カテゴリー「京都コンサートホール」の219件の記事

2021年10月18日 (月)

コンサートの記(749) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団第661回定期演奏会

2021年10月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第661回定期演奏会を聴く。今日の指揮は期待の若手、沖澤のどか。

沖澤のどかは、1987年、青森県生まれ。以前に聞いた話では、青森で音楽を学ぶことにはやはりハンディがあるそうで、プロのオーケストラの演奏を聴く機会は年に1度あるかないか。お金さえあれば毎日のようにオーケストラの演奏会に通える東京とは雲泥の差だそうである。
東京藝術大学と同大学大学院で指揮を学んだ後、渡独。ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学大学院で学び、二つ目の修士号を獲得した。現在もベルリン在住。
2018年に東京国際音楽コンクール指揮部門で優勝して注目を浴び、翌2019年にはブザンソン国際指揮者コンクールでも優勝している。現在は、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミー奨学生として、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者・芸術監督であるキリル・ペトレンコのアシスタントを務めながら世界各地のオーケストラに客演するという生活を送っている。今年はまず、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会にデビューする予定だったのだが、ベルリン在住ということで、日本で活動するには2週間の自主隔離が必要となり、スケジュール的に無理ということで流れ、続くオーケストラ・アンサンブル金沢への客演も同じ理由で実現しなかった。京都市交響楽団への客演も当然ながら2週間の隔離が必要となるのだが、こちらは間に合った。


オール・フランス・プログラムで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:務川慧悟)、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番&第2番。
ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」は、全曲や第2組曲がコンサートで演奏されることが多いが、第1組曲も演奏されるのは珍しい。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日は、客演首席チェロにNHK交響楽団首席チェロ奏者の「大統領」こと藤森亮一が入る。「大統領」「藤森大統領」というのは、ペルーのアルベルト・フジモリ(元)大統領に由来するあだ名で、1990年代に書かれた茂木大輔のエッセイに頻繁に登場するのだが、アルベルト・フジモリ大統領失脚から長い時間が経過した今も使われているあだ名なのかどうかは不明である。
フルート首席の上野博昭は「牧神の午後への前奏曲」と「ダフニスとクロエ」に登場。オーボエ首席の髙山郁子は「ダフニスとクロエ」のみの出演。クラリネット首席の小谷口直子は全編に登場した。


午後6時30分頃から沖澤のどかによるプレトークがある。「プレトークというものを行うのは生まれて初めてなので緊張している」と、まず述べた沖澤だが、話が面白く、頭の良さが感じられる。

京都に来るのは高校の修学旅行以来だそうだが、リハーサルをしていたので観光にはほとんど行けなかったこと、数年前に黛敏郎のオペラ「金閣寺」のアシスタントをしたことがあるのだが、その時は京都には行けないので、GoogleマップやGoogleストリートビューで金閣寺の周りをWeb上で回ってイメージ作りをしたという話をして笑いを取っていた。京都市交響楽団については、「まろやかな音」「音のパレットが豊富」という印象を受けたそうである。

ベルリン・フィルのアシスタントをしているということで、リハーサルや本番に立ち会うことが多いのだが、ベルリン・フィルはたまに人間の声のような音を出すそうである。そして、京響との今回のリハーサルでも、「ダフニスとクロエ」バレエ全曲版などでは合唱の入る「夜明け」のクライマックスのような部分でも同じことを感じたと語る。「合唱が入る部分なので気のせいかと思った」がやはりそのような音がしていたとのこと。
「牧神の午後への前奏曲」と「ダフニスとクロエ」には牧神パンが登場するのだが、「ダフニスとクロエ」のパンの登場にはうねりのようなものを感じるという。今回の演奏会のためにスコアを読んでいたところ、パンの登場の場面で本当に地響きのようなものを感じ、「自分の想像力もいよいよこの領域まで来たか」と思ったものの、実際に地震が起こっていた(先日、関東地方を襲った地震)ということでまた笑いを取っていた。
また、芸術=Artは、自然=Natureの対義語であるとし、今は自然を感じる機会が減っているという話もしていたが、「アートネイチャーはきっととても知的な方が付けた社名」というようなことを語り、ここでも笑いを誘っていた。

サン=サーンスについては、ドイツ人がフランス人について憧れを抱く「計算された自由さやさりげなさ」(実際は違う言葉を使っていたがこちらの方が分かりやすいので変えてみた)を体現している代表格と見なされているという話をしていた。

沖澤が下手袖に退場すると、京響の楽団員が出迎える拍手の音が聞こえる。かなり気に入られたようである。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。非常に優しい感じの演奏であり、一音一音を愛でるかのような丁寧さが目立つ。フランス系の指揮者が奏でるような「爽やか」だったり「カッコイイ」系だったりする「牧神の午後への前奏曲」ではなく、もっと温かで柔らかな演奏である。


サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。
独奏者の務川慧悟(むかわ・けいご)は、東京藝術大学音楽学部ピアノ科1年在学中に第81回日本音楽コンクール第1位を受賞して注目され、2014年にパリ国立高等音楽院に審査員満場一致で合格して入学。ピアノ科第2課程と室内楽科を修了し、現在はピアノ科第3課程とフォルテピアノ科にも在籍しているという。2019年、ロン・ティボー・クレスパン国際コンクール2位入賞。2021年、エリザベート王妃国際コンクール3位とコンクール歴を重ねている。
硬質な音で入り、堅固な造形を見せるが、第2楽章などはサン=サーンスの気の利いた旋律をお洒落に奏で、パリ在住者ならでは――というと言い過ぎかも知れないが――のエスプリ・クルトワを振りまく。第3楽章もチャーミングさを失わない演奏だ。
沖澤指揮の京響も細部まで神経が行き届きつつ、神経質にはならない独特のおおらかさを持った伴奏を繰り広げる。

務川のアンコール演奏は、ラヴェルの「クープランの墓」より第5曲“メヌエット”。これもやはり洒落た感覚が生きた演奏であった。


ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番&第2番。沖澤と京響の作り出す音楽はスケール豊かで、音の煌めきが見事である。
沖澤の指揮は、昨今の指揮者に多い派手さやバトンテクニックの鮮やかさで勝負するものではなく、「堅実」といった印象を受ける。指揮姿で見せるタイプではないようだ。音楽もまた誠実なものなのだが、つまらない演奏には陥らない。なお、第1番演奏終了と同時に照明が絞られ、薄明の中で第2番の「夜明け」が始まるという視覚的な演出が施されていた。
沖澤が、「声のように聞こえた」と語った、「夜明け」の場面のクライマックス。私には声にようには残念ながら聞こえなかったが(そこまで耳が良くないということなのだろう)、「光彩陸離」や「極彩色」といった常套句を超えた色彩が横溢するのを感じた。「爆発的」と言ってもいいほどの輝きである。
その他の部分の描き方も鮮やかで、沖澤の圧倒的な才能を感じる演奏会となった。

なお、沖澤のどかは、今後産休に入るということで、実演に接する機会はしばらくおあずけとなりそうである。

Dsc_23652

| | | コメント (0)

2021年10月 1日 (金)

コンサートの記(746) クリスティアン・アルミンク指揮 京都市交響楽団第660回定期演奏会

2021年9月25日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第660回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務めたことで日本でもお馴染みとなったクリスティアン・アルミンク。第25回京都の秋音楽祭のプログラムの一つとしての公演である。

Dsc_2219

ドイツ・グラモフォン・レーベルの社長の息子という恵まれた境遇に生まれたアルミンク。ウィーン国立音楽大学でレオポルド・ハーガーに学んだ後、小澤征爾のアシスタントとして研鑽に励み、小澤の手兵であるボストン交響楽団や新日本フィルを指揮。その後、新日フィルやベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、現在は広島交響楽団の首席客演指揮者として日本にも拠点を持ち続けている。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はチェロが舞台寄りとなるアメリカ式の現代配置での演奏である。
8月定期の際は、松本市で行われていたサイトウ・キネン・オーケストラの無観客配信演奏会に出演していた特別首席チェロ奏者の「チェロ康」こと山本裕康が今日は首席のポジションに陣取り、同じくサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーとして出演していたソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が今日は出演する。

オール・ワーグナー・プログラムで、「ジークフリート牧歌」と、ヘンク・デ・フリーヘル編曲による楽劇「ニーベルングの指輪」オーケストラル・アドヴェンチャーが演奏される。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳らは「ニーベルングの指輪」のみの出演である。


午後2時頃から、アルミンクによるプレトークがある。通訳は小松みゆき。英語でのスピーチである。
ピンク色のカッターシャツで現れたアルミンク。「ニーベルングの指輪」を中心とした解説となる。「ニーベルングの指輪」のハイライト作品である今日の作品を振るに当たって、YouTubeで様々な映像を見たが、その中の「3分で分かる『ニーベルングの指輪』」というラジオ放送を元にした映像を見るも、「何一つ分からなかった」という笑い話に始まり、「ニーベルングの指輪」が、ワーグナーが35歳の時に作曲を始めた作品で、完成までに26年を費やしたこと、登場人物が多く内容が複雑であること(アルミンクは、「めちゃ難しい」と日本語で語る)などを語り、ライトモチーフが重要な役割を果たしていると説明する。
そんな込み入った内容の「ニーベルングの指輪」であるが、主題は、権力者との向き合い方であるとアルミンクは述べる。指輪は権力の象徴であり、それとの関わりが作品の根底にある。
楽劇「ニーベルングの指輪」は上演に4日、計16時間ほどを要するが、初めて「指輪」を聴くには、楽劇全編ではなくこうしたハイライト作品の方が向いているかも知れないとも語っていた。


今日明日と公演があるが、定期会員に当たる京響友の会の募集が停止中。更に新型コロナ感染者数が減ってはいるが、京都府の病床数確保が必ずしも十分とはいえないということもあって、入りはかなり悪い。


「ジークフリート牧歌」。リリカルにして透明感のある音をアルミンクは京響から引き出す。
京響のアンサンブルは緻密で表情はたおやか。理想的な響きである。


楽劇「ニーベルングの指輪」オーケストラル・アドヴェンチャー。演奏されるのは、「ラインの黄金」より前奏曲、ラインの黄金、ニーベルハイム、ヴァルハラ。「ワルキューレ」よりワルキューレたち(ワルキューレの騎行)、魔の炎。「ジークフリート」より森のささやき、ジークフリートの英雄的行為、ブリュンヒルデの目覚め。「神々の黄昏」よりジークフリートとブリュンヒルデ、ジークフリートのラインへの旅、ジークフリートの死、葬送行進曲(ジークフリートの葬送行進曲)、ブリュンヒルデの自己犠牲の計14曲である。


アルミンクは、京響から輝かしい音を引き出し、京響も時には痛切な音色でアルミンクの指揮に応え、ワーグナーの音楽に切り込む。
重厚感、スケールの豊かさ、瑞々しさなどいずれも印象的。ワーグナーの音楽の本質の一つであるドロドロとした部分や禍々しさは余り感じられない健康的な演奏であるが、オーケストラコンサートのための作品と考えた場合は、こうした一種の爽快感を伴う演奏も説得力があるように思う。
ニーベルハイムの、金属がハンマーで叩かれる場面では、打楽器奏者の他にトランペット首席のハラルド・ナエスも参加して鉄床を叩き、立体的な音響を生み出していた。

| | | コメント (0)

2021年9月10日 (金)

コンサートの記(742) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第659回定期演奏会

2021年8月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第659回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、ベルギー出身のデイヴィッド・レイランド。

オール・モーツァルト・プログラムで、交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番(ピアノ独奏:ジャン・チャクムル)、交響曲第41番「ジュピター」が演奏される。レイランドもチャクムルも2週間の自主隔離期間を経ての登場である。
創立時に精緻なアンサンブルを志して「モーツァルトの京響」というキャッチフレーズで売り出した京都市交響楽団だが、オール・モーツァルト・プログラムによる演奏会はそれほど多くはない。

昨日、今日の2回公演だが、定期会員に相当する京響友の会の募集がコロナによって凍結されている上に、京都府内のコロナの感染者数が日毎に増えて、出掛けるのを躊躇する人も多い状況もあって、入りは厳しい。木曜日に京都府立文化芸術会館で観た「君子無朋」では、主演俳優の佐々木蔵之介がPCR検査で陽性となり、無症状ではあったが、大千穐楽となるはずの公演が中止となっている。


午後2時から、指揮者のデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)。英語でのスピーチである。
「ヨーロッパの北西にある小さな国、ベルギーから来て、現在、2つのオーケストラの音楽監督をしています」と自己紹介する。

デイヴィッド・レイランドは、モーツァルトの解釈に定評のある指揮者だそうで、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の副指揮者を経て、現在、フランス国立メス管弦楽団(旧:フランス国立ロレーヌ管弦楽団)とスイス・フランス語圏のローザンヌ・シンフォニエッタの音楽監督を務めており、2019年からはミュンヘン交響楽団の首席客演指揮者、更に2020年からはデュッセルドルフ交響楽団の「シューマン・ゲスト」にも就任しているという。

ベルギーというと、古くはアンドレ・クリュイタンスが名指揮者として知られたが、このところは才能払底気味のようで、レイランドはベルギー人指揮者として20年ぶりにベルギー国立管弦楽団を指揮したとのことである。

今回の京響への客演が、レイランドの日本デビューとなるそうだ(それ以前にレイランドと共演する予定の日本のオーケストラはいくつか存在したようだが、いずれもコロナ禍によってキャンセルになっている)。


レイランドは、交響曲第29番がモーツァルトが17歳(18歳になる年)に書かれたということを話したり、ピアノ協奏曲第27番がモーツァルト最後のピアノ協奏曲であるということに触れた後で、「ジュピター」について、「京響のメンバーには、『オペラの中の1曲として捉えて貰いたい』と語った」そうで、ドラマ性や豊かなカンタービレがオペラに繋がるという解釈を示し、第4楽章については巨大な建造物を築くつもりで指揮したいと抱負を語っていた。またレイランドは、モーツァルトを演奏することは新しい言語を習得するようなものと、その独自性について述べていた。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。バロックティンパニは上手奥に置かれている。
第2ヴァイオリンの客演首席は森岡聡。今回のプログラムは管楽器の出番が少ないのだが、フルート首席の上野博昭は「ジュピター」のみの出演。また、ファゴット首席の中野陽一朗は今日は降り番のようである。


交響曲第29番。ピリオドアプローチによる演奏で、弦楽器のビブラートはかなり抑えられており、たまに掛けたとしてもおそらく音を大きくするためではない。今日は弦楽器がこぼれるほどの美音を湛えていて、モーツァルトを聴く醍醐味を味わわせてくれる。
テンポはモダン、ピリオド合わせて中庸で、ピリオドだからといって速いテンポを採用している訳ではない。ゲネラルパウゼを長く取るのも特徴だ。
典雅な楽曲を持つ曲だが、突然、地獄の蓋が開くような場面があり、十代だったモーツァルトが抱えていた闇が顔を覗かせる。

レイランドの指揮は、拍を刻むのと音型を描くのが半々ずつという端正なものだが、時折、体を揺すったり、大きく伸び上がったりする。


ピアノ協奏曲第27番。
ピアノ独奏のジャン・チャクムルは、1997年、トルコの首都・アンカラ生まれの若手ピアニスト。2018年の第10回浜松国際ピアノコンクールで優勝しており、今日は優勝した時に弾いたShigeru Kawaiフルコンサートピアノ《SK-EX》を使用しての演奏となる。
浜松国際ピアノコンクールでは同時に室内楽賞を受賞しており、前年のスコットランド国際ピアノコンクールでも優勝を飾っている。現在は、ヴァイマル音楽大学でグリゴリー・グルツマン教授に師事しているという。

チャクムルのピアノは、温かな音が特徴であるが、瞬間瞬間の和音の捌きが見事で、若者らしいデジタルな感性が秀逸である。夾雑物が取り除かれたピアノで、この世を超えた煌めきが、ここかしこに聴かれる。

京響もレイランドの指揮棒やチャクムルのピアノへの反応の素早い演奏を行っていた。


交響曲第41番「ジュピター」。この曲は前半のプログラムよりはテンポが速めであるように感じられたが、ピリオドによる演奏としてはやはりそれほど速い部類ではないように思われる。
冒頭の和音には迫力があるが、威圧感も押しつけがましさもなく、浮遊感すら湛えている。弦も管もノーブルで、時には天国的な響きを奏でる。
中山航介が叩くバロックティンパニだが、木製のバチで強打するものの、響きは比較的柔らかめで、これまで聴いてきたピリオドによるバロックティンパニの打撃とは一味違っている。そうしたこともあって、かなり徹底したピリオドアプローチによる演奏であったが、自然体で、演奏スタイルをさほど意識することなく聴くことが出来た。
流れも良く、京響の合奏も緻密で、今の季節から彼方へ向かう橋が見えるような、イメージをくすぐる佳演であった。

演奏終了後、コンサートマスターの泉原が、珍しく弓を振って楽団員に拍手を促し、再びステージ上に現れたレイランドが楽団員に立つように二度促すが、京響のメンバーは敬意を表して立たず、レイランド一人が喝采を浴びた。

Dsc_21722

| | | コメント (0)

2021年7月22日 (木)

コンサートの記(732) 大植英次指揮 京都市交響楽団第658回定期演奏会

2021年7月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第658回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大阪フィルハーモニー交響楽団第2代音楽監督で現在は同楽団桂冠指揮者としても知られる大植英次。当初予定されていたパスカル・ロフェが、新型コロナウイルスによる外国人入国制限で来日不可となったための代役である。
同一地区内にポストを持つ指揮者は、基本的に客演は難しいが、桂冠指揮者は名誉称号なので問題はなく、京都市交響楽団の桂冠指揮者である大友直人も大阪フィルや関西フィルに客演しているが、大友の場合は京響の常任指揮者に就任する前から大阪のオーケストラと良好な関係を築いていたのに対して、大植は海外に拠点を起き続けてきたこともあって今回が京響初客演。もしコロナ禍がなかったら、永遠に実現しなかったかも知れない顔合わせである。

曲目は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)、ミュライユの「シヤージュ(航跡)」、ドビュッシーの交響詩「海」。パスカル・ロフェと決めたプログラムを変更なしで演奏する。


午後2時頃から大植英次によるプレトークがある。大植は見た目がコロコロ変わるタイプだが、今日はスッキリとした顔で登場。滑舌が悪い人なので、京都コンサートホールの貧弱なスピーカーで内容が聞き取れるか心配だったが、今日は比較的聞き取りやすかった。

京都市交響楽団は1956年の創設だが、大植も1956年生まれで同い年だという話から入る。なお、大植は大フィルの音楽監督時代には毎年、京都コンサートホールで大フィル京都公演を指揮しており、慣れた会場である。

各曲の作品解説。「ペトルーシュカ」は人形を主人公としたバレエだが、「『ピノキオ』はご存じだと思いますが、あれの逆」「ピノキオは人間になってハッピーエンドになりますが」と、人間のようになったペトルーシュカが悲劇を迎えるというストーリーの説明を行う。

トリスタン・ミュライユの「シヤージュ」については、京都信用金庫の依頼によって作曲されたもので、「シヤージュ」は「航跡」という意味であり、京都の石庭をイメージして作った曲だと語る。
ミュライユの「シヤージュ」は、1985年に京都信用金庫の創立60周年記念の一環として3人の作曲家に新作を依頼し、同年9月9日に小澤征爾指揮京都市交響楽団の演奏によって初演された交響的三部作「京都」を構成する1曲である。ちなみに他の2曲は、マリー・シェーファーの「香を聞く」、そして現在は武満徹の代表作の一つとして知られる「夢窓/Dream Window」である。「シヤージュ」「香を聞く」「夢窓」の順に演奏されたようだ。

ドビュッシーの交響詩「海」。人気作であり、海の日が祝日として誕生してからは7月の演奏会のプログラムに載ることが増えている。
大植は、ドビュッシーが葛飾北斎の海の浮世絵(「神奈川沖浪裏」)に影響を受けて作曲したと語る。ただ、ドビュッシーはアトランティックオーシャン(大西洋)しか知らなかったため、葛飾北斎が描いたパシフィックオーシャン(太平洋)とは異なるという話もする。
カルロ・マリア・ジュリーニがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した「海」は、ゆったりとしたテンポでスケールも大きく、太平洋を感じさせる演奏であるが、ジュリーニが太平洋を意識したものなのかは定かでない。

大阪クラシックの時などに一人で喋ることに慣れている大植。最後は京都市交響楽団と素晴らしい一週間を過ごすことが出来たことを述べ、プレトークは10分ほどと手短に纏めた。


今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別名誉友情コンサートマスター(肩書きが長いな)の豊島泰嗣(とよしま・やすし)。フォアシュピーラーに泉原隆志。「ペトルーシュカ」では、ピアノが指揮者と正対するところに置かれるというスタイルで、ピアノ独奏を担当するのは佐竹裕介。第2ヴァイオリン客演首席は、読売日本交響楽団の瀧村依里。チェロ客演首席には、オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。フルート首席の上野博昭と、クラリネット首席の小谷口直子は「シヤージュ」からの参加。一方、ホルン首席の垣本昌芳は「ペトルーシュカ」のみの参加で、「シヤージュ」と「海」は水無瀬一成が1番の位置に入った。トランペット首席のハラルド・ナエスは「ペトルーシュカ」と「海」に参加する。

大フィルを指揮した演奏は何度も耳にしている大植英次。だがやはりオーケストラが違うと印象も異なる。重厚さが売りの大フィルに比べ、京響は音の重心が高めで音色も華やかだ。

大植というと、暗譜での指揮が基本だったが、今日は全曲譜面台を用いて、総譜を見ながらの指揮。「ペトルーシュカ」と「シヤージュ」では老眼鏡を掛けての指揮だったが、「海」では老眼鏡は用いていなかった。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)。
ストラヴィンスキーは大植の得意曲目の一つで、「春の祭典」や「火の鳥」組曲はミネソタ管弦楽団とレコーディングしたCDも出ているが、「ペトルーシュカ」は未録音だと思われる。
京響らしい色彩感溢れる演奏で、浮遊感もあり、フランス音楽のように響く。ラストの悲劇に重点を置く重い「ペトルーシュカ」の演奏もあるが、大植と京響の「ペトルーシュカ」はお洒落な印象すら受ける。だからといって悲劇性やストラヴィンスキーならではの異様さがないがしろにされているわけではなく、バランスも良い。

演奏終了後に、大植は弦楽器の最前列の奏者とリストタッチ、グータッチ、エルボータッチなどを行うが、泉原は今日も客席の方をずっと見つめていたため、大植の存在に気づくのに少し時間が掛かっていた。


ミュライユの「シヤージュ(航跡)」。石庭をイメージした曲だが、具体的には枯山水の砂紋を船の航跡に見立てたものだとされる。先に書いた通り、交響的三部作「京都」の1曲として武満徹の「夢窓」などと共に初演されたものだが、武満の作風にも通じるところのある作品である。打楽器奏者が複数の楽器を掛け持ちするのが特徴で、見ていてもかなり忙しそうである。ただティンパニは使用されておらず、この辺りも武満に通じる。武満のティンパニ嫌いは有名であるため、あるいはミュライユも三部作として統一感を出すため、ティンパニを使用しないことに決めたのかも知れない。
京響らしい煌びやかな音色も特徴である。


ドビュッシーの交響詩「海」。大植が浮世絵を意識したのかどうかは分からないが、フランス系の指揮者が描く「海」とは若干異なり、音のパレットをいたずらに重ねることなく詩的な音像を築き上げる。「ペトルーシュカ」ではあれだけ華やかな音を出していたため、意図的に抑えたのだと思われるが、これはこれでタイトにして生命力に溢れている。元々が音色鮮やかである京響だけに、多少抑えたとしても味気ない演奏になることはあり得ず、良い選択である。
第3楽章「風と海との対話」の途中でテンポをぐっと落としたのも印象的。パシフィックオーシャン的な広がりを出すための演出なのかどうかは不明だが、これによってスケールが増し、日本人がイメージする「海」像に近づいたように感じた。

今日明日の同一プログラム2回公演で、コロナ下、更に定期会員に当たる京響友の会会員の募集も停止中ということで、客席はやや寂し目であったが、盛大な拍手が大植と京響を讃えた。

Dsc_1961

| | | コメント (0)

2021年7月15日 (木)

コンサートの記(730) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第166回定期演奏会

2021年7月8日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第166回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻教授の下野竜也。

新型コロナウイルスの流行により昨年夏の定期演奏会は中止となった京都市立芸術大学音楽学部と大学院音楽研究科。今年はなんとか開催に漕ぎ着けた。

曲目は、第1部が、シェーンベルクの「主題と変奏」(吹奏楽版)、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」序曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。第2部が、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」より“私の名前はミミ”と“あなたの愛の呼ぶ声に”、「トスカ」より“歌に生き、愛に生き”(ソプラノ:佐藤もなみ)。第3部がドヴォルザークの交響曲第8番。
京都市立芸術大学にはハープの専攻はないようで、ハープは京都ではお馴染みの松村多嘉代、松村衣里の松村姉妹が奏でる。

入りはまずまずで、この点に関してはコロナの影響はさほど感じられない。


シェーンベルクの「主題と変奏」(吹奏楽版)。ユダヤ人だったシェーンベルクがナチスの迫害を逃れて渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で教授を務めていた時代に書かれた作品である。高校の吹奏楽部でも演奏可能な曲として依頼されたのであるが、結果として演奏難度の高い楽曲となった。

この曲を聴くのは初めてだが、ユーモラスというか人を食ったような旋律があったり、十二音技法とは異なった和音が響いていたりと、かなり個性の強い作品である。
ただ和声や響きに、ハリウッド映画に出てくるような部分もあり、アメリカの映画音楽がシェーンベルクからの影響を受けていることが感じられる。シェーンベルクが生んだ十二音技法は、クラシックでは結局のところ不毛に終わりそうだが、映画音楽では心理描写などで巧みに用いられ、かなりの成果を上げていると言っていいように思う。


場面転換が必要となるため、下野がマイクを手に登場してトークを行う。「本日はお足元のお悪い中、お越し下さりありがというございます」という挨拶に続き、新型コロナの影響で授業やレッスンに支障が出たが、教員も学生も(芸術系大学の場合は師弟関係になるため、「学生」ではなく「生徒」と呼ぶことの方が多いのだが、ここでは「学生」に統一する)感染対策をして乗り越えたこと、「いたずらに厳しい、下野竜也という男」によく着いてきてくれたことなどを語る。
今回のコンサートでは感染のリスクを抑えるため、奏者達が演奏を行うたびにポジションを変更し、また副指揮者の学生などが中心となって消毒作業なども行うようだ。
1曲目のシェーンベルクの楽曲が吹奏楽版であることにも触れ、「今年からユーフォニアムの専攻が出来て」「学部と大学院に一人ずつ入学した」ということでユーフォニアムが活躍する音楽を選んだことを語る。「有名な曲をやろうとも思いましたが、ひねくれているので」あまり知られていない曲を選んだようである。下野自身が吹奏楽出身であるため、愛着もあるのだと思われる。ちなみに下野は広島ウインドオーケストラの音楽監督でもあり、9月には広島ウインドオーケストラと京都コンサートホールでも公演を行う予定である。


ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」序曲。
日本の音楽大学や音楽学部は、基本的に9割前後を女子学生が占めている。京都市立芸術大学音楽学部も例外ではなく、例えば第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンやヴィオラは、それぞれ男子は1名から2名で、その他は全員女の子である。チェロも女子が過半数。ただ楽器自体が大きいコントラバスは一人を除いて全員男子など、パートによって傾向が異なる。コントラバスの女子は苗字から察するに韓国の方なので、日本人女性でコントラバスを積極的にやりたいという人はまだ余り多くないようである。

弦はフル編成であるが、ビブラートを抑えたピリオドによる演奏。ティンパニもバロックタイプでこそないが、木製のバチを使って硬めの音を出す。

残響の長い京都コンサートホールということで、ゲネラルパウゼを長めに取るのが特徴。ラストではヴァイオリンが情熱的な音色を奏でて、灼熱の世界へとなだれ込んでいく。


ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。ラヴェルは「ボレロ」など、ラストにとんでもないことが起こる楽曲がいくつかあるが、これもその一つである。
色に例えるとピンク色のような独特の気品を持つ音色が特徴。チャーミングな美演であるが、最後は狂気にも似た空中分解を迎える。
ラヴェルは、フランスとスペインの境にあるバスク地方の出身であるが、その豪快さはエスプリ・ゴーロワというよりもスペイン的な気質を感じさせる。

皮肉なことだが、ラヴェルの人生自体もそのラストで悲劇的な転調を迎えることになる。


第2部。声楽専攻4回生の佐藤もなみの独唱によるソプラノのアリア。京都市立芸術大学では、各専攻の成績優秀者でオーディションを行い、最優秀者がソリストとなる権利を得るシステムのようで、今年は声楽の佐藤もなみが出場権を得たようだ。

緊張と、客を入れてのステージ上の音響がつかめなかったためか、最初の内は声がやや硬めだったが、次第に音響にも慣れたようで伸びやかな声を聴かせる。
下野指揮の京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団も、繊細で柔らかな伴奏を奏でる。


第3部。ドヴォルザークの交響曲第8番。学生のオーケストラということで洗練度にはやや不足しているが、土俗感や自然の息吹など、ドヴォルザークらしさは十全に表現出来ている。
弦楽はヴァイオリンが優秀で、第3楽章の抒情美や冒頭の切れ味、第4楽章の高揚感など見事である。同じ弦楽器でもヴァイオリンとそれ以外では異なり、音大などでヴァイオリンを専攻している人は基本的に子どもの頃からヴァイオリン一筋だが、その他はまず別の楽器をやってから現在の楽器に至っている場合が多い。いわばヴァイオリンはエリートで、大学レベルだとまだ違いが現れやすいのかも知れない。
ということで低弦が薄めではあったが、技術的には学生としては十分な高さに達しており、下野の音楽作りの巧みさも相俟って、聴かせる演奏となっていた。

京都市交響楽団、京都市立芸術大学、京都市立京都堀川音楽高校、京都市ジュニアオーケストラと四段構えになっているのが京都市のクラシック音楽界の強さである。残念ながら、大学卒業後の就職先が少ないため、京都市を離れる人が多いが、それでも京都のクラシックの聴衆の若返りは他の都市に比べると上手くいっているように思う。

Dsc_1913

| | | コメント (0)

2021年7月12日 (月)

コンサートの記(729) 喜古恵理香指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!!」第1回「オーケストラの1日 大解剖!!」

2021年7月4日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!!」第1回「オーケストラの1日 大解剖!!」を聴く。
指揮は広上淳一の予定であったが、直前になって「都合により」広上の弟子である喜古恵理香(きこ・えりか)に変更になった。

喜古恵理香は群馬県出身。東京の女子御三家の一つとして知られる桜蔭中学校・高等学校を経て、東京音楽大学音楽学部作曲指揮専攻と同大学院指揮研究領域で広上淳一や下野竜也らに師事。在学中に井上道義の指揮講習会にも参加し、優秀賞に選出されて、同講習会主催のリレーコンサートに出演。大学院修了後はオペラなどの副指揮者を務め、京都市ジュニアオーケストラでは広上のアシスタントとして活動している。2017年9月からは、パーヴォ・ヤルヴィの下でNHK交響楽団のアシスタントコンダクターも2年間務めている。

無料パンフレットには、広上淳一からの喜古の推薦文が載せられている。


曲目は、第1部が、ニューマンの「20世紀フォックス」ファンファーレ、ベルリオーズの幻想交響曲より第4楽章“断頭台への行進”リハーサル&本番。第2部が楽器紹介と演奏で、モーツァルトのディヴェルティメントニ長調第1楽章から(弦楽器)、グノーの小交響曲変ロ長調第3楽章から(木管楽器+ホルン)、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレ」から(金管楽器)、チャベスの「トッカータ」から(打楽器)。そしてラストにラヴェルの「ボレロ」が演奏される。


私が大学生だった時代に比べ、東京の音楽大学の勢力図は大きく異なっており、東京芸術大学音楽学部がトップなのは変わらないが、東京音楽大学が急成長を遂げており、今や桐朋学園大学と日本の私立音大最高峰を争うまでになっている。近年は中目黒・代官山にもキャンパスを設けて本部も移転。「お洒落な音大」を前面に打ち出すことで更なる人気上昇が予想される。ほんの十数年ほど前までは東京音楽大学は東京の音大の中でも下位と見なされていたはずだが、変われば変わるものである。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。演奏時間が短く、また指揮者が若手ということもあって、今日は管楽器の首席奏者達も全編に出演する。
ナビゲーターはガレッジセール。

まずニューマンの「20世紀フォックス」ファンファーレ。有名な曲だが、全部で9小節しかない。喜古の指揮する京響であるが、「かなりよく鳴る」という印象を受ける。

喜古が退場し、入れ替わりでガレッジセールの二人が登場。昨年のオーケストラ・ディスカバリーでは、接触を避けるためにナビゲーターは舞台後方席(P席、ポディウム席)に立って進行を務めたが、今日はマウスシールドをして舞台上に登場する。京都コンサートホールはクラシック音楽専用ホールであるため、スピーカーは天井に取り付けられたアナウンス用のものしかない。今日は舞台両端に特別にスピーカーが設置されていたが、マウスシールドやマスクをしてのトークであるため、声がこもって聞き取れないところもあった。
ゴリが、「僕ら何度となくオーケストラ・ディスカバリーに出させて貰いましたけど、指揮者がこんな早く退場するの初めて。1分も経ってない」と語る。
その後、ゴリが、「本来指揮するはずだった広上さんが都合により出演出来なくなったとのことですが、実は潜んでるんじゃないですか?」と言って、指揮台のところにしゃがみ、「(身長)これぐらいですもんね」と指揮台の高さを指で測って、川田に「そんな訳あるか!」と突っ込まれる。

今回のオーケストラ・ディスカバリーはいつもと趣向が異なり、2曲目のベルリオーズの幻想交響曲より第4楽章“断頭台への行進”は、公開リハーサルと本番という設定で行われる。公開リハーサルの進行役として、京都市交響楽団パーソナル・マネージャーの森本芙紗慧が登場。今回のリハーサルの段取りと、本番後に20分の休憩があることをオーケストラメンバーに告げる。

その後、喜古が登場して公開リハーサル開始。途中まで流してから、解釈や希望などを述べていく。最初に喜古が「繰り返しありで」と語ったが、ホワイエに展示された「ライブラリアンの仕事」パネルを見ると、“断頭台への行進”で繰り返しがあるのは、ブライトコプフ新版の楽譜によるもので、旧版では繰り返しの指定はない。また練習記号を示しながらの指示を行っていたが、練習記号があるのも新版のみのようである。
幻想交響曲は描写音楽であり、喜古の解釈では、弦楽器が断頭台に向かう青年を、木管が執行を促す側を表しているということで、まずチェロに青年の戦きを増すような弾き方を指示。スフォルツァンドなどもかなり明確に弾かせる。死刑執行を促す側を表すファゴットにはせかすような表情を求める。ちなみにトロンボーンには事前に「ヤジを飛ばす外野役」を求めていたようで、「上手く吹いてくれてありがとうございます」とお礼を述べていた。
トランペットに出てくるスタッカートに関しては、2拍目(2回目と書くべきか)を強調した方がベルリオーズらしい異様さが出るという解釈のようだ。
弦楽器のピッチカートについては、最初のピッチカートは「何か熱いものに触れて手を離した時」のようなハッとした表情で、それ以降はまた感じを変えて行う。
聴き所の一つであるラスト近くのクラリネットソロ(青年が殺害した美女の面影を表現)に関してはテンポを気にせず吹き、ギロチンが落ちるタイミングは指揮者とオーケストラの他の楽器が受け持つことにする。

リハーサルを終えて本番。やはり鳴りの良い演奏で、喜古の棒も明晰である。

ガレッジセールの二人は、最前列で聴いていたが(飛沫対策のため、最前列と2列目は発売されていない)、ゴリが「喜古さん、パワフルですね」と言う。初対面の挨拶の時とは大分イメージが異なるようだ。「眉間にしわ寄せたり、陶酔したように」とゴリは喜古の表情を真似して、「指揮者は全ての楽器の音を聴いて責任取ってと大変ですが、最高の席で聴いているということでもありますね」と述べていた。


第2部、楽器紹介。各パートごとに入れ替わっての出演だが、まずは弦楽器の紹介がなされる。出演は、泉原隆志(ヴァイオリン)、小峰航一(ヴィオラ)、山本裕康(チェロ)、黒川冬貴(コントラバス)。

楽器の紹介をした後で、それぞれが楽曲の冒頭を弾く。泉原隆志は、葉加瀬太郎の「情熱大陸」を序奏入りで演奏。ゴリは「(葉加瀬太郎と)髪型が違うだけで、大分かっこよくなるんですね」と語る。泉原は、ロザンがナビゲーターの時には菅ちゃんに「イケメンいじり」をされるのがお約束になっているが、ゴリもイケメンネタに走り始めているようだ。
小峰とチェロ康こと山本裕康はバッハの無伴奏(楽曲名はすぐには浮かばず)を弾き、ゴリも「格好いい!」、「チェロは大地の広がりを感じる」と褒めるが、コントラバスの黒川は、「ぞうさん」を演奏。ゴリが、「俺ら、せっかく今まで褒めてきたのになんでぞうさん?」とぼやく。ちなみに「ぞうさん」の作曲者は團伊玖磨である。
喜古は、コントラバスの運搬について、「棺桶のようなものに入れて」と話すが、ゴリは、「その中に、日産のカルロス・ゴーン会長が入っていたりしないでしょうね?」とボケていた。

モーツァルトのディヴェルティメントニ長調第1楽章より(繰り返しなし)が演奏された後で、ハープが紹介される。喜古は、「オーケストラによっては専属のハープ奏者がいない場合もあるのですが、京響には素晴らしいハープ奏者がいらっしゃいます。松村さん」と言って、松村衣里が紹介される。ゴリにハープの弦の数を聞かれた喜古は、「私は都道府県の数で覚えてます」という。47ということで、赤穂浪士の討ち入り人数で覚えている人もいるかも知れない。弦が50本のハープや弦の少ないハープもあるそうで、ゴリが「薄かったり毛深かったり」と言って、川田に「やめなさい!」と突っ込まれていた。
ハープは腕だけでなく足でもペダルを踏み換えて演奏しているということで、ゴリがお馴染みの「優雅な白鳥も足では一生懸命掻いている」という話をする。ただ、白鳥を観察すると分かる(京都だと六角堂の池にいる白鳥が観察しやすい)が、普通に浮いていて、足で掻くのは方向を変える時だけである。水鳥なのにずっと足を動かさないと浮いていられないというのでは確かに欠陥である。「優雅に見える鳥も水面下では」という例えは、「そうであって欲しい」という願望が含まれているようで、中古や鎌倉時代の日本文学などでは、白鳥ではなく鴨がそうした鳥だと思い込まれていたようである。

木管楽器の紹介。出演は、上野博昭(フルート)、市川智子(ピッコロ)、髙山郁子(オーボエ)、土井恵美(イングリッシュホルン/コールアングレ)、小谷口直子(クラリネット)、中野陽一朗(ファゴット)。現在は金属で出来ている楽器もあり、フルートを見たゴリは、「金管楽器じゃないんですか?」と聞く。喜古は、「昔は木で出来ていた」と説明する。現在のフルートは24金やプラチナで出来ているものも多く、ゴリは客席の方を向いて、「あら奥様どうします? 解かしてネックレスにしちゃいます?」と話していた。

楽器紹介の後で演奏が行われるが、フルートの上野が久石譲の「Summer」を演奏したり、ピッコロの市川が「ミッキーマウス・マーチ」を演奏するなど、その楽器らしくない曲を選ぶ人もいる(小谷口さんが何を吹いたか思い出せない)。オーボエの髙山は「白鳥の湖」、喜古に飛ばされそうになったイングリッシュホルンの土井は「新世界」交響曲第2楽章より「家路」のテーマなど代表的な曲を演奏。ファゴットの中野陽一朗もデュカスの「魔法使いの弟子」の有名な旋律を演奏する。喜古はネット上などで、ファゴットが「トッポ」と呼ばれていることを紹介。お菓子の「トッポ」に見た目が似ているからなのだが、ゴリは、「あの大きさのトッポだと絶対、糖分過多ですね」とボケていた。

グノーの小交響曲第3楽章より。グノーはフランスの作曲家だが、フランス人は管楽器の演奏や管楽器を使った楽曲の作曲に秀でている人が多い。グノーも洒落た作品を書いている。

演奏には加わらなかったが、サックスの紹介。サックスは比較的新しい木管楽器であるため、京響にもサックス奏者は所属しておらず、客演の酒井希がソプラノサックスで「茶色の小瓶」を吹いた。


金管楽器。出演は、水無瀬一成(ホルン)、ハラルド・ナエス(トランペット)、岡本哲(トロンボーン)。テューバは現在、京響には専属奏者がおらず、今日は林裕人と山田悠貴の二人が客演。この時の出演者がどちらなのかは分からない(紹介はされたが記憶出来ず)。

喜古が川田にホルンの管の全長をクイズとして出したり(正解は約3.7m)、ハラルド・ナエスが、ストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」のトランペットソロを吹いたりと色々あるが、テューバはやはり「ぞうさん」を吹いて、ガレッジセールの二人が崩れ落ちる。

ジョン・ウィリアムズのオリンピック・ファンファーレは、1984年のロス五輪のために書かれたもので、オリンピック・ファンファーレとしては最も有名なものである。京響のブラス陣は輝かしい演奏を披露。

打楽器の演奏の前に、鍵盤楽器ではあるが一応、打楽器にも含まれるということで、チェレスタが紹介される。演奏はお馴染みの佐竹裕介。喜古がチェレスタについて、「チャイコフスキーが『くるみ割り人形』で使った楽器」と紹介したので、「こんぺいとうの踊り」が演奏されるのかと思いきや、佐竹が弾いたのは、(おそらく)京都市営地下鉄の発着音。全員がずっこけるが、「こんぺいとうの踊り」も弾かれた。
打楽器首席の中山航介はティンパニで「ミッキーマウス・マーチ」を演奏。ゴリに「ヤンキーのミッキーマウスみたい」と言われていた。
ここでも喜古は、シンバルの紹介を飛ばしそうになる。

打楽器による演奏、チャベスの「トッカータ」から。この曲は指揮者なしの演奏で、喜古はコンサートマスターの席に座って聴く。

ラストの「ボレロ」の演奏の前に、ステージ・マネージャーの日高成樹が紹介されるが、日高は照れ屋なので、すぐに引っ込んでしまっていた。


ラヴェルの「ボレロ」。おそらく15分前後という一般的な速度での演奏である。京響は各楽器に威力があり、喜古の盛り上げ方も上手い。
演奏終了後に、喜古は各楽器を立たせ、全員を立たせようとしたところで、コンサートマスターの泉原に、「まだまだ!」と制される。「ボレロ」で最も重要な楽器であるスネアドラムを演奏した福山直子を最後に立たせようとして忘れてしまっていたのだ。喜古は福山を立たせた後も何度も頭を下げて謝っていた。ゴリも「今日は喜古さん、よく飛ばしましたね」と言うが、最後にアンコール楽曲が紹介される。ビゼーの「アルルの女」第1組曲よりアダージェット。しっとりとした美演に仕上げていた。

Dsc_1899

| | | コメント (0)

2021年7月 1日 (木)

コンサートの記(726) 広上淳一指揮京都市交響楽団第657回定期演奏会

2021年6月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第657回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

先月行われた第656回定期演奏会、鈴木優人が初めて京響の指揮台に立った演奏会は、残念ながら緊急事態宣言下ということで、ニコニコ生放送での配信のみの無観客公演となったため、会場に聴衆を入れての演奏家は2ヶ月ぶりとなる。ただ、緊急事態宣言の余波のためか、客の入りは良くなかった。クラシックコンサートの聴衆は、昔も今もお年寄り中心であり、緊急事態宣言が解除になったからといってすぐには客は返ってこない。


曲目は、ウェーベルン(ジェラード・シュウォーツ編曲)の「緩徐楽章」(弦楽合奏版)、尾高惇忠(おたか・あつただ)のヴァイオリン協奏曲(世界初演。ヴァイオリン独奏:米元響子)、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。

午後6時30分頃から、広上淳一と音楽評論家の奥田佳道によるプレトークがある。今年2月に76歳で逝去した尾高惇忠(1944-2021)は、広上淳一の師匠ということで、公演プログラムにも広上の筆による尾高惇忠追悼メッセージが寄せられているが、プレトークも尾高惇忠の話が中心になる。
奥田佳道は、広上が指揮したマーラーの「復活」の解釈を指摘したことで広上に評価されていたような記憶があるが、かなり昔の話なので本当にそれが奥田だったのかはよく覚えていない。

広上淳一は湘南学園高校音楽コースの出身で、尾高惇忠、そしてその弟で指揮者の尾高忠明の後輩である。なお、その後に湘南学園高校は、難関大学を目指す進学校に模様替えしたため、音楽コースは現存していない。

中学校の頃は桜田淳子の追っかけをしていたため学業成績が振るわず、進路に悩んでいた広上淳一。中学校の校長先生が進路のアドバイスをしてくれたそうで、「あなたは音楽の道に進みなさい。湘南学園高校の音楽コースに女性の良い先生がいるから、そこに行きなさい」ということで、湘南学園高校は小学校から高校までの一貫校だったが、高校から特別に編入を認めてくれたそうである。そして湘南学園高校音楽コースの、女性の先生のアシスタントとしてついていたのが実は尾高惇忠だったそうだ。

奥田佳道が以前、尾高惇忠に、「広上さんの最初のレッスン覚えてますか?」と聞いたことがあるそうなのだが、尾高によると、「覚えてるよ。何にも言うこと聞かない奴だった」そうである。「課題で出したピアノ曲の演奏もいい加減だった」そうなのだが、「上手いピアノじゃないが、味があるので、才能はあるかも知れない」と思ったそうである。
その他にも、尾高惇忠がレッスンの合間に珈琲を入れる習慣があり、それを楽しみにしていたり、尾高が自作をピアノで弾きながら解説を入れるレッスンに感激したという話を広上はする。

「ペール・ギュント」組曲については、広上が縁を感じた時に取り上げることの多い曲なのだそうなのだが、私が初めて広上の実演に接した時のメインプログラムも「ペール・ギュント」組曲第1番第2番であった。1997年4月4日に東京・渋谷のNHKホールで行われたNHK交響楽団の土曜日マチネーの定期演奏会。私がN響の学生定期会員になって初の演奏会でもあった。当時、土曜日マチネーのN響定期演奏会はBSで生放送されていたが、数年前にこの時の演奏がEテレで再放送されているはずである。「アニトラの踊り」で、指揮台の上でステップを踏みながら踊っていた広上さんの姿が今も目の前に甦る。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。第2ヴァイオリン客演首席は直江智沙子。京響の演奏会は、第2ヴァイオリン副主席の杉江洋子が真っ先に登場するという習慣があるのだが、直江が間違えて先に出てしまい、直後に「ああ、違った」という表情をして杉江に一番乗りを譲っていた。今日はヴィオラ首席にソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。
尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲だけで、他は「ペール・ギュント」からの出演である。


ウェーベルンの「緩徐楽章」。元々は弦楽四重奏のための作品だが、シアトル交響楽団の指揮者として膨大な録音を残していることでも有名なジェラード・シュウォーツ(ジェラード・シュワルツ)が弦楽合奏にアレンジ。1982年に初演されている。
グリーグを思わせるような叙情的なメロディーと、マーラーを思わせるような響きが特徴で、今日のプログラムの幕開けに相応しい。
広上の立体的な音響作りもいつもながら優れている。


尾高惇忠のヴァイオリン協奏曲。2020年5月30日に完成し、尾高惇忠の遺作となった。同年2月に病気が見つかり、闘病しながら作曲を行っていたようである。

尾高惇忠は、新交響楽団(現・NHK交響楽団)育ての親であり年末の第九を初めて指揮したともいわれる指揮者・作曲家の尾高尚忠(おたか・ひさただ)の長男である。前述通り実弟は指揮者の尾高忠明であり、音楽一家であった。また尾高家は渋沢栄一の親族であり、尾高尚忠、尾高惇忠、尾高忠明は渋沢栄一の血を受け継いだ子孫でもある。現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」に登場し、田辺誠一が演じている尾高惇忠は曾祖父であり、その名を受け継いでいる。
東京芸術大学作曲科で矢代秋雄らに師事。その後、パリ国立高等音楽院に留学し、モーリス・デュリュフレらに師事した。自作に厳しかったため作曲家としては寡作であり、母校の東京芸術大学での教育活動を中心に、室内楽や歌曲伴奏のピアニストとしても活躍している。父親である尾高尚忠の名を冠した作曲賞、尾高賞を二度受賞。2001年には別宮貞雄を記念した別宮賞も受賞している。

ヴァイオリン独奏の米元響子は、実は今日が誕生日だそうである。桐朋学園の「子供のための音楽教室」に学び、1997年にイタリアのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて、史上最年少となる13歳で入賞。その後、モスクワのパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールで優勝に輝いている。パリで学んだ後にオランダに渡り、マーストリヒト音楽院修士課程修了。現在は母校のマーストリヒト音楽院の教授も務めている。

広上のプレトークによると、尾高惇忠は「音楽は美しくあらねばならない」と考えていたそうで、「美しい現代音楽」を目指していたそうである。

第1楽章はオーケストラによる鮮烈な響きでスタートし、ヴァイオリン独奏がそれを追うように現れるが、終盤ではスマートなロマンティシズムを湛えた曲想が現れ、色彩感が増していき、ラストで冒頭の音型へと回帰する。近現代のフランスの作曲家や武満徹などにも繋がる妙なる響きが最大の特徴である。

米元のヴァイオリンは、ボリューム豊かな音が特徴。最近流行の磨き抜かれたタイトな音とは異なる。ボリス・ベルキンに師事したそうだが、確かにそんな印象を受ける。技術は高く、揺るぎがない。

第2楽章は、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」の序奏(有名なヴァイオリンソロが加わる前)に似た旋律が展開されていく。叙情的な美しさが印象的である。

第3楽章は一転してダイナミック。ストラヴィンスキーの「火の鳥」に似た曲想が盛り上がりを見せる。

広上は演奏終了後に、米元に、そしておそらくは作品自体にも「素晴らしい」と呟く。
その後、広上は客席にいる女性(おそらく尾高惇忠の奥さん)に向かって、スコアを掲げて見せた。


後半、グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番。
ノルウェーの国民的作曲家であるエドヴァルド・グリーグ。国民楽派の時代を代表する作曲家でもある。ただグリーグは、ピアノ曲などの小品の作曲を得意とする一方で、大作に関しては思うように筆が進まず、本人も悩んでいた。交響曲も完成させたが、不出来と見なして取り下げている。ということで、オーケストラコンサートで演奏されるのは、ピアノ協奏曲イ短調、「ホルベルク」組曲、そして「ペール・ギュント」組曲など限られる。

「ペール・ギュント」の音楽は、同名のヘンリック・イプセンの戯曲の劇付随音楽として書かれたもので、組曲のみならず劇付随音楽全曲か、それに近い数の楽曲で演奏会が行われることも稀にあり、私はシャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団の定期演奏会で、そうした上演に接している。
また録音も「ペール・ギュント」組曲ではなく、劇付随音楽「ペール・ギュント」が増えており、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団盤、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団盤、パーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団盤などが人気である。ブロムシュテットはスウェーデン人、ヤルヴィ親子はバルト海を挟んでフィンランドと向かい合うエストニア出身で、やはり北欧やその隣国出身の指揮者が取り上げることが多いようである。

「戯曲の劇付随音楽」という妙な書き方をしたが、「ペール・ギュント」は、イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲。「安楽椅子の演劇」と呼ばれたりもする)として書いたものであり、舞台が次々と移り変わる上に、自己との対話など形而上的要素を含むため、イプセン自身は上演を想定していなかったのだが、「どうしても上演したい」という国民劇場からの要望に押し切られ、「グリーグの音楽付きなら」という条件で許可。こうしてグリーグの「ペール・ギュント」の音楽が生まれた。
グリーグの音楽が好評だったこともあり、初演は成功。その後も上演を重ねた「ペール・ギュント」だが、やはり読むための戯曲を上演するのは無理があり、その後は「グリーグの音楽のみが有名」という状態になっていく。近年、上演作品としての「ペール・ギュント」再評価の動きがあり、日本でもグリーグの音楽に頼らない「ペール・ギュント」の上演がいくつか行われたが、残念ながら現時点では成功に至っていない。

約四半世紀ぶりに聴く、広上指揮の「ペール・ギュント」。やはり京響の音の洗練度の高さがプラスに働いている。1997年時点のNHK交響楽団も良いオーケストラではあったが、現時点の日本のプロオーケストラの平均的な演奏に比べると野暮ったかったような記憶がある。広上もまだ若く、グリーグのロマンティシズムに飲み込まれていたような感じがあったが、今日は万全の表現力でグリーグの名旋律の数々を巧みに歌い上げる。

とにかく響きが澄み切っており、「オーセの死」などを聴いていると、「澄み渡った悲しみ」という言葉と、日輪の前を横切っていく雲の片々の映像が目に浮かぶ。
「オーセの死」は、冒頭のメロディーが「さくらさくら」に似ており、日本でグリーグが人気があるのも頷ける。どことなく演歌っぽいところもあり、コバケンこと小林研一郎が指揮した場合などはド演歌にもなるのだが、広上の場合は土俗性は余り出さないため、過度に感情に傾くこともない。

速めのテンポで壮快に進む「朝の気分」(上野博昭のフルートの涼しげな響きが良い)、蠱惑的な雰囲気満載の「アニトラの踊り」(今回は流石に広上さんも無闇には踊らず)、京響の鳴りの良さが痛快な「山の魔王の宮殿にて」、異国情緒と華やかさに溢れた「アラビアの踊り」、ヒンヤリとした音色でノスタルジックに歌われる「ソルヴェイグの歌」などいずれも見事な出来である。「ソルヴェイグの歌」では、広上はノンタクトでバネ仕掛けの人形のように手足を揺さぶるというかなり個性的な指揮を見せていた。アンサンブルも完璧とまでは行かなかったが、キレとボリュームと立体感があり、オーケストラを聴く醍醐味がホールいっぱいに弾けていた。


今日はアンコール演奏がある。尾高惇忠の先祖である渋沢栄一が今年の大河ドラマの主役ということで、「青天を衝け」メインテーマが演奏される。作曲は佐藤直紀であるが、佐藤直紀は東京音楽大学出身であり、広上の後輩に当たる。佐藤直紀は、「龍馬伝」でも大河ドラマの音楽を手掛けており、その時はメインテーマは広上が指揮したが、「青天を衝け」のメインテーマの指揮は、渋沢栄一の子孫である尾高忠明が担っている。
豊かな広がりと、明治以降も描かれるということで洗練された味わいも持つ「青天を衝け」のオープニング曲。NHK職員の息子で、「大河フェチ」を自称する広上の指揮ということで、思い入れたっぷりの爽快な演奏となった。

Dsc_1858

| | | コメント (0)

2021年6月 5日 (土)

コンサートの記(725) 高関健指揮 京都市交響楽団第536回定期演奏会

2010年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第536回定期演奏会に接する。今日の指揮者は高関健。

曲目は、ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」と「大管弦楽のための6つの小品」、マーラの交響曲第7番「夜の歌」という意欲的なものである。

ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」はチェレスタ2台が指揮台の横で向かい合うという特殊で小規模な編成、「大管弦楽のための6つの小品」はその名の通り、大編成による演奏。「大管弦楽のための6つの小品」は古典的配置による演奏であった。いずれの曲においても京響は精緻な演奏を繰り広げ、充実した響きを生んでいた。


マーラーの交響曲第7番「夜の歌」も古典配置による演奏である。マーラーの交響曲第7番「夜の歌」は比較的演奏会プログラムに載ることが少ない曲である。様々な要素が無秩序に並べられたようなところがあり、失敗作と断じる人も決して少なくはない。

京響は弦も管も充実した響きを奏でる。高関の構築力は確かであり、優れた演奏になった。欲を言えば、エリアル・インバルやレナード・バーンスタインらの名盤に比べると歌がやや硬めなのが気になるが、そうした名盤の名演と比べるのも野暮だろう。

| | | コメント (0)

2021年6月 2日 (水)

コンサートの記(724) 下野竜也指揮 京都市交響楽団第545回定期演奏会

2011年4月22日 京都コンサートホールにて

京都市交響楽団の第545回定期演奏会に接する。今日の指揮は日本人の若手としてはトップランクと目される下野竜也。

曲目は、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」とマーラーの交響曲第5番。

パンフレットによると、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」の第2楽章に、マーラーの交響曲第5番冒頭のトランペットソロによく似た音型のトランペット独奏が出てくるのでこの2曲を選曲したとのこと。


開演20分前から下野竜也によるプレトーク。赤い襟のピンクのシャツに黒のジャケットという姿で現れた下野は、マーラーの交響曲第5番の思い出を語る。マーラーの交響曲第5番を下野が初めて聴いたのは、鹿児島にいた高校生の頃のテレビ放送でだった。エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団(現在の正式名称はhr交響楽団。英語名の訳は相変わらずフランクフルト放送交響楽団)の演奏だったという。マーラーの交響曲第5番というと「ベニスに死す」で用いられた第4楽章アダージェットが有名だが、下野は、アダージェットの美しさは当時はそれほどわからず、第2楽章の最後に出てくるコラールの格好良さに感動したとのこと。ここで、話はマーラーの妻であるアルマの話になり、マーラーがアルマに求婚したのは丁度、交響曲第5番を書いていた時であったこと(アダージェットはアルマに捧げた音楽のラブレターであるとの解釈が有力である。近く、このことを取り上げた映画が封切りになるという)、そして、完成したばかりの交響曲第5番をマーラーはピアノでアルマに聴いて聴かせるが、アルマが唯一不満を漏らしたのがコラールの部分であったという。マーラーは「だってブルックナーは」と尊敬するブルックナーを引き合いに出すが、アルマは「ブルックナーはいいのよ。あなたは駄目よ」と言ったというエピソードを紹介する。ちなみにブルックナーは当時は不人気な作曲家であり、ブルックナーの才能を見抜いていたマーラーとアルマは先見の明があったことになる。


下野は渋い音色を持ち味とするが、今日は2曲とも曲の性格から、輝かしい音で演奏する。両曲とも古典的配置での演奏。コントラバスはハイドンでは下手奥に置いたが、マーラーでは最後列に並べるスタイルを取った。

ハイドンの交響曲第100番「軍隊」の演奏は典雅で、弦のきめ細かさが特に印象的。タイトルの由来となったトライアングル、シンバルなどによるトルコ風軍楽も楽しい。トランペットのソロも良かった。


マーラーの交響曲第5番。トランペットによる序奏が終わり、一斉合奏によってスケールが壮大に広がる。このスケールの大きさは流石、下野である。

一方で、構築感は先輩指揮者に一歩譲る(特に第3楽章)ようで、どことなく焦点の定まらない印象を受けたのも事実だ。

アダージェットは旋律に溺れることなく、程よく共感した演奏であったが、ラストでテンポをグッと落としたのが印象的。アダージェットの余韻に浸ろうとしていたところ、下野は、間を開けることなく最終楽章に突入した。マーラーの交響曲第5番は5楽章からなる交響曲であるが、第1楽章と第2楽章を第一部、第3楽章を第二部、第4楽章と第5楽章を第三部とする指示がマーラーによって示されており、下野はそれに従ったのだろう。

第5楽章も、曲調の変転の巧みさなど、下野の優れた資質が感じられるが、ラストは力業で、「アンサンブルがこんなに粗くていいのか?」という印象を受けた。興奮を誘う解釈で、終演後は普段以上に盛り上がったが、私自身は客席と距離感を感じた。フルトヴェングラーによる「バイロイトの第九」のように、最後の音が潰れていても名演とされるものは存在する(実際は演奏ではなくEMIの録音に問題があったらしいのだが)ので、アンサンブルの乱れもそれほど気にすることではないのかも知れないが、今日の私は普段より気分が落ちていたため粗さが気になってしまったのかも知れない。

| | | コメント (0)

2021年6月 1日 (火)

コンサートの記(723) 広上淳一指揮 第5回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2010年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から京都コンサートホールで、第5回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は広上淳一。

曲目は、スッペの「軽騎兵」序曲、チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」、シベリウスの交響曲第2番。


京都市ジュニアオーケストラは京都市在住・通学の10歳から22歳までの青少年を対象としたオーケストラで、オーディションを通過した約110名からなる。


スッペの「軽騎兵」序曲では、冒頭のトランペットが野放図に強かったり、弦がもたついたりということがあったが、全般的には整った演奏。

チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」。京都市ジュニアオーケストラは良く言うと音に余計なものが付いていない、悪くいうと音の背後に何も感じさせないところがあって、そこが不満だが、華のある演奏にはなっていたと思う。


メインのシベリウスの交響曲第2番。この曲をやるには京都市ジュニアオーケストラは基礎体力が不足していることは否めない。だが、聴いているうちにそれは余り気にならなくなる。

広上淳一とシベリウスの相性は気になるところだが、曲が交響曲第2番ということもあってか、ドラマティックで見通しの良い演奏であった。シベリウスの他の交響曲も広上の指揮で聴いてみたくなる。


アンコールは、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」。楽しい演奏であった。

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 劇評 動画 千葉 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画