カテゴリー「ピアノ」の64件の記事

2020年10月11日 (日)

これまでに観た映画より(216) 「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」

2020年10月6日 姉小路烏丸・新風館地下のアップリンク京都にて

アップリンク京都でブラジル映画「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」を観る。ブラジル出身のピアニスト・指揮者のジョアン・カルロス・マルティンス(1940- )の人生を描いた映画である。劇中で響くピアノの演奏は、ジョアン・カルロス・マルティンス自身が録音した音源が用いられている。
監督・脚本:マウロ・リマ。出演:アレクサンドロ・ネロ、ダヴィ・カンポロンゴ、アリーン・モラエス、フェルナンダ・ノーブルほか。ブラジルのみならず、ウルグアイやアメリカなどでのシーンもあるため、ポルトガル語、スペイン語、英語の3種類の言語が劇中で飛び交う。

リオデジャネイロ・パラリンピックの開会式でブラジル国歌をピアノで弾いたことで注目を浴びたジョアン・カルロス・マルティンス。だが実際は若い頃から期待されていたピアニストだった。彼の不注意によるところも大きいのだが、怪我によってキャリアが順調に行かず、近年は指揮者として活躍している。
邦題は「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」であるが、実際にはバッハ以外の楽曲も多く演奏されており、タイトルとして余り適当でないように思われる(原題は「ジョアン ア マエストロ」)。

「20世紀最も偉大なバッハ奏者」といわれたこともあるジョアン・カルロス・マルティンス(ただ、個人的にはこうした肩書きを持つピアニストは見たことはない。「20世紀最も偉大なバッハ奏者」というとグレン・グールドを思い浮かべる人が多いだろうし、ブラジル出身のバッハ弾きとしては「第二のグレン・グールド」とも呼ばれたジャン・ルイ・ストイアマンの方が有名である)。

サンパウロに生まれたマルティンスは子どもの頃に女性のピアノ教師に教わり始めるが、想像を絶する速さで楽曲をものにしてしまい、彼女が推薦する更に有能なピアノ教師の下で学ぶことになる。その神童ぶりはブラジル中を沸かせ、祖国の英雄的作曲家であるヴィラ=ロボスからも賞賛される。ウルグアイとアルゼンチンを経て(それまでのストイックな生活の反動でウルグアイの首都モンテビデオでは売春宿に泊まって遊びほうけたりしている)アメリカデビューも成功。リストを得意としたヴィルトゥオーゾピアニストであるホルヘ・ボレットが「弾けない」として降りたヒナステラのピアノ協奏曲に挑んで成功し、アメリカで契約を結んで移住。レナード・バーンスタインなどアメリカ最高の音楽家とも知遇を得、妻子にも恵まれて順調に思えた人生だったが、サッカーの練習に飛び入りで参加した際に余り整地されていないグラウンドで転倒し、右肘に裂傷を負う。そしてこれが原因で右手の指が上手く動かなくなってしまう。ヴィルトゥオーゾタイプであっただけに深刻な怪我だったが、リハビリや十分な休養などを取ることでピアニストとしての生活に戻ることが出来るようになる。一方で、妻子には去られた。
その後、バッハ作品のレコーディングにも力を入れたマルティンスであるが、ブルガリアでのレコーディングを行っている時に路上で暴漢に襲われ、頭を負傷したことで右手に繋がる神経の働きが弱まってしまう。会話のための回路を右手の動きのために譲り渡すことでなんとか演奏を続け、最終的には左手のピアニストとしてラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲などを弾いて聴衆を沸かせたが、左手にも異常が見つかるようになり、指揮者へと転向する。自身よりずっと年下の指揮者に師事し、バトンテクニックを身につけようとする様も描かれている。

 

存命中のピアニストの伝記映画であるが、神格化することなく「不完全なところ」を結構描いていることにまず好感が持てる。神童から名ピアニストへという成長過程を見ることになるのだが、嫌みな感じに見えないのはマルティンスが感じさせる人間くささが大きいと思われる。これにより単なる「いい話」から免れている。
怪我などを繰り返したピアニストということで、我々は成長過程を「子どもから大人へ」の1度切りではなく何度も確認することになる。一度はピアニストを諦め、他の職業や音楽関係のマネージメントへと回るも執念で復帰し、その後も不運は続くが音楽への情熱を捨てることがないマルティンスの姿勢にはやはり勇気づけられるものがある。

ちなみに映画公開後であるが、マルティンスがバイオニック技術が生んだ「魔法の手袋」を使って両手でピアノを弾く様が公開され(マルチェッロのオーボエ協奏曲より第2楽章をバッハが鍵盤楽器用に編曲したバージョンが弾かれている)、感激しながら演奏するマルティンスの姿が大きな反響を呼んでいるようである。

 

Dsc_9800

| | コメント (0)

2020年9月10日 (木)

ショパン 夜想曲第20番(遺作) ピアノ:イディル・ビレット

| | コメント (0)

2020年8月 9日 (日)

中川裕貴 「アウト、セーフ、フレーム」

2020年7月31日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで中川裕貴(なかがわ・ゆうき)の「アウト、セーフ、フレーム」を聴く。
中川裕貴は京都市在住の音楽家。チェロの演奏や作曲を行い、パフォーマンスの演出も手掛ける。今回はコンサートとパフォーマンスの境界にある作品の上演である。

ロームシアター京都での公演に接するのは久しぶり。チケットの払い戻しなどで訪れたことはあるが、公演に触れるのは、今年1月18日の室内オペラ「サイレンス」が以来であり、半年以上の月日が経過している。

新型コロナ対策として、入場時の検温があり、アルコール消毒も各所で行えるようになっている。無料パンフレットは自分で取る。
ロビー開場は混雑を防ぐために30分前から1時間前に前倒しになる。

入場者を絞っての公演。全席自由であるが、中央通路より前の席は取り外し可であるため、椅子のある列の前の列の席は全て取り払われて一列置き、横も二つ分の椅子が外されて、「点在する」ように見える状況となっている。

 

出演は中川裕貴の他に、菊池有里子、横山祥子、出村弘美、穐月萌、武内もも(劇団速度)。サウンドデザイン&ライブカメラ:荒木優光。チェロ自動演奏プログラミング:白石晃一。

中川裕貴がマイクを手に登場し、挨拶を行うが、この時からパフォーマンスは始まっている。

4つの部からなり、第1部は「声/性Ⅰ」、第2部は「私たちとさえいうことができない私についてⅣ」、第3部が「Blowwwise with Automatic Play」、第4部が「声/性Ⅱ featuring かっぽれ」である。

中川はまず「音脈分凝」について解説する。本来は音として同一であるものを聴き手が無意識に複数の音脈として聞き分けることになるという現象である。中川は「音脈分凝」の漢字を説明する際、「分」は「4分33秒の分」というなどのギミックを用いる。

また中川は、擬音についても語る。馬の走るギャロップの音、「パッカパッカ」、小さな「ッ」は文字としてはあるが、実際の音となると繋ぎの音で発せられているとは言えない。「パ」と「カ」の二つの音が擬音として用いられているのだが、それは「パッカパッカ」が馬の足音として広く認識されているから何の音か分かるということでもある。また「パ」と「カ」の音に開きがあり過ぎても近過ぎても二つの音として聞こえない。別の音として認識されることも重要になってくる。

無料パンフレットに中川は、「直接的でないこと」、「抽象」、「距離」などをテーマとして記しており、ソーシャル・ディスタンスの時代の音楽を意識していることが窺える。

 

第1部では、予め録音された電子音などが流れる中、女性が二名ほど、一人ずつ登場して、言葉らしきものをマイクに向かって語る。日本語を逆再生した言葉なので意味は分からないのだが、認識出来る単語が浮かび上がる瞬間がある。
その間、中川はチェロで形にならない旋律のようなものを弾いている。「魔笛」の夜の女王のアリア「復讐の心は炎と燃え」のコロラトゥーラの場面に似た旋律も登場するが、意図したのかどうかはわからない。
やがてピアノとヴァイオリンが登場し、ピアノ三重奏となるが、最初の内はヴァイオリンとチェロはピッチカートの演奏を繰り返す。
その後、ピアノが民族舞踊の音楽のような旋律を弾き始め、ヴァイオリンやチェロもメロディーを弾き始めて広がりが生まれる。

 

第2部は更に聴きやすい音楽となるが、中央通路に巨大スピーカーが現れて、和音を響かせる。ステージ上とスピーカーの音は寄り添っては離れる。

 

第3部は、チェロを打楽器として使う試み。壊れたチェロが機械音を奏で、中川はチェロを叩く奏法でそれに応えていく。壊れたチェロは三拍子を刻み始める。
再び巨大スピーカーが現れ、今度はノイズを放つ。
第3部はちょっと長かったかも知れない。

 

「共鳴」と「分離」とその「境界」について考える。例えば「音楽」と「雑音(ノイズ)」について。現代にはノイズミュージックというジャンルがあるが、では、どこまでが音楽でどこからがノイズなのだろうか。勿論、答えは多様である。虫の音を音楽と聞くのは日本人だけという説があるが(実際はそうでもないという意見もある)、この「境界」も受け手が個々に判断すべきものである。「境界」を設けなくても当然ながら良い。

 

第4部は、「かっぽれ」の音楽である。無料パンフレットには、伊福部昭の随想『声無哀楽論』の中に、1934年の東郷平八郎の国葬の際に、アメリカから追悼音楽・演奏としてなぜか「かっぽれ」が届いたという話が載っていたことが紹介されている。中川はアメリカ人は「かっぽれ」を葬送に相応しい音楽と捉えたのではないかと推理しているようである。

日本人は「かっぽれ」がどこで歌われる曲が知っているため、音楽を聴くと背景が浮かぶが、何の知識もなかった場合は、あるいは別種の音楽と捉えられる可能性はありそうである。また、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第3楽章のように悲哀と俗っぽさは一体になる場合もある。

日本的な旋律をピアノとヴァイオリンが奏でる中、中川のチェロは馬のいななきのような音を繰り返す。

こんなことを思い出す。古語の「かなしい」は今でいう「かなしい」とは違い、感情が大きく動いた時に用いる言葉であった。有名な東歌「多摩川に晒すてづくりさらさらになんぞこの児のここだかなしき」の「かなしき」は愛おしいという意味である。
最も感情が動くのはいわゆる「悲しい」時なので意味は固定されたのだが、本来は一体のものという認識があり、語り手と受け手が選ぶものだったのだ。

今日のこの催しも聴き手に委ねた余白の部分があり、そこに広がりと多様性が存在していたように思う。単純に成功とはいえないかも知れないが、豊穣さは確かにある。

Dsc_9278

だが、それらの思念を超えて最も心に響いたのは、単純に「生のピアノの音が聴けた」ということである。体がアコースティックなピアノの音を欲していたのだ。やはり私の楽器はピアノなのである。

| | コメント (0)

2020年6月10日 (水)

コンサートの記(641) 田部京子ピアノリサイタル2004@神戸新聞松方ホール

2004年11月12日 神戸新聞松方ホールにて

神戸へ。JR神戸駅から歩いてちょっとのところにある神戸新聞松方ホールに行く。今日はここで田部京子のピアノリサイタルを聴く。

松方ホールは海の見える、まだ新しい小綺麗なホール。シューボックス型のホールだが、音響的にはややもやもやして直接音が届かない憾みがある。5列目だからかなり前の方だ。

田部京子は日本を代表する女流ピアニストの一人だが、客の入りはそれほどでもない。今日は何といっても大阪のフェスティバルホールでヴァレリー・ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会という超弩級の人気公演があるので関西のクラシックファンはそちらに集結したと思われる。

今日は客席からくしゃみや咳がたびたび出るのが少し気になる。風邪が流行っているのだろうか。

田部のピアノは明晰でテクニックも抜群だ。

シューベルトの即興曲は私も大好きな曲だが、これは田部の十八番で典雅な音世界が展開された。左側の席なので田部の手元がよく見える。華麗な鍵盤捌きだ。

メンデルスゾーンの「無言歌集」も味わいある大人の演奏となっていた。

グリーグの「ペール・ギュント」第1組曲がプログラムされているのが面白い。田部のグリーグを生で聴くのは2度目。以前は池袋の東京芸術劇場コンサートホールで、日本フィルハーモニー交響楽団のサンデーコンサートで聴いている。グリーグのピアノ協奏曲を弾いていた。その時も感じたのだが、田部のグリーグは清冽だ。透明でいながら滴るような瑞々しさがある。清潔感溢れる演奏で北欧の抒情というものを堪能する。

グリーグのピアノ曲はノルウェーのピアニスト、アイナル・ステーン・ノックレベルグの演奏を世田谷美術館講堂で聴いているが、田部のグリーグはノックレベルグと比べると煌びやかな印象がある。ノックレベルグの素朴さの方がグリーグに近いとは思うが。

ラストはシューベルトの「さすらい人幻想曲」。麗しきさすらい人だ。歌が実に清々しい。

アンコールは3曲。シューベルト作曲リスト編曲「セレナーデ」。しとやかな「セレナーデ」だ。

リスト「リゴレットパラフレーズ」。超絶技巧の曲だが、間然するところがない演奏。

3曲目はシューベルトの「アヴェ・マリア」。テクニック的には簡単だと思うが聴かせる。優しさ溢れる演奏で、幸せに浸れる。

| | コメント (0)

2020年5月27日 (水)

木村多江(朗読) 宮沢賢治 「春と修羅」 音楽:坂本龍一 「Aqua」

Zypressen=糸杉 花言葉:「死」「哀悼」「絶望」「永遠の悲しみ」「不死」「再生」「正義の人」

| | コメント (0)

2020年4月 8日 (水)

コンサートの記(632) 仲道郁代デビュー30周年ピアノ・リサイタル「ショパンがショパンである理由」京都

2016年6月18日 京都コンサートホール小ホール アンサンブルホール・ムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」で、仲道郁代のデビュー30周年記念ピアノ・リサイタル「ショパンがショパンである理由」を聴く。オール・ショパン・プログラム。

今日の京都はこの時期としては酷暑。最高気温は34度で、あと1度高いと猛暑日になるという日差しの強さである。熱中症対策のため、帽子を被り、道中で何度も水分を補給しながらの外出となった。

京都コンサートホールに向かうために北大路通を歩いている時、60手前と思われる夫婦が人に「コンサートホールはどうやって行くんでしょう?」と聞いていたので、「私もコンサートホール行きますよ」と声を掛け、「仲道さん(のリサイタルに行かれるん)ですか?」と聞くと「そうです」というので、3人で向かう。


毎年、夏に「アンサンブルホール・ムラタ」でリサイタルを行っている仲道郁代。日本で最も人気のあるピアニストである。京都コンサートホール大ホールでリサイタルを開いても仲道クラスならかなりの入りになると思われるが、日本人ピアニストは「ムラタ」で、海外のピアニストは大ホールでというのが京都コンサートホールの基本であるようだ。
当然ながら、今日のピアノ・リサイタルのチケットは完売御礼である。

タイトル(尾崎豊が付けそうなものだが)からもわかる通り、ショパンの人生において画期をなす作品を取り上げたコンサートプログラム。ただ曲目としてはオーソドックスである。
演奏されるのは、前半が、ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、ワルツ第2番「華麗なる円舞曲」、ワルツ第3番「「華麗なる円舞曲」、ワルツ第4番「華麗なる円舞曲(小猫のワルツ)」、ワルツ第5番、ワルツ第6番「子犬のワルツ」、ワルツ第7番、ワルツ第8番。ショパンの生前に楽譜が出版された全てのワルツが並ぶ(ワルツ第9番「別れのワルツ」なども有名だが、ショパンの生前ではなく死後に出版されて人気曲になったものである)。

後半が、ノクターン第1番、ノクターン第2番、ポロネーズ第1番、ポロネーズ第2番、ポロネーズ第3番「軍隊」、ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)、ポロネーズ第6番「英雄」。


良くも悪くも典型的な日本人女性ピアニストである仲道郁代。最近の仲道は、丁寧な楽曲研究を行い、最新の学説なども取り入れた演奏を行う。今日の演奏も演奏曲は少なめだが、全曲に解説を入れてくれるため、大変勉強になる。ピアノ・リサイタルを聴いて一番の感想が「勉強になる」が良いことなのかどうかはわからないが。

ショパンの音楽には毒があり、その毒を巧みに引き出す名ピアニストもいるのだが、そうした演奏ばかり聴いているとこちらの精神もやられてしまう。仲道の場合、あっさりしているためショパンの毒が中和されて聴きやすくなる。こうしたショパン弾きも必要なのだ。


前半は桜色のドレスで現れた仲道。まずマイクを手に、「ショパン(仲道はフランス風にチョパンと発音することもある)がウィンナワルツを嫌っていたこと」を語る。ウィーンからポーランドの家族に宛てた手紙に「ウィンナワルツにはもううんざりだ」という一節があるそうだ。ショパンの生まれた当時のポーランドは列強によって分割統治されており、ポーランドは地域としてはあるが国名としては存在しないという状況だった。ショパンは二十歳の時に音楽留学のためにウィーンに向かうのだが、ショパンがポーランドを離れた数日後にワルシャワ蜂起が起こる(ショパンがワルシャワ蜂起計画に関わった一人であり、当局からマークされていたため、留学の名の下、亡命したという説がある。ショパンはその後2度とポーランドには戻らないのだが、「戻らなかったのではなく戻れなかった」という説を亡命説は後押ししている)。

ポーランドでは、何か祝祭的なことが始まる際に、決まった旋律が流れるという習慣があったそうで、それが他ならぬワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」の冒頭に単音で鳴らされるものだそうである。またポーランドの民謡の旋律なども取り入れられているようだ。ウィンナワルツとは違うワルツを作曲することでショパンは矜持を示したのかも知れない。
仲道の演奏は左手のリズムを強調するものだが、今日は前から4列目であったため、リズムの音が大きく聞こえてしまった。


ショパンがウィンナワルツを嫌ったのには理由があるそうである。ウィーンで音楽家としての生活を始めたショパンであるが、ウィーンを首都とするオーストリアは実はポーランドを分割統治していた国の一つであり、オーストリア人はポーランド人を見下す傾向があったという。ウィーンには亡命ポーランド貴族が数多くいたそうだが、彼らはショパンに「ウィーンでの成功は難しいのでパリに行く」よう勧めたようだ。ショパンの父親はポーランドに渡ったフランス人であり、ショパンにとっても父親の祖国に向かうというのは自然な選択であった。


パリに向かったショパンは画家のドラクロアや、パリに来ていたロシアの文豪・ツルゲーネフなどと交流し、男装の麗人として知られるジョルジュ・サンドと恋に落ちる。
パリでのショパンは、パリで最も高級な仕立屋にオーダーメイドの服を注文し、常に白い絹の手袋をしていて、しかも白い絹の手袋は一日使ったら捨てて、次の日は新しい白い絹の手袋をはめるといった調子で、衣装代がかさんだそうである。ちなみに白い絹の手袋はショパンだけが一日で使い捨てにしていたわけではなく、貴族階級の象徴で、パリで身分の高い人のほとんどはそういう習慣を持っていたそうだ。ちなみに映画の決闘シーンなどで見られる、「白い手袋を相手に向かって放り投げる」は最大級の侮辱行為だそうである。

ワルツ第2番では、仲道は他の演奏では聴いたことのない間を取る。そういう楽譜があるのか仲道個人のアイデアなのかは不明。

ワルシャワ蜂起の失敗を知ったショパンは練習曲第12番「革命」なども書いたが、ワルツ第3番も同時期に書かれたもので、ウィンナワルツと同じワルツに含まれるものとは思えないほど暗鬱な作風である。ショパンは音楽でため息をついたのだろうか。ショパンの暗さを仲道の音楽性が上手く中和している。

「小猫のワルツ」という名でも知られるワルツ第4番。ワルツ第6番が「小犬のワルツ」であるため、後に対抗する形で第三者によって命名されたものだ。
仲道のリズム感の良さが出ていたように思う。ただ、この曲に限らないが、右手の指が回りすぎるために左手が追いつかないという場面も何度かあった。

ワルツ第5番。優雅な作品であり、仲道の個性に良く合っていたように思う。


ワルツ第6番「小犬のワルツ」。明るい曲調であるが、仲道によると生まれつき病弱だったショパンの体調が悪化し、恋人であるジョルジュ・サンドとの関係も悪化の一途を辿っていた時期に書かれたものであるという。せめて音楽には希望を込めたかったのかも知れない。

ワルツ第7番は、ショパンの本音ともいうべきもので、全編がメランコリーに覆われている。

ワルツ第8番について仲道は、「調性の崩壊」という言葉を用いる。明るく始まるが、やがて短調へと移行し、その後、長調と短調がない交ぜになった混沌とした世界が現れる。


解説を入れながら演奏する仲道であるが、音楽そのものは純音楽的。文学的な表現をするには仲道のピアノはドレス同様淡彩である。

なお、仲道は長い間、ショパンのワルツに関して「軟弱なんじゃないか」「華麗すぎるんじゃないか」という偏見を持っており、積極的には取り組んでこなかったのだが、楽譜を読み込んで、ショパンの時代のピアノ(仏プレイエル製)を弾いて考えが変わったという。ということで仲道は新譜である「ショパン ワルツ集」のCDの宣伝をする。


後半、仲道は淡い水色のドレスに着替えて登場。

まずは、ノクターンについて「夜想曲と日本語で訳されていますが、とても良い訳だと思います」と述べ、「後半はサロンでの音楽はなくショパンの内面を語る音楽を集めてみました」と語る。

ノクターン第1番、有名な第2番は共に落ち着いた演奏。個性には欠けるが安心して聴くことが出来る。


そしてポロネーズ。ポーランドが生んだ舞曲である。ショパンはパリで音楽活動をし、一度も祖国ポーランドに戻ることはなかったが、彼の内面にはいつもポーランドがあった。父の祖国だからといって安易にフランス化せず、ポーランド人としての魂を持ち続けたことが「ショパンをショパンたらしめている理由」だと仲道は語る。ショパンの心臓はショパン本人の遺言によりワルシャワの教会に埋め込まれており、墓はパリにある。パリには眠っているが、心だけはポーランドにあるのだ。

ちなみに仲道は小学校5年生の時に子供部屋にステレオを置いて貰い、毎日寝る前にアルトゥール・ルービンシュタインの弾くショパンのポロネーズ集を聴いていたそうである。「聞いて頂けるとわかると思うのですが、とても眠れるような曲ではない」と仲道は笑いながら語るが、ポロネーズを聴いてショパンへの思いをはせていたのかも知れない。

ポロネーズ第1番は堂々とした音楽だが、ポロネーズ第2番はショパンらしい憂愁を帯びている。

仲道というと旋律を口ずさみながら(声は出さない)ピアノを弾くスタイルが有名であり、前半では口は閉じて演奏していたが、ポロネーズの演奏では全曲旋律を口で確かめながら演奏していた。

ポロネーズ第3番「軍隊」はショパン作品の中でもかなり有名なもの。仲道は「ポロネーズは軍隊の行進の曲ですが、この曲がそうした要素を最も良く表しています」というようなことを語る。スケールは大きくないが、良い演奏である。

本来は、続けてポロネーズ第6番「英雄」を弾く予定だったのだが、その前にショパンが祖国への憂いを綴ったとされる夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)が演奏される。映画「戦場のピアニスト」でテーマ音楽的に使われてから知名度が急速に上がった夜想曲第20番。ショパンのピアノ協奏曲第2番の旋律が登場することから、初期の習作とも見做されているが、仲道はそうではないという解釈のようだ。
演奏自体はオーソドックスなものである。悲しみが自然に滲み出ている。他のピアニストのような個性には欠けているが。
仲道によると、子供達を集めたワークショップで、ショパンの夜想曲第20番を弾いた際、子供達が書いたアンケートの中に「イライラしている」というものがあってハッとさせられたそうである。
祖国の悲劇に自分は全くの無力でしかないという苛立ちという意味だろうか。そうしたことが感じられるパッセージは確かにある。


ポロネーズ第6番「英雄」。程良いスケールによる演奏。仲道郁代はやはり中庸を行くピアニストだ。


アンコールの1曲目は、練習曲第3番「別れの曲」。この「別れの曲」というのはショパンの伝記映画のタイトルであり、テーマ音楽的に用いられたのが練習曲第3番で、以後、「別れの曲」というタイトルが付いた。
仲道は平均的なテンポで、一音一音を大切に弾いていく。「別れの曲」は冒頭は技巧的に比較的平易であり、私は楽譜の記号は無視してかなり速いテンポで弾いていた。私の話などどうでも良いが。


ラストはいつもアンコールで弾くという、エルガーの「愛の挨拶」のピアノ独奏版。歌い方に癖があるが、美しい演奏である。

| | コメント (0)

2020年4月 5日 (日)

配信公演 坂本龍一 dTVプレミアム無料生配信「Ryuichi Sakamoto:PTP04022020 with Hidejiro Honjoh」(文字のみ。楽曲紹介のための既成動画へのリンクはあり)

2020年4月2日

午後7時から、dTVで坂本龍一によるプレミアム無料生配信「Ryuichi Sakamoto:PTP04022020 with Hidejiro Honjoh」を観る。
6時半から配信がスタートし、過去に行った配信映像などが流れる。
7時を過ぎてから、映像がグランドピアノを真上から捉えたものに切り替わり、坂本龍一が現れる。
まず「async」を弾くのだが、マスクを付けたままの演奏である。だが、意図したものではないようで、演奏を終えてマスクを外し、「マスク取るの忘れちゃったよ」と第一声を発する。

三味線奏者の本條秀慈郎のコラボレーションもあるのだが、坂本龍一が本條のために提供した楽曲(「honj-2019」)があるそうで、まずその曲の演奏を行う。三味線の可能性を追求した現代音楽的な作品であった。本條は作曲も行うそうで、三味線音楽のあらゆる要素を取り入れた自作も演奏した。その後、本條が奏でる三味線に坂本がピアノの弦を弾くなどの特殊奏法で応じるという即興演奏なども行われる。

終盤に坂本は、イタリアでとにかく受けが良いという「美貌の青空」、地球も体も7割が水で出来ているということで自然との調和の話を演奏後に行った「aqua」、企業戦士達を応援するビタミン剤のCM曲でオリコン史上初めて1位を獲ったインストゥルメンタル曲である「energy flow」、現状を戦場に例えたのだと思われる「戦場のメリークリスマス」など有名曲を演奏。アンコールとして淡々とした日常を描いた歌詞を持つYMO時代の楽曲「PERSPECTIVE」のピアノ独奏版が演奏される。歌うことはないが、歌詞が字幕スーパーで出る。坂本なりのメッセージである。

坂本は、「これを良い機会だと思って」読書をしたり映画を観たり音楽を聴いたりすることを勧め、意味なく自宅を出ないこと(Stay Home)、基礎的な予防策を実践することをスマホを見ている人(dTVはdocomoのサービスであるため基本的にスマートフォン向けである)に呼びかけた。

 

スタジオには感染症の専門家、医師、看護師らが待機し、換気を行った上での配信であった。

| | コメント (0)

2019年11月15日 (金)

これまでに観た映画より(138) ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」@同志社大学 「コメダ・コメダ」&「バリエラ」

2019年11月12日 同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールにて

同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールで、ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」と題された映画2本を観る。2012年製作の「コメダ・コメダ」と、1966年のイエジー・スコリモフスキ監督作品「バリエラ」。「バリエラ」の音楽は、クシシュトフ・コメダが手掛けている。なお、「バリエラ」の上映前にはイエジー・スコリモフスキ監督の舞台挨拶がある。

ポーランドのモダン・ジャズの先駆けでありながら、37歳の若さで事故死したクシシュトフ・コメダ。ロマン・ポランスキーとのコラボレーションを経て、ハリウッド映画の作曲家として活躍し始めたばかりの死であった。

「コメダ・コメダ」(ジャパンプレミア上映)は、クシシュトフ・コメダの生涯を辿るドキュメンタリー映画。ナタシャ・ジュウコフスカ=クルチュク監督作品。監督について詳しいことはよくわからないが、名前は明らかに女性名である。
ロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダといったポーランド映画界の巨頭を始め、コメダと共演経験のあるポーランドのミュージシャン、コメダの医大時代の同級生などが証言を行っている。

共産党一党独裁時代のポーランドにあっては、ジャズは敵国であるアメリカの敵性音楽であり、コメダも医大時代にジャズの演奏や作曲を行っていることがばれ、医大生達に囲まれてつるし上げに遭いそうになったことがあるそうだ。

コメダが生まれたのは1931年。ナチスドイツがポーランドに侵攻する8年前である。
コメダは幼い頃、ポリオに罹り、後遺症で片足が少し不自由になっている。ピアノの才能は幼時より発揮されていたそうで、7歳で出身地にあるポズナン高等音楽学校に入学。戦時下であっても母親はコメダの才能が途切れてしまわないよう、ピアノを弾ける環境を作ることに腐心したそうである。ただ、コメダの母親は、コメダがプロのミュージシャンなることには反対であり、医師になることを望んでいた。コメダは母親の望み通り医科大学を卒業し、耳鼻咽喉科の医師となるが、結局、ジャズミュージシャンになることを選んだ。コメダの友人の一人は、「運命には抗えない」と語っている。
ポズナンには音楽の仕事がなかったため、コメダは、クラクフへ、更にワルシャワへと移動する。
ちなみにコメダというのは芸名で、本名はトルチンスキという。子どもの頃に、「command」(司令官)と書くべきところを「comada」とスペルミスしたことに由来するそうである。
アンジェイ・ワイダは、コメダの第一印象を、「パデレフスキ(ポーランドを代表するピアニストで、後には首相にもなっている)みたいな長髪の奴が来るのかと思ったら、見るからにオタクといった感じの奴が来て」と語っている。線が細く、いかにも繊細そうで影のあるコメダは、真逆の性格であるロマン・ポランスキーとは馬が合ったそうで、「水の中のナイフ」などの音楽を手掛け、ポランスキーに招かれる形でハリウッドへと渡っている。コメダは、自らのことを「映画の作曲家」と名乗っていたそうで、映画音楽を手掛けることに誇りを持っていたことが窺える。

ジャズ以外にもポーランドの生んだ音楽の先進性が語られる場面がある。ポーランド人は独自性を追求する傾向があるそうで、それがペンデレツキやルトスワフスキといった現代音楽の大家を生み出した下地になっているのかも知れない。

コメダの最期は転落事故である。交通事故となっている資料もあるが、関係者の証言によるとどうもそうではないようだ。事件性がありそうなことも語られてはいるのだが、詳しいことはわからないようである。

 

イエジー・スコリモフスキ監督による「バリエラ」。「バリエラ」というのはポーランド語で「障壁」という意味のようである。

上映前に、イエジー・スコリモフスキ監督による15分ほどの舞台挨拶がある。「バリエラ」はかなり特異な経緯で生まれた作品だそうで、元々は「空っぽの領域」というタイトルで、それまでドキュメンタリー映画を作り続けて来た映画監督の初劇映画作品として製作される予定であった。イエジー・スコリモフスキは依頼を受けて脚本を執筆。その監督のそれまでの作品も全て観て、「これはドキュメンタリータッチの脚本にした方がいいだろう」と判断。脚本を提出したのだが、その監督は脚本を読んで青ざめたようになってしまったという。ドキュメンタリー映画の監督で、劇映画は不得手であり、撮影には入ったのだが、制作費の4分の3を使ったところで、その監督は降板。続きをスコリモフスキの監督で撮るよう指示があったのだが、スコリモフスキは、監督に合わせてドキュメンタリー映画調の脚本を書いたが、自分ではそうした映画を撮りたいという気持ちはまるでない。ということで、残りの4分の1の予算で、1から新しい映画を撮ることになった。とにかく時間もないので脚本なしの即興で撮ることにし、キャストも全て一新、撮影監督も新たに指名した。キャスティングの一新についてスコリモフスキは、「大成功だった。主演女優はその後、私の妻になるのだから」とジョークを言っていた。
スコリモフスキ監督によると「バリエラ」には3つの奇跡があるそうで、まず「即興による映画が完成したこと」、2つ目は「即興にしては出来が良かったこと」、3つ目は「この映画が高く評価され、映画賞を受賞し、60年以上経った今でも上映される機会があるということ」だそうである。

内容は、ヌーヴェルヴァーグの影響も感じられるもので、「フランス映画だ」と言われたらそのまま信じてしまいそうになる。ポーランド映画とフランス映画は相性が良いのか、共同製作が行われることも結構多い。

国の世話になることもアメリカ人のように生きることもよしとしない主人公の医大生が医大を去り、「明日、結婚することになった」と父親に告げるも、相手が不明。父親に託された手紙を届けた家の女主人からサーベルを渡されることになる、といった風に、あらすじだけ書くと何が何やらわからないことになる。ただメインとなるのは、冬の停電の日に出会った路面電車の女運転士とのロマンスである。そこだけ辿ると素敵な恋愛映画と観ることも出来る。
人海戦術も多用されているが(特に深く考えられて行われたわけでもないと思うが、人一人の人生の背後には数多くの人物が潜んでいると捉えることも出来る)低予算映画でなぜあれほど多くのキャストを使えるのかは謎である。共産圏なので「低予算」といっても西側とは意味が異なっていたのかも知れない。
ロールスロイスなどの西欧の高級車が登場するが、これは若者達に敵対するものとして描かれているようだ。

また、クシシュトフ・コメダの音楽が実にお洒落である。即興で作り上げた映画だけにどうしても細部は粗くなるのだが、そこをコメダの音楽がまろやかなものに変えていく。映画の出来の半分近くはコメダの功績である。

ラストは、やはり即興風に撮られた王家衛監督の「恋する惑星」に近いもの。「恋する惑星」のラストに近いものになって欲しいと個人的にも思っていたのだが、やはりなるべくして同じようなラストに着地。めでたしめでたしとなった。

Dsc_7918

| | コメント (0)

2019年11月 4日 (月)

これまでに観た映画より(136) 「蜜蜂と遠雷」

2019年10月29日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「蜜蜂と遠雷」を観る。恩田陸の直木賞&本屋大賞受賞ベストセラー小説の映画化。監督・脚本・編集:石川慶。出演:松岡茉優(ピアノ担当:河村尚子)、松坂桃李(ピアノ担当:福間洸太郎)、森崎ウィン(ピアノ担当:金子三勇士)、鈴鹿央士(新人。ピアノ担当:藤田真央)、平田満、臼田あさ美、ブルゾンちえみ、光石研、片桐はいり、斉藤由貴、鹿賀丈史ほか。

第10回芳ヶ江国際ピアノコンクールの参加者(コンテスタント)達を描く青春映画。天才少女と騒がれながら7年前に演奏会場から逃亡してしまった栄伝亜夜(松岡茉優)、音大生など24時間ピアノに集中できる出場者に交じって28歳の妻子持ちのサラリーマンで年齢制限から最後のチャンスに賭ける高島明石(松坂桃李)、「ジュリアード王子」と呼ばれて大人気であるが、師から「完璧を目指せ、余計なことするな」と厳命されているマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、伝説のピアニストであるホフマンに見出され、正統的な音楽教育を受けていないにも関わらずホフマンの推挙を受けてコンクールに参加することになった風間塵(かざま・じん。鈴鹿央士)ら、それぞれに複雑な背景を持ったピアニスト達が、時に競い、時に心を通わせ合っていく様が描かれている。それぞれのピアノ演奏を受け持つのが、日本を代表するトップクラスのピアニストというのが、見所であり聴き所である。

基本的には、20歳のピアニスト、栄伝亜夜(えいでん・あや)の物語である。ファーストシーンは幼い頃の亜夜とピアノ教師だった母親によるショパンの「雨だれ」の連弾場面である。母親によってピアノに開眼した亜夜は幼くしてカーネギーホールで演奏を行うなど神童ぶりを発揮するが、7年前に母親が死去した直後、ピアノ協奏曲のソリストとして登場するも演奏を行わずに逃亡。以後、表舞台から姿を消していた。そんな亜夜が芳ヶ江ピアノコンクールのコンクラリストとして姿を現す。口さがない人々は、「あの天才少女の?」「また逃げちゃうんじゃないの?」とひそひそ噂する。

そんな亜夜の前に現れた16歳の少年ピアニスト、風間塵。ホフマンの推薦状を手に現れた塵だが、ピアノも持たず無音鍵盤で練習を行っており、本格的な音楽教育も受けていないことから物議を醸す。審査員の中には露骨に彼を「最低だ」と批難するものまでいる。だが、心からピアノが好きな塵の姿勢に亜夜は影響を受ける。亜夜は塵ほどにはピアノを愛していないことを悟る。
 

今回のコンクールの本命と目されるマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。アメリカ人だが、日系で幼い頃には亜夜の母親が開いているピアノ教室に通っており、亜夜と見るやすぐあの時の少女と見抜く。亜夜もマサルのことをすぐに思い出す。互いを「あーちゃん」「まーくん」と呼び合う二人。師から教わった通りの「完璧」を目指しており、それが現代のピアニストなのだと教え込まれている。だが実際の彼はコンポーザーピアニストになることを夢見ており、完璧な表現とは違った創造性を求めていた。

高島明石は、楽器メーカーで働きながらピアノコンクールに応募。学生達では不可能な「生活に根ざしたピアノ」を弾くことを目標としている。年齢制限があるため、今回が最後のピアノコンクール参加であり、結果が出なかったら潔くピアニストを止めるつもりでいた。

 

2次審査は、新曲「春と修羅」(実際の作曲は、今最も話題の作曲家である藤倉大が行っている)の演奏で、カデンツァは、ヴィルトゥオーゾの時代のようにピアニスト達が独自に作曲したものを弾く。大時代的でドラマティックな超絶技巧を披露するマサル。一方、宮澤賢治の言葉にインスパイされた詩的なピアノを明石は弾く。宮澤賢治が理想とした生活に根ざした農民芸術的な明石のピアノに触発された亜夜は感激し、すぐさま練習室でピアノを弾こうとするが、全て塞がってしまってる。それでもどうしても今夜中にピアノが弾きたい亜夜は、明石の手配で、芳ヶ江の街のピアノ工房でピアノに向かう。亜夜の行動を察知して後を付けてきた塵は亜夜と二人で、ドビュッシーの「月の光」、「It's only a paper moon」、ベートーヴェンの「月光」などを即興で連弾する。

亜夜にとってピアノとは母親と弾くものであり、母と心を通い合わせる道具であった。だから母が他界してしまった時、亜夜はピアノを弾く意味を喪失してしまった。コンサート会場から逃げ出したのはその時である。だが、コンクールに出たことで、ピアノは人々と通じ合うツールへと姿を変える。様々な邂逅を経て、亜夜はピアノを弾く意味と失われた音楽を取り戻していく。

 女性が主人公ということもあって、登場人物にどれだけ共感出来るかが鍵となる映画。そういう点において女性向けの作品と見ることも出来るかも知れない。幸い、亜夜の実際のピアノ演奏を担当しているのが河村尚子というとこもあって、私は亜夜に感情移入することに成功したように思うし、他の人物の心境も完全というにはおこがましいが、ある程度把握することが出来、音楽を通してささやかだが確実に成長していく人々を温かく見守ることが出来た。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番演奏シーンでは、自分でもなぜ感動しているのかわからない感動も味わう。

芸術に限らず多くのジャンルにおいてそうだが、人との関わりや巡り合わせがとても重要であることを示してくれる映画である。

 

 

| | コメント (0)

2019年10月27日 (日)

河村尚子(ピアノ) ショパン 前奏曲第6番



千葉へ(for Chiba Prefecture)

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドキュメンタリー映画 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 動画 千葉 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画