カテゴリー「邦楽」の35件の記事

2024年4月16日 (火)

楽興の時(46) 「古今東西 弦MEETING」2024.4.11

2024年4月11日 右京区西院のLIVE HOUSE GATTACAにて

午後6時30分過ぎから、西院にあるライブハウス「GATTACA」で、「古今東西 弦MEETING」のライブに接する。出演:尾辻優衣子(二胡)、戸田大地(ボーカル、エレキギター&アコースティックギター)、奥村由希(ボーカル&アコースティックギター)、津軽三味線itaru。

itaruさんは、現在、浄土宗の僧侶としても活動しているが、真宗大谷派の浄慶寺で行われていた仏教の勉強会で知り合いになっている。

尾辻&itaru組と、戸田&奥村組に分かれての演奏。

尾辻&itaru組は、第1曲として松任谷由実の「春よ、来い」を演奏する。二胡は単音しか弾けない楽器なので旋律を奏で、itaruの津軽三味線が合いの手を入れる。二胡が単音しか出せないということで、基本的にほとんどの楽曲でマイナスワンの音源(要はカラオケの伴奏)を用いての演奏が行われた。「今年は桜が遅くて、今の時期にピッタリの曲」と尾辻は述べる。
尾辻は、自作曲の「倖龍(こうりゅう)」(「四神相応」の四神を束ねる黄龍に由来する曲である。京都では学生団体によるよさこい踊りが盛んで、龍谷大学のよさこいサークルとコラボしたことのある曲だそうだ。この曲ではないが、尾辻は母校である同志社大学のよさこいサークルと共演したこともあるそうである)、「犬夜叉 時代(とき)を超える想い」、「朱雀 紫の花」を演奏。自作の「花紐解」では戸田大地のギターとデュオを行った。
itaruは、「アメイジング・グレイス~津軽あいや節」、津軽三味線の曲と言えばの「津軽じょんがら節」を演奏する。
「二胡と言えば」の曲である「賽馬」が最後に尾辻とitaruの二人で演奏された。

itaru、戸田、奥村の3人によるフラワーカンパニーズの「深夜高速」。SMBCのCMソングとして、岡崎体育、三浦透子、岸井ゆきの(英語バージョン)にカバーされている楽曲である。サビの「生きててよかった」は、コロナ禍を経て「生きていてよかった」に変更されたそうで、今日は戸田が「生きていてよかった」、奥村が「生きててよかった」の歌詞で歌う。


戸田&奥村組は、戸田が「ミルキーウェイ」、「平成ブルーバード」を弾き語りし、「侍ハリケーン」でitaruとのデュオも行う。
奥村由希と戸田大地の共演。戸田が、ザ・タイマーズの日本語版「デイ・ドリーム・ビリーバー」(後に忌野清志郎名義でも発表)のイントロを奏で、奥村が不快感を表す。奥村はセブンイレブンで長年アルバイトをしているようで(長いのでバイトリーダーになっているようである)、迷惑な客に対する不満を歌詞にした曲「711」を歌う。セブンイレブンのCMや店内で「デイ・ドリーム・ビリーバー」が流れているので、バイト先でのことを思い出してしまうようだ。
奥村は尾辻の二胡伴奏で、「月」という不倫をテーマにしたバラードも歌った。
最後は戸田と奥村の二人で、コロナの時期に作った「なんかせなあかんな」のデュオを行う。


座談会。奥村が尾辻に、「二胡で弾き語りすることはあるんですか?」と聞く。尾辻は「する人がいないことはないけれど、二胡自体が歌う楽器なので歌ってから弾いてまた歌って」ということで、同時に弾き語りをする人はほとんどいないようである。三味線も弾き語りは余りしないが、三味線の祖に当たる沖縄の三線は弾き語りのための楽器で、演奏者と歌い手の分業制である津軽三味線とはそこが決定的に違うとitaruは述べていた。
PAを務めた人は、今月からGATTACAに入ったばかりだそうで、二胡や三味線など、普段ライブハウスで使われることの少ない楽器の生音を聴いたのは今日が初めてだそうである。

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2024年4月10日 (水)

令和六年 第百五十回記念公演 都をどり「都をどり百五十回源氏物語舞扇」

2024年4月6日 祇園甲部歌舞練場にて

午後4時30分から、花見小路にある祇園甲部歌舞練場で、令和六年 第百五十回記念公演都をどり「都をどり百五十回源氏物語舞扇(げんじものがたりまいおうぎ)」を観る。タイトルに「都をどり」の文字が入るのは史上初めてのことだそうである。

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五花街筆頭格の祇園甲部の本拠地である祇園甲部歌舞練場であるが、耐震性に問題があるとして、平成28年10月から休館期間に入っていた。耐震工事に思いのほか手間取ったようで、その間は、京都芸術劇場春秋座や南座を借りて都をどりを続けてきたが、新型コロナの流行により2年連続で公演が中止になるなど、苦難が続いた。昨年、耐震工事を終えて久しぶりに祇園甲部歌舞練場で都をどりが上演され、今年が本拠地での復活2年目となる。

今年の大河ドラマ「光る君へ」の主人公が紫式部ということで、千年に渡って読み継がれてきた『源氏物語』を題材にした舞が多く披露される。
構成は、第一景「置歌」、第二景「多賀大社梅花香(たがたいしゃばいかのかおり)」、第三景「夕顔垣根納涼」、第四景「葵上」、第五景「須磨明石」、第六景「大原野神社紅葉彩(おおはらのじんじゃもみじのいろどり)」、第七景「雪景色鷺舞(ゆきげしきさぎのまい)」、第八景「歌舞練場桜揃(かぶれんじょうさくらぞろえ)」。紅白が対比される背景や衣装が多い。
曜日によるローテーション制で、今日は「三番」の第2組が出演する。立方は1組と同じだが、囃子と長唄、浄瑠璃の人員が異なる。

客席には比較的多くの外国人が詰めかけている。


「都をどりはー」「ヨーイヤサー」の掛け合いで始まる、浅葱色の衣装を纏った芸舞妓達による「置歌」。祇園甲部歌舞練場は花道が左右に1本ずつ、計2本あるのが特徴で、花道1本の春秋座や南座では不可能な対比の構図が出来上がる。

第二景では、今年の恵方である東北東にちなんで、都の東北東にある多賀大社が長寿の神ということもあって背景に選ばれたそうである。

『源氏物語』より「夕顔納涼」と「葵上」、「須磨明石」。このうち、光源氏が登場するのは「須磨明石」だけだが、「須磨明石」は昭和30年に谷崎潤一郎の監修、猪熊兼繁の構成・考証、吉井勇の作詞、山田抄太郎と富崎春昇の作曲によって制作されたもので、他の景とは少し趣が異なるようである。竜神が登場して雷を起こすのだが、多様な照明が用いられる。
「葵上」は能「葵上」を改作したもので、六条御息所の生き霊が能舞台にはないセリを使って現れる。

「大原野神社紅葉彩」。大原というと三千院や寂光院で有名な左京区の北寄りにある大原を思い起こしがちだが、大原野は大原とは全く別の現在の西京区にある地名で、大原野神社は桓武天皇の長岡京在位期間に奈良の春日大社から勧進された歴史ある社である。春日大社同様、藤原氏の氏神を祀る社で、藤原氏一族に女の子が生まれると、中宮、皇后の位を得られるよう一族で祈願に訪れたという。中宮彰子の行啓に従い、紫式部も彰子の父親である藤原道長らと共に大原野神社を参詣したことがあり、『源氏物語』にも大原野御幸の場面が存在する。

「鷺娘」に由来する「雪景色鷺舞」。白の衣装で統一した芸妓達が雪を背景に舞う。雪は吉兆、鷺は神の使いに例えられているそうである。

「歌舞練場桜揃」。祇園甲部歌舞練場と桜が背景となっている。祇園甲部歌舞練場は国登録有形文化財に指定されているため、勝手に改修は出来ず、内装にもなるべく元の部材を用いるようにしたそうである。なお、八坂女紅場学園の祇園女子技芸学校は新築され、小劇場も併設されるようになったそうである。
都をどりの繁栄と存続を願って、出演者総出による舞台と花道を使った舞が行われた。

念願の本拠地での150回記念公演ということもあり、芸舞妓の舞も総じて可憐で、京都の春を代表する催しとして恥じない出来となっていた。


祇園甲部歌舞練場の桜も満開だったが、より多くの桜の競演を求めて、帰りは花盛りの建仁寺の境内を横切って、大和大路から祇園四条駅へと向かった。

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2022年3月11日 (金)

観劇感想精選(430) 京都四條南座 「三月花形歌舞伎」(令和4年3月5日 午後の部)

2022年3月5日 京都四條南座にて

午後3時30分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」を観る。平成生まれの若手歌舞伎俳優を中心とした公演である。演目は、「番町皿屋敷」と「芋掘長者」。

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開演前に、中村壱太郎(かずたろう。成駒家)と中村隼人(萬屋)によるトークがある。
上村淳之デザインの緞帳が上がり、定式幕が下がる中、坂東巳之助の影アナに続いて上手から壱太郎が登場。「今日は土曜日ということでいつもより沢山のお客さんにお越し頂いております」といったような挨拶を行った後、「隼人君、早く出て来ないかなと思ってらっしゃる方も多いと思いますので(中村隼人はイケメン歌舞伎俳優として知られている)」中村隼人が呼ばれる。隼人は花道から登場。拍手が起こるので、隼人は手で更に盛り上げる仕草をして、「パン、パンパン、パン」という手拍子を誘う。

二人は番付(パンフレット)や公演グッズなどの説明を行う。隼人に「宣伝?」と言われた壱太郎は、「紹介」と直していた。
その後、写真撮影コーナーなどがあり、二人でポーズを決めていた。スマホで撮影される方は、電源を切るのではなく、マナーモード(バイブではなく呼び出し音オフ)にしておくのが良いと思われる。
そして二人は、「番町皿屋敷」が南座で上演されるのは51年ぶり(前回の上演は昭和46年8月、片岡孝夫=現・仁左衛門の青山播磨、坂東玉三郎のお菊)、「芋堀長者」に至っては70年ぶり(前回の上演は昭和27年12月、十七代目中村勘三郎の主演)であると紹介する。


「番町皿屋敷」。「半七捕物帖」などで知られる岡本綺堂が大正5(1916年)に書いた歌舞伎である。従来の怪談「番町皿屋敷」を恋愛物に解釈し直したという、当時としては意欲的な作品である。
午前の部と午後の部で配役が異なるが、午後の部の配役は、中村橋之助(青山播磨)、中村米吉(腰元お菊)、中村蝶紫(腰元お仙)、中村橋吾(用人柴田十太夫)、中村蝶一郎(奴権次)、中村歌之助(並木長吉)、坂東巳之助(放駒四郎兵衛)ほか。

旗本と町人が徒党を組んで争っているという、「ウエスト・サイド・ストーリー」のような設定の中、旗本の青山播磨は、腰元のお菊と身分違いの恋仲にある。播磨は旗本なので、当然ながら良い縁談に事欠かない。それがお菊には気がかりである。
そんな中、青山家では家宝である高麗焼きの皿を用いて水野十郎兵衛らを接待することとなる。家宝であるため、1枚でも割れば命はない。だが播磨の心の内を信じ切れないお菊は、わざと皿を割り、播磨が自分を許すかどうか試そうとする。だが意図的に割るところを、折悪しく同僚のお仙に目撃されていた。
お菊が皿を割ったことを、当然ながら播磨は許すが、お菊が皿をわざと割ったことを知り、自分に対する不信故に試そうとしたと悟るや態度を一変させる。自分のことを信じ切れていないということが許せなかったのである。播磨は一生涯掛けてもお菊以上の女には出会えないと知りつつ、お菊の行いを裏切りと感じ、手討ちにするのだった。

理屈では理解出来るが、共感は難しい展開である。旗本とその腰元という身分の違いがあり、この時代、主従関係は絶対ではあるが、それ以上に男女の格差というものが感じられる。「女は男より生まれながらに身分が低い」それが常識であってこそ成り立つ展開であり、今現在の価値観を持ってこの筋書きに心から納得するのは難しいだろう。身分差故の悲恋といえば悲恋だが、お菊の意志は一切尊重されていない。ただ、時代を感じるから上演しない方がいい、筋書きを変えようということではない。往時の世界観を知る上でも上演を行うことは大切だと思う。

やはり歌舞伎はキャリアがものをいうようで、声の通りが良くなったはずの南座であっても若手俳優達のセリフが聞き取りにくかったり、こなれていなかったり、間が妙だったりという傷は散見される。
そんな中で中村米吉の細やかな演技が光る。女声に近い声を発することの出来る女形だが、だんまりの場面や、皿を差し出す時の手の震えなど、セリフ以上に仕草で心理描写を行うことに長けている。将来の名女形の座は約束されたも同然である。


「芋堀長者」。こちらも大正7(1918)年という「番町皿屋敷」と同時期に書かれた作品である。岡村柿紅の作で、六世尾上菊五郎や七世坂東三津五郎らによって東京市村座で初演されている。大正期の上演は初演の時だけ、昭和に入ってからも僅かに3回と人気のない演目だったが、十代目坂東三津五郎がこの作品を気に入り、自らの振付で復活させている。
出演は、坂東巳之助(十代目坂東三津五郎の長男。芋堀藤五郎)、中村隼人(友達治六郎)、中村橋之助(魁兵馬)、中村歌之助(莵原左内)、中村歌女之丞(松ヶ枝家後室)、中村米吉(腰元松葉)、中村壱太郎(息女緑御前)。振付は、十代目坂東三津五郎、坂東三津弥。

松ヶ枝家の後室は、娘の緑御前に婿を取らせたいと思っているのだが、婿にするなら踊り上手が良いということで、歌合戦ならぬ踊合戦のようなものが行われることになる。
そんな中、緑御前に懸想する芋堀藤五郎も踊合戦に加わろうとするのだが、芋堀を家業としている藤五郎には踊りの素養は全くない。そこで舞を得意とする友人の治六郎と共に参内し、面を被ったまま踊るとして治六郎と入れ替わることにする。

まんまと成功する藤五郎と治六郎だが、緑御前に「直面で踊って欲しい」と言われたため、事態は一変。藤五郎は下手な人形遣いによる操り人形のような動きしか出来ず、緑御前達を訝らせる。治六郎が衝立の向こうで藤五郎にだけ見えるよう舞の見本を見せるのだが、舞ったことがないので上手くいく訳もない。緑御前の前で緊張したということにして、藤五郎は緑御前と連舞を行うことになるのだが……。

幼い頃から舞を行っている人達であるため、手足の動きの細やかさ、無駄のなさ、動作の淀みなさなどいずれも見事である。

コミカルな動きが笑いを誘うが、百姓ならではの舞も「荒事」に通じる豪快さがあり、それまでに舞われていた上方風のたおやかな舞との対比が生きていた。

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2022年1月10日 (月)

観劇感想精選(421) 野村万作卒寿記念公演「狂言ござる乃座」 in KYOTO 16th

2021年11月7日 左京区岡崎の京都観世会館にて

午後2時から、左京区岡崎の京都観世会館で、野村万作卒寿記念公演「狂言ござる乃座」 in KYOTO 16thを観る。

演目は、まず小舞が3つあり、野村裕基による「鮒(ふな)」、野村萬斎による「鐵輪(かなわ)」、野村万作による「住吉」が舞われる。

「鮒」は、琵琶湖を舞台とした舞で、「美物の数は多けれど中に異なる近江鮒の膾(なます)の味こそすぐれたれ」と訴える大きな鮒に小袖などが与えられ、鮒がいることの目出度さが語られる。

「鐵輪」は、貴船(きぶね)の貴船(きふね)神社が舞台であり、丑の刻参りを行おうとした女性が、安倍晴明が築いた結界によって境内に入れず、目に見えぬ鬼となって消えていくという物語である。この場面は、野村萬斎が安倍晴明を演じた映画「陰陽師」にも登場する。

「住吉」は、大阪の住吉大社が舞台となっている。海路の神である住吉大社から見た瀬戸内海の風情が称される。詞も短く、動きも大きくはないが、動中の静、静中の動を共に表現する必要があり、最も難しい舞の一つに数えられているそうである。


狂言の演目は、「縄綯(なわない)」と「孫聟(まごむこ)」であるが、その前に中村修一による解説がある。

中村は、「まだ解説にはなれていませんので」ということで説明書きを用意しての解説を行う。まず小舞が行われたことに関して、「狂言を観るのは今日が初めてという方もいらっしゃるかも知れませんが、『話が違う』『全然笑えない』と思われた方、大丈夫です。本編はこれからです」と言って、まず3つの小舞の解説を行う。

「縄綯」はタイトル通り縄を綯う話なのだが、中村が太郎冠者が縄を綯うようになるまでの過程を説明する。登場する主が博打狂いだという話をして、借金のカタとして太郎冠者まで取られてしまったという顛末を語る。ただそのまま身売りの話をしても太郎冠者は首を縦に振らないだろうということで、相手先に状を届けるということにして、太郎冠者を相手の家に向かわせる。ところが、借金のカタに取られたと知った太郎冠者はふてくされて、英語で言うボイコットを行う。山一つ向こうまで使いに言ってくれと頼むも、足を痛めているということで拒否。縄を綯(な)ってくれと頼むと、「縄など綯ったことがない」と言い出す。ところが、元の主人のところに新しい主が聞きに行ったところ、実は縄綯いは太郎冠者の特技だという。ということで、太郎冠者を元の主のところに戻し、新しい主が物陰に隠れて太郎冠者が縄綯いをするところと探っていると、太郎冠者は新しい主の悪口三昧。更には会ってもいない新しい主の奥さんや子どもの話をでっち上げて謗り始め……という内容であることを語る。

「狂言というのは、最初に『この辺りの者でござる』と言いますが、ありふれた人々が失敗をしてしまう話」という定義を語った後で、「『私、失敗しないので』でお馴染みの大門未知子の『ドクターX』。野村萬斎も出ております。是非ご覧下さい」と宣伝に繋げていた。

「孫聟」に関しては、「婿入りの話だが、今で言う婿入りではなく、聟が妻の実家に挨拶に行くこと」と解説。また、「おおじ」という言葉が出てくるが、これは「祖父」と書いて「おおじ」と読み、「王子、プリンスのことではありません」と語った。


野村裕基、萬斎、万作による三代の舞。裕基は若いだけに華があるが、同時に軽さもまだ出てしまう。若さが持つ諸刃の剣である。萬斎の仄暗さの表出、万作の泰然とした舞は見応えがある。


「縄綯」。出演は、野村萬斎(太郎冠者)、内藤連(主)、高野和憲(何某)。
野村萬斎演じる太郎冠者は、主の命令に現代人の口調で「はい??」と返すため、本来は舞台上と客席とでは時代が違うはずなのだが、萬斎だけが現代人の心情を持った人物として現れたような印象を受ける。観る側は、萬斎を「視座」として芝居を楽しめば良い。博打狂いで借金まみれ、家内の者をカタとして譲るような人物に仕えているということで、太郎冠者がブラック企業に不承不承勤めるサラリーマンのようにも見えてくる。そうした楽しみ方もありだろう。太郎冠者が現代に生きていたら、ネット上に上司の悪口を書きまくるのかも知れない。


「孫聟」。出演は、野村万作(祖父)、深田博治(舅)、飯田豪(太郎冠者)、野村裕基(聟)。野村万作と裕基が祖父と孫という、現実と同じ役割を演じる(祖父は劇中では母方の祖父である)。裕基は、「祖父にとても可愛がられている孫でござる」と言って笑いを取っていた。
「孫聟」は和泉流の専有曲で、聟と舅が口うるさい祖父がいない間に祝言を済ませようとするのだが、結局、祖父も孫が来ているということを知って祝言に参加し、自分の思い通りにことを進めようと何度も何度も同じことを口にし、舅がそれを食い止めようとこれまた同じことを繰り返すという、反復の妙が生きた作品である。

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2021年11月14日 (日)

コンサートの記(752) 「ALTI 民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」@京都府立府民ホールアルティ

2021年10月28日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて

午後6時から、京都府立府民ホールアルティで、「民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」という音楽会に接する。津軽三味線(itaru)、二胡(尾辻優依子)、馬頭琴&ホーミー(福井則之)、ヴァイオリン(提琴&ヴァイパー。大城淳博)に古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ(中野潔子)を加え、各国・各地域の音楽が奏でられる。

曲目は、「もみじ」(全員)、「津軽よされ節」(三味線)、「楓葉繚乱(ふうようりょうらん)」(三味線)、「ナラチメグ」(馬頭琴、提琴、ガンバ)、「蘇州夜曲」(二胡)、「灯影揺紅」(二胡)、「スーホの白い馬」(馬頭琴)、「ホーミー・ホルバー・アヤルゴー」(馬頭琴&ホーミー)、「こきりこ節」(三味線、二胡)、「だんじゅかりゆし」(提琴、ガンバ)、「久高万寿主/唐船どーい」(ヴァイパー)、「かごめかごめ」の即興演奏(三味線、提琴、ガンバ)、「牧羊姑娘」(二胡、馬頭琴)、即興演奏(馬頭琴、三味線)、「茉莉花」(二胡、提琴、ガンバ)、「アメイジンググレイス~津軽あいや節」(三味線)、「津軽じょんがら節」(三味線)、「良宵」(二胡)、「三門峡暢思曲」(二胡)、「ドンシャン・グーグー」(馬頭琴)、「白馬」(馬頭琴)、「月ぬ美(ちゅら)しゃ」(ヴァイパー、ガンバ)、「てぃんさぐぬ花/闘山羊」(提琴、ガンバ)、「賽馬」(全員)。

全席自由だが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンススタイルで、舞台席の上方、二階席と呼ばれる部分(一般的な二階席とは違う意味で使われている)は今日は関係者以外立ち入り禁止となっている。


ヴァイパーという楽器は、目にするのもその名を聞くのも初めてだが、アメリカで開発された6弦のエレキヴァイオリンで、日本では大城淳博が第一人者ということになるようである。

馬頭琴は演奏や曲を録音で聴いたことがあり、以前に訪れた浜松市楽器博物館では、「体験できる楽器」の中に馬頭琴(もどき)が含まれていたので、ちょっと音を出したこともあるのだが、演奏を生で聴くのは初めてかも知れない。

ホーミーは、今から30年ほど前に日本でも話題になったモンゴルの歌唱法である。低音の「ウィー」という声に倍音で中音域、高音域が重なるのが特徴となっている。坂本龍一の著書には、日本にホーミーを紹介したのは「いとうせいこう君」という記述があるが、これは本当かどうか分からない。坂本龍一は、日本で初めてラップを歌った人物もいとうせいこうであるとしている。


個人的なことを書かせて貰うと、民族音楽は比較的好きな方で、二十歳前後の頃にはキングレコードから出ている民族音楽シリーズのCDを何枚か買って楽しんでいた。「ウズベクの音楽」はかなり気に入った(HMVのサイトで、各曲の冒頭を聴くことが出来る)。
二胡は、姜建華が弾く坂本龍一の「ラストエンペラー」や、坂本龍一がアレンジしたサミュエル・バーバーの「アダージョ」を聴いて憧れ、キングレコードの民族楽器シリーズの中の1枚もよく聴いており、25歳の頃に先生について習い始めたのだが、色々と事情もあって3ヶ月でレッスンは終わってしまった。考えてみれば、二胡は単音しか出せない楽器なので、一人では「ラストエンペラー」を弾くことは出来ない。演劇を学ぶために京都に行く決意をしたのもこの頃ということもあり、以降は二胡とは疎遠になっている。

こうやって書いてみると、坂本龍一という音楽家の存在が私の中ではかなり大きいことが改めて分かってくる。ちなみに今日演奏された「てぃんさぐぬ花」も、初めて聴いたのは「BEAUTY」というアルバムに収められた坂本龍一編曲版であった。


客席に若い人が余りないのが残念であるが(親子連れはいた)、民族楽器が終結した演奏会を聴くという機会も余りないため、印象に残るものとなった。


福島則之の説明によると、馬頭琴は二弦からなる楽器であるが、一本の弦に馬の尻尾の毛100本ほどが束ねられているそうで、二弦と見せかけて実は二百弦という話をしていた。馬頭琴の音は人間の声に近い。西洋の楽器を含めて、これほど人間の声に近い音色を奏でる楽器は他に存在しないのではないだろうか。

ちなみに、弓の持ち方であるが、ヴァイオリンだけ上から掴むように持つオーバーハンドで、馬頭琴、二胡、ヴィオラ・ダ・ガンバは箸を持つように下から添えるアンダーハンドである。二胡とヴィオラ・ダ・ガンバは手首を返しながら左右に弓を動かすが、馬頭琴は二胡やヴィオラ・ダ・ガンバほどには弓を動かさないということもあってか、手首を固定したまま弾いている。

ヴィオラ・ダ・ガンバの、ガンバは「足」という意味で、両足で挟みながら演奏する。Jリーグのガンバ大阪も、フットボールの「フット」のイタリア語である「ガンバ」と、「頑張れ!」の「頑ば!」を掛けたチーム名である。
エンドピンのないチェロのようにも見え、ヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれた曲も現在はチェロで弾かれることが多いことから、「チェロの祖先」と思われがちだが、実際は違う体系に属する楽器であり、弦の数も6本が基本と、チェロよりも多い。


「茉莉花」は、中国の国民的歌謡で、第二の国歌的存在であり、アテネオリンピックや北京オリンピックでも流れて話題になっている。尾辻は、上海に短期留学したことがあるのだが、街角のスーパーや薬局などで「茉莉花」の編曲版が流れているのを普通に耳にしたそうで、中国人の生活に「茉莉花」という曲が根付いているのが分かる。

「良宵」は、二胡の独奏曲の中で間違いなく最も有名な曲であり、二胡奏者は全員この曲をレパートリーに入れているはずである。作曲した劉天華は、それまで京劇などの伴奏楽器でしかなかった二胡を一人で芸術的な独奏楽器の地位まで高めた人物であり、中国の民族音楽の向上に多大な貢献を行っているが、多忙が災いしたのか37歳の若さで他界している。
「良宵」は、元々のタイトルは「除夜小唱(大晦日の小唄)」というもので、大晦日の酒宴をしている時に浮かんだ曲とされる。尾辻によると、後半になるにつれて酔いが回ったような曲調として演奏する人もいるそうである。


アンコールとして、こちらは日本の国民的歌曲となっている「故郷」が独奏のリレーの形で演奏された。

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2021年10月21日 (木)

松本幸四郎・桂米團治特別出演 杵屋勝七郎主催「響の宴」@ロームシアター京都サウスホール

2021年10月17日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後5時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、「響の宴」を観る。本来は三味線の杵屋勝七郎の還暦を祝って、今年に2月に行われるはずの公演だったが、コロナによって延期。当初は、松本幸四郎、片岡愛之助、中村壱太郎、尾上右近ら歌舞伎俳優を招いて盛大に行われる予定だったが、歌舞伎俳優は毎日のように公演に出演しているため出演予定は一旦白紙に。ただ松本幸四郎だけは、襲名披露の時にお世話になったということで、「10月は芝居を休みます」と言ってくれたそうで、今回出演することになった。

そして、杵屋勝七郎とは20年来の付き合いだという桂米團治も「黒塚」の語りとして出演することになった。米團治はこの夏に公式YouTubeチャンネルを立ち上げたが、第1回ゲストが杵屋勝七郎だったという。米團治は今日、奈良で本番があったのだが、ロームシアターでの出番に間に合うよう、登場順を繰り上げて貰ったそうである。


演目は、「三番叟」、杵屋勝九郎襲名披露でもある「廓丹前」、「鷺娘」、「蜘蛛拍子舞」、「娘道成寺」(立方:井上安寿子、尾上京、花柳双子、若柳佑輝子)、「黒塚」(語り:桂米團治)、「流れ」(立方・振付:松本幸四郎)。なお、幸四郎は「蜘蛛拍子舞」では、藤舎呂照の名で立鼓を打った。

三味線は基本的には杵屋一門で構成されるが、「三番叟」では祇園甲部の小花が、「鷺娘」では先斗町のひづるが、いずれも紅一点として加わった。


「娘道成寺」で舞う4人は、京躍花(きょうようか)という団体名でも活動しているようである。苗字からも分かる通り、京都の五花街うち祇園東を除く四つの花街を代表する若手舞踊家で構成されている(井上流=祇園甲部、尾上流=先斗町、花柳流=上七軒、若柳流=宮川町)。なお、一つだけ入っていない祇園東の舞の流派は藤間流だが、松本幸四郎(本名:藤間照薫。ふじま・てるまさ)は、藤間流から分かれた松本流の家元で、名取名は松本錦升である。
京舞の振りはそれぞれ異なるので、折衷したものを舞っているようである。というよりそうしないとバラバラになってしまう。
私自身は観ていて楽しかったが、終演後の声を聞くと、やはり他流試合ということで不満を感じた人も多かったようである。


「黒塚」。舞台中央に高座がしつらえられ、桂米團治が上がって語る。まず本物の邦楽演奏を出囃子として貰った喜びを語る。ちなみに出囃子の「三下がり鞨鼓」は「娘道成寺」の曲だそうである。
「黒塚」は同名の能を原作とする作品で、市川猿之助の当たり役、というところから入るのだが、「黒塚」の前日譚である「安達ヶ原」の内容を語っていく。時は平安。京の公家に仕える岩手という美しい乳母がいた。彼女には娘が一人いたのだが、世話をしている姫が5歳になっても一言も喋らない。そこで占い師に見て貰ったところ、「妊婦の腹の中にある胎児の生き肝を飲ませば治る」という結果が出た。岩手は娘を京に残し、妊婦の生き肝を探して遠く陸奥に下る。
現在の福島県二本松市にある安達ヶ原で長の年月、岩屋に籠もっていた岩手のところにある日、若い夫婦がやって来る。妻の方は産気づいていた。岩手は絶好の機会と見て、夫が出掛けた隙に妻を殺害し、胎児の生き肝を手に入れるのだが、死に際に妻が発した言葉により、妻の正体が岩手の実の娘であったことが分かる。かくて岩手は発狂し、岩屋を訪れる旅人を殺害してはその肉を貪り食らうことになる。という話なのだが、
米團治「これじゃ能に出来ませんわな」
ということで、その後の話として能「黒塚」が作られ、それが歌舞伎や謡曲へと発展している。


米團治が退場し、三味線と長唄による「黒塚」。特別ゲストとして、箏の大石祥子と尺八の石川利光が参加する。
謡を聞き取るのに慣れておらず、しかも座席のシートの薄いロームシアター京都サウスホールで上演時間約1時間という長編の「黒塚」ということで、臀部の痛みと戦いながらの鑑賞となる。消耗戦となったが、冴え冴えとした邦楽の音色などは楽しむことが出来た。


松本幸四郎の振付・踊りによる「流れ」。幸四郎の長着の色は浅葱に近いが、「流れ」というタイトルなので、「水色」とするのが一番良いだろう。もっとも、流れるのは水だけではない。時間も人の心も流れる。
そんな「流れ」を表す幸四郎の淀みない動きを見ている内に、先ほどまで感じていた疲労がすっと抜けていくような不思議な感覚にとらわれる。まるで「神事」に接して身を清められたかのようだ。


千穐楽(カーテンコール)。まず杵屋勝七郎のコメントであるが、「もう還暦なので涙腺が(崩壊しそう)」「満員のお客さんの圧を感じるのは2年ぶり」ということで感慨ひとしおのようである。勝七郎が感激の余り落ちが付けられないと察した米團治が幸四郎に話を振る。幸四郎は、「伝統芸能は絶えることがない。そのことを(客席の)皆様に、なにより勝七郎さんに実感させられました」という内容の言葉を述べた。

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2021年8月 1日 (日)

観劇感想精選(405) 「坂東玉三郎 特別舞踊公演」南座七月(令和三年) 「口上」 地唄「雪」 地唄「鐘ヶ岬」

2021年7月24日 京都四條南座にて観劇

午後2時から、京都四條南座で、坂東玉三郎特別舞踊公演7月の回を観る。今日が初日である。

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まず口上があり、その後に地唄「雪」と「鐘ヶ岬」が上演される。

口上では、「本日はお暑い中、また状況の厳しい中、お足をお運び下さりありがとうございます」と述べ、今年の1月に大阪松竹座で口上を行った時に衣装の紹介をしたところ好評だったというので、今回もそれを行い、いつもより長くなるとの断りがある。舞台後方には上手から下手に向かって、春夏秋冬の景色を描いた金屏風が並んでいる。

玉三郎が初めて南座の舞台に立ったのは、昭和46年12月の顔見世興行においてであったが、50年前ということで今とは勝手が違い、上演時間も長い上に初日は押しに押しまくって、午後11時を過ぎたため、玉三郎が出演するはずだった「京人形」は上演されないまま終わってしまったそうである。
また京都は歌舞伎発祥の地、地唄の発祥の地ということで、南座で地唄を披露するのは今になっても「面映ゆい思いが致します」と語っていた。

紹介される衣装は、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」から乳母・政岡の打ち掛け、「壇浦兜軍記 阿古屋」より遊女・阿古屋の打ち掛けなどである。その他に傾城(遊女)を演じる時に使用した打ち掛けや、静御前を演った時の衣装なども紹介される。

阿古屋の打ち掛けは二代目だそうである。初代の打ち掛けは玉三郎独自のデザインであったが、現在の二代目は六代目中村歌右衛門が阿古屋を演じた時に用いていたものを引き継ぐ意匠となっているそうだ。阿古屋は景清(藤原氏の出身だが平家の武将として活躍)の思い人ということで、平家の家紋である揚羽蝶が描かれている。また、中国では最も華やかな花とされる牡丹が、裾を飾っている。ただ玉三郎は人から、「蝶々は牡丹を嫌う」という話を聞き、実際に牡丹の花を観察したことがあるのだが、本当に蝶々は牡丹を避けるそうである。

男勝りの政岡の打ち掛けは、「伽羅先代萩」が仙台伊達家のお家騒動である伊達騒動に取材した作品ということで、伊達家の家紋にある笹が用いられている。


地唄「雪」。振付:梅津貴昶。三絃・唄:富山清琴、箏:富山清仁。
ゆっくりとした動きと細やかな動きが、移ろう時の速さと儚さを表すが、逆に一瞬一瞬の美が映える。時というものを分解する美術だ。
ここに登場する女性に名はないが、大坂・南地の名妓だったソセキという人がモデルになっているそうで、歌詞にも「そせき」の名がさりげなく入っている。


地唄「鐘ヶ岬」。振付:二世藤間勘祖、舞台美術:山中隆成。三絃・唄:富山清琴、箏:富山清仁。
安珍と清姫を主人公とする「道成寺もの」の一つで、歌詞には鐘は出てこないが、玉三郎の口上によると、「京鹿子娘道成寺」を改作した「九州釣鐘岬」を短縮したものが「鐘ヶ岬」だそうである。
舞台背景は枝垂れ桜。舞台上手寄りに鐘が下がっているという舞台美術である。紙の桜が天井からひらひらを舞い落ちて積もり、清姫は床板の桜を足で散らしながら舞う。清姫は鐘に対する恨みを述べ、前半は安珍が僧侶ということで仏教の言葉が並ぶ。扇をクルクルと回し、衣装が黒から白に変わって後半、日本の有名な遊郭づくしである。
江戸の吉原、京の嶋原、伏見・墨染の撞木町(大石内蔵助が通ったことで有名である)、大坂・四つ橋筋の西にあった新町、奈良の木辻、九州・長崎の丸山と続く。
前半と後半の対比が見事であり、可憐さと同時に女の業と男の罪深さが、抑制されつつも漂う香のように静かに確実に観る者に伝わってくる。

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2021年7月27日 (火)

これまでに観た映画より(265) 京都シネマ 中村壱太郎×尾上右近 「ART歌舞伎」 中村壱太郎舞台挨拶付き

2021年7月19日 京都シネマにて

午後4時35分から、京都シネマで「ART歌舞伎」を観る。
中村壱太郎と尾上右近が、コロナ禍の中で作成した配信用作品。昨年の7月1日に東京・九段の靖国神社能楽堂で収録され、7月12日から期間限定で配信された。
本編(86分)上映後に、中村壱太郎出演による舞台挨拶がある。
「ART歌舞伎」は、まずポレポレ東中野で上映され、今日1日限定で大阪・シネマート心斎橋と京都シネマで上映される。

出演は、中村壱太郎、尾上右近、花柳源九郎、藤間涼太郎。演奏は、中井智弥(箏・二十五弦箏)、浅野祥(津軽三味線)、藤舎推峰(笛)、山部泰嗣(太鼓)、友𠮷鶴心(琵琶)。

「四神降臨」「五穀豊穣」「祈望祭事」「花のこゝろ」の4部からなり、「四神降臨」と「祈望祭事」は歌舞伎舞踊、「五穀豊穣」は三味線の謡、「花のこゝろ」は中村壱太郎が歌謡集『閑吟集』に出てくる言葉を選んでストーリーを組み立てた舞踊物語である。


「四神降臨」では、壱太郎、尾上右近、源九郎、涼太郎がそれぞれ四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)となり、舞踊を行う。玄武を受け持った尾上右近は黒の紋付きを着ていたが、他の演者は、顔の一部分に該当する色を入れていたり、背景のライトの色を変えたりすることで処理していた。

外は大雨で、雨音がマイクにも入っている。2020年7月1日は台風が近づいている日であったが、収録が行えるのはこの日しかないということで強行したそうである。ちなみにリハーサルも十分に行えない上に一発録り。カメラは7台用意したそうで、それでも上手くいかない場面があり、良く聴くと音楽が止まっていたり、よく見ると「あれ、ここなんか事故あったかな?」と分かる場面もあるそうだ。

「祈望祭事」では、藁が効果的に使われているが、たまたま靖国神社のそばで藁が手に入ったために使っているそうで、即興的要素も多いようである。

字幕入りの国際版での上映であるため、謡入りの「花のこゝろ」は英語での表現も気になる。
壱太郎は、白塗りの真ん中に日の丸を入れるというメイクである。壱太郎演じる女は、良き夫と子に恵まれ、幸せに過ごしていたが、突如として戦乱の世となり、夫は戦死、子は病死、自身は狂気にさいなまれ、遊女へと身をやつすことになる。
一方、尾上右近が演じるのは、「生涯を戦場(いくさば)にて過ごす若者」(英語字幕では、“Natural bone warrior”という凄い表現になっていた)。腕に覚えがあったが、朋に裏切られ、落ち武者となる。
そんな二人が巡り会うが、平穏が訪れる日を願いながら別れることになる。ちなみに西方浄土は、“Western Pure land”になるそうだ。

若者が去った後で、海兵の英霊(やはり尾上右近が演じている)が現れ、無用な戦をするなという意味のメッセージを女に伝える。
英霊というのは靖国神社に祀られている御霊のことだが、ここに登場する英霊は具体的には、『きけわだつみの声』の巻頭を飾ることになる遺書を残した上原良司だと思われる。上原良司は慶應義塾大学在学中に学徒出陣して戦死しているが、壱太郎による大学の先輩へのリスペクトということになるのかも知れない。


中村壱太郎による舞台挨拶。この後、午後6時45分からの回も観て欲しいため、壱太郎は色々と宣伝を行う。「うっとうしいのは僕の舞台挨拶を2回聴かないといけない」と冗談を言っていたが、壱太郎のファンなら2回聴けるのはむしろプレゼントだろう。
稽古は2週間ほど行えたが、本番は1日だけで、取り直しが利かない一発録り。「春のこゝろ」については半分ほどしか当日リハーサルが行えなかったそうである。

収録中も、「(尾上右近の)髪型がおかしいじゃない?」など、臨機応変に変えた部分も多いそうだ。なお、雨がやむ気配がなく、邦楽器は雨に弱くていつ故障が起こってもおかしくないということで、よく見ていると出演者の顔がどんどん青ざめていくのが分かるそうである。
配信用の収録であり、スクリーンでの上映は念頭に置いていなかったが、「映画館で上演するには録音が貧弱」ということで、音楽に関しては全て一から録音し直したそうである。なお、再録音したものはCD化されており、壱太郎が舞台挨拶の最後でグッズの一つとして紹介していた。「CDはちょっと」という人向けのダウンロード版も発売されているそうである。
なお、舞台での初演がすでに決まっており、岡山市で行われるそうである。

舞台挨拶中は写真撮影や録画は一切禁止であるが、舞台挨拶終了後に短い時間ではあるが、フォトセッションの時間が設けられており、壱太郎もこの時は、「何も喋らないんで」とマスクを外すファンサービスを行っていた。

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2021年6月30日 (水)

第28回京都五花街合同公演「都の賑い」@南座

2021年6月27日 京都四條南座にて

午後3時から、京都四條南座で第28回京都五花街合同公演「都の賑い」を観る。祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町、上七軒の5つの京都を代表する花街の芸妓舞妓が技を競う恒例行事なのだが、昨年は新型コロナウイルス流行のため、初めて中止となった。

なお、秋にはロームシアター京都サウスホールで「五花街の初秋」公演がある。平日のマチネーであるが、アーカイブ付きの有料オンライン配信も行われる予定である。

五花街の内、祇園東を除く四つの花街は、春に舞踊の公演を行うのだが、今年は宮川町の京おどりが規模を縮小して公演を行えただけで、他の花街は公演中止。祇園甲部は、代替公演として弥栄会館のギオンコーナーと八坂倶楽部で「春の雅」を行い、先斗町の鴨川をどりは収録されたものをオンライン配信している。

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出演と演目は、祇園甲部(井上流)が上方唄「蛍狩」で、出演は立方が、槇子、小愛、美帆子、市有里、小扇、紗矢佳。地方の唄が、小桃、幸苑、だん満、惠美乃。三味線が、だん佑、ます穂、君鶴、まほ璃。

持統天皇の、「春過ぎて夏来にけらし」の和歌を冒頭に置き、蛍狩りをする芸妓達が、蛍火にジリジリとした恋心を重ねる演目である。蛍籠、扇子、手ぬぐいを使って行われる舞で、何とも絵になる。しゃがんだまま回転するなど、足腰が強くないと出来ない舞が取り入れられているのも特徴である。


宮川町(若柳流)が演じるのは、清元「舟」。出演は立方が、富美祐、ふく佳。地方の浄瑠璃が、ふく葉、弥千穂、富美毬、美惠雛。三味線が、小扇、君有、ふく愛、とし真菜。

江戸・隅田川の渡舟の船頭と船頭を恋い慕う芸者の恋模様を描いた舞である。
隅田川の花火など、江戸の名物を織り込み、不安定な舟の上で、恋路が語られる粋な演目である。


祇園東(藤間流)が演じるのは、長唄「水仙丹前(すいせんたんぜん)」。出演は立方が、まりこ、つね有、叶和佳、雛佑。地方は唄が、美弥子、つね和、富津愈。三味線が、豊壽、満彩希、富多愛。

現在の野郎歌舞伎が発展する前の、若衆歌舞伎(同性愛の対象となったため江戸幕府により禁止になる)や遊女歌舞伎(風紀が乱れるというので幕府によって禁止になる)の粋な部分を再現した演目である。
容姿自慢の男女が、戯れを込めて舞い続ける華やかな作品となっている。


上七軒(花柳流)の演目は、長唄「菖蒲浴衣(あやめゆかた)」。出演は立方が、梅ぎく。地方は唄が、尚ひろ、尚絹、梅嘉。三味線が、里の助、市純、梅志づ。

菖蒲(あやめ)がタイトルに入る作品であるが、同じ漢字である菖蒲(しょうぶ)の方が重要となってくる。五月五日の端午の節句の菖蒲湯、菖蒲酒といった邪気払いの習慣をコロナ退散に掛けて演じられる。


先斗町(尾上流)の演目は、長唄「吉原雀」。江戸の吉原遊郭を舞台とする作品である。出演は立方が、市真芽、市笑。地方の唄が、豆千佳、市穂、久鈴、久桃。三味線が、もみ蝶、市菊、市乃、千鶴。

吉原で出会った遊客と遊女が名残を惜しむ様などが、桜の花と立ち並ぶ吉原の遊女屋を背景に演じられる。江戸を舞台としているだけに、京の雅とは違った気っぷの良さが感じられる舞となっていた。


五花街の舞妓による合同演目「舞妓の賑い」。長田幹彦作詞。佐々紅華作曲による「祇園小唄」がそれぞれの流派の舞で演じられる。出演は、宮川町から菊咲奈、とし七菜、とし菜実、ふく友梨。祇園東から満彩野、叶朋、叶千代、満彩尚。上七軒からふみ幸、勝貴、市すず、ふじ千代。先斗町から秀眞衣、秀芙美、秀千代、秀好。祇園甲部から豆珠、佳つ春、佳つ桃、豆沙弥。地方は唄が、小桃、幸苑、だん満、惠美乃。三味線が、だん佑、ます穂、君鶴、まほ璃。

最初のフォーメーションは、センターが宮川町、下手手前が上七軒、下手奥が祇園東、上手奥が先斗町、上手手前が祇園甲部で、「祇園恋しやだらりの帯よ」まで歌い終わったところで、時計回りに一つずつ場所を移って舞が続けられる。

踊りの流派が違い、振付も異なるため、同じ「祇園小唄」であっても各花街によって踊りはバラバラで、それが面白さとなっている。ラストの「祇園恋しやだらりの帯よ」の「帯よ」のところだけ振付が一緒であることが確認出来る。
2番の「夕涼み」という歌詞のところで祇園東が団扇を取り出して踊るなど、小道具を使うか使わないかといったところも異なっている。

フィナーレは、総出演による「京小唄」。まず舞妓達による舞があり、花道から退場した後で、芸妓達が出演時の格好で現れて舞を披露し、上手、下手、中央の客席にそれぞれ一礼して幕となる。「京小唄」も「祇園小唄」同様、京の春夏秋冬を描いた唄であり、4番とも「ホンに京都はええところ ホンマにぜひきておくれやっしゃ」で締められる。

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2021年6月27日 (日)

観劇感想精選(402) 市川海老蔵企画公演「いぶき、」@南座

2021年6月19日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で、市川海老蔵企画公演「いぶき、」を観る。といっても海老蔵が出る公演ではなく、コロナ禍によって若手歌舞伎俳優が舞台に立つ機会が激減してしまったことを憂いた海老蔵が企画した公演である。南座ではついこの間まで海老蔵主催の公演が行われており、「いぶき、」に出演する若手歌舞伎俳優達も帯同して、海老蔵の公演が終わった後の南座の舞台上で稽古をさせて貰っていたという。
タイトルの「いぶき、」の「、」には、「次に続くこと」、「歌舞伎の未来への継承」の意味が込められているという。

まず市川九團次による挨拶と作品解説があり、続いて「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」より“願絲縁苧環(ねがいのいとえにしのおだまき)”と“三笠山御殿”、そして「乗合船恵方万歳(のりあいぶねえほうまんざい)」が上演される。

九團次さんとは知り合いの知り合い、もしくは友人の友人という関係で、一度、バーで話したことがある。九團次さんが出演していた舞台「Honganji」のことを話したり、私は市川染五郎(現・二代目松本白鸚)の「野バラ咲く路」が歌えるのでうたってみたりした。


市川九團次の挨拶と作品解説。「妹背山婦女庭訓」の上演される段に至るまでのあらすじや人物紹介などを行い、全員が初役であることを告げる。

 

「妹背山婦女庭訓」は、飛鳥時代を舞台にした作品であるが、歌舞伎の演目の常として事実からは少し離れている。背景にあるのは藤原氏と蘇我氏の対立である。

私が子どもの頃には、645年に蘇我蝦夷を暗殺して成し遂げられたのが「大化の改新」と教わったが、今は蘇我入鹿暗殺は「乙巳の変」と呼ばれ、その後の「大化の改新」とは離して教えられるようである。
それはともかくとして、飛鳥時代に隆盛を極めた蘇我氏と、それを快く思っていなかった中臣氏(後に政に携わるようになった血統は藤原氏を名乗るようになる)の対立という史実がベースにある。ただ、蘇我入鹿が登場するのは史実とは異なり、天智天皇の時代ということになっている。

蘇我蝦夷は蘇我馬子の孫であるが、「妹背山婦女庭訓」では妖術を使う悪漢として登場する。蘇我入鹿の父親が蘇我蝦夷というのは史実通りであるが、蝦夷に子が出来ず、妻に白鹿の生き血を飲ませたところ子を宿し、超人的な能力を持つ入鹿が生まれたということになっている。入鹿の名もこの怪談由来とされている。実際には、祖父が馬子で孫が入鹿という名であることから察せられるように、飛鳥時代には動物の名を子どもに付けることが流行っていたのである。動物の名を付けることは、幕末の土佐でも流行り、坂本龍馬直柔(なおなり)の通称である龍馬も流行りに乗ったものである。キラキラネームというものがあることからも分かる通り、日本は命名が比較的自由な国なので、命名の流行りというものも存在する。

超人・蘇我入鹿を倒すためには、爪黒の鹿の生き血と疑着(執着、嫉妬)の相の女の生き血を混ぜたものを笛に入れて吹くという方法しかないので、疑着の相の女を探す、という話の骨子がある。

なお、史実では蘇我入鹿の時代の都は飛鳥に存在したが、「妹背山婦女庭訓」では、都が平城京に置かれていた時代に変更され、藤原氏の氏神で、この頃にはまだ存在していない春日大社が舞台になっていたりするが、全ては芝居の嘘であり、歴史考証的な事柄は大して意味がない。ただ由来については適宜解説していく。

まず鹿の話であるが、入鹿という名と、鹿が春日大社のお使いであるということに由来している。

 

“願絲縁苧環”(道行戀苧環)に登場するのは、入鹿の妹である橘姫(モデルは県犬養橘三千代であるが、彼女は実際には蘇我氏の娘ではない。演じるのは中村芝のぶ)、烏帽子折求女(もとめ)実は藤原淡海(たんかい。モデルは藤原不比等で、不比等の国風諡号である「淡海公」に由来。演じるのは大谷廣松)、杉酒屋娘のお三輪(中村児太郎)の3人である。

春日大社の鳥居前が舞台である(原作の人形浄瑠璃では、石上神宮の鳥居前となっている)。蘇我氏と藤原氏は対立しているが、橘姫と藤原淡海は互いの素性を知らずに恋仲になっている。一方、藤原淡海にはもう一人、男女の契りを結んだ相手がいる。杉酒屋の娘であるお三輪である。藤原淡海は烏帽子折職人の求女を名乗っていたため、お三輪は彼の正体が藤原氏の貴公子であり、身分違いの恋であるということを知らない。そのため、橘姫のことを責め始める。
険悪な雰囲気となったため、橘姫はその場を去るのだが、求女は橘姫の振袖に赤い苧環(おだまき)の糸を結びつけ、その糸を頼りに跡を追う。お三輪も求女の着物に白い苧環の糸を結びつけ、同じく跡を追おうとするのだが、白い糸は切れてしまう。

大和国が舞台ということで、大和ゆかりの様々な伝承が盛り込まれている。
まず、苧環でありが、これは大和・吉野で義経と別れた静御前の謡「しずやしず しずの苧環繰り返し 昔を今になすよしもがな」が元ネタである。この謡には更に元ネタとなる本歌があり、『伊勢物語』に載っている在原業平の歌「いにしへの倭文(しず)の苧環繰り返し 昔を今になすよしもがな」がそれである。苧環とは糸車(糸巻き)のことで、輪廻をも連想させる「繰り返し」に掛かる言葉であるが、同時に「糸し糸し」ということで「恋し恋し(戀し戀し)」にも繋がっている。
また、着物に糸を付けて、相手の行方をたどるというのは、「三輪山伝説」に由来する。お三輪という名なのはそのためである。

二組の悲恋の男女が登場し、「日本版ロミオとジュリエット」とも呼ばれる「妹背山婦女庭訓」。そのため、お三輪の憂いの表現が重要になるのだが、中村児太郎はきめ細やかな演技を披露。十分に合格点に達している。苧環の糸が切れたことを知った時の絶望の表情などは見事であった。

 

“三笠山御殿”。蘇我氏の館があったのは、飛鳥の甘樫丘であるが、舞台が平城京になっているため、三笠山(春日山)に変わっている。

橘姫が三笠山御殿に戻り、続いて苧環の糸をたどって求女(藤原淡海)が御殿に入ってくる。三笠御殿に戻ったことで橘姫が蘇我氏の娘であること悟った求女は、橘姫に「入鹿が盗んだ十握の剣を取り戻したら祝言を挙げよう」と約束する。

苧環の糸が切れてしまったお三輪だが、なんとか自力で三笠山御殿にたどり着く。そして、偶然出会った顔馴染みの豆腐買おむら(市川新蔵)から求女の正体と、二人が祝言を挙げようとしていることを明かされる。

自らを「賤(しず。ここでも静御前の謡が掛かっている)の女」と語るお三輪には、到底叶わぬ恋であるのだが、それでも一目求女に会いたいと屋敷に上がったところを、現れた女官達に散々になぶり者にされる。お三輪を一目で庶民と悟った女官達は、「到底無理」と分かっていながらお三輪に貴族階級の礼儀作法を真似るよう強要し、徹底していじめまくる。

かなり嫌な印象を受けるシーンであるが、これが漁師鱶七(ふかしち。正体は藤原鎌足の家来である金輪五郎今国。演じるのは市川九團次)に刀で胸を刺し貫かれてもお三輪が喜ぶ伏線となっている。身分違いを乗り越えても、お三輪にはいじめが待っているだけ、ならば疑着の相の女として生き血を入鹿追討に使われた方が求女こと藤原淡海のためとなる。犠牲の美しさへと繋がるのである。
お三輪は輪廻の苧環を手に、来世で求女こと淡海と夫婦になることを夢見ながら息絶える。

“三笠山御殿”でも中村児太郎の繊細な演技が見物で、初役とは思えないほどの好演となっていた。



「乗合船恵方万歳」。江戸の隅田川沿いが舞台である。ということで、常磐津節の浄瑠璃の太夫も『伊勢物語』に掛けた「都鳥」という言葉を歌う。

隅田川を渡り、岸に漕ぎ着けた船。女船頭(中村児太郎)以下、田舎侍(市川新蔵)、芸者(中村芝のぶ)、通人(市川新十郎)、白酒売(市川右若)、大工(市川升三郎)、子守(市川福太郎)の計7名は、数からも分かる通り、七福神に見立てられている。そこに三河萬歳の鶴太夫(市川九團次)と才造の亀吉(大谷廣松)が現れ、全員が芸を披露することになるという、華やかな演目である。

ストーリーらしいストーリーはない歌舞伎舞踊の演目であるが、皆、洒脱な感じもよく出ており、若々しさに溢れる上演となっていた。

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