カテゴリー「京都市交響楽団」の158件の記事

2020年5月 5日 (火)

広上淳一指揮京都市交響楽団ほか マーラー 交響曲第8番「千人の交響曲」(高画質版)

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2020年4月28日 (火)

京都市交響楽団公式YouTubeチャンネル開設

昨日、京都市交響楽団の公式YouTubeチャンネルが開設されました。ちなみにこの春より第13代常任指揮者兼音楽顧問に肩書きが変わった広上淳一と首席客演指揮者に就任したばかりのジョン・アクセルロッドからのメッセージの両方に初「いいね!」をしたのは私です。

https://www.youtube.com/channel/UCD6MadSKKxnboV1GQxeuSaQ

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2020年4月19日 (日)

コンサートの記(635) 高関健指揮京都市交響楽団第588回定期演奏会

2015年3月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第588回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。

プログラムは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:滝千春)、ショスタコーヴィチの交響曲第8番。

開演20分前から高関によるプレトークがある。高関はモーツァルトのヴァイオリンのための作品がザルツブルク時代に集中しているのは、モーツァルトがザルツブルクの宮廷楽団でコンサートマスターとして活躍するなど、ヴァイオリンに接する機会が多かったためだと説明する。モーツァルトはその後、ザルツブルクのコロラド大司教と喧嘩してウィーンに飛び出すのだが、ウィーンでは主に自分で演奏するためのピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなどを作曲したため、ヴァイオリン協奏曲などが書かれることはなくなったのだろうと推理する。

ショスタコーヴィチの交響曲第8番については、交響曲第7番「レニングラード」と対になる曲として知られるし、「レニングラード」が凱歌(とされるが本当の意図は不明)であるのに比べて陰鬱な曲調であると紹介し、交響曲第5番に似ていることに気付かれるとも思うと述べる。第1楽章ではかなり長く美しいイングリッシュホルンのソロがあるということにも触れる。

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーは泉原隆志。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」の編成にはフルートもクラリネットも登場しないが、オーボエトップの位置に座ったのは首席奏者である高山郁子ではなくフロラン・シャレールであった。高山郁子はショスタコーヴィチのみの参加。フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子もショスタコーヴィチのみに加わる。

今日は古典配置での演奏。ヴァイオリン両翼で、コントラバスは最後部に横一列に並ぶ。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。ヴァイオリン独奏の滝千春は、2001年にノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門で優勝、2002年にメニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第1位、2006年にオイストラフ国際ヴァイオリンコンクール第3位などの経歴を持つ若手ヴァイオリニスト。桐朋女子高校音楽科、チューリッヒ音楽大学を経て、現在はベルリンのハンス・アイスラー芸術大学在学中である。

滝のヴァイオリンであるが、独特の甘美な音色を持ち味とし、今の季節や彼女の名前とは関係がないが春風のように爽やかなヴァイオリンを奏でる。

高関はこの曲はノンタクトで指揮。きっちりとした指揮であるが、彩り豊かでノリの良い演奏を京響から弾き出す。なお、モーツァルトの時代には弦楽5部の曲であっても、当時の弦楽器は今ほど大きな音が出なかったことから、楽譜には記されていなくてもファゴットで低音を形作るのが通例、というよりファゴットが加わるのが当たり前だったためファゴットのパートが書かれなかったという解釈に基づき、ファゴットを加えての伴奏となった。


ショスタコーヴィチの交響曲第8番。演奏される機会の比較的少ない曲だが、京響は数年前に沼尻竜典の指揮で演奏している。

第1楽章から、弦楽の透明感に驚かされる。透明なだけでなくボリュームもある。京響の弦楽は絶好調であり、管もそれに負けていない。

第3楽章の疾走感のある阿鼻叫喚の世界から沈鬱な葬送行進曲(第4楽章)、諧謔的な旋律が登場し、爆発を経て、交響曲第7番「レニングラード」第1楽章のおどけた旋律を連想させる音の進行で静かに終わる第5楽章。この3つの楽章は連続して演奏されるのだが、高関と京響はショスタコーヴィチがこの曲に込めたメッセージを詳らかにしていく。

高関は第4楽章のみノンタクトで振ったが、ソヴィエト共産党によって粛正された人々へのレクイエムのような哀切なメロディーを切々と歌い上げていた。

第5楽章の爆発力も凄まじく、その後もスターリン独裁下で粛正された人々への鎮魂と祈りのような旋律が続き、曲は静かに閉じられる。
ちなみにこの曲は1943年に初演されており、スターリンはまだ存命中である。交響曲第8番は一応は赤軍の闘争と勝利を描いたものだと作曲者は述べているが、スターリン圧制下で率直な発言をしたとは考えられない。以前は交響曲第7番のタイトルである「レニングラード」(ただし忠実にはレニングラード攻防戦を描いたからではなくレニングラード市に献呈されたためにこの名がある)に対して交響曲第8番は「スターリングラード」というタイトルで呼ばれたこともあった。だた、今はこの曲を「スターリングラード」と呼ぶ人はほとんどいない。

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2020年4月 9日 (木)

コンサートの記(633) 川瀬賢太郎指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 ~こどものためのオーケストラ入門~ 「オーケストラ・ミステリー」第1回「オーケストラの秘密~ヒット曲にはわけがある!?」

2016年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 ~こどものためのオーケストラ入門~「オーケストラ・ミステリー」第1回「オーケストラの秘密 ~ヒット曲にはわけがある!?」を聴く。指揮は川瀬賢太郎。

こどものためのオーケストラ入門とあるが、選曲は比較的マニアックなものが多く、親子でも楽しめるようになっている。というより曲目に期待して、子供連れでもないのに来ている私のような人の方が多い。


現在、神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者と名古屋フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務める川瀬賢太郎は1984年生まれの若手指揮者。私立八王子高校芸術コースを経て、広上淳一に師事するために東京音楽大学指揮科に進学、広上の他に、汐澤安彦、チョン・ミョンフンらにも指揮を師事している。広上の弟子ということで、京都市交響楽団にも何度か招かれており、また広上も川瀬が常任指揮者を務める神奈川フィルに客演を続けている。

今日のナビゲーターはガレッジセールの二人。


曲目は、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレとテーマ」、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」より「アナキンのテーマ」&「ダース・ベイダーのテーマ」、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番より第2楽章(ピアノ独奏:三浦友理枝)、エルガーの行進曲「威風堂々」、ベートーヴェンの交響曲第5番より第1楽章、ハイドンの交響曲第90番より第4楽章、レスピーギの交響詩「ローマの松」から第4曲「アッピア街道の松」

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーに尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子は全編に渡って出演。小谷口直子は「スター・ウォーズ」の音楽からの参加となった。


ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレとテーマ」。川瀬が生まれた1984年のロサンゼルス・オリンピックのためのファンファーレとして書かれたものである。ちなみに川瀬は12月生まれであるため、ロス五輪の行われた夏にはまだ生まれておらず、「お腹の中でこの曲を聴いていた」と話す。
数あるオリンピック・ファンファーレの中でも最も有名と断言しても良い1984年ロス五輪のファンファーレ(日本人は1964年の東京オリンピックのファンファーレの方が馴染みがあるかも知れないが)。
川瀬は広上の弟子(つまりレナード・バーンスタインの孫弟子)ということもあってダイナミックな指揮をする。京響のブラスが輝かしい音色を奏でたということもあって華やかな演奏になった。
演奏が終わってからガレッジセールの二人が登場し、ゴリが川瀬に「これまで見た中で一番ダイナミックな指揮。海老反りになるところなんか、袖でスタッフさんが、『広上さんだったらぎっくり腰になってる』って言ってましたけど」と言う。実は広上は90年代には今の川瀬よりも派手な指揮をしていたのだが(90年代後半にNHK交響楽団の定期演奏会に客演した際には、グリーグの『ペール・ギュント』より「アニトラの踊り」で、本当に指揮台の上でステップを踏んで踊っていた)、「首や腰をかなりやられてまして」(広上談)ということで、最近は以前よりも抑えた指揮になっている(それでもまだまだ派手ではあるが)。
ゴリも、「この84年のファンファーレがオリンピックのファンファーレの中で最も有名なんじゃないか」と述べる。とにかくよく知られた曲である。


マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。歌劇自体も上演されることはあるが(原作がありきたりな決闘を題材にした三文短編小説で筋書きも単純ということもあり、舞台に掛けられる頻度はそう多くはない)とにかく間奏曲が美しいというので有名である。
川瀬指揮の京響はリリシズム満点の演奏を展開。広上の時代に入ってから、京響の弦は本当に音の抜けが良くなった。
演奏終了後に出てきたゴリは、「優しい! 優しい旋律! これならヒットする」と断言する。

ガレッジセールの二人が、「クラシックの作曲家もポピュラーの作曲家同様、ヒットを狙ったりするんですか?」と聞く。川瀬は、「クラシックの場合、作曲家が亡くなってしまっていることが多いので、真意を確かめることは出来ないのですが」と断りを入れた上で、「心に残る曲を書く努力や工夫はしたと思います」というようなことを述べ、「ヒット狙い」と断言することはなかった。

続いて、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」から、「アナキンのテーマ」と「ダース・ベイダーのテーマ」。有名なメインテーマは敢えて外したというが、ゴリが「台本にトランペットがメインテーマを奏でると書いてます」と言う。トランペットの3人がゴリの表現を借りると「『聞いてないよ』って感じですけれど」というそぶりで否定するので、「いや、台本に書いてあるんですけど」と言って台本に書かれた文字を読み上げる。ということで、早坂宏明、西馬健史、稲垣路子の3人のトランペット奏者による「スター・ウォーズ」メインテーマ冒頭。和音が微妙だったがまあまの出来であった。
アナキン(アナキン・スカイウォーカー)はダース・ベイダーの幼児期から青年期までの名前である。優秀なジェダイになることを期待されながら自惚れや身勝手な振る舞いによって身を持ち崩し、ダークサイドへと落ちていくことになる。
「アナキンのテーマ」は美しい音楽だが、ラストで「ダース・ベイダー」のテーマが長調ではあるが顔を出す。
「ダース・ベイダーのテーマ」は一度も聴いたことがないという人を探す方が困難なほど知られた曲。
いずれも若々しく、推進力に富んだ演奏であったが、ゴリが「ダース・ベイダーの音楽を聴いて和田アキ子の姿が目に浮かんだ」と言う。川瀬は、「ジョン・ウィリアムズという作曲家は映画のキャラクターと音楽を結ぶ付けるのがとても得意な人で、ダース・ベイダーもジョン・ウィリアムズの音楽と一体であり、今の音楽でなかったらイメージが変わっていたかも知れない」と語った。


三浦友理枝をソリストに招いての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第21番第2楽章。設置変換のために楽団員が退場したのだが、ゴリは「ここでストライキに入りました」とボケる。
三浦によると、ピアノ協奏曲は沢山あるが、頻繁に取り上げているものは3曲か4曲だという。三浦が一番弾いた回数が多いのはショパンのピアノ協奏曲第1番だそうである。
最近のコンサートで人気のピアノ協奏曲というと、なんといってもラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。1年に1回は必ず聴く。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番も映画「シャイン」の影響もあって演奏回数が増えているが、他のピアノ協奏曲の王道というと、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ブラームスのピアノ協奏曲第2番、グリーグのピアノ協奏曲にシューマンのピアノ協奏曲、そして20世紀を代表してラヴェルのピアノ協奏曲も取り上げられることが増えている。モーツァルトのピアノ協奏曲も傑作揃いなのだが、曲数が多いということもあって特定の協奏曲に人気が偏るということは余りない(20番台がやはり人気だが)。

モーツァルトのピアノ協奏曲第21番第2楽章は、スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」のメインテーマとして使われたことでも有名である。心中に至るラストシーンが有名であり、これは以前にも何度か書いているが北野武監督の映画「HANA-BI」のラストで完全に同じ手法が用いられている。偶然ではなく、「みじかくも美しく燃え」へのオマージュであろう。


若手ピアニストの三浦友理枝。2005年にイギリスの王立音楽院ピアノ科を首席で卒業、同大学院も首席で修了している。2001年に第47回マリア・カナルス国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝、2006年には第15回リーズ国際ピアノコンクールで特別賞を受賞している。

その三浦のピアノであるが、煌めきがもう一つ。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番第2楽章の典雅さの裏に隠された痛切さの表出も余り感じられなかった。技術は達者なのだけれど(モーツァルトのピアノ協奏曲は技術的にはそう高度ではない)。
川瀬指揮の京響は音の移り変わりを巧みに描き出す演奏。京響は創設当初に「モーツァルトの京響」と呼ばれており、モーツァルトには今も思い入れがある。


後半、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番。迫力溢れる演奏である。川瀬の指揮もわかりやすい。「イギリス第2の国歌」といわれる中間部はもっとノーブルに歌えると思うが、今のままでも十分である。
ゴリは、「CMでよく耳にする。だからヒットしているように感じる」と述べ、川瀬もメディアの影響は否定しなかった。ゴリは「エルガーもまさか、味の素のCookDoのCMに自分の曲が使われるとは思っていなかったでしょうね」とボケる。


ベートーヴェンの交響曲第5番。川瀬は「運命」をタイトルではなくニックネームだと述べる。ベートーヴェンの交響曲第5番が「運命」と呼ばれるようになったきっかけは、ベートーヴェンの弟子のシントラー(シンドラー)という人物が、交響曲第5番の解釈の鍵になるものを聞いたところ、ベートーヴェンが「運命はこのように扉を叩くのだ」と答えたという話が元になっている。だが、このシントラー、虚言癖の持ち主である上に、ベートーヴェンのスコアにベートーヴェンの死後、勝手に手を加えたことがわかっているなど、「信用できる人物ではない」ということで、「運命」というタイトルも欧米では保留になっている。川瀬によると研究は更に進んでいて、ベートーヴェンが交響曲第5番を書き、演奏していた時期にはまだシントラーはベートーヴェンと出会ったいなかった可能性が高いという。
ベートーヴェンの弟子にピアノの教則本を書いたことで知られるツェルニーがいるが、ツェルニーは比較的早い時期からのベートーヴェンの弟子であり、ツェルニーによると、「運命主題」と呼ばれるものは「鳥の鳴き声を模して作ったものだ」とベートーヴェンは語っていたという。歴史にちょっとした狂いが生じていたらベートーヴェンの交響曲第5番のタイトルは「鳥」になっていたかも知れないそうだ。
ただ基本的にはベートーヴェンの交響曲第5番はわずか4つの音で大伽藍を築き上げるという、当時としては「実験的」とも呼んでいい大作である。

ベートーヴェンの交響曲第5番が書かれたのは200年ほど前のこと。ということで、ゴリも川瀬も「200年以上ヒット曲であり続けている凄い曲」だと再認識する。
ベートーヴェンの交響曲第5番は1拍目が休止なので入りが難しいのだが、川瀬は二つ小さく振った後で、大きく振りかぶり、両手を下に降ろして止めたところで最初の音を出させた。
ビブラートは控えめだが、余りピリオドらしくはない演奏である。「ピリオドの要素も少しだけ取り入れてみました」という程度である。
スケールはそれほど大きくないが構造把握のしっかりした演奏である。もっと獰猛さがあっても良いと思うがそれはこれからの課題だろう。

川瀬もガレッジセールの二人も、「これからも200年、いや今後500年以上もヒットする傑作だと思います」というところで意見が一致した。


ハイドンの交響曲第90番より第4楽章。実は、この曲、終わったと見せかけてまだ続くという仕掛けのある曲である。繰り返し記号があるため終わったと勘違いさせる場所は2回ある。
川瀬によると4小節分空白があるそうで、当時の音楽を聴きながら居眠りをしている貴族の挑戦なのではないかという。
ちなみに、川瀬もコンサートを客席で聴くことがあるそうだが、基本的に寝てしまうそうで、「音楽を聴くと眠たくなるタイプの人間らしい」(指揮者の故・岩城宏之もそうした癖の持ち主だった)。
ただ作曲家としては自分の曲を演奏している間に寝る客がいるのは面白くない。ということで、「告別」や「驚愕」のような仕掛けのある曲を作ったり、交響曲第90番でも敢えて変わったことをやっているという。一種のユーモアなのだがブラックユーモアであり、川瀬はハイドンのそうしたブラックなところが好きなのだという。
ハイドンとレスピーギはガレッジセールは客席で聴いたのだが、ハイドンの演奏終了後、ゴリが「本当に終わりですか?」と聞きながらステージに戻ったりしていた。

ハイドンはベートーヴェンよりもピリオドの影響が強い演奏。流麗な演奏である。ちなみにニセのラストがあることが事前には知らされず、川瀬は音が消えると同時に客席の方を振り返り、拍手が起こるのを待ってから右手で第1ヴァイオリンに指示して演奏を続けた。
ブラックではあるが、聴衆を飽きさせないための工夫であり、それがヒットにも繋がると川瀬は分析する。

ちなみに、交響曲第90番をやっても、ニセのラストで拍手が起こらないことがたまにあり、そういう時には演奏家の方が気まずい気持ちになるのだが、後で確認すると、プログラムに「拍手の場所にご注意下さい」などネタバレが書かれているケースが大体だという。


ラストはレスピーギの交響詩「ローマの松」から第4曲「アッピア街道の松」。金管のバンダが活躍する曲だが、今日はバンダはパイプオルガンの前に陣取る。
迫力のある演奏である。川瀬の指揮も己の若さをオーケストラに浴びせかけるような激しさを持つ。
京響も熱演であり、若い指揮者による演奏としてはかなり良い出来だったのではないかと思う。


アンコール曲は、ヴェルディの歌劇「椿姫」より第1幕への前奏曲。オペラ的、物語的ではなかったかも知れないが繊細な演奏であった。

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2020年3月31日 (火)

配信公演 広上淳一指揮京都市交響楽団第643回定期演奏会無観客公演(文字のみ)

2020年3月28日

京都市交響楽団の第643回定期演奏が行われるはずだったのだが、新型コロナウィルスの影響により中止となり、京都コンサートホールで行われる無観客公演がストリーミングサービスのカーテンコールによって午後2時半からライブ配信される。

指揮は京都市交響楽団第12代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。


曲目は、シューベルトの交響曲第5番とマーラーの交響曲第4番(ソプラノ独唱:森谷真理)。

今日のコンサートマスターは4月から京響の特別客演コンサートマスターに就任する会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志が入る。


カーテンコールは前日に広上淳一へのインタビューを行っており、事前に見ることが出来るようになっている。
インタビュアーは、クラシックコンサートを生で聴いた経験がないという女優の永池南津子。なぜそんな素人にインタビュアーを任せようということになったのかだが、配信を見る人の中にコンサート会場に行ったことがない人も多いだろうということで、素人代表として敢えて永池を指名することにしたのだと思われる。
広上も初心者にもわかるように、それぞれの個性を食べ物に例えた後で、マーラーの交響曲第4番は映像化するように、シューベルトの交響曲第5番はテラスで味わう飲み物や景色に置き換えて説明していた。

シューベルトもマーラーもこの世のあらゆる諸相を音楽の中で描き切った作曲家である。


カーテンコールはまだ本格的なサービスが開始される前の段階ようで、映像や音が飛びやすい。ということで、まずパソコンで視聴し、順調ではあったのだが、音の切れが増え始めたため、比較的音の安定しやすいスマホの音声をイヤホンで聴きながら、パソコンのモニターを確認するという視聴方法に変更する。当然ながら絵と音が大幅にずれる。パソコンの回線の方がスタートは早いものの途中で止まることが多いため、最終的にはスマホに抜かれるということが繰り返される。


シューベルトの交響曲第5番。
晴れやかさと毒が同居するシューベルトならではの楽曲であり、「ザ・グレイト」と「未完成」以外のシューベルトの交響曲の中では比較的よく演奏されることの多い作品である。

広上と京響は冒頭から晴れやかな表情を前面に出すが、その後、シューベルトらしい戦きの表情が現れるなどメリハリをつけた演奏が展開される。
第3楽章はさながら死の舞踏という趣であり(広上は全く別の解釈を語っていたが)シューベルトの青春の怖れを十全に表現した演奏となった。指揮台上でステップを踏みながら踊る広上の指揮姿も面白い。

京都コンサートホールは天井が高いため音が上に行ってしまう傾向があり、パソコンのスピーカーで聴いていた時はそれが顕著に感じられたのだが、イヤホンで聴いた場合はほとんど気にならなくなる。


マーラーの交響曲第4番。
京響の磨き抜かれた弦と抜けの良い金管の音が生かされた演奏である。まさに天国的な美しさを湛えている。
広上はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)でレナード・バーンスタインのアシスタントをしていた時にこの曲のレッスンを受けており、20世紀最高のマーラー指揮者直伝の解釈を授かっている。
第2楽章ではコンサートマスターの会田莉凡が調弦を変えたヴァイオリンによる切れ味の鋭いソロ(死神の独奏といわれる)を聴かせる。
第3楽章の終結間近で下手後方のステージ入り口からソプラノの森谷真理が登場。そのまま指揮者のすぐそばまで進んで独唱を行う。
最終楽章の森谷の独唱であるが、残念ながら現在の収録方法では声が余りはっきりとは聞こえない。京都コンサートホールでの声楽の収録にはもっと経験を積む必要があるようだ。

とはいえ、全体を通して充実した演奏であり、やはり生で聴きたかったと思う。


演奏終了後、セレモニーがあり、門川大作京都市長が登場してスピーチを行い、更に京都コンサートホールの新館長に広上淳一が就任することが正式に発表された(数日前に京都市新聞などには記事が載っていた)。
更にトランペット奏者の早坂宏明が3月いっぱいで退団するということで、早坂に花束が贈られ、アンコールとしてシューベルトの「ロザムンデ」間奏曲第3番が演奏される。優しさと温かさに満ちた演奏であった。

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2020年3月23日 (月)

コンサートの記(628) 広上淳一指揮京都市交響楽団第595回定期演奏会

2015年10月9日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第595回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ソン・ヨルム)、シューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」

開演20分前から、広上淳一によるプレトークがある。広上は京都市ジュニア・オーケストラの黒字にピンク色の文字のTシャツを着て登場した。
まずは、京都市交響楽団のヨーロッパツアーの話から。広上は酒好きで、「あそこはビールが美味しい」、「あそこはワインが美味しい」とまず酒の話から入る。アムステルダム・コンセルトヘボウでの公演を行ったときには、実は公演の1ヶ月前まではチケットが50枚しか売れていなかったという(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という世界三大オーケストラの一つを持つアムステルダム市民からしてみれば、「なんで東洋のマイナーなオーケストラを聴きに行かなくちゃならないんだ」という感覚だろう)。広上はアムステルダムに縁があり(広上が優勝した第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールはアムステルダムで行われており、レナード・バーンスタインの助手を務めていたのもアムステルダムにおいてである)、地元にエージェントのような仕事をしてくれる人がいたため、何とかチケットを売り、結果的には1500枚売れて、集客はほぼ成功したようだ。演奏自体も好評だったとのこと。
また京都市の姉妹都市であるフィレンツェで公演を行ったときには、フィレンツェの新しい会場がまだ完成しておらず、ステージと客席は出来上がっているものの、楽屋などは工事中で、「イタリア人はのんびりしてる」らしい。そもそも日本人だったら、未完成の施設を使用させたりはしないが。確かにイタリアは地震がないので工事中でも地震で崩壊ということはあり得ないだろうが。
その後、曲目について解説、ベルリオーズの序曲「海賊」については、「短いのであっという間に終わってしまいます」という。実はこれは伏線であり、メインであるシューベルトの「ザ・グレイト」が長大な楽曲として知られているので、それと対比させたのだ。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番のソリストである、ソン・ヨルムについては、「非常に達者で情熱的。それも髪の毛を振り乱して弾くようなタイプではなく端正」と紹介をする。更に、「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで2位になっていますが、その時の1位が辻井(伸行)君です」とわかりやすい紹介をする。
シューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」については、「長いとされている曲ですが、良く聴くと案外短い」と評する。また、今回は「シューベルト先生が思い描いた通りの演奏に近づけるため、繰り返しも全部、少しはカットするかも知れませんが、ほぼ全て繰り返します」と宣言する。「ザ・グレイト」は繰り返し記号を履行して演奏すると1時間以上を要する大作である。
また、今日は、ステージについている馬蹄形の段差を、綺麗に階段状に並べ、これを「すり鉢状」と称し、今後はこれがスタンダードになるという。京都コンサートホールはもともと、舞台をすり鉢状にして演奏した時に最良の響きが得られるよう設計されているとのことである。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに泉原隆志。フルート首席奏者の清水信貴は今日は降り番(副首席奏者の中川佳子が全編、トップの位置に座った)。オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子はシューベルトのみの出演である。

ベルリオーズの序曲「海賊」。大編成による曲であり、トランペット首席奏者のハラルド・ナエスはこの曲には参加した(その後、プロコフィエフは早坂宏明と稲垣路子の二人に譲り、シューベルトで再登場した)。
すり鉢状のステージにしての演奏であるが、私はステージ後方のポディウムで聴いていたため、「音が大きくなった」というのが一番の印象である。その他、音に渋みが増したのもわかる。1階席でどういう響きがするのかは残念ながらわからないのだが。
広上らしい盛り上げ上手な演奏であった。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。マジカルな味わいのある傑作として知られているのだが、演奏自体が難しく、レコーディングも少なく名盤と呼ぶに値する演奏がほとんどないというピアニスト泣かせの曲でもある。
ピアノ独奏のソン・ヨルムは、現在ドイツ・ハノーファー音楽舞台芸術大学(ハノーファー国立音楽演劇大学。大植英次が終身教授を務めている大学である)に在学中という若い女性ピアニスト。2011年にチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門準優勝を果たし、室内楽協奏曲最高演奏賞とコンクール委嘱作品最高演奏賞も受賞した気鋭のピアニストである。先に書いた通り、辻井伸行が優勝した2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで準優勝。辻井伸行が優勝したため同コンクールのドキュメンタリー番組が作られてソン・ヨルムも登場しており、広上はそれを見てソンのことを「良いピアニスト」だと感じたという。コンクール歴としてはエトリンゲン国際ピアノコンクールとヴィオッティ国際ピアノコンクールで共に史上最年少優勝を果たしている。
ステージ上に現れたソン・ヨルムは写真よりもほっそりとした印象である。華奢と書いても良いかも知れない。だが、出す音は独特。他のピアニストよりも一段深いところから音を出しているようなピアノである。奥行きのある音だ。広上が言っていたとおりヴィルトゥオーゾタイプではないが、情熱的なピアノであり、メカニックも優秀である。
広上の指揮する京響もキッチュにして美しいプロコフィエフの味わいを存分に引き出したものだった。

ソン・ヨルムはアンコールに応えて、カプースキンの「エチュード」を弾く。ジャジーな味わいのある曲であるが、カプースキンは実はロシアの作曲家である。ジャズピアニストとしても活躍していたため、勿論、ジャズのテイストを取り入れた作品を書いており、ソンはそれを弾いたのである。ノリと活きの良いピアノであった。

メインであるシューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」。交響曲の番号が2種類あるのは、シューベルトが交響曲を作曲した過程がよく分かっていなかったからで、従来は、シューベルトが日記にその存在を書き、「グムンデン・ガスタイン交響曲」と呼ばれる楽曲の楽譜が結局見つからなかったため、実際の楽曲は不明のまま交響曲第7番の番号が振られ、交響曲第8番が「未完成」、交響曲第9番が「ザ・グレイト」とされた(「ザ・グレイト」というタイトルであるが、「偉大」という意味ではなく、同じハ長調の交響曲である第6番に比べて「編成が大きい方」という程度の意味しか持たない)。だが、その後、「グムンデン・ガスタイン交響曲」の正体が実は「ザ・グレイト」だという報告がなされ、「ザ・グレイト」は交響曲第7番になったり、「未完成」を交響曲第7番に繰り上げて交響曲第8番にされたりと、今なお正式な番号は定まっていない。
「未完成」もそうだが、「ザ・グレイト」もシューベルトの生前には演奏されることはなかった。「ザ・グレイト」が初演されたのはシューベルトの死後11年経ってからのことである。初演の指揮者はフェリックス・メンデルスゾーン、オーケストラはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であった。「ザ・グレイト」の譜面を発見したロベルト・シューマンはこの曲について「天国的な長大さ」と述べている。

広上は、今日も普通よりは長めの指揮棒を使用していたのだが、実はもう一本、短めで木製の指揮棒を用意しており、第4楽章はそちらの指揮棒で指揮した。
左手で冒頭のホルン(早稲田大学の応援歌「紺碧の空」に似た旋律である)に指示を出した広上は、その後は変幻自在の指揮を展開。無手勝流のようであるが、指揮姿が表す意図が明確であり、極めて明快な指揮である。第3楽章では途中からノンタクトで指揮、第4楽章では両手で指揮棒を握りしめて短剣を振る舞わすかのような視覚効果抜群の指揮姿である。パーヴォ・ヤルヴィは指揮姿によるオーケストレーションを取り入れているが、これからは視覚面での面白さも指揮者にとって重要になってくるかも知れない。
広上は「シューベルト先生が思い描いたような」とプレトークで語っていたが、なんと「ザ・グレイト」でピリオド・アプローチを仕掛けてくる。弦楽はビブラートを控えめにし、流線型のフォルムで演奏。その他の楽器も強弱やメリハリをはっきり付けるのがピリオド的である。まさかシューベルトでピリオドを行うとは思っていなかったので(年代的にはピリオドで演奏してもおかしくない作品であるが)意外な印象を受ける。
ただ、ピリオドであるかないかを抜きにしてもスケール豊かで、音の密度の濃い優れたシューベルト演奏である。生命力が横溢すると同時に彼岸の音がし、第4楽章の響きの美しさはまさに「天国的」である。

喝采を浴びた広上と京響であるが、広上が「今日は曲が長いのでこの辺で」と挨拶をし、コンサートはお開きとなった。

今日はレセプションがある。といっても今日はサインを貰う気はないので、広上淳一とソン・ヨルムの話を聞くだけにする。
ジーンズ姿で登場したソン・ヨルム(英語でスピーチ。通訳付き)は、「京都の街には昔から憧れていたが、今回は残念ながらほとんどどこにも行けなかった。今度また来られるように頑張りたい」と述べる。また広上淳一については、「大好きな指揮者で、今でも大ファン」とのこと。ちなみに、ソン・ヨルムはハイヒールを履いているということもあるが、それを割り引いても、広上の方がずっと身長が低い。広上は自身の身長について「164cm」と公言しているが、168cm(先日、病院で測ったら168.6cmであったが、端数はどうでもいい)と成人男性としては比較的小柄な私と比べてもかなり身長が低いため、実際は160cm前後だと思われる。164cmというのは一番身長が高かった二十歳前後の話だろう。
広上は、昨年、NHK交響楽団の韓国ツアーに指揮者として帯同し、ソン・ヨルムと共演したのが、「ああ、この人はやっぱり特別なピアニストだ」と感じて、すぐに京都市交響楽団事務局に「ソン・ヨルムのスケジュールを押さえるよう」指示を出したそうである。広上淳一は肩書きこそ京都市交響楽団の常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーであるが、指揮者やソリストに関する人事権を持っているため、実際には音楽監督以上の権限を持っている。

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2020年2月20日 (木)

コンサートの記(626) リオ・クオクマン指揮 京都市交響楽団第642回定期演奏会

2020年2月14日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第642回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、マカオ出身のリオ・クオクマン。

ヤニック・ネゼ=セガンの下でフィラデルフィア管弦楽団をアシスタントコンダクターを務め、地元紙から「驚くべき指揮の才能」と激賞されたこともあるリオ・クオクマン。香港演芸学院を経て、ジュリアード音楽院、カーティス音楽院、ニューイングランド音楽院など、アメリカ東海岸の名門音楽院に学び、日本でも比較的知名度の高いヒュー・ウルフなどに師事している。2014年にパリで行われたスヴェトラーノフ国際指揮者コンクールで最高位を獲得。ピアニストとしてもキャリアを積んでおり、おそらくオーケストラの弾き振りなども多くやっているのだと思われる。出身地であるマカオの室内楽協会の創設メンバーであり、香港やマカオでの受勲も多い。現在は香港ニュー・ミュージック・アンサンブルの首席指揮者を務めている。

リオ・クオクマンの京響定期登場は2度目。前回は他の用事があったため聴くことは出来なかったが、京響メンバーのリクエストを受けての再登場とのことなので、期待は高まる。

 

曲目は、ラロのスペイン交響曲(独奏:アレクサンドラ・コヌノヴァ)とプロコフィエフの交響曲第5番。

 

ポスターなどでは眼鏡姿で映っているクオクマンであるが、プレトークに現れた時は眼鏡はしておらず、本番中も眼鏡を掛けることはなかった。スコアを目にしながらの指揮だったので、他の矯正手段を行ったか、そもそも伊達眼鏡だったかのどちらかだと思われるが、そのことが音楽に影響するとも思えないので、気にしなくてもいいだろう。

英語でのスピーチ(通訳:小松みゆき)。クオクマンは、「ハッピー、バレンタイン」と述べていた。他の指揮者に比べると短めのスピーチで、まずラロのスペイン交響曲のヴァイオリンソロが超絶技巧で知られていることを紹介し、今回のソリストであるアレクサンドラ・コヌノヴァは、元々難しいこの曲に更に難度を高める技巧を加えた上で弾いていることを明かす。クオクマンとコヌノヴァは、2年ほど前に東京で共演したことがあるそうで、2年ぶりに、今度は京都で共演出来ることが嬉しいと語っていた。

プロコフィエフの交響曲第5番は、「オーケストラ全員にとって難しい曲」と紹介し、「第2楽章は、ネコとネズミが騒いでいるような印象を受ける」として、「皆さん、『トムとジェリー』はご存じでしょうか?」と聞いて、プロコフィエフがアメリカに亡命した際、ウォルト・ディズニーに会ったことがあり、「せっかくロサンゼルスにいるんだからアニメ映画の音楽を書いてくれないか」との依頼を受けていたという事実を明らかにする。実現はしなかったようだが、アニメからなんらかの影響を受けた可能性を示していた。
プロコフィエフは映画音楽なども書いており、有名な「キージェ中尉」は同名映画のための音楽として書いたものをプロコフィエフ自身がコンサートピース用に改編したものである。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。4月からは新メンバーが加わって、編成にもバリエーションが加わる予定である。

 

ラロのスペイン交響曲。交響曲と名付けられているが、実際はヴァイオリン協奏曲である。ただ一般的なヴァイオリン協奏曲とは異なり、5つの楽章から鳴る描写性の高い音楽である。

クオクマンの指揮であるが、非常に明晰で、やりたいことが指揮棒を見ていてはっきりわかる。拍を刻むことも多いオーソドックスな指揮姿であるが、指揮棒の先端の動かし方でどの楽器にどのような指示を送っているを把握しやすい。
普段の京響は密度の濃い音を出すのだが、今日は浮遊感と淡さが感じられる耽美的な演奏で、フランス系、特に実演で聴いたことのあるトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団など南仏のオーケストラを思わせるような新鮮な響きが耳に届く。ちなみにクオクマンはトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団に客演した経験があるようだ。

ヴァイオリンソロを務めるアレクサンドラ・コヌノヴァは、1988年モルドヴァ生まれ。2012年のハノーファー・ヨーゼフ・ヨアヒム国際ヴァイオリンコンクールで優勝を果たし、チャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門でも1位なしの大会で3位に入賞している。
今日は譜面を見ながらの演奏となった。クラシック音楽も一頃は暗譜での演奏が流行ったが、最近はその揺り戻しなのか、譜面を必ず置いて演奏するアーティストも増えてきている。

コヌノヴァはかなり徹底された美音の持ち主であり、雑音らしい雑音はほとんど立てることなく、弓が弦に吸い付いてでもいるかのような純度の高いソロを披露する。もうそれだけで凄いということがわかるが、表現力も立派である。
スペイン情緒に溢れた第5楽章は、コヌノヴァと京響が祝典ムードに突入。ハレの気分で満たされた痛快な音楽となる。

 

アンコール演奏。もう一つの譜面台が用意され、京響コンサートマスターの泉原隆志とコヌノヴァの二人による演奏が行われる。まず、コヌノヴァの英語によるスピーチを泉原が日本語に訳す。二人は以前、ドイツでヴァイオリンの同門として過ごした時期があるそうで、旧知の仲らしい。途中、泉原がコヌノヴァの言葉を聞き逃したのか、上手く日本語に置き換えられなかったかで、「……」となる場面があり、コヌノヴァが同じ事をもう一度言って、客席の笑いを誘っていた。
一番最初に、「ベートーヴェン生誕250年ということで」とベートーヴェンイヤーを記念する演奏であることを明かし、指揮者であるAleksey Igudesmanの編曲によるベートーヴェンの「エリーゼのために」(2つのヴァイオリンのための)が演奏される。
ちなみに指揮者のクオクマンは、コヌノヴァがスピーチしている時もその横にいたが、コヌノヴァが、「マエストロには大変失礼なんですが、譜めくり人をやって貰いたいと思います」。ということでクオクマンは実際に担当する。ちなみに泉原は譜面は自分でめくっていた。ピッチカートが多用されたり、不安定な音の進行が感じられる編曲であり、エリーゼが誰なのかは今なお決着がついていないが、報われぬ恋であったことは確かであるため、そうした背景を音に込めた編曲なのかも知れない。

 

プロコフィエフの交響曲第5番。プロコフィエフが書いた作品の中で最もシリアスな音楽である。
1891年に生まれ、1953年になくなったプロコフィエフ。1891年はモーツァルト没後100年に当たり、またプロコフィエフと全く同じ日にソ連の独裁者、スターリンが没したため(1953年3月5日)、記念の日や年に光が当たりにくいとされる。
交響曲第5番は、独ソ不可侵条約を破って侵攻してきたドイツに対する怒りをぶつけた作品とされる。犬猿の仲であったショスタコーヴィチとは違い、プロコフィエフはメッセージ的には比較的素直であり、曲の構造と響きに関する独自のセンスが最大の面白さとなる。

プロコフィエフの交響曲第5番は、過去には東京・渋谷のNHKホールで行われたシャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団の演奏会で聴いているが、実はこの時がデュトワの実演に触れる初の機会であったりする(1995年12月のこと)。また初めて聴いたプロコフィエフの交響曲第5番のCDもシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団のものであった。
リオ・クオクマンは、現在もフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督であるヤニック・ネゼ=セガンのアシスタントをしていたが、ネゼ=セガンの前にフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者であったデュトワとの関係はよくわからない。ただ、今回の演奏はいかにもデュトワが好みそうなタイプであり、モントリオール出身でシャルル・デュトワを幼い頃から崇拝していたネゼ=セガン経由の影響が皆無というわけでもないだろう。

比較的ひんやりとした音で奏でられることの多いプロコフィエフの交響曲第5番であるが、京響はこの曲でも温かみがあり浮遊感のある音を出す。ロシアは、ロマノフ王朝時代に貴族階級の共通語をフランス語としたほどのフランス趣味を持っていた国であり、フランス音楽を得意とする指揮者はロシア音楽も得意とする傾向が顕著に見られるため、フランス風の演奏であったとしても、それはそれで説得力がある。
第1楽章の終わりには「凄絶」と表現すべき轟音が用意されているのだが、クオクマンと京響は音に陰影は余りつけないため、それが描くものよりも響き自体に意識が向かう。

第2楽章の素早い音の進行も必要以上に深刻となることはない。

全体を通して、旋律やハーモニーの美しさや、バレエ音楽のような上品さが聞き取れる演奏であり、シリアスさは後退しているかも知れないが、音楽そのものの良さを聴かせる純音楽的な快演で、京都市交響楽団の美質が自然に引き出されていたように思う。

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2020年1月24日 (金)

コンサートの記(620) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団第641回定期演奏会

2020年1月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第641回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、今年4月より京都市交響楽団の首席客演指揮者に就任することが決定しているジョン・アクセルロッド。

ルツェルン交響楽団・ルツェルン歌劇場音楽監督兼首席指揮者、フランス国立ロワール管弦楽団音楽監督などを務め、現在はスペイン王立セビリア交響楽団音楽監督とミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団首席客演指揮者を務めているジョン・アクセルロッド。1988年にハーバード大学を卒業しており、指揮をハーバード大学の先輩でもあるレナード・バーンスタインとイリヤ・ムーシンに師事している。京都市交響楽団ではラヴェルの「ボレロ」やドビュッシーの交響詩「海」などのフランスものでの好演が記憶に残っているが、首席客演指揮者就任後初の登場となる今年9月の定期演奏会では、マーラーの交響曲第2番「復活」を指揮する予定であり、幅広いレパートリーでの活躍が期待される。

 

曲目は、ベートーヴェンの「アテネの廃墟」から序曲、レナード・バーンスタインの「ハリル」独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン(フルート独奏:アンドレアス・ブラウ)、ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」

 

午後2時からプレトークで、アクセルロッドは「こんにちは」と言った後で、通訳の小松みゆきに「こんばんは?」と聞き、「こんにちは」で正しいということで、「こんにちは。明けましておめでとうございます」と新年の挨拶も行った。

アクセルロッドは、「今日のプログラムは素晴らしい、ただとても重く深い曲を選びました」と述べる。2020年はベートーヴェン生誕250年のメモリアルイヤーということで、「アテネの廃墟」序曲を選んだのだが、この曲はアテネがオスマントルコと戦争して廃墟になってしまったことを描いた曲、レナード・バーンスタインの「ハリル」は戦争で亡くなったフルート奏者の追悼のために捧げられた曲であることを語る。

ベートーヴェンではバロックティンパニが活躍するということで、アクセルロッドはステージ上手寄りに設置されたバロックティンパニに近寄って説明を行う。「破裂音のようなキャノンの爆音のような」音がすることを語り、奥にあるモダンティンパニとは音が違うことを述べる。

バーンスタイン作品とショスタコーヴィチの「レニングラード」交響曲ではスネアドラムの活躍が目立つことを述べるのだが、通常のスネアの場所とは違い、指揮者の正面にスネアが来ることを語る。

「レニングラード」交響曲では、スネアがラヴェルの「ボレロ」のような活躍をするのだが、奏でられるのはボレロではなく行進曲であることなども語った。

アクセルロッドは自身のツイッターに、京都市交響楽団との演奏会のポスターに「Make music,not war!」というメッセージを載せた投稿をしており、「戦争をしても廃墟を生むだけ」ということで、ツイッターの載せたものと全く同じメッセージを述べてプレトークを終えた。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平といういつもの布陣。ドイツ式の現代配置での演奏である。
第2ヴァイオリンの客演首席は白井篤。レナード・バーンスタインでは打楽器奏者が多数活躍、ショスタコーヴィチの「レニングラード」では金管のバンダが要るということで、客演奏者はいつもより多めである。

 

ベートーヴェンの「アテネの廃墟」から序曲。今年はベートーヴェンイヤーだが、京都市交響楽団が定期演奏会で取り上げるベートーヴェンの楽曲は、この曲とゲルゲイ・マダラシュ指揮による「英雄」、広上淳一による年末の第九のみである。

弦楽器のビブラートに関しては控えめではあるが、それぞれで異なる。コンサートマスターの泉原隆志は適宜ビブラートを入れての演奏であるが、ヴィオラ首席の小峰航一は完全ノンビブラートに徹している。
弦の編成が大きめの割には厚みと流れの良さは今ひとつであったが、中山航介によるバロックティンパニのリズムに乗せた颯爽としたベートーヴェンが奏でられる。

 

レナード・バーンスタインの「ハリル」独奏フルートと弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン。ハリルというのは、ヘブライ語でフルートという意味である。

フルート独奏のアンドレアス・ブラウは、1969年から2015年まで長きに渡ってベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のソロ・フルート奏者として活躍した名手。ベルリン音楽大学でカールハインツ・ツェラーに師事し、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽大学とアメリカでも学ぶ。1973年からはベルリン・フィルハーモニーのオーケストラ・アカデミーで後進の育成にも努めた。2005年からは上海音楽学院の名誉教授に就任。日本においてもパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の講師として教育活動を行っている。

フルートと弦楽オーケストラが奏でるメロディアスな部分を経て、打楽器の中でフルートが浮かび上がっているような曲調へと移り変わっていく。

ブラウのフルートの良さが十全に生かされるような楽曲かというと疑問も残るが、バーンスタインにしか書けない独特の面白さを持った作品であることは確かである。

 

ブラウのアンコール演奏は、フルート独奏曲の定番であるドビュッシーの「シランクス」。霞むような神秘的な音色と清明な響きを掛け合わせたような、独特の音色による演奏であった。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。バブル期になぜかアーノルド・シュワルツェネッガー出演の栄養ドリンクのCMで「ちちんぷいぷい」という呪文の歌詞付きで使われたことから、日本での知名度が高い曲である。栄養ドリンクのCMでは、マーラーの「悲劇的」を使った丸山茂樹プロ出演のCMもあり、どういうわけかクラシックの楽曲が好まれる傾向にあるようだ。

ナチスドイツとソ連のレニングラード攻防戦を描いた曲である。この時、ショスタコーヴィチはレニングラードに滞在しており、この曲を書き続けていた。ナチスが包囲したことにより、補給路を断たれたレニングラード市民は次々に餓死するなど、悲惨な状況であった。ソビエト当局によりショスタコーヴィチに避難勧告が出され、ショスタコーヴィチはクイビシェフの街に移るのだが、この交響曲はレニングラード市に献呈され、現在知られているようなタイトルとなった。

 

金管のバンダを舞台後方のボックススペースに配置し、京響自慢のブラスとの掛け合いの美しさが光る演奏となった。第1楽章では、スネアドラムの福山直子が、第2ヴァイオリンとチェロの首席トゥッティの後ろに陣取り、進軍のリズムを受け持つ。

ショスタコーヴィチの「レニングラード」交響曲は、ラヴェルの「ボレロ」を模したといわれる、スネアの音によって繰り返される人を食ったようなちょいダサの「戦争の主題」が有名であり、シュワルツェネッガー出演CMもこの旋律を「ちちんぷいぷい」と歌ったものである。ちょいダサのメロディーなのであるが、音の強度が増すごとに凄惨な戦闘の描写へと移り変わっていくというショスタコーヴィチマジックが用いられている。アクセルロッドと京響による「レニングラード」も「戦争の主題」で大いに盛り上げる。アクセルロッドは転調の場面で加速を行い、迫力をいや増しに増す。
だが、アクセルロッドと京響による「レニングラード」の演奏の本当の良さが現れているのはこの場面ではない。全ての楽章に登場する祈りのような旋律の神々しさにこのコンビの良さが現れている。アクセルロッドが語ったように、大切なのは戦争ではなく音楽であり、戦争を終わらせようという祈りである。京都市交響楽団という、音の純度の高い楽団を指揮することで初めて可能になった表現であるが、音の爆発で聴衆を圧倒する虚仮威しのショスタコーヴィチではなく、空間を美と痛切な祈りで満たしていくような趣の「レニングラード」であった。

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2019年12月30日 (月)

コンサートの記(617) ユベール・スダーン指揮 京都市交響楽団特別演奏会第九コンサート2019

2019年12月27日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会第九コンサートを聴く。指揮は、東京交響楽団とのコンビで日本でもお馴染みになったユベール・スダーン。独唱は、吉田珠代(ソプラノ)、八木寿子(やぎ・ひさこ。アルト)、清水徹太郎(テノール)、近藤圭(バリトン)。合唱は京響コーラス。

 

オランダ・マーストリヒトに1946年に生を受けたユベール・スダーン。ブザンソン国際指揮者コンクール優勝、カラヤン国際指揮者コンクール2位、グイド・カンテルリ国際コンクール優勝といった輝かしいコンクール歴を誇る。
岩城宏之が首席指揮者を、尾高忠明が首席客演指揮者を務めていたことで日本でも知名度の高いメルボルン交響楽団の首席客演指揮者、フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団やザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団管弦楽団の首席指揮者を経て、2004年に東京交響楽団の音楽監督に就任。一時代を築き、14年に退任した際には同楽団から桂冠指揮者の称号を贈られている。2018年9月にはオーケストラ・アンサンブル金沢の首席客演指揮者にも就任し、今後も日本での活躍が期待されている。
基本的にノンタクトで指揮する人であり、今日も指揮棒を持たず両手と頭の動きによってオーケストラをリードする。

 

まず、メンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」が演奏され、休憩を挟まず第九の演奏が行われる。
管の首席は、オーボエの髙山郁子とホルンの垣内昌芳が第九のみの出演。メンデルスゾーンにはトロンボーンパートがないので、トロンボーン奏者も全員第九からの参加となる。他のパートの首席奏者は全編に出演する。

コンサートマスター・泉原隆志、フォアシュピーラー・尾﨑平といういつもの布陣。第2ヴァイオリンの首席は客演の安井優子が入る。ドイツ式の現代配置での演奏。

 

メンデルスゾーンの序曲「静かな海と楽しい航海」。ベートーヴェンも同じゲーテの詩に基づいたカンタータを残していることから選ばれたのだと思われる。令和という新時代の幕開けに相応しい曲であり、今回が新元号初の第九となることはプログラム決定の前に決まっていたはずであるが、そのためのプログラムと取るのは考えすぎかも知れない。ただ、平成の海はとんでもないことになったため、令和の海は静かであって欲しいとは思う。
スダーンは京響の弦から温かい音を弾きだし、冴え冴えとした管の響きと対比させる。安定感と切れ味を兼ね備えた演奏である。バロックティンパニの力強さも特徴的であった。

 

スダーンの描く第九は、テンポが速めでリズムを強調し、内声部えぐり出すなどベートーヴェンの荒ぶる魂を浮かび上がらせるものである。結構ロックな第九であり、人類史上初のロックである交響曲第7番と、山椒は小粒でもピリリと辛い交響曲第8番との連続性を感じさせる解釈である。非常に面白い。

バロックティンパニの強打は、ピリオド・アプローチによる演奏ではよく聴かれるものだが、第2楽章でのティンパニの5連打で、5打目をピアノに変えずにフォルテのまま叩かせたのが新鮮であった。スダーンは下手に置かれたティンパニへの指示は左手と頭を振ることで行う。

京響の第九というと、広上淳一や、昨年の第九を振った下野竜也のようにアポロ芸術的な第九を生み出す人が多いのだが、スダーンの第九はそれとは真逆である。ディオニソス的とまではいかないが、エネルギー放出量は極めて高い。それでいながらフォルムを崩さないのがスダーンの至芸である。

第3楽章もかなり速め。ひょっとしたら上岡敏之の第九よりも速いかも知れない。スリリングな展開になる場面もあったが、薄味にはならない。低弦をしっかり弾かせて全体の音に厚みと奥行きを出すなど演出も巧みである。

第4楽章も前半は前のめりの演奏。ただゲネラルパウゼはしっかりと入れるため、せわしないという印象は受けない。
京響コーラスは、快速テンポということで、最初の内はどうしても声の精度に粗さが出てしまっていたが、力強さがあり、立体的な音響が見事である。アンサンブルも徐々に整っていき、オーケストラ同様、堅固なフォルムが築かれる。スダーンの音響設計力はほぼ完璧といって良い領域に達している。
スダーンは、古楽の本場であるオランダ出身ということもあってピリオドを援用したモダン楽器による演奏はお手の物である。今日は弦のビブラートはさほど抑えてはいなかったが、第4楽章ではヴィオラに完全ノンビブラートで弾かせて浮かび上がらせるなど、ピリオドとモダン両方の長所を止揚した音楽作りで聴かせる。

とにかく面白さに関しては、これまでに接したことのある第九の実演の中でも上位に入る出来。東響の音楽監督を10年務めた実力が伊達ではないことを示していた。

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2019年12月28日 (土)

東京バレエ団×京都市交響楽団クリスマススペシャル バレエ「くるみ割り人形」(全2幕)

2019年12月22日 左京区岡﨑のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、東京バレエ団×京都市交響楽団クリスマススペシャル チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」を観る。指揮は井田勝大(いだ・かつひろ)。キャストは、川島麻実子、柄本弾(つかもと・だん)、森川茉央、鳥海創、湧田美紀、海田一成、永田雄大、政本絵美、加藤くるみ、杉山優一、伝田陽美、宮川新大、三雲友里加、ブラウリオ・アルバレス、岸本夏朱、岡崎隼也、池本祥真、昴師吏功、中川美雪、工桃子、樋口祐輝、岡﨑司、上田実歩、杉山優一、髙浦由美子、南江祐生、菊池彩美、和田康佑。

チャイコフスキーの三大バレエの一つとして知られる「くるみ割り人形」。クリスマスイブが舞台になっているということで、今のシーズンに良く上演される。

 

東京と京都の団体のコラボレーション。チケット料金も安めに設定されているため、入りも上々である。

 

指揮の井田勝大は、東京学芸大学音楽科、同大学院を修了。2003年より来日オペラ団体の公演に制作助手として携わり、小澤征爾やズービン・メータのアシスタントを務めているという。バレエを指揮した経験も豊富だそうだ。現在はオーケストラトーキョー指揮者と広島にあるエリザベト音楽大学の講師を務めている。

井田の指揮する京都市交響楽団は、ロームシアター京都メインホールのピットでの演奏ということもあって、いつもよりも音の密度が薄めに感じられるが、バレエダンサーは踊りやすそうな音楽作りである。

E.T.A.ホフマンの童話をマリウス・プティバが台本化したものをチャイコフスキーがバレエ化した作品であるが、少女がくるみ割り人形に誘われて夢の世界に遊ぶという内容で、筋書きらしい筋書きはない。「ロメオとジュリエット」のように誰でも知っている筋書きなら別だが、バレエは基本的に複雑な物語を扱うことは出来ない。

 

紗幕に雪が舞う様が投影されてスタート。人々がクリスマスパーティーが行われる家にどんどん吸い込まれていく。セットは描かれたものが中心のシンプルなものだが、とても愛らしく、子ども達も喜びそうである。

東京バレエ団のメンバーもかなり優秀という印象を受ける。白人に比べると体格で劣るため、見栄えはさほどしないのであるが、技術面では当然ながら高いものがある。
体格差でいうと、男性の方がより顕著であり、日本人も年々体格は良くなっているが、白人の迫力にはどうしても敵わない。野球やサッカーで見られるのと同じ現実である。女性の方もやはりプロポーションでは白人に勝てないが、愛らしさでカバー出来る部分もある。男性ダンサーも女性ファン向けには愛らしさを打ち出して人気を得ることは可能なのかも知れないが。

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