カテゴリー「美術回廊」の44件の記事

2019年11月16日 (土)

美術回廊(44) 大丸ミュージアム京都 「かこさとしの世界」展

2019年11月11日 大丸京都店6階大丸ミュージアム京都にて

大丸京都店6階の大丸ミュージアム京都で、「かこさとしの世界」展を観る。
昨年、92歳で亡くなった日本を代表する絵本作家であるかこさとし(加古里子。本名:中島哲)の絵本原画を集めた展覧会。私も子どもの頃は、毎週図書館でかこさとしの絵本を借りてきて、夢中で読んだものである。

 

1926年、福井県武生(現在の越前市)に生まれたかこさとし。幼い頃から画才を発揮。大日本帝国に尽くそうと、パイロットを目指すが、視力が悪いために断念。ならば技術力で貢献しようと東京帝国大学工学部に入学するが、在学中に敗戦を迎える。復学して、新制となった東京大学を卒業し、大手企業の社員というエリートとなったかこだが、戦争に協力しようとした愚かさを恥じ、自分のような過ちを犯さないよう子ども達を導こうとの思いから、セツルメントの一環として川崎市内の自宅のそばの公園で紙芝居上演を始め、その後、絵本作家に転じている。

入ってすぐの所にモニターが設置してあり、かこが子ども相手の紙芝居を始めた頃のエピソードなどを語る映像が流れている。約20分の映像であるが、全部見てみる。さしものかこでもすぐに子どもの心を捉えられたというわけではなく、最初は紙芝居を始めても、一人去り、二人去り、すぐそばの多摩川で虫取り遊びに興じ始めるということが普通の状態であったが、次第に子ども達の心を掴むようになる。上演された紙芝居の中には「どろぼうがっこう」の原型となる作品もあったようだ。

「からすのパン屋さん」シリーズは、どちらかといえば嫌われ者であるカラスを主人公にしている。カラスの賢さに注目し、水平の眼差しを忘れなかったかこらしい着想でもある。

京都の四季を題材にした作品もあり、かこの目を通した、葵祭、祇園祭、時代祭の京都三大祭を描いた絵を京都で楽しめるの趣がある。

 

絵本の他に、子ども達に科学を教えるために描いた絵もある。東京大学工学部応用化学科などで学んだ理系の知識が生かされているようだ。
また子ども達に芸術を教えるために描かれた絵本もある。絵画と彫刻の各1冊ずつで、ダヴィンチ、ピカソ、葛飾北斎、ミケランジェロ、ロダンのなどの作品がわかりやすく解説されており、大人が読んでも大変勉強になる。絵は有名だが名前をそれほど知られていない「ヴォルガの船引」のイリヤ・レーピンを取り上げているのもかこらしいといえる。前を見据えている一人の青年の姿は、まさに未来ある子ども達の理想そのものだ。

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2019年11月13日 (水)

美術回廊(43) 京都国立博物館 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」

2019年11月7日 東山七条の京都国立博物館にて

七条の京都国立博物館で、「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を観る。

佐竹本三十六歌仙絵は、秋田久保田藩主の佐竹氏が所蔵していた三十六歌仙絵巻を一つ一つに分けたものである。現在佐竹本といわれる三十六歌仙絵巻は、藤原信実の絵、後京極良経の書によるもので、鎌倉時代に制作されたのであるが、その後しばらく行方不明となっており、江戸時代初頭には下鴨神社が所蔵していることが確認されているのであるが、再び行方をくらませていた。それが大正に入ってから突然、元秋田久保田藩主の佐竹侯爵家から売りに出される。佐竹氏は戊辰の役の際に東北地方で唯一最初から新政府方についたこともあって侯爵に叙され、優遇を受けていたのだが、それでも家計が苦しくなったため売りに出されたのである。三十六歌仙絵巻は実業家の山本唯三郎が手に入れたのだが、第一次世界大戦による不況で山本もこの絵巻を手放さざるを得なくなる。不況に見舞われたのは当然ながら山本一人というわけではなく、どこも資金が不足していたため、佐竹本三十六歌仙絵巻を買い取れるほどの資産家は日本には存在しない。このままでは海外に流失してしまうということで、三井物産の益田孝(号は鈍翁)が、絵巻を一つ一つに分けて複数人で保有することを提案。これによってなんとか海外流出は食い止められ、住吉大社の絵も含めた37枚の絵を、当時の富豪達が抽選によって1枚ずつ手に入れることとなった。それが今から丁度100年前の1919年のことのである。当時の新聞記事に「絵巻切断」という言葉が用いられたため、衝撃をもって迎えられたが、実際は刃物は用いず、もともと貼り合わせてあった絵を職人の手によってばらしただけである。抽選の会場となったのは、東京・御殿山にあった益田邸内の応挙館である。円山応挙の襖絵が施されていたため応挙館の名があったのが、この円山応挙の絵も今回の展覧会で展示されている。
三十六歌仙といっても人気が平等ではない。そのためのくじ引き制が取られたのだが、主催者である益田は坊主の絵を引いてしまって不機嫌になったため(引いたのは源順の絵だったという証言もある)、一番人気であった「斎宮女御(三十六歌仙の中で唯一の皇族)」の絵を引き当てた古美術商が絵を交換することで益田をなだめたという話が伝わる。

37枚のうち31枚が集められているが、残念ながら斎宮女御の絵は含まれていない。また、6期に分かれての展示で、今日は、源宗于、小野小町、清原元輔の絵は展示されていない。なお、大戦をくぐり抜ける激動の時代ということもあり、37点のうち、現在、行方不明になっているものも3点ほどあるそうだ。

柿本人麻呂は、歌聖として別格扱いだったようで、柿本人麻呂の他の肖像画なども数点展示されているほか、柿本人麻呂は維摩居士の化身だというので、維摩居士の絵なども展示されている。

女性や若い人は華やかな王朝の美に酔いしれることが出来るのだろうが、もうすぐ45歳の私は、老いや孤独を歌った寂しい絵に心引かれる。やはり自分自身に絵や歌を重ね合わせてしまうようだ。
例えば、藤原興風の「たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」や、藤原仲文の「ありあけの月の光をまつほどにわがよのいたくふけにけるかな」などである。

小倉百人一首でお馴染みの歌もいくつかある。藤原敦忠の「あひみてののちの心に比ぶれば昔はものを思わざりけり」などは有名だが、藤原敦忠は38歳で突然死した人物であり、菅原道真の怨霊によるものだと噂されたという。
ちなみに藤原敦忠の絵を手に入れたのは、後に血盟団事件で暗殺されることになる三井財閥の團琢磨である。流石にそれまでもが菅原道真の祟りというわけでもないだろうが。

在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」も百人一首で有名である。和歌の天才と呼ばれた在原業平であるが、漢詩を不得手としていたため出世はかなわず、『伊勢物語』の主人公となったように東下り伝説が残るなど激動の人生を送った。

壬生忠見と平兼盛の歌もあるが、この二人の場合は今回の絵に採用されているものではなく、百人一首に取り上げられた歌の方が有名である。
歌合戦という言葉があるが、昔の歌合はまさに合戦であり、よりよい歌を詠んだ方が政において有利な立場を得ることが出来た。
天徳内裏歌合において、一番最後に「恋」を題材にした歌合があった。壬生忠見は、自信満々に「恋すてふ我が名はまだきたちにけり人知れずこそ思ひそめしか」と歌ったが、平兼盛の「しのぶれど色に出にけりわか恋はものや思ふと人の問ふまで」に敗れ、出世の道が絶たれたため悶死したとされる(史実ではないようだが)。このことは夢枕獏の『陰陽師』などにも出てくる。

 

佐竹本の三十六歌仙絵は2階に展示されているのだが、1階にもそれとはまた違った三十六歌仙の絵が展示されており、違いを楽しむことも出来る。

 

展示の最後を飾るのは、3隻の三十六歌仙屏風。作者は、土佐光起、狩野永岳、鈴木其一である。人気上昇中といわれる鈴木其一の三十六歌仙図屏風はやはり面白い。

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2019年11月 3日 (日)

美術回廊(42) KYOTO EXPERIMENT 2019 グループ展「ケソン工業団地」

2019年10月26日 京都芸術センターにて

京都芸術センターへ。現在、館内各所で京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT、KEX)2019参加作品である「ケソン工業団地」の展示が行われている。エントランスに映像展示と説明文があり、ギャラリー南では、ケソン工業団地で働いていた南側と北側の人々の写真展示がある。

南北朝鮮の協働によって開発されたケソン工業団地。北朝鮮国内で最も南に位置する大都市のケソン(開城)の経済特区に置かれ、北朝鮮が土地と労働力を韓国が技術と資本を提供して2004年にスタートした。いわゆる金大中の太陽政策の一環であり、北側と南側の人々が一緒に働くこの場所は、「南北統一の先駆け」と評価されたという。普段は一般市民は国境を越えることは出来ないが、ケソン工業団地に勤める韓国側の人々は、日々国境を越えて通勤していたという。
だが、2013年に北朝鮮が核開発を行ったことで韓国側が撤退を表明。2016年には操業がストップして、南北朝鮮が見た夢は12年の歴史で幕を下ろすことになった。

「ケソン工業団地」は、そこで働いていた一人一人に焦点を当てた3人のアーティスト(イ・ブロク、イム・フンスン、ユ・ス)による展示会であり、2018年の夏にソウルでの展示会が行われ、このたび京都でも開催されることになった。

 

ギャラリー南には、ケソン工業団地で働いていた人々の等身大と思われるパネルがある。入って来た側に並んでいるのが北朝鮮の人々、裏側が韓国の人々である。ぱっと見では北側の人なのか南側の人なのかはわからない。顔は勿論、服装でもである。
誰が見ても美少女と思えるような若い女性の写真もある。胸に金日成のバッジを着けており、北側の人だとわかるのだが、余り北っぽさはない。北朝鮮は美人の産地として知られており、ここのパネルでは北側の女性の方が綺麗に見えるが、サンプル数が少ないので「北側の方が美人」と断言は出来ない。意図的に綺麗な人が選ばれた可能性もある。
背後にはケソンの一帯の風景写真が壁一面に広がっていた。

 

講堂では映像展示が行われている。中央にスクリーンが立ち、両側から別々の映像が照射されている。入り口に近い方は棺桶を担いで歩く人物の映像、裏側はニュースなどを中心とした映像である。両方の映像は時折クロスする。

その奥の大広間には、ケソン工業団地の内部を再現したコーナーが設けられている。大広間は畳敷きであるが、今回は畳は取りのけられており、板敷きでの公開となっていた。ミシンがずらりと並び、キャビネットにはハングル文字の書かれた袋に入ったお菓子などが並んでいる。

 

3階のミーティングルーム2では、ケソン工業団地で作られた布袋の展示や、写真資料、映像展示などが行われている。布袋にはいかにも共産圏らしいデザインのものもあるが、中には偶然東京ヤクルトスワローズカラーになっているものもあって微笑ましい。

 

南北共通の夢が、短い間ではあったが達成されたことを物語る貴重な展示であった。

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2019年10月29日 (火)

美術回廊(41)+コンサートの記(601) 京都文化博物館 「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術」&mama!milk Quartetコンサート

2019年10月22日 京都文化博物館および京都文化博物館別館ホールにて

京都文化博物館で、「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術」を観る。
イラストレーションやポスターを芸術へと高めたことで知られるアルフォンス・ミュシャ。史上最高の舞台女優といわれるサラ・ベルナールとのコラボレーションでも知られるが、今日10月22日はサラ・ベルナールの誕生日だそうである。

オーストリア帝国統治下のチェコのモラヴィア地方に生まれたミュシャ。子どもの頃は音楽で才能を示し、ブルノの少年聖歌隊ではレオシュ・ヤナーチェクと同僚だったそうである。その後、声に支障が出たために音楽から美術への転身を目指す。ただ若い頃は苦労続きだったようで、学業不振で中学校を退学後、地方裁判所で働き、プラハの美術院を目指すも書類選考で落ちてしまう。19歳でウィーンに出て劇場付属の美術工房で働きながら夜の美術教室で腕を磨くが、劇場が火災に遭い、業務整理のあおりを受けて工房を解雇されてしまう。その後、クーエン・ベラシ伯爵と出会い、気に入られて金銭的援助を受けてミュンヘン美術院とパリの美術学校(この学校は現存しないようである)を卒業。だが、これからという時に伯爵の援助が突然打ち切られてしまう。ミュシャは手っ取り早く金が得られそうな挿絵画家として自身を売り込み、これが当たって画家として軌道に乗る。そしてたまたま引き受けることになったサラ・ベルナールのポスターを描いたところ、パリ中で評判となり、サラ・ベルナールと共に一躍時代の寵児となった。ウィーン分離派(ウィーン造形芸術協会)にも参加し、フリーメーソンのメンバーとなり、教職にも就いている。一方で、チェコ民族のための画家として活躍したいと思いはなかなか叶えられず、ようやく50歳を越えてチェコに戻ってから「スラヴ叙事詩」を描いて積年の思いを遂げることになる。チェコがスロヴァキアと共にチェコスロヴァキアとして独立するとミュシャは独立記念の紙幣や切手などを無償で手掛けるという愛国心を見せる。だが、その後にそれが仇となる。ナチスドイツがチェコを占領すると、ミュシャは「危険な愛国者」として逮捕尋問され、これが体に応えて釈放後4ヶ月ほど経った1939年7月14日に他界。パリ祭の日に亡くなったことになる。79歳の誕生日を10日後に控えての死であった。

画才は子どもの頃から発揮されていたようで、最初の絵である「磔刑図」は8歳の時に描かれたものだという。「ブルノ、ペトロフ教会の聖歌隊の少年たち」は、1905年に幼き日の思い出を描いたものだとされる。

ミュンヘンやパリ時代初期に描かれた自画像がある。猫背になりながら絵に取り組んでいる自画像だ。
その後、ミュシャは架空の人物を想定し、それを磨き上げる、言い方によっては使い回す手法を生み出す。「カリカチュア」という絵に描かれた人物がその後、典型的な容姿の人物として再登場するようだ。

一方で、動きを感じさせる絵にも取り組んでおり、いくつかの習作を試みている。走る少年やバレエを描いた習作もあるが、「なにかしているところを描く」ことが多い浮世絵に影響を受けたのかも知れない。

ミュシャのポスターと特徴は、「Q字型」といわれるデザインである。ポスターの中心にいる人物を円形のリボンなどが取り囲み、下で結んでたれて「Q」の形に見えるためにこの名があるが、額縁の中にもう一つ「Q」の縁が描かれることで立体感やメルヘン的や柔らかさが与えられている。チャーミングになるのだ。

サラ・ベルナールを描いた一連のポスター(そのうちの3点は撮影可である)や代表作とされる「黄道十二宮」なども良いのだが、チェコへの愛国心を描いた作品の方がより気に入る。ミュシャはスメタナと同時代人で、「スラヴ叙事詩」などもスメタナの「わが祖国」を聴いてインスピレーションを受けたようだが、「チェコ音楽界のパンテオン」というポスターの中心に描かれているのはおそらくスメタナだと思われる。「正義(ヤン・フス)」という市長ホールのための絵画の習作も展示されているが、これなども当然ながらスメタナが描いたことと一致している。ポスター作家としての顔の影に隠れて余り知られていないが、ミュシャはスメタナと並ぶチェコ国民運動の最先端に位置していたというわけである。

実は、挿絵画家としてスタートした直後に、ドイツの歴史の挿絵の仕事が舞い込んだのだが、貧しい時期だったにも関わらずミュシャはこれを断ろうとしている。結局、引き受けて、今回の展覧会にも3点が展示されているが、反ドイツの意識はそれほど強かったようだ。その横に、スペインの歴史のために描いた挿絵の習作が並べられている。どうもスペインがイスラム教徒に占領された時代の絵のようで、いかにもムスリムといった感じの男の前で、十字架の入った杖を持ったキリスト教徒達が屈んでいるが、そのうちの一人はムスリムの男を鋭い視線で捉えている。キリスト教徒のムスリムへの反抗心に、ミュシャはチェコ民族のドイツ人達への反感を重ねていたのかも知れない。心の中ではレコンキスタの士の一人だったのだろう。

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死後は愛国心が危険視されたのか、封印される形になったミュシャ作品だが、1960年にアメリカで起こったヒッピームーブメントで再評価が高まり、多くのミュージシャンのポスターやレコードジャケットがミュシャを真似た手法で描かれている。ジミ・ヘンドリクスやピンク・フロイド、ドアーズなどビッグネームも多い。

 

日本では与謝野鉄幹と与謝野晶子の「明星」の表紙がミュシャの影響を受けているとされ、一條成美やその跡を継いだ藤島武二のデザインが並んでいる。
ミュシャの影響を公言している日本の漫画家も多く、水野英子、山岸涼子、26歳で夭逝した金沢出身の花郁悠紀子(かい・ゆきこ)やその実妹の波津彬子(はつ・あきこ)、松苗あけみなどの絵が並んでいる。

最後を飾るのは、「ファイナルファンタジー」の天野喜孝と「ロードス島戦記」などを手掛ける出渕裕。出渕の作品にはミュシャそのままのものもある。

 


そのまま午後6時から京都文化博物館別館ホールで、mama!milk Quartetのコンサートを聴く。アコーディオン&手回しオルゴールの生駒祐子とコントラバスの清水恒輔のデュオであるmama!milkにマルチミュージシャンの曽我大穂とピアノの林正樹が加わっての演奏。辰野金吾設計の旧日本銀行京都支店の建物である別館ホールで秋に行われるのに相応しいお洒落な音楽会となる。
曽我大穂は、フルート、パーカッション、アコーディオンなどいくつもの楽器を奏でる器用な人で、その他にもノイズを出して、現代の音楽であることを強調する役割も担っている。

mama!milkのコンサートを聴くのも久しぶり。今年の七夕にもこの京都文化博物館別館ホールで白井晃演出による結成20周年コンサートを行っているのだが、広上淳一指揮京都市交響楽団大阪公演の日であったため聴くことは出来ていない。
アルバムなども聴いていないので、曲目なども詳しくは分からないが、3拍子を基調としたフレンチテイストのものや、秋を感じさせるノスタルジックなもの、5拍子と6拍子の変拍子からなるタンゴ風のものなど、曲調も幅広い。

アンコールとして演奏されたのは「Your Voice」。とてもチャーミングな曲と演奏であった。

 

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2019年10月25日 (金)

美術回廊(40) 美術館「えき」KYOTO 「西洋近代美術にみる『神話の世界』」

2019年10月18日 美術館「えき」KYOTOにて

美術館「えき」KYOTOで今日から始まった「西洋近代美術にみる『神話の世界』」展を観る。あべのハルカス美術館でラファエル前派の展覧会が行われているが、それとも関連のある内容である。
神話を題材に描かれた絵や彫刻が並ぶが、それは古典の再発見へと繋がっている。ジョヴァンニ=バッティスタ・ピラネージの「ローマの古代遺跡」の描写に始まり(そのままを描いたものではなく、古代の姿を想像によって復元させている)、「イリアス」や「オデュッセイア」というホメロスの文学、神や桂冠詩人に送られる月桂冠を編む女性の絵(フレデリック・レイトンの作品)、ミュンヘン分離派(ニュンヘン造形美術協会)による国際美術展のポスター(ギリシャの神々が描かれている)、テオドール・シャセリオーの「アポロンとダフネ」、アレクサンドル・カバネルの「狩りの女神ディアナ」(今回の美術展のポスターに採用されている)などの神々の像が並ぶ。ローレンス・アルマ=タルデの「お気に入りの詩人」のように、神々を描いたのではなく神話を読む女性とそれを聞くもう一人の女性を描いた作品もある。ジャン=ジャック・エンネルの「アンドロメダ」は普仏戦争によってドイツ(プロイセン)に割譲されたアルザス地方(現在はフランス領に戻っている。中心都市はストラスブール)を囚われのアンドロメダになぞらえたものだという。

幻想の画家として知られるオディロン・ルドンの「アポロンの二輪馬車」と「ペガサスにのるミューズ」が並んでいる。ルドンの絵は、昔、鎌倉の鶴岡八幡宮境内にあった神奈川県立近代美術館鎌倉(今は鎌倉文華館鶴岡ミュージアムとなっているようである)でのルドン展を観ているが、それとはかなり趣の異なる淡い印象の作品である。

美術館「えき」KYOTOやあべのハルカス美術館で観たことのあるラウル・デュフィの作品は、いかにもデュフィという趣の作品で、原色を用いた愉快な作風である。プーランクの音楽にも通じるようなエスプリ・クルトワに溢れている。

ルノワールやローランサン、ピカソといった有名画家の作品もあるのだが、今回はあまり惹かれず。ピカソは以前にも美術館「えき」KYOTOで同じ趣のエッチングを観ているということもあるだろう。後年自己模倣に陥ったことで知られるジョルジオ・デ・キリコの作品も展示されている。

デ・キリコと出会ってシュールレアリズムの影響を受けたいわれるポール・デルヴォーの「水のニンフ(セイレン)」は不安的な構図に逆に引きつけられる。美しい歌で船を水底へと引きずり込むというセイレンが、美しさと不気味さの絶妙の境で描かれている。ところで左の奥にポツンと一人で立っている男性は何者なのだろう? これも含めて悪夢的な雰囲気の漂う絵となっている。

 

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2019年10月17日 (木)

美術回廊(39) 大阪市立東洋陶磁美術館 特別展「フィンランド陶芸 芸術家のユートピア」&「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」

2019年7月18日 大阪市立東洋陶磁美術館にて

中之島と堂島川を隔てて向かいにある大阪市立東洋陶磁美術館で特別展「フィンランド陶芸 芸術家のユートピア」「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」を観る。多くの作品は撮影可である。午後5時閉館で、東洋陶器美術館に入ったのが午後4時20分頃であったため、駆け足の鑑賞になる。

フィンランドの陶芸を興隆させたのはアルフレッド・ウィリアム・フィンチ(1854-1930)という人物であり、その弟子達によって更なる発展を遂げている。
「フィンランド陶芸」では、フィンチの弟子であるミハエル・シルキン(1900-1962)、ルート・ブリュック(1916-1999)、ビルゲイ・カイピアイネン(1915-1988)らの作品を中心とした展示が行われている。
トーベ・ヤンソンの画風を思わせるような愛らしい作品もあるが、ターコイズブルー1色の陶器や白と青のシンプルな作品なども北欧らしくて気に入る。

「マリメッコ・スピリッツ」は、テキスタイルのブランドであるマリメッコの展示会。1974年生まれのパーヴォ・ハロネン、1982年生まれのマイヤ・ロウエカリ、1983年生まれのアイノ=マイヤ・メッツォラの3人の若い作家の「JAPAN」をテーマにした作品が展示されている。展示のラストには今回の展覧会のために制作された茶室の展示がある。趣もあるが白木の香りがなんともいえず心地よい。

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2019年10月15日 (火)

美術回廊(38) 細見美術館 レスコヴィッチコレクション「広重・北斎とめぐるNIPPON」

2019年9月29日 左京区岡崎の細見美術館にて

ロームシアター京都と琵琶湖疎水を挟んで向かいにある細見美術館で、レスコヴィッチコレクション「広重・北斎とめぐるNIPPON」という展覧会を観る。
パリ在住のポーランド人であるジョルジュ・レスコヴィッチの蒐集した浮世絵の数々を展示した展覧会である。

歌川広重と葛飾北斎の他に、鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、渓斎英泉、歌川国貞らの絵が並んでいる。

劈頭を飾るのは鈴木春信の美人画の数々である。浮世絵、錦絵、春画などの部門で活躍した鈴木春信であるが、登場する女性達が異様に華奢なのが特徴である。江戸時代は今より栄養状態が良くなかったが、これほど細い女性が実在したとも思えない。他の絵師達の美人画とも比べると鈴木春信が描いた女性が段違いに細いことが確認出来る。浮世絵は余りモデルを使わず、イメージで描くこと多かったと思われるのだが、仮にモデルがいたとしてもかなりデフォルメされているのあろう。細い女が好みだったのか、か細さになんらかの意味を込めようとしたのか。

東洲斎写楽の役者絵は、逆に歌舞伎俳優達を美化しておらず、そのために描かれた俳優本人からは評判が悪かったそうで、写楽の活動期間を縮めた一因ともいわれているのだが、写楽の正体は能楽師の斎藤十郎兵衛だったという説が近年では有力視されており(「東洲斎」というのは「さいとうしゅう」のもじりというわけだ)、同じ舞台人であるがために役者の心情を上手く描けているという評価もある。残念ながら写楽の絵に描かれている演目を私は観たことがないのだが、あるいは観たらもっとわかることがあるのかも知れない。

葛飾北斎の「詩哥写真鏡」は、全体的に青の多用が印象的で、ピカソや北野ブルーの先駆けっぽい(?)。

広重の「六十余州名所図会」は嘉永6年に描き始められているが、この年は黒船来航の年である。攘夷の意識が高まる時代にこうした絵が描かれていたということになる。

「木曽街道六拾九次」は、広重の渓斎英泉の共作である。東海道に比べると木曽街道は地味だが、行き交う様々な人々が多彩に描かれている。そういえば以前に、渓斎英泉を主人公にした矢代静一の「淫乱斎英泉」という芝居を観たことがあるのだが、余り面白くなかった記憶がある。

広重の「東海道川尽 大井川の図」「相州江之嶋弁財天開帳参詣詣群衆之図」などでは波が図式化されている。実際は波がこういう形に並ぶことはないと思われるのだが、そこに意匠というか江戸時代のデザイン的な刻印が行われているようにも感じる。

広重が描いた「山下町日比谷さくら田」は現在の警視庁の辺りを描いた絵。その他にも「神田明神曙之原」や「上野山した」「下谷廣小路」などは、東京の風景を知っていると楽しみがグンと増す。

北斎は、かめいど天神たいこばしなど、今は現存しない橋をかなり大袈裟に描いている。リアリズムよりも人の内面の感情を優先させた描き方なのだと思われる。
富嶽三十六景は、京都浮世絵美術館に飾られていると同じ「江都駿河町三井店略図」なども展示されている。「甲州石班澤(かじかざわ)」の絵にも顕著に表れているが、同じ形になるものを並べる相似形の構図にすることで、構築をより堅固にしようという意思が伝わってくるかのようだ。
葛飾北斎は、「琉球八景」という絵画シリーズを手掛けているが、実際に琉球に行ったことはなく、琉球で描かれた絵や図などを見ながらイメージを膨らませて架空の琉球を作り上げたようである。

広重の「京都名所之内」は、その名の通り名所を細部に至るまで描いて(実際に行ったことのある場所と他の絵師の絵図を参考に想像で描いたものが混在しているようだ)、往時の京都のイメージを知ることが可能になっている。

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2019年9月29日 (日)

美術回廊(37) 京都浮世絵美術館 「二つの神奈川沖浪裏」

2019年9月10日 四条の京都浮世絵美術館にて

四条通にある京都浮世絵美術館に入ってみる。ビルの2階にある小さな私設美術館。中に入るのは2度目である。
前回は将軍家茂の上洛を題材にした浮世絵が並んでいたが、今回は葛飾北斎没後170年企画ということ「二つの神奈川沖浪裏」と題した展示が行われている。二つの「神奈川沖浪裏」は、色彩が異なるが、元の絵は一緒であり、光の加減で色彩の差は余り気にならない。

それよりも北斎の「富嶽三十六景」に収められた他の絵が面白い。「東都浅草本願寺」(現在の浄土真宗東本願寺派東本願寺の前身)や「江都駿河町三井見世略図」(三井越後屋の図)のように入母屋の三角屋根と富士を並べた構図などはかなり大胆で面白い。
私の出身地である千葉市にある登戸(のぶと)から富士を描いた「登戸浦」も面白い。鳥居の向こうに小さく富士が描かれているのだが、これは古代からの富士山岳信仰を連想させる。日英中の三カ国語で解説が書かれているのだが、日本語では「千葉市中央区登戸」とあるのに、中国語では(千葉県中央区登戸)と書かれていて少し奇妙な印象を受けた。

「甲州三坂水面」は、河口湖に映る逆さ富士を描いたものだが、富士本体は夏の姿である黒富士であるのに対して、湖面に映る富士は雪を戴いており、リアリズムを超えた美しさを感じることが出来る。
丸い桶の向こうに富士が見える有名な「尾州不二見原」や、「武州千住」などは何よりも構図を優先させた浮世絵だが、一昨日見たウィーン分離派の絵画にも見たままではなく再構築を行う傾向は見られる。パリとは異なり、ウィーンでジャポニズムが流行ることはなかったが、画家達は浮世絵を入手していて、影響を受けている。似通っているのは、偶然ではないだろう。

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2019年9月28日 (土)

美術回廊(36) 日本・オーストリア外交樹立150周年記念「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」

2019年9月8日 大阪・中之島の国立国際美術館にて

「大阪クラシック」2019第4公演を聴いた後で中之島を西に向かい、国立国際美術館に入る。現在、ここでは日本・オーストリア外交樹立150周年記念「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」という展覧会が行われている。

まず、啓蒙時代のウィーンとして、ハプスブルク家の女帝、マリア・テレジアやその息子であるヨーゼフ2世らの肖像画が並び。ヨーゼフ2世はモーツァルトが仕えていた皇帝であるが、「ウィーンのフリーメイソンのロッジ」という絵にはモーツァルトと「魔笛」の作曲依頼者で台本を書いたシカネイダーらが右端で談笑している様が描かれている。その後にはモーツァルトの肖像画と「魔笛」の様子を描いた絵が並んでいる。

「ビーダーマイアーの時代」の展示。ウィーンは貴族達の街から市民階層を主人公とする都市へと変わっていく。1814年のウィーン会議の出席者を描いた絵があり、オーストリアの代表者であった外相メッテルニヒが愛用していたという赤いアタッシュケースが展示されている。

市民階層の台頭の象徴がシューベルティアーナである。貴族の嗜みであり、豪邸の客間などで演奏されていた音楽が市民のものとなり、その時代を代表する若手作曲家であったシューベルトを囲むサロンでの演奏会が行われるようになる。
シューベルトの有名な肖像画(ヴィルヘルム・アウグスト・リーダーの筆による)や、「シューベルティアーナ」の絵画(ユーリウス・シュミットの作)が飾られ、シューベルトが愛用していたという眼鏡も展示されている。

この時代には家具が発達している。実はそれまでは椅子などは貴族の権威を表すものであったのだが(確かに皇帝は玉座に座っている)、この時代には実用的な椅子が考案されてヒットする。椅子は時代が下るに従って、シンプルなデザインに変わっていくのが確認出来る。

城壁が廃され、その後にリンクという通りが出来ると、この通り沿いにウィーンの新たなる政治・文化施設が誕生していく。まずは国会議事堂。その横にウィーン市庁舎、更にその横にウィーン大学が建つ。そして音楽の都であるウィーンを象徴する宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)、旧ブルク劇場が建ち並ぶという、国際的な文化都市としての顔が出来上がるのである。この時の王(皇帝)はフランツ・ヨーゼフ1世、王妃はミュージカルなどでお馴染みのエリザベートである。美男美女の王と王妃の肖像画並ぶが、二人は輝かしきオーストリア=ハンガリー二重帝国の象徴であった。

音楽は更に市民階層へと広がっていく。ヨハン・シュトラウス1世が広めたウィンナ・ワルツが隆盛を極め、息子である「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世が生み出した曲の数々は現在のポピュラー音楽並みかそれを凌ぐほどの人気を誇った。誇らしげな顔をしたヨハン・シュトラウス2世の胸像が飾られている。

建築の分野ではオットー・ヴァークナーが登場。彼が設計した多くの建物はウィーンの景観を変えていく。駅を造り、美術アカデミーの建物や博物館を設計し、様々なインフラを自らのアイデアで創造し、あるいは塗り替えていく。

 

アカデミズムに対抗する形で分離派を生み出したのがグスタフ・クリムトである。世紀末ウィーンを代表する画家だ。クリムトは絵画に象徴を持ち込み、光と影を同じ画面内で対比させるなど、新たな画風を前面に打ち出す。マクシミリアン・レンツ、カール・モル、ヨーゼフ・ホフマンなどがウィーン分離派(正式名称は、オーストリア造形芸術協会)として新たな芸術観を高らかに掲げることになった。ウィーン分離派は権威としての美術や写実性よりも総合芸術性と実用性を重視。グラフィックデザインなどを生んでいくことにもなる。

クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」のみは写真撮影可であり、多く人がシャッターを押していた。自信に満ちた表情のエミーリエ・フレーゲであるが、服装や背景などは現実離れしており、エミーリエ自身がはこの絵を嫌ったそうである。

ウィーン分離派の実用性を工芸部門へと押し広げたのがウィーン工房である。マイスターの仕事を芸術の領域へと高めることを志したウィーン工房は、ヨーゼフ・ホフマンらによって生み出され、一時代を築いたが、凝りに凝った芸術趣味が災いして、後の倒産の憂き目を見ることになる。ヨーゼフ・ホフマンの手によるヘルマン・ヴィトゲンシュタイン邸のキャビネットや花瓶、印章などが展示されているが、このヘルマン・ヴィトゲンシュタインは、ウィーン分離派の第一のパトロンとなったカール・ヴィトゲンシュタインの父親である。カールの息子のパウルはラヴェルに左手のためのピアノ協奏曲を依頼したピアニスト、同じくカールの息子であるルートヴィヒは高名な哲学者である。

クリムトの衣鉢を継ぐ形となった画家がエゴン・シーレである。描写を得意としたシーレの多くのスケッチが並ぶが、クリムトの作品同様、生と死の境にあるかのような、一種の不吉さも感じされる。

ウィーンの絵画はシーレ以降、表現主義的な色彩を強めていくのだが、音楽の部門で同様の表現拡大を行っていた音楽家に関する展示がラスト近くに配置されている。十二音技法の生みの親であり、新ウィーン学派の代表者であったアルノルト・シェーンベルクの筆による絵画が数点。中には愛弟子であるアルバン・ベルクの肖像画なども含まれる。シェーンベルクはマーラーの葬儀の絵も残しているのだが、そのマーラーの肖像(彫像)も展示されている。オーギュスト・ロダンの手によるものだ。

 

クリムトを中心としたウィーンの美術の展覧会ではあるが、それらと極めて強く繋がる政治、思想、景観、音楽などを網羅する総合展示であり、ある意味、ウィーン分離派の思想を受け継いだ展覧会であるともいえる。

 

展示された作品の中では、マクシミリアン・クルツヴァイル「黄色いドレスの女性(画家の妻)」が実にチャーミングである。ウィーン分離派はブロックを積み上げるようにした構図を用いることが多い様だが、「黄色いドレスの女性」は、首を傾げることでシンメトリーの構図が崩れ、そこから女性らしい愛らしさが滲み出ているように思われる。「黄色いドレスの女性」は、1899年に描かれたものだが、その60年ほど前に描かれたフリードリヒ・フォン・アメリンク「3つの最も嬉しいもの」(酒・女・歌のことらしい)や「悲報」に登場する抑制された表情の女性とは好対照であり、その間に女性の内面からの解放があったのかも知れない。

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2019年9月16日 (月)

美術回廊(35) 京都文化博物館 ICOM京都大会開催記念+京都新聞創刊140年記念「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」&「京の歴史をつなぐ」展

2019年9月6日 京都文化博物館にて

京都文化博物館で行われている、ICOM京都大会開催記念「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」と「京の歴史をつなぐ」展を観る。

4階で行われている「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」は、某学会が運営する東京富士美術館所蔵の美術作品の展示である。全て撮影OKである。
伊藤若冲の「象図」、東洲斎写楽の「市川蝦蔵の竹村定之進」、歌川国芳の「相馬の古内裏」などの有名画が並んでいる。多く刷れる浮世絵が多いため、価値としてはそれほど高くないのかも知れないが、実際のところ目の前で観る機会はそれほど多くないため、貴重である。
その他にも、近藤勇の愛刀として知られた長曽根虎徹や、土方歳三の愛剣として有名な和泉守兼定が打った刀剣なども展示されている(近藤や土方の愛刀そのものではない)。
昨日行った京都国立博物館には、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が展示されていたが、京都文化博物館には鈴木其一の「風神雷神図襖」がある。構図は完全に一緒で、腕もねじれているのだが、鈴木其一は風神と雷神を一枚に収めず、別の襖に描いているという特徴がある。

天璋院篤姫愛用の、葵の御紋が入った蒔絵茶碗台と蓋、女性用の籠(仙台伊達氏の順姫が、宇和島伊達氏に嫁いだ際に使用したもの)、洛中洛外図屏風などに続き、葛飾北斎の富岳三十六ヶより「山下白雨」、「凱風快晴」、「神奈川沖浪裏」などの展示があり、歌川広重の「名所江戸百景 水道橋駿河台」の錦絵が掛けられている。以前、ひろしま美術館でも観たことのある絵だが、大きな鯉のぼりの背後に描かれているのは、我が青春の街、神田駿河台である。

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3階のICOM京都大会開催記念「京の歴史をつなぐ」。まず平安京の玄関口であった羅生門の模型が出迎える。この展覧会も撮影可である。こちらは京都文化博物館所蔵のものが中心。平安京遷都を行った桓武天皇の肖像画(墓所にちなんで柏原天皇とも呼ばれたようだ)、出土品である平安時代初期の瓦や壺などが展示され、羅生門にちなんで、芥川龍之介の「羅生門」初版本や、黒澤明の映画「羅生門」のシナリオ(映画の冒頭とラストに羅生門は出てくるが、実際の原作は「藪の中」である)やポスターなども展示されている。

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現在の、四条河原町付近に名が残る真町で交わされた取り決め書付や、譲り状なども展示されており、江戸時代の四条河原町の人々の生活の一端を垣間見ることが出来る。

四条河原付近の復元模型がある。現在は南座が残るだけだが、江戸時代には7つの芝居小屋が軒を連ねており、一大歓楽街であった。
更には岡崎で行われた第4回内国勧業博覧会の模型も展示されている。元々は伊東忠太設計によりパビリオンとして建てられた平安神宮はそのままだが、現在はロームシアター京都(京都会館)や京都市美術館(京都市京セラ美術館として来年3月リニューアルオープンの予定)、京都府立図書館や京都国立近代美術館のある場所の明治時代の様子を知ることが出来る。

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