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2021年9月12日 (日)

コンサートの記(743) 広上淳一指揮 京都市交響楽団×石丸幹二 音楽と詩(ことば) メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」

2021年9月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団×石丸幹二 音楽と詩(ことば) メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」をメインとしたコンサートは、本来なら昨年の春に、広上淳一の京都市交響楽団第13代常任指揮者就任を記念して行われる予定だったのだが、新型コロナの影響により延期となっていた。今回は前半のプログラムを秋にちなむ歌曲に変えての公演となる。

出演は、石丸幹二(朗読&歌唱)、鈴木玲奈(ソプラノ)、高野百合絵(メゾソプラノ)、京響コーラス。

曲目は、第1部が組曲「日本の歌~郷愁・秋~詩人と音楽」(作・編曲:足本憲治)として、序曲「はじまり」、“痛む”秋「初恋」(詩:石川啄木、作曲:越谷達之助)&“沁みる”秋「落葉松(からまつ)」(詩:野上彰、作曲:小林秀雄。以上2曲、歌唱:鈴木玲奈)、間奏曲「秋のたぬき」、“ふれる”秋「ちいさい秋みつけた」(詩:サトウハチロー、作曲:中田喜直)&“染める”秋「紅葉」(詩:高野辰之、作曲:岡野貞一。以上2曲、歌唱:高野百合絵)、間奏曲「夕焼けの家路」、“馳せる”秋「曼珠沙華(ひがんばな)」(詩:北原白秋、作曲:山田耕筰)&“溶ける”秋「赤とんぼ」(詩:三木露風、作曲:石丸幹二。以上2曲、歌唱:石丸幹二)。
第2部が、~シェイクスピアの喜劇~メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」(朗読付き)となっている。

ライブ配信が行われるということで、本格的なマイクセッティングがなされている。また、ソロ歌手はマイクに向かって歌うが、クラシックの声楽家である鈴木玲奈と高野百合絵、ミュージカル歌手である石丸幹二とでは、同じ歌手でも声量に違いがあるという理由からだと思われる。
ただ、オペラ向けの音響設計であるロームシアター京都メインホールでクラシックの歌手である鈴木玲奈が歌うと、声量が豊かすぎて飽和してしまっていることが分かる。そのためか、高野百合絵が歌うときにはマイクのレンジが下げられていたか切られていたかで、ほとんどスピーカーからは声が出ていないことが分かった。
石丸幹二が歌う時にはマイクの感度が上がり、生の声よりもスピーカーから拡大された声の方が豊かだったように思う。

足本憲治の作・編曲による序曲「はじまり」、間奏曲「秋のたぬき」、間奏曲「夕焼けの家路」は、それぞれ、「里の秋」「虫の声」、「あんたがたどこさ」「げんこつやまのたぬきさん」「証誠寺の狸囃子」、「夕焼け小焼け」を編曲したもので、序曲「はじまり」と間奏曲「秋のたぬき」は外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」を、間奏曲「夕焼けの家路」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章(通称:「家路」)を意識した編曲となっている。

佐渡裕指揮の喜歌劇「メリー・ウィドウ」にも出演していたメゾソプラノの高野百合絵は、まだ二十代だと思われるが、若さに似合わぬ貫禄ある歌唱と佇まいであり、この人は歌劇「カルメン」のタイトルロールで大当たりを取りそうな予感がある。実際、浦安音楽ホール主催のニューイヤーコンサートで田尾下哲の構成・演出による演奏会形式の「カルメン」でタイトルロールを歌ったことがあるようだ。

なお、今日の出演者である、広上淳一、石丸幹二、鈴木玲奈、高野百合絵は全員、東京音楽大学の出身である(石丸幹二は東京音楽大学でサックスを学んだ後に東京藝術大学で声楽を専攻している)。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。首席第2ヴァイオリン奏者として入団した安井優子(コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団からの移籍)、副首席トランペット奏者に昇格した稲垣路子のお披露目演奏会でもある。

同時間帯に松本で行われるサイトウ・キネン・オーケストラの無観客配信公演に出演する京響関係者が数名いる他、第2ヴァイオリンの杉江洋子、オーボエ首席の髙山郁子、打楽器首席の中山航介などは降り番となっており、ティンパニには宅間斉(たくま・ひとし)が入った。


第2部、メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」。石丸幹二の朗読による全曲の演奏である。「夏の夜の夢」本編のテキストは、松岡和子訳の「シェイクスピア全集」に拠っている。
テキスト自体はかなり端折ったもので(そもそも「夏の夜の夢」は入り組んだ構造を持っており、一人の語り手による朗読での再現はほとんど不可能である)、上演された劇を観たことがあるが、戯曲を読んだことのある人しか内容は理解出来なかったと思う。

広上指揮の京響は、残響が短めのロームシアター京都メインホールでの演奏ということで、京都コンサートホールに比べると躍動感が伝わりづらくなっていたが、それでも活気と輝きのある仕上がりとなっており、レベルは高い。

石丸幹二は、声音を使い分けて複数の役を演じる。朗読を聴くには、ポピュラー音楽対応でスピーカーも立派なロームシアター京都メインホールの方が向いている。朗読とオーケストラ演奏の両方に向いているホールは基本的に存在しないと思われる。ザ・シンフォニーホールで檀ふみの朗読、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団による「夏の夜の夢」(CD化されている)を聴いたことがあるが、ザ・シンフォニーホールも朗読を聴くには必ずしも向いていない。

鈴木玲奈と高野百合絵による独唱、女声のみによる京響コーラス(今日も歌えるマスクを付けての歌唱)の瑞々しい歌声で、コロナ禍にあって一時の幸福感に浸れる演奏となっていた。

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2021年9月10日 (金)

コンサートの記(742) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第659回定期演奏会

2021年8月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第659回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、ベルギー出身のデイヴィッド・レイランド。

オール・モーツァルト・プログラムで、交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番(ピアノ独奏:ジャン・チャクムル)、交響曲第41番「ジュピター」が演奏される。レイランドもチャクムルも2週間の自主隔離期間を経ての登場である。
創立時に精緻なアンサンブルを志して「モーツァルトの京響」というキャッチフレーズで売り出した京都市交響楽団だが、オール・モーツァルト・プログラムによる演奏会はそれほど多くはない。

昨日、今日の2回公演だが、定期会員に相当する京響友の会の募集がコロナによって凍結されている上に、京都府内のコロナの感染者数が日毎に増えて、出掛けるのを躊躇する人も多い状況もあって、入りは厳しい。木曜日に京都府立文化芸術会館で観た「君子無朋」では、主演俳優の佐々木蔵之介がPCR検査で陽性となり、無症状ではあったが、大千穐楽となるはずの公演が中止となっている。


午後2時から、指揮者のデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)。英語でのスピーチである。
「ヨーロッパの北西にある小さな国、ベルギーから来て、現在、2つのオーケストラの音楽監督をしています」と自己紹介する。

デイヴィッド・レイランドは、モーツァルトの解釈に定評のある指揮者だそうで、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の副指揮者を経て、現在、フランス国立メス管弦楽団(旧:フランス国立ロレーヌ管弦楽団)とスイス・フランス語圏のローザンヌ・シンフォニエッタの音楽監督を務めており、2019年からはミュンヘン交響楽団の首席客演指揮者、更に2020年からはデュッセルドルフ交響楽団の「シューマン・ゲスト」にも就任しているという。

ベルギーというと、古くはアンドレ・クリュイタンスが名指揮者として知られたが、このところは才能払底気味のようで、レイランドはベルギー人指揮者として20年ぶりにベルギー国立管弦楽団を指揮したとのことである。

今回の京響への客演が、レイランドの日本デビューとなるそうだ(それ以前にレイランドと共演する予定の日本のオーケストラはいくつか存在したようだが、いずれもコロナ禍によってキャンセルになっている)。


レイランドは、交響曲第29番がモーツァルトが17歳(18歳になる年)に書かれたということを話したり、ピアノ協奏曲第27番がモーツァルト最後のピアノ協奏曲であるということに触れた後で、「ジュピター」について、「京響のメンバーには、『オペラの中の1曲として捉えて貰いたい』と語った」そうで、ドラマ性や豊かなカンタービレがオペラに繋がるという解釈を示し、第4楽章については巨大な建造物を築くつもりで指揮したいと抱負を語っていた。またレイランドは、モーツァルトを演奏することは新しい言語を習得するようなものと、その独自性について述べていた。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。バロックティンパニは上手奥に置かれている。
第2ヴァイオリンの客演首席は森岡聡。今回のプログラムは管楽器の出番が少ないのだが、フルート首席の上野博昭は「ジュピター」のみの出演。また、ファゴット首席の中野陽一朗は今日は降り番のようである。


交響曲第29番。ピリオドアプローチによる演奏で、弦楽器のビブラートはかなり抑えられており、たまに掛けたとしてもおそらく音を大きくするためではない。今日は弦楽器がこぼれるほどの美音を湛えていて、モーツァルトを聴く醍醐味を味わわせてくれる。
テンポはモダン、ピリオド合わせて中庸で、ピリオドだからといって速いテンポを採用している訳ではない。ゲネラルパウゼを長く取るのも特徴だ。
典雅な楽曲を持つ曲だが、突然、地獄の蓋が開くような場面があり、十代だったモーツァルトが抱えていた闇が顔を覗かせる。

レイランドの指揮は、拍を刻むのと音型を描くのが半々ずつという端正なものだが、時折、体を揺すったり、大きく伸び上がったりする。


ピアノ協奏曲第27番。
ピアノ独奏のジャン・チャクムルは、1997年、トルコの首都・アンカラ生まれの若手ピアニスト。2018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝しており、今日は優勝した時に弾いたShigeru Kawaiフルコンサートピアノ《SK-EX》を使用しての演奏となる。
浜松国際ピアノコンクールでは同時に室内楽賞を受賞しており、前年のスコットランド国際ピアノコンクールでも優勝を飾っている。現在は、ヴァイマル音楽大学でグリゴリー・グルツマン教授に師事しているという。

チャクムルのピアノは、温かな音が特徴であるが、瞬間瞬間の和音の捌きが見事で、若者らしいデジタルな感性が秀逸である。夾雑物が取り除かれたピアノで、この世を超えた煌めきが、ここかしこに聴かれる。

京響もレイランドの指揮棒やチャクムルのピアノへの反応の素早い演奏を行っていた。


交響曲第41番「ジュピター」。この曲は前半のプログラムよりはテンポが速めであるように感じられたが、ピリオドによる演奏としてはやはりそれほど速い部類ではないように思われる。
冒頭の和音には迫力があるが、威圧感も押しつけがましさもなく、浮遊感すら湛えている。弦も管もノーブルで、時には天国的な響きを奏でる。
中山航介が叩くバロックティンパニだが、木製のバチで強打するものの、響きは比較的柔らかめで、これまで聴いてきたピリオドによるバロックティンパニの打撃とは一味違っている。そうしたこともあって、かなり徹底したピリオドアプローチによる演奏であったが、自然体で、演奏スタイルをさほど意識することなく聴くことが出来た。
流れも良く、京響の合奏も緻密で、今の季節から彼方へ向かう橋が見えるような、イメージをくすぐる佳演であった。

演奏終了後、コンサートマスターの泉原が、珍しく弓を振って楽団員に拍手を促し、再びステージ上に現れたレイランドが楽団員に立つように二度促すが、京響のメンバーは敬意を表して立たず、レイランド一人が喝采を浴びた。

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2021年8月16日 (月)

コンサートの記(739) 広上淳一×京響コーラス 「フォーレ:レクイエム」

2021年8月9日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

ロームシアター京都サウスホールでの「広上淳一×京響コーラス フォーレ:レクイエム」を聴く。午後6時開演。ロームシアターへはバスで向かったが、ロームシアター前に並ぶ木々の枝がいくつか強風によって落下していた。

京都市交響楽団は、世界的にも珍しいと思われるが8月にも定期演奏会を行っており、宗教音楽を演奏するのが恒例となっている。だが、今年はデイヴィッド・レイランドの指揮でモーツァルトの交響曲と協奏曲を演奏するプログラムが組まれたため、ロームシアター京都でフォーレの「レクイエム」が演奏されることになった、のかフォーレの「レクイエム」が演奏されるために8月定期が宗教音楽でなくなったのか、どちらかは不明だが、とにかく定期演奏会以外で広上淳一の指揮によるフォーレの「レクイエム」が演奏される。
広上と京響は、昨日一昨日とベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のオーケストラ付レクチャー・コンサートを行っており、三連投となる。


フォーレの「レクイエム」の前に、京都市少年合唱団の指導者としてもお馴染みのソプラノ歌手、津幡泰子(つばた・やすこ)の指揮、小林千恵のピアノによる廣瀬量平の混声合唱組曲「海鳥の詩」が京響コーラスによって歌われる。京響コーラスは全員、「歌えるマスク」を付けての歌唱である。

北海道出身の廣瀬量平であるが、京都市立芸術大学の教授として作曲を教えており、京都コンサートホールの館長を2005年から2008年に亡くなるまで務めている。広上と京響は2009年に「廣瀬量平の遺産」という演奏会も行っている。

「海鳥の詩」は、“オロロン鳥”、“エトピリカ”、“海鵜”、“北の海鳥”の4曲からなる組曲で、詩人でアイヌ文化研究家の更科源蔵の詩に旋律を付けたものである。おそらくアイヌ民族の孤独と悲劇が海鳥たちの姿に託されている。
廣瀬の旋律は洒落た感じも抱かせるが、その寸前で敢えて王道の展開を避けて、北海道の冬の空のような暗さが出るよう設計されているようにも思われる。


広上淳一指揮京都市交響楽団と京響コーラスによるフォーレの「レクイエム」は、第3稿と呼ばれる一般的なものや、フォーレ自身が決定版としていたと思われる第2稿ではなく、信長貴富が2020年に編曲した弦楽アンサンブルとオルガンによる版での演奏である。初演は三ツ橋敬子の指揮によって、ヴァイオリンとチェロとコントラバスが1、ヴィオラが2という編成で行われたが、今日はヴァイオリン3、ヴィオラ4(第1ヴィオラ、第2ヴィオラとも2人ずつ)、チェロ2、コントラバス1という編成である。今日のコンサートマスターは、昨日一昨日と降り番であった泉原隆志。ヴァイオリンは泉原の他に、木下知子、田村安祐美。ヴィオラは、第1ヴィオラが小峰航一と丸山緑、第2ヴィオラが小田拓也と山田麻紀子。チェロが佐藤禎と佐々木堅二(客演)。コントラバスは石丸美佳。電子オルガン演奏は桑山彩子が務める。ソプラノ独唱は小玉洋子。バルトン独唱は小玉晃。流石に独唱者が「歌えるマスク」を付けて歌唱という訳にはいかないが、フォーレの「レクイエム」は、独唱者による歌唱が少ないのが特徴である。

ロームシアター京都サウスホールは、旧京都会館第2ホールを改修した中規模ホールだが、多目的であり、残響はほとんどない。クラシックではピアノや室内楽の演奏が行われているが、声楽を伴う宗教音楽が演奏されるのはあるいは初めてかも知れない。残響のないホールで聴くとやはり神聖さを感じにくくなるため、宗教曲に関しては音響がより重要になるのは間違いないようだ。残響のないホールでグレゴリオ聖歌を聴いたことがあるが、予想と異なって平板な印象に終わっている。京響コーラスも独唱者二人も良かったが、声の輪郭がはっきりし過ぎる音響だったため、音響設計のなされたホールでもう一度聴いてみたくなる。
信長貴富が編曲した弦楽合奏は、金管の迫力なども弦楽でノーブルに置き換えるなど、温かな響きを重視したもので、小編成の京響弦楽アンサンブルも精緻にして多彩な演奏を披露した。
広上淳一は合唱メインの曲ということで今日はノンタクトで指揮したが、手の動き、指の動きなどが音楽的で、「やはりこの人は指揮者になるために生まれてきた人なんだろうな」と感心させられた。

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2021年8月11日 (水)

コンサートの記(736) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

2021年8月7日 伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターにて

午後2時から、伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターで、京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のレクチャーと全曲演奏が行われる。ベートーヴェンの演奏に定評のある広上の指揮ということで呉竹文化センターは満員の盛況となった。2回のワクチン接種を済ませたお年寄りが増えたということも影響しているかも知れない。

先日、ミューザ川崎コンサートホールで行われたフェスタサマーミューザKAWASAKI2021でも「英雄」を演奏して好評を博した広上と京響。今日もミューザ川崎での演奏とほぼ同じメンバーによる演奏と思われ、管楽器の首席奏者もほぼ全員顔を揃えていた。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置による演奏である。

まずは広上と、京都市交響楽団シニアプロデューサーの上野喜浩によるレクチャーが行われる。広上はアドリブ飛ばしまくりで、「英雄」について、
「俗に英雄(ひでお)と呼ばれたりしますが」とボケ、
上野「ひでお?」
広上「そこは笑わないと! (広上が)台本にないことばかり言うから(上野は)顔が真っ青になってない?」
というようなやり取りがあったりする。

広上が大作曲家を「ベートーヴェン先生」というように「先生」付けで呼ぶことについては、「先に生まれたから先生、というのは冗談ですが(「先に生まれたから先生と呼ぶ」というのは、夏目漱石の『こゝろ』に出てくる話でもある)、偉大な作曲家なので、亡くなった方には、基本、先生を付けます」と語った。

ベートーヴェンが肖像画などで気難しそうな顔をしていることについて(肖像画を描く直前に食べた料理が不味かったからという説が有力だったりする)広上は、「耳が聞こえない、最近で言う基礎疾患があったということで。作曲家でありながら耳が聞こえないというのは、指揮者なのに手足がないようなもので、信用して貰えない」「元々は社交的な性格で、人と一緒にいるのが好きな人だったと思うのですが」作曲家として致命的な障害を抱えているということを悟られないよう人を遠ざけて、性格も内向的に、顔も不機嫌になっていったのではないか、という解釈を述べた。

第九を書いている頃に、ジャーナリストから、「自身の交響曲の中で一番出来がいいと思うのは?」と聞かれ、「英雄!」と即答したという話については、上野に「なぜ一番良いと思ったんでしょうか?」と聞かれ、「そんなこと知りませんよ! 先生じゃないんだから!」と言って笑いを取るも、前例のないことを色々やっているというので、自信があったのかも知れないという見解を述べていた。「英雄」の第1楽章は4分の3拍子で始まるが、第1楽章が4分の3拍子で始まる交響曲はそれまでほとんど存在しなかったそうである。最も新しい部分については、「冒頭」と答え、「NHKではビンタと語ったのですが」と2つの和音の衝撃について口にする。

その後、「英雄」の冒頭部分を演奏し、更にチェロが奏でる第1主題をチェロ副首席の中西雅音(まさお)に弾いて貰う。今回は語られなかったが、第1楽章の第1主題をチェロが奏でるという発想もそれ以前にはほとんど存在していなかったと思われる。第1主題を奏でる弦楽器は大抵は花形であるヴァイオリンで、オーケストラにおけるチェロはまだ「低音を築くための楽器」という認識である。

「英雄」は第1楽章だけで、それまでの交響曲1曲分の長さがあるという大作であり、ミューザー川崎コンサートホールでは、広上と京響は全曲を約55分掛けて演奏したそうであるが、広上曰く「うるさがたの聴衆から、『遅い! お前の「英雄」には流れがないんだ! 55分も掛けやがって、今の「英雄」の平均的な演奏は40分から45分』」という言葉に逆に「速すぎるよ!」と思ったという話をする。

第2楽章が葬送行進曲であることについては、「ハイリゲンシュタットの遺書」との関係がよく語られるが、「ハイリゲンシュタットの遺書」自体はベートーヴェンの死後に発見されたものであるため、推測することしか出来ないようである。

第3楽章をこれまでのメヌエットではなくスケルツォとしたことについては、広上は社交好きだった頃の性格が反映されているのではないかと考えているようだ。事情により表向きは気難しさを気取る必要があったが、本音は音楽に託したと見ているようである。

コーヒー豆を毎朝60粒選んで挽いたという話については、広上は、「稲垣吾郎ちゃんの『歓喜の歌』だったかな?(稲垣吾郎がベートーヴェンを演じた舞台「No.9 -不滅の旋律-」のこと)剛力彩芽ちゃんがやってた役(初演時は大島優子が演じており、剛力彩芽が演じたのは再演以降である)が、コーヒー豆を59粒にしたらベートーヴェンが気づいて怒った」という話をしていた。
上野は、「広上先生も、京響と共演なさる時には必ず召し上がるものがあるそうで」と聞くも、広上は「興味ある人いるんですか?」と乗り気でなかった。リハーサルの時にはいつも鍋焼きうどんを出前で取るそうで、餅と海老と玉子入りの「広上スペシャル」と呼ばれているものだそうである。

なお、トリオのホルンについて、ベートーヴェンの時代のホルンにはバルブが付いておらず、口だけで音を出していたという話に、広上は「ガッキーちゃんに聞いて」と振るも、ホルン首席のガッキーちゃんこと垣本昌芳は、「マスクを持ってくるの忘れました」ということで、隣にいた「澤さん」こと澤嶋秀昌が代わりに答え、実際にホルンを吹いて音を出していた。
ちなみに広上は、「ガッキーちゃんとはシュークリーム仲間」と話していたが、以前、広上がラジオで「四条のリプトンのシュークリームがお気に入りと話したら、演奏会前に差し入れをしてくれるようになった」と話していたため、本番前に一緒にシュークリームを食べる習慣があるのかも知れない。

その後も随所を演奏。上野は演奏が始まるたびに舞台から降りて聴いていたが、広上が「降りなくていいよ」と言ったため、以後はステージ上で聴いていた。

第4楽章に出てくる「プロメテウス主題」については、上野が「生涯の作品の中で4度用いられている」という話をする。広上が前日にどんな作品で何回使われているか調べるよう上野に言ったようで、上野が使われている作品全てを挙げると、広上は「よく調べてきたね」と感心していた。ちなみに「英雄」はプロメテウス主題が用いられた最後の作品となるようである。

第4楽章は変奏曲形式で書かれているが、ベートーヴェンが最も得意とした作曲形式が他ならぬ変奏曲であることを広上が告げる。ちなみに、ベートーヴェンはフーガの作曲を大の苦手としていたそうだが、「全ての交響曲でフーガを書いている。第九なんかが有名ですが。苦手だからといって逃げない」という姿勢を評価したところで上野が、「もうそろそろお時間で」と言ったため、「え? 逃げるの?」と冗談を飛ばしていた。


20分の休憩を挟んで、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」全編の演奏が行われる。広上はノンタクトで指揮する。

日本で最良のコンサートホールの一つとされるミューザ川崎コンサートホールは残響も長いと思われるが(行ったことがないのでどの程度かは不明だが)、呉竹文化センターは多目的ホールであるため残響はほとんどない。ということでテンポはミューザ川崎の時よりも必然的に速くなったと思われる。
時折、弦楽のノンビブラートの音も聞こえるが、基本的にはモダンスタイルの演奏であり、第1楽章のクライマックスではトランペットが最後まで旋律を吹いた。

音響の問題か、空調が影響したのか(余り冷房は効いていなかった)、いつもより細かなミスが目立つが、スケールの大きい堂々とした「英雄」像を築き上げる。生命力豊かであるが強引さを感じさせない。

ナポレオン・ボナパルトに献呈するつもりで書かれたという真偽不明の説を持つ「英雄」交響曲。だが、最終楽章にプロメテウス主題(天界から火を盗み、人類に与えたプロメテウスは、「智」の象徴とされることが多いが、ベートーヴェンが書いたバレエ音楽「プロメテウスの創造物」は「智」そのものというより「智」が生み出した芸術作品を讃える内容となっている)が用いられていることを考えると、政治・戦略の英雄であるナポレオンよりも音楽が優位であることが示されているように捉えることも出来る。表面的な英雄性は一度死に絶え、芸術神として再生するということなのかも知れない。その象徴を文学の才にも秀でていたといわれるナポレオンに求めたために、皇帝に自ら即位したという情報が、より一層、ベートーヴェンを憤らせたのかも知れない。

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2021年7月31日 (土)

コンサートの記(734) 熊倉優指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「世界の川と音楽」

2021年7月25日 北大路の京都市北文化会館にて

午後2時から、北大路にある京都市北文化会館で、京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「世界の川と音楽」を聴く。指揮は熊倉優(まさる)。

期待の若手指揮者、熊倉優は1992年生まれ。16歳で作曲を始め、桐朋学園大学作曲専攻入学後に指揮も学び始める。桐朋学園大学卒業後に同大学研究科修了。指揮を梅田俊明と下野竜也に師事。2016年から2019年までNHK交響楽団でパーヴォ・ヤルヴィのアシスタントを務め、沖澤のどかが女性として初めて優勝したことで話題になった第18回東京国際音楽コンクール・指揮者部門では3位入賞を果たしている。オーディションに合格して来月からハンブルク国立歌劇場でケント・ナガノのアシスタントを務める予定で、今日が渡独前最後の演奏会となる。

熊倉と京都市交響楽団のメンバーは、特別協賛であるSOU SOUの数字入りTシャツを着て登場する。

曲目は、ヘンデル作曲ハーディ編曲の組曲「水上の音楽」、ムソルグスキー作曲リムスキー=コルサコフ編曲の歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲「モスクワ川の夜明け」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、シューマンの交響曲第3番「ライン」から第1楽章、オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」から「ホフマンの舟歌」、スメタナの連作交響詩「わが祖国」から「モルダウ」

今日のコンサートマスターは泉原隆志。夏ということで各地の音楽祭に出演する楽団員も多いと思われ、今日は客演の奏者も目立つ。管楽器の首席奏者で登場したのは、ホルンの垣本昌芳、トロンボーンの岡本哲、トランペットのハラルド・ナエスの3人。
昨年のみんなのコンサートは、コロナの影響で室内オーケストラ編成での演奏となったが、今年はフル編成に近い形での演奏が可能となっている。

熊倉がマイクを手にしてトークを入れながら演奏会は進む。
熊倉「こんな時期ですが、来月からドイツに引っ越すことになりました」と語り、「日本では自然、水のある自然というと川より海を思い浮かべる人が多いと思うのですが、ヨーロッパで海のない国も多いということで」川を題材にしたプログラムを組んだようある。


組曲「水上の音楽」。ロンドンのテムズ川で行われたジョージⅠ世の船遊びのために作られた機会音楽である。熊倉によると、初演は過酷だったそうで、同じ曲を3回繰り返して演奏することもあったそうだ。
近年では古楽器オーケストラでの演奏が主流となっているが、今回はアイルランドの指揮者であるサー・ハミルトン・ハーティが現代のオーケストラ用に編曲したハーティ版での演奏である。
熊倉の生き生きとした音楽作りが魅力的。京都市北文化会館はスペースが余り大きくなく、ステージの壁面なども改修されていて、クラシックの演奏に相応しい音響となっている。京響は輝かしい響きを奏でた。


ムソルグスキーの歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲「モスクワ川の夜明け」。ロシア五人組の一人であるムソルグスキー。官吏出身で死後に「天才作曲家」として再評価されることになるのであるが、生前は余り認められず、官吏としての仕事も上手くいかずに酒に溺れて若くして亡くなり、「ホヴァンシチナ」も未完に終わった。友人であるリムスキー=コルサコフが補筆完成させたが、リムスキー=コルサコフはムソルグスキーのスコアを常識的なものに改変してたため、結果としてムソルグスキーの先進性が発見されにくくなるという皮肉な結果も生んだ。

今後オペラハウスでの本格的なキャリアをスタートさせることになる熊倉。細部まで丁寧な仕上がりの音楽を聴かせる。

熊倉の指揮は端正なもので、「ここぞ」という時以外は拍の刻み方も小さめで、ほとんどが体の全面で行われ、両手を拡げることも余り多くない。外連とは無縁のようである。


ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。演奏前に熊倉はドナウ川の長さを語る。鴨川は約31キロであるが、ドナウ川は2860キロ。「想像出来ない長さ」である。「ウィーンのドナウ川をご覧になったことのある方、いらっしゃいますか?」と熊倉は客席に聞く。「私は見に行ったことがあるですけれど、結構、汚かったです。茶色かったです」と話した。
北文化会館の空間が小さめということもあって、迫力と潤い豊かな演奏となる。


後半、シューマンの交響曲第3番「ライン」から第1楽章。「ライン」というタイトルはシューマンが付けたものではないが、何を描いたかはほぼ分かっており、熊倉は各楽章のイメージするものを述べる。
第1楽章はローレライを描いたもので、熊倉と京響は生き生きとした音像を作り上げる。


オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より「舟歌」。
熊倉は「ホフマン物語」について、「簡単に言うと失恋の話」「それもとっても不思議な失恋の話」と語る。
情緒豊かな演奏であった。


スメタナの連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」。源流に始まり、農村で踊る人々、月夜の流れなどを経て、プラハに入って「高い城(なんで「他界しろ」と変換するかね)」の主題が現れる風景などを熊倉は語る。
スケールも適切で、流れや描写力にも長けている。京響の鳴りも良く優れた演奏となった。


アンコール演奏は、ドビュッシーの「小組曲」より「小舟にて」(ビュッセル編曲)。詩情豊かに仕上げた。


今日も晴れて猛暑ということで、来場者全員に「京の水道 疎水物語」というボトル入り飲料が無料で配られた。

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2021年7月22日 (木)

コンサートの記(732) 大植英次指揮 京都市交響楽団第658回定期演奏会

2021年7月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第658回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大阪フィルハーモニー交響楽団第2代音楽監督で現在は同楽団桂冠指揮者としても知られる大植英次。当初予定されていたパスカル・ロフェが、新型コロナウイルスによる外国人入国制限で来日不可となったための代役である。
同一地区内にポストを持つ指揮者は、基本的に客演は難しいが、桂冠指揮者は名誉称号なので問題はなく、京都市交響楽団の桂冠指揮者である大友直人も大阪フィルや関西フィルに客演しているが、大友の場合は京響の常任指揮者に就任する前から大阪のオーケストラと良好な関係を築いていたのに対して、大植は海外に拠点を起き続けてきたこともあって今回が京響初客演。もしコロナ禍がなかったら、永遠に実現しなかったかも知れない顔合わせである。

曲目は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)、ミュライユの「シヤージュ(航跡)」、ドビュッシーの交響詩「海」。パスカル・ロフェと決めたプログラムを変更なしで演奏する。


午後2時頃から大植英次によるプレトークがある。大植は見た目がコロコロ変わるタイプだが、今日はスッキリとした顔で登場。滑舌が悪い人なので、京都コンサートホールの貧弱なスピーカーで内容が聞き取れるか心配だったが、今日は比較的聞き取りやすかった。

京都市交響楽団は1956年の創設だが、大植も1956年生まれで同い年だという話から入る。なお、大植は大フィルの音楽監督時代には毎年、京都コンサートホールで大フィル京都公演を指揮しており、慣れた会場である。

各曲の作品解説。「ペトルーシュカ」は人形を主人公としたバレエだが、「『ピノキオ』はご存じだと思いますが、あれの逆」「ピノキオは人間になってハッピーエンドになりますが」と、人間のようになったペトルーシュカが悲劇を迎えるというストーリーの説明を行う。

トリスタン・ミュライユの「シヤージュ」については、京都信用金庫の依頼によって作曲されたもので、「シヤージュ」は「航跡」という意味であり、京都の石庭をイメージして作った曲だと語る。
ミュライユの「シヤージュ」は、1985年に京都信用金庫の創立60周年記念の一環として3人の作曲家に新作を依頼し、同年9月9日に小澤征爾指揮京都市交響楽団の演奏によって初演された交響的三部作「京都」を構成する1曲である。ちなみに他の2曲は、マリー・シェーファーの「香を聞く」、そして現在は武満徹の代表作の一つとして知られる「夢窓/Dream Window」である。「シヤージュ」「香を聞く」「夢窓」の順に演奏されたようだ。

ドビュッシーの交響詩「海」。人気作であり、海の日が祝日として誕生してからは7月の演奏会のプログラムに載ることが増えている。
大植は、ドビュッシーが葛飾北斎の海の浮世絵(「神奈川沖浪裏」)に影響を受けて作曲したと語る。ただ、ドビュッシーはアトランティックオーシャン(大西洋)しか知らなかったため、葛飾北斎が描いたパシフィックオーシャン(太平洋)とは異なるという話もする。
カルロ・マリア・ジュリーニがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した「海」は、ゆったりとしたテンポでスケールも大きく、太平洋を感じさせる演奏であるが、ジュリーニが太平洋を意識したものなのかは定かでない。

大阪クラシックの時などに一人で喋ることに慣れている大植。最後は京都市交響楽団と素晴らしい一週間を過ごすことが出来たことを述べ、プレトークは10分ほどと手短に纏めた。


今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別名誉友情コンサートマスター(肩書きが長いな)の豊島泰嗣(とよしま・やすし)。フォアシュピーラーに泉原隆志。「ペトルーシュカ」では、ピアノが指揮者と正対するところに置かれるというスタイルで、ピアノ独奏を担当するのは佐竹裕介。第2ヴァイオリン客演首席は、読売日本交響楽団の瀧村依里。チェロ客演首席には、オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。フルート首席の上野博昭と、クラリネット首席の小谷口直子は「シヤージュ」からの参加。一方、ホルン首席の垣本昌芳は「ペトルーシュカ」のみの参加で、「シヤージュ」と「海」は水無瀬一成が1番の位置に入った。トランペット首席のハラルド・ナエスは「ペトルーシュカ」と「海」に参加する。

大フィルを指揮した演奏は何度も耳にしている大植英次。だがやはりオーケストラが違うと印象も異なる。重厚さが売りの大フィルに比べ、京響は音の重心が高めで音色も華やかだ。

大植というと、暗譜での指揮が基本だったが、今日は全曲譜面台を用いて、総譜を見ながらの指揮。「ペトルーシュカ」と「シヤージュ」では老眼鏡を掛けての指揮だったが、「海」では老眼鏡は用いていなかった。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)。
ストラヴィンスキーは大植の得意曲目の一つで、「春の祭典」や「火の鳥」組曲はミネソタ管弦楽団とレコーディングしたCDも出ているが、「ペトルーシュカ」は未録音だと思われる。
京響らしい色彩感溢れる演奏で、浮遊感もあり、フランス音楽のように響く。ラストの悲劇に重点を置く重い「ペトルーシュカ」の演奏もあるが、大植と京響の「ペトルーシュカ」はお洒落な印象すら受ける。だからといって悲劇性やストラヴィンスキーならではの異様さがないがしろにされているわけではなく、バランスも良い。

演奏終了後に、大植は弦楽器の最前列の奏者とリストタッチ、グータッチ、エルボータッチなどを行うが、泉原は今日も客席の方をずっと見つめていたため、大植の存在に気づくのに少し時間が掛かっていた。


ミュライユの「シヤージュ(航跡)」。石庭をイメージした曲だが、具体的には枯山水の砂紋を船の航跡に見立てたものだとされる。先に書いた通り、交響的三部作「京都」の1曲として武満徹の「夢窓」などと共に初演されたものだが、武満の作風にも通じるところのある作品である。打楽器奏者が複数の楽器を掛け持ちするのが特徴で、見ていてもかなり忙しそうである。ただティンパニは使用されておらず、この辺りも武満に通じる。武満のティンパニ嫌いは有名であるため、あるいはミュライユも三部作として統一感を出すため、ティンパニを使用しないことに決めたのかも知れない。
京響らしい煌びやかな音色も特徴である。


ドビュッシーの交響詩「海」。大植が浮世絵を意識したのかどうかは分からないが、フランス系の指揮者が描く「海」とは若干異なり、音のパレットをいたずらに重ねることなく詩的な音像を築き上げる。「ペトルーシュカ」ではあれだけ華やかな音を出していたため、意図的に抑えたのだと思われるが、これはこれでタイトにして生命力に溢れている。元々が音色鮮やかである京響だけに、多少抑えたとしても味気ない演奏になることはあり得ず、良い選択である。
第3楽章「風と海との対話」の途中でテンポをぐっと落としたのも印象的。パシフィックオーシャン的な広がりを出すための演出なのかどうかは不明だが、これによってスケールが増し、日本人がイメージする「海」像に近づいたように感じた。

今日明日の同一プログラム2回公演で、コロナ下、更に定期会員に当たる京響友の会会員の募集も停止中ということで、客席はやや寂し目であったが、盛大な拍手が大植と京響を讃えた。

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2021年7月12日 (月)

コンサートの記(729) 喜古恵理香指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!!」第1回「オーケストラの1日 大解剖!!」

2021年7月4日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!!」第1回「オーケストラの1日 大解剖!!」を聴く。
指揮は広上淳一の予定であったが、直前になって「都合により」広上の弟子である喜古恵理香(きこ・えりか)に変更になった。

喜古恵理香は群馬県出身。東京の女子御三家の一つとして知られる桜蔭中学校・高等学校を経て、東京音楽大学音楽学部作曲指揮専攻と同大学院指揮研究領域で広上淳一や下野竜也らに師事。在学中に井上道義の指揮講習会にも参加し、優秀賞に選出されて、同講習会主催のリレーコンサートに出演。大学院修了後はオペラなどの副指揮者を務め、京都市ジュニアオーケストラでは広上のアシスタントとして活動している。2017年9月からは、パーヴォ・ヤルヴィの下でNHK交響楽団のアシスタントコンダクターも2年間務めている。

無料パンフレットには、広上淳一からの喜古の推薦文が載せられている。


曲目は、第1部が、ニューマンの「20世紀フォックス」ファンファーレ、ベルリオーズの幻想交響曲より第4楽章“断頭台への行進”リハーサル&本番。第2部が楽器紹介と演奏で、モーツァルトのディヴェルティメントニ長調第1楽章から(弦楽器)、グノーの小交響曲変ロ長調第3楽章から(木管楽器+ホルン)、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレ」から(金管楽器)、チャベスの「トッカータ」から(打楽器)。そしてラストにラヴェルの「ボレロ」が演奏される。


私が大学生だった時代に比べ、東京の音楽大学の勢力図は大きく異なっており、東京芸術大学音楽学部がトップなのは変わらないが、東京音楽大学が急成長を遂げており、今や桐朋学園大学と日本の私立音大最高峰を争うまでになっている。近年は中目黒・代官山にもキャンパスを設けて本部も移転。「お洒落な音大」を前面に打ち出すことで更なる人気上昇が予想される。ほんの十数年ほど前までは東京音楽大学は東京の音大の中でも下位と見なされていたはずだが、変われば変わるものである。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。演奏時間が短く、また指揮者が若手ということもあって、今日は管楽器の首席奏者達も全編に出演する。
ナビゲーターはガレッジセール。

まずニューマンの「20世紀フォックス」ファンファーレ。有名な曲だが、全部で9小節しかない。喜古の指揮する京響であるが、「かなりよく鳴る」という印象を受ける。

喜古が退場し、入れ替わりでガレッジセールの二人が登場。昨年のオーケストラ・ディスカバリーでは、接触を避けるためにナビゲーターは舞台後方席(P席、ポディウム席)に立って進行を務めたが、今日はマウスシールドをして舞台上に登場する。京都コンサートホールはクラシック音楽専用ホールであるため、スピーカーは天井に取り付けられたアナウンス用のものしかない。今日は舞台両端に特別にスピーカーが設置されていたが、マウスシールドやマスクをしてのトークであるため、声がこもって聞き取れないところもあった。
ゴリが、「僕ら何度となくオーケストラ・ディスカバリーに出させて貰いましたけど、指揮者がこんな早く退場するの初めて。1分も経ってない」と語る。
その後、ゴリが、「本来指揮するはずだった広上さんが都合により出演出来なくなったとのことですが、実は潜んでるんじゃないですか?」と言って、指揮台のところにしゃがみ、「(身長)これぐらいですもんね」と指揮台の高さを指で測って、川田に「そんな訳あるか!」と突っ込まれる。

今回のオーケストラ・ディスカバリーはいつもと趣向が異なり、2曲目のベルリオーズの幻想交響曲より第4楽章“断頭台への行進”は、公開リハーサルと本番という設定で行われる。公開リハーサルの進行役として、京都市交響楽団パーソナル・マネージャーの森本芙紗慧が登場。今回のリハーサルの段取りと、本番後に20分の休憩があることをオーケストラメンバーに告げる。

その後、喜古が登場して公開リハーサル開始。途中まで流してから、解釈や希望などを述べていく。最初に喜古が「繰り返しありで」と語ったが、ホワイエに展示された「ライブラリアンの仕事」パネルを見ると、“断頭台への行進”で繰り返しがあるのは、ブライトコプフ新版の楽譜によるもので、旧版では繰り返しの指定はない。また練習記号を示しながらの指示を行っていたが、練習記号があるのも新版のみのようである。
幻想交響曲は描写音楽であり、喜古の解釈では、弦楽器が断頭台に向かう青年を、木管が執行を促す側を表しているということで、まずチェロに青年の戦きを増すような弾き方を指示。スフォルツァンドなどもかなり明確に弾かせる。死刑執行を促す側を表すファゴットにはせかすような表情を求める。ちなみにトロンボーンには事前に「ヤジを飛ばす外野役」を求めていたようで、「上手く吹いてくれてありがとうございます」とお礼を述べていた。
トランペットに出てくるスタッカートに関しては、2拍目(2回目と書くべきか)を強調した方がベルリオーズらしい異様さが出るという解釈のようだ。
弦楽器のピッチカートについては、最初のピッチカートは「何か熱いものに触れて手を離した時」のようなハッとした表情で、それ以降はまた感じを変えて行う。
聴き所の一つであるラスト近くのクラリネットソロ(青年が殺害した美女の面影を表現)に関してはテンポを気にせず吹き、ギロチンが落ちるタイミングは指揮者とオーケストラの他の楽器が受け持つことにする。

リハーサルを終えて本番。やはり鳴りの良い演奏で、喜古の棒も明晰である。

ガレッジセールの二人は、最前列で聴いていたが(飛沫対策のため、最前列と2列目は発売されていない)、ゴリが「喜古さん、パワフルですね」と言う。初対面の挨拶の時とは大分イメージが異なるようだ。「眉間にしわ寄せたり、陶酔したように」とゴリは喜古の表情を真似して、「指揮者は全ての楽器の音を聴いて責任取ってと大変ですが、最高の席で聴いているということでもありますね」と述べていた。


第2部、楽器紹介。各パートごとに入れ替わっての出演だが、まずは弦楽器の紹介がなされる。出演は、泉原隆志(ヴァイオリン)、小峰航一(ヴィオラ)、山本裕康(チェロ)、黒川冬貴(コントラバス)。

楽器の紹介をした後で、それぞれが楽曲の冒頭を弾く。泉原隆志は、葉加瀬太郎の「情熱大陸」を序奏入りで演奏。ゴリは「(葉加瀬太郎と)髪型が違うだけで、大分かっこよくなるんですね」と語る。泉原は、ロザンがナビゲーターの時には菅ちゃんに「イケメンいじり」をされるのがお約束になっているが、ゴリもイケメンネタに走り始めているようだ。
小峰とチェロ康こと山本裕康はバッハの無伴奏(楽曲名はすぐには浮かばず)を弾き、ゴリも「格好いい!」、「チェロは大地の広がりを感じる」と褒めるが、コントラバスの黒川は、「ぞうさん」を演奏。ゴリが、「俺ら、せっかく今まで褒めてきたのになんでぞうさん?」とぼやく。ちなみに「ぞうさん」の作曲者は團伊玖磨である。
喜古は、コントラバスの運搬について、「棺桶のようなものに入れて」と話すが、ゴリは、「その中に、日産のカルロス・ゴーン会長が入っていたりしないでしょうね?」とボケていた。

モーツァルトのディヴェルティメントニ長調第1楽章より(繰り返しなし)が演奏された後で、ハープが紹介される。喜古は、「オーケストラによっては専属のハープ奏者がいない場合もあるのですが、京響には素晴らしいハープ奏者がいらっしゃいます。松村さん」と言って、松村衣里が紹介される。ゴリにハープの弦の数を聞かれた喜古は、「私は都道府県の数で覚えてます」という。47ということで、赤穂浪士の討ち入り人数で覚えている人もいるかも知れない。弦が50本のハープや弦の少ないハープもあるそうで、ゴリが「薄かったり毛深かったり」と言って、川田に「やめなさい!」と突っ込まれていた。
ハープは腕だけでなく足でもペダルを踏み換えて演奏しているということで、ゴリがお馴染みの「優雅な白鳥も足では一生懸命掻いている」という話をする。ただ、白鳥を観察すると分かる(京都だと六角堂の池にいる白鳥が観察しやすい)が、普通に浮いていて、足で掻くのは方向を変える時だけである。水鳥なのにずっと足を動かさないと浮いていられないというのでは確かに欠陥である。「優雅に見える鳥も水面下では」という例えは、「そうであって欲しい」という願望が含まれているようで、中古や鎌倉時代の日本文学などでは、白鳥ではなく鴨がそうした鳥だと思い込まれていたようである。

木管楽器の紹介。出演は、上野博昭(フルート)、市川智子(ピッコロ)、髙山郁子(オーボエ)、土井恵美(イングリッシュホルン/コールアングレ)、小谷口直子(クラリネット)、中野陽一朗(ファゴット)。現在は金属で出来ている楽器もあり、フルートを見たゴリは、「金管楽器じゃないんですか?」と聞く。喜古は、「昔は木で出来ていた」と説明する。現在のフルートは24金やプラチナで出来ているものも多く、ゴリは客席の方を向いて、「あら奥様どうします? 解かしてネックレスにしちゃいます?」と話していた。

楽器紹介の後で演奏が行われるが、フルートの上野が久石譲の「Summer」を演奏したり、ピッコロの市川が「ミッキーマウス・マーチ」を演奏するなど、その楽器らしくない曲を選ぶ人もいる(小谷口さんが何を吹いたか思い出せない)。オーボエの髙山は「白鳥の湖」、喜古に飛ばされそうになったイングリッシュホルンの土井は「新世界」交響曲第2楽章より「家路」のテーマなど代表的な曲を演奏。ファゴットの中野陽一朗もデュカスの「魔法使いの弟子」の有名な旋律を演奏する。喜古はネット上などで、ファゴットが「トッポ」と呼ばれていることを紹介。お菓子の「トッポ」に見た目が似ているからなのだが、ゴリは、「あの大きさのトッポだと絶対、糖分過多ですね」とボケていた。

グノーの小交響曲第3楽章より。グノーはフランスの作曲家だが、フランス人は管楽器の演奏や管楽器を使った楽曲の作曲に秀でている人が多い。グノーも洒落た作品を書いている。

演奏には加わらなかったが、サックスの紹介。サックスは比較的新しい木管楽器であるため、京響にもサックス奏者は所属しておらず、客演の酒井希がソプラノサックスで「茶色の小瓶」を吹いた。


金管楽器。出演は、水無瀬一成(ホルン)、ハラルド・ナエス(トランペット)、岡本哲(トロンボーン)。テューバは現在、京響には専属奏者がおらず、今日は林裕人と山田悠貴の二人が客演。この時の出演者がどちらなのかは分からない(紹介はされたが記憶出来ず)。

喜古が川田にホルンの管の全長をクイズとして出したり(正解は約3.7m)、ハラルド・ナエスが、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」のトランペットソロを吹いたりと色々あるが、テューバはやはり「ぞうさん」を吹いて、ガレッジセールの二人が崩れ落ちる。

ジョン・ウィリアムズのオリンピック・ファンファーレは、1984年のロス五輪のために書かれたもので、オリンピック・ファンファーレとしては最も有名なものである。京響のブラス陣は輝かしい演奏を披露。

打楽器の演奏の前に、鍵盤楽器ではあるが一応、打楽器にも含まれるということで、チェレスタが紹介される。演奏はお馴染みの佐竹裕介。喜古がチェレスタについて、「チャイコフスキーが『くるみ割り人形』で使った楽器」と紹介したので、「こんぺいとうの踊り」が演奏されるのかと思いきや、佐竹が弾いたのは、(おそらく)京都市営地下鉄の発着音。全員がずっこけるが、「こんぺいとうの踊り」も弾かれた。
打楽器首席の中山航介はティンパニで「ミッキーマウス・マーチ」を演奏。ゴリに「ヤンキーのミッキーマウスみたい」と言われていた。
ここでも喜古は、シンバルの紹介を飛ばしそうになる。

打楽器による演奏、チャベスの「トッカータ」から。この曲は指揮者なしの演奏で、喜古はコンサートマスターの席に座って聴く。

ラストの「ボレロ」の演奏の前に、ステージ・マネージャーの日高成樹が紹介されるが、日高は照れ屋なので、すぐに引っ込んでしまっていた。


ラヴェルの「ボレロ」。おそらく15分前後という一般的な速度での演奏である。京響は各楽器に威力があり、喜古の盛り上げ方も上手い。
演奏終了後に、喜古は各楽器を立たせ、全員を立たせようとしたところで、コンサートマスターの泉原に、「まだまだ!」と制される。「ボレロ」で最も重要な楽器であるスネアドラムを演奏した福山直子を最後に立たせようとして忘れてしまっていたのだ。喜古は福山を立たせた後も何度も頭を下げて謝っていた。ゴリも「今日は喜古さん、よく飛ばしましたね」と言うが、最後にアンコール楽曲が紹介される。ビゼーの「アルルの女」第1組曲よりアダージェット。しっとりとした美演に仕上げていた。

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2021年7月 4日 (日)

コンサートの記(727) 京都市交響楽団×藤野可織 オーケストラストーリーコンサート「ねむらないひめたち」

2021年6月20日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団×藤野可織 オーケストラストーリーコンサート「ねむらないひめたち」を聴く。

緊急事態宣言発出のため、4月25日から5月31日まで臨時休館していたロームシアター京都。今日の公演が再スタートとなる。

京都市出身の芥川賞受賞作家である藤野可織と京都市交響楽団によるコラボレーション。藤野の新作小説の朗読と、パリゆかりの作曲家の作品による新たな表現が模索される。指揮は三ツ橋敬子。

朗読を担当するのはAKB48出身の川栄李奈であるが、企画発表時には出演者はまだ決まっておらず、しばらく経ってから川栄の出演が公にされた。

演奏曲目は、ラヴェルの組曲「クープランの墓」より第1曲〈プレリュード〉、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「カルタ遊び」より抜粋、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」より〈夜への前奏曲〉、シベリウスの「悲しきワルツ」、ラヴェルの組曲「クープランの墓」より第2曲〈フォルラーヌ〉、サティ作曲ドビュッシー編曲の「ジムノペディ」第2番(表記の揺れのある楽曲で、ここではピアノ版のジムノペディ第1番のオーケストラ用編曲を指す)、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」より〈マラゲーニャ〉、ドビュッシーの「夜想曲」より〈雲〉、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。シベリウスを除いて、パリゆかりの作曲家の作品が並んでいる。


藤野可織は、1980年、京都市生まれの小説家。同志社大学文学部卒業、同大学大学院美学および芸術学専攻博士課程前期修了とずっと京都市で生きてきた人である。大学院修了後は、京都市内にある出版社でのアルバイトをこなしながら小説の執筆を開始。2006年に「いやしい鳥」で第103回文學界新人賞を受賞し、2013年には「爪と目」で第149回芥川賞を受賞。2014年には『おはなしして子ちゃん』で第2回フラウ文芸大賞を受賞している。
藤野は、今回の企画を持ちかけられてから、初めてロームシアター京都メインホールを訪れたそうで、4階席から舞台を見下ろした時に作品の構想を得たようである。


今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。シベリウスの「悲しきワルツ」演奏後に20分の休憩が入るが、出演者は見た限りでは前半後半ともに変わらない。首席クラリネット奏者の小谷口直子は今日は降り番。他の管楽器パートは首席奏者がほぼ顔を揃えている。

藤野可織の「ねむらないひめたち」は、9歳の少女を主人公とした作品で、新型コロナウイルス流行に絡めた「昏睡病」がまん延する近未来の話である。近未来ではスマートフォンではなくスマート眼鏡というもので情報をやり取りするようになっており、パソコンはまだ用いられているが、キーボードはバーチャルのものに置き換わっているようである。
なお、「ねむらないひめたち」のテキストは、「新潮」7月号に掲載されている。「新潮」7月号には野田秀樹の新作戯曲「フェイクスピア」も載ってるため、舞台芸術好きにはお薦めであるが、野田秀樹の戯曲は多くの場合、上演よりもテキストの方が勝ってしまうため、観る予定のある方は、舞台を鑑賞後にテキストを読むことを勧めたい。

上演前にまず藤野可織が登場して挨拶を行い、この作品が朗読とオーケストラが奏でる音楽とが一体となったものであるため、曲ごとの拍手はご遠慮頂きたい旨を述べる。京都市の生まれ育ちということで、柔らかな京言葉で話し、雅やかな印象を受ける。おそらくこうした話し方や雰囲気を「はんなり」と言うのだと思われる。

京都市交響楽団に客演する機会も多い三ツ橋敬子。バトンテクニックの高い非常に器用な指揮者だが、今に至るまでオーケストラのポストは得られないでいる。平均点の高いタイプながら、何が得意なのか分からない指揮者でもあったが、これまで聴いた限りでは、現代音楽、モーツァルトなどで好演を示しており、フランスものも合っているようである。

朗読担当の川栄李奈。AKB48在籍中は、お勉強が不得意なお馬鹿キャラとして知られたが、握手会で襲撃されて負傷。トラウマにより「握手会にはもう出られない」としてAKBを卒業した。その直後から本格的な女優活動に入るが、CMや映画、テレビドラマなどで、「あのお馬鹿キャラの川栄」とは思えないほどの才気煥発ぶりを発揮。上り調子の時にできちゃった結婚で休業に入ってしまい、「ああ、やっぱり」と思わせたりもしたが、復帰後も活躍はめざましく、大河ドラマ「青天を衝け」に一橋慶喜正室の美賀君役で出演し、怪演を展開中。次期NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」のヒロインの一人を演じることも決まっている。女優は天職なのだろう。
声優としても活動しており、映画「きみと、波にのれたら」では主演声優を務めている。

舞台後方にスクリーンがあり、三好愛のイラストと、藤野可織の「ねむらないひめたち」のテキストが映し出される。

主人公の「あたし」は、タワーマンションの37階に住んでいる。年齢は9歳で、今年13歳になる姉がいる。
姉妹が両親と住むマンションの部屋にはバルコニーがあるのだが、バルコニーにはいつも嵐のような強風が吹き荒れており、母親は、「嵐はすごく危険」「だからバルコニーには出ちゃいけません」と言う。だが、姉妹は学校から帰るとバルコニーに出て、姉は双眼鏡で外を覗き、妹のあたしは機関銃タイプの水鉄砲で姉が指示した人物に向かって狙撃を行った。「射殺」したのだが、当然ながら水鉄砲で人は殺せない。殺し屋ごっこである。マンションの周りには様々なタイプの人がいたが、スパイだの異星人だの、不思議な人々もいる。もっとも、これは姉の見立てによるもので、実際にスパイや異星人がいた訳ではないと思われる。

そうしているうちに、人々が昏睡状態になるという謎の病が流行し、人々は感染を避けるため外出せずに家に籠もるようになる。姉妹が通う学校も休校になり、両親もリモートワークでいつも家にいるようになる。両親は姉妹に好きなだけ映画を観ることを許可し、姉妹は、暗殺者ものの映画を観まくるようになる。だが、予想に反して暗殺者達の仕事そのものよりもロマンスに焦点を当てた作品が多いことに気づく。
やがて両親が昏睡病に感染。砂色の飴で覆われたようにコチコチに固まってしまう。
あたしは、新たにアカウントを開設。「ソラコ」という名で自撮りの写真などを載せたが、誤って住所も見えるように載せてしまったため、奇妙な男達が何人も「君を助けたい」と言ってタワーマンションの下までやって来るようになる。姉妹は、カップアンドソーサーのカップやジャムの瓶などをバルコニーから落とすことで彼らを次々に殺していき……。


選ばれた楽曲を見ると、「死」に直結するイメージをもった作品が多いことに気づく。
射殺ごっこが、本物の殺人へと変わり、映画で観るような暗殺者の恋愛の代わりに、異様な人々の来訪があるという展開が高度に情報化された現実社会の不気味さを表しているかのようである。
やがて舞台はコンサートホールの4階席へと移り、未来への希望と不信がない交ぜになったまま再び殺し屋としての社会との対峙が始まる。

設定が近未来ということで、不思議な話が展開されるが、外部の危機的状況とそんな中でもネット上や現実社会で繰り広げられる不穏さが描かれている。そんな中で未来の夢や漠然とした期待に浸ることなく目の前を見つめ続けること、今を生き続けることと、引いては小説を書くことの意義が仄かに浮かび上がる。


川栄李奈の朗読であるが、予想よりも遙かに上手い。地の文とセリフの使い分け、感情の描き分け、抑揚やメリハリの付け方などが巧みで、声自体も美しい。女優の朗読に接する機会は多くはないながらもあるが、少なくともこれまでに聴いた二十代の女優の中ではトップだと思われる。全身が表現力に満ちあふれており、表現者としてのエネルギーやパワーの総体が同世代の他の女優よりも大きいことが察せられる。やはりこの人は女優が天職なのであろう。

三ツ橋敬子指揮する京都市交響楽団も煌びやかな演奏を展開。ドビュッシーやラヴェルの音楽ということで、浮遊感や典雅さの表現が重要になるが、これも十分にクリアしている。後は奥行きだが、これは更に年齢を重ねないと表出は難しいようにも感じる。


本編終了後にアフタートークがある。司会は、京都市交響楽団からロームシアター京都の音楽事業担当部長に異動になった柴田智靖。三ツ橋敬子、藤野可織、川栄李奈、会田莉凡の女性4人が参加する。

曲目は、ロームシアター京都から提案されたものが中心だったようだが、三ツ橋敬子は、普段余りフランス音楽を演奏しない京都市交響楽団で、元々別の物語性を持つ音楽を奏でることの難しさを語った。ちなみにリハーサル時と本番とではオーケストラの色彩が大きく異なっていたため驚いたそうである。

藤野可織は、小説家の仕事は自己完結であるが、こうしてオーケストラとのコラボレーションという協働作業の機会を得られたことへの面白さを語る。ちなみに司会の柴田は、表現したかったことを藤野に聞いていたが、「それを小説家に聞いちゃ駄目でしょ」と思う。

川栄李奈は朗読で緊張したことを語り、手の汗でページがめくれないんじゃないかとヒヤヒヤしたことを打ち明ける。また、個人的に京都の街が大好きだそうで、お土産をいっぱい買って帰りたいと笑顔で話していた。

会田莉凡も、京都市交響楽団でフランス音楽の演奏を行う難しさと新型コロナ流行下での演奏活動の困難さを語り、更には京都市交響楽団の活動の宣伝も忘れなかった。

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2021年7月 1日 (木)

コンサートの記(726) 広上淳一指揮京都市交響楽団第657回定期演奏会

2021年6月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第657回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

先月行われた第656回定期演奏会、鈴木優人が初めて京響の指揮台に立った演奏会は、残念ながら緊急事態宣言下ということで、ニコニコ生放送での配信のみの無観客公演となったため、会場に聴衆を入れての演奏家は2ヶ月ぶりとなる。ただ、緊急事態宣言の余波のためか、客の入りは良くなかった。クラシックコンサートの聴衆は、昔も今もお年寄り中心であり、緊急事態宣言が解除になったからといってすぐには客は返ってこない。


曲目は、ウェーベルン(ジェラード・シュウォーツ編曲)の「緩徐楽章」(弦楽合奏版)、尾高惇忠(おたか・あつただ)のヴァイオリン協奏曲(世界初演。ヴァイオリン独奏:米元響子)、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。

午後6時30分頃から、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。今年2月に76歳で逝去した尾高惇忠(1944-2021)は、広上淳一の師匠ということで、公演プログラムにも広上の筆による尾高惇忠追悼メッセージが寄せられているが、プレトークも尾高惇忠の話が中心になる。
奥田佳道は、広上が指揮したマーラーの「復活」の解釈を指摘したことで広上に評価されていたような記憶があるが、かなり昔の話なので本当にそれが奥田だったのかはよく覚えていない。

広上淳一は湘南学園高校音楽コースの出身で、尾高惇忠、そしてその弟で指揮者の尾高忠明の後輩である。なお、その後に湘南学園高校は、難関大学を目指す進学校に模様替えしたため、音楽コースは現存していない。

中学校の頃は桜田淳子の追っかけをしていたため学業成績が振るわず、進路に悩んでいた広上淳一。中学校の校長先生が進路のアドバイスをしてくれたそうで、「あなたは音楽の道に進みなさい。湘南学園高校の音楽コースに女性の良い先生がいるから、そこに行きなさい」ということで、湘南学園高校は小学校から高校までの一貫校だったが、高校から特別に編入を認めてくれたそうである。そして湘南学園高校音楽コースの、女性の先生のアシスタントとしてついていたのが実は尾高惇忠だったそうだ。

奥田佳道が以前、尾高惇忠に、「広上さんの最初のレッスン覚えてますか?」と聞いたことがあるそうなのだが、尾高によると、「覚えてるよ。何にも言うこと聞かない奴だった」そうである。「課題で出したピアノ曲の演奏もいい加減だった」そうなのだが、「上手いピアノじゃないが、味があるので、才能はあるかも知れない」と思ったそうである。
その他にも、尾高惇忠がレッスンの合間に珈琲を入れる習慣があり、それを楽しみにしていたり、尾高が自作をピアノで弾きながら解説を入れるレッスンに感激したという話を広上はする。

「ペール・ギュント」組曲については、広上が縁を感じた時に取り上げることの多い曲なのだそうなのだが、私が初めて広上の実演に接した時のメインプログラムも「ペール・ギュント」組曲第1番第2番であった。1997年4月4日に東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団の土曜日マチネーの定期演奏会。私がN響の学生定期会員になって初の演奏会でもあった。当時、土曜日マチネーのN響定期演奏会はBSで生放送されていたが、数年前にこの時の演奏がEテレで再放送されているはずである。「アニトラの踊り」で、指揮台の上でステップを踏みながら踊っていた広上さんの姿が今も目の前に甦る。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン客演首席は直江智沙子。京響の演奏会は、第2ヴァイオリン副主席の杉江洋子が真っ先に登場するという習慣があるのだが、直江が間違えて先に出てしまい、直後に「ああ、違った」という表情をして杉江に一番乗りを譲っていた。今日はヴィオラ首席にソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。
尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲だけで、他は「ペール・ギュント」からの出演である。


ウェーベルンの「緩徐楽章」。元々は弦楽四重奏のための作品だが、シアトル交響楽団の指揮者として膨大な録音を残していることでも有名なジェラード・シュウォーツ(ジェラード・シュワルツ)が弦楽合奏にアレンジ。1982年に初演されている。
グリーグを思わせるような叙情的なメロディーと、マーラーを思わせるような響きが特徴で、今日のプログラムの幕開けに相応しい。
広上の立体的な音響作りもいつもながら優れている。


尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲。2020年5月30日に完成し、尾高惇忠の遺作となった。同年2月に病気が見つかり、闘病しながら作曲を行っていたようである。

尾高惇忠は、新交響楽団(現・NHK交響楽団)育ての親であり年末の第九を初めて指揮したともいわれる指揮者・作曲家の尾高尚忠(おたか・ひさただ)の長男である。前述通り実弟は指揮者の尾高忠明であり、音楽一家であった。また尾高家は渋沢栄一の親族であり、尾高尚忠、尾高惇忠、尾高忠明は渋沢栄一の血を受け継いだ子孫でもある。現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」に登場し、田辺誠一が演じている尾高惇忠は曾祖父であり、その名を受け継いでいる。
東京芸術大学作曲科で矢代秋雄らに師事。その後、パリ国立高等音楽院に留学し、モーリス・デュリュフレらに師事した。自作に厳しかったため作曲家としては寡作であり、母校の東京芸術大学での教育活動を中心に、室内楽や歌曲伴奏のピアニストとしても活躍している。父親である尾高尚忠の名を冠した作曲賞、尾高賞を二度受賞。2001年には別宮貞雄を記念した別宮賞も受賞している。

ヴァイオリン独奏の米元響子は、実は今日が誕生日だそうである。桐朋学園の「子供のための音楽教室」に学び、1997年にイタリアのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて、史上最年少となる13歳で入賞。その後、モスクワのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝に輝いている。パリで学んだ後にオランダに渡り、マーストリヒト音楽院修士課程修了。現在は母校のマーストリヒト音楽院の教授も務めている。

広上のプレトークによると、尾高惇忠は「音楽は美しくあらねばならない」と考えていたそうで、「美しい現代音楽」を目指していたそうである。

第1楽章はオーケストラによる鮮烈な響きでスタートし、ヴァイオリン独奏がそれを追うように現れるが、終盤ではスマートなロマンティシズムを湛えた曲想が現れ、色彩感が増していき、ラストで冒頭の音型へと回帰する。近現代のフランスの作曲家や武満徹などにも繋がる妙なる響きが最大の特徴である。

米元のヴァイオリンは、ボリューム豊かな音が特徴。最近流行の磨き抜かれたタイトな音とは異なる。ボリス・ベルキンに師事したそうだが、確かにそんな印象を受ける。技術は高く、揺るぎがない。

第2楽章は、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」の序奏(有名なヴァイオリンソロが加わる前)に似た旋律が展開されていく。叙情的な美しさが印象的である。

第3楽章は一転してダイナミック。ストラヴィンスキーの「火の鳥」に似た曲想が盛り上がりを見せる。

広上は演奏終了後に、米元に、そしておそらくは作品自体にも「素晴らしい」と呟く。
その後、広上は客席にいる女性(おそらく尾高惇忠の奥さん)に向かって、スコアを掲げて見せた。


後半、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。
ノルウェーの国民的作曲家であるエドヴァルド・グリーグ。国民楽派の時代を代表する作曲家でもある。ただグリーグは、ピアノ曲などの小品の作曲を得意とする一方で、大作に関しては思うように筆が進まず、本人も悩んでいた。交響曲も完成させたが、不出来と見なして取り下げている。ということで、オーケストラコンサートで演奏されるのは、ピアノ協奏曲イ短調、「ホルベルク」組曲、そして「ペール・ギュント」組曲など限られる。

「ペール・ギュント」の音楽は、同名のヘンリック・イプセンの戯曲の劇付随音楽として書かれたもので、組曲のみならず劇付随音楽全曲か、それに近い数の楽曲で演奏会が行われることも稀にあり、私はシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団の定期演奏会で、そうした上演に接している。
また録音も「ペール・ギュント」組曲ではなく、劇付随音楽「ペール・ギュント」が増えており、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団盤、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団盤、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団盤などが人気である。ブロムシュテットはスウェーデン人、ヤルヴィ親子はバルト海を挟んでフィンランドと向かい合うエストニア出身で、やはり北欧やその隣国出身の指揮者が取り上げることが多いようである。

「戯曲の劇付随音楽」という妙な書き方をしたが、「ペール・ギュント」は、イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲。「安楽椅子の演劇」と呼ばれたりもする)として書いたものであり、舞台が次々と移り変わる上に、自己との対話など形而上的要素を含むため、イプセン自身は上演を想定していなかったのだが、「どうしても上演したい」という国民劇場からの要望に押し切られ、「グリーグの音楽付きなら」という条件で許可。こうしてグリーグの「ペール・ギュント」の音楽が生まれた。
グリーグの音楽が好評だったこともあり、初演は成功。その後も上演を重ねた「ペール・ギュント」だが、やはり読むための戯曲を上演するのは無理があり、その後は「グリーグの音楽のみが有名」という状態になっていく。近年、上演作品としての「ペール・ギュント」再評価の動きがあり、日本でもグリーグの音楽に頼らない「ペール・ギュント」の上演がいくつか行われたが、残念ながら現時点では成功に至っていない。

約四半世紀ぶりに聴く、広上指揮の「ペール・ギュント」。やはり京響の音の洗練度の高さがプラスに働いている。1997年時点のNHK交響楽団も良いオーケストラではあったが、現時点の日本のプロオーケストラの平均的な演奏に比べると野暮ったかったような記憶がある。広上もまだ若く、グリーグのロマンティシズムに飲み込まれていたような感じがあったが、今日は万全の表現力でグリーグの名旋律の数々を巧みに歌い上げる。

とにかく響きが澄み切っており、「オーセの死」などを聴いていると、「澄み渡った悲しみ」という言葉と、日輪の前を横切っていく雲の片々の映像が目に浮かぶ。
「オーセの死」は、冒頭のメロディーが「さくらさくら」に似ており、日本でグリーグが人気があるのも頷ける。どことなく演歌っぽいところもあり、コバケンこと小林研一郎が指揮した場合などはド演歌にもなるのだが、広上の場合は土俗性は余り出さないため、過度に感情に傾くこともない。

速めのテンポで壮快に進む「朝の気分」(上野博昭のフルートの涼しげな響きが良い)、蠱惑的な雰囲気満載の「アニトラの踊り」(今回は流石に広上さんも無闇には踊らず)、京響の鳴りの良さが痛快な「山の魔王の宮殿にて」、異国情緒と華やかさに溢れた「アラビアの踊り」、ヒンヤリとした音色でノスタルジックに歌われる「ソルヴェイグの歌」などいずれも見事な出来である。「ソルヴェイグの歌」では、広上はノンタクトでバネ仕掛けの人形のように手足を揺さぶるというかなり個性的な指揮を見せていた。アンサンブルも完璧とまでは行かなかったが、キレとボリュームと立体感があり、オーケストラを聴く醍醐味がホールいっぱいに弾けていた。


今日はアンコール演奏がある。尾高惇忠の先祖である渋沢栄一が今年の大河ドラマの主役ということで、「青天を衝け」メインテーマが演奏される。作曲は佐藤直紀であるが、佐藤直紀は東京音楽大学出身であり、広上の後輩に当たる。佐藤直紀は、「龍馬伝」でも大河ドラマの音楽を手掛けており、その時はメインテーマは広上が指揮したが、「青天を衝け」のメインテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫である尾高忠明が担っている。
豊かな広がりと、明治以降も描かれるということで洗練された味わいも持つ「青天を衝け」のオープニング曲。NHK職員の息子で、「大河フェチ」を自称する広上の指揮ということで、思い入れたっぷりの爽快な演奏となった。

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2021年6月 5日 (土)

コンサートの記(725) 高関健指揮 京都市交響楽団第536回定期演奏会

2010年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第536回定期演奏会に接する。今日の指揮者は高関健。

曲目は、ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」と「大管弦楽のための6つの小品」、マーラの交響曲第7番「夜の歌」という意欲的なものである。

ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」はチェレスタ2台が指揮台の横で向かい合うという特殊で小規模な編成、「大管弦楽のための6つの小品」はその名の通り、大編成による演奏。「大管弦楽のための6つの小品」は古典的配置による演奏であった。いずれの曲においても京響は精緻な演奏を繰り広げ、充実した響きを生んでいた。


マーラーの交響曲第7番「夜の歌」も古典配置による演奏である。マーラーの交響曲第7番「夜の歌」は比較的演奏会プログラムに載ることが少ない曲である。様々な要素が無秩序に並べられたようなところがあり、失敗作と断じる人も決して少なくはない。

京響は弦も管も充実した響きを奏でる。高関の構築力は確かであり、優れた演奏になった。欲を言えば、エリアル・インバルやレナード・バーンスタインらの名盤に比べると歌がやや硬めなのが気になるが、そうした名盤の名演と比べるのも野暮だろう。

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