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2026年5月31日 (日)

コンサートの記(962) ローム ミュージック フェスティバル 2026 オーケストラコンサート 10th アニバーサリー・プログラム with 沖澤のどか

2026年4月19日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後4時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ローム ミュージック フェスティバル 2026 オーケストラコンサート 10th アニバーサリー・プログラム with 沖澤のどかを聴く。ロームシアター京都開場と同時に始まったローム ミュージック フェスティバル。今年が節目の10年目である。中規模ホールのサウスホールと大ホールであるメインホールを使った小規模な音楽祭。中庭であるローム・スクエアでは、毎年吹奏楽の名門校による演奏も行われている。

ローム ミュージック フェスティバルのオーケストラコンサートは、東京のオーケストラが招かれることも多かったのだが、今年は京都の音楽の顔である沖澤のどか指揮の京都市交響楽団が演奏を行う。タイトルだけだと沖澤のどかが客演のようだが、沖澤のどかは京都市交響楽団の第14代(当代)常任指揮者である。ベルリン在住だが、現在、京都に長期滞在中で、来月まで京響と行動を共にする予定である。

 

曲目は、酒井健治の「ゆく河の流れは絶えずして~The flow of the river never ceases...」(ローム ミュージック フェスティバル第10回記念委嘱作品)、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:青木尚佳)、ビゼーの「アルルの女」第2組曲から“メヌエット”“ファランドール”、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」第1組曲より“ロメオとジュリエット”、第2組曲jより“モンタギュー家とキャピュレット家”、ラヴェルの「ボレロ」

今日のコンサートマスターは客演の神谷未穂。神谷は現在、仙台フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターと千葉交響楽団の特任コンサートマスターを務めている。
仙台フィルは関西で演奏会を行ったことはないはずだが、私の故郷にある千葉交響楽団は東大阪市で行われた合同コンサートで聴いたことがあり、神谷も出演していた。

泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭は降り番。クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演した。他の首席に関しては、ある事情によって顔が見えなかった。ある事情というのは、今日の席が前から3列目だったことである。コンピューターの都合と、申し込んだ時期により、前の方の席になった。そのため管楽器奏者の顔が陰になって見えないのである。小谷口さんは、本番前にステージ上でさらっていたので、それで確認出来た。

酒井健治の「ゆく河の流れは絶えずして」。酒井健治はアルティで行われた個展も聴きに行っており、京都の作曲家の中では作品に接する機会は多い方である。現在は京都市立芸術大学の教授を務めている。大阪出身。京都市立芸術大学卒業後に渡仏し、パリ国立高等音楽院作曲科、ジュネーヴ音楽院を共に最優秀の成績で卒業している。
これを読むと分かると思うが、音楽家というのは、大学を3つも4つも卒業しているのは「普通」である。
帰国後、武満徹作曲賞を受賞。更にローマ賞にも選ばれている。本人としては前衛嗜好なのだが、以前、ロームシアターのために分かりやすい曲を書いたこともあり。そのコンサートが終わって帰るときに、たまたま酒井さんが私の後ろにいて、「ああいう音楽を書く人だと思われるたら嫌だな」と話していた。

実際、「ゆく河の流れは絶えずして」は簡単に分かるような曲ではない。布陣から独特で、指揮者の背中を見る角度にハープが置かれ、松村衣里が演奏を行う。
指揮者の背中を見る角度にもう一人、奏者がいる。第1パーカッションの中山航介で、シロフォンや銅鑼を演奏する。更に一人、舞台下手端最前列に第2パーカッション奏者としてチェレスタ兼の矢野百華(本職はピアニスト)が入る。中山も矢野も水の入ったプラスチックケースを前にしている。この3人は指揮者より客席に近い場所にいるが、第1ヴァイオリンも膨らんで、ギリギリ指揮者よりも客席に近い場所にいるように見える。
曲であるが、鴨長明の『方丈記』を元にしている。今は現代語訳も出ているので、読んだことのある人は多いかも知れないが、竜頭蛇尾気味のところがある。
能楽を模したような響きに始まり、「和」のテイストが隅々まで行き渡っている。黛敏郎や武満徹もこうした曲を書いた。その遺産を上手く生かしている感じである。「ハープは箏を喚起する」と酒井は書いているが、掻き鳴らし方が激しいため、むしろ琵琶などを感じさせる。そういえば鴨長明の趣味は琵琶だった。『方丈記』にも琵琶の話は出てくる。
第1パーカッションの中山航介は、シロフォンを奏でた後で、小型の銅鑼を鳴らし、鳴り終わらないうちに水に浸ける。音が急速に弱まって消える。
第2パーカッションの矢野百華は、水が跳ねる音を、実際に水の入ったプラスチックケースの中に素手を入れて直接出す。また、中山と矢野は共にポットに入った水をプラスチックケース内の水の中に垂らす。また矢野はチューブを使って水の中に息を吐き出し、ボコボコという音を奏でた。
パーカッションの福山直子は、折れ曲がって柔らかいオレンジ色の棒のようなものを回す。「未知との遭遇」みたいな音が出る。あれはなんという楽器なのだろう?
視覚面にも訴える曲。なかなか面白いと思う。

客席にいた酒井健治は立ち上がって拍手を受けた。

舞台下手にナビゲーターの朝岡聡登場。口の横に集音器のつくマイクを装着していたが、故障なのか不具合なのか、作動しない。仕方がないので朝岡は声を張って話すが、手持ち式のワイヤレスマイクが届けられて以後はそれを使って話す。

「鴨長明の『方丈記』の冒頭は学生時代に暗記させられた方も多いのではないでしょうか」と朝岡。かくいう私も暗記させられた、というより率先して暗記していた。朝岡が述べたものと私が暗記しているものの間に異同があったが、古典とされるものは原典が消失しているのが普通で、多くの人が写筆したものによって現代まで生き残っている。人が書き写すので、違いが出るのが普通である。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に関しても、「カデンツァは普通、第1楽章の最後に来るのですが、この曲は途中に2分ぐらい、ヴァイオリンの青木さんが一人で弾きます。そこがカデンツァです。音符も全てメンデルスゾーンが書いてます。それまではソリストの即興だったのですが」
それまで作曲家と演奏家は兼業だったのだが、それが分離し、演奏家が即興演奏を行うのが難しくなったということが背景にある。

 

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。独奏の青木尚佳(あおき・なおか)は、1992年東京生まれ。3歳でヴァイオリンを始め、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コースに最年少で合格。NHK交響楽団のコンサートマスターとして知られた堀正文に師事。2011年にイギリスに留学。英王立音楽大学(Collegeの方)に学び、卒業時にチャールズ皇太子(現・チャールズ三世国王)からタゴール・ゴールドメダルを授与される。その後、ミュンヘン音楽大学に進み、2014年にはロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位。2021年にミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団初の女性コンサートマスターに就任している。

京響は編成を一回り小さくしての伴奏。古楽の要素であるが、第1ヴァイオリンはビブラートを掛けないときは掛けない、掛けるときは掛けると、折衷型を選択。ヴィオラは一貫してノンビブラート奏法である。

桜色のドレスで現れた青木。おそらく女性としては背の高い方で、女性としても背が余り高くないと思われる沖澤(そのため今日の指揮台は二段重ねになっている)とでは身長差がかなりある。
青木のヴァイオリンであるが、ステップを踏みながら、正面と指揮者に向かう左向きとを連続しながら弾くスタイルである。左を向いたときは、沖澤とアイコンタクトを取ることもあるが、必ずしも同時に目が合うわけではない。
芯の通った美音家という印象で、メカニックもかなり高い。
第3楽章では、青木も右向きになってより勢いを付けて弾くようになる。技術面ではかなり高度な弾き手である。
沖澤指揮する京響も雅やかな伴奏を聴かせた。

 

休憩を挟んで、ビゼーの「アルルの女」第2組曲より“メヌエット”と“ファランドール”。「カルメン」と「アルルの女」で知られているジョルジュ・ビゼー。作曲家として成功できないまま若くして亡くなったが、亡くなった直後に「カルメン」が大ヒットした。生前の栄光に浴することが出来なかった不運な作曲家としても知られている。ただ残っている作品も多いということを考えれば、それでも作曲家としては幸せな方なのかも知れない。
南仏を舞台とした劇の附随音楽だけに、パリ周辺の音楽趣味とは少し異なる。
“メヌエット”はフルートの定番とでも言うべき有名曲。ビゼーは「カルメン」でも姉妹関係になるような曲を書いているが、一般受けは「アルルの女」の方が良い。
堂々として情熱的な“ファランドール”。沖澤は終盤に掛けて、アッチェレランドで大いに盛り上げた。

 

プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」第1組曲より“ロメオとジュリエット”と第2組曲“モンタギュー家とキャピュレット家”。
ナビゲーターの朝岡は、「2024年に沖澤さんと京都市交響楽団がプロコフィエフの『ロメオとジュリエット』を演奏して称賛」と語るが、実は沖澤と京響が「ロメオとジュリエット」を演奏したのは京都においてではない。大阪・中之島のフェスティバルホールで行われた「関西6オケ」というイベントで演奏し、大好評を博している。私も会場で聴いていたが、「美演」ということに関してはかなり上の部類に入るのは間違いないと思われた。朝岡は、「好評に応えて『プロコフィエフの陣』という交響曲全曲演奏会をやります」と宣伝。更に「プロコフィエフは来日したことがあり、2ヶ月ほど滞在して名所を巡り、京都では祇園と琵琶湖疎水を散策」と紹介した。実は、プロコフィエフは共産党の台頭したソ連を嫌い、アメリカに向かうつもりで、日本は単なる中継点で素通りするはずだった。しかしアメリカに行く船便は出たばかりで、次の便は2ヶ月後であったため、その間、日本を探索することにしたのだ。
プロコフィエフは、アメリカに亡命したが、最終的にはソ連に戻り、スターリンと全く同じ日に亡くなっている。
プロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」であるが、プロコフィエフは最初、ハッピーエンドにしようとした。「死人は踊れない」という理由である。だがそれでは困るというので、関係者に頼まれて、現行のものを書き上げた。しかしリハーサルになると今度はバレエダンサーが、「音楽が洗練されすぎていて踊れない」と言い出す。難産の末、バレエの最高峰を窺う「ロメオとジュリエット」が完成した。
ちなみにバレエ音楽「ロメオとジュリエット」は全曲盤が数種出ているが、いずれも「長大な交響詩」として聴くことが出来るものである。チャイコフスキーの三大バレエもバレエ音楽としては優れているが、バレリーナが主体で音楽は脇役であるため、それを心得た音楽だけにそれだけで聴き通すのは難しい。少なくとも1時間を超えるバレエ音楽で聴き通すことが出来るのは「ロメオとジュリエット」しかないように思う。

沖澤と京響による「ロメオとジュリエット」より2曲。いずれも美音で瞬発力がある。爆発的な音響とそれにつづく神秘的な雰囲気の対比が鮮やかである。管と弦の掛け合いも洗練されたものだ。

ロンドンでは、ヴァレリー・ゲルギエフが、ロンドン交響楽団を指揮してプロコフィエフの交響曲チクルスを行い、ちょっとしたプロコフィエフブームが起こった。京都でもそうなるだろうか。

 

ラヴェルの「ボレロ」。スネアドラムの福山直子が、オーケストラの中盤に陣取り、ボレロ(本場のボレロとはやや異なる)のリズムを叩き続ける。近年、「ボレロ」のスネア奏者は実は2人だったことが判明した。リレーしたのか交互に叩いたのか。ただ人が変わるとリズムも微妙に変わる可能性があるためか、今も一人のスネア奏者に任せることは多い。
「『ボレロ』の前半は指揮者はすることがない」と言われる。今のオーケストラの精度なら指揮者なしでも十分演奏出来る。ただ沖澤は最初から3拍を小さく刻む。首席のいないパートでメカニックが狂う場面であったが、沖澤の演出も上手く、クライマックスに向かって集中力を増していく。
クライマックスになると沖澤は二つ振りになり、高揚感に拍車を掛けていた。

演奏終了後、沖澤はスネアの福山直子に歩み寄り、握手し、そのまま手を引いて指揮台のところへと連れて行き、聴衆の拍手を受けさせた。

 

アンコール演奏は、ハチャトゥリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」より“剣の舞”。短いが盛り上がる曲である。実は数年前にハチャトゥリアンを主人公にした「剣の舞」という映画が公開されたのだが、ハチャトゥリアンは体制側の作曲家で、ドラマティックなエピソードは全くない。ということで、伝記映画なのに100%脚本家がでっち上げたフィクションになっていた。伝記映画なら1%ぐらいは本当のことがあってもいいのだが、なかった。
なお、ハチャトゥリアンは、1963年に来日し、京響の指揮台にも立って、自作を指揮している。

ホールを熱狂させた沖澤と京響。良いコンサートだったように思う。

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2026年5月30日 (土)

コンサートの記(961) 沖澤のどか指揮京都市交響楽団第710回定期演奏会

2026年4月11日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第710回定期演奏会に接する。指揮は京響第14代常任指揮者の沖澤のどか。
沖澤は、先月の定期演奏会も指揮し、今後も京響を指揮する予定があって、これまでで一番の長期滞在だと思われる。

曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、矢代秋雄のチェロ協奏曲(チェロ独奏:堤剛)、リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲。家庭交響曲というタイトルだが、アルプス交響曲同様、交響詩である。

 

午後2時頃から、沖澤のどかによるプレトークがある。沖澤は、「昨日の雨で桜が散ってしまいましたが、(出身地である)青森ではゴールデンウィーク前に桜が咲くので、入学などに合わせて桜が咲くのを経験するのは初めてです」。東京藝術大学と大学院を出ているので、東京も京都とそう変わらない時期に桜が咲いていたはずだが、雑音が苦手という話をしていたため、お花見などは行わなかったのだろう。

リヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」については、「コンクールでよく使われる」という話をする。コンクール出場者の全員が「ドン・ファン」を指揮する訳ではないが、出だしが難しいので指揮者の腕を試すために最適らしい。佐渡裕は、ブザンソン国際指揮者コンクールに出たときだったと思うが、「出場者の中で一番格好いい『ドン・ファン』を振ることになってラッキー」というようなことを記していたはずである。沖澤も気に入っている曲で、折に触れて取り上げているという。
矢代秋雄のチェロ協奏曲であるが、1960年に初演された際のチェロ独奏が今日も演奏する堤剛(つつみ・つよし)であったことを紹介し、若くして亡くなった矢代の没後50年に堤剛のチェロで矢代のチェロ協奏曲を演奏することは、「結構凄いことだと思います」と沖澤は述べていた。
リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲では、テーマというかライトモチーフというか、そうしたものを歌いながら紹介する。声楽家にはなれないかも知れないが、なかなかの美声である。
リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲は、「取り上げられる回数が他の作品に比べて低い」と紹介していたが、単純に余り面白くないからだと思う。他人の家庭に興味を持つ人がそもそもいない、というよりいたら怖い。ということで、私も実演に接するのは3回目程度だと思われる。ウルフ・シルマー指揮NHK交響楽団と沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団。そして今回。NHK交響楽団は学生定期会員だったので、好きじゃないが聴きに行かなければならない。沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団はみなとみらいホールで行われた横浜定期演奏会で、目当ては家庭交響曲ではなく、前半に置かれた蓮佛美沙子(当時18歳)が語りを務める武満徹の「系図 family tree」であった。

ホワイエには、矢代秋雄のチェロ協奏曲に関する資料(複製)が展示されている。堤剛が矢代秋雄に宛ててポーランドから送った手紙や、寺山修司(青森県出身)が矢代秋雄に送った手紙などである。矢代秋雄と寺山修司はある共通の趣味を持っていたのだが、ここには書かないでおく。

今日のコンサートマスターは、京響特別名誉友情コンサートマスターの豊嶋泰嗣(とよしま・やすし)。フォアシュピーラーに泉原隆志。いつものドイツ式の現代配置での演奏である。首席奏者が埋まらないパートがまだいくつかある。

 

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」。管楽器の首席はこの曲と家庭交響曲にのみ出演する人が多い。矢代秋雄のチェロ協奏曲が演奏されている間はどうやって過ごしているのだろう。本番中なので楽屋で音は出せない。読書をする人もいるかも知れないが、異世界に行く行為なので集中力が切れてしまうかも知れない。譜面の確認が一番無難だろうか。
茂木大輔氏のエッセイによると、本番中ではなく本番前の話になるが、NHKホールには昼寝部屋があって、そこに行く人がかなりいるようである。
さて「ドン・ファン」。音が広がりやすい京都コンサートホールとしては冒頭はスケールがやや小さめだったが、そこから構造を拡げ、音も極彩色となる。派手ではあるが下品ではない。あたかもクリムトの絵画のような。
沖澤の指揮は指揮棒を持った右手主体だが、時には左手が右手以上に雄弁になる。
華麗な音絵巻であった。

 

矢代秋雄のチェロ協奏曲。1959年に創作を開始し、翌年完成。堤剛(18歳)のチェロ、岩城宏之(27歳)の指揮、NHK交響楽団により放送初演が行われ、同じ顔合わせによるN響世界一周ツアーのワルシャワの地で、演奏会初演が行われている。日本初演はN響がツアーから戻った後で、指揮者を外山雄三に変えて行われている。矢代は、フランス流の作曲を行っていた橋本國彦に師事し、パリ国立音楽院でメシアンなどにも師事しているが、フランス的な作風に傾くことはなかった。
堤剛は、以前「日本チェロ界の徳川家康のような人」と形容したことがあるが、年齢、腕、容貌全てに貫禄があり、天下人である。
単一楽章による協奏曲で、チェロ独奏(カデンツァとあるが即興演奏ではなく単騎という意味)に始まりチェロ独奏に終わる。途中、フルートが尺八に見立てられたような旋律を吹いたり、ハープが箏のように奏でられ、西洋音楽でありながら和との融合が図られている。矢代の才気が感じられる作品である。

堤のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第3番より“ブーレ”。「完熟」といった感じのバッハであった。

 

沖澤のどかの指揮ということで男性の聴衆が多いようで、休憩中に男子トイレの前には長蛇の列が出来ていた。

 

リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲。煌びやかだが深みがある。深みに輝きをコーティングしたような独特の響きである。CDでしか聴いたことがないが、昔のボルチモア交響楽団がこうした響きを出していた。ただ「MOSTLY」のインタビューで、昨年末の第九を振った時、沖澤は「他の音源は聴かず」総譜だけを頼りに音楽を想像したと話していること、また昨年末のトークショーでも「CDプレーヤーも持ってない」と話していることから、今回も他のオーケストラを念頭に置いたりはしていないと思われる。彼女にとって音楽とは他の演奏家が生んだものを聴くことではなく、自分が指揮してオーケストラから引き出したものを味わうことのようである。
当時まだ新しい楽器であったサックスを4本用いるなど、ユニークにして巨大な編成。甘い旋律も登場し、豊嶋のソロも美しい。
これでこの曲が好きになった、ということにはならないが、沖澤と京響の魅力は全開である。響きだけで聴いていられる。沖澤と京響のコンビは沢山とは言えないものの聴いているが、この家庭交響曲の演奏が一番の出来である。曲と言うよりもオーケストラを聴く醍醐味を味わったというべきであろうか。

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2026年5月19日 (火)

コンサートの記(958) 「びわ湖の春 音楽祭」2026 楽日 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」ハイライトほか

2026年4月26日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールほかにて

今日も「びわ湖の春 音楽祭」へ。チケットはファイナル・コンサートとなる沖澤のどか指揮京都市交響楽団ほかによるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」ハイライト(演奏会形式)のものしか持っていないが、それまでは無料公演を聴くことで潰せそうだった。
曇天であり、琵琶湖の湖面も濃い灰色である。

びわ湖ホールに到着してすぐに、メインロビーでのロビーコンサート「平和堂財団奨励賞受賞者」によるディオコンサートがある。平和堂といっても、関西以外の人はご存じないかも知れないが、滋賀県内でほぼ独占的にスーパーマーケットチェーンを展開している、滋賀の一大企業である。他県にも店は出しているが、滋賀県内への出店が圧倒的に多く、「滋賀県人かどうかを見分けるには平和堂のポイントカードを持っているかどうか」調べるとよいという話もある。
平和堂財団奨励賞を受賞したのは、フルートの吉延佑里子(よしのぶ・ゆりこ)とピアノの久津内瞳(くつない・ひとみ)。共に比較的珍しい苗字で、一発では読めないかも知れない。
2階席で聴く。姿はガラス越しに見ることになるが、音にはさして支障はない。
まず、ロシア五人組の一人で、本職は軍人のキュイの「スケルツェット」を演奏することになるが、ピアノ伴奏が始まってもフルートが上手くは入れずやり直し。ロシア五人組の中では室内楽曲や器楽曲が多いことから作品が演奏される機会がほとんどないキュイ。生前は辛口の音楽評を書くことでも知られたが、悪く書かれた方はキュイの作品を演奏することなど当然ない。ということで作品が埋もれていった可能性が指摘されている。シューマンのように評論を音楽の重要な柱にした人物もいるが、マイナスに作用した人物がキュイだったのかも知れない。ただ酷評を書くことで知られたドビュッシーの作品は人気なので、それだけが原因という訳でもないだろうが。
続いてフォーレの「シチリアーノ」。フルートの名曲である。「シチリアーノ」が含まれた「ペレアスとメリザンド」自体が名曲である。「ペレアスとメリザンド」の話は多くの作曲家が作品に取り上げているが、名曲が多い。

背景が琵琶湖ということで、それを意識したゴーベールの「水面」が演奏される。

最後は女性作曲家として初めて「売れた」人であるシャミナードの「舞曲」が演奏された。

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アンコールの曲目についてはよく聞き取れなかったが、スロベニアの現役の作曲家のものだそうだ。

 

その後、ホール内を回ったが、特にこれといって惹かれるものはなかったため、次のロビーコンサート、「第2回びわ湖ホールピアノコンクール入賞者」の演奏を聴く。途中で大ホールが開場するので、時を見て、大ホールへと移動することにする。
髙橋俐子(小学生以下)第3位、吉田知史(ちふみ。小学校以下)第2位、木目唯花(きめ・ゆいか。高校生以下)第3位の3人の演奏を聴く。
吉田知史(ちふみ)が男の子なのか女の子なのか分からない。普通は「ともふみ」と読んで男の名前だが、吉田知史は眼鏡を掛けた女の子だった。
3人とも技術は高く、ピアノコンクールで上位入賞したのも頷ける。ただこちらを驚かせるような音楽性がない。「もっと強く鍵盤を叩けば」というところがあったりする。それをできる人が第1位を獲ったり、世界へ羽ばたいたりするのかも知れない。

 

午後6時40分から、びわ湖ホール大ホールで「びわ湖の春 音楽祭」ファイナル・コンサート モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」ハイライト(演奏会形式)に接する。

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演奏は、沖澤のどか指揮の京都市交響楽団。レチタティーヴォのチェンバロ伴奏は阪哲朗が務める。
パッと見、ドイツ式の現代配置に見えるが、第2ヴァイオリンとヴィオラが入れ替わっており、変形対向配置となる。第1ヴァイオリン8、第2ヴァイオリン6、ヴィオラとチェロが3、コントラバス1という小さめの編成での演奏だが、びわ湖ホール大ホールは音響が良いので十分である。
出演は、大西宇宙(たかおき。アルマヴィーヴァ伯爵)、船越亜弥(伯爵夫人)、甲斐栄次郎(フィガロ)、石橋栄実(えみ。スザンナ)、森季子(ときこ。ケルビーノ)、びわ湖ホール声楽アンサンブル(農民達など)。案内は山崎バニラ(活動弁士)。構成は中村敬一。山崎バニラは、現役の活動弁士としては、おそらく日本で一番目か二番目に有名な人だが、大津では余り知られていないようである。大正琴の弾き語りもするが、大正琴は私も弾いた経験がある。ピアノが弾ける人なら大正琴は初日に弾ける。

山崎バニラは、前日譚であるロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」の解説から入る。音楽祭なので、理髪師の良い面だけを取り上げないといけない。本来はそんなに良い職業ではない。
また歌劇「フィガロの結婚」について、「副題は、ラ・フォル・ジュルネ。訳すると狂乱の日。たった一日なんですね」と語った。「フィガロの結婚」は、三一致の法則の時間の一致は守っている。

オペラは、西洋の言葉や文化、習慣や一定の教養がないと日本人が理解するのは難しい。完全に理解出来る人はほとんどいないと思われる。その上で、上演時間1時間ちょっとのハイライト上演とあっては、「なんとなく分かった気になるものでいい」で上等である。

最初のアリアは、フィガロの「もう翔ぶまいぞこの蝶々」だが、蝶々が「伊達男」のメタファーだと分からないと意味が通りにくくなる。そしてケルビーノは悪戯がすぎたので戦争に行かされることになる。フィガロが戦のことを歌うのはそのためだが、その前の話は抜けているので、初めて観る人は、なんでフィガロが物騒なことを歌っているのか分からないだろう。

ハイライトでは筋は追えないので、ラストの伯爵の敗北と改心と熱狂的な合唱に重心が置かれる。農民達は「初夜権廃止ありがという」を言いに伯爵邸に押しかけるのだが、この時点では伯爵は初夜権復活を目論んでいた。

ちなみに伯爵が夫人のことを「ロジーナ」と名前で呼んでしまう場面があるが、これも当時は一定の階層から上の人にとってはマナー違反だったようである。

ケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」。ちなみにカラオケに入っているが、歌う人は余りいないと思う。ケルビーノは若年だが、1行6単語韻律文のソネットで書いており、ただの悪戯小僧に見えて、実は教養と文才があるようだ。というわけで、伯爵邸の物語ということを考えれば当然なのかも知れないが、知識階級の物語ということになる。そうでない登場人物もいるが、今回のハイライト上演には出てこない。
この時のケルビーノの解釈については、様々なものがあるが、ソネットを書けたということで内容とは裏腹にかなり自信があったのではないだろうか。
ケルビーノはズボン役といって、女性が男性を演じる。これは正解だと思われる。一度、野田秀樹演出の「フィガロ」で、これを破ってケルビーノを男性(カウンターテナー)が演じたことがあったが、「女の人がやってるからまだ許せるけど、男がやるとなんだこのうっとおしい奴は」といらついてしまった。女性らしさがケルビーノの嫌な部分を中和しているということである。

 

今日もノンタクトの沖澤指揮する京都市交響楽団はどちらかというとタイトな音像。編成が小さいということもあるだろう。ただ音の生命力は抜群で、モーツァルトがこの曲に込めたエネルギーをそのまま引き出したかのようだ。

歌唱も充実していたが、例えば「手紙の二重唱」などでは、伯爵夫人役の船越亜弥とスザンナ役の石橋栄実とでは、声量に違いがある。明らかに石橋栄実の方が声が広がり密度も濃い。本来は伯爵夫人が主でスザンナが従なのだが逆転してしまっている。これがソプラノ歌手として一人でキャリアを積み重ね、大学教授にまでなった人と、プロとはいえ声楽アンサンブルの一員との違いなのかも知れない。

「オペラ」を楽しむにはハイライト上演なので不十分かも知れないが、音楽としてはなかなか質の高いものであった。カーテンコールでは、沖澤と阪が前列に出る。指揮者二人が距離があるとはいえ、前列に並ぶというのは珍しいことである。

 

帰りは雨となる。祝福の時は雨や雪になるというが、冷たい。ただ京都市内は雨は上がっていた。

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2026年5月18日 (月)

コンサートの記(957) 「びわ湖の春 音楽祭」2026 初日

2026年4月25日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホール、中ホール

びわ湖ホールで、「びわ湖の春 音楽祭」2026に参加する。

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「ラ フォル ジュルネ びわ湖」、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」を経て、阪哲朗芸術監督の下、「びわ湖の春 音楽祭」としてスタート。「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」の時には、沼尻竜典芸術監督により、オペラの上演を目玉にしていたが、「びわ湖の春 音楽祭」になってからはオペラの全曲上演はなくなっている。

オーケストラ、室内外、ピアノ曲、民族音楽など多くの種類の音楽が、大ホール、中ホール、小ホール、メインロビーに分かれて奏でられる。メインロビーで行われる演奏は、全て無料である。

今日はまず大ホールでの阪哲朗指揮京都市交響楽団によるオープニング・コンサートを聴き、それからやはり大ホールでの沖澤のどか指揮京都市交響楽団の演奏を聴く予定で、合間に時間が出来るので、無料公演を回ることにした。

 

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阪哲朗指揮京都市交響楽団によるオープニング・コンサート。今年のテーマは「誘い(いざない)」である。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:ヤスミンカ・スタンチュール)、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より、“シャンパンの歌”(歌唱:大西宇宙)、“恋人よ、さあこの薬で”(歌唱:石橋栄実)、“お手をどうぞ”(石橋栄実&大西宇宙)

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。管楽器には客演奏者多めである。阪哲朗指揮によるコンサート1回と沖澤のどか指揮によるコンサート2回をこなさなければいけないため、リハーサルに時間が掛かりそうである。どのコンサートも上演時間1時間ほどだが、曲調が必ずしも揃っているわけではないので(縦糸はモーツァルトになっている)時間が掛かりそうではある。ただ、沖澤は今年の3月4月と京響の定期演奏会を指揮し、ローム ミュージック フェスティバルでもタクトを執るなど常に帯同しており、そのまま次のリハーサルにすんなり進めた可能性は高い。

阪哲朗は、よく採用する古典配置を選択。ティンパニもバロックタイプのものが選ばれているが、今日は中山航介は降り番である。

ピアノ独奏のヤスミンカ・スタンチュール。旧ユーゴスラヴィア出身で、ウィーン国立音楽大学(ウィーン音楽・舞台芸術大学)とジュネーヴ音楽院に学び、1989年のベートーヴェン国際ピアノコンクール・ウィーンで優勝。現在はウィーン国立音楽大学ピアノ科教授。2024年より同科の代表を務めている。

阪哲朗はいつもながらのノンタクトで指揮する。総譜は用意されているが、暗譜したまま進め、通り過ぎた分をまとめて繰ったりする。
バロックティンパニを用意しているため、当然ながらピリオドを意識した演奏である。ビブラートに関しては掛けるところと掛けないところがあるが、ボウイングは明らかに末尾の部分で弓を弦から放すという、ピリオドの仕草を見せる。ちなみに第1ヴァイオリン8のサイズである。
ピリオドにしたことで、よりモーツァルトが紡いだ音の陰影がクッキリ浮かび上がるような気がする。

ヤスミンカ・スタンチュールのピアノは透明度が高く、弾くというよりは、その時その時に適した手の形を置いていくようなピアニズムで、「高潔」という印象を受ける。
モーツァルトの哀しみや安息を望む心が自然に伝わってくるかのようだ。一歩下に死が待ち受けていることを悟っているような、シリアスなピアノである。

 

続いてモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」より。
オーケストラが序奏を初めてすぐに大西宇宙(おおにし・たかおき)が、下手袖から駆け込んできて歌い始める。大西宇宙はバリトン歌手。武蔵野音楽大学及び大学院を経て、ニューヨークのジュリアード音楽院の大学院を修了。シカゴ・リリック・オペラにデビュー。2019年には、「エフゲニー・オネーギン」のタイトルロールを歌って日本デビューしている。豊かな声量が持ち味だ。

続いて、ソプラノの石橋栄実(いしばし・えみ)による独唱。まず石橋は手を叩いて客席に座っているに男性にステージに上がるよう命じる。仕込みの客で、明日、石橋は「フィガロの結婚」ハイライトに出演するため、歌手仲間だと思われる。一番の武器である澄んだ声による歌唱を行った。彼女は東大阪市生まれで、豊中市の大阪音楽大学と専攻科に学び、堺市でオペラデビュー。そして今は大阪音楽大学の教授と、一貫して大阪を拠点としてきた人である。インタビューでも「大阪生まれなので大阪を活動の拠点にするのは自然」と答えていた。勿論、東京など日本の各都市や海外で歌うこともある。

二人による“お手をどうぞ”。大西が思ったよりも体を近づけたようで、石橋が一瞬、本能的にひるんだように見えたが、すぐに仲良く歌い始めた。

 

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中ホールで、第2回びわ湖ホールピアノコンクール受賞者コンサートがある。無料・整理券等不要である。次の大ホールでのコンサートまで時間があるため、入ってみることにする。びわ湖ホールに来さえすれば誰でも聴けるコンサートとあって、長蛇の列が出来ていた。それでもびわ湖ホール中ホールのキャパは比較的大きいので、所々に開いた席が出来ていた。

出演者と曲目は、
井上心晴(いのうえ・こはる。小学生以下1位)ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第1番より第1楽章。
矢賀部光夏多(やかべ・ひなた。高校生以下2位)シューマンのピアノ・ソナタ第1番より第1楽章。
益成一葉(ますなり・いちは。高校生以下2位)シューマンの幻想小曲集より第1曲「夕べに」、第4曲「気まぐれ」、第5曲「夜に」
大同理紗(だいどう・りさ。一般1位)プロコフィエルのピアノ・ソナタ第6番「戦争ソナタ」第4楽章。

びわ湖ホールの中ホールは主に演劇向けで、オペラを上演することもあるが、残響よりも音の通り重視である。ここでピアノの演奏を聴くのは初めてだが、思いのほかピアノに向いた音響である。ただ今後もピアノの演奏は大ホールか小ホールで行われることが多いと思われる。
全員、コンクールの上位に入っただけに、メカニックはしっかりしている。ただ年下の子は譜面に忠実で、年が上がるにつれて、その人ならでは個性がにじみ出てきているように思う。自分なりの作曲家像がはっきりしてくるということもあるだろう。
まだ無名の奏者達だが、無料にしては良い企画である。なお、大同理紗がいち早くプロオーケストラのコンサートにデビューすることが決まったそうで、大阪交響楽団とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を弾くと自ら宣伝していた。人気の上がっている曲だけにアピールのチャンスである。

 

コンサートがやや押したので、メインロビーでの藤木大地(カウンターテナー)と阪哲朗の伴奏ピアノによる歌曲の無料コンサートが始まっていた。「花の街」などが歌われていたが、食を優先し、駐車場などに設けられたフードブースに行ってホットドッグを買って食す。
他の曲はいいけれど、「琵琶湖就航の歌」(三高寮歌)は聴きたいなと思っていたら、アンコールとして「初めて歌ううたをやります」と言って「琵琶湖就航の歌」を歌い始めた。“今津か長浜か”の後は、“びわ湖誘い楽しんで”と聴衆へのメッセージになっていた。

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その後、メインロビーでは、チェリストのゲオルギー・ロマコフによるチェロ独奏のコンサートがあったが、チェロ独奏を聴く気分ではなかったので、10分ほど聴いて大ホールの中へと入る。
ロマコフは、ベンジャミン・ブリテンの無伴奏チェロ組曲から「カント・プリモ」と実妹が作曲した「マリーゴールド幻想曲」を弾いていた。ドイツ人だが、ウクライナ人の家系だという。

 

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大ホールでの京都市交響楽団のコンサート。指揮の沖澤のどかは、女性としても背が低い方だが、びわ湖ホールには高めの指揮台はないようである。ということで普通の高さの指揮台に上がって指揮することになる。

曲目は、シュニトケの「モーツァルト・ア・ラ・ハイドン」とハイドンの交響曲第45番「告別」

まず沖澤が一人で登場し、「びわ湖デビュー、滋賀県デビューとなります」と話した後で、「自己紹介をしていませんでしたね」と言って姓名と肩書きなどを語る。
「琵琶湖の水を止められないよう心して」とお決まりのネタも言っていた。ちなみに琵琶湖疎水の使用権は京都市にあるので、滋賀県側は止めたくなっても止める権利がない。止めると逆に滋賀県が水没するというシミュレーションもあり、「翔んで埼玉 琵琶湖より愛を込めて」では、実際に滋賀県全体が水没するシーンがある。
沖澤はハイドンの「告別」交響曲についてもレクチャー。ニコラウス・エステルハージ候が避暑のための別荘に出掛けたとき、様々な条件が重なって、なかなか本宅に帰ることが出来なくなってしまった。楽士達は、家に妻や子どもを残しての単身赴任で辛い。そこでハイドンは、音楽家が一人ひとり帰るという趣向の交響曲を作曲。エステルハージ邸の人々も事情を察して本邸に帰ることにしたという。

シュニトケの「モーツァルト・ア・ラ・ハイドン」。井上道義指揮する京都市交響楽団の定期演奏会で聴いたことがある。その時は井上の演技付きだったが、沖澤は軽く仕草で表す程度だった。
弦楽のみによる演奏。横に一列になって広がり、端の方は緩やかに客席に近づくようにして並ぶ。指揮者に向かって鶴翼の陣を敷いているとも言える。コンサートマスターの泉原隆志ともう一人の奏者の二人だけが指揮者に近い場所にいる。なお、今日は沖澤は2曲ともノンタクトでの指揮。指揮棒を持っているときよりも腕の振りが鋭いように見える。
シュニトケらしい直線的で鋭い響きが空気を震わせた後で、モーツァルトの作品を擬した旋律が奏でられる。その後、奏者達は指揮者に近づく。
一番はっきりと分かるのは、交響曲第40番の冒頭で、これはほぼそのまま奏でられる。井上は、「ん?」という風に客席の方を振り返る仕草をしていたが、沖澤は特に芝居はせずに通す。
他に指揮者がコンサートマスターの譜面をめくるという妙なシーンあり。
その後、ハイドンの「告別」を模して、奏者達が次々にステージを後にする。沖澤は、顔を動かして「あれ? あれ?」といったように軽く演技していた。

 

ハイドンの交響曲第45番「告別」。この曲も第4楽章のみ井上道義指揮する京響の演奏で聴いたことがある。
ドイツ式の現代配置での演奏に見えたが、ヴィオラと第2ヴァイオリンの位置が逆の変形対向配置。この曲でも第1ヴァイオリン8のサイズである。
モーツァルトの交響曲第40番がこの曲の影響を濃厚に受けていることが分かる。ピリオド援用による演奏だが、それがこの曲の荒らぶりを際立たせる。
この曲は、ハイドンが楽長として演奏していたため、それを考慮して指揮者は最後まで残っているのが普通だが、沖澤はまだ奏者が何人か演奏しているのに、何食わぬ顔してそそくさと退場。客席から笑いが起こる。コンサートマスターともう一人のヴァイオリン奏者の二人だけが残り、曲が終わると会場は完全に溶暗した。
その後、沖澤は旅のためのキャリーバッグを引きずって登場。他の京響のメンバーも日傘を差したり、箒で床を掃いていたりと、思い思いに旅立ちの儀式を行っていて、聴衆を楽しませた。

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2026年3月24日 (火)

コンサートの記(953) 出口大地指揮 京都市交響楽団高槻公演2026

2026年2月21日 高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールにて

午後3時から、高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールで、京都市交響楽団の高槻公演を聴く。

以前にもトリシマホールには来ているが、黛敏郎が音楽を手掛けた東京バレエ団の「ザ・カブキ」という公演であり、黛は様々な音を重ね録りしたテープ音源を作っていて、それで公演を行ったため、生音を聴くのは今日が初めてになる。

「ザ・カブキ」では、ホリゾント幕や中仕切り幕などを使っていたため、ホールの壁が見えなかったが、木材を転々とちりばめた独自のものであることが分かる。おそらく適度に音を散らせる効果もあるのだろう。

以前は、高槻城公園付近には、城跡らしきものは何も残っていない高槻城公園と、えらく古い高槻現代劇場というホールがあった。1973年竣工で、渋谷区神南のNHKホールと同い年だが、稼働率が高く、人がどんどん入るNHKホールに比べると高槻現代劇場はオンボロで、やはり人がいないと建物が朽ちるのは早いようだ。NHKホールのように修繕費が潤沢でもない。ということで取り壊されて、南館を新設。従来からあった高槻市立文化会館を北館としている。

 

今日の指揮者は、若手の出口大地。左利きの指揮者である。大阪府豊中市生まれ。元々は弁護士を目指して、関西(かんせい)学院大学法学部に入学したのだが、在学中に「自分は争うのが嫌いな性格なので弁護士にはなれない」と悟り断念。「みんなを笑顔に出来る仕事がしたい」ということで、卒業後に東京音楽大学作曲指揮専攻(指揮)に入学。広上淳一に師事する。左利きであったが、当初は慣例によりタクトは右手に握っていた。しかし余りに鈍いというので、広上から「左利きなら左手で振れ」と言われてサウスポーの指揮者となっている。左利きの指揮者は数は少ないが存在しており、シベリウス演奏の大家であったパーヴォ・ベルグルンドが有名である。
東京音大卒業後はドイツに渡り、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンのオーケストラ指揮科修士課程を修了。
2021年に、本番一発勝負である第17回ハチャトゥリアン国際コンクール指揮部門で日本人初の優勝を飾る。同年にクーセヴィツキー国際指揮者コンクールでも最高位及びオーケストラ特別賞を受賞。指揮を広上の他に、下野竜也、クリスティアン・エーヴァルトらに師事。オペラ指揮をハンス・ディーター・バウムに習っている。また、ネーメ、パーヴォ、クリスチャンのヤルヴィ一族のマスタークラスに参加という面白い経験もしている。2024年からの1年間は、ベルギーのリエージュ王立フィルハーモニー管弦楽団のアシスタントコンダクターを務めている。ちなみにリエージュ王立フィルハーモニー管弦楽団は来日ツアーを行った経験があり、京都コンサートホールでもクリスティアン・アルミンクの指揮で演奏を行っている。

 

曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、グリエールのホルン協奏曲(ホルン独奏:福川伸陽)、チャイコフスキーの交響曲第4番。オール・ロシア・プログラムである。

いつも通りのドイツ式の現代配置だが、指揮者の正面にはトランペットが来て、ティンパニはやや下手寄りに配される。おそらくステージの大きさと他の打楽器との位置関係だろう。
コンサートマスターは、客演の白人奏者。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。尾﨑は老眼鏡を掛けての演奏である。
今日は管楽器の首席奏者が何人か降り番だったが(フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子ら)、その代わり、いつもは後半だけを吹くことが多い首席クラリネット奏者の小谷口直子や首席トランペット奏者のハラルド・ナエスが全編に出演した。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。歌劇本編は滅多に上演されることはないが、序曲はとにかく有名な楽曲で、いかに速く弾くかを競うようなところもあるが、出口はスピード感より安定性重視。京響の各楽器が美しい音を奏でる。

 

グリエールのホルン協奏曲。NAXOSレーベルの録音第1弾がグリエールの交響曲第1番だったことで知名度を上げたグリエール。ただその後、爆発的な人気を得ることなく、「そういう作曲家もいるよね」という認識に留まっている。
グリエールは、ウクライナの首都キーウ出身。1950年、モスクワにてホルンという楽器の可能性を感じたグリエールは、翌1951年にホルン協奏曲を完成。ボリショイ劇場管弦楽団の首席ホルン奏者であるヴァレリー・ポレフの独奏、作曲者指揮のレニングラード放送交響楽団の演奏によりレニングラード・フィルハーモニー大ホールで初演を行っている。
今回、ホルン独奏を受け持つ福川伸陽(ふくかわ・のぶあき)は、NHK交響楽団首席ホルン奏者として活躍している。第77回日本音楽コンクール・ホルン部門第1位獲得。
リッカルド・ムーティやパーヴォ・ヤルヴィから賛辞を受けている。
東京音楽大学准教授。

ロシアはヨーロッパから見てかなり東にあり、離れているため、情報の伝達も遅い。今と違ってIT環境も発達していないため、作品の内容が西欧に比べると遅れていたりする。
グリエールのホルン協奏曲も、伴奏などを聴くと20世紀に書かれているのにモーツァルトのホルン協奏曲のような様式を保っている。
一方でホルン独奏はかなり伸びやかに旋律を歌い上げ、広大な大地が広がる様が目に見えるようである。
福川のホルンは音の透明度が高く、愉悦感を覚える演奏である。
グリエールのホルン協奏曲は余り録音が出ていないと思われるが、ウクライナが生んだ音楽として聴いてみるのも一興かも知れない。

福川のアンコール演奏は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。編曲者は分からなかったが、温かな演奏であった。

 

チャイコフスキーの交響曲第4番。後期3大交響曲の中では荒削りとされる作品だが、手直ししなかったということは、これがチャイコフスキーの荒ぶる魂そのものだったのかも知れない。
悪妻アントニーナと別れたチャイコフスキーは、弟のアナトールに連れられてスイスを経てイタリアに旅行。創作意欲を取り戻し、交響曲第4番を書き上げるが、その後、スランプに陥り、純音楽による交響曲が書けなくなってしまう(叙事詩的交響曲の「マンフレッド」交響曲は書いた)。それほどのエネルギーを費やしたのが交響曲第4番だったということになる。

出口の指揮する京響は力強くも輝かしい音を奏でる。「ベテラン指揮者ならここで」というところを通過してしまうが、出口が指揮者としてはまだ若いということだろう。本当なら胸が苦しくてたまらなくなるところでもそれほどではない。そういう気分になりたくない人には向いている。
孤独が身に染みる第2楽章。チャイコフスキーの音楽に賛辞を送る人は多かったと思われるが、同性愛など、プライベートなところまで理解してくれる人は多くはなかったはずである。
アントニーナとの結婚についてだが、チャイコフスキー本人が同性愛者であることを隠したかったのと、いざとなれば女を愛せるという思い込みがあったと思われる。ただアントニーナは、チャイコフスキーと別れてから20年以上精神科の閉鎖病棟で過ごすことになるという、最早恐怖の対象であった。アントニーナ以外だったらどうだったのかは、想像のしようもないが、アントニーナの熱烈な恋文が結婚に結びついているので、女性と接する機を持てず、生涯独身だったかも知れない。

第3楽章は弦が大半をピッチカートで演奏するという特殊な楽章。浮遊感があり、魂が解放されるかのようだが、その後に来る第4楽章を考えると、束の間の想像の世界が描かれているのかも知れない。

第3楽章からアタッカで第4楽章に突入。コンサートマスターは最後の音までピッチカートなので、素早く切り替える必要がある。
「小さな白樺」の旋律が流れる。あるいはチャイコフスキーが子どもの頃に好きだった民謡なのかも知れない。ただそれが次第に威圧的に響くようになる。子どもの頃にはもう戻れない。
次第に曲調が激しくなるが、最後の方はもうまともな精神ではない。何もかも忘れてしまったかのようば馬鹿騒ぎである。
運命の動機の前に崩れ落ちるかのようにラストが訪れる。そもそも乗り越えられる程度のものならば運命とは呼ばないわけだが。

 

高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールの音響であるが、残響は短いものの、音がストレートに飛んできて実に心地良い。大阪府内は音楽専用ホールが次々にオープンしているが、海外の名門オーケストラも来る堺は別格として、豊中、箕面、枚方、東大阪などと比べても、音響は高槻が一番だと思われる。
定期的に演奏会を行うプロオーケストラも出てくるだろう。

 

アンコール演奏は、チャイコフスキーの組曲第4番「モーツァルティアーナ」第3曲「祈り」。典雅な演奏であり、京響の弦が特に美しかった。

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2026年2月28日 (土)

コンサートの記(949) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第708回定期演奏会

2026年2月13日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第708回定期演奏会を聴く。
今日の指揮者は、京都市交響楽団首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーント。ウィーン室内管弦楽団首席指揮者、ノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団のアーティスティック・パートナーも務めている。

曲目は、シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」とブルックナーの交響曲第3番(初稿/1873年)。
いずれも作曲者の精神状態に危うさが感じられる曲であるが、デ・フリーントはそうした理由ではなく、ウィーンで暮らした二人の作曲家の交響曲を並べるという意図があったようだ。
両曲とも、ある程度の知名度はあるのだが、「好きで好きで仕方ない」という人には会ったことがないという演目であるためか、入りは4割行かないかも知れない。

午後6時30分頃から、デ・フリーントによるプレトーク。英語でのスピーチである(通訳:小松みゆき)。
デ・フリーントは、「悲劇的」について、「そんなに悲しい曲ではありません」と述べる(実はかなりの苦みを感じる曲である)。作曲時、シューベルトは19歳で、デ・フリーントは、「信じがたい」と述べるが、確かにこれだけの曲を書くことの出来る19歳は凄いというより異常だろう。
「悲劇的」は作曲者の命名であるが、19歳の若者にとっての悲劇とは何なのか気になるところである。現代の日本なら生育環境に始まり、いじめ、教職員などの行き過ぎた指導、病気や事故、受験、就職などで悲劇に見舞われることはある。
デ・フリーントは、シューベルトがハイドンの指揮で演奏したり、モーツァルトから直接教わったことなどを述べ、この曲の主題がベートーヴェンの弦楽五重奏曲から取られたということも指摘する。シューベルトはベートーヴェンとも会っている。
実はシューベルトの主任教師と呼べる存在なのは、アントニオ・サリエリなのであるが、それについては触れることはなかった。

ブルックナーの交響曲第3番は、「ワーグナー」の愛称で呼ばれることがある。今回は、ワーグナー風の旋律を取り入れた初稿での演奏。ブルックナーの交響曲第3番(初稿)の演奏は、90年代にヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団の定期演奏会で聴いており、「とにかく長い」という印象を受けた。その後、ブロムシュテットは、カペルマイスターを務めたライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とのライブ録音BOXを出し、それにもブルックナーの交響曲第3番(初稿)が含まれていたが、その時の印象も「長い」であった。
ブルックナーの交響曲第3番は、第2稿が決定稿となり、この稿で録音したものが多い。朝比奈/大フィル(キャニオン・クラシックス)、クラウス・テンシュテット/バイエルン放送響なども第2稿の演奏で、この2つが私が推せるブルックナーの交響曲第3番のツートップである。
ブルックナーの交響曲第3番(初稿)は、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されることになるが、リハーサルで、「長い」「難しい」「退屈だ」との意見が出て、演奏を拒否されてしまう。
ブルックナーはオルガンの名手で、オルガンの手法を管弦楽に置き換えたものが多いのだが、当時の音楽界にあっては異様な音楽であり、理解を得るのは難しかった。
通常ならすぐに改訂に入るところだが、初演の話よりも前に心酔していたワーグナーに会っており、献呈を申し出ている。ビールを飲みながらの会談で、交響曲第2番と第3番のどちらかを献呈することになり、ワーグナーは2曲とも気に入ったのだが、飲み過ぎたせいで二人とも眠ってしまい、どちらの曲を献呈するのか忘れてしまって、結果的にはワーグナーの楽曲からの引用が多い交響曲第3番が選ばれ、作曲家自身により「ワーグナー交響曲」と名付けられた。ワーグナーに気に入られたためか、改訂作業に入るのは遅めとなった。

それから9年が経ち、ブルックナーは交響曲作曲家として評価されるようになっていたが、もうワグネリアン(ワーグナー信奉者)ではなくなっていた。ということで、ワーグナーの旋律をどけて新たなる版を作った。ちなみに他人の曲の旋律を用いることは、今では著作権法違反となるが、当時はリスペクトと捉えられており、ヨハン・シュトラウスⅡ世も他人の作品の旋律を多くの作品で取り入れている。
さて、第2稿の演奏は、作曲者指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が受け持ったが、ウィーン・フィルが非協力的だったこともあって、失敗している。評価は初稿のリハーサル時にウィーン・フィルの団員が抱いたものとほぼ同じだった。ただ、若き日のグスタフ・マーラーはこの曲の真価を見抜き、フィンランドからウィーンに留学していたシベリウスもこの曲に感銘を受け、ブルックナーに師事しようとして断られている。
第3稿により、三度目の正直で大成功を収めた。この時も演奏はウィーン・フィルである。大巨匠であるハンス・リヒターの指揮であったことも大きかったかも知れない。
なお、ブルックナーの交響曲第3番の日本初演を行ったのは、ハンス・ヨアヒム・カウフマン(京響第2代常任指揮者)指揮の京都市交響楽団であった。1962年5月23日のことである。
1977年に初稿が日の目を見て高く評価され、4、5年前にデ・フリーントは知り合いから、「ブルックナーの交響曲第3番の初稿を知っているか?」と言われ、「初稿の存在は知っているけれど」と答えたが、いざ初稿のスコアを見てみると強く引き込まれるものがあったという。

 

今日のコンサートマスターは、京響ソロコンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置での演奏である。ティンパニが2種類用意されていて、シューベルトではバロックティンパニが、ブルックナーではモダンティンパニが共に中山航介によって叩かれた。
首席客演ヴィオラ奏者は、安藤裕子。

デ・フリーントは背が高いため、指揮台を用いずノンタクトでの指揮である。総譜は随時確認する。

 

シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」。私はヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる「シューベルト交響曲全集」(ドイツ・シャルプラッテン)でよく聴いている。ということでブロムシュテット繋がりの2曲である。
デ・フリーントが生み出す演奏はピリオドを援用しており、ブロムシュテットのものとは趣が異なる。毒のある音楽を生み出したシューベルトであるが、ピリオドで聴くと力強さの方が印象的になる。ただ時折現れる狂気のようなものが、あちらの世界の音楽のような印象を強くする。
ピナ・バウシュだったか、ドイツのダンスカンパニーがこの曲を効果的に用いていたのを覚えている。
19歳で悲劇的な音楽を書こうと思ったシューベルトの真意は今となっては分からないが、異色の生き方をした作曲家であるシューベルトの一面を知ることが出来る。「悲劇的」というより鬱のような曲想の部分があり、やがて焦燥へと変わる。間違いなく天才作曲家であるシューベルトであっても若き日にこれほど追い詰められているかのような曲を書いていることは、多くの人々の慰めになるかも知れない。
弦楽のビブラートであるが、完全ノンビブラートではなく、旋律の始まりの部分などにビブラートを掛ける傾向のあることが見て取れた。
プレトークで、デ・フリーントが、「終わった時に拍手が来るかも知れない」と語った第3楽章は短いものである。
左右の手を交互に挙げて、泳いでいるかのような仕草をしたデ・フリーントの指揮姿はユニークであった。

 

ブルックナーの交響曲第3番(初稿)。初稿の実演に接するのはブロムシュテット以来2度目である。やはり長く、同じような旋律が何度も繰り返されたり、かと思ったら本道をそれて脇道を延々と進んだりと、バランスはやはり良くない。戸惑う人が多かったというのもよく分かる。
冒頭はミステリアスであり、「まっとうな精神ではないのではないか」という危うい感じを受ける。一方で、ブルックナーの交響曲の中でも最も格好良い冒頭であるとも思える。
ワーグナーの引用としては、第2楽章に出てくる「タンホイザー」からの引用が最も分かり易い。この時期、ウィーンではエドゥアルト・ハンスリックという大物音楽評論家がブラームスを崇拝し、ワーグナーを否定するということが起こっていた。ワーグナー崇拝者であったブルックナーは当然、評価を得られない。そのワーグナーであるが借金踏み倒しに始まり、自身のファンだったルートヴィッヒ2世王をたぶらかして自身の作品上演のためだけの劇場をバイロイトに作らせるなど、作曲家としては歴史に残る存在だったが人間としては褒められた人ではなかった。ブルックナーがワーグナーから離れたのも、ワーグナーの性格によるところが大きかったのか。
そんなワーグナーの旋律を取り入れた初稿。急に別世界が現れるようで、面白さと違和感の両方を覚える。
これまで聴いてきて「長い」としか感じられなかったブルックナーの交響曲第3番(初稿)であるが、ミニシカゴ交響楽団のような輝かしく陽性なブラスの威力、残響が長く、音が美しいまま天井に留まっている京都コンサートホールの響きなどがプラスになり、今日は「長い」と感じずに聴くことが出来た。失敗を重ねた作品だが、ブルックナーだけに時折、神々しい旋律が顔を覗かせる。
ブルックナーの曲はゲネラルパウゼ(ブルックナーの場合は特に「ブルックナー休止」とも言う)が特徴なのだが、交響曲第3番(初稿)は特にブルックナー休止が多い。ブルックナーの演奏に京都コンサートホールは向いているようである。デ・フリーントは時折、天井を見上げる仕草をしていたが、京都コンサートホールの響きの特性に感心していたのかも知れない。

 

なお、天井からマイクが下がっていたほか、舞台上にも本格的なマイクセッティングがあった。どちらか、あるいは両曲をライヴ録音しているのかも知れない。

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2026年2月13日 (金)

コンサートの記(947) 広上淳一指揮京都市交響楽団第707回定期演奏会

2026年1月23日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第707回定期演奏会を聴く。

京都コンサートホールの周りには雪の固まりが残っている。京都の中心部では降らなかったが、北山では雪が降ったのかも知れない。北山近辺の道は濡れていなかったが、北大路通は濡れているところもあった。京都はほんの少し違っただけで天気が変わるため、一口に「京都市の天気」と言えないところがある。

今日の指揮者は、「京都市交響楽団 広上淳一」という肩書きの広上淳一。

曲目は、準オール・アメリカ・プログラム。レナード・バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」、バルトークのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:三浦謙司)、コープランドの交響曲第3番。
有名曲がないため(バルトークのピアノ協奏曲第3番は、強いて言えばバルトークのピアノ協奏曲の中では有名な方)客の入りは悪く、おそらく半分行っていない。1席の前の方と2階席と3階席のステージ脇両サイドは人がいるが、他は入っていない。

 

6時30分頃から、広上淳一と京響ゼネラルマネージャーの森貴之によるプレトークがある。森が、「雪が降ったところの皆さん、大変なところをよくぞお越し頂きました」と述べたため、北山や北大路以外にも雪が降ったところがあることが分かる。
広上は、「死にかけた」という話をする。大晦日に家族で伊豆高原に旅行に行き、ビール3杯などを飲んで風呂に入ったところ意識をなくし、奥さんが気付いて救急車を呼んで助かったという。医者に「こっぴどく怒られました」だそうで、「皆さん、お酒飲んで風呂に入ったら駄目ですよ」と語った。奥さんからも「こんなところから葬式出すの嫌だからね」と言われたそうである。
そして家に戻って、沖澤のどかが「ボレロ」を振るカウントダウンに間に合ったそうである。

レナード・バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」もコープランドの交響曲第3番も政治色が強い曲目である。
「スラヴァ」は、チェリスト&指揮者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチの愛称である。彼がソ連からの亡命に成功し、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に就任したのを記念してバーンスタインが書いたものである。バーンスタインによる選挙大会の政治演説や聴衆の歓声が録音で流される。
コープランドの交響曲第3番は、第4楽章に「市民のためのファンファーレ」が流れるのだが、この曲は指揮者のユージン・グーセンスが1942年8月に「アメリカの戦争遂行の愛国的なファンファーレ」として18人の作曲家に依頼したファンファーレの一つであるため、広島のようにアメリカによる甚大な被害を受けた街では「市民のためのファンファーレ」もコープランドの交響曲第3番も演奏出来ないそうである。
バルトークのピアノ協奏曲第3番のソリストである三浦謙司に関しては、「ベルリンに住む上手いピアニスト」と語っていた。
京都市交響楽団の成長については広上は、コンセルトヘボウ・アムステルダム(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)、チェコ・フィル、フィンランドのラハティ(交響楽団)、スウェーデン放送響、バンベルク交響楽団に似たオーケストラになったと語るが、これはあくまでも広上が振った時。指揮者によって音が変わる。そういう意味では広上淳一と沖澤のどかは対極にいる指揮者かも知れない。鬼束ちひろが、「音楽性は生まれた土地の気候によって決まる」と若い頃に記していたが、東京生まれの広上と青森生まれの沖澤とでは音楽性が違ってくるのは当たり前かも知れない。

 

今日のコンサートマスターは「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置による演奏である。客演首席ヴィオラ奏者には新日本フィルの森野開、客演首席チェロ奏者には新日本フィルの櫃本瑠音(ひつもと・るね)、首席客演トロンボーン奏者には都響の風早宏隆。風早という苗字はマンガ・映画「君に届け」で有名になっているが、風早氏は本流は数少ない平氏系の公家である。京都市内に風早町という住所があるが、御所近辺の公家街に移る(移される)まではその近辺に屋敷を置いていた公家だ。風早宏隆がどこまで公家の風早氏と近いのかは不明である。
コープランドの交響曲第3番は、大編成であり、打楽器に客演奏者がずらりと並ぶ。

 

バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」。広上はバーンスタインに直接指揮を学んでいる。今の時代には巨匠にして教育者という指揮者は少ない。良き時代に教育を受けたと言える。
「スラヴァ!(政治的序曲)」は、ドイツ・グラモフォンから、作曲者がイスラエル・フィルを指揮した録音が出ているが、今は積極的にイスラエル・フィルを聴きたいという状況ではない。ただ広上と京響の演奏の方がバーンスタインらしさがはっきり分かる。バーンスタインは優れた指揮者であったが、音楽にのめり込みやすいという性格であり、客観的に彼の音楽を聴きたいのなら他の指揮者による演奏を選んだ方が良いのかも知れない。幸い弟子は数えられないほどいる。
甘く澄んだ弦、輝きのあるブラス、抜けの良い音など、広上の良さが十全に出ている。
エレキギターが浮かび上がるなど、いかにもバーンスタインらしい曲想(エレクトリックギター演奏:山田岳)。最後は、楽団員の「スラヴァ!」の言葉で締める。これはロストロポーヴィチの愛称であると同時にロシア語で「栄光あれ!」の意味を持つ。

 

バルトークのピアノ協奏曲第3番。ハンガリーを代表する作曲家であるバルトークであるが、ナチスの台頭を嫌い、アメリカに亡命する。しかしアメリカの水が合わなかったようで、引きこもりのようになり、作曲よりも民族音楽研究に取り込むことが多くなる。ただこれでは音楽で稼ぐことは出来ない。見かねたボストン交響楽団の音楽監督であるセルゲイ・クーセヴィツキーが作品を依頼。出来上がった管弦楽のための協奏曲はバルトークの代表作の一つとなった。だが白血病を患い、気難しい性格が災いして対人関係に悩むなど、最後までアメリカになじむことはなかった。最後は服装も浮浪者のようになって、デイヴィッド・ジンマン少年に石を投げられる(直接投げつけたという話と、住んでいる家の窓にぶつけたという話があり、どちらなのか、あるいは両方なのか不明)など惨憺たる有り様で、在米5年で他界している。
ピアノ協奏曲第3番は、バルトークのアメリカ時代の作品である。

ソリストの三浦謙司は、1993年、神戸生まれのピアニスト。13歳で英国政府奨学金を得てロンドン・パーセル・スクールに入学。2011年からはベルリン芸術大学で学ぶも、翌年に中退。日本で様々な仕事をしながらボランティア活動を行う。2014年に再び渡独。ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンに入り、卒業後は同校の教員としても活動している。第4回マンハッタン国際音楽コンクール金賞受賞、第1回Shigeru Kawai国際ピアノコンクール優勝。スタインウェイコンクールベルリン第1位、2019年のロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門優勝及び3つの特別賞を獲得して名を挙げている。

ジャネットにネクタイ姿で現れた三浦。右肩を落として構える癖のあるピアニストである。広上指揮の京響が奏でる伴奏であるが、昨日聞いた歌劇「青ひげ公の城」とは明らかに異なる洒脱でモダンな響きがする。バルトークがアメリカに滞在した月日は短かったが、アメリカ的なるものを確実に吸収していたことが分かる。単に引きこもっていただけではなかったようだ。
三浦の難所も軽やかに乗り越えるピアノも聴き応えがある。クリアな音色も魅力的だ。
バルトークもアメリカの影響を受けた、あるいは受けざるを得なかったことが分かる楽曲でもある。

三浦のアンコール演奏は、シューマンの「子供の情景」から“詩人のお話”。技巧的には平易な曲で、あるいは私も昔弾いたことがあったかも知れない。
「子供の情景」も決定的名盤が存在しない楽曲である。そもそも録音が余り多くない。個人的に好きなのは、録音は古いがホロヴィッツ盤。こんな小品集であってもホロヴィッツのひらめきは冴えている。アルゲリッチ盤は彼女にしては大人しいが、そもそも彼女に向いている楽曲ではないような気がする。

 

コープランドの交響曲第3番。コープランドは同性愛者、バーンスタインは両性愛者で、二人は短い間だったがパートナーであった。バーンスタインに指揮者になるよう進言したのもコープランドであったと言われる。
それはそれとして、コープランドの交響曲第3番は大傑作である。いかにもアメリカ的な広がりとノスタルジアを兼ね備えた旋律が巨大なモニュメントを打ち立てていく。
京響が奏でる音はたおやかで立体的であり、印象派に影響を受けたと思われるグラデーションも美しさに満ちているが、楽章が進むにつれて大音響へと変わっていく。最後列にずらりと並んだ打楽器群が進軍を後押しする。ピアノ、チェレスタ、2台のハープなども威力を加える。
第4楽章に「市民のためのファンファーレ」が登場。この曲は、広上が京響の常任指揮者に就任して初めてのコンサートの第1曲として演奏したものである。そんなことも思い出しつつ、強烈な音を堪能する。
東にN響あれば西に京響あり。広上と地元オーケストラの実力を堪能した夜であった。

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2025年12月31日 (水)

コンサートの記(937) びわ湖ホール プロデュースオペラ コルンゴルト作曲「死の都」 阪哲朗指揮京都市交響楽団ほか

2025年3月2日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

大津へ。午後2時から、びわ湖ホール大ホールで上演されるコルンゴルトの歌劇「死の都」を観るためだが、午前11時から、演出家の岩田達宗によるワークショップがあるというので、それも聴くために早めに家を出る。ワークショップの会場は大ホールで、自由席、先着順である。誰もが知っている有名オペラではないので、多くの人が押し寄せるということはなかったが(オペラ自体マイナーなので有名オペラでも多くの人は来ないかも知れないが)、それでも「知られざる傑作」としてある程度の知名度はある作品なので、まあまあの入りであった。

びわ湖ホールの館長である村田和彦からの挨拶とびわ湖ホールの四面舞台の紹介があり、その後、岩田達宗のトークとなる。今回の「死の都」は、「竹取物語」、「三文オペラ」同様、オペラ演出家の栗山昌良が演出を担当した歌劇作品の再現を目指して上演が行われるもので、岩田達宗は再演演出となっている。ただ岩田さんから直接伺った話や、びわ湖ホールのSNS記事によると、特別な演出はしないで、どちらかというと演技指導を行っているような印象を受ける。栗山昌良に師事した岩田達宗であるが、生前の栗山から「演出家が自分の色を出すんじゃない」と何度も言われていたそうで、それを考えると栗山が施した演出を再現するだけと考えるのが普通であろう。実際、自分のことを「演出補」と語っていた。
まず、歌劇「死の都」から。コルンゴルトが23歳の時に書いたオペラであり、初演からしばらくは大成功を収めていた作品である。原作はローデンバックの『死都ブリュージュ』。ただ、直訳すると『死 ブリュージュ』で、「これでは収まりが悪い」というので、『死都ブリュージュ』としたようである。「死の都」というも良いタイトルだが、ドイツ語のタイトルを直訳すると「死の町」で(歌詞には「死の町」という言葉が登場する)、ちょっと味気ないので、『死都ブリュージュ』から取って、「死の都」というタイトルになったようだ。今間違えて、「四宮(しのみや)」と打ってしまって直したのだが、四宮という駅は京阪京津線に存在する。
原作は、ベルギーの斜陽の街、ブリュージュ。ひきこもりの男性が愛する女性を殺害するというだけのもので少し味気ないので、台本作者のパウル・ショット(正体はコルンゴルトの父親のユリウス・コルンゴルト)とコルンゴルトは、幻想劇のような作品に仕上げている。今もある夢オチ。比較的評判の悪い手法だが、本格的な夢オチを行ったのは「死の都」が初めてだそうである。「全てが夢でした」という意味での夢オチのようなものはそれまでもあったが、ジークムント・フロイトの『夢分析』の影響を受けて、「夢には意味がある」とした上での夢オチを積極的に使ったのが「死の都」となるようだ。

栗山昌良は、1925年生まれ。ということで、生きていれば100歳になる年だったという。ということもあって、世代的にオーソドックスな演出家と評する向きもあり、栗山昌良本人もそう評価されることを喜んだというが、実際の作風はアヴァンギャルドで、表現主義をベースにしたものであった。「演出家は自分の色を出すな」とは言ったが、「死の都」冒頭の主人公の部屋に関する長いト書きは全く守られていない。ただこれも無視したのではなく、内容を抽出した結果だそうである。幕を上げて、第1幕第1場のセットを見せたのだが、指示とは全く別の部屋が目の前にある。
演技も写実を嫌い、二人の人物が向かい合って喋ることすら「写実だから」と嫌ったそうである。
稽古に関しては、「昭和の人は説明をしない」ということで、細かい指示は出さず、「もう一回、もう一回」を何度も繰り返していたそうだ。何が駄目なのかを聞いても答えはないそうである。現役の演出家としては岩松了が同じような演出を行っていると竹中直人が明かしたことがあり、高岡早紀が稽古場の隅で涙を拭っていたという話が思い起こされる。
さて、「死の都」であるが、1920年にハンブルクとケルンで同時初演されているが、その直前に第一次世界大戦があり、約3400万人が戦死。その約3分の2が兵士などではなく民間人であり、廃墟のようになった街が「死の都」に重なって見えたことは大きかったようだ。その後、第二次世界大戦では全世界で約Ⅰ億人が死亡。しかし、その後、ヨーロッパは戦争をしなくなった。しょっちゅう戦争を起こしており、イメージとは違って野蛮な場所であるヨーロッパであるが、80年以上戦争がないというのはヨーロッパ史上稀なことである(東欧などは含まない)。
「死の都」には有名アリアがあるが、それよりも第3幕のマリエッタのアリアを聴いてほしいとも語っていた。

 

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、現在のチェコのブルノ(モラヴィアの中心都市である)生まれのオーストリア=ハンガリー二重帝国出身の作曲家。幼少期から楽才を発揮し、ヴォルフガングというミドルネームから「モーツァルトの再来」と呼ばれ、マーラーなどにも激賞されている。しかし、ナチスが政権を取ると、彼の人生は暗転。ユダヤ系であったためアメリカの亡命したが、アメリカでは彼のクラシック音楽は受けず、生活のために映画音楽の作曲に進出。こちらでは好評を得た。オーストリアに帰る機会もあったが、前衛の時代に彼の作風は「時代遅れ」と見なされるようになっており、受け入れられることはなかった。映画音楽は当時は格下扱いであり、そのことも影響した。アメリカでも終生、クラシックの作曲家としては評価されず、アメリカに多い毒舌評論家から、「KORNGOLDは、ゴールドではなくてコーンだ」などと揶揄された。若き日の栄光を取り戻せないまま60歳で死去。
1990年代半ばに、アンドレ・プレヴィンやフランツ・ヴェルザー=メストといった有名指揮者がコルンゴルト作品をレコーディング。ようやくコルンゴルト再評価なるかと思われた直後にピアソラ・ブームが起こってしまい、コルンゴルトはどこかに飛んでしまった。運のない作曲家であるが、びわ湖ホールで「死の都」が上演されるのと同時に、九州ではコルンゴルト作品を集めたコンサートが行われており、今度こそは広まるかも知れない。

そんな中、「死の都」だけは知名度が高く、映像も数点出ている。
ちなみに、「死の都」の演奏会形式での日本初演は、1996年に井上道義指揮の京都市交響楽団が行っており、演出ありのオペラ形式での日本上演は、2014年に沼尻竜典指揮京都市交響楽団によってびわ湖ホール大ホールで行われており、この時の演出が栗山昌良である。

 

 

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホール プロデュースオペラ コルンゴルト作曲「死の都」を観る。2014年にびわ湖ホール大ホールでオペラ形式での日本初演が行われた作品である。びわ湖ホールの芸術監督である阪哲朗指揮の京都市交響楽団(コンサートマスター:泉原隆志)の演奏。Wキャストで、今日の出演は、山本康寛(パウル)、木下美穂子(マリー/マリエッタ)、池内響(フランク)、山下牧子(ブリギッタ)、小川栞奈(おがわ・かんな。ユリエッテ)、秋元悠希(ルシエンヌ)、島影聖人(しまかげ・きよひと。ガストンの声/ヴィクトリン)、迎肇聡(むかい・ただとし。フリッツ)、与儀巧(よぎ・たくみ。アルベルト伯爵)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル。児童合唱は、大津児童合唱団。演出:栗山昌良、再演演出:岩田達宗。

舞台下手側がパウルの部屋。上手側が幻の教会(神殿)となっている。
パウルの部屋の奥にマリーの巨大な肖像画が掛けられている(木下美穂子をモデルにしたもの。昨日は昨日のマリー役である森谷真理をモデルにした絵だったようである)。
ブリギッタとフランツの二人の場面なのだが、絵の事柄に関するものなのに二人とも絵に背を向けて歌う。これが栗山流の写実でない歌い方のようだ。
ブリュージュに住むパウルは、妻のマリーを失ったのだが、友人のフランクには「マリーが戻ってくる」と語る。マリーを見かけたというのだが、それはマリーに似たマリエッタという踊り子であった。パウルは彼女が何者なのか分からないまま家に呼ぶ。
マリエッタがパウルの部屋を訪ねる。マリエッタはパウルがマリーという女性を自分の中に見ていることに気づき、部屋を後にする。やがてマリーの亡霊が現れる。

びわ湖ホール館長の村田和彦が、四面舞台の話をしていたが、第2幕では、その機構を生かし、これまでの舞台が奥に引っ込んで、下から新たなセットが現れる。三段になったヘアピンカーブである。ここでマリエッタの一座が余興のようなものを繰り広げる。
さて、いつからパウルが夢、または幻覚の世界に入っていったかであるが、第2幕ではブリギッタが「修道院に入る」と言って出て行くシーンがある。しかし現実にはブリギッタはパウルの屋敷で女中を続けており、この時点で夢であることは確かである。友人のフランクもマリエッタへの思いを語るのだが、これも夢か幻である。更にいうならその前にマリーの姿(幻覚)を見る場面がある、ということで、大半が夢の中での出来事となる。

絵空事が繰り広げられる訳だが、それこそが実はパウルの欲していたことであり、フランツはこのままではいけないとブリュージュを去るようパウルに告げるのだと思われる。「ブリュージュを離れられない」というパウルの真意は「マリーから離れられない」であり、街と一体化した「今の自分を離れられない」である。そこから出るのだ。

 

阪哲朗指揮の京都市交響楽団が輝かしくも重厚で、かつ瞬発力もある演奏を展開。プッチーニ(おそらくペンタトニックは使っていると思われる)やワーグナー、モーツァルトにリヒャルト・シュトラウスと、様々なオペラ作曲家に影響された響きや旋律が登場するが、いずれも「リアル」な音として鳴り響く。この場ではこの音が鳴らなくてはならないという、説得力に満ちた演奏だ。
退廃的でミステリアスで、それでいて魅力的という音楽である。1920年に初演された作品だが、世紀末的な彩りがあるのは、やはりフロイトの影響を受けているということもあるのだろうか。あるいは初の世界大戦が終わり、次の世界大戦前夜の荒廃した思い故だろうか。
阪の指揮する京都市交響楽団は、おそらく日本初演時の沼尻竜典指揮の時よりも妖艶な音を奏でているような気がした。

オペラ形式の初演も観ている「死の都」。記憶には余り残っていないが、コミカルな部分に関しても、初演時と同じなのかは不明である。

ラストでは、パウルはマリーへの未練を見せるが、今回の演出ではそれほど執着はなく去って行く(例えば、チェーホフの「かもめ」の主人公、トレープレフとは好対照である)。ブリギッタが一人残り、前方に置かれた燭台を手にし、また後ろに下がる。そして幕が下りる。このブリギッタの動きは台本にはなく(ブリギッタはフランツと共に退場することになっている)、オリジナルである。

 

演出家の岩田達宗さんとは、2幕と3幕の間に話をした。

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コンサートの記(936) 「映像の世紀コンサート」@ロームシアター京都メインホール 加古隆(ピアノ)&沼尻竜典指揮京都市交響楽団

2025年12月3日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後4時より、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「映像の世紀コンサート」を聴く。

1995年から1996年にかけて放送され、大好評を博した「映像の世紀」。21世紀に入ってからは続編である「映像の世紀バタフライエフェクト」が放送中である。

 

大阪では、「映像の世紀コンサート」はフェスティバルホールで何度か行われており、私も初回のコンサートは聴きに行っているが、京都で「映像の世紀コンサート」が行われるのは初めてである。
関西での催しというと、最大の人口を誇り、交通も発達した大阪市内で行われがちであるが、街自体が文化と芸術の香りに溢れているような京都で楽しむのもまた乙なものである。
建築と芸術と自然が一体となった岡崎地区で聴くならなおさらでだ。

演奏は、作曲者である加古隆(ピアノ)、沼尻竜典指揮京都市交響楽団。ナレーションは、元NHKアナウンサーの山根基世が務める。

ピアノ協奏曲の布陣。ドイツ式の現代配置での演奏である。スクリーンの邪魔にならないよう、ティンパニの中山航介は上手奥の角で演奏を行っていた。
コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。管楽器の首席奏者は、オーボエの髙山郁子、ホルンの垣内悠希、トランペットのハラルド・ナエスなどは出演したが、他は降り番である。

現在の「映像の世紀バタフライエフェクト」のテーマ音楽は、NHK交響楽団正指揮者の下野竜也がN響を指揮。下野は大河ドラマのオープニングのテーマもこのところは毎年のように指揮しており、NHK交響楽団とNHKからの信頼が感じられる。大河ドラマのオープニングテーマの指揮と年末の第九の演奏会だけは、実績のある人にしか振らせない方針のNHKとNHK交響楽団であるが、第九は外国人指揮者なども指揮台に立つが、大河ドラマのオープニングテーマは、ここ数年は下野竜也、尾高忠明という二人のNHK交響楽団正指揮者と、広上淳一を加えた3人で回している状態である。以前はNHK交響楽団音楽監督時代のシャルル・デュトワやウラディーミル・アシュケナージ、首席指揮者時代のパーヴォ・ヤルヴィも指揮していた。現在のNHK交響楽団首席指揮者であるファビオ・ルイージはまだ指揮していないが、来年の大河ドラマである「豊臣兄弟!」のオープニングを指揮するのは実は沼尻竜典である。勿論、初めての挑戦だ。

指揮者として活躍した後で、作曲家としてもデビュー。現在ではピアニストとしても活躍している沼尻竜典。びわ湖ホールの芸術監督を務めた後で(桂冠芸術監督の称号を贈られた)、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に転身。自身が起こしたトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニアの音楽監督も兼任している。京都市交響楽団とは、毎年1回、マーラーの交響曲をびわ湖ホール大ホールで演奏する試みを続けている。
劇伴の仕事をしたことがあるのかどうかは分からないが、テンポに関してはかなり的確な演奏が出来る指揮者である。総譜より先にタブレット状のものが取り付けられているが、これは譜面ではなくてモニターで、スクリーンに映っている映像がそのまま流れ、映像に合わせて指揮をするためにある。譜面にも映像にも合わせて指揮しなければならないので大忙しである。

リュミエール兄弟が世界で初めて撮影した映像や、線路の脇で電車がこちらへと走ってくる様を捉えた映像が流れて演奏スタート。演奏される楽曲は、「パリは燃えているか」、「時の封印」、「シネマトグラフ」、「はるかなる王宮」、「神のパッサカリア」、「最後の海戦 パート1、2」、「未来世紀」、「大いなるもの東方より」、「マネーは踊る」、「狂気の影」、「黒い霧」、「ザ・サード・ワールド」、「睡蓮のアトリエ」、「愛と憎しみの果てに」、そして今回はアンコールが予め決まっており、「映像の世紀バタフライエフェクト」のために書かれた、「風のリフレイン」と「グラン・ボヤージュ」が演奏される。

 

加古隆の音楽に必要なのは何よりも抒情美であるが、そこは京響。リリシズムに満ちた音楽を奏でていた。

今回の「映像の世紀コンサート」は、戦争の歴史に焦点を当てていたが、それは現在、ウクライナとロシア、イスラエルとガザ地区での戦闘が継続中であるからに他ならない。爆撃されて建物の多くが破壊されたガザ地区(おそらくガザ市)、ウクライナがロシア軍に攻撃される様も終盤、スクリーンに投影された。

「王朝の時代」を特集する映像もあり、後に惨殺されることになるロマノフ王朝のニコライ二世(皇太子時代に来日した際、大津市の旧東海道において、巡査の津田三蔵に斬りつけられるという、「大津事件」でも知られる)やアレクセイ皇太子などが映っている。
オーストリアでもハプスブルク家の支配が終焉を迎えるが、フランツ・ヨーゼフ一世の姿がカメラに捉えられている。ハプスブルク家の没落と共に登場したのが同じオーストリア出身のアドルフ・ヒトラーであり、ヒトラーの経済政策によってドイツは歴史的な大インフラを解消。ドイツにおけるヒトラーの支持率は実に90%を記録したが、このときはヒトラーの正体に気付いている人はまだほとんどいなかった。

ヨーロッパが混乱の最中にあるときに力を付けたのがアメリカである。ニューヨークには摩天楼が建ち、一際高いエンパイアステートビルが建設される。エンパイアステートビルは現在では、高さニューヨーク1ではないが、今でもニューヨークのシンボルの座は揺らいでいない。

ヒトラーはオーストリアを併合。イタリアでもファシスト党のベニート・ムッソリーニが政権を手にする。今では、「ファシスト」という言葉は相手の悪口にしか使わないが、当時は有効な政策運営手段の一つと思われていた。

独伊と手を組んだのが大日本帝国である。ヨーロッパとアジアとでは遠すぎて協力の仕様がないが、とにかく三国同盟は締結される。日本はその時は中立国だったアメリカに挑む。しかし国力の差は明らかで、日本は最終手段として特攻作戦を立案する。ゼロ戦で相手の軍艦に突っ込むという、死亡率100%の犠牲を伴う作戦。アメリカ人から見れば「クレイジー」としか思えないだろうが、日本には他国にない「死の美学」「犠牲の美学」があった。そうしたものを発揮するのはこのときではなかったかも知れないが、多くの日本戦闘機は迎撃されて海に沈み、数少ない成功例がアメリカ軍を慄然とさせた。アメリカ人からみればまともに見えなかったと思われる日本兵だが、戦死者に対する敬意は表したようである。

アメリカはベトナム戦争で敗戦する。南北に分断されたベトナム。アメリカは資本主義の南ベトナム(ベトナム共和国)を支援するが、アメリカ国内でもベトナム反戦の動きが起こり、泥沼化した戦争は、サイゴン(現ホーチミン)陥落で最後を迎える。

戦争の世紀であった20世紀であるが、各都市は復興し、発展していく。空襲を受けた東京の街は、木造建築が多いということもあり、ヨーロッパなどよりも悲惨な焼け野原だが、集った日本人少年達の顔は明るい。戦争が終わったなら後は復興するだけ。実際のところ、東京は人口が多かったということもあり、戦前の街並みをそのまま復興しようとする機運が強く、空襲を機会に道幅を広げてモータリゼーションの到来を予見した大阪や名古屋に比べると上手くはなかったと思う。それでもお洒落な銀座の街並みなど、活気ある東京をカメラは捉えていた。

 

アンコール演奏。加古隆はセンチメンタルな作風が特徴で、「映像の世紀」の音楽も明るくはないのだが、20世紀の「映像の世紀」の音楽に比べると煌びやかで希望を持てる曲調となっている。

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2025年12月30日 (火)

コンサートの記(935) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団特別演奏会 第九コンサート 2025

2025年12月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会 第九コンサートを聴く。指揮者は京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。沖澤が京響の第九に登場するのは今回が初めてである。

ドイツ式の現代配置をベースにした配置だが、中央(第2ヴァイオリンとチェロの背後)に木管楽器が陣取り、その後ろの階段状の台に合唱団が乗る(合唱は京響コーラス。上手側が男声、下手側が女声である)。金管楽器が下手寄りに斜めに並び、下手奥隅に中山航介が叩くティンパニがある。ティンパニは見た目では分からなかったが、音を聴いてバロックティンパニだと確認出来た。木のバチ、先端に毛糸を巻いたマレット、両方を使用。上手寄り、チェロの奥にはファゴット群が布陣する。
ステージを擂り鉢状にしての演奏である。

コンサートマスターは京響ソロコンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。客演首席ヴィオラに笠川恵(かさかわ・めぐみ)、客演首席トロンボーンには吉田英恵(はなえ)。
今年は第九1曲勝負である。ソプラノ:嘉目真木子(よしめ・まきこ)、メゾ・ソプラノ:小泉詠子(えいこ)、テノール:小原啓楼(おはら・けいろう)、バリトン:山本悠尋(ゆきひろ)。今年は読みにくい名前の人が揃う。

沖澤のどかの指揮であるが、各楽章の冒頭は中庸でも自然にスピードアップしていくのが特徴。第3楽章では特にこの傾向が顕著であった。
第1楽章であるが、スケールを拡げずスマートなフォルム。転調の時のティンパニも抑え気味だったが、ティンパニも徐々に強打させることが多くなっていく。
第2楽章も適度に揃えたアンサンブル。アンサンブルを徹底して磨くと宇宙の鳴動のように聞こえる音楽だが、沖澤はそこまでせず、人間ドラマの側に立った第九を描き出す.
第2楽章の終わりを、沖澤は、広上淳一や川瀬賢太郎が行ったように柔らかな音で締める。

音色であるが、やはりいつもの京響とは違い、旧東独のオーケストラのような燻し銀の響きを出していた。ベルリン・フィル・カラヤン・アカデミーで学び、ベルリン・フィルの芸術監督であるキリル・ペトレンコのアシスタントを務めた沖澤だが、インターナショナル化したベルリン・フィルの響きよりも、よりドイツ的な響きを理想としているのかも知れない。ドイツの東西分裂は悲劇だったかも知れないが、結果として旧東独の地域にはドイツのローカルな響きが残ることになった。
広上淳一が指揮する京都市交響楽団は、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のような響きだが、沖澤のどかが紡ぎ出す京響の響きはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団に近くなる。指揮者が変わるだけで、音色がここまで変わるというのも興味深い。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮のCDで何度も聴き、横浜で耳にしたあの音を今ここで聴いているような気分。

京響コーラスは板付き。独唱者とフルートのサード(ピッコロ)、ティンパニ以外の打楽器は、第2楽章終了後にステージに登場する。

第3楽章もロマンティシズムより見通し重視の美演。ドラマよりも音にものを言わせる演奏である。
第4楽章。沖澤は第3楽章が終わるとアタッカで突入する。低弦のエッジが立っているのが特徴である。8分の6拍子のクライマックスの部分は4つ振りと2振りで処理する。
ここでもスケールよりは造形美重視。テンポは速いが勢いで突き進むタイプの第九ではない。神がベートーヴェンを通して書いたような第九の演奏もあるが、今日はあくまでもベートーヴェンという人間による人間讃歌だ。

ヴァイオリン、ヴィオラ、ティンパニにこれまで聴いた第九とは異なる部分があったので、「ブライトコプフ新版かな?」とも思ったが、沖澤が最後に掲げた総譜の表紙は茶色だったため、ベーレンライター版であった可能性が高い(オーケストラのライブラリアンなどが表紙にカバーを掛けてしまう場合があるので実際には分からない)。他の指揮者が採用しないベーレンライター版の部分を採用したのだろうか。付け加えたという部分はヴィオラを除いてはないと思う。なお、ラストのピッコロは一般的なベーレンライター版での演奏と比べて控えめであった。


今日の京響の響きをライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団に例えたが、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団といえば年末の第九の元祖。擬似ライプツィッヒ気分である。

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