カテゴリー「美術回廊」の58件の記事

2020年10月14日 (水)

美術回廊(58) 京都文化博物館 特別展「舞妓モダン」

2020年10月8日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で行われている特別展「舞妓モダン」を観る。
舞妓を描いた絵画を中心とした展覧会である。
京都以外の人は案外知らなかったりするのだが、舞妓というのは芸妓になるための見習い期間を指す言葉であり、「半人前」である。それがいつの間にか芸妓よりも注目されるようになっている。
私が子どもの頃に、京都出身にして在住の推理小説家であった山村美紗が舞妓が探偵役を務めるシリーズを書いてヒットにつなげており、テレビドラマ化などもされたため、この時点で舞妓がすでに人気だったことがわかるのだが、その後、宮川町が芸妓ではなく舞妓を前面に押し出す戦略を始め、宮川町が後援する舞妓を題材とした映画がいくつか作られている。
その後、それとは全く無関係に周防正行監督の「舞妓はレディ」も制作されるなど、初々しさが売りの舞妓は京都の象徴であり続けている。

舞妓は今では「半人前」ということで髪型や衣装も芸妓とは異なっているが、江戸時代以前にはそうした区別はなかったそうで、往時の絵では描かれているのが舞妓なのか芸妓なのか判然としないそうである。

江戸時代から明治初期までに描かれた舞妓はいわゆる「江戸美人」の名残を残しており、細いつり目の瓜実顔であり、今の「美人」や「可愛い」とは大分基準が異なる。美人芸妓として知られた江良加代を描いた絵と彼女の写真も展示されているが、今の時代であっても彼女が売れっ子になれたかというとかなり怪しくなってくる。

昭和6年(1931)に行われた都をどりの映像が流れている。昭和6年というと、関西では大阪城天守閣の再建(正確に書くと「新たなデザインによる建設」となる)がなった年として重要だが、松の廊下事件から230年目ということで、「忠臣蔵」を題材とした演目で都をどりが行われたようである。今でも美人で通用する人と難しいかも知れない人の両方が映っているが、昭和初期であっても今と美人の基準が異なっているのは映画スターの顔を見ればわかり、今の基準で美人の子が当時も人気だったかどうかは分からない。全ては無常で移り変わっていくのである。

「つり目の舞妓」が、黒田清輝の絵画(明治29年に描かれたもの。なお、後期からは重要文化財に指定されている黒田の「舞妓」という作品が展示される予定である)から一気に変わる。キュレーターがそういう絵を選んだという可能性もあるのだが、展示された黒田清輝の絵に登場する舞妓はつり目ではなく、フラットというかナチュラルな表情をしている。日本における美人の基準が年を経れば経るほど西洋の美女に似てくるというのはよくいわれることであり、現代でもハーフタレントなどは大人気であるが、黒田清輝が舞妓の絵を描いたのはフランスへの留学を終えて帰国した後であり、あるいは当時の一般的な日本人とは違った美意識を持っていたかも知れない。異国への留学を経て帰ってきた黒田であるが、京都の舞妓にむしろ外国人以上に外国的なものを見出したことが記されている。

山があり、川が流れ、田園が広がるという景色が日本の原風景だとすると、大都市は明らかに「非日本的」な要素を多く持つことは自明であるが、ご一新の世にあっても大都市の中では日本らしさを守り続けた京都は明治時代においてすでに異国的であり、年を経るにつれ、様々な時代の建造物や価値観が渾然一体となって、いうなれば「日本的要素を凝縮しすぎたが故に却って異国的」となっていく。芸妓・舞妓はその象徴ともいえる。誤解を怖れずにいえば、彼女達は異人なのだ。特に舞妓は、華麗な衣装を纏ってはいるが半人前というアンバランスさを持っており、そこに一種の儚さやこの世ならぬものが見出されていく。

京都画壇を代表する画家である竹内栖鳳は、舞妓の「不自然さ」について書いている。竹内によると舞妓はその仕草からして不自然であり、往時は9歳から舞妓になれたということで、幼い顔や肉体とその優美な着物が不一致であるとしている。

大正時代に入ると長田幹彦が書いた祇園を舞台とする小説がヒットし、大正を代表する美人画家である竹久夢二が長田とコラボレーションを行うようになる。夢二が描く舞妓はいかにも夢二的なものである。絵としては正直弱いと思うが、大衆受けはとにかく良かったため、祇園の知名度を上げることには大いに貢献したであろうことが想像される。

舞妓という存在の不可思議性を追求する画家はその後も登場しており、速水御舟が描いた一見グロテスクな「京の舞妓」(大正9年。この作品は前期のみの展示)は、その特異性に光を当てていると見ることも出来る。ちなみにこの作品は、「悪趣味だ」として、横山大観を始めとする多くの画家から酷評されたそうである。

岡本神草の「口紅」(大正7年。この作品も前期のみの展示)も、舞妓を泉鏡花の小説に出てきそうなあだっぽい存在として描いたものであり、問題視されたそうである。

勿論、舞妓が持つそのものの魅力を描く画家もおり、「舞妓モダン」のポスターに使われている北野恒富の「戯れ」は青紅葉とカメラを持った舞妓の横顔を描いており、瑞々しさが強調されている。

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だが、その後もデフォルメは続き、下村良之介が昭和55年に描いた「たこやき」などは可憐な舞妓のイメージから最もかけ離れたものになっている。

その他にも、一見、可憐な舞妓に見えるが、よく見えると目が白人風だったりと、「別世界の女性」としての舞妓を描く作品は多い。

舞妓と呼ばれるのは芸妓になる前の5年ほどの歳月である。可憐にして奇妙な仕組みの住人となるこの短い日々を、画家達は常識的でない視点で切り取っている。

 

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2020年9月18日 (金)

美術回廊(57) 美術館「えき」KYOTO 「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」

2020年9月13日 美術館「えき」KYOTOにて

美術館「えき」KYOTOで、「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」を観る。

キスリング(本名はモイーズ・キスリングだが、キスリング本人はユダヤ的であるファーストネームが余り気に入らず、姓のみを記すことが多かったようだ)は、「ポーランドの京都」に例えられることが多い古都クラクフに生まれ、最初は彫刻に興味を持つが、地元の美術学校の彫刻科に空きがなかったため、絵画科に学ぶ。
19歳でパリに出たキスリングは、モンマルトルでピカソ、モンパルナスでモディリアーニや藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと交流。影響を受ける。藤田嗣治とは特に親しかったようで、二人で収まっている写真が残っている。

ちなみによく知られた「エコール・ド・パリ」という言葉だが、当時のフランスでは国粋主義が台頭しており、元々はモンパルナスという家賃の安い場末で創作活動を行う非フランス人画家を指す差別語であったようだが(この時代のフランス人画家達は「エコール・フランセーズ」と呼ばれていたそうである)、「印象派」同様、今では良いイメージの言葉に変わっている。

初期のキスリングの絵は渋めの色を用いたものが多いのだが、パリでの生活によって色彩豊かな作風へと変わっていく。キュビズムの影響も受け取ったが、「ちょっとした試み」として取り入れただけのようだ。そうはいいながら、菱形をモチーフにした静物画と風景画が意図的に並べられており、構図と構造は参考にしているようである。

風景画と違い、人物画は正面から光を当てたような独特の輝きと眼のデフォルメが特徴である。眼は大きめで少女漫画のような描き方をされていて、輝きと憂いを宿す。当時、モンパルナスでアイドル的な人気を得ていた「モンパルナスのキキ」ことアリス・プランと親しくしていたキスリングはキキを題材にした裸婦画、その名もずばり「モンパルナスのキキ」も残している。キスリングの裸婦画は臀部を膨らませたような描き方をしているのが特徴である。1918年には南仏に長期滞在し、南仏を題材にした絵も描いている。

「モンパルナスのプリンス」「モンパルナスの帝王」と呼ばれるほどの成功を収めたキスリング。彼自身は「自分はユダヤ人ではなくてフランス人だ」と思っていたようである。フランスに帰化もした。だがナチスドイツが台頭するとキスリングは反ナチ的な発言によりドイツから死刑宣告を受けたこともあって、ドイツによるフランス侵攻が始まると亡命。マルセイユからポルトガルを経てアメリカに渡る。ニューヨークに居を構えるが、旧知のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインに誘われハリウッドでも暮らしている。アメリカ時代に描いた「ミモザの花束」では花弁に使う絵の具をホイップ状に重ねることで立体感を出している。
南仏を代表する花であり、「不滅」という意味を持つミモザ。キスリングのフランスへの思いを表しているようだ。戦後フランスに戻ったキスリングは南仏サナリーにアトリエを構え、同地で没した。

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2020年8月29日 (土)

美術回廊(56) 京都文化博物館 特別企画展「池大雅―文人たちの交流」&「三条御倉町 大橋家の歴史と美術 木島櫻谷と京都画壇」

2020年8月21日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、特別企画展「池大雅―文人たちの交流」(京都府蔵 池大雅美術館コレクション)と「三条御倉町 大橋家の歴史と美術 木島櫻谷と京都画壇」展を観る。

京都文化博物館に入るにはサーモグラフィーによる各自の検温(スクリーンに映ったカメラ映像に体温が表示されるようになっている)の他、手のアルコール消毒、京都府独自の追跡サービスである「こことろ」をスマートフォンにインストールして「京都文化博物館」にチェックインを入れるか、氏名や住所などを専用紙に記入する必要がある。

京都を代表する文人画家にして書家の池大雅(いけ・たいが、いけのたいが)。享保8年(1723)に京に生まれ、幼くして唐書を学び、隠元隆琦以来、清国出身者が住持を務めた黄檗宗萬福寺(近年は代々日本出身者が住持となっており、往時とは異なる)に出入りするなどして、当時は先端であった中国の文化を自分のものとし、「神童」の名をほしいままにした。その後、大和郡山の柳沢家の重臣であった柳沢淇園(やなぎさわ・きえん。五代将軍・徳川綱吉の側近として辣腕を振るった柳沢吉保から柳沢姓を授かった人物であり、柳沢氏の血筋というわけではない)に師事し、日本における文人画(南画)の第一人者となっている。

唐の風流人の「万巻の書を読み、万国を歩く」を実践し、江戸への遊学や加賀金沢に長期に渡って滞在した時には立山や白山といった北陸の名山を踏破。更に富士山登山や東北の名勝にして日本三景の一つである松島にまで足を延ばすなど旅と登山を愛した画家でもあった。

2013年までは嵯峨野に池大雅美術館があったのだが、閉館後は京都府が池大雅のコレクションを譲り受けている。

描かれた男達は福々しく、彼らの所作は活気に満ちていて声まで聞こえてきそうである。ポスターに採用された「山亭小酌之図」(画もしくは書を描いていると思われる人物の手元を5人の男達がのぞき込んでいる)などでは描かれた人物達の現在の心境まで伝わってきそうである。

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山は「筋骨隆々」といった趣で、江戸の浮世絵師達の作風とは明らかに異なるパワフルさを備え、一方で針葉樹の葉などはジョルジュ・スーラを思わせる点描で描かれており、個性はかなり強い。
草木などを描いたものは陰影豊かであり、単なる異国趣味に留まらない止揚を成し遂げている。

書の巧拙は残念ながらわからないのだが、デザインとして見た場合に面白いということは伝わってくる。

池大雅は画家でもあった玉瀾を妻とし、共に切磋琢磨する間柄でもあったのだが、その玉蘭の画も展示されている。柔らかさを特徴とする作品である。

 

「三条御倉町 大橋家の歴史と美術 木島櫻谷と京都画壇」。
三条御倉町(三条烏丸と三条室町の間の両側町)に居を構える大橋家ゆかりのコレクション展である。本来は今年の春に行われるはずだったのだが、コロナ禍によって展示期間がずれることになった。
大橋家は、皇族や寺社関係の染色業を扱う西村家の番頭格であり、のちに「別家」と呼ばれるようになる。

大橋家は近代京都画壇の日本画をコレクションしており、それらが今回、公開される。

最初に展示されている木島櫻谷(このしま・おうこく)の画が気に入る。木島櫻谷は、1877年(明治10年。コレラの流行により、八坂神社に季節外れの茅の輪が立った年である。今年はそれ以来、143年ぶりに季節外れの茅の輪が立った)に生まれ、四条派を受け継いだ日本画家である。四条派らしく描写力が高く、何よりも画の力によって見せるタイプである。「最後の四条派」とも呼ばれているようだ。

 

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2020年8月 6日 (木)

美術回廊(55) 京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」

2020年7月31日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」を観る。

新型コロナウィルスにより、多くの行事が流れてしまった京都。その京都の四季の彩りを再確認するために京都国立近代美術館所蔵品を中心として開催されている展覧会である。

階段を上ると「晩夏」から、エレベーターを使うと「初夏」の展示から観ることになる展覧会。階段を使って「晩夏」より入る。

四季を更に細分化した二十四の季節を持つ日本。古代中国由来なので、必ずしも今の暦と符合するわけではないが、恵みと脅威を合わせ持つ自然に対する細やかな意識が察せられる区分である。

 

階段を上がったところに、北沢映月の「祇園会」という屏風絵が拡げられている。1991年に京都国立近代美術館が購入した絵だ。「小暑」の区分である。
京舞を行っている母親をよそ目に、祇園祭の鉾の模型で二人の女の子が遊んでいる。一人は鉾を手に転がそうとしているところで、もう一人はそれを受け止めるためか、片手を挙げている。動的な絵である。

不動立山の「夕立」は、おそらく東本願寺の御影堂門と烏丸通を描いたと思われる作品である。昭和5年の作品なので、京都駅は今のような巨大ビルではないし、京都タワーもなかったが、それを予見するかのような高所からの俯瞰の構図となっている。これは不動茂弥氏からの寄贈である。

「大暑」では、丸岡比呂史の「金魚」という絵が出迎える。昨日観た深堀隆介の金魚とは当然ながら趣が異なり、愛らしさが前面に出ている。

同じタイトルの作品が並んでいるのも特徴で、「処暑」では、福田平八郎の軸絵「清晨」(どういう経緯なのかはよく分からないが、旧ソヴィエト連邦からの寄贈)と深見陶治の陶器「清晨」が並んでいる。趣は大分異なるが、各々が感じた朝の気分である。

具体美術協会を起こしたことで知られる吉原治良(よしはら・じろう)の作品もある。「朝顔等」という絵だが、朝顔の周りに海産物が並べられており、海は描かれていないが海辺であることが示唆されている。夫人による寄贈。

 

「立秋」にはこの展覧会のポスターにも使われている、安井曾太郎の「桃」が展示されている。邪気を払う特別な果物だ。

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「中秋」では、京都画壇を代表する女性画家である上村松園の「虹を見る」(文化庁からの管理換)という屏風絵が素敵である。虹は右上に小さく描かれ、それを若い女性と母親と赤ん坊が見上げるという作品であるが、虹がまだ何かもわからない年齢なのに惹かれている赤ん坊が特に印象的である。

「秋分」では、小川千甕(おがわ・せんよう)の「田人」という作品が「その先」の想像をくすぐる出来である。2001年度購入作。

俳優の近藤正臣の親族としても有名な陶芸家の近藤悠三の作品もある。堂々とした作風である。

 

坂本繁二郎の「林檎と馬齢著」(立冬)。全く関係ないが、最近観た見取り図の漫才ネタを思い出す。

 

秋野不矩の「残雪」(「初春」。1985年に作者が寄贈)。これも関係ないが中国を代表する前衛小説家の残雪の作品を最近は読んでいない。急に読んでみたくなったりする。

「仲春」には花と蝶を題材にした絵画が並ぶ。久保田米僊(くぼた・べいせん)の「水中落花蝶図」、枯れて水面に落ちた花弁と、その上を舞う蝶が描かれており、動物と静物、しかも盛りを過ぎた静物との対比が描かれている。2005年度購入作。

 

「春分」には今も花見の名所として名高い円山公園を描いた作品がいくつか登場する。

「晩春」では、藤田嗣治や長谷川潔が手掛けた「アネモネ」という花の絵が美を競っている。アネモネは色によって花言葉が違うようだが、調べてみると紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」であり、赤のアネモネの花言葉は「辛抱」であった。

 

「立夏」には葵祭を題材にした伊藤仁三郎の絵が2点(2002年寄贈作品)並び、苺の収穫を描いた小倉遊亀(寄託作品)の作品もある。

「夏至」には千種掃雲の「下鴨神社夏越神事」(2005年度寄贈)、更に美術の教科書によく作品が登場する安田靫彦の「菖蒲」(2000年度購入)などがある。

 

そして階段から入った場合、最後の展示となるのが川端龍子(かわばた・りゅうし)の「佳人好在」(1986年度購入)。佳人(美人)の部屋を描いた作品だが、佳人は登場せず、並んだ小物などから佳人の人となりを想像させる絵となっている。これが今日一番気に入った絵となった。これぞまさに「不在の美」である。

 

京の行事はこの一年、ほぼ全て幻となってしまったが、展示された美術作品の数々の中に、悲しみと同時に希望を見出すことになった。
「京都は京都」幾多の災難を乗り越えた街であり、いつかまたこれらの作品に描かれているような愉しみが復活するのは間違いないのだから。

 

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2020年8月 4日 (火)

美術回廊(54) 大丸京都店6階大丸ミュージアム〈京都〉 「金魚絵師 深堀隆介 金魚愛四季(いとしき)」

2020年7月30日 大丸京都店6階大丸ミュージアム〈京都〉にて

大丸京都店6階にある大丸ミュージアム〈京都〉で、「金魚絵師 深堀隆介 金魚愛四季(いとしき)」を観る。一部写真撮影可。

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深堀隆介(ふかほり・りゅうすけ)は、1973年愛知県生まれ。愛知県立芸術大学美術学部デザイン・工芸専攻学科を卒業し、画家としての活動を始めるが、2000年に制作に行き詰まり、「もうアートなんてやめよう」と思った時に、7年間粗末に扱っていた金魚が目に入り、金魚を題材にした作品の制作を始める。深堀はこの体験を「金魚救い」と呼んでいるようだ。

新しいことをしようということで深堀は、樹脂に金魚の絵を描き、その上に更に樹脂を重ねることで立体感と水の中に浮かぶ感じを生み出した。絵画と彫刻の中間にある新しいアートである。

作品であるが、ぱっと見はリアリティがある。だが動かない金魚は死体そのもののようでグロテスクにも映る。
作品の紹介を見ると、深堀は生きている金魚ではなく常に死んだ金魚をデッサンしているそうで、それは弔いの儀式でもあるようだ。

東日本大震災が発生した時には自分の作品では圧倒的な災害の前に立ち向かう術はないと思ったそうだが、金魚の卵を描くことを思いつき、精神的な危機を乗り越えたそうである。

様々な作品を観たが、静止した金魚に確固たる死を与えた上で、その輪郭に生を注ぎ込むような、「間」「境界」の瞬間が捉えられるような気になった。これは生が死に変異した瞬間であり、同時に死から生へと立ち返る刹那の躍動である。日本の美の象徴、特に江戸期以降における庶民的な夏の美の代表格である金魚が持つエネルギーが、日本的な美意識を伴って溢れ出てくるかのようである。

タイトルにもなっている「四季」の金魚作品展示コーナーがある。ここと出口にある立体に見える金魚の絵(1枚目の写真)だけが撮影可である。
四季の金魚であるが、個人的にはやはり夏の金魚が最も魅力的に見えた。私は千葉市の郊外にある一戸建てだらけの住宅地の出身だから、夏祭りの金魚掬いというのはあるにはあったがさほど祝祭性を帯びたものではなかった。が、現実の記憶ではない日本的原風景における金魚の既視感をそこに見出すことになった。

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2020年7月17日 (金)

美術回廊(53) 京都文化博物館 特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」

2020年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」を観る。

新型コロナウイルスの影響で、山鉾巡航など大がかりなものは中止となってしまった今年の祇園祭。密にならない小規模なものは行われているが、それも毎日ではない。祇園囃子も録音されたものが四条通に流れているのは例年通りだが、生音を聴くことはない。
「動く美術館」といわれる山鉾巡航であるが、今年は 動くどころか建てることすら不可である。
そんな「動く美術館」をずっと静止した形で展示しているのが今回の展覧会である。

 

入場者を確認出来るようにするため、入る前に氏名等の記入が必要となる。

 

山鉾の前懸(その名の通り前に懸ける布)や胴懸の展示がまずある。「日本の祭り」というイメージの強い祇園祭であるが、実際は西洋画なども用いられている。ギリシャの「イーリアス」などの絵で、江戸時代ものである。京都人はよく「進取の気質に富む」といわれるが、こうしたところにそれが窺える。保守的であったら自分達の祭りに西洋の絵を用いようとは思わないだろう。

勿論、舶来のものだけでなく、和の要素も重要視される。安芸・宮島の前懸(占出山)などがそうである。

 

京都の円山派・四条派などの礎を築いた円山応挙(1733-1795。家は四条通に面しており、今は石碑が建つ)が書いた絵を基に編み上げた刺繍の展示がある。保昌山のものである。
とにかく徹底した描写力を追求した円山応挙だが、刺繍の基になっている絵は江戸の絵師達の影響を受け、エネルギー放射量を重要視するようになってからの作品である。
刺繍になると描写力の精緻さは当然ながら後退するのだが(絵筆を使ったタッチの再現は出来ない)そこに登場する虎などの動物は立体感と毛皮のように見える視覚を伴い、よりリアルなものへと変わっている。刺繍にした方が生きる絵を選んだということでもあるだろう。見事な発想である。

 

祇園祭がどのように行われてきたのかという記録も展示されている。名所図会などに描かれた山鉾、そして町衆によって書かれた「入日記」と呼ばれる記録用の冊子を見ることが出来る。

 

山鉾を彩る彫像などの展示もあるが、極めて繊細にして精緻な仕上がりであり、こうしたものを作り上げる技巧の高さは想像の外にある。中学校の美術の時間に取り組んだ木彫りが酷いものにしかならなかった私の技量では、まずどこからどう取りかかればこうなるのかすら掴むことが出来ない。空間認知能力に秀でていることも重要だろうし、手先の器用さも必要なのはわかる。技巧面でわかるのはそこまでである。
ただ、日本が誇る宮大工の技術や、仏教美術の蓄積がこれらの製作に大いに貢献しているということは想像に難くない。天明年間に製作された八幡宮の祠の展示もあるが、ここに展示されているのとほぼ同じ技術によるものが、京都の神社や寺院で見ることが出来る。祇園祭は八坂神社の祭礼であり、八坂神社は明治に入るまでは、祇園社や祇園感神院と呼ばれた神仏習合社であり、神道と仏教の両方の美術が社や氏子達に受け継がれてきたことになる。いわば、美の発信拠点でもあったわけだ。
それを象徴するような欄干様の細工がある。八坂神社の神紋は「五瓜に唐花」と神道共通の「左三つ巴」であるが、その真ん中に仏教の法輪が入ったものである。

ちなみに八坂神社の神紋が五瓜という瓜系の紋なのは、祭神である牛頭天王が瓜を好んだという話に由来すると思われる。左京区にある瓜生山は、牛頭天王に捧げる瓜を栽培したことにちなむ地名である。牛頭天王が初めて京に降り立った場所は北白川東光寺とされているが、この北白川東光寺がどこにあったのかは現在では不明である。ただ北白川という地名はいにしえとは範囲が異なると思われるが残っており、北白川東光寺の跡地に建つと主張している岡崎神社(東天王)は北白川に比較的近い場所にあり、同じく北白川東光寺の有力後継社である八大神社(北天王)は瓜生山の麓にある。

 

明治時代以降の山鉾についての展示が最後にある。幸野楳嶺や今尾景年、竹内栖鳳ら絵師というよりも画家と呼ばれる時代の人々による伝統美を追求した作品が展示されている。

 

一番最後に展示されているのは、鈴木松年(すずき・しょうねん)の筆による「宇治川合戦屏風」。浄妙山の人形の姿の元となった合戦の場面を屏風にしたものでダイナミックな構図が印象的であり、勝ち運の山である浄妙山への祈念が込められているようにも見えた。

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2020年7月13日 (月)

美術回廊(52) 草間彌生展・「向井修二×清水六兵衞」展・「現代アート」展

2020年7月9日 大丸京都店6階イベントホールにて

大丸京都店6階イベントホールで、草間彌生展・「向井修二×清水六兵衞」展・「現代アート」展を観る。即売会を兼ねている。どの作品も高値だが、作品の質と金額の相関性についてはこちらは特に知識はない。

草間彌生の作品は、ドットをちりばめたかぼちゃなど、お馴染みのものもあるが、「花」という作品や「レモンスカッシュ」などの絵は立体感を伴ってどことなく美味しそうである。舌に訴えかける架空の味のような作品だ。
ドットを最小単位としてパターンを積み上げる作風が草間彌生の特長なのだが、今回出展している他の画家達の作品にも多かれ少なかれそうした傾向は認められる。

ICCO Yoshimuraの作品には細部を積み重ねて一つの大きな絵画となるものがあり、金丸悠児の作品もパターンの組み合わせで作品を編み上げている。

江上越という1994年生まれの若い女性画家は、私と同じ千葉市出身。北京の中央美術学院(中国で「中央」が入る学校は、多くの場合、首都・北京にある学校である。ちなみに「学院」は中国では単科大学のことを指す。「大学」を名乗るのは基本的に総合大学である)に学んでいるが、「すれ違い」を題材にした一連の作品は、乳白色を使用して、時間のずれのようなものを画面に落とし込んでいるように見える。

吉原治良(よしはら・じろう)がリードした具体美術協会の作品展示もある。関西が生んだ現代アートグループ具体美術協会。既成の芸術観の否定から入り、やはりシンプルなパターニング指向へと向かう。吉原治良の絵は円だけを描いたものだが、禅宗と関係があるのかどうかは不明である。

二川和之、佐々木裕而という描写力に長けた二人の画家の作品も展示されているが、いずれも単色を使用して、描写的ではあるが、現実ではない観念の美学を描いている。

向井修二の作品もやはりパターンの組み合わせからなっており、独特の文字が刻印されているということもあって、今現在とはなにもかも異なる場所を指向しているように思われる。

陶芸家の清水六兵衞(八代)。七代目清水九兵衞の長男として生まれ、早稲田大学理工学部建築学科を卒業。建築を学んだことは作風に影響しており、スタイリッシュな外観と、確固とした存在感を合わせ持っている。

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2020年7月 4日 (土)

美術回廊(51) 京都文化博物館 「横山華山」

2019年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「横山華山」の絵画展を観る。「かざん」という号を持つ人物としては渡辺崋山が有名だが、横山華山は江戸時代後期に活躍した京都の絵師である。曾我蕭白に私淑した後、岸駒(がんく)や呉春(ごしゅん)に師事し、円山応挙や伊藤若冲と入れ替わるようにして世に出る。明治時代末に書かれた夏目漱石の『坊ちゃん』にその名が登場しており、その後、大正時代頃までは有名な人物であったようだが、昭和に入ってからはその名が忘れ去られてしまうようになる。展覧会のキャッチコピーは「まだいた、忘れられた天才絵師」である。
横山華山は、祇園祭の山鉾を描いた「祇園祭例図絵巻」を著しており、祇園祭の時期に合わせての展覧会開催である。

まず曾我蕭白の「蝦蟇仙人図」模写から入る。曾我蕭白の原図は張り詰めた雰囲気だが、横山崋山の模写は全体的に明るく、体の線も緩やかである。
横山華山の作風の特徴は、クッキリとした輪郭と緻密な描写力にある。風景画などは手前側をリアルに描き、奥はぼやかすため、絵全体に浮遊感と奥行きが生まれている。
「祇園祭例図絵巻」も「そのまま」を描く精緻な筆が冴えており、近々復活する予定である山鉾の一つ「鷹山」の史料となったというのも頷ける。

一方で、画面全体が明るいということで陰影を欠きがちであり、絵の背後にあるものを余り感じ取ることが出来ない。健康的で優しい絵なのだが、写真が現れ、その精度が上がれば取って代わられるような絵なのではないかという思いも浮かぶ。昭和に入ってから急速に忘れ去られたという背景の一つにそうしたことがあるいはあったのではないか。ただ、そうでなくとも「激動の昭和を駆け抜けるに相応しいだけの力を持った絵師だったか」と問われれば、「否」と答えることになると思う。破滅の予感が日本を襲った時代にあっては横山華山の画風は優しすぎたであろうし、復興の時代になればなったでパワーに不足しているように見える。あるいはまた時代が変われば評価も変化するのかも知れないが、今の時点では「リアリズムの点において優れた描写力を発揮し、史料的に重要な絵を残した」絵師に留まると書くのが最も適当であるように思われる。

だが、祇園祭の史料になるだけのリアリスティックな絵を描いたというその一点だけでも、横山華山という絵師の存在意義は十分に肯定され得るものだと確信してもいる。芸術的な意味では必ずしもなく、時代の証言者としてということになるのかも知れないが「絶対に必要な存在」だったのだ。

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2020年7月 3日 (金)

美術回廊(50) 京都国立博物館 「曾我蕭白展」2005

2005年5月14日 京都国立博物館にて

京都国立博物館で行われている「曾我簫白展」を観に出掛ける。円山応挙や池大雅、伊藤若沖などと同時期の曾我簫白であるが、その作風は極めて個性的であり、グロテスクでさえある。鷹の画などは顔がティラノサウルスのようだ。

かなりの枚数の画が展示されている。簫白の画は筆致が濃く力強い。その気迫に押されそうになるので、何枚も見ているうちに疲れてしまった。

簫白は敢えて当時流行の画風に異を唱え、無頼を気取り、「中庸よりは狂」であることを良しとした。また画を見ていてわかるのは中国への傾倒。日本の画家が中国を題材にすることは珍しくも何ともないのだが、簫白が描いた子供の顔はまさに現在も中国製の土産物などに書かれている中国の子供の顔そのものである。中国によくある作風を取り入れたのだ。生活も中国の粋人を真似ていたようで、酒と碁と画を描くこと以外には何もしなかったそうである。また簫白という人は明の洪武帝の子孫を称したりしている。他にも相模の三浦一族の末裔を名乗るなど、残した画以上に変わった人物であったようだ。

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2020年6月30日 (火)

美術回廊(49) 京都国立近代美術館 「チェコ・デザイン 100年の旅」&日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」

2020年6月25日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「チェコ・デザイン 100年の旅」と日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」展を観る。
いずれも5月10日に最終日を迎えるはずの展覧会だったのだが、コロナ禍による臨時閉館期間があったため、再開後、7月までに展示期間が延びている。

チェコは、音楽(ドヴォルザークやスメタナ)、文学(カフカやカレル・チャペック)といった芸術が知られるが、チェコのデザインに触れる機会は余りないので、興味深い展覧会である。

チェコのデザインに触れるのは初めてではなく、以前にチェコ製のテントウムシのマグネットを買ったことがあり、今も冷蔵庫に止まっている。

チェコ出身のデザインアーティストというと、アルフォンス・ミュシャがまず頭に浮かぶが、ミュシャの「Q」をモチーフにした作品も勿論展示されている。19世紀末から20世紀初頭には、チェコでもアールヌーボーなどの影響を受けた美術が流行ったが、椅子などは実用性を度外視してデザインを優先させたために使い勝手が悪いものも多かったようである。

その後、チェコでは「結晶」を理想とした直線美によるパターンを重ねたデザインが流行する。考えてみれば、「自然は直線を嫌う」(ウィリアム・ケント)といわれているものの、肉眼では見えない結晶は例外的に直線で形作られている。顕微鏡の発達によってもたらされた、ある意味ではこれまでの常識を覆す自然美の発見であったともいえる。

家具や食器はアールヌーボーの反動で、シンプルで実用的なものが好まれる時代になるが、ガラス細工が盛んな地域をドイツに占領されてしまったため、木材などを中心とした新たなデザインを生み出す必要性に迫られるようにもなる。これはそれまで軽視されてきた木材の長所の再発見にも繋がったようだ。

共産圏となったチェコスロバキアでは、国外に向けてのチェコやスロバキア美術プロパガンダのための高級感のあるデザイン品が輸出される一方で、国内向けには貧相なものしか作られないという乖離の時代を迎える。チェコ動乱の前はそれでもピンクやオレンジといった色を用いたポップなデザインのポスターなども制作されたが、それ以降は実用的ではあるが味気ないいわゆる共産圏的なデザインも増えてしまったようだ。チェコのデザインが復活するにはビロード革命を待つ必要があったようである。

アニメーションの展示もあり、短編アニメが何本か上映されている。言葉がわからなくても内容が把握可能なものだったが、東欧のアニメとしてどの程度の水準に入るものなのか一見しただけではわからない。

チェコの木製おもちゃの展示もある。テントウムシのマグネットにも通じる可愛らしくてぬくもりが感じられるもので、子どものみならずインテリアとしても喜ばれそうである。

 

「ポーランドの映画ポスター」。映画好きにはよく知られていると思われるが、ポーランド映画は完成度が高く、海外からの評価も上々で、「芸術大国ポーランド」の一翼を担っている。
今回は、映画そのものではなく映画ポスターの展示であるが、ポーランドでは海外の映画のポスターをそのまま用いるということが禁止されていたため、ポーランド人のデザイナーが一から新しいポスターを製作することになった。
日本映画のポスター展示コーナーもあり、ゴジラシリーズなどはわかりやすいが、「七人の侍」などは日本の侍というよりもギリシャの兵士のような不思議な装束が描かれていたりもする。

市川崑監督の「ビルマの竪琴」(1985年の中井貴一主演版)のポスターには、二つの顔を持ったオウム(というよりも顔を素早く横に降り続けている描写だと思われる)が描かれ、右側に「日本にかえろう」、左側に「かえれない」という文字が日本語で書かれている。一般的なポーランド人が日本語を読めるとは思えないが――一般的な日本人がポーランド語の読み書きが出来ないように――日本趣味を出すために敢えて日本語をそのまま用いているのかも知れない。

ハリウッド映画では、アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」、レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル映画「ウエストサイド物語」、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「明日に向かって撃て!」などのポスターがある。日本ではハリウッドオリジナルのポスターも見ることが出来るが、それらとはかなり違ったテイストのポスターとなっている。

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