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2022年4月29日 (金)

コンサートの記(775) ミハウ・ネステロヴィチ指揮 京都市交響楽団第666回定期演奏会

2022年4月22日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第666回定期演奏会である。「666」は、「オーメン」などで知られる通り、キリスト教においては不吉な数字だが、キリスト教徒のほとんどいない日本なので、本気で気にする人はいないだろう。

今日の指揮者は、ポーランド出身のミハウ・ネステロヴィチ。

3月をもって広上淳一が常任指揮者を離れ、空位期を迎えた京都市交響楽団。後任としては、「ヨーロッパ在住の指揮者」が予定されていたが、コロナにより就任が延期になったとされている。「ヨーロッパ在住」というだけで、日本人なのか外国人なのかも不明のままだ。
ということで迎えた新シーズン。残念ながら今期は大物外国人指揮者の招聘は予定されていない。京都市が財政難ということもあるだろうが、これまでは広上淳一のお友達ということで客演してくれた指揮者も多かった。常任指揮者不在の影響も出ているのだろう。
なお、広上淳一は、名誉称号などは辞退しているが、プログラムには無冠で名前が記されている。


ミハウ・ネステロヴィチは、バーゼル交響楽団(スイス)とアルトゥール・ルービンシュタイン・フィルハーモニー・ウッチ(ポーランド)の首席客演指揮者を務めている。有名オーケストラにも数多く客演しているが、シェフの座はまだ射止めていないようである。
コンクール歴は、2008年にカダケス交響楽団ヨーロッパ指揮者コンクールで優勝。祖国ポーランドのカトヴィツェで行われたグジェゴフ・フィテルベルク国際コンクールでは入賞を果たしている。


曲目は、キラールの弦楽オーケストラのためのオラヴァ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(ヴァイオリン独奏:郷古廉)、ブラームスの交響曲第1番。


今回のプレトークは、通訳の小松みゆきが質問して、ネステロヴィチがそれに答えるという形が取られる。キラールは、ポーランドの作曲家だが、ネステロヴィチはどのコンサートでも1曲は祖国であるポーランドの作曲家の作品を取り入れることにしているようだ。ちなみに長身の指揮者であり、約2mあるそうで、「どこのオーケストラからも指揮台がいらないということで喜ばれている」と語る。勿論、今日も指揮台なしである。

ロシアがウクライナに侵攻中ということで、ブラームスの交響曲第1番第4楽章の、ベートーヴェンの「第九」を模した旋律は「平和」への祈りが感じられると語り、またブラームスの演奏終了後に、ウクライナの作曲家の短い作品をアンコールとして演奏することを予告した。


今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。なお、キラールでは泉原の隣には尾﨑ではなく立石康子が座ったが、冒頭がコンサートマスターと第2ヴァイオリンのセカンドプルトの演奏で始まるという特異なスタイルの楽曲であるため、コンサートマスターの隣に座ったからフォアシュピーラーの役割を果たすという訳ではないようだ。
今日はチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置による演奏である。


キラールの弦楽オーケストラのためのオラヴァ。
ヴォイチェフ・キラール(1933-2013)は、当時はポーランド領であった現ウクライナのルヴツ出身の作曲家。1955年にカトヴィツェ音楽院に入学し、卒業後はパリに留学して、名教師として知られるナディア・ブーランジェに師事している。
映画音楽も数多く手がけており、名画として知られるロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」の音楽担当がキラールだったそうだ。
なお、オラヴァというのは、ポーランドとスロヴァキアにまたがるカルパチア山脈を流れるオラヴァ川のことだが、発音が似ている「牧草地」という意味の言葉も掛けられているそうである。

弦楽によるミニマルミュージックの要素を取り入れた音楽であり、マイケル・ナイマンの作風に似ている。終盤になると開放的な長調と入り組んだ不協和音が交互に奏でられ、光と影が互い違いに描かれているような音楽へと変わっていく。なお、ラストでは「ヘイ!」という声を奏者が発するよう指示がある(任意のようで行わなくてもいいようだ)が、コロナがまだ収束には至っていないということで、指揮者のネステロヴィチのみが「ヘイ!」と叫んだ。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調。
若手ヴァイオリニストの中でも比較的知名度の高い郷古廉(ごうこ・すなお)がソロを奏でる。
これまで幾たびも聴いてきたメンコンことメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。郷古のソロは他の奏者に比べてスケールが小さめなのが気になったが、音の純度は高く、また第3楽章の憂いの表情などは見事である。
京響の伴奏も優れていたが、もっと上質の伴奏を奏でたこともあるので、完全に満足の行く出来とまでは行かなかったように思う。

郷古のアンコール演奏は、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番より第3楽章アンダンテ。典雅にして温かな演奏であり、日だまりの道がずっと先まで続いている様が見えるような希望に満ちた音楽が奏でられた。


ブラームスの交響曲第1番。おそらくこれまで接した演奏会で最も多く取り上げられている曲である。
冒頭は威圧感や迫力ではなく透明度を重視する。大仰さがなくなり、染み込むような苦悩が全面に出る。その後、徐々に情熱を高めていくが、どれほど熱い場面であっても上品さを失うことはない。実演、録音含めて何度聴いたか分からない曲だが、こうした演奏に接するのはおそらく初めてであるように思う。ブラームスも奥が深い。
京響は金管に威力があるため、たまに管のバランスが強くなることもあるが、基本的にはエレガントなブラームスである。首席奏者を揃えた管も実に上手い。
ネステロヴィチは初来日で、これまで名前を聞いたこともなかったが、実力はかなりのものと見た。


予告通りのアンコール演奏。コンサートマスターの泉原がマイクを手に、曲目の紹介とウクライナ侵攻の平和的終結を願って演奏される旨を述べる。
演奏されるのは、ミロスラフ・スコリクの映画「High Pass」より「メロディ」(管弦楽版)。抒情的にして哀切な美しさに溢れていた。

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2022年3月31日 (木)

コンサートの記(772) 原田慶太楼指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021(年度)「発見!もっとオーケストラ!!」第4回「オーケストラ・ミーツ・シネマ」

2022年3月27日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021(年度)「発見!もっとオーケストラ!!」第4回「オーケストラ・ミーツ・シネマ」を聴く。映画で使われたクラシック音楽や映画音楽をフィーチャーした演奏会。指揮は、史上最高の映画音楽作曲家の一人であるジョン・ウィリアムズの弟子にして友人である原田慶太楼。京響の2月定期に出演するはずが、アメリカでの仕事を終えて日本に向かった場合、コロナ待機期間を満たせないという理由で降板した原田慶太楼(ガエタノ・デスピノーサが代役を務めた)。今回のオーケストラ・ディスカバリーには十分間に合った。
1985年に生まれ、高校からアメリカで学び始めた原田慶太楼。吹奏楽の指揮者として知られるフレデリック・フェネルにまず師事。複数の大学で音楽を学んだ後、シンシナティ交響楽団とシンシナティ・ポップス・オーケストラ(主に演奏する曲目が違うだけで両者は同一母体である)などのアソシエイト・コンダクターなどを経て、現在はジョージア州のサヴァンナ・フィルハーモニックの音楽&芸術監督として活躍している。「題名のない音楽会」など、メディアへの出演も多く、2021年春からは東京交響楽団の正指揮者に就任し、日本でもポストを得ている。京都市交響楽団とは、ロームシアター京都メインホールで行われた、ジョン・ウィリアムズの楽曲を中心としたコンサートで共演している。今日は全編、ノンタクトでの指揮。


曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った(かく語りき)」冒頭(オルガン:桑山彩子)、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番(合唱:京響コーラス)、ポンキエルリの歌劇「ジョコンダ」から「時の踊り」、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」からメインテーマ(ヴァイオリン独奏:石田泰尚)、ロジャース&ハマースタインⅡ世の「サウンド・オブ・ミュージック」セレクション、久石譲の「千と千尋の神隠し」から「あの夏へ」(ピアノ独奏:佐竹裕介)、ジョン・ウィリアムズの「ハリー・ポッターと賢者の石」から「ヘドウィグのテーマ」(チェレスタ独奏:佐竹裕介)、「スター・ウォーズ」から「インペリアル・マーチ(ダース・ベイダーのテーマ)」、「スター・ウォーズ」から「運命の決闘」(合唱:京響コーラス)、シベリウスの交響詩「フィンランディア」

前半は、「2001年宇宙の旅」に使われた「ツァラトゥストラはこう語った」の冒頭、ディズニー映画の「ファンタジア」で使われた「威風堂々」第1番と「時の踊り」というクラシック作品が演奏され、その後は映画のためのオリジナル曲を経て、ロシアの圧政に苦しんでいた時代のフィンランドの音楽である交響詩「フィンランディア」に至るというプログラム。

今日のコンサートマスターは京響特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田泰尚。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日はヴァイオリン両翼配置での演奏である。
管楽器の首席奏者は前半にほぼフル登場。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳は前半のみの出演となった。

ナビゲーターは、オーケストラ・ディスカバリーではお馴染みとなったロザンの二人が務める。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」。ヴァイオリン両翼配置のせいか、原田慶太楼が京都コンサートホールの音響に慣れていないためか、あるいは私が座った席が悪かったのか、もしくはその全てか、いつもに比べて音がモヤモヤしており、直接音が弱めに聞こえる。その後、どんどん音響が良く聞こえるようになったので、私の席や耳の問題か、原田と京響が響きをさりげなく調整したのか、音響に関する不満はなくなっていった。

エルガーの行進曲「威風堂々」第1番では「英国第2の国歌」と言われる部分を京響コーラスが歌うのだが、最初の場面では、オーケストラサウンドに隠れて声が思うように届かず。不織布マスクを付けての歌唱と言うことで、声量が十分出なかったのかも知れない。再度合唱が入る場面では、前回よりは声が通って聞こえた。

ロザンは、菅ちゃんが大の映画好きということで、楽しそうである。宇治原には映画を観ているようなイメージはないが、実際にどうなのかは分からない。

原田が菅ちゃんに、「今日は豪華です」と京響コーラスを紹介するも、菅ちゃんは、「あの背中向けてる人」とパイプオルガン独奏の桑山彩子にまず興味を持ったようだった。
今日も宇治原が楽曲解説などを真面目に行い、菅ちゃんがかき回すというパターンである。

ポンキエルリの歌劇「ジョコンダ」から「時の踊り」はラストで急速な加速を行い、聴衆の興奮をあおる。原田は若いだけあって、キビキビとした指揮姿であり、体中からエネルギーがほとばしる様が見えるかのようだ。


ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」。私もロードショー時に映画館で観た作品である。どぎついシーンもあるということで、全編モノクロームの映画となっている。
ヴァイオリン独奏の石田泰尚に、菅ちゃんが「昔、悪かったでしょう?」と聞くも、原田は、「いや、ナイスガイだと思いますよ」とフォロー(?)していた。
オリジナルはイツァーク・パールマンが、磨き上げられた厚みのある音で歌った美演であったが、石田のヴァイオリンソロはそれに比べると陰影がクッキリしており、良い意味で日本人的感性にフィットする独奏であったと思う。


ロジャース&ハマースタインⅡ世による「サウンド・オブ・ミュージック」セレクション。「サウンド・オブ・ミュージック」もヒットナンバーがずらりと並ぶ名作ミュージカル。反ナチスのプロパガンダ映画という側面があるが、そういう見方をしなくても楽しめる作品である。私は、小学校、中学校、高校で計4回、この映画を見せられている。ということで、見飽きてしまい、自分ではなかなか食指が動かない作品になってしまった。高校1年生の音楽の授業では、「サウンド・オブ・ミュージック」の1場面を演じることになり、私は、トラップ大佐の「ロルフ、君は騙されているんだ」というセリフを日本語で語り、「すべての山に登れ」を同じグループの人と英語詞で合唱した。そんな思い出が今も鮮やかに脳裏に浮かぶ。
映画は積極的に観ることはなかったが、「サウンド・オブ・ミュージック」のCDはテラークから出ていたものを買って何度も聴いている。エリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラによるものであった。90年代には、ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス・オーケストラ(こちらはボストン交響楽団の団員のうち、首席奏者を除いたメンバーで構成されており、ボストン交響楽団と同一ではない)とエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラが人気を二分していた。

選ばれたのは、「サウンド・オブ・ミュージック」「恋のゆくえは」「ひとりぼっちの羊飼い」「私のお気に入り」「もうすぐ17歳」「さようなら、ごきげんよう」「ド・レ・ミの歌」「エーデルワイス」「ふつうの夫婦」「誰も止められない」「マリア」「すべての山に登れ」。ちなみに「ド・レ・ミの歌」は、各国で翻訳が違い、「ミ」はという話になったところで、客席にいたちびっ子が、「me,for myself」と答えを歌っていた。
編曲者は不明だが、生き生きとした描写力の高い演奏が続く。
演奏終了後、原田はスキップしながら再登場していた。


第2部。久石譲の「千と千尋の神隠し」より「あの夏へ」。久石譲のコンサートでは作曲者自身がアンコール曲として弾くことも多い曲だが、佐竹裕介のピアノもリリカルで、京響の響きも日本のオーケストラらしい弱音の美学を体現していた。


ジョン・ウィリアムズの「ハリー・ポッターと賢者の石」から「ヘドウィグのテーマ」。映画監督からもしくは原作者からという二つの説があるが、「魔法の様な音が欲しい」と言われたジョン・ウィリアムズは、ある楽器を選ぶ。原田が客席に、「ヴァイオリンだと思う人」「ハープだと思う人」と聞いていくが、ジョン・ウィリアムズが選んだのは、チェレスタであった。結構有名な話、というより「ハリポタ」シリーズの映画を観た人は知っている情報である。原田は、チェレスタを独奏する佐竹裕介に、「魔法のような音出して」と言うも、佐竹が奏でたのは、新幹線が目的駅に近づいた時に流れるベルの旋律。その後、原田の求めで、「ヘドウィグのテーマ」の冒頭のチェレスタソロが演奏された。
菅ちゃんが、「魔法っぽいと思った人」と客席に聞くが、続いて「新幹線っぽいなあと思った人」と聞いて宇治原に突っ込まれる。

ジョン・ウィリアムズのアシスタントとして、本番でウィリアムズが指揮する際の前振りなども行っているという原田。自信と確信に溢れた音運びである。

ちなみに、スティーヴン・スピルバーグをゲストに招き、スピルバーグとウィリアムズがトークを行うイベントでも原田は指揮を担い、トークが一段落してからウィリアムズの音楽を奏でるという仕事もしたことがあるそうだ。


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」から「インペリアル・マーチ(ダース・ベイダーのテーマ)」と「運命の決闘」。「運命の決闘」では、合唱を受け持つ京響コーラスが、最後の音で全員が右手を突き出していた。

ここで、菅ちゃんが花束を持って登場。チェロの古川真差男は、このコンサートをもって京都市交響楽団を定年退職するというので、原田から花束が贈られる。古川は、「大学時代から京都市交響楽団で演奏していた」と語る。菅ちゃんが、「どこの大学ですか?」としつこく聞くので、古川は「京都市立芸術大学」と答え、菅ちゃんが宇治原に、「どうですか? 京都市立芸術大学」と聞き、京大芸人の宇治原が「まあまあやね」と答えて菅ちゃんに頭をはたかれる。これがやりたかったらしい。
余談だが、京都市立芸術大学は、音楽学部は一部の専攻を除いてそうでもないが、美術学部は受験科目が他の美大よりも多いため、併願が難しいことで知られている。例えば東京芸術大学と京都市立芸術大学の美術学部を併願しようとなった場合、京都市立芸大の方が東京芸大より入試の試験科目が多いため、本命を京都市立芸大にして勉強しないと少なくとも両方受かるのは難しい。
とまあ、ロザンに乗って受験の話をしてみたが、正直、自分が受けるわけでもないのでどうでもよかったりする。

それよりも重要なのはサプライズがあったということで、原田と京響チェロ奏者達の提案で、古川がプリンシパルの位置で「フィンランディア」を弾くことになる。特別首席チェロ奏者であるチェロ康こと山本裕康と場所を入れ替えての演奏である。

宇治原が、「フィンランディア」が書かれた当時、フィンランドがロシアの圧政に苦しんでいたことを紹介してから演奏スタート。京響は鳴りが実に良い。京響コーラスは、日本語での歌唱(翻訳者不明)で「スオミ(フィンランドで自国と自国民を指す言葉)の平和の里」と、平和へのメッセージを歌い上げた。


アンコール演奏は、「美女と野獣」より。この曲でも京響コーラスは日本語の歌詞を歌った。
なお、今回は、原田が新しい才能にチャンスを与えるプロジェクトを手掛けているということで、山本菜摘による新編曲版での初演となる。ウインドマシーンやレインスティックといった比較的珍しい楽器を取り入れた編曲であった。山本菜摘は会場に駆けつけており、ステージ上から原田に紹介されたが、若くて可愛らしい女性で、作・編曲家らしい雰囲気は纏っておらず、驚いた。

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2022年3月19日 (土)

コンサートの記(768) 広上淳一指揮京都市交響楽団第665回定期演奏会 広上淳一退任コンサート

2022年3月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第665回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。広上淳一の常任指揮者兼芸術顧問の退任公演となる。

曲目は、マーラーの交響曲第3番が予定されていたが、出演予定であった京都市少年合唱団のメンバーにコロナ陽性者が出たため少年合唱の練習が出来なくなり、曲目変更となった。

新たなる曲目は、尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃(いし)のうへ」(詩:三好達治)と「子守唄」(詩:立原道造。2曲とも合唱は京響コーラス)、マーラーのリュッケルトの詩による5つの歌曲(メゾ・ソプラノ独唱:藤村実穂子)、マーラーの交響曲第1番「巨人」


プレトークでは広上と門川大作京都市長が登場し、門川市長から広上に花束の贈呈があった。門川市長が退場した後は、音楽評論家で広上の友人である奥田佳道と、京都市交響楽団演奏事業部長の川本伸治、そして広上の3人でトークは進む。90年代だったか、広上が指揮したマーラーの「復活」について書いた演奏批評を後に広上が絶賛するということがあったが、その批評の書き手が奥田だったような気がする。かなり昔のことなので、正確には覚えていない。奥田は当初は客席で聴くだけの予定だったようだが、広上から「プレトークに出てよ」と言われたため、東京からの新幹線を早いものに変えて京都に来たそうである。
奥田は、広上と京響について、「日本音楽史に残るコンビ」と語り、サントリー音楽賞という通常は、個人か団体に贈られる賞を、「広上淳一と京都市交響楽団」というコンビでの異例の受賞となったことなどを紹介する。「ラジオで話すよりも緊張する」そうだが、音楽評論家というのは基本的には人前に出ない仕事なので、当然ながら聴衆を前に話すことには慣れていないようである。

川本は新日本フィルハーモニー交響楽団からの転身であるが、その前はボストン交響楽団と仕事をしていたそうで、「ヨーロッパテイストの響き」や「前半と後半で管楽器奏者が変わる」ことなどが京響とボストン響の共通点だと語っていた。

広上が京響を離れることについては、広上自身が「今生のお別れではありません」「また遊びに来ます」と語る。

曲目変更についてだが、前半の曲目については、「キザな言い方になりますが、我々の絆の温かで一番しっとりとした部分」が感じられるようになったのではないかと広上は述べる。

今日も尾高惇忠の作品が1曲目に演奏されるが、広上は最近、プロフィールの変更を行い、まず最初に尾高惇忠に師事したことを記すようにしたようである。湘南学園高校音楽科時代に尾高に師事しており、最初のレッスンで広上が弾いたのモーツァルトのソナタの印象を尾高が「バリバリに上手い訳じゃないけど、この年でこれほど味のあるピアノを弾く奴はそうそういないと感じた」と奥田に語ったことが紹介される。ただ広上によると続きがあったそうで、「でも来週も聴きたいとは思わない」というものだったそうである。
尾高惇忠の女声コーラス曲「春の岬に来て」は、元々はピアノ伴奏の曲だったようだが、「オーケストラ伴奏の曲にしたら面白いんじゃない」と進言したのが広上であることも奥田から紹介された。

また、ヨーロッパで通用する唯一の日本人声楽家といっていい、藤村実穂子が今回の京都市交響楽団の定期演奏会に出演するためだけにドイツから帰国したことが奥田によって語られる。


今日のコンサートマスターは、「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。
ドイツ式の現代配置での演奏だが、ピアノやチェレスタが舞台下手に来るため、ハープは舞台上手側に置かれている。


尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃のうへ」と「子守唄」。女声合唱はポディウムに陣取り、左右1席空け、前後1列空けでの配置となって、マスクをしたまま歌う。
叙情的で分かりやすい歌曲であるが、入りが難しそうな上に、技術的にも高度なものが要求されているようである。


藤村実穂子の独唱による、マーラーのリュッケルトの詩による5つの歌曲。
藤村の深みと渋みを兼ね備えた歌声による表現が見事である。ノンシュガーのコーヒーの豆そのものの旨味を味わうような心地に例えれば良いだろうか。広上指揮の京響も巧みな伴奏で、第4曲「真夜中に」の金管の鮮やかさ、第5曲「私はこの世から姿を消した」における弦の不気味な不協和音など、マーラーならではの音楽を巧みに奏でる。


マーラーの交響曲第1番「巨人」。マーラーの青春の歌である「巨人」だが、冒頭の弦の響きから明るめで、第1楽章では強奏の部分でも爽やかな風が吹き抜けるような見通しの良さなど、濃密系が多い他の「巨人」とは異なる演奏となっていた。

広上の指揮はいつもよりオーバーアクションであり、縦の線がずれたところもあったが、生命力豊かな音楽作りとなる。
低弦や打楽器の威力と金管の輝きという京響の長所が引き出されており、「これが常任指揮者としては最後」とは思えないほどのフレッシュな演奏となっていた。

1956年創設の京都市交響楽団であるが、これからのことを思えばまだまだ青春期である。未来に向かって歩み出すような軽やかさと半世紀以上の歴史が生む濃密が上手く掛け合わされていたように思う。


演奏終了後に広上はマイクを手にして再登場し、スピーチを行う。京都市交響楽団の潜在能力に高さに気付いたのは自分(「不肖、私であります」と発言)であるが、それを伸ばすにはどうしたらいいか、急いでも駄目出し、そのままだと変わらないと思いつつやっていたら急に良くなったことなども述べたが、国内に二つ三つ優れたオーケストラがあるだけでは駄目で、ヨーロッパの名門オーケストラを上げながら、日本各地のオーケストラを個性ある団体に育てる必要を感じていることなどが語られた。

今月一杯で対談する廣瀬加世子(第1ヴァイオリン)と古川真差男(チェロ)への花束贈呈、広上に肖像画が贈られるという話(京都市立芸術大学学長である赤松玉女の推薦により、同大学及び大学院出身の城愛音によってこれから描かれる予定である)があった後で、アンコール曲として尾高惇忠の「春の岬に来て」から「子守唄」がもう一度演奏された。

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2022年2月22日 (火)

コンサートの記(765) ガエタノ・デスピノーサ指揮 京都市交響楽団第664回定期演奏会

2022年2月18日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第664回定期演奏会を聴く。

本来は、若手指揮者・原田慶太楼の京響定期デビューコンサートとなるはずだったが、原田は本拠地であるアメリカのオーケストラを振る仕事があり、その後に日本に再入国する際に必要とされる隔離期間2週間の確保が難しいため降板。代わって、昨年の暮れに来日し、以後、日本に長期滞在して各地のオーケストラを指揮しているガエタノ・デスピノーサが指揮台に立つ。
また、ピアノ独奏を務めるはずだった三浦謙司(ドイツ在住)も日本入りが不可能となったため、昨年9月のリーズ国際ピアノコンクールで第2位に輝いた若手・小林海都(かいと)がピアノソロに抜擢される。


曲目は当初と変わらず、ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(ピアノ独奏:小林海都)、チャイコフスキーの交響曲第5番。


コロナ禍により、指揮者が足りないという状態が続いている。日本のオーケストラは良くも悪くも白人の指揮者頼りの傾向が続いていた。私が学生定期会員をしていた時期のNHK交響楽団は、定期演奏会の大半を白人、それもヨーロッパ出身の指揮者に委ねていた。同じ白人指揮者でもアメリカの指揮者は当時はまだそれほど信頼が置かれていなかったような気がする。定期的に招かれていたのはレナード・スラットキンなど数名だったと思う。

昨今も劇的に状況が変わったという訳ではなかったが、コロナによる外国人入国規制により、いやでもこれまでの方針を変えざるを得なくなった。私が学生定期会員をしていた時期のN響を例に挙げると、日本人指揮者が出演するのは4月定期のABC3つあるプログラムだけで、それを3人の日本人指揮者で振り分けるということをやっていたが、そんなことでは演奏会が開けない。

オーケストラだけではなく、日本のクラシック音楽の聴衆も同傾向。白人の名指揮者に人気が集中していた。そのため、客の呼べる日本人指揮者の数は限られており、争奪戦となっている。
そんな中で、昨年暮れに来日したデスピノーサとジョン・アクセルロッドは客の呼べる貴重な実力派白人指揮者。共に日本に長期滞在し、聴衆を魅了。アクセルロッドは先日、アメリカに帰ったが、デスピノーサは引き続き日本での活動を続けている。


出演者の急遽変更ということでバタバタしたのか、無料プログラムに記載されたプレトークの時間が「午後2時から」とマチネーの時間帯になっている。午後7時開演の公演のプレトークを午後2時から行っても客席に誰もいないが、客も間違えるはずもない。ということで午後6時30分からデスピノーサによるプレトークがある。英語でのスピーチ。通訳は小松みゆき。

デスピノーサは、まず「こんばんは」と日本語で挨拶してから、「Good Evening」と英語に直す。
「今回のプログラムは私が選んだわけではないのですが」と前置きした上で、「いいプログラムだと思います」と語る。

デスピノーサは、1978年、パレルモ生まれのイタリア人。ということで、まずは祖国の大作曲家であるジュゼッペ・ヴェルディの話。「ヴェルディはとても長生きした人で、活躍の時期も長かった」「チャイコフスキーは、27歳下ですが、チャイコフスキーが亡くなった後もヴェルディは生きて活躍していました」
そして、「ヴェルディは当初はシンプルなオペラを書いていたのですが、次第に交響詩のようなオペラを作曲することになります」
非常に有名だが、「椿姫」の“乾杯の歌”のオーケストラ伴奏は、「ブンチャッチャ、ブンチャッチャ」と三拍子のリズムを刻んでいるだけだったりする。それがワーグナーへの対抗心ともいわれるが、声を含むオーケストラによる一大叙事詩を指向するようになっていった。「運命の力」についてデスピノーサは、そんなシンプルと重厚の合間にある重要な作品としていた。

続いて、チャイコフスキーだが、「ヴェルディはオペラの人だが、チャイコフスキーはオペラの人とは言えないかも知れない(一応、「エフゲニー・オネーギン」や「スペードの女王」といった比較的有名なオペラも書いている)が、舞台的な発想をする人だ」と語る。バレエ音楽も優れたものが揃っている。そして舞台的な音楽発想という意味だと思われるが、チャイコフスキーはマーラーの先達、先駆けになる人」との解釈を披露する。
交響曲が私小説化していくのも、マーラーやチャイコフスキーの後期三大交響曲の特徴である。

ラフマニノフについては、「ノスタルジックな作曲家というイメージがあるが」新しいことも色々やった未来的なところもある作曲家、「パガニーニの主題による狂詩曲」にも新しいところがあるとの見解を述べていた。


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの豊島泰嗣。フォアシュピーラーに泉原隆志。管楽器首席奏者ではオーボエの髙山郁子が全編に出演。トロンボーン首席の岡本哲がラフマニノフからの参加。それ以外はチャイコフスキーのみの出演となっている。


ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。
デスピノーサの実演には、昨年暮れの大フィルの第九で接しているが、相性は京響との方が良さそうである。全般的に明るめの音色と屈強なブラスという京響の長所が生きており、憂いや情熱、パースペクティブの表出などがイタリア音楽に相応しい。


ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。
ピアノ独奏の小林海都は、バーゼル音楽院在学中の若手。残念ながら醜聞続きの上野学園の高校で学んでいたのだが、マリア・ジョアン・ピリスのワークショップを受けた際に留学を勧められ、まずはベルギーのエリザベート王妃音楽院でピリスに師事した後でスイスに移っている。昨年12月にはデスピノーサの指揮でN響定期デビューも果たした。
見た目は芸術家というよりも「真面目なサラリーマン」風である小林だが、エッジの立ったキリリとしたピアノを弾くため、ギャップが凄い。今日は「パガニーニの主題による狂詩曲」とアンコール演奏の2曲だけだったが、音色やスタイルを自在に変えられるタイプであることが察せられるため、他の曲の演奏も聴きたくなる。
デスピノーサ指揮の京響も甘美で語り上手な伴奏を展開した。

小林のアンコール演奏はスクリャービンの24の前奏曲より第9番。デスピノーサは舞台から下り、客席に座って聴いていた。


チャイコフスキーの交響曲第5番。フルートの上野博昭、クラリネットの小谷口直子、ホルンの垣本昌芳、トランペットのハラルド・ナエス、ファゴットの中野陽一朗といった首席奏者が並んだこともあり、輝かしい音による白熱した演奏が展開される。

デスピノーサであるが、かなりテンポを揺らす。「一気に加速した後減速」を繰り返すため、下手をすると粗い演奏になりがちだが、そうした印象は余り受けず、時間を素材に全体像をきっちり組み立てる名建築家のような優れたフォルム作りが特徴。バランス感覚が人並み外れて優れているのだと思われる。
管楽器は鋭く、弦楽器はそれに比べると甘くと分けているのも特徴で、チャイコフスキーの多面性を描いているようでもある。ティンパニに硬い音を出させているのも独特。

第1楽章冒頭の小谷口直子のクラリネットソロ、第2楽章の垣本昌芳のホルンソロはいずれも技術が高く、表現力も豊かである。交響曲第5番はクラリネットとホルンが独奏的に用いられる場面が多く、交響的協奏曲のようでもある。

第4楽章も堂々と始まる。デスピノーサは、チャイコフスキーに関する最新の研究を余り取り入れてはいないように感じられたが、音が輝かしいが故に却って伝わってくる哀しさのようなものも特に弦には乗っているように感じられる。
疑似ラストの後の凱歌も爽快であるが、音の輝かしさ故に同時に生まれた陰の部分も目の前に差し出されているような感覚になる。ラストも「ジャ・ジャ・ジャ・ジャン」と切って演奏しており、「本当の凱歌」なのか疑問に思えてくる要素も隠さずに出していた。だが、昨今流行りの演奏とは異なり、地平の彼方に希望が見えているような終わり方でもあった。


演奏終了後、デスピノーサは再び客席に下り、京都市交響楽団に向かって拍手をするというパフォーマンスを行っていた。

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2022年2月 6日 (日)

コンサートの記(763) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014「VIVA!オーケストラ」第3回「オーケストラってなぁに?」

2014年11月30日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2014『VIVA!オーケストラ』第3回「オーケストラってなぁに?」を聴く。
「~こどものためのオーケストラ入門~」という副題の付いているコンサートであるが指揮者も曲目も本格的であり、大人でも十二分に楽しめる。というより、正直、このプログラムは子供には理解出来ないと思う。
今日の指揮者は京都市交響楽団首席常任客演指揮者の高関健。ナビゲーターは「ぐっさん」こと山口智充。

曲目は、前半がハイドンの交響曲第90番より第4楽章、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」より第4楽章、ブラームスの交響曲第4番より第1楽章、後半がベートーヴェンの交響曲第1番より第2楽章、マーラーの交響曲第5番より第4楽章&第5楽章。オーケストラの弦楽の配置は前半と後半で変わり、前半はドイツ式の現代配置、後半は古典配置による演奏が行われる。

今日のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーは尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子は今日は全ての演目に登場。定期演奏会で前半にオーボエトップの位置に座ることの多いフロラン・シャレールは今日は後半のみの登場で次席として吹いた。小谷口直子はクラリネットが編成に加わるブラームスの曲から登場。フルート首席の清水信貴は後半のみの出演である。

開演前に京都コンサートホールのホワイエで、金管五重奏によるミニコンサートが行われる。出演者は、トランペットの早坂宏明(次席奏者)と稲垣路子、トロンボーンの岡本哲(首席指揮者)、ホルンの澤嶋秀昌、テューバの武貞茂夫。

曲は、ジョン・アイヴソンの編曲による「クリスマス・クラッカーズ」(「ジングルベル」、「Deck the halls(ひいらぎ飾ろう)」、「A Carol Fantasy」、「We wish a merry Christmas」)、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の金管合奏編曲版、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」金管五重奏版という、いずれもクリスマスを意識した曲目であった。


午後2時開演。

まず、ハイドンの交響曲第90番より第4楽章の演奏。今日の高関はマーラーの交響曲第5番第5楽章のみ指揮棒を用い、他は全てノンタクトで指揮した。
ピリオド・アプローチを取り入れた快活な演奏。今日は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンはピリオドによる演奏である。
曲が終了して、拍手が起こる、と、高関は客席の方を振り向いて指を振り、「まだ終わりじゃない」と告げる。演奏再開。そして終わって拍手、と思いきや曲はまだ終わっておらず、高関が再び客席を振り向いて人差し指を左右に振る。3度目でやって演奏は終了した。実はこの曲はハイドンが聴衆に「演奏が終わった」と勘違いさせるためにわざと疑似ラストを書いたという冗談音楽なのである。疑似ラストというとチャイコフスキーの交響曲第5番の第4楽章が有名だがチャイコフスキーは勘違いさせようとして書いたわけではない。だが、ハイドンはわざとやっているのである。ハイドンは「驚愕」交響曲を書いていたりと、ユーモア好きでも知られている。


ここで、ぐっさん登場。グレーの背広に同じ色の帽子姿である。ぐっさんは、クラシック音楽を聴く習慣もないし、オーケストラの演奏をコンサートホールで聴くのも初めてだという。
京都コンサートホールはステージの後方にも客席があるのだが、それがぐっさんは不思議だという。高関が「あれは合唱の席なんです。合唱が入る時はあそこに合唱が入るんです。今日は合唱は入らないので客席になっています」と説明する。京都コンサートホールのいわゆるP席(ポディウム席)は基本的に合唱が入ることを想定して設計されたものであり、合唱が大勢入れるように客席は可動式になっている。3席で1ユニットで、そのまま取り外し可能である。というわけで少し薄くて背もたれも低く、たまに軋むという欠点もある。
P席のあるホールでも、ザ・シンフォニーホールやサントリーホールなどは席は固定式である(合唱が入ることを想定して作られたものではない)。
元々は、P席は、ベルリン・フィルハーモニーが再建される際に、当時のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であったヘルベルト・フォン・カラヤンが、「カラヤンがホールの中心にいるようにする」というプランを取り入れて建設した際に生まれたものであり、合唱用に特別にあつらえられたものではない。

高関は、「あそこの席(P席)は(私から)良く見えるんです。あ、あそこのお客さん寝てるな、とか」と言う。ぐっさんが「逆にノリノリのお客さんなんかもいるわけですか?」と聞くと、高関は「それは迷惑です」と答える。ぐっさんは「ほどほどということで」とこの話題を締める。

ぐっさんは、オーケストラというものの成り立ちについて高関に聞く。高関は「昔、芝居などの時に、ステージの前の方にで歌ったり踊ったりする声を掛けたりする(その人達のことをコロスといってこれはコーラスの元となった言葉である)場所があったそうで、そこをオルケーストラと呼んだのが始まりだそうです。昔は下で演奏していましたが、ステージに上がって演奏を始めたのが大体、1700年頃といわれています(日本でいうと元禄時代である。1701年に浅野内匠頭と吉良上野介の松の廊下刃傷事件が起こり、翌1702年に赤穂浪士達の吉良邸討ち入りがあった)」と述べた。

ぐっさんは、「高関さんも、京都市交響楽団の方々も凄い方なんです。プロフィールに凄い経歴が書いてある。ですが、私のプロフィールはたった3行ってこれなんですか? 吉本興業、もっと良い情報持ち合わせていなかったんでしょうか? 『趣味は、散歩、ものまね、ギター』ってこれどうでもいい情報ですよね」と言う。


モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。緻密な演奏である。弦楽のビブラートはハイドンや、この後に演奏されるベートーヴェンに比べると多めだった。
この曲が始まる前に高関はフーガについての説明を行った。


ブラームスの交響曲第4番第1楽章の演奏の前に、高関はソナタ形式についての説明を行う。第一主題、第二主題、展開部、再現部、終結部からなるのだが、これを高関はプレートを使って説明する。第一主題は「A」、第二主題は「B」、展開部は「サビ」と書かれたプレートである。「A」のプレートは黄色、「B」のプレートは緑、「サビ」のプレートはピンク色をしている。展開部はサビとは違うのだが、わかりやすくサビと呼ぶことにしたらしい。まず予行として高関は「A」のプレートを掲げながら、第一主題を指揮し、いったん指揮を終えて、第二主題に入るちょっと前から演奏を始め、チェロが第二主題を奏でたときに「B」のプレートを掲げる。それからプレートはないのだが、もう一つの主題を演奏する。

本番の演奏でも、高関は「A」のプレートを掲げてから指揮を始め、第二主題に入ると「B」のプレートを取り出す。展開部では「サビ」と出し、その後、再現部でも「A」と「B」のプレートを掲げた。
なかなか白熱した演奏である。
今日は1階席の18列18番目の席で聴いたのだが、良い音で聞くことが出来る。京都コンサートホールの1階席は音響が今一つなのだが、高関はオーケストラを鳴らすのは得意なので問題はない。


後半、弦楽は配置を変えてヴァイオリン両翼の古典配置となる。ぐっさんは、配置が変わったことについて高関に聞く。高関は「元々は今のような配置で演奏していたようですが、第二次大戦後に前半のような配置も生まれたようです」と答える。現代配置が生まれたことについて高関は「諸説あるのですが、録音の際に前半のような配置にした方が良かったのではないかとも言われています。ステレオで録音する際に、こちら側(下手側)からは高い音、こちら側(上手側)から低い音と分けて聞こえるのが効果的だったのではないかと」と推測した。
現代配置の生みの親は実はわかっている。イギリスの指揮者であるレオポルド・ストコフスキーである。現代配置と呼ばれているのは彼がフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者だった時代に始めたものだ(そのため、アメリカ式の現代配置は「ストコフスキー・シフト」とも呼ばれる)。ただ配置を変えた理由については明確になっていないようだ。また、チェロが指揮者の正面に来るドイツ式の現代配置は誰が始めたのか正確には不明のようである。

配置換えを担当したステージマネージャーの日高成樹がステージ上に呼ばれるが、日高は内気な性格のようで、高関からもぐっさんからもマイクを向けられたが、結局、一言も発することなくステージを後にした。

ぐっさんは、配置が正反対に変わったコントラバス奏者の石丸美佳にインタビューするが、ぐっさんの「どちらが弾きやすいですか?」という質問に石丸は「どちらでも同じぐらい」という無難な返答をした。


ベートーヴェンの交響曲第1番より第2楽章。フレッシュな演奏である。聴覚的にもそうだが、視覚的にも音の受け渡し方がよりわかりやすくなる。


ラストの曲目であるマーラーの交響曲第5番より第4楽章&第5楽章。大編成での演奏。高関によると「83名か84名による演奏」だそうである。ぐっさんが「一番編成の大きい曲は何人ぐらいで演奏するんですか?」と聞くと高関は「実はマーラーの曲でして、交響曲第8番『千人の交響曲』という曲で、合唱を含めて全1033名で演奏したという記録があります。実は朝比奈隆先生が、フェスティバルホールで同じ人数で再現されたことがあります」と答えた。高関も「千人の交響曲」は指揮したことがあるが、流石に千人には到達せず、850人編成での演奏を3回指揮したことがあるという。

ぐっさんは客席で聴いてみたいということで、ステージを降りて、空いている前の方の席に座る。

有名な第4楽章アダージェットは京響の弦楽が艶やかであり、第5楽章はスケールが大きい(先に書いた通り、第5楽章だけは高関は指揮棒を手にして指揮した。指揮棒を使った方が大編成のオーケストラを操りやすいからだと思われる)。ただ、京都コンサートホールの音響は第5楽章を聴くには余り効果的ではない。この楽章では、管楽器奏者が朝顔を上げて、下ではなく真横に向けて音を出すようマーラーが楽譜に書き込んでいるのだが、トランペットの直接音などは強すぎて全体のバランスが悪くなってしまうのである。弦楽の音がもっと前に飛ぶホールだと良かったのだが。

とはいえ、充実した演奏を楽しむことが出来た。

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2022年2月 5日 (土)

コンサートの記(762) 広上淳一指揮 第17回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2022年1月30日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第17回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は京都市ジュニアオーケストラのスーパーヴァイザーを務める広上淳一。広上は今年の3月をもって京都市交響楽団の第13代常任指揮者兼音楽顧問を離任し、オーケストラ・アンサンブル金沢のアーティスティック・リーダーに転じる。京都コンサートホールの館長は続けるが、京都で広上を聴く機会は減ることになる。

京都市在住もしくは在学の10歳から22歳まで(2021年4月時点で)の選抜メンバーからなる京都市ジュニアオーケストラ。奏者の育成のみならず、出身者がよき聴衆、よき音楽人となるための足掛かり的な意図も持って結成されている。

今回の曲目は、サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」からバッカナール、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ラフマニノフの交響曲第2番。

サン=サーンスとチャイコフスキー作品のコンサートミストレスは神千春が、ラフマニノフの交響曲第2番のコンサートミストレスは田村紗矢香が務める。紗矢香という字は、有名ヴァイオリニストの庄司紗矢香と同じだが、あるいはご両親が庄司紗矢香にあやかって名付けたのかも知れない。


サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」からバッカナール。音の厚みや密度は不足気味だが、そもそもそんなものはこちらも求めていない。オーケストラメンバーの広上の指揮棒への反応も良く、終盤は大いに盛り上がる。広上の音楽設計も見事である。


チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。ドラマティックな演奏が展開される。サン=サーンスもそうだったが、この曲でもティンパニの強打が効果的である。個人的にはコントラバスの音型に注目して聴いたが、理由は教えない。ともあれ、切れ味の鋭さも印象的な好演であった。


ラフマニノフの交響曲第2番。大曲である。
ラフマニノフの交響曲第2番は、20世紀も終盤になってから人気が急速に高まった曲である。「遅れてきたロマン派」ともいうべきラフマニノフの大作であるが、初演以降、長きに渡って音楽関係者からは不評で、「ジャムとマーマレードでベタベタの曲」などと酷評され、そうしたマイナスの評価が支持されてきた。ラフマニノフ自身も「曲が長すぎることが不成功の一因」と考えて、カットした版も作成している。
この曲の評価上昇に一役買ったのがアンドレ・プレヴィンである。プレヴィンはこの交響曲を高く評価し、カット版での上演が普通だった時代に完全版をたびたび演奏。レコーディングも行ってベストセラーとなっている。その後にウラディーミル・アシュケナージなどがこの曲を演奏会やレコーディングで取り上げて好評を博した。日本では1990年代に「妹よ」という連続ドラマで取り上げられ、知名度が急上昇している。
今回の演奏も完全版によるものだが、カット版も今でも演奏されており、「のだめカンタービレ」のマンガとドラマに登場したことでも知られる故ジェイムズ・デプリーストが当時の手兵である東京都交響楽団を指揮したライブ録音でカット版を聴くことが出来る。

広上がヨーロッパで修行し、当初はヨーロッパでキャリアを築いたということも影響しているのだと思われるが、今回の京都市ジュニアオーケストラもギラギラしたアメリカ的な輝きではなく上品なヨーロピアンテイストの響きを紡ぎ出す。光度も十分だが、ビターな憂いを秘めていることがアメリカのオーケストラとは異なる。
京都市交響楽団ともこの曲でベストの出来を示した広上。今回もテンポ設定、スケール共に抜群で、この曲を指揮させたら日本一だと思われる。
この曲を演奏するには京都市ジュニアオーケストラのメンバーはまだ若いと思われるが、メカニックのみならず、細やかな表情付けなど内面から湧き上がる音楽を生み出せていたように思う。


広上は何度かカーテンコールに応えた後で、マイクを持って登場。「いかがでしたでしょうか? 私はもう疲れました」と言った後で、「ジュニアオーケストラとしては、私は普段はこんなこと言わないんですが、本当にこんなこと言わないんですが、日本一でしょう」と京都市ジュニアオーケストラを讃えた。また京都市ジュニアオーケストラのメンバーが音楽だけでなく、医学や化学や教育学を学んでいることに触れ、様々なバックグラウンドを持った人々が一緒に音楽をやるという教育法を「オーストリー(オーストリア)のウィーンにも似ている」と語った。ウィーンと京都は、その閉鎖性というマイナス面も含めてよく似ていると音楽家から言われることがあるが、姉妹都市にはなっていない(京都市の姉妹都市となっているのはヨーロッパではパリ市とプラハ市、ケルン市にフィレンツェ市にザグレブ市である。今注目のウクライナの首都、キエフ市とも姉妹都市になっている)。

最後に、京都市ジュニアオーケストラの合奏指導に当たった、大谷麻由美、岡本陸、小林雄太の3人の若手指揮者が登場し、広上から自己紹介するよう求められる。

大谷麻由美は、「私は30歳で京都市立芸術大学に再入学して」指揮を学んだことを語る(近畿大学を卒業後、会社員をしていた)。広上に、「大谷翔平選手のご親戚?」と聞かれて、「全く違います」と答える。

岡本陸は京都市ジュニアオーケストラの出身で、その時も指導に当たっていた広上に師事したいと思い立ち、広上が教授を務める東京音楽大学の指揮科に入学。昨年の3月に卒業したという。
広上が、「広上先生は怖かったですか?」と聞き、岡本は「怖いときも多かったです」と答えていた。

小林雄太は新潟県長岡市の出身。余り関係ないが、司馬遼太郎原作で長岡藩家老の河井継之助を主人公とした映画「峠」(役所広司主演)が近く公開される予定なので、長岡も注目を浴びそうである。
小林は岡本陸と東京音楽大学で同期であり、やはり広上に師事している。京都に来るのは中学校時の修学旅行以来久々だそうである。


アンコール曲はこの3人がリレー形式で指揮することになるのだが、大谷が作曲家名のドリーヴをドリップと言い間違い、広上に「ドリーヴね。フランスの作曲家。ドリップだとコーヒーになる」と突っ込まれていた。アンコール曲はドリーヴのバレエ音楽「コッペリア」から前奏曲とマズルカであるが、3人とも「コッペリア」についてよく知らないようで、広上に「なんだか恥ずかしいことになって来ました」と突っ込まれていた。純音楽ではなくバレエ音楽なので、少なくとも大体の意味と内容は知らないと本来なら指揮出来ないのである。
指揮者の世界には、「40、50は洟垂れ小僧」という言葉があり、指揮者として成長する道の長さと厳しさが知られている。40歳にも満たない場合は「赤ちゃん」扱いである。
ということで、アンサンブルの精度や細部までの詰めや表情付けなど、「指揮者でここまで変わるか」というほどの雑さが感じられたが、それが指揮者として成功するまでの困難さを表してもいた。

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2022年1月12日 (水)

コンサートの記(758) ジョン・アクセルロッド指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!」第3回「物語とオーケストラ」

2021年12月5日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2021「発見!もっとオーケストラ!」第3回「物語とオーケストラ」を聴く。今回の指揮者は、京都市交響楽団首席客演指揮者のジョン・アクセルロッド。ナビゲーターはガレッジセールの二人。

曲目は、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲、ワックスマンの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:服部百音)、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メインテーマ、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」(ナレーション:福山俊朗)。

今回は開演前にロビーコンサートがあり、ジョン・アクセルロッドが電子ピアノを弾く。
「ヒーロー」がテーマであり、まずチェレスタの音色で「ハリー・ポッター」のメインテーマが奏でられる。
アクセルロッドは続いて自分自身のヒーローだというJ・S・バッハの「平均律クラーヴィア」曲集よりプレリュードを弾いた。
また質問も受け付け、音楽家になるにはとの質問に、「まず音楽への愛を持って学ぶ必要」があり、そして「プラクティス、プラクティス、プラクティス(練習、練習、練習)」だそうである。呼吸をするように音楽が出来るようになれば、音楽家になれるだろうとのことであった。アクセルロッドは、「皆さんのヒーローは誰ですか? スーパーマンですか? スパイダーマンですか? 侍ですか?」と聞いていた。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭は降り番。オーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子は全編に出演する。


ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲。
アクセルロッドは、曲によって勿論異なるが、基本のテンポは速めである。またシャープな音楽性が特徴である。この演奏では何故か弦の音にモヤがかかったように聞こえ、分離や輪郭がはっきりしなかった。

ガレッジセールとのやり取りは、通訳の小松みゆきを通して行う。アクセルロッドは、ガレッジセールの質問に、まずは「はい」と日本語で答える。アクセルロッドは、歌劇「ウィリアム・テル(ギョーム・テル)」の少年の頭の上に置いた林檎を弓矢で射落とすという有名な物語を語った。ゴリは「ウィリアム・テル」序曲のラストに出てくる「スイス軍の行進」について、「俺ら50代近くの人間は、『俺たちひょうきん族』を思い出す」話す。


ワックスマンの「カルメン幻想曲」。映画音楽の作曲家として知られるフランツ・ワックスマンが、ビゼーの歌劇「カルメン」の旋律を取り込んでヴァイオリン協奏作品に仕上げたものである。アクセルロッドはカルメンについて、スペイン一美しいが最も怖ろしい女性であると述べる。アクセルロッドは、スペイン王立セビリア交響楽団の音楽監督を務めていたことがあるが、セビリアはカルメンの舞台である。

ヴァイオリン独奏の服部百音は、1999年生まれの若手ヴァイオリニスト。服部隆之の娘であり、音楽一族服部家の四代目である。5歳でヴァイオリンを始め、8歳でオーケストラと共演。2009年のポーランド・リピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで最年少での第1位を獲得。その後いくつものヴァイオリン国際コンクールで優勝を飾っている。今年10月に仙川の桐朋学園大学大学院に入学したばかりである。

真っ赤なドレスで登場した服部。まだ若いためか線がやや細いのが気になるが、高度なメカニックを駆使して情熱的な演奏を展開する。京響の鳴りもロッシーニに比べるとかなり良い。オーケストレーションの違いなのか、時代背景が異なるためか(ロッシーニの時代にはまだ音響の良いコンサートホールやオペラハウスは存在していない)ジャンルの違いなのかは不明である。

服部百音とガレッジセール(主にゴリ)のトーク。演奏中に弓の一部が切れたそうで、弓が切れた場合、垂れた弓の糸の一部が左手に絡まることがあるそうで、それに気をつけながら弾く必要があるという。また今日は顎乗せを留めているネジが外れかかっていたそうで、途中で留め直したそうだ。
ゴリが、「百音さんがジョンさんに近づいていくので、ジョンさんを刺すんじゃないかと」
百音「あ、カルメンは逆にカルメンが刺されるお話です。ラストで刺されちゃいます」
ゴリ「で、今回はジョンさんを刺そうと」
百音「それは違います」


ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」メイン・テーマ。
ゴリが、「あれ、ジョンさんいませんね」と言いつつ進めようとするが、ここでダース・ベイダーの「スースー」という吐息が聞こえる。ジョン・アクセルロッドがダース・ベイダーの面を被り(その上から黒いマスクを付けている)、ライトセーバーを持って登場。ただ持っているのはライトセーバーではなく、警備員が用いる普通の棒(警備棒)である。
アクセルロッドはそのまま指揮台に立つが、演奏前には面を取り、指揮棒を持って指揮した。オーケストレーションに定評のあるジョン・ウィリアムズの作品ということで、鳴りは抜群に良い。


後半。チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」。舞台俳優、福山俊朗(しゅんろう)のナレーション入りである。台本はアクセルロッドが書いたもののようだ(翻訳者がいるはずだが不明)。

フルートが上野博昭でなかったのが少し残念だが、色彩感豊かで洒落た演奏が展開される。福山のナレーションも安定したものであった。

演奏終了後、ゴリは、「お客さん、『福山さんの席が一番良い席だな』と思ったんじゃないでしょうか。あんな良い席ない」と語る。

アンコールとして、「ウィリアム・テル」序曲より「スイス軍の行進」が再度演奏された。

ロビーコンサートから「ヒーローについて」語っていたアクセルロッドだが、「コンサートに駆けつけてくれた皆さんこそが本物のヒーローです」と締めていた。

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2021年12月30日 (木)

コンサートの記(754) 広上淳一指揮 京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」2021

2021年12月26日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団特別演奏会「第九コンサート」を聴く。指揮は、京都市交響楽団常任指揮者兼芸術顧問の広上淳一。

ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」がメインの曲目だが、その前に同じくベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番が演奏される。

今日のコンサートマスターは京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式現代配置での演奏で、管楽器の首席奏者はほぼ揃っている。

第九の独唱は、砂川涼子(ソプラノ)、谷口睦美(メゾ・ソプラノ)、ジョン・健・ヌッツォ(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は京響コーラス。


序曲「レオノーレ」第3番。ベートーヴェンが書いた序曲の中では最も演奏される回数の多い楽曲だと思われるが、暗闇の中を手探りで進むような冒頭から、ティンパニが強打されて活気づく中間部、熱狂的なフィナーレなど、第九に通じるところのある構成を持っている。
広上と京響は生命力豊かで密度の濃い演奏を行う。トランペット首席のハラルド・ナエスがバンダ(一人でもバンダというのか不明だが)として、二階席裏のサイド通路とポディウムでの独奏を行った。


ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」。
第1楽章と第2楽章は、クッキリした輪郭が印象的なノリの良い演奏で、ピリオドを意識したテンポ設定とビブラートを抑えた弦楽の響きが特徴。時折きしみのようなものもあり、整ったフォルムの裏に荒ぶる魂が宿っているかのようで、バロックタイプでこそないが硬い音を出すティンパニが強打される。

第3楽章は、第1楽章と第2楽章とは対照的に遅めのテンポでスタート。途中からテンポが変わるが、旋律の美しさをじっくりと歌い上げており、第九が持つ多様性と多面性を浮かび上がらせる。最近では全ての楽章が速めのテンポで演奏されることが多い第九だが、こうした対比やメリハリを付けた演奏も魅力的である。

第4楽章は再びエッジの効いた演奏。京響コーラスはマスクを付け、一部の例外を除いて前後左右1席空けての歌唱で、やはり声量も合唱としても密度もコロナ前に比べると劣るが、かなり健闘しているように思えた。

広上は跳んだりはねたり、指揮棒を上げたり下げたりを繰り返すなど、いつもながらのユニークな指揮姿。また全編に渡ってティンパニを強打させるのが特徴である。
第九におけるティンパニは、ベートーヴェン自身のメタファーだという説を広上も語ったことがあるが、打楽器首席奏者の中山航介が豪快にして精密なティンパニの強打を繰り出し、ベートーヴェンの化身としてコロナと闘う全人類を鼓舞しているように聞こえた。

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2021年10月18日 (月)

コンサートの記(749) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団第661回定期演奏会

2021年10月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第661回定期演奏会を聴く。今日の指揮は期待の若手、沖澤のどか。

沖澤のどかは、1987年、青森県生まれ。以前に聞いた話では、青森で音楽を学ぶことにはやはりハンディがあるそうで、プロのオーケストラの演奏を聴く機会は年に1度あるかないか。お金さえあれば毎日のようにオーケストラの演奏会に通える東京とは雲泥の差だそうである。
東京藝術大学と同大学大学院で指揮を学んだ後、渡独。ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学大学院で学び、二つ目の修士号を獲得した。現在もベルリン在住。
2018年に東京国際音楽コンクール指揮部門で優勝して注目を浴び、翌2019年にはブザンソン国際指揮者コンクールでも優勝している。現在は、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミー奨学生として、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者・芸術監督であるキリル・ペトレンコのアシスタントを務めながら世界各地のオーケストラに客演するという生活を送っている。今年はまず、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会にデビューする予定だったのだが、ベルリン在住ということで、日本で活動するには2週間の自主隔離が必要となり、スケジュール的に無理ということで流れ、続くオーケストラ・アンサンブル金沢への客演も同じ理由で実現しなかった。京都市交響楽団への客演も当然ながら2週間の隔離が必要となるのだが、こちらは間に合った。


オール・フランス・プログラムで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:務川慧悟)、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番&第2番。
ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」は、全曲や第2組曲がコンサートで演奏されることが多いが、第1組曲も演奏されるのは珍しい。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日は、客演首席チェロにNHK交響楽団首席チェロ奏者の「大統領」こと藤森亮一が入る。「大統領」「藤森大統領」というのは、ペルーのアルベルト・フジモリ(元)大統領に由来するあだ名で、1990年代に書かれた茂木大輔のエッセイに頻繁に登場するのだが、アルベルト・フジモリ大統領失脚から長い時間が経過した今も使われているあだ名なのかどうかは不明である。
フルート首席の上野博昭は「牧神の午後への前奏曲」と「ダフニスとクロエ」に登場。オーボエ首席の髙山郁子は「ダフニスとクロエ」のみの出演。クラリネット首席の小谷口直子は全編に登場した。


午後6時30分頃から沖澤のどかによるプレトークがある。「プレトークというものを行うのは生まれて初めてなので緊張している」と、まず述べた沖澤だが、話が面白く、頭の良さが感じられる。

京都に来るのは高校の修学旅行以来だそうだが、リハーサルをしていたので観光にはほとんど行けなかったこと、数年前に黛敏郎のオペラ「金閣寺」のアシスタントをしたことがあるのだが、その時は京都には行けないので、GoogleマップやGoogleストリートビューで金閣寺の周りをWeb上で回ってイメージ作りをしたという話をして笑いを取っていた。京都市交響楽団については、「まろやかな音」「音のパレットが豊富」という印象を受けたそうである。

ベルリン・フィルのアシスタントをしているということで、リハーサルや本番に立ち会うことが多いのだが、ベルリン・フィルはたまに人間の声のような音を出すそうである。そして、京響との今回のリハーサルでも、「ダフニスとクロエ」バレエ全曲版などでは合唱の入る「夜明け」のクライマックスのような部分でも同じことを感じたと語る。「合唱が入る部分なので気のせいかと思った」がやはりそのような音がしていたとのこと。
「牧神の午後への前奏曲」と「ダフニスとクロエ」には牧神パンが登場するのだが、「ダフニスとクロエ」のパンの登場にはうねりのようなものを感じるという。今回の演奏会のためにスコアを読んでいたところ、パンの登場の場面で本当に地響きのようなものを感じ、「自分の想像力もいよいよこの領域まで来たか」と思ったものの、実際に地震が起こっていた(先日、関東地方を襲った地震)ということでまた笑いを取っていた。
また、芸術=Artは、自然=Natureの対義語であるとし、今は自然を感じる機会が減っているという話もしていたが、「アートネイチャーはきっととても知的な方が付けた社名」というようなことを語り、ここでも笑いを誘っていた。

サン=サーンスについては、ドイツ人がフランス人について憧れを抱く「計算された自由さやさりげなさ」(実際は違う言葉を使っていたがこちらの方が分かりやすいので変えてみた)を体現している代表格と見なされているという話をしていた。

沖澤が下手袖に退場すると、京響の楽団員が出迎える拍手の音が聞こえる。かなり気に入られたようである。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。非常に優しい感じの演奏であり、一音一音を愛でるかのような丁寧さが目立つ。フランス系の指揮者が奏でるような「爽やか」だったり「カッコイイ」系だったりする「牧神の午後への前奏曲」ではなく、もっと温かで柔らかな演奏である。


サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。
独奏者の務川慧悟(むかわ・けいご)は、東京藝術大学音楽学部ピアノ科1年在学中に第81回日本音楽コンクール第1位を受賞して注目され、2014年にパリ国立高等音楽院に審査員満場一致で合格して入学。ピアノ科第2課程と室内楽科を修了し、現在はピアノ科第3課程とフォルテピアノ科にも在籍しているという。2019年、ロン・ティボー・クレスパン国際コンクール2位入賞。2021年、エリザベート王妃国際コンクール3位とコンクール歴を重ねている。
硬質な音で入り、堅固な造形を見せるが、第2楽章などはサン=サーンスの気の利いた旋律をお洒落に奏で、パリ在住者ならでは――というと言い過ぎかも知れないが――のエスプリ・クルトワを振りまく。第3楽章もチャーミングさを失わない演奏だ。
沖澤指揮の京響も細部まで神経が行き届きつつ、神経質にはならない独特のおおらかさを持った伴奏を繰り広げる。

務川のアンコール演奏は、ラヴェルの「クープランの墓」より第5曲“メヌエット”。これもやはり洒落た感覚が生きた演奏であった。


ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番&第2番。沖澤と京響の作り出す音楽はスケール豊かで、音の煌めきが見事である。
沖澤の指揮は、昨今の指揮者に多い派手さやバトンテクニックの鮮やかさで勝負するものではなく、「堅実」といった印象を受ける。指揮姿で見せるタイプではないようだ。音楽もまた誠実なものなのだが、つまらない演奏には陥らない。なお、第1番演奏終了と同時に照明が絞られ、薄明の中で第2番の「夜明け」が始まるという視覚的な演出が施されていた。
沖澤が、「声のように聞こえた」と語った、「夜明け」の場面のクライマックス。私には声にようには残念ながら聞こえなかったが(そこまで耳が良くないということなのだろう)、「光彩陸離」や「極彩色」といった常套句を超えた色彩が横溢するのを感じた。「爆発的」と言ってもいいほどの輝きである。
その他の部分の描き方も鮮やかで、沖澤の圧倒的な才能を感じる演奏会となった。

なお、沖澤のどかは、今後産休に入るということで、実演に接する機会はしばらくおあずけとなりそうである。

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2021年10月 1日 (金)

コンサートの記(746) クリスティアン・アルミンク指揮 京都市交響楽団第660回定期演奏会

2021年9月25日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第660回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、新日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を務めたことで日本でもお馴染みとなったクリスティアン・アルミンク。第25回京都の秋音楽祭のプログラムの一つとしての公演である。

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ドイツ・グラモフォン・レーベルの社長の息子という恵まれた境遇に生まれたアルミンク。ウィーン国立音楽大学でレオポルド・ハーガーに学んだ後、小澤征爾のアシスタントとして研鑽に励み、小澤の手兵であるボストン交響楽団や新日本フィルを指揮。その後、新日フィルやベルギー王立リエージュ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、現在は広島交響楽団の首席客演指揮者として日本にも拠点を持ち続けている。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はチェロが舞台寄りとなるアメリカ式の現代配置での演奏である。
8月定期の際は、松本市で行われていたサイトウ・キネン・オーケストラの無観客配信演奏会に出演していた特別首席チェロ奏者の「チェロ康」こと山本裕康が今日は首席のポジションに陣取り、同じくサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーとして出演していたソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が今日は出演する。

オール・ワーグナー・プログラムで、「ジークフリート牧歌」と、ヘンク・デ・フリーヘル編曲による楽劇「ニーベルングの指輪」オーケストラル・アドヴェンチャーが演奏される。フルート首席の上野博昭、ホルン首席の垣本昌芳らは「ニーベルングの指輪」のみの出演である。


午後2時頃から、アルミンクによるプレトークがある。通訳は小松みゆき。英語でのスピーチである。
ピンク色のカッターシャツで現れたアルミンク。「ニーベルングの指輪」を中心とした解説となる。「ニーベルングの指輪」のハイライト作品である今日の作品を振るに当たって、YouTubeで様々な映像を見たが、その中の「3分で分かる『ニーベルングの指輪』」というラジオ放送を元にした映像を見るも、「何一つ分からなかった」という笑い話に始まり、「ニーベルングの指輪」が、ワーグナーが35歳の時に作曲を始めた作品で、完成までに26年を費やしたこと、登場人物が多く内容が複雑であること(アルミンクは、「めちゃ難しい」と日本語で語る)などを語り、ライトモチーフが重要な役割を果たしていると説明する。
そんな込み入った内容の「ニーベルングの指輪」であるが、主題は、権力者との向き合い方であるとアルミンクは述べる。指輪は権力の象徴であり、それとの関わりが作品の根底にある。
楽劇「ニーベルングの指輪」は上演に4日、計16時間ほどを要するが、初めて「指輪」を聴くには、楽劇全編ではなくこうしたハイライト作品の方が向いているかも知れないとも語っていた。


今日明日と公演があるが、定期会員に当たる京響友の会の募集が停止中。更に新型コロナ感染者数が減ってはいるが、京都府の病床数確保が必ずしも十分とはいえないということもあって、入りはかなり悪い。


「ジークフリート牧歌」。リリカルにして透明感のある音をアルミンクは京響から引き出す。
京響のアンサンブルは緻密で表情はたおやか。理想的な響きである。


楽劇「ニーベルングの指輪」オーケストラル・アドヴェンチャー。演奏されるのは、「ラインの黄金」より前奏曲、ラインの黄金、ニーベルハイム、ヴァルハラ。「ワルキューレ」よりワルキューレたち(ワルキューレの騎行)、魔の炎。「ジークフリート」より森のささやき、ジークフリートの英雄的行為、ブリュンヒルデの目覚め。「神々の黄昏」よりジークフリートとブリュンヒルデ、ジークフリートのラインへの旅、ジークフリートの死、葬送行進曲(ジークフリートの葬送行進曲)、ブリュンヒルデの自己犠牲の計14曲である。


アルミンクは、京響から輝かしい音を引き出し、京響も時には痛切な音色でアルミンクの指揮に応え、ワーグナーの音楽に切り込む。
重厚感、スケールの豊かさ、瑞々しさなどいずれも印象的。ワーグナーの音楽の本質の一つであるドロドロとした部分や禍々しさは余り感じられない健康的な演奏であるが、オーケストラコンサートのための作品と考えた場合は、こうした一種の爽快感を伴う演奏も説得力があるように思う。
ニーベルハイムの、金属がハンマーで叩かれる場面では、打楽器奏者の他にトランペット首席のハラルド・ナエスも参加して鉄床を叩き、立体的な音響を生み出していた。

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