カテゴリー「室内楽」の41件の記事

2021年8月15日 (日)

コンサートの記(738) アンサンブル九条山コンサート VOL.12 観世流能楽師・浦田保親×アンサンブル九条山「彼岸にて」

2021年8月6日 烏丸迎賓館通りの京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、京都府立府民ホールアルティで、アンサンブル九条山コンサート VOL.12 観世流能楽師・浦田保親×アンサンブル九条山「彼岸にて」を聴く。文字通り、観世流の能楽師である浦田保親とアンサンブル九条山によるコラボレーション。

現代音楽への挑戦を続けるアンサンブル九条山。2010年にヴィラ九条山のレジデントであったヴァレリオ・サニカンドロによって現代音楽アンサンブルとして結成され、2015年からは演奏家による企画を主体的に行う団体として再始動している。今日の出演は、太田真紀(ソプラノ)、畑中明香(はたなか・あすか。打楽器)、石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、上田希(うえだ・のぞみ。クラリネット)、福富祥子(ふくとみ・しょうこ。チェロ)、森本ゆり(ピアノ)。

能舞を行う浦田保親は、1967年生まれ。父親は観世流職分・浦田保利。3歳で初舞台を踏み、10歳で初シテを「猩々」で演じている。2012年には長男である親良との「ちかの会」を結成。復曲能や新作能にも意欲的に取り組んでいる。重要無形文化財総合指定保持者。


曲目は、まず早坂文雄の「佐藤春夫の詩に據る四つの無伴奏の歌」より「孤独」と「漳州橋畔口吟」の2曲が太田真紀によって歌われ、畑中明香の演奏による石井眞木の「サーティーン・ドラムス」を挟む形で残りの2曲である「嫁ぎゆく人に」と「うぐひす」の歌唱が行われる。後半にはメシアンの代表作の一つである世の終わりのための四重奏曲が演奏される。


黒澤映画の作曲家としても知られる早坂文雄。仙台生まれの札幌育ち。家庭の事情で中学卒業後すぐに社会に出ており、作曲は独学である。同じ北海道出身の伊福部昭や三浦敦史らと札幌で新音楽連盟を結成。この頃、サティ作品に傾倒し、いくつかの曲を日本初演している。1939年に東宝映画に音楽監督として入社し、黒澤明との名コンビで知られたが、結核の悪化により41歳の若さで他界。その死に際して黒澤明は、「両腕をもがれたよう」と悲嘆に暮れている。同じく結核に苦しんでいた武満徹は、早坂のために「弦楽のためのレクイエム」を書き上げた。
「佐藤春夫の詩に據る四つの無伴奏の歌」は、佐藤春夫のごくごく短い詩の一節を選んで作曲したものだが、四つの歌を通すと一つの物語が浮かぶように設計されている。
汎東洋主義を掲げた早坂文雄。この歌曲でも尺八の息づかいを応用するなど、独特の試みがなされている。
「漳州橋畔口吟」に浦田保親が登場。扇子を持って舞う。


石井眞木(男性)の「サーティーン・ドラムス」。タイトル通り13の太鼓で演奏される曲である。数種類のバチの他、素手でも演奏が行われる。畑中明香のダイナミックな演奏が魅力的である。
浦田保親は、榊の付いた杖を持って登場。神へ奉納するような舞を見せる。


メシアンの世の終わりのための四重奏曲(ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノのための)。20世紀に作曲された最高の室内楽作品の一つとして高く評価されており、その特異な曲名と共に有名である。演奏は、石上真由子、上田希、福富祥子、森本ゆり。
森本ゆりの硬質のピアノが、全曲を通して良いアクセントとなっている。

世の終わりのための四重奏曲は、第二次大戦中にドイツの捕虜収容所にて書かれ、1941年にメシアン自身のピアノで初演されている。ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノという編成は、たまたま捕虜収容所で一緒だった演奏家を念頭に入れたが故の産物である。世の終わりのための四重奏曲というタイトルは『ヨハネ黙示録』に由来するが、意味的には「時の終わりのための四重奏曲」とした方が原題に近いようである。

この曲では浦田は増女の能面を付けて登場。まずは赤の着物、次いで白の着物、最後は頭に鳳凰の飾りを付けた天女の衣装で現れる。
アルティは舞台が可動式で自由に設計することが出来るが、今日は中央部を張り出した独特の設置。舞台奥側から俯瞰で見ると凸型に見えるはずである。

能面を付けると視界がほとんど遮られるはずだが、浦田はそれを感じさせないキレのある舞を披露。舞台端や演奏家のすぐそばまで寄るため、見ているこちらがヒヤヒヤしたりもした。

オリヴィエ・メシアンの母親は、詩人であり、メシアンがまだお腹の中にいる時に、「いまだかつて誰も聴いたことのない音楽が聞こえる」という詩を書いたというが、生まれた息子は本当に「誰も聴いたことのない音楽」を生み出すことになる。
世の終わりのための四重奏曲は、この世とあの世の対比が描かれるのだが、それはまさに能が描き続けてきた世界である。
上田希のピアニシモで彼方から響き始めるかのようなクラリネットの音は、異人である能の登場人物の肉声のように聞こえたりもする。
余り指摘されてはいないはずだが、メシアンの音楽は天体と親和性があり、天の川や星々の煌めきが音楽で描写されたようなところがある。「天国への階段」とされるラストも、同時に満点の星空へと吸い込まれていくような「魂の昇華」が目に見えるかのようだ。

浦田の舞も、本当の意図は分からないが、衣装の変遷とメシアンの音楽とのストーリー性、また演奏者が全員女性であるということから、三者三様というよりも三つの女性の舞を通して「女人往生」に繋がるものがあるようにも見えた。一言で表せるほど単純なものでもないと思われるが。

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2021年7月26日 (月)

ボザール・トリオ ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」

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2021年7月11日 (日)

楽興の時(42) 「テラの音 Vol.30」 Duo Felicello(デュオ・フェリーチェロ)デビューライブ

2021年7月2日 真宗大谷派小野山浄慶寺にて

午後7時から、京都御苑の近くにある真宗大谷派小野山浄慶(じょうきょう)寺で、「テラの音 vol.30」を聴く。浄慶寺で「テラの音(ね)」が開催されるのは、1年ぶりとなる。コロナ禍に加えて、共同主宰である牧野貴佐栄の体調面での問題もあり、なかなか上演が出来ないでいた「テラの音」であるが、次回は10月にやはり浄慶寺で行われることが決まっている。

今回は、チェロデュオであるDuo Felicello(デュオ・フェリーチェロ)の出演。メンバーは、三井菜奈生と徳安芽里。実は今回がデビュー公演になるという。

三井菜奈生は、香川県出身。4歳でピアノ、8歳でチェロを始め、12歳から高校卒業まで、かがわジュニアニューフィルハーモニックオーケストラに所属。第20回札幌リスト音楽院セミナーでは、名チェリストとして知られるミクローシュ・ペレーニのレッスンを受けている。大阪教育大学教育学部教養学科芸術専攻音楽コース卒業。

徳安芽里は、奈良県出身。浄土真宗本願寺派の大学である相愛大学音楽学部を卒業。桐朋オーケストラ・アカデミー研修課程を修了している。第8回全日本芸術コンクール大学生部門で奨励賞を受賞。


曲目は、J・S・バッハの「G線上のアリア」(管弦楽組曲第3番より“エア”)、ボッケリーニの2本のチェロのためのソナタ、「日本の四季の歌メドレー」、クンマーの「ヘンデルの主題による変奏曲」、ドッツァーの「モーツァルトの主題による変奏曲」、モーツァルトの「鏡のカノン」、バリエールの2本のチェロのためのソナタ ト長調。

見慣れぬ名前の作曲家も多いが、多くはチェリスト兼作曲家だった人のようで、チェロのための練習曲なども書いており、チェロを習っている人にとってはお馴染みの作曲家のようである。

通常の「テラの音」は二部制で、間に住職による法話が入るが、今回は時短にする必要があるということで、最初に浄慶寺の中島浩彰住職による法話があり、来週は七夕ということで「五節句」の話や、仏教が「私」を巡る宗教であるということなどが語られる。


おなじみの「G線上のアリア」でスタート。

「メヌエット」でお馴染みのボッケリーニであるが、それ以外の曲は余り知られていなかったりする。生前は作曲家としてよりもチェロ奏者として有名だったようで、2本のチェロのためのソナタは、チェロデュオの定番とされているようである。スケール豊かで、伸びやかな歌が特徴。

「日本の四季の歌メドレー」は、季節を題材にした日本の童謡など12曲からなるメドレー。春に始まり冬に終わる。演奏されるのは、「春が来た」「花の街」「早春賦」「背比べ」「茶摘み」「紅葉」「里の秋」「手袋の歌」「雪」などで、断片のみが演奏される曲もある。

クンマーの「ヘンデルの主題による変奏曲」。ここで用いられているヘンデルの主題とは、「勝利の歌」としても知られる「見よ、勇者は帰る」である。
トークは主に徳安が受け持っており、「運動会などの表彰式で流れていた曲」と説明していた。

ドッツァーの「モーツァルトの主題による変奏曲」で用いられる「モーツァルトの主題」というのは、歌劇「ドン・ジョヴァンニ」のアリア“お手をどうぞ”のメロディーである。
“お手をどうぞ”の主題による変奏曲は、ショパンなども作曲しているが、チェロは「人間の声に最も近い楽器」と呼ばれることも多く、チェロのことを知り尽くし、教則本も書いたドッツァーが、ドン・ジョヴァンニの歌うアリアを基に書いた変奏曲も魅力的である。

モーツァルトの「鏡のカノン」は、2人の演奏家が1枚の楽譜を上からと下から、同時に弾いて演奏が成り立つという楽曲である。J・S・バッハがこうした作品を多く残したが、モーツァルトも作曲しているようだ。ただこの作品には偽作説があるらしい。

バリエールの2本のチェロのためのソナタ ト長調。バリエールはフランスの作曲家兼チェリストで、生前は名声を博したようだが、わずか40歳で他界している。
この曲もチェリストの間では人気があるようで、典雅な第1楽長、憂いを帯びた第2楽章、華やかな第3楽章のいずれもが魅力的な曲想を持っている。


アンコールとして、ベートーヴェンの「トルコ行進曲」より冒頭部分が演奏された。

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2021年5月11日 (火)

コンサートの記(719) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 高木綾子「神秘の無伴奏」+前橋汀子&松本和将「踊るヴァイオリン」+舘野泉「多彩なる左手の音楽2」

2021年5月1日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

びわ湖ホール大ホールで行われている「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021。午後2時10分からは、公演ナンバー1-L-4「神秘の無伴奏」というコンサートがある。高木綾子のフルート独奏である。

高木綾子は、愛知県豊田市生まれ。3歳でピアノ、8歳でフルートを始める。東京藝術大学附属高校、東京藝術大学音楽学部、同大学院を修了。1995年に毎日新聞主催全日本学生音楽コンクール東京大会フルート部門で第1位を獲得した頃に、主にルックスで注目を浴び、テレビなどでも取り上げられたが、音楽家としてそうした見られ方をするのはやはり本意ではなかったようで、1997年の神戸フルート国際フルートコンクール奨励賞受賞を皮切りに、宝塚ベガコンクール優勝、日本フルートコンベンションコンクール優勝及オーディエンス賞受賞、第17回日本管打楽器コンクール・フルート部門第1位及び特別賞、第70回日本音楽コンクールフルート部門第1位獲得、ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクール第3位入賞、神戸国際フルートコンクール第3位入賞など、数多くのコンクールに出場して好成績を収めている。現在は、東京藝術大学准教授、洗足学園音楽大学、日本大学藝術学部、武蔵野音楽大学、桐朋学園大学の非常勤講師も務めている。

曲目は、ドビュッシーの「シリンクス」、武満徹の「VOICE」、ドンジョンの「サロン・エチュード」より1番「エレジー」、2番「セレナーデ」、5番「ジーク」、7番「いたずら好きな妖精」、メルカダンテの『ドン・ジョヴァンニ』より「奥様お手をどうぞ」の主題による変奏曲、クーラウの「3つのファンタジー」より第1番、ヴァスクスの「鳥のいる風景」

フルート独奏曲として、クラシック好きならまず上げるのがドビュッシーの「シリンクス(「シランクス」とも表記する)」だと思われる。というよりフルート独奏曲で世界的に知られているのは、「シリンクス」ぐらいしかない。
高木綾子はスマートな音色でこの神秘的な楽曲を奏でる。

武満徹の「VOICE」は、タイトル通り、フルートを吹くと同時に声やセリフを加えて演奏するという作品である。声を加えるというアイデアはひとまず置くとして、尺八や篠笛といった和楽器を意識した節回しが聴かれるという武満らしい楽曲である。ちなみに武満の遺作はフルート独奏のための「エア」であった。

ドンジョンの「サロン・エチュード」。8曲が残されているが、1番から6番までと7番、8番は別人の作品である。苗字は共にドンジョンなので、「親子ではないか」と推測されているが、確かなことは分からないようだ。いずれにせよ粋な作風の楽曲が並ぶ。

イタリアの作曲家であるメルカダンテの『ドン・ジョヴァンニ』より「奥様お手をどうぞ」の主題による変奏曲と、デンマークの宮廷作曲家であったクーラウの「3つのファンタジー」より第1番は、共に「ドン・ジョヴァンニ」の「奥様お手をどうぞ」の主題をモチーフにした作品。正統的なメルカダンテの変奏曲と、抒情美が特徴的なクーラウ作品の聴き比べの妙がある。

トークで高木は、「神秘の無伴奏ということで、物語性のある曲を選んだ」と語る。

ラストに演奏されるヴァスクスの「鳥のいる風景」。武満の「VOICE」もフルートを吹きながら声を出す作品であったが、「鳥のいる風景」は旋律を声でなぞりつつフルートでも重ねるという特徴を持つ。少し趣は異なるが、1990年頃に流行ったホーミーの神秘性を連想させる。ただ30年前の流行りということで、今の若い人はもうホーミーを知らないかも知れない。声とフルートの音色により表現に奥行きが出ていた。

高木のフルートはいつもながらキレとクッキリとした輪郭、軽やかさが特徴。フルート独奏のみによる演奏会に接する機会は余りないため、貴重な体験ともなった。

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午後3時30分開演の、公演ナンバー1-L-5「踊るヴァイオリン」。出演は、前橋汀子(ヴァイオリン)と松本和将(ピアノ)。

日本を代表するベテランヴァイオリニスト、前橋汀子(まえはし・ていこ)。非常に人気の高いヴァイオリニストで、録音の数も多いが、私は実演に接するのは初めてである。自分でも意外である。ヴァイオリン協奏曲やヴァイオリン・ソナタなど大作も当然ながら弾くが、小品の演奏も得意としており、今日はヴァイオリン小品の名曲が並ぶ。今回の「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」は誰もが知るような曲が演奏されることは思いのほか少ないが、前橋の演奏会は有名曲揃いということで入りも良い。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーもたまたま私の隣の席で聴いていた。

ピアノの松本和将は、1998年に19歳で第67回日本音楽コンクールで優勝。2001年にはブゾーニ国際ピアノコンクール第4位入賞、2003年のエリーザベト王妃国際音楽コンクールで5位に入賞している。

曲目は、ドヴォルザーク(クライスラー編曲)の「わが母の教え給いし歌」とスラヴ舞曲 Op.72-2(第10番)、マスネの「タイスの瞑想曲」、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」、ブラームス(ヨアヒム編曲)のハンガリー舞曲第1番と第5番。

近年の若手ヴァイオリンストは皆、美音を競うようなところがあるが、前橋は敢えてハスキーな音を出したり、歌い崩しをしたり、パウゼを長めに取ったりと表現主義的であり、19世紀以来のヴァイオリニストの伝統を受け継いだ演奏を展開する。名人芸的なヴァイオリンともいえる。高音が独自の妖しさを放っており、理屈ではなく本能に訴えるところのある音楽作りである。

アンコールがあり、サラサーテの編曲によるショパンの夜想曲第2番と、フォーレの「夢のあとに」が演奏される。ロマンティックな演奏であった。

 

午後5時開演の、公演ナンバー1-L-6「多彩なる左手の音楽2」。出演は、舘野泉(ピアノ)。
若くしてフィンランドに渡り、「フィンランドで最も有名な日本人」となった舘野泉。ダンディーな風貌も相まって人気ピアニストとなる。フィンランドで当地の女性と結婚。息子は山形交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者や長岡京室内アンサンブルのメンバーとしても活躍するヤンネ舘野である。
フィンランドを代表する作曲家であるシベリウスのピアノ曲や、日本で学んだフィンランド人作曲家であるノルドグレンの作品、フランスの作曲家であるセヴラックのピアノ曲を得意演目としていたが、2002年、演奏会の最中に脳溢血で倒れ、以降は右半身不随となる。舘野が選んだのは引退ではなく、左手のピアニストとして活躍することであった。
ラヴェルに左手のためのピアノ協奏曲を委嘱したパウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄。戦争で右手を負傷)など、左手のピアニストとして活躍した先例は何人かいたが、舘野は多くの作曲家に左手のためのピアノ楽曲の作曲を委嘱し、レパートリーの拡大に努めている。

今回の演奏曲目も全て舘野が委嘱したり献呈されたりした作品で、パブロ・エスカンデの『悦楽の園』、新実徳英の『夢の王国』より「夢のうた」と「夢階段」、光永浩一郎の左手ピアノ独奏のためのソナタ“苦海浄土によせる”より第1楽章「海の嘆き」と第3楽章「海と沈黙」である。

演奏の前に、舘野が作曲家と作品の紹介を行う。
パブロ・エスカンデは、アルゼンチンのブエノスアイレス生まれの作曲家で、生まれてからの20年をブエノスアイレスで過ごし、その後、古楽器の演奏を学ぶために古楽の盛んなオランダに渡り、そこでも20年を過ごす。そして今は日本に移住し、京都に居を構えているという。
『悦楽の園』は、ヒエロニムス・ボスの三連祭壇画にインスピレーションを受けた幻想曲。導入部「天地創造の第3日目」、パネル1「楽園でのアダムとイブ」、パネル2「悦楽の園」、パネル3「地獄」の4部からなる新作。
前半は印象派の音楽に近いものを感じたが、その後はジャズを感じさせるような曲想へと転換していく。「地獄」は低音の強打とバッハのようなシンプルにして構造的な旋律の対比が印象的。ちなみに、今日は空がめまぐるしく変わる天気だったが、舘野がびわ湖ホールに向かうためにホテルを出たときは空が真っ暗で、天地創造の第3日目、光が出来る前の漆黒の闇を連想した舘野は、「わあ、地獄に行っちゃう」と思ったそうである。

ちなみに、エスカンデには小学校1年生の娘さんがいるそうなのだが、『悦楽の園』の中では、「私、『地獄』が一番好きよ」と言っていたそうである。

新実徳英の『夢の王国』。4つのプレリュードからなる作品であるが、今回は第2曲の「夢のうた」と第3曲の「夢階段」が演奏される。『夢の王国』も昨年の3月に完成したという新しい作品である。
「夢のうた」は、シンプルで懐かしい旋律が繰り返されるという構図を持つ。一方、「夢階段」ではドミソではない音楽が上っていくというアンバランスな感覚が特徴となっている。

熊本の作曲家、光永浩一郎の作品、左手ピアノ独奏のためのソナタ“苦海浄土によせる”より第1楽章「海の嘆き」と第3楽章「海と沈黙」。2018年の作品である。石牟礼道子の『苦海浄土』を基に、水俣病の苦しみに隠れキリシタンの苦難なども加えて描いた作品だそうで、第3楽章「海と沈黙」の「沈黙」は、遠藤周作の小説『沈黙』を意識したものだという。波のうねりの描写のような旋律が続くが、ドビュッシーの「海」を意識したような和音が現れるのも特徴である。いずれの楽章も最後の音はダンパーペダルを踏み続け、余韻が長くなるよう設計されていた。

舘野は、「予定時間より長くなったようで、まだ何か弾こうとも思いましたが、疲れたので」と言ってアンコールなしで終演となった。

 

帰路。琵琶湖は湖面の色彩が次々と変わる時間帯であり、見る者の目を楽しませてくれた。

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2021年5月10日 (月)

コンサートの記(718) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021 辻彩奈&江口玲「情熱のプロコフィエフ」+藤原真理&倉戸テル「至高のチェロ」

2021年5月1日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

大津市の滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールで行われる「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021の初日に参加する。
新型コロナウイルスの流行で昨年は開催中止となった「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」。今年はコロナ対策として、ステージ上が密になりやすいオーケストラやオペラの公演を取りやめ、空間が広く飛沫が留まりにくい大ホールで室内楽、器楽、声楽の演奏会を行うという形に変更となった。「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」はオペラ上演が目玉だったが、現在の状態で音楽祭の催しの一つとしてオペラを上演することは現実的ではない。

音楽祭は朝から行われるが、最初に行われるサキソフォンの上野耕平の公演は時間が早すぎるということでパスし、午前11時20分開演の辻彩奈(ヴァイオリン)&江口玲(ピアノ)、午後12時40分(0時台と12時台は午前でも午後でもないという説もあるが通じれば良いので無視する)開演の藤原真理(チェロ)&倉戸テル(ピアノ)、午後2時10分開演の高木綾子(フルート)の公演は事前にチケットを手に入れていた。続く前橋汀子(ヴァイオリン)&松本和将(ピアノ)、舘野泉(ピアノ)の公演も興味があったのだが、コロナ禍ということで様子見であり、これらは当日券を買って入った。最後の公演はびわ湖ホール声楽アンサンブル・ソロ登録メンバーによる合唱であったが、一日に接する公演としては5公演でもかなり多いということで、こちらは見送った。

 

京都を出た時は曇り空だったが、びわ湖浜大津駅で降りて、琵琶湖畔を歩いている時に日が射す。

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公演ナンバー1-L-2(1日目-Large hall-2回目)「情熱のプロコフィエフ」。出演は、辻彩奈(ヴァイオリン)と江口玲(ピアノ)。

若手女性ヴァイオリニストの代表格となりつつある辻彩奈。1997年、岐阜県生まれである。2016年にモントリオール国際音楽コンクールで第1位を獲得し、一躍注目を浴びている。特別特待奨学生として東京音楽大学に入学し、卒業。現在は東京音楽大学のアーティストディプロマにやはり特別特待奨学生として在籍しているようである。「題名のない音楽会」などメディア出演も多い。

ピアノの江口玲(えぐち・あきら。男性)は、日本を代表する名手の一人で、東京藝術大学附属音楽高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業後に渡米し、ジュリアード音楽院のピアノ科大学院修士課程を修了。同校のプロフェッショナルスタディーにも学ぶ。ピアニスト、作曲家、編曲家として活躍し、2011年までニューヨーク市立大学ブルックリン校の教員を務めたほか、東京藝術大学ピアノ科の教授としても活躍している。

曲目は、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第18番とプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番。

今でこそ、ヴァイオリン・ソナタというとヴァイオリンが主役の楽曲だが、モーツァルトの時代のヴァイオリン・ソナタは、ヴァイオリン付きのピアノ・ソナタという捉え方が一般的であった。モーツァルトはこのヴァイオリン・ソナタ第18番においてヴァイオリンとピアノを同格に扱う試みを行っている。ヴァイオリン・ソナタにおいてヴァイオリンが完全に主役になるにはベートーヴェンの登場を待たねばならない。

辻の滑らかなヴァイオリンも魅力的だが、ここはやはりキャリアがものをいうのか、江口のまろやかで甘いピアノの調べの方がより印象の残る。

演奏終了後に辻がマイクを手にしてトーク。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第18番は、10年前、辻がまだ中学校1年生だった時に参加した、びわ湖ホールでのセミナーの時に弾いた想い出のある曲で、今回、びわ湖ホール芸術監督で「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」の芸術監督も兼ねる沼尻竜典から「この曲を弾いて欲しい」と提示されて驚いたという話をする。

メインであるプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番。昨年の2月、初めての緊急事態宣言の発令する直前に、フェスティバルホールで行われた秋山和慶指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で、辻はプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番のソリストを務めて成功を収めている。

独自の個性により、音楽史上に異彩を放っているセルゲイ・セルゲイヴィッチ・プロコフィエフ(1891-1953)。モーツァルト没後100年目に生まれ、スターリンと同年の同日に他界した。
プロコフィエフは、ロシアン・アヴァンギャルドに影響を受けた作曲家には実は含まれないことの方が多いようだが(ライバルで犬猿の仲でもあったショスタコーヴィチはロシアン・アヴァンギャルドに影響を受けた作曲家に入る)、とんがった独自の才気が特徴であり、それは辻の個性にも繋がる。瞬発力抜群で諧謔的な部分もあっさり飲み込んでみせる辻の未来は明るいように思う。

 

通常は、大中小のホール、更には屋外のテラスも使って行われる「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」だが、今回は大ホールのみの使用で、中ホールのホワイエが飲食可のスペースとなり、中ホールの客席は休憩に利用できる(飲食等は不可)。
共通ロビーでは、滋賀県の物産展が行われており、あんパンを買って中ホールのホワイエで食べた。

 

午後12時40分開演の、公演ナンバー1-L-3「至高のチェロ」。出演は、藤原真理(チェロ)と倉戸テル(ピアノ)。

ベテランチェリストである藤原真理。大阪生まれ。1959年に桐朋学園「子供のための音楽教室」に入学し、以降、斎藤秀雄にチェロを師事する。指揮の斎藤メソッドで有名な斎藤秀雄であるが、元々はチェリストとして音楽活動を始めた人である。
1971年に第40回日本音楽コンクール・チェロ部門第1位および大賞受賞。1978年にはチャイコフスキー国際コンクール・チェロ部門で2位入賞。
坂本龍一と共演するなどメディア活動も多い人だが、私は藤原真理の実演に接するのは初めてである。
DENONレーベルに録音した、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲全曲が高い評価を得ており、私も持っているが情緒豊かな演奏である。

ピアノの倉戸テル(男性)は、東京藝術大学大学院修士課程を修了し、ジュリアード音楽院大学院も修了。ソロの他、室内楽でも強さを発揮し、藤原真理との共演数は200回を超える。宮城教育大学教授。

オール・ベートーヴェン・プログラムで、『魔笛』より「恋人か女房があれば」の主題による12の変奏曲と、チェロ・ソナタ第3番が演奏される。

『魔笛』より「恋人か女房があれば」の主題による12の変奏曲は、パパゲーノのアリアを変奏曲にしたもので、モーツァルト作品のバリエーションということもあってベートーヴェンとしてはユーモアに富んだ楽曲となっている。

チェロ・ソナタ第3番であるが、タイトルはピアノとチェロのためのソナタであり、まだピアノが主役と見なされていた時代の作品である。ただ藤原真理のトークによるとベートーヴェンの5曲あるチェロ・ソナタの中で、第1番と第2番はピアノが主役であるが、第3番はチェロが初めて前に出始めた作品だそうである。
チェロの独奏に始まるドラマティックな曲想だが、第3楽章は爽やかで、愛の囁きのような情熱的な部分があるのも特徴である。

藤原のチェロは渋めの音色で朗々と歌う。スケールも大きい。

藤原は、ベートーヴェンの時代のピアノで聴かせてみたいとも語っていた。当時のピアノはハンマーの戻りが現在のモダンピアノより早いため、テンポも自然と速くなるという。ただ、ベートーヴェンの時代のピアノはもう世界に数台しか残っていないそうである。

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2021年2月 6日 (土)

コンサートの記(692) 「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDay

2007年5月28日 京都府立府民ホールアルティにて

午後6時30分から、京都府立府民ホールALTIで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDayを聴く。全席自由、1000円均一の公演。チケットの安い公演は、「何か知らないけれど来てしまいました」という、マナーとは無縁の客が入ってきてしまうことが多いのだが、今日もそうした方がちらほら。

「京都・国際音楽学生フェスティバル」は、ALTIで毎年開かれており、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアという音楽大国の学生を始めとする有名音楽院の学生が参加している。

今日は、フィンランドのシベリウス音楽院(シベリウス・アカデミー。旧ヘルシンキ音楽院)と、「のだめカンタービレ」でもおなじみ(?)フランスのパリ国立高等音楽院(コンセールヴァトワール・パリ)の選抜学生による室内楽をメインとした演奏会である。

プログラムは、まずシベリウス音楽院の学生によるシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」が演奏され、次いでパリ国立高等音楽院の学生によるフォーレのチェロ・ソナタ第1番と「エレジー」。そして、シベリウス音楽院、パリ国立高等音楽院、京都市立芸術大学の学生による弦楽合奏で、ドビュッシーの「小組曲」より“小舟にて”と“バレエ”、そして「夜想曲」(管弦楽のための「夜想曲」ではなく、ピアノ曲の編曲。いずれも篠田聡史による弦楽合奏版編曲による演奏である)、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」、「弦楽のためのプレスト」、1981年生まれの若き作曲家ハルティカイネン(シベリウス音楽院に在籍)の新作「ルーメン(光)」(世界初演)が演奏される。

いずれもコンクールなどで優秀な成績を修めている学生達だが、あくまで学生であり、こちらも名演は期待していない。


シベリウス音楽院の学生による弦楽四重奏曲「親愛なる声」。ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラは女の子で、どういうわけか全員眼鏡をかけている。チェロだけ男の子。トーマス・ヨアキム・ヌニエス=ガルセ君という長い名前の男の子だ。
祖国の大作曲家シベリウスの作品とはいえ、「親愛なる声」は深い音楽であり、学生では表現できないのではないかと思う。案の定、曲の把握が徹底されていない演奏であった。単に音が鳴っているだけの箇所が多い。それでも第3楽章などは哀切で透明な音楽を再現することに成功していたように思う。
アンコールとして、コッコネンの弦楽四重奏曲第3番より第2楽章が演奏される。シャープな演奏であった。

パリ国立高等音楽院在籍の女性チェリスト、オレリアン・ブラウネールさんは、高い技術力を持ち、豊かな音色による淀みない歌を奏でる。なかなかの実力者と見た。
フォーレの2曲は、いずれも若さに似合わない奥行きのある演奏であり、アンコールの「白鳥」(サン=サーンス作曲)でも優雅な音楽を奏でた。ピアノのエマニュエル・クリスチャン君も煌めくような音色の持ち主であり、好演だった。

弦楽合奏。京都市立芸術大学からの出演者は全員女の子。ということで、ステージ上の男性メンバーは先ほど名前を出したトーマス君ただ1人である。
コンサートミストレスはシベリウス音楽院のシニ・マーリア・ヴァルタネンさん。
ドビュッシーの「小組曲」よりと「夜想曲」も良かったが、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「弦楽のためのプレスト」はより優れた演奏。時に勢いに流されそうにはなるが、若々しさ溢れる演奏に好感を持った。

「ルーメン(光)」のハルティカイネン氏は会場に来ており、演奏前に簡単な楽曲解説を行った。
現代音楽であるため奏者だけでの演奏は難しく、この曲だけミラノ・ヴェルディ音楽院在籍のアンドゥレーア・ラッファニーニ氏が指揮を務める。
「ルーメン(光)」は、ヴァイオリンがグラスハープのような音を奏でるなど、繊細な音のグラデーションを特徴とする。しかし、この手の曲は全て武満徹作品のように聞こえてしまうのは気のせいなのか。

アンコールはシベリウスの「カンツォネッタ」。これも若さがプラスに作用した好演であった。

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2020年11月28日 (土)

コンサートの記(671) びわ湖ホール「室内楽への招待<ベートーヴェン生誕250年> 葵トリオ(ピアノ三重奏)」

2020年11月22日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、「室内楽への招待<ベートーヴェン生誕250年> 葵トリオ(ピアノ三重奏)」を聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。

2018年にミュンヘン国際音楽コンクール・ピアノ三重奏部門で第1位を獲得した葵トリオ。秋元孝介(AKIMOTO Kosuke)、小川響子(OGAWA Kyoko)、伊東裕(ITO Yu)という、関西の生まれ育ちで東京藝術大学および同大学院出身の3人が結成したピアノ三重奏団である。団体名は、各メンバーのイニシャル(A,O,I)から取られており、葵の花言葉である「大望、豊かな実り」への共感も込められている。トリオとしては現在、ミュンヘン音楽・演劇大学で、フォーレ四重奏団のディルク・モメルツに師事。ピアノの秋元孝介は東京藝術大学の大学院博士後期課程でも学んでおり、ヴァイオリンの小川響子は、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミーに在籍し、ベルリン・フィル・コンサートマスターである樫本大進の指導を受けている。チェロの伊東裕は、長岡京室内アンサンブル、小澤征爾音楽塾オーケストラや日本各地で行われる音楽祭に参加している。

ベートーヴェンの生誕250年を記念して開催される演奏会であるが、コロナ対策として会場を大ホールに変更し、前後左右最低1席空けたソーシャルディスタンスフォーメーションで行われることになった。

びわ湖ホール大ホールは、オペラ、バレエ、オーケストラコンサート、ピアノリサイタル、ポピュラー対応であり、室内楽のコンサートは余り想定されていないが(それでも神尾真由子のヴァイオリン・リサイタルなどは行われている)、音響は優れており、室内楽であっても音が小さくて聴き取りにくいということはなかった。

 

曲目は、ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」、ピアノ三重奏曲第2番、ピアノ三重奏曲第7番「大公」。

 

ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」は、1797年頃の作品。ベートーヴェンがまだ二十代だった時期に書かれている。
ベートーヴェンというと後年の深刻な作風のイメージが強いが、この作品は青春の息吹に満ちており、瑞々しい響きとチャーミングな旋律が印象的である。

若い三人による演奏であるが、アンサンブル能力とキレが抜群で、上質の音楽が奏でられていく。

 

ピアノ三重奏第2番。作品番号は1の2であり、ベートーヴェンが出版した最初期の作品である。1795年にウィーンのアルタリア社によって作品番号1の2として出版されており、作曲は1794年から1795年にかけてと推測されている。
「音楽の革命児」ベートーヴェンであるが、才能に任せて思いつきで作曲したり、先人の作品を否定したりということはなく、むしろ先輩の作曲家達が残した作品を入念に研究し、取り入れていることがこの作品を聴くとよく分かる。古典的な造形美が輝きを放っているが、ベートーヴェンの個性も十分に刻印されている。

 

後半。ピアノ三重奏曲第7番「大公」。ピアノ三重奏曲というのはクラシックの中でも地味なジャンルとなり、「聴いて楽しむ」というよりも「弾いて楽しむ」作品が多いが、「大公」はこのジャンルの中では比較的ポピュラーな作品である。

前半はターコイズブルーのトップスと黒のパンツスタイルで演奏していた小川響子であるが、「大公」では鮮やかな水色のドレスで登場。小川が現れた瞬間に、客席から感嘆が響く。

スケール豊かにして緻密な演奏。秋元のピアノの音色は時にお洒落であり、切れ味鋭い小川のヴァイオリンや安定感抜群の伊東のチェロと共に詩情豊かな文学青年的ベートーヴェンを聴かせる。

 

アンコール演奏は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第1番より第4楽章。演奏前に小川響子がマイクを手に挨拶し、今日が全国ツアー最後の演奏会であること、室内楽の演奏がこれほど大きな空間で行われることは少ないが、響きの良さに感動したこと、また葵トリオはピアノ三重奏曲第1番をレコーディングしており、会場のロビーでも販売されていることなどを述べた。

ピアノ三重奏曲第1番もやはり緻密な演奏である。親密(インティメート)であるが、優れた団体ならではの高雅さを合わせ持つ。

若い人達による演奏ということで、やはり感性がデジタル寄りであるということが感じられる。3人がそれぞれの個性を持ち寄って流れを作るというより、3人が一体となって音楽を奏でるような感覚、逆に言うならば架空の1つの人格が3つに分かれて、複数のことを同時並行的に成し遂げていくような独特の感覚が特徴である。

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2020年9月19日 (土)

コンサートの記(655) 京都フィルハーモニー室内合奏団 「北欧の室内楽」@アートコンプレックス1928 2005.12.7

2005年12月7日 三条御幸町のアートコンプレックス1928にて

午後7時からアートコンプレックス1928で京都フィルハーモニー室内合奏団のメンバーによる室内楽演奏会、「北欧の室内楽」を聴く。
アートコンプレックスでコンサートを聴くのは久しぶり。前回はジャズの演奏会だったのでクラシック音楽を聴くのは自分でも意外だが初めてである。

京都フィルハーモニー室内合奏団(以下:京フィル)はアートコンプレックスで定期的に演奏会を行っていたのだが、これまではずっと平日の昼間に演奏会を開いていたのでなかなか聴きに行けなかった。客席は、京フィルの関係者とファン、北欧音楽ファン(私もここに入る)、室内楽ファンに大別されるようだ。あまり宣伝はしていなかったので、「よくわからないけれど何となく来てしまった」という人はいないようである。

楽団紹介パンフレットには、藤堂音楽賞受賞や京都新聞大賞文化学芸術賞受賞など受賞歴が書いてあるが、それがどういう音楽賞なのかよくは知らないため、感じるのは「頑張ってるんだねえ」ということだけ。
それよりも、「アーノンクールが初めて、そして今のところ唯一指揮した日本のオーケストラ」という売り文句を書いた方がずっとわかりやすいしアピール力もあると思うのだが(クラシックファンの中に、アーノンクールが京都に来たことを知らない人は何人かいるかも知れないが、アーノンクールという名前を知らない人はまずいないだろうし)、京フィルには「売らんかな」という姿勢はないようなので、こちらがどうこういっても仕方ない。


曲目はニールセン(デンマーク)の木管五重奏曲。シンディング(ノルウェー)の「セレナーデ」より第1番、第2番、第5番。グリーグ(ノルウェー)の「ソルヴェイグの子守歌」と「白鳥」。シベリウス(フィンランド)の弦楽四重奏曲「親愛なる声」。グリーグのみ室内楽ではなく歌曲である。


ニールセンの曲は不思議なメロディーと現代的な響きが特徴。クラリネットが普通は出さないような音を出す。技巧的にも難しいのがわかる。
しかしその割りには曲があまり面白くない。今日のアートコンプレックスの客席は平戸間であるため、暖房が下まで届かず寒かったのだが、にも関わらず居眠りしている人が続出。やはり曲に魅力がないのだろう。


シンディングの曲は二つのヴァイオリンとピアノによる三重奏という編成。
シンディングの音楽はどこまで行っても青空、といった風な明るさと、艶やかで優しく爽やかなメロディーが特徴だ。だが少なくとも今日聴いた音楽からは影がほとんど感じられない。
生前は人気作曲家であったというシンディング。しかし死後、急速に忘れ去られてしまう。あるいは影が不足していたことがその原因なのかも知れない。シベリウスの音楽が喜びの歌の背後に癒しがたい悲しみを湛えていたのとは好対照である。


グリーグの歌は、清澄なメロディー、温かな雰囲気、透き通るような悲しみが特徴。愛らしい歌曲である。歌ったのはソプラノの島崎政子。真っ赤なドレスが印象的であった。


ラストのシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」は他の曲とは格が違う。弦楽四重奏曲ではあるが、スタイルは小編成による合奏曲に近い。先にも書いたがチャーミングで喜び溢れる歌の中に、悲しみや孤独が隠れている。私はそこに人生を感じてしまう。
視覚的にも格好良く、一斉合奏の部分は絵になっている。
ただシベリウスの音がしていたかというと、「ある程度は」と答えるしかない。シベリウスの音楽を聴かせるのは難しいのだと再確認する。

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2020年9月 6日 (日)

コンサートの記(652) 京都フィルハーモニー室内合奏団第227回定期公演B~室内楽シリーズ Vol.3「京都で愛でるダンス音楽の夕べ」@京都文化博物館別館

2020年9月3日 三条高倉の京都文化博物館別館にて

午後6時30分から、京都文化博物館別館で京都フィルハーモニー室内合奏団の第227回定期公演B~室内楽シリーズ Vol.3 「京都で愛でるダンス音楽の夕べ」を聴く。客席は両隣最低1席は空けてソーシャルディスタンスを保っての開催である。

コロナ禍でもいち早く演奏を再開させて話題になった京都フィルハーモニー室内合奏団。今年の春からは柳澤寿男がミュージックパートナーに就任している。

 

京フィルこと京都フィルハーモニー室内合奏団の室内楽演奏は、マニアックな曲目を取り上げることで知られている。

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今日のプログラムは、ファルカシュの「17世紀の古いハンガリー舞曲」(フルート:市川えり子、オーボエ:岸さやか、クラリネット:松田学、ファゴット:田中裕美子、ホルン:山本愛沙子)、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」より“秋”と“冬”(ヴァイオリン:森本真裕美、チェロ:石豊久、ピアノ:佐竹裕介)、トゥリンの「ファンダンゴ」(トランペット:山崎恒太郎、トロンボーン:村井博之、ピアノ:佐竹裕介)、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「皇帝円舞曲」(第1ヴァイオリン:角田博之、第2ヴァイオリン:青山朋永、ヴィオラ:馬場順子、チェロ:石豊久、コントラバス:上野泰歳、ピアノ:佐竹裕介)。

京都市交響楽団を始め、関西のオーケストラのピアノパートを手掛けることの多い佐竹裕介が4曲中3曲に登場し、ほぼ主役状態である。関西のクラシックファンで京フィルのメンバーを一人も知らないという人は結構多いと思われるが、佐竹裕介を知らない人は稀だろう。それぐらい出まくっている。主に20世紀以降にオーケストラに加わるようになったピアノパートは、それほど人気というわけではないが、佐竹は「自分はピアニストだけれど、オーケストラのメンバーになりたい」という憧れをずっと抱いていたそうで、適職に就いたという感じである。

 

ファルカシュの作品は、タイトル通り、バロック以前の味わいを持つが、ファルカシュ自体は1905年に生まれ、2000年に没したという、比較的新しい時代の作曲家である。
ファルカシュ・フェレンツ(ハンガリー人であるため、姓・名の順の表記となる)は、ブダペスト音楽院を経てローマの聖チェチーリア国立音楽院で、レスピーギに師事しており、レスピーギ譲りの豊かな音の彩りを駆使して映画音楽の作曲家としても活躍したそうだ。ジェルジ・リゲティは弟子である。
「17世紀の古いハンガリー舞曲」は素朴さや明るさが特徴的であり、旋律も内容も分かりやすい。古い楽曲を現代風にアレンジするところなどは、師のレスピーギに範を取ったのだろうか。

演奏終了後にファゴットの田中裕美子がマイクを手に挨拶。マイクの前にはプラスチックボードが貼り付けてあり、飛沫が飛ばないよう工夫されている。今日は結構、人が入ったため(元々、京フィルの室内楽シリーズは曲目が魅力的ということで人気がある)、マイクを使っても後ろの方まで聞こえなかったようで、最初からやり直しとなったため、クラリネットの松田学に急遽出てもらい、5曲目の「跳躍の踊り」について語って貰っていた。

 

ヴァイオリニストの森本真裕美によるピアソラの「ブエノスアイレスの四季」の解説。1990年代半ばに起こったピアソラビームの影響もあり、今では「タンゴといえばピアソラ」という感じになっているが、ピアソラはパリ国立音楽院でナディア・ブーランジェに師事し、ブーランジェから「あなたはタンゴを書くべきだ」といわれ、祖国であるアルゼンチンに戻り、タンゴの作曲家としてスタートしている。クラシックの作曲法を学んだこともあって洗練されたタンゴを書いたが、「こんなタンゴじゃ踊れない」と祖国では評判が悪く、逃げるようにアメリカに移っており、アルゼンチンでタンゴの作曲家として認められた時にはすでに60歳を過ぎていたそうである。
ただクラシックをベースにしたタンゴであるため、世界のどこに行っても通じやすく、日本にもピアソラのファンは多い。ギドン・クレーメルのピアソラアルバムがベストセラーとなった時は、坂東玉三郎が広告やCDの帯でピアソラ愛を語っていた。

アルゼンチンは南半球にあるため、日本とは季節が真逆である。今は冬から春に向かう頃だ。

“秋”は、ヴァイオリンが駒より後ろの部分を奏でてギロのような音を出すなど意欲的な表現も目立ち、いかにもピアソラといった味わいの音楽だが、“冬”は家族で団欒の時間を過ごしているような親密な顔が覗く。あるいはヴィヴァルディの「四季」の“冬”より第2楽章が意識されているのかも知れない。

 

トゥリンの「ファンダンゴ」。アメリカの作曲家であるジョセフ・トゥリンは吹奏楽の世界では有名なようである。トロンボーンの村井博之がマイクを手に、新たに京フィルに加わったトランペットの山崎恒太郎を紹介していた。
「ファンダンゴ」は躍動感と推進力を特徴とする。元々は吹奏楽ための賑やかな曲のようで、YouTubeなどにもいくつか映像が上がっているが、室内楽バージョンは少し趣が異なる。

 

ラストの曲目となるヨハン・シュトラウスⅡ世の「皇帝円舞曲」。場面転換に時間が掛かるので(ステージスタッフは女性一人のみ)、第1ヴァイオリンの角田博之(すみだ・ひろゆき)がトークで繋ぐ。大体はWikipediaから拾ってきた情報だそうである。
個人的な思い出を書くと、工藤静香が若い頃に出演していたチョコレートのCMに「皇帝円舞曲」が使われており、CMの中で工藤静香が首を振って踊っていた情景が思い起こされる。誰かがYouTubeにアップしているようだ。

室内楽編成の「皇帝円舞曲」であるが、各パートの旋律がはっきり分かるという利点があり、京都文化博物館別館の独特の音響にも助けられて、華やかな仕上がりとなった。サロンでは昔からこうした編成で弾かれる機会も多いので、室内楽アンサンブルで聴くのも取りようによっては贅沢である。

アンコールは同じくヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。勢いもある楽しい演奏である。ニューイヤーコンサートではないが、今年の前半はコロナで全て吹き飛んでしまったため、これが本当の意味での今年の始まりという気分にもなる。


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2020年8月13日 (木)

楽興の時(38) 京都坊主BAR 「MANGETSU BAROQUE NIGHT」 ensemble kreanto(西谷玲子&中野潔子)

2020年8月4日 本能寺跡近くの京都坊主BARにて

午後7時から、元本能寺(本能寺跡地)の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU BAROQUE NIGHT」を聴く。普段はツーステージあるが、今日はワンステージのみである。出演は、ensemble kreanto。

ensemble kreantoは、チェンバロの西谷玲子とヴィオラ・ダ・ガンバの中野潔子によるデュオ。

西谷玲子は、京都市出身。京都市立堀川高校音楽科を経て、京都市立芸術大学ピアノ科を卒業。京都市新人芸術家選奨を受賞している。現在はJEUGIAが経営する京都音楽院の講師として活躍している。

中野潔子は、大阪音楽大学楽理科卒業後、同大学院でも音楽学を学び、現在は京都音楽院などで講師を務めるほか、ヴィオラ・ダ・ガンバのコンサートなども主催している。

 

京都坊主BARに新たに電子チェンバロが入る。私が浜松を訪れた時に訪れた浜松市楽器博物館で弾くことの出来る数少ない楽器展示だった電子チェンバロと同じ種類のものだと思われる。この電子チェンバロシリーズは、「テラの音(ね)」コンサートでも用いられたことがある。新品は高いので中古品を購入したそうだ。

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出演者が店に到着するまでに時間があったので、チェンバロで少し遊んでみる。J・S・バッハの「平均律クラーヴィア」からプレリュード、坂本龍一の「シェルタリング・スカイ」、サティの「ジムノペディ」第1番などの冒頭を弾き(暗譜していないため)、その後、即興演奏も行って遊ぶ。

 

スピーカーからはいつもバロック音楽が流れているのだが、コレッリの「ラ・フォリア」が流れたので、CDの紙ケースを見せて貰う。リコーダー:フランス・ブリュッヘン、チェロ:アンナー・ビルスマ、チェンバロ:グスタフ・レオンハルトという豪華な顔触れによる演奏である。しかしもう今では全員他界してしまった。

フランス・ブリュッヘンの実演には1度だけ接したことがある。リコーダー奏者ではなく指揮者としてである。自ら結成した十八世紀オーケストラを率いての京都コンサートホールでの来日公演。2003年のことだったと思う。民音(民主音楽協会、創価学会の運営)主催であるため、チケット不買運動が起きていた。
この時はブリュッヘンは体調不良だったようで、演目はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と第5番という王道プログラムであったが、ブリュッヘンらしい覇気と才気には欠けていた。というわけで1980年代から90年代のような好調時のブリュッヘンの演奏には残念ながら接していない。

 

今日はマイクのセッティングがなく、出演者もマスクをしながら喋る必要があるため、説明や曲目紹介などが聞き取りにくい。ただ、いずれも馴染みのない曲が多く、曲名を紹介したところで、こちらもどういう曲なのか上手く説明出来ないため、印象のみを述べることにする。

 

西谷玲子のソロ曲目は聞き取ることが出来、J・S・バッハの「シンフォニア」よりが演奏される。西谷は「調の変化を楽しんで欲しい」と言う。「インヴェンションとシンフォニア」として学習用楽曲として有名であるが、そこは流石にバッハで、平易ではあってもシックな大人の音楽に仕上げている。京都坊主BARは町家を改造したバーであり、シンクな雰囲気がバッハの楽曲にとてもよく合う。

 

中野潔子のヴィオラ・ダ・ガンバの演奏。コロナ禍で海外旅行が出来ないため、せめて音楽の世界だけでも異国に飛ぼうということで、オランダ、イギリスやフランスなどの楽曲が奏でられる。
ガット弦を張ったヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロの先祖に当たるが、エンドピンがなく、奏者は両足で楽器を挟んで演奏する)の音色は押しつけがましさがなく、音も漂うような雰囲気があり、光の推移の様が目に見えるかのようである。そういう点においては音楽は絵画の「印象派」を先取りしている。ドビュッシーやラヴェルの音楽は、音楽における印象派と呼ばれているが絵画の印象派とは異なる(ドビュッシーらは印象派ではなく「象徴派」と呼ぶべきだという意見もある)。クロード・モネが描こうとしたような光と時間の移り変わりは、音楽では先に達成されていると見ることも出来るのかも知れない。

 

ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの楽曲としては珍しい現代の作品の演奏を経て、テレマンの3つあるガンバ・ソナタのうちの一つが演奏される。スケールが大きくリズミカルな曲であり、テレマン自身の自信や誇りが伝わってくるかのようである。
その後の音楽とは価値観が異なる作品が多いが、その時代にマッチし、彩ってきた音楽に触れる贅沢を感じることが出来た。

 

演奏終了後、やっぱりチェンバロを演奏してみたくなったので、先程演奏した曲に加えて、楽譜が置かれていたバッハの「インヴェンションとシンフォニア」第1曲(千葉にいた頃によく弾いた曲だが、譜面がスラスラ読めないようになって来ているので苦戦)、ベートーヴェンの「月光」ソナタの冒頭(暗譜出来ておらず、すぐに行き詰まる)、サティの「グノシェンヌ」第5番の冒頭の右手の旋律、オルガンの音も出せるので、J・S・バッハの「小フーガ」ト短調の冒頭、右手だけの部分などを弾く。もう18年もピアノに向き合っておらず、たどたどしいものにしかならないが、瞬間瞬間で浮かんでくる旋律を音に変えるという即興演奏っぽい遊びを行っている時間は、あるいは私にとって最も幸せな瞬間なのではないかと、高校生の時にふと浮かんだ思いが、デパートの屋上から上がるアドバルーンのように私の頭上でゆらゆら揺れていた。

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