カテゴリー「大阪フィルハーモニー交響楽団」の60件の記事

2020年6月29日 (月)

コンサートの記(643) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第539回定期演奏会

2020年6月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第539回定期演奏会を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者の大植英次。大植英次はドイツ在住であるため、新型コロナウイルス対策として日本に入ってから2週間の隔離生活を行う必要があったが、それを乗り切って指揮台に立つことになった。他のオーケストラだっらそんな面倒なことに耐えてまで指揮したいとは思えなかったかも知れないが、それが大植にとっての大フィル愛なのだろう。

約4ヶ月ぶりのフェスティバルホール。大阪市内で「過ごす」といっても良いほど長時間滞在するのも約4ヶ月ぶりである。

曲目に変更がある。当初はリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、レナード・バーンスタインの「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンスと組曲「キャンディード」が演奏される予定であった。特に「ウエスト・サイド物語」よりシンフォニック・ダンスは、1990年に行われたレナード・バーンスタイン指揮ロンドン交響楽団の来日演奏会東京公演で、当初はバーンスタインの自作自演となるはずが、当日になってこの曲だけを当時無名だった大植が指揮することがアナウンスされ、演奏は成功したのに、バーンスタインの自作自演を期待していた聴衆から叩かれまくったという因縁の曲であり、聴くのが楽しみであったのだが、やはり当初の曲目だとオーケストラプレーヤー間のディスタンスが十分に確保出来ないということで、ベートーヴェンの交響曲第4番と第5番が休憩なしで演奏されることになった。2曲共に今の状況下で演奏するに相応しい作品だと思われる。

曲目変更に納得出来ない場合は払い戻し可であり、また客席もディスタンス確保のため両隣一席空けでの対応が必要となり、事前に購入したチケットに記載された席には座ることが出来ず、入場前に新たに割り振られた座席券への引き換えが行われる。
私は2階席の8列目(最後列)下手端から、同6列目ほぼ真ん真ん中の席に移る。音響的には良い席に変わったことになる。

「ブラボー!」など大きな声を上げることは禁止。会話等もなるべく行わないことが推奨される。入場時に手のアルコール消毒を行うほか、サーモグラフィシステムを使っての体温検査も行われる。ビュッフェは閉鎖。飲料水のサーバも使用中止で、飲み物は7階(ホール3階)の自販機で買い求める必要がある。

 

コンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、ティンパニは指揮者の正面ではなく左寄りに配置される。

トランペット奏者やオーボエ奏者が演奏開始前にステージ上で練習を行っていたが、集客が通常よりもかなり少なめということもあって音がよく響く。

 

開演前に大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長の福山修氏がマイクを持って登場し、曲目の変更や席の移動などを受け入れてくれたことへの感謝を述べ、弦楽奏者やティンパニ奏者はマスクをしての演奏であること、また奏者の間も通常より広く取っており、そのために予定されていた曲目が演奏不可となったことを詫びていた。

譜面台であるが、プルトで1台ではなく各自1台であり、なるべく距離を保てるよう工夫されている。また管楽器奏者は交響曲第4番と第5番で総入れ替えとなり、同一人物の飛沫が長時間飛ぶことのないよう工夫されていた。

普段とは異なり、オーケストラメンバーがステージ上に登場した瞬間からずっと拍手が起こる。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。大植は、コンサートマスターの須山暢大と握手をする前に右手に白い手袋を嵌め、客席からの笑いを誘う。

合奏の練習が出来ないということで演奏水準の低下が心配されたが、細かな傷はあったものの、一定水準は確保出来ており、安心する。

 

交響曲第4番は、「ベートーヴェンの交響曲の中では比較的小型で女性的」というイメージがあるが、大植は昨今の同曲演奏の一般的なテンポよりは少し遅めのものを採用し、第1楽章後半や第2楽章、最終楽章後半などではHIPを生かした一音ごとの強調や生命力を表に出して、重厚にして雄渾という男性的な第4を描いていく。闇の中を手探り状態で進んでいくような第1楽章序奏は、おそらく今現在の状況に重ねられているのだろう。
響き過ぎるためか、輪郭がややぼやけ気味なのが気になったが、渋い音による大フィルならではのベートーヴェン演奏となった。

 

交響曲第5番。大植は指揮棒を振り下ろして体の前で止めた時に運命主題が鳴るという振り方を採用する。フォルムはスタイリッシュだが、奥にマグマを秘めているという大植らしい音楽作り。大植はマーラー指揮者であり、ベートーヴェンの演奏では「成功」という評価をなかなか得られなかったが、今日は「コロナ禍を乗り越える」という精神で挑んだためか、密度の濃いなかなかのベートーヴェン像を提示する。
この曲でもビブラートを控えめにしたり、音の分離をくっきりさせるためのボウイングを用いたりとピリオドを援用。ピリオドであることを強調こそしないが、ピリオドならではの効果も随所で上げる。ホルンを警告としてかなり強く吹かせているのも特徴である。第4でもそうだったが、管による内声部が浮き上がる場面があり、採用した版が気になる。

最終楽章で第2ヴァイオリン奏者の楽器の弦がミシッという音を立てて切れ、リレーを行って最後列の奏者が弦の切れたヴァイオリンを持って退場するハプニングがあったが、演奏そのものには特に影響しなかった。

新型コロナに対する人類の勝利を祈念したかのような盛り上げ方も鮮やかであり、テンポの伸縮など、大植らしい外連も発揮されていた。

演奏終了後、大植はオーケストラプレーヤーに立つように命じたが、大フィルの楽団員は大植に敬意を表して立たず、大植が一人で客席からの拍手を受ける。大植は白手袋を嵌めてコンサートマスターの須山と握手。その後、弦楽最前列の奏者全員とグータッチを、コントラバス首席奏者とはエルボータッチを行い、客席を盛り上げた。

 

危機を迎えた時には何よりもベートーヴェンの音楽が良い薬になるということを実感した演奏会でもあった。ベートーヴェンの音楽に接する機会のある限りは、人類はいかなる危機であっても乗り越えられる、少なくとも新型コロナウイルスごときに容易く屈しはしないという勇気が胸の奥からふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

 

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2020年5月24日 (日)

コンサートの記(636) アジアオーケストラウィーク2004 岩城宏之指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団 伊福部、武満、外山ほか

2004年10月8日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴く。アジアオーケストラウィーク2004のトリを飾る演奏会。チケットはいつもに比べれば安いが、台風が近づいているためか客の入りは良くない。指揮は岩城宏之。

岩城の公演を生で聴くのは2回目。いずれも彼の病気が悪化した後だが、今日も歩みがたどたどしい。

1曲目は伊福部昭の「管弦楽のための日本組曲」。伊福部は北海道生まれの作曲界の重鎮。土俗的な迫力ある作風が特徴。世間一般には「ゴジラのテーマ」の作曲者としての方が有名だ。岩城なかなか好調。

武満徹の「夢の時」。誰が聴いても武満の曲だとわかる曲である。武満の前に武満なく、武満の後に武満なし。武満の曲を聴く機会はコンサートでは意外に少ないが(2004年当時)、ホールが武満色に染まってしまう貴重な時間を体験する。

3曲目は徳山美奈子の「大阪素描」。大阪生まれの女流作曲家の作品。祭りや童謡、民謡などを題材にしており、伊福部に共通するところがあるが、彼女の方が洗練されている。演奏後、作曲者登場。喝采を受ける。


メインはシベリウスの交響曲第2番。岩城とシベリウスという組み合わせは意外だが、相性ははっきり言って良くない。ベートーヴェンの交響曲に対するのと同じようにシベリウスに向かってしまったため、結果として迫力はあるが、曲想をはっきり捉えることが出来なくなってしまっている。
ベートーヴェン的シベリウスというものが成功し得ないことを知る。少し眠たい演奏だった。シベリウスの交響曲第2番を生で聴くのは4度目だが、退屈するのは初めてである。


アンコールは外山雄三の「管弦楽のためのラプソディ」。岩城はこの曲の初演者。ちょっとバランスが悪い気もするが手慣れた演奏となる。迫力も十分であるが、ザ・シンフォニーホールは残響がありすぎて直接音が届きにくい気がする。ラストのパーカションは聴覚的にも視覚的にも格好いい。

この曲の演奏は作曲者である外山雄三の指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による演奏が良かった。サントリーホールでの演奏会で聴いたのだが、これはライヴ録音されてCDでも聴くことが出来る。
民謡が露骨に使われているので、「真面目」な評論家からは、「オリエンタリズムの押し売り」などと言われるが、こういう人は西洋の作曲家が西洋の民謡を使って作曲すると絶賛したりするのだ。ただの西洋コンプレックスであるような気がする。

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2020年4月 3日 (金)

コンサートの記(630) クシシュトフ・ウルバンスキ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第498回定期演奏会

2016年5月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第498回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は芸術大国ポーランド出身の俊英、クシシュトフ・ウルバンスキ。

曲目は、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:アンナ・ヴィニツカヤ)、ルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲。


ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルといった世界的オーケストラへの客演が続くクシシュトフ・ウルバンスキ。1982年生まれ。現在、米インディアナポリス交響楽団音楽監督やノルウェーのトロンハイム交響楽団首席指揮者の座にあり、北ドイツ放送交響楽団の首席客演指揮者も務めている。東京交響楽団首席客演指揮者でもあり、東京の聴衆にとってはお馴染みの指揮者でもある。
大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長企画室長の福山修氏によると、ウルバンスキは、フォトグラフメモリー(写真記憶)といって、一目見たものを写真に撮るように頭に収めて記憶してしまうという特殊能力の持ち主だそうで、譜面は一度見ただけで覚えてしまうため、全て暗譜で指揮するそうだ。
フォトグラフメモリーの持ち主として知られた指揮者にはロリン・マゼールやピエール・ブーレーズがいるが、実は二人とも暗譜には否定的であった。二人揃って否定的ということは何らかの理由があるのだろう。

小学生の頃からホルンを吹いていたというウルバンスキだが、指揮者に目覚めたのは中学生の時だそうで、友人に誘われて聴きに行ったアントニ・ヴィト(ポーランドを代表する指揮者で、NAXOSレーベルの看板指揮者でもある)指揮のコンサートで感激。「自分も指揮者になろう」と決意。その後、ワルシャワのショパン音楽アカデミーでそのヴィトに指揮を師事。その後、ヴィトの下でワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団のアシスタント・コンダクターも務めている。


今日のコンサートマスターは田野倉雅秋。ドイツ式の現代配置による演奏である。

ウルバンスキ登場。相変わらず見るからに才子という風貌である。


チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。スッキリとしたスタイルによる演奏で、健康的に過ぎる気もしたが、「恋の主題」の演奏はこれまでに聴いた実演、録音を通して最もロマンティック。ここぞという時の感情表現に長けている。


ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。深紫のドレスで登場したアンナ・ヴィニツカヤは、ロシアのノボロシースク出身の若手ピアニスト。セルゲイ・ラフマニノフ音楽院高等部を経てハンブルク音楽大学を卒業。数々のピアノコンクールで栄冠を手にし、2007年のエリザベート王妃国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝。翌2008年にはレナード・バーンスタイン賞を受賞している。

ウルバンスキ指揮の大阪フィルはチャイコフスキーの時とは違い、仄暗い響きを奏でる。ヴィニツカヤのグレートーンの響きもラフマニノフの相応しい。ただ、ヴィニツカヤのピアノが大フィルの伴奏に埋もれてしまうことも多く、ピアノのエッジももっと効いていて欲しいと思うところがある。第2楽章はヴィニツカヤのピアノも良かったが、それ以上にウルバンスキ指揮する大阪フィルのイメージ喚起力が素晴らしい。曲調を丁寧に追った結果だろう。
第3楽章ではヴィニツカヤが抜群の技巧を披露。ウルバンスキと大フィルも熱い伴奏を聴かせ、情熱的な快演となった。

ヴィニツカヤのアンコール演奏は、ショスタコーヴィチの「ワルツ スケルツォ」。チャーミングな演奏であった。


ウルバンスキの祖国、ポーランドの作曲家であるルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲。
大阪フィルの音色は輝かしく、威力も技術も抜群である。
ウルバンスキのオーケストラコントロールも鮮やか。それほど派手な指揮ではないが、しなやかな動きで、大フィルから次々に美音を引き出していく。
ルトスワフスキの管弦楽の協奏曲はありとあらゆる音楽要素を詰め込んだ力作であるが、ウルバンスキの楽曲分析の成果もあって、立体的な秀作として耳に届いた。


終演後にCD購入者限定でウルバンスキとヴィニツカヤのサイン会があり、ウルバンスキのサインを貰った。

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2020年3月28日 (土)

コンサートの記(629) 尾高忠明指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第496回定期演奏会

2016年3月11日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第496回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は尾高忠明。

大阪フィル首席指揮者の井上道義とは長年に渡る友人である尾高忠明。二人とも学生時代は腕白で、二人合わせて「悪ガキ・イノチュウ」と呼ばれていた。井上道義は今もいたずら小僧の面影があるが、尾高さんは大分ジェントルになった。

1947年に指揮者・作曲家の尾高尚忠の次男として生まれ、桐朋学園大学を卒業。東京フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団の常任を経て、昨年の3月まで札幌交響楽団の音楽監督を務めた。札響との音楽監督としてのラストステージは東京のサントリーホールでの演奏会であり、私はその演奏会を聴いている。
海外ではイギリスのBBSウェールズ・ナショナル管弦楽団(ウェールズは厳密にいうとイギリス=イングランドではないが)の首席指揮者を務めており、現在は桂冠指揮者の称号を贈られている。BBCウェールズ・ナショナル管とはレコーディングでも高く評価されている。
2010年よりNHK交響楽団の正指揮者に就任(現在は外山雄三との二人体制)。

今日の大阪フィルのコンサートマスターは首席客演コンサートマスターの崔文洙。ドイツ式の現代配置での演奏である。


曲目は、リャードフの交響詩「魔法にかけられた湖」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子)、ラフマニノフの交響曲第2番。


リャードフの交響詩「魔法にかけられた湖」。ホワイエでプレトークを行った大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長の福山修氏によると「大阪フィルがこの曲を演奏するのはおそらく初めて」だそうであるが、私もこの曲を生で聴くのは初めてである。
ペテルブルク音楽院の教師としてプロコフィエフなどを教えたことで知られるリャードフであるが、作曲家としてはかなりの遅筆であり、ディアギレフが新作バレエの作曲をリャードフに依頼するも出来上がる気配がまるでないので、作曲家をストラヴィンスキーに変更。出来上がったバレエが「火の鳥」である。
そんな調子だったため、寡作というほどではないが残された作品は余り多くなく、またピアノ曲など小品が占めるパーセンテージが高いのも特徴である。

幻想的な絵画を描くのを好んだというリャードフ。「魔法にかけられた湖」は、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」やドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を思わせるような神韻縹渺とした雰囲気を持つ佳編である。
全曲ノンタクトで振った尾高と、大阪フィルの演奏もこの曲が持つ独自の趣をよく表していたように思う。


プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番。真っ赤なドレスで現れた諏訪内晶子。どちらかというと曲調に合わせて機械的に弾かれることの多いこの曲を丁寧且つ繊細に、儚げな美しささえ感じさせる独特のヴァイオリンで弾き切る。諏訪内の持ち味は他の国のヴァイオリニストからは余り聴かれないものであり、彼女が良い意味でとても日本的なヴァイオリニストであることが再確認出来る。諏訪内も若い頃は美音の技巧派だったが、その後、徐々に日本的な個性を持つヴァイオリニストへと変貌してきている。名古屋でパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンと共演し、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾いた際、演奏終了後にパーヴォがFacebookに「諏訪内晶子とのスペシャルなメンデルスゾーン」というメッセージをアップしていたが、おそらく「もののあわれ」的な諏訪内のメンデルスゾーンはパーヴォには新鮮だったのであろう。

諏訪内はアンコールとして、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタより“アンダンテ”を弾く。諏訪内の奏でるバッハは「高貴」の一言だ。


ラフマニノフの交響曲第2番。尾高はこの曲をBBCウェールズ・ナショナル管弦楽団やメルボルン交響楽団とレコーディングしており、十八番としている。
大阪フィルもメカニックは十分なのだが、長年ドイツものをレパートリーの柱にしてきたため、どちらかというと渋い響きを出しており、ラフマニノフとの相性は必ずしも良いとはいえないようだ。本来なら音のパレットはもっと豊富であった方が良い(曲が長く感じられてしまう)。ただ、こうした黒光りするようなラフマニノフもたまには悪くない。
大フィルというとホルンがネックだったのだが、今日の演奏ではホルンを始め金管群が充実。オーケストラとしての確かな成長を感じさせてくれる。


演奏終了後、尾高はマイクを手に登場。「こういう日(3・11)なので黙祷をなさった方、祈りを捧げられた方もいらっしゃると思います。もう5年経ってしまいましたが、先日、仙台で演奏会を行い、泊まっていたホテルから海の方を見てみたのですが、何も変わっていませんでした。復興はまだされていません。大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会ではアンコール演奏はしませんし、私もラフマニノフの交響曲第2番を演奏した後でアンコール演奏をするのは嫌なのですが、こういう日なので」
ということで、エルガーの「エニグマ変奏曲」より第9変奏“ニムロッド”がアンコールとして捧げられる。やはり尾高指揮のイギリスものは良い。崇高にして力強い演奏であった。

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配信公演 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第536回定期演奏会(文字のみ)

2020年3月19日

今日は大阪フィルハーモニー交響楽団のネット配信がある。本来なら、昨日今日と井上道義指揮による第536回定期演奏会が通常の演奏会として行われるはずだったのだが、新型コロナウィルスの影響により無観客での上演、配信サイト「カーテンコール」での中継となった。残念ながら、音が飛んだり場面も飛んだり、1曲目のハイドンに至っては冒頭の音が出ないなど、技術的な問題はある(アーカイブでは改善されている)。

無観客演奏会自体は午後7時からなのだが、大阪フィルが定期演奏会の前に行っているプレトークサロンもやりたいというので、午後6時30分からの配信となる。配信が始まって10分ほど経ってから、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長で、プレトークサロンの司会も務めている福山修氏が登場。お客さんが周りにいるいつものプレトークでの語りを演じ始める(言葉は「ご来場下さりまして」ではなく「ご視聴下さりまして」に変えている)。聴衆は背の高い禿頭の男性が一人だけ。井上道義である。
井上道義が、「すみません、客ですけど、ストラヴィンスキーって誰ですか? チャイコフスキーとかいるじゃないですか、どう違うんですか?」と福山さんのトークに割って入ったところで、福山さんが、「あ、目の前に井上道義マエストロがいらっしゃるので直接ご解説を」
そして井上道義が、「とてもやらせが酷いと思いますけれど」と言って、今日のプログラム解説などを行う。ちなみに今日の演目は、ハイドンの交響曲第2番、モーツァルトの交響曲第5番、ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:アイレン・プリッチン)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。最初の2曲は若書きが並び、井上らしい選曲である。ちなみにモーツァルトの交響曲第5番は彼が9歳の時の曲。ハイドンの交響曲第2番は25歳前後に作曲されたものだという。

ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲の独奏を務めるアイレン・プリッチン。井上は「プーチンじゃないですよ」と断りを入れた上で、「(見た目が)ロシア人らしくないでしょ。実はハーフ。ベトナムとロシアの。実は私もハーフで(井上は日米のハーフである。実父とされる井上正義は育ての親で、生みの親はガーディナーさんというアメリカ人だそうである)」
そして、「春の祭典」初演時のスキャンダルにも触れ、「(「春の祭典」は)全くひねくれた、僕みたいな」と言って、福山さんも困っていた。


今日のコンサートマスターは、元NHK交響楽団コンサートマスターの山口裕之が客演で入る。フォアシュピーラーは須山暢大。


ハイドンの交響曲第2番とモーツァルトの第5番は、チェロ以外オールスタンディングで演奏を行うという井上らしい外連が見られる。
共に初期の交響曲なので、後に築かれたような個性が発揮された作品というわけではない。ハイドンの交響曲第2番からは、バッハを始めとするドイツのバロック時代の音楽の影響が聴かれるし、モーツァルトの交響曲第5番は、作曲活動を開始してからまだ4年か5年の作品ということで習作である。ただ、その9歳のモーツァルトの第2楽章の哀感には打たれる。人生の悲哀などまだ全くといっていいほど知らない年齢で書かれた音楽であるが、神童以外のなにものでもない完成度に到達している。感情でなく、それまでに書かれた多くの先人の作品を勉強して書かれたものだと思われるが、人間業とは思えない。ただ、幼い頃にこんな曲を書いてしまったというところに、その後の悲劇的な人生が予見されたりもする。


作風を様々に変えたため「カメレオン作曲家」とも呼ばれたストラヴィンスキー。ヴァイオリン協奏曲は、ありとあらゆる音楽の要素を詰め込んだおもちゃ箱のような音楽である。昔、千葉にいた頃に、ストラヴィンスキーが子どものために書いたピアノ曲「五本の指で」というマジックのような小品集をよく弾いたが、それに似た楽しさに溢れている。
ソリストのアイレン・プリッチンも腕利きであり、まだ若いがストラヴィンスキーの音楽をよく把握した演奏を行う。

アイレン・プリッチンは、サンクトペテルブルク生まれ。モスクワ音楽院に学び、2014年にロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝している。

休憩時間には、ステージ上でプリッチンへのインタビューが行われる。日本で演奏するのは15年ぶりだそうで、15年前はまだ子どもだったため、今また日本で演奏出来るのが嬉しく、またホールがとても素晴らしいのも嬉しいと述べたが、「お客さんがいないのは残念です」とも語った。


休憩時間に井上はカメラを楽屋に招き入れる。広くて快適そうな楽屋であり、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島にあるだけあって、窓からは川が見え、川の上に高速が走っているという、叙情的にして未来的な独特の風景が広がっている(立地に関していうならフェスティバルホールは日本で最高であろう)。
楽屋の壁には3人の指揮者の写真が飾られている。上段左がカール・ベーム、右がヘルベルト・フォン・カラヤン、下段にいるのが朝比奈隆である。ちなみに朝比奈とカラヤンは1908年生まれの同い年である。

フェルティバルホールに対するカラヤンからの賛辞が英語で綴られているが、実はカラヤンは(旧)フェルティバルホールの内装を気に入り、「これと同じものを建てろ」と命じて出来上がったのがザルツブルク祝祭(大)劇場である。
井上は、カラヤンのリハーサルをカーテンにくるまって隠れるなどしてよく聴いていたそうだが、以前にもインタビューで「男の俺でもクラクラするくらい色気がある」と語っていた。今日も「この中で練習が上手かった」と褒めていた。ちなみに井上はセルジュ・チェリビダッケの弟子であるが、チェリビダッケとカラヤンは「天敵」ともいうべき間柄であった。
楽屋の外の通路の壁にはフェスティバルホールで演奏したアーティストの写真がびっしりと並んでいる。グスターボ・ドゥダメルの写真を指して、「「彼はウィーン・フィルを指揮しています。(ベネズエラの指揮者がウィーン・フィルを振るなんて)昔は考えられなかった。世の中どんどん変わってます」
ちなみに、パーヴォ・ヤルヴィがフランクフルト放送交響楽団を指揮して行った演奏会の写真も貼られていたが(フェスティバルホールの3階ホワイエに同じ写真が貼られている)「N響は今、パーヴォ・ヤルヴィって人が指揮をしてます。ちょっと僕に似てない? この辺が(頭を撫でる)」

更に、「大阪には私立なんですけれど芸大というのがあります。大きな芸術大学(大阪芸術大学)があるんです。そこで今年から先生になった」カズ・オオモリに「春の祭典」を聴きながらのライブペインティングを行って貰うことを説明する。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。冒頭のファゴットが始まったと思ったら演奏が飛ぶなど、配信の状態は良くないが、演奏自体は完成度が高い。
私がクラシック音楽を本格的に聴き始めた中学生の頃は、「春の祭典」といえば現代音楽のチャンピオン的存在であったが、昔から今日に至るまでの録音の数々や最近のコンサートでの演奏を聴くと、「春の祭典」もこなれてきたというか、真の意味での古典になりつつあることを強く感じる。ロック音楽に影響を与えたといわれる豪快さや鮮烈さが、以前は「春の祭典」の売りであり、聴き所でもあったのだが、今日の井上と大フィルの演奏を聴いても、ポップというかメロウというか心地よさのようなものを強く感じる。古代ロシアのバーバリズムを主題としたバレエのための音楽であり、20世紀の音楽史で最大のスキャンダルともいわれた初演の出来事は、今からでは想像しようとしても難しい。少なくともリアルには感じられないのは間違いない。こうして音楽の歴史は進んでいくのだろう。
大フィルは金管が安定に欠ける場面があったが、独特の骨太の音に俊敏さも加わって、聴いていて「気持ちの良い」ハルサイに仕上げる。
とはいえ、永遠のいたずら小僧である井上。鋭さも随所で発揮し、ラストは管と打楽器を引き離すという力技で衝撃を演出していた。


カズ・オオモリのライブペインティングは奔馬を題材にしたものである。井上は「ニュージーランドで5年仕事をしていた時(ニュージーランド交響楽団の首席客演指揮者であった)」の馬の絵にまつわる話などを行っていた。

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2020年3月 1日 (日)

コンサートの記(627) 秋山和慶指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第535回定期演奏会

2020年2月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第535回定期演奏会を聴く。今日の指揮はベテランの秋山和慶。

コロナウィルスの感染が警戒されるため、今日の演奏会はいつもと異なる。午後6時半頃からホワイエで行われる大フィル事務局次長の福山修氏のプレトークが中止となり、スタッフはほぼ全員マスクをつけている。
チケットは購入していても感染を怖れて自重したのか、あるいは勤めている会社から外出禁止令を言い渡されたりした人が多いのか(知り合いにも18日から在宅勤務で外出禁止を命じられた人がいる)空席がかなり目立ち、話し声なども余り聞こえない。ということで今日は音がかなり響く。フェスティバルホールでクラシックの演奏会が行われる時は、開演5分前を告げる鳥の鳴き声を重ねた音が鳴り響くのだが、客席で音が吸収されないためか今日はかなりうるさく聞こえた。

 

曲目は、ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」

 

来年傘寿を迎える秋山和慶。大阪フィルの定期演奏会への登場は5年ぶり59回目。この59回というのは朝比奈隆に次ぐ記録だという。桐朋学園大学などで指揮を齋藤秀雄に師事。東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、同楽団の音楽監督や常任指揮者として40年に渡って活躍。ストコフスキーに見いだされてアメリカ交響楽団の音楽監督に抜擢されたのを始め、バンクーバー交響楽団の音楽監督、シラキュース交響楽団の音楽監督など北米でのキャリアを築くが、海外での活躍よりも日本国内でのオーケストラの育成や教育活動に力を入れており、近年では広島交響楽団の性能向上に貢献したほか、2000年発足の若いオーケストラである中部フィルハーモニー交響楽団の芸術監督・常任指揮者、洗足学園音楽大学の芸術監督兼特任教授、京都市立芸術大学の客員教授などを務めており、今年の4月からは日本センチュリー交響楽団のミュージックアドバイザーに就任する予定である。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。

 

ハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」。第1曲の“ワルツ”が浅田真央のプログラムの曲として採用されたことで知名度が上がった曲である。一応、今日はオール・ロシア・プログラムということになるのだが、ハチャトゥリアンはロシアで活躍したが、ジョージア生まれのアルメニア人である。
ショスタコーヴィチにも繋がる皮肉の効いた悲劇的でメランコリック且つおどけたような要素を持つ音楽が連なっている。大フィルはパワーがあり、今日のフェスティバルホールでは飽和してしまうほどであるが、秋山のテキパキとした音運びに乗せられてメリハリの利いた演奏を繰り広げる。時代の違いを考慮に入れなければの話だが、三島由紀夫の「鹿鳴館」で流れる音楽はハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」が最も良いだろう。馬鹿馬鹿しいと分かっているが踊らなければならない時の音楽。今の日本もそんな感じだが、いつの間にか日本はこの音楽が良く似合うような状況へと足を踏み込んでしまったような気もする。

 

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。個人的に大好きな曲であり、チョン・キョンファのヴァイオリン、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の伴奏によるCDを何度も聴いている。第2楽章の暖炉を囲んでの家族団欒の姿が目に浮かぶような旋律は、数あるヴァイオリン協奏曲の中でも最美であると思われる。

ソリストの辻彩奈は、将来が最も期待される若手ヴァイオリニストの一人。1997年岐阜県生まれ。現在は特別招待奨学生として東京音楽大学に籍を置いている(3月に卒業し、パリに向かう予定だそうである)。2016年のモントリオール国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門で1位を獲得し、同時に5つの特別賞も受賞して注目を浴びている。

昨年、ジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管弦楽団と共演した時は、曲全体としての音楽設計が弱いようにも感じられたが、今日は独特の温かみと艶と切れを持つヴァイオリンで大いに聴かせる。空席が多いためヴァイオリンの音も大きめに響いたが、それが思いがけず幸いしたようにも思う。
第2楽章のメロディーをたっぷり歌い、第3楽章の終盤では急加速を見せてスリルを演出した。

 

チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。チャイコフスキーは交響曲を6つ書いているが、演奏会で取り上げられるのは、第4番、第5番、第6番「悲愴」の後期三大交響曲に限られる。後期三大交響曲と初期の三つの交響曲では完成度に大きな隔たりがあるのも事実であるが、後期三大交響曲がいずれも「運命」をテーマに置き、ストーリー展開やドラマがあるのに対して初期の三曲はどちらかというと叙景詩的であり、わかりにくいということも不人気の一因であると思われる。
今年(来年度になるが)、大阪フィルは、音楽監督の尾高忠明の指揮でチャイコフスキーの交響曲チクルスを行うが、小林研一郎の傘寿記念チャイコフスキー交響曲チクルスにも参加(交響曲第4番と第5番を演奏する予定)、更にトレヴィーノ指揮のマンフレッド交響曲に今日の「冬の日の幻想」とチャイコフスキー尽くしの一年となる。

第1楽章には「冬の旅の夢想」、第2楽章には「陰気な土地、霧の土地」という標題がついており、ロシア民謡風の旋律も取り入れた交響詩的な要素も強い音楽である。秋山の的確な指揮棒に導かれ、大フィルもスケール豊かで輝かしい演奏を行う。ロシアの光景は映像でしか見たことがないが、それらしい風景が次々と頭の中で浮かんでいく叙情的な音楽である。ラストなどは前途洋々たる未来を確信しているような音楽であるが、一方で時折、濃厚な影が浮かぶのがチャイコフスキーらしさといえる。
秋山和慶というと、まず齋藤メソッドの体現者ともいわれる指揮棒のコントロールが浮かぶが、実際はそれ以上にリズムの処理の巧みさが武器になっているように感じられる。今日は打楽器が活躍するため、抜群のリズム感に感心したわけであるが、これは指揮棒の動きを見ていると逆に感じにくくなる要素でもあるように思われた。

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2020年1月20日 (月)

コンサートの記(619) 尾高忠明大阪フィルハーモニー交響楽団第534回定期演奏会

2020年1月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第534回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、音楽監督の尾高忠明。

 

曲目は、エルガーのチェロ協奏曲(チェロ独奏:スティーヴン・イッサーリス)とブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」(第3稿)。

ライブ録音によるCDがこのところ続々とリリースされている尾高と大阪フィル。今日もフォンテックの収録用マイクが入っての演奏となる。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。いつも通りドイツ式の現代配置での演奏である。

 

エルガーのチェロ協奏曲。ソリストのスティーヴン・イッサーリスはイギリス出身の世界的チェリストである。来日も多く、日本での人気も高い。

悲劇のチェリストとしても知られるジャクリーヌ・デュ・プレの演奏によって知名度が上がったエルガーのチェロ協奏曲。ドヴォルザークの次に上演される頻度の高いチェロ協奏曲である。

イッサーリスは、情熱を内側に隠しつつ燃焼度を上げていくという渋い演奏を展開。かつてBBCウェールズ・ナショナル管弦楽団の音楽監督を務め、今もイギリスでの指揮活動を精力的に行っている尾高の指揮する大フィルも輝かしさと清々しさ、美音と仄暗さを合わせ持った伴奏を展開。イギリス音楽的な高貴さも感じさせる絶妙の演奏が展開される。ただフェスティバルホールは空間が大きいため、弦楽器の独奏にはやはり向いてはいないようである。

 

イッサーリスのアンコール演奏は、ツィンツァーゼの「チョングリ」。ピッチカートのみで演奏されるノリの良い現代曲で、演奏終了後、客席も大いに沸いた。

 

後半。ブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」。最終稿である第3稿での演奏である。若い頃から精力的にブルックナーに取り組んできた尾高忠明であるが、交響曲第3番「ワーグナー」を振るのは今回が初めてとなるそうだ。

ブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」は主に3つの稿が存在する。まず最初に書かれた初稿。これはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演される予定で、リハーサルも行われたのだが、演奏時間が長いということもあってウィーン・フィルに本番での演奏を拒否されるという悲哀を味わわされた稿でもある。今でこそオーストリアを代表する作曲家として揺るぎない評価を得ているブルックナーであるが、当時はオーストリア最高のオルガン奏者やウィーン音楽院の教授として尊敬を集める一方で、交響曲作曲家としては素人と見做されていた。ブルックナーはこの稿を敬愛していたリヒャルト・ワーグナーに献呈し、以後、ブルックナーの交響曲第3番は「ワーグナー」というタイトルで呼ばれることになる。
その後、ブルックナーはこの曲の改訂に着手し、完成した第2稿はブルックナー自身の指揮によって初演されたが、今度は聴衆から不評を買う。第3稿はその12年後にブルックナー自身によって改訂された版であり、現在では決定稿と見做されることもあるが、初稿や第2稿を支持する演奏家も多い。実は今日、同じ時間にザ・シンフォニーホールでは本名徹次指揮大阪交響楽団によるブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」第2稿の演奏が行われるという珍しい現象が発生している。

私がブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」を生で聴くのは2度目。今から22年程前に、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団による交響曲第3番「ワーグナー」の演奏を東京・渋谷のNHKホールで聴いているのだが、ブロムシュテットは初稿を採用しての演奏であった。とにかく長かったというのを覚えている。ブロムシュテットは「ワーグナー」の初稿を気に入っているようで、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮したライブ録音のCDボックスでも初稿による演奏を取り上げていた。

ブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」は実は隠れた名曲であり、薄明の中を疾走していくような出だしは、ブルックナーの交響曲の開始の中でも最も格好良い。この曲はトレモロによるブルックナー開始ではないのも特徴である。

午後6時30分頃から、大フィル事務局次長の福山修氏によって行われたプレトークサロンにおいて、大フィルが前回「ワーグナー」を取り上げたのは2002年であること。朝比奈隆が指揮する予定であったが、前年に逝去したため、NHK交響楽団でブルックナーチクルスを行ったこともある若杉弘が代役として指揮したことなどが明かされたが、朝比奈隆は実は晩年に大フィルを指揮して「ワーグナー」交響曲をスタジオ録音している。岸里にある大阪フィルハーモニー会館でキャニオン・クラシックスによって収録されたものだが、ブルックナー後期三大交響曲のスタイルで「ワーグナー」交響曲を演奏したスケール雄大なものであり、数ある朝比奈のブルックナー録音の中でも最高を争う出来となっている。

朝比奈の薫陶により、ブルックナー演奏に絶対の自信を持っている大フィル。今日も冒頭からその良さが披露される。透明感のある弦と彩り豊かな金管との対比によって立体感が生まれており、ブルックナーの音楽の神秘性やスケールの大きさ、疾走感などが存分に描かれる。尾高の生み出す音楽はフェスティバルホールのサイズにぴったりであり、理想的なブルックナー演奏が展開されることになった。
指揮者によって出来不出来の度合いが激しい大フィルだが、今日は技術面でも表現面でも日本トップレベルの水準を聴かせる。嵌まった時の大フィルは、やはりスーパーオーケストラで、伊達に歴史が長いわけではないことが実感される。木管に関しては最初のうちは上手く溶け込めない場面もあったが、曲が進むにつれて違和感も解消され、日本における最高水準のブルックナーが姿を現した。

朝比奈の指揮した「ワーグナー」交響曲にスケールでは及ばないかも知れないが、瑞々しさでは互角かそれ以上に渡り合える出来であり、今からCDのリリースが楽しみである。

 

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2019年12月31日 (火)

コンサートの記(618) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2019

2019年12月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。指揮は今年も音楽監督の尾高忠明。

独唱は、森谷真理(ソプラノ)、清水華澄(アルト)、福井敬(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は、大阪フィルハーモニー合唱団。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。

昨年の大フィルの年末の第九はフェスティバルホールの最前列下手寄りで聴いており、指揮者の尾高の姿はほとんど見えなかったが、今日も下手寄りの前から2列目。尾高の姿は微かに見え、第1ヴァイオリンに指示を送る時のにこやかな表情が印象的であった。

尾高らしい見通しの良い第九であり、京響を指揮したスダーンとは違って第九を独立峰と見たようなアポロ芸術的な演奏である。全てが中庸であり、傑出した個性がない代わりに抜群の安定感がある。1年を振り返る第九としてはある意味理想的かも知れない。

大フィルの技術は高く、朝比奈隆の時代から脈々と受け継がれてきたベートーヴェン演奏に対する誇りが感じられる。昨年、一昨年はホルンのミスが目立ったが、今年はそれもない。

第2楽章の音型や第4楽章のピッコロの浮かび上がりなどがあったことから、おそらくベーレンライター版での演奏であったと思われるが、古楽は一部を除いて意識されていないようである。

天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典での国歌独唱を務めた森谷真理。日本人ソプラノとしては硬質の声を持つ人だが、こうした声で聴く第九もいい。


演奏終了後には今年も福島章恭指揮大阪フィルハーモニー合唱団による「蛍の光」がある。溶暗の中、福島は緑の灯りのペンライトを振り、大フィル合唱団のメンバーも同色のペンライトを掲げたキャンドルサービスの中での合唱。今年あった様々な出来事が、清められた上で空へと昇っていくような趣があった。


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2019年12月 3日 (火)

コンサートの記(613) 準・メルクル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第533回定期演奏会

2019年11月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第533回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大フィルへの客演も多くなってきた準・メルクル。

まずNHK交響楽団への客演で日本での知名度を上げた準・メルクル。日独のハーフである。おそらくN響の年末の第九で、史上初めてピリオドの要素を取り入れた演奏を行ったのがメルクルだと思われる。ハノーファー音楽院で学んだ後、チェリビダッケらに指揮を師事。タングルウッド音楽祭ではレナード・バーンスタインと小澤征爾に師事している。リヨン国立管弦楽団、MDRライプツィッヒ放送交響楽団、バスク国立管弦楽団の音楽監督を務め、2021年からはオランダのハーグ・レジデンティ管弦楽団の首席客演指揮者に就任する予定である。

 

曲目は、ドビュッシーの「子供の領分」(カプレ編曲)、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、武満徹の「夢の引用-Say sea,take me!-」(ピアノデュオ:児玉麻里&児玉桃)、シューマンの交響曲第3番「ライン」

メルクルは、リヨン国立管弦楽団と「ドビュッシー管弦楽曲全集」を、NHK交響楽団とは「ロベルト・シューマン交響曲全集」を作成しており、いずれも得意レパートリーである。

ドビュッシー、武満徹、シューマンの3人に共通しているのは、「夢」を意味するタイトルの入った曲を代表作にしていることである。武満徹は、今日演奏される「夢の引用」の他にも「夢の時」や「Dream/Window」(駄洒落のようだが夢窓疎石のこと)といった夢をタイトルに入れた曲を多く書いており、タイトルに「夢」は入っていないが実際に見た夢を音楽にした「鳥は星形の庭に降りる」という曲も有名である。
ドビュッシーは、今日演奏される「牧神の午後への前奏曲」も牧神のまどろみが重要なモチーフになっているが、ずばり「夢」というタイトルの有名ピアノ曲を書いている。
シューマンは、言わずと知れた「トロイメライ」の作者である。シューマンの名前を知らなくても、「トロイメライ」を一度も聴いたことがない人は存在しないというほどの有名曲である。

というわけで、「夢」をモチーフにしたプログラミングなのかを、開演前に大フィル事務局次長の福山修氏に聴いたのだが、そうしたことは意識していなかったそうで、メルクルの得意としているシューマンとドビュッシーの曲をというリクエストから始まったそうである。大フィルはシューマンは不得手としているためメルクルに鍛えて貰いたいという思いもあったようだ。
その後、「シューマンの交響曲だと「ライン」よりも第2番の方が夢っぽいですよね」と私が話したことから、オーケストレーションと交響曲第2番の第3楽章と第4楽章の話になったのだが、結構コアな話なので、ここに書いてもわかる人は余りいないと思われる。少しだけ書くと、シューマンの交響曲第2番が陰鬱というのは間違った評価だという話である。

 

今日のコンサートマスターは、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターでヴァイオリニストの三浦文彰の父親としても知られる三浦章宏が客演で入ったが、これが抜群の上手さであった。ソロのパートを弾き始めた瞬間に、「あ、これは上手い!」と感じるのだから半端な腕前ではない。関西は人口が多いということもあって、オーケストラも群雄割拠。コンサートマスターも名手揃いなのだが、次元が違うようである。

 

ドビュッシーの「子供の領分」(カプレ編)。原曲はドビュッシーが愛娘のシュウシュウ(本名はクロード=エンマ)のために書いたピアノ曲である。極めて描写的な「雪は踊っている」や黒人音楽の要素を取り入れた「ゴリウォーグのケーク・ウォーク」などの曲は単独でもよく知られている。ただ、個人的にはやはりオリジナルのピアノ曲版の方が好きである。オーケストラで聴くと例えば「雪は踊っている」の雪が風に舞う場面などは迫真性に欠けて聞こえてしまう。
フランス音楽は得意としていない大フィルであるが、メルクルの指揮に乗って繊細で美しい音色を紡ぎ続ける。これに小粋さが加わると良いのだが、現時点の大フィルにそれを求めるのは酷かも知れない。

 

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。フルートが鍵を握る曲であるが、冒頭のフルートは音が大きすぎる上に雑な印象。その後、メルクルが左手で何か指示を出しているように見えてからは少し安定する。ポディウム席だと指揮者が何を要求しているのかよく分かったりするのだが、フェスティバルホールはオペラ対応形式ということで、ステージ後方の席は設けられていない。そのため本当に左手でなんらかの指示を行ったのかも良くは分からない。
立体感のある音響が特徴の演奏であったが、「牧神の午後の前奏曲」としては分離が良すぎる印象も受ける。まどろみの要素が吹き飛んでしまったかのようだ。
この曲の演奏が終了した後では、多くの場合、フルートが単独で拍手を受けるのだが、今回はメルクルはオーケストラ全員を立たせて、単独で拍手を受けるシーンは作らなかった。

 

武満徹の「夢の引用-Say sea,take me!-」。1991年に初演された2台のピアノとオーケストラのための作品である。12の夢を描いたとされる作品で、ドビュッシーの「海」からのそのままの引用が印象的である。
2台のピアノを受け持つ児玉麻里と児玉桃の姉妹は、大阪府豊中市出身。幼い頃に両親と共にフランスに渡り、二人共にパリ国立音楽院に入ってピアノを専攻。姉の児玉麻里は、ケント・ナガノ夫人としても名高い。関西生まれということもあって、京阪神地域で演奏会を行うことも多い二人である。
ドビュッシーの「海」の第3楽章のタイトルは「風と海の対話」なのだが、2台のピアノもまた対話している。2台のピアノとオーケストラも対話していて、武満とドビュッシーもまた対話しているということで、音の背後で縦横無尽なやり取りが行われていることが感じ取れる。
「夢」というのが、いわゆる夜に見る夢のようなものなのか、あるいは「憧憬」として語られているのかはわからないが、後者だとしたらそれはドビュッシーに対してのものであろう。
この曲で武満が書いた旋律は、簡潔で明瞭で温かく、その後に書かれることとなる「系図~ファミリー・トゥリー」を先取りしているかのようである。特に4つの音は印象的で、武満の刻印のように聞こえる。武満が、自分が歩んで来た音楽の原点を振り返るような趣さえある。あたかもショスタコーヴィチが交響曲第15番で引用を多用したように。

児玉姉妹は、元々武器としている煌びやかな音色を生かした切れ味鋭いピアノを弾いた。

児玉姉妹のアンコール演奏は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より“金平糖の踊り”。「夢の引用」では、第1ピアノが児玉麻里、第2ピアノが児玉桃であったが、アンコールでは場所を入れ替え、原曲ではチェレスタが奏でるメロディーを第1ピアノの児玉桃が主に弾いた。

 

ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」。シューマンの4つある交響曲の中では最も人気が高く、コンサートプログラムに載る回数も多い。メルクルは暗譜での指揮である。
シューマンのオーケストレーションの弱さに関しては、彼の生前からいわれていたことであり、19世紀末から20世紀中盤に掛けては、もっとよく聞こえるようにと楽器を足したりオーケストレーションにメスを入れたりということもよくあった。ただシューマン独自の渋い響きを支持する人も多く、例えば黛敏郎などは、「あの音を出すにはあのオーケストレーションしかない」と全面的に肯定している。
フェスティバルホールは空間が広いので、シューマンの交響曲をやるには不利のように思える。スケールがやや小さめに聞こえてしまうのである。
「ライン」交響曲に描かれた滔々とした流れや、巨大な構造などをメルクルと大フィルは音に変えていく。ドイツ文学や神話、叙情詩などが音として結晶化されているのが把握出来るかのようである。
一方で、音の生命力に関してはホールがシューマンの曲には向いていないということもあって、十分に溢れているとはいえないかも知れない。
ただシューマンが曲に託そうとしていた希望は伝わってくる。

「夢だわ!」(チェーホフ 「かもめ」よりニーナのセリフ)

 

「ライン」もなんだかんだで人気曲だけに、実演に接する機会は多いが、その中でのベストはやはり一番最初に聴いたウォルフガング・サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団のものだったように思う。ドイツ精神が音と化してNHKホール一杯に鳴り響いたかのような強烈な体験であった。

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2019年10月30日 (水)

コンサートの記(604) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第532回定期演奏会

2019年10月25日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第532回定期演奏会を聴く。今日の指揮は音楽監督の尾高忠明。

10月から11月にかけて、大阪府内に本拠地を置く4つのプロオーケストラによる共同企画「とことんリヒャルト・シュトラウス」が開催され、それぞれのオーケストラがリヒャルト・シュトラウスの楽曲を組み入れた演奏会を行うが、今回の大フィルの定期演奏会もその内の一つであり、オール・リヒャルト・シュトラウス・プログラムによる演奏が行われる。

曲目は、「13管楽器のためのセレナード」、オーボエ協奏曲(オーボエ独奏:フィリップ・トーンドル)、交響詩「死と変容」、「四つの最後の歌」(ソプラノ独唱:ゲニア・キューマイヤー)。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。

 

「13管楽器のためのセレナード」。リヒャルト・シュトラウスがわずか18歳の時に書いた出世作である。編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ホルン4、ファゴット2、そして本来はコントラファゴットが入るが、今回はコントラファゴットの代わりにコントラバスを入れての演奏となる。
楽器の選び方からして渋いが、内容も18歳の少年が書いた思えないほどの成熟感があり、後に開化するリヒャルト・シュトラウスの才能の萌芽をすでに感じ取ることが出来る。

 

オーボエ協奏曲。独奏者のフィリップ・トーンドルは、1989年生まれの若手オーボエ奏者。フランスのミュルーズに生まれ、フランス国立ユース・オーケストラやグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラに参加し、パリ国立高等音楽院在学中の18歳の時にシュトゥットガルト放送交響楽団(SWR交響楽団)の首席オーボエ奏者に就任。現在は、SWR響とヨーロッパ室内管弦楽団の首席オーボエ奏者とフィラデルフィア管弦楽団の首席客演オーボエ奏者を兼任している。ザール音楽大学の教授でもある。2011年のミュンヘン国際音楽コンクール・オーボエ部門で優勝。翌年にはボン・ベートーヴェン音楽祭でベートーヴェン・リングを授与された。

チェロが奏でる葉ずれのような囁きに始まり、オーボエがこの世を賛美するかのような音楽を生み出していく。リヒャルト・シュトラウスが81歳の時の曲であり、若い頃は自画自賛をすることの多かったこの作曲家が、晩年に至って世界そのものの美しさに感謝を捧げているような境地に入ったことを示しているかのようである。
トーンドルのオーボエは伸びやかな美しさが特徴。また身振りが大きい。昔、宮本文昭がJTのCM(1996年までは煙草のテレビCMはOKだったんですね)で体をくねらせながらドビュッシーの「ボヘミアン・ダンス」を吹いていたが(CMディレクターの要望によるものだったそうである)それを連想してしまった。

アンコールとしてトーンドルは、ブリテンの「オウディウスによる6つの変容」を演奏する。伸び伸びと吹いた後で、ラストを付け足しのように表現し、笑いを誘っていた。

 

交響詩「死と変容」。オーケストラのパワーがものをいうリヒャルト・シュトラウス作品。大フィルは馬力十分で、弦の輝かしさにも惹かれるが、強弱の細やかさは今ひとつであり、雑然とした音の塊に聞こえる箇所もあった。ただリヒャルト・シュトラウスの魔術的なオーケストレーションを存分に引き出した場面もあり、プラスマイナス0という印象も受ける。

 

「四つの最後の歌」。リヒャルト・シュトラウスの最高傑作の一つに数えられる作品で、最晩年の84歳の時に書かれている。「春」「九月」「眠りにつくとき」の3曲はヘルマン・ヘッセの詩に、最後の「夕映えに」はヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフの詩に曲をつけたものである。

ソプラノ独唱のゲニア・キューマイヤーは、ザルツブルク生まれ。今回が初来日で、アジア来訪自体が初めてだという。モーツァルティウム音楽院で学び、ウィーン国立歌劇場に所属して、「魔笛」のパミーナ役でデビュー。ミラノ・スカラ座、英国ロイヤルオペラ、パリ・オペラ座、バイエルン州立歌劇場など多くの歌劇場でキャリアを積み重ねている。

キューマイヤーの声質は輝かしいというよりも落ち着いたリリカルなもので、「四つの最後の歌」の歌詞を表現するのに優れている。オペラ歌手というよりもドイツ・リートなどに相応しい声のように思えるが、曲に合わせて変えているのだろうか。

尾高と大フィルは「九月」におけるノスタルジア、「夕映えに」での幾層ものグラデーションによる揺れるような響きの表出が見事であった。

 

一昨年はベートーヴェン交響曲チクルスを行い、今年はブラームス交響曲チクルスが進行中の尾高と大フィルであるが、来年度も大型企画が予定されており、1ヶ月ほど先に発表になるという。尾高忠明といえば、現在、日本におけるシベリウス演奏のオーソリティであるため、シベリウス交響曲チクルスだと嬉しく思う。大フィルは史上まだ1度もシベリウス交響曲チクルスを行ったことはないはずである。集客を考えるとロベルト・シューマン交響曲チクルスの方が人を呼べる演目だが、それだと守りに入ったように見えてしまう。
シベリウスがいい。

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