カテゴリー「映画音楽」の90件の記事

2025年3月 8日 (土)

コンサートの記(894) アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)&坂本龍一 「insen」2006@大阪厚生年金会館芸術ホール

2006年10月25日 新町の大阪厚生年金会館芸術ホールにて

大阪へ。午後7時から、新町にある大阪厚生年金会館芸術ホール(2025年時点では現存せず)で、ドイツの映像作家・電子音楽家のアルヴァ・ノトことカールステン・ニコライと坂本龍一のセッション「insen」を鑑賞。アルヴァ・ノトのコンピューターが作る和音に坂本龍一がピアノで即興的に音楽をつけていくという試み。すでに同名アルバムのレコーディングは終了していて、即興といってもある程度のフォルムは出来ているようだ。

開演20分ほど前から下手袖に白髪に黒服の男性がそっと現れ、会場の様子を窺ってはスッと消えていくというのが何度か見られた。坂本龍一である。即興によるセッションということもあり、客の入りが気になるのだろうか。

坂本が心配するまでもなく客席は満員。大きな拍手に迎えられて坂本とアルヴァ・ノトが登場する。 

坂本のピアノにはセンサーが取り付けられており、坂本が音を出す毎にバックモニターに光や映像が現れたり変化したりする仕組みになっている。ピアノの蓋は取り払われていて、坂本はピアノの弦をメスのような金属片で奏でたりノイズを出したりという特殊奏法を見せたりもした。
アルヴァ・ノトの作るノイジーな不協和音に坂本のリリカルなピアノが絡む。音楽によって変化する映像も興味深いが、目に悪そうでもある。 

ラストの曲はコンピューターノイズに「戦場のメリークリスマス」のメロディーをピアノで乗せるというもの。客席からは大きな拍手。 

基本的には実験音楽であり、音楽の面白さよりは可能性を追求したものだが、たまにはこうしたライヴも楽しい。 

坂本はアンコールには余り乗り気ではなかったようだが、アルヴァ・ノトことニコライが「もっとやろうよ」という風に促したので、特別に演奏が行われる。予定外だったので映像はなし。音のみのアンコールとなった。

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2025年3月 2日 (日)

これまでに観た映画より(379) 「ホテルローヤル」

2025年2月23日

J:COMストリームで、日本映画「ホテルローヤル」を観る。直木賞を受賞した桜木紫乃の同名短編小説集の映画化。ホテルローヤルは、桜木紫乃の父親が実際に釧路で経営していたラブホテルの名称であり、モデルにもなっていると思われる。
短編集であるため、映画化は難しかったようだが、桜木紫乃が「全てお任せ」としたため、桜木の他の小説などを含めた独自のシナリオで撮られている。
監督:武正晴。脚本:清水友佳子。出演:波瑠、松山ケンイチ、余貴美子、伊藤沙莉、岡山天音、正名僕蔵、内田慈(ちか)、冨手麻妙(とみて・あみ)、丞威(じょうい)、稲葉友(ゆう)、和知龍範、玉田志織、斎藤歩(釧路市生まれで北海道演劇界の重鎮)、原扶貴子、友近、夏川結衣、安田顕ほか。音楽:富貴晴美。
北海道のマスコミも多く制作に協力しているが、なぜかメ~テレ(名古屋テレビ)が筆頭となっている。

時代が飛ぶ手法が用いられている。ラブホテルが舞台だけに、男女の入り乱れた関係が描かれる。
北海道釧路市。釧路湿原を望む地に、ラブホテル、ホテルローヤルが建っていた。現在は閉鎖されているが、ヌード写真撮影のために男女が訪れる。この場面に意味があるのかどうかは不明だが(原作には出てくる場面である)、過去のホテルローヤルの場面が断片的に浮かび上がる。

田中雅代(波瑠)は、ホテルローヤルを営む大吉(安田顕)とるり子(夏川結衣)の一人娘。絵が得意で札幌の美大を受験するが不合格となる(原作では大学ではなく就職試験全敗という設定)。浪人する余裕がないのか、進学を諦めて、実家を継ぐことになるのだが、その前に母親のるり子が不倫の末、駆け落ちする。実は大吉も元々の妻を捨ててるり子と一緒になったのだが、今度は逆に自分が捨てられる羽目になった。
ホテルの部屋の音は、換気口を通して従業員室で聞き取れるようになっている(他のラブホテルでもそういうことがあるのかどうかは不明)。

ホテルには様々なカップルが泊まりに来る。何度も泊まりに来る熟年夫婦(正名僕蔵と内田慈が演じる)、ホームレス女子高生の佐倉まりあ(伊藤沙莉)と担任教師の野島亮介(岡山天音)や台詞も特にないカップルなど。

従業員は、能代ミコ(余貴美子)と太田和歌子(原扶貴子)の二人だけだが、ある日、左官として働いていると思ってたミコの長男が実は暴力団員であり、犯罪で捕まったことがテレビで報道される。ミコの夫の正太郎(斎藤歩)は病気で働くことが出来なくなっており、息子から「給料が上がったから」と仕送りが届いたばかりだった。ショックの余り森を彷徨うミコ。正太郎が何とか探し出す。るり子は雅代に「稼ぎよりも自分を本気で愛してくれる人を見つけなさい」とアドバイスするが、その後に姿を消したのだった。

佐倉まりあは、17歳。おそらく近く18歳になる高校3年生だと思われる(原作では高校2年生)。母親が男と駆け落ちし、その後、父親も女の下へ走ったため、ホームレスとなった。担任教師の野島亮介とは、雨宿りのためにホテルローヤルに立ち寄った、というと嘘くさいが本当らしい。実際にまりあが野島を誘うシーンがあるが、野島は応じない。進学先の候補である専門学校に二人で見学に行ったのだが、まりあは進学する気はなく途中で姿を消し、その後に野島が追いついたらしい。まりあが通うのは偏差値が低めの高校のようで、まりあを演じる伊藤沙莉もそれっぽく振る舞っている(武監督から「口開けてろ」「余計なことしろ」との指示があったとのこと)。なので大学進学という選択はないようだ(現在の北海道は私立大学受難の地で、名門私立大学はあるが難関私立大学は存在せず、Fランクと呼ばれる大学が多いが、それでも両親がいないのでは金銭的に難しいのだろう)。
キャバクラごっこ(札幌のススキノという設定らしい)で自己紹介をするのだが、野島に「君はキャバクラには向かない」と言われる。野島は妻の不倫が発覚したばかりで、それも相手は身近な人物だった。この場面の意味であるが、まりあには実際に「キャバクラ嬢になる」という選択肢があったのかも知れない。
この二人が起こした事件がきっかけで、ホテルローヤルからは客が離れることになる。ちなみに野島や佐倉という役名は原作通り(野島は原作では下の名前が広之)だが、某有名ドラマへのオマージュだと思われる。某有名ドラマの女優さん(現在は引退)も伊藤沙莉同様、千葉県出身である。

ホテルローヤルにアダルトグッズ(大人のおもちゃ)を売りに来る宮川聡史(松山ケンイチ)。「えっち屋さん」と呼ばれているが、松山ケンイチが演じているため、雅代が宮川に気があるのはすぐに分かるようになっている。雅代はかなり暗めの性格で、男っ気は全くなく、実際に処女である。宮川が結婚したことを知った時、少しショックを受けたような素振りも見せるが、宮川もその妻が最初の女性という奥手の男性だったことが後に明らかになる。

ホテルローヤルの閉鎖後は、エピローグ的に若き日の大吉(和知龍範)と若き日のるり子(玉田志織)の物語が置かれ、雅代を妊娠した日のことが描かれる。


映画化しにくい題材のためか、ややとっちらかった印象があり、焦点がぼやけてしまって、「ここが見せ場」という場面には欠けるように思う。一番良いのは松山ケンイチで、北海道弁(釧路弁)も上手いし、少し出しゃばり過ぎの場面もあるが、商売に似合わぬ爽やかな青年で優しさもあるという魅力的な人物像を作り上げている。

当時、26歳で高校生役に挑んだ伊藤沙莉。若く見せるために体重を増やして撮影に臨んでいる。「好きなだけ食べて良いのでラッキー」と思ったそうだ。担任教師役の岡山天音とは実は同い年で高校1年の時に同じドラマに同級生役で出演(共にいるだけの「モブ」役だったそうだが)しているそうである。まりあは17歳、野島は28歳という設定であるが、この時の伊藤沙莉は色気があるので、高校生には見えないように思われる。実際、「これが最後の制服姿」とも語っていたのだが、その後も、Huluオリジナルドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」や、高校生ではなく高等女学生役ではあるが「虎に翼」でも制服を着ており、いずれも十代後半に見える。「ホテルローヤル」で女子高生に見えないのはおそらく、特に工夫のない髪型のせいもあると思われる。
トローンとした眠そうな目が様々なことを語っていそうな場面があるのだが、これは伏線の演技であることが後に分かる。
武監督は、キャストとしてまずまりあ役に伊藤沙莉を決めたそうだ。ただ童顔の伊藤沙莉も段々大人っぽくなってきていたため焦ったそうである。

長く舞台中心に活動していた内田慈が思いのほか魅力的なおばさん(と言ったら失礼かな)を演じていて、興味深かったりもする。

ただ、波瑠が演じる雅代が暗すぎるのが大衆受けしない要素だと思われる。波瑠を使うならやはり明るい女性をやらせて欲しかった。美大に落ちたことをずっと引き摺っているような陰気なヒロインではキャストが充実していても波瑠ファン以外の多くの人から高い評価を得るのは難しい。

音楽を担当しているのは大河ドラマ「西郷どん」などで知られる富貴晴美。私は連続ドラマ「夜のせんせい」(観月ありさ主演)の音楽などは好きである。タンゴ調の(「単語帳の」と変換された)音楽が多く、ピアソラの「リベルタンゴ」に似た曲もあるが、おそらくそうした曲を書くよう注文されたのだと思われる。

舞台美術は美しいの一言。

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2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

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2025年1月27日 (月)

コンサートの記(882) 上白石萌音 MONE KAMISHIRAISHI “yattokosa” Tour 2024-25《kibi》京都公演@ロームシアター京都メインホール

2025年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、上白石萌音 “yattokosa” Tour 2024-25 《kibi》京都公演を聴く。若手屈指の人気女優として、また歌手としても活動している上白石萌音のコンサート。最新アルバム「kibi」のお披露目ツアーでもある。京都公演のチケットは完売。「kibi」はアルバムの出来としては今ひとつのように思えたのだが、実際に生声と生音で聴くと良い音楽に聞こえるのだから不思議である。

上白石萌音の歌声は、小林多喜二を主人公とした井上ひさし作の舞台作品「組曲虐殺」(於・兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール。小林多喜二を演じたのは井上芳雄)で耳にしており、心にダイレクトに染み渡るような美声に感心した思い出がある。ただ女優ではなく純粋な歌手としての上白石萌音の公演に接するのは今日が初めてである。
昨年の春に、一般受験で入った明治大学国際日本学部(中野キャンパス)を8年掛けて卒業した上白石萌音。英語が大の得意である。また、幼少時にメキシコで過ごしたこともあるため、スペイン語も話せるというトリリンガルである。フランス語の楽曲もサティの「ジュ・トゥ・ヴー」を歌って披露したことがある。
同じく女優で歌手の上白石萌歌は2つ下の実妹。萌歌は先に明治学院大学文学部芸術学科を卒業している。姉妹で名前が似ていてややこしいのに、出身大学の名称も似ていて余計にややこしいことになっている。

現在、「朝ドラ史上屈指の名作」との呼び声も高いNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバティ」がNHK総合で再放送中。ヒロインが3人いてリレー形式になる異色の朝ドラであったが、上白石萌音は一番目のヒロインを務めている(オーディションでの合格)。また新たな法曹関連の連続主演ドラマの放送が始まっている。

上白石萌音の声による影アナがあったが、録音なのかその場で言っているのかは判別出来ず。ただ、「もうちょっとで開演するから、待っててな」を京言葉の口調で語っており、毎回、ご当地の方言をアナウンスに入れていることが分かる。

客層であるが、年齢層は高めである。私よりも年上の人が多く、娘や孫を見守る感覚なのかも知れない。また、「『虎に翼』は面白かった!」という話も聞こえてきて、朝ドラのファンも多そうである。若い人もそれなりに多いが、女の子の割合が高い。やはり女優さんということで憧れている子が多いのだろう。なお、会場でペンライトが売られており、演出としても使われる。黄色のものと青のものがあり、ウクライナの国旗と一緒だが、関係があるのかどうかは分からない。

紗幕(カーテン)が降りたままコンサートスタート。カーテンが開くと上白石萌音が椅子に座って歌っている。ちなみにコンサートは上白石萌音が椅子に腰掛けたところでカーテンが閉まって終わったので、シンメトリーの構図になっていた。

白の上着と青系のロングスカート。スカートの下にはズボンをはいていたようで、途中の衣装替えではスカートを取っただけですぐに出てきた。

「『kibi』という素敵な曲ばかりのアルバムが出来たので、全部歌っちゃいます」と予告。「kibi」では上白石萌音も作詞で参加しているが、優等生キャラであるため、良い歌詞かというとちょっと微妙ではある。

浮遊感のある歌声で、音程はかなり正確(おそらく一音も外していない)。聴き心地はとても良い。
思っていたよりも歌手しているという感じで、クルクル激しく回ったりと、ステージでの振る舞いが様になっている。
原田知世や松たか子といった歌手もやる女優はトークも面白く、トーク込みで一つの商品という印象を受けることが多いが、上白石萌音も例外ではなく、楽しいトークを展開していた。

「今日は4階(席)まであるんですね」と上白石。4階席に向かって手を振る。更に、上手バルコニー席(サイド席)に向けて、「あちらの方は見えますか? 首が痛くありません?」、そして下手バルコニー席には、「そして、こちらにも。首がずっと(横を向いていて)。途中で(上手バルコニー席と)交換出来たら良いんですけど」「私も演劇で、ああいう席(バルコニー席)に座ったことがあって、終わったら首がこんな感じで」と首が攣った状態を模していた。ちなみに私は3階の下手バルコニー席にいた。彼女にはオフィシャルファンクラブ(le mone do=レモネードというらしい)があるので、1階席などは会員優先だと思われる。

上白石萌音も上白石萌歌も、「音」や「歌」といった音楽系の漢字が入っているが、母親が音楽の教師であったため、「音楽好きになるように」との願いを込めて命名されている。当然ながら幼時から音楽には触れていて、今日はキーボードの弾き語りも披露していた。

「京都には本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当にお世話になっていて」と語る上白石萌音。彼女の出世作である周防正行監督の映画「舞妓はレディ」も京都の上七軒をもじった下八軒という架空の花街を舞台としており、「カムカムエヴリバティ」も戦前から戦後直後に掛けての岡山の町並みのシーンなどは太秦の東映京都撮影所で撮られていて、京都に縁のある女優でもある(ただ大抵の売れっ子女優は京都と縁がある)。「舞妓はレディ」の時には、撮影の前に、上七軒の置屋に泊まり込み、舞妓さんの稽古を見学し、日々の過ごし方を観察し、ご飯も舞妓さん達と一緒に食べるなど生活を共にして役作りに励んだそうだ。ただ、置屋の「女将さん? お母さん?」からは、帯を締めて貰うときにかなりの力で引っ張られたそうである。着付けは色んな人にやって貰ったことがあるが、そのお母さんが一番力強かったそうだ。そのため転んでしまいそうになったそうだが、お母さんからは、「『こんなんでよろけてたら、稽古なんか出来しません』だったか、正確な言葉は忘れてしまったんですけれども」と振り返っていた。「『舞妓はレディ』を撮っていた頃の自分は好き」だそうである。

「京都には何度もお世話になっているんですけれども、京都でライブをやるのは初めてです」と語るが、「あ、一人でやるのは初めてです。何人かと」と続けるも、聴衆が拍手のタイミングを失ったため、少し前に出て、「京都でライブをやるのは初めてです!」と再度語って拍手を貰っていた。
毎回、ご当地ソングを歌うようにしているそうで、今日は、くるりの「京都の大学生」が選ばれたのだが、「京都なので、この歌もうたっちゃった方がいいですよね」と、特別に「舞妓はレディ」のサビの部分をアカペラで歌ってくれたりもした。「『花となりましょう~おおお』の『おおお』の部分が当時は歌えなかったんですけども」と装飾音の話をし、「でも努力して、今は出来るようになりました」と語った。
また、京都については、「時間がゆっくり流れている場所」「初心に帰れる場所」と話しており、「京都弁は大好きです」と言って、京風の言い回しも何度かしていた。仕事関係の知り合いに京都弁を喋る女性がいて、「いいなあ」と思っているそうだ。京都の言葉では汚い単語を使ってもそうは聞こえないそうである。

京都の冬は寒いことで知られるが、「雪は降ったんですかね?」と客席に聞く。若い男性の声で「まだ降ってないよ」と返ってくるが、続いて、若い女性複数の声が「降ったよ、降ったよ」と続き、上白石萌音は、「どっちやねん?!」と関西弁で突っ込んでいた。「さては、最初の方は京都の人ではないですね」
「降ったり降らなかったり」でまとめていたが、京都はちょっと離れると天気も変わるため、京都市の北の方は確実に降っており、南の方はあるいは降っていないと思われる。

「ロンドン・コーナー」。舞台「千と千尋の神隠し」の公演のため、3ヶ月ロンドンに滞在した上白石萌音。「数々の名作を生んだ、文化の土壌のしっかりしたところ」で過ごした日々は思い出深いものだったようだ。ウエストエンドという劇場が密集した場所で「千と千尋の神隠し」の公演は行われたのだが、昼間に他の劇場でミュージカルを観てスタンディングオベーションをした後に走って自分が出演する劇場に向かい、夜は「千と千尋の神隠し」の舞台に出ることが可能だったそうで、滞在中にミュージカルを十数本観て、いい刺激になったそうだ。英語は得意なので言葉の問題もない。
ということで、ロンドンゆかりの楽曲を3曲歌う。全て英語詞だが、上白石本人が日本語に訳したものがカーテンに白抜き文字で投影される。「見えない方もいらっしゃるかも知れませんが、後で対処します」と語っていたため、後日ホームページ等にアップされるのかも知れない。
ビートルズの「Yesterday」、ミュージカル「メリー・ポピンズ」から“A Spoonful of sugar(お砂糖一さじで)” 、ミュージカル「レ・ミゼラブル」から“夢やぶれて”の3曲が歌われる。実はビートルズナンバーの歌詞を翻訳することは「あれ」なのだが、観客数も限られていることだし、特に怒られたりはしないだろう。
“夢やぶれて”は特に迫力と心理描写に優れていて良かった。

参加ミュージシャンへの質問も兼ねたメンバー紹介。これまでは上白石萌音が質問を考えていたのだが、ネタ切れということでお客さんに質問を貰う。質問は、「これまで行った中で一番素敵だと思った場所」。無難に「京都」と答える人もいれば、「伊勢神宮」と具体的な場所を挙げる人もいる。「行ったことないんですけど寂光院」と言ったときには、「常寂光院ですか? 私行ったことあります」と上白石は述べていたが、寂光院と常寂光院は名前は似ているが別の寺院である。「萌音さんといればどこでも」と言ったメンバーの首根っこを上白石は後ろから押したりする。「思いつかない」人には、「実家の子ども部屋です」と強引に言わせていた。上白石は、「京都もいいんですけど、スペイン」と答えた。

ペンライトを使った演出。舞台上にテーブルライトがあり、上白石萌音がそれを照らすとペンライトの灯りを付け、消すとスイッチを切るという「算段です」。「算段」というのは一般的には文語(書き言葉)で使われる言葉で、口語的ではないのだが、読書家の人は往々にして無意識に書き言葉で喋ることがある。私の知り合いにも何人かいる。上白石萌音は読書家といわれているが、実際にそのようである。
「付けたり消したり上手にしはるわあ」

「スピカ」という曲で本編を終えた上白石萌音。タイトルの似た「スピン」という曲も歌われたのだが、「スピン」は今回のセットリストの中で唯一の三拍子の歌であった。

アンコールは2曲。「まぶしい」「夜明けをくちずさめたら」であった。

「この中には、今、苦しんでらっしゃる方もいるかも知れません。また生きていればどうしても辛いこともあります」といったようなことを述べ、「でも一緒に生きていきまひょ」と京言葉でメッセージを送っていた。

サインボールのようなものを投げるファンサービスを行った後で、バンドメンバーが下がってからも上白石萌音は一人残って、上手側に、そして下手側に、最後に中央に回って深々とお辞儀。土下座感謝もしていた。土下座感謝は野田秀樹も松本潤、永山瑛太、長澤まさみと共にやっていたが、東京では流行っているのだろうか。

エンドロール。スクリーンに出演者や関係者のテロップが流れ、最後は上白石萌音の手書きによる、「みなさんおおきに、また来とくれやす! 萌音」の文字が投影された。

帰りのホワイエでは、若い女性が、「オペラグラスで見たけど、本当、めっちゃ可愛かった!」と興奮したりしていて、聴衆の満足度は高かったようである。

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2025年1月23日 (木)

これまでに観た映画より(366) 周防正行監督作品「舞妓はレディ」

2014年9月30日 新京極のMOVIX京都にて

午後3時5分から、MOVIX京都で、日本映画「舞妓はレディ」を観る。周防正行監督作品。待望の周防監督によるミュージカル映画である。京都の花街を舞台にした作品の構想は、「シコふんじゃった。」や「Shall We ダンス?」より前から持っていたそうだが、どうしても作りたいというほどではなく、「オーディションで、気に入った子が見つからなかったらやらない」とも思っていたそうだが、上白石萌音(かみしらいし・もね)を見て、「いけそうだ」と確信し、説明ゼリフも音楽で処理すれば何とかなるということでミュージカル映画となった。ちなみに周防正行監督にミュージカル映画を撮るよう進言したのは故・淀川長治である。淀川長治は、「Shall We ダンス?」を観て、周防に「あなたなら日本製のミュージカルが撮れる」と太鼓判を押したそうだが、その後、周防がプロデュース業に専念してしまったということもあって、淀川長治は周防監督のミュージカル映画を観ることなく他界している。

周防監督は、花街のセットを作ることを条件としたそうで、主人公が働く下八軒という架空の花街は、全てセットで出来ている。京都の名所でも勿論、撮影が行われていて、京大学として出てくるのは京都府府庁舎旧本館、その他に随心院が実名で舞台となっているが、随心院に巨大な三門はなく、三門だけは知恩院のものが映っている。元・立誠小学校や平安神宮神苑の泰平閣でも撮影が行われている。


出演:上白石萌音、長谷川博己(はせがわ・ひろき)、田畑智子、草刈民代、渡辺えり、竹中直人、濱田岳、高嶋政宏、小日向文世、妻夫木聡、田口浩正、徳井優、渡辺大、松井珠理奈(SKE48)、武藤十夢(むとう・とむ。AKB48)、彦摩呂、高野長英、草村礼子、津川雅彦、岸部一徳、富司純子ほか。音楽:周防義和(周防正行の従兄弟)。


架空の花街である下八軒(京都で一番北にある花街・上七軒のもじりである)が舞台。下八軒では、舞妓が不足しているという状態が続いたままである。百春(田畑智子)は、もうすぐ30歳なのに、下に舞妓がいないということで舞妓に据え置きのままであり、芸妓になれないことに不満を抱いていた。百春は密かに実名で「舞妓さん便り」というブログを書いている。下八軒の置屋券お茶屋・万寿楽(ばんすらく)に西郷春子という女の子(上白石萌音)が訪ねてくる。春子は、鹿児島弁と津軽弁の混ざった奇妙な言葉で、舞妓になりたいと訴える。万寿楽の女将である小島千春(富司純子)は、春子を追い返すが、花街の言葉を探求するというフィールドワークのために下八軒に通い詰めいている、京大学の言語学者、京野法嗣(きょうの・のりつぐ。長谷川博己)は、鹿児島弁と津軽弁を操る春子に興味を示し、千春に自分が後見人になるから春子を舞妓見習いとして欲しいと頼み込む。そして京大学の研究室で、春子に美しい京言葉を話すための指導を行う。下八軒の男衆(おとこす)である、青木富夫(竹中直人。ちなみに竹中直人は、周防組では毎回のように「青木」という苗字で登場する)は雪深い津軽にある春子の家を訪ねる。春子の両親(「それでもボクはやってない」の加瀬亮と瀬戸朝香が写真のみで出演している)は春子が幼い頃に他界しており、春子は津軽出身の祖父と薩摩出身の祖母に育てられたため、津軽弁も鹿児島弁もネイティブとして喋ることが出来るのだ(ただこの部分に春子の描かれない影を見いだせない人は映画以前に人間がわかっていないと思う)。

鹿児島弁と津軽弁がなかなか抜けず、言葉だけでなく、舞や謡にも苦労する春子であったが……。


ミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」を意識したタイトルであり、「マイ・フェア・レディ」の名ナンバーの一つである「スペインの雨は主に平野に降る」が、「京都の雨はたいがい盆地に降るんやろか」というパロディとして使われている。

京都の花街の映画は、五花街(北から、上七軒、先斗町、祇園東、祇園甲部、宮川町)のどれかに協力を得て撮影を行うのであるが、今回はセットを組み、どこの街でもない花街というファンタージーとして描かれる。ただ、祇園祭や、をけら詣りが出てくるので、少なくとも上七軒は名前は掛かっているが地理的には違う(ただし上白石萌音は上七軒に泊まり込みで役作りを行っている)。下八軒は京都タワーが見える場所でもある。ただ、大阪国際空港は実際は伊丹にあるのだが、通天閣がバックにあるため、やはり全てが実在のものとは違うパラレルワールドである。

竹中直人と渡辺えりが「Shall We ダンス?」の時の格好で出てきたり(当時の渡辺えりは、渡辺えり子という名前)、妻夫木聡が赤木裕一郎(赤木圭一郎と石原裕次郎を混ぜた名前)という名前のスターとして出ていたりと遊び心満載の映画である。

花街の影の部分も当然ながら描かれるが、周防監督は基本的に笑いの人であるため、陰湿なものになることはない。


私は、日本シナリオ作家協会が出している月刊誌「シナリオ」を読んでいて、今日の映画である「舞妓はレディ」も脚本(採録シナリオとあったため、見たものと聴いたセリフを文字としてページに落としたものであり、周防監督の決定稿であるが、周防監督自身が書いたものではないものである)を読んでから出掛けたのであるが、京都の花街には遊びに行ったことはないがよく通っている場所であるため、画面を通して伝わってくるものはやはり本来の花街とは異質のものだということがわかる。この映画は脚本を読まずに観に出かけた方が良かったようである。

音楽はとても良くて楽しめる。帰りに河原町にある清水屋で「舞妓はレディ」のサウンドトラックを購入した。

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2025年1月17日 (金)

これまでに観た映画より(364) コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Playing the Orchestra 2014」

2025年1月15日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Playing the Orchestra 2014」を観る。WOWOWの制作で、WOWOWやYouTubeLiveで流れたものと同一内容である。ただ映画館で観ると迫力がある。来場者にはオリジナルステッカーが配られた。

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2014年4月4日、東京・溜池のサントリーホールでの公演の収録。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団で、コンサートマスターは三浦章宏である。

2013年にも、東京と大阪で「Playing the Orchestra」公演を行っている坂本龍一。オーケストラはやはり東京フィルハーモニー交響楽団。ただこの時は栗田博文が指揮者を務めており、「八重のテーマ」とアンコール曲の「Aqua」のみ坂本自身が指揮を行っている。坂本自身は出来に引っかかりを覚えたようで、翌年に自身の指揮による「Playing the Orchestra」公演を行うことを決めたようである。
なお、私自身は「Playing the Orchestra 2013」は、大阪・中之島のフェスティバルホールで聴いており、それが新しくなったフェスティバルホールでの初コンサート体験であった。だが、2014には行っていない。行っておけば良かったのかも知れないが。

坂本龍一は指揮とピアノを担当。指揮だけの時もあれば弾き振りを行う場面もある。ピアノの蓋を取り、鍵盤が客席側に来る弾き振りの時のスタイルでの演奏。弦楽はドイツ式の現代配置である。
東京フィルハーモニー交響楽団は通常のフル編成のオーケストラの約倍の楽団員を抱えているため、坂本龍一も「昨年の公演にも参加してくれた方もいれば初めての方もいる」と紹介していた。

曲目は、「Still Life」、「Kizuna」、「Kizuna World」、「Aqua」、「Bibo no Aozora(美貌の青空)」、「Castalia」、「Ichimei-No Way Out」、「Ichimei-Small Happiness~Reminiscence」、「Bolerish」、「Happy End」、「The Last Emperor」、「Ballet Mèchanique」(編曲:藤倉大)、「Anger-from untitled 01」、「Little Buddha」。アンコール曲目「Yae no Sakura(八重の桜)」メインテーマ、「The Sheltering Sky」、「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」

「The Last Emperor」の後半と、「Merry Christmas Mr.Lawrence」の後半以外はノンタクトでの指揮である。坂本は左利きだが、指揮棒は右手に持つ。

マイクを手にトークを入れながらの進行。坂本は指揮の訓練は受けていないため、本職の指揮者に比べると細部の詰めが甘いのが分かるが、自作自演であるため、作曲者としての坂本龍一が望む音が分かるという利点もある。

「Ichimei」は、市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎白猿)主演の映画の音楽だが、レコーディング初日が2011年3月11日だったそうで、東京のスタジオも揺れたそうだが、坂本は録音機材などが倒れないよう支えていたという話をしていた。

「Bolerish」は、ブライアン・デ・パルマ監督の映画のための音楽であるが、デ・パルマ監督から、「ラヴェルの『ボレロ』に限りなく近い音楽を作ってくれないかと言われ、それをやったら作曲家として終わる」と思ったものの、結局、似せた音楽を書くことになったようである。ラヴェル財団からは本気で訴えられそうになったそうだ。「古今東西、映画監督というのはわがままな人種で」と坂本は放す。別に本物のラヴェルの「ボレロ」を使っても良かったような気がするのだが。ラヴェルの「ボレロ」は今は著作権がグチャグチャなようだが。

「Ballet Mèchanique」は、「藤倉大君というロンドン在住のまだ三十代の現代音楽の作曲家なのですが」「子どもの頃からYMOや僕の音楽を聴いて育ったそうで」自分から編曲を申し出たそうである。
この「Ballet Mèchanique」は、坂本本人のアルバムにも入っているが、元々は岡田有希子に「WONDER TRIP LOVER」として提供されたもので、その後に中谷美紀に「クロニック・ラヴ」として再度提供されている。歌詞は全て異なる。セールス的には連続ドラマ「ケイゾク」の主題歌となった「クロニック・ラヴ」が一番売れたかも知れない。

「Little Buddha」は、ベルナルト・ベルトルッチ監督の同名映画のメインテーマであるが、何度も駄目出しされて、書き換えるたびにカンツォーネっぽくなっていったことを坂本が以前、インタビューで述べていた。「彼(ベルトルッチ監督)は自分が音楽監督だと思っているから」とも付け加えている。ベルトルッチとは、「ラストエンペラー」、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3作品で組んでいるが、最初の「ラストエンペラー」も「1週間で書いてくれ」と言われ、それは無理なので2週間にして貰ったが、中国音楽のLPセットを聴いた後で作曲に取りかかり、不眠不休で間に合わせたそうである。オーケストレーションまでは手が回らなかったので他の人に任せている。

「八重の桜」は同名のNHK大河ドラマのテーマ音楽であるが、オリジナル・サウンドトラックにはなぜか指揮者の名前がクレジットされていない。指揮をしたのは尾高忠明である。

「戦場のメリークリスマス」の次にといっても過言ではないほどの人気曲である「シェルタリング・スカイ」であるが、個人的な思い出のある曲で、高校2年の時の芸術選択の音楽の授業でピアノの発表会があり、私は作曲されたばかりの「シェルタリング・スカイ」(ピアノ譜はなかったが、エレクトーンの雑誌に大まかな譜面が載っており、細部は適当にアレンジした)を弾いて学年1位になっている。ピアノを独学で弾き出してから間もない頃のことである。

説明不要の「戦場のメリークリスマス」。1989年のクリスマスイブ、テレビ朝日系の深夜枠で、坂本龍一がピアノで自作曲を弾くというミニコンサートのような番組をやっていた。それを録画して見たのが、「ピアノをやってみたいなあ」と思ったきっかけである。

 

演奏の出来としては、坂本がピアノに徹した2013の方が上かも知れない。曲目も2013の方が受けが良さそうである。ただ歴史的価値としては、自身で全曲指揮を行った2014の方が貴重であるとも思える。

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2025年1月 7日 (火)

コンサートの記(878) 横山奏指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024 「マエストロとディスカバリー」第3回「シネマ・クラシックス」

2024年12月1日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024 「マエストロとディスカバリー」第3回「シネマ・クラシックス」を聴く。今日の指揮者は、若手の横山奏(よこやま・かなで。男性)。

京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024は、9月1日に行われる予定だった第2回が台風接近のため中止となったが、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の語り手を務める予定だったウエンツ瑛士が、そのまま第3回のナビゲーターにスライド登板することになった。

「シネマ・クラシックス」というタイトルからも分かる通り、シネマ(映画)で使われているクラシック音楽や映画音楽がプログラムに並ぶ。
具体的な曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った(かく語りき)」から冒頭、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、ブラームスのハンガリー舞曲第5番(シュメリング編曲)、マーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェット、デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」、ニューマンの「20世紀フォックス」ファンファーレ、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」からメイン・タイトル、久石譲のジブリ名曲メドレー(直江香世子編。Cinema Nostalgia~ハトと少年~海の見える街~人生のメリーゴーランド~あの夏へ~風の通り道~もののけ姫)、ハーラインの「ピノキオ」から星に願いを(岩本渡編)、フレディ・マーキュリーの「ボヘミアン・ラプソディ」より同名曲(三浦秀秋編)、バデルトの「パイレーツ・オブ・カリビアン」(リケッツ編)

 

横山奏は、1984年、札幌生まれ。クラシック音楽業界には男女共用の名前の人が比較的多いが、彼もその一人である。ピアニストの岡田奏(おかだ・かな)のように読み方は異なるが同じ漢字の女性演奏家もいる。
高校生の時に吹奏楽部で打楽器を担当したのが、横山が音楽の道に入るきっかけになったようだ。北海道教育学部札幌校で声楽を学ぶ。北海道教育大学には現在は岩見沢校にほぼ音楽専攻に相当するゼロ免コースがあるが、地元の札幌校の音楽教師になるための学科を選んだようだ。在学中に指揮者になる決意をし、桐朋学園大学指揮科で学んだ後、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程を修了。ダグラス・ボストックや尾高忠明に師事した。
2018年に、第18回東京国際指揮者コンクールで第2位入賞及び聴衆賞受賞。2015年から2017年までは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の指揮研究員を務めている。
趣味は登山で、NHK-FM「石丸謙二郎の山カフェ」のシーズンゲストでもある。
今年の6月には急病で降板したシャルル・デュトワに代わって大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」全曲などを指揮して好評を得ている。直前にデュトワから直接「火の鳥」のレクチャーを受けていたことが代役に指名される決定打になったようだ。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴィオラの客演指揮者には田原綾子が入る。ハープはマーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェットまでは舞台上手寄りに置かれていたが、演奏終了後にステージマネージャーの日高さんがハープを舞台下手側へと移動させた。

 

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」冒頭と、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」はいずれも「2001年宇宙の旅」で使われた曲である。特に「ツァラトゥストラはこう語った」は映画によって誰もが知る音楽になっている。
「ツァラトゥストラはこう語った」と「美しく青きドナウ」は続けて演奏される。
「ツァラトゥストラはこう語った」はオルガンなしでの演奏。京響の輝かしい金管の響きが効果的である。ロームシアター京都メインホールも年月が経つに連れて響くようになってきているようだ。
「美しく青きドナウ」も端麗で優雅な音楽として奏でられる。

「美しく青きドナウ」演奏後にナビゲーターのウエンツ瑛士が登場。これまでオーケストラ・ディスカバリーのナビゲーターは吉本の芸人が務めていたが、ウエンツ瑛士は俳優だけあって、吉本芸人とは話の流麗さが違う。吉本芸人も生き残るのは100人に1人程度なので凄い人ばかりなのであるが。またウエンツ瑛士は吉本芸人とは異なり、台本を手にしていない。ミスもあったが全て暗記して臨んでいるようだ。俳優はやはり凄い。

ウエンツ瑛士は、「マエストロとディスカバリー」というテーマだが、「マエストロとは何か?」とまず聞く。会場にいる「マエストロ」の意味が分かる子どもに意味を聞いてみることにする。指名された男の子は、「指揮者やコンサートマスターのこと」と答えて、横山の「その通り」と言われる。
横山「先生とか権威ある人とか言う意味がある。コンサートマスターもマエストロと呼ばれることがあります」とコンサートマスターの泉原の方を見る。
ウエンツ「ご自分で『権威ある人』と仰いましたね。大丈夫なんですか?」
横山「自認しております」

 

ブラームスのハンガリー舞曲第5番。ハンガリー舞曲の管弦楽曲版は今では第1番(ブラームス自身の管弦楽版編曲あり)や第6番も演奏されるが、昔はハンガリー舞曲と言えば第5番であった。
ウエンツ瑛士は、この曲が、チャップリンの「独裁者」で使われているという話をする。
ロマの音楽であるため、どれだけテンポを揺らすかが個性となるが、横山は大袈裟ではないが結構、アゴーギクを多用する。ゆったり初めて急速にテンポを上げ、中間部では速度を大きく落とす。
躍動感溢れる演奏となった。
子どもの頃、ハンガリー舞曲第5番といえば、斎藤晴彦のKDD(現・KDDI)の「国際電話は」の替え歌だったのだが、今の若い人は当然知らないだろうな。

 

マーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェット。トーマス・マン原作、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」でテーマ曲的に使われ、マーラー人気向上に大いに貢献している。それまでマーラーといえば「グロテスクな音楽を書く人」というイメージだったのだが、アダージェットによって「こんな甘美なメロディーを書く人だったのか」と見直されるようになった。
ウエンツ瑛士が、「この曲は、『愛の楽章』と呼ばれているそうですが」と聞く。横山は、「マーラーが当時愛していて、後に奥さんになるアルマへの愛を綴った」と説明した。
実は当初は交響曲第5番にはアダージェットは入る予定ではなかったのだが、マーラーがアルマに恋をして書いた音楽を入れることにしたという説がある。第4楽章は第5楽章とも密接に繋がっているので、第5楽章も当初の構想から大きく変更されたと思われる。
ウエンツは、「アダージェット」の意味についても横山に尋ねる。横山は、「『アダージョ』は『ゆったりとした』といういう意味で、『アダージェット』はそれより弱く『少しゆったりとした』という意味」と説明していた。
弦楽のための楽章なので、木管奏者が退場した中での演奏。金管奏者は残って聴いている。
中庸のテンポでの演奏で、ユダヤ的な濃さはないが、しなやかな音楽性が生きており、京響のストリングスの音色も適度な透明感があって美しい。
横山はどちらかというと、あっさりとした音楽を奏でる傾向があるようだ。

 

デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」。ディズニー映画「ファンタジア」でミッキーマウスが魔法使いの弟子を演じる場面があることで知られている。横山は、「三角帽子のミッキーマウスが」と話し、元々はゲーテが書いた物語ということも伝えていた。
実は、「ファンタジア」における「魔法使いの弟子」は、著作権において問題になっている作品でもある。ディズニーはミッキーマウスを著作権保護の対象にしたいため、保護期間を延ばしている。そのため著作権法案はミッキーマウス法案と揶揄されている。この映画での演奏は、フィラデルフィア管弦楽団が担当しているのだが、フィラデルフィア管弦楽団が「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」の映像ををSNSにアップしたところ、ディズニー側の要請で動画が削除されるという出来事があった。演奏している当事者のアップが認められなかったのである。

横山の演奏はやはり中庸。描写力も高く、水が溢れるシーンなども適切なスケールで描かれる。

 

後半は劇伴の演奏である。日本では劇伴音楽が低く評価されている。映画音楽もそれほど好んで聴かれないし、映画音楽を聴く人は映画音楽ばかりを聴く傾向にある。アメリカでは映画音楽は人気で、定期演奏会に映画音楽の回があったりするのだが、日本では映画音楽の演奏会を入れても集客はそれほど見込めないだろう。
大河ドラマのメインテーマなども、NHKが1年の顔になる音楽ということで威信を賭けて、当代一流とされる作曲家にしか頼まず、指揮者も「良い」と認めた指揮者にしか任せないのだが、例えばシャルル・デュトワが「葵・徳川三代」のメインテーマをNHK交響楽団と小山実稚恵のピアノで録音することが決まった時、まだ楽曲が出来てもいないのに「そんなつまらない仕事断ればいいのに」という書き込みがあった。どうも伝統的なクラシック音楽しか認めないようだが、予知能力がある訳でもないだろうに、聴いてもいない音楽の価値を決めて良いという考えは奢りに思えてならない。

 

ニューマンの「20世紀フォックス」ファンファーレ。演奏時間1分の曲なので、続けてジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」からメイン・タイトルが演奏される。
「20世紀フォックス」ファンファーレは、短いながらも「これから映画が始まる」というワクワク感を上手く音楽化した作品と言える。この曲も京響のブラスの輝かしさが生きていた。

ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」からメイン・タイトルは、映画音楽の代名詞的存在である。指揮者としてボストン・ポップス・オーケストラ(ボストン交響楽団の楽団員から首席奏者を除いたメンバーによって構成され、セミ・クラシックや映画音楽の演奏などを行う)の常任指揮者としても長く活躍していたジョン・ウィリアムズは、近年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立て続けに招かれている。「ジョン・ウィリアムズの音楽はクラシックではない」と見る人も当然いるが、「クラシックとは何か」を考えた場合、これだけ世界中で演奏されている音楽をクラシックではないとする方が無理があるだろう。
横山指揮による京響は、輝きに満ちた演奏を展開する。力強さもあり、イメージ喚起力も豊かだ。

演奏終了後、ウエンツ瑛士は、「『スター・ウォーズ』が観たくなりましたね。今夜は帰って『スター・ウォーズ』を観ましょう」と述べていた。

 

久石譲のジブリ名作メロディー。ジブリ作品においては愛らしいメロディーを紡ぐ久石譲。北野武作品の映画音楽はもう少し硬派だが、大人から子どもまで楽しめるジブリメロディーは、やはり多くの人の心に訴えかけるものがある。坂本龍一が亡くなり、今は世界的に通用する日本人の映画音楽作曲家は久石譲だけになってしまった。久石譲は指揮活動にも力を入れているので、自作自演を聴く機会が多いのも良い。自作自演には他の演奏家には出せない味わいがある。
今回は久石譲の自作自演ではないが、京響の器用さを横山が上手くいかした演奏となる。私が京都に来た頃は、京響はどちらかというと不器用なオーケストラで、チャーミングな音楽を上手く運ぶことは苦手だったのだが、急激な成長により、どのようなレパートリーにも対応可能なオーケストラへと変貌を遂げている。
久石譲の映画音楽は世界中で演奏されており、YouTubeなどで確認することが出来るが、本来の意味でのノスタルジックな味わいは、あるいは日本のオーケストラにしか出せないものかも知れない。
なお、ピアノは白石准が担当した。

 

ハーラインの「ピノキオ」から、星に願いを。岩本渡のスケール豊かな編曲による演奏される。スタンダードな曲だけに、多くの人の心に訴えかける佳曲である。

 

フレディ・マーキュリーの「ボヘミアン・ラプソディ」。同名映画のタイトルにもなっている。映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、クィーンのボーカルであったフレディ・マーキュリーの生涯を描いたもので、ライブエイドステージでの「ボヘミアン・ラプソディ」の歌唱がクライマックスとなっている。
「ボヘミアン・ラプソディ」。全英歴代の名曲アンケートでは、ビートルズ作品などを抑えて1位に輝いている。ただこの曲は本番では歌えない曲としても知られている。フレディ・マーキュリーがピアノで弾き語りをする冒頭部分は歌えるのだが、そこから先は多重録音などを駆使したものであり、ライブエイドステージでも、ピアノ弾き語りの部分で演奏を終えている。「本番では歌えない」ということで、ミュージックビデオが作られ、テレビで全編が流されたのだが、これが「格好いい」ということでヒットに繋がっている。
横山は、ラプソディについて、「日本語で簡単に言うと狂詩曲」と言うもウエンツに、「うーん、簡単じゃない」と言われる。横山は、「伝統的、民謡的な音楽などを自由に使った音楽」と定義した。
横山は「ボヘミアン・ラプソディ」が大好きだそうだ。80名での演奏で、ウエンツは、「クィーンで80人は多いんじゃないですか」と言うが、演奏を終えると、「クィーン、80人要りますね」と話していた。
ピアノは引き続き白石准が担当。メランコリックな冒頭のメロディーはオーボエが担当する。スイング感もよく出ており、第3部のロックテイストの表現も上手かった。

 

ラストは、バデルトの「パイレーツ・オブ・カリビアン」。ウエンツは「映画よりも音楽の方を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか」と述べる。
スケールも大きく、推進力にも富んだ好演となった。

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2025年1月 3日 (金)

これまでに観た映画より(361) 「バグダッド・カフェ」

2024年12月26日 京都シネマにて

京都シネマで、西ドイツ制作の映画「バグダッド・カフェ」の4Kレストア版(京都シネマでは2K上映)を観る。1987年の制作。ベルリンの壁崩壊の2年前である。
かなり有名な作品であるが、テーマ曲である「Calling You」は、ひょっとしたら映画以上に有名かも知れない。
「バグダッド・カフェ」というタイトルであるが、イラクの首都であるバグダッドが舞台になっている訳ではなく、アメリカ・カリフォルニア州にあるモハーヴェ砂漠の真ん中、バグダッドで営業を行っているモーテル兼ガソリンスタンド兼ダイナーのバグダッド・カフェというカフェが主舞台となっている。というより一部を除けば、バグダッド・カフェの周辺で全て完結している。
パーシー・アドロン監督作品。なお、アドロン監督は今年(2024年)の3月に死去したそうである。
出演:マリアンネ・ゲーゼブレヒト、CCH・パウンダー、ジャック・パランス、クリスティーネ・カウフマンほか。

大人のための一種の寓話である。

バグダッド・カフェのオーナーは黒人女性であるブレンダ。夫と娘がいるが、家庭が上手くいっているとは言えないようである。そんなバグダッド・カフェをヤスミンという中年女性が訪れる。ドイツ人のヤスミンは夫婦でアメリカを旅していたのだが、車が故障したのをきっかけに夫婦喧嘩を起こし、夫と別れてバグダッド・カフェを訪れたのだった。ヤスミンは部屋の内装を勝手に変えるなど奔放なところがあり、バグダッド・カフェに住み着いてしまう。バグダッド・カフェには様々な人種や指向、前歴を持った人が集まってくる。やがて手品を習得したヤスミン。その手品が受けて、バグダッド・カフェは盛況となる。
バグダッド・カフェの近くのコンテナで生活しているコックスは、元はハリウッドで舞台美術の仕事をしていた(ヤスミンは俳優だったと勘違いしていた)。コックスは、ヤスミンをモデルにした肖像画を描きたいという申し出、ヤスミンはそれを受け入れる。
順調に行くかに見えた日々だったが、保安官のアーニーがバグダッド・カフェを訪れ、ヤスミンに「ビザが切れている。グリーンカードを持っていないとこの先、ここでは生活出来ない」と告げる。バグダッド・カフェを去る決意をしたヤスミンだったが……。

不思議な感触を持った映画である。ヤスミンは太めの中年女性なのであるが、時折、「この人は人間ではなくて妖精か何かなのではないか」と思わせられるところがある。手品の習得も異様に早く、高度な技もこなせるようになる。
時の経過は、いつもピアノの練習をしているサロモの上達ぶりによって観客に知らされる。J・S・バッハの曲をたどたどしく弾いていたサロモだが、最終的にはジャズ風の即興的な曲もバリバリ弾きこなせるようになる。

個性豊かな面々が、不毛な砂漠の真ん中のバグダッド・カフェで至福の時を見つけ、もう若いとはいえないヤスミンとコックスは接近する。
都会で多数派のように生きることだけが幸せではないと教えてくれる佳編である。

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2024年11月19日 (火)

コンサートの記(870) 第28回 京都の秋 音楽祭「成田達輝&萩原麻未 デュオ・リサイタル」

2024年11月6日 京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」にて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」で、第28回 京都の秋 音楽祭「成田達輝&萩原麻未 デュオ・リサイタル」を聴く。
ヴァイオリンの成田達輝(たつき)とピアノの萩原麻未は夫婦である。年齢は萩原麻未の方が6つ上で、彼女の方から共演を申し出ており、その時点で「もう決まりだな」と多くの人が思っていた関係である。

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成田達輝は、1992年、青森県生まれ。中学生時代から群馬県前橋市で育ち、桐朋女子高校音楽科(共学)を経て(前橋から高崎まで出て新幹線で通学していたそうだ)、渡仏。パリ国立高等音楽院に学び、2010年のロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位入賞。SACEM著作権協会賞も合わせて受賞。12年のエリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギー)ヴァイオリン部門でも2位とイザイ賞受賞。13年の仙台国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門でも2位に入っている。現代の作曲家のヴァイオリン作品演奏に積極的で、酒井健治のヴァイオリン協奏曲「G線上で」初演で、芥川作曲賞(現・芥川也寸志作曲賞)受賞に貢献。一柳慧のヴァイオリンと三味線のための協奏曲も世界初演して、2022年度の芸術祭大賞を受賞している。
最晩年の坂本龍一ともコラボレーションを重ねており、東北ユースオーケストラのサポートメンバーとして最後のオーケストラ曲となった「いま時間が傾いて」の演奏にも参加している。

萩原麻未は、1986年、広島県生まれ。広島県人としては綾瀬はるかの1つ下となる。幼時からピアノの才能を発揮。ピアノを始めて数ヶ月でジュニアコンクールで賞を取っている。13歳の時に第27回パルマドーロ国際コンクール・ピアノ部門に史上最年少で優勝。ピアニスト志望の場合、多くが関東や関西の名門音楽高校へ進学するが、萩原麻未は地元の広島音楽高校(真宗王国の広島ということで浄土真宗本願寺派の学校であった。現在は廃校)に進学しており、「地方の音楽高校でもプロになれる」モデルケースとなっている。卒業後は文化庁海外新進芸術家派遣員として渡仏し、パリ国立高等音楽院および同音楽院修士課程を修了。ジャック・ルヴィエに師事。パリ地方音楽院で室内楽も学んでいる。その後、オーストリアに移り、ザルツブルク・モーツァルティウム大学でも学んだ。
2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で8年ぶりの第1位獲得者となり、注目される。一方で、「バスケットボールでドリブルが出来ない」といったような訳の分からない逸話を多く持つ天然キャラとしても知られている。東京藝術大学常勤講師。
以前はそうでもなかったが、顔が丸みを帯びてきたので、今は横山由依はんに少し似ている。


曲目は、前半がストラヴィンスキーのイタリア組曲とデュオ・コンチェルタンテ。後半がジェフスキの「ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース」(ピアノ独奏)、アルヴォ・ペルトの「フラトレス」、ジョン・アダムスの「ロード・ムービーズ」。珍しい曲が並ぶ。

前後半とも成田達輝がマイク片手にプレトークを行う。
「ようこそこのコンサートにいらっしゃいました。2、30人しか入らないんじゃないかと思ってましたが、沢山お越しいただきましてありがとうございます(ただ、日本人は現代音楽アレルギーの人が多いので、成田達輝と萩原麻未のコンサートにしては後ろの方に空席が目立った)。今日のプログラムは私は100%考えまして、妻の萩原麻未の了解を得て」演奏することになったそうである。成田本人も「何これ? 誰これ?」となるプログラムであることは予想していたようだ。
ミニマル・ミュージックが軸になっている。純粋にミニマル・ミュージックの作曲家と言えるのは、ジョン・アダムスだけであるが、ミニマル・ミュージックの要素を持つ作品をチョイスした。ミニマル・ミュージックについては、カンディンスキーなど美術方面の影響を受けて、音楽に取り入れられ、成田は代表的な作曲家としてフィリップ・グラスを挙げていた。

前半はストラヴィンスキーの作品が並ぶが、イタリア組曲はバロックの影響を受けて書かれた曲でいかにもバロックっぽい、デュオ・コンチェルタンテは、アポロとバッカス(ディオニソス)の両方の神を意識した作風と解説。ちなみに、成田は2013年に北九州市の響ホールで幻覚を見たそうで(「怪しい薬とかそういうのじゃないですよ」)、ストラヴィンスキーに会ったという。「凄いでしょ」と成田。凄いのかどうかよく分からない。


ストラヴィンスキーのイタリア組曲とデュオ・コンチェルタンテ。二人とも前半後半で衣装を変えており、前半は萩原は白のドレス。成田は何と形容したらいいのかよく分からない衣装。中東風にも見える。
夫婦で、共にフランスで音楽を学んでいるが、芸風は異なり、成田はカンタービレと技巧の人、萩原は微細に変化する音色を最大の武器とする。なお、萩原はソロの時はかなり思い切った個性派の演奏をすることがあるが、今日はデュオなのでそこまで特別なことはしなかった。

端正な造形美を誇るイタリア組曲に、かなりエモーショナル部分も多いデュオ・コンチェルタンテ。ストラヴィンスキーは「カメレオン作曲家」と呼ばれており、作風の異なる作品をいくつも書いている。そのため、三大バレエだけでストラヴィンスキーを語ろうとする無理が生じる。


後半。成田達輝のプレトーク。ニッカーボッカーズというべきか、ピエロの衣装というべきか、とにかくやはり変わったズボンで登場。解説を行う。「音楽学者の池原舞先生がお書きになった素晴らしいパンフレットを読めば分かります。全て書いてあります。私、出てくる必要ないんですが」
ジェフスキの「ウィンボロ・コットン・ミル・ブルース」は、機械音を模した音楽で同じ音型が繰り返され、やがてブルースが歌われる。ドナルド・トランプが合衆国大統領に再選されたことを速報として告げ、ジェフスキがトランプとは真逆の思想を持ち、プロテスト・ソングなども用いたことを紹介していた。ちなみに「クラスター奏法」といって、腕で鍵盤を叩く奏法が用いられているのだが、萩原麻未は現在、妊娠6ヶ月で(地元の広島で行われる予定だったコルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲のソリストは負担が大きいためキャンセル。すでに代役も決まっている。左手のための協奏曲はバランス的にも悪い気はする)、外国人の聴衆もいるということで、「赤ちゃんがびっくりしちゃったらどうしようと恐れています」と英語で語っていた。

アルヴォ・ペルトは、現代を代表する現役の作曲家。来年90歳になる。エストニアの出身で、首都のタリンにはアルヴォ・ペルト・センターが存在する。成田自身はアルヴォ・ペルト・センターに行ったことはないそうだが、近くに住んでいる友人がいるそうで、色々と情報を得たという。

ジョン・アダムスについては、「聴けば分かります」と端折っていた。


ジェフスキの「ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース」。ピアノ独奏の萩原麻未は、緑地に、腰のところに白い横線の入ったドレスで登場。タブレット譜を使っての演奏であるが、演奏前に「スイッチが」と言って、すぐに弾き出せない何らかのトラブルがあったことを示していた。
実に萩原麻未らしいというべきか、スケールの大きな演奏である。この人に関しては女性ピアニストだからどうこうというのは余り関係ないように思われる。迫力と推進力があり、ブルースも乗っている。


アルヴォ・ペルトの「フラトレス」。疾走するヴァイオリンと祈るようなピアノの対比。ヴァイオリンが突然止まり、ピアノの奏でるコラールがより印象的に響くよう設計されている。


ジョン・アダムスの「ロード・ムービーズ」。3つの曲からなるが、1曲目の「Relaxed Groove」と3曲目の「40% Swing」は速めのテンポで、ミニマル・ミュージックならではのノリがあり、2曲目の「Meditative」はフォークのようなローカリズムが心地よい。ジョン・アダムス作品はコンサートで取り上げられることも増えており、今後も聴く機会は多いと思われる。


アンコールは、日本のミニマル・ミュージックの作曲家の作品をということで、久石譲の作品が演奏される。ただしミニマル・ミュージックではなく、お馴染みのジブリ映画の音楽である。まず、萩原麻未のピアノソロで、「天空の城ラピュタ」より“忘れられたロボット兵”、続いて成田と萩原のデュオで「ハウルの動く城」より“人生のメリーゴーランド”。海外で学んだとはいえ、ここはやはり日本人の感性がものを言う演奏であったように思われる。繊細でノスタルジックで優しい。


なお、カーテンコールのみ写真撮影可となっていたが、余り良い写真は撮れなかった。これまで成田だけがマイクで語っていたが、最後は萩原麻未もマイクを手にお礼を述べて、二人で客席に手を振ってお開きとなった。

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2024年11月 2日 (土)

コンサートの記(867) アジア オーケストラ ウィーク 2024 大友直人指揮京都市交響楽団@京都コンサートホール

2024年10月22日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、アジア オーケストラ ウィーク 2024 京都市交響楽団の演奏会を聴く。今年度のアジア オーケストラ ウィークは、この公演を含む京都での2公演のみのようである。

シンガポール交響楽団と京都市交響楽団の演奏会には通し券があるので、今回はそれを利用。2公演とも同じ席で聴くことになった。

今日の指揮は、京都市交響楽団桂冠指揮者の大友直人。昨年は第九などを振ったが、京都市交響楽団の桂冠指揮者になってからは京響の指揮台に立つことは少なめである。
近年は、沖縄の琉球交響楽団というプロオーケストラ(沖縄交響楽団を名乗らなかったのは、先に沖縄交響楽団という名のアマチュアオーケストラがあったため。沖縄大学と琉球大学の関係に似ている)の音楽監督として指導に力を入れており、この間、定期演奏を行ったばかり。沖縄は地元の民謡や、アメリカ統治時代のロックやジャズなどは盛んだが、クラシック音楽を聴く土壌は築かれることがなく、沖縄県立芸術大学という公立のレベルの高い音楽学部を持つ大学があるにも関わらず、聴いて貰う機会が少ないため、卒業生は沖縄県外に出てしまう傾向があるようだ。
その他には、高崎芸術劇場の音楽監督を務めるほか、東京交響楽団名誉客演指揮者などの称号を持ち、大阪芸術大学教授や東邦音楽大学特任教授、京都市立芸術大学や洗足学園音楽大学の客員教授として後進の育成に励んでいる。


曲目は、伊福部昭の「SF交響ファンタジー」第1番、宮城道雄作曲/池辺晋一郎編曲の管弦楽のための「春の海」(箏独奏:LEO)、今野玲央(こんの・れお)/伊賀拓郎(いが・たくろう)の「松風」(箏独奏:LEO)、ブラームスの交響曲第1番。
今野玲央がLEOの本名である。


今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志と尾﨑平は降り番で、客演アシスタント・コンサートマスターに西尾恵子。第2ヴァイオリン客演首席には清水泰明、ヴィオラの客演首席には林のぞみ。チェロも今日は首席不在。トロンボーンも首席は空いたままである。いつもながらのドイツ式の現代配置による演奏。ステージのすり鉢の傾斜はまあまあ高めである。


伊福部昭の「SF交響ファンタジー」第1番。「ゴジラ」の主題に始まり、伊福部が手掛けた円谷映画の音楽をコンサート用にまとめたもので、第1番から第3番まであるが、「ゴジラ」のテーマがフィーチャーされた第1番が最も人気である。ちなみに「ゴジラ」のテーマは、伊福部がラヴェルのピアノ協奏曲の第3楽章から取ったという説があり、本当かどうか分からないが、伊福部がラヴェルの大ファンだったことは確かで、ラヴェルが審査員を務める音楽コンクールに自作の「日本狂詩曲」を送ろうとしたが、規定時間より長かったため、第1楽章を取ってしまい、そのままのスタイルが今日まで残っていたりする(結局、ラヴェルは審査員を降りてしまい、伊福部はラヴェルに作品を観て貰えなかったが、第1位を獲得した)。

「SF交響ファンタジー」には、若い頃の広上淳一が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して録音した音盤が存在するが、理想的と言っても良い出来となっている。
その広上と同い年の大友が指揮する「SF交響ファンタジー」第1番。大友らしい構築のしっかりした音楽で、音も息づいているが、映画のために書かれた音楽が元となった曲としては少しお堅めで、大友の生真面目な性格が出ている。もっと外連のある演奏を行ってもいいはずなのだが。
大友も1990年代には、NHK大河ドラマのオープニングをよく指揮していた。大河のテーマ音楽は、NHKの顔になるということで、当代一流と見なした作曲家にしか作曲を依頼せず、N響が認める指揮者にしか指揮させていない。近年では、正指揮者に任命された下野竜也が毎年のように指揮し、その他に元々正指揮者の尾高忠明(「八重の桜」、「青天を衝け」など)、共演も多い広上淳一(「光る君へ」、「麒麟がくる」、「軍師官兵衛」、「龍馬伝」、「新選組!」など)の3人で回している。なお、音楽監督であった時代のシャルル・デュトワ(「葵・徳川三代」)やウラディーミル・アシュケナージ(「義経」)、首席指揮者時代のパーヴォ・ヤルヴィ(「女城主直虎」)もテーマ音楽の指揮を手掛けている。将来的には現首席指揮者のファビオ・ルイージも指揮する可能性は高い。
ということで、大友さんも90年代は良いところまで行っていたことが窺える。それが21世紀に入る頃から、大友さんのキャリアに陰りが見え始めるのだが、これは理由ははっきりしない。大友さんは、「色々リサーチしたが、世界で最もクラシック音楽の演奏が盛んなのは東京なのだから東京を本拠地にするのがベスト」という考えの持ち主である。ただ海外でのキャリアが数えるほどしかないというのはブランドとして弱かったのだろうか。


LEOをソリストに迎えた2曲。箏奏者のLEOは、「題名のない音楽会」への出演でお馴染みの若手である。1998年生まれ、16歳でくまもと全国邦楽コンクールにて史上最年少での優勝を果たし、注目を浴びる。これまで数々の名指揮者や名オーケストラと共演を重ねている。

宮城道雄/池辺晋一郎の管弦楽のための「春の海」。お正月の音楽としてお馴染みの「春の海」に池辺晋一郎が管弦楽をつけたバージョンで、1980年の編曲。森正指揮のNHK交響楽団の演奏、唯是震一の箏によって初演されている。
尺八の役目はフルートが受け持ち(フルート独奏:上野博昭)。開けた感じの海が広がる印象を受ける。まるで地球の丸く見える丘から眺めた海のようだ。


今野玲央/伊賀拓郎の「松風」。作曲はLEOこと今野玲央が行っており、弦楽オーケストラ伴奏のためのアレンジを伊賀拓郎が務めている。
LEOは繊細な響きでスタート。徐々にうねりを高めていく。「春の海」が太平洋や瀬戸内の海なら、「松風」は日本海風。ひんやりとしてシャープな弦楽の波が現代音楽的である。
実際は、「松風」は海を描いたものではなく、二条城二の丸御殿「松」の障壁画を題材としたものである。二条城の障壁画は、私が京都に来たばかりの頃は、オリジナルであったのだが、傷みが激しいということで、現在はほぼ全てレプリカに置き換えられている。
「松風」は初演時にはダンスのための音楽として、田中泯の舞と共に披露された。


LEOのアンコール演奏は、自作の「DEEP BLUE」。現代音楽の要素にポップな部分を上手く絡めている。


ブラームスの交響曲第1番。コンサートレパートリーの王道中の王道であり、これまで聴いてきたコンサートの中で最も多く耳にしたのがこの曲のはずである。なにしろ、1990年に初めて生で聴いたコンサート、千葉県東総文化会館での石丸寛指揮ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現・千葉交響楽団)のメインがこの曲だった。
現在、来日してN響を指揮しているヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でも2回聴いている(オーケストラは、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とNHK交響楽団)。パーヴォ・ヤルヴィ指揮でも2回聴いているはずである(いずれもドイツ・カンマ-フィルハーモニー・ブレーメン)。

大友さんは、21世紀に入った頃から芸風を変え始め、力で押し切るような演奏が増えた。どういう心境の変化があったのか分からないが、小澤征爾との関係が影響を与えているように思われる(小澤と大友は師弟関係であるが明らかに不仲である)。

ただ今日の演奏は、力技が影を潜め、流れ重視の音楽になっていた。
今日は全編ノンタクトで指揮した大友。この曲では譜面台を置かず、全て暗譜での指揮である。
冒頭はどちらかというと音の美しさ重視。悲哀がそこはかとなく漂うが、悲劇性をことさら強調することはない。ティンパニも強打ではあるが柔らかめの音だ。その後も押しではなく一歩引いた感じの音楽作り。大友さんもスタイルを変えてきたようだ。そこから熱くなっていくのだが、客観性は失わない。

第2楽章は、コンサートマスターの石田泰尚が、優美なソロを奏でる。甘く、青春のような若々しさが宿る。

第3楽章もオーケストラ捌きの巧みさが目立ち、以前のような力みは感じられない。第4楽章もバランス重視で、情熱や歓喜の表現は勿論あるが、どちらかというと作為のない表現である。ただ大友は楽団員を乗せるのは上手いようで、コンサートマスターの石田を始めヴァイオリン奏者達が前のめりになって弾くなど、大友の表現に積極的に貢献しているように見えた。

大仰でない若々しいブラームス。この曲を完成させた43歳時のブラームスの心境が伝わってくるような独特の味わいがあった。


大友の著書『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)の中に、小澤征爾は二度登場する。うち一度は電話である。いずれも大友にとっては苦い場面となっている。師弟関係であり、著書に登場しながら、巻末の謝辞を述べる部分に小澤征爾の名はない。
力で押すのは晩年の小澤の音楽スタイルでもある。そこからようやく離れる気になったのであろうか。

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