カテゴリー「フランス映画」の34件の記事

2025年1月26日 (日)

これまでに観た映画より(368) 濱口竜介監督作品「寝ても覚めても」

2024年11月23日

ひかりTV有料配信で、日仏合作映画「寝ても覚めても」を観る。「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督作品。濱口竜介監督はこれが初の商業作品である。その後、出演者が一悶着起こした曰く付きの映画でもある。原作:柴崎友香。脚本:田中幸子、濱口竜介。出演:東出昌大、唐田えりか、瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知、仲本工事、田中美佐子ほか。占部房子もワンシーンだけ出演している(3.11の地震で気分が悪くなってしゃがみ込んでいる女性役)。音楽:tofubeats。

大阪で物語が始まり、東京に移り、再び大阪に帰ってくる(最初の場面は大阪市内だが、戻ってきたときはおそらく大阪市内ではない。天野川が流れているというので、枚方市付近の可能性がある)。

大学生の朝子(唐田えりか)は、中之島の国立国際美術館で、牛腸茂雄(ごちょう・しげお)の写真展を見た後で、鳥居麦(ばく。東出昌大)にいきなりキスをされて恋に落ちる。朝子は親友の島春代(伊藤沙莉)や岡崎伸行(渡辺大知)と共に、麦が居候している岡崎の家で度々遊ぶようになる。春代は麦のことを警戒しており、「あの男だけはアカン」と忠告する(これが現実世界で響くことになるとは)。ちなみに春代と岡崎は同じ大学に通っていることが会話で分かるが、麦や朝子についてはどうなのかはっきりとは分からない。麦は風来坊のような性格で、度々無断でどこかへ行ってしまう。そしてある日、麦は朝子の前から姿を消した。

2年後、朝子は東京に出て喫茶店を経営している。近くにある酒造会社に勤める丸子亮平(東出昌大二役)と出会う朝子。最初は亮平のことを麦だと思い込んで、「麦だよね?」と話しかけるが、亮平は顔は麦にそっくりだが他人なので、「獏? 動物園のこと?」と意味が分からない。しかし、亮平が朝子に好意を持つのも早かった。おそらく一目惚れである。東京でも牛腸茂雄の作品展を観ようとしていた朝子。東京で出来た友人である鈴木マヤ(山下リオ)と画廊の前で待ち合わせていたのだが、そこに亮平が通りかかる。遅れてきたマヤがようやく画廊にたどり着くが、もう入場時間を過ぎている。ここで亮平が機転を利かせて、3人は画廊に入ることが出来た。亮平もやはり大阪出身である。惹かれ合う亮平と朝子だったが、おそらく朝子は自身が麦の面影を亮平に見ていることに気付き、一度は別れを決意する。

朝子の親友のリオは、たまにテレビの再現VTRに出る女優で、普段は舞台女優としての活動に力を入れている。チェーホフやイプセンの作品に出ているので、新劇系統の小劇団に参加しているのだと思われる。亮平の同僚である串橋耕介(瀬戸康史)と共に、リオが出演したチェーホフ作品(「桜の園」だと思われる)のビデオを見ていた時に、耕介が突然怒り出すという事件が起こる。耕介はリオの演技を自己満足だと批判し、不快感を露わにする。そしてその後、自身でチェーホフのセリフを語る。チェーホフのセリフはビデオを見てその場で覚えたものとは思えないのだが、実際に耕介は舞台俳優に憧れて演じていた経験があり、自分は諦めたのにまだ続けている人がいることに嫉妬したとして謝罪。おそらくチェーホフ作品で同じ役を演じたことがあるのだろう。最終的にはリオと耕介は結婚することになる。濱口監督は、「ドライブ・マイ・カー」でも、「ゴドーを待ちながら」や「ワーニャ伯父さん」を西島秀俊に演じさせているので、そうした王道の演劇作品が好みなのだろう。また伊藤沙莉の証言では、ニュアンスを抜いたセリフの喋り方の訓練を行っており、伊藤は、「ニュアンスを抜く」の意味が当初は分からなかったと告白しているが、「ドライブ・マイ・カー」で、西島秀俊演じる俳優兼演出家が感情を込めずにゆっくりとセリフを喋らせるシーンがあるため、これに近いことが行われていたことが想像出来る。

イプセンの「野鴨」に出演することになったリオ。亮介は金曜の午後のソワレを招待券として受け取る。朝子も同じ回を取るかと思ったが、彼女は金曜のマチネーのチケットを頼んだ。その後、朝子から別れを切り出された亮介は、受付で金曜のマチネーにチケットを変更して貰った。無論、朝子に会うためだ。開演直前だったがリオに挨拶。リオは当然ながら亮平の意図を見抜いており、朝子は明日のチケットに変えたのだと告げる。
それでも折角なので観ていくつもりだった亮平だが、その日は、2011年の3月11日。開演の客電が消えた瞬間に東京でも大きな揺れが発生し、大道具や照明などが倒れたり破損したりしたことなどから公演は中止に。電車が止まっているので、歩いて会社まで帰ろうとしたが、街は人で混雑。地震のショックでうずくまっている女性(占部房子)に声を掛けるなど、亮平は優しさを見せる。そんな中、亮平は朝子と出会う。運命を感じた二人は抱き合うのだった。

5年後、亮平と朝子は同棲を続けているが結婚はしていない。リオと耕介は結婚している。ある日、朝子はデパートで春代と偶然再会。春代はシンガポール人の男性と結婚して、シンガポールに住んでいたが、旦那が東京に転勤になったので東京で暮らしているという。亮平と出会った春代は、朝子が亮平の中に麦を見つけて付き合っているのだとすぐに見抜く。そして麦が最近売り出し中の芸能人になっており、CMに出演して、連続ドラマの主演も決まっていると教える。
実は亮平も麦が売り出し中の芸能人であることを知っており、出会いの件から、顔が似ているので自分に惹かれたのだろうと見当を付けていた。それでもそのお陰で出会えたのだからと寛容な態度を取る。
亮平は大阪の本社に転勤を願い出る。新居は天野川の近くだ。だが朝子が一人の時に、麦が訪ねている……。

容姿の似た男性の間で揺れる女性を描いたファンタジー。評価は高く、第42回山路ふみ子映画賞、山路ふみ子新人映画賞(唐田えりか)、第10回TAMA映画賞最優秀作品賞、最優秀男優賞(東出昌大)、最優秀新人女優賞(伊藤沙莉)、第40回ヨコハマ映画祭の作品賞、主演男優賞(東出昌大)、助演女優賞(伊藤沙莉)、最優秀新人女優賞(唐田えりか)など受賞多数である。
ただ、個人的には都合の良い映画のように映る。朝子が麦と亮平の間で揺れるのも、顔の似たいい男だからのように思われ、軽く見えてしまうのも難点である。所詮、顔ってことか。
実際、軽い二人だったようで、不倫騒動を起こしてしまい、東出昌大はすでに撮影済みであった映画以外は出演自粛、唐田えりかは映画と配信、BSのみの出演で韓国に拠点を移しつつある。韓国では彼女の容姿は受けが良いようだ。最近になって日本の地上波のドラマに出演したが散々に叩かれている。
この映画は、濱口竜介監督作品ということで、いずれは観ることになったと思うのだが、「伊藤沙莉のSaireek Channel」を初回の方から聴いて、丁度「寝ても覚めても」が公開になるというタイミングだったので視聴してみた。伊藤沙莉は今よりポッチャリしていて、大阪弁を喋る役なのだが、千葉県出身で方言を話したことがほとんどないので、習得に時間を掛けたという話をしている。実は春代は出番はそれほど長くなく、鈴木マヤを演じた山下リオの方が助演に近いのだが、ヨコハマ映画祭では伊藤沙莉が助演女優賞を受賞している。春代が朝子にすっと温かい言葉を掛けて、ドキッとさせるシーンがあるが、それが評価されたのだろうか。この時に、共に助演女優賞を取ったのが親友の松岡茉優で、この時点では2016年の大河ドラマ「真田丸」にも良い役で出演していた松岡の方が知名度では上であったと思われる。すでに二人は親友になっているが、その後、更に友情が深まる事件が2020年に発生している。詳しくは書かないでおく。

伊藤沙莉が語るところでは、「寝ても覚めても」のチームは仲が良く、一緒に出掛けたりしていたらしいが、東出と唐田がああいうことになって会えなくなってからは親交もおそらく途絶えたのだと思われる。


叩かれてばかりの東出と唐田だが、少なくともこの映画においては東出はなかなか良い演技をしている。セリフは余り上手くないが、モデル出身だけあって佇まいが良い。唐田えりかの演技はやや拙い感じだが、演技経験に乏しく、苦手意識がある中での抜擢であったため、やむを得ない印象は受ける。初々しさがあって良い。「ナミビアの砂漠」では短い出番ながら自然な印象の演技で、表に情報は出ないが演技のレッスンは続けているのだと思われる。

一番印象に残るのは瀬戸康史で、英語を喋るシーンがあるなど、いい役を貰っているということもあるが、この時から存在感を放っている。ただあくまで引き立て役であるためか、瀬戸康史はこの映画では特に賞は貰っていない。

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2024年12月20日 (金)

「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1 ゲスト:森山未來

2024年12月7日 京都芸術劇場春秋座にて

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「疫病・戦争・災害の時代に―― サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1に接する。2019年のベケット没後30年のサミュエル・ベケット映画祭に続く二度目のサミュエル・ベケット映画祭である。前回は京都造形芸術大学映写室での上映会がメインだったが、今回はキャパの大きい春秋座での開催である。
先にオープニングイベントがあり、今日が本編の初日となる。今日は、「ゴドーを待ちながら」、「ねえ、ジョー」、「クラップの最後の録音」の3作品が上映される。またトークの時間が設けられ、俳優・ダンサーの森山未來が登場する。森山未來を生で見るのは、先月17日のPARCO文化祭以来、と書くと不思議と長そうに思えるが、半月ちょっとぶりなので、同一の有名人に接する期間としては比較的短い。
総合司会兼聞き手は、京都芸術大学大学院芸術研究科教授の小崎哲哉(おざき・てつや)。


まずベケットの代表作である「ゴドーを待ちながら」が上映されるのだが、その前に小崎による解説がある。ベケットが長身で男前だったこと、語学の才に長け、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などを操ったことを紹介する。性格的には怖い人だったようである。また人前に出るのが嫌いで、ノーベル文学賞を受賞しているが、授賞式には出なかったという。また、下ネタが好きで、「高尚なものから下品なものまで描くのが芸術」だと考えていたようである。便器を「泉」というタイトルで芸術作品にしたマルセル・デュシャンとは仲が良かったようである。


「ゴドーを待ちながら」は、2019年のサミュエル・ベケット映画祭で、京都造形芸術大学映写室で上映されたものと同一内容だと思われる。この時は再生トラブルがあり、途中で中断があって、デッキを交換して上映を続けている。この時はこうした手際の悪さに呆れて以降に上映された作品は観ていない。この大学のいい加減さを象徴するような出来事であった。

「ゴドーを待ちながら」は、エストラゴン(ゴゴ)とウラディミール(ジジ)が一本の木が生えた場所で、ゴドーなる人物を待ち続けるという作品である。途中で、資本家の権化のようなパッツオと、奴隷のラッキーとのやり取りが2回ある。
監督:マイケル・リンゼイ=ホッグ。出演:バリー・マクガヴァン、ジョニー・マーフィーほか。マイケル・リンゼイ=ホッグ監督は、瓦礫だらけの場所を舞台に設定している。明らかに第二次大戦後の荒廃した光景を意識している。
エストラゴンとウラディミールという二人の浮浪者については、余り分かりやすいセリフではないのだが、いい加減に生きてきたから浮浪者になっているのではなく、頑張ってやるだけのことはやったが結局努力が実らなかったことが察せられるものがある。そして二人の人生はもうそれほど長くはない。大人の男の寂寥感が漂っている。ベケットは黒人による「ゴドー」の上演は強化したが、女優による「ゴドー」の上演は禁じている。「女性差別じゃないか」との批判もあったが、ベケットは「女性には前立腺がないから」というをその理由としている。ただ女性二人組にした場合、寂寥感は出ないかも知れない。男性でしか表現出来ないもの、女性にしか表現不可能なものは確かにある。
資本家のポッツォと奴隷のラッキーであるが、こうした組み合わせは戦前までは当たり前のように存在していた構図でもある。法律上は禁止されていても、金持ちが貧乏人がいいように扱うというのは一般的で、今でもある。世界の縮図がこの二人の関係に表れている。
人生そのものを描いたかのような「ゴドーを待ちながら」。何があるのか分からないのだが、とにかく待って生き続けるしかない。


上映終了後、15分の休憩を挟んで、森山未來を迎えてのトークがある。先に書いたとおり、聞き手は小崎哲哉が務める。

小崎はベケットと森山の共通点として、「多領域で活躍し」「格好いい(森山は「イヤイヤ」と首を振る)」などを挙げていた。森山はこれまでベケット作品にはほとんど触れてこなかったそうで、「初心者です」と述べていた。
「ゴドーを待ちながら」は、事前に映像データを貰っていたのだが、冒頭をパソコンで観て、「これはパソコンで観られる作品ではない」と感じ、知り合いの神戸の喫茶店がスクリーン完備だというので、そこを貸してもらって観たそうだ。「見終わって体力的に疲れた」という。
小崎が「ゴドー」が人生を描いたものという説を紹介し、森山も「人生暇つぶし」というよくある解釈が思い浮かんだようだ。

NHK大河ドラマ「いだてん」では森山は落語家の古今亭志ん生の若い頃を演じ、老成してからの志ん生は北野武が演じたが、入れ替わりになるので接点はなかったそうである。ただ、小崎は北野武はベケットから影響を受けているのではないかと指摘する。監督4作目の「ソナチネ」で、沖縄のヤクザに戦いを挑んだ弱小ヤクザ軍団が見事に敗れ、離島に逃げて何もやることがないので時間を潰すというシーンがあるのだが、これは「ゴドー」を念頭に置いているのではないかとのことだった。
なお、落語家の演技は、亡くなった中村勘三郎が抜群に上手かったそうだが、実は勘三郎は、立川談志の楽屋を訪れて弟子入りを志願したそうで、談志に実際に師事していたそうである。また殺陣は勝新太郎に習っていたそうだ。

ベケットの作品は自身の戦争体験が基になっているということで、ダンサーの田中泯の話になる。田中泯は、1945年3月10日、東京の西の方で生まれている。実はこの日、東京の東の方では、いわゆる東京大空襲があり、田中泯自身には東京大空襲の記憶はないだろうが、その日に生まれたということで様々な話を聞かされたのではないかと小崎は語っていた。

小崎は、森山が2020年に行った朗読劇「『見えない/見える』ことについての考察」の話をする。実は小崎はこの公演は観ていないようだが(私は尼崎での公演を観ている)、使われたテキストの作者、ジョゼ・サラマーゴとモーリス・ブランショは共にベケットから強い影響を受けた作家とのことだった。森山未來はそのことについては知らなかったという。


森山未來は神戸市東灘区の出身である。11歳の時に阪神・淡路大震災に被災。しかし東灘区は神戸市内でも特に被害が大きかった場所であるにもかかわらず、森山未來の自宅付近は特に大きな被害はなく、周囲に亡くなった人もいないということで、当事者でありながら周縁者という自覚があり、コンプレックスになっているそうだ。「ゴドー」を観てそんなことを思い出したりしたそうだが、小崎に「ラッキーをやってみたらどうですか? 合うと思いますよ」と言われてちょっと迷う素振りを見せた。

なお、阪神・淡路大震災発生30年企画展「1995-2025 30年目のわたしたち」が兵庫県立美術館で今月21日から開催されるが、森山未來も梅田哲也と共に出展している。


続けて「ねえ、ジョー」の上映。上映時間16分の短編である。監督:ミシェル・ミトラニ、出演:ジャン=ルイ・バロー。声の出演:マドレーヌ・ルノー。
モノクロの映像。男が室内を歩き回り、やがてこちら向きに腰掛ける。そこへ女の声がする。「ねえ、ジョー」と呼びかける女の声は、ジョーのこれまでの人生などを語る。ジョーは涙を流す。
声と表情を分離したテレビ作品である。


「クラップの最後の録音」。ベケット作品の中でも知名度は高い部類に入る。
監督:アトム・エゴヤン。出演:ジョン・ハート。
69歳になる老人、クラップは、これまで毎年、誕生日にテープレコーダーにメッセージを吹き込んできた。30年前に録音した自分の声を聞いたクラップはその余りの内容の乏しさに、自身の人生の空虚さを感じ、悔いを語るメッセージを残すことにする。
小さめのオープンリールのテープレコーダーを使用。実際には民生用のテープ録音機材が発売されてから間もない時期に書かれているため、30年前の録音テープが残っているというのはフィクションである。
老年の寂しさ、生きることの虚しさなどが伝わってくるビターな味わいの作品である。


最後に森山未來が登場。「皆さん、これ3本観るわけでしょう。体力ありますね」と述べていた。

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2024年12月13日 (金)

これまでに観た映画より(358) 「BACK TO BLACK エイミーのすべて」

2024年11月27日 京都シネマにて

京都シネマで、イギリス・フランス・アメリカ合作映画「BACK TO BLACK エイミーのすべて」を観る。27クラブのメンバーとなってしまったイギリスのシンガーソングライター、エイミー・ワインハウスの人生を描いた作品である。監督:サム・テイラー=ジョンソン。脚本:マット・グリーンハルシュ、出演:マリア・アベラ、ジャック・オコンネル、エディ・マーサン、ジュリエット・コーワン、サム・ブキャナン、レスリー・マンヴィルほか。

27クラブの説明から行いたい。英語圏では27歳で早逝するミュージシャンが多く、この不吉な年齢で亡くなった場合、「27クラブに入った」と見なされる。27歳は若いので、自然死や病死の人は少なく、オーバードーズや自殺など、世間から見て「良くない」とされる死に方をしている人が大半である。エイミー・ワインハウスも急性アルコール中毒で、一応、病気の範疇には入るが、つまりは酒の飲み過ぎで、自ら死を招いている。
27クラブの主なメンバーには、ジミ・ヘンドリックス(変死)、ジャニス・ジョプリン(オーバードーズ)、ジム・モリソン(心臓発作であるがオーバードーズの可能性が高い)、カート・コバーン(自殺)がいる。

「私の歌を聴くことで現実を5分だけでも忘れることが出来たら」との思いで歌い続けるエイミー・ワインハウス(マリア・アベラ)。音楽好きの一家の生まれ、に見えるのだが、すでに両親は別居していることが分かる。演劇学校に合格し、入学当初は「ジュディ・ガーランドの再来」などと期待されるも素行不良で退学に。煙草と酒が好きでドラッグにも手を出すなど、かなりだらしない人という印象も受ける。特にアルコールには目がなかったようで、酒を飲みながらライブを行うシーンがある。
この映画では描かれていないが、エイミーは、酩酊したまま舞台に上がり、ほとんどまともに歌えないまま本番を終えて、「史上最悪のコンサート」とこき下ろされたライブを行っている。これを「笑っていいとも」でタモリが紹介しており、「エイミー・ワインハウスという名前で、ワインが入っているから」と笑い話にしていたが、結果的にこの「史上最悪のコンサート」がエイミーのラストライブとなったようである。

若い頃にジャズシンガーをしていて、音楽に理解のあった祖母のシンシア(レスリー・マンヴィル)と仲が良かったエイミーだが、この祖母にすでに癌に侵されていることを告げられ、彼女が他界するといよいよ歯止めが利かなくなっていったようである。

歌手としてデビュー後に出会ったブレイク(ジャック・オコンネル)と恋仲になり、胸にブレイクの名のタトゥーを入れるエイミー。しかし、その後、ブレイクとは別れることになる。祖母のシンシアが他界した時も、エイミーは腕にシンシアのタトゥーを入れている。
ブレイクとの別れを歌った曲が、映画のタイトルにもなっている「BACK TO BLACK」である。この曲での成功により、エイミーとブレイクはよりを戻す。コンサートで、結婚したことを発表するエミリー。しかし、どうにも駄目なところのある二人は上手くいかず、ブレイクは暴行罪で逮捕。スターとなっていたエイミーはパパラッチに追い回されることになる。更にブレイクからは、「共依存の状態にあるのは良くない」と別れを切り出される。

ダイアナ妃が事故死した際も問題になったが、英国のパパラッチは相当に悪質でエイミーを精神的に追い詰めていく。そしてエイミーもそれほど強い女性には見えない。何かにつけ、依存する傾向がある。エイミーはリハビリのための施設に入ることを選択する。

そんな中でグラミー賞において6部門においてノミネートされ、5部門で受賞するという快挙を達成。しかしそれが最高にして最後の輝きとなった。

以後もリハビリを続けたエイミーだが、映画では描かれなかった「史上最悪のコンサート」などを経て、同じ年にロンドンの自宅で遺体となって発見される。享年27。27クラブへの仲間入りだった。生前、エイミーは27クラブに入ることを恐れていたと言われている。自堕落な生活に不安もあったのだろう。
才能がありながらいい加減な生活を送って身を滅ぼした愚かな女で済ませることも出来なくはない。だが彼女の人生には人間が本来抱えている弱さと、周囲の容赦のなさが反映されているように思える。あそこまでされると生きる気力をなくす人も多いだろう。親族と親密な関係を築けたのがせめてもの幸いだろうか。

ライブシーンなども多く、マリサ・アベラ本人によると思われる歌唱も臨場感があって、イギリスの一時代を彩った歌姫の世界を間接的にではあるが味わうことが出来る。
エイミーの姿が悲惨なので、好まない人もいるかも知れないが、音楽映画として優れているように思う。

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2024年9月10日 (火)

これまでに観た映画より(345) 「チャイコフスキーの妻」

2024年9月9日 京都シネマにて

京都シネマで、ロシア・フランス・スイス合作映画「チャイコフスキーの妻」を観る。キリル・セレブレンニコフ監督作品。音楽史上三大悪妻(作曲家三大悪妻)の一人、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの妻、アントニーナを描いた作品である。ちなみに音楽史上三大悪妻の残る二人は、ハイドンの妻、マリアと、モーツァルトの妻、コンスタンツェで、コンスタンツェは、世界三大悪妻の一人(ソクラテスの妻、クサンティッペとレフ・トルストイの妻、ソフィアに並ぶ)にも数えられるが、モーツァルトが余りにも有名だからで、この中では比較的ましな方である。

出演:アリョーナ・ミハイロワ、オーディン・ランド・ビロン、フィリップ・アヴデエフ、ナタリア・パブレンコワ、ニキータ・エレネフ、ヴァルヴァラ・シュミコワ、ヴィクトル・ホリニャック、オクシミロンほか。

主役のアントニーナを演じるアリョーナ・ミハイロワは、オーディションで役を勝ち取っているが、これぞ「ロシア美人」という美貌に加え、元々はスポーツに打ち込んでいた(怪我で断念)ということから身体能力が高く、バレエや転落のシーンなどもこなしており、実に魅力的。1995年生まれと若く、将来が期待される女優なのだが、ロシア情勢が先行き不透明なため、今後どうなるのか全く分からない状態なのが残念である。

芸術性の高い映画であり、瞬間移動やバレエにダンスなど、トリッキーな場面も多く見られる。映像は美しく、時に迷宮の中を進むようなカメラワークなども優れている。

冒頭、いきなりチャイコフスキー(アメリカ出身で、20歳でロシアに渡り、モスクワ芸術座付属演劇大学で学んだオーデン・ランド・ビロンが演じている)の葬儀が描かれる。チャイコフスキーの妻として葬儀に出向いたアントニーナは、チャイコフスキーの遺体が動くのを目の当たりにする。チャイコフスキーはアントニーナのことを難詰する。

神経を逆なでするような蝿の羽音が何度も鳴るが、もちろん伏線になっている。

チャイコフスキーとアントニーナの出会いは、アントニーナがまだ二十代前半の頃。サロンでチャイコフスキーを見掛けたのが始まりだった(ロシアの上流階級が、ロシア語ではなくフランス語を日常語としていた時代なので、この場ではフランス語が用いられている)。作曲家の妻になりたいという夢を持ったアントニーナは、チャイコフスキーが教鞭を執るモスクワ音楽院に入学。チャイコフスキーが教える実技演習を立ち聞きしたりする。しかし学費が続かず退学を余儀なくされたアントニーナは、より大胆な行動に出る。郵便局(でだろうか。この時代のロシア社会の構造についてはよく分からない)でチャイコフスキーの住所を教えて貰い、『ラブレターの書き方』という本を参考に、チャイコフスキーに宛てた熱烈な恋文を送る。
チャイコフスキーから返事が来た。そして二人はアントニーナの部屋で会うことになる。しかし、そこで見せた彼女の態度は、余りにも情熱的で思い込みが激しく、一方的で、自己評価も高く、チャイコフスキーも「あなたは舞い上がっている。自重しなさい」と忠告して帰ってしまう。そして彼女には虚言癖があった。「チャイコフスキーと出会った時にはチャイコフスキーのことを知らなかった」という意味のことをチャイコフスキーの友人達に語ったりとあからさまな嘘が目立つ。

一度は振られたアントニーナだが、ロシア正教のやり方で神に祈り、めげずに恋文を送る。そしてチャイコフスキーは会うことを了承した。チャイコフスキーは同性愛者であった。当時、ロシアでは「同性愛は違法」であり、有名人であるチャイコフスキーが同性愛者なのはまずいので、ロシア当局がチャイコフスキーに自殺を強要したという説がある。この説はソビエト連邦の時代となり、情報統制が厳しくなったので、真偽不明となっていたのだが、ソビエトが崩壊してからは、情報の網も緩み、西側で資料が閲覧可能になったということもあって、「本当らしい」ことが分かった。以降、チャイコフスキー作品の解釈は劇的に変わり、交響曲第6番「悲愴」は、初演直後に囁かれた「自殺交響曲」説(チャイコフスキーは、「悲愴」初演の9日後に他界。コレラが死因とされる。死の数日前にコレラに罹患する危険性の高い生水を人前で平然と口にしていたことが分かっている)を復活させたような演奏をパーヴォ・ヤルヴィやサー・ロジャー・ノリントンが行って衝撃を与えた。また交響曲第5番の解釈も変わり、藤岡幸夫はラストを「狂気」と断言している。荒れ狂い方が尋常でない交響曲第4番も更に激しい演奏が増え、人気が上がっている。ただ、同性愛を公にしていた人物もいたようで、この映画にも架空の人物と思われるが、一目でそっち系と分かる人も登場する。
チャイコフスキーは、「今まで女性を愛したことがない」と素直に告白。「それにもう年だし、兄妹のような静かで穏やかな愛の関係になると思うが、それでも良ければ同居しよう」とアントニーナの思いを受け入れる。二人は教会で結婚式を挙げた。チャイコフスキーには自分が同性愛者であることを隠す意図があった。

プーシキンの作品を手に入れたチャイコフスキー。サンクトペテルブルクから仕事の依頼があり、二人の愛の形をオペラとして書くことに決め、旅立つ。この時書かれたのが、プーシキンの長編詩を原作とした歌劇「エフゲニー・オネーギン」であることが後に分かる。
しかしチャイコフスキーは帰ってこなかった。モスクワで見せたアントニーナの行動が余りにも異様だったからだ。夫婦の営みがないことにアントニーナは不満でチャイコフスキーを挑発する。二人の生活は6週間で幕を下ろすことになった。
史実では、アントニーナとの結婚に絶望したチャイコフスキーは入水自殺を図っており、それがアントニーナが悪妻と呼ばれる最大の理由なのだが、そうしたシーンは出てこない。

アントニーナをモスクワ音楽院の創設者でもあるニコライ・ルビンシテイン(オクシミロン)が、チャイコフスキーの弟であるアナトリー(フィリップ・アヴデエフ)と共に訪れる。有名音楽家の来訪にアントニーナは舞い上がるが、チャイコフスキーの親友でもあるニコライは、チャイコフスキーと離婚するようアントニーナに告げに来たのだった。アナトリーは、キーウ(キエフではなくキーウの訳が用いられている)近郊に住む自分たちの妹のサーシャ(本名はアレクサンドラ。演じるのはヴァルヴァラ・シュミコワ)を訪ねてみてはどうかと提案する。サーシャの家に逗留するアントニーナは、サーシャから「兄は若い男しか愛さない」とはっきり告げられる。

離婚協議が始まる。当時のロシアは、離婚に厳しく、王室(帝室)か裁判所の許可がないと離婚は出来ない。また女性差別も激しく、夫の家に入ることが決まっており、そこから抜け出すのも一苦労であり、選挙権もないなど女性には権利らしい権利は一切与えられていなかった。アントニーナにも男達に激しく責められる日々が待ち受けていた。
チャイコフスキーの友人達は、離婚の理由を「チャイコフスキーの不貞」にしても良いからとアントニーナに迫るが、アントニーナは「私はチャイコフスキーの妻よ。別れさせることができるのは神だけよ!」と、頑として離婚に応じない。チャイコフスキーの友人達はチャイコフスキーは天才であり、天才は「なにをしても許されており」褒め称えられなければならない。凡人が天才の犠牲になるのは当然との考えを示す。元々、性格に偏りのあったアントニーナだが、チャイコフスキーとの再会を願って黒魔術のようなことを行う(当時のロシアでは主に下層階級の人々が本気で呪術を信じていた)など、次第に狂気の世界へと陥っていく……。

チャイコフスキーを描いた映画でもあるのだが、チャイコフスキー作品は余り使われておらず、ダニール・オルロフによるオリジナルの音楽が中心となる。最も有名なメロディーである「白鳥の湖」の情景の音楽はチャイコフスキーの友人達が旋律を口ずさむだけであり、本格的に演奏されるのは、オーケストラ曲は「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一部、またピアノ曲は「四季」の中の2曲をアントニーナが部分的に奏でるだけである。あくまでもアントニーナの映画だという意思表示もあるのだろう。

俳優の演技力、独自の映像美と展開などいずれもハイレベルであり、今年観た映画の中でもおそらくトップに来る出来と思われる。

アントニーナは本当に嫌な女なのだが、自分自身にもてあそばれているような様が次第に哀れになってくる。

ちなみにチャイコフスキーと別れた後の実際のアントニーナの生涯が最後に字幕で示される。彼女がチャイコフスキーと別れた後に再会するチャイコフスキーが幻影であることは映像でも示されているのだが、史実としてはアントニーナはチャイコフスキーと再会することなく(数回会ったという記録もあるようだが、正確なことは不明)、最後は長年入院していた精神病院で亡くなった。

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2024年9月 8日 (日)

これまでに観た映画より(344) 「ボレロ 永遠の旋律」

2024年8月28日 京都シネマにて

京都シネマで、フランス映画「ボレロ 永遠の旋律」を観る。

「ボレロ」で知られるフランスの作曲家、モーリス・ラヴェルの伝記映画である。監督:アンヌ・フォンテーヌ。出演:ラファエル・ペルソナ、ドリヤ・ティリエ、ジャンヌ・バリバール、ヴァンサン・ペレーズ、エマニュエル・デュヴォス、アレクサンドル・タローほか。エマニュエル・デュヴォスが演じるマルグリットは、往時の名ピアニスト、マルグリット・ロンのことである。録音が残っているピアニストとしては最も古い世代に属しているマルグリット・ロン。ヴァイオリニストのジャック・ティボーと共に、ロン=ティボー国際音楽コンクールを創設したことでも知られる。お金に細かく、出演料はその場でキャッシュで貰い、それを鞄に入れて持ったままステージに出演。鞄を椅子の下に置いて演奏していたという話がある。お金を盗まれるのが嫌だったかららしいが、この世代の音楽家は変わったエピソードに事欠かない。
マルグリット・ロンは有名ピアニストではあるが、映画に登場するのはあるいはこれが初めてかも知れない。

ラヴェルがローマ大賞に予選落ちした1905年(字幕では1903年となっていたがより事実に近い方を採用)、出征した1916年、「ボレロ」が作曲された1928年、最晩年の1937年が主に描かれる。

若くして作曲家として名声を得たラヴェル(ラファエル・ペルソナ)。更なる飛躍を求めて若手作曲家の登竜門であったローマ大賞に挑戦。しかし、何度受けても大賞受賞には至らなかった。多くの作曲家仲間がラヴェルを応援していたが、年齢的に最後のチャンスとなる5回目の挑戦では、本命視されながら本選にすら進めなかった。これが波紋を呼ぶ。作曲家仲間の多くが審査結果に納得がいかず、抗議。審査に問題があったとして、審査員長のテオドール・デュボワがパリ国立音楽院院長の座を追われるという事態にまで発展する(ラヴェル事件)。
ただこの映画では、5回落ちて残念だったと、皆で飲むシーンで終わっており、ラヴェル事件には触れられていない。

1916年、第一次世界大戦にラヴェルは志願して出征。その直後、最愛の母親を失う。
「ラ・ヴァルス」を自らの指揮で演奏するシーンがあるが、ラヴェルが指揮中に集中力を欠く様子が描かれている。
ラヴェルは、バレリーナのイダ・ルビンシュタイン(ジャンヌ・バリバール)と出会い、後にバレエ音楽の作曲を依頼される。スペイン情調溢れるものが良いということで、スペインの作曲家、アルベニスの「イベリア」をオーケストレーションすることにしたが、版権の都合上、編曲作業中に放棄せざるを得なかった。バスク人の血を引くラヴェルは、スペインのボレロのリズム(ラヴェルの「ボレロ」のリズムと正統的なボレロのリズムは実は異なる)に乗せた17分の楽曲を自らの手で作成することを決意。試行錯誤しながら作業を進める。

ラヴェルが同性愛者であることは当時よく知られていた。男性音楽家がラヴェルを訪ねたという話を聞くと、周囲は「で、ラヴェルはどうだった?」と聞くのが恒例となっていたようである。この映画の中でも、ラヴェルが「音楽と結婚した」と評されていたり、「君なら(女性といても)大丈夫だ」というセリフがあったりする。女性関係があったのかどうかは定かではないが、この映画では直接的な描写はないが、あったということになっている。

ラヴェルは、「ボレロ」についてインテンポ(テンポ変化なし)、17分ということにこだわりを見せる。だが実は、バレエのシーンで流れる「ボレロ」もラヴェルに扮したペルソナが指揮する場面の「ボレロ」もおそらく15分行くか行かないかのテンポで、更にアッチェレランドしている。この辺が徹底されていないのが何故なのかは分からない(演奏時間約17分の演奏として有名なものにはアンドレ・プレヴィン盤やシャルル・ミュンシュ盤があり、かなり遅めであることが確認出来る)。
ラヴェルは、イダの振付が気に入らず、リハーサルでも文句を言い、本番も途中でいったん退席している。だがその後、自分の方が誤りで、「ボレロ」の持つ性的な魅力に気づいていなかったと認めることになる。

なお、名前が可愛らしいということもあって日本でも人気の高いピアニストであるアレクサンドル・タローが、ラヴェルのピアノ楽曲の演奏を手掛ける(主演俳優のペルソナ自身がピアノを弾いているが、プロの演奏に届かない部分をタローが補うという形のようである)他、辛口の音楽評論家役で出演している。タローの実演には接したことがあり、サインも貰っているが、シャイで大人しい印象の人で、俳優をやるタイプには見えなかったのだが、結構、芸達者である。フランス語には強くないので正確には分からないのだが、表情といい、台詞回しといい、なかなか堂に入っている。タロー演じるラロはドビュッシーの信奉者で、ラヴェルの作品は酷評することが多かったのだが、「ボレロ」に関しては好意的な態度を示す。

ヴィトゲンシュタインから左手のためのピアノ協奏曲の作曲を依頼されたと語るラヴェル。このヴィトゲンシュタインというのは、ピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタインのことで、著名な哲学者であるルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄である。ヴィトゲンシュタイン兄弟は、男ばかりの5人兄弟だったが、気を病みやすい家系だったようで、パウルとルートヴィヒ以外の3人は全員自殺している。
パウル・ヴィトゲンシュタインは戦争で右腕を失ったため、左手のピアニストとして活動を初めており、そのため複数の作曲家に左手のためのピアノ作品の作曲を依頼している。

更にラヴェルは、ピアノ協奏曲ト長調を作曲。エンディングテーマとして第2楽章が使われている他、初演に向けてマルグリット・ロン(エマニュエル・デュヴォス)がラヴェルの前で行うリハーサルで第2楽章の冒頭を弾く場面がある。
しかし、次第にラヴェルの作曲意欲は衰えていく。「ボレロ」が有名になりすぎて、「ラヴェル=ボレロ」というイメージも築かれ始めてしまう。

ラヴェル作品には、「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」のようにラストで「とんでもないこと」が起こる曲があるのだが、皮肉にもラヴェルも人生の最後でとんでもない事態を迎えることになる。

脳に障害が生じたと思われるラヴェル。交通事故に遭って障害が進行したとされるが、この映画では交通事故には触れられていない。脳外科手術を勧められたラヴェルだが、手術は失敗。そのまま帰らぬ人となった。ラストシーンは、ラヴェルを演じたペルソナの指揮(の演技)、ペルソナを取り囲む形で配置されたブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で「ボレロ」が演奏される。

なお、「ボレロ」が様々な国において様々な形態で演奏されていることが冒頭付近で紹介されており、ジャズになったり、ハウスになったり、ポピュラーソング風や民族音楽風になったりした「ボレロ」が演奏されているが、その中に、アジア代表としてアジアのオーケストラが「ボレロ」を演奏している光景が一瞬映る。エンドロールには、「オルケストラ・フィルハーモニー・ド・トーキョー」とあり、東京フィルハーモニー交響楽団であることが分かった。


全体的にフィクションが多めであり、伝記映画としては必ずしも成功しているとは言えないかも知れないが、アレクサンドル・タローの演技はレアということもあり、クラシック音楽好きなら一見の価値はある映画である。

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2024年4月 5日 (金)

これまでに観た映画より(328) 「ラストエンペラー」4Kレストア

2024年3月28日 アップリンク京都にて

イタリア、中国、イギリス、フランス、アメリカ合作映画「ラストエンペラー」を観る。4Kレストアでの上映である。監督はイタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ。中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(宣統帝)の生涯を描いた作品である。プロデューサーは「戦場のメリークリスマス」のジェレミー・トーマス。出演:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、英若誠、ヴィクター・ウォン、ヴィヴィアン・ウー、マギー・ハン、イェード・ゴー、ファン・グァン、高松英郎、立花ハジメ、ウー・タオ、池田史比古、生田朗、坂本龍一ほか。音楽:坂本龍一、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)。音楽担当の3人はアカデミー賞で作曲賞を受賞。坂本龍一は日本人として初のアカデミー作曲賞受賞者となった。作曲賞以外にも、作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣装デザイン賞、美術賞も含めたアカデミー賞9冠に輝く歴史的名作である。

清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(成人後の溥儀をジョン・ローンが演じている)。弟の愛新覚羅溥傑は華族の嵯峨浩と結婚(政略結婚である)して千葉市の稲毛に住むなど、日本にゆかりのある人で、溥儀も日本の味噌汁を好んだという。幼くして即位した溥儀であるが、辛亥革命によって清朝が倒れ、皇帝の身分を失い、その上で紫禁城から出られない生活を送る。北京市内では北京大学の学生が、大隈重信内閣の「対華21カ条の要求」に反対し、デモを行う。そんな喧噪の巷を知りたがる溥儀であるが、門扉は固く閉ざされ紫禁城から出ることは許されない。

スコットランド出身のレジナルド・フレミング・ジョンストン(ピーター・オトゥール)が家庭教師として赴任。溥儀の視力が悪いことに気づいたジョンストンは、医師に診察させ、溥儀は眼鏡を掛けることになる。ジョンストンは溥儀に自転車を与え、溥儀はこれを愛用するようになった。ジョンストンはイギリスに帰った後、ロンドン大学の教授となり、『紫禁城の黄昏』を著す。『紫禁城の黄昏』は岩波文庫から抜粋版が出ていて私も読んでいる。完全版も発売されたことがあるが、こちらは未読である。

その後、北京政変によって紫禁城を追われた溥儀とその家族は日本公使館に駆け込み、港町・天津の日本租界で暮らすようになる。日本は満州への侵略を進めており、やがて「五族協和」「王道楽土」をスローガンとする満州国が成立。首都は新京(長春)に置かれる。満州族出身の溥儀は執政、後に皇帝として即位することになる。だが満州国は日本の傀儡国家であり、皇帝には何の権力もなかった。

満州国を影で操っていたのが、大杉栄と伊藤野枝を扼殺した甘粕事件で知られる甘粕正彦(坂本龍一が演じている。史実とは異なり右手のない隻腕の人物として登場する)で、当時は満映こと満州映画協会の理事長であった。この映画でも甘粕が撮影を行う場面があるが、どちらかというと映画人としてよりも政治家として描かれている印象を受ける。野望に満ち、ダーティーなインテリ風のキャラが坂本に合っているが、元々坂本龍一は俳優としてのオファーを受けて「ラストエンペラー」に参加しており、音楽を頼まれるかどうかは撮影が終わるまで分からなかったようである。ベルトルッチから作曲を頼まれた時には時間が余りなく、中国音楽の知識もなかったため、中国音楽のCDセットなどを買って勉強し、寝る間もなく作曲作業に追われたという。なお、民族楽器の音楽の作曲を担当したコン・スーであるが、彼は専ら西洋のクラシック音楽を学んだ作曲家で、中国の古典音楽の知識は全くなかったそうである。ベルトルッチ監督の見込み違いだったのだが、ベルトルッチ監督の命で必死に学んで民族音楽風の曲を書き上げている。
オープニングテーマなど明るめの音楽を手掛けているのがデヴィッド・バーンである。影がなくリズミカルなのが特徴である。

ロードショー時に日本ではカットされていた部分も今回は上映されている。日本がアヘンの栽培を促進したというもので、衝撃が大きいとしてカットされていたものである。

後に坂本龍一と、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3部作を制作することになるベルトルッチ。坂本によるとベルトルッチは、自身が音楽監督だと思っているような人だそうで、何度もダメ出しがあり、特に「リトル・ブッダ」ではダメを出すごとに音楽がカンツォーネっぽくなっていったそうで、元々「リトル・ブッダ」のために書いてボツになった音楽を「スウィート・リベンジ」としてリリースしていたりするのだが、「ラストエンペラー」ではそれほど音楽には口出ししていないようである。父親が詩人だというベルトルッチ。この「ラストエンペラー」でも詩情に満ちた映像美と、人海戦術を巧みに使った演出でスケールの大きな作品に仕上げている。溥儀が大勢の人に追いかけられる場面が何度も出てくるのだが、これは彼が背負った運命の大きさを表しているのだと思われる。


坂本龍一の音楽であるが、哀切でシリアスなものが多い。テレビ用宣伝映像でも用いられた「オープン・ザ・ドア」には威厳と迫力があり、哀感に満ちた「アーモのテーマ」は何度も繰り返し登場して、特に別れのシーンを彩る。坂本の自信作である「Rain(I Want to Divorce)」は、寄せては返す波のような疾走感と痛切さを伴い、坂本の代表曲と呼ぶに相応しい出来となっている。
即位を祝うパーティーの席で奏でられる「満州国ワルツ」はオリジナル・サウンドトラック盤には入っていないが、大友直人指揮東京交響楽団による第1回の「Playing the Orchestra」で演奏されており、ライブ録音が行われてCDで発売されていた(現在も入手可能かどうかは不明)。
小澤征爾やヘルベルト・フォン・カラヤンから絶賛されていた姜建華の二胡をソロに迎えたオリエンタルなメインテーマは、壮大で奥深く、華麗且つ悲哀を湛えたドラマティックな楽曲であり、映画音楽史上に残る傑作である。

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2022年9月10日 (土)

これまでに観た映画より(310) 「ポルトガル、夏の終わり」

2022年9月8日

録画しておいた映画「ポルトガル、夏の終わり」を観る。2019年の制作。アメリカ・フランス・ポルトガル合作。セリフは英語とフランス語、一部ポルトガル語が用いられている。
監督:アイラ・サックス。出演:イザベル・ユペール、グレッグ・キニア、マリサ・トメイ、ジェレミー・レニエ、ブレンダン・グリーソン、ヴィネット・ロビンソン、パスカル・グレゴリーほか。

原題は、主演女優であるイザベル・ユペールの役名である「フランキー」(フランソワの愛称)であるが、ポルトガルの避暑地であるシントラ(世界文化遺産指定)を舞台に繰り広げられる群像劇であり(フランキーは中心にはいるが)、「夏の終わり」がフランキーの病状に重ねられているため、邦題としてはまずまず良いのではないかと思われる。多分、「フランキー」というタイトルだったら、「観たい」と思う日本人はかなり少なかったはずである。

比較的淡々と物語は進んでいく。

有名女優であるフランキーことフランソワ・クレモント(イザベル・ユペール)は、末期の癌に冒されており、診断によると年を跨ぐことは出来ない。そこで、家族や友人を連れて、ポルトガルのシントラで晩夏を過ごすことにする。夫に元夫、元夫との間の息子とその恋人候補、現在の夫の娘(連れ子)とその夫と娘などの行く末を見定めるつもりでもあっただろう。特に息子のポール(ジェレミー・レニエ)を友人のヘアメイクアーティストのアイリーン(マリサ・トメイ)とめあわせようとするのだが、実のところ……といった展開になる。アイリーンはニューヨーク在住で、息子のポールは仕事でニューヨークに移るということで期待したのであるが、アイリーンにはすでに婚約者候補があり、ポールもそれとなくアイリーンにアプローチをするのだが、断られている。

最期は登山のシーンである。フランキーがプランを立てたのだ。先に山に登ったフランキーが下にいるジミーとアイリーンを見つめる。そのフランキーを更に上から元夫のミシェルが望遠鏡で覗いている(ミシェルは今では男と恋愛関係にあるようだ)。その後、更に上の場所から山頂に到達した人々を捉える視点。おそらく神の視点であろう。計画はフランキーの予定通りには進まなかった。だが人々は思い思いに人生を過ごしていく。それを見つめる神の視座にいるカメラは、最後の頂に立ったフランキーのもう一つの視点なのかも知れない。

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2022年5月26日 (木)

これまでに観た映画より(296) 「勝手にしやがれ」4Kレストア版(2K上映)

2022年5月23日 京都シネマにて

京都シネマで、ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」を観る。日本では特に沢田研二がこの映画にインスパイアされた曲をヒットさせたということもあるが、ゴダール監督作品の中でも最も有名な映画と見て間違いないだろう。長編第1作が著名にして今なお世界的評価を得ているというのも稀なことである。

出演:ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグほか。原案をフランソワ・トリュフォー、監修をクロード・シャブロルが務めている。

2007年にDVDで観ているが、映像特典では、ジョン=ポール・ベルモンドが、自身が行った即興の演技の解説を行っていた。
有名なラストシーンで、どこまで走るかはベルモンドに一任されており、ゲリラ撮影であったため、ベルモンドは、「これ以上走ると車に轢かれる」という寸前で倒れたことを明かしている。死ぬ前に自分の手でまぶたを閉じるという有名な仕草もベルモンドによる即興である。


ろくでなしのミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)の話。実話が基になっている。マルセイユで車を盗み、南仏で乗り回していたミシェル。警察のバイクに追いかけられ、逃げるが、エンストして追い込まれた時に警官を射殺してしまう。かくてミシェルはお尋ね者となった。
パリに戻ったミシェルは、知り合いの女性から金をくすねたり、トイレで手を洗っていた男性を襲って金を奪ったりと、相変わらずのろくでなし生活。最終的にはアメリカ人の恋人であるパトリシア(ジーン・セバーグ)の下に転がり込むことになる。パトリシアはジャーナリストを志している。そうしている間にも捜査は進み、ミシェルは指名手配され、新聞にも顔写真と名前が載るようになっていた。


多くの映画監督が言葉を武器とする批評家からスタートしたというヌーヴェルヴァーグの映画らしく、過度にエスプリをちりばめたセリフが特徴。いくらフランス人とはいえ(ジーン・セバーグはアメリカ人だが)、ここまで凝った言葉を喋る人はいないと思われ、リアリティを欠くのだが、いわゆるリアリティとは別のところで勝負しているところがヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の特徴である。おそらくヌーヴェルヴァーグの作家達にとって、リアリティの重要度はそれほど高くはなかっただろう。

ジャン=リュック・ゴダールの作品は、私はそれほど好きではないが、「勝手にしやがれ」の完成度にはやはり感心させられる。

ちなみに、「勝手にしやがれ」制作時に、ジャン=リュック・ゴダールは28歳、ジャン=ポール・ベルモンドは26歳、ジーン・セバーグは二十歳である。みんな若い。


フランソワーズ・サガン原作の映画「悲しみよこんにちは」のセシル役で鮮烈なデビューを飾ったジーン・セバーグ。続けて出た「勝手にしやがれ」も好評だったが、実は彼女の出演作の中でヒットしたのは、この2作だけである。興行成績的にいうなら「悲しみよこんにちは」も成功とはいえないとされる。以降は女優としては低迷し、政治活動に力を入れるが、精神を病み、40歳の若さで自殺している。
ただ、「悲しみよこんにちは」で売れたということで、「勝手にしやがれ」のセリフの中に、サガンの『一年ののち』や『ブラームスはお好き』といった小説のタイトルがちりばめられている。だが、今日は残念ながら客席から笑いや反応は起こらなかった。天才少女作家の代名詞でもあったフランソワーズ・サガンも他界して久しく、小説も絶版が多く、今後は読まれない過去の作家となっていくのかも知れない。

とはいえジーン・セバーグもジャン=ポール・ベルモンドもとにかく魅力的である。セリフも映画のスタイルも自己中心的もしくは自己完結的であり、登場人物の間、そしてスクリーンと観客の間でもすれ違いが起こっていることは実感出来る。まさしく「勝手にしやがれ」状態だが、それが魅力になるというのが、この映画の強さである。車を盗んでは逃げ回っている男、そんな男についていく女、ろくでもない二人だが、そのろくでもなさの哀感が観る者を魅了する。「勝手にしやがれ」という邦題はベルモンドのセリフに由来するが、かなり上手い邦題だと思える。

3年前(2019年)に火災に遭ったノートルダム大聖堂、凱旋門、エッフェル塔、コンコルド広場など、舞台となっているパリの名所も多く登場し、パリの美しい街並みや風景も目にすることが出来るが、同時に例えばユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』に描かれたような、もう一つのパリとその魅力が語られているような独特の妙味を持った映画と賞賛したい。

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2022年5月21日 (土)

これまでに観た映画より(294) 「気狂いピエロ」

2022年5月13日 京都シネマにて

京都シネマで、「気狂いピエロ」を観る。ジャン=リュック・ゴダール監督の代表作の一つ。出演:ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナほか。
原作があるそうで、最近、邦訳が出たようだが、基本的に即興重視であり、バルザック、ランボー、ボードレール、プルーストといったフランスの詩人や小説家、またスコット・フィッツジェラルドの『夜はやさし』などのアメリカの文学作品のタイトルなどが衒学的にちりばめられている。ただ、実際にそれらの文学作品を読んでいれば分かりやすくなるかといえば、そんなことは全くない。

「気狂いピエロ」は、二十代の頃にビデオで観ているはずだが、内容は完全に忘れており、見返してみても、「こんな映画だったっけかな?」と尻尾をつかむことが出来ない状態であった。

アメリカンニューシネマに影響を与えた作品として知られており、実際、アメリカンニューシネマに通じるテイストや色彩感、雰囲気などを備えているが、やはり即興性が強いため、強引に感じる場面も多く、練りに練った脚本や当時流行っていた思想などで勝負するアメリカンニューシネマとは実は見た目は近いが最も遠い作品なのではないかという印象も受ける。

ストーリー自体は単純で、妻との関係に飽きた文学かぶれのフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)は、5年ぶりに再会したマリアンヌ(アンナ・カリーナ)と恋仲になる。マリアンヌは、フェルディナンのことを「ピエロ」というあだ名で呼ぶが、フェルディナンはそのたびに「フェルディナンだ」と言い返し、「ピエロ」というあだ名を気に入っていない。マリアンヌの兄が右翼系の武器流通組織に関与していたということで、事件に巻き込まれた二人はパリから南仏へと逃げることになる。
これだけなのだが、フェルディナンが書き記しているやたらと詩的なメモ、唐突に切り替わってはぶつ切りにされる音楽、一貫性を欠いた(即興なので当然なのだが)場面設定、突然始まるミュージカルなど、ごった煮状態であり、ある意味、理解するのではなく状況をそのままに味わった方が楽しめる映画である。

アメリカンニューシネマに影響を与えたと書いたが、アメリカンニューシネマは「俺たちに明日はない」などの例外はあるが、基本的に男性が活躍する作品が多いため、「気狂いピエロ」のアンナ・カリーナは、アメリカンニューシネマのどのヒロインよりも魅力的と断言してもいいだろう。

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2022年2月19日 (土)

これまでに観た映画より(282) 「ベニスに死す」

2022年2月8日

DVDで映画「ベニスに死す」を観る。ルキノ・ヴィスコンティ監督作品。トーマス・マンの同名小説の映画化であるが、主人公のアシェンバッハ(アッシェンバッハ)は、原作の小説家から音楽家に変えられている。元々、トーマス・マンは、作曲家にして指揮者のグスタフ・マーラーをアシェンバッハのモデルにしたとされており、最初の構想に戻す形となっている。舞台となっている年代は、原作では「19××」年とぼかされているが、この映画ではマーラーの没年である1911年に設定されている。
セリフは、英語、フランス語、イタリア語、ポーランド語、ロシア語、ドイツ語で語られる(メインは英語)。

アシェンバッハは高名な作曲家にして指揮者であるが、作曲作品は聴衆から受け容れられていない。アシェンバッハが自作を指揮する場面があるが、演奏終了後に拍手が起きないどころか、ブーイングと怒号の嵐となる。

私が初めて「ベニスに死す」を観たのは、タージオ役のビョルン・アンドレセンと同じ、15、6歳の時、高校1年か2年である。当時フジテレビでは深夜に名画をCMなしで放送しており、それを録画して3回ほど観ている。今回、30数年ぶりに見直してみて、映像のキメが細かいことに驚いた。当時の地上アナログ波、そしてVHSの限度が分かる。
また、フジテレビ放送版は、おそらく15分ほどのカットがあったと思われる。

自作の上演が成功せず、鬱状態に陥ったアシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、心臓が弱いということもあり、医師から静養を勧められ、ベニス(ヴェネツィア)に旅行に出掛け、リード・デ・ヴェネツィアにあるホテルに滞在することになる。
アシェンバッハは厳格な性格であり、精神性を何よりも大事にしていた。そんなアシェンバッハが、滞在先のホテルで絶世の美少年であるタージオ(タジオ。本名はタデウシュ。演じるのはビョルン・アンドレセン。タージオはフランス語とポーランド語を話すという設定だが、アンドレセンはフランス語やポーランド語は出来ないため、セリフは全て吹き替えである)を見掛ける。最初はタージオへの思いに戸惑い、自身に怒りすら覚えるアシェンバッハだったが、次第にタージオの精神を超えた美に対する愛を肯定するようになる。友人の音楽家であるアルフレッドから指摘された殻を破れそうになるのだが、ベニスには疫病が蔓延していた……。

時間と場所、現実と妄想が予告なしに入れ替わる、「意識の流れ」のような手法が採用されている。

アシェンバッハは、いつも通っている美容師から白塗りのメイクを伝授されたのだが、見るからに不吉である。そして、同じように白塗りをした男達にからかわれたりするのだが、どうも彼らも死神の分身のように見える。
そして、死神の本体とも思えるのが、美少年であるタージオである。愛と死とは隣接したものであるが、それが淡いのように渾然として描かれているのは流石である。

ヴィスコンティ好みの耽美的な作風であり、ベニスという都市が登場人物以上の存在感を持つようカメラで切り取られている。芸術性は非常に高い。

本来なら作曲の新境地へと行けるはずだったアシェンバッハが、その前に命を落とすという悲劇のはずであるが、絵が余りに美しいので余り悲壮な感じはしない。好みが分かれるとしたらここであると思われる。

この映画が公開された当時、マーラーはまだ人気作曲家ではなかった。ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーといったマーラーの指揮の弟子達が作品を取り上げ、マーラーの生前からその作品を高く評価していたウィレム・メンゲルベルク、そして「この作品が自分の作曲であったなら」とまで惚れ込んでいたレナード・バーンスタインが演奏と録音を行っていたが、一般的な評価は「不気味な曲を書く作曲家」といったところだった。ところが「ベニスに死す」でマーラーの交響曲第5番第3部第1章(第4楽章)「アダージェット」がメインテーマとして取り上げられたことで甘美な一面が知られるようになり、マーラーの人気は上がっていく。

映画界だけでなく、音楽界の潮流も変えた記念碑的作品である。

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