カテゴリー「京都市交響楽団」の216件の記事

2022年1月12日 (水)

コンサートの記(758) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!」第3回「物語とオーケストラ」

2021年12月5日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!」第3回「物語とオーケストラ」を聴く。今回の指揮者は、京都市交響楽団首席客演指揮者のジョン・アクセルロッド。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

曲目は、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲、ワックスマンの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:服部百音)、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メインテーマ、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」(ナレーション:福山俊朗)。

今回は開演前にロビーコンサートがあり、ジョン・アクセルロッドが電子ピアノを弾く。
「ヒーロー」がテーマであり、まずチェレスタの音色で「ハリー・ポッター」のメインテーマが奏でられる。
アクセルロッドは続いて自分自身のヒーローだというJ・S・バッハの「平均律クラーヴィア」曲集よりプレリュードを弾いた。
また質問も受け付け、音楽家になるにはとの質問に、「まず音楽への愛を持って学ぶ必要」があり、そして「プラクティス、プラクティス、プラクティス(練習、練習、練習)」だそうである。呼吸をするように音楽が出来るようになれば、音楽家になれるだろうとのことであった。アクセルロッドは、「皆さんのヒーローは誰ですか? スーパーマンですか? スパイダーマンですか? 侍ですか?」と聞いていた。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭は降り番。オーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子は全編に出演する。


ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲。
アクセルロッドは、曲によって勿論異なるが、基本のテンポは速めである。またシャープな音楽性が特徴である。この演奏では何故か弦の音にモヤがかかったように聞こえ、分離や輪郭がはっきりしなかった。

ガレッジセールとのやり取りは、通訳の小松みゆきを通して行う。アクセルロッドは、ガレッジセールの質問に、まずは「はい」と日本語で答える。アクセルロッドは、歌劇「ウィリアム・テル(ギョーム・テル)」の少年の頭の上に置いた林檎を弓矢で射落とすという有名な物語を語った。ゴリは「ウィリアム・テル」序曲のラストに出てくる「スイス軍の行進」について、「俺ら50代近くの人間は、『俺たちひょうきん族』を思い出す」話す。


ワックスマンの「カルメン幻想曲」。映画音楽の作曲家として知られるフランツ・ワックスマンが、ビゼーの歌劇「カルメン」の旋律を取り込んでヴァイオリン協奏作品に仕上げたものである。アクセルロッドはカルメンについて、スペイン一美しいが最も怖ろしい女性であると述べる。アクセルロッドは、スペイン王立セビリア交響楽団の音楽監督を務めていたことがあるが、セビリアはカルメンの舞台である。

ヴァイオリン独奏の服部百音は、1999年生まれの若手ヴァイオリニスト。服部隆之の娘であり、音楽一族服部家の四代目である。5歳でヴァイオリンを始め、8歳でオーケストラと共演。2009年のポーランド・リピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで最年少での第1位を獲得。その後いくつものヴァイオリン国際コンクールで優勝を飾っている。今年10月に仙川の桐朋学園大学大学院に入学したばかりである。

真っ赤なドレスで登場した服部。まだ若いためか線がやや細いのが気になるが、高度なメカニックを駆使して情熱的な演奏を展開する。京響の鳴りもロッシーニに比べるとかなり良い。オーケストレーションの違いなのか、時代背景が異なるためか(ロッシーニの時代にはまだ音響の良いコンサートホールやオペラハウスは存在していない)ジャンルの違いなのかは不明である。

服部百音とガレッジセール(主にゴリ)のトーク。演奏中に弓の一部が切れたそうで、弓が切れた場合、垂れた弓の糸の一部が左手に絡まることがあるそうで、それに気をつけながら弾く必要があるという。また今日は顎乗せを留めているネジが外れかかっていたそうで、途中で留め直したそうだ。
ゴリが、「百音さんがジョンさんに近づいていくので、ジョンさんを刺すんじゃないかと」
百音「あ、カルメンは逆にカルメンが刺されるお話です。ラストで刺されちゃいます」
ゴリ「で、今回はジョンさんを刺そうと」
百音「それは違います」


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メイン・テーマ。
ゴリが、「あれ、ジョンさんいませんね」と言いつつ進めようとするが、ここでダース・ベイダーの「スースー」という吐息が聞こえる。ジョン・アクセルロッドがダース・ベイダーの面を被り(その上から黒いマスクを付けている)、ライトセーバーを持って登場。ただ持っているのはライトセーバーではなく、警備員が用いる普通の棒(警備棒)である。
アクセルロッドはそのまま指揮台に立つが、演奏前には面を取り、指揮棒を持って指揮した。オーケストレーションに定評のあるジョン・ウィリアムズの作品ということで、鳴りは抜群に良い。


後半。チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」。舞台俳優、福山俊朗(しゅんろう)のナレーション入りである。台本はアクセルロッドが書いたもののようだ(翻訳者がいるはずだが不明)。

フルートが上野博昭でなかったのが少し残念だが、色彩感豊かで洒落た演奏が展開される。福山のナレーションも安定したものであった。

演奏終了後、ゴリは、「お客さん、『福山さんの席が一番良い席だな』と思ったんじゃないでしょうか。あんな良い席ない」と語る。

アンコールとして、「ウィリアム・テル」序曲より「スイス軍の行進」が再度演奏された。

ロビーコンサートから「ヒーローについて」語っていたアクセルロッドだが、「コンサートに駆けつけてくれた皆さんこそが本物のヒーローです」と締めていた。

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2021年12月30日 (木)

コンサートの記(754) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2021

2021年12月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がメインの曲目だが、その前に同じくベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番が演奏される。

今日のコンサートマスターは京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式現代配置での演奏で、管楽器の首席奏者はほぼ揃っている。

第九の独唱は、砂川涼子(ソプラノ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は京響コーラス。


序曲「レオノーレ」第3番。ベートーヴェンが書いた序曲の中では最も演奏される回数の多い楽曲だと思われるが、暗闇の中を手探りで進むような冒頭から、ティンパニが強打されて活気づく中間部、熱狂的なフィナーレなど、第九に通じるところのある構成を持っている。
広上と京響は生命力豊かで密度の濃い演奏を行う。トランペット首席のハラルド・ナエスがバンダ(一人でもバンダというのか不明だが)として、二階席裏のサイド通路とポディウムでの独奏を行った。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
第1楽章と第2楽章は、クッキリした輪郭が印象的なノリの良い演奏で、ピリオドを意識したテンポ設定とビブラートを抑えた弦楽の響きが特徴。時折きしみのようなものもあり、整ったフォルムの裏に荒ぶる魂が宿っているかのようで、バロックタイプでこそないが硬い音を出すティンパニが強打される。

第3楽章は、第1楽章と第2楽章とは対照的に遅めのテンポでスタート。途中からテンポが変わるが、旋律の美しさをじっくりと歌い上げており、第九が持つ多様性と多面性を浮かび上がらせる。最近では全ての楽章が速めのテンポで演奏されることが多い第九だが、こうした対比やメリハリを付けた演奏も魅力的である。

第4楽章は再びエッジの効いた演奏。京響コーラスはマスクを付け、一部の例外を除いて前後左右1席空けての歌唱で、やはり声量も合唱としても密度もコロナ前に比べると劣るが、かなり健闘しているように思えた。

広上は跳んだりはねたり、指揮棒を上げたり下げたりを繰り返すなど、いつもながらのユニークな指揮姿。また全編に渡ってティンパニを強打させるのが特徴である。
第九におけるティンパニは、ベートーヴェン自身のメタファーだという説を広上も語ったことがあるが、打楽器首席奏者の中山航介が豪快にして精密なティンパニの強打を繰り出し、ベートーヴェンの化身としてコロナと闘う全人類を鼓舞しているように聞こえた。

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2021年10月18日 (月)

コンサートの記(749) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団第661回定期演奏会

2021年10月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第661回定期演奏会を聴く。今日の指揮は期待の若手、沖澤のどか。

沖澤のどかは、1987年、青森県生まれ。以前に聞いた話では、青森で音楽を学ぶことにはやはりハンディがあるそうで、プロのオーケストラの演奏を聴く機会は年に1度あるかないか。お金さえあれば毎日のようにオーケストラの演奏会に通える東京とは雲泥の差だそうである。
東京藝術大学と同大学大学院で指揮を学んだ後、渡独。ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学大学院で学び、二つ目の修士号を獲得した。現在もベルリン在住。
2018年に東京国際音楽コンクール指揮部門で優勝して注目を浴び、翌2019年にはブザンソン国際指揮者コンクールでも優勝している。現在は、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミー奨学生として、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者・芸術監督であるキリル・ペトレンコのアシスタントを務めながら世界各地のオーケストラに客演するという生活を送っている。今年はまず、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会にデビューする予定だったのだが、ベルリン在住ということで、日本で活動するには2週間の自主隔離が必要となり、スケジュール的に無理ということで流れ、続くオーケストラ・アンサンブル金沢への客演も同じ理由で実現しなかった。京都市交響楽団への客演も当然ながら2週間の隔離が必要となるのだが、こちらは間に合った。


オール・フランス・プログラムで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:務川慧悟)、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番&第2番。
ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」は、全曲や第2組曲がコンサートで演奏されることが多いが、第1組曲も演奏されるのは珍しい。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日は、客演首席チェロにNHK交響楽団首席チェロ奏者の「大統領」こと藤森亮一が入る。「大統領」「藤森大統領」というのは、ペルーのアルベルト・フジモリ(元)大統領に由来するあだ名で、1990年代に書かれた茂木大輔のエッセイに頻繁に登場するのだが、アルベルト・フジモリ大統領失脚から長い時間が経過した今も使われているあだ名なのかどうかは不明である。
フルート首席の上野博昭は「牧神の午後への前奏曲」と「ダフニスとクロエ」に登場。オーボエ首席の髙山郁子は「ダフニスとクロエ」のみの出演。クラリネット首席の小谷口直子は全編に登場した。


午後6時30分頃から沖澤のどかによるプレトークがある。「プレトークというものを行うのは生まれて初めてなので緊張している」と、まず述べた沖澤だが、話が面白く、頭の良さが感じられる。

京都に来るのは高校の修学旅行以来だそうだが、リハーサルをしていたので観光にはほとんど行けなかったこと、数年前に黛敏郎のオペラ「金閣寺」のアシスタントをしたことがあるのだが、その時は京都には行けないので、GoogleマップやGoogleストリートビューで金閣寺の周りをWeb上で回ってイメージ作りをしたという話をして笑いを取っていた。京都市交響楽団については、「まろやかな音」「音のパレットが豊富」という印象を受けたそうである。

ベルリン・フィルのアシスタントをしているということで、リハーサルや本番に立ち会うことが多いのだが、ベルリン・フィルはたまに人間の声のような音を出すそうである。そして、京響との今回のリハーサルでも、「ダフニスとクロエ」バレエ全曲版などでは合唱の入る「夜明け」のクライマックスのような部分でも同じことを感じたと語る。「合唱が入る部分なので気のせいかと思った」がやはりそのような音がしていたとのこと。
「牧神の午後への前奏曲」と「ダフニスとクロエ」には牧神パンが登場するのだが、「ダフニスとクロエ」のパンの登場にはうねりのようなものを感じるという。今回の演奏会のためにスコアを読んでいたところ、パンの登場の場面で本当に地響きのようなものを感じ、「自分の想像力もいよいよこの領域まで来たか」と思ったものの、実際に地震が起こっていた(先日、関東地方を襲った地震)ということでまた笑いを取っていた。
また、芸術=Artは、自然=Natureの対義語であるとし、今は自然を感じる機会が減っているという話もしていたが、「アートネイチャーはきっととても知的な方が付けた社名」というようなことを語り、ここでも笑いを誘っていた。

サン=サーンスについては、ドイツ人がフランス人について憧れを抱く「計算された自由さやさりげなさ」(実際は違う言葉を使っていたがこちらの方が分かりやすいので変えてみた)を体現している代表格と見なされているという話をしていた。

沖澤が下手袖に退場すると、京響の楽団員が出迎える拍手の音が聞こえる。かなり気に入られたようである。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。非常に優しい感じの演奏であり、一音一音を愛でるかのような丁寧さが目立つ。フランス系の指揮者が奏でるような「爽やか」だったり「カッコイイ」系だったりする「牧神の午後への前奏曲」ではなく、もっと温かで柔らかな演奏である。


サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。
独奏者の務川慧悟(むかわ・けいご)は、東京藝術大学音楽学部ピアノ科1年在学中に第81回日本音楽コンクール第1位を受賞して注目され、2014年にパリ国立高等音楽院に審査員満場一致で合格して入学。ピアノ科第2課程と室内楽科を修了し、現在はピアノ科第3課程とフォルテピアノ科にも在籍しているという。2019年、ロン・ティボー・クレスパン国際コンクール2位入賞。2021年、エリザベート王妃国際コンクール3位とコンクール歴を重ねている。
硬質な音で入り、堅固な造形を見せるが、第2楽章などはサン=サーンスの気の利いた旋律をお洒落に奏で、パリ在住者ならでは――というと言い過ぎかも知れないが――のエスプリ・クルトワを振りまく。第3楽章もチャーミングさを失わない演奏だ。
沖澤指揮の京響も細部まで神経が行き届きつつ、神経質にはならない独特のおおらかさを持った伴奏を繰り広げる。

務川のアンコール演奏は、ラヴェルの「クープランの墓」より第5曲“メヌエット”。これもやはり洒落た感覚が生きた演奏であった。


ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番&第2番。沖澤と京響の作り出す音楽はスケール豊かで、音の煌めきが見事である。
沖澤の指揮は、昨今の指揮者に多い派手さやバトンテクニックの鮮やかさで勝負するものではなく、「堅実」といった印象を受ける。指揮姿で見せるタイプではないようだ。音楽もまた誠実なものなのだが、つまらない演奏には陥らない。なお、第1番演奏終了と同時に照明が絞られ、薄明の中で第2番の「夜明け」が始まるという視覚的な演出が施されていた。
沖澤が、「声のように聞こえた」と語った、「夜明け」の場面のクライマックス。私には声にようには残念ながら聞こえなかったが(そこまで耳が良くないということなのだろう)、「光彩陸離」や「極彩色」といった常套句を超えた色彩が横溢するのを感じた。「爆発的」と言ってもいいほどの輝きである。
その他の部分の描き方も鮮やかで、沖澤の圧倒的な才能を感じる演奏会となった。

なお、沖澤のどかは、今後産休に入るということで、実演に接する機会はしばらくおあずけとなりそうである。

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2021年10月 1日 (金)

コンサートの記(746) クリスティアン・アルミンク指揮 京都市交響楽団第660回定期演奏会

2021年9月25日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第660回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務めたことで日本でもお馴染みとなったクリスティアン・アルミンク。第25回京都の秋音楽祭のプログラムの一つとしての公演である。

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ドイツ・グラモフォン・レーベルの社長の息子という恵まれた境遇に生まれたアルミンク。ウィーン国立音楽大学でレオポルド・ハーガーに学んだ後、小澤征爾のアシスタントとして研鑽に励み、小澤の手兵であるボストン交響楽団や新日本フィルを指揮。その後、新日フィルやベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、現在は広島交響楽団の首席客演指揮者として日本にも拠点を持ち続けている。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はチェロが舞台寄りとなるアメリカ式の現代配置での演奏である。
8月定期の際は、松本市で行われていたサイトウ・キネン・オーケストラの無観客配信演奏会に出演していた特別首席チェロ奏者の「チェロ康」こと山本裕康が今日は首席のポジションに陣取り、同じくサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーとして出演していたソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が今日は出演する。

オール・ワーグナー・プログラムで、「ジークフリート牧歌」と、ヘンク・デ・フリーヘル編曲による楽劇「ニーベルングの指輪」オーケストラル・アドヴェンチャーが演奏される。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳らは「ニーベルングの指輪」のみの出演である。


午後2時頃から、アルミンクによるプレトークがある。通訳は小松みゆき。英語でのスピーチである。
ピンク色のカッターシャツで現れたアルミンク。「ニーベルングの指輪」を中心とした解説となる。「ニーベルングの指輪」のハイライト作品である今日の作品を振るに当たって、YouTubeで様々な映像を見たが、その中の「3分で分かる『ニーベルングの指輪』」というラジオ放送を元にした映像を見るも、「何一つ分からなかった」という笑い話に始まり、「ニーベルングの指輪」が、ワーグナーが35歳の時に作曲を始めた作品で、完成までに26年を費やしたこと、登場人物が多く内容が複雑であること(アルミンクは、「めちゃ難しい」と日本語で語る)などを語り、ライトモチーフが重要な役割を果たしていると説明する。
そんな込み入った内容の「ニーベルングの指輪」であるが、主題は、権力者との向き合い方であるとアルミンクは述べる。指輪は権力の象徴であり、それとの関わりが作品の根底にある。
楽劇「ニーベルングの指輪」は上演に4日、計16時間ほどを要するが、初めて「指輪」を聴くには、楽劇全編ではなくこうしたハイライト作品の方が向いているかも知れないとも語っていた。


今日明日と公演があるが、定期会員に当たる京響友の会の募集が停止中。更に新型コロナ感染者数が減ってはいるが、京都府の病床数確保が必ずしも十分とはいえないということもあって、入りはかなり悪い。


「ジークフリート牧歌」。リリカルにして透明感のある音をアルミンクは京響から引き出す。
京響のアンサンブルは緻密で表情はたおやか。理想的な響きである。


楽劇「ニーベルングの指輪」オーケストラル・アドヴェンチャー。演奏されるのは、「ラインの黄金」より前奏曲、ラインの黄金、ニーベルハイム、ヴァルハラ。「ワルキューレ」よりワルキューレたち(ワルキューレの騎行)、魔の炎。「ジークフリート」より森のささやき、ジークフリートの英雄的行為、ブリュンヒルデの目覚め。「神々の黄昏」よりジークフリートとブリュンヒルデ、ジークフリートのラインへの旅、ジークフリートの死、葬送行進曲(ジークフリートの葬送行進曲)、ブリュンヒルデの自己犠牲の計14曲である。


アルミンクは、京響から輝かしい音を引き出し、京響も時には痛切な音色でアルミンクの指揮に応え、ワーグナーの音楽に切り込む。
重厚感、スケールの豊かさ、瑞々しさなどいずれも印象的。ワーグナーの音楽の本質の一つであるドロドロとした部分や禍々しさは余り感じられない健康的な演奏であるが、オーケストラコンサートのための作品と考えた場合は、こうした一種の爽快感を伴う演奏も説得力があるように思う。
ニーベルハイムの、金属がハンマーで叩かれる場面では、打楽器奏者の他にトランペット首席のハラルド・ナエスも参加して鉄床を叩き、立体的な音響を生み出していた。

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2021年9月12日 (日)

コンサートの記(743) 広上淳一指揮 京都市交響楽団×石丸幹二 音楽と詩(ことば) メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」

2021年9月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団×石丸幹二 音楽と詩(ことば) メンデルスゾーン:「夏の夜の夢」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」をメインとしたコンサートは、本来なら昨年の春に、広上淳一の京都市交響楽団第13代常任指揮者就任を記念して行われる予定だったのだが、新型コロナの影響により延期となっていた。今回は前半のプログラムを秋にちなむ歌曲に変えての公演となる。

出演は、石丸幹二(朗読&歌唱)、鈴木玲奈(ソプラノ)、高野百合絵(メゾソプラノ)、京響コーラス。

曲目は、第1部が組曲「日本の歌~郷愁・秋~詩人と音楽」(作・編曲:足本憲治)として、序曲「はじまり」、“痛む”秋「初恋」(詩:石川啄木、作曲:越谷達之助)&“沁みる”秋「落葉松(からまつ)」(詩:野上彰、作曲:小林秀雄。以上2曲、歌唱:鈴木玲奈)、間奏曲「秋のたぬき」、“ふれる”秋「ちいさい秋みつけた」(詩:サトウハチロー、作曲:中田喜直)&“染める”秋「紅葉」(詩:高野辰之、作曲:岡野貞一。以上2曲、歌唱:高野百合絵)、間奏曲「夕焼けの家路」、“馳せる”秋「曼珠沙華(ひがんばな)」(詩:北原白秋、作曲:山田耕筰)&“溶ける”秋「赤とんぼ」(詩:三木露風、作曲:石丸幹二。以上2曲、歌唱:石丸幹二)。
第2部が、~シェイクスピアの喜劇~メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」(朗読付き)となっている。

ライブ配信が行われるということで、本格的なマイクセッティングがなされている。また、ソロ歌手はマイクに向かって歌うが、クラシックの声楽家である鈴木玲奈と高野百合絵、ミュージカル歌手である石丸幹二とでは、同じ歌手でも声量に違いがあるという理由からだと思われる。
ただ、オペラ向けの音響設計であるロームシアター京都メインホールでクラシックの歌手である鈴木玲奈が歌うと、声量が豊かすぎて飽和してしまっていることが分かる。そのためか、高野百合絵が歌うときにはマイクのレンジが下げられていたか切られていたかで、ほとんどスピーカーからは声が出ていないことが分かった。
石丸幹二が歌う時にはマイクの感度が上がり、生の声よりもスピーカーから拡大された声の方が豊かだったように思う。

足本憲治の作・編曲による序曲「はじまり」、間奏曲「秋のたぬき」、間奏曲「夕焼けの家路」は、それぞれ、「里の秋」「虫の声」、「あんたがたどこさ」「げんこつやまのたぬきさん」「証誠寺の狸囃子」、「夕焼け小焼け」を編曲したもので、序曲「はじまり」と間奏曲「秋のたぬき」は外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」を、間奏曲「夕焼けの家路」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章(通称:「家路」)を意識した編曲となっている。

佐渡裕指揮の喜歌劇「メリー・ウィドウ」にも出演していたメゾソプラノの高野百合絵は、まだ二十代だと思われるが、若さに似合わぬ貫禄ある歌唱と佇まいであり、この人は歌劇「カルメン」のタイトルロールで大当たりを取りそうな予感がある。実際、浦安音楽ホール主催のニューイヤーコンサートで田尾下哲の構成・演出による演奏会形式の「カルメン」でタイトルロールを歌ったことがあるようだ。

なお、今日の出演者である、広上淳一、石丸幹二、鈴木玲奈、高野百合絵は全員、東京音楽大学の出身である(石丸幹二は東京音楽大学でサックスを学んだ後に東京藝術大学で声楽を専攻している)。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。首席第2ヴァイオリン奏者として入団した安井優子(コペンハーゲン・フィルハーモニー管弦楽団からの移籍)、副首席トランペット奏者に昇格した稲垣路子のお披露目演奏会でもある。

同時間帯に松本で行われるサイトウ・キネン・オーケストラの無観客配信公演に出演する京響関係者が数名いる他、第2ヴァイオリンの杉江洋子、オーボエ首席の髙山郁子、打楽器首席の中山航介などは降り番となっており、ティンパニには宅間斉(たくま・ひとし)が入った。


第2部、メンデルスゾーンの劇付随音楽「夏の夜の夢」。石丸幹二の朗読による全曲の演奏である。「夏の夜の夢」本編のテキストは、松岡和子訳の「シェイクスピア全集」に拠っている。
テキスト自体はかなり端折ったもので(そもそも「夏の夜の夢」は入り組んだ構造を持っており、一人の語り手による朗読での再現はほとんど不可能である)、上演された劇を観たことがあるが、戯曲を読んだことのある人しか内容は理解出来なかったと思う。

広上指揮の京響は、残響が短めのロームシアター京都メインホールでの演奏ということで、京都コンサートホールに比べると躍動感が伝わりづらくなっていたが、それでも活気と輝きのある仕上がりとなっており、レベルは高い。

石丸幹二は、声音を使い分けて複数の役を演じる。朗読を聴くには、ポピュラー音楽対応でスピーカーも立派なロームシアター京都メインホールの方が向いている。朗読とオーケストラ演奏の両方に向いているホールは基本的に存在しないと思われる。ザ・シンフォニーホールで檀ふみの朗読、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団による「夏の夜の夢」(CD化されている)を聴いたことがあるが、ザ・シンフォニーホールも朗読を聴くには必ずしも向いていない。

鈴木玲奈と高野百合絵による独唱、女声のみによる京響コーラス(今日も歌えるマスクを付けての歌唱)の瑞々しい歌声で、コロナ禍にあって一時の幸福感に浸れる演奏となっていた。

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2021年9月10日 (金)

コンサートの記(742) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第659回定期演奏会

2021年8月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第659回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、ベルギー出身のデイヴィッド・レイランド。

オール・モーツァルト・プログラムで、交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番(ピアノ独奏:ジャン・チャクムル)、交響曲第41番「ジュピター」が演奏される。レイランドもチャクムルも2週間の自主隔離期間を経ての登場である。
創立時に精緻なアンサンブルを志して「モーツァルトの京響」というキャッチフレーズで売り出した京都市交響楽団だが、オール・モーツァルト・プログラムによる演奏会はそれほど多くはない。

昨日、今日の2回公演だが、定期会員に相当する京響友の会の募集がコロナによって凍結されている上に、京都府内のコロナの感染者数が日毎に増えて、出掛けるのを躊躇する人も多い状況もあって、入りは厳しい。木曜日に京都府立文化芸術会館で観た「君子無朋」では、主演俳優の佐々木蔵之介がPCR検査で陽性となり、無症状ではあったが、大千穐楽となるはずの公演が中止となっている。


午後2時から、指揮者のデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)。英語でのスピーチである。
「ヨーロッパの北西にある小さな国、ベルギーから来て、現在、2つのオーケストラの音楽監督をしています」と自己紹介する。

デイヴィッド・レイランドは、モーツァルトの解釈に定評のある指揮者だそうで、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の副指揮者を経て、現在、フランス国立メス管弦楽団(旧:フランス国立ロレーヌ管弦楽団)とスイス・フランス語圏のローザンヌ・シンフォニエッタの音楽監督を務めており、2019年からはミュンヘン交響楽団の首席客演指揮者、更に2020年からはデュッセルドルフ交響楽団の「シューマン・ゲスト」にも就任しているという。

ベルギーというと、古くはアンドレ・クリュイタンスが名指揮者として知られたが、このところは才能払底気味のようで、レイランドはベルギー人指揮者として20年ぶりにベルギー国立管弦楽団を指揮したとのことである。

今回の京響への客演が、レイランドの日本デビューとなるそうだ(それ以前にレイランドと共演する予定の日本のオーケストラはいくつか存在したようだが、いずれもコロナ禍によってキャンセルになっている)。


レイランドは、交響曲第29番がモーツァルトが17歳(18歳になる年)に書かれたということを話したり、ピアノ協奏曲第27番がモーツァルト最後のピアノ協奏曲であるということに触れた後で、「ジュピター」について、「京響のメンバーには、『オペラの中の1曲として捉えて貰いたい』と語った」そうで、ドラマ性や豊かなカンタービレがオペラに繋がるという解釈を示し、第4楽章については巨大な建造物を築くつもりで指揮したいと抱負を語っていた。またレイランドは、モーツァルトを演奏することは新しい言語を習得するようなものと、その独自性について述べていた。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。バロックティンパニは上手奥に置かれている。
第2ヴァイオリンの客演首席は森岡聡。今回のプログラムは管楽器の出番が少ないのだが、フルート首席の上野博昭は「ジュピター」のみの出演。また、ファゴット首席の中野陽一朗は今日は降り番のようである。


交響曲第29番。ピリオドアプローチによる演奏で、弦楽器のビブラートはかなり抑えられており、たまに掛けたとしてもおそらく音を大きくするためではない。今日は弦楽器がこぼれるほどの美音を湛えていて、モーツァルトを聴く醍醐味を味わわせてくれる。
テンポはモダン、ピリオド合わせて中庸で、ピリオドだからといって速いテンポを採用している訳ではない。ゲネラルパウゼを長く取るのも特徴だ。
典雅な楽曲を持つ曲だが、突然、地獄の蓋が開くような場面があり、十代だったモーツァルトが抱えていた闇が顔を覗かせる。

レイランドの指揮は、拍を刻むのと音型を描くのが半々ずつという端正なものだが、時折、体を揺すったり、大きく伸び上がったりする。


ピアノ協奏曲第27番。
ピアノ独奏のジャン・チャクムルは、1997年、トルコの首都・アンカラ生まれの若手ピアニスト。2018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝しており、今日は優勝した時に弾いたShigeru Kawaiフルコンサートピアノ《SK-EX》を使用しての演奏となる。
浜松国際ピアノコンクールでは同時に室内楽賞を受賞しており、前年のスコットランド国際ピアノコンクールでも優勝を飾っている。現在は、ヴァイマル音楽大学でグリゴリー・グルツマン教授に師事しているという。

チャクムルのピアノは、温かな音が特徴であるが、瞬間瞬間の和音の捌きが見事で、若者らしいデジタルな感性が秀逸である。夾雑物が取り除かれたピアノで、この世を超えた煌めきが、ここかしこに聴かれる。

京響もレイランドの指揮棒やチャクムルのピアノへの反応の素早い演奏を行っていた。


交響曲第41番「ジュピター」。この曲は前半のプログラムよりはテンポが速めであるように感じられたが、ピリオドによる演奏としてはやはりそれほど速い部類ではないように思われる。
冒頭の和音には迫力があるが、威圧感も押しつけがましさもなく、浮遊感すら湛えている。弦も管もノーブルで、時には天国的な響きを奏でる。
中山航介が叩くバロックティンパニだが、木製のバチで強打するものの、響きは比較的柔らかめで、これまで聴いてきたピリオドによるバロックティンパニの打撃とは一味違っている。そうしたこともあって、かなり徹底したピリオドアプローチによる演奏であったが、自然体で、演奏スタイルをさほど意識することなく聴くことが出来た。
流れも良く、京響の合奏も緻密で、今の季節から彼方へ向かう橋が見えるような、イメージをくすぐる佳演であった。

演奏終了後、コンサートマスターの泉原が、珍しく弓を振って楽団員に拍手を促し、再びステージ上に現れたレイランドが楽団員に立つように二度促すが、京響のメンバーは敬意を表して立たず、レイランド一人が喝采を浴びた。

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2021年8月16日 (月)

コンサートの記(739) 広上淳一×京響コーラス 「フォーレ:レクイエム」

2021年8月9日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

ロームシアター京都サウスホールでの「広上淳一×京響コーラス フォーレ:レクイエム」を聴く。午後6時開演。ロームシアターへはバスで向かったが、ロームシアター前に並ぶ木々の枝がいくつか強風によって落下していた。

京都市交響楽団は、世界的にも珍しいと思われるが8月にも定期演奏会を行っており、宗教音楽を演奏するのが恒例となっている。だが、今年はデイヴィッド・レイランドの指揮でモーツァルトの交響曲と協奏曲を演奏するプログラムが組まれたため、ロームシアター京都でフォーレの「レクイエム」が演奏されることになった、のかフォーレの「レクイエム」が演奏されるために8月定期が宗教音楽でなくなったのか、どちらかは不明だが、とにかく定期演奏会以外で広上淳一の指揮によるフォーレの「レクイエム」が演奏される。
広上と京響は、昨日一昨日とベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のオーケストラ付レクチャー・コンサートを行っており、三連投となる。


フォーレの「レクイエム」の前に、京都市少年合唱団の指導者としてもお馴染みのソプラノ歌手、津幡泰子(つばた・やすこ)の指揮、小林千恵のピアノによる廣瀬量平の混声合唱組曲「海鳥の詩」が京響コーラスによって歌われる。京響コーラスは全員、「歌えるマスク」を付けての歌唱である。

北海道出身の廣瀬量平であるが、京都市立芸術大学の教授として作曲を教えており、京都コンサートホールの館長を2005年から2008年に亡くなるまで務めている。広上と京響は2009年に「廣瀬量平の遺産」という演奏会も行っている。

「海鳥の詩」は、“オロロン鳥”、“エトピリカ”、“海鵜”、“北の海鳥”の4曲からなる組曲で、詩人でアイヌ文化研究家の更科源蔵の詩に旋律を付けたものである。おそらくアイヌ民族の孤独と悲劇が海鳥たちの姿に託されている。
廣瀬の旋律は洒落た感じも抱かせるが、その寸前で敢えて王道の展開を避けて、北海道の冬の空のような暗さが出るよう設計されているようにも思われる。


広上淳一指揮京都市交響楽団と京響コーラスによるフォーレの「レクイエム」は、第3稿と呼ばれる一般的なものや、フォーレ自身が決定版としていたと思われる第2稿ではなく、信長貴富が2020年に編曲した弦楽アンサンブルとオルガンによる版での演奏である。初演は三ツ橋敬子の指揮によって、ヴァイオリンとチェロとコントラバスが1、ヴィオラが2という編成で行われたが、今日はヴァイオリン3、ヴィオラ4(第1ヴィオラ、第2ヴィオラとも2人ずつ)、チェロ2、コントラバス1という編成である。今日のコンサートマスターは、昨日一昨日と降り番であった泉原隆志。ヴァイオリンは泉原の他に、木下知子、田村安祐美。ヴィオラは、第1ヴィオラが小峰航一と丸山緑、第2ヴィオラが小田拓也と山田麻紀子。チェロが佐藤禎と佐々木堅二(客演)。コントラバスは石丸美佳。電子オルガン演奏は桑山彩子が務める。ソプラノ独唱は小玉洋子。バルトン独唱は小玉晃。流石に独唱者が「歌えるマスク」を付けて歌唱という訳にはいかないが、フォーレの「レクイエム」は、独唱者による歌唱が少ないのが特徴である。

ロームシアター京都サウスホールは、旧京都会館第2ホールを改修した中規模ホールだが、多目的であり、残響はほとんどない。クラシックではピアノや室内楽の演奏が行われているが、声楽を伴う宗教音楽が演奏されるのはあるいは初めてかも知れない。残響のないホールで聴くとやはり神聖さを感じにくくなるため、宗教曲に関しては音響がより重要になるのは間違いないようだ。残響のないホールでグレゴリオ聖歌を聴いたことがあるが、予想と異なって平板な印象に終わっている。京響コーラスも独唱者二人も良かったが、声の輪郭がはっきりし過ぎる音響だったため、音響設計のなされたホールでもう一度聴いてみたくなる。
信長貴富が編曲した弦楽合奏は、金管の迫力なども弦楽でノーブルに置き換えるなど、温かな響きを重視したもので、小編成の京響弦楽アンサンブルも精緻にして多彩な演奏を披露した。
広上淳一は合唱メインの曲ということで今日はノンタクトで指揮したが、手の動き、指の動きなどが音楽的で、「やはりこの人は指揮者になるために生まれてきた人なんだろうな」と感心させられた。

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2021年8月11日 (水)

コンサートの記(736) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

2021年8月7日 伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターにて

午後2時から、伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターで、京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「オーケストラ付レクチャー・コンサート」を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のレクチャーと全曲演奏が行われる。ベートーヴェンの演奏に定評のある広上の指揮ということで呉竹文化センターは満員の盛況となった。2回のワクチン接種を済ませたお年寄りが増えたということも影響しているかも知れない。

先日、ミューザ川崎コンサートホールで行われたフェスタサマーミューザKAWASAKI2021でも「英雄」を演奏して好評を博した広上と京響。今日もミューザ川崎での演奏とほぼ同じメンバーによる演奏と思われ、管楽器の首席奏者もほぼ全員顔を揃えていた。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置による演奏である。

まずは広上と、京都市交響楽団シニアプロデューサーの上野喜浩によるレクチャーが行われる。広上はアドリブ飛ばしまくりで、「英雄」について、
「俗に英雄(ひでお)と呼ばれたりしますが」とボケ、
上野「ひでお?」
広上「そこは笑わないと! (広上が)台本にないことばかり言うから(上野は)顔が真っ青になってない?」
というようなやり取りがあったりする。

広上が大作曲家を「ベートーヴェン先生」というように「先生」付けで呼ぶことについては、「先に生まれたから先生、というのは冗談ですが(「先に生まれたから先生と呼ぶ」というのは、夏目漱石の『こゝろ』に出てくる話でもある)、偉大な作曲家なので、亡くなった方には、基本、先生を付けます」と語った。

ベートーヴェンが肖像画などで気難しそうな顔をしていることについて(肖像画を描く直前に食べた料理が不味かったからという説が有力だったりする)広上は、「耳が聞こえない、最近で言う基礎疾患があったということで。作曲家でありながら耳が聞こえないというのは、指揮者なのに手足がないようなもので、信用して貰えない」「元々は社交的な性格で、人と一緒にいるのが好きな人だったと思うのですが」作曲家として致命的な障害を抱えているということを悟られないよう人を遠ざけて、性格も内向的に、顔も不機嫌になっていったのではないか、という解釈を述べた。

第九を書いている頃に、ジャーナリストから、「自身の交響曲の中で一番出来がいいと思うのは?」と聞かれ、「英雄!」と即答したという話については、上野に「なぜ一番良いと思ったんでしょうか?」と聞かれ、「そんなこと知りませんよ! 先生じゃないんだから!」と言って笑いを取るも、前例のないことを色々やっているというので、自信があったのかも知れないという見解を述べていた。「英雄」の第1楽章は4分の3拍子で始まるが、第1楽章が4分の3拍子で始まる交響曲はそれまでほとんど存在しなかったそうである。最も新しい部分については、「冒頭」と答え、「NHKではビンタと語ったのですが」と2つの和音の衝撃について口にする。

その後、「英雄」の冒頭部分を演奏し、更にチェロが奏でる第1主題をチェロ副首席の中西雅音(まさお)に弾いて貰う。今回は語られなかったが、第1楽章の第1主題をチェロが奏でるという発想もそれ以前にはほとんど存在していなかったと思われる。第1主題を奏でる弦楽器は大抵は花形であるヴァイオリンで、オーケストラにおけるチェロはまだ「低音を築くための楽器」という認識である。

「英雄」は第1楽章だけで、それまでの交響曲1曲分の長さがあるという大作であり、ミューザー川崎コンサートホールでは、広上と京響は全曲を約55分掛けて演奏したそうであるが、広上曰く「うるさがたの聴衆から、『遅い! お前の「英雄」には流れがないんだ! 55分も掛けやがって、今の「英雄」の平均的な演奏は40分から45分』」という言葉に逆に「速すぎるよ!」と思ったという話をする。

第2楽章が葬送行進曲であることについては、「ハイリゲンシュタットの遺書」との関係がよく語られるが、「ハイリゲンシュタットの遺書」自体はベートーヴェンの死後に発見されたものであるため、推測することしか出来ないようである。

第3楽章をこれまでのメヌエットではなくスケルツォとしたことについては、広上は社交好きだった頃の性格が反映されているのではないかと考えているようだ。事情により表向きは気難しさを気取る必要があったが、本音は音楽に託したと見ているようである。

コーヒー豆を毎朝60粒選んで挽いたという話については、広上は、「稲垣吾郎ちゃんの『歓喜の歌』だったかな?(稲垣吾郎がベートーヴェンを演じた舞台「No.9 -不滅の旋律-」のこと)剛力彩芽ちゃんがやってた役(初演時は大島優子が演じており、剛力彩芽が演じたのは再演以降である)が、コーヒー豆を59粒にしたらベートーヴェンが気づいて怒った」という話をしていた。
上野は、「広上先生も、京響と共演なさる時には必ず召し上がるものがあるそうで」と聞くも、広上は「興味ある人いるんですか?」と乗り気でなかった。リハーサルの時にはいつも鍋焼きうどんを出前で取るそうで、餅と海老と玉子入りの「広上スペシャル」と呼ばれているものだそうである。

なお、トリオのホルンについて、ベートーヴェンの時代のホルンにはバルブが付いておらず、口だけで音を出していたという話に、広上は「ガッキーちゃんに聞いて」と振るも、ホルン首席のガッキーちゃんこと垣本昌芳は、「マスクを持ってくるの忘れました」ということで、隣にいた「澤さん」こと澤嶋秀昌が代わりに答え、実際にホルンを吹いて音を出していた。
ちなみに広上は、「ガッキーちゃんとはシュークリーム仲間」と話していたが、以前、広上がラジオで「四条のリプトンのシュークリームがお気に入りと話したら、演奏会前に差し入れをしてくれるようになった」と話していたため、本番前に一緒にシュークリームを食べる習慣があるのかも知れない。

その後も随所を演奏。上野は演奏が始まるたびに舞台から降りて聴いていたが、広上が「降りなくていいよ」と言ったため、以後はステージ上で聴いていた。

第4楽章に出てくる「プロメテウス主題」については、上野が「生涯の作品の中で4度用いられている」という話をする。広上が前日にどんな作品で何回使われているか調べるよう上野に言ったようで、上野が使われている作品全てを挙げると、広上は「よく調べてきたね」と感心していた。ちなみに「英雄」はプロメテウス主題が用いられた最後の作品となるようである。

第4楽章は変奏曲形式で書かれているが、ベートーヴェンが最も得意とした作曲形式が他ならぬ変奏曲であることを広上が告げる。ちなみに、ベートーヴェンはフーガの作曲を大の苦手としていたそうだが、「全ての交響曲でフーガを書いている。第九なんかが有名ですが。苦手だからといって逃げない」という姿勢を評価したところで上野が、「もうそろそろお時間で」と言ったため、「え? 逃げるの?」と冗談を飛ばしていた。


20分の休憩を挟んで、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」全編の演奏が行われる。広上はノンタクトで指揮する。

日本で最良のコンサートホールの一つとされるミューザ川崎コンサートホールは残響も長いと思われるが(行ったことがないのでどの程度かは不明だが)、呉竹文化センターは多目的ホールであるため残響はほとんどない。ということでテンポはミューザ川崎の時よりも必然的に速くなったと思われる。
時折、弦楽のノンビブラートの音も聞こえるが、基本的にはモダンスタイルの演奏であり、第1楽章のクライマックスではトランペットが最後まで旋律を吹いた。

音響の問題か、空調が影響したのか(余り冷房は効いていなかった)、いつもより細かなミスが目立つが、スケールの大きい堂々とした「英雄」像を築き上げる。生命力豊かであるが強引さを感じさせない。

ナポレオン・ボナパルトに献呈するつもりで書かれたという真偽不明の説を持つ「英雄」交響曲。だが、最終楽章にプロメテウス主題(天界から火を盗み、人類に与えたプロメテウスは、「智」の象徴とされることが多いが、ベートーヴェンが書いたバレエ音楽「プロメテウスの創造物」は「智」そのものというより「智」が生み出した芸術作品を讃える内容となっている)が用いられていることを考えると、政治・戦略の英雄であるナポレオンよりも音楽が優位であることが示されているように捉えることも出来る。表面的な英雄性は一度死に絶え、芸術神として再生するということなのかも知れない。その象徴を文学の才にも秀でていたといわれるナポレオンに求めたために、皇帝に自ら即位したという情報が、より一層、ベートーヴェンを憤らせたのかも知れない。

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2021年7月31日 (土)

コンサートの記(734) 熊倉優指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「世界の川と音楽」

2021年7月25日 北大路の京都市北文化会館にて

午後2時から、北大路にある京都市北文化会館で、京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「世界の川と音楽」を聴く。指揮は熊倉優(まさる)。

期待の若手指揮者、熊倉優は1992年生まれ。16歳で作曲を始め、桐朋学園大学作曲専攻入学後に指揮も学び始める。桐朋学園大学卒業後に同大学研究科修了。指揮を梅田俊明と下野竜也に師事。2016年から2019年までNHK交響楽団でパーヴォ・ヤルヴィのアシスタントを務め、沖澤のどかが女性として初めて優勝したことで話題になった第18回東京国際音楽コンクール・指揮者部門では3位入賞を果たしている。オーディションに合格して来月からハンブルク国立歌劇場でケント・ナガノのアシスタントを務める予定で、今日が渡独前最後の演奏会となる。

熊倉と京都市交響楽団のメンバーは、特別協賛であるSOU SOUの数字入りTシャツを着て登場する。

曲目は、ヘンデル作曲ハーディ編曲の組曲「水上の音楽」、ムソルグスキー作曲リムスキー=コルサコフ編曲の歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲「モスクワ川の夜明け」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、シューマンの交響曲第3番「ライン」から第1楽章、オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」から「ホフマンの舟歌」、スメタナの連作交響詩「わが祖国」から「モルダウ」

今日のコンサートマスターは泉原隆志。夏ということで各地の音楽祭に出演する楽団員も多いと思われ、今日は客演の奏者も目立つ。管楽器の首席奏者で登場したのは、ホルンの垣本昌芳、トロンボーンの岡本哲、トランペットのハラルド・ナエスの3人。
昨年のみんなのコンサートは、コロナの影響で室内オーケストラ編成での演奏となったが、今年はフル編成に近い形での演奏が可能となっている。

熊倉がマイクを手にしてトークを入れながら演奏会は進む。
熊倉「こんな時期ですが、来月からドイツに引っ越すことになりました」と語り、「日本では自然、水のある自然というと川より海を思い浮かべる人が多いと思うのですが、ヨーロッパで海のない国も多いということで」川を題材にしたプログラムを組んだようある。


組曲「水上の音楽」。ロンドンのテムズ川で行われたジョージⅠ世の船遊びのために作られた機会音楽である。熊倉によると、初演は過酷だったそうで、同じ曲を3回繰り返して演奏することもあったそうだ。
近年では古楽器オーケストラでの演奏が主流となっているが、今回はアイルランドの指揮者であるサー・ハミルトン・ハーティが現代のオーケストラ用に編曲したハーティ版での演奏である。
熊倉の生き生きとした音楽作りが魅力的。京都市北文化会館はスペースが余り大きくなく、ステージの壁面なども改修されていて、クラシックの演奏に相応しい音響となっている。京響は輝かしい響きを奏でた。


ムソルグスキーの歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲「モスクワ川の夜明け」。ロシア五人組の一人であるムソルグスキー。官吏出身で死後に「天才作曲家」として再評価されることになるのであるが、生前は余り認められず、官吏としての仕事も上手くいかずに酒に溺れて若くして亡くなり、「ホヴァンシチナ」も未完に終わった。友人であるリムスキー=コルサコフが補筆完成させたが、リムスキー=コルサコフはムソルグスキーのスコアを常識的なものに改変してたため、結果としてムソルグスキーの先進性が発見されにくくなるという皮肉な結果も生んだ。

今後オペラハウスでの本格的なキャリアをスタートさせることになる熊倉。細部まで丁寧な仕上がりの音楽を聴かせる。

熊倉の指揮は端正なもので、「ここぞ」という時以外は拍の刻み方も小さめで、ほとんどが体の全面で行われ、両手を拡げることも余り多くない。外連とは無縁のようである。


ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。演奏前に熊倉はドナウ川の長さを語る。鴨川は約31キロであるが、ドナウ川は2860キロ。「想像出来ない長さ」である。「ウィーンのドナウ川をご覧になったことのある方、いらっしゃいますか?」と熊倉は客席に聞く。「私は見に行ったことがあるですけれど、結構、汚かったです。茶色かったです」と話した。
北文化会館の空間が小さめということもあって、迫力と潤い豊かな演奏となる。


後半、シューマンの交響曲第3番「ライン」から第1楽章。「ライン」というタイトルはシューマンが付けたものではないが、何を描いたかはほぼ分かっており、熊倉は各楽章のイメージするものを述べる。
第1楽章はローレライを描いたもので、熊倉と京響は生き生きとした音像を作り上げる。


オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より「舟歌」。
熊倉は「ホフマン物語」について、「簡単に言うと失恋の話」「それもとっても不思議な失恋の話」と語る。
情緒豊かな演奏であった。


スメタナの連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」。源流に始まり、農村で踊る人々、月夜の流れなどを経て、プラハに入って「高い城(なんで「他界しろ」と変換するかね)」の主題が現れる風景などを熊倉は語る。
スケールも適切で、流れや描写力にも長けている。京響の鳴りも良く優れた演奏となった。


アンコール演奏は、ドビュッシーの「小組曲」より「小舟にて」(ビュッセル編曲)。詩情豊かに仕上げた。


今日も晴れて猛暑ということで、来場者全員に「京の水道 疎水物語」というボトル入り飲料が無料で配られた。

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2021年7月22日 (木)

コンサートの記(732) 大植英次指揮 京都市交響楽団第658回定期演奏会

2021年7月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第658回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大阪フィルハーモニー交響楽団第2代音楽監督で現在は同楽団桂冠指揮者としても知られる大植英次。当初予定されていたパスカル・ロフェが、新型コロナウイルスによる外国人入国制限で来日不可となったための代役である。
同一地区内にポストを持つ指揮者は、基本的に客演は難しいが、桂冠指揮者は名誉称号なので問題はなく、京都市交響楽団の桂冠指揮者である大友直人も大阪フィルや関西フィルに客演しているが、大友の場合は京響の常任指揮者に就任する前から大阪のオーケストラと良好な関係を築いていたのに対して、大植は海外に拠点を起き続けてきたこともあって今回が京響初客演。もしコロナ禍がなかったら、永遠に実現しなかったかも知れない顔合わせである。

曲目は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)、ミュライユの「シヤージュ(航跡)」、ドビュッシーの交響詩「海」。パスカル・ロフェと決めたプログラムを変更なしで演奏する。


午後2時頃から大植英次によるプレトークがある。大植は見た目がコロコロ変わるタイプだが、今日はスッキリとした顔で登場。滑舌が悪い人なので、京都コンサートホールの貧弱なスピーカーで内容が聞き取れるか心配だったが、今日は比較的聞き取りやすかった。

京都市交響楽団は1956年の創設だが、大植も1956年生まれで同い年だという話から入る。なお、大植は大フィルの音楽監督時代には毎年、京都コンサートホールで大フィル京都公演を指揮しており、慣れた会場である。

各曲の作品解説。「ペトルーシュカ」は人形を主人公としたバレエだが、「『ピノキオ』はご存じだと思いますが、あれの逆」「ピノキオは人間になってハッピーエンドになりますが」と、人間のようになったペトルーシュカが悲劇を迎えるというストーリーの説明を行う。

トリスタン・ミュライユの「シヤージュ」については、京都信用金庫の依頼によって作曲されたもので、「シヤージュ」は「航跡」という意味であり、京都の石庭をイメージして作った曲だと語る。
ミュライユの「シヤージュ」は、1985年に京都信用金庫の創立60周年記念の一環として3人の作曲家に新作を依頼し、同年9月9日に小澤征爾指揮京都市交響楽団の演奏によって初演された交響的三部作「京都」を構成する1曲である。ちなみに他の2曲は、マリー・シェーファーの「香を聞く」、そして現在は武満徹の代表作の一つとして知られる「夢窓/Dream Window」である。「シヤージュ」「香を聞く」「夢窓」の順に演奏されたようだ。

ドビュッシーの交響詩「海」。人気作であり、海の日が祝日として誕生してからは7月の演奏会のプログラムに載ることが増えている。
大植は、ドビュッシーが葛飾北斎の海の浮世絵(「神奈川沖浪裏」)に影響を受けて作曲したと語る。ただ、ドビュッシーはアトランティックオーシャン(大西洋)しか知らなかったため、葛飾北斎が描いたパシフィックオーシャン(太平洋)とは異なるという話もする。
カルロ・マリア・ジュリーニがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した「海」は、ゆったりとしたテンポでスケールも大きく、太平洋を感じさせる演奏であるが、ジュリーニが太平洋を意識したものなのかは定かでない。

大阪クラシックの時などに一人で喋ることに慣れている大植。最後は京都市交響楽団と素晴らしい一週間を過ごすことが出来たことを述べ、プレトークは10分ほどと手短に纏めた。


今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別名誉友情コンサートマスター(肩書きが長いな)の豊島泰嗣(とよしま・やすし)。フォアシュピーラーに泉原隆志。「ペトルーシュカ」では、ピアノが指揮者と正対するところに置かれるというスタイルで、ピアノ独奏を担当するのは佐竹裕介。第2ヴァイオリン客演首席は、読売日本交響楽団の瀧村依里。チェロ客演首席には、オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。フルート首席の上野博昭と、クラリネット首席の小谷口直子は「シヤージュ」からの参加。一方、ホルン首席の垣本昌芳は「ペトルーシュカ」のみの参加で、「シヤージュ」と「海」は水無瀬一成が1番の位置に入った。トランペット首席のハラルド・ナエスは「ペトルーシュカ」と「海」に参加する。

大フィルを指揮した演奏は何度も耳にしている大植英次。だがやはりオーケストラが違うと印象も異なる。重厚さが売りの大フィルに比べ、京響は音の重心が高めで音色も華やかだ。

大植というと、暗譜での指揮が基本だったが、今日は全曲譜面台を用いて、総譜を見ながらの指揮。「ペトルーシュカ」と「シヤージュ」では老眼鏡を掛けての指揮だったが、「海」では老眼鏡は用いていなかった。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)。
ストラヴィンスキーは大植の得意曲目の一つで、「春の祭典」や「火の鳥」組曲はミネソタ管弦楽団とレコーディングしたCDも出ているが、「ペトルーシュカ」は未録音だと思われる。
京響らしい色彩感溢れる演奏で、浮遊感もあり、フランス音楽のように響く。ラストの悲劇に重点を置く重い「ペトルーシュカ」の演奏もあるが、大植と京響の「ペトルーシュカ」はお洒落な印象すら受ける。だからといって悲劇性やストラヴィンスキーならではの異様さがないがしろにされているわけではなく、バランスも良い。

演奏終了後に、大植は弦楽器の最前列の奏者とリストタッチ、グータッチ、エルボータッチなどを行うが、泉原は今日も客席の方をずっと見つめていたため、大植の存在に気づくのに少し時間が掛かっていた。


ミュライユの「シヤージュ(航跡)」。石庭をイメージした曲だが、具体的には枯山水の砂紋を船の航跡に見立てたものだとされる。先に書いた通り、交響的三部作「京都」の1曲として武満徹の「夢窓」などと共に初演されたものだが、武満の作風にも通じるところのある作品である。打楽器奏者が複数の楽器を掛け持ちするのが特徴で、見ていてもかなり忙しそうである。ただティンパニは使用されておらず、この辺りも武満に通じる。武満のティンパニ嫌いは有名であるため、あるいはミュライユも三部作として統一感を出すため、ティンパニを使用しないことに決めたのかも知れない。
京響らしい煌びやかな音色も特徴である。


ドビュッシーの交響詩「海」。大植が浮世絵を意識したのかどうかは分からないが、フランス系の指揮者が描く「海」とは若干異なり、音のパレットをいたずらに重ねることなく詩的な音像を築き上げる。「ペトルーシュカ」ではあれだけ華やかな音を出していたため、意図的に抑えたのだと思われるが、これはこれでタイトにして生命力に溢れている。元々が音色鮮やかである京響だけに、多少抑えたとしても味気ない演奏になることはあり得ず、良い選択である。
第3楽章「風と海との対話」の途中でテンポをぐっと落としたのも印象的。パシフィックオーシャン的な広がりを出すための演出なのかどうかは不明だが、これによってスケールが増し、日本人がイメージする「海」像に近づいたように感じた。

今日明日の同一プログラム2回公演で、コロナ下、更に定期会員に当たる京響友の会会員の募集も停止中ということで、客席はやや寂し目であったが、盛大な拍手が大植と京響を讃えた。

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