カテゴリー「映画音楽」の53件の記事

2020年12月24日 (木)

コンサートの記(674) 「京都市交響楽団 クリスマスコンサート」2020

2020年11月20日 京都コンサートホールにて

午後3時から京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 クリスマスコンサート」を聴く。
メインはレイモンド・ブリッグズ原作の無声アニメーション「スノーマン」(1982年制作)のフィルムコンサートであり、主に子ども向け、親子向けのコンサートである。「スノーマン」のフィルムコンサートは、以前にも京都市交響楽団のオーケストラ・ディスカバリーで園田隆一郎の指揮によって上映されたことがあり、好評を受けての再演ということになったのだと思われる。

今日の指揮者は広上淳一門下の関谷弘志。知名度はそれほど高くないが、「三度の飯よりクラシック音楽が好き」という人なら名前ぐらいは知っているという指揮者である。
関谷弘志は、元々はフルート奏者で、パリのエコール・ノルマルでのフルート科を卒業し、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)のフルート奏者として活躍した後に東京音楽大学の指揮科に入学し、広上淳一と三石精一に師事している。
これまでに仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢の専属指揮者などを経て、現在は同志社女子大学学芸学部音楽学科講師(吹奏楽担当)を務めている。

 

曲目は、第1部「ファンタジック・メロディ」が、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」、「忘れられた夢」、「フィドル・ファドル」、J・S・バッハ/グノーの「アヴェ・マリア」(オーケストラ編曲者不明)、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から“花のワルツ”。第2部が、ハワード・ブレイクの音楽による「スノーマン」フィルムコンサートだが、途中休憩はなく、上演時間約1時間に纏められている。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置による演奏だが、「スノーマン」の上映のため、ステージは管楽器奏者が一段高くなっているだけで、高さは抑えられている。

今日も客席は前後左右1席空けのソーシャルディスタンス対応布陣となっていた。見切れ席は販売されていないため、集客も抑え気味であるが、それに指揮者の知名度などを加えて勘案すると入りはまあまあといったところである。

関谷弘志の指揮するルロイ・アンダーソン作品は、色彩豊かではあるが表情はやや堅め。昔、ドイツのオーケストラが演奏したルロイ・アンダーソン作品のCD(正確に書くと、ピンカス・スタインバーグ指揮ケルン放送交響楽団のCDである)を聴いたことがあるが、それに少し似ている。もう少し洒落っ気が欲しいところである。

関谷弘志は、マイクを両手に持って自己紹介と京都市交響楽団の紹介をし、客席に向かって「コロナ禍にお集まり下さったことに感謝致します」と述べた。

J・S・バッハ/グノーの「アヴェマリア」は、沼光絵理佳のピアノ・チェレスタでバッハ作曲の伴奏(元々は伴奏ではなく、平均律クラーヴィアのプレリュードという独立した楽曲である)が奏でられた後に泉原のヴァイオリンがグノー作曲のメロディーをソロで奏で始めるという編曲で、弦楽合奏にホルンとファゴットが加わり、フルートがソロを奏でて全楽合奏に到るというものである。

チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」より“花のワルツ”も華やかさには欠け気味だったがきちんと整った演奏になっていた。

 

第2部「スノーマン」。映写は京都映画センターが行う。上映時間は約26分。映像に演奏を合わせるのは難しく、時折、音楽が先走ったりする場面もあったが、全般的には状況によく合ったテンポと描写による演奏を行っていたように思う。関谷の指揮する京響の音色もアニメーションの内容にピッタリであった。「ウォーキング・イン・ジ・エア」のボーイソプラノを務めるのは京都市少年合唱団の谷口瑛太郎(一応、カヴァーキャストとして稲葉千洋が控えていたようである)。美しくも幻想的な歌声を聴かせ、「スノーマン」の空中飛行の場面を彩った。
「スノーマン」はキャラクターはよく知られているものの、内容は誰でも知っているという類いのものではないが、男の子が雪の日に自分で作り上げたスノーマン(雪だるま)と共に空を舞いながら冒険の旅に出掛けるという物語である。レイモンド・ブリッグズの絵のタッチが愛らしく、雪景色の描写の美しさとファンタスティックな展開(子どもの頃に映画館で「大長編ドラえもん」シリーズを観た時の心持ちが思い出される)、そしてラストなどが印象に残る。

 

アンコール演奏は、藤岡幸夫司会の音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」(BSテレ東)のオープニング楽曲としても知られるようになった、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。関谷もフィルムコンサートの指揮という大仕事を成し遂げた後であるためか、今日聴いたルロイ・アンダーソン作品の演奏の中でも最もリラックスした感じのチャーミングな仕上がりとなっていた。

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2020年12月 3日 (木)

これまでに観た映画より(230) 村上春樹原作 市川準監督作品「トニー滝谷」

2006年8月21日

DVDで映画「トニー滝谷」を観る。村上春樹の短編小説の映画化。脚本・監督:市川準、音楽:坂本龍一、イッセー尾形&宮沢りえ主演。

村上春樹の小説は映像化は難しいが、市川準監督は、小説の地の文をナレーション(ナレーター:西島秀俊)として読ませることで、映像詩のような作品に仕上げた。

地の文は西島秀俊だけでなく、イッセー尾形や宮沢りえも(それも敢えて不自然なタイミングで)読み上げる。他にも場面転換は全て画面右から左へのスクロールで処理するなど、独特の手法が用いられている。

トニー滝谷と結婚する英子を演じる宮沢りえが好演だ。明るいが影のある女性を見事に演じてみせる(暗いことと影があることは違う)。

染みとおるような孤独感。不在ゆえに引き立つ存在感。空白を埋めるための強迫行為(OCD)。描かれていることは切実だが、市川準監督の視線は優しい。

坂本龍一の音楽も空漠とした雰囲気作りに大いに貢献している。

傑作ではないかも知れないが、愛すべき佳作である。

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2020年10月26日 (月)

コンサートの記(664) 村治佳織ギター・リサイタル2006@いずみホール with シャーリー富岡

2006年5月12日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後2時から大阪・京橋の「いずみホール」で、ギタリスト村治佳織のコンサートを聴く。昨年の12月22日に予定されていたコンサートだが、村治の右手の故障で延期となったものである。

今回のコンサートは、前半がランス音楽をギター用に編曲したものが中心、後半は映画音楽をアレンジしたものが並ぶ。

村治は前半は鮮やかなターコイスブルーの衣装で登場。右手の故障は治ったようだが、長くギターの練習が出来なかったわけで、その影響からか、たまに妙な音を発したりする。「亡き王女のパヴァーヌ」では一瞬、「止まるか?」と心配になる箇所があったが、何とか切り抜ける。

後半は、FM802「SATURDAY AMUSIC ISLAND」のパーソナリティーを務めるシャーリー富岡と村治による映画音楽に関するトークが入る。
シャーリー富岡は前半の村治の衣装を意識したのか、やはりターコイスブルーの上着で登場。村治は後半は白い衣装に着替えていた。

シャーリー富岡、名字と顔から、マイケル富岡と関係があるのかな? と思っていたら、中盤で、やはりマイケル富岡の姉であることが判明。シャーリーの口から、弟がマイケル富岡であることが発表されると、客席から一斉に「あー」という声が起こる。
シャーリーは年間150本から200本の映画を観ているそうで、映画音楽にも詳しいことからゲストとして呼ばれたようだ(昨年予定されていたコンサートでは、作曲家の大島ミチルがゲスト参加する予定だった)。

『ディアハンター』の「カヴァティーナ」、『サウンド・オブ・ミュージック』から「マイ・フェイヴァリット・シングス」(JR東海の「そうだ! 京都行こう」のCMで使われている曲。京都では当然のことながら「そうだ! 京都行こう」のCMは流れていない)。『バグダッド・カフェ』より「コーリング・ユー」、『思い出の夏』より「夏は知っている」(原題の“Summer of 42”でも知られている)、『シェルブールの雨傘』より「アイ・ウィル・ウェイト・フォー・ユー」が演奏される。
ちなみにマイケル富岡の舞台デビュー作が『シェルブールの雨傘』だったそうで、その時、シャーリー富岡がマイケルの姉であることを打ち明けたのだった。

村治の演奏はどの曲もテンポが速めで、抒情味に欠けるきらいはあったが、テクニックは安定していて(一箇所怪しいところはあったが)楽しめる演奏であった。

ちなみにシャーリー富岡が生まれて始めてみた映画は「ウエストサイド物語」で、4、5歳の頃、映画好きだった祖母に連れられて観に行ったそうだ。村治の方は最初に観た映画はよく憶えていなくて、「多分、『ドラえもん』シリーズかなんかだったと思う」とのことだった。

最後の曲は、大島ミチルの「ファウンテン」。村治の依頼で大島が書き下ろしたギター曲である。「ファウンテン」とは「泉」という意味だそうだが、いずみホールとは無関係で、大島が故郷・長崎の平和公園内にある「平和の泉」をイメージして作った曲であるという。
爽やかな佳曲であった。

アンコールは、「アルハンブラの思い出」と「タンゴ・アン・スカイ」を演奏。これは文句なしの出来であった。

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2020年10月10日 (土)

これまでに観た映画より(215) 生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭より「道」

2020年10月8日 京都シネマにて

京都シネマで行われている、生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭最終日の「道」を観る。

イタリアを代表する映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニ。前衛作として知られる「8 1/2(「はっかにぶんのいち」。我々の世代の読み方だと「はちとにぶんのいち」)」なども観ておきたかったのだが日程が合わず、最終日の「道」だけはなんとか観ることが出来た。

フェリーニの代表作で、知名度は最も高いと思われる「道」。ニーノ・ロータによるテーマ音楽も極めて有名である。1954年制作のモノクロ作品。製作:カルロ・ポンティ。
出演:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベイスハートほか。

ジュリエッタ・マシーナはフェデリコ・フェリーニ夫人である。夫婦仲は極めて良好だったようで、1993年にフェリーニ監督が亡くなった際、体を支えられながら身も世もないといった風に悲嘆に暮れるジュリエッタ・マシーナの姿をカメラが捉えており、コメンテーターが、「これ、大丈夫なんですか?」と発言していたことが記憶に残っている。フェリーニ監督を失ったことは心身共にこたえたようで、その5ヶ月後にジュリエッタ・マシーナも後を追うように肺がんで亡くなっている。


海辺のシーンから映画は始まる。軽度の知的障害を抱えているジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)が海辺を歩いていると、子ども達がジェルソミーナの姉であるローザが亡くなったということを告げに来る。ローザは大道芸人であるザンパノ(アンソニー・クイン)の助手をしていたのだが、ジェルソミーナが後任としてザンパノと共に旅をするようになる。それまで仕事が出来ずにふらふらとしていたジェルソミーナの旅立ちに母親は複雑な態度を取る。

最初と最後が海のシーンというのも実は意味がありそうである。


見るからに粗暴そうなザンパノだが、ジェルソミーナにも体罰を行う。一度はザンパノの下から逃げ出すジェルソミーナ。ローマでジェルソミーナは綱渡りを得意とし、小型ヴァイオリンを弾く若い男(本名不明。「イル・マッド」=「気狂い」「キジルシ」というあだ名で呼ばれている。演じるのはリチャード・ベイスハート)と知り合う。自らの不器用さを嘆くジェルソミーナに男は、「全ての物事には関係がある」「例えばこの小石にだって存在意義がある。それが何かは今すぐにはわからないけれど」と語り、励ますのだった。しかしこの男がザンパノをからかい続けたことから刃傷沙汰寸前まで行ったため、二人ともサーカス団から追い出されることに。
サーカス団や若い男からの誘いを断り、ジェルソミーナはザンパノに同行することを選んだ。
辛い日々を過ごすジェルソミーナであったが、そこにささやかな幸せを見出してもいた。誰からも相手にされなかった自分が助手として金銭を稼ぐことが出来ている。だが、若い男とザンパノが再会してしまったことから全てが狂っていく……。

極めて孤独な(ザンパノが酒場で、「友達なんていない!」と叫ぶ場面がある)その日暮らしの旅芸人の哀感を描いた作品であり、不器用にしか生きられない男女の袋小路的なやるせなさが伝わってくる。ただ当人にとっては実はそうではないのかも知れないと思わせる部分もあり、単なる「悲劇」に終わっていない。それが「名画」として長く評価されている理由の一つなのだと思われる。

ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナがとても魅力的である。劇中でも言われ、また多くの評論で一致しているように美人ではないが、それを補って余りある愛嬌が溢れんばかりに発揮されている。

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2020年10月 4日 (日)

これまでに観た映画より(214) 王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品「花様年華」@アップリンク京都 2020.9.30

2020年9月30日 烏丸姉小路・新風館地下のアップリンク京都にて

烏丸姉小路・新風館の地下にあるアップリンク京都で香港映画「花様年華」を観る。王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品。主演:マギー・チャン、トニー・レオン。撮影:杜可風(クリストファー・ドイル)。2000年の制作。

この映画は映画館で観たことがなく、DVDで観ただけであるため初劇場体験となる。
ウォン・カーウァイ監督作品のうち、「欲望の翼(阿飛正伝)」、「花様年華」、「2046」は一繋ぎの作品となっているが、続編かというとそうでもない。
トニー・レオンは、「欲望の翼」にも出演しているのだが、ラストシーンで髪型などを整え、準備万端というところで映画が終わってしまうという不思議な使われ方をしている。

1962年の香港。秘書の仕事をしているチャン夫人(マギー・チャン)と新聞記者のチャウ(トニー・レオン)は同じ日に同じアパートの隣室に引っ越す。共に既婚者であるが、チャン夫人の夫は日本人貿易商の下で働いているということもあって出張でしょっちゅう家を空けており、チャウの奥さんは夜勤であるため、チャウと顔を合わせることがほとんどない(互いの結婚相手の顔は映ることはなく、後ろ向きで撮られている)。
奥さんが「仕事で帰りが遅くなる」と電話を掛けてきた日。チャウは奧さんの職場に迎えに行くが、仕事というのは嘘であることを知る。
次第に惹かれあうチャン夫人とチャウ。倫理観から互いに距離を置いていた二人だが、初めてレストランで食事をした日に、お互いのパートナーが不倫の関係にあるとの確信に到る。

かつて小説家志望だったが、一行も書けなかったため才能に見切りを付け、同じ書く仕事ということで新聞記者になったチャウだが、新聞の連載小説に挑むことになり、チャン夫人に校閲作業を頼むなどして二人の距離は更に縮まっていく。チャウは書斎代わりにホテルに部屋を借りる。ルームナンバーは「2046」。チャウはチャン夫人に「2046」号室にも来て欲しいと言うのだが……。

 

大人の恋愛を描いた秀作である。互いのパートナーが不倫の関係にあることに気付くなど、ドロドロ路線に進みがちな設定なのだが、感情をセリフではなく、梅林茂の「夢二のテーマ」で描くなど、抑制を利かせているため、却って匂うような色香が立ち込めるようになっている。
大人の恋愛と書いたが、マギー・チャンもトニー・レオンも撮影時は今の私よりも年下だったわけで、今となっては清潔に過ぎるようにも感じられる。ただ若い頃はこうした描写は本当に好きだった。

実際にはラブシーンが撮影されたが、最終的にはカットされており、二人の距離の絶妙さに繋がった。
ラブシーンがあるとしたら、その時間は限られるわけで、ラストで語られるチャン夫人の子どもというのはチャウとの間の子どもと見て間違いない。チャウの笑みからもわかるのだが、そうでないとその話を持ってくる意味もなくなってしまう。
ただ、不倫の意識はあり、チャウはカンボジアのアンコールワットの壁に秘密を封じ込めた。

直接的な性描写が少ないため、夢のようにおぼろな印象を見る者に与えており、尾を引くような記憶として残されていく。リアルでありながら浮遊感のある展開は、「恋する惑星」に繋がるものがあるが、実際に「恋する惑星」のエピソードの変奏ともいうべきシーンも登場する。

部屋のナンバー「2046」は、ウォン・カーウァイ監督の次回作のタイトルともなるわけだが、実は「2046」というのは香港と中国の一国二制度(一国両制)が終わる年である。「花様年華」にも香港の未来を心配して脱出する人々が登場するが、一国二制度は2046年よりも前に終わりそうであり、それを憂えている今の香港の若者達の姿にも繋がる。

ラストシーンは1966年という設定。悪夢のような文化大革命は、この年に始まっている。

 

映画を見終わり、新風館の外に出ると空気が肌寒い。今年初めてさやかに感じた秋であった。

 

これまでに観た映画より(178) 王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品「花様年華」

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2020年9月16日 (水)

坂本龍一 「Silk」 Endroll

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これまでに観た映画より(208) ジャン=リュック・ゴダール監督作品「女と男のいる舗道」

2020年9月12日 東寺近くの京都みなみ会館にて

京都みなみ会館で、「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち《デジタル・リマスター版特集上映》」の中の一本、「女と男のいる舗道」を観る。ジャン=リュック・ゴダール監督作品。1962年の制作である。原題は「Vivre sa vie(自分の人生を生きる)」であり、邦題がなぜ内容をまるで反映していない「女と男のいる舗道」になったのかは不明である。封切られた1960年代はまだ「それっぽい」邦題を付けておけば良いという時代であり、お洒落な感じで適当に付けられたのだと思われる。80年代以降は「意味が分からなくても原題に近いものを」という傾向が増え、今もそれは続いている。例えばスピルバーグの「プライベート・ライアン」の「プライベート」というのは「二等兵」という意味であるが、一般的な日本人はそんな意味は知らない。「プライベート」といえば「私的」であり、「マイ・プライベート・アイダホ」のような有名作もあるだけにややこしいことになっている。なぜ「ライアン二等兵」では駄目だったのかは不明である。

出演:アンナ・カリーナ、サディ・レボ、アンドレ・S・ラバルト、ギレーヌ・シュランベルジェ、ペテ・カソヴィッツ、ブリス・パランほか。音楽:ミシェル・ルグラン。

12のタブローからなるモノクローム映画である。

これまで観た「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち《デジタル・リマスター版特集上映》」の「女は女である」と「シェルブールの雨傘」は京都みなみ会館の1階にあるSCREEN1での上映であったが、今日は2階にあるSCREEN2での上映となる。

女優を夢見るナナ(アンナ・カリーナ)が主人公である。おそらくエミール・ゾラの『ナナ』に由来する命名だと思われる。
冒頭はアンナ・カリーナの愁いに満ちた横顔や正面の顔のアップである。

パリ。ナナは、夫のポール(アンドレ・S・ラバルト)の稼ぎが不満であり、別れることになる。カメラマンと会い、あるいは映画女優への道が開けるかと思っていたナナだが、ヌードになる必要があるため断ってしまう。
ナナとポールが会話を交わす場面はずっと後ろ姿を撮影しており、アンナ・カリーナの顔は鏡に映って見えるようになっている。

ナナはレコードショップで働いているが、稼ぎは足らず、家賃が払えなくなってアパートを追い出され、友人の家を泊まり歩いている。本筋とは関係ないが、ナナが働いているレコードショップでは、ジュディ・ガーランドのレコードは売っておらず、当時神童といわれていたペペ・ロメロのレコードを売る場面がある。ラックには「J Williams」の文字もあるが、映画音楽作曲家のジョン・ウィリアムズなのか、ギタリストのジョン・ウィリアムスなのか、それともまた別人なのかは不明である。

映画館で「裁かるゝジャンヌ」を観て涙するナナは、ジャンヌ・ダルクのような自分で選ぶ生き方に憧れているようであるが、現実はそうはいかない。これまた余談であるが、当時は映画は大人気であり、フランソワ・トリュフォーの「突然炎のごとく」が上映されている映画館の前で人々が長蛇の列を作っている様が映るシーンがある。

新聞販売店で女性客が落とした紙幣をネコババしようとして訴えられ、警察に逮捕されたりするナナ。結局、金のために体を売ることになる。売春の斡旋をしている友人のイヴェット(ギレーヌ・シュランベルジェ)の知り合いの富豪の女性に宛てた手紙を書くナナだったが、イヴェットに紹介された女衒(余談だが、フランス語では女衒のことを「マック」と言うため、マクドナルドは「マック」ではなく関西と同じように「マクド」と略す)のラウル(サディ・レボ)と出会ってからは本格的な娼婦となる。

そんな中、カフェで哲学者のブリス・パラン(本人が出演している)と出会ったナナは、パランから言葉と愛についての教えを受ける。ポーの「楕円形の肖像」を朗読する若い男(ペテ・カソヴィッツ。朗読自体はゴダール監督が行っている)とおそらく「体でなく言葉で紡ぐ愛」に目覚めたかのようだったナナだったが、その命は突然に断ち切られる。

重要なのはラストの「言葉による愛」への目覚めだと思われるが、それに到るまでの堕ちていく女の話と観るだけでも十分であろう。ゴダール作品なので、主題めいたものを求めると肩透かしをくらう可能性がある。ナナの「自由と責任論」も今となっては当たり前のことを話しているように聞こえるが、当時としては目新しいものだったと思われる。

 

当時、ゴダール監督の夫人であったアンナ・カリーナであるが、この映画の出来に不満だったという話もある。冒頭のシーンや「裁かるゝジャンヌ」の引用、そしてルグランが書いた宗教音楽のような旋律から察するに、あるいはジャンヌ・ダルクに憧れる女性の話のはずがそうならなかったということなのかも知れない。元々が娼婦を題材にした原案が存在する作品なので、娼婦を演じることに抵抗があったわけではないと思われるが、愛の物語が展開する前に話が終わってしまったことで自身の良さが出せなかったと思ったのであろうか。


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2020年9月11日 (金)

これまでに観た映画より(206) 「シェルブールの雨傘」

2020年9月7日 東寺近くの京都みなみ会館にて

東寺の近くにある京都みなみ会館で、「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち《デジタル・リマスター版特集上映》」の中の一本、「シェルブールの雨傘」を観る。冒頭から流れ、何度も歌われるメインテーマはミシェル・ルグランの代表作である。
監督・脚本:ジャック・ドゥミ。出演:カトリーヌ・ドヌーブ、ニーノ・カステルヌオーヴォ、アンヌ・ヴェルノン、ミレーユ・ペレー、マルク・ミシェル、エレン・ファルナーほか。セリフの全てが歌われるという全編ミュージカル作品であり、歌は全て本職の歌手によって吹き替えられている。演技と歌を別人が行っているということで、宮城聰の演出スタイルやその元ネタとなった文楽などの日本の伝統芸能、古代ギリシャの頃のギリシャ悲劇の上演形態が連想される。

英仏海峡に面したノルマンディー地方の港町シェルブールが舞台であり、映画はまずシェルブールの港の風景から始まる。やがて俯瞰ショットとなり、雨が降り始め、人々が傘を差して通り過ぎる。

1957年11月。主人公のジュヌヴィエーヴ(カトリーヌ・ドヌーブ)は傘屋の娘、恋人のギイ(ニーノ・カステルヌオーヴォ)はなぜか男前揃いの自動車整備工場の工員である。
映画は3つのパートとエピローグからなっており、第1部「旅立ち」では、自動車整備工場の場面に続き、ギイとジュヌヴィエーヴが劇場デートの約束をするシーンになる。二人が観るのはオペラ「カルメン」。おそらくこれはさりげない伏線になっていると思われる。
シェルブールの街を歩きながら将来を語るギイとジュヌヴィエーヴ。女の子が生まれたら名前は「フランソワーズにしよう」などと決める。

愛し合う二人だが、ギイがしがない自動車整備工ということもあって、ギイ本人も今すぐ結婚ということは考えておらず、ジュヌヴィエーヴの母親であるエムリ夫人(アンヌ・ヴェルノン)もギイの将来性を疑問視し、結婚には反対する。またギイの叔母のエリーズ(ミレーユ・ペレー)は病気がちで、ギイの幼なじみのマドレーヌがエリーズの面倒を見ている。マドレーヌを演じるエレン・ファルナーがこれまた絶世の美女であり、登場した時から何かが起こりそうな予感がする。

そんな中、二十歳になったギイは兵役に就くことになる。20世紀の終わり頃までフランスには義務兵役制があったが、1957年当時のフランスはアルジェリア戦争を戦っており、兵役に就くということは単なる訓練ではなく戦場に赴くことを意味していた。ギイもアルジェリアに向かうことになり、ジュヌヴィエーヴとシェルブール駅で別れる。

一方、エムリ夫人とジュヌヴィエーヴが営むシェルブール雨傘店の経営が傾いており、店の営業権利を守るためにエムリ夫人のネックレスを売ることにする。宝石店でネックレスを出すも店主からは色よい返事が貰えない。だが、たまたま店に来ていた宝石商のローラン・カサール(マルク・ミシェル)がネックレスを高値で買い上げる。カサールは母親と一緒に来ていたジュヌヴィエーヴを一目見て気に入る。

第2部「旅立ち」。2ヶ月後の1958年1月。ジュヌヴィエーヴが妊娠していることが判明する。ギイとの子だった。だが肝心のギイはアルジェリアにおり、手紙もたまにしか来ない。一方、カサールがジュヌヴィエーヴにアプローチを始めており、最終的に倫理上正しいのかどうかわからないが、「生まれた子どもは自分たちの子として育てよう」と言ってくれたカサールをジュヌヴィエーヴは選ぶことになる。

 

「戦争に引き裂かれた悲恋もの」などといわれることがあるが、それはちょっと違う気がする。ジュヌヴィエーヴは自分の意思でギイの帰郷を待たずにカサールと結婚したのであり、少なくともこの時はジュヌヴィエーヴにとっては悲恋でも何でもない。

第3部「帰還」以降はギイが主人公となり、ジュヌヴィエーヴはエピローグのラストになるまで登場しない。ギイはやはりというかなんというか次の恋人としてマドレーヌを選び、結婚する。マドレーヌにプロポーズする際、「ジュヌヴィエーヴのことは忘れた」とギイは言ったが、以前、ジュヌヴィエーヴと「男の子が生まれたらフランソワという名にしよう」という約束を引きずっており、マドレーヌとの間に生まれた息子にフランソワと名付けた。
ギイは以前、ジュヌヴィエーヴに語った将来の夢をマドレーヌ相手に成し遂げていく。

 

原色系の衣装やセット、街並みなどが鮮やかであり、全編音楽が流れてセリフも歌ということを考えると、メルヘンチックではある。衣装は主人公の心境を代弁するかのように色彩を変えていく。この辺は表現主義過ぎて嫌う人もいるかも知れない。セリフもド直球のものが多く、ミュージカルでなくストレートプレーだったとしたらかなり馬鹿っぽいやり取りになってしまうため、ミュージカルとして成立させたのは成功だった、というより最初からミュージカルスタイルでしか成功し得ない展開を狙っているのだと思われる。

ラストシーン、ギイが経営するガソリンスタンドの場面。クリスマスイヴであり、マドレーヌはフランソワを連れて買い物に出掛ける。その時、ガソリンスタンドに一台の車が駐まる。運転しているのは今はパリで暮らしているジュヌヴィエーヴであり、助手席にはギイとの間の娘であるフランソワーズがいた。

ジュヌヴィエーヴは高級車に乗り、身につけている服も上質なものだが、その表情はどう見ても幸せそうには見えない。ガソリンスタンドの部屋に入り、「ここは暖かいわ」などと「かもめ」のニーナのようなセリフを言うジュヌヴィエーヴであるが、ギイは「フランソワーズに会わないか」というジュヌヴィエーヴの提案には乗らない。ガソリンスタンドに寄ったのはたまたまだというジュヌヴィエーヴであるが、本来寄る必要のないシェルブールに寄っているということは、心のどこかでギイに会えたらという気持ちがあったものと推察される。というよりもむしろ、「かもめ」へのオマージュであるということを考えれば、ジュヌヴィエーヴはギイに会うためにシェルブールに来たのである。半島の先端にあるシェルブールはついでに寄るような街ではない。その街に行きたいという意志のある人だけが来る街である。ジュヌヴィエーヴはギイの夢を以前に聞いており、今のギイがそれを果たしているであろうことは容易に推測出来る。今現在と違って情報化社会ではないが、その気になればギイと再会することはそう難しくはない。そして二人の間の娘であるフランソワーズを見せればギイも態度を変えるのではと、甘い期待を抱いていたのかも知れない。だがそうはならなかった。

ジュヌヴィエーヴの車が去ると同時にマドレーヌとフランソワが帰ってくる。ギイはジュヌヴィエーヴを一顧だにせず、マドレーヌと抱き合い、フランソワと遊び戯れる(一顧だにせずというところが結構衝撃的である)。ギイは本当に幸せそうだ。多くの人が、「あの時、素直にギイを選んでおけば良かったのに」とジュヌヴィエーヴの愚かしさに悲しくなる。これがこの映画の最大のカタストロフィであろう。同じフランスが生んだ作品である「カルメン」はどちらかというと男の方が馬鹿だったが、この映画では女の方が浅はかであり、手にし得た幸せをみすみす逃してしまうという話になっている。そもそもジュヌヴィエーヴが歌うメインテーマの歌詞はギイに対して「あなたなしで生きていけない死んでしまう」歌ったものなのだが、歌詞とは裏腹にあっさりとカサールを選んでいる。恋に誠実になれなかったジュヌヴィエーヴの女としての悲しさが、もう戻すことの叶わない日々のセリフとしてこだまするかのようである。


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2020年9月 8日 (火)

楽興の時(39) 京都坊主BAR 「MANGETSU LIVE vol.24」(オーボエ:國本恵路)

2020年9月2日 元本能寺の近くの京都坊主BARにて

午後7時から、元本能寺の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU LIVE vol.24」を聴く。今日はオーボエの國本恵路(くにもと・えみ)独奏の演奏会である。

國本恵路は、大阪芸術大学演奏学科オーボエ専攻卒業後、フランスに渡り、更にスイスに移ってチューリッチ芸術大学でもオーボエを修め、同大学の大学院で音楽生理学の基礎コースを修了している。帰国後は合気道を習い、現在は合気道の指導員としても活躍しているという。

飛沫防止用のシートを前にしての演奏。これまで京都坊主BARでは、リコーダー、ヴィオラ、電子チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどの演奏を聴いてきたが、オーボエが一番音の通りがいい。


スコット・ジョプリンの「ジ・エンターテイナー」のオーボエ独奏版でスタート。合間にトークを入れながらの進行である。今日はマイクが使えるため、トークの内容もよく聞こえる。
「ジ・エンターテイナー」は、1973年公開の映画「スティング」で一躍有名になり、今ではサッカーのサポーターが歌う曲として抜群の知名度を誇っている。

秋をテーマにしたということで、イギリスの作曲家であるジェームズ・オズワルドの「キリンソウ」が演奏される。秋というと日本ではノスタルジックなシーズンというイメージだが、イギリスの曲ということで日本の秋のイメージとは大分異なる。

日本の秋の曲として「夕焼け小焼け」が録音伴奏付きで演奏されるが、やはり日本の秋というと、空が高く澄んでいて、夕焼けが映えてというイメージが浮かびやすい。秋の季語である「月」も歌詞に登場する。中村雨紅の詩は出身地である今の東京都八王子市の夕景を表したものだそうである。國本によると「夕焼け小焼け」のメロディーは草川信が1923年に作り上げたものであるが、この年の9月1日起こった関東大震災によってオリジナルの譜面は焼けてしまったという。ただ友人に写譜を渡していたため、作品自体が灰燼に帰すということは避けられたそうだ。

続いて瀧廉太郎の「荒城の月」が録音伴奏付きで演奏される。1番は歌曲の旋律通り(山田耕筰の編曲に準拠)に吹いたが、その後は崩して歌われ、最後に歌曲のメロディーに戻ってくるという編曲であった。

アンタル・ドラティ作曲の無伴奏オーボエのための5つ小品から「蟻とキリギリス」。
指揮者大国ハンガリー出身の名指揮者として名高いアンタル・ドラティ(ドラーティ・アンタル)。世界初の「ハイドン交響曲全集」を作成し、晩年にデトロイト交響楽団を指揮して録音したストラヴィンスキーの「春の祭典」は名盤中の名盤として知られる。
作曲家や編曲家としても活躍しており、無伴奏オーボエのための5つの小品は、名オーボイストのハインツ・ホリガーのために作曲されたものである。
20世紀の作品だけに音に鋭さがあり、進行も割合複雑である。最後に軽いオチがある。

20世紀のイギリスを代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンの「6つの変容」より。「6つの変容」は、ギリシャ神話に登場する神々にちなんだ曲集で、今日はそのうちの“パン”、“フェイトン”、“アレトゥーサ”にまつわる3曲が演奏された。
ベンジャミン・ブリテンは、生前から「パーセル以来久しぶりに現れたイギリスの天才作曲家」と呼ばれていたが、近年、作品が上演される機会の増えている作曲家の一人であり、才気に満ちた作品の数々が人々を魅了している。

今年の7月に亡くなった映画音楽の大家、エンニオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」。録音伴奏付きの演奏である。耳に馴染みやすく、どこか懐かしい甘美で流麗な旋律が魅力的である。

クロード=ミシェル・シェーンベルクの「レ・ミゼラブル」より“夢破れて”。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、十二音技法で知られるアーノルト・シェーンベルクの親戚である。
“夢破れて”は、スーザン・ボイルの歌唱で有名になったほか、映画「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイによる感情を最優先させた歌唱も話題になった。日本語訳詞版を歌う歌手も多く、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の中でもキーになっている曲として人気が高い。嘆きの歌詞を持つだけに、歌だと情感たっぷりとなるが、オーボエで演奏した場合は旋律の美しさが目立つ。

最後はテレマンのファンタジー。「MANGETSU LIVE」はバロック以前の楽曲演奏を主軸とした演奏会であるため、テレマンの楽曲が演奏されることが多いのだが、均整の取れた楽曲は魅力的である。

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2020年9月 1日 (火)

これまでに観た映画より(202) ジャン=リュック・ゴダール監督作品「女は女である」

2020年8月27日 東寺近くの京都みなみ会館にて

京都みなみ会館で行われている「ミシェル・ルグランとヌーヴェルヴァーグの監督たち デジタル・リマスター版 特集上映」の中の1本、「女は女である」を観る。1961年のジャン=リュック・ゴダール監督作品。原案:ジャヌヴィエーヴ・クリュニー、音楽:ミシェル・ルグラン、美術:ベルナール・エヴァン。出演:アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、ジャン=ポール・ベルモンド。アンナ・カリーナとミシェル・ルグランは共に昨年他界している。

アンナ・カリーナ演じるストリップ嬢のアンジェラ(アンナ・カリーナ同様、コペンハーゲンの出身ということになっている)が、ストリップ小屋の仲間の影響を受け、「子どもを産みたい!」と思い立ったことから恋人のエミール(ジャン=クロード・ブリアリ)や知り合いのアルフレッド(ジャン=ポール・ベルモンド)と共に巻き起こす一騒動、ともいえないほどのちょっとしたドラマである。ベッドインするまでをモンタージュの技術や音楽などを駆使して「状況」として作り上げていく。音楽は必ずしも場面と一致しているとは限らず、アンナ・カリーナが歌う場面では敢えて伴奏はなく、アカペラにしている。

ストーリーは添え物で、その場その場のシチュエーションを描くことに重点を置いた、ゴダールらしい映画であるが、映し出されるパリの街も、出演者も魅力的であり、それだけで見せることの出来る映画である。登場人物達は皆、原色系の服を身につけているが、これがまた実にお洒落である。アンジェラとエミールが暮らすアパルトマンも愛らしい。


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