カテゴリー「教育」の14件の記事

2021年2月22日 (月)

これまでに観た映画より(251) ロビン・ウィリアムズ主演「いまを生きる」

2021年2月20日

配信でアメリカ映画「いまを生きる」を観る。1989年の制作。シンセサイザーを使ったモーリス・ジャールの音楽が時代を感じさせる。ピーター・ウィアー監督作品。ロビン・ウィリアムズ主演作。脚本のトム・シュルマンが、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞している。内気な少年、トッド・アンダーソン役でイーサン・ホークが出演。ニール・ペリー役のロバート・ショーン・レナードとイーサン・ホークは後に劇団を結成したりもしたようだ。

1959年、バーモント州にある名門寄宿学校、ウェルトン学院(ウェルトン・アカデミー)が舞台である。卒業生の約75%がアイビーリーグ(アメリカの大学に詳しくない人のために、字幕では「8名門大学」と訳されている。ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学、ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ペンシルベニア大学の8つの東海岸北部の私立大学)に進むという進学校だが、ウェルトン学院に掛けてヘルトン学院(地獄学院)と生徒達に揶揄されるほど厳格な校風である。

ウェルトン学院に英語教師(日本でいう英語の教師ではなく、国語の教師とも違い、文学指導の先生である)、ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してくる。ウェルトン学院のOBであるが、それまではロンドンのチェルシーにある学校で教師をしていた。
ジョン・キーティングは、アカデミックな詩の教育ではなく、自らが主体となる文学を授けるべく、教室だけではなく、学校の廊下や中庭などでも独自の授業を開始する。人生の短さにも触れ、「いまを生きる」ことの大切さを生徒達に教え、自身のことも「キーティング先生」と呼んでもいいが、ホイットマンがリンカーンに捧げた「おお、キャプテン! 我がキャプテン!」にちなんで「キャプテン」と呼んでも良いと生徒達に伝える。生徒達はキーティングのことを「キャプテン」と慕い始める。

学年トップの成績を誇るニール(ロバート・ショーン・レナード)がキーティングがウェルトン学院に在学していた時の年鑑を見つける。ケンブリッジ大学に進学希望で、「死せる詩人の会」というサークルに所属していたことを知った生徒達は、詩の朗読や創作を行うサークルであった「死せる詩人の会」を復活させ、キーティング在籍時代の「死せる詩人の会」も根拠地としていた洞窟の中で自由な青春を謳歌する。内気な少年であったトッド・アンダーソン(イーサン・ホーク)も「その場にいるだけ」という条件で「死せる詩人の会」に参加する。

やがて「死せる詩人の会」メンバー達の生活に変化が起こる。ノックスは、他の高校に通うクリスという女の子(チアリーディングを行うなど、なかなか活発な女子のようである。演じるのはアレクサンドラ・パワーズ)に一目惚れし、彼女に捧げる詩を作る。
詩の創作に乗り気でなかったトッドもキーティングの前で即興で詩を作ることになり、内面が解放されていく。
ニールは、俳優になりたいという夢を見つけ、「真夏の夜の夢」の舞台公演のオーディションに参加、一番人気であるパック役に抜擢される。
だが、そうした自由さはウェルトン学院の校風にそぐわず、やがていくつかの悲劇が訪れることになる。

硬直した校風のエリート校に風穴を開ける教師と、それまでとは違った価値観を見出すことになる若者達の物語である。文学作品、特に詩が主軸となっており、実学とは異なり「人生を豊かにする」文学作品の素晴らしさが語られる。ただ一方で、文学作品の自由な解釈に関しては私は懐疑的で、内容を把握する努力を怠る危険性を感じたりもするのだが、21世紀に入ってから文学軽視の風潮は世界的により高まっており、こうした映画によって言葉で語り、表現し、受け取ることの素晴らしさを人々に広めて貰えたらとも思っている。

名門大学進学のために「今」を犠牲にする風潮も、私達の世代ほどではないが、現在も日本では根強い。実は青春時代に身につけておかなければならないことは勉強以外にも数多い。きちんと語り、受け取る技術もそれで、若い時代に身につけておかないと挽回は難しい。この映画が制作された1989年や舞台となった1959年とは比べものにならないほどの情報社会が訪れ、文章による伝達の機会も多くなったが、青年期に文学作品にきちんと向かい合う人が少ないため、極々初歩的なやり取りも成立せず、勘違いに勘違いが重なるケースが後を絶たない。「自分自身で考える」「自分の言葉を用いる」ということは、当たり前のようでいて実は難度はかなり高い。相手がいる以上、自己流を貫いてばかりでは伝達は成立しない。そこには人文的素養が必ず必要になってくる。

劇中で、キーティングが机に上に立って視点を変えることを奨励する場面が出てくる。ラストではキーティングはウェルトン学院を去ることになるのだが、彼の志は何人かの生徒に確実に受け継がれるであろうことが見て取れる。1年前に他界した野村克也は、後藤新平の「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」という格言を愛したが、キーティングは進学実績を残す前に学院を去るも人を遺すことには成功したのだ。人に教える人間としては、「上」であったと言える。

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2021年2月21日 (日)

観劇感想精選(385) 佐藤隆太主演 舞台「いまを生きる」(再演)

2021年2月13日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、舞台「いまを生きる」を観る。ロビン・ウィリアムズ主演の名画の舞台化で、今回は再演となる。主演は佐藤隆太。

佐藤隆太主演の「いまを生きる」が再演されるという情報は得ていたのだが、チケットの取り扱いがイープラスとローソンチケットとぴあの電話予約だったということもあり、いつどこで上演されるのかまでは掴んでいなかった。先月、野村万作萬斎の狂言公演を観に行った際に、サンケイホールブリーゼエントランス近くのチラシコーナーで「いまを生きる」のチラシを見つけ、「佐藤君主演だったら観なきゃな。『エブリ・ブリリアント・シング』では良い経験させて貰ったし」というわけでイープラスでチケットを取った。

佐藤隆太も女性のファンが多い俳優だが、それに加えて、ジャニーズJr.のメンバーが出演するため、客席の大半は若い女性である。

今回の「いまを生きる」は、オフブロードウェイで上演された作品の日本語上演版である。「いまを生きる」には、生徒が自殺するシーンがあるのだが、映画から起こした台本を使って高校演劇として上演されたことがあり、その高校で数ヶ月前に自殺事件が発生していたため、「倫理的にどうか」と疑問視されたことがある。ただ、今回はそれとは別のバージョンである。

脚本:トム・シュルマン(映画版脚本。第62回アカデミー賞脚本賞受賞)、演出・上演台本:上田一豪(うえだ・いっこう。東宝演出部所属)。
出演は、佐藤隆太、佐藤新(ジャニーズJr.)、瀬戸利樹、影山拓也(ジャニーズJr.)、基俊介(ジャニーズJr.)、三宅亮輔、市川理矩、日向なる、飯田基祐、佐戸井けん太。

日本初演は2018年で、3年ぶりの再演となる。

舞台となるのは、アメリカ北東部、バーモント州にある寄宿学校(ボーディングスクール)、ウェルトン・アカデミーである。アイビーリーグに多くの生徒を送り出している名門校であるが、その手の学校にありがちなように、保守的で厳格な校風であり、教師や親からの「幸福の押しつけ」が起こりやすい環境である。
そこに赴任して来た新人英語教師(日本のように非英語圏の人に英語を教えるわけではないので、日本でいう国語教師に近い。ただアメリカには当然ながら本当の意味での古文や漢文などはないので、教えるのは文学作品中心である)のジョン・キーティング(佐藤隆太)。ウェルトン・アカデミーのOBである。初登場シーンでは、口笛でベートーヴェンの「歓喜の歌」を吹きながら現れる(原作映画では別の曲である)。まず最初の「詩とは何か」の定義で教科書に書かれていることを否定し、真の意味での優れた文学教育や人間教育に乗り出していく。ただ、寄宿学校に通う生徒の両親は、往々にして金持ちだが保守的で息子の進路を勝手に決めてしまうというタイプが多いため、ジョンのやり方は次第に非難を浴びるようになっていく。ウェルトン・アカデミーの校長であるポール・ノーラン(佐戸井けん太)も自由さや独自性を重視するジョンのやり方を問題視するようになっていった。

ジョンは、生徒達に詩作を行うことを薦める。最初の内は戸惑っていた生徒だが、次第にジョンに共鳴するようになり、クラスで首席を取りながら、親が決めた道に進まざるを得ない状況となったニール(瀬戸利樹)も、ジョンに触発されて以前から興味のあった俳優の仕事に興味を持ち、他校で行われる「真夏の夜の夢」のオーディションに参加、一番の人気役であるパックにキャスティングされて大喜びである。
ジョンは、生徒達に机の上に立って、視点を変えるといったような発想法の転換などを中心に教えていく。

思春期の男の子達ということで、一番の話題はやはり恋愛。寄宿学校は男子生徒のみであり、女子との接点は少ないのだが、ノックス(影山拓也)は、パーティーで知り合ったクリス(日向なる)に一目惚れ。何かと話題にしている。

男子生徒達は、ウェルトン・アカデミー在学時代のジョンに興味を示し、残された文集やデータなどから、ジョンがウェルトン時代に「死せる詩人の会」という詩の朗読サークルに所属していたことを知る。現在は残っていないサークルだったが、生徒達は再興することを決め、文学と自由を謳歌するようになるのだが……。

ニールは「真夏の夜の夢」に出て好評を得たが、父親のペリー(飯田基祐)から、俳優などやらず、ハーバード大学の医学部に進み、医者になるよう強制される。それが代々のペリー家の男子の生き方だったようだ。苦悩するニールは最終的には拳銃自殺を選んでしまうという、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の系譜に列する作品でもあり、子ども達への「愛情」のあり方が問われている。

ジョンが最初に生徒に教えたのは、ホイットマンがリンカーン大統領の思い出に捧げた「おおキャプテン! わがキャプテン!」であり、ジョンも教師というよりキャプテンであることを生徒に印象づける。この「おおキャプテン! わがキャプテン!」は、亡くなったリンカーンを死にゆく船長になぞらえたもので、内容自体は不吉であり、ジョンのその後を予言する結果となっている。

結局、ジョンは、保守的な学校体制には勝てず、寄宿学校を去ることになるのだが、最後に生徒達は机の上に立ち上がり、「おおキャプテン! わがキャプテン!」と唱えて、ジョンを支持するのであった。

 

アメリカの学園もの映画の中では、「いまを生きる」以外に、リチャード・ドレイファス主演の「陽のあたる教室」なども好きなのだが、「陽のあたる教室」も日本でも舞台化されており、まだ東京に通っていた頃なので、私は世田谷パブリックシアターで観ている。主演は水谷豊で、大阪ではシアター・ドラマシティで公演が行われたようである。息子役が黒田勇樹であったのが良かったのか悪かったのか今となっては微妙に思える。

 

カーテンコールでは佐藤隆太が、本日の話し手として、リチャード・キャメロン役の市川理矩を指名。キャメロンは、生徒達が「おおキャプテン! わがキャプテン!」でジョンを讃えている時に、自己保身のため一人だけ立ち上がることの出来ない生徒なのだが、市川が「机の上に立ってみたかった」と言ったため、特別にキャメロンも立ち上がるバージョンのラストシーンが演じられることになる。途中で自殺してしまうニール役の瀬戸利樹も冗談で参加しようとするが、佐藤隆太が、「いや、ニールがいるのはおかしい」と突っ込んだためすぐに退場する。
キャメロンが机の上に立って、「おおキャプテン! わがキャプテン!」をやった時には、客席が若い女の子中心ということで、黄色い声や笑い声、拍手などが鳴り響いた。

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2021年2月 6日 (土)

コンサートの記(692) 「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDay

2007年5月28日 京都府立府民ホールアルティにて

午後6時30分から、京都府立府民ホールALTIで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDayを聴く。全席自由、1000円均一の公演。チケットの安い公演は、「何か知らないけれど来てしまいました」という、マナーとは無縁の客が入ってきてしまうことが多いのだが、今日もそうした方がちらほら。

「京都・国際音楽学生フェスティバル」は、ALTIで毎年開かれており、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアという音楽大国の学生を始めとする有名音楽院の学生が参加している。

今日は、フィンランドのシベリウス音楽院(シベリウス・アカデミー。旧ヘルシンキ音楽院)と、「のだめカンタービレ」でもおなじみ(?)フランスのパリ国立高等音楽院(コンセールヴァトワール・パリ)の選抜学生による室内楽をメインとした演奏会である。

プログラムは、まずシベリウス音楽院の学生によるシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」が演奏され、次いでパリ国立高等音楽院の学生によるフォーレのチェロ・ソナタ第1番と「エレジー」。そして、シベリウス音楽院、パリ国立高等音楽院、京都市立芸術大学の学生による弦楽合奏で、ドビュッシーの「小組曲」より“小舟にて”と“バレエ”、そして「夜想曲」(管弦楽のための「夜想曲」ではなく、ピアノ曲の編曲。いずれも篠田聡史による弦楽合奏版編曲による演奏である)、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」、「弦楽のためのプレスト」、1981年生まれの若き作曲家ハルティカイネン(シベリウス音楽院に在籍)の新作「ルーメン(光)」(世界初演)が演奏される。

いずれもコンクールなどで優秀な成績を修めている学生達だが、あくまで学生であり、こちらも名演は期待していない。


シベリウス音楽院の学生による弦楽四重奏曲「親愛なる声」。ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラは女の子で、どういうわけか全員眼鏡をかけている。チェロだけ男の子。トーマス・ヨアキム・ヌニエス=ガルセ君という長い名前の男の子だ。
祖国の大作曲家シベリウスの作品とはいえ、「親愛なる声」は深い音楽であり、学生では表現できないのではないかと思う。案の定、曲の把握が徹底されていない演奏であった。単に音が鳴っているだけの箇所が多い。それでも第3楽章などは哀切で透明な音楽を再現することに成功していたように思う。
アンコールとして、コッコネンの弦楽四重奏曲第3番より第2楽章が演奏される。シャープな演奏であった。

パリ国立高等音楽院在籍の女性チェリスト、オレリアン・ブラウネールさんは、高い技術力を持ち、豊かな音色による淀みない歌を奏でる。なかなかの実力者と見た。
フォーレの2曲は、いずれも若さに似合わない奥行きのある演奏であり、アンコールの「白鳥」(サン=サーンス作曲)でも優雅な音楽を奏でた。ピアノのエマニュエル・クリスチャン君も煌めくような音色の持ち主であり、好演だった。

弦楽合奏。京都市立芸術大学からの出演者は全員女の子。ということで、ステージ上の男性メンバーは先ほど名前を出したトーマス君ただ1人である。
コンサートミストレスはシベリウス音楽院のシニ・マーリア・ヴァルタネンさん。
ドビュッシーの「小組曲」よりと「夜想曲」も良かったが、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「弦楽のためのプレスト」はより優れた演奏。時に勢いに流されそうにはなるが、若々しさ溢れる演奏に好感を持った。

「ルーメン(光)」のハルティカイネン氏は会場に来ており、演奏前に簡単な楽曲解説を行った。
現代音楽であるため奏者だけでの演奏は難しく、この曲だけミラノ・ヴェルディ音楽院在籍のアンドゥレーア・ラッファニーニ氏が指揮を務める。
「ルーメン(光)」は、ヴァイオリンがグラスハープのような音を奏でるなど、繊細な音のグラデーションを特徴とする。しかし、この手の曲は全て武満徹作品のように聞こえてしまうのは気のせいなのか。

アンコールはシベリウスの「カンツォネッタ」。これも若さがプラスに作用した好演であった。

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2021年2月 5日 (金)

コンサートの記(691) 下野竜也指揮 第16回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2021年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第16回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。これまで広上淳一が指揮台に立つことが多かったが、今回は下野竜也が初めてジュニアオーケストラを振ることになった。コロナの影響は避けられず、演目を変更しての開催である。

午後1時開場であるが、全席自由ということもあり、開場前に行列が出来るのを防ぐために時差入場を実施しており、私が買ったチケットには午後1時20分以降の入場と記されていた。午後1時15分頃に京都コンサートホールの入り口に着いたので、5分待つことにしたが、レセプショニストさんによると、行列が出来ていないので、もう入場可とのことだった。

最優先されるのは、やはりジュニアオーケストラメンバーの親御さんだと思われるのだが、見渡したところ、両親に当たる年齢の男女(私と同世代が多いはずである)のコンビは余り見当たらなかった。客層としては京都市交響楽団の定期演奏会のそれに近い。1階席は埋まっている席が多かったため、3階席へ向かう。京都コンサートホールの2階席はサイド席しかなく、音が今ひとつだが、3階席はステージからは遠めだが音はビビッドに届く。今日はヴァイオリニストの小林美樹がソリストとして3曲に登場するということで、Rサイド(RIGHT、右側席)の、ソロヴァイオリンの音像が結ばれやすい席に座る。開演10分ほど前に、「こっちの方が見やすいよね」といった内容の話をしている男性二人組が後ろを通り過ぎたが、そのうちの一人が、1階席の入りを確認するために、ひょいっと顔を覗かせる。背の低い、頭の輝く男性で、マスクと眼鏡を掛けていたが、すぐに広上淳一だと分かった。

京都市ジュニアオーケストラは、2005年の結成。京都市内在住もしくは通学の青少年からなるオーケストラで、入団するには選抜試験を通過する必要がある。必ずしも音楽家志望の子達が入団しているという訳ではないが、「医師免許を持つヴァイオリニスト」として有名になった石上真由子は、初期の京都市ジュニアオーケストラでコンサートミストレスを務めていた。広上淳一が、「音楽家を目指している子ばかりではなく、お医者さんを目指している子がいたり」と紹介していたことがある「お医者さんを目指している子」というのはおそらく石上真由子のことであったと思われる。

各楽器の指導には京都市交響楽団の楽団員が当たり、合奏指導は広上の弟子の一人である大谷麻由美が行った。

 

曲目は、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、リヒャルト・シュトラウスの13管楽器のためのセレナード、マスネの「タイスの瞑想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、サラサーテの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、J・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲(独奏第1ヴァイオリン:小林美樹、独奏第2ヴァイオリン:山﨑祥恩)、シューマンの交響曲第4番。

ステージ上で密になる時間をなるべく短くするため、第1曲に金管楽器と打楽器のみによる「市民のためのファンファーレ」を置き、2曲目に木管楽器主体の13管楽器のためのセレナードが続く。

いずれの曲でも充実した響きが奏でられ、京都市ジュニアオーケストラの技術と表現力の高さが感じられる。下野も拍をきっちり振るなど、いつも以上に明快な指揮を行っているように見えた。

 

マスネの「タイスの瞑想曲」とサラサーテの「カルメン幻想曲」でソロを受け持つ小林美樹は、若手人気ヴァイオリニストの一人。1990年生まれ。2011年に第14回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで第2位を受賞し、注目を浴びる。桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学ソリストディプロマコース(学科授業はなく、プロのヴァイオリン奏者を本気で志す者のみが入学を許される育成コース)に特待生として入学し、その後、明治安田クオリティオブライフ及びロームミュージックファンデーションから全額奨学金を得てウィーン私立音楽大学に学んでいる。

以前、京都市交響楽団の大阪定期公演にソリストとして登場した時に聴いたことがあるが、女性としては高身長で、海老反りになって弾くことが多いのが印象的であった。
今日はターコイズブルーのドレスで登場。やはり時折、海老反りになって弾く。磨き抜かれた美音が最大の特徴であるが、メカニックも上質である。童顔系の可愛らしい顔をした女性なのだが、見かけとは異なり、「カルメン幻想曲」ではかなり情熱的な演奏を繰り広げる。

下野指揮の京都市ジュニアオーケストラも色彩豊かな演奏を繰り広げた。

 

後半、小林美樹と京都市ジュニアオーケストラのメンバーである山﨑祥恩(やまざき・しょうおん)の独奏によるJ・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。
山﨑祥恩は、現在、京都市立堀川音楽高校の1年生。小学5年生から京都市ジュニアオーケストラに参加し、コンクールでも金賞や奨励賞、優秀賞などの受賞歴がある。近年では、第29回日本クラシック音楽コンクール全国大会中学校の部で第2位(1位なしで最高位となる)、第74回全日本学生音楽コンクール大阪大会高校の部2位という成績を残しており、この子は確実にプロ志望だと思われる。

柔らかさも持った小林と、鋭さと正確さを武器とする山﨑の柔と剛の対比という趣があり、面白いバッハ演奏となった。京都市ジュニアオーケストラは、弦楽がほぼノンビブラートのピリオド奏法による伴奏を行った。若い人達なので、ピリオドにまだ十分に馴染んでいない感じだったが、総体的には優れた伴奏である。

 

ロベルト・シューマンの交響曲第4番。下野の的確な指揮棒に導かれ、仄暗さや幻想的な曲調も十全に表現した演奏となる。シューマンはオーケストレーションが独特であるため、演奏が難しいことで知られるが、第1ヴァイオリン13名、第2ヴァイオリン11名と大きめの編成での演奏ということもあって、鳴りも十分であり、聴く者を納得させるだけの出来を示した。

 

アンコール1曲目は、シューマンの「トロイメライ」(弦楽合奏版。編曲者不明)。ノスタルジックな叙情美に溢れた演奏であった。

「トロイメライ」演奏後、下野はマイクを手にして再登場。「京都『市立(しりつ)』芸術大学教員の下野竜也です」と「市立」を強調した自己紹介をして客席の笑いを誘う(京都造形芸術大学が一方的に京都芸術大学に校名変更を行ったため、訴訟に発展している)。「ちょっと前までは京都市交響楽団の指揮者もしていた訳ですが」と語った後で下野は京都市ジュニアオーケストラの定期演奏会(定期演奏会という名こそ付いていないが、毎年1月にメインのコンサートを行うので実質的な定期演奏会である)を指揮するのが初めてであること、コロナの影響によりトレーニングの期間が例年の半分ほどしか取れず、曲目も変更せざるを得なかったことを明かし、また京都市ジュニアオーケストラを音楽エリートに育てようという気は毛頭ないことを語る。京都市ジュニアオーケストラは何より「人間形成の場」と捉えているそうで、そのためリハーサルもスパルタで行っていることを明かす。「罵詈雑言こそ浴びせませんでしたが、出来ていない時は出来ていないとハッキリ言いました。出来てもいないのに、『出来てる上手い』と褒める風潮に疑問を感じていた」と語る。音程も含めた音を合わせることに最も傾注したが、「音程を合わせるというのは思いやり」であると述べる。「これは師である広上淳一先生からも何度も言われたことです。相手の音を聴いて、『あれ、自分、外れてないかな』と思いやること」と、周囲の音を聴くことの重要さに触れていた。

 

アンコールの2曲目は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番であり、ステージ後方やポディウムにも管楽器奏者が登場して、大編成での演奏となるのだが、下野は指揮は自分ではなく、合奏指導を行った大谷麻由美が務めることを明かす。
「彼女(大谷)も京都市立芸術大学の出身です。愛媛県出身ですが、ミスみかんにも輝いたことのある美貌の持ち主です。(自分とは違って)スラッとしたの出てきますんで。僕はもう出てきません。さよなら!」と言って下野はステージを後にする。

 

大谷麻由美の指揮によるドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番。
下野は大谷麻由美を「京都市立芸術大学出身」と紹介したが、実は大谷は近畿大学商経学部を卒業後に会社員として働き、三十代に入ってから指揮者を志して京都市立芸術大学に入学したという経歴の持ち主である。プロの指揮者として成功することは難度がかなり高いため、一度は諦めたが、再度挑戦という人は結構多い。日本を代表する指揮者であった朝比奈隆がそうした経歴を持つということも再挑戦組が多い理由だと思われる。下野竜也も実は高校卒業時に「中学の吹奏楽から音楽を始めたからプロの指揮者になるなんて無理だろう」ということで音大には進学せず、音楽教師を目指して地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入るも卒業間近になっても夢を諦められず、「齋藤メソッド」の映像を何度も見て独学し、卒業後に桐朋学園大学付属指揮教室に通ったという再挑戦組である。

その大谷の音楽作りであるが、編成が大きくなったということも影響しているが、音の輪郭を上手く形作ることが出来ず、飽和状態になることが多い。やはり下野のようにはいかないようだ。強弱やニュアンスを細やかに変えることの出来る下野の実力が改めて明らかになる。下野は60年代後半生まれの日本人指揮者としてはおそらくナンバーワンであり、NHK交響楽団に可愛がられて、毎年のように大河ドラマのオープニングテーマの指揮者として指名されていたのも納得である。

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2020年12月29日 (火)

2346月日(26) 東京芸術劇場オンライン「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦――芸術と矯正の融合を目指して――」

2020年12月21日

東京芸術劇場のオンラインイベント、「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦 ――芸術と矯正の融合を目指して――」を視聴。約3時間の長丁場である。事前申し込み制で、当初定員は先着100名であったが、申し込みが多かったため、150名に増えている。

事前に、稽古やワークショップの様子や、本番のダイジェスト映像、資料などにアクセスするURLが書かれたメールが送られて来ており、それに目を通すことで、内容がわかりやすくなるようになっている。

ドイツで刑務所の受刑者に演技指導をして上演するという活動を続けているアウフブルッフ(ドイツ語で「出発」という意味)の芸術監督で舞台美術家のホルガー・ズィルベによるレクチャーと、坂上香監督のドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」にも出演していた毛利真弓(同志社大学心理学部准教授、元官民協働刑務所民間臨床心理士)による日本の刑務所で矯正のために行われている治療共同体(Therapeutic Community。頭文字を取ってTCと呼ばれる)の活動報告、そしてホルガー・ズィルベと毛利真弓の対談「矯正教育による芸術の可能性」からなるオンラインイベントである。モデレーターは、明治大学国際日本学部教授の萩原健(専門はドイツの演劇及びパフォーマンスと日本の演劇及びパフォーマンス)。

アウフブルッフは、刑務所演劇を専門に行っている団体ではなく、フリーのプロ演劇カンパニーだそうで、1996年に結成。翌1997年から刑務所演劇に取り組みようになったという。

アウフブルッフが本拠地を置くベルリン都市州は大都市ということもあって犯罪率も高めだが、「移民が多い」「教育水準の低い人が多い」「再犯率が高い」という特徴があるそうで、刑務所演劇によって再犯率が低くなればという狙いもあったようだが、演劇を行ったことで再犯率に変化があったかどうかの立証は不可能であるため、統計も取られていないようである。
「移民で教育水準が低い」と悪条件が重なった場合はドイツ語も喋れないため、犯罪に手を出す確率は高くなることは容易に想像される。また職業訓練も上手く受けられない場合も多いようだ。そうした状態にある人に芸術でのアプローチを試みたのが、ズィルベ率いるアウフブルッフである。アウフブルッフは、ドイツの他にもロシアやチリの刑務所での上演も行っているようだ。

刑務所演劇の意義として、刑務所のマイナスイメージに歯止めをかけることが挙げられる。受刑者以外で刑務所に入ったことのある人は余り多くないため、その中やそこから出てきた人に対するイメージはとにかく悪い。ただ、刑務所で受刑者が演じる演劇を観て貰うことで、両者を隔てる壁が少しだけ低くなるような効果は生まれる。少なくとも「断固拒絶すべきスティグマ」ではなくなるようである。
1997年にドイツ最大の男性刑務所であるテーゲル司法行刑施設での、「石と肉」という作品で上演が始まり、今に到るまでベルリンの全ての刑務所で公演を行ったほか、外部プロジェクトとして元受刑者で今は社会に出ている人などをキャスティングし、プロの俳優や市民と共同で上演を行う混成アンサンブルによる上演が、博物館、裁判所、教会、ベルリンの壁記念碑の前などで行われているそうである。

ちなみに小さい刑務所の場合は上演を行うスペースがないため、代わりに演劇のワークショップなどを行っているという。

キャストであるが、刑務所側が止めた場合(暴行罪や暴力癖のある人)を除くと希望者がトレーニングを受けて本番に臨むというスタイルのようである。アウフブルッフ側は敢えて受刑者の知識は入れないようにしており、罪状なども一切知らないで稽古を進めるようだ。最初は1回4時間の稽古を4~6回行い、その先に行きたい希望者向けに計300時間ほどの稽古を行うという。刑務作業以外の自由時間は全て稽古に費やす必要がある。無断欠席を3回行った場合は脱落者と見做されるそうである。

ラップや合唱など、コーラスを使った演出も特徴で(演出は全てペーター・アタナソフが行っている)、その他にもセリフの稽古、書き方のワークショップなどが音楽の練習と並行して行われる。本番は6回から14回ほど、キャパは75人から250人までだそうである。受刑者には芸術に触れた経験も興味もない人も多いため、最初は暇つぶしのために参加したり、人から勧められて参加したりと、前向きな理由で加わる人はほとんどいないそうだが、稽古を重ねるうちに社会性が高まる人もおり、更に本番では観客からの拍手を受けるのだが、それが生まれて初めての称賛だったという人も多いそうで、「人生で初めて何かを最後までやり遂げた」と感激の表情を浮かべる受刑者もかなりの数に上るそうである。これにより自信を付け、自己肯定感を得て再犯率も減り……、だといいのだが先に書いたとおり、再犯率低下に演劇が貢献しているのかどうかまではわからないようである。
ただ、刑務所に入るまでに抱き続けていた劣等感は、仮にたった一時であったとしても振り払えるため、何らかの形での再生に繋がっている可能性は否定出来ないように思う。
稽古の終わりに、毎回、キャスト全員で反省会を行い、各々の意見を述べるのだが、これも受刑者がそれまでの人生で余りやってこなかったことであり、人間関係と他者の存在とその視点を知るという意味では有意義なように思われる。

ズィルベによると犯罪者はいずれ社会復帰することになるため、社会の側も刑務所演劇を観ることで受刑者に対する新たな見方を得て彼らを受け入れるための準備をすることが出来る。そうした意味での刑務所演劇の可能性も語られた。

 

毛利真弓による刑務所の報告。「プリズン・サークル」の舞台となった島根あさひ社会復帰促進センターという半官半民の刑務所で臨床心理士をしていた毛利だが、島根あさひ社会復帰促進センターでTCを受けた人の再犯率は9.5%と、TCを受けていない人達の19.6%より優位に低かったそうである。
日本の刑務所は、あくまで収監し、懲役を行うのが主目的で、社会復帰のための教育は遅れているのが現状であり、職業訓練などはあるが、再犯防止のための教育策は基本、取られてこなかった。それでも2006年から少しだけ風向きが変わっているという。

島根あさひ社会復帰促進センターでは、アミティという海外で考え出されたプログラムを使い、イメージトレーニングや加害者と被害者を一人二役で演じる自己内対話を経て他者の視点を得る訓練、また受刑者が受刑者に教えるというシステムもあり、他者と接する機会を多く設けている。これまでの日本の刑務所は他者と触れ合うこと自体が禁じられていることも多かったため、画期的なことであったといえる。

島根あさひ社会復帰促進センターは、初犯の男性受刑者のみが収監されるが、それまでの人生で他者と向き合う機会がほとんどなかったという人も少なくなく、「他者を通して自己と向き合う」「生身の人間のリアルに触れる」ことを目標としたトレーニングが組まれているようである。

ホルガー・ズィルベが島根あさひ社会復帰促進センターの情報を得て、「社会と繋がっていないように感じる」と述べたが、やはり日本の場合、受刑者が社会と直接的な繋がりを持つのは難しいだろう。刑務所演劇の場合は、目の前で受刑者が演技を行い、終演後に観客と受刑者が会話を交わすことも許されているようだが、日本の場合は受刑者という存在に対するスティグマがかなり強いため、少なくともドイツと同様というわけにはいかないように思う。

「犯罪の加害者と上演をしているが、被害者とはどうなんだ?」という視聴者からの質問が来ていたが、被害者とは接点が持てないそうで、まず被害者同士で纏まるということもなく、接触も禁じられているため、手を打とうにも打てないようである。加害者が出演している芝居を観た被害者から一度連絡が来たことがあったそうだが、その一例だけのようである。

刑務所演劇も稽古や上演に到るまで、何ヶ月にも渡って行政と話し合いを持ったそうだが、最終的には「やってやる!」というズィルベの意志が勝ったそうで、毛利も「日本では(刑務所演劇は)難しい」ということを認めながら、「違いを超える」必要性を説いていた。

折しも、日本では第九の季節である。シラーとベートーヴェンが唱えたように「引き裂かれていたものが再び結び合わされる」力にもし演劇がなれるとしたのなら、それに携わる者としてはこの上ない喜びである。

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2020年11月 8日 (日)

これまでに観た映画より(225) メル・ギブソン&ショーン・ペン 「博士と狂人」

2020年11月5日 京都シネマにて

京都シネマで、イギリス=アイルランド=フランス=アイスランド合作映画「博士と狂人」を観る。久しぶりとなるスクリーン1(京都シネマは、スクリーン1、スクリーン2、スクリーン3という3つの上映空間からなっており、番号が若いほど大きい)での鑑賞となる。

言語を網羅化したものとしては世界最高峰の辞典『オックスフォード英語大辞典』編纂に纏わる実話を基にした物語の映画化。原作:サイモン・ウィンチェスター。脚本・監督:P.B.シェムラン。出演:メル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマン、エディ・マーサン、スティーヴ・クーガンほか。2018年の制作である。

英語に関する単語や表現、由来や歴史などを集成した『オックスフォード英語大辞典』。19世紀に編纂が始まり、完成までに70年を要した大著であるが、その編纂初期に取材したサイモン・ウィンチェスターのノンフィクションを映画化したのが、この「博士と狂人」である。サイモン・ウィンチェスターの著書は1998年に発売されたが、映画化の権利獲得に真っ先に名乗りを挙げたのがメル・ギブソンであり、当初はメル・ギブソン自身が監督する案もあったそうだが、最終的にはメル・ギブソンは主演俳優に専念することになった。構想から完成まで20年を費やした力作である。

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教師として働くジェームズ・マレー(メル・ギブゾン)は、スコットランドの仕立屋の子として生まれたが、生家が貧しかったため、14歳で学業を終えて働き始めた(先日亡くなったショーン・コネリーに生い立ちが似ている)。その後、独学で語学を学び、ヨーロッパ圏の言語ほとんどに通じる言語学の第一人者と認められるまでになるが、大学を出ていないため当然学士号は持っておらず、話し方もスコットランド訛りが強いということで白眼視する関係者もいる。『オックスフォード英語大辞典』はその名の通り、オックスフォード大学街で編纂が行われるが、マレーの案で、イギリスとアメリカ、そして当時のイギリスの植民地などに在住する英語話者からボランティアを募り、単語や言い回し、その歴史や出典などを手紙で送って貰って、それらをマレー達が中心になって取捨選択し編纂するという形を取る。その中に、一際英語に詳しい人物がいた。アメリカ出身の元軍医で、今はイギリスのバークシャー州に住むウィリアム・G・マイナー博士(ショーン・ペン)である。マレーはその住所からマイナーのことを精神病院の院長だと思い込むのだが、実際はマイナーは殺人事件を起こし、幻覚症状が酷いことから死刑を免れて刑事精神病院に措置入院させられている人物であった。マイナーは、南北戦争に軍医として従軍。敵兵の拷問に関与したのだが、その時の記憶がトラウマとなり、今では拷問を受けた人物が殺意を持って自分を追いかけてくると思い込む強迫神経症に陥っていた。敵が自分を監視していると思い込んだマイナーは、その場を通りかかったジョージ・メレットを誤認識し、射殺してしまっていたのだ。精神病院でもマイナーは幻覚に苛まれる(後に統合失調症との診断が下る)。

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マイナーが実は精神病患者で殺人犯だと気付いたマレーだが、学識豊かなマイナーと英語に関する知識を交換し、すぐに友情で結ばれるようになる。二人のやり取りは、これまで互いに理想としてきた人物との邂逅の喜びに溢れていた。
『オックスフォード大辞典』の第1巻が完成し、その功績によりマレーは言語学の博士号を送られ、正式な博士となる。
だが、アメリカ人の殺人犯が権威ある英語辞典の編纂に関与していることが知られてスキャンダルとなり、マイナーの病状も徐々に悪化して、異様な行動も目立つようになる。

『オックスフォード英語大辞典』編纂の物語ということで、派手な展開ではないが、しっかりとした構造を持つヒューマンドラマに仕上がっている。マレーとマイナーの友情の物語、またメレット夫人(イライザ・メレット。演じるのはナタリー・ドーマン)とマイナーとの男女の物語が平行して進むのだが、文盲であったメレット夫人がマイナーの指導によって読み書きの能力を身につけていく過程は、メレット夫人の成長とマイナーとの歩み寄りの物語でもある。「許すとは何か」がここで問い掛けられている。メレット夫人を単なる悲劇のヒロインや復讐に燃える女性としないところも良い(マイナーとメレット夫人のシーンはフィクションの部分が多いようだが)。

単にヒューマンドラマとして観てもいいのだが、マレーがスコットランド出身であることや学歴がないことで見下されたり、追い落とされそうになるところ、またマイナーがアメリカ人で(今でこそイギリスとアメリカではアメリカの方が優位だが、19世紀当時のアメリカは「ヨーロッパの落ちこぼれが作った未開の国」でイギリスへの裏切り者というイメージだった)しかも精神病に冒されているということで異端視されるなど、差別と偏見がしっかりと描かれている。こうした傾向は、19世紀よりはましになったが、今に到るまで続く問題であり、単なる「知られざる偉人の物語」としていないところに奥行きが感じられる。

ちなみに、若き日のウィンストン・チャーチルが登場する場面がある。世界史好きの方はご存じだと思われるが、チャーチルも生涯に渡って精神病に悩まされた人物であった。実際に映画で描かれているようなことがあったのかどうかは分からないが、ある意味、象徴的な役割を果たしている。

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2020年10月 2日 (金)

YouTubeLive「ポーランド・フェスティバル2020 ONLINE」(アーカイブ動画掲載)

2020年9月26日

午前11時から、YouTubeLiveで、「ポーランド・フェスティバル2020 ONLINE」が配信されるので見てみる。

毎年、東京で行われているポーランド・フェスティバルであるが、今年はコロナのために配信で行われることになった。ポーランド・フェスティバルには興味があるのだが、そのために東京に行くわけにもいかず、しかも私がポーランドについて興味があるのは主に映画と音楽であり、他のことに興味が持てるからどうかの自信もない。
というわけで行くに行けないという状態だったのだが、今年は配信となったので家にいながら色々と楽しむことが出来た。

まず、簡単なポーランド語講座があるのだが、どうにも覚えられそうにない。語学の才能のある人はちょっと目にするだけで単語や言葉を記憶出来たりするのだが(私の場合は物語的な記憶はかなり強いが、単純暗記は向いていない)、私の場合はアルファベットを使った言語というだけでお手上げになってしまう。「そのまま読む」とのことだったが、どう見ても変則的な読みをしているようにしか見えない。
ユダヤ系ポーランド人のザメンホフは、英語を学習してその余りの簡単さに驚き、ルールを簡約化した言語は作れるということでエスペラントを生み出した。だが、私の場合は英語は全く出来ないため、英語が簡単だと思う感覚がわからない。ポーランド語はスラブ系の言語ということで怖ろしく複雑だと思われ、私では入り口に立つことさえ出来ないだろう。


続いて、ポーランドの絵本朗読のコーナー。「ミツバチのはなし」という邦訳も出ている(3千円以上するのでちょっと高い)絵本を、ポーランド語と日本語で同一内容を交互に朗読していく。
ミツバチが恐竜の時代よりも以前から地球に存在したという話に始まり、元々はスズメバチなどと同様、肉食だったと思われるのだが、花粉を運ぶ役割を虫に託していた花々の計略(?)により、蜜を吸って花から花へと移ることで花粉を運ぶ役割を担うのと同時に主食も変わって食糧事情が安定するという、花とミツバチにとってWin-Winの関係に変わったことなどが語られる(あくまでも一つの説だと思われるが)。
その他に蜂蜜の種類が紹介されたり、宗教方面に蜂蜜が影響したことなど、興味深い内容が盛り込まれている。元々、大人も子どもも楽しめる絵本として書かれたもののようだ。


ポーランドシベリア孤児100年の話。100年前、日本の敦賀港にシベリアからポーランド系の孤児達がたどり着いた。1920年、ロシア革命が起こった3年後である。中世には強国であったポーランドだが、その後は他国に侵略される歴史を繰り返す。
20世紀前半にはポーランド独立のためにロシアで活動していた人々が政治犯としてシベリア流刑となっていた。その後、第一次世界大戦でポーランドはドイツとロシアとが戦う戦場となったため、シベリアに逃げてきた人もそれに加わり、シベリア移民は一説には20万人にも達したという。シベリアでの生活は苦しく、特に孤児となった子ども達への救助要請が出されたのだが、それを受けたのが日本赤十字社であったという。孤児達の受け入れには今も東京都渋谷区広尾にある福田(ふくでん)会という育児院が大きな役割を果たしたということである。


ずっと見ているわけにも行かないので、その後は配信を離れたが、ポーランド国立民族舞踊合唱団「シロンスク」の新作上演の紹介と、ポーランド映画祭の話が行われる時間にパソコンに前に戻る。
私は昨年、「シロンスク」の公演を大阪のフェスティバルホールで観ており、昨年は京都でも行われたポーランド映画祭も同志社大学寒梅館と出町座で作品を目にしている。

ポーランド映画祭は今年は東京のみで行われるようだが、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の大作「デカローグ」が上演されるようだ。また、昨年は同志社大学寒梅館クローバーホールでの「バリエラ」上映の前に舞台挨拶を行ったイエジー・スコリモフスキ監督もビデオレターでの出演を果たす。ビデオレターは急遽届いたものだという。

「シロンスク」は、昨年の日本ツアーではポーランドの伝統舞踊を中止とした公演を行ったが、今年は一転してコンテンポラリーダンスで別の面を披露する予定だったという。残念ながらコロナで来日公演は出来なくなってしまったが、収録録された映像を東京、大阪を始め、札幌など日本各地で上映する計画があるそうだ。予告編はすでに出来上がっていたので流されたが、シャープで格好いいダンスである。


昨年の「シロンスク」では、日本でもお馴染みのポーランド民謡「森へ行きましょう」が歌われていたが、ポーランド語の発音を片仮名にしたものを字幕として出し、みんなで歌うというコーナーも設けられている。配信なので合唱にはならないわけだが、参加しやすい試みになっていたように思う。

その後、グルメなどの話になるのだが、あんまり興味はないのでパソコンの前から離れ、ポーランドのクラクフとワルシャワからの映像が流れる午後6時30分からのコーナーが始まるまで待つ。

「ポーランドの京都」に例えられることがある古都・クラクフからの生中継。留学してクラクフで学ぶ日本人の女性や、日本について学んでいるポーランド人女子大学生などが出演する。クラクフには日本美術技術“マンガ”館があり、そこからの配信である。日本人留学生である女性が、アンジェイ・ワイダ監督が、ウッジ映画大学に転学する前にクラクフ美術大学で日本画の影響を受けた絵を描いていたという話をして、美術技術館に展示されているワイダ監督が若い頃に描いた絵を紹介するのだが、スタッフが小声で言った言葉をそのまま繰り返していることが分かるため、かなり頼りない。まあ、芸能活動などを行っていない一般的女子大生のレポート能力はこんなものだと思われるが。

そしてワルシャワの映像。こちらは収録されたものである。ポーランドが生んだ世界的作曲家、フレデリック・フランソワ・ショパンゆかりの地を訪ねるというもので、合間にはショパンのピアノ曲も演奏された。

「ポーランド・フェスティバル2020 ON-LINE 」は、来年の6月頃までアーカイブを残す予定だという。


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2019年11月16日 (土)

美術回廊(44) 大丸ミュージアム京都 「かこさとしの世界」展

2019年11月11日 大丸京都店6階大丸ミュージアム京都にて

大丸京都店6階の大丸ミュージアム京都で、「かこさとしの世界」展を観る。
昨年、92歳で亡くなった日本を代表する絵本作家であるかこさとし(加古里子。本名:中島哲)の絵本原画を集めた展覧会。私も子どもの頃は、毎週図書館でかこさとしの絵本を借りてきて、夢中で読んだものである。

 

1926年、福井県武生(現在の越前市)に生まれたかこさとし。幼い頃から画才を発揮。大日本帝国に尽くそうと、パイロットを目指すが、視力が悪いために断念。ならば技術力で貢献しようと東京帝国大学工学部に入学するが、在学中に敗戦を迎える。復学して、新制となった東京大学を卒業し、大手企業の社員というエリートとなったかこだが、戦争に協力しようとした愚かさを恥じ、自分のような過ちを犯さないよう子ども達を導こうとの思いから、セツルメントの一環として川崎市内の自宅のそばの公園で紙芝居上演を始め、その後、絵本作家に転じている。

入ってすぐの所にモニターが設置してあり、かこが子ども相手の紙芝居を始めた頃のエピソードなどを語る映像が流れている。約20分の映像であるが、全部見てみる。さしものかこでもすぐに子どもの心を捉えられたというわけではなく、最初は紙芝居を始めても、一人去り、二人去り、すぐそばの多摩川で虫取り遊びに興じ始めるということが普通の状態であったが、次第に子ども達の心を掴むようになる。上演された紙芝居の中には「どろぼうがっこう」の原型となる作品もあったようだ。

「からすのパン屋さん」シリーズは、どちらかといえば嫌われ者であるカラスを主人公にしている。カラスの賢さに注目し、水平の眼差しを忘れなかったかこらしい着想でもある。

京都の四季を題材にした作品もあり、かこの目を通した、葵祭、祇園祭、時代祭の京都三大祭を描いた絵を京都で楽しめるの趣がある。

 

絵本の他に、子ども達に科学を教えるために描いた絵もある。東京大学工学部応用化学科などで学んだ理系の知識が生かされているようだ。
また子ども達に芸術を教えるために描かれた絵本もある。絵画と彫刻の各1冊ずつで、ダヴィンチ、ピカソ、葛飾北斎、ミケランジェロ、ロダンのなどの作品がわかりやすく解説されており、大人が読んでも大変勉強になる。絵は有名だが名前をそれほど知られていない「ヴォルガの船引」のイリヤ・レーピンを取り上げているのもかこらしいといえる。前を見据えている一人の青年の姿は、まさに未来ある子ども達の理想そのものだ。

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2019年10月17日 (木)

2346月日(17) ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」

2019年9月16日 京阪なにわ橋駅アートエリアB1にて

午後2時から、京阪電車なにわ橋駅アートエリアB1で、ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」を聴く。すぐそばにある大阪市立東洋陶磁美術館で開催されている「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」との連携プロジェクトである。ゲストは、石野裕子(国士舘大学文学部史学地理学科准教授)と宮川智美(大阪市立東洋陶磁美術館学芸員)。カフェマスターは、當野能之(大阪大学言語文化研究科講師)。

石野裕子は、フィンランド史が専門。フェリス女学院大学文学部を経て、津田塾大学大学院国際関係学研究科博士課程単位取得退学後に博士号取得。中央公論社から『物語 フィンランドの歴史』を上梓している。

 

日本で北欧関係というと、東海大学の文化社会学部に北欧学科(旧文学部北欧学科。その前は文学部北欧文学科であった)があるだけであり、フィンランド語を専攻できるのもここが唯一。専門家を生み出す課程自体は少ないということで、日本では一般に北欧のイメージは良いが、北欧の歴史や文化までもが熟知されているというわけではない。

カフェマスターの當野能之が所属している大阪大学言語文化研究科は、外国語学部の研究科で、大阪大学の外国語学部は大阪外国語大学時代から日本で最も多くの言語を教える外国語学部であったが、スウェーデン語専攻はあるものの、フィンランド語のコースは残念ながらないそうである。フィンランド語は他のヨーロッパ言語とは異なる構造を持つことで知られている。

 

まず石野裕子によるフィンランド現代史の概説が述べられ、次いで宮川智美による大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」展示作品の解説がある。

フィンランドは約600年に渡ってスウェーデンの統治下にあり、公用語はスウェーデン語だけで、フィンランド語は農民達が話す言葉であった。支配層はスウェーデン系が多く、スウェーデン語が話されていた。それが1809年にスウェーデンとロシアの間で2度目の戦争があり、ロシアが勝利して、フィンランドはロシアに割譲される。ここにフィンランド大公国が生まれ、フィンランドはロシアの中の一国となる。フィンランド大公はロシア皇帝が兼任しており、独立を果たしたわけではなかったが、フィンランド人による自治が認められ、やがて公用語にフィンランド語が加わることになる。
その後、アレクサンドル2世の時代にフィンランドの自由化があり、フィンランドは「自由の時代」を迎えるが、アレクサンドル2世が暗殺され、ドイツの台頭が顕著になると、ロシアはフィンランドへの締め付けを強化し始める。エートウ・イストの風刺画「攻撃」が描かれたのがこの頃だそうだ。

1917年にロシアで2月革命が起こると、フィンランドは同年12月6日に独立を宣言する。だが、そのまますんなりとは進まず、親ソ連派の赤衛隊と親ドイツ派の白衛隊に分かれて内戦が起こり、白衛隊が勝利したが、フィンランド人同士での殺し合いが発生し、約3万人が犠牲になったという。
更に第二次世界大戦ではソ連と戦い、冬戦争と継続戦争という2度の戦いにいずれも敗北(2つの戦争は日本の人気漫画に出てくるそうで、若い人の間では知名度が高いそうだ)。フィンランドはカレリア地方を含む国土の10分の1を失い、多額の賠償金を支払うことになる。
フィンランドが世界に復興を示すのは、1952年のヘルシンキ・オリンピックを待たなければならなかった。ちなみに1940年の東京オリンピックが返上された時、次点であったヘルシンキが開催地に決まったが、大戦が始まってしまったため中止となっている。1940年のヘルシンキ・オリンピックのためにデザインされたポスターは、1952年のヘルシンキ・オリンピックのポスターとして年号だけ変えて使用されたそうである。

 

宮川智美によるフィンランド陶芸の解説。ラボカフェの最初の挨拶で、當野能之がフィンランドの陶芸について、「(イメージと違って)意外だった」と述べていたが、大阪市立東洋陶磁美術館の「フィンランド陶芸」に並ぶ作品は、バラエティに富み、「フィンランドのデザイン」と聞いて思い浮かべるすっきりとしたものもあるがそうでないものも多い。
ただ、まずはもう一つの展示であるマリメッコについてから。フィンランドを代表するテキスタイルブランドのマリメッコ。「マリのドレス」という意味だが、マリというのは、創設者の一人であるArmi Ratiのファースネームの綴りを変えたものに由来しているという。ジャクリーヌ・ケネディなどがマリメッコの衣装を愛用したことで、「知識人のユニフォーム」と言われた時代もあったようである。

そしてフィンランドの陶芸史。
フィンランドの陶芸に偉大な足跡を残している人物は二人いる。アルフレッド・ウィリアム・フィンチとクルト・エクホルムであるが、二人ともフィンランド人ではない。フィンチはイギリス系両親の下、ベルギーに生まれ育ち、ベルギーで画家として活動した後に陶芸にも乗り出し、実践的な芸術運動であるアーツ・アンド・クラフト運動に乗る。やがてフィンランドに招かれ、1897年に設立されたアイリス工房で陶芸を指導。アイリス工房自体は5年の歴史しか持たずに閉鎖されてしまったが、1900年のパリ万国博覧会のフィンランド館にアイリス・ルームなる展示を行い、評判を呼んでいる。アイリス工房閉鎖後は、フィンチはアテネウム(工芸中央美術学校)の教師となり、後継者の育成に尽力。フィンランドを代表する陶芸作家達を生み出していった。
クルト・エクホルムは、スウェーデン出身。ストックホルムで陶磁器デザインを学び、ヘルシンキのアラビア地区に生まれたアラビア製陶所を率いて活躍していく。クルト・エクホルムは陶芸作家でもあったが、批評家としても活動し、実績を残しているようだ。
スウェーデンの陶芸会社であるロールストランド製陶所が税制優遇のためにヘルシンキに作ったのではないかといわれるアラビア製陶所。エクホルムはこの製陶所美術部門のディレクターとなる。ここに所属する陶芸作家達は、社員ではあるが、製陶所の売り上げに繋がる作品を制作するよりも、個々の個性に根ざした作品を作ることが奨励されるという恵まれた環境にあった。社員に女性が多かったのも特徴である。フィンランドでは昔から女性の地位は諸外国に比べて高かったようである。
ただ、アラビア製陶所の作風は凝っていたため、「ライオンとコーヒーカップ」論争というものが起こり、陶器はもっと実用的なものであるべきだという立場の人々からは「ボタンホールの飾りに過ぎない」と批難された。これを受けて、機能主義的な作品を生み出していったのがカイ・フランクらである。カイ・フランクの作風などはシンプルですっきりとしていてそれでいてチャーミングというアルヴァ・アアルトに代表されるいわゆる北欧デザイン的な特徴が表れている。ただ、カイ・フランクらの作風だけがフィンランド陶芸ではなく、もっと多様性を持つのがフィンランド陶芸なのだそうだ。

 

再び、石野裕子による講義「19世紀フィンランドの芸術とナショナリズム」
アレクサンドル2世時代にフィンランド語が公用語となったとき、人々はフィンランド人のアイデンティティを求めるようになる。「もうスウェーデン人ではない。ロシアン人にもなれない。ならばフィンランド人で行こう」という言葉と共に、ナショナリズムが勃興する。
フィンランド的なるものを追求した時に注目されたのだが、叙事詩「カレワラ」である。スウェーデン系フィンランド人であるシベリウスも「カレワラ」を題材にした「クレルヴォ」交響曲を書き、同じくスウェーデン系フィンランド人の画家であるアクセリ・ガッレン=カッレラは「カレワラ」を題材にした絵画を制作している。

一方、文学の方は、ルーネベリとトペリウスというスウェーデン系の作家が生まれた。ただ当然ながら、スウェーデン語での文学であり、フィンランド語による本格的な文学の誕生は、フランス・E・シッランパーの登場を待たねばならなかった。

それまでスウェーデンとロシアという二つの大国の間に押し込められてきた感のあったフィンランドに、「ヨーロッパの一員となりたい」という希望が生まれ、「ヨーロッパへの窓を開けよ」を合い言葉に、松明を掲げる者たちと呼ばれた人々が勢いを増す。ヨーロッパの文化が盛んに取り入れられるようになるのだが、当時の、特にフランスではジャポニズムが流行っており、フィンランドの画家達もそれを間接的に受け入れて、「カレリア」の挿絵を浮世絵の手法を入れて描いたりしているそうである。
この頃、フィンランドは右傾化し、男子学生は「大戦で奪われたカレリアを取り戻せ」としてカレリア学徒会に参加、女子学生は「良き家庭」を理想としたロッタ・スヴァルトという保守的団体にこぞって加入する。
こうしたナショナリズムは言葉と密接に関係しているが、言葉を用いない陶芸や絵画はそれにとらわれない自由さがあり、ナショナリズムでひとくくりには出来ないというのが石野の意見のようである。

フィンランドは人口が約500万人と少ないので個を大切にする教育が行われており、またフィンランドに限らず北欧全体にいえることだが、芸術への手厚い保護があり、例としてシベリウスが若い頃から生涯年金を貰っていたという話をする。アラビア製陶所も企業ではあるが、売れ線のものを作らずに個性を発揮させることが許されていた。そのため、バラバラな個性の陶芸が生まれたのではないかというのが石野の想像のようである。

フィンランド的なデザインとしてよく挙げられるアルヴァ・アアルトとの関係であるが、二人とも建築やデザインは専門ではないのでよくわからないとしていたが、カイ・フランクなどは多分にアアルト的であり、人間の自然にフィットしているように感じられる。これはシベリウスの音楽にも共通することである。

 

思えば、私がシベリウス以外でフィンランドについて注目したのは、ヘルシンキ大学の学生だったリーナス・トーバルズが、UNIXをベースとして生み出したLinuxが初めであった。Linuxは個々が自由に改良できるオープンソースOSであり、個性や多様性を許したプログラムである。また汎用性豊かという意味で極めて機能的である。Linuxがフィンランド的なるものに根ざしているのかどうかはわからないが、少なくとも「発想」に関してはフィンランドのような歴史を持つ国からでないと生まれないような気がする。

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2018年11月 1日 (木)

2346月日(4) 同志社女子大学公開講演会 ジェイ・ルービン 「夏目漱石と村上春樹 翻訳家の告白」

2018年10月23日 同志社女子大学今出川キャンパス純心館S013教室にて

同志社女子大学で開催されるジェイ・ルービンの公開講演会に参加する。アルティであった加藤健一事務所の公演を観た帰りに同志社女子大学の前を通ってたまたま見つけた講演である。同志社女子大学今出川キャンパスの中で最も新しいと思われる純真館で行われる。


「夏目漱石と村上春樹 翻訳家の告白」と題された講演。
ジェイ・ルービンは、村上春樹の小説の翻訳で知られる翻訳家・文学者である。ワシントンD.C.に生まれ、シカゴ大学大学院で文学博士号を取得。ワシントンD.C.ではなくワシントン州シアトルにあるワシントン大学の教授を経て、ハーバード大学教授。2008年に退官して、同大学名誉教授の称号を得ている。『ねじまき鳥クロニクル』の英語翻訳で野間文芸翻訳賞を受賞。村上春樹の『ノルウェイの森』、『1Q84』などの他に夏目漱石や芥川龍之介、謡曲の英訳なども手掛けている。また『村上春樹と私 日本文化に心奪われた理由』という本を上梓している。

ジェイ・ルービンは基本的に日本語で話す。

まず、京都の思い出。京都では、1995年から96年までと2000年から2001年までの2度、桂にある国際日本文化研究センター(日文研)に1年間滞在して研究を行ったことがあり、今回も京都を訪れて大変懐かしく思うと語る。

そして以前、伏見稲荷大社を訪れた時の話になる。伏見稲荷大社には何本もの寄進された鳥居があり、様々な人が勝手に祠を建てたりしている。ジェイ・ルービンはその中にとても古いと思われる祠を見つける。文字が最早見えなくなっており、「これは江戸時代以前に建てられたものに違いない」と思ったのだが、実はそれは昭和に入ってからのもので、夏目漱石の時代よりもはるかに新しいものであった。昭和といっても文字が見えないほど古びてしまうものが存在するのだが、更に古い時代に活躍した夏目漱石は「今でも新しい作家」である。

その後、早稲田大学のゲストハウスに泊まった話もする。早稲田大学のゲストハウスは夏目漱石の生誕地や邸宅が構えられたというゆかりの地である。
ルービンは、早稲田界隈で撮った写真をプロジェクター(投影機)を使っていくつか見せる。漱石山房記念館、夏目漱石生誕の地の碑、夏目漱石の銅像など。早稲田には今も夏目漱石が息づいている。

そこから村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を翻訳した時の話になる。夏目漱石のような物故者には翻訳に関して意見を聞くことは出来ないが、村上春樹は存命中であるため、いくらでもやり取り出来る。ただ、やり取りをしすぎてしまったという話になる。

ジェイ・ルービンは翻訳に関しては細かいところまで詰めるタイプであるため、村上春樹に質問し続けて、朝から晩までやり取りをすることになってしまい、共に疲労困憊になったそうである。
『ねじまき鳥クロニクル』は、「水」が重要なテーマになっているため、ネクタイの柄である「水玉の」を「polka-dot」にすべきか水を強調できる「water-drop pattern」にすべきか村上に問い、村上は「polka-dotがいい」と答えたそうである。

「塀」も『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』以来、重要な村上文学のモチーフなのだが、ジェイ・ルービンは「wallとすべきかfenceとすべきか」迷い、村上は「fence」をベターとした。

「幸江」という名前の女性が出てくるのだが、ルビが振られていない。そこでルービンは、「さちえ」と読むのか「よしえ」か、はたまた「ゆきえ」なのかを聞く。村上の答えは「ゆきえ」であった。

出てくる登場人物が掛けている眼鏡の縁の色が最初は茶色だったのが途中で黒に変わっている。これについては村上は「最初から黒にすべきだった」、つまり編集者も見つけることが出来なかったミスであったことがわかった。

ということで、村上春樹もルービンとの翻訳作業を終えて、「どうせ小説というのはいい加減なものだ」(やれやれ)と発言したそうで、村上春樹自身も翻訳を行うが、自身が書いたテキストが英訳される際に気にするのは英文として面白いかどうかであり、子細に点検するタイプではないようである。村上自身は自作の小説を読む返すこともほとんどないことが知られているが、読む直すと「欠点ばかり目につく」からであり、仮に間違いがあったとしても致命的でない限りは気にしないことにしているようである。
デビュー作である『風の歌を聴け』でも、日付の辻褄が合わなくなっていることが知られているが、村上春樹本人は後でそれに気づくも今に至るまで修正したことはない。確かに小説を読み進める上では大して問題にならない部分ではある。

ちなみに、ルービンは『ノルウェイの森』を英訳した際、村上に訳の間違いを指摘されたことがあるのだが、それは、「かわって」を「わかって」と誤読したために起こったものだそうである。村上はその時も、「『かわって』を漢字で『代わって』と書くべき所を平仮名で書いてしまったため」としており、ルービンは村上について「とても優しい人」という印象を抱いたそうである。


その後、ルービンが『アメリカひじき』を翻訳した野坂昭如の話になる。ルービンは銀座の店で野坂と待ち合わせをしていたのだが、いつまで経っても野坂がやって来ない。1時間ほど待ったところで、実はスタッフが店を間違えていたことに気づき、ルービンは野坂が待つ店へと移動する。
到着した時には野坂はすでに酔っ払っており、店にゴキブリが出たとかで、「人間はゴキブリ以上の存在だと思い込んで疑わない『傲岸さ』について延々と語った」そうである。


ルービンは、澤西祐典(さわにし・ゆうてん)という日本の若い作家を紹介する。優れた作家なのだが日本人はほとんど誰も知らないそうだ。


話は漱石に戻る。『三四郎』を英訳した時のことだが、ルービンは「漱石の頭の中をよりよく理解したい」ということで、漱石自身が書いた『文学論』を読んで研究を行ったという。「漱石は直角的ではなく細かな描写を好む」ことにルービンは気づいていたのだが、『文学論』で漱石は視覚や聴覚といった五感に関する記述を行っており、その細密な分析に感心している。
漱石は、ヴィルヘルム・ブントが書いた色彩に関する記述を挙げ、「白色は華美、緑色は静けき楽を想起し、赤色は勢力に通じるものなり」として、『三四郎』でも色彩理論を発展させている。
なんとなく、共感覚を連想させる手法であるが、夏目漱石が共感覚の持ち主なのかどうかは私は知らない。

その頃、ルービンは、『夏目漱石』を著したことで有名な文芸評論家・文学者の江藤淳を訪ねている。当時、江藤淳は東京工業大学の教授であり、江藤の研究室に招かれたルービンは江藤から「ここにある書籍は自由に使っていい」と言われたそうで、「本当に親切な人だ」という印象を受けたという。
江藤の不在時に、ルービンは「漱石の幽霊が現れるのでは?」という願いを抱きつつ研究室に籠もっていたことがあるそうだが、ついぞ幽霊は現れず、「自分は幽霊を見たことはないし、信じてもいないので」当然ではあると思いつつも、それは漱石が説いた「還元的感化」や、漱石が東京帝国大学の教員を辞して朝日新聞に小説専業の嘱託社員として入社したときの「妙境」に通ずるものがあるのではないかという答えを導く。村上春樹の小説では高確率で、能には常に異界のものが出現する。

最後は、世阿弥の謡曲「雲林院」を巡る話題。在原業平の幽霊が、自身が主人公のモデルとなった『伊勢物語』を本を持って現れるという筋書きに、ルービンは「還元的感化」と「妙境」を感じたという話である。


講義の後で質疑応答の時間となる。質問の優先順位はまず同志社女子大学の学生(普通の講義としても行われており、同女の学生は出席票やレポートを出す必要があるようだ)、次いで同志社大学など単位交換をしている他大学の学生、最後が一般人となるようである。

まず、ジェイ・ルービンの翻訳以外の文学先品があるかどうかという質問であるが、『日々の光(The Sun gods)』という戦中の日本を舞台にした小説を英語で書いており、日本語訳はルービン自身ではなく柴田が行ったそうだ。

2つめは、日本文学に興味を持ったきっかけについて。ルービンは、日本語を選んだのは「大きな間違いでした」と冗談を言う。英語を母国語とする者にとって日本語は最難関言語として知られ、とにかく難しい。大学時代にたまたま「日本文学入門」という講義を取り、先生が「原語で読むとますます面白い」と言ったため日本語に取り組むことになったのだが、「それが元々の間違いでした」

3つめは、村上春樹の小説がアメリカでどう受け止められているか、またノーベル文学賞に関して。
ノーブル文学賞に関してはイギリスの賭け屋が勝手にやっていることで、ノーベル文学賞委員の意向は全く不明である。ノミネートされているのかどうかすらわからない。ただ、「今の日本人でノーベル文学賞を受賞するとしたら村上春樹しかいない」のは事実である。ノーベル文学賞委員の不祥事で、ノーベル文学賞委員が解散。後継の賞は出来たが、これに関しては村上春樹自身がノミネートすら断っている。
アメリカのメディアで日本文学がどう取り上げられているかだが、文学以前に日本文化自体が話題になることがほとんどないそうで、村上春樹はその中で唯一の例外だが、それもノーベル文学賞絡みのことである。アメリカでは夏目漱石すらほとんど知られていないそうである。

4つめは、作者と読者の関係について。同女の英文科の学生の質問であるが、英語の小説を読もうとしても現時点では没頭出来ず、やはり日本語訳で読む方を好むのだが、原語による文章の差異についてはどう思うかというものである。
ルービンの場合、ドストエフスキーが好きだがロシア語を学んだことはないので、英訳で読むそうだ、「本当に理解出来ているのかわからない」というのが本音だそうである。
それと矛盾するが、ルービン自体は「文学は原語で読むべき」という考えを持っているそうだ。ただ、世界中で村上春樹は読まれているが、翻訳で読んだ全員が村上春樹について誤解しているかというとそういうことはないだろうとも思っており、伝わることは伝わるだろうとも考えているそうだ。

5つめ。深読みの可能性について。ハンガリーからの留学生からの質問である。
深読みしすぎて間違うことは往々にしておるが、物故者の場合、その深読みが合っているのかどうかを確認する術はない。「too much」になった場合はどう思うのか?
村上春樹は、「You think too much」という言葉をよく使うそうで、ルービンのように細部まで訳語を詰めなくても伝わることが伝われば良いという指向のようだ。
またルービンは学者だからこそやり過ぎると考えているようで、自戒としてもいるようである。

6つめは、「翻訳するに当たって重視しているものは」
第一に考えているのは。「正確さ」だそうである。「忠実に」行うのだが、日本語を英語にそのまま転換することは出来ないので、「英語の読者になるべく日本語の読者と同じ経験を与える」よう心がけているそうだ。

7つめは、「テキスト翻訳の際に解釈は許されるのか?」
日本語と英語は構造から何から全てが余りに違うというのが事実である。「Thank you」を日本語に訳すと「ありがとう」だが、「ありがとう」の元々の意味は「滅多にないこと」であり、「あなたに感謝します」の「Thank you」とはそもそも成り立ちが違う。「こんにちは」であるが、英語にそのまま置き換えると「Today is...」になる。そのまま言っても英語圏の人には何を言っているのかがわからない。そこで意味が一緒になるよう置き換える必要がある。ということは「解釈を入れないと翻訳出来ない」ということでもある。

私自身、中国語の翻訳家を目指したことがある。1990年代前半には、関東と北海道ローカルであったが、cx系の深夜番組である「アジアNビート」で中国、台湾、韓国のポップスが中心に紹介されていた。大学の第二外国語で中国語を選択していたこともあり、中華圏のポップスは良く聴いたのだが、ライナーノーツに記載されている日本語訳歌詞が間違いだらけなのがかなり気になった。なぜ間違いが生じてしまうのかというと、翻訳者は中国語には通じているものの文学的素養に欠けるため、何を言っているのか把握出来ないまま訳してしまっているのである。訳しているとは書いたが、内容把握出来ないまま日本語に置き換える作業を訳とは本当はいわない。訳とは言葉ではなく内容を置き換えるのである。


8つめは、7つめに関連した質問が白人男性からなされる。「内容転換はするのか?」
答えは勿論、「書き換えは許されていない」

原文のテキストが作者だとすると、翻訳者は演出家に相当する。演出家にも変な人が多いので、勝手に解釈して内容を改竄してしまう人はいるのだが、私に言わせればその時点でアウトであって、人前で表現する資格すらない。


9つめは、夏目漱石の『三四郎』に関するもので、知り合いの翻訳家が『三四郎』を英語に訳する際、わかりやすくするための言葉を足したらどうかと提案したら「No」と言われたそうである。
ルービンもやはり「わかりやすくしてはいけない」という考えのようである。
私自身も「読者を信頼すべき」と考えている。わかりやすくした場合は、原典ではなく私自身の文脈に誘い込むということになってしまうからだ。とはいえ、信頼したからといっていい結果が出るわけでもなく、逆になるケースがかなりあるのだが。

最後は同志社女子大学の教員からの感想で、村上春樹はスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を自身で日本語訳しているが、かなり解釈を入れており、村上自身が「これは村上春樹の『グレート・ギャツビー』だ」と断言していて、本当の『グレート・ギャツビー』を読みたいなら原文で読むことを薦めている。
ここでこの方は勘違いして、「自分は翻訳の際、解釈を入れているのに、自分のテキストを英訳する時はかなり細かく言葉を選ぶの意外」と言っていたが、村上春樹が細かいのではなく、ルービンが子細に聞く人なのである。先に出てきた通り、村上の考えは「どうせ小説というのはいい加減なものだ」である(やれやれ)。



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