カテゴリー「能・狂言」の39件の記事

2020年6月 9日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part11 三笑会」(文字のみ。アーカイブへのリンクはあり)

2020年6月7日

午後2時から、茂山千五郎家の「YouTubeで逢いましょう! part11 三笑会」を観る。狂言も他の伝統芸能同様、血縁関係による一門が基本となるが、狂言の家に生まれなくても狂言方になる方法も歌舞伎などと同様にあり、東京の場合は国立能楽堂の養成所を経るのが一般的だが、今回のメインとなる三笑会を結成している3人は狂言大蔵流茂山千五郎家に直弟子として入門し、今日に至っている。

三笑会は、茂山千五郎家の血縁ではない網谷正美、丸石やすし、松本薫の3人によって結成された狂言の会である。全員が大卒という共通点がある。

先週から投げ銭制度が採用された「YouTubeで逢いましょう!」。今日も日付に合わせた607円を投げ入れる。千五郎に掛けた1056円や、千作に掛けた1039円を送る人もいる。

 

演目は、「竹生島参」、「水掛聟」、「かけとり」

 

「竹生島参」。出演は、茂山千五郎(主人)、松本薫(太郎冠者)

太郎冠者が今でいう無断欠勤したので、主人は激怒。戻っていた太郎冠者を難詰するのだが、太郎冠者は琵琶湖に浮かぶ「竹生島参」をしたというので、主は興味津々。折檻を加えるはずが、竹生島の話をすれば許すということにする。竹生島は、相模国(今の神奈川県の大半)の江ノ島、安芸国(今の広島県の西側)の厳島と並んで日本三大辯才天の一つであり、芸能の神様(仏様)ということで狂言の家にとっては特別な存在である。

太郎冠者は、竹生島では、スズメが「チチチチチ、父」とカラスに向かって鳴き、カラスが「コカー、子かー」と鳴く「親子でこざる」などと駄洒落を言い、犬が「去ぬ(いぬ)」、猿が「去る」、蛙が「帰る」という掛詞を続けるが、「くちなわ(蛇)」に関しては下らないことしか言えず、主人に怒られるという話である。
オチはないとされるが、辯才天は蛇との関連が深いため、本来は蛇に関してだけは上手いことをいえないとまずいということなのだと思われる。

 

上演終了後、司会進行役の茂山逸平と松本薫のトークがある。
松本は立命館大学入学以降、能と狂言の鑑賞にはまり、自分でチケットを買って、京都や大阪の能楽堂に通うという生活を送っていたそうだが、当時は学生は祖父や狂言サークルなどの人に貰ったチケットで観に来るのが普通であり、狂言サークルなどに入っているわけでもないのに自分で窓口でチケットを買って毎週のように観に来る松本はかなり珍しい存在だったそうで、松本本人は自覚していなかったが、関西の狂言界ではかなり有名な客として知られていたそうである。

京都能楽鑑賞協会という団体の公演ポスターを見つけたのがきっかけで、左京区岡崎にある京都観世会館に出掛けて「安宅」を鑑賞。セリフはよくわからないが、興味を覚えて、1年間は能・狂言の公演に通おうと決めたそうである。それから京都の市民狂言会、その時は京都会館第2ホール(現在は改修されてロームシアター京都サウスホールになっている)での上演だったのだが、2階席で観て十二世(先々代)茂山千五郎に魅せられて、「この人の追っかけをしよう」と決めたそうである。

そして大阪で大阪能楽鑑賞会主催による劇評家の武智鉄二などによる能・狂言の講演が開かれるということで裏方として潜り込ませてもらい、日本装束研究家の切畑健から十二世茂山千五郎を紹介されて、会いに行ったらもう入門するということになっていたそうである。

 

「水掛け聟」。出演:茂山千之丞(聟)、網谷正美(舅)、山下守之(女房)

農民(耕作人)階級の人々が登場人物。
日照りにより聟の田から水が涸れてしまった。ただ隣の舅の田を見ると水が満ち満ちている。舅がこの様を見たら聟の田に水を送るだろうと勝手に決めた聟は、畦を切って自分の田に水を引き入れてしまう(まさに「我田引水」である)。
聟が去った後、舅がやって来て、今度は自分の田には水がなく、聟の田が青々としているのを見て、同じ理屈で自分の田に水を戻してしまう。

舅はその場に隠れ、聟が戻って来て先ほどと同じ事を始めたのを見咎め、水を掛けあう大喧嘩に発展する。

 

網谷正美のトーク。網谷正美は京都大学卒業後、同志社高校などで国語の教師をしており、兼業という形で狂言師を続けてきた。大学在学中に市民狂言会で初めて狂言に出会い、京都学生狂言研究会(KGKK)という狂言サークルに入って八坂神社の能舞台で初舞台を踏む。大学を卒業後すると同時に学校の国語教師となるのだが、当時、茂山千五郎家が病気などで人が足りないということで、入門することになったようである。

 

「かけとり」。茂山逸平作の落語を原作とした現代狂言である。出演は、鈴木実(太郎)、茂山茂(女房)、丸石やすし(大家)、茂山宗彦(もとひこ。酒屋)。エア囃子:島田洋海(ひろみ)。

大つごもりということで、借金を返したりするのに忙しい。家賃も全然払っていないため、太郎と女房は窮するのだが、大家が能好きということで、能を謡って誤魔化そうとする。
太郎はいきなり能楽師の振りをしながら大家の前に現れる。大家は太郎の企みを瞬時に見抜くのだが、結局、能のやり取りをして、うちよりもまず「一門の総帥である千五郎が、そばのそば屋でそばすすっている」ので先に取り立てに行けという太郎の言葉に乗せられるという、謎の展開になる。

その後、酒屋も取り立てに現れるのだが、沢田研二の「TOKIO」ならぬ「TSUKEO」を歌っている。酒屋のモッピー(宗彦)は最近、ジュリー殿と仲が良いので真似をしているのだという。ということで「勝手にしやがれ」の替え歌を太郎と酒屋とで歌い始め、「出て行ってくれ」と歌われた酒屋が「あーあー」歌いながら帰っていくという、カオス状態となって終わる。

ちなみに逸平によるとジュリーファンからの苦情は一切受け付けていないそうである(?)

 

丸石やすしは広島出身。ということで茂山千五郎一門の中で唯一のカープファンである。広島商科大学(現・広島修道大学)卒業後、東洋工業(現・マツダ。広島東洋カープの東洋である)に総務として就職するが、元々芸人志望だったということもあって勤め人が水に合わずに退社。その後、落語家や芸人を目指して桂米朝の追っかけなどをしていたが、狂言を初めて観て面白さに目覚め、当時は茂山千五郎家の電話番号が本名で電話帳に載っていたため、電話しところ、大阪能楽鑑賞会で講座をやるから、それを観てやる気があるなら弟子入りを許可するので観世会館に来いといわれて、入門したそうである。

 

アーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=88819Q8kdoE

 

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2020年5月26日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part9」(文字のみ。アーカイブへのリンクはあり)

2020年5月24日

午後2時から、茂山千五郎家による「YouTubeで逢いましょう! part9」を視聴。今回は今や梨園を代表する女形となった中村壱太郎(かずたろう)。以前、京都芸術センターで行われた壱太郎のトークイベントを見に出掛けたことがあるが、壱太郎自身は女形よりも女方表記を好んでいるようである。

若手人気歌舞伎俳優が出演するということで、視聴者はいつもの倍となる。そのためかどうかはわからないが今日は回線が不安定であり、茂山千五郎家の科学技術庁長官こと茂山茂は大忙しとなる。茂山茂は京都コンピュータ学院出身で、IT関係のスペシャリストであるが、茂山千五郎家には茂以外にその手の分野に詳しい人は皆無であるため、茂におんぶに抱っことならざるを得ない。


動きがカクカクして見えるが、狂言「茶壺」が上演される。出演:茂山茂(すっぱ)、茂山宗彦(もとひこ。中国方の者)、鈴木実(目代)。
中国方の者(中国地方出身の者という意味だと思われる)が栂尾まで買い物に出掛けた帰り、酒にしたたか酔って、茶壺を背負ったまま道の真ん中で眠ってしまう。そこに現れたすっぱは、茶壺をものにすべく、肩紐を掛けて眠る。中国方の者が目覚めたところですっぱは、茶壺は自分のものだと主張、中国方の者を盗人だと決めつける。そこで目代に茶壺が誰のものか判定して貰うことにするのだが……。

歌舞伎でも「茶壺」は演目に入っているのだが、結末が異なるようである。
すっぱは、とにかく記憶力が良く、舞なども巧みで、すっぱなどやらずともあらゆる分野で活躍出来そうではある。

映像は最初からコマ送りのようであり、古い時代の映画を観ているようで、これはこれで趣があるものだったのだが、すっぱと中国方の者と目代とでやり合っている間に映像が完全に止まってしまう。直すことが唯一出来る茂は舞台の上、ということで、いったん演目を中断し、茂が色々と工夫して直す。その間、茂山千五郎家の人々がトークで繋ぐ。ちなみに京都府は緊急事態が解除になったため、今日は至近距離で会話を交わすことが出来る。

その後、再開し、無事やり遂げる。ちなみに茂は映像が止まったということには気づいていて、演じている間もどうやったら再開出来るか考え続けていたそうだ。

ということで予定時間より15分ほど押すことになる。

 

続く狂言の演目は、有名作「棒縛」。出演、茂山千五郎(太郎冠者)、島田洋海(ひろみ。次郎冠者)、井口竜也(主人)。

島田洋海が「是非、次郎冠者をやってみたい」というので行われる演目である。チャットでは茂山千之丞(童司)が「棒縛」の裏話などを教えてくれる。

 

中村壱太郎へは、狂言にまつわるクイズが千之丞から出題される。同じ演目を行うこともある狂言と歌舞伎だが、中村壱太郎はかなりの苦戦。能舞台の背後にある松の絵が描かれたものをなんというか(正解は「鏡板」)、今ある狂言の流派は大蔵流と何流?(正解は「和泉流」)という比較的簡単な問題にも正解出来ず、「やっちまった」状態。和泉流でなく「井上流」と答えたときにはコメントが総ツッコミ状態となる。「関係者が見てるんで、もう狂言(が元)の奴(歌舞伎の演目)させて貰えないと思います」と語っていた。

洒落にならないかも。

慶應ボーイなのでクイズ番組から出演のオファーがあってもおかしくないが、絶対に断った方がいいレベルである。

 

アーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=zPRYN5WUleg&t=7264s

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2020年5月19日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part8 リモート狂言Ⅲ」(文字のみ。アーカイブへのリンクあり)

2020年5月17日

午後2時から茂山千五郎家によるWebLive配信「YouTubeで逢いましょう! part8 リモート狂言Ⅲ」を観る。
今日は冒頭から進行役を務める茂山逸平のパソコンに配信動画が映らないため視聴者からのコメントも読めないというハプニングがあり、茂山千五郎家のIT担当である茂山茂が直すという場面が見られた。ちなみに茂山茂は「長官」と呼ばれている様である。

今回は、清水寺の大西英玄執事補がゲストとして参加。ちなみに清水寺は前年に比べると参拝者が95%減となっているそうである。この大西英玄氏の法話というほど本格的ではないが、清水寺の歴史や、自身の得度の体験、北観音と呼ばれた清水寺に対する南観音(観世音)こと長谷寺が、能の観世流の由来となっているといったお話が面白くてためになるというので、茂山千五郎家からもチャットのコメントからも大好評であった。ちなみに大西氏は清水寺のIT関係も受け持っているようで、検索すると、「清水寺のホームページのアクセス解析を行ったところ、アクセスや拝観時間などのページしか見られていないことがわかった」ため、これではいけないということでインスタグラムを開設して画像や映像の配信を行い、好評であるという。

 

演目は、清水寺ゆかりの「吹取(ふきとり)」が演じられる。清水寺参詣の場が加わった特別編での上演である。

いい年だが独身の男性が、清水寺の観音に妻乞いを行う。通夜(夜通し念じること)をしていると、五条の橋で月に向かって笛を吹けば妻を与えようと観音からの託宣(でいいのかな?)を受けることになる。しかし、男は笛が吹けず……。
出演:茂山千五郎、島田洋海(ひろみ)、山下守之。

笛が吹けない男(茂山千五郎)は、笛の上手(島田洋海)が知り合いにいるので代わりに笛を吹いて貰うことにする。五条の橋(今の五条大橋ではなく、松原大橋である)で笛を吹いて貰うと、果たして妻(山下守之)が現れるのだが、妻は笛の上手を夫と見做してしまう。妻乞いをした男はなんとか妻に振り向いて貰うのだが……。
なんで今まで妻がいなかったのか、なんとなく察せられる内容となっている。

 

太郎冠者と次郎冠者が顔を合わせない演目が一つだけあるという。「樋の酒」という演目であるが、今では廃曲になっているという。だが、茂山逸平が、これはリモート狂言にピッタリだと思いついたということで演じられることになる。

太郎冠者の茂山宗彦(もとひこ)が茂山家の稽古場の能舞台で演じ、次郎冠者の茂山千之丞(茂山童司)と主人役の井口竜也がぞれぞれZoomを使って自室から演目に加わるというリモート上演。

「棒縛」と同じ趣向であるが、「樋の酒」では太郎冠者と次郎冠者がそれぞれ別の蔵に監禁される。次郎冠者は酒蔵に閉じ込められるのだが、これは主人から下戸だと思い込まれているためで、太郎冠者が留守の間に酒を飲んでしまわないようにとの措置である。だが、次郎冠者は実際は「酒豪」と呼んでいいほどの酒好き。ということでガブガブ飲み始め、樋を使って太郎冠者にも酒を与える。上機嫌の二人は舞い始め、という内容である。「Zoom飲み会に見えてきた」というコメントもあった。
実際に隔離されての上演であるため、舞台で演じられるよりもリアリティがある。片方を酒蔵に閉じ込めてしまう必要性が感じられないなど、論理的に破綻しているため廃曲になったのだと思われるが、リモート上演という、ついこの間まで存在すらしなかった上演形態にピタリと填まる。ちなみに宗彦にちなみに宗彦が持つ杯に見立てられた扇に酒を注ぐ樋は茂山逸平が持ち続け、上演後の配役紹介で自ら、「壁:茂山逸平」と読み上げた。

 

狂言と人類愛を結びつけた大西英玄氏のお話の面白さもあり、「今回は神回だった」という言葉がコメント欄に浮かぶが、逸平は清水寺なので「仏さんですよ!」と突っ込み、コメント欄にも「仏回」という言葉が並んだ。


アーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=S20nfDl9Nm0&t=329s

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2020年5月 5日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part6 リモート狂言」(文字のみ)

2020年5月3日 午後2時からはYouTubeで茂山千五郎家の「YouTubeで逢いましょう! part6 リモート狂言」を観る。Zoomを使っての中継。茂山逸平が司会を務める。 まず茂山千五郎が、先日、新型コロナウィルスを原因とする敗血症のために40歳の若さで亡くなった善竹富太郎への弔辞を述べる。 最初の狂言は「文荷(ふみにない)」。出演は、茂山千五郎、茂山茂、山下守之。 主(山下守之)が恋文を太郎冠者(茂山千五郎)と次郎冠者(茂山茂)に恋人に届けるよう託すという話である。二人で交互に恋文を手に持って主の恋人の下に向かうのだが、途中で、垣を見つけ、竹竿の両端を太郎冠者と次郎冠者とで持って中央に文を吊して担うようにして運び始める。そのうちに、主がどんな無粋な文を書いたが気になった二人は文を開封して読み始め、散々に嘲笑するが、どちらが読むかで揉めた際、文を二つに裂いてしまう。このままでは開封したこともばれてしまって届けることも出来ないと悟った二人であったが、「風の便り」という言葉もあるので、扇子で扇いで届けようと図るという話である。 その後、自宅からZoom出演している狂言方の方々や、落語家の桂よね吉なども出演したトークを行う。Zoomはあくまで会議用のツールなので、時間がずれることがあるようだ。 リモート小舞「京童(きょうわらんべ)」が行われる。小舞をリモートで行うのは史上初である。「京童」は茂山千五郎家のみに伝わる舞だそうである。井口竜也の謡で茂山千五郎が舞う。Zoomの音響では謡の声が大きすぎて、声と動きとが分離された感じを受ける。 そして、史上初となるリモート狂言も行われる。演目は「柿山伏」。演じるのは茂山宗彦(もとひこ。「モッピー」というあだ名が定着しているらしい)と鈴木実。茂山宗彦演じる山伏のセリフを担当するのは島田洋海。鈴木実のセリフを受け持つのは茂山千之丞。やはりちょっとずれて見えるところがあるが、超長台詞を切れ味鋭く言う場面は演じながらでは難しいため、動きと語りを分けた面白さも生まれていた。 宮城聰主宰のクナウカがこうした上演を行っているが、滋賀県住みます芸人であるファミリーレストランもハラダの喋くりとしもばやしの動きとで笑わすネタを得意としているため、そのことをチャットで書いたところ、「ここでファミレス?ひょっとして滋賀県住み?」という書き込みがあったので、「京都在住吉本好きです」と答えておいた。

「活動写真のようだ」という意見があり、茂山千之丞は「そういう劇団ありますよ。ギリシャ悲劇とかやる」と語っていたが、やはりクナウカのことであると思われる。もっともギリシャ悲劇自体は元々はクナウカと同じスタイルで、動きと語りは別人が行っており、クナウカはそれを再現しているのである。

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2020年4月16日 (木)

配信公演 「白井あさぎ七回忌追善 春青能『半蔀・立花供養』」YouTubeライブ(文字のみ)

2020年4月11日

午後3時から能公演「白井あさぎ七回忌追善 春青能『半蔀・立花供養』」YouTubeライブ公演を観る。

春青能実行委員長である白井孝明の娘で、6年前に19歳の若さで亡くなった白井あさぎの追悼公演である。京都市中京区にある冬青庵能楽堂での上演。


演目は、舞囃子「田村」、仕舞「弱法師」、能「半蔀・立花供養」


舞囃子「田村」を演じる青木真由人。立命館宇治高校の1年生という若手である。坂上田村麻呂を主人公にした「田村」のハイライト上演。
かなり前まで出ての上演であるが、坂上田村麻呂が征夷大将軍という高い身分に就いていたからかも知れない。
青木真由人は若いので、謡などは様になっていない感じだが、動きは切れがある。


片山九朗右衛門らによる「弱法師」を経て、「半蔀・立花供養」が上演される。「弱法師」上演の後で舞台が消毒された。


「半蔀」は「源氏物語」に登場する夕顔を描いた能である。夕顔が六条御息所の生き霊に取り殺される場面はとても有名であり、教科書などにも採用されているため、「源氏物語」の知識がなくても夕顔の名を覚えている人は多いはずである。青木道喜ほかによる上演。

第一場の舞台となっているのは雲林院。今は場所も移転して大徳寺の塔頭となっている小さな寺院であるが、以前は天台宗の大寺院だったという。私も大徳寺からの帰り道に寄ったことのある寺院である。紫式部自身がこの近くの生まれという説があり、また大寺院時代の雲林院は「源氏物語」にも登場する。

雲林院の僧侶が立花供養を行おうとすると、謎の女性が現れ、夕顔の花の話をして去って行く。

第二場では、女性の正体が「源氏物語」に登場する夕顔であろうと悟った僧侶がいにしえの五条御殿の辺りに出掛け、半蔀の後ろに姿を現した夕顔の幽霊から光源氏との思い出を聞かされるという内容である。

元々能の謡は聞き取り憎いが、第二場に入ってから一層聞き聞き取りづらくなったため、Kindleで「半蔀」の謡曲本を買ってダウンロードし、本を追いながら観る。専門用語が多く、確かにこれでは聴いただけではわからないだろう。
ただ本をダウンロードしたおかげで、なぜここで舞が入るのかといったことまで推測出来るようになる。画面にタッチすれば索引まで飛んで戻ってこられるため便利だ。


その後、「田村」の謡曲本もダウンロード。伊勢国鈴鹿の鬼神を清水寺の開基でもある坂上田村麻呂が退治する話であり、最後は清水寺の観音の仏力によって鬼神が退治される。今の状況で上演されるのに相応しい演目でもある。

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2020年4月10日 (金)

配信公演 金沢能楽会 半能「船弁慶」(文字のみ)

2020年4月5日

金沢能楽会が、本日予定されていた石川県立能楽堂での公演が中止になったのを受けて、半能「船弁慶」の無観客上演YouTubeライブ配信を行う。宝生流での上演。出演:シテ(平知盛の亡霊):宝生和英、ワキ(武蔵坊弁慶):殿田謙吉、子方(源義経):渡邊さくら、ワキヅレ(家臣):渡貫多聞、間狂言(船頭):炭光太郎ほか。

午後5時開演の予定だったが、金沢能楽会がYouTubeチャンネルを開設したばかりということもあり、配信に不具合が出たため少し遅れてのスタートとなった。

半能ということで後半のみの上演。尼崎の大物浦が舞台である。船出した源義経一行が平知盛の怨霊によって行く手を遮られ、難破しそうになったところを武蔵坊弁慶が仏力にて調伏するという話である。

科学が発達していなかった頃は、疫病は怨霊の祟りと考えられていた。ということで今上演するのに最も相応しい演目の一つである。

無人の能楽堂で上演される半能「船弁慶」は、あたかも宗教儀式のような厳かさが感じられる。人々が現代より死に近い時代を生きていた頃の切実さを、この状況にあってはより鮮明に受け取ることが出来たように思う。

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2020年1月31日 (金)

観劇感想精選(339) 「万作 萬斎 新春狂言2020」大阪 「月見座頭」&「首引」

2020年1月21日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼで、「万作 萬斎 新春狂言2020」を観る。野村萬斎人気で女性客が圧倒的に多いが、他の会場よりも男性率が低い気もする。どういうことなのかはよくわからない。

新春公演ということで、舞台上方には七五三縄が下がっている。

演目は、残酷狂言として知られる「月見座頭」と、茂山千之丞の台本によってオペラ化もされている「首引」の二番。

 

まず新年ということで謡初 連吟「雪山」が謡われる。謡は、石田淡朗、岡聡史、野村萬斎、内藤連、飯田豪(客席から見た上手から下手への並び順)。

その後、野村萬斎によるレクチャートークが行われる。野村萬斎は、「明けましておめでとうございます、というには時間が経ってしまったような感じがしますが」と語り出し、「2020年ということで東京は『てえへんな』ことになっていますが、大阪は他人事のような感じなんでしょうか。まだこれから」ということで自身が開会式と閉会式の総合演出を手掛ける東京オリンピックについても少し触れる。
新年ということで、初謡を行ったのだが、「最初に一礼するのがなぜなのか子供の頃から不思議だった」「この間、『チコちゃんに叱られる!』で教わりました」と言って笑いを取る。年神に向かって一礼しているそうで、「皆さんに向かってお辞儀しているわけじゃないんです。歌舞伎の襲名披露なんかはお客さんに向かってお辞儀をしている感じですが」と語った。野村萬斎の家では、年が明けるとまず野村万作が初謡を行い、一門がそれぞれ謡を行っていく。それが終わると初舞が行われるそうである。

多様性の時代ということで、「地球自体が人間だけのものではない」「同じ人間でも、人種、言語、宗教、国籍など色々」「LGBTという言葉があったりします。障害者の方などもおられます。『月見座頭』では障害者が登場します」。そして狂言については、「ここらあたりに住まいする者でござる」という言葉で始まり、誰でもが「ここらあたりに住まいする者」になり得るということで、これも多様性だと位置づけたが、今日の演目には残念ながら「ここらあたりに住まいする者」と名乗る人物は出てこないと明かす。
座頭というのは盲人という意味である。放送では使えない「めくら」という言葉も使われている。その言葉が当たり前に使われていた時代の作品なので変えるわけにもいかない。「座頭が月見をするというのも変な感じがしますが、月を見るのではなく、虫の声を聴く」「狂言の禁欲的なところは、虫の声を一切音響で出さない。月も出さない」とイメージで進行する狂言の神髄についても大仰さを出さずに語っていた。この座頭、目は見えないが一人でしっかりと生きており、「虫の声が聞こえないと他の人に当たるクレーマーになったりする」とステレオタイプでない座頭の姿についても説明する。
「月見座頭」では、洛中に住む者が登場するのだが、洛中に住む者が洛外に住む座頭より偉そうに振る舞うため、「洛中と洛外でそんなに違うんでしょうか?」と東京人である野村萬斎は不思議がっていたが、京都はその辺はかなりエグい。萬斎は、「東京でも23区とそれ以外、山手線の内側と外側でちょっと違う。大阪でも環状線の内側と外側で違ったりするんでしょうか」という話をしていた。
二人が詠む和歌について、無料冊子に書かれた「秋風にたなびく雲の隙間よりもれいづる月の影のさやけき」を萬斎は読み上げるが、「これよりも易しい和歌が出てきます」と語る。「月見れば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど。大江千里。おおえせんりじゃありません。おおえのちさとと読みます。え? 作者、おおえせんりなのと思ってしまいそうですが、大体は同じなんですけど時代が違う」「今、お正月に百人一首をやったりするんでしょうか?」と萬斎は客席に聞くが返事はなし。「昔は、お正月には百人一首のカルタ取りとか坊主めくりとかやったんですが、今、百人一首というと、高校生がやる競技のあれしか思い浮かばない。子供達は(ゲームのコントローラーを持つ仕草をして)カチカチカチカチやってるだけ」ということで時代の移り変わりについても述べていた。
パリで「月見座頭」を上演した際は、「不条理劇」と評されたそうだが、そう思ってもいいし思わなくてもいい。それぞれが感想を持つことが多様性と締めていた。

「首引」には鎮西八郎為朝(源為朝)が登場する。狂言にその辺の人ではなく歴史上の人物が登場するのは珍しいのだが、「別に為朝でなくても良かった」「マッチョなイメージだから為朝になった」と語る。「首引」は、鬼が自分の愛娘に人間の食い初めをさせようとする話なのだが、「マッチョだと美味しそう。私のような鶏ガラは美味しそうじゃないが、マッチョだと霜降りで美味しそう」ということで、単純に見た目だけで為朝が選ばれたことを語る。「為朝は何か跨いでしまったんでしょう」ということで異界に入った為朝が鬼と出会う話を語り、古代では異国の人々が鬼と呼ばれたという史実も明かしていた。
ちなみに鬼と鬼の娘は面を被って登場するのだが、「話が進むにつれて為朝が鬼に見えてきて、鬼が人間に見えてくる」という話もしていた、その理由は実際に見れば分かる。
ちなみに娘鬼が嫌がっているのに「食え、食え」と命令する親鬼のことを野村萬斎は「モンスターペアレント」と形容していた。
最後に、為朝と鬼の娘が首に布を巻いて引き合う「首引」をする時に発する鬼の掛け声、「えーさらさ、えいさらさ」を萬斎と客席で掛け合うことにする。
野村萬斎「それでは、Repeat after meということで」掛け合いが行われ、更に1階席と2階席での掛け合いも行われる。まず萬斎が言い、1階席のお客さんが繰り返す。それをまた2階席のお客さんも履行するという形である。ちなみに狂言では低い音から突き上げるように発声するのだが、「芸大時代にソルフェージュの先生から『なんでいつも下から行くんだ?』と注意されていた」そうである。西洋と東洋の発声法は発想が真逆である。
「私がこう仕草で示しますので、一緒になってやって下さい」

 

「月見座頭」。旧暦(といっても当時の日本には新暦が存在しないため、普通の暦だったわけだが)8月15日。一人の座頭(野村万作)が月見のために現れる。杖をつき、杖の音を確認してから踏み出すという歩き方である。その姿は杖に導かれているようにも見える。立ち止まると「このあたりに住まいする座頭でござる」で名乗る。
目の見えるものは歌を歌ったり和歌を作ったりして月見を楽しむそうだが、座頭は虫の声を楽しみ、少し離れたところにいる客には「虫の声が聞こえないのでもう少し静かにして欲しい」と注文を出す。そこに上京の者(高野和憲)が現れる。座頭が月見をしているのを不審がって話しかけた上京の者。座頭は不調法で和歌など詠んだことがないというので、上京の者は、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と阿倍仲麻呂の歌を自作として歌い、座頭は「月見れば千々に物こそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど」と大江千里の歌を詠む。共に有名な和歌であり、風流のわかる者だと確認し合った二人は酒宴を始める。互いに謡い、舞う二人。酒が尽きたので別れることなり、互いに気分良くその場を後にするはずだったのだが……。

種明かしはしないが、客席で女性が「あ!」と悲鳴を上げるのが聞こえた。

最後は方角がわからなくなった座頭が杖を拾い上げ、川で杖を清めて、川の流れの沿う形で去って行く。人生そのものの劇であるともいえる。

 

「首引」。鎮西八郎為朝(野村太一郎)は、訳あって西国(九州)から上方に上ることになる。途中、播磨印南野(はりま・いなみの)まで来たところで、親鬼(野村萬斎)が「人間臭い!」と言ってやにわに姿を現し、笑いを誘う。姫鬼(中村修一)はまだ人間の食い初めをしたことがないため、親鬼は為朝で食い初めを行おうと決める。親鬼は為朝に「自分に食われるのと娘に食われるのとどちらが良い?」と聞き、為朝が「娘の方が」と言ったので、姫鬼を呼ぶ。姫鬼はピョンピョン跳びはねて登場し、やたらと可愛らしい。だがそこは強力為朝、簡単に食い初めをさせてはくれず、姫鬼はワーワー泣き叫び、親鬼は姫鬼をなだめて為朝を叱る。そうこうするうちに為朝が、「勝負に勝ったら食うというのが道理」と言い始め、腕押しやらすね押しやらで戦うが、いずれも姫鬼は投げ飛ばされてワンワン泣くことに。最後の勝負として首に布を巻いて引き合う首引を行うことになるのだが、やはり為朝相手では勝てそうにない、ということで親鬼は眷属(一族。演じるのは、内藤連、石田淡朗、飯田豪、岡聡史)の鬼を呼び、姫鬼に加勢させ、掛け声を出していっせいに引くのであったが……。

ヘラクレスのように超然としている為朝に対して、娘を猫かわいがりしている親鬼は「人間臭い」と言いながら出てきた割に本人の方がよっぽど人間臭く、野村萬斎がレクチャートークで語った逆転が起こっている。

大阪のお客さんのありがたいところは、予め「やって下さい」と言っておくと、ちゃんと一緒になって掛け声を行ってくれることである。びわ湖ホールでの公演ではお客さんが乗ってくれないこともある。
萬斎は、「えーさらさ、えいさらさ」の掛け声をアッチェレランドで行い、舞台上と客席との一体感を高めていた。

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2019年12月11日 (水)

観劇感想精選(328) 京都観世会館 第256回市民狂言会

2019年12月6日 左京区岡崎の京都観世会館にて観劇

午後7時から、左京区岡崎の京都観世会館で、第256回市民狂言会を観る。演目は、「宝の槌」(出演:茂山七五三、茂山茂、網谷正美)、「御茶の水」(出演:茂山逸平、茂山あきら、茂山千之丞)、「附子(ぶす)」(出演:丸石やすし、茂山千三郎、松本薫)、「蟹山伏」(出演:茂山忠三郎、山口耕道、鈴木実)

「御茶の水」の住持役は元々は茂山千作が予定されていたが、死去により茂山あきらが代役を務めることになった。


「宝の槌」。太平の世となり、人々は皆、道具自慢にふけるようになる。果報者(金持ちのこと。茂山七五三)も、家の蔵に自慢となるような宝が眠っていないか太郎冠者(茂山茂)に聞くが、太郎冠者は見覚えがないという。そこで果報者は太郎冠者に都に行って宝物を買い求めるよう命じる。
初めての都ということで、ウキウキの太郎冠者であったが、浮き足立っているところをすっぱ(網谷正美)に見抜かれ、ただの太鼓のバチを「鎮西八郎為朝(源為朝)が鬼ヶ島の鬼から奪った打ち出の小槌だ」と売りつけられてしまう。なんでも弓の名手である鎮西八郎為朝が鬼ヶ島に行って、鬼と弓の勝負をして勝ち、隠れ蓑、隠れ傘と共に勝ち取ったのがこの打ち出の小槌なのだという。呪文を唱えると(結構長い)欲しいものが出てくると聞かされた太郎冠者は、すっぱの誘導尋問により腰のもの(太刀)を所望。すっぱが仕込んでおいた太刀が現れたため、すっかり信じ込んでしまう。
さて、実際は太鼓のバチでしかない打ち出の小槌を持ち帰った太郎冠者。主の果報者の前で呪文を唱え、舞を舞い、小槌を振るって馬を出そうとするが何も出ない。太郎冠者は誤魔化すために、口のない馬(エサをやらなくていい)を出そうなどと、現実味のないことを言い始める。
呪文を唱える時の舞は迫力があり、見所の一つとなっている。


「御茶の水」。私の青春の街である東京の御茶ノ水とは関係がない。私の出身地である千葉市にもお茶の水はあるが特に関係はない。
住持(茂山あきら)が、明日茶会を開くことになり、新発意(新米の僧侶のこと。茂山逸平)に、野中の清水からお茶に使うための水を汲んで来て欲しいと頼むのだが、すげなく断られる。そこで、恋仲のいちゃ(茂山千之丞)に水を汲んできてくれるよう頼む。
実は、新発意は、自分が断れば住持はいちゃに水を汲みよう頼むであろうことを読んでおり、清水に一人で来たいちゃに思いを伝えるべく計算していたのだった。
男女の言葉のやり取りは謡として交わされる。伝統芸能の粋である。
二人の男の間で振り回されるいちゃ役が一番重要な役だと思われる。男二人が取っ組み合い(見た目は相撲である)になる場面があるのだが、ここでのいちゃの心の揺れが面白い。


「附子(ぶす)」。数ある狂言の中でも最も有名な演目である。私が小学生の頃の国語の教科書にも載っており、筋書き自体は多くの人の知るところとなっている。元々は中世の説話集である「沙石集」に入っている物語だそうで、一休のとんち話に出てくるよく似た話も「沙石集」に由来しているようだ。
主人(茂山千三郎)が、「山一つあなた」へ行くことになり、太郎冠者(丸石やすし)と次郎冠者(松本薫)に留守を言いつけるのだが、附子(トリカブトのこと)には決して近づかぬよう厳命する。だが実際は附子と言っていたのは砂糖のことであり、留守中に砂糖を盗む食いされぬよう附子だと嘘をついたのである。結局、砂糖は太郎冠者と次郎冠者に全て食べられてしまい、太郎冠者は砂糖を全て食べてしまったことの言い訳を考え出す。普通に考えたらそんな言い訳は通用しないのだが、狂言の中でのことなので「上手い落ち」となっている。実際には誰が損するわけでもないし。


「蟹山伏」。大峯山と葛城山で修行した山伏(茂山忠三郎)が、強力(山口耕道)を従えて、出羽・羽黒山に帰ることにする。山伏はうぬぼれきっており、出羽国に帰れば皆が自分のことを「生き不動」と崇拝するだろうと天狗になっている。
江州(近江国)の蟹が沢にたどり着いたとき、一転にわかにかき曇り、蟹の精(鈴木実)が非常にわかりやすい形で現れる。
山伏は蟹の精を調伏しようとするが全く効かず、という話である。
元々は、甲斐国に伝わる伝承で、謎の雲水が寺の住職に問答を仕掛け、答えられないと殴り殺してしまうという、「オイディプス王」にも描かれたスフィンクス伝説に近いものがあったようだが、「蟹山伏」では山伏は蟹の謎かけにすぐに答えており、問答が解けぬ話ではなくなっている。
蟹は民俗学的にはその姿から千手観音の化身とされる場合があるそうで、修験道と仏法の対比が発展した可能性も考えられる。

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2019年9月 5日 (木)

観劇感想精選(315) ロームシアター京都 「能楽チャリティ公演 ~被災地復興、京都からの祈り~」2019 第2部

2019年8月29日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時30分から、ロームシアター京都サウスホールで、「能楽チャリティ公演 ~被災地復興、京都からの祈り~」2019 第2部を観る。

毎年恒例のロームシアター京都での能楽チャリティ公演。1日に昼夜の2回公演である。ただ昨年は台風が直撃し、公演自体は行われたが、私は行くとこが出来なかった。他のお客さんの多くも来られなかったようで、昨年度の募金額のみ例年より少なくなっている。

演目は、半能「賀茂」、狂言「呼声(よびこえ)」、能「善界(ぜがい)」

 

半能「賀茂」。上賀茂神社と下鴨神社の賀茂神社が舞台となっている。京都が舞台になっているため、景色がはっきり目に浮かぶ。
播磨・明石の室明神の神職が、京都の賀茂神社に参拝した時に、目の前に賀茂別雷神(上賀茂神社の祭神)と賀茂御祖神(下鴨神社の祭神=玉依姫)が現れて舞い始めるのを目にするという話である。
賀茂別雷大神は、雷の神様だが、雷は豊かな実りをもたらすとされ(故に「稲妻」である)、玉依姫は、神武天皇の母親にして物事の始まりを祝う神、ということで元号の移り変わりを寿ぐ演目として選ばれたのだと思われる。

 

狂言「呼声」。太郎冠者が勝手に旅に出てしまい、戻っては来たのだが、引きこもっていて、主人のところへ顔を出さない。そこで、主人が次郎冠者を連れて、太郎冠者の家に行き、呼びかけるが、太郎冠者は出て行ったら主人に大目玉を食らうことは目に見えているため、声音を変えて「太郎冠者はいない」と嘘をつく。太郎冠者は、自分は太郎冠者ではなく隣の者だと言い張る。
そこで、次郎冠者が平家節を歌うと太郎冠者も平家節で返し、主人が小歌節で呼び出すと太郎冠者も小歌節を歌う。そのうちに主人と次郎冠者が歌って踊り出すと、太郎冠者も誘い出されて一緒に踊り出し……、ってなんかこれ「天岩戸」っぽいなあ。
本当にそう意味で選ばれたのかどうかはわからないが、芸が物語を動かしていく話であり、猿楽を生んだ猿女の祖である天鈿女命の力を称える演目ともいえる。

 

能「善界」。中国の仏教界を堕落させた中国の天狗・善界坊は、次は日本の仏教界も堕落させようと企み、まず京・愛宕山の天狗である太郎坊に相談に出掛ける。太郎坊は比叡山が日本仏教の最高峰であると善界に教え、比叡山の僧正を標的にするよう進言する。
善界坊は、山から下りてきた僧正を攻略しようとするが、逆に仏法によって調伏される。

「日本は小国なれども神国として、仏法興隆の地なれば」という言葉が何度も繰り返される。今回は善界坊を自然災害に見立て、「災害に日本は負けない」というメッセージと祈りを込めて選ばれたのだと思われる。

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2019年7月 2日 (火)

観劇感想精選(308) 野村万作・萬斎狂言公演「萩大名」「木六駄」@びわ湖ホール2014

2014年12月14日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後5時から、びわ湖ホール中ホールで、「野村万作・野村萬斎狂言公演『萩大名』『木六駄』」を観る。タイトル通り野村万作と野村萬斎の親子による狂言公演である。今日は午後1時からと午後5時からの2回公演で、シテ方が交代する。午後1時からの「萩大名」のシテ方を務めるのは野村万作、午後5時からの「萩大名」のシテ方は野村萬斎である。「木六駄」では逆に午後1時からのシテ方は野村萬斎、午後5時公演のシテ方は野村万作である。

上演前に野村萬斎が登場し、作品の解説を行う。「萩大名」(毛利氏ではない)について。作品が作られた室町時代の頃の大名というのは名田を多く持っている人のことで、いわゆる守護大名や戦国大名、1万石以上の大名ではないという。田舎から京に上ってきた田舎大名が将軍(足利氏)から所領を安堵された上に新たに領地を加増された。しかもすぐに国元に戻って良いというので大喜びである。大名は都で物見遊山して国に帰ろうと太郎冠者に言う。
萬斎は「大名というのはプライドが高いので、舞台の前方まで出ていくんです。普通は中間ぐらいで止まるんですが、かなり前まで出てしまう」と解説する。
お付きの太郎冠者は大名の出世を願って清水寺の観音菩薩に日参していたという。
「『ニッサン』聴き慣れない言葉ですね。車の会社ではないですよ。私はHONDAのテレビCMに出ていますので、ライバル会社の宣伝をするわけには参りません。HONDA、HONDA、HONDA。これぐらい言っておけば宜しいでしょうか」と萬斎。「日参というのは毎日参拝することです。太郎冠者が熱心に祈っていたんですね」
その太郎冠者が清水寺の参道に茶屋があり、庭園の萩が見事なので国元に帰る前に見物することを進める。ただ、その茶屋の主というのが少々お堅い風流人であり、来客に和歌を一首求めるのだという。
萬斎は、「この大名というのは武人。政治家なんですね。ところで投票行きましたか?(この日は衆議院選挙の投票日であった)」と客席に聞き、「武人なので文化系のことは苦手なので和歌は詠めない。そこで太郎冠者がその辺で聞いた和歌が相応しいのでそれを詠めば良いということになります。しかし大名は和歌が覚えられない。そこで太郎冠者がブロックサインを出すわけです」と萬斎は続ける。
萬斎は太郎冠者がすねを出すところに注目して欲しいとも解説する。

「木六駄」について萬斎は、「普通は『き・ろくだ』という風に読むのですが、狂言では『きろくだ』と読むわけです。オリンピックかなんかの『記録だ』みたいですが」
「この狂言は珍しいんです。普通の狂言は『この辺りに住まいいたす者でござる』と始まるのですが『木六駄』では、『奥丹波に住まいいたす者でござる』とこう言うんですね。東京でやると奥丹波と言ってもわかって貰えないのですが。駄というのは荷物の単位でありまして、木の束六駄と炭六駄を牛に一頭に一つずつ、全部で12頭に乗せまして雪の中を都まで引いていくわけです。野性の牛を見たことがあるという方はいらっしゃいますでしょうか。私はイギリスに留学していた時に、ロンドンから郊外まで車を運転していますと田舎に入るや牛と遭遇するわけです。牛というのがなかなか動かない。ただイギリス人というのはそういうことには鷹揚なわけです。クラクションを鳴らしたりしない。牛が通過するまで10分ぐらい待っていたりします。このなかなか動かない牛を動かすという演技を父がやります」
「最初から真ん中に人が座っていますが、狂言というのは人が出たり入ったり忙しいのを嫌いますので、座っていたとしても動いてなかったらいない。見えていても見えないというお約束でございます。今度は紛らわしいのですが、牛はいないのですがいると、想像力を働かせる必要があります。狂言を見るには想像力が必要です」と語り、「見えないものが、さもあるかのように演じるのを父は得意としておりまして、この場にいらっしゃる方は幸運でございます」と父親を立てた。

狂言の前に小舞が二曲、「貝づくし」と「海人」である。
「貝づくし」を舞うのは岡聡史。地謠により様々な貝の有様が描かれる。
「海人」は、母親が竜宮城に奪われた玉を取り返すために海獣達と戦うという、よく演じられる内容のものである。深田博治が舞った。

「萩大名」。大名を演じる野村萬斎は、やや大袈裟にサーッと舞台の前方まで早足で出て来て、解説を聞いていた観客を笑わせる。
見事な萩を持つ庭園を見に行くことにした大名であるが、和歌が詠めない。そこで太郎冠者(内藤進)が「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲きいづる萩の花かな」というどこかで聞いた和歌を知っているのでを用いれば良いという。しかし大名は物覚えが悪いので、「そんなものを諳んじるには三年はかかる」と言う始末。そこで、太郎冠者がヒントを与えることにする。扇を開き、七本目八本目を出して「七重八重」とし、九本目で「九重ばかりと思いしに」、十本全部を開いて「十重に咲きいずる萩の花かな」と示す。萩は太郎冠者が向こうずねを出して、それを「脛(はぎ)」として覚えることにする。
早速、茶屋にやって来た大名と太郎冠者。茶屋の亭主(月崎晴夫)が出迎え、庭を見せる。大名が「あの白い砂はなんじゃ?」と聞くので亭主が「備後砂」でございます」と答えると、大名は「道明寺干し飯(河内国道明寺で作り始めた乾燥してたくわえる飯のこと)のようじゃ」と無粋なことをいって太郎冠者に制せられる。赤い萩の花と白い砂を見て、「赤飯のようじゃ」とまた食べ物に例えた発言をして田舎者丸出しの大名。
亭主に和歌を詠むよう求められ、太郎冠者の助けを借りる大名。しかし扇子の姿そのままに「七本八本」と言って亭主を不思議がらせる。大名は太郎冠者にそっと言って貰って「七重八重」と本来の言葉を継げる。その後も「九本」と言ってしまい、扇子を開いて出すと「はらり」などと言ってしまう大名に太郎冠者は愛想を尽かし、一人で茶屋から帰ってしまう。太郎冠者の助力で「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいずる」までは詠めた大名であるが、振り返ると太郎冠者がいない。そこで、「さらば」とそらっとぼけて帰ろうとするが、亭主がそれを許さない。大名は太郎冠者がやっていたことを思い出すが、「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいづる太郎冠者の向こうずね」と言ってしまい、不調法者として亭主に追い出されるのだった。
野村萬斎は華があって良い。あの華は持って生まれたもので出そうとしても出せないものである。

「木六駄」。野村万作がシテである太郎冠者を演じるのだが野村万作は太郎冠者をやるには年を取り過ぎている感がなきにしもあらず。ただ演技は流石にしっかりしている。
丹波国の山奥。主(中村修一)から、木六駄、炭六駄を牛に載せて都の親戚の家まで運ぶよう命じられた太郎冠者。最初は嫌がるが、布子(詰め物のある麻の着物)をやるからと主に言われて喜んで引き受けてしまう。主からは都の親戚に手酒を持って行くよう命じられ、左手に手酒を提げ、右手で牛を鞭打って進むことになる。主からは文も預かった。
いうことを聞かない牛をなだめすかしながら雪道を進んできた太郎冠者は、峠に茶屋があるのを見つける。茶屋の主(高野和憲)は、茶屋の中に太郎冠者を案内する。体が冷えたので酒を所望した太郎冠者であるが、茶屋には生憎酒はないという。茶屋の主は太郎冠者が手酒を持っているのを見て「それを飲めば良いではないか」と言い、太郎冠者も「濃い酒なので減った分を水で埋めればばれまい」として、手酒を飲んでしまう。そうこうしているうちに杯が進み、手酒を全て飲み干してしまった太郎冠者と茶屋の主。太郎冠者は世話になったと木六駄も茶屋の主にあげてしまう。
太郎冠者は茶屋の主の掛け声に合わせて「鶉舞」を舞う。酔いながらちょこちょこと踊る舞である。
都についた太郎冠者は主の伯父(石田幸雄)の家に行くのだが、酔っているということもあり「何をしに来たのかわからない」と言う。そこで太郎冠者は主から授かった文を主の伯父に渡す。文には手酒と木六駄を太郎冠者に託したと書いてあったのだが、手酒も木六駄もない。我に帰った太郎冠者は逃げだし、それを主の伯父が追うというところで話は終わった。

今日は2階席からの観劇であった(1階席は満席であったが2階席はガラガラであった)が、きめ細やかな表現を味わうことが出来、満足であった。

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