観劇感想精選(505) 松竹創業百三十周年 京の年中行事 當る午歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露 夜の部
2025年12月8日 京都四條南座にて
午後4時30分から、京都四條南座で、松竹創業百三十周年 京の年中行事 當る午歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露 夜の部を観る。
例年とは異なり、ポスターには演目が書いてあるだけ、番付も菊五郎と菊之助の屋号である音羽屋の由来となった音羽山清水寺の本堂(清水の舞台)をリアルなタッチで描いた田渕俊夫の「京洛心象 冬詩」が表紙絵となっている。
演目は、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」、「口上」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」より“浜松屋見世先の場”と“稲瀬川勢揃いの場”、「三人形(みつにんぎょう)」
尾上菊之助に当てて書かれた弁天小僧菊之助が登場する白浪ものが入っているのが特徴である。
尾上菊五郎であるが、歌舞伎小屋で見た記憶がないので、芸を生で見るのは初めてかも知れない。連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」に登場する条映(東映京都撮影所がモデル)の時代劇スター、桃山剣之介の先代と当代を一人二役(キャラクターも芸も親子でそっくりなので二役に当たるのかは不明だが)で演じていたことが記憶に新しい。
新しい尾上菊之助は、まだ12歳。小学6年生で名跡を受け継ぐこととなった。
不思議なもので、歌舞伎役者は若い頃に苦労した方が伸び、楽しい青春を送った人が悲惨なことになることが多い。四代目市川猿之助などは若い頃に遊び放題、亀治郎から猿之助になってもセクハラし放題(彼はゲイなので相手は男である)で、才能は買われていたが、歌舞伎役者として戻ってくる可能性は極めて低く、市川猿之助という名跡も縁起が悪いのでもう継ぐ人がいない可能性もある。歌舞伎役者だったからかどうかは分からないが、2人殺しているのに執行猶予判決は出ている。
ただ苦労すれば良いというわけでは勿論ない。
市川中車(香川照之)の息子である市川團子も、当初は将来猿之助を継ぐ予定だったようだが(四代目猿之助はゲイなので結婚もしないし子どもも作らないと約束)、猿之助は避けて普通に市川段四郎を継ぐ可能性が高い。團子も明るい青春を送ったようだが(当代の染五郎は青山学院で初等部から高等部まで團子と同学年だったが、勉強が嫌いという理由で中退。團子だけが青山学院大学に進学している)、父親との関係が上手くいっていないという話もある。
かつて、「平成の三之助」と呼ばれた三人(市川新之助、尾上菊之助、尾上辰之助)のうち、菊之助だけが名を変えなかったが、これで平成の三之助も完全に過去のものとなった。市川新之助は海老蔵を経て團十郎を襲名。尾上辰之助はいち早く尾上松緑を名乗ったが、父親を早くに亡くしているため、七代目菊五郎に師事。封建的な歌舞伎の世界にあっては出世は難しいと思われ、大河ドラマ「葵 徳川三代」で徳川家光を演じたのも今後、大役に就くのは難しいからという制作側の配慮があったのかも知れない(尾上松緑本人は以後、映像作品への出演を全て断っている)。
「寿曽我対面」。「寿」の字が入っていることから分かるとおり、祝いの時に上演されることが多い演目である。仇討ちものといえばまず曾我兄弟と言われるほど知名度も高い。
工藤祐経(中村梅玉)の館が舞台。工藤氏は、日本の中でも良く知られた苗字で人数も多いが、伊藤氏(伊勢藤原ではなく伊豆藤原の方)、伊東氏(藤から東に変更)と同族である。建築を得意とし、木工頭の称号を得て、伊藤や伊東から工藤に変わる者が多かったようだ。その後、陸奥国(現在の青森県付近)から建築の仕事が多く舞い込んだため、移住する者も多く、現在でも工藤は青森県内最多の苗字となっている。工藤氏や伊豆系伊藤氏や伊東氏は庵木瓜という特徴ある家紋の家が多い。木瓜(もっこう)が建物の中に入っており、建築技術に秀でた一族であることを示している。今回の工藤祐経館も庵木瓜があちこちに貼られている。
祐経が富士の裾野で行われる巻き狩りの総奉行職に任じられたので、多くの大名が祝いのために工藤館を訪れている。この冒頭は、どこかシェイクスピアの「リア王」の冒頭に似ている。小林朝比奈(中村鴈治郎)が、かねてから祐経に会いたいと申し出ている若者が二人いると祐経に上申。祐経は会うことにする。現れたのは実父である河津三郎祐康を工藤に闇討ちされた曽我十郎祐成(片岡孝太郎)と曽我五郎時致(片岡愛之助)の兄弟である。
諸大名が兄弟を「礼儀を知らぬ者」と嘲る中、祐経は二人が河津三郎の息子であると見抜き……。
兄弟ではあるが、性格が少し異なる二人を描いている。松嶋屋の二人による曽我兄弟であるが、昨年は体調不良により顔見世への出演を見合わせた愛之助はまだ調子が戻っていないように見える。
菊之助が、菊若丸という相応しい名で現れ、名刀・友切丸(縁起の悪い名前である)を運んでくる役を演じていた。
「口上」。出演は、八代目尾上菊五郎(音羽屋)、六代目尾上菊之助(音羽屋)、片岡仁左衛門(松嶋屋)、中村鴈治郎(成駒家)、片岡愛之助(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、中村梅玉(高砂屋)、中村扇雀(成駒家)、片岡進之介(松嶋屋)、松本幸四郎(高麗屋)、中村勘九郎(中村屋)、中村七之助(中村屋)、中村歌六(播磨屋)。
仁左衛門の先導で、それぞれが口上や祝いを述べていく。菊五郎は、初代尾上菊五郎が京都の人であったこと、清水寺の音羽の滝にちなんで音羽屋を名乗ったことなどを述べる。舞台の下手側の斜め端には清水寺の本堂が、上手側の斜め端には音羽の滝が描かれている。
歌舞伎界ということで親戚が多く、また同世代も多いため、学生時代の話なども語られていた。ちなみに菊之助は青山学院出身だが、歌舞伎界には暁星学園出身者も多い。プロテスタントとカトリックの違いはあれど、ミッションスクールが多いのには訳があるのだろうか? ちなみに八打目菊五郎の世代だと青山学院大学の教養課程はまだ厚木キャンパスに置かれていたが、厚木に通っていては歌舞伎の稽古にも出演にも支障があるため、中退もやむなしであろう。市川團子が現在、青山学院大学に通っているが、今は1年から4年まで青山キャンパスに行くことになるので、歌舞伎との両立は可能である。他の大学中退の歌舞伎俳優も学業よりもキャンパスの遠さが理由になった人はいると思われる。
中村鴈治郎は、菊五郎よりも大分年上だが、菊五郎が企画し、蜷川幸雄が演出した「NINAGAWA十二夜」で菊五郎と共演し、ロンドン公演にも連れて行って貰ったことに今でも感謝しているそうである。
「弁天娘女男白浪」。河竹黙阿弥の作であり、弁天小僧菊之助は、尾上菊之助に当てて書かれている。「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まる歌舞伎史上屈指の有名ゼリフもこの作品のものである。元々のタイトルは「青砥稿紙花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」というものであるが、“浜松屋見世先”と“稲瀬川勢揃い”の抜粋上演をする際は、「弁天娘女男白浪」というタイトルになる。「白浪五人男」という別名でも有名だ。
鎌倉時代の鎌倉が舞台である(ということになっている)。“浜松屋見世先”の場。鎌倉雪の下(鎌倉の中では北の方)にある呉服屋、浜松屋。振袖姿の武家の娘と思われる女(菊五郎)が、若党の四十八(よそはち。中村勘九郎)を伴って浜松屋に入って来る。女は様々な品物を並べるが、番頭の与九郎(市村橘太郎)は女が緋鹿の子の小布を懐に忍ばせるのを見て万引きだと思い、店の者達で店を出ようとした女を引き戻し、番頭は算盤を女の額に打ち付ける。
しかし、女が手にしていたのは山形屋と書かれた別の小布であった。
騒ぎを聞きつけた若旦那の宗之助(中村鷹之資)は、店の者達と共に謝るが、四十八は女の正体が二階堂信濃守(鎌倉の雪の下の隣の地名が実は二階堂なのである。二階建ての本堂を持っていた永福寺〈ようふくじ〉が由来。地名で遊んでいるのが分かる)の家臣、早瀬主水の娘と明かし、濡れ衣を着せられた上に若い娘の額に傷を付けられたとあってはこのままでは帰れぬ、皆の首を取った上で切腹すると言い放つ。
鳶頭清二(坂東巳之助)がことを収めようとするが、上手く行かず、浜松屋の主である幸兵衛(中村歌六)が、十両で話を付けようとするが、四十八は百両を要求する。
そこへ、二階堂信濃守の家臣である玉島逸当(松本幸四郎)が現れ、二階堂信濃守の家中に早瀬主水という者はいないと断言。女は仕方なく自身が弁天小僧菊之助であることを、同じく四十八は南郷力丸であることを明かす。
「知らざあ言って聴かやしょう」のセリフは、音羽屋が本家である。本姓である「寺島」(女優の寺島しのぶは菊五郎の実姉である)が登場し、「菊之助」の名が語られる。以前、片岡愛之助の弁天小僧菊之助で同じセリフを聞いているが、趣は大きく異なる。菊五郎の方が現代的で節も抑えがちであり、愛之助はいかにも悪党がしゃあしゃあと語っているという感じだった。ちなみに語られる内容であるが、自己紹介である。それもかなりの駄目人間としての。なので情けない内容を格好つけて話している滑稽さが肝となるのだが、菊五郎の場合はそのままで格好いいので、格好いいのに駄目という残念さが加わるが、語りのスタイルとしてはスマートで外連のようなものは感じられない。本家の語りは代々このようなものなのかも知れない。
ちなみに玉島逸当の正体は、白浪五人男の首領、日本駄右衛門である。
番頭がなぜ弁天小僧の顔面に算盤を振り下ろしたのかは不明。振り下ろした時点では相手が男だとも正体が弁天小僧だとも分かっていなかったはずだが、女性の顔に傷を作ってしまったら何を言われるか分からないのは江戸時代だろうと鎌倉時代だろうと現代だろうと変わらないはずだが。傷さえ付けなければ悪党どもに吹っかけられることもなかったはずである。
“稲瀬川勢揃い”の場。白浪五人男が一人ずつ花道から舞台へと向かう。稲瀬川は、鎌倉を流れる短く小さな川だが、ここでは現実の稲瀬川でなく、江戸の隅田川が稲瀬川になぞらえられている。隅田川は今も東京23区内を流れる川としては荒川などの次に川幅が広いが、今の荒川は放水路で、江戸時代までの隅田川は荒川の水量も合わせた、今の倍ほどの川幅を持つ大河であった(荒川の下流の別名が隅田川。長江と揚子江のような関係である)。
登場するのは、弁天小僧菊之助、忠信利平(片岡愛之助)、赤星十三郎(中村七之助)、南郷力丸、日本駄右衛門。「志ら浪」の文字の入った番傘を差している。
捕り方が大勢現れ、大乱闘の内に五人男が見得を切り、幕となる。
女形として人気が出た七之助は。ここでも上品な美貌の盗賊という女形の持ち味を生かしたキャラ付けを行っていた。
「三人形」。江戸の新吉原仲之町。奴(坂東巳之助)、傾城(中村壱太郎)、若衆(中村隼人)の3人が、それぞれのスタイルで舞い始める。
常磐津が遊郭の歴史を歌っていく。弓削道鏡が勅命を受けて遊郭を築いたそうである。ちなみに遊郭という言葉の由来も語られるが、嘘である。
なお、弓削道鏡が遊郭を作った話も、道鏡の一物がかなり立派だったという俗説から来ていると思われる。
若手トップランクの女形である中村壱太郎(かずたろう。成駒家。彼は「女方」表記の方を好むようである)の細やかな仕草が更に洗練度を増しているのが感じられた。




























































































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