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2021年1月 2日 (土)

Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー ベートーヴェン交響曲全曲演奏2020

録画してまだ見ていなかったEテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第一夜を見る。ベートーヴェンの交響曲を日本全国のオーケストラが1曲ずつ演奏していくという企画で、通常の演奏会ではなく、この企画のために特別に収録されたものが演奏される。

交響曲第1番は、広上淳一指揮京都市交響楽団が京都コンサートホールで行ったものが、第2番は飯守泰次郎指揮仙台フィルハーモニー管弦楽団が名取市文化会館で行ったものが放送される。

共にリハーサルの様子が収められており、広上はピアニカ(鍵盤ハーモニカ)吹きながら音楽を示し、飯守はオーケストラ奏者からの質問に真摯に答えている様子を見ることが出来る。

 

広上淳一指揮京都市交響楽団は、交響曲第1番の前に、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番より第3楽章の弦楽オーケストラ編曲版も演奏する。

交響曲第1番は、バロックティンパニを用い、ピリオドを意識した演奏になっている。ただ弦楽のビブラートは要所要所での使い分けとなっており、ベートーヴェンの生きていた時代の演奏の再現を目指しているわけではない。
ヴァイオリンやフルートといった高音の楽器を浮かび上がらせており、それがフレッシュな印象を生んでいる。京響の持つ力強さを生かし、広上らしい流れの良さとエネルギー放出力が印象的な演奏を築き上げた。

ちなみに、広上のベートーヴェン解釈は独特で、元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、広上淳一に指揮を師事し、現在では指揮者として活躍する茂木大輔の著書『交響録 N響で出会った名指揮者たち』(音楽之友社)に、茂木がベートーヴェンの交響曲第1番フィナーレ(第4楽章)序奏部の解釈を広上に聞いた時のことが描かれているのだが、
広上(話し手の名前表示は引用者による)「あ、あれはね、花園があって。まず」
茂木(同上)「は、はい、花園……(メモ)」
広上「そこにね」
茂木「はい、そこに?」
広上「桜田淳子ちゃんが(引用者注:広上は桜田淳子の大ファンである)」
茂木「じゅ、淳子ちゃん……(メモ……)」
広上「遠くに、楽しそうに立っているのを、目指して、だんだん近寄って行くわけね。するとその花園がね……(どんどん続く)」
というものだそうである。

 

交響曲第2番を演奏する仙台フィルハーモニー管弦楽団。東北にある二つあるプロオーケストラの一つである。山形交響楽団の方が先に出来たが、仙台フィルの前身である宮城フィルハーモニー管弦楽団が生まれる際に、山形交響楽団から移籍した人も結構いた。仙台市と山形市は隣接する都市となっており関係は密である
山形交響楽団は飯森範親をシェフに迎え、関西フィルハーモニー管弦楽団の理事長であった西濱秀樹が移籍してからは、大阪でも毎年「さくらんぼコンサート」を行うようになったが、仙台フィルは関西での公演に関して積極的ではない。山形交響楽団がクラシック音楽対応のコンサートホール二つを本拠地としているのに対し、仙台にはまだクラシック音楽用のホールは存在しない。
ただ、録音や配信で聴く仙台フィルハーモニー管弦楽団はかなりハイレベルのオーケストラであり、かつて東京に次ぐ第二都市とまで言われた仙台の文化水準の高さを示している。

飯守も広上も関西に拠点を持っているが、タイプは正反対で、流れを重視する広上に対し、飯守は堅固な構築力を武器とする。
飯守は日本におけるワーグナー演奏の泰斗であり、ワーグナーに心酔していたブルックナーの演奏に関しても日本屈指の実力を持つ。

仙台フィルの音色の瑞々しい音色と、飯守の渋めの歌が独特の味となったベートーヴェン演奏である。

 

ベートーヴェン愛好家の多い日本に生まれるというのは、実に幸運なことである。生誕250周年記念の演奏会の多くが新型コロナによって中止となってしまっても、こうして放送のための演奏を味わうことが出来るのだから。第九の演奏を毎年のように生で聴けるということを考えれば、ドイツやオーストリアといった本場を上回る環境にあるのかも知れない。

 

 

録画してまだ見ていなかった、Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第二夜と第三夜を続けてみる。

ベートーヴェンの交響曲を日本各地のプロオーケストラが1曲ずつ演奏し、収録を行うという企画。
交響曲第3番「英雄」は高関健指揮群馬交響楽団、交響曲第4番は小泉和裕指揮九州交響楽団、第5番は阪哲朗指揮山形交響楽団、第6番「田園」は尾高忠明指揮大阪フィルハーモニーが演奏を行う。基本的に本拠地での収録であるが、大阪フィルはフェスティバルホールでもザ・シンフォニーホールでもなく、NHK大阪ホールでの無観客収録が行われた。

 

建築としては第一級だが音響の評判は悪かった群馬音楽センターから高崎芸術劇場へと本拠地を移した群馬交響楽団。談合問題によるゴタゴタもあったようだが、クラシック音楽対応の大劇場や室内楽用の音楽ホール、演劇用のスタジオシアターなどを備え、評判も上々のようである。

日本の地方オーケストラとしては最古の歴史を誇る群馬交響楽団。学校を回る移動コンサートが名物となっており、小学生以来のファンが多いのも特徴である。コロナによって活動を停止せざるを得なかった時期にも、ファンからの激励のメッセージが数多く届いたそうだ。

Twitterで「高崎で高関が振るベートーヴェン」と駄洒落を書いたが、高関健は、1993年から2008年までの長きに渡って群馬交響楽団の音楽監督を務め、退任後は同交響楽団の名誉指揮者の称号を得ている。

古典配置での演奏。高関はノンタクトでの指揮。速めのテンポで颯爽と進むベートーヴェンであり、第1ヴァイオリンに指示するために左手を多用するのも特徴である。

「英雄」の演奏終了後には、プロメテウス繋がりで、「プロメテウスの創造物」からの音楽が演奏された。

 

交響曲第4番を演奏する小泉和裕指揮の九州交響楽団。アクロス福岡 福岡シンフォニーホールでの収録である。

九州も比較的音楽の盛んな場所だが、プロオーケストラは福岡市に本拠地を置く九州交響楽団のみである。人口や都市規模でいえば熊本市や鹿児島市にあってもおかしくないのだが、運営が難しいのかも知れない。

小泉和裕は徒にスケールを拡げず、内容の濃さで勝負するタイプだが、この交響曲第4番は渋めではあるが情報量の多い演奏となっており、なかなかの好演である。

演奏終了後に、序曲「レオノーレ」第3番の演奏がある。ドラマティックな仕上がりで盛り上げも上手く、交響曲第4番よりも序曲「レオノーレ」第3番の演奏の方が上かも知れない。

 

交響曲第5番を演奏するのは、阪哲朗指揮の山形交響楽団。長く一地方オーケストラの地位から脱することが出来なかったが、飯森範親を音楽監督に迎えてから攻めの戦略により、一躍日本で最も意欲的な活動を行うオーケストラとしてブランド化に成功した。キャッチフレーズは、「食と温泉の国のオーケストラ」。山形テルサ・テルサホールという音響は良いがキャパ800の中規模ホールを本拠地とするのが弱点だったが、今年、オペラやバレエ対応のやまぎん県民ホールがオープン。更なる飛躍が期待されている。
今回はそのやまぎん県民ホールでの演奏。
山形交響楽団はピリオドアプローチや、弦楽器をガット弦に張り替えての古楽器オーケストラとしての演奏に早くから取り組んでおり、今回の演奏でもトランペットやホルンはナチュラルタイプのものが用いられている。

阪哲朗はノンタクトで振ることも多いのだが、今回は指揮棒を使用。
冒頭の運命動機を強調せず、フェルマータも比較的短め。流れ重視の演奏である。速めのテンポで駆け抜ける若々しくも理知的な演奏であり、中編成の山形交響楽団とのスタイルにも合っている。

演奏終了後には、「トルコ行進曲」が演奏された。


尾高忠明と大阪フィルハーモニー交響楽団は、一昨年にフェスティバルホールでベートーヴェン交響曲チクルスを行っているが、「田園」だけが平凡な出来であった。「田園」はベートーヴェンの交響曲の中でも異色作であり、生演奏で名演に接することも少ない。

まず「プロメテウスの創造物」序曲でスタート。生き生きとした躍動感溢れる演奏である。

「田園」も瑞々しい音色と清々しい歌に満ちた満足のいく演奏になっていた。

 

 

録画しておいた、Eテレ「クラシック音楽」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第四夜を視聴。川瀬賢太郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番、秋山和慶指揮札幌交響楽団による交響曲第8番、下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」の演奏が放送される。

今年36歳の若手、川瀬賢太郎。広上淳一の弟子である。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者は契約を更新しないことを表明しているが、名古屋フィルハーモニー交響楽団の正指揮者としても活躍している。
神奈川フィル退任の時期や広上で弟子であることから、あるいは京都市交響楽団の次期常任指揮者就任があるのかも知れないが、今のところ広上の後任は発表になっていない。

「のだめカンタービレ」で有名になった交響曲第7番だが、曲調から若手指揮者が振ることが多く、佐渡裕のプロデビューも新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した第7をメインとしたコンサートだった。川瀬もやはり第7を振る機会は多く、今までで一番指揮したベートーヴェンの交響曲だそうである。
リハーサルでも単調になることを嫌う様子が見て取れたが、しなやかにして爽快な第7を演奏する。

愛知県芸術劇場コンサートホールで何度か実演に接したことのある名古屋フィルハーモニー交響楽団。意欲的なプログラミングでも知られており、今年もベートーヴェン生誕250年特別演奏会シリーズが予定されていたようだが、そちらは残念ながら流れてしまったようである。

第7の後に、「英雄」の第3楽章が演奏された。

 

第8番を演奏する秋山和慶指揮札幌交響楽団。日本屈指の音響との評判を誇る札幌コンサートホールKitaraでの演奏である。
秋山はレパートリーが広く、何を振っても一定の水準に達する器用な指揮者であり、外国人指揮者が新型コロナウイルス流行による入国制限で来日出来ないというケースが相次いだ今年は、各地のオーケストラから引っ張りだことなった。
岩城宏之が、「日本のクリーヴランド管弦楽団にする」と宣言して育てた札幌交響楽団。尾高忠明の時代に「シベリウス交響曲全集」や「ベートーヴェン交響曲全集」を作成し、好評を得ている。
秋山の適切な棒に導かれ、透明感のある音色を生かした活気ある演奏を示した。

 

下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」。序曲が有名な「エグモント」だが、劇音楽全曲が演奏されることは珍しい。

NHKの顔となる大河ドラマのオープニングテーマを何度も指揮している下野竜也。NHKとN響からの評価が高く、来年もN響の地方公演を振る予定がある。
下野は広島交響楽団に音楽総監督という肩書きで迎えられており、期待の大きさがわかる。
語りをバリトン歌手である宮本益光(歌手の他に語りなどをこなす器用な人であり、寺山修司ばりに、職業・宮本益光を名乗っている)が務め、ソプラノは石橋栄実(いしばし・えみ)が担当する。
下野らしいドラマティックな演奏であり、広島交響楽団の実力の高さも窺える。
人口で仙台市とほぼ同規模である広島市。両都市とも地方の中心都市でありながら音楽専用ホールがないという共通点があったが、広島は、旧広島市民球場跡地隣接地に音楽専用ホールを建設する予定がある。

 

 

午後8時から、オーケストラでつなぐ希望のシンフォニーのダイジェストを含む今年のクラシックシーン(例年に比べると寂しいものである)を振り返った後で、12月23日に東京・渋谷のNHKホールで収録されたNHK交響楽団の第九演奏会の模様が放送される。指揮は、スペイン出身のパブロ・エラス・カサド。フライブルク・バロック・オーケストラを第九と合唱幻想曲で本年度のレコード・アカデミー大賞を受賞した指揮者である。ノンタクトで汗をほとばしらせながらの熱演。

新型コロナ流行下での第九演奏であるため、合唱を務める新国立劇場合唱団は人数を抑え、前後左右に距離を空けての配置。歌唱時以外はマスクを付けていた。

HIPを援用した快速テンポによる演奏であるが、音が磨き抜かれており、N響の技術も高く、耽美的な演奏となる。
N響も本当に上手く、真のヴィルトゥオーゾオーケストラといった感じである。90年代にN響の学生定期会員をしていた時にも、「不器用だが上手い」という印象を受けていたが、今、90年代に収録された映像やCD化された音源を聴くと、「あれ? N響ってこんなに下手だったっけ?」と面食らうこともある。それほど長足の進歩を遂げたという証でもある。
カサドがスペイン出身ということも影響していると思われるが、音の重心が高めであり、フルートやヴァイオリン、ピッコロといった高音を出す楽器の音が冴えているのも特徴である。全体的に明るめの第九であり、アバド、シャイー、ムーティといったイタリア人指揮者の振った第九との共通点も見出すことが出来る。
第3楽章もかなり速めのテンポを取りながら溢れるような甘さを湛えているのが特徴である。
合唱も例年に比べると編成がかなり小さいが、収録されたものということで音のバランスは調整されており、迫力面でも不満はない。ライブではどんな感じだったのであろうか。

見通しの良い第九であり、甘美なのもこうした年の最後を締めくくる第九としては良かったように思う。

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2020年12月30日 (水)

コンサートの記(676) 広上淳一指揮京都市交響楽団 特別演奏会「情熱のチャイコフスキー・ガラ」

2020年12月26日 京都コンサートホールにて

午後6時から、京都コンサートホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団による特別演奏会「情熱のチャイコフスキー・ガラ」を聴く。

本来なら今日と明日、同じコンビによる第九演奏会が行われる予定だったのだが、合唱の飛沫が危険であることは否定出来ないということで、声を出さない器楽のソリストを呼んでのガラコンサートとなった。ピアノ、チェロ、ヴァイオリンの独奏ということで、いずれにおいても代表作のあるチャイコフスキーが選ばれたのだと思われる。ドヴォルザークもピアノ、チェロ、ヴァイオリンの協奏曲全てが名曲だが、チェロ協奏曲以外は知名度が低い。ヴァイオリン協奏曲は隠れた大傑作であると思われるが、隠れた曲ではお客が集まらない。やはり季節的にいってもチャイコフスキーが最適であろう。

曲目は、ピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:岡田奏)、ロココ風の主題による変奏曲(原典版。チェロ独奏:佐藤晴真)、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)。ピアノ協奏曲第1番の演奏の後に休憩が入る。

チケット完売御礼であるが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンスフォーメーションであり、入りは900名程だと思われる。

今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(あいだ・りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。チャイコフスキー作品ではフルートが活躍することが多いというので、首席フルート奏者の上野博昭が全曲に登場する。クラリネット首席の小谷口直子は降り番であるが、他の楽器は首席奏者が出演する。第2ヴァイオリンの客演首席には読売日本交響楽団の瀧村依里が入る。

 

ピアノ協奏曲第1番のソリストである岡田奏(おかだ・かな)は、北海道出身の女性ピアニストである。函館市に生まれ、パリ国立高等音楽院に学び、プーランク国際ピアノ・コンクール第1位、ピアノ・キャンパス国際コンクール1位、エリザベート王妃国際コンクールでファイナリストなどのコンクール歴を誇り、世界中の名オーケストラや名指揮者と共演を重ねている。

広上指揮の京響はゴージャスな中にも初冬の空気のようにひんやりとした感触のある音を奏で、(行ったことはないけれど)ロシアの広大な大地が目に浮かぶようなスケール豊かな演奏を展開する。ちょっとした音の揺らしも効果的である。
岡田奏は、女性ピアニストであるが、がっしりとした構築感を持つ堅固なピアノを奏でる。高音の霞がかったような響きも独特である。
今日は3階席の上手側ステージサイド、広上淳一を斜め前から見る角度の席だったのだが(チケットは京響友の会優先であるため、一般は発売の時点で良い席がほとんど残っていなかった)、天井が近いため、真上に飛んだ音が比較的長い間留まっているのがわかる。また各楽器の技量も把握しやすいのだが、上野博昭の冴え冴えとしたフルートの音色が印象的であった。こういう時はやはり上野さんでないと。

 

チェロ独奏とオーケストラのためのロココ風の主題による変奏曲(原典版)。
チャイコフスキーはチェロに余り詳しくなかったため、ドイツ人のチェリストである友人のヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンに監修を依頼し、初演が行われたのだが、その後にフィッツェンハーゲンがチェロパートを大幅に改変したものが決定稿として出版され、以後はこちらの版がスタンダードとなっている。その後に、フィッツェンハーゲンが手を加えたスコアからチャイコフスキーの筆跡をX線で読み取るという方法で原典版が復元され、今回はこちらの版での演奏となる。

チェロ独奏の佐藤晴真は、現在22歳という若手チェリスト。2019年にはミュンヘン国際音楽コンクール チェロ部門にて日本人として初めて優勝。その前年にもルトスワフスキ国際チェロ・コンクールで1位と特別賞に輝いている。現在はベルリン芸術大学にてチェロをJ=P・マインツに師事している。

佐藤晴真のチェロは温かくて張りのある音を出す。広上指揮の京響もピアノ協奏曲第1番の時とは違い、ぬくもりのあるチャーミングな音で応え、真冬に暖炉に当たりながら聴くのに相応しいようなノスタルジックな趣を讃えていた。

 

人気若手ヴァイオリニストである三浦文彰が独奏を務めるヴァイオリン協奏曲ニ短調。
広上と京響は春の蠢きのような冒頭から生命力に満ちた音を響かせる。同じ指揮者とオーケストラによる演奏であるが、曲ごとに色と温度を変え、透明感も増していく。コロナ禍の真っ只中であるが、今日この場所にだけはいつもと変わらぬ豊かな自然が音として息づいているかのようである。
三浦のヴァイオリンはシャープ。特に弱音に艶があり、難敵を次々と斬り伏せていく若武者のような勇ましさも備えている。
上野のフルートが春の息吹を伝え、最終楽章における春爛漫の爆発を予言する。
広上もヴィオラを浮き上がらせたり、低音部を立体的に築くなど効果的なバランスによる生き生きとした音楽作りを行い、明日への希望へと繋がるようなエネルギーでホールを満たした。

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2020年9月10日 (木)

コンサートの記(653) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2020「オーケストラを聴いてみよう!」第2回「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」

2020年9月6日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2020「オーケストラを聴いてみよう!」第2回「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」を聴く。

第2回とあるが、新型コロナの影響で第1回は公演中止となり、今回が今シーズン最初の公演となる。オーケストラ・ディスカバリーは4回の通し券が発売され、余った席を1回券として発売していたが、再開するに当たり、ソーシャルディスタンスを取る必要があるため、ほぼ完売状態だった通し券が全て払い戻しとなり、希望者は改めて1回券を購入するという措置が取られた。今年度予定されている第3回、第4回の公演も1回券が今後発売される予定である。

 

今日の指揮者は、京都市交響楽団第13代常任指揮者兼芸術顧問、更に京都コンサートホール館長も兼任することになった広上淳一。本来は第2回の指揮者は今年の4月から京響の首席客演指揮者に就任したジョン・アクセルロッドが受け持つはずだったが、外国人の入国制限が解除されないということで広上が代わりに指揮台に立つことになった。広上は来年の3月に予定されている第4回の指揮も担う予定である。

広上淳一の指揮する京都市交響楽団を生で聴くのは今年初めてのはずである。1月にあった京都市ジュニアオーケストラの公演は聴いているため、指揮姿を生で見るのは今年初ではないが、京都市交響楽団の今年の3月定期はカーテンコールの配信する無観客公演となり、その後に予定されていたスプリングコンサートや兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールでの公演も中止となった。この夏の「京響 みんなのコンサート」の指揮台には広上も立っているが、平日の午前11時からの公演ということで、聴きには行けなかった。

 

曲目は、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」(G線上のアリア)、ハイドンの交響曲第94番「驚愕」から第2楽章、ブラームス(シュメリング編曲)のハンガリー舞曲第5番、ヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーヴス」による幻想曲、ベートーヴェンの交響曲第7番から第1楽章、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ、リムスキー=コルサコフの歌劇「サルタン皇帝の物語」から“熊蜂の飛行”、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲、ファリアの歌劇「はかなき人生」から“スペイン舞曲”、ビゼーの「カルメン」第2組曲から“ハバネラ”、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲から“カンカン”

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの客演首席は大阪交響楽団の林七奈。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子は降り番である。
今日は管楽器は弦楽と間を空けてステージの最後部に並ぶ。弦楽器群との間に飛沫防止のためのアクリル板が立ててある。通常ステージ最後列に陣取ることが多い打楽器群は今日はステージ下手側への配置となる。
編成はほぼフルサイズであるが、弦のプルトは譜面台を二人で一つではなく個々で用いており、通常よりは間を置いての演奏である。
管楽器の飛沫が上から下へと飛ぶの避けるため、ステージをすり鉢状にせず、平土間での演奏であるが、音は良く響く。

 

J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」。京響が取り上げることの多い曲だが、広上ならではの見通しの良さと音の抜けの良さが広がりと優しさを生んでいる。耳と心が清められるかのような演奏であった。

 

今回のナビゲーターはガレッジセールの二人。ナビゲーターは話す必要があるため、今回はステージ上ではなく、席を取り払ったポディウムに距離を置いて並んで進行を行う。
ゴリが、「普段は我々は指揮者の方の横で話すのですが、離れて上にいた方が広上さんと同じ大きさに見えるということで」とボケ、川田広樹に突っ込まれて、「コロナ対策ということで」と本当のことを述べていた。

「G線上のアリア」という別名についてゴリは、「ヴァイオリンの一番太い線をG線というそうですが(コンサートマスターの泉原がヴァイオリンを立てて持ち、G線を示す)、ヴァイオリン独奏用に編曲した時にG線のみで弾けるようにしたということでG線上のアリア、じじいが好きというじじい専門もジイ専というわけですが」とボケていた。

 

ハイドンの交響曲第94番「驚愕」から第2楽章。曲を紹介する時にはゴリは、「西郷隆盛は『おいどん』、こちらはハイドン」とボケる。

ハイドンは現在ではピリオドで演奏するのが基本ということで、弦楽の弓の使い方はHIPを用いている。「驚愕」の音が起こる場面で広上は指揮棒を持った右手を思いっきり引いてから叩きつけるという大見得を切る。今日も広上は応援団が「フレー! フレー!」とやる時のような仕草を見せるなどユニークな指揮ぶりだが、出てくる音楽はオーセンティックである。

 

ブラームスのハンガリー舞曲第5番でも重厚さと軽妙さを合わせ持った優れた音楽作りを行う。

 

ヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーヴス」による幻想曲。今回のテーマは「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」であるが、「グリーンスリーヴス」による幻想曲はメロディー重視の佳曲である。淡さを宿した弦楽の音色の上に管が浮かび上がってくるという儚さと懐かしさに満ちた演奏である。

ゴリが、「キユーピーのCMにも使われたことがあるということで、聴いたことのある方も多い曲だそうですが。今、キューピーといった時に広上さんが『俺か?』という顔をなさいましたが、広上さんではありません」

 

前半のラストはベートーヴェンの交響曲第7番から第1楽章。ゴリが「今年はベートーヴェン生誕250周年だそうで、ベートーヴェンも250歳です。今もご健在で」とボケて、川田に「そんなわけあるか!」と突っ込まれる。ゴリは交響曲第7番について、「『のだめカンタービレ』で一躍有名になった」と紹介する。

広上が得意とするベートーヴェン。交響曲第7番はリズムを旋律や和音よりも重視するという、当時としては特異な楽曲である。ノリの良い明るめの演奏が展開されるが、広上と京響のコンビということを考えると音に厚みがやや不足気味。ソーシャルディスタンスのための配置が関係しているのだと思われる。

 

後半。チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ。京響の音の輝きと広上の躍動感と盛り上げの上手さが光る演奏。スケールも大きい。

演奏終了後、広上はマスクを着けてマイクを手に取り、ガレッジセールの二人に「会いたかったよー!」と話し掛ける。その後、オペラについての解説を行う。広上が、「前半は45分丁度で終わった。『マエストロが話し出すと10分も20分も延びる』」と裏方から言われたことを語り、ゴリが「広上さんのトークは交響曲1曲より長いと言われてますもんね」と返し、広上は「2分で纏めます」と言って、オペラというのは芝居であるがセリフも音楽であると語り、「俺はゴリだー、俺は川ちゃんだー」というメロディーを即興で歌っていた。

 

リムスキー=コルサコフの歌劇「サルタン皇帝の物語」から“熊蜂の飛行”とマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲。
リムスキー=コルサコフの“熊蜂の飛行”は京響の団員の妙技が目立ち、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲は弦楽の磨き抜かれた響きと抒情性が見事である。

演奏終了後、ゴリは「蜂が一杯飛んでましたね」と言い、熊蜂というタイトルであるが実際はマルハナバチという蜜を運ぶ優しい感じの蜂で、いわゆる熊蜂やスズメバチといったようなイメージではないと説明した。

 

ファリアの歌劇「はかなき人生」から“スペイン舞曲”と、ビゼーの「カルメン」第2組曲から“ハバネラ”。スペイン絡みの曲が並ぶ。共に情熱的で蠱惑的な表情も持つ魅力的な演奏となる。ファリアはスペインの作曲家ということで、カスタネットが用いられるなど、スペインの民族性が強烈に発揮されている。

 

オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲から“カンカン”。ゴリが「『天国と地獄』の序曲は全部演奏すると10分ぐらい掛かる曲なのですが、今日はその中から“カンカン”を演奏します。皆さん、“カンカン”をご存じですか? そうです、上野動物園のパンダです」

ゴリがボケている間、広上はヴィオラ首席の小峰航一と向かい合って、右足を軽く上げていた。
京響の威力が発揮された演奏であり、弦も管も力強く、それでいてバランスも最良に保たれている。ノリも良く、熱狂的であるが踏み外しはない。
演奏活動が再開されてから、秋山和慶、松本宗利音、三ツ橋敬子、阪哲朗の指揮で京都市交響楽団の演奏を聴いたが、広上とのコンビによる演奏がやはり最も高いレベルに達していることが実感される演奏会であった。


「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」に関するガレッジセールからのメッセージは、京都市交響楽団の公式ブログに一字一句正確に記されているのでそちらを参照されたし。

 

アンコール演奏は、レナード・バーンスタインの「ディヴェルティメント」から第8曲、行進曲“BSO(ボストン交響楽団)よ永遠なれ”。レナード・バーンスタイン独自のイディオムを消化しつつ京響のゴージャスな響きを存分に鳴らした快演であった。

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2020年6月11日 (木)

配信公演 広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル 「日本フィル&サントリーホール とっておきアフタヌーン オンラインスペシャル」(文字のみ)

2020年6月10日 東京・溜池山王のサントリーホールからの配信

今日は、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル(弦楽合奏)によるサントリーホールからの配信公演「日本フィル&サントリーホール とっておきアフタヌーン オンラインスペシャル」が午後2時からある。休憩なし、上演時間約1時間のコンサート。

e+でのストリーミング配信。事前にチケットを購入し、メールで送られてきたURLで配信画面に飛んで視聴するというシステムである。

今日はテレワークなので、画面を見ながらはまずいが、音を聴きながら仕事は出来るため、午後2時からまず音だけを聴き、その後、アーカイブの映像を確認することにする。配信画像視聴には2種類の券があり、安い方は11日の午後2時まで映像を観ることが出来る。高い券だと比較的長い期間観られるのだが、私は安い券を買う。ちなみにアーカイブ映像視聴のためだけの券もある。


配信公演ということで、事前のアナウンスもホールに流れるが、いつもとは違ったものになっている。


今日の日本フィルハーモニー交響楽団は、ソーシャル・ディスタンス・アンサンブルという名で弦楽のみの編成、それも奏者間を広く空けての演奏である。コンサートマスターは田野倉雅秋。握手などが難しいというので、広上と田野倉は、何度もエアーハイタッチを行う。
管楽器は飛沫感染の危険性の高さを現時点では否定出来ないため、全ての楽器が揃っての演奏はまだ先になるかも知れない。


曲目は、グリーグの「ホルベアの時代から(ホルベルク組曲)」より第1曲“前奏曲”、エルガーの「愛の挨拶」(ヴァイオリン独奏:田野倉雅秋)、ドヴォルザークの「ユーモレスク」(弦楽合奏版)、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」

広上淳一はマスクをしての指揮。司会進行役である音楽ライターの高坂はる香もマスクを付けて登場し、コンサートマスターの田野倉雅秋もトークの際はマスクを装着していた。


距離感を空けての演奏であり、通常のプルトでの合奏ではない。フォアシュピーラーは存在せず、その他の楽器も首席が一人だけ前に出て弾き、すぐ横に人がいないよう配慮しての演奏となる。

ということでアンサンブルとして万全とはいかないかも知れないが、久しぶりに日本のオーケストラの演奏を配信で聴けるということで嬉しくなる。


グリーグの「ホルベアの時代から(ホルベルク組曲)」より第1曲“前奏曲”はスプリングの効いた演奏で、躍動感と推進力に富む。日フィルは昔から音の洗練度に関しては東京の他のオーケストラに比べると不足しがちであり、今後も課題となってくるだろう。

演奏終了後に広上と高坂とのトーク。高坂が日本フィルハーモニー交響楽団が演奏を行うのは3ヶ月半ぶり、サントリーホールで演奏会が行われることも約2ヶ月ぶりだと説明。広上は、「ホールがもし言葉を喋ることが出来たら、『久しぶり、よく来たね!』と喜んでくれるだろう」と語る。
「ホルベアの時代から」に関して広上は、ホルベアというのはノルウェー文学の父とも呼ばれる人物で、グリーグにとってはベルゲンの街の先輩でもあった。この曲は元々はピアノ曲で、ヴァイオリンとピアノのための編曲が行われたり、歌詞が付けられて歌曲になったこともあったが、現在では弦楽合奏曲として知られていると語る。


「愛の挨拶」は、エルガーが奥さんとなるキャロラインに求婚した時に送った曲で、広上はキャロライン夫人の内助の功を、「今の大河(広上がメインテーマを指揮している「麒麟がくる」)でいうと、帰蝶のような、お濃さんのような」と例える(エルガーは遅咲きの作曲家である)。

「愛の挨拶」は、田野倉雅秋のヴァイオリンソロと弦楽アンサンブルの伴奏による演奏。少し速めのテンポを取り、愛らしさよりも流麗さを重視する。日本人なのでチャーミングな演奏は照れくさいということもあるのだろう。


ドヴォルザークの「ユーモレスク」は、クライスラー編曲によるヴァイオリンとピアノのデュオ版でも有名だが、今回はソリストを置かずに弦楽合奏版での演奏を行う。ユーモラスな曲想が広上の音楽性にも合っている。
トークで広上は、「ドヴォルザーク先生はヴィオラが得意、ヴィオラ奏者だった。ピアノはあんまり好きじゃなかった」と語るが、ロベルト・シューマンの影響でピアノ組曲を書こうと思い立ち、その7曲目が「ユーモレスク」で、様々な編曲による演奏で親しまれていると語る。


チャイコフスキーの「弦楽セレナード」。西欧ではロマン派全盛の時代となっており、装飾の多い雄弁な音楽が流行っていたが、遙か東方のロシアにいたチャイコフスキーはそれに疑問を感じ、モーツァルトを範とした「虚飾を排し、本質を突く」という意気込みで書いたのがこの「弦楽セレナード」だと語る。実際にパトロンであったフォン・メック夫人にそうした内容の手紙を送っているそうだ。

通常の「弦楽セレナード」よりも小さめの編成での演奏ということもあって、「虚飾を排し、本質を突く」というチャイコフスキーの意図がより鮮明になっているように感じられる。アレクサンドル・ラザレフやピエタリ・インキネンに鍛えられて性能が向上した日フィルであるが、更なる典雅さと優美さも欲しくなる。ただ広上の巧みな棒捌きに導かれて、フル編成でないにも関わらずスケールの豊かさとシャープさを兼ね備えた演奏で聴かせた。


アンコール演奏の前に広上は、「文化はAIやITのような科学文明の進歩とは違った、心を解き明かすもの」と語り、学校教育においては文化が大上段から語られるため誤解されやすいが、人間を人間たらしめている「心」を大切にし、描くものとしてその重要性を説いた。


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」(弦楽合奏版)。広上は、日本フィルハーモニー交響楽団の初代常任指揮者で、現在も創立指揮者として頌えられている渡邉暁雄(わたなべ・あけお)が得意としたのがシベリウスだと語り、日フィルの創立記念日が渡邉暁雄の命日(6月22日)であるという因縁も述べる。

音楽が出来るという喜びと、ここから新しい演奏史が始まるのだという高揚感溢れる熱い演奏であった。

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2020年5月 5日 (火)

広上淳一指揮京都市交響楽団ほか マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」(高画質版)

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2020年4月28日 (火)

京都市交響楽団公式YouTubeチャンネル開設

昨日、京都市交響楽団の公式YouTubeチャンネルが開設されました。ちなみにこの春より第13代常任指揮者兼音楽顧問に肩書きが変わった広上淳一と首席客演指揮者に就任したばかりのジョン・アクセルロッドからのメッセージの両方に初「いいね!」をしたのは私です。

https://www.youtube.com/channel/UCD6MadSKKxnboV1GQxeuSaQ

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2020年3月31日 (火)

配信公演 広上淳一指揮京都市交響楽団第643回定期演奏会無観客公演(文字のみ)

2020年3月28日

京都市交響楽団の第643回定期演奏が行われるはずだったのだが、新型コロナウィルスの影響により中止となり、京都コンサートホールで行われる無観客公演がストリーミングサービスのカーテンコールによって午後2時半からライブ配信される。

指揮は京都市交響楽団第12代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。


曲目は、シューベルトの交響曲第5番とマーラーの交響曲第4番(ソプラノ独唱:森谷真理)。

今日のコンサートマスターは4月から京響の特別客演コンサートマスターに就任する会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志が入る。


カーテンコールは前日に広上淳一へのインタビューを行っており、事前に見ることが出来るようになっている。
インタビュアーは、クラシックコンサートを生で聴いた経験がないという女優の永池南津子。なぜそんな素人にインタビュアーを任せようということになったのかだが、配信を見る人の中にコンサート会場に行ったことがない人も多いだろうということで、素人代表として敢えて永池を指名することにしたのだと思われる。
広上も初心者にもわかるように、それぞれの個性を食べ物に例えた後で、マーラーの交響曲第4番は映像化するように、シューベルトの交響曲第5番はテラスで味わう飲み物や景色に置き換えて説明していた。

シューベルトもマーラーもこの世のあらゆる諸相を音楽の中で描き切った作曲家である。


カーテンコールはまだ本格的なサービスが開始される前の段階ようで、映像や音が飛びやすい。ということで、まずパソコンで視聴し、順調ではあったのだが、音の切れが増え始めたため、比較的音の安定しやすいスマホの音声をイヤホンで聴きながら、パソコンのモニターを確認するという視聴方法に変更する。当然ながら絵と音が大幅にずれる。パソコンの回線の方がスタートは早いものの途中で止まることが多いため、最終的にはスマホに抜かれるということが繰り返される。


シューベルトの交響曲第5番。
晴れやかさと毒が同居するシューベルトならではの楽曲であり、「ザ・グレイト」と「未完成」以外のシューベルトの交響曲の中では比較的よく演奏されることの多い作品である。

広上と京響は冒頭から晴れやかな表情を前面に出すが、その後、シューベルトらしい戦きの表情が現れるなどメリハリをつけた演奏が展開される。
第3楽章はさながら死の舞踏という趣であり(広上は全く別の解釈を語っていたが)シューベルトの青春の怖れを十全に表現した演奏となった。指揮台上でステップを踏みながら踊る広上の指揮姿も面白い。

京都コンサートホールは天井が高いため音が上に行ってしまう傾向があり、パソコンのスピーカーで聴いていた時はそれが顕著に感じられたのだが、イヤホンで聴いた場合はほとんど気にならなくなる。


マーラーの交響曲第4番。
京響の磨き抜かれた弦と抜けの良い金管の音が生かされた演奏である。まさに天国的な美しさを湛えている。
広上はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)でレナード・バーンスタインのアシスタントをしていた時にこの曲のレッスンを受けており、20世紀最高のマーラー指揮者直伝の解釈を授かっている。
第2楽章ではコンサートマスターの会田莉凡が調弦を変えたヴァイオリンによる切れ味の鋭いソロ(死神の独奏といわれる)を聴かせる。
第3楽章の終結間近で下手後方のステージ入り口からソプラノの森谷真理が登場。そのまま指揮者のすぐそばまで進んで独唱を行う。
最終楽章の森谷の独唱であるが、残念ながら現在の収録方法では声が余りはっきりとは聞こえない。京都コンサートホールでの声楽の収録にはもっと経験を積む必要があるようだ。

とはいえ、全体を通して充実した演奏であり、やはり生で聴きたかったと思う。


演奏終了後、セレモニーがあり、門川大作京都市長が登場してスピーチを行い、更に京都コンサートホールの新館長に広上淳一が就任することが正式に発表された(数日前に京都市新聞などには記事が載っていた)。
更にトランペット奏者の早坂宏明が3月いっぱいで退団するということで、早坂に花束が贈られ、アンコールとしてシューベルトの「ロザムンデ」間奏曲第3番が演奏される。優しさと温かさに満ちた演奏であった。

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2020年3月23日 (月)

コンサートの記(628) 広上淳一指揮京都市交響楽団第595回定期演奏会

2015年10月9日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第595回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ソン・ヨルム)、シューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」

開演20分前から、広上淳一によるプレトークがある。広上は京都市ジュニア・オーケストラの黒字にピンク色の文字のTシャツを着て登場した。
まずは、京都市交響楽団のヨーロッパツアーの話から。広上は酒好きで、「あそこはビールが美味しい」、「あそこはワインが美味しい」とまず酒の話から入る。アムステルダム・コンセルトヘボウでの公演を行ったときには、実は公演の1ヶ月前まではチケットが50枚しか売れていなかったという(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という世界三大オーケストラの一つを持つアムステルダム市民からしてみれば、「なんで東洋のマイナーなオーケストラを聴きに行かなくちゃならないんだ」という感覚だろう)。広上はアムステルダムに縁があり(広上が優勝した第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールはアムステルダムで行われており、レナード・バーンスタインの助手を務めていたのもアムステルダムにおいてである)、地元にエージェントのような仕事をしてくれる人がいたため、何とかチケットを売り、結果的には1500枚売れて、集客はほぼ成功したようだ。演奏自体も好評だったとのこと。
また京都市の姉妹都市であるフィレンツェで公演を行ったときには、フィレンツェの新しい会場がまだ完成しておらず、ステージと客席は出来上がっているものの、楽屋などは工事中で、「イタリア人はのんびりしてる」らしい。そもそも日本人だったら、未完成の施設を使用させたりはしないが。確かにイタリアは地震がないので工事中でも地震で崩壊ということはあり得ないだろうが。
その後、曲目について解説、ベルリオーズの序曲「海賊」については、「短いのであっという間に終わってしまいます」という。実はこれは伏線であり、メインであるシューベルトの「ザ・グレイト」が長大な楽曲として知られているので、それと対比させたのだ。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番のソリストである、ソン・ヨルムについては、「非常に達者で情熱的。それも髪の毛を振り乱して弾くようなタイプではなく端正」と紹介をする。更に、「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで2位になっていますが、その時の1位が辻井(伸行)君です」とわかりやすい紹介をする。
シューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」については、「長いとされている曲ですが、良く聴くと案外短い」と評する。また、今回は「シューベルト先生が思い描いた通りの演奏に近づけるため、繰り返しも全部、少しはカットするかも知れませんが、ほぼ全て繰り返します」と宣言する。「ザ・グレイト」は繰り返し記号を履行して演奏すると1時間以上を要する大作である。
また、今日は、ステージについている馬蹄形の段差を、綺麗に階段状に並べ、これを「すり鉢状」と称し、今後はこれがスタンダードになるという。京都コンサートホールはもともと、舞台をすり鉢状にして演奏した時に最良の響きが得られるよう設計されているとのことである。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに泉原隆志。フルート首席奏者の清水信貴は今日は降り番(副首席奏者の中川佳子が全編、トップの位置に座った)。オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子はシューベルトのみの出演である。

ベルリオーズの序曲「海賊」。大編成による曲であり、トランペット首席奏者のハラルド・ナエスはこの曲には参加した(その後、プロコフィエフは早坂宏明と稲垣路子の二人に譲り、シューベルトで再登場した)。
すり鉢状のステージにしての演奏であるが、私はステージ後方のポディウムで聴いていたため、「音が大きくなった」というのが一番の印象である。その他、音に渋みが増したのもわかる。1階席でどういう響きがするのかは残念ながらわからないのだが。
広上らしい盛り上げ上手な演奏であった。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。マジカルな味わいのある傑作として知られているのだが、演奏自体が難しく、レコーディングも少なく名盤と呼ぶに値する演奏がほとんどないというピアニスト泣かせの曲でもある。
ピアノ独奏のソン・ヨルムは、現在ドイツ・ハノーファー音楽舞台芸術大学(ハノーファー国立音楽演劇大学。大植英次が終身教授を務めている大学である)に在学中という若い女性ピアニスト。2011年にチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門準優勝を果たし、室内楽協奏曲最高演奏賞とコンクール委嘱作品最高演奏賞も受賞した気鋭のピアニストである。先に書いた通り、辻井伸行が優勝した2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで準優勝。辻井伸行が優勝したため同コンクールのドキュメンタリー番組が作られてソン・ヨルムも登場しており、広上はそれを見てソンのことを「良いピアニスト」だと感じたという。コンクール歴としてはエトリンゲン国際ピアノコンクールとヴィオッティ国際ピアノコンクールで共に史上最年少優勝を果たしている。
ステージ上に現れたソン・ヨルムは写真よりもほっそりとした印象である。華奢と書いても良いかも知れない。だが、出す音は独特。他のピアニストよりも一段深いところから音を出しているようなピアノである。奥行きのある音だ。広上が言っていたとおりヴィルトゥオーゾタイプではないが、情熱的なピアノであり、メカニックも優秀である。
広上の指揮する京響もキッチュにして美しいプロコフィエフの味わいを存分に引き出したものだった。

ソン・ヨルムはアンコールに応えて、カプースキンの「エチュード」を弾く。ジャジーな味わいのある曲であるが、カプースキンは実はロシアの作曲家である。ジャズピアニストとしても活躍していたため、勿論、ジャズのテイストを取り入れた作品を書いており、ソンはそれを弾いたのである。ノリと活きの良いピアノであった。

メインであるシューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」。交響曲の番号が2種類あるのは、シューベルトが交響曲を作曲した過程がよく分かっていなかったからで、従来は、シューベルトが日記にその存在を書き、「グムンデン・ガスタイン交響曲」と呼ばれる楽曲の楽譜が結局見つからなかったため、実際の楽曲は不明のまま交響曲第7番の番号が振られ、交響曲第8番が「未完成」、交響曲第9番が「ザ・グレイト」とされた(「ザ・グレイト」というタイトルであるが、「偉大」という意味ではなく、同じハ長調の交響曲である第6番に比べて「編成が大きい方」という程度の意味しか持たない)。だが、その後、「グムンデン・ガスタイン交響曲」の正体が実は「ザ・グレイト」だという報告がなされ、「ザ・グレイト」は交響曲第7番になったり、「未完成」を交響曲第7番に繰り上げて交響曲第8番にされたりと、今なお正式な番号は定まっていない。
「未完成」もそうだが、「ザ・グレイト」もシューベルトの生前には演奏されることはなかった。「ザ・グレイト」が初演されたのはシューベルトの死後11年経ってからのことである。初演の指揮者はフェリックス・メンデルスゾーン、オーケストラはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であった。「ザ・グレイト」の譜面を発見したロベルト・シューマンはこの曲について「天国的な長大さ」と述べている。

広上は、今日も普通よりは長めの指揮棒を使用していたのだが、実はもう一本、短めで木製の指揮棒を用意しており、第4楽章はそちらの指揮棒で指揮した。
左手で冒頭のホルン(早稲田大学の応援歌「紺碧の空」に似た旋律である)に指示を出した広上は、その後は変幻自在の指揮を展開。無手勝流のようであるが、指揮姿が表す意図が明確であり、極めて明快な指揮である。第3楽章では途中からノンタクトで指揮、第4楽章では両手で指揮棒を握りしめて短剣を振る舞わすかのような視覚効果抜群の指揮姿である。パーヴォ・ヤルヴィは指揮姿によるオーケストレーションを取り入れているが、これからは視覚面での面白さも指揮者にとって重要になってくるかも知れない。
広上は「シューベルト先生が思い描いたような」とプレトークで語っていたが、なんと「ザ・グレイト」でピリオド・アプローチを仕掛けてくる。弦楽はビブラートを控えめにし、流線型のフォルムで演奏。その他の楽器も強弱やメリハリをはっきり付けるのがピリオド的である。まさかシューベルトでピリオドを行うとは思っていなかったので(年代的にはピリオドで演奏してもおかしくない作品であるが)意外な印象を受ける。
ただ、ピリオドであるかないかを抜きにしてもスケール豊かで、音の密度の濃い優れたシューベルト演奏である。生命力が横溢すると同時に彼岸の音がし、第4楽章の響きの美しさはまさに「天国的」である。

喝采を浴びた広上と京響であるが、広上が「今日は曲が長いのでこの辺で」と挨拶をし、コンサートはお開きとなった。

今日はレセプションがある。といっても今日はサインを貰う気はないので、広上淳一とソン・ヨルムの話を聞くだけにする。
ジーンズ姿で登場したソン・ヨルム(英語でスピーチ。通訳付き)は、「京都の街には昔から憧れていたが、今回は残念ながらほとんどどこにも行けなかった。今度また来られるように頑張りたい」と述べる。また広上淳一については、「大好きな指揮者で、今でも大ファン」とのこと。ちなみに、ソン・ヨルムはハイヒールを履いているということもあるが、それを割り引いても、広上の方がずっと身長が低い。広上は自身の身長について「164cm」と公言しているが、168cm(先日、病院で測ったら168.6cmであったが、端数はどうでもいい)と成人男性としては比較的小柄な私と比べてもかなり身長が低いため、実際は160cm前後だと思われる。164cmというのは一番身長が高かった二十歳前後の話だろう。
広上は、昨年、NHK交響楽団の韓国ツアーに指揮者として帯同し、ソン・ヨルムと共演したのが、「ああ、この人はやっぱり特別なピアニストだ」と感じて、すぐに京都市交響楽団事務局に「ソン・ヨルムのスケジュールを押さえるよう」指示を出したそうである。広上淳一は肩書きこそ京都市交響楽団の常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーであるが、指揮者やソリストに関する人事権を持っているため、実際には音楽監督以上の権限を持っている。

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2020年2月 1日 (土)

コンサートの記(622) 広上淳一指揮 第15回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2020年1月26日 京都コンサートホール

午後2時から、京都コンサートホールで、第15回京都市ジュニアオーケストラのコンサートを聴く。指揮は京都市ジュニアオーケストラ・スーパーヴァイザーで、今年は大河ドラマ「麒麟がくる」オープニングテーマの指揮者でもある広上淳一。

京都市交響楽団第12代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーを経て、第13代常任指揮者兼音楽顧問になるという、裏技的継続作を使った広上淳一。ただ、このところは広上登場の定期演奏会は風邪で行けなかったと、接する回数は多くない。昨秋も名古屋にスウェーデン放送合唱団と京響の共演する広上指揮の演奏会を聴きに行く予定があったが、前日がフェニーチェ堺でのパーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日演奏会で疲労困憊となったため、名古屋行きは自重した。曲目がフォーレとモーツァルトの「レクイエム」というのも体調が悪い時には縁起が悪い。
ということで、今年は広上指揮の京都市ジュニアオーケストラのコンサートに出掛けてみた。毎年聴きに行っているわけではないが、初期に京都市ジュニアオーケストラのコンサートミストレスを務めていた石上真由子が、「医師免許を持つヴァイオリニスト」として大ブレークしており、未来の才能に接する貴重な機会ともなっている。

曲目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、リストの交響詩「前奏曲」、ブラームスの交響曲第1番。

ベートーヴェンイヤーとなる2020年であるが、ベートーヴェン作品は意図的にかどうかはわからないが避けられている。そもそも日本は年末の第九公演が定着しているなど、ベートーヴェン作品が演奏される機会が極めて多い国であり、ベートーヴェンイヤーだからといってベートーヴェン作品を特別に取り上げなくても例年通りなら普通に聴く機会に恵まれるはずで、特集すると逆に飽和状態になるという懸念もある。

 

開演前と休憩時間にロビーコンサートがあり、多くの人が詰めかける。演奏指導を行っているということで、京都市交響楽団の楽団員の顔もそこここで見かける。

ロビーコンサートの演奏は、開演前が、シュターミッツの2つのヴィオラのための6つの二重奏曲より第1楽章と第2楽章、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番より第4楽章、福田洋介の「さくらのうた~FIVE」。休憩中が、ラヴェルの弦楽四重奏曲より第2楽章である。
みな若いので、音楽が自分のものになっていない感じだが、二十歳前後できちんと表現出来たらそれこそ半世紀に一人レベルの天才であり、ちゃんと演奏出来ているだけでも大したものである。

 

前半は、安藤光平がコンサートマスターを務める。京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科の演奏会では、ヴァイオリンは男子が一人だけという状態であったが、京都市ジュニアオーケストラはヴァイオリンの男子も比較的多い。3曲ともティンパニは女性であり、これはプロオーケストラでは余り見られないことである(打楽器全体で見ても7人中6人が女性である)。ホルンはプロでも女性奏者の活躍が目立っているが、京都市ジュニアオーケストラでも前半はホルンが4人中3人が女性、後半は全員が女性となる。巨大なコントラバスは男性奏者の多い楽器だが、京都市ジュニアオーケストラの場合は8人中7人が女性であり、楽器の選び方の基準が変わってきているのかも知れない。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。景気づけ的に演奏されることの多い曲だが、広上は遅めのテンポを取り、高揚感よりもフォルムの美しさと確実な合奏力を聴かせることを選ぶ。教育的要素も多いので、いたずらな客受けの良さを避けたと考えることも出来るだろう。
京都市ジュニアオーケストラも広上の要求に応えて、美しい合奏を聴かせる。

 

リストの交響詩「前奏曲」。そういえばこの曲もテレビCMで使われたことがある。タバコのCMだったので、規制の入る1996年以前のことであろう。タバコのCMとしてはドビュッシーの「海」が使われていたこともあり、大人の嗜好品ということで、クラシックの曲が選ばれたりもしたのであろうか。
合奏がしっかりしている割に散らかった印象を受けるのは、奏者それぞれの音楽性がバラバラだからかも知れない。若者だからというよりも、常設の団体ではないということの方が大きいだろう。だがそれでも合奏そのものの能力と威力には秀でたものがあり、しっかりとした演奏が時を刻んでいく。ジュニアオーケストラだと弦の薄さや管のソロの弱さが感じられる場合もあるのだが、今年はそれもなく、かなり上質の仕上がりとなった。弦も管も輝かしい。

 

後半、ブラームスの交響曲第1番。コンサートミストレスは木田奏帆に代わる。名前から察するに親も音楽好きなのだと思われる。

威力で押す演奏も珍しくないブラームスの交響曲第1番であるが、広上と京都市ジュニアオーケストラは冒頭から音圧よりもブラームスの憂愁を引き立たせた演奏を行う。弦はウエットであり、押しつけがましさがない。主部に入っても滴るような音色で、ブラームスの悲哀を紡ぎ続ける。
第2楽章でも寂しさが際立っており、単なる美しさでなく生の悲しみを根底に置いた音楽を流す。木田奏帆のヴァイオリンソロも美しい。

最終楽章での歓喜の主題も最初のうちは朗々といった感じでは必ずしもなく、「取り敢えず」の明るさを示した後で逡巡は続く。二度目の歓喜の主題で広上は低音をしっかりと築いた上で全楽器を鳴らし、ようやくブラームス自身の確信を描き出す。そしてラストの金管のコラールでそれはようやく決定的なものとなる。
最初から好戦的で音で勝負するタイプのブラ1もかつてはよく見られたが、今は広上のように、ブラームスの懊悩に寄り添うような演奏が増えた。研究が進んだということもあるが、指揮者の独断で突き進むような時代ではなくなったということでもある。

 

演奏終了後、広上は3度ほどステージに呼ばれたが、最後はマイクを片手に登場。「このようなことを言うことのは余りないのですが(中略)京都市ジュニアオーケストラは、日本で一番上手いジュニアオーケストラです」と讃える。

そして、合唱指導を行った喜古恵理香、鈴木衛(まもる)、そして京都市ジュニアオーケストラ出身で、東京音楽大学指揮科3年の「リク君」が呼ばれる。

広上は3人に、京都市ジュニアオーケストラの印象を聞く。喜古恵理香は、「最初は広上先生あっての京都市ジュニアオーケストラという感じだったのが、今では広上先生と若き音楽家の集まり」と語り、広上から「喋り上手くなったね。今は指揮者も喋れないといけないから。これからもどんどん人を騙して下さい」と励まされる(?)。
鈴木衛は、「衛=守る=セコム」ということでセコム先生と呼ばれているという話を広上がして、鈴木も「どうもセコムです」と挨拶を行う。「京都市ジュニアオーケストラは、皆さんお聞きになって分かる通り、大変温かい音がする。また合奏というのは、目で合わせたり、耳で合わせたりもするけど、温かい心で合わせる。そういう二つの意味での温かさ」について述べた。
本名はわからないがリク君は、今日のことを川柳に詠んだそうで、「KJO優れた合奏金メダル」と発表するが、広上に「KJOって何?」と聞かれ、「Kyoto Junior Orchestra」と答えるも、「そういうのちゃんと説明しなきゃ」と突っ込まれる。説明しないとわからない時点で川柳としてはまずいわけだが、そもそもがそのままのことしか言っておらず、川柳にする必要もない。ちなみに作るのに2、3時間掛かったそうで、本番を聴いて詠んだものではないことがわかる。

 

最後は、リク君、鈴木衛、喜古恵理香の指揮リレーによりブラームスのハンガリー舞曲第1番が演奏される。この曲はブラームス本人がオーケストレーションを行っている。

まずリク君の指揮でスタート。きっちり纏まってはいるが民族音楽なのでももっと揺れを出して欲しいところである。トリオの部分は鈴木衛が指揮するが細部がやや粗め、再現部を指揮した喜古恵理香はスイングは上手く出していたが、次第に単調に陥るということで、必ずしも良い演奏ではなかったが、まだ若い指揮者と京都市ジュニアオーケストラによるフレッシュな音楽との出会いの場となっていた。

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2019年10月28日 (月)

コンサートの記(602) 「時の響」2019 「金色に魅せられた日本とオーストリア 琳派からクリムト、そして現代への継承」 広上淳一指揮京都市交響楽団 第1部「オーストリア×日本 琳派 ゴールド」ウィーンの景色&第2部「古都京都の文化財世界遺産登録25周年」京都今昔物語

2019年10月20日 京都コンサートホールにて

午後1時から、京都コンサートホールで「時の響」2019を聴く。一昨年から始まった音楽文化祭典「時の響」。昨年は規模が拡大されて音楽祭となっていたが、今年は第1部第2部とも上演時間1時間ほどのコンサート2つ、更にアンサンブルホールムラタで西村由紀江らによるスペシャルコンサートがあるが、スペシャルコンサートには参加しない。

「時の響」本編「金色に魅せられた日本とオーストリア 琳派からクリムト、そして現代への継承」は、広上淳一指揮京都市交響楽団によるコンサートである。第1部は「オーストリア×日本 琳派 ゴールド」ウィーンの景色と称したコンサート。日本とオーストリアの国交150周年を記念し、オーストリアの首都ウィーンを題材にした曲目が並ぶ。ウィーンを代表する画家のクリムトと、日本の琳派が共に金を使った絵を残しているということで、ホワイエでは作品のレプリカの展示などがある。またホール内ポディウムには「豊国祭礼図屏風」の高精度複製が立てかけられている。余談だが、この「豊国祭礼図屏風」には嘘がある。豊臣秀吉七回忌として慶長9年(1604)に行われた豊国大明神臨時祭礼であるが、その2年前に方広寺の大仏殿は火災で焼失しており、「豊国祭礼図屏風」に描かれている大仏殿は焼失前のものを仏画などによく見られる異時同図で描いたもので、実際には祭礼が行われた時には大仏殿はなかったのだ。大仏殿の再建が始まるのは慶長13年に入ってからである。

曲目は、前半が「音楽の都『ウィーン』を想う」と題して、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第1楽章という曲が並ぶ。後半は「岸田繁『ウィーン』の景色」という題で、岸田繁が作曲した「心の中のウィーン」と「ジュビリー」が演奏される。「ジュビリー」は岸田のギター弾き語り入りである。ナビゲーターは栗山千明。

今日は客演のコンサートミストレス。顔に見覚えがあるような気もするが思い出せない。フォアシュピーラーに尾﨑平。

席であるが、最前列の指揮者のほぼ真後ろという、先日観た映画「レディ・マエストロ」のような状態。最前列は直接音が強すぎて音は余り良くない。管楽器のメンバーの顔も弦楽奏者の影になって窺えず、フルート首席の上野博昭が前半のみ、クラリネット首席の小谷口直子は前後半共に出演ということぐらいしかわからない。トランペットは第1部ではハラルド・ナエスの、第2部では稲垣路子と早坂宏明の顔が確認出来たが、全体としてどういう布陣だったのかは不明である。
栗山千明を間近で見られるのは嬉しかったけれど。

開演前に、「時の響」実行委員会に名を連ねている公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団と大日本印刷株式会社の代表者からの挨拶があった。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。ニューイヤーコンサートで演奏される類いのものとは違い、がっしりとしたシンフォニックな演奏で来たのが意外だった。中間部でテンポを落としてからアッチェレランドし、ステップを踏みながら踊るのが広上らしい。

演奏終了後に、ナビゲーターである栗山千明が登場。今回の演奏会は京都を前面に押し出しており、また公益財団法人京都和装産業振興財団による「きもの文化をユネスコ無形文化遺産に!」という推進運動もあって、着物着用の聴衆にはキャッシュバックがある。栗山千明もプログラムにわざわざ「きもの着用」と書かれており、その通りの格好で現れる(現れないとまずいが)。クリムトと尾形光琳の絵には金箔が用いられているということで、栗山千明の着物にも金が用いられているのだが、ぱっと見はよく分からない。広上が「金(きん)あるの?」と聞き、栗山が「あります」と答えていた。このやり取りは台本にはないそうである。
栗山千明で京都というと、まずフジテレビ系の深夜に放送されていた「0-daiba.com」の京都特別編「京都慕情」が思い浮かぶ。栗山千明演じる成瀬一美は、京都芸術センターや百万遍交差点などを訪れている。
また映画「鴨川ホルモー」では、オタクっぽい京大リケジョの「凡ちゃん」こと楠木ふみを演じている。

広上による楽曲解説。「美しく青きドナウ」はオーストリア(広上はオーストリーという呼び方をしていた)第2の国歌と呼ばれており、広上は「日本でいう『故郷』のようなもの」と語る。またウィーンは京都に似ているということで、京都に例えて「美しく青き桂川のような」と表現する。ドナウ川はウィーン市の郊外を流れているため、京都の町中を流れている鴨川はやはりちょっと違うだろうと思われる。東京だと隅田川ではなくて多摩川、大阪だと淀川じゃなくて……、大阪市の郊外には綺麗な川はあったかな? 大和川は絶対に違う。
ウィーンはハプスブルク家の都で魅力的な場所であり、昔から様々な人がそこをものにしようと狙って来た。そこも京都に似ていると広上は述べる。
またヨハン・シュトラウスⅡ世とⅠ世は親子で同じ名前だと紹介し、ヨハン・シュトラウスⅠ世は放蕩者だったため、Ⅱ世が15歳ぐらいの時によそに女を作って出て行ってしまったという話をする。Ⅱ世はそれまで本格的に音楽に取り組む気はなかったのだが、生活費を稼ぐために音楽を学んで成功。父とはライバル関係になって勘当されたりもしている。実はⅡ世も弟2人に作曲をするよう強要して兄弟仲まで悪くなってしまうのだが、それはまた別の話である。

栗山千明は、「ラデツキー行進曲」を「デラツキー行進曲」と間違えて紹介。広上がすぐ「ラデツキー行進曲は」と言い直して、ウィーンのニューイヤーコンサートでお客さんが手拍子を入れるという話をしたのだが、結局、その後も栗山千明は「デラツキー行進曲」と何度も間違え続けていた。「ラデツキー行進曲」も知らないという事は、クラシック音楽に関してほとんど何の知識もないということであり、ちょっとがっかりする。

「ラデツキー行進曲」では、広上はオーケストラよりも聴衆の拍手を中心に指揮した。カットありの版での演奏。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。喜歌劇「こうもり」はウィーンでは年末に上演されることが恒例となっている。
華やかさとスケールの大きさ、ウイットを兼ね備えた演奏で、京響の響きも充実している。

演奏終了後に登場した栗山千明は、「先程は大変失礼いたしました。『ラデツキー行進曲』」と詫びていた。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第1楽章。この曲では栗山はなぜか「ジュピター」というタイトルは一度も告げなかった。
広上が栗山に、「モーツァルトがどういう人だったかご存じ?」と聞き、「ごめんね、台本にないことばかり言って」と続ける。「実際に会ったわけじゃないんですが」と広上は前置きして、「ハリウッド映画で『アマデウス』という作品がありましたが、あれに出てくるモーツァルトはフィクションです。ただ書き残したものから、あれに近い人だったんじゃないかと言われています。人前では言えないようなことを書いていたり、女の子が『キャー!』とか『わあ!』とか言うと、『うひひひひ』と喜ぶような。小学生がそのまま大きくなったような、こういう人ってどう?」
栗山「仲良くなりやすいとは思います」(若干引き気味に見えたが気のせいだろうか)
広上「そういう人を喜ばせるのが好きな人だったと思います」

「ジュピター」を得意とする広上。澄んだ弦楽の響きを生かした純度の高い演奏を繰り広げる。弦のビブラートは各々で異なり、ピリオドを徹底させた演奏ではないが、途中で現れる音を切りながらの演奏は古楽を意識したものだろう。
モーツァルト本人はあるいは全く意識していなかったかも知れないが、今日のような演奏で聴くと本当に宇宙的な音楽に聞こえる。

 

くるりの岸田繁が登場しての後半。栗山千明が、くるりがウィーンでレコーディングを行った経験があることなどを紹介する。ウィーンについて岸田は「京都に似ている」と言い、広上は意見が合ったと喜ぶ。「人口も180万くらいで(京都市は147万人ほどだが昼間人口は増える)。まあ同じぐらい」「中心部は昔ながらの建物が残されていて(第二次大戦の戦災で焼失したものもあるが元通りに復元されている)、郊外には意外に工業地帯があったりする」。ドイツ語圏ではあるが言葉も違い、「おはよう」も「グーテンモルゲン」ではなく、「グリュースゴット」と言うと紹介する。ウィーンで初めて聞いた時は岸田は意味が分からず、「なにそれ?」と聞き、「いや、ウィーンではこうやって言うんだ」と主張された(?)そうである。「グリュースゴッド」は、「神があなたに挨拶しますように」という意味で、広上は「キザ」と形容する。
岸田は自身の事を述べる際には「僕はキザではないんですが」と断りを入れていた。

「心の中のウィーン」はワルツと4拍子を取り入れた曲であり、ウィンナコーヒーのような甘さを意図的に出している。

岸田繁のギター弾き語り入りの「ジュビリー」はウィーンで作曲されたというだけで、特にウィーン情緒を出した感じは受けなかった。

 

1時間ほどの休憩を入れて第2部スタート。休憩の間、私は一度外に出て自販機でカフェラテを買って飲んだ。特にウィーンを意識したわけではない。

 

第2部は、「古都京都の文化財世界遺産登録25周年」京都今昔物語と題したコンサートで、新作の世界初演2曲が続く。

開演前に門川大作京都市長の挨拶があり、文化庁の京都移転や京都駅東南地区を共生の街にするプランなどが話された。どちらもちょっと前までは明るい話題であったが、そこは京都ということか、何やら暗雲が垂れ込み始めている。
門川市長は、「日本が世界に誇れるもの、それは文化」と語っていたが、現状ではこれも疑問である。クラシック音楽の分野における日本の未来は明るいかも知れないが、その他は厳しいかも知れない。

 

まずは母校の京都市立芸術大学作曲科講師でもある酒井健治のヴィオラ協奏曲「ヒストリア」。ヴィオラ独奏は、京都市交響楽団首席ヴィオラ奏者の小峰航一が務める。
疾走するヴィオラをオーケストラが盛り立てていくような曲調である。メシアンにも近いがノーノ的にも聞こえる。ヴィオラ協奏曲ということで、ヴィオラ独奏がオーケストラのヴィオラパートと歌い交わす場面もあり、意欲的な作風だ。
緊迫感もあり、面白い楽曲である。ヴィオラ独奏はかなり難度が高そうであったが。

 

今日最後の曲は、岸田繁の作・編曲(共同編曲:足本憲治)による「朗読とオーケストラ 京のわらべうた変奏曲による『徒然草』」~京都生まれの日本哲学~。吉田兼好の「徒然草」を現代語訳したものを栗山千明が朗読し、背後のスクリーンには武蔵野美術大学出身の文字×映像ユニット宇野由希子+藤田すずかによる文字アニメーションが投映される。

岸田繁の音楽はタイトルの通り、「丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦」という京の通り名を挙げる「京のわらべうた」を変奏していくもので、オーケストラのパレットも次々変わる。酒井健治の作品とは対照的であるともいえる。
素朴で愛らしいメロディーを奏でるのだが、広上の指揮ということもあってか響きは意外に重厚で輝かしく、さながらベンジャミン・ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の日本版のような趣である。
栗山千明が読み上げるテキストは、「人生の短さ」「物事を先延ばしにすることの愚かしさ」「想像力の大切さ」「先入観を捨てることの有効性(虚であるべきこと)」などを抜粋したもの。葵祭が終わった夕暮れの寂しさなども採用されている。
栗山千明は茨城県出身なので標準語とは少し異なるイントネーションである。明るめの声を生かし、「流石は国際派女優」のしっかりした朗読を披露した。

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