カテゴリー「京都コンサートホール」の201件の記事

2021年3月 1日 (月)

コンサートの記(699) 井上道義指揮 京都市交響楽団第508回定期演奏会 ハイドン「朝」「昼」「晩」

2008年1月25日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第508回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団(京響)の第9代常任指揮者を務めた井上道義。

ハイドンの初期交響曲、交響曲第6番「朝」、交響曲第7番「昼」、交響曲第8番「晩」という、人を食ったようなタイトルを持つ3つの交響曲を並べたプログラムである。

外連味たっぷりの指揮が持ち味である井上道義。「最もピリオド・アプローチの似合わない日本人指揮者」のトップを小林研一郎と争うタイプの指揮者だったのだが、何故か最近、ピリオド・アプローチに手を出した。ニコラウス・アーノンクールが2005年の京都賞を受賞した記念に、国立京都国際会館で京都フィルハーモニー室内合奏団相手にピリオド・アプローチの公開ワークショップを行っているのだが、井上はそこにも顔を見せていたそうである。

京都コンサートホールのステージを見て、まず苦笑。
京都コンサートホール大ホールのステージは、管楽器奏者や打楽器奏者が指揮を見やすいように、ステージ後方がコンピューター操作によってせり上がるようになっている。そのせり上がりを目一杯利用して、ステージ後方のせりを壁のようにしてしまい、ステージ面積が通常の半分以下になっている。
ピリオド・アプローチによるハイドンということで小編成での演奏であり、それを視覚的に強調するようになっているのだ。のっけから遊び心全開である。最後部のせりは上げず、ステージ後ろから見ると、ステージと客席(ポディウム席)の間に空堀が掘られたようになっている。その空堀の底にライトが仕込んである。何かやりそうである。


オーケストラのメンバーが登場し、チューニングが終わる。それとほぼ同時に見るからにやる気満々の井上道義が登場、演奏が始まる。
予想通り、ユーモアたっぷりの指揮姿。ただ余りに大袈裟で、徐々に井上のナルシシズムが鼻につくようになる。
ピリオド・アプローチというと、ビブラートを抑えめにした透明な弦の音と、力強い管の音が特徴で、サー・サイモン・ラトルやパーヴォ・ヤルヴィ、ダニエル・ハーディング、サー・チャールズ・マッケラスなど、現代楽器によるピリオド・アプローチを得意とする指揮者の演奏を聴くと、アグレッシブな音にこちらの血が騒ぐ。
井上の指揮する京響は確かに音はきれいだけれど、生命力にはいくぶん欠ける。井上が、音楽と同等かそれ以上に自身の指揮姿の演出に力を入れているのも気になる。

交響曲第8番「晩」の第4楽章のような激しい音楽の演奏がやはり一番出来が良い。井上はピリオドはやらない方がいいんじゃないだろうか。ピリオドをやっている井上道義というのはどこかギャグ的である(そこが井上の狙いなのだろうが)。


前半が「朝」と「昼」、後半が「夜」の演奏。どの曲も20分ちょっとの作品なので、後半はかなり早い時間に終わる。ということでアンコール演奏(というより隠れプログラム)がある。やはりハイドンの交響曲第45番「告別」より第4楽章。
交響曲第45番「告別」第4楽章は、曲が進むにつれて演奏している楽器がどんどん減っていくという特異な構造を持つ。

ハイドンのご主人様であったニコラウス・エステルハージ候が、ある年、夏の離宮で長期滞在したため、ハイドンの部下である楽団員達は妻や子の待つ実家に戻れず嘆いていた。その状況を見るに見かねたハイドンが作曲したのが「告別」である。第4楽章で、楽団員達が一人、また一人と譜面台の上のロウソクの灯を吹き消して退場するのを見たエステルハージ候は、その意図を悟り、すぐさま離宮での生活を打ちきりにしたという。

今回は、初演時の演出を取り入れる。照明が抑えられ(ここで空堀の下のライトが活躍する)、各々の譜面台の上に置かれたロウソクに灯が点った状態で演奏がスタート。京響のメンバーは曲が進むにつれてどんどんステージを去っていく。最後は暗闇に。
いかにも井上好みの演奏会であった。

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2021年2月23日 (火)

コンサートの記(696) 小泉和裕指揮 京都市交響楽団第653回定期演奏会

2021年2月19日 京都コンサートホールにて

午後6時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第653回定期演奏会を聴く。指揮は小泉和裕。

緊急事態宣言発出により、チケットの発売が遅れた公演。定期会員にあたる京響友の会の会員でS席とA席は埋まったため、それ以外の席を1回券として発売。午後8時まで公演を終える必要があるため、開演時間を通常の午後7時から1時間早め、曲目も変更。当初、ヴァイオリン独奏を務める予定だったクララ=ジュミ・カンが外国人全面入国禁止措置により来日出来なくなったため、代役を南紫音(みなみ・しおん)が務める。

京都市出身の小泉和裕。京都市立堀川高校音楽科(現在の京都市立京都堀川音楽高校の前身)を経て、東京藝術大学指揮科に入学。第2回民音指揮者コンクール(現在の東京国際音楽コンクール指揮部門)で第1位を獲得し、1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の創設に参加(新日フィルは日フィル争議によって生まれており、実質的には分裂である)。その後、ベルリンに留学し、オペラの指揮法などを学ぶ。翌1973年に第3回カラヤン国際指揮者コンクールで第1位を獲得し話題となる。カラヤン国際指揮者コンクール優勝の特典は、「ベルリン・フィル演奏会での指揮」であり、小泉もベルリン・フィルとの初共演を果たしている。1975年にはベルリン・フィルの定期演奏会の指揮台にも立ち、またもう一方の雄であるウィーン・フィルともザルツブルク音楽祭で共演を果たしている(定期演奏会への登場はないようである)。東京都交響楽団とのコンビで知られるが、出身地の関西でも大阪センチュリー交響楽団の首席客演指揮者や音楽監督(橋下府政よってオーケストラへの補助金が打ち切られる可能性が示された時の音楽監督であり、演奏会の前にトークを行い、楽団の危機を訴えたことがある。大阪府が中心になって創設された大阪センチュリー交響楽団は大阪府との関係を解消して日本センチュリー交響楽団として再出発することになった)を務め、現在は九州交響楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の特別客演指揮者を務め、東京都交響楽団からは終身名誉指揮者の称号を得ている。

佐渡裕が若い頃に同郷の先輩である小泉のアシスタントを務めていたことがあり、佐渡の著書にもその頃の小泉の姿が描かれているが、親分肌で人を喜ばせるのが好きな性格を窺い知ることが出来る(リハーサルの前に「そこで美味しいタコ焼きを見つけた」というので、楽団員全員分買ってきて振る舞うなど)。
海外でのキャリアもあり、1983年から1989年までカナダのウィニペグ交響楽団の音楽監督を務めている。

曲目は、ワーグナーの歌劇「リエンツィ」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:南紫音)、ブラームスの交響曲第1番。

小泉は譜面台を置かず、全曲暗譜での指揮である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭、オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子、ホルン首席の垣本昌芳はブラームスのみの出演である。第2ヴァイオリンの客演首席には今日は下田詩織が入る。
ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄りに置かれ、指揮者の正面にはトランペットやトロンボーンが配される。

平日の午後6時開演だと、駆けつけるのが難しい人もいると思われるが、入りは状況を考えれば悪いという程ではない。

ワーグナーの「リエンツィ」序曲。小泉らしい明快な演奏で、音の輝きと影の部分の描きわけが上手い。いわゆる「ワーグナーっぽい」演奏ではないかも知れないが、コンサートの幕開けには相応しい選曲と解釈である。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。三大ヴァイオリン協奏曲の一つであり、知名度は最も上で、冒頭のヴァイオリンの旋律は誰もが一度は聴いたことがあると思われるが、コンサートのプログラムに載る回数は、三大ヴァイオリン協奏曲の残る二つ、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とブラームスのヴァイオリン協奏曲、そして三大には入らないが演奏頻度はナンバーワンだと思われるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に比べると多くないように思われる。繊細にして優雅且つ憂いを帯びた曲調は日本人が最も好みそうであるが、最近は明るくて勢いのある曲の方が人気なのかも知れない。

南紫音は、1989年生まれの若手。福岡県北九州市の生まれであり、2005年に北九州市民文化奨励賞、2006年には福岡県文化賞を受賞している。北九州市はNHK交響楽団のコンサートマスターである“MORO”こと篠崎史紀の出身地であり、南も篠崎の両親である篠崎永育と美樹の夫妻にヴァイオリンを師事している。
2004年にナポリで行われた第13回アルベルト・クルチ国際ヴァイオリン・コンクールに15歳で優勝。ロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門やハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで2位入賞などコンクール歴も華麗である。

南は名前にある紫ではなく、濃紺のドレスで登場。弾き始めは現在の一般的な速度に比べるとやや遅めで、優雅な旋律を愛でるように奏でる。技術よりも美音で聴かせるタイプだが、磨き抜かれた音が心地良く、技術も高い。他の有名ヴァイオリニストに比べると個性の面で弱いかも知れないが、音楽性自体は優れている。

ブラームスの交響曲第1番。冒頭は悲劇性を強調せず、流麗であるが、木管などの内声がクッキリと聞き取れる見通しの良い演奏である。室内楽的と呼ぶことも可能かも知れない。そこから音が徐々に熱していき、激しいぶつかり合いを見せるようになる。

ブラームスの交響曲第1番は、ベートーヴェンの交響曲を意識しており、「苦悩から歓喜へ」という物語性を持つが、今日の演奏は物語に従うのではなく、音そのもののドラマを描き出しており、京響のパワーも加味された熱い演奏となるが、暑苦しさには陥らず、峻烈だが獰猛ではない絶妙なバランスによる音の闘いがステージ上で繰り広げられる。

第2楽章の泉原隆志のヴァイオリンソロも美しく、ホルンの垣本昌芳とのやり取りも見事である。

フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子、クラリネットの小谷口直子の演奏も冴えまくっている。ティンパニの中山航介の抜群のリズム感と適切な打撃音の創造も見事だ。

フォルム重視の小泉だが、第4楽章ではアッチェレランドを行うなど盛り上げ方も上手く、金管のコラールも神々しくて、京響が演奏した数多くのブラームスの交響曲第1番の中でもトップレベルの演奏となった。

京都市交響楽団の卓越した技術力あってこその名演であり、小泉のやりたい演奏が可能になったのも京響の成長と充実に拠るところが大きい。ともあれ、小泉本人も「会心の出来」と確信したはずで、緊急事態宣言の中で成し遂げられた勝利への狼煙のような特別な演奏会となった。

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2021年2月13日 (土)

コンサートの記(695) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 京都ミューズ フォーレ「レクイエム」+林光「木琴協奏曲・夏の雲走る」(日本初演)

2007年7月14日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールへ。台風が接近中であり、たまにどしゃ降りになる。

今日のコンサートは、下野竜也(しもの・たつや)指揮京都市交響楽団(京響)の演奏で、前半はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」と林光の木琴協奏曲「夏の雲走る」(日本初演)の演奏。木琴独奏は通崎睦美(つうざき・むつみ)。
後半は、京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団を加えて、フォーレの「レクイエム」が演奏される。ソプラノ独唱:日紫喜恵美(ひしき・えみ)――今日のコンサートは読みにくい苗字の人が多いなあ、他人のことは言えないけれど――、バスバリトン独唱:片桐直樹。

下野竜也は1969年、鹿児島県生まれの若手指揮者。見るからに「薩摩隼人」という風貌の持ち主である。若手としてはオーケストラを鳴らす術に長けており、「フィンガルの洞窟」は迫力がありながら細部までの目配りも怠らない好演であった。

林光は現代の作曲家としては平易な作風を特徴とする。木琴協奏曲はリズミカルでユーモラスな木琴独奏が実に楽しい。通崎睦美も遺漏のない演奏。下野指揮の京響もリズムの良い伴奏を奏でた。
演奏終了後、客席にいた林光がステージに上がり、聴衆からの喝采を浴びる。


京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団は、今回の演奏会のために編成されたアマチュア合唱団。京都市民の参加、自主運営で、今年の1月から今日のために練習を積み重ねてきた。総勢は200名を超える、ってそんな大編成だったらプロの合唱団でも声がずれるぞ。
こちらも、技術面は期待していない。それに私は合唱は聞き込んでいないので詳しくもなく、良し悪しがはっきりわかるわけでもない。
やはり声のズレはあったけれど、大編成のアマチュア合唱団にしては良い部類に入るのではないだろうか。

フォーレの「レクイエム」は、私の大好きな曲。台風だろうか何だろうが聞き逃すわけにはいかない。
ちなみに、先月も大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でフォーレの「レクイエム」は演奏されたのだが、指揮予定の大植英次が突然のめまいにより緊急降板するというハプニングがあった。

下野竜也の指揮はやや速めのテンポを基調とした若々しくも輪郭のクッキリした音楽を作り出す。京響は金管、特にホルンの音色が輝かしい。

ソプラノ独唱の“ピエ・イエス”は、満足するのが非常に難しい曲。オペラ歌手が歌うと(今日のソリストの日紫喜恵美もオペラで活躍している)ドラマティック過ぎて、曲の持つ楚々とした旋律美が壊されてしまう。もっともそう感じるのは、ミシェル・コルボという指揮者がボーイ・ソプラノや、ボーイ・ソプラノに近い声質を持ったソプラノ歌手にソリストを務めさせた名盤が複数存在するからなのだが。
日紫喜恵美も少しドラマティックに過ぎる箇所があったが、曲の雰囲気にはそこそこ合っていたのではないかと思う。

終演後、花束贈呈がある。指揮者の下野竜也が受け取った花束を手にステージ奥へと進み、ポディウム席に陣取っていた女声コーラス陣に花束を投げて渡す。粋なことをやる。

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2021年2月 5日 (金)

コンサートの記(691) 下野竜也指揮 第16回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2021年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第16回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。これまで広上淳一が指揮台に立つことが多かったが、今回は下野竜也が初めてジュニアオーケストラを振ることになった。コロナの影響は避けられず、演目を変更しての開催である。

午後1時開場であるが、全席自由ということもあり、開場前に行列が出来るのを防ぐために時差入場を実施しており、私が買ったチケットには午後1時20分以降の入場と記されていた。午後1時15分頃に京都コンサートホールの入り口に着いたので、5分待つことにしたが、レセプショニストさんによると、行列が出来ていないので、もう入場可とのことだった。

最優先されるのは、やはりジュニアオーケストラメンバーの親御さんだと思われるのだが、見渡したところ、両親に当たる年齢の男女(私と同世代が多いはずである)のコンビは余り見当たらなかった。客層としては京都市交響楽団の定期演奏会のそれに近い。1階席は埋まっている席が多かったため、3階席へ向かう。京都コンサートホールの2階席はサイド席しかなく、音が今ひとつだが、3階席はステージからは遠めだが音はビビッドに届く。今日はヴァイオリニストの小林美樹がソリストとして3曲に登場するということで、Rサイド(RIGHT、右側席)の、ソロヴァイオリンの音像が結ばれやすい席に座る。開演10分ほど前に、「こっちの方が見やすいよね」といった内容の話をしている男性二人組が後ろを通り過ぎたが、そのうちの一人が、1階席の入りを確認するために、ひょいっと顔を覗かせる。背の低い、頭の輝く男性で、マスクと眼鏡を掛けていたが、すぐに広上淳一だと分かった。

京都市ジュニアオーケストラは、2005年の結成。京都市内在住もしくは通学の青少年からなるオーケストラで、入団するには選抜試験を通過する必要がある。必ずしも音楽家志望の子達が入団しているという訳ではないが、「医師免許を持つヴァイオリニスト」として有名になった石上真由子は、初期の京都市ジュニアオーケストラでコンサートミストレスを務めていた。広上淳一が、「音楽家を目指している子ばかりではなく、お医者さんを目指している子がいたり」と紹介していたことがある「お医者さんを目指している子」というのはおそらく石上真由子のことであったと思われる。

各楽器の指導には京都市交響楽団の楽団員が当たり、合奏指導は広上の弟子の一人である大谷麻由美が行った。

 

曲目は、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、リヒャルト・シュトラウスの13管楽器のためのセレナード、マスネの「タイスの瞑想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、サラサーテの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、J・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲(独奏第1ヴァイオリン:小林美樹、独奏第2ヴァイオリン:山﨑祥恩)、シューマンの交響曲第4番。

ステージ上で密になる時間をなるべく短くするため、第1曲に金管楽器と打楽器のみによる「市民のためのファンファーレ」を置き、2曲目に木管楽器主体の13管楽器のためのセレナードが続く。

いずれの曲でも充実した響きが奏でられ、京都市ジュニアオーケストラの技術と表現力の高さが感じられる。下野も拍をきっちり振るなど、いつも以上に明快な指揮を行っているように見えた。

 

マスネの「タイスの瞑想曲」とサラサーテの「カルメン幻想曲」でソロを受け持つ小林美樹は、若手人気ヴァイオリニストの一人。1990年生まれ。2011年に第14回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで第2位を受賞し、注目を浴びる。桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学ソリストディプロマコース(学科授業はなく、プロのヴァイオリン奏者を本気で志す者のみが入学を許される育成コース)に特待生として入学し、その後、明治安田クオリティオブライフ及びロームミュージックファンデーションから全額奨学金を得てウィーン私立音楽大学に学んでいる。

以前、京都市交響楽団の大阪定期公演にソリストとして登場した時に聴いたことがあるが、女性としては高身長で、海老反りになって弾くことが多いのが印象的であった。
今日はターコイズブルーのドレスで登場。やはり時折、海老反りになって弾く。磨き抜かれた美音が最大の特徴であるが、メカニックも上質である。童顔系の可愛らしい顔をした女性なのだが、見かけとは異なり、「カルメン幻想曲」ではかなり情熱的な演奏を繰り広げる。

下野指揮の京都市ジュニアオーケストラも色彩豊かな演奏を繰り広げた。

 

後半、小林美樹と京都市ジュニアオーケストラのメンバーである山﨑祥恩(やまざき・しょうおん)の独奏によるJ・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。
山﨑祥恩は、現在、京都市立堀川音楽高校の1年生。小学5年生から京都市ジュニアオーケストラに参加し、コンクールでも金賞や奨励賞、優秀賞などの受賞歴がある。近年では、第29回日本クラシック音楽コンクール全国大会中学校の部で第2位(1位なしで最高位となる)、第74回全日本学生音楽コンクール大阪大会高校の部2位という成績を残しており、この子は確実にプロ志望だと思われる。

柔らかさも持った小林と、鋭さと正確さを武器とする山﨑の柔と剛の対比という趣があり、面白いバッハ演奏となった。京都市ジュニアオーケストラは、弦楽がほぼノンビブラートのピリオド奏法による伴奏を行った。若い人達なので、ピリオドにまだ十分に馴染んでいない感じだったが、総体的には優れた伴奏である。

 

ロベルト・シューマンの交響曲第4番。下野の的確な指揮棒に導かれ、仄暗さや幻想的な曲調も十全に表現した演奏となる。シューマンはオーケストレーションが独特であるため、演奏が難しいことで知られるが、第1ヴァイオリン13名、第2ヴァイオリン11名と大きめの編成での演奏ということもあって、鳴りも十分であり、聴く者を納得させるだけの出来を示した。

 

アンコール1曲目は、シューマンの「トロイメライ」(弦楽合奏版。編曲者不明)。ノスタルジックな叙情美に溢れた演奏であった。

「トロイメライ」演奏後、下野はマイクを手にして再登場。「京都『市立(しりつ)』芸術大学教員の下野竜也です」と「市立」を強調した自己紹介をして客席の笑いを誘う(京都造形芸術大学が一方的に京都芸術大学に校名変更を行ったため、訴訟に発展している)。「ちょっと前までは京都市交響楽団の指揮者もしていた訳ですが」と語った後で下野は京都市ジュニアオーケストラの定期演奏会(定期演奏会という名こそ付いていないが、毎年1月にメインのコンサートを行うので実質的な定期演奏会である)を指揮するのが初めてであること、コロナの影響によりトレーニングの期間が例年の半分ほどしか取れず、曲目も変更せざるを得なかったことを明かし、また京都市ジュニアオーケストラを音楽エリートに育てようという気は毛頭ないことを語る。京都市ジュニアオーケストラは何より「人間形成の場」と捉えているそうで、そのためリハーサルもスパルタで行っていることを明かす。「罵詈雑言こそ浴びせませんでしたが、出来ていない時は出来ていないとハッキリ言いました。出来てもいないのに、『出来てる上手い』と褒める風潮に疑問を感じていた」と語る。音程も含めた音を合わせることに最も傾注したが、「音程を合わせるというのは思いやり」であると述べる。「これは師である広上淳一先生からも何度も言われたことです。相手の音を聴いて、『あれ、自分、外れてないかな』と思いやること」と、周囲の音を聴くことの重要さに触れていた。

 

アンコールの2曲目は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番であり、ステージ後方やポディウムにも管楽器奏者が登場して、大編成での演奏となるのだが、下野は指揮は自分ではなく、合奏指導を行った大谷麻由美が務めることを明かす。
「彼女(大谷)も京都市立芸術大学の出身です。愛媛県出身ですが、ミスみかんにも輝いたことのある美貌の持ち主です。(自分とは違って)スラッとしたの出てきますんで。僕はもう出てきません。さよなら!」と言って下野はステージを後にする。

 

大谷麻由美の指揮によるドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番。
下野は大谷麻由美を「京都市立芸術大学出身」と紹介したが、実は大谷は近畿大学商経学部を卒業後に会社員として働き、三十代に入ってから指揮者を志して京都市立芸術大学に入学したという経歴の持ち主である。プロの指揮者として成功することは難度がかなり高いため、一度は諦めたが、再度挑戦という人は結構多い。日本を代表する指揮者であった朝比奈隆がそうした経歴を持つということも再挑戦組が多い理由だと思われる。下野竜也も実は高校卒業時に「中学の吹奏楽から音楽を始めたからプロの指揮者になるなんて無理だろう」ということで音大には進学せず、音楽教師を目指して地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入るも卒業間近になっても夢を諦められず、「齋藤メソッド」の映像を何度も見て独学し、卒業後に桐朋学園大学付属指揮教室に通ったという再挑戦組である。

その大谷の音楽作りであるが、編成が大きくなったということも影響しているが、音の輪郭を上手く形作ることが出来ず、飽和状態になることが多い。やはり下野のようにはいかないようだ。強弱やニュアンスを細やかに変えることの出来る下野の実力が改めて明らかになる。下野は60年代後半生まれの日本人指揮者としてはおそらくナンバーワンであり、NHK交響楽団に可愛がられて、毎年のように大河ドラマのオープニングテーマの指揮者として指名されていたのも納得である。

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2021年1月28日 (木)

コンサートの記(687) 高関健指揮 京都市交響楽団第652回定期演奏会

2021年1月24日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第652回定期演奏会を聴く。元々はアレクサンドル・スラドコスキーが指揮台に立つ予定だったが、新型コロナウイルスによる外国人入国規制により来日不可となり、代わって昨年3月まで京都市交響楽団常任首席客演指揮者を務めていた高関健がタクトを振るうことになった。

曲目も変更となり、ベートーヴェンの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第5番となる。前の見えない迷宮に迷い込んだような序奏を持つベートーヴェン交響曲第4番は、運命に打ち勝つ交響曲第5番とセットで演奏されることがコロナ禍以降増えているが、高関は少し捻りを加え、ベートーヴェンの交響曲第5番ではなくショスタコーヴィチの交響曲第5番との組み合わせできた。ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、ベートーヴェンの交響曲第5番をなぞる形で書かれたというのが定説であり、同じようなテーマをより現代的に提示した作品を選んだことになる。

 

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。コントラバスは舞台最後部に横一列に並ぶ。クラウディオ・アバドやクルト・マズアも好んだ、最も古典的な配置であり、山形交響楽団がこの形で演奏する時には特別な名前が付いているが、京響なのでそうした名称は用いられない。高関はこのシフトを好んで用いる。
この配置だと、楽器による音の受け渡しが確認しやすく、視覚的にも面白い効果を上げている。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。今日は管楽器の首席奏者はショスタコーヴィチ作品のみの出演。オーボエ首席の髙山郁子は前後半共に出演することが多いが、彼女も今日はショスタコーヴィチのみの出演で、ベートーヴェンは客演の髙崎雅紀がトップの位置でオーボエを吹いた。

演奏の出来は、ショスタコーヴィチ作品の方がはるかに良い。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。ピリオドアプローチを援用しており、弦楽のビブラートは控えめ。ところによって語尾を短くする。バロックティンパニの強打が効果的であり、生命力豊かであるが、全てのパートの音圧が強いため、主旋律が埋もれがちで、ところによっては混濁した印象を受けてしまう。最も力のある現役日本人指揮者の一人に数えられながら90年代以降「壁に当たっている」と言われ続ける高関健。確かに音を積み上げる技術については一流で、ブルックナーや現代音楽の指揮では高い評価を得ているが、流れの良さやしなやかさを犠牲にしている嫌いもある。なかなか両立は難しいということでもある。
京響も管楽器奏者の指が絡まったりと細かな傷があったが、フォルムのしっかりした演奏を繰り広げる。

 

ベートーヴェンも悪い演奏ではなかったが、ショスタコーヴィチの交響曲第5番は高関の音楽性に合っており、桁違いに優れた演奏となった。首席奏者を揃えた管楽器もパワフルであるが、弦のボリュームと鋭さがショスタコーヴィチの才気を表し、打楽器の鳴りも凄絶である。
スケールとパースペクティヴを築く能力に長けた高関。ホール内を揺るがすほどパワフルな演奏に仕上げるが、飽和することはない。
爆発力と抒情性を兼ね備え、第3楽章のオーボエやクラリネットのソロの哀切さの表出も見事だが、ここは高関が奏者に任せている部分が多いように見えた。

第3楽章は哀歌と解釈される場合も多いが、曲調から勘案するに鎮魂歌と考えた方が自然なように思える。ショスタコーヴィチの生きた時代はスターリンによる粛清の嵐が吹き荒れており、無辜の民が数多く命を落としていた。ショスタコーヴィチの知り合いも、一人また一人と消えていったが、故人を犠牲者として偲ぶことさえ罪と見なされかねない時代であった。ショスタコーヴィチは第4楽章のインパクトによって印象に残りにくくなるこの楽章に鎮魂の意を込めたのだろうか。

その第4楽章は、「皮相なまでの凱歌」と呼ばれる行進曲である。今では偽書であるとされているソロモン・ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』で、第4楽章について「強制された喜び」であると、ショスタコーヴィチは語ったとされる。ただ、ラストの展開を見ると、勝利と見なすことすら疑わしく、ショスタコーヴィチが本当は何を込めたのか分からなくなってくる。
メッセージを一つの演奏の印象から読み解くのは危険であるため、それ以上には踏み込まないが、高関と京響の演奏は、この曲の異様さを十分に炙り出していた。

「交響曲としては20世紀最大のヒット作」と言われるショスタコーヴィチの交響曲第5番。ショスタコーヴィチの他の作品の多くが聴けるようになった今では、交響曲第5番をショスタコーヴィチの最高傑作と見なす向きは減りつつあるが、それでも特別な楽曲であることに違いはなく、ショスタコーヴィチがこの曲に込めた謎に挑む人は今後も絶えないであろう。

充実した響きを堪能したコンサートであった。

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2021年1月13日 (水)

コンサートの記(681) ペーター・グート指揮ウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ「ニューイヤー・コンサート」2007京都

2007年1月12日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、ペーター・グート指揮ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラによるニューイヤー・コンサートを聴く。日本を代表する若手ソプラノ歌手・森麻季がゲスト出演する。

ウィンナ・ワルツやポルカのスペシャリストとして一部で高い評価を受けているペーター・グートはもともとはヴァイオリニストであり、生地のウィーンでヴァイオリンを学んだ後、旧ソ連に留学。モスクワ音楽院で当時世界最高のヴァイオリニストの一人であったダヴィッド・オイストラフに師事している。
ウィーン交響楽団の初代コンサートマスターとなったグートは1982年に指揮者としての活動を開始、ヨハン・シュトラウスⅡ世同様、ヴァイオリンを弾きながらオーケストラを指揮することもある。

ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラは名前通りの祝祭オーケストラだが、1978年から活動を続けており、シュトラウス・ファミリーの演奏はお手の物だ。

森麻季は有名だ。
で済ませたいところだが、クラシックの知識のある方ばかりとは限らないので紹介しておくと、1970年、東京に生まれ、東京藝術大学および大学院、文化庁オペラ研修所を経て、イタリアに留学。まずアメリカで成功を収め、日本ではNHK交響楽団との共演で知名度を上げる。昨年(執筆当時。具体的に書くと2006年)、avexからCDデビューしている。伸びやかな高音と華やかな容姿が売りである。

ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラは小編成(ファースト・ヴァイオリン8、セカンド・ヴァイオリン3、ヴィオラとチェロとコントラバスが2。2管編成)であり、京都コンサートホール大ホール向きではない。だから最初の曲である「こうもり」序曲などは音量に不満を感じたが、ワルツやポルカなどは音量よりも音の美しさが重要なのでボリューム不足はさほど気にならなかった。アンサンブルの精度はもう1ランク上を望みたくなるが音の艶やかさは十二分に合格点に達していた。

ペーター・グートの指揮はCDでも耳にしているが、本当に楽しそうにワルツやポルカを演奏する。ショーマンである。これは音だけではわからない。やはり音楽は生が一番である。チケットもそう高くはないんだし。

森麻季は3曲に登場。まずはオペレッタ「こうもり」より“伯爵様、あなたのようなお方は”。続いてワルツ「春の声」。最後がオペレッタ「こうもり」より“田舎娘を演る時は”。いずれも余裕を持って歌われる高音が素晴らしい。ただ今日は私はステージ下手(左側)真横に座っており、私の席からは森の声は聞き取りにくかった。残念。
森は“伯爵様、あなたのようなお方は”ではピンクのドレスにショッキングピンクの手袋、「春の声」では青いドレスにターコイスブルーのショール、“田舎娘を演るときは”ではエメラルドグリーンのドレスに白い手袋で登場。森のドレス姿の鮮やかさに会場のここかしこから女性のため息が起こる。

全プログラムを終えて、グートと森が登場。森は最初に出てきた時と同じピンクのドレスにショッキングピンクの手袋。グートはラデツキー行進曲をオーケストラに演奏させて、自分は森と共に客席に降りて1階席を巡る。会場にいた子供3人を呼んでステージに立たせ、指揮棒を持たせて指揮の真似事をさせると再び森麻季と更にファーストヴァイオリン8人を引き連れて1階席を一巡り。サービス精神旺盛である。


ウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ ニューイヤー・コンサート2007 公演パンフレット(鴨東記)

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2021年1月10日 (日)

コンサートの記(680) 小林研一郎指揮 京都市交響楽団第495回定期演奏会

2006年12月7日 京都コンサートホールにて

雨の中を京都コンサートホールまで歩く。

京都市交響楽団第495回定期演奏会。指揮台に立つのは京都市交響楽団(京響)第8代常任指揮者でもあった「コバケン」こと小林研一郎。コバケンさんが京響の指揮台に立つのは約20年ぶりだそうで、そのためか、今日は立ち見が出るほどの盛況であった。その詰めかけた聴衆は普段京響を聴きに来る常連さんよりもかなりテンションが高め。小林の常任時代を知る人達なのか、あるいはコバケンファンが駆けつけたのか、とにかく演奏終了後、爆発的に盛り上がる。

曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:河村尚子)と、コバケンの十八番であるベルリオーズの幻想交響曲。

河村尚子(かわむら・ひさこ)は、1981年、兵庫県西宮市に生まれた若手ピアニスト。5歳の時に父親の転勤でドイツに渡り、以後ずっとドイツで教育を受け、現在もハノーファー国立音楽大学(大植英次が終身教授を務めている大学である)のソリスト課程で研鑽を積んでいる。国籍も容姿も日本人だが、内面はおそらくヨーロッパ人という、日本の女性演奏家に多いパターン(内田光子や庄司紗矢香などがそうだ)を踏襲しているものと思われるが果たしてどうなのだろう(後記:実際の彼女は日本的な女性であった)。コンクールでも優秀な成績を収めており、ダルムシュタット・ヨーロッパ・ショパン・コンクールなどで優勝。今年の9月にもARDミュンヘン国際コンクール・ピアノ部門で第2位となっている。

コンクール歴は当てにならないというのがクラシック音楽界の常識になっている(受賞歴があったほうがないよりは仕事が増える可能性があるといった程度のものでしかない)ので、河村には余り期待していなかったのだが、予想よりはかなり良いピアニストであった。まだ技術が前面に出過ぎるところがあり、単調になったり、時には乱暴に弾いて見せたりもするが、細部の表情付けがユニークで才能を感じさせる。何より楽しそうにピアノを弾くのが良い。
コバケンの伴奏は旋律を優雅に歌わせる流れ重視ではなく、まずカッチリとした構築を築き、その中で勝負するタイプであるが、モーツァルトの音楽の典雅さは十分出ている。

演奏終了後、爆発的に盛り上がる。確かに良い演奏ではあったが、それほどか? でもまあいいや。

アンコール。河村はモーツァルトのピアノ・ソナタ第18番より第3楽章を弾く。表情豊かな演奏で、やはり河村が楽しそうにピアノを弾くのが良い。


ベルリオーズの幻想交響曲。小林の幻想交響曲は、当時彼が常任指揮者を務めていたハンガリー国立交響楽団の来日公演を生で聴いている。響きの良くない東京国際フォーラム・ホールCでの演奏だったということもあって、特別な名演にはならなかったが、印象深い演奏であった。

久しぶりに聴くコバケンの幻想は、以前よりも低弦を強調。コントラバスのピッチカートなども思い切り弾かせて、第1ヴァイオリンが奏でる典雅な旋律と対比させ、この曲が持つ特異さがより明確に現れるようになっていた。

京響は特に金管が輝かしく、弦も情熱に溢れた音を聴かせる。

第3楽章のイングリッシュホルンとオーボエの対話の場面では、オーボエ奏者(佐渡のオケに入ってすぐに辞めて京響に来たフランス人の彼)を3階席に置いて演奏させ、京都コンサートホールのシューボックス型の内部を上手く生かしていた。

第4楽章、第5楽章の情熱が飛び散る演奏はいつもながら迫力がある。ステージ下手に置かれた大きな鐘の視覚的異様さも幻想交響曲の面白さを引き立てていた。

第5楽章の最後の音が鳴り終わると同時に、洪水のような拍手がホール全体を満たし、「ブラボー」がここかしこで起こる。

コバケンさんはそれぞれの演奏パート毎に立たせて、好演したオーケストラを讃えた。

更にアンコールとして、幻想交響曲第5楽章のラスト40秒を再度演奏。ちょっとサービスしすぎかな、とも思ったが、聴衆は更に盛り上がったので良かったということにする。

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2020年12月30日 (水)

コンサートの記(676) 広上淳一指揮京都市交響楽団 特別演奏会「情熱のチャイコフスキー・ガラ」

2020年12月26日 京都コンサートホールにて

午後6時から、京都コンサートホールで、広上淳一指揮京都市交響楽団による特別演奏会「情熱のチャイコフスキー・ガラ」を聴く。

本来なら今日と明日、同じコンビによる第九演奏会が行われる予定だったのだが、合唱の飛沫が危険であることは否定出来ないということで、声を出さない器楽のソリストを呼んでのガラコンサートとなった。ピアノ、チェロ、ヴァイオリンの独奏ということで、いずれにおいても代表作のあるチャイコフスキーが選ばれたのだと思われる。ドヴォルザークもピアノ、チェロ、ヴァイオリンの協奏曲全てが名曲だが、チェロ協奏曲以外は知名度が低い。ヴァイオリン協奏曲は隠れた大傑作であると思われるが、隠れた曲ではお客が集まらない。やはり季節的にいってもチャイコフスキーが最適であろう。

曲目は、ピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:岡田奏)、ロココ風の主題による変奏曲(原典版。チェロ独奏:佐藤晴真)、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)。ピアノ協奏曲第1番の演奏の後に休憩が入る。

チケット完売御礼であるが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンスフォーメーションであり、入りは900名程だと思われる。

今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(あいだ・りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。チャイコフスキー作品ではフルートが活躍することが多いというので、首席フルート奏者の上野博昭が全曲に登場する。クラリネット首席の小谷口直子は降り番であるが、他の楽器は首席奏者が出演する。第2ヴァイオリンの客演首席には読売日本交響楽団の瀧村依里が入る。

 

ピアノ協奏曲第1番のソリストである岡田奏(おかだ・かな)は、北海道出身の女性ピアニストである。函館市に生まれ、パリ国立高等音楽院に学び、プーランク国際ピアノ・コンクール第1位、ピアノ・キャンパス国際コンクール1位、エリザベート王妃国際コンクールでファイナリストなどのコンクール歴を誇り、世界中の名オーケストラや名指揮者と共演を重ねている。

広上指揮の京響はゴージャスな中にも初冬の空気のようにひんやりとした感触のある音を奏で、(行ったことはないけれど)ロシアの広大な大地が目に浮かぶようなスケール豊かな演奏を展開する。ちょっとした音の揺らしも効果的である。
岡田奏は、女性ピアニストであるが、がっしりとした構築感を持つ堅固なピアノを奏でる。高音の霞がかったような響きも独特である。
今日は3階席の上手側ステージサイド、広上淳一を斜め前から見る角度の席だったのだが(チケットは京響友の会優先であるため、一般は発売の時点で良い席がほとんど残っていなかった)、天井が近いため、真上に飛んだ音が比較的長い間留まっているのがわかる。また各楽器の技量も把握しやすいのだが、上野博昭の冴え冴えとしたフルートの音色が印象的であった。こういう時はやはり上野さんでないと。

 

チェロ独奏とオーケストラのためのロココ風の主題による変奏曲(原典版)。
チャイコフスキーはチェロに余り詳しくなかったため、ドイツ人のチェリストである友人のヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンに監修を依頼し、初演が行われたのだが、その後にフィッツェンハーゲンがチェロパートを大幅に改変したものが決定稿として出版され、以後はこちらの版がスタンダードとなっている。その後に、フィッツェンハーゲンが手を加えたスコアからチャイコフスキーの筆跡をX線で読み取るという方法で原典版が復元され、今回はこちらの版での演奏となる。

チェロ独奏の佐藤晴真は、現在22歳という若手チェリスト。2019年にはミュンヘン国際音楽コンクール チェロ部門にて日本人として初めて優勝。その前年にもルトスワフスキ国際チェロ・コンクールで1位と特別賞に輝いている。現在はベルリン芸術大学にてチェロをJ=P・マインツに師事している。

佐藤晴真のチェロは温かくて張りのある音を出す。広上指揮の京響もピアノ協奏曲第1番の時とは違い、ぬくもりのあるチャーミングな音で応え、真冬に暖炉に当たりながら聴くのに相応しいようなノスタルジックな趣を讃えていた。

 

人気若手ヴァイオリニストである三浦文彰が独奏を務めるヴァイオリン協奏曲ニ短調。
広上と京響は春の蠢きのような冒頭から生命力に満ちた音を響かせる。同じ指揮者とオーケストラによる演奏であるが、曲ごとに色と温度を変え、透明感も増していく。コロナ禍の真っ只中であるが、今日この場所にだけはいつもと変わらぬ豊かな自然が音として息づいているかのようである。
三浦のヴァイオリンはシャープ。特に弱音に艶があり、難敵を次々と斬り伏せていく若武者のような勇ましさも備えている。
上野のフルートが春の息吹を伝え、最終楽章における春爛漫の爆発を予言する。
広上もヴィオラを浮き上がらせたり、低音部を立体的に築くなど効果的なバランスによる生き生きとした音楽作りを行い、明日への希望へと繋がるようなエネルギーでホールを満たした。

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2020年12月24日 (木)

コンサートの記(674) 「京都市交響楽団 クリスマスコンサート」2020

2020年11月20日 京都コンサートホールにて

午後3時から京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 クリスマスコンサート」を聴く。
メインはレイモンド・ブリッグズ原作の無声アニメーション「スノーマン」(1982年制作)のフィルムコンサートであり、主に子ども向け、親子向けのコンサートである。「スノーマン」のフィルムコンサートは、以前にも京都市交響楽団のオーケストラ・ディスカバリーで園田隆一郎の指揮によって上映されたことがあり、好評を受けての再演ということになったのだと思われる。

今日の指揮者は広上淳一門下の関谷弘志。知名度はそれほど高くないが、「三度の飯よりクラシック音楽が好き」という人なら名前ぐらいは知っているという指揮者である。
関谷弘志は、元々はフルート奏者で、パリのエコール・ノルマルでのフルート科を卒業し、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)のフルート奏者として活躍した後に東京音楽大学の指揮科に入学し、広上淳一と三石精一に師事している。
これまでに仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢の専属指揮者などを経て、現在は同志社女子大学学芸学部音楽学科講師(吹奏楽担当)を務めている。

 

曲目は、第1部「ファンタジック・メロディ」が、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」、「忘れられた夢」、「フィドル・ファドル」、J・S・バッハ/グノーの「アヴェ・マリア」(オーケストラ編曲者不明)、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から“花のワルツ”。第2部が、ハワード・ブレイクの音楽による「スノーマン」フィルムコンサートだが、途中休憩はなく、上演時間約1時間に纏められている。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置による演奏だが、「スノーマン」の上映のため、ステージは管楽器奏者が一段高くなっているだけで、高さは抑えられている。

今日も客席は前後左右1席空けのソーシャルディスタンス対応布陣となっていた。見切れ席は販売されていないため、集客も抑え気味であるが、それに指揮者の知名度などを加えて勘案すると入りはまあまあといったところである。

関谷弘志の指揮するルロイ・アンダーソン作品は、色彩豊かではあるが表情はやや堅め。昔、ドイツのオーケストラが演奏したルロイ・アンダーソン作品のCD(正確に書くと、ピンカス・スタインバーグ指揮ケルン放送交響楽団のCDである)を聴いたことがあるが、それに少し似ている。もう少し洒落っ気が欲しいところである。

関谷弘志は、マイクを両手に持って自己紹介と京都市交響楽団の紹介をし、客席に向かって「コロナ禍にお集まり下さったことに感謝致します」と述べた。

J・S・バッハ/グノーの「アヴェマリア」は、沼光絵理佳のピアノ・チェレスタでバッハ作曲の伴奏(元々は伴奏ではなく、平均律クラーヴィアのプレリュードという独立した楽曲である)が奏でられた後に泉原のヴァイオリンがグノー作曲のメロディーをソロで奏で始めるという編曲で、弦楽合奏にホルンとファゴットが加わり、フルートがソロを奏でて全楽合奏に到るというものである。

チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」より“花のワルツ”も華やかさには欠け気味だったがきちんと整った演奏になっていた。

 

第2部「スノーマン」。映写は京都映画センターが行う。上映時間は約26分。映像に演奏を合わせるのは難しく、時折、音楽が先走ったりする場面もあったが、全般的には状況によく合ったテンポと描写による演奏を行っていたように思う。関谷の指揮する京響の音色もアニメーションの内容にピッタリであった。「ウォーキング・イン・ジ・エア」のボーイソプラノを務めるのは京都市少年合唱団の谷口瑛太郎(一応、カヴァーキャストとして稲葉千洋が控えていたようである)。美しくも幻想的な歌声を聴かせ、「スノーマン」の空中飛行の場面を彩った。
「スノーマン」はキャラクターはよく知られているものの、内容は誰でも知っているという類いのものではないが、男の子が雪の日に自分で作り上げたスノーマン(雪だるま)と共に空を舞いながら冒険の旅に出掛けるという物語である。レイモンド・ブリッグズの絵のタッチが愛らしく、雪景色の描写の美しさとファンタスティックな展開(子どもの頃に映画館で「大長編ドラえもん」シリーズを観た時の心持ちが思い出される)、そしてラストなどが印象に残る。

 

アンコール演奏は、藤岡幸夫司会の音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」(BSテレ東)のオープニング楽曲としても知られるようになった、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。関谷もフィルムコンサートの指揮という大仕事を成し遂げた後であるためか、今日聴いたルロイ・アンダーソン作品の演奏の中でも最もリラックスした感じのチャーミングな仕上がりとなっていた。

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2020年12月22日 (火)

コンサートの記(673) ダン・タイ・ソン ピアノリサイタル2006京都

2006年10月18日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、ダン・タイ・ソンのピアノリサイタルを聴く。

ダン・タイ・ソンは1958年に当時の北ベトナム・ハノイに生まれたピアニスト。彼が2歳の時にベトナム戦争が勃発。若きダン・タイ・ソンは防空壕の中で紙に書かれた鍵盤を弾くことでピアノの練習を続けたという。ハノイ音楽学校を経てモスクワ音楽院に留学。1980年のショパン国際ピアノ・コンクールで東洋人として初めて優勝し、話題となった。しなやかな音楽性を持ち味とするピアニストで、ショパン弾きとして日本では人気が高いが、欧州での評価はそれほどでもない。
1980年のショパン国際ピアノ・コンクールでは、優勝したダン・タイ・ソンよりも、予選落ちしたイーヴォ・ポゴレリチが話題を集めたということもある。ポゴレリチが本選に残れなかったことで、審査委員の一人であったマルタ・アルゲリッチは激怒。「彼(ポゴレリチ)こそが天才なのに!」という言葉を残して審査員を降り、ポーランドを後にするという事件があった。

プログラムは前半がチャイコフスキーの「四季」。後半がショパンのバラード第1番~第4番。

チャイコフスキーの「四季」は、出版社から「月刊誌にピアノ曲を毎号1曲ずつ載せたい」という依頼を受けて書かれた全12曲からなる作品。チャイコフスキーも軽い気持ちで書いたいわれ、そのためかどうか有名曲であるにもかかわらず評価は低めで、全曲を入れたCDも少ない。「6月 舟歌」と「11月 トロイカ」はよく知られた曲で、ピアノ小品集のCDによく入れられている。
私個人は「四季」というピアノ曲集は好きで、高校生の頃から良く聴いていた。「舟歌」や「トロイカ」の他にも「5月 白夜」などが好きである。正直言って今日は、チャイコフスキーの「四季」が全曲演奏されるというので聴きに来たようなものだ。

ダン・タイ・ソンの弾く「四季」は甘さを抑え、詩情や物語性よりも技巧を優先させたものだった。「舟歌」ではもっと歌心が欲しいし、「白夜」も幻想味に欠けるきらいがある。曲によってはテクニックを前面に出してバリバリ弾いていたが、「リストじゃないんだからそんな豪快に弾かなくても」と思う。
最後の2曲である「11月 トロイカ」と「12月 クリスマス」が良い出来だった。磨き抜かれた美音とテンポ設定がこの2曲には合っていた。


後半は、ダン・タイ・ソンの十八番であるショパン。バラード全4曲。立派なショパンであるが、聴いているうちにどうも妙な気分になる。ショパンにしては立派すぎるのだ。ショパンというと甘美な旋律とその裏にひそむ毒の絶妙なバランスが魅力の一つなのだが、ダン・タイ・ソンはそういうものには目もくれず、とにかく立派で偉大なショパンを目指している。ダン・タイ・ソンという人は生真面目なのだろう。しかし真面目過ぎると芸術もあまり面白くなくなる。日曜日に聴いたシプリアン・カツァリスも、先々週聴いたファジル・サイも遊び心と余裕があるから魅力的なのだ。

アンコールもショパンを演奏する。マズルカ作品24-1、と前奏曲第24番。クッキリとしたショパンであったが、やはりもっと余裕が欲しくなる。
ベートーヴェンを弾くならダン・タイ・ソンのスタイルは合っているが、ショパンはどうだろう。余りに真面目で潔癖だと、ショパンの、時に仄暗い情念をあぶり出すことは出来ないようにも思うのだが。

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