カテゴリー「映画音楽」の110件の記事

2026年2月 3日 (火)

坂本龍一 「Solitude」

| | | コメント (0)

2026年1月30日 (金)

コンサートの記(944) fever presents Candlelightコンサート「坂本龍一へのオマージュ」 チェンバー・ミュージック・アトリエ神戸

2026年1月18日 左京区岡崎の京都観世会館にて

午後3時から、左京区岡崎の京都観世会館で、fever presents Candlelightコンサート「坂本龍一へのオマージュ」を聴く。元々のタイトルは「坂本龍一の音楽の世界」だったようだ。
アメリカのfever社が行っているCandlelightコンサート。京都ではこれまで京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタなどで行われていたが、音楽ホール以外の場所へと公演の規模を拡げ、京都観世会館での公演を行っている。京都観世会館は能楽堂で、能や狂言以外で京都観世会館に入るのは初めてである。
現場で動いているスタッフは全員日本人だが、システムはアメリカ式。チケットもプログラムもスマホにダウンロードしたものを使用。キャンドルの販売が終演後に行われていたが、クレジットカードのみ可と完全にアメリカ方式であった。

演奏は弦楽四重奏団であるチェンバーミュージックアトリエ神戸が行う。第1ヴァイオリン:根垣りの(ねがき・りの)、第2ヴァイオリン:萩原合歓(はぎわら・ねむ)、ヴィオラ:山本紗帆、チェロ:吉田円香(まどか)。
根垣はフリーのヴァイオリニストのようだが、萩原は京都フィルハーモニー室内合奏団のコンサートマスターをしていた経験があり、現在は神戸室内管弦楽団のヴァイオリニストである。。山本と吉田は、共に兵庫芸術文化センター管弦楽団のコアメンバーとレジデントプレーヤーある。

 

曲目は、「レヴェナント」、「スネーク・アイズ」、「M.A.Y. in backyard」、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」、「Opus」、「King's March」、「Amore」、「水の中のバガテル」、「Aqua」、「Rain」、「美貌の青空」

休憩なし、1時間ちょっとのコンサートである。観世会館で使われているキャンドルは4800本だそうだ。

 

坂本龍一自身は弦楽四重奏用の編曲を行っていないので、第三者が編曲した譜面を使用しての演奏となる。「Amore」は、アルバム「Beauty」に収録されたバージョンではなく、坂本がピアノ用に編曲、それもアルバム「/05」以降に編曲したゆったり目のバージョンを弦楽四重奏用に移している。

チェロの吉田円香がマイクを手に進行役を担う。

 

「M.A.Y. in backyard」は、アルバムやピアノソロで聴くとそれほどでもないのだが、弦楽四重奏で聴くとかなり前衛的な部分があることが確認出来る。
「M.A.Y.」は、メイではなく、裏庭にいた三匹の野良猫、モドキ、アシュラ、ヤナヤツの頭文字である。

「戦場のメリークリスマス」は、冒頭の繊細な音型をヴァイオリンのピッチカートで奏でる。

「Amore」は、先に書いたとおり、アルバム「Beauty」に収められている楽曲だが、それ以前に「undo」というタイトルで、マキシシングルが発売されていた。違いは歌声が入っているかどうか。「undo」を聴いたプロデューサーが、「これは、アモーレ、アモーレと歌っている」と言ったため、合唱を入れることにしたのだが、「アモーレ」という言葉は使わず、ユッス・ンドゥールが書いたシンプルな歌詞を採用している。
その後、ピアノバージョンをビールのCMで坂本がピアノで弾き、これが最初のピアノバージョンだった。
坂本が21世紀に入ってから編曲したピアノバージョンは懐旧の趣があるが、一番最初のバージョンである「undo」からの編曲も聴いてみたかった。

「Rain」に関しては、吉田が、「ゆったりとした雨」と語ったため、「あ。これ映画観たことないぞ」と分かる。「Rain」は、満州国の皇帝となった愛新覚羅溥儀が、第二夫人である文繍に離婚を切り出され、拒むも文繍は自由を求めて雨の中へ、傘も断って去って行くという場面の音楽である。坂本龍一がたびたびコンサートで取り上げた自信作にしてお気に入りの楽曲だった。
この曲には疾走感と痛切さ、更には切迫感も必要になるのだが、今回は解釈が異なるため、弦が悲鳴を上げたりする場面があるにも関わらず、のんびりとした音楽になってしまっていた。
映画音楽を弾くなら、映画を観て、どの場面でどのように使われているかを知らないと的外れな演奏になってしまう。

「美貌の青空」は、教授が生前に「イタリアで演奏するとどういうわけか滅茶苦茶受ける」と話していた楽曲である。私個人もなぜイタリアで受けるのかは分からないが、今後も「美貌の青空」を歌ったり演奏したりする人は出てくると思われるので、イタリアでやってなぜ受けるのか解き明かしてくれると嬉しい。

 

アンコール演奏は、「ラスト・エンペラー」 メインテーマ。弦楽器に非常に合う楽曲である。時間の関係で少し端折った演奏であったが、四人だけであっても音自体に力が宿った作品であるだけに、充実した響きの演奏となった。

なお、アンコール演奏時のみ、撮影・録画が可であった。

Dsc_9531

| | | コメント (0)

これまでに観た映画より(426) 「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto」4Kレストア版

2026年1月17日 T・ジョイ京都にて

京都駅八条口南西にあるイオンモールKYOTO内の映画館、T・ジョイ京都で、ドキュメンタリー映画「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto 4Kレストア版」を観る。上映時間62分の中編。フランス映画である。監督はエリザベス・レナード。1986年の作品だが、撮影自体は1984年に行われている。YMO散開直後であり、坂本は大島渚監督のオール・メイル・キャスト映画「戦場のメリークリスマス」の音楽が高く評価されて、アメリカではなくイギリスのアカデミー賞作曲賞を受賞。この映画の中にも映画「戦場のメリークリスマス」の場面が挿入されている。

1952年1月17日に東京都中野区に生まれた坂本龍一。東京都世田谷区に育ち、都立新宿高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科に現役合格。その後、同大学大学院音響研究科で、電子音楽やコンピューター音楽などを学んでいる。学生運動を行い、授業には余り出なかったそうだが、民族音楽の小泉文夫には多く学び、また作曲の師である三善晃から得たものも大きいことが作品を聴くと感じられる。
本当は大学院に進む気はなく、「社会には出たくない」ので留年しようと思っていたが、指導教員(誰なのかは不明)から、「留年は駄目だ。お前は卒業するか大学院に行くかどっちかにしろ」と言われ、大学院進学を選んでいる。望んで進んだわけではないが、これが愛称の「教授」に繋がる。大学院在学中に友部正人と出会い、レコーディングに参加。当時としては破格のギャラに驚喜し、バックバンドのミュージシャンとしてスタートすることになる。

最初にドビュッシーの言葉がフランス語で語られる(この作品は全編英語字幕付き)。“I am working on things that will only be understood by the grandchildren of the twentieth century.”。坂本はおもちゃの銃で遊んでいる。
坂本のアルバムの中でもマイルストーン的な1枚である「音楽図鑑」の制作に取材班は密着し、それ以外に坂本へのインタビューや思考を聞きだし、明治神宮や浅草寺の祭りなど、東京的な要素の濃い場所でロケを行っている。
当時の東京には、自動改札は勿論なく、駅員が切符を切っている。原宿では竹の子族が踊っているが、ダンスのレベルは今の若い人に比べるとかなり低い。今の若い子は、小学校の授業でダンスを学んでおり、誇張でなく竹の子族の何十倍も高度な動きとスピードでダンスを行っている。本当に隔世の感である。

坂本龍一が、新宿アルタの液晶ビジョンが見える位置に立つと、YMO時代の「体操」や「Behind the Mask」のPROPAGANDAライブ時の映像がビジョンに映る。

後年、坂本は若い頃の自分について、ヘッドバッドを行うポーズをして、「生意気だった」「(YMO結成の時も)時間があったらやります」「年取って(そういうことがなくなって)良かった」と述べている。

この頃は30代前半(厳密に書くと32歳)だが、父親への反発から文学書よりも思想書を多く読んでいたという坂本は、鋭さを特に隠そうとはしていない。

1から10まで、順番に作曲するのが音楽というのがそれまでの作曲法だったが、坂本はそれに疑義を呈し、部分部分を作曲して保存し、次の部分とつなぎ合わせるというシャッフリングのような発想をしていることが分かる。村上春樹が1985年に発表した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にもシャッフリングは登場するので、そういう発想をする人が多い時代だったのだろう。
シンセサイザーで作曲をする坂本だが、この時代のシンセサイザーの性能は今のおもちゃ以下。フロッピーディスクをLPレコードサイズにしたようなメモリーディスクを何枚も使い、音色の変更はメモリーディスクに入っているものの中からセレクトして行う。今なら適当な電気店で買った安いキーボードでも音色のチェンジは簡単に出来る。そう思うと、1984年は思っているよりも遙かに昔ということになるようだ。ちなみにCDの発売は、1985年なので、スクリーンの向こうの世界にはまだCDというものは存在しない。
明治神宮の神苑に似た場所で、坂本は「歩き煙草禁止」「順路→」という立て札の前を煙草を吸いながら逆方向に進んでいく。反骨精神を表しているようだ。今は「歩き煙草禁止」じゃなくて「禁煙」の立て札になっているだろう。
ちなみに明治神宮での祭りで鼓が打たれるが、鼓に近い音もメモリーディスクには入っている。

影響を受けた人物として坂本は、様々な作曲家を挙げた後で、哲学者・思想家の吉本隆明(「たかあき」ではなく有職読みで通称の「りゅうめい」で答えている)を挙げた。
一方で、「クラシックよりビートルズを先に聴いていたらクラシックには行かなかったかも知れない」と述べている。

坂本が作曲した作品以外に流れるのは、坂本が愛したフランスの作曲家の作品。ドビュッシーの「子供の領分」より第1曲“グラドゥス・アド・パルナッスム博士”、サティのグノシエンヌ第1番などだ。

YMO時代の中でもとりわけ有名な作品である「東風」は、PROPAGANDAライブの時のものと、矢野顕子とのピアノ連弾のものが採用されている。

なお、坂本はたまに眼鏡を掛けているが、後に老眼になるまで視力1.5なのが誇りだったと語っているため、伊達眼鏡である。老眼になってから丸眼鏡を掛けるようになり、「お洒落」と評判になったが、フランスの作曲家には丸眼鏡を愛用していた人が何人かいるため、影響を受けたのかも知れない。

坂本は、店舗で掛かるBGMについては、「最初から聴かないで次の階に行ったらまた別の音楽に変わる」として、音楽の聴き方が変わるという予兆を感じている。ただ、音楽の聴き方については現時点では激変はしていないように思う。ソフトから配信が主流になったりはしているが、基本的には好きな音楽を最初から最後まで聴く人の方が多いだろう。

1984年、バブル前夜。日本が上り調子の時代である。GDP(当時GNP)は世界第2位。1位のアメリカを脅かす勢いで、「Japan as No.1」と呼ばれるのが、1985年頃である。坂本も東京を「資本主義の最先端」と呼んでいる。まさかここまでひどい国になってしまうとは誰も予想していなかっただろうが、YMOも世界初のサンプリングを駆使したアルバム「テクノデリック」を発表するなど、世界最先端の音楽を作っていた。世界音楽史上、日本のミュージシャンが世界最先端の地位に躍り出たのはおそらくこの時だけだっただろう。

アルバム「音楽図鑑」の収録曲は、「M.A.Y. IN BACKYARD」と「マ・メール・ロワ」、ラストに演奏される「SELF PORTRAIT」がメインだ。それ以外の楽曲では、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」が教授によるピアノソロと、映画の場面をセレクトして流れる。

その後、坂本は「ラストエンペラー」の音楽で、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡)と共にアメリカのアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる(なお、この時、エンニオ・モリコーネが落選し、作曲者を大いに落胆させた)。
だがこれはまだ坂本龍一が世界的に知られる前の映像である。

この時の坂本は、整然としたものではなく、そこからこぼれ落ちたもの、はみ出たものなどに興味を持っていたようで、ノイズなどを取り入れた音楽に繋がって行くのかも知れない。アルヴァ・ノト(カールハインツ・ニコライ)との作業はまさにそんな感じだ。

ニューヨークに転居して世界的な活動を始める坂本。ニューヨーク転居については矢野顕子が強く望んだもので、その理由については知っている人は知っているので詳しくは書かない。村上龍はテレビ番組で「亡命していった」と語っていたが、坂本はそれも否定している。

一方で、東京に対する落胆は増していったようで、自伝『音楽は自由にする』では、東京に対して、「限界に来ている」「家賃が高すぎる」「誰が住むか」と露骨に嫌悪している。「東京じゃない、家賃の安い場所から新しいものが生まれる」という予感もあったそうで、最後の方では、「京都あたりに住んでみようかと思っている」と述べている。これは絵空事ではなく、実際に京阪神地域を愛したデヴィッド・ボウイが手に入れていた九条山の土地を買ったか、買おうとした動きがあったようである。だが、癌になったことで京都移住は夢と終わった。

東京に生まれ、東京に育ち、東京で学び、東京で仕事をしてきた坂本龍一。「東京はもう駄目だ」とまで宣告したようなものだったが、最後の癌の治療は主治医が東京にいたため、東京に仮住まいし、東京の病院で手術を受け、東京の病院で亡くなった。そして何よりも、本人は否定するかも知れないが、彼は東京が似合う男だった。

Dsc_9523

| | | コメント (0)

2026年1月19日 (月)

NHKBS「坂本龍一コンサート リマスター版」

2025年12月30日

「坂本龍一コンサート リマスター版」の第1部と第2部を視聴。

私が買った坂本龍一の最初のアルバムは「Beauty」であるが、その1つ前のアルバム(分量から行くとミニアルバムに近い)が「Neo Geo」であり、第1部はそれに含まれている曲が中心のコンサートである。
NHKBSの映像であるが、年号がまだ昭和表記である。62年7月19日(1987年7月19日)、NHKホールでの公演。

「Neo Geo」は続く「Beauty」同様、坂本龍一が沖縄の音楽に接近した時期の音楽である。
東京藝術大学で小泉文夫に師事した坂本は、民族音楽への造詣も深かった。
古謝美佐子(こじゃ・みさこ)、我如古順子(がねこ・よりこ)、玉城一美という今では沖縄歌謡の重鎮となっている3人を集めた「オキナワチャンズ」の歌が強烈である。
坂本は、「日本は単一民族国家と思われているが冗談じゃない」との思いから、沖縄の音楽を積極的に取り上げている。
「童神」の作者としても知られる古謝美佐子は、ネーネーズのメンバーとしても有名だったが、この時期にはまだネーネーズは結成されていない(1990年結成)。

坂本龍一は、オキナワチャンズのメンバーも連れたワールドツアーを行っているが、ベルリン公演の前にオキナワチャンズのメンバーの一人が、体調不良で出られないということで、スタッフの一人がそれを坂本に告げに行く。坂本は一人離れたところで煙草を吸っていた。「ああ、そう」といった風に首を縦に振っただけだったが、そこに至るまでの坂本の佇まいがひどく孤独に見えた。
坂本は天性のメロディーメーカーである。しかし、なぜ人に受けるメロディーを簡単に書くことが出来るのか、自分でも戸惑っていたようなところがある。
「ずっと考えていることなんですが、自分でできてしまうことと、ほんとにやりたいことというのが、どうも一致しない場合が多いんです。できてしまうから作っているのか、本当に作りたいから作っているのか、その境い目が、自分でもよくわからないんですね」(「sitesakamoto」内、1998年10月5日の日記)。
旧フェスティバルホールで行われた、「/05」コンサートでも坂本は、「energy flow」を弾いた後で、「全く悪くない。全く悪くないのですが、それほどですか?」と客席に問いかけている。オリコンチャートでインストゥルメンタル作品として初めて1位を獲得した「energy flow」(正式には「energy flow」を含むミニアルバム「裏BTTB」)。5分ぐらいで書いた曲で、おそらく坂本本人も気楽に作ったと思われる。それが受けるというのがよく分からないようだ。
ドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」でのアルゲリッチも彼女にしか出来ない演奏をするがなぜそうした演奏が出来るのか本人にも分からず、寂しそうな表情を浮かべる場面がある。
坂本龍一の孤独もそれに通ずるように見える。自分がよく分からないという感覚。苦労して作っても評価されなかった曲もあるのだからなおさらだ。


1曲目で奏でられるのは、坂本のピアノソロによる「BEFORE LONG」。シンプルながら聴き映えのする曲である。TOTOかどこかのCM曲にもなった。非常に短い曲だが、後にロングバージョンが作られる。

「Ballet Mechanic」は、まず岡田有希子に「WONDER TRIP LOVER」の名で提供された曲で、その後、自身で「Ballet Mechanic」をカバー。その後、中谷美紀に「クロニック・ラヴ」としても提供されるなど、教授お気に入りのナンバーだった。

「戦場のメリークリスマス」では、中国の箏奏者である姜小青が主旋律を奏でている。坂本龍一の著書である『Seldom Illegal』には、姜小青のことにも触れられており、文化大革命のただ中で幼少期から青春期を過ごしているが、「彼女、ピアノが弾けるのね。文化大革命の最中であってもピアノのレッスンを受けられる層がちゃんとあったんだ」と、文革を一方的なイメージで捉えるべきではないと示唆している。

坂本龍一は上下共に真っ赤なスーツ。日本人で赤いスーツを着こなせる人は余りいないと思われるが、やはり教授は絵になる。


「坂本龍一コンサート リマスター版」の第3部を観る。ピアノ:坂本龍一。大友直人指揮東京交響楽団の演奏。1988年4月9日と10日に渋谷区神南のNHKホールで行われた公演である。二胡:姜建華、琵琶:陶敬穎、箏:姜小青。
「SAKAMOTO PLAYS SAKAMOTO」のタイトルで、公演時には「オーケストラコンサート」とも呼ばれたようだが、ライブ音源をCDとして出すにあたり、「Playing the Orchestra」のタイトルが付けられ、以後、坂本龍一によるオーケストラコンサートは、「Playing the Orchestra」という名称で統一されるようになる。
ということで、後に「Playing the Orchestra」の第1回目となる公演は、映画「ラストエンペラー」の音楽と、「BEFORE LONG」のロングバージョン、「大航海」、そして「戦場のメリークリスマス」の音楽のオーケストラ版の3部構成となっている。

ベルナルト・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」に満州国のフィクサーである甘粕正彦役としてオファーを受けた坂本龍一。だが映画音楽を書く予定は当初はなかった。坂本龍一も「あるかな」と思いながら撮影も終わり、半年が過ぎた頃にベルトリッチから、「映画音楽を書いてくれ2週間で」と依頼があり、それまで中国音楽に関しては何の勉強もしていなかった坂本龍一は、「中国音楽全集」LP全10巻といったようなものを急いで手に入れて聴き、以降は2週間ほぼ不眠不休で作曲作業に励むことになる。2週間という締め切りに間に合わせ、誇りとしたそうだが、過労により体調を崩して入院。突発性難聴にもなったそうだ。
「ラストエンペラー」の音楽は、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡。スー・ツォン)との連名でアカデミー賞音楽賞を受賞。オスカー像を手にする。
オーケストレーションにまでは手が回らず、他人に任せているが、今回のコンサートでは誰のオーケストレーションなのかは判然としない。楽器編成に中国の伝統楽器が入っており、「メインテーマ」などはフォルテシモのまま終わるなど、オリジナルサウンドトラックの時と同じ要素が見受けられる。坂本龍一本人のオーケストレーションによる演奏は、冒頭で弦が揺れるような音運びを見せ、ラストはフォルテシモになってから少し音量を下げて終わる。他の曲も映画の時のオーケストレーションに近い。坂本龍一は、自作のオーケストレーションを狭間美帆や藤倉大などの若手音楽家に任せる場合があり、それほど自身のオーケストレーションには固執していないように思える。

当時、期待の若手指揮者だった大友直人。NHK交響楽団の定期演奏会に登場したり、NHK大河ドラマのオープニングテーマの指揮を任されたりと、NHKからも気に入られていたようである。指揮者にしては男前でファンクラブもあったはずだが、今はどうなのか分からない。ここでも自然体の音楽を作っているが、その後、指揮棒を手にしない機会が増え、フォルムで押すタイプの指揮者になるのだから分からない。ただ確執があったと思われる小澤征爾が亡くなり、大友の音楽性も少しずつ変化しつつある。アジアオーケストラウィークで京都市交響楽団を指揮した時には柔らかさが少し出ていた。
東京交響楽団は、東京の名を冠したまま、神奈川県川崎市のミューザ川崎コンサートホールを本拠地とし、ユベール・スダーンやジョナサン・ノットを音楽監督に迎えて、今まさに最盛期にあるが、この演奏会が行われたバブル期には、「手堅い」オーケストラと見なされていた。

CD「Playing the Orchestra」は、初出のものは手に入らず、再発のものを手に入れて聴いていた。ロングバージョンの「BEFORE LONG」を知ったのもCD「Playing the Orchestra」においてで、その後に楽譜を手に入れて全曲弾けるまで練習した。全て千葉時代のことで、京都に来てからはピアノを弾ける環境にないため、今弾けと言われても無理だと思うが。

「マンチューコー・パーティー」、「マンチューコー・ワルツ」など、印象的ながらオリジナルサウンドトラックに入っていない楽曲も含まれているため、「ラストエンペラー」という映画を愛する人には必携の音源となっている。ただもう誰かがYouTubeなどにアップしているかも知れない。

「戦場のメリークリスマス」のオリジナルサウンドトラックは、シンセサイザーと打ち込みで作られており、オーケストラとピアノ用に坂本龍一が改めて編曲している。

大友と東響の丁寧な演奏により楽曲を楽しむことが出来るが、今、2025年から2026年になろうとしている時代の日本のオーケストラが演奏したら遙かに細やか且つパワフルな演奏が成し遂げられるような気がする。坂本龍一本人は、もうその演奏を聴くことは出来ない訳だが。

アンコールとして、中国から来た3人の民族楽器奏者をメインとする「ラストエンペラー」メインテーマが演奏された。
その中の一人である姜建華は、日本で二胡をポピュラーな楽器にした立役者の一人で、日本で二胡を教えたりもしていた。京都でも何度かコンサートを行っているが、残念ながら巡り合わせが悪く、行けていない。

| | | コメント (0)

2026年1月 6日 (火)

これまでに観た映画より(422) 岩井俊二脚本・監督 松たか子初主演映画「四月物語」

2026年1月2日

岩井俊二脚本・監督作品「四月物語」を観る。1998年の作品。松たか子が、旭川から上京した女子大学生、楡野卯月(にれの・うづき)を演じており、彼女はこれが映画初主演作になる。松たか子は1977年生まれなので、当時、実際に大学生であったが、1年の内、休みが4日しかないという多忙な生活を送っており、大学にもほとんど通えず、4年目で中退している。一方、私もまだ大学生だった頃である。

私はロードショー時に、渋谷にあったシネアミューズという映画館で観ている。シネアミューズは文字通りアミューズの映画館であるが、上階のオフィスから絶えずコツコツというハイヒールで歩く足音が聞こえてくるという悪環境。ハイヒールで絶えず歩き回る仕事が何なのか分からなかったが、映画館側もクリームを入れてはいたようである。しかし、改善されないままであった。今はもうシネアミューズは存在しない。大小2つのスクリーンがあり、「四月物語」は大きい方のスクリーンで観ている。

先輩に恋した女子高生が、彼を追って東京へと出るというお話である。ファーストシーンで観る者を笑わせる仕掛けがある。

武蔵野大学というのが先輩が行き、卯月も入った大学の名前だが、1998年当時には、武蔵野大学という大学は存在しなかった。だがその後、西東京市にあった浄土真宗本願寺派の武蔵野女子大学が共学化して武蔵野大学となり、更に文学部しかなかった元小規模女子大が、毎年のように学部を増やし、女子も男子も志願者が増えて有明にもキャンパスを築き、「共学化して最も成功した大学」として知られるようになっている。卯月は東京の大学には疎いようで、「武蔵野って有名なの?」と友人に聞くが、友人も「結構、有名」と返しており、現在の武蔵野大学の状況と重なっていたりする。大学案内にさりげなく芝浦工業大学や上智大学などの実在の難関私大のページを入れているのも、あたかも武蔵野大学が実在するかのように見せる仕掛けとなっている。
実際のキャンパスの撮影は、入学式が東京都武蔵野市吉祥寺の成蹊大学(実際の入学式に紛れて撮影)、それ以外は栃木県小山市の白鷗大学で行われているようだ。全体的に、「東京都下での学生生活」といった雰囲気であり、23区内の大学生活とは大きく異なる。住所であるが、卯月が自転車を漕いで歩道橋を渡るときに「国立市」の文字が見える。国立市には国立の一橋大学があるも、有名な私立大学はほとんどないが、北の国分寺市に東京経済大学が、南の立川市に国立(くにたち)音楽大学があり、共にのんびりとした校風であるため、そうした大学をイメージするといいだろう。23区内の難関大学だとみんな図書館に籠もって資格の勉強をしていたりするので、この映画に出てくる大学とは雰囲気が大分異なる。

楡野卯月であるが、高校時代は学業成績は今ひとつで、どうしても先輩のいる武蔵野大学に行きたくて必死で勉強したタイプである。ただ地の部分は隠せないでちょっと抜けた感じである。また、「それちょっとまずいんじゃない?」ということもする癖がある。

「生きていた信長」という三流映画が掛かっている映画館で、卯月に近づいてくる怪しいサラリーマン風の男を演じていた俳優は、当時は無名に近かったが、その2年ほど後に、萩原聖人&中谷美紀主演の映画「カオス」で、「怖ろしくリアルな演技をする」俳優として注目を浴びるようになる。光石研である。

「生きていた信長」で、信長を演じていた江口洋介は、その後、大河ドラマで信長を演じることになる。

親元を離れ、初めての一人暮らし。不安だけど新しい生活が鮮やかに切り取られている。
松たか子も最近は自分の色を出した演技で自在感を増しているが、このときは100%役になるための楷書風の演技。現在の草書風の演技と比べてみるのも面白い。

当時の松たか子は、頬がふっくらした感じで、2年前(1996)の連続ドラマ「ロング・バケーション」でも、山口智子にそれをいじられるシーンがある。またカレーを作るシーンでは、松たか子が実際にカレーを作っており、メイキング番組では、余った分をスタッフが美味しそうに食べるシーンがある。

憧れの山崎先輩(田辺誠一)がアルバイトをしている書店、武蔵野堂の周辺は、日本風の街並みではないが、出来てまだ新しい、千葉市の幕張新都心の幕張ベイタウン・パティオスで撮られている。加藤和彦が現れる画廊の周辺も車止めの形が同じであることからやはり幕張新都心で撮られたことが分かる。加藤和彦の役名は「画廊の紳士・加藤」で何者かは分からない。画家に「先生」と呼びかけていること、スーツ姿であることなどから画家ではないと思われ、ロードショー時には「大学の先生か何かかな?」と思ったが、画廊の女性は、「加藤さん」と呼びかけており、いわゆる「先生」と呼ばれる職業ではないようだ。編集者だろうか? いずれにせよ加藤和彦のチャーミングでジェントルな一面が映っており、加藤和彦の追悼映画にこのシーンが取り上げられなかったのは残念である。

音楽はCLASSICとなっていたり、女性名義の作曲家になっていたりするが、その女性の名前で検索しても「四月物語」しか引っかからない。ということはペンネームということになる。そしてプロの作曲家にしては拙い作曲技法ということで、正体は岩井俊二監督である。岩井監督はその後、CMの音楽を手掛けたが、作風はそっくりで確定となった。
なお、ピアノは松たか子が弾いており、オリジナルサウンドトラック「四月のピアノ」も発売されている。

大学に入ったことのない人がどう思うのかは分からないが、大学に入ったばかりの四月のワクワクドキドキ、おそらく人生で最も晴れやかな四月を描いた愛らしい中編映画である。

| | | コメント (0)

2026年1月 4日 (日)

グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユースオーケストラ レナード・バーンスタイン 「ウエスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス

| | | コメント (0)

2025年12月28日 (日)

これまでに観た映画より(419) ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:Diaries」

2025年12月10日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto:Diaries」を観る。NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一最期の日々」でも使われた映像を中心に未公開映像などを加えて再編集したもの。監督:大森健生(おおもり・けんしょう)。朗読:田中泯。出演:坂本龍一ほか。

2023年3月28日に71歳で他界した坂本龍一。父は日本大学文学部(現在の文理学部)出身で、敏腕編集者の坂本一亀(かずき。あだ名は「いちかめ」さん)。帽子デザイナーであった母親の敬子も父親同様、日本大学出身という家に生まれており、東京芸術大学に受からなかったら、日本大学藝術学部に行こうかと考えたこともあるようだ。母親が日藝出身ということもあるが、高校時代から学生運動に参加していた坂本は、「学生運動では日大全共闘が一番ぶっ飛んでたからね」と語っており、音楽とは特に関係のない理由もあったようである。
だが、やはり親の影響はあるようで、自伝では、都立新宿高校時代の進路志望について、「まず『東大』と書く。続いて『芸大』と書く。最後に『日大』と書く」と明かしている。前2校と日大とは日藝とはいえブランドにかなり差がある。坂本一亀は厳父で龍一は父と口を利くこともほとんど出来なかったそうだが(死後に息子が出た雑誌などは全て買い、スクラップ収集していたことが分かる)、龍一はかなりのマザコンであることを隠そうとはしていないため、母親の母校に愛着を持っていたようだ。私も法政大学出身の父親の影響で、明治大学か法政大学に行きたいと思っていたので、親の影響は大きい。

坂本龍一が癌により、「余命半年」の宣告を受けたのはコロナ禍の最中である2020年12月11日のこと。坂本はその日の日記に、「死刑宣告だ」「俺の人生終わった」と書き記している。翌日は、生配信コンサートであった。私もリアルタイムでこのピアノコンサートを聴いており、特に変わったところは感じなかったが、このとき、坂本龍一は頭が真っ白で、なんとなく始まりなんとなく終わったという感じで、演奏の記憶がほとんどなかったということを後に語っている。坂本は主治医に「あと10年は音楽をやりたいので」と告げ、闘病生活に入った。

このとき、坂本龍一は長時間にわたるインタビューを何度も受けていた。自伝『音楽は自由にする』に続く第2弾の刊行を予定していたのだ。『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』いうタイトルで、映画音楽を担当した「シェルタリング・スカイ」でラストに登場する原作者のポール・ボウルズの語る言葉に由来している。そのため、「シェルタリング・スカイ」のテーマだけは、全曲、坂本のピアノ演奏姿が収められている。他にも有名曲はたくさん登場するが断片が多く、「シェルタリング・スカイ」だけは自伝のタイトルと密接に結びついているということで別格の扱いだ。ポール・ボウルズによる朗読も流れる。
坂本龍一は、いくつも著書を出しているが、自分で一から書くのではなく、インタビューを受けて、その中からライターに抜粋と再構成を依頼するというのが常である。多くが語り口調で書かれているのはそのためだ。このときには鈴木正文がインタビュアーを務めていた。

2019年。坂本はニューヨークの自宅の庭に古くなったピアノを運び出し、ピアノの音色と共に雨の音にも耳を澄ませた。ここから坂本龍一の自然音への傾倒が始まるのだが、病気が重いときには体力がないので音楽を聴くことが出来ないというのもその理由だった。YouTubeで雨音を何時間も聴き続けたりした。
坂本龍一というと、コンサート会場に武満徹弾劾のビラを撒きに行き、そこに武満徹が来て、「これ撒いたの君?」と聞かれた話が知られている。私はてっきり東京芸大から近く、武満ら日本現代音楽家の作品演奏がよく行われていた東京文化会館でのことだと思い込んでいたのだが、実際に初めてのビラは東京文化会館小ホールで撒かれている。だが実はビラ撒きは何度も行われていて、武満とやり取りを行ったのは長野県軽井沢町での音楽祭でのことだそうである。わざわざ軽井沢まで出向いたということになる。それほど武満が憎かったのか、暇だったのか分からないが、後年、作曲家となった坂本は武満と再会。武満は、「ああ、あの時の君ね」と坂本のことを覚えており、「君は作曲家として良い耳をしている」と称賛。坂本は「あの武満さんに褒められた」と有頂天になったことを明かしている(NHKスペシャル「武満徹の残したものは」)。その後、坂本は武満の作品に真正面から向かい合い、共感してもいくのだが、自然音を愛するという武満と同じ境地にたどり着いたことになる。ちなみに坂本のニューヨークの家の本棚には武満徹の著作集全5巻が並んでいた。

武満徹は、ポール・マッカートニーを理想の作曲家とし、メロディーメーカーを目指して作曲に取り組んだが、意に反して「響きの作曲家」として評価されることになる。独特の色彩美と清浄さを兼ねたメロディーがあり、ここから新たな地平が開けるのではないかと感じさせた「系図 若い人のための音楽詩」を発表したが翌年に死去した。
一方の坂本龍一は稀代のメロディーメーカーであり、ポピュラー楽曲や映画音楽で、一聴したら忘れられないほど印象的なメロディーをいくつも書いた。大ヒットした「energy flow」なども全く苦労することなく短時間で書き上げている。坂本はアンビエントミュージックも書いているが、やはり今後、新たな作風が生まれようかという時になって世を去ることになった。
あるいはそれが作曲家の宿命なのかも知れない。

癌克服のために坂本は様々な試みを行っている。
新潮新書から出た『世界が認めた和食の知恵 マクロビオティック物語』という食事法に感銘を受けた坂本は、新書の帯にメッセージを寄稿しているが、その後、「マクロビオティックさえ行っていれば健康になると思っていたら癌になってしまい、反省している」とも述べている。そのためか、食事療法のようなものは行っていない。日記にも「みかんが食べたい」「ショートケーキが食べたい」など、シンプルな記述があるのみだ。

坂本は「雲」を愛した。ドビュッシーの管弦楽曲「夜想曲」第1曲である。ピアノで冒頭を弾いて、「この浮遊感」と惚れ惚れとした表情を浮かべていたこともある。ドビュッシーの弦楽四重奏曲にも衝撃を受けた坂本は本気で「自分はドビュッシーの生まれ変わりかも知れない」と言って笑われたこともあるそうだ。坂本龍一は入院している病院の窓から見た雲についての記述も行っている。

手術を受けては、東京の白金に設けた仮の新居で作曲をする日々。日記のように綴られる音楽は、やがて「12」という12曲入りのアルバムとなり、これが坂本龍一の音源での遺作となった。無題未完成に終わった作品もいくつかある。

坂本龍一は、文字での日記も残しており、田中泯によって朗読されるが、小さなメモ帳に日付と短い文が書かれたもので、文学的なものではない。それこそメモと言った方が良いかも知れない。田中泯は淡々とした朗読を行う。俳優としてドラマティックに読むことも出来るはずだが、そうすると坂本龍一のものではなく田中泯のものになってしまう。ということで、朗読ではあるが、声よりも教授の書いた文字が観客に突きつけられるようなスタイルとなっている。

坂本龍一の死までの3年半という長い歳月が映像に収められているのは、次男(実子としては長男)が映像作家だから可能になったことである。飾らない態度で映っているのも息子がカメラを向けているからだ。余命宣告を受けてからの作曲家の活動を捉え続けた映像作品はほとんどない。その点でも貴重な作品といえる。

「教授」というあだ名で知られながら、教育活動にはほとんど関わってこなかった坂本龍一。芸大でも少しだけ教えたことがあったことが自伝に書かれているが、東日本大震災発生を受けて、自ら代表・音楽監督として組織した東北ユースオーケストラとの活動についての映像も登場する。東北ユースオーケストラと坂本龍一の活動は、NHKがドキュメンタリー番組として制作しているので、そちらに詳しいが、この映画でも東京・溜池山王のサントリーホールでの定期演奏会に顔を出した様子(このときにはもう演奏出来るだけの体力はない)や、死の前日に東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で行われた東北ユースオーケストラの演奏を病床でスマートフォンを観て確認する様が映されている。スマートフォンに向かいながら坂本は指揮を行っていた。タケミツホールとも呼ばれるこのホールでの演奏を見ることになるのも何かの因縁かも知れない。

作曲家の役割は当然ながら曲を作ることだが、東北ユースオーケストラのメンバーもまた坂本の創造物だろう。

NHKの503スタジオで、1日数曲ずつの収録を行い、自ら「これで最後」と語ったピアノコンサートを作り上げた坂本龍一。実際、これが演奏家としての最後の仕事となった。

病床で4人の子どもと語らった坂本龍一。次女(有名な人だが、「Last Days」同様、実名は出ない)に「幸せな人生だった」と坂本は語っている。

それを受けて、エンディングには「Happy End」が流れた。


2023年3月28日午前4時32分。雨の朝、東京に死す。

Dsc_9308

| | | コメント (0)

2025年11月23日 (日)

これまでに観た映画より(413) 「第三の男」

2025年11月17日

Amazon Prime Videoで、「第三の男」を観る。映画誌などの「歴代映画トップ10」などでたびたび1位に輝く名画である。原作:グレアム・グリーン。制作:デヴィッド・O・セルズニック。監督:キャロル・リード。出演:ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ(ヴァリ名義)、オーソン・ウェルズほか。音楽:アントン・カラス。俳優、演出、音楽等全てが高水準で「完璧映画」と称されることもある。

アントン・カラスがオーストリアの民族楽器、ツィターを使って奏でるテーマ音楽(ハリー・ライムのテーマ)は日本ではつとに有名で、ヱビスビールのCM曲となり、更にはJR恵比寿駅の発着音にも採用されている。

第二次大戦終了直後。連合国側(米、英、仏、ソ)による分離統治下にあったウィーンが舞台である。アメリカの三文西部劇小説家のホリー・マーティンス(ジョゼフ・コットン)は、ウィーンに住む親友、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)から、「良い仕事がある」と誘われ、ウィーンへとやって来る。しかし、その直前にハリーは交通事故で亡くなっていた。ハリーの死はアパートの管理人によってホリーに告げられるのだが、この構図が実に格好いい。そしてハリーの葬儀に出席したホリーは、イギリス軍のキャロウェイ少佐からハリーが横流しの売人だったと告げられる。

ハリーの葬儀に気が強そうだが美しい女性が一人。ハリーの恋人であったアンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)である。彼女はオーストリア人の舞台女優として活躍していたが、実際はチェコスロバキア国籍であり、そのことで強制送還させられるのではないかと不安を感じていた。

そして、事故現場に、「第三の男」がいたことが明らかになる。この「第三の男」の姿を探してホリーは奔走するが、やがて「第三の男」が姿を現す……。

 

中学校3年の時、民放の深夜で、ノーカット日本語字幕付きの映画が放送されることがあった。「第三の男」もそうした深夜放送映画の1本としてビデオ(まだVHS)に録画して観たのが始まりである。ミステリー仕立てである上にユーモアにも溢れ、映画史上最高を争うのに相応しく思っていたが、今日、この配信を観て、これまでノーカットだと思っていた民放深夜の放送版には数カ所カットがあったことが分かった。勿論、話の展開には関係のないところがカットされているのだが、騙されていた気分である。配信の時代となり、多くの作品が観られるようになった今日にあっては、民放深夜の映画放送はもう需要がないかも知れない。

ミステリー作品なので、ネタバレ出来ない部分も多いのだが、下水道での大立ち回り、そして、「映画史上、最も長い歩くだけのシーン」とも言われるラストシーンは必見である。

なお、原作者のグレアム・グリーンは別のラストを用意していた。高校に入り、図書室で『グレアム・グリーン全集』を見つけた私は、「第三の男」を読んでみた。グレアム・グリーンの名は、赤川次郎が目標とする推理作家として知っていた。グリーンは映画版を観て、「納得がいくわけではないが、映画版の方が上と認めざるを得ない」と評価していた。

| | | コメント (0)

2025年11月13日 (木)

追悼・仲代達矢 これまでに観た映画より(411) 市川崑監督作品「炎上」

2025年11月11日

追悼のため、FODレンタルで大映映画「炎上」を観る。三島由紀夫の『金閣寺』の映画化。しかし京都の仏教界から批判が相次ぎ、かなり妥協して作った作品である。1958年の制作。東京タワーが竣工し、長嶋茂雄が読売ジャイアンツに入団し、広上淳一と大友直人が生まれた年だ。

原作:三島由紀夫。監督:市川崑。脚本:和田夏十(わだ・なっと。市川崑夫人)。音楽:黛敏郎。出演:八代目市川雷蔵、二代目中村鴈治郎、仲代達矢、新珠三千代、北林谷栄、中村玉緒ほか。モノクローム作品である。

金閣寺の名は使えず、驟閣寺(しゅうかくじ)となった。ちなみに大谷大学も駄目なのか小谷大学になっているが、却って品格を落としているような気がする。
撮影は大映京都撮影所内で行われているが、大徳寺境内とおぼしき場所も映っている。驟閣は、大覚寺の大沢池の上に2階建てのセットとして建てられたが、色々制限もあったからかややチャチである。世にも美しい驟閣とは思えないのだが、当時の実際の金閣の方も(正式には鹿苑寺舎利殿)も金はすでに剥げ落ち、木の目が露わになった建物で、しかも足利義満が建てた建物に更に継ぎ足して建てられた部分があり、歴史的価で国宝となったが、もはや美しいとは言えない建物であった。現在の再建された金閣(舎利殿)であるが、足利義満が建てたときの図面や古写真によって、外観は往時のものより整った。だが、金箔は貼ってもすぐに剥げてしまう。修学旅行で訪れた高校の引率の先生が、「あれじゃ金閣じゃなくて黒閣だ」と言ったという有名な話もある。実際、私が子どもの頃の金閣は、金までも黒ずんで真っ黒という姿であった。その後、創建時の技法などが研究され、金箔を二重に貼る工法が考案されて、以後は金ピカの金閣となっている。禅寺があんな金ぴかで良いのかとも思うが、極楽の実相観のためということなのだろう。

空襲に備えて、道路の拡幅のために、家が壊されるシーンがあり、豪快な屋台崩しが行われる。御池通、五条通、東山通(現在の東大路通。信号などに記された交差地点の名称は今も東大路ではなく東山〈例:東山七条〉となっているものが多い)などで道路の拡幅が行われた。こうした京都の街の歴史は案外、知られていない。

なお、金閣寺こと北山(ほくぜん)鹿苑寺は臨済宗の本山ではなく、京都御苑と同志社大学今出川校地の北にある本山相国寺の境外塔頭である。銀閣寺こと東山(とうざん)慈照寺も相国寺の境外塔頭であり、共に拝観料を取るため、相国寺は京都で最も金持ちの寺院と言われている(相国寺は境内に立ち入るのは無料)。ただこの映画では驟閣寺は本山ということになっている。

原作と違い、主人公である溝口(市川雷蔵)の母親が京都まで来て居座るのだが、この母親を演じているのが北林谷栄であり、やはり演技のキレやリアルさは頭一つ抜けている。

文学で言う「意識の流れ」のような手法が溝口の父親や母親との思い出において用いられているのが特徴。

溝口がなぜ驟閣を燃やさなくてはならなかったのか、吃音持ちという生い立ちから、母親の不倫、京都に出て修行に入り、戦争を経験し(京都は、西陣、太秦、東山馬町を除いて大規模な空襲はなかったが、溝口は、東京出身の鶴川という友人が東京に帰って空襲に遭い、亡くなるという経験をしていた)、老師(中村鴈治郎)を始めとする僧侶達の女遊びなど、世間を知るうちに、穢れた世界にあって、驟閣は美しすぎると考え、他者に与える訳にはいかないと思ったのかも知れない。

仲代達矢が演じるのは、頭は良いがチョイ悪の身体障害者、戸刈(原作の柏木に相当)である。吃音の溝口同じく障害者であるが、脚が不自由な戸刈は自身の障害を見せることで、人の気を引く術を心得ていた。ニヒルな役を、仲代は生来の眼力の強さでエネルギッシュに演じている。

市川崑監督作品ということで、袖を襖の間に挟んで強引に引き抜くというシーンは当然ながらある。


黛敏郎の音楽は仏教で用いられる楽器や声明を巧みに音楽として取り入れ、涅槃交響曲へと繋がる。他にパーカッションなどが効果的に用いられている。
黛敏郎は、後年、ベルリン・ドイツ・オペラの委嘱により歌劇「金閣寺」を書いている。三島の『金閣寺』をオペラ化した作品で、二十世紀に日本人の手によって書かれた音楽作品の筆頭ともいえる傑作である。

| | | コメント (0)

2025年11月11日 (火)

武満徹 3つの映画音楽より第3曲「他人の顔」~ワルツ マリン・オルソップ指揮ボーンマス交響楽団

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD MOVIX京都 NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アップリンク京都 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ ギリシャ悲劇 グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コント コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント トーク番組 ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ポーランド映画 ミステリー ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロシア映画 ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇場 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 写真 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 宗教音楽 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本フィルハーモニー交響楽団 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 時代劇 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 講談 趣味 追悼 連続テレビ小説 邦楽 配信ドラマ 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 音楽番組 食品 飲料 香港映画