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2025年3月16日 (日)

観劇感想精選(485) 令和6年能登半島地震復興祈念公演「まつとおね」 吉岡里帆×蓮佛美沙子

2025年3月9日 石川県七尾市中島町の能登演劇堂にて観劇

能登演劇堂に向かう。最寄り駅はのと鉄道七尾線の能登中島駅。JR金沢駅から七尾線でJR七尾駅まで向かい、のと鉄道に乗り換える。能登中島駅も七尾市内だが、七尾市は面積が広いようで、七尾駅から能登中島駅までは結構距離がある。

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JR七尾線の各駅停車で七尾へ向かう。しばらくは金沢の市街地だが、やがて田園風景が広がるようになる。
JR七尾駅とのと鉄道七尾駅は連結していて(金沢駅で能登中島駅までの切符を買うことが出来る。のと鉄道七尾線は線路をJRから貸してもらっているようだ)、改札も自動改札機ではなく、そのまま通り抜けることになる。

のと鉄道七尾線はのんびりした列車だが、田津浜駅と笠師保駅の間では能登湾と能登島が車窓から見えるなど、趣ある路線である。

 

能登中島駅は別名「演劇ロマン駅」。駅舎内には、無名塾の公演の写真が四方に貼られていた。
能登演劇堂は、能登中島駅から徒歩約20分と少し遠い。熊手川を橋で渡り、道をまっすぐ進んで、「ようこそなかじまへ」と植物を使って書かれたメッセージが現たところで左折して進んだ先にある。

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午後2時から、石川県七尾市中島町の能登演劇堂で、令和6年能登半島地震復興祈念公演「まつとおね」を観る。吉岡里帆と蓮佛美沙子の二人芝居。

能登演劇堂は、無名塾が毎年、能登で合宿を行ったことをきっかけに建てられた演劇専用ホールである(コンサートを行うこともある)。1995年に竣工。
もともとはプライベートで七尾市中島町(旧・鹿島郡中島町)を訪れた仲代達矢がこの地を気に入ったことがきっかけで、自身が主宰する俳優養成機関・無名塾の合宿地となり、その後10年ほど毎年、無名塾の合宿が行われ、中島町が無名塾に協力する形で演劇専用ホールが完成した。無名塾は現在は能登での合宿は行っていないが、毎年秋に公演を能登演劇堂で行っている。

令和6年1月1日に起こった能登半島地震。復興は遅々として進んでいない。そんな能登の復興に協力する形で、人気実力派女優二人を起用した演劇上演が行われる。題材は、七尾城主だったこともある石川県ゆかりの武将・前田利家の正室、まつの方(芳春院。演じるのは吉岡里帆)と、豊臣(羽柴)秀吉の正室で、北政所の名でも有名なおね(高台院。演じるのは蓮佛美沙子。北政所の本名は、「おね」「寧々(ねね)」「ねい」など諸説あるが今回は「おね」に統一)の友情である。
回想シーンとして清洲時代の若い頃も登場するが、基本的には醍醐の花見以降の、中年期から老年期までが主に描かれる。上演は、3月5日から27日までと、地方にしてはロングラン(無名塾によるロングラン公演は行われているようだが、それ以外では異例のロングランとなるようだ)。また上演は能登演劇堂のみで行われる。

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有料パンフレット(500円)には、吉岡里帆と蓮佛美沙子からのメッセージが載っているが、能登での公演の話を聞いた時に、「現地にとって良いことなのだろうか」(吉岡)、「いいのだろうか」(蓮佛)と同じような迷いの気持ちを抱いたようである。吉岡は昨年9月に能登に行って、現地の人々から「元気を届けて」「楽しみ」という言葉を貰い、蓮佛は能登には行けなかったようだが、能登で長期ボランティアをしていた人に会って、「せっかく来てくれるんなら、希望を届けに来てほしい」との言葉を受けて、そうした人々の声に応えようと、共に出演を決めたようである。また二人とも「県外から来る人に能登の魅了を伝えたい」と願っているようだ。

原作・脚本:小松江里子。演出は歌舞伎俳優の中村歌昇ということで衣装早替えのシーンが頻繁にある。ナレーション:加藤登紀子(録音での出演)。音楽:大島ミチル(演奏:ブダペストシンフォニーオーケストラ=ハンガリー放送交響楽団)。邦楽囃子:藤舎成光、田中傳三郎。美術:尾谷由衣。企画・キャスティング・プロデュース:近藤由紀子。

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舞台美術は比較的簡素だが、能登演劇堂の特性を生かす形で生み出されている。

 

立ち位置であるが、上手側に蓮佛美沙子が、下手側に吉岡里帆がいることが多い。顔は似ていない二人だが、舞台なので顔がそうはっきり見えるわけでもなく、二つ違いの同世代で、身長は蓮佛美沙子の方が少し高いだけなので、遠目でもどちらがどちらなのかはっきり分かるよう工夫がなされているのだと思われる。

 

まずは醍醐の花見の場。秀吉最後のデモストレーションとなったことで有名な、今でいうイベントである。この醍醐の花見には、身内からは前田利家と豊臣秀頼のみが招かれているという設定になっており、おねは「次の天下人は前田利家様」になることを望んでいる。淀殿が秀吉の寵愛を受けており、子どもを産むことが出来なかった自分は次第に形見が狭くなっている。淀殿が嫌いなおねとしては、淀殿の子の秀頼よりも前田利家に期待しているようだ。史実としてはおねは次第に淀殿に対向するべく徳川に接近していくのであるが、話の展開上、今回の芝居では徳川家康は敵役となっており、おねは家康を警戒している。秀吉や利家は出てこないが、おね役の蓮佛美沙子が二人の真似をする場面がある。

二人とも映画などで歌う場面を演じたことがあるが、今回の劇でも歌うシーンが用意されている。

回想の清洲の場。前田利家と羽柴秀吉は、長屋の隣に住んでいた。当然ながら妻同士も仲が良い。その頃呼び合っていた、「まつ」「おね」の名を今も二人は口にしている。ちなみに年はおねの方が一つ上だが、位階はおねの方がその後に大分上となり、女性としては最高の従一位(「じゅいちい」と読むが、劇中では「じゅういちい」と読んでいた。そういう読み方があるのか、単なる間違いなのかは不明)の位階と「豊臣吉子」の名を得ていた。そんなおねも若い頃は秀吉と利家のどちらが良いかで迷ったそうだ。利家は歌舞伎者として有名であったがいい男だったらしい。
その長屋のそばには木蓮の木があった。二人は木蓮の木に願いを掛ける。なお、木蓮(マグノリア)は能登復興支援チャリティーアイテムにも採用されている。花言葉は、「崇高」「忍耐」「再生」。

しかし、秀吉が亡くなると、後を追うようにして利家も死去。まつもおねも後ろ盾を失ったことになる。関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍が勝利。まつの娘で、おねの養女であったお豪(豪姫)を二人は可愛がっていたが、お豪が嫁いだ宇喜多秀家は西軍主力であったため、八丈島に流罪となった。残されたお豪はキリシタンとなり、金沢で余生を過ごすことになる。その後、徳川の世となると、出家して芳春院となったまつは人質として江戸で暮らすことになり、一方、おねは秀吉の菩提寺である高台寺を京都・東山に開き、出家して高台院としてそこで過ごすようになる(史実としては、高台寺はあくまで菩提寺であり、身分が高い上に危険に遭いやすかったおねは、現在は仙洞御所となっている地に秀吉が築いた京都新城=太閤屋敷=高台院屋敷に住み、何かあればすぐに御所に逃げ込む手はずとなっていた。亡くなったのも京都新城においてである。ただ高台寺が公演に協力している手前、史実を曲げるしかない)。しかし、大坂の陣でも徳川方が勝利。豊臣の本流が滅びたことで、おねは恨みを募らせていく。15年ぶりに金沢に帰ることを許されたおまつは、その足で京の高台寺におねを訪ねるが、おねは般若の面をかぶり、夜叉のようになっていた。
そんなおねの気持ちを、まつは自分語りをすることで和らげていく。恨みから醜くなってなってしまっていたおねの心を希望へと向けていく。
まつは、我が子の利長が自分のために自決した(これは事実ではない)ことを悔やんでいたことを語り、苦しいのはおねだけではないとそっと寄り添う。そして、血は繋がっていないものの加賀前田家三代目となった利常に前田家の明日を見出していた(余談だが、本保家は利常公の大叔父に当たる人物を生んだ家であり、利常公の御少将頭=小姓頭となった人物も輩出している)。過去よりも今、今よりも明日。ちなみにおねが負けず嫌いであることからまつについていたちょっとした嘘を明かす場面がラストにある。
「悲しいことは二人で背負い、幸せは二人で分ける」。よくある言葉だが、復興へ向かう能登の人々への心遣いでもある。

能登演劇堂は、舞台裏が開くようになっており、裏庭の自然が劇場内から見える。丸窓の向こうに外の風景が見えている場面もあったが、最後は、後方が全開となり、まつとおねが手を取り合って、現実の景色へと向かっていくシーンが、能登の未来への力強いメッセージとなっていた。

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能登中島駅に飾られた舞台後方が開いた状態の能登演劇堂の写真

様々な衣装で登場した二人だが、最後は清洲時代の小袖姿で登場(ポスターで使われているのと同じ衣装)。劇場全体を華やかにしていた。

共に生で見るのは3回目となる吉岡里帆と蓮佛美沙子。吉岡里帆の前2回がいずれも演劇であるのに対して、蓮佛美沙子は最初はクラシックコンサートでの語り手で(ちなみにこの情報をWikipediaに書き込んだのは私である)、2度目は演劇である。共に舞台で風間杜夫と共演しているという共通点がある。蓮佛美沙子は目鼻立ちがハッキリしているため、遠目でも表情がよく伝わってきて、舞台向きの顔立ち。吉岡里帆は蓮佛美沙子に比べると和風の顔であるため、そこまで表情はハッキリ見えなかったが、ふんわりとした雰囲気に好感が持てる。実際、まつが仏に例えられるシーンがあるが、吉岡里帆だから違和感がないのは確かだろう。ただ、彼女の場合は映像の方が向いているようにも感じた。

 

二人とも有名女優だが一応プロフィールを記しておく。

蓮佛美沙子は、1991年、鳥取市生まれ。蓮佛というのは鳥取固有の苗字である。14歳の時に第1回スーパー・ヒロイン・オーディション ミス・フェニックスという全国クラスのコンテストで優勝。直後に女優デビューし、15歳の時に「転校生 -さよなら、あなた-」で初主演を飾り、第81回キネマ旬報ベストテン日本映画新人女優賞と第22回高崎映画祭最優秀新人女優賞を獲得。ドラマではNHKの連続ドラマ「七瀬ふたたび」の七瀬役に17歳で抜擢され、好演を示した。その後、民放の連続ドラマにも主演するが、視聴率が振るわず、以後は脇役と主演を兼ねる形で、ドラマ、映画、舞台に出演。育ちのいいお嬢さん役も多いが、「転校生 -さよなら、あなた-」の男女逆転役、姉御肌の役、不良役、そして猟奇殺人犯役(ネタバレするのでなんの作品かは書かないでおく)まで広く演じている。白百合女子大学文学部児童文化学科児童文学・文化専攻(現在は改組されて文学部ではなく独自の学部となっている)卒業。卒業制作で絵本を作成しており、将来的には出版するのが夢である。映画では、主演作「RIVER」、ヒロインを演じた「天外者」の評価が高い。
2025年3月9日現在は、NHK夜ドラ「バニラな毎日」に主演し、月曜から木曜まで毎晩登場、好評を博している。
出演したミュージカル作品がなぜがWikipediaに記されていなかったりする。仕方がないので私が書いておいた。

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吉岡里帆は、1993年、京都市右京区太秦生まれ。書道を得意とし、京都橘大学で書道を専攻。演技を志したのは大学に入ってからで、それまでは書道家になるつもりであった。仲間内の自主製作映画に出演したことで演技や作品作りに目覚め、京都の小劇場にも出演したが、より高い場所を目指して、夜行バスで京都と東京を行き来してレッスンに励み、その後、自ら売り込んで事務所に入れて貰う。交通費などはバイトを4つ掛け持ちするなどして稼いだ。東京進出のため、京都橘大学は3年次終了後に離れたようだが、その後に大学を卒業しているので、東京の書道が専攻出来る大学(2つしか知らないが)に編入したのだと思われる。なお、吉岡は京都橘大学時代の話はするが、卒業した大学に関しては公表していない。
NHK朝ドラ「あさが来た」ではヒロインオーディションには落選するも評価は高く、「このまま使わないのは惜しい」ということで特別に役を作って貰って出演。TBS系連続ドラマ「カルテット」では、元地下アイドルで、どこか後ろ暗いものを持ったミステリアスな女性を好演して話題となり、現在でも代表作となっている。彼女の場合は脇役では有名な作品は多いが(映画「正体」で、第49回報知映画賞助演女優賞、第48回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞受賞)、主演作ではまだ決定的な代表作といえるようなものがないのが現状である。知名度や男受けは抜群なので意外な気がする。現在はTBS日曜劇場「御上先生」にヒロイン役で出演中。また来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、主人公の豊臣秀長(仲野太賀)の正室(役名は慶=ちか。智雲院。本名は不明という人である)という重要な役で出ることが決まっている(なお、寧々という名で北政所を演じるのは石川県出身の浜辺美波。まつが登場するのかどうかは現時点では不明である)。

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二人とも良いとこの子だが、経歴を見ると蓮佛がエリート、吉岡が叩き上げなのが分かる。

カーテンコールで、先に書いたとおり小袖登場した二人、やはり吉岡が下手側から、蓮佛が上手側から現れる。二人とも三十代前半だが、そうは見えない若々しくて魅力的な女の子である。

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2024年12月27日 (金)

観劇感想精選(479) 松竹創業百三十周年「 當る巳歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部 令和六年十二月十四日

2024年12月14日 京都四條南座にて

午後4時から、京都四條南座で、松竹創業百三十周年 當る巳歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎夜の部を観る。

演目は、「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷、「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」かきね、「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」二幕 御所五郎蔵、「越後獅子」

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「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷。今日、12月14日は討ち入りの日である(ただし旧暦)。というわけで忠臣蔵なのだが、「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷で描かれるのは、本所吉良邸で吉良上野介義央の首を挙げ、浅野内匠頭長矩の眠る高輪・泉岳寺に向かう途中に幕府大目付・仙石伯耆守の屋敷に吉田忠左衛門と富森助右衛門が伝令として寄り、その後、赤穂浪士達(寺坂吉右衛門が伝令に出たため、一人少なくと46名)が仙石屋敷に身柄を移され、討ち入りの子細を報告するという場面である。というわけで、12月14日の話ではない。
配役は、大石内蔵助に片岡仁左衛門、仙石伯耆守に中村梅玉、吉田忠左衛門に中村鴈治郎、堀部安兵衛に市川中車、磯貝十郎左衛門に中村隼人ほか。

大石内蔵助を演じる片岡仁左衛門の長台詞が一番の見所である。仙石伯耆守は、討ち入りを行ってしまったことを残念に思うが(老人一人の命を大勢で狙うという行動に反感を覚える人は案外多いようである)、内蔵助は、自分たちの行動が大儀に則ったものであることを諄々と述べる。そして喧嘩両成敗であるはずなのに、主君の浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はおとがめなしという裁定はあってはならないものであり、また浅野内匠頭の松の廊下での刃傷は短慮からではなく、覚悟の上であり、遺臣である自分たちが主君の本懐を遂げるのは当然と述べ、旧赤穂藩の遺臣は300名以上いたのにそれが47人に減ったことについては、「これが人間の姿」と述べる。仁左衛門の情感たっぷりのセリフは聞きもの。また仙石伯耆守が去った後の、赤穂浪士達の強い結びつきを感じさせるシーンも胸を打つ。
やがて浪士達の引取先が決まり、次々と去って行く。仙石伯耆守は「内匠頭はよい家臣を持たれた」と感慨にふけるのであった。


「色彩間苅豆」かさね。百姓与右衛門実は久保田金五郎は片岡愛之助が演じる予定であったが稽古中の怪我で降板。代役を中村萬太郎が務めることになった。愛之助は今回の公演の目玉で、二階に飾られたお祝いもほぼ全て愛之助宛のものであった。

下総国羽生村(現在の茨城県常総市)に住む百姓の助は、同じく百姓の与右衛門(中村萬太郎)に殺された。百姓とはいえ、与右衛門は元は侍で久保田金五郎といった。
金五郎は腰元のかさね(中村萬壽)と恋仲になったが、不義密通で出奔。その際、かさねと心中する約束をした。その後、助の女房の菊と恋仲になり、助が邪魔になって手に掛けたのである。
物語は、かさねが与右衛門に一緒に心中してくれるよう頼むところから始まる。最初は拒絶する与右衛門だったが、かさねの願いを受け入れることに。しかし、川を髑髏が流れてくる。与右衛門が殺害した助のものであった。更に、かさねが助と菊の娘であることが判明する。そこへ捕り方が現れ、もみ合いとなる。捕り方が落とした書状には与右衛門の罪が書き連ねてあった。
かさねに異変が起こる。左目が腫れ、片足が動かなくなる。亡くなった時の助そのものの姿に与右衛門は祟りを感じ、かさねを殺害する。
橋で息絶えたかさねであったが、亡霊となり、与右衛門を引き戻す(花道から去ったが、花道から再び現れ、舞台まで戻される)。
怪談話である。元々は浄土宗の高僧祐天上人の霊験譚であったようだ。
代役の萬太郎であるが、体のキレも良く、代役として立派な演技を見せた。


「曽我綉侠御所染」御所五郎蔵。
配役は、御所五郎蔵に中村隼人、星影土右衛門に坂東巳之助、甲屋(かぶとや)女房お松に片岡孝太郎、傾城皐月に中村壱太郎、傾城逢州に上村吉太朗ほか。

陸奥国の大名、浅間巴之丞に仕える須崎角弥は腰元の皐月と恋仲になった。しかし星影土右衛門が横恋慕する。不義の罪で死罪になるところを巴之丞の母である遠山尼の温情により国許追放に刑が減じられる。角弥は武士の身分を捨て、町人となって皐月と共に京に向かう。一方、土右衛門も訳あって藩を追われ、同じく京へと出てきていた。

京の五條坂仲之町の廓が舞台である。皐月はこの廓の傾城(「花魁」という言葉が使われるが、正確に言うと京都には花魁はいない。太夫がいるが、花魁とは性質が異なる)となっていた。
廓の甲屋の店先に、子分を連れた土右衛門がやって来る。そこへ現れたのはこの界隈で伊達男として知られる御所五郎蔵。実は須崎角弥である。やはり子分を従えているが、土右衛門の子分は武士、五郎蔵の子分は町人である。浅間巴之丞が上洛した際、土右衛門の子分に言い掛かりを付けられ、これを五郎蔵が懲らしめたことから、両者の間に険悪な空気が漂う。子分達は今にも争いそうになるが、五郎蔵も土右衛門も「手を出すな」と言い、言い合いが続く。しかし、土右衛門が皐月への思いを語ると五郎蔵も激高。一触即発というところを甲屋の女房であるお松が間に入って止める。

舞台は甲屋の奥座敷に移る。浅間巴之丞は傾城(やはり「花魁」と言われる)逢州に入れ揚げており、揚げ代の200両の支払いが滞っている。旧主への恩義のため、金をこしらえようとする五郎蔵。妻の皐月にも金の工面を頼む。しかし皐月は客が取れない。皐月の窮状を知った土右衛門が五郎蔵への退き状を書けば二百両払おうと皐月に申し出る。いったんは断る皐月だったが、五郎蔵も金の用意は出来ないだろうから、これを逃すと命はないだろうと迫られ、やむなく退き状を書くことになる。事情を知らない五郎蔵は皐月に激怒。逢州が五郎蔵を宥める。
怒りに震える五郎蔵は土右衛門と皐月を殺害することを決意。一方で皐月は二百両を五郎蔵に渡す手立てを考えている。土右衛門は身請けのために皐月を伴って花形屋に向かおうとするが、皐月は具合が悪いとこれを断る。怪しむ土右衛門だったが、逢州が自分が代わりに行って顔を立てるからというので納得する。逢州は皐月の打掛を着る。
廓の中で待ち伏せしていた五郎蔵は皐月と思って逢州に斬りかかり、殺害するが、すぐに正体が逢州であることに気付く。そこへ妖術を使って潜んでいた土右衛門が現れ、五郎蔵と斬り合いになる。

イケメン俳優として人気の隼人であるが、声が細く、所作もまだ十分には身についていないように見える。見得などは格好いいのだが。まだまだこれからの人なのだろう。巳之助は堂々としていて貫禄があった。演技だけ見ると巳之助の方が主人公に見えてしまう。
当代を代表する女形となった壱太郎は、繊細な身のこなしと強弱を自在に操るセリフ術で可憐な女性を演じ、見事であった。


「越後獅子」。中村鴈治郎、中村萬太郎、中村鷹之資の3人が中心になった舞で、実に華やかである。布を様々な方法で操るなど、掉尾を飾るに相応しい演目となった。

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2024年10月26日 (土)

東京バレエ団創立60周年記念シリーズ10「ザ・カブキ」全2幕@高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホール

2024年10月18日 高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールにて

午後6時30分から、高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールで、東京バレエ団の創立60周年記念シリーズ10「ザ・カブキ」全2幕を観る。振付:モーリス・ベジャール、作曲:黛敏郎。
歌劇「金閣寺」、歌劇「古事記(KOJIKI)」など、舞台作品でも優れた音楽を残している黛敏郎(1929-1997)。バレエ作品としてはコンサートでもよく取り上げられる「BUGAKU(舞楽)」が有名だが、「ザ・カブキ」も上演時間2時間を超える大作として高く評価されている。1986年にモーリス・ベジャールを東京バレエ団に振付家として招くために委嘱されたバレエ作品で、歌舞伎の演目で最も有名な「仮名手本忠臣蔵」をバレエとして再現した作品である。ベジャールは歌劇「金閣寺」を聴いて感銘を受けていたことから黛敏郎に作曲を依頼。黛は、電子音楽や邦楽を入れるなど、自由なスタイルで作曲を行っている。なお、様々な音楽が取り入れられていて生演奏は困難であることから、初演時から音楽は録音されたものが流され、レコーディングでの指揮は作曲者の黛敏郎が担当した。
今回も音楽は録音されたものが流されたが、「特別録音によるもの」とのみ記載。ただ、初演時と同じものである可能性が高い。新しい劇場なのでスピーカーの音響は良い。


ファーストシーンは現代の東京。若者達が電子音に合わせて踊っていると、黒子が現れて、刀を一振り渡す。受け取った男は歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の世界へと入っていく。

なお、この作品は、おかると勘平が二組現れるのが特徴。一組は「仮名手本忠臣蔵」のおかると勘平で、もう一組は現代のおかると勘平である。


会場となっている高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールは、2023年3月にオープンしたまだ新しい施設。元々は、近くに高槻市民会館という1964年竣工の文化施設が高槻現代劇場と名を変えて建っていたのだが、ここでお笑いの営業を行った笑い飯・哲夫に「えらく古い現代劇場」と言われるなど老朽化が目立っていた。そこで閉鎖して新たに南館を建設。1992年竣工の北館と合わせて高槻城公園芸術文化劇場となった。その名の通り、高槻城跡公園に隣接した場所にあり、かつては高槻城の城内に当たる土地にあるため周囲がそれらしく整備されおり、堀が掘られ、石垣が築かれてその上に狭間のある塀が立つなど、城郭風の趣を醸し出している。トリシマは、高槻市に本社を置く酉島製作所のネーミングライツである。

ホール内の形状についてであるが、一時は、コンサートホール風にサイドの席を平行にして向かい合うようなデザインが流行ったことがあったが、最近は視覚面を考慮してか、往年の公会堂のように、客席から見て「八」の形のようになる内部構造を持つホールがまた増えており、トリシマホールもその一つである。天上も余り高くなく、比較的こぢんまりとした空間だが、大都市のホールではないので、クラシック音楽にも対応出来るよう、風呂敷を広げすぎない設計なのは賢明である。小ホールやリハーサル室など多くの施設が同じ建物内に詰め込まれているため、ホワイエがやや狭めなのが難点で、クロークもあるのかどうか分からなかった。


話を作品内容に戻すと、「仮名手本忠臣蔵」の世界に彷徨い込んだ男は、大星由良助(大石内蔵助の「仮名手本忠臣蔵」での名前)として中心人物になる。松の廊下(時代が室町時代初期に置き換わっているので、江戸城ではなく室町幕府の鎌倉府の松の廊下である)で、浅野内匠頭長矩をモデルにした塩冶判官が、高家の吉良上野介義央をモデルとした高師直に斬りかかり、切腹を命じられる。鎌倉府内には丸に二引きの足利の紋がかかっていたが、切腹の際には、浅野の家紋である「違い鷹の羽」(日本で最も多い家紋でもある)の紋が描かれた衝立が現れる。
「いろは四十七文字」を書いた幕が下りてきて、47人の浪士達が討ち入ることが暗示される。

出演は、柄本弾(つかもと・だん。由良助)、中嶋智哉(なかしま・ともや。足利直義)、樋口祐輝(塩冶判官)、上野水香(ゲスト・プリンシパル。顔世御前)、山下湧吾(力弥)、鳥海創(塩冶判官)、岡崎隼也(おかざき・じゅんや。伴内)、池本祥真(勘平)、沖香菜子(おかる)、後藤健太朗(現代の勘平)、中沢恵理子(なかざわ・えりこ。現代のおかる)、岡﨑司(定九郎)、本岡直也(薬師寺)、星野司佐(ほしの・つかさ。石堂)、三雲友里加(遊女)、山田眞央(男性。与市兵衛)、伝田陽美(でんだ・あきみ。おかや)、政本絵美(お才)、山下湧吾(ヴァリエーション1)、生方隆之介(うぶかた・りゅうのすけ。ヴァリエーション2)。
四十七士ということで終盤では人海戦術も投入される。

「仮名手本忠臣蔵」は大長編なので、ハイライトのみの上演となる。昔、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、一晩の上演で「仮名手本忠臣蔵」を全て見せるという実験的公演が渡辺徹の主演、加納幸和の演出で行われたことがあるが、それに近い。
松の廊下事件と塩冶判官の切腹を受けての城明け渡しと、浪士達の血判状の場面。山崎街道での定九郎による襲撃と定九郎のあっけない死(バレエなので、「…五十両」のセリフはなし。ただ元々ここは端役による繋ぎのシーンだったのだが、中村仲蔵が一人で名場面に変え、それがバレエ作品にも採用されているというのは興味深い)。おかると勘平の別れ。祇園・一力での女遊びと見せかけた欺き(大石内蔵助が遊んだのは実際には祇園ではなく、伏見の撞木町遊郭=現存せずである)。顔世御前と由良助の場。討ち入りの場と全員切腹である。

日本のバレエダンサー、特に男性ダンサーは白人に比べると体格面で圧倒的に不利であり、迫力が違うのだが、日本が舞台の作品で日本人ダンサーしか出ないということでさほど気にはならない。フィギュアスケートで、日本人の男性選手が金メダルを取るようになったことからも分かる通り、食生活の変化で日本人の体格も良くなっており、近い将来ではないかも知れないが、世界的な日本人男性バレエダンサーが今以上に活躍する日が来るかも知れない。女性ダンサーも体格面では劣るが、可憐さなど、それ以外の部分で勝負出来るので、男性と比較しても未来は明るいだろう。
いずれのダンサーも動きにキレがあり、十分な出来である。

演出面であるが、高師直の生首を素のままぶら下げてずっと歩いているというのが、西洋人的な発想である。日本では生首はすぐに布などで包むのが一般的である。
日本的な美意識を日章旗や太陽の影で表すのも直接的で、日本人の振付家ならやらないかも知れない。ただお国のために特攻までやってしまったり、「一億玉砕」を掲げる精神が浮き彫りにはなっている。
ラストに向かって人数が増えて盛り上がっていくところはあたかも視覚的な「ボレロ」のようであるし、一力での甲高い打楽器の音と低弦の不穏な響きなど、重層的な音響が用いられている。またショスタコーヴィチの交響曲第5番の冒頭がパロディー的に用いられるなど、全体的にロシアの作曲家を意識した音楽作りとなっている。黛敏郎は思想的には右翼だったが、左翼の芥川也寸志と親しくしており(坂本龍一とも親しく、高く評価していたため、思想と音楽性は別と考えていたようだ。指揮者に憧れを持っていた坂本龍一は、黛に「坂本君の指揮いいね」と生まれて初めて指揮を褒められて感激している)、ソ連の音楽の理解者であった芥川から受けた影響も大きいのかも知れない。

後年は、「題名のない音楽会」の司会業や政治活動などにのめり込んで、作曲を余りしなくなってしまった黛敏郎。岩城宏之や武満徹から「黛さん、作曲して下さいよ」と度々言われていたという。そのため、作曲家としてのイメージが遠ざかってしまったきらいがあるが、実力者であったことは間違いなく、作品の上演が増えて欲しい作曲家である。

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2024年10月 3日 (木)

観劇感想精選(470) 「十三代目 市川團十郎白猿襲名披露巡業」京都公演@ロームシアター京都メインホール

2024年9月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「十三代目 市川團十郎白猿襲名披露巡業」の京都公演を観る。

市川團十郎白猿を襲名し、京都での披露公演は、昨年12月に京都四條南座での顔見世で行われたのだが(所用により行けず)、47都道府県を巡る襲名披露巡業の一つとして、再び京都で、会場を変えて公演が行われることとなった。

演目は、「祝成田櫓賑(いわうなりたしばいのにぎわい)」、「十三代目市川團十郎白猿襲名披露口上」、「河内山(こうちやま)」


「祝成田櫓賑」には團十郎は出演しない。市川團十郎の襲名を祝うための歌舞伎舞踊の演目であり、それ以外の時には上演されないのだと思われる。今井豊成の補綴、藤間勘十郎の振付。
出演は、市川右團次、市川九團次、大谷廣松、市川新十郎、市川升三郎、片岡市蔵ほか。

踊りの家に生まれた右團次だけに、舞踊には迫力とメリハリがあり、魅せる。流れを生みつつ、名捕手のキャッチングのようにビシッと止める様が格好いい。九團次と廣松のコンビも息の合った舞踊を見せる。廣松は立っているだけで艶(あで)な感じが出ているのが良い。


「十三代目市川團十郎白猿襲名披露口上」。團十郎白猿と、中村梅玉が出演する。
まず、中村梅玉が、株式会社松竹からのご提案、諸先輩からのお引き立て、後援してくれるのお客様からのご声援により、このたび市川海老蔵改め第十三代目市川團十郎白猿を襲名する運びになったことを告知する。梅玉は、團十郎白猿のことを、「先代と同じく大きな役者」と讃え、伝統を守りつつ新しいことに挑む、言うのは容易いが行うのは難しいことを成し遂げる力を持った俳優だと賛美し、歌舞伎界に革新をもたらす可能性を示唆する。
また、「河内山」では、團十郎の相手役をずっとやっているが、成長していくのが間近で感じられると褒め称えた。

市川團十郎白猿の襲名披露口上。株式会社松竹からのご提案等、梅玉と同じ言葉を繰り返して、襲名に至る過程と感謝を述べ、代々続いてきた大名跡を受け継ぐ覚悟を口にする。

そこから京都の思い出を語る。子どもの頃、顔見世のある12月には父親(第十二代目市川團十郎)と共に京都に来て、旅館で過ごしていた。父親の帰りが夜遅くなることもあり、その間ずっと旅館で「大変なんだろうな」と思って待っていたと回想する。それでも朝になると父親が、南座まで連れて行ってくれたこともあったそうである。父親が演じる「助六」を初めて観たのも京都においてだった。

ちなみに、「私はロームシアターは初めてでして。これがロームシアターでの顔見世。大好きな京都で二度襲名披露の顔見世が出来て嬉しい」と述べる。

京都での初演目は「連獅子」であったそうだが、「来月、大阪松竹座の襲名披露で、私が親獅子で『連獅子』をやります。京都から(新)大阪までは、新幹線で16分。観に来て頂ければ」と宣伝していた。京都から大阪まで新幹線で行く人はまずいないと思われるが。新大阪駅から地下鉄御堂筋線に乗って、心斎橋まで行くわけだが、新大阪駅は大阪市の北の外れの方にあるので、案外、時間が掛かるはずで、京阪や阪急を使った方が便利だと思われる。ちなみに團十郎は「連獅子」で共演する息子のことを新之助ではなく、勸玄と本名で呼んでいた。

梅玉がそれを受け、「歌舞伎の発展のために尽くす所存。隅から隅までずずずいーっと、宜しくお願い申し上げます」と二人で頭を下げ、頭を上げてから團十郎が「これからもご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます」と言って再び二人で頭を下げた。


「河内山」。正式には「天衣紛上野初花 河内山」で、河竹黙阿弥の作である。出演は、市川團十郎白猿(市川海老蔵改め)、市川右團次、大谷廣松、中村莟玉(かんぎょく)、市川新蔵、中村梅蔵、市川新十郎、市川升三郎、中村梅秋、市川右田六、市川九團次、片岡市蔵、中村梅玉ほか。

江戸が舞台である。下谷の質屋、上州屋の娘である浪路(中村莟玉)が、18万石の大守、松江出雲守(中村梅玉)の江戸屋敷に奉公に出たのだが、美人であったため、松江出雲守に見初められる。しかし浪路には、許婚がいたため、松江出雲守の誘いを断った。松江出雲守は、激怒し、浪路を一室に閉じ込めてしまう。浪路の父親である上州屋の主がこれを知り、親類である和泉屋清兵衛に助けを求める。清兵衛は、江戸城の御数寄屋茶坊主である河内山宗俊(市川團十郎白猿)に相談。河内山は、坊主であることを利用し、上野の東門主(上野にある東叡山寛永寺の主)の使いの高僧、北谷道海として松江出雲守の江戸屋敷に乗り込む。

まず、河内山邸の庭先で、河内山の家来である桜井新之丞(市川九團次)らが、慣れない若侍の格好をして、松江出雲守の江戸屋敷でのことを語っているが、ここで客席の方に向き直って、これまでのあらすじとこれからの大まかな出来事を語る口上役となる。河内山は、礼金200万両を要求している。果たして善人なのか金の亡者なのか、それは見る人にお任せするというスタイルであることを語る。ちなみに「山吹の茶」という言葉が出てくるが、これは金子(きんす)のことだと説明する。
ここでいったん幕が閉じられ、幕が再び開くと、舞台は松江出雲守の江戸屋敷内広間に変わっている。松江出雲守は浪路を手討ちにしようとするが、近習頭の宮崎数馬(大谷廣松)に止められる。諫言する数馬に出雲守は更に怒りを爆発させるが、北村大膳(片岡市蔵)が、数馬と浪路の密通を疑う発言をしたために自体は更にエスカレート。だがここは家老の高木小左衛門(市川右團次)が出雲守を何とかなだめた。
上野の東門主の使いの高僧が来訪したとの知らせがあり、一同はいったん、落ち着く。出雲守は、奥に引っ込み、病気を称する。

高僧、北谷道海は、出雲守がいないのを見とがめ、松江出雲守の家の大事のことだと告げて、出雲守を呼び出す。出雲守は、病気のところを無理して出てきたという風を装う。
道海は、浪路を家に帰すよう出雲守に告げる。渋る出雲守であったが、絶大な権力を持つ東叡山寛永寺の僧である道海は、老中らとの繋がりをちらつかせ、出雲守もこれを受け入れざるを得なくなった。
道海への接待が行われるが、道海は、「酒は五戒に触る」として代わりに山吹の茶を所望する。運ばれてきた金子に道海が手を伸ばそうとした時に、時計が鳴り、道海は思わず手を引っ込める。

場所は変わって、松江出雲守の屋敷の玄関先。道海が帰ろうとするが、大膳が道海を呼び止める。大膳は以前、江戸城での茶会で河内山を見たことがあり、道海の正体が河内山であることを見抜いていた。河内山の左頬には大きなほくろがあるのだが、それが証拠だという。河内山も仕方なく正体を明かす。
大膳は河内山を斬首にしようとするが、河内山は幕府の直参であり、安易に手出しが出来ないことを大膳に教える。また、自分に手を出そうとすれば、この松江出雲守の行状を明かすと脅す。家老の小左衛門が大膳をとがめ、河内山は悠然と帰路に就く。大柄の大膳を「大男、総身に知恵が回りかね」という有名な川柳で揶揄し、「バーカーめ!」となじりながら去るのであった。


歌舞伎の場合、日頃から自宅などでも稽古を繰り返して、役をものにしてから本番に臨むのが常であるが、團十郎の演技はフリージャズ風。動きや感情にある程度余裕を持たせ、予め作り上げて再現するというよりも、その場その場、そして相手によって即興的に合わせた演技を行っているように感じられる。実際にどうなのかは分からないが、少なくともそういう風には見える。セリフが強弱、緩急共に自在というのもそうした印象を強めることになる。海老蔵時代にはこんな演技はしていなかったはずだが、歌舞伎界最高の名跡である市川團十郎を手にしたことで、独自のスタイルを生み出すことに決めたのかも知れない。少なくとも私は、今日の團十郎のような演技をする歌舞伎俳優を見るのは初めてである。

スキャンダルが多く、人間的には好ましくない人物なのかも知れない團十郎白猿。しかし歌舞伎俳優としての才能には、やはり傑出したものがありそうだ。今後、團十郎白猿は歌舞伎界を変えていくだろう。

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2024年7月 6日 (土)

観劇感想精選(464) 京都四條南座「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月 『壇浦兜軍記』阿古屋」

2024年6月15日 京都四條南座にて

午後2時から京都四條南座で、「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月」を観る。このところ毎年夏に南座での特別公演を行っている坂東玉三郎。今年の演目は、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」で、お得意の阿古屋を演じる。

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まず坂東玉三郎による口上があり、片岡千次郎による『阿古屋』解説を経て、休憩を挟んで「壇浦兜軍記 阿古屋」が演じられる。
なお今回は番付の販売はなく、薄くはあるが無料にしてはしっかりとしたパンフレットが配られる。表紙はポスターやチラシを同じもので、篠山紀信が撮影を手掛けている。

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坂東玉三郎の口上。京都に来て東山の方で何か光がすると思ったら、京都競馬場が主催する平安神宮での宝塚記念ドローンショーだったという話に始まり、南座の顔見世に初めて出演した際の話などが語られる。これは以前にも語られていたが、28歳で顔見世に初出演した玉三郎。昼の部は普通に出られたのだが、当時の顔見世の夜の部は日付が変わる直前まで行われ、押して開始が11時半を過ぎる演目があると、客の帰宅に差し支えるというので上演が見送られたのだが、玉三郎の出る演目は前の演目が押したため11時半に間に合わず、舞台を踏めなかったという話であった。
阿古屋についてはその文学性の高さに触れていた。本当は罪人の縁者なので縛られていないとおかしいのだが、そのままでは縄を解かれてもすぐには楽器が上手く演奏できないので、縄を使わなくても不自然に見えないよう書かれているという。また、阿古屋がこの後も出てくるのだが、その時の衣装の方が見栄えがいいそうで、今日演じられる場面は普段着に近いという設定なのだがそれでもよく見えるような工夫が必要となるようである。またこの場は、前後との接続が難しいことでも知られているようで、全段上演した時は苦労したという。
最後は、「南座のみならず歌舞伎座を(大阪)松竹座をよろしくお願いいたします」と言って締めていた。


片岡千次郎による『阿古屋』解説。阿古屋が出てくる「壇浦兜軍記」は、今から300年ほど前に大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃、その後の俗称だと文楽が元になった義太夫狂言で、源平合戦(治承・寿永の乱)が舞台となっており、悪七兵衛景清(藤原景清、伊藤景清、平景清)を主人公とした「景清もの」の一つである。「だた景清はこの場には出てきません」と千次郎。今日上演されるのは、「阿古屋琴責めの場」と呼ばれるもので、今では専らこの場のみが上演されている。片岡千次郎は今回は岩永左衛門致連(むねつら)を人形振りで演じるのだが、この人形振りや、竹田奴と呼ばれる人々が入ってくるのは文楽の名残だそうである。

「阿古屋琴責めの場」に至るまでの背景説明。壇ノ浦の戦いで平家は滅亡したが、平家方の景清はなおも生き残り、源頼朝の首を狙っている。そこで源氏方は景清の行方を捜すためあらゆる手段に出る。禁裏守護の代官に命じられた秩父庄司重忠(畠山重忠)と補佐役の岩永左衛門致連は、重忠の郎党である榛沢(はんざわ)六郎成清(なりきよ)から景清の愛人でその子を身籠もっているという五条坂の遊女・阿古屋を捕らえたとの知らせを受け、堀川御所まで連れてこさせる。そこでの詮議を描いたのが、「阿古屋琴責めの場」である。


「壇浦兜軍記 阿古屋」。阿古屋は、琴、三味線(実際は平安時代にはまだ存在しない)、胡弓(二胡ではない)の演奏を行う必要があり、しかも本職の三味線と対等に渡り合う必要があるということで、演じられる俳優は限られてくる。そのため、今では「阿古屋といえば玉三郎」となっている。
出演:坂東玉三郎(遊君 阿古屋)、片岡千次郎(岩永左衛門致連)、片岡松十郎、市川左升、中村吉兵衛、市川升三郎、中村吉二郎、市川新次、澤村伊助、中村京由、市川福五郎、中村梅大、豊崎俊輔、末廣郁哉、山本匠真、和泉大輔、坂東功一(榛沢六郎成清)、中村吉之丞(秩父庄司重忠)。人形遣い:片岡愛三郎、片岡佑次郎。後見:坂東玉雪。

秩父庄司重忠と岩永左衛門致連が待つ堀川御所に、榛沢六郎成清が阿古屋を連れてくる。阿古屋は花道を歩いて登場。捕り方に周りを囲まれているが、優雅な衣装と立ち姿で動く絵のように可憐である。赤塗りの悪役である岩永は、景清の行方を知らないという阿古屋を拷問に掛けようとするが、重忠は、責め具として、琴、三味線、胡弓の3つの楽器を持ってこさせる。
重忠は、阿古屋に楽器を奏でて唄うように命じる。阿古屋は、「蕗組みの唱歌」を琴で奏でながら唄い、景清の行方を知らないことを告げ、景清との馴れ初めも唄う。
次は三味線を弾きながら「班女」を唄う。平家滅亡後、景清とは秋が来る前に再開しようと誓い合ったが、今では行方が知れないことを嘆く。
最後は胡弓。阿古屋は景清との恋とこの世の儚さを歌い上げる。重忠は、阿古屋の奏でる楽器の音に濁りや乱れがないことから、阿古屋が景清の行方を知らないのは誠として、阿古屋の放免を決める。
名捌きの後で、登場人物達が型を決めて終わる。


音楽劇として見事な構成となっている。3つの趣の異なる弦楽器を演奏しなくてはならないので、演じる側は大変だが、役者の凄さを見る者に印象づけることのできる演目でもある。琴の雅さ、三味線の力強さ、胡弓の艶やかさが浄瑠璃や長唄、三味線と絡んでいくところにも格別の味わいがある。それは同時に地方(じかた)への敬意であるようにも感じられる。


南座を後にし、大和大路通を下って、六波羅蜜寺に詣でる。境内に阿古屋の塚があるのである。まずそれに参拝する。阿古屋塚説明碑文のうち歌舞伎の演目「阿古屋」の部分の解説は坂東玉三郎が手掛けており、傍らには「奉納 五代目 坂東玉三郎」と記された石柱も立っている。

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その後、六道の辻の西福寺(一帯の住所は轆轤(ろくろ)町。髑髏(どくろ)町が由来とされる)で可愛らしい像を愛でてから西に向かい、三味線の音が流れてくる宮川町を通って帰路についた。

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2024年3月13日 (水)

観劇感想精選(457) 令和六年 京都四條南座「三月花形歌舞伎」桜プログラム(令和六年三月三日)

2024年3月3日 京都四條南座にて

午後3時30分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」桜プログラムを観る。演目は、「女殺油地獄」、「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの) 将門」。

平成生まれの若手歌舞伎俳優が腕を競い合う南座の「三月花形歌舞伎」。今回は、中村壱太郎(成駒家)、尾上右近(音羽屋)、中村隼人(萬屋)の3人が中心となる。というより目玉がこの3人しかいない。

まず中村壱太郎による口上がある。壱太郎は、「女殺油地獄」のお吉の格好をして1階席後方から登場。ユーモラスな語り口である。「遠くから来られた方」と客席に聞くと、「千葉」と答えたお客さんがいた。千葉なら歌舞伎座も新橋演舞場も近いはずだが、それよりも若手の歌舞伎俳優のファンなのだろう。
その後、階段を昇って舞台に上がった壱太郎。看板になる役者が3人しかいないので大変だという話をした後で、作品の解説を行い、最後は南座のゆるキャラである「みなみーな」と一緒に記念撮影の時間を設ける。壱太郎は子どもたちにも手を振り、「楽しんでいって下さい。凄惨な話ですけど」と述べていた。


今年は近松門左衛門没後300年ということで、「女殺油地獄」の他に、松プログラムでは「心中天網島」より「河庄」が上演される。

「女殺油地獄」。与兵衛を当たり役としてきた片岡仁左衛門の監修による上演である。
どら息子の与兵衛(中村隼人)は、新地で馴染みの芸者である小菊を誘ったものの断られ、その小菊が野崎参りに来るというので、先回りしようとやって来ていた。野崎観音参りには油屋の豊嶋七左衛門(尾上右近)の女房であるお吉(中村壱太郎)も娘と一緒に来ており、茶屋で夫がやって来るのを待っていた。日頃から与兵衛のことを弟のように可愛がっていたお吉は、与兵衛に意見するが、与兵衛は全く聞き入れず、小菊の取り巻きとの喧嘩が始まってしまう。そんな中で、与兵衛は通りかかった高槻藩の小姓組頭である小栗八弥に泥をかけてしまう。八弥一行の中には与兵衛の親戚である山本森右衛門がおり、森右衛門は与兵衛の無礼に怒り、その場で切り捨てようとする。なんとかことは収まり、与兵衛は茶店の中で着替えることになり、お吉も同伴する。やって来た七左衛門は二人の仲を怪しむことになる。
家に帰った与兵衛であるが、ここでも乱暴を働き、義理の父親である徳兵衛と実母のおさわから勘当を言い渡されてしまう。
実は明朝までに返す必要のある借金をこさえていた与兵衛。しかし勘当されたとあっては返す見込みもない。与兵衛の足は油屋豊嶋屋へと向かう……。

与兵衛とお吉の関係を縦糸に、徳兵衛とおさわの人情を横糸とした世話物であるが、実は江戸時代を通して初演時以外は上演されず、明治に入ってから坪内逍遙の評価によって注目を浴び、明治も後年になってから常連演目となり、今では非常に人気のある作品となっている。

人気女形の中村壱太郎であるが、可憐な身のこなしに加えて発声を少し変えたようで、リアルなお吉像を作り上げていた。
中村隼人の立ち回りも素早く、絵になっていた。


「忍夜恋曲者 将門」。承平・天慶の乱で「新皇」に即位し、板東で都に背いた平将門の相馬の古内裏が舞台。将門の娘である滝夜叉姫(壱太郎)が傾城如月に化けて花道から現れ、舞う。相馬の古内裏には、将門の残党狩りを命じられてきた大宅太郎光圀(尾上右近)が現れ、蟇の妖術を使う者が現れるというので見張っているが、まどろんでしまう。そこに如月が姿を見せ、光圀は如月を怪しむ。
その後に語らう光圀と如月であったが、如月が相馬錦の将門の旗を落としたために光圀は如月の正体を将門の娘と見抜き、部下と共に滝夜叉姫と対峙することになる。

壱太郎、右近共に若々しく艶のある舞姿が印象的であった。

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2022年12月23日 (金)

観劇感想精選(452) 當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部 「年増」&「女殺油地獄」

2022年12月9日 京都四條南座にて

午後6時から京都四條南座で、當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部を観る。
コロナの影響で3部制となっている南座の顔見世。今年の第3部は、「年増」常磐津連中と、「女殺油地獄」の2本が上演される。


「年増」。出演は、中村時蔵(萬屋)。隅田川を背景とした舞踊である。
コミカルにしてユーモラスな所作の数々が天保時代の粋を現代に伝える。


「女殺油地獄」。近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いた本を基にした義太夫狂言で、私は大阪松竹座で平成19年に観ている。その時の与兵衛は市川海老蔵の代役を買って出た片岡仁左衛門であった。海老蔵が風呂場で転倒して足を怪我したため仁左衛門が代役となったのだが、仁左衛門は片岡孝夫時代に与兵衛役で大当たりを取っており、その時も貫禄十分の演技を見せていた。出演は、片岡愛之助(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、嵐橘三郎(伊丹屋)、中村亀鶴(八幡屋)、中村壱太郎(成駒家)、片岡進之介(松嶋屋)、片岡松之助(緑屋)、中村梅花(京扇屋)ほか。

油まみれになっての殺害シーンが有名であり、映画化されているほか、「GS近松商店」など、舞台を現代に置き換えての翻案作品もいくつか存在している。

どら息子の与兵衛を演じる愛之助が様になっている。素の愛之助についてはよく知らないが、彼の芸風には与兵衛役は似合っているように感じられる。
主に大川(淀川)端のシーン、河内屋内の場、豊島屋(てしまや)油店の場からなり、河内屋内の場のラストなども独特の叙情があるが、見応えがあるのはやはり豊島屋油店の場である。義理の父親と実母が与兵衛に寄せる人情、与兵衛とお吉(孝太郎)の心理戦と油まみれの殺害シーンなど、近松の筆は冴えまくっている。
ラストで、足をガタガタ泳ぐように震わせながら花道を駆けていった愛之助。芸が細やかであった。

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2022年7月11日 (月)

観劇感想精選(438) 関西・歌舞伎を愛する会 第三十回「七月大歌舞伎」昼の部 初日 令和四年七月三日

2022年7月3日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

正午から、道頓堀の大阪松竹座で、関西・歌舞伎を愛する会 第三十回「七月大歌舞伎」昼の部を観る。今日が初日である。演目は、「八重桐廓噺」嫗山姥(こもちやまんば)と「浮かれ心中」。今回の「七月大歌舞伎」は、松本幸四郎が昼夜計4演目中3演目に出演。中村勘九郎も同じく2演目に出演する。

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上方系の演目への出演が目立つ幸四郎。今回は、「浮かれ心中」は江戸の売れない戯作者を演じるが、近松門左衛門作の「八重桐廓」と夜の部の「祇園恋づくし」では上方の役に取り組んでいる。


「八重桐廓噺」嫗山姥。近松門左衛門の時代浄瑠璃を原作とする義太夫狂言(人形浄瑠璃の台本で行われる歌舞伎の演目)である。
沢瀉姫(千之助)は源頼光と契りを結んだが、清原高藤の讒言により、頼光は姿を消す。高藤は沢瀉姫を自分のものにしようとしていた。これが前段での出来事である。

元廓勤めである荻野八重桐(片岡孝太郎)が沢瀉姫の屋敷の前を通りかかった時に、門の内から流れてくる謡にふと足を止める。その歌は、八重桐が廓勤めの遊女をしていた時代に坂田蔵人時行(松本幸四郎)と二人で作り上げたものであった。八重桐は「傾城の祐筆」と声を上げ、館の内から出てきたお歌(中村亀鶴)に面白がられて館の内へと招かれる。

果たして館の中では坂田蔵人時行が煙草屋源七と名を変えて潜んでいた。ここで、孝太郎と浄瑠璃(竹本谷太夫)によって八重桐の身の上が語られる。
八重桐と時行は恋仲であったが、小田巻という遊女が時行に懸想しており、時行を巡って八重桐と小田巻が大喧嘩。
一方、時行は物部の平太を仇討ちしようと機会をうかがっていたが、平太は時行の妹の白菊(中村壱太郎)によって退治されていた。時行は平太の主である平正盛と清原高藤を討つ計画を立てるが、八重桐から「源頼光さえ、清原高藤に手を出せなかったのだから、時行では相手にならない」と断言。悔し涙を流した時行は自刃し、元恋人である八重桐と妹の白菊に遺言を残す。「三日の内に(八重桐の)胎内に痛みがあったなら、それは自分の生まれ変わりであり、正盛と高藤を討ち果たす」
時行は、八重桐に自身の臓物を口にするよう促して絶命。八重桐は大力無双の山姥となり、白菊と共に高藤が放った使者の太田十郎(中村虎之介)とその一味を蹴散らすのだった。ちなみにこの後、八重桐が生むのが、幼年期が「金太郎さん」として知られる坂田公時である。

孝太郎の八重桐は初役だそうで、しかも今日が公演初日であるが、役に完全に馴染んでおり実力の高さが窺える。幸四郎はこの演目での出番はそれほど多くないが、心情の表出に長けているという印象を受けた。
白菊を演じる中村壱太郎が、メイクのせいか、今日は高岡早紀に似ているように見える。

初日ということで万全ではなく、役者のセリフに間が開いたため、プロンプター(歌舞伎では黒子が務めることが多い)の声が聞こえ、それがきっかけで役者がセリフを語り始める場面があった。初日から3日間はプロンプターが常駐しているようである。


「浮かれ心中」。井上ひさしの直木賞受賞作「手鎖心中」を小幡欣治の脚本・演出で舞台化した作品である。歌舞伎版は平成9年(1997)の初演。初演時に十八世中村勘三郎(当時は五代目中村勘九郎)が辰巳山人栄次郎演じて好評を博しており、平成12年(2000)には大阪松竹座の7月大歌舞伎でも勘三郎の栄次郎による上演が行われている。
今回は十八世中村勘三郎の長男である六代目中村勘九郎が辰巳山人栄次郎を演じ、勘九郎の弟である七之助が栄次郎と所帯を持つおすずと吉原の花魁・帚木の二役を演じる。
井上ひさし原作ということで笑劇(ファルス)の要素がかなり強いエンターテインメント歌舞伎となっている。

大店・伊勢屋の若旦那である栄次郎(中村勘九郎)は絵草紙作家になるべく、江戸・鳥越の絵草紙屋・真間屋の娘であるおすず(中村七之助)と所帯を持つことに決める。所帯を持つといっても、絵草紙作家になるための足掛かりであり、江戸屈指の豪商である伊勢屋から勘当されることで江戸中の評判になることを狙っており、そのため勘当は1年きりで、その間はおすずと男女の関係になるつもりもなく、父親(中村鴈治郎)にも真間屋の番頭・吾平(中村扇雀)にも「手は出さない」と誓っていた。おすずは24歳。当時としては婚期を10年近く逃しており、栄次郎も容姿が悪いに決まっているとして、1年間手を出さないなど楽勝と高をくくっていたが、現れたおすすは、「鳥越小町」と呼ばれたほどの美人で、栄次郎もすぐにおすずのことを気に入ってしまう。この辺りは「嘘から出た実」という言葉がぴったりくる。

一方、栄次郎の戯作者仲間である太助(松本幸四郎)は、栄次郎とおすずの婚儀の仲人を務めるはずが、吉原で有り金全部使い果たしてしまい、吉原から出られず、祝言にも遅れる。付け馬(取り立てのための監視人)を伴い、やっと祝言の席に現れた太助。仲人が一人だけでは寂しいと付け馬と二人で仲人ということになる。
なお、この場で火消しからの祝いの謡があるのだが、彼らは初演時にも火消し役で出ていたそうで、勘九郎も「親子二代に渡り」と礼を言う。

さて、絵草紙「百々謎化物名鑑(もものなぞばけものめいかん)」を今でいう自費出版した栄次郎であるが、そう簡単に売れる訳もない。ということで、吉原に使いの者を出して本を売らせ、その後で自身が吉原に繰り出して「作者登場」の評判を取ろうとする。太宰治のような話題作りをする作家である。
共に吉原に繰り出した太助は、花魁・帚木太夫(中村七之助二役)に一目惚れする。だが帚木にはすでに心に決めた相手がいた。


勘九郎が描き出す栄次郎の剽軽さが魅力的。即興の場面も比較的多いと思われる。
栄次郎と共に売れない戯作者コンビを組む太助役の幸四郎は、育ちの良い好人物で知力にも恵まれているが少々情けない男という自身のパブリックイメージにも近いであろう役柄を生き生きと演じてみせる。こうした役がこれほど嵌まる歌舞伎俳優もそうそういない。
七之助の声音を変えての二役演じ分けも見事であった。

初日ということで、この演目でもアクシデントが発生。裏の障子を思いっきり開け放った時に、そこに控えていたTシャツ姿の舞台スタッフがはっきり見切れてしまう。スタッフの男性もすぐさま退散したが、勘九郎も「あれは家の」とアドリブの説明を行おうとしていた。

さて、種明かしをすると、栄次郎は他界してしまうのだが、あの世へと向かう際に宙乗りを行う。宙乗りを行うというのは、十八世中村勘三郎のアイデアだそうで、それを継いだ息子の勘九郎も実に楽しそうに宙乗りを行い、紙吹雪や紙テープなどを繰り出す。なお、栄次郎が書いた幕政批判の絵草紙にネズミが登場するようで、そのため栄次郎はネズミに乗り、ネズミ絡みか(?)東京ディズニーランドでお馴染みの「イッツ・ア・スモールワールド」が日本語詞で謡われた。

現代歌舞伎、それも井上ひさし原作であるため分かりやすく、常連でも一見さんでも楽しめる優れた演目であった。

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2022年3月11日 (金)

観劇感想精選(430) 京都四條南座 「三月花形歌舞伎」(令和4年3月5日 午後の部)

2022年3月5日 京都四條南座にて

午後3時30分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」を観る。平成生まれの若手歌舞伎俳優を中心とした公演である。演目は、「番町皿屋敷」と「芋掘長者」。

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開演前に、中村壱太郎(かずたろう。成駒家)と中村隼人(萬屋)によるトークがある。
上村淳之デザインの緞帳が上がり、定式幕が下がる中、坂東巳之助の影アナに続いて上手から壱太郎が登場。「今日は土曜日ということでいつもより沢山のお客さんにお越し頂いております」といったような挨拶を行った後、「隼人君、早く出て来ないかなと思ってらっしゃる方も多いと思いますので(中村隼人はイケメン歌舞伎俳優として知られている)」中村隼人が呼ばれる。隼人は花道から登場。拍手が起こるので、隼人は手で更に盛り上げる仕草をして、「パン、パンパン、パン」という手拍子を誘う。

二人は番付(パンフレット)や公演グッズなどの説明を行う。隼人に「宣伝?」と言われた壱太郎は、「紹介」と直していた。
その後、写真撮影コーナーなどがあり、二人でポーズを決めていた。スマホで撮影される方は、電源を切るのではなく、マナーモード(バイブではなく呼び出し音オフ)にしておくのが良いと思われる。
そして二人は、「番町皿屋敷」が南座で上演されるのは51年ぶり(前回の上演は昭和46年8月、片岡孝夫=現・仁左衛門の青山播磨、坂東玉三郎のお菊)、「芋堀長者」に至っては70年ぶり(前回の上演は昭和27年12月、十七代目中村勘三郎の主演)であると紹介する。


「番町皿屋敷」。「半七捕物帖」などで知られる岡本綺堂が大正5(1916年)に書いた歌舞伎である。従来の怪談「番町皿屋敷」を恋愛物に解釈し直したという、当時としては意欲的な作品である。
午前の部と午後の部で配役が異なるが、午後の部の配役は、中村橋之助(青山播磨)、中村米吉(腰元お菊)、中村蝶紫(腰元お仙)、中村橋吾(用人柴田十太夫)、中村蝶一郎(奴権次)、中村歌之助(並木長吉)、坂東巳之助(放駒四郎兵衛)ほか。

旗本と町人が徒党を組んで争っているという、「ウエスト・サイド・ストーリー」のような設定の中、旗本の青山播磨は、腰元のお菊と身分違いの恋仲にある。播磨は旗本なので、当然ながら良い縁談に事欠かない。それがお菊には気がかりである。
そんな中、青山家では家宝である高麗焼きの皿を用いて水野十郎兵衛らを接待することとなる。家宝であるため、1枚でも割れば命はない。だが播磨の心の内を信じ切れないお菊は、わざと皿を割り、播磨が自分を許すかどうか試そうとする。だが意図的に割るところを、折悪しく同僚のお仙に目撃されていた。
お菊が皿を割ったことを、当然ながら播磨は許すが、お菊が皿をわざと割ったことを知り、自分に対する不信故に試そうとしたと悟るや態度を一変させる。自分のことを信じ切れていないということが許せなかったのである。播磨は一生涯掛けてもお菊以上の女には出会えないと知りつつ、お菊の行いを裏切りと感じ、手討ちにするのだった。

理屈では理解出来るが、共感は難しい展開である。旗本とその腰元という身分の違いがあり、この時代、主従関係は絶対ではあるが、それ以上に男女の格差というものが感じられる。「女は男より生まれながらに身分が低い」それが常識であってこそ成り立つ展開であり、今現在の価値観を持ってこの筋書きに心から納得するのは難しいだろう。身分差故の悲恋といえば悲恋だが、お菊の意志は一切尊重されていない。ただ、時代を感じるから上演しない方がいい、筋書きを変えようということではない。往時の世界観を知る上でも上演を行うことは大切だと思う。

やはり歌舞伎はキャリアがものをいうようで、声の通りが良くなったはずの南座であっても若手俳優達のセリフが聞き取りにくかったり、こなれていなかったり、間が妙だったりという傷は散見される。
そんな中で中村米吉の細やかな演技が光る。女声に近い声を発することの出来る女形だが、だんまりの場面や、皿を差し出す時の手の震えなど、セリフ以上に仕草で心理描写を行うことに長けている。将来の名女形の座は約束されたも同然である。


「芋堀長者」。こちらも大正7(1918)年という「番町皿屋敷」と同時期に書かれた作品である。岡村柿紅の作で、六世尾上菊五郎や七世坂東三津五郎らによって東京市村座で初演されている。大正期の上演は初演の時だけ、昭和に入ってからも僅かに3回と人気のない演目だったが、十代目坂東三津五郎がこの作品を気に入り、自らの振付で復活させている。
出演は、坂東巳之助(十代目坂東三津五郎の長男。芋堀藤五郎)、中村隼人(友達治六郎)、中村橋之助(魁兵馬)、中村歌之助(莵原左内)、中村歌女之丞(松ヶ枝家後室)、中村米吉(腰元松葉)、中村壱太郎(息女緑御前)。振付は、十代目坂東三津五郎、坂東三津弥。

松ヶ枝家の後室は、娘の緑御前に婿を取らせたいと思っているのだが、婿にするなら踊り上手が良いということで、歌合戦ならぬ踊合戦のようなものが行われることになる。
そんな中、緑御前に懸想する芋堀藤五郎も踊合戦に加わろうとするのだが、芋堀を家業としている藤五郎には踊りの素養は全くない。そこで舞を得意とする友人の治六郎と共に参内し、面を被ったまま踊るとして治六郎と入れ替わることにする。

まんまと成功する藤五郎と治六郎だが、緑御前に「直面で踊って欲しい」と言われたため、事態は一変。藤五郎は下手な人形遣いによる操り人形のような動きしか出来ず、緑御前達を訝らせる。治六郎が衝立の向こうで藤五郎にだけ見えるよう舞の見本を見せるのだが、舞ったことがないので上手くいく訳もない。緑御前の前で緊張したということにして、藤五郎は緑御前と連舞を行うことになるのだが……。

幼い頃から舞を行っている人達であるため、手足の動きの細やかさ、無駄のなさ、動作の淀みなさなどいずれも見事である。

コミカルな動きが笑いを誘うが、百姓ならではの舞も「荒事」に通じる豪快さがあり、それまでに舞われていた上方風のたおやかな舞との対比が生きていた。

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2021年12月31日 (金)

観劇感想精選(418) 「當る寅歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部 「雁のたより」「蜘蛛絲梓弦」 令和三年十二月十日

2021年12月10日 京都四條南座にて観劇

午後6時から、京都四條南座で、「當る寅歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部を観る。今年も昨年同様、コロナ対策の密集緩和のため、顔見世は3部制で行われる。また、人間国宝であった四代目坂田藤十郎三回忌追善のため、第1部の「晒三番叟」と「曾根崎心中」が追善狂言と銘打たれた他、全編に渡って藤十郎が生前に得意としていた演目が並ぶ。1階では坂田藤十郎の写真展も開催されていた。

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第3部の演目は、「雁(かり)のたより」と「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」


「雁のたより」は、3年前の顔見世で、坂田藤十郎の息子である四代目中村鴈治郎が主役の三二五郎七を演じていたが、今回は十代目松本幸四郎が五郎七役を務める。
「雁のたより」は、上方歌舞伎の代表的演目で、昭和以降で五郎七を演じてきたのは、十三代目片岡仁左衛門、二代目中村扇雀=三代目中村鴈治郎=四代目坂田藤十郎、五代目中村翫雀=四代目中村鴈治郎と、全て上方系の役者であり、江戸の歌舞伎俳優が主役を務めるのは今回が初めてとなる。

このところ、上方演目への出演が目立つ十代目松本幸四郎。先代が「ザ・立役」という人だっただけに、同じ土俵では太刀打ち出来ないが、上方狂言への適性は明らかで、今後も父親とは別の分野での活躍も期待される。

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出演は、松本幸四郎、片岡愛之助、上村吉弥、片岡千壽、板東竹三郎、片岡進之介、中村錦之助ほか。

今回は、片岡仁左衛門の監修による松嶋屋型での上演。鴈治郎がやった成駒家型の上演とは内容が大きく異なる。

見た目が優男ということもあり、上方演目の主役にイメージがピタリとはまる幸四郎。だが、上方俳優の愛之助などとは動きが異なることに気付く。特に腕の動きなどは速く鋭く、愛之助のたおやかな手つきとは好対照で、幸四郎がやはり江戸の俳優であることがよく分かる。
江戸の俳優として初めて五郎七を演じることになった幸四郎。初役ということで、十分満足の行く出来とまでは行かなかったが、佇まいが良く、滑稽さの表出や動きのキレなどにはやはり光るものがある。「華」に関してはやはり上方芝居に慣れている愛之助の方が上のような気がしたが、初役であり、今後の伸びも期待される。


「蜘蛛絲梓弦」。愛之助が五変化を勤める。出演は愛之助の他に、大谷廣太郎、中村種之助、松本幸四郎ら。

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京都では壬生狂言の演目としても知られる「土蜘蛛」伝説を扱っており、源頼光の土蜘蛛退治に基づく演目であるが、妖怪などは古くから疫病と結びつけて考えられてきたため、今の世相に相応しい作品であると言える。
ちなみに壬生狂言の「土蜘蛛」で使われる蜘蛛の糸は、触ると厄除けになると言われているが、歌舞伎版でも同様なのかは分からない。

土蜘蛛というのは元々は大和朝廷にまつろわなかった豪族達の寓喩であり、葛城氏などが土蜘蛛に喩えられている。

源頼光(松本幸四郎)が原因不明の病に苦しんでおり、物の怪の仕業と見た頼光家臣の碓井貞光(大谷廣太郎)と坂田金時(中村種之助)が寝ずの番をしている。そこへ土蜘蛛(片岡愛之助)が小姓や太鼓持、座頭などに姿を変えて現れ、頼光とその家臣を幻惑していく。「羅生門の鬼」で知られる頼光四天王の一人、渡辺綱の話や鴻門の会の燓噲などの話も登場する。

華やかな演出が特徴的な演目であり、愛之助の達者ぶりも光る。

梓弦は、梓弓のことで、弓は「張る」ので「春」に掛かり、「歌舞伎界の正月」とも言われる南座での顔見世に相応しい。またコロナの冬を越えて春が来ることを祈念していると見ることも出来る。真意は分からないのだが、そう取ると梨園の意気のようなものが感じられる。

なお、今回の口上では、坂田藤十郎の屋号である「山城屋」が掛けられていたり、南座とコラボレーションを行った「鬼滅の刃」を思わせる一節が隠れていたりした。

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