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2021年1月 2日 (土)

Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー ベートーヴェン交響曲全曲演奏2020

録画してまだ見ていなかったEテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第一夜を見る。ベートーヴェンの交響曲を日本全国のオーケストラが1曲ずつ演奏していくという企画で、通常の演奏会ではなく、この企画のために特別に収録されたものが演奏される。

交響曲第1番は、広上淳一指揮京都市交響楽団が京都コンサートホールで行ったものが、第2番は飯守泰次郎指揮仙台フィルハーモニー管弦楽団が名取市文化会館で行ったものが放送される。

共にリハーサルの様子が収められており、広上はピアニカ(鍵盤ハーモニカ)吹きながら音楽を示し、飯守はオーケストラ奏者からの質問に真摯に答えている様子を見ることが出来る。

 

広上淳一指揮京都市交響楽団は、交響曲第1番の前に、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番より第3楽章の弦楽オーケストラ編曲版も演奏する。

交響曲第1番は、バロックティンパニを用い、ピリオドを意識した演奏になっている。ただ弦楽のビブラートは要所要所での使い分けとなっており、ベートーヴェンの生きていた時代の演奏の再現を目指しているわけではない。
ヴァイオリンやフルートといった高音の楽器を浮かび上がらせており、それがフレッシュな印象を生んでいる。京響の持つ力強さを生かし、広上らしい流れの良さとエネルギー放出力が印象的な演奏を築き上げた。

ちなみに、広上のベートーヴェン解釈は独特で、元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、広上淳一に指揮を師事し、現在では指揮者として活躍する茂木大輔の著書『交響録 N響で出会った名指揮者たち』(音楽之友社)に、茂木がベートーヴェンの交響曲第1番フィナーレ(第4楽章)序奏部の解釈を広上に聞いた時のことが描かれているのだが、
広上(話し手の名前表示は引用者による)「あ、あれはね、花園があって。まず」
茂木(同上)「は、はい、花園……(メモ)」
広上「そこにね」
茂木「はい、そこに?」
広上「桜田淳子ちゃんが(引用者注:広上は桜田淳子の大ファンである)」
茂木「じゅ、淳子ちゃん……(メモ……)」
広上「遠くに、楽しそうに立っているのを、目指して、だんだん近寄って行くわけね。するとその花園がね……(どんどん続く)」
というものだそうである。

 

交響曲第2番を演奏する仙台フィルハーモニー管弦楽団。東北にある二つあるプロオーケストラの一つである。山形交響楽団の方が先に出来たが、仙台フィルの前身である宮城フィルハーモニー管弦楽団が生まれる際に、山形交響楽団から移籍した人も結構いた。仙台市と山形市は隣接する都市となっており関係は密である
山形交響楽団は飯森範親をシェフに迎え、関西フィルハーモニー管弦楽団の理事長であった西濱秀樹が移籍してからは、大阪でも毎年「さくらんぼコンサート」を行うようになったが、仙台フィルは関西での公演に関して積極的ではない。山形交響楽団がクラシック音楽対応のコンサートホール二つを本拠地としているのに対し、仙台にはまだクラシック音楽用のホールは存在しない。
ただ、録音や配信で聴く仙台フィルハーモニー管弦楽団はかなりハイレベルのオーケストラであり、かつて東京に次ぐ第二都市とまで言われた仙台の文化水準の高さを示している。

飯守も広上も関西に拠点を持っているが、タイプは正反対で、流れを重視する広上に対し、飯守は堅固な構築力を武器とする。
飯守は日本におけるワーグナー演奏の泰斗であり、ワーグナーに心酔していたブルックナーの演奏に関しても日本屈指の実力を持つ。

仙台フィルの音色の瑞々しい音色と、飯守の渋めの歌が独特の味となったベートーヴェン演奏である。

 

ベートーヴェン愛好家の多い日本に生まれるというのは、実に幸運なことである。生誕250周年記念の演奏会の多くが新型コロナによって中止となってしまっても、こうして放送のための演奏を味わうことが出来るのだから。第九の演奏を毎年のように生で聴けるということを考えれば、ドイツやオーストリアといった本場を上回る環境にあるのかも知れない。

 

 

録画してまだ見ていなかった、Eテレ「クラシック音楽館」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第二夜と第三夜を続けてみる。

ベートーヴェンの交響曲を日本各地のプロオーケストラが1曲ずつ演奏し、収録を行うという企画。
交響曲第3番「英雄」は高関健指揮群馬交響楽団、交響曲第4番は小泉和裕指揮九州交響楽団、第5番は阪哲朗指揮山形交響楽団、第6番「田園」は尾高忠明指揮大阪フィルハーモニーが演奏を行う。基本的に本拠地での収録であるが、大阪フィルはフェスティバルホールでもザ・シンフォニーホールでもなく、NHK大阪ホールでの無観客収録が行われた。

 

建築としては第一級だが音響の評判は悪かった群馬音楽センターから高崎芸術劇場へと本拠地を移した群馬交響楽団。談合問題によるゴタゴタもあったようだが、クラシック音楽対応の大劇場や室内楽用の音楽ホール、演劇用のスタジオシアターなどを備え、評判も上々のようである。

日本の地方オーケストラとしては最古の歴史を誇る群馬交響楽団。学校を回る移動コンサートが名物となっており、小学生以来のファンが多いのも特徴である。コロナによって活動を停止せざるを得なかった時期にも、ファンからの激励のメッセージが数多く届いたそうだ。

Twitterで「高崎で高関が振るベートーヴェン」と駄洒落を書いたが、高関健は、1993年から2008年までの長きに渡って群馬交響楽団の音楽監督を務め、退任後は同交響楽団の名誉指揮者の称号を得ている。

古典配置での演奏。高関はノンタクトでの指揮。速めのテンポで颯爽と進むベートーヴェンであり、第1ヴァイオリンに指示するために左手を多用するのも特徴である。

「英雄」の演奏終了後には、プロメテウス繋がりで、「プロメテウスの創造物」からの音楽が演奏された。

 

交響曲第4番を演奏する小泉和裕指揮の九州交響楽団。アクロス福岡 福岡シンフォニーホールでの収録である。

九州も比較的音楽の盛んな場所だが、プロオーケストラは福岡市に本拠地を置く九州交響楽団のみである。人口や都市規模でいえば熊本市や鹿児島市にあってもおかしくないのだが、運営が難しいのかも知れない。

小泉和裕は徒にスケールを拡げず、内容の濃さで勝負するタイプだが、この交響曲第4番は渋めではあるが情報量の多い演奏となっており、なかなかの好演である。

演奏終了後に、序曲「レオノーレ」第3番の演奏がある。ドラマティックな仕上がりで盛り上げも上手く、交響曲第4番よりも序曲「レオノーレ」第3番の演奏の方が上かも知れない。

 

交響曲第5番を演奏するのは、阪哲朗指揮の山形交響楽団。長く一地方オーケストラの地位から脱することが出来なかったが、飯森範親を音楽監督に迎えてから攻めの戦略により、一躍日本で最も意欲的な活動を行うオーケストラとしてブランド化に成功した。キャッチフレーズは、「食と温泉の国のオーケストラ」。山形テルサ・テルサホールという音響は良いがキャパ800の中規模ホールを本拠地とするのが弱点だったが、今年、オペラやバレエ対応のやまぎん県民ホールがオープン。更なる飛躍が期待されている。
今回はそのやまぎん県民ホールでの演奏。
山形交響楽団はピリオドアプローチや、弦楽器をガット弦に張り替えての古楽器オーケストラとしての演奏に早くから取り組んでおり、今回の演奏でもトランペットやホルンはナチュラルタイプのものが用いられている。

阪哲朗はノンタクトで振ることも多いのだが、今回は指揮棒を使用。
冒頭の運命動機を強調せず、フェルマータも比較的短め。流れ重視の演奏である。速めのテンポで駆け抜ける若々しくも理知的な演奏であり、中編成の山形交響楽団とのスタイルにも合っている。

演奏終了後には、「トルコ行進曲」が演奏された。


尾高忠明と大阪フィルハーモニー交響楽団は、一昨年にフェスティバルホールでベートーヴェン交響曲チクルスを行っているが、「田園」だけが平凡な出来であった。「田園」はベートーヴェンの交響曲の中でも異色作であり、生演奏で名演に接することも少ない。

まず「プロメテウスの創造物」序曲でスタート。生き生きとした躍動感溢れる演奏である。

「田園」も瑞々しい音色と清々しい歌に満ちた満足のいく演奏になっていた。

 

 

録画しておいた、Eテレ「クラシック音楽」オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー第四夜を視聴。川瀬賢太郎指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団によるベートーヴェンの交響曲第7番、秋山和慶指揮札幌交響楽団による交響曲第8番、下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」の演奏が放送される。

今年36歳の若手、川瀬賢太郎。広上淳一の弟子である。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者は契約を更新しないことを表明しているが、名古屋フィルハーモニー交響楽団の正指揮者としても活躍している。
神奈川フィル退任の時期や広上で弟子であることから、あるいは京都市交響楽団の次期常任指揮者就任があるのかも知れないが、今のところ広上の後任は発表になっていない。

「のだめカンタービレ」で有名になった交響曲第7番だが、曲調から若手指揮者が振ることが多く、佐渡裕のプロデビューも新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した第7をメインとしたコンサートだった。川瀬もやはり第7を振る機会は多く、今までで一番指揮したベートーヴェンの交響曲だそうである。
リハーサルでも単調になることを嫌う様子が見て取れたが、しなやかにして爽快な第7を演奏する。

愛知県芸術劇場コンサートホールで何度か実演に接したことのある名古屋フィルハーモニー交響楽団。意欲的なプログラミングでも知られており、今年もベートーヴェン生誕250年特別演奏会シリーズが予定されていたようだが、そちらは残念ながら流れてしまったようである。

第7の後に、「英雄」の第3楽章が演奏された。

 

第8番を演奏する秋山和慶指揮札幌交響楽団。日本屈指の音響との評判を誇る札幌コンサートホールKitaraでの演奏である。
秋山はレパートリーが広く、何を振っても一定の水準に達する器用な指揮者であり、外国人指揮者が新型コロナウイルス流行による入国制限で来日出来ないというケースが相次いだ今年は、各地のオーケストラから引っ張りだことなった。
岩城宏之が、「日本のクリーヴランド管弦楽団にする」と宣言して育てた札幌交響楽団。尾高忠明の時代に「シベリウス交響曲全集」や「ベートーヴェン交響曲全集」を作成し、好評を得ている。
秋山の適切な棒に導かれ、透明感のある音色を生かした活気ある演奏を示した。

 

下野竜也指揮広島交響楽団による劇音楽「エグモント」。序曲が有名な「エグモント」だが、劇音楽全曲が演奏されることは珍しい。

NHKの顔となる大河ドラマのオープニングテーマを何度も指揮している下野竜也。NHKとN響からの評価が高く、来年もN響の地方公演を振る予定がある。
下野は広島交響楽団に音楽総監督という肩書きで迎えられており、期待の大きさがわかる。
語りをバリトン歌手である宮本益光(歌手の他に語りなどをこなす器用な人であり、寺山修司ばりに、職業・宮本益光を名乗っている)が務め、ソプラノは石橋栄実(いしばし・えみ)が担当する。
下野らしいドラマティックな演奏であり、広島交響楽団の実力の高さも窺える。
人口で仙台市とほぼ同規模である広島市。両都市とも地方の中心都市でありながら音楽専用ホールがないという共通点があったが、広島は、旧広島市民球場跡地隣接地に音楽専用ホールを建設する予定がある。

 

 

午後8時から、オーケストラでつなぐ希望のシンフォニーのダイジェストを含む今年のクラシックシーン(例年に比べると寂しいものである)を振り返った後で、12月23日に東京・渋谷のNHKホールで収録されたNHK交響楽団の第九演奏会の模様が放送される。指揮は、スペイン出身のパブロ・エラス・カサド。フライブルク・バロック・オーケストラを第九と合唱幻想曲で本年度のレコード・アカデミー大賞を受賞した指揮者である。ノンタクトで汗をほとばしらせながらの熱演。

新型コロナ流行下での第九演奏であるため、合唱を務める新国立劇場合唱団は人数を抑え、前後左右に距離を空けての配置。歌唱時以外はマスクを付けていた。

HIPを援用した快速テンポによる演奏であるが、音が磨き抜かれており、N響の技術も高く、耽美的な演奏となる。
N響も本当に上手く、真のヴィルトゥオーゾオーケストラといった感じである。90年代にN響の学生定期会員をしていた時にも、「不器用だが上手い」という印象を受けていたが、今、90年代に収録された映像やCD化された音源を聴くと、「あれ? N響ってこんなに下手だったっけ?」と面食らうこともある。それほど長足の進歩を遂げたという証でもある。
カサドがスペイン出身ということも影響していると思われるが、音の重心が高めであり、フルートやヴァイオリン、ピッコロといった高音を出す楽器の音が冴えているのも特徴である。全体的に明るめの第九であり、アバド、シャイー、ムーティといったイタリア人指揮者の振った第九との共通点も見出すことが出来る。
第3楽章もかなり速めのテンポを取りながら溢れるような甘さを湛えているのが特徴である。
合唱も例年に比べると編成がかなり小さいが、収録されたものということで音のバランスは調整されており、迫力面でも不満はない。ライブではどんな感じだったのであろうか。

見通しの良い第九であり、甘美なのもこうした年の最後を締めくくる第九としては良かったように思う。

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2020年12月31日 (木)

コンサートの記(677) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか 「第9シンフォニーの夕べ」2020

2020年12月29日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の「第9シンフォニーの夕べ」に接する。

本来は今年の大阪フィルの第九は、ラルフ・ワイケルトが指揮する予定だったが、新型コロナウイルスの流行による外国人入国規制により来日不可となり、音楽監督の尾高忠明が代わって指揮台に立つことになった。
ワイケルトが京都市交響楽団の定期演奏会に客演した時に、大阪フィルの事務局次長(事務方トップ)の福山修氏がいらしていて、私も挨拶したのだが、その後に大阪フィルの定期演奏会のプレトーク(フェスティバルホールのホワイエで福山さんが行っている)で、やはり京響の定期で福山さんを見かけた方から、「なんで京響の定期にいらしてたんですか?」と質問があり、福山さんは「実はワイケルトさんを大フィルにお呼びしたいと思っておりまして」と明かしていた。それが今回の第九への客演依頼だったのだが、残念ながら今回は流れてしまった。

コロナ禍にあって、第九の演奏会が中止になるところも少なくなかったが、大フィルはなんとか6月以降は定期演奏会も含めて本拠地のフェスティバルホールでの演奏会はほぼ行うことが出来た。ただ、それ以外のコンサートは中止になったものも多く、クラウドファンディングが始まっている。年末の第九も本来は2回公演になるはずだったが、今日1回きりに減っている。

 

今日のコンサートマスターは、須山暢大。第1ヴァイオリン16という大編成での演奏である。ドイツ式の現代配置をベースにしているが、コロナ対策のため、通常とは布陣が異なる。
オーケストラと背後の合唱のためのひな壇の間には、平台と同じ大きさと思われる透明のボードが横に18枚、ずらりと並んでいる。ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄り、第3楽章以降にステージに登場する打楽器奏者がその更に下手に並ぶ。下手にいることが多いホルンは上手側奥、チェロの背後に配置される。ステージ下手端に平台が斜めに並べられており、そこが独唱者が歌うスペースになる。独唱者は、髙橋絵理(ソプラノ)、富岡明子(アルト)、福井敬(テノール)、青山貴(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
ソリストと合唱、シンバルやトライアングルなどの打楽器奏者は第2楽章が終わってからの登場。合唱団員は各々前後左右にスペースを取り、口の前に布を垂らしている。おそらくあれが東京混声合唱団が開発した「歌えるマスク」なのだろう。

2700席のフェスティバルホールに、今日は約2300人が来場の予定だそうで、コロナ下にあってはまずまずの入りである。1階席の前の方の席は飛沫を考慮して発売されていない。

 

中庸かやや速めのテンポでスタート。弦楽器はかなりビブラートを抑えての演奏であり、冒頭などは音型がクッキリしているため、第2ヴァイオリンの音などはかなり不吉に響く。ティンパニはバロックタイプのものではないが、時折、硬い音を出し、ピリオドの響きを意識しているようである。
尾高さんもこのところはフォルム重視というより内容を抉り出すような音楽を好むようになってきているように思われるが、今回も音を磨くよりもベートーヴェンの先鋭性を的確に浮かび上がらせるような演奏を行う。以前だったら第3楽章などはテンポを落としてじっくり歌ったと思うが、今日はスッキリした運びで、音の動きの特異性などを明らかにしていたように思う。同じくNHK交響楽団正指揮者で、同じように関西にポジションを持つ外山雄三も最近はそうしたスタイルに変えているようで、ベテランであっても最新の研究成果を取り入れることに熱心であるようだ。スッキリしているといっても旋律美自体は大事にしており、ベートーヴェンを一面だけから語るということは避けている。

第4楽章も巧みな音運びで、独唱者も充実。尾高さんには珍しくアゴーギクなども行う。ソーシャルディスタンス配置による合唱であるが、例年よりは歌声に隙間が生じた感じになってしまうのは致し方ないところである。周りの声が聞こえにくい配置とマスクというハンデを考えればかなり充実した歌唱であり、世界で唯一、年末が第九一色に染まる国、日本の合唱団のレベルの高さを示していた。

今年は世界史上に永久に残るほどの「大変な年」であり、来年が今年よりも良くなるという保障もどこにもない。人類は大きな危機に直面しているといえる。ただそんな年であっても日本では第九が演奏され、「歓喜の歌」が歌われる。
人類は未だ楽園には到達していないが、そこに到る歩みを止めてはいない。ベートーヴェンとシラーの吶喊を受けて、来年と、楽園へ辿り着くいつかに思いをはせながら、「歓喜の歌」に身を浸した。ラストの未来へと続く行進に私も加わっている思いだった。

 

今年も第九の後に、福島章恭(ふくしま・あきやす)指揮大阪フィルハーモニー合唱団によるキャンドルサービスの「蛍の光」が歌われ、「大変な年」にひとまずの句点が打たれたことを感じる。生きているだけで幸運という年になったが、2021年が今年よりは良い年になることを願わずにはいられない。


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2020年11月18日 (水)

コンサートの記(668) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第543回定期演奏会

2020年11月13日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第543回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

曲目は、グレース・ウィリアムズの「海のスケッチ」と、マーラーの交響曲第5番。

今日のコンサートマスターは、崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏。マーラーでの弦はファーストヴァイオリン14型であり、フル編成での演奏となる。

グレース・ウィリアムズ(1906-1977)は、ウェールズ出身の女流作曲家である。ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックでヴォーン・ウィリアムズに師事し、その後、カーディフのBBCウェールズに勤務していたという。
尾高がグレース・ウィリアムズの存在は知ったのは、BBCウェールズ交響楽団の首席指揮者を務めていた時代(1987-1995)で、楽団員から「海のスケッチ」を良い曲だと薦められ、BBCウェールズ響と演奏しているという。尾高はその後、2001年に当時音楽監督を務めていた札幌交響楽団を指揮してこの曲の日本初演を行っており、新日本フィルハーモニー交響楽団、九州交響楽団、読売日本交響楽団とも同曲を演奏しているそうである。

弦楽オーケストラのための作品で、「強風」「航海の歌」「セイレーン海峡」「砕ける波」「夏の穏やかな海(平和な海)」の5部からなっている。
ウェールズはイングランドとは文化が少し異なるが、同じ英国(U.K.)ということもあり、イギリス的な音楽であることは間違いない。海の様々な表情を描いており、波の動きを描写した部分もあれば、海よりも風の要素が強い箇所もある。荒さは余り感じられず、ノーブルな作風であるというところがいかにも英国の作曲家の作品らしい。
なお、ラストに当たる「夏の穏やかな海(平和な海)」は、マーラーの交響曲第5番より第4楽章「アダージェット」に旋律や印象が似ており、マーラーの交響曲第5番をメインとするコンサートの前半に入れられた理由がわかる。

 

マーラーの交響曲第5番。人気曲であり、コンサートで聴く機会は多いが、フェスティバルホールで聴くのはあるいは初めてかも知れない。大阪フィルはエリアフ・インバルを招いたフェスティバルホールでの定期演奏会で、この曲を演奏しているが、私自身はその演奏会は聞き逃している。

尾高忠明というと、フォルムを大切にする音楽作りが特徴で、日本における正統派指揮者というイメージであり、実際にそうだったのだが、このところは表現主義的な演奏に傾きつつあり、この曲でも外観を損ねてでも内容をえぐり出すという、ある意味、マーラーのユダヤ的要素に光を当てた演奏となる。
スケールは大きく、バランス感覚にも秀でているが、それ以上にマーラーの苦悩や戦きを炙り出すことに焦点を当てており、チェロを強く奏でることで意図的に構図を不自然にするなど、マーラーの異様な部分をそのままに描き出す。強弱の対比も鮮やかであり、速度を上げることで、他の演奏では単なる旋律でしかなかったものが崩壊の描写として確認出来るようになっている。

マーラーの交響曲第5番は、第1楽章と第2楽章が第1部、第3楽章が第2部、第4楽章と第5楽章が第3部と作曲者によって指示されている。それに従わない指揮者もかなり多いのだが、尾高は指示通り、第2楽章と第3楽章の間、第3楽章と第4楽章の間に比較的長めの休止を取り、第1楽章と第2楽章の間、第4楽章と第5楽章の間は逆にほぼアタッカで演奏を行った。

マーラーの生前からマーラー作品を高く評価していたウィレム・メンゲルベルクにより、「妻アルマへのラブレター」と評された第4楽章「アダージェット」であるが、この曲全体がベートーヴェンの交響曲第5番に範を取った英雄の物語と解釈すると、「アダージェット」はアルマとは余り関係のない、英雄のまどろみのようなものであり、第5楽章の冒頭で夢から醒めた英雄が勝利へと向かうという筋書きが見えてくる。第5楽章冒頭のホルンはどう聴いても目覚めを促す声であるため、マーラーがアダージェットをまどろみとして書いた可能性は結構高いはずである。
昨今ではスッキリとしたテンポによるアダージェットの演奏も多いが、尾高は中庸からやや遅めのテンポを取り、適度な甘美さでこの楽章を歌った。

続く第5楽章も尾高としては比較的テンポを動かす演奏であり、終盤に向けての高揚感も鮮やかである。大フィルも細かな傷はあるが、内からエネルギーが溢れ出す様がハッキリと見えるようなパワフルな演奏を展開。この楽団の長所が存分に発揮された秀演となった。

尾高は最後に客席に向かって、「コロナに負けずに頑張りましょう」とコメントし、コンサートはお開きとなった。

ちなみに、渋沢栄一を主人公とする来年の大河ドラマ「青天を衝け」のオープニングテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫の一人でもある尾高忠明が務めるようである。

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2020年10月21日 (水)

コンサートの記(661) 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第542回定期演奏会

2020年10月13日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第542回定期演奏会を聴く。当初はイタリア系アメリカ人のロバート・トレヴィーノ(京都市交響楽団に客演したことがあり、その時はイタリア風のロベルト・トレヴィーノ表記であった)が指揮台に立つ予定だったが、新型コロナウイルス流行による外国人入国規制ということで、小林研一郎が代役として登場する。

曲目も一部が変更になり、ジョン・アダムズの「ハーモニウム」に代わってベートーヴェンの交響曲第2番、そしてチャイコフスキーの交響曲「マンフレッド」(マンフレッド交響曲)が演奏される。

小林研一郎は、1940年生まれということで、今年で傘寿を迎えた。東京で傘寿記念として交響曲「マンフレッド」を含むチャイコフスキー交響曲チクルスを行う予定があったのだが、延期となっている。そんな中、たまたま交響曲「マンフレッド」の演奏を行う予定だった大阪フィルの指揮者が来日不可となったため、小林が代役を引き受けることになったのだと思われる。

東京ではベートーヴェンの交響曲全曲を一日で演奏するという企画に何度も挑んでいる小林であるが、関西で小林の指揮するベートーヴェンを聴く機会はそう多くない。大フィルのサマーコンサートには毎年登場して、「未完成」「運命」「新世界」を指揮しているがそれぐらいである。


今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。今日はベートーヴェンが第1ヴァイオリン14、チャイコフスキーが第1ヴァイオリン16という大編成での演奏となる。

チューニングが終わってすぐに、小林が猫背の早足で登場。コンサートマスターの崔とフォアシュピーラーの須山とエルボータッチを行った後で、「本日はお越し下さりありがとうございます。こんな状況ですが、チャイコフスキーのマンフレッドに感銘を受けました」と語り、「大阪フィルのメンバーの情熱」と「お越し下さった皆様方のオーラを受け取って」演奏を行うと述べた。


ベートーヴェンの交響曲第2番。譜面台は置かれているがその上に総譜は乗っておらず、暗譜で指揮となる。ピリオド援用スタイルの演奏であり、弦楽はビブラートを抑え、ボウイングもHIPの様式で行う。ただテンポは昨今の演奏としてはやや遅めであり、時に豪快でスケール豊かな演奏が展開される。
小林は大フィルから極めて瑞々しい音を引き出す。第2楽章冒頭のヴァイオリンの響きの繊細さなどは、耳の疾患の予兆に苦しみながら創作を続けたベートーヴェンの心の震えや憧れなどを伝える。
テンポが遅めであるため、音型の細部まで聴き取ることが可能で、面白さにも溢れたベートーヴェンとなった。一方で密度は薄めで、テンポ設定の難しさが感じられる。両立は困難であるため、どちらかを選択することになるのだが、小林の個性を考えると今回の判断は正しかったと思える。


チャイコフスキーの交響曲「マンフレッド」。標題作品であり、交響曲でなく交響詩と捉えられることもある曲であるが、チャイコフスキーの交響曲としては知名度が低く、「チャイコフスキー交響曲全集」などにも含まれないことが多い。交響曲第4番と第5番の間という、チャイコフスキーの創作が今ひとつ乗らなかった時期に作曲されており、作曲者自身も後に第1楽章以外を破棄しようとしたり、作り替えたりしようとして果たせずに終わっている。
大阪フィルは、2013年にウラディーミル・フェドセーエフの指揮で交響曲「マンフレッド」を演奏しているが、その時はラストにオルガンの入らない「原典版」での演奏であった。今回はオルガン入りの演奏であり、電子オルガンを関西ではお馴染みの桑山彩子が弾く。

小林は、名古屋フィルハーモニー交響楽団を指揮した交響曲「マンフレッド」のCDをリリースしており、ベスト盤に挙げたいほど出来が良かっただけに期待が高まる。

交響曲「マンフレッド」は、ロシア五人組のリーダーであったバラキレフがチャイコフスキーに持ちかけた企画だという。バラキレフは最初はベルリオーズに提案を行ったが、断られたため、話がチャイコフスキーに行ったようだ。ベルリオーズに提案を行ったということで、バラキレフが幻想交響曲のようなものを期待していたことが窺えるが、チャイコフスキー自身も当然ながら幻想交響曲を念頭に置いて作曲を行ったと思われる。だが最終的には叙事詩や物語というよりも4つの場面の風景画のようなものとして作曲、結果としてまとまりに欠ける印象の作品となった。チャイコフスキーが残した手紙から、躁鬱状態で作曲された可能性が分かっており、まとまりのなさに繋がっているのかも知れない。メロディー的にはチャイコフスキーらしい美しさがあるのだが、旋律が浮かんでは消え、浮かんでは消えといった印象でとりとめがない。

譜面台の上にマンフレッド交響曲の総譜が乗っていることは確認出来るのだが、小林がそれに手を伸ばすことはなく、やはり暗譜での指揮となった。

小林の指揮する大フィルは、ベートーヴェンの交響曲第2番の時と同様、瑞々しい音色がまず印象に残る。スケールも大きく、細部の描き方も丁寧である。楽曲の弱さは否めないが、大フィルの長所を十分に弾き出し、演奏自体は充実したものとなる。
ラストにオルガンが高みからの響きのように奏でられ、オーケストラがそれに寄り添っていく。いかにも仰々しく、取って付けたような救いにも感じられる場面なのだが、こうしたコロナ禍の中で聴くと、「こういうラストも案外良いかも」と思われてくる。聴く状況によっても音楽の印象は変わってくる。「歌は世につれ世は歌につれ」というが、あるいは時代と音楽が突如マッチする瞬間というものもあるのかも知れない。

演奏終了後、小林は弦楽最前列の奏者全員とエルボータッチを行い、コントラバス奏者の下にも歩み寄って2人とエルボータッチ。管楽器奏者のトップにも足を運んで演奏を讃える。その後、パートごとに声を出して紹介して、拍手を受けさせた。

小林はマイクを手にスピーチを行う。「80歳にもなると昔と違って上手く頭が回らなくなります」と言いつつ、大フィルの演奏を「人間業を超えた音」と讃えた。
「大きな声を出すことが出来ないということで、残念に思われてる方もいらっしゃるでしょうが、代わりに私が言っておきます。素晴らしかったよ!」

今年はサマーコンサートも中止となり、年齢も80になったということで、大フィルへの客演も「もうこれで」と、今回が最後となりそうなことを仄めかしたりもしたが、最後は「明日もまたいらっしゃって下さい」と言って笑いも取っていた。

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2020年10月 5日 (月)

コンサートの記(659) 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第396回定期演奏会 「わが祖国」全曲

2006年3月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第396回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大阪フィルを振るのは9年ぶりになるという小林研一郎(愛称:コバケン)である。
コバケンの演奏会には東京にいる時は良く出かけたが、考えてみれば、私がコバケンの指揮を見るのも7、8年ぶりだ。
演目はスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲。

「わが祖国」は名曲ではあるが、聴き通すには集中力がいる。CDも何枚か持っているが、いずれも聴き通すには覚悟がいる。気楽に聴ける曲ではないし、気楽に聴くと面白くない曲でもある。

コンサートなら自ずと集中せざるを得ないから、この曲の真価を堪能するにはやはりライヴということになる。

「わが祖国」のコンサートでは、チェコ人のイルジー(イエジー)・コウトが指揮したNHK交響楽団の演奏が二つの意味で印象に残っている。一つは勿論、演奏の素晴らしさだが、もう一つはNHKホールの3階席上部を占拠した修学旅行生のマナーの悪さ。しかし、最初に接したコンサートが「わが祖国」だったりしたら、「もう一生、クラシックなんて聴くものか」と思う生徒が大半を占めてしまうのではないだろうか。長い上に、「モルダウ」を除いてはポピュラリティーに欠ける。芸術性の高い曲だが、ごく一般的な中高生に芸術性なんてわかるはずがない。というわけで、これは教師のミスだろう。そもそも教師も「わが祖国」がどのような曲か知らなかった可能性も高い。こうして日本の音楽教育は音楽嫌いを増やすことになっていくのかも知れない。

思い出はこれぐらいにして、今日の演奏の出来は文句なしである。この間演奏を聴いた下野さんにも佐渡さんにも悪いけれど、やはり現時点では二人ともコバケンさんの敵ではない。

コバケンさんは視覚的にも面白い指揮者である。「炎のコバケン」の異名の通り、情熱の噴出する指揮ぶり。しかし大袈裟というほどでもない。指揮棒を持った右手のみで指揮する場面も多く、左手は要所要所で用いていたが、以前もこのような指揮だっただろうか? 記憶では右手も左手も同程度用いていた気がする。指揮が変わったのか、あるいは曲目からか。

大阪フィルは非常に良く鳴る。下野竜也の指揮でも良く鳴っていたが、比較にならない。

今日はポディウム席で聴いていたが、音に問題はなし。ザ・シンフォニーホールは舞台背後の席も音が良い。

コバケンさんは指揮者として芽が出るのが遅かったからか、謙虚なところがあり、一曲ごとに指揮台から降りて、オーケストラに向かって一礼してから振り始める。普通はそういうことをするとオーケストラに舐められるのであるが、コバケンさんは音楽がしっかりしているからか、逆に好感を持たれているようだ。

「モルダウ」の終結部、二つの和音が鳴る直前のピアニッシモのところで何故か拍手が起こり、会場が白けてしまったのが残念だが(白熱した演奏なので曲が終わってから拍手が起こるのなら自然だったと思う。しかしこんな有名な曲でフライング拍手をしないで欲しい。曲が終わってから拍手するつもりだった人が白けて熱心に拍手できなかったのがわかった)、前半はオーケストラをものの見事にドライブした快演であった。コバケンさんは唸り声も凄いので、それが気になった人もいるだろうが。

「わが祖国」はタイム的には全6曲を通して演奏してもCD1枚に収まる程度なのだが、やはり演奏者も聴衆も集中力が持たないので、3曲目の「シャールカ」と4曲目の「ボヘミアの森と草原から」の合間に休憩が入る。

休憩時間に、「何だあの拍手は」と話題にする人が多い。

後半も快調、「ボヘミアの森と草原から」の悠揚たる迫力に圧倒され、「ターボル」の間をしっかり取った緊張感溢れる演奏に息を呑む。

ラストの「ブラーニク」には私の好きなオーボエソロがあるのだが、オーボエの音がスムーズに出ない。どうやらリード作りに失敗したようである。オーボエソロの美しさが堪能出来なかったのは残念だが、阿修羅と不動明王に毘沙門天が取り憑いたかのような、恐ろしくなるほどスリリングな演奏であった。終演後、いつも以上に会場が沸く。

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2020年10月 1日 (木)

コンサートの記(657) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第395回定期演奏会

2006年2月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第395回定期演奏会を聴く。指揮は音楽監督を務める大植英次。
曲目は今年没後10年を迎える武満徹の「ノスタルジア」(ヴァイオリン独奏は大阪フィルのコンサートマスターである長原幸太)と、前任者である朝比奈隆の十八番だったブルックナーの交響曲第7番。

大阪フィルは他のオーケストラと違い、開演直前にオーケストラのメンバーが一斉にステージ上に現れるというスタイルは取っておらず、メンバーが三々五々出て来て思い思いに旋律をさらう、というのが日常化している。
今日はメンバーが出てくるのが普段より少し遅かった。
メンバーが揃い、ソリストが登場して拍手が起こり……、と思ったら出て来たのはソリストではなく、一人遅刻したフォアシュピーラー(コンサートマスターの隣りで弾く奏者)であった。足早に出て来て、席に座り、さっと髪をなでつける。会場から笑いが漏れる。
ソリストの長原幸太と指揮者の大植英次が登場。大植が「しっかりしてくれよ」とばかりにフォアシュピーラーの背中を叩いたので会場は再び笑いに包まれる。

「ノスタルジア」は私が最も気に入っている武満作品の一つ。憂いに満ちたヴァイオリン独奏と繊細この上ないオーケストラが作り出す、「大仰でない悲しみを歌う」曲である。
演奏開始直後は大阪フィルの弦楽合奏に潤いが不足しているように感じられ、「タケミツ・トーン」が出ていないように思ったのだが、オーケストラの洗練度と繊細さが徐々にアップしていき、この世の音楽とは思えないほど個性的な表情が現れる。長原幸太のソロも適度な抑制を持った演奏で、ストイックなこの曲によく合っている。
ただ、曲が余りにも繊細なので、客席から頻繁に起こる咳の音がとても気になる。武満が亡くなったのは10年前の2月20日だから、この時期にプログラムに入れたのだろうが、風邪の流行るシーズンにこの曲を演奏するのは少し無理があるようだ。

メインのブルックナー交響曲第7番。ブルックナーが残した9曲の交響曲の中で最もメロディアスな曲である。ブルックナー入門用の曲として、交響曲第4番「ロマンティック」(「ロマンティック」とは恋人同士がうんたらかんたら、ではなく、「中世の騎士道精神」という意味)を挙げる人が多いが、私は交響曲第7番の方が入りやすいように思う。第1楽章は雄大、第2楽章は哀切、第3楽章はリズミカル、第4楽章は爽快であり、聴き易い。
演奏が始まると同時にステージ上が別世界に変わる。優れたブルックナー演奏にはそうした力がある。大植はマーラーだけでなく、ブルックナー指揮者としても実力者のようだ。フォルテ、フォルテシモなど、強弱記号の処理も曖昧さがない。
第2楽章も哀切なメロディーが心に響く。この楽章の作曲中にブルックナーは尊敬する作曲家のワーグナーが危篤状態にあることを知る。この楽章はワーグナーの死を確信したブルックナーが、ワーグナーへの哀悼の意を込めた鎮魂の曲となっていく。ワーグナーが自作演奏のために作り出した楽器・ワーグナーチューバがこの楽章では大活躍する。ただ、大阪フィルのワーグナーチューバ陣は粒が揃わず雑然とした演奏に終始。全体としては良い演奏だっただけに、これは残念であった。

朝比奈は、ブルックナーの演奏をする際には「ハース版」(ブルックナーは作品を否定されるたびに楽譜を改訂したため、様々な種類の譜面が残ってしまった。それを編纂したのがロベルト・ハースとレオポルド・ノヴァークで、ハースが編纂したものが「ハース版」、ノヴァークのものが同じく「ノヴァーク版」と呼ばれている)の楽譜を用いるのが常だったので、大植もそれに従っているのだろう、と思いきや第2楽章のクライマックスでシンバルの一撃があり、ティンパニとトライアングルが鳴り響いた。シンバル・トライアングル・ティンパニによるクライマックス形成が採用されているのは「ノヴァーク版」のみである。どうやら朝比奈とは違う流儀であることを示すために「ノヴァーク版」を用いたようだ(プログラムには「ハース版」としっかり書かれている。「ハース版」でも打楽器を鳴らすバージョンは存在するようである)。
第3楽章はリズミカルで迫力があり、最終楽章も活気と感動に満ちた演奏であった。
大阪フィルが朝比奈時代から大植時代に完全に移行したことを示す名演であった。朝比奈のブルックナーを聴き慣れた人には不満があるかも知れないが、いつまでも朝比奈の幻影を求めていても仕方がない。大阪フィルは新時代に入ったのだ。

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2020年9月15日 (火)

コンサートの記(654) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪クラシック2020第1公演 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」@大阪市中央公会堂大集会室

2020年9月13日 中之島の大阪市中央公会堂大集会室にて

正午から中之島にある大阪市中央公会堂大集会室で、大阪クラシック2020の第1公演を聴く。大阪クラシックのプロデューサーである大植英次指揮する大阪フィルハーモニー交響楽団によるドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の演奏である。

大フィルにとって「新世界」交響曲は特別な曲である。1947年、まだ焼け跡の残る大阪で、当時は関西交響楽団と名乗っていた大阪フィルハーモニー交響楽団(定期演奏会の数なども数え直しているため別団体の扱いではあるが)の第1回定期演奏会が朝日会館(現在のフェスティバルホールの向かい、フェスティバルタワーウエストの場所にあった)で行われたが、その最初の曲目が「新世界」であった。戦災からの復興を願い、「新たなる世界」への出発の意を込めた選曲だったと思われる。指揮は勿論、朝比奈隆であった。

新型コロナウイルスの流行による自粛などもあり、大阪も文化・経済活動に大きな打撃を被った。戦争でこそないが、危機からの再出発と音楽文化の隆盛への願いを込め、また大フィルの原点回帰として、最初の曲目に「新世界」交響曲が選ばれたのだと思われる。

 

今回の大阪クラシック2020では無料公演は行われないが(無料公演だとチケットなしになるため、聴衆の住所や行動ルートなどの追跡が一切不可能となってしまう)、代わりにYouTubeを使った無料配信が行われ、1ヶ月程度であるがアーカイブの視聴も可能となる(大阪クラシック2020のホームページからYouTubeチャンネルに飛べるようになっている)。

大阪市中央公会堂の実施設計を行ったのは、東京駅や日本銀行などを手掛けたことで知られる辰野金吾であるが、辰野は今から約100年前に日本を襲ったパンデミックであるスペインかぜに罹患して亡くなっている。
大阪クラシックの第1公演は基本的に大阪市中央公会堂大集会室で行われる。そのため今回のためにこの場所が選ばれたわけではないが、因縁を感じないでもない。

大集会室へは東側のゲートから入るのであるが、手のアルコール消毒と検温が必要となり、チケットの半券も自分でもぎって箱に入れる。強制ではないが、大阪府独自の追跡サービスにメールを送る形でのチェックインを行うことも推奨されている。

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「新世界」交響曲のラストは、「corona(フェルマータの別名)」「dim.(ディミヌエンド。徐々に弱く)」「ppp(ピアニッシモシモ。最弱より弱く)」という指示で終わるため、やはり「新世界」交響曲を演奏する京都市交響楽団の団員が、「これってひょっとして」というメッセージをTwitterで発していた。
私も自分の目で確かめたかったので、「新世界」交響曲のポケットスコアを買って(JEUGIA三条本店が改修工事中であったため、Amazonで取り寄せた)ラストのみならずあちこちを確認。今日もスコアを持ってきていたので、要所要所はスコアを確認しながら聴く。当然ながらスコアを見ながら聴くと、普段なら気がつかないところにも気がつくようになる。ただずっと眺めながら聴いていると「学問的鑑賞」になってしまうため、それは避けた。知だけでは駄目だ、というより知は怖ろしい。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大が入る。ドイツ式の現代配置での演奏。古い建物の常として大阪市中央公会堂大集会室は傾斜が緩やかで、オーケストラのメンバーが良く見えなかったりするのだが、音が主役なのでそれは特に問題にはならない。

大植英次が現れ、指揮台に上って一礼。するとスタッフがアルコール消毒液を持ってきて、大植が自分でポンプを押して手を消毒するというパフォーマンスが行われ、笑い声が起こっていた。今日の大植はいつもに比べると抑えた指揮姿であり、なかなか格好いい。

 

どちらかというと流れて音楽を作るタイプの大植英次であるが、今日の「新世界」はじっくりとした歩みと堅牢なフォルムが目立つ演奏となる。演奏される機会が多く、「通俗名曲」と見做されることもあるこの曲を特別な作品として再現しようという意志があったのかも知れないが、印象に残る演奏であり、もしそういう意図があったとしたのなら大成功であったと思われる。

丁寧な造形美と確かな情熱を感じさせる演奏であり、ヘルベルト・ブロムシュテットの音楽性(私はブロムシュテット指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団による「新世界」をザ・シンフォニーホールで聴いたことがある)にやや仄暗さを加えたような「新世界」となる。

第2楽章では冒頭のトロンボーンがややずれたが、全体としては瑞々しい出来であり、コロナ前の大阪のクラシックシーンを回顧するような趣もあるが、むしろここはこれからの大阪への希望と捉えた方が良いのかも知れない。ノスタルジアに浸るのも良いだろうが、大阪の音楽界が終わったわけではない。20世紀には色々と叩かれることの多かった日本人によるクラシック音楽演奏であるが、ようやく世界水準に達した。日本におけるクラシック音楽の歴史がたかだか150年程度であることを考えると長足の進歩なのだが、まだまだこれからなのだ。過去よりも未来である。

新しい力がふつふつと湧き上がるような第3楽章を経て、第4楽章へ。ここで大植はかなり遅いテンポを採用。勢い任せな演奏になりがちな第4楽章であるが、音をかなり伸ばすことで、ジョン・ウィリアムズの「JAWS」の音楽のような不穏さを出す。そこから加速して盛り上がるが、皮相さはゼロ。明日への思いに満ちた誠実な演奏となる。大フィルも熱演だ。
ラストもコロナ収束への思いというよりも更に先の未来への期待を込めたかのような朝比奈にも繋がる終わり方であり、それまでの渋さから解き放たれたかのような明るめの音色と浮遊感が印象的であった。

 

演奏終了後、大植英次がマイクを手にスピーチを行う。ここで飛沫防止のためのシートを支柱で挟んだ特製器具が登場する。今日のために作ったものだと思われる。大植は、こんな状況であっても大阪クラシックが開催出来たことへの感謝を述べるが、「その原動力となったのは大阪市民の皆さんの熱意です」と語る。「どうしても大阪クラシックをやって欲しい」という声が多く、大植も心動かされたそうだ。大植は「健康にだけは気をつけて下さい」とも語る。

アンコール演奏のための楽団員がステージに姿を現しており、当然ながらアンコール演奏が行われると思われたのだが、大植は引っ込んでしまい、大フィルのメンバーも「あれ?」という表情で顔を見合わせている。大植は再度登場して、「終わりです」というポーズをし、大フィルのメンバーも「アンコールなしになったのかな?」ということでコンサートマスターの崔文洙もお辞儀をしたのだが、やはりアンコール演奏はあり、大植が完全に失念していたことが分かった。大植は指揮台に戻り、「年取ったのかな?」などと述べる。

 

アンコール曲は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「観光列車」。ドヴォルザークが大の鉄道好きであったことから、その関連で選ばれた曲だと思われる。軽快でユーモアに富んだ音楽と演奏だ。こうした演奏を聴くと大フィルもかなり器用な楽団になったことが確認される。大阪市中央公会堂大集会室の「大大阪時代」の名残を留めるレトロでお洒落な内装もヨハン・シュトラウスⅡ世にピッタリであり、「ある意味、今年が音楽のニューイヤー」という気分にもなる。

 

その後も、大阪市中央公会堂の中集会室や大集会室で今年生誕250年を迎えたベートーヴェンの室内楽曲の演奏会があるのだが、間が空いてしまうということもあってチケットは取っておらず、周辺の美術館などに寄ろうかなどとも考えていたがそのまま京都に帰ることにする。演奏会場よりも電車にいる時間の方が長くなるが、それでも十分に思えるほど「新世界」交響曲の演奏は良かった。淀屋橋駅の京阪ジューサーバーで和梨の生搾りジュースを飲み、大阪を後にする。

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2020年7月26日 (日)

配信公演 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」(文字のみ)

2020年7月17日 住友生命いずみホールより配信。同7月23日 アーカイブを視聴

7月17日に、大阪フィルハーモニー交響楽団が大阪の京橋にある住友生命いずみホールで行った「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」がクラシック専門ストリーミングサービスのカーテンコールで配信されたのだが、そのアーカイブを視聴する。17日は、左京区下鴨にある月光堂という楽器店で仏教談義を行っていた(店主が真言宗の僧侶である)ため、リアルタイムでは接することの出来なかった演奏会である。当初、大阪フィルはこの日に神戸国際会館国際ホールで演奏会を行うはずだったのだが、新型コロナの影響で中止となり、代わりに配信のための演奏会が組まれた。無観客ではなく関係者を客席に入れての公演である。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

冒頭に「食い倒れ」の街・大阪のグルメと、中之島周辺の夜景など大阪の魅力を紹介する映像が流れ、西成区岸里(きしのさと)にある大阪フィルハーモニー会館とこの演奏会のリハーサルの模様が映し出される。管楽器以外の奏者はマスクを、指揮者の尾高はフェイスシールドをしてのリハーサルである。
本番でも尾高はフェイスシールドをして登場したが、指揮台に上がってからは取る。尾高によると、フェイスシールドは東大阪市の会社が作ったもので、とても優秀だそうである。


曲目は、デュカスのバレエ音楽「ラ・ペリ」よりファンファーレ、ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」、エルガーの弦楽セレナード、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、モーツァルトの交響曲第39番。

デュカスとホルストは管楽のみ(ホルストは吹奏楽ということでコントラバス奏者はいる)、エルガーとシベリウスは弦楽のみ(シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」はティンパニ入りでの演奏)、モーツァルトでフル編成となる。

休憩時間なしの演奏会で、曲間の楽団員や楽器入れ替えの時間は尾高がマイクを手にトークで繋ぐ。


いずみホールは、元々が住友のホールであるが(住友の屋号が「泉屋」)、今年から住友生命いずみホールという名称に変わっている。


先月から演奏会が再開された大フィル。今月は定期演奏会を含めて4度のコンサートがある。ただソーシャル・ディスタンスを保つため使用可能な客席は通常の半分ほどであり、ぴあなどで取り扱うチケットは比較的少なめで、ほぼ全て売り切れ。大フィルのチケットセンターでの取り扱いが中心となっている。


まずデュカスの「ラ・ペリ」よりファンファーレ。フランス音楽のファンファーレとしては最も有名なものである。ステージ最後列に半円形に陣取った金管奏者達が輝かしい音を放つ。

本番前の映像に尾高忠明へのインタビューも含まれていたが、デュカスは自身に厳しい人で、寡作。「ラ・ペリ」もいったんは破棄しようとして、友人に止められたという比較的有名なエピソードを紹介していた。


ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」。ホルストは職業作曲家ではあったが、専業ではなく、女学校の音楽教師をすることで主な収入を得ており、作曲作品も自分が書きたいものよりも依頼されたものが中心となっている。自身がトロンボーンを専攻していたということもあり、吹奏楽のための作品も多い。
尾高は、ホルストの代表作である組曲「惑星」の話をする。組曲「惑星」は地球を除く太陽系の惑星の神話等を音楽で描いたものだが、ホルストの死後に冥王星が発見されたため、「不完全な惑星」と見做されたこともあった。だが、つい最近であるが、「冥王星は惑星の基準を満たしていない」ということで準惑星となり、惑星の数はホルストが作曲した通りに戻ったという話である。実はイギリスのコリン・マシューズという作曲家が、サー・サイモン・ラトルの依頼を受けて「冥王星」を作曲したばかりだったのだが、それはまた別の話である。

生き生きとした演奏が展開される。舞台上でもソーシャル・ディスタンスを保つということで大編成の曲をプログラムに載せにくく、テューバなどは出番がなかったのだが、この曲はテューバが含まれるため、久々に本番を迎えられたという話を尾高はする。

演奏後、管楽器奏者は退場し、弦楽奏者が持ち場に着くという入れ替えがある。その間、尾高はイギリスの話をする。尾高は元々はイギリスのことが余り好きではなかったそうで、一番の理由は「12進法」の採用だと話す。日本は「10進法」だが、ヨーロッパは元々は12進法で、イギリスは今でも12進法が主である(12の半分が6、6の半分が3という割り算基準である。3は「1と2」という数字の始まりの数二つを足した特別な数字とされている。12は当然ながら3の倍数でもある。10進法だと2つと5つにしか割れない)。そのため初めてイギリスに行ったときは計算がややこしく難儀したが、一緒にいた安永徹(元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)がとても頭が良くて計算に強い人で助かったそうである。当時、ウィーンに留学中だった尾高は「イギリスなんて二度と行くものか。ウィーンで頑張ろう」と誓ったそうだが、皮肉なことにイギリスのオーケストラから「首席指揮者にならないか」という話が来る。受ければ海外初のポストとなる。最初は断ろうと思った尾高だが、「日本からの行き帰りの交通費、全部出すよ」という話だったので受けたそうだ。

着任したのはカーディフにあるBBCウェールズ交響楽団である。日本の感覚だと「イギリスと呼ばれるところは全てイギリス」だろうと思いがちだが、そもそもあの国は「イギリス」ではなく、「グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国」で、ウェールズはロンドンのあるイングランドとは違うという意識が強い。これはサッカーのワールドカップで別代表を送っていることからもよく分かる。大フィルのヴィオラ奏者である木下雄介は、8歳の頃からカーディフで育ったそうだが、ウェールズは英語とはまた別の世界最古といわれる言語を持っており、尾高と木下はウェールズ語でやり取りをしていた。

ウェールズ時代のことは、尾高は「徹子の部屋」に出演した際に語っていたが、ホールから歩いて5分ぐらいの所に家を構えて、リハーサル前に紅茶を飲んでリラックスという、結構、優雅な生活であったらしい。


エルガーの弦楽セレナード。エルガーを得意としている尾高。元々の音楽性が合っていたということもあるだろうが、ウェールズとはいえ、イギリスで長い時間を過ごすことで英国音楽のイディオムを身につけたということは大きいだろう。ノーブルな演奏である。


シベリウスも得意としている尾高。シベリウスは本国であるフィンランドの他にイギリス、アメリカ、そして日本で高く評価されている作曲家である。イギリス人指揮者の多くがシベリウス作品を取り上げ、アメリカにはユージン・オーマンディ、レナード・バーンスタイン、ユタ交響楽団の指揮者であったモーリス・アブラヴァネル、日本にも渡邉暁雄という優れた紹介者がいた。
日本のオーケストラもそうだが、フィンランドのオーケストラのメンバーもシャイな人が多いそうである。シベリウス自身がシャイな人として有名である。フィンランドに行くと色々なところでシベリウスの曲が流れているそうで、「シベリウスの音楽のないフィンランドは考えられない」そうである。

「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、ここ数ヶ月の間に、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル、村川千秋指揮山形交響楽団が共に配信演奏会で取り上げており、人気の曲目となっている。美しさの中に力強さを持っている曲であり、ラストで示される確固たる意思が人気の理由なのかも知れない。
尾高指揮の「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、サントリーホールで行われた札幌交響楽団によるオール・シベリウス・プログラム演奏会のアンコール曲目として聴いたことがあるが、その時同様、自身と確信に満ちた演奏である。現在の日本におけるシベリウス演奏の泰斗としての誇りが窺える。

尾高は、「ティンパニがいつ入るんだろうと思われた方も多いでしょうが、ラストで効果を上げます」と語り、打楽器繋がりで、現代日本の作曲家は作品に多くの打楽器を用いるという話をする。打楽器が多いと、打楽器奏者当人よりも楽器の配置換えを行うステージマネージャーが大変になるそうで、曲の演奏の前にてんやわんやになるそうである。それでいて聴衆に大変さが分かって貰えず、配置換えの長さ故に面白い顔をされないので疲れるそうだ。
尾高は、N響のステージマネージャーだったKさんから、「モーツァルトはいいですね。打楽器の配置換えが少ないのにお客さんに喜んで貰える」という話をされたことがあるそうだ。


モーツァルトの交響曲第39番。この曲も尾高指揮大阪フィルのモーツァルト後期三大交響曲一挙演奏の定期演奏会で聴いたことがあるが、今日も尾高らしい細やかな味わいが光る演奏となる。尾高はフォルムで聴かせるタイプであるが、繊細な表情を特徴としており、音で押し切るスタイルとは異なる。


東京でも演奏会の仕事は始まっているそうであるが、東京は大阪とは違い、街を歩いていてもマスクをしていない人が目立つそうである。
錦糸町にある、すみだトリフォニーホールでの演奏は上首尾だったそうだが、「ブラボー禁止」ということで、本来ならブラボーがいくつか掛かってもいい出来と感じていたが、声を発する人がおらず、寂しい思いもしたそうだ。だが、「ブラボー!」と書かれた紙を掲げている人が5、6人ほどいたそうで、尾高も「あれいいね」と大フィルの楽団員に語りかける。「今度から紙配っておこうか」

多くの人が工夫を凝らしているようである。サッカーのサポーターが掲げるような「ブラボー!タオル」を作ったら売れそうな気もする。一時的だろうけれど。


志村けん、岡江久美子といった有名人も含めて多くの人が新型コロナで亡くなったということで、追悼曲として、グリーグの「二つの悲しい旋律」より「過ぎた春」が演奏された。

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2020年6月29日 (月)

コンサートの記(643) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第539回定期演奏会

2020年6月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第539回定期演奏会を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者の大植英次。大植英次はドイツ在住であるため、新型コロナウイルス対策として日本に入ってから2週間の隔離生活を行う必要があったが、それを乗り切って指揮台に立つことになった。他のオーケストラだっらそんな面倒なことに耐えてまで指揮したいとは思えなかったかも知れないが、それが大植にとっての大フィル愛なのだろう。

約4ヶ月ぶりのフェスティバルホール。大阪市内で「過ごす」といっても良いほど長時間滞在するのも約4ヶ月ぶりである。

曲目に変更がある。当初はリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンスと組曲「キャンディード」が演奏される予定であった。特に「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンスは、1990年に行われたレナード・バーンスタイン指揮ロンドン交響楽団の来日演奏会東京公演で、当初はバーンスタインの自作自演となるはずが、当日になってこの曲だけを当時無名だった大植が指揮することがアナウンスされ、演奏は成功したのに、バーンスタインの自作自演を期待していた聴衆から叩かれまくったという因縁の曲であり、聴くのが楽しみであったのだが、やはり当初の曲目だとオーケストラプレーヤー間のディスタンスが十分に確保出来ないということで、ベートーヴェンの交響曲第4番と第5番が休憩なしで演奏されることになった。2曲共に今の状況下で演奏するに相応しい作品だと思われる。

曲目変更に納得出来ない場合は払い戻し可であり、また客席もディスタンス確保のため両隣一席空けでの対応が必要となり、事前に購入したチケットに記載された席には座ることが出来ず、入場前に新たに割り振られた座席券への引き換えが行われる。
私は2階席の8列目(最後列)下手端から、同6列目ほぼ真ん真ん中の席に移る。音響的には良い席に変わったことになる。

「ブラボー!」など大きな声を上げることは禁止。会話等もなるべく行わないことが推奨される。入場時に手のアルコール消毒を行うほか、サーモグラフィシステムを使っての体温検査も行われる。ビュッフェは閉鎖。飲料水のサーバも使用中止で、飲み物は7階(ホール3階)の自販機で買い求める必要がある。

 

コンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、ティンパニは指揮者の正面ではなく左寄りに配置される。

トランペット奏者やオーボエ奏者が演奏開始前にステージ上で練習を行っていたが、集客が通常よりもかなり少なめということもあって音がよく響く。

 

開演前に大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長の福山修氏がマイクを持って登場し、曲目の変更や席の移動などを受け入れてくれたことへの感謝を述べ、弦楽奏者やティンパニ奏者はマスクをしての演奏であること、また奏者の間も通常より広く取っており、そのために予定されていた曲目が演奏不可となったことを詫びていた。

譜面台であるが、プルトで1台ではなく各自1台であり、なるべく距離を保てるよう工夫されている。また管楽器奏者は交響曲第4番と第5番で総入れ替えとなり、同一人物の飛沫が長時間飛ぶことのないよう工夫されていた。

普段とは異なり、オーケストラメンバーがステージ上に登場した瞬間からずっと拍手が起こる。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。大植は、コンサートマスターの須山暢大と握手をする前に右手に白い手袋を嵌め、客席からの笑いを誘う。

合奏の練習が出来ないということで演奏水準の低下が心配されたが、細かな傷はあったものの、一定水準は確保出来ており、安心する。

 

交響曲第4番は、「ベートーヴェンの交響曲の中では比較的小型で女性的」というイメージがあるが、大植は昨今の同曲演奏の一般的なテンポよりは少し遅めのものを採用し、第1楽章後半や第2楽章、最終楽章後半などではHIPを生かした一音ごとの強調や生命力を表に出して、重厚にして雄渾という男性的な第4を描いていく。闇の中を手探り状態で進んでいくような第1楽章序奏は、おそらく今現在の状況に重ねられているのだろう。
響き過ぎるためか、輪郭がややぼやけ気味なのが気になったが、渋い音による大フィルならではのベートーヴェン演奏となった。

 

交響曲第5番。大植は指揮棒を振り下ろして体の前で止めた時に運命主題が鳴るという振り方を採用する。フォルムはスタイリッシュだが、奥にマグマを秘めているという大植らしい音楽作り。大植はマーラー指揮者であり、ベートーヴェンの演奏では「成功」という評価をなかなか得られなかったが、今日は「コロナ禍を乗り越える」という精神で挑んだためか、密度の濃いなかなかのベートーヴェン像を提示する。
この曲でもビブラートを控えめにしたり、音の分離をくっきりさせるためのボウイングを用いたりとピリオドを援用。ピリオドであることを強調こそしないが、ピリオドならではの効果も随所で上げる。ホルンを警告としてかなり強く吹かせているのも特徴である。第4でもそうだったが、管による内声部が浮き上がる場面があり、採用した版が気になる。

最終楽章で第2ヴァイオリン奏者の楽器の弦がミシッという音を立てて切れ、リレーを行って最後列の奏者が弦の切れたヴァイオリンを持って退場するハプニングがあったが、演奏そのものには特に影響しなかった。

新型コロナに対する人類の勝利を祈念したかのような盛り上げ方も鮮やかであり、テンポの伸縮など、大植らしい外連も発揮されていた。

演奏終了後、大植はオーケストラプレーヤーに立つように命じたが、大フィルの楽団員は大植に敬意を表して立たず、大植が一人で客席からの拍手を受ける。大植は白手袋を嵌めてコンサートマスターの須山と握手。その後、弦楽最前列の奏者全員とグータッチを、コントラバス首席奏者とはエルボータッチを行い、客席を盛り上げた。

 

危機を迎えた時には何よりもベートーヴェンの音楽が良い薬になるということを実感した演奏会でもあった。ベートーヴェンの音楽に接する機会のある限りは、人類はいかなる危機であっても乗り越えられる、少なくとも新型コロナウイルスごときに容易く屈しはしないという勇気が胸の奥からふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

 

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2020年5月24日 (日)

コンサートの記(636) アジアオーケストラウィーク2004 岩城宏之指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 伊福部、武満、外山ほか

2004年10月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴く。アジアオーケストラウィーク2004のトリを飾る演奏会。チケットはいつもに比べれば安いが、台風が近づいているためか客の入りは良くない。指揮は岩城宏之。

岩城の公演を生で聴くのは2回目。いずれも彼の病気が悪化した後だが、今日も歩みがたどたどしい。

1曲目は伊福部昭の「管弦楽のための日本組曲」。伊福部は北海道生まれの作曲界の重鎮。土俗的な迫力ある作風が特徴。世間一般には「ゴジラのテーマ」の作曲者としての方が有名だ。岩城なかなか好調。

武満徹の「夢の時」。誰が聴いても武満の曲だとわかる曲である。武満の前に武満なく、武満の後に武満なし。武満の曲を聴く機会はコンサートでは意外に少ないが(2004年当時)、ホールが武満色に染まってしまう貴重な時間を体験する。

3曲目は徳山美奈子の「大阪素描」。大阪生まれの女流作曲家の作品。祭りや童謡、民謡などを題材にしており、伊福部に共通するところがあるが、彼女の方が洗練されている。演奏後、作曲者登場。喝采を受ける。


メインはシベリウスの交響曲第2番。岩城とシベリウスという組み合わせは意外だが、相性ははっきり言って良くない。ベートーヴェンの交響曲に対するのと同じようにシベリウスに向かってしまったため、結果として迫力はあるが、曲想をはっきり捉えることが出来なくなってしまっている。
ベートーヴェン的シベリウスというものが成功し得ないことを知る。少し眠たい演奏だった。シベリウスの交響曲第2番を生で聴くのは4度目だが、退屈するのは初めてである。


アンコールは外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。岩城はこの曲の初演者。ちょっとバランスが悪い気もするが手慣れた演奏となる。迫力も十分であるが、ザ・シンフォニーホールは残響がありすぎて直接音が届きにくい気がする。ラストのパーカションは聴覚的にも視覚的にも格好いい。

この曲の演奏は作曲者である外山雄三の指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による演奏が良かった。サントリーホールでの演奏会で聴いたのだが、これはライヴ録音されてCDでも聴くことが出来る。
民謡が露骨に使われているので、「真面目」な評論家からは、「オリエンタリズムの押し売り」などと言われるが、こういう人は西洋の作曲家が西洋の民謡を使って作曲すると絶賛したりするのだ。ただの西洋コンプレックスであるような気がする。

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