カテゴリー「音楽劇」の50件の記事

2025年2月 7日 (金)

コンサートの記(885) びわ湖ホール オペラへの招待 クルト・ヴァイル作曲「三文オペラ」2025

2025年1月26日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 クルト・ヴァイル作曲「三文オペラ」を観る。ジョン・ゲイの戯曲「ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)」をベルトルト・ブレヒトがリライトした作品で、ブレヒトの代表作となっている。ブレヒトは東ベルリンを拠点に活動した人だが、「三文オペラ」の舞台は原作通り、ロンドンのソーホーとなっている。

セリフの多い「三文オペラ」が純粋なオペラに含まれるのかどうかは疑問だが(ジャンル的には音楽劇に一番近いような気がする)、「マック・ザ・ナイフ」などのスタンダードナンバーがあり、クラシックの音楽家達が上演するということで、オペラと見ても良いのだろう。
ちなみに有名俳優が多数出演するミュージカル版は、白井晃演出のもの(兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)と宮本亞門演出のもの(今はなき大阪厚生年金会館芸術ホール)の2つを観ている。

実は私が初めて買ったオペラのCDが「三文オペラ」である。高校生の時だった。ジョン・マウチュリ(当時の表記は、ジョン・モーセリ)の指揮、RIASベルリン・シンフォニエッタの演奏、ウテ・レンパーほかの歌唱。当時かなり話題になっており、CD1枚きりで、オペラのCDとしては安いので購入したのだが、高校生が理解出来る内容ではなかった。

 

栗山晶良が生前に手掛けたオペラ演出を復元するプロジェクトの中の1本。演出:栗山晶良、再演演出:奥野浩子となっている。

振付は、小井戸秀宅。

 

園田隆一郎指揮ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の演奏。今日は前から2列目での鑑賞だったので、オーケストラの音が生々しく聞こえる。オルガン(シンセサイザーを使用)やバンドネオンなど様々な楽器を使用した独特の響き。

出演はWキャストで、今日は、市川敏雅(メッキー・メッサー)、西田昂平(にしだ・こうへい。ピーチャム)、山内由香(やまうち・ゆか。ピーチャム夫人)、高田瑞希(たかだ・みずき。ポリー)、有ヶ谷友輝(ありがや・ともき。ブラウン)、小林由佳(ルーシー)、岩石智華子(ジェニー)、林隆史(はやし・たかし。大道歌手/キンボール牧師)、有本康人(フィルチ)、島影聖人(しまかげ・きよひと)、五島真澄(男性)、谷口耕平、奥本凱哉(おくもと・ときや)、古屋彰久、藤村江李子、白根亜紀、栗原未知、溝越美詩(みぞこし・みう)、上木愛李(うえき・あいり)。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーが基本である。
オーケストラピットの下手端に橋状になった部分があり、ここを渡って客席通路に出入り出来るようになっている。有効に利用された。

ロンドンの乞食ビジネスを束ねているピーチャム(今回は左利き。演じる西田昂平が左利きなのだと思われる)。いわゆる悪徳業者であるが、悪党の親玉であるメッキー・メッサーが自身の娘であるポリーと結婚しようとしていることを知る。メッキー・メッサーは、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の警視総監ブラウンと懇意であり、そのために逮捕されないのだが、ピーチャムは娘を取り戻すためにブラウンにメッサーとの関係を知っていることを明かして脅す。
追われる身となったメッセーは、部下達に別れを告げ、ロンドンから出ることにするが、娼館に立ち寄った際に逮捕されてしまう。牢獄の横でメッサーに面会に来たポリーとブラウンの娘ルーシーは口論に。その後、上手く逃げおおせたメッサーであるが、再び逮捕されて投獄。遂には絞首刑になることが決まるのだが……。

クルト・ヴァイル(ワイル)は、いかにも20世紀初頭を思わせるようなジャンルごちゃ混ぜ風の音楽を書く人だが、「マック・ザ・ナイフ(殺しのナイフ)」はジャズのスタンダードナンバーにもなっていて有名である。今回の上演でもエピローグ部分も含めて計4度歌われる。エピローグ的な歌唱では、びわ湖ホールを宣伝する歌詞も特別に含まれていた。
また「海賊ジェニーの歌」も比較的有名である。

ブレヒトというと、「異化効果」といって、観客が登場人物に共感や没入をするのではなく、突き放して見るよう仕向ける作劇法を取っていることで知られるが、今回は特別に「異化効果」を狙ったものはない。ただ、オペラ歌手による日本語上演であるため、セリフが強く、一音一音はっきり発音するため、感情を込めにくい話し方となっており、そこがプロの俳優とは異なっていて、「異化効果」に繋がっていると見ることも出来る。
白井晃がミュージカル版「三文オペラ」を演出した際には、ポリー役に篠原ともえを起用。篠原ともえは今はいい女風だが、当時はまだ不思議ちゃんのイメージがあった頃、ということでヒロインっぽさゼロでそこが異化効果となっていた。今日、ポリーを演じたのは歌劇「竹取物語」で主役のかぐや姫を1公演だけ歌った高田瑞希。彼女はセリフも歌も身のこなしも自然で、いかにもオペラのヒロインといった感じであった。6年前に初めて見た時は、京都市立芸術大学声楽科に通うまだ二十歳の学生で、幼い感じも残っていたが、立派に成長している。

園田隆一郎指揮するザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団も、ヴァイルのキッチュな音楽を消化して表現しており、面白い演奏となっていた。

「セツアン(四川)の善人」などでもそうだが、ブレヒトは、ギリシャ悲劇の「機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」を再現しており、それまでのストーリーをぶち破るように強引にハッピーエンドに持って行く。これも一種の異化効果である。

 

「三文オペラ」は、オペラ対訳プロジェクトの一作に選ばれており、クルト・ヴァイルの奥さんであったロッテ・レーニャなどの歌唱による音源を日本語字幕付きで観ることが出来る。

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2025年1月27日 (月)

コンサートの記(882) 上白石萌音 MONE KAMISHIRAISHI “yattokosa” Tour 2024-25《kibi》京都公演@ロームシアター京都メインホール

2025年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、上白石萌音 “yattokosa” Tour 2024-25 《kibi》京都公演を聴く。若手屈指の人気女優として、また歌手としても活動している上白石萌音のコンサート。最新アルバム「kibi」のお披露目ツアーでもある。京都公演のチケットは完売。「kibi」はアルバムの出来としては今ひとつのように思えたのだが、実際に生声と生音で聴くと良い音楽に聞こえるのだから不思議である。

上白石萌音の歌声は、小林多喜二を主人公とした井上ひさし作の舞台作品「組曲虐殺」(於・兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール。小林多喜二を演じたのは井上芳雄)で耳にしており、心にダイレクトに染み渡るような美声に感心した思い出がある。ただ女優ではなく純粋な歌手としての上白石萌音の公演に接するのは今日が初めてである。
昨年の春に、一般受験で入った明治大学国際日本学部(中野キャンパス)を8年掛けて卒業した上白石萌音。英語が大の得意である。また、幼少時にメキシコで過ごしたこともあるため、スペイン語も話せるというトリリンガルである。フランス語の楽曲もサティの「ジュ・トゥ・ヴー」を歌って披露したことがある。
同じく女優で歌手の上白石萌歌は2つ下の実妹。萌歌は先に明治学院大学文学部芸術学科を卒業している。姉妹で名前が似ていてややこしいのに、出身大学の名称も似ていて余計にややこしいことになっている。

現在、「朝ドラ史上屈指の名作」との呼び声も高いNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバティ」がNHK総合で再放送中。ヒロインが3人いてリレー形式になる異色の朝ドラであったが、上白石萌音は一番目のヒロインを務めている(オーディションでの合格)。また新たな法曹関連の連続主演ドラマの放送が始まっている。

上白石萌音の声による影アナがあったが、録音なのかその場で言っているのかは判別出来ず。ただ、「もうちょっとで開演するから、待っててな」を京言葉の口調で語っており、毎回、ご当地の方言をアナウンスに入れていることが分かる。

客層であるが、年齢層は高めである。私よりも年上の人が多く、娘や孫を見守る感覚なのかも知れない。また、「『虎に翼』は面白かった!」という話も聞こえてきて、朝ドラのファンも多そうである。若い人もそれなりに多いが、女の子の割合が高い。やはり女優さんということで憧れている子が多いのだろう。なお、会場でペンライトが売られており、演出としても使われる。黄色のものと青のものがあり、ウクライナの国旗と一緒だが、関係があるのかどうかは分からない。

紗幕(カーテン)が降りたままコンサートスタート。カーテンが開くと上白石萌音が椅子に座って歌っている。ちなみにコンサートは上白石萌音が椅子に腰掛けたところでカーテンが閉まって終わったので、シンメトリーの構図になっていた。

白の上着と青系のロングスカート。スカートの下にはズボンをはいていたようで、途中の衣装替えではスカートを取っただけですぐに出てきた。

「『kibi』という素敵な曲ばかりのアルバムが出来たので、全部歌っちゃいます」と予告。「kibi」では上白石萌音も作詞で参加しているが、優等生キャラであるため、良い歌詞かというとちょっと微妙ではある。

浮遊感のある歌声で、音程はかなり正確(おそらく一音も外していない)。聴き心地はとても良い。
思っていたよりも歌手しているという感じで、クルクル激しく回ったりと、ステージでの振る舞いが様になっている。
原田知世や松たか子といった歌手もやる女優はトークも面白く、トーク込みで一つの商品という印象を受けることが多いが、上白石萌音も例外ではなく、楽しいトークを展開していた。

「今日は4階(席)まであるんですね」と上白石。4階席に向かって手を振る。更に、上手バルコニー席(サイド席)に向けて、「あちらの方は見えますか? 首が痛くありません?」、そして下手バルコニー席には、「そして、こちらにも。首がずっと(横を向いていて)。途中で(上手バルコニー席と)交換出来たら良いんですけど」「私も演劇で、ああいう席(バルコニー席)に座ったことがあって、終わったら首がこんな感じで」と首が攣った状態を模していた。ちなみに私は3階の下手バルコニー席にいた。彼女にはオフィシャルファンクラブ(le mone do=レモネードというらしい)があるので、1階席などは会員優先だと思われる。

上白石萌音も上白石萌歌も、「音」や「歌」といった音楽系の漢字が入っているが、母親が音楽の教師であったため、「音楽好きになるように」との願いを込めて命名されている。当然ながら幼時から音楽には触れていて、今日はキーボードの弾き語りも披露していた。

「京都には本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当にお世話になっていて」と語る上白石萌音。彼女の出世作である周防正行監督の映画「舞妓はレディ」も京都の上七軒をもじった下八軒という架空の花街を舞台としており、「カムカムエヴリバティ」も戦前から戦後直後に掛けての岡山の町並みのシーンなどは太秦の東映京都撮影所で撮られていて、京都に縁のある女優でもある(ただ大抵の売れっ子女優は京都と縁がある)。「舞妓はレディ」の時には、撮影の前に、上七軒の置屋に泊まり込み、舞妓さんの稽古を見学し、日々の過ごし方を観察し、ご飯も舞妓さん達と一緒に食べるなど生活を共にして役作りに励んだそうだ。ただ、置屋の「女将さん? お母さん?」からは、帯を締めて貰うときにかなりの力で引っ張られたそうである。着付けは色んな人にやって貰ったことがあるが、そのお母さんが一番力強かったそうだ。そのため転んでしまいそうになったそうだが、お母さんからは、「『こんなんでよろけてたら、稽古なんか出来しません』だったか、正確な言葉は忘れてしまったんですけれども」と振り返っていた。「『舞妓はレディ』を撮っていた頃の自分は好き」だそうである。

「京都には何度もお世話になっているんですけれども、京都でライブをやるのは初めてです」と語るが、「あ、一人でやるのは初めてです。何人かと」と続けるも、聴衆が拍手のタイミングを失ったため、少し前に出て、「京都でライブをやるのは初めてです!」と再度語って拍手を貰っていた。
毎回、ご当地ソングを歌うようにしているそうで、今日は、くるりの「京都の大学生」が選ばれたのだが、「京都なので、この歌もうたっちゃった方がいいですよね」と、特別に「舞妓はレディ」のサビの部分をアカペラで歌ってくれたりもした。「『花となりましょう~おおお』の『おおお』の部分が当時は歌えなかったんですけども」と装飾音の話をし、「でも努力して、今は出来るようになりました」と語った。
また、京都については、「時間がゆっくり流れている場所」「初心に帰れる場所」と話しており、「京都弁は大好きです」と言って、京風の言い回しも何度かしていた。仕事関係の知り合いに京都弁を喋る女性がいて、「いいなあ」と思っているそうだ。京都の言葉では汚い単語を使ってもそうは聞こえないそうである。

京都の冬は寒いことで知られるが、「雪は降ったんですかね?」と客席に聞く。若い男性の声で「まだ降ってないよ」と返ってくるが、続いて、若い女性複数の声が「降ったよ、降ったよ」と続き、上白石萌音は、「どっちやねん?!」と関西弁で突っ込んでいた。「さては、最初の方は京都の人ではないですね」
「降ったり降らなかったり」でまとめていたが、京都はちょっと離れると天気も変わるため、京都市の北の方は確実に降っており、南の方はあるいは降っていないと思われる。

「ロンドン・コーナー」。舞台「千と千尋の神隠し」の公演のため、3ヶ月ロンドンに滞在した上白石萌音。「数々の名作を生んだ、文化の土壌のしっかりしたところ」で過ごした日々は思い出深いものだったようだ。ウエストエンドという劇場が密集した場所で「千と千尋の神隠し」の公演は行われたのだが、昼間に他の劇場でミュージカルを観てスタンディングオベーションをした後に走って自分が出演する劇場に向かい、夜は「千と千尋の神隠し」の舞台に出ることが可能だったそうで、滞在中にミュージカルを十数本観て、いい刺激になったそうだ。英語は得意なので言葉の問題もない。
ということで、ロンドンゆかりの楽曲を3曲歌う。全て英語詞だが、上白石本人が日本語に訳したものがカーテンに白抜き文字で投影される。「見えない方もいらっしゃるかも知れませんが、後で対処します」と語っていたため、後日ホームページ等にアップされるのかも知れない。
ビートルズの「Yesterday」、ミュージカル「メリー・ポピンズ」から“A Spoonful of sugar(お砂糖一さじで)” 、ミュージカル「レ・ミゼラブル」から“夢やぶれて”の3曲が歌われる。実はビートルズナンバーの歌詞を翻訳することは「あれ」なのだが、観客数も限られていることだし、特に怒られたりはしないだろう。
“夢やぶれて”は特に迫力と心理描写に優れていて良かった。

参加ミュージシャンへの質問も兼ねたメンバー紹介。これまでは上白石萌音が質問を考えていたのだが、ネタ切れということでお客さんに質問を貰う。質問は、「これまで行った中で一番素敵だと思った場所」。無難に「京都」と答える人もいれば、「伊勢神宮」と具体的な場所を挙げる人もいる。「行ったことないんですけど寂光院」と言ったときには、「常寂光院ですか? 私行ったことあります」と上白石は述べていたが、寂光院と常寂光院は名前は似ているが別の寺院である。「萌音さんといればどこでも」と言ったメンバーの首根っこを上白石は後ろから押したりする。「思いつかない」人には、「実家の子ども部屋です」と強引に言わせていた。上白石は、「京都もいいんですけど、スペイン」と答えた。

ペンライトを使った演出。舞台上にテーブルライトがあり、上白石萌音がそれを照らすとペンライトの灯りを付け、消すとスイッチを切るという「算段です」。「算段」というのは一般的には文語(書き言葉)で使われる言葉で、口語的ではないのだが、読書家の人は往々にして無意識に書き言葉で喋ることがある。私の知り合いにも何人かいる。上白石萌音は読書家といわれているが、実際にそのようである。
「付けたり消したり上手にしはるわあ」

「スピカ」という曲で本編を終えた上白石萌音。タイトルの似た「スピン」という曲も歌われたのだが、「スピン」は今回のセットリストの中で唯一の三拍子の歌であった。

アンコールは2曲。「まぶしい」「夜明けをくちずさめたら」であった。

「この中には、今、苦しんでらっしゃる方もいるかも知れません。また生きていればどうしても辛いこともあります」といったようなことを述べ、「でも一緒に生きていきまひょ」と京言葉でメッセージを送っていた。

サインボールのようなものを投げるファンサービスを行った後で、バンドメンバーが下がってからも上白石萌音は一人残って、上手側に、そして下手側に、最後に中央に回って深々とお辞儀。土下座感謝もしていた。土下座感謝は野田秀樹も松本潤、永山瑛太、長澤まさみと共にやっていたが、東京では流行っているのだろうか。

エンドロール。スクリーンに出演者や関係者のテロップが流れ、最後は上白石萌音の手書きによる、「みなさんおおきに、また来とくれやす! 萌音」の文字が投影された。

帰りのホワイエでは、若い女性が、「オペラグラスで見たけど、本当、めっちゃ可愛かった!」と興奮したりしていて、聴衆の満足度は高かったようである。

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2025年1月20日 (月)

観劇感想精選(481) 絢爛豪華 祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」2024-25

2025年1月6日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後5時から、梅田芸術劇場メインホールで、絢爛豪華 祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」を観る。作:井上ひさし、演出:藤田俊太郎。出演:浦井健治、大貫勇輔、唯月ふうか、土井ケイト、阿部裕、玉置孝匡、瀬奈じゅん、中村梅雀、章平、猪野広樹、綾凰風、福田えり、梅沢昌代、木場勝己ほか。音楽:宮川彬良。振付:新海絵里子。

日生劇場の制作。セリフの方が多いため、音楽劇となっているが、ミュージカル界の若手を代表する俳優が配役されている。2020年に上演されるもコロナで東京公演は途中で打ち切り、大阪公演は全て中止となっており、リベンジの上演となる。だが2020年上演の目玉だった高橋一生は今回は出演しない。そしてミュージカル俳優は舞台が主戦場となるため、一般の知名度はそう高くなく、そのためか空席がかなり目立った。ただ実力的にはやはり高いものがある。

浦井健治はこれまで観たミュージカルの中では、「アルジャーノンに花束を」が印象に残っており、唯月ふうかは博多座で「舞妓はレディ」を観ている(共に主役)。

 

「十二夜」を除くシェイクスピアの全戯曲からの抜粋と、「天保水滸伝」の「ハイブリッド」作品である。

この作品の説明が木場勝己によって講談調で語られた後で、シェイクスピアに関する情報が出演者全員で歌われる。「シェイクスピアがいなかった演目に困る」「英文学者が食べていけない」「全集が出せないので出版社が儲からない」「シェイクスピアがいなかったら女が弱き者とされることもなかった」「バンスタイン(レナード・バーンスタインのこと)が、名作(「ロミオとジュリエット」の翻案であるミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」のこと)を書くこともない」「ツーナイトツーナイト(「Tonight」のこと。実際にバーンスタインの「Tonight」のメロディーで歌われる)というヒット曲が生まれることもない」「シェイクスピアはノースペア」といった内容である。

「十二夜」を除くシェイクスピアの全戯曲からの抜粋であるが、四大悲劇と「ロミオとジュリエット」、「リチャード三世」、「間違いの喜劇」だけを抑えておけば作品の内容は分かる。

舞台となるのは下総国清滝(現・千葉県旭市清滝)。私の母方の実家が旭市であるが、清滝は旧・海上郡海上町(かいじょうぐんうなかみまち)にあり、平成の大合併により旭市に編入されている。銚子のすぐそばであり、作中にも銚子の名は登場する。現在の千葉県内であるが、「東のとっぱずれ」と称される銚子のそばだけに、江戸からはかなり遠い。

まずは「リア王」に始まる。清滝宿の旅籠を仕切る侠客・鰤の十兵衛(中村梅雀)の三女のお光(おみつ。唯月ふうか)が「愛情表現が足りない」という理由で家を追われる(「リア王」と違い、それなりに表現は出来ているのだが)。ちなみにお光がコーディリアに当たることはセリフで明かされる。
長女のお文(瀬奈じゅん)と次女のお里(土井ケイト)がそれぞれに派閥を作り、これがモンタギュー家(紋太)とキャピュレット家の関係に繋がる。
なお、お文とお里は傍白を語るときに体の向きを変えなかったため、本音の後におべっかを使ったということが分かりにくくなっていた。お光を演じる唯月ふうかは体の向きを変えていたが、演出ではなく自主的に向きを変えたのだろう。シェイクスピア好きなら傍白であることは分かるし、シェイクスピアのことを何にも知らない人がこの芝居を観に来る可能性も低いので敢えて変えなかったのだろうが、やはり傍白の時は体の向きを変えて分かりやすくした方が良かったように思う。

ハムレットは「き印の王次」の名で登場し(大貫勇輔)、リチャード三世は佐渡の三世次(浦井健治)として登場する。「マクベスノック」として有名なノック(障子を叩いているので実際にはノックとは呼べないが)を行うのも三世次である。
役名を変えずに何役も兼ねている場合があるが(尾瀬の幕兵衛というオセロとマクベスを合わせた名前の人物もいる)、お光とおさちは双子という設定で唯月ふうかが衣装早替えで演じている。
「オセロ」に出てくるハンカチは櫛に替えられている。
「ハムレット」の有名なセリフ、「To be or not to be,That's the Question.」は、様々な翻訳者による訳が紹介される(登場する中では、ちくま文庫収蔵の松岡和子による訳が最も新しいと思われる)。一般に知られる「生か死かそれが問題だ」は、実は文章自体は有名であるが、「ハムレット」の戯曲の翻訳に採用されるのは、21世紀に入ってからの河合祥一郎訳が初めてである。「ハムレット」のテキスト翻訳はその後も行われており、内野聖陽のハムレットと貫地谷しほりのオフィーリアという大河ドラマ「風林火山」コンビによる上演では全く違う表現が用いられていた。
お冬(綾凰華)という女性がオフィーリアに相当し、「尼寺へ行け!」や狂乱の場などはそのまま生かされている。お冬は新川という川に転落して命を落とすが、実はこの新川(新川放水路)は、私の母親が幼い時分に流されそうになった川である。
ラストは「リチャード三世」の展開となり、「馬をくれ!」というセリフはそのまま出てくるが、三世次は国王でも将軍でも天皇でもないので、「馬をくれたら国をやる」とはならず、転落死を選ぶ。

いわゆるパッチワークだが、繋ぎ方は上手く、「流石は井上ひさし」とうなる出来である。若手トップレベルのミュージカル女優でありながら、「舞妓はレディ」の時は、「(原作映画で同じ役を演じている)上白石萌音に比べるとね」と相手が悪かった唯月ふうかだが、やはり華と実力を兼ね備えた演技と歌唱を披露していた。
他の俳優も殺陣や歌唱に貫禄があり、好演である。

ラストは全員が1階客席通路に出て、「シェイクスピアがいなかったら」を再度歌い、大いに盛り上がった。

 

宮川彬良率いるバックバンドはステージの奥で演奏。基本的には見えないが、第2部冒頭では演奏する姿を見ることが出来るようになっていた。

 

梅田芸術劇場開場20周年ということで、終演後に、藤田俊太郎(司会)、浦井健治、大貫勇輔によるアフタートークがある。20年前にも劇場はあったのだが、経営が変わり、梅田芸術劇場という名称になってから20年ということである。以前は、梅田芸術劇場メインホールは梅田コマ劇場といった。シアター・ドラマシティは名前はそのままだが正式名称が梅田芸術劇場シアター・ドラマシティに変わっている。

梅田芸術劇場メインホールでの思い出深い公演として、浦井健治は「ロミジュリ(ロミオとジュリエット)」、大貫勇輔は「北斗の拳」を挙げた。なお、大貫勇輔は、き印の王次の「き印」が何のことか分からず、最初は「雉のことかな」と思っていたそうである。
元梅田コマ劇場ということで、梅田芸術劇場メインホールでは宙乗りが行える。浦井健治も宙乗りをしたことがあるそうだが、Wキャストで出ていた柿澤勇人(昨年、「ハムレット」で大当たりを取ったため、浦井も大貫も「ハムレット俳優」と呼んだ)は高所恐怖症であったため、宙乗りはしたが、「もう二度とやらない」と言っていたそうである。

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2024年9月29日 (日)

コンサートの記(857) 大友直人指揮 第13回関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル IN 京都コンサートホール

2024年9月15日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、第13回関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル IN 京都コンサートホールを聴く。

大阪音楽大学、大阪教育大学、大阪芸術大学、京都市立芸術大学、神戸女学院大学、相愛大学、同志社女子大学、武庫川女子大学の8つの音楽大学や音楽学部を持つ大学が合同で行う演奏会である。指揮は、大阪芸術大学教授、京都市立芸術大学客員教授でもある大友直人。大友は他に東邦音楽大学特任教授、洗足学園音楽大学客員教授も務めている。

大阪音楽大学は大阪府豊中市にある音楽学部のみの単科大学で、大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスを持っていることから、声楽に特に強いが器楽も多くの奏者が輩出している。朝比奈隆がこの大学でドイツ語などの一般教養を教えており(大阪音楽大学には指揮科はない)、目に付いた優秀な演奏家を自身の手兵である大阪フィルハーモニー交響楽団にスカウトすることが度々であった。

大阪教育大学は、大阪府柏原(かしわら)市にあるのだが、大阪府の東端にある柏原市の中でも更に東端にあり、ほぼ奈良県との県境に位置している。教育大学なので音楽の先生になる課程もあるが、音楽を専門に学ぶコース(芸術表現専攻音楽表現コース)も存在する。このコースの校舎は奈良との県境が目の前のようだ。

大阪芸術大学は、大阪府南河内郡河南町にある総合芸術大学で、音楽よりも演劇、ミュージカル、文芸、映画などに強いが、音楽学科も教員に大友直人、川井郁子(ヴァイオリン)、小林沙羅(ソプラノ歌手)などを迎えており、充実している。

京都市立芸術大学は、音楽学部と美術学部からなる公立芸術大学で、西日本ナンバーワン芸術大学と見なされている。これまでは西京区の沓掛(くつかけ)という町外れにあったが、このたび、JR京都駅の東側にある崇仁地区に移転し、都会派の公立芸術大学に生まれ変わった。有名OBに佐渡裕がいるが、彼は指揮科ではなくフルート科の出身である。少数精鋭を旨としている。

神戸女学院大学は、神戸を名乗っているが、西宮市にメインキャンパスがあるミッションスクールである。以前は西日本ナンバーワン私立女子大学であった神戸女学院大学であるが、女子大不人気により、最近は定員割れするなど苦しい状況にある。音楽学部を持つ。キャンパスにはウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の建物(多くが重要文化財に指定)が並ぶ。

相愛大学は、浄土真宗本願寺派の大学で、人文学部と音楽学部と人間発達学部を持ち、キャンパスは大阪市の南港と、北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)に近い本町(ほんまち)の2カ所にある。

新島八重が創設したミッション系の同志社女子大学は、京都市上京区の今出川、同志社大学の東隣にもキャンパスがあるが、本部のある京都府京田辺市に設置された学芸学部に音楽学科を持つ。京田辺キャンパスのある場所は田舎である。京都市内で活躍する女性音楽家には、同女(どうじょ)こと、この大学の出身者が割と多い。

武庫川女子大学は、日本最大の女子大学であり、西宮市にメインキャンパスがある。総合大学であり、音楽学部を持つ。


曲目は、千住明のオペラ「万葉集~二上山挽歌編~」(大津皇子・大伯皇女レクイエム)より抜粋(オーケストラバージョン,2013。台本:黛まどか)とベルリオーズの幻想交響曲。


開演前にウェルカムコンサートがあり、ホワイエで、大阪教育大学の学生と、大阪芸術大学の学生が演奏を行う。

大阪教育大学は、全員が打楽器奏者で、木製のスツールにバチを当ててリズム音楽を奏でる。ジュリー・ダビラの「スツール・ビジョン」という曲である。リズミカルに躍動感を持って音を出す大阪教育大学の学生。互いのバチ同士を当てて音を出す場面もあり、仲の良さが伝わってくる。

大阪芸術大学は、レイモンド・プレムルの5つの楽章「ディヴェルティメント」よりを演奏。トランペットとトロンボーンが4、ホルンとチューバが1人ずつという編成。ちょっと音が大きめの気もするが、快活な演奏を聴かせてくれた。


千住明のオペラ「万葉集~二上山挽歌~」(大津皇子・大伯皇女レクイエム)より抜粋(オーケストラバージョン)。
千住明のオペラ「万葉集」は2009年に作曲され、2011年に改訂されて「明日香風編」と「二上山挽歌編」の二部構成になった。初演は東京文化会館小ホールで行われており、オペラではあるが、音楽劇、オラトリオ的な性質を持っており、「二上山挽歌編」は挽歌とあることからも分かる通り、レクイエム的性格が強い。

独唱者は、伊吹日向子(ソプラノ。京都市立大学大学院修士課程声楽専攻1回生)、吉岡七海(メゾソプラノ。大阪音楽大学大学院声楽研究室に在籍)、向井洋輔(テノール。京都市立芸術大学大学院修士課程2回生)、芳賀拓郎(大阪芸術大学大学院在学中)。
合唱は、各大学からの選抜。大阪音楽大学、大阪芸術大学、武庫川女子大学(当然ながら女声パートのみ)の学生が比較的多めであり、これらの大学は声楽が強いことが分かる。

この曲のコンサートミストレスは、原田凜奏(京都市立芸術大学)。メンバーは弦楽器は京都市立芸術大学在籍者が圧倒的に多く、管楽器や打楽器は各大学がばらけている。

大津皇子と草壁皇子による皇位継承問題を題材とした作品であり、讒言により失脚した大津皇子は自害して果て、亡骸は二上山に葬られた。姉である大伯皇女(大来皇女。おおくのひめみこ。日本初の伊勢斎宮)が弟を思って詠んだ「うつそみの人なる我や明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む」(現世の人である私は明日よりは二上山を弟と見なして生きていきます)がよく知られており、この作品でも歌われている。

大津皇子も草壁皇子も、天武天皇の子であるが、大津皇子と大伯皇女の母親は大田皇女の子、一方の草壁皇子の母親は神田うのの名前の由来として有名な(でもないか)鸕野讃良皇女(うののさららのこうじょ/ひめみこ)、後の持統天皇である。大田皇女は鸕野讃良皇女の姉であるが若くして亡くなっており、息子の後ろ盾にはなれなかった。そこで草壁皇子が立太子するが、草壁皇子は病弱であった上に、異母兄の大津皇子は文武両道の「人物」であり、鸕野讃良皇女は危機感を持ち、大津皇子に謀反の疑いを掛け、死へと追い込んだとされる。時に24歳。
しかし鸕野讃良皇女の願いも空しく、草壁皇子は即位することなく28歳の若さで病死。そこで鸕野讃良皇女は、草壁皇子の息子を次の天皇に就けることにするが、その軽皇子は8歳と幼かったため、繋ぎとして自らが女帝として即位。持統天皇が誕生する。軽皇子はその後、文武天皇として即位している。

今回の黛まどかの台本は、石川女郎(いらつめ)と大津皇子の問答歌、草壁皇子の歌で始まる。草壁皇子は石川女郎に恋心を寄せているのだが、石川女郎は大津皇子に惚れている。

その後、初代の伊勢斎宮に選ばれ、神宮に赴いた大伯皇女の下に、弟の大津皇子がやって来る。この頃はまだ皇室では近親婚もそれほどタブー視されておらず、大津と大伯の間には姉弟を超えた愛があることが仄めかされる。

飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)では、草壁皇子が「大津皇子が謀反を企てている」と母親に讒言(史実では讒言を行ったのは川島皇子であるとされる)。大津皇子に死を賜ることが決まる。大津皇子は死ぬ前に姉に一目会いたいと伊勢までやって来たのだった。当時、意味なく伊勢神宮に参拝するのは禁止されていたようで、これが大津が死を賜る直接の原因となったという説もある。
大和へと帰る大津皇子を大伯皇女がなすすべもなく見送り、和歌のみを詠んだ。
鸕野讃良皇女と息子の草壁皇子は、大津を排し、新たな国を作る決意をする。

フィナーレは、大伯皇女の「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」の和歌に始まり、天武天皇(合唱のバスのメンバーの一人が歌う)、大伯皇女、持統天皇、草壁皇子、大津皇子、民の合唱が、大津皇子の御霊がシリウス(天狼)として青い炎を身に纏い、大和で輝き続けることを願う歌詞となって終わる。

大友直人は今日は全編ノンタクトで指揮。この曲は4拍子系が基本なので振りやすいはずである。
いかにもレクイエム的な清浄な響きが特徴であり、分かりやすくバランスの良い楽曲となっている。メロディーも覚えやすい。

独唱は学生で京都コンサートホールの音響に慣れてないということもあってか、声量が小さめで、発声ももっと明瞭なものを求めたくなるが、まだ大学院生なので多くを望むのは酷であろう。合唱もバラツキがあったが、臨時編成でもあり、これも許容範囲である。

大友は若い頃はしなやかな感性を生かした音楽作りをしていた。最近は押しの強い演奏が目立っていたが、パワーがそれほど望めない学生オーケストラということもあってか、歌心と造形美の両方を意識した音楽作りとなっていた。大友は声楽付きの作品には強いようである。
オーケストラは、弱音の美しさに限界があるが、なかなかの好演だったように思う。


後半、ベルリオーズの幻想交響曲。大友は譜面台を置かず、暗譜での指揮となる。
幻想交響曲のコンサートミストレスは、日下部心優(京都市立芸術大学)。
大友は比較的遅めのテンポで開始。じっくりと妖しい音を愛でていく。オーケストラも輝きと艶やかさがあり、臨時編成の団体としてはレベルが高めである。アンサンブルの精度も高く、金管や打楽器にも迫力がある。

第2楽章は、コルネット不採用。典雅なワルツが奏でられ、やがて哀しきとなり、最後は強引に盛り上げて切り上げる。ベルリオーズの意図通り。

第3楽章でのオーボエのバンダは、上手袖すぐの場所で吹かれるため音が大きい。寂寥感が自然に表出されている。

第4楽章「断頭台への行進」。大友さんなので狂気の表出まではいかないが、力強い金管と蠢くような弦楽のやり取りや対比が鮮やかである。

第5楽章「最初のワルプルギスの夜」も、弦楽のおどろおどろしさ、クラリネットなどが奏でる「恋人の主題」の不気味さなど、よく表れた演奏である。鐘は下手袖で叩かれた。明るめの音色である。大友のオケ捌きは万全であり、学生のみの演奏としては十分に納得のいく出来に達していた。

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2024年7月14日 (日)

これまでに観た映画より(338) 「ゲキ×シネ 劇団☆新感線『メタルマクベス』」(2006)

2024年5月16日 T・ジョイ京都にて

京都駅八条口の南西、イオンモールKYOTO5階にある映画館、T・ジョイ京都で、「ゲキ×シネ 劇団☆新感線『メタルマクベス』」を観る。劇団☆新感線が2006年に上演した演劇作品を収録した映像の映画館上映。映像自体はイーオシバイドットコムからDVDで出ているものと同一内容だと思われる。
原作:ウィリアム・シェイクスピア(ちくま文庫から出ている松岡和子訳がベース)、脚色:宮藤官九郎。演出:いのうえひでのり。出演:内野聖陽(うちの・せいよう。上演当時は本名の、うちの・まさあき読みだった)、松たか子、北村有起哉、森山未來、橋本じゅん、高田聖子、栗根まこと、上条恒彦ほか。休憩時間15分を含めて上映時間4時間近い大作となっている。今はなき東京・青山劇場での収録。

宮藤官九郎が脚本ではなく脚色担当となっていることからも分かるとおり、大筋ではシェイクスピアの「マクベス」とずれてはいない。しかし、1980年代にデビューしたヘビメタバンド・メタルマクベスと、2206年の未来の世界がない交ぜになったストーリー展開となっており、生バンドによるメタルの演奏、出演者の歌唱などのある音楽劇であり、新感線ならではの殺陣などを盛り込んで総合エンターテインメント大作として仕上げている。「メタルマクベス」はその後も俳優や台本を変えて何度も上演されているが、今回上映される2006年のものが初演である。

ヘヴィメタルバンド・メタルマクベスは、一人を除く全員が「マクベス」の登場人物名を芸名に入れている。マクベス内野、マクダフ北村といった風にだ。メタルマクベスが発表したアルバムに含まれる楽曲の歌詞には、2206年に起こる出来事の予言めいた内容が多く含まれていた。
その2206年の未来では、「マクベス」さながらの物語が展開されている。ランダムスター(愛称はランディー。内野聖陽)は3人の魔女からマホガニーの新たな領主となること、また将来、ESP国の王となることを告げられる。ランディーの親友であるエクスプローラ(橋本じゅん)は、自らは王にはならないが、息子が王位に就くという。ランディーは妻のローズ(松たか子)の強い後押しもあり、ESP国の王(上条恒彦)の殺害を計画。殺害自体は成功するが、置いてくるはずだった短剣を持って帰ってきてしまう。ローズは短剣を殺害現場である寝室に戻しに行き、眠り込んでいた見張り役二人の顔と手に血を塗りたくって下手人に見せかけるが、自らの手も血で真っ赤に染まり、それがその後にトラウマとなって現れる。

まだ二十代だった松たか子。1990年代にすでに歌手デビューしていて、そこそこの売り上げを記録しており、コンサートツアーなども行っていた。ディズニー映画『アナと雪の女王』の挿入歌「Let It Go ~ありのままで~」日本語版の歌手に抜擢され、高い歌唱力で注目を浴びているが、この時点ですでに歌唱力は出来上がっており、メタル伴奏の激しいナンバーも歌いこなしている。また発狂したマクベス夫人の演技も巧みである(彼女は18歳の時に真田広之主演、蜷川幸雄演出の「ハムレット」でオフィーリアを演じており、狂乱の場で迫真の演技を見せている)。

内野聖陽はテレビでは余り歌うイメージはないかも知れないが、「エリザベート」に出演し、ブレヒトの「三文オペラ」のベースとなったジョン・ゲイの「乞食オペラ」に主演するなど、ミュージカルや歌ものの芝居にも出ており、歌唱力はなかなか高いものがある。内野は芝居でピアノを弾いたこともあり、何でも出来る器用な俳優である。舞台俳優としては間違いなく日本人トップを争う実力者である。

俳優であると同時にダンサーとしても活躍している森山未來。「メタルマクベス」でも華麗なダンスを披露する場面があり、また歌唱も披露。ずば抜けてというほどではないがまずまずの上手さである。

盛りだくさんの内容であるが、セリフを歌にしたり、クドカン独特のギャグが続いたり、殺陣の場面を多くしたりしたため、全体として長めとなり、間延びしているように見える場面があるのが惜しいところである。

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2024年7月 6日 (土)

観劇感想精選(464) 京都四條南座「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月 『壇浦兜軍記』阿古屋」

2024年6月15日 京都四條南座にて

午後2時から京都四條南座で、「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月」を観る。このところ毎年夏に南座での特別公演を行っている坂東玉三郎。今年の演目は、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」で、お得意の阿古屋を演じる。

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まず坂東玉三郎による口上があり、片岡千次郎による『阿古屋』解説を経て、休憩を挟んで「壇浦兜軍記 阿古屋」が演じられる。
なお今回は番付の販売はなく、薄くはあるが無料にしてはしっかりとしたパンフレットが配られる。表紙はポスターやチラシを同じもので、篠山紀信が撮影を手掛けている。

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坂東玉三郎の口上。京都に来て東山の方で何か光がすると思ったら、京都競馬場が主催する平安神宮での宝塚記念ドローンショーだったという話に始まり、南座の顔見世に初めて出演した際の話などが語られる。これは以前にも語られていたが、28歳で顔見世に初出演した玉三郎。昼の部は普通に出られたのだが、当時の顔見世の夜の部は日付が変わる直前まで行われ、押して開始が11時半を過ぎる演目があると、客の帰宅に差し支えるというので上演が見送られたのだが、玉三郎の出る演目は前の演目が押したため11時半に間に合わず、舞台を踏めなかったという話であった。
阿古屋についてはその文学性の高さに触れていた。本当は罪人の縁者なので縛られていないとおかしいのだが、そのままでは縄を解かれてもすぐには楽器が上手く演奏できないので、縄を使わなくても不自然に見えないよう書かれているという。また、阿古屋がこの後も出てくるのだが、その時の衣装の方が見栄えがいいそうで、今日演じられる場面は普段着に近いという設定なのだがそれでもよく見えるような工夫が必要となるようである。またこの場は、前後との接続が難しいことでも知られているようで、全段上演した時は苦労したという。
最後は、「南座のみならず歌舞伎座を(大阪)松竹座をよろしくお願いいたします」と言って締めていた。


片岡千次郎による『阿古屋』解説。阿古屋が出てくる「壇浦兜軍記」は、今から300年ほど前に大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃、その後の俗称だと文楽が元になった義太夫狂言で、源平合戦(治承・寿永の乱)が舞台となっており、悪七兵衛景清(藤原景清、伊藤景清、平景清)を主人公とした「景清もの」の一つである。「だた景清はこの場には出てきません」と千次郎。今日上演されるのは、「阿古屋琴責めの場」と呼ばれるもので、今では専らこの場のみが上演されている。片岡千次郎は今回は岩永左衛門致連(むねつら)を人形振りで演じるのだが、この人形振りや、竹田奴と呼ばれる人々が入ってくるのは文楽の名残だそうである。

「阿古屋琴責めの場」に至るまでの背景説明。壇ノ浦の戦いで平家は滅亡したが、平家方の景清はなおも生き残り、源頼朝の首を狙っている。そこで源氏方は景清の行方を捜すためあらゆる手段に出る。禁裏守護の代官に命じられた秩父庄司重忠(畠山重忠)と補佐役の岩永左衛門致連は、重忠の郎党である榛沢(はんざわ)六郎成清(なりきよ)から景清の愛人でその子を身籠もっているという五条坂の遊女・阿古屋を捕らえたとの知らせを受け、堀川御所まで連れてこさせる。そこでの詮議を描いたのが、「阿古屋琴責めの場」である。


「壇浦兜軍記 阿古屋」。阿古屋は、琴、三味線(実際は平安時代にはまだ存在しない)、胡弓(二胡ではない)の演奏を行う必要があり、しかも本職の三味線と対等に渡り合う必要があるということで、演じられる俳優は限られてくる。そのため、今では「阿古屋といえば玉三郎」となっている。
出演:坂東玉三郎(遊君 阿古屋)、片岡千次郎(岩永左衛門致連)、片岡松十郎、市川左升、中村吉兵衛、市川升三郎、中村吉二郎、市川新次、澤村伊助、中村京由、市川福五郎、中村梅大、豊崎俊輔、末廣郁哉、山本匠真、和泉大輔、坂東功一(榛沢六郎成清)、中村吉之丞(秩父庄司重忠)。人形遣い:片岡愛三郎、片岡佑次郎。後見:坂東玉雪。

秩父庄司重忠と岩永左衛門致連が待つ堀川御所に、榛沢六郎成清が阿古屋を連れてくる。阿古屋は花道を歩いて登場。捕り方に周りを囲まれているが、優雅な衣装と立ち姿で動く絵のように可憐である。赤塗りの悪役である岩永は、景清の行方を知らないという阿古屋を拷問に掛けようとするが、重忠は、責め具として、琴、三味線、胡弓の3つの楽器を持ってこさせる。
重忠は、阿古屋に楽器を奏でて唄うように命じる。阿古屋は、「蕗組みの唱歌」を琴で奏でながら唄い、景清の行方を知らないことを告げ、景清との馴れ初めも唄う。
次は三味線を弾きながら「班女」を唄う。平家滅亡後、景清とは秋が来る前に再開しようと誓い合ったが、今では行方が知れないことを嘆く。
最後は胡弓。阿古屋は景清との恋とこの世の儚さを歌い上げる。重忠は、阿古屋の奏でる楽器の音に濁りや乱れがないことから、阿古屋が景清の行方を知らないのは誠として、阿古屋の放免を決める。
名捌きの後で、登場人物達が型を決めて終わる。


音楽劇として見事な構成となっている。3つの趣の異なる弦楽器を演奏しなくてはならないので、演じる側は大変だが、役者の凄さを見る者に印象づけることのできる演目でもある。琴の雅さ、三味線の力強さ、胡弓の艶やかさが浄瑠璃や長唄、三味線と絡んでいくところにも格別の味わいがある。それは同時に地方(じかた)への敬意であるようにも感じられる。


南座を後にし、大和大路通を下って、六波羅蜜寺に詣でる。境内に阿古屋の塚があるのである。まずそれに参拝する。阿古屋塚説明碑文のうち歌舞伎の演目「阿古屋」の部分の解説は坂東玉三郎が手掛けており、傍らには「奉納 五代目 坂東玉三郎」と記された石柱も立っている。

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その後、六道の辻の西福寺(一帯の住所は轆轤(ろくろ)町。髑髏(どくろ)町が由来とされる)で可愛らしい像を愛でてから西に向かい、三味線の音が流れてくる宮川町を通って帰路についた。

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2024年5月26日 (日)

コンサートの記(845) ローム クラシック スペシャル 2024 「日本フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート」 グリーグ 劇音楽「ペール・ギュント」より@ロームシアター京都サウスホール

2024年5月6日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、海老原光指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるローム クラシック スペシャル「心と体で楽しもう!クラシックの名曲 2024 日本フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート」を聴く。上演時間約70分休憩なしの公演。演目はグリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より抜粋で、江原陽子(えばら・ようこ)がナビゲーターを務める。

毎年のようにロームシアター京都で公演を行っている日本フィルハーモニー交響楽団。夏にもロームシアター京都メインホールで主に親子向けのコンサートを行う予定がある。

昔から人気曲目であったグリーグの劇付随音楽「ペール・ギュント」であるが、2つの組曲で演奏されることがほとんどであった。CDでは、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団による全曲盤(ドイツ・グラモフォン)、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団(DECCA)やネーメの息子であるパーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団の抜粋盤(ヴァージン・クラシックス)などが出ているが、演奏会で組曲版以外が取り上げられるのは珍しく、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられた全曲版が実演に接した唯一の機会だろうか。この時は歌手や合唱も含めた演奏だったが、今回はオーケストラのみの演奏で、前奏曲「婚礼の場にて」、「夜の情景」、「婚礼の場にて」(前半部分)以外は2つの組曲に含まれる曲で構成されている。

ヘンリック・イプセンの戯曲「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読むための戯曲)として書かれたもので、イプセンは上演する気は全くなかったが、「どうしても」と頼まれて断り切れず、「グリーグの劇音楽付きなら」という条件で上演を許可。初演は成功し、その後も上演を重ねるが、やはりレーゼドラマを上演するのは無理があったのか、一度上演が途切れると再演が行われることはなくなり、グリーグが書いた音楽のみが有名になっている。近年、「ペール・ギュント」上演復活の動きがいくつかあり、私も日韓合同プロジェクトによるものを観た(グリーグの音楽は未使用)が、ゲテモノに近い出来であった。
近代社会に突如現れた原始の感性を持った若者、ペール・ギュントの冒険譚で、モロッコやアラビアが舞台になるなど、スケールの大きな話だが、ラストはミニマムに終わるというもので、『イプセン戯曲全集』に収録されているほか、再編成された単行本なども出ている。

今回の上演では、海老原光、江原陽子、日フィル企画制作部が台本を纏めて共同演出し、老いたソルヴェイグが結婚を前にした孫娘に、今は亡き夫のペール・ギュントの昔話を語るという形を取っている。江原陽子がナレーターを務め、「山の魔王の宮殿にて」では聴衆に指拍子と手拍子とアクションを、「アニトラの踊り」ではハンカチなどの布を使った動きを求めるなど聴衆参加型のコンサートとなっている。


指揮者の海老原光は、私と同じ1974年生まれ。同い年の指揮者には大井剛史(おおい・たけし)や村上寿昭などがいる。鹿児島出身で、進学校として全国的に有名な鹿児島ラ・サール中学校・高等学校を卒業後に東京芸術大学に進学。学部を経て大学院に進んで修了した。その後、ハンガリー国立歌劇場で研鑽を積み、2007年、クロアチアのロヴロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで3位に入賞。2010年のアントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールでは審査員特別賞を受賞している。指揮を小林研一郎、高階正光、コヴァーチ・ヤーノシュらに師事。日フィルの京都公演で何度か指揮をしているほか、日本国内のオーケストラに数多く客演。クロアチアやハンガリーなど海外のオーケストラも指揮している。2019年に福岡県那珂川市に新設されたプロ室内オーケストラ、九州シティフィルハーモニー室内合奏団の首席指揮者に就任し、第1回と第2回の定期演奏会を指揮した(このオーケストラはその後、大分県竹田市に本拠地を移転し、改組と名称の変更が行われており、シェフ生活は短いものとなった)。

ナビゲーターの江原陽子は、東京藝術大学(東京芸術大学は国立大学法人ということもあり、新字体の「東京芸術大学」が登記上の名称であるが、校門やWeb上で使われている旧字体の「東京藝術大学」も併用されており、どちらを使うかはその人次第である)音楽学部声楽科を卒業。現在、洗足学園音楽大学の教授を務めている。藝大在学中から4年間、NHKの番組で「歌のおねえさん」を務め、その後、教職や自身の音楽活動の他に、歌や司会でクラシックコンサートのナビゲーターとしても活躍している。日フィルの「夏休みコンサート」には1991年から歌と司会で参加するなど、コンビ歴は長い。


舞台後方にスクリーンが下がっており、ここに江原のアップや客席、たまにオーケストラの演奏などが映る。

海老原光の演奏に接するのは久しぶり。私と同い年だが、にしては白髪が目立つ。今年で50歳を迎えるが、指揮者の世界では50歳はまだ若手に入る。キビキビした動きで日フィルから潤いと勢いのある響きを引き出す。ビートは基本的にはそれほど大きくなく、ここぞという時に手を広げる。左手の使い方も効果的である。

日フィルは、創設者である渡邉暁雄の下で、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音による「シベリウス交響曲全集」をリリースし、更にはフィンランド出身のピエタリ・インキネンとシベリウス交響曲チクルスをサントリーホールで行って、ライブ録音を3度目の全集として出すなどシベリウスに強いが、渡邉の影響でシベリウス以外の北欧ものも得意としている。北欧出身者ではないが、フィンランドの隣国であるエストニアの出身で北欧ものを得意としているネーメ・ヤルヴィ(現在は日フィルの客員首席指揮者)を定期的に招いていることもプラスに働いているだろう。

音楽は物語順に演奏され、合間を江原のナレーションが繋ぐ。降り番の楽団員やスタッフも進行に加わる。演奏曲目は、前奏曲「婚礼の場にて」、「イングリットの嘆き」、「山の魔王の宮殿にて」、「オーゼの死」、「朝(朝の気分)」、「アラビアの踊り」、「アニトラの踊り」、「ペール・ギュントの帰郷」、「夜の情景」、「ソルヴェイグの歌」、そしてペール・ギュントとソルヴェイグの孫娘の結婚式があるということで「婚礼の場にて」の前半部分が再び演奏される。

ロームシアター京都サウスホールは、京都会館第2ホールを改修したもので、特別な音響設計はなされておらず、残響もほとんどないが、空間がそれほど大きくないので音はよく聞こえる。日フィルも音色の表出の巧みさといい、全体の音響バランスの堅固さといい、東京芸術劇場コンサートホールやサントリーホールで聴いていた90年代に比べると大分器用なオーケストラへと変わっているようである。
江原陽子のナビゲートも流石の手慣れたものだった。


演奏終了後に撮影タイムが設けられており(SNS上での宣伝に使って貰うためで、スマホやタブレットなどに付いているカメラのみ可。ネットに繋げない本格的な撮影機材は駄目らしい)多くの人がステージにカメラを向けていた。

終演後には、海老原光と江原陽子によるサイン会があったようである。

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2024年5月21日 (火)

観劇感想精選(461) 佐藤隆太主演「『GOOD』 -善き人-」

2024年4月28日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「『GOOD』-善き人-」を観る。イギリスの劇作家、C・P テイラーの戯曲を長塚圭史の演出で上演。テキスト日本語訳は浦辺千鶴が務めている。原作のタイトルは「GOOD」で、2008年にイギリス・ドイツ合作で映画化、日本では2012年に「善き人」のタイトルで公開されているようである。また、英国での舞台版がナショナル・シアター・ライブとして映画館で上映されている。
主演:佐藤隆太。出演:萩原聖人、野波麻帆、藤野涼子、北川拓実(男性)、那須佐代子、佐々木春香、金子岳憲、片岡正二郞、大堀こういち。ミュージシャン:秦コータロー、大石俊太郎、吉岡満則、渡辺庸介。出演はしないが、音楽進行に三谷幸喜の演劇でお馴染みの荻野清子が名を連ねている。

専任のミュージシャンを配していることからも分かる通り、音楽が重要な位置を占める作品で、出演者も歌唱を披露する(歌唱指導:河合篤子)など、音楽劇と言ってもいい構成になっている。

イギリスの演劇であるが、舞台になっているのはナチス政権下のドイツの経済都市、フランクフルト・アム・マインである(紛らわしいことにドイツにはフランクフルトという名の都市が二つあり、知名度の高い所謂フランクフルトがフランクフルト・アム・マインである)。ただ一瞬にしてハンブルクやベルリンに飛ぶ場面もある。

佐藤隆太の一人語りから舞台は始まる。大学でドイツ文学を教えるジョン・ハルダー教授(愛称は「ジョニー」。演じるのは佐藤隆太)は、1933年から音楽の幻聴や音楽付きの幻覚を見るようになる。1933年はナチス政権が発足した年だが、そのことと幻聴や幻覚は関係ないという。妻のヘレン(野波麻帆)は30歳になるが、脳傷害の後遺症からか、部屋の片付けや料理や子どもの世話などが一切出来なくなっており(そもそも発達障害の傾向があるようにも見える)、家事や3人の子どもの面倒は全てジョンが見ることになっていた。母親(那須佐代子)は存命中だが痴呆が始まっており、目も見えなくなって入院中。だが、「病院を出て家に帰りたい」と言ってジョンを困らせている。二幕では母親は家に帰っているのだが、帰ったら帰ったで、今度は「病院に戻りたい」とわがままを言う。
友人の少ないジョンだったが、たった一人、心を許せる友達がいた。ユダヤ人の精神科医、モーリス(萩原聖人)である。ジョンは幻聴についてモーリスに聞くが、原因ははっきりしない。幻聴はジャズバンドの演奏の時もあれば(舞台上で生演奏が行われる。「虹を追って」の演奏で、ジョンはショパンの「幻想即興曲」の盗用であると述べる)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏の時もある(流石にこれは再現は無理である)。音楽付きの幻覚として、ジョンはマレーネ・ディートリヒや、ヴァイオリンで「ライムライト」を弾くチャップリン(実際はアドルフ・ヒトラーである)の姿を見る。バンド編成によるワーグナーの「タンホイザー」序曲が演奏される珍しい場面もある。

ナチスが政権を取ったばかりであったが、ジョンもモーリスも「ユダヤ人の頭脳や商売に依存しているドイツはユダヤ人を排斥出来ない」「ユダヤ人差別ももうやめるに違いない」「政権は短期で終わる」と楽観視していた。

ある日、ジョンの研究室にゼミでジョンに教わっている女子学生のアン(藤野涼子)が訪ねてくる。19歳と若いアンは授業について行けず、このままでは単位を落としそうだというのでジョンに教えを請いに来たのだった(まるで二人芝居「オレアナ」のような展開である)。
その夜、アンを家に呼んだジョンは、雨でずぶ濡れになったアンを愛おしく思う。アンは明らかにジョンに好意を持っており、後はジョンがそれを受け入れるかどうかという問題。結果的に二人は結婚し、新居を構えることになる。

小説家や評論家としても活躍しているジョンは、ある日、ナチスの高官、フィリップ・ボウラーからジョンの書いた小説が宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルス(元小説家志望)に絶賛されていることを知らされる。母親の病状を見て思いついた安楽死をテーマにした小説で、後のT4作戦に繋がる内容だった。ジョンの小説はゲッベルスからヒトラーに推薦され、ヒトラーも大絶賛しているという。ジョンは安楽死に関して、「人道的」立場から、安心させるためにバスルームのような施設にするいう案も編み出しており、更にユダヤ人の個人中心主義がドイツ第三帝国の「全体の利益を優先する」という主義に反しており、文化を乱すという論文も発表していた。
大学の教員もナチ党員であることを求められた時代。ジョンもナチ党員となり、親衛隊に加わる。ジョンは、「水晶の夜」事件が起こることを知りながらそれを黙認し、ナチスの焚書に関しても協力した。

ユダヤ人であるモーリスはフランクフルト・アム・マインを愛するがために当地に留まっていたが、身の危険を感じ、出国を申請するも叶えられない。モーリスは、永世中立国であるスイス行きの汽車の切符を手配するようにジョンに頼む。往復切符にすれば出国と捉えられないとの考えも披露するがジョンはその要望に応えることが出来ない。

アンは、「私がユダヤ人だったらヒトラーが政権を取った最初の年に逃げ出している」と語り、「今残っているのはどうしようもないバカか、財産に必死にしがみついている人」と決めつける。

やがてジョンは、アイヒマンの命により、新たな収容施設が出来た街に視察に赴くことになる。アウシュヴィッツという土地だった。
アウシュヴィッツの強制収容所に着いたジョンは、シューベルトの「軍隊行進曲」の演奏を聴く。それは幻聴ではなく、強制収容所に入れられたユダヤ人が奏でている現実の音楽だった。


アンが親衛隊の隊服を着たジョンに「私たちは善人」と言い聞かせる場面がある。実際にジョンに悪人の要素は見られない。T4作戦に繋がる発想もたまたま思いついて小説にしたものだ。ジョンは二元論を嫌い、モーリスにもあるがままの状態を受け入れることの重要性を説くが、後世から見るとジョンは、T4作戦の発案者で、障害のある妻を捨てて教え子と再婚、文学者でありながら焚書に協力、反ユダヤ的で親友のユダヤ人を見殺しにし、アウシュヴィッツ強制収容所に関与した親衛隊員で、ガス室の発案者という極悪人と見做されてしまうだろう。実際のジョンは根っからの悪人どころか、アンの言う通り「善人」にしか見えないのだが、時代の流れの中で善き人であることの難しさが問われている。

ジョンに幻聴があるということで、音楽も多く奏でられるのだが、シューベルトの「セレナーデ」やエノケンこと榎本健一の歌唱で知られる「私の青空」が新訳で歌われたのが興味深かった。今日の出演者に「歌う」イメージのある人はいなかったが、歌唱力に関しては普通で、特に上手い人はいなかったように思う。ソロも取った佐藤隆太の歌声は思ったよりも低めであった。

親衛隊の同僚であるフランツが、SP盤のタイトルを改竄する場面がある。フランツはジャズが好きなのだが、ナチス・ドイツではジャズは敵性音楽であり、黒人が生んだ退廃音楽として演奏が禁じられていた。それを隠すためにフランツはタイトルを改竄し、軍隊行進曲としたのだが、日本でもジャズは敵性音楽として演奏を禁じられ、笠置シヅ子や灰田勝彦は歌手廃業に追い込まれそうになっている。同盟国側で同じことが起こっていた。

佐藤隆太は途中休憩は入るもの約3時間出ずっぱりという熱演。宣伝用写真だとW主演のように見える萩原聖人は思ったよりも出番は少なかったが、出演者中唯一のユダヤ人役として重要な役割を果たした。
結果として略奪婚を行うことになるアン役の藤野涼子であるが、小悪魔的といった印象は全く受けず、ジョンならヘレンよりもアンを選ぶだろうという説得力のある魅力を振りまいていた。


今日が大千秋楽である。座長で主演の佐藤隆太は、公演中一人の怪我人も病人も出ず完走出来たことを喜び、見守ってくれた観客への感謝を述べた。
佐藤によって演出の長塚圭史が客席から舞台上に呼ばれ、長塚は「この劇場は日本の劇場の中でも特に好き」で、その劇場で大千秋楽を迎えられた喜びを語った。

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2024年5月 5日 (日)

観劇感想精選(460) RYUICHI SAKAMOTO+SHIRO TAKATANI 「TIME」京都初演

2024年4月27日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、坂本龍一の音楽+コンセプト、高谷史郎(ダムタイプ)のヴィジュアルデザイン+コンセプトによるシアターピース「TIME」を観る。坂本が「京都会議」と呼んでいる京都での泊まり込み合宿で構想を固めたもので、2019年に坂本と高谷史郎夫妻、浅田彰による2週間の「京都会議」が行われ、翌2020年の坂本と高谷との1週間の「京都会議」で大筋が決定している。当初は1999年に初演された「LIFE」のようなオペラの制作が計画されていたようだが、「京都会議」を重ねるにつれて、パフォーマンスとインスタレーションの中間のようなシアターピースへと構想が変化し、「能の影響を受けた音楽劇」として完成されている。
2021年の6月にオランダのアムステルダムで行われたホランド・フェスティバルで世界初演が行われ(於・ガショーダー、ウェスタガス劇場)、その後、今年の3月上旬の台湾・台中の臺中國家歌劇院でのアジア初演を経て、今年3月28日の坂本の一周忌に東京・初台の新国立劇場中劇場で日本初演が、そして今日、ロームシアター京都メインホールで京都・関西初演が行われる。
京都を本拠地とするダムタイプの高谷史郎との作業の中で坂本龍一もダムタイプに加わっており、ダムタイプの作品と見ることも出来る。

出演は、田中泯(ダンサー)、宮田まゆみ(笙)、石原淋(ダンサー)。実質的には田中泯の主演作である。上演時間約1時間20分。

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なお、シャボン玉石けんの特別協賛を受けており、配布されたチラシや有料パンフレットには、坂本龍一とシャボン玉石けん株式会社の代表取締役社長である森田隼人との対談(2015年収録)が載っており、来場者には「浴用 シャボン玉石けん 無添加」が無料で配られた。

「TIME」は坂本のニュートン時間への懐疑から構想が始まっており、絶対的に進行する時間は存在せず、人間が人為的に作り上げたものとの考えから、自然と人間の対比、ロゴス(論理、言語)とピュシス(自然そのもの)の対立が主なテーマとなっている。

舞台中央に水が張られたスペースがある。雨音が響き、鈴の音がして、やがて宮田まゆみが笙を吹きながら現れて、舞台を下手から上手へと横切っていく。水の張られたスペースも速度を落とすことなく通り過ぎる。
続いて、うねるようでありながらどこか感傷的な、いかにも坂本作品らしい弦楽の旋律が聞こえ、舞台上手から田中泯が現れる。背後のスクリーンには田中のアップの映像が映る。田中泯は、水の張られたスペースを前に戸惑う。結局、最初は水に手を付けただけで退場する。
暗転。
次の場面では田中泯は舞台下手に移動している。水の張られたスペースには一人の女性(石原淋)が横たわっている。録音された田中泯の朗読による夏目漱石の「夢十夜」より第1夜が流れる。「死ぬ」と予告して実際に死んでしまった女性の話であり、主人公の男はその遺体を真珠貝で掘った穴に埋め、女の遺言通り100年待つことになる。
背後のスクリーンには石垣の中に何かを探す田中泯の映像が映り、田中泯もそれに合わせて動き出す。

暗転後、田中泯は再び上手に移っている。スタッフにより床几のようなものが水を張ったスペースに置かれ、田中泯はその上で横になる。「邯鄲」の故事が録音された田中の声によって朗読される。廬生という男が、邯鄲の里にある宿で眠りに落ちる。夢の中で廬生は王位を継ぐことになる。

田中泯は、水を張ったスペースにロゴスの象徴であるレンガ状の石を並べ、向こう岸へと向かう橋にしようとする。途中、木の枝も水に浸けられる。

漱石の「夢十夜」と「邯鄲」の続きの朗読が録音で流れる。この作品では荘子の「胡蝶之夢」も取り上げられるが、スクリーンに漢文が映るのみである。いずれも夢を題材としたテキストだが、夢の中では時間は膨張し「時間というものの特性が破壊される」、「時間は幻想」として、時間の規則性へのアンチテーゼとして用いているようだ。

弦楽や鈴の響き、藤田流十一世宗家・藤田六郎兵衛の能管の音(2018年6月録音)が流れる中で、田中泯は橋の続きを作ろうとするが、水が上から浴びせられて土砂降りの描写となり、背後にスローモーションにした激流のようなものが映る。それでも田中泯は橋を作り続けようとするが力尽きる。

宮田まゆみが何事もなかったかのように笙を吹きながら舞台下手から現れ、水を張ったスペースも水紋を作りながら難なく通り抜け、舞台上手へと通り抜けて作品は終わる。

自然を克服しようとした人間が打ちのめされ、自然は優雅にその姿を見守るという内容である。

坂本の音楽は、坂本節の利いた弦楽の響きの他に、アンビエント系の点描のような音響を築いており、音楽が自然の側に寄り添っているような印象も受ける。
田中泯は朗読にも味があり、ダンサーらしい神経の行き届いた動きに見応えがあった。
「夢の世界」を描いたとする高谷による映像も効果的だったように思う。
最初と最後だけ現れるという贅沢な使い方をされている宮田まゆみ。笙の第一人者だけに凜とした佇まいで、何者にも脅かされない神性に近いものが感じられた。

オランダでの初演の時、坂本はすでに病室にあり、現場への指示もリモートでしか行えない状態で、実演の様子もストリーミング配信で見ている。3日間の3公演で、最終日は「かなり良いものができた」「あるべき形が見えた」と思った坂本だが、不意に自作への破壊願望が起こったそうで、「完成」という形態が作品の固定化に繋がることが耐えがたかったようである。

最後は高谷史郎が客席から登場し、拍手を受けた。なお、上演中を除いてはホール内撮影可となっており、終演後、多くの人が舞台セットをスマホのカメラに収めていた。

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2022年1月 1日 (土)

観劇感想精選(419) 草彅剛主演「アルトゥロ・ウイの興隆」2021@ロームシアター京都

2021年12月23日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後5時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「アルトゥロ・ウイの興隆」を観る。2020年1月に、KAAT 神奈川芸術劇場で行われた草彅剛主演版の再演である(初演時の感想はこちら)。前回はKAATでしか上演が行われなかったが、今回は横浜、京都、東京の3カ所のみではあるが全国ツアーが組まれ、ロームシアター京都メインホールでも公演が行われることになった。ちなみにKAATもロームシアター京都メインホールも座席の色は赤だが、この演出では赤が重要なモチーフとなっているため、赤いシートを持つ会場が優先的に選ばれている可能性もある。アルトゥロ・ウイ(草彅剛)が率いるギャング団は全員赤色の背広を身に纏っているが、仮設のプロセニアムも真っ赤であり、3人の女性ダンサーも赤いドレス。演奏を担当するオーサカ=モノレールのメンバーもギャング団と同じ赤いスーツを着ている。

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アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党)を皮肉る内容を持った「アルトゥロ・ウイの興隆」。元々のタイトルは、「アルトゥロ・ウイのあるいは防げたかも知れない興隆」という意味のもので、ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)がアメリカ亡命中の1941年に書かれている。ナチスもヒトラーも現役バリバリの頃だ。ヒトラー存命中にその危険性を告発したものとしては、チャールズ・チャップリンの映画「独裁者」と双璧をなすと見なしてもよいものだが、すぐに封切りとなった「独裁者」に対し、「アルトゥロ・ウイの興隆」はその内容が危険視されたため初演は遅れに遅れ、ブレヒト没後の1958年にようやくアメリカ初演が行われている。ブレヒトの母国でナチスが跋扈したドイツで初演されるのはもっと後だ。

ブレヒトの戯曲は、今がナチスの歴史上の場面のどこに当たるのか一々説明が入るものであるが(ブレヒト演劇の代名詞である「異化効果」を狙っている)、今回の演出ではブレヒトの意図そのままに、黒い紗幕に白抜きの文字が投影されて、場面の内容が観客に知らされるようになっている。

作:ベルトルト・ブレヒト、テキスト日本語訳:酒寄進一、演出:白井晃。
出演は、草彅剛、松尾諭(まつお・さとる)、渡部豪太、中山祐一朗、細見大輔、粟野史浩、関秀人、有川マコト、深沢敦、七瀬なつみ、春海四方(はるみ・しほう)、中田亮(オーサカ=モノレール)、神保悟志、小林勝也、榎木孝明ほか。


禁酒法時代のシカゴが舞台。酒の密売などで儲けたアル・カポネが権力を握っていた時代であるが、アル・カポネの存在は、セリフに一度登場するだけに留められる。
この時代が、ナチス台頭以前のドイツになぞらえられるのであるが、当時のドイツは深刻な不況下であり、ユンカーと呼ばれる地方貴族(ドイツ語では「ユンケル」という音に近い。「貴公子」という意味であり、ユンケル黄帝液の由来となっている。「アルトゥロ・ウイの興隆」では、カリフラワー・トラストがユンカーに相当する)が勢力を拡大しており、贈収賄なども盛んに行われていた。
清廉潔白とされるシカゴ市長、ドッグズバロー(榎木孝明)は、当時のドイツの大統領であったハンス・フォン・ヒンデンブルクをモデルにしている。ヒンデンブルクはヒトラーを首相に指名した人物であり、ナチスの台頭を招いた張本人だが、この作品でもドッグズバローはアルトゥロ・ウイの興隆を最初に招いた人物として描かれる。

小さなギャング団のボスに過ぎなかったアルトゥロ・ウイは、ドッグズバローが収賄に手を染めており、カリフラワー・トラストに便宜を図っていることを突き止め、揺する。それを足がかりにウイの一団は、放火、脅迫、殺人などを繰り返して目の前に立ち塞がる敵を容赦なく打ち倒し、暴力を使って頂点にまで上り詰める。
ぱっと見だと現実感に欠けるようにも見えるのだが、欠けるも何もこれは現実に起こった出来事をなぞる形で描かれているのであり、我々の捉えている「現実」を激しく揺さぶる。

途中、客席に向かって募金を求めるシーンがあり、何人かがコインなどを投げる真似をしていたのだが、今日は前から6列目にいた私も二度、スナップスローでコインを投げる振りをした。役者も達者なので、「わー! 速い速い!」と驚いた表情を浮かべて後退してくれた。こういう遊びも面白い。

クライマックスで、ヨーゼフ・ゲッベルスに相当するジュゼッペ・ジヴォラ(渡部豪太)とアドルフ・ヒトラーがモデルであるアルトゥロ・ウイは、客席中央通路左右の入り口から現れ、客席通路を通って舞台に上がるという演出が採られる。ナチス・ドイツは公正な民主主義選挙によって第一党に選ばれている。市民が彼らを選んだのである。市民に見送られてジヴォラとウイはステージに上がるという構図になる。

アメリカン・ソウルの代名詞であるジェイムズ・ブラウンのナンバーが歌われ、ステージ上の人物全員が赤い色の服装に変わり、ウイが演説を行って自分達を支持するよう客席に求める。ほとんどの観客が挙手して支持していたが、私は最後まで手を挙げなかった。お芝居なので挙手して熱狂に加わるという見方もあるのだが、やはり挙手ははばかられた。ただ、フィクションの中とはいえ、疎外感はかなりのものである。ナチスも熱狂的に支持されたというよりも、人々が疎外感を怖れてなんとなく支持してしまったのではないか。そんな気にもなる。流れに棹さした方がずっと楽なのだ。

アルトゥロ・ウイがヒトラーの化身として告発された後でも、音楽とダンスは乗りよく繰り広げられる。その流れに身を任せても良かったのだが、私はやはり乗り切ることは出来なかった。熱狂の中で、草彅剛演じるアルトゥロ・ウイだけが身じろぎもせずに寂しげな表情で佇んでいる。ふと、草彅剛と孤独を分かち合えたような錯覚に陥る。

こうやって浸ってみると孤独を分かち合うということも決して悪いことではない、むしろ世界で最も良いことの一つに思えてくる。誰かと孤独を分かち合えたなら、世界はもっと良くなるのではないか、あるいは「こうしたことでしか良くならないのではないか」という考えも浮かぶ。

ヒトラーが告発され、葬られても人々のうねりは止まらない。そのうねりはまた別の誰かを支持し攻撃する。正しい正しくない、良い悪い、そうした基準はうねりにとってはどうでもいいことである。善とも悪ともつかない感情が真に世界を動かしているような気がする。


大河ドラマ「青天を衝け」で準主役である徳川慶喜を演じて好評を得た草彅剛。私と同じ1974年生まれの俳優としては間違いなくトップにいる人である。横浜で観た時も前半は演技を抑え、シェイクスピア俳優(小林勝也。ヒトラーは俳優から人前に出るための演技を学んだとされるが、ヒトラーに演技を教えたのはパウル・デフリーントというオペラ歌手であると言われている。「アルトゥロ・ウイの興隆」でシェイクスピア俳優に置き換えられているのは、この作品がシェイクスピアの「リチャード三世」を下敷きにしているからだと思われる)に演技を学んでから生き生きし出したことに気づいたのだが、注意深く観察してみると、登場してからしばらくは滑舌を敢えて悪くし、動きにも無駄な要素を加えているのが分かる。意図的に下手に演じるという演技力である。


演説には乗れなかったが、スタンディングオベーションは誰よりも早く行った。良い芝居だった。

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