カテゴリー「大河ドラマ」の17件の記事

2024年11月 4日 (月)

観劇感想精選(474) NODA・MAP第27回公演「正三角関係」

2024年9月19日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後7時から、JR大阪駅西口のSkyシアターMBSで、NODA・MAP第27回公演「正三角関係」を観る。SkyシアターMBSオープニングシリーズの1つとして上演されるもの。
作・演出・出演:野田秀樹。出演:松本潤、長澤まさみ、永山瑛太、村岡希美、池谷のぶえ、小松和重、竹中直人ほか。松本潤の大河ドラマ「どうする家康」主演以降、初の舞台としても注目されている。
衣装:ひびのこずえ、音楽:原摩利彦。

1945年の長崎市を舞台とした作品で、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と、長崎原爆が交錯する。「欲望という名の電車」も長崎に路面電車が走っているということで登場するが、それほど重要ではない。

元花火師の唐松富太郎(からまつ・とみたろう。『カラマーゾフの兄弟』のドミートリイに相当。松本潤)は、父親の唐松兵頭(ひょうどう。『カラマーゾフの兄弟』のフョードルに相当。竹中直人)殺しの罪で法廷に掛けられる。主舞台は長崎市浦上にある法廷が中心だが、様々な場所に飛ぶ。戦中の法廷ということで、法曹達はNHK連続テレビ小説「虎に翼」(伊藤沙莉主演)のような法服(ピンク色で現実感はないが)を着ている。
検察(盟神探湯検事。竹中直人二役)と、弁護士(不知火弁護士。野田秀樹)が争う。富太郎の弟である唐松威蕃(いわん。『カラマーゾフの兄弟』のイワン=イヴァンに相当。永山瑛太)は物理学者を、同じく唐松在良(ありよし。『カラマーゾフの兄弟』のアレクセイ=アリョーシャに相当。長澤まさみ)は、神父を目指しているが今は教会の料理人である。
富太郎は、兵頭殺害の動機としてグルーシェニカという女性(元々は『カラマーゾフの兄弟』に登場する悪女)の名前を挙げる。しかし、グルーシェニカは女性ではないことが後に分かる(グルーシェニカ自体は登場し、長澤まさみが二役、それも早替わりで演じている)。

『カラマーゾフの兄弟』がベースにあるということで、ロシア人も登場。ロシア領事官ウワサスキー夫人という噂好きの女性(池谷のぶえ)が実物と録音機の両方の役でたびたび登場する。また1945年8月8日のソビエトによる満州侵攻を告げるのもウワサスキー夫人である。

戦時中ということで、長崎市の上空を何度もB29が通過し、空襲警報が発令されるが、長崎が空襲を受けることはない。これには重大な理由があり、原爆の威力を確認したいがために、原爆投下候補地の空襲はなるべく抑えられていたのだ。原爆投下の第一候補地は実は京都市だった。三方を山に囲まれ、原爆の威力が確認しやすい。また今はそうではないが、この頃はかつての首都ということで、東京の会社が本社を京都に移すケースが多く見られ、経済面での打撃も与えられるとの考えからであった。しかし京都に原爆を落とすと、日本からの反発も強くなり、戦後処理においてアメリカが絶対的優位に立てないということから候補から外れた(3発目の原爆が8月18日に京都に落とされる予定だったとする資料もある)。この話は芝居の中にも登場する。残ったのは、広島、小倉、佐世保、長崎、横浜、新潟などである。

NODA・MAPということで、歌舞伎を意識した幕を多用した演出が行われる。長澤まさみが早替わりを行うが、幕が覆っている間に着替えたり、人々が周りを取り囲んでいる間に衣装替えを行ったりしている。どのタイミングで衣装を変えたのかはよく分からないが、歌舞伎並みとはいえないもののかなりの早替わりである。

物理学者となった威蕃は、ある計画を立てた。ロシア(ソ連)と共同で原爆を作り上げるというものである。8月6日に広島にウランを使った原爆が落とされ、先を越されたが、すぐさま報復としてニューヨークのマンハッタンにウランよりも強力なプルトニウムを使った原爆を落とす計画を立てる。しかしこれは8月8日のソビエト参戦もあり、上手くいかなかった。そしてナガサキは1945年8月9日を迎えることになる……。

キャストが実力派揃いであるため、演技を見ているだけで実に楽しい。ストーリー展開としては、野田秀樹の近年の作品としては良い部類には入らないと思われるが、俳優にも恵まれ、何とか野田らしさは保たれたように思う。

NODA・MAP初参加となる松潤。思ったよりも貫禄があり、芝居も安定している。大河の時はかなりの不評を買っていたが、少なくとも悪い印象は受けない。

野心家の威蕃を演じた永山瑛太は、いつもながらの瑛太だが、その分、安心感もある。

長澤まさみは、今は違うが若い頃は、長台詞を言うときに目を細めたり閉じたりするという癖があり、気になっていたが、分かりやすい癖なので誰かが注意してくれたのだろう。あの癖は、いかにも「台詞を思い出しています」といった風なので、本来はそれまでに仕事をした演出家が指摘してあげないといけないはずである。主演女優(それまでに出た舞台は2作とも主演であった)に恥をかかせているようなものなのだから避けないといけなかった。ただそんな長澤まさみも舞台映えのする良い女優になったと思う。女優としては、どちらかというと不器用な人であり、正直、好きなタイプの女優でもないのだが、評価は別である。大河ドラマ「真田丸」では、かなり叩かれていたが、主人公の真田信繁(堺雅人)が入れない場所の視点を担う役として頑張っていたし、何故叩かれるのかよく分からなかった。

竹中直人も存在感はあったが、重要な役割は今回は若手に譲っているようである。
たびたび怪演を行うことで知られるようになった池谷のぶえも、自分の印を確かに刻んでいた。


カーテンコールは4度。3度目には野田秀樹が舞台上に正座して頭を下げたのだが、拍手は鳴り止まず、4回目の登場。ここで松潤が一人早く頭を下げ、隣にいた永山瑛太と長澤まさみから突っ込まれる。
最後は、野田秀樹に加え、松本潤、長澤まさみ、永山瑛太の4人が舞台上に正座してお辞儀。ユーモアを見せていた。

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2024年6月20日 (木)

観劇感想精選(463) 第73回京都薪能 「光源氏の夢」初日

2024年6月1日 左京区岡崎の平安神宮境内特設会場にて

左京区岡崎の平安神宮で行われる第73回京都薪能。午後6時開演である。今回は「光源氏の夢」というタイトルが付いている。演目は、「半蔀(はじとみ)」(観世流)、「葵上」(金剛流)、狂言「おばんと光君(ひかるきみ)」(大蔵流)、「土蜘蛛」(観世流)。
思ったよりも人が多く、最初は立ち見。その後、補助席が設けられた。どうやら京都市京セラ美術館から椅子を借りてきたようである。

まずナビ狂言として、茂山千五郎家の茂山茂(しげやま・しげる)と井口竜也が登場。京都薪能があるので急いでいるという設定で、茂山茂が、「西宮神社の福男」に例えて一番乗りを目指すのが京都薪能の見方だと語る。ちなみに今年から指定席も設けられたことも紹介される(ただし高い)。井口竜也から今年の京都薪能の演目を聞かれた茂山茂は、「今年はNHK大河ドラマが『光る君へ』ゆえ、『源氏物語』にちなんだ演目が揃っておりまする」
井口「それは、『ちなんだ』というよりも、『便乗商ほ……』」
茂山「シーッ!」
確かに例年より客が多いような気がする。「光る君へ」は低視聴率が続いているが、なんだかんだでテレビの影響力は大きい。
井口「それがし、能についてはようわからんのだが」
茂山「そういう方のために、パンフレットを販売しております。あとイヤホンガイドも貸し出してございます」
井口と茂山は、その後、「半蔀」の紹介(そもそも半蔀とは何かから説明する)などを行う。

能「半蔀」。『源氏物語』の中でもホライックな場面として教科書などでもお馴染みの「夕顔」を題材にした演目である。シテの夕顔の亡霊を演じる松井美樹さんとは知り合いなのだが、長いこと顔を合わせていない。
北山の雲林院(今も大徳寺の塔頭として規模と宗派は異なるが同じ名前の後継寺院がある)の僧が花供養をしていると、女がやって来て夕顔の花を捧げる。女は「五条あたりにいた者」と名乗る。
僧が五条の夕顔の咲いた茅屋を訪ねると、半蔀を開けて夕顔の亡霊が現れる(そもそも光源氏は半蔀を開けていた夕顔を見初めたのである)。夕顔は夕顔の花にまつわる光源氏との思い出を語る。

「半蔀」の上演後、平安神宮の本殿から神官によって火が運ばれ、薪に移す火入式が行われる。傍らでは消防の方々が見守る。

その後、松井孝治京都市長による挨拶がある。松井市長は「文化首都・京都」を掲げて当選。古典芸能を愛するほか、自称「クラオタ(クラシックオタク)」で、X(旧Twitter)などを見ると沖澤のどかの追っかけをしていたりするのが確認出来る。そんな市長なので、文化芸能について語るのかと思いきや、それを後回しにして、「まずお詫びがございます」と始める。立ち見の方が出てしまったことや今も立ち見状態の方へのお詫びだった。座席数よりかなり多くのチケットを売ってしまった訳で、やはりこれは計算ミスだったであろう。

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再びナビ狂言の茂山茂と井口竜也が登場し、「葵上」について語る。
井口「しかし肝心の葵上の名前がないが、これはミスプリか?」
茂山「いえいえ」
葵上は病気になって寝ているという設定で、着物(小袖)を敷いて葵上に見立てる。茂山茂が着物を敷いた。

能「葵上」。今でいうメンヘラの六条御息所が生き霊となって葵上に祟るという内容である。
葵上が病で伏せっている(着物しかないが寝ているという設定)。そこへ照日巫女が連れてこられ、梓弓の呪法を行う。夕顔の名も登場する。破れ車に乗った六条御息所の怨霊が現れ、愚痴りまくった上で、恨み(賀茂の祭りこと葵祭での車争いの恨みとされる)を晴らそうとする。結構激しいシーンとなる。
比叡山の横川の小聖が呼ばれることになる。横川まではかなり遠いはずだが、物語の展開上、早く着く。横川の小聖は延暦寺ではなく修験道の行者である。小聖は苦戦の末、六条御息所の霊をなんとか調伏する。


狂言「おばんと光君」。光源氏が出てくる狂言の演目は古典にはないそうで、そこで明治以降に書かれた現代狂言の中から、光源氏ならぬほたる源氏(茂山逸平)、頭中将ならぬとうふの中将(茂山忠三郎)、惟光ならぬあれ光(鈴木実)とそれ光(山下守之)などが登場するパロディが上演される。パロディということで、表現も思いっきり砕けており、「熟女」という比較的新しい言葉が使われたり、「スキャンダル」という英語が用いられたり、「文春砲」という芸能用語が飛び出したりする。
ほたる源氏も光源氏同様にモテモテで、声を掛ければどんな女でもなびくので面白くなくなり、これまで抱いたことのない熟女にチャレンジしようと決めたことから起こるドタバタ劇で、途中、歌舞伎の「だんまり」に似た場面もある。

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能「土蜘蛛」。京都では壬生狂言でも人気の演目である。ちなみに「土蜘蛛」は明日も金剛流のものが上演されるので、明日も観る予定がある場合は、ここで席を立つ人も多かった。
源頼光が主人公であるが、四天王は登場しない。その代わり、独武者という頼光の従者が登場する(四天王の誰かに当たるのかも知れないが、名前がないので分からない)。
頼光が病気で伏せっていると、僧侶が現れる。僧侶の正体は葛城山の土蜘蛛で、頼光に蜘蛛の糸を投げつける。
土蜘蛛と独武者との大立ち回りが見物の演目である。
土蜘蛛の正体は、大和葛城郡を根拠地とし、渡来人を多く抱えていた有力豪族の葛城氏であるとされる。葛城氏はその後に滅ぼされることになるが、土蜘蛛伝説となって後世に存在を残すこととなった。

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2024年5月31日 (金)

キンボー・イシイ指揮 NHK交響楽団「大河ドラマ&名曲コンサート」第1部大河ドラマ編

池辺晋一郎「黄金の日日」
稲本響「どうする家康」メインテーマ~暁の空~
三善晃「春の坂道」
林光「国盗り物語」
林光「花神」
林光「山河燃ゆ」
坂田晃一「おんな太閤記」
坂田晃一「いのち」
服部隆之「真田丸」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)
冬野ユミ「光る君へ」メインテーマ~Amethyst~

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2023年1月12日 (木)

コンサートの記(822) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「ニューイヤーコンサート」2023

2023年1月8日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「ニューイヤーコンサート」を聴く。指揮は広上淳一。

前半は、NHK大河ドラマのテーマ曲とヨハン・シュトラウスⅡ世の作品を並べた曲目で、後半のメインにはベートーヴェンの交響曲の中でも最も快活な第8番が選ばれている。

前半の詳細な曲目は、佐藤直紀の「青天を衝け」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「ジプシー男爵」から入場行進曲、ジョン・グラムの「麒麟がくる」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「南国のばら」、服部隆之の「真田丸」(ヴァイオリン独奏:石田泰尚)、エバン・コールの「鎌倉殿の13人」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「ハンガリー万歳」、吉俣良の「篤姫」。

今日のコンサートマスターは、「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日は短めの曲が並ぶということもあって、管楽器奏者に前後半で目立った異動はなし。男性奏者は普段通りの服装の人が大半だが、女性奏者は思い思いにドレスアップして演奏する人が多く、中には着物姿で演奏する人もいる。


NHK職員の息子で、自称「大河フェチ」の広上淳一。大河ドラマのテーマ曲を集めた演奏会はこれまで何度か行っているが、自身が大河本編で指揮した「麒麟がくる」を始め、京響で初めて振る曲が3曲ある。いずれも共感に満ちたスケールの大きな演奏で、聴き応えがある。私は、今日取り上げれた大河ドラマのうち3作品は全編見ているので、オープニングの映像や名場面などが脳裏に浮かんで懐かしかった。残る2つも多くの回は見ている。

ヨハン・シュトラウスⅡ世の作品は、活気と上品さと華やかさが統合された理想的な演奏である。


後半、ベートーヴェンの交響曲第8番。ベートーヴェンの交響曲の中では人気が余り高くない曲だが、ベートーヴェン本人は自身の交響曲の中でこの第8番が最も好きだと答えており、この交響曲だけ誰にも献呈されていない。

広上指揮する京響は、第1楽章と第2楽章は自然体。無理のない音運びだが、「無難」という言葉からは遠く、見通しの良い透明度の高い美音による演奏を展開。第3楽章と第4楽章ではスケールを拡げて豪快さも感じさせる演奏を行った。
この手の音楽は日本では「俳句」に例えられやすいが、広上と京響の演奏を聴いていると、「短歌のような」という形容の言葉が浮かぶ。メロディアスで切れ味が良く、冗長でない。まさに短歌だ。


演奏終了後、広上はマイクを手に、「みなさん、あけまして」と語り、京響の楽団員が「おめでとうございます」と続ける。広上は客席に「大河いいでしょ?」と語りかける。なお、今年の大河ドラマである「どうする家康」は今日が初回放送日であるが、放送が行われるまでは演奏してはならないという決まりがあるそうで、広上も残念がっていた。

京響は今年の4月から常任指揮者に若手の沖澤のどかを迎えるが、広上は去年の大河ドラマである「鎌倉殿の13人」に掛けて、沖澤を北条泰時に例え、「悪いものは北条義時が全部抱えて地獄に落ちた」と語る。

「お年玉」として1曲アンコール演奏が行われることになったのだが、その前に、昨年の3月に広上が京響の常任指揮者を退任する際にプレゼントすることが約束された広上の肖像画がお披露目される。京都市立芸術大学講師の城愛音の筆によるもので、終演後にホワイエでも見ることが出来たが、「福々しい」顔として描かれている。

「お年玉」のアンコール曲は、山本直純の大河ドラマ「武田信玄」メインテーマ。昨年がメモリアルイヤーだった山本直純(生誕90年、没後20年)。広上は山本について、「日本のレナード・バーンスタインのような人」と紹介する。
山本直純の「武田信玄」は大河ドラマのテーマ曲の中でも最も人気のある曲目の一つである。甲斐武田の騎馬隊の勇壮さを音楽化したもので、疾走感と迫力、そして中間部の叙情性が印象的であり、広上と京響も音のドラマを見事に再現していた。

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2022年4月19日 (火)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関するメモ(4)

頼朝は運があるゆえ生き残り、広常は運なきゆえに粛正された。ならば頼朝も運をなくした時に没するということか。運なく落命した頼朝像は歌舞伎の「将軍頼家」で描かれたものが知られるが、まさかな。「将軍頼家」では頼朝は女装しての最期だったが。ああ、頼朝は第1話で女装していたが、まさかな。

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2022年3月 6日 (日)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関するメモ(3)

2022年2月27日

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。源頼朝(大泉洋)がいよいよ鎌倉入りする。2万騎を率いる上総介平広常(上総広常。演じるのは佐藤浩市)であるが、新たに加わった畠山重忠(中川大志)の方が見栄えがいいという頼朝の命令で先陣を譲ることになり、誇りが傷つけられる。上総広常は、味方ながらも難敵ということで、佐藤浩市が2004年の大河ドラマ「新選組!」で演じた芹沢鴨と同じ役割である。それを示すように、広常が瓢箪で酒をあおるという、芹沢のトレードマーク的な仕草をする場面がある。ちなみに芹沢鴨も広常同様、平家の血筋でかなりの名家の出である。

「新選組!」で土方歳三を演じた山本耕史が今回は三浦義村役で出ているが、ブレーン役であり、やはり「新選組!」の時と全く同じ役回りとなっている。

三谷幸喜は、バルザックの「登場人物再登場法」のようなものを用いることがあり、例えば、「振り返れば奴がいる」の中川淳一外科部長(鹿賀丈史)は、その後「古畑任三郎」に登場している。
以前は、「赤い洗面器を頭の上に乗せた女」のエピソードが様々な作品に登場していたが、その他にも、舞台「出口なし!」で唐沢寿明が語っていたセリフを、映画「記憶にございません」では中井貴一が語っていたりと、作品の枠を超えて繋がることもある。

鎌倉に向かっている源義経(菅田将暉)であるが、急に富士山登山を思いついたり、潮の香りを聞いて海を見に出掛けてしまうなど、衝動を抑えられない傾向がある。発想も合理的だが大胆で、人の内面に疎そうである。
実は、源義経にはADHD説が存在する。直接診断しようもない故人に勝手にレッテル張りしてはいけないのだが、説自体はかなり以前から存在しており、今回はそれに則ったのかも知れない。

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2022年3月 3日 (木)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関するメモ(2)

2022年1月16日

女性に母を求める頼朝(大泉洋)とそれを見抜いている政子(小池栄子)。
考えれば、義経が母である常盤御前に寄せる思慕の念を描いたものは比較的多いのですが、頼朝の間接的であれ母への思いを表した作品は今回の大河ドラマが初めてではないでしょうか。

考えてみれば、「王様のレストラン」に登場する北条政子由来の三条政子(鈴木京香)と源範頼+源頼朝の水原範朝(西村雅彦=現・西村まさ彦)にも似たところはありましたね。

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2022年3月 2日 (水)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関するメモ(1)

2022年1月9日

三谷幸喜脚本の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がスタート。

「新選組!」で最後の武士を描き(野田秀樹演じる勝海舟が、「ありゃあ本物の武士だよ。そして最後のな」と香取慎吾演じる近藤勇を評する場面がある)、「真田丸」で最後の戦国武将を描いた三谷幸喜が主人公に選んだのは、最初の武家政権を築いたという見立ても出来る北条義時。小栗旬が演じている。

最初に武士による政権を打ち立てたのは平清盛だが、平氏を公家化しての政権。源頼朝が築いた鎌倉幕府も源氏が三代しか続かず、また朝廷から征夷大将軍を授かっての政権運営である。また源氏三代の政権は基本的に東国統治であり、西国は朝廷に任されていた。

北条義時は承久の乱で朝廷を屈服させ、六波羅探題を置いて朝廷の監視と西国支配を完成させ、また執権という朝廷から頂いた官位ではない地位での合議制による政治を行ったということで、武家政権という新世界の確立者と見ることが出来る。それを象徴するかのように、ラストではドヴォルザークの「新世界」交響曲第4楽章のアレンジ版が流れた。

また、氏姓制度で、氏の場合は、「ふじわらの」「たいらの」「みなもとの」のように「~の」となり、姓の場合は「の」が入らないのが一般的であるが、今回は、「ほうじょうの」「いとうの」のように「の」を付けた読みを採用していたのが新しいところである。

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2021年10月25日 (月)

「全国龍馬ファンの集い関東大会 in 横浜」2014 大友啓史監督トークショーより「龍馬伝」について

2014年10月18日 横浜大さん橋ホールにて

大河ドラマ「龍馬伝」の演出家で、映画「るろうに剣心」の監督である大友啓史の講演が始める。勝海舟の玄孫である高山みな子をコーディネーターとしてのトークである。

大友監督は「いかにも業界人」といった風の飄飄とした雰囲気で登場する。思っていたよりも軽い感じの人であったが、話の内容は興味深かった。「龍馬伝」は構想から完成まで3年を要したが、「龍馬伝」の企画が立ち上がった頃に、丁度、アメリカではバラク・オバマ大統領が当選し、「チェンジ!」をスローガンに掲げていた。そのため、大友も「大河ドラマにもチェンジが必要だ」として、これまでの大河ドラマの慣例から外れた手法を採用したという。まず、セットであるが、天井も部屋割りもある本当の家屋と同じようなものを造っている。これは今も高知駅前の記念館に保存されており、有料ではあるが実際にセットに上がることが出来る。普通は屋内のセットには天井がなく、上からは照明が当たっているのだが、大友監督は「上を見たときに照明が目に入ったら、なりきっている役から役者本人に戻ってしまうのではないか」との考えから敢えて天井のあるセットを拵えたそうだ。当然のように照明担当からはクレームが殺到したそうだが、「これは龍馬伝だから」と押し切ったそうである。

大友監督は、チェンジには二つ方法があって、まず周囲を変える。実際、「龍馬伝」からはカメラなどの機材も新しいものが導入されたそうである。もう一つは自分を変えることで周囲が変わって見える。大友監督は、細かいカット割りが基本であるテレビの撮影法に敢えて背き、長回しが基本で、数台のカメラで撮影という方法を採用したそうである。その方法だと、VTRの量が通常のドラマの4倍から5倍になってしまったそうで、編集に時間が掛かり、制作からもクレーム殺到だったそうだが、長回しをすることで、役者が役になり切っている時間を撮ることが出来たという。近江屋事件のシーンは16分間長回しだそうであるが、確かに独特の感じは出ていたように思う。長回しだと演技が粗くなるという欠点もあるが、役者が意図した以上の演技が生まれる可能性がある。

ドラマで求められる演技力は瞬発力であり、映画では短時間の演技維持力である。最も演技力が求められるのはやはり演劇で、2時間かそれ以上に渡って役であり続けなければならない。それもロングランになるとそうした状態が3ヶ月以上続くこともある。ただ、演劇における演技でも終演まで上手く演じきるための計算は必要であり、そうした計算は役になり切っていない客観的な部分で行う必要がある。そのため、演劇でも出番の長い主要キャストの場合は、どんなに没入型の俳優でも完全に役になり切ることは出来ないし、やってはならないのである。やってしまっては様にならないのだ。

ただ、ドラマで期限を設けない長回しの場合は100%役になりきれるし、なっても構わない。映像であるため上手くいかなくなると「カット」が掛かり、打ち切りや、やり直しが利くのである。言い換えると「カット」が掛かるまでは存分に役になり切ることが出来るということになる。
大友監督によると、福山雅治が長回しで役になり切った後には、「風が吹く」ような感覚があったという。

大友監督は、映画「るろうに剣心」についても、「続『龍馬伝』です」と語り、「龍馬伝」では人斬りの岡田以蔵を演じていた佐藤健が、主役の緋村剣心を演じていることは繋がっていると語っていた。

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2021年7月 1日 (木)

コンサートの記(726) 広上淳一指揮京都市交響楽団第657回定期演奏会

2021年6月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第657回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

先月行われた第656回定期演奏会、鈴木優人が初めて京響の指揮台に立った演奏会は、残念ながら緊急事態宣言下ということで、ニコニコ生放送での配信のみの無観客公演となったため、会場に聴衆を入れての演奏家は2ヶ月ぶりとなる。ただ、緊急事態宣言の余波のためか、客の入りは良くなかった。クラシックコンサートの聴衆は、昔も今もお年寄り中心であり、緊急事態宣言が解除になったからといってすぐには客は返ってこない。


曲目は、ウェーベルン(ジェラード・シュウォーツ編曲)の「緩徐楽章」(弦楽合奏版)、尾高惇忠(おたか・あつただ)のヴァイオリン協奏曲(世界初演。ヴァイオリン独奏:米元響子)、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。

午後6時30分頃から、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。今年2月に76歳で逝去した尾高惇忠(1944-2021)は、広上淳一の師匠ということで、公演プログラムにも広上の筆による尾高惇忠追悼メッセージが寄せられているが、プレトークも尾高惇忠の話が中心になる。
奥田佳道は、広上が指揮したマーラーの「復活」の解釈を指摘したことで広上に評価されていたような記憶があるが、かなり昔の話なので本当にそれが奥田だったのかはよく覚えていない。

広上淳一は湘南学園高校音楽コースの出身で、尾高惇忠、そしてその弟で指揮者の尾高忠明の後輩である。なお、その後に湘南学園高校は、難関大学を目指す進学校に模様替えしたため、音楽コースは現存していない。

中学校の頃は桜田淳子の追っかけをしていたため学業成績が振るわず、進路に悩んでいた広上淳一。中学校の校長先生が進路のアドバイスをしてくれたそうで、「あなたは音楽の道に進みなさい。湘南学園高校の音楽コースに女性の良い先生がいるから、そこに行きなさい」ということで、湘南学園高校は小学校から高校までの一貫校だったが、高校から特別に編入を認めてくれたそうである。そして湘南学園高校音楽コースの、女性の先生のアシスタントとしてついていたのが実は尾高惇忠だったそうだ。

奥田佳道が以前、尾高惇忠に、「広上さんの最初のレッスン覚えてますか?」と聞いたことがあるそうなのだが、尾高によると、「覚えてるよ。何にも言うこと聞かない奴だった」そうである。「課題で出したピアノ曲の演奏もいい加減だった」そうなのだが、「上手いピアノじゃないが、味があるので、才能はあるかも知れない」と思ったそうである。
その他にも、尾高惇忠がレッスンの合間に珈琲を入れる習慣があり、それを楽しみにしていたり、尾高が自作をピアノで弾きながら解説を入れるレッスンに感激したという話を広上はする。

「ペール・ギュント」組曲については、広上が縁を感じた時に取り上げることの多い曲なのだそうなのだが、私が初めて広上の実演に接した時のメインプログラムも「ペール・ギュント」組曲第1番第2番であった。1997年4月4日に東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団の土曜日マチネーの定期演奏会。私がN響の学生定期会員になって初の演奏会でもあった。当時、土曜日マチネーのN響定期演奏会はBSで生放送されていたが、数年前にこの時の演奏がEテレで再放送されているはずである。「アニトラの踊り」で、指揮台の上でステップを踏みながら踊っていた広上さんの姿が今も目の前に甦る。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン客演首席は直江智沙子。京響の演奏会は、第2ヴァイオリン副主席の杉江洋子が真っ先に登場するという習慣があるのだが、直江が間違えて先に出てしまい、直後に「ああ、違った」という表情をして杉江に一番乗りを譲っていた。今日はヴィオラ首席にソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。
尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲だけで、他は「ペール・ギュント」からの出演である。


ウェーベルンの「緩徐楽章」。元々は弦楽四重奏のための作品だが、シアトル交響楽団の指揮者として膨大な録音を残していることでも有名なジェラード・シュウォーツ(ジェラード・シュワルツ)が弦楽合奏にアレンジ。1982年に初演されている。
グリーグを思わせるような叙情的なメロディーと、マーラーを思わせるような響きが特徴で、今日のプログラムの幕開けに相応しい。
広上の立体的な音響作りもいつもながら優れている。


尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲。2020年5月30日に完成し、尾高惇忠の遺作となった。同年2月に病気が見つかり、闘病しながら作曲を行っていたようである。

尾高惇忠は、新交響楽団(現・NHK交響楽団)育ての親であり年末の第九を初めて指揮したともいわれる指揮者・作曲家の尾高尚忠(おたか・ひさただ)の長男である。前述通り実弟は指揮者の尾高忠明であり、音楽一家であった。また尾高家は渋沢栄一の親族であり、尾高尚忠、尾高惇忠、尾高忠明は渋沢栄一の血を受け継いだ子孫でもある。現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」に登場し、田辺誠一が演じている尾高惇忠は曾祖父であり、その名を受け継いでいる。
東京芸術大学作曲科で矢代秋雄らに師事。その後、パリ国立高等音楽院に留学し、モーリス・デュリュフレらに師事した。自作に厳しかったため作曲家としては寡作であり、母校の東京芸術大学での教育活動を中心に、室内楽や歌曲伴奏のピアニストとしても活躍している。父親である尾高尚忠の名を冠した作曲賞、尾高賞を二度受賞。2001年には別宮貞雄を記念した別宮賞も受賞している。

ヴァイオリン独奏の米元響子は、実は今日が誕生日だそうである。桐朋学園の「子供のための音楽教室」に学び、1997年にイタリアのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて、史上最年少となる13歳で入賞。その後、モスクワのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝に輝いている。パリで学んだ後にオランダに渡り、マーストリヒト音楽院修士課程修了。現在は母校のマーストリヒト音楽院の教授も務めている。

広上のプレトークによると、尾高惇忠は「音楽は美しくあらねばならない」と考えていたそうで、「美しい現代音楽」を目指していたそうである。

第1楽章はオーケストラによる鮮烈な響きでスタートし、ヴァイオリン独奏がそれを追うように現れるが、終盤ではスマートなロマンティシズムを湛えた曲想が現れ、色彩感が増していき、ラストで冒頭の音型へと回帰する。近現代のフランスの作曲家や武満徹などにも繋がる妙なる響きが最大の特徴である。

米元のヴァイオリンは、ボリューム豊かな音が特徴。最近流行の磨き抜かれたタイトな音とは異なる。ボリス・ベルキンに師事したそうだが、確かにそんな印象を受ける。技術は高く、揺るぎがない。

第2楽章は、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」の序奏(有名なヴァイオリンソロが加わる前)に似た旋律が展開されていく。叙情的な美しさが印象的である。

第3楽章は一転してダイナミック。ストラヴィンスキーの「火の鳥」に似た曲想が盛り上がりを見せる。

広上は演奏終了後に、米元に、そしておそらくは作品自体にも「素晴らしい」と呟く。
その後、広上は客席にいる女性(おそらく尾高惇忠の奥さん)に向かって、スコアを掲げて見せた。


後半、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。
ノルウェーの国民的作曲家であるエドヴァルド・グリーグ。国民楽派の時代を代表する作曲家でもある。ただグリーグは、ピアノ曲などの小品の作曲を得意とする一方で、大作に関しては思うように筆が進まず、本人も悩んでいた。交響曲も完成させたが、不出来と見なして取り下げている。ということで、オーケストラコンサートで演奏されるのは、ピアノ協奏曲イ短調、「ホルベルク」組曲、そして「ペール・ギュント」組曲など限られる。

「ペール・ギュント」の音楽は、同名のヘンリック・イプセンの戯曲の劇付随音楽として書かれたもので、組曲のみならず劇付随音楽全曲か、それに近い数の楽曲で演奏会が行われることも稀にあり、私はシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団の定期演奏会で、そうした上演に接している。
また録音も「ペール・ギュント」組曲ではなく、劇付随音楽「ペール・ギュント」が増えており、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団盤、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団盤、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団盤などが人気である。ブロムシュテットはスウェーデン人、ヤルヴィ親子はバルト海を挟んでフィンランドと向かい合うエストニア出身で、やはり北欧やその隣国出身の指揮者が取り上げることが多いようである。

「戯曲の劇付随音楽」という妙な書き方をしたが、「ペール・ギュント」は、イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲。「安楽椅子の演劇」と呼ばれたりもする)として書いたものであり、舞台が次々と移り変わる上に、自己との対話など形而上的要素を含むため、イプセン自身は上演を想定していなかったのだが、「どうしても上演したい」という国民劇場からの要望に押し切られ、「グリーグの音楽付きなら」という条件で許可。こうしてグリーグの「ペール・ギュント」の音楽が生まれた。
グリーグの音楽が好評だったこともあり、初演は成功。その後も上演を重ねた「ペール・ギュント」だが、やはり読むための戯曲を上演するのは無理があり、その後は「グリーグの音楽のみが有名」という状態になっていく。近年、上演作品としての「ペール・ギュント」再評価の動きがあり、日本でもグリーグの音楽に頼らない「ペール・ギュント」の上演がいくつか行われたが、残念ながら現時点では成功に至っていない。

約四半世紀ぶりに聴く、広上指揮の「ペール・ギュント」。やはり京響の音の洗練度の高さがプラスに働いている。1997年時点のNHK交響楽団も良いオーケストラではあったが、現時点の日本のプロオーケストラの平均的な演奏に比べると野暮ったかったような記憶がある。広上もまだ若く、グリーグのロマンティシズムに飲み込まれていたような感じがあったが、今日は万全の表現力でグリーグの名旋律の数々を巧みに歌い上げる。

とにかく響きが澄み切っており、「オーセの死」などを聴いていると、「澄み渡った悲しみ」という言葉と、日輪の前を横切っていく雲の片々の映像が目に浮かぶ。
「オーセの死」は、冒頭のメロディーが「さくらさくら」に似ており、日本でグリーグが人気があるのも頷ける。どことなく演歌っぽいところもあり、コバケンこと小林研一郎が指揮した場合などはド演歌にもなるのだが、広上の場合は土俗性は余り出さないため、過度に感情に傾くこともない。

速めのテンポで壮快に進む「朝の気分」(上野博昭のフルートの涼しげな響きが良い)、蠱惑的な雰囲気満載の「アニトラの踊り」(今回は流石に広上さんも無闇には踊らず)、京響の鳴りの良さが痛快な「山の魔王の宮殿にて」、異国情緒と華やかさに溢れた「アラビアの踊り」、ヒンヤリとした音色でノスタルジックに歌われる「ソルヴェイグの歌」などいずれも見事な出来である。「ソルヴェイグの歌」では、広上はノンタクトでバネ仕掛けの人形のように手足を揺さぶるというかなり個性的な指揮を見せていた。アンサンブルも完璧とまでは行かなかったが、キレとボリュームと立体感があり、オーケストラを聴く醍醐味がホールいっぱいに弾けていた。


今日はアンコール演奏がある。尾高惇忠の先祖である渋沢栄一が今年の大河ドラマの主役ということで、「青天を衝け」メインテーマが演奏される。作曲は佐藤直紀であるが、佐藤直紀は東京音楽大学出身であり、広上の後輩に当たる。佐藤直紀は、「龍馬伝」でも大河ドラマの音楽を手掛けており、その時はメインテーマは広上が指揮したが、「青天を衝け」のメインテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫である尾高忠明が担っている。
豊かな広がりと、明治以降も描かれるということで洗練された味わいも持つ「青天を衝け」のオープニング曲。NHK職員の息子で、「大河フェチ」を自称する広上の指揮ということで、思い入れたっぷりの爽快な演奏となった。

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