カテゴリー「京都市交響楽団」の224件の記事

2022年7月22日 (金)

コンサートの記(790) 大友直人指揮京都市交響楽団第669回定期演奏会

2022年7月16日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第669回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団桂冠指揮者の大友直人。

曲目は、シベリウスの交響曲第6番とヴォーン・ウィリアムズの交響曲第2番「ロンドン交響曲」。大友は全編ノンタクトでの指揮を行った。


午後2時頃から大友直人によるプレトークがある。まずシベリウスに関しては、交響詩「フィンランディア」や交響曲第2番、あるいは最も演奏されるのはヴァイオリン協奏曲かも知れないが、最も得意としたのは交響曲の作曲であること、ただ第3番以降の交響曲はあまり演奏されないことなどを述べる。京都市交響楽団がシベリウスの交響曲第6番を演奏するのも久しぶり。大友自身も20年ほど前に京響を指揮して交響曲第6番を演奏したことがあるが、もうどんな演奏だったかも覚えていないという。

ヴォーン・ウィリアムズはシベリウス以上に演奏されない作曲家で、「作曲家のいない国」といわれたイギリスの出身であるが、イギリスが音楽的に不毛な国だったかというとそうではなく、ドイツ出身のヘンデルがイギリスに帰化していたり、モーツァルトやベートーヴェンもイギリスを訪れて影響を受けたりと、やはり大英帝国ということで、音楽の分野でも影響力は大きかったことを明かす。
また、シベリウスもヴォーン・ウィリアムズも同時代人であり、シベリウスの交響曲第6番もヴォーン・ウィリアムズのロンドン交響曲も静かに始まり静かに終わるという共通点を持つと語っていた。


今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(あいだ・りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。ロンドン交響曲ではヴィオラ独奏が活躍するということで、ソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積(たなむら・まづみ)が全編に出演する。
ロンドン交響曲が演奏時間約50分という大作であるため、シベリウスの交響曲第6番に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲とホルンの垣本昌芳のみ。垣本はロンドン交響曲には参加しなかったため、全編に出た首席奏者は岡本哲のみであった。


シベリウスの交響曲第6番。大友は京響から神秘的で透明感溢れる音を引き出す。21世紀に入ってから力技の演奏も目立つ大友だが、この曲の演奏は丁寧で見通しが良くハイレベルである。第3楽章のラストや第4楽章では音が濁ることがあり、万全の出来とはいかなかったが、潤いと憂いと美と救済とそのほかあらゆるものを描き出した「神品」交響曲第6番の美質を巧みに浮かび上がらせた秀演となっていた。
先に書いたとおり、この曲では、管楽器に首席奏者が少なかったが、「首席だったらもっと」と思うパートがあったのは事実である。


ヴィーン・ウィリアムズのロンドン交響曲(交響曲第2番)。シベリウスの交響曲全集はフィンランド出身の指揮者が音楽界を席巻しているということもあり、リリースラッシュだが、イギリスの指揮者も台頭が目立つため、当然ながら母国の偉大な交響曲作曲家であるレイフ・ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を作成する人は多い。サー・アンドリュー・デイヴィスのように早くから世界的な知名度を築いた指揮者から、サー・マーク・エルダーのように日本では知名度はそれほど高くないが英国では尊敬を集めている実力派の指揮者まで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を作成しており、シベリウスやショスタコーヴィチにようにヴォーン・ウィリアムズも今後ブレイクが必至の作曲家となっている。なんだかんだで名指揮者が多い国の音楽は演奏される機会も多くなるし、多く聴かれることでファンも増えていく。
ドイツやフランスといったかつての音楽大国は、最近、指揮者が才能払底気味であり、比較的新しい時代の自国の作曲家の作品が思ったよりも演奏されないという現象も起きている。

イギリスの交響曲作曲家というとエルガーが有名であるが、彼は交響曲を3曲、完成したものに限ると2曲書いただけで、交響曲第2番は余り人気がない。一方、ヴィーン・ウィリアムズは9曲の交響曲を残しており、曲調もバラエティーに富んでいるということで、今後、日本でも取り上げられる回数が増えていくことだろう。

大友直人は元々、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリス音楽を得意としており、今回も引き締まった良い演奏を展開する。得意曲を振らせると、大友は若返ったように生き生きしている。

ロンドン交響曲は、大英帝国の首都時代のロンドンの様々な光景を描いたもので、趣としては同時代に作曲されたエルガーの交響曲第2番に近い。第1楽章では2台のハープがウエストミンスターの鐘(「キンコンカンコン」という学校のチャイムでよく使われる響き)を奏で、第4楽章の終盤でもウエストミンスターの鐘が1台のハープで奏でられて、幕開けと終幕の役割を担っている。活気に満ちていたり、異国情調溢れる場面があったりと、多彩な表情を持つ曲であり、師であるラヴェルからの影響も窺える。たまに雑然としたアンサンブルになるところもあったが、総体的には高く評価出来る演奏だと思う。大友の指揮も冴え、京響も力強い演奏で応えていた。

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2022年7月12日 (火)

京都市交響楽団 新常任指揮者 沖澤のどか 就任記者発表

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2022年4月29日 (金)

コンサートの記(775) ミハウ・ネステロヴィチ指揮 京都市交響楽団第666回定期演奏会

2022年4月22日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第666回定期演奏会である。「666」は、「オーメン」などで知られる通り、キリスト教においては不吉な数字だが、キリスト教徒のほとんどいない日本なので、本気で気にする人はいないだろう。

今日の指揮者は、ポーランド出身のミハウ・ネステロヴィチ。

3月をもって広上淳一が常任指揮者を離れ、空位期を迎えた京都市交響楽団。後任としては、「ヨーロッパ在住の指揮者」が予定されていたが、コロナにより就任が延期になったとされている。「ヨーロッパ在住」というだけで、日本人なのか外国人なのかも不明のままだ。
ということで迎えた新シーズン。残念ながら今期は大物外国人指揮者の招聘は予定されていない。京都市が財政難ということもあるだろうが、これまでは広上淳一のお友達ということで客演してくれた指揮者も多かった。常任指揮者不在の影響も出ているのだろう。
なお、広上淳一は、名誉称号などは辞退しているが、プログラムには無冠で名前が記されている。


ミハウ・ネステロヴィチは、バーゼル交響楽団(スイス)とアルトゥール・ルービンシュタイン・フィルハーモニー・ウッチ(ポーランド)の首席客演指揮者を務めている。有名オーケストラにも数多く客演しているが、シェフの座はまだ射止めていないようである。
コンクール歴は、2008年にカダケス交響楽団ヨーロッパ指揮者コンクールで優勝。祖国ポーランドのカトヴィツェで行われたグジェゴフ・フィテルベルク国際コンクールでは入賞を果たしている。


曲目は、キラールの弦楽オーケストラのためのオラヴァ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(ヴァイオリン独奏:郷古廉)、ブラームスの交響曲第1番。


今回のプレトークは、通訳の小松みゆきが質問して、ネステロヴィチがそれに答えるという形が取られる。キラールは、ポーランドの作曲家だが、ネステロヴィチはどのコンサートでも1曲は祖国であるポーランドの作曲家の作品を取り入れることにしているようだ。ちなみに長身の指揮者であり、約2mあるそうで、「どこのオーケストラからも指揮台がいらないということで喜ばれている」と語る。勿論、今日も指揮台なしである。

ロシアがウクライナに侵攻中ということで、ブラームスの交響曲第1番第4楽章の、ベートーヴェンの「第九」を模した旋律は「平和」への祈りが感じられると語り、またブラームスの演奏終了後に、ウクライナの作曲家の短い作品をアンコールとして演奏することを予告した。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。なお、キラールでは泉原の隣には尾﨑ではなく立石康子が座ったが、冒頭がコンサートマスターと第2ヴァイオリンのセカンドプルトの演奏で始まるという特異なスタイルの楽曲であるため、コンサートマスターの隣に座ったからフォアシュピーラーの役割を果たすという訳ではないようだ。
今日はチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置による演奏である。


キラールの弦楽オーケストラのためのオラヴァ。
ヴォイチェフ・キラール(1933-2013)は、当時はポーランド領であった現ウクライナのルヴツ出身の作曲家。1955年にカトヴィツェ音楽院に入学し、卒業後はパリに留学して、名教師として知られるナディア・ブーランジェに師事している。
映画音楽も数多く手がけており、名画として知られるロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」の音楽担当がキラールだったそうだ。
なお、オラヴァというのは、ポーランドとスロヴァキアにまたがるカルパチア山脈を流れるオラヴァ川のことだが、発音が似ている「牧草地」という意味の言葉も掛けられているそうである。

弦楽によるミニマルミュージックの要素を取り入れた音楽であり、マイケル・ナイマンの作風に似ている。終盤になると開放的な長調と入り組んだ不協和音が交互に奏でられ、光と影が互い違いに描かれているような音楽へと変わっていく。なお、ラストでは「ヘイ!」という声を奏者が発するよう指示がある(任意のようで行わなくてもいいようだ)が、コロナがまだ収束には至っていないということで、指揮者のネステロヴィチのみが「ヘイ!」と叫んだ。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調。
若手ヴァイオリニストの中でも比較的知名度の高い郷古廉(ごうこ・すなお)がソロを奏でる。
これまで幾たびも聴いてきたメンコンことメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。郷古のソロは他の奏者に比べてスケールが小さめなのが気になったが、音の純度は高く、また第3楽章の憂いの表情などは見事である。
京響の伴奏も優れていたが、もっと上質の伴奏を奏でたこともあるので、完全に満足の行く出来とまでは行かなかったように思う。

郷古のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より第3楽章アンダンテ。典雅にして温かな演奏であり、日だまりの道がずっと先まで続いている様が見えるような希望に満ちた音楽が奏でられた。


ブラームスの交響曲第1番。おそらくこれまで接した演奏会で最も多く取り上げられている曲である。
冒頭は威圧感や迫力ではなく透明度を重視する。大仰さがなくなり、染み込むような苦悩が全面に出る。その後、徐々に情熱を高めていくが、どれほど熱い場面であっても上品さを失うことはない。実演、録音含めて何度聴いたか分からない曲だが、こうした演奏に接するのはおそらく初めてであるように思う。ブラームスも奥が深い。
京響は金管に威力があるため、たまに管のバランスが強くなることもあるが、基本的にはエレガントなブラームスである。首席奏者を揃えた管も実に上手い。
ネステロヴィチは初来日で、これまで名前を聞いたこともなかったが、実力はかなりのものと見た。


予告通りのアンコール演奏。コンサートマスターの泉原がマイクを手に、曲目の紹介とウクライナ侵攻の平和的終結を願って演奏される旨を述べる。
演奏されるのは、ミロスラフ・スコリクの映画「High Pass」より「メロディ」(管弦楽版)。抒情的にして哀切な美しさに溢れていた。

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2022年3月31日 (木)

コンサートの記(772) 原田慶太楼指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021(年度)「発見!もっとオーケストラ!!」第4回「オーケストラ・ミーツ・シネマ」

2022年3月27日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021(年度)「発見!もっとオーケストラ!!」第4回「オーケストラ・ミーツ・シネマ」を聴く。映画で使われたクラシック音楽や映画音楽をフィーチャーした演奏会。指揮は、史上最高の映画音楽作曲家の一人であるジョン・ウィリアムズの弟子にして友人である原田慶太楼。京響の2月定期に出演するはずが、アメリカでの仕事を終えて日本に向かった場合、コロナ待機期間を満たせないという理由で降板した原田慶太楼(ガエタノ・デスピノーサが代役を務めた)。今回のオーケストラ・ディスカバリーには十分間に合った。
1985年に生まれ、高校からアメリカで学び始めた原田慶太楼。吹奏楽の指揮者として知られるフレデリック・フェネルにまず師事。複数の大学で音楽を学んだ後、シンシナティ交響楽団とシンシナティ・ポップス・オーケストラ(主に演奏する曲目が違うだけで両者は同一母体である)などのアソシエイト・コンダクターなどを経て、現在はジョージア州のサヴァンナ・フィルハーモニックの音楽&芸術監督として活躍している。「題名のない音楽会」など、メディアへの出演も多く、2021年春からは東京交響楽団の正指揮者に就任し、日本でもポストを得ている。京都市交響楽団とは、ロームシアター京都メインホールで行われた、ジョン・ウィリアムズの楽曲を中心としたコンサートで共演している。今日は全編、ノンタクトでの指揮。


曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った(かく語りき)」冒頭(オルガン:桑山彩子)、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番(合唱:京響コーラス)、ポンキエルリの歌劇「ジョコンダ」から「時の踊り」、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」からメインテーマ(ヴァイオリン独奏:石田泰尚)、ロジャース&ハマースタインⅡ世の「サウンド・オブ・ミュージック」セレクション、久石譲の「千と千尋の神隠し」から「あの夏へ」(ピアノ独奏:佐竹裕介)、ジョン・ウィリアムズの「ハリー・ポッターと賢者の石」から「ヘドウィグのテーマ」(チェレスタ独奏:佐竹裕介)、「スター・ウォーズ」から「インペリアル・マーチ(ダース・ベイダーのテーマ)」、「スター・ウォーズ」から「運命の決闘」(合唱:京響コーラス)、シベリウスの交響詩「フィンランディア」

前半は、「2001年宇宙の旅」に使われた「ツァラトゥストラはこう語った」の冒頭、ディズニー映画の「ファンタジア」で使われた「威風堂々」第1番と「時の踊り」というクラシック作品が演奏され、その後は映画のためのオリジナル曲を経て、ロシアの圧政に苦しんでいた時代のフィンランドの音楽である交響詩「フィンランディア」に至るというプログラム。

今日のコンサートマスターは京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はヴァイオリン両翼配置での演奏である。
管楽器の首席奏者は前半にほぼフル登場。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳は前半のみの出演となった。

ナビゲーターは、オーケストラ・ディスカバリーではお馴染みとなったロザンの二人が務める。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」。ヴァイオリン両翼配置のせいか、原田慶太楼が京都コンサートホールの音響に慣れていないためか、あるいは私が座った席が悪かったのか、もしくはその全てか、いつもに比べて音がモヤモヤしており、直接音が弱めに聞こえる。その後、どんどん音響が良く聞こえるようになったので、私の席や耳の問題か、原田と京響が響きをさりげなく調整したのか、音響に関する不満はなくなっていった。

エルガーの行進曲「威風堂々」第1番では「英国第2の国歌」と言われる部分を京響コーラスが歌うのだが、最初の場面では、オーケストラサウンドに隠れて声が思うように届かず。不織布マスクを付けての歌唱と言うことで、声量が十分出なかったのかも知れない。再度合唱が入る場面では、前回よりは声が通って聞こえた。

ロザンは、菅ちゃんが大の映画好きということで、楽しそうである。宇治原には映画を観ているようなイメージはないが、実際にどうなのかは分からない。

原田が菅ちゃんに、「今日は豪華です」と京響コーラスを紹介するも、菅ちゃんは、「あの背中向けてる人」とパイプオルガン独奏の桑山彩子にまず興味を持ったようだった。
今日も宇治原が楽曲解説などを真面目に行い、菅ちゃんがかき回すというパターンである。

ポンキエルリの歌劇「ジョコンダ」から「時の踊り」はラストで急速な加速を行い、聴衆の興奮をあおる。原田は若いだけあって、キビキビとした指揮姿であり、体中からエネルギーがほとばしる様が見えるかのようだ。


ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」。私もロードショー時に映画館で観た作品である。どぎついシーンもあるということで、全編モノクロームの映画となっている。
ヴァイオリン独奏の石田泰尚に、菅ちゃんが「昔、悪かったでしょう?」と聞くも、原田は、「いや、ナイスガイだと思いますよ」とフォロー(?)していた。
オリジナルはイツァーク・パールマンが、磨き上げられた厚みのある音で歌った美演であったが、石田のヴァイオリンソロはそれに比べると陰影がクッキリしており、良い意味で日本人的感性にフィットする独奏であったと思う。


ロジャース&ハマースタインⅡ世による「サウンド・オブ・ミュージック」セレクション。「サウンド・オブ・ミュージック」もヒットナンバーがずらりと並ぶ名作ミュージカル。反ナチスのプロパガンダ映画という側面があるが、そういう見方をしなくても楽しめる作品である。私は、小学校、中学校、高校で計4回、この映画を見せられている。ということで、見飽きてしまい、自分ではなかなか食指が動かない作品になってしまった。高校1年生の音楽の授業では、「サウンド・オブ・ミュージック」の1場面を演じることになり、私は、トラップ大佐の「ロルフ、君は騙されているんだ」というセリフを日本語で語り、「すべての山に登れ」を同じグループの人と英語詞で合唱した。そんな思い出が今も鮮やかに脳裏に浮かぶ。
映画は積極的に観ることはなかったが、「サウンド・オブ・ミュージック」のCDはテラークから出ていたものを買って何度も聴いている。エリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラによるものであった。90年代には、ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス・オーケストラ(こちらはボストン交響楽団の団員のうち、首席奏者を除いたメンバーで構成されており、ボストン交響楽団と同一ではない)とエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラが人気を二分していた。

選ばれたのは、「サウンド・オブ・ミュージック」「恋のゆくえは」「ひとりぼっちの羊飼い」「私のお気に入り」「もうすぐ17歳」「さようなら、ごきげんよう」「ド・レ・ミの歌」「エーデルワイス」「ふつうの夫婦」「誰も止められない」「マリア」「すべての山に登れ」。ちなみに「ド・レ・ミの歌」は、各国で翻訳が違い、「ミ」はという話になったところで、客席にいたちびっ子が、「me,for myself」と答えを歌っていた。
編曲者は不明だが、生き生きとした描写力の高い演奏が続く。
演奏終了後、原田はスキップしながら再登場していた。


第2部。久石譲の「千と千尋の神隠し」より「あの夏へ」。久石譲のコンサートでは作曲者自身がアンコール曲として弾くことも多い曲だが、佐竹裕介のピアノもリリカルで、京響の響きも日本のオーケストラらしい弱音の美学を体現していた。


ジョン・ウィリアムズの「ハリー・ポッターと賢者の石」から「ヘドウィグのテーマ」。映画監督からもしくは原作者からという二つの説があるが、「魔法の様な音が欲しい」と言われたジョン・ウィリアムズは、ある楽器を選ぶ。原田が客席に、「ヴァイオリンだと思う人」「ハープだと思う人」と聞いていくが、ジョン・ウィリアムズが選んだのは、チェレスタであった。結構有名な話、というより「ハリポタ」シリーズの映画を観た人は知っている情報である。原田は、チェレスタを独奏する佐竹裕介に、「魔法のような音出して」と言うも、佐竹が奏でたのは、新幹線が目的駅に近づいた時に流れるベルの旋律。その後、原田の求めで、「ヘドウィグのテーマ」の冒頭のチェレスタソロが演奏された。
菅ちゃんが、「魔法っぽいと思った人」と客席に聞くが、続いて「新幹線っぽいなあと思った人」と聞いて宇治原に突っ込まれる。

ジョン・ウィリアムズのアシスタントとして、本番でウィリアムズが指揮する際の前振りなども行っているという原田。自信と確信に溢れた音運びである。

ちなみに、スティーヴン・スピルバーグをゲストに招き、スピルバーグとウィリアムズがトークを行うイベントでも原田は指揮を担い、トークが一段落してからウィリアムズの音楽を奏でるという仕事もしたことがあるそうだ。


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」から「インペリアル・マーチ(ダース・ベイダーのテーマ)」と「運命の決闘」。「運命の決闘」では、合唱を受け持つ京響コーラスが、最後の音で全員が右手を突き出していた。

ここで、菅ちゃんが花束を持って登場。チェロの古川真差男は、このコンサートをもって京都市交響楽団を定年退職するというので、原田から花束が贈られる。古川は、「大学時代から京都市交響楽団で演奏していた」と語る。菅ちゃんが、「どこの大学ですか?」としつこく聞くので、古川は「京都市立芸術大学」と答え、菅ちゃんが宇治原に、「どうですか? 京都市立芸術大学」と聞き、京大芸人の宇治原が「まあまあやね」と答えて菅ちゃんに頭をはたかれる。これがやりたかったらしい。
余談だが、京都市立芸術大学は、音楽学部は一部の専攻を除いてそうでもないが、美術学部は受験科目が他の美大よりも多いため、併願が難しいことで知られている。例えば東京芸術大学と京都市立芸術大学の美術学部を併願しようとなった場合、京都市立芸大の方が東京芸大より入試の試験科目が多いため、本命を京都市立芸大にして勉強しないと少なくとも両方受かるのは難しい。
とまあ、ロザンに乗って受験の話をしてみたが、正直、自分が受けるわけでもないのでどうでもよかったりする。

それよりも重要なのはサプライズがあったということで、原田と京響チェロ奏者達の提案で、古川がプリンシパルの位置で「フィンランディア」を弾くことになる。特別首席チェロ奏者であるチェロ康こと山本裕康と場所を入れ替えての演奏である。

宇治原が、「フィンランディア」が書かれた当時、フィンランドがロシアの圧政に苦しんでいたことを紹介してから演奏スタート。京響は鳴りが実に良い。京響コーラスは、日本語での歌唱(翻訳者不明)で「スオミ(フィンランドで自国と自国民を指す言葉)の平和の里」と、平和へのメッセージを歌い上げた。


アンコール演奏は、「美女と野獣」より。この曲でも京響コーラスは日本語の歌詞を歌った。
なお、今回は、原田が新しい才能にチャンスを与えるプロジェクトを手掛けているということで、山本菜摘による新編曲版での初演となる。ウインドマシーンやレインスティックといった比較的珍しい楽器を取り入れた編曲であった。山本菜摘は会場に駆けつけており、ステージ上から原田に紹介されたが、若くて可愛らしい女性で、作・編曲家らしい雰囲気は纏っておらず、驚いた。

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2022年3月19日 (土)

コンサートの記(768) 広上淳一指揮京都市交響楽団第665回定期演奏会 広上淳一退任コンサート

2022年3月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第665回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。広上淳一の常任指揮者兼芸術顧問の退任公演となる。

曲目は、マーラーの交響曲第3番が予定されていたが、出演予定であった京都市少年合唱団のメンバーにコロナ陽性者が出たため少年合唱の練習が出来なくなり、曲目変更となった。

新たなる曲目は、尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃(いし)のうへ」(詩:三好達治)と「子守唄」(詩:立原道造。2曲とも合唱は京響コーラス)、マーラーのリュッケルトの詩による5つの歌曲(メゾ・ソプラノ独唱:藤村実穂子)、マーラーの交響曲第1番「巨人」


プレトークでは広上と門川大作京都市長が登場し、門川市長から広上に花束の贈呈があった。門川市長が退場した後は、音楽評論家で広上の友人である奥田佳道と、京都市交響楽団演奏事業部長の川本伸治、そして広上の3人でトークは進む。90年代だったか、広上が指揮したマーラーの「復活」について書いた演奏批評を後に広上が絶賛するということがあったが、その批評の書き手が奥田だったような気がする。かなり昔のことなので、正確には覚えていない。奥田は当初は客席で聴くだけの予定だったようだが、広上から「プレトークに出てよ」と言われたため、東京からの新幹線を早いものに変えて京都に来たそうである。
奥田は、広上と京響について、「日本音楽史に残るコンビ」と語り、サントリー音楽賞という通常は、個人か団体に贈られる賞を、「広上淳一と京都市交響楽団」というコンビでの異例の受賞となったことなどを紹介する。「ラジオで話すよりも緊張する」そうだが、音楽評論家というのは基本的には人前に出ない仕事なので、当然ながら聴衆を前に話すことには慣れていないようである。

川本は新日本フィルハーモニー交響楽団からの転身であるが、その前はボストン交響楽団と仕事をしていたそうで、「ヨーロッパテイストの響き」や「前半と後半で管楽器奏者が変わる」ことなどが京響とボストン響の共通点だと語っていた。

広上が京響を離れることについては、広上自身が「今生のお別れではありません」「また遊びに来ます」と語る。

曲目変更についてだが、前半の曲目については、「キザな言い方になりますが、我々の絆の温かで一番しっとりとした部分」が感じられるようになったのではないかと広上は述べる。

今日も尾高惇忠の作品が1曲目に演奏されるが、広上は最近、プロフィールの変更を行い、まず最初に尾高惇忠に師事したことを記すようにしたようである。湘南学園高校音楽科時代に尾高に師事しており、最初のレッスンで広上が弾いたのモーツァルトのソナタの印象を尾高が「バリバリに上手い訳じゃないけど、この年でこれほど味のあるピアノを弾く奴はそうそういないと感じた」と奥田に語ったことが紹介される。ただ広上によると続きがあったそうで、「でも来週も聴きたいとは思わない」というものだったそうである。
尾高惇忠の女声コーラス曲「春の岬に来て」は、元々はピアノ伴奏の曲だったようだが、「オーケストラ伴奏の曲にしたら面白いんじゃない」と進言したのが広上であることも奥田から紹介された。

また、ヨーロッパで通用する唯一の日本人声楽家といっていい、藤村実穂子が今回の京都市交響楽団の定期演奏会に出演するためだけにドイツから帰国したことが奥田によって語られる。


今日のコンサートマスターは、「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。
ドイツ式の現代配置での演奏だが、ピアノやチェレスタが舞台下手に来るため、ハープは舞台上手側に置かれている。


尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃のうへ」と「子守唄」。女声合唱はポディウムに陣取り、左右1席空け、前後1列空けでの配置となって、マスクをしたまま歌う。
叙情的で分かりやすい歌曲であるが、入りが難しそうな上に、技術的にも高度なものが要求されているようである。


藤村実穂子の独唱による、マーラーのリュッケルトの詩による5つの歌曲。
藤村の深みと渋みを兼ね備えた歌声による表現が見事である。ノンシュガーのコーヒーの豆そのものの旨味を味わうような心地に例えれば良いだろうか。広上指揮の京響も巧みな伴奏で、第4曲「真夜中に」の金管の鮮やかさ、第5曲「私はこの世から姿を消した」における弦の不気味な不協和音など、マーラーならではの音楽を巧みに奏でる。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。マーラーの青春の歌である「巨人」だが、冒頭の弦の響きから明るめで、第1楽章では強奏の部分でも爽やかな風が吹き抜けるような見通しの良さなど、濃密系が多い他の「巨人」とは異なる演奏となっていた。

広上の指揮はいつもよりオーバーアクションであり、縦の線がずれたところもあったが、生命力豊かな音楽作りとなる。
低弦や打楽器の威力と金管の輝きという京響の長所が引き出されており、「これが常任指揮者としては最後」とは思えないほどのフレッシュな演奏となっていた。

1956年創設の京都市交響楽団であるが、これからのことを思えばまだまだ青春期である。未来に向かって歩み出すような軽やかさと半世紀以上の歴史が生む濃密が上手く掛け合わされていたように思う。


演奏終了後に広上はマイクを手にして再登場し、スピーチを行う。京都市交響楽団の潜在能力に高さに気付いたのは自分(「不肖、私であります」と発言)であるが、それを伸ばすにはどうしたらいいか、急いでも駄目出し、そのままだと変わらないと思いつつやっていたら急に良くなったことなども述べたが、国内に二つ三つ優れたオーケストラがあるだけでは駄目で、ヨーロッパの名門オーケストラを上げながら、日本各地のオーケストラを個性ある団体に育てる必要を感じていることなどが語られた。

今月一杯で対談する廣瀬加世子(第1ヴァイオリン)と古川真差男(チェロ)への花束贈呈、広上に肖像画が贈られるという話(京都市立芸術大学学長である赤松玉女の推薦により、同大学及び大学院出身の城愛音によってこれから描かれる予定である)があった後で、アンコール曲として尾高惇忠の「春の岬に来て」から「子守唄」がもう一度演奏された。

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2022年3月18日 (金)

コンサートの記(767) 沼尻竜典指揮京都市交響楽団ほか びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー 舞台神聖祝典劇「パルジファル」

2022年3月6日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後1時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」を観る。ワーグナー最後の舞台音楽作品となっており、ワーグナー自身はバイロイト祝祭劇場以外での上演を認めなかった。

中世ドイツ詩人のヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩「パルチヴァール」が現代語訳(当時)が出版されたのが1842年。ワーグナーはその3年後にこの本を手に入れているが、これを原作とした舞台神聖祝典劇という仰々しい名のオペラ作品として完成させるのは、1882年。40年近い歳月が流れている。

セミ・ステージ形式での演奏。指揮は沼尻竜典、演奏は京都市交響楽団(コンサートマスター:泉原隆志)。演出は伊香修吾。出演は、青山貴(アムフォルタス)、妻屋秀和(ティトゥレル)、斉木建詞(グルネマンツ)、福井敬(パルジファル)、友清崇(クリングゾル)、田崎尚美(クンドリ)、西村悟、的場正剛(ともに聖杯の騎士)、森季子(第1の小姓)、八木寿子(第2の小姓、アルトの声)、谷口耕平(第3の小姓)、古屋彰久(第4の小姓)、岩川亮子、佐藤路子、山際きみ佳、黒澤明子、谷村由美子、船越亜弥(以上、クリングゾルの魔法の乙女たち)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル。合唱はマスクを付けての歌唱である。

ステージ前方に白色のエプロンステージが設けられており、同じ色の椅子が並んでいる。出演者達はここで歌い、演技する。客席の1列目と2列目に客は入れておらず、プロンプターボックスの他にモニターが数台並んでいて、これで指揮を確認しながら歌うことになる。
ステージ後方には階段状の二重舞台が設けられており、短冊状の白色の壁が何本も立っていて、ここに映像などが投影される。
小道具は一切使用されず、槍なども背後の短冊状の壁に映像として映し出される。

びわ湖ホールで何度も印象的な演出を行っている伊香修吾だが、セミ・ステージ形式での上演ということで思い切った演出は出来なかったようで、複雑な工夫はしていない。


「パルジファル」に先だって、ワーグナーは当時傾倒していた仏教と輪廻転生をテーマにした「勝利者たち」という楽劇を書く予定であった。実現はしなかったが、「勝利者たち」のヒロインがその後に、「パルジファル」のクンドリの原型となっている。


ワーグナー最後のオペラとなった「パルジファル」であるが、何とも謎めいた作品となっている。聖杯伝説が基になっており、キリストが亡くなった時にその血を受けた聖杯と十字架上のキリストを刺したといわれる聖槍(「エヴァンゲリオン」シリーズでお馴染みのロンギヌスの槍である)が重要なモチーフとなっている。モンサルヴァートの城の王であるアムフォルタスは、キリストをなぞったような性質の人物であり、聖槍を受けて、その傷が治らないという状態は、危殆に瀕したキリスト教という当時の世相が反映されている。
中世には絶対的な権威を誇ったキリスト教であるが、19世紀も末になると無神論が台頭するなど、キリスト教の権威は失墜の一途を辿っていた。

「アムフォルタスの傷を治す」と予言された「苦しみを共に出来る聖なる愚か者」に当たる人物がパルジファルである。モンサルヴァートの森で白鳥を射落として取り押さえられた男こそパルジファルであるが、彼は自分の名前も、出自も何一つ知らないという奇妙な人物である。白鳥が神の化身であることは「ローエングリン」で描かれているが、パルジファルは特に理由もなく白鳥を射落としている。

「これこそ救済を行う聖なる愚か者なのではないか」と思い当たった騎士長のグルネマンツは、パルジファルに聖杯の儀式を見せる。だがパルジファルは儀式の意味を理解出来ず、グルネマンツによって城から追い出される。

モンサルヴァートの城にはクンドリという不思議な女性がいる。最初は聖槍によって傷つけられたアムフォルタスのために薬を手に入れたりしているのだが、クンドリにはもう一つの顔があり、第2幕では魔術師のクリングゾルに仕えてモンサルヴァートの騎士達の破滅を狙う魔女として登場する。クリングゾルも元々は騎士団に入ることを希望する青年だったのだが、先王ティトゥレルに拒絶され、妖術使いへと身を堕としていた。ただ妖術の力は確かなようであり、魔の園に迷い込んだパルジファルの正体を最初から見抜いている。第2幕ではクリングゾルに命じられたクンドリがパルジファルに言い寄って破滅させようとするのだが、逆にパルジファルは覚醒してしまい、アムフォルタスに共苦する。パルジファルはクリングゾルが放った聖槍を奪い、魔の園を後にする。
そして長くさすらった後で、モンサルヴァート城に戻り、救済者となる。最後の歌は、合唱によるもので「救済者に救済を!」という意味の言葉で終わる。


かなり複雑で不可解な進行を見せる劇であり、最後に歌われる「救済者」というのがイエス・キリストなのかパルジファルなのかもはっきり分かるようには書かれておらず、様々な説がある。

分かるのは、旧来のキリスト教に代わり、あるいはキリスト教を補助する形で新たなる信仰が生まれるということである。少なくとも誰もが疑いを持たずにキリストを信仰出来る時代は終わっている。新たなる何かが必要で、それを象徴するのがパルジファルである。最初は無垢で無知だったのに、突如目覚めて賢人となり、キリストの後を継ぐもの。それは何か。おそらく「音楽」が無関係ということはないだろう。この時代、音楽はすで文学や政治と絡むようになっており、ただの音楽ではなくなっている。
新たなる信仰の誕生、そこに音楽や芸術が関わってくるというのは、決して突飛な発想ではないように思う。
クンドリの原型が仏教を題材にしているということで、仏教がキリスト教を補完するという、おそらく正統的な形についても考えてみる。四門出遊前のゴータマ・シッダールタは、シャカ族の王子として何も知らぬよう育てられた。父王が聖者から「出家したらブッダになる」と預言され、国のことを考えた場合、王ではなくブッダになると困るので、世間を知らせぬようにとの措置だった。だが、四門出遊(ゴータマが王城の4つの門から出て、この世の現実を知るという出来事)により「生病老死」の「四苦」を知り、出家。「抜苦与楽(慈悲)」へと行き着く。そうしたゴータマからブッダになる過程をパルジファルが担い、イエスの化身ともいうべきアムフォルタスの苦を除く。ストーリーとしてはあり得なくもないが、木に竹を接ぐ感は否めない。当時のヨーロッパにおける仏教理解はかなりの誤解を含んでいたと思われる。


沼尻の音楽作りは、いつもながらのシャープでキレのあるもので、スケールをいたずらに拡げず、細部まで神経を通わせている。おどろおどろしさは余りないが、その方が彼らしい。

京都市交響楽団も音色に華があり、威力も十分であった。沸き続ける泉のように音に生命力がある。

歌手達も充実。動き自体は余り多くなかったが、その分、声の表情が豊かであり、神秘的なこの劇の雰囲気を的確に表現していた。

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2022年2月22日 (火)

コンサートの記(765) ガエタノ・デスピノーサ指揮 京都市交響楽団第664回定期演奏会

2022年2月18日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第664回定期演奏会を聴く。

本来は、若手指揮者・原田慶太楼の京響定期デビューコンサートとなるはずだったが、原田は本拠地であるアメリカのオーケストラを振る仕事があり、その後に日本に再入国する際に必要とされる隔離期間2週間の確保が難しいため降板。代わって、昨年の暮れに来日し、以後、日本に長期滞在して各地のオーケストラを指揮しているガエタノ・デスピノーサが指揮台に立つ。
また、ピアノ独奏を務めるはずだった三浦謙司(ドイツ在住)も日本入りが不可能となったため、昨年9月のリーズ国際ピアノコンクールで第2位に輝いた若手・小林海都(かいと)がピアノソロに抜擢される。


曲目は当初と変わらず、ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ独奏:小林海都)、チャイコフスキーの交響曲第5番。


コロナ禍により、指揮者が足りないという状態が続いている。日本のオーケストラは良くも悪くも白人の指揮者頼りの傾向が続いていた。私が学生定期会員をしていた時期のNHK交響楽団は、定期演奏会の大半を白人、それもヨーロッパ出身の指揮者に委ねていた。同じ白人指揮者でもアメリカの指揮者は当時はまだそれほど信頼が置かれていなかったような気がする。定期的に招かれていたのはレナード・スラットキンなど数名だったと思う。

昨今も劇的に状況が変わったという訳ではなかったが、コロナによる外国人入国規制により、いやでもこれまでの方針を変えざるを得なくなった。私が学生定期会員をしていた時期のN響を例に挙げると、日本人指揮者が出演するのは4月定期のABC3つあるプログラムだけで、それを3人の日本人指揮者で振り分けるということをやっていたが、そんなことでは演奏会が開けない。

オーケストラだけではなく、日本のクラシック音楽の聴衆も同傾向。白人の名指揮者に人気が集中していた。そのため、客の呼べる日本人指揮者の数は限られており、争奪戦となっている。
そんな中で、昨年暮れに来日したデスピノーサとジョン・アクセルロッドは客の呼べる貴重な実力派白人指揮者。共に日本に長期滞在し、聴衆を魅了。アクセルロッドは先日、アメリカに帰ったが、デスピノーサは引き続き日本での活動を続けている。


出演者の急遽変更ということでバタバタしたのか、無料プログラムに記載されたプレトークの時間が「午後2時から」とマチネーの時間帯になっている。午後7時開演の公演のプレトークを午後2時から行っても客席に誰もいないが、客も間違えるはずもない。ということで午後6時30分からデスピノーサによるプレトークがある。英語でのスピーチ。通訳は小松みゆき。

デスピノーサは、まず「こんばんは」と日本語で挨拶してから、「Good Evening」と英語に直す。
「今回のプログラムは私が選んだわけではないのですが」と前置きした上で、「いいプログラムだと思います」と語る。

デスピノーサは、1978年、パレルモ生まれのイタリア人。ということで、まずは祖国の大作曲家であるジュゼッペ・ヴェルディの話。「ヴェルディはとても長生きした人で、活躍の時期も長かった」「チャイコフスキーは、27歳下ですが、チャイコフスキーが亡くなった後もヴェルディは生きて活躍していました」
そして、「ヴェルディは当初はシンプルなオペラを書いていたのですが、次第に交響詩のようなオペラを作曲することになります」
非常に有名だが、「椿姫」の“乾杯の歌”のオーケストラ伴奏は、「ブンチャッチャ、ブンチャッチャ」と三拍子のリズムを刻んでいるだけだったりする。それがワーグナーへの対抗心ともいわれるが、声を含むオーケストラによる一大叙事詩を指向するようになっていった。「運命の力」についてデスピノーサは、そんなシンプルと重厚の合間にある重要な作品としていた。

続いて、チャイコフスキーだが、「ヴェルディはオペラの人だが、チャイコフスキーはオペラの人とは言えないかも知れない(一応、「エフゲニー・オネーギン」や「スペードの女王」といった比較的有名なオペラも書いている)が、舞台的な発想をする人だ」と語る。バレエ音楽も優れたものが揃っている。そして舞台的な音楽発想という意味だと思われるが、チャイコフスキーはマーラーの先達、先駆けになる人」との解釈を披露する。
交響曲が私小説化していくのも、マーラーやチャイコフスキーの後期三大交響曲の特徴である。

ラフマニノフについては、「ノスタルジックな作曲家というイメージがあるが」新しいことも色々やった未来的なところもある作曲家、「パガニーニの主題による狂詩曲」にも新しいところがあるとの見解を述べていた。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの豊島泰嗣。フォアシュピーラーに泉原隆志。管楽器首席奏者ではオーボエの髙山郁子が全編に出演。トロンボーン首席の岡本哲がラフマニノフからの参加。それ以外はチャイコフスキーのみの出演となっている。


ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。
デスピノーサの実演には、昨年暮れの大フィルの第九で接しているが、相性は京響との方が良さそうである。全般的に明るめの音色と屈強なブラスという京響の長所が生きており、憂いや情熱、パースペクティブの表出などがイタリア音楽に相応しい。


ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。
ピアノ独奏の小林海都は、バーゼル音楽院在学中の若手。残念ながら醜聞続きの上野学園の高校で学んでいたのだが、マリア・ジョアン・ピリスのワークショップを受けた際に留学を勧められ、まずはベルギーのエリザベート王妃音楽院でピリスに師事した後でスイスに移っている。昨年12月にはデスピノーサの指揮でN響定期デビューも果たした。
見た目は芸術家というよりも「真面目なサラリーマン」風である小林だが、エッジの立ったキリリとしたピアノを弾くため、ギャップが凄い。今日は「パガニーニの主題による狂詩曲」とアンコール演奏の2曲だけだったが、音色やスタイルを自在に変えられるタイプであることが察せられるため、他の曲の演奏も聴きたくなる。
デスピノーサ指揮の京響も甘美で語り上手な伴奏を展開した。

小林のアンコール演奏はスクリャービンの24の前奏曲より第9番。デスピノーサは舞台から下り、客席に座って聴いていた。


チャイコフスキーの交響曲第5番。フルートの上野博昭、クラリネットの小谷口直子、ホルンの垣本昌芳、トランペットのハラルド・ナエス、ファゴットの中野陽一朗といった首席奏者が並んだこともあり、輝かしい音による白熱した演奏が展開される。

デスピノーサであるが、かなりテンポを揺らす。「一気に加速した後減速」を繰り返すため、下手をすると粗い演奏になりがちだが、そうした印象は余り受けず、時間を素材に全体像をきっちり組み立てる名建築家のような優れたフォルム作りが特徴。バランス感覚が人並み外れて優れているのだと思われる。
管楽器は鋭く、弦楽器はそれに比べると甘くと分けているのも特徴で、チャイコフスキーの多面性を描いているようでもある。ティンパニに硬い音を出させているのも独特。

第1楽章冒頭の小谷口直子のクラリネットソロ、第2楽章の垣本昌芳のホルンソロはいずれも技術が高く、表現力も豊かである。交響曲第5番はクラリネットとホルンが独奏的に用いられる場面が多く、交響的協奏曲のようでもある。

第4楽章も堂々と始まる。デスピノーサは、チャイコフスキーに関する最新の研究を余り取り入れてはいないように感じられたが、音が輝かしいが故に却って伝わってくる哀しさのようなものも特に弦には乗っているように感じられる。
疑似ラストの後の凱歌も爽快であるが、音の輝かしさ故に同時に生まれた陰の部分も目の前に差し出されているような感覚になる。ラストも「ジャ・ジャ・ジャ・ジャン」と切って演奏しており、「本当の凱歌」なのか疑問に思えてくる要素も隠さずに出していた。だが、昨今流行りの演奏とは異なり、地平の彼方に希望が見えているような終わり方でもあった。


演奏終了後、デスピノーサは再び客席に下り、京都市交響楽団に向かって拍手をするというパフォーマンスを行っていた。

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2022年2月 6日 (日)

コンサートの記(763) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014「VIVA!オーケストラ」第3回「オーケストラってなぁに?」

2014年11月30日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014『VIVA!オーケストラ』第3回「オーケストラってなぁに?」を聴く。
「~こどものためのオーケストラ入門~」という副題の付いているコンサートであるが指揮者も曲目も本格的であり、大人でも十二分に楽しめる。というより、正直、このプログラムは子供には理解出来ないと思う。
今日の指揮者は京都市交響楽団首席常任客演指揮者の高関健。ナビゲーターは「ぐっさん」こと山口智充。

曲目は、前半がハイドンの交響曲第90番より第4楽章、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」より第4楽章、ブラームスの交響曲第4番より第1楽章、後半がベートーヴェンの交響曲第1番より第2楽章、マーラーの交響曲第5番より第4楽章&第5楽章。オーケストラの弦楽の配置は前半と後半で変わり、前半はドイツ式の現代配置、後半は古典配置による演奏が行われる。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーは尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子は今日は全ての演目に登場。定期演奏会で前半にオーボエトップの位置に座ることの多いフロラン・シャレールは今日は後半のみの登場で次席として吹いた。小谷口直子はクラリネットが編成に加わるブラームスの曲から登場。フルート首席の清水信貴は後半のみの出演である。

開演前に京都コンサートホールのホワイエで、金管五重奏によるミニコンサートが行われる。出演者は、トランペットの早坂宏明(次席奏者)と稲垣路子、トロンボーンの岡本哲(首席指揮者)、ホルンの澤嶋秀昌、テューバの武貞茂夫。

曲は、ジョン・アイヴソンの編曲による「クリスマス・クラッカーズ」(「ジングルベル」、「Deck the halls(ひいらぎ飾ろう)」、「A Carol Fantasy」、「We wish a merry Christmas」)、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の金管合奏編曲版、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」金管五重奏版という、いずれもクリスマスを意識した曲目であった。


午後2時開演。

まず、ハイドンの交響曲第90番より第4楽章の演奏。今日の高関はマーラーの交響曲第5番第5楽章のみ指揮棒を用い、他は全てノンタクトで指揮した。
ピリオド・アプローチを取り入れた快活な演奏。今日は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンはピリオドによる演奏である。
曲が終了して、拍手が起こる、と、高関は客席の方を振り向いて指を振り、「まだ終わりじゃない」と告げる。演奏再開。そして終わって拍手、と思いきや曲はまだ終わっておらず、高関が再び客席を振り向いて人差し指を左右に振る。3度目でやって演奏は終了した。実はこの曲はハイドンが聴衆に「演奏が終わった」と勘違いさせるためにわざと疑似ラストを書いたという冗談音楽なのである。疑似ラストというとチャイコフスキーの交響曲第5番の第4楽章が有名だがチャイコフスキーは勘違いさせようとして書いたわけではない。だが、ハイドンはわざとやっているのである。ハイドンは「驚愕」交響曲を書いていたりと、ユーモア好きでも知られている。


ここで、ぐっさん登場。グレーの背広に同じ色の帽子姿である。ぐっさんは、クラシック音楽を聴く習慣もないし、オーケストラの演奏をコンサートホールで聴くのも初めてだという。
京都コンサートホールはステージの後方にも客席があるのだが、それがぐっさんは不思議だという。高関が「あれは合唱の席なんです。合唱が入る時はあそこに合唱が入るんです。今日は合唱は入らないので客席になっています」と説明する。京都コンサートホールのいわゆるP席(ポディウム席)は基本的に合唱が入ることを想定して設計されたものであり、合唱が大勢入れるように客席は可動式になっている。3席で1ユニットで、そのまま取り外し可能である。というわけで少し薄くて背もたれも低く、たまに軋むという欠点もある。
P席のあるホールでも、ザ・シンフォニーホールやサントリーホールなどは席は固定式である(合唱が入ることを想定して作られたものではない)。
元々は、P席は、ベルリン・フィルハーモニーが再建される際に、当時のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であったヘルベルト・フォン・カラヤンが、「カラヤンがホールの中心にいるようにする」というプランを取り入れて建設した際に生まれたものであり、合唱用に特別にあつらえられたものではない。

高関は、「あそこの席(P席)は(私から)良く見えるんです。あ、あそこのお客さん寝てるな、とか」と言う。ぐっさんが「逆にノリノリのお客さんなんかもいるわけですか?」と聞くと、高関は「それは迷惑です」と答える。ぐっさんは「ほどほどということで」とこの話題を締める。

ぐっさんは、オーケストラというものの成り立ちについて高関に聞く。高関は「昔、芝居などの時に、ステージの前の方にで歌ったり踊ったりする声を掛けたりする(その人達のことをコロスといってこれはコーラスの元となった言葉である)場所があったそうで、そこをオルケーストラと呼んだのが始まりだそうです。昔は下で演奏していましたが、ステージに上がって演奏を始めたのが大体、1700年頃といわれています(日本でいうと元禄時代である。1701年に浅野内匠頭と吉良上野介の松の廊下刃傷事件が起こり、翌1702年に赤穂浪士達の吉良邸討ち入りがあった)」と述べた。

ぐっさんは、「高関さんも、京都市交響楽団の方々も凄い方なんです。プロフィールに凄い経歴が書いてある。ですが、私のプロフィールはたった3行ってこれなんですか? 吉本興業、もっと良い情報持ち合わせていなかったんでしょうか? 『趣味は、散歩、ものまね、ギター』ってこれどうでもいい情報ですよね」と言う。


モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。緻密な演奏である。弦楽のビブラートはハイドンや、この後に演奏されるベートーヴェンに比べると多めだった。
この曲が始まる前に高関はフーガについての説明を行った。


ブラームスの交響曲第4番第1楽章の演奏の前に、高関はソナタ形式についての説明を行う。第一主題、第二主題、展開部、再現部、終結部からなるのだが、これを高関はプレートを使って説明する。第一主題は「A」、第二主題は「B」、展開部は「サビ」と書かれたプレートである。「A」のプレートは黄色、「B」のプレートは緑、「サビ」のプレートはピンク色をしている。展開部はサビとは違うのだが、わかりやすくサビと呼ぶことにしたらしい。まず予行として高関は「A」のプレートを掲げながら、第一主題を指揮し、いったん指揮を終えて、第二主題に入るちょっと前から演奏を始め、チェロが第二主題を奏でたときに「B」のプレートを掲げる。それからプレートはないのだが、もう一つの主題を演奏する。

本番の演奏でも、高関は「A」のプレートを掲げてから指揮を始め、第二主題に入ると「B」のプレートを取り出す。展開部では「サビ」と出し、その後、再現部でも「A」と「B」のプレートを掲げた。
なかなか白熱した演奏である。
今日は1階席の18列18番目の席で聴いたのだが、良い音で聞くことが出来る。京都コンサートホールの1階席は音響が今一つなのだが、高関はオーケストラを鳴らすのは得意なので問題はない。


後半、弦楽は配置を変えてヴァイオリン両翼の古典配置となる。ぐっさんは、配置が変わったことについて高関に聞く。高関は「元々は今のような配置で演奏していたようですが、第二次大戦後に前半のような配置も生まれたようです」と答える。現代配置が生まれたことについて高関は「諸説あるのですが、録音の際に前半のような配置にした方が良かったのではないかとも言われています。ステレオで録音する際に、こちら側(下手側)からは高い音、こちら側(上手側)から低い音と分けて聞こえるのが効果的だったのではないかと」と推測した。
現代配置の生みの親は実はわかっている。イギリスの指揮者であるレオポルド・ストコフスキーである。現代配置と呼ばれているのは彼がフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者だった時代に始めたものだ(そのため、アメリカ式の現代配置は「ストコフスキー・シフト」とも呼ばれる)。ただ配置を変えた理由については明確になっていないようだ。また、チェロが指揮者の正面に来るドイツ式の現代配置は誰が始めたのか正確には不明のようである。

配置換えを担当したステージマネージャーの日高成樹がステージ上に呼ばれるが、日高は内気な性格のようで、高関からもぐっさんからもマイクを向けられたが、結局、一言も発することなくステージを後にした。

ぐっさんは、配置が正反対に変わったコントラバス奏者の石丸美佳にインタビューするが、ぐっさんの「どちらが弾きやすいですか?」という質問に石丸は「どちらでも同じぐらい」という無難な返答をした。


ベートーヴェンの交響曲第1番より第2楽章。フレッシュな演奏である。聴覚的にもそうだが、視覚的にも音の受け渡し方がよりわかりやすくなる。


ラストの曲目であるマーラーの交響曲第5番より第4楽章&第5楽章。大編成での演奏。高関によると「83名か84名による演奏」だそうである。ぐっさんが「一番編成の大きい曲は何人ぐらいで演奏するんですか?」と聞くと高関は「実はマーラーの曲でして、交響曲第8番『千人の交響曲』という曲で、合唱を含めて全1033名で演奏したという記録があります。実は朝比奈隆先生が、フェスティバルホールで同じ人数で再現されたことがあります」と答えた。高関も「千人の交響曲」は指揮したことがあるが、流石に千人には到達せず、850人編成での演奏を3回指揮したことがあるという。

ぐっさんは客席で聴いてみたいということで、ステージを降りて、空いている前の方の席に座る。

有名な第4楽章アダージェットは京響の弦楽が艶やかであり、第5楽章はスケールが大きい(先に書いた通り、第5楽章だけは高関は指揮棒を手にして指揮した。指揮棒を使った方が大編成のオーケストラを操りやすいからだと思われる)。ただ、京都コンサートホールの音響は第5楽章を聴くには余り効果的ではない。この楽章では、管楽器奏者が朝顔を上げて、下ではなく真横に向けて音を出すようマーラーが楽譜に書き込んでいるのだが、トランペットの直接音などは強すぎて全体のバランスが悪くなってしまうのである。弦楽の音がもっと前に飛ぶホールだと良かったのだが。

とはいえ、充実した演奏を楽しむことが出来た。

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2022年1月12日 (水)

コンサートの記(758) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!」第3回「物語とオーケストラ」

2021年12月5日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!」第3回「物語とオーケストラ」を聴く。今回の指揮者は、京都市交響楽団首席客演指揮者のジョン・アクセルロッド。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

曲目は、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲、ワックスマンの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:服部百音)、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メインテーマ、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」(ナレーション:福山俊朗)。

今回は開演前にロビーコンサートがあり、ジョン・アクセルロッドが電子ピアノを弾く。
「ヒーロー」がテーマであり、まずチェレスタの音色で「ハリー・ポッター」のメインテーマが奏でられる。
アクセルロッドは続いて自分自身のヒーローだというJ・S・バッハの「平均律クラーヴィア」曲集よりプレリュードを弾いた。
また質問も受け付け、音楽家になるにはとの質問に、「まず音楽への愛を持って学ぶ必要」があり、そして「プラクティス、プラクティス、プラクティス(練習、練習、練習)」だそうである。呼吸をするように音楽が出来るようになれば、音楽家になれるだろうとのことであった。アクセルロッドは、「皆さんのヒーローは誰ですか? スーパーマンですか? スパイダーマンですか? 侍ですか?」と聞いていた。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭は降り番。オーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子は全編に出演する。


ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲。
アクセルロッドは、曲によって勿論異なるが、基本のテンポは速めである。またシャープな音楽性が特徴である。この演奏では何故か弦の音にモヤがかかったように聞こえ、分離や輪郭がはっきりしなかった。

ガレッジセールとのやり取りは、通訳の小松みゆきを通して行う。アクセルロッドは、ガレッジセールの質問に、まずは「はい」と日本語で答える。アクセルロッドは、歌劇「ウィリアム・テル(ギョーム・テル)」の少年の頭の上に置いた林檎を弓矢で射落とすという有名な物語を語った。ゴリは「ウィリアム・テル」序曲のラストに出てくる「スイス軍の行進」について、「俺ら50代近くの人間は、『俺たちひょうきん族』を思い出す」話す。


ワックスマンの「カルメン幻想曲」。映画音楽の作曲家として知られるフランツ・ワックスマンが、ビゼーの歌劇「カルメン」の旋律を取り込んでヴァイオリン協奏作品に仕上げたものである。アクセルロッドはカルメンについて、スペイン一美しいが最も怖ろしい女性であると述べる。アクセルロッドは、スペイン王立セビリア交響楽団の音楽監督を務めていたことがあるが、セビリアはカルメンの舞台である。

ヴァイオリン独奏の服部百音は、1999年生まれの若手ヴァイオリニスト。服部隆之の娘であり、音楽一族服部家の四代目である。5歳でヴァイオリンを始め、8歳でオーケストラと共演。2009年のポーランド・リピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで最年少での第1位を獲得。その後いくつものヴァイオリン国際コンクールで優勝を飾っている。今年10月に仙川の桐朋学園大学大学院に入学したばかりである。

真っ赤なドレスで登場した服部。まだ若いためか線がやや細いのが気になるが、高度なメカニックを駆使して情熱的な演奏を展開する。京響の鳴りもロッシーニに比べるとかなり良い。オーケストレーションの違いなのか、時代背景が異なるためか(ロッシーニの時代にはまだ音響の良いコンサートホールやオペラハウスは存在していない)ジャンルの違いなのかは不明である。

服部百音とガレッジセール(主にゴリ)のトーク。演奏中に弓の一部が切れたそうで、弓が切れた場合、垂れた弓の糸の一部が左手に絡まることがあるそうで、それに気をつけながら弾く必要があるという。また今日は顎乗せを留めているネジが外れかかっていたそうで、途中で留め直したそうだ。
ゴリが、「百音さんがジョンさんに近づいていくので、ジョンさんを刺すんじゃないかと」
百音「あ、カルメンは逆にカルメンが刺されるお話です。ラストで刺されちゃいます」
ゴリ「で、今回はジョンさんを刺そうと」
百音「それは違います」


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メイン・テーマ。
ゴリが、「あれ、ジョンさんいませんね」と言いつつ進めようとするが、ここでダース・ベイダーの「スースー」という吐息が聞こえる。ジョン・アクセルロッドがダース・ベイダーの面を被り(その上から黒いマスクを付けている)、ライトセーバーを持って登場。ただ持っているのはライトセーバーではなく、警備員が用いる普通の棒(警備棒)である。
アクセルロッドはそのまま指揮台に立つが、演奏前には面を取り、指揮棒を持って指揮した。オーケストレーションに定評のあるジョン・ウィリアムズの作品ということで、鳴りは抜群に良い。


後半。チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」。舞台俳優、福山俊朗(しゅんろう)のナレーション入りである。台本はアクセルロッドが書いたもののようだ(翻訳者がいるはずだが不明)。

フルートが上野博昭でなかったのが少し残念だが、色彩感豊かで洒落た演奏が展開される。福山のナレーションも安定したものであった。

演奏終了後、ゴリは、「お客さん、『福山さんの席が一番良い席だな』と思ったんじゃないでしょうか。あんな良い席ない」と語る。

アンコールとして、「ウィリアム・テル」序曲より「スイス軍の行進」が再度演奏された。

ロビーコンサートから「ヒーローについて」語っていたアクセルロッドだが、「コンサートに駆けつけてくれた皆さんこそが本物のヒーローです」と締めていた。

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2021年12月30日 (木)

コンサートの記(754) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2021

2021年12月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がメインの曲目だが、その前に同じくベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番が演奏される。

今日のコンサートマスターは京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式現代配置での演奏で、管楽器の首席奏者はほぼ揃っている。

第九の独唱は、砂川涼子(ソプラノ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は京響コーラス。


序曲「レオノーレ」第3番。ベートーヴェンが書いた序曲の中では最も演奏される回数の多い楽曲だと思われるが、暗闇の中を手探りで進むような冒頭から、ティンパニが強打されて活気づく中間部、熱狂的なフィナーレなど、第九に通じるところのある構成を持っている。
広上と京響は生命力豊かで密度の濃い演奏を行う。トランペット首席のハラルド・ナエスがバンダ(一人でもバンダというのか不明だが)として、二階席裏のサイド通路とポディウムでの独奏を行った。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
第1楽章と第2楽章は、クッキリした輪郭が印象的なノリの良い演奏で、ピリオドを意識したテンポ設定とビブラートを抑えた弦楽の響きが特徴。時折きしみのようなものもあり、整ったフォルムの裏に荒ぶる魂が宿っているかのようで、バロックタイプでこそないが硬い音を出すティンパニが強打される。

第3楽章は、第1楽章と第2楽章とは対照的に遅めのテンポでスタート。途中からテンポが変わるが、旋律の美しさをじっくりと歌い上げており、第九が持つ多様性と多面性を浮かび上がらせる。最近では全ての楽章が速めのテンポで演奏されることが多い第九だが、こうした対比やメリハリを付けた演奏も魅力的である。

第4楽章は再びエッジの効いた演奏。京響コーラスはマスクを付け、一部の例外を除いて前後左右1席空けての歌唱で、やはり声量も合唱としても密度もコロナ前に比べると劣るが、かなり健闘しているように思えた。

広上は跳んだりはねたり、指揮棒を上げたり下げたりを繰り返すなど、いつもながらのユニークな指揮姿。また全編に渡ってティンパニを強打させるのが特徴である。
第九におけるティンパニは、ベートーヴェン自身のメタファーだという説を広上も語ったことがあるが、打楽器首席奏者の中山航介が豪快にして精密なティンパニの強打を繰り出し、ベートーヴェンの化身としてコロナと闘う全人類を鼓舞しているように聞こえた。

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