カテゴリー「追悼」の86件の記事

2025年3月11日 (火)

これまでに観た映画より(381) 「その街のこども 劇場版」

2025年1月17日 京都シネマにて

京都シネマで、阪神・淡路大震災30年特別再上映「その街のこども 劇場版」を観る。2010年1月17日に阪神・淡路大震災15年特別企画としてNHKで放送されたドラマの映画版(2011年公開)。NHK大阪放送局(JOBK)の制作である。放送から15年が経っている。監督:井上剛。脚本:渡辺あや。出演:森山未來、佐藤江梨子、津田寛治ほか。音楽:大友良英。京都では今日1回のみの上映。神戸では今日から1週間ほど上映されて、森山未來がトークを行う日もあるようだ。
森山未來も佐藤江梨子も1995年当時、神戸に住んでおり、阪神・淡路大震災の被災者である。ただ佐藤江梨子はどうなのかは分からないが、森山未來は実家付近にほとんど被害が出なかったそうで、知り合いに亡くなった人もおらず、当事者なのに部外者のような気がしてコンプレックスになっていると語ったことがある。

2010年1月16日。森山未來演じる中田勇治は、阪神・淡路大震災被災後年内に、また佐藤江梨子演じる大村美夏は、震災の2年後に東京に転居し、以後、一度も神戸を訪れていないという設定である。
東京の建設会社に勤める中田は、先輩の沢村(津田寛治)と共に広島への出張で新幹線に乗っている。新神戸駅で下車しようとするスタイルのいい女性の後ろ姿を見掛けた二人。中田はふいに新神戸で降りることに決める。
スタイルのいい女、美夏から、「新神戸から三宮まで歩いて何分ぐらいですか?」と聞かれたことから、二人の物語が始まる(私は新神戸から三宮まで歩いたことがあるが、15分から20分といったところである。地下鉄で1駅なので普通は地下鉄を使う)。美夏は、明日の朝に東遊園地で行われる追悼集会に出る予定だった。中田は灘の、美夏は御影の出身である。
喫茶店や居酒屋で過ごした後、二人は御影(美夏の祖母の家がある)へと歩いて向かう。

オール神戸ロケによる作品である。震災から距離を置きたかったという気持ちが、少しずつ明らかになっていく(共に親族に問題があったようだが)。見終わった後に染みるような感覚が残る映画である。

ラストシーンは、2010年1月17日午前5時46分からの追悼集会で撮影され、即、編集が施されてその日のうちに放送されている。

撮影から15年が経っているが、森山未來は今も見た目が余り変わっていない。十代の頃の面影が今もある人なので、年を取ったように見えないタイプなのだと思われる。

 

上映終了後に、井上剛監督と配給の石毛輝氏による舞台挨拶がある。
キャストが森山未來と佐藤江梨子に決まったことで、当初よりも恋愛要素の濃い設定となったようである(ただし二人が恋仲になることはない)。色々と新しい試みを行ったそうで、カメラマンは、ドラマではなく報道専門の人を起用したそうである。また「百年に一度の災害」というセリフがあるのだが、放送の翌年に東日本大震災が発生。その後も熊本や能登で大規模な地震が発生している。関西でも大阪北部地震があった。ここまで災害が続くとは制作陣も予想していなかったようである。

Dsc_7413

| | | コメント (0)

2025年3月 7日 (金)

コンサートの記(893) 大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアル@神戸国際会館こくさいホール 大植英次指揮

2025年2月27日 三宮の神戸国際会館こくさいホールにて

午後7時から、三宮の神戸国際会館こくさいホールで、大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアルに接する。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団と神戸市混声合唱団による演奏会。

神戸国際会館こくさいホールに来るのは、13年ぶりのようである。干支が一周している。
神戸一の繁華街である三宮に位置し、多目的ホールではあるが、多目的ホールの中ではクラシック音楽とも相性が良い方の神戸国際会館こくさいホール。だが、クラシックコンサートが行われることは比較的少なく、ポピュラー音楽のコンサートを開催する回数の方がずっと多い。阪急電車を使えばすぐ行ける西宮北口に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールというクラシック音楽専用ホールが2005年に出来たため、そちらの方が優先されるのであろう。ここで聴いたクラシックのコンサートはいずれも京都市交響楽団のもので、佐渡裕指揮の「VIVA!バーンスタイン」と、広上淳一指揮の「大河ドラマのヒロイン」として大河ドラマのテーマ曲を前半に据えたプログラムで、いずれもいわゆるクラシックのコンサートとは趣向がやや異なっている。ポピュラー音楽では柴田淳のコンサートを聴いている。

構造にはやや難があり、地上から建物内に上がるにはエスカレーターがあるだけなので、帰りはかなり混む。というわけで、聴衆にとっては使い勝手は余り良くないように思われる。客席は馬蹄形に近く、びわ湖ホールやよこすか芸術劇場を思わせるが、ステージには簡易花道があるなど、公会堂から現代のホールへと移る中間地点に位置するホールと言える。三宮には大倉山の神戸文化ホールに代わる新たなホールが出来る予定で、その後も国際会館こくさいホールでクラシックの演奏会が行われるのかは分からない。

 

曲目は、白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:隠岐彩夏、バリトン独唱:原田圭)、マーラーの交響曲第1番「巨人」

 

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置の演奏。ホルン首席の高橋将純はマーラーのみに登場する。
フォーレの「レクイエム」ではオルガンが使用される。神戸国際会館こくさいホールにはパイプオルガンはないので、電子オルガンが使われるが、パンフレットが簡易なものなので、誰がオルガンを弾いているのかは分からなかった。

 

白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)。神戸出身で、阪神・淡路大震災発生時は小学校の音楽教師であり、東灘区に住んでいたという白井真。神戸の変わり果てた姿に衝撃を受けつつ、震災発生から2週間後にわずか10分でこの曲を書き上げたという。
神戸市混声合唱団は、1989年に神戸市が創設した、日本では数少ないプロの合唱団。神戸文化ホールの専属団体であるが、今日は神戸国際会館こくさいホールで歌う。
ステージの後方に階段状となった横長の台があり、その上に並んでの歌唱。
聴く前は、「知らない曲だろう」と思っていた「しあわせ運べるように」であるが、実際に聴くと、「あ、あの曲だ」と分かる。映画「港に灯がともる」(富田望生主演。安達もじり監督)のノエビアスタジアム神戸での成人式の場面で流れていた曲である。
「震災に負けない」という心意気を謳ったものであり、30年に渡って歌い継がれているという。
ホールの音響もあると思うが、神戸市混声合唱団は発声がかなり明瞭である。

 

フォーレの「レクイエム」。大きめのホールということで、編成の大きな第3稿を使用。パリ万博のために編曲されたものだが、フォーレ自身は気が乗らず、弟子が中心になって改変を行っている。そのため、「フォーレが望んだ響きではない」として、近年では編成の小さな初稿や第2稿(自筆譜が散逸してしまったため、ジョン・ラターが譜面を再現したラター版を使うことが多い)を演奏する機会も増えている。

実は、大植英次の指揮するフォーレの「レクイエム」は、2007年6月の大阪フィルの定期演奏で聴けるはずだったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップにより指揮台に上がることが出来なくなったことが発表され、フォーレの「レクイエム」は当時、大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者であった三浦宣明(みうら・のりあき)が代理で指揮し、後半のブラームスの交響曲第4番は指揮者なしのオーケストラのみでの演奏となっている。ちなみにチケットの払い戻しには応じていた。
それから18年を経て、ようやく大植指揮のフォーレの「レクイエム」を聴くことが叶った。

マーラーなどを得意とする大植であるが、フランスものも得意としており、レコーディングを行っているほか、京都市交響楽団の定期演奏会に代役として登場した時にはフランスもののプログラムを変更なしで指揮している。
フォーレに相応しい、温かで慈愛に満ちた響きを大植は大フィルから引き出す。高雅にして上品で特上の香水のような芳しい音である。
神戸市混声合唱団の発音のはっきりしたコーラスも良い。やはりホールの音響が影響しているだろうが。

フォーレの「レクイエム」で最も有名なのは、ソプラノ独唱による「ピエ・イエス」であるが、実はソプラノ独唱が歌う曲はこの「ピエ・イエス」のみである。
ソプラノ独唱の隠岐彩夏は、岩手大学教育学部卒業後、東京藝術大学大学院修士および博士課程を修了。文化庁新進芸術家海外研修生としてニューヨークで研鑽を積んでいる。
岩手大学教育学部出身ということと、欧州ではなくニューヨークに留学というのが珍しいが、岩手県内での進学しか認められない場合は、岩手大学の教育学部の音楽専攻を選ぶしかないし、元々教師志望だったということも考えられる。真相は分からないが。ニューヨークに留学ということはメトロポリタンオペラだろうか、ジュリアード音楽院だろうか。Eテレの「クラシックTV」にも何度か出演している。
この曲に相応しい清澄な声による歌唱であった。

バリトン独唱の原田圭も貫禄のある歌声。東京藝術大学および同大学院出身で博士号を取得。現在では千葉大学教育学部音楽学科および日本大学藝術学部で講師も務めているという。

フォーレの「レクイエム」は「怒りの日」が存在しないなど激しい曲が少なく、「イン・パラディズム(楽園へ)」で終わるため、阪神・淡路大震災の犠牲者追悼に合った曲である。

 

後半、マーラーの交響曲第1番「巨人」。この曲も死と再生を描いた作品であり、メモリアルコンサートに相応しい。
マーラー指揮者である大植英次。「巨人」の演奏には何度か接しているが、今日も期待は高まる。譜面台なしの暗譜での指揮。
冒頭から雰囲気作りは最高レベル。青春の歌を溌剌と奏でる。チェロのポルタメントがあるため、新全集版のスコアを用いての演奏だと思われるが、譜面とは関係ないと思われるアゴーギクの処理も上手い。
第2楽章のややグロテスクな曲調の表現も優れており、大自然の響きがそこかしこから聞こえる。
マーラーの交響曲第1番は、実は交響詩「巨人」として作曲され、各楽章に表題が付いていた。当時は標題音楽の価値は絶対音楽より低かったため、表題を削除して交響曲に再編。その際、「巨人」のタイトルも削ったが、実際には現在も残っている。「巨人」は、ジャン・パウルの長編教養小説に由来しており、私も若い頃に、東京・神田すずらん通りの東京堂書店で見かけたことがあるが、読む気がなくなるほど分厚い小説であった。ただ、マーラーの「巨人」は、ジャン・パウルの小説の内容とはほとんど関係がなく、タイトルだけ借りたらしい。そしてこの曲は、民謡などを取り入れているのも特徴で、第3楽章では、「フレール・ジャック」(長調にしたものが日本では「グーチョキパーの歌」として知られる)が奏でられる。これも当時の常識から行くと「下品だ」「ふざけている」ということになったようで、マーラーの作曲家としての名声はなかなか上がらなかった。
大植と大フィルはこの楽章の陰鬱にして鄙びた味わいを巧みに表出してみせる。夢の場面も初春の日差しのように淡く美しい。
この葬送行進曲で打ち倒された英雄が復活するのが第4楽章である。そしてこのテーマは交響曲第2番「復活」へも続く。
第4楽章は大フィルの鳴りが良く、大植の音運びも抜群である。特に金管が輝かしくも力強く、この曲に必要とされるパワーを満たしている。
若々しさに満ちた再生の旋律は、これからの神戸の街の発展を祈念しているかのようだった。

Dsc_3516

| | | コメント (0)

2025年1月28日 (火)

追悼・秋山和慶

 秋山和慶先生の指揮による演奏を初めて聴いたのは、1994年6月、千葉市中央区亥鼻の千葉県文化会館においてでした。オーケストラは東京交響楽団。ストラヴィンスキーの「火の鳥」ほかでした。
 関西に移ってからは、京都市交響楽団で数度、大阪フィルハーモニー交響楽団で一度、京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科の定期演奏会でも聴いています。ロームシアター京都メインホールでのNHK交響楽団京都特別演奏会も素晴らしかった。何を振っても一級品の得がたい指揮者。何でも振れるのでコロナの頃は代役を一手に引き受けて引っ張りだこでしたね。

 一昨日には京都コンサートホールにおいて下野竜也氏の指揮で京都市ジュニアオーケストラの演奏会を聴きました。下野氏は鹿児島時代に秋山先生が出演された「齋藤秀雄メソッド」の映像を何度も見て、指揮の初歩を叩き込まれたのでしたね。あなたは演奏だけでなく人も残しました。

 これまで存分に楽しませていただきました。ありがとうございました。

 

秋山和慶指揮広島交響楽団 アッテルベリ 交響曲第5番「葬送交響曲」より第2楽章(選曲:広島交響楽団)

| | | コメント (0)

秋山和慶指揮フィルハーモニック・ソサィエティ・東京 リヒャルト・シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」

| | | コメント (0)

2025年1月24日 (金)

藤井一興(ピアノ) 武満徹 「リタニ」

| | | コメント (0)

2024年12月 6日 (金)

竹内まりや 「カムフラージュ」(CX系連続ドラマ「眠れる森」主題歌)

期間限定公開とさせていただきます。もう主演女優も脚本家もいません。

| | | コメント (0)

中山美穂 「ROSÉ COLOR(ロゼ・カラー)」

| | | コメント (0)

大貫妙子 「ひまわり」(映画「東京日和」より)

| | | コメント (0)

2024年10月18日 (金)

西田敏行 「もしもピアノが弾けたなら」

| | | コメント (0)

2024年6月11日 (火)

コンサートの記(848) カーチュン・ウォン指揮日本フィルハーモニー交響楽団 第255回 芸劇シリーズ「作曲家 坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」

2024年6月2日 池袋駅西口の東京芸術劇場コンサートホールにて

東京へ。

午後2時から、池袋駅西口にある東京芸術劇場コンサートホールで、日本フィルハーモニー交響楽団の第255回 芸劇シリーズを聴く。日フィルが日曜日の昼間に行っている演奏会シリーズで、回数からも分かる通り、かなり長く続いている。私も東京にいた頃にはよく通っていて、ネーメ・ヤルヴィやオッコ・カムなどの指揮で日フィルの演奏を聴いている。

東京芸術劇場は、音楽と演劇、美術の総合芸術施設であるが、考えてみれば音楽でしか来たことはない。
コンサートホールは、東京芸術劇場の最上階にあり、長いエスカレーターを上っていくことになる。以前はエスカレーターは1階から最上階のコンサートホール(当時は大ホールといった)まで直通というもっと長く巨大なものだったが、「事故が起こると危ない」などと言われており、リニューアル工事の際に付け替えられて二段階でコンサートホールまで昇るようになっている。

前回来たときは1階席の前の方だったが、今回も1階席の下手側前から2列目。東京芸術劇場コンサートホールは、ステージから遠いほど音が良いことで知られるが、前の方でも特に悪くはない。

今回の芸劇シリーズは、パンフレットやチケットなどにはタイトルが入っていないが、ポスターには「作曲家 坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」という文言が入っており、事実上の坂本龍一の追悼コンサートとなっている。

Dsc_3659

指揮は、日本フィルハーモニー交響楽団首席指揮者のカーチュン・ウォン。シンガポールが生んだ逸材であり、2016年のグスタフ・マーラー指揮者コンクールで優勝。日本各地のオーケストラに客演して軒並み絶賛を博し、2023年9月に日フィルの首席指揮者に就任した。京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団に客演した際に聴いているが、演奏が傑出していただけでなく、京響のプレトークではちょっとした日本語を話すなど、まさに「才人」と呼ぶに相応しい人物である。ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者でもあり、また今年の9月からは、イギリスを代表する工業都市・マンチェスターに本拠地を置く名門、ハレ管弦楽団の首席指揮者兼アーティスティック・アドバイザーへの就任が決まっている。


曲目は、ドビュッシーの「夜想曲」(女声合唱:東京音楽大学)、坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲(二十五絃箏独奏:遠藤千晶)、坂本龍一の「The Last Emperor」、武満徹の組曲「波の盆(「並の凡」と変換されたが確かにそれもありだ)」よりフィナーレ、坂本龍一の地中海のテーマ(1992年バルセロナ五輪開会式音楽。ピアノ:中野翔太、合唱:東京音楽大学)。

コンサートマスターは客演の西本幸弘。ソロ・チェロとして日フィル・ソロ・チェロの菊地知也の名がクレジットされている。また生前の坂本龍一と共演するなど交流があったヴィオラ奏者の安達真理が、2021年から日フィルの客演首席奏者に就任しており、今日は乗り番である。


プログラムは評論家で早稲田大学文学学術院教授の小沼純一が監修を行っており、プログラムノートも小沼が手掛けている。
午後1時半頃より小沼によるプレトークがある。
昨年の暮れに、小沼の元に日フィルから「坂本龍一の一周忌なので何かやりたい」との連絡があり、指揮者がカーチュン・ウォンだということも知らされる。小沼は坂本が創設した東北ユースオーケストラも坂本の追悼演奏会をやるとの情報を得ていたため、「余りやられていない作品を取り上げよう」ということで今日のようなプログラムを選んだという。全曲坂本龍一作品でも良かったのだが、坂本龍一が影響を受けた曲を「コントラスト」として敢えて入れたそうだ。

坂本龍一が亡くなり、彼のことをピアニスト・キーボーディスト、俳優として認識していた人は演奏や演技を録音や録画でしか見聞き出来ず、それらは固定されて動かないものであるが、坂本龍一は何よりも作曲家であり、作曲されたものは生で演奏出来、同じ人がやっても毎回変わるという、ある意味での利点があることを小沼は述べていた。

坂本が若い頃に本気で自身のことを「ドビュッシーの生まれ変わり」だと信じていたということは比較的よく知られているが、「夜想曲」の第1曲「雲」は特にお気に入りで、テレビ番組でも「雲」の冒頭をピアノで弾いてその浮遊感と革新性について述べていたりする。小沼との対話でもたびたび「雲」が話題に上ったそうで、心から好きだった曲を取り上げることにしたそうである。
坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲は、2010年に東京と西宮で初演され、「題名のない音楽会」でも取り上げられたが、その後1度も再演されておらず、14年ぶりの再演となる。沢井一恵のために作曲された作品で、初演時は、それぞれ調が異なる十七絃箏を1楽章ごとに1面、計4面を用いて演奏されたが、今日のソリストである遠藤千晶が「二十五絃箏を使えば1面でいけるかも知れない」ということで、今日は1面での初演奏となる。

「The Last Emperpr」は、ベルナルド・ベルトルッチ監督が清朝最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀を主人公にした映画「ラストエンペラー」のために書かれた音楽で、坂本龍一は最初、俳優としてのオファーを受け、甘粕正彦を演じたが、音楽を依頼されたのはずっと後になってからで、全曲を締め切りまでの2週間で書き上げたというのが自慢だったらしい。「ラストエンペラー」の音楽で坂本は、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)と共にアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる。

武満徹の「波の盆」を入れることを提案したのは指揮者のカーチュン・ウォンだそうで、日本人作曲家の劇伴音楽という共通点から選んだようだ。
1996年に武満徹が亡くなり、NHKが追悼番組「武満徹の残したものは」を放送した時に真っ先に登場したのが坂本龍一で、学生時代に東京文化会館で行われたコンサートで、アンチ武満のビラを撒いていたところ武満本人が現れ、「これ撒いたの君?」と尋ねられたこと、後年、作曲家となって再会した時には、「ああ、あの時の君ね」と武満は坂本のことを覚えており、「君は作曲家として良い耳をしている」と言われた坂本は「あの武満徹に褒められた」と有頂天になったことを語り、「そんないい加減な奴なんですけどね」と自嘲気味に締めていた。

地中海のテーマは、1992年のバルセロナ・オリンピックのマスゲームの音楽として作曲されたもので、当初はオリンピックという国威発揚の側面がある催しの音楽を書くことを拒んだというが、最終的には作曲を引き受け、7月25日の開会式では自身でオーケストラを指揮し、その姿が全世界に放映された。指揮に関しては、当時、バルセロナ市立管弦楽団の首席指揮者をしていたガルシア・ナバロ(ナルシソ・イエペスがドイツ・グラモフォンに録音したアランフェス協奏曲の伴奏で彼の指揮する演奏を聴くことが出来る)の指揮に間近で触れて、「本物の指揮者は凄い」という意味の発言をしていたのを覚えている。またオリンピックで自作を指揮したことで、「凄い人」「偉い人」だと勘違いされるのが嫌だった旨を後に述べている。
地中海のテーマは、CDが発売され、また一部がCMにも使われたが、オーケストラ曲として日本で演奏されたことがあるのかどうかはちょっと分からない。ただこれはコンサートホールで生演奏を聴かないと本当の良さが分からない曲であることが確認出来た。

Dsc_3647


ドビュッシーの「夜想曲」。「雲」「祭り」「シレーヌ」の3曲からなる曲で、ドビュッシーの管弦楽曲の中でも人気曲だが、第3曲「シレーヌ」は女声合唱を伴うという特殊な編成であるため、演奏会または録音でもカットされることがある。今回は東京音楽大学の女声合唱付きで上演される。東京音楽大学の合唱団は必ずしも声楽科の学生とは限らず、学部は「合唱」の授業選択者の中からの選抜、大学院生のみ声楽専攻限定となるようだ。

フランス語圏のオーケストラによる名盤も多いため、流石にそれらに比べると色彩感や浮遊感などにおいて及ばないが、生演奏ならではのビビッドな響きがあり、繊細な音の移り変わりを視覚からも感じ取ることが出来る。
ノンタクトで指揮したカーチュン・ウォンは巧みなオーケストラ捌き。日フィルとの相性も良さそうである。
東京音楽大学の女声合唱もニュアンス豊かな歌唱を行った。


坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲。独奏者の遠藤千晶は当然と言えば当然だが着物姿で登場。椅子に座って弾き、時折、身を乗り出して中腰で演奏する。箏のすぐ近くにマイクがセットされ、舞台左右端のスピーカーから音が出る。箏で音が小さいからスピーカーから音を出しているのかと思ったが、後にピアノもスピーカーから音を出していたため、そういう趣旨なのだと思われる。
遠藤千晶は、東京藝術大学及び大学院修了。3歳で初舞台を踏み、13歳で宮城会主催全国箏曲コンクール演奏部門児童部第1位入賞という神童系である。藝大卒業時には卒業生代表として皇居内の桃香楽堂で御前演奏を行っている。現在は生田流箏曲宮城社大師範である。
第1楽章「still(冬)」、第2楽章「return(春)」、第3楽章「firmament(夏)」、第4楽章「autumn(秋)」の四季を人生に重ねて描いた作品で、いずれも繊細な響きが何よりも印象的な作品である。箏の音が舞い散る花びらのようにも聞こえ、彩りと共に儚さを伝える。


坂本龍一の「The Last Emperor」。カーチュン・ウォンは冒頭にうねりを入れて開始。壮大さとオリエンタリズムを兼ね備えた楽曲として描き出す。坂本本人が加わった演奏も含めてラストをフォルテシモのまま終える演奏が多いが(オリジナル・サウンドトラックもそんな感じである)、カーチュン・ウォンは最後の最後で音を弱めて哀愁を出す。


武満徹の組曲「波の盆」よりフィナーレ。倉本聰の脚本、実相寺昭雄の演出、笠智衆主演によるテレビドラマのために書いた曲をオーケストラ演奏会用にアレンジしたものだが、このフィナーレは底抜けの明るさに溢れている。「弦楽のためのレクイエム」が有名なため、シリアスな作曲家だと思われがちな武満であるが、彼の書いた歌曲などを聴くと、生来の「陽」の人で、こちらがこの人の本質らしいことが分かる。この手の根源からの明るさは坂本龍一の作品からは聞こえないものである。


坂本龍一の地中海のテーマ。映画音楽でもポピュラー系ミュージックでも坂本龍一の音楽というとどこかセンチメンタルでナイーブというものが多いが、地中海のテーマはそれらとは一線を画した豪快さを持つもので、祝典用の楽曲ということもあるが、あるいは売れる売れないを度外視すれば、もっとこんな音楽を書きたかったのではないかという印象を受ける。若い頃は現代音楽志向で、難解な作品や前衛的な作品も書いていた坂本だが、劇伴の仕事が増えるにつれて、監督が求める「坂本龍一的な音楽」が増えていったように思う。特に映画などは最終決定権は映画監督にある場合が多いわけで、書きたいものよりも求められるものを書く必要はあっただろう。ファンも「坂本龍一的な音楽」を望んでいた。そういう意味ではバルセロナ五輪の音楽は「坂本龍一的なもの」は必ずしも求められていなかった訳で、普段は書けないようなものも書けたわけである。監督もいないし、指揮も自分がする。ストラヴィンスキーの「春の祭典」に通じるような音楽を書いても今は批難する人は誰もいない。というわけで基本的にアポロ芸術的ではあるが、全身の筋肉に力を込めた古代オリンピック選手達の躍動を想起させる音楽となっている。前半だけ、今日初めて指揮棒を使ったカーチュン・ウォンは、日フィルから凄絶な響きを引き出すが、虚仮威しではなく、密度の濃い音楽として再現する。バルセロナやカタルーニャ地方を讃える歌をうたった東京音楽大学の合唱も力強かった。

タブレット譜を見ながらピアノを演奏した中野翔太。プレ・カレッジから学部、大学院まで一貫してジュリアード音楽院で教育を受けたピアニストであり、晩年の坂本龍一と交流があって、今年の3月に行われた東北ユースオーケストラの坂本龍一追悼コンサートツアーにもソリストとして参加。「戦場のメリークリスマス」を弾く様子がEテレで放送されている。
地中海のテーマは、ピアノソロも力強い演奏が要求され、中野は熱演。
先に書いた通り、スピーカーからもピアノの音が鳴っていたが、そういう設定が必要とされていたのかどうかについては分からない。


アンコール演奏。カーチュン・ウォンは、「アンコール、Aqua」と語って演奏が始まる。坂本龍一本人がアンコール演奏に選ぶことも多かった「Aqua」。穏やかで優しく、瑞々しく、ノスタルジックでやはりどこかセンチメンタルという音楽が流れていく。坂本本人は「日本人作曲家だから日本の音楽を書くべき」という意見に反対している。岡部まりからインタビューを受けて、日本人じゃなくても作曲家にはなっていたという仮定もしている。だが、「Aqua」のような音楽を聴くとやはり坂本龍一も日本人作曲家であり、三善晃の弟子であったことが強く感じられる。

Dsc_3654

なお、カーテンコールのみ写真撮影が可能であった。

Dsc_3666


池袋では雨は降っていなかったが、帰りの山手線では新宿を過ぎたあたりから本降り、品川では土砂降りとなった。

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD MOVIX京都 NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アップリンク京都 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ ギリシャ悲劇 グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コント コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント トーク番組 ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ポーランド映画 ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロシア映画 ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇場 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 写真 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 宗教音楽 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本フィルハーモニー交響楽団 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 時代劇 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 連続テレビ小説 邦楽 配信ドラマ 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 音楽番組 食品 飲料 香港映画