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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2025年9月24日 (水)

コンサートの記(918) 「バロック・オペラ・エボリューション2025 濱田芳通&アントネッロの歌劇『オルフェオ』」

2025年2月16日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「バロック・オペラ・エボリューション2025 濱田芳通&アントネッロの歌劇『オルフェオ』」を観る。

現在、歌劇と呼ばれているジャンルの作品の中では最も古い人気作とされるモンテヴェルディの歌劇「オルフェオ」。バロック・オペラと銘打たれているが、厳密に言うとバロックよりも前の時代の作品である。ただ上演されることは多くはない。また1607年というかなり古い時代(日本では江戸時代が始まったばかり。イギリスではシェイクスピアがまだ存命中である)の作品であるため、現在の歌劇=オペラと同列に語ることは難しい。そもそもこの時代にはまだオペラという用語は存在していない。

歌劇「オルフェオ」以外にも、声楽作品の最高峰を競うと言われる「聖母マリアの夕べの祈り」などで知られるクラウディオ・モンテヴェルディ。ジュゼッペ・ヴェルディを上回る才能を誇ったともされる人である。譜面や記録が残っていないだけという可能性もあるが、モンテヴェルディより前の時代の人気イタリア人作曲家は存在しておらず、イタリア史上初の人気作曲家として偉大な才能であったことは間違いない。イギリス人のジョン・エリオット・ガーディナーがモンテヴェルディ合唱団とモンテヴェルディ管弦楽団を設立してモンテヴェルディ作品に人気向上に一役買ったが、現在、このコンビ(実際にはガーディナーは解雇されてもうコンビではないが)はパワハラ疑惑の渦中にあるのが残念である。

「オルフェオ」は有名なギリシャ神話を題材にしている。日本でも伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の黄泉比良坂の話に似ていることで知られている話である。また、一応、「天国」や「地獄」という言葉が歌詞に出てくるが、古代ギリシャにも日本の神道にも、あの世(「冥府」「冥界」「黄泉国」)というものがあるだけで、生前の行いによって天国か地獄かに分かれるという考え方はない。歌劇「オルフェオ」でも、神々の世界はあるが、あの世はあの世で、上や下や天国や地獄はないようである。

今回、上演を行うのは、濱田芳通率いるアントネッロという団体。アントネッロは1994年の結成で、バロック音楽やそれ以前の音楽をレパートリーの中心としている。今回も古楽器による演奏で、チェロは用いられず、ヴィオラ・ダ・ガンバが低弦を担う(形は似ているが、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェロは別種の楽器である)。ヴィオローネというヴィオラ・ダ・ガンバとコントラバスの中間のような楽器も使用される(ヴィオラ・ダ・ガンバとコントラバスは親戚とされる。この辺がややこしい)。ヴァイオリンやヴィオラはガット弦を張ったもの。コルネットも用いられるが、これも現在のコルネットとは形状が異なる。またこの時代は横笛よりも縦笛の方がメジャーで、リコーダーが活躍する。サクバットというトロンボーンの原型のような楽器が活躍するが、トロンボーン同様、宗教音楽でよく用いられた楽器である。オルガンやチェンバロも当然ながら演奏される。

指揮とコルネット、リコーダーなどを担当する濱田芳通は、東京音楽大学(当初は東洋音楽学校)の創設者の家系に繋がる人である。ただ東京音大には古楽系の専攻がないためか、桐朋学園大学の古楽器科に進み、スイスのバーゼル・スコラ・カントールムに留学。現在は初期オペラの上演などを数多く手掛けている。第7回ホテルオークラ賞、第53回サントリー音楽賞などを受賞。

出演は、坂下忠弘(バリトン。オルフェウス)、岡﨑陽香(おかざき・はるか。ソプラノ。エウリディーチェ)、中山美紀(ソプラノ。ムジカ/プロゼルピナ)、弥勒忠史(みろく・ただし。カウンターテナー。メッサジェーラ)、中嶋俊晴(カウンターテナー。スペランツァ)、松井永太郎(バス・バリトン。プルトーネ)、中嶋克彦(テノール。牧人)、新田荘人(にった・まさと。カウンターテナー。牧人/精霊)、田尻健(たじり・たけし。テノール。牧人/精霊)、今野沙知恵(ソプラノ。ニンファ)、目黒知史(めぐろ・ともふみ。バス。カロンテ)、近野桂介(牧人/精霊)、酒井雄一(アポロ)、田崎美香(たさき・みか。ニンファ)。
演出は中村敬一。

ゲートがあるだけのシンプルなセット。背後のスクリーンに様々な絵画が投影される。

この時代はまだ音楽が舞踊と強く結びついていた時代であり、また宗教音楽が盛んであった。つまりこの二つの要素が濃厚であり、組み合わされている。舞踊音楽のようにリズミカルであり、宗教音楽のように清らかな発声で歌われる。

台本も後の世紀になると削られてしまうような、状況説明の歌詞が多いが、なるべく多くの歌手に出番を作ろうという意図もあったのかも知れない。おそらく、ロマン派以降のオペラになると、「この人いらないだろ」とカットされてしまうような人が割と多く出てくる。

 

よく知られている話だが、あらすじを書くと、オルフェオ(オルフェウス。「オルフェウスの竪琴」という言葉で知られているように竪琴を持っている)がエウリディーチェと夫婦になるが、エウリディーチェは毒蛇に噛まれて命を落とす。エウリディーチェを諦められないオルフェオは冥府へ赴き、冥界の川の渡し守であるカロンテの妨害を眠りに陥れることで突破して、冥界の王であるプルトーネと王女のプロゼルピナを説得して、エウリディーチェを現世に連れ帰る許しを得るが、「決して振り向いてはならぬ」という約束を守れなかったため、エウリディーチェと引き離される。
その後は、このオペラ独自の展開で、オルフェオは父親のアポロに促されて天上世界へと向かうことになる。原作では実は悲惨なことになるのだが、この作品では一応はハッピーエンドということに変えられている。

ストーリー自体は易しいので何の問題もないのだが、「その場にはいるが特に何もしていないと思われる人」が多いので、演出には工夫がいる。そのままだと「この人達は何をしているんだ?」ということになるが、今回はこの時代の絵画に見られるようにポーズを取るなどして、くつろいでいるように見せている。視覚的に美しい演出だと思う。またオーケストラピット浅くし、階段で下りられるようにして、その階段を使った演出も効果的。メッサジェーラはオーケストラピットに降りた後で、今度は客席通路を泣きながら上って去って行った。また出演者が手拍子を行う場面では、ニンファの二人が階段の途中まで降りて客席にも手拍子を促すなど、一体感を生む演出が施されていた。
問題があるとすれば、冥府でのオルフェオとエウリディーチェの場面で、おそらくは歩いているはずのシーンなのだが、二人とも止まっているため、何をしたいのか、また何をしているのかよく分からないように見えてしまう。少しは動きが必要だったのではないか。

エウリディーチェはヒロインではあるが、出番は余り多くないため、実は美味しい役ではないようにも思う。

歌唱面は充実。カウンターテナーが3人もいるということが時代を物語っているが、カウンターテナーだからこそ生み出せるシーンであることが実際に観ていると看取出来る。
衣装も洒落ていて(衣装担当は東京衣装株式会社の村上まさあき)雰囲気の良い芝居に仕上がっていた。

この後にオペラと言われることになるジャンルは、神々の物語で、舞踊や宗教音楽と不即不離であり、状況を説明するだけの歌手がいた。ここからオペラは発展し、一部を除いて人間の物語となり、純音楽的になり、無駄が省かれていく。その過程を確認する上でも、意義深い上演であった。

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2025年9月 4日 (木)

コンサートの記(915) ローム クラシック スペシャル「2025 日フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート プロコフィエフ:交響的物語《ピーターとオオカミ》op.67(日本フィルオリジナル台本による上演)ほか」

2025年4月6日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、ローム クラシック スペシャル「2025 日フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート プロコフィエフ:交響的物語《ピーターと狼》op.67(日本フィルオリジナル台本による上演)ほか」を聴く。
主にロームの招きによるものだが、1年に2回から3回、ロームシアター京都での公演を行っている日本フィルハーモニー交響楽団。東京の他のオーケストラは、関西公演というと大阪府内か、大阪にほど近い兵庫県西宮市などで公演を行うことが多いが(NHK交響楽団は関西各地で公演を行う)、日フィルは京都を準本拠地とすることに成功しつつある。他の東京のオーケストラが大阪に集まるので、ライバルなしの状態である。まず子ども向けのコンサートを行い、夏に親子向けのコンサートを行い、更には大人向けの「コバケン・ワールド in KYOTO」を行うのが通例。今年も夏の親子向けのコンサートはすでに決まっていて、バレエを中心としたものである。「コバケン・ワールド in KYOTO 2025」も開催が決まった。

今回の「小学生からのクラシック・コンサート」は、園田隆一郎の指揮。日フィル・ソロ・コンサートマスターの扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)がコンサートマスターを務める。

休憩なしの上演時間約1時間のコンサート。曲目は、グリーグのホルベルク組曲(ホルベアの時代から)第1楽章とプロコフィエフの交響的物語「ピーターと狼」(朗読:江原陽子(えばら・ようこ)。

 

今回は開演前にホワイエでウェルカム・コンサートがある。写真撮影自由、動画撮影は不可である。クラリネット五重奏での演奏。
曲目は、宮川彬良の「ゆうがたクインテット」、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」より“ねえ、私のお父さん”、ブラームスのハンガリー舞曲第5番。
余裕を持って演奏されていたように思う。
アンコール演奏では、楽団員が紙で作った耳飾りを付けて、「ピーターと狼」の猫の主題を奏でる。ナビゲーターの江原陽子が、眼鏡を掛け、紙の耳飾りを付けた状態で登場。本番でも行って欲しいという猫ダンスを子どもたちに教えていた。

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中ホールであるサウスホールでの演奏ということで、中編成。サウスホールは残響はないが、空間自体がそれほど広くないので音は通る。後方にスクリーンが下がっており、スクリーンと前方の聴衆の間に入ると視野の妨げとなるためか、それを避けるべく指揮台は低めのものが用いられていた。

 

関西ではオペラ指揮者として聴くことも多い園田隆一郎。園田高弘との血縁関係はない。
イタリア・シエナのキジアーナ夏季音楽週間「トスカ」を指揮してデビュー。翌年、藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」を指揮して日本デビューを飾り、多くのオペラを手掛けたほか、イタリア国内のコンサートオーケストラも指揮。現在、パシフィックフィルハーモニア東京の指揮者、藤沢市民オペラ芸術監督を務めている。

ナビゲーターの江原陽子は、東京藝術大学音楽学部声楽科卒。NHKで歌のおねえさんとして活躍し、1991年からの日フィルの「夏休みコンサート」の司会を務めるなど、長い付き合いとなっている。洗足学園音楽大学教授。

 

グリーグのホルベルク組曲より第1楽章。弦の編成が大きくはないためか、ホールの音響ゆえか、スプリングが余り効いておらず、表情も堅い。日フィルは伝統的に北欧音楽には強いはずだが、今日はそれほどでもなかったようである。

 

プロコフィエフの交響的物語「ピーターと狼」。弦はドイツ式の現代配置だが、その前に主役となる管楽器が指揮台を取り囲むようにして並ぶ。下手側からフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットである。
江原陽子が、どの楽器が何を表すのかを説明する。
フルート(美人奏者として有名な難波薰が乗り番)は小鳥、オーボエはアヒル、クラリネットは猫、ファゴットはお爺さんである。ピーターの主題は弦楽器が奏で、狼はホルンなどの金管楽器が威圧的な音を押し出す。
1991年から日フィルと声を使った仕事をしているということで、江原陽子のナレーションは手慣れたもの。猫の主題が出た時には、ウェルカム・コンサートでやった時のように子どもたちと一緒に踊る。京都の子どもたちなので、大阪の子どものようにノリノリという訳にはいかないが、楽しそうである。
演奏であるが、グリーグよりもずっと滑らかでチャーミングである。サウンドも温かで、日フィルの良さが出ていた。
なお、台本は、園田隆一郎、江原陽子と日フィル企画制作部が作成したオリジナルのものが使用されていた。
スクリーンには、最前列の管楽器奏者が演奏するときのみ映像が映る。使用時間はそれほど長くはなかった。
最後にスマホ撮影タイムがあったが、スマホの起動に時間が掛かったため、やはり作成できず。去年は事前に「カーテンコール撮影可」という情報が載っていたので間に合ったのだが。だが去年はその映像をSNSにアップしたのは私だけ。余り人気がないようであった。

 

京都は街の規模や文化水準からいえば、京都市交響楽団の他にライバルとなるフルサイズの民営プロオーケストラがあっても良いはずなのだが、資金面を考えると、フルサイズのプロオーケストラの運営は難しいと言わざるを得ない。京響ですらキャパ1800の京都コンサートホールを満員にするのは難しいのが現状ある。日フィルに京響を刺激する形でもっと頑張って貰うのも手である。日フィルは東京のオーケストラの中ではAランクに入るか入らないかの当落線上だが、東京に本拠地を置いているプロオーケストラは基本上手い。

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2025年8月24日 (日)

BS-TBS「JNNストーリーズ ラスト・ワルツ 踊る指揮者(マエストロ)井上道義」

2025年5月3日

録画してまだ見ていなかった、BS-TBS「JNNストーリーズ ラスト・ワルツ 踊る指揮者(マエストロ)井上道義」を見る。昨年12月30日で引退した指揮者の井上道義に密着したドキュメンタリー。先に北陸放送で放送され、その後、BS-TBSで全国放送されている。ナレーションは、妻が井上道義の親戚だという役所広司。役所広司は、井上の最後のコンサートの舞台裏に登場する。

1946年生まれの井上道義。育ての親は井上正義だが、実際の父親は、米軍のガーディナー中尉である。井上道義がそのことを知ったのは40歳になった頃だったようである。

井上は10年以上掛けて、両親のことを描いたミュージカル・オペラを作曲。上演する。
この曲を上演すれば自分のやることは終わるなと思ったそうである。


ショスタコーヴィチの楽曲に惚れ込んだ井上道義。複数のオーケストラを指揮して作成した「ショスタコーヴィチ交響曲全集」の帯には、「僕はもうショスタコーヴィチだ」と、レナード・バーンスタインがマーラーに対して語った言葉を真似たと思われるメッセージが載せられている。


生涯現役を貫く指揮者も多いが、井上は、「よぼよぼになって後ろ指さされる前に辞めたい」ということで、現役引退を決意する。

オーケストラ・アンサンブル金沢、新日本フィルハーモニー交響楽団、群馬交響楽団、札幌交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団と豊田市ジュニアオーケストラとの合同演奏、千葉県少年少女オーケストラ、山形交響楽団、読売日本交響楽団などとの共演場面が流れ、そのうち、群馬交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、読売日本交響楽団とはショスタコーヴィチを演奏している。


尿路結石の再発で体調不良となる井上。私もよく通う兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールでの本番はキャンセル。第54回サントリー音楽賞でも出席はしたが、スピーチは代読、祝賀会も欠席している。復帰は、2023年の10月、高崎芸術劇場での群馬交響楽団とのコンサート。ここでもショスタコーヴィチが演奏されている。

札幌交響楽団とのkitaraでの演奏会では、オーケストラを円形に配置してラヴェルの「ボレロ」を演奏。最後の演奏会となった、読売日本交響楽団を指揮しての第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサート(2024年12月30日)の最後の曲では、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」をラストの演目に選び、終曲を自身のシンバルの一撃で締めるなど、最後まで独自の色を出す井上。アンコールなしと見せかけ、オーケストラ団員を引き上げさせてから再登場させ、武満徹の3つの映画音楽より「ワルツ」をアンコールで演奏する。途中、贈られた花束から花弁を取り出し、パッと撒き散らす、その後、花束と共にワルツを踊って、花束を客席に放り投げるというパフォーマンスを見せた。

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2025年3月28日 (金)

2346月日(43) 東京都現代美術館 「音を視る 時を聴く 坂本龍一」

2025年3月21日 江東区三好町の東京都現代美術館(MOT)にて

坂本龍一の展覧会「音を視る 時を聴く 坂本龍一」が行われている東京都現代美術館に向かう。地下鉄清澄白河駅から歩いて15分ほどのところに東京都現代美術館(MOT)はある。住所でいうと江東区三好町ということになる。
連日超満員で、美術館としても「なるべく平日に来て欲しい」という希望を出していたのだが、平日の開館直後でもかなりの長蛇の列であった。今日は夜間開館があり、午後8時まで開いているので、そちらを狙うという手もあったが、並んでいるうちに、「何とか間に合いそうだ」という気配になったため、そのまま並び、中に入る。

まずは、ロームシアター京都メインホールでも上演されたシアターピース「TIME」の映像だが、これは劇場で視ているため、短い時間で離れる。

その他には、降水量のデータを音楽に変えたり、被災した宮城県立農業高校のピアノを自然に逆らわず調律し直したピアノで、世界の地震データを音にしたり(これはテレビでも紹介されていた)と、様々な試みが展示されている。
アルヴァ・ノトことカールステン・ニコライや、ダムタイプの高谷史郎との共作の展示もある。
坂本が残したメモの展示もあり、孤独についての考察や、「映画は偶然ではあり得ない」といった記述などがある。
読んだ本のリストもあり、与謝野晶子訳の『源氏物語』を読んだことが分かる。

《Music Plays Images X Images Play Music》では、1996年に坂本龍一と岩井俊雄によって水戸芸術館で行われた映像と音楽のコラボレーションが再現されており、MIDIデータによるピアノの再現演奏と、ホログラムでよいのかどうかは分からないが、教授を映した立体的な映像が、あたかもその場で演奏を行っているような臨場感を生み出している。
序奏を経て演奏されるのは、「シェルタリング・スカイ」と「Parolibre」。特に「シェルタリング・スカイ」の演奏と映像が残っているのが嬉しかった。

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2025年3月18日 (火)

佐々木蔵之介出演「京のかがやき」2025@祇園甲部歌舞練場

2025年2月8日 祇園甲部歌舞練場にて

午後6時30分から、祇園甲部歌舞練場で、「京のかがやき」2025を観る。京都府内各所の民俗芸能に関わる人々が集って芸を披露する催し。昨年、南座で第1回が執り行われ、今年は会場を祇園甲部歌舞練場に移して開催される。昨年、スペシャルナビゲーターとして参加した、京都市上京区出身の俳優である佐々木蔵之介が、今年はストーリーテラーとして2年連続で参加する。
昨年は副題などは掲げていなかった「京のかがやき」であるが、今年は「夢」がテーマとなっている。

出演は、宮津おどり振興会、宇治田楽まつり実行委員会、原谷弁財天太鼓保存会(京都市)、福知山踊振興会、和知太鼓保存会(京丹波町)の5組。
今回は、それぞれ背景に物語があるという趣向で、佐々木蔵之介が舞台裏でそれを読み上げる。

司会は、あべあさみという名の女性。「なっち」こと安倍なつみの妹で、一時期芸能活動をしていた方と同じ名前だが、別人である。一応、検索するとMCをメインの仕事にしている阿部麻美さんが引っかかるので、この方かも知れない。
最初に西脇隆俊京都府知事の挨拶がある。山田啓二前府知事や松井孝治京都市長に比べて影の薄い西脇府知事。コロナの時期にはようやく表に出てきたが、今ではまた存在感が薄くなっている。最近、X(旧Twitter)を開設して、遅ればせながら発信を始めるようである。

 

「京のかがやき」2025は、「私には夢がある」という言葉でスタート。紗幕の背後に、各団体の代表者が浮かび上がる。
佐々木蔵之介が、下手の花道の入り口から姿を現し、ゆっくりとした足取りで舞台に向かって花道を進む。濃い灰色の着物に青系の羽織という姿である。
ステージにたどり着いたところで佐々木蔵之介による作品の紹介。舞台下手端で、台本を片手にしてのスピーチである。マイクとスピーカーの状態が余り良くないのか、音割れするところもあったが、5つの民俗芸能が京都の未来へと繋がることを語る。ただ、その後は袖に引っ込んで、声のみの出演となった。蔵之介のストーリーテリングは郷土愛ゆえか、少しオーバーになっている気がしたが、発音は明瞭で聞き取りやすかった。流石は第一線の俳優である。

宮津おどり振興会は、宮津市で介護士をしている女性が、障害などがあってもみなが自由に生きられる社会が訪れることを夢見ているという設定。一応、若い女性が主役としているが、実際に介護の仕事をしているのか、物語上の設定なのかは分からない。
宮津おどりの発展に寄与している人が舞うわけだが、素人ではあるので、それほど高いレベルは期待出来ない。だが、そもそもそんなものを望むイベントでもない。
祇園甲部歌舞練場2階の下手桟敷席が演奏のスペースとなっていた。

 

宇治田楽まつり実行委員会。体を悪くしてしまい、「もう宇治田楽には参加出来ないか」と諦めていた男性が、再び宇治田楽に出るという夢を叶える話である。宇治市は、京都府内で第2位の人口を誇る街であり(それでも京都市とは8倍ほどの差があるが)、貴族達の別荘地として長い歴史を誇るだけに、華やかな感じがする。笛などの演奏は舞台上で行われる。

 

原谷弁財天太鼓保存会。内気な女の子が人前で演奏する夢を叶えるという話。迫力のある太鼓である。

 

福知山踊振興会。背後に福知山城天守の絵が投影される。
福知山市では当地を治めた明智光秀はヒーロー。踊り手の女性の着物には明智の家紋である桔梗が入っている。また歌詞に明智光秀が登場する。
尺八が吹かれるのだが、福知山市在住で空手を習い、大会に出ることを夢とする小学生の女の子が、父親の勧めで福知山踊で尺八を吹くというストーリーがある。
上手2階の桟敷席が演奏スペースとなっていた。
ちょっとしたワークショップのようなものがあり、観客も演者と一緒になった簡単な舞を行う。

 

和知太鼓保存会。和知太鼓を広めるという夢があるそうだ。佐々木蔵之介のナレーションに「和知太鼓で未来を開く」という言葉がある。

フィナーレ。佐々木蔵之介が舞台中央に現れ、出演者達を称えて、民俗芸能が京都の未来を開く可能性について再び述べた。こぼれ話として、この公演が乗り打ち(会場に乗り込んでその日の内に公演を打つことを指す、芸能・芸術用語)で、設営時間が短かったこと、「しかも今朝の雪」で、午前5時に起きた佐々木蔵之介であるが、「宮津の皆さん来られるだろうか、福知山の皆さん来られるだろうか」と心配したことを語る。

一度緞帳が下りるが再び上がり、出演者達が花道へと繰り出して、賑やかな締めとなった。

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2024年11月27日 (水)

「PARCO文化祭」2024 2024.11.17 森山未來、大根仁、リリー・フランキー、伊藤沙莉、カネコアヤノ、神田伯山

2024年11月17日 東京・渋谷公園坂のPARCO劇場にて

東京へ。渋谷・公園坂のPARCO劇場で、「PARCO文化祭」を観るためである。

午後6時から、渋谷のPARCO劇場で、「PARCO文化祭」を観る。俳優・ダンサーの森山未來と、「TRICK」シリーズや「モテキ」などで知られる映像作家・演出家の大根仁がプレゼンターを務める、3夜に渡る文化祭典の最終日である。

新しくなったPARCO劇場に入るのは初めて。以前のPARCO劇場の上の階にはパルコスペースパート3という小劇場もあり、三谷幸喜率いる東京サンシャインボーイズが公演を行っていたりしたのだが(個人的には柳美里作の「SWEET HOME」という作品を観ている。結構、揉めた公演である)。今のPARCO劇場の上の階には劇場ではなく、アート作成スペースのようなものが設けられている。また、大きな窓があり、渋谷の光景を一望出来るようにもなっている。

PARCO劇場の内装であるが、昔の方が個性があったように思う。今は小綺麗ではあるが、ごく一般的な劇場という感じである。ただ、屋外テラスがあって、外に出られるのはいい。
PARCO劇場の内部は赤色で統一されていたが、それは現在も踏襲されている。

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今日はまず森山未來らによるダンスがあり(3夜共通)、リリー・フランキーと伊藤沙莉をゲストに迎え、森山未來と大根仁との4人によるトーク、そしてシンガーソングライターのカネコアヤノによるソロライブ、神田伯山による講談、ZAZEN BOYSによるライブと盛りだくさんである。神田伯山の講談とZAZEN BOYSによるライブの間に休憩があるのだが、ZAZEN BOYSのライブを聴いていると今日中に京都に戻れなくなってしまうため、休憩時間中にPARCO劇場を後にすることになった。

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森山未來らによるダンス。出演は森山未來のほかに、皆川まゆむ(女性)、笹本龍史(ささもと・りょうじ)。楽曲アレンジ&演奏:Hirotaka Shirotsubaki。音楽の途中に「PARCO」という言葉が入る。森山未來がまず一人で上手から現れ、服を着替えるところから始まる。照明がステージ端にも当たると、すでに二人のダンサーが控えている。ここからソロと群舞が始まる。ソロは体の細部を動かすダンスが印象的。群舞も力強さがある。振付は森山未來が主となって考えられたと思われるが、洗練されたものである。
森山未來は神戸出身ということもあって関西での公演にも積極的。今後、京都でイベントを行う予定もある。

大根仁が登場して自己紹介を行い、「もう一人のプレゼンター(森山未來)は今、汗だくになっている」と説明する。程なくして森山未來も再登場した。

そのまま、リリー・フランキーと伊藤沙莉を迎えてのトーク。伊藤沙莉であるが、リリー・フランキーに背中を押されながら、明らかに気後れした態度で上手からゆっくり登場。何かと思ったら、「観客とコール&レスポンス」をして欲しいと頼まれてコールのリハーサルまで行ったのだが、どうしても嫌らしい。楽屋ではうなだれていたようである。伊藤沙莉というと、酒飲んで笑っている陽気なイメージがあるが、実際の彼女は気にしいの気い遣い。人見知りはするが一人行動は苦手の寂しがり屋という繊細な面がある。リリー・フランキーが、「私が目の中に入れて可愛がっている沙莉」と紹介し、「(コール&レスポンスが)どうしても嫌だったら、やらなくていいんだよ」と気遣うが、伊藤沙莉は、「やらないと終わらないし」と言って、結局はやることになる。作品ごとに顔が違う、というより同じ映画の中なのに出てくるたびに顔や声が違うという、「どうなってんの?」という演技を行える人であるが、実物は丸顔の可愛らしい人であった。丸顔なのは本人も気にしているようで、SNSに加工ソフトを使って顔を細くし、脚を長くした写真を載せたところ、友人の広瀬アリスが激やせしたのかと心配して、「沙莉、どうした?」と電話をかけてきたという笑い話がある。「めっちゃ、はずかった」らしい。
丸顔好きで知られる唐沢寿明に気に入られているんだから別にいいんじゃないかという気もするが。

なお、リリー・フランキーと伊藤沙莉は、「誰も知らないドラマで共演していて、誰も知らない音楽番組の司会をしていて、誰も知らないラジオ番組をやっている」らしい。伊藤は、「FOD(フジテレビ・オン・デマンド)」と答えて、配信されているのは把握しているようだが、地上波でやっているのかどうかについては知らないようであった。ちなみに、誰も知らないドラマで伊藤沙莉の母親役に、丸顔の山口智子が選ばれたらしいが、顔の形で選んでないか? すみません、「丸顔」でいじりまくってますけど、Sなんで好きなタイプの人には意地悪しちゃうんです。

伊藤沙莉が嫌がるコール&レスポンスであるが、大根がまず見本としてやってみせる。客席の該当する人は、「Yeah!」でレスポンスする。
リリー・フランキーが大根に、なんでコール&レスポンスをするのか聞く。
PARCO文化祭の初日のトークのゲストがPerfumeのあ~ちゃんで、「Perfumeのコール&レスポンスがある」というので、まずそれをやり、2日目のトークのゲストの小池栄子にコール&レスポンスの打診をしたところ、「やります」と即答だったので、3日目は伊藤沙莉にやって貰うことにしたらしい。リリー・フランキーは、「あ~ちゃんは歌手でしょう。小池栄子は割り切ってやる人でしょ」と言っていた。確かに小池栄子は仕事を断りそうなイメージがない。若い頃はそれこそなんでもやっていたし。
で、伊藤は本当はやりたくないコール&レスポンスだが、仕事なのでやることになる。
「男の人!」「女の人!」「それ以外の人!」で、「それ以外の人!」にもふざけている人が大半だと思うが反応はある。リリー・フランキーは、「今、ジェンダーの問題」と言っていた。
その後も続きがあって、「眼鏡の人!」「コンタクトの人!」「裸眼の人!」「老眼の人!」と来て、最後に「『虎に翼』見てた人!」が来る。「虎に翼」を見ていた人は思ったよりも多くはないようだった。
伊藤は、この後残るとまた何かやらされそうで嫌なので、出番が終わった後すぐに行く必要のある仕事を入れたそうである。

ここで椅子が運ばれてくるはずだったのだが、運ばれてきたのは椅子ではなく箱馬を重ねたもの(「箱馬」が何か分からない人は検索して下さい。演劇用語です)。レディーファーストなのか、伊藤沙莉のものだけ、上にクッションが乗せられていた。大根が、「出演者にお金を掛けたので、椅子に使う金がなくなった」と説明していたが、まあ嘘であろう。

建て替えられる前のPARCO劇場についてだが、伊藤沙莉は朗読劇の「ラヴ・レターズ」を観に来たことがあるという。旧PARCO劇場には出る機会がなく、新しくなったPARCO劇場には、「首切り王子と愚かな女」という舞台で出演しているので、背後のスクリーンに「首切り王子と愚かな女」(作・演出:蓬莱竜太)の映像が映し出される、WOWOWで放送されたものと同一の映像だと思われる。面白いのは、男性3人は座ったまま後ろを振り返って映像を見ているのだが、伊藤沙莉だけは、客席とスクリーンの間にいるので気を遣ったということもあるだろうが、椅子代わりの箱馬から下り、床に膝をついてクッションに両手を乗せ、食い入るように映像を見つめていたこと。この人は映像を見るのが本当に好きなのだということが伝わってくる。リリー・フランキーは、長澤まさみの舞台デビュー作である「クレイジー・ハニー」(作・演出:本谷有希子)で旧PARCO劇場の舞台に立っており、「クレイジー・ハニー」の映像も流れた。ちなみにリリー・フランキーは舞台作品に出演したことは2回しかないのに2回とも旧PARCO劇場であったという(私は名古屋の名鉄劇場で「クレイジー・ハニー」を観ている。大阪の森ノ宮ピロティホールでの公演のチケットも取ったのだが都合で行けず、ただ「長澤まさみの舞台デビュー作は観ておかないといけないだろう」ということで名古屋公演のチケットを押さえた。カーテンコールで長澤まさみは嬉し泣きしていた)。

伊藤沙莉は笑い上戸のイメージがあるが、実際に今日もよく笑う。ただPARCOの話になり、千葉PARCOについて、「何売ってんの? 何か売ってんの?」とリリー・フランキーが聞いた時には、「馬鹿にしないで下さい!」と本気で怒り、郷土愛の強い人であることが分かる。実際、千葉そごうの話だとか、JR千葉駅の話などをしてくれる芸能人は伊藤沙莉以外には見たことがない。100万近い人口を抱えているということもあり、千葉市出身の芸能人は意外に多いが、余り地元のことを話したがらない印象がある。木村拓哉も若い時期を過ごした時間が一番長いのは千葉市で、実家も千葉市にあるのに、千葉の話をしているのは聞いたことがない。プロフィールでも出身地は出生地である東京となっている。しばしば神奈川愛を語る中居正広とは対照的である。原田知世も千葉県佐倉市に住んでいた頃は、よく千葉そごうに買い物に来ていたようだが、そんな話も公でしているのは聞いたことがない。郷土愛の強さからいって、これからは千葉市出身の芸能人の代表格は伊藤沙莉ということになっていくのだろう。

なお、残念ながら千葉PARCOは現在は存在しない。千葉市のショッピングというと、JR千葉駅の駅ビル「ペリエ」、その南側にある千葉そごう、JR千葉駅および京成千葉駅から京成千葉中央駅まで京成千葉線とJR外房線の高架下に延びる屋内商店街(C・ONEっていったかな?)、千葉駅前大通りに面した富士見町(旧千葉そごうで今はヨドバシカメラが入っていた塚本大千葉ビルと千葉三越など。千葉三越は撤退済み)、千葉駅からモノレール及びバスで少し行った中央三丁目(バス停はそのまま「中央三丁目」、千葉都市モノレールは葭川公園駅。千葉銀座商店街がある)などが主な場所だが、中央三丁目にあったセントラルプラザと千葉PARCOはいずれも営業を終えており、セントラルプラザがあった場所には高層マンションが建っている。セントラルプラザ(略称は「センプラ」。創業時は奈良屋。火災に遭ったことがあり、奈良屋の社長が亡くなっている)は、CX系連続ドラマで、真田広之と松嶋菜々子が主演した「こんな恋のはなし」に、原島百貨店の外観として登場し(内装は別の場所で撮影)、原島百貨店の屋外に面したディスプレイの装飾を手掛けている松嶋菜々子とそれを見守る真田広之の背後に、東京という設定なのに千葉都市モノレールが映っていた。「こんな恋のはなし」は松嶋菜々子の代表作と呼んでもよい出来で、おそらくこの作品出演時の彼女は他のどの作品よりも美しいと思われるのだが、残念ながらソフト化などはされておらず、今は見られないようである。
千葉PARCO跡地にも高層マンションが建つ予定だが、PARCOの系列である西友が入ることになっている。
なお、大阪では、大丸心斎橋店北館が心斎橋PARCOになり、そごう劇場として誕生した小劇場兼ライブスペースが大丸心斎橋劇場を経てPARCO SPACE14(イチヨン)と名を変えて使用されている。
森山未來が、「神戸にはPARCOはない」と言い、リリー・フランキーも「北九州にある訳がない。暴力団しかいない」と言い、大根が「工藤會」と続けて、伊藤が「そんな具体的な」と笑っていた。

ちなみに、伊藤沙莉は森山未來からのオファーで呼ばれたようで、二人は映画&Netflix配信ドラマ「ボクたちはみんな大人になれなかった」で共演していて、濃厚なあれあれがあるのだが、そういう人と別の仕事をする時はどういう気持ちになるのだろう。なお、撮影は渋谷一帯を中心に行われており、ラストシーンはすぐそこのオルガン坂で撮られたのだが、渋谷名所のスペイン坂などと違い、オルガン坂は余りメジャーな地名ではないので、森山未來も伊藤沙莉もオルガン坂の名を知らなかったようである。

大根が、「毎日リアルタイムで見てました。『虎の翼』」とタイトルを間違え、リリー・フランキーに訂正される。リリー・フランキーは、「今年のドラマといえば、『虎に翼』か(大根が監督し、リリー・フランキーが出演している)『地面師たち』。でも『「地面師たち」見てます』と言ってくる人、反社ばっか」と嘆いていた。

伊藤沙莉が紅白歌合戦の司会者に選ばれたという話。リリー・フランキーは、「歌うたえよ、上手いんだから。『浅草キッド』うたえよ」と具体的な曲名まで挙げてせがんでいるそうだ。伊藤本人は歌うことには乗り気でないらしい。
リリー・フランキーは紅白歌合戦の審査員を務めたことがあるのだが、トイレ休憩時間が1回しかなく、それも短いので、時間内に戻ってこられなかったそうだ。伊藤に、「どうする? おむつする?」と言って、「流石にそれは」という表情をされるが、「衣装どうしようか迷ってるんですよ」とは話していた。
紅白で失敗すると伝説になるから気を付けるようにという話にもなり、「都はるみを美空ひばりと間違えて紹介」、加山雄三が「少年隊の『仮面舞踏会』」と紹介すべきところを「少年隊の『仮面ライダー』」と言ったという話などが挙げられる。加山雄三の「仮面ライダー」はYouTubeなどにも上がっていて、見ることが出来る。


続いてカネコアヤノのソロライブ。昨日、島根でライブを行い、今日、東京に移動してきたそうだ。アコースティックギターを弾きながらソウルフルな歌声と歌詞を披露する。ギターも力強く、同じメロディーを繰り返すのも特徴。ただ、歌い終えて森山未來と大根仁とのトークになると、明るく爽やかで謙虚な人であることが分かる。作品と人物は分けて考えた方がいい典型のようなタイプであるようだ。


講談師(「好男子」と変換された)の神田伯山。「今、最もチケットの取れない講談師」と呼ばれている。森山も、「(PARCO文化祭も)伯山さんだけで一週間持つんじゃないですか?」と語っていた。
私は、上方の講談は何度か聞いているが、江戸の講談を聞くのはおそらく初めてである。同じ講談でも上方と江戸ではスタイルが大きく異なる。
「PARCO劇場では、落語の立川志の輔師匠がよく公演をされていますが、落語と講談は少し違う」という話から入る。
講談は早口なのでよく間違えるという話をする。出てくるのは徳川四天王の一人で、「蜻蛉切」の槍で有名な本多平八郎忠勝(上総大多喜城主を経て伊勢桑名城主)。「本多平八郎忠勝。槍を小脇に、馬を駆け巡らせ」と言うべきところを、つい「本多平八郎忠勝、馬を小脇に、槍を駆け巡らせ」と言ってしまうも講談師本人は気付いていないということがあるそうである。

信州松本城主、松平丹波守が、参勤交代で江戸に向かう途中、碓氷峠で紅葉を眺めていた時のこと。妙なる音色が聞こえてきたので、「あれは何だ?」と聞くと、「江戸で流行りの浄瑠璃というもののようでございます」というので、浄瑠璃を謡い、奏でていた二人が呼ばれる。伯山は、「浄瑠璃は今でいうヒット曲、あいみょんでございます。と言ったところ、あいみょんのファンから『お前にあいみょんの何がわかる』と苦情が来た」という話をしていた。
その、江戸のあいみょんに浄瑠璃の演奏を頼む松平丹波守。二人は迷ったが演奏を行い、松平丹波守からお褒めの言葉を賜る。ただ、二人は松平伊賀守の家臣で、他の大名の前で浄瑠璃を演奏したことがバレると色々とまずいことになるので、内密にと願い出る。ただ松平丹波守は、江戸で松平伊賀守(信州上田城主)に碓氷峠で面白いことがあったと話してしまい、口止めされていたことを思い出して、「尾上と中村というものが猪退治を行った」と嘘をつく。そこで松平伊賀守は、家臣の尾上と中村を見つけ出し、猪退治の話をするよう命じる。なんでそんなことになったのか分からない尾上と中村であったが、即興で猪退治の講談を行い、松平伊賀守にあっぱれと言われたという内容である。
伯山の講談であるが、非常にメロディアスでリズミカル。江戸の人々は今のミュージカルを聴くような感覚で講談を聴いていたのではないかと想像される。江戸の講談を聴くのは今日が初めてなので、他の人もこのようにメロディアスでリズミカルなのかどうかは分からないが、これに比べると上方の講談はかなり落ち着いた感じで、住民の気質が反映されているように思える。

森山未來が登場し、「伯山さんの講談を是非聴きに行って下さい。チケット取れませんけどね」と語った。


ちなみに私は、旧PARCO劇場を訪れたのは数回で余り多くはない。1990年代には、芸術性の高い作品は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで上演されることが多く、三茶によく行っていた。
旧PARCO劇場で良かったのは、何と言っても上川隆也と斎藤晴彦版の初演となった「ウーマン・イン・ブラック」。上川と斎藤版の「ウーマン・イン・ブラック」は、その後、大阪で2回観ているが、ネタを知った上での鑑賞となったので、PARCO劇場での初演が一番印象的である。私がこれまで観た中で最も怖い演劇で、見終わってからも1週間ほど家族に「上川隆也良かったなあ」と言い続けていた記憶がある。

朗読劇「ラヴ・レターズ」は、妻夫木聡のものを観ている。相手の女優の名前は敢えて書かない。検索すればすぐに出てくると思うが。ラストシーンで妻夫木聡は泣いていた。
朗読劇も劇に入れるとした場合、この作品が妻夫木聡の初舞台となる。

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2024年11月23日 (土)

観劇感想精選(477) ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」再々演(三演) 2024.11.10 SkyシアターMBS

2024年11月10日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

12時30分から、JR大阪駅西口のSkyシアターMBSで、Daiwa House Presents ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」を観る。2000年に製作されたイギリス映画をミュージカル化した作品で、日本では今回が三演(再々演)になる。前回(再演)は、2020年の上演で、私は梅田芸術劇場メインホールで観ている。特別に感銘深い作品という訳ではなかったのだが(完成度自体は映画版の「リトル・ダンサー」の方が良い)、とある事情で観ることになった。

今年出来たばかりのSkyシアターMBS。このミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」もオープニングシリーズの一つとして上演される。先にミュージカル「RENT」を観ているが、この時は2階席。今日は1階席だが、1階席だと音響はミュージカルを上演するのに最適である。程よい残響がある。演劇やミュージカルのみならず、今後は斉藤由貴などがコンサートを行う予定もあるようだ。オーケストラピットを設置出来るようになっていて、今日はオケピを使っての上演である。

ロングラン上演ということもあって、全ての役に複数の俳優が割り当てられている。前回は、益岡徹の芝居が見たかったので、益岡徹が出る回を選んだのだが、今回も益岡徹は出演するので、益岡徹出演回を選び、濱田めぐみの歌も聴いてみたかったので、両者が揃う回の土日上演を選び、今日のマチネーに決めた。

今日の出演は、石黒瑛土(いしぐろ・えいと。ビリー・エリオット)、益岡徹(お父さん=ジャッキー・エリオット)、濱田めぐみ(サンドラ・ウィルキンソン先生)、芋洗坂係長(ジョージ・ワトソン)、阿知波悟美(おばあちゃん)、西川大貴(にしかわ・たいき。トニー)、山科諒馬(やましな・りょうま。オールダー・ビリー)、髙橋維束(たかはし・いつか。マイケル)、上原日茉莉(デビー)、バレエダンサーズ・ベッドリントン(組)、髙橋翔大(トールボーイ)、藤元萬瑠(ふじもと・まる。スモールボーイ)ほか。
ベッドリントン(組)=岩本佳子、木村美桜、清水優、住徳瑠香、長尾侑南。


ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」は、映画「リトル・ダンサー(原題「Billy Elliot」)」をエルトン・ジョンの作曲でミュージカル化(「Billy Elliot the Musical」)したもので、2005年にロンドンで初演。日本版は2017年に初演され、2020年に再演、今回が三演(再々演)となる。日本でも初演時には菊田一夫演劇大賞などを受賞した。

ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」は、トニー賞で、ミュージカル作品賞、脚本賞、演出賞、振付賞など多くの賞を受賞している。なお、脚本(リー・ホール)、演出(スティーブン・ダルドリー)、振付(ピーター・ダーリング)は映画版と一緒である(テキスト日本語訳:常田景子、訳詞:高橋亜子、振付補:前田清実&藤山すみれ)。
ただ、社会批判はかなり強くなっており、冒頭の映像で、マーガレット・サッチャー(劇中ではマギー・サッチャーの愛称で呼ばれる。マーガレットの愛称にはもう一つ、メグというチャーミングなものがあるが、そちらで呼ばれることは絶対にない)首相が炭鉱の国有化を反故にした明らかな悪役として告発されているほか、第2幕冒頭のクリスマスイブのパーティーのシーンではジョージがサッチャーの女装をしたり、サッチャーの巨大バルーン人形が登場したりして、サッチャーの寿命が1年縮んだことを祝う場面があるなど、露骨に「反サッチャー色」が出ている。実際にサッチャーが亡くなると労働者階級の多くがパーティーを開いたと言われている。
イングランド北東部の炭鉱の町、ダラムのエヴァリントンが舞台なので、炭鉱で働く人の多くを失業に追いやったサッチャーが目の敵にされるのは当然なのだが、サッチャー的な新自由主義そのものへと嫌悪感が示されているようである。新自由主義は21世紀に入ってから更に大手を振って歩くようになっており、日本も当然ながらその例外ではない。

炭鉱の町が舞台ということで、日本を代表する炭鉱の存在する筑豊地方の方言にセリフが置き換えられている。
子役は多くの応募者の中から厳選されているが(1374人が応募して合格者4人)、今日、ビリーを演じた石黒君も演技の他に、バレエ、ダンス、タンブリング、歌など、高い完成度を見せている(2023年NBA全国バレエコンクール第1位、2023年YBCバレエコンクール第1位などの実績がある)。


反サッチャー色が濃くなっただけで、大筋については特に変更はない。1984年、ボクシングを習っていた11歳のビリー(どうでもいいことですが、私より1歳年上ですね)は、ボクシング教室の後に同じ場所で行われるバレエ教室のウィルキンソン先生(自己紹介の時に「アンナ・パヴロワ」と「瀕死の白鳥」で知られる名バレリーナを名乗る)にバレエダンサーとしての素質を見出され、ロンドンのロイヤル・バレエ・スクールを受けてみないかと誘われる。しかし、男臭い田舎の炭鉱町なので、最初はビリーも「バレエをやるのはオカマ」という偏見を持ち、炭鉱夫であるビリーの父親もやはり「バレエはオカマがやるもの」と思い込んでいる。なお、ビリーの母親はすでに亡くなっているが、幻影として登場する(演:大月さゆ)。現在、町はサッチャリズムに反対したストライキ中で、炭鉱の将来の見通しも暗い。
人々は、英語で「仕事と命を守れ」、「この町を地獄に追い落とすな」等の文句の書かれたプラカードを掲げている(英語が苦手な人は意味が分からないと思われる)。

元々筋が良いため、バレエも日々上達し、次第にロイヤル・バレエ・スクールのオーディションを受けることに関心を見せていくビリー。しかし、オーディションの当日、警官達がストライキ中の町を襲撃するという事件があり、ビリーはオーディションを受けることが出来なくなってしまう。

作曲はエルトン・ジョンであるが、ビリーがジュラルミンの楯を持った警官達と対峙するときに、チャイコフスキーの「白鳥の湖」より情景のメロディーが一瞬流れ、ビリーがオールダー・ビリーとデュオを踊る(ワイヤーアクションの場面あり)シーン(映画ではラストシーンだが、ミュージカルでは途中に配される)にも「白鳥の湖」が用いられ、更にその後も一度、「白鳥の湖」は流れる。

ウィルキンソン先生を、ビリーが母のように慕うシーンは映画版にはなかったもの(そもそも映画版とミュージカル版ではウィルキンソン先生の性格が異なる)。またビリーの父親であるジャッキーが故郷への愛着を三拍子の曲で歌ったり、炭鉱の人々がビリーを励ます歌をあたかもプロテストソングのように歌い上げたりするシーンもより政治色を強めている。
ビリーの兄のトニーがいうように、炭鉱の人々はサッチャーによって全員失業させられる。これからどうやって生きていくのか。ビリーのサクセスストーリーよりもそちらの方が気になってしまう。ビリーのために乏しい財布からカンパをした人々だ。この後、炭鉱の閉鎖が決まり、地獄のような時代が待っているはずだが、皆、生き抜いて欲しい。

ビリーは、出る時も客席通路からステージに向かう階段を昇って現れたが、去る時も母親の幻影と決別した後に階段を使って客席通路に降り、客席通路を一番上まで上って退場した。客席から第二のビリーが現れるようにとの制作側のメッセージが感じられた。実際、今日のビリーを演じた石黒瑛土君もミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」の初演と再演を観てオーディション参加を決めたという。

観劇感想精選(363) ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」再演

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2024年7月24日 (水)

コンサートの記(852) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団「ZERO歳からのみんなのコンサート」2024「打楽器で遊ぼう~キッチン・コンチェルト」@京都市呉竹文化センター

2024年7月20日 丹波橋の京都市呉竹文化センターにて

午前11時から、伏見区、京阪丹波橋駅南口目の前の京都市呉竹文化センターで、NOSTER presents 京都市交響楽団「ZERO歳からのみんなのコンサート」2024~さあ、クラシックファンをはじめよう~を聴く。指揮と進行役は、京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。
沖澤のどかは、今月の京都市交響楽団の定期演奏会の指揮台にも立つ予定だが、ちょっと油断している間にチケット完売になってしまった。沖澤人気を甘く見ていたようだ。というわけで今月の京響の定期には行けないことが決定。代わりに今日の「ZERO歳からのみんなのコンサート」のチケットを取った。ちなみに沖澤指揮の「ZERO歳からのみんなのコンサート」は、今日は呉竹文化センターで、明日は西京区上桂の西文化会館ウエスティで行われるが、いずれもすでにチケット完売で人気の高さが表れている。
なお、沖澤は11月の京響の定期演奏会も振る予定だったが、出産の予定があるということですでにキャンセルしている。

何度も来ている呉竹文化センター。経年劣化は否めないが、ホールは空間が小さめで音の通りの良い会場である。

今回のテーマは、「打楽器で遊ぼう~キッチン・コンチェルト」で、打楽器をフィーチャーしたコンサートとなっている。


曲目は、カバレフスキーの組曲「道化師」より「ギャロップ」、レオポルト・モーツァルトのおもちゃの交響曲から第1楽章、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」、ルロイ・アンダーソンの「タイプライター」、ルロイ・アンダーソンの「シンコペーテッド・クロック」、榊原栄のキッチン・コンチェルト(台所用品独奏:中山航介)、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」より「こんぺいとうの踊り」、プロコフィエフの組曲「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」、ビゼーの歌劇「カルメン」前奏曲。
休憩なし、上演時間1時間弱のコンサートである。チケットは1000円均一と安い。


ポピュラーな曲目が並ぶ。定期演奏会では本格的な曲目が取り上げられることが多いので、こうしたポピュラーな小品がコンサートで取り上げられることは案外少ない。録音においてもそうで、有力な指揮者でこうした小品集をレコーディングしているのは、ヘルベルト・フォン・カラヤン、サー・アンドルー・デイヴィス、ウォルフガング・サヴァリッシュが目立つ程度である(アンドルー・デイヴィスとサヴァリッシュは往時の東芝EMIの企画でレコーディングを行っている)。

今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志と尾﨑平はいずれも降り番である。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子は乗り番である。なお、先月まで京響首席ヴィオラ奏者として活躍していた小峰航一は退団し、東京フィルハーモニー交響楽団の首席ヴィオラ奏者に転じている。

今日は指揮者も楽団員も、SOU・SOUと京響のコラボTシャツを着て演奏する。

0歳児から入れるコンサートなので、常に子どもが泣きわめいている状態なのであるが、そういうコンサートなので気にしても仕方が無い。京響側もそれを考えて気楽に聴けるポピュラーなプログラムにしていると思われる。


カバレフスキーの組曲「道化師」から「ギャロップ」は、小学校の運動会の徒競走の音楽としてお馴染みであるが、今の小学校の運動会でも使われているのかは定かでない。沖澤も演奏終了後に同じことを語っていた。ちなみに沖澤はベルリン在住なので、現在の日本の小学校についてはよく知らないと思われる。
シロフォンの活躍する曲で、沖澤は、シロフォン奏者を特別に紹介して立たせた。
カバレフスキーの作品は、この「ギャロップ」のみが飛び抜けて有名で、組曲「道化師」全曲を収めたものも長年に渡って発売されているのは、ウォルフガング・サヴァリッシュ盤だけだったのだが、今はNAXOSからCDが出ているはずである。カバレフスキーはソビエト共産党支持の体制側の作曲家だったので、日本では好まれない傾向にある。
活気のある演奏であった。


レオポルト・モーツァルトのおもちゃの交響曲から第1楽章。おもちゃの交響曲は、長年に渡ってヨーゼフ・ハイドンの作品と見做されてきたのだが、どうやら違うということが分かり、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父親であるレオポルト・モーツァルトが書いた「カッサシオン」の中に同様の音型があったため、レオポルトの作品とされ、「カッサシオン」のCDも発売された。今回もレオポルト・モーツァルトの作品としてプログラムに載っているが、「レオポルトは書き写しただけなのではないか」という説が浮上し、現在ではエトムント・アンゲラーなる人物が真の作者と考えられるようになっている。沖澤もチロル地方出身のアンゲラーが地元のおもちゃの紹介のために書いたのではないかという説を紹介していた。
上手側の花道におもちゃの楽器を持った京響の楽団員が並んで、楽器の紹介。中山航介がでんでん太鼓のようなものを叩き、トランペット首席のハラルド・ナエスがおもちゃのトランペットを吹いたほか、鳥の鳴き声や郭公の鳴き声を模した笛などが奏でられる。おもちゃの楽器を持った奏者はそのまま上手側の花道に立ったまま演奏を行う。
この曲のみ沖澤はノンタクトで指揮。華やかで可愛らしい音楽が奏でられる。


ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」。沖澤は、「今、鍛冶屋というとドラクエの中でしか耳にしないと思うんですけれど」と言いつつ、運ばれてきた金床(鉄床)を前に、「熱した金属を叩いて鉄器などを作る」と説明する。金床はアンヴィルと呼ばれるようであるが、沖澤は、「今、お腹の中に赤ちゃんがいるんですが、アンヴィルが鳴るとよく反応する」そうである。
ウィンナ・ポルカを演奏するには呉竹文化センターの音響は素っ気ないようにも思うが、快活な演奏が繰り広げられる。アンヴィルを叩く打楽器奏者(女性。名前は分からず)もユーモラスなパフォーマンスを行っていた。


ルロイ・アンダーソンの「タイプライター」。この曲も有名ではあるが、実演に接するのは10年以上前に行われた広上淳一指揮京都市交響楽団の円山公園音楽堂での野外演奏会以来ではないだろうか。タイプライターのみで独奏を行う演奏もあるが、今回は、ベルとギロ入りでの演奏である。
沖澤は、タイプライターは今ではパソコンに相当すると述べるが、パソコンが比較的静かにタイプ可能なのに対して、タイプライターは音も大きく、それゆえ打楽器(鍵盤楽器?)として使用する試みが行われたのだろう。当時は、タイプライターを使って仕事をするタイピストは女性の花形職業であったが、今はタイプするだけの仕事はいくつかの例外を除いてなくなってしまった。いくつかの例外も非正規社員の仕事になっていると思われる。
タイプする男性奏者は手慣れたもの。ベル奏者とギロ奏者は、締め切り間近を示すかのように徐々に男性奏者に近づいて圧力を掛ける。


ルロイ・アンダーソンの「シンコペーテッド・クロック」。ウッドブロックが活躍する曲である。沖澤は、打楽器奏者にウッドブロックを掲げるよう指示する。「今、目覚まし時計というとスマホを使うと思うんですけど」という話もしていた。
ルロイ・アンダーソンの曲は、京響らしい洗練された音と適度なユーモアが特徴的な都会的な仕上がりとなっていた。「シンコペーテッド・クロック」の演奏を終えて沖澤は、「時計、壊れちゃいましたね」と語る。


榊原栄のキッチン・コンチェルト。下手側花道にキッチンスペースが設けられ、コック帽をかぶった中山航介(京響打楽器首席)が、フライパン、ボウル、おたまなど調理道具を打楽器としたソロ演奏を行う。カデンツァは長いが(その間、聴衆の他、沖澤と京響メンバー全員が中山を見つめる)、終えると中山はワインを飲み、椅子に腰掛けて新聞を読み始める。そこに別の京響団員(女性)が背後から近づいて、「仕事しなさい!」とけしかけるという内容である。
音楽は、半世紀ほど前のアメリカのテレビドラマの音楽を連想させるもので、分かりやすいが、特に面白いという訳でもない。あくまでパフォーマンスが主役の作品という気がする。
榊原栄は、本業は指揮者だったようで、作曲は東京芸術大学で山本直純に師事。2005年に永眠したようである。


「キッチンが出てきたので、皆さんお腹空きませんか? ここで食べ物の曲を2曲」と沖澤は言って、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から「こんぺいとうの踊り」と、プロコフィエフの組曲「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」が演奏される。
「こんぺいとうの踊り」は、チェレスタが活躍することで知られる。京響がチェレスタを必要とする場合、大抵は佐竹裕介が演奏を行うことになるのだが、今日は佐竹ではなく、女性の奏者がチェレスタを奏でた。
プロコフィエフの組曲「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」。「三つのオレンジへの恋」は歌劇で、沖澤は「三つ目のオレンジがパカーンと割れて」出てきた王女と王子が結ばれる話だと説明する。
「こんぺいとうの踊り」の神秘性、「三つのオレンジへの恋」から「行進曲」の推進力と諧謔姓などいずれも豊かな演奏である。


今年の「ZERO歳からのみんなのコンサート」は、3公演ともボディーパーカッションが入る。今日は山本愛香がボディーパーカッションのレクチャーをした後、ビゼーの歌劇「カルメン」前奏曲に乗せて、聴衆と共にパフォーマンスを行った。


アンコール演奏は、「弦楽器を打楽器的に用いる」ということで、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスの「ピッチカート・ポルカ」。典雅な演奏であった。

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2024年5月 5日 (日)

観劇感想精選(460) RYUICHI SAKAMOTO+SHIRO TAKATANI 「TIME」京都初演

2024年4月27日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、坂本龍一の音楽+コンセプト、高谷史郎(ダムタイプ)のヴィジュアルデザイン+コンセプトによるシアターピース「TIME」を観る。坂本が「京都会議」と呼んでいる京都での泊まり込み合宿で構想を固めたもので、2019年に坂本と高谷史郎夫妻、浅田彰による2週間の「京都会議」が行われ、翌2020年の坂本と高谷との1週間の「京都会議」で大筋が決定している。当初は1999年に初演された「LIFE」のようなオペラの制作が計画されていたようだが、「京都会議」を重ねるにつれて、パフォーマンスとインスタレーションの中間のようなシアターピースへと構想が変化し、「能の影響を受けた音楽劇」として完成されている。
2021年の6月にオランダのアムステルダムで行われたホランド・フェスティバルで世界初演が行われ(於・ガショーダー、ウェスタガス劇場)、その後、今年の3月上旬の台湾・台中の臺中國家歌劇院でのアジア初演を経て、今年3月28日の坂本の一周忌に東京・初台の新国立劇場中劇場で日本初演が、そして今日、ロームシアター京都メインホールで京都・関西初演が行われる。
京都を本拠地とするダムタイプの高谷史郎との作業の中で坂本龍一もダムタイプに加わっており、ダムタイプの作品と見ることも出来る。

出演は、田中泯(ダンサー)、宮田まゆみ(笙)、石原淋(ダンサー)。実質的には田中泯の主演作である。上演時間約1時間20分。

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なお、シャボン玉石けんの特別協賛を受けており、配布されたチラシや有料パンフレットには、坂本龍一とシャボン玉石けん株式会社の代表取締役社長である森田隼人との対談(2015年収録)が載っており、来場者には「浴用 シャボン玉石けん 無添加」が無料で配られた。

「TIME」は坂本のニュートン時間への懐疑から構想が始まっており、絶対的に進行する時間は存在せず、人間が人為的に作り上げたものとの考えから、自然と人間の対比、ロゴス(論理、言語)とピュシス(自然そのもの)の対立が主なテーマとなっている。

舞台中央に水が張られたスペースがある。雨音が響き、鈴の音がして、やがて宮田まゆみが笙を吹きながら現れて、舞台を下手から上手へと横切っていく。水の張られたスペースも速度を落とすことなく通り過ぎる。
続いて、うねるようでありながらどこか感傷的な、いかにも坂本作品らしい弦楽の旋律が聞こえ、舞台上手から田中泯が現れる。背後のスクリーンには田中のアップの映像が映る。田中泯は、水の張られたスペースを前に戸惑う。結局、最初は水に手を付けただけで退場する。
暗転。
次の場面では田中泯は舞台下手に移動している。水の張られたスペースには一人の女性(石原淋)が横たわっている。録音された田中泯の朗読による夏目漱石の「夢十夜」より第1夜が流れる。「死ぬ」と予告して実際に死んでしまった女性の話であり、主人公の男はその遺体を真珠貝で掘った穴に埋め、女の遺言通り100年待つことになる。
背後のスクリーンには石垣の中に何かを探す田中泯の映像が映り、田中泯もそれに合わせて動き出す。

暗転後、田中泯は再び上手に移っている。スタッフにより床几のようなものが水を張ったスペースに置かれ、田中泯はその上で横になる。「邯鄲」の故事が録音された田中の声によって朗読される。廬生という男が、邯鄲の里にある宿で眠りに落ちる。夢の中で廬生は王位を継ぐことになる。

田中泯は、水を張ったスペースにロゴスの象徴であるレンガ状の石を並べ、向こう岸へと向かう橋にしようとする。途中、木の枝も水に浸けられる。

漱石の「夢十夜」と「邯鄲」の続きの朗読が録音で流れる。この作品では荘子の「胡蝶之夢」も取り上げられるが、スクリーンに漢文が映るのみである。いずれも夢を題材としたテキストだが、夢の中では時間は膨張し「時間というものの特性が破壊される」、「時間は幻想」として、時間の規則性へのアンチテーゼとして用いているようだ。

弦楽や鈴の響き、藤田流十一世宗家・藤田六郎兵衛の能管の音(2018年6月録音)が流れる中で、田中泯は橋の続きを作ろうとするが、水が上から浴びせられて土砂降りの描写となり、背後にスローモーションにした激流のようなものが映る。それでも田中泯は橋を作り続けようとするが力尽きる。

宮田まゆみが何事もなかったかのように笙を吹きながら舞台下手から現れ、水を張ったスペースも水紋を作りながら難なく通り抜け、舞台上手へと通り抜けて作品は終わる。

自然を克服しようとした人間が打ちのめされ、自然は優雅にその姿を見守るという内容である。

坂本の音楽は、坂本節の利いた弦楽の響きの他に、アンビエント系の点描のような音響を築いており、音楽が自然の側に寄り添っているような印象も受ける。
田中泯は朗読にも味があり、ダンサーらしい神経の行き届いた動きに見応えがあった。
「夢の世界」を描いたとする高谷による映像も効果的だったように思う。
最初と最後だけ現れるという贅沢な使い方をされている宮田まゆみ。笙の第一人者だけに凜とした佇まいで、何者にも脅かされない神性に近いものが感じられた。

オランダでの初演の時、坂本はすでに病室にあり、現場への指示もリモートでしか行えない状態で、実演の様子もストリーミング配信で見ている。3日間の3公演で、最終日は「かなり良いものができた」「あるべき形が見えた」と思った坂本だが、不意に自作への破壊願望が起こったそうで、「完成」という形態が作品の固定化に繋がることが耐えがたかったようである。

最後は高谷史郎が客席から登場し、拍手を受けた。なお、上演中を除いてはホール内撮影可となっており、終演後、多くの人が舞台セットをスマホのカメラに収めていた。

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