コンサートの記(962) ローム ミュージック フェスティバル 2026 オーケストラコンサート 10th アニバーサリー・プログラム with 沖澤のどか
2026年4月19日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて
午後4時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ローム ミュージック フェスティバル 2026 オーケストラコンサート 10th アニバーサリー・プログラム with 沖澤のどかを聴く。ロームシアター京都開場と同時に始まったローム ミュージック フェスティバル。今年が節目の10年目である。中規模ホールのサウスホールと大ホールであるメインホールを使った小規模な音楽祭。中庭であるローム・スクエアでは、毎年吹奏楽の名門校による演奏も行われている。
ローム ミュージック フェスティバルのオーケストラコンサートは、東京のオーケストラが招かれることも多かったのだが、今年は京都の音楽の顔である沖澤のどか指揮の京都市交響楽団が演奏を行う。タイトルだけだと沖澤のどかが客演のようだが、沖澤のどかは京都市交響楽団の第14代(当代)常任指揮者である。ベルリン在住だが、現在、京都に長期滞在中で、来月まで京響と行動を共にする予定である。
曲目は、酒井健治の「ゆく河の流れは絶えずして~The flow of the river never ceases...」(ローム ミュージック フェスティバル第10回記念委嘱作品)、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:青木尚佳)、ビゼーの「アルルの女」第2組曲から“メヌエット”“ファランドール”、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」第1組曲より“ロメオとジュリエット”、第2組曲jより“モンタギュー家とキャピュレット家”、ラヴェルの「ボレロ」
今日のコンサートマスターは客演の神谷未穂。神谷は現在、仙台フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターと千葉交響楽団の特任コンサートマスターを務めている。
仙台フィルは関西で演奏会を行ったことはないはずだが、私の故郷にある千葉交響楽団は東大阪市で行われた合同コンサートで聴いたことがあり、神谷も出演していた。
泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭は降り番。クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演した。他の首席に関しては、ある事情によって顔が見えなかった。ある事情というのは、今日の席が前から3列目だったことである。コンピューターの都合と、申し込んだ時期により、前の方の席になった。そのため管楽器奏者の顔が陰になって見えないのである。小谷口さんは、本番前にステージ上でさらっていたので、それで確認出来た。
酒井健治の「ゆく河の流れは絶えずして」。酒井健治はアルティで行われた個展も聴きに行っており、京都の作曲家の中では作品に接する機会は多い方である。現在は京都市立芸術大学の教授を務めている。大阪出身。京都市立芸術大学卒業後に渡仏し、パリ国立高等音楽院作曲科、ジュネーヴ音楽院を共に最優秀の成績で卒業している。
これを読むと分かると思うが、音楽家というのは、大学を3つも4つも卒業しているのは「普通」である。
帰国後、武満徹作曲賞を受賞。更にローマ賞にも選ばれている。本人としては前衛嗜好なのだが、以前、ロームシアターのために分かりやすい曲を書いたこともあり。そのコンサートが終わって帰るときに、たまたま酒井さんが私の後ろにいて、「ああいう音楽を書く人だと思われるたら嫌だな」と話していた。
実際、「ゆく河の流れは絶えずして」は簡単に分かるような曲ではない。布陣から独特で、指揮者の背中を見る角度にハープが置かれ、松村衣里が演奏を行う。
指揮者の背中を見る角度にもう一人、奏者がいる。第1パーカッションの中山航介で、シロフォンや銅鑼を演奏する。更に一人、舞台下手端最前列に第2パーカッション奏者としてチェレスタ兼の矢野百華(本職はピアニスト)が入る。中山も矢野も水の入ったプラスチックケースを前にしている。この3人は指揮者より客席に近い場所にいるが、第1ヴァイオリンも膨らんで、ギリギリ指揮者よりも客席に近い場所にいるように見える。
曲であるが、鴨長明の『方丈記』を元にしている。今は現代語訳も出ているので、読んだことのある人は多いかも知れないが、竜頭蛇尾気味のところがある。
能楽を模したような響きに始まり、「和」のテイストが隅々まで行き渡っている。黛敏郎や武満徹もこうした曲を書いた。その遺産を上手く生かしている感じである。「ハープは箏を喚起する」と酒井は書いているが、掻き鳴らし方が激しいため、むしろ琵琶などを感じさせる。そういえば鴨長明の趣味は琵琶だった。『方丈記』にも琵琶の話は出てくる。
第1パーカッションの中山航介は、シロフォンを奏でた後で、小型の銅鑼を鳴らし、鳴り終わらないうちに水に浸ける。音が急速に弱まって消える。
第2パーカッションの矢野百華は、水が跳ねる音を、実際に水の入ったプラスチックケースの中に素手を入れて直接出す。また、中山と矢野は共にポットに入った水をプラスチックケース内の水の中に垂らす。また矢野はチューブを使って水の中に息を吐き出し、ボコボコという音を奏でた。
パーカッションの福山直子は、折れ曲がって柔らかいオレンジ色の棒のようなものを回す。「未知との遭遇」みたいな音が出る。あれはなんという楽器なのだろう?
視覚面にも訴える曲。なかなか面白いと思う。
客席にいた酒井健治は立ち上がって拍手を受けた。
舞台下手にナビゲーターの朝岡聡登場。口の横に集音器のつくマイクを装着していたが、故障なのか不具合なのか、作動しない。仕方がないので朝岡は声を張って話すが、手持ち式のワイヤレスマイクが届けられて以後はそれを使って話す。
「鴨長明の『方丈記』の冒頭は学生時代に暗記させられた方も多いのではないでしょうか」と朝岡。かくいう私も暗記させられた、というより率先して暗記していた。朝岡が述べたものと私が暗記しているものの間に異同があったが、古典とされるものは原典が消失しているのが普通で、多くの人が写筆したものによって現代まで生き残っている。人が書き写すので、違いが出るのが普通である。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に関しても、「カデンツァは普通、第1楽章の最後に来るのですが、この曲は途中に2分ぐらい、ヴァイオリンの青木さんが一人で弾きます。そこがカデンツァです。音符も全てメンデルスゾーンが書いてます。それまではソリストの即興だったのですが」
それまで作曲家と演奏家は兼業だったのだが、それが分離し、演奏家が即興演奏を行うのが難しくなったということが背景にある。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。独奏の青木尚佳(あおき・なおか)は、1992年東京生まれ。3歳でヴァイオリンを始め、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コースに最年少で合格。NHK交響楽団のコンサートマスターとして知られた堀正文に師事。2011年にイギリスに留学。英王立音楽大学(Collegeの方)に学び、卒業時にチャールズ皇太子(現・チャールズ三世国王)からタゴール・ゴールドメダルを授与される。その後、ミュンヘン音楽大学に進み、2014年にはロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位。2021年にミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団初の女性コンサートマスターに就任している。
京響は編成を一回り小さくしての伴奏。古楽の要素であるが、第1ヴァイオリンはビブラートを掛けないときは掛けない、掛けるときは掛けると、折衷型を選択。ヴィオラは一貫してノンビブラート奏法である。
桜色のドレスで現れた青木。おそらく女性としては背の高い方で、女性としても背が余り高くないと思われる沖澤(そのため今日の指揮台は二段重ねになっている)とでは身長差がかなりある。
青木のヴァイオリンであるが、ステップを踏みながら、正面と指揮者に向かう左向きとを連続しながら弾くスタイルである。左を向いたときは、沖澤とアイコンタクトを取ることもあるが、必ずしも同時に目が合うわけではない。
芯の通った美音家という印象で、メカニックもかなり高い。
第3楽章では、青木も右向きになってより勢いを付けて弾くようになる。技術面ではかなり高度な弾き手である。
沖澤指揮する京響も雅やかな伴奏を聴かせた。
休憩を挟んで、ビゼーの「アルルの女」第2組曲より“メヌエット”と“ファランドール”。「カルメン」と「アルルの女」で知られているジョルジュ・ビゼー。作曲家として成功できないまま若くして亡くなったが、亡くなった直後に「カルメン」が大ヒットした。生前の栄光に浴することが出来なかった不運な作曲家としても知られている。ただ残っている作品も多いということを考えれば、それでも作曲家としては幸せな方なのかも知れない。
南仏を舞台とした劇の附随音楽だけに、パリ周辺の音楽趣味とは少し異なる。
“メヌエット”はフルートの定番とでも言うべき有名曲。ビゼーは「カルメン」でも姉妹関係になるような曲を書いているが、一般受けは「アルルの女」の方が良い。
堂々として情熱的な“ファランドール”。沖澤は終盤に掛けて、アッチェレランドで大いに盛り上げた。
プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」第1組曲より“ロメオとジュリエット”と第2組曲“モンタギュー家とキャピュレット家”。
ナビゲーターの朝岡は、「2024年に沖澤さんと京都市交響楽団がプロコフィエフの『ロメオとジュリエット』を演奏して称賛」と語るが、実は沖澤と京響が「ロメオとジュリエット」を演奏したのは京都においてではない。大阪・中之島のフェスティバルホールで行われた「関西6オケ」というイベントで演奏し、大好評を博している。私も会場で聴いていたが、「美演」ということに関してはかなり上の部類に入るのは間違いないと思われた。朝岡は、「好評に応えて『プロコフィエフの陣』という交響曲全曲演奏会をやります」と宣伝。更に「プロコフィエフは来日したことがあり、2ヶ月ほど滞在して名所を巡り、京都では祇園と琵琶湖疎水を散策」と紹介した。実は、プロコフィエフは共産党の台頭したソ連を嫌い、アメリカに向かうつもりで、日本は単なる中継点で素通りするはずだった。しかしアメリカに行く船便は出たばかりで、次の便は2ヶ月後であったため、その間、日本を探索することにしたのだ。
プロコフィエフは、アメリカに亡命したが、最終的にはソ連に戻り、スターリンと全く同じ日に亡くなっている。
プロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」であるが、プロコフィエフは最初、ハッピーエンドにしようとした。「死人は踊れない」という理由である。だがそれでは困るというので、関係者に頼まれて、現行のものを書き上げた。しかしリハーサルになると今度はバレエダンサーが、「音楽が洗練されすぎていて踊れない」と言い出す。難産の末、バレエの最高峰を窺う「ロメオとジュリエット」が完成した。
ちなみにバレエ音楽「ロメオとジュリエット」は全曲盤が数種出ているが、いずれも「長大な交響詩」として聴くことが出来るものである。チャイコフスキーの三大バレエもバレエ音楽としては優れているが、バレリーナが主体で音楽は脇役であるため、それを心得た音楽だけにそれだけで聴き通すのは難しい。少なくとも1時間を超えるバレエ音楽で聴き通すことが出来るのは「ロメオとジュリエット」しかないように思う。
沖澤と京響による「ロメオとジュリエット」より2曲。いずれも美音で瞬発力がある。爆発的な音響とそれにつづく神秘的な雰囲気の対比が鮮やかである。管と弦の掛け合いも洗練されたものだ。
ロンドンでは、ヴァレリー・ゲルギエフが、ロンドン交響楽団を指揮してプロコフィエフの交響曲チクルスを行い、ちょっとしたプロコフィエフブームが起こった。京都でもそうなるだろうか。
ラヴェルの「ボレロ」。スネアドラムの福山直子が、オーケストラの中盤に陣取り、ボレロ(本場のボレロとはやや異なる)のリズムを叩き続ける。近年、「ボレロ」のスネア奏者は実は2人だったことが判明した。リレーしたのか交互に叩いたのか。ただ人が変わるとリズムも微妙に変わる可能性があるためか、今も一人のスネア奏者に任せることは多い。
「『ボレロ』の前半は指揮者はすることがない」と言われる。今のオーケストラの精度なら指揮者なしでも十分演奏出来る。ただ沖澤は最初から3拍を小さく刻む。首席のいないパートでメカニックが狂う場面であったが、沖澤の演出も上手く、クライマックスに向かって集中力を増していく。
クライマックスになると沖澤は二つ振りになり、高揚感に拍車を掛けていた。
演奏終了後、沖澤はスネアの福山直子に歩み寄り、握手し、そのまま手を引いて指揮台のところへと連れて行き、聴衆の拍手を受けさせた。
アンコール演奏は、ハチャトゥリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」より“剣の舞”。短いが盛り上がる曲である。実は数年前にハチャトゥリアンを主人公にした「剣の舞」という映画が公開されたのだが、ハチャトゥリアンは体制側の作曲家で、ドラマティックなエピソードは全くない。ということで、伝記映画なのに100%脚本家がでっち上げたフィクションになっていた。伝記映画なら1%ぐらいは本当のことがあってもいいのだが、なかった。
なお、ハチャトゥリアンは、1963年に来日し、京響の指揮台にも立って、自作を指揮している。
ホールを熱狂させた沖澤と京響。良いコンサートだったように思う。



















































































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