カテゴリー「美術回廊」の51件の記事

2020年7月 4日 (土)

美術回廊(51) 京都文化博物館 「横山華山」

2019年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「横山華山」の絵画展を観る。「かざん」という号を持つ人物としては渡辺崋山が有名だが、横山華山は江戸時代後期に活躍した京都の絵師である。曾我蕭白に私淑した後、岸駒(がんく)や呉春(ごしゅん)に師事し、円山応挙や伊藤若冲と入れ替わるようにして世に出る。明治時代末に書かれた夏目漱石の『坊ちゃん』にその名が登場しており、その後、大正時代頃までは有名な人物であったようだが、昭和に入ってからはその名が忘れ去られてしまうようになる。展覧会のキャッチコピーは「まだいた、忘れられた天才絵師」である。
横山華山は、祇園祭の山鉾を描いた「祇園祭例図絵巻」を著しており、祇園祭の時期に合わせての展覧会開催である。

まず曾我蕭白の「蝦蟇仙人図」模写から入る。曾我蕭白の原図は張り詰めた雰囲気だが、横山崋山の模写は全体的に明るく、体の線も緩やかである。
横山華山の作風の特徴は、クッキリとした輪郭と緻密な描写力にある。風景画などは手前側をリアルに描き、奥はぼやかすため、絵全体に浮遊感と奥行きが生まれている。
「祇園祭例図絵巻」も「そのまま」を描く精緻な筆が冴えており、近々復活する予定である山鉾の一つ「鷹山」の史料となったというのも頷ける。

一方で、画面全体が明るいということで陰影を欠きがちであり、絵の背後にあるものを余り感じ取ることが出来ない。健康的で優しい絵なのだが、写真が現れ、その精度が上がれば取って代わられるような絵なのではないかという思いも浮かぶ。昭和に入ってから急速に忘れ去られたという背景の一つにそうしたことがあるいはあったのではないか。ただ、そうでなくとも「激動の昭和を駆け抜けるに相応しいだけの力を持った絵師だったか」と問われれば、「否」と答えることになると思う。破滅の予感が日本を襲った時代にあっては横山華山の画風は優しすぎたであろうし、復興の時代になればなったでパワーに不足しているように見える。あるいはまた時代が変われば評価も変化するのかも知れないが、今の時点では「リアリズムの点において優れた描写力を発揮し、史料的に重要な絵を残した」絵師に留まると書くのが最も適当であるように思われる。

だが、祇園祭の史料になるだけのリアリスティックな絵を描いたというその一点だけでも、横山華山という絵師の存在意義は十分に肯定され得るものだと確信してもいる。芸術的な意味では必ずしもなく、時代の証言者としてということになるのかも知れないが「絶対に必要な存在」だったのだ。

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2020年7月 3日 (金)

美術回廊(50) 京都国立博物館 「曾我蕭白展」2005

2005年5月14日 京都国立博物館にて

京都国立博物館で行われている「曾我簫白展」を観に出掛ける。円山応挙や池大雅、伊藤若沖などと同時期の曾我簫白であるが、その作風は極めて個性的であり、グロテスクでさえある。鷹の画などは顔がティラノサウルスのようだ。

かなりの枚数の画が展示されている。簫白の画は筆致が濃く力強い。その気迫に押されそうになるので、何枚も見ているうちに疲れてしまった。

簫白は敢えて当時流行の画風に異を唱え、無頼を気取り、「中庸よりは狂」であることを良しとした。また画を見ていてわかるのは中国への傾倒。日本の画家が中国を題材にすることは珍しくも何ともないのだが、簫白が描いた子供の顔はまさに現在も中国製の土産物などに書かれている中国の子供の顔そのものである。中国によくある作風を取り入れたのだ。生活も中国の粋人を真似ていたようで、酒と碁と画を描くこと以外には何もしなかったそうである。また簫白という人は明の洪武帝の子孫を称したりしている。他にも相模の三浦一族の末裔を名乗るなど、残した画以上に変わった人物であったようだ。

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2020年6月30日 (火)

美術回廊(49) 京都国立近代美術館 「チェコ・デザイン 100年の旅」&日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」

2020年6月25日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「チェコ・デザイン 100年の旅」と日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」展を観る。
いずれも5月10日に最終日を迎えるはずの展覧会だったのだが、コロナ禍による臨時閉館期間があったため、再開後、7月までに展示期間が延びている。

チェコは、音楽(ドヴォルザークやスメタナ)、文学(カフカやカレル・チャペック)といった芸術が知られるが、チェコのデザインに触れる機会は余りないので、興味深い展覧会である。

チェコのデザインに触れるのは初めてではなく、以前にチェコ製のテントウムシのマグネットを買ったことがあり、今も冷蔵庫に止まっている。

チェコ出身のデザインアーティストというと、アルフォンス・ミュシャがまず頭に浮かぶが、ミュシャの「Q」をモチーフにした作品も勿論展示されている。19世紀末から20世紀初頭には、チェコでもアールヌーボーなどの影響を受けた美術が流行ったが、椅子などは実用性を度外視してデザインを優先させたために使い勝手が悪いものも多かったようである。

その後、チェコでは「結晶」を理想とした直線美によるパターンを重ねたデザインが流行する。考えてみれば、「自然は直線を嫌う」(ウィリアム・ケント)といわれているものの、肉眼では見えない結晶は例外的に直線で形作られている。顕微鏡の発達によってもたらされた、ある意味ではこれまでの常識を覆す自然美の発見であったともいえる。

家具や食器はアールヌーボーの反動で、シンプルで実用的なものが好まれる時代になるが、ガラス細工が盛んな地域をドイツに占領されてしまったため、木材などを中心とした新たなデザインを生み出す必要性に迫られるようにもなる。これはそれまで軽視されてきた木材の長所の再発見にも繋がったようだ。

共産圏となったチェコスロバキアでは、国外に向けてのチェコやスロバキア美術プロパガンダのための高級感のあるデザイン品が輸出される一方で、国内向けには貧相なものしか作られないという乖離の時代を迎える。チェコ動乱の前はそれでもピンクやオレンジといった色を用いたポップなデザインのポスターなども制作されたが、それ以降は実用的ではあるが味気ないいわゆる共産圏的なデザインも増えてしまったようだ。チェコのデザインが復活するにはビロード革命を待つ必要があったようである。

アニメーションの展示もあり、短編アニメが何本か上映されている。言葉がわからなくても内容が把握可能なものだったが、東欧のアニメとしてどの程度の水準に入るものなのか一見しただけではわからない。

チェコの木製おもちゃの展示もある。テントウムシのマグネットにも通じる可愛らしくてぬくもりが感じられるもので、子どものみならずインテリアとしても喜ばれそうである。

 

「ポーランドの映画ポスター」。映画好きにはよく知られていると思われるが、ポーランド映画は完成度が高く、海外からの評価も上々で、「芸術大国ポーランド」の一翼を担っている。
今回は、映画そのものではなく映画ポスターの展示であるが、ポーランドでは海外の映画のポスターをそのまま用いるということが禁止されていたため、ポーランド人のデザイナーが一から新しいポスターを製作することになった。
日本映画のポスター展示コーナーもあり、ゴジラシリーズなどはわかりやすいが、「七人の侍」などは日本の侍というよりもギリシャの兵士のような不思議な装束が描かれていたりもする。

市川崑監督の「ビルマの竪琴」(1985年の中井貴一主演版)のポスターには、二つの顔を持ったオウム(というよりも顔を素早く横に降り続けている描写だと思われる)が描かれ、右側に「日本にかえろう」、左側に「かえれない」という文字が日本語で書かれている。一般的なポーランド人が日本語を読めるとは思えないが――一般的な日本人がポーランド語の読み書きが出来ないように――日本趣味を出すために敢えて日本語をそのまま用いているのかも知れない。

ハリウッド映画では、アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」、レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル映画「ウエストサイド物語」、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「明日に向かって撃て!」などのポスターがある。日本ではハリウッドオリジナルのポスターも見ることが出来るが、それらとはかなり違ったテイストのポスターとなっている。

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2020年3月11日 (水)

美術回廊(48) 生誕135年「竹久夢二展 幻想の美 秘められた謎」@京都髙島屋

2020年3月6日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、生誕135年「竹久夢二展 幻想の美 秘められた謎」を観る。新型コロナウィルスの影響で、京都髙島屋店内はガラガラ。こんな状態がいつまでも続けば天下の髙島屋も傾くという危機感がありありと伝わってくる。

大正時代を代表する美人画家として知られる竹久夢二(本名:茂次郎)。現在の岡山県瀬戸内市にある造り酒屋の次男として生まれ(長男は幼くして亡くなったため、扱いとしては事実上の長男となる)、神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高校)に進むも家業が傾いたために中退。この頃の夢二の夢は詩人になることだった。一家で福岡県の八幡(現在の北九州市)に移り住むが、家出して上京。早稲田実業学校の専攻科(2年制)に進学し、この頃に本格的に絵を描き始める。早稲田実業も結局は中退した。

正直、日本画家としての竹久夢二は大したことがないというのが私の評価である。本格的に絵を学ばなかったことを本人も周りも後悔していたという話もある。

竹久夢二の名が現在に伝わることになったのは、彼が作詞した名曲「宵待草」によるところが大きい。作詞と書いたが、夢二は「宵待草」を歌詞として書いたわけではない。宵待草という草は存在せず、待宵草を宵待草として詩を発表。単純な覚え間違いという説もあるが、その方が語呂がいいからか、それとも架空の草とした方が良かったのか修正することはなかった。ちなみに「宵待草」は明らかに大逆事件を意識して書かれたものである。この「宵待草」の一節に多忠亮(おおの・ただすけ)が曲をつけて初演し、大評判となる。といってもこれは夢二と多のコラボレーションではなく多が許可を得ずに曲をつけてしまったものである。多も流石にこれはまずいと夢二宅に謝罪に出向いたのだが、逆に夢二に泣きながら歓待されたという話が残っている。どこまで本当なのかはよくわからないが、夢二が「これで自分の名は後世に残る」と確信したであろうことは窺える。実際、今回出展された夢二の作品に登場する夢二の分身は頭を抱えるなど苦悩に満ちた姿で描かれていることが多く、自分の画才に自信が持てないことが伝わってくる。

絵として致命的なのは密度の薄さ。情報量が少ないのである。淡く可愛らしいが、それだけでは他の日本画家には太刀打ち出来ない。挿絵画家としてスタートし、絵葉書を描く仕事や、楽譜の表紙絵やレコードジャケットのデザイン(「ペール・ギュント」から“ソルヴェイグの歌”のSPジャケットなどが展示されていたが、歌詞の内容とは余り関係ないような絵である)などを手掛けた夢二は、芸術を身近なものにしたという功績があり、グラフィックデザイナーの先駆けともいうべき存在である。大正という時代にあって、その挿絵や美人画は一斉を風靡した。だからといって彼の作品がそれそのものの魅力で激動の昭和を駆け抜けることが出来たかというと、単純に絵の出来から考えれば難しかったかも知れない。
夢二という存在が今も人を惹きつけるのは、絵画以上に彼のミステリアスな人間性である。とにかく女にもてる上に、たまきやお葉との奇妙な関係は他に例が見当たらない。
夢二と籍を入れた唯一の女性であるたまき。知名度はとても高いが、不可思議としかいいようのない存在でもある。2つ年下の夢二の猛アタックを受けて結婚したたまきだったが、とにかく浮気ばかりする夢二に愛想を尽かして2年で離婚。しかしその後もつかず離れずの関係を続け、子まで設ける。その後、夢二はたまきと当時画学生だった東郷青児の関係を疑い、富山でたまきの腕を短刀で刺すという事件を起こす。これで完全に終わり、のはずなのだが、その後も関係は続いている節があり、夢二が結核のため長野の療養所で亡くなった後、たまきが訪ねてきて後片付けなどをして帰っている。

富山での事件の後で、夢二は京都に向かう。二寧坂(二年坂)に取り敢えずの居を構えた夢二はここで一人の女性を待つ。女性の名は笠井彦乃。のちに「夢二最愛の女性」と呼ばれることになる女学生である。たまきと夢二が経営する港屋に入り浸っていた夢二ファンの女学生であった彦乃は、一説にはたまきと東郷青児の関係が怪しいと夢二に告げた張本人ともいわれている。彦乃は親の反対を押し切って京都へ。二寧坂で夢二と同棲生活をスタートさせ、ほどなく高台寺の近くに家を構える。だが、九州旅行時に彦乃は喀血。結核であった。彦乃は実家に連れ戻されることになり、ほどなくして亡くなる。夢二も京都を去ることになった。最初の家を二寧坂に構えたことが良くなかったのかどうか、夢二の京都時代は丁度2年で幕を下ろすことになる。

彦乃と入れ替わるように夢二の恋人となったのが、お葉(よう)である。本名は佐々木カ子ヨ。お葉の名は夢二が付けたものである。秋田生まれで、藤島武二のモデルを経て、責め絵師の伊藤晴雨のモデルをしていたお葉であるが(伊藤晴雨のモデルであったことは今回の展覧会では触れられていない)、愛人関係にあった伊藤晴雨と別れて夢二と同棲するようになる。その後に自殺未遂をするなど前半生は波乱に富んでいたお葉だが、医師と結婚して以降は安定した生活を送るようになり、その後、約半世紀ほど静かに生き続けた。

 

実人生の方が絵よりも魅力的であった夢二であるが、油絵などは独特の陰鬱さが作者の懊悩を物語っており、奥行きが感じられて好印象である。

出口付近には映像コーナーがある。岡山市にある竹久夢二美術館が制作した約10分の映像。49歳という短い生涯であった夢二であるが、この映像は比較的知られていない晩年の夢二を描いている。47歳の時に夢二は渡米。サンフランシスコで上陸し、その後、西海岸の都市を回る。その時に描かれたのが今回展示されている「西海岸の裸婦」である。完成度の方はそう高くないと思われ、その証拠にというわけでもないが、夢二は西海岸で個展なども開いているが評価は今ひとつであった。そこで今度はヨーロッパに渡るが、そこで評価されることもなく、帰国後に結核を得て、翌年に他界することになる。

夢二の絵に関してはその生涯ほどには魅力は感じないのであるが、物販では吉井勇が現代語訳(あくまで当時の現代語である)した『伊勢物語』に夢二が挿絵を描いたものが売られており、気になったので高めではあったが購入した。

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2020年1月13日 (月)

美術回廊(47) 京都髙島屋7階グランドホール 「没後220年 京都の若冲とゆかりの寺―いのちの輝き―」

2020年1月8日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、「没後220年 京都の若冲とゆかりの寺―いのちの輝き―」という展覧会を観る。左京区岡崎にある細見美術館の若冲コレクションと京都府内にある寺院が所蔵する若冲作品を集めた展覧会。細見美術館のコレクションはこれまで数回に渡って観たことのあるものも含まれている。

近年、急速に再評価が進んでいる伊藤若冲(1716-1800)。京都錦小路の青物問屋に生まれ、23歳から実家の商いを継ぐも、40歳で弟に店を譲り、隠居の身として絵に打ち込んでいる(最近になってその後も町衆のために働いていたことも確認された)。鶏の絵を多く残していることでも有名だ。

伊藤若冲の弟子についてはこれまでほとんど知られていたかったが、頭に「若」を付ける系譜と、下の漢字に「冲」を当てるもう一種類の系譜があることが分かってきたという。今回の展覧会では、若冲の弟子の作品も展示される。


まず最初に展示されているのは、若冲の木版画である。描写よりも意匠が重視される作品であるが、その後、竹久夢二を経て和田誠にまで至るデザイン性をそこに見いだすことは容易である。というよりも当たり前でもある。絵画というよりもデザイン画の伝統は江戸時代からすでに始まっており、後世の者が先人の絵に学ぶのは当然だからである。良くも悪くも現代人は江戸時代の影響を受け続けているといわれるが、こうした一見、関連がなさそうなところにもそれが見出せるのが面白くもある。

細見美術館のコレクションからは、「雪中雄鶏図」、「糸瓜郡虫図」、「伏見人形図」などお馴染みの作品が並ぶ。「伏見人形図」などもデザイン画の先祖の系譜に入りそうな作品である。そのほかにも、禅の祖を描いた「朱達磨図」、軍神「関羽図」、一瞬を描いた「虻に双鶏図」、簡略の美が光る「群鶏図」、今年の干支で、私も年賀状に採用した「鼠婚礼図」などが展示されている。

寺院所蔵の絵画としては、慈照寺(銀閣寺)所蔵の「牡丹百合図」、「鯉図」、鹿苑寺(金閣寺)所蔵の「竹虎(ちっこ)図」、「玉熨斗図」、「亀図」、伊藤若冲の菩提寺である裏寺町の宝蔵寺所蔵の「髑髏図」、相国寺(慈照寺、鹿苑寺の本山)の「鱏(えい)図」、「鳳凰図」などが展示されている。「鱏図」が面白い。

伊藤若冲が壬生寺に奉納した狂言の面も展示されている。これは今でも壬生狂言で使われているそうである。

あっかんべーをしたユーモラスな「布袋図」や、千葉県の魚でもある鯛を描いた「鯛図」なども面白い。「鯛図」は釣り上げられた瞬間の鯛を描いたものだが、鯛が躍り上がっていることがわかり、躍動感が感じられる。釣り針と鯛を描いた絵であるが、「留守絵」と呼ばれるもので、主人公である恵比寿を敢えて描かない手法で描かれたものだという。

相国寺の「釈迦三尊像(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)」は色鮮やかだが、複製である。複製ではあるが、緻密な筆致を知ることが出来る。

屏風に描かれた鶏は実に生き生きしている。弟子である若演が描いた鶏の絵もあるが、生命力が違う。若冲が描いた鶏は今にも動き出しそうな生命力が宿っているが、若演が描いた鶏はやはり単純に描かれたものという印象を受ける。構図の問題も大きいが、細部の描き方も大きいと思われる。ある意味捻れたポージングが躍動感を生んでいるともいえる。

最後にMBS(毎日放送)が制作した上映時間約10分の若冲紹介映像が流れており、若冲と仏教、とりわけ伊藤家の宗派である浄土宗と若冲が障壁画や仏画を手がけた臨済宗相国寺派、若冲が晩年に関係を持つことになった黄檗宗との関わりなどが描かれていた。

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2019年12月20日 (金)

美術回廊(46) ジョーン・ジョナス京都賞受賞記念展覧会「Five Rooms For Kyoto:1972-2019」

2019年12月18日 御池通の京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAにて

御池通にある京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで、ジョーン・ジョナスの京都賞受賞記念展覧会「Five Rooms For Kyoto:1972-2019」を観る。
1936年生まれのジョーン・ジョナス。今月12日にロームシアター京都サウスホールでパフォーマンス「Reanimatio」が上演され、14日から京都市立芸術大学@KCUAのでの展覧会が行われている。年をまたいで来年の2月2日までの開催である。入場無料。

展覧会のタイトル通り、京都市立芸術大学@KCUAの5つの展示室を使って行われる展覧会。映像作品と美術の展示がある。
最初の部屋は、12日にロームシアター京都サウスホールで行われた「Reanimation」のものである。ジェイソン・モランの音楽も録音で流れてくる。
ジョナスは、歌舞伎や能を観て日本の表現形式に魅せられたそうだが、「Reanimation」では障子をスクリーンとして用いている。氷河の山脈の映像や、ドローイングの風景などが投影されている。
「Reanimation」の上演映像もモニターで流れている。セリフを書いた冊子が手前の椅子の上に置いており、自由に読むことが出来るようになっている。

2階に上がり、3つの部屋で行われる展示を眺める。最初の部屋に映されているのは、「Lines in the Sand」。パリスと結婚したとされるヘレネーの物語を題材としているが、ヘレネーはトロイアではなくエジプトに行ったとするアイスキュロスの戯曲を元にしており、エジプトに取材した作品である。ただ、ジョナスはエジプトには行かず、ピラミッドやスフィンクスの模倣品が街中にあるラスベガスに向かい、ラスベガスのそばの砂漠で砂にドローイングを行ったりしている。二重の意味で「本来ではない場所」での創造が行われるのである。
モニターには「ピロートーク」という題の、男女による語りの作品が映されていた。こちらは演劇性が高いものである。

2階の2つ目の部屋は、最も演劇性の高い実験映像である。「Organic Honey」と題された映像群で、最初期の作品である「Oranic Honey's Visual Telepathy」を始めとする6つの映像がスクリーンやモニターに流れている。何が映っているのかよくわからないものもある。

2階の3つ目の部屋は、ジョナスが取り組んでいる環境問題に題材を取った映像2つ(「Moving off the Land Ⅱ」と「Whale Video」)が流れている。人類と魚類の共通点が少年や少女によって語られ、「Reanimation」のラストに登場した魚は、やはり生物の原点という意味で扱われていたことがわかる。
ジョナスがスクリーンに映る海の生き物たちと一体になろうとしたり、自分の体に紙を押し当てて体型をなぞったものに吸盤を加えてタコと一体化したりと、生物の歴史を超えた融合を試みる場面が見られる。この作品でもジョナスがハンドベルを鳴らず場面があるが、自然破壊への「警鐘」そのものとして用いているようである。

階段を降りて、1階にある最後の展示室へ。この部屋ではジョナスの教育活動が紹介されている。4つのモニターが互いに背を向ける形で四方に並べられており、大学や美術アカデミーで行われたインプロビゼーション(即興)でのパフォーマンスが映し出されている。
ガラスケースの中には、ジョナスが授業の際に使用した指示書が展示されている。これも日本語訳テキストが壁に2冊ずつ下がっていて、手に取って読むことが出来る。詩や映像作品の組み立てを分析してパフォーマンスに生かすこともやっているようだが、日記を書いて、実際にあったことを表現するよう指示が出されたものもあった。

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2019年12月18日 (水)

美術回廊(45) 京都国立近代美術館 「円山応挙から近代京都画壇へ」

2019年12月12日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

京都国立近代美術館で、「円山応挙から近代京都画壇へ」という展覧会を観る。
円山派の祖としてその名を残す円山応挙(1733-1795)。京都の四条通に面した家に住んでおり、弟子の多くも四条通沿いに居を構え、弟子の呉春は応挙の写実性と与謝蕪村の瀟洒さを兼ね備えた四条派を起こしている。

この展覧会ではまず応挙が最晩年に手掛けた大乗寺の障壁画が並んでいる。兵庫県の日本海側、美方郡香美(かみ)町にある大乗寺。円山応挙の名は全国に鳴り響いており、大乗寺もその名声を耳にして応挙とその弟子達に障壁画を依頼している。現在では大乗寺は「応挙寺」の別名でも知られているという。

円山応挙が描いた大乗寺の障壁画。まずは、「松に孔雀図」である。円山応挙は四条河原の見世物小屋で孔雀を見て惚れ込み、孔雀の絵を何枚も描いているが、これがおそらく応挙最後の孔雀絵である。細部まで極めて丁寧に描き込まれており、写実を得意とした応挙の真骨頂が発揮されてる。角になる部分に松を配して、松ヶ枝が降りかかってくるよう錯覚させる工夫がなされていることも、江戸時代の芸術らしい計算が感じられる。

孔雀は阿弥陀如来の乗り物であり、孔雀が描かれた襖を開けると、奥に大乗寺の阿弥陀如来像が現れる仕掛けとなっている。

呉春が描いた「巖上孔雀図」も展示されているが、肩の部分の盛り上がりなど、応挙に比べると立体感を重視しているように見受けられる。

相国寺が所蔵する円山応挙の「牡丹孔雀図」は可憐であり、極楽浄土の縮景として孔雀が描かれているかのようである。隣には岸駒(がんく)の「孔雀図」も展示されており、岸駒の孔雀も緻密な描写であるが、目の部分などはグロテスクさを隠さないほど写実的であり、特に極楽的なものを盛り込む意思が岸駒にはなかったと思われる。

円山応挙はありとあらゆるものを描いており、その点においては東の葛飾北斎と並ぶ西の雄であったと思われるのだが、躍動感や構図を重視する北斎に比べ、応挙は細部に至るまでの徹底した観察と描写を重視しており、同じものを様々な構図から描いているが、基本的には静物画指向である。その点において、応挙の方が北斎よりも西洋絵画に近いといえる。
「応挙漫画」ともいえる「写生図鑑」は、「それそのもの」を描くことのお手本である。

円山派・四条派の写実の力はとにかく傑出したものがあり、「どうやったらここまでリアルに描くことが出来るのか」と呆れてしまうほどである。この点においては現代の画家の筆致が稚拙に思われるほどであるが、映像が溢れている時代に往時のような描写力で勝負しようと思っても余り意味がない。ある意味、円山応挙とその弟子達が追い求めた絵画の世界は理想郷ではあったが、今となっては遠い場所となっている。上村松園は、応挙の世界を「理想的」と讃えていたが、その世界を再現する意志はなかったと思われる。

忠臣蔵の季節ということもあって、円山応挙による「大石良雄図」も展示されている。「おおいしよしお」と読むようである。「お軽と勘平」のお軽とのやり取りの場面である。この図を源琦が模写したものが並んでいる。着物が透けているというリアルな描写を応挙は行っているのだが、源琦はそれを更によくわかるよう再現している。

写実的な静物画を描いていた円山応挙であるが、「保津川図」では、水の流れが見えるような動的な描写を行っている。寛政7年(1795)応挙最後の年の作品である。動的な描写を旨とした江戸の絵画に影響を受けたのかどうかはわからないが、応挙もまた最後はダイナミズムと躍動感に溢れる絵画へと行き着いたということだろうか。動くはずのない絵の中に、あたかも動画と錯覚させるような流れを盛り込む技法。西洋絵画の影響を受けた応挙が、その西洋画壇を驚嘆させることになる日本画の系譜の中に、しっかりと入っていることが感じられる作品である。

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2019年11月16日 (土)

美術回廊(44) 大丸ミュージアム京都 「かこさとしの世界」展

2019年11月11日 大丸京都店6階大丸ミュージアム京都にて

大丸京都店6階の大丸ミュージアム京都で、「かこさとしの世界」展を観る。
昨年、92歳で亡くなった日本を代表する絵本作家であるかこさとし(加古里子。本名:中島哲)の絵本原画を集めた展覧会。私も子どもの頃は、毎週図書館でかこさとしの絵本を借りてきて、夢中で読んだものである。

 

1926年、福井県武生(現在の越前市)に生まれたかこさとし。幼い頃から画才を発揮。大日本帝国に尽くそうと、パイロットを目指すが、視力が悪いために断念。ならば技術力で貢献しようと東京帝国大学工学部に入学するが、在学中に敗戦を迎える。復学して、新制となった東京大学を卒業し、大手企業の社員というエリートとなったかこだが、戦争に協力しようとした愚かさを恥じ、自分のような過ちを犯さないよう子ども達を導こうとの思いから、セツルメントの一環として川崎市内の自宅のそばの公園で紙芝居上演を始め、その後、絵本作家に転じている。

入ってすぐの所にモニターが設置してあり、かこが子ども相手の紙芝居を始めた頃のエピソードなどを語る映像が流れている。約20分の映像であるが、全部見てみる。さしものかこでもすぐに子どもの心を捉えられたというわけではなく、最初は紙芝居を始めても、一人去り、二人去り、すぐそばの多摩川で虫取り遊びに興じ始めるということが普通の状態であったが、次第に子ども達の心を掴むようになる。上演された紙芝居の中には「どろぼうがっこう」の原型となる作品もあったようだ。

「からすのパン屋さん」シリーズは、どちらかといえば嫌われ者であるカラスを主人公にしている。カラスの賢さに注目し、水平の眼差しを忘れなかったかこらしい着想でもある。

京都の四季を題材にした作品もあり、かこの目を通した、葵祭、祇園祭、時代祭の京都三大祭を描いた絵を京都で楽しめるの趣がある。

 

絵本の他に、子ども達に科学を教えるために描いた絵もある。東京大学工学部応用化学科などで学んだ理系の知識が生かされているようだ。
また子ども達に芸術を教えるために描かれた絵本もある。絵画と彫刻の各1冊ずつで、ダヴィンチ、ピカソ、葛飾北斎、ミケランジェロ、ロダンのなどの作品がわかりやすく解説されており、大人が読んでも大変勉強になる。絵は有名だが名前をそれほど知られていない「ヴォルガの船引」のイリヤ・レーピンを取り上げているのもかこらしいといえる。前を見据えている一人の青年の姿は、まさに未来ある子ども達の理想そのものだ。

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2019年11月13日 (水)

美術回廊(43) 京都国立博物館 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」

2019年11月7日 東山七条の京都国立博物館にて

七条の京都国立博物館で、「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を観る。

佐竹本三十六歌仙絵は、秋田久保田藩主の佐竹氏が所蔵していた三十六歌仙絵巻を一つ一つに分けたものである。現在佐竹本といわれる三十六歌仙絵巻は、藤原信実の絵、後京極良経の書によるもので、鎌倉時代に制作されたのであるが、その後しばらく行方不明となっており、江戸時代初頭には下鴨神社が所蔵していることが確認されているのであるが、再び行方をくらませていた。それが大正に入ってから突然、元秋田久保田藩主の佐竹侯爵家から売りに出される。佐竹氏は戊辰の役の際に東北地方で唯一最初から新政府方についたこともあって侯爵に叙され、優遇を受けていたのだが、それでも家計が苦しくなったため売りに出されたのである。三十六歌仙絵巻は実業家の山本唯三郎が手に入れたのだが、第一次世界大戦による不況で山本もこの絵巻を手放さざるを得なくなる。不況に見舞われたのは当然ながら山本一人というわけではなく、どこも資金が不足していたため、佐竹本三十六歌仙絵巻を買い取れるほどの資産家は日本には存在しない。このままでは海外に流失してしまうということで、三井物産の益田孝(号は鈍翁)が、絵巻を一つ一つに分けて複数人で保有することを提案。これによってなんとか海外流出は食い止められ、住吉大社の絵も含めた37枚の絵を、当時の富豪達が抽選によって1枚ずつ手に入れることとなった。それが今から丁度100年前の1919年のことのである。当時の新聞記事に「絵巻切断」という言葉が用いられたため、衝撃をもって迎えられたが、実際は刃物は用いず、もともと貼り合わせてあった絵を職人の手によってばらしただけである。抽選の会場となったのは、東京・御殿山にあった益田邸内の応挙館である。円山応挙の襖絵が施されていたため応挙館の名があったのが、この円山応挙の絵も今回の展覧会で展示されている。
三十六歌仙といっても人気が平等ではない。そのためのくじ引き制が取られたのだが、主催者である益田は坊主の絵を引いてしまって不機嫌になったため(引いたのは源順の絵だったという証言もある)、一番人気であった「斎宮女御(三十六歌仙の中で唯一の皇族)」の絵を引き当てた古美術商が絵を交換することで益田をなだめたという話が伝わる。

37枚のうち31枚が集められているが、残念ながら斎宮女御の絵は含まれていない。また、6期に分かれての展示で、今日は、源宗于、小野小町、清原元輔の絵は展示されていない。なお、大戦をくぐり抜ける激動の時代ということもあり、37点のうち、現在、行方不明になっているものも3点ほどあるそうだ。

柿本人麻呂は、歌聖として別格扱いだったようで、柿本人麻呂の他の肖像画なども数点展示されているほか、柿本人麻呂は維摩居士の化身だというので、維摩居士の絵なども展示されている。

女性や若い人は華やかな王朝の美に酔いしれることが出来るのだろうが、もうすぐ45歳の私は、老いや孤独を歌った寂しい絵に心引かれる。やはり自分自身に絵や歌を重ね合わせてしまうようだ。
例えば、藤原興風の「たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」や、藤原仲文の「ありあけの月の光をまつほどにわがよのいたくふけにけるかな」などである。

小倉百人一首でお馴染みの歌もいくつかある。藤原敦忠の「あひみてののちの心に比ぶれば昔はものを思わざりけり」などは有名だが、藤原敦忠は38歳で突然死した人物であり、菅原道真の怨霊によるものだと噂されたという。
ちなみに藤原敦忠の絵を手に入れたのは、後に血盟団事件で暗殺されることになる三井財閥の團琢磨である。流石にそれまでもが菅原道真の祟りというわけでもないだろうが。

在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」も百人一首で有名である。和歌の天才と呼ばれた在原業平であるが、漢詩を不得手としていたため出世はかなわず、『伊勢物語』の主人公となったように東下り伝説が残るなど激動の人生を送った。

壬生忠見と平兼盛の歌もあるが、この二人の場合は今回の絵に採用されているものではなく、百人一首に取り上げられた歌の方が有名である。
歌合戦という言葉があるが、昔の歌合はまさに合戦であり、よりよい歌を詠んだ方が政において有利な立場を得ることが出来た。
天徳内裏歌合において、一番最後に「恋」を題材にした歌合があった。壬生忠見は、自信満々に「恋すてふ我が名はまだきたちにけり人知れずこそ思ひそめしか」と歌ったが、平兼盛の「しのぶれど色に出にけりわか恋はものや思ふと人の問ふまで」に敗れ、出世の道が絶たれたため悶死したとされる(史実ではないようだが)。このことは夢枕獏の『陰陽師』などにも出てくる。

 

佐竹本の三十六歌仙絵は2階に展示されているのだが、1階にもそれとはまた違った三十六歌仙の絵が展示されており、違いを楽しむことも出来る。

 

展示の最後を飾るのは、3隻の三十六歌仙屏風。作者は、土佐光起、狩野永岳、鈴木其一である。人気上昇中といわれる鈴木其一の三十六歌仙図屏風はやはり面白い。

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2019年11月 3日 (日)

美術回廊(42) KYOTO EXPERIMENT 2019 グループ展「ケソン工業団地」

2019年10月26日 京都芸術センターにて

京都芸術センターへ。現在、館内各所で京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT、KEX)2019参加作品である「ケソン工業団地」の展示が行われている。エントランスに映像展示と説明文があり、ギャラリー南では、ケソン工業団地で働いていた南側と北側の人々の写真展示がある。

南北朝鮮の協働によって開発されたケソン工業団地。北朝鮮国内で最も南に位置する大都市のケソン(開城)の経済特区に置かれ、北朝鮮が土地と労働力を韓国が技術と資本を提供して2004年にスタートした。いわゆる金大中の太陽政策の一環であり、北側と南側の人々が一緒に働くこの場所は、「南北統一の先駆け」と評価されたという。普段は一般市民は国境を越えることは出来ないが、ケソン工業団地に勤める韓国側の人々は、日々国境を越えて通勤していたという。
だが、2013年に北朝鮮が核開発を行ったことで韓国側が撤退を表明。2016年には操業がストップして、南北朝鮮が見た夢は12年の歴史で幕を下ろすことになった。

「ケソン工業団地」は、そこで働いていた一人一人に焦点を当てた3人のアーティスト(イ・ブロク、イム・フンスン、ユ・ス)による展示会であり、2018年の夏にソウルでの展示会が行われ、このたび京都でも開催されることになった。

 

ギャラリー南には、ケソン工業団地で働いていた人々の等身大と思われるパネルがある。入って来た側に並んでいるのが北朝鮮の人々、裏側が韓国の人々である。ぱっと見では北側の人なのか南側の人なのかはわからない。顔は勿論、服装でもである。
誰が見ても美少女と思えるような若い女性の写真もある。胸に金日成のバッジを着けており、北側の人だとわかるのだが、余り北っぽさはない。北朝鮮は美人の産地として知られており、ここのパネルでは北側の女性の方が綺麗に見えるが、サンプル数が少ないので「北側の方が美人」と断言は出来ない。意図的に綺麗な人が選ばれた可能性もある。
背後にはケソンの一帯の風景写真が壁一面に広がっていた。

 

講堂では映像展示が行われている。中央にスクリーンが立ち、両側から別々の映像が照射されている。入り口に近い方は棺桶を担いで歩く人物の映像、裏側はニュースなどを中心とした映像である。両方の映像は時折クロスする。

その奥の大広間には、ケソン工業団地の内部を再現したコーナーが設けられている。大広間は畳敷きであるが、今回は畳は取りのけられており、板敷きでの公開となっていた。ミシンがずらりと並び、キャビネットにはハングル文字の書かれた袋に入ったお菓子などが並んでいる。

 

3階のミーティングルーム2では、ケソン工業団地で作られた布袋の展示や、写真資料、映像展示などが行われている。布袋にはいかにも共産圏らしいデザインのものもあるが、中には偶然東京ヤクルトスワローズカラーになっているものもあって微笑ましい。

 

南北共通の夢が、短い間ではあったが達成されたことを物語る貴重な展示であった。

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