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2026年2月15日 (日)

コンサートの記(948) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団豊中演奏会 オールNHK大河ドラマテーマ曲

2026年2月6日 曽根の豊中市立文化芸術センター大ホールにて

午後7時から、曽根にある豊中市立文化芸術センター大ホールで、「大阪フィルハーモニー交響楽団豊中演奏会」を聴く。指揮は下野竜也。全曲、大河ドラマのテーマ曲というプログラムである。

大河ドラマのテーマ曲は、NHK職員の息子で、自称「大河フェチ」の広上淳一が当時の手兵であった京都市交響楽団と、前半が大河ドラマのテーマ、後半がクラシック名曲という形で何度か行っており、京響の常任を離れてからもニューイヤーコンサートなどで取り上げている。
また本家のNHK交響楽団は、沖澤のどかの指揮で、さいたま市の大宮ソニックシティ大ホールで大河ドラマのテーマ曲とクラシック名曲のコンサートを来月行う予定である。ちなみにチケット料金であるが、N響が大フィルの倍以上高い。

久しぶりの豊中文芸。豊中市は日本センチュリー交響楽団のホームタウンであるため、センチュリー響が豊中文芸で優先的に演奏会を行っているが(定期演奏会は大阪市内のザ・シンフォニーホールから変更なし。おそらくザ・シンフォニーホールでやった方が豊中で行うよりも客が入る)、大阪フィルハーモニー交響楽団は大阪市の南の方(西成区岸里)に本拠地を置いているため、豊中で演奏する機会はそう多くないはずである。

下野竜也は大阪フィルの1月の定期を振り、その後、京都市ジュニアオーケストラのリハーサルと本番、更に大フィルの豊中演奏会と続いており、おそらくずっと関西で過ごしているものと思われる。
下野は、大フィルの指揮研究員出身だが、研究員であった2年間は、豊中市の庄内(大阪音楽大学がある場所)で暮らしていたそうだ。

下野が大河ドラマのテーマ曲を振ったのは計7回で、近年では最多となる。
ここ10年ほどは、下野と同じくNHK交響楽団の正指揮者である尾高忠明、広上淳一の3人で回しており、今年の大河「豊臣兄弟!」のテーマ曲指揮者として沼尻竜典が新たに加わっている。

 

曲目は、大島ミチルの「天地人」、芥川也寸志の「赤穂浪士」、湯浅譲二の「元禄太平記」、林光の「花神(かしん)」、池辺晋一郎の「黄金の日日」と「独眼竜政宗」、山本直純の「武田信玄」、千住明の「風林火山」、坂本龍一の「八重の桜」、吉松隆の「平清盛」、服部隆之の「真田丸」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、菅野祐悟の「軍師官兵衛」、エバン・コールの「鎌倉殿の13人」、ジョン・グラムの「べらぼう」

N響が今年の大河「豊臣兄弟!」のテーマ音楽を演奏するのが売りなら、大フィルは昨年の大河「べらぼう」のコンサート初演奏を実際に指揮した人のタクトで聴けるのが魅力である。

ゲストは3人。先に記した三浦文彰、作曲家の池辺晋一郎、オンド・マルトノ奏者の原田節(たかし)。池辺晋一郎は作曲の拠点は東京だが、アクリエひめじなど姫路市での仕事も多く、また「川が流れてる街が好き」と述べたことがあり、「大阪とか」と大阪市を筆頭に挙げている。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置による演奏だが、豊中市立文化芸術センター大ホールはステージが比較的狭いので、大編成の大フィルが乗ると、「ぎっしり」という感じである。
邦楽器の音は、下手端に位置するキーボードが出していた。また「赤穂浪士」では、エレキギターが演奏された。

下野は、身長が高くないので、高めの指揮台を使用。総譜であるが、製本されていないので、印刷された譜面を1曲ごとに取り替えて指揮していた。
司会を兼ねながらの指揮(「司会をします。たまに指揮もします」と冗談を言っていた)。

豊中市立文化芸術センター大ホールは、西宮市にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールをモデルとして建てられたが、サイズや内装、音響なども異なるため(音響設計は、クラシック音楽専門のところではなく映画館の音響が専門の会社に頼んでいるはずである)、今日の演奏会では、音が塊となって迫ってくるかのよう。やはりこのホールには中編成から小編成のアンサンブルの方が相応しいようである。

下野は、俳優には余り詳しくないようで、「妻夫木聡」という名前を何度か間違えていた。
「映画に負けない時代劇を作ろう」という掛け声と共に始まった大河ドラマ。当時の時代劇映画は、一流の作曲家に音楽を依頼することが多かったため、負けないためにはこちらも一流の作曲家を起用する必要がある。これまでの大河ドラマの音楽担当者を見ても、著名な作曲家の名前が綺羅星の如く並んでいる。

芥川龍之介の三男で、芥川也寸志作曲賞にその名を残す芥川也寸志。ソ連の音楽に詳しくショスタコーヴィチ作品の紹介なども行っていた人である。「赤穂浪士」のテーマ音楽(本編での演奏はまだNHK交響楽団ではない)は、数ある大河のテーマ曲の中でも知名度は随一。赤穂浪士を描いた音楽としては最も有名で、民放のバラエティ番組なども赤穂浪士を紹介する際にはこの音楽を流すことが多かった。ちなみに大河ドラマの音楽は、テーマもその他の音楽もフリー素材扱いとなり、自由に使うことが出来る。
芥川の「赤穂浪士」はすでに大河ドラマのテーマ曲のみならず、彼のオーケストラ小品と見なして間違いないと思われる。

「元禄太平記」の音楽を担当した湯浅譲二は、「徳川慶喜」のテーマ音楽でも知られている。現代音楽の作曲であり、いつも易しい音楽を書くということはしなかった。「元禄太平記」の音楽は平明である。主人公は異例の出世を遂げた柳沢吉保。ただ柳沢吉保は男色好きで、時の将軍・徳川綱吉も衆道を好んだ。ということで教科書に書けない、テレビにも映せない何かがあったのかも知れない。

林光は、現代音楽の風潮を嫌い、メロディー第一の作曲を行った人である。「花神」のテーマ曲でもテーマを繰り返しながら変化させるのが上手い。
「花神」の映像は、総集編が出ていて、私は見たことがある。司馬遼太郎の原作も読んだが、原作の方が面白かった。ただ全話見たら評価が覆るかも知れない。

池辺晋一郎作曲の「黄金の日日」と「独眼竜政宗」。演奏前に、池辺晋一郎がトークゲストとして登場。いきなり、「歯医者みたいなことやってるね。歯科医者(司会者)」とジャブ。池辺晋一郎というと駄洒落がお馴染みで、下野に「5回までにして下さい」と言われる。5回ということに掛かるが、池辺晋一郎は大河ドラマの音楽を冨田勲に並ぶ最多タイとなる5回手掛けている。

池部「5回。誤解のないように」

「黄金の日日」を手掛けていたときは、同時進行で「未来少年コナン」の音楽も担当していたそうで、大変な忙しさだったという。
主人公である呂宋助左衛門こと納屋助左衛門を演じた六代目市川染五郎は、2016年の大河ドラマ「真田丸」でも九代目松本幸四郎として同じ役を演じている(その年の暮れに二代目松本白鸚襲名を発表)。

「独眼竜政宗」は今も「好きな大河ドラマランキング」でたびたび1位を取る作品であるが、通常は前年の秋にテーマ音楽を録音するところを、N響が秋に海外ツアーを行うため、前年の8月に録音が行われることになった。脚本は2ページしか出来ておらず、仕方なくイメージを膨らませて作曲したそうだ。下野は、「独眼竜政宗」を見ていて、変わった音が鳴っていることに気付いたが、後にそれがオンド・マルトノの音だと知ったそうだ。
ということで、オンド・マルトノ奏者の原田節がステージ上に呼ばれる。オンド・マルトノは、メシアンのトゥーランガリラ交響曲に用いられていることで知られているが、使用されている曲はそれほど多くない。池辺は、「勇壮なイメージ」ということでオンド・マルトノを取り入れたそうである。
池部「伊達なので伊達に」
ちなみに流行語となった「梵天丸もかくありたい」と語っていた少年は、今は京都芸術劇場春秋座の芸術監督である。

池部は、「皆さん、テーマ曲が一番大変だと思うでしょ。でもそうじゃない。ドラマの中で流れる曲が大変。打ち合わせして、場面の切り替わりだとか転調」に合わせた音楽を書かないといけない。全話分で620曲ぐらい作曲するそうである。
「今はそうじゃない。ストックしておいて、合った曲を選ぶ。でも事前に100曲から200曲ぐらい書くので、準備が大変。あと使われない曲も出てくる」
更に、「テーマ曲が大変なのは手間が掛かる」と駄洒落を言っていた。
原田節も池辺に合わせて、池辺「和音が出来ない」、原田「わおーん」と言ったり、一番端に置かれたスピーカーのような見た目の楽器の裏に銅鑼がついているのだが、「どこでも銅鑼」と言って、下野は、「原田さん、普段、こんな人じゃないんですよ」とフォローしていた。

第1部では、昭和の大河ドラマのテーマ曲を取り上げたが、第2部では新しい曲も増える。

山本直純が作曲した「武田信玄」に続き、信玄の軍師として知られる山本勘助を主人公にした「風林火山」が演奏される。赤備えである。共に武田の騎馬隊をイメージして作曲している。「風林火山」の千住明は、母親に作曲したものを聴かせたのだが、「もっともっと」と要求されて、最後には「騎馬隊の馬の耳まで見えた」として納得出来る作品となったようだ。一部では、「コッペパーン」で始まる矛盾した歌詞が付けられて歌われている。

曲が多いので、下野も、「次ぎ、『八重の桜』ですよね」と頭がこんがらがるようだ。
「2分から3分の間に、ベートーヴェンの交響曲1曲分のエネルギーを皆さん込めるので、やる方は大変」

坂本龍一が唯一書いた大河ドラマのテーマ曲「八重の桜」。2013年、「八重の桜」放送当時に、坂本龍一本人がピアノとアンコール楽曲での指揮を担当した「Playing the Orchestra 2013」で取り上げている。私にとっては、新装オープンとなったフェスティバルホールでの最初のコンサートであった。その時は篠笛が鳴るという、ドラマ通りの編曲であったが、今回は篠笛も笛の類いも鳴らない編曲であった。坂本龍一はニューヨーク在住ということで、テーマ曲と、「八重のテーマ」だけを作曲。本編の作曲は中島ノブユキに託している。
現在、「八重の桜」はNHKBSで再放送中である。

吉松隆の「平清盛」。冒頭にピアノが活躍するが、これは「左手のピアニスト」として活躍している舘野泉が左手だけで弾いたものである。「梁塵秘抄」の「遊びをせんとや生まれけむ戯れせんとや生まれけむ」の部分をピアノで表している。ちなみにこの部分は純粋に遊ぶ子供を愛でているもので、「遊女が」という解釈は「梁塵秘抄」の性格に合わない。
時代に合わせてリアルなセットや服装にしたところ、神戸市長から「汚い」と苦情が入ったことでも知られる大河ドラマである。

服部隆之の「真田丸」。短い曲だが、この曲を演奏するためだけに大河本編でもヴァイオリンを弾いた三浦文彰登場。三浦文彰は最近は指揮者としても活動している。本編の指揮者は下野であり、オリジナルのソリストと指揮者が揃うことになった。下野は、ドラマにも堺の商人役で出演。セリフは、「はい」だけであったが、大河俳優となっている(?)。広上淳一が、「私も出たかったんです」と嫉妬していたが、その後に大河ではないが音楽監修を務めたTBS系日曜劇場の「さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~」にピアニカ奏者役でカメオ出演することになる。
三浦は、「服部先生に冒頭だけでも聴けて貰ったのが良かった。『土臭く。侍』というイメージも言って頂けた。作曲者に直接答えて貰えることは実は稀で。みんな死んじゃってるんで」と語っていた。
広上淳一指揮の京都市交響楽団がこの曲を演奏したときには、コンサートマスターの石田泰尚がソロを弾いたが、ソリストと、普段コンサートマスターとして活動しているヴァイオリニストの違いがよく分かった。
この曲はヴァイオリンが駆け、オーケストラがそれを追いかけるという構図を取っている。
三浦の退場後、下野は、「三浦さん、本番2分45秒でした」と語る。それだけのために豊中に来ている。

 

菅野祐悟の「軍師官兵衛」。菅野さんが席にいて、大フィルの福山さんと話しているように見えたのだが、気のせいだろうか。
京響に初登場した時は、雨天で、「嵐を呼ぶ男」と呼ばれるほどの雨男だと明かしてた菅野祐悟。その後、主に関西フィルハーモニー管弦楽団と仕事をすることが多く、交響曲などを発表している。

下野は演奏後、「(主演の)岡田准一さんの顔が見えましたか?(岡田准一は大阪府枚方市の出身で、今もひらかたパークのひらパー兄さんとして親しまれている)。これからは海外の作曲家が書いた曲を演奏します。エンニオ・モリコーネも書いていますが(「武蔵」。お蔵入り決定で、大河の黒歴史となっている)、エバン・コール。この人はアメリカ人ですが、日本のアニメにも詳しいです。これを録るときはコロナの頃だったものですから、あんまり大人数ではいけない。一応、全員でも録ったんですが、パートごとに分けて録る。ただそれをそのまま全部合わせると上手くいかないものですから(カラヤンはそうした手法でも録音していたようだが)、クリックを使おうと。しかし、オーケストラの音が大きいので、クリック音が聞こえるように音量を上げると外からも聞こえてしまう。そこで『電磁波クリックがあります』ということで、後頭部に電磁波が出るものを装着すると外には聞こえなくても頭の中には聞こえる。でもやはりオーケストラの音が大きい。今度は『針があります』ということで、腕時計に針が仕込まれていて交互に腕を指す。この曲には懐かしさもありますがあの痛さも思い出します」

エバン・コールの「鎌倉殿の13人」。演奏時間は2分15秒と短い。鎌倉時代が舞台で、戦国時代や幕末ほどには様々な人は登場しない。承久の乱も軽く触れるだけで、身内同士の殺し合いと姉弟関係を描くという内容であったため、キャストの数は他の大河に比べて少なめだったはずである。身内同士の粛正が多いので、陰惨でもあったが。
広上淳一と京都市交響楽団がこの曲を演奏した時には、掛け声は録音されたものをスピーカーから流していたが、今日は大フィルの団員がその場で声を発していた。

ジョン・グラムの「べらぼう」。下野はジョン・グラムについて、「『麒麟がくる』も作曲しています」と紹介する。
ジョン・グラムはアメリカ人だが(ちなみに生年が1960年または1961年とあり、よく分からないらしい)、日本情調の表し方も巧みである。

 

最後は、
下野「鹿児島県出身なので、鹿児島県が舞台になった大河を。『篤姫』じゃありません。『西郷どん』(富貴晴美作曲)という愉快な曲を」
主役オファーを断られ、当時、お茶の間では無名に近かった鈴木亮平が代役として大抜擢されるなど、色々あった大河だが、「西郷どん」が言葉通り愉快に鳴った。

下野は最後に、「大阪フィルの指揮研究員だった時、2年間だけ豊中市民でした。大阪フィルのメンバーに『どこに住んだらいいだろう』と相談したら、『庄内がいいんちゃう』と言われたもので、庄内の部屋とは反対側にある不動産屋に行って契約して。その時は部屋はまだ見てません。それから大阪フィルで、岩城宏之先生のドビュッシーの「海」のリハーサルを見学して、庄内の表側に行ったら、『楽しくて、庄内』と書いてあって、楽しい街だなあ」と思い出を語っていた。

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2026年2月 1日 (日)

コンサートの記(945) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第594回定期演奏会 バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)ほか

2026年1月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮は下野竜也。大フィル指揮研究員として朝比奈隆の下で学んだ指揮者でもある。ちなみに朝比奈の指揮に接した第一印象は、「何を振ってるのか分からないし、それなのに凄い音が出ていて訳が分からない」だったそうである。
現在は、NHK交響楽団の正指揮者、札幌交響楽団の首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラの音楽監督を務め、広島交響楽団から桂冠指揮者の称号を得ている。吹奏楽出身の指揮者だけに広島ウインドオーケストラの音楽監督として吹奏楽の普及にも励んでいるものと思われる。

曲目は、大栗裕(おおぐり・ひろし)の管弦楽のための「神話」、小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番、バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全一幕。出演:宮本益光、石橋栄実、田中宗利)。

いつものドイツ式の現代配置。今日のコンサートマスターは崔文洙だが、最前列の席だったため、崔文洙の隣で誰が弾いているのか見えず。真っ正面のコントラバスと、ヴィオラ奏者達の背中を見ることになる。管楽器はトロンボーンがわずかに見えるだけ。ただ「青ひげ公の城」ではトロンボーンが高い台に上って吹いたため、よく見えていた。

 

大栗裕の管弦楽のための「神話」。「天岩戸」を題材にした作品である。大阪フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者にして、大フィルのための作品も多く書いた大栗裕。下野竜也が大阪フィルを指揮してレコーディングデビューしたのも大栗裕作品であった。
大栗は大阪・船場の生まれ。天王寺商業学校(現・大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)を卒業後、実家の小間物問屋を継ぐが、音楽を志し、旧東京交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)や日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のホルン奏者として活躍。朝比奈に呼ばれ再び大阪へ。関西交響楽団時代の1955年に大フィルに入団し、1966年まで在籍。その後は作曲家として活躍している。
管弦楽のための「神話」は、天岩戸が閉じたところから始まり、どうやったら天照大神が出てくるのか神々が考えるところから始まる。太陽神である天照大神が引きこもってしまったため、この世は闇である。ちなみに天照大神は伊勢神宮(内宮)に祀られてからも、「一人で食事をするのが寂しい」ということで豊受大神を呼び寄せているため(伊勢神宮外宮)、「皇祖神なのにメンヘラ」と呼ばれていたりする。
とにかく鶏が鳴けば朝になったと思うだろうということで、トランペットが鶏の鳴き声を真似る。その後も引きこもりの天照大神だったが、天鈿女命が裸踊りを始め、神々がその滑稽さに笑い転げる(芸術・芸能の神である天鈿女命は大宮姫命と同一視されることがあるが、大宮姫命はどちらかというと文芸系の女神である)。一体何事かと岩戸を少し開けてみる天照大神。そこに鏡が差し出され、鏡を知らない天照大神は何が起こったのか戸惑う。そこへ天手力男命が岩戸を強引にこじ開けるというストーリーである。古事記の中でも特に有名な場面の一つであるため、知っている人も多いと思われる。ちなみに京都市の蹴上にある日向(ひむかい)大神宮には、いかにも「作りました」という感じの天岩戸があり、戸隠神社として天手力男命が祀られている(厄除けの神)。初めて見た時には笑ってしまうかも知れないが、面白いことは面白い。
今日のプログラム全般にいえることだが、土俗的な迫力があり、一種の野蛮な力強さが聴く者を惹きつける。下野も造形をきちんと測った上でだが、いつもより強烈なドライブを見せていた。

 

小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番。小山清茂も音大に学んだ人物ではない。長野師範学校(現・信州大学教育学部)在学中にピアノの音を聴いて魅せられ、独学で作曲をものにする。師範学校卒業後は長野や東京で教員として勤務していた。1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門で1位を獲得。1955年に教職を退いて作曲家として活動するようになっている。
鄙歌とあることからも分かるとおり、洗練とは真逆の古来から地方に残る生命力を音楽として昇華。力強い響きと「和」を感じさせる旋律を特徴とする。
「和讃」「たまほがい(上界と下界の魂のつどい)」「ウポポ(アイヌ語で室内で仕事をしたり儀式を行ったりするときに集団で歌う民謡)」「豊年踊り」の4部からなるが、今日は続けて演奏される。
やはり力強さが要求される曲であり、大フィルのパワーが生きている。大フィルも昔に比べると音に洗練度が増してきたが、こうした演奏も勿論可能である。

 

バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全1幕)。大フィルは2013年に再開場したばかりのフェスティバルホールで、井上道義の指揮で、ハンガリー人の歌手2人を招いて「コンサートオペラ」として「青ひげ公の城」を上演している。
「青ひげ公の城」は、バルトークが完成させた唯一のオペラで、オペラ・ブッファとは異なる猟奇系オペラの代表作である。猟奇系オペラというジャンルはないが、挙げていくと、「ヴォツェック」、「ルル」、「サロメ」、「ねじの回転」などが含まれるだろう。「トゥーランドット」も場合によっては入るかも知れない。
青ひげ公は残忍な王で、数多の人を死へと導いている。「青ひげ公の城」の話が効果的に使われている映画として黒沢清の出世作である「CURE」が挙げられる。役所広司演じる刑事・高部の妻である文江(若くして亡くなった中川杏奈が演じている。中川杏奈という著名人は複数いるようだが、1965年生まれで演出家の栗山民也の奥さんだった人である)は精神を病んでいるのだが、それがかなり重いと分かる場面に「青ひげ公の城」の絵本が使われている。

出演は、宮本益光(ますみつ。青ひげ公)、石橋栄実(えみ。ユディット)、田中宗利(吟遊詩人)。
宮本益光は、バリトン歌手の他に、演出・構成、外国語オペラ詞の上演用日本語訳、執筆など幅広く活動しており、著書の名は、『職業、宮本益光』である。
大阪音楽大学教授としても知られる石橋栄実。澄んだ声を特徴とするソプラノだが、今日は役が役だけに痛切な声を聞かせる。
田中宗利は、劇団ひまわり所属の俳優。京都大学文学部哲学科卒。ピアノやチェロを習い、指揮者としても活動している。

下野、宮本、石橋の3人は、2023年に広島でも「青ひげ公の城」を上演している。

 

譜面の上に置かれた照明以外は光が絞られてスタート。吟遊詩人役の田中宗利が上手側から現れて、この話が昔々の語り継がれてきた物語であるということを告げる。
そして演奏開始。下野の巧みなリードに導かれて、豪快にしておどろおどろしい音楽が奏でられる。やはりこのオペラはオーケストラが強靱でないといけない。
青ひげ公の城にやって来た青ひげ公と、妻となったユディット。青ひげ公が残忍な王であるということはユディットも知っている。だが、ユディットは、家族と婚約者を捨てて青ひげ公の王妃になることに決めた。何故なのかは分からない。帰る場所をなくしたが、ユディットはかなり積極的である。青ひげ公に対して何度も「愛している」を口にする。あるいは帰る場所がないので青ひげ公にすがるしかないのかも知れないが。一方、青ひげ公の方は「愛してくれ」とは言うが、一度も「愛している」と口にすることはない。ユディットが「『愛してる』と言って」と迫っても、別の話をする。愛してなどいないのかも知れない。だとしたら正直だが。
一見、青ひげ公がユディットの行動を制しているように見えるのだが、実際にはそうやってユディットの非常に強い好奇心を引き寄せているようである。まんまと鍵を開けさせ、いくつもの部屋を見せ、最後の部屋へ。鍵を開けたのも多くの扉を開いたのもユディットの責任である。最後の部屋には朝の女と昼の女と夕方の女がいた。ユディットは夜の女となる。コンプリートである。
だが、どの部屋にも血痕があった。涙の湖にだけはなかったが、それは涙の湖だからか。とにかく殺さずに残忍な何かが起こっていたとしてもそれは知るよしもない。涙の湖が本当に涙の湖だとしたら、泣いたのは前にいた3人の女ということになる。会ったときには、たまたま普通の精神でいただけで、ユディットも3人の女同様、泣いて湖に涙を落とすことになるのだろうか。

夜の女になったと分かった時点で、ユディット役の石橋栄実は下手に向かって退場するという演出だったが、さて、どこに向かったのか。最後の部屋以外に行く当てはないが。

各部屋は色のついた照明によって表現される。

オペラではあるが、管弦楽に力強さが求められる。その点、馬力に関しては日本屈指のオーケストラである大阪フィルの力がプラスに働く。
独唱者2名の歌唱も優れており、独唱者を伴った管弦楽曲のような緻密な音楽を見事に再現してみせていた。

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2025年12月 1日 (月)

コンサートの記(931) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第593回定期演奏会

2025年11月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバあるホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第593回定期演奏会に接する。指揮は、シャルル・デュトワ。
ここ数年は、毎年春から初夏にかけてに大阪フィルに客演していたデュトワ。だが昨年は、来日して東京での演奏会は指揮したものの、すでに体調の悪さは現れていたようで、大フィルのリハーサルにも現れたが、初日の終盤でリタイア。ヨーロッパに戻り、感染症(コロナではないとのこと)と診断されたが、めげずに再来日。予定通り福岡の九州交響楽団への初登壇を果たした。

今回も名誉音楽監督の座にあるNHK交響楽団を指揮してから大阪へとやって来たデュトワ。
N響でも大フィルでもメインとなるのはラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲である。

デュトワにとって、「ダフニスとクロエ」全曲は特別な楽曲である。モントリオール交響楽団の音楽監督に就任後、ローカルなオーケストラに過ぎなかったモントリオール響の実力を大幅にアップさせ、DECCAにレコーディングした同曲がベストセラーとなり、デュトワとモントリオール交響楽団の名を天下に轟かせている。
以後、フランス音楽を中心に録音を軌道に乗せたデュトワとモントリオール響(OSM)。ラヴェル、ドビュッシー、フォーレ、ベルリオーズ、ビゼー、フランクなどのフランス音楽と、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、チャイコフスキー、プロコフィエフなどのロシア音楽を録音。リリースしたCDの約半分が何らかの賞を獲得している。
デュトワは、NHK交響楽団ともDECCAにレコーディングを行っており、OSM相手ではなく個別にオネゲル交響曲全集やルーセル交響曲全集などのフランス音楽の王道からやや外にいる作曲家の作品も録音している。
OSMと決別した後は、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」でOSM盤を上回る出来を示している。フランス国立管弦楽団とは「プーランク管弦楽曲全集」を録音。協奏曲なども含む全集で、プーランクは名声に比して録音が少ないため重要な仕事となっている。

なお、大阪フィルハーモニー交響楽団の来年度の定期演奏会のプログラムが発表になったが、そこにデュトワの名はない。デュトワも先月89歳の誕生日を迎えた。「ダフニスとクロエ」で始まった環が「ダフニスとクロエ」でいったん閉じられようとしているのかも知れない。

 

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番(ピアノ独奏:小菅優)、ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:大阪フィルハーモニー合唱団)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りに陣取る。

オーケストラは90人編成だそうで、エキストラも多い。出演者一覧には、京都市交響楽団の一樂恒(いちらく・ひさし。チェロ)、京都フィルハーモニー室内合奏団の松田美奈子(ヴィオラ)の名が見える。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第22番。モーツァルトのピアノ協奏曲の20番台前半の中では取り上げられる回数が比較的少ない曲である。他の曲が個性に満ちているだけにやや埋もれ気味になるのかも知れない。
映画「アマデウス」では、売れなくなったモーツァルトがウィーンの街を一人で歩くシーンで第3楽章の冒頭が用いられている(選曲&音楽監督;ネヴィル・マリナー)。

小菅優は、日本の若手の代表格的存在であるピアニストだが、そろそろ中堅に差し掛かろうとしている。大きなコンクールに参加したことがないのが特徴だが、マックス・ポンマーが京都市交響楽団に客演した際、ソリストを務めた小菅優が子どもだった頃に参加したピアノコンクールの決勝で協奏曲の指揮を担当したと語っていた。優勝したそうである。マイナーなコンクールを受けたことはあるのかも知れない。
世界的なコンクールで好成績を収めると注目されるが、必ずしも良い成績を収めた奏者が順調なキャリアを築くとは限らない。

編成を小さめにしてピリオドを援用しての伴奏。フェエスティバルホールは空間が大きいので、最初のうちは伴奏が聞こえにくかったのだが、次第に耳が調節される。デュトワ指揮の伴奏だが、かなり陰が濃い印象である。明るい旋律を歌っていても陰が忍び寄ってくる。
小菅のピアノはモーツァルトらしく透明度が高く愛らしいが、こちらも次第に暗いものが底から溢れてくる。
第1楽章と第3楽章のカデンツァは、20世紀を代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンが書いたものを使用。ブリテンはピアノ協奏曲第22番に出てくる様々なメロディーをコラージュしたものをカデンツァとして纏めていたが、最後は不吉な感じで終わる。

もっとも明るいはずの第3楽章。だが、最初はピアノが弾き、ヴァイオリンが同じ音型を返していたものが、終盤では、ヴァイオリンはピアノが弾いた通りには演奏せず、次第に距離が出来ているように感じられる。ピアノ協奏曲第20番や、第23番の第2楽章で露わにした孤独な表情を、ピアノ協奏曲第22番では、悟られにくいように行っているように感じられる。同じ天才のブリテンは当然気付いたはずだ。

 

アンコール演奏は、ショパンの「エオリアのハープ」。駆け抜ける爽やかな風のような演奏だった。

 

ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲。演奏規模、上演時間共にラヴェル最大の作品である。ラヴェルはその後、演奏会用に2つの組曲を編んでおり、特にバレエ音楽の第3部をほぼそのまま転用した第2組曲はコンサートでもたびたび取り上げる。
デュトワの指揮する「ダフニスとクロエ」全曲は、実は以前に1度聴いたことがある。渋谷区神南のNHKホールで行われたNHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられたのだ。だが、その演奏会は、演奏内容以上に、上演中に震度3の地震が起こったことをことでよく記憶している。不幸中の幸いで、合唱だけの部分だったため、演奏は止まらず続けられたが(デュトワが地震に気付いたのかどうかは不明)、楽器の演奏だったら止まっていたかも知れない。震度3にしては揺れた方だった。この日の演奏会はNHKBS2(当時)で生放送されており、私も録画した映像を見たが、地震が起こった瞬間、男声合唱団の人々が天井を見上げる姿が映っており、「大丈夫かな?」という表情をしているのが確認出来た。勿論、カメラも揺れていた。

そんな思い出から30年近く経っての「ダフニスとクロエ」。往時のN響より今の大フィルは音の密度が濃い。また原色系の音色も特徴である。バスク地方に生まれたラヴェル。バスク地方はフランスとスペインに跨がるが、ラヴェルの血には、スペイン的な色合いや賑やかさを好むところがあるように思う。この曲も繊細なフランス的なところがありながら、闘牛を好むようなスペインの狂躁もまた顔を覗かせる。デュトワがフランス人だったら、あるいはもっと熱狂的な音楽を志向したかも知れないが、スイス・フランス語圏出身であるため、適度な上品さが加わり、理想的な演奏となりうるのだろう。
大フィルの技術も高く、大阪フィルハーモニー合唱団も力があった。
濃い密度を保ち、迫力に満ちながら、全体的に匂うような上品さを持ったラヴェル。今後、こうしたラヴェルが聴けるのかどうか分からないが、取りあえず今日はデュトワを聴けて良かった。

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2025年11月 3日 (月)

コンサートの記(929) パスカル・ロフェ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会2025

2025年10月19日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールまで、大阪フィルハーモニー交響楽団の京都特別演奏会を聴きに出掛ける。午後3時開演。

まず事務局長の福山修さんにトーマス・ダウスゴーがピリオドを習ったのはノーマン・デル・マーとフランコ・フェラーラの二人からである可能性が高いことを伝える。

今回の指揮者は、お馴染みのパスカル・ロフェ。音楽に没入するレナード・バーンスタインの対極に位置する、作品をいったん突き放して解析するタイプの指揮者である。2022年からはクロアチア放送交響楽団の音楽監督を務めている。
アンサンブル・アンテルコンタンポランを指揮していた時代にピエール・ブーレーズの指揮に影響を受けたことは明白で、指揮棒は持たず、総譜を読みながら指揮する。ブーレーズは指揮棒否定派で、記者から「オペラの際は、白い指揮棒が光って歌手から見やすいという声がありますが」との問いかけに、「そんなことはありませんよ」と一笑に付し、総譜を短時間で記憶出来る能力がありながら、「暗譜は時間の無駄。その時間があるならレパートリーを増やしますよ」と話している。

フランスも指揮者不足だが、ベルトラン・ド・ビリーに次ぐ才能があるのがパスカル・ロフェであると思われる。ただ現状ではメジャーオーケストラのポストは得ていない。

 

オール・ブラームス・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)と交響曲第4番が演奏される。

人気若手ヴァイオリニストの辻彩奈が出演するということもあってか中々の入りである。コンサートマスターは崔文洙。大フィルの基本であるドイツ式の現代配置での演奏である。なお、天井からデッカツリーが下がり、舞台上にも前半はマイクが何本も立っていたことから、ブラームスのヴァイオリン協奏曲のみ何らかの形で収録が行われることが分かる。京都コンサートホールは録音が難しく、広上と京響ほかのヴェルディ「レクイエム」や井上と京響のブルックナー交響曲第9番など、失敗録音が多いが大丈夫だろうか。辻彩奈は演奏終了後にSNSを更新し、CD用の録音であることを明かしている。

定期演奏会ではないということで、男性楽団員は背広にネクタイと燕尾服よりもラフな格好。女性奏者は普段通りのドレスで、指揮者のパスカル・ロフェはジャケットにノーネクタイでの指揮である。

 

今や若手のみならず、全世代を通して最も高い評価を受けているヴァイオリニストの一人となった辻彩奈。昨年、アクロス福岡シンフォニーホールでの九州交響楽団の定期演奏会でも聴いたが、オーケストラからも室内楽からも共演引く手あまたのようである。
1997年、岐阜県生まれ。YouTube番組での質問コーナーで、「岐阜の良いところはどこですか?」との質問に、「良いところかどうか分からないですけれど、夏は暑いです」と答えていて、「それ良いところじゃない」と突っ込みたくなった。昨年も同じことを書いたが、そんな子である。
2016年にモントリオール国際音楽コンクール・ヴァオリン部門で1位になり、他にも複数の賞を獲得。学費全額免除の特別奨学生として東京音楽大学付属高校と東京音楽大学を卒業。大学冬の時代にあって伸び盛りの東京音楽大学の象徴の一人ともなっている。

 

純白のドレスで登場した辻彩奈。体も小さめで華奢に見えるが、ヴァイオリンはスケール豊かで逞しい。
辻の良さはまず音の美しさ。音が結晶化されており、ちょっとした経過句であっても美音を保つ。力強いというほどではないが、ブラームスが書いた音楽の大きさも示してみせる。

ロフェは、ヴァイオリン協奏曲ではポケットスコアを見ながらの指揮。ロフェは眼鏡を掛けているので、「あんな小さい譜面で見えるのだろうか?」と疑問を覚えたが、普通に見ながら指揮をして、ページを繰っていた。

ドイツものに強い大フィル。音の密度も濃く、優れた伴奏である。

第2楽章の冒頭付近でオーボエソロが吹くメロディーをソリストは変奏された形で弾くのだが、その後のオーボエとヴァイオリンのやり取りも印象的である。
辻彩奈はロフェと再三アイコンタクトを行っての演奏。独奏だからということで自由に弾くのではなく、オーケストラと一体になった演奏を心がけているのだろう。

第3楽章は、辻とロフェ、大フィルの掛け合いでノリの良い演奏になった。
演奏終了後、辻はロフェと、コンサートマスターの崔とハグを行う。

 

辻のアンコール演奏は、スコット・ウィラーノの「アイソレーション・ラグ ~ギル・シャハムのために~」。昨年の福岡でのアンコールと同一曲目である。ジャジーな甘いメロディーも出てくるが、基本的には超絶技巧てんこ盛りの難曲で、左手ピッチカート、両手ピッチカート、左手でピッチカートしながら右手で弾いてすぐに右手ピッチカートなど恐ろしいほど高度な技術が立て続けに出てくる。
それでも見た目は楽しそうに演奏してみせた辻彩奈。これからも伸びていきそうだ。

 

ブラームスの交響曲第4番。人気曲だが、曲調が暗いことでも知られる。ブラームスはブルックナー同様、女性ファンが少ないことで知られるが、暗い作風の作品が多いのもその一因だろう。
脱線するが、村上春樹の『ノルウェイの森』のヒロインである直子が好きなのが、このブラームスの交響曲第4番で、書き手の僕(ワタナベトオル)は、ブラームスの交響曲第4番をメインにしたコンサートに直子を誘うのだが、当日、直子は会場に現れなかった。この曲を聴くたびにそれが思い起こされ、今日は「君の来ぬホールに響くブラームス第4番の音の夕暮れ」という短歌が浮かんだ。

ため息のように始まる第1楽章であるが、ロフェは冷静を保ち、感傷的にさせない。こうすることで主題が戻った時により寂寥感が増して聞こえる。
この楽章に限らず、ロフェが作る音楽には、終結部に明るさが感じられるものである。
虚ろな第2楽章もリアルな陰鬱さを感じるが同じ旋律でも明るさを感じさせるものもあり、大きな流れの中で一体となっていく。
やるせなさ漲るような第4楽章「パッサカリア(シャコンヌ)」も、葛藤を持って進む中に古典音楽への憧憬を忍ばせ、古典とロマン的な音楽の結合を企てているような趣がある。ロフェが突き放した解釈をするからこそ分かることだ。
ラストは「どうだ!」と見得を切るかのよう。単なる感傷に陥らない良いブラームスだ。

 

アンコール演奏は、ブラームスのハンガリー舞曲第1番。昔はブラームスの「ハンガリー舞曲」といえば第5番が定番だったが、ブラームス自身のオーケストレーションではないため、他の曲が演奏される機会の方が増えているように思う。第1番は、正真正銘、ブラームス本人による編曲だ。
ロフェと大フィルのハンガリー舞曲第1番は、ジプシー的なスウィング感こそなかったが、スマートで大フィルの機能美が生きた演奏となっていた。

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2025年10月19日 (日)

コンサートの記(926) トーマス・ダウスゴー指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第591回定期演奏会

2025年9月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第591回定期演奏会を聴く。指揮はデンマーク出身のトーマス・ダウスゴー。ということで、全曲、デンマークの国民的作曲家であるカール・ニールセンの作品が並ぶことになった。

デンマーク出身者としては最も有名な指揮者だと思われるトーマス・ダウスゴー。今世紀初頭に、スウェーデン室内管弦楽団を指揮してピリオド・アプローチによる「ベートーヴェン交響曲全集」を制作。「(当時はまだ)若い指揮者がピリオドでベートーヴェンに挑んでいる」と世界中で話題になった。先行するピリオドによる「ベートーヴェン交響曲全集」としては、サー・サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のものと、バロックティンパニを採用するなど少しだけピリオドを取り入れたニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団のものなどがあるだけ。最も早い時期のサー・チャールズ・マッケラス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の全集は評判は高かったが、おそらく失敗作。マッケラスはその後、スコットランド室内管弦楽団と、第九のみを受け持つフィルハーモニア管弦楽団の2楽団を指揮して全集をリリース。トップクラスの出来となった。今でも定評のあるサー・ロジャー・ノリントン指揮SWR交響楽団盤やパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの全集が出たのは、ダウスゴーより後だったはずである。

ダウスゴーは、1988年にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭にてレナード・バーンスタインのマスタークラスを受講(バーンスタインはこの2年後に亡くなる。まさに最晩年)。1990年には岩城宏之に師事し、1993年から95年まで、小澤征爾の指名でボストン交響楽団のアシスタントコンダクターを務めている。その後、欧米でキャリアを築き、スウェーデン室内管弦楽団首席指揮者、オランダ国立交響楽団首席指揮者、トスカーナ管弦楽団名誉指揮者、BBCスコティッシュ交響楽団首席指揮者、シアトル交響楽団音楽監督などを歴任し、ほとんどの楽団から名誉称号を得ている。
2019年には、BBC Proms JAPANに参加。ザ・シンフォニーホールでBBCスコティッシュ交響楽団を指揮している。ラストを飾るエルガーの「威風堂々」第1番の中間部の旋律に歌詞が付けられたものは「英国第2の国歌」として知られており、皆で歌うべくプログラムに英語詞のカードが挟まれていた。私もこの演奏会を聴きに来ていたので、多くの聴衆と共に歌ったが、イギリス人でも何でもないのに異様なほどの興奮を覚え、音楽の力、そして恐ろしさを実感した。

さて、ピリオド・アプローチによるベートーヴェンの交響曲演奏で世に出たダウスゴーだが、経歴を見てもピリオド・アプローチに関係がありそうな指揮者は存在しない。どころかピリオドから遠い人達ばかりだ。古楽の知識と演奏法をどこで身につけたのだろうか。

フェスティバルホールのホワイエで行われるプレトークサロンで、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏と聴衆の人々とのやり取りが終わった後で一人、福山さんに伺ってみたのだが、「よく分からない」ということで、「調べておきます」と仰っていた。ちなみに私はプレトークサロンでは滅多に手を挙げない。以前、定期演奏会の会場がザ・シンフォニーホールだった大植時代に、「トーンクラスター奏法」の説明をお願いしたところ、福山さんは上手く説明出来ず、しかも福山さんが私の顔を見て話すので、私もただの客なのに何故か福山さんと二人で解説を行うという訳の分からない展開になったため、懲りたのである。
今日の聴衆は、ニールセンやクラリネットソリストのダニエル・オッテンザマーに関する質問が多かったが、仮に私が「ダウスゴーさんはスウェーデン室内管弦楽団とのピリオド・アプローチによる『ベートーヴェン交響曲全集』を出して、名を挙げた訳ですが、師に当たる指揮者にピリオド・アプローチに強い人が見当たらなくてですね」なんて言ったら、周りから「こいつ、なに意味の分からないこと言ってんだ?」と思われるのがオチである。

ダウスゴーのオフィシャルホームページを読んだところ、ピリオドの知識がありそうな人物が2人見つかる。一人は、ロンドンの王立音楽大学(Collegeの方)で指揮を師事したノーマン・デル・マー。もう一人は、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭で、バーンスタインと共にマスタークラスを開いていたフランコ・フェラーラである。ダウスゴーはフェラーラのマスタークラスも受講している。デル・マーもフェラーラも指揮者にして音楽学者である。
ノーマン・デル・マーの息子は、ピリオドでよく使われるベートーヴェンのベーレンライター版交響曲全集総譜の校訂を行った音楽学者のジョナサン・デル・マーである。
フランコ・フェラーラの弟子には、古楽器オーケストラの指揮を得意とするブルーノ・ヴァイルがいる。
ノーマン・デル・マーやフランコ・フェラーラが直接、ダウスゴーにピリオドを教えたとする情報は見つからなかったが、この2人の周辺には古楽関係者が多いので、2人に直接教わらなくても2人の知り合いの古楽関係者から教わった線も考えられる。

 

曲目は、序曲「ヘリオス」、クラリネット協奏曲(クラリネット独奏:ダニエル・オッテンザマー)、交響曲第4番「不滅」

ニールセンは、1980年代後半に、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団の演奏による交響曲全集がDECCAから発売され、ベストセラーとなったことで世界的な有名作曲家の仲間入りをした。ブロムシュテット盤は今もパーヴォ・ヤルヴィ盤と並び、優れた「ニールセン交響曲全集」の筆頭に挙げられる。ただ、当時は交響曲第4番「不滅」の2台のティンパニが強打を行う最終部のおどろおどろしいまでの迫力が話題となっており、真の音楽性が評価されるのはこれからなのかも知れない。

ニールセンはシベリウスと同い年であるが、現在のフィンランドは指揮者大国で、次から次へと有望株が登場。ほぼ全員が「シベリウス交響曲全集」をレコーディングするため、シベリウスがより身近な存在になりつつあるが、デンマークは指揮者不足であるため、ニールセン作品の録音は他国のニールセンの音楽に共感した音楽家に任せるしかない。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。ドイツ式の現代配置での演奏である。

 

序曲「ヘリオス」。ダウスゴーはこの曲と「不滅」は譜面台を置かず、暗譜で指揮した。全編ノンタクトでの指揮である。
昨日はさりげなく陰を宿した音が特徴の大邱市立交響楽団の演奏を聴いたが、大フィルの輝きと透明度の高い音を聴くとやはり落ち着く。優劣というよりも、いつものベッドで脚を伸ばした時の開放感や、愛用のパソコンで文章を打っているときの充実感などに似た、何年にも渡って触れてきたものへの愛着である。
曲は、弦楽、特に第2ヴァイオリンが奏でる日の出の描写に始まり、コントラバス1台が同じ音を伸ばし続ける日没までを描いたものである。
コントラバスによるラストは長く長く引き延ばされ、集中していないといつ曲が終わったのか分からない。おそらく、録音ではコントラバスの音の最後の方はマイクに入らないのではないかと思う。

 

クラリネット協奏曲。クラリネット独奏のダニエル・オッテンザマーは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席クラリネット奏者である。更に現在は、大阪フィルハーモニー交響楽団のアーティスト・イン・レジデンスとなっており、主に住友生命いずみホールで、自分が主役となる演奏会を大フィルと行う。
プレトークサロンで、福山さんは、オッテンザマーがニールセンのクラリネット協奏曲をウィーン・フィルと録音することを決めた時に同僚から、「こんな難しい曲選ぶなよ。俺ら毎日オペラで忙しいんだから(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は母体となるウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなる自主運営のコンサートオーケストラで、普段は楽団員は歌劇場でオペラの演奏をしており、オペラがオフになる期間など空いた時期にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団としての定期演奏会や特別演奏会、海外ツアーなどを行っている。そのため定期演奏会の回数が極端に少なく、真偽不明だが「定期会員になるのに20年待ち」という話はよく聞かれる)、モーツァルトとか簡単なのにしとけよ」と言われたそうである。そして実際、ニールセンのクラリネット協奏曲は超高難度。録音のための最初のセッションはズタズタのボロボロだったそうで、天下のウィーン・フィルをもってしても初見では歯が立たなかったそうだ。最終的には名盤と言われるだけの水準に達したが。
大阪フィルはきっちりとリハーサルを重ねたのでアンサンブルは整っている。
オッテンザマーであるが、様々な姿勢で演奏する。指揮台の左脇に立ち、左足を一歩踏み出したり、ベルアップを行ったり、中腰になったり。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの方を向いて、何かサインを送っているような場面もある。難曲なので、ステージ下手側の楽器は、ダウスゴーがある程度オッテンザマーに任せることもあるのだろう。ダウスゴーが上手側を向いて指揮することが多いのもそれと関係あるのかも知れない。
ニールセンが書いたクラリネットの独奏であるが、とにかく音が細かいのが特徴。指の回転を極端に速くする必要があり、これは選ばれたクラリネット奏者しか吹けない音楽だと思う。
伴奏には小太鼓が入るのだが、軍楽隊が鳴らす音のようで不吉であった。作曲されたのは、1928年。日本の年号では昭和3年である。前年にブロムシュテットが生まれ、この年にエフゲニー・スヴェトラーノフが誕生している。
満州事変が起こるのが1931年、ヒトラー率いるナチスが政権を取るのが1933年。スターリンはソ連の最高指導者になる直前まで来ている。まだ大戦にまでは発展していないが、きな臭い匂いのする時代である。

 

オッテンザマーのアンコール前奏。まずガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」冒頭のように伸びやかな音階移動とグリッサンド。その後、超弱音による演奏が続く。それから天井を見上げて高らかに吹くなど様々な音楽が続いた。
曲名であるが、掲示はなく、福山さんによると実は即興演奏だったそうで、タイトルも当然ながらない(無理矢理付けても良いと思うけれど)。

 

交響曲第4番「不滅」。ニールセン最大のヒット曲である。原題は「消しがたきもの」といったような意味である。

余談だが、2016年の大河ドラマ「真田丸」は、毎回、漢字2文字のタイトルが付いていたが、最終回は「視聴者に任せる」として付けなかった。私は「不滅」を選び、ブログ「鴨東記」にパーヴォ・ヤルヴィ指揮の「不滅」交響曲の映像を載せた。死後400年以上が経っているのに、若い女の子から「真田幸村(真田信繁)格好いい!」などと言って貰えてグッズも売れるのだから、これが「不滅」でなくてなんなのだろう。
ただ、三谷さんは、真田信之(大泉洋が演じた)が舵を取る信州真田家が、ちょっとしたことですぐに転封や改易になる江戸時代の荒波を乗り切る過程こそが本当の「真田丸」と考えていたような気がする。ラストのセリフが信之の「参るぞ」なのが暗示的である。

「真田丸」の話が長くなってしまったが、この曲は、ステージの両サイド、端の方に1台ずつティンパニが置かれて演奏されることが多いが、福山さんによるとニールセンの指示は「1台のティンパニはなるべく客席に近いところに設置する」とあるだけで、ティンパニが両端に並ぶのは、「おそらく演奏しやすいから」だそうなのだが、今回はニールセンの指示通り、客席に近い場所としてステージ上手端、ヴィオラ奏者達の後ろにティンパニを置き、もう1台のティンパニは通常通り指揮者の正面の奥に設置される。
実に格好いい曲なのであるが、この曲を作曲した時期のニールセンはプライベートで悩みを抱えており、更に第1次世界大戦も勃発と暗い世相の中で作曲を進めていた。ダウスゴーは、「トラジェディー(悲劇)&トラジェディー」とこの曲の内容を見たようである。4楽章形式ではなく4部形式で、続けて演奏されるが、実質的には一般的な交響曲と余り変わらない。
大フィルは弦も管も威力がある上に輝かしく、ダウスゴーの巧みな指揮捌きもあって、優れた演奏となる。第4部の2台のティンパニのやり取りも威力があるが、フェスティバルホールは全体的な音響が良いので、上手端に据えられたティンパニの方が音が大きいということもなかった。ニールセンが何を望んでいたのか、今となっては分からないが、客席に近い方が味方の響き、遠い方が敵方の響きと取ると「1台のティンパニはなるべく席席に近いところに」とした意味は分かる。ただ単純すぎる。子どもの考えではないので、他に意味があるはずだが、現時点では意図不明である。
なお、初演時のプログラムに載った文章(ニールセンの筆ではないそうだ)によると、「不滅」なるものは音楽とその効用であるとしか取れないないのだが、自分の作曲した作品に「不滅」「消しがたきもの」と付けるだろうか(タイトルは作曲者自身によるもの)。
音楽は生まれた瞬間に消える芸術である。ただエネルギー保存の法則に寄るなら、世界はこれまでの歴史上で演奏された全ての音楽で溢れているということになる。壮大すぎるが。

 

今年度の大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏の中でも上位に入る出来。終演後、客席は大いに沸いた。大袈裟に書くと、ニールセンの音楽が受容されつつある過程に立ち合ったということになる。

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2025年10月 3日 (金)

コンサートの記(920) 「2025年 大阪・関西万博 クリストフ・エッシェンバッハ×大阪フィル 第九演奏会」

2025年4月17日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「2025年 大阪・関西万博記念 クリストフ・エッシェンバッハ×大阪フィル 第九演奏会」を聴く。
北ドイツ放送交響楽団(現・NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)、フィラデルフィア管弦楽団、パリ国立管弦楽団などいくつものポストを兼任して、一時は、「世界で最も忙しい指揮者」と呼ばれたクリストフ・エッシェンバッハ。間違いなく大物指揮者の一人だが、そんなエッシェンバッハが大フィルに客演して第九を振るという、万博があったから実現した演奏会である。
1970年の大阪万博の時は、初来日を含む大物アーティストが次々に来阪し、大阪のみでの演奏会を行い(会場は主に初代フェスティバルホール)、東京などからも聴衆がやって来たという出来事があったが、今は1970年当時とは異なり、大物アーティストが毎年のように日本にやって来る時代なので、来日演奏会が行われることは行われるが、大阪だけ特別ということはない。ただ今回のエッシェンバッハと大フィルの第九は大阪だけでの公演である。

 

指揮者として知られるクリストフ・エッシェンバッハであるが、元々はピアニストとして活動しており、クララ・ハスキル国際コンクール優勝後、ドイツ・グラモフォンに多くのレコーディングを行っている。それらは今も主に廉価盤としてドイツ・グラモフォンからリリースされている。だが、ドイツ・グラモフォンとの契約切れとなるころに、元々指揮者志望だったということで転向。私がクラシック音楽を聴き始めた頃にはすでにピアニストとしての活動はほとんど行っておらず、指揮者として活動していた。近年は、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団、同じくジョン・F・ケネディセンターの音楽監督、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の首席指揮者を務め、現在はNFMヴロツワフ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務めている。なお、ヴロツワフは、エッシェンバッハが生を受けた街である(往時はドイツ領、現在はポーランド領)。

 

曲目は、レナード・バーンスタインの「ハイル」(独奏フルート、弦楽オーケストラ、打楽器のためのノクターン。フルート独奏:スタティス・カラパノス)、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」

 

今日は大フィルはヴァイオリン対向の古典配置での演奏である。トランペットやトロンボーンは上手に斜めに並び、期せずしてロシア式の配置となっている。
今日のコンサートマスターは、須山暢大。

 

レナード・バーンスタインの「ハリル」。ハリルはヘブライ語でフルートのこと。
20世紀アメリカ最大の指揮者であるレナード・バーンスタイン。「ウエスト・サイド・ストーリー」を始めて、ヒットミュージカルの作曲家としても有名だが、ミュージカルが成功しすぎたばかりに、シリアスなクラシックの作品は余り受けなくなってしまう。アメリカで生まれ育ったバーンスタインであるが、出自はウクライナ系ユダヤ人ということで、クラシックではユダヤ音楽に立脚した音楽を書く傾向にあり、これが特に日本では受けが悪いということに繋がっている(ユダヤ音楽は日本人の好みからは明らかに外れている)。
1973年のイスラエル戦争(第4次中東戦争)で、戦死した19歳のフルート奏者ヤーディン・タネンバウムを追悼するために作曲された作品である。

フルート独奏のスタティス・カラパノスは、1996年、ギリシャのアテネ生まれ(カラヤンといい、カラスといい、ギリシャ系は「カラ」が付く苗字が多いようである。もっともカラヤンもカラスも純然たる本名ではない)。アテネ国立音楽院とカールスルーエ音楽大学でフルートを学び、アテネ国立管弦楽団の首席フルート奏者として演奏活動を開始。その後、ソリストに転向している。

「ハリル」は全体的に暗めの作品であるが、途中で打楽器群が賑やかな響きを奏でる箇所がある。その後は弦楽とハープによるエモーショナルな音楽が続くが、バーンスタインの作曲ということもあり、彼が崇めたマーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットのように聞こえたりもした。
カラパノスのフルートは煌びやかな音色を発し、空を飛ぶ鳥のよう。まだ二十代のフルート奏者だが、音楽からは貫禄も感じられる。

カラパノスのアンコール演奏は、ドビュッシーの「シランクス」。カラパノスが客席に向かってこれから演奏する曲目について解説。シュリンクスと妖精パンのことなども述べていた。
フルート奏者の独奏曲として定番の「シランクス」。同じくドビュッシーの管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」冒頭とラストのフルートソロを連想する作品だが、「シランクス」の方がより神秘的である。カラパノスは透明感のある音で演奏を行った。

 

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。独唱は、アレクサンドラ・ザモイスカ(ソプラノ。ポーランド出身)、アニタ・ラシュヴェリシュヴィリ(アルト。グルジア=ジョージア出身)、工藤和真(テノール)、ヤン・マルティニーク(バリトン。チェコ出身)。工藤以外は第九が滅多に演奏されない外国の方なので、譜面を見て歌う。一人だけ暗譜で歌唱も変なので工藤も譜面を見ながら歌っていた。アルトのアニタ・ラシュヴェリシュヴィリはタブレット譜を見ながらの歌唱である。

合唱は新国立劇場合唱団。普段はオペラで多く活躍している団体である。大阪で行われる公演に東京の団体が呼ばれることは比較的珍しい。

 

エネルギー漲るというイメージのあるクリストフ・エッシェンバッハであるが、1940年生まれということもあり、足取りがやや弱々しくて、老いを感じさせる。
指揮は独特で、多くの指揮者が振るのとは逆の方向に振ったりする。若い頃に指揮法を学んでいるので我流という訳ではないはずだが、かなり個性的である。第2楽章では、冒頭とその繰り返しの部分で指揮棒を全く振らず、オーケストラに任せていた。

 

第1楽章冒頭から、一般的な第九よりは大きめの音でスタート。弱音は余り意識せず、大柄で骨太の音楽を作っていく。ピリオド援用で、弦楽器は弦を揺することはあるが、いわゆるビブラートとは異なる奏法を用いることが多い。ビブラートも要所では用いていた。
譜面はベーレンライター版使用。第4楽章ではピッコロがかなり活躍する(通常のベーレンライター版での演奏より活躍していたように思う)。テンポは第1楽章が、モダンとピリオド含めて中庸という感じだったが、楽章が進むにつれてテンポが速くなる。第3楽章などは見通しも良く、ロマンティシズムより構造重視の演奏に聞こえた。
第3楽章と第4楽章の間は繋がず、間を置く。冒頭では大フィルが誇る強力な低弦が効果を発揮する。昨日も大阪城ホールで弦楽が奏でる「歓喜に寄す」の主題を聴いたのだが(大友直人指揮日本センチュリー交響楽団)、今日の演奏の方が明らかに速い。

独唱者と合唱団を含めた演奏は非常に力強いが、ザ・シンフォニーホールのスペースと音響を考えるとやや響きすぎ。今日は反響板の近くの席だったのだが、反響板が軋むような音を立てていた。

ただ演奏としては、十分に充実。エッシェンバッハクラスのドイツ人指揮者が関西のプロオーケストラに客演することは滅多にないので、貴重な体験であったことは間違いない。

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2025年8月24日 (日)

BS-TBS「JNNストーリーズ ラスト・ワルツ 踊る指揮者(マエストロ)井上道義」

2025年5月3日

録画してまだ見ていなかった、BS-TBS「JNNストーリーズ ラスト・ワルツ 踊る指揮者(マエストロ)井上道義」を見る。昨年12月30日で引退した指揮者の井上道義に密着したドキュメンタリー。先に北陸放送で放送され、その後、BS-TBSで全国放送されている。ナレーションは、妻が井上道義の親戚だという役所広司。役所広司は、井上の最後のコンサートの舞台裏に登場する。

1946年生まれの井上道義。育ての親は井上正義だが、実際の父親は、米軍のガーディナー中尉である。井上道義がそのことを知ったのは40歳になった頃だったようである。

井上は10年以上掛けて、両親のことを描いたミュージカル・オペラを作曲。上演する。
この曲を上演すれば自分のやることは終わるなと思ったそうである。


ショスタコーヴィチの楽曲に惚れ込んだ井上道義。複数のオーケストラを指揮して作成した「ショスタコーヴィチ交響曲全集」の帯には、「僕はもうショスタコーヴィチだ」と、レナード・バーンスタインがマーラーに対して語った言葉を真似たと思われるメッセージが載せられている。


生涯現役を貫く指揮者も多いが、井上は、「よぼよぼになって後ろ指さされる前に辞めたい」ということで、現役引退を決意する。

オーケストラ・アンサンブル金沢、新日本フィルハーモニー交響楽団、群馬交響楽団、札幌交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団と豊田市ジュニアオーケストラとの合同演奏、千葉県少年少女オーケストラ、山形交響楽団、読売日本交響楽団などとの共演場面が流れ、そのうち、群馬交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、読売日本交響楽団とはショスタコーヴィチを演奏している。


尿路結石の再発で体調不良となる井上。私もよく通う兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールでの本番はキャンセル。第54回サントリー音楽賞でも出席はしたが、スピーチは代読、祝賀会も欠席している。復帰は、2023年の10月、高崎芸術劇場での群馬交響楽団とのコンサート。ここでもショスタコーヴィチが演奏されている。

札幌交響楽団とのkitaraでの演奏会では、オーケストラを円形に配置してラヴェルの「ボレロ」を演奏。最後の演奏会となった、読売日本交響楽団を指揮しての第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサート(2024年12月30日)の最後の曲では、ショスタコーヴィチの「祝典序曲」をラストの演目に選び、終曲を自身のシンバルの一撃で締めるなど、最後まで独自の色を出す井上。アンコールなしと見せかけ、オーケストラ団員を引き上げさせてから再登場させ、武満徹の3つの映画音楽より「ワルツ」をアンコールで演奏する。途中、贈られた花束から花弁を取り出し、パッと撒き散らす、その後、花束と共にワルツを踊って、花束を客席に放り投げるというパフォーマンスを見せた。

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2025年8月 2日 (土)

コンサートの記(910) マティアス・バーメルト指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第589回定期演奏会

2025年6月13日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第589回定期演奏会を聴く。元々はロシアの名匠、ウラディーミル・フェドセーエフが指揮台に立つ予定だったが、フェドセーエフは1年ほど前から指揮活動を行っておらず、今回の大フィルと広響への客演はキャンセルとなった。フェドセーエフは、92歳と高齢だが、フェスティバルホールのホワイエで、大フィル事務局長の福山修氏が行っているプレトークサロンでは、「病気ではない」とのことだった。ただ高齢のため、エネルギーに波があり、今は指揮するのは難しいとドクターストップか掛かっているとのことである。

フェドセーエフは、以前も大フィルの定期をキャンセルしたことがあり、その時は、井上道義が代役を務めている。
今回代役を務めるのは、昨年の3月まで札幌交響楽団首席客演指揮者を務めていたことでもお馴染みのマティアス・バーメルト。京響への客演経験もあり、録音も多く、私が初めて買ったアントニオ・サリエリのCDはバーメルトが指揮したものであった。このことから分かる通り、レパートリーはとても広い。スイス生まれ、作曲をピエール・ブーレーズとカールハインツ・シュトックハウゼンに師事。オーボエ奏者として活動したのち、アメリカに渡ってクリーヴランド管弦楽団の音楽監督だったジョージ・セルに指揮を習い、レオポルト・ストコフスキーにも師事。セルの後任であるロリン・マゼールが音楽監督を務めていた時代のクリーヴランド管弦楽団で常任指揮者として活動している。祖国のバーゼル放送交響楽団や、ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズの音楽監督も務めた。広上淳一が音楽監督を務めるマレーシア・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者だったこともある。


曲目は、グラズノフのバレエ音楽「四季」とチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。フェドセーエフが決めたものから変更なしである。

グラズノフの「四季」は、比較的取り上げられやすい曲ではあるが、プレトークサロンで、福山さんの、「『四季』を生で聴かれたことがあるという方」との問いの挙手したのは、私を含めて2、3人であった。私は2018年にアレクサンドル・ラザレフの指揮による京都市交響楽団の定期演奏会で聴いている。ラザレフが実に楽しそうに指揮していた。

なお、大フィルの音楽監督である尾高忠明は、BBCウェールズ交響楽団を手兵としていた時代に「グラズノフ交響曲全集」を作成している。これは名盤であるが、残念ながら尾高さんの指揮でグラズノフの交響曲を演奏しても客は入らないだろう。現状ではグラズノフの知名度は日本では低いので、ロシア人指揮者が何かの折に取り上げたりしない限り、生で聴きたいという人はなかなか現れないと思われる。
ちなみにグラズノフはラフマニノフの天敵なので、グラズノフとラフマニノフのプログラムによる演奏会を行うと、演奏会場に足を運ぶ人がいるかも知れない。
ただ、ラフマニノフは日本で屈指の人気作曲家であるため、敵役となったグラズノフの人気が上がる可能性は低い。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。第2ヴァイオリンが全員女性ということも多い大阪フィルだが、今日は客演に男性奏者1人入った。正楽団員は全員女性である。ヴィオラ、チェロ、コントラバスの客演奏者も1人を除いて女性である。関西のオーケストラは、東京のオーケストラと比べて女性の比率が高いように思う。


グラズノフのバレエ音楽「四季」。冬に始まり秋に終わるという独自の構成。
ロシア人の指揮者だと、お国の誇りの音楽だけあって、威勢よく演奏したりするが、バーメルトはスイス人で、師事した作曲家や指揮者を見れば分かる通り、客観的で分析的な解釈を行う。煌びやかな音を優先させた美演であるが、チャイコフスキーや師であるリムスキー=コルサコフ、そしてワーグナーからの影響が的確に示される。
バーメルトの指揮棒は振り幅が小さく、無駄な動きをなるべく避けているようだ。


チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。チャイコフスキーの交響曲は前期の3曲と後期の3曲とでは作風が大きく異なるが、チャイコフスキーは自身の初めての交響曲が気に入って、何度も改定しているそうである。
後期3大交響曲に比べると面白さでは劣るが、第2楽章における懐旧の念(25歳の時に作曲を初めて28歳の時に完成させた曲なので、懐旧といってもそれほど昔ではないと思われるが)や第3楽章の嘆きの表情など、巧みな描写があり、バーメルトと大フィルもそれをしっかりとした音に変えていく。
第4楽章は大いに盛り上がる。これまで指揮棒のビート幅は小さめだったが、ここでは右手を大きく動かし、ステップのようなものも踏む。
カーテンコールで、バーメルトは各パートを立たせ、いったん引っ込んで再び登場してオーケストラ団員に「立て! 立て! 立て!」という仕草をするが、大フィルの団員達は拍手で称え、バーメルト一人が喝采を浴びた。バーメルトは両手を右頬に付け、「おやすみなさい」のポーズをしてコンサートはお開きとなった。

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2025年7月 4日 (金)

コンサートの記(906) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第587回定期演奏会 エルガー 「ゲロンティアスの夢」

2025年4月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第587回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

桜も散り始め、フェスティバルホール周辺の多くの桜が葉桜となっている。

今日の曲目は、エルガーの「ゲロンティアスの夢」1曲のみ。上演に約90分を要する大作である。エルガーの出世作で、イギリスではよく演奏されるが、日本で上演される機会は少ない。大フィルも、音楽監督がU.K.でポストを持った経験があり、エルガーを得意とする尾高でなかったら取り上げることはなかったであろう。
プレトークサロンで、大フィル事務局長の福山修さんが、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団が7年前に取り上げているが、それ以外の上演は把握していないと仰っていた。おそらくだが、それ以外に上演されたことはないのだろう。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。今日も第2ヴァイオリンは全員女性である。ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは視覚上の理由(背後に合唱が陣取る)からやや下手寄りに位置し、指揮者の正面にはトランペットが回った。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
独唱は、マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト(メゾ・ソプラノ。守護天使)、マクシミリアン・シュミット(テノール。ゲロンティアス)、大山大輔(バリトン。司祭、苦悶の天使)。

「ゲロンティアスの夢」は、オラトリオであるが、エルガーが作曲時点でオラトリオとしていなかったという理由からだと思われるが、今回は曲目は「ゲロンティアスの夢」とのみ表記されている。

 

ゲロンティアスという男性が天国に召される様を描いたもので、イギリスの神学者・詩人であるジョン・ヘンリー・ニューマンの宗教詩を基のテキストとしているが、ニューマンは英国国教会からカトリックに改宗した人物であり、エルガーもカトリックの信者だった。イギリス人の大半は英国国教会(プロテスト)の信者であるため、エルガーはカトリック的な要素を詩から除くことで、反発を弱めようとしている。

二部構成であり、男声歌手二人は始めから登場して歌唱を行う。メゾ・ソプラノのマリー=ヘンリエッテ・ラインホルトは、二部が始まる時に上手側から登場した。

字幕付きでの上演。
エルガーらしいノーブルさと音の輝き、力強さなどを共存させた楽曲である。大阪フィルハーモニー合唱団も優れた歌唱を聴かせる。
オラトリオなので、独唱者の歌唱もいくぶんドラマティックになるが、みな節度を持った歌唱。

死者が天国に向かうまでを描いており、ある意味、英国版の「おくりびと」(人ではなく天使だが)のような楽曲である。

CDを含めて聴いたことのない楽曲であったが、エルガーを振るときの尾高と、大フィルの堅実な演奏力への信頼が共に高まる演奏会であった。

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2025年3月 7日 (金)

コンサートの記(893) 大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアル@神戸国際会館こくさいホール 大植英次指揮

2025年2月27日 三宮の神戸国際会館こくさいホールにて

午後7時から、三宮の神戸国際会館こくさいホールで、大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアルに接する。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団と神戸市混声合唱団による演奏会。

神戸国際会館こくさいホールに来るのは、13年ぶりのようである。干支が一周している。
神戸一の繁華街である三宮に位置し、多目的ホールではあるが、多目的ホールの中ではクラシック音楽とも相性が良い方の神戸国際会館こくさいホール。だが、クラシックコンサートが行われることは比較的少なく、ポピュラー音楽のコンサートを開催する回数の方がずっと多い。阪急電車を使えばすぐ行ける西宮北口に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールというクラシック音楽専用ホールが2005年に出来たため、そちらの方が優先されるのであろう。ここで聴いたクラシックのコンサートはいずれも京都市交響楽団のもので、佐渡裕指揮の「VIVA!バーンスタイン」と、広上淳一指揮の「大河ドラマのヒロイン」として大河ドラマのテーマ曲を前半に据えたプログラムで、いずれもいわゆるクラシックのコンサートとは趣向がやや異なっている。ポピュラー音楽では柴田淳のコンサートを聴いている。

構造にはやや難があり、地上から建物内に上がるにはエスカレーターがあるだけなので、帰りはかなり混む。というわけで、聴衆にとっては使い勝手は余り良くないように思われる。客席は馬蹄形に近く、びわ湖ホール大ホールやよこすか芸術劇場を思わせるが、ステージには簡易花道があるなど、公会堂から現代のホールへと移る中間地点に位置するホールと言える。三宮には大倉山の神戸文化ホールに代わる新たなホールが出来る予定で、その後も国際会館こくさいホールでクラシックの演奏会が行われるのかは分からない。

 

曲目は、白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:隠岐彩夏、バリトン独唱:原田圭)、マーラーの交響曲第1番「巨人」

 

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置の演奏。ホルン首席の高橋将純はマーラーのみに登場する。
フォーレの「レクイエム」ではオルガンが使用される。神戸国際会館こくさいホールにはパイプオルガンはないので、電子オルガンが使われるが、パンフレットが簡易なものなので、誰がオルガンを弾いているのかは分からなかった。

 

白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)。神戸出身で、阪神・淡路大震災発生時は小学校の音楽教師であり、東灘区に住んでいたという白井真。神戸の変わり果てた姿に衝撃を受けつつ、震災発生から2週間後にわずか10分でこの曲を書き上げたという。
神戸市混声合唱団は、1989年に神戸市が創設した、日本では数少ないプロの合唱団。神戸文化ホールの専属団体であるが、今日は神戸国際会館こくさいホールで歌う。
ステージの後方に階段状となった横長の台があり、その上に並んでの歌唱。
聴く前は、「知らない曲だろう」と思っていた「しあわせ運べるように」であるが、実際に聴くと、「あ、あの曲だ」と分かる。映画「港に灯がともる」(富田望生主演。安達もじり監督)のノエビアスタジアム神戸での成人式の場面で流れていた曲である。
「震災に負けない」という心意気を謳ったものであり、30年に渡って歌い継がれているという。
ホールの音響もあると思うが、神戸市混声合唱団は発声がかなり明瞭である。

 

フォーレの「レクイエム」。大きめのホールということで、編成の大きな第3稿を使用。パリ万博のために編曲されたものだが、フォーレ自身は気が乗らず、弟子が中心になって改変を行っている。そのため、「フォーレが望んだ響きではない」として、近年では編成の小さな初稿や第2稿(自筆譜が散逸してしまったため、ジョン・ラターが譜面を再現したラター版を使うことが多い)を演奏する機会も増えている。

実は、大植英次の指揮するフォーレの「レクイエム」は、2007年6月の大阪フィルの定期演奏で聴けるはずだったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップにより指揮台に上がることが出来なくなったことが発表され、フォーレの「レクイエム」は当時、大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者であった三浦宣明(みうら・のりあき)が代理で指揮し、後半のブラームスの交響曲第4番は指揮者なしのオーケストラのみでの演奏となっている。ちなみにチケットの払い戻しには応じていた。
それから18年を経て、ようやく大植指揮のフォーレの「レクイエム」を聴くことが叶った。

マーラーなどを得意とする大植であるが、フランスものも得意としており、レコーディングを行っているほか、京都市交響楽団の定期演奏会に代役として登場した時にはフランスもののプログラムを変更なしで指揮している。
フォーレに相応しい、温かで慈愛に満ちた響きを大植は大フィルから引き出す。高雅にして上品で特上の香水のような芳しい音である。
神戸市混声合唱団の発音のはっきりしたコーラスも良い。やはりホールの音響が影響しているだろうが。

フォーレの「レクイエム」で最も有名なのは、ソプラノ独唱による「ピエ・イエス」であるが、実はソプラノ独唱が歌う曲はこの「ピエ・イエス」のみである。
ソプラノ独唱の隠岐彩夏は、岩手大学教育学部卒業後、東京藝術大学大学院修士および博士課程を修了。文化庁新進芸術家海外研修生としてニューヨークで研鑽を積んでいる。
岩手大学教育学部出身ということと、欧州ではなくニューヨークに留学というのが珍しいが、岩手県内での進学しか認められない場合は、岩手大学の教育学部の音楽専攻を選ぶしかないし、元々教師志望だったということも考えられる。真相は分からないが。ニューヨークに留学ということはメトロポリタンオペラだろうか、ジュリアード音楽院だろうか。Eテレの「クラシックTV」にも何度か出演している。
この曲に相応しい清澄な声による歌唱であった。

バリトン独唱の原田圭も貫禄のある歌声。東京藝術大学および同大学院出身で博士号を取得。現在では千葉大学教育学部音楽学科および日本大学藝術学部で講師も務めているという。

フォーレの「レクイエム」は「怒りの日」が存在しないなど激しい曲が少なく、「イン・パラディズム(楽園へ)」で終わるため、阪神・淡路大震災の犠牲者追悼に合った曲である。

 

後半、マーラーの交響曲第1番「巨人」。この曲も死と再生を描いた作品であり、メモリアルコンサートに相応しい。
マーラー指揮者である大植英次。「巨人」の演奏には何度か接しているが、今日も期待は高まる。譜面台なしの暗譜での指揮。
冒頭から雰囲気作りは最高レベル。青春の歌を溌剌と奏でる。チェロのポルタメントがあるため、新全集版のスコアを用いての演奏だと思われるが、譜面とは関係ないと思われるアゴーギクの処理も上手い。
第2楽章のややグロテスクな曲調の表現も優れており、大自然の響きがそこかしこから聞こえる。
マーラーの交響曲第1番は、実は交響詩「巨人」として作曲され、各楽章に表題が付いていた。当時は標題音楽の価値は絶対音楽より低かったため、表題を削除して交響曲に再編。その際、「巨人」のタイトルも削ったが、実際には現在も残っている。「巨人」は、ジャン・パウルの長編教養小説に由来しており、私も若い頃に、東京・神田すずらん通りの東京堂書店で見かけたことがあるが、読む気がなくなるほど分厚い小説であった。ただ、マーラーの「巨人」は、ジャン・パウルの小説の内容とはほとんど関係がなく、タイトルだけ借りたらしい。そしてこの曲は、民謡などを取り入れているのも特徴で、第3楽章では、「フレール・ジャック」(長調にしたものが日本では「グーチョキパーの歌」として知られる)が奏でられる。これも当時の常識から行くと「下品だ」「ふざけている」ということになったようで、マーラーの作曲家としての名声はなかなか上がらなかった。
大植と大フィルはこの楽章の陰鬱にして鄙びた味わいを巧みに表出してみせる。夢の場面も初春の日差しのように淡く美しい。
この葬送行進曲で打ち倒された英雄が復活するのが第4楽章である。そしてこのテーマは交響曲第2番「復活」へも続く。
第4楽章は大フィルの鳴りが良く、大植の音運びも抜群である。特に金管が輝かしくも力強く、この曲に必要とされるパワーを満たしている。
若々しさに満ちた再生の旋律は、これからの神戸の街の発展を祈念しているかのようだった。

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