カテゴリー「来日団体」の107件の記事

2020年5月27日 (水)

コンサートの記(638) アジアオーケストラウィーク2004 金洪才指揮 ソウル・フィルハーモニック管弦楽団

2004年10月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪、ザ・シンフォニーホールでソウル・フィルハーモニック管弦楽団の来日公演を聴く。どうでもいいが、一瞬、ソウルフル・ハーモニーと勘違いしそうな名前を持つ楽団である。ソウル・フィルというオケは何故か2つあるようだが(紛らわしいな)、こちらは1945年創設の韓国一長い歴史を持つオーケストラ。

指揮は在日指揮者、金洪才(キム・ホンジェ)。

韓国といえば、20世紀後半にクラッシック界の逸材を多く生み出したことで知られる。特にヴァイオリンのチョン・キョンファ(鄭京和)と、彼女の弟で指揮者・ピアニストのチョン・ミョンフン(鄭明勲)が有名である。ただオーケストラの充実は大分遅れ、10年前のインタビューでチョン・ミョンフンは「(韓国のオーケストラは)日本より20年は遅れている」と語っていた。

しかし、今日の演奏を聴くと大分腕を上げてきたなという感じを受ける。弦がやや薄いが、日本のオーケストラとも十分に渡り合えそうだ。


1曲目は金成珍(キム・ソンジン)の「帰天」。ソプラノ独唱は姜権洵(カン・グォンスン)。チマチョゴリでの登場だ。
ソウル・フィルの音はやや暗め。少し淡泊で墨絵のような味わい。音楽は韓国らしさを感じさせるものだが、露骨に韓国していないのがいい。この曲は今年作曲された新作だ。


ドヴォルザークのチェロ協奏曲。独奏は梁盛苑(ヤン・ソンウォン)。音は相変わらずやや地味、独奏の梁の演奏も渋いが深みがある。これ見よがしのテクニックを披露するのではなく、音を誠実に奏でていくタイプだ。演奏終了後、梁はJ・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番よりプレリュードをアンコールとして演奏した。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、あのブラームスをして「こんな曲がチェロで書けると知っていたら私も書いていたのに」と言わしめた傑作である。


後半の曲はあのブラームスの交響曲第4番。多分狙ったプログラミングのはずである。ソウル・フィルの音は今度はやや華やか。金の指揮も若々しく、名演となった。


アンコールは韓国民謡「イムジン河」のオーケストラ編曲版。しみじみとしていい演奏である。

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2020年5月25日 (月)

コンサートの記(637) アジアオーケストラウィーク2004 本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団

2004年10月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールでベトナム国立交響楽団の来日演奏会を聴く。アジアオーケストラウィーク2004参加団体として招聘されたもの。指揮は本名徹次。本名は2001年からベトナム国立響のミュージック・アドバイザーを務めている。ベトナム国立響は1959年の創設。最初のコンサートでホー・チ・ミン(胡志明)が指揮台に上がってベトナム国歌を指揮したという何とも社会主義なエピソードを持つ。本拠地は首都ハノイ。ハノイは漢字では河内と書く。かなり大阪っぽい。

ベトナム国立響というと大分前にテレビのドキュメンタリーで日本人指揮者、福村芳一を相手に演奏に苦戦している姿が流された。

ということもあって今回は不安だったのだが、杞憂に終わった。世代交代が進んだようで、メンバーは若い。昨日のソウル・フィルは女性メンバーが全員、ドレスではなくスーツで登場したのが印象的だったが、ベトナム国立響の女性メンバーはドレスだったり民族衣装風だったり様々だ。

弦には輝きがある。たまに雑然とした感じになるのは仕方ないだろう。管はやや不安定だ。

第1曲はド・ホン・クァンの「ベトナム狂詩曲」。面白い曲だがやや長い。後半になるとだれた感じがする。

2曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲。ソリストは1981年生まれの若手、ブイ・コン・ズイ。曲自体は渋いものである。ソヴィエト当局の妨害に遭い、初演は7年も遅れた。ブイのヴァイオリンは昨日のヤン・ソンウォンとは正反対でテクニックを前面に押し出す。いかにも熱演という感じだが、力任せの感じは否めず。ずっと攻めのヴァイオリンなので聴いていて疲れるところがある。


メインもショスタコーヴィチ。交響曲第5番。いうまでもなく交響曲としては20世紀最高のヒット曲である。最近、生でショスタコーヴィチを聴く機会が多くなった。それも第5だけでなく、第10、第11などがプログラミングされる。ショスタコーヴィチの大ブレイクはもうそこまで来ている気がする。

冒頭は音に厚みが不足しているが、煌びやかさはあるし、構築もまずまずである。第2楽章はアイロニカルな表情が生きている。第3楽章も悪くはないが、歌にやや不足。表情ももっと豊かに出来るはずだ。第4楽章、トランペットが落ちる。本名のテンポはかなり速い。トランペットが落ちてからは更にテンポを上げる。この楽章がこれほど速く演奏されるのを聴くのは初めてである。ラストも重みがもう少しあればいいと思ったが、このオケの現状を考えるとよくやったと思う。国立のオケとはいうものの財源が不足しているため、メンバーの多くはアルバイトをしながらリハーサル、本番をこなすという。

アンコールではベトナムの曲と、大阪での演奏会ということで「六甲おろし」が演奏された。

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2020年4月 5日 (日)

コンサートの記(631) 佐渡裕指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団来日演奏会2016大阪

2016年5月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、佐渡裕指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の来日演奏会を聴く。今日も3階席に陣取る。外来オーケストラは良い席は値段が高すぎて買う気になれない。外来オーケストラの料金設定が高いことが「クラシックコンサート=料金が高い」という誤解を生むもととなっている(基本的にはだが、日本の有名ポピュラーアーティストのコンサートの方が国内の一流クラシックコンサートに比べても料金が高めである)。

佐渡裕は海外ではパリのコンセール・ラムルー管弦楽団の首席指揮者を1993年から2010年まで長く務めていたが、2015年の9月からウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団(現在の正式名称は、「トーンキュンストラー管弦楽団」もしくは「ニーダーエスターライヒ・トーンキュンストラー管弦楽団」である。ウィーンのムジークフェラインザールでも定期演奏会を行っているが本拠地ではない)の音楽監督に就任。佐渡にとって海外で二つ目のチーフポストとなる。ウィーンでの活動が増えるため佐渡は「題名のない音楽界」の司会を卒業している。

ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の来日演奏会は、佐渡の前の前の同管弦楽団の音楽監督であったクリスチャン・ヤルヴィの指揮で聴いたことがある。ザ・シンフォニーホールでの公演であった(調べたらもう8年も前のことだった)。ベートーヴェンの交響曲第5番がメインであったが、聴いている間は「まあまあだ」と思ったものの、帰りに梅田駅まで歩く間にどんな演奏だったか思い出せなくなってしまった。
クリスチャン・ヤルヴィは大阪フィルハーモニーに客演してラフマニノフの交響的舞曲などを指揮しているが、こちらの演奏も同傾向であったため、作る音楽の傾向がスポーティーに寄りすぎているようだ。


私自身2度目となるトーンキュンストラー管弦楽団の演奏会。曲目は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:レイ・チェン)とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」


開演5分ほど前に佐渡裕がマイクを片手に現れ、自身のウィーンでの思い出を語る。

佐渡が初めて海外で生活した街がウィーンだった。ウィーンに渡ったのは25年前のこと。本当は師であるレナード・バーンスタインにもっと教えを請うためにニューヨークに行くつもりだったのだが、当のバーンスタインから「ウィーンに行け! そしてお前は英語も下手くそだけどドイツ語も勉強しろ!」と言われてウィーンで暮らすことになった。ウィーンではバースタインによる全ての演奏会や録音に立ち会った他、ウィーン国立歌劇場やムジークフェラインザールに通い詰めたそうである。当時は、ウィーン国立歌劇場の立ち見席は日本円に換算して僅か150円ほど、ムジークフェラインザールの立ち見席も300円ほどで買うことが出来たという。その代わり長時間並ぶ必要があったようだが。カルロス・クライバー指揮によるウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートの当日券を求めて友人と二人でムジークフェラインザールの前で3日並んだこともあるという。ちゃんと並んでいるかどうか定期的に職員による点呼があったそうだ。
ただ、結局、3年に渡るウィーンでの生活の間に佐渡はこの街の指揮台に立つことはなかった。その後もドイツのオーケストラからは声が掛かったが、ウィーンの楽団の指揮台は遠かった。
ところが、佐渡が指揮したベルリン・ドイツ管弦楽団の演奏会を耳にしたウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の事務局長が佐渡を気に入り、客演指揮者として招聘。佐渡とトーンキュンストラー管のコンサートは大成功を収め、そのたった1回の客演で佐渡が次期音楽監督に決まったのだという。「立ち見席から指揮台へ。なかなか座らせてくれない」と佐渡が語ったところで笑い声が起こったので、「大阪はこういうところでちゃんと笑ってくれるんですね」と佐渡は続け、会場から更なる笑いと拍手が起こった。

最後に熊本地震支援のために募金を行い(熊本の音楽関連の復興に当てる予定)、その際、佐渡も募金のために出口付近に立つので、「あまり早めに帰らないようお願いします」と述べた。


ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなく上手奥にいる。ステージの一番奥には小型のカメラが設置してあるが、これは「英雄の生涯」の時にトランペットがバンダとして下手袖で吹く際に佐渡の指揮をモニターに映す役割があると思われる。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏のレイ・チェンは1989年台湾生まれ。男性である。15歳で米国フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学し、2008年にメニューイン・ヴァイオリン・コンクールで優勝。翌年にはエリザベート王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門でも優勝。こちらは同コンクール史上最年少での優勝であった。

佐渡とトーンキュンストラー管弦楽団は完全なピリオド・アプローチを採用。テンポも速めであり、ビブラートを抑え、ボウイングもピリオドのものだ。古楽的奏法を上手く取り入れた伴奏で、佐渡の器用さが出ている。
レイ・チェンのヴァイオリンもビブラートというより「揺らす」という感じの奏法であり、やはりHIP(Historicallyl Informed Performance)によるものなのかも知れない。ヴァイオリンの音は磨き抜かれ、スケールも中庸で、古楽的奏法によるベートーヴェンとして満足のいくものになっている。


演奏終了後、レイ・チェンは、「どうもありがとうございました」「アンコールに、バッハ、サラバンドを弾きます」と日本語で語ってからアンコール演奏。気高さがあり、ベートーヴェンよりもバッハの方に向いているように感じた。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。トーンキュンストラー管弦楽団は女性楽団員の割合が40%と高く、これはウィーンの主要オーケストラの中でトップだというが(何しろ、ウィーン・フィルは長年に渡って女性奏者の入団を認めなかった)、金管奏者はやはり男性楽団員の方が圧倒的に多い。大編成による曲なのでエキストラが何人も入っているのかも知れないが。

なお、公演パンフレットは無料ながら充実しているが(有料パンフレットの販売はなし)、指揮者、ソリスト、楽団の紹介はあるものの楽曲解説が一切なく、クラシック初心者には不親切な仕上がりになっている。

最近は日本のオーケストラの技術が急上昇し、メカニックならトーンキュンストラー管弦楽団とも十分に張り合えるようになっている。ただ、トーンキュンストラー管が出す音の美しさ、輝きなどには悔しいが及ばない。あるいはこれはテクニックではなく、音や和音に対する感性の違いが大きいのかも知れないが。
とにかくトーンキュンストラー管のシルキーな輝きの弦、燦々と鳴り響く金管などは美しさの限りである。

佐渡の指揮であるが、パートパートの描き方は優れているが、総体として見たときにパースペクティヴが十分かというとそうは言い切れない。見通しは今一つなのだ。
ただ、舞台下手袖でバンダが鳴り、「英雄の戦い」の場面になってからの迫力は佐渡の長所が生きていた。
オーケストラを響かせるのは上手だが、音楽の語り部としてはもう一つというのが現在の佐渡の立ち位置だろうか。


アンコールは2曲。まずはヨハン・シュトラウスⅡ世の「ピッチカート・ポルカ」。大編成の弦での演奏なので音が強めだが、雅やかな味わいは出ていたように思う。

ラストはリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」よりワルツ。ゴージャスな演奏で、出来はかなり良かった。

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2020年1月25日 (土)

コンサートの記(621) 室内オペラ「サイレンス」(アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ)

2020年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、室内オペラ「サイレンス」を観る。川端康成の短編小説「無言」のオペラ化である。無料パンフレットには「アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ」と書かれている。台本・作曲・指揮:アレクサンドル・デスプラ、台本・演出・音楽監督・ビデオ演出:ソルレイ、舞台美術:シャルル・シュマン、衣装:ピエール・パオロ・ピッチョーリ。演奏は、アンサンブル・ルシリン。出演は、ロマン・ボクレー(バリトン)、ジュディット・ファー(ソプラノ)、ロラン・ストケール(語り。コメディ・フランセーズ所属)。フランス語での上演、字幕付きである。

作曲のアレクサンドル・デスプラは、映画音楽の作曲家である。「英国王のスピーチ」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、「グランド・ブダペスト・ホテル」などの音楽を手掛けており、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞作曲賞などを受賞している。
ソルレイ(本名はドミニク・ルモニエ)は、ヴァイオリン演奏、舞台演出、ビデオ演出などを手掛けている女性で、デスプラの公私にわたるパートナーである。2015年に脳疾患を患うも復帰している。「サイレンス」には自身の闘病経験が反映されているという。

演奏を担当するアンサンブル・ルシリンは、ルクセンブルクを拠点とする現代音楽アンサンブル。2014年に初来日して、細川俊夫の「大鴉―メゾ・ソプラノと12の奏者のためのモノドラマ」の初演を手掛けている。

富子役のジュディット・ファーは、アムステルダム音楽院に学び、2011年にオランダ国立オペラアカデミーに入団。ベルギーのモネ劇場やフランスのエクサンプロバンス音楽祭、ルクセンブルク大劇場などで出演を重ねているという。

三田役のロマン・ボクレーは、リヨン国立高等音楽・舞踊学校を優秀な成績で卒業し、リヨン国立歌劇場で学ぶ。世界各地の国際大会で優秀な成績を収め、ハンガリーのARMEL国際オペラコンクールでは優勝に輝いている。

語りのロラン・ストケールは、1973年、フランス・オトマイヌ生まれ。ジェラール・フィリップのアトリエで学び、パリの国立演劇院でも研鑽を積む。ソルボンヌ大学では現代文学を学び、2001年にコメディ・フランセーズに入団。2004年に正団員に昇格し、ルコックシアターなどにも参加しているそうである。

 

アンサンブル・ルシリンは、ステージの後方での演奏。その上にあるスクリーンにソルレイが監督した映像が投影される。

 

アレクサンドル・デスプラの音楽は、武満徹や黛敏郎、西村朗など日本を代表する作曲家の作風を巧みに取り入れ、更に仏教音楽の要素なども用いた「和」の現代音楽を作ることに成功している。弦楽のピッチカートやコルレーニョ奏法なども多用しており、曲調がガラリと変わる場面があるなど、多彩な音楽を生み出している。

 

鎌倉の名越に実在する「お化けトンネル(鎌倉側の名越トンネルと逗子側の小坪トンネル)」の怪談をモチーフにした話である。ここは関東屈指の心霊スポットとして有名で、トンネルの上に火葬場があり、しかも鎌倉時代の城跡で、三浦合戦の激戦地として多くの人が亡くなった場所であることから、「出る」という噂が絶えない。

逗子(川端康成終焉の地でもある)に住む老作家、大宮良房が病気を患い、話すことが出来なくなって、右半身も不随になる。左手は動くのだが、大宮はもう何も書こうとはしない。大宮の20歳年下の友人である三田が大宮の見舞いに赴く。三田はおそらく鎌倉駅からタクシーに乗って逗子の大宮邸に向かうのであるが、その際にお化けトンネルをくぐる。三田はタクシー運転手(ロラン・ストーケル)に「幽霊を見たことがあるか?」と聞き、タクシー運転手はないと答える。

大宮は妻に先立たれており、娘の富子に面倒を見てもらっている。父親の介護に専念していたため富子は魅力的な女性であるにも関わらず婚期を逸しており、その姿が三田には大宮に仕える幽霊のように映り始める。

富子は三田に、大宮が若い頃、文学志望の青年から手紙を受け取ったという話をする。しかしその手紙は次第に狂的になり、青年は精神病院の閉鎖病棟に入れられる。病棟でも執筆がしたいと望む青年だったが、ペンも鉛筆も危険だというので、青年に与えられたのは白紙だけ。青年は白紙に見えない文字を綴り続けた。と、ここまでは本当にあったことなのだが、大宮はその続きを小説にしている。青年がカタカナで綴ったと言い張る文字を母親に見せるのだが、そこには当然ながら白紙しかない。そこで母親はあたかも青年が書いた文字が見えるかのように振る舞い、二人の思い出話などを語り、息子と共に小説を共作することになるという話である。「母の読める」という小説だったが、富子は大宮が実は自分達のことを小説に取り込んだのだと話し、文字が書けなくなった大宮が「娘の読める」として富子の筆で小説を執筆するという構想を三田は思いつく。沈黙の大宮に三田は、左手でカタカナを書き、コミュニケーションを行うように促すのだが、次第にその沈黙には意味があるのだと確信するようになり……。

幽霊の話が富子と結びつき、幽霊のように生き続けるであろう彼女をそのままにするしかないという諦観が、上演終了後も後を引くような話である。三田が富子に恋をしたのはわかるのだが、それが進展するとも思えない。三田もまた富子に対して本音は無言としたまま過ごしていくのであろう。

今日は前から6列目の真ん真ん中ということで、歌手達の動きは見やすいのだが、字幕は舞台両端に出るため、首を動かして確認する必要がある。
字幕であるが、最初は歌詞やセリフの日本語訳が出ていたのだが、途中から地の文も字幕で語られるようになり、文学性の強い上演となる。

ロマン・ボクレーはバリトンではあるが、ハイトーンボイスも得意としており、繊細な文学青年である三田の雰囲気を上手く出している。

ジュディット・ファーは、儚げな印象の富子を雰囲気豊かに演じる。

語りとして様々な役を演じるロラン・ストーケルは、ヴォツェックのようなメイクをしており、この物語が持つ本質的な不気味さを演技でも巧みに表現していた。

 

ソルレイの映像は、トンネルのシーンでは逗子ではなくおそらく首都高のトンネルでの映像を使っており、延々と続くライトに少し違和感も感じる。三田が大宮の家を訪ねるシーンでは、読売ジャイアンツ対阪急ブレーブスの後楽園球場での日本シリーズの模様が映し出される。読売ジャイアンツの王貞治、張本勲、堀内恒夫、阪急ブレーブスの山田久志、足立光宏ら姿が確認出来る。今はYouTubeなどの映像配信サイトでも見ることの出来るものだが、時代と季節が語られており、なかなか効果的な映像であったように思う。

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2019年11月30日 (土)

コンサートの記(611) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団来日演奏会2019堺

2019年11月23日 堺市・堺東のフェニーチェ堺大ホールにて

この秋にオープンしたばかりにフェニーチェ堺で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日演奏会を聴く。

最寄り駅は南海堺東駅である。堺市庁舎23階にある展望台で世界文化遺産への登録が決定したばかりの百舌鳥・古市古墳群を眺めてからフェニーチェ堺に向かう。最初は堺市役所の西側にある大通りからフェニーチェ堺に近づき、北側を通って東側にあるエントランスにたどり着く。北側からの眺めはまるで美術系専門学校といった雰囲気である。その後、堺銀座通り商店街に戻り、今度は、東側からフェニーチェ堺に向かったのだが、今度はいかにも文化施設といった外観に見える。角度によって印象が大きく異なるようだ。

 

フェニーチェ堺大ホールは、3階まではエスカレーターがあるのだが、4階席へは細い階段を上がる。ロームシアター京都メインホールと同じような感じだが、フェニーチェ堺大ホールは4階までエスカレーターは上がる。細い階段はロームシアターは2本あるが、フェニーチ堺は1本だけなので、4階席に行くならエスカレーターで一気に行ってしまった方が良いかも知れない。

構造的にはちょっと使いにくいといった印象は受ける。4階席自体の面積が余りないので、最寄りの入り口からの入場となる。他のホールのように少し遠い入り口から入って場内を移動ということは難しい。
4階の傾斜から見て、「これは今日は指揮者は見られないぞ」と思ったが、なんとか見える。だがそれはロームシアター京都メインホールのベランダ席にもあるハイチェア席だったからである。席が高めに設置されおり、折りたたみ式の足乗せ台が下にある。視角は良くなったがやはり疲れる。

内装は、一昔前の公会堂を木目にした感じで、意外であった。ステージから遠いのでちゃんと聞こえるが不安だったが、音の通りはかなり良い。

 

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の日本ツアーは今日が楽日である。午後5時開演。

当初は、音楽監督であるダニエーレ・ガッティとの来日になるはずだったと思われるが、ガッティがセクハラ疑惑で馘首となったため、代役としてパーヴォが指名されたのであろう。パーヴォはそう度々コンセルトヘボウ管弦楽団に客演しているわけではないので、急遽の抜擢だったと思われる。パーヴォが日本に拠点を持っていたということも大きいのだろう。

 

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第10番。いずれもパーヴォはレコーディングを行っている曲目である。

コンセルトヘボウ管は古典配置での演奏。パーヴォは基本的に古典配置を好んでいるようである。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。パーヴォはドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとレコーディングを行っており、同コンビの実演にも接したことがある。
パーヴォとドイツ・カンマーフィルが作成した「ベートーヴェン交響曲全集」の中で最も衝撃的だった演奏の一つがこの第4番である。ベートーヴェンの交響曲の中で最もアポロ的と思われた同曲をディオニソス的に演奏し、常識を覆してみせた。もっとも、そうした演奏をするだけならそう難しいことではなかったのかも知れないが、パーヴォの凄さは説得力に溢れていたことである。

コンセルトヘボウ管との演奏も、ドイツ・カンマーフィル同様、ピリオドによるアプローチ。バロックティンパニが用いられている。
流石に手兵であるドイツ・カンマーフィルに比べると、コンセルトヘボウはパーヴォの棒への対処が遅れがちで、もどかしいところもあったが、強弱、緩急ともに自在のエネルギッシュで面白いベートーヴェンを聴かせる。クラリネットは特に即興的に吹かせている。ゲネラルパウゼも長め。パーヴォの腕をグルグル回す指揮も見ていて爽快である。
第1楽章ではまろやかで明るめの音色を出していたコンセルトヘボウ管だが、第2楽章ではお馴染みの渋めの音色も披露。エレガントな描写力もあり、ある意味、最もヨーロッパ的といえるオーケストラの実力をいかんなく発揮する。
第4楽章のラストは超スローテンポからの一気の加速というユニークさで、聴衆を沸かせた。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第10番。パーヴォはシンシナティ交響楽団とこの曲をレコーディングしている。

コンセルトヘボウ管は極彩色の音色で阿鼻叫喚の地獄絵図を奏でる。その異常さ痛切さに胸が苦しくなるが、同時に美と悲しみが隣り合わせであることを実感させられる。
第1楽章のラストでは、ピッコロ2本が遠くに霞んで見える希望を浮かび上がらせるのだが、やがてピッコロは1本での孤独な囁きとなり、ティンパニがこだまして希望が雲の彼方に消える。

「スターリンの肖像画」といわれる第2楽章を嵐のような勢いで進撃したパーヴォとコンセルトヘボウ。第3楽章では、ショスタコーヴィチの「天才」としか思えない至芸を明らかにする。
最初、警告のように聞こえたホルンのソロが、弱音で演奏されると先程のピッコロ同様、遙か遠くに霞む希望のように聞こえる。ピッコロが伏線になっていたとはいえ、全く同じ音型で別のものを描くということ自体が天才でしか着想し得ないものである。

第4楽章では重苦しい響きの中で突如、クラリネットとファゴットが奇妙だが明るい旋律を吹き始め、曲調がガラリと変わる。クラリネットとファゴットはそれまでずっとシリアスな役割を演じていたのだが、その楽器が端緒になって趣を変えていくというのもショスタコーヴィチらしいひねりである。
やがて壮大なうねりが訪れ、遠くにあった希望が目の前に到来するかと思ったその手前で止めてしまうというのもショスタコーヴィチらしい。

美音と凄惨という相反するかのように思える要素を巧みに止揚させたパーヴォとコンセルトヘボウ管。野田秀樹が「カノン」で用いた発想が思い起こされる。

 

アンコールは2曲。アンコール演奏の前にパーヴォはホールのスタッフだと思われる女性から花束を受け取り、譜面台の上に乗せていったん退場。その後、再び指揮台に上がり、指を1本立てて(ONE MORE)演奏を行おうとしたのだが、花束を譜面台に乗せたため「今日はアンコールなし」と思い込んで譜面を交換していなかったメンバーが何人もいて、楽団内からも客席からも笑いが起こる。

1曲目は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より“トレパーク”。年末になると聴く機会の多くなる曲である。この曲でもコンセルトヘボウ管の美音がなんといっても印象的である。パーヴォは内声部を表に出す場面などがあり、個性を発揮していた。

2曲目は、パーヴォのアンコール曲目の定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。今日も黄泉の国から聞こえてくるかのような超絶ピアニッシモが聴かれる。超弱音でもピッチカートが丸みを帯びているのがコンセルトヘボウ管らしいところである。

 

楽団員の多くがステージを去ってからも拍手は鳴り止まず、パーヴォが再び登場。ここでパーヴォはステージ上にまだ残っていた女性ファゴット奏者を指揮台に上げて喝采を浴びさせるというユーモアを披露。父親のネーメ・ヤルヴィもユーモアが大好きであり、この面では似たもの親子ということになるのだろう。

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2019年11月14日 (木)

日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスク@フェスティバルホール

2019年11月6日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクの公演を観る。

ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクは、1953年7月1日に作曲家で教育者、更に作家でもあったスタニスワフ・ハディナによって設立された民族舞踊団。100人を超えるメンバーがいるというが、そのうちの54名が今回来日し、日本各地で公演を行う。合唱団、舞踊団、オーケストラから成る団体だそうだが、今回はオーケストラなしでの上演(録音音源だと思われる)。シロンスクは、現在はポーランドとシロンスク県(県都は、ポーランド国立放送交響楽団の本拠地としても知られるカトヴィツェ)の共同運営となっているそうだ。

まずスクリーンにポーランドとポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクの紹介映像が映される。その後、ポーランド広報文化センター職員でピアニストの栗原美穂がポーランド民族衣装を纏って登場し、進行役を務める。

その後、いかにも東欧といった感じの舞踊が繰り広げられるのだが、「シュワ・ジェヴェチカ(森へ行きましょう)」が日本語で歌われるなど、サービス精神にも富んでいる。

シロンスクは、ポーランドの民族衣装2万点以上を保有しているそうで、今回も多くの民族衣装を披露すべく、ダンサーは平均して公演中に10回近く着替えるそうである。

民族舞踊に関しては特に知識もないので見所なども上手くは語れないが、やはり下半身の強靱さは目立つ。隣国ロシアのコサックダンスのような足の動きもあるのだが、器用に軽々とこなせるのは足腰の強さあってこそだろう。そしてバレエでもそうだが、男性のダンサーはやはり日本人とは比べものにならないほど体格が良く、動きがダイナミックである。女性ダンサーも日本人よりプロポーションは良いが、圧倒的といえるほどの差はないように思われる。スポーツでも女子選手は世界の強豪国と互角以上に戦える種目が多いが、男子の場合はお家芸とされる種目以外ではまず勝てない。身体能力においては日本人男性は不利だ。

ポーランドが生んだ最大の作曲家が、フレデリック・フランソワ・ショパンである。ショパンは父親がフランス人、母親がポーランド人のハーフであり、生涯の半分近くをパリで過ごしたため、純粋なポーランドの作曲家とはいえないのかも知れないが(フランス系であったがために青春期に失恋したこともあるようだ)ポロネーズやマズルカといった祖国の舞曲をピアノ曲にしており、愛国心においては祖国の人々に劣ってはいなかったと思われる。

そのポロネーズやマズルカの踊りも当然ながら行われる。ピアノ曲でしか知らない舞曲が実際にどのように舞われるのか興味があったが、リズムの意味が舞踊を見ているとよく分かる。特にリズムにステップが大きく影響していることが見て取れる。

曲芸的な舞やユーモアを取り入れた表現、舞と合唱のコラボや、合唱のみで聴かせる場など、思った以上にバラエティーに富んだ構成であった。

アンコールとして、ラストに踊られた「クラコヴィアク」が再度披露され、その後、スクリーンが下りてきて、シロンスクの出演者達が中島みゆきの「時代」を歌う。スクリーンには「皆さまもご一緒にお歌い下さい」と出て歌詞が投影され、ポーランド人出演者と日本人聴衆による合唱が行われる。大阪の聴衆の良いところは、こうした場面でちゃんと歌ってくれることである。仕事のため行けなかったが、今月2日にはロームシアター京都メインホールでの公演もあった。京都のお客さんはちゃんと歌ってくれただろうか。

同じ歌を歌っただけで本当に心が通じ合えたかどうかはわからない。ただやはりこうした経験は心を温かくしてくれるし、短い時間であっても一体感を得たことで少しだけ優しくなれたようにも思う。

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2019年11月 9日 (土)

コンサートの記(606) ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団来日演奏会2019京都

2019年11月3日 京都コンサートホールにて

午後3時から京都コンサートホールで、ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団の来日演奏会を聴く。

アメリカのBIG5と呼ばれる5つの名門オーケストラのうちの1つとして知られるフィラデルフィア管弦楽団。古都(といっても10年ほどだったため、余りそうした取られ方はしないが)にして独立宣言起草の地であるフィラデルフィアに1900年に創設されたオーケストラである。フィラデルフィアには名門のカーティス音楽院があり、楽団員の多くが同音楽院の出身である。

レオポルド・ストコフスキーを音楽監督に頂いていた時代には、ディズニー映画「ファンタジア」の演奏を担当したことで知られ、後任のユージン・オーマンディの時代には「フィラデルフィア・サウンド」と呼ばれた世界で最も輝かしい音色を武器に人気を博している。ストコフスキーとオーマンディの時代にはラフマニノフとたびたび共演。録音も多く残している。オーマンディは後に「フィラデルフィア・サウンドなんてなかった。あったのはオーマンディ・サウンドだ」と述懐しているが、オーマンディ退任後のリッカルド・ムーティ時代には演奏の傾向も少し変わる。当時、天下を狙う勢いだったムーティは、「ベートーヴェン交響曲全集」なども作成しているが、お国ものであるレスピーギなどが高く評価された他は思うような実績が残せなかった。ムーティは、アメリカにオペラが浸透していないことや「世界最悪の音響」として有名だった本拠地のアカデミー・オブ・ミュージックに不満を漏らし、在位12年でフィラデルフィアを去っている。経営陣が後釜として狙っていたのはサイモン・ラトルであったが、ラトルには断られ、代わりにラトルが強く推薦するウォルフガング・サヴァリッシュが音楽監督となる。純ドイツ的な音楽作りで知られたサヴァリッシュとフィラデルフィア管弦楽団の相性を当初は疑問視する声もあったが、フィラデルフィア管弦楽団の弱点であった独墺もののレパートリーが拡大され、好評を得ている。2001年にはアカデミー・オブ・ミュージックに変わる新しい本拠地としてヴィライゾンホールが完成。音楽的な環境も整った。
サヴァリッシュの退任後は、独墺路線の踏襲ということでクリストフ・エッシェンバッハが音楽監督に選ばれたが、エッシェンバッハは多忙を極めており、在位は5年間に留まった。エッシェンバッハの退任後は音楽監督は置かず、「音の魔術師」シャルル・デュトワを首席指揮者兼芸術顧問に指名し、往年のフィラデルフィア・サウンド復活を目指すが、リーマンショックのあおりも受けて2011年に破産。世界トップレベルのオーケストラの破産は衝撃を持って受け止められた。その後、再建し、2012年からはヤニック・ネゼ=セガンを音楽監督に迎えている。

そのヤニック・ネゼ=セガンは、1975年、カナダ・モントリオールに生まれた注目株。ケベック音楽院モントリオール校を経て、プリンストンのウエストミンスター・クワイヤー・カレッジで合唱指揮を学ぶ。この間、カルロ・マリア・ジュリーニに師事。2000年に出身地のモントリオール・オペラの音楽アドバイザーとグラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任。グラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団は、就任当時全くの無名楽団であったが、レベルを急速に持ち上げ、レコーディングなども行うようになる。その功績により、現在では同楽団の終身芸術監督の座を得ている。ちなみに幼い頃からシャルル・デュトワ指揮のモントリオール交響楽団の演奏会に通っており、デュトワは憧れの人物であったが、そのデュトワからフィラデルフィア管弦楽団シェフのバトンを受け継ぐことになった。
ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を2008年から昨年まで務め、昨年からはメトロポリタン歌劇場の音楽監督も任されている。
ちなみにアメリカで活躍する指揮者にはよくあることだが、カミングアウトした同性愛者であり、現在はパートナーの男性と3匹の猫と一緒に暮らしていることを明かしている。

 

曲目は、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:ハオチェン・チャン)とドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」

 

フィラデルフィア管弦楽団とストコフスキーが始めた現代配置、ストコフスキーシフトでの演奏である。
前半後半とも楽団員が思い思いに登場して練習を行い、最後にコンサートマスター(デイヴィッド・キムであると思われる)が登場して拍手という形である。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。
ピアノ独奏のハオチェン・チャンは、上海出身のピアニスト。上海音楽院小学校で学んだ後、深圳芸術大学に進み、更に渡米してフィラデルフィアのカーティス音楽院でゲイリー・グラフマンに師事している。

チャンは、鍵盤に指を置いてからしばらく目を閉じて静止し、徐に弾き始める。冒頭はかなりテンポが遅く、音も弱く仄暗く、あたかも地獄の鐘の音を奏でているような趣がある。ダイナミックレンジを広く取った、ロマンティックで表現主義的な演奏。ネゼ=セガンも同傾向の伴奏を行うが、ネゼ=セガン自体はチャンよりも流れの良い演奏を好んでいるようでもあり、第1楽章では噛み合わない場面もあった。

フィラデルフィア管弦楽団というと、オーマンディやムーティ、デュトワらとの録音を聴いた限りでは「ザ・アメリカン・オーケストラ」という印象で、豪華で煌びやかな音色で押す団体というイメージを抱いていたが、実際に聴くと渋く憂いに満ちたサウンドが特徴的であり、アメリカというよりもライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団やロイヤル・コンセルトヘボウ楽団といったヨーロッパの楽団に近い印象を受ける。世代交代が進み、オーマンディの時代とは別のオーケストラになっているわけだが、ムーティ、サヴァリッシュ、エッシェンバッハ、デュトワといったそれぞれ強烈な個性の持ち主をトップに頂いたことで、アンサンブルの質が変わってきたのかも知れない。

第2楽章では、チャンのしっとりとした語りとフィラデルフィア管弦楽団のマイルドな音色が絡み合って上質の演奏となる。
第3楽章は、チャンのエモーショナルな演奏と、フィラデルフィアがこれまで隠し持ってきた都会的でお洒落なサウンドが合致し、豪勢なラフマニノフとなった。

ハオチェン・チャンのアンコール演奏は、ブラームスの間奏曲op118-2。チャンは弱音の美しさを重視しているようで、この曲でも穏やかなリリシズムを丁寧に奏でていた。

 

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。コンサートプログラムに載る頻度が高く、「通俗名曲」という評価も受けているが、ネゼ=セガンとフィラデルフィア管弦楽団はこの曲に新たな風を吹き込む。
序奏は緩やかに展開。その後、テンポを上げていく。弦、管ともにパワフルであるが、むしろ澄み切った音色を前面に出した若々しい音楽作りを見せる。指揮者としてはまだ若いネゼ=セガンとの演奏ということでリズムの処理も上手い。「家路」や「遠き山に日は落ちて」というタイトルの歌曲となったことで知られる第2楽章の旋律も瑞々しく歌われる。
第4楽章は、下手をするとオーケストラの威力を示すだけになってしまう危険性のある音楽だが、ネゼ=セガンは曲調に込められたアメリカとヨーロッパの混交を明らかにしていく。その後に発達するロックのテイストの先取りや、ジョン・ウィリアムズに代表されるような映画音楽への影響、あくまでヨーロッパ的なノーブルさを保ちながらも発揮されるアメリカ的な躍動感など、中欧チェコの作曲家であるドヴォルザークがニューヨークで書いたからこそ成し得たハイブリッドな音楽が展開されていく。
実演で接した「新世界」交響曲の中では上位に来る仕上がりであった。面白さに関してはトップを争うかも知れない。

 

アンコール演奏は、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。磨き抜かれた美音とセンチメンタルに陥る手前で踏みとどまった表現が印象に残った。

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2019年11月 7日 (木)

コンサートの記(605) 大和証券グループ presents 「BBC Proms JAPAN」BBCプロムス・イン・大阪 トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団

2019年10月31日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大和証券グループ presents 「BBC Proms JAPAN」 BBCプロムス・イン・大阪を聴く。毎年のロンドンの風物詩となっているBBCプロムスの日本での初開催である。東京と大阪で公演が行われるが、大阪での公演は今日1回きりである。

トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団の演奏。BBCプロムスということでホール内は前半が暖色系、後半は寒色系のライトアップが行われていた。

 

デンマークの奇才、トーマス・ダウスゴー。ベートーヴェンの交響曲のピリオド・アプローチによる演奏に最も早く挑んだ指揮者の一人であり、今後が期待される中堅指揮者の一人である。1963年生まれ。王立デンマーク音楽院とロンドンの王立音楽院に学び、1997年にスウェーデン室内管弦楽団の首席指揮者に就任。このコンビで録音した「ベートーヴェン交響曲全集」は話題になった。その後、祖国であるデンマークの国立放送交響楽団のシェフなどを務め、現在はBBCスコティッシュ交響楽団の首席指揮者の座にある。

 

曲目は、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:ユリアンナ・アヴデーエワ)、マーラーの交響曲第5番。
一応、アンコールという形になるが、最後にエルガーの「威風堂々」第1番が演奏されることが決まっており、無料パンフレットに歌詞カードが挟み込まれている。

 

BBCスコティッシュ交響楽団は、スコットランド最大の都市であるグラスゴーに本拠地を置くオーケストラ。1935年の創設。現役最高のシベリウス指揮者の一人であるオスモ・ヴァンスカが1996年から6年間、シェフを務めていたこともある。

ヴァイオリン両翼の古典配置を基本としているが、トランペットが上手奥に斜めに一列に並ぶというロシア式の配置も取り入れている。
オーケストラメンバーはステージ上に三々五々登場し、さらい始める。最後にコンサートミストレスが登場したところで拍手が起こって、チューニングの開始となる。後半のマーラーはコンサートミストレスを含めメンバー全員が思い思いに出てきて座り、ダウスゴーの登場で拍手というスタイルが取られていた。

 

メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。各楽器の分離が驚くほど鮮明であり、全ての音がクッキリと浮かび上がるような、今までに聴いたことのない「フィンガルの洞窟」となる。パーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンが分離のはっきりとした演奏を行って世界を魅了しているが、分離の良さに関してはダウスゴーの方がパーヴォを上回る。
ロンドンのBBC交響楽団自体が二流オーケストラの代名詞的存在であるため、BBCスコティッシュ交響楽団にも余り期待していなかったのだが、透明で独特な艶のある弦がとても魅力的である。一方で管などは過度に洗練されてはおらず、良い意味でのローカル色も残っている。
かなり速めのテンポを採用したダウスゴー。メンデルスゾーンはピリオドで演奏するべきがどうか微妙な時代の作曲家だが、ダウスゴーが作り出した音楽には少なくともピリオドの影響を窺うことは出来る。すっきりとしたフォルムにエネルギーが横溢し、ドラマティックというよりもスリリングな演奏になる。弦楽ではヴィオラの強さと雄弁さも特徴である。

 

ユリアンナ・アヴデーエワをソリストに迎えてのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
ユリアンナ・アヴデーエワは、1985年生まれのロシアの若手ピアニスト。モスクワ出身。5歳でピアノを始め、出身地にあるグネーシン音楽院で学んだ後、チューリッヒ音楽院でも研鑽を積み、この時期にはコンスタンティン・シチェルバコフの助手も務めている。
2010年にショパン国際コンクールで優勝し、知名度を上げている。

最近の欧州出身のピアニストはみな瑞々しい音色で弾くという特徴があるが、アヴデーエワもそうである。一頃のスタンダードだった甘い響きは近年は流行っていないようである。特に技術をひけらかすタイプのピアニストではなく、堅実で的確なピアニズムを売りとしているようだが、第3楽章のラストでは超絶技巧全開となり、ヴィルトゥオーゾの資質も兼ね備えていることがわかった。
ダウスゴー指揮のBBCスコティッシュ交響楽団も弦の美しさをベースとしたリリシズムが印象的だが、同時にダウスゴーは金管を思いっ切り吹かすタイプでもあり、迫力にも欠けていない。
第3楽章では、通常の演奏とは異なるテンポと音型で弾かれた場所があったが、そういう譜面があるのか、アヴデーエワとダウスゴーの解釈によるものなのかは不明である。他では聴いたことのない音型処理であった。

 

マーラーの交響曲第5番。いわゆるマーラー指揮者が指揮した演奏とは一線を画した個性が発揮される。
スケールはいたずらに広げすぎることはない。最強音の部分では盛大に鳴るが、虚仮威しにならないよう細心の注意が払われているようだ。
ダウスゴーの音楽作りはやはりクッキリとした分離の良さが特徴であり、マーラーがこの曲に込めた戦きや、作曲された当時の常識を踏み出した異様さがなどがそのまま提示される。美化されることのない骨組みのマーラーを聴いているようでもあり、ダウスゴーの音楽作りの独自性に感心させられる。
テンポは速いところもあるが、基本的に中庸。第4楽章(第2部前半)のアダージェットはこの速さが一番効果的なのではないかと思えるほどの美しさを湛えていた。これより速いと味気なく感じるかも知れないし、遅いとベタベタしすぎる。
ダウスゴーは、指揮棒をかなり細かく動かすタイプで、指揮棒を持たない左手も要所要所で効果的に用いられる。BBCスコティッシュ交響楽団もダウスゴーの指揮棒に俊敏に応えていた。

 

「プロムスといえば」、ということでエルガーの「威風堂々」第1番の演奏。「英国第2の国歌」といわれる歌詞が入っている部分では、ダイスゴーは客席の方を向いて指揮をする。BBCスコティッシュ交響楽団は鋭くしなやかな音色を奏でる。この辺がロンドンのオーケストラとは異なる個性かも知れない。過度にジェントルでない輝かしさと若々しさも魅力である。
私も「英国第2の国歌」といわれる「Land of Hope and Glory」を歌う。イギリス人でもないのに気分が高揚した。音楽にはそうした力がある。

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2019年9月 1日 (日)

コンサートの記(590) ソフィア・ヴォーカルアンサンブル京都公演2019

2019年8月22日 京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、御所の西にある京都府立府民ホールアルティで、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルの来日公演を聴く。

ソフィア・ヴォーカルアンサンブルは1995年に指揮のベンクト・オレーンによって創設されたスウェーデンの合唱団。ストックホルムのソフィア教会を本拠地としているということでこの団体名を名乗っており、ブルガリア(首都がソフィア)や上智大学(英語名や愛称がソフィア)とは無関係である。

スウェーデンは合唱で知られており、エリック・エリクソン時代のスウェーデン放送合唱団は、「世界最高の合唱団」という賛辞を受けている。ソフィア・ヴォーカルアンサンブルも2012年に、ヨーロッパ・グランプリで優勝している。
今回が初の来日で、軽井沢国際合唱フェスティバルに参加するためにやって来たのだが、東京、広島、京都でもコンサートを行う。

 

曲目は当日になって変更となっており、前半が、伝承歌「No vi eg till Jondalen og fri」(ベンクト・オレーン編曲)、ヤン・サンドストレムの「山風のヨイク」、ポール・ミュラーの「至福の教え」、松下耕の「神よ喜びたたえよ」、プーランクの「7つのシャンソン」。後半が、ベンクト・オレーンの「海の向こうに人を待つ歌」、マシュー・ピーターソンの「カンターテ・ドミノ」、スヴェン=ダーヴィド・サンドレストの「楽園にて」、ダーヴィド・ヴィカンデルの「谷間のゆり王」、アルヴェーンの「そして娘は踊りの輪に加わった」

比較的良く知られた作曲家は、プーランクとアルヴェーンだけという攻めたプログラムである。マシュー・ピーターソンは、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルのテノールメンバーであり、今日もステージで歌っていた。

メンバーの男女一人ずつがステージの前方に歩み出て、挨拶や曲目解説を行う(通訳あり)。最新のアルバムが出たばかりだそうで、その宣伝も何度も行っていた。そのためか、後半始めの挨拶の時点で、完売が見えてきたそうである。

オレーンは、タブレット譜を見ながらのノンタクトでの指揮である。タブレット譜には鍵盤のアプリもついているようで、曲の前に最初の音をピアノの音色で小さく出していた。

 

1曲目の伝承曲「No vi eg till Jondalen og fri」では、メンバーが口笛を吹くなど、声だけでない表現を行っていた。
やはり、体格の違いなのか、歴史がものを言うのか、とにかく声が澄んでおり、時にはうねるような生命力と迫力が宿る。

ベンクト・オレーンの作曲である「海の向こうに人を待つ歌」では、男声歌手達が客席に降り、上手と下手に分かれて壁を背後に並ぶ。彼らが主に歌うのは潮騒である。女性歌手達はステージ上に一人か二人ずつで点在。目の上に手をやって遠くを見るような仕草をしながら歌い、シアトリカルな作品となっていた。

スヴェン=ダーヴィド・サンドレストは、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルの良き友人であったが、今年の6月に他界したそうである。「楽園にて」は、来世は楽園であるという内容を歌ったものだそうで、最後は「レクイエム」の言葉で閉じられる。

ダーヴィド・ヴィカンデルの「谷間のゆり王」は、ゆりやスズランといった花を擬人化させて歌ったものだそうである。歌詞の内容についてはわからないが、バルザックの『谷間の百合』とは無関係であると思われる。

北欧の作曲家というと、ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウス、デンマークのニールセンが国民的作曲家として知られているが、スウェーデンは残念ながら彼らに匹敵するだけの作曲家は生んでいない。そんな中でもアルヴェーンは比較的名前が知られている作曲家。「そして娘は踊りの輪に加わった」は、三拍子の快活な曲である。

 

アンコールは2曲、いずれも初めて聴く曲で、タイトルはわからないが、2曲目では、メンバーが客席に降り、階段状の通路に立って清澄な声を響かせた。

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2019年8月 6日 (火)

コンサートの記(585) ザールブリュッケン室内合唱団京都公演2019

2019年7月29日 京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、京都御苑の西にある京都府立府民ホールアルティで、ザールブリュッケン室内合唱団の京都公演を聴く。

ドイツ西部、フランスとの国境近くにある街、ザールブリュッケン。スタニスラス・スクロヴァチェフスキとのコンビでレコーディングや来日演奏会を行ったザールブリュッケン放送交響楽団によって日本でも知名度が高まった街である。ザールブリュッケン室内合唱団(カンマーコア・ザールブリュッケン)は、1990年にゲオルク・グリュンによって組織された団体で、ドイツ国内を始めヨーロッパ諸国やアメリカ、ロシアなどでも高い評価を受けているという。古楽から現代音楽まで幅広いレパートリーを誇っているようだ。

 

曲目は、前半が、ブラームスの「なぜ、苦しむ人に光があたえられるのか」、松下耕の「慈しみのあるところ」「地上は暗闇となった」「いつまで、主よわたしを忘れておられるのか」「おお、救いのいけにえよ」「深き淵より」「我を救いたまえ」「主よ、わたしを平和の器とならせてください」。後半が、ブラームスの3つの歌(「夕べのセレナード」「ヴィネータ」「ダルトゥラの追悼の歌」)、レーガーの3つの合唱曲(「慰め」「夜に」「夕べの歌」)、マーラー作曲/クリトゥス・ゴットヴァルト編曲「夕映えの中で」(マーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットの編曲)、シェーンベルクの「地上の平和」

全曲、ゲオルク・グリュンの指揮である。多くのメンバーは紙の譜面を手にしているが、タブレットの電子譜を見ながら歌っているメンバーも5人ほどいた。
舞台中央やや下手寄りにグランドピアノが置かれているが、ピアノ伴奏があるのはレーガーの3つの合唱曲のみで、それ以外は女性メンバーが曲が始まる前に音の高さや調を確認するためにいくつか音を出すだけであり、無伴奏での合唱が行われる。
レーガーの3つの合唱曲でピアノを弾くのはメンバーの一人である男性。ザールブリュッケン室内合唱団の最新アルバムには、今回の演奏会とほぼ同じ曲目が収められているが、ピアノはイヴェット・キーファーとある。イヴェットというのは普通は女性のファーストネームなので、彼ではないようだが。

 

1962年生まれの作曲家である松下耕の作品が取り上げられているのが今回のプログラムの特徴である。ザールブリュッケン室内合唱団には日本人の男性歌手がおり、ゲオルク・グリュンの挨拶を日本語に訳していたが、「友人である松下耕の宗教合唱曲を日本で歌うことが出来てとても嬉しい」と語っていた。なお、「深き淵より」と「我を救いたまえ」はザールブリュッケン室内合唱団に贈られた作品のようである。
松下耕の作品であるが、歌に混ざってセリフのようなものが読み上げられたり、男性メンバーがホーミーを模す場面があったり、敢えて不安定な響きを作ったりと、現代音楽的な試みがいくつも見受けられる。

白人のメンバーが多いのだが、やはり体格が良いため声が体全体に響いていて神秘的な色合いや奥行きがあり、ピアニッシモの美しさなどが際立っている。日本人も昔に比べればかなり体格が良くなっているが、本当の意味で世界的に通用した歌手はまだ生まれておらず、白人に比べるとハンデがあるというのが現状のようだ。

 

マーラーのアダージェットをゴットヴァルトが合唱用に編曲した「夕映えの中で」。ゴットヴァルトはマーラーのオーケストレーションを忠実に声に移し替えることを試みたようで、女声パートがヴァイオリンとヴィオラ、男声パートがチェロとコントラバスの旋律を歌い上げる。かなり美しい仕上がりとなっており、ゴットヴァルトのチャレンジは成功したようだ。

 

京都公演ということで、アンコールとして京都府民謡が元となった「竹田の子守唄」が日本語で歌われる。抒情味溢れる合唱であった。

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