カテゴリー「大阪フィルハーモニー交響楽団」の97件の記事

2021年7月21日 (水)

コンサートの記(731) カーチュン・ウォン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第550回定期演奏会

2021年7月16日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第550回定期演奏会を聴く。指揮は日本でもお馴染みの存在となったカーチュン・ウォン。本来は、ミシェル・タバシュニクが指揮台に立つという渋い人選だったのだが、新型コロナウイルスによる入国制限により来日不可となり、カーチュン・ウォンが代役を務めることになった。

シンガポール出身のカーチュン・ウォン。1986年生まれ。シンガポールで作曲を学んだ後でドイツに渡り、ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学で指揮を学ぶ。クルト・マズアに師事し、2016年にはグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝。直後にグスターボ・ドゥダメルに招かれて、ロサンゼルス・フィルハーモニックにおいて彼のアシスタントを務めた。現在は、ニュルンベルク交響楽団首席指揮者の座にある。
2019年に京都市交響楽団に客演した際には、プレトークで簡単な日本語も披露していたカーチュン・ウォン。「俊英」という言葉が最もよく似合うタイプである。

曲目は、リストの交響詩「レ・プレリュード(前奏曲)」、バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。前半にハンガリーゆかりの作曲家が並んでいる。


リストの「レ・プレリュード」とムソルグスキーの「展覧会の絵」はドイツ式の現代配置で演奏されたが、バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」は独自の配置。指揮者の正面上手寄りにハープ、下手寄りに蓋を取り払った形のピアノが演奏者が指揮者や客席側に顔を向けられるようにセッティングされ、その上手側つまりハープの後ろにチェレスタが置かれる。ピアノとチェレスタの後ろにティンパニが置かれ、その横や後ろに様々な打楽器奏者が並ぶ。

カーチュン・ウィンは、今日は「レ・プレリュード」と「展覧会の絵」では譜面台を置かず、暗譜での指揮。「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」では譜面台と総譜を用意しており、譜面をめくりながらの指揮だったが、視点は常に演奏者達を捉えていて、「一応、総譜は用意してめくる形での」暗譜による指揮であった。


リストの交響詩「レ・プレリュード」。コロナ感染者が再び増加を続けている大阪。客席が十分に埋まっていないということもあってか、金管がやや響きすぎの気もしたが、きちんとした造形美と優れた推進力で、この曲の魅力を十全に引き出す。大フィルの音色も美しい。
カーチュン・ウォンは長めの指揮棒を使用し、ピアニシモを示すときに完全にしゃがみ込んで指示するなど、個性的な指揮姿である。


バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。チェレスト独奏は仲香織、ピアノ独奏は長尾洋史。

バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」は、「音楽の友」誌などで行われる「20世紀が生んだ最高の楽曲」アンケートの上位常連曲である。
コダーイなどと共にハンガリー民謡の採譜なども行っていたバルトークが東洋的な情緒も込めて(ハンガリーのフン族は、元々東洋系の民族である)作曲した作品で、日本でいうと伊福部昭などにも繋がるような、土俗的な迫力にも満ちている。
4つの楽章から鳴るが、第1楽章は「夢への墜落」と名付けたくなるような独特のミステリアスな楽想が個性的である。一方、第4楽章は快活で、民族舞踊的な素朴で味わい深い迫力が興奮を呼ぶ。
ウォンの理知的で計算された音運びと、それを超えた音楽の喜びがこぼれ出るような演奏で、聴いているこちらの頬も緩む。

演奏終了後、ウォンは楽団員に立つよう指示するも、大フィルのメンバーはウォンに敬意を表して座ったまま拍手、のはずが、下手側のチェロ奏者二人が立ってしまい、顔を見合わせ苦笑いして座り直していた。こういうハプニングも楽しい。


メインであるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。
冒頭のトランペットが力んで音が濁ったのが残念だったが、以後は金管は輝かしい音を響かせ続ける。
色彩感抜群の美演で、ラヴェル寄りの演奏であったが、特に弦楽器の響きなどは「マジカル」の領域に達している。風が吹き抜けるような音を出したり、人間の声のように響いたりと、これまで実演や録音で聴いたどの「展覧会の絵」とも異なる演奏で、ウォンの実力の高さは疑いようがない。
「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」や「キエフの大門」などではラスト付近の音型が通常とは異なっているように聞こえたが、どの版を用いたのかも気になるところである。
迫力も十分ながら、音の輝かしさと彩りの豊かさ、純度の高さなど全てが新鮮で、新時代の「展覧会の絵」の誕生に立ち会ったかのような爽快さを覚えた。

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2021年4月29日 (木)

コンサートの記(713) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第430回定期演奏会

2009年7月29日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第430回定期演奏会に接する。今日の指揮は音楽監督の大植英次。

曲目は、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:クリストフ・バラーティ)とサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガン独奏:室住素子)。


パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストを務めるクリストフ・バラーティは、1979年、ハンガリーのブダペストに生まれ、ベネズエラに育った若手ヴァイオリニスト。祖国であるハンガリーのフランツ・リスト音楽院に学んだ俊英である。

パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番は曲としてはそれほど面白いものではなく、特にオーケストラパートは貧弱だが、「ヴァイオリンの魔神」パガニーニだけに、ソロは華麗であり、それなりに気も利いていて楽しめる。

バラーティのヴァイオリンは音色が煌びやかで情熱的だ。汚い音を出すこともなく、技術も極めて高い。良いヴァイオリニストである。

バラーティは、アンコールとして、イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番」より第1楽章と、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」第2番より“サラバンド”を弾く。バッハはもっと奥行きがあると良かったが、それでも優れた演奏である。


サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。

第2楽章の第2部は大植のヒロイックな音楽作りが発揮され、高揚感のある聴き応えのある演奏となった。ただその他の部分では、音の洗練、技術ともにもっと高いものが望まれる。金管は破裂するような音を出した箇所があっただけに特に。


完璧ではなかったが、楽しめる演奏会ではあった。

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2021年2月27日 (土)

コンサートの記(697) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第413回定期演奏会

2007年12月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時より、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第413回定期公演を聴く。
今日の指揮者は音楽監督の大植英次。曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:ルノー・カプソン)とラフマニノフの交響曲第2番。いずれも耽美的な作品である。

大植英次指揮大阪フィルの定期公演といえば、これまでは毎回補助席が出るほどの大盛況だったが、大植が今年に入って定期公演を2度もキャンセルした影響からか、今日の演奏会はほぼ満員にはなったが補助席が出るほどではなかった。

ルノー・カプソンは1976年生まれのフランス人ヴァイオリニスト。ベルリンで学び、クラウディオ・アバドの招きでグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラのコンサートマスターを務めた後、ソリストとしての活躍を始めたという。

カプソンのヴァイオリンは雅やかな音を出す。技術も高く、第3楽章の冒頭で、敢えてひっかくような音を出した他は、汚い音を一切出さない。また、演奏スタイルも面白く、時に体を後ろに思いっきり傾けてヴァイオリンを奏でる。上体をこれだけ後ろに反らせる人を見るのは荒川静香以来である。

大植指揮の大阪フィルも特にファースト・ヴァイオリンが素晴らしく、カプソンに負けじと美しい音を出していた。管は弦に比べると不調で、ホルンは音がずれる場面があったが、これは毎度のことなので気にしても仕方ない。


ラフマニノフの交響曲第2番は、今でこそラフマニノフの最高傑作と評価も高いが、真価が認められるまでにかなりの時間を要した。ロシアでの初演時は大好評を得たが、「長すぎる」との不満も聞かれたため、ラフマニノフはより短いバージョンを作った。その後は長いこと短縮されたバージョンが演奏されてきたのだが、前衛の時代となり、余りにも甘美なこの曲は「ジャムでベトベトの交響曲」などと酷評されることが多くなり、ラフマニノフの死後はコンサートの曲目に載ることも減っていった。

この曲の再評価のきっかけを作ったのはアンドレ・プレヴィンである。彼はこの曲を積極的に取り上げ、カットを廃した完全全曲版をレコーディングするなど曲の普及に努める。
CDの時代になり、CD1枚に収めるのに適当な長さを持つ完全全曲版によるラフマニノフの交響曲第2番は、それまでの不遇が嘘のように人気交響曲となる。前衛の時代も過ぎ去り、甘美なメロディーへの抵抗が少なくなっていたのも大きいだろう。

甘美なメロディーと壮大なスケールを持つラフマニノフの交響曲第2番は、大植の師であるレナード・バーンスタインが好みそうな曲であるはずだが、曲の評価が再び上がり始めていた1990年にバーンスタインが亡くなってしまったためか、それとも他の理由があるのか、バーンスタインはこの曲を録音していない。

ロマン派を得意とする大植の指揮だけに名演が期待される。
冒頭から弦楽は好調、管も健闘する。スケールは大きく、立体感も抜群だ。最も有名な第3楽章で、大植は旋律を粘って歌い、必要以上にアッチェレランドをかけるなどして効果を上げようとしていたが、逆に作為が目立ってしまった。もっと自然に歌った方が美しさが生きると思うのだが。
第4楽章ではお祭り騒ぎのように派手に音が鳴りすぎる場面があった。大植は不満だったようで、再び盛り上がりを迎えたところで今度は抑制を利かせ、完璧に決める。大植は親指を上げて、オーケストラに「グッド」とサインを送った。
問題が全くないわけではないけれど、優れた演奏。音があとちょっと垢抜ければ世界レベルでも通用すると思う。


演奏終了後、爆発的な拍手が大植と大阪フィルを讃える。大植は何度も指揮台に呼び戻され、最後は「もうこれまで」というように大植が客席に向かって手を振り、コンサートマスターの長原幸太が一礼して、演奏会はようやく終わった。大阪の聴衆は素直で、良いときは盛んに拍手するし、そうでないときはそれなりの拍手をする。わかりやすい。純粋に音楽が好きな人が聴きに来ているから、こうした拍手になるのだろう。これが大阪で音楽を聴く楽しみの一つである。

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2021年2月15日 (月)

2346月日(29) 「フェスティバルホール×大阪大学 フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」2021.2.8(後半のみ映像あり)

2021年2月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「フェスティバルホール×大阪大学 フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」に参加する。文学部や大学院文学研究科に芸術研究系の専攻を持つ大阪大学が、中之島一帯で行っている「クリエイティブアイランド中之島-創造的な実験島-」という9つの芸術&情報系イベントの一つである。ただ新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発出中であるため、プログラムのいくつかはオンラインのみに切り替わり、「フェスティバルホール音響体験スペシャルツアー」に関しては、トーク部分のみオンライン配信が行われることになった。

司会進行は、大阪大学の加藤浩介(専門は音響学)。大阪フィルハーモニー交響楽団のチェロ・トップ奏者である近藤浩志(こんどう・ひろし)がステージ上でチェロを弾き、ツアー参加者が席を移動しながら響きの違いを確かめるというもの。

まず1階席前列に参加者が着座して近藤のチェロを聴く。全席自由であるが、コロナ対策として両隣を1席か2席空けるのが好ましいとされる(夫婦や知り合い同士の場合は隣に座っても構わないようである)。
私は新しいフェスティバルホールの最前列で2回ほど大阪フィルのコンサートを聴いたことがあるのだが、フェスティバルホールステージの前方は弧を描いており、いずれも端の席であったため指揮者の姿が見えないという状態であった。今日は前から3列目の真ん中付近に座る。その後、1階席後方と3階席に移動して近藤のチェロを聴くのだが、1階席後方と3階席には何度も座っているため、特に良い席で聴く必要はなく、適当な席に座った。

曲目は、3回ともアイルランド民謡「ダニーボーイ」のチェロ独奏版。

1階席前方で聴くと、キャッチコピー通りの「天から音が降り注ぐ」という感覚がよく分かる。音の広がり方も自然である。

1階席後方。左手、中央、右手の3つの別れているが、後ろ寄りの左手の席に座る。音響は1階席前方とは異なり、重低音のずっしりとした響きが印象的。おそらくステージに跳ね返った音が届いてくるのだと思われる。

3階席も左手、前から3列目に座る(全員、エレベーターを使う必要があるので、エレベーターに近い右手の方が席が埋まりやすい)。3階は1階で聴いた広がりとはまた違ったストレートな音色となり、音の通りが良く感じられる。三者三様の良さがあるが、チェロということもあり、重低音が豊かに感じられる1階席後方の音響が最も気に入った。他のお客さんの好みもそれぞれで、加藤浩介が挙手によって行ったアンケートでは、三つ等しくという程ではないが、いずれの席も人気であることが分かった。

その後、1階席に戻り、中央通路より後ろ側の席に着座して、演奏者がステージ上で場所を変えて弾くチェロの音色に耳を傾ける。曲目は、サン=サーンスの「白鳥」。ラスト付近の演奏である。
まずは、ステージの真ん真ん中での演奏。上方へと飛んでいく音が多いように感じられる。続いて、ステージ一番前での演奏。通常、チェロがこんな場所で演奏することはない。上へ飛ぶ音が減り、低音が豊かに感じられる。今度は、ステージ最後列、壁を背にしての演奏である。後ろの壁にも音が当たって前に飛んでくるため、自然な広がりが感じられる。チェロと同時にホールの響きの豊かさも実感出来るため、私はこの位置での音が最も気に入った(ただし、チェロがステージ最後方で演奏することはまずない)。最後はステージ上手奥のコーナーでの演奏。音響は最も豊かであるが、響きすぎるため、私のいた右手(上手側)の席ではハウリングも多く聞こえる。
アンケートでは、好きな音響はやはり人それぞれであることがわかる。1階席後方といっても、フェスティバルホールは間口も広いため、席によって聞こえる音も大分異なるはずである。


その後、加藤浩介と近藤浩志によるミニトークが行われ、近藤浩志はフェスティバルホールの音響について、「全ての席が良い」と語っていた。昔、東急が「全ての席をS席に」というキャッチフレーズで、東急Bunkamuraオーチャードホールを使ったテレビCMを制作していたが、オーチャードホールは「S席がない」と言われるほど響きが悪いため、演奏家には余り人気がない。使い勝手も悪いようで、N響首席オーボエ奏者時代の茂木大輔がエッセイでけなしていた渋谷のホールというのはおそらくオーチャードホールであると思われる。フェスティバルホールは、「全ての席がS席」と言っても過言ではないと思われる。ただし、音響に関してはで、視覚面では3階席は遠く、傾斜も急である。そして真に音の良い「正真正銘のS席」がフェスティバルホールには存在する。

今日は近藤はフェスティバルホールの音響を意識せずに弾くことを心がけたそうだが、実際はステージ上で弾く際には、どこで弾くかによって演奏法を微妙に変えるという。チェロの場合、ドイツ式の現代配置の時は指揮者の正面付近上手側、アメリカ式の現代配置の時は客席に近い方、古典配置の際はドイツ式の現代配置の真逆で正面付近下手側で弾くことになり、全体の音響のバランスを考えると、「どのポジションでも同じ弾き方」にならないことは察せられる。またホールや曲によっても奏法は当然ながら変わってくる。

その後、加藤浩介と大阪大学の下倉亮太による「音響学の観点より解説」。下倉亮太も専門は音響学であり、加藤とは先輩後輩の間柄だそうだ。共に大阪大学ではなく神戸大学の出身だそうで、下倉亮太の方が1年先輩になるという。一緒に大学院で学んでいたのだが、師事していた先生が退官したため、音響学の研究所自体が閉鎖されてしまったそうで、その代わりとなる進路が二つ示されたそうだ。一つは熊本大学大学院で、加藤浩介はこちらに転籍した。もう一つはイタリアのボローニャ大学大学院の研究科で、下倉は「失恋したばかりでむしゃくしゃしていた」ということもあり、思い切ってイタリアに渡ったという。
ボローニャでは、クラシック音楽が日常の一部となっており、ボローニャに着いた時に、「歓迎」ということで地元のオーケストラコンサートに連れて行って貰ったという。下倉は時差ボケで眠かったのだが、なんとか最初の1曲を聴いた。隣の席に座った指導担当の教授(だったかな?)は始まってすぐに寝始めてしまったそうだが、1曲目が終わると同時に起き上がり、「あんなつまらない音楽を聴いてたのか、お前は?」と呆れていたそうである。クラシック音楽に日常的に触れているため、出来の良し悪しには敏感で、またよくいわれる通り、ヨーロッパの聴衆というのはシビアで、有名な演奏家でも「悪い」と思ったらすぐ帰ってしまうという話がある。1曲目の演奏も招待した側なので帰りはしなかったということなのかも知れない。

フェスティバルホールの内装は、数多くの凹凸があるのが特徴であるが、これは拡散体と呼ばれるもので、その名の通り音を拡散させる効果があるという。クラシック対応のコンサートホールの場合、音が響きすぎるといけないので、吸音材を使うのが一般的なのだが、フェスティバルホールの場合は、拡散体をつけることによって音響障害が発生するのを防ぐという特徴があるようだ。
ちなみにフェスティバルホールの残響は、空席時が2.2秒、満席時が1.8秒だが、コンサートのおける理想の残響は1.8秒だそうで、「フェスティバルホールさんは強気です。満席時がデフォルトです」と下倉は解説した。

コロナ禍により、空席の多いフェスティバルホールでのオーケストラ公演もあるが、残響過多になったり、使い慣れていない声楽の団体が演奏会やオペラで声を張り上げると壁がビリビリいってしまうのは残業が長めに設計されているためだと思われる。フェスティバルホールは残響からいってオーケストラコンサート向け、ロームシアター京都メインホールや兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールは、残響はそれほど長くはなく、オペラ向けの音響であると思われる(音響は全て永田音響設計が手掛けている)。

世界最古のホールは、紀元前のギリシャの劇場であるが、当時は科学が発達していなかったため、「反射音は悪魔の所業」と思われており、残響のない屋外劇場でギリシャ悲劇などが上演された。その際、海のそばに劇場を建て、海がステージの後ろに来るよう設計し、セリフが海風に乗って客席に届きやすくなるよう工夫が凝らされていたそうである。
紀元後のローマ帝国の時代になると、「残響が悪魔の声」などというのはまやかしだと気づくようになり、壁を立てることで音が響きやすくなる構造の劇場に変化していったという。

下倉は、日本にいた時はオペラには興味がなく、観たことすらなかったそうだが、イタリアはオペラの本場ということで、留学時代にオペラに嵌まり、オペラハウスに足繁く通ったそうである。オペラは歌手が主役で、声や歌詞やセリフをハッキリ聞き取れることが最優先、オーケストラは脇役か盛り上げ役であり、声を聴き取るには残響が長いと不利ということで、残響は1.2秒から1.6秒程度とコンサートホールに比べると短くなるよう設計されている。日本でも純粋なクラシック専用ホールと、オペラ対応多目的ホールを聞き比べるとこれは分かる。
残響については、ハーバード大学の教授であったウォーレル・セイビンが、ハーバード大のフォッグ講堂だけ声が聴き取りにくいという学生の声を受けて、音響を測ることにしたのがその始まりとされる。オルガンを使っての測定で、フォッグ講堂だけが他の講堂に比べて残響が長かったそうだ。残響というものが人類史上初めて意識されたのは、音楽ではなく講義だったのである。


最後は、近藤浩志のチェロ独奏によって締められる。演奏されるのは、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第3番よりサラバンド。更にアンコールとしてカタルーニャ民謡(カザルス編曲)の「鳥の歌」が演奏された。

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2021年2月 1日 (月)

コンサートの記(689) エリアフ・インバル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第544回定期演奏会

2021年1月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第544回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、エリアフ・インバル。外国人指揮者による演奏を聴くのは久しぶりである。

1936年生まれのエリアフ・インバル。この年は指揮者の当たり年で、シャルル・デュトワやズービン・メータが同い年である。小澤征爾が一つ年上、ネーメ・ヤルヴィが一つ年下という世代だ。インバルというのは芸名で、本姓はヨーゼフという平凡なものであるため芸名を用いたのだが、息子で指揮者のダニエルもインバルという芸名を継いでいる。

エリアフ・インバルは、マーラーとブルックナーの両方で名演を行うことの出来る、史上ほぼ唯一の指揮者として名高い。マーラー指揮者はブルックナーを不得手とする場合が多く、逆も同様なのだが、インバルだけは両方の交響曲全集を作成し、共に高い評価を得ている。
日本への客演も多いが、私はまず90年代にN響の指揮台に立った際の実演に接している。N響との相性は実際のところ今ひとつのように思えたが、その後、インバルは東京都交響楽団と親密な関係を築くようになり、特別客演指揮者やプリンシパル・コンダクター(一般的には「常任指揮者」と訳されるが、この時は横文字のままの肩書きとなった)として大評判を得ている。近年、大阪フィルにも度々客演するようになっているが、相性はかなり良い。

 

曲目は、プロコフィエフの交響曲第1番「古典交響曲」とショスタコーヴィチの交響曲第10番。

インバルはショスタコーヴィチも得意としており、ウィーン交響楽団を指揮してDENONに入れた録音の評価も高いが、ショスタコーヴィチを得意とする指揮者は基本的にプロコフィエフも得意である場合が多いため、期待が高まる。
なお、プロコフィエフとショスタコーヴィチが犬猿の仲であったことは有名で、共通の友人であったムスティスラフ・ロストロポーヴィチは、それぞれの家に招かれて遊ぶことも多かったが、プロコフィエフの前では「ショスタコーヴィチ」という名は禁句であり、ショスタコーヴィチの家でも「プロコフィエフ」の名を出すことすら出来なかったと回想している。プロコフィエフもショスタコーヴィチも初期の頃は一緒に音楽活動もしていたのだが、いつからか疎遠になっている。性格の不一致というよりも互いの実力を怖れたのではないかと思われる。音楽史上屈指の天才が同じ時代の同じ国、しかもすぐ間近にいるという例は余りないように思う。

今日はチェロが舞台上手客席寄りに来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキー・シフト)での演奏である。コンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。トランペットに京都市交響楽団の西馬健史が客演しており、2曲とも出演した。

新型コロナの流行により、外国人入国制限が続いているが、エリアフ・インバルは東京都交響楽団と親密な関係にあるということで、2週間の隔離とPCR検査を受け入れて、まず都響と演奏会を行い、次いで事前の予定通り、大フィルの指揮台へとやって来た。久しぶりの外国人指揮者の登場だが、大阪ではコロナの感染拡大が進んでいるため、来場を避けた人も多いようで、入りは良いとは言えない。インバルクラスなら満員御礼で当たり前なので、危機感を持つ人もかなり多いようだ。

 

プロコフィエフの交響曲第1番「古典交響曲」。プロコフィエフが「ハイドンが今の時代に交響曲を書いたなら」という想定の下に書き上げた、諧謔精神に溢れる個性的な交響曲である。ハイドンが頭にあるため、編成も小さめで演奏時間も15分ほどという小型の交響曲である。最初の交響曲にこうした題材を選ぶのだから、プロコフィエフはやはりただ者ではない。単純に古典的な交響曲を書いたのではなく、プロコフィエフの生きた今とハイドンの時代をオーバーラップさせる効果も狙っている。

曲調的に、フランス系の指揮者に名演が多いのだが、イスラエル出身のインバルも洗練とキレを兼ね備えた洒脱な演奏を聴かせる。弦も管も音に浮遊感があるが、瞬発力にも優れ、若きプロコフィエフの才気と一種の悪童ぶりを見事に表してみせる。インバルらしい溜めがあるのも個性的だ。

実は、私が最初に読んだ作曲家の本格的な伝記は、プロコフィエフのものであった。高校1年生の時に、昼休みに図書室に通って読み終えている。プロコフィエフが斬新さに取り憑かれたような作曲家だったことがわかる本であった。そしてプロコフィエフが、1891年生まれであり、これはモーツァルトの没後100年目であるため、メモリアルイヤーはモーツァルトの陰に隠れてしまい、亡くなった日が1953年3月5日と、スターリンの死と完全に同じ日であるため、命日もまたスターリンの陰に隠れる宿命にあるという悲劇性も著されていた。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第10番。ヘルベルト・フォン・カラヤンが唯一、レパートリーとしたショスタコーヴィチの交響曲として知られる。ライバルであったレナード・バーンスタインはモスクワでショスタコーヴィチの交響曲第5番を作曲者の前で演奏し、絶賛されているが、カラヤンは交響曲第10番をモスクワで演奏して壇上で作曲者と握手を交わしている。カラヤンはバーンスタインに対抗意識を抱いており、ポピュラーな第5番ではなく敢えて第10番に取り組み続けたと言われている。

非常にミステリアスな楽曲としても知られている。純音楽ではあるが、他のショスタコーヴィチの交響曲同様、背後に何か別の意図を宿している。
一昨年に、フェニーチェ堺で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による名演に接しているが、大阪フィルも流石にコンセルトヘボウ管には音の輝きでもパワーでも敵わない。だが、大フィルのヴィオラの音色もなかなか雄弁であり、時折、人間の慟哭に近い音を出すなど、インバルの指揮に触発されて別次元の演奏を聴かせる瞬間もある。

インバルは第1楽章と第2楽章、第3楽章と第4楽章をアタッカで繋ぐ。

第1楽章のラスト、ピッコロ2本がユニゾンを奏でるという珍しい場面があるが、やがてピッコロ1本となり、孤独の内に楽章は閉ざされる。
「スターリンの肖像」ともいわれる第2楽章の凶暴な表情の描き方も優れているが、この演奏を聴くとどことなく、回想の中での凶暴さという印象も受ける。現在と過去のパースペクティブが行われているような感じと書くと分かりやすいだろうか。

第3楽章のホルンの、強弱による印象の変化も、恐怖の絶頂を振り返るかのような趣があるように聞こえる。
第4楽章は、諧謔、というよりもどことなく人を食ったような旋律が登場し、ここがプロコフィエフの「古典交響曲」と繋がるような気もする。ショスタコーヴィチは本音を明かさないまま自らの署名入りによる「歓喜への予感」を抱かせる終わり方を選んでいるが、大フィルの打楽器陣も冴えまくっており、インバルの開放感に満ちた音楽作りもラストに説得力を持たせていたように思う。
これで音に更なる洗練が加われば、世界レベルが見えてくるかも知れない。

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2021年1月 2日 (土)

Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー ベートーヴェン交響曲全曲演奏2020

録画してまだ見ていなかったEテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第一夜を見る。ベートーヴェンの交響曲を日本全国のオーケストラが1曲ずつ演奏していくという企画で、通常の演奏会ではなく、この企画のために特別に収録されたものが演奏される。

交響曲第1番は、広上淳一指揮京都市交響楽団が京都コンサートホールで行ったものが、第2番は飯守泰次郎指揮仙台フィルハーモニー管弦楽団が名取市文化会館で行ったものが放送される。

共にリハーサルの様子が収められており、広上はピアニカ(鍵盤ハーモニカ)吹きながら音楽を示し、飯守はオーケストラ奏者からの質問に真摯に答えている様子を見ることが出来る。

 

広上淳一指揮京都市交響楽団は、交響曲第1番の前に、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番より第3楽章の弦楽オーケストラ編曲版も演奏する。

交響曲第1番は、バロックティンパニを用い、ピリオドを意識した演奏になっている。ただ弦楽のビブラートは要所要所での使い分けとなっており、ベートーヴェンの生きていた時代の演奏の再現を目指しているわけではない。
ヴァイオリンやフルートといった高音の楽器を浮かび上がらせており、それがフレッシュな印象を生んでいる。京響の持つ力強さを生かし、広上らしい流れの良さとエネルギー放出力が印象的な演奏を築き上げた。

ちなみに、広上のベートーヴェン解釈は独特で、元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、広上淳一に指揮を師事し、現在では指揮者として活躍する茂木大輔の著書『交響録 N響で出会った名指揮者たち』(音楽之友社)に、茂木がベートーヴェンの交響曲第1番フィナーレ(第4楽章)序奏部の解釈を広上に聞いた時のことが描かれているのだが、
広上(話し手の名前表示は引用者による)「あ、あれはね、花園があって。まず」
茂木(同上)「は、はい、花園……(メモ)」
広上「そこにね」
茂木「はい、そこに?」
広上「桜田淳子ちゃんが(引用者注:広上は桜田淳子の大ファンである)」
茂木「じゅ、淳子ちゃん……(メモ……)」
広上「遠くに、楽しそうに立っているのを、目指して、だんだん近寄って行くわけね。するとその花園がね……(どんどん続く)」
というものだそうである。

 

交響曲第2番を演奏する仙台フィルハーモニー管弦楽団。東北にある二つあるプロオーケストラの一つである。山形交響楽団の方が先に出来たが、仙台フィルの前身である宮城フィルハーモニー管弦楽団が生まれる際に、山形交響楽団から移籍した人も結構いた。仙台市と山形市は隣接する都市となっており関係は密である
山形交響楽団は飯森範親をシェフに迎え、関西フィルハーモニー管弦楽団の理事長であった西濱秀樹が移籍してからは、大阪でも毎年「さくらんぼコンサート」を行うようになったが、仙台フィルは関西での公演に関して積極的ではない。山形交響楽団がクラシック音楽対応のコンサートホール二つを本拠地としているのに対し、仙台にはまだクラシック音楽用のホールは存在しない。
ただ、録音や配信で聴く仙台フィルハーモニー管弦楽団はかなりハイレベルのオーケストラであり、かつて東京に次ぐ第二都市とまで言われた仙台の文化水準の高さを示している。

飯守も広上も関西に拠点を持っているが、タイプは正反対で、流れを重視する広上に対し、飯守は堅固な構築力を武器とする。
飯守は日本におけるワーグナー演奏の泰斗であり、ワーグナーに心酔していたブルックナーの演奏に関しても日本屈指の実力を持つ。

仙台フィルの音色の瑞々しい音色と、飯守の渋めの歌が独特の味となったベートーヴェン演奏である。

 

ベートーヴェン愛好家の多い日本に生まれるというのは、実に幸運なことである。生誕250周年記念の演奏会の多くが新型コロナによって中止となってしまっても、こうして放送のための演奏を味わうことが出来るのだから。第九の演奏を毎年のように生で聴けるということを考えれば、ドイツやオーストリアといった本場を上回る環境にあるのかも知れない。

 

 

録画してまだ見ていなかった、Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第二夜と第三夜を続けてみる。

ベートーヴェンの交響曲を日本各地のプロオーケストラが1曲ずつ演奏し、収録を行うという企画。
交響曲第3番「英雄」は高関健指揮群馬交響楽団、交響曲第4番は小泉和裕指揮九州交響楽団、第5番は阪哲朗指揮山形交響楽団、第6番「田園」は尾高忠明指揮大阪フィルハーモニーが演奏を行う。基本的に本拠地での収録であるが、大阪フィルはフェスティバルホールでもザ・シンフォニーホールでもなく、NHK大阪ホールでの無観客収録が行われた。

 

建築としては第一級だが音響の評判は悪かった群馬音楽センターから高崎芸術劇場へと本拠地を移した群馬交響楽団。談合問題によるゴタゴタもあったようだが、クラシック音楽対応の大劇場や室内楽用の音楽ホール、演劇用のスタジオシアターなどを備え、評判も上々のようである。

日本の地方オーケストラとしては最古の歴史を誇る群馬交響楽団。学校を回る移動コンサートが名物となっており、小学生以来のファンが多いのも特徴である。コロナによって活動を停止せざるを得なかった時期にも、ファンからの激励のメッセージが数多く届いたそうだ。

Twitterで「高崎で高関が振るベートーヴェン」と駄洒落を書いたが、高関健は、1993年から2008年までの長きに渡って群馬交響楽団の音楽監督を務め、退任後は同交響楽団の名誉指揮者の称号を得ている。

古典配置での演奏。高関はノンタクトでの指揮。速めのテンポで颯爽と進むベートーヴェンであり、第1ヴァイオリンに指示するために左手を多用するのも特徴である。

「英雄」の演奏終了後には、プロメテウス繋がりで、「プロメテウスの創造物」からの音楽が演奏された。

 

交響曲第4番を演奏する小泉和裕指揮の九州交響楽団。アクロス福岡 福岡シンフォニーホールでの収録である。

九州も比較的音楽の盛んな場所だが、プロオーケストラは福岡市に本拠地を置く九州交響楽団のみである。人口や都市規模でいえば熊本市や鹿児島市にあってもおかしくないのだが、運営が難しいのかも知れない。

小泉和裕は徒にスケールを拡げず、内容の濃さで勝負するタイプだが、この交響曲第4番は渋めではあるが情報量の多い演奏となっており、なかなかの好演である。

演奏終了後に、序曲「レオノーレ」第3番の演奏がある。ドラマティックな仕上がりで盛り上げも上手く、交響曲第4番よりも序曲「レオノーレ」第3番の演奏の方が上かも知れない。

 

交響曲第5番を演奏するのは、阪哲朗指揮の山形交響楽団。長く一地方オーケストラの地位から脱することが出来なかったが、飯森範親を音楽監督に迎えてから攻めの戦略により、一躍日本で最も意欲的な活動を行うオーケストラとしてブランド化に成功した。キャッチフレーズは、「食と温泉の国のオーケストラ」。山形テルサ・テルサホールという音響は良いがキャパ800の中規模ホールを本拠地とするのが弱点だったが、今年、オペラやバレエ対応のやまぎん県民ホールがオープン。更なる飛躍が期待されている。
今回はそのやまぎん県民ホールでの演奏。
山形交響楽団はピリオドアプローチや、弦楽器をガット弦に張り替えての古楽器オーケストラとしての演奏に早くから取り組んでおり、今回の演奏でもトランペットやホルンはナチュラルタイプのものが用いられている。

阪哲朗はノンタクトで振ることも多いのだが、今回は指揮棒を使用。
冒頭の運命動機を強調せず、フェルマータも比較的短め。流れ重視の演奏である。速めのテンポで駆け抜ける若々しくも理知的な演奏であり、中編成の山形交響楽団とのスタイルにも合っている。

演奏終了後には、「トルコ行進曲」が演奏された。


尾高忠明と大阪フィルハーモニー交響楽団は、一昨年にフェスティバルホールでベートーヴェン交響曲チクルスを行っているが、「田園」だけが平凡な出来であった。「田園」はベートーヴェンの交響曲の中でも異色作であり、生演奏で名演に接することも少ない。

まず「プロメテウスの創造物」序曲でスタート。生き生きとした躍動感溢れる演奏である。

「田園」も瑞々しい音色と清々しい歌に満ちた満足のいく演奏になっていた。

 

 

録画しておいた、Eテレ「クラシック音楽」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第四夜を視聴。川瀬賢太郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番、秋山和慶指揮札幌交響楽団による交響曲第8番、下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」の演奏が放送される。

今年36歳の若手、川瀬賢太郎。広上淳一の弟子である。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者は契約を更新しないことを表明しているが、名古屋フィルハーモニー交響楽団の正指揮者としても活躍している。
神奈川フィル退任の時期や広上で弟子であることから、あるいは京都市交響楽団の次期常任指揮者就任があるのかも知れないが、今のところ広上の後任は発表になっていない。

「のだめカンタービレ」で有名になった交響曲第7番だが、曲調から若手指揮者が振ることが多く、佐渡裕のプロデビューも新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した第7をメインとしたコンサートだった。川瀬もやはり第7を振る機会は多く、今までで一番指揮したベートーヴェンの交響曲だそうである。
リハーサルでも単調になることを嫌う様子が見て取れたが、しなやかにして爽快な第7を演奏する。

愛知県芸術劇場コンサートホールで何度か実演に接したことのある名古屋フィルハーモニー交響楽団。意欲的なプログラミングでも知られており、今年もベートーヴェン生誕250年特別演奏会シリーズが予定されていたようだが、そちらは残念ながら流れてしまったようである。

第7の後に、「英雄」の第3楽章が演奏された。

 

第8番を演奏する秋山和慶指揮札幌交響楽団。日本屈指の音響との評判を誇る札幌コンサートホールKitaraでの演奏である。
秋山はレパートリーが広く、何を振っても一定の水準に達する器用な指揮者であり、外国人指揮者が新型コロナウイルス流行による入国制限で来日出来ないというケースが相次いだ今年は、各地のオーケストラから引っ張りだことなった。
岩城宏之が、「日本のクリーヴランド管弦楽団にする」と宣言して育てた札幌交響楽団。尾高忠明の時代に「シベリウス交響曲全集」や「ベートーヴェン交響曲全集」を作成し、好評を得ている。
秋山の適切な棒に導かれ、透明感のある音色を生かした活気ある演奏を示した。

 

下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」。序曲が有名な「エグモント」だが、劇音楽全曲が演奏されることは珍しい。

NHKの顔となる大河ドラマのオープニングテーマを何度も指揮している下野竜也。NHKとN響からの評価が高く、来年もN響の地方公演を振る予定がある。
下野は広島交響楽団に音楽総監督という肩書きで迎えられており、期待の大きさがわかる。
語りをバリトン歌手である宮本益光(歌手の他に語りなどをこなす器用な人であり、寺山修司ばりに、職業・宮本益光を名乗っている)が務め、ソプラノは石橋栄実(いしばし・えみ)が担当する。
下野らしいドラマティックな演奏であり、広島交響楽団の実力の高さも窺える。
人口で仙台市とほぼ同規模である広島市。両都市とも地方の中心都市でありながら音楽専用ホールがないという共通点があったが、広島は、旧広島市民球場跡地隣接地に音楽専用ホールを建設する予定がある。

 

 

午後8時から、オーケストラでつなぐ希望のシンフォニーのダイジェストを含む今年のクラシックシーン(例年に比べると寂しいものである)を振り返った後で、12月23日に東京・渋谷のNHKホールで収録されたNHK交響楽団の第九演奏会の模様が放送される。指揮は、スペイン出身のパブロ・エラス・カサド。フライブルク・バロック・オーケストラを第九と合唱幻想曲で本年度のレコード・アカデミー大賞を受賞した指揮者である。ノンタクトで汗をほとばしらせながらの熱演。

新型コロナ流行下での第九演奏であるため、合唱を務める新国立劇場合唱団は人数を抑え、前後左右に距離を空けての配置。歌唱時以外はマスクを付けていた。

HIPを援用した快速テンポによる演奏であるが、音が磨き抜かれており、N響の技術も高く、耽美的な演奏となる。
N響も本当に上手く、真のヴィルトゥオーゾオーケストラといった感じである。90年代にN響の学生定期会員をしていた時にも、「不器用だが上手い」という印象を受けていたが、今、90年代に収録された映像やCD化された音源を聴くと、「あれ? N響ってこんなに下手だったっけ?」と面食らうこともある。それほど長足の進歩を遂げたという証でもある。
カサドがスペイン出身ということも影響していると思われるが、音の重心が高めであり、フルートやヴァイオリン、ピッコロといった高音を出す楽器の音が冴えているのも特徴である。全体的に明るめの第九であり、アバド、シャイー、ムーティといったイタリア人指揮者の振った第九との共通点も見出すことが出来る。
第3楽章もかなり速めのテンポを取りながら溢れるような甘さを湛えているのが特徴である。
合唱も例年に比べると編成がかなり小さいが、収録されたものということで音のバランスは調整されており、迫力面でも不満はない。ライブではどんな感じだったのであろうか。

見通しの良い第九であり、甘美なのもこうした年の最後を締めくくる第九としては良かったように思う。

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2020年12月31日 (木)

コンサートの記(677) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか 「第9シンフォニーの夕べ」2020

2020年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の「第9シンフォニーの夕べ」に接する。

本来は今年の大阪フィルの第九は、ラルフ・ワイケルトが指揮する予定だったが、新型コロナウイルスの流行による外国人入国規制により来日不可となり、音楽監督の尾高忠明が代わって指揮台に立つことになった。
ワイケルトが京都市交響楽団の定期演奏会に客演した時に、大阪フィルの事務局次長(事務方トップ)の福山修氏がいらしていて、私も挨拶したのだが、その後に大阪フィルの定期演奏会のプレトーク(フェスティバルホールのホワイエで福山さんが行っている)で、やはり京響の定期で福山さんを見かけた方から、「なんで京響の定期にいらしてたんですか?」と質問があり、福山さんは「実はワイケルトさんを大フィルにお呼びしたいと思っておりまして」と明かしていた。それが今回の第九への客演依頼だったのだが、残念ながら今回は流れてしまった。

コロナ禍にあって、第九の演奏会が中止になるところも少なくなかったが、大フィルはなんとか6月以降は定期演奏会も含めて本拠地のフェスティバルホールでの演奏会はほぼ行うことが出来た。ただ、それ以外のコンサートは中止になったものも多く、クラウドファンディングが始まっている。年末の第九も本来は2回公演になるはずだったが、今日1回きりに減っている。

 

今日のコンサートマスターは、須山暢大。第1ヴァイオリン16という大編成での演奏である。ドイツ式の現代配置をベースにしているが、コロナ対策のため、通常とは布陣が異なる。
オーケストラと背後の合唱のためのひな壇の間には、平台と同じ大きさと思われる透明のボードが横に18枚、ずらりと並んでいる。ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄り、第3楽章以降にステージに登場する打楽器奏者がその更に下手に並ぶ。下手にいることが多いホルンは上手側奥、チェロの背後に配置される。ステージ下手端に平台が斜めに並べられており、そこが独唱者が歌うスペースになる。独唱者は、髙橋絵理(ソプラノ)、富岡明子(アルト)、福井敬(テノール)、青山貴(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
ソリストと合唱、シンバルやトライアングルなどの打楽器奏者は第2楽章が終わってからの登場。合唱団員は各々前後左右にスペースを取り、口の前に布を垂らしている。おそらくあれが東京混声合唱団が開発した「歌えるマスク」なのだろう。

2700席のフェスティバルホールに、今日は約2300人が来場の予定だそうで、コロナ下にあってはまずまずの入りである。1階席の前の方の席は飛沫を考慮して発売されていない。

 

中庸かやや速めのテンポでスタート。弦楽器はかなりビブラートを抑えての演奏であり、冒頭などは音型がクッキリしているため、第2ヴァイオリンの音などはかなり不吉に響く。ティンパニはバロックタイプのものではないが、時折、硬い音を出し、ピリオドの響きを意識しているようである。
尾高さんもこのところはフォルム重視というより内容を抉り出すような音楽を好むようになってきているように思われるが、今回も音を磨くよりもベートーヴェンの先鋭性を的確に浮かび上がらせるような演奏を行う。以前だったら第3楽章などはテンポを落としてじっくり歌ったと思うが、今日はスッキリした運びで、音の動きの特異性などを明らかにしていたように思う。同じくNHK交響楽団正指揮者で、同じように関西にポジションを持つ外山雄三も最近はそうしたスタイルに変えているようで、ベテランであっても最新の研究成果を取り入れることに熱心であるようだ。スッキリしているといっても旋律美自体は大事にしており、ベートーヴェンを一面だけから語るということは避けている。

第4楽章も巧みな音運びで、独唱者も充実。尾高さんには珍しくアゴーギクなども行う。ソーシャルディスタンス配置による合唱であるが、例年よりは歌声に隙間が生じた感じになってしまうのは致し方ないところである。周りの声が聞こえにくい配置とマスクというハンデを考えればかなり充実した歌唱であり、世界で唯一、年末が第九一色に染まる国、日本の合唱団のレベルの高さを示していた。

今年は世界史上に永久に残るほどの「大変な年」であり、来年が今年よりも良くなるという保障もどこにもない。人類は大きな危機に直面しているといえる。ただそんな年であっても日本では第九が演奏され、「歓喜の歌」が歌われる。
人類は未だ楽園には到達していないが、そこに到る歩みを止めてはいない。ベートーヴェンとシラーの吶喊を受けて、来年と、楽園へ辿り着くいつかに思いをはせながら、「歓喜の歌」に身を浸した。ラストの未来へと続く行進に私も加わっている思いだった。

 

今年も第九の後に、福島章恭(ふくしま・あきやす)指揮大阪フィルハーモニー合唱団によるキャンドルサービスの「蛍の光」が歌われ、「大変な年」にひとまずの句点が打たれたことを感じる。生きているだけで幸運という年になったが、2021年が今年よりは良い年になることを願わずにはいられない。


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2020年11月18日 (水)

コンサートの記(668) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第543回定期演奏会

2020年11月13日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第543回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

曲目は、グレース・ウィリアムズの「海のスケッチ」と、マーラーの交響曲第5番。

今日のコンサートマスターは、崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏。マーラーでの弦はファーストヴァイオリン14型であり、フル編成での演奏となる。

グレース・ウィリアムズ(1906-1977)は、ウェールズ出身の女流作曲家である。ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックでヴォーン・ウィリアムズに師事し、その後、カーディフのBBCウェールズに勤務していたという。
尾高がグレース・ウィリアムズの存在は知ったのは、BBCウェールズ交響楽団の首席指揮者を務めていた時代(1987-1995)で、楽団員から「海のスケッチ」を良い曲だと薦められ、BBCウェールズ響と演奏しているという。尾高はその後、2001年に当時音楽監督を務めていた札幌交響楽団を指揮してこの曲の日本初演を行っており、新日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団、読売日本交響楽団とも同曲を演奏しているそうである。

弦楽オーケストラのための作品で、「強風」「航海の歌」「セイレーン海峡」「砕ける波」「夏の穏やかな海(平和な海)」の5部からなっている。
ウェールズはイングランドとは文化が少し異なるが、同じ英国(U.K.)ということもあり、イギリス的な音楽であることは間違いない。海の様々な表情を描いており、波の動きを描写した部分もあれば、海よりも風の要素が強い箇所もある。荒さは余り感じられず、ノーブルな作風であるというところがいかにも英国の作曲家の作品らしい。
なお、ラストに当たる「夏の穏やかな海(平和な海)」は、マーラーの交響曲第5番より第4楽章「アダージェット」に旋律や印象が似ており、マーラーの交響曲第5番をメインとするコンサートの前半に入れられた理由がわかる。

 

マーラーの交響曲第5番。人気曲であり、コンサートで聴く機会は多いが、フェスティバルホールで聴くのはあるいは初めてかも知れない。大阪フィルはエリアフ・インバルを招いたフェスティバルホールでの定期演奏会で、この曲を演奏しているが、私自身はその演奏会は聞き逃している。

尾高忠明というと、フォルムを大切にする音楽作りが特徴で、日本における正統派指揮者というイメージであり、実際にそうだったのだが、このところは表現主義的な演奏に傾きつつあり、この曲でも外観を損ねてでも内容をえぐり出すという、ある意味、マーラーのユダヤ的要素に光を当てた演奏となる。
スケールは大きく、バランス感覚にも秀でているが、それ以上にマーラーの苦悩や戦きを炙り出すことに焦点を当てており、チェロを強く奏でることで意図的に構図を不自然にするなど、マーラーの異様な部分をそのままに描き出す。強弱の対比も鮮やかであり、速度を上げることで、他の演奏では単なる旋律でしかなかったものが崩壊の描写として確認出来るようになっている。

マーラーの交響曲第5番は、第1楽章と第2楽章が第1部、第3楽章が第2部、第4楽章と第5楽章が第3部と作曲者によって指示されている。それに従わない指揮者もかなり多いのだが、尾高は指示通り、第2楽章と第3楽章の間、第3楽章と第4楽章の間に比較的長めの休止を取り、第1楽章と第2楽章の間、第4楽章と第5楽章の間は逆にほぼアタッカで演奏を行った。

マーラーの生前からマーラー作品を高く評価していたウィレム・メンゲルベルクにより、「妻アルマへのラブレター」と評された第4楽章「アダージェット」であるが、この曲全体がベートーヴェンの交響曲第5番に範を取った英雄の物語と解釈すると、「アダージェット」はアルマとは余り関係のない、英雄のまどろみのようなものであり、第5楽章の冒頭で夢から醒めた英雄が勝利へと向かうという筋書きが見えてくる。第5楽章冒頭のホルンはどう聴いても目覚めを促す声であるため、マーラーがアダージェットをまどろみとして書いた可能性は結構高いはずである。
昨今ではスッキリとしたテンポによるアダージェットの演奏も多いが、尾高は中庸からやや遅めのテンポを取り、適度な甘美さでこの楽章を歌った。

続く第5楽章も尾高としては比較的テンポを動かす演奏であり、終盤に向けての高揚感も鮮やかである。大フィルも細かな傷はあるが、内からエネルギーが溢れ出す様がハッキリと見えるようなパワフルな演奏を展開。この楽団の長所が存分に発揮された秀演となった。

尾高は最後に客席に向かって、「コロナに負けずに頑張りましょう」とコメントし、コンサートはお開きとなった。

ちなみに、渋沢栄一を主人公とする来年の大河ドラマ「青天を衝け」のオープニングテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫の一人でもある尾高忠明が務めるようである。

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2020年10月21日 (水)

コンサートの記(661) 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第542回定期演奏会

2020年10月13日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第542回定期演奏会を聴く。当初はイタリア系アメリカ人のロバート・トレヴィーノ(京都市交響楽団に客演したことがあり、その時はイタリア風のロベルト・トレヴィーノ表記であった)が指揮台に立つ予定だったが、新型コロナウイルス流行による外国人入国規制ということで、小林研一郎が代役として登場する。

曲目も一部が変更になり、ジョン・アダムズの「ハーモニウム」に代わってベートーヴェンの交響曲第2番、そしてチャイコフスキーの交響曲「マンフレッド」(マンフレッド交響曲)が演奏される。

小林研一郎は、1940年生まれということで、今年で傘寿を迎えた。東京で傘寿記念として交響曲「マンフレッド」を含むチャイコフスキー交響曲チクルスを行う予定があったのだが、延期となっている。そんな中、たまたま交響曲「マンフレッド」の演奏を行う予定だった大阪フィルの指揮者が来日不可となったため、小林が代役を引き受けることになったのだと思われる。

東京ではベートーヴェンの交響曲全曲を一日で演奏するという企画に何度も挑んでいる小林であるが、関西で小林の指揮するベートーヴェンを聴く機会はそう多くない。大フィルのサマーコンサートには毎年登場して、「未完成」「運命」「新世界」を指揮しているがそれぐらいである。


今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。今日はベートーヴェンが第1ヴァイオリン14、チャイコフスキーが第1ヴァイオリン16という大編成での演奏となる。

チューニングが終わってすぐに、小林が猫背の早足で登場。コンサートマスターの崔とフォアシュピーラーの須山とエルボータッチを行った後で、「本日はお越し下さりありがとうございます。こんな状況ですが、チャイコフスキーのマンフレッドに感銘を受けました」と語り、「大阪フィルのメンバーの情熱」と「お越し下さった皆様方のオーラを受け取って」演奏を行うと述べた。


ベートーヴェンの交響曲第2番。譜面台は置かれているがその上に総譜は乗っておらず、暗譜で指揮となる。ピリオド援用スタイルの演奏であり、弦楽はビブラートを抑え、ボウイングもHIPの様式で行う。ただテンポは昨今の演奏としてはやや遅めであり、時に豪快でスケール豊かな演奏が展開される。
小林は大フィルから極めて瑞々しい音を引き出す。第2楽章冒頭のヴァイオリンの響きの繊細さなどは、耳の疾患の予兆に苦しみながら創作を続けたベートーヴェンの心の震えや憧れなどを伝える。
テンポが遅めであるため、音型の細部まで聴き取ることが可能で、面白さにも溢れたベートーヴェンとなった。一方で密度は薄めで、テンポ設定の難しさが感じられる。両立は困難であるため、どちらかを選択することになるのだが、小林の個性を考えると今回の判断は正しかったと思える。


チャイコフスキーの交響曲「マンフレッド」。標題作品であり、交響曲でなく交響詩と捉えられることもある曲であるが、チャイコフスキーの交響曲としては知名度が低く、「チャイコフスキー交響曲全集」などにも含まれないことが多い。交響曲第4番と第5番の間という、チャイコフスキーの創作が今ひとつ乗らなかった時期に作曲されており、作曲者自身も後に第1楽章以外を破棄しようとしたり、作り替えたりしようとして果たせずに終わっている。
大阪フィルは、2013年にウラディーミル・フェドセーエフの指揮で交響曲「マンフレッド」を演奏しているが、その時はラストにオルガンの入らない「原典版」での演奏であった。今回はオルガン入りの演奏であり、電子オルガンを関西ではお馴染みの桑山彩子が弾く。

小林は、名古屋フィルハーモニー交響楽団を指揮した交響曲「マンフレッド」のCDをリリースしており、ベスト盤に挙げたいほど出来が良かっただけに期待が高まる。

交響曲「マンフレッド」は、ロシア五人組のリーダーであったバラキレフがチャイコフスキーに持ちかけた企画だという。バラキレフは最初はベルリオーズに提案を行ったが、断られたため、話がチャイコフスキーに行ったようだ。ベルリオーズに提案を行ったということで、バラキレフが幻想交響曲のようなものを期待していたことが窺えるが、チャイコフスキー自身も当然ながら幻想交響曲を念頭に置いて作曲を行ったと思われる。だが最終的には叙事詩や物語というよりも4つの場面の風景画のようなものとして作曲、結果としてまとまりに欠ける印象の作品となった。チャイコフスキーが残した手紙から、躁鬱状態で作曲された可能性が分かっており、まとまりのなさに繋がっているのかも知れない。メロディー的にはチャイコフスキーらしい美しさがあるのだが、旋律が浮かんでは消え、浮かんでは消えといった印象でとりとめがない。

譜面台の上にマンフレッド交響曲の総譜が乗っていることは確認出来るのだが、小林がそれに手を伸ばすことはなく、やはり暗譜での指揮となった。

小林の指揮する大フィルは、ベートーヴェンの交響曲第2番の時と同様、瑞々しい音色がまず印象に残る。スケールも大きく、細部の描き方も丁寧である。楽曲の弱さは否めないが、大フィルの長所を十分に弾き出し、演奏自体は充実したものとなる。
ラストにオルガンが高みからの響きのように奏でられ、オーケストラがそれに寄り添っていく。いかにも仰々しく、取って付けたような救いにも感じられる場面なのだが、こうしたコロナ禍の中で聴くと、「こういうラストも案外良いかも」と思われてくる。聴く状況によっても音楽の印象は変わってくる。「歌は世につれ世は歌につれ」というが、あるいは時代と音楽が突如マッチする瞬間というものもあるのかも知れない。

演奏終了後、小林は弦楽最前列の奏者全員とエルボータッチを行い、コントラバス奏者の下にも歩み寄って2人とエルボータッチ。管楽器奏者のトップにも足を運んで演奏を讃える。その後、パートごとに声を出して紹介して、拍手を受けさせた。

小林はマイクを手にスピーチを行う。「80歳にもなると昔と違って上手く頭が回らなくなります」と言いつつ、大フィルの演奏を「人間業を超えた音」と讃えた。
「大きな声を出すことが出来ないということで、残念に思われてる方もいらっしゃるでしょうが、代わりに私が言っておきます。素晴らしかったよ!」

今年はサマーコンサートも中止となり、年齢も80になったということで、大フィルへの客演も「もうこれで」と、今回が最後となりそうなことを仄めかしたりもしたが、最後は「明日もまたいらっしゃって下さい」と言って笑いも取っていた。

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2020年10月 5日 (月)

コンサートの記(659) 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第396回定期演奏会 「わが祖国」全曲

2006年3月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第396回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大阪フィルを振るのは9年ぶりになるという小林研一郎(愛称:コバケン)である。
コバケンの演奏会には東京にいる時は良く出かけたが、考えてみれば、私がコバケンの指揮を見るのも7、8年ぶりだ。
演目はスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲。

「わが祖国」は名曲ではあるが、聴き通すには集中力がいる。CDも何枚か持っているが、いずれも聴き通すには覚悟がいる。気楽に聴ける曲ではないし、気楽に聴くと面白くない曲でもある。

コンサートなら自ずと集中せざるを得ないから、この曲の真価を堪能するにはやはりライヴということになる。

「わが祖国」のコンサートでは、チェコ人のイルジー(イエジー)・コウトが指揮したNHK交響楽団の演奏が二つの意味で印象に残っている。一つは勿論、演奏の素晴らしさだが、もう一つはNHKホールの3階席上部を占拠した修学旅行生のマナーの悪さ。しかし、最初に接したコンサートが「わが祖国」だったりしたら、「もう一生、クラシックなんて聴くものか」と思う生徒が大半を占めてしまうのではないだろうか。長い上に、「モルダウ」を除いてはポピュラリティーに欠ける。芸術性の高い曲だが、ごく一般的な中高生に芸術性なんてわかるはずがない。というわけで、これは教師のミスだろう。そもそも教師も「わが祖国」がどのような曲か知らなかった可能性も高い。こうして日本の音楽教育は音楽嫌いを増やすことになっていくのかも知れない。

思い出はこれぐらいにして、今日の演奏の出来は文句なしである。この間演奏を聴いた下野さんにも佐渡さんにも悪いけれど、やはり現時点では二人ともコバケンさんの敵ではない。

コバケンさんは視覚的にも面白い指揮者である。「炎のコバケン」の異名の通り、情熱の噴出する指揮ぶり。しかし大袈裟というほどでもない。指揮棒を持った右手のみで指揮する場面も多く、左手は要所要所で用いていたが、以前もこのような指揮だっただろうか? 記憶では右手も左手も同程度用いていた気がする。指揮が変わったのか、あるいは曲目からか。

大阪フィルは非常に良く鳴る。下野竜也の指揮でも良く鳴っていたが、比較にならない。

今日はポディウム席で聴いていたが、音に問題はなし。ザ・シンフォニーホールは舞台背後の席も音が良い。

コバケンさんは指揮者として芽が出るのが遅かったからか、謙虚なところがあり、一曲ごとに指揮台から降りて、オーケストラに向かって一礼してから振り始める。普通はそういうことをするとオーケストラに舐められるのであるが、コバケンさんは音楽がしっかりしているからか、逆に好感を持たれているようだ。

「モルダウ」の終結部、二つの和音が鳴る直前のピアニッシモのところで何故か拍手が起こり、会場が白けてしまったのが残念だが(白熱した演奏なので曲が終わってから拍手が起こるのなら自然だったと思う。しかしこんな有名な曲でフライング拍手をしないで欲しい。曲が終わってから拍手するつもりだった人が白けて熱心に拍手できなかったのがわかった)、前半はオーケストラをものの見事にドライブした快演であった。コバケンさんは唸り声も凄いので、それが気になった人もいるだろうが。

「わが祖国」はタイム的には全6曲を通して演奏してもCD1枚に収まる程度なのだが、やはり演奏者も聴衆も集中力が持たないので、3曲目の「シャールカ」と4曲目の「ボヘミアの森と草原から」の合間に休憩が入る。

休憩時間に、「何だあの拍手は」と話題にする人が多い。

後半も快調、「ボヘミアの森と草原から」の悠揚たる迫力に圧倒され、「ターボル」の間をしっかり取った緊張感溢れる演奏に息を呑む。

ラストの「ブラーニク」には私の好きなオーボエソロがあるのだが、オーボエの音がスムーズに出ない。どうやらリード作りに失敗したようである。オーボエソロの美しさが堪能出来なかったのは残念だが、阿修羅と不動明王に毘沙門天が取り憑いたかのような、恐ろしくなるほどスリリングな演奏であった。終演後、いつも以上に会場が沸く。

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