライマックスではトランペットが最後まで旋律を吹いた。

音響の問題か、空調が影響したのか(余り冷房は効いていなかった)、いつもより細かなミスが目立つが、スケールの大きい堂々とした「英雄」像を築き上げる。生命力豊かであるが強引さを感じさせない。

ナポレオン・ボナパルトに献呈するつもりで書かれたという真偽不明の説を持つ「英雄」交響曲。だが、最終楽章にプロメテウス主題(天界から火を盗み、人類に与えたプロメテウスは、「智」の象徴とされることが多いが、ベートーヴェンが書いたバレエ音楽「プロメテウスの創造物」は「智」そのものというより「智」が生み出した芸術作品を讃える内容となっている)が用いられていることを考えると、政治・戦略の英雄であるナポレオンよりも音楽が優位であることが示されているように捉えることも出来る。表面的な英雄性は一度死に絶え、芸術神として再生するということなのかも知れない。その象徴を文学の才にも秀でていたといわれるナポレオンに求めたために、皇帝に自ら即位したという情報が、より一層、ベートーヴェンを憤らせたのかも知れない。

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2021年7月17日 (土)

広上淳一×小林研一郎×下野竜也 NHK総合「ディープピープル」指揮者 2011.8.3

2011年8月3日

深夜1時15分から、NHK総合で放送された「ディープピープル」を見る。再放送である。本放送は都合により、見逃してしまっていた。テーマは指揮者。
下野竜也、広上淳一、小林研一郞という、日本を代表する個性派の指揮者3人が東京オペラシティのリハーサル室に集まってそれぞれの指揮に対する思いを語る。3人の中では広上が一番饒舌なので、自然に広上が進行役を務めるようになる。

個性派と書いたが、3人ともいわゆるオーソドックスなタイプの指揮者ではない。下野は41歳で(今年42歳。2011年当時)と指揮者としては若いが、若さに似合わず、30代のころから渋い音を出す指揮者だし、広上はハチャメチャな指揮スタイルとそれに似合わぬ美音をオーケストラから引き出す指揮者。また「炎のコバケン」こと小林研一郞は熱烈なファンとアンチが共に多いという変わった指揮者である。

指揮棒の話になり、3人とも自分の指揮棒を持参していて見せ合う。広上の指揮棒が比較的長めなのは実演に接しているので知っていた。ただ、明らかに長いというほどではない。遠目から見てもはっきり他の指揮者とは違うと感じる指揮棒を使用しているのは大植英次で、彼の指揮棒は一目で違いがわかるほど短い。広上さんは「背が低い」(自称164cm。学生時代の身長だと思われる。今はそれよりもかなり低いはず)から長めの指揮棒を使っていると語っていたが、大植は広上と同じか、あるいは更に背が低いのに指揮棒は短い。

クラシック以外の音楽の話題にも触れ、小林研一郞は美空ひばりが好きだそうだ。広上淳一は娘さんの影響もあって意外にもAKB48をカラオケで歌ったりするそうで、「『ヘビーローテーション』いいよ」と言っていた。私もAKB48は特に好きではないが、「ヘビーローテーション」だけは好きで(といってもCDは持っていないが)カラオケでも歌う。ただ、なぜか他の曲には惹かれない。下野はクラシック以外の音楽を聴くことはほとんどないそうだ。

演奏会前の楽屋にもカメラが入っており、小林研一郞は演奏会の前に楽屋で一度素っ裸になるそうだが、カメラが入っているので流石にそれはせず、NHKのスタッフが希望するポーズを取った。下野竜也は演奏会前に楽譜を入念にチェックする。かなりの緊張しいだとも語っていた。広上淳一は着替えるのがおそらく日本人指揮者としては一番遅いと語っていた。本番の2分前ぐらいに着替えるという。それより前に着替えると緊張してしまうそうだ。実は広上指揮の京都市交響楽団の定期演奏会で、オーケストラがチューニングを終えて待っているのに広上がなかなか出てこないということがあった。おそらく着替えが遅れたのだろう。

3人のリハーサルにもカメラが入る。小林研一郞はリハーサルでの言葉遣いが非常に丁寧なことで知られているが、70歳になった今でもそれは変わっていない。広上のリハーサルはオーケストラのメンバーと和気藹々といった感じである。下野のリハーサルは厳しいという噂があったが、実際は楽しくやっているようだ。

「第九演奏対決」という企画があり、3人の指揮者が同じオーケストラ(東京フィルハーモニー交響楽団)と同じリハーサル室を使って、ベートーヴェンの第九の第1楽章の終結部を演奏する。音の大きさでいうと、広上、小林、下野の順に大きい。下野が一番オーソドックスな演奏で、広上は指揮棒の振り方は一番個性的なのに生まれる音楽は一番カッチリしたフォルムを持っているという特徴がある。小林は一番テンポが遅く、最後の方は一音毎に指揮棒をくねらせ、最後もゆったりと大見得を切るように終わる。小林が楽譜にない間を取っていることも話題になる。

広上が教授を務める東京音楽大学のリハーサル室にもカメラが入り、広上の指揮指導姿が撮される。学生指揮者と学生オーケストラによる授業。広上は以前、「東京音大の指揮科に定員を設けるのをやめ、その代わり授業を厳しくする」と語っていたが、言葉通り、学生指揮者の演奏を何度も止め、駄目だしをしていた。

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2021年7月 1日 (木)

コンサートの記(726) 広上淳一指揮京都市交響楽団第657回定期演奏会

2021年6月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第657回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

先月行われた第656回定期演奏会、鈴木優人が初めて京響の指揮台に立った演奏会は、残念ながら緊急事態宣言下ということで、ニコニコ生放送での配信のみの無観客公演となったため、会場に聴衆を入れての演奏家は2ヶ月ぶりとなる。ただ、緊急事態宣言の余波のためか、客の入りは良くなかった。クラシックコンサートの聴衆は、昔も今もお年寄り中心であり、緊急事態宣言が解除になったからといってすぐには客は返ってこない。


曲目は、ウェーベルン(ジェラード・シュウォーツ編曲)の「緩徐楽章」(弦楽合奏版)、尾高惇忠(おたか・あつただ)のヴァイオリン協奏曲(世界初演。ヴァイオリン独奏:米元響子)、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。

午後6時30分頃から、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。今年2月に76歳で逝去した尾高惇忠(1944-2021)は、広上淳一の師匠ということで、公演プログラムにも広上の筆による尾高惇忠追悼メッセージが寄せられているが、プレトークも尾高惇忠の話が中心になる。
奥田佳道は、広上が指揮したマーラーの「復活」の解釈を指摘したことで広上に評価されていたような記憶があるが、かなり昔の話なので本当にそれが奥田だったのかはよく覚えていない。

広上淳一は湘南学園高校音楽コースの出身で、尾高惇忠、そしてその弟で指揮者の尾高忠明の後輩である。なお、その後に湘南学園高校は、難関大学を目指す進学校に模様替えしたため、音楽コースは現存していない。

中学校の頃は桜田淳子の追っかけをしていたため学業成績が振るわず、進路に悩んでいた広上淳一。中学校の校長先生が進路のアドバイスをしてくれたそうで、「あなたは音楽の道に進みなさい。湘南学園高校の音楽コースに女性の良い先生がいるから、そこに行きなさい」ということで、湘南学園高校は小学校から高校までの一貫校だったが、高校から特別に編入を認めてくれたそうである。そして湘南学園高校音楽コースの、女性の先生のアシスタントとしてついていたのが実は尾高惇忠だったそうだ。

奥田佳道が以前、尾高惇忠に、「広上さんの最初のレッスン覚えてますか?」と聞いたことがあるそうなのだが、尾高によると、「覚えてるよ。何にも言うこと聞かない奴だった」そうである。「課題で出したピアノ曲の演奏もいい加減だった」そうなのだが、「上手いピアノじゃないが、味があるので、才能はあるかも知れない」と思ったそうである。
その他にも、尾高惇忠がレッスンの合間に珈琲を入れる習慣があり、それを楽しみにしていたり、尾高が自作をピアノで弾きながら解説を入れるレッスンに感激したという話を広上はする。

「ペール・ギュント」組曲については、広上が縁を感じた時に取り上げることの多い曲なのだそうなのだが、私が初めて広上の実演に接した時のメインプログラムも「ペール・ギュント」組曲第1番第2番であった。1997年4月4日に東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団の土曜日マチネーの定期演奏会。私がN響の学生定期会員になって初の演奏会でもあった。当時、土曜日マチネーのN響定期演奏会はBSで生放送されていたが、数年前にこの時の演奏がEテレで再放送されているはずである。「アニトラの踊り」で、指揮台の上でステップを踏みながら踊っていた広上さんの姿が今も目の前に甦る。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン客演首席は直江智沙子。京響の演奏会は、第2ヴァイオリン副主席の杉江洋子が真っ先に登場するという習慣があるのだが、直江が間違えて先に出てしまい、直後に「ああ、違った」という表情をして杉江に一番乗りを譲っていた。今日はヴィオラ首席にソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。
尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲だけで、他は「ペール・ギュント」からの出演である。


ウェーベルンの「緩徐楽章」。元々は弦楽四重奏のための作品だが、シアトル交響楽団の指揮者として膨大な録音を残していることでも有名なジェラード・シュウォーツ(ジェラード・シュワルツ)が弦楽合奏にアレンジ。1982年に初演されている。
グリーグを思わせるような叙情的なメロディーと、マーラーを思わせるような響きが特徴で、今日のプログラムの幕開けに相応しい。
広上の立体的な音響作りもいつもながら優れている。


尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲。2020年5月30日に完成し、尾高惇忠の遺作となった。同年2月に病気が見つかり、闘病しながら作曲を行っていたようである。

尾高惇忠は、新交響楽団(現・NHK交響楽団)育ての親であり年末の第九を初めて指揮したともいわれる指揮者・作曲家の尾高尚忠(おたか・ひさただ)の長男である。前述通り実弟は指揮者の尾高忠明であり、音楽一家であった。また尾高家は渋沢栄一の親族であり、尾高尚忠、尾高惇忠、尾高忠明は渋沢栄一の血を受け継いだ子孫でもある。現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」に登場し、田辺誠一が演じている尾高惇忠は曾祖父であり、その名を受け継いでいる。
東京芸術大学作曲科で矢代秋雄らに師事。その後、パリ国立高等音楽院に留学し、モーリス・デュリュフレらに師事した。自作に厳しかったため作曲家としては寡作であり、母校の東京芸術大学での教育活動を中心に、室内楽や歌曲伴奏のピアニストとしても活躍している。父親である尾高尚忠の名を冠した作曲賞、尾高賞を二度受賞。2001年には別宮貞雄を記念した別宮賞も受賞している。

ヴァイオリン独奏の米元響子は、実は今日が誕生日だそうである。桐朋学園の「子供のための音楽教室」に学び、1997年にイタリアのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて、史上最年少となる13歳で入賞。その後、モスクワのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝に輝いている。パリで学んだ後にオランダに渡り、マーストリヒト音楽院修士課程修了。現在は母校のマーストリヒト音楽院の教授も務めている。

広上のプレトークによると、尾高惇忠は「音楽は美しくあらねばならない」と考えていたそうで、「美しい現代音楽」を目指していたそうである。

第1楽章はオーケストラによる鮮烈な響きでスタートし、ヴァイオリン独奏がそれを追うように現れるが、終盤ではスマートなロマンティシズムを湛えた曲想が現れ、色彩感が増していき、ラストで冒頭の音型へと回帰する。近現代のフランスの作曲家や武満徹などにも繋がる妙なる響きが最大の特徴である。

米元のヴァイオリンは、ボリューム豊かな音が特徴。最近流行の磨き抜かれたタイトな音とは異なる。ボリス・ベルキンに師事したそうだが、確かにそんな印象を受ける。技術は高く、揺るぎがない。

第2楽章は、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」の序奏(有名なヴァイオリンソロが加わる前)に似た旋律が展開されていく。叙情的な美しさが印象的である。

第3楽章は一転してダイナミック。ストラヴィンスキーの「火の鳥」に似た曲想が盛り上がりを見せる。

広上は演奏終了後に、米元に、そしておそらくは作品自体にも「素晴らしい」と呟く。
その後、広上は客席にいる女性(おそらく尾高惇忠の奥さん)に向かって、スコアを掲げて見せた。


後半、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。
ノルウェーの国民的作曲家であるエドヴァルド・グリーグ。国民楽派の時代を代表する作曲家でもある。ただグリーグは、ピアノ曲などの小品の作曲を得意とする一方で、大作に関しては思うように筆が進まず、本人も悩んでいた。交響曲も完成させたが、不出来と見なして取り下げている。ということで、オーケストラコンサートで演奏されるのは、ピアノ協奏曲イ短調、「ホルベルク」組曲、そして「ペール・ギュント」組曲など限られる。

「ペール・ギュント」の音楽は、同名のヘンリック・イプセンの戯曲の劇付随音楽として書かれたもので、組曲のみならず劇付随音楽全曲か、それに近い数の楽曲で演奏会が行われることも稀にあり、私はシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団の定期演奏会で、そうした上演に接している。
また録音も「ペール・ギュント」組曲ではなく、劇付随音楽「ペール・ギュント」が増えており、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団盤、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団盤、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団盤などが人気である。ブロムシュテットはスウェーデン人、ヤルヴィ親子はバルト海を挟んでフィンランドと向かい合うエストニア出身で、やはり北欧やその隣国出身の指揮者が取り上げることが多いようである。

「戯曲の劇付随音楽」という妙な書き方をしたが、「ペール・ギュント」は、イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲。「安楽椅子の演劇」と呼ばれたりもする)として書いたものであり、舞台が次々と移り変わる上に、自己との対話など形而上的要素を含むため、イプセン自身は上演を想定していなかったのだが、「どうしても上演したい」という国民劇場からの要望に押し切られ、「グリーグの音楽付きなら」という条件で許可。こうしてグリーグの「ペール・ギュント」の音楽が生まれた。
グリーグの音楽が好評だったこともあり、初演は成功。その後も上演を重ねた「ペール・ギュント」だが、やはり読むための戯曲を上演するのは無理があり、その後は「グリーグの音楽のみが有名」という状態になっていく。近年、上演作品としての「ペール・ギュント」再評価の動きがあり、日本でもグリーグの音楽に頼らない「ペール・ギュント」の上演がいくつか行われたが、残念ながら現時点では成功に至っていない。

約四半世紀ぶりに聴く、広上指揮の「ペール・ギュント」。やはり京響の音の洗練度の高さがプラスに働いている。1997年時点のNHK交響楽団も良いオーケストラではあったが、現時点の日本のプロオーケストラの平均的な演奏に比べると野暮ったかったような記憶がある。広上もまだ若く、グリーグのロマンティシズムに飲み込まれていたような感じがあったが、今日は万全の表現力でグリーグの名旋律の数々を巧みに歌い上げる。

とにかく響きが澄み切っており、「オーセの死」などを聴いていると、「澄み渡った悲しみ」という言葉と、日輪の前を横切っていく雲の片々の映像が目に浮かぶ。
「オーセの死」は、冒頭のメロディーが「さくらさくら」に似ており、日本でグリーグが人気があるのも頷ける。どことなく演歌っぽいところもあり、コバケンこと小林研一郎が指揮した場合などはド演歌にもなるのだが、広上の場合は土俗性は余り出さないため、過度に感情に傾くこともない。

速めのテンポで壮快に進む「朝の気分」(上野博昭のフルートの涼しげな響きが良い)、蠱惑的な雰囲気満載の「アニトラの踊り」(今回は流石に広上さんも無闇には踊らず)、京響の鳴りの良さが痛快な「山の魔王の宮殿にて」、異国情緒と華やかさに溢れた「アラビアの踊り」、ヒンヤリとした音色でノスタルジックに歌われる「ソルヴェイグの歌」などいずれも見事な出来である。「ソルヴェイグの歌」では、広上はノンタクトでバネ仕掛けの人形のように手足を揺さぶるというかなり個性的な指揮を見せていた。アンサンブルも完璧とまでは行かなかったが、キレとボリュームと立体感があり、オーケストラを聴く醍醐味がホールいっぱいに弾けていた。


今日はアンコール演奏がある。尾高惇忠の先祖である渋沢栄一が今年の大河ドラマの主役ということで、「青天を衝け」メインテーマが演奏される。作曲は佐藤直紀であるが、佐藤直紀は東京音楽大学出身であり、広上の後輩に当たる。佐藤直紀は、「龍馬伝」でも大河ドラマの音楽を手掛けており、その時はメインテーマは広上が指揮したが、「青天を衝け」のメインテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫である尾高忠明が担っている。
豊かな広がりと、明治以降も描かれるということで洗練された味わいも持つ「青天を衝け」のオープニング曲。NHK職員の息子で、「大河フェチ」を自称する広上の指揮ということで、思い入れたっぷりの爽快な演奏となった。

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2021年6月 1日 (火)

コンサートの記(723) 広上淳一指揮 第5回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2010年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第5回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は広上淳一。

曲目は、スッペの「軽騎兵」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、シベリウスの交響曲第2番。


京都市ジュニアオーケストラは京都市在住・通学の10歳から22歳までの青少年を対象としたオーケストラで、オーディションを通過した約110名からなる。


スッペの「軽騎兵」序曲では、冒頭のトランペットが野放図に強かったり、弦がもたついたりということがあったが、全般的には整った演奏。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」。京都市ジュニアオーケストラは良く言うと音に余計なものが付いていない、悪くいうと音の背後に何も感じさせないところがあって、そこが不満だが、華のある演奏にはなっていたと思う。


メインのシベリウスの交響曲第2番。この曲をやるには京都市ジュニアオーケストラは基礎体力が不足していることは否めない。だが、聴いているうちにそれは余り気にならなくなる。

広上淳一とシベリウスの相性は気になるところだが、曲が交響曲第2番ということもあってか、ドラマティックで見通しの良い演奏であった。シベリウスの他の交響曲も広上の指揮で聴いてみたくなる。


アンコールは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。楽しい演奏であった。

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2021年5月 8日 (土)

コンサートの記(717) 広上淳一指揮 京都市交響楽団みんなのコンサート『サウンド・オブ・ドリーム』@京都市西文化会館ウエスティ 2009.8.23

2009年8月23日 上桂の京都市西文化会館ウエスティにて

午後2時半から、京都市西文化会館ウエスティで、京都市交響楽団みんなのコンサート『サウンド・オブ・ドリーム』を聴く。京都市交響楽団と京都市ジュニア・オーケストラの演奏によるコンサート。指揮は京都市交響楽団常任指揮者の広上淳一。

前半は京都市ジュニア・オーケストラの演奏で、ビゼーの『アルルの女』から「前奏曲」「パストラール」「メヌエット」「ファランドール」と京都市立芸術大学音楽学部4回生の東珠子(あずま・たまこ)をソリストに迎えてのサン=サーンスの「ハバネラ」。


後半は京都市交響楽団の演奏で、ルロイ・アンダーソンの「ブルータンゴ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「新ピチカート・ポルカ」、ベートーヴェンの交響曲第8番より第2楽章、フォーレの組曲「ペレアスとメリザンド」から“シシリエンヌ”、ドリーブのバレエ音楽「コッペリア」から“チャルダッシュ”と“前奏曲とマズルカ”というプログラム。


京都市西文化会館に行くのは初めて。位置的には阪急電車の桂駅と上桂駅の中間に位置する。上桂駅からの方が道順がわかりやすいので、乗り換えが面倒ではあるが上桂まで行くことにする。

京都市西文化会館は思ったよりも小さな建物で、ホールも予想よりずっとこぢんまりとしている。


全席自由なので、開場時間を少し過ぎた当たりに着いて座席を確保。ロビーでは子供達が大太鼓やら銅鑼やらを鳴らす“楽器体験”で遊んでいる。そういう趣向のコンサートである。子供連れも多いが来客の年齢層は幅広い。


まず京都市ジュニア・オーケストラの演奏。その前に広上淳一がマイクを手にして挨拶をする。「今日はちょっとしたことがありまして京都市交響楽団のメンバーがこんなに若くなっちゃいました」と冗談を言っていた。

京都市ジュニア・オーケストラはオーディションで選ばれた10歳から22歳までのメンバーからなるオーケストラ。今日はホールの残響がほとんどないということも手伝ってか、弦が薄いのが少し物足りない。「ファランドール」のラストで広上は猛烈な追い込みをかけるが、弦が鳴りきっていないように感じた。

サン=サーンスの「ハバネラ」のソリスト、東珠子のヴァイオリンは線は細いが音は美しい。


後半、京都市交響楽団の演奏。ショーピースが並んでおり、盛り上がる。特に「コッペリア」の“チャルダッシュ”の迫力が凄い。
広上は「ブルータンゴ」と「新ピチカート・ポルカ」をノンタクトで指揮し、指揮台でピョンピョン跳びはねてみせる。


アンコールはヨハン・シュトラウスⅡ世の「ピチカート・ポルカ」。広上は極端な溜めを作るなど、遊びに満ちた演奏であった。

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2021年4月23日 (金)

コンサートの記(712) 広上淳一指揮京都市交響楽団西宮公演2021

2021年4月25日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後3時から、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団の西宮公演を聴く。

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新型コロナの感染は留まるところを知らず、大阪府内では1日の最多記録を更新する1220名の新規感染者が出た。昨日は梅田とその北の茶屋町に行ったのだが、梅田駅構内と茶屋町はそれなりに人がいたが(それでも平時の半分程度)梅田芸術劇場の入る茶屋町アプローズの前は本当に人がいなかった。大阪市民が手をこまねいているというわけでも、感染拡大防止のための努力を怠っているというわけでもないと思われるのだが、変異によって感染力が強まったのだろうか。

今日の京都市交響楽団の西宮公演に関しても、「大阪から兵庫に行くわけにはいかない」という自粛コメントをTwitterなどでしている人が多い。兵庫県立芸術文化センターもホームページにおいて今日付で、「症状が無くても自粛したいという人に関してはチケット料金払い戻しに応じる」という旨の発表を行った。

 

今回の京都市交響楽団の西宮公演は、本来なら1年前に行われているはずだったのだが、コロナ禍により開催が見送られ、同一プログラムによる演奏会が組まれることになった。状況的に再度中止もしくは延期になってもおかしくなかったが、開催されることになった。
本来なら緊急事態宣言が出されてもおかしくないのだが、東京オリンピックが関係しているのかそうでないのか、「まん延防止等重点措置」に留められている。それにしても略称「まん防」ではユーモラスで深刻さが感じられないが、そんなレベルの人が作っているという証でもある。

行きの阪急電車でも淡路駅では、「不急不要の外出はお控え下さい」とのアナウンスがあった。
コンサートホールの入り口に置かれたチラシの束(コロナの感染を考慮してスタッフからの手渡しでなく、積み置かれたものを聴衆が自分で取るというシステムになっている)の中にも、井戸敏三兵庫県知事からの「座席配置の工夫又はアクリル板の設置、消毒液の設置等の感染対策を行っていない飲食店、カラオケ店など、リスクのある場所への出入りを自粛してください」という要請が記された紙が含まれている。

そんな中でのコンサート。曲目は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:金川真弓)とマーラーの交響曲第5番。共に指揮者としても大活躍した作曲家、というよりもマーラーに関しては当代一の指揮者として評価されたが、作曲家としての名声が高まったのは死後であり、生前は指揮者としてのみ評価されていた。マーラーも自身の交響曲が聴衆から容易に受け入れられないということは心得ており、指揮者としての名声が下がるのを避けるため、自作の初演は本拠地であるウィーン以外で行っている。

偶然ではあるが、先週、広上と京響が行った「スプリング・コンサート」のメインが「死」を描いたチャイコフスキーの「悲愴」交響曲で、その次となる今回の演奏会のメインが「死からの復活」を描いたマーラーの交響曲第5番という並びになった。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの客演首席には神戸室内管弦楽団の西尾恵子が入る。テューバも武貞茂夫の後任が決まらず客演奏者を招くことが続いているが、今日は仙台フィルハーモニー管弦楽団のピーター・リンクが初めて入った。
今日はクラリネット首席の小谷口直子が全編に出演する。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳、トランペット首席のハラルド・ナエスなどはマーラーのみの出演である。

今日もドイツ式の現代配置だが、ティンパニが指揮者の真正面に置かれ、金管奏者はその前に横一列(向かって左側がホルン、向かって右側にトランペット)に並ぶという布陣である。マーラーの交響曲第5番で活躍するハープの松村衣里はチェロの第1プルトの後ろという指揮者に近い場所で演奏した。

 

今日は3階席3列目のほぼ正面。チケット発売時は収容最大観客数の半分までという基準だったため、発売日の午後にはもう通常の手段ではチケットは手に入らず、いつもとは異なる手段でチケットを買った(勿論、正規のルートである)。その後、満員でもOKとなったため追加発売が行われたが、自重した人も多く、空席も比較的多めである。

 

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(通称:メンコン)。ソリストの金川真弓(かながわ・まゆみ)は、2019年のチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で4位入賞、2018年のロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門では第2位&最優秀協奏曲賞を受賞というコンサート歴を誇る若手。それほど知名度の高くないコンクールでは1位も獲得している。1994年、ドイツ生まれ。幼時に日本に戻り、4歳でヴァイオリンを開始。その後、ニューヨーク、ロサンゼルスでの生活を経てドイツに戻り、ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学でコリヤ・ブラッハーに師事。現在もベルリンを拠点に活動している。

金川のヴァイオリンを聴くのは初めてだが、美音でスケールも大きい。それだけのヴァイオリニストなら数多いが、音の強弱の付け方がきめ細やかで、名古屋で聴いた諏訪内晶子独奏のメンコンを想起させる。時折見せる弱音の抜き方は諏訪内同様、日本人的な感性による演奏と取ることも出来るだろう。
一方で、高貴な印象の諏訪内のヴァイオリンに対して金川はかなりエモーショナルであり、第1楽章のカデンツァなどでは情熱全開の演奏を聴かせる。
富豪の家に生まれたメンデルスゾーン。育ちの良さと同時に、指揮者としてJ・S・バッハの「マタイ受難曲」を復活初演させるなど、意欲的な音楽活動を行った。そうした彼の多面性が、様々な演奏を聴くことで明らかになっていくようだ。
広上指揮の京都市交響楽団も表現力豊かな伴奏を聴かせる。

金川のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。美音とスケールの大きさはそのままに、確かな構築力も感じさせる優れた出来であった。今後がかなり期待出来そうなヴァイオリニストである。

 

マーラーの交響曲第5番。トランペットの独奏で始まる曲だが、広上は出だしだけ示して、後は首席トランペットのハラルド・ナエスに任せる。余談だが、兵庫県立芸術文化センターのポッケと呼ばれる展示スペースでは現在、兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称:PACオーケストラ)の卒団生からのメッセージが展示されているのだが、その中にハラルド・ナエスのものもあった。ナエスにとっては凱旋公演ということでもある。

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マーラーも得意レパートリーとする広上淳一。第1楽章前半などは、これまで聴いてきたマーラーの演奏に比べると今回はややタイトな印象を受けたが、第2楽章や第3楽章、第5楽章のいずれも終盤においてはスケールを拡大し、師であるレナード・バーンスタイン指揮のマーラーを念頭に置いたような巨大な音像を構築する。日本人指揮者と日本のオーケストラで、ここまでスケールを拡げても高密度であるため大風呂敷にならないというのは大したものという他ない。
広上の指揮姿は今日もユーモラスで、指揮台の上でステップを踏んだり、右から左へと両手を素早く振ったりする。肩で指揮をすることが多いのも広上の最近の特徴である。

有名な第4楽章のアダージェットも、ユダヤ系のマーラー指揮者によるものとは違って濃厚さはないが、ノスタルジアや儚さ、淡い憧れなどが浮かび上がる出来で、これも一つの解釈として納得のいくものである。アダージェットについては、マーラーと親交のあったウィレム・メンゲルベルクによる、「妻であるアルマに向けてマーラーが書いた音楽によるラブレター」という解釈がよく知られており、またレナード・バーンスタインがジョン・F・ケネディ大統領追悼演奏の一つに加えたことから「死」に繋がるというイメージも生まれたが、それらとはまた違った味わいである。ちなみにアダージェットは、ルキノ・ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」で使われて有名となったが、主人公のアッシェンバッハ(トーマス・マンの原作では作家、映画ではマーラーをモデルとした作曲家となっている)は疫病で死ぬということになっており、今と重なる。
第5楽章もスケール雄大で、響きも磨き抜かれており、全てのパートが雄弁。マーラーの交響曲の重層性も明らかになっていく。

金川がアンコールで演奏したバッハの時代の音楽がどちらかというと抒景詩寄りで「神からの恩寵」的であったのに比べ、メンデルスゾーンの時代には人間の内面が音楽の主題となり、マーラーに至ると無意識にまで視点が向けられるようになる。実際にマーラーはジークムント・フロイトから精神分析を受けたことがあり、グスタフ・クリムトに代表されるウィーン分離派など、世紀末芸術の深層心理重視の作風にも近いものが感じられる。
結果として演奏だけでなく、ドイツ語圏の音楽や文化の歴史の流れを確認するという点でも興味深い演奏会となった。

演奏終了後、広上はまず冒頭のトランペット独奏などを吹いたハラルド・ナエスを立たせ、次いで第3楽章で活躍したホルン首席の垣本昌芳を立たせる。その後、各パートの首席奏者を立たせた後で、パート全員に起立を指示するが、打楽器はティンパニの中山航介(打楽器首席)を除くメンバーを立ち上がらせたため、中山が左右の手で自分を指さして、「僕も! 僕も! 僕も立たせて! 今立たせて!」というようにアピール。事情を知っている人達からの笑い声が起こる。広上は「後でね」という風に手で制して、今日も中山をトリとして立たせ、指揮台の上から拍手を送った。最近、このショートコント(?)が定番となりつつある。

 

広上は、「このような状況の中、このように沢山の方にお越し下り、『感謝!』です。感染にお気を付けて、でも演奏会には来て下さい」と言って、アンコール楽曲、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「カプリッチョ」から月光の音楽の演奏が始まる。美演であった。

ちなみに広上さんは、YouTubeで「週刊かんべぇ」という企画を始めるようである。

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2021年4月15日 (木)

コンサートの記(710) 広上淳一指揮「京都市交響楽団 スプリング・コンサート」2021

2021年4月11日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 スプリング・コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼音楽顧問で、京都コンサートホールの館長も務める広上淳一。

オール・ロシア・プログラムで、しかも春だというのに全て短調という曲目が並ぶ。
ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小曽根真)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。
チケットは完売である。1階席の第1列だけは発売されていないが、それ以外はほぼ埋まっている。なお、新型コロナウイルスに感染して隔離中だったり、当日の体調不良者にはチケット料金払い戻しに応じるという形での開催である。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーには尾﨑平。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子も降り番。オーボエ首席の髙山郁子は全編に出演し、トロンボーン首席の岡本哲はトロンボーンが編成に加わるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番からの登場。それ以外の管楽器首席は「悲愴」のみの出演である。

 

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。冒頭部分はやや音がかすれ気味でバランスなども不安定な印象を受けるが、会田莉凡がソロを奏でるあたりから抒情的な美しさが増していく。広上自身は曲にのめり込むことはせず、旋律美を自然に出すことを心がけているように見えた。

 

日本を代表するジャズピアニストである小曽根真をソリストの迎えてのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。小曽根はジャズのピアニストであるが、クラシックの演奏会に登場する機会も多い。

小曽根のピアノは、ラフマニノフを得意とするクラシックのピアニストのような堅牢さはないが、音は澄み切っており、第2楽章や第3楽章のカデンツァでジャズピアニストならではの即興演奏を繰り広げ、第3楽章の他の部分でも音を足して弾くなど、自在なピアニズムを発揮する。広上指揮の京都市交響楽団も雰囲気豊かな伴奏を奏でるが、第2楽章の木管のソロなどは首席奏者でないだけにやや情感不足。ここは勿体なかった。

小曽根のアンコール演奏は、自作の「Gotta Be Happy」うねりの中から繰り出される力強い響きが印象的で、小曽根の本領が発揮される。

 

メインであるチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ここでは「ヴォカリーズ」とは対照的に、広上が思い入れたっぷりの演奏を行う。小柄な体を目一杯伸ばし、足音を響かせ、体を揺らしながら指揮する。

低弦とファゴットで形作られる第1楽章冒頭の陰鬱から雰囲気満点だが、ヴァイオリンが加わると不思議な清明さが音楽の中に満ち、彼岸の世界への道が眼前に開けたかのような、不吉な見通しの良さが生まれる。
第2主題の弦も透明感はそのままで、過去の良き時代を回想するような趣が生まれている。

第2楽章の5拍子のワルツも美しい演奏だが、華やかさとは違った澄んだような美しさであり、チャイコフスキーの別世界への視線が伝わってくるかのようだ。

第3楽章も力強い演奏だが、押し続けるような印象はなく、作曲者による弦と管のニュアンスの微妙なずれも感じ取れるような、明快さも持つ。胸を高鳴らせることで破滅の予感(ベートーヴェンの運命主題の音型が鳴り続ける)から目を逸らしているような曲調であるが、ラストのピッコロの悲鳴により、精神的な破綻が訪れたかのように聞こえて、第4楽章を待つことなく一途に悲しくなってしまった。

そして第4楽章。広上は旋律を大袈裟に歌うことはないが、唸り声を上げつつ思い入れたっぷりの演奏が行われる。音自体はクールなのだが、その背後ではマグマが吹き上がりそうになっている。再び過去の良き日々が回想され、ノスタルジアが聴く者の胸をかき乱す。だが銅鑼が鳴らされて、この世界との絆も絶たれ、従容と死へと赴くかのようなラストが訪れる。止みゆく鼓動を描いたとされるコントラバスのピッチカートも全ての音がはっきり聞き取れるよう鳴らされた。

演奏終了後、広上は、弦楽最前列の奏者とグータッチやエルボータッチ、リストタッチを行い、各楽器をパートごとに立たせるが、今日もティンパニの中山航介は素通りして、コントラバス奏者達に立つよう促す。中山は、「えー、今日も?」という感じでうなだれ、トリとして盛大な拍手を受けた。

広上は、「本日はお越し下さり、ありがとうございます。コロナで大変ですが、なんとかやっております。感染しないよう十分にお気を付け下さい。ただ、演奏会にはお越し下さい」というようなことを言って(正確に記憶出来た訳ではないが、ほぼこのようなことだったと思う)、「しんみり終わりましたので、明るい曲を」ということで、ビゼーの小組曲「こどもの遊び」から第5曲“ギャロップ(舞踏会)”が演奏される。立体的な音響と推進力が魅力的な佳演であった。

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2021年4月 3日 (土)

コンサートの記(703) 広上淳一指揮京都市交響楽団第654回定期演奏会

2021年3月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第654回定期演奏会を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼音楽顧問の広上淳一。

ヴァイオリン独奏としてダニエル・ホープが出演する予定であったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のための外国人入国規制により来日不可となったため、1月の京都市ジュニアオーケストラのコンサートでもヴァイオリン独奏を務めた小林美樹が代役として登場し、曲目も変更となった。

その曲目は、ドヴォルザークの序曲「自然の王国で」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、ドヴォルザークの交響曲第7番。

 

今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志が入る。第2ヴァイオリンの客演首席は大阪交響楽団の林七奈。
ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄りに置かれる。
管楽器の首席奏者はドヴォルザークの交響曲第7番のみの登場となる。

 

ドヴォルザークの序曲「自然の王国で」。広上の指揮は相変わらず冴えており、抒情美と清々しい音色と快活さを合わせ持った響きを京響から引き出す。

 

小林美樹が独奏を務めるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。ターコイズブルーのドレスで登場した小林は、持ち味である磨き抜かれた美音で勝負。音の美しさのみならず、力強さや音の広がり、表現の幅広さなど十分であり、優れた独奏を聴かせる。
広上指揮による京響の伴奏も描写力の高さと雰囲気作りの上手さが光る。

コロナ禍が訪れてから、ソリストによるアンコールが行われないケースが目立ったが(ソアレの場合は退館時間を早めにする必要があるということも影響していると思われる)、今日はアンコール演奏が行われる。曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。音の純度が高く、静謐さと気高さが感じられる演奏であった。小林美樹もこのところ成長著しいようである。

 

ドヴォルザークの交響曲第7番。ドヴォルザークの交響曲第7番、第8番、第9番「新世界より」は、「後期三大交響曲」とも呼ばれるが、交響曲第7番は、第8番や「新世界より」に比べると演奏機会は多くなく、スラヴ的な要素が薄い分、ドヴォルザークならではの魅力には欠けている。

広上の表現であるが、第1楽章からドラマティック。リズム感が抜群であり、音にもキレがある。金管への指示を敬礼のようなポーズで行うのも特徴的。
京響は冒頭付近こそ音がかすれ気味のように感じられたが、次第に洗練度を高めていき、その上にドヴォルザーク的な濃厚さも加えた音色を聴かせていく。

第3楽章と第4楽章の出来が特に良く、スケール豊かで迫力ある音像が築かれる。ラスト付近ではアゴーギクも用いられ、スラヴ的な味わいも加えられていた。

 

演奏終了後、広上は、各奏者を立たせるが、大活躍したティンパニの中山航介には笑顔を向けるも飛ばす。中山も「えー、なんで?」という顔であったが、広上は大トリとして中山を立たせた。

その後、広上はマイクを片手に再登場。第一声が「疲れました」で客席の笑いをとるが、コロナの中で演奏会に駆けつけてくれたことへのお礼や、京都市交響楽団が京都市民の心を癒やす役割と担っていることや、ヨーロッパに代表されるように街のオーケストラを育てるのはその街の市民であることなどを述べた。
そして、京都市交響楽団副楽団長である北村信幸と森川佳明が異動によって京響を去るということで(京都市交響楽団は公営のオーケストラであるため、スタッフも音楽を専門としている訳ではなく、京都市の職員が交代で受け持っている)、広上がそれぞれの話を聞き(広上は、「愚息、娘なので愚か娘になるんでしょうが、受験に落ちてばっかりだったのが、森川さんから合格のお守りを頂いてから受かり始めた」と語る)、アンコールとしてドヴォルザークの「チェコ組曲」よりポルカが演奏される。ドヴォルザーク的なノスタルジックな趣と憂いと快活さを上手く表現した演奏で、今年度の最後の定期演奏会の掉尾を飾るのに相応しい音楽となった。

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