カテゴリー「歌舞伎」の37件の記事

2021年3月31日 (水)

観劇感想精選(388) 京都四條南座 「三月花形歌舞伎」令和3年3月20日 Aプロ 「義経千本桜」より“吉野山”&“川連法眼館”

2021年3月20日 京都四條南座にて観劇

午後4時15分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」を観る。平成生まれの若き歌舞伎俳優達が中心となった公演である。AプログラムとBプログラムがあり、キャストが異なるが、本日4時15分開演の夜の部は、Aプログラムでの上演となる。

演目は、「歌舞伎の魅力」(中村米吉が担当)、「義経千本桜」より“吉野山(道行初音旅)”と“川連法眼館(通称・四の切)”。四の切とは、“川連法眼館の場”が「義経千本桜」四段目の切り(最後)にあることからついた通称である。「義経千本桜」は、元々は人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品で、歌舞伎の「義経千本桜」は人形浄瑠璃の台本を元にした義太夫狂言と呼ばれる類いのものである。文楽でも“川連法眼館の場”は観たことがあるが、文楽では「四の切」という言い方はしないようである。

「歌舞伎の魅力」は、毎回、若手歌舞伎俳優が演目の説明や、歌舞伎に関する様々な紹介を行うもので、今回は中村米吉(播磨屋)が担当する。ちなみに、米吉、尾上右近、壱太郎(かずたろう)、橋之助の4人がローテーションを組んでおり、南座での「三月花形歌舞伎」の「歌舞伎の魅力」の初日最初の回の担当となってのも米吉だそうである。
「三月花形歌舞伎」は、明日千穐楽を迎えるため、米吉が「歌舞伎の魅力」を受け持つのは今回が最後となるようだ。

義太夫の「春の京都の南座で、歌舞伎の魅力語らんとまかり出でたる中村米吉」という言葉に乗って、米吉は花道から登場する。

今日は義太夫の紹介をまず行う。義太夫はわかりやすく言うと、「音楽付きのナレーション」で語りと三味線の二人からなると米吉は説明する。その後、義太夫は自分で退場のセリフを語り、定式幕の後ろへと引っ込むのだが、「義太夫さんが自分で語りながら退場するというアイデアを出したのは私」と米吉は胸を張っていた。

上演されるのは、「義経千本桜」の“吉野山”と“川連法眼館”であるが、それより前に忠信と静御前が登場する“鳥居前”(二段目)のあらすじを米吉は紹介する。義経と静御前の一人二役を行ったり、「会いたくて震える」という西野カナの歌詞を引用したりとユーモラスな語り口である。
その後、忠信のカツラや静御前の衣装、義経から忠信に授けられた甲冑や静御前に渡された初音の鼓などを紹介し、更に用意された巨大パネルで人物相関についても説明を行う。「すっぽん」は異形のものが現れる時に使われると説明し、花道と揚幕についても解説を行う。「揚幕は上がる時に音がして、向こうから誰か役者が出てきますので、皆さん、振り返ってみて下さい」と語るが、実はこれはトラップである。“川連法眼館の場”には、花道から誰かが出てくると思わせて、実は別の所から俳優が登場する場面が存在するのである。

 

「義経千本桜」より“吉野山”。出演は、尾上右近(音羽屋。佐藤忠信、実は源九郎狐)、中村壱太郎(成駒家。静御前)。
背景は吉野山の桜と吉野川。吉野川の装置は、途中に三段のローラーを設置し、川が流れているように見えるよう工夫されている(役者の見せ場では観客の意識が散らないよう、ローラーは止まる)。

若手でもトップクラスの女形と評価されている中村壱太郎。生まれ育ちは東京であるが、中村鴈治郎家の出身ということで、上方も拠点としており、屋号も江戸の成駒屋とは異なるとして、父親である鴈治郎が採用した成駒家という上方系の屋号を用いている。
仕草や表情がとにかく細やかであり、色気と上品さを合わせ持った静御前像を創造している。

尾上右近の狐忠信も凜々しく、動きはダイナミックで言うことなしである。

なお、「義経千本桜」には、澤瀉屋型と音羽屋型があり、宙乗りで有名なのは澤瀉屋型である。音羽屋の尾上右近の狐忠信ということで、当然ながら音羽屋型によって行われ、宙乗りや本物の忠信と狐忠信の早替えなどもないが、“吉野山”の一部で澤瀉屋型を採用したとのことである。

 

“川連法眼館”。出演は、尾上右近と中村壱太郎の他に、中村橋之助(成駒屋。源九郎判官義経)、中村福之助(亀井六郎重清)、中村歌之助(駿河次郎清繁)の三兄弟らが加わる。

壱太郎の静御前は相変わらず可憐なのだが、尾上右近の狐忠信は所作は良いものの、正体を現した時の独特のセリフが、「あれ??」と思うほど全くものになっておらず、これでは不出来と思われても仕方のない水準にしか達していなかった。尾上右近は自主公演「研の會」で“吉野山”を取り上げ、狐忠信をやったことがあるが、“川連法眼館”の狐忠信は初役だそうで、やはり初役で成功出来るほど易しい役ではないようである。自分のものにするにはまだまだ時間が掛かりそうだ。

“川連法眼館”は人気演目で、私も澤瀉屋型を当代の猿之助の狐忠信で、音羽屋型を愛之助の狐忠信で観ているが、いずれも優れた出来であった。そうした実力者と比較されやすいだけに、若手にとっては更なる難関となっているようである。

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2021年2月26日 (金)

劇団音乃屋オンライン公演 音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」(文字のみ)

2021年2月23日

劇団音乃屋のオンライン公演、音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」を視聴。静岡市清水区(旧静岡県清水市)の曹洞宗庵原山(あんげんざん)一乗寺の本堂で収録されたものである。静岡市清水区の三保の松原を始め、日本各地に残る羽衣伝説を題材にした「家族みんなで楽しめる音楽劇」である。宮城聰が芸術監督を務めるSPAC所属の女優で、劇団音乃屋主宰でもある関根淳子の作・演出、天女役。劇団大樹主宰で大蔵流狂言方の川野誠一の伯良(漁師。川野誠一は私立大分高校卒とのことなので、財前直見の後輩、森七菜の先輩となるようである)。新保有生(しんぼ・ありあ。苗字から察するに、先祖がご近所さんだった可能性もある)の作曲・演奏(三味線、篠笛、能管)での上演である。冒頭に一乗寺住職からの挨拶があり、劇団音乃屋主宰の関根淳子からの挨拶と新保有生の演奏が特典映像として収められている。

全国各地に存在する「羽衣伝説」であるが、三保の松原のそばにある御穂神社には天女のものとされる羽衣が今に伝わっている。
羽衣伝説は様々な芸能の素材となっているが、歌舞伎舞踊の「松廼羽衣(まつのはごろも)」が中村勘九郎・七之助の兄弟により、ロームシアター京都メインホールで上演された時には、上演前に行われた芸談で、「静岡公演の昼の部と夜の部の間に三保の松原と羽衣を見に行った」という話をしており、「残っているんなら切って与えたんだから、それを演出に取り入れよう」ということで、夜の部から急遽羽衣を切るという演出を加えたという話をしていたのを覚えている。

三保の松原は風光明媚な地として日本中に知られているが、そこから眺める富士山の美しさでも知られている。富士山は休火山で、今は噴煙は上がっていないが、噴火していた時代もあり、空へとたなびく白煙が天界へと続く羽衣に見立てられたことは想像に難くない。

新保有生による冴え冴えとした邦楽器の音が奏でられる中、まず川野誠一演じる伯良が狂言の発声と所作と様式で状況を説明して松に掛かった羽衣を見つけ、次いで天女役の関根淳子が現れて、返して欲しいと謡の発声で話し掛ける。邦楽を用いることで郷愁や哀愁が自ずから漂う。「舞を行うので衣を返して欲しい」と頼まれた伯良は「嘘偽りではないか」と疑うが、天女は「天に偽りなきものを」と言い、羽衣を纏っての舞を披露する。もちろん嘘ではない、嘘ではないが「芸術とは最も美しい嘘のことである」というドビュッシーの言葉が浮かぶ。天女は天界の人(正確にいうと人ではないが)なので神通力が使えるはずなのであるが、無理に衣を奪い返そうとせず、舞を披露することで羽衣を取り返す。このあたりが、芸能に生きる人々の「舞こそおのが神通力なれ」という心意気であり、今も受け継がれているように思える(伝承での「羽衣」は舞を披露したりはせず、夫婦となった後に天上へと帰ったり、地上に残ったりするパターンが多い。舞によって羽衣を取り返すのは伝世阿弥の謡曲「羽衣」以降である)。
三保の松原を舞台にした「羽衣」作品群には、天女への愛着のみならず、霊峰と仰がれ神格化された富士山(寿命を持った女神である「木花開耶姫=浅間神」に見立てられた)とそこから上る白煙を通した天界への憧れが、背後に隠されていると思われる。

関根淳子と川野誠一の演技と動きも寺院で上演されるに相応しい雅趣がある。現代劇の発声ではないので、セリフが耳に馴染みにくい方もいらっしゃるかも知れないが、日本語字幕付きのバージョンがあったり、英語字幕付きのバージョンがあったり、目の不自由な方のための解説副音声付きのものがあったりと、バリアフリー対応の公演となっている。

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2020年12月12日 (土)

観劇感想精選(376) 當る丑歳「吉例顔見世興行」東西合同大歌舞伎 第3部「末広がり」&「廓文章」吉田屋

2020年12月7日 京都四條南座にて観劇

午後6時40分から、京都四條南座で、當る丑歳「吉例顔見世興行」東西合同大歌舞伎 第3部を観る。新型コロナの影響により、密集を避けるために3部形式となった今年の南座での顔見世。座席も前後左右1席空けのソーシャルディスタンス対応であり、歌舞伎の華である声掛けも禁止ということで寂しいが、顔見世が観られるというだけで感謝しないといけないのだろう。もっとも私自身は毎年顔見世に行っているわけではなく、行かない年もある。

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「顔見世」の第3部の演目は、「末広がり」と「廓文章(くるわぶんしょう)」吉田屋。コロナの影響で余り長い演目は出来ないが、「末広がり」と「廓文章」吉田屋は特に短く、「末広がり」が30分弱、「廓文章」吉田屋も45分程度である。

2階ロビーに立てられた口上の中には、「あまびえ」が隠れており、その後に続く疫病封じの神である祇園社(現在の八坂神社)と共に新型コロナ調伏の願が掛けられている。

 

「末広がり」の出演は、尾上右近(音羽屋)と中村米吉(播磨屋)。長唄囃子は全員、口の前に黒い布を垂らしており、頭巾を被っていない大谷吉継が並んでいるかのようである。

狂言を原作とした狂言舞踊であり、安政元年(1854)に三世桜田治助の作詞、杵屋三郎助の作曲により、江戸中村座で初演されているという。原作の主が女大名に置き換えられており、ラストは二人で華やかに踊れるよう改められている。

近年の女形は、裏声でなくかなり女性に近い声を出せる人が多い。猿之助一門(澤瀉屋)に多いのだが、播磨屋である中村米吉も女性そっくりの声を出す。舞台は京都に置き換わっているようで、太郎冠者は「都」という言葉を使っている。
米吉演じるキリッとした女大名に対し、尾上右近演じる太郎冠者は酔っ払いながら花道を歩いて登場。ユーモラスである。
本来ならもっと笑いが起こるはずなのだが、やはりコロナの患者数が増加している最中ということで、客席は遠慮がちな笑いに留まる。

タイトルにある「末広がり」というのは扇のことであり、女主人は恋しい人に自作の歌を綴った扇を送ろうと考え、太郎冠者に末広がりを買うよう申しつけたのだが、太郎冠者は末広がりが何かわからず、街を「末広がり買いましょう」と言いながら歩き回ったため、騙されて傘を買わされてしまった。帰ってきた太郎冠者は末広がりとは傘のことだと言い張る。確かに傘も末は広がっている。女主人は激怒するが、太郎冠者が申の舞を披露したため機嫌を直し、共に目出度い唄と舞を行う。尾上右近は傘の上の鞠を回すという、目出度い芸も披露した。

「末広がり」というタイトルからしてハッピーエンだとわかる作品であるが、申は「去る」に繋がるため(鬼門には鬼が「去る」よう猿の像が置かれることが多い)、今の状況に去って欲しいという願いを込めて、この演目が選ばれたのかも知れない。

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「廓文章」吉田屋。原作は近松門左衛門の「夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると)」という人形浄瑠璃のための本で、これが歌舞伎化され(歌舞伎台本に直した人物の名前はわかっていないようである)、更に六世菊五郎が再構成したのが今回上演される「廓文章」である。

出演は、松本幸四郎(高麗屋)、片岡千壽(松嶋屋)、片岡千太郎(松嶋屋)、澤村由蔵(紀伊國屋)、中村雁洋(成駒家)、澤村伊助(紀伊國屋)、片岡りき彌(松嶋屋)、片岡千次郎(松美屋)、中村壱太郎(成駒家)。

大坂が舞台である。新町遊郭の吉田屋の店先に編笠に紙衣装の男が現れる。吉田屋の下男(片岡千次郎)は、男を乞食か何かと勘違いして追い払おうとするが、主である喜左衛門の妻であるおきさ(片岡千壽)がそれを止める。編笠の中をのぞき込んだおきさは、男の正体が大坂屈指の大店である藤屋の若旦那、伊左衛門(松本幸四郎)だと気付く。伊左衛門は、新町の名妓・夕霧(実在の人物である。演じるのは中村壱太郎)に入れあげ、多額の借金を作ったため、親から勘当されたのだ。粗末ななりに変わった伊左衛門だが、夕霧が病を得たというので、心配して吉田屋までやって来たのである。
部屋に上がって夕霧を寝ながら待つことになった伊左衛門だが、目覚めてみると手持ち無沙汰であり、床の間にあった三味線を取り上げて弾いたり(一部は実際に幸四郎が奏でている)、夕霧と疎遠になったことを嘆いたりする。いったんは夕霧に会わずに帰ろうと決めた伊左衛門だが、割り切れず、部屋に残ることになる。夕霧が現れた時のことを考えて格好良く見えるポーズを考えたりする伊左衛門。
夕霧が現れる。具合は大分悪そうだが、相変わらず可憐である。伊左衛門は夕霧に掛ける言葉を見つけることが出来ず、「万歳傾城!」などとなじってしまい、今宵で二人も最後かと思えたのだが……。

「末広がり」もそうだったが、「廓文章」吉田屋も「雨降って地固まる」話になっている。南座の2階に書かれていた口上にも現れていたが、危機を乗り越えて更なる発展を期したいという歌舞伎界の祈りが込められた作品である。「今」に合うものを選んだのであろう。
ちなみに、みなで大阪締めを行う場面があるのだが、セリフこそないものの、「ここは観客にも参加して欲しいのだろうな」というのが空気でわかったため、私を含めて参加した人が結構いた。声掛けは出来ないが、違った形での一体感を得ようと試行錯誤しているのが伝わってくる。

伊左衛門を演じる幸四郎は、女形をやった経験から得たものを立役である伊左衛門に生かしているのがわかる。女形の演技を転用することで、育ちが良くて純粋で時にコミカルというボンボン像を巧みに表してみせる。
先代の幸四郎(現・二代目白鸚)が、ザ・立役という人であるため、例えば弁慶などの男っぽい役をやった場合は、当代が一生涯かけても先代に追いつくことは難しいように思われるのだが、伊左衛門役は先代には出来ないため(実際、やったことは一度もないようである)高麗屋の新しい当たり役となる可能性は高い。見た目が優男なのもプラスに働く。これまで伊左衛門を演じて当ててきたのは、坂田藤十郎、仁左衛門、愛之助、四代目鴈治郎、三代目扇雀といった上方の俳優達だが、幸四郎は3年連続で伊左衛門を演じており、江戸の歌舞伎俳優として新たなる伊左衛門像を打ち立てつつある。

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2020年10月18日 (日)

これまでに観た映画より(218) 月イチ歌舞伎(シネマ歌舞伎)「三谷かぶき 月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと) 風雲児たち」

2020年10月13日 MOVIX京都にて

新京極のMOVIX京都で、月イチ歌舞伎(シネマ歌舞伎)「三谷かぶき 月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと) 風雲児たち」を観る。京都市出身の漫画家、みなもと太郎の「風雲児たち・寛政編」より大黒屋光太夫の話を三谷幸喜の作・演出で歌舞伎化した作品である。出演:松本幸四郎、市川染五郎、片岡愛之助、市川猿之助、市川男女蔵、坂東彌十郎、坂東新吾、中村鶴松、大谷廣太郎、市川高麗蔵、八嶋智人、松本白鸚ほか。昨年6月に東京の歌舞伎座で収録されたものである。
歌舞伎の上演の際には尾上松也が語り手を務めたようだが、今回のシネマ歌舞伎では尾上松也は登場せず、ナレーターを務めている。原作者であるみなもと太郎の絵が登場し、松也はそれに説明を付けていく。

ロシアに漂流し、女帝エカテリーナⅡ世に謁見するなど激動の人生を歩んだ大黒屋光太夫(今回の歌舞伎では松本幸四郎が演じる)。井上靖の『おろしや国酔夢譚』などでも知られているが、今回の上演では光太夫の周辺の人々にも光を当て、歌舞伎界と彼らの関連も絡めたストーリー展開がなされている。


まずみなもと太郎の筆によるオリジナルアニメと尾上松也のナレーションで「船の成り立ち」が語られ、竿から櫓、そして帆船への進化が説明される。この進化に待ったを掛けたのが徳川家康である。家康の時代には瀬戸内海などの水軍が活躍し、織田信長が鉄製の船(鉄甲船)を造設するなど、造船・海洋技術の進歩は著しかったが、家康はそれを怖れ、マスト1本だけの船の造設しか許さなくなる。しかし帆が一つしかない船は不安定であり、座礁や沈没、漂流することが増えた。伊勢・鈴鹿出身の大黒屋光太夫が船頭(ふながしら)を務める帆船・神昌丸も駿河沖で嵐に遭い、遠くアリューシャン列島アムチトカ島まで流される。

舞台は、漂流する神昌丸の船上で、占いをする場面から始まる。船親司(ふなおやじ)の三五郎(松本白鸚)が占いを行うのだが、ここから陸地までは何度占っても600里以上はある。その時には17人いた船員だが、その後次々と脱落していく。

アムチトカ島に漂着して2年。今は亡き三五郎の息子である磯吉(市川染五郎)は、ロシア語を徐々にものにしている。実は磯吉は船乗りとしての素質はからっきしであり、父親のお蔭で特に何も言われてこなかったが、父亡き今では重荷扱いされていたことを知る。だが、語学の才能を見込まれ、その後、大活躍するようになっていく。
アムチトカ島にロシアの船が近づいてくる。だが、嵐の中、突如右往左往するようになる。立派な船であるが、どうも乗組員が「嵐」というものの存在を知らないようで、帆をたたむことがない。結局、ロシアの船は沈没してしまうのだが、光太夫一行は沈没したロシア船を材料に船をこしらえ、旅へと出る。カムチャッカ半島に到着した一行は帰国の手段を求めて更にオホーツク、ヤナーツク、イルクーツクに到る。イルクーツクでは庄蔵(市川猿之助)が凍傷を患い、左足を切断することになる。イルクーツクでスウェーデン系フィンランド人のキリル・ラックスマン(八嶋智人)と出会った光太夫は、ラックスマンが親しくしているロシアの女帝、エカテリーナⅡ世(市川猿之助二役)に謁見することが決まる。光太夫はエカテリーナⅡ世、更に時の権力者ポチョムキン(松本白鸚二役)の前で帰国を願い出るのだが、ポチョムキンからは「生活は保障するのでロシアに留まるよう」命令される。ロシアに関する様々な知識や情報を仕入れていた光太夫をポチョムキンは危険視していたのだった。


歌舞伎の様式を巧みに取り入れてはいるが、劇の展開や演技様式などは現代歌舞伎からも外れたものになっており、三谷幸喜が表現したいことを行い、たまたまそれが歌舞伎であったという印象も受ける。ただ、「これが歌舞伎」という制約は現代にあってはむしろ邪魔になるため、表現第一は正解ということになるのかも知れない。そもそも三谷幸喜にコテコテの歌舞伎を望んでいる人が多いとも思えない。

次々と仲間達が脱落していく中で、「生と死を分けるものは何か」についての考察が述べられるシーンがある。今生きている者は「死ぬことを考えていない者」であり、そうでない者は日本へ帰るという希望を失っていた者だと。
これには大河ドラマ「真田丸」のラストとの繋がりを見出すことも出来る。それだけに「真田丸」で茶々(淀殿)を演じていた竹内結子の死が余計に悲しくなるのだが。三谷さんのメッセージも彼女には届かなかったということなのだろうか。

イルクーツクで光太夫は様々な人と出会い、自分の体験を面白おかしく話して聞かせるようになる。この頃には光太夫もロシア語を話せるようになっており、ちょっとした人気者になっていたのだが、新蔵(片岡愛之助)や庄蔵は、「見世物になるのがそんなに楽しいか」と光太夫の行動に不信感を抱いている。だが光太夫は、「これまで会った人の誰が日本への帰国に繋がるかわからない」「これまでお世話になったロシアの人々に報いたい」「そのためなら喜んで見世物になるさ」との考えを述べる。これは歌舞伎役者の意気込みを連想させるもので、三谷幸喜も意図的にこうしたセリフを挟んでいるのだと思われる。

光太夫がポチョムキンに対して語る愛国心も、伝統芸能の担い手として語っていると考えると感慨深い。そしてアメリカのコメディーに憧れ、作品にアメリカを始めとする洋画の要素を取り入れ、新作でもシットコムを手掛けている三谷幸喜が、決してアメリカ人になりたいわけでもアメリカで活躍したいわけでもなく、こうして日本で最良のものを作ることに誇りを持っていることが窺えるシーンでもある。

あらゆる表現に長けた歌舞伎俳優を使って、10年にも渡る悲喜こもごもの壮大な叙事詩が描かれるわけだが、ラストでも三谷は人間への信頼を語っている。あるいは神よりも偉大かも知れない人類とその想像力に対するさりげない賛美がいかにも三谷幸喜らしくもある。

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2020年10月 7日 (水)

観劇感想精選(356) 「市川猿之助 藤間勘十郎 春秋座花形舞踊公演」

2020年10月4日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午前11時から、京都芸術劇場春秋座で、「市川猿之助 藤間勘十郎 春秋座花形舞踊公演」を観る。春秋座の芸術監督である市川猿之助による久しぶりの舞踊公演である。今回は単独ではなく、藤間勘十郎を迎えての二枚看板での公演となった。

藤間勘十郎は、宗家藤間流の八世宗家であるが、少年時代に大河ドラマ「独眼竜政宗」で、「梵天丸もかくありたい」と言っていた少年の今の姿といった方があるいは分かりやすいかも知れない。

 

演目は、「檜垣」、「玉兎」、「黒塚~月の巻より~」、「悪太郎」。「玉兎」以外は澤瀉屋のお家芸として知られている作品である。「悪太郎」以外は特別な衣装を用いない素踊での上演となる。

 

春秋座もコロナ対策を行っており、チケットの半券の裏に氏名、電話番号、住所(それほど詳しくなくても良いらしい)を記入。フェイスシールドを用いているスタッフも何人かいる。
座席も前後左右最低1席空けであるが、舞台に近い座席はそのまま使用し、希望者にはフェイスシールドが無料で配布されるようになっていた。また退場の際に出口付近で混雑が発生するのを防ぐため整理退場が行われた。

 

「檜垣」。出演は、藤間勘十郎(関守の檜垣の老女、実は老女の亡魂)、中村鷹之資(小野小町)、市川猿之助(四位の少将=深草少将)。

深草少将と小野小町の話は、通常は深草少将が一方的に小野小町に恋をして、「百日連続で通ったらなら」という約束を果たす直前に亡くなったという悲劇として語られることが多い。そもそも百日通うこと自体が無理な約束であるため、小町としては深草少将に諦めて貰うつもりで無理な約束をしたとされるのだが、「檜垣」ではストーリーの展開上、深草少将と小野小町が相思相愛であったという設定に変わっている。
以前、少将を慕っていた檜垣の老女が、死してなお小町に嫉妬するという話である。老女が小町に、「いね(「去れ」「あっち行け」)」と言うセリフがあるなど、分かりやすさを重視している。
老女が井戸に映った己の年老いた姿を見て、怒りに震えるシーンがあるのだが、井戸から真っ赤な光が溢れ出てきて、まるでムンクの絵画のような独特の恐怖感を描き出していた。

 

「玉兎」。中村鷹之資による舞踊。餅つきがモチーフになっており、臼が置かれ、杵を手にして踊るなど、愛らしさが印象的な舞である。

 

市川猿之助の独演である「黒塚~月の巻より~」。三味線は宮川町の今藤美佐緒が奏でる。今日は長唄囃子はマスクの代わりに口の前に黒い布を垂らして謡う。尺八も飛沫防止のため黒い布を垂らしながら吹いていた。

鬼女伝説で知られる安達ヶ原を舞台に行われる舞踊劇。猿之助の細やかにして確かな動きが観る者を惹きつける。
「黒塚」はおどろおどろしい話として知られているが、今回の舞踊ではそうした要素はほぼなしであり、観世音による救いの場面で終わる。これは次の「悪太郎」にも繋がる終わり方である。

 

狂言が原作である「悪太郎」。「甲府の子天狗」こと……、といっても若い人には通じないか。時代劇で「悪」と付く場合は、いわゆる「悪」ではなく「強い」という意味であることが多いのだが、この演目の悪太郎は、乱暴で嫌われ者という今でいうところの「悪」に近い名前である。
この演目では猿之助は歌舞伎の、藤間勘十郎は能の衣装を着けて演じる。セリフも猿之助が歌舞伎調で、勧十郎は普通の語りに近いため、不思議な世界が現出する。意図的にミスマッチを狙った演出(猿之助と勘十郎が共同で行っている)だと思われる。

ストーリーは「悪人正機」ということで真宗的とされるが、それよりも時宗の教えをなぞっているようなところがある。そもそも能・狂言自体が阿弥号を持つ同朋衆が広めたものであるため、時宗とは極めて近しい間柄である。

叔父安木松之丞(市川猿弥)と太郎冠者(中村鷹之資)は、乱暴者の甥、悪太郎に手を焼いている。この日も悪太郎は酒に酔ったまま街道を歩いていると、西近江の寺から東近江の名刹に参詣に向かう修行者智蓮坊(藤間勘十郎)と出会う。悪太郎は智蓮坊と同道することに決めるが、長刀を振り回したり、脅したりするため智蓮坊は迷惑顔である。なんとか悪太郎から離れることが出来た智蓮坊。悪太郎は街道の真ん中で眠り込んでしまう。そこへ安木と太郎冠者がやって来て、熟睡している悪太郎の頭を丸め、そばに墨染めの衣と鉦(かね)を置く。目覚めた悪太郎に、太郎冠者は仏からの夢告を装って、「南無阿弥陀仏」と名乗るよう命じる。墨染めの衣と鉦を見つけた悪太郎は、南無阿弥陀仏という名前の僧侶として生きることに決める。そこに「南無阿弥陀仏」と唱えながらやって来る男が一人。修行者智蓮坊である。南無阿弥陀仏を自分の名前だと思っている悪太郎は、智蓮坊が「南無阿弥陀仏」と念仏を行うたびに返事をしたため、相手が悪太郎だと気付かない智蓮坊に不審がられ……。

ラストは出演者4人による法悦の踊り念仏となり、ミニマルな高揚感が劇場を支配する。市川猿弥が転倒するアクシデントがあったが、すぐに立ち上がって踊りを続けたため、失敗のうちには入らないだろう。
日本中を熱狂の渦に巻き込んだという元祖芸能スターによるヒット曲、一遍の「踊り念仏」に立ち会えたようで嬉しくなった。

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2020年5月26日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part9」(文字のみ。アーカイブへのリンクはあり)

2020年5月24日

午後2時から、茂山千五郎家による「YouTubeで逢いましょう! part9」を視聴。今回は今や梨園を代表する女形となった中村壱太郎(かずたろう)。以前、京都芸術センターで行われた壱太郎のトークイベントを見に出掛けたことがあるが、壱太郎自身は女形よりも女方表記を好んでいるようである。

若手人気歌舞伎俳優が出演するということで、視聴者はいつもの倍となる。そのためかどうかはわからないが今日は回線が不安定であり、茂山千五郎家の科学技術庁長官こと茂山茂は大忙しとなる。茂山茂は京都コンピュータ学院出身で、IT関係のスペシャリストであるが、茂山千五郎家には茂以外にその手の分野に詳しい人は皆無であるため、茂におんぶに抱っことならざるを得ない。


動きがカクカクして見えるが、狂言「茶壺」が上演される。出演:茂山茂(すっぱ)、茂山宗彦(もとひこ。中国方の者)、鈴木実(目代)。
中国方の者(中国地方出身の者という意味だと思われる)が栂尾まで買い物に出掛けた帰り、酒にしたたか酔って、茶壺を背負ったまま道の真ん中で眠ってしまう。そこに現れたすっぱは、茶壺をものにすべく、肩紐を掛けて眠る。中国方の者が目覚めたところですっぱは、茶壺は自分のものだと主張、中国方の者を盗人だと決めつける。そこで目代に茶壺が誰のものか判定して貰うことにするのだが……。

歌舞伎でも「茶壺」は演目に入っているのだが、結末が異なるようである。
すっぱは、とにかく記憶力が良く、舞なども巧みで、すっぱなどやらずともあらゆる分野で活躍出来そうではある。

映像は最初からコマ送りのようであり、古い時代の映画を観ているようで、これはこれで趣があるものだったのだが、すっぱと中国方の者と目代とでやり合っている間に映像が完全に止まってしまう。直すことが唯一出来る茂は舞台の上、ということで、いったん演目を中断し、茂が色々と工夫して直す。その間、茂山千五郎家の人々がトークで繋ぐ。ちなみに京都府は緊急事態が解除になったため、今日は至近距離で会話を交わすことが出来る。

その後、再開し、無事やり遂げる。ちなみに茂は映像が止まったということには気づいていて、演じている間もどうやったら再開出来るか考え続けていたそうだ。

ということで予定時間より15分ほど押すことになる。

 

続く狂言の演目は、有名作「棒縛」。出演、茂山千五郎(太郎冠者)、島田洋海(ひろみ。次郎冠者)、井口竜也(主人)。

島田洋海が「是非、次郎冠者をやってみたい」というので行われる演目である。チャットでは茂山千之丞(童司)が「棒縛」の裏話などを教えてくれる。

 

中村壱太郎へは、狂言にまつわるクイズが千之丞から出題される。同じ演目を行うこともある狂言と歌舞伎だが、中村壱太郎はかなりの苦戦。能舞台の背後にある松の絵が描かれたものをなんというか(正解は「鏡板」)、今ある狂言の流派は大蔵流と何流?(正解は「和泉流」)という比較的簡単な問題にも正解出来ず、「やっちまった」状態。和泉流でなく「井上流」と答えたときにはコメントが総ツッコミ状態となる。「関係者が見てるんで、もう狂言(が元)の奴(歌舞伎の演目)させて貰えないと思います」と語っていた。

洒落にならないかも。

慶應ボーイなのでクイズ番組から出演のオファーがあってもおかしくないが、絶対に断った方がいいレベルである。

 

アーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=zPRYN5WUleg&t=7264s

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2020年2月22日 (土)

観劇感想精選(342) 「市川海老蔵特別公演」2020京都四條南座

2020年2月16日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で「市川海老蔵特別公演」を観る。市川海老蔵は今年の5月に十三代目市川團十郎白猿(はくえん)を襲名する予定であるため、市川海老蔵の名で行う最後の全国公演となる。

演目は、まず歌舞伎舞踊「羽衣」があり、出演者達による「ご挨拶」を経て、歌舞伎十八番の内「勧進帳」が演じられる。「勧進帳」は成田屋の芸であるが、この作品も「羽衣」も歌舞伎の演目の超王道であり、取り上げられる回数も多いということで比較されやすい。この二つの演目で公演ということは海老蔵もかなり自信があるのだろう。

 

「羽衣」。天女役は中村児太郎(成駒屋)、漁師伯竜は大谷廣松(高嶋屋)。
昨年の秋に中村屋の兄弟(勘九郎と七之助)で観たばかりの作品である。児太郎は七之助と比べても女形の王道を行く身のこなしであり、可憐である。声も裏声でなく、地声で女声に近いものが出せる。近年は女声に近い声が出せる歌舞伎俳優が増えているが、メソッドのようなものが広がっているのかも知れない。
漁師伯竜役の大谷廣松も凜々しく、絵になる二人である。
「羽衣」の謡には、僧正遍昭の和歌である「天津風雲の通い路吹き閉じよ乙女の姿しばしとどめん」がそのまま入っているのだが、以前、ニコニコ生放送の「新生紀ドラゴゲリオンZ」でこの歌の内容を現代語訳せよという問題が出され(R藤本も稲垣早希も和歌には疎い)、内容を知ったR藤本が、「エロ坊主じゃねえか!」と言っていたのを思い出す。一応、フォローしていくと、この和歌は僧正遍昭が出家する前に詠まれたものである。

 

幕が下りてから市川海老蔵が花道を通って登場。三階席の若い女の子達が黄色い声を上げる。海老蔵は今もアイドル的人気を保っているようである。

「皆様のご尊顔を拝することが出来まして誠に光栄に存じます」と切り出した海老蔵。「この定式幕という幕を上げますと、私以外の出演者が勢揃いしております」と紹介した後で自身のことを語り始める。海老蔵が新しくなった南座の舞台に立つのは今回が初めてであること、南座は改修工事のために閉じられていた時期が長かったので、南座の舞台に立つのは4年4ヶ月ぶりであることなどを述べる。更に「挨拶が早く終わりましたら、皆様からの質問コーナーを設けたいと思っておりますので、先着三名様、質問されたいという方は、今から考えておいてください」

「ご挨拶」に参加するのは海老蔵の他に、上手から市川齋入(高嶋屋)、市川右團次(高嶋屋)、市川九團次(高嶋屋)、片岡市蔵(松島屋)。後方に成田屋の定紋である三升が金色に輝いている。

市川齋入は、「普段は女形をやっておりますが、今日はこの後、常陸坊海尊をやります」と自己紹介する。

市川右團次は、「昭和47年に子役として初めて舞台に立ったのが、ここ南座でした。早いものであれから48年が経ってしまいました」と南座の思い出を語る。

市川九團次は、「私も新しくなってからの南座は初めてなのですが、5年ほど前に不祥事がありまして(坂東薪車時代に師匠に無断で現代劇に出演したことで破門になった事件)、そこを海老蔵さんに拾っていただきました」と海老蔵への感謝を述べた。

片岡市蔵は、「初めて南座の舞台に立ったのは小学校3年生時だったのですが、それから50年以上が過ぎてしまいました」と時の流れの速さを口にする。

質問コーナーに移るのだが、「バレンタインデーにいくつチョコを貰いましたか?」という歌舞伎以外の質問が多かったため、三人だけではなく歌舞伎の質問がある程度の数に達するまで続けていた。
歌舞伎に直接関係する質問ではないが、楽屋での過ごし方について海老蔵は、「私は余り休みの時間がないのですが、20分か10分間が開いたときにはブログを更新します」とブログを売りとする歌舞伎役者らしい答えを返して客席の笑いを誘っていた。

「友人が歌舞伎を観るのが初めてなので、『勧進帳』の内容を説明して欲しい」との要請には、「ザックリとで良いですか? ザックリとで行きますよ」と言いつつ、源頼朝と義経の不和の原因から、安宅関の場所(松井秀喜の出身地として知られる石川県根上町にある)、そもそも勧進帳とは何か(「東大寺に仏壇ありますよね? 仏壇。あ、違った仏壇じゃなくて大仏」)、仏教用語についてなど一から十まで全て説明する。まるで勧進帳を読み上げる弁慶のようで、おそらく意図もしているのであろう。そもそも海老蔵がやる仕事ではないと思うが、質問された方の友人は感激したはずである。

今年は東京オリンピックとパラリンピックがあるため、歌舞伎俳優が海外に出ると「ディスられる」ということで国内での活動に留まるが、再来年はヨーロッパツアーの計画もあるそうである。

 

「勧進帳」。これまで高麗屋の二人(九代目松本幸四郎と十代目松本幸四郎)で観たことのある演目であるが、市川團十郎家を本家とする演目であるため、印象はかなり異なる。
出演は、市川海老蔵(武蔵坊弁慶)、中村児太郎(源義経)、片岡市蔵(亀井六郎)、市川九團次(片岡八郎)、大谷廣松(駿河太郎)、市川新蔵(番卒軍内)、市川新重郎(番卒兵内)、市川右左次(番卒権内)、市川福之助(太刀持音若)、市川齋入(常陸坊海尊)、市川右團次(富樫左衛門)。

スキャンダルも多く、「ワル」のイメージがある海老蔵であるが、そのためユーモアが生きてくる。落差である。「堅物」のイメージがある人がユーモアを行うのもギャップがあって面白いと思われるが、例えば当代の幸四郎などは、「堅物」というより歌舞伎に関してはとにかく「真面目」というイメージがあるため、海老蔵ほどの落差は生みにくく、小さく纏まっているように見えてしまう。醜聞がプラスに働いたりするのが芸の難しいところである。
海老蔵が持つイメージが弁慶に重なり、ダイナミックな演技が繰り広げられる。海老蔵は大きく見えるし、セリフも弱いところがあったりはするが、早口でまくし立てたり、重々しくしたりと幅が広い。何よりも見得が決まっている。團十郎に相応しくないという声も聞こえてきたりするが、天分に恵まれているのは確かである。故小林麻央との間に生まれた勸玄君(八代目市川新之助を襲名する予定である)も出来が良さそうだし、十三代目市川團十郎白猿の時代が長く続きそうな予感が得られた舞台であった。

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2019年12月10日 (火)

観劇感想精選(327) 南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2019年12月5日 京都四條南座にて観劇

午後4時45分から、京都四條南座で、南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。演目は、近松門左衛門作「堀川波の鼓」、河竹黙阿弥作「釣女」、河竹黙阿弥作「魚屋宗五郎」(「新皿屋敷月雨暈」より)、「越後獅子」

「堀川波の鼓」と「魚屋宗五郎」は共に「酒乱」が鍵となっている作品であり、それを縦糸としたラインナップなのだと思われる。大人気といえる演目が存在しないため、今日は空席も比較的目に付いた。

 

「堀川波の鼓」。堀川というのは京都の堀川のことであるが、今回の上演は通し狂言ではないので、堀川の場は出てこない。鼓の師匠である宮地源右衛門(中村梅玉)が京都の堀川下立売に住んでいるという設定である。
因幡鳥取藩で実際に会った不義密通事件を題材にした世話物である。
鳥取藩士の小倉彦九郎(片岡仁左衛門)が参勤交代で江戸に出向いている時の話から始まる。彦九郎の妻お種(中村時蔵)は、江戸詰である夫が恋しくてたまらない。彦九郎が江戸詰の時は、お種は実家に帰っているのだが、そこでも妹のお藤(中村壱太郎)に夫に会えない寂しさを語って聞かせている。お種は、実弟の文六(片岡千之助)を連れ養子としているのだが、文六は、京都の鼓師である宮地源右衛門に鼓を習っている。稽古が終わり、お種と宮地は初対面の挨拶をするのだが、酒が入ることになり、お種は酒好きなのでつい盃が進んでしまう。お藤と文六は帰宅し、源右衛門が場を外している時に、お種に懸想している磯辺床右衛門(中村亀鶴)がやって来て関係を迫る。床右衛門は隣から謡の声が聞こえたのに驚いて帰って行くが、源右衛門に話を聞かれたと思ったお種は源右衛門に口外しないよう誓わせようとする。だが酒で酩酊していたお種は、つい源右衛門と道ならぬ関係になってしまう。その後、引き返してきた床右衛門は、お種と源右衛門のそれぞれの袖を引き剥がすことに成功し、これをネタにゆすりを掛けようとする。5月半ばに彦九郎は帰国するが、藩内にお種が不義密通をしたという噂が流れており、お藤は彦九郎とお種を離縁させようとすると計るも失敗し、結局、彦九郎は泣く泣くお種を手に掛けることになる。
酒の勢いでついという話であるが、当時は不義密通は死罪相当であり、酒のせいでは済まされなかったのである。というわけで誰のせいにも何のせいにも出来ないやるせなさが残る。

彦九郎役の仁左衛門(松嶋屋)は、実は登場している時間はそれほど長くないのだが、貫禄と悲しみを併せ持った彦九郎を浮かび上がらせている。お種を演じた時蔵(萬屋)も酒に溺れてしまった不甲斐なさを適切に表現している。お藤を演じた壱太郎(かずたろう。成駒屋)の可憐さも光る。
この演目では音楽が実に効果的である。南座は新しくなって音の通りが良くなっただけに、一層、音楽の良さが引き立つ。

 

「釣女」。狂言の「釣女」を常磐津で演じる。
妻を娶りたいと思っている大名(いわゆる何万石という所領を持っている大名ではなく、地方の有力者程度の意味である。演じるのは中村隼人)が、縁結びの神として知られている西宮戎(西宮神社)に参詣することを思い立ち、太郎冠者(片岡愛之助)と共に出掛ける。西宮の戎は社伝そのままに夷三郎と呼ばれている。狂言では演者が最初から舞台の前の方に立つことはないのだが、大名のような身分の高い人はそれを表すために他の人よりも前寄りに立つ。

参詣した大名は、美しい女性と出会えるよう、夜通しの籠祈願を行うことにするのだが、太郎冠者に寝ずの番をさせて自分はさっさと寝てしまう。あきれた太郎冠者は何度も大名の眠りを妨げようとする。そうするうちに大名が夢を見る。神社の西の門に運命の人が現れるというのである。西の門に駆け付けた大名と太郎冠者であるが、そこに釣り竿が落ちているのを見掛ける。「女を釣り上げろ」ということかと合点した大名が釣り糸を垂れ、何度か引いている内に、見目麗しい上臈(中村莟玉)が釣り上がる。早速に三三九度を取り交わし、太郎冠者が「高砂」を真似た祝いの舞を演じると、大名と上臈も喜びの舞を始める。

今度は、太郎冠者が釣り針を垂れる。やはり女(中村鴈治郎)が釣り上がるのだが、これがとんでもない醜女であり、太郎冠者は嫌がる。だが、女は太郎冠者にぞっこんで、大名も神が決めた相手なので拒むことは出来ないと言い……。

愛之助(松嶋屋)の軽やかな舞が一番の見所である。隼人(萬屋)は、台詞回しが板に付いていなかったが、若いということだろう。
中村莟玉(かんぎょく。梅丸改。高砂屋)は、襲名披露ということで「おめでとうございます」と言われるシーンがあった。素顔が男前ということで、女形としてもやはり美しく華やかである。

 

「魚屋宗五郎」。私が初めて歌舞伎というものを観たのは、1996年の12月、東京の歌舞伎座に於いてであるが、3つあった演目のうちの最後が「魚屋宗五郎」であり、十二代目市川團十郎が宗五郎を演じていた。「魚屋宗五郎」を観るのは、それ以来、23年ぶりである。ちなみに「堀川波の鼓」で小倉彦九郎を演じた片岡仁左衛門も、1996年以来、23年ぶりの彦九郎役だそうで、偶然ではあるが繋がっている。

「新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」の第2幕と第3幕を上演するもので、この二幕だけを演じる場合は、「魚屋宗五郎」という題になる。
妹のお蔦を手討ちにされた魚屋の宗五郎(中村芝翫)が、金比羅様に誓って絶っていた酒を飲んでしまったことから巻き起こる大騒動である。
実はお蔦は無実で、横恋慕していた岩上典蔵(中村橋吾)の策謀によって不義密通を仕立て上げられたのであった。

宗五郎が酒をがぶ飲みする場面では、三味線がコミカルな感じを上手く出している。

中村芝翫(成駒屋)の演技は、名人芸の域に達しつつある。歌舞伎界のトップに君臨するようなタイプの人ではないが、演技力に関しては言うことなしである。
一方、名前を継いだ長男の橋之助(四代目)は、狂言回しの役割も担う三吉という重要な役で出ていたが、明らかに「浮いている」と思うほどに下手である。同年代の隼人も上手くはないし、まだ若いということなのだろう。十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎)などは、若い時から演技の質は高かったが、昨年の11月の顔見世などを見ると伸び悩みが感じられ、早くから完成されているが伸びないタイプと、最初は拙いがどんどん成長するタイプの二つが存在する――というよりどちらかでないと俳優としては致命的である――と思われる。五十代六十代という歌舞伎役者として大成する時期にどちらが上に来るのか見守ることも面白いように思う。

 

中村隼人、中村橋之助、片岡千之助、中村莟玉という若手歌舞伎俳優4人による舞踊「越後獅子」。江戸・日本橋駿河町(現在の東京都中央区日本橋室町)の三井越後屋前が舞台である。背景には堀と蔵屋敷が並び、正面遠方奥に掛かるのが日本橋ということになるのだと思われる(地理的には異なるはずだが芝居の嘘である)。
一つ歯の高下駄で舞うなど、「俺だったら一発で捻挫する自信がある」と思える高度な舞を全員が器用にこなす。流石は歌舞伎俳優である。
4人の中では、莟玉が小柄だが動きに一番キレがある。元々日本舞踊の世界から梨園に入ったということも大きいのであろう。

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2019年10月27日 (日)

観劇感想精選(323) 「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演

2019年10月19日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演を観る。中村勘九郎と七之助の兄弟が15年間に渡って続けている特別公演である。基本的に歌舞伎専用劇場は用いず、日本各地の公共のホールを使った上演が行われている。

演目は、勘九郎と七之助による芸談の後で、「艶紅曙接拙 紅翫(いろもみじつぎきのつつか べにかん)」、「三ツ面子守(みつめんこもり)」、「松廼羽衣(まつのはごろも)」の3つの歌舞伎舞踊が繰り広げられる。

まず勘九郎と七之助による芸談がある。司会は関西テレビアナウンサーの谷元星奈。
勘九郎と七之助がそれぞれ挨拶するのだが、明らかに七之助に対しての拍手の方が大きい。勘九郎もキレのあるいい歌舞伎俳優であるが、華は不足がち。また若い女性にはどうしても女形の方が人気がある。
京都についての思い出から話し始める。二人が子どもの頃、父親である中村勘三郎はずっと南座での顔見世に出続けており、二人も冬休みの間は京都に来て父親と一緒に過ごしていたそうで、京都巡業といっても旅という感じはしないそうだ。一方、勘九郎と七之助が歌舞伎俳優として活躍し始めてからは、不思議なこと勘三郎が京都で公演を行うことは稀になってしまったそうで、2年前に勘九郎と七之助はロームシアター京都メインホールで行われた顔見世に登場しているが、家族の招きが上がるのは20数年ぶりだったそうである。

勘九郎が大河ドラマ「いだてん」で、主役の一人である金栗四三を演じたということで、その苦労話などが語られる。昨年4月からの撮影であったのだが、準備期間も含めて「ずっと走っていたような記憶がある」そうで、舞台では誤魔化せても映像では無理ということで、体作りのことなどを話す。歌舞伎で軽やかな演技を見せている印象のある勘九郎だが、実は「運動は大嫌い」「動くことがそもそも嫌いであり」、運動が得意そうと見られることも多いが、それは勘違いだという。歌舞伎をやっていると下半身が重要になるため腿が太くなるそうで、勘九郎の腿は周囲が62cmもあり、これはスピードスケートの金メダリストである清水宏保と同じ数値だそうである。ただ、マラソン選手でそんなに腿の太い選手はいないということで、腿の余計な肉を落とすことから始めたそうだ。運動の他に糖質カットダイエットなども行ったそうだが、糖質をカットすると怒りっぽくなるので困ったそうである。頭の働きにブドウ糖が必要ということは知られているが関係があるのだと思われる。食事は鶏のササミが中心。飲み物も水だけに限られるそうで、「地獄ですね」と勘九郎は語っていた。昨年の錦秋特別公演時も撮影期間に入っており、地方公演はその土地土地の地方グルメが楽しみなのだが、勘九郎は体作りのためにその土地のものは何も食べることが出来ず、持ち込んだ鶏のササミをずっと食べていたそうである。撮影時のロケ弁も美味しいのだが、やはり食べることが出来なかったそうだ。金栗が引退してからは体を引き締めなくても良くなり、食事制限が解除されてから初めて食べたのはカレーだそうである。三日三晩カレーが続いても大丈夫なほど好きであり、まず家庭の味のカレーを求めたそうだ(奥さんの前田愛が作ったのかな?)。そしてあれほど苦労して体を絞ったのに、「一瞬で元の体に戻った」そうで、「皆さん、ダイエットなんてしないほうがいいですよ」と語っていた。現在上映中の映画「JOKER」に主演しているホアキン・フェニックスも役作りのため体を絞ったが、「戻る時は一瞬だった」と同じ事を語っていたと紹介もする。

七之助も「いだてん」に出演し、最初は当時の落語家役など一瞬登場するだけのカメオ出演だと思っていたのだが、落語家・三遊亭圓生という重要な役どころだったため、残っている圓生の映像は全て見て研究したそうだ。
また現在、BSプレミアムで放送中の「令和元年版 怪談牡丹灯籠」にも出演しており、この作品は京都の太秦で撮影が行われたそうである。実は七之助はこれまで映像の仕事はほとんど断っており、1年に2度映像作品に参加するというのはとても珍しいことだそうである。「いだてん」に出ることに決めたのは、兄が出るということと、脚本が映画「真夜中の弥次さん喜多さん」でお世話になった宮藤官九郎ということも大きかったようだ。
同じNHKのドラマでも撮影の仕方に違いがあり、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」は1台か2台のカメラで撮影が行われるのだが、「いだてん」の現場にはカメラが5台ほどずらりと並んでいて、全て長回しでの撮影が平均で7回ほど繰り返されていたそうである。以前、「龍馬伝」の大友啓史監督が長回しで撮るという話を横浜で行われた「全国龍馬ファンの集い」でしていたが、今回もそれに近い手法が採られていたようである。
長回しは長回しで大変だが、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」はすぐカットのかかる細切れで撮っているため、「じゃあ、次、泣いて下さい」といわれたらすぐに泣かなければいけないそうで、感情の上げ方が難しいそうである。しかもその前の長めのセリフを撮り終えてカットが掛かってから、短いセリフの導入部ですぐに泣かなければならないため、なかなか上手くいかなかったそうだ。

二十代の頃は勘九郎が女形、七之助が立役という時代もあり、七之助は先月、南座での「東海道四谷怪談」でお岩さんを演じていたが、本当にやりたかったのは民谷伊右衛門の方だそうで、子どもの頃から演じてみたい人物のナンバーワンが伊右衛門だったそうだ。七之助の解釈では「伊右衛門は実はいい人」だそうで、お岩さんと実はとても愛していて、お岩さんの顔が薬で変わっていなかったらお梅を捨ててお岩とよりを戻した可能性もあると思っているそうである。お岩さんに対する態度も好きな人に踏ん切りをつけるためのいじめだと捉えているそうだ。

その後、二人で今日の演目の紹介を行い、客席からの質問を受ける。七之助への「女形をやる時には、女性の仕草を研究したりはするんですか?」という質問には、「女を演じているのではなく女形という生き物を演じている」ということで、「内面は女であることを目指しているが、仕草などは女形の先輩が残してきた型を参考に取り入れている」ということで本物の女性の仕草を参考にすることはないそうだ。女形として魅力的に見える仕草は女性のそれとは当然異なっており「所詮男なので」女であることでなく女形であることを目指しているそうだ。「普通の女の人がこんな髪の掻き上げ方したら嫌でしょ?」と型を見せて笑いも取っていた。

静岡公演では、昼公演と夜公演の間に羽衣伝説のある三保の松原を見に行き、その日の夜の公演の芸談で司会を務めた静岡のテレビ局のアナウンサーが、「羽衣が残っているんです」という話をしたため、「松廼羽衣」では特別に羽衣を切るという演出を加えたそうなのだが、三重公演の芸談でそれを明かしたために三重公演でも同じ演出を行うことになったそうで、「今日もそうなんですか?」という質問がある。勘九郎は「わかってます? それは脅迫です。質問じゃなくて」と返す。ただ七之助が「でもやるんでしょ?」と言ったため、今回も「松廼羽衣」は特別演出で行われることになった。

 

「艶紅曙接拙 紅翫」。出演は、中村いてう、中村仲助、中村仲之助、中村仲侍、中村仲弥、中村仲四郎、澤村國久。
富士山の山開きの日に、虫売り、朝顔売り、団子売りなどが集うのだが、芸達者の紅翫(中村いてう)が現れて、歌舞伎の様々な演目の真似を披露して一同を楽しませるという趣向である。主人公のモデルは紅谷勘兵衛という実在の人物だそうで、浅草で芸を披露して人気を博していたそうである。

 

「三ツ面子守」は、9月の南座「東海道四谷怪談」ではお梅を演じていた中村鶴松が一人で舞う。子守がひょっとこやおかめ、えびすなど次々と面を変え、衣装も替えて踊り続けるユーモラスな作品である。鶴松の舞踊は、手の動きがピシッと決まり、愛らしさもある巧みなものであった。

 

「松廼羽衣」。勘九郎と七之助の共演である。勘九郎演じる漁夫の伯竜は凜々しいが、七之助の演じる天女が現れるとやや姿がかすんでしまう。女形と立役の違いもあるが、七之助の方が華はあるようだ。
ともあれ、二人とも稀代の名優であった中村勘三郎の息子であり、譲り受けた芸の巧みさには十分に光るものがあった。

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2019年10月19日 (土)

観劇感想精選(321) 南座新開場記念 藤山直美主演 「喜劇 道頓堀ものがたり」

2019年10月13日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で「喜劇 道頓堀ものがたり」を観る。三田純市の小説『道頓堀』を原作とする作品。脚本:宮永雄平、演出:浅香哲哉。主演:藤山直美。出演:喜多村緑郎、河合雪之丞、松村雄基、鈴木杏樹、石倉三郎、春本由香、辻本祐樹、三林京子、大津峯子、林与一ほか。セリフらしいセリフを貰えていない役ではあるが、吉本新喜劇の「横顔新幹線」こと伊賀健二や京都の小演劇界で活躍している岡嶋秀昭なども出演している。

道頓堀に大阪松竹座を持っている松竹であるが、今回は南座新開場記念として敢えて京都で上演される。藤山直美は藤山寛美の娘ということで大阪のイメージが強いが、実は京都女子高校出身であり、京都に縁のある人である。

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「喜劇 道頓堀ものがたり」は平成12年11月に大阪松竹座で初演された作品で、道頓堀五座と呼ばれた5つの劇場(中座、浪花座、朝日座、角座、弁天座)が建ち並び、日本屈指の演劇街であった時代の道頓堀を描いている。道頓堀五座のうち、現在も稼働している劇場は実は一つもない。最も権威のあった中座もすでに解体され、跡地には中座くいだおれビル(現在は、くいだおれ太郎はここにいる)が建ち、地下に演劇も上演できる2つのライブハウスを持っているが、昔ながらの芝居が上演されることはまずない。角座は戦災で焼失した後に映画館になったり演芸場として生まれ変わったりしていたが、今は場所も移転し、道頓堀の劇場ではなくなっている。

松竹の芝居ということで、創設者の一人である白井松次郎が登場。松村雄基を配して(実は初演時の白井松次郎を演じていたのも松村だという)やたらと男前に描かれている。

 

歌舞伎から喜劇に転じることになる尾野川菊之助(喜多村緑郎)を妻として支えることになるお徳(藤山直美)が主人公。お徳は父に先立たれたため奈良から大阪に出てきたのだが、道頓堀で芝居に目がくらんでしまって通い詰めているうちに金がなくなり、芝右衛門狸のようにアオタ(芝居のただ見)を行って劇場から叩き出される。その場にいた芝居茶屋・菊濱の女将である菊乃(三林京子)に「そんなに芝居が好きなら」ということで、お茶子として引き取られることになったお徳は、実は最も好きな役者である菊之助が生まれ育ったのがここ菊濱と知り、菊之助に出会うと卒倒するほどに喜ぶ。
その菊之助であるが、華があり人気もあって将来の尾野川一座の看板となる資質十分なのだが、先代の型に従わず、独自の演技をしてしまうため、周囲からの評判が悪い。そこで師匠である尾野川延十郎(林与一)によって弟分である女形の尾野川あやめ(女形の場合は弟分でいいのだろうか? 演じるのは河合雪之丞)と共に喜劇劇団に移籍させられることになる。当初は見捨てられたと感じ、一日も早く歌舞伎に復帰することを願う菊之助だったが……。

 

人情芝居であり、難しい部分も特にない。実話も絡めた庶民向けの話であり、大阪や道頓堀に通い慣れている人にはとても面白く感じられるだろう。喜多村緑郎、河合雪之丞、林与一といった歌舞伎畑出身の俳優による「恋飛脚大和往来」より“封印切の場”や「瞼の母」の稽古シーンなどが劇中劇として入っているのも芝居好きには一粒で二度美味しいといったところだ。

基本的に藤山直美のキャラで持たせている芝居であるが、他の役者も好演。尾上松助の娘で尾上松也の妹である春本由香は生まれつきなのか環境の方が大きいのかは分からないが華があり、演技のセンスも高い。実は関西出身である鈴木杏樹は慣れた感じの大阪弁による台詞回しが魅力的であった。

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