カテゴリー「京都コンサートホール」の207件の記事

2021年5月 1日 (土)

コンサートの記(714) ジョン・アクセルロッド指揮京都市交響楽団第655回定期演奏会

2021年4月23日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第655回定期演奏会を聴く。指揮は京都市交響楽団首席客演指揮者のジョン・アクセルロッド。京響の指揮台に久しぶりに外国人指揮者が立つ。

ジョン・アクセルロッド。アメリカ生まれの指揮者である。アクセルロッドが初めて京響に登場するシーズンの最初に広上淳一が行った指揮者の紹介の中で、「彼は外国人の指揮者なのですが」と語られ、「そりゃそうだろう」と思ったことが記憶に残っている。結局、その年の初客演は流れてしまったのだが、持ち越しとなった初客演ではラヴェルの「ボレロ」などで熱狂的な演奏を展開し、好評を得ている。
ハーヴァード大学を卒業(学部は不明)、レナード・バーンスタイン(彼はハーヴァード大学の音楽学部の出身である)に指揮を師事ということで、広上とは兄弟弟子となる。バーンスタインの弟子は基本的に流れで音楽を作ることが多いが(ヘルベルト・ブロムシュテットや近年の小澤征爾にように異なるタイプの人もいる)、アクセルロッドも音楽を流れで捉えるタイプで、豊かな生命力が持ち味である。京響以外にN響への客演でも成功を収めており、日本でもお馴染みの存在になりつつある。
昨年の4月に京響の首席客演指揮者に就任したのだが、コロナ禍によって外国人の入国が制限されており、就任1年目は京響の指揮台に立つことが叶わなかった。コロナも変種株の流行により深刻さを増しているが、任務を全うしないわけにはいかないということで、来日後、2週間の自主隔離を経て、京響への客演を実現させた。今回は「首席客演指揮者就任披露演奏会」と銘打たれている。
アクセルロッドはTwitterをやっているため、来日前の覚悟の発言なども読むことが出来る。

オール・ブラームス・プログラムで、大学祝典序曲、交響曲第2番と第4番が演奏される。4月ということで、本来なら大学に入ったばかりの新入生にも来て大学祝典序曲を聴いて欲しいところだったのが、緊急事態宣言発令直前ということで、若い人は流石に来られず、入場者数を制限したため、チケット完売ではあるが1階席などは空席が目立つという結果になった。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日は客演首席チェロ奏者として、NHK交響楽団首席チェロ奏者の「藤森大統領」こと藤森亮一が入る。NHK交響楽団は、先月、西宮でブラームスの交響曲第4番を演奏しているが、その時は藤森は降り番であった。
第2ヴァイオリンの客演首席は森岡聡。
フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子、ファゴット首席の中野陽一朗らはブラームスの交響曲第4番のみの出演である。
ドイツ式の現代配置での演奏であるが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りに位置する。

無料パンフレットにはプレトークの予定等は記入されていなかったのだが、アナウンスがあり、アクセルロッドによるプレトークが行われる。首席客演指揮者就任披露ということで、アクセルロッドが希望したのかも知れない。京響の定期演奏会でプレトークが行われるのも、昨年の7月定期以来である。
アクセルロッドは、まず日本語で「こんばんは」と挨拶し、なぜブラームスを取り上げるのかについて語る。アクセルロッドによるとベートーヴェンは英雄像を描き、マーラーは天国と地獄を描写したが、ブラームスは人間の姿を音楽にした作曲家で、誰もが持つ気持ち、喜びや悲しみや苦しみや怒りなど、あらゆる感情を音楽に込め、また聴く人がそれぞれに受け取れる作曲家であると述べる。
「『ブラームスはお好き』という有名な映画がありますが」とアクセルロッドは語る。『ブラームスはお好き』はフランソワーズ・サガンの小説で、映画化されているが、実は映画の邦題は「さよならをもう一度」となっている。なので「ブラームスはお好き」では文学好き以外には通じないのだが、アメリカ人には邦題がなんであったのか知る由もない。ただ、アクセルロッドは「皆さんが帰る頃には、『ブラームス大好き』となっているでしょう」と予言する。
「皆さんは勇敢な人です。マスクはしていますが、耳は塞がれていませんし、心も開け放たれています」として、演奏会を楽しんで欲しい旨を告げる。

開演3分ほど前に、1階席に小柄な男性が関係者と思われるもう一人の男性と共に入ってくるのが見える。どう見ても広上淳一である。広上は関係者席になることが多い席に座ってコンサートに臨んでいた。

 

大学祝典序曲。それほどスケールを拡げず、推進力重視の演奏。やや荒っぽさも感じるが、基本的にアクセルロッドは縦の線に関して神経質ではなく、快活さを優先させているようである。なお、アクセルロッドは譜面台を置かず、全曲暗譜での指揮である。

 

交響曲第2番。個人的に話になるが、初めて生で聴いたブラームスの交響曲第2番の演奏は、ハインツ・ワルベルク指揮NHK交響楽団によるものであった。1996年のことで、その直前に武満徹が逝去し、追悼演奏として本来はプログラムになかった「弦楽のためのレクイエム」が第1曲に加わったという演奏会である。ワルベルクは、N響に客演が予定されていた指揮者がキャンセルになると代役を務めることが多く、「N響影の常任指揮者」などと呼ばれていたが、評価自体は「便利屋」扱いで高くなかった。ただ本国のドイツでは実力者として知られており、その時のブラームスの交響曲第2番もドイツ本流の名演で、かなり話題になった。その時も藤森さんはいたのかも知れないが覚えていない。

アクセルロッドはアメリカ人ということもあり、ドイツ流とは異なるブラームス演奏を展開。低弦は強調せず、テンポはやや速めでとにかく情熱的である。音も渋すぎず派手すぎずで、美音ながら勢いと力強さも重視した演奏となった。
京響も第1楽章冒頭で、トロンボーンがやや雑になったり、弦楽合奏が崩れ気味になったりと、傷もあったが、アクセルロッドは技術の完璧さを重視するタイプではないようである。牧歌的で爽やか(第4楽章以外はフルートで終わるという楽想になっている)且つ生きる喜びを前面に出した、ブラームスとしては異色の楽曲を朗らかに歌い上げる。指揮も明確で分かりやすい。

 

交響曲第4番。センチメンタルな出だしが有名であるが、アクセルロッドは敢えて歌わず、憂いを出さず、深入りはしない。むしろ情熱の発露こそがこの曲の主題と捉えているようである。テンポは速めで、第4楽章は快速となる。
重視しているのは縦の線を合わせることよりも、音の強弱や組み立てで、音を大きさを一段ずつ上げたり、チェロとヴァイオリンの歌い交わしの強調など盛り上げ方が上手い。「ブラームスの交響曲は暗くて苦手」という人も多いといわれるが(女性ファンが少ないことでも有名である)ブラームスの本質が陰鬱さではなく情熱であることを示した演奏で、とにかく聴かせ上手であった。

入場規制があるため、やや寂しめであった客席であるが、演奏終了後は大いに盛り上がる。
最後はアクセルロッド自身が指揮台の上から客席に向かって360度拍手を送り、コンサートはお開きとなった。

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2021年4月15日 (木)

コンサートの記(710) 広上淳一指揮「京都市交響楽団 スプリング・コンサート」2021

2021年4月11日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 スプリング・コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼音楽顧問で、京都コンサートホールの館長も務める広上淳一。

オール・ロシア・プログラムで、しかも春だというのに全て短調という曲目が並ぶ。
ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:小曽根真)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。
チケットは完売である。1階席の第1列だけは発売されていないが、それ以外はほぼ埋まっている。なお、新型コロナウイルスに感染して隔離中だったり、当日の体調不良者にはチケット料金払い戻しに応じるという形での開催である。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーには尾﨑平。フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子も降り番。オーボエ首席の髙山郁子は全編に出演し、トロンボーン首席の岡本哲はトロンボーンが編成に加わるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番からの登場。それ以外の管楽器首席は「悲愴」のみの出演である。

 

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。冒頭部分はやや音がかすれ気味でバランスなども不安定な印象を受けるが、会田莉凡がソロを奏でるあたりから抒情的な美しさが増していく。広上自身は曲にのめり込むことはせず、旋律美を自然に出すことを心がけているように見えた。

 

日本を代表するジャズピアニストである小曽根真をソリストの迎えてのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。小曽根はジャズのピアニストであるが、クラシックの演奏会に登場する機会も多い。

小曽根のピアノは、ラフマニノフを得意とするクラシックのピアニストのような堅牢さはないが、音は澄み切っており、第2楽章や第3楽章のカデンツァでジャズピアニストならではの即興演奏を繰り広げ、第3楽章の他の部分でも音を足して弾くなど、自在なピアニズムを発揮する。広上指揮の京都市交響楽団も雰囲気豊かな伴奏を奏でるが、第2楽章の木管のソロなどは首席奏者でないだけにやや情感不足。ここは勿体なかった。

小曽根のアンコール演奏は、自作の「Gotta Be Happy」うねりの中から繰り出される力強い響きが印象的で、小曽根の本領が発揮される。

 

メインであるチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ここでは「ヴォカリーズ」とは対照的に、広上が思い入れたっぷりの演奏を行う。小柄な体を目一杯伸ばし、足音を響かせ、体を揺らしながら指揮する。

低弦とファゴットで形作られる第1楽章冒頭の陰鬱から雰囲気満点だが、ヴァイオリンが加わると不思議な清明さが音楽の中に満ち、彼岸の世界への道が眼前に開けたかのような、不吉な見通しの良さが生まれる。
第2主題の弦も透明感はそのままで、過去の良き時代を回想するような趣が生まれている。

第2楽章の5拍子のワルツも美しい演奏だが、華やかさとは違った澄んだような美しさであり、チャイコフスキーの別世界への視線が伝わってくるかのようだ。

第3楽章も力強い演奏だが、押し続けるような印象はなく、作曲者による弦と管のニュアンスの微妙なずれも感じ取れるような、明快さも持つ。胸を高鳴らせることで破滅の予感(ベートーヴェンの運命主題の音型が鳴り続ける)から目を逸らしているような曲調であるが、ラストのピッコロの悲鳴により、精神的な破綻が訪れたかのように聞こえて、第4楽章を待つことなく一途に悲しくなってしまった。

そして第4楽章。広上は旋律を大袈裟に歌うことはないが、唸り声を上げつつ思い入れたっぷりの演奏が行われる。音自体はクールなのだが、その背後ではマグマが吹き上がりそうになっている。再び過去の良き日々が回想され、ノスタルジアが聴く者の胸をかき乱す。だが銅鑼が鳴らされて、この世界との絆も絶たれ、従容と死へと赴くかのようなラストが訪れる。止みゆく鼓動を描いたとされるコントラバスのピッチカートも全ての音がはっきり聞き取れるよう鳴らされた。

演奏終了後、広上は、弦楽最前列の奏者とグータッチやエルボータッチ、リストタッチを行い、各楽器をパートごとに立たせるが、今日もティンパニの中山航介は素通りして、コントラバス奏者達に立つよう促す。中山は、「えー、今日も?」という感じでうなだれ、トリとして盛大な拍手を受けた。

広上は、「本日はお越し下さり、ありがとうございます。コロナで大変ですが、なんとかやっております。感染しないよう十分にお気を付け下さい。ただ、演奏会にはお越し下さい」というようなことを言って(正確に記憶出来た訳ではないが、ほぼこのようなことだったと思う)、「しんみり終わりましたので、明るい曲を」ということで、ビゼーの小組曲「こどもの遊び」から第5曲“ギャロップ(舞踏会)”が演奏される。立体的な音響と推進力が魅力的な佳演であった。

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2021年4月11日 (日)

コンサートの記(709) 現田茂夫指揮 京都市交響楽団第524回定期演奏会

2009年5月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第524回定期演奏会に接する。今日の指揮者は現田茂夫(げんだ・しげお)。

現田茂夫(愛称は「ゲンタ」)は、京都市交響楽団の常任指揮者である広上淳一と東京音楽大学において同窓であり、当然ながら知り合いである。現田は東京音楽大学卒業後、東京藝術大学でも指揮を学び、その後、オペラとコンサートの両方で活躍している。夫人はソプラノ歌手の佐藤しのぶ。以前は指揮者としてよりも、佐藤しのぶの旦那としての方が有名であった。

曲目は、前半がビゼーの歌劇「カルメン」より抜粋(メゾ・ソプラノ:福島紀子、テノール:松本薫平、バリトン:萩原寛明)、後半がシチェドリンの「カルメン組曲」(原曲:ビゼー)という興味深い組み合わせ。

今年の兵庫県立芸術文化センター・佐渡裕芸術監督プロデュースオペラの演目が「カルメン」なので、その予習にもなる。

京都市交響楽団による「カルメン」の音楽は、広上淳一指揮による実演を聴いているのでそれとの比較になるが、現田茂夫の方がテンポは平均的演奏に近い。だが、ハーモニーに関する感度の違いか、今日の演奏は広上指揮のものに比べると音がモワモワして団子状に聞こえた。

独唱者3人はいずれも見事な歌唱。現田の指揮もオペラでの豊かな経験を生かし、曲を楽しむには十分であった。

演奏は、後半のシチェドリンの「カルメン組曲」の方が更に良かった。弦楽と打楽器のための作品だが、打楽器奏者が様々な楽器を掛け持ちするため、視覚的にも面白い。現田は巧みにオーケストラを導き、聴き応えのある演奏に仕上げた。演奏終了後、盛んな拍手が現田を称えた。

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コンサートの記(708) 大友直人指揮京都市交響楽団第523回定期演奏会

2009年4月18日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第523回定期演奏会を聴く。指揮は桂冠指揮者の大友直人。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲と、シベリウスの交響曲第2番というプログラムである。


ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲のソリストは、ジェニファー・ギルバート。父親はニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者で現在は指揮者として活躍するマイケル・ギルバート、母親もやはりニューヨーク・フィルハーモニックのヴァイオリン奏者である建部洋子、兄は指揮者のアラン・ギルバートという音楽一家の出である。ジェニファーは現在、リヨン国立管弦楽団のコンサート・ミストレスを務めている。

ジェニファー・ギルバートのヴァイオリンは豊かで美しい音色が特徴。第一級のヴァイオリニストと見て良いだろう。

大友直人指揮の京響の演奏も充実していたが、金管がたまに安っぽい音を出すのが残念である。


シベリウスの交響曲第2番。大友は例によって力で押すが、シベリウスの本質を把握しているのか、力だけの演奏にはならない。第2楽章が押す一方の演奏になってしまったのは疑問だが、他の楽章ではオーケストラが鳴り渡り、トップを揃えた金管も輝かしかった。

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2021年4月 3日 (土)

コンサートの記(703) 広上淳一指揮京都市交響楽団第654回定期演奏会

2021年3月28日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第654回定期演奏会を聴く。指揮は京都市交響楽団常任指揮者兼音楽顧問の広上淳一。

ヴァイオリン独奏としてダニエル・ホープが出演する予定であったが、新型コロナウイルス感染拡大防止のための外国人入国規制により来日不可となったため、1月の京都市ジュニアオーケストラのコンサートでもヴァイオリン独奏を務めた小林美樹が代役として登場し、曲目も変更となった。

その曲目は、ドヴォルザークの序曲「自然の王国で」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、ドヴォルザークの交響曲第7番。

 

今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志が入る。第2ヴァイオリンの客演首席は大阪交響楽団の林七奈。
ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄りに置かれる。
管楽器の首席奏者はドヴォルザークの交響曲第7番のみの登場となる。

 

ドヴォルザークの序曲「自然の王国で」。広上の指揮は相変わらず冴えており、抒情美と清々しい音色と快活さを合わせ持った響きを京響から引き出す。

 

小林美樹が独奏を務めるブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。ターコイズブルーのドレスで登場した小林は、持ち味である磨き抜かれた美音で勝負。音の美しさのみならず、力強さや音の広がり、表現の幅広さなど十分であり、優れた独奏を聴かせる。
広上指揮による京響の伴奏も描写力の高さと雰囲気作りの上手さが光る。

コロナ禍が訪れてから、ソリストによるアンコールが行われないケースが目立ったが(ソアレの場合は退館時間を早めにする必要があるということも影響していると思われる)、今日はアンコール演奏が行われる。曲目は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番よりラルゴ。音の純度が高く、静謐さと気高さが感じられる演奏であった。小林美樹もこのところ成長著しいようである。

 

ドヴォルザークの交響曲第7番。ドヴォルザークの交響曲第7番、第8番、第9番「新世界より」は、「後期三大交響曲」とも呼ばれるが、交響曲第7番は、第8番や「新世界より」に比べると演奏機会は多くなく、スラヴ的な要素が薄い分、ドヴォルザークならではの魅力には欠けている。

広上の表現であるが、第1楽章からドラマティック。リズム感が抜群であり、音にもキレがある。金管への指示を敬礼のようなポーズで行うのも特徴的。
京響は冒頭付近こそ音がかすれ気味のように感じられたが、次第に洗練度を高めていき、その上にドヴォルザーク的な濃厚さも加えた音色を聴かせていく。

第3楽章と第4楽章の出来が特に良く、スケール豊かで迫力ある音像が築かれる。ラスト付近ではアゴーギクも用いられ、スラヴ的な味わいも加えられていた。

 

演奏終了後、広上は、各奏者を立たせるが、大活躍したティンパニの中山航介には笑顔を向けるも飛ばす。中山も「えー、なんで?」という顔であったが、広上は大トリとして中山を立たせた。

その後、広上はマイクを片手に再登場。第一声が「疲れました」で客席の笑いをとるが、コロナの中で演奏会に駆けつけてくれたことへのお礼や、京都市交響楽団が京都市民の心を癒やす役割と担っていることや、ヨーロッパに代表されるように街のオーケストラを育てるのはその街の市民であることなどを述べた。
そして、京都市交響楽団副楽団長である北村信幸と森川佳明が異動によって京響を去るということで(京都市交響楽団は公営のオーケストラであるため、スタッフも音楽を専門としている訳ではなく、京都市の職員が交代で受け持っている)、広上がそれぞれの話を聞き(広上は、「愚息、娘なので愚か娘になるんでしょうが、受験に落ちてばっかりだったのが、森川さんから合格のお守りを頂いてから受かり始めた」と語る)、アンコールとしてドヴォルザークの「チェコ組曲」よりポルカが演奏される。ドヴォルザーク的なノスタルジックな趣と憂いと快活さを上手く表現した演奏で、今年度の最後の定期演奏会の掉尾を飾るのに相応しい音楽となった。

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2021年3月19日 (金)

コンサートの記(702) 高関健指揮 京都市交響楽団第513回定期演奏会

2008年6月6日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第513回定期演奏会を聴く。指揮は高関健。

曲目は、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(1833/1834年稿)、松山冴花(まつやま・さえか)をソリストに迎えたバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番、オネゲルの交響曲第3番「礼拝(典礼風)」

高関健は1955年生まれ、桐朋学園大学の出身。1977年のカラヤン国際指揮者コンクールジャパンで優勝し、数年間カラヤンのアシスタントを務めたこともある。
構築の確かさと、力強い音楽作りに定評のある指揮者である。今年(2008年)の春まで15年以上に渡って群馬交響楽団の音楽監督を務め、この春からは札幌交響楽団の正指揮者に転じている。

以前は額を隠したおかっぱ頭というダサダサの風貌だったのだが、今は髪を少し短くして、以前より幾分外見が洗練された。


午後6時より、高関健によるプレトークがある。オネゲルの交響曲第3番「礼拝」で使用するためのピアノが舞台の奥に据えられていたので、そのピアノで楽曲の旋律を奏でながらの解説となった。


今日は全曲、ヴァイオリンが両翼に来る古典的配置での演奏。


メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」は、1833年に初演され、好評を得たが、メンデルスゾーンは出来に不満があったようで、直後から改訂に取りかかっている。しかし、改訂した楽譜が周囲から不評だったということで、翌1834年には作業途中で改訂を諦めたとのことである。しかし2001年に、メンデルスゾーンが改訂を進めていた「イタリア」の版が、ジョン・マイケル・クーパーの校訂によって「1833/1834年稿」として出版された。今日の演奏会はその楽譜を使っての演奏となる。


高関の指揮する「イタリア」は第4楽章を除いては高揚を抑えた端正な演奏であった。音は美しいけれど、あっさりとして小さくまとまっている感じがある。個人的には第1楽章から一貫して情熱と喜びに溢れた「イタリア」の演奏が好きなので、高関の表現はやや物足りなかった。

京響は弦は美しいが、金管は第1楽章でトランペットが破裂したような音を出し、第2楽章ではフルートの音が弱かったり、木管全体としてのハーモニーが美感を欠いていたりと、管楽器群の調子は今一つであった。

1833/1834年稿は、第2楽章の旋律がなだらかになっているのが一番印象に残った。

高関は第1楽章と第4楽章は指揮棒を持ち、第2楽章と第3楽章の大半はノンタクトで振っていた。抒情的な部分はノンタクトで振るようにしているようである。


バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。ソリストの松山冴花は、西宮の生まれ。9歳で渡米し、ジュリアード音楽院で修士課程まで学んでいる。エリザーベト王妃国際コンクール4位入賞が最も輝かしいコンクール成績ということで、コンクール歴はさほど華麗ではないが、今日のバルトークでは情熱的で力強い音楽を奏でた。技術も高く、良いヴァイオリニストである。

高関指揮の京響は編成を大きくしたこともあると思うが、音に厚みがあり、金管も輝かしくて、メンデルスゾーンよりも優れた演奏を繰り広げた。


アルチュール・オネゲルの交響曲第3番「礼拝」。
フランス生まれで、フランス六人組の一人でありながら、オネゲルは両親がスイス・ドイツ語圏の出身であり、オネゲル自身もスイス国籍を持ち続け(フランスとの二重国籍)、フランス語とドイツ語を操った。
そのことが影響していると思われるが、オネゲルの作品はフランス六人組の中では飛び抜けて構造的であり、メロディーよりも強靱な構築感と力強い響きを特徴としている。

ガッチリとした構造作りには定評のある高関の指揮だけに、この作品は文句なしの名演となった。弦も管もすこぶる好調。増強された金管の威力は抜群であり、第2楽章におけるラメのような、もっと気障にいうと星々の煌めきのような独特の音の輝きも印象的であった。


バルトークとオネゲルが20世紀の作曲家であるということもあってか、空席も目立つ演奏会であった。客層も白髪の方達と、二十代と思われる若者が目立ち、中間層が薄い。年配の方はいつも京響の演奏会に来ている人で、若者達は現代音楽に抵抗感が少ないので聴きに来たと思われる。


最後に、この6月一杯で京都市交響楽団を退団する、コンサートマスターのグレブ・ニキティンに花束が渡された。

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2021年3月 1日 (月)

コンサートの記(699) 井上道義指揮 京都市交響楽団第508回定期演奏会 ハイドン「朝」「昼」「晩」

2008年1月25日 京都コンサートホールにて

午後7時より、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第508回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団(京響)の第9代常任指揮者を務めた井上道義。

ハイドンの初期交響曲、交響曲第6番「朝」、交響曲第7番「昼」、交響曲第8番「晩」という、人を食ったようなタイトルを持つ3つの交響曲を並べたプログラムである。

外連味たっぷりの指揮が持ち味である井上道義。「最もピリオド・アプローチの似合わない日本人指揮者」のトップを小林研一郎と争うタイプの指揮者だったのだが、何故か最近、ピリオド・アプローチに手を出した。ニコラウス・アーノンクールが2005年の京都賞を受賞した記念に、国立京都国際会館で京都フィルハーモニー室内合奏団相手にピリオド・アプローチの公開ワークショップを行っているのだが、井上はそこにも顔を見せていたそうである。

京都コンサートホールのステージを見て、まず苦笑。
京都コンサートホール大ホールのステージは、管楽器奏者や打楽器奏者が指揮を見やすいように、ステージ後方がコンピューター操作によってせり上がるようになっている。そのせり上がりを目一杯利用して、ステージ後方のせりを壁のようにしてしまい、ステージ面積が通常の半分以下になっている。
ピリオド・アプローチによるハイドンということで小編成での演奏であり、それを視覚的に強調するようになっているのだ。のっけから遊び心全開である。最後部のせりは上げず、ステージ後ろから見ると、ステージと客席(ポディウム席)の間に空堀が掘られたようになっている。その空堀の底にライトが仕込んである。何かやりそうである。


オーケストラのメンバーが登場し、チューニングが終わる。それとほぼ同時に見るからにやる気満々の井上道義が登場、演奏が始まる。
予想通り、ユーモアたっぷりの指揮姿。ただ余りに大袈裟で、徐々に井上のナルシシズムが鼻につくようになる。
ピリオド・アプローチというと、ビブラートを抑えめにした透明な弦の音と、力強い管の音が特徴で、サー・サイモン・ラトルやパーヴォ・ヤルヴィ、ダニエル・ハーディング、サー・チャールズ・マッケラスなど、現代楽器によるピリオド・アプローチを得意とする指揮者の演奏を聴くと、アグレッシブな音にこちらの血が騒ぐ。
井上の指揮する京響は確かに音はきれいだけれど、生命力にはいくぶん欠ける。井上が、音楽と同等かそれ以上に自身の指揮姿の演出に力を入れているのも気になる。

交響曲第8番「晩」の第4楽章のような激しい音楽の演奏がやはり一番出来が良い。井上はピリオドはやらない方がいいんじゃないだろうか。ピリオドをやっている井上道義というのはどこかギャグ的である(そこが井上の狙いなのだろうが)。


前半が「朝」と「昼」、後半が「夜」の演奏。どの曲も20分ちょっとの作品なので、後半はかなり早い時間に終わる。ということでアンコール演奏(というより隠れプログラム)がある。やはりハイドンの交響曲第45番「告別」より第4楽章。
交響曲第45番「告別」第4楽章は、曲が進むにつれて演奏している楽器がどんどん減っていくという特異な構造を持つ。

ハイドンのご主人様であったニコラウス・エステルハージ候が、ある年、夏の離宮で長期滞在したため、ハイドンの部下である楽団員達は妻や子の待つ実家に戻れず嘆いていた。その状況を見るに見かねたハイドンが作曲したのが「告別」である。第4楽章で、楽団員達が一人、また一人と譜面台の上のロウソクの灯を吹き消して退場するのを見たエステルハージ候は、その意図を悟り、すぐさま離宮での生活を打ちきりにしたという。

今回は、初演時の演出を取り入れる。照明が抑えられ(ここで空堀の下のライトが活躍する)、各々の譜面台の上に置かれたロウソクに灯が点った状態で演奏がスタート。京響のメンバーは曲が進むにつれてどんどんステージを去っていく。最後は暗闇に。
いかにも井上好みの演奏会であった。

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2021年2月23日 (火)

コンサートの記(696) 小泉和裕指揮 京都市交響楽団第653回定期演奏会

2021年2月19日 京都コンサートホールにて

午後6時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第653回定期演奏会を聴く。指揮は小泉和裕。

緊急事態宣言発出により、チケットの発売が遅れた公演。定期会員にあたる京響友の会の会員でS席とA席は埋まったため、それ以外の席を1回券として発売。午後8時まで公演を終える必要があるため、開演時間を通常の午後7時から1時間早め、曲目も変更。当初、ヴァイオリン独奏を務める予定だったクララ=ジュミ・カンが外国人全面入国禁止措置により来日出来なくなったため、代役を南紫音(みなみ・しおん)が務める。

京都市出身の小泉和裕。京都市立堀川高校音楽科(現在の京都市立京都堀川音楽高校の前身)を経て、東京藝術大学指揮科に入学。第2回民音指揮者コンクール(現在の東京国際音楽コンクール指揮部門)で第1位を獲得し、1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の創設に参加(新日フィルは日フィル争議によって生まれており、実質的には分裂である)。その後、ベルリンに留学し、オペラの指揮法などを学ぶ。翌1973年に第3回カラヤン国際指揮者コンクールで第1位を獲得し話題となる。カラヤン国際指揮者コンクール優勝の特典は、「ベルリン・フィル演奏会での指揮」であり、小泉もベルリン・フィルとの初共演を果たしている。1975年にはベルリン・フィルの定期演奏会の指揮台にも立ち、またもう一方の雄であるウィーン・フィルともザルツブルク音楽祭で共演を果たしている(定期演奏会への登場はないようである)。東京都交響楽団とのコンビで知られるが、出身地の関西でも大阪センチュリー交響楽団の首席客演指揮者や音楽監督(橋下府政よってオーケストラへの補助金が打ち切られる可能性が示された時の音楽監督であり、演奏会の前にトークを行い、楽団の危機を訴えたことがある。大阪府が中心になって創設された大阪センチュリー交響楽団は大阪府との関係を解消して日本センチュリー交響楽団として再出発することになった)を務め、現在は九州交響楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団の音楽監督、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の特別客演指揮者を務め、東京都交響楽団からは終身名誉指揮者の称号を得ている。

佐渡裕が若い頃に同郷の先輩である小泉のアシスタントを務めていたことがあり、佐渡の著書にもその頃の小泉の姿が描かれているが、親分肌で人を喜ばせるのが好きな性格を窺い知ることが出来る(リハーサルの前に「そこで美味しいタコ焼きを見つけた」というので、楽団員全員分買ってきて振る舞うなど)。
海外でのキャリアもあり、1983年から1989年までカナダのウィニペグ交響楽団の音楽監督を務めている。

曲目は、ワーグナーの歌劇「リエンツィ」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:南紫音)、ブラームスの交響曲第1番。

小泉は譜面台を置かず、全曲暗譜での指揮である。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭、オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子、ホルン首席の垣本昌芳はブラームスのみの出演である。第2ヴァイオリンの客演首席には今日は下田詩織が入る。
ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや下手寄りに置かれ、指揮者の正面にはトランペットやトロンボーンが配される。

平日の午後6時開演だと、駆けつけるのが難しい人もいると思われるが、入りは状況を考えれば悪いという程ではない。

ワーグナーの「リエンツィ」序曲。小泉らしい明快な演奏で、音の輝きと影の部分の描きわけが上手い。いわゆる「ワーグナーっぽい」演奏ではないかも知れないが、コンサートの幕開けには相応しい選曲と解釈である。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。三大ヴァイオリン協奏曲の一つであり、知名度は最も上で、冒頭のヴァイオリンの旋律は誰もが一度は聴いたことがあると思われるが、コンサートのプログラムに載る回数は、三大ヴァイオリン協奏曲の残る二つ、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とブラームスのヴァイオリン協奏曲、そして三大には入らないが演奏頻度はナンバーワンだと思われるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に比べると多くないように思われる。繊細にして優雅且つ憂いを帯びた曲調は日本人が最も好みそうであるが、最近は明るくて勢いのある曲の方が人気なのかも知れない。

南紫音は、1989年生まれの若手。福岡県北九州市の生まれであり、2005年に北九州市民文化奨励賞、2006年には福岡県文化賞を受賞している。北九州市はNHK交響楽団のコンサートマスターである“MORO”こと篠崎史紀の出身地であり、南も篠崎の両親である篠崎永育と美樹の夫妻にヴァイオリンを師事している。
2004年にナポリで行われた第13回アルベルト・クルチ国際ヴァイオリン・コンクールに15歳で優勝。ロン=ティボー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門やハノーファー国際ヴァイオリン・コンクールで2位入賞などコンクール歴も華麗である。

南は名前にある紫ではなく、濃紺のドレスで登場。弾き始めは現在の一般的な速度に比べるとやや遅めで、優雅な旋律を愛でるように奏でる。技術よりも美音で聴かせるタイプだが、磨き抜かれた音が心地良く、技術も高い。他の有名ヴァイオリニストに比べると個性の面で弱いかも知れないが、音楽性自体は優れている。

ブラームスの交響曲第1番。冒頭は悲劇性を強調せず、流麗であるが、木管などの内声がクッキリと聞き取れる見通しの良い演奏である。室内楽的と呼ぶことも可能かも知れない。そこから音が徐々に熱していき、激しいぶつかり合いを見せるようになる。

ブラームスの交響曲第1番は、ベートーヴェンの交響曲を意識しており、「苦悩から歓喜へ」という物語性を持つが、今日の演奏は物語に従うのではなく、音そのもののドラマを描き出しており、京響のパワーも加味された熱い演奏となるが、暑苦しさには陥らず、峻烈だが獰猛ではない絶妙なバランスによる音の闘いがステージ上で繰り広げられる。

第2楽章の泉原隆志のヴァイオリンソロも美しく、ホルンの垣本昌芳とのやり取りも見事である。

フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子、クラリネットの小谷口直子の演奏も冴えまくっている。ティンパニの中山航介の抜群のリズム感と適切な打撃音の創造も見事だ。

フォルム重視の小泉だが、第4楽章ではアッチェレランドを行うなど盛り上げ方も上手く、金管のコラールも神々しくて、京響が演奏した数多くのブラームスの交響曲第1番の中でもトップレベルの演奏となった。

京都市交響楽団の卓越した技術力あってこその名演であり、小泉のやりたい演奏が可能になったのも京響の成長と充実に拠るところが大きい。ともあれ、小泉本人も「会心の出来」と確信したはずで、緊急事態宣言の中で成し遂げられた勝利への狼煙のような特別な演奏会となった。

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2021年2月13日 (土)

コンサートの記(695) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 京都ミューズ フォーレ「レクイエム」+林光「木琴協奏曲・夏の雲走る」(日本初演)

2007年7月14日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールへ。台風が接近中であり、たまにどしゃ降りになる。

今日のコンサートは、下野竜也(しもの・たつや)指揮京都市交響楽団(京響)の演奏で、前半はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」と林光の木琴協奏曲「夏の雲走る」(日本初演)の演奏。木琴独奏は通崎睦美(つうざき・むつみ)。
後半は、京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団を加えて、フォーレの「レクイエム」が演奏される。ソプラノ独唱:日紫喜恵美(ひしき・えみ)――今日のコンサートは読みにくい苗字の人が多いなあ、他人のことは言えないけれど――、バスバリトン独唱:片桐直樹。

下野竜也は1969年、鹿児島県生まれの若手指揮者。見るからに「薩摩隼人」という風貌の持ち主である。若手としてはオーケストラを鳴らす術に長けており、「フィンガルの洞窟」は迫力がありながら細部までの目配りも怠らない好演であった。

林光は現代の作曲家としては平易な作風を特徴とする。木琴協奏曲はリズミカルでユーモラスな木琴独奏が実に楽しい。通崎睦美も遺漏のない演奏。下野指揮の京響もリズムの良い伴奏を奏でた。
演奏終了後、客席にいた林光がステージに上がり、聴衆からの喝采を浴びる。


京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団は、今回の演奏会のために編成されたアマチュア合唱団。京都市民の参加、自主運営で、今年の1月から今日のために練習を積み重ねてきた。総勢は200名を超える、ってそんな大編成だったらプロの合唱団でも声がずれるぞ。
こちらも、技術面は期待していない。それに私は合唱は聞き込んでいないので詳しくもなく、良し悪しがはっきりわかるわけでもない。
やはり声のズレはあったけれど、大編成のアマチュア合唱団にしては良い部類に入るのではないだろうか。

フォーレの「レクイエム」は、私の大好きな曲。台風だろうか何だろうが聞き逃すわけにはいかない。
ちなみに、先月も大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でフォーレの「レクイエム」は演奏されたのだが、指揮予定の大植英次が突然のめまいにより緊急降板するというハプニングがあった。

下野竜也の指揮はやや速めのテンポを基調とした若々しくも輪郭のクッキリした音楽を作り出す。京響は金管、特にホルンの音色が輝かしい。

ソプラノ独唱の“ピエ・イエス”は、満足するのが非常に難しい曲。オペラ歌手が歌うと(今日のソリストの日紫喜恵美もオペラで活躍している)ドラマティック過ぎて、曲の持つ楚々とした旋律美が壊されてしまう。もっともそう感じるのは、ミシェル・コルボという指揮者がボーイ・ソプラノや、ボーイ・ソプラノに近い声質を持ったソプラノ歌手にソリストを務めさせた名盤が複数存在するからなのだが。
日紫喜恵美も少しドラマティックに過ぎる箇所があったが、曲の雰囲気にはそこそこ合っていたのではないかと思う。

終演後、花束贈呈がある。指揮者の下野竜也が受け取った花束を手にステージ奥へと進み、ポディウム席に陣取っていた女声コーラス陣に花束を投げて渡す。粋なことをやる。

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2021年2月 5日 (金)

コンサートの記(691) 下野竜也指揮 第16回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2021年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第16回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。これまで広上淳一が指揮台に立つことが多かったが、今回は下野竜也が初めてジュニアオーケストラを振ることになった。コロナの影響は避けられず、演目を変更しての開催である。

午後1時開場であるが、全席自由ということもあり、開場前に行列が出来るのを防ぐために時差入場を実施しており、私が買ったチケットには午後1時20分以降の入場と記されていた。午後1時15分頃に京都コンサートホールの入り口に着いたので、5分待つことにしたが、レセプショニストさんによると、行列が出来ていないので、もう入場可とのことだった。

最優先されるのは、やはりジュニアオーケストラメンバーの親御さんだと思われるのだが、見渡したところ、両親に当たる年齢の男女(私と同世代が多いはずである)のコンビは余り見当たらなかった。客層としては京都市交響楽団の定期演奏会のそれに近い。1階席は埋まっている席が多かったため、3階席へ向かう。京都コンサートホールの2階席はサイド席しかなく、音が今ひとつだが、3階席はステージからは遠めだが音はビビッドに届く。今日はヴァイオリニストの小林美樹がソリストとして3曲に登場するということで、Rサイド(RIGHT、右側席)の、ソロヴァイオリンの音像が結ばれやすい席に座る。開演10分ほど前に、「こっちの方が見やすいよね」といった内容の話をしている男性二人組が後ろを通り過ぎたが、そのうちの一人が、1階席の入りを確認するために、ひょいっと顔を覗かせる。背の低い、頭の輝く男性で、マスクと眼鏡を掛けていたが、すぐに広上淳一だと分かった。

京都市ジュニアオーケストラは、2005年の結成。京都市内在住もしくは通学の青少年からなるオーケストラで、入団するには選抜試験を通過する必要がある。必ずしも音楽家志望の子達が入団しているという訳ではないが、「医師免許を持つヴァイオリニスト」として有名になった石上真由子は、初期の京都市ジュニアオーケストラでコンサートミストレスを務めていた。広上淳一が、「音楽家を目指している子ばかりではなく、お医者さんを目指している子がいたり」と紹介していたことがある「お医者さんを目指している子」というのはおそらく石上真由子のことであったと思われる。

各楽器の指導には京都市交響楽団の楽団員が当たり、合奏指導は広上の弟子の一人である大谷麻由美が行った。

 

曲目は、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、リヒャルト・シュトラウスの13管楽器のためのセレナード、マスネの「タイスの瞑想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、サラサーテの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、J・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲(独奏第1ヴァイオリン:小林美樹、独奏第2ヴァイオリン:山﨑祥恩)、シューマンの交響曲第4番。

ステージ上で密になる時間をなるべく短くするため、第1曲に金管楽器と打楽器のみによる「市民のためのファンファーレ」を置き、2曲目に木管楽器主体の13管楽器のためのセレナードが続く。

いずれの曲でも充実した響きが奏でられ、京都市ジュニアオーケストラの技術と表現力の高さが感じられる。下野も拍をきっちり振るなど、いつも以上に明快な指揮を行っているように見えた。

 

マスネの「タイスの瞑想曲」とサラサーテの「カルメン幻想曲」でソロを受け持つ小林美樹は、若手人気ヴァイオリニストの一人。1990年生まれ。2011年に第14回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで第2位を受賞し、注目を浴びる。桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学ソリストディプロマコース(学科授業はなく、プロのヴァイオリン奏者を本気で志す者のみが入学を許される育成コース)に特待生として入学し、その後、明治安田クオリティオブライフ及びロームミュージックファンデーションから全額奨学金を得てウィーン私立音楽大学に学んでいる。

以前、京都市交響楽団の大阪定期公演にソリストとして登場した時に聴いたことがあるが、女性としては高身長で、海老反りになって弾くことが多いのが印象的であった。
今日はターコイズブルーのドレスで登場。やはり時折、海老反りになって弾く。磨き抜かれた美音が最大の特徴であるが、メカニックも上質である。童顔系の可愛らしい顔をした女性なのだが、見かけとは異なり、「カルメン幻想曲」ではかなり情熱的な演奏を繰り広げる。

下野指揮の京都市ジュニアオーケストラも色彩豊かな演奏を繰り広げた。

 

後半、小林美樹と京都市ジュニアオーケストラのメンバーである山﨑祥恩(やまざき・しょうおん)の独奏によるJ・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。
山﨑祥恩は、現在、京都市立堀川音楽高校の1年生。小学5年生から京都市ジュニアオーケストラに参加し、コンクールでも金賞や奨励賞、優秀賞などの受賞歴がある。近年では、第29回日本クラシック音楽コンクール全国大会中学校の部で第2位(1位なしで最高位となる)、第74回全日本学生音楽コンクール大阪大会高校の部2位という成績を残しており、この子は確実にプロ志望だと思われる。

柔らかさも持った小林と、鋭さと正確さを武器とする山﨑の柔と剛の対比という趣があり、面白いバッハ演奏となった。京都市ジュニアオーケストラは、弦楽がほぼノンビブラートのピリオド奏法による伴奏を行った。若い人達なので、ピリオドにまだ十分に馴染んでいない感じだったが、総体的には優れた伴奏である。

 

ロベルト・シューマンの交響曲第4番。下野の的確な指揮棒に導かれ、仄暗さや幻想的な曲調も十全に表現した演奏となる。シューマンはオーケストレーションが独特であるため、演奏が難しいことで知られるが、第1ヴァイオリン13名、第2ヴァイオリン11名と大きめの編成での演奏ということもあって、鳴りも十分であり、聴く者を納得させるだけの出来を示した。

 

アンコール1曲目は、シューマンの「トロイメライ」(弦楽合奏版。編曲者不明)。ノスタルジックな叙情美に溢れた演奏であった。

「トロイメライ」演奏後、下野はマイクを手にして再登場。「京都『市立(しりつ)』芸術大学教員の下野竜也です」と「市立」を強調した自己紹介をして客席の笑いを誘う(京都造形芸術大学が一方的に京都芸術大学に校名変更を行ったため、訴訟に発展している)。「ちょっと前までは京都市交響楽団の指揮者もしていた訳ですが」と語った後で下野は京都市ジュニアオーケストラの定期演奏会(定期演奏会という名こそ付いていないが、毎年1月にメインのコンサートを行うので実質的な定期演奏会である)を指揮するのが初めてであること、コロナの影響によりトレーニングの期間が例年の半分ほどしか取れず、曲目も変更せざるを得なかったことを明かし、また京都市ジュニアオーケストラを音楽エリートに育てようという気は毛頭ないことを語る。京都市ジュニアオーケストラは何より「人間形成の場」と捉えているそうで、そのためリハーサルもスパルタで行っていることを明かす。「罵詈雑言こそ浴びせませんでしたが、出来ていない時は出来ていないとハッキリ言いました。出来てもいないのに、『出来てる上手い』と褒める風潮に疑問を感じていた」と語る。音程も含めた音を合わせることに最も傾注したが、「音程を合わせるというのは思いやり」であると述べる。「これは師である広上淳一先生からも何度も言われたことです。相手の音を聴いて、『あれ、自分、外れてないかな』と思いやること」と、周囲の音を聴くことの重要さに触れていた。

 

アンコールの2曲目は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番であり、ステージ後方やポディウムにも管楽器奏者が登場して、大編成での演奏となるのだが、下野は指揮は自分ではなく、合奏指導を行った大谷麻由美が務めることを明かす。
「彼女(大谷)も京都市立芸術大学の出身です。愛媛県出身ですが、ミスみかんにも輝いたことのある美貌の持ち主です。(自分とは違って)スラッとしたの出てきますんで。僕はもう出てきません。さよなら!」と言って下野はステージを後にする。

 

大谷麻由美の指揮によるドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番。
下野は大谷麻由美を「京都市立芸術大学出身」と紹介したが、実は大谷は近畿大学商経学部を卒業後に会社員として働き、三十代に入ってから指揮者を志して京都市立芸術大学に入学したという経歴の持ち主である。プロの指揮者として成功することは難度がかなり高いため、一度は諦めたが、再度挑戦という人は結構多い。日本を代表する指揮者であった朝比奈隆がそうした経歴を持つということも再挑戦組が多い理由だと思われる。下野竜也も実は高校卒業時に「中学の吹奏楽から音楽を始めたからプロの指揮者になるなんて無理だろう」ということで音大には進学せず、音楽教師を目指して地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入るも卒業間近になっても夢を諦められず、「齋藤メソッド」の映像を何度も見て独学し、卒業後に桐朋学園大学付属指揮教室に通ったという再挑戦組である。

その大谷の音楽作りであるが、編成が大きくなったということも影響しているが、音の輪郭を上手く形作ることが出来ず、飽和状態になることが多い。やはり下野のようにはいかないようだ。強弱やニュアンスを細やかに変えることの出来る下野の実力が改めて明らかになる。下野は60年代後半生まれの日本人指揮者としてはおそらくナンバーワンであり、NHK交響楽団に可愛がられて、毎年のように大河ドラマのオープニングテーマの指揮者として指名されていたのも納得である。

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