カテゴリー「ジャズ」の23件の記事

2024年10月14日 (月)

NHKBS「クラシック俱楽部」 大阪府堺市公開収録 石橋栄実ソプラノリサイタル(再放送)

2024年9月12日

録画しておいた、NHKBS「クラシック俱楽部」大阪府堺市公開収録 石橋栄実ソプラノリサイタルを視聴。2023年12月15日に堺市立美原文化会館での収録されたもの。ピアノは關口康祐(せきぐち・こうすけ)。

ソプラノ歌手の石橋栄実(えみ)は、1973年、東大阪市生まれ。私より1つ上で、有名人でいうと、イチロー、松嶋菜々子、篠原涼子、大泉洋、稲垣吾郎、夏川りみなどと同い年となる。大阪音楽大学声楽科を卒業、同大学専攻科を修了。現在は大阪音楽大学の教授と、大阪音楽大学付属音楽院の院長を兼任している。ソプラノの中でも透明度の高い声の持ち主で、リリック・ソプラノに分類されると思われる。東京や、この間、「エンター・ザ・ミュージック」で取り上げられていたように広島など日本各地で公演を行っているが、現在も活動の拠点は大阪に置いている。インタビュー映像も含まれているが、「一度も大阪を離れようと思ったことはなかった」そう。ちなみにインタビューには標準語で答えているが、言い回しが明らかに関東人のそれとは異なる。石橋はオペラデビューが1998年に堺市民会館で行われたフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」だったそうで、「堺は特別な街」と語る。


曲目は、ジョルダーノ作曲の「カロ・ミオ・ベン」、マスカーニ作曲の「愛してる、愛してない」、モーツァルト作曲の歌劇「フィガロの結婚」から「とうとううれしい時が来た」と「恋人よ、早くここへ」、ドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」、プッチーニ作曲の歌劇「ラ・ボエーム」から「私が町を歩くと」、
連続テレビ小説「ブギウギ」メドレー(「東京ブギウギ」、「買い物ブギー」、「恋はやさし野辺の花よ」)、
歌曲集「カレンダー」から「十月」「三月」(薩摩忠作詞、湯山昭作曲)、「のろくても」(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)、「今日もひとつ」(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)、「いのちの歌」(miyabi=竹内まりや作詞、村松崇継作曲。NHK連続テレビ小説「だんだん」より)


声の美しさとコントロールが絶妙である(実は歌手の方には多いのだが、話しているときの地声が特別美しいというわけではない)。
映像映えのするタイプではないのだが、実物はかなり可愛(検閲により以下の文章は削除されました)

「愛してる、愛してない」は、マスカーニの作品よりも、坂本龍一が中谷美紀をfeaturingした同名タイトルの曲の方が有名であると思われるが、花占いをしながら歌う歌曲で、石橋もそうした仕草をしながら歌う。

モーツァルトのスザンナのアリアは彼女の個性に合っている。


途中で、堺市の紹介があり、大仙古墳は仁徳天皇陵と従来の名称で呼ばれている。
なんか冗談が寒いのがNHKである。

連続テレビ小説「ブギウギ」メドレー。最も有名な「東京ブギウギ」(作詞:鈴木勝=鈴木大拙の息子、作曲:服部良一)がまず歌われる。実は「東京ブギウギ」はリズムに乗るのがかなり難しい曲なのだが、クラシック音楽調に編曲されているので、オリジナル版よりは歌いやすいと思われる。
關口のピアノで、「ラッパと娘」と「センチメンタル・ダイナ」が演奏される。服部良一も大阪の人で、少年音楽隊に入って音楽を始め、朝比奈隆の師としても知られるウクライナ人のエマヌエル・メッテルに和声学、管弦楽法、対位法、指揮法などを師事しているが、音の飛び方が独特で、「え? こっからそこに行くの?」という進行が結構ある。「ラッパと娘」などは「それルール違反でしょ」という箇所が多い。

「買い物ブギー」。この曲は笠置シヅ子をモデルとした朝ドラに主演した東京出身の趣里、兵庫県姫路市出身の松浦亜弥、神奈川県茅ヶ崎市出身の桑田佳祐なども歌っているが、大阪弁の曲であるため、大阪の人が歌った方が味わいが出る。作詞は作曲の服部良一自身が村雨まさを名義で行っている。
石橋は客席通路での歌唱。カメラを意識しながら演技を入れての歌唱を行って、ステージに上がる。ただ、この曲はクラシックの歌手が歌うと美しすぎてしまう。笠置シヅ子は実は歌唱力自体はそんなに高い方ではない。彼女の長所は黒人の女性ジャズシンガーに通じるようなソウルフルな歌声にある。日本人には余りいないタイプである。


最後は日本語の歌曲。親しみやすい楽曲が多く、安定した歌声を楽しむことが出来る。顔の表情も豊かで、やはりかわ(検閲により以下の文章は削除されました)

メッセージ性豊かな歌詞の曲が選ばれているという印象も受ける。

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2024年5月 9日 (木)

これまでに観た映画より(332) 大映映画「舞台は廻る」(1948)

2024年5月2日

大映映画「舞台は廻る」を観る。1948年の作品。久生十蘭(ひさお・じゅうらん)の小説『月光の曲』が原作。脚本:八木沢武孝、監督:田中重雄。出演:三條美紀、若原雅夫、笠置シヅ子、齋藤達雄、潮万太郎、美奈川麗子、牧美沙、有馬脩ほか。演奏:淡谷のり子と大山秀雄楽団、クラックスタースヰング楽団(トランペットソロ:益田義一)。ダンス:SKDダンシングチーム。作曲:服部良一。
笠置シヅ子は歌手役で出演。「ヘイヘイ・ブギウギ(ヘイヘイブギー)」が主題歌になっているほか、「ラッパと娘」、「恋の峠路」、「還らぬ昔」など全4曲を歌っている。「ヘイヘイブギー」のリリースは1948年4月で「舞台は廻る」の封切りも同じ48年4月。ということで、やはりプロモーションを兼ねているようだ。「ヘイヘイブギー」は笠置シヅ子による本編の歌唱の後も女声コーラスなどによって歌い継がれ、延々と続く。

佐伯正人(齋藤達雄)と笠間夏子(笠置シヅ子)は元夫婦。離婚して、一人息子で8歳になる孝(有馬脩)は、佐伯が引き取ったが、夏子も孝を取り戻したいと考えている。
街頭で、佐伯と恋愛論を闘わせた雨宮節子(三條美紀)は、丹羽稔(若原雅夫)と婚約中で新居を探している。笠間夏子が出演するステージを観に来た節子は、横に座った孝が気になる。
箱根に住む節子。両親と兄と暮らしている。ある日、隣家からピアノの音が聞こえる。その家の主は、恋愛論を闘わせた相手、佐伯であった。佐伯は作曲家。笠間夏子のヒット曲は全て佐伯が作曲したものだった。

節子と孝の劇場での出会いのシーンで、笠置シヅ子演じる笠間夏子の「ラッパと娘」に続いて、淡谷のり子が大山秀雄楽団を従えて歌うシーンがある。

夏子と離婚してヒット曲が書けなくなる佐伯であるが、それから約10年後に笠置シヅ子を失うことで大ヒットに恵まれなくなった服部良一の未来を暗示しているようでもある。
箱根の家で友人を呼んで馬鹿騒ぎする佐伯。女の友人が「ラッパと娘」を歌って佐伯が怒るシーンがある。

夏子の楽屋をこっそり訪れた節子は、夏子と対面。孝について語り合う。
大阪弁の印象が強い笠置であるが、この映画では全て標準語で通している。
笠置シヅ子が歌うシーンが多く、ほとんど笠置シヅ子の歌を楽しむために作られたような映画である。

ヒロインの三條美紀は京都市の出身で、一応二世タレントということになるようだが、商業高校を出て大映の経理課にいたところ、社内上層部の目にとまり、演技課の女優へと転身したという変わり種で、その後長く活躍した。

若原雅夫は、新興キネマの俳優としてデビューし、大映を経て松竹に移って活躍するが、松竹を退社してフリーになった後はテレビに主舞台を移す。その後、病を得て引退している。現在の消息は不明。生きていれば100歳を優に超えている。

齋藤達雄は、若い頃にシンガポールで過ごしたという変わった人で、小津安二郎の映画の常連となり、1968年に65歳で死去している。

バイプレーヤーとして150本以上の映画に出演したという潮万太郎。91歳と長寿であった。

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2024年5月 3日 (金)

これまでに観た映画より(331) 東宝映画「春の饗宴」(1947)

2024年4月25日

1947年制作の東宝映画「春の饗宴」を観る。脚本・製作・演出(監督):山本嘉次郎。出演:池部良、若山セツコ、藤原釜足、轟夕起子、笠置シズ子(笠置シヅ子。流行歌手時の芸名が笠置シズ子、女優専念以降の芸名が笠置シヅ子である)、橘薫(本人役で出演)、進藤英太郎ほか。東宝舞踊団(T・D・A)のメンバーが全員出演している(大阪の舞踊団という設定なので大阪弁を話す)。作曲・音楽監督:服部良一。演奏:東宝交響楽団。演出補佐に後に「ゴジラ」シリーズを撮る本多猪四郎の名が見える。
1948年の正月映画として制作され、1947年の年末に公開されたもので、娯楽色が強い。
古い時代の映画なので、セリフが聞き取りにくいところがある。

雨の降り続ける東京。老舗劇場の東京座で、100万円当選の宝くじの抽選会が行われようとしている。東京座は、大阪の会社に身売りされるという情報があり、芸能担当の新聞記者、早坂三平(池部良)もその噂を知っている。山岡という大阪の男(進藤英太郎)が買収を進めており、劇場の内装を作り替えてダンスホールやカフェにしようと計画している。山岡はオペラ歌手の三村珠子にはレビューとオペラの常打ち小屋になると別の話をしていた。

100万円の当選者であるが現れない。実は東京座の電気係をしている神田老人(藤原釜足)の孫娘であるみよ子(若山セツコ)が当選券を手にしていたのだが、恐ろしくて名乗り出ることが出来なかったのだ。早坂は当選者について聞き込みを始める。
そんなことをよそに、大阪歌劇団による東京公演のレビューが延々と続いていくというストーリーである。

大阪のオペラの女王・三村珠子役の轟夕起子、大阪のジャズの女王・淡島蘭子役の笠置シズ子の歌唱シーンもあり、笠置シズ子は、「センチメンタル・ダイナ」や当時ラジオで大ヒット中の「東京ブギウギ」など数曲を歌っている。ソウルフルな歌声が特徴である。「東京ブギウギ」のSP盤が発売されるのは、1948年の1月ということで、この映画はそのプロモーションも兼ねていた。舞台上にいるのはほぼ全員大阪人という設定で、笠置シズ子も出身地である大阪の言葉を使っているが、ステージ上では東京の言葉も上品に操る。
ちなみに宝くじの当選番号は、番号入りの浮かび上がる風船を笠置シズ子演じる淡島蘭子がボウガンを使って矢で射るという物騒な方法が用いられているが、安全面がかなり気になる。

暴風雨となり、停電で公演は中断。都電などの交通機関も止まってしまったため、自家発電で照明が確保された劇場は終夜開放されることになり、やがてステージ上に歌手やダンサーが現れ、客席の客も促されて全員で踊ることになる。1947年ということで、まだ西洋のダンスが普及しておらず、皆踊りが盆踊りの身振りなのが時代を感じさせる。

面白いのは「雨のブルース」をダンスミュージックにしてステージ上の出演者達が皆で踊る場面があるところ。原曲のイメージをかなり変えるシーンである。


出演者のその後について記す。池部良は、「青い山脈」などに主演して天下の二枚目俳優としての地位を築き、立教大学文学部卒でシナリオも学んだ元映画監督志望という経歴を生かして随筆家としても活躍。日本映画俳優協会の初代理事長も務めている。92歳の長命であった。

宝塚歌劇団出身の轟夕起子は、「原節子似」と言われた美貌と、宝塚出身の歌唱力を生かして活躍するも、次第に体型が肥満化したため性格俳優へと移行。しかし病を得て49歳の若さで他界する。

笠置シズ子は、服部良一とのコンビで次々にブギの名曲を世に送り出し、「ブギの女王」の称号を手にするが、約10年後の1957年に体力の衰えから42歳の若さで歌手を引退。女優、笠置シヅ子として母親役などで映画やテレビ、ラジオドラマなどに出演。「家族そろって歌合戦」の審査員やカネヨ石鹸のクレンザー、カネヨンのCMなどで親しまれた。1985年に70歳で他界。

ヒロインである若山セツコは、後に若山セツ子に改名。「青い山脈」などに出演して清純派スターとして人気となり、1961年に一度女優を引退するもその後に復帰。しかし次第に精神を病むようになり、55歳で自殺して果てた。

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2022年8月19日 (金)

コンサートの記(798)「IZUMI JAZZ NIGHT 2015 山中千尋」

2015年8月28日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、「IZUMI JAZZ NIGHT 2015 山中千尋」というコンサートを聴く。世界的な評価を受けている山中千尋のジャズライブ。プログラムは明かされていなかったが、ホワイエにベーシストの坂崎拓也がダブルベースで参加することが紙に書かれて提示されている。

山中千尋のコンサートはこれまでも何回かチケットを取っているのだが、そのたびに何かあって行けなくなるということを繰り返しており、私にとっては遠いアーティストであったが、今日、ようやく実演に接することが出来た。


山中千尋は、1976年、群馬県桐生市生まれのジャズピアニスト(正確な生年月日は公表されていない)。桐生への郷土愛は強く、桐生の民謡である「八木節」(日本で最もノリノリの民謡としても知られる)を必ずプログラムに入れている(若しくはアンコールで演奏する)。彼女の世代ではまだジャズを専攻出来る大学は日本にはなく、桐朋女子高校音楽科ピアノ専攻を経て、桐朋学園大学ピアノ専攻を卒業。その後にニューヨークのバークリー音楽院に留学してジャズを学び、ここで多くのジャズメン達と交流を得る。若い頃からアメリカでジャズピアニストとして高い評価を得ており、ジャズ専門雑誌から表彰を受けたこともある。


スコアを置き、ハンドマイクもピアノの上に置かれ、トークを交えての演奏会となる。上演時間は途中休憩なしの1時間30分の予定であったが、結局、15分ほど押した。


黒のドレスで現れた山中千尋は想像していたよりも華奢な女性である。頻繁にペダルを踏み換えることが特徴であるが、そのため音が濁るということがない。


まず「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」&「クライ・ミー・リヴァー」を演奏した山中。「ロンドンデリーの歌」の哀感の表出とお洒落な音の崩し方から「絶妙」という言葉が浮かぶ。

演奏修了後に山中はハンドマイクを手に取り、立ち上がってトークを行う。ロンドンデリーではなくロンドンには留学したことがあり、高校3年生の夏にロンドンの王立音楽院に短期留学しているという。本当はそのまま王立音楽院の大学部に進む前提で行った留学だったのだが、当時は山中は英語が上手く喋れず、寮で掃除機を借りようとしたとき、イギリスで掃除機を表す「フーバー」という英語単語が浮かばず(日本で主に教えられるアメリカ英語とイギリス英語は結構違う)、意地悪をされたそうで、若い頃は気弱な方だったためにそれがショックで夏の留学で切り上げてロンドンを去り帰国、音楽教育も日本で受け続けることを選択したという。「クライ・ミー・リヴァー」はその時の沈んだ気持ちをと冗談を言って、客席から笑いを取る。


続いて、自作である「Beverly」を演奏する。山中の故郷である桐生には川が多く流れており、山中の実家も渡良瀬川の支流である桐生川のほとりにあるという。「川のほとりというと優雅な感じですが実際はかなりの田舎」と山中。川の流れをイメージして作曲した作品で、当初は「川下り」というタイトルであったが、「腹下し」などと聞き間違えられることが多かったため、意味の関連性はなくなってしまうが「Beverly」とタイトルを変えたという。

ヴィルトゥオーゾ的なピアノを弾く山中であるが、この曲でもテンポが速く、音も多く、技術的に高度である、川の流れが目に浮かぶような、キャニオニングを疑似体験しているかような(私はキャニオニングをしたことはないが)想像喚起力豊かな良く出来た楽曲である。


次の曲も自作で、「On The Shore(岸辺にて)」。ブルーノート・レーベルから「全曲自作のアルバムを出して欲しい」という要求を受けて書いた曲だというが、要請を受けてからレコーディングまで2週間しかなかったという。丁度その頃、山中の母親が自分の誕生日を自分で祝うために山中がライブのために乗り込んでいたワシントンD.C.にやって来たという。母親は大感激して「他の場所にも行きたい」と言ったそうだ。山中は「でも2週間後にレコーディングに入らなきゃ行けないし、曲も全然書けてないし」と断ろうとしてものの、母親の「レコーディングはいつでも出来るけど、私は来年は死んでるかも知れない」という言葉に根負け。二人でメキシコ旅行に出掛けたという。山中の母親は海外では「常に褒められるため」いつも着物姿。メキシコは40度ぐらいあったそうだが、母親が「千尋、あなたも着物着なさい」と言われたため仕方なく二人で着物を着てビーチを歩いたそうだ。周りはみんな裸なのに、山中と母親だけ着物なので目立ったという。「地獄のような体験だった」と山中は語り、「帯締めのキツさが伝わってくれれば」と演奏を始める。しっとりとしたバラード曲であった。


今度は山中の友人が作曲したという作品。バークリー音楽院で一緒だったブルガリア出身の男性作曲家の作品だというが、彼の一族は全員が医師であり、彼一人だけが医師試験に合格出来ずバークリー音楽院に来たということで、彼は自身のことを「落ちこぼれ」と自嘲していうことが多かったという。今では映画音楽の世界で成功しているそうだ。
曲名は「バルカン・テール(バルカン物語)」。バルカン半島というと「ヨーロッパの火薬庫」として紛争が絶えない地域であるが、それを意識したのか激しい曲調の作品である。


続いて、「今後戦争が起こらないようにと祈りを込めて」、「星に願いを」を演奏。ラストにJ・S・バッハの「神よ、民の望みの喜びよ」の旋律を組み入れるなど凝った編曲である。


山中は「ラグタイム・ハザード」というアルバムを出したばかりだが、それにちなんで今度はラグタイムの曲。バークリー音楽院にもラグタイムの試験があるのだが、学生数が多いため、持ち時間は2分30秒までときっちり決められているという。2分30秒をオーバーしてしまうと、いくら良い演奏をしても成績は一つ下のものを付けられてしまう。そうなると奨学金が受けられなくなってしまうということで、バークリーの学生達はラグタイムの練習を真剣に行っていたという。

山中は、「これは試験ではないので、2分30秒よりはちょっと長く演奏すると思うんですけれど」と言って、「2分30秒ラグタイム」を演奏。興が乗ったのか、演奏時間はタイトルの約倍であった。


ここで時計を見た山中は、「あれ、私こんなに長くピアノ弾いちゃってる。短い曲を選んだはずだったのに」。ということで、ダブルベースの坂崎拓也が登場。坂崎は大阪の出身であり、大阪で活動していたのだが、3年前に活動の拠点を東京に移したという。

山中の坂崎のデュオ。ベートーヴェンの「エリーゼのために」をモチーフにしたものがまず演奏される。山中は幼い頃に「エリーゼのために」に憧れ、ピアノの先生に何度も「弾きたい」と申し出たのだが、「男の人が女の人を好きになるという曲だし、千尋ちゃんにはまだ早い」と言われ続け、結局、十代のうちに「エリーゼのために」を弾くことは叶わなかったという。

誰もが知ってる「エリーゼのために」であるが、山中にいわせると何度も繰り返される冒頭のメロディーが「Too much」という感じで、「今の時代に生きていたらストーカーみたいに思われたかも知れません」と話した。ちなみに、この曲を送られたのはエリーゼではなくテレーゼという説が有力である。ベートーヴェンは字が汚かったため、thereseと書かれたものをeliseと誤読されてそれが広まってしまったとされる。エリーゼとは誰かというのは長年の謎であったが、実はエリーゼではなくテレーゼで、テレーゼ・マルファッティのために書かれたものであると現在ではほぼ断定されている。

山中と坂崎は「ジャズの巨星(ジャズ・ジャイアンツ)」の一人であるセロニアス・モンクをイメージした編曲を行ったそうで、抒情美よりも激しさを優先させた曲調と演奏であった。


続いて、「イスラエル・ソング」と「スパイダー」というイスラエルの曲が2曲連続で演奏されている。いずれも変拍子が多い曲だそうで、聴いていると簡単そうに思えるのだが、演奏するとなるとかなり難度は高いようである。5拍子と6拍子の変拍子が続くそうだが、五芒星や六芒星との関係はあるのだろうか。ちょっとわからない。


ラストは山中の定番である「八木節」。日本で最も威勢が良いといわれる民謡だけに、ロックなテイストの編曲も多いのだが、山中はあくまでジャズの「八木節」として旋律美重視の演奏を披露する。


アンコールは、山中のピアノソロで、伊東咲子の「ひまわり娘」。山中は「私がまだ生まれていない時代の曲」と語る。「ひまわり娘」が私の生まれた1974年のヒット曲だということは知っていたが、調べてみると「ひまわり娘」は、1974年の4月20日リリースで、私より半年以上年上である。リリース時には私もまだ生まれていなかったことになる。

山中の弾く「ひまわり娘」を聴いていて、ふと、ル・クプルの「ひだまりの詩」を思い出す。歌詞のメッセージも曲調も両曲には通じるものがあるように思う。ル・クプルはその後、離婚し、ル・クプルも当然解散。個別での音楽活動を行っていると聞く。


終演後、CDもしくはグッズ購入者限定でのサイン会があり、私も山中のCDを買ってサイン会に参加した。

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2022年2月15日 (火)

これまでに観た映画より(281) 没後40年 セロニアス・モンクの世界「MONK」

2022年1月31日 アップリンク京都にて

アップリンク京都で、「没後40周年 セロニアス・モンクの世界『MONK(モンク)』」を観る。「セロニアス・モンクの世界」は「MONK」と「MONK IN EUROPE」の2本立てであり、共に上映時間1時間ちょっとと短いが、料金は1000円と安めに抑えられている。

ジャズ・ジャイアンツの中でも、一風変わったピアニストとして知られるセロニアス・モンク(1917-1982)。独学でピアノを習得し、ペダルの使用を控えた独特の響きと独自のコード進行などで人々を魅了している。今回の映像は、1968年に製作されたモノクローム作品で、ニューヨークのヴィレッジヴァンガードなどでの本番やリハーサル、モンクの日常の風景などを収めている。監督は、マイケル・ブラックウッド。

劇中でモンクは、1917年にノースカロライナで生まれたこと、母親が子供をニューヨークで育てたがったため、幼くしてニューヨークに移ったことなどを話している。モンクの若い時代については、本人が余り語りたがらなかったようで、今も良くは分かっていないようである。

ジャズ・ジャイアンツの多くは奇行癖の持ち主であったが、モンクもその場で何度もグルグル回ってみたりと謎の行動を見せている。煙草をくゆらせながら汗だくでピアノを弾いているが、リハーサルに密着した映像では酩酊したような語りを見せており、薬の影響が疑われるが、実は1970年代に入ると、セロニアス・モンクは表舞台から遠ざかってしまう。躁鬱病(双極性障害)であった可能性が高いとのことなのだが、あるいはこの時の喋り方は病気の予兆なのかも知れない。

情熱的で個性豊かな音楽を生んだ不思議な音楽家の姿を収めた貴重なフィルムである。

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2021年2月24日 (水)

ビル・エヴァンス 「NYC's No Lark」




多重録音アルバムである「自己との対話」より

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2020年8月20日 (木)

これまでに観た映画より(199) クリント・イーストウッド監督作品「バード」

2005年11月3日

DVDで映画「バード」を観る。伝説のジャズ・サキソフォン奏者、チャーリー・パーカーの後半生を描いた作品。監督はクリント・イーストウッド。上映時間161分の大作である。

西部劇のイメージが強いイーストウッドだが、彼自身ジャズ・マニアということもあって、夭逝した天才ジャズマンへの思い入れたっぷりの演出をしている。

ただ、麻薬中毒など、パーカーの影の部分は、「描かれてはいる」という程度。狂気に満ちたエピソードの数々は封じられている。

時間が前後するということもあって、ストーリー展開がやや解りにくく、人種問題の扱いも今から見ると詰めが甘いなど、 直に楽しめないところがあるのは否めない。

チャーリー・パーカーがオーバードースによる心臓麻痺で亡くなったとき、検視医は、「推定年齢60代」としたが、実際のチャーリーの享年は34歳であった。この有名なエピソードも勿論取り込まれている。

音楽はチャーリー・パーカー本人の演奏が用いられているが、リマスタリングが良く、鮮明な音で「バード」と呼ばれた不世出の天才ジャズマンの演奏を楽しむことが出来る。

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2020年6月 8日 (月)

これまでに観た映画より(181) 矢口史靖監督作品「スウィングガールズ」

2004年11月4日 京極東宝にて

京極東宝で矢口史靖(やぐち・しのぶ)監督の「スウィングガールズ」を観る。
京極東宝は歴史ある映画館だがシートは新しく座りやすくなっている。足下にも余裕がある(2006年閉館)。

出演、上野樹里、貫地谷しほり、本仮屋ユイカ、白石美帆、平岡祐太、小日向文世、渡辺えり、佐藤二朗、福士誠治、竹中直人

「ウォーターボーイズ」でメジャーになった矢口監督だが、これはその女の子版。ジャズバンド版スポ根風青春劇である。
主人公の名は相変わらず鈴木さんだ。「ウォーターボーイズ」の鈴木君(妻夫木聡)は情けない男だった。「スウィングガールズ」の鈴木さん(上野樹里)も駄目駄目系だが鈴木君とは違い、自分から積極的に道を切り開く女の子だ。
最初は勉強は出来ないし、パソコンも苦手な取り柄のないどうしようもない女の子だったのだが、ジャズに取り憑かれてからは見違えるほど魅力的になる。

一番駄目そうな女の子、関口(本仮屋ユイカ)が一番上達が早いのも面白い。
鈴木さんの表情は以前何度も見たことがある。多分矢口監督が指導したのだろう。

いつもの通り、変な子どもも登場。野球応援に行けなくなった鈴木さん達が泣くシーンは悲しいのだが、これまたおばあちゃんがナイスボケ。笑いに転じている。ストップモーションも最高だ。

カメラワークにも愛情が感じられる。ブラスを真横から撮るのはヘルベルト・フォン・カラヤンがよく演出に用いた方法だが、ブラスが最高に格好良く映るのだ。

スウィングガールズの演奏も凄い。徹底して練習したのだろう。クライマックスの「シング・シング・シング」における客のノリは映画「ベニー・グッドマン物語」を彷彿とさせる。

予想を遙かに上回るご機嫌な映画である。評判はいまいちだそうだけれど、この映画の良さがわからない人は自分で道を切り開いたことのない人だろう。
あり得ない話かも知れないが、いいじゃないか、フィクションなんだから。

「この世の中には二種類の人間がいる。成し遂げる者と諦める者だ」(劇中より)
運も間も悪い女の子達なのだが、諦めずに転がっていればいいことにぶつかる。メッセージと希望が溢れている。これほど観ていて幸せになれる映画もそうはない。

伊丹弥生先生はガールズ達に言ったのと同じジャズ観を小澤先生にも言ったのだろうな。

珍しくパンフレットを買ってしまう。映画のパンフレットを買うのは京都に来てからは初めてではないだろうか。

映画館を出ると周りの風景がいつもよりずっと美しく感じられる。鴨川も北山も東山も夢の中の光景のようだ。

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2020年3月 4日 (水)

ドキュメンタリー「誰がボレロを盗んだか」

録画しておいたドキュメンタリー「誰がボレロを盗んだか」を観る。2016年、仏作品。監督は、ファビアン・コー=ラール。

20世紀最高のヒット作の一つである「ボレロ」を含むモーリス・ラヴェルの著作権を巡る話である。

わずか2つのメロディーが楽器編成を変えながら約17分(作曲者の指示)繰り返し演奏されるという得意な楽曲である「ボレロ」。ラヴェル自身はたいした曲とも思っていなかったようだが、意に反して代表作として今もコンサートプログラムに載る機会は多い。
ラヴェルは交通事故に遭ったことに端を発する神経性の病で、音楽もフランス語の綴りすらも分からなくなり、脳の手術を受けるも失敗するという悲劇的な最期を遂げた。ラヴェルはよく知られた同性愛者であり、妻子はいない。遺言を残せる状態でもなく、実弟が著作権を継ぐが、この弟のエドゥアールも事故に遭い、マッサージを施された女性とその夫に生活の面倒を見て貰うことになる。そしてこの夫婦に著作権を譲ってしまう。当然のように夫妻は不正を働き続け、自分で作曲したわけでもない作品の著作権で大金持ちになる。

「ボレロ」は世界各国で演奏されるだけでなく、編曲などもされていくため、二次的著作物に関する著作料も膨大な額となる。ドキュメンタリーで語られている通りまさに「金のなる木」であった。まず出版社が恩恵を受け、後に右派の政治家となる音楽出版社のデュラン社社長であるドマンジュが「ボレロ」で巨額の利益を得る。ラヴェルから2万フランで全権を委任されたドマンジュは「ボレロ」で儲けていく。ちなみに愛弟子のロザンタールによるとラヴェルは思想的には極左だったようである。
パリが陥落するとドマンジュはドイツ軍に協力。そのことで戦後に失脚する。だがその後も、「ボレロ」のために著作権を延ばそうとする動きが起こる。最初はフランスにおける著作権は作曲者の死後50年で切れることになっていた。だが、戦時加算が行われ(その長さに根拠はないそうである)て延び、更にロビイストの活動によって音楽に関しては作曲者の死後70年へと延長される。作曲者の意思でもないのに編曲が禁じられるという事態にすらなった。ラヴェルはジャズ好きであり、ピアノ協奏曲ト長調などにもジャズの要素を取り入れているが、ジャズ用にアレンジされることも難しくなったのだ。

最終的に著作権は、2016年まで延びた。このドキュメンタリーはフランスでの「ボレロ」の著作権が切れたことを受けて制作されたが、アメリカでの「ボレロ」の著作権は2025年まで延びることになっている。

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2019年11月15日 (金)

これまでに観た映画より(138) ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」@同志社大学 「コメダ・コメダ」&「バリエラ」

2019年11月12日 同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールにて

同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールで、ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」と題された映画2本を観る。2012年製作の「コメダ・コメダ」と、1966年のイエジー・スコリモフスキ監督作品「バリエラ」。「バリエラ」の音楽は、クシシュトフ・コメダが手掛けている。なお、「バリエラ」の上映前にはイエジー・スコリモフスキ監督の舞台挨拶がある。

ポーランドのモダン・ジャズの先駆けでありながら、37歳の若さで事故死したクシシュトフ・コメダ。ロマン・ポランスキーとのコラボレーションを経て、ハリウッド映画の作曲家として活躍し始めたばかりの死であった。

「コメダ・コメダ」(ジャパンプレミア上映)は、クシシュトフ・コメダの生涯を辿るドキュメンタリー映画。ナタシャ・ジュウコフスカ=クルチュク監督作品。監督について詳しいことはよくわからないが、名前は明らかに女性名である。
ロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダといったポーランド映画界の巨頭を始め、コメダと共演経験のあるポーランドのミュージシャン、コメダの医大時代の同級生などが証言を行っている。

共産党一党独裁時代のポーランドにあっては、ジャズは敵国であるアメリカの敵性音楽であり、コメダも医大時代にジャズの演奏や作曲を行っていることがばれ、医大生達に囲まれてつるし上げに遭いそうになったことがあるそうだ。

コメダが生まれたのは1931年。ナチスドイツがポーランドに侵攻する8年前である。
コメダは幼い頃、ポリオに罹り、後遺症で片足が少し不自由になっている。ピアノの才能は幼時より発揮されていたそうで、7歳で出身地にあるポズナン高等音楽学校に入学。戦時下であっても母親はコメダの才能が途切れてしまわないよう、ピアノを弾ける環境を作ることに腐心したそうである。ただ、コメダの母親は、コメダがプロのミュージシャンなることには反対であり、医師になることを望んでいた。コメダは母親の望み通り医科大学を卒業し、耳鼻咽喉科の医師となるが、結局、ジャズミュージシャンになることを選んだ。コメダの友人の一人は、「運命には抗えない」と語っている。
ポズナンには音楽の仕事がなかったため、コメダは、クラクフへ、更にワルシャワへと移動する。
ちなみにコメダというのは芸名で、本名はトルチンスキという。子どもの頃に、「command」(司令官)と書くべきところを「comada」とスペルミスしたことに由来するそうである。
アンジェイ・ワイダは、コメダの第一印象を、「パデレフスキ(ポーランドを代表するピアニストで、後には首相にもなっている)みたいな長髪の奴が来るのかと思ったら、見るからにオタクといった感じの奴が来て」と語っている。線が細く、いかにも繊細そうで影のあるコメダは、真逆の性格であるロマン・ポランスキーとは馬が合ったそうで、「水の中のナイフ」などの音楽を手掛け、ポランスキーに招かれる形でハリウッドへと渡っている。コメダは、自らのことを「映画の作曲家」と名乗っていたそうで、映画音楽を手掛けることに誇りを持っていたことが窺える。

ジャズ以外にもポーランドの生んだ音楽の先進性が語られる場面がある。ポーランド人は独自性を追求する傾向があるそうで、それがペンデレツキやルトスワフスキといった現代音楽の大家を生み出した下地になっているのかも知れない。

コメダの最期は転落事故である。交通事故となっている資料もあるが、関係者の証言によるとどうもそうではないようだ。事件性がありそうなことも語られてはいるのだが、詳しいことはわからないようである。

 

イエジー・スコリモフスキ監督による「バリエラ」。「バリエラ」というのはポーランド語で「障壁」という意味のようである。

上映前に、イエジー・スコリモフスキ監督による15分ほどの舞台挨拶がある。「バリエラ」はかなり特異な経緯で生まれた作品だそうで、元々は「空っぽの領域」というタイトルで、それまでドキュメンタリー映画を作り続けて来た映画監督の初劇映画作品として製作される予定であった。イエジー・スコリモフスキは依頼を受けて脚本を執筆。その監督のそれまでの作品も全て観て、「これはドキュメンタリータッチの脚本にした方がいいだろう」と判断。脚本を提出したのだが、その監督は脚本を読んで青ざめたようになってしまったという。ドキュメンタリー映画の監督で、劇映画は不得手であり、撮影には入ったのだが、制作費の4分の3を使ったところで、その監督は降板。続きをスコリモフスキの監督で撮るよう指示があったのだが、スコリモフスキは、監督に合わせてドキュメンタリー映画調の脚本を書いたが、自分ではそうした映画を撮りたいという気持ちはまるでない。ということで、残りの4分の1の予算で、1から新しい映画を撮ることになった。とにかく時間もないので脚本なしの即興で撮ることにし、キャストも全て一新、撮影監督も新たに指名した。キャスティングの一新についてスコリモフスキは、「大成功だった。主演女優はその後、私の妻になるのだから」とジョークを言っていた。
スコリモフスキ監督によると「バリエラ」には3つの奇跡があるそうで、まず「即興による映画が完成したこと」、2つ目は「即興にしては出来が良かったこと」、3つ目は「この映画が高く評価され、映画賞を受賞し、60年以上経った今でも上映される機会があるということ」だそうである。

内容は、ヌーヴェルヴァーグの影響も感じられるもので、「フランス映画だ」と言われたらそのまま信じてしまいそうになる。ポーランド映画とフランス映画は相性が良いのか、共同製作が行われることも結構多い。

国の世話になることもアメリカ人のように生きることもよしとしない主人公の医大生が医大を去り、「明日、結婚することになった」と父親に告げるも、相手が不明。父親に託された手紙を届けた家の女主人からサーベルを渡されることになる、といった風に、あらすじだけ書くと何が何やらわからないことになる。ただメインとなるのは、冬の停電の日に出会った路面電車の女運転士とのロマンスである。そこだけ辿ると素敵な恋愛映画と観ることも出来る。
人海戦術も多用されているが(特に深く考えられて行われたわけでもないと思うが、人一人の人生の背後には数多くの人物が潜んでいると捉えることも出来る)低予算映画でなぜあれほど多くのキャストを使えるのかは謎である。共産圏なので「低予算」といっても西側とは意味が異なっていたのかも知れない。
ロールスロイスなどの西欧の高級車が登場するが、これは若者達に敵対するものとして描かれているようだ。

また、クシシュトフ・コメダの音楽が実にお洒落である。即興で作り上げた映画だけにどうしても細部は粗くなるのだが、そこをコメダの音楽がまろやかなものに変えていく。映画の出来の半分近くはコメダの功績である。

ラストは、やはり即興風に撮られた王家衛監督の「恋する惑星」に近いもの。「恋する惑星」のラストに近いものになって欲しいと個人的にも思っていたのだが、やはりなるべくして同じようなラストに着地。めでたしめでたしとなった。

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