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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2026年1月 4日 (日)

グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユースオーケストラ レナード・バーンスタイン 「ウエスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス

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2025年12月29日 (月)

コンサートの記(934) 鈴木優人指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第2回「国を越えてリズムがわたる」

2025年9月7日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第2回「国を越えてリズムがわたる」を聴く。指揮は第1回に引き続き鈴木優人。鈴木優人クラスの指揮者が2回連続で引き受けてくれるというのは珍しいことである。

今回はタイトルの通り、リズムが印象的な楽曲が並ぶ。また今回は全てメモリアルイヤーを迎えた作曲家の作品である。

曲目は、芥川也寸志(生誕100年)の交響管弦楽のための音楽、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)のワルツ「美しく青きドナウ」、ラヴェル(生誕150年)のピアノ協奏曲(ピアノ独奏:ルゥオ・ジャチン)、ショスタコーヴィチ(没後50年)の「舞台管弦楽のための組曲」第1番から5曲、ラヴェルの「ボレロ」

 

日本指揮者界のトップランナーの一人である鈴木優人。日本におけるバッハ演奏の泰斗である鈴木雅明の息子であるが、人気は父親を上回るかも知れない。
専門は古楽で、バッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者であるが、現代音楽にも詳しく、日本の現代音楽の作曲家の作品のみに絞った演奏会なども行っている。「題名のない音楽会」にはたびたび登場。「エンター・ザ・ミュージック」にもたまに出演する。
経歴を確認すると、新たに九州大学の客員教授に着任したようである。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴィオラの客演首席は大阪フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者の一樂もゆるで、京都市交響楽団のチェロ奏者である一樂恒(ひさし)と夫婦共演である。チェロの客演首席は藤原秀章。首席クラリネットの小谷口直子と首席フルートの上野博昭は降り番である。
いつも通りのドイツ式の現代配置での演奏。

 

台本を手に、カラヤンのような髪型で現れた鈴木優人。「前回はウエンツ瑛士さんがとても素敵な司会を務めて下さいましたが、今日は私が指揮と司会の両方をやります」と述べる。爽快で見通しの良い音楽作りもカラヤンに通ずるところがあるがくれぐれも権威主義に陥らないようにして貰いたい。あの一族なら大丈夫と思うが。

 

芥川也寸志の交響管弦楽のための音楽。鈴木は、「芥川也寸志は芥川龍之介の息子です。芥川龍之介知ってるって子?」と聞き、多くの子どもが手を挙げる。芥川龍之介の作品は、ほとんどの国語の教科書に載っているので、読んだことのある人は多いだろう。鈴木は、「あれ? 京響の側は?」と言い、京響のメンバーも慌てて手を挙げる。高校から音楽高校という人もいるだろうが、芥川龍之介の作品は、中学校の教科書によく載っているので、知らないということはないだろう。
芥川也寸志は、思想的には左翼で、ソビエトや中国の現代音楽を研究。ショスタコーヴィチの作品紹介にも尽力した。
「伊福部昭に学ぶことが多かった」と言われているが、たしかにこの交響管弦楽のための音楽も、伊福部作品のような土俗的な迫力とリズムに溢れている。

鈴木は、「芥川さんの音楽って、プロのオーケストラでやられてますかね? 伊福部さんはよくやられていると思うんですが」と語る。確かに、芥川作品はごくたまに見かける程度の演奏頻度でしかない。ただ芥川本人もプロオーケストラよりも新交響楽団のようなアマチュアオーケストラを好んで指揮したため、プロよりもアマチュア方面に知られているのかも知れない。今年も京都のアマチュアオーケストラのいくつかが芥川作品を取り上げている。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで演奏されることでお馴染みだが、鈴木は一度だけウィーンで年越しをしたことがあり、12月31日の夕方には、ウィーン市庁舎の前で様々な音楽が鳴り、スキーをしたりソリに乗って飛び上がったりしているのだが、翌年の1月1日が近づくと、それまでの音楽が鳴り止み、「美しく青きドナウ」が流れてくるのだという。
鈴木は説明しなかったが、ウィーンのドナウ川は特に美しくも青くもない濁った川だそうで、流れているのも街外れである。ドナウが美しい街というとウィーンよりもブダペストかも知れない。
広上淳一が以前、「美しく青きドナウ」を指揮した時に、「京都なら、『美しく青き桂川』」と鴨川にしなかったのも、ドナウ川が街外れを流れているからである。鴨川は100万都市の街中を流れる川としては珍しい清流を現在は取り戻している。
ウィンナ・ワルツということで、鈴木も溜めやテンポダウンなどを駆使しながらの音楽作り。聴くだけのワルツにはしない。

 

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。20世紀後半になってから人気が上がり、音盤の数も増え続けている曲である。ジャズの影響を受けており、それを苦手に思う人もいると思われるが、現在の音楽教育は古典にも現代にも幅を拡げており、20世紀の作品を多くレパートリーに多く入れているピアニストもいる。

ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章について、鈴木は「世界で最も美しい音楽」と讃えるが、ソリストのルゥオ・ジャチン(ルゥオと読める苗字には魯迅でお馴染みの「魯」や「羅」があるが漢字表記がないため分からない)も同感のようだった。
ルゥオ・ジャチンは、1999年生まれの中国の若手ピアニスト。湖南省の出身である。武漢音楽院附属中学校に入学し、卒業後に渡米。オバーリン音楽院(アメリカ初の4年制音楽大学。主体であるオバーリン大学は、この大学から校名を取った桜美林大学と提携しているので、オバーリン音楽院も桜美林大学と提携を結んでいるかも知れない)やニューイングランド音楽院に学ぶ。ニューイングランド音楽院では、ベトナム出身の大家、ダン・タイ・ソンに師事したという。今後は、ヨーロッパに渡り、ケルン音楽舞踊大学のドイツ国家演奏家資格課程で研鑽を積む予定だという。
2022年第8回仙台国際音楽コンクール・ピアノ部門の覇者でもある。

演奏前に、鈴木とルゥオのトーク。通訳が付くのだが、
鈴木「何歳からピアノを始めましたか?」
ルゥオ「(日本語で)4歳」
と簡単な日本語なら話せるようだ。日本が大好きだそうで、色々なところに観光に行っており、京都は今回が3回目だが、前2回は純然たる観光だったそうだ。日本の文化については「ほとんど好きですが、特にアニメ」と応え、「京アニ」と言ったため、鈴木は、「これはガチな人が来ちゃいましたね」と述べていた。中でも好きな作品は、京都府宇治市が主舞台の「響け!ユーフォニアム」だそうである。明日オフだった聖地巡礼出来るじゃん! まあそんなに暇ではないだろうけれど。
今日はロームシアター京都メインホールだったが、京都コンサートホールは、「響け!ユーフォニアム」の冒頭に出てくるので、そちらだったら喜んだだろうな。

ルゥオ・ジャチンのピアノは純度の高さが特徴。ペダリングは特別なことはせず、弱音の時にソフトペダルを踏む。ダンパーペダルは、ずっと踏んでいる時と頻繁に切り替える時がある。
鈴木とルゥオが共に「世界一美しい音楽」と呼んだ第2楽章。初演者はマルグリット・ロンだが、実はマルグリット・ロンが演奏したラヴェルのピアノ協奏曲第2楽章の録音が残っており、YouTubeで聴くことが出来る
ひょっとしたらこの楽章はヨーロッパ人よりも日本人の心に訴えかけるのではないかと思えてくる。センチメンタルな気分から次第に自然のただ中へと溶け込んでいく感覚。元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、現在は指揮者として活躍する茂木大輔はこの楽章に「初恋」というタイトルを付けているが、私の感覚とは少し違う。私が付けるなら「幼き日から今日まで」。人生のあらゆるシーンが蘇るかのようだ。
美音による第2楽章を経て、第3楽章へ。「ゴジラ」と呼ばれる箇所も力強く、(行ったことはないが)パリの街の風景が浮かび上がるような瑞々しい演奏だった。

 

アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。しっとりとして構築感のある演奏だった。

 

ショスタコーヴィチの「舞台管弦楽のための組曲」第1番から、“行進曲”、“ダンス第2番”、“リリック・ワルツ”、“ワルツ第2番”、“終曲”。全8曲から5曲を選曲。
ギター:佐藤紀雄、クロマチックアコーディオン:大田智美が参加。
この曲は「ジャズ組曲第2番」と呼ばれていたが、戦後行方不明になっていた本来の「ジャズ組曲第2番」のピアノ譜が1999年に発見され、以後、「舞台管弦楽のための組曲」第1番と名を変えている。
冒頭の“行進曲は”、のどかな田舎にある小学校で行われている徒競走の時のような音楽である。その後もほのぼのとした曲が続くが、ワルツ2曲だけは、妖艶でミステリアスで、悲劇の予感がするようで、他の楽曲とは大きく趣が異なる。ハチャトゥリアンも「仮面舞踏会」のワルツで似た旋律を作曲しており(アイスクリームによる毒殺を図る場面の音楽)特に関係はないと思われるが、地に吸い込まれそうなほど官能的な音楽が書けるのはロシア人しかいないのではないか。一人だけ例外がいた。梅林茂である。

佐藤の使っているギターであるが、その辺で売っているギターと一緒で特別なことはなにもないという。
ちなみに、佐藤は、鈴木のデビューリサイタルで共演しているそうである。その時は、鈴木はオルガンを弾いたそうだ。

クロマチックアコーディオンの紹介。学校などで使う鍵盤式のアコーディオンとは違い、ボタンしかない。大田智美によると、右側が92鍵、左側が108鍵だそうである。鍵盤はないが、一応、音の上がり方は一定であるとのこと。

 

ラヴェルの「ボレロ」。スネアドラム奏者がひたすら同じリズムを刻み続けるという過酷な曲。しかも旋律が2つしかないので、管楽器奏者は間違えたらすぐにバレるという怖ろしい曲でもある。
鈴木は、「実は、スネアドラム奏者二人で交互に演奏していたことが分かった」と述べる。京都市交響楽団は、ジャンルイジ・ジェルメッティを指揮台に招いた定期演奏会で、スネアドラム3台による「ボレロ」を演奏したことがある。
ただ今回は、第2のスネアドラム奏者は交代に叩くのではなく、どこかから出てくるそうである。
京響の音の美しさが生かされた演奏。フランス音楽らしい淡さと濃さが交差する色彩で、ラヴェルの魔術が十分に生かされている。音楽を旋律ではなく、クレッシェンドと楽器の変化とスネアの延々と叩かれる響きで変化させる。そして転調。音楽の転換ともいえる創造物である。実はこのモチーフを真似て、ショスタコーヴィチがとんでもない音楽を作るのだが、それはもう少し後の話である。

テンポとしてはトータルで15分台ぐらいの演奏だが、第1ヴァイオリンが第1主題を奏でる1つ前に鈴木はテンポアップ(作曲者の指示では全編通して「同じ速度で」であり、演奏時間は「17分ほど」である))。その後、更にもう1回速度を上げる。

そして1階席中央横断通路にスネアドラム奏者が登場。肩から下げたスネアドラムを歩きながら叩く。二つのスネアが鳴る中、転調があってクライマックス。鈴木優人は客席の方を向いて動きを止めた。

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2025年12月12日 (金)

観劇感想精選(504) 音楽劇「エノケン」

2025年11月2日 大阪城公園内のCOOL JAPAN OSAKA WWホールにて観劇

午後5時から、大阪城公園内の、COOL JAPAN PARK OSAKA WWホールで、音楽劇「エノケン」を観る。ホリプロの制作。喜劇王エノケンこと榎本健一と彼の家族や仲間達を描いた作品。COOL JAPAN PARK OSAKAは、2019年にオープンした劇場だが、これまで何故か縁がなく、初めての来場である。

まだ軽演劇が盛んな時代の東京が舞台だが、現在の東京の軽演劇はもう何年も虫の息状態。一方、大阪は吉本新喜劇が今も人気であり、日本で最も成功した軽演劇の劇団となって、大阪を軽演劇の中心地とした功績は大きい。一方、松竹新喜劇などライバル劇団は苦戦しており、吉本の一強が続く。

COOL JAPAN PARK OSAKAという劇場自体が、大阪の民放各社と吉本興業によって建てられている。大阪だけの特殊な状況だが、各民放と吉本興業が共同で番組制作を行っており、吉本の権限が非常に強い現状の象徴となっている。3つあるホールの名付け親も明石家さんまだ。
一方、吉本自体は必ずしも堅調とは言えず、大阪で売れた芸人が東京吉本に進出するという状況は相変わらず続いていて、かまいたちや千鳥など、大阪時代に面白さに定評にあった芸人が東京に移って全国区になるというパターンがすでに成立しているものの、ミルクボーイや霜降り明星など個別に面白いコンビはいるが、次の世代の人達が順調に育っているとは言えず、劇場面でもよしもと祇園花月は撤退。吉本は京都における拠点を失っている。
ダウンタウンという看板もこれからは出演は無理そうであり、危機的な状況である。
吉本は京橋花月があった時代に芝居路線を打ち出したが、京橋花月閉鎖と同時に撤退。COOL JAPAN PARK OSAKAはその路線に戻るための布石だったと思われ、現在も吉本系の演劇が行われている。

この音楽劇「エノケン」も又吉直樹が戯曲を手掛けるなど吉本の色が入っている。作:又吉直樹、演出:シライケイタ。音楽:和田俊輔。主演:市村正親。出演:松雪泰子、本田響矢、小松利昌、斉藤淳、三上一朗、豊原功補。

松雪泰子は、エノケンの妻・よしゑと、銀座の女郎・花島喜世子(アイコの源氏名で呼ばれる)の一人二役。途中で、「一人二役って大変なんだから」と登場人物ではなく松雪泰子のセリフを言う場面があるが、台本に書いてあったのか、稽古中にアドリブで言ったのが採用されたかのどちらかであろう。

まず、エノケン(市村正親)が脱疽を患い、義足になった場面から始まる。エノケンは息子の鍈一(本田響矢)に支えられながら退場。
その後、市村正親は、若かった頃のエノケンとして客席下手入り口から登場。通路を歩いて舞台に上がる。名曲「青空(私の青空)」、NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、ヒロインの寅子(伊藤沙莉)が披露宴で歌い、「あの曲なに?」「披露宴で唄う歌じゃない」と話題になった(この時点での寅子の鈍さが表れている象徴的な場面でもある)「モン・パパ」、「東京節」「洒落男」などが歌われる。市村も高齢だが、本業がミュージカル俳優。本業が喜劇俳優で歌は余技の榎本健一よりも歌唱力ははるかに高い。それにしても「モン・パパ」が入るようになったのは感慨深い。「虎に翼」で話題になったということもあるが、恐妻家を唄った歌は、これまで男性からも女性からも好まれなかった。「モン・パパ」はタイトルからも分かるとおりシャンソンで、様々な日本語訳があり、今はYouTubeで聴くことが出来るようになっている。何種類もの訳詞と歌唱があるということは、大ヒットしたということだが、その後忘れられ、久しぶりに日の目を見た曲ということでもある。なお、「寅に翼」で歌われたのは、榎本健一&二村定一によるバーションである。

よしゑと喜世子の二役を行った松雪泰子。着物の早替えと声や仕草の変化で演じ分ける訳だが、喜劇役者の妻であるよしゑよりも、女郎とはいえ高級な店でハイクラスな人々の相手をしている喜世子の方が言葉遣いも身のこなしも可憐。身分的にはよしゑの方が上のはずなのだが、こうした逆転現象は、演技=演劇の妙味である。
松雪泰子出演の舞台はそれほど多く観てはいないのだが、彼女は空間に嵌まるタイプであるため、ヒット率はかなり高そうである。

豊原功補は、今回は、劇作家の菊谷榮(きくや・さかえ)を演じている。最初の場面で菊谷の声にエコーが掛かっていたため、彼が今はこの世にいないことが分かる。
その後、時代が遡り、菊谷が元々は舞台美術をしていたが、脚本に回ったことなどが語られる。三谷幸喜の「笑の大学」にも、菊谷をモデルとした人が出てくるが、軽演劇の本は演劇のそれとは異なる要素が求められる。お客さんは笑いに来ているので、哲学的な命題で入ったり、斬新な設定にしても付いてこられない。菊谷もそんなものを書くつもりはなかったが、自分にしか書けない作品を望んでいた。しかし召集令状が来る。戦地で菊谷は自身の最高傑作を書き上げるのだが、程なく戦死する。検閲制度があったため、戯曲にも目を通され、「自分にしか書けない」戯曲などは当局によって危険と判断され、破棄された可能性が高い。
そうではあっても、菊谷は幽霊となってエノケンを励ます。

菊谷よりも有名なのが菊田一夫(小松利昌)。「君の名は」が最も有名だが、小学校中退であり、仕事がないので公衆便所の掃除の仕事に申し込んだところ、「学歴がない」という理由で落とされ、「なにを!」と奮起して学歴の関係ない演劇界で生きている。

古川緑波(斉藤淳)は、早稲田大学中退であり、他の演劇人に比べるとインテリで、最初の売り込みのときから自身のことを「千両役者」と呼んでいたようである。その後、エノケン・緑波は浅草の二大看板となったが、次第にアイデアの枯渇に悩むようになっていく。その後、映画に端役で出たり、地方公演など、プライドをかなぐり捨てての活動を行うが、尊大な態度が周囲の人の癪に障ったようで、57歳にして寂しく世を去っている。

エノケンも脱疽の病気が進み、右足の膝から下を切断。その後、訓練によって軽快な動きを取り戻すが、更に脱疽は進んで太ももの切断まで行う。エノケンは心の面においては弱い人のようで、何度も自殺しようとするが、未遂に終わる。その後の復帰も周囲の人々に支えられてだった。古川緑波の凋落はこの芝居の中では描かれないが、好対照な生き方であるといえる。

実は、私が小学校の頃、道徳の教科書に載っていたのが、脱疽の病を得た後の榎本健一の姿だった。記憶が曖昧だが、今日観た芝居に描かれたエノケンとは違い、毅然とした英雄的な態度だったように思う。教科書の編纂者は、障害を得ても強く生きる偉人として榎本健一を選んだはずである。だが、実際の榎本健一は今日の芝居の方が近いはずである。

小説家や脚本家が戯曲を書くとかなりの確率で失敗する。戯曲は場面が限られるので、その中で何をどう配置するか決める必要があるが、小説も脚本も舞台は無限であり、ずっと自由である。
又吉直樹の戯曲も、場面や時代が飛ぶことが多く、映像的ではあったが、彼自身が舞台人ということもあり、過度にセリフを語らせることはなかった。またメタ的なセリフだが、「セリフは短い方が良い」と俳優に語らせていた。

シライケイタの演出は、中仕切り幕の多用が印象的。緞帳はないので、中仕切り幕で場面転換などを行う。歌舞伎的な手法だが、蜷川幸雄に影響を受けた人なので頷ける。客席の通路を多用した演出であり、市村正親や松雪泰子を間近で見ることが出来た。やはり松雪泰子は顔が小さい。

榎本の障害に相当するものが市村にとっては年齢だと思われる。昔のように唄えなくなるし、踊れなくなる。エノケンは65歳で他界したが、市村は76歳にして現役。市村は今日は年齢から来る衰えを克服したように思う。

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2025年12月11日 (木)

観劇感想精選(503) 舞台版「酔いどれ天使」(再演)

2025年12月6日 大阪上本町の大阪新歌舞伎座にて観劇

午後5時から、大阪上本町の大阪新歌舞伎座で、「酔いどれ天使」を観る。黒澤明監督の同名映画の舞台化である。笠置シズ子の「ジャングル・ブギ」が用いられていることでも知られるが、舞台版では踊り子は出てくるものの、「ジャングル・ブギ」などの歌はうたわれない。2021年に上演された舞台の演出家を変えての再演で、今回の方が有名キャストは少ない。

原作:黒澤明、植草圭之助。脚本:蓬莱竜太、演出:深作健太。黒澤以外は比較的珍しい苗字が並ぶ。植草は千葉県固有の姓で、少年隊の植草克秀は千葉市出身。また千葉市には植草学園大学という大学がある。ただし植草圭之助は東京生まれである。深作は、深作健太の父親である深作欣二が一人で有名にした苗字である。
出演:北山宏光、渡辺大、横山由依、阪口珠美、佐藤仁美、大鶴義丹ほか。京都出身の有名芸能人の一人である横山由依(京都人からすると「木津川市なんて奈良やん」ということになるのかも知れないが)は、岡田結実(おかだ・ゆい)との「ユイ」コンビでWキャストである。今日は昼からの公演は同じ役を岡田結実が演じた。

敗戦後の東京が舞台。闇市で成り上がり、愚連隊の頭的存在となった松永(北山宏光)は、手に銃弾を受け、腕は良いが酒好きで貧乏な医師の真田(渡辺大)に、弾丸の摘出手術を受ける。その時、真田は松永が結核に罹患していることを見抜く。
真田は性格にも癖があり、「名医が認める名医」的存在であるにも関わらず、格好もだらしがないため、患者が来ない。1ヶ月ほど誰も受診に訪れておらず、収入ゼロだが、それでも深刻には感じていない鷹揚な人柄である。開業医であるため、医院は自宅と兼用となっており、婆やと居候の美代子(佐藤仁美)と暮らしている。真田は平野愛子の「港が見える丘」(1947)が好きでしょっちゅう口ずさんでいる。
かつてこの街をシマとしていた岡田(大鶴義丹)が刑務所から出てくる。岡田は戦争中はずっと服役していたため、戦場のリアルを知らない。松永はかつては岡田の弟分だったが、「またアメリカと戦争をして今度は日本が勝つ」などと能天気なことを言う岡田と距離を取るようになる。松永は出征しており、前線に送られていた。他の兵士は必死で戦う気であることが分かったが、岡田は怖くて逃げることばかり考えていた。そのため五体満足で帰ることが出来たのかも知れないが、そのことを負い目に感じていた。
ある日、闇市を歩いていた松永は幼馴染みのぎん(横山由依)に声を掛けられる……。

 

第1幕、第2幕共に上演時間1時間ほどだが、映画を演劇にするのは難しいのか、1時間なのに長く感じられる。カットを切り替えたりは出来ないので、その分、セリフも多めになっているのかも知れない。中央に黒い水たまりが描かれた舞台で、布などを用いた演出もある。セットが変わることもあるが、映画にしては舞台があちこち飛ばない作品なので、舞台化には向いていると思う。
演技面で一番良かったのは佐藤仁美。最近は露出も特別多くはないし、容姿的にも飛び抜けた美人という訳ではないが、それでも長く活躍出来ているのは演技力が高いからだろう。頭一つ抜けている感じがした。

横山由依は全編北陸方言を用いての演技。北陸地方の何県なのかは分からないが、脚本担当の蓬莱竜太が青春時代を石川県で過ごしているので、石川弁である可能性は高い。彼女は真面目な性格で知られ、AKB48第2代総監督も務めているが、いかにも「真面目」な演技。伝わる人には伝わるし、嵌まる役もあると思うが。もう少し余裕があると更に良くなると思う。
演技面では他には突出した人はいないが、それぞれの個性は上手く出ていたように思う。
元乃木坂46の阪口珠美は、ダンサーの奈々江役だが、他のダンサーはダンスを本業としている人達。阪口は女優だからセリフも勿論喋れるが、他のダンサーは……。
最近、ミュージシャンやダンサーにセリフを喋らせる演出をたまに見るが、上手くいかない。セリフを喋るのは想像しているよりも難しい。

有名人が余り出ないので、客席は埋まっていなかったが、北山宏光のファンと思われる女性の中にはラストで泣いている人も大勢いて、作品としては成功だったといえる。

ラストでキャットウォークから紙切れが大量にばらまかれていたが、意図はなんだろう。すぐに思いつくのは二・二六事件、そして太平洋戦争中に米軍が飛行機からばら撒いた日本を揶揄する文章(「日本、よい国カミの国 カミはカミでも燃える紙」といったような文章)。イスラエル軍もガザ地区で、「ガザ市に残る者はスパイと見なして容赦なく撃ち殺す」という文章が書かれた紙を飛行機から撒いているそうである。IT全盛の時代だが、一度に多くの人にメッセージを伝えるには飛行機から文章が書かれた紙を撒くのが一番効果的なのかも知れない。いずれにせよ戦時色がいつ濃くなってもおかしくない不気味さを感じさせる演出である。

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2025年9月 2日 (火)

コンサートの記(914) 遊佐未森 「cafe mimo Vol.24~春爛漫茶会~」大阪公演

2025年4月20日 心斎橋PARCO SPACE14にて

午後5時から、心斎橋PARCO14階の、PARCO SPACE14(イチヨン)で、遊佐未森の「cafe mimoVo.24 ~春爛漫茶会~」に接する。シンガーソングライターでボーカル&ピアノの遊佐未森が、ギターの西海孝とパーカッション&打ち込みの楠均と共に毎春トリオで行っているコンサート。通常は、東京の草月ホールでスタートして各地を回るのだが、今回は、大阪のこの公演が初日となった。昨年もPARCO SPACE14で開催。PARCO SPACE14は、以前は大丸心斎橋劇場、その前はそごう劇場という名前だったのだが、そのどちらでもcafe mimoは行われており、歴史の長さが感じられる。本来は、25周年になるはずで、お祝いも出来るはずなのだが、コロナで飛んでしまった年があり、Vol.25とはならなかった。遊佐未森によるとスタッフがどさくさに紛れて、Vol.25になるよう画策したらしいが、遊佐が「それはちょっと」と難色を示したので、四半世紀にはまだ届かないということになった。ただ中止になった回もリハーサルだけはしたそうで、その時にカバーした曲が面白くて大笑い。だが、笑いすぎて歌唱にならないため、その曲は封印することになったようである。

未森さんは、「桃」を意識したピンクのワンピースで登場したが、注文して完成したのが昨日の夜中。ドレスメーカーのサチコさんが夜に車を飛ばして事務所まで届けてくれたそうである。サチコさんは夫婦で衣装の製作を手掛けているのだが、結構、有名な人らしい。


ミラーボールが輝く会場。スキャットを背後に中原中也の「月夜の浜辺」の全編朗読を含む「月夜の浜辺」という同名の曲でスタート。未森さんは、「(中原中也の)映画もあったようなんですが(「ゆきてかへらぬ」)リハーサルで観に行けなかった」と語っていた。

桃の衣装なので、「桃」という歌や、「つゆくさ」というナンバー」も歌われ、cafe mimoでは終盤によく歌われた「一粒の予感」がバラード調のスタートで早めに歌われた。
恒例のカバーでは、「Fly Me to the Moon」が歌われる。お馴染みのジャズナンバーで、若い人には、「新世紀エヴァンゲリオン」連続アニメ版のエンディングテーマとして知られると書きたいところだが、「新世紀エヴァンゲリオン」連続アニメ版が放送されたのは30年近く前で、それを知っている人ももう若いとは言い切れない年齢になっている。
どちらかというと、ジャズ的なノリよりも落ち着いた歌唱を指向した出来であった。
カバーとしてはもう1曲、「The Water is Wide」が歌われた。フォーク全盛期にはよく歌われた民謡である。

大阪公演のゲストは、元Le Couple(ル・クプル)の藤田恵美。Le Coupleは連続ドラマ「一つ屋根の下2」の挿入歌となった「日だまりの詩(うた)」が大ヒットしたが、2005年に活動停止、2007年に離婚が成立して解散となっている。その後、藤田恵美はカバーなどを中心としたアルバム制作や、ラジオのDJなどとして活動を続けている。写真や映像で見るよりシャープな印象の女性。
藤田は自己紹介で、子どもの頃に劇団ひまわりにいて、左卜全とひまわりキティーズ「老人と子どものポルカ」にひまわりキティーズの一人としてレコーディングに参加していたそうである。
その後、ブルーグラスやカントリーなどを歌う歌手としてライブハウスで活動するが、その時、ライブハウスで演奏と同時に従業員として働いていたのが西海孝だそうである。西海孝とはその後、5人組のバンドを組み、藤田がボーカル、西海がギター&バンジョーで新宿コマ劇場の地下にあったカントリー系としては日本最大のライブハウス・ウィッシュボンで活動していた仲だという。十代、二十代は洋楽ばかり聴いていたが、事務所の人から、「日本の今を知らなきゃ駄目だよ」と言われ、手を伸ばしたのが遊佐未森のCD、「momoizum」であった。そして、「ライブにも行ってみよう」と思い、渋谷公会堂に出掛けたのだが、「え? こんなに踊る人だったの?」と思ったそうである。遊佐も自身のライブ映像を見返したことがあったのだが、「『momoizm』の時はこんなに踊ってたんだ」と驚いたそうである。
そしてなんと、「日だまりの詩」を歌うことになる。第1番を遊佐が、2番を藤田が歌う。
「ひだまりの詩」は、旋律は明るいが、歌詞はもう会えなくなった元彼の思い出と感謝を歌うという、ちょっぴり切ないものである。遊佐未森は、癒やし系シンガーであり、例えば「ココア」などの切ない曲も歌うが、メロディーが明るくて歌詞が切ない楽曲には彼女の歌声はハッピーすぎて余り合わないかも知れない。藤田は持ち歌だけにしっとりと歌い上げていた。
藤田が、遊佐の「僕の森」にチャレンジしたいと言う。遊佐は高校時代は音楽科出身で声楽などを学び、大学も音大。大学では声楽科ではなかったが、「8の字唱法」といって、通常の裏声を使うことなく高い声を出す唱法を習得している。普通の人はそうした発声は出来ないので、一般的な裏声を使うのだが、藤田も「出来には期待しないで下さい」といっていた通り、高音を出すのには苦労しているようだった。

その後、遊佐は、最も新しいアルバムである「潮騒」からタイトル曲などを歌う。


アンコールは、菅原都々子の「月がとっても青いから」を藤田恵美と共に歌う。藤田の父親が、菅原都々子のアルバムを2回聴かないと寝かせてくれないような人だったそうだ。


最後は遊佐未森による告知。大阪では、島之内教会でクリスマスコンサートを行うそうである。また大阪ではないが、同じ関西で、「京都の『ぶんぱく』というところでコンサートをやります。『ぶんぱく』って正式にはなんていうんだろう? 京都の人、みんな、『ぶんぱく、ぶんぱく』って言うから。文化博物館? 合ってる? 京都市文化博物館?」。京都文化博物館は、正式名称を京都府京都文化博物という京都府の施設なので、京都市文化博物館だとちょっと違う。ということで、「京都“府”」と言う。遊佐は、「そうですよね。京都府文化博物館?」。まあ、「府」と聞いただけで、京都府京都文化博物館という名称を導き出すのは難しいだろう。

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2025年7月29日 (火)

これまでに観た映画より(390) 「BLUE GIANT」

2025年2月24日

Amazon Prime Videoで、アニメ音楽映画「BLUE GIANT」を観る。原作:石塚真一、NUMBER8。脚本:NUMBER8。音楽:上原ひろみ。声の出演:山田裕貴、岡山天音、間宮祥太朗、東地宏樹(とうち・ひろき)、木下紗華(きのした・さやか)、木内秀信、加藤将之、高橋伸也(たかはし・しんや)、乃村健次ほか。監督:立川譲。
ジャズを題材にした青春ストーリーである。女の子が主人公の音楽アニメには、京都市左京区がロケ地となった「けいおん!」シリーズや、京都府宇治市を舞台とした「響け!ユーフォニアム」(いずれも京都アニメの作品)などがあるが、こちらは女性はほとんど登場せず、音楽男子達の友情と青春を描いた作品となっている。

仙台出身の宮本大(声:山田裕貴)が主人公である。中学高校とバスケットボール部だったが、3年ほど前から広瀬川の河原でテナーサックスの練習を始め、半年ほど、由井というサックス奏者(乃村健次)に師事した。
高校を卒業し、「世界一のジャズプレーヤー」になることを夢見て上京した大。先に東京の大学(早稲田大学がモデルとなっている)に進学していた高校の同級生の玉田俊二(岡山天音)の下宿に転がり込む。隅田河畔で練習に打ち込み、ジャズバー「TAKE TWO」を訪れた大は、ママのアキコ(木下紗華)から生演奏を行っているジャズバーを紹介される。そこで大は片手で華麗なピアノ捌きを見せる沢辺雪祈(さわべ・ゆきのり。間宮祥太朗)のプレーに釘付けになる。すぐに共演を申し込む大。ずっと年上に見えた雪祈だったが、実は大と同じ18歳で、立教大学をモデルにした立丘大学の学生だった。
「TAKE TWO」に雪祈を誘った大。しかし、サックス経験がわずか3年、しかもほとんど独学ということで呆れられる。雪祈はピアノ教室を経営している家に生まれており、4歳の時から14年間、ピアノを弾き続けてきた。だが、大のサックスの演奏を聴き、3年の間に尋常でない練習量をこなしてきたことに気付いた雪祈は、心を打たれるのだった。
「TAKE TWO」の空き時間に練習させて貰えることになった大と雪祈だったが、ピアノとサックスだけでは足りない。ドラムがいる。
その頃、大学のサッカーサークルに所属していた玉田は、遊び半分のプレーを行う先輩達に嫌気が差していた。高校で全国ベスト8に入ったこともある玉田だったが、早稲田大学がモデルとなると、サッカー部(早稲田のサッカー部は、ア式蹴球武を名乗る)に入るのは難しいのだろう。失望してサークルを辞めた玉田は、隅田川のほとりでサックスの練習をする大を見に行き、空き缶でリズムを取る役目を務めたことでジャズに興味を持つ。他に当てのない大は、玉田をドラマーとして加えることにするのだが、雪祈はど素人を連れてきたことに呆れる。取りあえずセッションを行うが、玉田は全くついて行けない。
それでもドラムに魅せられた玉田は、ドラム教室に通うなど、二人のセッションに加わろうとする。

サークルや部活動ではなく、本気でプロを目指す若者達の青春ものである。描かれているのは1年ほどだが、音楽的にも人間的にも成長著しい。それまでジャズに興味のなかった者や、密かに彼らを見守ってきた常連客、遠い昔の知り合いなどを巻き込み、文学でいう教養小説的な佳編に仕上がっている。主人公3人はプロの声優ではなく若手俳優が当てていいるが、違和感もなく素直に上手いと感じられる。韓国と中国のスタッフが多数参加しており、東アジア総力戦という構え。音楽は、ピアノが上原ひろみ、サックスが馬場智章、ドラムが石若駿が演奏を務め、音楽に合わせて作画を行うという工程が取られている。動きはリアルで、モーションキャプチャーが使用されているようである。実写では絶対無理なアングルや描写なども多く、アニメならではの優れた構図が多く見られる。

精神年齢が高すぎて18歳には思えない人も出てきたりするが、それも物語を進む上での推進力となっており、音楽映画として、また人間ドラマとしても優れた仕上がりになっている。
第47回日本アカデミー賞では優秀アニメーション賞と最優秀音楽賞を受賞した。

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2024年10月14日 (月)

NHKBS「クラシック俱楽部」 大阪府堺市公開収録 石橋栄実ソプラノリサイタル(再放送)

2024年9月12日

録画しておいた、NHKBS「クラシック俱楽部」大阪府堺市公開収録 石橋栄実ソプラノリサイタルを視聴。2023年12月15日に堺市立美原文化会館での収録されたもの。ピアノは關口康祐(せきぐち・こうすけ)。

ソプラノ歌手の石橋栄実(えみ)は、1973年、東大阪市生まれ。私より1つ上で、有名人でいうと、イチロー、松嶋菜々子、篠原涼子、大泉洋、稲垣吾郎、夏川りみなどと同い年となる。大阪音楽大学声楽科を卒業、同大学専攻科を修了。現在は大阪音楽大学の教授と、大阪音楽大学付属音楽院の院長を兼任している。ソプラノの中でも透明度の高い声の持ち主で、リリック・ソプラノに分類されると思われる。東京や、この間、「エンター・ザ・ミュージック」で取り上げられていたように広島など日本各地で公演を行っているが、現在も活動の拠点は大阪に置いている。インタビュー映像も含まれているが、「一度も大阪を離れようと思ったことはなかった」そう。ちなみにインタビューには標準語で答えているが、言い回しが明らかに関東人のそれとは異なる。石橋はオペラデビューが1998年に堺市民会館で行われたフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」だったそうで、「堺は特別な街」と語る。


曲目は、ジョルダーノ作曲の「カロ・ミオ・ベン」、マスカーニ作曲の「愛してる、愛してない」、モーツァルト作曲の歌劇「フィガロの結婚」から「とうとううれしい時が来た」と「恋人よ、早くここへ」、ドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」、プッチーニ作曲の歌劇「ラ・ボエーム」から「私が町を歩くと」、
連続テレビ小説「ブギウギ」メドレー(「東京ブギウギ」、「買い物ブギー」、「恋はやさし野辺の花よ」)、
歌曲集「カレンダー」から「十月」「三月」(薩摩忠作詞、湯山昭作曲)、「のろくても」(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)、「今日もひとつ」(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)、「いのちの歌」(miyabi=竹内まりや作詞、村松崇継作曲。NHK連続テレビ小説「だんだん」より)


声の美しさとコントロールが絶妙である(実は歌手の方には多いのだが、話しているときの地声が特別美しいというわけではない)。
映像映えのするタイプではないのだが、実物はかなり可愛(検閲により以下の文章は削除されました)

「愛してる、愛してない」は、マスカーニの作品よりも、坂本龍一が中谷美紀をfeaturingした同名タイトルの曲の方が有名であると思われるが、花占いをしながら歌う歌曲で、石橋もそうした仕草をしながら歌う。

モーツァルトのスザンナのアリアは彼女の個性に合っている。


途中で、堺市の紹介があり、大仙古墳は仁徳天皇陵と従来の名称で呼ばれている。
なんか冗談が寒いのがNHKである。

連続テレビ小説「ブギウギ」メドレー。最も有名な「東京ブギウギ」(作詞:鈴木勝=鈴木大拙の息子、作曲:服部良一)がまず歌われる。実は「東京ブギウギ」はリズムに乗るのがかなり難しい曲なのだが、クラシック音楽調に編曲されているので、オリジナル版よりは歌いやすいと思われる。
關口のピアノで、「ラッパと娘」と「センチメンタル・ダイナ」が演奏される。服部良一も大阪の人で、少年音楽隊に入って音楽を始め、朝比奈隆の師としても知られるウクライナ人のエマヌエル・メッテルに和声学、管弦楽法、対位法、指揮法などを師事しているが、音の飛び方が独特で、「え? こっからそこに行くの?」という進行が結構ある。「ラッパと娘」などは「それルール違反でしょ」という箇所が多い。

「買い物ブギー」。この曲は笠置シヅ子をモデルとした朝ドラに主演した東京出身の趣里、兵庫県姫路市出身の松浦亜弥、神奈川県茅ヶ崎市出身の桑田佳祐なども歌っているが、大阪弁の曲であるため、大阪の人が歌った方が味わいが出る。作詞は作曲の服部良一自身が村雨まさを名義で行っている。
石橋は客席通路での歌唱。カメラを意識しながら演技を入れての歌唱を行って、ステージに上がる。ただ、この曲はクラシックの歌手が歌うと美しすぎてしまう。笠置シヅ子は実は歌唱力自体はそんなに高い方ではない。彼女の長所は黒人の女性ジャズシンガーに通じるようなソウルフルな歌声にある。日本人には余りいないタイプである。


最後は日本語の歌曲。親しみやすい楽曲が多く、安定した歌声を楽しむことが出来る。顔の表情も豊かで、やはりかわ(検閲により以下の文章は削除されました)

メッセージ性豊かな歌詞の曲が選ばれているという印象も受ける。

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2024年5月 9日 (木)

これまでに観た映画より(332) 大映映画「舞台は廻る」(1948)

2024年5月2日

大映映画「舞台は廻る」を観る。1948年の作品。久生十蘭(ひさお・じゅうらん)の小説『月光の曲』が原作。脚本:八木沢武孝、監督:田中重雄。出演:三條美紀、若原雅夫、笠置シヅ子、齋藤達雄、潮万太郎、美奈川麗子、牧美沙、有馬脩ほか。演奏:淡谷のり子と大山秀雄楽団、クラックスタースヰング楽団(トランペットソロ:益田義一)。ダンス:SKDダンシングチーム。作曲:服部良一。
笠置シヅ子は歌手役で出演。「ヘイヘイ・ブギウギ(ヘイヘイブギー)」が主題歌になっているほか、「ラッパと娘」、「恋の峠路」、「還らぬ昔」など全4曲を歌っている。「ヘイヘイブギー」のリリースは1948年4月で「舞台は廻る」の封切りも同じ48年4月。ということで、やはりプロモーションを兼ねているようだ。「ヘイヘイブギー」は笠置シヅ子による本編の歌唱の後も女声コーラスなどによって歌い継がれ、延々と続く。

佐伯正人(齋藤達雄)と笠間夏子(笠置シヅ子)は元夫婦。離婚して、一人息子で8歳になる孝(有馬脩)は、佐伯が引き取ったが、夏子も孝を取り戻したいと考えている。
街頭で、佐伯と恋愛論を闘わせた雨宮節子(三條美紀)は、丹羽稔(若原雅夫)と婚約中で新居を探している。笠間夏子が出演するステージを観に来た節子は、横に座った孝が気になる。
箱根に住む節子。両親と兄と暮らしている。ある日、隣家からピアノの音が聞こえる。その家の主は、恋愛論を闘わせた相手、佐伯であった。佐伯は作曲家。笠間夏子のヒット曲は全て佐伯が作曲したものだった。

節子と孝の劇場での出会いのシーンで、笠置シヅ子演じる笠間夏子の「ラッパと娘」に続いて、淡谷のり子が大山秀雄楽団を従えて歌うシーンがある。

夏子と離婚してヒット曲が書けなくなる佐伯であるが、それから約10年後に笠置シヅ子を失うことで大ヒットに恵まれなくなった服部良一の未来を暗示しているようでもある。
箱根の家で友人を呼んで馬鹿騒ぎする佐伯。女の友人が「ラッパと娘」を歌って佐伯が怒るシーンがある。

夏子の楽屋をこっそり訪れた節子は、夏子と対面。孝について語り合う。
大阪弁の印象が強い笠置であるが、この映画では全て標準語で通している。
笠置シヅ子が歌うシーンが多く、ほとんど笠置シヅ子の歌を楽しむために作られたような映画である。

ヒロインの三條美紀は京都市の出身で、一応二世タレントということになるようだが、商業高校を出て大映の経理課にいたところ、社内上層部の目にとまり、演技課の女優へと転身したという変わり種で、その後長く活躍した。

若原雅夫は、新興キネマの俳優としてデビューし、大映を経て松竹に移って活躍するが、松竹を退社してフリーになった後はテレビに主舞台を移す。その後、病を得て引退している。現在の消息は不明。生きていれば100歳を優に超えている。

齋藤達雄は、若い頃にシンガポールで過ごしたという変わった人で、小津安二郎の映画の常連となり、1968年に65歳で死去している。

バイプレーヤーとして150本以上の映画に出演したという潮万太郎。91歳と長寿であった。

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2024年5月 3日 (金)

これまでに観た映画より(331) 東宝映画「春の饗宴」(1947)

2024年4月25日

1947年制作の東宝映画「春の饗宴」を観る。脚本・製作・演出(監督):山本嘉次郎。出演:池部良、若山セツコ、藤原釜足、轟夕起子、笠置シズ子(笠置シヅ子。流行歌手時の芸名が笠置シズ子、女優専念以降の芸名が笠置シヅ子である)、橘薫(本人役で出演)、進藤英太郎ほか。東宝舞踊団(T・D・A)のメンバーが全員出演している(大阪の舞踊団という設定なので大阪弁を話す)。作曲・音楽監督:服部良一。演奏:東宝交響楽団。演出補佐に後に「ゴジラ」シリーズを撮る本多猪四郎の名が見える。
1948年の正月映画として制作され、1947年の年末に公開されたもので、娯楽色が強い。
古い時代の映画なので、セリフが聞き取りにくいところがある。

雨の降り続ける東京。老舗劇場の東京座で、100万円当選の宝くじの抽選会が行われようとしている。東京座は、大阪の会社に身売りされるという情報があり、芸能担当の新聞記者、早坂三平(池部良)もその噂を知っている。山岡という大阪の男(進藤英太郎)が買収を進めており、劇場の内装を作り替えてダンスホールやカフェにしようと計画している。山岡はオペラ歌手の三村珠子にはレビューとオペラの常打ち小屋になると別の話をしていた。

100万円の当選者であるが現れない。実は東京座の電気係をしている神田老人(藤原釜足)の孫娘であるみよ子(若山セツコ)が当選券を手にしていたのだが、恐ろしくて名乗り出ることが出来なかったのだ。早坂は当選者について聞き込みを始める。
そんなことをよそに、大阪歌劇団による東京公演のレビューが延々と続いていくというストーリーである。

大阪のオペラの女王・三村珠子役の轟夕起子、大阪のジャズの女王・淡島蘭子役の笠置シズ子の歌唱シーンもあり、笠置シズ子は、「センチメンタル・ダイナ」や当時ラジオで大ヒット中の「東京ブギウギ」など数曲を歌っている。ソウルフルな歌声が特徴である。「東京ブギウギ」のSP盤が発売されるのは、1948年の1月ということで、この映画はそのプロモーションも兼ねていた。舞台上にいるのはほぼ全員大阪人という設定で、笠置シズ子も出身地である大阪の言葉を使っているが、ステージ上では東京の言葉も上品に操る。
ちなみに宝くじの当選番号は、番号入りの浮かび上がる風船を笠置シズ子演じる淡島蘭子がボウガンを使って矢で射るという物騒な方法が用いられているが、安全面がかなり気になる。

暴風雨となり、停電で公演は中断。都電などの交通機関も止まってしまったため、自家発電で照明が確保された劇場は終夜開放されることになり、やがてステージ上に歌手やダンサーが現れ、客席の客も促されて全員で踊ることになる。1947年ということで、まだ西洋のダンスが普及しておらず、皆踊りが盆踊りの身振りなのが時代を感じさせる。

面白いのは「雨のブルース」をダンスミュージックにしてステージ上の出演者達が皆で踊る場面があるところ。原曲のイメージをかなり変えるシーンである。


出演者のその後について記す。池部良は、「青い山脈」などに主演して天下の二枚目俳優としての地位を築き、立教大学文学部卒でシナリオも学んだ元映画監督志望という経歴を生かして随筆家としても活躍。日本映画俳優協会の初代理事長も務めている。92歳の長命であった。

宝塚歌劇団出身の轟夕起子は、「原節子似」と言われた美貌と、宝塚出身の歌唱力を生かして活躍するも、次第に体型が肥満化したため性格俳優へと移行。しかし病を得て49歳の若さで他界する。

笠置シズ子は、服部良一とのコンビで次々にブギの名曲を世に送り出し、「ブギの女王」の称号を手にするが、約10年後の1957年に体力の衰えから42歳の若さで歌手を引退。女優、笠置シヅ子として母親役などで映画やテレビ、ラジオドラマなどに出演。「家族そろって歌合戦」の審査員やカネヨ石鹸のクレンザー、カネヨンのCMなどで親しまれた。1985年に70歳で他界。

ヒロインである若山セツコは、後に若山セツ子に改名。「青い山脈」などに出演して清純派スターとして人気となり、1961年に一度女優を引退するもその後に復帰。しかし次第に精神を病むようになり、55歳で自殺して果てた。

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