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2025年10月24日 (金)

コンサートの記(927) ジャン=エフラム・バヴゼ ピアノ・リサイタル「モーリス・ラヴェル生誕150年記念 ピアノ独奏曲全曲演奏会」@京都

2025年10月9日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後6時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ(通称:ムラタホール。ムラタは長岡京市の村田製作所ではなく京都市のムラテックこと村田機械のことである)で、ジャン=エフラム・バヴゼ ピアノ・リサイタル モーリス・ラヴェル生誕150年記念 ピアノ独奏曲全曲演奏会を聴く。文字通り、ラヴェルが作曲したピアノ独奏曲を一晩で演奏してしまおうという試み。上演時間は、アンコールと2度の休憩を含んで約3時間である。
3時間というのはピアノ・リサイタルとしては長いので、ラヴェルのファンしか集まらない。だが、まずまずの入りである。
ラヴェルのピアノ独奏曲全曲演奏会はもう一つ京都コンサートホールで行われていて、京都在住のロシア人ピアニストであるイリーナ・メジューエワが2回に分けてムラタホールで行う。2回に分けた方が聴きやすいので、メジューエワの方が人気が高いかも知れないが、バヴゼは本場フランス人ピアニストということでこちらを選ぶ人も多いはずである。おそらく両方に行くラヴェル好きも少なくはないはずである。

ジャン=エフラム・バヴゼは、パリ音楽院でピエール・サンカンに師事。1995年にサー・ゲオルグ・ショルティ指揮パリ管弦楽団の演奏会でデビュー。「ショルティが見出した最後の逸材」とも呼ばれた。ただ個人的には母国であるフランスのピアノ音楽に目覚めるのは遅く、三十代半ばになってからだそうだ。フランス人ピアニストだからフランス音楽を愛さなければならないなどいう法も規則もないので、それはそれで良いだろう。日本人だけれど、洋楽の方が好きという人も多いのだから。
ただ、バヴゼはラヴェルの音楽だけは若い頃から弾いており、共感を抱いてきたそうだ。

 

モーリス・ラヴェルは、ドビュッシーと同じ印象派に分類される作曲家だが、曲調はドビュッシーとは大きく異なり、響き重視のドビュッシーに対して、ラヴェルはメロディーラインも明確であり、初心者にはドビュッシーよりも取っつきやすい作風である。

 

曲目は、「グロテスクなセレナード」、「古風なメヌエット」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」、「水の戯れ」、ソナチネ、「鏡」、「ハイドンの名によるメヌエット」、「高雅で感傷的なワルツ」、「夜のガスパール」、「ボロディン風に」、「シャブリエ風に」、前奏曲(プレリュード)、「クープランの墓」

以前は、演奏家といえば、ドイツ人かフランス人。加えるにロシア人とイタリア人。イギリス人は古楽という感じだったのだが、ドイツとフランスは音楽大国からすでに脱落。めぼしい指揮者は一人ずつしかいないという状態で、器楽奏者も数が限られる。祖国の音楽を演奏や録音するアーティストが多いため、その国の音楽の知名度や人気が上がったが、ドイツもフランスも現状では苦しい。指揮者大国となったフィンランドは、出身指揮者が必ずシベリウスを演奏するため、「シベリウス交響曲全集」リリースラッシュが何年も続いている。アメリカ出身の指揮者も増えたので、アイヴスやレナード・バーンスタイン作品を耳にする機会が増えた。日本出身の演奏家も健闘しており、武満作品などは着実に演奏回数を増やしている。

そんな下り坂ともいえるフランスピアノ界であるが、フランス人ピアニストには他の国にはない特徴がいくつかある。どちらかといえば即物的な解釈、強く硬めのタッチ、ダイナミックレンジの広さなどで、いずれもエスプリ・ゴーロワに通じるものがある。
エスプリというと、典雅なエスプリ・クルトワがイメージされるが、もう一つエスプリ・ゴーロワがあり、野卑で力強く、豪放磊落というものである。フランス人トランペッターは力強く吹くので優れた奏者が多いと言われるのもエスプリ・ゴーロワによるものだろう。作曲に関してはエスプリ・クルトワ重視だが、演奏になるとエスプリ・ゴーロワが出てくるのが面白い。
ということで我々が思い浮かべる理想のフランス音楽の演奏はフランス人演奏家によるものでない場合が多い。フランス音楽演奏のスペシャリストであったエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団などいずれもフランス語圏ではあるがフランスの指揮者とオーケストラのコンビではない。彼らはエスプリ・ゴーロワの要素を巧みに薄めているため(あるいはフランス人ではないのでエスプリ・ゴーロワを身につけなくても良いため)、一般的にフランス的と思われる演奏が可能だったのだと思われる。サティのスペシャリストといわれたアルド・チッコリーニは甘美なカンタービレが特徴だが、チッコリーニはイタリアからフランスに帰化したピアニストで、カンタービレはイタリアの血が生んだものだ。純粋なフランス人ピアニストによるサティ演奏は案外素っ気ない。

と、長々書いたが、バヴゼのピアノもフランスの正統派で、これまでに書いた要素を全て含むが、日本人好みのラヴェル演奏家かというと人によるとしか書きようがない。

日本でも人気の「亡き王女のためのパヴァーヌ」も日本人ピアニストによるものよりも突き放した解釈で構造重視という印象を受ける。

「水の戯れ」は圧倒的なピアニズムが発揮され、水が鍵盤から溢れる様が見えるような演奏。5月に聴いたアルゲリッチの演奏を連想させる。

「鏡」はテクニック勝負。基本的にダンパーペダルは踏んだままで、音を濁らせたくない時だけ踏み換える。
オーケストラ曲としても親しまれている第4曲の“道化師の朝の歌”は白熱した演奏で、曲が終わった後に拍手が起こりそうになったが、バヴゼは右手の人差し指を立てて、「まだ1曲あるよ」と示し、笑いを誘っていた。第2部第3部ともに当初の曲目順から変更があるが、第2部は確かに「夜のガスパール」で終わった方がいいだろう。
「夜のガスパール」はオカルトな内容で、エドガー・アラン・ポーやモーパッサンなどが好きな人にお薦めの曲である。また筒井康隆がこの曲にインスパイアされた『朝のガスパール』を書いている。
超絶技巧が必要とされる曲だが、バヴゼは余裕を持って弾きこなしているように見える。

「ボロディン風に」はパストラル的、「シャブリエ風に」はワルツであるが、個人的には「亡き王女のためのパヴァーヌ」にも似たパストラルの方がシャブリエ的であるような気がする。

前奏曲は、初見で弾くための審査用に作曲された作品。技巧的には平易で、私も何度か弾いたことがあるが(初見では無理だった)、私が弾くときに「繊細に滑らかに詩的に」と心がけたものとは明らかに異なる、一音一音を大きな音で弾く「小さいが巨大な曲」として再現したのが面白かった。プロと比べるのも無粋だが、同じ音符を見て弾いているのにここまで違うとは。

ラストは「クープランの墓」。これもオーケストラ版で有名である。バヴゼのピアノからは、オーケストラ版からは聞こえない一種の切なさのようなものを感じた。フランス映画のラストによくあるあの切なさに似たもの。
音の透明度は高く、巨大な「クープランの墓」であった。

 

アンコール演奏は、「ラ・ヴァルス」ピアノ独奏版。低音から始まり、典雅なワルツが聞こえ始める。そして舞踏会は盛り上がるのだが……。
ラヴェルの曲は、「最後にとんでもないことが起こる」ものが多いが、「ラ・ヴァルス」もその1曲である。貴族階級の終わりを描いたのかも知れないが、こういうラストにした意図は不明である。

 

全てのプログラムが終わり、複数名がスタンディグオベーションを行うなど客席は沸き、バヴゼも満足そうな笑みを浮かべていた。

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2025年10月14日 (火)

これまでに観た映画より(406) ドキュメンタリー映画「ピアノフォルテ」

2025年10月11日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「ピアノフォルテ」を観ることにする。時間的にもピッタリだった。
ドキュメンタリー映画「ピアノフォルテ」は、2021年に行われた第18回ショパン国際ピアノコンクールの出場者に焦点を当てた作品である。
第18回ショパン国際ピアノコンクールは、5年に1回行われる同コンクールの中で、コロナ禍により1年開催が遅れた大会でもある。2025年10月現在、第19回ショパン国際ピアノコンクールが、4年おきになったが開催されている。今後は5年おきに戻る予定。

第18回ショパン国際ピアノコンクールでは、反田恭平が2位入賞、小林愛実(あいみ)が4位入賞を果たした年だが、二人ともドキュメンタリーの対象にはなっていないので、ほとんど映らない。小林愛美は、冒頭付近で名前を呼ばれるが、登場するのは終盤になってからである。入賞者全員の集合写真をスマホの内側カメラで撮ろうとしているのが小林愛実だ。反田恭平が現れるのも終盤で、入賞者に「人生でこんなにピアノ練習したの初めて」と語っている。
表彰式では反田も小林も当然ながら映っている。

牛田智大(うしだ・ともはる)の名前が呼ばれるシーンがあるが、本選には進めていない。牛田は今年のショパン国際ピアノコンクールにも出場し、より高い順位を狙う。

出場者の中には厳しいコーチがいて、何度も弾き直しさせたり別のメーカーのピアノを弾かせたりする。
一方で、プレッシャーからだと思うが、二次予選での演奏を取りやめ、棄権してしまうピアニストもいる。
興味深いのは、ラオ・ハオという中国人ピアニスト。同世代と思われる若い女性がアドバイスを送ったり励ましたり身の回りの世話を焼いたりと甲斐甲斐しく動いている。だからといって恋人ではなさそうだし、男女の関係にも今のところは見えない。彼女はハオの姉のようでもあり、母親代わりにも見える。とにかく仲が良い。不思議な二人である。女性の方もピアニストとしてコンクールに参加したことがあるのだが、準備が不十分で上手くいかず、自身の腕を磨くよりも有望なピアニストに賭けてみたいという思いがあるようだ。ただ将来的にもこの関係は続くのだろうか。

コンクールの優勝者は、中国系カナダ人のブルース・リウ。ハオの世話をしている女性が、「ブルース・リーみたい」と行っていたピアニストだ。だが、ブルース・リウも取材の対象ではなかったため、途中から姿を現すに過ぎない。成功者を追うドキュメンタリーではないのだ。
取材の対象となったのは、たまたまだと思うが、余り上手くいかなかったピアニスト達だ。ピアノの腕を競うことの過酷さ。それでもそれぞれにドラマがあり、想像もしたことがないような関係を築いている人々を見ることは世界の広さを知るようでもある。

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2025年10月11日 (土)

コンサートの記(924) 韓国・大邱国際オーケストラ・フェスティバル日本特別公演 大邱市立交響楽団来日演奏会@ザ・シンフォニーホール

2025年9月25日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、韓国・大邱(テグ)国際オーケストラ・フェスティバル日本特別公演、大邱市立交響楽団の来日演奏会を聴く。今回、大邱交響楽団が来日演奏を行うのは、アクロス福岡の福岡シンフォニーホールと、ザ・シンフォニーホールのみのようで、東京にも行かないようである。

ソウル(首都という意味で、長くオリジナルの漢字表記がなかったが、公募により首尔に決まった)。日本の漢字では首爾になるが、日本語はカタカナ表記があり、これまでも一般的であったため、定着はしないだろう)、釜山(プサン)、仁川(インチョン)に次ぐ韓国内人口第4位の都市である大邱。ただトップ3に比べると知名度は低いと思われる。
個人的には、韓国プロ野球の三星(サムスン)ライオンズが大邱広域市をホームタウンとしており、元読売巨人軍の新浦壽夫がエースとして活躍しているのをテレビで見て、大邱という街を知った。まだ日本出身者は在日韓国人しか韓国プロ野球でプレー出来なかった時代の話である。今は先祖代々日本人でも韓国プロ野球でプレーすることは可能だ。
サムスン電子も当時は国外ではまだそれほど有名な企業ではなかったのだが、今やスマートフォンや薄型テレビの世界シェアナンバーワン、「世界のSAMSUNG」になっている。
なお、サムスン電子の本社は北部の水原(スウォン)市にあり、大邱とは遠く離れている。日本でも北海道日本ハムファイターズの本拠地はエスコンフィールドHOKKAIDOであるが、日本ハムの本社自体は大阪市北区のブリーゼタワーにあるので、親会社と野球チームの本拠地が離れていても特に珍しくはない。楽天もDeNAもソフトバンクも東京に本社を置く会社である。考えてみれば親会社とプロ野球チームが同じ街にある方が少ない。ロッテは千葉市に本社を移そうとして失敗している。

 

さて、韓国のクラシック音楽の現状であるが、ソリストはとにかく凄い。チョン三姉弟を始め、世界の第一線で活躍する人が次々に出てくる。
一方、オーケストラに関しては、1990年代末に行われたインタビューで、チョン三姉弟の末弟で、指揮者&ピアニストのチョン・ミョンフンが、「日本より20年遅れている状態」と嘆いていた。この時代は東京を本拠地とするオーケストラが世界的大物指揮者をシェフに招いて躍進していた時代である。チョン・ミョンフンもこの後、東京フィルハーモニー交響楽団のスペシャル・アーティスティック・アドバイザーに就任して、長足での成長に一役買っている。
その後、2000年代に、「アジアオーケストラウィーク」が発足。日本のオーケストラも参加し、東京と大阪で東アジアや東南アジアのオーケストラが演奏を行っている。その中の一つとして、ソウル・フィルハーモニック管弦楽団の演奏をザ・シンフォニーホールで聴いたことがある。ソウルには、日本語に訳すとソウル・フィルハーモニック管弦楽団になる団体がなぜか2つあるそうで、どちらだったのかは分からないが、「20年遅れている状態」から「10年遅れ」まで詰めてきたような印象のある良いアンサンブルであった。

東日本大震災が起こってからは、「アジアオーケストラウィーク」は東京と東北地方で行われるようになったが、昨年は「アジアオーケストラウィーク」が京都コンサートホールのみで行われ(シンガポール交響楽団と京都市交響楽団が参加)、今年の「アジアオーケストラウィーク」は香港フィルハーモニー管弦楽団が西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで演奏するが、ピアノのソリストが反田恭平であるため、チケット完売になっている。

ソウル・フィルハーモニック管弦楽団以来となる韓国のプロオーケストラの鑑賞。ポディウムと2階席のステージ横、3階席は開放されていないが、それ以外は思ったよりも埋まっている。企業による団体での鑑賞も行われているようだったが、普通の企業ではなく音楽関係のようで、マナーも良かった。

 

曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:金子三勇士)とラフマニノフの交響曲第2番。

お馴染みの存在となりつつある金子三勇士(みゅうじ)。日本とハンガリーのハーフである。生まれたのは日本だが、6歳の時に単身、ハンガリーに留学、11歳でハンガリー国立リスト音楽院に入学。16歳で日本に帰り、東京音楽大学付属音楽高等学校に編入。2008年のバルトーク国際ピアノコンクールで優勝し、以後、国内外で活躍している。
「技巧派」と呼ぶのが最も相応しいピアニストである。

大邱市立交響楽団は、コンサートマスターが女性(コンサートミストレス)なのは今では普通だが、第1ヴァイオリンも第2ヴァイオリンも全員女性である。流石にこんなオーケストラは見たことがない。ヴィオラ、チェロ、コントラバスも男性は2人ずつで後は全員女性。他のパートも男女半々であり、男性しかいないのは、クラリネットと打楽器、後半のみに加わったトロンボーンとテューバ(1台のみ)だけである。背の高い男性の方が有利と思われるコントラバスで、これほど女性が揃ったオーケストラはかなり珍しい(7人中5名が女性)。
アメリカ式の現代配置での演奏。韓国は文化面でも日本よりも遙かに強くアメリカの影響を受けており、K-POPなども明らかにアメリカの真似で、このままでは自国の音楽文化が損なわれるのではないかと心配になる。日本はアメリカ文化を相対化しており、日本ならではのポピュラーミュージックも盛んである。

指揮者は、ペク・ジンヒョン。2023年から大邱市立交響楽団の音楽監督兼指揮者を務めている。2003年から2011年まで馬山市立交響楽団の音楽監督、2018年から2022年までは慶北(キョンボク)フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であった。マンハッタン音楽院で修士号取得、ハートフォード大学でアーティスト・ディプロマを得て、ロシアファーイースタン国立芸術アカデミーで音楽芸術博士号を獲得している。現在、東西大学大学院の指揮法教授を務めるほか、釜山国際音楽祭と釜山フェスティバルオーケストラの芸術監督でもある。
聴いてみて分かったが、速めのテンポを好む人であった。

金子三勇士のピアノは、最近流行りの一音一音の粒立ちが良いものとは正反対。ダンパーペダルを踏み続け、意図的に音を少し溶け合わせて温かみを生んでいる。どちらの演奏スタイルも当然ながら「あり」だが、金子のようなスタイルの方が人間らしく聞こえる。良い意味でアナログ的なのだ。
ソフトペダルは特に高音を弾くときに使っていた。

指揮のペク・ジンヒョンは、金子のテンポに合わせて大邱市立交響楽団を運ぶが、オーケストラだけの部分になると急にスピードアップするのが面白い。
大邱市立響はメカニックも音楽性も高く、「10年遅れから大分時が経ったから、日本のオーケストラにも肉薄しつつあるな」という印象を受ける。

 

演奏が終わり、立ち上がって頭を下げてから退場した金子だが、再び出てきた時に指揮者のペクにピアノの座椅子を示される。アンコール演奏。金子は、客席に向かって「ありがとうございました」と言い、オーケストラには「カムサハムニダ」と述べる。
「リストのコンソレーション(第3番)」と曲名を告げてから金子は演奏開始。リストなので技術的に高難度だが美演であった。

 

ラフマニノフの交響曲第2番。やはりラフマニノフは秋に聴くのが相応しい作曲家であるように感じる。
ペク・ジンヒョンは、想像通り速めのテンポを採用。これまでに実演で聴いたラフマニノフの交響曲第2番の中で最も演奏時間が短いと思われる。私は実演ではラフマニノフの交響曲第2番は全曲版でしか聴いたことがない。カット版はジェームズ・デプリースト指揮東京都交響楽団盤で聴いただけである。

ドイツの楽団を理想とするNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団。N響に対抗してアメリカのオーケストラスタイルを目指した、解散宣告と争議前の日本フィルハーモニー交響楽団。「札幌交響楽団を日本のクリーヴランド管弦楽団にする」と宣言した岩城宏之。その岩城が初代音楽監督を務めた日本初の常設のプロ室内管弦楽団であるオーケストラ・アンサンブル金沢。
日本のオーケストラは、欧米のオーケストラを理想としていることが多い。クラシック音楽を生んだのは欧米なので、それは当然なのだが、今日の大邱市立交響楽団の演奏は「東アジア的なるもの」を入れて、自分達なりの演奏を目標としているように思える。輝かしい部分では、今の日本のオーケストラは光の珠が爆発したかのように明度が高いが、大邱市立交響楽団は、輝きの中に僅かに陰が差す。多くの色が混ざった液体の中に一滴だけ墨を入れる。そういった隠し味のようなものが印象的であった。そうすることで意図的に東洋的なものが音楽の中に染みていく。
日本と韓国のポピュラー音楽とクラシック音楽で逆のことが起こっているようでもある。
なお、演奏中に男性のフルート奏者が楽譜を床に落とす。バサッという音がする。フルート奏者はフルートも第2ヴァイオリンも休みの箇所を狙って、楽譜を拾ったが、前にいる第2ヴァイオリン奏者(当然女性)に右肘で、「あんた邪魔。さっさと拾いなさいよ」と急かされていた。その直後に第2ヴァイオリンが弾き始めている。

ペク・ジンヒョンは早足で下手袖に退場、と思ったらすぐにまた早足で出てくる。せっかちな性格のようである。そのこととテンポが速めであることとに相関性があるのかは分からないが。

 

アンコール演奏は、リムスキー=コルサコフの歌劇「サルタン皇帝の物語」より“くまんばちの飛行”。リムスキー=コルサコフの“くまんばちの飛行”には様々なアレンジがあるが、おそらく歌劇の場面から抜き出したリムスキー=コルサコフのオリジナル版による演奏だと思われる(YouTubeに載っている映像の中では、WDRの第2オーケストラによる演奏が一番近い)。描写力が高く、最後は爽快な出来であった。

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2025年10月 5日 (日)

コンサートの記(922) 広上淳一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢 2025年9月定期公演 大阪公演

2025年9月23日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、OEKことオーケストラ・アンサンブル金沢の2025年9月定期公演 大阪公演を聴く。指揮はアーティスティック・リーダーの広上淳一。アーティスティック・リーダーはどんなポストなのか分かりにくい横文字だが、広上によると「音楽監督」だという。広上は京響のシェフ時代も音楽監督並みの仕事をしながら、肩書きは常任指揮者+αであった。京響は井上道義を音楽監督に据えて活動したことがあるが、広上は井上と同じ肩書きを望まなかったのだろう。金沢でも同様だと思われる。井上と広上は仲が良く、金沢で井上が指揮の講習会を行うときは広上も付いていくことが多かった。

広上は、京都市交響楽団第12代・第13代常任指揮者を辞任後、「これからは客演指揮者としてやりたいときにやりたいような指揮をする」 つもりだったのだが、夢枕にオーケストラ・アンサンブル金沢創設者の岩城宏之が立ち、「おい、お前、金沢をどうにかしないといかんだろう」と言われたため、OEKのポストを受けたと語っている。本当かどうかは分からない。だが、かつて井上が君臨し、師の一人である岩城宏之が創設したオーケストラということで、シェフの座を受けるのは自然のような気がする。

金沢に専念するかに思われた広上だが、マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に招聘され、今後は東南アジアや南アジアでの指揮活動も増えるかも知れない。ベトナム国立交響楽団の音楽監督である本名徹次、ミャンマー国立交響楽団の音楽監督である山本祐ノ介(山本直純の次男)など先陣もいる。再編集版がNHKで放送された「ベトナムのひびき」の主人公、佐倉一男(濱田岳が演じた)のモデルである福村芳一も入れても良いかも知れない。

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曲目であるが、広上の得意なオール・ベートーヴェン・プログラム。ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:トム・ボロー)と交響曲第6番「田園」

広上のベートーヴェンには定評があるため、ザ・シンフォニーホールは満員に近い盛況である。

オーケストラの配置であるが、パッと見はドイツ式の現代配置に見えるのだが、実際は第1ヴァイオリンの隣のパートの楽器はヴァイオリンより一回り大きく、3人しかいない。つまりヴィオラである。ドイツ式の現代配置ではヴィオラが陣取る場所に第2ヴァイオリンが回る。つまり変則ヴァイオリン対向配置である。昨年の、井上道義の大阪でのラストコンサートで、井上が大阪フィルハーモニー交響楽団をこの配置で並べたが、同じ並びが今日も採用されている。コントラバスはチェロの奥に陣取る。
演奏会終了後に、OEKのスタッフに伺ったが、井上は金沢ではこの配置を採用しており(京響や大フィルの少なくとも定期演奏会では採用していない)、ミンコフスキの時代を経てOEKのシェフとなった広上も井上が行った配置を踏襲しているようである。他でこうした配置を見たことはほとんどない。
OEKは室内管弦楽団なので、低音の奏者が少ない。今日はヴィオラが3(所属楽団員は4人)、チェロが4(フルメンバー)、コントラバスが3(フルメンバー)である。人数が少ないのでベースを築くヴィオラとチェロを中央に置き、低い音を前に出そうとしたとも考えられるが、真意は不明である。単なる思いつきによる配置かも知れないし。

コンサートミストレスは、アビゲイル・ヤング。ピリオド奏法に通じており、ピリオドを採用したときの大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会で客演コンサートマスターを務めたこともある。

そのヤングがコンサートミストレスなので、ピリオドを前面に押し出すかと思ったが、ビブラートを多く掛ける部分と全く掛けない部分が混在し、ヴァイオリンのボウイングなどはピリオドであったが、スタイルよりも音楽性重視の演奏であった。

 

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。独奏者のトム・ボローは、2000年、イスラエルの中心都市であるテルアビブに生まれたピアニスト。イスラエルは首都と中心都市が異なるが、国連はエルサレムを首都とは認めず、最大都市で政治・経済の中心あるテルアビブを首都としている。日本はエルサレムが首都であることを認めている。
5歳でピアノを始め、テルアビブ大学ブッフマン=メータ音楽院で学び、その後、マレイ・ペライアにレッスンを受け、クリストフ・エッシェンバッハや、リチャード・グード、サー・アンドラーシュ・シフといったの多くの著名ピアニストのマスタークラスで腕を磨いている。イスラエル国内の数々のピアノコンクールで優勝に輝いているが、海外のコンクール歴がないのか成績が良くなかったのか、今のところ名声はイスラエル国内に留まっている。イスラエルがとんでもない情勢になっているので、海外のコンクールなどは受けられないのかも知れない。

ボローのピアノであるが一音一音の明晰さが最大の特徴。音楽性も爽やかで、「皇帝」協奏曲というより「皇太子(プリンス)」協奏曲といった趣である。
ペダリングにも注目していたが、左足を後ろに引いたまま演奏していることが多く、ソフトペダルは稀にしか踏まなかった。力強い場面ではダンパーペダルを何度も踏み換えるが、音を濁らせないための技法だと思える。

広上指揮のOEKもボローに合わせた清々しい伴奏を聞かせる。今日はティンパニはモダンタイプを使用し、強打させる場面も余りなかった。

ボローのアンコール演奏は、クライスラーの「愛の哀しみ」ピアノ独奏版。編曲者は分からなかったが、後で掲示を確認したところ、ラフマニノフであった。確かにラフマニノフが好みそうな曲調ではある。

 

後半、交響曲第6番「田園」。一拍目が休符の曲であるため、広上は指揮棒の先をくるりと一回転させてから本編に入った。日本フィルハーモニー交響楽団を指揮したライブ録音盤でも好演を示していた広上の「田園」。今日も木々の葉ずれの音が聞こえてきそうな情報量の多い演奏である。広上は第2ヴァイオリンを強調したようで、何度も右を向いて指示を行っていた。
第2楽章も瑞々しく、第3楽章も草原がどこまでも広がっていくような、突き抜けた明るさが感じられる。
第4楽章は室内管弦楽団ということもあって、京響を振るときなどとは違い、迫力よりも描写に力点が置かれているように思われた。
そして大いなる自然に祝福され、感謝を送り返すような最終楽章。

ベートーヴェンは、この曲が自然の描写だということは否定し、「田園に着いたときの気分を音楽にした」と語っている。描写でなく心象ということなのだろうが、発想的にはその後にフランスで生まれる「印象派」と呼ばれる画家達に近い。ベートーヴェンの画才については不明だが、自信があったら絵の一枚も残っているはずで、文字の汚さなどを見ても絵画方面は不向きだったと推測される。だが、もし優れた画才があったら、絵画の印象派を生んだのは、クロード・モネやマネやゴッホではなくベートーヴェンだったかも知れない。そんなはずはないのだが、広上の指揮で聴くとそんな夢想をしてしまうのだ。これからも広上は私にとって特別な指揮者であり続けるだろう。

 

アンコールでは、まずビゼーの「アルルの女」組曲よりアダージェットの繊細な演奏を経て、阪神タイガース、セ・リーグ優勝記念ということで、「六甲おろし」が華やかに演奏された。広上は振り向いて手拍子を促し、多くの人が乗ったが、東京ヤクルトスワローズファンとしては叩けないということで音楽だけを楽しんだ。この歌は、作曲の古関裕而本人は良い出来だと思っていなかったようだが、個人的はとても良い歌だと思う。ちなみにリリース時も、タイガースは兵庫県西宮市の甲子園球場を本拠地としていたが、チーム名は大阪タイガースであり、「六甲おろし」の「オオ オオ オオオオ」の部分は大阪の「大」の字に掛けられている。タイガース保護地域である兵庫県よりも、大阪市内もしくは大阪府内で聴いた方がいい曲なのかも知れない。

今回のツアーは北陸中心でそれ以外での公演が行われるのは大阪と岐阜だけである。また能登のある石川県のプロオーケストラということで、ホワイエでは「能登応援Tシャツ」が売られていた。

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2025年9月15日 (月)

コンサートの記(917) アンナ・スウコフスカ-ミゴン指揮 ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2025大阪

2025年8月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会大阪公演を聴く。

ポーランドを代表するオーケストラで、ショパン国際コンクールの本選でピアノ協奏曲の伴奏を務めることで世界的に知られているワルシャワ国立フィル。
芸術大国にして親日国でもあるポーランド。芸術の中では映画が特に有名で優れた映画監督が何人も輩出しているが、音楽でも作曲家としてはフランス系ではあるが自身をポーランド人と規定したショパンを始め、クシシュトフ・ペンデレツキとヴィトルト・ルトスワフスキという20世紀後半の両巨頭を生み、指揮者ではNHK交響楽団や読売日本交響楽団との共演で知られるスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、スクロヴァチェフスキの師であるパウル・クレツキ、以前にワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会で指揮をしたアントニ・ヴィット、モダンアプローチによる優れた「ベートーヴェン交響曲全集」をワルシャワ国立フィルと作成したカジミエシュ・コルト、そして現在のワルシャワ国立フィルの音楽監督であるクシシュトフ・ウルバンスキなどが世界的な活躍を見せている。ピアニストとしては、アルトゥール・ルービンシュタインが20世紀を代表する名手として有名だ。

本来なら現在の音楽監督であるクシシュトフ・ウルバンスキと来日すべきなのだろうが、ウルバンスキは単身での来日回数が多く、日本のオーケストラをいくつも指揮しているということで、新鮮さを求めて(かどうかは分からないが)アンナ・スウコフスカ-ミゴンという、名前を覚えにくい若手の女流指揮者にこのツアーの指揮が任されることになった。
アンナ・スウコフスカ-ミゴンは、「ポーランドの京都」と言われることもある古都クラクフの生まれ。2022年に、ラ・マエストラ国際指揮者コンクール(おそらく女性指揮者しか参加出来ない大会)で優勝している。翌年にはグシュタード音楽祭指揮者アカデミーにてネーメ・ヤルヴィ賞を受賞。またタキ・オルソップ指揮者フェローシップ(おそらく女性指揮者の先駆けの一人であるマリン・オルソップに師事したもの)を受賞している。昨年はフィラデルフィア管弦楽団の指揮台にも立ち、評論家に絶賛されたという。ただこれまで指揮したオーケストラの名称を読むと、まだまだこれからの指揮者であることが分かる。

 

曲目は、ショパンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:牛田智大)とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。人気ピアニストの牛田智大(うしだ・ともはる)が出るためか、補助席まで出る盛況である。

ドイツ式の現代配置での演奏だが、チェロがやや広く場所を取っているように見える。

 

ショパンのピアノ協奏曲第1番。ソリストの牛田智大は、日本の若手を代表するピアニストの一人で、12歳でドイツ・グラモフォンにレコーディングを行うなど、神童として騒がれた。国内のコンクールでもことごとく1位だったが、次第に2位や入賞が目立ち始める。昨年のリーズ国際ピアノコンクールでは、聴衆賞を獲得したものの、最終選考には残れなかった。順風満帆とはなかなか上手くいかないもののようだ。それでも第10回浜松国際ピアノコンクールでは2位に入賞し、特典として予備予選なしでショパン国際コンクールへの参加が可能で、それを使って今年のショパン国際コンクールに挑む予定である。なお、浜松国際ピアノコンクールで優勝すると、予選なしで本選出場可能で、鈴木愛美(まなみ)が日本人として初めて浜松国際ピアノコンクールを制したが、「コンクールはいくつも受けるものではない」との考えからショパン国際コンクールに参加する予定はない。

ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の実演は、アントニ・ヴィットの指揮で「悲愴」交響曲などを聴いているが、アンサンブルの精度は高いものの、楽器が安そうな音を出し、潤いに欠けた。実際、ポーランドの芸術界は財政難のようで、ポーランド国立室内歌劇場は、上演する資金が足りないが、上演を行わない訳にはいかないので、海外での上演を行い、外貨を稼いで上演を続けていた。ワルシャワ国立フィルも劇伴の演奏などを多く手掛け、その中には日本の作品も複数含まれる。

ザ・シンフォニーホールということで、オーケストラの音は美しく聞こえる。ただ、第1楽章冒頭や第3楽章冒頭では、縦の線が崩れそうになって、なんとか持ちこたえるという場面が見られた。スウコフスカ-ミゴンは指揮棒の振り幅が極端に小さいため、奏者が瞬時に反応出来なかった可能性もある。ただ事故にならなかったのは流石老舗楽団である。

牛田智大のピアノはクリアなもの。彼はロシアでピアノを習っており、ロシアのピアノ奏法は、「鍵盤の上に指を置け。そうすれば自然に鳴ってくれる」というもので、奥まで押し込まねばならないとする日本のピアノ奏法とは正反対である。
奥まで押し込んだ方が深い音が出るが、そこはペダリングで補う、と書きたいところだが、今日の牛田はダンパーペダルを踏みっぱなしで、特別個性あるペダリングは見られなかった。
見事な演奏であるが、起伏がもっと欲しくなる。第1楽章の憂愁と第3楽章の愉悦にも、もっとはっきりとした対比が欲しい。

演奏終了後、牛田は拍手に応じて何度もステージに現れたが、アンコール演奏は行わなかった。ショパンのピアノ協奏曲第1番が大曲ということもあるだろう。

 

後半、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。ショパンのピアノ協奏曲では通常の大きさのスコアが譜面台の上に置かれていたが、「新世界より」はスタッフがポケットスコアを譜面台に置く。ポケットスコアは実演で用いるには適していないが、おそらくスウコフスカ-ミゴンは、全て暗譜していて、補助的に用いるのだと思われた。
実際、スウコフスカ-ミゴンは、総譜にほとんど目をやらずに主旋律を演奏する奏者を見つめることが多く、今演奏している場面の終わりでページを繰っていた。ということはこのポケットスコアで暗譜をしたということになる。
勢いと流れ重視の演奏で、特に管楽器に力がある。第3楽章のみ出番があるトライアングル奏者は、シンバル奏者が兼ねていた。スウコフスカ-ミゴンはたまにアゴーギクや溜めを作る。奏者達の様子を見るとリハーサルではやっておらず、本番で即興的に繰り出しているようだ。

正直、現在の日本のトップレベルのオーケストラの方が総合力では上かも知れない。音色の美しさに関しては日本のプロオーケストラの方が勝っている。それでも普段触れている演奏とは別個の個性に触れることは、自身の心の内にある音楽性を豊かにする。それに私が持っているのはあくまで日本的な尺度であり、それを相対化する必要もある。

 

アンコール演奏は、定番の一つであるブラームスのハンガリー舞曲第6番。スウコフスカ-ミゴンは自分でスコアを持って登場したが、やはり総譜に目をやることはほとんどなかった。
舞曲こそヨーロッパ的な感性が必要。フライングするヴァイオリン奏者もいたが、スウコフスカ-ミゴンとワルシャワ国立フィルは、活気のある楽しい演奏で客席を盛り上げた。

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2025年9月 2日 (火)

コンサートの記(914) 遊佐未森 「cafe mimo Vol.24~春爛漫茶会~」大阪公演

2025年4月20日 心斎橋PARCO SPACE14にて

午後5時から、心斎橋PARCO14階の、PARCO SPACE14(イチヨン)で、遊佐未森の「cafe mimoVo.24 ~春爛漫茶会~」に接する。シンガーソングライターでボーカル&ピアノの遊佐未森が、ギターの西海孝とパーカッション&打ち込みの楠均と共に毎春トリオで行っているコンサート。通常は、東京の草月ホールでスタートして各地を回るのだが、今回は、大阪のこの公演が初日となった。昨年もPARCO SPACE14で開催。PARCO SPACE14は、以前は大丸心斎橋劇場、その前はそごう劇場という名前だったのだが、そのどちらでもcafe mimoは行われており、歴史の長さが感じられる。本来は、25周年になるはずで、お祝いも出来るはずなのだが、コロナで飛んでしまった年があり、Vol.25とはならなかった。遊佐未森によるとスタッフがどさくさに紛れて、Vol.25になるよう画策したらしいが、遊佐が「それはちょっと」と難色を示したので、四半世紀にはまだ届かないということになった。ただ中止になった回もリハーサルだけはしたそうで、その時にカバーした曲が面白くて大笑い。だが、笑いすぎて歌唱にならないため、その曲は封印することになったようである。

未森さんは、「桃」を意識したピンクのワンピースで登場したが、注文して完成したのが昨日の夜中。ドレスメーカーのサチコさんが夜に車を飛ばして事務所まで届けてくれたそうである。サチコさんは夫婦で衣装の製作を手掛けているのだが、結構、有名な人らしい。


ミラーボールが輝く会場。スキャットを背後に中原中也の「月夜の浜辺」の全編朗読を含む「月夜の浜辺」という同名の曲でスタート。未森さんは、「(中原中也の)映画もあったようなんですが(「ゆきてかへらぬ」)リハーサルで観に行けなかった」と語っていた。

桃の衣装なので、「桃」という歌や、「つゆくさ」というナンバー」も歌われ、cafe mimoでは終盤によく歌われた「一粒の予感」がバラード調のスタートで早めに歌われた。
恒例のカバーでは、「Fly Me to the Moon」が歌われる。お馴染みのジャズナンバーで、若い人には、「新世紀エヴァンゲリオン」連続アニメ版のエンディングテーマとして知られると書きたいところだが、「新世紀エヴァンゲリオン」連続アニメ版が放送されたのは30年近く前で、それを知っている人ももう若いとは言い切れない年齢になっている。
どちらかというと、ジャズ的なノリよりも落ち着いた歌唱を指向した出来であった。
カバーとしてはもう1曲、「The Water is Wide」が歌われた。フォーク全盛期にはよく歌われた民謡である。

大阪公演のゲストは、元Le Couple(ル・クプル)の藤田恵美。Le Coupleは連続ドラマ「一つ屋根の下2」の挿入歌となった「日だまりの詩(うた)」が大ヒットしたが、2005年に活動停止、2007年に離婚が成立して解散となっている。その後、藤田恵美はカバーなどを中心としたアルバム制作や、ラジオのDJなどとして活動を続けている。写真や映像で見るよりシャープな印象の女性。
藤田は自己紹介で、子どもの頃に劇団ひまわりにいて、左卜全とひまわりキティーズ「老人と子どものポルカ」にひまわりキティーズの一人としてレコーディングに参加していたそうである。
その後、ブルーグラスやカントリーなどを歌う歌手としてライブハウスで活動するが、その時、ライブハウスで演奏と同時に従業員として働いていたのが西海孝だそうである。西海孝とはその後、5人組のバンドを組み、藤田がボーカル、西海がギター&バンジョーで新宿コマ劇場の地下にあったカントリー系としては日本最大のライブハウス・ウィッシュボンで活動していた仲だという。十代、二十代は洋楽ばかり聴いていたが、事務所の人から、「日本の今を知らなきゃ駄目だよ」と言われ、手を伸ばしたのが遊佐未森のCD、「momoizum」であった。そして、「ライブにも行ってみよう」と思い、渋谷公会堂に出掛けたのだが、「え? こんなに踊る人だったの?」と思ったそうである。遊佐も自身のライブ映像を見返したことがあったのだが、「『momoizm』の時はこんなに踊ってたんだ」と驚いたそうである。
そしてなんと、「日だまりの詩」を歌うことになる。第1番を遊佐が、2番を藤田が歌う。
「ひだまりの詩」は、旋律は明るいが、歌詞はもう会えなくなった元彼の思い出と感謝を歌うという、ちょっぴり切ないものである。遊佐未森は、癒やし系シンガーであり、例えば「ココア」などの切ない曲も歌うが、メロディーが明るくて歌詞が切ない楽曲には彼女の歌声はハッピーすぎて余り合わないかも知れない。藤田は持ち歌だけにしっとりと歌い上げていた。
藤田が、遊佐の「僕の森」にチャレンジしたいと言う。遊佐は高校時代は音楽科出身で声楽などを学び、大学も音大。大学では声楽科ではなかったが、「8の字唱法」といって、通常の裏声を使うことなく高い声を出す唱法を習得している。普通の人はそうした発声は出来ないので、一般的な裏声を使うのだが、藤田も「出来には期待しないで下さい」といっていた通り、高音を出すのには苦労しているようだった。

その後、遊佐は、最も新しいアルバムである「潮騒」からタイトル曲などを歌う。


アンコールは、菅原都々子の「月がとっても青いから」を藤田恵美と共に歌う。藤田の父親が、菅原都々子のアルバムを2回聴かないと寝かせてくれないような人だったそうだ。


最後は遊佐未森による告知。大阪では、島之内教会でクリスマスコンサートを行うそうである。また大阪ではないが、同じ関西で、「京都の『ぶんぱく』というところでコンサートをやります。『ぶんぱく』って正式にはなんていうんだろう? 京都の人、みんな、『ぶんぱく、ぶんぱく』って言うから。文化博物館? 合ってる? 京都市文化博物館?」。京都文化博物館は、正式名称を京都府京都文化博物という京都府の施設なので、京都市文化博物館だとちょっと違う。ということで、「京都“府”」と言う。遊佐は、「そうですよね。京都府文化博物館?」。まあ、「府」と聞いただけで、京都府京都文化博物館という名称を導き出すのは難しいだろう。

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2025年8月15日 (金)

コンサートの記(912) 広島交響楽団 2025 「『平和の夕べ』コンサート 被爆80周年 Music for peace ダニール・トリフォノフとともに」大阪公演 クリスティアン・アルミンク指揮 石橋栄実(ソプラノ)

2025年8月7日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広島交響楽団 2025「『平和の夕べ』コンサート 被爆80周年 Music for Peace ダニール・トリフォノフとともに」を聴く。
毎年、原子爆弾が投下された8月に行われる広島交響楽団「平和の夕べ」コンサート。一昨日、広島での公演があったが、今年は被爆80周年というここで特別に、今日は大阪、明日は東京でも同一プログラムによる演奏会を行うことになった。

指揮は広響音楽監督のクリスティアン・アルミンク。曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ダニール・トリフォノフ)とマーラーの交響曲第4番(ソプラノ独唱:石橋栄実)。マーラーの交響曲第4番はマーラーの交響曲の中では一番短いが、それでも1時間近く掛かり、大曲が並ぶ。このプラグラムを三回連続で演奏するのだから、広響のメンバーも体力が試される。

日本のオーケストラではスタンダードなドイツ式の現代配置での演奏。コンサートミストレスは北田千尋。

 

1階のホワイエには、Akiko's Piano(明子さんのピアノ)が置かれ、ショパンの「別れのワルツ」やドビュッシーの「月の光」などポピュラーな演目が弾かれていた。また、休憩時間には調律師による説明があった。
Akiko's Pianoは広島では、元安川沿いのレストハウス(被爆建築)内に常設展示されているのだが、保温保湿を含めた保存のためガラスケースに収められている。今日は遮蔽物なしで見ることが出来た。

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新日本フォルハーモニー交響楽団の音楽監督時代に知名度を上げたクリスティアン・アルミンク。ウィーン生まれ。小澤征爾の弟子の一人として知られる。ベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督時代には日本ツアーを行い、京都コンサートホールでも指揮を行っている。昨年、下野竜也音楽総監督の後任として広島交響楽団の音楽監督に就任。すでに広響とのライブ音源がリリースされている。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ソリストのダニール・トリフォノフは、2010年のショパン・コンクールで第3位入賞、2011年のルービンシュタイン国際ピアノコンクールとチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝し、注目を浴びた。
非常に明晰な音を出すピアニストであり、一音一音がクッキリ聞こえる。
どちらかというとウエットなピアニストなのだが、ウエットでありながらクリアという相反する要素を高いレベルで止揚することが可能なようだ。
さて、京都市交響楽団のジュヴィちゃん(広島交響楽団から移籍)が音楽界の七不思議の一つに挙げていたが、「広島市には音楽専用ホールがない」のである。平和公園の周辺に6つほどホールがあるのだが、全て多目的である。旧広島市民球場跡地の整備計画では、旧広島市民球場の北の空き地に音楽専用ホールを建てる計画もあったのだが、広島東洋カープを見ても分かるとおり、広島はスポーツ文化が強く、サンフレッチェ広島の新スタジアムが建つことが決まり、すでに完成して運用されている。音楽専用ホールが建つ計画はない。
広島市のライバル的存在である岡山市にはクラシック音楽専用の岡山シンフォニーホールがあり、オペラなども上演出来る岡山芸術創造劇場“ハレノワ”が新設されていて、芸術のハード面においては広島をリードしている。

そんな中で、日本初のクラシック音楽専用ホールであるザ・シンフォニーホールで演奏する広響。
冒頭の響きはかなり渋めだったが、そこから明度を上げていく。弦も管も力強く、アルミンクの棒の下、一体となった演奏が奏でられた。

 

トリフォノフのアンコール演奏は2曲。いずれもチャイコフスキーの「子供のアルバム 24のやさしい小品」からの曲で、第24曲の「教会で」と第21曲の「甘い夢」が取り上げられる、曲調は好対照であったが、いずれも粒立ちの良いピアノであった。

 

後半、マーラーの交響曲第4番。ソプラノ独唱は石橋栄実(えみ)。大阪府東大阪市に生まれ、大阪音楽大学と同音大専攻科に学び、堺市内にあるホールでオペラデビュー。そして現在は大阪音楽大学の教授と、一貫して大阪を拠点にし続けている人である。勿論、東京など他の都市や海外でも歌うが、本拠地は大阪のままである。インタビューを聞いたことがあるが、「大阪に生まれてずっと大阪で育ってきたので、大阪で生きるのは自然なこと」といったような内容であった。
鈴の音が鳴り、ヴァイオリンが少し溜めを作ってから入る。アルミンクは小澤征爾の弟子なので、レナード・バーンスタインの孫弟子ということになるのだが、レナード・バーンスタインの直弟子である広上淳一が、アムステルダムでこの曲に取り組んでいた時に、鈴の音が止んでからすんなり弦を歌わせたところ、バーンスタインから駄目出しを受けた。バーンスタインは、「鈴の音はマーラーが子どもの頃に好きだった馬車の音。そこから思い出の世界に入るので、すんなり移行してはならない」という意味の言葉を語ったと思うが、小澤もバーンスタインに学び、アルミンクが小澤に学びということでこうした解釈が受け継がれているのかも知れない。
広島交響楽団はスケールが大きく、中身の濃い演奏を展開。トランペットなどは特に気持ちよさそうに吹いていたが、普段は音の伸びない会場で吹いていて今日は日本屈指の音響を誇るザ・シンフォニーホールでの演奏ということで、自分で吹いている音も違って聞こえるのかも知れない。

第4楽章に入る直前に石橋栄実が、舞台下手側から登場。中央に向かって歩いて行く。
そして第4楽章。石橋の歌声は、やや小ぶりだが、透明感があって聴く者の耳や心を洗い清めるかのよう。アルミンク指揮の広響も天国的な美しさと「目覚めよ」というかのような喧噪を的確に表していた。

 

予め決められたプログラムが長いので、今日はオーケストラのアンコール演奏はなしかと思われたが、石橋栄実の独唱付きでリヒャルト・シュトラウスの「明日!」が伸びやかに歌われた。

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2025年8月 1日 (金)

久石譲 「Summer」(Official Short Film)

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2025年7月29日 (火)

これまでに観た映画より(390) 「BLUE GIANT」

2025年2月24日

Amazon Prime Videoで、アニメ音楽映画「BLUE GIANT」を観る。原作:石塚真一、NUMBER8。脚本:NUMBER8。音楽:上原ひろみ。声の出演:山田裕貴、岡山天音、間宮祥太朗、東地宏樹(とうち・ひろき)、木下紗華(きのした・さやか)、木内秀信、加藤将之、高橋伸也(たかはし・しんや)、乃村健次ほか。監督:立川譲。
ジャズを題材にした青春ストーリーである。女の子が主人公の音楽アニメには、京都市左京区がロケ地となった「けいおん!」シリーズや、京都府宇治市を舞台とした「響け!ユーフォニアム」(いずれも京都アニメの作品)などがあるが、こちらは女性はほとんど登場せず、音楽男子達の友情と青春を描いた作品となっている。

仙台出身の宮本大(声:山田裕貴)が主人公である。中学高校とバスケットボール部だったが、3年ほど前から広瀬川の河原でテナーサックスの練習を始め、半年ほど、由井というサックス奏者(乃村健次)に師事した。
高校を卒業し、「世界一のジャズプレーヤー」になることを夢見て上京した大。先に東京の大学(早稲田大学がモデルとなっている)に進学していた高校の同級生の玉田俊二(岡山天音)の下宿に転がり込む。隅田河畔で練習に打ち込み、ジャズバー「TAKE TWO」を訪れた大は、ママのアキコ(木下紗華)から生演奏を行っているジャズバーを紹介される。そこで大は片手で華麗なピアノ捌きを見せる沢辺雪祈(さわべ・ゆきのり。間宮祥太朗)のプレーに釘付けになる。すぐに共演を申し込む大。ずっと年上に見えた雪祈だったが、実は大と同じ18歳で、立教大学をモデルにした立丘大学の学生だった。
「TAKE TWO」に雪祈を誘った大。しかし、サックス経験がわずか3年、しかもほとんど独学ということで呆れられる。雪祈はピアノ教室を経営している家に生まれており、4歳の時から14年間、ピアノを弾き続けてきた。だが、大のサックスの演奏を聴き、3年の間に尋常でない練習量をこなしてきたことに気付いた雪祈は、心を打たれるのだった。
「TAKE TWO」の空き時間に練習させて貰えることになった大と雪祈だったが、ピアノとサックスだけでは足りない。ドラムがいる。
その頃、大学のサッカーサークルに所属していた玉田は、遊び半分のプレーを行う先輩達に嫌気が差していた。高校で全国ベスト8に入ったこともある玉田だったが、早稲田大学がモデルとなると、サッカー部(早稲田のサッカー部は、ア式蹴球武を名乗る)に入るのは難しいのだろう。失望してサークルを辞めた玉田は、隅田川のほとりでサックスの練習をする大を見に行き、空き缶でリズムを取る役目を務めたことでジャズに興味を持つ。他に当てのない大は、玉田をドラマーとして加えることにするのだが、雪祈はど素人を連れてきたことに呆れる。取りあえずセッションを行うが、玉田は全くついて行けない。
それでもドラムに魅せられた玉田は、ドラム教室に通うなど、二人のセッションに加わろうとする。

サークルや部活動ではなく、本気でプロを目指す若者達の青春ものである。描かれているのは1年ほどだが、音楽的にも人間的にも成長著しい。それまでジャズに興味のなかった者や、密かに彼らを見守ってきた常連客、遠い昔の知り合いなどを巻き込み、文学でいう教養小説的な佳編に仕上がっている。主人公3人はプロの声優ではなく若手俳優が当てていいるが、違和感もなく素直に上手いと感じられる。韓国と中国のスタッフが多数参加しており、東アジア総力戦という構え。音楽は、ピアノが上原ひろみ、サックスが馬場智章、ドラムが石若駿が演奏を務め、音楽に合わせて作画を行うという工程が取られている。動きはリアルで、モーションキャプチャーが使用されているようである。実写では絶対無理なアングルや描写なども多く、アニメならではの優れた構図が多く見られる。

精神年齢が高すぎて18歳には思えない人も出てきたりするが、それも物語を進む上での推進力となっており、音楽映画として、また人間ドラマとしても優れた仕上がりになっている。
第47回日本アカデミー賞では優秀アニメーション賞と最優秀音楽賞を受賞した。

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2025年6月 8日 (日)

コンサートの記(905) ハインツ・ホリガー指揮 京都市交響楽団第700回定期演奏会

2025年5月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都市交響楽団の第700回定期演奏会を聴く。節目の演奏会のタクトを任されたのは、世界的なオーボエ奏者でもあるハインツ・ホリガー。ホリガーはオーボエではなくピアノ独奏も行う。

無料パンフレットには、第1回定期演奏会(カール・チェリウス指揮)、第100回定期演奏会(外山雄三指揮)、第200回定期演奏会(若杉弘指揮)、第300回定期演奏会(小林研一郎指揮)、第400回定期演奏会(大友直人指揮)、第500回定期演奏会(大友直人指揮)、第600回定期演奏会(広上淳一指揮)の当時の無料パンフレットの表紙と担当指揮者の縮小写真が載っている。

プレトークはハインツ・ホリガーではなく、クラシック音楽好きで自ら「クラオタ(クラシックオタク)市長」を名乗る松井孝治京都市長らが、京都市交響楽団の京都コンサートホールでのリハーサル公開の話(これまでも出雲路の練習場でのリハーサルの公開はあったが、京都コンサートホールでのリハーサルを増やしている。ただいずれも平日の午前中に行われることが多く、行きにくい)や京都コンサートホールの改修工事のプランの話などを行っていた。

 

曲目は、ホリガーの「エリス-3つ夜の小品」のピアノ独奏版(ピアノ独奏:ハインツ・ホリガー)と管弦楽版、ホリガーの2つのリスト作品のトランスクリプション「灰色の雲」「不運」、武満徹の「夢窓」(初演40周年/京都信用金庫創立60周年記念委嘱作品)、シューマンの交響曲第1番「春」

ホリガー作品の後に1回、武満の「夢窓」の後にもう1回休憩が入るという特殊な日程。武満作品が特殊な編成で大幅な配置換えがあり、時間が掛かるため、その時間を休憩に当てる。

 

今日のコンサートマスターは、ソロコンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置による演奏だが、武満の「夢窓」だけは、武満自身が考案した独自の配置での演奏を行う。
管楽器奏者の首席指揮者の多くは2曲目のホリガーの2つのリスト作品のトランスクリプションからの参加となる。

 

ホリガーの「エリス-3つの夜の小品」(ピアノ独奏版)。オーケストラメンバーが登場し、着席してからホリガーが現れてピアノに向かう。ピアノを中央に置くと配置転換に時間が掛かるため、ホリガーは下手端に置かれたピアノを弾く。ホリガーのオーボエは聴いたことがあるが、ピアノは初めて。ただ大抵の一流器楽奏者はピアノも達者であり、ホリガーも例外ではない。
曲調は、典型的な前衛音楽風である。「前衛のピアノ音楽」と聞いて思い浮かべられるもの(そもそも「前衛のピアノ音楽」を聴いたことがない人は思い浮かべられないが)に近い。

同じ曲のオーケストラ版が続けて演奏されるが、ピアノ版を一発で覚えた訳ではないということもあって、印象は大きく異なる。アメリカの現代音楽、就中エドガー・ヴァレーズの作風を彷彿とさせる。ヴァレーズは元々はフランス人で、ドビュッシーの影響を受けており、武満との関連も思い浮かぶが、ヴァレーズの名を思い浮かべたのは私なので、ホリガーにはその気はないと思われる。
この曲にはティンパニはないので、ティンパニを受け持つことが多い打楽器首席奏者の中山航介は木琴を演奏した。

高校生の頃、私はヴァレーズが好きで、作風を模した小さな曲などを作っていた。昔々の思い出。

 

ホリガーの2つのリスト作品のトランスクリプション「灰色の雲」「不運」。
フランツ・リストのピアノ曲2作品をホリガーがオーケストラ用に編曲(トランスクリプション)した作品である。1987年に自らの指揮で初演している。2曲は連続して途切れなく演奏される。
ちなみに私は2曲とも原曲を聴いたことはない(おそらくYouTubeを使えば誰かが演奏している映像を見ることが出来るはずである)。
冒頭のメロディーが、レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」の名ナンバーの一つ“Cool”に似ていて親しみが持てる。
そこから混沌とした曲調になり、コンサートマスターが半音ずつ上がっていくようなソロを奏で、低音がうなり、そこからまた曲調が変わって瞑想的な雰囲気となる。
2曲ともリストの晩年の作品が原曲である。元祖アイドルスターと言われるほどの超人気音楽家として人生を謳歌していたリストも晩年は病気がちになり、救いを宗教に求めている。

 

配置転換後、武満徹の「夢窓」。1983年に、京都信用金庫が、創立60年を記念して3人の作曲家に1曲ずつ作曲を依頼した交響的三部作「京都」の中の1曲である。今では三部作として演奏されることはほぼなく、個別に演奏される。3曲の中の1曲であるトリスタン・ミュライユの「シヤージュ」は、2021年7月の京都市交響楽団第658回定期演奏会において、コロナによる外国人入国規制で来日出来なくなったパスカル・ロフェの代役として指揮台に上がった大植英次の指揮によって演奏されている。

指揮台の前に「小さなアンサンブル」(武満自身の表現)がある。フルート、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、クラリネット。各楽器の首席奏者が担当する)。その背後にギター(ギター:藤元高輝)。それを挟むように2台のハープ(ハープ:松村衣里&松村多嘉代)。ヴァイオリンは両翼の対向配置だが、通常とは逆で、下手側が第2ヴァイオリン、上手側が第1ヴァイオリンである。コンサートマスターの会田莉凡が「小さなアンサンブル」に入ったので、この曲は泉原隆志がコンサートマスターを務める。泉原隆志のフォアシュピーラーに尾﨑平。
ヴィオラ、チェロ、コントラバスは、上手側と下手側の2群に分かれる。背後に管楽器、打楽器が並ぶが打楽器の種類が多いのも特徴。

1985年9月9日に京都会館第1ホール(ロームシアター京都メインホールのある場所にあったが、取り壊されて、一からロームシアター京都メインホールを作っているため現存せず。第2ホールもあり、こちらは内部改修によってロームシアターサウスホールとなっているため、内装は異なるが見方によっては現存と考えることも出来る)において小澤征爾指揮京都市交響楽団によって、交響三部作「京都」として初演。今日はホワイエに当時のポスターが飾られていた。

「夢窓」は、国士無双と間違えられることで有名な(?)夢窓国師こと夢窓疎石と彼が作庭した庭園にインスピレーション受けて書かれたものである。英語のタイトルは「Dream/Window」。笑ってしまった方がいらっしゃると思いますが、笑っては駄目ですよ。

印象派の絵画のように浮遊感を持った響き。その上を、管楽器がジョルジュ・スーラの点描のように景色を色づけていく。この浮遊感はドビュッシーを思わせるものである。ドビュッシーは印象派というくくりでラヴェルと一緒にされることがあるが、ラヴェルの作品にはこうした浮遊感のあるものはほとんどなく、その後のフランスの作曲家にも同じような作風の人は少ない。フランス六人組、メシアン、ブーレーズ。基本的に旋律がクリアな人である。ということで、おそらくであるが、ドビュッシーは武満と繋がると思われる。

演奏終了後に、ホリガーは総譜を掲げた。

 

休憩後、ロベルト・シューマンの交響曲第1番「春」。「夢窓」ではなく「夢想(トロイメライ)」という有名曲をシューマンは書いているが、関係はないと思われる。「春」の季節なので「春」なのだろう。
シューマンはオーケストレーションの下手な作曲家とされることが多い。響きが悪いのである。その原因についてピアニストの内田光子は「シューマンは鍵盤でものを考える人」という発言をしたことがあるが、作曲家の黛敏郎は「あの音はあのオーケストレーションでないと出ません」と擁護している。
20世紀前半までは、指揮者が、「響かないんだったら響かせてやろう」とスコアに手を加えることが普通だったのだが、今は作曲家崇拝の指揮者が多いので、基本、そういうことはしない。

ピリオドアプローチによる演奏。原典版での演奏である。弦楽奏者は全員の手元を見られた訳ではないが、見た限りでは9割以上が完全ノンビブラートという徹底したものである。会田莉凡、泉原隆志、尾﨑平の手元を中心に見たが、3人とも少なくとも大きなビブラートは1度も掛けなかった。ボウイングもH.I.P.のそれである。
冒頭は速めのテンポであったが、その後は中庸から速めに変わり、第1楽章中盤などではグッとテンポを落としてゆったりと歌い上げる。
ピリオドアプローチというと速めのテンポの演奏が多いが、昔は残響のない場所で演奏していたため、速めに演奏しないと間が出来てしまうのである。ただ今は響きの良いホールで演奏されることの方が多いので、速度は特に問題にならないと思われる。
ホリガーがどう動くかを予想しながら聴いていたのだが、大体予想通り(無駄のない動き)だったため、指揮は上手い部類に入ると思われる。要所で指揮棒を持っていない左手を使うのが格好良い。

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