カテゴリー「京都コンサートホール」の267件の記事

2025年2月27日 (木)

コンサートの記(891) 準・メルクル指揮 京都市交響楽団第697回定期演奏会

2025年2月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第697回定期演奏会を聴く。指揮は、日独ハーフの準・メルクル。

NHK交響楽団との共演で名を挙げた準・メルクル。1959年生まれ。ファーストネームの漢字は自分で選んだものである。N響とはレコーディングなども行っていたが、最近はご無沙汰気味。昨年、久しぶりの共演を果たした。近年は日本の地方オーケストラとの共演の機会も多く、京響、大フィル、広響、九響、仙台フィルなどを指揮している。また非常設の水戸室内管弦楽団の常連でもあり、水戸室内管弦楽団の総監督であった小澤征爾の弟子でもある。
現在は、台湾国家交響楽団音楽監督、インディアナポリス交響楽団音楽監督、オレゴン交響楽団首席客演指揮者と、アジアとアメリカを中心に活動。今後は、ハーグ・レジデエンティ管弦楽団の首席指揮者に就任する予定で、ヨーロッパにも再び拠点を持つことになる。これまでリヨン国立管弦楽団音楽監督、ライプツィッヒのMDR(中部ドイツ放送)交響楽団(旧ライプツィッヒ放送交響楽団)首席指揮者、バスク国立管弦楽団首席指揮者、マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督(広上淳一の前任)などを務め、リヨン国立管弦楽団時代にはNAXOSレーベルに「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音。ラヴェルも「ダフニスとクロエ」全曲を録れている。2012年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエ賞を受賞。国立(くにたち)音楽大学の客員教授も務め、また台湾ユース交響楽団を設立するなど教育にも力を入れている。

 

曲目は、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲(ピアノ独奏:アレクサンドラ・ドヴガン)とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:京響コーラス)。
「ダフニスとクロエ」は、組曲版は聴くことが多いが(特に第2組曲)全曲を聴くのは久しぶりである。
今日はポディウムを合唱席として使うので、いつもより客席数が少なめではあるが、チケット完売である。

 

午後2時頃から、準・メルクルによるプレトークがある。英語によるスピーチで通訳は小松みゆき。日独ハーフだが、日本語の能力については未知数。少なくとも日本語で流暢に喋っている姿は見たことはない。同じ日独ハーフでもアリス=紗良・オットなどは日本語で普通に話しているが。ともかく今日は英語で話す。
ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲だが、パガニーニの24のカプリースより第24番の旋律(メルクルがピアノで弾いてみせる)を自由に変奏するが、変奏曲ではなく狂詩曲なので、必ずしも忠実な変奏ではなく他の要素も沢山入れており、有名な第18変奏はパガニーニから離れて、「世界で最も美しい旋律の一つ」としていると語る。私が高校生ぐらいの頃、というと1990年代初頭であるが、KENWOODのCMで「ピーナッツ」のシュローダーがこの第18変奏を弾くというものがあった。おそらく、それがこの曲を聴いた最初の機会であったと思う。
「ダフニスとクロエ」についてであるが、19世紀末のフランスでバレエが盛んになったが、音楽的にはどちらかというと昔ならではのバレエ音楽が作曲されていた。そこにディアギレフがロシア・バレエ団(バレエ・リュス)と率いて現れ、ドビュッシーやサティ、ストラヴィンスキーなどに新しいバレエ音楽の作曲を依頼する。ラヴェルの「ダフニスとクロエ」もディアギレフの依頼によって書かれたバレエ曲である。演奏時間50分強とラヴェルが残した作品の中で最も長く(バレエ音楽としては長い方ではないが)、特別な作品である。バレエ音楽としては珍しく合唱付きで、また歌詞がなく、「声を音として扱っているのが特徴」とメルクルは述べた。またモチーフライトに関しては「愛の主題」をピアノで奏でてみせた。
また笛を吹く牧神のパンに関しては、元々は竹(日本語で「タケ」と発音)で出来ていたフルートが自然の象徴として表しているとした。

往々にしてありがちなことだが、バレエの場合、音楽が立派すぎると踊りが負けてしまうため、敬遠される傾向にある。「ダフニスとクロエ」も初演は成功したが、ディアギレフが音楽がバレエ向きでないと考えたこともあって、この曲を取り上げるバレエ団は続かず、長らく上演されなかった。
現在もラヴェルの音楽自体は高く評価されているが、基本的にはコンサート曲目としてで、バレエの音楽として上演されることは極めて少ない。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。フルート首席の上野博昭はラヴェル作品のみの登場である。今日のヴィオラの客演首席は佐々木亮、チェロの客演首席には元オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。チェレスタにはお馴染みの佐竹裕介、ジュ・ドゥ・タンブルは山口珠奈(やまぐち・じゅな)。

 

ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲。ピアノ独奏のアレクサンドラ・ドヴガンは、2007年生まれという、非常に若いピアニストである。モスクワ音楽院附属中央音楽学校で幼時から学び、2015年以降、世界各地のピアノコンクールに入賞。2018年には、10歳で第2回若いピアニストのための「グランド・ピアノ国際コンクール」で優勝している。ヒンヤリとしたタッチが特徴。その上で華麗なテクニックを武器とするピアニストである。
メルクルは敢えてスケールを抑え、京響の輝かしい音色と瞬発力の高さを生かした演奏を繰り広げる。ロシアのピアニストをソリストに迎えたラフマニノフであるが、アメリカ的な洗練の方を強く感じる。ドヴガンもジャズのソロのように奏でる部分があった。

ドヴガンのアンコール演奏は、ショパンのワルツ第7番であったが、かなり自在な演奏を行う。溜めたかと思うと流し、テンポや表情を度々変えるなどかなり即興的な演奏である。クラシックの演奏のみならず、演技でも即興性を重視する人が増えているが(第十三代目市川團十郎白猿、草彅剛、伊藤沙莉など。草彅剛と伊藤沙莉はインタビューでほぼ同じことを言っていたりする。二人は共演経験はあるが、別に示し合わせた訳ではないだろう)、今後は表現芸術のスタイルが変わっていくのかも知れない。
今まさにこの瞬間に生まれた音楽を味わうような心地がした。

 

ラヴェルの音楽「ダフニスとクロエ」全曲。舞台上に譜面台はなく、準・メルクルは暗譜しての指揮である。
パガニーニの主題による狂詩曲の時とは対照的に、メルクルはスケールを拡げる。京都コンサートホールは音が左右に散りやすいので、最初のうちは風呂敷を広げすぎた気もしたが次第に調整。京響の美音を生かした演奏が展開される。純音楽的な解釈で、あくまで音として聞かせることに徹しているような気がした。その意味ではコンサート的な演奏である。
京響の技術は高く、音は輝かしい。メルクルの巧みなオーケストラ捌きに乗って、密度の濃い演奏を展開する。リズム感も冴え、打楽器の強打も効果を上げる。

ラストに更に狂騒的な感じが加わると良かったのだが(ラヴェルはラストでおかしなことを要求することが多い)、「純音楽的」ということを考えれば、避けたのは賢明だったかも知れない。オーケストラに乱れがない方が良い。
ポディウムに陣取った京響コーラスも優れた歌唱を示した。

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2025年2月15日 (土)

コンサートの記(887) 下野竜也指揮 第20回 京都市ジュニアオーケストラコンサート

2025年1月25日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第20回 京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。今回の指揮者は下野竜也。

ジュニアオーケストラとしては日本屈指の実力を誇る京都市ジュニアオーケストラ。2005年に創設され、2008年から2021年までは広上淳一がスーパーヴァイザーを務めたが、現在はそれに相当する肩書きを持つ人物は存在しない。10歳から22歳までの京都市在住また通学の青少年の中からオーディションで選ばれたメンバーによって結成されているが、全員が必ずしも音楽家志望という訳ではないようである。今年は小学生のメンバーは6年生が一人いるだけ。一番上なのは大学院1回生であると思われるが、「大卒」という肩書きのメンバーも何人かいて、同年代である可能性が高い。専攻科在籍者も院在籍者と同年代であろう。また「高卒」となっている団員もいるが、大学浪人中なのか、正社員として働いているのかフリーターなどをしているのか、あるいはすでに音楽の仕事に就いているのかは不明である。またOBやOGが何人か参加。彼らは少し年上のはずである。パート指導は京都市交響楽団のメンバーが行っている。

 

曲目は、前半が、バッハ=エルガーの「幻想曲とフーガ」ハ短調 BWV537、アルチュニアンのトランペット協奏曲(トランペット独奏:ハラルド・ナエス)。後半がフランクの交響曲ニ短調。アルチュニアンのトランペット協奏曲もフランクの交響曲も主題が回帰するという同じ特性を持っているため、プログラムに選ばれたのだと思われる。

今回のコンサートマスターは、前半が森川光、後半が嶋元葵。共に男女共用の名前の二人だが、森川光は男性、嶋元葵は女性である。嶋元葵は前半に、森川光は後半にそれぞれ第2ヴァイオリン首席奏者を務める。

 

ここ数年は毎年のようにNHK大河ドラマのテーマ曲の指揮を手掛けている下野竜也。今年の「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」のテーマ音楽も指揮している(昨年の大河である「光る君へ」のテーマ音楽は広上淳一が指揮)。現在は、NHK交響楽団正指揮者、札幌交響楽団首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラ音楽監督の地位にあり、音楽総監督を務めていた広島交響楽団からは桂冠指揮者の称号を得ている。京都市交響楽団でも師の一人である広上淳一の時代に常任客演指揮者を経て常任首席客演指揮者として活躍していた。京都市立芸術大学音楽学部の教授を経て、現在は東京藝術大学音楽学部と東京音楽大学で後進の指導に当たっている。

 

午後1時10分頃からロビーコンサートがあり、ジョルジュ・オーリックやヘンデル、モーツァルトなどの曲が演奏された。

 

バッハ=エルガーの「幻想曲とフーガ」ハ短調 BWV。J・S・バッハの曲をエルガーが20世紀風に編曲したものである。
京都市ジュニアオーケストラは、音の厚みこそないが、輝きや透明感に溢れ、アンサンブルの精度も高い。バッハの格調高さとエルガーのノーブルさが合わさったこの曲を巧みに聴かせた。

 

アルチュニアンのトランペット協奏曲。
アレクサンドル・アルチュニアン(1920-2012)は、アルメニアの作曲家。自国の民族音楽を取り入れた親しみやすい作風で知られているという。
トランペット独奏のハラルド・ナエスは、ノルウェー出身。ノルウェー国立音楽院を卒業し、母国や北欧のオーケストラ、軍楽隊などで活躍した後に兵庫芸術文化センター管弦楽団に入団。京都市交響楽団のオーディションに合格して、現在は同楽団の首席トランペット奏者を務めている。日本に長く滞在しているため、日本語も達者で、自己紹介の時は「ナエス・ハラルド」と日本風に姓・名の順で名乗っている。
アルメニア出身のアルチュニアンであるが、作風はアルメニアを代表する作曲家であるハチャトゥリアンよりもショスタコーヴィチに似ている。諧謔性と才気に満ちた音楽である。ハラルド・ナエスは、輝かしい音によるソロを披露した。
下野指揮する京都市ジュニアオーケストラの伴奏もしっかりしたものである。

 

後半。フランクの交響曲ニ短調。ベルギーを代表する作曲家であるセザール・フランク。ベルギー・フランス語圏の中心都市であるリエージュに生まれ、パリに出てオルガニストとして活躍。オルガンの特性をオーケストラで生かしたのが交響曲ニ短調である。初演時にはこの曲の特徴である循環形式などが不評で、失敗とされたが、フランクはよそからの評判を余り気にしない人で、「自分が思うような音が鳴っていた」と満足げであったという話が伝わっている。その後、この曲の評判は高まり、フランスを代表する交響曲との評価を勝ち得るまでになっている。
下野の指揮する京都市ジュニアオーケストラは、この曲に必要とされる音の潤沢さと色彩感を見事に表す。音の厚みもプロオーケストラほどではないが生み出す。下野の音楽設計もしっかりしたもので、フォルムをきっちりと築き上げる。フランス音楽の肝であるエスプリ・クルトワも十分に感じられた。

 

演奏終了後、拍手を受けてから何度か引っ込んだ後で、下野はマイクを片手に登場。「本日はご来場ありがとうございます」とスピーチを行う。「ジュニアオーケストラのものとは思えない曲目が並びましたが、敢えて挑ませました」「京都市ジュニアオーケストラからは、多くの人材が、それこそ数えられないくらい輩出しているのですが」とこのオーケストラの意義を讃えた上で、合奏指導を行った二人を紹介することにする。
下野「指導は人に任せて私はいいとこ取り。極悪指揮者なので」

一人目は、井出奏(いで・かな)。彼女も漢字だけ見ると男性なのか女性なのか分からない名前である。東京都出身で、現在は東京藝術大学指揮科に在学中であり、下野の指導も受けている。なお、藝大に入る前には桐朋学園大学でヴァイオリンを専攻しており、藝大には学士入学となるようである。
井出奏の指揮によるアンコール演奏、ビゼーの「アルルの女」より“ファランドール”。メンバーを増やしての演奏である。
やや遅めのテンポによる堂々とした音楽作りなのだが、京都コンサートホールは天井が高く、残響が留まりやすい上に音が広がる傾向があり、スケールが野放図になって音が飽和し、全体像のぼやけた演奏になってしまっていた。やはりホールの音響特性を事前に把握しておくことは重要なようである。東京の人なので、十分に下調べを行うことが出来なかったのだろう。

二人目は、東尾多聞。京都市立芸術大学指揮専攻の学生である。奈良県出身。下野も京都市立芸大を退任するまでの2年間だけ直接指導したことがあるという。
演奏するのはヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。
東尾はおそらく京都コンサートホールでの演奏経験が何度かあり、厄介な音響だということを知っていたため、音を抑えめにして輪郭を形作っていた。
演奏途中に下野と井出がステージ上に現れ、聴衆の手拍子の誘導などを行っていた。

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2025年1月25日 (土)

コンサートの記(881) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第696回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2025年1月17日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第696回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は京都市交響楽団首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーント。

曲目であるが、当初の発表より変更があり、モーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」とロベルト・シューマンの交響曲第2番となった。モーツァルトの「グラン・パルティータ」は編成こそ小さめだが、全7楽章で演奏時間約50分と長い。シューマンの交響曲第2番も通常の演奏時間は40分ほどある。休憩時間なし演奏時間約1時間が売りのフライデー・ナイト・スペシャルであるが、今回は長さに関しては休憩ありの普通の演奏会と同等の規模となった。なお、来年度はフライデー・ナイト・スペシャルは実施されず、3月の沖澤のどか指揮のものが最後のフライデー・ナイト・スペシャルとなる予定である。

 

午後7時頃よりデ・フリーントによるプレトークがある(通訳:小松みゆき)。
デ・フリーントは、「セレナーデは屋内ではなく野外で演奏されることが多かった」と話し始めるが、まずはシューマンの交響曲第2番についての解説となる。この曲はシューマンが精神を病んでいた時期に書かれたもので、彼の中に二つの人格があってせめぎ合っていたという。落ち着いていることが出来ず、常に動き回っている時もあったそうだが、J・S・バッハの音楽を聴くと落ち着いたそうだ。
交響曲第2番の初演時の評価は真っ二つに分かれたそうで、「ベートーヴェン以降最高の交響曲」と絶賛する向きもあれば、「複雑すぎてよく分からない」と評する人もいたようである。現在もシューマンの4つの交響曲の中では第2番が最も難解とされており、演奏会のプログラムに載る回数も録音も少なめである。

シューマンの精神病については梅毒由来のものとする説が有力で、後に彼はライン川への入水自殺を図っている(未遂に終わった)。

モーツァルトの時代には、音楽は黙って静かに聴くものではなく、お喋りをしながら聴かれることも多かったという話もフリーントはする。
モーツァルトは当時は新しい楽器であったクラリネットを愛したことで知られるが、クラリネットからの派生楽器であるバセットホルンが使われていることにも注目して欲しいとフリーントは述べていた。

 

モーツァルトのセレナード第10番「グラン・パルティータ」。オーボエ2、クラリネット2、バセットホルン2、ホルン4、ファゴット2、コントラバス1という編成である。
下手端のオーボエの髙山郁子と上手端のクラリネットの小谷口直子が向かい合う形になる。デ・フリーントは椅子に腰掛けてノンタクトでの指揮。
創設当初は編成が小さかったことから、小さくても聴かせられるモーツァルトの演奏に力を入れ、「モーツァルトの京響」と呼ばれた京都市交響楽団。その伝統は今も生きていて、典雅にして柔らかなモーツァルトが奏でられる。奏者達の技術も高い。デ・フリーントの各奏者の捌き方も巧みである。
クラリネットに美しい旋律が振られることが比較的多く、このことからもモーツァルトがクラリネットという楽器を愛していたことが分かる。
演奏終了後のコタさんこと小谷口直子は今日はハイテンション。ステージ上でデ・フリーントとハグし、客席に手を振り、一人で拍手したりしていた。管楽器奏者の多くはシューマンにも出演する。

 

シューマンの交響曲第2番。今日のコンサートマスターは京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。
ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。ヴィオラの首席にはソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入る。チェロの客演首席は森田啓介。トランペットは副首席の稲垣路子は降り番で、ハラルド・ナエスと西馬健史の二人が吹く。
デ・フリーントは指揮台を用いず、ノンタクトでの指揮である。

序奏こそ中庸かやや速めのテンポであったが、主部に入ると快速で飛ばす。かなり徹底したピリオド・アプローチによる演奏であり、弦楽器の奏者達はビブラートを最小限に抑えている。中山航介が叩くのはモダンティンパニであるが、時折、音だけだとバロックティンパニと勘違いするような硬い響きによる強打が見られた。
速めのテンポによる演奏だが、単に速いわけではなく、自在さにも溢れていて、滝を上る鯉のように活きのいい音楽となっていた。
こうした演奏で聴くとシューマンが鍵盤で音楽を考えていたということもよく分かる。
第3楽章のため息のような主題も、美しくも涙に濡れたような独特の音色によって弾かれ、悲嘆に暮れるシューマンの姿が見えるかのようである。H.I.P.の弦楽の奏法が効果的。
この主題は第4楽章で長調に変わって奏でられるのだが、今回の演奏では上手く浮かび上がっていた。
これまでの陰鬱なだけのシューマン像が吹き飛ぶかのような情熱に満ちた演奏であり、シューマンがこの曲に込めた希望がはっきりと示されていた。

デ・フリーントは今は知名度は低めだが、今後、名声が高まっていきそうな予感がする。

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2024年12月31日 (火)

コンサートの記(876) ガエタノ・デスピノーサ指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九」コンサート 2024

2024年12月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九」コンサートを聴く。指揮はガエタノ・デスピノーサ。

コロナの時期には海外渡航が制限されたということもあり、半年近くに渡って日本国内に留まって様々なオーケストラに客演したデスピノーサ。指揮者不足を補い、日本のクラシック楽壇に大いに貢献している。入国制限により来日不可となったラルフ・ワイケルトの代役として大阪フィルハーモニー交響楽団の年末の第九も指揮した
イタリア・パレルモ出身。ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタート。ザクセン州立歌劇場(ドレスデン国立歌劇場)のコンサートマスターとして活躍し、当時の音楽監督であったファビオ・ルイージの影響を受けて指揮者に転向。2012年から2017年までミラノ・ヴェルディ交響楽団首席客演指揮者を務めている。歌劇場のオーケストラ出身だけにオペラも得意としており、新国立劇場オペラパレスでの指揮も行っている。

独唱は、隠岐彩夏(ソプラノ)、藤木大地(カウンターテナー)、城宏憲(テノール)、大西宇宙(おおにし・たかおき。バリトン)。合唱は京響コーラス(合唱指導:小玉洋子、津幡泰子、小林峻)。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。ヴィオラの客演首席には湯浅江美子、チェロの客演首席には水野優也が入る。ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏だが、ソリストと合唱団はステージ上に設けられたひな壇状の台の上で歌うため、ティンパニは舞台上手端に設置され、そのすぐ横にトランペットが来る。

ステージにまず京響コーラスのメンバーが登場し、次いで京響の団員が現れる。独唱者4人は第2楽章演奏終了後に下手からステージに上がった。

デスピノーサは譜面台を置かず、暗譜での指揮である。頭の中に入っているのはベーレンライター版の総譜だと思われる。


弦楽が音の末尾を切るなど、H.I.P.を援用した演奏。アポロ的な造形美が印象的である。京響の明るめの音色もプラスに働いている。
第2楽章では最後の音をかなり弱めに弾かせたのが特徴。またモダンティンパニを使用しているが、この楽章のみ先端が木製のバチを使って硬めの音で強打させていた(ティンパニ:中山航介)。
第3楽章は比較的速めのテンポを採用。ロマンティシズムよりも旋律の美しさを優先させた演奏である。

通常はアルトの歌手が歌うパートを今回はカウンターテナーの藤木大地が担うが、音楽的には特に問題はない。女声の方がやはり美しいとは思うが、たまにならこうした試みも良いだろう。定評のある藤木の歌唱だけに音楽性は高い。
端正な演奏を繰り広げるデスピノーサだが、たまに毒を忍ばせるのが印象的。美演ではあるが、綺麗事には留めない。第4楽章では裁きの天使・ケルビムの象徴であるトロンボーンを通常よりかなり強めに吹かせており、人間が試される段階に来ていることを象徴しているかのようだった。

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2024年11月30日 (土)

コンサートの記(872) 鈴木雅明指揮 京都市交響楽団第695回定期演奏会

2024年11月16日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都市交響楽団の第695回定期演奏会を聴く。指揮は鈴木一族の長である鈴木雅明。
本来は京響の11月定期は、常任指揮者である沖澤のどかが指揮する予定だったのだが、出産の予定があるということで、かなり早い時点でキャンセルが決まり、代役も大物の鈴木が務めることになった。

今日の演目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:ジョシュア・ブラウン)、ドヴォルザークの交響曲第6番。


日本古楽界の中心的人物である鈴木雅明。古楽器の指揮や鍵盤楽器演奏に関しては世界的な大家である。神戸市生まれ。1990年にバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)を創設。以降、バッハ作品の演奏や録音で高い評価を得ている。なお、レコーディングは神戸松蔭女子学院大学の講堂で行われ、鈴木も神戸松蔭女子学院大学の客員教授を務めているが、神戸松蔭女子学院大学は共学化が決定している。難関大学ではないが、良家のお嬢さんが通う外国語教育に強い女子大学として知られた神戸松蔭女子学院大学も定員割れが続いており、来年度からの共学化に踏み切った。
モダンオーケストラにも客演しており、ベルリン・ドイツ交響楽団、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団)、ニューヨーク・フィルハーモニック、サンフランシスコ交響楽団といった世界各国の名門オーケストラを指揮している。
東京藝術大学作曲科およびオルガン科出身(二度入ったのだろうか?)。古楽の本場、オランダにあるアムステルダム・スウェーリンク音楽院にも学ぶ。藝大の教員として、同校に古楽科を創設してもいる。現在は東京藝術大学名誉教授。


午後2時頃より、鈴木雅明によるプレトークがある。「今日の指揮者である鈴木雅明です。というわけで、今日の指揮者は沖澤のどかではありません。期待されていた方、残念でした」に始まり、楽曲解説などを行う。
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」については、「おどろおどろしい。お化け屋敷のような」ところが魅力でありと語り、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲については、「モーツァルトの次にベートーヴェンという王道。最も有名なヴァイオリン協奏曲の一つなのですが」ティンパニの奏でる音が全曲のモチーフとなること、またベートーヴェン自身はカデンツァを書き残していないと説明。ただベートーヴェンはヴァイオリン協奏曲をピアノ協奏曲に編曲してあり、ピアノ向けにはカデンツァを書いているので、それをヴァイオリン用にアレンジして弾くこともあると紹介していた。
ヨーロッパなどでは王道の曲は「飽きた」というので、プログラムに載ることが少なくなったそうだが、その分、ドヴォルザークの交響曲第6番のような知られざる曲が取り上げられることも増えているようだ。ドヴォルザークの初期交響曲は出版されるのが遅れており、私の小学校時代の音楽の教科書にも「新世界」交響曲は第5番と記されていた。後期三大交響曲(その中でも交響曲第7番は知名度は低めだが)以外は演奏される機会は少ないドヴォルザークの交響曲。今日を機会にまた演奏出来るといいなと鈴木は語った。
鈴木が京都コンサートホールを訪れるのは久しぶりだそうで、リハーサルの時に「あれ、こんな音の良いホールだったっけ?」と驚いたそうだが(ステージを擂り鉢状にするなど色々工夫して音響は良くなっている)、パイプオルガンに中央にないのが不思議とも語ってた。一応であるが、演奏台は中央にある。


今日はヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。モーツァルトとベートーヴェンでは中山航介がバロックティンパニを叩く。
コンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が乗り番。一方で、管楽器の首席奏者はドヴォルザークのみの出演となる人が大半であった。
首席奏者の決まらないトロンボーンは、京響を定年退職した岡本哲が客演首席として入る。
京響は様々なパートの首席が決まらず、募集を行っている状態である。


モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲。全面的に、H.I.P.を用いた演奏である。
鈴木雅明は音を丁寧に積み上げる指揮。音響が立体的であり、建築物を築き上げるような構築力が特徴である。息子の鈴木優人は流れ重視の爽やかな音楽を奏でるタイプなので、親子とはいえ、音楽性は異なる。
総譜を見ながらノンタクトでの指揮。総譜は置くが暗譜していてほとんど目をやらない指揮者も多いが、鈴木は要所を確認しながら指揮していた。


ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン独奏のジョシュア・ブラウンは、アメリカ出身の若手。シカゴ音楽院を経て、現在はニューイングランド音楽院で、学士号修士号獲得後のアーティスト・ディプロマを目指す課程に在籍している。今年ブリュッセルで開催されたエリザベート王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位に入賞し、聴衆賞も獲得している。
北京で開催された2023年グローバル音楽教育連盟国際ヴァイオリンコンクール第1位、レオポルト・モーツァルト国際ヴァイオリンコンクールでも第1位と聴衆賞を得ている。

ブラウンは美音家で、スケールを拡げすぎず、内省的な部分も感じさせつつ伸びやかなヴァイオリンを奏でる。ベートーヴェンということで情熱的な演奏をするヴァイオリニストもいるが、ブラウンは音そのもので勝負するタイプで、大言壮語しない小粋さを感じさせる。
鈴木雅明の指揮する京響はベートーヴェンの構築力の堅固さを明らかにする伴奏で、ブラウンのソロをしっかり支える。重層的な伴奏である。

ブラウンのアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。生まれたばかりの朝のようなイノセントな演奏であった。


ドヴォルザークの交響曲第6番。演奏会で取り上げられることは少ないが、スラヴ的な味わいのある独特の交響曲である。ドヴォルザークの傑作として「スラヴ舞曲」を挙げる人は多いと思われるが、そのスラヴ舞曲の交響曲版ともいうべきメロディーの美しい交響曲である。ただ構築や構造において交響曲的要素が薄いということが知名度が低い理由になっていると思われる。
旋律において、マーラーとの共通点を見出すことも出来る。第1楽章の終結部などは、マーラーの交響曲第1番「巨人」第2楽章のリズムを想起させる。マーラーはボヘミア生まれのユダヤ人で主にオーストリアで活躍という人で、自身のアイデンティティに悩んでいたが、幼い頃に触れたボヘミアの旋律が原風景になっている可能性は高いと思われる。
鈴木と京響は歌心に満ちた演奏を展開。音色は渋く、密度も濃い。かなり情熱的な演奏でもある。意外だったのはブラスの強烈さ。ティンパニと共にかなりの力強さである。通常ならここまでブラスを強く吹かせると全体のバランスが大きく崩れるところだが、そこは鈴木雅明。うるさくもなければフォルムが揺らぐこともない。結果として堂々たる演奏となった。

鈴木は、オーケストラを3度立たせようとしたが、京響の楽団員は鈴木を讃えて立たず、鈴木は指揮台に上って、一人喝采を浴びていた。

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2024年11月19日 (火)

コンサートの記(870) 第28回 京都の秋 音楽祭「成田達輝&萩原麻未 デュオ・リサイタル」

2024年11月6日 京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」にて

午後7時から、京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」で、第28回 京都の秋 音楽祭「成田達輝&萩原麻未 デュオ・リサイタル」を聴く。
ヴァイオリンの成田達輝(たつき)とピアノの萩原麻未は夫婦である。年齢は萩原麻未の方が6つ上で、彼女の方から共演を申し出ており、その時点で「もう決まりだな」と多くの人が思っていた関係である。

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成田達輝は、1992年、青森県生まれ。中学生時代から群馬県前橋市で育ち、桐朋女子高校音楽科(共学)を経て(前橋から高崎まで出て新幹線で通学していたそうだ)、渡仏。パリ国立高等音楽院に学び、2010年のロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位入賞。SACEM著作権協会賞も合わせて受賞。12年のエリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギー)ヴァイオリン部門でも2位とイザイ賞受賞。13年の仙台国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門でも2位に入っている。現代の作曲家のヴァイオリン作品演奏に積極的で、酒井健治のヴァイオリン協奏曲「G線上で」初演で、芥川作曲賞(現・芥川也寸志作曲賞)受賞に貢献。一柳慧のヴァイオリンと三味線のための協奏曲も世界初演して、2022年度の芸術祭大賞を受賞している。
最晩年の坂本龍一ともコラボレーションを重ねており、東北ユースオーケストラのサポートメンバーとして最後のオーケストラ曲となった「いま時間が傾いて」の演奏にも参加している。

萩原麻未は、1986年、広島県生まれ。広島県人としては綾瀬はるかの1つ下となる。幼時からピアノの才能を発揮。ピアノを始めて数ヶ月でジュニアコンクールで賞を取っている。13歳の時に第27回パルマドーロ国際コンクール・ピアノ部門に史上最年少で優勝。ピアニスト志望の場合、多くが関東や関西の名門音楽高校へ進学するが、萩原麻未は地元の広島音楽高校(真宗王国の広島ということで浄土真宗本願寺派の学校であった。現在は廃校)に進学しており、「地方の音楽高校でもプロになれる」モデルケースとなっている。卒業後は文化庁海外新進芸術家派遣員として渡仏し、パリ国立高等音楽院および同音楽院修士課程を修了。ジャック・ルヴィエに師事。パリ地方音楽院で室内楽も学んでいる。その後、オーストリアに移り、ザルツブルク・モーツァルティウム大学でも学んだ。
2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で8年ぶりの第1位獲得者となり、注目される。一方で、「バスケットボールでドリブルが出来ない」といったような訳の分からない逸話を多く持つ天然キャラとしても知られている。東京藝術大学常勤講師。
以前はそうでもなかったが、顔が丸みを帯びてきたので、今は横山由依はんに少し似ている。


曲目は、前半がストラヴィンスキーのイタリア組曲とデュオ・コンチェルタンテ。後半がジェフスキの「ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース」(ピアノ独奏)、アルヴォ・ペルトの「フラトレス」、ジョン・アダムスの「ロード・ムービーズ」。珍しい曲が並ぶ。

前後半とも成田達輝がマイク片手にプレトークを行う。
「ようこそこのコンサートにいらっしゃいました。2、30人しか入らないんじゃないかと思ってましたが、沢山お越しいただきましてありがとうございます(ただ、日本人は現代音楽アレルギーの人が多いので、成田達輝と萩原麻未のコンサートにしては後ろの方に空席が目立った)。今日のプログラムは私は100%考えまして、妻の萩原麻未の了解を得て」演奏することになったそうである。成田本人も「何これ? 誰これ?」となるプログラムであることは予想していたようだ。
ミニマル・ミュージックが軸になっている。純粋にミニマル・ミュージックの作曲家と言えるのは、ジョン・アダムスだけであるが、ミニマル・ミュージックの要素を持つ作品をチョイスした。ミニマル・ミュージックについては、カンディンスキーなど美術方面の影響を受けて、音楽に取り入れられ、成田は代表的な作曲家としてフィリップ・グラスを挙げていた。

前半はストラヴィンスキーの作品が並ぶが、イタリア組曲はバロックの影響を受けて書かれた曲でいかにもバロックっぽい、デュオ・コンチェルタンテは、アポロとバッカス(ディオニソス)の両方の神を意識した作風と解説。ちなみに、成田は2013年に北九州市の響ホールで幻覚を見たそうで(「怪しい薬とかそういうのじゃないですよ」)、ストラヴィンスキーに会ったという。「凄いでしょ」と成田。凄いのかどうかよく分からない。


ストラヴィンスキーのイタリア組曲とデュオ・コンチェルタンテ。二人とも前半後半で衣装を変えており、前半は萩原は白のドレス。成田は何と形容したらいいのかよく分からない衣装。中東風にも見える。
夫婦で、共にフランスで音楽を学んでいるが、芸風は異なり、成田はカンタービレと技巧の人、萩原は微細に変化する音色を最大の武器とする。なお、萩原はソロの時はかなり思い切った個性派の演奏をすることがあるが、今日はデュオなのでそこまで特別なことはしなかった。

端正な造形美を誇るイタリア組曲に、かなりエモーショナル部分も多いデュオ・コンチェルタンテ。ストラヴィンスキーは「カメレオン作曲家」と呼ばれており、作風の異なる作品をいくつも書いている。そのため、三大バレエだけでストラヴィンスキーを語ろうとする無理が生じる。


後半。成田達輝のプレトーク。ニッカーボッカーズというべきか、ピエロの衣装というべきか、とにかくやはり変わったズボンで登場。解説を行う。「音楽学者の池原舞先生がお書きになった素晴らしいパンフレットを読めば分かります。全て書いてあります。私、出てくる必要ないんですが」
ジェフスキの「ウィンボロ・コットン・ミル・ブルース」は、機械音を模した音楽で同じ音型が繰り返され、やがてブルースが歌われる。ドナルド・トランプが合衆国大統領に再選されたことを速報として告げ、ジェフスキがトランプとは真逆の思想を持ち、プロテスト・ソングなども用いたことを紹介していた。ちなみに「クラスター奏法」といって、腕で鍵盤を叩く奏法が用いられているのだが、萩原麻未は現在、妊娠6ヶ月で(地元の広島で行われる予定だったコルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲のソリストは負担が大きいためキャンセル。すでに代役も決まっている。左手のための協奏曲はバランス的にも悪い気はする)、外国人の聴衆もいるということで、「赤ちゃんがびっくりしちゃったらどうしようと恐れています」と英語で語っていた。

アルヴォ・ペルトは、現代を代表する現役の作曲家。来年90歳になる。エストニアの出身で、首都のタリンにはアルヴォ・ペルト・センターが存在する。成田自身はアルヴォ・ペルト・センターに行ったことはないそうだが、近くに住んでいる友人がいるそうで、色々と情報を得たという。

ジョン・アダムスについては、「聴けば分かります」と端折っていた。


ジェフスキの「ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース」。ピアノ独奏の萩原麻未は、緑地に、腰のところに白い横線の入ったドレスで登場。タブレット譜を使っての演奏であるが、演奏前に「スイッチが」と言って、すぐに弾き出せない何らかのトラブルがあったことを示していた。
実に萩原麻未らしいというべきか、スケールの大きな演奏である。この人に関しては女性ピアニストだからどうこうというのは余り関係ないように思われる。迫力と推進力があり、ブルースも乗っている。


アルヴォ・ペルトの「フラトレス」。疾走するヴァイオリンと祈るようなピアノの対比。ヴァイオリンが突然止まり、ピアノの奏でるコラールがより印象的に響くよう設計されている。


ジョン・アダムスの「ロード・ムービーズ」。3つの曲からなるが、1曲目の「Relaxed Groove」と3曲目の「40% Swing」は速めのテンポで、ミニマル・ミュージックならではのノリがあり、2曲目の「Meditative」はフォークのようなローカリズムが心地よい。ジョン・アダムス作品はコンサートで取り上げられることも増えており、今後も聴く機会は多いと思われる。


アンコールは、日本のミニマル・ミュージックの作曲家の作品をということで、久石譲の作品が演奏される。ただしミニマル・ミュージックではなく、お馴染みのジブリ映画の音楽である。まず、萩原麻未のピアノソロで、「天空の城ラピュタ」より“忘れられたロボット兵”、続いて成田と萩原のデュオで「ハウルの動く城」より“人生のメリーゴーランド”。海外で学んだとはいえ、ここはやはり日本人の感性がものを言う演奏であったように思われる。繊細でノスタルジックで優しい。


なお、カーテンコールのみ写真撮影可となっていたが、余り良い写真は撮れなかった。これまで成田だけがマイクで語っていたが、最後は萩原麻未もマイクを手にお礼を述べて、二人で客席に手を振ってお開きとなった。

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2024年11月 7日 (木)

コンサートの記(869) 第28回 京都の秋 音楽祭 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会 尾高忠明指揮

2024年10月27日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、第28回 京都の秋 音楽祭 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

毎年恒例の、京都コンサートホールでの大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会。今回は、オール・ベートーヴェン・プログラムで、ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲(ピアノ三重奏:葵トリオ)と交響曲第6番「田園」が演奏される。

大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏がホワイエにいらっしゃったのでまず挨拶する。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)に尾張拓登。ドイツ式の現代配置による演奏である。なお、現在は京都市交響楽団のチェロ奏者だが、長年に渡って京都市交響楽団と大阪フィルハーモニー交響楽団の両方に客演を続けていた一樂恒(いちらく・ひさし)が客演チェロ奏者として参加している。彼は大フィルの首席ヴィオラ奏者である一樂もゆると結婚しているので、夫婦での参加となる。


ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲。ピアノトリオによる協奏曲で、比較的珍しい編成による曲である。少なくともベートーヴェンの三重協奏曲と同等かそれ以上に有名な三重協奏曲は存在しない。特殊な編成ということで、ベートーヴェンの協奏曲の中では人気がある方ではないが、実演に接するのはこれが3度目となる。

ヴァイオリンの小川響子、チェロの伊藤裕(いとう・ゆう。男性)、ピアノの秋元孝介という関西出身の3人の音楽家で結成された葵トリオ。第67回ミュンヘンコンクールで優勝し、一躍日本で最も有名なピアノトリオとなっている。紀尾井ホールのレジデンスを務めたほか、サントリーホールと7年間のプロジェクトが進行中。2025年からは札幌にある、ふきのとうホールのレジデントアンサンブルに就任する予定である。これまで第28回青山音楽賞バロックザール賞、第29回日本製鉄音楽賞フレッシュアーティスト賞、第22回ホテルオークラ賞、第34回ミュージック・ペンクラブ賞などを受賞している。
ヴァイオリンの小川響子(SNSからニックネームが「おがきょ」であることが分かる)は、今年の4月から名古屋フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターに就任している。
また、チェロの伊藤裕は、現在、東京都交響楽団の首席チェロ奏者を務めている。

三重協奏曲は、1803年頃から作曲が始められたことが分かっており、1804年もしくは1805年に完成したとされる。1804年の試演を経て、1808年にウィーンで公開初演が行われたが不評であったという。ピアノ三重奏の協奏曲という特殊な楽曲であり、チェロが最も活躍し、難度も高いことから優れたチェリストから依頼があったことが予想され、一方で、ピアノの技巧はそれほど高いものが求められないなど、各楽器の難度に差があることから、特定の奏者を想定して書かれたことが予想される。ただ、具体的に誰のために書かれたのかは分かっていないようだ。

普段からピアノ三重奏団として活躍している葵トリオの演奏だけに、息のピッタリあった演奏が展開される。技巧面は申し分ない。小川響子が旋律を弾き終えると同時に、弓を高々と掲げるのも格好いい。小川のヴァイオリンには艶とキレがあり、伊藤のチェロは温かく、秋元のピアノはスケールが大きい。
ベートーヴェンの楽曲としては決定的な魅力には欠けるとは思うが、ヴァイオリン、チェロ、ピアノとオーケストラのやり取りによって生まれる独自の音響がなかなか楽しい。

尾高指揮する大フィルは、磨き抜かれた音色を最大の特徴とする。ベートーヴェンの演奏としては綺麗すぎる気もするが、アンサンブルの精度も高く、構造もきっちりとして見通しも良く、「好演」という印象を受ける。


演奏終了後、何度かカーテンコールに応えた葵トリオ。最後は譜面を手にして現れ、アンコール演奏があることが分かる。
演奏されるのは、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第6番変ホ長調より第3楽章。瑞々しい音楽であり、叙情味に溢れた演奏であった。ピアノの音は三重協奏曲の時よりも輪郭がクッキリしていて、やはり難度によって響きが変わることが分かる。



ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。尾高と大フィルは、大阪・中之島のフェスティバルホールで「ベートーヴェン交響曲チクルス」を行っており、私も交響曲第3番「英雄」と第4番の回を除く全ての演奏を聴いているが、「田園」のみ大人しく、不出来であっただけに不安もある。
ただ、今回は弦の音色も瑞々しく、歌心にも溢れ、金管はやや安定感に欠けたが、木管も堅調で優れた演奏になる。

ベートーヴェンの交響曲の中でも「田園」は特に名演が少なく、演奏が難しいことが予想される。ベートーヴェンの交響曲の中でも旋律主体であり、描写的(ベートーヴェン本人は否定しているが)であるため、他の交響曲とは性質が異なり、ベートーヴェンを得意としている指揮者でも合わない人が多いのかも知れない。考えてみれば、「田園」の名盤を残していることで知られるブルーノ・ワルターもカール・ベームも「ベートーヴェン交響曲全集」を作成しているが全集の評判自体は必ずしも高くない。一方で、ベートーヴェン指揮者として知られるヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「田園」は特異な演奏として知られており、「ベートーヴェン交響曲全集」を何度も作成しているヘルベルト・フォン・カラヤンや朝比奈隆の「田園」もそれほど評価は高くないということで、「田園」だけは毛色が違うようである。
ということで、フェスの「ベートーヴェン交響曲チクルス」では上手くいかなかったのかも知れないが、今回は「田園」1曲ということで、チクルスの時とスタンスを変えることが可能だったのか、しっかりとした構造を保ちつつ、流れも良く、日本のオーケストラによる「田園」の演奏としては上位に入るものとなった。
ピリオドを強調した演奏ではないが、弦のボウイングなどを見ると、H.I.P.なども部分的に取り入れているようである。ティンパニもバロックティンパニは使用していないが、堅めの音で強打するなど、メリハリを生み出していた。
第5楽章も神や自然に対する畏敬の念が大袈裟でなく表れていたように思う。ある意味、日本的な演奏であるとも言える。

演奏終了後、尾高のスピーチ。「お世辞でなく」「大好きなホール」と京都コンサートホールを讃えるが、その後の言葉はマイクを使っていないということもあってほとんど聞き取れず。「パストラルシンフォニーは」という言葉は聞こえたため、「田園」交響曲にまつわる話であるということが分かるだけであった。

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2024年11月 4日 (月)

京都コンサートホール フォール ピアノ五重奏曲第1番、第2番よりダイジェスト映像

エリック・ル・サージュ(ピアノ)、弓新&藤江扶紀(ヴァイオリン)、横島礼理(ヴィオラ)、上村文乃(チェロ)
2024年10月5日 京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」にて

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2024年11月 2日 (土)

コンサートの記(867) アジア オーケストラ ウィーク 2024 大友直人指揮京都市交響楽団@京都コンサートホール

2024年10月22日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、アジア オーケストラ ウィーク 2024 京都市交響楽団の演奏会を聴く。今年度のアジア オーケストラ ウィークは、この公演を含む京都での2公演のみのようである。

シンガポール交響楽団と京都市交響楽団の演奏会には通し券があるので、今回はそれを利用。2公演とも同じ席で聴くことになった。

今日の指揮は、京都市交響楽団桂冠指揮者の大友直人。昨年は第九などを振ったが、京都市交響楽団の桂冠指揮者になってからは京響の指揮台に立つことは少なめである。
近年は、沖縄の琉球交響楽団というプロオーケストラ(沖縄交響楽団を名乗らなかったのは、先に沖縄交響楽団という名のアマチュアオーケストラがあったため。沖縄大学と琉球大学の関係に似ている)の音楽監督として指導に力を入れており、この間、定期演奏を行ったばかり。沖縄は地元の民謡や、アメリカ統治時代のロックやジャズなどは盛んだが、クラシック音楽を聴く土壌は築かれることがなく、沖縄県立芸術大学という公立のレベルの高い音楽学部を持つ大学があるにも関わらず、聴いて貰う機会が少ないため、卒業生は沖縄県外に出てしまう傾向があるようだ。
その他には、高崎芸術劇場の音楽監督を務めるほか、東京交響楽団名誉客演指揮者などの称号を持ち、大阪芸術大学教授や東邦音楽大学特任教授、京都市立芸術大学や洗足学園音楽大学の客員教授として後進の育成に励んでいる。


曲目は、伊福部昭の「SF交響ファンタジー」第1番、宮城道雄作曲/池辺晋一郎編曲の管弦楽のための「春の海」(箏独奏:LEO)、今野玲央(こんの・れお)/伊賀拓郎(いが・たくろう)の「松風」(箏独奏:LEO)、ブラームスの交響曲第1番。
今野玲央がLEOの本名である。


今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志と尾﨑平は降り番で、客演アシスタント・コンサートマスターに西尾恵子。第2ヴァイオリン客演首席には清水泰明、ヴィオラの客演首席には林のぞみ。チェロも今日は首席不在。トロンボーンも首席は空いたままである。いつもながらのドイツ式の現代配置による演奏。ステージのすり鉢の傾斜はまあまあ高めである。


伊福部昭の「SF交響ファンタジー」第1番。「ゴジラ」の主題に始まり、伊福部が手掛けた円谷映画の音楽をコンサート用にまとめたもので、第1番から第3番まであるが、「ゴジラ」のテーマがフィーチャーされた第1番が最も人気である。ちなみに「ゴジラ」のテーマは、伊福部がラヴェルのピアノ協奏曲の第3楽章から取ったという説があり、本当かどうか分からないが、伊福部がラヴェルの大ファンだったことは確かで、ラヴェルが審査員を務める音楽コンクールに自作の「日本狂詩曲」を送ろうとしたが、規定時間より長かったため、第1楽章を取ってしまい、そのままのスタイルが今日まで残っていたりする(結局、ラヴェルは審査員を降りてしまい、伊福部はラヴェルに作品を観て貰えなかったが、第1位を獲得した)。

「SF交響ファンタジー」には、若い頃の広上淳一が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して録音した音盤が存在するが、理想的と言っても良い出来となっている。
その広上と同い年の大友が指揮する「SF交響ファンタジー」第1番。大友らしい構築のしっかりした音楽で、音も息づいているが、映画のために書かれた音楽が元となった曲としては少しお堅めで、大友の生真面目な性格が出ている。もっと外連のある演奏を行ってもいいはずなのだが。
大友も1990年代には、NHK大河ドラマのオープニングをよく指揮していた。大河のテーマ音楽は、NHKの顔になるということで、当代一流と見なした作曲家にしか作曲を依頼せず、N響が認める指揮者にしか指揮させていない。近年では、正指揮者に任命された下野竜也が毎年のように指揮し、その他に元々正指揮者の尾高忠明(「八重の桜」、「青天を衝け」など)、共演も多い広上淳一(「光る君へ」、「麒麟がくる」、「軍師官兵衛」、「龍馬伝」、「新選組!」など)の3人で回している。なお、音楽監督であった時代のシャルル・デュトワ(「葵・徳川三代」)やウラディーミル・アシュケナージ(「義経」)、首席指揮者時代のパーヴォ・ヤルヴィ(「女城主直虎」)もテーマ音楽の指揮を手掛けている。将来的には現首席指揮者のファビオ・ルイージも指揮する可能性は高い。
ということで、大友さんも90年代は良いところまで行っていたことが窺える。それが21世紀に入る頃から、大友さんのキャリアに陰りが見え始めるのだが、これは理由ははっきりしない。大友さんは、「色々リサーチしたが、世界で最もクラシック音楽の演奏が盛んなのは東京なのだから東京を本拠地にするのがベスト」という考えの持ち主である。ただ海外でのキャリアが数えるほどしかないというのはブランドとして弱かったのだろうか。


LEOをソリストに迎えた2曲。箏奏者のLEOは、「題名のない音楽会」への出演でお馴染みの若手である。1998年生まれ、16歳でくまもと全国邦楽コンクールにて史上最年少での優勝を果たし、注目を浴びる。これまで数々の名指揮者や名オーケストラと共演を重ねている。

宮城道雄/池辺晋一郎の管弦楽のための「春の海」。お正月の音楽としてお馴染みの「春の海」に池辺晋一郎が管弦楽をつけたバージョンで、1980年の編曲。森正指揮のNHK交響楽団の演奏、唯是震一の箏によって初演されている。
尺八の役目はフルートが受け持ち(フルート独奏:上野博昭)。開けた感じの海が広がる印象を受ける。まるで地球の丸く見える丘から眺めた海のようだ。


今野玲央/伊賀拓郎の「松風」。作曲はLEOこと今野玲央が行っており、弦楽オーケストラ伴奏のためのアレンジを伊賀拓郎が務めている。
LEOは繊細な響きでスタート。徐々にうねりを高めていく。「春の海」が太平洋や瀬戸内の海なら、「松風」は日本海風。ひんやりとしてシャープな弦楽の波が現代音楽的である。
実際は、「松風」は海を描いたものではなく、二条城二の丸御殿「松」の障壁画を題材としたものである。二条城の障壁画は、私が京都に来たばかりの頃は、オリジナルであったのだが、傷みが激しいということで、現在はほぼ全てレプリカに置き換えられている。
「松風」は初演時にはダンスのための音楽として、田中泯の舞と共に披露された。


LEOのアンコール演奏は、自作の「DEEP BLUE」。現代音楽の要素にポップな部分を上手く絡めている。


ブラームスの交響曲第1番。コンサートレパートリーの王道中の王道であり、これまで聴いてきたコンサートの中で最も多く耳にしたのがこの曲のはずである。なにしろ、1990年に初めて生で聴いたコンサート、千葉県東総文化会館での石丸寛指揮ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉(現・千葉交響楽団)のメインがこの曲だった。
現在、来日してN響を指揮しているヘルベルト・ブロムシュテットの指揮でも2回聴いている(オーケストラは、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とNHK交響楽団)。パーヴォ・ヤルヴィ指揮でも2回聴いているはずである(いずれもドイツ・カンマ-フィルハーモニー・ブレーメン)。

大友さんは、21世紀に入った頃から芸風を変え始め、力で押し切るような演奏が増えた。どういう心境の変化があったのか分からないが、小澤征爾との関係が影響を与えているように思われる(小澤と大友は師弟関係であるが明らかに不仲である)。

ただ今日の演奏は、力技が影を潜め、流れ重視の音楽になっていた。
今日は全編ノンタクトで指揮した大友。この曲では譜面台を置かず、全て暗譜での指揮である。
冒頭はどちらかというと音の美しさ重視。悲哀がそこはかとなく漂うが、悲劇性をことさら強調することはない。ティンパニも強打ではあるが柔らかめの音だ。その後も押しではなく一歩引いた感じの音楽作り。大友さんもスタイルを変えてきたようだ。そこから熱くなっていくのだが、客観性は失わない。

第2楽章は、コンサートマスターの石田泰尚が、優美なソロを奏でる。甘く、青春のような若々しさが宿る。

第3楽章もオーケストラ捌きの巧みさが目立ち、以前のような力みは感じられない。第4楽章もバランス重視で、情熱や歓喜の表現は勿論あるが、どちらかというと作為のない表現である。ただ大友は楽団員を乗せるのは上手いようで、コンサートマスターの石田を始めヴァイオリン奏者達が前のめりになって弾くなど、大友の表現に積極的に貢献しているように見えた。

大仰でない若々しいブラームス。この曲を完成させた43歳時のブラームスの心境が伝わってくるような独特の味わいがあった。


大友の著書『クラシックへの挑戦状』(中央公論新社)の中に、小澤征爾は二度登場する。うち一度は電話である。いずれも大友にとっては苦い場面となっている。師弟関係であり、著書に登場しながら、巻末の謝辞を述べる部分に小澤征爾の名はない。
力で押すのは晩年の小澤の音楽スタイルでもある。そこからようやく離れる気になったのであろうか。

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2024年10月31日 (木)

コンサートの記(866) アジア オーケストラ ウィーク 2024 ハンス・グラーフ指揮シンガポール交響楽団@京都コンサートホール エレーヌ・グリモー(ピアノ)

2024年10月19日 京都コンサートホールにて

アジア オーケストラ ウィークが関西に戻ってきた。

午後4時から、京都コンサートホールで、アジア オーケストラ ウィーク 2024 京都公演を聴く。
アジアのオーケストラを日本に招く企画、「アジア オーケストラ ウィーク」は、当初は東京の東京オペラシティコンサーホール“タケミツ メモリアル”と大阪のザ・シンフォニーホールの2カ所で行われていたが、東日本大震災復興への希望を込めて、東京と東北地方での開催に変更。関西で聴くことは叶わなくなっていた。だが、今年は一転して京都のみでの開催となっている。


シンガポール交響楽団は、1979年創設と歴史は浅めだが、アジアのオーケストラの中ではメジャーな方。ラン・シュイ(水蓝)が指揮したCDが数点リリースされている。

治安が良く、街が綺麗なことで知られるシンガポール(そもそもゴミを捨てると罰金刑が課せられる)。日本人には住みやすく、「東京24区」などと呼ばれることもあるが、シンガポール自体は極めて厳しい学歴主義&競争社会であり、シンガポールに生まれ育った人達にとって必ずしも過ごしやすい国という訳でもない。競争が厳しいため、優秀な人が多いのも確かだが。
シンガポールもヨーロッパ同様、若い頃に将来の進路を決める。芸術家になりたい人はそのコースを選ぶ。学力地獄はないが、音楽性の競い合いもまた大変である。

無料パンフレットには、これまでのアジア オーケストラ ウィークの歴史が載っている。私がアジア オーケストラ ウィークで聴いたことのあるオーケストラは以下の通り、会場は全て大阪・福島のザ・シンフォニーホールである。
上海交響楽団(2004年)、ソウル・フィルハーモニック管弦楽団(2004年。実はソウルには日本語に訳すとソウル・フィルハーモニック管弦楽団になるオーケストラが二つあるという紛らわしいことになっており、どちらのソウル・フィルなのかは不明)、ベトナム国立交響楽団(2004年。本名徹次指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団(2004年。岩城宏之指揮。これが岩城の実演に接した最後となった)、オーストラリアのタスマニア交響楽団(2005年。オーストラリアはアジアではないが、アジア・オセアニア枠で参加)、広州交響楽団(2005年。余隆指揮。このオーケストラがアジア オーケストラ ウィークで聴いた海外のオケの中では一番上手かった)、ハルビン・黒龍江交響楽団(このオケがアジア オーケストラ ウィークで聴いた団体の中では飛び抜けて下手だった。シベリウスのヴァイオリン協奏曲を取り上げたが、伴奏の体をなしておらず、ソリストが不満だったのか何曲もアンコール演奏を行った。女性楽団員が「長いわね」と腕時計を見るって、何で腕時計してるんだ?)。一応、このオーケストラは朝比奈隆が指揮したハルビン交響楽団の後継団体ということになっているが、歴史的断絶があり、実際は別のオーケストラである。この後、アジア オーケストラ ウィークは大阪では行われなくなった。2021年にはコロナ禍のため、海外の団体が日本に入国出来ず、4団体全てが日本のオーケストラということもあった。日本もアジアなので嘘偽りではない。
2022年には琉球交響楽団が参加しているが、大阪ではアジア オーケストラ ウィークとは別の特別演奏会としてコンサートが行われている。

そして今年、アジア オーケストラ ウィークが京都に来た。

指揮は、2022年にシンガポール交響楽団の音楽監督に就任したハンス・グラーフ。2020年にシンガポール響の首席指揮者となり、そこから昇格している。オーストリア出身のベテラン指揮者であるが、30年ほど前に謎の死亡説が流れた人物でもある。当時、グラーフは、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督で、ピアノ大好きお爺さんことエリック・ハイドシェックとモーツァルトのピアノ協奏曲を立て続けに録音していたのだが、「レコード芸術」誌上に突然「ハンス・グラーフは死去した」という情報が載る。すぐに誤報と分かるのだが、なぜ死亡説が流れたのかは不明である。ハイドシェックは、当時の大物音楽評論家、宇野功芳(こうほう)の後押しにより日本で人気を得るに至ったのだが、宇野さんは敵が多い人だっただけに、妨害工作などがあったのかも知れない。ともあれ、ハンス・グラーフは今も健在である。
これまで、ヒューストン交響楽団、カナダのカルガリー・フィルハーモニー管弦楽団、フランスのボルドー・アキテーヌ管弦楽団、バスク国立管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督として活躍してきた。


曲目は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、シンガポールの作曲家であるコー・チェンジンの「シンガポールの光」、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」


開演の大分前から、多くの楽団員がステージ上に登場。さらっている人もいるが特に何もしていない人もいる。そうやって人が増えていって、最後にゲストコンサートマスターのマルクス・グンダーマン(でいいのだろか。アルファベット表記なので発音は分からず)が登場して拍手となる。なお、テューバ奏者としてNatsume Tomoki(夏目智樹)が所属しており、夏目の「アジア オーケストラ ウィークに参加出来て光栄です」という録音によるメッセージがスピーカーから流れた。

ヴァイオリン両翼の古典配置がベースだが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや上手寄り。指揮者の正面にはファゴットが来る。またホルンは中央上手側後列に陣取るが、他の金管楽器は、上手側のステージ奥に斜めに並ぶという、ロシア式の配置が採用されている。なぜロシア式の配置を採用しているのかは不明。
多国籍国家のシンガポール。メンバーは中華系が多いが、白人も参加しており、日本人も夏目の他に、第2ヴァイオリンにKURU Sayuriという奏者がいるのが確認出来る。


グラーフは、メンデルスゾーンとベートーヴェンは譜面台を置かず、暗譜で振る。指揮姿には外連はなく、いかにも職人肌というタイプの指揮者である。その分、安定感はある。

メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲は、各楽器、特に弦楽器がやや細めながら美しい音を奏でるか、ホールの響きに慣れていないためか、内声部が未整理で、モヤモヤして聞こえる。それでも推進力には富み、活気のある演奏には仕上がった。


ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。今年はラヴェルの伝記映画が公開され、ピアノ協奏曲の2楽章がエンディングテーマとして使用されている。

ソリストのエレーヌ・グリモーは、フランスを代表する女流ピアニスト。変人系美人ピアニストとしても知られている。幼い頃からピアノの才能を発揮するが、同時に自傷行為を繰り返す問題児でもあった。美貌には定評があり、フランス本国ではテレビCMに出演したこともある。オオカミの研究者としても知られ、オオカミと暮らすという、やはりちょっと変わった人である。先月来日する予定であったが、新型コロナウイルスに感染したため予定を変更。心配されたが、X(旧Twitter)には、「東アジアツアーには参加する」とポストしており、予定通り来日を果たした。


グリモーのピアノであるが、メカニックが冴え、第1楽章では爽快感溢れる音楽を作る。エスプリ・クルトワやジャジーな音楽作りも利いている。
第2楽章は遅めのテンポでスタート。途中で更に速度を落とし、ロマンティックな演奏を展開する。単に甘いだけでなく、夢の中でのみ見た幸せのような儚さもそこはかとなく漂う。
第3楽章では、一転して快速テンポを採用。生まれたてのような活きのいい音楽をピアノから放っていた。


アンコール演奏は2曲。シルヴェストロフの「バガテル」は、シャンソンのような明確なメロディーが特徴であり、歌い方も甘い。ブラームスの間奏曲第3番では深みと瑞々しさを同居させていた。


休憩を挟んで、コー・チェンジンの「シンガポールの光」。オーケストラの音の輝きを優先させた曲だが、音楽としてもなかなか面白い。揚琴(Yangqin)という民族楽器を使用しているが、楽器自体は他の楽器の陰に隠れて見えず。演奏しているのはパトリック・Ngoというアジア系の男性奏者である。良いアクセントになっている。


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。日本では「運命」のタイトルで知られるが(西洋では余り用いられない。ごくたまに用いられるケースもある)、北京語では運命のことを命運と記すので、「運命」交響曲ではなく、「命運」交響曲となる。

冒頭の運命動機はしっかりと刻み、フェルマータも長めで、その後、ほとんど間を空けずに続ける。流線型のフォルムを持つ格好いい演奏である。アンサンブルの精度は万全とはいえないようで、個々の技術は高いのだが、例えば第4楽章に突入するところなどは縦のラインが曖昧になっていたりもした。
ただ全般的には優れた部類に入ると思う。グラーフには凄みはないが、その代わりに安心感がある。
ラスト付近のピッコロの音型により、ベーレンライター版の譜面を使っていることが分かった。


アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。丁寧で繊細で典雅。シンガポール響の技術も高く、理想的な演奏となる。グラーフも満足げな表情を浮かべていた。

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