カテゴリー「来日団体」の122件の記事

2024年10月31日 (木)

コンサートの記(866) アジア オーケストラ ウィーク 2024 ハンス・グラーフ指揮シンガポール交響楽団@京都コンサートホール エレーヌ・グリモー(ピアノ)

2024年10月19日 京都コンサートホールにて

アジア オーケストラ ウィークが関西に戻ってきた。

午後4時から、京都コンサートホールで、アジア オーケストラ ウィーク 2024 京都公演を聴く。
アジアのオーケストラを日本に招く企画、「アジア オーケストラ ウィーク」は、当初は東京の東京オペラシティコンサーホール“タケミツ メモリアル”と大阪のザ・シンフォニーホールの2カ所で行われていたが、東日本大震災復興への希望を込めて、東京と東北地方での開催に変更。関西で聴くことは叶わなくなっていた。だが、今年は一転して京都のみでの開催となっている。


シンガポール交響楽団は、1979年創設と歴史は浅めだが、アジアのオーケストラの中ではメジャーな方。ラン・シュイ(水蓝)が指揮したCDが数点リリースされている。

治安が良く、街が綺麗なことで知られるシンガポール(そもそもゴミを捨てると罰金刑が課せられる)。日本人には住みやすく、「東京24区」などと呼ばれることもあるが、シンガポール自体は極めて厳しい学歴主義&競争社会であり、シンガポールに生まれ育った人達にとって必ずしも過ごしやすい国という訳でもない。競争が厳しいため、優秀な人が多いのも確かだが。
シンガポールもヨーロッパ同様、若い頃に将来の進路を決める。芸術家になりたい人はそのコースを選ぶ。学力地獄はないが、音楽性の競い合いもまた大変である。

無料パンフレットには、これまでのアジア オーケストラ ウィークの歴史が載っている。私がアジア オーケストラ ウィークで聴いたことのあるオーケストラは以下の通り、会場は全て大阪・福島のザ・シンフォニーホールである。
上海交響楽団(2004年)、ソウル・フィルハーモニック管弦楽団(2004年。実はソウルには日本語に訳すとソウル・フィルハーモニック管弦楽団になるオーケストラが二つあるという紛らわしいことになっており、どちらのソウル・フィルなのかは不明)、ベトナム国立交響楽団(2004年。本名徹次指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団(2004年。岩城宏之指揮。これが岩城の実演に接した最後となった)、オーストラリアのタスマニア交響楽団(2005年。オーストラリアはアジアではないが、アジア・オセアニア枠で参加)、広州交響楽団(2005年。余隆指揮。このオーケストラがアジア オーケストラ ウィークで聴いた海外のオケの中では一番上手かった)、ハルビン・黒龍江交響楽団(このオケがアジア オーケストラ ウィークで聴いた団体の中では飛び抜けて下手だった。シベリウスのヴァイオリン協奏曲を取り上げたが、伴奏の体をなしておらず、ソリストが不満だったのか何曲もアンコール演奏を行った。女性楽団員が「長いわね」と腕時計を見るって、何で腕時計してるんだ?)。一応、このオーケストラは朝比奈隆が指揮したハルビン交響楽団の後継団体ということになっているが、歴史的断絶があり、実際は別のオーケストラである。この後、アジア オーケストラ ウィークは大阪では行われなくなった。2021年にはコロナ禍のため、海外の団体が日本に入国出来ず、4団体全てが日本のオーケストラということもあった。日本もアジアなので嘘偽りではない。
2022年には琉球交響楽団が参加しているが、大阪ではアジア オーケストラ ウィークとは別の特別演奏会としてコンサートが行われている。

そして今年、アジア オーケストラ ウィークが京都に来た。

指揮は、2022年にシンガポール交響楽団の音楽監督に就任したハンス・グラーフ。2020年にシンガポール響の首席指揮者となり、そこから昇格している。オーストリア出身のベテラン指揮者であるが、30年ほど前に謎の死亡説が流れた人物でもある。当時、グラーフは、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督で、ピアノ大好きお爺さんことエリック・ハイドシェックとモーツァルトのピアノ協奏曲を立て続けに録音していたのだが、「レコード芸術」誌上に突然「ハンス・グラーフは死去した」という情報が載る。すぐに誤報と分かるのだが、なぜ死亡説が流れたのかは不明である。ハイドシェックは、当時の大物音楽評論家、宇野功芳(こうほう)の後押しにより日本で人気を得るに至ったのだが、宇野さんは敵が多い人だっただけに、妨害工作などがあったのかも知れない。ともあれ、ハンス・グラーフは今も健在である。
これまで、ヒューストン交響楽団、カナダのカルガリー・フィルハーモニー管弦楽団、フランスのボルドー・アキテーヌ管弦楽団、バスク国立管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督として活躍してきた。


曲目は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、シンガポールの作曲家であるコー・チェンジンの「シンガポールの光」、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」


開演の大分前から、多くの楽団員がステージ上に登場。さらっている人もいるが特に何もしていない人もいる。そうやって人が増えていって、最後にゲストコンサートマスターのマルクス・グンダーマン(でいいのだろか。アルファベット表記なので発音は分からず)が登場して拍手となる。なお、テューバ奏者としてNatsume Tomoki(夏目智樹)が所属しており、夏目の「アジア オーケストラ ウィークに参加出来て光栄です」という録音によるメッセージがスピーカーから流れた。

ヴァイオリン両翼の古典配置がベースだが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや上手寄り。指揮者の正面にはファゴットが来る。またホルンは中央上手側後列に陣取るが、他の金管楽器は、上手側のステージ奥に斜めに並ぶという、ロシア式の配置が採用されている。なぜロシア式の配置を採用しているのかは不明。
多国籍国家のシンガポール。メンバーは中華系が多いが、白人も参加しており、日本人も夏目の他に、第2ヴァイオリンにKURU Sayuriという奏者がいるのが確認出来る。


グラーフは、メンデルスゾーンとベートーヴェンは譜面台を置かず、暗譜で振る。指揮姿には外連はなく、いかにも職人肌というタイプの指揮者である。その分、安定感はある。

メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲は、各楽器、特に弦楽器がやや細めながら美しい音を奏でるか、ホールの響きに慣れていないためか、内声部が未整理で、モヤモヤして聞こえる。それでも推進力には富み、活気のある演奏には仕上がった。


ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。今年はラヴェルの伝記映画が公開され、ピアノ協奏曲の2楽章がエンディングテーマとして使用されている。

ソリストのエレーヌ・グリモーは、フランスを代表する女流ピアニスト。変人系美人ピアニストとしても知られている。幼い頃からピアノの才能を発揮するが、同時に自傷行為を繰り返す問題児でもあった。美貌には定評があり、フランス本国ではテレビCMに出演したこともある。オオカミの研究者としても知られ、オオカミと暮らすという、やはりちょっと変わった人である。先月来日する予定であったが、新型コロナウイルスに感染したため予定を変更。心配されたが、X(旧Twitter)には、「東アジアツアーには参加する」とポストしており、予定通り来日を果たした。


グリモーのピアノであるが、メカニックが冴え、第1楽章では爽快感溢れる音楽を作る。エスプリ・クルトワやジャジーな音楽作りも利いている。
第2楽章は遅めのテンポでスタート。途中で更に速度を落とし、ロマンティックな演奏を展開する。単に甘いだけでなく、夢の中でのみ見た幸せのような儚さもそこはかとなく漂う。
第3楽章では、一転して快速テンポを採用。生まれたてのような活きのいい音楽をピアノから放っていた。


アンコール演奏は2曲。シルヴェストロフの「バガテル」は、シャンソンのような明確なメロディーが特徴であり、歌い方も甘い。ブラームスの間奏曲第3番では深みと瑞々しさを同居させていた。


休憩を挟んで、コー・チェンジンの「シンガポールの光」。オーケストラの音の輝きを優先させた曲だが、音楽としてもなかなか面白い。揚琴(Yangqin)という民族楽器を使用しているが、楽器自体は他の楽器の陰に隠れて見えず。演奏しているのはパトリック・Ngoというアジア系の男性奏者である。良いアクセントになっている。


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。日本では「運命」のタイトルで知られるが(西洋では余り用いられない。ごくたまに用いられるケースもある)、北京語では運命のことを命運と記すので、「運命」交響曲ではなく、「命運」交響曲となる。

冒頭の運命動機はしっかりと刻み、フェルマータも長めで、その後、ほとんど間を空けずに続ける。流線型のフォルムを持つ格好いい演奏である。アンサンブルの精度は万全とはいえないようで、個々の技術は高いのだが、例えば第4楽章に突入するところなどは縦のラインが曖昧になっていたりもした。
ただ全般的には優れた部類に入ると思う。グラーフには凄みはないが、その代わりに安心感がある。
ラスト付近のピッコロの音型により、ベーレンライター版の譜面を使っていることが分かった。


アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。丁寧で繊細で典雅。シンガポール響の技術も高く、理想的な演奏となる。グラーフも満足げな表情を浮かべていた。

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2024年10月11日 (金)

観劇感想精選(471) 日米合作ブロードウェイミュージカル「RENT」 JAPAN TOUR 2024大阪公演

2024年9月14日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後5時30分から、大阪・梅田のSkyシアターMBSで、日米合作ブロードウェイミュージカル「RENT」JAPAN TOUR 2024 大阪公演を観る。英語上演、日本語字幕付きである。
SkyシアターMBSは、大阪駅前郵便局の跡地に建てられたJPタワー大阪の6階に今年出来たばかりの新しい劇場で、今、オープニングシリーズを続けて上演しているが、今回の「RENT」は貸し館公演の扱いのようで、オープニングシリーズには含まれていない。

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プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」をベースに、舞台を19世紀前半のパリから1990年代後半(20世紀末)のニューヨーク・イーストビレッジに変え、エイズや同性愛、少数民族など、プッチーニ作品には登場しない要素を絡めて作り上げたロックミュージカルである。ストーリーなどは「ラ・ボエーム」を踏襲している部分もかなり多いが、音楽は大きく異なる。ただ、ラスト近くで、プッチーニが書いた「私が街を歩けば」(ムゼッタのワルツ)の旋律がエレキギターで奏でられる部分がある。ちなみに「私が街を歩けば」に相当するナンバーもあるが、曲調は大きく異なる。

脚本・作詞・作曲:ジョナサン・ラーソン。演出:トレイ・エレット、初演版演出:マイケル・グライフ、振付:ミリ・パーク、初演版振付:マリース・ヤーヴィ、音楽監督:キャサリン・A・ウォーカー。

出演は、山本耕史、アレックス・ボニエロ、クリスタル ケイ、チャベリー・ポンセ、ジョーダン・ドブソン、アーロン・アーネル・ハリントン、リアン・アントニオ、アーロン・ジェームズ・マッケンジーほか。
観客とのコール&レスポンスのシーンを設けるなど、エンターテインメント性の高い演出となっている。

タイトルの「RENT」は家賃のことだが、家賃もろくに払えないような貧乏芸術家を描いた作品となっている。

主人公の一人で、ストーリーテラーも兼ねているマークを演じているのは山本耕史。彼は日本語版「レント」の初演時(1998年)と再演時(1999年)にマークを演じているのだが、久しぶりのマークを英語で演じて歌うこととなった。かなり訓練したと思われるが、他の本場のキャストに比べると日本語訛りの英語であることがよく分かる。ただ今は英語も通じれば問題ない時代となっており、日本語訛りでも特に問題ではないと思われる(通じるのかどうかは分からないが)。
マークはユダヤ系の映像作家で、「ラ・ボエーム」のマルチェッロに相当。アレックス・ボニエロ演じるロジャーが詩人のロドルフォに相当すると思われるのだが、ロジャーはシンガーソングライターである。このロジャーはHIV陽性である。ミミはそのままミミである(演じるのはチャベリー・ポンセ)。ミミはHIV陽性であるが、自身はそのことを知らず、ロジャーが話しているのを立ち聞きして知ってしまうという、「ラ・ボエーム」と同じ展開がある。
ムゼッタは、モーリーンとなり、彼女を囲うアルチンドロは、性別を変えてジョアンとなっている。彼女たちは恋人同士となる(モーリーンがバイセクシャル、ジョアンがレズビアンという設定)。また「ラ・ボエーム」に登場する音楽家、ショナールが、エンジェル・ドゥモット・シュナールドとなり、重要な役割を果たすドラッグクイーンとなっている。

前半は賑やかな展開だが、後半に入ると悲劇性が増す。映像作家であるマークがずっと撮っている映像が、終盤で印象的に使われる。
「ラ・ボエーム」は悲劇であるが、「RENT」は前向きな終わり方をするという大きな違いがある。ロック中心なのでやはり湿っぽいラストは似合わないと考えたのであろう。個人的には、「ラ・ボエーム」の方が好きだが、「RENT」も良い作品であると思う。ただ、マイノリティー全体の問題を中心に据えたため、「ラ・ボエーム」でプッチーニが描いた「虐げられた身分に置かれた女性」像(「ラ・ボエーム」の舞台となっている19世紀前半のパリは、女性が働く場所は被服産業つまりお針子や裁縫女工、帽子女工など(グリゼット)しかなく、彼女達の給料では物価高のパリでは生活が出来ないので、売春などをして男に頼るしかなかったという、平民階級の独身の女性にとっては地獄のような街であった)が見えなくなっているのは、残念なところである。

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2024年6月12日 (水)

コンサートの記(849) 〈RMF&山田和樹 グローバル プロジェクト〉 山田和樹指揮モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2024京都

2024年5月31日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、〈RMF&山田和樹 グローバル プロジェクト〉モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会に接する。指揮は、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼音楽監督の山田和樹。

モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会は、2016年に大阪のフェスティバルホールで西本智実指揮のものを聴いているが、ホールが異なるということもあってか、当時の印象とは大きく異なる。

「クール・ビューティー」こと女優のグレース・ケリーが、グレース王妃となったことでも知られるモナコ公国のモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団。2016年から山田和樹が芸術監督兼音楽監督を務めている。
モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団は、旧モンテカルロ国立オペラ管弦楽団(モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団)で、スヴャトスラフ・リヒテルのピアノ、ロヴロ・フォン・マタチッチの指揮で録音したグリーグとシューマンのピアノ協奏曲の伴奏を務めていることで知られている。それ以外には知られていないともいえる。元々は新外国人管弦楽団の名で1856年に結成された歴史あるオーケストラで、1980年にモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団に改称したが、今もオペラやバレエの演奏は続けている。多くの作曲家が初演をモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団に託しており、特に隣国のイタリアとフランスの作曲家に好まれている。
録音は余りしてこなかったモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団であるが、2010年に自主レーベル「OPMCクラシックス」レーベルを立ち上げ、山田和樹ともサン=サーンスの歌劇「デジェニール」を録音、リリースしている。


オール・フレンチ・プログラムで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:藤田真央)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガン独奏:室住素子)の3曲が演奏される。

ロームシアター京都メインホールでは、サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場によるチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」(指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ)や、キエフ・バレエ(ウクライナ国立バレエ)の「白鳥の湖」、中国・南京の江蘇省演芸集団有限公司による歌劇「鑑真東渡」などの引っ越し公演が行われているが、海外のコンサートオーケストラが演奏会を行うのはこれが初めてであると思われる。京都には北山にクラシック音楽専用の京都コンサートホールがあり、海外のオーケストラが京都公演を行う場合は、京都コンサートホールの大ホールを使うのが通例であったが、ここに来て初めてロームシアター京都メインホールが使われることになった。なお、山田和樹は来年ももう一つの手兵であるバーミンガム市交響楽団を率いてロームシアター京都メインホールで公演を行うことがすでに決まっている。
キャパ自体はロームシアター京都メインホールが2000弱、京都コンサートホールが1800と、ロームシアター京都メインホールの方が大きいが、ロームシアター京都メインホールは音響がオペラ、バレエ、ポピュラー音楽向けの多目的ホールであり、オーケストラコンサートには必ずしも適した会場ではない。だが、京都市交響楽団も「オーケストラ・ディスカバリー」シリーズの会場をロームシアター京都メインホールに変更し、NHK交響楽団の京都公演会場もロームシアター京都メインホールに変わるなど、徐々にシフトが行われていくのかも知れない。京都コンサートホールがそろそろメンテナンスの時期ということもあるだろう。


日本の若手音楽家の中でもリーダー的存在である山田和樹。往年の名指揮者、山田一雄(山田和雄)に名前が似ているが、血縁関係は一切ない。1979年、神奈川県秦野市生まれ。前身が旧制神奈川県立横浜第一中学校である名門・神奈川県立横浜希望ヶ丘高校を経て、東京藝術大学指揮科に入学。松尾葉子と小林研一郎に師事。藝大在学中に有志とTOMATOフィルハーモニー管弦楽団(現・横浜シンフォニエッタ)を結成し、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝という経歴から、「リアル千秋真一」と呼ばれたこともある。NHK交響楽団の副指揮者を経て、2012年から18年までスイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、2016年からモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼音楽監督、2023年からバーミンガム市交響楽団の首席指揮者兼ミュージックアドバイザーとなり、今年の5月から音楽監督に昇格。日本では日本フィルハーモニー交響楽団の正指揮者や読売日本交響楽団の首席客演指揮者を務めたことがある。2026年には池袋にある東京芸術劇場の芸術監督(音楽部門)に就任する予定である。

コロナの最中にはZoomなどを利用し、作曲家の藤倉大、指揮者の沖澤のどか、ピアニストの河村尚子や萩原麻未などとのWeb対談を積極的に行っている。
「リアル千秋真一」というと、何においても完璧というイメージだが、藤倉大との対談では、「運動音痴自慢大会(?)」を行っており、「スイミングスクールに通ったのに泳げるようにならなかった」という自虐エピソードを語っていたりする。
オーケストラとの共演の他に東京混声合唱団の音楽監督兼理事長としても活動しており、武満徹の合唱曲集などを録音。また東京オリンピックのために全参加国の国歌のレコーディング(「アンセム・プロジェクト」)なども行った。
関西では、読売日本交響楽団の大阪定期演奏会でフェスティバルホールの指揮台に何度か立っている他、大阪の4つのプロオーケストラを振り分けたシューベルト交響曲全曲演奏会などを行っている。ただ京都市交響楽団に客演したことはまだ一度もない。京都で指揮するのも今日が初めてのはずである。


午後6時15分頃に山田和樹がステージ上に登場し、プレトークを行う。「兵庫で始まったこのツアー、東京での公演を経まして、昨日は……、あれ、昨日どこ行きましたっけ? どこ行きましたっけ? (袖に)どこ行きました? 愛知! 愛知ね! 昨日のこと忘れちゃいけない。どこいるんだか分からなくなっている。そして今日は京都」。今回のツアー公演は、「ROME MUSIC FOUNDATIONと山田和樹の合同グローバルプロジェクト」であり、ローム ミュージック ファンデーションの奨学生の中から選ばれた音楽家が、現地リハーサルを含めてモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の一員として参加するという教育的内容を含んだものになっている。ということで選ばれたメンバーがステージ上に呼ばれ、自己紹介を行った。
最後に山田は、ソリストの藤田真央について、「私の息子と呼ばれている。顔が似てるのか雰囲気が似てるのか」と紹介する。年齢は丁度20歳違いであるが、藤田は山田のことを「パパ」と呼んでおり、特別に親しい関係にある。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。ドイツ式の現代配置での演奏である。
冒頭のフルートに若干の伸び縮みを付けるなど、個性的な演奏である。ただロームシアター京都メインホールはオペラ向きの音響であるため、弦楽器などは輪郭がはっきりしすぎていて、ドビュッシーならではのたゆたうような響きは生まれにくく、ドビュッシー作品には向いていないようである。
西本智実の指揮で聴いた時はシックな印象を受けたモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団であるが、南仏に近いということもあって、今回は音の濃さが目立つ。原色系の色彩感で、日本のオーケストラからは絶対に生まれない音だ。


ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。人気ピアニストの藤田真央がソリストを務める。
この間も「題名のない音楽会」で2週続けての特集が組まれた藤田真央。天衣無縫のピアノを奏でる天才肌のピアニストだが、いくぶん風変わりなところがある。最近はエッセイ集なども出して好評を博している。
ラヴェルの音楽はドビュッシーと違ってクッキリしたものであるため、モンテカルロ・フィルの良さが生きている。音色が単に美しいだけではなく、往年のフランスの名楽団の響きのような人間くささも感じられる。
藤田のピアノは、第1楽章では音の移り変わりや明滅を巧みに表現し、ラヴェルがなぜ「印象派」に含まれるのかが分かるような音楽として奏でる。
ロマンティックな第2楽章は、一転して楷書風。藤田ならロマンティシズムを思い切り前に出すかと思われたが、楷書で演奏することで曲自体に語らせるという手法を取ったようだ。第2楽章は確かに甘く美しいが、一歩間違えると劇伴のようになってしまう怖れもあるため、これはこれで見事な解決である。
第3楽章の透明感ある音による演奏も活気とモダンな詩情に溢れており、20世紀的なエスプリを表出してみせた。

アンコール演奏は1曲。グリーグの抒情小品集第3集から「愛の歌」。瑞々しい出来であった。


サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。山田は来年の6月にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会の指揮台に立つことが決まっているが、メインはこのサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」になる予定である。ロームシアター京都にはパイプオルガンは設置されていないので、室住素子は電子オルガンを演奏する。
各楽器の音色の濃厚さが生き、パリというよりもスペインの音楽のように聞こえるのが面白い。山田は、音のグラデーションを丁寧に重ね、神秘感や洗練された曲調などを的確に表現していく。室住のオルガンも力強い。
ニュアンス豊かな一方で、音楽としての全体のフォルムは崩れがちで、ちょっとアンバランスな印象を受けたのも確かである。ホールの音響も影響しているだろう。
なお、Maki Miura Belkinと共にピアノ連弾で参加した榊真由(さかき・まゆ)は、本来は指揮者だが、RMFのアシスタントコンダクターには京都私立ナンバーワン進学校の洛星高校出身で、広上の弟子である岡本陸が選ばれたため、特別にピアノで参加することになったという。
造形美よりもオーケストラの特性を生かした個性的な音楽作りが印象的なサン=サーンスであった。オーケストラが変わるとまた別の音楽が生まれることになると思われる。


アンコール演奏は2曲。まず、シュレーカーの舞踏劇「ロココ」より第3番“マドリカル”。歌劇などを多く作曲しているシュレーカーの作品だけに、オペラを得意とするモンテカルロ・フィルは活き活きとした演奏を展開する。

2曲目は、ビゼーの「アルルの女」より“ファランドール”。南仏を舞台とした音楽だけにモンテカルロ・フィルの個性に合っている。洗練されたフランス北部のオーケストラとは違った意図的な土俗性の表出が面白いが、プロヴァンス太鼓奏者を舞台上ではなく、1階客席通路に配し、歩きながら叩かせたのが効果的で、客席から手拍子が起こる。山田も手拍子をリードし、音楽的な楽しさと一体感に満たされた時間が過ぎていった。

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2024年3月 1日 (金)

コンサートの記(832) 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第575回定期演奏会

2024年2月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第575回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、2024年12月30日をもって指揮活動からの引退を表明している井上道義。

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「クラップフェンの森で」、ショスタコーヴィチのステージ・オーケストラのための組曲より5曲、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス独唱:アレクセイ・ティホミーロフ、男声合唱:オルフェイ・ドレンガー)。今日のコンサートマスターは崔文洙。

前半の2曲は指揮台を用いないでの指揮である。

大フィルがウィンナワルツやポルカをやると重心が低めになる傾向があるが、「クラップフェンの森で」も弦楽は重めの響きを奏でていた。


ショスタコーヴィチのステージ・オーケストラのための組曲より5曲。ショスタコーヴィチを十八番としている井上道義。今日も大フィルから鋭い響きや渋さのある輝かしい音を引き出して好演を聴かせる。


ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」。1941年にナチスドイツがウクライナのキーウ(キエフ)郊外のバビ・ヤールでユダヤ人の虐殺を行ったことを題材にした作品である。字幕付きでの上演(テキスト日本語訳:一柳富美子)。実際にはバビ・ヤールではユダヤ人のみならずロシア人やウクライナ人など多くの人種が虐殺されている。

オルフェイ・ドレンガーは、スウェーデンの男声合唱団。アルヴェーンやエリック・エリクソンなどの指導を受けてきた名門合唱団である。

大フィルの音の密度は濃く、威力がある。ただ決してうるさくはならず、常に音楽的である。
オルフェイ・ドレンガーの合唱もアレクセイ・ティホミーロフの独唱も雄弁であり、迫力ある音楽を生み出していた。

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2022年11月18日 (金)

コンサートの記(814) KDDIスペシャル アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団来日演奏会2022京都 京都・ボストン姉妹都市交流コンサート

2022年11月10日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで、アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団の来日演奏会を聴く。京都・ボストン姉妹都市交流コンサートでもある。

曲目は、ショウの「Punctum」(オーケストラ版)、モーツァルトの交響曲第40番、リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲。


若手指揮者の中でもトップランクの一人に数えられるアンドリス・ネルソンス。1978年、ソ連時代のラトヴィアの首都リガの音楽一家の出である。ラトヴィア国立歌劇場管弦楽団のトランペット奏者としてキャリアをスタートさせ、ラトヴィア出身の名指揮者として知られたマリス・ヤンソンス、エストニア出身のネーメ・ヤルヴィ、フィンランド出身のヨルマ・パヌラらに指揮を師事。ラトヴィア国立歌劇場の首席指揮者に就任して以降、バーミンガム市交響楽団、北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団などのシェフを歴任し、現在は、ボストン交響楽団の音楽監督とライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター(楽長)の地位にある。アメリカとヨーロッパのトップランクのオーケストラのシェフの座を手にしており、40代にしてはかなりの出世とみて間違いない。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にも定期的に客演している。

アメリカのビッグ5の一角を占めるボストン交響楽団。ニューイングランドのマサチューセッツ州ボストンを本拠地にしているということもあり、アメリカのオーケストラの中でもヨーロピアンテイストの響きを聞かせることで知られる。小澤征爾との長年のコンビでもお馴染みであったが、それ以前にもシャルル・ミュンシュやセルゲイ・クーセヴィツキーと黄金期を築き、世界的に最も著名なオーケストラの一つである。
が、今日の客の入りは悲惨。安い席はほぼ埋まっているが、高い席、特に1階席は4分の1程度しか埋まっておらず、2階席のステージから遠い場所、3階席正面などもガラガラである。やはり世界的な知名度を誇るとはいえ、若手指揮者の公演の割にはチケットが高すぎたということもあるだろう。流れてきた情報によると、昨夜の横浜みなとみらいホールでの公演もやはり惨憺たる入りだったようである(その後の大阪や東京での公演では客の入りは良かったようだ)。

KDDIスペシャルと銘打たれた冠公演であり、無料パンフレットはかなり充実している。
首席指揮者などの座席には、シャルル・ミュンシュ・チェアーなどボストン響ゆかりの音楽家の名前が付けられているようだ。


ショウの「Punctum」(オーケストラ版)。弦楽オーケストラのための作品である。
キャロライン・ショウは、1982年生まれのアメリカ人若手作曲家。ピュリツァー賞、グラミー賞などを受賞している。「Punctum」(オーケストラ版)は、アンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団によって今年の夏に初演されたばかりの曲である。

音楽をバスタブに例えると、蓋が外されて湯がヒューっという感じて抜けていくような独特の音型が奏でられた後で、古典的とも思える音の刻み(バッハがモチーフである)を経て、ミニマル・ミュージック系の音型が奏でられていく。分かりやすい現代音楽である。


モーツァルトの交響曲第40番ト短調。クラリネット入りの第2版での演奏である。
第1楽章は往年の名指揮者のような、ゆったりめの速度でスタート。悲劇性は余り強調されないが、惻々とした悲しみが胸に染み通る。
第2楽章は現在流行りのピリオド系の演奏のように速めのテンポを採用。どこまでも高く抜けていく空を見上げながら誰にも結びついていない孤独を味わっているような趣がある。
第3楽章、第4楽章は中庸のテンポで、迫力、疎外感、倦怠、嘆きなどを的確に表していた。


リヒャルト・シュトラウスのアルプス交響楽団。かなり明るめの解釈である。夜が明ける前から山稜に太陽の光がよじ登っているのが見えるかのよう。大編成での演奏であり、京都コンサートホールがこれまで経験した中で一番と思えるほど鳴る。ただ鳴りすぎであり、音響は飽和気味。そのため音の輪郭もはっきりと聞き取ることは難しくなる。
とにかくパワフルであり、嵐に突入する際の2台のティンパニによる強打などは凄まじいほどの勢いである。
各場面の描写力にも優れているのだが、音が強すぎるということもあって陰影を欠きがちである(そもそもそれほど陰影に富んだ楽曲という訳ではないが)。押しばかりで引きがないため、せっかくのボストン響との演奏であるが、これまでに聴いたアルプス交響曲の中での上位には届かないと思われる。もっと繊細さも欲しくなる。

とはいえ、浮遊感のある響きは独特であり、やはり日本のオーケストラからは聴けないものである。音に翼が生えて空間を駆け巡る様が見えるかのようだ。

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2022年10月 6日 (木)

コンサートの記(808) サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団来日演奏会2022@フェニーチェ堺

2022年10月1日 フェニーチェ堺大ホールにて

午後4時から、フェニーチェ堺大ホールで、サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団の来日演奏会に接する。コロナ禍以降、初めて接する海外オーケストラの来日演奏会である。

サー・サイモン・ラトルの実演に接するのは2度目。前回は1998年に東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”でのバーミンガム市交響楽団の来日演奏会で、ポディウム席(P席)で聴いている。メインはベートーヴェンの交響曲第5番、いわゆる「運命」であったが、前半の2曲がいずれも現代音楽であったため、客席はガラガラ。ラトルの指揮だというのに半分入っているのかどうかも怪しいという惨状で、日本人の現代音楽アレルギーが露わになった格好であった。
他の人が記した記録を参考にすると、コンサートが行われたのは1998年6月3日のことで、前半のプログラムは、武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」とバートウィスル「時の勝利」(日本初演)である。武満の「鳥は星形の庭に降りる」は超有名というほどではないものの比較的知られた楽曲だが、バートウィスルの曲の情報が不足していたため避けられたのかも知れない。当時はまだ今ほどネットが普及しておらず、YouTubeなどで音源を気軽に聴くなどということも出来なかった。

ベートーヴェンの交響曲第5番はとにかく面白い演奏だったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによる演奏であったことを知るのはそれからしばらく経ってからである。

それから24年ぶりとなるラトル指揮の演奏会。今回は現在の手兵で祖国を代表するオーケストラのロンドン交響楽団との来日であるが、ラトルはすでにロンドン交響楽団を離れ、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任することが決定しており、ロンドン交響楽団の音楽監督としては最後の来日公演となる。
本来は、2020年にラトルとロンドン響の来日演奏会が行われる予定で、京都コンサートホールでの演奏曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」に決まっていたが、コロナにより来日演奏会は全て流れた。

今回の来日ツアーでも京都コンサートホールでの演奏会は組まれており、メインはブルックナーの交響曲第7番(B=G.コールス校訂版) であるが、フェニーチェ堺ではシベリウスの交響曲第7番がプログラムに入っていたため、少し遠いが京都ではなく堺まで出掛けることにした。流石に両方聴く気にはなれない。

演奏曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」、武満徹の「ファンタズマ/カントスⅡ」(トロンボーン独奏:ピーター・ムーア)、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、シベリウスの交響曲第7番、バルトークのバレエ「中国の不思議な役人」組曲。

フランス、日本、フィンランド、ハンガリーと国際色豊かな曲目が並ぶ。

アメリカ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなく舞台上手奥に配される。


ベルリオーズの序曲「海賊」。オーケストラのメカニック、アンサンブルの精度などは日本のオーケストラと五分五分といったところ、ホールの音響もあると思われるが音の厚みではむしろ勝っているほどで、日本のオーケストラの成長の著しさが確認出来るが、音色の多彩さや輝きなどは日本のオーケストラからは聞こえないものである。おそらく音に対する感覚が異なっているのだと思われるが、そうなると日本のオーケストラがもうワンランク上がることの困難さが想像出来てしまう。
フランス音楽らしい響きが出ているが、ジェントルでノーブルであるところがイギリスのオーケストラらしい。このジェントルなノーブルさはコンサートを通して聴かれ、ロンドン交響楽団ならではの個性となっている。よく「日本のオーケストラは個性がない」と言われることがあるが、こうした演奏に接すると「確かにそうかも知れない」と納得しそうになる。


武満徹の「ファンタズマ/カントスⅡ」。
武満徹が書いたトロンボーン協奏曲で、ロンドン交響楽団首席トロンボーン奏者のピーター・ムーアがソリストを務める。
夢の中で更に夢を見るような重層的な夢想の構図を持つ作品で、次第に光度を増し、彼方からまばゆい光が差し込むようなところで終わる。
まどろみながら歩き続けているような、武満らしい楽曲である。ピーター・ムーアのソロも良い。


ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。一昨日参加した「JUN'ICHI'S Cafe」で広上淳一が、「ラヴェルの書いた『ダフニスとクロエ』はディアギレフに気に入られなかった」という話をしていたが、「ラ・ヴァルス」もディアギレフのためのバレエ音楽として書かれながら採用されなかった曲である。
雲の上から俯瞰で見るという冒頭の描写力も高く、典雅な演奏が繰り広げられるが、フランスの指揮者やフランスのオーケストラによる演奏に比べると上品である。エスプリ・ゴーロワに当たる性質を有していない(大枠でそれに含まれるものもあるにはあるだろうが)ということも大きいだろう。


シベリウスの交響曲第7番。これを聴きたいがために堺まで出向いた曲目である。
ラトルはシベリウスを得意としており、バーミンガム市交響楽団とベルリン・フィルを指揮した二種類の「シベリウス交響曲全集」をリリースしているが、シベリウスの交響曲の中でも後期の作品の方がラトルに合っている。
武満やラヴェルとはまた違った幻想的なスタートを見せる。人間と自然とが完全に溶け合った、シベリウスならではの音楽が巧みに編まれていく。フルートのソロなども谷間の向こうから聞こえてくるような広がりと神秘性を宿している。
ロンドン交響楽団は、わずかに乳白色がかったような透明な響きをだし、このオーケストラの上品な個性がプラスに作用している。
金管がややリアルなのがこの曲には合っていないような気がしたが、それ以外は理想的なシベリウス演奏であった。


バルトークのバレエ「中国の不思議な役人」組曲。実はシベリウスの交響曲第7番と同じ年に書かれた作品なのであるが、シベリウスとは真逆の個性を放っている。猟奇的なストーリーを持つバレエの音楽であり、鋭く、キッチュでストラヴィスキーにも通じる作風だが、バルトークの作曲家としての高い実力が窺える作品と演奏である。
バルトークは20世紀を代表する作曲家として、今でも十分に高い評価を受けているが、今後更に評価が上がりそうな予感もする。


今日は最前列の席も販売されており、最前列に座った男性が「BRAVISSIMO(ブラヴィーッシモ。ブラヴォーの最上級)」と書かれた紙を広げ、ラトルは気に入ったようで、その男性と握手を交わす。
ラトルは、「皆さんお聴き下さりありがとうございました」と日本語で語り、最前列の男性を指して「ブラヴィーッシモ!」と言ってから、「フォーレの『パヴァーヌ』を演奏します」とやはり日本で語る。

そのフォーレの「パヴァーヌ」。繊細でエレガント。耳ではなく胸に直接染み込んでくるような嫋々とした演奏であった。

楽団員の多くがステージから去った後も拍手は鳴り止まず、ラトルが再登場して拍手が受ける。ラトルは客席に向かって投げキッスを送っていた。

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2021年4月10日 (土)

コンサートの記(707) クリスチャン・ヤルヴィ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団来日公演2008大阪

2008年10月11日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、クリスチャン・ヤルヴィ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の来日公演を聴く。

開場時間である午後1時の10分前にザ・シンフォニーホールに着いたのだが、先に来て待っているお客さんは2人しかいない。悪い予感がする。

果たして客席はガラガラであった。三連休の初日に一流とはいえない海外オーケストラのコンサートを聴こうという人は余りいないようである。


指揮のクリスチャン・ヤルヴィは1972年生まれ。父親は世界的な指揮者のネーメ・ヤルヴィ。10歳上の兄であるパーヴォ・ヤルヴィも今最も旬な指揮者だ。
クリスチャン・ヤルヴィは2004年からトーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者を務めている。


曲目は、グリーグの組曲「ペール・ギュント」第1番、同じくグリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:上原彩子)、ベートーヴェンの交響曲第5番。


クリスチャン・ヤルヴィは、コートタイプのジャケットを着ていたので、ステージ上だけ冬になったように見える。長髪を振り乱しての指揮。父も兄もツルツルだが、クリスチャンはまだまだ大丈夫のようだ。

「ペール・ギュント」組曲では、正面を向いて指揮棒の振り幅も比較的小さかったクリスチャン。指揮法は父にも兄にも似ていない。

トーンキュンストラー管弦楽団の弦楽は独特の配置。ステージ左手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン。そしてコントラバスはステージの一番奥に横一列に並ぶ。

“朝の気分”では冒頭のフルートが素っ気なかったが、その後は細部を丁寧に詰める演奏が展開される。“オーセの死”の後半で極端なスローテンポを取ったのも印象的。
クリスチャンは、音楽の自然な流れはさほど重視せず、細かい部分に独特の表情を付けていた。


グリーグのピアノ協奏曲イ短調。チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、日本人初の優勝に輝いた上原彩子。テレビに出演している時の姿は「なんだかなー」で、この人、ピアノ馬鹿なんじゃないかと思ったのだが、本業のピアノは予想以上に素晴らしかった。

エッジの立った音。和音も極めてクリアで、山奥の清流のような清々しいピアニズムを発揮する。ミスタッチもあって技術的に完璧とはいかなかったが、独特のテンポの変化など創造力にも溢れている。上原彩子というピアニスト、やはりただ者ではない。

クリスチャン指揮のトーンキュンストラー管弦楽団も個性溢れる伴奏を聴かせたが、クリスチャンもテンポを自由に動かすタイプなので上原と合わない箇所もあった。上原とクリスチャン指揮のトーンキュンストラー管は相性はさほど良くないようだ。


上原はグリーグの「抒情小曲集」第1集より“アリエッタ”をアンコールとして弾く。これまた清冽なピアニズムを聴かせてくれた。


ベートーヴェンの交響曲第5番。テンポの設定。管楽器の浮き上がらせ方などが、兄、パーヴォの同曲演奏に似ている。基本的に弦楽器にビブラートはかけるが、部分によってはビブラートなし、もしくはビブラートを著しく抑えて古楽器風の響きを出させる。折衷型の演奏である。

クリスチャンの指揮はグリーグの時とは打って変わって激しい。腕をグルグル回す指揮などはパーヴォを思わせる。


CD録音などでは近現代ものしか発表していないので、古典派やロマン派作品に対する実力は未知数だったクリスチャンだが、ベートーヴェン指揮者としてはかなり期待出来そうである。

問題は、まだ頭で音楽を作っている部分が大きいところ。ベートーヴェンなども聴いている時は面白いと思ったのだが、圧倒はされなかったということもあり、コンサートが終わって梅田の街を歩いているうちに感銘がどんどん薄れてしまった。


アンコールとして、バルトークの「ルーマニア舞曲」よりと、ブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番が演奏された。ブラームスではクリスチャンは客席の方を振り返ってジェスチャーをして聴衆を笑わせていた。ユーモアの精神を発揮するのはヤルヴィ・ファミリーの共通点のようである。

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2021年2月28日 (日)

コンサートの記(698) スザンヌ・ヴェガ来日ライブ2008@心斎橋クラブクアトロ

2008年1月22日 大阪の心斎橋クラブクアトロにて

大阪へ。午後7時より、心斎橋パルコ8階にある「心斎橋クラブクアトロ」で、ニューヨークのシンガーソングライター、スザンヌ・ヴェガの来日ライブを聴く。スザンヌ・ヴェガは、実に8年ぶりの来日とのことである。

関西に来てからも、ライブハウスには何度か行ったことはあるけれど、心斎橋クラブクアトロのようなスタンディングのところは初めて。座る席もあるが、ライブはノリが大事なので、私は迷うことなくスタンディングを選ぶ。
ライブハウスといっても、私がよく行ったのは、東京では渋谷のオンエアだとか、新宿にあった日清パワーステーションのような比較的スペースの大きなところ。大阪のなんばhatchなどはライブハウスというよりコンサート会場といった方がぴったりくるほど広い。心斎橋クラブクアトロのような小スペースは初めてである。

スザンヌ・ヴェガは人気シンガーなので、東京では、有楽町にある東京国際フォーラム・ホールCでコンサートを行う。東京国際フォーラムのような広いところではライブ感覚はなかなか味わえなし、スザンヌ・ヴェガを間近で見られる可能性も低い。大阪で聴いた方がずっと得である。

ニューアルバム「Beauty&Crime」の収録曲を中心とした約1時間半のライブ。客層は幅広いが、若者はいかにも音楽が好きそうな人が多く、お年を召した方達は60年代のアメリカから抜け出してきたようなファッションをしていたりする。

スザンヌ・ヴェガは「Beauty&Crime」のジャケット写真と同じ、左肩の開いたスーツで登場。帽子(これはCDジャケットのものとは違った)を曲調に合わせてかぶったり脱いだりする。
おなじみの「トムズ・ダイナー」のアカペラでスタート。「トムズ・ダイナー」は伴奏ありのバージョンでも歌われた。
私は英語力に乏しいので、MCの内容は大雑把にしか把握できなかったが、要所要所は簡単な英語だったのでわかった。歌詞はアルバムを聴いているので内容はわかる。

アンコールとして、聴衆のリクエストを受けた「女王と兵士」「スモール・ブルー・シング」などが歌われた。

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2021年2月 6日 (土)

コンサートの記(692) 「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDay

2007年5月28日 京都府立府民ホールアルティにて

午後6時30分から、京都府立府民ホールALTIで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDayを聴く。全席自由、1000円均一の公演。チケットの安い公演は、「何か知らないけれど来てしまいました」という、マナーとは無縁の客が入ってきてしまうことが多いのだが、今日もそうした方がちらほら。

「京都・国際音楽学生フェスティバル」は、ALTIで毎年開かれており、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアという音楽大国の学生を始めとする有名音楽院の学生が参加している。

今日は、フィンランドのシベリウス音楽院(シベリウス・アカデミー。旧ヘルシンキ音楽院)と、「のだめカンタービレ」でもおなじみ(?)フランスのパリ国立高等音楽院(コンセールヴァトワール・パリ)の選抜学生による室内楽をメインとした演奏会である。

プログラムは、まずシベリウス音楽院の学生によるシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」が演奏され、次いでパリ国立高等音楽院の学生によるフォーレのチェロ・ソナタ第1番と「エレジー」。そして、シベリウス音楽院、パリ国立高等音楽院、京都市立芸術大学の学生による弦楽合奏で、ドビュッシーの「小組曲」より“小舟にて”と“バレエ”、そして「夜想曲」(管弦楽のための「夜想曲」ではなく、ピアノ曲の編曲。いずれも篠田聡史による弦楽合奏版編曲による演奏である)、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」、「弦楽のためのプレスト」、1981年生まれの若き作曲家ハルティカイネン(シベリウス音楽院に在籍)の新作「ルーメン(光)」(世界初演)が演奏される。

いずれもコンクールなどで優秀な成績を修めている学生達だが、あくまで学生であり、こちらも名演は期待していない。


シベリウス音楽院の学生による弦楽四重奏曲「親愛なる声」。ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラは女の子で、どういうわけか全員眼鏡をかけている。チェロだけ男の子。トーマス・ヨアキム・ヌニエス=ガルセ君という長い名前の男の子だ。
祖国の大作曲家シベリウスの作品とはいえ、「親愛なる声」は深い音楽であり、学生では表現できないのではないかと思う。案の定、曲の把握が徹底されていない演奏であった。単に音が鳴っているだけの箇所が多い。それでも第3楽章などは哀切で透明な音楽を再現することに成功していたように思う。
アンコールとして、コッコネンの弦楽四重奏曲第3番より第2楽章が演奏される。シャープな演奏であった。

パリ国立高等音楽院在籍の女性チェリスト、オレリアン・ブラウネールさんは、高い技術力を持ち、豊かな音色による淀みない歌を奏でる。なかなかの実力者と見た。
フォーレの2曲は、いずれも若さに似合わない奥行きのある演奏であり、アンコールの「白鳥」(サン=サーンス作曲)でも優雅な音楽を奏でた。ピアノのエマニュエル・クリスチャン君も煌めくような音色の持ち主であり、好演だった。

弦楽合奏。京都市立芸術大学からの出演者は全員女の子。ということで、ステージ上の男性メンバーは先ほど名前を出したトーマス君ただ1人である。
コンサートミストレスはシベリウス音楽院のシニ・マーリア・ヴァルタネンさん。
ドビュッシーの「小組曲」よりと「夜想曲」も良かったが、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「弦楽のためのプレスト」はより優れた演奏。時に勢いに流されそうにはなるが、若々しさ溢れる演奏に好感を持った。

「ルーメン(光)」のハルティカイネン氏は会場に来ており、演奏前に簡単な楽曲解説を行った。
現代音楽であるため奏者だけでの演奏は難しく、この曲だけミラノ・ヴェルディ音楽院在籍のアンドゥレーア・ラッファニーニ氏が指揮を務める。
「ルーメン(光)」は、ヴァイオリンがグラスハープのような音を奏でるなど、繊細な音のグラデーションを特徴とする。しかし、この手の曲は全て武満徹作品のように聞こえてしまうのは気のせいなのか。

アンコールはシベリウスの「カンツォネッタ」。これも若さがプラスに作用した好演であった。

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2021年1月17日 (日)

コンサートの記(684) ベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月10日 大阪・福島のザ・シンフォニーホール

午後2時より、ザ・シンフォニーホールで、ベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送交響楽団(旧・オーストリア放送交響楽団)の来日公演を聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。曲目は「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:ピョートル・オフチャロフ)、交響曲第3番「英雄」。

ベルトラン・ドゥ・ビリーは、1965年、パリに生まれた指揮者。フランスが生んだ久々の大物指揮者といわれ、2002年からウィーン放送交響楽団の首席指揮者の任にある。
以前、ドイツの若手指揮者が払底気味であるという話をしたが、クラシック音楽のもう一方の雄であるフランスもこれといった若手指揮者を生み出せないでいた。そこへ現れた、ベルトラン・ドゥ・ビリー。フランス音楽界の期待を一身に受けている。

「エグモント」序曲。ドゥ・ビリーは古典配置を採用しているが、ピリオド奏法には興味がないようでオーソドックスな仕上がりを見せる。冒頭は弦が薄いものの響きは美しい。バランスは最上であるがきれい事に終始せず熱い演奏を聴かせる。特に後半の緊張感は異様なほどで、この若きフランス人指揮者のドラマティックな音楽性がよく表れていた。

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。寡聞にして知らなかったが、ピョートル・オフチャロフは1981年レニングラード(現・サンクトペテルブルク)生まれのピアニストで、1999年から本拠地をオーストリアのザルツブルクに移し、数々のコンクールで優勝しているという。
オフチャロフのピアノは彩り豊かであり、音の粒立ちも良く、スケール豊かで表情の細やかなもの。かなり優れたピアニストである。
ドゥ・ビリー指揮のウィーン放送響も、オフチャロフに負けじと色彩豊かな演奏を披露する。

秀演が続いていただけに、交響曲第3番「英雄」への期待が高まる。
ベルトラン・ドゥ・ビリーは「英雄」でも正攻法の演奏を繰り広げる。木管の浮き上がらせ方などに才能を感じさせもする。しかし全体としてはいささか面白味に欠ける演奏になってしまっていた。正攻法ならドゥ・ビリーより優れた演奏をするベテラン指揮者はいくらでもいる。今年42歳の指揮者に第一級の「英雄」を求めるのは酷だったか。今後に期待しよう。
ウィーン放送響の技術も一定の水準には達していたが、第2楽章で突然調子外れの音を出す奏者がいたり(余りに妙な外し方だったので私は驚いてしまったのだが、指揮者のドゥ・ビリーも驚いたようで、一瞬、「ん?」という表情を見せていた)まだまだ改善の余地あり。


アンコールではウィーンゆかりの作曲家の作品を披露。まずはブラームスのハンガリー舞曲第1番で自信に溢れた演奏を披露。
続いて、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「雷鳴と稲妻」が演奏されたが、勢い任せの乱暴な演奏であった。ウィーンの楽団ならどこでもヨハン・シュトラウスの名演を繰り広げるというわけではないらしい。
最後はヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。指揮者のドゥ・ビリーが聴衆相手に拍手の合図を送るなど、楽しい時間を過ごすことが出来た。

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