カテゴリー「音楽劇」の25件の記事

2020年1月19日 (日)

観劇感想精選(338) 草彅剛主演「アルトゥロ・ウイの興隆」

2020年1月13日 横浜・山下町のKAAT 神奈川芸術劇場にて観劇

午後2時から、KAAT 神奈川芸術劇場で、「アルトゥロ・ウイの興隆」を観る。ベルトルト・ブレヒトが1941年にアメリカの地で書き上げた戯曲。当時、ブレヒトはナチスの台頭したドイツから亡命し、西欧やアメリカを転々とする生活を送っていた。アドルフ・ヒトラーやナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)がバリバリの現役だった時代に揶揄と告発を展開しており、チャップリンの「独裁者」と並んでファシズム興隆期にリアルタイムで語られた貴重な記録である。もっとも、チャップリンの「独裁者」は戦中に上映されているが、「アルトゥロ・ウイの興隆」は危険視されたため上演は延び延びになり、1958年になってようやくアメリカ初演に漕ぎ着けている。だが、危険視されたという事実自体がブレヒトのナチスとヒトラーに対する極めて正確にして的確な分析を物語っている。先日、兵庫県立芸術文化センターで永井愛作・演出の「私たちは何も知らない」を観ているが、「アルトゥロ・ウイの興隆」もまた恐怖演劇の先駆ともいうべき作品である。
「アルトゥロ・ウイの興隆」は残念ながら横浜だけでの上演である。横浜での上演なら普通は諦めるところだが、昨年、大阪・周防町のウイングフィールドで「アルトゥロ・ウイの興隆」に関する勉強会のようなものに参加しており、更に今回、アルトゥロ・ウイを演じるのが同い年である草彅剛ということで、チケットの先行予約に申し込み、取ることが出来たため、出掛けることにした。新しい地図のメンバーの出演作は人気で、チケットはなかなか取れなかっただけに、今回はついていた。

作:ベルトルト・ブレヒト、テキスト日本語訳:酒寄進一、演出はKAAT 神奈川芸術劇場芸術監督でもある白井晃。出演は、草彅剛、松尾諭、渡部豪太、中山祐一郎、細見大輔、粟野史浩、関秀人、有川マコト、深沢敦、那須佐夜子、春海四方、小川ゲン、古木将也、小椋毅、チョウヨンホ、林浩太郎、神保悟志、小林勝也、古谷一行。
演奏は、オーサカ=モノレール。

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KAAT(KAnagawa Art Theatre)神奈川芸術劇場に来るのは初めてである。NHK横浜放送局の庁舎内5階にホールがあり、エスカレーターとエレベーターで繋がっているが、帰りは混雑するし、危険な印象も受ける。池袋の東京芸術劇場と同じような感じである。内装は渋谷のオーチャードホールに少し似ているかも知れない。今日は右側サイド席(バルコニー席)の1列目であったが、通路はかなり狭い。中央の座席は足元にまだ余裕があるが、サイド席はそうではない。ただ、サイド席であったため、開演直前に白井晃が客席後方の扉から入ってきて、関係者席に着くのを確認することが出来た。今日の客層は圧倒的に元を含めたジャニーズファンの女性が多いため、白井晃に注目していた人はほぼ皆無。白井さんは上演終了後もしばらく座席に残って隣のスタッフの女性と話していたが、すぐ横を通り過ぎても白井さんに気づく人はいなかった。男性客はブレヒト好きが多かったと思われるが、今日は男性客自体が超少数派である。

客層を予想していたからというわけでもないだろうが、今日は要所要所で上から黒いスクリーンが下りてきて、これがナチスの歴史の何と繋がるかが白い文字で投影されるという、ブレヒトの原案通りの解体した形での上演である。そもそもヒトラーの劇だと知らないで来た人も結構いたと思われる。

舞台は1920年代のシカゴに置き換えられている。禁酒法が施行され、ジャズエイジとも呼ばれたアメリカ青春の時代であるが、同時にシカゴではアル・カポネ(この劇でも名前だけ登場する)が酒の密輸や密造で財産を築くなど、裏社会の人間が暗躍した時期でもある。

シカゴのカリフラワーのトラストは勢力拡大と資金獲得のため、シカゴ市議会議員のドッグズバロー(古谷一行)を買収する計画を立てる。ドッグズバローはシート水運の食堂の主から転身して見事議員に当選した人物であり、「正直者」「清廉潔白」の噂があるが、シート水運の株の半分以上を譲渡し、シート水運の実質的な経営者になる話を持ちかけるとこれに乗ってくる。更にカリフラワー協会からは別宅も譲り受けたドッグズバローだったが、これには後に激しく後悔することになる。トラストは港湾工事の名目による公金を手に入れる。

シカゴの弱小ギャング団のボスであるアルトゥロ・ウイ(草彅剛)もシカゴの街を手に入れるため、八百屋に「用心棒をする」と言ってみかじめ料を取ったりしていたが、更なる権力獲得のためにカリフラワートラストに取り入ろうとするも難航していた。そんな中、ドッグズバローがトラストに便宜を図ることで収賄を行っている証拠を手に入れる。かくて、恐喝によってドッグズバローから権力を譲渡されたウイは、部下のエルネスト・ローマ(後に「長いナイフの夜事件」で粛正されることになるエルンスト・レームに相当。演じるのは松尾諭)、ジュゼッペ・ジヴォラ(ヨーゼフ・ゲッペルスに相当し、ゲッペルス同様、足を引きずって歩く。演じるのは渡部豪太)、マヌエル・ジーリ(ヘルマン・ゲーリングに相当。演じるのは粟野史浩)らと共にシカゴの街を掌握し、更に隣接するシセロの街(オーストリアのメタファー)をも手中に収めようとしていた……。

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赤の仮設プロセニアム、更に舞台の上に同じく赤い色のステージがあり、ここで演奏と歌が行われる。アルトゥロ・ウイとその部下達は赤いスーツを着ている。3人の女性ダンサー(Ruu、Nami Monroe、FUMI)も赤の衣装だ。ドッグズバロー(パウル・フォン・ヒンデルブルク大統領に相当)やカリフラワートラスト(ユンカーと呼ばれるドイツの地方貴族達がモデルである。「貴公子」に由来する「ユンカー」という言葉には馴染みがない人でも、別の読み方である「ユンケル」なら意味は知らなくても言葉自体は目にしたり耳にしたりしたことは確実にあるはずである)のメンバーは他の色の衣装であるが、ある時を境に、赤の衣装へと切り替わる。

客席ステージをフルに使った演出であるが、民衆役の俳優も客席にいる時に上着を脱ぎ、下に来ていた赤い背広を露わにする。草彅剛も何度も客席通路に降りるが、ラストの演説の前では客席上手入り口から登場し、客席通路を通ってステージに上がる。ナンバー2にのし上がったジヴォラもその少し前に同じ様に客席下手入り口から登場してステージに上がっており、流石は白井晃、よくわかっている演出である。

ジェイムズ・ブラウンの曲が草彅やオーサカ=モノレールのヴォーカルである中田亮によって次々に歌われ、アメリカンソウルが高揚して客席も熱狂するが(ナチス時代ならワーグナーやベートーヴェンが流れるであろう)、それが凄惨な悪夢へと転じていく様が鮮やかである。アルトゥロ・ウイの一党が着ている赤いスーツはナチスのハーケンクロイツの旗に用いられていた赤が由来だと思われるが、同時に流血をイメージする色でもある。あるいはKAATの座席の色だったり「朱に交われば」という言葉も掛かっているのか知れないが、全ての登場人物の衣装が赤に変わっていく過程は、フランク・パヴロフとヴィンセント・ギャロの『茶色の朝』を想起させる。白井晃なら当然、『茶色の朝』ぐらいは知っているだろうし、意識したとしても当然のように思われる。

SMAPのメンバーの中で、演技力ならナンバーワンだと思われる草彅剛。芝居の開始当初はセリフのノリが今ひとつに感じられたが、これはシェイクスピア俳優(小林勝也)から「ジュリアス・シーザー」の一節を用いた演技指導を受けて以降のアルトゥロ・ウイと対比させるために敢えて抑えていた可能性もある。第2幕冒頭では、「横浜KAATでアルトゥロ・ウイ!」を連呼して客席に熱狂と一体感を呼び起こし、終盤に至るとアルトゥロ・ウイの狂気を爆発させて、燃えさかる紅蓮の炎のような激しさで見る物を引きずり込んでいく。シェイクスピア俳優が演技指導をするということで、ブレヒトもシェイクスピアの「リチャード三世」を意識していたのかも知れないが(実際に亡霊が主人公を苛むというシーンがある)、アルトゥロ・ウイもリチャード三世同様、実に魅力的で危うく、草彅剛は自らの風貌を生かした狡猾にして人を惹きつける男を舞台上に現出させる。
「リチャード三世」違ってリッチモンドは登場しないが、それはまだヒトラー政権が続いていた時代に書かれたものであるためで、ブレヒトはたやすく救済を用意したりはしない。ただ、ラストで告発は行われている。現に今起こっていることに対する告発である。音楽の高揚感の中での告発であり、その後の沈黙が強烈に響くことになった。

 

終演後、KAATの外に出た時、向かいのビルにアルトゥロ・ウイの亡霊がいるのを発見する。KAATの外壁にはアルトゥロ・ウイを演じる草彅剛の巨大パネルが掲げられていたのだが、それが向かいのビルの窓に写っていたのである。

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2019年12月25日 (水)

観劇感想精選(332) 戸田恵子一人芝居「虹のかけら~もうひとりのジュディ」(ネタバレありバージョン)

2019年12月3日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後6時30分から、大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼで「虹のかけら~もうひとりのジュディ」を観る。構成・演出:三谷幸喜。戸田恵子による一人芝居である。音楽監督は、三谷作品にはお馴染みとなった荻野清子であり、荻野のピアノ、平野なつきのベース、BUN Imaiのドラムという3人の女性バンドの演奏に乗せて、戸田が演じ、歌う。
振付・ステージングは、本間憲一。
昨年初演が行われた作品で、今回は再演となる。

開演前に三谷幸喜による録音のアナウンスが2度あったのだが、内容は少し異なり、一度目は「私が三谷幸喜です」と落ち着いた自己紹介を行っていたが、二度目は「そうです! 私が三谷幸喜です!」と演説調になり、「会場内での録画、再生、早送りはご遠慮下さい」が、「会場内での録画、再生、巻き戻しはご遠慮下さい」に変わったり、「音の出る電子機器をお持ちの方は、電源を切るか、いっそのこと壊すかして下さい」が「電源を切るか、水に漬けて下さい」に変わったりする。2度目のアナウンスでは、「まもなく開演です! 開演です! 開演です!」とせかしていた。
そういえば、青山劇場で「オケピ!」の初演を観た時も、三谷の録音によるアナウンスがあり、「埼玉県にお住まいの方は、早めにお帰りになるか、引っ越すかして下さい」と言っていたっけ。

実は、この作品、重要なネタバレ禁止事項がある。12月25日のクリスマスの日に行われる千秋楽を迎えたため明かすことにする。

 

映画「オズの魔法使」や「スタア誕生」などで知られるジュディ・ガーランドの生涯を、ガーランドのスタンドインや付き人を務めたジュディ・シルバーマンの目を通して語る作品である。戸田恵子と三谷幸喜による一人芝居は先に「なにわバタフライ」があり、「なにわバタフライ」がセリフのみによる進行だったのに対して、「虹のかけら」は、ストーリーテラーとセリフを兼ねる語り物である。歌も全11曲が歌われるため、ショーの要素もふんだんにある。

歌唱楽曲は、「I got rhythm」「Zing! went the string of my heart」「over the Rainbow」「I Love A Piano」「A couple of swells」「You made me love you(Dear Mr Gable)」「The trolly song」「Get Happy」「Swanee」「Over the Rainbow(Rep)」「On the sunny side of the street」

まず、荻野清子、平野なつき、BUN Imaiのバンド3人が、客席入り口から現れ、客席通路を通ってステージに上がる。一応、3人にもセリフがあり、荻野「今日、これ終わったら何食べる?」、平野「餃子」、荻野「私は551の豚まん(大阪ネタ)」、BUN「ゆで卵」、荻野「みんなそれぞれだね」というもので、入れる意味はあんまりない。まあ、折角なので喋って貰おうということなのだろう。

その後、戸田恵子がやはり客席入り口から、「遅くなっちゃった!」と言って現れる。

まずはジュディ・ガーランドの説明から入る。ジュディ・ガーランドは1922年生まれ。1929年に二人の姉とガムシスターズを結成し、幼くしてデビュー。ちなみにガムは、本名であるフランシス・エセル・ガムに由来する。
13歳にしてMGMと契約を交わして映画デビューし、天才子役として持て囃され、17歳の時に「オズの魔法使」のドロシー役で人気を決定的なものにする。
しかし、子どもの頃から薬物中毒に苦しめられ、若くして成功したことに由来すると思われる奔放さによって多くの人から見放されることとなり、47歳の若さで他界している。ちなみに娘は女優となったライザ・ミネリである。

そんなジュディ・ガーランドの姿が、もうひとりのジュディであるジュディ・シルバーマンの日記から構成されたテキストによって浮かび上がる。
ちなみに「虹のかけら」というのは、戸田恵子がニューヨークに行った時に発見し、夢中になって一晩で読んだというジュディ・シルバーマンの著書『Piece of Rainbow』に由来する。

ジュディ・ガーランドは、トニー賞やグラミー賞を受賞しており、アカデミー賞は何度もノミネートされるも手が届かなかったが、女性としては最高の栄誉をいくつも手にしたアメリカンドリームの体現者である。ただその栄光とは裏腹に、結局、全員が最後は彼女を見捨て、心から愛してくれる人に巡り会うことが出来なかった人間としての失敗者でもある。オーディションで「オズの魔法使」のドロシー役に手が届く所にいながら、ガーランドに奪われ、平凡な道のりを辿ることになったジュディ・シルバーマンとの対比により、人生の意味が問われることになる。

実は、ジュディ・シルバーマンというのは架空の人物である。これはクライマックスにおいて、三谷の影アナによって明かされる。『Piece of Rainbow』という書籍も当然ながら存在せず、全ては三谷が書いたテキストである。

三谷幸喜「そもそも戸田恵子に英語の原書を一晩で読める英語力はありません」

というわけで、三谷幸喜の構成というのも実はフェイクで、実際には三谷幸喜の作と書いた方が適当である。表裏一体ともいえる人生の明と暗を描く上で三谷が行った仕掛けというわけだ。
なお、ドロシー役をジュディ・ガーランドに奪われることになった女優は、実際はシャーリー・テンプルだそうで、「ジュディ・ガーランドよりもずっと成功することになった。人生どうなるかわからないもんですね」と三谷は語っていた。

 

当て書きを常とする三谷幸喜であるが、今の年齢の戸田恵子にまさにぴったりの作品となっている。戸田恵子以外の俳優には上手く馴染まないだろうし、もう少し若い時の戸田恵子が演じても今ほど奥行きは出ないだろう。

なお、終演後のアナウンスで三谷は、「戸田恵子生誕70年記念作品として、『三人目のジュディ 魅せられて』を上演する予定です」と、どう考えてもジュディ・オングを描いた一人芝居の上演を予告していたが、本当にやるのかどうかはわからない。

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2019年11月17日 (日)

観劇感想精選(326) こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」2019

2019年11月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」を観る。井上ひさしの劇作家としての遺作の上演。2010年に初演され、2012年に再演。それから久しぶりの再々演となる。演出は初演から引き続き栗山民也が手掛け、音楽&ピアノ演奏も小曽根真が担当する。出演:井上芳雄、高畑淳子、上白石萌音、神野美鈴、山本龍二、土屋佑壱。上白石萌音は石原さとみからのバトンタッチ、土屋佑壱は山崎一から役を引き継いでいるが、それ以外は初演時と同じキャストでの上演である。

「組曲虐殺」は、プロレタリア小説家として最も有名な人物と思われる小林多喜二を主人公とした音楽劇である。リーマンショック後の2010年頃は一大不況が全世界を覆っており、イタリア初とされるプレカリアートという言葉が紹介されるなどプロレタリア文学にも光が当たっていた時期で、「蟹工船」が映画化されたりもしている。

昭和5年(1930)5月下旬から昭和8(1933)年2月下旬までの2年9ヶ月が断続的に描かれる。

まず、小林多喜二が伯父が経営するパン屋で育ったことが紹介される。小林多喜二は小学校を皆勤賞の上、成績も最優秀ということで伯父に見込まれ、住み込みでパン屋を手伝いながら小樽商業学校と小樽高等商業学校(現在の国立大学法人小樽商科大学)を卒業。北海道拓殖銀行(1997年に経営破綻し、山一証券とともにバブル崩壊後不況の象徴となった)に勤務し、銀行員として働く傍ら、「蟹工船」などのプロレタリア小説を発表し、高く評価されたが、そのことが原因で拓銀を追われている。

小林多喜二の伯父が経営するパン屋(小林三ツ星パン)は最初は「小樽で一番のパン屋」と歌われるのだが、その後「北海道一のパン屋」に歌詞が変わり、最後は焼失かとしての小林多喜二の下地を生んだということで「日本で一番のパン屋」と歌われる。この小さいところから徐々に拡大していくセリフはその後も何度か登場する。
パン屋では代用パンが、安いにも関わらず売れない。小樽商業学校時代の小林多喜二(井上芳雄)は、誰かが「代用パンを買う金をくすねている」からだと考える。それが後の巨大資本や官僚批判へと繋がっていく。

多喜二は、酌婦(体を売る接待係)の田口瀧子(上白石萌音)と出会い、引き取ることにするのだが、「奥さんと許嫁の間」という中途半端なポジションであり、多喜二は奥手なので、「キスはしていて抱き合ってもいるが、生まれたままの状態でではない」というこれまた中途半端な付き合い方をしている。結局、瀧子とは籍を入れないままで終わった。

場面は大阪市の大阪府警島之内署の取調室に変わる。多喜二は大阪で講演を行った夜に、日本共産党への資金提供容疑で逮捕されたのだ。黙秘を続けていた多喜二だが、話が瀧子や伯父のことに及ぶやうっかり話し出してしまう。

豊多摩警察署の独房で、多喜二は自らの無力さを嘆くブルースを歌う(「独房からのラヴソング」)。

その後、多喜二は監視役の特高刑事である古橋(山本龍二)と山本(土屋佑壱)が杉並町馬橋の多喜二の借家に下宿するという形での不思議な生活を送る。多喜二の姉である佐藤チマ(高畑淳子)や瀧子も馬橋の家を訪ねてくる。瀧子は山野美容学校などに通い、美容学校の助手となっていたが、収入の問題で辞め、今は給仕をしている。瀧子はパーマネントの技術を身につけたのだが、当時、パーマネントの機械は日本に3台しかないということで、その腕を生かせずにいた。多喜二はそのことを嘆くのだが、これは「独房からのラヴソング」にも呼応している。多喜二は結局は同じ無産者活動家の伊藤ふじ子(神野美鈴)と結婚するのだが、それは瀧子を危険に巻き込みたくなかったからであり、不思議な距離の愛情は終生続くことになる。

酌婦に身を落とすしかなかった瀧子、美術学校に通い舞台美術家などを経て活動家となるふじ子など搾取される側にいる階級の女性が登場するが、憎むべき特高の刑事達も、上の命令に「犬」として従うしかないという苦みを歌い上げており、やはり下層にいる哀れむべき人々として描かれている。そこに井上独特の視点があるように思われる。

日本共産党員であった井上の政治観については、ここで私が書いても余り意味のないことであり、そうした面から語ることの出来る他の多くに人に任せた方が良いように思う。私がこの劇から感じたのは、「書くこと」「イメージすること」の重要性だ。多喜二は「体で書く」重要性を特高の山本に伝える。多くの人は手や頭や体の一部で文章を書くのだが、大切なのは体全体で書くことであり、体全体で書かれたものは、書き手そのものとなって残っていく。
小林多喜二は若くして虐殺されたが、「蟹工船」を始めとする作品は今も読まれ続け、時にはブームも巻き起こす。そのことで私達は小林多喜二その人に触れることも出来る。そして井上ひさしが全身で書いたこの戯曲も、井上が亡くなって間もなく10年が経とうとしている今も上演され、井上本人の肉声に触れるかのような体験を可能としている。

 

ミュージカルトップスターの井上芳雄の歌声が素晴らしいのは勿論だが、瀧子を演じた上白石萌音の歌声も予想を遙かに凌ぐ凄さ。彼女の声凄さは、耳にではなく心に直接染みこんでくることである。稀な歌唱力の持ち主とみていいだろう。ミュージカル映画「舞妓はレディ」の小春役で注目を浴びた上白石萌音。実は「舞妓はレディ」はミュージカル化されて博多座で上演されており、私も観に出掛けたのだが、その際は唯月ふうかが小春を演じている。唯月ふうかも若手ミュージカル女優としてはトップクラスなのだが、そのため却って「ああ、上白石萌音は別格なんだな」と実感することになった。

小曽根真のピアノと音楽も多彩な表情で芝居を彩る。クルト・ワイル風のワルツが登場したりするが、実は井上ひさしが「ロマンス」でクルト・ワイルの音楽に歌詞を付けていたそうで、その影響もあるのかも知れない。

井上ひさし本人が、これが最後の戯曲になるとわかっていたのかどうかは不明である。だが、井上の最後の戯曲らしい仕上がりとなったのも事実である。
これは悲劇であるが、「思いが残っていればいつかきっと」という希望と「不滅と広がりの予感」を歌い上げる祝祭劇でもある。

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2019年11月 1日 (金)

観劇感想精選(324) 野田地図(NODA・MAP)第23回公演「『Q』 A Night At The Kabuki」

2019年10月24日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後7時から、大阪・上本町の新歌舞伎座でNODA・MAPの第23回公演「『Q』 A Night At The Kabuki」を観る。作・演出・出演:野田秀樹。出演は、松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳、橋本さとし、小松和重、伊勢佳世、羽野晶紀、竹中直人ほか。音楽:QUEEN、サウンドデザイン:原摩利彦、衣装:ひびのこづえ。

野田秀樹がクイーンのアルバム「オペラ座の夜」にインスパイアされて作り上げたという舞台。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」に地獄といわれたシベリア抑留などを絡ませて物語は進む。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」とは異なり、生き延びたそれからの愁里愛(じゅりえ。松たか子)とそれからの瑯壬生(ろみお。上川隆也)が、30年前の自分達である源の愁里愛(広瀬すず)と平の瑯壬生(志尊淳)の悲劇を避けるために介入していく。

時は平安末期、源平の騒乱の最中である。源義仲(橋本さとし)が源氏の統領となり、壁一枚隔てた平氏の館と冷戦が続いている。そんな中、平清盛(竹中直人)の息子である平の瑯壬生と源頼朝の妹である源の愁里愛は、一目で互いに恋に落ちた。全ての悲劇の発端となる出会いを思い起こし、それからの愁里愛とそれからの瑯壬生は、共にかつての自分に入れ知恵をする。まるでダブル「シラノ・ド・ベルジュラック」のように。

戦後、シベリアに抑留されていたそれからの瑯壬生は、実は30年前、都に帰ることになった平の凡太郎(竹中直人二役)に尼になったそれからの愁里愛への手紙を託していた。だが、30年かけてようやく平の凡太郎から愁里愛へと手渡された手紙は白紙だった。凡太郎は都に帰ってこられた嬉しさで遊び倒し、愁里愛に手紙を渡すことを30年も忘れていたと語るが、それは実は嘘であることがわかる。それからの瑯壬生は、通常の手紙とは異なる形のメッセージを凡太郎に託していたのだが、凡太郎はその内容に気後れがして、30年もの間、渡すことを躊躇していたのだ。

30年前、二人が出会い、たった5日間の愛を交わし合った日々。都では源氏が裏で操る「名を捨テロリスト」達とそれに反抗する平氏の「拾うヒロイズム」による抗争が続いていた。源の愁里愛は、平の瑯壬生が平氏の御曹司であることを嘆き、「名を捨てて」と願い、つぶやいた。愛も何も知らない少女のちょっとした思いつきが後の悲劇の始まりとなる。

 

「ロミオとジュリエット」のセリフを比較的忠実になぞる部分があるが(「平家物語」に出てくる言葉がそれに沿うように挟まれる)、ジュリエットが望んだ「名」つまり「属性」を捨てることの愚かさをある意味告発する内容である。

アノニマスとなりすましが日常的に行われている現在において、ネット上では匿名であるということが時に暴力に繋がるように、現代の戦争は匿名の兵士が人々を「名もなき存在」として殺していく。
生きながらえたそれからの瑯壬生は、「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい」と嘆くが、気を取り直して名もなき一兵卒として戦争に参加することを望み、名を平の平平(へいへい)と偽る。だが、名乗りを上げて一騎打ちのそれまでの戦とは違い、ロミオが加わった戦争は、どこからか誰ともわからぬ者達が一斉に打ちかけてくるというアノニマスな戦場だった。

一方、それからの愁里愛は尼となり、修道院へと向かう。修道院行きのバスで出会った「尼ぞねす」という団体には、源義仲を殺した瑯壬生への恨みを抱いたままの尼トモエゴゼ(伊勢佳世)や、世の中は色々なものが「混ざってるさ」ということでマザーッテルサと名乗る尼(羽野晶紀)がいた。それからの愁里愛は、彼女達と行動を共にするのだが、一行はいつの間にか看護師の団体として戦場に着いている。「尼ぞねす」達は、野戦病院の看護師として従軍、次々と運ばれてくる瀕死の兵士達を看護する。その野戦病院で瑯壬生と愁里愛は再会するのだが、瑯壬生は源義仲殺しのお尋ね者にして清盛亡き今では平氏の頭領ともなり得る人物で正体がバレれば即死罪は免れない。愁里愛は、今や為政者となった源頼朝(橋本さとし)の妹ということで正体が明らかになれば連れ戻される。そのため互いの名を呼ぶことが出来ない。
そしてそれからの瑯壬生は、シベリア送りとなり、名前をなくしたことで引き上げの際にも名前が呼ばれることはなく、戦友達が船出する中で俊寬のように一人シベリアに取り残されることになる。
そんな中、『夜と霧』のヴィクトール・フランクルのように愁里愛を想い続けてきた瑯壬生は、ある意外な内容の手紙を凡太郎に言付けた。回り回った表現で綴られた愁里愛への思い。凡太郎はそれを勘違いするが、愁里愛には確かに伝わる。想像の空間の中で二人は愛を成就させるのだが、「名」をなくした行いは重く、厳然たる現実が突きつけられて劇は終わりを告げる。平安絵巻の形を借りて、冷戦終結後30年の名もない時代、アノニマスとなりすましの時代である今が問われるのである。「名」を捨てて安易に暴力へと走って良いのか? 「誰か」になることで、己をむなしくしてはいないか?

 

日本における理知派俳優の代表格である松たか子と上川隆也の共演。1997年の元日にTBS系列で放送された正月ドラマ「竜馬がゆく」で坂本竜馬と千葉さなとして共演していた二人だが、舞台での共演を見るのは初めてである。理知派の二人であるが、野田秀樹の舞台ということもあって、頭で作り上げた演技よりもこれまで培ってきた俳優としての身体技術の高さの方が目に付く。上川隆也は、大河ドラマなど数々の時代劇への出演で身につけたキレのある動きと存在感、松たか子は40歳を超えてなお光る可憐さで魅了する。

広瀬すずは熱演だが、感情が先走りしすぎてセリフが追いつかない場面が散見される。ただ、まだ若いのだし、初舞台ということでこんなものなのかも知れない。志尊淳は見た目や立ち振る舞いは良いが、存在感においては先に挙げた三人には及ばないように思われた。キャリアの差かも知れない。

野田秀樹の舞台へは初出演となる竹中直人。いつもながらの竹中直人で安心する。竹中直人と松たか子という大河ドラマ「秀吉」(1996年)のコンビのやり取りが見られたのも嬉しい。竹中直人が主役である豊臣秀吉、当時まだ十代であった松たか子が淀殿を演じていた。

羽野晶紀と伊勢佳世は、共に男に媚びを売るぶりっこの演技も見せるのだが、関西でそうした演技をすると二人とも島田珠代に見えてしまう。キャラを確立している島田珠代が凄いということなのかも知れないが。

言葉遊びを多用する野田秀樹の手法はいつもながら冴えているが、シベリア抑留の生活を言葉だけで語る(「言葉、言葉、言葉」)となるとどうしても弱くなり、切実さが感じられない憾みもあった。クイーンの音楽の使い方も十分とは思えず、インスパイアされるのは良いが、劇中で「オペラ座の夜」に収録された音楽が流れると面映ゆく感じられもした。

途中20分の休憩を挟んで上演時間約3時間という、野田秀樹としては大作であり、平氏の一党がハカを踊るシーンがあったりと、詰め込みすぎの印象も拭えないが、野田秀樹の問いの鋭さと深いメッセージにはやはり感心させられる。

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2019年8月17日 (土)

観劇感想精選(313) オフィス3○○ 音楽劇「私の恋人」

2019年8月9日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後7時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、オフィス3○○(さんじゅうまる)の音楽劇「私の恋人」を観る。原作:上田岳弘(たかひろ)、脚本・演出・衣装・出演:渡辺えり。出演:小日向文世、のん、多岐山壮子、松井夢、山田美波、那須野恵。ミュージシャン:三枝伸太郎。歌唱指導:深沢敦。

のんはこれが初舞台。兵庫県出身ということで(そもそも能年という苗字は兵庫県固有のものである)凱旋公演となる。東京の東大和市でプレビュー公演が行われたが、本編の上演は今日が初日となる。

3○○にちなみ、主演俳優3人が30の役を演じるという音楽劇である。

まず、下手客席入り口から小日向文世と渡辺えりが登場。小日向文世は、「歌なんか歌いたくないよ」と文句を言い、「ミュージカルみたいに突然歌い出すの? 変だよ、みっともないよ」と続ける。渡辺えりが、「それは偏見」と言うべきところを「それは先見」と言ってしまって言い直す。初日ということでまだセリフが完全にものになっていないようで、小日向文世も中盤の「おやじが死んで」と言うべきセリフを「俺が死んで……、俺は死んでないよな」と言い直していた。

冒頭に戻るが、小日向文世がぐずるので渡辺えりが一人で歌おうとするが、まさに第一声を発しようとした瞬間にのんが上手から駆け込んできて、奪うようにして歌い始めてしまう。のんは渡辺えりに譲りそうな気配を見せるも、結局、全編歌う。渡辺えりが、「あんた誰?」と聞くと、のんは「まだ誰でも」と答える。
その場に歌いたい女が二人、歌いたくない男が一人でということで、のんが「ならば、踊ろう!」と提唱してダンスが始まる。

 

メインとなるのは、井上由祐(のん)と主治医の高橋(小日向文世)の物語である。井上は前世ではナチ圧制下のドイツで過ごしたユダヤ人、ハインリッヒ・ケプラーであり、そのまた前世は10万年前のクロマニヨン人であった。由祐は10万年前の前前世から「私の恋人」を探しているのだが、まだ見つかってはいない。

一方、由祐の主治医でありながらどう見ても精神を病んでいそうな高橋は、二度の行き止まりを迎えた人類の旅を切実に体験するため、絶滅した優秀なタスマニア人が見た景色を求めてオーストラリアに旅に出る。道中、高橋はキャロライン(キャリー)という女性と出会うが、のちに由祐は彼女こそが「私の恋人」であると見なすことになる。

由祐の双子の弟である時生(渡辺えり)は、子供の頃からずっと引きこもりであり、良い大学から良い企業へと就職した兄に劣等感を抱いていた。二人の父親(小日向文世)は東北で時計屋を営んでいる。時生は「断捨離」を提唱するのだが、父親が残してきた雑多なものは断捨離などしなくても東日本大震災の津波で全て失われてしまうことになる(渡辺えり独自の視点だと思われるが、日本に於ける一度目の行き止まりが敗戦で、二度目が東日本大震災とされているようである)。

やがて老境に達した由祐(小日向文世)の下(もと)に未来の由祐(のん)がやって来る。小日向文世が演じる由祐は今もまだ「私の恋人」に出会えていないが、それは実は未来の由祐が未来からの操作を行っていたことが原因であった。

なぜ、過去を操ろうとするのか?

ラストでは、高橋が神の視点からの発言も行う。看護師の川上(渡辺えり)は、「狂っている」と一蹴するが、高橋は「神は狂っている」と断言する。

 

のんは初舞台の初日ということで、セリフが舞台に馴染んでいない印象を受ける。想像通りの演技をする人で才気を感じるタイプではなく、よく言えば等身大の演技をする人だが、元々が女優としては特別美人でも飛び抜けて可愛いというわけでもなく、同級生にいそうなタイプというポジションにいた人だけにこうした演技があるいは彼女の真骨頂なのかも知れない。「のんはのんだった」ということである。
歌手としても活動しているのん。歌は特段上手いということはないが、美声である。

 

2016年の大河ドラマ「真田丸」放送時に、若い頃の写真が堺雅人に似ていると話題になった小日向文世。今日は様々なかつらをかぶって色々な役をこなしていたが、髪があると今でも小日向文世は堺雅人に似ている。骨格が似ているということもあってか、声も同じ系統であるようだ。

 

カーテンコールで、渡辺えりから、初舞台の初日を地元の兵庫で迎えた感想を聞かれたのんは、「素直に嬉しいです」と答えていた。

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2019年7月31日 (水)

観劇感想精選(310) OSK日本歌劇団 OSK SAKURA REVUE 「海神別荘」&「STORM of APPLAUSE」

2019年7月21日 京都四條南座にて観劇

午後3時から、京都四條南座で、OSK SAKURA REVUE 「海神別荘」&「STORM of APPLAUSE」を観る。南座新オープンを記念したOSK日本歌劇団の上演。午前11時に第1回公演があり、この午後3時からの2回目を経て、夜には声優とのコラボレートによるまた別の演目が行われるというOSKウィークである。

今日は3階席2列目の上手側だったが、脚が本調子ではないため、行き帰りともにエレベーターを使った。

 

第1部 歌劇「海神別荘」。泉鏡花の代表的戯曲をアレンジしての上演である。原作:泉鏡花、作・構成:広井王子、演出・振付:麻咲梨乃。音楽は「サクラ大戦」のものを使用している。出演は、桐生麻耶、楊琳、虹架路万、愛瀬光、華月奏、白藤麗華、遥花ここ、城月れい、麗羅リコ、実花もも、穂香めぐみ、壱弥ゆう、椿りょう、栞さな、柚咲ふう、桃葉ひらり、りつき杏都、凜華あい、琴海沙羅、雅晴日、湊侑李、京我りく、紫咲心那、純果こころ、依吹圭夏、叶望鈴、瀧登有真、優奈澪。特別専科から朝香櫻子と緋波亜紀が参加している。

泉鏡花の三大戯曲の一つとして扱われることも多い「海神別荘」。新派で上演されることが多く、歌舞伎版も存在するが、今回は広井王子がまとめた上演時間約55分のものが用いられている。台詞もかなり平易なものに変えられている。

海の公子(桐生麻耶)と陸の美女(城月れい)の話である。海の公国に、贈品の身の代として陸の美女が送られてくる。陸の美女は元の陸に帰りたがるが、もはや体は人間が見ると白蛇のなりに変わっており、戻った陸では迫害を受ける。海の公子は、海の世界は愛の世界であり、拝金主義や差別がまかり通っている陸上とは違うと宣言して、美女に永遠の愛を誓う。

 

「天守物語」などに顕著なのだが、泉鏡花は妖怪を崇高、人間を醜悪な存在として対比させることがあり、この「海神別荘」でもそれは踏襲されている。愛の至高は説かれているのかどうかははっきりとわからないが、俗人間より一段高いものへの憧れは秘められている。

OSK日本歌劇団の団員であるが、役を貰えているスターとアンサンブルのキャストでは歌唱力にかなり差がある。役を貰えなかった人は声量にも乏しいが、声の輪郭がボンヤリしていて音程がはっきりしない。切れや表現力に至る前に超えられない壁が現時点ではあるようだ。

 

35分の休憩を挟んで第2部はダンスレヴュー「STORM of APPLAUSE」。ミュージカルが売りの宝塚とは違って、OSKは代々ダンスレヴューを得意としてきた。客層もダンス目当ての人が多いようで、幕間にはそうした声も聞かれていた。

宝塚は東京に進出して東宝を築いたが、東京に姉妹劇団のSKDがあったためにOSKは今も大阪ローカルのまま。ただ街の雰囲気的にダンスレヴューは関西で行った方が合っているようだ。様々な要素がごっちゃになっている様は歴史の長い関西そのものであるようにも思える。

 

ラストは、OSK日本歌劇団の団歌で、昭和5年以来歌い継がれている「桜咲く国」。宝塚の「スミレの花咲く頃」ほど有名ではないが、こちらも良い曲である。

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2019年7月20日 (土)

コンサートの記(575) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019 レナード・バーンスタイン ミュージカル「オン・ザ・タウン」西宮公演

2019年7月14日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019 ミュージカル「オン・ザ・タウン」を観る。佐渡の師であるレナード・バーンスタインが初めて作曲した舞台作品であり、某有名ドラマシリーズのタイトルの由来となったミュージカル映画「踊る大紐育」の原作としても知られている。

佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)の演奏。演出・装置・衣装デザインは、イギリス出身で佐渡プロデュースオペラの「魔笛」と「真夏の夜の夢」でも演出を担当したアントニー・マクドナルド。合唱は特別編成である、ひょうごプロデュースオペラ合唱団(合唱指揮:矢澤定明)。
佐渡プロデュースオペラは、外国人キャストと邦人キャストの日が交互に来ることが多いが、今回はミュージカル作品でダンスも多いということで、ロンドンで行われたオーディションで選ばれた白人中心のキャストでの上演である。出演は、チャールズ・ライス(ゲイビー)、アレックス・オッターバーン(チップ)、ダン・シェルヴィ(オジー)、ケイティ・ディーコン(アイヴィ)、ジェシカ・ウォーカー(ヒルディ)、イーファ・ミスケリー(クレア)、スティーヴン・リチャードソン(ピトキン判事&ワークマン1)、ヒラリー・サマーズ(マダム・ディリー)、アンナ・デニス(ルーシー・シュミーラー)、フランソワ・テストリー(ダイアナ・ドリーム、ドロレス・ドロレス、老女)ほか。このほかにもアンサンブルダンサーとしてバレエやコンテンポラリーのダンサーが数多く出演している。振付はアシュリー・ペイジが担当。

ブルックリンの海軍造船所に停泊した船に乗る、ゲイビー、チップ、オジーの3人の水兵が初めて訪れたニューヨークでの24時間の休暇を楽しむべく、様々な観光地を巡る計画を立てている。今回のセットは全面にマンハッタン島を中心としたニューヨークのガイド地図が描かれたものだ。ゲイビーはニューヨークの女の子とデートがしたいと語る。
キャットウォークから様々なボードが降りてきたり、左右から地下鉄の車両内のセットや登場人物のアパートメントの部屋などが出てくるなど、コミック調の演出と舞台美術が特徴である。またニューヨーク市タクシー(通称:イエローキャブ)は実際に舞台上を走り回る。

ニューヨークの地下鉄の乗り込んだ3人の水兵。ゲイビーは車両内に飾られた「6月のミス改札口」に選ばれたアイヴィ・スミスのポスターを見て一目惚れ。ニューヨークに住んでいるはずのアイヴィを探し出そうとチップやオジーに提案。ポスターに書かれた情報を手がかりに3人で手分けしてアイヴィを探すことになる。
イエローキャブに乗ったチップは、女性運転手のヒルディ(本名はブルンヒルド・エスターハージ)に惚れられ、ポスターにあった「アイヴィはミュージアムで写生の勉強をするのを好む」という情報を頼りにミュージアムに向かったオジー(勘違いして美術館ではなく自然史博物館に行ってしまう)は、文化人類学者のクレアと出会い、恋に落ちる。そしてゲイビーは「アイヴィはカーネギーホールでオペラのレッスンをしている」という記述に従い、カーネギーホール(ゲイビーは「カニーギホール」と誤読している)のレッスン室でアイヴィを探し出す。

地下鉄内でゲイビーが「6月のミス改札口」のポスターを剥がすのを見とがめた老女がその後も執拗に水兵達を追いかけようと登場するのが特徴。「統一感を与えるため」らしいのだが、この老女はクロノスの象徴なのではないかと思われる。実際に24時間ひいては人生や青春の短さが登場人物によって何度も歌われており、若者達の行方を遮る時間がつまりはクロノスとして現れているのであろう。

「オン・ザ・タウン」が初演されたのは、1944年(大戦中である)。レナード・バーンスタインはまだ二十代。ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニックの指揮台に急遽上がって社会現象を巻き起こした翌年である。登場人物達とさほど変わらぬ年齢だったことになる。

 

兵庫芸術文化センター管弦楽団は、任期3年の育成型オーケストラであり、独自の色は出せない団体だが、若いメンバーが多いということもあってかアメリカものやミュージカルには最適の熱く迫力のある音を奏でる。なお、今回のゲストコンサートマスターはベルリン・ドイツ交響楽団の第1コンサートマスターであるベルンハルト・ハルトーク、第2ヴァイオリン客演首席に元ウィーン・フィルハーモニー第2ヴァイオリン首席のペーター・ヴェヒター、ヴィオラ客演首席にウィーン室内管弦楽団首席のシンシア・リャオ、チェロ客演首席にウィーン室内管弦楽団首席のヨナス・クレイッチ、トランペット首席にジャズトランペッターの原朋直という強力な布陣である。

 

日本人も食生活の変化で体格がかなり良くなったが、やはり平均値では白人の方がスタイルは上で、ミュージカルには栄える。以前、劇団四季が上演した本場ブロードウェイと同じ振付による「ウエストサイド・ストーリー」を京都劇場で観たことがあるが、体操のお兄さん風になっており、まだ歴然とした差があるようだ。

台本と作詞を担当したベティ・コムデンとアドルフ・グリーンのコンビも当時二十代で、これが初ブロードウェイ作品ということで、アメリカ的ご都合主義があったりするのだが、パワフルでユーモアに富んだ流れが実に良い。

 

カーテンコールでは、佐渡裕がイエローキャブに跨がって登場。爆発的に盛り上がり、幕が下りてはまた上がるが繰り返された。

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2019年6月23日 (日)

観劇感想精選(307) OSK日本歌劇団 「Salieri&Mozart サリエリとモーツァルト 愛と憎しみの輪舞(ロンド)」

2019年6月6日 大丸心斎橋劇場にて観劇

午後6時30分から、大丸心斎橋劇場でOSK日本歌劇団の公演「Salieri&Mozart サリエリとモーツァルト 愛と憎しみの輪舞(ロンド)」を観る。作・演出・振付:上島雪夫。音楽:浅野五朗、長野雄輔。出演:虹架路万、愛瀬光、千咲えみ、城月れい、椿りょう、柚咲ふう、唯城ありす、凜華あい、雅晴日、朝風まりあ、知颯かなで、せいら純翔、緋波亜紀(特別専科所属)。
このところ、大阪ではちょっとしたサリエリ・ルネッサンスが起こっており、大丸心斎橋劇場でサリエリの曲目を並べた「サリエリムジカ」という音楽会が催されたり、中之島の中央公会堂で日本テレマン協会が「サリエリ復権」と銘打ったコンサートを予定していたりする。

モーツァルトとサリエリの関係を描いた作品としては、ピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」とそれを基にした映画が有名であり、今回の「Salieri&Mozart」も多くの部分が「アマデウス」をなぞっている。戯曲「アマデウス」には、風と呼ばれる人物2人が登場して、狂言回しの役割を主に担うのだが、今回の劇にも風役に相当する2人がストーリーテラーを務めている。

まず冒頭では、モーツァルトの墓が登場して、ウィーン市民がモーツァルトの墓参に訪れたり、アントニオ・サリエリ(虹架路万)が花を手向けに来たりするが、モーツァルトは共同墓地に埋葬されており、正確な埋葬場所も不明。慰霊塔としての墓石が建てられたのはモーツァルトの死後半世紀以上が経過してからで、史実ではない。この他にもモーツァルトが遺作である「レクイエム」を完成させていたりと、芝居としての嘘が多いが、思いの他しっかりとした本による公演であり、結構感動する。

ウルフガング・モーツァルト(愛瀬光)が子供じみた下劣なところのある人物であるとするのは「アマデウス」と一緒であるが(ピーター・シェーファーは残されたモーツァルトの手紙からモーツァルトの性格を類推している)、音楽に対しては心から打ち込んでおり、純粋に人々に良い音楽を届けたいと願っているのに対して、サリエリは至高の音楽を書き上げたいという我欲と名誉心から音楽に取り組んでおり、敗北を悟るという展開になっている。
サリエリは音楽の神を崇拝しているが、モーツァルトは父親であるレオポルトの束縛を脱するべく「自由」を音楽に盛り込んでおり、新しい音楽として市民からは好評であるがヨーゼフⅡ世皇帝を始めとする貴族階級の人からは理解されない。サリエリはその逆で音楽を尊ぶ故に新鮮な音楽を生み出すことが出来ないのだが、だからこそ保守的な貴族階級からは高く評価されているという対比が上手く示されている。そんな中でサリエリの「自分だけがわかってしまう」がための苦悩も丁寧に描かれていたように思われる。

モーツァルト作曲の音楽も電子音で流れるが、本編の多くの音楽は浅野五朗と長野雄輔によるオリジナルで、躍動感にはやや欠けるところもあったが、日本人ミュージシャンによる音楽劇としては充実している。サリエリとモーツァルト、コンスタンツェ(千咲えみ)による三重唱は特に良かったように思う。

ラストには、OSKお得意のレビューもあり(音楽は、モーツァルトの「トルコ行進曲」、「フィガロの結婚」より「恋とはどんなものかしら」、交響曲第25番第1楽章、「魔笛」より「復讐の心は炎と燃え」、ピアノ協奏曲第20番第2楽章、「ドン・ジョヴァンニ」より「お手をどうぞ」、「フィガロの結婚」序曲などをアレンジしたもの。ラストは団歌「桜咲く国」)、見応えのある出来に仕上がっていた。

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2019年5月28日 (火)

観劇感想精選(301) トム・ストッパード&アンドレ・プレヴィン 俳優とオーケストラのための戯曲「良い子はみんなご褒美がもらえる」

2019年5月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて観劇

午後1時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、俳優とオーケストラのための戯曲「良い子はみんなご褒美がもらえる」の上演を観る。作:トム・ストッパード、作曲:アンドレ・プレヴィン、テキスト日本語訳:常田景子、演出:ウィル・タケット、音楽監督・指揮:ヤニック・パジェ。出演:堤真一、橋本良亮(A.B.C-Z)、小手伸也(こて・しんや)、シム・ウンギョン、外山誠二、斉藤由貴。ダンサーとしての出演:川合ロン、鈴木奈菜、田中美甫、中西彩加、松尾望(まつお・のぞみ。女性)、中林舞、宮河愛一郎。

初演は1976年にロンドンで行われている。作曲のアンドレ・プレヴィンが今年の2月28日に亡くなっているが、追悼のために企画された上演ではなく、この時期に上演が行われるのはたまたまである。

1970年代のソビエト・レニングラードが舞台である。ソビエト共産党の意向に合わない人間が思想犯として精神病院に送り込まれている。アレクサンドル・イワノフ(以後アレクサンドルとする。堤真一)はそのことをプラウダなどに寄稿したため、精神病院送りとなる。精神病院となっているが、実際は政治犯を収容するための刑務所以外の何ものでもないのだが、体制派の医師(小手伸也)はそのことを否定し、ここはあくまで精神病院だと言い切る。医師はアレクサンドルに向かって「思考すること自体が病気だ」と断言する。ちなみに、医師はアマチュアオーケストラにヴァイオリニストとして参加しているようだ。アレクサンドルと同居することになった同姓同名の精神病者であるアレクサンドル・イワノフ(以後イワノフとする。橋本良亮)は、自身が指揮者としてオーケストラは率いていると思い込み、トライアングルを叩きながら空に向かって指揮を行っている。オーケストラのメンバーをかなり口汚く罵っており、独裁者タイプの指揮者として君臨しているつもりのようである。医師はイワノフに「オーケストラは実在しない」と繰り返し唱えて、想像を止めるよう忠告する。
アレクサンドルにはサーシャという息子がいる(韓国人女優であるシム・ウンギョンが演じている)。教師(斉藤由貴)は「父親が思想犯として逮捕された」というサーシャの言葉を信じず、そうした不自由なスターリン体制は過去のものになっていると教え込もうとしていた。

 

「転向」を描いた上演時間約1時間15分の中編である。アレクサンドルは精神病院内にトルストイの『戦争と平和』を持ち込んでおり、ナポレオン戦争の場面ではオーケストラがチャイコフスキーの序曲「1812年」の一部を奏でたりする。オーケストラは「象徴」のように常にステージ上にいて、軍服姿のヤニック・パジェの指揮で演奏を行う。
アンドレ・プレヴィンの音楽は意図的にショスタコーヴィチ作品を模したものである。偶然だが、ショスタコーヴィチは「良い子はみんなご褒美がもらえる」が初演された1976年に死去している。

「良い子はみんなご褒美がもらえる」は、「Every Good Boy Deserves Favour」の邦訳であるが、「Every Good Boy Deserves Favour」とは、「EGBDF」という五線譜の音階を覚えるための言葉である。サーシャが譜読みを正確に行わなかったために、教師からたしなめられる場面もある。

ストーリー自体は全くの架空のディストピアものではなく、ソビエトでは反体制派の政治犯や思想犯として精神病院送りということで事実上の牢獄に押し込めることがよく行われており、実はロシアに戻った今でもある。弾圧された文化人としては、作家のソルジェニーツィンが有名であり、音楽家の中でも例えばラトヴィア出身のミッシャ・マイスキーは思想犯として精神病院に幽閉された経験を持っている。トム・ストッパードは、1968年のプラハの春反対デモに参加して精神病院に送られた経験のあるヴィクトル・フェーンベルクと1976年の春に出会い、一気に戯曲を書き上げたそうである。

 

トルストイの『戦争と平和』は、私も二十代前半の頃に読み、大方は忘れてしまったが、トルストイが繰り返し説いた歴史観、つまりナポレオン戦争はナポレオン一人が起こしたものではなく、大きな流れの中で起こったものであり、ナポレオンはその中の一人に過ぎないという考えは納得出来るし、今でもよく覚えている。おそらくこの作品におけるオーケストラは「大きな流れ」、「大衆」や「群集心理」の喩えなのだろう。
アレクサンドルはサーシャを守る必要性もあって(ご褒美がもらえる)、ラストではオーケストラに向かい、指揮棒を振り上げることになる。

 

実力派の堤真一が見事な演技を見せる一方で、同姓同名の人物を演じる橋本良亮は台詞回しも弱く、存在感も今ひとつである。今日はジャニーズが出るということで、客席にはいかにもそれらしい若い女性の姿が目立ったが、納得させられる出来だったのかどうかわからない。
余り出番の多くない教師役に斉藤由貴はもったいない気がするが、リアルな人物像に仕上げてきたのは流石である。

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2018年11月 5日 (月)

コンサートの記(448) 平成30年度 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演 モーツァルト 歌劇「魔笛」

2018年10月29日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後1時から、ロームシアター京都メインホールで、平成30年度 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演 「魔笛」を観る。

今年で3年連続となるロームシアター京都メインホールでの高校生のためのオペラ鑑賞教室・関西公演。今年は29日の公演の4階席のみ一般向け前売り券が発売されたため行ってみた。4階席ということもあって舞台が見えやすくはないが、チケット料金は全体的に安い。


今年はオペラ史上最高のヒット作といえる、モーツァルトの「魔笛」が上演される。もともとはアン・デア・ウィーン劇場の劇場主となったシカネイダー脚本のジングシュピール(音楽劇)として書かれたものであるが、現在は歌劇「魔笛」という表記と認識が一般的である。絵本の中の世界のような作品展開と、モーツァルトの魔術のような音楽は今も世界中の人々を魅了し続けている。

東京・初台の新国立劇場オペラの新作プログラムとして上演された公演の関西引っ越し版。指揮者とオーケストラは変更になり、園田隆一郎指揮の京都市交響楽団がオーケストラピットに入る。演出は南アフリカ出身のウィリアム・ケイトリッジ。再演演出は澤田康子が担当する。
出演は、長谷川顕(はせがわ・あきら。ザラストロ)、鈴木准(タミーノ)、成田眞(なりた・まこと。弁者・僧侶Ⅰ・武士Ⅱ)、秋谷直之(あきたに・なおゆき。僧侶Ⅱ・武士Ⅰ)、安井陽子(夜の女王)、林正子(パミーナ)、増田のり子(侍女Ⅰ)、小泉詠子(侍女Ⅱ)、山下牧子(侍女Ⅲ)、前川依子(童子Ⅰ)、野田千恵子(童子Ⅱ)、花房英里子(はなふさ・えりこ。童子Ⅲ)、九嶋香奈枝(パパゲーナ)、吉川健一(パパゲーノ)、升島唯博(ますじま・ただひろ。モノスタトス)。
合唱は新国立劇場合唱団。


ドローイングの映像を全編に渡って使用したことで話題となった演出である。


園田隆一郎は、びわ湖ホール中ホールで大阪交響楽団との上演である「ドン・ジョヴァンニ」を指揮したばかりだが、今回もモーツァルトのオペラということでピリオド・アプローチを採用。音を適度に切って演奏する弦楽と、硬めの音によるティンパニの強打が特徴である。また今回は雷鳴などを効果音を流すのではなく、鉄板を揺らすことで出している。
ピアノが多用されるのも印象的で(ピアノ演奏:小埜寺美樹)、オーケストラ演奏の前に、アップライトピアノの独奏が入ることが多い。

メインホールの4階席では、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場の引っ越し公演であるチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」を観ており、独特の艶のあるオーケストラの響きに感心したものだが、それはオペラ経験豊かなゲルギエフとマリインスキーだからこそ聴けた音で、今日の京響の場合は音の密度がやや薄めに聞こえる。4階席は反響板のすぐ近くにあるため、舞台から遠いが音自体はよく聞こえるはずであり、これが現時点の京響のオペラでの実力ということになるのだろう。

序曲の演奏が始まると、紗幕に光の線が映り始める。紗幕はたまに透けて、三人の侍女がストップモーションで立っているのが見え、絵画的な効果を上げている。

数段になった舞台を使用し、前から2段目にはベルトコンベアが搭載されていて、上に乗った歌手などが運ばれるのだが、モーター音が少し気になる。

冒頭に出てくる蛇は、腕の影絵で表される。

ドローイングを使うことで、光と影の対比がなされたと話題になった公演であるが、そもそもが光と影の対比を描いた台本であるため、それを視覚面でも表現する必要があるのかどうかは意見が分かれるだろう。

視覚面では、光と影よりもむしろ火と水の対比がわかりやすく表現されていたように思う。この作品中で最も有名なアリアである夜の女王の「復讐の心は炎と燃え」で代表されるように、夜の女王側の人々は火のように燃えさかる心を持っている。ザラストロ側の人々は水のように平穏で豊かな心でもって火を鎮めるというのが一応の筋書きである(拝火思想の「ゾロアスター」とは対照的だ)。火は揺らめく影絵で効果的に、また水はドローイングと録音された水滴の音によってはっきりとわかるように表されている。ただ、日本のように水害の多い国では水が脅威であることは知られており、東日本大震災では映像に捉えられた津波の恐怖が世界中で話題になっている。ということで、水だから安全というわけではない。

もう一つは音楽の言葉に対する優位が挙げられる。実際、三人の侍女が魔法の笛を「宝石よりも大事」と歌い、タミーノ王子とパパゲーノは魔法の笛と三人の童子の歌声によってザラストロの城にたどり着くことが出来ている。タミーノとパミーナは笛が奏でる音楽によって恋路へと導かれ、パパゲーノも音楽の鳴る鈴によってパパゲーナと再会を果たした。
一方で、夜の女王の繰り出す言葉の数々はザラストロによって否定的に語られ、ザラストロの言葉もまた胡散臭く見えるよう演出がなされている。タミーノが吹く笛の音にサイの映像はウキウキと踊り出すが、ザラストロの語る言葉の背景に映るサイは悲惨な目に遭うのである。

不満だったのは夜の女王と三人の侍女、モノスタトスの最期で、余りにもあっさりとやられてベルトコンベアで運ばれてしまうためギャグのようにしか見えず、引いてはその存在自体が軽く見えてしまう。もうちょっとなんとかならんのか。

歌手陣は充実している。パミーナ役の林正子はパミーナよりも夜の女王が似合いそうな存在感だが、解釈としても元々そうした役と捉えられていたようであり、世間知らずの可憐なお嬢さんというより「夜の女王の娘」であるという事実に重きが置かれていたように見える。
ムーア人のモノスタトスを演じた升島唯博は、外見で差別される存在であることのやるせなさを上手く演じていたように思う。



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