カテゴリー「ピアノ」の80件の記事

2021年5月12日 (水)

コンサートの記(720) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 石橋栄実&藤井快哉「もしあなたと一緒になれたなら」+福原寿美枝&船橋美穂「女の想い~シューマン歌曲集」+砂川涼子&河原忠之「ベルカント!」

2021年5月2日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

今日もびわ湖ホールで、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021がある。今日が2日目にして楽日である。

今日は午前中に、児玉姉妹の姉である児玉麻里によるベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏があるのだが、午前中からベートーヴェンの音楽を聴くのは気が引けたたため、ソプラノの石橋栄実、メゾソプラノの福原寿美枝、ソプラノの砂川涼子が立て続けに登場する3つのコンサートのみを聴くことにする。

Dsc_1611

今日も昨日同様、雨がパラつく天気だったのだが、びわ湖ホールに着く直前に太陽が顔を覗かせる。

 

午後12時40分開演の、公演ナンバー2-L-3「もしあなたと一緒になれたなら」。出演は石橋栄実(ソプラノ)と藤井快哉(ピアノ)。

2019年の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」では、体調不良で降板した砂川涼子の代役としてプーランクのモノオペラ「声」に出演し、大成功を収めた石橋栄実(いしばし・えみ)。大阪音楽大学声楽科卒業、同専攻科を修了。大阪舞台芸術奨励賞、音楽クリティック・クラブ奨励賞、坂井時忠音楽賞、咲くやこの花賞などを受賞。現在は大阪音楽大学の教授と大阪音楽大学付属音楽院の院長も務めている。

藤井快哉(ふじい・よしや)は、大阪音楽大学を経て同大学院を修了。インディアナ大学音楽学部アーティストディプロマ課程修了。坂井時忠音楽賞、兵庫県芸術奨励賞、佐治敬三賞、神戸灘ライオンズクラブ音楽賞などの受賞歴があり、現在は大阪音楽大学の教授を務めている。

曲目は、ベネディクトの「四十雀(しじゅうから)」、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」より“もしあなたと一緒になれたなら”、プーランクの歌劇「ティレジアスの乳房」より“いいえ、旦那様”、團伊玖磨の歌劇「夕鶴」より“与ひょう、体を大事にしてね”、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ“私が街を歩くと”。

ベネディクトは、ドイツ出身のイギリスの作曲家だそうである。石橋栄実のトークによると、選曲した時には「今頃(「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021開催の頃)は、色々と大変だったことが過去になって、『良かったね』という状況で歌いたい」ということで1曲目に選んだのだが、残念ながらコロナ禍は却って深刻さを増してしまっている。

昨年の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」では、小ホールで全曲日本の歌曲によるプログラムを歌う予定だったのだが中止になってしまい、本来は今年も日本の歌曲を歌う予定だったのだが、会場が大ホールになり、「オペラの殿堂ということでオペラの曲を並べることにした」そうである。
ベートーヴェン歌劇「フィデリオ」より“もしあなたと一緒になれたなら”は、男装してフィデリオと名を変えたレオノーレを本当に男だと勘違いして恋をしてしまう娘、マルツェリーネのアリアである。石橋栄実は、典型的なリリック・ソプラノであり、声が澄んでいて可憐、ただ芯がしっかりしており、私が最も好むタイプの声質の持ち主である。

藤井快哉によるプーランクのピアノ曲「エディット・ピアフを讃えて」の独奏。「エディット・ピアフを讃えて」は、若手ピアニストの牛田智大がアンコールなどで好んで取り上げる楽曲である。藤井快哉が演奏前に解説を行い、エディット・ピアフがシャンソンの名歌手であることや、プーランクがピアフの大ファンだったことなどを語り、「私も石橋栄実さんの大ファンです」と言って、プーランクとピアノの関係を重ねたりする。

続く曲は、歌劇「ティレジアスの乳房」より“いいえ、旦那様”なのであるが、「エディット・ピアフを讃えて」の演奏前、いったん退場する際に石橋が、「なんていうタイトルなんでしょうと思いますが、女性が、『自分はフェミニストだ!』と言って、掃除やら洗濯やら家事一般が女性の仕事とされることに納得がいかず、兵士になりたいとか弁護士ですとか、当時、男性しか就けない仕事に就けるよう要求するのですが、すると顎にひげが生えて、胸の膨らみが飛んでいっちゃって」と解説する。
「エディット・ピアフを讃えて」演奏終了後に、石橋は胸の前に風船を二つ付けて登場。ヘリウムガスで膨らませた風船であるため、胸の膨らみを否定する場面では、風船が上に浮かぶ。その後、石橋は風船を二つとも割る。演奏前に風船を割るという演出の説明をしなかったのは、事前に言うと風船を割ることだけを意識してしまう人がいそうだったからだそうで、風船が割れる音を嫌う人もいるので、怖がらせたらまずいとも思っていたそうだ。「皆さん、こういう演出見たことあります?」と客席にも聞いていた。無反応だったので、見たことがある人はほとんどいないようであったが、私はたまたま川越塔子が青山音楽記念館バロックザールでのリサイタルでそれに近いことをしていたのを覚えている。もう4年も前なので、正確には記憶していないが、変わった演出だったので、それらしきことをしていた映像がぼんやりとではあるが浮かぶ。
演奏終了後に、藤井は、「尊敬している方にああいうことをされると結構な衝撃で」と語っていた。リハーサル時にも風船は使っていたが、割ったのは本番だけだったそうである。

切々と歌われる團伊玖磨の歌劇「夕鶴」より“与ひょう、体を大事にしてね”は、今のコロナ禍を念頭に置いて選ばれたと思われ、「ラ・ボエーム」よりムゼッタのワルツ“私が街を歩くと”では一転してコケティッシュな歌声を聴かせた。「夕鶴」と「ラ・ボエーム」ということで振り幅がかなり広い。

日本歌曲を予定していたのに、團伊玖磨の1曲だけになってしまったということで、アンコールとして中田喜直の「歌をください」が歌われた

 

午後2時10分開演の、公演ナンバー2-L-4「女の想い~シューマン歌曲集」。出演は、福原寿美枝(メゾソプラノ)、船橋美穂(ピアノ)。

福原寿美枝は、京都市立芸術大学卒業、同大学院修了。平成25年神戸市文化奨励賞、2015年度音楽クリティック・クラブ賞受賞などの受賞歴がある。現在は武庫川女子大学音楽学部教授を務め、京都市立芸術大学でも後進の指導に当たっている。

船橋美穂(ふなはし・みほ)も京都市立芸術大学出身。大学卒業後に渡米し、エール大学大学院音楽科講師などを務めた。2002年藤堂音楽褒賞、第29回京都芸術祭京都府知事賞などの受賞歴がある。

曲は、いずれもシューマンのリートで、「女の愛と生涯」と「メアリー・スチュワート女王への詩」

歌唱の前に福原は、「緊張で心臓がバクバクしてる。飛び出そう」と語り(なんでもコンサートでリートを歌うのは約30年ぶりだそうである)、また年齢を重ねるにつれて声が低くなってきているので、低音版の楽譜で歌うことを告げる。

「女の愛と生涯」は、愛しい人との出会いと結婚生活、出産、死別を描いたシャミッソーの詩に基づく歌曲で、背景にはシューマンのクララとの結婚がある。歌う前に「声が低いので、可愛らしい女の人にはなりません」と語った福原だが、これはこれで若き日を回顧する趣があり、味わい深い。

「メアリー・スチュワート女王への詩」。生後まもなくスコットランド女王に即位し、あらゆる才能に恵まれながらも様々な男性との恋に破れ、最終的にはエリザベス女王により追い込まれて処刑された悲劇の女王であるメアリー・スチュワート。その生涯は様々な文学作品や映画や芝居で描かれ、多くの人が知るところとなっている。
「メアリー・スチュワート女王への詩」に関しては事前に歌詞をチェックしていかなかったのだが、シューマンらしい個性に満ちた旋律を味わうことが出来た。
シューマンは、晩年は梅毒に起因する精神障害が進み、作曲活動が思うようにはかどらなくなっていた。シューマンが自身をメアリー・スチュワートに重ねても不思議ではない気はするが、「重ねている」という絶対的な根拠は当然ながらないようである。


午後3時30分開演の、公演ナンバー2-L-5「ベルカント!」。出演は、砂川涼子(ソプラノ)と河原忠之(ピアノ)。「ベルカント!」は砂川の最新アルバムのタイトルでもあるようだ。
びわ湖ホール大ホールの2階席(びわ湖ホールの1階席と2階席は繋がっている)の後ろの方では、本番を終えた石橋さんと福原さんが並んで聴いているのが確認出来た。

砂川涼子(すなかわ・りょうこ)は、沖縄県生まれ。ということで、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」でもオール沖縄民謡によるリサイタルを行ったことがある。武蔵野音楽大学と同大学院を修了。ミラノに渡って研鑽を積み、第34回日伊声楽コンコルソで優勝。第69回日本音楽コンクール声楽部門でも第1位を獲得している。第12回R・ザンドナイ国際声楽コンクールではザンドナイ賞を受賞。現在は藤原歌劇団団員であると共に、母校の武蔵野音楽大学で講師を務めている。

河原忠之は、歌手の伴奏ピアニストとして高い評価を受けている。太メン4人によるユニットIL DEVU(イル・デーヴ)のピアノメンバーであり、指揮者としても活躍している。国立(くにたち)音楽大学と同大学院を修了。母校の大学院教授を務めると同時に、新国立(こくりつ)劇場オペラ研修所シニアコレペティトゥアとしても活躍している。

曲目は、いずれも砂川のニューアルバム「ベルカント!」に収録されているもので、ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」より“おいでください、膝をついて”、ビゼーの歌劇「カルメン」より“何も恐くないといったけれど”、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」より“妙薬よ!僕のものだ”~“ラララの二重唱”(清水徹太郎との共演)、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より“あなたの愛の叫ぶ声に”、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」より“氷のような姫君の心は”。

プッチーニの歌劇「トーランドット」より“氷のような姫君の心は”は、女奴隷であるリューのアリアであるが、砂川は一昨年にびわ湖ホール大ホールで行われた大野和士指揮バルセロナ交響楽団ほかによる歌劇「トゥーランドット」にリュー役で出演している。

砂川涼子は見た目は可憐であるが、ドラマティックソプラノであり、声量豊かでスケールも大きい。トークでも河原に、「見た目と歌声が一致しない」と言われていた。

ロッシーニの「ヴェネツィアの競艇」は初めて聴く曲である。思ったよりも長い。
歌劇「フィガロの結婚」より“おいでください、膝をついて”は、スザンナが幼いケルビーニを無理矢理伯爵夫人に見立てようとするいたずら心たっぷりの歌で、そうした心持ちを存分に発揮する。

ビゼーの歌劇「カルメン」より“何も恐くないといったけれど”はミカエラのアリア。砂川はミカエラを得意レパートリーの一つとしているが、今年の夏にびわ湖ホールで行われる「カルメン」でもミカエラを歌い、次の曲で登場する清水徹太郎(ドン・ホセ役)と共演するそうである。

ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」より“妙薬よ!僕のものだ”~“ラララの二重唱”。愛の妙薬が手に入ったと勘違いしたドタバタの場面である。演技付きでの演奏。ユーモラスな演技が客席の笑いを誘う。

プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」より“あなたの愛の呼ぶ声に”と歌劇「トゥーランドット」より“氷のような姫君の心は”。同じプッチーニ作品であるが、求められるものは真逆である。実際にびわ湖ホール大ホールで上演を観たことのある“氷のような姫君の心は”がダイナミックでとても良い。
“氷のような姫君の心は”は、プッチーニが最後に書き上げたアリアであり、リューはプッチーニ版の「トゥーランドット」にのみ登場する役で、実際にプッチーニに仕えていた女召使いがモデルになっているとも言われている。

 

びわ湖ホールを出ると、晴れ間が覗く中に雨粒がポツリポツリと落ちてくるという天気で、三上山の方を振り返ると、巨大な虹が架かっているのが見えた。

Dsc_1636

| | | コメント (0)

2021年5月11日 (火)

コンサートの記(719) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 高木綾子「神秘の無伴奏」+前橋汀子&松本和将「踊るヴァイオリン」+舘野泉「多彩なる左手の音楽2」

2021年5月1日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

びわ湖ホール大ホールで行われている「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021。午後2時10分からは、公演ナンバー1-L-4「神秘の無伴奏」というコンサートがある。高木綾子のフルート独奏である。

高木綾子は、愛知県豊田市生まれ。3歳でピアノ、8歳でフルートを始める。東京藝術大学附属高校、東京藝術大学音楽学部、同大学院を修了。1995年に毎日新聞主催全日本学生音楽コンクール東京大会フルート部門で第1位を獲得した頃に、主にルックスで注目を浴び、テレビなどでも取り上げられたが、音楽家としてそうした見られ方をするのはやはり本意ではなかったようで、1997年の神戸フルート国際フルートコンクール奨励賞受賞を皮切りに、宝塚ベガコンクール優勝、日本フルートコンベンションコンクール優勝及オーディエンス賞受賞、第17回日本管打楽器コンクール・フルート部門第1位及び特別賞、第70回日本音楽コンクールフルート部門第1位獲得、ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクール第3位入賞、神戸国際フルートコンクール第3位入賞など、数多くのコンクールに出場して好成績を収めている。現在は、東京藝術大学准教授、洗足学園音楽大学、日本大学藝術学部、武蔵野音楽大学、桐朋学園大学の非常勤講師も務めている。

曲目は、ドビュッシーの「シリンクス」、武満徹の「VOICE」、ドンジョンの「サロン・エチュード」より1番「エレジー」、2番「セレナーデ」、5番「ジーク」、7番「いたずら好きな妖精」、メルカダンテの『ドン・ジョヴァンニ』より「奥様お手をどうぞ」の主題による変奏曲、クーラウの「3つのファンタジー」より第1番、ヴァスクスの「鳥のいる風景」

フルート独奏曲として、クラシック好きならまず上げるのがドビュッシーの「シリンクス(「シランクス」とも表記する)」だと思われる。というよりフルート独奏曲で世界的に知られているのは、「シリンクス」ぐらいしかない。
高木綾子はスマートな音色でこの神秘的な楽曲を奏でる。

武満徹の「VOICE」は、タイトル通り、フルートを吹くと同時に声やセリフを加えて演奏するという作品である。声を加えるというアイデアはひとまず置くとして、尺八や篠笛といった和楽器を意識した節回しが聴かれるという武満らしい楽曲である。ちなみに武満の遺作はフルート独奏のための「エア」であった。

ドンジョンの「サロン・エチュード」。8曲が残されているが、1番から6番までと7番、8番は別人の作品である。苗字は共にドンジョンなので、「親子ではないか」と推測されているが、確かなことは分からないようだ。いずれにせよ粋な作風の楽曲が並ぶ。

イタリアの作曲家であるメルカダンテの『ドン・ジョヴァンニ』より「奥様お手をどうぞ」の主題による変奏曲と、デンマークの宮廷作曲家であったクーラウの「3つのファンタジー」より第1番は、共に「ドン・ジョヴァンニ」の「奥様お手をどうぞ」の主題をモチーフにした作品。正統的なメルカダンテの変奏曲と、抒情美が特徴的なクーラウ作品の聴き比べの妙がある。

トークで高木は、「神秘の無伴奏ということで、物語性のある曲を選んだ」と語る。

ラストに演奏されるヴァスクスの「鳥のいる風景」。武満の「VOICE」もフルートを吹きながら声を出す作品であったが、「鳥のいる風景」は旋律を声でなぞりつつフルートでも重ねるという特徴を持つ。少し趣は異なるが、1990年頃に流行ったホーミーの神秘性を連想させる。ただ30年前の流行りということで、今の若い人はもうホーミーを知らないかも知れない。声とフルートの音色により表現に奥行きが出ていた。

高木のフルートはいつもながらキレとクッキリとした輪郭、軽やかさが特徴。フルート独奏のみによる演奏会に接する機会は余りないため、貴重な体験ともなった。

Dsc_1556


午後3時30分開演の、公演ナンバー1-L-5「踊るヴァイオリン」。出演は、前橋汀子(ヴァイオリン)と松本和将(ピアノ)。

日本を代表するベテランヴァイオリニスト、前橋汀子(まえはし・ていこ)。非常に人気の高いヴァイオリニストで、録音の数も多いが、私は実演に接するのは初めてである。自分でも意外である。ヴァイオリン協奏曲やヴァイオリン・ソナタなど大作も当然ながら弾くが、小品の演奏も得意としており、今日はヴァイオリン小品の名曲が並ぶ。今回の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」は誰もが知るような曲が演奏されることは思いのほか少ないが、前橋の演奏会は有名曲揃いということで入りも良い。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーもたまたま私の隣の席で聴いていた。

ピアノの松本和将は、1998年に19歳で第67回日本音楽コンクールで優勝。2001年にはブゾーニ国際ピアノコンクール第4位入賞、2003年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで5位に入賞している。

曲目は、ドヴォルザーク(クライスラー編曲)の「わが母の教え給いし歌」とスラヴ舞曲 Op.72-2(第10番)、マスネの「タイスの瞑想曲」、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」、ブラームス(ヨアヒム編曲)のハンガリー舞曲第1番と第5番。

近年の若手ヴァイオリンストは皆、美音を競うようなところがあるが、前橋は敢えてハスキーな音を出したり、歌い崩しをしたり、パウゼを長めに取ったりと表現主義的であり、19世紀以来のヴァイオリニストの伝統を受け継いだ演奏を展開する。名人芸的なヴァイオリンともいえる。高音が独自の妖しさを放っており、理屈ではなく本能に訴えるところのある音楽作りである。

アンコールがあり、サラサーテの編曲によるショパンの夜想曲第2番と、フォーレの「夢のあとに」が演奏される。ロマンティックな演奏であった。

 

午後5時開演の、公演ナンバー1-L-6「多彩なる左手の音楽2」。出演は、舘野泉(ピアノ)。
若くしてフィンランドに渡り、「フィンランドで最も有名な日本人」となった舘野泉。ダンディーな風貌も相まって人気ピアニストとなる。フィンランドで当地の女性と結婚。息子は山形交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者や長岡京室内アンサンブルのメンバーとしても活躍するヤンネ舘野である。
フィンランドを代表する作曲家であるシベリウスのピアノ曲や、日本で学んだフィンランド人作曲家であるノルドグレンの作品、フランスの作曲家であるセヴラックのピアノ曲を得意演目としていたが、2002年、演奏会の最中に脳溢血で倒れ、以降は右半身不随となる。舘野が選んだのは引退ではなく、左手のピアニストとして活躍することであった。
ラヴェルに左手のためのピアノ協奏曲を委嘱したパウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄。戦争で右手を負傷)など、左手のピアニストとして活躍した先例は何人かいたが、舘野は多くの作曲家に左手のためのピアノ楽曲の作曲を委嘱し、レパートリーの拡大に努めている。

今回の演奏曲目も全て舘野が委嘱したり献呈されたりした作品で、パブロ・エスカンデの『悦楽の園』、新実徳英の『夢の王国』より「夢のうた」と「夢階段」、光永浩一郎の左手ピアノ独奏のためのソナタ“苦海浄土によせる”より第1楽章「海の嘆き」と第3楽章「海と沈黙」である。

演奏の前に、舘野が作曲家と作品の紹介を行う。
パブロ・エスカンデは、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれの作曲家で、生まれてからの20年をブエノスアイレスで過ごし、その後、古楽器の演奏を学ぶために古楽の盛んなオランダに渡り、そこでも20年を過ごす。そして今は日本に移住し、京都に居を構えているという。
『悦楽の園』は、ヒエロニムス・ボスの三連祭壇画にインスピレーションを受けた幻想曲。導入部「天地創造の第3日目」、パネル1「楽園でのアダムとイブ」、パネル2「悦楽の園」、パネル3「地獄」の4部からなる新作。
前半は印象派の音楽に近いものを感じたが、その後はジャズを感じさせるような曲想へと転換していく。「地獄」は低音の強打とバッハのようなシンプルにして構造的な旋律の対比が印象的。ちなみに、今日は空がめまぐるしく変わる天気だったが、舘野がびわ湖ホールに向かうためにホテルを出たときは空が真っ暗で、天地創造の第3日目、光が出来る前の漆黒の闇を連想した舘野は、「わあ、地獄に行っちゃう」と思ったそうである。

ちなみに、エスカンデには小学校1年生の娘さんがいるそうなのだが、『悦楽の園』の中では、「私、『地獄』が一番好きよ」と言っていたそうである。

新実徳英の『夢の王国』。4つのプレリュードからなる作品であるが、今回は第2曲の「夢のうた」と第3曲の「夢階段」が演奏される。『夢の王国』も昨年の3月に完成したという新しい作品である。
「夢のうた」は、シンプルで懐かしい旋律が繰り返されるという構図を持つ。一方、「夢階段」ではドミソではない音楽が上っていくというアンバランスな感覚が特徴となっている。

熊本の作曲家、光永浩一郎の作品、左手ピアノ独奏のためのソナタ“苦海浄土によせる”より第1楽章「海の嘆き」と第3楽章「海と沈黙」。2018年の作品である。石牟礼道子の『苦海浄土』を基に、水俣病の苦しみに隠れキリシタンの苦難なども加えて描いた作品だそうで、第3楽章「海と沈黙」の「沈黙」は、遠藤周作の小説『沈黙』を意識したものだという。波のうねりの描写のような旋律が続くが、ドビュッシーの「海」を意識したような和音が現れるのも特徴である。いずれの楽章も最後の音はダンパーペダルを踏み続け、余韻が長くなるよう設計されていた。

舘野は、「予定時間より長くなったようで、まだ何か弾こうとも思いましたが、疲れたので」と言ってアンコールなしで終演となった。

 

帰路。琵琶湖は湖面の色彩が次々と変わる時間帯であり、見る者の目を楽しませてくれた。

Dsc_1599

| | | コメント (0)

2021年4月 8日 (木)

コンサートの記(706) 「コバケン・ワールド in KYOTO」@ロームシアター京都メインホール 2021.4.4

2021年4月4日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「コバケン・ワールド in KYOTO」を聴く。指揮とお話を小林研一郎が受け持つコンサート。
本来は、今年の1月23日に行われるはずの公演だったのだが、東京も京都も緊急事態宣言下ということもあり、今日に順延となった。

Dsc_1343

現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている小林研一郎と日本フィルハーモニー交響楽団のコンビによる演奏である。
「炎のコバケン」の名でも知られる小林研一郎は、京都市交響楽団の常任指揮者を務めていたことがあり、日フィルこと日本フィルハーモニー交響楽団もロームシアター京都が出来てからは毎年のように京都での公演を行っているが、親子コンサートなどが中心であり(来月5日の子どもの日にも、ロームシアター京都のサウスホールで、海老原光の指揮により「小学生からのクラシック・コンサート」を行う予定)、本格的な演奏会を行うのは今回が初めてとなる。コバケンと日フィルの顔合わせで京都公演を行うのは今回が初めてとなるようだ。

 

小林研一郎は、1940年生まれで、昨年卒寿を迎えた。福島県いわき市出身。東京藝術大学作曲科卒業後に同大指揮科を再受験。芸大は編入などを一切認めていないため、受験勉強をやり直して合格し、1年生から再スタートしている。その頃は指揮者コンクールの多くに25歳までと年齢制限があり、芸大指揮科卒業時には20代後半となっていた小林は年齢で引っかかったが、年齢制限が緩かったブダペスト国際指揮者コンクールに応募して第1位を獲得。その縁でハンガリーでの活動が増え、同国最高のポストであるハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督としても活躍。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者時代には、「プラハの春」音楽祭のオープニングである、スメタナの連作交響詩「我が祖国」の指揮も務めている。
日本では日本フィルハーモニー交響楽団と長年に渡ってパートナーを組み、首席指揮者、常任指揮者、音楽監督と肩書きを変え、2010年に名誉指揮者の称号を与えられている。1985年より京都市交響楽団常任指揮者を2年だけ務めた。最近はインスタグラムにはまっているようで、更新回数も多い。

日本フィルハーモニー交響楽団は、元々はフジサンケイグループの文化放送が創設したオーケストラであり、ドイツ本流の楽団を目指すNHK交響楽団に対抗する形でアメリカのオーケストラを範とするスタイルを採用。渡邉暁雄や小澤征爾をシェフとして、一時はN響と共に日本を代表する二大オーケストラと見なされていた時期もあったが、1972年にフジテレビと文化放送から一方的な資金打ち切りと解散を命じられる。この時、小澤征爾が日本芸術院賞受賞の際に昭和天皇に直訴を行い、右翼から睨まれるなど社会問題に発展している。結局、小澤とそれに従った楽団員が新日本フィルハーモニー交響楽団を創設し、残った日本フィルハーモニー交響楽団は「市民のためのオーケストラ」を標榜して、自主運営という形で再スタートを切った。
渡邉暁雄とは、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音での「同全集」を作成するという快挙を成し遂げており、現在も首席指揮者にフィランド出身のピエタリ・インキネン(インキネンともシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音による全集がリリースされた)、客員首席指揮者にエストニア出身のネーメ・ヤルヴィ(ネーメともシベリウス交響曲チクルスを行っている)を頂くなど、シベリウスと北欧音楽の演奏に強さを発揮する。

そんな日フィルの京都における初の本格的な演奏会ということで、曲目には、グリーグの「ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)」より第1曲“前奏曲”、グリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:田部京子)、グリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より“朝”“オーゼの死”“アニトラの踊り”“山の魔王の宮殿にて”“ソルヴェイグの歌”、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と北欧を代表する曲がずらりと並ぶ。初回ということで自分達の最も得意とする分野での勝負である。

今日のコンサートマスターは木野雅之(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)、首席チェロが「ペール・ギュント」では活躍するということで、日本フィル・ソロ・チェロの菊池知也の名が無料パンフレットには記されている。

日本フィルは自主運営ということもあり、東京のオーケストラの中でも経済的基盤は弱い。今回のコロナ禍によって苦境に立っており、寄付を募っている。

 

グリーグの「ホルベルク組曲」より第1曲“前奏曲”は、指揮者なしでの演奏。弦楽合奏で演奏されることも多い曲だけに、整った仕上がりとなった。

その後、小林研一郎が登場。今日はマスクをしたままの指揮とトークである。「私が出遅れたというわけではありませんで、室内楽的な演奏を聴いて頂こう」というわけで指揮者なしでの演奏が行われたことを説明する。
その後で、コバケンさんは、京都市交響楽団常任指揮者時代の話を少しする。任期中に出雲路にある現在の練習場が出来たこと、また新しいホール(京都コンサートホール)を作る約束をしてくれたこと、京都会館第1ホールで行われた年末の第九コンサートの思い出などである。

 

田部京子を独奏に迎えてのグリーグのピアノ協奏曲イ短調。田部京子はこの曲を得意としており、私自身も田部が弾くグリーグの実演に接するのはおそらく3度目となるはずである。田部の独奏によるグリーグのピアノ協奏曲を初めて聴いた時も日本フィルとの共演で、東京芸術劇場コンサートホールでの演奏会だったと記憶している。

田部京子は、北海道室蘭市生まれ。東京藝術大学附属高校在学中に、日本音楽コンクールで優勝。ベルリン芸術大学に進み、数々のコンクールで優勝や入賞を重ねている。リリシズム溢れるピアノが持ち味で、グリーグなどの北欧作品の他に、シューマン、シューベルトを得意とし、シベリウスに影響を受けた作曲家である吉松隆の「プレアデス舞曲集」の初演者にも選ばれて、CDのリリースを続けている。

先に書いた通り、田部の弾くグリーグのピアノ協奏曲は何度も聴いているが、結晶化された透明度の高い音が最大の特徴である。国民楽派のグリーグの作品ということで、民族舞曲的側面を強調することも以前は多かったのだが、今回は控えめになっていた。
スケールも大きく、理想的な演奏が展開される。

今回は指揮台の前に譜面台は用意されておらず、小林は全曲暗譜での指揮となる。
ゲネラルパウゼを長めに取ったり、独特のタメの作り方などが個性的である。

田部のアンコール演奏は、シベリウスの「樹の組曲」より“樅の木”。田部はシャンドス・レーベルに「シベリウス ピアノ曲集」を録音しており、「樹の組曲」も含まれていて、現在ではナクソスのミュージック・ライブラリーでも聴くことが出来る。
透明感と憂いとロマンティシズムに溢れる曲と演奏であり、田部の長所が最大限に発揮されている。
シベリウスはヴァイオリンを自身の楽器とした作曲家で、ピアノも普通に弾けたがそれほど好んだわけではなく、残されたピアノ曲は全て依頼によって書かれたもので、自分から積極的に作曲したものはないとされる。ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなども手がけていない。ただ、こうした曲を聴くと、ピアノ曲ももっと聴かれても良いのではないかと思えてくる。

 

後半、グリーグの「ペール・ギュント」より。第1組曲に「ソルヴェイグの歌」(第2組曲に入っている)が足された形での演奏である。

演奏開始前に、小林はマイクを手にスピーチ。演奏だけではなく「ペール・ギュント」という作品のあらすじについても語りながら進めたいとのことで、出来れば1曲ごとに拍手をして欲しいと語る。

第1曲の「朝」は非常に有名な曲で、グリーグや「ペール・ギュント」に関する知識がない人でも一度は耳にしたことのある作品である。
この曲は、「モロッコ高原での朝について書かれたものですが、やはり作曲者の故郷の、氷が張った海に朝日が差し込むような、あるいは日本の光景でも良いのですが、そうしたものを思い浮かべて頂ければ」というようなことを語ってのスタートである。
ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読む戯曲)として書かれたもので、イプセン自身は上演を念頭に置いていなかったのだが、「上演して欲しい」との要望を断り切れなくなり、ノルウェーを代表する作曲家になりつつあったグリーグの劇付随音楽ありならという条件の下で初演が行われ、一応の成功はしているが、その後はグリーグの曲ばかりが有名になっている。「ペール・ギュント」のテキストは、イプセン全集に収められていたり、単行本も出ていたりで、日本でも手に入れることは可能である。

「オーゼの死」について小林は、シンプルなメロディーで見事な効果を上げていることを褒め、「アニトラの踊り」の妖しさ、「山の魔王の宮殿にて」(3月で放送が終了した「ららら♪クラシック」のオープニングテーマであった)の毒についても語る。「ソルヴェイグの歌」は、ペール・ギュントの恋人であるソルヴェイグが、今どこにいるのか分からないペール・ギュントを思いながら歌う曲である。コバケンさんは、ペール・ギュントと共にソルヴェイグが死ぬ時の歌と説明していたが、厳密には誤りで、ペール・ギュントが息絶える時に歌われるのは「ソルヴェイグの子守歌」という別の歌で、ソルヴェイグ自身は死ぬことはない。

この曲でもゲネラルパウゼが長めに取られるなど、小林らしい個性が聴かれる。

 

シベリウスの交響詩「フィンランディア」の演奏前には、小林はステージ下手に置かれたピアノを弾きながら解説を行う。帝政ロシアの圧政のように響く冒頭は、小林の解釈によるとギロチンで処刑されるフィンランドの人々を描いたものだそうで、その後に悲しみのメロディーが流れ、やがて戦争が始まる。「フィンランド第2の国歌」として知られる部分を小林はテノールで歌った。

演奏も描写力に富んだもので、抒情美も見事であった。

 

アンコール演奏については、小林は、「よろしかったら2曲やらせて下さい」と先に言い、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲と、ブラームスのハンガリー舞曲第5番が演奏される。
ブラームスのハンガリー舞曲第5番は、スローテンポで開始して一気に加速するというアゴーギクを用いた演奏で、ハンガリーのロマ音楽本来の個性を再現していた。

| | | コメント (0)

2021年3月 1日 (月)

ユンディ・リ(ピアノ) ショパン 前奏曲第15番「雨だれ」

| | | コメント (0)

2021年2月24日 (水)

ビル・エヴァンス 「NYC's No Lark」




多重録音アルバムである「自己との対話」より

| | | コメント (0)

2021年1月10日 (日)

コンサートの記(680) 小林研一郎指揮 京都市交響楽団第495回定期演奏会

2006年12月7日 京都コンサートホールにて

雨の中を京都コンサートホールまで歩く。

京都市交響楽団第495回定期演奏会。指揮台に立つのは京都市交響楽団(京響)第8代常任指揮者でもあった「コバケン」こと小林研一郎。コバケンさんが京響の指揮台に立つのは約20年ぶりだそうで、そのためか、今日は立ち見が出るほどの盛況であった。その詰めかけた聴衆は普段京響を聴きに来る常連さんよりもかなりテンションが高め。小林の常任時代を知る人達なのか、あるいはコバケンファンが駆けつけたのか、とにかく演奏終了後、爆発的に盛り上がる。

曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:河村尚子)と、コバケンの十八番であるベルリオーズの幻想交響曲。

河村尚子(かわむら・ひさこ)は、1981年、兵庫県西宮市に生まれた若手ピアニスト。5歳の時に父親の転勤でドイツに渡り、以後ずっとドイツで教育を受け、現在もハノーファー国立音楽大学(大植英次が終身教授を務めている大学である)のソリスト課程で研鑽を積んでいる。国籍も容姿も日本人だが、内面はおそらくヨーロッパ人という、日本の女性演奏家に多いパターン(内田光子や庄司紗矢香などがそうだ)を踏襲しているものと思われるが果たしてどうなのだろう(後記:実際の彼女は日本的な女性であった)。コンクールでも優秀な成績を収めており、ダルムシュタット・ヨーロッパ・ショパン・コンクールなどで優勝。今年の9月にもARDミュンヘン国際コンクール・ピアノ部門で第2位となっている。

コンクール歴は当てにならないというのがクラシック音楽界の常識になっている(受賞歴があったほうがないよりは仕事が増える可能性があるといった程度のものでしかない)ので、河村には余り期待していなかったのだが、予想よりはかなり良いピアニストであった。まだ技術が前面に出過ぎるところがあり、単調になったり、時には乱暴に弾いて見せたりもするが、細部の表情付けがユニークで才能を感じさせる。何より楽しそうにピアノを弾くのが良い。
コバケンの伴奏は旋律を優雅に歌わせる流れ重視ではなく、まずカッチリとした構築を築き、その中で勝負するタイプであるが、モーツァルトの音楽の典雅さは十分出ている。

演奏終了後、爆発的に盛り上がる。確かに良い演奏ではあったが、それほどか? でもまあいいや。

アンコール。河村はモーツァルトのピアノ・ソナタ第18番より第3楽章を弾く。表情豊かな演奏で、やはり河村が楽しそうにピアノを弾くのが良い。


ベルリオーズの幻想交響曲。小林の幻想交響曲は、当時彼が常任指揮者を務めていたハンガリー国立交響楽団の来日公演を生で聴いている。響きの良くない東京国際フォーラム・ホールCでの演奏だったということもあって、特別な名演にはならなかったが、印象深い演奏であった。

久しぶりに聴くコバケンの幻想は、以前よりも低弦を強調。コントラバスのピッチカートなども思い切り弾かせて、第1ヴァイオリンが奏でる典雅な旋律と対比させ、この曲が持つ特異さがより明確に現れるようになっていた。

京響は特に金管が輝かしく、弦も情熱に溢れた音を聴かせる。

第3楽章のイングリッシュホルンとオーボエの対話の場面では、オーボエ奏者(佐渡のオケに入ってすぐに辞めて京響に来たフランス人の彼)を3階席に置いて演奏させ、京都コンサートホールのシューボックス型の内部を上手く生かしていた。

第4楽章、第5楽章の情熱が飛び散る演奏はいつもながら迫力がある。ステージ下手に置かれた大きな鐘の視覚的異様さも幻想交響曲の面白さを引き立てていた。

第5楽章の最後の音が鳴り終わると同時に、洪水のような拍手がホール全体を満たし、「ブラボー」がここかしこで起こる。

コバケンさんはそれぞれの演奏パート毎に立たせて、好演したオーケストラを讃えた。

更にアンコールとして、幻想交響曲第5楽章のラスト40秒を再度演奏。ちょっとサービスしすぎかな、とも思ったが、聴衆は更に盛り上がったので良かったということにする。

| | | コメント (0)

2021年1月 3日 (日)

コンサートの記(678) 仲道郁代「デビュー20周年記念ピアノ・リサイタル」@ザ・シンフォニーホール

2006年10月22日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から大阪のザ・シンフォニーホールで、仲道郁代の「デビュー20周年記念ピアノ・リサイタル」を聴く。
モーツァルト、リスト、ショパンというプログラム。

日本屈指の人気ピアニストである仲道郁代。最近はベートーヴェンのピアノ曲の録音に取り組んでおり、丁寧な仕上がりで評価も上々である。ただ今日はアンコールも含めてベートーヴェンの曲は演奏されなかった。

まずはモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」とピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」という、今月初めに聴いたファジル・サイのピアノ・リサイタルと完全に同じプログラム。もちろん仲道さんは変人でも天才でもないので安定した演奏を聴かせる。ファジル・サイのような強烈な個性を持つピアニストも良いが、毎週サイのようなピアノを聴いていたのでは疲れてしまう。仲道のような正統派の演奏を聴くことも大事だ。
技術は非常に高いが完璧とはいかない。プロとはいえ、毎回毎回絶好調というわけではないからこれは仕方ないだろう。ちなみに演奏のテンポはアンコールも含めて全て速めに設定されていた。
煌めくような音色が美しい。彼女のトレードマークともいうべき(?)口の中で旋律を呟く仕草も健在。そういった癖が健在である必要があるのかどうかはわからないが、癖も個性であり、それを見るのも楽しい。
トルコ行進曲ではたまにタッチが弱く感じられる箇所があったが、安心して聴ける演奏だった。
同じ曲目なので(私とピアノとの距離と位置関係もほぼ同じであった)ファジル・サイと比較しやすいが、音の透明度ではサイの方が上。というのもサイは右ペダル(ダンパーペダルという)を要所要所でしか使わなかったのだ(その分、左のソフトペダルはよく使っていた)。こういうところもグレン・グールドを連想させる。仲道郁代は正統派のペダリングであった。右ペダルを使うと音は大きくなり、伸びて表現はより豊かになるが、音が濁りやすくなる。一長一短だが、右ペダルを使わないで名演を奏でるのは難しい。

続いてリスト作品とリスト編曲作品。
まずはよく知られた「愛の夢」第3番。ロマンティシズムより技術が目立つところもあったが、優しげな表情の音の波が耳を心地良くくすぐる。
続いて、3つの演奏会用練習曲第3番「ため息」と、シューマン作曲・リスト編曲の「ミルテの花」より“献呈”。“献呈”の優雅な表情が印象的だった。


後半はオール・ショパン・プログラム。
幻想即興曲と前奏曲第15番「雨だれ」というポピュラー名曲に続き、ピアノ・ソナタ第3番が演奏される。このピアノ・ソナタ第3番が今日の演奏会の白眉であった。スケール豊かで情熱的な演奏であり、技術も構築力も抜群。穏やかなイメージのある仲道郁代だが、この曲の演奏の迫力は凄い。

最後は「英雄ポロネーズ」。かなり速めのテンポで粗い部分もあったが、迫力と説得力のある名演であった。


アンコールの演奏の前に、仲道が、20周年を大勢の聴衆(ほぼ満員であった)の前で迎えられたことを嬉しく思うという旨を述べ、涙ぐむという一幕があった。

アンコールは5曲。ショパンの夜想曲第20番(遺作)、リストの「メフィスト・ワルツ」第1番(村の居酒屋での踊り)、ショパンの「子犬のワルツ」、ロベルト・シューマンの『子供の情景』より「トロイメライ」、エルガーの「愛の挨拶」。

ショパンの夜想曲第20番の冒頭を他のピアニストとは違ってソフトに弾いたことと、「メフィスト・ワルツ」で見せた超絶技巧が印象的であった。

| | | コメント (0)

2020年12月22日 (火)

コンサートの記(673) ダン・タイ・ソン ピアノリサイタル2006京都

2006年10月18日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、ダン・タイ・ソンのピアノリサイタルを聴く。

ダン・タイ・ソンは1958年に当時の北ベトナム・ハノイに生まれたピアニスト。彼が2歳の時にベトナム戦争が勃発。若きダン・タイ・ソンは防空壕の中で紙に書かれた鍵盤を弾くことでピアノの練習を続けたという。ハノイ音楽学校を経てモスクワ音楽院に留学。1980年のショパン国際ピアノ・コンクールで東洋人として初めて優勝し、話題となった。しなやかな音楽性を持ち味とするピアニストで、ショパン弾きとして日本では人気が高いが、欧州での評価はそれほどでもない。
1980年のショパン国際ピアノ・コンクールでは、優勝したダン・タイ・ソンよりも、予選落ちしたイーヴォ・ポゴレリチが話題を集めたということもある。ポゴレリチが本選に残れなかったことで、審査委員の一人であったマルタ・アルゲリッチは激怒。「彼(ポゴレリチ)こそが天才なのに!」という言葉を残して審査員を降り、ポーランドを後にするという事件があった。

プログラムは前半がチャイコフスキーの「四季」。後半がショパンのバラード第1番~第4番。

チャイコフスキーの「四季」は、出版社から「月刊誌にピアノ曲を毎号1曲ずつ載せたい」という依頼を受けて書かれた全12曲からなる作品。チャイコフスキーも軽い気持ちで書いたいわれ、そのためかどうか有名曲であるにもかかわらず評価は低めで、全曲を入れたCDも少ない。「6月 舟歌」と「11月 トロイカ」はよく知られた曲で、ピアノ小品集のCDによく入れられている。
私個人は「四季」というピアノ曲集は好きで、高校生の頃から良く聴いていた。「舟歌」や「トロイカ」の他にも「5月 白夜」などが好きである。正直言って今日は、チャイコフスキーの「四季」が全曲演奏されるというので聴きに来たようなものだ。

ダン・タイ・ソンの弾く「四季」は甘さを抑え、詩情や物語性よりも技巧を優先させたものだった。「舟歌」ではもっと歌心が欲しいし、「白夜」も幻想味に欠けるきらいがある。曲によってはテクニックを前面に出してバリバリ弾いていたが、「リストじゃないんだからそんな豪快に弾かなくても」と思う。
最後の2曲である「11月 トロイカ」と「12月 クリスマス」が良い出来だった。磨き抜かれた美音とテンポ設定がこの2曲には合っていた。


後半は、ダン・タイ・ソンの十八番であるショパン。バラード全4曲。立派なショパンであるが、聴いているうちにどうも妙な気分になる。ショパンにしては立派すぎるのだ。ショパンというと甘美な旋律とその裏にひそむ毒の絶妙なバランスが魅力の一つなのだが、ダン・タイ・ソンはそういうものには目もくれず、とにかく立派で偉大なショパンを目指している。ダン・タイ・ソンという人は生真面目なのだろう。しかし真面目過ぎると芸術もあまり面白くなくなる。日曜日に聴いたシプリアン・カツァリスも、先々週聴いたファジル・サイも遊び心と余裕があるから魅力的なのだ。

アンコールもショパンを演奏する。マズルカ作品24-1、と前奏曲第24番。クッキリとしたショパンであったが、やはりもっと余裕が欲しくなる。
ベートーヴェンを弾くならダン・タイ・ソンのスタイルは合っているが、ショパンはどうだろう。余りに真面目で潔癖だと、ショパンの、時に仄暗い情念をあぶり出すことは出来ないようにも思うのだが。

| | | コメント (0)

2020年12月15日 (火)

配信公演 坂本龍一 「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 12122020」(文字のみ)

2020年12月12日

午後7時半から、坂本龍一の有料配信コンサート、「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 12122020」を視聴。高画質・高音質配信が可能なMUSIC/SLASHを使っての配信である。
配信の本番が始まる前に、坂本龍一が屋外で皿などを割る模様を捉えた映像が流れ、要約すると「2020年は否応なしに変化を求められる年となった」という意味の字幕が流れる。

7時30分から、まずアーティスト、インタラクションデザイナー、プログラマで今回の演出を任された真鍋大度(まなべ・だいと)へのインタビュー映像が流れ、コロナでの自粛期間中、配信の公演は沢山観たし、Zoomで色々な人と話したりもしたが、身体が感じられなかったといったようなことを語る。
今度は、真鍋がインタビュアーとして坂本龍一に質問をすることになるのだが、犬型のロボットにスマホ状(スマホそのものなのかも知れないがよくわからず)をセットし、犬型ロボットがガシガシとした足取りで坂本龍一のいる部屋に赴くという趣向になっている。

坂本龍一の住むニューヨークの街はかなり厳しくコントロールされており、4段階ある安全基準の今は3段階目だそうで、レストランに定員の25%までなら入れていいなど、細かな決まりがあるそうである。
ブロードウェイの俳優やダンサー、ミュージシャンなどは仕事が完全になくなってしまったため、ストリートで様々な芸を披露したりしているという。
犬型ロボットの動きに無駄がなくて不自然だという話から、坂本は雨音が大好きでずっと聴いていられるという話になり、「ベートーヴェンやマーラーが色々構築した音楽を書いているけれど、結局のところ雨音に勝てないんじゃないか」と最近では思うようになっているそうである。
ピアノの演奏に関しても変化はあるそうで、ピアノの弦の一本一本の響きを味わいながら弾くことが最近では好きなのだが、それだとどうしてもテンポが遅くなり、昔からのファンに、「最近、ピアノ遅くないですか?」と指摘されるそうである。

本編では、まず円形オペラ劇場のようなところでの演奏から始まる。真鍋から受けたインタビューにより、坂本は帰国して2週間の隔離を経ており、東京で配信のための演奏を行うことは知らされていたのだが、東京にああいった劇場があるとは思えないため、CGか合成だろうと思われるわけだが、最近の技術力はかなり高いようで、実際に円形オペラ劇場にいるように見える。その後、背景は変化し、雲の上にいるようになったり、浜辺で弾いているように見えたり、白い壁と白枠の大きな窓のある部屋の中に移ったりする。

曲目は王道で、「async」の第1曲である「andata」に始まり、「美貌の青空」、「青猫のトルソ」、「BEFORE LONG」、「シェルタリング・スカイ」、「ラストエンペラー」、「戦場のメリークリスマス」、「PERSPECTIVE」などの代表曲が次々に弾かれていく。坂本龍一のピアノコンサートには2度行ったことがあるが、また参加してみたくなる。

最後のピアノ曲は、無印良品のCM曲「MUJI2020」。これが公開初演になるという。その後に、冒頭の映像で坂本が割っていた皿の断片などを使ったノイズミュージックが奏でられる。音と雑音の境界への挑戦であった。

| | | コメント (0)

2020年11月23日 (月)

コンサートの記(670) チェコ国立ブルノ歌劇場 「ドラマティック・アマデウス」2006@ザ・シンフォニーホール リムスキー=コルサコフ 歌劇「モーツァルトとサリエリ」(ステージ・オペラ形式)ほか

2006年7月28日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪のザ・シンフォニーホールで行われる、チェコ国立ブルノ歌劇場の来日公演「ドラマティック・アマデウス」に出かける。

「ドラマティック・アマデウス」は、日本側の企画により、ブルノ歌劇場が取り組むモーツァルト生誕250周年企画公演であり、モーツァルトが11歳の時にブルノに滞在したことにちなみ、11歳のピアニスト、ヤン・フォイテクをソリストにした、ピアノ協奏曲第23番第1楽章とピアノ・ソナタ第11番より第3楽章「トルコ行進曲」の演奏があり、それからリムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」(ステージ・オペラ形式)、モーツァルトの絶筆となった「レクイエム(死者のためのミサ曲)」(ジュースマイヤー版)が演奏される。

ブルノ国立歌劇場はヤナーチェク劇場(大劇場)、マヘン劇場(中劇場)、レドゥダ劇場(小劇場)の総称で、特にレドゥダ劇場は、11歳のモーツァルトが演奏会を開いたり、ブルノが生んだ作曲家、レオシュ・ヤナーチェクが学生時代に足繁くコンサートに通ったという由緒ある劇場だそうである。

今回はオーケストラは室内オーケストラ編成での演奏となる。指揮はピアノ協奏曲第23番第1楽章と「レクイエム」がヤン・シュティフ、「モーツァルトとサリエリ」をパヴェル・シュナイドゥルが担当する。


一番の目当ては、リムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」で、ピーター・シェーファーの「アマデウス」の元ネタの一つとして名高いが、上演は滅多にされないというこのオペラの実演に接するのが目的だ。


ピアノ協奏曲第23番第1楽章と「トルコ行進曲」のピアノ演奏を担当するヤン・フォイテクは1995年生まれで、2002年から2004年まで3年連続でブルノ・アマデウス国際コンクールで優勝を収めた神童だそうだ(1回優勝すれば良いのに、何で3年も連続で出て、しかも優勝を攫う必要があるのかは良くわからない)。その他にもプラハ・ジュニアノートやリトアニアでのコンクールでも優勝しているという。

イベントなので、フォイテクはモーツァルト時代の格好で登場。発想が京都市立×大の自主公演並みだが、まあ許そう。
いくら神童とはいえ、まだ11歳なので、時に指がもつれそうになったり、強弱が大袈裟だったりするが、まあまあ良くは弾けている。

ブルノ歌劇場管弦楽団は、音に潤いがなく、室内オーケストラとしての透明感も生きていない。多分、余り良い楽器を使っていないのだと思われる。


リムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」はプーシキンの同名戯曲をリムスキー=コルサコフ自身がオペラ用に台本を書き換えて作曲したもので、全2幕、上演時間約50分の短編である。原作通り、サリエリの長大なモノローグを中心に構成されており、心理劇の要素が強い。ただアリアやオーケストラのメロディーはあまり魅力的とは思えない。
ピーター・シェーファーの「アマデウス」と違うところは、サリエリもまた天才として描かれ、モーツァルトとの仲がとても良いこと。史実でもモーツァルトとサリエリは仲が良かったようで、互いに互いの作品を高く評価している。
サリエリは、当時のウィーンの宮廷楽長であり、ベートーヴェン、シューベルト、リストという錚々たる作曲家の師としても知られ、モーツァルトの四男で音楽家になったフランツ・クサヴァー・モーツァルト(フランツ・クサヴァーという名は、モーツァルトの弟子であるフランツ・クサヴァー・ジュースマイヤーと同一であることから後に様々な憶測を呼ぶことになる)の作曲の師でもあった。サリエリは作曲家として大変な尊敬を集めており、後年には、「私があれほど活躍しなかったら、モーツァルトももっと売れただろうに」というちょっと傲慢な言葉を残していたりもする。

プーシキンの「モーツァルトとサリエリ」は、サリエリが死の直前(1825年)に「私がモーツァルトを毒殺した」と口走ったとされるスキャンダルに題材をとり、1830年に書かれた戯曲である。誠実な音楽家達でなく、人間としては俗物この上ないモーツァルトに神が作曲家として最高の才能を授けたことに嫉妬するサリエリの姿を描いたものだ。
これをオペラ化したリムスキー=コルサコフの「モーツァルトとサリエリ」の初演は1898年12月7日にモスクワで行われ、サリエリ役にシャリアーピン(シャリアーピン・ステーキにもその名を残す伝説的バス歌手)、舞台裏のピアノ演奏をラフマニノフが担当するなど豪華な顔ぶれであったという。

今回はステージ上でオーケストラが演奏し、その横に簡素なセットを置いて、衣装を着た歌手が演技するという「ステージ・オペラ形式」での上演(東京ではオーケストラがピットに入り、バレエ団なども加えた「グランド・オペラ形式」での上演も行われたという)。

指揮は私より1歳年下(1975年生まれ)のパヴェル・シュナイドゥルが担当。31歳なんて指揮者としてはまだ駆け出しの年齢であるが、音楽的な問題は特にない。
リムスキー=コルサコフはオーケストレーションの名手として知られるが、この作品は地味だ。オーケストラの音色も地味であり、プラスには作用していない。

サリエリ役は、シベリアのノヴォシビルスク出身のベテラン、ユリィ・ゴルブノフ。経験豊かだけに歌、演技ともに安定している。
モーツァルトを演じるのはゾルターン・コルダ。このオペラではモーツァルトは脇役なので余り見せ場がないが、まずまずの出来だ。

劇中、モーツァルトがピアノを弾くシーンがある。実際のピアノの音は舞台裏で奏でられるのだが、モーツァルト役のコルダの手元を見ると、コルダも実際はピアノが弾けるようで(実はピアノが弾けない音楽家というのは意外に多い)、鍵盤をなぞる動きは正確であった。


ベテランのヤン・シュティフが指揮した「レクイエム」K.626(ジュースマイヤー補作完成版)は、シュティフのスッキリした音作りが印象的な好演であった。
ソリストは、ソプラノとバスがベテラン、アルトとテノールが若手という布陣。テノールのリハルド・サメクは1978年生まれのまだ20代の歌手。アルトのヤナ・シュテファーチコヴァーも年齢は書かれていないが若いと思われる(30歳前後だろうか。少なくとも30代後半までは行っていないと思われる。ちなみにかなりの美人だ)。

合唱、ソリストともにレベルはそこそこ高い。

終演後、客席からは「まあ、こんなもんだろう」という感じの拍手があり、ステージ上も「まあ、こんなもんだ」という風にそれに応えていた。

一流の演奏会とは言えないだろうが、一流ではない演奏も落ち着いた趣があってまた良しである。

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 劇評 動画 千葉 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画