カテゴリー「室内楽」の63件の記事

2026年1月30日 (金)

コンサートの記(944) fever presents Candlelightコンサート「坂本龍一へのオマージュ」 チェンバー・ミュージック・アトリエ神戸

2026年1月18日 左京区岡崎の京都観世会館にて

午後3時から、左京区岡崎の京都観世会館で、fever presents Candlelightコンサート「坂本龍一へのオマージュ」を聴く。元々のタイトルは「坂本龍一の音楽の世界」だったようだ。
アメリカのfever社が行っているCandlelightコンサート。京都ではこれまで京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタなどで行われていたが、音楽ホール以外の場所へと公演の規模を拡げ、京都観世会館での公演を行っている。京都観世会館は能楽堂で、能や狂言以外で京都観世会館に入るのは初めてである。
現場で動いているスタッフは全員日本人だが、システムはアメリカ式。チケットもプログラムもスマホにダウンロードしたものを使用。キャンドルの販売が終演後に行われていたが、クレジットカードのみ可と完全にアメリカ方式であった。

演奏は弦楽四重奏団であるチェンバーミュージックアトリエ神戸が行う。第1ヴァイオリン:根垣りの(ねがき・りの)、第2ヴァイオリン:萩原合歓(はぎわら・ねむ)、ヴィオラ:山本紗帆、チェロ:吉田円香(まどか)。
根垣はフリーのヴァイオリニストのようだが、萩原は京都フィルハーモニー室内合奏団のコンサートマスターをしていた経験があり、現在は神戸室内管弦楽団のヴァイオリニストである。。山本と吉田は、共に兵庫芸術文化センター管弦楽団のコアメンバーとレジデントプレーヤーある。

 

曲目は、「レヴェナント」、「スネーク・アイズ」、「M.A.Y. in backyard」、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」、「Opus」、「King's March」、「Amore」、「水の中のバガテル」、「Aqua」、「Rain」、「美貌の青空」

休憩なし、1時間ちょっとのコンサートである。観世会館で使われているキャンドルは4800本だそうだ。

 

坂本龍一自身は弦楽四重奏用の編曲を行っていないので、第三者が編曲した譜面を使用しての演奏となる。「Amore」は、アルバム「Beauty」に収録されたバージョンではなく、坂本がピアノ用に編曲、それもアルバム「/05」以降に編曲したゆったり目のバージョンを弦楽四重奏用に移している。

チェロの吉田円香がマイクを手に進行役を担う。

 

「M.A.Y. in backyard」は、アルバムやピアノソロで聴くとそれほどでもないのだが、弦楽四重奏で聴くとかなり前衛的な部分があることが確認出来る。
「M.A.Y.」は、メイではなく、裏庭にいた三匹の野良猫、モドキ、アシュラ、ヤナヤツの頭文字である。

「戦場のメリークリスマス」は、冒頭の繊細な音型をヴァイオリンのピッチカートで奏でる。

「Amore」は、先に書いたとおり、アルバム「Beauty」に収められている楽曲だが、それ以前に「undo」というタイトルで、マキシシングルが発売されていた。違いは歌声が入っているかどうか。「undo」を聴いたプロデューサーが、「これは、アモーレ、アモーレと歌っている」と言ったため、合唱を入れることにしたのだが、「アモーレ」という言葉は使わず、ユッス・ンドゥールが書いたシンプルな歌詞を採用している。
その後、ピアノバージョンをビールのCMで坂本がピアノで弾き、これが最初のピアノバージョンだった。
坂本が21世紀に入ってから編曲したピアノバージョンは懐旧の趣があるが、一番最初のバージョンである「undo」からの編曲も聴いてみたかった。

「Rain」に関しては、吉田が、「ゆったりとした雨」と語ったため、「あ。これ映画観たことないぞ」と分かる。「Rain」は、満州国の皇帝となった愛新覚羅溥儀が、第二夫人である文繍に離婚を切り出され、拒むも文繍は自由を求めて雨の中へ、傘も断って去って行くという場面の音楽である。坂本龍一がたびたびコンサートで取り上げた自信作にしてお気に入りの楽曲だった。
この曲には疾走感と痛切さ、更には切迫感も必要になるのだが、今回は解釈が異なるため、弦が悲鳴を上げたりする場面があるにも関わらず、のんびりとした音楽になってしまっていた。
映画音楽を弾くなら、映画を観て、どの場面でどのように使われているかを知らないと的外れな演奏になってしまう。

「美貌の青空」は、教授が生前に「イタリアで演奏するとどういうわけか滅茶苦茶受ける」と話していた楽曲である。私個人もなぜイタリアで受けるのかは分からないが、今後も「美貌の青空」を歌ったり演奏したりする人は出てくると思われるので、イタリアでやってなぜ受けるのか解き明かしてくれると嬉しい。

 

アンコール演奏は、「ラスト・エンペラー」 メインテーマ。弦楽器に非常に合う楽曲である。時間の関係で少し端折った演奏であったが、四人だけであっても音自体に力が宿った作品であるだけに、充実した響きの演奏となった。

なお、アンコール演奏時のみ、撮影・録画が可であった。

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2025年11月 7日 (金)

コンサートの記(930) mama!milk “Musica Moschata(ムジカ・モスカータ)”

2025年10月4日 三条高倉の京都文化博物館別館ホールにて

午後6時から、京都文化博物館別館ホールで、mama!milkの公演“Musica Moschata(ムジカ・モスカータ)”を聴く。

京都を拠点に日本、そして世界各地で演奏を行っているmama!milk。アコーディオンの生駒祐子とコントラバス(ダブルベース)の清水恒輔のデュオだが、今回はマルチプレーヤーである曽我大穂(そが・だいほ)を迎えてのトリオでの演奏である。曽我が演奏するのは、ウクレレ、フルート、ブルースハーモニカ、自作の鉄琴、アコーディオンなど数多い。また、ノイズを入れる役割も受け持つ。

mama!milkは、アルゼンチンタンゴ、コンチネンタルタンゴ、ミニマル・ミュージック、アンビエント系など様々な音楽を取り入れて自分たちのものとしている。舞台音楽を手掛けることも多く、白井晃演出の舞台で音楽を担当したり、今はなきアトリエ劇研で行われたダンス公演に生駒のみが音楽担当として参加したりしている。

音楽は時に官能的、時に詩的、時にドラマティック、時にセンチメンタルと幅が広く、好きな人はかなりのめり込みたくなるタイプの作品群である。

音楽専用ホール以外でも演奏することは多く、特に今日演奏する京都文化博物館別館ホール(旧・日本銀行京都支店。国指定重要文化座)は、内装とmama!milkの音楽性がマッチしているため、たびたび演奏会場として選ばれている。
京都文化博物館別館ホールの他に定期的に演奏している場所として左京区の法然院が挙げられる。谷崎潤一郎など有名人の墓が多いことで、鎌倉の東慶寺と共に知られている法然院で毎年のように演奏を行っている。収容人数は限られているが、そこでライブを行ったり、コロナが流行ってからは、演奏の同時配信などやライブラリー化にも力を入れている。
また金沢21世紀美術館で、初めて演奏を行ったのがmama!milkだったはずである。

今回はネットで受付を行う(基本QRコードを読み取ることになるのでスマホでの購入となる)のだが特に整理券配布などはなく、来た順で入れる。ただし、スマホに記された名前などは名簿で確認される。ということでやはりスマホ必須である。空間自体が狭いので遅めに入ったとしてもそれほど不満はないはずである。
名簿を確認して、名前があったら、丸く包まれ、リボンを掛けられた紙が渡される。招待状を模しているが、これがこの公演のチケットで、何らかの事情で会場を出る必要があるときは、再入場する際に、この招待状スタイルのチケットを提示する必要がある。

開演5分前に客演である曽我大穂が現れ、自家製の鉄琴などをチェック。紙をグランドピアノのチェアに置き(今回はグランドピアノが使われることはない)、下手端にすぐ崩れそうな木製の案山子を組み立てるが崩して大きな音を立ててしまう。
その間に、上手端に生駒祐子が現れ、聴衆に背を向ける形でアコーディオンを弾き始める。途中からメロディーが、ヘンリー・マンシーニの「ひまわり」のものに変わる。

清水恒輔が現れてからは、生駒は舞台の真ん中に近いスツールに場を移し、本編の演奏が行われる。生駒は客席に何度か話しかけたが、声が小さいので私の席からは何を言っているのか聞き取れなかった。

曲目は、1部「Azul 蒼、夜明けの」、「Bosa Moschata 麝香バラ」、「Gala de Caras ガラ・ドゥ・カラス」、2部「Waltz,Waltz とっておきのワルツ」、「Anise アニス」、第3部タイトル「J.S.Bachへの手紙」、「Farther 12 sighs 12の軌道」、「an Ode アン・オード とある歌」、「Veludo 天鵞絨」、「the moon 月影」、第4部「Ephemera エフェメラ」、「Shijima 静寂」、「Kujaku 孔雀」、第5部「ao 蒼」、「Azul 蒼。未明の」、「Sanctuary 3つのサンクチュアリよりⅡ残像」、第6部「Charade シャレード 逃避行のワルツ」、7部はラストの定番曲でもある「your voice ユア・ボイス」が演奏された。
生駒と清水のデュオ曲の時は、曽我はチェアに腰掛けて羽根ペンで何かを書いている。筆を走らせた数枚は最終盤に上に向かって放り投げられ、演奏会終了後に聴衆も読むことが出来るようになっていたが、音符などではなく、日本語による作況の文章が書かれてあった。

本格的な秋の到来と、精神面も含めて大人しか楽しめないミュージック。曲も会場も他の場所の一般的な庶民からは遠く、西洋の楽器を使った音楽なのであるが、これで実は「秋の京都」にジャストフィットな音楽である。

イメージ喚起力に長けた演奏から、「音で聴く映画」との賛辞を得ているmama!milk。ただ映画とすると聴き手が好むジャンルによって受け取り方が異なりやすいので、個人的には何と呼ぼうかと考えていると、「記憶の底で繋がる流れ」という言葉が浮かぶ。mama!milkの音楽を聴いていると様々なシーンが浮かび、ノスタルジックな心境となる。実体験にフィクションの場面、それらが浮かぼうとしては流れ、あるいは何かに手が触れる。いつかどこかで見た風景が、現れては去る。現実か虚構かは分からない。ただその曖昧さを表すのに音楽は適した手段であるように思う。

アンコール演奏は、「your slumber まどろみに」。この曲は生駒が演奏しながらスキャットを行う。インティメートな演奏であった。

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2025年9月 4日 (木)

コンサートの記(915) ローム クラシック スペシャル「2025 日フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート プロコフィエフ:交響的物語《ピーターとオオカミ》op.67(日本フィルオリジナル台本による上演)ほか」

2025年4月6日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、ローム クラシック スペシャル「2025 日フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート プロコフィエフ:交響的物語《ピーターと狼》op.67(日本フィルオリジナル台本による上演)ほか」を聴く。
主にロームの招きによるものだが、1年に2回から3回、ロームシアター京都での公演を行っている日本フィルハーモニー交響楽団。東京の他のオーケストラは、関西公演というと大阪府内か、大阪にほど近い兵庫県西宮市などで公演を行うことが多いが(NHK交響楽団は関西各地で公演を行う)、日フィルは京都を準本拠地とすることに成功しつつある。他の東京のオーケストラが大阪に集まるので、ライバルなしの状態である。まず子ども向けのコンサートを行い、夏に親子向けのコンサートを行い、更には大人向けの「コバケン・ワールド in KYOTO」を行うのが通例。今年も夏の親子向けのコンサートはすでに決まっていて、バレエを中心としたものである。「コバケン・ワールド in KYOTO 2025」も開催が決まった。

今回の「小学生からのクラシック・コンサート」は、園田隆一郎の指揮。日フィル・ソロ・コンサートマスターの扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)がコンサートマスターを務める。

休憩なしの上演時間約1時間のコンサート。曲目は、グリーグのホルベルク組曲(ホルベアの時代から)第1楽章とプロコフィエフの交響的物語「ピーターと狼」(朗読:江原陽子(えばら・ようこ)。

 

今回は開演前にホワイエでウェルカム・コンサートがある。写真撮影自由、動画撮影は不可である。クラリネット五重奏での演奏。
曲目は、宮川彬良の「ゆうがたクインテット」、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」より“ねえ、私のお父さん”、ブラームスのハンガリー舞曲第5番。
余裕を持って演奏されていたように思う。
アンコール演奏では、楽団員が紙で作った耳飾りを付けて、「ピーターと狼」の猫の主題を奏でる。ナビゲーターの江原陽子が、眼鏡を掛け、紙の耳飾りを付けた状態で登場。本番でも行って欲しいという猫ダンスを子どもたちに教えていた。

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中ホールであるサウスホールでの演奏ということで、中編成。サウスホールは残響はないが、空間自体がそれほど広くないので音は通る。後方にスクリーンが下がっており、スクリーンと前方の聴衆の間に入ると視野の妨げとなるためか、それを避けるべく指揮台は低めのものが用いられていた。

 

関西ではオペラ指揮者として聴くことも多い園田隆一郎。園田高弘との血縁関係はない。
イタリア・シエナのキジアーナ夏季音楽週間「トスカ」を指揮してデビュー。翌年、藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」を指揮して日本デビューを飾り、多くのオペラを手掛けたほか、イタリア国内のコンサートオーケストラも指揮。現在、パシフィックフィルハーモニア東京の指揮者、藤沢市民オペラ芸術監督を務めている。

ナビゲーターの江原陽子は、東京藝術大学音楽学部声楽科卒。NHKで歌のおねえさんとして活躍し、1991年からの日フィルの「夏休みコンサート」の司会を務めるなど、長い付き合いとなっている。洗足学園音楽大学教授。

 

グリーグのホルベルク組曲より第1楽章。弦の編成が大きくはないためか、ホールの音響ゆえか、スプリングが余り効いておらず、表情も堅い。日フィルは伝統的に北欧音楽には強いはずだが、今日はそれほどでもなかったようである。

 

プロコフィエフの交響的物語「ピーターと狼」。弦はドイツ式の現代配置だが、その前に主役となる管楽器が指揮台を取り囲むようにして並ぶ。下手側からフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットである。
江原陽子が、どの楽器が何を表すのかを説明する。
フルート(美人奏者として有名な難波薰が乗り番)は小鳥、オーボエはアヒル、クラリネットは猫、ファゴットはお爺さんである。ピーターの主題は弦楽器が奏で、狼はホルンなどの金管楽器が威圧的な音を押し出す。
1991年から日フィルと声を使った仕事をしているということで、江原陽子のナレーションは手慣れたもの。猫の主題が出た時には、ウェルカム・コンサートでやった時のように子どもたちと一緒に踊る。京都の子どもたちなので、大阪の子どものようにノリノリという訳にはいかないが、楽しそうである。
演奏であるが、グリーグよりもずっと滑らかでチャーミングである。サウンドも温かで、日フィルの良さが出ていた。
なお、台本は、園田隆一郎、江原陽子と日フィル企画制作部が作成したオリジナルのものが使用されていた。
スクリーンには、最前列の管楽器奏者が演奏するときのみ映像が映る。使用時間はそれほど長くはなかった。
最後にスマホ撮影タイムがあったが、スマホの起動に時間が掛かったため、やはり作成できず。去年は事前に「カーテンコール撮影可」という情報が載っていたので間に合ったのだが。だが去年はその映像をSNSにアップしたのは私だけ。余り人気がないようであった。

 

京都は街の規模や文化水準からいえば、京都市交響楽団の他にライバルとなるフルサイズの民営プロオーケストラがあっても良いはずなのだが、資金面を考えると、フルサイズのプロオーケストラの運営は難しいと言わざるを得ない。京響ですらキャパ1800の京都コンサートホールを満員にするのは難しいのが現状ある。日フィルに京響を刺激する形でもっと頑張って貰うのも手である。日フィルは東京のオーケストラの中ではAランクに入るか入らないかの当落線上だが、東京に本拠地を置いているプロオーケストラは基本上手い。

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2025年6月 7日 (土)

コンサートの記(904) アンサンブル九条山 コンサートvol.16「The Phoenix Rises New Music from Los Angels」

2025年5月11日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後2時から、ロームシアター京都ノースホールで、アンサンブル九条山(くじょうやま) コンサートvol.16「The Phoenix Rises New Music from Los Angels」を聴く。

2010年に京都のヴィラ九条山のレジデントであったヴァレリオ・サニカンドロにより設立された現代音楽アンサンブル。メンバーは全員女性で、全員が女性の現代音楽アンサンブルはかなり珍しいと思われる。

今回は、ロサンゼルスで生まれ育った指揮者のジェフ・フォン・デル・シュミットと、上海出身で1986年に渡米し、以後、ロサンゼルスで学び、作曲活動を行っている女流作曲家のジョーン・ファンというLA在住の二人のゲストを招いての演奏会である。

 

出演は、石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、上田希(クラリネット)、太田真紀(ソプラノ)、後藤彩子(客演。ヴィオラ)、畑中明香(はたなか・あすか。パーカッション)、松蔭(まつかげ)ひかり(客演。チェロ。レギュラーメンバーである福富祥子が出演出来なくなったための代役)、森本ゆり(ピアノ)、若林かをり(フルート)。石上真由子は本拠地を京都から東京に移しているが、それ以外は関西を拠点とするアーティスト達である。

曲目は、ルー・ハリソンの「森の歌」、ジョン・ケージの「7つの俳句」、ウィリアム・クラフトの「月に憑かれたピエロ」からのセッティング(アジア/日本初演)、ヴ・ニャット・タンの「雲」(遺作/世界初演)、ジョーン・ファンの「インプレッション・オブ・グスー」(アジア/日本初演)、ウィリアム・クラフト&ジョージ・ファンの「万華鏡とモザイク」(アジア/日本初演)

 

現代音楽こそ若い人に聴いて欲しいのだが、やはりこの演奏会も平均年齢は高め、50歳の私が最年少候補である。クラシック音楽の聴衆の新陳代謝は余り進んでいないように思える。もう20年近く前になるが、京都造形芸術大学の学園祭で、ジョン・ケージの小規模なオペラが上演されたときは、学生が多く観に来ていて好評だったのだが、あるいは音楽よりも美術専攻者などの方が現代音楽には馴染みやすいのに、そちらへの宣伝が不十分なのかもしれない。

 

チラシやポスターだけでは分からなかったのだが、今回は「アジア」が重要なテーマのようで、出演者は全員、旗袍(チーパオ)やアオザイなどを参考にしたようなアジア風ドレスを着こなしていた(パーカッションの畑中明香だけは、他の人と同じような格好では動きにくいので、少し緩やかな衣装であった)。

 

まず、森本ゆりによる挨拶がある。今回のコンサートの指揮と監修を務めるジェフ・フォン・デル・シュミットが、ロサンゼルスの生まれ育ちであること、また今回の演奏会を企画するに当たり、「現在は現代音楽の分岐点にある」というシュミットの考えから、当初は「始まりの終わり」というタイトルに決まりかけていたことを語る。しかし、今年の1月、ロサンゼルスで大火が起こり、作曲家のジョーン・ファンは体は無事であったが自宅は全焼、シュミットの家にも2つ先の通りまで火が押し寄せてきたそうで、ロサンゼルスの街を復興を願い、「不死鳥」を入れた今回のタイトルに変更したそうである。

 

指揮と監修を務めるジェフ・フォン・デル・シュミットは、1955年、ロサンゼルス生まれ。苗字からしてドイツ系だと思われ、フォンが入るので貴族の血筋かも知れない(ちなみにドイツ語圏では戦後、貴族階級に属することを意味する「フォン」の称号は名乗ることを禁じられたため、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどは特別に芸名としてフォンを名乗ることを許されている)。ウィーン大学、南カリフォルニア大学で学び、カリフォルニアで現代音楽アンサンブルであるサウスウエスト・チェンバー・ミュージックを主宰。2012年からはロサンゼルスで行われる現代音楽のフェスティバルを開催している。
グラミー賞に8回ノミネートされ、2度受賞。2015年からは、ベトナムのハノイ・ニュー・ミュージック・アンサンブルの指揮者兼芸術顧問を務めている。

 

ルー・ハリソンの「森の歌」。フルート、ヴァイオリン、パーカッション、ピアノのための作品である。
ルー・ハリソンは、オレゴン州ポートランド生まれのアメリカの作曲家だが、ジャワのガムラン音楽に強い関心を示すなど、非西洋の音楽に惹かれていた。この曲もガムランを思わせるパーカッションを始め、フルートというより笛ような音で奏でられる旋律(おそらくペンタトニック使用)など、極めて東洋的な音楽が展開される。何の情報ももたらされなければ、アジア人作曲家の作品と誰もが思い込んだに違いない。
中学生の頃、坂本龍一、デヴィッド・バーン・コン・スー(蘇聡。スー・ツォン)が音楽を手掛けた「ラストエンペラー」の映画音楽を愛聴し、ついでに二胡などの演奏のCDも楽しんでいた私にとってはアジア風の音楽は音楽における故郷の一つである。

 

ジョン・ケージの「7つの俳句」。今回演奏される曲の中では比較的知名度が高い作品である。森本ゆりのピアノ独奏。
「俳句」と名付けただけ合って、極めて簡潔な作品群である。音を少し置くだけで終わってしまう。ただサティなども音楽で石取りゲームのようなことをしているため、その延長線上にあると考えても把握はしやすくなる。弦を直接指で弾く特殊奏法も用いられる。

 

ウィリアム・クラフトの「月に憑かれたピエロ」からのセッティング。ソプラノ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、パーカッションのための作品。シュミットの指揮である。
シェーンベルクも作曲した「月に憑かれたピエロ」の詩に基づく作品であるが、シェーンベルクが採用しなかった詩の部分にインスピレーションを受けて作曲されている。
ウィリアム・クラフト(1923-2022)は、シカゴ生まれの作曲家。コロンビア大学で学士と修士を修め、まず打楽器奏者として出発。ダラス交響楽団を経て、ロサンゼルス・フィルハーモニックの打楽器奏者・首席ティンパニ奏者として活躍。その後、副指揮者を経てレジデンスコンポーザーを務めた。同い年でロサンゼルスでも活躍した指揮者・作曲家のロバート・クラフトとは特に血縁関係にはないようである。
パーカッションの活躍が目立つ一方で、ヴァイオリンの出番がなかなか訪れないという特殊な構成。音と音の合間から染み出てくる音のようなものが印象的である。器楽に対し、太田真紀のソプラノが良いアクセントになっている。

 

ヴ・ニャット・タン(男性)の「雲」。タンの遺作であり、世界初演である。
ヴ・ニャット・タンは、1970年、ベトナムの首都ハノイ生まれの作曲家。ベトナム戦争下の生まれである。ハノイ国立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、ドイツ学術交流会の奨学金を得てケルン音楽大学で現代音楽を学ぶ。その後、カリフォルニア大学サンディエゴ校で作曲を学んだ。一方で祖国の音楽の研究や、祖国の楽器である葦笛奏者としても活躍。1995年から2000年まではハノイ国立音楽院で教育活動に従事した。2020年、癌のため50歳の若さで死去。

「雲」は、ヴァイオリンとピアノのための作品である。どちらかというとピアノ主体の曲で、雅やかな音色と、ピアノの弦を直接弾く特殊奏法によるグリッサンドが印象的である。

 

ジョーン・ファンの「インプレッション・オブ・グスー」
ジョーン・ファンは、1957年、上海生まれの女流作曲家。文化大革命で下放させられた経験を持つ。労働は過酷であったが、農民から地方の民謡を教えられたりもしたそうだ。文革終了後、上海音楽院に入学。ということで、中国映画における第五世代に当たるようだ。上海音楽院で学士と修士を得て、1986年に渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学ぶ。後に夫となるウィリアム・クラフトとはここで出会った。祖国中国と西洋の音楽の融合を研究し、1991年に博士課程を修了。

グスー(姑蘇)というのは、蘇州の旧名だそうである。パーカッション以外は総出で、シュミットの指揮での演奏。
連続した小協奏曲という趣向を持つ。
最初のうちは現代音楽的な複雑な音だが、やがてチェロに中国的な旋律が現れる。その後も、混沌と中華的旋律の登場が繰り返されるが、「水の蘇州」ということで、水の流れを描くような部分も多い。ヴァイオリンとヴィオラが、スメタナの「モルダウ」の冒頭のような掛け合いを聴かせる部分もあった。

 

演奏終了後、客席にいたジョーン・ファンがシュミットに呼ばれて登場し、拍手を受けた。実年齢よりも若々しい印象を受ける女性である。

 

ウィリアム・クラフト&ジョーン・ファンの「万華鏡とモザイク」。作曲中に病に倒れたクラフトが、死の3時間前に 妻であるジョーン・ファンに「補作して完成させてくれ」るよう頼んだという作品である。
無料パンフレットに「満ち引きする一種の脈略のない夢のような心象風景の場面」とあることから、この曲も「インプレッション・オブ・グスー」同様、流れのようなものが全体を貫いている。異なるのは、「インプレッション・オブ・グスー」では用いられなかったパーカッションの大活躍で、特に力強いドラムの音が全体をリードする。今回の演奏会では、他では見られないほどパーカッションが活躍する場面が多く、演奏終了後、シュミットはパーカッションの畑中明香の手を取って高々と掲げ、労をねぎらった。

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2025年6月 1日 (日)

コンサートの記(903) マルタ・アルゲリッチ特別演奏会 in 京都南座

2025年5月26日 京都四條南座にて

午後6時30分から、京都四條南座で、第25回記念別府マルタ・アルゲリッチ音楽祭関連コンサート マルタ・アルゲリッチ特別演奏会 in 京都南座を聴く。

午後6時開場の予定だったが、気温が低めのためか、南座に着いた午後5時45分にはすでに開場していた。ロビー開場で、午後6時に客席開場となるはずであったが、ドアの隙間からアルゲリッチが弾くピアノの音が漏れており、リハーサルが長引いているということで客席開場が少し遅れる。それまでドアのそばにさりげなく立って、アルゲリッチの弾く澄んだピアノの音を耳にしていた。

世界最高の天才ピアニストと呼ばれるマルタ・アルゲリッチの22年ぶりとなる京都での演奏会である。前回はおそらく京都コンサートホールでの演奏だったと思われるのだが、今回の会場は京都四條南座となった。南座では、翁・シルクロード 特別な想い ゼロからの祈りコンサートが行われており、昨日は、石上真由子や佐藤晴真やテレマン室内オーケストラ、雅楽によるコンサートが行われ、2日目となる今日がアルゲリッチのコンサート。
アルゲリッチはいつの頃からか、「ステージに一人だと寂しい」という子どものような理由で、室内楽や協奏曲の独奏しか行わなくなっていたのだが、別府アルゲリッチ音楽祭を行うようになってから、次第にピアノソロ曲も弾くようになり、今日もピアノ独奏曲がプログラムに含まれている。

耐震工事を含めた内部改修工事を行った南座。松竹が3Dプリンターを使って、以前の通りに復元したのだが、座席の狭さや座席前通路の狭隘さ、三階席の急勾配と階段の段の高さもそのままで、一幕見席も相変わらずなしということで、不評である。ただ音の通りは明らかに良くなっており、クラシック音楽の演奏会場として期待もされたのだが、おそらく昨日今日の演奏会が、改修後初のクラシック音楽の演奏会となる。

チケットはかなり高いので、安めの席を選択。実は南座は大向こうが一番音の通りが良いと知っての計算である。3階席の最後列ほぼ真ん中であったが、やはり音の通りは良く、視覚以外は、目の前で演奏しているかのようであった。

出演は、マルタ・アルゲリッチの他に、川久保賜紀(ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、上野通明(みちあき。チェロ)。アルゲリッチと共演するに相応しい、日本屈指の腕利きが揃った。

正面に能の鏡板を模した松、側面には竹の松羽目舞台での演奏である。

曲目には変更がある。
まず、川久保賜紀と上野通明による、非常に格好良いハルヴォルセンの「ヘンデルの主題によるサラバントと変奏」に続いて、エルネスト・フォン・ドホナーニの弦楽三重奏のためのセレナードが演奏されるはずだったのだが、アルゲリッチの登場が早まり、川久保と上野が退場してからすぐにアルゲリッチが姿を現す。なお今日はスタッフも含めて全員上手からの登場となった。

アルゲリッチはプログラムにない曲を弾き始める。シューマンの幻想小曲集より「夢のもつれ」。アルゲリッチらしい鮮度の高い演奏であったが、何故か、客席下手側後方から大きめの寝息の音がする。アルゲリッチもその方を振り返って、「この私がピアノを弾いているのに寝るですって?」といったような表情を浮かべていた。

続く2曲は、プログラム通りラヴェルの「水の戯れ」と『夜のガスパール』から「オンディーヌ」
いずれも鍵盤が日の光を反映した水の面に見えてくるような瑞々しい演奏。勢い余って水がピアノから溢れ出そうである。
エスプリ・クルトワやラヴェルが曲に込めたたゆたうような音楽性も、最大限に引き出して見せる。
いずれの曲も、他のピアニストによる生演奏を聴いたことはあるが、やはりアルゲリッチは何もかも違う。
これだけのピアノソロを弾けるのに、何年も何十年も封印してきたのだからアルゲリッチも罪な人である。

 

エルンスト・フォン・ドホナーニの弦楽三重奏曲のためのセレナード。
三人の息のあったアンサンブルが聴きものである。
ハンガリー生まれのエルンスト・フォン・ドホナーニ。高名な指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニの祖父であるが、クリストフは生地のドイツ国籍である。名作曲家や名音楽家を多く生み出しているハンガリーの作曲家だけに豊かな音楽性を感じさせるが、例えばバルトークやコダーイほどにはハンガリー的ではなく、ドイツ音楽の影響が強い。
南座の音響はピアノ向きで、ピアノの後に弦楽トリオを聴くと音がやや細いように感じられた。音の通りは良いが残響がないからでもあろう。

 

休憩は南座らしく30分もある。2階などでは雅楽の楽器や、雅楽に乗せて舞う時の衣装などが展示されている。

1階西側のスペースでは、河原町の清水屋さんがアルゲリッチや川久保さんのCDを販売していたが、良さそうなものは大体買ってしまっているため、買いようがなかった。

 

後半は、ヴィオラの川本嘉子のソロから始まる。ヘンデル(細川俊夫編曲)の「私を泣かせてください」と、カタロニア民謡を原曲とした西村朗の「鳥の歌」幻想曲。いずれも日本を代表する作曲家による作品。西村朗は、追悼コンサートが、彼が音楽監督を務めた大阪の住友生命いずみホールで今年複数回行われる。
いずれも前奏に原曲とは異なる部分が付け加えられていたが、本編の美しさを損なわない仕上がりとなっていた。

 

メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番。
メンデルスゾーンというと、金持ちの家に生まれ、一流の教育を受け、作曲家として神童と認められたほか、絵画の腕前も一級、指揮者としても高く評価されるなど、自身がユダヤ人の家系であることや、38歳で早逝したことを除けば、幸福な人生を送ったかのように見える。彼の人生を評して「行けども行けども薔薇また薔薇」と言われたりもする。
だがこの曲の第1楽章を聴けば、メンデルスゾーンが本当の悲しみを知っている人間であることが分かる。人知れぬ苦悩には直面したことがありそうである。
アルゲリッチは譜めくり人を付けての演奏。譜めくり人を務めるのは京都を拠点として活躍する女性ピアニストである。
アルゲリッチのピアノがベースを奏で、弦楽器がその上を駆けていく。

第2楽章では、冒頭でアルゲリッチが懐旧の趣のあるソロを奏でる。胸にゆっくりと染み込んでいくようなピアノである。
子どもの頃の思い出。まだ小学校に上がる前、父と実家の近くの用水路沿いをずっと歩いて行った。ただそれだけなのに懐かしい風景。それを思い出した。
その後は、弦楽とピアノが明るい音楽を奏でる。

第3楽章ではピアノの煌びやかなソロがあり、弦楽器が優雅な掛け合いを行う。

そして第4楽章では、熱いやり取りが繰り広げられる。三者とも共演というより競演という趣で全力をぶつけ合い、スリリングな演奏となった。

 

喝采に包まれた南座。アルゲリッチに客席から花束を渡す人二名。更にスタッフから三人に花束が贈呈された。

 

メンデルスゾーンのピアノ三重奏第1番第3楽章がアンコールとして再び演奏され、再び魔術のような音楽が南座の空間を満たす。

 

最後は、私が目にした中では上川隆也主演の舞台「隠蔽捜査」(改修前の南座での上演)以来となる南座オールスタンディングオベーション。アルゲリッチも満足そうであった。

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2025年4月10日 (木)

コンサートの記(899) 「京都市立芸術大学ピアノ専攻教授陣によるプロフェッサーコンサート 煌めくピアニズム」

2025年3月5日 京都市立芸術大学堀場信吉記念ホールにて

四条駅から京都市営地下鉄烏丸線に乗り、京都駅で下車。東に向かって数分のところにある京都市立芸術大学堀場信吉記念ホールで、「京都市立芸術大学ピアノ専攻教授陣によるプロフェッサーコンサート 煌めくピアニズム」を聴く。タイトル通り、京都市立芸術大学音楽学部ピアノ専攻の教授(全員が教授の肩書きではなく、専任教員や常勤講師もいる)達による演奏会。

出演は、砂原悟、上野真(うえの・まこと)、三舩優子(みふね・ゆうこ)、田村響(男性)、髙木竜馬(りょうま)。最後の演目であるワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲(小林仁編曲)にだけ、京都市立芸術大学専任講師の森本瑞生(パーカッション)が出演するほか、京都市立芸術大学音楽学部や大学院の学生とOBが出演する。

 

事前のプログラムは、2台のピアノのための作品などは発表されていたが、独奏曲に関してはシークレットで直前に発表されることになっている。

なお、ピアノは4台のグランドピアノを使用。コンサートホールに常備されているピアノは2台ほどが基本だが(2台のピアノのための作品は多めだが、3台以上のピアノのための作品は数えるほどしかないため)、京都市立芸術大学ピアノ専攻は、「学生になるべく多くの種類のピアノを弾かせたい」との思いから、堀場信吉記念ホールに4台のピアノを備えている。また芸術大学の音楽学部なので、ピアノは多く所有しており、更に数を増やそうとしてもおそらく可能だろう。

今回使われるピアノは、ウィーンのベーゼンドルファー290インペリアル、イタリアのファツィオリ F-308、スタインウェイ&サンズ D-274(ハンブルク)、スタインウェイ&サンズ D-274(ニューヨーク)。スタインウェイというとアメリカのイメージが強いが、1880年代からはドイツのハンブルクでも製造を開始している。これだけ多くの種類の名ピアノを所有している音楽学部は世界的に見ても珍しいそうで、「世界でもここだけじゃないか」という話もあるらしい。
ベーゼンドルファーのピアノは、昨年の11月に購入したばかりで、今回がお披露目となるそうである。

 

曲目は、モーツァルトのソナタ ニ長調 KV448(田村響&上野真)、三舩優子のソロ曲、髙木竜馬のソロ曲、マーラーの交響曲第5番よりアダージェット(シュトラダールによる2台ピアノ版。髙木竜馬&上野真)、田村響のソロ曲、シューベルトの幻想曲 ヘ短調 作品103 D.940(上野真&砂原悟)、バーバーのスーヴェニール「バレエ組曲」(ゴールドとフィッツデールによる2台ピアノ版)より第5番“Hesitation-Tango”と第6番“Galop” (三舩優子&上野真)、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲 4台ピアノ16手連弾 打楽器付き(小林仁編曲。髙木竜馬&生駒由奈、田村響&長山佳加、三舩優子&稲垣慈永、砂原悟&廣田沙羅。打楽器:森本瑞生、武曽海結、丹治樹)。

 

かなり有名なピアニストが出る上に、チケットが比較的安いということもあり、客席はかなり埋まっている。

 

堀場信吉記念ホールに来るのは二度目。前回はトイレが狭く、休憩時間に長蛇の列が出来るという欠点が分かったが、堀場信吉記念ホールの入る京都市立芸術大学A棟の向かいにあるC棟のトイレも開放することで、改善を図ろうとしているようだ。

 

京都市内には、京都コンサートホール・アンサンブルホールムラタ、ロームシアター京都サウスホール、青山音楽記念館バロックザールなど、ピアノリサイタルでの使用を想定して作られたホールがいくつもあるが、いずれも音響的に万全という訳ではなかった。だが、堀場信吉記念ホールの音響はピアノ演奏向けとしてはかなり良い部類に入る。京都市内にあるピアノ演奏向けのホールとしては一番であろう。公立大学が所有するホールであるため、貸し館などはどれほど行えるのかは分からないが、「ここで数々のピアノリサイタルを聴いてみたい」と思わせてくれるホールである。

 

モーツァルトのソナタ ニ長調。田村響がハンブルクのスタインウェイを弾き、上野真がベーゼンドルファーのピアノを弾く。
モーツァルトの2台のピアノのためのソナタは、1990年代に、「聴きながら勉強すると成績が上がる曲」として話題になったが、その後に、「そういう見方は出来ない」として否定されている。
モーツァルトらしい典雅で愛らしい楽曲で、二人のピアニストの息もピッタリ合っている。なお、今回は、ソロ曲とワーグナー以外は譜めくり人を付けての演奏で、譜めくり人は各ピアニスト専属の女性が担当。三舩優子の譜めくり人だけは、ワーグナー作品で出演もする稲垣慈永(じえい)が務めていた。

 

三舩優子のソロ演奏曲は、リストのペトラルカのソネット第104番。美しいタッチの光る演奏である。ハンブルクのスタインウェイのピアノを使用。

 

髙木竜馬のソロ演奏曲は、ラフマニノフの前奏曲「鐘」。ラフマニノフの生前から人気曲であり、ラフマニノフのピアノコンサートに来た聴衆が「鐘」を聴きたがり、ラフマニノフが弾くまで帰らなかったという伝説を持つ曲である。
髙木はスケール豊かな演奏を展開する。低音と高音の対比が鮮やかだ。ピアノはファツィオリ。

 

マーラーの交響曲第5番(シュトラダールによる2台ピアノ版)より第4楽章「アダージェット」
髙木竜馬がファツィオリのピアノを、上野真がベーゼンドルファーのピアノを奏でる。
オーケストラの演奏では、おそらくレナード・バーンスタインの影響で、ゆったりとしたテンポが取られることの多いアダージェットであるが、ピアノでの演奏ということでテンポはやや速め。しかし次第にテンポは落ちる。
弦楽ならではの甘さを持つ曲だが、ピアノで演奏すると構造がはっきりと把握しやすくなる。オーケストラでも分かるが、ため息や吐息の部分がより明確に感じられる。
かといって分析的ではなく、エモーショナルな味わいも十分にある。

 

田村響のソロ演奏曲は、ショパンのワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」。元々はスタインウェイ・ハンブルクを使って演奏する予定だったが、ベーゼンドルファーを用いての演奏に変わる。舞台上の転換はないため、ソロではあるが上手側に鍵盤がある形での演奏となる。蓋は取り払われている。
「華麗なる大円舞曲」は、中学校の給食の音楽だった、という個人的な思い出はどうでもよいとして、愛らしさと神秘性、そしてタイトル通りの華麗さを合わせ持った名曲であり、田村の演奏も鮮やかであった。

ピアノが変わったのは、「ソリスト全員に別のピアノを弾かせたい」という意図によるもののようである。

 

シューベルトの幻想曲 ヘ調用。これも元々は連弾用の曲であるため、そのまま連弾の予定だったのだが、2台のピアノで弾く形に変わった。
シューベルトらしく、またドイツらしいという正統派の音楽と演奏である。暗めではあるが、愛らしさやノスタルジックな感じが顔を覗かせる。

 

バーバーのスヴェニール「バレエ組曲」(ゴールドとフィッツデールによる2台ピアノ版)より第5番“Hesitation-Tango”と第6番“Galop”
三舩優子がハンブルクのスタインウェイを、上野真がニューヨークのスタインウェイを演奏する。
アメリカの音楽、それも前衛には手を出さなかったバーバーの作品だけに、軽快で親しみやすく、明るくチャーミングな音楽が繰り広げられた。

 

ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲 4台ピアノ16連弾 打楽器付き(小林仁編曲)。大規模な舞台転換があるため、その間を教員総出演によるトークで繋ぐ。小林仁は砂原悟の直接の師だが、髙木竜馬が12歳ぐらいの時に小林の自宅に伺ってレッスンを受けたことがあったり、田村響が参加したコンクールの審査員が小林だったりと、若手とも繋がりがあるようだ。今回のコンサートにも「ぜひ伺いたい」と言っていたのだが、小林の住む東京は昨日今日と雪。道路でスリップする可能性があるので外出は難しいということで、京都に来ることは叶わなかったようだ。

4台のピアノが上から見るとTwitter状に、じゃなかったX状に配置される。打楽器の森本瑞生(特別客演)、武曽海結(むそ・みゆ)、丹治樹(たんじ・たつき。客演)はその背後に横一列で陣取る。
X状の手前上手側に髙木竜馬&生駒由奈、手前下手側に田村響&長山佳加、奥下手側に三舩優子&稲垣慈永、奥上手側に砂原悟&廣田沙羅。砂原悟&廣田沙羅コンビのみ、学生が第1ピアノ、教員が第2ピアノである。髙木竜馬がタブレット譜を使っているのが確認出来るが、他のピアニストの譜面は私の席からは見えない位置にある。
基本的に時計回りに主役が変わっていくようであるが、主旋律は田村響が受け持つことが多いようだ。
4台のピアノによる演奏を聴くことは少ない上に(多分、初めてである)更に打楽器が加わっての演奏。おそらく唯一無二の体験となるはずである。
オーケストラのように色彩豊かな響きという訳にはいかないが、迫力やスケールなどはこのサイズのホールで聴くには十分すぎるほど大きい。ピアノならではの音の粒が立った響きも印象的である。
実はピアノ専攻の教員の中には、京都市立芸術大学出身者は一人もいないのだが、特別客演としてティンパニを受け持った森本瑞生(京都市立芸術大学専任講師)は京都市立芸術大学のOGである。森本は更にシンガポール国立大学・ヨンシュウトー音楽院、ジョンズ・ホプキンス大学・ピーポディ音楽院(交換留学生として)、ジュリアード音楽院大学院でも学んでいる。
学生達は、京都市立芸術大学ピアノ専攻もしくは大学院に在籍中だが、京芸の学部卒業後に海外の大学院を修了してまた戻ってきていたり、すでにいくつかのコンクール優勝歴や入賞歴があったりする人もいる。客演の丹治樹は、京都市立芸術大学音楽学部管・打楽器専攻を経て同大学院修士課程器楽専攻を修了。卒業時に京都市長賞受賞。パーカッションアンサンブルグループ「アカサタ♮」のメンバーである。
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲は、高揚感溢れる曲だけに、演奏終了後に客席も盛り上がる。

「良かったねー」という声があちこちで飛び交い、聴衆の満足度も高そうであった。
帰りであるが、ここでまた堀場信吉記念ホールの弱点が見つかる。堀場信吉記念ホールは京都市立芸術大学A棟の3階にあり、1階から階段が伸びているのだが、照明がないため、足下がよく見えず危険である。エレベーターもあるが、余り多くの人は乗せられないので、大半の人は階段を選ぶことになるのだが、改善しないと事故が起こりそうである。スマホのライトで足下を照らしながら歩く人もいた。

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2025年1月14日 (火)

コンサートの記(879) 平野一郎 弦楽四重奏曲「二十四氣」京都公演@大江能楽堂

2024年12月10日 京都市役所そばの大江能楽堂にて

午後7時から、押小路通柳馬場東入ル(京都市役所のそば)にある大江能楽堂で、平野一郎の弦楽四重奏曲「二十四氣」の演奏を聴く。二十四節気を音楽で描いた作品。演奏は石上真由子(いしがみ・まゆこ。第1ヴァイオリン)、對馬佳祐(つしま・けいすけ。第2ヴァイオリン)、安達真理(ヴィオラ)、西谷牧人(にしや・まきと。チェロ)。全員、タブレット譜を使っての演奏であった。

能楽堂での演奏ということで色々と制約がある。まずファンヒーターは音が大きいというので本番中は切られるため、寒い中で鑑賞しなくてはいけない。客席もパイプ椅子や座布団などで、コンサートホールほど快適ではない。音響設計もされていないが、能楽堂は響くように出来ている上に空間も小さめなので、弦楽四重奏の演奏には特に支障はない。

弦楽四重奏で、四季よりも細分化された二十四氣を描くという試み。24の部分からなるが、24回全てで切るわけにはいかないので、春夏秋冬の4つの楽章で構成されるようになっている。
作曲者の平野一郎のプレトークに続いて演奏がある。能舞台の上には白足袋でしか上がってはいけない(他の履き物で上がってしまうと、板を張り替える必要があるため、膨大な金額を請求されることになる)ので、全員、白足袋での登場である。白足袋で演奏するクラシックの演奏家を見るのは珍しい。

 

平野一郎は、京都府宮津市生まれ(「丹後國宮津生」と表記されている)の作曲家。京都市立芸術大学と同大学大学院で作曲を専攻。2001年から京都を拠点に作曲活動を開始している。
プレトークで、平野は二十四節気は中国由来だが、すでに日本独自のものになっていることや、調べ(調)などについての説明を行う。

 

「二十四氣」であるが、現代曲だけあって、ちょっととっつきにくいところがある。繊細な響きに始まり、風の流れや鳥の鳴き声が模され、ピッチカートが鼓の音のように響く。弦楽器の木の部分を叩いて能の太鼓のような響きを生んだり、ヴァイオリンが龍笛のような音を出す場面もある。旋律らしい旋律は余り出てこないが、ヴィオラが古雅な趣のあるメロディーを奏でる部分もある(チェロのピッチカートで一度中断される)。ヴァイオリンであるが、秋に入ってからようやくメロディーらしきものを奏でるようになる。
秋には楽器が虫の音を模す場面もある。チェロが「チンチロリン」(松虫)、ヴァイオリンが「スイーッチョン」(ウマオイ)の鳴き声を模す。
冬の季節に入ると、奏者達が歌いながら奏でるようになり、足踏みを鳴らす。面白いのは四人のうちヴィオラの安達真理のみ左足で音を鳴らしていたこと。どちらの足で出しても音は大して変わらないが、おそらく左足が利き足なのだろう。
演奏時間約70分という大作。豊かなメロディーがある訳ではないので、聴いていて気分が高揚したりすることはないが、日本的な作品であることは確かだ。四人の奏者の息も合っていた。

演奏終了後に、安達真理がお馴染みの満面の笑みを見せる。彼女の笑みは見る者を幸せにする。

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2024年11月19日 (火)

コンサートの記(870) 第28回 京都の秋 音楽祭「成田達輝&萩原麻未 デュオ・リサイタル」

2024年11月6日 京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」にて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」で、第28回 京都の秋 音楽祭「成田達輝&萩原麻未 デュオ・リサイタル」を聴く。
ヴァイオリンの成田達輝(たつき)とピアノの萩原麻未は夫婦である。年齢は萩原麻未の方が6つ上で、彼女の方から共演を申し出ており、その時点で「もう決まりだな」と多くの人が思っていた関係である。

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成田達輝は、1992年、青森県生まれ。中学生時代から群馬県前橋市で育ち、桐朋女子高校音楽科(共学)を経て(前橋から高崎まで出て新幹線で通学していたそうだ)、渡仏。パリ国立高等音楽院に学び、2010年のロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位入賞。SACEM著作権協会賞も合わせて受賞。12年のエリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギー)ヴァイオリン部門でも2位とイザイ賞受賞。13年の仙台国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門でも2位に入っている。現代の作曲家のヴァイオリン作品演奏に積極的で、酒井健治のヴァイオリン協奏曲「G線上で」初演で、芥川作曲賞(現・芥川也寸志作曲賞)受賞に貢献。一柳慧のヴァイオリンと三味線のための協奏曲も世界初演して、2022年度の芸術祭大賞を受賞している。
最晩年の坂本龍一ともコラボレーションを重ねており、東北ユースオーケストラのサポートメンバーとして最後のオーケストラ曲となった「いま時間が傾いて」の演奏にも参加している。

萩原麻未は、1986年、広島県生まれ。広島県人としては綾瀬はるかの1つ下となる。幼時からピアノの才能を発揮。ピアノを始めて数ヶ月でジュニアコンクールで賞を取っている。13歳の時に第27回パルマドーロ国際コンクール・ピアノ部門に史上最年少で優勝。ピアニスト志望の場合、多くが関東や関西の名門音楽高校へ進学するが、萩原麻未は地元の広島音楽高校(真宗王国の広島ということで浄土真宗本願寺派の学校であった。現在は廃校)に進学しており、「地方の音楽高校でもプロになれる」モデルケースとなっている。卒業後は文化庁海外新進芸術家派遣員として渡仏し、パリ国立高等音楽院および同音楽院修士課程を修了。ジャック・ルヴィエに師事。パリ地方音楽院で室内楽も学んでいる。その後、オーストリアに移り、ザルツブルク・モーツァルティウム大学でも学んだ。
2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で8年ぶりの第1位獲得者となり、注目される。一方で、「バスケットボールでドリブルが出来ない」といったような訳の分からない逸話を多く持つ天然キャラとしても知られている。東京藝術大学常勤講師。
以前はそうでもなかったが、顔が丸みを帯びてきたので、今は横山由依はんに少し似ている。


曲目は、前半がストラヴィンスキーのイタリア組曲とデュオ・コンチェルタンテ。後半がジェフスキの「ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース」(ピアノ独奏)、アルヴォ・ペルトの「フラトレス」、ジョン・アダムスの「ロード・ムービーズ」。珍しい曲が並ぶ。

前後半とも成田達輝がマイク片手にプレトークを行う。
「ようこそこのコンサートにいらっしゃいました。2、30人しか入らないんじゃないかと思ってましたが、沢山お越しいただきましてありがとうございます(ただ、日本人は現代音楽アレルギーの人が多いので、成田達輝と萩原麻未のコンサートにしては後ろの方に空席が目立った)。今日のプログラムは私は100%考えまして、妻の萩原麻未の了解を得て」演奏することになったそうである。成田本人も「何これ? 誰これ?」となるプログラムであることは予想していたようだ。
ミニマル・ミュージックが軸になっている。純粋にミニマル・ミュージックの作曲家と言えるのは、ジョン・アダムスだけであるが、ミニマル・ミュージックの要素を持つ作品をチョイスした。ミニマル・ミュージックについては、カンディンスキーなど美術方面の影響を受けて、音楽に取り入れられ、成田は代表的な作曲家としてフィリップ・グラスを挙げていた。

前半はストラヴィンスキーの作品が並ぶが、イタリア組曲はバロックの影響を受けて書かれた曲でいかにもバロックっぽい、デュオ・コンチェルタンテは、アポロとバッカス(ディオニソス)の両方の神を意識した作風と解説。ちなみに、成田は2013年に北九州市の響ホールで幻覚を見たそうで(「怪しい薬とかそういうのじゃないですよ」)、ストラヴィンスキーに会ったという。「凄いでしょ」と成田。凄いのかどうかよく分からない。


ストラヴィンスキーのイタリア組曲とデュオ・コンチェルタンテ。二人とも前半後半で衣装を変えており、前半は萩原は白のドレス。成田は何と形容したらいいのかよく分からない衣装。中東風にも見える。
夫婦で、共にフランスで音楽を学んでいるが、芸風は異なり、成田はカンタービレと技巧の人、萩原は微細に変化する音色を最大の武器とする。なお、萩原はソロの時はかなり思い切った個性派の演奏をすることがあるが、今日はデュオなのでそこまで特別なことはしなかった。

端正な造形美を誇るイタリア組曲に、かなりエモーショナル部分も多いデュオ・コンチェルタンテ。ストラヴィンスキーは「カメレオン作曲家」と呼ばれており、作風の異なる作品をいくつも書いている。そのため、三大バレエだけでストラヴィンスキーを語ろうとする無理が生じる。


後半。成田達輝のプレトーク。ニッカーボッカーズというべきか、ピエロの衣装というべきか、とにかくやはり変わったズボンで登場。解説を行う。「音楽学者の池原舞先生がお書きになった素晴らしいパンフレットを読めば分かります。全て書いてあります。私、出てくる必要ないんですが」
ジェフスキの「ウィンボロ・コットン・ミル・ブルース」は、機械音を模した音楽で同じ音型が繰り返され、やがてブルースが歌われる。ドナルド・トランプが合衆国大統領に再選されたことを速報として告げ、ジェフスキがトランプとは真逆の思想を持ち、プロテスト・ソングなども用いたことを紹介していた。ちなみに「クラスター奏法」といって、腕で鍵盤を叩く奏法が用いられているのだが、萩原麻未は現在、妊娠6ヶ月で(地元の広島で行われる予定だったコルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲のソリストは負担が大きいためキャンセル。すでに代役も決まっている。左手のための協奏曲はバランス的にも悪い気はする)、外国人の聴衆もいるということで、「赤ちゃんがびっくりしちゃったらどうしようと恐れています」と英語で語っていた。

アルヴォ・ペルトは、現代を代表する現役の作曲家。来年90歳になる。エストニアの出身で、首都のタリンにはアルヴォ・ペルト・センターが存在する。成田自身はアルヴォ・ペルト・センターに行ったことはないそうだが、近くに住んでいる友人がいるそうで、色々と情報を得たという。

ジョン・アダムスについては、「聴けば分かります」と端折っていた。


ジェフスキの「ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース」。ピアノ独奏の萩原麻未は、緑地に、腰のところに白い横線の入ったドレスで登場。タブレット譜を使っての演奏であるが、演奏前に「スイッチが」と言って、すぐに弾き出せない何らかのトラブルがあったことを示していた。
実に萩原麻未らしいというべきか、スケールの大きな演奏である。この人に関しては女性ピアニストだからどうこうというのは余り関係ないように思われる。迫力と推進力があり、ブルースも乗っている。


アルヴォ・ペルトの「フラトレス」。疾走するヴァイオリンと祈るようなピアノの対比。ヴァイオリンが突然止まり、ピアノの奏でるコラールがより印象的に響くよう設計されている。


ジョン・アダムスの「ロード・ムービーズ」。3つの曲からなるが、1曲目の「Relaxed Groove」と3曲目の「40% Swing」は速めのテンポで、ミニマル・ミュージックならではのノリがあり、2曲目の「Meditative」はフォークのようなローカリズムが心地よい。ジョン・アダムス作品はコンサートで取り上げられることも増えており、今後も聴く機会は多いと思われる。


アンコールは、日本のミニマル・ミュージックの作曲家の作品をということで、久石譲の作品が演奏される。ただしミニマル・ミュージックではなく、お馴染みのジブリ映画の音楽である。まず、萩原麻未のピアノソロで、「天空の城ラピュタ」より“忘れられたロボット兵”、続いて成田と萩原のデュオで「ハウルの動く城」より“人生のメリーゴーランド”。海外で学んだとはいえ、ここはやはり日本人の感性がものを言う演奏であったように思われる。繊細でノスタルジックで優しい。


なお、カーテンコールのみ写真撮影可となっていたが、余り良い写真は撮れなかった。これまで成田だけがマイクで語っていたが、最後は萩原麻未もマイクを手にお礼を述べて、二人で客席に手を振ってお開きとなった。

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2024年11月 7日 (木)

コンサートの記(869) 第28回 京都の秋 音楽祭 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会 尾高忠明指揮

2024年10月27日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、第28回 京都の秋 音楽祭 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

毎年恒例の、京都コンサートホールでの大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会。今回は、オール・ベートーヴェン・プログラムで、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ピアノ三重奏:葵トリオ)と交響曲第6番「田園」が演奏される。

大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏がホワイエにいらっしゃったのでまず挨拶する。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)に尾張拓登。ドイツ式の現代配置による演奏である。なお、現在は京都市交響楽団のチェロ奏者だが、長年に渡って京都市交響楽団と大阪フィルハーモニー交響楽団の両方に客演を続けていた一樂恒(いちらく・ひさし)が客演チェロ奏者として参加している。彼は大フィルの首席ヴィオラ奏者である一樂もゆると結婚しているので、夫婦での参加となる。


ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。ピアノトリオによる協奏曲で、比較的珍しい編成による曲である。少なくともベートーヴェンの三重協奏曲と同等かそれ以上に有名な三重協奏曲は存在しない。特殊な編成ということで、ベートーヴェンの協奏曲の中では人気がある方ではないが、実演に接するのはこれが3度目となる。

ヴァイオリンの小川響子、チェロの伊藤裕(いとう・ゆう。男性)、ピアノの秋元孝介という関西出身の3人の音楽家で結成された葵トリオ。第67回ミュンヘンコンクールで優勝し、一躍日本で最も有名なピアノトリオとなっている。紀尾井ホールのレジデンスを務めたほか、サントリーホールと7年間のプロジェクトが進行中。2025年からは札幌にある、ふきのとうホールのレジデントアンサンブルに就任する予定である。これまで第28回青山音楽賞バロックザール賞、第29回日本製鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞、第22回ホテルオークラ賞、第34回ミュージック・ペンクラブ賞などを受賞している。
ヴァイオリンの小川響子(SNSからニックネームが「おがきょ」であることが分かる)は、今年の4月から名古屋フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターに就任している。
また、チェロの伊藤裕は、現在、東京都交響楽団の首席チェロ奏者を務めている。

三重協奏曲は、1803年頃から作曲が始められたことが分かっており、1804年もしくは1805年に完成したとされる。1804年の試演を経て、1808年にウィーンで公開初演が行われたが不評であったという。ピアノ三重奏の協奏曲という特殊な楽曲であり、チェロが最も活躍し、難度も高いことから優れたチェリストから依頼があったことが予想され、一方で、ピアノの技巧はそれほど高いものが求められないなど、各楽器の難度に差があることから、特定の奏者を想定して書かれたことが予想される。ただ、具体的に誰のために書かれたのかは分かっていないようだ。

普段からピアノ三重奏団として活躍している葵トリオの演奏だけに、息のピッタリあった演奏が展開される。技巧面は申し分ない。小川響子が旋律を弾き終えると同時に、弓を高々と掲げるのも格好いい。小川のヴァイオリンには艶とキレがあり、伊藤のチェロは温かく、秋元のピアノはスケールが大きい。
ベートーヴェンの楽曲としては決定的な魅力には欠けるとは思うが、ヴァイオリン、チェロ、ピアノとオーケストラのやり取りによって生まれる独自の音響がなかなか楽しい。

尾高指揮する大フィルは、磨き抜かれた音色を最大の特徴とする。ベートーヴェンの演奏としては綺麗すぎる気もするが、アンサンブルの精度も高く、構造もきっちりとして見通しも良く、「好演」という印象を受ける。


演奏終了後、何度かカーテンコールに応えた葵トリオ。最後は譜面を手にして現れ、アンコール演奏があることが分かる。
演奏されるのは、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第6番変ホ長調より第3楽章。瑞々しい音楽であり、叙情味に溢れた演奏であった。ピアノの音は三重協奏曲の時よりも輪郭がクッキリしていて、やはり難度によって響きが変わることが分かる。



ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。尾高と大フィルは、大阪・中之島のフェスティバルホールで「ベートーヴェン交響曲チクルス」を行っており、私も交響曲第3番「英雄」と第4番の回を除く全ての演奏を聴いているが、「田園」のみ大人しく、不出来であっただけに不安もある。
ただ、今回は弦の音色も瑞々しく、歌心にも溢れ、金管はやや安定感に欠けたが、木管も堅調で優れた演奏になる。

ベートーヴェンの交響曲の中でも「田園」は特に名演が少なく、演奏が難しいことが予想される。ベートーヴェンの交響曲の中でも旋律主体であり、描写的(ベートーヴェン本人は否定しているが)であるため、他の交響曲とは性質が異なり、ベートーヴェンを得意としている指揮者でも合わない人が多いのかも知れない。考えてみれば、「田園」の名盤を残していることで知られるブルーノ・ワルターもカール・ベームも「ベートーヴェン交響曲全集」を作成しているが全集の評判自体は必ずしも高くない。一方で、ベートーヴェン指揮者として知られるヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「田園」は特異な演奏として知られており、「ベートーヴェン交響曲全集」を何度も作成しているヘルベルト・フォン・カラヤンや朝比奈隆の「田園」もそれほど評価は高くないということで、「田園」だけは毛色が違うようである。
ということで、フェスの「ベートーヴェン交響曲チクルス」では上手くいかなかったのかも知れないが、今回は「田園」1曲ということで、チクルスの時とスタンスを変えることが可能だったのか、しっかりとした構造を保ちつつ、流れも良く、日本のオーケストラによる「田園」の演奏としては上位に入るものとなった。
ピリオドを強調した演奏ではないが、弦のボウイングなどを見ると、H.I.P.なども部分的に取り入れているようである。ティンパニもバロックティンパニは使用していないが、堅めの音で強打するなど、メリハリを生み出していた。
第5楽章も神や自然に対する畏敬の念が大袈裟でなく表れていたように思う。ある意味、日本的な演奏であるとも言える。

演奏終了後、尾高のスピーチ。「お世辞でなく」「大好きなホール」と京都コンサートホールを讃えるが、その後の言葉はマイクを使っていないということもあってほとんど聞き取れず。「パストラルシンフォニーは」という言葉は聞こえたため、「田園」交響曲にまつわる話であるということが分かるだけであった。

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2024年11月 4日 (月)

京都コンサートホール フォール ピアノ五重奏曲第1番、第2番よりダイジェスト映像

エリック・ル・サージュ(ピアノ)、弓新&藤江扶紀(ヴァイオリン)、横島礼理(ヴィオラ)、上村文乃(チェロ)
2024年10月5日 京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」にて

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