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2020年10月23日 (金)

コンサートの記(663) 能「隅田川」×オペラ「カーリュー・リヴァー」連続上演「幻(GEN)」ソーシャルディスタンス対応公演@よこすか芸術劇場

2020年10月18日 横須賀・汐入の横須賀芸術劇場内よこすか芸術劇場にて

午後2時から、京急汐入駅前にある横須賀芸術劇場内よこすか芸術劇場で、能「隅田川」×オペラ「カーリュー・リヴァー」連続上演「幻(GEN)」を観る。世阿弥の息子である観世元雅の作による狂女ものの有名作「隅田川」と、20世紀のイギリスを代表する作曲家、ベンジャミン・ブリテンが「隅田川」を東京で鑑賞した時にインスパイアを受けて書かれた作品「カーリュー・リヴァー」(台本:ウィリアム・プルーマー)の連続上演である。「カーリュー・リヴァー」は最初はオペラと定義されず、「教会上演用の寓話劇」と題してサフォーク州オーフォードの聖バーソロミュー教会という小さな教会で初演されたが、現在ではオペラとして歌劇場で上演されるようになっている。2014年に大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスで、山下一史の指揮、井原広樹の演出で観ているが、それ以来、久しぶりの再会となる。

能「隅田川」は、映像や歌舞伎版(南座にて坂田藤十郎の狂女)では観ているのだが、劇場で観るのは初めてとなる。

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よこすか芸術劇場の感染症対策であるが、まず横須賀芸術劇場が入っているベイスクエアよこすかの3階入り口からは1階席前方の席を取った客が入場し、それ以外の客はベイスクエアよこすか4階から入ることで分散を図る。チケットの半券は自分でもぎって箱に入れ、パンフレットも自分で取る。サーモカメラによる検温も行う。
そもそも「幻(GEN)」はチケット発売時に通常の形で売り出したが、それをいったん全て払い戻しとし、客席前後左右1席空けのソーシャルディスタンス対応公演として再度チケットを発売して行われている。
終演後は、混雑を避けるために時差退場が行われた。

 

能「隅田川」の出演は、観世喜正(シテ・狂女)、観世和歌(子方・梅和若丸)、森常好(ワキ・渡し守)、舘田善博(ワキツレ・旅人)。笛:竹市学、小鼓:飯田清一、大鼓:亀井広忠。演出は観世喜正が行う。観世喜正は2005年からよこすか芸術劇場で「よこすか能」をプロデュースしているそうである。「よこすか能」は蝋燭を使った演出が特徴だそうで、今回も巨大蝋燭数本に小型の蝋燭数百本が灯される中での上演である。日本語字幕付き。

武蔵国と下総国の国境を流れる隅田川。現在とは水路も異なるが、川幅も今の2倍ほどはあった巨大な川である。後に荒川放水路が出来て川幅は狭くなっている。
国境ということで(江戸時代中期以降には二つの国に跨がることが由来である「両国」の東岸が栄えるようになり、後に隅田川以東の葛飾は武蔵国に編入されることになる)、あの世とこの世の境、つまり三途の川にも見立てられている。
とにかく川幅が広いため、渡るのも容易ではない。また坂東の川はよく荒れる。ということで渡し守も何度も川を渡ることはままならず、客を溜めてから渡すことにする。旅人が現れ、渡し守と子細を話す。丁度1年、商人に連れられて来た少年が隅田川を渡ったところで病死した。商人は少年を見捨てて行ってしまったという。今日はそれから1年目ということで供養のための大念仏が唱えられているという。
そこへ、狂女がやって来る。京・北白川に住まいしていた女であり、我が子がさらわれたため、追って東国までやって来たのだ。
隅田川で詠まれた歌として知られる、「名にし負はばいざ言問はむ都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」が効果的に用いられ、狂女がただの狂女ではなく、元は教養溢れる人物であったことが偲ばれ、一層の哀感を誘う。

船の上で渡し守が1年前に亡くなった少年のことを語り、狂女がそれが自分の息子だと徐々に気付く。狂女役の観世喜正は、少しずつ少しずつ体を時計回りに回転させ、そのことを表現する。

少年を埋葬した塚の前で念仏が唱えられ、狂女もそれに加わるのだが、突然、念仏に子どもの声が混じり、少年の幽霊が現れる。

少年の幽霊を登場させることに、観世元雅の父親である世阿弥が大反対したという話が残っているが、子方を出すと生々しくなるというのがその理由の一つだと思われる。幽玄さも後退するだろう。だが、この能の本質が「哀感」であるとしたのなら、子方を出した方が狂女の悲しみへの共感はより強まるだろう。目の前に見えているのに触れることも叶わずに訪れる別れ。それこそが「隅田川」を傑作へと昇華しているのだと思われる。
狂女を演じる観世喜正の動きは抑制されたものであったが、それゆえにその心情が惻々と伝わってきた。語らざる雄弁であり、動かざるダイナミズムである。

 

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ブリテンのオペラ「カーリュー・リヴァー」。日本語字幕付きの上演であるが、タイトルには「キリスト教会上演用の寓話劇」と記されており、舞台に教会のステンドグラスが映されるなど、キリスト教的要素の濃い上演となる。「隅田川」に念仏を唱えるシーンがあるため、よりクッキリと対比を付けたいという意図もあるのかも知れない。

演出は彌勒忠史。小編成のオーケストラのための作品で、指揮者を置かないというのがブリテンの指示である。ただ、今回、オルガンと音楽監督を務めるのが鈴木優人というのが最大の売りであり、鈴木優人だけが客席に背中を向けての演奏し、またそのキャリアから事実上の指揮者であることは明白である。演奏は鈴木の他に、上野星矢(うえの・せいや。フルート)、根本めぐみ(ホルン)、中村翔太郎(ヴィオラ)、吉田秀(よしだ・しゅう。コントラバス)、高野麗音(たかの・れいね。ハープ)、野本洋介(パーカッション)。邦楽器を模した音型が登場するのが特徴である。
出演は、鈴木准(狂女)、与那城敬(渡し守)、坂下忠弘(旅人)、町田櫂(霊の声。ボーイソプラノ。横須賀芸術劇場少年少女合唱団員)、加藤宏隆(修道院長)。巡礼者役(合唱)として、金沢青児、小沼俊太郎、吉田宏、寺田穰二、寺西一真、山本将生、奥秋大樹、西久保孝弘が出演する。

 

「カーリュー・リヴァー」も大型蝋燭2本に火を灯しての上演となる。
まず、「隅田川」でも鳴り物を務めた、竹市学、飯田清一、亀井広忠の3人が登場し、邦楽の演奏を行う。その後、修道僧が登場し、オペラ「カーリュー・リヴァー」が始まるのだが、いかにもキリスト教的な賛美歌風合唱から始まるため、かなりの落差が感じられる。

ブリテンとプルーマーは、亡くなった子を「聖人」としており、そのことからして「隅田川」とはかなり趣が異なる。
出演者達は、口元を布で隠し、頭巾を被っている。大谷刑部こと大谷吉継のようだが、これはコロナ対策であると同時に、宗教的な雰囲気を出す役割も担っていると思われる。

カウンターテナーでもある彌勒忠史は、観世喜正と2018年まで数年に渡って、市川海老蔵の「源氏物語」で共演してきたそうで、能の要素を取り入れた演出となっている。元々はもっと能の型を全面に取り入れるはずだったのだが、コロナの影響で少しシンプルになったようだ。だが、狂女が、さらわれてきた子が我が子だと気付く場面で、「隅田川」の観世喜正と完全に同じゆっくりとした振り返りを取り入れており、能との連続上演ということで、違う作品に同じ動きを取り入れることで却って明らかになる差違を示していく。

「隅田川」では現れるだけだった少年が、「カーリュー・リヴァー」ではキリスト教的な救済を述べる。ブリテンもプルーマーも「隅田川」的哀感ではやはり救いがないと思ったのだろうか。「隅田川」も、日本的「哀れ」を描いた作品であり、他国の人に完全に伝わるかどうかは疑問である。また宗教観の違いもあり、有名な「悲しむ者は幸いである」をメッセージとして入れるべきだと感じたのかも知れない。なによりこれは救済のための「寓話」として再現された「隅田川」である。

鈴木優人を音楽監督とする演奏者達は、邦楽からの置き換えを上手く表現しつつ、高雅な響きを紡ぎ上げる。独唱者も合唱も充実しており、ブリテンの叡智と才気を十全に表現していた。

両作品とも、突如として響き渡る子どもの声が効果的に用いられている(「カーリュー・リヴァー」では舞台奥の紗幕の後ろに少年の姿が浮かび上がる)。それは突然の啓示のようでもあり、闇の中に不意に差し込んできた光のようでもある。金曜日に小林研一郎指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で聴いた、チャイコフスキーのマンフレッド交響曲のオルガンにもそうした要素があるが、新型コロナウイルスの世界的な蔓延により、未来が全く見えない今現在、求められている救いにも似たものである。
もののわかった振りをした山師的な人々が現れては消えているが、そうした打算的なものとは違った本当の恩寵が、フィクションの世界の中とはいえもたらされていることが、あるいは救いなのかも知れない。

フィクションとは絵空事ではなく、人類の歴史が凝縮されたものである。これまで人類に降りかかってきた数々の悲劇が、そこには詰め込まれているが、にも関わらず人類は今も存在して歩みを続けている。それは希望に他ならない。

 

 

上演終了後、どぶ板通りを歩いてみる。コロナの影響からか、あるいは日曜の夜だからかはわからないが閉まっている店も多い。
一昔前に比べるとアメリカ系の店舗は減ったといわれているが、それでも迷彩服姿の米兵が何人も歩いているなど、日本離れした光景が広がっている。
舗道には横須賀ゆかりの有名人の手形が押してあり、指揮者の飯森範親(鎌倉生まれの葉山育ちだが、横須賀市内にある神奈川県立追浜高校出身)と横須賀市出身のヴァイオリニストである徳永二男(元NHK交響楽団コンサートマスター)の手形が並んでいた。

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2020年10月 9日 (金)

観劇感想精選(357) 「野村万作・野村萬斎 狂言公演」@びわ湖ホール2020

2020年10月4日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて観劇

びわ湖ホール中ホールで午後5時から「野村万作・野村萬斎 狂言公演」を観る。
本来は、今年の3月にびわ湖ホールで行われるはずの公演だったのだが、コロナ禍で中止となり、半年ちょっとの時を経て公演に漕ぎ着けた。3月公演のチケットは全て払い戻しとなり、前後左右1席ずつ空けたソーシャルディスタンス対応版のチケットが新たに発売された。ステージに近い3列は空席となっている。入場時に人が集中するのを避けるため、通常は開演30分前開場となるところを開演1時間前開場と30分前倒しにしていた。クラシック音楽のコンサート、特にオーケストラの公演は「開場は開演の1時間前」であることが多いため、特に違和感は覚えなかった。

今日は午後1時からと午後5時からの2回公演であるが、午後5時からの公演は残念ながら入りは今ひとつ。隣の大ホールでは日本センチュリー交響楽団がコンサートを行うなど、通常時に近い稼働を行っているびわ湖ホールであるが、コロナの影響もあって人は余り多くないという印象を受ける。

野村万作、野村萬斎、野村裕基の三代が3つの演目で主役を務めるという舞台。これまでも三代の共演は観たことがあるが、同じ演目で共演することなく単独で主演という形は初めてだと思われる。
演目は、「蚊相撲」(出演:野村裕基、内藤連、深田博治)、「謀生種(ぼうじょうのたね)」(出演:野村万作、野村太一郎)、「六地蔵」(出演:野村萬斎、高野和憲、中村修一、飯田豪、石田淡朗)。


上演が始まる前に、高野和憲が登場して、狂言と演目の解説を行う。狂言はセットなどを用いないため、全てセリフで語るのだが、暗黙のルールがあるため、「約束事の演劇」とも呼ばれているという話をする。
日本中どこでも、あるいは海外でも「この辺りの者でござる」と自己紹介する人物が登場し、庶民が主人公になることが多い舞台である。中世において庶民が主人公になる演劇は世界的に見てもかなり珍しい。

高野は、「冗談もあります」と言って、「木に二羽の鳥が止まっている。カラスとスズメだが、この二羽は親子である。カラスが『コカー』と鳴き、スズメが『チチ』と応える。これで笑えないと狂言は楽しめません」と語っていた。説明するまでもないことだが、カラスの鳴き声が「子か」、スズメの鳴き声が「父」という風に聞こえるという話である。そのほか、道行きの話をして、「なんだあいつ、同じところグルグルして馬鹿じゃないの? という人には狂言は無理です」と語っていた。
その後、演目の解説。「蚊相撲」と「謀生種」には滋賀県の話が登場する。「蚊相撲」には蚊の精が登場するのだが、江州(近江国)守山からやってきたという設定である。「守山は蚊どころ(蚊の名所)」というセリフもある。往時の守山は湿地帯であり、蚊が多いことで知られていたようである。
「謀生種」にも琵琶湖の話が出てくる。更に滋賀県人にはお馴染みの名所も例えとして登場する。
「六地蔵」は、京都を舞台にした話だが、京都市伏見区と宇治市一帯にある六地蔵地区とは関係がない。すっぱを題材にしたお話である。

高野は、「人生に悩んでいる人が狂言を観ても何も変わりません」と語る。「失敗する人ばかり出てくる」からだが、「昨日も失敗、今日も失敗、明日も失敗で生きていくのが人間であり、みんな一緒」と思えたなら少しは勇気づけられるかも知れない。

 

「蚊相撲」。大名(演じるのは野村裕基。いわゆる守護大名や戦国大名などとは違い、その土地の有力者という程度の意味)が、新たな家来を雇おうという話を太郎冠者(内藤連)としている。狂言では身分の高い人(余り出てこないが)は最初から前の方に出てくるという約束があり、大名も目一杯前に出て自己紹介を行う。今、家来は太郎冠者一人であり、太郎冠者も新たな家臣を雇えば楽が出来るというので賛成する。最初は8000人の家来を雇いたいという無茶をいう大名であったが、太郎冠者に「家が確保出来ない」と反対され、200名に下げたが「食事の面倒が見られない」ということで、太郎冠者と合わせて2人、つまり新規採用1人となった。
太郎冠者は往来に出て、めぼしい人材がいないか目をこらす。スカウトを行う訳である。そこへ、「都へ上って人々の血を吸おう」と企んでいる蚊の精(深田博治)が通りかかる。蚊の精が気になった太郎冠者は正体を知らずに話し掛ける。蚊の精が「自分は万能だ」という意味の話をしたため、太郎冠者は採用を決め、蚊の精を屋敷に連れ帰る。
蚊の精が一番得意とするのは、「やっとまいった」=「相撲」である。大名は蚊の精に相撲の腕を見せて欲しいというのだが、一人では相撲は出来ない。そこで大名が相手をすることになるのだが、相撲の最中に蚊の精は正体を現す。最初の取り組みを終えて相手の正体を見破った大名は団扇を隠し持ち、蚊の精を嬲り始めるのだが……。

蚊の精の鳴き声が結構可愛らしく、ユーモラスである。狂言には獣の精に取り憑かれるという話がいくつかあるのだが、これもその系統に入る。
まだ若い野村裕基だが、立ち姿は美しく、堂々とした振る舞いが板に付いている。

 

「謀生種」は和泉流の専有曲であり、嘘つきの話である。主人公である甥(野村太一郎)には山一つあなたに住む伯父(野村万作)がいるのだが、この伯父が法螺話を得意としており、甥が勝負を挑んでもいつも打ち負かされてしまう。甥は予め作り話を考えておき、伯父の上を行こうとするのだが……。
富士山に紙袋を着せる話、琵琶湖で茶を沸かす話(茶の葉を取り寄せて練り、三上山ぐらいの大きさまで練り上げて琵琶湖に投じたという話が出てくる)、本州から首を伸ばして淡路島の草を食う牛の話などが出てくる。壮大すぎる話だが、日本人の多くが知っている名所を題材としているため、荒唐無稽ではあるがイメージは出来てしまうというのが特徴である。ちなみにオチはない。

 

「六地蔵」。とある田舎者(高野和憲)が、六地蔵を堂宇に安置しようと計画。地蔵堂は建てたのだが、田舎であるため仏師がおらず資源もない。ということで都まで仏師を探しに出掛ける。だが、仏師が京都のどこにいるのかも調べずに来てしまったため、都大路をウロウロする羽目になる。それを見ていたいかにも悪そうな顔のすっぱ(野村萬斎)が田舎者と見抜き、騙すことを思いつく。
田舎者が「仏師を探している」と言うと、すっぱは、「その真仏師(まぶっし)だ」と名乗る。田舎者は「マムシ」と聞き違えて震え上がるが、すっぱは「真の仏師で真仏師だ」と説明する。すっぱは当然ながら仏像とは縁がなく、「楊枝一つ削ったことがない」のだが、六地蔵を彫ろうという約束をする。最初は3年3月90日(この辺の数え方の意味はよくわからない)かかるといっていたのだが、弟子達に分業体制で行わせ、完成した各々の部分を膠で固めたら1日で六地蔵が完成すると説明する。そして大金を吹っ掛けるが、明日までに六地蔵を完成させられる仏師は他にいそうにないので田舎者も話を飲む。

さて、すっぱは、仲間3人(中村修一、飯田豪、石田淡朗)を呼び、各自が地蔵に化けるという提案を行う。3体にしかならないので、すっぱ仲間の一人がもう3人呼んでこようとするが、提案を行ったすっぱは、「分け前が減る」ということで、3体ずつ別々にあるところを見せて田舎者を騙そうと企む。三条通の大黒屋に金が振り込まれ、因幡薬師(平等寺)の北側の本堂(北側の寺院の本堂という意味だろうか。往時の因幡薬師は参拝者が多いので因幡薬師内という訳ではないと思われる)を待ち合わせ場所とする。早めに因幡薬師の北側に着いたすっぱとその仲間は法具などを手にした地蔵に化けようとするのだが、無教養の者が多いため、何をすればいいのかわからない。ということでこの場面の野村萬斎はスパルタ教官と化す。
本堂のすっぱ達が化けた地蔵を見て感心する田舎者であったが、六地蔵なのに3体しかないとやはり言い出す。すっぱは「残りの3体は置き場所がないので鐘楼堂に安置した」と説明し、鐘楼堂に先回りして田舎者を騙すことにいったんは成功したのだが……。

特にひねりはないため、意外性には欠けるのだが、舞台と橋掛かりの間を何度も行き来するためダイナミックかつ賑やかで、華のある狂言となっていた。

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2020年10月 7日 (水)

観劇感想精選(356) 「市川猿之助 藤間勘十郎 春秋座花形舞踊公演」

2020年10月4日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午前11時から、京都芸術劇場春秋座で、「市川猿之助 藤間勘十郎 春秋座花形舞踊公演」を観る。春秋座の芸術監督である市川猿之助による久しぶりの舞踊公演である。今回は単独ではなく、藤間勘十郎を迎えての二枚看板での公演となった。

藤間勘十郎は、宗家藤間流の八世宗家であるが、少年時代に大河ドラマ「独眼竜政宗」で、「梵天丸もかくありたい」と言っていた少年の今の姿といった方があるいは分かりやすいかも知れない。

 

演目は、「檜垣」、「玉兎」、「黒塚~月の巻より~」、「悪太郎」。「玉兎」以外は澤瀉屋のお家芸として知られている作品である。「悪太郎」以外は特別な衣装を用いない素踊での上演となる。

 

春秋座もコロナ対策を行っており、チケットの半券の裏に氏名、電話番号、住所(それほど詳しくなくても良いらしい)を記入。フェイスシールドを用いているスタッフも何人かいる。
座席も前後左右最低1席空けであるが、舞台に近い座席はそのまま使用し、希望者にはフェイスシールドが無料で配布されるようになっていた。また退場の際に出口付近で混雑が発生するのを防ぐため整理退場が行われた。

 

「檜垣」。出演は、藤間勘十郎(関守の檜垣の老女、実は老女の亡魂)、中村鷹之資(小野小町)、市川猿之助(四位の少将=深草少将)。

深草少将と小野小町の話は、通常は深草少将が一方的に小野小町に恋をして、「百日連続で通ったらなら」という約束を果たす直前に亡くなったという悲劇として語られることが多い。そもそも百日通うこと自体が無理な約束であるため、小町としては深草少将に諦めて貰うつもりで無理な約束をしたとされるのだが、「檜垣」ではストーリーの展開上、深草少将と小野小町が相思相愛であったという設定に変わっている。
以前、少将を慕っていた檜垣の老女が、死してなお小町に嫉妬するという話である。老女が小町に、「いね(「去れ」「あっち行け」)」と言うセリフがあるなど、分かりやすさを重視している。
老女が井戸に映った己の年老いた姿を見て、怒りに震えるシーンがあるのだが、井戸から真っ赤な光が溢れ出てきて、まるでムンクの絵画のような独特の恐怖感を描き出していた。

 

「玉兎」。中村鷹之資による舞踊。餅つきがモチーフになっており、臼が置かれ、杵を手にして踊るなど、愛らしさが印象的な舞である。

 

市川猿之助の独演である「黒塚~月の巻より~」。三味線は宮川町の今藤美佐緒が奏でる。今日は長唄囃子はマスクの代わりに口の前に黒い布を垂らして謡う。尺八も飛沫防止のため黒い布を垂らしながら吹いていた。

鬼女伝説で知られる安達ヶ原を舞台に行われる舞踊劇。猿之助の細やかにして確かな動きが観る者を惹きつける。
「黒塚」はおどろおどろしい話として知られているが、今回の舞踊ではそうした要素はほぼなしであり、観世音による救いの場面で終わる。これは次の「悪太郎」にも繋がる終わり方である。

 

狂言が原作である「悪太郎」。「甲府の子天狗」こと……、といっても若い人には通じないか。時代劇で「悪」と付く場合は、いわゆる「悪」ではなく「強い」という意味であることが多いのだが、この演目の悪太郎は、乱暴で嫌われ者という今でいうところの「悪」に近い名前である。
この演目では猿之助は歌舞伎の、藤間勘十郎は能の衣装を着けて演じる。セリフも猿之助が歌舞伎調で、勧十郎は普通の語りに近いため、不思議な世界が現出する。意図的にミスマッチを狙った演出(猿之助と勘十郎が共同で行っている)だと思われる。

ストーリーは「悪人正機」ということで真宗的とされるが、それよりも時宗の教えをなぞっているようなところがある。そもそも能・狂言自体が阿弥号を持つ同朋衆が広めたものであるため、時宗とは極めて近しい間柄である。

叔父安木松之丞(市川猿弥)と太郎冠者(中村鷹之資)は、乱暴者の甥、悪太郎に手を焼いている。この日も悪太郎は酒に酔ったまま街道を歩いていると、西近江の寺から東近江の名刹に参詣に向かう修行者智蓮坊(藤間勘十郎)と出会う。悪太郎は智蓮坊と同道することに決めるが、長刀を振り回したり、脅したりするため智蓮坊は迷惑顔である。なんとか悪太郎から離れることが出来た智蓮坊。悪太郎は街道の真ん中で眠り込んでしまう。そこへ安木と太郎冠者がやって来て、熟睡している悪太郎の頭を丸め、そばに墨染めの衣と鉦(かね)を置く。目覚めた悪太郎に、太郎冠者は仏からの夢告を装って、「南無阿弥陀仏」と名乗るよう命じる。墨染めの衣と鉦を見つけた悪太郎は、南無阿弥陀仏という名前の僧侶として生きることに決める。そこに「南無阿弥陀仏」と唱えながらやって来る男が一人。修行者智蓮坊である。南無阿弥陀仏を自分の名前だと思っている悪太郎は、智蓮坊が「南無阿弥陀仏」と念仏を行うたびに返事をしたため、相手が悪太郎だと気付かない智蓮坊に不審がられ……。

ラストは出演者4人による法悦の踊り念仏となり、ミニマルな高揚感が劇場を支配する。市川猿弥が転倒するアクシデントがあったが、すぐに立ち上がって踊りを続けたため、失敗のうちには入らないだろう。
日本中を熱狂の渦に巻き込んだという元祖芸能スターによるヒット曲、一遍の「踊り念仏」に立ち会えたようで嬉しくなった。

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2020年9月30日 (水)

配信公演 「京都能楽チャリティ公演~祈りよとどけ京都より~」2020.9.25

2020年9月25日

午後7時から、YouTubeライブで「京都能楽チャリティ公演~祈りよとどけ京都より~」を観る。東日本大震災の被災地のためのチャリティ公演であり、ロームシアター京都完成後は、毎年サウスホールで公演が行われていたのだが、今年は新型コロナの影響で中止となり、代わりに配信が行われることになった。
なお、今回は新型コロナウイルスの流行中であるということで、チャリティ募金は行われない。東日本大震災での被災地は、主に東北地方の太平洋側であったが、今現在は全世界が新型コロナの被災地といって過言ではない状態になってしまっている。

「能楽チャリティ公演」は、例年は昼夜別演目1回ずつの2回公演であったが、今回は流石に2回は難しいということで、能2番、狂言1番の1公演分の演目が先月20日にロームシアター京都サウスホールで収録され、観世流シテ方の片山九郎右衛門がライブ出演して、特別に演目の解説を行うというスタイルとなった。歌舞伎などではイヤホンガイドがあるが、能や狂言にはそうしたものはないので、貴重な機会である。

まず、祝言謡「四海波」が能楽師有志によって謡われ、能「羽衣」(出演:浦田保浩ほか)、狂言「口真似」(出演:茂山千五郎ほか)、能「大会(だいえ)」(出演:片山九郎右衛門ほか)が上演される。


「四海波」は、能楽師が最もよくうたう謡だそうである。


能「羽衣」。世阿弥の作と伝わるが、確たる証拠はないという演目である。舞台となっているのは駿河国の三保の松原。舞台設定や登場人物、あらすじは歌舞伎舞踊になっているものとほぼ同じである。
能舞台の場合は鏡板があるわけだが、今回は能楽堂ではなく劇場での公演ということで、背景は富士山の山稜や雲を表しているかのような抽象的な線が照明で描かれている。
天女の昇天(でいいのかな?)は、富士山の煙と二重写しになるように描かれており、また天女は月世界からやって来たということで、「竹取物語」も意識されているようである。

英語の字幕スーパー入りでの上演。ちなみに羽衣は英語で“Robe(ローブ)”となっており、確かにそうかも知れないが大分イメージが異なる。英語圏の人に「羽衣とは何か」を説明しても、多分、すぐにはわからないので、ローブが適当なのだろう。
歌舞伎ではそうではないが、能では天女は面を付けているため、明らかに異界の人である。
また、天女の舞も迫力重視である。
ラストでは富士山が須弥山に例えられ、月の光は浄土の無量寿光に重なって、この世の安寧が祈念される。


狂言「口真似」。主(茂山茂)が酒を飲もうとするのだが、一人で飲んでも面白くない。そこで太郎冠者(茂山千五郎)を呼び、「面白い奴を客人として呼んでこい」と無茶を言う。太郎冠者は酔狂人(飲んべえ)の逸平(茂山逸平)を呼ぶことにする。主は、酔狂人が来ると聞いて不満に思うも無下にするわけにもいかず、太郎冠者に自分の言う通りにして逸平に接するよう命じるのだが、太郎冠者は主の言ったことを一言一句そのまま逸平に伝えてしまい……。

どこかで見た覚えがあったのだが、1996年の大河ドラマ「秀吉」の第48回の劇中で、豊臣秀吉(竹中直人)が徳川家康(西村雅彦。現・西村まさ彦)と共に演じ始めたのがこの演目であったことを思い出す。一度、確認してみたいのだが、残念ながら今すぐに確認出来る手段はないようだ。調べてみたところ、能狂言好きとしても知られた豊臣秀吉は、「口真似」の元となる狂言を徳川家康と前田利家と共に3人で舞ったことがあるそうである。


能「大会(だいえ)」。大会というのは、釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で行った説法を指す言葉のようである。
前段が、絵本で紹介される。片山九郎右衛門の制作で「大会」を絵本化した『天狗の恩返し』からの引用である。

天狗(片山九郎右衛門)が鳶に化けて東北院(とうぼくいん)近くの都大路で遊んでいたところ、武士の投げた石で落とされ、子ども達に捕まって、殺されそうになった。たまたま通りかかった僧侶が鳶の命を助けたのだが、鳶の正体である天狗は僧侶にお礼がしたくなって寺院(原作では比叡山延暦寺とされているが、今回の上演では具体的な寺院名は出てこなかった)を山伏に化けて訪れる。山伏に化けた天狗は、僧侶に「望みがあれば仰って下さい」という。大会の様が見たいと僧侶が言うと、天狗は法力(でいいのかな?)を使って大会の様子を再現してみせる。ただ、これは明らかに釈迦と邪魔の話に重なるため、激怒した帝釈天が姿を現し……。

天狗が強者・帝釈天に追われるという話なのだが、今回の上演では天狗が帝釈天に立ち向かい、一騎打ちとなる。YouTubeLiveということで、チャットにコメントが書き込めるのだが、一騎打ちの場面では、「かっこいい」「凄い」という言葉が並ぶ。
帝釈天と天狗が去った後、舞台上に鳶の羽が一つ舞い落ち、僧侶がそれを拾い上げるという、映像でしか出来ない詩的な演出が施されており、これも好評であった。


私もチャットに参加していたが、こうした上演に立ち会うと、「日本人に生まれて良かった」としみじみ思う。こうした考えも決して大袈裟ではないはずだ。

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2020年9月13日 (日)

観劇感想精選(352) 大槻能楽堂 「野村万作 萬斎狂言会 第25回記念」SD版振替公演

2020年9月8日 大阪・上町の大槻能楽堂にて観劇

午後7時から、大阪・上町の大槻能楽堂で「野村万作 萬斎狂言会 第25回記念」SD版振替公演を観る。SDは「Social Distance」の略で、一度売れたチケットを全て払い戻し、使用出来る客席を減らした上で再発売している。他の劇場公演同様、両隣を最低1席空けた上での鑑賞となる。

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この公演でもチケットは自分で半券を切り、手のアルコール消毒と検温の必要がある。また大阪府独自の追跡サービスに登録するか、スマートフォンや携帯がサービス非対応か、そうしたものを持ち歩いていない人は氏名や住所などを用紙に記入する必要がある。

 

まず野村万作による芸話が15分ほどあり、その後に野村裕基による小舞「名取川」、野村萬斎と野村太一郎による「清水(しみず)」。休憩を挟んで、野村萬斎、野村万作、野村裕基の三代共演となる「業平餅」が上演される。

 

野村万作の芸話。孫の野村裕基が先日、「奈須與市語」への初挑戦(「披く(ひらく)」」というそうである)を務め、今度は弟子達に「釣狐」の稽古を付けているという話から、自身が若い頃に「釣狐」を演じた時の話をする。現在は能舞台が横浜能楽堂に移築されている染井能楽堂で「釣狐」をやった二十代の頃の話である。まだ若く、運動神経にも自身があったことから張り切って挑んだが、舞台と橋掛かりを何度も行き来する必要があったため息切れが酷くなり、「気になる」と不評であった。そのため、再度「釣狐」に挑んだ時は復讐として慎重に演じたという話をする。何度も演じていく上で万作なりの工夫を凝らすことになるのだが、今行っている弟子への稽古は自分が付けた工夫は全て取り払い、昔、父親から教わった通りの「釣狐」に戻しているという。狂言は伝承が大切であり、自分がつけた色をそのまま伝えると元の形から逸脱したものが後世に残ってしまうため、それは避ける必要がある。
「釣狐」は、万作が「卒業論文のようなもの」と表現するほど狂言方にとって重要なものであるが、「釣狐」を演じることで得た技術は他の狂言を行う時にも生きるそうである。

 

小舞「名取川」。日本各地の川の名が読み上げられる川尽くしの舞である。
野村萬斎の長男、野村裕基は、清潔感に溢れる見た目と仕草が印象的。父親に顔は余り似ていないが声はそっくりである。

 

水繋がりとなる「清水」。主人(野村太一郎)が茶会を開くことになったので、良い水を汲む必要があり、太郎冠者(野村萬斎)に秘蔵の手桶を持たせ、野中の清水を汲みに行かせる。太郎冠者は、「居間での仕事があるので次郎冠者にお命じ下さい」という意味のことを言うが、主人は太郎冠者に行くよう命令する。この作品での太郎冠者は結構反抗的である。「女子どもにも出来る仕事」と不満を言い、こんなことをしていては茶会がある度に水汲みに行かせられる羽目になると嘆く。そこで太郎冠者は「清水で水を汲もうとしたところ、山の向こうから鬼が駆けて来た」と嘘をつき、水汲みの仕事をさぼる。だが主人は太郎冠者に持たせた秘蔵の手桶が気になり(主人は手桶の方が太郎冠者の命より大事らしい)、自ら清水へと赴く。太郎冠者は主人を追い返すために、鬼に化けて現れ、主人を脅すのだが……。

野村萬斎が時折行う口語調というか、開いた感じというか、いわゆる狂言の節とは違った台詞回しが絶妙のアクセントとなり、笑いを誘う。「狂言の革命児」野村萬斎の真骨頂である。狂言とはまた違った西洋音楽的、というと語弊があるかも知れないが、異質の台詞を挿入することで生まれる一種の「異化」効果によって、これまでの狂言とは別種の面白さが生まれている。あるいはこの「工夫」は萬斎一代で終わるものなのかも知れないが、彼が与えた影響は今後も形を変えて残っていく可能性が高い。

 

「業平餅」。色男の代名詞の一人である在原業平を主人公にした作品である。狂言は、「この辺りの者でござる」という口上が多いことからも分かるが、「その辺の人」が演じられることが多く、歴史上の人物が登場することは比較的珍しい。

橋掛かりから現れた野村萬斎は流石の気品。「おお! 業平だ!」と感嘆する。

業平が、歌人でありながらまだ歌道の神社である紀伊・玉津島明神に参拝したことがないというので、従者を引き連れて参詣に向かう途中の話である。
朝臣(ここでは「あそん」ではなく「ちょうしん」と読む)在原業平は和歌の名手と認められ、容姿の良さも相まって女からはモテモテであったが、政争に敗れた上、漢詩など、当時は和歌よりも上とされた学芸が不得手であったため、出世は叶わなかった(実際は晩年にそれなりに出世はしたようである)。というわけで金がない。
道中で売られていた餅が食べたくなった業平は、餅屋(石田幸雄)に、金の代わりに歌を詠もうと提案するが断られる。業平は、干ばつの時、小野小町が神泉苑での雨乞いで、「ことわりや日の本なれば照りもせめ さりとてはまたあめが下かは(日の本の国なので、日が照るのも道理でしょう。しかしながら、天が下というからには雨が降らないのはおかしい)」という歌を詠んで雨を降らすことに成功し、その褒美として餅を貰ったという話をして、餅と歌との繋がりを説くが、そんなことで餅屋が納得するはずもない。
業平はならばと、餅尽くしの歌を延々と披露し(ここで冒頭の小舞「名取川」と繋がり、循環する)、餅屋を驚嘆させる。業平が自らの正体を明かすと餅屋は「娘が一人いるが宮仕えを望んでいる」と語る。好色である業平は娘(野村裕基が面を被って演じている)をものにしようとするが……。

茂山千五郎家の「YouTubeで逢いましょう!」で観た「吹取」によく似た展開であり、娘を他人(この「業平餅」では、野村万作演じる傘持)に押しつけようとする下りもそっくりである。この作品では、「悲劇の才人」「稀代のモテ男」という業平のイメージからの落差が笑いのツボとなっている。


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2020年6月 9日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part11 三笑会」(文字のみ。アーカイブへのリンクはあり)

2020年6月7日

午後2時から、茂山千五郎家の「YouTubeで逢いましょう! part11 三笑会」を観る。狂言も他の伝統芸能同様、血縁関係による一門が基本となるが、狂言の家に生まれなくても狂言方になる方法も歌舞伎などと同様にあり、東京の場合は国立能楽堂の養成所を経るのが一般的だが、今回のメインとなる三笑会を結成している3人は狂言大蔵流茂山千五郎家に直弟子として入門し、今日に至っている。

三笑会は、茂山千五郎家の血縁ではない網谷正美、丸石やすし、松本薫の3人によって結成された狂言の会である。全員が大卒という共通点がある。

先週から投げ銭制度が採用された「YouTubeで逢いましょう!」。今日も日付に合わせた607円を投げ入れる。千五郎に掛けた1056円や、千作に掛けた1039円を送る人もいる。

 

演目は、「竹生島参」、「水掛聟」、「かけとり」

 

「竹生島参」。出演は、茂山千五郎(主人)、松本薫(太郎冠者)

太郎冠者が今でいう無断欠勤したので、主人は激怒。戻っていた太郎冠者を難詰するのだが、太郎冠者は琵琶湖に浮かぶ「竹生島参」をしたというので、主は興味津々。折檻を加えるはずが、竹生島の話をすれば許すということにする。竹生島は、相模国(今の神奈川県の大半)の江ノ島、安芸国(今の広島県の西側)の厳島と並んで日本三大辯才天の一つであり、芸能の神様(仏様)ということで狂言の家にとっては特別な存在である。

太郎冠者は、竹生島では、スズメが「チチチチチ、父」とカラスに向かって鳴き、カラスが「コカー、子かー」と鳴く「親子でこざる」などと駄洒落を言い、犬が「去ぬ(いぬ)」、猿が「去る」、蛙が「帰る」という掛詞を続けるが、「くちなわ(蛇)」に関しては下らないことしか言えず、主人に怒られるという話である。
オチはないとされるが、辯才天は蛇との関連が深いため、本来は蛇に関してだけは上手いことをいえないとまずいということなのだと思われる。

 

上演終了後、司会進行役の茂山逸平と松本薫のトークがある。
松本は立命館大学入学以降、能と狂言の鑑賞にはまり、自分でチケットを買って、京都や大阪の能楽堂に通うという生活を送っていたそうだが、当時は学生は祖父や狂言サークルなどの人に貰ったチケットで観に来るのが普通であり、狂言サークルなどに入っているわけでもないのに自分で窓口でチケットを買って毎週のように観に来る松本はかなり珍しい存在だったそうで、松本本人は自覚していなかったが、関西の狂言界ではかなり有名な客として知られていたそうである。

京都能楽鑑賞協会という団体の公演ポスターを見つけたのがきっかけで、左京区岡崎にある京都観世会館に出掛けて「安宅」を鑑賞。セリフはよくわからないが、興味を覚えて、1年間は能・狂言の公演に通おうと決めたそうである。それから京都の市民狂言会、その時は京都会館第2ホール(現在は改修されてロームシアター京都サウスホールになっている)での上演だったのだが、2階席で観て十二世(先々代)茂山千五郎に魅せられて、「この人の追っかけをしよう」と決めたそうである。

そして大阪で大阪能楽鑑賞会主催による劇評家の武智鉄二などによる能・狂言の講演が開かれるということで裏方として潜り込ませてもらい、日本装束研究家の切畑健から十二世茂山千五郎を紹介されて、会いに行ったらもう入門するということになっていたそうである。

 

「水掛け聟」。出演:茂山千之丞(聟)、網谷正美(舅)、山下守之(女房)

農民(耕作人)階級の人々が登場人物。
日照りにより聟の田から水が涸れてしまった。ただ隣の舅の田を見ると水が満ち満ちている。舅がこの様を見たら聟の田に水を送るだろうと勝手に決めた聟は、畦を切って自分の田に水を引き入れてしまう(まさに「我田引水」である)。
聟が去った後、舅がやって来て、今度は自分の田には水がなく、聟の田が青々としているのを見て、同じ理屈で自分の田に水を戻してしまう。

舅はその場に隠れ、聟が戻って来て先ほどと同じ事を始めたのを見咎め、水を掛けあう大喧嘩に発展する。

 

網谷正美のトーク。網谷正美は京都大学卒業後、同志社高校などで国語の教師をしており、兼業という形で狂言師を続けてきた。大学在学中に市民狂言会で初めて狂言に出会い、京都学生狂言研究会(KGKK)という狂言サークルに入って八坂神社の能舞台で初舞台を踏む。大学を卒業後すると同時に学校の国語教師となるのだが、当時、茂山千五郎家が病気などで人が足りないということで、入門することになったようである。

 

「かけとり」。茂山逸平作の落語を原作とした現代狂言である。出演は、鈴木実(太郎)、茂山茂(女房)、丸石やすし(大家)、茂山宗彦(もとひこ。酒屋)。エア囃子:島田洋海(ひろみ)。

大つごもりということで、借金を返したりするのに忙しい。家賃も全然払っていないため、太郎と女房は窮するのだが、大家が能好きということで、能を謡って誤魔化そうとする。
太郎はいきなり能楽師の振りをしながら大家の前に現れる。大家は太郎の企みを瞬時に見抜くのだが、結局、能のやり取りをして、うちよりもまず「一門の総帥である千五郎が、そばのそば屋でそばすすっている」ので先に取り立てに行けという太郎の言葉に乗せられるという、謎の展開になる。

その後、酒屋も取り立てに現れるのだが、沢田研二の「TOKIO」ならぬ「TSUKEO」を歌っている。酒屋のモッピー(宗彦)は最近、ジュリー殿と仲が良いので真似をしているのだという。ということで「勝手にしやがれ」の替え歌を太郎と酒屋とで歌い始め、「出て行ってくれ」と歌われた酒屋が「あーあー」歌いながら帰っていくという、カオス状態となって終わる。

ちなみに逸平によるとジュリーファンからの苦情は一切受け付けていないそうである(?)

 

丸石やすしは広島出身。ということで茂山千五郎一門の中で唯一のカープファンである。広島商科大学(現・広島修道大学)卒業後、東洋工業(現・マツダ。広島東洋カープの東洋である)に総務として就職するが、元々芸人志望だったということもあって勤め人が水に合わずに退社。その後、落語家や芸人を目指して桂米朝の追っかけなどをしていたが、狂言を初めて観て面白さに目覚め、当時は茂山千五郎家の電話番号が本名で電話帳に載っていたため、電話しところ、大阪能楽鑑賞会で講座をやるから、それを観てやる気があるなら弟子入りを許可するので観世会館に来いといわれて、入門したそうである。

 

アーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=88819Q8kdoE

 

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2020年5月26日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part9」(文字のみ。アーカイブへのリンクはあり)

2020年5月24日

午後2時から、茂山千五郎家による「YouTubeで逢いましょう! part9」を視聴。今回は今や梨園を代表する女形となった中村壱太郎(かずたろう)。以前、京都芸術センターで行われた壱太郎のトークイベントを見に出掛けたことがあるが、壱太郎自身は女形よりも女方表記を好んでいるようである。

若手人気歌舞伎俳優が出演するということで、視聴者はいつもの倍となる。そのためかどうかはわからないが今日は回線が不安定であり、茂山千五郎家の科学技術庁長官こと茂山茂は大忙しとなる。茂山茂は京都コンピュータ学院出身で、IT関係のスペシャリストであるが、茂山千五郎家には茂以外にその手の分野に詳しい人は皆無であるため、茂におんぶに抱っことならざるを得ない。


動きがカクカクして見えるが、狂言「茶壺」が上演される。出演:茂山茂(すっぱ)、茂山宗彦(もとひこ。中国方の者)、鈴木実(目代)。
中国方の者(中国地方出身の者という意味だと思われる)が栂尾まで買い物に出掛けた帰り、酒にしたたか酔って、茶壺を背負ったまま道の真ん中で眠ってしまう。そこに現れたすっぱは、茶壺をものにすべく、肩紐を掛けて眠る。中国方の者が目覚めたところですっぱは、茶壺は自分のものだと主張、中国方の者を盗人だと決めつける。そこで目代に茶壺が誰のものか判定して貰うことにするのだが……。

歌舞伎でも「茶壺」は演目に入っているのだが、結末が異なるようである。
すっぱは、とにかく記憶力が良く、舞なども巧みで、すっぱなどやらずともあらゆる分野で活躍出来そうではある。

映像は最初からコマ送りのようであり、古い時代の映画を観ているようで、これはこれで趣があるものだったのだが、すっぱと中国方の者と目代とでやり合っている間に映像が完全に止まってしまう。直すことが唯一出来る茂は舞台の上、ということで、いったん演目を中断し、茂が色々と工夫して直す。その間、茂山千五郎家の人々がトークで繋ぐ。ちなみに京都府は緊急事態が解除になったため、今日は至近距離で会話を交わすことが出来る。

その後、再開し、無事やり遂げる。ちなみに茂は映像が止まったということには気づいていて、演じている間もどうやったら再開出来るか考え続けていたそうだ。

ということで予定時間より15分ほど押すことになる。

 

続く狂言の演目は、有名作「棒縛」。出演、茂山千五郎(太郎冠者)、島田洋海(ひろみ。次郎冠者)、井口竜也(主人)。

島田洋海が「是非、次郎冠者をやってみたい」というので行われる演目である。チャットでは茂山千之丞(童司)が「棒縛」の裏話などを教えてくれる。

 

中村壱太郎へは、狂言にまつわるクイズが千之丞から出題される。同じ演目を行うこともある狂言と歌舞伎だが、中村壱太郎はかなりの苦戦。能舞台の背後にある松の絵が描かれたものをなんというか(正解は「鏡板」)、今ある狂言の流派は大蔵流と何流?(正解は「和泉流」)という比較的簡単な問題にも正解出来ず、「やっちまった」状態。和泉流でなく「井上流」と答えたときにはコメントが総ツッコミ状態となる。「関係者が見てるんで、もう狂言(が元)の奴(歌舞伎の演目)させて貰えないと思います」と語っていた。

洒落にならないかも。

慶應ボーイなのでクイズ番組から出演のオファーがあってもおかしくないが、絶対に断った方がいいレベルである。

 

アーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=zPRYN5WUleg&t=7264s

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2020年5月19日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part8 リモート狂言Ⅲ」(文字のみ。アーカイブへのリンクあり)

2020年5月17日

午後2時から茂山千五郎家によるWebLive配信「YouTubeで逢いましょう! part8 リモート狂言Ⅲ」を観る。
今日は冒頭から進行役を務める茂山逸平のパソコンに配信動画が映らないため視聴者からのコメントも読めないというハプニングがあり、茂山千五郎家のIT担当である茂山茂が直すという場面が見られた。ちなみに茂山茂は「長官」と呼ばれている様である。

今回は、清水寺の大西英玄執事補がゲストとして参加。ちなみに清水寺は前年に比べると参拝者が95%減となっているそうである。この大西英玄氏の法話というほど本格的ではないが、清水寺の歴史や、自身の得度の体験、北観音と呼ばれた清水寺に対する南観音(観世音)こと長谷寺が、能の観世流の由来となっているといったお話が面白くてためになるというので、茂山千五郎家からもチャットのコメントからも大好評であった。ちなみに大西氏は清水寺のIT関係も受け持っているようで、検索すると、「清水寺のホームページのアクセス解析を行ったところ、アクセスや拝観時間などのページしか見られていないことがわかった」ため、これではいけないということでインスタグラムを開設して画像や映像の配信を行い、好評であるという。

 

演目は、清水寺ゆかりの「吹取(ふきとり)」が演じられる。清水寺参詣の場が加わった特別編での上演である。

いい年だが独身の男性が、清水寺の観音に妻乞いを行う。通夜(夜通し念じること)をしていると、五条の橋で月に向かって笛を吹けば妻を与えようと観音からの託宣(でいいのかな?)を受けることになる。しかし、男は笛が吹けず……。
出演:茂山千五郎、島田洋海(ひろみ)、山下守之。

笛が吹けない男(茂山千五郎)は、笛の上手(島田洋海)が知り合いにいるので代わりに笛を吹いて貰うことにする。五条の橋(今の五条大橋ではなく、松原大橋である)で笛を吹いて貰うと、果たして妻(山下守之)が現れるのだが、妻は笛の上手を夫と見做してしまう。妻乞いをした男はなんとか妻に振り向いて貰うのだが……。
なんで今まで妻がいなかったのか、なんとなく察せられる内容となっている。

 

太郎冠者と次郎冠者が顔を合わせない演目が一つだけあるという。「樋の酒」という演目であるが、今では廃曲になっているという。だが、茂山逸平が、これはリモート狂言にピッタリだと思いついたということで演じられることになる。

太郎冠者の茂山宗彦(もとひこ)が茂山家の稽古場の能舞台で演じ、次郎冠者の茂山千之丞(茂山童司)と主人役の井口竜也がぞれぞれZoomを使って自室から演目に加わるというリモート上演。

「棒縛」と同じ趣向であるが、「樋の酒」では太郎冠者と次郎冠者がそれぞれ別の蔵に監禁される。次郎冠者は酒蔵に閉じ込められるのだが、これは主人から下戸だと思い込まれているためで、太郎冠者が留守の間に酒を飲んでしまわないようにとの措置である。だが、次郎冠者は実際は「酒豪」と呼んでいいほどの酒好き。ということでガブガブ飲み始め、樋を使って太郎冠者にも酒を与える。上機嫌の二人は舞い始め、という内容である。「Zoom飲み会に見えてきた」というコメントもあった。
実際に隔離されての上演であるため、舞台で演じられるよりもリアリティがある。片方を酒蔵に閉じ込めてしまう必要性が感じられないなど、論理的に破綻しているため廃曲になったのだと思われるが、リモート上演という、ついこの間まで存在すらしなかった上演形態にピタリと填まる。ちなみに宗彦にちなみに宗彦が持つ杯に見立てられた扇に酒を注ぐ樋は茂山逸平が持ち続け、上演後の配役紹介で自ら、「壁:茂山逸平」と読み上げた。

 

狂言と人類愛を結びつけた大西英玄氏のお話の面白さもあり、「今回は神回だった」という言葉がコメント欄に浮かぶが、逸平は清水寺なので「仏さんですよ!」と突っ込み、コメント欄にも「仏回」という言葉が並んだ。


アーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=S20nfDl9Nm0&t=329s

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2020年5月 5日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part6 リモート狂言」(文字のみ)

2020年5月3日 午後2時からはYouTubeで茂山千五郎家の「YouTubeで逢いましょう! part6 リモート狂言」を観る。Zoomを使っての中継。茂山逸平が司会を務める。 まず茂山千五郎が、先日、新型コロナウィルスを原因とする敗血症のために40歳の若さで亡くなった善竹富太郎への弔辞を述べる。 最初の狂言は「文荷(ふみにない)」。出演は、茂山千五郎、茂山茂、山下守之。 主(山下守之)が恋文を太郎冠者(茂山千五郎)と次郎冠者(茂山茂)に恋人に届けるよう託すという話である。二人で交互に恋文を手に持って主の恋人の下に向かうのだが、途中で、垣を見つけ、竹竿の両端を太郎冠者と次郎冠者とで持って中央に文を吊して担うようにして運び始める。そのうちに、主がどんな無粋な文を書いたが気になった二人は文を開封して読み始め、散々に嘲笑するが、どちらが読むかで揉めた際、文を二つに裂いてしまう。このままでは開封したこともばれてしまって届けることも出来ないと悟った二人であったが、「風の便り」という言葉もあるので、扇子で扇いで届けようと図るという話である。 その後、自宅からZoom出演している狂言方の方々や、落語家の桂よね吉なども出演したトークを行う。Zoomはあくまで会議用のツールなので、時間がずれることがあるようだ。 リモート小舞「京童(きょうわらんべ)」が行われる。小舞をリモートで行うのは史上初である。「京童」は茂山千五郎家のみに伝わる舞だそうである。井口竜也の謡で茂山千五郎が舞う。Zoomの音響では謡の声が大きすぎて、声と動きとが分離された感じを受ける。 そして、史上初となるリモート狂言も行われる。演目は「柿山伏」。演じるのは茂山宗彦(もとひこ。「モッピー」というあだ名が定着しているらしい)と鈴木実。茂山宗彦演じる山伏のセリフを担当するのは島田洋海。鈴木実のセリフを受け持つのは茂山千之丞。やはりちょっとずれて見えるところがあるが、超長台詞を切れ味鋭く言う場面は演じながらでは難しいため、動きと語りを分けた面白さも生まれていた。 宮城聰主宰のクナウカがこうした上演を行っているが、滋賀県住みます芸人であるファミリーレストランもハラダの喋くりとしもばやしの動きとで笑わすネタを得意としているため、そのことをチャットで書いたところ、「ここでファミレス?ひょっとして滋賀県住み?」という書き込みがあったので、「京都在住吉本好きです」と答えておいた。

「活動写真のようだ」という意見があり、茂山千之丞は「そういう劇団ありますよ。ギリシャ悲劇とかやる」と語っていたが、ク・ナウカのことであると思われる。もっともギリシャ悲劇自体は元々はク・ナウカと同じスタイルで、動きと語りは別人が行っており、ク・ナウカはそれを再現しているのである。

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2020年4月16日 (木)

配信公演 「白井あさぎ七回忌追善 春青能『半蔀・立花供養』」YouTubeライブ(文字のみ)

2020年4月11日

午後3時から能公演「白井あさぎ七回忌追善 春青能『半蔀・立花供養』」YouTubeライブ公演を観る。

春青能実行委員長である白井孝明の娘で、6年前に19歳の若さで亡くなった白井あさぎの追悼公演である。京都市中京区にある冬青庵能楽堂での上演。


演目は、舞囃子「田村」、仕舞「弱法師」、能「半蔀・立花供養」


舞囃子「田村」を演じる青木真由人。立命館宇治高校の1年生という若手である。坂上田村麻呂を主人公にした「田村」のハイライト上演。
かなり前まで出ての上演であるが、坂上田村麻呂が征夷大将軍という高い身分に就いていたからかも知れない。
青木真由人は若いので、謡などは様になっていない感じだが、動きは切れがある。


片山九朗右衛門らによる「弱法師」を経て、「半蔀・立花供養」が上演される。「弱法師」上演の後で舞台が消毒された。


「半蔀」は「源氏物語」に登場する夕顔を描いた能である。夕顔が六条御息所の生き霊に取り殺される場面はとても有名であり、教科書などにも採用されているため、「源氏物語」の知識がなくても夕顔の名を覚えている人は多いはずである。青木道喜ほかによる上演。

第一場の舞台となっているのは雲林院。今は場所も移転して大徳寺の塔頭となっている小さな寺院であるが、以前は天台宗の大寺院だったという。私も大徳寺からの帰り道に寄ったことのある寺院である。紫式部自身がこの近くの生まれという説があり、また大寺院時代の雲林院は「源氏物語」にも登場する。

雲林院の僧侶が立花供養を行おうとすると、謎の女性が現れ、夕顔の花の話をして去って行く。

第二場では、女性の正体が「源氏物語」に登場する夕顔であろうと悟った僧侶がいにしえの五条御殿の辺りに出掛け、半蔀の後ろに姿を現した夕顔の幽霊から光源氏との思い出を聞かされるという内容である。

元々能の謡は聞き取り憎いが、第二場に入ってから一層聞き聞き取りづらくなったため、Kindleで「半蔀」の謡曲本を買ってダウンロードし、本を追いながら観る。専門用語が多く、確かにこれでは聴いただけではわからないだろう。
ただ本をダウンロードしたおかげで、なぜここで舞が入るのかといったことまで推測出来るようになる。画面にタッチすれば索引まで飛んで戻ってこられるため便利だ。


その後、「田村」の謡曲本もダウンロード。伊勢国鈴鹿の鬼神を清水寺の開基でもある坂上田村麻呂が退治する話であり、最後は清水寺の観音の仏力によって鬼神が退治される。今の状況で上演されるのに相応しい演目でもある。

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