カテゴリー「第九」の34件の記事

2025年1月12日 (日)

これまでに観た映画より(363) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団×リッカルド・ムーティ 「第九」200周年記念公演 in cinema

2025年1月7日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団×リッカルド・ムーティ「第九」200周年記念公演 in cinemaを観る。文字通り、リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほかが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」初演から200年を記念して行ったコンサートの映像の映画館上映。ユニテルとオーストリア放送協会(ORF)の共同制作で、日本では松竹が配給している。2024年5月7日、ウィーン・ムジークフェラインザール(ウィーン楽友協会“黄金のホール”)での上演を収録。合唱はウィーン楽友協会合唱団。独唱は、ユリア・クライター(ソプラノ)、マリアンヌ・クレバッサ(メゾソプラノ)、マイケル・スパイアズ(テノール)、ギュンター・クロイスベック(バス)。ベーレンライター版での演奏。

常任指揮者を置かないウィーン・フィルにおいて、長年に渡り首席指揮者待遇を受けているというリッカルド・ムーティ。ウィーン・フィルの母体であるウィーン国立歌劇場にも影響力を持っており、小澤征爾がウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた際も、「ムーティの後押しがあった」「事実上の音楽監督はムーティ」との声があった。
1941年、ナポリ生まれ。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(後の元の名前のフィルハーモニア管弦楽団に名を戻す)首席指揮者時代に名を挙げ、1980年にユージン・オーマンディの推薦により、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任している。長年コンビを組み、フィラデルフィア管弦楽団=オーマンディというイメージの残る中、お国もののレスピーギ「ローマ三部作」の録音(EMI)などが高く評価された。実はフィラデルフィア管時代に「ベートーヴェン交響曲全集」を制作しており、私が初めて聴いた第九のCDもムーティ指揮フィラデルフィア管のものであった。「ベートーヴェン交響曲全集」は俗に「クリスマスBOX」と呼ばれた廉価BOXCDの中の一つとして再発され、私も購入して全曲聴いてみたが、ベートーヴェンの演奏としては浅いように感じられた。
フィラデルフィア管弦楽団が、アカデミー・オブ・ミュージックという「世界最悪の音響」と言われたホールを本拠地にしていること(現在は新しいホールに本拠地を移している)やアメリカにはイタリアほどにはオペラやクラシック音楽が根付いていないことを理由に同楽団を離任してからは、祖国のミラノ・スカラ座で音楽監督として活躍。この時期、すでにウィーン・フィルから特別待遇を受けていたと思われる。上層部と対立してスカラ座を離任後は、フリーの指揮者を経てシカゴ交響楽団の音楽監督に就任。結果的には、嫌っていたはずのアメリカに戻ることになった。2011年にウィーン・フィルから名誉団員の称号を受けている。

日本では、年末になると国中が第九一色になり、日本のほぼ全てのプロオーケストラが第九を演奏し、日本の有名指揮者は第九に追われることになるが、年末の第九が定着しているのは日本だけ。ドイツのライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などいくつかの楽団が年末の第九を売りにしているが、他の国では第九は「難曲中の難曲」として滅多に演奏されない。そのため、今回の独唱者も全員、譜面を手にしての歌唱である。年末になると第九が歌われる日本の歌手は暗譜での歌唱が当たり前になっているが、これは世界的には珍しいことである。

 

ピリオド・アプローチによる時代の垢を洗い流したかのような第九がスタンダードになりつつあるが、ムーティは自分のスタイルを貫き通している。テンポは現代の標準値に比べるとかなり遅めであり、各パートをギッシリと積み上げたような男性的な第九を構築する。
シラーの「歓喜に寄す」から取った合唱の歌詞が、「平等」を目指すことをさりげなく歌っており、恋多き人生を歩んだベートーヴェンの心境にも男女の平等は浮かんでいたはずで、そうした点からは一聴して「男性的」という言葉の浮かぶ第九がベートーヴェンの意図を汲み取ったものといえるのかどうか(ムーティは「作曲家が書いた神聖な音符は一音たりとも動かしてはならない」という楽譜原理主義者として知られた。今は違うかも知れないが)。ただこれがムーティのスタイルであり、ウィーン・フィルが記念演奏会を任せた指揮者の音楽である。
随所で溜めを作るのも特徴で、オールドスタイルとも言えるが、音楽が単調になるのを防いでいるのも事実のように感じる。
現代望みうる最高の第九かというと疑問符も付くのだが、長年に渡ってクラシック音楽会の頂点に君臨し続けるオーケストラが「今」出した答えがこの演奏ということになる。
テンポが遅いため、近年よく聴かれるような演奏に比べると音楽が長く感じられるという短所もあるが、手応えのある音楽になっているのも確かである。東京・春・音楽祭で日本でも親しみを持って迎えられるようになった指揮者と、日本が愛し日本を愛したオーケストラの賛歌をスクリーンで楽しむべきだろう。

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2024年12月31日 (火)

コンサートの記(877) ユベール・スダーン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2024

2024年12月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。指揮はユベール・スダーン。

イギリスと並ぶ古楽の本場、オランダ出身のスダーン。2019年には京都市交響楽団の年末の第九を指揮しており、オランダ出身らしいピリオド援用の演奏を聴かせたが、今回も同様のアプローチが行われることが予想される。

今日は最前列ほぼ下手端での鑑賞。フェスティバルホールの最前列端側で第九を聴くのは旧フェスティバルホールを含めてこれが3回目だが(前回の指揮は尾高忠明、前々回の指揮は大植英次。大植指揮の第九は旧フェスティバルホール最終公演となったもの)、指揮者の姿が全く見えない。そのため、予め配置などを確認。指揮台は用いず、譜面台に総譜を置いての指揮。スダーンは基本的にノンタクトで振るが、見えないので確認出来ず(入退場時には指揮棒を手にしていなかった)。ドイツ式の現代配置での演奏である。バロックティンパニが用いられ、指揮者の正面よりやや下手側に置かれる。その更に下手に台が設けられ、第4楽章だけ出番のある大太鼓、シンバル、トライアングル奏者が陣取る。3人とも板付きである。

今日のコンサートマスターは須山暢大。独唱は、今井実希(ソプラノ)、富岡明子(アルト)、福井敬(テノール)、妻屋秀和(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
合唱団は最初から舞台に上がり、独唱者は第2楽章終了後に下手から入場。今日は独唱者が現れても拍手は起こらなかった。

オーケストラ奏者も第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの後ろ姿が見えるだけ。第4楽章のみ登場する打楽器の3人は全身が見えるが、その他はホルンのセカンドに入った蒲生絢子の横顔が確認出来るだけである。ただ蒲生さんは手元も見え、指の動きだけで「この人は上手い」と悟ることが可能であった。

全般的に速めのテンポを採用。特に「歓喜に寄す」の合唱はかなり速い。実演に接したことのある第九の中では上岡敏之の次に速いと思われる。弦楽器は完全にH.I.P.を採用。ビブラートを控えめにし、しばしば弓を弦から放して音を切るように演奏する。音の末尾では弓を胴体から大きく離していた。
版であるが、第4楽章末尾のピッコロの浮かび上がりは完全にベーレンライター版のそれであった。ただ第2楽章は一般的なベーレンライター版の演奏とは異なっており、ティンパニが5つの音を強、強、強、強、弱で叩く場面は全てフォルテで通し(これは京響との第九でも同様であった)、比較的長めのホルンのソロはセカンドの蒲生絢子も一緒に吹いていたため、ソロではなくなっていた。
第1楽章でもホルンが浮き上がる場面があったが、これはホルンに近い席に座っていたためそう聞こえた可能性もあり、どの版を使ったのは正確には分からなかった。
バロックティンパニを使ったことによりリズムが強調され、京響を振ったときと同様、ロックな印象を受ける。
第3楽章冒頭では弦楽がノンビブラートとなり、ガット弦に近いような鄙びた音を発していた。
最前列で音が上方から降ってくるような印象を受けたこともあって、第2楽章はやはり宇宙の鳴動のように聞こえる。

ベートーヴェンを得意レパートリーとしている大フィルらしい重厚さと軽妙さを合わせ持った演奏。ピリオド・アプローチを得意とするスダーンの指揮でベートーヴェンの他の交響曲も聴いてみたくなる。独唱者と大阪フィルハーモニー合唱団も快速テンポをしっかりと歌いこなしていた。


大フィルの楽団員がステージを後にしてから会場が溶暗となり、恒例のキャンドルサービスによる「蛍の光」の合唱が福島章恭(ふくしま・あきやす)の指揮で歌われて、去りゆく令和6年を思い返し、しみじみとした心地となった。

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コンサートの記(876) ガエタノ・デスピノーサ指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九」コンサート 2024

2024年12月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九」コンサートを聴く。指揮はガエタノ・デスピノーサ。

コロナの時期には海外渡航が制限されたということもあり、半年近くに渡って日本国内に留まって様々なオーケストラに客演したデスピノーサ。指揮者不足を補い、日本のクラシック楽壇に大いに貢献している。入国制限により来日不可となったラルフ・ワイケルトの代役として大阪フィルハーモニー交響楽団の年末の第九も指揮した
イタリア・パレルモ出身。ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタート。ザクセン州立歌劇場(ドレスデン国立歌劇場)のコンサートマスターとして活躍し、当時の音楽監督であったファビオ・ルイージの影響を受けて指揮者に転向。2012年から2017年までミラノ・ヴェルディ交響楽団首席客演指揮者を務めている。歌劇場のオーケストラ出身だけにオペラも得意としており、新国立劇場オペラパレスでの指揮も行っている。

独唱は、隠岐彩夏(ソプラノ)、藤木大地(カウンターテナー)、城宏憲(テノール)、大西宇宙(おおにし・たかおき。バリトン)。合唱は京響コーラス(合唱指導:小玉洋子、津幡泰子、小林峻)。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。ヴィオラの客演首席には湯浅江美子、チェロの客演首席には水野優也が入る。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏だが、ソリストと合唱団はステージ上に設けられたひな壇状の台の上で歌うため、ティンパニは舞台上手端に設置され、そのすぐ横にトランペットが来る。

ステージにまず京響コーラスのメンバーが登場し、次いで京響の団員が現れる。独唱者4人は第2楽章演奏終了後に下手からステージに上がった。

デスピノーサは譜面台を置かず、暗譜での指揮である。頭の中に入っているのはベーレンライター版の総譜だと思われる。


弦楽が音の末尾を切るなど、H.I.P.を援用した演奏。アポロ的な造形美が印象的である。京響の明るめの音色もプラスに働いている。
第2楽章では最後の音をかなり弱めに弾かせたのが特徴。またモダンティンパニを使用しているが、この楽章のみ先端が木製のバチを使って硬めの音で強打させていた(ティンパニ:中山航介)。
第3楽章は比較的速めのテンポを採用。ロマンティシズムよりも旋律の美しさを優先させた演奏である。

通常はアルトの歌手が歌うパートを今回はカウンターテナーの藤木大地が担うが、音楽的には特に問題はない。女声の方がやはり美しいとは思うが、たまにならこうした試みも良いだろう。定評のある藤木の歌唱だけに音楽性は高い。
端正な演奏を繰り広げるデスピノーサだが、たまに毒を忍ばせるのが印象的。美演ではあるが、綺麗事には留めない。第4楽章では裁きの天使・ケルビムの象徴であるトロンボーンを通常よりかなり強めに吹かせており、人間が試される段階に来ていることを象徴しているかのようだった。

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2024年12月25日 (水)

コンサートの記(873) 広上淳一指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団ほか 「躍動の第九」2024

2024年12月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団 広上淳一指揮「躍動の第九」を聴く。
日本の師走の風物詩となっているベートーヴェンの第九演奏会。日本のプロオーケストラのほとんどが第九演奏会を行い、複数の第九を演奏するオーケストラもある。大フィルこと大阪フィルハーモニー交響楽団もその一つで、本番ともいえる第九は、今月29日と30日に本拠地のフェスティバルホールでユベール・スダーンを指揮台に迎えて行うが、その前に、ザ・シンフォニーホールでの第九演奏会も行い、今年は広上淳一が招聘された。広上は以前には大フィルの定期演奏会や特別演奏会によく客演していたが、京都市交響楽団の常任指揮者となってからは、「オーケストラのシェフは同一地区にあるプロオーケストラの演奏会には客演しない」という暗黙の了解があるため、大フィルの指揮台に立つことはなかった。京都市交響楽団の常任指揮者を辞し、一応、「京都市交響楽団 広上淳一」という珍しい称号を得ているが(「名誉指揮者」などの称号を広上は辞退したが、京響としては何も贈らないという訳にはいかないので、折衷案としてこの称号になった)、シェフではないため、関西の他のオーケストラへの客演も再開しつつある。
広上は以前にも大フィルを指揮して第九の演奏会を行っているが、もう20年以上も前のこととなるようだ。

なお、無料パンフレットは、ABCテレビ(朝日放送)が主催する3つの第九演奏会(広上指揮大フィルほか、ケン・シェ指揮日本センチュリー交響楽団ほか、延原武春指揮テレマン室内オーケストラほか)を一つにまとめた特殊なものである。

さて、広上と大フィルの「躍動の第九」。曲目は、ベートーヴェンの序曲「献堂式」と交響曲第9番「合唱付き」。独唱は、中川郁文(なかがわ・いくみ。ソプラノ)、山下裕賀(やました・ひろか。アルト)、工藤和真(テノール)、高橋宏典(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭)。

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏。合唱団は最初から舞台後方の階段状に組まれた台の上の席に座って待機。独唱者は第2楽章演奏終了後に、大太鼓、シンバル、トライアングル奏者と共に下手から登場する。

重厚な「大フィルサウンド」が売りの大阪フィルハーモニー交響楽団であるが、広上が振るとやはり音が違う。透明感があり、抜けが良い。広上はベテランだが若々しさも加わった第九となった。

まず序曲「献堂式」であるが、立体感があり、重厚で音の密度が濃く、広上と大フィルのコンビに相応しい演奏となっていた。金管の輝きも鮮やかである。

広上の第九であるが、冒頭から深遠なる別世界からの響きのよう。ベートーヴェンの苦悩とそそり立つ壁の峻険さが想像され、悪魔的に聞こえる部分もある。
第2楽章はあたかも宇宙が鳴動する様を描いたかのような演奏だが(広上自身の解釈は異なるようである)、京響との演奏に比べると緻密さにおいては及ばないように思う。手兵と客演の違いである。それでも思い切ったティンパニの強打などは効果的だ。チェロの浮かび上がらせ方なども独特である(ベーレンライター版使用だと思われ、特別なスコアを使っている訳ではないはずである)。

第3楽章はかなり遅めのテンポでスタート。丁寧にロマンティシズムを織り上げていく。麗らかな日の花園を歩むかのようだ。

第4楽章冒頭は音が立体的であり、大フィル自慢の低弦が力強く雄弁である。独唱者や大フィル合唱団も充実した歌唱を聴かせ、フェスティバルホールで行われるであろう第九とは異なると思われる溌剌として爽やかな演奏に仕上げていた。スダーンの指揮の第九は京都市交響楽団とのものを聴いているが、古楽が盛んなオランダの指揮者だけあって、結構、ロックな出来であり、また聴くのが楽しみである。

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2023年12月31日 (日)

コンサートの記(827) ラルフ・ワイケルト指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2023

2023年12月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2023を聴く。今年の指揮者は、数年前に京都市交響楽団にも客演したラルフ・ワイケルト。実はワイケルトは、2020年に大フィルの第九を指揮する予定だったのだが、コロナ禍で来日が叶わず、翌2021年の第九にも登場する予定がやはりコロナで流れてしまい、今回三度目の正直でようやく大フィルとの第九での共演が実現した。

ワイケルトの著書の邦訳が出ており、私も京都コンサートホールで購入したのだが、最新の音楽研究の成果を積極的に取り入れる姿勢が印象的であった。
京響とのモーツァルトでもピリオドを全面的に採用しており、今回の第九でもピリオドで来るかと思われたのだが、結果としては比較的オーソドックスな演奏であった。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。独唱は、盛田麻央(ソプラノ)、中島郁子(アルト)、福井敬(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は、大阪フィルハーモニー合唱団。


中庸かやや速めのテンポを採用。第1楽章のティンパニのかなりの強打が印象的。ちなみに第1楽章で第2ヴァイオリン首席奏者の弦が切れたようで、ヴァイオリンのリレーが行われ、最後列の奏者がヴァイオリンを持って退場。第1楽章の最後でステージに戻ってきて、第2楽章が始まる前にヴァイオリンのリレーが再び行われた。

第4楽章の「歓喜の歌」の旋律の歌わせ方が優しく雅やかなのが印象的。大阪フィルハーモニー合唱団も独唱者の歌唱も充実していた。合唱の終結部もテンポを落とすことなくインテンポを守ったのも印象的であった。


第九本編終了後は、大フィル合唱団による恒例の「蛍の光」。キャンドルサービスによる歌唱が行われ、過行く2023年の思い出の断片が思い起こされた。

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2022年12月31日 (土)

コンサートの記(821) デニス・ラッセル・デイヴィス指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2022

2022年12月28日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。今年の指揮者は、デニス・ラッセル・デイヴィス。

アメリカ出身のデニス・ラッセル・デイヴィス。現代音楽の優れた解釈者として知られる一方で、ハイドンの交響曲全集を録音するなど幅広いレパートリーの持ち主である。宮本亞門が演出した東京文化会館でのモーツァルトの歌劇「魔笛」で生き生きとした演奏に接しているが、おそらくそれ以来のデニス・ラッセル・デイヴィス指揮の演奏会である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、ステージ奥の指揮者の正面に来る場所には独唱者のための席が設けられており、ティンパニは舞台下手奥に据えられている。

独唱は、安井陽子(ソプラノ)、中島郁子(メゾ・ソプラノ)、望月哲也(テノール)、山下浩司(バス・バリトン)。合唱は京響コーラスで、ポディウムに陣取り、歌えるマスクを付けて歌う。

冒頭のヴァイオリンの音に圭角があり、「現代音楽的な解釈なのかな」と思ったが、実際はそうした予想とは大きく異なる演奏に仕上がった。しなやかで潤いに満ちた音楽であり、再現部ではヴァイオリンもなだらかな音型へと変わる。第九は第2楽章が演奏によっては宇宙の鳴動のように響くことがあるが、デニス・ラッセル・デイヴィスと京響の第九は、第1楽章が宇宙をかたどった音楽のように聞こえた。こうした経験は初めてである。

第2楽章。構築の把握の巧みさと計算の上手さが印象的な演奏である。迫力を出そうと思えばいくらでも出せる部分でも、滑らかに美しく奏でる。

第3楽章のテンポは速めで開始するが、途中で速度を落としてロマンティックに歌う。「美しさ」が印象的な楽章であるが、デイヴィスと京響は、「愛」と「優しさ」が両手を拡げて抱きしめてくれるような温かな演奏である。

第4楽章も、迫力ではなく「愛」と「優しさ」を重視。人間賛歌を歌い上げるような、ぬくもりに満ちた第九となった。

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2021年12月31日 (金)

コンサートの記(755) ガエタノ・デスピノーサ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2021

2021年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。昨年の「第9シンフォニーの夕べ」では、指揮台に立つ予定だったラルフ・ワイケルトがコロナ禍で来日不可となり、音楽監督の尾高忠明が代役を務めた。今年の「第9シンフォニーの夕べ」の指揮者にもワイケルトは再び指名されたが、オミクロン株の流行などによる外国人の入国規制強化によってまたも来日不可となり、入国規制が強化される前に来日して、日本滞在を続けているガエタノ・デスピノーサが代役として指揮台に立つことになった。


1978年生まれと、指揮者としてはまだ若いガエタノ・デスピノーサ。イタリア・パレルモに生まれ、2003年から2008年まで、名門・ドレスデン国立歌劇場のコンサートマスターを務めた、同時代にドレスレデン国立歌劇場の総監督であったファビオ・ルイージの影響を受けて指揮者に転向。2013年から2017年までミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団の首席客演指揮者を務めている。

独唱は、三宅理恵(ソプラノ)、清水華澄(メゾ・ソプラノ)、福井敬(テノール)、山下浩司(やました・こうじ。バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。フォアシュピーラーにはアシスタント・コンサートマスターの肩書きで客演の蓑田真理が入る。ドイツ式の現代配置での演奏だが、通常とは異なり、昨年同様ホルンが上手奥に位置し、通常ホルンが陣取ることが多い下手奥には打楽器群が入る。独唱者4人はステージ下手端に置かれた平台の上で歌うというスタイルである。


デスピノーサはフォルムを大切にするタイプのようで、先日聴いた広上淳一指揮京都市交響楽団の第九とは大きく異なり、古典的造形美の目立つスッキリとして見通しの良い演奏が行われる。
朝比奈隆時代に築かれた豊かな低弦の響き、俗に言う「大フィルサウンド」を特徴とする大阪フィルハーモニー交響楽団であるが、デスピノーサがイタリア人指揮者ということもあって音の重心は高め。通常のピラミッド型とは異なる摩天楼型に近いバランスでの演奏が行われる。大フィルならではの演奏とはやや異なるが、こうしたスタイルによる第九も耳に心地よい。
全編を通して軽やかな印象を受け、ラストなども軽快な足取りで楽園へと進んでいく人々の姿が目に見えるようであった。

大阪フィルハーモニー合唱団は、今年も「歌えるマスク」を付けての歌唱。ザ・シンフォニーホールでの大フィル第九では、指揮台に立つ予定だった井上道義が「歌えるマスク」での歌唱に反発して降板したが(井上さんはコロナでの音楽活動縮小やマスクを付けての歌唱に元々反対だった上に、「歌えるマスク」がKKKことクー・クラックス・クランに見えるということで、降板している。KKKは、白人至上主義暴力肯定団体で、映画「国民の創生」や、シャーロック・ホームズ・シリーズの「5つのオレンジの種」などに描かれている。現在も活動中であり、先日、公園で集会を開いて周囲の住民と揉み合いになった)、マスクを付けていても歌唱は充実。フェスティバルホールの響きも相俟って堂々たる歌声を響かせていた。

演奏終了後に照明が絞られ、福島章恭指揮によるキャンドルサービスでの「蛍の光」が歌われる。再三に渡るリモートワークを強いられるなど、去年以上に大変であった今年の様々な光景が脳裏をよぎった。

日本語詞の「蛍の光」は別れを歌ったものであり、寂しいが、第九同様に明日へと進む人々の幸せを願う内容であり、目の前に迫った来年への活力となるようにも感じられた。

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2021年12月30日 (木)

コンサートの記(754) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2021

2021年12月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がメインの曲目だが、その前に同じくベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番が演奏される。

今日のコンサートマスターは京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式現代配置での演奏で、管楽器の首席奏者はほぼ揃っている。

第九の独唱は、砂川涼子(ソプラノ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は京響コーラス。


序曲「レオノーレ」第3番。ベートーヴェンが書いた序曲の中では最も演奏される回数の多い楽曲だと思われるが、暗闇の中を手探りで進むような冒頭から、ティンパニが強打されて活気づく中間部、熱狂的なフィナーレなど、第九に通じるところのある構成を持っている。
広上と京響は生命力豊かで密度の濃い演奏を行う。トランペット首席のハラルド・ナエスがバンダ(一人でもバンダというのか不明だが)として、二階席裏のサイド通路とポディウムでの独奏を行った。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
第1楽章と第2楽章は、クッキリした輪郭が印象的なノリの良い演奏で、ピリオドを意識したテンポ設定とビブラートを抑えた弦楽の響きが特徴。時折きしみのようなものもあり、整ったフォルムの裏に荒ぶる魂が宿っているかのようで、バロックタイプでこそないが硬い音を出すティンパニが強打される。

第3楽章は、第1楽章と第2楽章とは対照的に遅めのテンポでスタート。途中からテンポが変わるが、旋律の美しさをじっくりと歌い上げており、第九が持つ多様性と多面性を浮かび上がらせる。最近では全ての楽章が速めのテンポで演奏されることが多い第九だが、こうした対比やメリハリを付けた演奏も魅力的である。

第4楽章は再びエッジの効いた演奏。京響コーラスはマスクを付け、一部の例外を除いて前後左右1席空けての歌唱で、やはり声量も合唱としても密度もコロナ前に比べると劣るが、かなり健闘しているように思えた。

広上は跳んだりはねたり、指揮棒を上げたり下げたりを繰り返すなど、いつもながらのユニークな指揮姿。また全編に渡ってティンパニを強打させるのが特徴である。
第九におけるティンパニは、ベートーヴェン自身のメタファーだという説を広上も語ったことがあるが、打楽器首席奏者の中山航介が豪快にして精密なティンパニの強打を繰り出し、ベートーヴェンの化身としてコロナと闘う全人類を鼓舞しているように聞こえた。

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2021年1月 2日 (土)

Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー ベートーヴェン交響曲全曲演奏2020

録画してまだ見ていなかったEテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第一夜を見る。ベートーヴェンの交響曲を日本全国のオーケストラが1曲ずつ演奏していくという企画で、通常の演奏会ではなく、この企画のために特別に収録されたものが演奏される。

交響曲第1番は、広上淳一指揮京都市交響楽団が京都コンサートホールで行ったものが、第2番は飯守泰次郎指揮仙台フィルハーモニー管弦楽団が名取市文化会館で行ったものが放送される。

共にリハーサルの様子が収められており、広上はピアニカ(鍵盤ハーモニカ)吹きながら音楽を示し、飯守はオーケストラ奏者からの質問に真摯に答えている様子を見ることが出来る。

 

広上淳一指揮京都市交響楽団は、交響曲第1番の前に、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番より第3楽章の弦楽オーケストラ編曲版も演奏する。

交響曲第1番は、バロックティンパニを用い、ピリオドを意識した演奏になっている。ただ弦楽のビブラートは要所要所での使い分けとなっており、ベートーヴェンの生きていた時代の演奏の再現を目指しているわけではない。
ヴァイオリンやフルートといった高音の楽器を浮かび上がらせており、それがフレッシュな印象を生んでいる。京響の持つ力強さを生かし、広上らしい流れの良さとエネルギー放出力が印象的な演奏を築き上げた。

ちなみに、広上のベートーヴェン解釈は独特で、元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、広上淳一に指揮を師事し、現在では指揮者として活躍する茂木大輔の著書『交響録 N響で出会った名指揮者たち』(音楽之友社)に、茂木がベートーヴェンの交響曲第1番フィナーレ(第4楽章)序奏部の解釈を広上に聞いた時のことが描かれているのだが、
広上(話し手の名前表示は引用者による)「あ、あれはね、花園があって。まず」
茂木(同上)「は、はい、花園……(メモ)」
広上「そこにね」
茂木「はい、そこに?」
広上「桜田淳子ちゃんが(引用者注:広上は桜田淳子の大ファンである)」
茂木「じゅ、淳子ちゃん……(メモ……)」
広上「遠くに、楽しそうに立っているのを、目指して、だんだん近寄って行くわけね。するとその花園がね……(どんどん続く)」
というものだそうである。

 

交響曲第2番を演奏する仙台フィルハーモニー管弦楽団。東北にある二つあるプロオーケストラの一つである。山形交響楽団の方が先に出来たが、仙台フィルの前身である宮城フィルハーモニー管弦楽団が生まれる際に、山形交響楽団から移籍した人も結構いた。仙台市と山形市は隣接する都市となっており関係は密である
山形交響楽団は飯森範親をシェフに迎え、関西フィルハーモニー管弦楽団の理事長であった西濱秀樹が移籍してからは、大阪でも毎年「さくらんぼコンサート」を行うようになったが、仙台フィルは関西での公演に関して積極的ではない。山形交響楽団がクラシック音楽対応のコンサートホール二つを本拠地としているのに対し、仙台にはまだクラシック音楽用のホールは存在しない。
ただ、録音や配信で聴く仙台フィルハーモニー管弦楽団はかなりハイレベルのオーケストラであり、かつて東京に次ぐ第二都市とまで言われた仙台の文化水準の高さを示している。

飯守も広上も関西に拠点を持っているが、タイプは正反対で、流れを重視する広上に対し、飯守は堅固な構築力を武器とする。
飯守は日本におけるワーグナー演奏の泰斗であり、ワーグナーに心酔していたブルックナーの演奏に関しても日本屈指の実力を持つ。

仙台フィルの音色の瑞々しい音色と、飯守の渋めの歌が独特の味となったベートーヴェン演奏である。

 

ベートーヴェン愛好家の多い日本に生まれるというのは、実に幸運なことである。生誕250周年記念の演奏会の多くが新型コロナによって中止となってしまっても、こうして放送のための演奏を味わうことが出来るのだから。第九の演奏を毎年のように生で聴けるということを考えれば、ドイツやオーストリアといった本場を上回る環境にあるのかも知れない。

 

 

録画してまだ見ていなかった、Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第二夜と第三夜を続けてみる。

ベートーヴェンの交響曲を日本各地のプロオーケストラが1曲ずつ演奏し、収録を行うという企画。
交響曲第3番「英雄」は高関健指揮群馬交響楽団、交響曲第4番は小泉和裕指揮九州交響楽団、第5番は阪哲朗指揮山形交響楽団、第6番「田園」は尾高忠明指揮大阪フィルハーモニーが演奏を行う。基本的に本拠地での収録であるが、大阪フィルはフェスティバルホールでもザ・シンフォニーホールでもなく、NHK大阪ホールでの無観客収録が行われた。

 

建築としては第一級だが音響の評判は悪かった群馬音楽センターから高崎芸術劇場へと本拠地を移した群馬交響楽団。談合問題によるゴタゴタもあったようだが、クラシック音楽対応の大劇場や室内楽用の音楽ホール、演劇用のスタジオシアターなどを備え、評判も上々のようである。

日本の地方オーケストラとしては最古の歴史を誇る群馬交響楽団。学校を回る移動コンサートが名物となっており、小学生以来のファンが多いのも特徴である。コロナによって活動を停止せざるを得なかった時期にも、ファンからの激励のメッセージが数多く届いたそうだ。

Twitterで「高崎で高関が振るベートーヴェン」と駄洒落を書いたが、高関健は、1993年から2008年までの長きに渡って群馬交響楽団の音楽監督を務め、退任後は同交響楽団の名誉指揮者の称号を得ている。

古典配置での演奏。高関はノンタクトでの指揮。速めのテンポで颯爽と進むベートーヴェンであり、第1ヴァイオリンに指示するために左手を多用するのも特徴である。

「英雄」の演奏終了後には、プロメテウス繋がりで、「プロメテウスの創造物」からの音楽が演奏された。

 

交響曲第4番を演奏する小泉和裕指揮の九州交響楽団。アクロス福岡 福岡シンフォニーホールでの収録である。

九州も比較的音楽の盛んな場所だが、プロオーケストラは福岡市に本拠地を置く九州交響楽団のみである。人口や都市規模でいえば熊本市や鹿児島市にあってもおかしくないのだが、運営が難しいのかも知れない。

小泉和裕は徒にスケールを拡げず、内容の濃さで勝負するタイプだが、この交響曲第4番は渋めではあるが情報量の多い演奏となっており、なかなかの好演である。

演奏終了後に、序曲「レオノーレ」第3番の演奏がある。ドラマティックな仕上がりで盛り上げも上手く、交響曲第4番よりも序曲「レオノーレ」第3番の演奏の方が上かも知れない。

 

交響曲第5番を演奏するのは、阪哲朗指揮の山形交響楽団。長く一地方オーケストラの地位から脱することが出来なかったが、飯森範親を音楽監督に迎えてから攻めの戦略により、一躍日本で最も意欲的な活動を行うオーケストラとしてブランド化に成功した。キャッチフレーズは、「食と温泉の国のオーケストラ」。山形テルサ・テルサホールという音響は良いがキャパ800の中規模ホールを本拠地とするのが弱点だったが、今年、オペラやバレエ対応のやまぎん県民ホールがオープン。更なる飛躍が期待されている。
今回はそのやまぎん県民ホールでの演奏。
山形交響楽団はピリオドアプローチや、弦楽器をガット弦に張り替えての古楽器オーケストラとしての演奏に早くから取り組んでおり、今回の演奏でもトランペットやホルンはナチュラルタイプのものが用いられている。

阪哲朗はノンタクトで振ることも多いのだが、今回は指揮棒を使用。
冒頭の運命動機を強調せず、フェルマータも比較的短め。流れ重視の演奏である。速めのテンポで駆け抜ける若々しくも理知的な演奏であり、中編成の山形交響楽団とのスタイルにも合っている。

演奏終了後には、「トルコ行進曲」が演奏された。


尾高忠明と大阪フィルハーモニー交響楽団は、一昨年にフェスティバルホールでベートーヴェン交響曲チクルスを行っているが、「田園」だけが平凡な出来であった。「田園」はベートーヴェンの交響曲の中でも異色作であり、生演奏で名演に接することも少ない。

まず「プロメテウスの創造物」序曲でスタート。生き生きとした躍動感溢れる演奏である。

「田園」も瑞々しい音色と清々しい歌に満ちた満足のいく演奏になっていた。

 

 

録画しておいた、Eテレ「クラシック音楽」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第四夜を視聴。川瀬賢太郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番、秋山和慶指揮札幌交響楽団による交響曲第8番、下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」の演奏が放送される。

今年36歳の若手、川瀬賢太郎。広上淳一の弟子である。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者は契約を更新しないことを表明しているが、名古屋フィルハーモニー交響楽団の正指揮者としても活躍している。
神奈川フィル退任の時期や広上で弟子であることから、あるいは京都市交響楽団の次期常任指揮者就任があるのかも知れないが、今のところ広上の後任は発表になっていない。

「のだめカンタービレ」で有名になった交響曲第7番だが、曲調から若手指揮者が振ることが多く、佐渡裕のプロデビューも新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した第7をメインとしたコンサートだった。川瀬もやはり第7を振る機会は多く、今までで一番指揮したベートーヴェンの交響曲だそうである。
リハーサルでも単調になることを嫌う様子が見て取れたが、しなやかにして爽快な第7を演奏する。

愛知県芸術劇場コンサートホールで何度か実演に接したことのある名古屋フィルハーモニー交響楽団。意欲的なプログラミングでも知られており、今年もベートーヴェン生誕250年特別演奏会シリーズが予定されていたようだが、そちらは残念ながら流れてしまったようである。

第7の後に、「英雄」の第3楽章が演奏された。

 

第8番を演奏する秋山和慶指揮札幌交響楽団。日本屈指の音響との評判を誇る札幌コンサートホールKitaraでの演奏である。
秋山はレパートリーが広く、何を振っても一定の水準に達する器用な指揮者であり、外国人指揮者が新型コロナウイルス流行による入国制限で来日出来ないというケースが相次いだ今年は、各地のオーケストラから引っ張りだことなった。
岩城宏之が、「日本のクリーヴランド管弦楽団にする」と宣言して育てた札幌交響楽団。尾高忠明の時代に「シベリウス交響曲全集」や「ベートーヴェン交響曲全集」を作成し、好評を得ている。
秋山の適切な棒に導かれ、透明感のある音色を生かした活気ある演奏を示した。

 

下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」。序曲が有名な「エグモント」だが、劇音楽全曲が演奏されることは珍しい。

NHKの顔となる大河ドラマのオープニングテーマを何度も指揮している下野竜也。NHKとN響からの評価が高く、来年もN響の地方公演を振る予定がある。
下野は広島交響楽団に音楽総監督という肩書きで迎えられており、期待の大きさがわかる。
語りをバリトン歌手である宮本益光(歌手の他に語りなどをこなす器用な人であり、寺山修司ばりに、職業・宮本益光を名乗っている)が務め、ソプラノは石橋栄実(いしばし・えみ)が担当する。
下野らしいドラマティックな演奏であり、広島交響楽団の実力の高さも窺える。
人口で仙台市とほぼ同規模である広島市。両都市とも地方の中心都市でありながら音楽専用ホールがないという共通点があったが、広島は、旧広島市民球場跡地隣接地に音楽専用ホールを建設する予定がある。

 

 

午後8時から、オーケストラでつなぐ希望のシンフォニーのダイジェストを含む今年のクラシックシーン(例年に比べると寂しいものである)を振り返った後で、12月23日に東京・渋谷のNHKホールで収録されたNHK交響楽団の第九演奏会の模様が放送される。指揮は、スペイン出身のパブロ・エラス・カサド。フライブルク・バロック・オーケストラを第九と合唱幻想曲で本年度のレコード・アカデミー大賞を受賞した指揮者である。ノンタクトで汗をほとばしらせながらの熱演。

新型コロナ流行下での第九演奏であるため、合唱を務める新国立劇場合唱団は人数を抑え、前後左右に距離を空けての配置。歌唱時以外はマスクを付けていた。

HIPを援用した快速テンポによる演奏であるが、音が磨き抜かれており、N響の技術も高く、耽美的な演奏となる。
N響も本当に上手く、真のヴィルトゥオーゾオーケストラといった感じである。90年代にN響の学生定期会員をしていた時にも、「不器用だが上手い」という印象を受けていたが、今、90年代に収録された映像やCD化された音源を聴くと、「あれ? N響ってこんなに下手だったっけ?」と面食らうこともある。それほど長足の進歩を遂げたという証でもある。
カサドがスペイン出身ということも影響していると思われるが、音の重心が高めであり、フルートやヴァイオリン、ピッコロといった高音を出す楽器の音が冴えているのも特徴である。全体的に明るめの第九であり、アバド、シャイー、ムーティといったイタリア人指揮者の振った第九との共通点も見出すことが出来る。
第3楽章もかなり速めのテンポを取りながら溢れるような甘さを湛えているのが特徴である。
合唱も例年に比べると編成がかなり小さいが、収録されたものということで音のバランスは調整されており、迫力面でも不満はない。ライブではどんな感じだったのであろうか。

見通しの良い第九であり、甘美なのもこうした年の最後を締めくくる第九としては良かったように思う。

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2020年12月31日 (木)

コンサートの記(677) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか 「第9シンフォニーの夕べ」2020

2020年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の「第9シンフォニーの夕べ」に接する。

本来は今年の大阪フィルの第九は、ラルフ・ワイケルトが指揮する予定だったが、新型コロナウイルスの流行による外国人入国規制により来日不可となり、音楽監督の尾高忠明が代わって指揮台に立つことになった。
ワイケルトが京都市交響楽団の定期演奏会に客演した時に、大阪フィルの事務局次長(事務方トップ)の福山修氏がいらしていて、私も挨拶したのだが、その後に大阪フィルの定期演奏会のプレトーク(フェスティバルホールのホワイエで福山さんが行っている)で、やはり京響の定期で福山さんを見かけた方から、「なんで京響の定期にいらしてたんですか?」と質問があり、福山さんは「実はワイケルトさんを大フィルにお呼びしたいと思っておりまして」と明かしていた。それが今回の第九への客演依頼だったのだが、残念ながら今回は流れてしまった。

コロナ禍にあって、第九の演奏会が中止になるところも少なくなかったが、大フィルはなんとか6月以降は定期演奏会も含めて本拠地のフェスティバルホールでの演奏会はほぼ行うことが出来た。ただ、それ以外のコンサートは中止になったものも多く、クラウドファンディングが始まっている。年末の第九も本来は2回公演になるはずだったが、今日1回きりに減っている。

 

今日のコンサートマスターは、須山暢大。第1ヴァイオリン16という大編成での演奏である。ドイツ式の現代配置をベースにしているが、コロナ対策のため、通常とは布陣が異なる。
オーケストラと背後の合唱のためのひな壇の間には、平台と同じ大きさと思われる透明のボードが横に18枚、ずらりと並んでいる。ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄り、第3楽章以降にステージに登場する打楽器奏者がその更に下手に並ぶ。下手にいることが多いホルンは上手側奥、チェロの背後に配置される。ステージ下手端に平台が斜めに並べられており、そこが独唱者が歌うスペースになる。独唱者は、髙橋絵理(ソプラノ)、富岡明子(アルト)、福井敬(テノール)、青山貴(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
ソリストと合唱、シンバルやトライアングルなどの打楽器奏者は第2楽章が終わってからの登場。合唱団員は各々前後左右にスペースを取り、口の前に布を垂らしている。おそらくあれが東京混声合唱団が開発した「歌えるマスク」なのだろう。

2700席のフェスティバルホールに、今日は約2300人が来場の予定だそうで、コロナ下にあってはまずまずの入りである。1階席の前の方の席は飛沫を考慮して発売されていない。

 

中庸かやや速めのテンポでスタート。弦楽器はかなりビブラートを抑えての演奏であり、冒頭などは音型がクッキリしているため、第2ヴァイオリンの音などはかなり不吉に響く。ティンパニはバロックタイプのものではないが、時折、硬い音を出し、ピリオドの響きを意識しているようである。
尾高さんもこのところはフォルム重視というより内容を抉り出すような音楽を好むようになってきているように思われるが、今回も音を磨くよりもベートーヴェンの先鋭性を的確に浮かび上がらせるような演奏を行う。以前だったら第3楽章などはテンポを落としてじっくり歌ったと思うが、今日はスッキリした運びで、音の動きの特異性などを明らかにしていたように思う。同じくNHK交響楽団正指揮者で、同じように関西にポジションを持つ外山雄三も最近はそうしたスタイルに変えているようで、ベテランであっても最新の研究成果を取り入れることに熱心であるようだ。スッキリしているといっても旋律美自体は大事にしており、ベートーヴェンを一面だけから語るということは避けている。

第4楽章も巧みな音運びで、独唱者も充実。尾高さんには珍しくアゴーギクなども行う。ソーシャルディスタンス配置による合唱であるが、例年よりは歌声に隙間が生じた感じになってしまうのは致し方ないところである。周りの声が聞こえにくい配置とマスクというハンデを考えればかなり充実した歌唱であり、世界で唯一、年末が第九一色に染まる国、日本の合唱団のレベルの高さを示していた。

今年は世界史上に永久に残るほどの「大変な年」であり、来年が今年よりも良くなるという保障もどこにもない。人類は大きな危機に直面しているといえる。ただそんな年であっても日本では第九が演奏され、「歓喜の歌」が歌われる。
人類は未だ楽園には到達していないが、そこに到る歩みを止めてはいない。ベートーヴェンとシラーの吶喊を受けて、来年と、楽園へ辿り着くいつかに思いをはせながら、「歓喜の歌」に身を浸した。ラストの未来へと続く行進に私も加わっている思いだった。

 

今年も第九の後に、福島章恭(ふくしま・あきやす)指揮大阪フィルハーモニー合唱団によるキャンドルサービスの「蛍の光」が歌われ、「大変な年」にひとまずの句点が打たれたことを感じる。生きているだけで幸運という年になったが、2021年が今年よりは良い年になることを願わずにはいられない。


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