カテゴリー「京都コンサートホール」の185件の記事

2020年10月29日 (木)

コンサートの記(665) クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル2006京都

2006年6月3日 京都コンサートホールにて

午後5時から京都コンサートホールで、クリスチャン・ツィメルマン(クリスティアン・ツィマーマン)ピアノリサイタル2006を聴く。

ツィマーマンは現代最高のピアニストの一人であるが、完璧主義で知られ、演奏曲目も「その時点で最も良く弾ける曲」を選ぶため、今回も演奏会の1ヶ月前まではプログラムが決定していなかった。チケットはもちろんもっと早く発売されているから、聴きに行く方は、何が演奏されるのか知らないでチケットを買うことになる。それでも世界最高のピアニストの一人が来洛するとあって、客席はほぼ満員であった。

さて、ツィマーマンはどこへ演奏に行く時も自分のピアノを持って行くそうで、今日も京都コンサートホールの楽屋入り口に「スタインウェイ&サンズ(という世界で最も有名なピアノメーカー)」と書かれたトラックが横付けされていた。ツィマーマンはピアノの鍵盤にセンサーをつけてコンピューターで解析し、当日演奏するホールで音がどう響くのか、その曲でどの音が何回弾かれるのかを把握した上で、調律を行わせるそうだ。鍵盤にセンサーをつけたりすることはホールが持つピアノでは出来ないからどうしても自前のピアノを帯同することになるのである。


モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番「悲愴」、ショパンの「バラード第4番」、ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」、そしてツィマーマンの祖国・ポーランドの20世紀の作曲家、グラジナ・バツェヴィチのピアノ・ソナタ第2番というプログラム。
ツィマーマンは完璧主義なので、レコーディングも完璧に弾けるまで行うことがない。今回のコンサートの曲目のうちでCDでも聴けるのは、ショパンの「バラード第4番」のみである。


モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番。第1音で別世界へと意識は運び去られる。甘く澄んだ美音。これほど美しいピアノの音を聴くのは初めてである。モーツァルト自身がそこで弾いているような錯覚に何度も陥りそうになる。煌びやかな音の中にも影を潜ませたモーツァルトのピアノ曲。それがこれほどの迫真性を持って弾かれた演奏を私は他に知らない。

ベートーヴェンの「悲愴」ソナタ。出だしは力んだのかツィマーマンにしては珍しく音が濁り気味であったが、その後は安定したテクニックと独自の解釈で音の彫像を創り上げていく。
ベートーヴェンにしては音がきれいすぎるところもあり、ロマン派ベートーヴェンよりも古典派ベートーヴェンを想起させられる(ベートーヴェンは古典派とロマン派の中間に位置する)演奏だが、普通は弾き流すところを丁寧に弾いたり、造形が崩れるのではないかと心配になるほど長い休符を設けたりと、一筋縄ではいかない。フォルテシモが強烈過ぎて唐突に感じられたりもしたが、優れた演奏であった。少なくともツィマーマンしか表現し得ない独自のベートーヴェン像を打ち出すことに成功していた。


ショパンの「バラード第4番」は、スケールが大きく、音色が万華鏡のように変わっていく魔術的な演奏で、神業を見る思いであった。

ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」は、フランスのピアニストのような明るい音色が欲しくなる場面もないではなかったが、エスプリとはまた違った粋な精神が溢れ出る快演。

バツェヴィチのピアノ・ソナタ第2番。現代の音楽であるが、わかりにくいところはほとんどない。超絶的なテクニックが要求される第1楽章、マイケル・ナイマンのピアノ曲を思わせる出だしとその後の激しい展開、内省的な深さを感じさせるパッセージを経て、またマイケル・ナイマン風に戻る第2楽章。華やかで機知に富み、祝祭的な賑やかさを持った第3楽章、どれも面白い。
この曲をラストに持ってきただけあって、ツィマーマンはあたかも自作を弾いているような自在さと共感と説得力を示す。パーフェクト。


曲が終わって熱狂的な拍手に応えるツィマーマン。ピアノの方を示して「よく鳴ってくれたピアノにも拍手を」とゼスチャーで示すユーモアも発揮して会場を沸かせる。


アンコール。驚いた、ガーシュウィンを弾き始めたのだ。まさかツィマーマンがガーシュウィンを弾くとは。
「3つのプレリュード」全曲を弾く。ジャジーなスウィングは感じられないが、クラシック音楽として解釈するなら文句なしの演奏である。

そういえば、ツィマーマンを最初に認めた指揮者、レナード・バーンスタイン(愛称:レニー)がピアノの弾き振りをした時にアンコールとしてよく弾いたのがガーシュウィンの「プレリュード第2番」であった。レニーの演奏する「プレリュード第2番」はロサンゼルス・フィルハーモニックに客演したときのライヴ録音(ドイツ・グラモフォン)で聴くことが出来る。

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2020年10月 1日 (木)

コンサートの記(658) 佐渡裕指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団京都デビューコンサート

2006年3月14日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールへ。兵庫芸術文化センター管弦楽団京都デビューコンサートを聴く。指揮は勿論、兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称:PACオーケストラ)の音楽監督・佐渡裕。

まずは、イベールの「ディヴェルティメント」でスタート。メンデルスゾーンの「結婚行進曲」冒頭の真似や、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」のパロディーのような旋律が飛び出す愉快な曲である。佐渡はラムルー管弦楽団を指揮してこの曲をレコーディングしており(ナクソス)、十八番の一つであるようだ。
ナクソスのCDでは大人しい印象を受けた佐渡の同曲演奏だが、やはりライヴになると熱さが違う。ノリが良く、パロディーの場面も強調こそないもののユーモアと勢いに溢れていて楽しい。


2曲目は大澤壽人(おおさわ・ひさと)のピアノ協奏曲第3番「神風」。ナクソスの「日本作曲家選輯 大澤壽人」に収録され、発売と同時に大きな話題となった曲である。
パンフレットに記された片山杜秀氏筆の紹介文と、演奏前に佐渡さんが行ったスピーチを要約すると、大澤壽人は1907年、神戸に生まれた作曲家(最新の研究では1906年生まれが正しいとされる)。中等部から専門部まで関西学院に学び、卒業後はボストンに留学。ボストン大学とニューイングランド音楽院で作曲を学ぶ。その後パリに渡り、ナディア・ブーランジェなどに師事。イベールやオネゲルといった当時のフランス楽壇を代表する作曲家達から、「天才」と評されるまでになった。帰国後、自作の演奏会を開くが、当時の最先端を行く作風が日本人には理解されず失望。すぐにヨーロッパに戻る気になるが、折悪しく、第二次大戦が勃発。大澤は日本に留まることを余儀なくされ、映画やラジオ番組の音楽を担当、神戸女学院の音楽講師にもなっている。1953年、46歳(最新の研究では47歳)で死去。日本楽壇が成熟する以前に逝去してしまったため、長く忘れられた存在になっていた。

「神風」というと右翼的なものを連想してしまうが、ここでいう「神風」とは、元寇の時の神風でもなければ、太平洋戦争における「神風特攻隊」とも無関係。実は朝日新聞社が所有していた民間機の名前だそうである。1937年に神風号は、東京-ロンドン間の飛行最短時間新記録を出したそうで、それを讃えた曲がこのピアノ協奏曲第3番「神風」なのだそうだ。1938年、大阪で初演。

今日、ソリストを務めるのは、最近、評価を上げている迫昭嘉(さこ・あきよし)。

ナクソスから発売されたCDを聴いたときは、戦前の日本人作曲家による作品とは思えないほど洗練された作風の驚いたものだが、実演だとやはり印象が異なる。

ピアノの部分は素晴らしく洗練されているが、オーケストレーションには時代を感じる。言い換えると時代を超えられていないように思う。

迫のピアノはクリアな音色で作品の魅了を余すところなく伝えていた。PACも金管に癖があるものの好演。


メインはブラームスの交響曲第1番。佐渡の指揮なので勢いよく始まるのかと思いきや、悠然とした音運びでの開始。意外である。弦、特にヴァイオリンはやや薄く感じられる場面があったが、高音の煌めきが魅力的である。管もたまに音を外したりユニゾンが合わなかったりするが、まだ定期公演を行っていない出来たてのオーケストラ(第1回定期演奏会は来月行われる)にしてはまずまずの滑り出しである。

佐渡の表現は彼にしてはあっさりしていたが、曲が短く感じられたので聴く者を惹きつける力はあるのだろう。

休憩時間中に佐渡のCDを買う。終演後、佐渡裕サイン会が行われるというので参加することにする。ライナーノーツにサインを貰い、佐渡さんが手を差し出したので握手(佐渡さんは全員と握手するようだ)。大きくて分厚い手であった。

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2020年9月10日 (木)

コンサートの記(653) 広上淳一指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2020「オーケストラを聴いてみよう!」第2回「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」

2020年9月6日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2020「オーケストラを聴いてみよう!」第2回「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」を聴く。

第2回とあるが、新型コロナの影響で第1回は公演中止となり、今回が今シーズン最初の公演となる。オーケストラ・ディスカバリーは4回の通し券が発売され、余った席を1回券として発売していたが、再開するに当たり、ソーシャルディスタンスを取る必要があるため、ほぼ完売状態だった通し券が全て払い戻しとなり、希望者は改めて1回券を購入するという措置が取られた。今年度予定されている第3回、第4回の公演も1回券が今後発売される予定である。

 

今日の指揮者は、京都市交響楽団第13代常任指揮者兼芸術顧問、更に京都コンサートホール館長も兼任することになった広上淳一。本来は第2回の指揮者は今年の4月から京響の首席客演指揮者に就任したジョン・アクセルロッドが受け持つはずだったが、外国人の入国制限が解除されないということで広上が代わりに指揮台に立つことになった。広上は来年の3月に予定されている第4回の指揮も担う予定である。

広上淳一の指揮する京都市交響楽団を生で聴くのは今年初めてのはずである。1月にあった京都市ジュニアオーケストラの公演は聴いているため、指揮姿を生で見るのは今年初ではないが、京都市交響楽団の今年の3月定期はカーテンコールの配信する無観客公演となり、その後に予定されていたスプリングコンサートや兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールでの公演も中止となった。この夏の「京響 みんなのコンサート」の指揮台には広上も立っているが、平日の午前11時からの公演ということで、聴きには行けなかった。

 

曲目は、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」(G線上のアリア)、ハイドンの交響曲第94番「驚愕」から第2楽章、ブラームス(シュメリング編曲)のハンガリー舞曲第5番、ヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーヴス」による幻想曲、ベートーヴェンの交響曲第7番から第1楽章、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ、リムスキー=コルサコフの歌劇「サルタン皇帝の物語」から“熊蜂の飛行”、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲、ファリアの歌劇「はかなき人生」から“スペイン舞曲”、ビゼーの「カルメン」第2組曲から“ハバネラ”、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲から“カンカン”

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの客演首席は大阪交響楽団の林七奈。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子は降り番である。
今日は管楽器は弦楽と間を空けてステージの最後部に並ぶ。弦楽器群との間に飛沫防止のためのアクリル板が立ててある。通常ステージ最後列に陣取ることが多い打楽器群は今日はステージ下手側への配置となる。
編成はほぼフルサイズであるが、弦のプルトは譜面台を二人で一つではなく個々で用いており、通常よりは間を置いての演奏である。
管楽器の飛沫が上から下へと飛ぶの避けるため、ステージをすり鉢状にせず、平土間での演奏であるが、音は良く響く。

 

J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」。京響が取り上げることの多い曲だが、広上ならではの見通しの良さと音の抜けの良さが広がりと優しさを生んでいる。耳と心が清められるかのような演奏であった。

 

今回のナビゲーターはガレッジセールの二人。ナビゲーターは話す必要があるため、今回はステージ上ではなく、席を取り払ったポディウムに距離を置いて並んで進行を行う。
ゴリが、「普段は我々は指揮者の方の横で話すのですが、離れて上にいた方が広上さんと同じ大きさに見えるということで」とボケ、川田広樹に突っ込まれて、「コロナ対策ということで」と本当のことを述べていた。

「G線上のアリア」という別名についてゴリは、「ヴァイオリンの一番太い線をG線というそうですが(コンサートマスターの泉原がヴァイオリンを立てて持ち、G線を示す)、ヴァイオリン独奏用に編曲した時にG線のみで弾けるようにしたということでG線上のアリア、じじいが好きというじじい専門もジイ専というわけですが」とボケていた。

 

ハイドンの交響曲第94番「驚愕」から第2楽章。曲を紹介する時にはゴリは、「西郷隆盛は『おいどん』、こちらはハイドン」とボケる。

ハイドンは現在ではピリオドで演奏するのが基本ということで、弦楽の弓の使い方はHIPを用いている。「驚愕」の音が起こる場面で広上は指揮棒を持った右手を思いっきり引いてから叩きつけるという大見得を切る。今日も広上は応援団が「フレー! フレー!」とやる時のような仕草を見せるなどユニークな指揮ぶりだが、出てくる音楽はオーセンティックである。

 

ブラームスのハンガリー舞曲第5番でも重厚さと軽妙さを合わせ持った優れた音楽作りを行う。

 

ヴォーン・ウィリアムズの「グリーンスリーヴス」による幻想曲。今回のテーマは「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」であるが、「グリーンスリーヴス」による幻想曲はメロディー重視の佳曲である。淡さを宿した弦楽の音色の上に管が浮かび上がってくるという儚さと懐かしさに満ちた演奏である。

ゴリが、「キユーピーのCMにも使われたことがあるということで、聴いたことのある方も多い曲だそうですが。今、キューピーといった時に広上さんが『俺か?』という顔をなさいましたが、広上さんではありません」

 

前半のラストはベートーヴェンの交響曲第7番から第1楽章。ゴリが「今年はベートーヴェン生誕250周年だそうで、ベートーヴェンも250歳です。今もご健在で」とボケて、川田に「そんなわけあるか!」と突っ込まれる。ゴリは交響曲第7番について、「『のだめカンタービレ』で一躍有名になった」と紹介する。

広上が得意とするベートーヴェン。交響曲第7番はリズムを旋律や和音よりも重視するという、当時としては特異な楽曲である。ノリの良い明るめの演奏が展開されるが、広上と京響のコンビということを考えると音に厚みがやや不足気味。ソーシャルディスタンスのための配置が関係しているのだと思われる。

 

後半。チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」からポロネーズ。京響の音の輝きと広上の躍動感と盛り上げの上手さが光る演奏。スケールも大きい。

演奏終了後、広上はマスクを着けてマイクを手に取り、ガレッジセールの二人に「会いたかったよー!」と話し掛ける。その後、オペラについての解説を行う。広上が、「前半は45分丁度で終わった。『マエストロが話し出すと10分も20分も延びる』」と裏方から言われたことを語り、ゴリが「広上さんのトークは交響曲1曲より長いと言われてますもんね」と返し、広上は「2分で纏めます」と言って、オペラというのは芝居であるがセリフも音楽であると語り、「俺はゴリだー、俺は川ちゃんだー」というメロディーを即興で歌っていた。

 

リムスキー=コルサコフの歌劇「サルタン皇帝の物語」から“熊蜂の飛行”とマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲。
リムスキー=コルサコフの“熊蜂の飛行”は京響の団員の妙技が目立ち、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」から間奏曲は弦楽の磨き抜かれた響きと抒情性が見事である。

演奏終了後、ゴリは「蜂が一杯飛んでましたね」と言い、熊蜂というタイトルであるが実際はマルハナバチという蜜を運ぶ優しい感じの蜂で、いわゆる熊蜂やスズメバチといったようなイメージではないと説明した。

 

ファリアの歌劇「はかなき人生」から“スペイン舞曲”と、ビゼーの「カルメン」第2組曲から“ハバネラ”。スペイン絡みの曲が並ぶ。共に情熱的で蠱惑的な表情も持つ魅力的な演奏となる。ファリアはスペインの作曲家ということで、カスタネットが用いられるなど、スペインの民族性が強烈に発揮されている。

 

オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲から“カンカン”。ゴリが「『天国と地獄』の序曲は全部演奏すると10分ぐらい掛かる曲なのですが、今日はその中から“カンカン”を演奏します。皆さん、“カンカン”をご存じですか? そうです、上野動物園のパンダです」

ゴリがボケている間、広上はヴィオラ首席の小峰航一と向かい合って、右足を軽く上げていた。
京響の威力が発揮された演奏であり、弦も管も力強く、それでいてバランスも最良に保たれている。ノリも良く、熱狂的であるが踏み外しはない。
演奏活動が再開されてから、秋山和慶、松本宗利音、三ツ橋敬子、阪哲朗の指揮で京都市交響楽団の演奏を聴いたが、広上とのコンビによる演奏がやはり最も高いレベルに達していることが実感される演奏会であった。


「躍動するリズム」VS「美しいメロディ」に関するガレッジセールからのメッセージは、京都市交響楽団の公式ブログに一字一句正確に記されているのでそちらを参照されたし。

 

アンコール演奏は、レナード・バーンスタインの「ディヴェルティメント」から第8曲、行進曲“BSO(ボストン交響楽団)よ永遠なれ”。レナード・バーンスタイン独自のイディオムを消化しつつ京響のゴージャスな響きを存分に鳴らした快演であった。

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2020年9月 4日 (金)

コンサートの記(651) 阪哲朗指揮 京都市交響楽団第648回定期演奏会

2020年8月30日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第648回定期演奏会を聴く。今回の指揮は京都市出身の阪哲朗。

先月から定期演奏会を再開させた京都市交響楽団。定期演奏会の他に京都市内各地の公共ホールでの演奏や、びわ湖ホールでの演奏会も好評を博しているが、9月定期は京響友の会(定期会員に相当)向けのチケットがすでに完売状態となっており、一般向けの発売は行われず、また10月定期と11月定期は外国人指揮者が客演の予定ということで、来日不可になる可能性が高く、チケット発売が延期になっている(10月定期は京響友の会の会員のみで開催されることが決まった)。広上淳一の指揮で行われる予定だった大阪定期も中止となっており、本来の活動からはまだまだ遠いというのが現状である。

そんな中で登場の阪哲朗。京都市立芸術大学で作曲を学んだ後、ウィーン国立音楽大学でレオポルド・ハーガーらに指揮を師事。第44回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝後、スイスやドイツの歌劇場でキャリアを積んでいる。日本のオーケストラへの客演も多かったが、2007年から2009年まで山形交響楽団の首席客演指揮者を務め、現在では同楽団の常任指揮者となっている。
新型コロナ感染流行後、山形交響楽団は配信公演に力を入れており、配信で阪の指揮姿に触れる機会も増えている。

 

曲目は、ヴィヴァルディの協奏曲集「四季」とレスピーギの組曲「鳥」。休憩なし、上演時間約70分の公演である。公演は同一プログラムが特別に3回演奏され、昨日は京響友の会会員向けの公演があり、今日は一般客のための公演が午前11時からと午後3時からの2回行われる。

「四季」でのヴァイオリンソロと「鳥」でのコンサートマスターを務めるのは、4月から京響特別客演コンサートマスターに就任した「組長」こと石田泰尚(いしだ・やすなお)。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。「四季」でコンサートマスターを務めるのは泉原隆志。今日はフォアシュピーラーが置かれ、いつも通り尾﨑平が担う。
第1ヴァイオリン(6人)は少し距離を離しただけの一般的なプルトであるが、第2ヴァイオリン(6人)はワントップ(客演首席奏者:有川誠)でジグザグ配置であり、ソーシャルディスタンス確保のための試行錯誤が行われていることが感じられる。
「四季」ではヴィオラとチェロが4人ずつ、コントラバス2人であったが、レスピーギの組曲「鳥」では第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン共に8人ずつと一回り大きな編成での演奏となった。

 

ヴィヴァルディの協奏曲集「四季」では、阪がチェンバロの弾き振りを行う。チェンバロを弾く阪が客席の方を向く形で座り、ソリストの石田やコンサートマスターの泉原とアイコンタクトを交わしつつ、演奏を進める。

「四季」の演奏でもピリオド・アプローチによるものが増えており、阪はピリオドを盛んに行っている山形交響楽団にポストを持っているということもあって、古楽的な演奏にも長けているが、今回はピリオドの要素も取り入れつつ、強調はせずに自然体での演奏が行われた。ピリオドは快速テンポのものが多いが、今回の「四季」は中庸からやや遅めのテンポが取られ、じっくりと進められていく。

京響の弦楽合奏のレベルは高い。20世紀の日本のオーケストラによるバロックやそれ以前の音楽の演奏は不器用なものが目立ったが、今はマイナスの要素はほとんど感じられず、技術面も表現力も同じ日本人として誇りに思うほど向上している。演奏家を目指す若者が当たり前のように海外留学を行うようになったという背景もあるだろう。一方で、オーケストラメンバーの国際化は進んでおらず、京響にも外国出身のプレーヤーは何人かいるが、大半の楽団員は日本人であり、均質性が強みにも弱みにもなっている。

強面で有名な石田だが、ヴァイオリン自体は淀みのない音を出す正統派であり、確かな技術を感じさせる心強い演奏家である。

「四季」での石田はロマンティックに過ぎない演奏を目指していたように感じられ、「冬」の第2楽章などは速めのテンポですっきりと仕上げていた。

石田のアンコール演奏は、ポンセ作曲、ハイフェッツ編曲による「エストレソータ(小さな星)」。「四季」では甘さ控えめだった石田が、この曲では真逆の甘美にして深い音色による演奏を繰り広げ、芸の幅の広さを示していた。

 

休憩なし、配置転換のみで演奏されたレスピーギの組曲「鳥」。石田泰尚がコンサートマスターとしてワントップとなり、2列目には泉原と尾﨑という「四季」でのツートップがそのままスライドする。第2ヴァイオリンは引き続き有川のワントップだが、ヴィオラやチェロもこの曲ではワントップとなる。
管楽器は飛沫が飛んでも掛からないよう弦楽器群からかなり距離を置き、後部の壁のすぐ前で横一列になって演奏する。オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子らが出演。フルートは副主席の中川佳子。トランペットは下手奥に首席のハラルド・ナエスと稲垣路子が陣取り、アクリル板を前に置いての演奏、ホルンは首席の垣本昌芳が上手奥での演奏。上手側にはハープの松村衣里とチェレスタの佐竹裕介いるため、影になって垣本の姿ははっきりとは見えない。

阪哲朗はノンタクトでの指揮。組曲「鳥」は、レスピーギがバロック音楽に得意とする自在な管弦楽法を用いて味付けした曲であるが、バロック的な典雅さと華麗な響きの双方を阪は生かす。
結成当初に「モーツァルトの京響」といわれた緻密なアンサンブルと華やかな音色の伝統は今回も生きており、バロックと20世紀音楽のオーバーラップ効果も違和感なく表現されていた。

 

曲目が変更となり、「四季」と「鳥」になったのは、まず編成上の問題と京響の特質を生かすためで、それ以上の意図があったとは思えないのだが、京都も祇園祭が大幅な縮小を余儀なくされるなど、今年は四季を彩る行事が次々と中止や自粛、延期や規模縮小に追い込まれており、気温以外の四季を味わえなくなってしまっているため、音楽で感じられる「四季」を取り上げてくれたのはありがたかった。

 

今日はオーケストラもアンコール演奏がある。ウォーロックの弦楽オーケストラのための「カプリオール組曲」から第1曲バス・ダンス。ノーブル且つ堂々とした音楽と演奏であった。


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2020年7月29日 (水)

コンサートの記(644) 秋山和慶指揮 京都市交響楽団第647回定期演奏会

2020年7月26日 京都コンサートホールにて

久しぶりに京都コンサートホールへ。2月の京響定期演奏会以来だから、5か月ちょっとぶりになる。

午前11時開演の京都市交響楽団第647回定期演奏会を聴くのだが、新型コロナウイルスの世界的な流行により予定されていた指揮者のパスカル・ロフェとピアニストのロジェ・ムラロが来日不可能になり、指揮者の代役を秋山和慶が受けて、曲目も変更になる。
また、京都市交響楽団の7月の定期は同一プログラム2回のはずだったが、入場制限を行う必要があるため、昨日1回、今日は午前11時からと午後15時からの2回、計3回の演奏が行われることになった。昨日と今日15時からの回は京響友の会のメンバー(ほぼ定期会員と重なる)優先となるため、1回券で来ている人は、今日の11時からの公演のみ入場可となる。

 

入場口でサーモカメラによる検温があり、大ホールへの入り口で手のアルコール消毒をする必要がある。アルコールアレルギーのある人は他の手段での消毒を行うようだ。
チケットは自分でちぎってプラスチック製の容器に入れる。プログラムも自分で取る。チラシ込みとなしの2種類のプログラムがあり、選ぶことが出来る。ビュッフェは営業停止、物販も行っていない。冷水機も使用出来なくなっている。

 

客席は左右共最低2席空けとなる。今日は三階席の上手側ステージ奥寄りの席である。手すりが多少邪魔になるが、指揮する秋山の姿がよく見える。P席(ポディウム)は全て空席となっている。

 

ホールに入った時には、京都市交響楽団第13代常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一らによるプレトークが行われていた。

 

ステージ上も奏者同士の間隔を通常よりも空けての演奏である。今日のコンサートマスターは、4月に特別客演コンサートマスターに就任してから初の登場となる会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーは置かず、泉原隆志は会田の真後ろの席で弾く。同じ人物がステージ上に長く滞在するのをなるべく避けるため、弦楽奏者は首席と副主席を除いて前後半で入れ替わる。アシスタント・コンサートマスターの称号を持つ尾﨑平は今日は後半のみの登場で、泉原の真後ろで演奏していた。
第2ヴァイオリンの客演首席は大森潤子。チェロの客演首席にはルドヴィート・カンタが入る。

 

曲目は、前半がシェチェドリンの「カルメン」組曲(ビゼーの歌劇「カルメン」による弦楽と打楽器の編曲版)、後半がストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」
途中休憩なし、上演時間約80分というコロナ下特別対策による公演である。

シチェドリンの「カルメン」組曲は、弦楽器と打楽器のための作品。ストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」は弦楽器と管楽器のための作品で打楽器は登場しない。ということで、ステージ上で「密」にならないための曲目が選ばれているのだが、同時に両曲ともトランスクリプション作品であり、元からある楽曲に新たな命を吹き込むという意味で京響の「再生」に重ねるという意図があるいはあるのかも知れない。

 

何でも振れる秋山和慶は、こうした危機の事態には引く手あまたである。1941年生まれ、桐朋学園大学で齋藤秀雄らに師事。卒業後ほどなく東京交響楽団を指揮してデビューし、その後、同楽団の音楽監督・常任指揮者を40年に渡って務める。小澤征爾の下でトロント交響楽団副指揮者、アメリカ交響楽団音楽監督(前任であるレオポルド・ストコフスキー直々の指名)、バンクーバー交響楽団音楽監督、シラキュース交響楽団音楽監督と、北米大陸でのキャリアも築いている。
広島交響楽団とはシェフとして長年に渡って良好な関係を築き、終身名誉指揮者の称号を得ているほか、新興の中部フィルハーモニー交響楽団芸術監督・首席指揮者、日本センチュリー交響楽団のミュージックアドバイザーなども務めている。

経歴から分かる通り、日本においては、比較的若い楽団を育てることに喜びを見いだすタイプであり、洗足学園音楽大学芸術監督・特別教授として指導に当たるほか、京都市立芸術大学からは名誉教授の称号を得ている。学生オーケストラの公演にもしばしば登場することでも知られている。

秋山は、コンサートマスターの会田莉凡と握手ではなくエルボータッチを行う。

 

シチェドリンの「カルメン」組曲。旧ソ連とロシアを代表する作曲家の一人であるロディオン・シチェドリン(1936- )がボリショイ劇場のプリマ・ドンナであったマイヤ・プリセツカヤの依頼により、ビゼーの歌劇「カルメン」をバレエ音楽にアレンジした作品である。打楽器が多用されており、その痛烈な響きが現代音楽であることを再確認させてくれる。

まず、チューブラー・ベルズによって「ハバネラ」の主題が奏でられるのだが、どこかノスタルジアを帯びており、「カルメン」が遠い昔の物語として語り出される趣がある。
ちなみに、「カルメン」の音楽のみならず、同じくビゼーの代表作である「アルルの女」からの“ファランドール”がボレロ舞曲風に奏でられ、歌劇「パースの娘」から“ジプシーの踊り”も取り入れられるなど、単純にアレンジしただけではなく、作品中でビゼーの音楽が再構築されている。

久々の定期演奏会を行う京都市交響楽団であるが、切れ味鋭く、美観も万全でブランクを感じさせない仕上がりである。

後半の「プルチネルラ」では打楽器が登場しないということで、舞台転換の際は、ステージスタッフのみならず京響の打楽器メンバーも自ら楽器を持ってステージ後方へと片付ける。

 

ストラヴィンスキーのバレエ組曲「プルチネルラ」。18世紀の作曲家であるペルゴレージの楽曲などをストラヴィンスキーが20世紀風に再構成した作品である。カメレオン作曲家と呼ばれ、作風をコロコロ変えたストラヴィンスキーの新古典主義時代の代表作である。

前半の「カルメン」組曲は、ドイツ式の現代配置での演奏だったが、「プルチネルラ」ではヴィオラとチェロの位置が入れ替わり、アメリカ式の現代配置に近くなるが、コントラバス首席奏者の黒川冬貴がチェロ首席のルドヴィート・カンタの真横となる最前列で弾くなど、独特のポジショニングである。

創設当時に、典雅なモーツァルト作品演奏に特化した活動を行い「モーツァルトの京響」と呼ばれた京都市交響楽団だが、その伝統が今も生きており、煌びやかにして雅やかな音色が冴えに冴えまくる。パースペクティブの築き方も巧みである上に秋山の抜群のオーケストラ統率力も加わって、古典の再構成作品の演奏として高い水準に到達しており、京響の楽団員も実に楽しそうだ。

京響が得意そうな楽曲を並べたということもあるが、今の状況ではベストに近い演奏が行われており、京都市交響楽団の実力の高さが再確認される演奏会となった。

 

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2020年4月19日 (日)

コンサートの記(635) 高関健指揮京都市交響楽団第588回定期演奏会

2015年3月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第588回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。

プログラムは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」(ヴァイオリン独奏:滝千春)、ショスタコーヴィチの交響曲第8番。

開演20分前から高関によるプレトークがある。高関はモーツァルトのヴァイオリンのための作品がザルツブルク時代に集中しているのは、モーツァルトがザルツブルクの宮廷楽団でコンサートマスターとして活躍するなど、ヴァイオリンに接する機会が多かったためだと説明する。モーツァルトはその後、ザルツブルクのコロラド大司教と喧嘩してウィーンに飛び出すのだが、ウィーンでは主に自分で演奏するためのピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなどを作曲したため、ヴァイオリン協奏曲などが書かれることはなくなったのだろうと推理する。

ショスタコーヴィチの交響曲第8番については、交響曲第7番「レニングラード」と対になる曲として知られるし、「レニングラード」が凱歌(とされるが本当の意図は不明)であるのに比べて陰鬱な曲調であると紹介し、交響曲第5番に似ていることに気付かれるとも思うと述べる。第1楽章ではかなり長く美しいイングリッシュホルンのソロがあるということにも触れる。

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーは泉原隆志。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」の編成にはフルートもクラリネットも登場しないが、オーボエトップの位置に座ったのは首席奏者である高山郁子ではなくフロラン・シャレールであった。高山郁子はショスタコーヴィチのみの参加。フルート首席の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子もショスタコーヴィチのみに加わる。

今日は古典配置での演奏。ヴァイオリン両翼で、コントラバスは最後部に横一列に並ぶ。


モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」。ヴァイオリン独奏の滝千春は、2001年にノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門で優勝、2002年にメニューイン国際ヴァイオリンコンクール・ジュニア部門第1位、2006年にオイストラフ国際ヴァイオリンコンクール第3位などの経歴を持つ若手ヴァイオリニスト。桐朋女子高校音楽科、チューリッヒ音楽大学を経て、現在はベルリンのハンス・アイスラー芸術大学在学中である。

滝のヴァイオリンであるが、独特の甘美な音色を持ち味とし、今の季節や彼女の名前とは関係がないが春風のように爽やかなヴァイオリンを奏でる。

高関はこの曲はノンタクトで指揮。きっちりとした指揮であるが、彩り豊かでノリの良い演奏を京響から弾き出す。なお、モーツァルトの時代には弦楽5部の曲であっても、当時の弦楽器は今ほど大きな音が出なかったことから、楽譜には記されていなくてもファゴットで低音を形作るのが通例、というよりファゴットが加わるのが当たり前だったためファゴットのパートが書かれなかったという解釈に基づき、ファゴットを加えての伴奏となった。


ショスタコーヴィチの交響曲第8番。演奏される機会の比較的少ない曲だが、京響は数年前に沼尻竜典の指揮で演奏している。

第1楽章から、弦楽の透明感に驚かされる。透明なだけでなくボリュームもある。京響の弦楽は絶好調であり、管もそれに負けていない。

第3楽章の疾走感のある阿鼻叫喚の世界から沈鬱な葬送行進曲(第4楽章)、諧謔的な旋律が登場し、爆発を経て、交響曲第7番「レニングラード」第1楽章のおどけた旋律を連想させる音の進行で静かに終わる第5楽章。この3つの楽章は連続して演奏されるのだが、高関と京響はショスタコーヴィチがこの曲に込めたメッセージを詳らかにしていく。

高関は第4楽章のみノンタクトで振ったが、ソヴィエト共産党によって粛正された人々へのレクイエムのような哀切なメロディーを切々と歌い上げていた。

第5楽章の爆発力も凄まじく、その後もスターリン独裁下で粛正された人々への鎮魂と祈りのような旋律が続き、曲は静かに閉じられる。
ちなみにこの曲は1943年に初演されており、スターリンはまだ存命中である。交響曲第8番は一応は赤軍の闘争と勝利を描いたものだと作曲者は述べているが、スターリン圧制下で率直な発言をしたとは考えられない。以前は交響曲第7番のタイトルである「レニングラード」(ただし忠実にはレニングラード攻防戦を描いたからではなくレニングラード市に献呈されたためにこの名がある)に対して交響曲第8番は「スターリングラード」というタイトルで呼ばれたこともあった。だた、今はこの曲を「スターリングラード」と呼ぶ人はほとんどいない。

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2020年4月 9日 (木)

コンサートの記(633) 川瀬賢太郎指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 ~こどものためのオーケストラ入門~ 「オーケストラ・ミステリー」第1回「オーケストラの秘密~ヒット曲にはわけがある!?」

2016年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 ~こどものためのオーケストラ入門~「オーケストラ・ミステリー」第1回「オーケストラの秘密 ~ヒット曲にはわけがある!?」を聴く。指揮は川瀬賢太郎。

こどものためのオーケストラ入門とあるが、選曲は比較的マニアックなものが多く、親子でも楽しめるようになっている。というより曲目に期待して、子供連れでもないのに来ている私のような人の方が多い。


現在、神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者と名古屋フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務める川瀬賢太郎は1984年生まれの若手指揮者。私立八王子高校芸術コースを経て、広上淳一に師事するために東京音楽大学指揮科に進学、広上の他に、汐澤安彦、チョン・ミョンフンらにも指揮を師事している。広上の弟子ということで、京都市交響楽団にも何度か招かれており、また広上も川瀬が常任指揮者を務める神奈川フィルに客演を続けている。

今日のナビゲーターはガレッジセールの二人。


曲目は、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレとテーマ」、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」より「アナキンのテーマ」&「ダース・ベイダーのテーマ」、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番より第2楽章(ピアノ独奏:三浦友理枝)、エルガーの行進曲「威風堂々」、ベートーヴェンの交響曲第5番より第1楽章、ハイドンの交響曲第90番より第4楽章、レスピーギの交響詩「ローマの松」から第4曲「アッピア街道の松」

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーに尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子は全編に渡って出演。小谷口直子は「スター・ウォーズ」の音楽からの参加となった。


ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレとテーマ」。川瀬が生まれた1984年のロサンゼルス・オリンピックのためのファンファーレとして書かれたものである。ちなみに川瀬は12月生まれであるため、ロス五輪の行われた夏にはまだ生まれておらず、「お腹の中でこの曲を聴いていた」と話す。
数あるオリンピック・ファンファーレの中でも最も有名と断言しても良い1984年ロス五輪のファンファーレ(日本人は1964年の東京オリンピックのファンファーレの方が馴染みがあるかも知れないが)。
川瀬は広上の弟子(つまりレナード・バーンスタインの孫弟子)ということもあってダイナミックな指揮をする。京響のブラスが輝かしい音色を奏でたということもあって華やかな演奏になった。
演奏が終わってからガレッジセールの二人が登場し、ゴリが川瀬に「これまで見た中で一番ダイナミックな指揮。海老反りになるところなんか、袖でスタッフさんが、『広上さんだったらぎっくり腰になってる』って言ってましたけど」と言う。実は広上は90年代には今の川瀬よりも派手な指揮をしていたのだが(90年代後半にNHK交響楽団の定期演奏会に客演した際には、グリーグの『ペール・ギュント』より「アニトラの踊り」で、本当に指揮台の上でステップを踏んで踊っていた)、「首や腰をかなりやられてまして」(広上談)ということで、最近は以前よりも抑えた指揮になっている(それでもまだまだ派手ではあるが)。
ゴリも、「この84年のファンファーレがオリンピックのファンファーレの中で最も有名なんじゃないか」と述べる。とにかくよく知られた曲である。


マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。歌劇自体も上演されることはあるが(原作がありきたりな決闘を題材にした三文短編小説で筋書きも単純ということもあり、舞台に掛けられる頻度はそう多くはない)とにかく間奏曲が美しいというので有名である。
川瀬指揮の京響はリリシズム満点の演奏を展開。広上の時代に入ってから、京響の弦は本当に音の抜けが良くなった。
演奏終了後に出てきたゴリは、「優しい! 優しい旋律! これならヒットする」と断言する。

ガレッジセールの二人が、「クラシックの作曲家もポピュラーの作曲家同様、ヒットを狙ったりするんですか?」と聞く。川瀬は、「クラシックの場合、作曲家が亡くなってしまっていることが多いので、真意を確かめることは出来ないのですが」と断りを入れた上で、「心に残る曲を書く努力や工夫はしたと思います」というようなことを述べ、「ヒット狙い」と断言することはなかった。

続いて、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」から、「アナキンのテーマ」と「ダース・ベイダーのテーマ」。有名なメインテーマは敢えて外したというが、ゴリが「台本にトランペットがメインテーマを奏でると書いてます」と言う。トランペットの3人がゴリの表現を借りると「『聞いてないよ』って感じですけれど」というそぶりで否定するので、「いや、台本に書いてあるんですけど」と言って台本に書かれた文字を読み上げる。ということで、早坂宏明、西馬健史、稲垣路子の3人のトランペット奏者による「スター・ウォーズ」メインテーマ冒頭。和音が微妙だったがまあまの出来であった。
アナキン(アナキン・スカイウォーカー)はダース・ベイダーの幼児期から青年期までの名前である。優秀なジェダイになることを期待されながら自惚れや身勝手な振る舞いによって身を持ち崩し、ダークサイドへと落ちていくことになる。
「アナキンのテーマ」は美しい音楽だが、ラストで「ダース・ベイダー」のテーマが長調ではあるが顔を出す。
「ダース・ベイダーのテーマ」は一度も聴いたことがないという人を探す方が困難なほど知られた曲。
いずれも若々しく、推進力に富んだ演奏であったが、ゴリが「ダース・ベイダーの音楽を聴いて和田アキ子の姿が目に浮かんだ」と言う。川瀬は、「ジョン・ウィリアムズという作曲家は映画のキャラクターと音楽を結ぶ付けるのがとても得意な人で、ダース・ベイダーもジョン・ウィリアムズの音楽と一体であり、今の音楽でなかったらイメージが変わっていたかも知れない」と語った。


三浦友理枝をソリストに招いての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第21番第2楽章。設置変換のために楽団員が退場したのだが、ゴリは「ここでストライキに入りました」とボケる。
三浦によると、ピアノ協奏曲は沢山あるが、頻繁に取り上げているものは3曲か4曲だという。三浦が一番弾いた回数が多いのはショパンのピアノ協奏曲第1番だそうである。
最近のコンサートで人気のピアノ協奏曲というと、なんといってもラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。1年に1回は必ず聴く。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番も映画「シャイン」の影響もあって演奏回数が増えているが、他のピアノ協奏曲の王道というと、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ブラームスのピアノ協奏曲第2番、グリーグのピアノ協奏曲にシューマンのピアノ協奏曲、そして20世紀を代表してラヴェルのピアノ協奏曲も取り上げられることが増えている。モーツァルトのピアノ協奏曲も傑作揃いなのだが、曲数が多いということもあって特定の協奏曲に人気が偏るということは余りない(20番台がやはり人気だが)。

モーツァルトのピアノ協奏曲第21番第2楽章は、スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」のメインテーマとして使われたことでも有名である。心中に至るラストシーンが有名であり、これは以前にも何度か書いているが北野武監督の映画「HANA-BI」のラストで完全に同じ手法が用いられている。偶然ではなく、「みじかくも美しく燃え」へのオマージュであろう。


若手ピアニストの三浦友理枝。2005年にイギリスの王立音楽院ピアノ科を首席で卒業、同大学院も首席で修了している。2001年に第47回マリア・カナルス国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝、2006年には第15回リーズ国際ピアノコンクールで特別賞を受賞している。

その三浦のピアノであるが、煌めきがもう一つ。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番第2楽章の典雅さの裏に隠された痛切さの表出も余り感じられなかった。技術は達者なのだけれど(モーツァルトのピアノ協奏曲は技術的にはそう高度ではない)。
川瀬指揮の京響は音の移り変わりを巧みに描き出す演奏。京響は創設当初に「モーツァルトの京響」と呼ばれており、モーツァルトには今も思い入れがある。


後半、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番。迫力溢れる演奏である。川瀬の指揮もわかりやすい。「イギリス第2の国歌」といわれる中間部はもっとノーブルに歌えると思うが、今のままでも十分である。
ゴリは、「CMでよく耳にする。だからヒットしているように感じる」と述べ、川瀬もメディアの影響は否定しなかった。ゴリは「エルガーもまさか、味の素のCookDoのCMに自分の曲が使われるとは思っていなかったでしょうね」とボケる。


ベートーヴェンの交響曲第5番。川瀬は「運命」をタイトルではなくニックネームだと述べる。ベートーヴェンの交響曲第5番が「運命」と呼ばれるようになったきっかけは、ベートーヴェンの弟子のシントラー(シンドラー)という人物が、交響曲第5番の解釈の鍵になるものを聞いたところ、ベートーヴェンが「運命はこのように扉を叩くのだ」と答えたという話が元になっている。だが、このシントラー、虚言癖の持ち主である上に、ベートーヴェンのスコアにベートーヴェンの死後、勝手に手を加えたことがわかっているなど、「信用できる人物ではない」ということで、「運命」というタイトルも欧米では保留になっている。川瀬によると研究は更に進んでいて、ベートーヴェンが交響曲第5番を書き、演奏していた時期にはまだシントラーはベートーヴェンと出会ったいなかった可能性が高いという。
ベートーヴェンの弟子にピアノの教則本を書いたことで知られるツェルニーがいるが、ツェルニーは比較的早い時期からのベートーヴェンの弟子であり、ツェルニーによると、「運命主題」と呼ばれるものは「鳥の鳴き声を模して作ったものだ」とベートーヴェンは語っていたという。歴史にちょっとした狂いが生じていたらベートーヴェンの交響曲第5番のタイトルは「鳥」になっていたかも知れないそうだ。
ただ基本的にはベートーヴェンの交響曲第5番はわずか4つの音で大伽藍を築き上げるという、当時としては「実験的」とも呼んでいい大作である。

ベートーヴェンの交響曲第5番が書かれたのは200年ほど前のこと。ということで、ゴリも川瀬も「200年以上ヒット曲であり続けている凄い曲」だと再認識する。
ベートーヴェンの交響曲第5番は1拍目が休止なので入りが難しいのだが、川瀬は二つ小さく振った後で、大きく振りかぶり、両手を下に降ろして止めたところで最初の音を出させた。
ビブラートは控えめだが、余りピリオドらしくはない演奏である。「ピリオドの要素も少しだけ取り入れてみました」という程度である。
スケールはそれほど大きくないが構造把握のしっかりした演奏である。もっと獰猛さがあっても良いと思うがそれはこれからの課題だろう。

川瀬もガレッジセールの二人も、「これからも200年、いや今後500年以上もヒットする傑作だと思います」というところで意見が一致した。


ハイドンの交響曲第90番より第4楽章。実は、この曲、終わったと見せかけてまだ続くという仕掛けのある曲である。繰り返し記号があるため終わったと勘違いさせる場所は2回ある。
川瀬によると4小節分空白があるそうで、当時の音楽を聴きながら居眠りをしている貴族の挑戦なのではないかという。
ちなみに、川瀬もコンサートを客席で聴くことがあるそうだが、基本的に寝てしまうそうで、「音楽を聴くと眠たくなるタイプの人間らしい」(指揮者の故・岩城宏之もそうした癖の持ち主だった)。
ただ作曲家としては自分の曲を演奏している間に寝る客がいるのは面白くない。ということで、「告別」や「驚愕」のような仕掛けのある曲を作ったり、交響曲第90番でも敢えて変わったことをやっているという。一種のユーモアなのだがブラックユーモアであり、川瀬はハイドンのそうしたブラックなところが好きなのだという。
ハイドンとレスピーギはガレッジセールは客席で聴いたのだが、ハイドンの演奏終了後、ゴリが「本当に終わりですか?」と聞きながらステージに戻ったりしていた。

ハイドンはベートーヴェンよりもピリオドの影響が強い演奏。流麗な演奏である。ちなみにニセのラストがあることが事前には知らされず、川瀬は音が消えると同時に客席の方を振り返り、拍手が起こるのを待ってから右手で第1ヴァイオリンに指示して演奏を続けた。
ブラックではあるが、聴衆を飽きさせないための工夫であり、それがヒットにも繋がると川瀬は分析する。

ちなみに、交響曲第90番をやっても、ニセのラストで拍手が起こらないことがたまにあり、そういう時には演奏家の方が気まずい気持ちになるのだが、後で確認すると、プログラムに「拍手の場所にご注意下さい」などネタバレが書かれているケースが大体だという。


ラストはレスピーギの交響詩「ローマの松」から第4曲「アッピア街道の松」。金管のバンダが活躍する曲だが、今日はバンダはパイプオルガンの前に陣取る。
迫力のある演奏である。川瀬の指揮も己の若さをオーケストラに浴びせかけるような激しさを持つ。
京響も熱演であり、若い指揮者による演奏としてはかなり良い出来だったのではないかと思う。


アンコール曲は、ヴェルディの歌劇「椿姫」より第1幕への前奏曲。オペラ的、物語的ではなかったかも知れないが繊細な演奏であった。

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2020年4月 8日 (水)

コンサートの記(632) 仲道郁代デビュー30周年ピアノ・リサイタル「ショパンがショパンである理由」京都

2016年6月18日 京都コンサートホール小ホール アンサンブルホール・ムラタにて

午後2時から、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」で、仲道郁代のデビュー30周年記念ピアノ・リサイタル「ショパンがショパンである理由」を聴く。オール・ショパン・プログラム。

今日の京都はこの時期としては酷暑。最高気温は34度で、あと1度高いと猛暑日になるという日差しの強さである。熱中症対策のため、帽子を被り、道中で何度も水分を補給しながらの外出となった。

京都コンサートホールに向かうために北大路通を歩いている時、60手前と思われる夫婦が人に「コンサートホールはどうやって行くんでしょう?」と聞いていたので、「私もコンサートホール行きますよ」と声を掛け、「仲道さん(のリサイタルに行かれるん)ですか?」と聞くと「そうです」というので、3人で向かう。


毎年、夏に「アンサンブルホール・ムラタ」でリサイタルを行っている仲道郁代。日本で最も人気のあるピアニストである。京都コンサートホール大ホールでリサイタルを開いても仲道クラスならかなりの入りになると思われるが、日本人ピアニストは「ムラタ」で、海外のピアニストは大ホールでというのが京都コンサートホールの基本であるようだ。
当然ながら、今日のピアノ・リサイタルのチケットは完売御礼である。

タイトル(尾崎豊が付けそうなものだが)からもわかる通り、ショパンの人生において画期をなす作品を取り上げたコンサートプログラム。ただ曲目としてはオーソドックスである。
演奏されるのは、前半が、ワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」、ワルツ第2番「華麗なる円舞曲」、ワルツ第3番「「華麗なる円舞曲」、ワルツ第4番「華麗なる円舞曲(小猫のワルツ)」、ワルツ第5番、ワルツ第6番「子犬のワルツ」、ワルツ第7番、ワルツ第8番。ショパンの生前に楽譜が出版された全てのワルツが並ぶ(ワルツ第9番「別れのワルツ」なども有名だが、ショパンの生前ではなく死後に出版されて人気曲になったものである)。

後半が、ノクターン第1番、ノクターン第2番、ポロネーズ第1番、ポロネーズ第2番、ポロネーズ第3番「軍隊」、ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)、ポロネーズ第6番「英雄」。


良くも悪くも典型的な日本人女性ピアニストである仲道郁代。最近の仲道は、丁寧な楽曲研究を行い、最新の学説なども取り入れた演奏を行う。今日の演奏も演奏曲は少なめだが、全曲に解説を入れてくれるため、大変勉強になる。ピアノ・リサイタルを聴いて一番の感想が「勉強になる」が良いことなのかどうかはわからないが。

ショパンの音楽には毒があり、その毒を巧みに引き出す名ピアニストもいるのだが、そうした演奏ばかり聴いているとこちらの精神もやられてしまう。仲道の場合、あっさりしているためショパンの毒が中和されて聴きやすくなる。こうしたショパン弾きも必要なのだ。


前半は桜色のドレスで現れた仲道。まずマイクを手に、「ショパン(仲道はフランス風にチョパンと発音することもある)がウィンナワルツを嫌っていたこと」を語る。ウィーンからポーランドの家族に宛てた手紙に「ウィンナワルツにはもううんざりだ」という一節があるそうだ。ショパンの生まれた当時のポーランドは列強によって分割統治されており、ポーランドは地域としてはあるが国名としては存在しないという状況だった。ショパンは二十歳の時に音楽留学のためにウィーンに向かうのだが、ショパンがポーランドを離れた数日後にワルシャワ蜂起が起こる(ショパンがワルシャワ蜂起計画に関わった一人であり、当局からマークされていたため、留学の名の下、亡命したという説がある。ショパンはその後2度とポーランドには戻らないのだが、「戻らなかったのではなく戻れなかった」という説を亡命説は後押ししている)。

ポーランドでは、何か祝祭的なことが始まる際に、決まった旋律が流れるという習慣があったそうで、それが他ならぬワルツ第1番「華麗なる大円舞曲」の冒頭に単音で鳴らされるものだそうである。またポーランドの民謡の旋律なども取り入れられているようだ。ウィンナワルツとは違うワルツを作曲することでショパンは矜持を示したのかも知れない。
仲道の演奏は左手のリズムを強調するものだが、今日は前から4列目であったため、リズムの音が大きく聞こえてしまった。


ショパンがウィンナワルツを嫌ったのには理由があるそうである。ウィーンで音楽家としての生活を始めたショパンであるが、ウィーンを首都とするオーストリアは実はポーランドを分割統治していた国の一つであり、オーストリア人はポーランド人を見下す傾向があったという。ウィーンには亡命ポーランド貴族が数多くいたそうだが、彼らはショパンに「ウィーンでの成功は難しいのでパリに行く」よう勧めたようだ。ショパンの父親はポーランドに渡ったフランス人であり、ショパンにとっても父親の祖国に向かうというのは自然な選択であった。


パリに向かったショパンは画家のドラクロアや、パリに来ていたロシアの文豪・ツルゲーネフなどと交流し、男装の麗人として知られるジョルジュ・サンドと恋に落ちる。
パリでのショパンは、パリで最も高級な仕立屋にオーダーメイドの服を注文し、常に白い絹の手袋をしていて、しかも白い絹の手袋は一日使ったら捨てて、次の日は新しい白い絹の手袋をはめるといった調子で、衣装代がかさんだそうである。ちなみに白い絹の手袋はショパンだけが一日で使い捨てにしていたわけではなく、貴族階級の象徴で、パリで身分の高い人のほとんどはそういう習慣を持っていたそうだ。ちなみに映画の決闘シーンなどで見られる、「白い手袋を相手に向かって放り投げる」は最大級の侮辱行為だそうである。

ワルツ第2番では、仲道は他の演奏では聴いたことのない間を取る。そういう楽譜があるのか仲道個人のアイデアなのかは不明。

ワルシャワ蜂起の失敗を知ったショパンは練習曲第12番「革命」なども書いたが、ワルツ第3番も同時期に書かれたもので、ウィンナワルツと同じワルツに含まれるものとは思えないほど暗鬱な作風である。ショパンは音楽でため息をついたのだろうか。ショパンの暗さを仲道の音楽性が上手く中和している。

「小猫のワルツ」という名でも知られるワルツ第4番。ワルツ第6番が「小犬のワルツ」であるため、後に対抗する形で第三者によって命名されたものだ。
仲道のリズム感の良さが出ていたように思う。ただ、この曲に限らないが、右手の指が回りすぎるために左手が追いつかないという場面も何度かあった。

ワルツ第5番。優雅な作品であり、仲道の個性に良く合っていたように思う。


ワルツ第6番「小犬のワルツ」。明るい曲調であるが、仲道によると生まれつき病弱だったショパンの体調が悪化し、恋人であるジョルジュ・サンドとの関係も悪化の一途を辿っていた時期に書かれたものであるという。せめて音楽には希望を込めたかったのかも知れない。

ワルツ第7番は、ショパンの本音ともいうべきもので、全編がメランコリーに覆われている。

ワルツ第8番について仲道は、「調性の崩壊」という言葉を用いる。明るく始まるが、やがて短調へと移行し、その後、長調と短調がない交ぜになった混沌とした世界が現れる。


解説を入れながら演奏する仲道であるが、音楽そのものは純音楽的。文学的な表現をするには仲道のピアノはドレス同様淡彩である。

なお、仲道は長い間、ショパンのワルツに関して「軟弱なんじゃないか」「華麗すぎるんじゃないか」という偏見を持っており、積極的には取り組んでこなかったのだが、楽譜を読み込んで、ショパンの時代のピアノ(仏プレイエル製)を弾いて考えが変わったという。ということで仲道は新譜である「ショパン ワルツ集」のCDの宣伝をする。


後半、仲道は淡い水色のドレスに着替えて登場。

まずは、ノクターンについて「夜想曲と日本語で訳されていますが、とても良い訳だと思います」と述べ、「後半はサロンでの音楽はなくショパンの内面を語る音楽を集めてみました」と語る。

ノクターン第1番、有名な第2番は共に落ち着いた演奏。個性には欠けるが安心して聴くことが出来る。


そしてポロネーズ。ポーランドが生んだ舞曲である。ショパンはパリで音楽活動をし、一度も祖国ポーランドに戻ることはなかったが、彼の内面にはいつもポーランドがあった。父の祖国だからといって安易にフランス化せず、ポーランド人としての魂を持ち続けたことが「ショパンをショパンたらしめている理由」だと仲道は語る。ショパンの心臓はショパン本人の遺言によりワルシャワの教会に埋め込まれており、墓はパリにある。パリには眠っているが、心だけはポーランドにあるのだ。

ちなみに仲道は小学校5年生の時に子供部屋にステレオを置いて貰い、毎日寝る前にアルトゥール・ルービンシュタインの弾くショパンのポロネーズ集を聴いていたそうである。「聞いて頂けるとわかると思うのですが、とても眠れるような曲ではない」と仲道は笑いながら語るが、ポロネーズを聴いてショパンへの思いをはせていたのかも知れない。

ポロネーズ第1番は堂々とした音楽だが、ポロネーズ第2番はショパンらしい憂愁を帯びている。

仲道というと旋律を口ずさみながら(声は出さない)ピアノを弾くスタイルが有名であり、前半では口は閉じて演奏していたが、ポロネーズの演奏では全曲旋律を口で確かめながら演奏していた。

ポロネーズ第3番「軍隊」はショパン作品の中でもかなり有名なもの。仲道は「ポロネーズは軍隊の行進の曲ですが、この曲がそうした要素を最も良く表しています」というようなことを語る。スケールは大きくないが、良い演奏である。

本来は、続けてポロネーズ第6番「英雄」を弾く予定だったのだが、その前にショパンが祖国への憂いを綴ったとされる夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)が演奏される。映画「戦場のピアニスト」でテーマ音楽的に使われてから知名度が急速に上がった夜想曲第20番。ショパンのピアノ協奏曲第2番の旋律が登場することから、初期の習作とも見做されているが、仲道はそうではないという解釈のようだ。
演奏自体はオーソドックスなものである。悲しみが自然に滲み出ている。他のピアニストのような個性には欠けているが。
仲道によると、子供達を集めたワークショップで、ショパンの夜想曲第20番を弾いた際、子供達が書いたアンケートの中に「イライラしている」というものがあってハッとさせられたそうである。
祖国の悲劇に自分は全くの無力でしかないという苛立ちという意味だろうか。そうしたことが感じられるパッセージは確かにある。


ポロネーズ第6番「英雄」。程良いスケールによる演奏。仲道郁代はやはり中庸を行くピアニストだ。


アンコールの1曲目は、練習曲第3番「別れの曲」。この「別れの曲」というのはショパンの伝記映画のタイトルであり、テーマ音楽的に用いられたのが練習曲第3番で、以後、「別れの曲」というタイトルが付いた。
仲道は平均的なテンポで、一音一音を大切に弾いていく。「別れの曲」は冒頭は技巧的に比較的平易であり、私は楽譜の記号は無視してかなり速いテンポで弾いていた。私の話などどうでも良いが。


ラストはいつもアンコールで弾くという、エルガーの「愛の挨拶」のピアノ独奏版。歌い方に癖があるが、美しい演奏である。

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2020年3月31日 (火)

配信公演 広上淳一指揮京都市交響楽団第643回定期演奏会無観客公演(文字のみ)

2020年3月28日

京都市交響楽団の第643回定期演奏が行われるはずだったのだが、新型コロナウィルスの影響により中止となり、京都コンサートホールで行われる無観客公演がストリーミングサービスのカーテンコールによって午後2時半からライブ配信される。

指揮は京都市交響楽団第12代常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。


曲目は、シューベルトの交響曲第5番とマーラーの交響曲第4番(ソプラノ独唱:森谷真理)。

今日のコンサートマスターは4月から京響の特別客演コンサートマスターに就任する会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志が入る。


カーテンコールは前日に広上淳一へのインタビューを行っており、事前に見ることが出来るようになっている。
インタビュアーは、クラシックコンサートを生で聴いた経験がないという女優の永池南津子。なぜそんな素人にインタビュアーを任せようということになったのかだが、配信を見る人の中にコンサート会場に行ったことがない人も多いだろうということで、素人代表として敢えて永池を指名することにしたのだと思われる。
広上も初心者にもわかるように、それぞれの個性を食べ物に例えた後で、マーラーの交響曲第4番は映像化するように、シューベルトの交響曲第5番はテラスで味わう飲み物や景色に置き換えて説明していた。

シューベルトもマーラーもこの世のあらゆる諸相を音楽の中で描き切った作曲家である。


カーテンコールはまだ本格的なサービスが開始される前の段階ようで、映像や音が飛びやすい。ということで、まずパソコンで視聴し、順調ではあったのだが、音の切れが増え始めたため、比較的音の安定しやすいスマホの音声をイヤホンで聴きながら、パソコンのモニターを確認するという視聴方法に変更する。当然ながら絵と音が大幅にずれる。パソコンの回線の方がスタートは早いものの途中で止まることが多いため、最終的にはスマホに抜かれるということが繰り返される。


シューベルトの交響曲第5番。
晴れやかさと毒が同居するシューベルトならではの楽曲であり、「ザ・グレイト」と「未完成」以外のシューベルトの交響曲の中では比較的よく演奏されることの多い作品である。

広上と京響は冒頭から晴れやかな表情を前面に出すが、その後、シューベルトらしい戦きの表情が現れるなどメリハリをつけた演奏が展開される。
第3楽章はさながら死の舞踏という趣であり(広上は全く別の解釈を語っていたが)シューベルトの青春の怖れを十全に表現した演奏となった。指揮台上でステップを踏みながら踊る広上の指揮姿も面白い。

京都コンサートホールは天井が高いため音が上に行ってしまう傾向があり、パソコンのスピーカーで聴いていた時はそれが顕著に感じられたのだが、イヤホンで聴いた場合はほとんど気にならなくなる。


マーラーの交響曲第4番。
京響の磨き抜かれた弦と抜けの良い金管の音が生かされた演奏である。まさに天国的な美しさを湛えている。
広上はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)でレナード・バーンスタインのアシスタントをしていた時にこの曲のレッスンを受けており、20世紀最高のマーラー指揮者直伝の解釈を授かっている。
第2楽章ではコンサートマスターの会田莉凡が調弦を変えたヴァイオリンによる切れ味の鋭いソロ(死神の独奏といわれる)を聴かせる。
第3楽章の終結間近で下手後方のステージ入り口からソプラノの森谷真理が登場。そのまま指揮者のすぐそばまで進んで独唱を行う。
最終楽章の森谷の独唱であるが、残念ながら現在の収録方法では声が余りはっきりとは聞こえない。京都コンサートホールでの声楽の収録にはもっと経験を積む必要があるようだ。

とはいえ、全体を通して充実した演奏であり、やはり生で聴きたかったと思う。


演奏終了後、セレモニーがあり、門川大作京都市長が登場してスピーチを行い、更に京都コンサートホールの新館長に広上淳一が就任することが正式に発表された(数日前に京都市新聞などには記事が載っていた)。
更にトランペット奏者の早坂宏明が3月いっぱいで退団するということで、早坂に花束が贈られ、アンコールとしてシューベルトの「ロザムンデ」間奏曲第3番が演奏される。優しさと温かさに満ちた演奏であった。

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2020年3月23日 (月)

コンサートの記(628) 広上淳一指揮京都市交響楽団第595回定期演奏会

2015年10月9日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第595回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。

曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ソン・ヨルム)、シューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」

開演20分前から、広上淳一によるプレトークがある。広上は京都市ジュニア・オーケストラの黒字にピンク色の文字のTシャツを着て登場した。
まずは、京都市交響楽団のヨーロッパツアーの話から。広上は酒好きで、「あそこはビールが美味しい」、「あそこはワインが美味しい」とまず酒の話から入る。アムステルダム・コンセルトヘボウでの公演を行ったときには、実は公演の1ヶ月前まではチケットが50枚しか売れていなかったという(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という世界三大オーケストラの一つを持つアムステルダム市民からしてみれば、「なんで東洋のマイナーなオーケストラを聴きに行かなくちゃならないんだ」という感覚だろう)。広上はアムステルダムに縁があり(広上が優勝した第1回キリル・コンドラシン国際指揮者コンクールはアムステルダムで行われており、レナード・バーンスタインの助手を務めていたのもアムステルダムにおいてである)、地元にエージェントのような仕事をしてくれる人がいたため、何とかチケットを売り、結果的には1500枚売れて、集客はほぼ成功したようだ。演奏自体も好評だったとのこと。
また京都市の姉妹都市であるフィレンツェで公演を行ったときには、フィレンツェの新しい会場がまだ完成しておらず、ステージと客席は出来上がっているものの、楽屋などは工事中で、「イタリア人はのんびりしてる」らしい。そもそも日本人だったら、未完成の施設を使用させたりはしないが。確かにイタリアは地震がないので工事中でも地震で崩壊ということはあり得ないだろうが。
その後、曲目について解説、ベルリオーズの序曲「海賊」については、「短いのであっという間に終わってしまいます」という。実はこれは伏線であり、メインであるシューベルトの「ザ・グレイト」が長大な楽曲として知られているので、それと対比させたのだ。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番のソリストである、ソン・ヨルムについては、「非常に達者で情熱的。それも髪の毛を振り乱して弾くようなタイプではなく端正」と紹介をする。更に、「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで2位になっていますが、その時の1位が辻井(伸行)君です」とわかりやすい紹介をする。
シューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」については、「長いとされている曲ですが、良く聴くと案外短い」と評する。また、今回は「シューベルト先生が思い描いた通りの演奏に近づけるため、繰り返しも全部、少しはカットするかも知れませんが、ほぼ全て繰り返します」と宣言する。「ザ・グレイト」は繰り返し記号を履行して演奏すると1時間以上を要する大作である。
また、今日は、ステージについている馬蹄形の段差を、綺麗に階段状に並べ、これを「すり鉢状」と称し、今後はこれがスタンダードになるという。京都コンサートホールはもともと、舞台をすり鉢状にして演奏した時に最良の響きが得られるよう設計されているとのことである。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに泉原隆志。フルート首席奏者の清水信貴は今日は降り番(副首席奏者の中川佳子が全編、トップの位置に座った)。オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子はシューベルトのみの出演である。

ベルリオーズの序曲「海賊」。大編成による曲であり、トランペット首席奏者のハラルド・ナエスはこの曲には参加した(その後、プロコフィエフは早坂宏明と稲垣路子の二人に譲り、シューベルトで再登場した)。
すり鉢状のステージにしての演奏であるが、私はステージ後方のポディウムで聴いていたため、「音が大きくなった」というのが一番の印象である。その他、音に渋みが増したのもわかる。1階席でどういう響きがするのかは残念ながらわからないのだが。
広上らしい盛り上げ上手な演奏であった。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。マジカルな味わいのある傑作として知られているのだが、演奏自体が難しく、レコーディングも少なく名盤と呼ぶに値する演奏がほとんどないというピアニスト泣かせの曲でもある。
ピアノ独奏のソン・ヨルムは、現在ドイツ・ハノーファー音楽舞台芸術大学(ハノーファー国立音楽演劇大学。大植英次が終身教授を務めている大学である)に在学中という若い女性ピアニスト。2011年にチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門準優勝を果たし、室内楽協奏曲最高演奏賞とコンクール委嘱作品最高演奏賞も受賞した気鋭のピアニストである。先に書いた通り、辻井伸行が優勝した2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで準優勝。辻井伸行が優勝したため同コンクールのドキュメンタリー番組が作られてソン・ヨルムも登場しており、広上はそれを見てソンのことを「良いピアニスト」だと感じたという。コンクール歴としてはエトリンゲン国際ピアノコンクールとヴィオッティ国際ピアノコンクールで共に史上最年少優勝を果たしている。
ステージ上に現れたソン・ヨルムは写真よりもほっそりとした印象である。華奢と書いても良いかも知れない。だが、出す音は独特。他のピアニストよりも一段深いところから音を出しているようなピアノである。奥行きのある音だ。広上が言っていたとおりヴィルトゥオーゾタイプではないが、情熱的なピアノであり、メカニックも優秀である。
広上の指揮する京響もキッチュにして美しいプロコフィエフの味わいを存分に引き出したものだった。

ソン・ヨルムはアンコールに応えて、カプースキンの「エチュード」を弾く。ジャジーな味わいのある曲であるが、カプースキンは実はロシアの作曲家である。ジャズピアニストとしても活躍していたため、勿論、ジャズのテイストを取り入れた作品を書いており、ソンはそれを弾いたのである。ノリと活きの良いピアノであった。

メインであるシューベルトの交響曲第8番(第9番)「ザ・グレイト」。交響曲の番号が2種類あるのは、シューベルトが交響曲を作曲した過程がよく分かっていなかったからで、従来は、シューベルトが日記にその存在を書き、「グムンデン・ガスタイン交響曲」と呼ばれる楽曲の楽譜が結局見つからなかったため、実際の楽曲は不明のまま交響曲第7番の番号が振られ、交響曲第8番が「未完成」、交響曲第9番が「ザ・グレイト」とされた(「ザ・グレイト」というタイトルであるが、「偉大」という意味ではなく、同じハ長調の交響曲である第6番に比べて「編成が大きい方」という程度の意味しか持たない)。だが、その後、「グムンデン・ガスタイン交響曲」の正体が実は「ザ・グレイト」だという報告がなされ、「ザ・グレイト」は交響曲第7番になったり、「未完成」を交響曲第7番に繰り上げて交響曲第8番にされたりと、今なお正式な番号は定まっていない。
「未完成」もそうだが、「ザ・グレイト」もシューベルトの生前には演奏されることはなかった。「ザ・グレイト」が初演されたのはシューベルトの死後11年経ってからのことである。初演の指揮者はフェリックス・メンデルスゾーン、オーケストラはライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であった。「ザ・グレイト」の譜面を発見したロベルト・シューマンはこの曲について「天国的な長大さ」と述べている。

広上は、今日も普通よりは長めの指揮棒を使用していたのだが、実はもう一本、短めで木製の指揮棒を用意しており、第4楽章はそちらの指揮棒で指揮した。
左手で冒頭のホルン(早稲田大学の応援歌「紺碧の空」に似た旋律である)に指示を出した広上は、その後は変幻自在の指揮を展開。無手勝流のようであるが、指揮姿が表す意図が明確であり、極めて明快な指揮である。第3楽章では途中からノンタクトで指揮、第4楽章では両手で指揮棒を握りしめて短剣を振る舞わすかのような視覚効果抜群の指揮姿である。パーヴォ・ヤルヴィは指揮姿によるオーケストレーションを取り入れているが、これからは視覚面での面白さも指揮者にとって重要になってくるかも知れない。
広上は「シューベルト先生が思い描いたような」とプレトークで語っていたが、なんと「ザ・グレイト」でピリオド・アプローチを仕掛けてくる。弦楽はビブラートを控えめにし、流線型のフォルムで演奏。その他の楽器も強弱やメリハリをはっきり付けるのがピリオド的である。まさかシューベルトでピリオドを行うとは思っていなかったので(年代的にはピリオドで演奏してもおかしくない作品であるが)意外な印象を受ける。
ただ、ピリオドであるかないかを抜きにしてもスケール豊かで、音の密度の濃い優れたシューベルト演奏である。生命力が横溢すると同時に彼岸の音がし、第4楽章の響きの美しさはまさに「天国的」である。

喝采を浴びた広上と京響であるが、広上が「今日は曲が長いのでこの辺で」と挨拶をし、コンサートはお開きとなった。

今日はレセプションがある。といっても今日はサインを貰う気はないので、広上淳一とソン・ヨルムの話を聞くだけにする。
ジーンズ姿で登場したソン・ヨルム(英語でスピーチ。通訳付き)は、「京都の街には昔から憧れていたが、今回は残念ながらほとんどどこにも行けなかった。今度また来られるように頑張りたい」と述べる。また広上淳一については、「大好きな指揮者で、今でも大ファン」とのこと。ちなみに、ソン・ヨルムはハイヒールを履いているということもあるが、それを割り引いても、広上の方がずっと身長が低い。広上は自身の身長について「164cm」と公言しているが、168cm(先日、病院で測ったら168.6cmであったが、端数はどうでもいい)と成人男性としては比較的小柄な私と比べてもかなり身長が低いため、実際は160cm前後だと思われる。164cmというのは一番身長が高かった二十歳前後の話だろう。
広上は、昨年、NHK交響楽団の韓国ツアーに指揮者として帯同し、ソン・ヨルムと共演したのが、「ああ、この人はやっぱり特別なピアニストだ」と感じて、すぐに京都市交響楽団事務局に「ソン・ヨルムのスケジュールを押さえるよう」指示を出したそうである。広上淳一は肩書きこそ京都市交響楽団の常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーであるが、指揮者やソリストに関する人事権を持っているため、実際には音楽監督以上の権限を持っている。

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