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2024年9月20日 (金)

観劇感想精選(468) イキウメ 「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」

2024年9月5日 大阪・福島のABCホールにて観劇

午後7時から、大阪・福島のABCホールで、イキウメの公演「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」を観る。原作:小泉八雲。脚本・演出:前川知大。出演:浜田信也(はまだ・しんや。小説家・黒澤)、安井順平(警察官・田神)、盛隆二(もり・りゅうじ。検視官・宮地)、松岡依都美(まつおか・いずみ。旅館の女将)、生越千晴(おごし・ちはる。仲居甲)、平井珠生(ひらい・たまお。仲居乙)、大窪人衛(おおくぼ・ひとえ。男性。仲居丙)、森下創(仲居丁)。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』で描かれた物語と、現代(かどうかは分からない。衣装は今より古めに見えるが、詳しくは不詳。「100年前、明治」というセリフがあるが、100年前の1924年は大正13年なので今より少し前の時代という設定なのかも知れない。ただ小泉八雲の時代に比べるとずっと現代寄りである)。役名は、現代の場面(ということにしておく)のもので、小泉八雲の小説の内容が演じられるシーンでは他の役割が与えられ、一人で何役もこなす。

舞台中央が一段低くなっており、砂か砂利のようなものが敷き詰められていて、中庭のようになっている。下手に祠、上手に紅梅の木。開演前、砂が舞台上方から細い滝のように流れ落ちている。舞台端に細い柱が数本。


京都・愛宕山(「京都の近くの愛宕の山」とあるが京都の近くの愛宕山は京都市の西にある愛宕山しかないので間違いないだろう)の近くの旅館が舞台。かつては寺院で、50年前に旅館に建て替えられたという。天然温泉の宿である。この宿に小説家の黒澤シロウが長逗留している。小説を書きながら周囲でフィールドワークを行っているため、つい根を張るようになってしまったらしい。この宿はGPSなどにもヒットしない隠れ宿である。
宿に男二人組が泊まりに来る。田神と宮地。実は二人とも警察関係者であることが後に分かる。

使用される小泉八雲のテキストは、「常識」、「破られた約束」、「茶碗の中」、「お貞の話」、「宿世の恋」(原作:「怪談牡丹灯籠」)の5作品。これが現代の状況に絡んでいく。

舞台進行順ではなく、人物を中心に紹介してみる。小説家の黒澤。雑誌に顔写真が載るくらいには売れている小説家のようである。美大出身で、美大時代にはシノブという彼女がいた。黒澤は当時から小説家志望だったが、余り文章は上手くなく、一方のシノブは子どもの頃から年齢に似合わぬ絵を描いていたが、それが予知夢を描いたものであることが判明する。来世の話になり、黒澤は、「シノブが生まれ変わったとしても自分だと分かるように小説家として有名にならないと」と意気込む。だが、その直後にシノブは自殺してしまう。シノブは自身の自殺も絵で予見していた。
生まれ変わったシノブに会いたいと願っていた黒澤。そして愛宕山の近くの宿で、シノブによく似た19歳の若い女性、コウノマイコ(河野舞子が表記らしいが、耳で聞いた音で書くことにする)と出会う。マイコが「思い出してくれてありがとう」と話したことから、黒澤はマイコがシノブの生まれ変わりだと確信するのだが、マイコもまた自殺してしまう。マイコの姉によると精神的に不安定だったようで、田神は「乖離性同一障害」だろうと推察する。

小泉八雲の怪談第1弾は、「常識」。白い像に乗った普賢菩薩の話。この宿が寺院だった頃、人気のある僧侶がいて賑わい、道場のようであったという。僧侶は夜ごと、白い像に乗った普賢菩薩が門から入ってくるのが見えるのだという。普賢菩薩を迎える場面では、般若心経が唱えられる。しかしその場に居合わせた猟師が普賢菩薩をライフルで撃ってしまう。殺生を生業とする自分に仏が見えるはずはなく、まやかしだとにらんでのことだった。普賢菩薩が去った後に鮮血が転々と続いており、池のそばで狐が血を流して倒れていた。化け狐だったようだ。その狐が祀られているのが、中庭の祠である。

続いて、「破られた約束」。落ちぶれはしたが、まだ生活に余裕のある武士の夫婦。だが、妻は病気で余命幾ばくもない。夫は後妻は貰わないと約束したが、妻は跡継ぎがまだいないので再婚して欲しいと頼む。傍らで見ていた田神が、「女の方が現実的で、男の方がロマンティストというか」と突っ込む。妻は、亡骸を梅の木の下に埋めることと、鈴を添えて欲しいと願い出る。
妻の死後、やはり男やもめではいけないと周囲が再婚を進め、それに従う男。比較的若い奥さんを貰う。しかし夫が夜勤の日、鈴が鳴り、先妻の幽霊が現れ、「この家から去れ、さもなくば八つ裂きにする」と脅す。夫が夜に家を空ける際にはいつもそれが繰り返される。新妻は恐れて離縁を申し出る。ある夜、また夫が夜勤に出ることになった。そこで夫の友人が妻の寝所で見守ることにする。囲碁などを打っていた男達だが、一人が「奥さん、もう寝ても構いませんよ」を何度も繰り返すようになり、異様な雰囲気に。やがて先妻の幽霊が現れ、新妻の首を引きちぎるのだった。

現代。それによく似た事件が起こっており、泊まりに来た二人はその捜査(フィールドワークを称する)で来たことが分かる。ここで二人の身分が明かされる。首なし死体が見つかったのだが、首が刃物ではなく、力尽くで引きちぎられたようになっていたという。


「茶碗の中」。原作では舞台は江戸の本郷白山。今は、イキウメ主宰で作・演出の前川知大の母校である東洋大学のメインキャンパスがあるところである。だが、この劇での舞台は白山ではなく、愛宕山近くの宿屋であり、警察の遺体安置所である。田神が茶碗の中に注いだ茶に見知らぬ男の顔が映っている。なんとも気持ちが悪い。そこで、他の人にも茶碗を渡して様子を見るのだが、他の人には別人の顔は見えないようである。
ところ変わって遺体安置所。検視官の宮地も茶碗の中に別人の顔が映っているのを見つける。そして遺体安置所から遺体が一つ消えた。茶碗の中に映った男の顔が黒澤に似ているということで黒澤が疑われる。消えた遺体は自殺したコウノマイコのものだった。黒澤はコウノマイコには会ったことがないと語る(嘘である)。捜査は、この遺体消失事件を中心としたものに切り替えられる。

温泉があるというので、田神は入りに出掛ける。宮地は「風呂に入るのは1週間に1度でいい」と主張する、ずぼらというか不潔というか。そうではなくて、「1日数回シャワー」、あ、これ書くと炎上するな。あの人は言ってることも書いてることもとにかく変だし、なんなんでしょうかね。もう消えたからいいけど。


「お貞の話」。これが、先に語った、シノブと黒澤シロウ、黒澤シロウとコウノマイコの話になる。来世で会う。この芝居の核になる部分である。
ついこの間、Facebookに韓国の女優、イ・ウンジュ(1980-2005)の話を書いたが(友人のみ限定公開)、彼女がイ・ビョンホンと共演した映画「バンジージャンプする」に似たような展開がある。「バンジージャンプする」は、京都シネマで観たが、キャストは豪華ながら映画としては今ひとつ。イ・ウンジュは映画運には余り恵まれない人であった。

「宿世の恋」。落語「怪談牡丹灯籠」を小泉八雲が小説にアレンジしたものである。この場面では、女将役の松岡依都美が語り役を務める。
旗本・飯島家の娘、お露は評判の美人。飯島家に通いの医師である志丈(しじょう)が、萩原新三郎という貧乏侍を連れてきた。たちまち恋に落ちるお露と新三郎。お露は、「今後お目にかかれないのなら露の命はないものとお心得下さい」とかなり真剣である。しかし、徳川家直参の旗本と貧乏侍とでは身分が違う。新三郎の足はなかなか飯島家に向かない。それでも侍女のお米の尽力もあり、飯島家に忍び込むなどして何度か逢瀬を重ねたお露と新三郎だったが、新三郎の足がまた遠のいた時に、志丈からお露とお米が亡くなったという話を聞いた新三郎。志丈は、「小便くさい女のことは忘れて、吉原にでも遊びに行きましょう。旦那のこれ(奢り)で」と新三郎の下僕であるトモゾウにセリフを覚えさせ、トモゾウはその通り新三郎に話すが、激高した新三郎に斬られそうになる。お露のことが忘れられず落胆する新三郎であったが、ある日、お露とお米とばったり出会う。志丈が嘘をついたのだと思った新三郎。聞くと二人は谷中三崎(さんさき)坂(ここで東京に詳しい人はピンと来る)で暮らしているという。二人の下を訪れようとする新三郎だったが断られ、お露とお米が新三郎の家に通うことになる。だが、お察しの通り二人は幽霊である。新三郎の友人達は二人の霊を成仏させるため、新三郎の家の戸口を閉ざし、柱に護符を貼り、般若心経が再び唱えられる。お守りを渡された新三郎はその間写経をしている。新三郎の不実を訴えるお露の声。
6日我慢した新三郎だが、今日耐えれば成仏という7日目に、会えなくなるのは耐えられないと、お守りを外し、戸口を開けて……。

照明がつくと、田神と宮地が寝転んでいる。旅館だと思っていたところは荒れている。「こりゃ旅館じゃないな」と田神。
黒澤がマイコの遺体を隠したのだと見ていた二人は、狐を祀る祠の下で抱き合った二人の遺骸を発見する。マイコはミイラ化しており、黒澤は死後10日ほどだった。「報告書書くのが面倒な事件だなこりゃ」とこぼしながら旅館らしき場所を去る田神と宮地。下手袖に現れた黒澤の霊はお辞儀をしながら彼らを見送り、砂の滝がまた落ち始める。
生まれ変わった恋人にも自殺されてしまった新三郎だが、再会は出来て、あの世で一緒になれるのならハッピーエンドと見るべきだろうか。少なくともマイコもその前世のシノブも彼のものである。


小泉八雲の怪談と現代の恋愛、ミステリーに生まれ変わりの要素などを上手く絡めたロマンティックな作品である。次々に場面が入れ替わるストーリー展開にも妙味があり、また、青、白、オレンジなどをベースとした灯体を駆使した照明も効果的で、洗練とノスタルジアを掛け合わせた良い仕上がりの舞台となっていた。
やはり幽霊や妖怪を駆使した作風を持つ泉鏡花の作品に似ているのではないかと予想していたが、泉鏡花が持つ隠れた前衛性のようなものは八雲にはないため、より落ち着いた感じの芝居となった(ただし抱き合った遺体は、鏡花の傑作『春昼・春昼後刻』のラストを連想させる)。


上演終了後、スタンディングオベーション。多分、私一人だけだったと思うが、周りのことは気にしない。ほとんどの人が立っている時でも立たない時は立たないし、他に誰も立っていなくても立つ時は立つ。ただ一人だけ立っている状態は、大阪府貝塚市で観た舞台版「ゲゲゲの女房」(渡辺徹&水野美紀主演)以来かも知れない。渡辺徹さんも今はもういない。

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2024年7月28日 (日)

京都芸術劇場春秋座 「立川志の輔独演会」2024 「試し酒」&「文七元結」

2024年5月19日 京都芸術劇場春秋座にて

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「立川志の輔独演会」に接する。春秋座での志の輔の独演会は、今年で16年目となる。

今回も満員の盛況で、今日は上手側サイドの補助席で観た。

まず、志の輔の七番弟子である立川志の麿による「初天神」が打たれる。
父親が天神詣でに向かうが、女房から息子も連れて行って欲しいとせがまれる。「あれが欲しい、これが欲しいとせがむから駄目だ」と父親は言うが、結局は共に初天神に向かうことになる。息子が、「あれが欲しい、これが欲しいと言わなかったから褒美に飴買って頂戴」と言い、父親は飴屋で飴を探すのだが、一つ取り上げては息子に「違う」と言われて戻し、指を舐めて、その手で次の飴を取り上げるを繰り返したため、飴屋の主に注意される。
続いては団子屋。「あんこと蜜どちらがいいか」と聞かれた息子は蜜を選ぶが、父親は蜜を付けた団子の蜜を全て舐めて壺に入った蜜に再び浸ける。息子もそれを真似て同じことをするという内容である。

続いて、志の輔の六番弟子である志の太郎による「釜泥」。「釜泥棒」の略である。
泥棒達の間で石川五右衛門は尊敬されているのだが、「天下の大泥棒、石川五右衛門」ではなく、「釜ゆでの刑にされた石川五右衛門」として広まってしまっている。そこで江戸中の釜を盗んで釜ゆでを連想出来ないようにして五右衛門の名誉を回復しようということになり、江戸の泥棒達が総出で釜を盗むようになる。まず釜飯屋が狙われ、釜飯が作れなくなった釜飯屋は路地裏に下がって飯屋をやるようになる。「これがうらめしや(恨めしや)」
そば屋や豆腐屋といった釜を使う店も狙われた。豆腐屋の会合に出てきた豆腐屋の爺さんは、「釜の中に入って、釜泥棒が釜を盗みに来たら中から飛び出して、『石川や浜の真砂は尽きぬとも我泣きぬれて蟹とたわむる』と叫んで飛び出せば(豆腐屋の婆さんに石川が違う〈石川啄木のこと〉と言われる)、泥棒達も『五右衛門の幽霊が出た!』と逃げ出すに違いない」と考え実行する。
さてその夜、豆腐屋の爺さんが釜の中に入っていると、二人組の泥棒が釜を盗みに来る。釜を縛り、天秤棒で担ぎ上げて表に出るが、爺さんは酔っていて気がつかない。外は満天の星と月で泥棒も良い気分になるが、起きた爺さんが婆さんを呼ぶ。当然ながら返事はないが、そこで怒った爺さんが大声を上げて飛び出すと、泥棒達は「お化けだ!」と言って逃げ出す。
満天の星と月を見て爺さんは、「しまった、家を盗まれた」とつぶやくのだった。


志の輔登場。「試し酒」をやる。
「今日が3日間の公演の3日目ということで、今日のために昨日一昨日と2日間、リハーサルをして参りました」と冗談を言う。
まず枕として、京都が外国人だらけという話をする。小さな路地にも外国人は我々とは感性が違うのか入っていくが、冷静に考えると「あれ、迷ってるんじゃないか?」
桜の季節は外国人が多いので押し合いへし合い、紅葉の季節もまた押し合いへし合い、ゴールデンウィークを避ければ5月は大丈夫なんじゃないかと思ったが、それでもまだ外国人観光客が多いという。「その京都にこんなに多くの日本人がいたとは」と客席を見回して笑いを取る。京都はどこに行っても観光客が多いが、「京都にはなんでもあるが一つだけないものがある。富士山」。京都に富士山があれば外国人観光客は皆、富士山に行って他のところが空くのではないかという。
富士山観光も外国人には人気で、それも富士山のみではなく、富士山と麓のコンビニを一緒に撮るのが定番だそうである。志の輔は毎年のように東南アジアで公演を行っており、今年もベトナムのハノイで独演会を開くそうだが、ハノイのコンビニは日本のそれとは違い、「とりあえずある」という感じで、それに比べると日本のコンビニはハイクラスであり、それが外国人には珍しいらしい。コンビニ側も対策として黒い幕で店を覆ったりしているそうだ。

東山七条の京都国立博物館で、「雪舟伝説」という展覧会を観てきた志の輔であるが、「入っていきなり国宝。次も国宝、その次も国宝」と驚くが、「5点ぐらい国宝が続くと飽きる」そうである。また「雪舟伝説」は「雪舟伝説」と銘打ちながら雪舟の作品は全体の3分の1程度で、残りは雪舟に影響を受けた絵師や画家の作品。志の輔は最初気づかず、雪舟作品だと思って見ていたが、違うことに気づき、これまでの道を引き返して、最初の雪舟の作品でない絵に戻って、半ば2周することになったそうである。
そんなこんな色んなことがあっても大谷翔平がヒットを打っている姿を見ると落ち着くそうで、そこからもう一人の天才、藤井聡太の話になる。100手先が読めるということで、朝を起きてからのその日の100手を読むと、夜にベッドに入るまでが全て分かって困るということで、「(皆さん)平凡で良かったですね」と言う。藤井聡太と渡辺名人との対局で、藤井聡太は一手打つのに2時間28分掛けたという話をする。藤井聡太も渡辺名人も手を読んでいるからいいが、審判員の3人、モニターを見ている記者達などは2時間28分何も起こらないのにじっと見ていなければならない。その点、落語はずっと喋ってるので、「将棋よりは楽しい2時間28分」と語る。

「試し酒」。店の主が、近江屋の主人から酒を勧められるが、体調が万全ではないとして断る。近江屋の主人は店の表に連れてきた手代の久蔵を待たせているが、久蔵は大酒飲みで、近江屋の女房によると五升を飲み干すらしい。そこで主は、久蔵を呼び、「五升飲み干したら金子をやろう」と提案する。しかし、飲み干せなかった場合は、「箱根への温泉旅行に行かせて貰う」。勿論、旅費は近江屋の主人が出す。久蔵は、「主人に金は出させられねえ」と言って表に出て行ってしまうが、しばらくして戻ってきて、五升飲むことに挑戦する。
主の「酒よりも好きなものはあるのか?」との問いに、「金でさあ」と答える久蔵だったが、金は田畑を買ったりするのではなく、酒を買うために使うので、結局は酒が一番であることを明かしたり、「酒は体に毒というが、百薬の長だぞ」などと、あれやこれやと言いながら五升飲み干した久蔵。店の主は、何か酒が飲める薬でもあるのか、まじないでもやるのかと問うが、久蔵は、「今まで酒を五升飲んだことがないので、そこの酒屋で試しに五升飲んできた」


「文七元結(ぶんしちもっとい)」。元は落語だが、歌舞伎の演目としても有名な話である。歌舞伎版の「人情噺文七元結」は、女優が出ても構わない数少ない歌舞伎の演目で、波乃久里子や松たか子が、お久役で出演している。歌舞伎座で行われた「人情噺文七元結」の公演を観ていた脚本家の市川森一が、「やけに綺麗な女形が出ているな」と気づき、後にそれが九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)の次女である松たか子(当時16歳)だと知り、自らが脚本を手掛けた大河ドラマ「花の乱」で主人公である日野富子の少女時代役に抜擢したという話がある。
歌舞伎版の「人情噺文七元結」は、南座の耐震工事期間中にロームシアター京都メインホールで行われた顔見世の演目で観ている。中村芝翫の長兵衛で、お久を演じたのは女形の中村壱太郎であり、中村芝翫の襲名披露公演ということで途中で口上が述べられた。

まず枕。志の輔は、酒は365日飲む。入院したこともあるが、それでも隠れて飲む。強いわけではないが飲むことが好きである。今はやめたがゴルフに嵌まっていたこともあり、春秋座での独演会を終えた翌日に、狂言の茂山千五郎家の人々と一緒に滋賀県でゴルフをしたこともあるそうだ。
もう一つ嵌まっているものとして中古レコード収集があり、京都に来るたびに中古レコード店に行くのが習慣になっているという。ただ京都で一番大きい中古レコード店が宝塚市に移転してしまったため、仕方なく小さな中古レコード店を2件訪ねたのだが、いずれも品揃えが貧弱。困っていると弟子がネット検索して「髙島屋の4階にあります」と教えてくれたという。「髙島屋って、あの髙島屋? 家賃どうしてるの?」と気になったらしいが、今朝、四条河原町の京都髙島屋に行ってみたそうだ。思いのほか広いスペースを誇る中古レコード店で、東京のディスクユニオンなどとは比べものにならないが、品揃えもまずまずで、808円の中古レコードを買ったそうだ。そのレコードを東京の自宅に持って帰って棚に入れると同じレコードが12枚並ぶ。ということで同じレコードでも何枚も買っているらしい。その中には「葬儀の時に棺桶に入れて貰うために」封も切っていないレコードもあるらしい。東京では中古レコード店を巡ることはなく、自分でも不思議だったのだが、「きっと飲みに行っているからでしょうね」と結論づける。
中毒と言えば、「今は9割の人がそうなんじゃないか」というスマホ中毒が挙げられ、「スマホがないとえらいことになる。今、スマホがないことに気づいた人は落語聞いてる場合じゃない、探さないと」
「でも大谷翔平も野球中毒でしょう。彼に『半年間バットを持たないでくれ』と言ったら気が狂うと思う。藤井聡太も将棋中毒でしょう」

左官頭の長兵衛は、腕は良いが博打好きで、多額の借金をこさえており、それでも懲りずに博打に出掛けて身ぐるみ剥がれて帰ってきた。家は真っ暗。女房によると油を買う金もないという。女房は娘のお久が出て行ったことを長兵衛に告げる。吉原の大店、佐野槌(さのづち)に買って貰い、親の借金を返そうとしていたのだ。
それを知った長兵衛は佐野槌に向かおうとするが、身ぐるみ剥がれてしまったため、半纏とふんどししか身につけておらず、このままでは吉原には行けない。そこで女房の衣装を引き剥がし、それを纏って吉原へと向かう。佐野槌に着いた長兵衛は、女将から五十両の借金をする。返済の期限は来年の大晦日。それまでに返せなかったら、お久は女郎として店に出すという。
五十両を受け取って帰路についた長兵衛だが、吾妻橋に差し掛かったところで、隅田川に身投げしようとしている青年がいることに気づく。なんとか止める長兵衛。青年は鼈甲商尾張屋に奉公している文七で、石川屋から金を受け取り、店に帰る途中、枕橋で人相の悪い男とすれ違いざまに五十両を盗まれてしまったのだという。このままでは店に帰れないと身投げをすることに決めたのだ。
何度も説得したあげく、長兵衛は虎の子の五十両を文七に譲ることにする。「吉原の大店、佐野槌にいる娘が店に出て客を取る。病気をするかも知れない。か○わになるかも知れない。が、死ぬわけじゃない。そうならないよう、観音様かお不動さんに祈っとけ」と言って長兵衛は去る。
店に帰った文七は、五十両を差し出すが、主は、文七が碁に嵌まっていることを知っており、石川屋でも店先で主人と夢中になって碁を打ち、五十両を忘れて帰って行ったと先方から使いが来て、五十両を先に受け取っていた。五十両は盗まれたのではなかったのだ。
主は、五十両をくれた男について、「商人(あきんど)には出来ないことだ」と感心。早速、五十両を渡した男の正体を探ることになる。文七は男の娘が吉原の大店にいることは覚えていたが、店の名前が思い出せない。主は吉原には詳しくなく、番頭もお堅い男だという。主は最初の一文字でも思い出せないかと、一音ずつ発するが、「さ」が出たところで、「さの」が出て、番頭が躍り上がって「佐野槌!」と言い、店の位置まで唱える。お堅いと思わせていたのは表面だけで、実際は遊んでいたらしい。
ということで、男の正体が長兵衛だと分かり、一行は日本橋達磨町の長兵衛の長屋に行く。町の者に聞くと、夫婦仲が悪く、いつも「バカヤロー!」と罵声が聞こえるのが長兵衛の長屋だという。すぐに分かった。着るもののない女房を屏風の裏に隠し、対応する長兵衛。「一度やったものは受け取れない」と突っぱねる長兵衛だったが、それを諫める声が屏風の向こうから聞こえる。「誰かいるのか?」となるが長兵衛は誤魔化す。結果的には、長兵衛は金を受け取り、お久も尾張屋の主に身請けされて戻り、文七とお久は夫婦となって元結(髷を結う紐)屋を始めたという。

志の輔の語りはしかるべき言葉がしかるべき場所に嵌まっていく見事なものである。いずれも古典落語であるが、志の輔が作った落語のように聞こえてくるのが面白く、話を完全に自分のものにしているのが分かる。


なお、志の輔の一番弟子である立川晴の輔が「笑点」の大喜利レギュラーになったそうである。「何枚座布団を貰うんでしょう。私は一枚だけ」
今度、WOWOWでPARCO劇場でやった公演が放送されるそうであるが、今はYouTubeで様々な映像が出回っており、許可を得ずに録音した落語の音声が流れているそうで、「アンケートに書いてありました。『私の前の席の人が録音してました』。その時、言えって!」。録音している人の特徴は分かっているそうで、「自分の声が入るといけないので笑わない」そうである。
2時間ほど喋ったが、藤井聡太はまだ一手も打っていないという話もする。
来年の1月にもまたPARCO劇場で1ヶ月公演をやるそうだが、「3日やるだけでも苦しいのに1ヶ月。京都で言う話ではないかも知れませんが、1ヶ月もやるんだから観に来ない理由はありませんわな」と締めていた。

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2024年5月27日 (月)

これまでに観た映画より(334) 草彅剛主演「碁盤斬り」

2024年5月20日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、草彅剛主演映画「碁盤斬り」を観る。白石和彌監督作品。草彅剛も白石和彌監督も私と同じ1974年生まれである。主演:草彅剛。出演:清原果耶、國村隼、中川大志、小泉今日子、音尾琢真、奥野瑛太、市村正親、斎藤工ほか。脚本:加藤正人(小説化も行っている)、音楽:阿部海太郎。エグゼクティブプロデューサー:飯島三智。
囲碁シーン監修:高尾紳路九段(日本棋院東京本院)、岩丸平七段(日本棋院関西総本部)。

落語「柳田格之進」をベースにしており、碁を打つシーンが多いという異色時代劇である。

撮影は昨年(2023年)の春に、京都、彦根、近江八幡で行われた。

元彦根藩進物番の柳田格之進(草彅剛)は、清廉潔白な人柄で、井伊の殿様からの覚えもめでたかったが、狩野探幽の掛け軸を盗んだ疑いで藩を追われて浪人となり、今は江戸の裏長屋で娘のお絹(清原果耶)と二人暮らし。長屋の店賃も滞納する貧乏ぶりである。ちなみに格之進の妻は琵琶湖で入水自殺している。格之進は篆刻を、娘のお絹は縫い物をして小金を稼ぐ毎日。吉原の女郎屋・松葉屋の大女将であるお庚(こう。小泉今日子)から篆刻を頼まれており、吉原に篆刻を届けに行ったついでに、お庚に碁を教える格之進。格之進は碁の名手であり、今日は裏技「石の下」をお庚に教える。お庚は篆刻の費用のついでに碁を教えて貰ったお礼代も払う。これで店賃を払えることになった格之進であったが、帰り道、馴染みの碁会所で囲碁好きの質両替商・萬屋源兵衛(國村隼)が賭け碁を行っているのを知る。格之進は金がないので刀を売ってしまい、脇差ししか差していない。一目で賭ける金のない貧乏侍と見た源兵衛だったが、格之進は勝負に乗る。腕は格之進の方が上だったが、途中で一両を払って勝負を降りてしまう。
その後、萬屋で不逞の侍が家宝の茶碗に傷を付けたと言い掛かりを付ける騒ぎがある。元彦根藩進物番の格之進は目利きであり、一発で偽物の茶碗と見抜く。恥をかいた侍は退散。源兵衛はお礼にと十両を渡そうとするが、潔癖な人柄の格之進は受け取らない。
格之進と源兵衛は碁を通して次第に親しくなり、度々碁を打つ関係になる。碁仲間を得た源兵衛は性格が和らぎ、それまでは「鬼のケチ兵衛」と呼ばれていたのが、「仏の源兵衛」と呼ばれるまでになる。清廉潔白で実直な人柄の格之進は、「嘘偽りのない手」を打つことを専らとしており、源兵衛も影響を受ける。碁が分からないので退屈していたお絹と萬屋の手代・弥吉(中川大志)は退屈している者同士、次第に親しくなる。格之進はお絹と弥吉に碁を教え、二人で碁の勝負をするよう勧めたことで、更に惹かれ合う二人。
しかし、ある日、格之進の元に、「柴田兵庫が探幽の掛け軸を盗んだことが分かり、すでに出奔した」という知らせが伝わる。柴田兵庫(斎藤工)と格之進は折り合いが悪く、彦根城内で斬り合いになったこともあった。更に兵庫が格之進の妻を脅して関係を迫り、それを苦にして妻が自殺したことも判明する。復讐心に燃える格之進。

中秋の名月の日。源兵衛に誘われて碁を打ちに出掛けた格之進。しかし碁の最中に柴田兵庫の話を聞いた格之進は、いつものような手が打てない。源兵衛の提案で対局は中止となった。対局の最中に淡路町の伊勢屋から五十両が源兵衛に届く。碁に夢中な源兵衛はその五十両をどうしたのか失念してしまう。番頭の徳兵衛(音尾琢真)が、柳田様が怪しいというので、弥吉を格之進の元に使いに出す。格之進は、弥吉を「無礼者!」と一喝した。しかし五十両といえば大金である。格之進は吉原のお庚に五十両を貸してもらい、お絹が自ら進み出て松葉屋に入ることになる。住み込みの小間使いだが、期限の大晦日までに返済しないとお絹も女郎として店に出ることになる。

柴田兵庫が中山道をうろつきながら賭け碁で稼いでいるという情報を得た格之進は、中山道を西へ。碁を打てる場所を片っ端から当たるが、兵庫は見当たらない。兵庫は六尺の大男で、格之進に斬られた片足が悪いという特徴があるので、他の人物よりは見つけやすいが、情報網の発達していない江戸時代にあって人捜しは困難を極める。塩尻宿で彦根藩時代の同僚、梶木左門(奥野瑛太)と出会った格之進。左門は潔白が証明されたので彦根に戻ってはどうかと格之進に告げる。だがそれより先に兵庫を探さねばならない。中山道に兵庫はいないと見た二人は甲州街道を下り、韮崎宿で兵庫とおぼしき男がいたという情報を手に入れる。その男は今は韮崎を去り、江戸の両国で行われる碁の大会に出ると話していた。二人は急ぎ江戸へと向かう……。

落語が原作ということもあり、昨日、志の輔の落語で聞いた「文七元結」にも似た要素が出てくるのが興味深い。金をなくす経緯や若い二人が祝言に至る過程などがそっくりだ。

普段は穏やかで知的だが、激高すると凄みの出る柳田格之進を演じた草彅剛。「白川の清き流れに魚住まず」と言われるほど生一本な性格で、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で演じた羽鳥善一とは真逆に近いキャラクターであるが、どちらも立体的な人物に仕上げてくるのは流石である。髭を伸ばした姿にも色気があり、普段バラエティーや彼の公式YouTubeチャンネルで見せる「親しみやすい草彅君」とは違った姿を見ることが出来る。
格之進は清廉すぎて不正を見逃せず、殿様に度々讒言を行って多くの者が彦根を追われている。そうしたどこか親しみにくい人柄や己に対する後悔も随所で表現出来ていたように思う。

格之進の娘・お絹役の清原果耶と萬屋の手代で源兵衛の親類に当たる弥吉を演じた中川大志は美男美女の組み合わせで、この作品における甘いエピソードを一手に引き受けている(格之進はああした性格なので女遊びはせず、色恋とも縁がない)。二人とも特別好演という訳ではなかったように思うが、若さ溢れる姿は魅力的だった。

敵役の柴田兵庫を演じる斎藤工は、まず容姿が格好いいが、格之進と反りが合わなかっただけで、根っからの悪人というわけでもなさそうな印象を受けるのは斎藤の持つキャラクターゆえだろう。

最初出てきた時は小悪党っぽかった萬屋源兵衛を演じた國村隼。身内にとにかく厳しい性格だったが、次第に和らいでいく様が印象的である。

ちなみに「キネマ旬報」2024年5月号の草彅剛へのインタビューと白石監督との対談には、草彅剛、國村隼、斎藤工らは囲碁の知識が全くないまま対局シーンに臨んでおり、囲碁のルールが分かっているのは本来は碁を知らないという設定のはずの清原果耶と中川大志の二人だけだったという逆転話が載っている。白石和彌監督は「碁盤斬り」を撮ることを決めてからスマホに囲碁のアプリをダウンロードしてやり方を覚えたそうである。

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2022年11月29日 (火)

立川志の輔独演会@春秋座2022 「ハナコ」&「帯久」

2022年11月7日 京都芸術劇場春秋座にて

午後6時から、京都芸術劇場春秋座で、立川志の輔独演会を聴く。

まず前座として志の輔の七番弟子である志の麿による「桃太郎」が語られる。昔の子どもと今の子どもでは様々なことに対する態度が違い、昔の子どもは寝る前の絵本の読み聞かせをちゃんと聞いて寝たが、今の子どもは色々文句を言うという。
読まれる絵本は「桃太郎」。今の子どもは、民俗学的立場から桃太郎の話を解釈してみせるという話である。

志の輔の落語は2曲あるが、まず新作落語の「ハナコ」が語られる。ハナコというのは牛の名前である。
志の輔は、「ようこそいらっしゃいました。こっちの方が遠くから来ているんですが」と語った後で、東京では、コロナの第八波が来るのでは囁かれているが、日本人はもうコロナに対する予めの準備が出来ているというところから、「予め」に関する話となり、「私の落語は創作落語で、他にやる人がいないんです。こうした800人入る劇場で全員が面白いと思うかどうかは分からないということを予め申し上げておきます」と述べてから本編に入る。
温泉宿の話。3人の男性客がやってきて、それを女将が出迎えるのだが、「今日はマエダスミコが休みでございます」と謎の女性の名前を挙げる。マエダスミコというのはこの宿の仲居らしい。何かあって遅れても、「ああマエダスミコが休みだからか」思って貰えるよう、予め話しておいたのだという。
客の一人が床の間に掛かっている絵を「雪舟の絵だ」と言う。実は、「なんでも鑑定団」の収録があった時に、旅館からはこの雪舟の絵を出品したのだが、「3000円」だったそうで、真っ赤な偽物である。ただ絵になにかあっても心配無用と言うことで、予め偽物だと明かしておいたのである。
泊まり客が露天風呂に行くというので、仲居のキョウコが案内するのだが、外に出て源泉を見に行くも、露天風呂時代は泊まり客の部屋の隣にあって、かなりの遠回りをしてしまったことが明らかになる。
さて、泊まり客の一人が、露天風呂から庭を見ていると、竹藪をかき分けて女将がスコップ(実は関東と関西では「スコップ」という言葉から連想するものが異なる。関東では大きめのものが「スコップ」で小さいものが「シャベル」なのだが、関西では真逆である)を持って出てくる。女将が何をしているのかについて、泊まり客達の予想は割れる。
温泉から出た後は、黒毛和牛の食べ放題なのであるが、黒毛の牛であるハナコが引っ張ってこられる。本当に黒毛和牛なのか疑う人がいるので、まず捌く前のものを予め見せるというのだが、泊まり客達から「もう食べられないよ」と不興を買う。
さて、なぜ女将がスコップを持って歩いていたのか、についてだが、ここでは明かさないでおく。


第2部では、「帯久」が語られる。本町というところの二丁目に呉服屋を構える和泉屋与兵衛と四丁目で帯屋を営む帯屋久七の話である。帯屋は商売が上手くいっておらず、「売れず屋」などと陰口を叩かれている。

帯屋久七が和泉屋与兵衛のところへ何度も借金に来る。借りては1ヶ月経たないうちに返すのだが、段々借りる額が増えていき、11月の頭に百両借りてからは1ヶ月以上立っても返しに来なかった。大晦日の日に帯屋は百両を返しに来たのだが、与兵衛は外に出る用事があり、帯屋は返すはずの百両と共に残された。この時、帯屋に魔が差し、百両を返さずに懐に入れて和泉屋を後にする。正月になると帯屋はバーゲンセールを開始、「あこぎ」と呼ばれる商法で売り上げを伸ばす。

和泉屋与兵衛はその後、災難続き、娘が病死し、妻も病死し、しかももらい火で和泉屋が全焼する。与兵衛は、ショックで病に倒れ、番頭の武兵衛の看病を受けるのだった。そうして10年が過ぎ、与兵衛は帯屋に借金を申し出るのだが、あえなく追い出される。帯屋の裏庭で煙草を吸った与兵衛は、火玉をかんなくずの中に投げ入れる。悪気があったわけではないが、火付けということで南奉行所に訴えられ、というところから大岡政談が始まる。志の輔は、「大岡越前」のテーマ曲を口ずさむ。

五十両を年賦一両ずつで五十年掛けて返すという下りからは、幕末の薩摩藩家老である調所広郷のアイデアが連想されるが、おそらく関係はないのであろう。

志の輔の語りは今日も絶妙。観る者を引きつける強力な引力を発しているようでもある。

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2021年10月21日 (木)

松本幸四郎・桂米團治特別出演 杵屋勝七郎主催「響の宴」@ロームシアター京都サウスホール

2021年10月17日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後5時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、「響の宴」を観る。本来は三味線の杵屋勝七郎の還暦を祝って、今年に2月に行われるはずの公演だったが、コロナによって延期。当初は、松本幸四郎、片岡愛之助、中村壱太郎、尾上右近ら歌舞伎俳優を招いて盛大に行われる予定だったが、歌舞伎俳優は毎日のように公演に出演しているため出演予定は一旦白紙に。ただ松本幸四郎だけは、襲名披露の時にお世話になったということで、「10月は芝居を休みます」と言ってくれたそうで、今回出演することになった。

そして、杵屋勝七郎とは20年来の付き合いだという桂米團治も「黒塚」の語りとして出演することになった。米團治はこの夏に公式YouTubeチャンネルを立ち上げたが、第1回ゲストが杵屋勝七郎だったという。米團治は今日、奈良で本番があったのだが、ロームシアターでの出番に間に合うよう、登場順を繰り上げて貰ったそうである。


演目は、「三番叟」、杵屋勝九郎襲名披露でもある「廓丹前」、「鷺娘」、「蜘蛛拍子舞」、「娘道成寺」(立方:井上安寿子、尾上京、花柳双子、若柳佑輝子)、「黒塚」(語り:桂米團治)、「流れ」(立方・振付:松本幸四郎)。なお、幸四郎は「蜘蛛拍子舞」では、藤舎呂照の名で立鼓を打った。

三味線は基本的には杵屋一門で構成されるが、「三番叟」では祇園甲部の小花が、「鷺娘」では先斗町のひづるが、いずれも紅一点として加わった。


「娘道成寺」で舞う4人は、京躍花(きょうようか)という団体名でも活動しているようである。苗字からも分かる通り、京都の五花街うち祇園東を除く四つの花街を代表する若手舞踊家で構成されている(井上流=祇園甲部、尾上流=先斗町、花柳流=上七軒、若柳流=宮川町)。なお、一つだけ入っていない祇園東の舞の流派は藤間流だが、松本幸四郎(本名:藤間照薫。ふじま・てるまさ)は、藤間流から分かれた松本流の家元で、名取名は松本錦升である。
京舞の振りはそれぞれ異なるので、折衷したものを舞っているようである。というよりそうしないとバラバラになってしまう。
私自身は観ていて楽しかったが、終演後の声を聞くと、やはり他流試合ということで不満を感じた人も多かったようである。


「黒塚」。舞台中央に高座がしつらえられ、桂米團治が上がって語る。まず本物の邦楽演奏を出囃子として貰った喜びを語る。ちなみに出囃子の「三下がり鞨鼓」は「娘道成寺」の曲だそうである。
「黒塚」は同名の能を原作とする作品で、市川猿之助の当たり役、というところから入るのだが、「黒塚」の前日譚である「安達ヶ原」の内容を語っていく。時は平安。京の公家に仕える岩手という美しい乳母がいた。彼女には娘が一人いたのだが、世話をしている姫が5歳になっても一言も喋らない。そこで占い師に見て貰ったところ、「妊婦の腹の中にある胎児の生き肝を飲ませば治る」という結果が出た。岩手は娘を京に残し、妊婦の生き肝を探して遠く陸奥に下る。
現在の福島県二本松市にある安達ヶ原で長の年月、岩屋に籠もっていた岩手のところにある日、若い夫婦がやって来る。妻の方は産気づいていた。岩手は絶好の機会と見て、夫が出掛けた隙に妻を殺害し、胎児の生き肝を手に入れるのだが、死に際に妻が発した言葉により、妻の正体が岩手の実の娘であったことが分かる。かくて岩手は発狂し、岩屋を訪れる旅人を殺害してはその肉を貪り食らうことになる。という話なのだが、
米團治「これじゃ能に出来ませんわな」
ということで、その後の話として能「黒塚」が作られ、それが歌舞伎や謡曲へと発展している。


米團治が退場し、三味線と長唄による「黒塚」。特別ゲストとして、箏の大石祥子と尺八の石川利光が参加する。
謡を聞き取るのに慣れておらず、しかも座席のシートの薄いロームシアター京都サウスホールで上演時間約1時間という長編の「黒塚」ということで、臀部の痛みと戦いながらの鑑賞となる。消耗戦となったが、冴え冴えとした邦楽の音色などは楽しむことが出来た。


松本幸四郎の振付・踊りによる「流れ」。幸四郎の長着の色は浅葱に近いが、「流れ」というタイトルなので、「水色」とするのが一番良いだろう。もっとも、流れるのは水だけではない。時間も人の心も流れる。
そんな「流れ」を表す幸四郎の淀みない動きを見ている内に、先ほどまで感じていた疲労がすっと抜けていくような不思議な感覚にとらわれる。まるで「神事」に接して身を清められたかのようだ。


千穐楽(カーテンコール)。まず杵屋勝七郎のコメントであるが、「もう還暦なので涙腺が(崩壊しそう)」「満員のお客さんの圧を感じるのは2年ぶり」ということで感慨ひとしおのようである。勝七郎が感激の余り落ちが付けられないと察した米團治が幸四郎に話を振る。幸四郎は、「伝統芸能は絶えることがない。そのことを(客席の)皆様に、なにより勝七郎さんに実感させられました」という内容の言葉を述べた。

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2021年7月24日 (土)

コンサートの記(733) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021 レハール 喜歌劇「メリー・ウィドウ」

2021年7月18日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021 レハールの喜歌劇(オペレッタ)「メリー・ウィドウ」を観る。なお、「メリー・ウィドウ」では劇中に選挙の話が出てくるが、今日は兵庫県知事選の投票日で、兵庫県立芸術文化センターの周りを投票を呼びかける選挙カーが回っていた。

佐渡裕の指揮、兵庫芸術文化センター管弦楽団、ひょうごプロデュースオペラ合唱団の演奏で行われる毎夏恒例のオペラ公演。昨年の「ラ・ボエーム」はコロナ禍のため、2022年に延期となったが、今年は無事に開催される運びとなった。ダブルキャストで、明日と23日は休演となるが、それ以外は1日おきに出演者が変わる。

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今日の出演は、高野百合絵(ハンナ・グラヴァリ)、折江忠道(ミルコ・ツェータ男爵)、高橋維(たかはし・ゆい。ヴァランシエンヌ)、黒田祐貴(ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵)、小堀勇介(カミーユ・ド・ロシヨン)、小貫岩夫(おぬき・いわお。カスカーダ子爵)、大沼徹(ラウール・ド・サンブリオッシュ)、泉良平(ボクダノヴィッチ)、香寿たつき(シルヴィアーヌ)、桂文枝(ニエグシュ)、志村文彦(ブリチッチュ)、押見朋子(プラスコヴィア)、森雅史(もり・まさし。クロモウ)、鈴木純子(オルガ)、鳥居かほり(エマニュエル)、高岸直樹&吉岡美佳(オペラ座のエトワール)、佐藤洋介(パリのジゴロ=ダンサー)、伊藤絵美、糀谷栄里子、四方典子(よも・のりこ。以上3人は踊り子)。踊り子役の3人は、関西では比較的名の知れた若手歌手なのだが、ひょうごプロデュースオペラ合唱団の中で踊りも担当する役ということで、無料パンフレットには個別のプロフィールは記載されていない。その他にダンサーとして、高岸、吉岡、佐藤も含めた16人の名前がパンフレットに載っており、助演名義で14人が出演する。

演出は、広渡勲(ひろわたり・いさお)。日本語訳詞・字幕付での上演。訳詞を手掛けたのは森島英子。演出の広渡が日本語台本を手掛けている。プロデューサーは小栗哲家(俳優・小栗旬の実父)。

グランドピアノをイメージしたセットが組まれており、ミニチュアセットが兵庫県立芸術文化センター内の「ポッケ」というスペースに展示されていて、写真を撮ることも出来る。
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オーケストラピットを囲うようにスペースが設けられており(宝塚歌劇でいうところの銀橋)、そこでも歌唱やダンスなどが行われる。

佐渡裕が登場し、客席に顔を見せて振り返ったところで入り替わりがあり、タクトを振り上げてから客席を振り返った指揮者は桂文枝に代わっていて、「いらっしゃーい」というお馴染みの言葉が客席に向かって放たれる。文枝が務めるのは、架空の国であるポンテヴェドロ王国(モンテネグロ公国がモデルである)の大使館書記のニエグシュとストーリーテラー(狂言回し)である。

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ポンテヴェドロ王国の資産を握るほどの大富豪が死去したことから問題が起こる。

その前にまず主人公であるハンナとダニロの関係から。二人は元々は恋人で、結婚を誓ったほどの仲だったのだが、ダニロが伯爵であるのに対して、ハンナは平民の娘。身分違いの恋ということで二人は引き離されることとなったのだ。
その後、ハンナはポンテヴェドロ王国の大富豪の老人と結婚。ところが、十日も経たないうちに(正式には八日後ということになっている)老人が死去。文枝は、「最近、和歌山で同じようなことがありまして、田辺の方だったでしょうか。あちらは事件性がありますが、こちらはございません」と、現在に至るまでのあらすじを語り、ハンナもパリに出てきて、陽気な未亡人(メリー・ウィドウ)として暮らしているのだが、彼女がフランス人と再婚すると、受け継いだ大富豪からの遺産がフランスのものになってしまうということで、元恋人であるダニロに白羽の矢が立つのだが、ダニロはプライドが邪魔する上に、財産目当てと見られることを嫌い、その気になれない。ハンナと別れてからのダニロは駐仏大使館の一等書記官となるも荒れた生活を送っており、有名バー・レストラン「マキシム」に入り浸る毎日を過ごしている。

一方、ポンテヴェドロ王国駐仏公使のツェータ男爵の夫人であるヴァランシエンヌに、パリの伊達男であるカミーユが懸想し、ヴァランシエンヌの扇に「愛している」と書き込んだのだが、その扇をヴァランシエンヌが紛失してしまったことから一騒動起こる。扇は大使館員の手で拾われ、話題になるのだが、ツェータ男爵は自分の妻が関係しているとは夢にも思っていない。

ということで、ハンナとダニロ、ヴァランシエンヌとツェータとカミーユによる騒動を描いたドタバタである。オペレッタということで、筋書きも単純だが、音楽と「人を愛することの素晴らしさ」を存分に味わうことが出来る。音楽によって舞台上と客席が一体になる様は、オペラやオペレッタならではのものである。

歌手達の歌唱と演技も上等。新劇と宝塚歌劇の中間のような演技をする人が多いので、作りものっぽさが気になる人もいるかも知れないが、日本人歌手による日本語上演としてはかなり健闘しているように思う。桂文枝は落語家なので、語りや演技スタイルが浮いているが、そもそもがそうした要素を求められてのキャスティングである。文枝に名演技を期待している人も余りいないだろう。


育成型のオーケストラである兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)は、在籍期間最長3年ということで、個性のある団体にはならないのだが、見方を変えるとどんな音楽にも順応しやすいということで、「メリー・ウィドウ」でもウィーンとパリの良さを合わせたレハールの音楽を洒落っ気たっぷりに演奏する。コンサートマスターは元大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターで、現在は日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務める田之倉雅秋だが、元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者のペーター・ヴェヒターを招き、ウィーン情緒の醸成に一役買って貰っているようである。佐渡の生き生きとした音楽作りも良い。

全体的に野球ネタがちりばめられており、ダニロが通う「マキシム」は甲子園店という設定で、文枝が「毎晩、虎になる」という話をするが、ツェータ男爵は巨人ファンだったという謎の設定である。また、ダニロが酔っ払って、「佐藤(輝明。西宮市出身である)、オールスターで打った」と寝言を言ったり、ハンナが「ダニロ」と言うのかと思ったら、そうではなくて「ダルビッシュ」だったりする。


3幕の前に、文枝が客席通路を喋りながら銀橋に上がり、「私と香寿たつきさんとで面白いことやってくれと言われまして。香寿たつきさんはいいですよ、歌って踊れる。私は話しか出来ない」ということで、花月などでもやったことのある病院ネタの創作落語を、今日は立ったまま行う。「病院で薬を貰うようになってから体調が悪化した」という老人の話。元々酒豪で、医師から「1日1合まで」と決められたのだが、それでも体調が悪くなる。医師は、酒の他に「煙草も1日2本まで」と決めたのだが、「元々煙草は飲まない」そうで、無理して朝晩1本ずつ吸うようにしたら頭がクラクラして体調が悪化したとのこと。更に、右脚が悪くなり、医師から「年だ」と言われるも、「左脚も同い年なんですけれど」「左右共に一緒に学校に通ったりしてたんですけれど」と粘るも、「直に追いつく」などと言われる内容であった。
文枝は、佐渡にも病院ネタの話をして貰うのだが、「脚を骨折した」「溝に落ちて骨折した」「病院に予約しないで行ったら、『佐渡さんだ! 佐渡さんだ!』と騒がれた」「脚の診察を終えたが、顔にも傷が出来てきたので、『頭のレントゲンも撮った方が良いですよ!』と医者に言われるも」「医者は興奮していて、自分の骨折した方の足を思いっ切り踏んでいた」という佐渡の話に、「私より面白い話してどうしまんのん?」とつぶやく。

一方の香寿たつきは、十八番である「すみれの花咲く頃」を歌って踊る。ちなみに佐渡裕は、昨年、コロナ禍を乗り切るために「すみれの花咲く頃」の歌声映像や音声を募集して、合唱作品を作り上げている


「メリー・ウィドウ」の「ダニロの登場の歌」は、ショスタコーヴィチが交響曲第7番「レニングラード」の第1楽章の「戦争の主題」の一部に取り入れられているとされる。「メリー・ウィドウ」はヒトラーが好んだオペレッタとして有名で、ショスタコーヴィチがヒトラーを揶揄する意味で取り入れたのではないかとする説もある。


本編終了後におまけがあり、まずレハールのワルツ「金と銀」抜粋に合わせて、高岸と吉岡がパ・ド・ドゥを行い、その後に「メリー・ウィドウ」のハイライトが上演される。最後はステージ上に登場した佐渡が「さて女というものは」を歌い、文枝がPACオーケストラを指揮して伴奏を行うなど、遊び心に溢れた上演となった。

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2019年11月22日 (金)

「志の輔らくご in 森ノ宮2019」

2019年11月14日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて

午後6時30分から、大阪の森ノ宮ピロティホールで、「志の輔らくご in 森ノ宮2019」を観る。

まず志の輔の弟子が落語を披露する。六番弟子だという立川志の大の「一目上がり」と、七番弟子だという立川志の麿の「初天神」。

志の大は、「空気を読みまして、15分のところを10分で終えようと思います」と言ってから始める。「一目上がり」は、「自画自賛」という言葉でも知られる絵の「賛」という言葉をご隠居から教わった八っつあんが、出会う相手に「賛ですね」と知ったかぶりをして詩である「詞」だと言われ、次に出会った人に「詞ですね」やはり知ったかぶりをして、悟りの「悟(ご)」だよ言われるという、同音異義の漢字が繋がる話である。次に出会った人に八っつあんは、「次は六だろう」と先手を打つが、実際は「七福神」が来たという話である。

「初天神」は、始めて天神のお祭りに行く親子の話である。ラストでは父親が子どもが蜜団子を買うのだが、今、コンビニで同じ事をやって目撃談が投稿されたら炎上しそうなことを行ってしまう。

 

志の輔登場。まずは「買い物ぶぎ」。もう11月ということで、「振り返ってみると災害以外はラグビーのことしか記憶にない」「にわかラグビーファンが増えた」「私もその一人」という振りを行い、ここ数年は東南アジアで公演することが多いという話から始める。昨年、春秋座で語ったのと同じ枕である。午前11時台の飛行機に乗ると、時差もあって午後5時にはタイのバンコクに着いてしまい、現地時間の午後7時から独演会を行って、終演後に一杯やっていると、「師匠、時間がありますので」と言われる。午前0時発羽田行きの飛行機が出ていて、その日のうちに帰れるそうだ。

海外で公演を行うと、大使といった普段会えない人にも会ったりするという。「60歳ですが、落語を生で観たのは初めてです」と言われ、表向きは「初めての生の落語が私。光栄です」と応えるのだが、内心は「初めて? その年で? 今までなにやってたの? 大使ってのは現地に日本文化を広めるのが役割じゃないの?」と思うそうだ。まあ、当然である。
昨年はベトナムのホーチミンで公演があり、折角なので志の輔の出身地である富山の「こきりこ節」を前座で上演しようということになる。富山から保存会の方がホーチミンまで来て上演を行う。志の輔は、それを舞台袖のパイプ椅子に腰掛けて見ていたそうだが、客席が沸いているのを見て感涙の涙を流したという。だが、それは「私、18歳まで富山で過ごしていたんですが、こきりこ節を生で見るのは、その時が初めて」「ということで、落語を見るのは今日が初めてという方も全然問題ない」と、「にわか」がここに掛かる。

志の輔は現在は折りたたみのものではなく長財布を愛用してるのだが、お札だけではなく必ず200円分のコインを用意しているそうである。羽田空港には最新式のマッサージチェアが設置されていて、その使用料が200円なのだそうだ。最新式のマッサージチェアは「かゆいところに手が届く」ほど心地よいそうで、「中に人が入ってるんじゃないか?」(「人間椅子」である)というほどだそうで、志の輔は搭乗する前には必ずマッサージチェアで10分間、至福の時を味わうそうだ。
長崎まで日帰り公演に行った時のこと。朝7時25分に羽田を発つ飛行機に乗る。長崎空港までは1時間半で着くが、公演会場までは長崎空港から車で2時間掛かったそうである。公演を終え、本当なら長崎の中華街でグルメと行きたいところだったのだが、日帰りなので、長崎空港発羽田行きの飛行機に今日中に乗らなくてはいけない。長崎空港でマッサージチェアを楽しもうとした志の輔であるが、200円入れても動かない。人を呼ぼうとするが、JALの人もANAの人もマッサージチェアに詳しいとは思えない。売店のお姉さんが目に入るが、少し距離があるのでマッサージチェアから離れないといけない。その間に他の人にマッサージチェアを取られても困る。バッグには貴重品が入っているので椅子取りをするのも不用心である。
実は、長崎空港のマッサージチェアの使用料は300円だったのである。「羽田空港のマッサージチェアが300円で長崎空港のマッサージチェアが200円ならわかりますよ」「でも生意気、いやいやこんなこと言っちゃいけない」。結局、マッサージチェアは使えず、200円も戻って来ず、長崎空港を離れることになったのだが、飛行機の中でイライラ。理由は「次に使う奴は100円でいい」からだそうである。
今は街にものが溢れている。江戸時代はものがなく、上方落語でも江戸落語でも「なんとかして酒を吞む機会にありつきたい」という渇望が描かれているのだが、今はものだらけで江戸時代の人が今の時代に来たら頭が混乱するというところから、本題に入る。

舞台はドラッグストアである。奥さんが風邪を引いたというので風邪薬を買いに来た男が、ついでに奥さんに頼まれたものを買うことにする。相手をするのは勤務歴3ヶ月のアルバイトの男性。店長は生憎、食事のために出掛けている。
森の香りがする「森の妖精」という消臭剤を買うことにするのだが、「森に行ったときに便所のことを思い出したから困る」「匂いを吸い込むんでしょ? 森の香りは吸い込まないの?」
クリーナーモップは用途別になっているため迷うのだが、なんでも用もあるので、「それは変でしょ?」となる。
風邪薬は山のようにあるのだが、「鼻水と鼻づまりに両方効くってどういうこと?」
歯磨き粉も種類が多い。虫歯対策の他に、「歯を白くする」「口臭予防」などの種類があるが、「歯が白くなっても抜けたらなんの意味もない」と文句を言う。

トイレットペーパーの「お得用二枚重ね」も「自分で二枚重ねにするよりお得ってこと?」と詰め寄ったりする。男が棚の後ろにいる時に店長が買ってきて、アルバイトの男性は、聞かれたことをそのまま店長に伝えるのだが、「そんな馬鹿な質問をする奴がどこにいるんだ?」と言うと、文句ばかり付ける男が出てきて「馬鹿とはなんだ」、「馬鹿とは言っていない」と言い合いになる。
だが、その時におばさんの客が一人、口を出す。実は風邪薬を買いに来た男とアルバイトの男性がやり取りを始めるずっと前から店内にいたのだが、ずっと相手にされないため怒り心頭に発したのだ。「馬鹿だの馬鹿じゃないのってないで、馬鹿を治しな!」と言うのだが、「馬鹿に効く薬はありません」

 

 

15分の休憩を挟んで、「徂徠豆腐」が演じられる。まず、毎年、胃と腸の検査をして貰っているという話から入る。「5年ほど前までは、(NHKの某番組で)人に勧めているだけだったんですが」やはり年齢もあって検査して貰うようになったそうだ。志の輔は目黒区の外れの方に住んでいるのだが、胃と腸の検査は多摩川を越えた神奈川県相模原市の病院でやって貰っているという。その病院の先生が理解のある人で、芸能活動で時間がないだろうからということで、胃と腸の検査を同時に――といっても上と下から一度にカメラを入れるわけではないのだが――やってくれるというので、相模原まで出掛けているそうだ。
病院の先生は尊敬されているからいいが、看護婦さん(今は看護婦ではなく看護師を使うことが多い)はそれほど尊敬されているというわけでもない。だが、看護婦さんこそ立派な職業だという。薄給であり、少なくとも豪邸に住んだりベンツを乗り回している看護婦さんというのは聞いたことがない。彼女たち本人は進んで看護婦になったと思っているだろうけれど、実際は医学の神様から選ばれた人がなっているのだろうと志の輔は述べる。消防士もまた大変な仕事で、時間を選ばず火事は発生する。火事が発生するや消防士はポールを下りて(今はポールを下りる習慣はなくなったようだが)現場へ向かう。それでいて少しでも到着が遅れると怒られたりする。消防士達も消防の神様から選ばれたのだろうという話をする。火事の話は「徂徠豆腐」本編に繋がっていく。
江戸・増上寺のそばに住む上総屋七兵衛という腕の良い豆腐屋が主人公である。ある日、七兵衛が豆腐を売り歩いていると、髭面の男の呼び止められる。豆腐は1つ4文だが、髭面の男は「ツケにしてくれ」という。髭面の男は豆腐が何よりも好物だそうである。次の日も七兵衛は髭面の男に豆腐2丁を売る。昨日の分と合わせて12文なのだが、髭面の男は実は無一文であることがわかる。髭面の男は市井の学者なのだが、金の入る仕事はしておらず、日々読書をして暮らしているそうである。いずれ世のためになるべく勉強している学者であり、今は金はないが、世に出たら返すと髭面の男は言う。七兵衛は、「豆腐じゃなくて握り飯を食べたらどうか」というが、学者は「握り飯はいかん。豆腐屋から握り飯を貰ったのでは、施しを受けるということになる」と主張する。七兵衛は、「あんた頭が硬い。握り飯の形をした豆腐だと思って食えば良い」と言う。七兵衛は、学者におからを分けてやったりする。
その直後に七兵衛は体調を崩し、十日ほど仕事を休んだのだが、再び学者の家にいるとすでに引っ越した後だった。
七兵衛は腕の良い豆腐屋で、上総屋の豆腐の味は口コミによって大評判となり客が押し寄せる。七兵衛夫婦は付近の町のことを「良いちょうない、良いちょうない」と「ビフィズス菌のように」話すのだが、「火事と喧嘩は江戸の華」ということで、大火が夫婦を襲う。江戸は大火が多く、「明暦の大火といいまして、火元は本郷、文京区本郷です。私の母校である東京大学(?)の近くで」「死者は十万余人に及んだという。以前、東北地方でこの話をしたら、『ずいぶん細かく数えられたのね』と言われたんですがその四人ではなく」。ともかく、大火によって上総屋は焼けてしまい、七兵衛夫婦は長屋に身を寄せる。七兵衛は自分より腕の悪い豆腐屋に務めるのは嫌だというのだが、他に良い算段も思いつかない。そこへ、謎の男が現れて七兵衛夫婦に十両を渡す。七兵衛の妻は、「置き泥棒」だと夫に言う。十両を借金させて、手元に金がなくなった時に黒幕が現れて、借金のカタとして妻を貰っていくという段取りなのだと推測する。

その後、色々あるのだが、いちいち書いてもなんなので、髭面の男は実は儒学者の荻生徂徠であり、引っ越したのは側用人で実力者の柳沢吉保に引き立てられたからだったのだ。そんな折り、上総屋が火事で焼け出されたという話を耳にしたのだが、仕えている身であるため無闇に出掛けることもままならない。そこで当座の金として十両を届けさせたのである。

「上演が終わって、森ノ宮の駅に向かう時に、後ろからポンと肩を叩かれて、振り返ると『日本で一番上演されている劇はなんだか知ってるかい?』と聞かれる。そんなことはまずないんですが」という形で話されるのだが、日本で一番上演されている演目、「忠臣蔵」で、浪士達自らが申し出て切腹するという結末に導いたのが荻生徂徠だとされている。ちなみに志の輔は、大阪・日本橋の国立文楽劇場で数回に分けて上演された「仮名手本忠臣蔵」は全て観たそうで、知り合いの作曲家である三枝成彰から電話を貰って、彼が作曲したオペラ「忠臣蔵」(台本は島田雅彦が書いている)も渋谷のオーチャードホールで観たそうだ。オペラ「忠臣蔵」は素晴らしかったそうだが、オペラなので歌いながら切腹しなければならず、なかなか死ねないということに違和感も持ったそうである。

十両を渡しに来た男が再び七兵衛の家にやって来る。そしてその後からいかにも偉そうな男が入ってくる。七兵衛の妻は、「黒幕よ!」というが、いい男だったので七兵衛を捨てて男について行く気満々である。だが、その男こそ荻生徂徠であった。髭を剃り、さっぱりしていたので七兵衛は最初、気づかなかったのだ。荻生徂徠は、七兵衛のために上総屋の焼け跡に元より立派な店舗をこしらえていた。道具も最上級のものが揃っている。荻生徂徠は、縁者が一人もいないので、七兵衛の親類にして欲しいと頼むが、七兵衛は断り、逆に七兵衛が徂徠の親類に入ることを提案する。

新しくなった上総屋で、七兵衛は最初の豆腐を作り、大学者となった徂徠に献上する。感謝の言葉を述べる七兵衛に徂徠は、かつて七兵衛に「握り飯だと思うな。握り飯の形をした豆腐だと思え」と言われたことを受けて(七兵衛は自分が言ったことを覚えていなかったが)、「店だと思うな。店の形をしたおからだと思え」

 

カーテンコールで志の輔は、フェニーチェ堺の小ホールのこけら落とし公演に出たことを語り、更に池袋にオープンする大規模劇場のこけら落としにも出演が決まっていることを知らせる。そして、新たにオープンするパルコ劇場のこけら落とし公演として1ヶ月出続けることを告知するのだが、その後に渡辺謙主演の演劇を2ヶ月上演するそうで、「演劇の上演の前に、照明や音響の調整をするのに私でいいってことになったんじゃないか。演劇の小屋ですからね。落語は演劇よりも照明も音響も楽でしょうし。なんかあっても私一人のせいにすりゃいいってことで」と冗談を言っていた。
更に、「1ヶ月、20回も公演を行いますので、いくら大阪に住んでいるからといっても観に来られない理由はない」

 

志の輔の芸が弟子二人とは比べものにならないのは当然としても、見事な出来である。志の輔が一人で語っているだけなのだが、目の前に半透明のスクリーンが浮かんでいて、そこに次々と映像が投影されていくような、強烈なイメージ喚起力を持つ語りである。登場人物が皆生き生きとしており、全ての人物に存在感が吹き込まれている。
軽妙にして骨太、豪快にして繊細、緩急の手綱裁きの巧みさ、人物対比の見事さ、押しと引きの交代の妙、場面転換の鮮やかさ、まるで一人で壮大な言葉の交響曲を奏でているかのようであった。

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2019年10月13日 (日)

真宗大谷派岡崎別院 「落語と石見神楽の夕べ」

2019年10月9日 左京区の真宗大谷派岡崎別院にて

午後7時から、真宗大谷派岡崎別院で「落語と石見神楽の夕べ」を観る。石見神楽の上演は大阪市寝屋川市に本拠を置く伝統芸能杉本組、落語の上演は笑福亭仁智。司会は昨年同様、フリーアナウンサー兼タレントの元谷朋子(もとたに・ともこ)。

岡崎別院の本堂での上演となるのだが、無料公演とあって満堂となる。岡崎別院の本堂はそれほど大きくないので、石見神楽と聞いて浮かぶオロチの舞などは行われない。演目は、二人で演じられる「恵比須・大黒」である。まず神楽の説明がある。神楽は宮中で行う御神楽(みかぐら)とそれ以外で行う里神楽に分かれ、石見神楽は里神楽に当たり、神職によって伝えられてきたのだが、維新後に明治政府から、「神職が芸人のようなことをすべきではない」として禁じられ、その代わりに氏子達によって発展したという。その後に楽器体験のコーナーや演者の衣装や面(動きが激しいので軽くする必要があり、和紙で出来ている)の紹介もある。
二人で祝いの舞を舞った後で、他の座員が手にした鯛の模型を使っての釣りの踊りが披露される。いずれもコミカルな舞であり、華やかでエネルギー放出量豊かだ。
恵比須は、この舞では大国主命の息子である事代主(島根県松江市の美保神社の祭神)ということになっているようだ。

 

笑福亭仁智による落語。「牛ほめ」と「いくじい」の2席が演じられる。
昨年の6月に上方落語協会の会長に就任した仁智であるが、それ以降、天満天神繁昌亭が地震や台風、経年劣化で提灯が落ちたために行われた修復工事などでたびたび休館することになったという話から入る。
「牛ほめ」は、池田のおじさんが新たに普請した邸宅を褒めに行き、大黒柱の縁起の悪い形の節(死に節)の対処法を説けばお駄賃が貰えると親族(詳細不明)から言われた大阪の男の話である。命じる側は教養があるので、様々な褒め言葉を使って文章を聞かせるが、聞く方は頭が弱いので、勘違いをしたり書くべきでないことまで記してしまう。実は男は少し前に普請を見に行ったのだが、「大工4人で3ヶ月掛けた家」だと自慢されたので、「大工4人で建てても燃えるときゃ一晩だ」、「玄関が狭いね。これじゃ葬式の時に棺桶が通らない」、「こっちは通るが広すぎてあんただけじゃなく家族全員の棺桶が一度に出せる」などと暴言を吐きまくっていたことがわかる。
言われたことをよく覚えてから池田のおじさんの普請に向かうよういわれた男だが、ものぐさなので何も覚えずに池田へと向かう。そして懐に隠したアンチョコを見ながら喋るのだが、「備後の畳」を「貧乏の畳」と読み間違えるなど散々。ただ、大黒柱の不吉な節を秋葉権現(秋葉原の語源としても知られる火の神様)のお札を貼れば良いと教わったままに提案してご褒美を貰うという話である。
今度は牛を褒めに行く話になるのだが、男は勘違いして娘を牛に例えて大失敗するという展開になる。

「いくじい」。ヤクザの家族の話である。ヤクザの柴田乙松が年を取ったので引退することを決め、「イクメン」が流行っているので孫を育てる「いくじい」になったらどうかと弟分の源太から提案される話である。まず乙松が風呂に入るので、「バブを持ってきてくれ」と源太に命じるのだが、「バブバブっておしゃぶりでっか?」と勘違いされたり、バブを渡されたと思ったらポリデントだったり、バブとポリデントを見間違えたため「視力はいくつだ?」と聞くと「24です(視力を4×6だと勘違いしたのだ)」と返ってきたり、トンチンカンなやりとりから入る。
さて、乙松が孫の面戸を見るようになってからしばらく経った頃のこと。孫が小学校でおかしな振る舞いをするようになったというので、乙松とその息子は担任に呼ばれて学校に出向く。孫はすっかりヤクザの世界に感化されており、「一で始める四字熟語を答えなさい」という問いに「一宿一飯」と回答したり、「覚悟を決めたときには何を括るというでしょう?」という問題に「首を括る」と答えたりしているそうである。七夕の願い事にも「将来、堅木になりたい」と書き、AKB48のメンバーは一人も知らないが相撲取りの名前は48人ほど言える、夏休みの宿題も謎かけや都々逸で子供らしさが全くないものである。
その他にも「蛇は何類でしょう?」に「気持ち悪い」、「太郎君の家の冷蔵庫にはオレンジジュースが30杯分入っています。太郎君はオレンジジュースを残り10杯になるまで飲み、更に5杯飲みました。さて、太郎君はオレンジジュースを何杯飲んだでしょう?」→「お腹一杯」。「太郎君はケーキ屋さんにケーキを買いに行きました。200円のケーキを5個買って150円負けて貰いました。さていくら払うでしょう?」→「店の人に聞く」
ただ、乙松もその息子も小学校の成績は悲惨だったそうで、「『打って変わって』を使って文章を作りなさい」という問いに、「僕のお父さんは薬を打って変わってしまいました」と書いたりしていたそうである。
その後、乙松は町内のご長寿クイズ大会に乙松が出るという展開になるのだが、ここは少し作り物的で弱かったように思う。
枕として、「ガッツ石松は、『太陽はどちらから昇るでしょう?』と聞かれて『右側』と答えた」「具志堅用高は、マクドナルドのドライブスルーで『あれとこれとそれ』と言って、『それじゃ分かりませんので名前を言って下さい』と店員に言われて『具志堅用高』と答えた」という話をして、「でも世界チャンピオン」という話をしていた。

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2019年3月28日 (木)

笑いの林(116) 「きん枝改メ四代桂小文枝襲名披露公演」@NGK

2019年3月12日 なんばグランド花月(NGK)にて

 

午後7時15分から、なんばグランド花月で「きん枝改メ四代桂小文枝襲名披露公演」を観る。出演は、桂小文枝の他に、桂坊枝、桂文珍、月亭八方、桂春團治、桂文枝、桂ざこば、笑福亭仁智、三遊亭円楽(登場順)。

 

前半が落語、仲入りを挟んで桂小文枝らによる襲名披露口上があり、その後に三遊亭円楽の落語、トリに桂小文枝の落語が来る。

 

 

前半の落語の出演は、桂坊枝、桂文珍、月亭八方、桂春團治、桂文枝。

 

 

桂坊枝は古典落語の「時うどん」をやる。うどんの勘定の誤魔化し方を覚えた男が、真似しようとして逆に損をするという話である。

 

 

桂文珍。電車に乗っているとお年寄り二人が、「あれ」「え?」「そうよね」「ああ」と文珍の方を見ながら話していて「もう名前が出てこない」年だという話から入り、若者はスマホに向かって「大阪 落語 眼鏡」と言って検索しようとする。「聞いてくれたら答えましたのに。『鶴瓶です』」
というところから創作落語「メディアの海」に入る。パソコンが使えないおじさんの話に始まり、スマホが先代の桂小文枝や桂米朝、先代の春團治など他界した人々に繋がり、遂にはスマホの中の世界に入ってメディアの海を渡るようになる。メディアの海の向こうのあの世には大きな川が二本流れているが、Amazon川とLINE川だそうである。

 

 

月亭八方。八光の小学6年生になる息子が一人で遊びに来て、「吉本いろはがるた」(「い 岩尾と後藤でフットボールアワー」「ろ ローン地獄で八光大変」など)をやったという話から、「狸賽」に入る。ばくち打ちが助けた狸にサイコロになって貰って一儲けたくらむという話である。
賭場で狸に出て欲しい数を言うのだが、「なんで数を言うんだ」と咎められたため、符丁を使うことに。だが、一と二しか打ち合わせておらず、五が欲しかった男は「梅鉢の紋、菅原道真公」と五に近い紋様を示すが、狸は勘違いで菅原道真公そのものに化けてしまうというオチであった。

 

 

桂春團治。「落語家協会には260人ほど所属していますが、誰もやらないものをやります。なんで誰もやらないかといえば、しょうもない話だから。タイトルを覚えて貰わないといけません。『死ぬなら今』」
「地獄の沙汰も金次第」ということわざにちなむ作品で、ある男が閻魔大王に贈賄をし、本来地獄に落ちるはずが極楽行きが決まった。しかし、密告があり、極楽の阿弥陀如来らが軍を差し向け、閻魔大王と鬼達を収賄容疑で捕らえる。ということで今なら閻魔大王の裁きを受けずに極楽にフリーパスという話である。

 

 

桂文枝。創作落語「大・大阪辞典」。東京の銀座で生まれ育った女性が大阪出身の男性と結婚したのだが、夫の転勤で大阪に引っ越すことに。武家の都である東京と商人の町である大阪とでは大違いなので、形だけでも大阪通にならないとと考えた女性は、「大・大阪辞典」を買って来て勉強することに。大阪通クイズで100点満点中50点は取りたいというので、夫に問題を出して貰って挑む。「『次の大阪弁を日本語に直しなさい』。日本語ってなんやがな? 大阪をどこや思うてんのや? 『おいど』(正解は「お尻」である)」「次の日本語を大阪弁に直しなさい。『鳥肌』(正解は「さぶいぼ」)」「次の日本語を大阪弁に直しなさい。『ものもらい』(正解は「めばちこ)」という知識問題から、「こんな時、大阪ではどうする」どいう状況判断間問題まで揃っている。状況判断問題は大阪人の粋(すい)が感じられるものになっている。
ちなみに、先代の桂小文枝(先代の桂文枝でもある)がCMに出ていたということにちなんでか、「千日前の千日堂のコマーシャルソングを歌いなさい」という知識問題もあり、文枝は歌声を披露していた。

 

 

 

中入り後の口上。出演は、四代桂小文枝を中心に、桂ざこば、桂文枝、桂春團治、月亭八方、三遊亭円楽、笑福亭仁智(掲載順)。司会は桂坊枝が務める。

 

ちなみに桂文枝と桂小文枝両方の名跡が揃うのは実に115年ぶりだそうである。

 

桂文枝が、「これからは小文枝師匠と呼ばなければならない」というも「この師匠、少々アホでして」と小文枝が選挙に出た時の話をする。きん枝時代の小文枝は「大阪には100万のお笑い票がある」と豪語するも、ふたを開けたら僅か4万票の泡沫候補に過ぎなかったのだが、「二期目どうしよう?」と当選してもいないのに心配していたり、選挙演説のため船で道頓堀に漕ぎ着けたのだが、寄ってきたのはみな中国人だったという話をしていた。

 

三遊亭円楽は、若い頃に小文枝と京都で勉強会をやることになったのだが、円楽を呼んだ理由が「僕は友達がいないから」と打ち明けられて、「気が合いそうだ」と思ったことを話す。

 

桂ざこばは、四代桂小文枝のことを「三代目桂小文枝」と間違えていたりしたが、「これが脳梗塞です!」と病気ネタにしていた。

 

 

 

三遊亭円楽の落語。先程の口上での桂ざこばの発言を枕として使い。「脳梗塞はずるいですよね。私も肺がんじゃなくて脳梗塞になれば良かった」と語る。
演目は「寄合酒」。皆で酒を飲もうという話になったのだが、どいつもこいつも金はない。それでも酒は飲まなければならないというので、角の乾物屋からあれこれ持ってくるという、角の乾物屋にとっては難儀な話である。

 

 

そしていよいよ四代桂小文枝が登場。文枝や文珍とは同門だが、彼らと違って自分は出来が悪かったという話をする。先代の小文枝は温和な人だったが、稽古で当代の出来が悪かったため、物差しで叩かれるのが常であったという。
演目は「天神山」。大阪の天王寺付近を舞台をした落語である。
へんちきの源助が一心寺(現在は骨仏の寺として有名。また断酒の願掛けを行う寺院としても知られている)の墓場で墓石を見ながら酒を見るという花見ならぬ墓見を行う。若くして亡くなった「いと」という女性の墓の前で飲んでいたのだが、「いと」のしゃれこうべが出てきたため、持ち帰って花を生けようなどと考える。
ところがその夜、源助の住む長屋の戸を叩くものがある。何かと思ったら「いと」の幽霊である。しかし、源助は変わり者なので幽霊と結婚することに。
一方その話を聞いた、源助のお隣さんである安兵衛は、幽霊の嫁を求めて一心寺へ。しかししゃれこうべに出会えず、その北にある安居天神(真田幸村終焉の地として知られている)に行ったところ猟師に捕まった狐を助けることになる。そして女に化けた狐を嫁にするのだが……。

 

二つの物語がバトンタッチする演目で、寄り道が多く、正直「長い」とも感じられたのだが、こうした余分の多い芸能はある意味、時間を気にしなくてもいいという文化的な豊穣さの証でもある。とはいえ、私は京都から来ていたので帰りの電車の時間が気になっていたのだけれど。

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2019年1月30日 (水)

天満天神繁昌亭 2019年一月天神寄席「信長・秀吉・家康」

2019年1月25日 大阪・天満天神繁昌亭にて

午後6時30分から、大阪の天満天神繁盛亭で、一月天神寄席「信長・秀吉・家康」を聴く。

番組と出演者は、「荒大名の茶の湯」笑福亭風喬、「大名将棋」笑福亭仁喬、「太閤の白猿」森乃福郎、「家康の最期」旭堂南海、中入り後、鼎談「時代小説と落語」(桂春團治、高島幸次)、「本能寺」桂米左。なお、鼎談に出演予定だった小説家の木下昌輝がインフルエンザのために降板となり、急遽、旭堂南海が加わって鼎談という形になった。

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑であるが、落語は基本的に庶民を描くものであり、偉人は登場しない。今回行われる上演でも、旭堂南海の「家康の最期」は講釈。前半の他の演目も講釈を原作とするもので、桂米左の「本能寺」は歌舞伎を原作とするものである。


「荒大名の茶の湯」。徳川家康の参謀である本田佐渡守正信と、豊臣恩顧の7人の大名(加藤清正、池田輝政、浅野幸長、黒田長政、加藤嘉明、細川忠興、福島正則)の茶の湯の会を描いた作品である。
家康から7人の大名を篭絡するよう命を受けた本田正信が、茶会に7大名を招くのだが、細川忠興以外の6人は純粋な武人で、茶の湯についてはなにも知らない。そこで教養人である細川忠興に相談し、全員が忠興の真似をすることになるのだが、真似すべきでないところも真似してしまうという笑い話である。家康はほんのちょっとしか登場しない。
笑福亭風喬は、枕として「有馬で某国立大学の先生を相手に落語をした時の話」をする。「『落語は頭のいい人が笑うんです。頭の悪い人はなにが可笑しいのかわかりません』と話してから落語をしたところ、あの人たちよく笑うんです。なに話しても笑う」と言っていた。
加藤清正の顔が大きく、髭も長かったという話がオチにも繋がっている。


「大名将棋」。登場人物は、紀伊徳川家2代目の若殿とその家臣。若殿が家臣と将棋を指すのだが、家臣が負けたときは鉄扇で2度頭を叩く、ただ若殿が負けることはないということで、若殿は銀将を真後ろに動かし、金将を斜めに下がらせ、自分の桂馬は名馬だといって4つも5つも進ませ、槍(香車)を横に進ませ、角行を左右に飛車を斜めに、王将は「八艘飛びじゃ」と言って盤の下に隠してしまうという体で、無理やり負けということにされた家臣たちは鉄扇でしたたかにはたかれ、「もう石焼き芋屋にでもなろうか」と転職を考えるありさま。それを知った家老の石部金吉郎が若殿に立ち向かうという話である。


「太閤の白猿」。東雲節の由来を探るという話。秀吉が登場するのだが、主人公になるのは秀吉によく似ているということで大坂城に招かれて優遇されている白猿の方である。この作品にも加藤清正や福島正則は登場するのだが、鍵を握っているのは「独眼竜」伊達政宗である。


講釈「家康の最期」。家康が大坂夏の陣で討死したという仮説を元にした話である。江戸時代に出来た話だが、神君家康を書くのはまずいということで、「本を刷るのはまずいが、筆写したものは良し。売るのはまずいが、貸本屋に置くのはOK」ということだったそうである。
真田幸村が魔神のような活躍を見せる。結構、不気味である。
ちなみに、家康の影武者となったのが南光坊天海でその正体は明智光秀、というのは旭堂南海が付け加えたものだという。


鼎談「時代小説と落語」。桂春團治と高島幸次(大阪大学招聘教授)が小説家の木下昌輝に話を聞くはずが、木下がインフルエンザに罹患し、熱は下がったが医師から外出禁止令を受けているということで欠席。高島が木下からのメールを読み上げた後で、「加藤清正や福島正則が、『清正』『正則』と呼ばれることはない。諱といって本名を呼ぶのは失礼に当たる」ということで、「そういうことを本に書いている」と自分の本を紹介し始めてしまう。ちなみに高島は大阪天満宮で古文書解読の市民講座を開いているのだが、木下はそこでの生徒だそうである。

旭堂南海が呼ばれ、三英傑のことを書いた講釈は多数存在するが、落語はほとんどないという話をする。
高島は、落語の良さとして、「時代そのものがわかる」ことを挙げる。落語には、長屋の小僧が代官に気に入られて跡継ぎになる話があるそうなのだが、そうしたことは実際に数多く起こっていたそうで、ちょっと前まで日本の教科書には「江戸時代は士農工商の身分社会でした」と書かれていたが、実際は身分は流動的で、武士と庶民がいただけで庶民間に階級はなく、金で武士になることも出来た(坂本龍馬は商人を本家とする階級の生まれ、中岡慎太郎は庄屋の倅である)。春團治は、「確かに農民は身分が低いからと馬鹿にするという落語はありませんな」と語る。
ちなみに春團治は、来月大阪松竹座で行われる芝居に落語の祖とされる安楽庵策伝役で出演するそうで、出番は少ないが、高島から「主役よりも良い役」と言われていた。


トリとなる「本能寺」。歌舞伎のために書かれた本を説明を加えながら一人語り用にしたものである。元となった歌舞伎の演目は現在では廃れてしまって上演されず、上方落語の芝居噺としてのみ残っているそうだ。
鳴り物、ツケ入りの上演。
桂米左は、歌舞伎の見得や立ち回りを大げさにやって笑いを取っていた。



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