カテゴリー「春」の29件の記事

2024年6月 1日 (土)

コンサートの記(846) 遊佐未森「cafe mimo Vol.23 ~春爛漫茶会~」大阪公演

2024年5月18日 心斎橋PARCO SPACE14にて

午後5時から、心斎橋PARCO SPACE14で、遊佐未森の「cafe mimo Vol.23 ~春爛漫茶会~」に接する。シンガーソングライターの遊佐未森(ボーカル&ピアノ)が、ドラムス・パーカッション・打ち込み担当でバンドマスターの楠均(くすのき・ひとし)とギターの西海孝(にしうみ・たかし)の3人と行う春の恒例ライブ。東京、遊佐の出身地である仙台、名古屋での公演を経て、今日の大阪公演が千秋楽となる。
大阪公演のゲストは、wasambon。遊佐未森がハープの吉野友加(よしの・ゆか)と二人で始めたユニットで、純粋なゲストというよりも遊佐未森が別団体で加わる形になる。

会場となる心斎橋PARCO SPACE14(イチヨン)は、旧大丸心斎橋劇場、元そごう劇場で、遊佐未森は大丸心斎橋劇場時代にも、そごう劇場時代にもcafe mimo公演を行っている。名前の通り、心斎橋パルコ(大丸心斎橋店北館を改装したもの)の14階にある。

遊佐未森と西海孝の二人でスタート。「クレマチス」と「遠いピアノ」が歌われる。
若く見えるが、今年で還暦を迎えた遊佐未森。黄色い上着と白のロングスカートで登場する。
楠が加わり、3曲目には、ルー・リードの「Perfect Day」が歌われる。ここで、役所広司主演、ヴィム・ヴェンダース監督の映画「PERFECT DAYS」の話になる。リハーサルをしている期間に遊佐と楠は観ていて、スタジオで感想を語ろうとしたところ、西海からストップがかかった。西海は「PERFECT DAYS」をまだ観ていなかったので、ネタバレを聞きたくなかったのである。その後、西海は「PERFECT DAYS」を気に入り、3回観たという。遊佐が客席に「『PERFECT DAYS』ご覧になった方」と聞くとパラパラと拍手が起こっただけ。ほとんで観られていないようである。楠が「ネタバレ出来ないですね」と語る。遊佐に「PERFECT DAYS」の感想を聞かれた楠は、「素晴らしかったです」と返すが、遊佐に「普通ですね。バンマスとしては普通」と言われる。楠は、「いや、本気で職業替えしようかなと思いました」と映画の内容を称えていた。

桜の季節の歌をうたいたいということで、出身地である仙台をモデルにした「旅立ち」が歌われる。

cafe mimoの仙台での公演は、近年では秋保温泉(あきうおんせん。映画のタイトルにもなったことがある有名な温泉で、私も子どもの頃に泊まったことがある)の近くにある慈眼寺(じげんじ)という寺院の本堂で行っているのだが、本堂の屋根裏に燕が巣を作っていたそうで、公演中に燕が飛び交っていたという。「僕の森」を歌った時には鳴き声がレスポンスのように響いていたそうだ。だがスタッフによるとライブが終わり、撤収した途端に燕の姿も鳴き声も消えたそうである。
昨日は名古屋での公演だったのだが、乗ったタクシーがつばめタクシーという会社のもので、「燕が続いている」という。

「銀と砂金の星」、「野の花」などが歌われた後で、wasambonのために遊佐が衣装替えで引っ込む。その間、楠と西海が「水夢(すいむ)」という曲で繋いでいた。

西海と楠が引っ込み、遊佐未森と吉野友加のwasambonが登場。「『遊佐未森です』『吉野友加です』(二人で)『wasambonです』」と新人のように自己紹介する。二人とも縞模様のワンピース姿である。二人でお揃いのワンピースを買いに行ったそうで、試着しながら遊佐が「なんとか姉妹みたいだね」と言ったところ、吉野が「阿佐ヶ谷姉妹ですか?」と返してきたそうで、遊佐は「阿佐ヶ谷姉妹も好きだけど、安田姉妹とかのつもりだったのに」と思ったそうだ。ユニット名の由来となった「wasambon(和三盆)」という曲でスタート。

wasambonは一昨年に結成されたが、その年は1回ライブを行っただけ。だが昨年は、遊佐のデビュー35周年ということで、「wasambonでツアーをやってみたら」という話があり、東北と中国・四国地方でコンサートを行ったという。色々なところで色々な美味しいものを食べたそうだ。
四国で公演を行うとき、ハープを運ぶので新幹線で岡山まで行き、そこからレンタカーを使って瀬戸大橋を渡り、途中、与島(よしま)で瀬戸内海の風景を楽しんでいたのだが(遊佐は「お薦めです」と言った後に、「あ、こっちの人の方が絶対詳しいよ」と吉野に語る)、「祝35周年」という垂れ幕がかかっているのを吉野が見つけ、遊佐と一緒に写真を撮ったそうで、「(デビューからの歳月が)瀬戸大橋と同じ35周年」という話であった。

wasambonは、録音を行ったことがないので、客席に曲を知っている人がほとんどいない。歌入りのものだけでなく、遊佐のピアノ、吉野のハープによるインストゥルメンタル作品も演奏される(遊佐のアルバムにはインストゥルメンタル楽曲が入っている場合が多い)。和三盆ということで、タイトルに「スノーボール」「葛桜」などお菓子由来のものが多いのも特徴である。「JUNE」という曲もあったが、これもお菓子ではないがお菓子の名前でもある「水無月」にタイトルが変わるかも知れないとのことであった。「葛桜」については色々話してくれたのだが、和菓子に興味も知識もないため、こちらはピンとこなかった。
「赤い実」という曲は二人とも楽器を離れて、2本用意されたマイクを前にアカペラで歌う。間奏の部分は楽器が鳴らないので、遊佐が「間奏」といって過ごしていた。また「僕の森」は今回は吉野のハープ伴奏で歌われた。

楠と西海が戻ってきて、吉野も残り、4人編成での演奏。「森とさかな」「一粒の予感」などが歌われた。

本編終了後、楠と西海のBPB(物販ブラザーズ)が、「BPB! BPB!」を連呼しながら登場。Tシャツなど物販の紹介を行うが(西海が、「Tシャツも丁シャツなの? T字路も元々は丁字路だった」という話をする)、今回はグッズの流通が上手くいっていないようで、会場にグッズが余り届いておらず、後でネットで注文することになるようだ。

アンコールは昭和歌謡のカバーで、二村定一の「アラビアの唄」(1928年=昭和3年。遊佐未森のカバーアルバム「檸檬」に収録されている)が、楠の打ち込みによる伴奏、遊佐の楠の二人のボーカルにより、振り付きで歌われた。
振りは遊佐が考えたものだが、自身のYouTube公式チャンネル CHANNEL MïMOに振付の動画をアップしているそうで、客席でも一緒に踊っている人がいた。

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2024年4月22日 (月)

第七十四回京おどり in 春秋座 「時旅京膝栗毛」全九景

2024年4月14日 京都芸術劇場春秋座にて

京都芸術劇場春秋座で、第七十四回京おどり in 春秋座を観る。午後4時30分開演だが、お茶菓子付きの券なので、早めに行って、京都芸術大学のギャルリ・オーブという展示スペースを使ったお茶席で、抹茶と和菓子を味わう。菓子皿は持って帰ることになる。
点茶出番はローテーション制で、今日は、とし七菜さんと叶朋さんというパンフレットにも写真が載っている二人が出演した。

京おどりは宮川町の春のをどりであるが、宮川町歌舞練場が現在、建て替え工事中であるため使用出来ず、一昨年の河原町広小路の京都府立文化芸術会館での公演を経て、昨年と今年は都をどりが行われたこともある京都芸術劇場春秋座が会場に選ばれた。来年は公演休止で、再来年に新しい宮川町歌舞練場に戻って京おどりを行う予定である。

今年の京おどりは、「時旅京膝栗毛(ときのたびみやこひざくりげ)」全九景というタイトルで、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の弥次喜多が、22世紀の夫婦、夫のヤジと妻のキタという設定になり、22世紀には普及している携帯式のタイムマシーンを使って江戸時代を訪れ、お伊勢参りをするが、タイムマシーンが壊れて様々な時代へと勝手にワープすることになるという設定である。それだけで十分怪しいが、果たして出来は良くなかった。

作・演出:北林佐和子、作曲:四世・今藤長十郎、作調:田中傳次郎、笛作調:藤舎名生、作舞:若柳吉蔵、指導:若柳由美次。
出演者は、三つの組によるローテーション制で、今日は三組が出演する。第一部に出演者の重複は少ないが、第二部は出演者が重なっている場合も多く、「月に舞う」の立方は三組とも、ふく葉一人が務める。

二部構成で、第一部第一景が「元禄の藤」、第二景が「平安の雪」、第三景が「応仁の乱」、第四景が「風流踊」、第二部の第五景が「水に色めく」、第六景が「風を商う」、第七景が「月に舞う」、第八景が「花暦」、第九景フィナーレが「宮川音頭」となっている。

まず幕にアニメーションが投影される。セリフはRPG風に枠に囲われたものが映る。「奥様は魔女」を真似たナレーション風の字幕も出てくる。京都芸術大学の学生が作成したものなのだが、それ以降の舞踊の雰囲気と全く合っておらず、完全に浮いてしまっている。そもそもアニメーションと伝統芸能を合わせるのには無理がある。都をどりでも当時の京都造形芸術大学はアニメーションを使って不評だったが、今回も同じ間違いが繰り返される。

「元禄の藤」は、「藤娘」と同様、藤の枝を小道具として行われる舞である。ヤジ役とキタ役の二人が登場して、藤娘達と絡んでいく。
「平安の雪」は、小野小町と深草少将の百夜通いの話で、深草少将はヤジとキタに小野小町との仲立ちを頼む。そこで二人の仲を叶えてしまったことから歴史が変わってしまい、何故か応仁の乱が始まってしまう。「応仁の乱」では芸妓達が閉じた扇を太刀に見立てて斬り合いの舞を演じる。迫力十分である。ちなみに歌詞に「先の戦」という言葉が出てくるが、本気で用いているのかどうかは分からない。
続く「風流踊」では、鳥居の前で舞が行われるのだが、京都芸術大学作成のねぶたがタイムマシーンとして登場。しかしこれが余りにチャチで見栄えが悪い。これでOKを出したら駄目だと思う。
その後に幕が下りて、またアニメーションが投影されるのだが、2024年の宮川町の町並みを歩くヤジとキタが映るだけで、単なる今の宮川町の描写に留まる。
「時旅京膝栗毛」はここで終わりとなるようである。音源はスピーカーから聞こえているようで、あるいは録音だったのかも知れない。プログラムに地方の記載もない。

第二部の「水に色めく」「風を商う」「月に舞う」は芸妓による正統的な舞で、こうしたものだけで十分のはずである。地方も舞台上手に現れる。「風に商う」は扇売りや投扇興の場面、屋島の戦いでの那須与一(扇を拡げて弓に見立てる)や五条大橋西詰の平敦盛ゆかりの扇塚なども登場する花街の演目らしい楽しさがある。
舞妓達による「花暦」。宮川町は祇園甲部などに比べて格下と見られていたが、芸妓ではなく、見習いとしか見られていなかった舞妓を前面に出すことで人気を上げ、メディアとも積極的にコラボレーションを行ってきた。舞妓シアターなるものまで存在したほどである。
舞妓を前面に出す手法は現在も続いているようで、春秋座のある京都芸術大学のエントランスホールの一角にほぼ等身大の舞妓達が写ったパネルがあり、一人ひとりへのインタビュー記事や自作のエッセイが書かれたしおりが置かれていて、自由に持ち帰ることが出来るようになっている。
舞妓に力を入れているだけあって、「花暦」の舞も可憐。センター(でいいのかな?)の女の子は広末涼子系の顔立ちの、誰が見ても「可愛い」と思える子で、やはり容姿も重要視されているようである。

第九景フィナーレの「宮川音頭」(作曲:三世・今藤長十郎)は、京おどりの名物で、出演者総出で行われる舞と調べは華やかさと儚さが同居しており、煌びやかにして切ないという京の町や花街の一面を色濃く描いている。

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2024年4月10日 (水)

令和六年 第百五十回記念公演 都をどり「都をどり百五十回源氏物語舞扇」

2024年4月6日 祇園甲部歌舞練場にて

午後4時30分から、花見小路にある祇園甲部歌舞練場で、令和六年 第百五十回記念公演都をどり「都をどり百五十回源氏物語舞扇(げんじものがたりまいおうぎ)」を観る。タイトルに「都をどり」の文字が入るのは史上初めてのことだそうである。

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五花街筆頭格の祇園甲部の本拠地である祇園甲部歌舞練場であるが、耐震性に問題があるとして、平成28年10月から休館期間に入っていた。耐震工事に思いのほか手間取ったようで、その間は、京都芸術劇場春秋座や南座を借りて都をどりを続けてきたが、新型コロナの流行により2年連続で公演が中止になるなど、苦難が続いた。昨年、耐震工事を終えて久しぶりに祇園甲部歌舞練場で都をどりが上演され、今年が本拠地での復活2年目となる。

今年の大河ドラマ「光る君へ」の主人公が紫式部ということで、千年に渡って読み継がれてきた『源氏物語』を題材にした舞が多く披露される。
構成は、第一景「置歌」、第二景「多賀大社梅花香(たがたいしゃばいかのかおり)」、第三景「夕顔垣根納涼」、第四景「葵上」、第五景「須磨明石」、第六景「大原野神社紅葉彩(おおはらのじんじゃもみじのいろどり)」、第七景「雪景色鷺舞(ゆきげしきさぎのまい)」、第八景「歌舞練場桜揃(かぶれんじょうさくらぞろえ)」。紅白が対比される背景や衣装が多い。
曜日によるローテーション制で、今日は「三番」の第2組が出演する。立方は1組と同じだが、囃子と長唄、浄瑠璃の人員が異なる。

客席には比較的多くの外国人が詰めかけている。


「都をどりはー」「ヨーイヤサー」の掛け合いで始まる、浅葱色の衣装を纏った芸舞妓達による「置歌」。祇園甲部歌舞練場は花道が左右に1本ずつ、計2本あるのが特徴で、花道1本の春秋座や南座では不可能な対比の構図が出来上がる。

第二景では、今年の恵方である東北東にちなんで、都の東北東にある多賀大社が長寿の神ということもあって背景に選ばれたそうである。

『源氏物語』より「夕顔納涼」と「葵上」、「須磨明石」。このうち、光源氏が登場するのは「須磨明石」だけだが、「須磨明石」は昭和30年に谷崎潤一郎の監修、猪熊兼繁の構成・考証、吉井勇の作詞、山田抄太郎と富崎春昇の作曲によって制作されたもので、他の景とは少し趣が異なるようである。竜神が登場して雷を起こすのだが、多様な照明が用いられる。
「葵上」は能「葵上」を改作したもので、六条御息所の生き霊が能舞台にはないセリを使って現れる。

「大原野神社紅葉彩」。大原というと三千院や寂光院で有名な左京区の北寄りにある大原を思い起こしがちだが、大原野は大原とは全く別の現在の西京区にある地名で、大原野神社は桓武天皇の長岡京在位期間に奈良の春日大社から勧進された歴史ある社である。春日大社同様、藤原氏の氏神を祀る社で、藤原氏一族に女の子が生まれると、中宮、皇后の位を得られるよう一族で祈願に訪れたという。中宮彰子の行啓に従い、紫式部も彰子の父親である藤原道長らと共に大原野神社を参詣したことがあり、『源氏物語』にも大原野御幸の場面が存在する。

「鷺娘」に由来する「雪景色鷺舞」。白の衣装で統一した芸妓達が雪を背景に舞う。雪は吉兆、鷺は神の使いに例えられているそうである。

「歌舞練場桜揃」。祇園甲部歌舞練場と桜が背景となっている。祇園甲部歌舞練場は国登録有形文化財に指定されているため、勝手に改修は出来ず、内装にもなるべく元の部材を用いるようにしたそうである。なお、八坂女紅場学園の祇園女子技芸学校は新築され、小劇場も併設されるようになったそうである。
都をどりの繁栄と存続を願って、出演者総出による舞台と花道を使った舞が行われた。

念願の本拠地での150回記念公演ということもあり、芸舞妓の舞も総じて可憐で、京都の春を代表する催しとして恥じない出来となっていた。


祇園甲部歌舞練場の桜も満開だったが、より多くの桜の競演を求めて、帰りは花盛りの建仁寺の境内を横切って、大和大路から祇園四条駅へと向かった。

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2024年4月 9日 (火)

コンサートの記(838) リオ・クオクマン指揮 京都市交響楽団スプリング・コンサート2024

2024年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団スプリング・コンサートを聴く。
今回の指揮はマカオ出身のリオ・クオクマン。京響とは4度目の顔合わせとなる。

現在、マカオ管弦楽団の音楽監督・首席指揮者、香港フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者、マカオ国際音楽祭プログラム・ディレクターなどを務めるリオ・クオクマン。香港演芸学院を出た後でアメリカ東海岸に留学。ニューヨークのジュリアード音楽院、フィラデルフィアのカーティス音楽院、ボストンのニューイングランド音楽院でピアノと指揮を学び、2014年にスヴェトラーノフ国際指揮者コンクールで最高位を獲得。2016年まで、ヤニック・ネゼ=セガンの下でフィラデルフィア管弦楽団の副指揮者を務めている。
ピアノも達者であり、京響の定期演奏会では、「ラプソディ・イン・ブルー」のピアノ弾き振りなども行っている。

オール・フレンチ・プログラムで、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、プーランクのオルガン協奏曲(パイプオルガン独奏:桑山彩子)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(パイプオルガン独奏:桑山彩子)が演奏される。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平が入る。


ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。切れ味と推進力が心地よい演奏で、各楽器の音色も輝かしく、純度も高い。全体的に溌剌とした印象である。


プーランクのオルガン協奏曲。単一楽章による作品だが、3部に分かれており、実質的にはオーソドックスな協奏曲と変わりない。
弦楽5部とティンパニによる編成である。
オルガン独奏の桑山彩子は、広島市のエリザベト音楽大学と同大学院を経て渡仏。リヨン国立高等音楽院を審査員一致のプルミエ・プリを得て首席で卒業。高等音楽学国家免状を取得している(ヨーロッパでは国家からの免状を得ないとプロの演奏家になれないところも多い)。第6回ゴットフリート・ジルバーマン国際オルガンコンクールで優勝。現在は、エリザベト音楽大学非常勤講師、京都カトリック河原町教会オルガニストなどを務めている。
桑山はステージ上でリモートでのパイプオルガン演奏。舞台下手端、すり鉢状にせり上がっていくステージの最上段に第二演奏台を置いての演奏である。
豪壮な響きでパイプオルガンが鳴ってスタート。この主題は第3部で形を少し変えて戻ってくる。
「パリのモーツァルト」とも呼ばれるプーランク。フランス六人組の中でも最も有名な作曲家だが、旋律や音色が洒落ており、第3部には、パリの街角をプーランクがウキウキと歩く姿が見えるようなチャーミングな場面も出てくる。
京響は生真面目な演奏で、音色にもう少し洒脱さがあると良かったのだが、技術は高い。
ティンパニが活躍する曲で、演奏終了後、ティンパニ奏者の中山航介が喝采を浴びた。


サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。サン=サーンスの作品の中で、「動物の謝肉祭」と並んで最も有名な曲である。MOVIX京都の映画予告編では、この曲の第1楽章第1部の展開部が宝石店のCM曲として使われている。
2楽章からなるという異色の交響曲だが、それぞれの楽章が2部に分かれており、4楽章の伝統的な構成と見なすことも出来る。なお、重要な役割を果たすピアノデュオは、佐竹裕介と矢野百華が受け持つ。
リオと京響は、この曲の神秘的な雰囲気を上手く浮かび上がらせ、フォルムも適切で格好いい。
表情の描き分けも巧みで、厳かな場面はそれらしく、落ち着いた箇所はニュアンスたっぷりに、爽やかな部分は薫風が吹き抜けるように奏でられる。
桑山のパイプオルガンとの息もピッタリで、春の初めに相応しい生気溢れる演奏となった。

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2022年4月 9日 (土)

「都をどり」令和四年公演「泰平祈令和花模様」 2022.4.3

2022年4月3日 京都四條南座にて

午後4時40分から南座で開演の「都をどり」令和四年公演を観る。

都をどりは、新型コロナウイルスの蔓延により、昨年、一昨年と中止になった。昨年は弥栄会館のギオンコーナーで、小規模公演である「春の雅(みやび)」が行われたが、寂しく感じたのも確かである。
というわけで、今回が令和に入ってから初の都をどりとなった。

「泰平祈令和花模様(たいへいのいのりれいわはなもよう)」と題された上演。いつも通り、京都の名所を中心とした踊りが行われるが、競馬や弓などの武芸の場面が取り入れられており、「病に勝つ」という祈りが込められたそうである(元々は、東京オリンピックを記念した演目で2020年に上演される予定で、乗馬やアーチェリーをモチーフにしたものだったようなのであるが、新たに設定を変えて上演されたようだ)。

第1景「置歌」、第2景「上賀茂社梅初春(かみがもしゃうめのはつはる)」、第3景「夏座敷蛍夕(なつざしきほたるのゆうべ)」、第4景「京遊戯色々(きょうのあそびいろいろ)」、第5景「那須与一扇的(なすのよいちおうぎのまと)」、第6景「勝尾寺紅葉揃(かつおうじもみじぞろえ)」、第7景「宇治浮舟夢一夜(うじのうきふねゆめのひとよ)」、第8景「御室仁和寺盛桜(おむろにんなじさかりのさくら)」からなる上演時間約1時間の演目である。「勝尾寺紅葉揃」には、「達磨さん、ころころころな、ころなに負けるな」という詞も出てくる。

令和初上演を祝うためか、上賀茂神社の紅梅と白梅、那須与一が扇の的を射た屋島合戦の源氏と平家、宇治十帖の匂宮と浮舟の衣装など、紅白の対比が多い。また今回は舞妓さんの出番が比較的多いのも特徴である。

久しぶりに観る大人数での芸舞妓の踊りに、京都らしさが戻ってきたようでホッとさせられる。

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2021年4月19日 (月)

祇園甲部「春の雅」2021.4.14

2021年4月14日 ギオンコーナー&八坂倶楽部にて

午後2時から、弥栄会館内ギオンコーナーで、祇園甲部「春の雅(みやび)」を観る。

新型コロナウイルスの流行により、都をどりは2年連続で中止となったが、今年は代替公演として「春の雅」が行われることになった。
ギオンコーナーは、観光客向けに、舞妓による京舞を始め、華道、茶道、狂言、箏曲、雅楽、文楽などの文化をダイジェスト紹介する施設であり、私もこれまでに一度だけ行ったことがある。
舞台も客席部分も小規模な施設で、しかも客席は前後左右1席空けのソーシャルディスタンスシフトである。今年の都をどりは無くなったが、祇園甲部の芸舞妓の公演が観られるとあって人気で即日完売となり、チケットが手に入ったのは、結局、今日のこの回だけであった。
ギオンコーナーで行われる「芸妓舞妓の舞」は、3つの演目のローテーションで、今日は、「夜桜」、「四季の花」、「芦刈」、「六段くずし」の4つの演目が上演される。3つあるローテーションのうち「六段くずし」だけは全てで上演されるようだ。

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上演開始前に、祇園甲部芸妓組合組合長のまめ鶴からの挨拶があり、今日の司会である孝鶴にバトンタッチ。孝鶴は、それぞれの舞の見所や背景などを紹介する。

「夜桜」の出演は、芸妓の小花と舞妓のあす佳と菜乃葉。「四季の花」が芸妓の真咲と佳つ雛。「芦刈」が芸妓の美帆子。「六段くずし」では、真咲、菜乃葉、佳つ雛、あす佳が出演する。舞台が狭いということもあるが、舞台上で密になることは避ける必要があるということで、最大でも4人という小編成での舞である。
地方(じかた)は、「夜桜」が、君鶴、福奈美、幸苑。「四季の花」は、小桃、だん佑、幸苑。「芦刈」は、ます穂、幸苑、福奈美。「六段くずし」が、君鶴、福奈美、恵美華。地方の前に透明のボードを置くという飛沫対策が取られている。
かげ囃子は、小萬(笛)、豆千鶴(小鼓)、真生(太鼓)。藤舎清鷹。

4演目合計で1時間以内という小規模公演。途中で、司会の孝鶴が、舞妓の菜乃葉と地方の恵美華にインタビューするコーナーがある。菜乃葉は舞妓4年目の「大きい舞妓さん」、恵美華は地方1年目の新人だそうである。菜乃葉は一昨年に南座で行われた都をどりが初出演となったが、2年連続で都をどりが中止になったため、今のところ都をどりへの出演は一度きりとなっているようである。「早く祇園甲部歌舞練場でも踊りたい」と語っていたが、祇園甲部歌舞練場の耐震改修工事はほとんど進んでいないようで、今日も寄付を募っていた。弥栄会館は模様替えされて京都帝国ホテルとなる(祇園甲部からの貸借という形態)が、それも祇園甲部歌舞練場改修工事の資金に充てるためなのかも知れない。

当然と言えば当然なのだが、芸妓の方が優れた舞を見せる。手もピシッと止まるが、腕と体との距離も芸妓の方が近く、無理なくキレを出すことが可能となっている。
上手さだけでなく個性も重要となってくるが、今日はそれぞれに良い味を出せていたように思われた。
都をどりの華やかさには比ぶべくもないが、花街公演の礎を築いた祇園甲部が何もない春を迎えるよりはましである。上演会場も小さいだけに、京舞も間近で観られて、手作り感があるのも良い。
とはいえ、来年は都をどりが観たいところである。

「春の雅」の芸妓舞妓の舞を観た人は、そのチケットで八坂倶楽部のお庭公開にも無料で入ることが出来る。芸妓舞妓の舞を観ずに(もしくはチケットが手に入らずに)お庭公開だけの人は当日料金500円が必要になる。

芸妓舞妓の舞が、午後2時50分過ぎに終わり、それを待つようにして午後3時からは八坂倶楽部で舞妓による「祇園小唄」上演がある。密を避けるために整理番号の若い人は八坂倶楽部の1階で、それより大きい番号の人は2階の大広間で「祇園小唄」を観ることになる。まず1階での上演があり、終わってすぐに2階での上演が始まる。今日の出演は、真矢と佳つ駒の二人。共に昨年、見世出しを行ったばかりで、まだ駆け出しである。比較しなければということではあるが、よく踊れていたように思えた。間近で観られるというのも良い。

八坂倶楽部の庭園は改修工事中で池に水も少なく、今年は桜ももう散ったということで華やかさには欠けたが、青もみじなどは美しく、初々しい舞妓の踊りに重なったりした。

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2021年4月18日 (日)

コンサートの記(711) 「cafe mimo Vol.20 ~春爛漫茶会~」大阪公演

2021年4月10日 大阪・西天満のあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールにて

午後5時から、大阪・西天満(曾根崎といった方が分かりやすいかも知れないが、住所は微妙に異なる)にある、あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールで、遊佐未森のコンサート「cafe mimo Vol.20 ~春爛漫茶会~」を聴く。遊佐未森(ヴォーカル&ピアノ)が、ギターの西海孝とドラムス&パーカッション+打ち込みの楠均とのトリオで行っている毎春恒例のコンサート。昨年もcafe mimo大阪公演は予定されていたのだが、コロナ禍により中止。記念すべき20回目は今回に持ち越しとなっていた。

変異株流行の可能性が高いということで、今日の大阪は最多記録を更新する918人の新規新型コロナ感染者を記録し、コンサートの開催自体が危ぶまれたのだが、なんとか開催にこぎ着けた。密を避けるため、グッズ販売などはあいおいニッセイ同和損保フェニックスビル1階の広いスペースのみで行い、ザ・フェニックスホール内ホワイエなどでは販売などは一切行われない。ザ・フェニックスホールの1階席は平土間であるが、通常なら最前席となる場所に席を置かず、ステージと距離を取る、入場前に大阪独自のコロナ追跡サービスへの登録、手指のアルコール消毒などの感染予防対策が取られた。

JR大阪駅で下車。ホーム上などには人が多いが、通常に比べると少なめ。中央通路なども人出は平時の半分以下である。
梅田地下街などは今日も人が多かったのかも知れないが、用事がないので下りず、大阪駅中央南口から梅田の街に出て、御堂筋を南下する。なんだかんだで人々はコロナ対策を取っているようで、「これが梅田か?」と思うほど人が少ない。この状態で記録が更新されているとすると、局地的にコロナ感染が発生していると考えた方が妥当な気がする。それにしても人の少ない梅田は、木々の緑も鮮やかで、不気味なほどに美しい。

曾根崎ということで「曽根崎心中」ゆかりの露天神(お初天神)に参拝してからすぐ南にあるザ・フェニックスホールに入る。ザ・フェニックスホール到着は午後6時17分頃、今日は午後6時15分開場なので、開場後すぐに到着したことになる。

ザ・フェニックスホールでcafe mimoが行われるのは2回目。前回は、遊佐未森が作詞・作曲を行った国立市立国立第八小学校の校歌を3人で歌い、私はアンケートに「国立市立国立第八小学校の校歌を録音して欲しい」と書いたのだが、希望者が多かったようで、その後、ベストアルバムに同曲は収録された。
前回のザ・フェニックスホールでcafe mimoが行われたのは、2008年のことなので、実に13年ぶりの開催となる。

大阪を代表する室内楽専用ホールであるザ・フェニックスホールであるが、私が前回来たのは、2008年のcafe mimoで、それ以前は来ていないということで、自分でも意外だがクラシックの演奏で来たことはないということになる。室内楽の演奏を聴くこと自体もオーケストラやピアノの演奏会に比べると多くないが、聴く場合も京都市内やびわ湖ホールなど大阪以外の会場が多く、また単独ではなく音楽祭のプログラムの一つとして聴くことも多いため、来場機会がほとんどないということになっているのだと思われる。

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トークで、遊佐未森は、大阪で公演を行うのは昨年の2月以来だという話をする。西海孝は、昨年の12月に公演を行えたが、今年初めの自身がメインのコンサートはコロナ第3波によって中止にせざるを得なかったという。楠均は、2020年は来阪なし。「前代未聞」のことだという。
ポピュラー音楽のバックミュージシャンは、実力のある人が幾つも掛け持ちを行っているため、ギターが西海さんである確率もドラムス&パーカッションが楠さんである確率もかなり高いのだが、2020年はコンサート自体がほとんど行えなかったということが分かる。

その間、未森さんは、ニューアルバムの録音を行っていたそうで、マスタリングがついこの間終わったばかりだそうだ。発売日も6月23日決まったという。


遊佐未森というシンガーソングライターは、「癒やし系」の元祖にして代表格ということで、日本ポピュラー音楽史上、重要な地位を占める音楽家であることは間違いないのだが、シングルが大ヒットするというタイプでもないので、知らない人の方が多いという印象を受ける。「ココア」、「クロ」、「I'm here with you」、「地図を下さい」などをカラオケで歌うこともあるのだが、曲を知っている人に会ったことは今まで一度もない。というわけで知名度と音楽性の高さが一致するわけではないということの好例でもある。
仙台出身であり、東日本大震災から10年ということで、今年は宮城県東松島市に招かれてコンサートを行ったそうで、初日のゲストはコロッケ、2日目のゲストはサンドウィッチマンであったそうだ。未森さん自身も、東松島市には幼い頃に海水浴に行ったり、奥松島と呼ばれるところまで観光に行った思い出があるそうなのだが、 震災によって住宅地が壊滅状態となり、復旧も遅れて、住宅再建まで10年以上掛かっているとのことなので、元々住んでいた人も諦めて、他の場所での再スタートを選ぶケースの方が多いようである。今も家屋がポツンポツンと建っているという寂しい状態だという。

ニューアルバム「潮騒」から2曲(「サイレントムーン」と「鼓動」)が初披露された他、cafe mimoの名物であるカバーのコーナーもあり、今年はヘンリー・マンシーニ作曲で、オードリー・ヘップパーンが唯一、自身の歌声を聞かせている「ムーン・リバー」が歌われた。長調の曲であるが、歌詞が希望と切なさが同居したものということもあり、未森さんの澄んだ歌声で聴くと儚さがより強く出る。
カバーはもう1曲。「これまでのcafe mimoで最も盛り上がった曲」ということで、「ひょっこりひょうたん島」が歌われる。ちなみに振り付けは毎回、未森さんが担当している。

仙台を舞台にした曲としては、「欅~光の射す道で~」が歌われた。また初期の楽曲である「月姫」が歌われたが、ライブで歌うのはこれが初めてになるかも知れないとのことだった。デビュー曲の「瞳水晶」も歌われたが、33年前にデビューした時の話なども語られる。EPICソニーからのデビューだったのだが、当時、EPICが入っていた青山一丁目のツインタワーの向かいのビルの2階にCDショップがあり、デビューの日が4月1日ということで、日付が「疑わしい日」「本当に発売になってるんだろか?」と確認に行った思い出があるそうである。

初期の頃に一緒に仕事をすることが多かった外間隆史と久しぶりに組むことになったのだが、音楽を巡って熱論を戦わせた日々のことなども回想される。

アンコールでは、「春らしい曲を」ということで、「Floria」が歌われたのだが、ザ・フェニックスホールの名物として、アンコール時には、後ろの壁(遮音壁)がせり上がり、ガラス越しに大阪の街が姿を現すという演出が施される。

 

淀屋橋駅から京阪電車に乗って帰る。やはり土曜の夜とは思えないほど車内は空いていた。

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2021年4月15日 (木)

コンサートの記(710) 広上淳一指揮「京都市交響楽団 スプリング・コンサート」2021

2021年4月11日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 スプリング・コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼音楽顧問で、京都コンサートホールの館長も務める広上淳一。

オール・ロシア・プログラムで、しかも春だというのに全て短調という曲目が並ぶ。
ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小曽根真)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。
チケットは完売である。1階席の第1列だけは発売されていないが、それ以外はほぼ埋まっている。なお、新型コロナウイルスに感染して隔離中だったり、当日の体調不良者にはチケット料金払い戻しに応じるという形での開催である。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーには尾﨑平。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子も降り番。オーボエ首席の髙山郁子は全編に出演し、トロンボーン首席の岡本哲はトロンボーンが編成に加わるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番からの登場。それ以外の管楽器首席は「悲愴」のみの出演である。

 

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。冒頭部分はやや音がかすれ気味でバランスなども不安定な印象を受けるが、会田莉凡がソロを奏でるあたりから抒情的な美しさが増していく。広上自身は曲にのめり込むことはせず、旋律美を自然に出すことを心がけているように見えた。

 

日本を代表するジャズピアニストである小曽根真をソリストの迎えてのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。小曽根はジャズのピアニストであるが、クラシックの演奏会に登場する機会も多い。

小曽根のピアノは、ラフマニノフを得意とするクラシックのピアニストのような堅牢さはないが、音は澄み切っており、第2楽章や第3楽章のカデンツァでジャズピアニストならではの即興演奏を繰り広げ、第3楽章の他の部分でも音を足して弾くなど、自在なピアニズムを発揮する。広上指揮の京都市交響楽団も雰囲気豊かな伴奏を奏でるが、第2楽章の木管のソロなどは首席奏者でないだけにやや情感不足。ここは勿体なかった。

小曽根のアンコール演奏は、自作の「Gotta Be Happy」うねりの中から繰り出される力強い響きが印象的で、小曽根の本領が発揮される。

 

メインであるチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ここでは「ヴォカリーズ」とは対照的に、広上が思い入れたっぷりの演奏を行う。小柄な体を目一杯伸ばし、足音を響かせ、体を揺らしながら指揮する。

低弦とファゴットで形作られる第1楽章冒頭の陰鬱から雰囲気満点だが、ヴァイオリンが加わると不思議な清明さが音楽の中に満ち、彼岸の世界への道が眼前に開けたかのような、不吉な見通しの良さが生まれる。
第2主題の弦も透明感はそのままで、過去の良き時代を回想するような趣が生まれている。

第2楽章の5拍子のワルツも美しい演奏だが、華やかさとは違った澄んだような美しさであり、チャイコフスキーの別世界への視線が伝わってくるかのようだ。

第3楽章も力強い演奏だが、押し続けるような印象はなく、作曲者による弦と管のニュアンスの微妙なずれも感じ取れるような、明快さも持つ。胸を高鳴らせることで破滅の予感(ベートーヴェンの運命主題の音型が鳴り続ける)から目を逸らしているような曲調であるが、ラストのピッコロの悲鳴により、精神的な破綻が訪れたかのように聞こえて、第4楽章を待つことなく一途に悲しくなってしまった。

そして第4楽章。広上は旋律を大袈裟に歌うことはないが、唸り声を上げつつ思い入れたっぷりの演奏が行われる。音自体はクールなのだが、その背後ではマグマが吹き上がりそうになっている。再び過去の良き日々が回想され、ノスタルジアが聴く者の胸をかき乱す。だが銅鑼が鳴らされて、この世界との絆も絶たれ、従容と死へと赴くかのようなラストが訪れる。止みゆく鼓動を描いたとされるコントラバスのピッチカートも全ての音がはっきり聞き取れるよう鳴らされた。

演奏終了後、広上は、弦楽最前列の奏者とグータッチやエルボータッチ、リストタッチを行い、各楽器をパートごとに立たせるが、今日もティンパニの中山航介は素通りして、コントラバス奏者達に立つよう促す。中山は、「えー、今日も?」という感じでうなだれ、トリとして盛大な拍手を受けた。

広上は、「本日はお越し下さり、ありがとうございます。コロナで大変ですが、なんとかやっております。感染しないよう十分にお気を付け下さい。ただ、演奏会にはお越し下さい」というようなことを言って(正確に記憶出来た訳ではないが、ほぼこのようなことだったと思う)、「しんみり終わりましたので、明るい曲を」ということで、ビゼーの小組曲「こどもの遊び」から第5曲“ギャロップ(舞踏会)”が演奏される。立体的な音響と推進力が魅力的な佳演であった。

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2021年4月 3日 (土)

コンサートの記(703) 広上淳一指揮京都市交響楽団第654回定期演奏会

2021年3月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第654回定期演奏会を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼音楽顧問の広上淳一。

ヴァイオリン独奏としてダニエル・ホープが出演する予定であったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のための外国人入国規制により来日不可となったため、1月の京都市ジュニアオーケストラのコンサートでもヴァイオリン独奏を務めた小林美樹が代役として登場し、曲目も変更となった。

その曲目は、ドヴォルザークの序曲「自然の王国で」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、ドヴォルザークの交響曲第7番。

 

今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志が入る。第2ヴァイオリンの客演首席は大阪交響楽団の林七奈。
ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄りに置かれる。
管楽器の首席奏者はドヴォルザークの交響曲第7番のみの登場となる。

 

ドヴォルザークの序曲「自然の王国で」。広上の指揮は相変わらず冴えており、抒情美と清々しい音色と快活さを合わせ持った響きを京響から引き出す。

 

小林美樹が独奏を務めるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。ターコイズブルーのドレスで登場した小林は、持ち味である磨き抜かれた美音で勝負。音の美しさのみならず、力強さや音の広がり、表現の幅広さなど十分であり、優れた独奏を聴かせる。
広上指揮による京響の伴奏も描写力の高さと雰囲気作りの上手さが光る。

コロナ禍が訪れてから、ソリストによるアンコールが行われないケースが目立ったが(ソアレの場合は退館時間を早めにする必要があるということも影響していると思われる)、今日はアンコール演奏が行われる。曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。音の純度が高く、静謐さと気高さが感じられる演奏であった。小林美樹もこのところ成長著しいようである。

 

ドヴォルザークの交響曲第7番。ドヴォルザークの交響曲第7番、第8番、第9番「新世界より」は、「後期三大交響曲」とも呼ばれるが、交響曲第7番は、第8番や「新世界より」に比べると演奏機会は多くなく、スラヴ的な要素が薄い分、ドヴォルザークならではの魅力には欠けている。

広上の表現であるが、第1楽章からドラマティック。リズム感が抜群であり、音にもキレがある。金管への指示を敬礼のようなポーズで行うのも特徴的。
京響は冒頭付近こそ音がかすれ気味のように感じられたが、次第に洗練度を高めていき、その上にドヴォルザーク的な濃厚さも加えた音色を聴かせていく。

第3楽章と第4楽章の出来が特に良く、スケール豊かで迫力ある音像が築かれる。ラスト付近ではアゴーギクも用いられ、スラヴ的な味わいも加えられていた。

 

演奏終了後、広上は、各奏者を立たせるが、大活躍したティンパニの中山航介には笑顔を向けるも飛ばす。中山も「えー、なんで?」という顔であったが、広上は大トリとして中山を立たせた。

その後、広上はマイクを片手に再登場。第一声が「疲れました」で客席の笑いをとるが、コロナの中で演奏会に駆けつけてくれたことへのお礼や、京都市交響楽団が京都市民の心を癒やす役割と担っていることや、ヨーロッパに代表されるように街のオーケストラを育てるのはその街の市民であることなどを述べた。
そして、京都市交響楽団副楽団長である北村信幸と森川佳明が異動によって京響を去るということで(京都市交響楽団は公営のオーケストラであるため、スタッフも音楽を専門としている訳ではなく、京都市の職員が交代で受け持っている)、広上がそれぞれの話を聞き(広上は、「愚息、娘なので愚か娘になるんでしょうが、受験に落ちてばっかりだったのが、森川さんから合格のお守りを頂いてから受かり始めた」と語る)、アンコールとしてドヴォルザークの「チェコ組曲」よりポルカが演奏される。ドヴォルザーク的なノスタルジックな趣と憂いと快活さを上手く表現した演奏で、今年度の最後の定期演奏会の掉尾を飾るのに相応しい音楽となった。

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2020年8月 6日 (木)

美術回廊(55) 京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」

2020年7月31日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」を観る。

新型コロナウィルスにより、多くの行事が流れてしまった京都。その京都の四季の彩りを再確認するために京都国立近代美術館所蔵品を中心として開催されている展覧会である。

階段を上ると「晩夏」から、エレベーターを使うと「初夏」の展示から観ることになる展覧会。階段を使って「晩夏」より入る。

四季を更に細分化した二十四の季節を持つ日本。古代中国由来なので、必ずしも今の暦と符合するわけではないが、恵みと脅威を合わせ持つ自然に対する細やかな意識が察せられる区分である。

 

階段を上がったところに、北沢映月の「祇園会」という屏風絵が拡げられている。1991年に京都国立近代美術館が購入した絵だ。「小暑」の区分である。
京舞を行っている母親をよそ目に、祇園祭の鉾の模型で二人の女の子が遊んでいる。一人は鉾を手に転がそうとしているところで、もう一人はそれを受け止めるためか、片手を挙げている。動的な絵である。

不動立山の「夕立」は、おそらく東本願寺の御影堂門と烏丸通を描いたと思われる作品である。昭和5年の作品なので、京都駅は今のような巨大ビルではないし、京都タワーもなかったが、それを予見するかのような高所からの俯瞰の構図となっている。これは不動茂弥氏からの寄贈である。

「大暑」では、丸岡比呂史の「金魚」という絵が出迎える。昨日観た深堀隆介の金魚とは当然ながら趣が異なり、愛らしさが前面に出ている。

同じタイトルの作品が並んでいるのも特徴で、「処暑」では、福田平八郎の軸絵「清晨」(どういう経緯なのかはよく分からないが、旧ソヴィエト連邦からの寄贈)と深見陶治の陶器「清晨」が並んでいる。趣は大分異なるが、各々が感じた朝の気分である。

具体美術協会を起こしたことで知られる吉原治良(よしはら・じろう)の作品もある。「朝顔等」という絵だが、朝顔の周りに海産物が並べられており、海は描かれていないが海辺であることが示唆されている。夫人による寄贈。

 

「立秋」にはこの展覧会のポスターにも使われている、安井曾太郎の「桃」が展示されている。邪気を払う特別な果物だ。

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「中秋」では、京都画壇を代表する女性画家である上村松園の「虹を見る」(文化庁からの管理換)という屏風絵が素敵である。虹は右上に小さく描かれ、それを若い女性と母親と赤ん坊が見上げるという作品であるが、虹がまだ何かもわからない年齢なのに惹かれている赤ん坊が特に印象的である。

「秋分」では、小川千甕(おがわ・せんよう)の「田人」という作品が「その先」の想像をくすぐる出来である。2001年度購入作。

俳優の近藤正臣の親族としても有名な陶芸家の近藤悠三の作品もある。堂々とした作風である。

 

坂本繁二郎の「林檎と馬齢著」(立冬)。全く関係ないが、最近観た見取り図の漫才ネタを思い出す。

 

秋野不矩の「残雪」(「初春」。1985年に作者が寄贈)。これも関係ないが中国を代表する前衛小説家の残雪の作品を最近は読んでいない。急に読んでみたくなったりする。

「仲春」には花と蝶を題材にした絵画が並ぶ。久保田米僊(くぼた・べいせん)の「水中落花蝶図」、枯れて水面に落ちた花弁と、その上を舞う蝶が描かれており、動物と静物、しかも盛りを過ぎた静物との対比が描かれている。2005年度購入作。

 

「春分」には今も花見の名所として名高い円山公園を描いた作品がいくつか登場する。

「晩春」では、藤田嗣治や長谷川潔が手掛けた「アネモネ」という花の絵が美を競っている。アネモネは色によって花言葉が違うようだが、調べてみると紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」であり、赤のアネモネの花言葉は「辛抱」であった。

 

「立夏」には葵祭を題材にした伊藤仁三郎の絵が2点(2002年寄贈作品)並び、苺の収穫を描いた小倉遊亀(寄託作品)の作品もある。

「夏至」には千種掃雲の「下鴨神社夏越神事」(2005年度寄贈)、更に美術の教科書によく作品が登場する安田靫彦の「菖蒲」(2000年度購入)などがある。

 

そして階段から入った場合、最後の展示となるのが川端龍子(かわばた・りゅうし)の「佳人好在」(1986年度購入)。佳人(美人)の部屋を描いた作品だが、佳人は登場せず、並んだ小物などから佳人の人となりを想像させる絵となっている。これが今日一番気に入った絵となった。これぞまさに「不在の美」である。

 

京の行事はこの一年、ほぼ全て幻となってしまったが、展示された美術作品の数々の中に、悲しみと同時に希望を見出すことになった。
「京都は京都」幾多の災難を乗り越えた街であり、いつかまたこれらの作品に描かれているような愉しみが復活するのは間違いないのだから。

 

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