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2026年3月 3日 (火)

コンサートの記(950) 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXXⅠ ヴェルディ:歌劇「椿姫」 ディエゴ・マテウス指揮

2025年3月16日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡﨑のロームシアター京都メインホールで、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅩⅠ ヴェルディ:歌劇「椿姫」を観る。

小澤征爾は亡くなったが、その志は若い人々へと受け継がれている。

今回も指揮者は、小澤征爾音楽塾首席指揮者のディエゴ・マテウス。演出は、デイヴィッド・ニースが手掛ける。小澤征爾には、創設者と共に永久音楽監督の称号が追贈されている。
小澤征爾音楽塾副塾長(実質的なトップ)には、チェリストの原田禎夫。アシスタント・ディレクターには、小澤征爾の娘である小澤征良(せいら)が就いている。

出演は、ニーナ・ミナシアン(ヴィオレッタ)、カン・ワン(アルフレード・ジェルモン)、クイン・ケルシー(ジョルジュ・ジェルモン)、メーガン・マリノ(フローラ)、牧野真由美(アンニーナ)、マーティン・バカリ(ガストン子爵)、井出壮志朗(ドゥフォール男爵)、町英和(ドビニー侯爵)、河野鉄平(こうの・てっぺい。医師グランヴィル)。
管弦楽は小澤征爾音楽塾オーケストラ。合唱は小澤征爾音楽塾合唱団。

原作小説・戯曲:アレクサンドル・デュマ・フィス。台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ。

 

ベネズエラの「エル・システマ」出身のディエゴ・マテウス。「エル・システマ」が輩出した有力指揮者としては、グスターボ・ドゥダメルに次いで二人目であり、単にドゥダメル一人に才能があったわけではなく、「エル・システマ」の有効性を示した人物でもある。「第二のドゥダメル」と呼ばれたこともあるが、最近はこの称号で呼ばれることは余りないようである。
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトの演出の多くを手掛けているデイヴィッド・ニースは、メトロポリタン歌劇場の演出家として長年活躍してきた人物である。
ヴィオレッタを歌うニーナ・ミナシアンは、アルメニア出身。アルフレード役のカン・ワンは中国系オーストラリア人である。アルフレードの父親役のジョルジュを歌うクイン・ケルシーはハワイ出身。見た目から原住民系であると思われる。ハワイ大学マノア校で音楽を学び、卒業後に欧米で活躍している。
日本人キャストも全員出身校が異なり、バラエティーに富んだ人選となっている。

 

紗幕にパリの情景が描かれている。エッフェル塔、セーヌ川、ポン・ヌフ、ノートルダム大聖堂。おそらくこれらが一度に見える場所はないので架空のパリなのだろう。「椿姫」が初演された時には、エッフェル塔はまだなかったと思うが、パリらしさを演出するためなのでいいだろう。

前奏曲を、マテウスは極めて小さな音でスタートさせる。その後も繊細な表現が続くが、華やかさが徐々に増していく。小澤征爾音楽塾オーケストラは、日本、韓国、中国などで行われたオーディションで選ばれた若い音楽家による団体だが、よく訓練されていて、アンサンブルの精度も高い。このオペラではフルートが重要な場面で演奏されるのだが、マテウスはフルートを上手く浮かび上がらせていた。
「椿姫」の音楽は三拍子系のものが多いのも特徴である。最も有名な「乾杯の歌」も三拍子であるが、この曲はカラオケ(JOYSOUND)に入っていて歌うことが出来る。

前奏曲の途中で紗幕が透け、ヴィオレッタ達が立っているのが見える。
ヴィオレッタは高級娼婦である。大金を手に入れることが可能だが、結婚は許されていない。そのヴィオレッタがアルフレードという若者に恋をしたことから起こる一騒動と、若くしての病死を描いた悲劇である。
私は、2002年に京都芸術劇場春秋座で行われた京都造形芸術大学(当時)と京都市立芸術大学音楽学部との合同公演で初めて「椿姫」を観ており(あの頃は二校は仲が良かった)、その後も春秋座のオペラ、佐渡裕が指揮した神戸文化ホールでの上演を観たことがある。

近年は、象徴的な演出が行われることも多い「椿姫」だが、デイヴィッド・ニースの演出は奇をてらわないオーソドックスなもので、まず「演技で見せるのだ」という強い意志が感じられる。ヴィオレッタは不治の病に冒されている。通常は死因となる結核という解釈が取られるが、結核の割りには元気な描写があったり、隔離されたりなどの措置が取られていないため、結核にかかったのは死の直前で、不治の病は別のものなのかも知れないが、ヒントとなるものがないため、現状ではやはり結核とするのが無難なように思う。

歌手達の水準は高く、ロームシアター京都メインホールということで声もよく通り、オーケストラの音も美しく聞こえる。

装置や衣装を手掛けたのはロバート・パージオーラだが、フローラの屋敷の場では、壁も登場人物の衣装も真っ赤で統一。特に深い意味はない(吐血のイメージは込められていると思う)と思われるが、インパクトはある。その他の場面でも装置はお洒落である。

第3幕で瀕死のはずのヴィオレッタが朗々と歌うのが、「リアルでない」と言われることもあるが、内面の吐露なのでそんな指摘をしても仕方ない気もする。今回、ヴィオレッタを演じたニーナ・ミナシアンは、ベッドの上にアルフレードと並んで座った時に、何度か頭に手をやって具合が悪そうに見せるなど、リアルな演技を見せていた。

 

この上演もカーテンコールでの撮影は可となっており、SNSへのアップも許されていた。

なお、今回の公演を持って、ロームは小澤征爾音楽塾から撤退することを明らかにした。

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2026年1月 9日 (金)

コンサートの記(939) ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.5

2025年11月3日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.5を聴く。コバケンこと小林研一郎が、日本フィルハーモニー交響楽団と行う特別演奏会の京都版第5弾。そして日本フィルハーモニー交響楽団が今年京都で行う3つめにして最後の公演である。

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京都市交響楽団の常任指揮者だったこともある小林研一郎。出雲路の練習場や京都コンサートホールなどは小林の発案によるものだ。
一方、日フィルとの付き合いも長く、90年代に他の東京のオーケストラが大物指揮者を招く中で、財政基盤の弱い日フィルは苦境にあった。そんな日フィルを支えるべく小林は音楽監督としての活動を続けた。「火中の栗を拾う」などと言われたものだが、その後に続くアレクサンドル・ラザレフとの黄金時代や、現在のカーチュン・ウォンとの飛躍に向けた活動の礎となっている。現在の日フィルでの肩書きは桂冠名誉指揮者。ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団と群馬交響楽団の桂冠指揮者、読売日本交響楽団の特別客演指揮者、九州交響楽団名誉客演指揮者の称号も得ている。

最初に小林研一郎の実演に触れたのは、ゲイリー・カーがコントラバスをソロとする協奏曲を弾いた演奏会だったと思う。会場はサントリーホールで、オーケストラは日本フィルハーモニー交響楽団だった。2回目は東京国際フォーラム ホールCで行われたハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の来日演奏会。ベルリオーズの幻想交響曲がメインであったが、演奏終了後、小林が、「ホールのせいだと思われるのですが、皆さんの拍手の音が小さいのです」 と語っていた。東京国際フォーラムはクラシック音楽の演奏には向かないが、「ラ・フォル・ジュルネ」など、今もクラシックの演奏会が開かれているようである。
関西に来てからは、京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団で聴いているが、何か他のオーケストラで聴いたことはあっただろうか。
そして「コバケン・ワールド in KYOTO」は、5回中4回聴いている。
海外のオーケストラを率いた日本ツアーも何度かやっているはずだが、私は前記、ハンガリー国立交響楽団のものしか聴いていない。
岩城宏之が始めた、年末にベートーヴェンの交響曲9曲を1日で演奏するという試みの2代目指揮者(3代目指揮者は広上淳一)なども務めている。

 

曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲(チェロ独奏:宮田大)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」(無料パンフレットには「ドヴォルジャーク」と記されている)。

コンサートマスターは木野雅之(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)。見た目が昔と違うような。
ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りで、向かって右隣にトランペットが並ぶ。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。快速テンポによる曲として有名で、オーケストラの実力を示す作品の一つとなっている。エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団による超人的な演奏が有名だが、真似しようとしても出来ないので、大抵の場合は違う路線を選ぶ。
コバケンと日フィルは速度はやや抑え気味にして、色彩感を豊かに盛り込む。
ちなみにこの時は、小林は上から見ると横長になった指揮台の上で指揮していた。グリンカとドヴォルザークは暗譜での指揮である。

 

チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲。独奏チェロを伴う変奏曲であるが、チャイコフスキーはチェロ協奏曲は残していない。
独奏の宮田大は、京都で演奏する機会も多い。2009年ロストロポーヴィチ国際チェロコンクールにおいて日本人初の1位獲得。
ジュネーヴ音楽院に学び、ドイツのクロンベルク・アカデミーを修了。トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団と共演したエルガーのチェロ協奏曲の音盤も売れ行き好調である。
最近は、ロームミュージックセミナーの講師も務めているが、子ども達から、「大先生、大先生」と呼ばれ、「これは、『大、先生』なのか? 『大先生なのか?』」と戸惑ってもいるそうである。宮田は、「来年、40になる」という話もしていたが、小林は、「私は今年85」と返していた。
磨き抜かれた抜群の美音が武器の宮田大。チャイコフスキーの音楽ということもあり、チャーミングに響く。
小林の指揮する日フィルも宮田の演奏によく合った伴奏を行った。
なお、この曲では小林は上から見ると斜めになった指揮台の上で、スコアを見ながら指揮した。

 

小林が、「アンコール、なんかやって」と言ったので、宮田はカザルスがよく演奏したカタロニア民謡の「鳥の歌」を演奏する。「Peace、Peace」と鳴く鳥の歌。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦いが止まない中での痛切な演奏であった。

 

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」。ドヴォルザークという表記が日本では定着しているが、黛敏郎が「題名のない音楽会」で語ったところによると、「唾が飛ぶからあっち行け! ドヴォルシーック!」だそうで、日本語には上手く置き換えられない音である。そのため今回はドヴォルジャークとなっている。
ドヴォルザークはナショナル音楽院(現存しないようである)の院長の座を任され、ニューヨークへと飛んだが、チェコの田舎や、昔ながらの建物が連なるプラハに比べて、摩天楼の聳え立つこの街は合わなかったようで、たびたびホームシックに陥っている。だが、その地で、ヘンリー・サッカー・バーレーというスポーツ万能そうな名前の生徒から黒人霊歌やブルースなどを知り、これが自分の音楽だと言われたことで、自分の音楽の根幹にあるのはボヘミアのスラヴ音楽だと悟り、もっともボヘミア的な交響曲を書き上げている。以前は、「黒人霊歌の旋律の引用を」などと解説にそれらしく書かれていたが、そんな要素はほぼないようである。余り簡単にものを信じない方が良さそうだ。

推進力のある音楽の演奏を得意とする小林研一郎。しかしそれは、猪突猛進や一瀉千里とは異なるナイーブで繊細な味わいに満ちている。
有名な第2楽章のイングリッシュホルンのソロには歌詞が付けられ、「家路」や「遠き山に日は落ちて」のタイトルで知られるが、歌詞は後から第3者によって付けられたもので、ドヴォルザークの意図とは異なる。歌詞を読むとアメリカ的であることが分かる。
ドヴォルザークが意図したのはもっと素朴なものかも知れない。
ノスタルジックな味わいの第2楽章以外は、威圧的とも思える表情が頻出する。「三大交響曲」の中に入っている名曲で格好いいので聞き落としがちだが、ドボルザークもストレスが溜まっていたのかも知れない。ボヘミア恋し、アメリカ憎しという訳ではないだろうが、現状を打破したい思いが詰まっているように思える。「俺はボヘミアに帰りたいんだー!」といったような。

鉄道マニアであったドヴォルザーク。電車が時間通り駅に着くかどうか心配なので生徒に確認しに行かせたなど、度を過ぎた鉄オタぶりを示すエピソードがあるが、「新世界」交響曲には列車の走行の模倣なのではないかと思われる箇所がいくつかある。そうしたものを探すのも楽しい。

この演奏では、小林は低弦を強調。日フィルも小林の要求によく応えて分厚い低音を形成。日本人指揮者と日本のオーケストラとしては珍しい、ピラミッド型の音型による熱い演奏であった。

なお、小林は、この曲では上から見ると縦長になった指揮台の先端に立ち、いつもよりオーケストラの核に近い場所での指揮であった。

 

アンコール演奏。小林は、「またあれかと思われてしまうかも知れませんが」と言いつつ、定番の「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」を演奏する。瑞々しくもノスタルジックな演奏である。
小林が演奏前に説明していたが、この曲も戦争絡みの作品である。ちなみに同じメロディーだが、歌詞があるのが「ダニー・ボーイ」、旋律だけなのが「ロンドンデリーの歌」である。出征した息子を待つ母親の悲痛な声である。

 

今日もカーテンコールのみ写真撮影可だったが、スマホのカメラの限界で、良い画は撮れず。ちなみに許可されているのは携帯電話やスマホに付いているカメラでの撮影のみで、本格的なデジカメなどは不可である。

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2025年12月31日 (水)

コンサートの記(936) 「映像の世紀コンサート」@ロームシアター京都メインホール 加古隆(ピアノ)&沼尻竜典指揮京都市交響楽団

2025年12月3日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後4時より、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「映像の世紀コンサート」を聴く。

1995年から1996年にかけて放送され、大好評を博した「映像の世紀」。21世紀に入ってからは続編である「映像の世紀バタフライエフェクト」が放送中である。

 

大阪では、「映像の世紀コンサート」はフェスティバルホールで何度か行われており、私も初回のコンサートは聴きに行っているが、京都で「映像の世紀コンサート」が行われるのは初めてである。
関西での催しというと、最大の人口を誇り、交通も発達した大阪市内で行われがちであるが、街自体が文化と芸術の香りに溢れているような京都で楽しむのもまた乙なものである。
建築と芸術と自然が一体となった岡崎地区で聴くならなおさらでだ。

演奏は、作曲者である加古隆(ピアノ)、沼尻竜典指揮京都市交響楽団。ナレーションは、元NHKアナウンサーの山根基世が務める。

ピアノ協奏曲の布陣。ドイツ式の現代配置での演奏である。スクリーンの邪魔にならないよう、ティンパニの中山航介は上手奥の角で演奏を行っていた。
コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。管楽器の首席奏者は、オーボエの髙山郁子、ホルンの垣内悠希、トランペットのハラルド・ナエスなどは出演したが、他は降り番である。

現在の「映像の世紀バタフライエフェクト」のテーマ音楽は、NHK交響楽団正指揮者の下野竜也がN響を指揮。下野は大河ドラマのオープニングのテーマもこのところは毎年のように指揮しており、NHK交響楽団とNHKからの信頼が感じられる。大河ドラマのオープニングテーマの指揮と年末の第九の演奏会だけは、実績のある人にしか振らせない方針のNHKとNHK交響楽団であるが、第九は外国人指揮者なども指揮台に立つが、大河ドラマのオープニングテーマは、ここ数年は下野竜也、尾高忠明という二人のNHK交響楽団正指揮者と、広上淳一を加えた3人で回している状態である。以前はNHK交響楽団音楽監督時代のシャルル・デュトワやウラディーミル・アシュケナージ、首席指揮者時代のパーヴォ・ヤルヴィも指揮していた。現在のNHK交響楽団首席指揮者であるファビオ・ルイージはまだ指揮していないが、来年の大河ドラマである「豊臣兄弟!」のオープニングを指揮するのは実は沼尻竜典である。勿論、初めての挑戦だ。

指揮者として活躍した後で、作曲家としてもデビュー。現在ではピアニストとしても活躍している沼尻竜典。びわ湖ホールの芸術監督を務めた後で(桂冠芸術監督の称号を贈られた)、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に転身。自身が起こしたトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニアの音楽監督も兼任している。京都市交響楽団とは、毎年1回、マーラーの交響曲をびわ湖ホール大ホールで演奏する試みを続けている。
劇伴の仕事をしたことがあるのかどうかは分からないが、テンポに関してはかなり的確な演奏が出来る指揮者である。総譜より先にタブレット状のものが取り付けられているが、これは譜面ではなくてモニターで、スクリーンに映っている映像がそのまま流れ、映像に合わせて指揮をするためにある。譜面にも映像にも合わせて指揮しなければならないので大忙しである。

リュミエール兄弟が世界で初めて撮影した映像や、線路の脇で電車がこちらへと走ってくる様を捉えた映像が流れて演奏スタート。演奏される楽曲は、「パリは燃えているか」、「時の封印」、「シネマトグラフ」、「はるかなる王宮」、「神のパッサカリア」、「最後の海戦 パート1、2」、「未来世紀」、「大いなるもの東方より」、「マネーは踊る」、「狂気の影」、「黒い霧」、「ザ・サード・ワールド」、「睡蓮のアトリエ」、「愛と憎しみの果てに」、そして今回はアンコールが予め決まっており、「映像の世紀バタフライエフェクト」のために書かれた、「風のリフレイン」と「グラン・ボヤージュ」が演奏される。

 

加古隆の音楽に必要なのは何よりも抒情美であるが、そこは京響。リリシズムに満ちた音楽を奏でていた。

今回の「映像の世紀コンサート」は、戦争の歴史に焦点を当てていたが、それは現在、ウクライナとロシア、イスラエルとガザ地区での戦闘が継続中であるからに他ならない。爆撃されて建物の多くが破壊されたガザ地区(おそらくガザ市)、ウクライナがロシア軍に攻撃される様も終盤、スクリーンに投影された。

「王朝の時代」を特集する映像もあり、後に惨殺されることになるロマノフ王朝のニコライ二世(皇太子時代に来日した際、大津市の旧東海道において、巡査の津田三蔵に斬りつけられるという、「大津事件」でも知られる)やアレクセイ皇太子などが映っている。
オーストリアでもハプスブルク家の支配が終焉を迎えるが、フランツ・ヨーゼフ一世の姿がカメラに捉えられている。ハプスブルク家の没落と共に登場したのが同じオーストリア出身のアドルフ・ヒトラーであり、ヒトラーの経済政策によってドイツは歴史的な大インフラを解消。ドイツにおけるヒトラーの支持率は実に90%を記録したが、このときはヒトラーの正体に気付いている人はまだほとんどいなかった。

ヨーロッパが混乱の最中にあるときに力を付けたのがアメリカである。ニューヨークには摩天楼が建ち、一際高いエンパイアステートビルが建設される。エンパイアステートビルは現在では、高さニューヨーク1ではないが、今でもニューヨークのシンボルの座は揺らいでいない。

ヒトラーはオーストリアを併合。イタリアでもファシスト党のベニート・ムッソリーニが政権を手にする。今では、「ファシスト」という言葉は相手の悪口にしか使わないが、当時は有効な政策運営手段の一つと思われていた。

独伊と手を組んだのが大日本帝国である。ヨーロッパとアジアとでは遠すぎて協力の仕様がないが、とにかく三国同盟は締結される。日本はその時は中立国だったアメリカに挑む。しかし国力の差は明らかで、日本は最終手段として特攻作戦を立案する。ゼロ戦で相手の軍艦に突っ込むという、死亡率100%の犠牲を伴う作戦。アメリカ人から見れば「クレイジー」としか思えないだろうが、日本には他国にない「死の美学」「犠牲の美学」があった。そうしたものを発揮するのはこのときではなかったかも知れないが、多くの日本戦闘機は迎撃されて海に沈み、数少ない成功例がアメリカ軍を慄然とさせた。アメリカ人からみればまともに見えなかったと思われる日本兵だが、戦死者に対する敬意は表したようである。

アメリカはベトナム戦争で敗戦する。南北に分断されたベトナム。アメリカは資本主義の南ベトナム(ベトナム共和国)を支援するが、アメリカ国内でもベトナム反戦の動きが起こり、泥沼化した戦争は、サイゴン(現ホーチミン)陥落で最後を迎える。

戦争の世紀であった20世紀であるが、各都市は復興し、発展していく。空襲を受けた東京の街は、木造建築が多いということもあり、ヨーロッパなどよりも悲惨な焼け野原だが、集った日本人少年達の顔は明るい。戦争が終わったなら後は復興するだけ。実際のところ、東京は人口が多かったということもあり、戦前の街並みをそのまま復興しようとする機運が強く、空襲を機会に道幅を広げてモータリゼーションの到来を予見した大阪や名古屋に比べると上手くはなかったと思う。それでもお洒落な銀座の街並みなど、活気ある東京をカメラは捉えていた。

 

アンコール演奏。加古隆はセンチメンタルな作風が特徴で、「映像の世紀」の音楽も明るくはないのだが、20世紀の「映像の世紀」の音楽に比べると煌びやかで希望を持てる曲調となっている。

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2025年12月29日 (月)

コンサートの記(934) 鈴木優人指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第2回「国を越えてリズムがわたる」

2025年9月7日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第2回「国を越えてリズムがわたる」を聴く。指揮は第1回に引き続き鈴木優人。鈴木優人クラスの指揮者が2回連続で引き受けてくれるというのは珍しいことである。

今回はタイトルの通り、リズムが印象的な楽曲が並ぶ。また今回は全てメモリアルイヤーを迎えた作曲家の作品である。

曲目は、芥川也寸志(生誕100年)の交響管弦楽のための音楽、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)のワルツ「美しく青きドナウ」、ラヴェル(生誕150年)のピアノ協奏曲(ピアノ独奏:ルゥオ・ジャチン)、ショスタコーヴィチ(没後50年)の「舞台管弦楽のための組曲」第1番から5曲、ラヴェルの「ボレロ」

 

日本指揮者界のトップランナーの一人である鈴木優人。日本におけるバッハ演奏の泰斗である鈴木雅明の息子であるが、人気は父親を上回るかも知れない。
専門は古楽で、バッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者であるが、現代音楽にも詳しく、日本の現代音楽の作曲家の作品のみに絞った演奏会なども行っている。「題名のない音楽会」にはたびたび登場。「エンター・ザ・ミュージック」にもたまに出演する。
経歴を確認すると、新たに九州大学の客員教授に着任したようである。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴィオラの客演首席は大阪フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者の一樂もゆるで、京都市交響楽団のチェロ奏者である一樂恒(ひさし)と夫婦共演である。チェロの客演首席は藤原秀章。首席クラリネットの小谷口直子と首席フルートの上野博昭は降り番である。
いつも通りのドイツ式の現代配置での演奏。

 

台本を手に、カラヤンのような髪型で現れた鈴木優人。「前回はウエンツ瑛士さんがとても素敵な司会を務めて下さいましたが、今日は私が指揮と司会の両方をやります」と述べる。爽快で見通しの良い音楽作りもカラヤンに通ずるところがあるがくれぐれも権威主義に陥らないようにして貰いたい。あの一族なら大丈夫と思うが。

 

芥川也寸志の交響管弦楽のための音楽。鈴木は、「芥川也寸志は芥川龍之介の息子です。芥川龍之介知ってるって子?」と聞き、多くの子どもが手を挙げる。芥川龍之介の作品は、ほとんどの国語の教科書に載っているので、読んだことのある人は多いだろう。鈴木は、「あれ? 京響の側は?」と言い、京響のメンバーも慌てて手を挙げる。高校から音楽高校という人もいるだろうが、芥川龍之介の作品は、中学校の教科書によく載っているので、知らないということはないだろう。
芥川也寸志は、思想的には左翼で、ソビエトや中国の現代音楽を研究。ショスタコーヴィチの作品紹介にも尽力した。
「伊福部昭に学ぶことが多かった」と言われているが、たしかにこの交響管弦楽のための音楽も、伊福部作品のような土俗的な迫力とリズムに溢れている。

鈴木は、「芥川さんの音楽って、プロのオーケストラでやられてますかね? 伊福部さんはよくやられていると思うんですが」と語る。確かに、芥川作品はごくたまに見かける程度の演奏頻度でしかない。ただ芥川本人もプロオーケストラよりも新交響楽団のようなアマチュアオーケストラを好んで指揮したため、プロよりもアマチュア方面に知られているのかも知れない。今年も京都のアマチュアオーケストラのいくつかが芥川作品を取り上げている。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで演奏されることでお馴染みだが、鈴木は一度だけウィーンで年越しをしたことがあり、12月31日の夕方には、ウィーン市庁舎の前で様々な音楽が鳴り、スキーをしたりソリに乗って飛び上がったりしているのだが、翌年の1月1日が近づくと、それまでの音楽が鳴り止み、「美しく青きドナウ」が流れてくるのだという。
鈴木は説明しなかったが、ウィーンのドナウ川は特に美しくも青くもない濁った川だそうで、流れているのも街外れである。ドナウが美しい街というとウィーンよりもブダペストかも知れない。
広上淳一が以前、「美しく青きドナウ」を指揮した時に、「京都なら、『美しく青き桂川』」と鴨川にしなかったのも、ドナウ川が街外れを流れているからである。鴨川は100万都市の街中を流れる川としては珍しい清流を現在は取り戻している。
ウィンナ・ワルツということで、鈴木も溜めやテンポダウンなどを駆使しながらの音楽作り。聴くだけのワルツにはしない。

 

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。20世紀後半になってから人気が上がり、音盤の数も増え続けている曲である。ジャズの影響を受けており、それを苦手に思う人もいると思われるが、現在の音楽教育は古典にも現代にも幅を拡げており、20世紀の作品を多くレパートリーに多く入れているピアニストもいる。

ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章について、鈴木は「世界で最も美しい音楽」と讃えるが、ソリストのルゥオ・ジャチン(ルゥオと読める苗字には魯迅でお馴染みの「魯」や「羅」があるが漢字表記がないため分からない)も同感のようだった。
ルゥオ・ジャチンは、1999年生まれの中国の若手ピアニスト。湖南省の出身である。武漢音楽院附属中学校に入学し、卒業後に渡米。オバーリン音楽院(アメリカ初の4年制音楽大学。主体であるオバーリン大学は、この大学から校名を取った桜美林大学と提携しているので、オバーリン音楽院も桜美林大学と提携を結んでいるかも知れない)やニューイングランド音楽院に学ぶ。ニューイングランド音楽院では、ベトナム出身の大家、ダン・タイ・ソンに師事したという。今後は、ヨーロッパに渡り、ケルン音楽舞踊大学のドイツ国家演奏家資格課程で研鑽を積む予定だという。
2022年第8回仙台国際音楽コンクール・ピアノ部門の覇者でもある。

演奏前に、鈴木とルゥオのトーク。通訳が付くのだが、
鈴木「何歳からピアノを始めましたか?」
ルゥオ「(日本語で)4歳」
と簡単な日本語なら話せるようだ。日本が大好きだそうで、色々なところに観光に行っており、京都は今回が3回目だが、前2回は純然たる観光だったそうだ。日本の文化については「ほとんど好きですが、特にアニメ」と応え、「京アニ」と言ったため、鈴木は、「これはガチな人が来ちゃいましたね」と述べていた。中でも好きな作品は、京都府宇治市が主舞台の「響け!ユーフォニアム」だそうである。明日オフだった聖地巡礼出来るじゃん! まあそんなに暇ではないだろうけれど。
今日はロームシアター京都メインホールだったが、京都コンサートホールは、「響け!ユーフォニアム」の冒頭に出てくるので、そちらだったら喜んだだろうな。

ルゥオ・ジャチンのピアノは純度の高さが特徴。ペダリングは特別なことはせず、弱音の時にソフトペダルを踏む。ダンパーペダルは、ずっと踏んでいる時と頻繁に切り替える時がある。
鈴木とルゥオが共に「世界一美しい音楽」と呼んだ第2楽章。初演者はマルグリット・ロンだが、実はマルグリット・ロンが演奏したラヴェルのピアノ協奏曲第2楽章の録音が残っており、YouTubeで聴くことが出来る
ひょっとしたらこの楽章はヨーロッパ人よりも日本人の心に訴えかけるのではないかと思えてくる。センチメンタルな気分から次第に自然のただ中へと溶け込んでいく感覚。元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、現在は指揮者として活躍する茂木大輔はこの楽章に「初恋」というタイトルを付けているが、私の感覚とは少し違う。私が付けるなら「幼き日から今日まで」。人生のあらゆるシーンが蘇るかのようだ。
美音による第2楽章を経て、第3楽章へ。「ゴジラ」と呼ばれる箇所も力強く、(行ったことはないが)パリの街の風景が浮かび上がるような瑞々しい演奏だった。

 

アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。しっとりとして構築感のある演奏だった。

 

ショスタコーヴィチの「舞台管弦楽のための組曲」第1番から、“行進曲”、“ダンス第2番”、“リリック・ワルツ”、“ワルツ第2番”、“終曲”。全8曲から5曲を選曲。
ギター:佐藤紀雄、クロマチックアコーディオン:大田智美が参加。
この曲は「ジャズ組曲第2番」と呼ばれていたが、戦後行方不明になっていた本来の「ジャズ組曲第2番」のピアノ譜が1999年に発見され、以後、「舞台管弦楽のための組曲」第1番と名を変えている。
冒頭の“行進曲は”、のどかな田舎にある小学校で行われている徒競走の時のような音楽である。その後もほのぼのとした曲が続くが、ワルツ2曲だけは、妖艶でミステリアスで、悲劇の予感がするようで、他の楽曲とは大きく趣が異なる。ハチャトゥリアンも「仮面舞踏会」のワルツで似た旋律を作曲しており(アイスクリームによる毒殺を図る場面の音楽)特に関係はないと思われるが、地に吸い込まれそうなほど官能的な音楽が書けるのはロシア人しかいないのではないか。一人だけ例外がいた。梅林茂である。

佐藤の使っているギターであるが、その辺で売っているギターと一緒で特別なことはなにもないという。
ちなみに、佐藤は、鈴木のデビューリサイタルで共演しているそうである。その時は、鈴木はオルガンを弾いたそうだ。

クロマチックアコーディオンの紹介。学校などで使う鍵盤式のアコーディオンとは違い、ボタンしかない。大田智美によると、右側が92鍵、左側が108鍵だそうである。鍵盤はないが、一応、音の上がり方は一定であるとのこと。

 

ラヴェルの「ボレロ」。スネアドラム奏者がひたすら同じリズムを刻み続けるという過酷な曲。しかも旋律が2つしかないので、管楽器奏者は間違えたらすぐにバレるという怖ろしい曲でもある。
鈴木は、「実は、スネアドラム奏者二人で交互に演奏していたことが分かった」と述べる。京都市交響楽団は、ジャンルイジ・ジェルメッティを指揮台に招いた定期演奏会で、スネアドラム3台による「ボレロ」を演奏したことがある。
ただ今回は、第2のスネアドラム奏者は交代に叩くのではなく、どこかから出てくるそうである。
京響の音の美しさが生かされた演奏。フランス音楽らしい淡さと濃さが交差する色彩で、ラヴェルの魔術が十分に生かされている。音楽を旋律ではなく、クレッシェンドと楽器の変化とスネアの延々と叩かれる響きで変化させる。そして転調。音楽の転換ともいえる創造物である。実はこのモチーフを真似て、ショスタコーヴィチがとんでもない音楽を作るのだが、それはもう少し後の話である。

テンポとしてはトータルで15分台ぐらいの演奏だが、第1ヴァイオリンが第1主題を奏でる1つ前に鈴木はテンポアップ(作曲者の指示では全編通して「同じ速度で」であり、演奏時間は「17分ほど」である))。その後、更にもう1回速度を上げる。

そして1階席中央横断通路にスネアドラム奏者が登場。肩から下げたスネアドラムを歩きながら叩く。二つのスネアが鳴る中、転調があってクライマックス。鈴木優人は客席の方を向いて動きを止めた。

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2025年12月26日 (金)

コンサートの記(933) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第3回「時代を超えて踊る踊る」

2025年12月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第3回「時代を超えて踊る踊る」に接する。指揮は京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。
沖澤が「オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するのは初めてだが、ロームシアター京都(京都会館)で指揮すること自体が初めてであり(一昨日はノースホールでトークイベントには参加したが)今日は沖澤の輝かしきロームシアター京都デビューとなる。
沖澤は来年の3月にもロームシアター京都メインホールで2025年度最後の「オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、2026年度の「オーケストラ・ディスカバリー」は2回だけと半減し、指揮者も6月に太田弦、2027年2月に川瀬賢太郎という若くしてオーケストラを率いる指揮者に変わる。プログラムも発表になっており、良く知られたクラシックの曲が多いが、映画音楽が増えているのが特徴。特に来年6月の「オーケストラ・ディスカバリー」では、オープニングの映画音楽を投票で決めるということで、私は「ハリー・ポッターと賢者の石」のヘドウィグのテーマに1票入れた。おそらく来年3月の「オーケストラ・ディスカバリー」でも投票は行われると思う。他の候補は、「スター・ウォーズ」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「ジュラシック・パーク」、「ゴジラ」で、5曲中3曲がジョン・ウィリアムズ作曲作品である。

 

今回は、「踊る」がテーマだが、クリスマスシーズンに相応しい曲が選ばれている。
曲目は前半が、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)の「シャンペン・ポルカ」、ポルカ「観光列車」、「皇帝円舞曲」。ルロイ・アンダーソン(没後50年)の「ワルツィング・キャット」、「そりすべり」、「クリスマス・フェスティバル」
後半が、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から“行進曲”、“トレパーク”、“パ・ド・ドゥ”、“あし笛の踊り”、“こんぺい糖の踊り”、“花のワルツ”。“トレパーク”は指揮体験コーナーとなっている。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの安井優子は降り番のようで、客演首席として水鳥路が入る。ヴィオラの客演首席は大野若菜。トロンボーンの客演首席に西村菜月。
フルート首席の上野博昭は降り番である。ドイツ式の現代配置での演奏。11月の京響の定期演奏会を指揮したジャン=クリストフ・スピノジは、チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置にして右手で巧みに操っていたが、今日の沖澤も、真横に陣しているヴィオラに指揮棒を突くように向けることで音を大きくしていた。指揮台の横にどの楽器を置くかで、楽器の操りやすさやバランスが変わるようである。

今日は珍しく、首席クラリネット奏者の小谷口直子が一番先にステージに現れる。

 

司会も兼任する沖澤。楽曲の紹介などを行う。私の席の近くから「喋り上手いな」という老年男性の声が聞こえてきた。

 

「シャンペン・ポルカ」。ラストに特徴がある曲である。沖澤は「真面目」な音楽作り。この手の曲はもっとおちゃらけたものでも良いのだが、沖澤は性格的に余りふざけたことは出来ないのであろう。ラストでは、打楽器首席の中山航介が、口を開いてその前で両手を叩き、独特の音を出していた、空気銃でもシャンペンのコルクが開いた時の音を出しているのだが、人力(?)でも似た音を出す工夫がなされている。沖澤は中山の真似をして上手く音が出なかったが、実はヨハン・シュトラウスⅡ世は音について「どうやって出すか」は特に指定していないそうである。

 

ポルカ「観光列車」。沖澤は、この曲では「汽笛」と呼ばれたハーモニカに似た楽器を吹く。レールを進む音はカダフという中東で用いられる特殊な楽器で出していた。

 

「皇帝円舞曲」。沖澤は、「ポルカが続いたので、次はワルツを演奏します。といってもこの曲は最初は2拍子で、後で3拍子になります」と説明する。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の楽曲は、メディアから流れてきて、いつの間にか知っていたり、CDを聴いて覚えたものも多いが、「皇帝円舞曲」に関してはいつどうやって知ったのかはっきりと覚えている。工藤静香が出ていたチョコレートのCMで知ったのである。その後に観た映画「ラストエンペラー」でも満州国建国記念の舞踏会でこの曲が用いられていた。沖澤と京響は堂々とした「皇帝円舞曲」を奏でる。一方で、オーストリアの楽団が出す揺れのようなものは出さなかったが、あれはオーストリア人だから自然に出るものなのかも知れない。

 

沖澤と京響のヨハン・シュトラウスⅡ世の演奏だが、ほぼノンビブラートで演奏している弦楽奏者と、ビブラートを一音ごとに掛けて演奏している弦楽奏者が半々だったのが特徴。例えばコンサートマスターの泉原隆志は稀にしかビブラートを行わず、フォアシュピーラーの尾﨑平は盛大にビブラートを掛けていた。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の時代は、演奏法が変化していく時代である。大きなホールが建設され、ビブラートを用いないと音が隅まで届かないようになる。ただ20世紀のオーケストラのように弦楽器全員がビブラートを掛けて演奏するにはまだ間があり、ビブラートを使う人と使わない人が混じる過渡期の演奏も行われていたはずである。今日はその過渡期の演奏を味わったことになる。音色は爽やかで、派手派手しくなく、好感を抱いたが、その後に世界のほぼ全弦楽奏者がビブラートを掛ける演奏の時代が訪れたことで、音楽家達は爽やかさよりもスケールの大きさやゴージャスさを選択したということになりそうだ。

 

「アメリカのヨハン・シュトラウス」と呼ばれたルロイ・アンダーソン。見た目が余り良くない人だったのだが、名門ハーバード大学出身。音楽学部に学んだ後、大学院に進んで修士号取得。ニューイングランド音楽院でも学んだ後でハーバード大学に戻り、今度は両親が話者だったスカンジナビア語の研究を行って、最終的には博士号を取得するなど、非情に優秀にして多彩な人であった。アーサー・フィードラー時代のボストン・ポップス・オーケストラ(ボストン交響楽団が、各パートの首席奏者抜きでライトクラシックや映画音楽を演奏する時の名称)のアレンジャーとして仕事を始め、フィードラーに気に入られて自作を発表するようになっている。

「ワルツィング・キャット」について、沖澤は、「弦楽がグリッサンドといって、猫の鳴き声を真似ます。最後には猫じゃなくて犬が出てきます」と言って演奏開始。上品で柔らかな演奏である。この演奏で描かれているのはシャム猫か何かで絶対に雑種ではない。
犬は大勢の奏者が口で鳴き声を真似するが、沖澤によると「犬になりたい人多かったので、猫の倍ぐらいいました。アンダーソンは鳴き声を誰がどう出すかは書いていないんです」

 

「そりすべり」。クリスマスシーズンによく流れる曲であること、最後に馬がいななきすること、「スキーの橇ではなく、馬がひく橇です」と言って演奏開始。スケール、スピードとも理想的な演奏である。最後に馬のいななきを吹いたハラルド・ナエス(京響トランペット首席)も上手かった。

「クリスマス・フェスティバル」。クリスマスにちなんだ曲を並べてメドレーとしたもので、とても楽しい曲と演奏であった。考えてみれば、仏教にはこうした楽しい音楽は少ない。暗い曲も多いが明るい曲もある。ただ折角明るい曲があるのに、同じ歌詞の暗いメロディーを選ぶ傾向があるように思う。極楽往生が定まったのだから、それを祝う曲があってもいいと思うのだが、定めたのは自身ではなく阿弥陀如来(絶対他力)なので、能天気な曲は書けないのだろう。

 

後半。チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から。クリスマスの定番の演目であるバレエ「くるみ割り人形」。実は沖澤のどかはバレエオタクで、これまでベルリン州立バレエで様々なバレエを楽しんできたのだが、「くるみ割り人形」だけは人気が高すぎてチケットを手に入れることが出来なかった。それでも観たいのでドレスデン州立歌劇場バレエ(ドレスデンはザクセン州にあり、ベルリンとは州が異なる)まで遠征したこともあったのだが、ようやくベルリン州立バレエの「くるみ割り人形」のチケットに当選した、と思ったら公演当日の朝に電話が掛かってきて、「水道管が破裂した(だったかな?)ので照明を使ったりするのが危険なので公演中止」「ただリハーサルはご覧になれます」ということで出向いて、ジャージ姿で踊るバレリーナを観察したりしていたそうだ。

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」を聴いた時にも感じたことだが、沖澤の振るロシアものは味が濃いめである。低弦が力強く、洗練された響きの奥にざらついたものが聞こえる。ロシアの大地を考えれば、そうした表現も適切なのかも知れない(ただ私はロシアの大地を見たことはない)。

“トレパーク”では、小学校2年の女の子と小学校4年の男の子が指揮に挑戦。
小学校2年の女の子は途中でテンポが遅すぎて止まりそうになったため、沖澤が助け船を出して右手を振ってテンポを示して見せ、最後まで振り切った。
小学校4年生の男の子は、途中でテンポの変更があって、京響の団員も合わせるのが難しそうであったが、こちらも完走した。
沖澤は、学校で習う四拍子や三拍子の振り方については、「あれはあくまで基本形。というよりどうでもいい」。ということで四拍子は二つ振り、三拍子は円を描く方法で教えていた。
パーヴォ・ヤルヴィは、「今のプロオーケストラは優秀なので拍を刻まなくても演奏出来ます」ということで、音型を描く指揮を教えているようである。アニメ「響け!ユーフォニアム」には、吹奏楽部の顧問による指揮の「打点が分からない」と友達が愚痴る場面があるが、あれはアマチュアだからきっちり拍を刻んだ指揮をしないと弾けないということである。

“パ・ド・ドゥ”は、組曲にも含まれていない曲だが、「組曲に取り上げられていない曲にも良い曲がある」と沖澤は語っていた。

「あし笛の踊り」。ソフトバンクのCMで知られる曲だが、沖澤のどかは、テレビもラジオもない生活を、しかもベルリンで送っているので、CMのことは知らなかったと思われる。YouTubeでなら見られるが、わざわざ「ソフトバンク CM」と検索したりはしないだろう。主役であるフルートは首席なしでの演奏なのでやや落ちる感じではあったが、雰囲気は出ていた。
京響は首席と次席に明らかな実力差があるのが難点である。

「こんぺい糖の踊り」。チェレスタをお馴染みの佐竹裕介が演奏する。
沖澤は、チャイコフスキーがパリでまだ新しい楽器だったチェレスタを見つけたこと、「新作のバレエで使いたい」のでロシアまで運んで欲しいと出版社に手紙を送ったこと、「ただしリムスキー=コルサコフやグラズノフには絶対知られないように」と念を押したことなどを述べ、「くるみ割り人形」の初演でチェレスタの音が大好評だったことを語った。
「オーケストラ団員になりたい」という夢を持つピアニスト、佐竹裕介。普通はピアニストというと個性勝負になるが、オーケストラの一楽器となったチェレスタを演奏する。
神秘的な雰囲気が良く出ていた。

最後はお馴染みの“花のワルツ”。この曲はいすゞジェミニのCMで知ったはずである。チャーミングであるが、案外、ガッシリとした聴き応えのある演奏であった。

 

最後に告知。2025年度最後となる「オーケストラ・ディスカバリー」が来年の3月29日に沖澤の指揮で行われること、また2026年度は2回の公演になること(理由はよく分からないが、プロコフィエフの交響曲チクルスがあるからではないかと思われる)、クリスマスシーズンというと、「くるみ割り人形」や(フンパーディンクの歌劇)「ヘンゼルとグレーテル」が上演されたりするが、「日本の年末と言えば第九ですよね」「と言いながらもうチケット完売なんですが」「来年、再来年と機会があるので」と話していた。

 

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2025年12月20日 (土)

京都市交響楽団・京都コンサートホール・ロームシアター京都「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」

2025年12月19日 ロームシアター京都ノースホールにて

午後7時から、ロームシアター京都ノースホールで、「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」を聴く。

京都市交響楽団の常任指揮者である沖澤のどか、そして京都を拠点に絵本やポスターなどの絵画制作を行っている夫婦二人組、tupera tuperaを招いて行われるトークショー。女性の方が司会を務めたが、残念ながらお名前は頭に残らず。

ロームシアター京都は来年、開場10年を迎えるが、それを祝した2026年1月10日と11日に行われる「プレイ!シアター」のポスターもtupera tuperaが手掛けているという。「なるべく色々な人を描いたということだが、沖澤は「自意識過剰かも知れませんが私もいるような」と発言。実際、沖澤をモデルにした人が描かれている。ただ遠目なので「指揮者」としか分からないかも知れない。髪が長いので、「ひょっとしたら女性かも」と思うかも知れないが、男性指揮者も髪が長い人は多い。なぜ男性指揮者も髪を長くするかだが、松尾葉子が学生時代の山田和樹に、「指揮者は大きく見えなければいけないと」言い、山田をそれを汲んで学生時代はパーマを掛けていたという話があるため、そうしたことと関係しているのかも知れない。

 

沖澤のどかは、次の日曜日にロームシアター京都メインホールで、「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、これがロームシアター京都でのデビューとなるそうである。
青森県生まれ。東京芸術大学および同大大学院修了。コンクール歴などは語られなかったのでここでも記さない。ベルリン在住。二児の母である。

tupera tupera(ツペラ ツペラ)は、京都に拠点を置く美術ユニット。メンバーは、亀山達矢(三重県伊勢市出身。武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒)と中川敦子(京都府出身。多摩美術大学染織デザイン科卒)の二人。10年ほど東京で活動していたが、「今の時代、東京じゃなくても仕事出来るよね」。ということで移住を決意。中川が京都府出身、亀山も伊勢市出身で京都には馴染みがあるということで、京都市に転居。子どもが二人いたが、「秒の速さで京都弁を覚えた」そうである。亀山は、「京都に来てから東京に行く楽しみが増えた」と語る。今も関西在住の友達より、東京にいる友達の方が多いが、離れている分、会える喜びが増すようだ。

亀山は、小学校1年生の時に出した絵が伊勢市で1等を取ったのだが、実は失敗作だったらしい。だが、賞を取ったことで親から絵画教室に通うように言われ、嫌々通っていたそうだが、高校に進み、進路を考えた時に過去を振り返って、「やっぱり美大がいいんじゃないか」という結論に至り、今に至るまで美術の仕事をしているという。

 

沖澤のどかは、田舎で育ったので、虫取りをしたりツララにかじり付いたり、「ワイルドな」子ども時代を送ったそうである。チェロを習っている姉がおり、沖澤も小学校3年生の時からチェロを習い、小学校5年生からジュニアオーケストラに入ったそうである。ただチェロの練習は苦手で、独習は集中力が続かなかった。ジュニアオーケストラに入ってからも、「弾く真似をしてたら隣で上手い子が良い音で弾いてくれる」というので弾いている真似ばかりしていたそうだ。技術は当然ながら上達しなかったが、オーケストラは好きになったそうである。沖澤は子供用のチェロを弾いていたため、「音大目指すならお姉ちゃんと同じ立派なチェロを買ってあげるよ」と言われたが、当時は音大に行くほど音楽が好きになるとは思っていなかったため、良いチェロを手に入れる機会を逃したそうである。
高校ではオーボエに励んだが、オーボエは学校からの貸与。「自分のオーボエが欲しい」と思ったが、オーボエは高価。そこで、「指揮棒だったら手に入る!」というので指揮者になる決意をしたそうだ。「持たない人もいますけどね」と沖澤は続けていた。ヘルベルト・ブロムシュテットや尾高忠明は若い頃は指揮棒を使って指揮していたが、今は専らノンタクトである。小澤征爾も晩年はノンタクトが増えた。ピエール・ブーレーズのように指揮棒の存在を否定する人もおり、ブーレーズの影響を受けたフランスの指揮者にはノンタクトで振る人も多い。

外国で、tupera tuperaが京都在住と知れると、あちらこちらから、「京都なの? 京都の良いところ教えて?」と質問攻めにあうそうだが、みんな京都という街の存在は知っているようである。沖澤も京都でオーケストラのシェフをやっていると自己紹介すると、「京都の良いところ教えてよ」とやはり同じような結果になるようである。

沖澤も京都市交響楽団から常任指揮者の話を貰った時は、「わーい、京都に行ける」と無邪気に喜んだそうだ。「修学旅行以来」。ただ、常任指揮者の仕事は忙しく、まだ嵐山のモンキーパークと京都水族館、大徳寺にしか行けていないそうで、京都マスターにはほど遠い。大徳寺も塔頭巡りなどではなく、そばにある和菓子の店に娘と入っただけのようだ。京都市交響楽団を指揮する時は、一家で京都の民泊を行うそうで、近所での買い物ぐらいは出来ているようである。ちなみにようやく巡ってきたシェフの座なので、「受けない」という選択肢は、はなからなかったそうである。
なお、自炊はするが料理は得意ではないそうである。「料理が得意な指揮者も多いんですけれど」と沖澤は語っていたが、チョン・ミョンフンのように料理本を出している人もいる。
指揮者の常として、次回振る曲が頭の中で鳴っていたり、雑音が気になったりするそうだ。ベルリンは「大きな田舎」のような街で、快適に過ごせているそうだが、学生時代を過ごした東京は雑音だらけで、ずっと鬱々としていたらしい。最初は芸大から遠い、おそらく家賃の安いところで暮らしていたが、雑音に耐えきれず、大学のそばに引っ越したという(東京芸術大学は、東京の中でも駅前以外は閑静な上野にある)。京都は雑音がしないので快適だが、それでも街中は避け、出雲路の練習場の近くに民泊し、自転車で通っているそうだ。
ちなみに京都市交響楽団のコンサートマスターである泉原隆志も自転車通勤なので、京響は大都市にありながら常任指揮者とコンサートマスターが自転車通勤という風変わりなオーケストラということになる。
沖澤は、自宅にテレビもラジオもCDプレーヤーもないそうだ。昔、シャルル・デュトワは「好きなCD」について聞かれ、「私はCDなどというものは聴いたことがありません」と答え、質問者は「冗談なのかふざけているのか」と思ったそうだが、この調子だと実際にCDを聴いたことがない音楽家は結構いそうである。パーヴォ・ヤルヴィのように「朝比奈隆のブルックナーのCDは全部持っている」というCDマニアもいるが、自分の頭の中にある音を優先させる人もいそうである。

沖澤は、京都での音楽の展望について、「私はいかないんですけれど京都市交響楽団の方が」京都府内のあちこちでミニコンサートを行う計画があるということを話す。今年は沖澤は振らなかったが、京都市内各所の文化会館でまた指揮する予定もあるようだ。
展望とは余り関係がないが、沖澤が新しい「常任指揮者発表記者会見」に臨んだとき、ニコニコ生放送による中継が行われたのだが、後でニコ生のコメントをチェックしたところ、「十二単似合いそう」というコメントがあって嬉しかったそうである。司会者の方が、「着物を着て指揮したことのある方っていらっしゃるんでしょうか?」と聞き、沖澤は「ないです。演奏する方はいらっしゃいますけど」と答えていた。わざわざ着物を着てオーケストラを指揮するというのは絵面としても滑稽であり、単騎西洋文明に挑むドン・キホーテのようでもある。「意味がない」の一言でも済ますことが出来る。

海外での話としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーはティンパニなどのすぐ後ろが客席となっていて、足で音楽を感じられるだとか、先日、ボストン交響楽団に客演した際には、女性チェロ奏者が演奏中に「So Wonderful Sound!」と叫んでいたという話をしていた。「本人は自分が声を出したと気付いてないと思うんですけど」ということで無意識に言葉が出たのだろうとのことだった。

 

亀山は、絵本だけが売り上げが右肩上がりで、他の書籍は電子書籍に食われていると語る。
絵本はめくる行為が重要な意味を持っており、紙の書籍でないとそれは出来ないため、絵本だけが電子書籍に勝っている要因なのではないかと分析していた。

 

中川は、AIの台頭に危機感を覚えていた。今年に入ってから、YouTubeなどで、「実在なのかAIなのか分からない」レベルの人物が溢れるようになってきている。音声読み上げソフトのレベルがまだ低めで、いかにも「文章をコンピューターで読み上げました」といったセリフ回ししか出来ていないため、音声なら見分けは付くし、シナリオも誰でも思いつくような低レベルのものが多いが、こうした中途半端な出来であっても満足してしまう人はいるだろうし、そうした人は嘘も拡散してしまう。見分けのつく人は拡散しないので、ネット上は嘘が上位になってしまう。そしてこの程度のクオリティでも娯楽として商品化したり消費したり出来るのも問題である。

生身の人間が演じる演劇には影響は余りないだろうが(劇場に来ずにYouTubeばかり見ている人が増えるという間接的な影響はあるかも知れないが)、映画やドラマなどは、主役級や重要な脇役陣は流石に俳優に任せるが、端役などはAIが務める時代が来てもおかしくない。AI俳優は危険なアクションに挑んでも怪我をしない。

ただ生身の俳優に出来てAI俳優に絶対に出来ないことが一つだけある。アドリブだ。AIはコンピューターが規定した予定調和の言葉しか喋れないし動けない。アドリブなど即興性の高い演技を行えるのは人間の俳優だけだ。
このところ、アドリブや即興を重視した演技について語る俳優が増えており、彼らはアドリブが巧みだ。決まり切ったことを決まり切ったように行うのがAIの得意技。NGも出さないだろう。だがそこに本当の面白さはないのではないだろうか。
即興の巧みさが演技のバロメーターになる日が来るような気がする。いや、もう来ているのかも知れない。

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2025年9月 6日 (土)

コンサートの記(916) 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第1回「音楽と物語と」 鈴木優人指揮 ウエンツ瑛士(語り)

2025年6月15日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第1回「音楽と物語と」を聴く。

これまでのオーケストラ・ディスカバリーは年4回の公演を4人の指揮者で振り分けていたのだが、今年度は前半2回を鈴木優人が、後半2回を京響常任指揮者である沖澤のどかが受け持ち、二人で振り分ける。

タイトルにあるようにメモリアルイヤーの作曲家をフィチャーするプログラム。今回は、ビゼー、ヨハン・シュトラウスⅡ世、クライスラーの作品が取り上げられ、今後も芥川也寸志、ラヴェル、ショスタコーヴィチ、ルロイ・アンダーソン、フォーレ、サン=サーンス、ファリア、ウェーバー、ベンジャミン・ブリテンの作品がプログラムに載る予定である。

今日の演目は、ビゼー(没後150年)の歌劇「カルメン」前奏曲、サラサーテの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:大石彩代)、クライスラー(生誕150年)の「ウィーン奇想曲」(ヴァイオリン独奏:古川真弥)、メンデルスゾーンの「夏の世の夢」より“スケルツォ”“夜想曲”“結婚行進曲”、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)のポルカ「雷鳴と電光」(指揮者体験コーナーあり)、プロコフィエフの交響的物語「ピーターとおおかみ」
ナビゲーターと「ピーターとおおかみ」の語りはウエンツ瑛士が務める。

 

バッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者として、また関西フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者、読売日本交響楽団の指揮者としてお馴染みの鈴木優人。父親の鈴木雅明も若白髪だったが、彼もその血を受け継ぎ、最初は前の方だけだったが白髪がどんどん拡大。今や若くして総白髪である。眼鏡をかけている時もあるが、今日は眼鏡なしで登場した。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。オーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子は降り番である。ヴィオラの客演首席には須藤三千代が入る。

今日の鈴木優人は全編指揮棒を使っての指揮である。

ビゼーの歌劇「カルメン」前奏曲。リズム感の鮮やかな情熱的な力強い音が奏でられる。時折、タメを作るのが鈴木らしい個性となっていた。

昨年、オーケストラ・ディスカバリーにナビゲーターとして登場した時には、曲目数が少なかったということもあって、台本を手にせず、全て暗記してやり取りを行っていたウエンツ瑛士だが、今回は曲も出演者も多く、「ピーターとおおかみ」では語りも務めるということで台本を抱えて登場した。

 

新しい試みとして、まだ学生のヴァイオリン奏者をソリストとして迎える。
「カルメン幻想曲」でヴァイオリン独奏を務める大石彩代(さよ)は、京都市立芸術大学大学院修士課程1回生。学部も京都市立芸術大学だが弦楽専攻を首席で卒業している。第4回みおつくし音楽祭クラシックコンクール弦楽器中学生の部第1位・金賞及び大阪府知事賞、第10回あおによし音楽コンクール奈良2023でプロフェッショナルステージ第1位・グランプリ・総務大臣賞、第47回全日本ジュニアクラシック音楽コンクールヴァイオリン部門大学生の部第1位といった優勝歴の他、高位での入賞歴もある。また小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅩへも参加した。

クライスラーの「ウィーン奇想曲」でヴァイオリン独奏を務める古川真耶は、2011年、デュッセルドルフ生まれ。その後、日本に戻って音楽教育を受けている。現在、中学2年生で、京都市立芸術大学音楽学部音楽教育研究会「京都子どもの音楽教室」に在室している。なお、鈴木優人が初めてオーケストラを指揮したのも中学2年生の時で、ベートーヴェンの交響曲だったが、教師から「(取り組むには)まだ早いね」と言われたそうである。
古川も、2023年に行われた第35回京都子供のためのヴァイオリンコンクール金賞及び奨励賞を受賞している。
ウエンツ瑛士が、「ヴァイオリン以外に好きなものある」と聞くと、「K-POP」という答えが帰って来た。だが、「K-POP、ヴァイオリンで弾いたりする?」とのウエンツの問いには「弾かない」と答えていた。

大石彩代が独奏を務める「カルメン幻想曲」は、スペインや南仏的な濃い色彩こそないもの、安定した技巧が楽しめる。一方で、まだまだ弾くだけで精一杯のようにも見えた。
「ロマの踊り」のアッチェレランドの部分で、鈴木は「ついてこられるかな?」と大石の方を見るが、大石はきちんとついて行った。
なお、大石は、鈴木優人が指揮する京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科の定期演奏会に、ヴァイオリンではなくヴィオラのトップとして出演し、再度共演する予定だそうである。

クライスラーの「ウィーン奇想曲」。19世紀末から20世紀前半にヴァイオリニスト兼作曲家として活躍したフリッツ・クライスラー。だが、自身が作曲した作品の多くを、「図書館で見つけた古典」などとして演奏。「大作曲家のものに違いない!」と言われたりした。一方で、クライスラー名義で作曲した作品の評価はさっぱり。クライスラーも最終的には打ち明け、大騒ぎとなるのだが、人の評価が当てにならない一例証となっている。
「ウィーン奇想曲」は、クライスラー本人が作曲者であることを明かして発表した曲の一つである。
古川のヴァイオリンは素直なもので、この手の曲にありがちな耽美的な表情を付けたりはしない。技巧も安定している。
なお、古川は、京都市交響楽団第2ヴァイオリン副首席奏者の杉江洋子(今日も首席第2ヴァイオリン奏者のフォアシュピーラーとして参加)に師事しているようである。

 

メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」から“スケルツォ”“夜想曲”“結婚行進曲”
鈴木は、「まず台風の話からしないといけないのですか」と語り始める。昨年の9月1日にロームシアター京都メインホールで行われる予定だったオーケストラ・ディスカバリーが台風の接近により中止になってしまったのだが、その時の指揮者が鈴木優人で語りを務めるのがウエンツ瑛士のはずだったのだ。女性歌手2名を招いての本格的な公演になる予定だったが、今回、規模は縮小したが演奏出来る喜びを鈴木は語った。

京響は鈴木の棒への反応も良く、生命力豊かな上質の演奏を聴かせる。“結婚行進曲”におけるブラスの輝きも効果的であった。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」。指揮者体験コーナーがある。
まず鈴木がショートバージョンを京響とお手本として演奏する。その後、指揮体験をしたい子どもを募る。客席で手を挙げた子の中からウエンツが選ぶ。ウエンツは、「我こそは子どもだぞという大人の方もどうぞ」と呼びかけるが、流石に大人で手を挙げる人はいない。
3人の子どもが選ばれるのだが、なぜか舞台に上がって来た子が更に2人。ウエンツは「日本も変わりましたね」と語るが、一人は「眼鏡の子」と言われたので間違えて来てしまい、もう一人はなぜかよく知らないが上がってきてしまったようだ。
結局、5人全員に指揮してもらう。5人中4人が女の子である。
二つに刻む指揮をしたのは一人だけで、後は円を描くような指揮。テンポも速すぎたり、遅すぎたり、伸び縮みしたりと、京響のメンバーも演奏が難しそうである。快速テンポで振った子の後ではウエンツは、「京響の意地を感じました。なんとしてもついて行ってやる」

前半も押したようだが、後半も指揮者体験が3人のはずが5人になったので更に押す。

ポルカ「来面と電光」は。最後に鈴木と京響がカットのないバージョンを演奏して終えた。プロの指揮者なのでメリハリが利いている。

 

最後の曲目となるプロコフィエフの交響的物語「ピーターとおおかみ」。ウエンツは、指揮台の前、下手寄りに据えられた椅子に腰かけて朗読を行う。
まずどの楽器が何を表すのかを説明してから演奏開始。
今年はロームシアター京都サウスホールで園田隆一郎指揮日本フィルハーモニー交響楽団の演奏による「ピーターとおおかみ」も聴いているが、ホールが違うとはいえ、鈴木と京響の演奏は音がやや渋めでエッジが聞いており、表現の引き出しがより多い感じである。
ウエンツ瑛士の語りも流石で、子どもだけでなく大人をもうっとりとさせてしまう声と朗読術の巧みさが聴く者の想像力に働きかけてきた。

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2025年9月 4日 (木)

コンサートの記(915) ローム クラシック スペシャル「2025 日フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート プロコフィエフ:交響的物語《ピーターとオオカミ》op.67(日本フィルオリジナル台本による上演)ほか」

2025年4月6日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、ローム クラシック スペシャル「2025 日フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート プロコフィエフ:交響的物語《ピーターと狼》op.67(日本フィルオリジナル台本による上演)ほか」を聴く。
主にロームの招きによるものだが、1年に2回から3回、ロームシアター京都での公演を行っている日本フィルハーモニー交響楽団。東京の他のオーケストラは、関西公演というと大阪府内か、大阪にほど近い兵庫県西宮市などで公演を行うことが多いが(NHK交響楽団は関西各地で公演を行う)、日フィルは京都を準本拠地とすることに成功しつつある。他の東京のオーケストラが大阪に集まるので、ライバルなしの状態である。まず子ども向けのコンサートを行い、夏に親子向けのコンサートを行い、更には大人向けの「コバケン・ワールド in KYOTO」を行うのが通例。今年も夏の親子向けのコンサートはすでに決まっていて、バレエを中心としたものである。「コバケン・ワールド in KYOTO 2025」も開催が決まった。

今回の「小学生からのクラシック・コンサート」は、園田隆一郎の指揮。日フィル・ソロ・コンサートマスターの扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)がコンサートマスターを務める。

休憩なしの上演時間約1時間のコンサート。曲目は、グリーグのホルベルク組曲(ホルベアの時代から)第1楽章とプロコフィエフの交響的物語「ピーターと狼」(朗読:江原陽子(えばら・ようこ)。

 

今回は開演前にホワイエでウェルカム・コンサートがある。写真撮影自由、動画撮影は不可である。クラリネット五重奏での演奏。
曲目は、宮川彬良の「ゆうがたクインテット」、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」より“ねえ、私のお父さん”、ブラームスのハンガリー舞曲第5番。
余裕を持って演奏されていたように思う。
アンコール演奏では、楽団員が紙で作った耳飾りを付けて、「ピーターと狼」の猫の主題を奏でる。ナビゲーターの江原陽子が、眼鏡を掛け、紙の耳飾りを付けた状態で登場。本番でも行って欲しいという猫ダンスを子どもたちに教えていた。

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中ホールであるサウスホールでの演奏ということで、中編成。サウスホールは残響はないが、空間自体がそれほど広くないので音は通る。後方にスクリーンが下がっており、スクリーンと前方の聴衆の間に入ると視野の妨げとなるためか、それを避けるべく指揮台は低めのものが用いられていた。

 

関西ではオペラ指揮者として聴くことも多い園田隆一郎。園田高弘との血縁関係はない。
イタリア・シエナのキジアーナ夏季音楽週間「トスカ」を指揮してデビュー。翌年、藤原歌劇団の「ラ・ボエーム」を指揮して日本デビューを飾り、多くのオペラを手掛けたほか、イタリア国内のコンサートオーケストラも指揮。現在、パシフィックフィルハーモニア東京の指揮者、藤沢市民オペラ芸術監督を務めている。

ナビゲーターの江原陽子は、東京藝術大学音楽学部声楽科卒。NHKで歌のおねえさんとして活躍し、1991年からの日フィルの「夏休みコンサート」の司会を務めるなど、長い付き合いとなっている。洗足学園音楽大学教授。

 

グリーグのホルベルク組曲より第1楽章。弦の編成が大きくはないためか、ホールの音響ゆえか、スプリングが余り効いておらず、表情も堅い。日フィルは伝統的に北欧音楽には強いはずだが、今日はそれほどでもなかったようである。

 

プロコフィエフの交響的物語「ピーターと狼」。弦はドイツ式の現代配置だが、その前に主役となる管楽器が指揮台を取り囲むようにして並ぶ。下手側からフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットである。
江原陽子が、どの楽器が何を表すのかを説明する。
フルート(美人奏者として有名な難波薰が乗り番)は小鳥、オーボエはアヒル、クラリネットは猫、ファゴットはお爺さんである。ピーターの主題は弦楽器が奏で、狼はホルンなどの金管楽器が威圧的な音を押し出す。
1991年から日フィルと声を使った仕事をしているということで、江原陽子のナレーションは手慣れたもの。猫の主題が出た時には、ウェルカム・コンサートでやった時のように子どもたちと一緒に踊る。京都の子どもたちなので、大阪の子どものようにノリノリという訳にはいかないが、楽しそうである。
演奏であるが、グリーグよりもずっと滑らかでチャーミングである。サウンドも温かで、日フィルの良さが出ていた。
なお、台本は、園田隆一郎、江原陽子と日フィル企画制作部が作成したオリジナルのものが使用されていた。
スクリーンには、最前列の管楽器奏者が演奏するときのみ映像が映る。使用時間はそれほど長くはなかった。
最後にスマホ撮影タイムがあったが、スマホの起動に時間が掛かったため、やはり作成できず。去年は事前に「カーテンコール撮影可」という情報が載っていたので間に合ったのだが。だが去年はその映像をSNSにアップしたのは私だけ。余り人気がないようであった。

 

京都は街の規模や文化水準からいえば、京都市交響楽団の他にライバルとなるフルサイズの民営プロオーケストラがあっても良いはずなのだが、資金面を考えると、フルサイズのプロオーケストラの運営は難しいと言わざるを得ない。京響ですらキャパ1800の京都コンサートホールを満員にするのは難しいのが現状ある。日フィルに京響を刺激する形でもっと頑張って貰うのも手である。日フィルは東京のオーケストラの中ではAランクに入るか入らないかの当落線上だが、東京に本拠地を置いているプロオーケストラは基本上手い。

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2025年7月15日 (火)

コンサートの記(908) 〈RMF&山田和樹グローバルプロジェクト〉 山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団日本公演2025京都公演

2025年7月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、〈RMF&山田和樹グローバルプロジェクト〉山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団2025年日本公演京都公演を聴く。

先日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に客演して話題になった山田和樹。現在、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督兼芸術監督、バーミンガム市交響楽団の音楽監督(2024年5月から、それ以前は首席指揮者アーティスティックアドヴァイザーを務めていた)の座にあり、2026年からベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者兼芸術監督に着任する予定である。3つのオーケストラのシェフの兼任は困難であるため、モンテカルロ・フィルからの離任を表明している。
バーミンガム市交響楽団と山田の関係は長く、2016年のバーミンガム市交響楽団来日演奏会の指揮も山田が務めている。

サイモン・ラトルの時代に名声を高めたバーミンガム市交響楽団(City of Birmingham Symphony Orchestra。CBSO)。イギリスは首都ロンドンと地方の格差が広く、第二の都市であるバーミンガムのオーケストラも性能は低かったが、ラトルは大幅に機能を上げている。それでもロンドンの名門オーケストラ(ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、BBC交響学団)とは差があったが、ラトルの後任のフィンランド人指揮者サカラ・オラモの時代にはラトルに続き「シベリウス交響曲全集」を作成。2代続いてシベリウスの交響曲をリリースしたため、北欧ものの評価を高める。オラモはグリーグなどでも名盤を残した。
その後、数人がバーミンガム市交響楽団のシェフを務め、中にはミルガ・グラジニーテ・ティーラという若い女性指揮者が起用されたりもした(首席指揮者であった山田は、名前が長いので「ミルガ」と呼んでいたようである)。
響きの良いホールがないことで知られるイギリスであるが、バーミンガムはラトルがアメリカ人の技術者を招いて響きの優れたホールを建立。イギリス中から羨望の眼差しを向けられている。

私がCBSOをホールで聴くのは4回目。最初は初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”での演奏会で指揮はサー・サイモン・ラトル。タケミツホールで音楽を聴くのは初めてだった。ラトルの指揮であったが、前半に現代曲が並んだため、客席はガラガラであった。
2度目は、サカリ・オラモ指揮の演奏会。2002年9月22日で、この時が初京都コンサートホールであった。オール・シベリウス・プログラム。覇気にあふれる演奏で、ヴァイオリン協奏曲の独奏を務めた諏訪内晶子のソロも神品と呼ぶに相応しい出来であった。

3回目は山田和樹指揮。大阪での公演。山田とピアニストの河村尚子の共演が特に印象的だった。

 

曲目は、ショスタコーヴィチの祝典序曲、エルガーのチェロ協奏曲(チェロ独奏:シェク・カネー=メイソン)、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ヘンリー・ウッド編曲)

 

山田和樹のプレトーク。「このツアーも残り2か所となりました」ということで、「8回の演奏会で、明日、横浜で最後を迎えます」
先日、ベルリン・フィルの指揮台に立ったことについては、「直前にバーミンガム市交響楽団が同じプログラムの演奏会を開いてくれました。『よし、カズキを送り出そう』」という粋のようである。
また今回は、京都両洋高校吹奏楽部がショスタコーヴィチの祝典序曲でバンダを務めることが明かされる。東京では音楽科のある千葉県立幕張総合高校がバンダを担ったようだ

「ちなみにこれまでもバーミンガム市交響楽団生で聴いたことあるよ、という方」と山田。結構手が挙がる。来日の機会の多いオーケストラである。山田は、「2年に1度、来日公演で聴けるオーケストラが3つある。まずはベルリン・フィル、続いてウィーン・フィル。最後にバーミンガム市交響楽団」

エルガーのチェロ協奏曲。ソリストを務めるシェク・カネー=メイソンについて山田は、「素晴らしいチェリストなので是非お聴きいただきたい」と述べた。

組曲「展覧会の絵」は、よく聴かれるモーリス・ラヴェル編曲版ではなく、ヘンリー・ウッド編曲版で演奏する。山田は、ヘンリー・ウッドについてプロムスを始めた人と紹介し、山田はヘンリー・ウッドの方が先に編曲しているということで、「ラヴェルがどれほどパクったかに注目」とも語っていた。

また今回は、RMF(Rohm Music Foundation)と山田和樹の共同企画ということで、若い演奏家が選ばれ、バーミンガムでの研修を経て今回の演奏にも参加する。今回は、FUKUDA Asakoというヴァイオリニストが、第2ヴァイオリンの第4プルトで演奏していた。

 

チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏。ティンパニは指揮者の正面ではなく上手端に置かれた。

 

祝典序曲。昔からよく言うと渋い、悪く言うと地味な音色が特徴であったバーミンガム市交響楽団。ただこの曲は謎の多い曲調の時は渋めだったが、後半に入るとブラスが輝かしい音を奏でる。
京都両洋高校のバンダは、中央通路と、上手バルコニー席に陣取って通りの良い音を聴かせた。

 

エルガーのチェロ協奏曲。ソリストのシェク・カネー=メイソンは、黒人の血が入った奏者である。ピアニストである妹とデュオコンサートを行うこともあるそうだ。
気高さの感じられる曲調がやがて祈りへと通じていくかのようである。

シェクのアンコール演奏は、ナタリー・クロウダのチェロ組曲第4楽章。ファンキーなノリもある楽しい曲である。

 

休憩後、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ヘンリー・ウッド編曲)。豪壮な編曲である。ラヴェルの編曲よりも楽器が多く用いられ、爆発的な場面もある。編曲の腕も確かなのだが、大風呂敷を広げたようなところがあり、ラヴェルがこの編曲を聴いていたとしたら、もっと自然体の編曲を行おうと考えただろう。そういう意味ではラヴェルは音をタイトにして、この曲の「追悼曲的意味」に心を砕いているような印象を受ける。
プロムナードは最初の1回しか出て来ない。
ヘンリー・ウッド編曲版ではバンダも使用。下手側2階席にトランペットを、上手側3階席にテューバなどを配して、立体的な音響を築き上げていた。
なお、オルガン(電子オルガン)が編成に加わっており、都築由理江が演奏を行った。

CBSOの音は主にラトル指揮の音源で聴くことが多いが、往時に比べると音の輝かしさが格段に増しているのが分かる。

 

アンコール演奏は、ウォルトンの戴冠式行進曲「宝玉と王の杖」。イギリスの作曲家の中でも構築力に定評のあるウォルトン。格好良い曲と演奏である。

 

楽団員が退場しても拍手は続き、山田和樹再登場。山田はいったん引っ込んだ楽団員をステージ上に呼び戻し、みんなで記念写真を撮影していた。

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2025年6月 7日 (土)

コンサートの記(904) アンサンブル九条山 コンサートvol.16「The Phoenix Rises New Music from Los Angels」

2025年5月11日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後2時から、ロームシアター京都ノースホールで、アンサンブル九条山(くじょうやま) コンサートvol.16「The Phoenix Rises New Music from Los Angels」を聴く。

2010年に京都のヴィラ九条山のレジデントであったヴァレリオ・サニカンドロにより設立された現代音楽アンサンブル。メンバーは全員女性で、全員が女性の現代音楽アンサンブルはかなり珍しいと思われる。

今回は、ロサンゼルスで生まれ育った指揮者のジェフ・フォン・デル・シュミットと、上海出身で1986年に渡米し、以後、ロサンゼルスで学び、作曲活動を行っている女流作曲家のジョーン・ファンというLA在住の二人のゲストを招いての演奏会である。

 

出演は、石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、上田希(クラリネット)、太田真紀(ソプラノ)、後藤彩子(客演。ヴィオラ)、畑中明香(はたなか・あすか。パーカッション)、松蔭(まつかげ)ひかり(客演。チェロ。レギュラーメンバーである福富祥子が出演出来なくなったための代役)、森本ゆり(ピアノ)、若林かをり(フルート)。石上真由子は本拠地を京都から東京に移しているが、それ以外は関西を拠点とするアーティスト達である。

曲目は、ルー・ハリソンの「森の歌」、ジョン・ケージの「7つの俳句」、ウィリアム・クラフトの「月に憑かれたピエロ」からのセッティング(アジア/日本初演)、ヴ・ニャット・タンの「雲」(遺作/世界初演)、ジョーン・ファンの「インプレッション・オブ・グスー」(アジア/日本初演)、ウィリアム・クラフト&ジョージ・ファンの「万華鏡とモザイク」(アジア/日本初演)

 

現代音楽こそ若い人に聴いて欲しいのだが、やはりこの演奏会も平均年齢は高め、50歳の私が最年少候補である。クラシック音楽の聴衆の新陳代謝は余り進んでいないように思える。もう20年近く前になるが、京都造形芸術大学の学園祭で、ジョン・ケージの小規模なオペラが上演されたときは、学生が多く観に来ていて好評だったのだが、あるいは音楽よりも美術専攻者などの方が現代音楽には馴染みやすいのに、そちらへの宣伝が不十分なのかもしれない。

 

チラシやポスターだけでは分からなかったのだが、今回は「アジア」が重要なテーマのようで、出演者は全員、旗袍(チーパオ)やアオザイなどを参考にしたようなアジア風ドレスを着こなしていた(パーカッションの畑中明香だけは、他の人と同じような格好では動きにくいので、少し緩やかな衣装であった)。

 

まず、森本ゆりによる挨拶がある。今回のコンサートの指揮と監修を務めるジェフ・フォン・デル・シュミットが、ロサンゼルスの生まれ育ちであること、また今回の演奏会を企画するに当たり、「現在は現代音楽の分岐点にある」というシュミットの考えから、当初は「始まりの終わり」というタイトルに決まりかけていたことを語る。しかし、今年の1月、ロサンゼルスで大火が起こり、作曲家のジョーン・ファンは体は無事であったが自宅は全焼、シュミットの家にも2つ先の通りまで火が押し寄せてきたそうで、ロサンゼルスの街を復興を願い、「不死鳥」を入れた今回のタイトルに変更したそうである。

 

指揮と監修を務めるジェフ・フォン・デル・シュミットは、1955年、ロサンゼルス生まれ。苗字からしてドイツ系だと思われ、フォンが入るので貴族の血筋かも知れない(ちなみにドイツ語圏では戦後、貴族階級に属することを意味する「フォン」の称号は名乗ることを禁じられたため、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどは特別に芸名としてフォンを名乗ることを許されている)。ウィーン大学、南カリフォルニア大学で学び、カリフォルニアで現代音楽アンサンブルであるサウスウエスト・チェンバー・ミュージックを主宰。2012年からはロサンゼルスで行われる現代音楽のフェスティバルを開催している。
グラミー賞に8回ノミネートされ、2度受賞。2015年からは、ベトナムのハノイ・ニュー・ミュージック・アンサンブルの指揮者兼芸術顧問を務めている。

 

ルー・ハリソンの「森の歌」。フルート、ヴァイオリン、パーカッション、ピアノのための作品である。
ルー・ハリソンは、オレゴン州ポートランド生まれのアメリカの作曲家だが、ジャワのガムラン音楽に強い関心を示すなど、非西洋の音楽に惹かれていた。この曲もガムランを思わせるパーカッションを始め、フルートというより笛ような音で奏でられる旋律(おそらくペンタトニック使用)など、極めて東洋的な音楽が展開される。何の情報ももたらされなければ、アジア人作曲家の作品と誰もが思い込んだに違いない。
中学生の頃、坂本龍一、デヴィッド・バーン・コン・スー(蘇聡。スー・ツォン)が音楽を手掛けた「ラストエンペラー」の映画音楽を愛聴し、ついでに二胡などの演奏のCDも楽しんでいた私にとってはアジア風の音楽は音楽における故郷の一つである。

 

ジョン・ケージの「7つの俳句」。今回演奏される曲の中では比較的知名度が高い作品である。森本ゆりのピアノ独奏。
「俳句」と名付けただけ合って、極めて簡潔な作品群である。音を少し置くだけで終わってしまう。ただサティなども音楽で石取りゲームのようなことをしているため、その延長線上にあると考えても把握はしやすくなる。弦を直接指で弾く特殊奏法も用いられる。

 

ウィリアム・クラフトの「月に憑かれたピエロ」からのセッティング。ソプラノ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、パーカッションのための作品。シュミットの指揮である。
シェーンベルクも作曲した「月に憑かれたピエロ」の詩に基づく作品であるが、シェーンベルクが採用しなかった詩の部分にインスピレーションを受けて作曲されている。
ウィリアム・クラフト(1923-2022)は、シカゴ生まれの作曲家。コロンビア大学で学士と修士を修め、まず打楽器奏者として出発。ダラス交響楽団を経て、ロサンゼルス・フィルハーモニックの打楽器奏者・首席ティンパニ奏者として活躍。その後、副指揮者を経てレジデンスコンポーザーを務めた。同い年でロサンゼルスでも活躍した指揮者・作曲家のロバート・クラフトとは特に血縁関係にはないようである。
パーカッションの活躍が目立つ一方で、ヴァイオリンの出番がなかなか訪れないという特殊な構成。音と音の合間から染み出てくる音のようなものが印象的である。器楽に対し、太田真紀のソプラノが良いアクセントになっている。

 

ヴ・ニャット・タン(男性)の「雲」。タンの遺作であり、世界初演である。
ヴ・ニャット・タンは、1970年、ベトナムの首都ハノイ生まれの作曲家。ベトナム戦争下の生まれである。ハノイ国立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、ドイツ学術交流会の奨学金を得てケルン音楽大学で現代音楽を学ぶ。その後、カリフォルニア大学サンディエゴ校で作曲を学んだ。一方で祖国の音楽の研究や、祖国の楽器である葦笛奏者としても活躍。1995年から2000年まではハノイ国立音楽院で教育活動に従事した。2020年、癌のため50歳の若さで死去。

「雲」は、ヴァイオリンとピアノのための作品である。どちらかというとピアノ主体の曲で、雅やかな音色と、ピアノの弦を直接弾く特殊奏法によるグリッサンドが印象的である。

 

ジョーン・ファンの「インプレッション・オブ・グスー」
ジョーン・ファンは、1957年、上海生まれの女流作曲家。文化大革命で下放させられた経験を持つ。労働は過酷であったが、農民から地方の民謡を教えられたりもしたそうだ。文革終了後、上海音楽院に入学。ということで、中国映画における第五世代に当たるようだ。上海音楽院で学士と修士を得て、1986年に渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学ぶ。後に夫となるウィリアム・クラフトとはここで出会った。祖国中国と西洋の音楽の融合を研究し、1991年に博士課程を修了。

グスー(姑蘇)というのは、蘇州の旧名だそうである。パーカッション以外は総出で、シュミットの指揮での演奏。
連続した小協奏曲という趣向を持つ。
最初のうちは現代音楽的な複雑な音だが、やがてチェロに中国的な旋律が現れる。その後も、混沌と中華的旋律の登場が繰り返されるが、「水の蘇州」ということで、水の流れを描くような部分も多い。ヴァイオリンとヴィオラが、スメタナの「モルダウ」の冒頭のような掛け合いを聴かせる部分もあった。

 

演奏終了後、客席にいたジョーン・ファンがシュミットに呼ばれて登場し、拍手を受けた。実年齢よりも若々しい印象を受ける女性である。

 

ウィリアム・クラフト&ジョーン・ファンの「万華鏡とモザイク」。作曲中に病に倒れたクラフトが、死の3時間前に 妻であるジョーン・ファンに「補作して完成させてくれ」るよう頼んだという作品である。
無料パンフレットに「満ち引きする一種の脈略のない夢のような心象風景の場面」とあることから、この曲も「インプレッション・オブ・グスー」同様、流れのようなものが全体を貫いている。異なるのは、「インプレッション・オブ・グスー」では用いられなかったパーカッションの大活躍で、特に力強いドラムの音が全体をリードする。今回の演奏会では、他では見られないほどパーカッションが活躍する場面が多く、演奏終了後、シュミットはパーカッションの畑中明香の手を取って高々と掲げ、労をねぎらった。

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