カテゴリー「ロームシアター京都」の70件の記事

2020年1月25日 (土)

コンサートの記(621) 室内オペラ「サイレンス」(アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ)

2020年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、室内オペラ「サイレンス」を観る。川端康成の短編小説「無言」のオペラ化である。無料パンフレットには「アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ」と書かれている。台本・作曲・指揮:アレクサンドル・デスプラ、台本・演出・音楽監督・ビデオ演出:ソルレイ、舞台美術:シャルル・シュマン、衣装:ピエール・パオロ・ピッチョーリ。演奏は、アンサンブル・ルシリン。出演は、ロマン・ボクレー(バリトン)、ジュディット・ファー(ソプラノ)、ロラン・ストケール(語り。コメディ・フランセーズ所属)。フランス語での上演、字幕付きである。

作曲のアレクサンドル・デスプラは、映画音楽の作曲家である。「英国王のスピーチ」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、「グランド・ブダペスト・ホテル」などの音楽を手掛けており、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞作曲賞などを受賞している。
ソルレイ(本名はドミニク・ルモニエ)は、ヴァイオリン演奏、舞台演出、ビデオ演出などを手掛けている女性で、デスプラの公私にわたるパートナーである。2015年に脳疾患を患うも復帰している。「サイレンス」には自身の闘病経験が反映されているという。

演奏を担当するアンサンブル・ルシリンは、ルクセンブルクを拠点とする現代音楽アンサンブル。2014年に初来日して、細川俊夫の「大鴉―メゾ・ソプラノと12の奏者のためのモノドラマ」の初演を手掛けている。

富子役のジュディット・ファーは、アムステルダム音楽院に学び、2011年にオランダ国立オペラアカデミーに入団。ベルギーのモネ劇場やフランスのエクサンプロバンス音楽祭、ルクセンブルク大劇場などで出演を重ねているという。

三田役のロマン・ボクレーは、リヨン国立高等音楽・舞踊学校を優秀な成績で卒業し、リヨン国立歌劇場で学ぶ。世界各地の国際大会で優秀な成績を収め、ハンガリーのARMEL国際オペラコンクールでは優勝に輝いている。

語りのロラン・ストケールは、1973年、フランス・オトマイヌ生まれ。ジェラール・フィリップのアトリエで学び、パリの国立演劇院でも研鑽を積む。ソルボンヌ大学では現代文学を学び、2001年にコメディ・フランセーズに入団。2004年に正団員に昇格し、ルコックシアターなどにも参加しているそうである。

 

アンサンブル・ルシリンは、ステージの後方での演奏。その上にあるスクリーンにソルレイが監督した映像が投影される。

 

アレクサンドル・デスプラの音楽は、武満徹や黛敏郎、西村朗など日本を代表する作曲家の作風を巧みに取り入れ、更に仏教音楽の要素なども用いた「和」の現代音楽を作ることに成功している。弦楽のピッチカートやコルレーニョ奏法なども多用しており、曲調がガラリと変わる場面があるなど、多彩な音楽を生み出している。

 

鎌倉の名越に実在する「お化けトンネル(鎌倉側の名越トンネルと逗子側の小坪トンネル)」の怪談をモチーフにした話である。ここは関東屈指の心霊スポットとして有名で、トンネルの上に火葬場があり、しかも鎌倉時代の城跡で、三浦合戦の激戦地として多くの人が亡くなった場所であることから、「出る」という噂が絶えない。

逗子(川端康成終焉の地でもある)に住む老作家、大宮良房が病気を患い、話すことが出来なくなって、右半身も不随になる。左手は動くのだが、大宮はもう何も書こうとはしない。大宮の20歳年下の友人である三田が大宮の見舞いに赴く。三田はおそらく鎌倉駅からタクシーに乗って逗子の大宮邸に向かうのであるが、その際にお化けトンネルをくぐる。三田はタクシー運転手(ロラン・ストーケル)に「幽霊を見たことがあるか?」と聞き、タクシー運転手はないと答える。

大宮は妻に先立たれており、娘の富子に面倒を見てもらっている。父親の介護に専念していたため富子は魅力的な女性であるにも関わらず婚期を逸しており、その姿が三田には大宮に仕える幽霊のように映り始める。

富子は三田に、大宮が若い頃、文学志望の青年から手紙を受け取ったという話をする。しかしその手紙は次第に狂的になり、青年は精神病院の閉鎖病棟に入れられる。病棟でも執筆がしたいと望む青年だったが、ペンも鉛筆も危険だというので、青年に与えられたのは白紙だけ。青年は白紙に見えない文字を綴り続けた。と、ここまでは本当にあったことなのだが、大宮はその続きを小説にしている。青年がカタカナで綴ったと言い張る文字を母親に見せるのだが、そこには当然ながら白紙しかない。そこで母親はあたかも青年が書いた文字が見えるかのように振る舞い、二人の思い出話などを語り、息子と共に小説を共作することになるという話である。「母の読める」という小説だったが、富子は大宮が実は自分達のことを小説に取り込んだのだと話し、文字が書けなくなった大宮が「娘の読める」として富子の筆で小説を執筆するという構想を三田は思いつく。沈黙の大宮に三田は、左手でカタカナを書き、コミュニケーションを行うように促すのだが、次第にその沈黙には意味があるのだと確信するようになり……。

幽霊の話が富子と結びつき、幽霊のように生き続けるであろう彼女をそのままにするしかないという諦観が、上演終了後も後を引くような話である。三田が富子に恋をしたのはわかるのだが、それが進展するとも思えない。三田もまた富子に対して本音は無言としたまま過ごしていくのであろう。

今日は前から6列目の真ん真ん中ということで、歌手達の動きは見やすいのだが、字幕は舞台両端に出るため、首を動かして確認する必要がある。
字幕であるが、最初は歌詞やセリフの日本語訳が出ていたのだが、途中から地の文も字幕で語られるようになり、文学性の強い上演となる。

ロマン・ボクレーはバリトンではあるが、ハイトーンボイスも得意としており、繊細な文学青年である三田の雰囲気を上手く出している。

ジュディット・ファーは、儚げな印象の富子を雰囲気豊かに演じる。

語りとして様々な役を演じるロラン・ストーケルは、ヴォツェックのようなメイクをしており、この物語が持つ本質的な不気味さを演技でも巧みに表現していた。

 

ソルレイの映像は、トンネルのシーンでは逗子ではなくおそらく首都高のトンネルでの映像を使っており、延々と続くライトに少し違和感も感じる。三田が大宮の家を訪ねるシーンでは、読売ジャイアンツ対阪急ブレーブスの後楽園球場での日本シリーズの模様が映し出される。読売ジャイアンツの王貞治、張本勲、堀内恒夫、阪急ブレーブスの山田久志、足立光宏ら姿が確認出来る。今はYouTubeなどの映像配信サイトでも見ることの出来るものだが、時代と季節が語られており、なかなか効果的な映像であったように思う。

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2020年1月 6日 (月)

観劇感想精選(335) inseparable 「変半身(かわりみ)」

2019年12月19日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都ノースホールで、inseparable「変半身(かわりみ)」を観る。原案:村田沙耶香&松井周、作・演出:松井周。出演:金子岳憲、三村和敬、大鶴美仁香、日高啓介、能島瑞穂、王宏元、安蘭けい。

村田沙耶香と松井周が共に取材した題材を演劇と小説という形で別々に発表するという試みの演劇版である。村田沙耶香の小説版はホワイエで売られている。

近未来が舞台である。東洋のガラパゴスと呼ばれる離島、千久世島(ちくせしま)ではレアゲノムという化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組み換えに必要なものとして注目を浴びている。その千久世島では、「山のもん」と「海のもん」が抗争を繰り広げている。レアゲノムは山で取れるため莫大な利権を生み、「山のもん」は働く必要もなくなったが、多数派である「海のもん」はその恩恵に預かることは出来ず、漁業も海流の変化で不振である。ということもあってレアゲノムを勝手に持ち出そうとする事件が相次ぎ、自警団が組織された。その自警団の事務所が舞台である。

近未来においては、自由に性行為を行うことや子どもを作ることは許されておらず、生殖免許なるものが必要なようである。自動車と同じでマニュアルとオートマチックがあるようだが、詳しいことはわからない。

自警団に所属しているのは、高城秀明(金子岳憲)と尾形祐美(大鶴美仁音)の夫婦(未来は夫婦別姓なのだろうか)と、本州から来た子持ちバツイチの比留間ルイ(能島瑞穂)、外国出身の田部草太(王宏元)。ただヒトゲノム自体は東京の組織によって管理されており、東京から来た丸和玲香(安蘭けい)が、密輸業者を取り逃した自警団に説教しているところから芝居は始まる。近未来では行動が逐一ポイントによって評価される制度になっているようである。「ドラえもん」にもそんな話が出てきたような気がするが。
秀明は「山のもん」であるが、祐美は「海のもん出身」であり、二人の結婚は隔たれていたものの結びつきの象徴として祝福されている。祐美の父親で、ホテル経営などをしている「海のもん」の代表者、尾形圭一(日高啓介)も自警団の事務所にやって来る。

比留間ルイは、本州出身を名乗っているが、実は外国出身であり、田部草太と二人でいる時には北京語で話す。草太から、「为什么你说日语?(どうして日本語で話す?)」と聞かれたルイは、「あなたと一緒にされたくない」と日本語で答える。
ちなみに草太の父親は本国でデザイナーをしていたが、作品に赤い布を用いたことで共産主義者と見做され粛正されている。北京語を話してはいるが、共産党が支配する中国の出身ではないのか、あるいは中国の政治体制が今とは異なっているのか。

本筋とは異なり、神様(金子岳憲)による「クニウミ」の話が入る。千久世島には独自の国生み神話がある。ポーポーとボウボウという神様が国を生む。ボウボウは始めは一つの点に過ぎなかったのだが、ポーポーの腕を食べて、人間の形らしくなる。生殖器は二つあり、両性具有の神である。ポーポーとボウボウは仲良しの神だったのだが、ある日、ボウボウがポーポーの腕や足を食べてしまい、腹を壊す。だが、ボウボウには口はあっても出す機関は持っていない。ボウボウの腹痛は酷く、ポーポーはボウボウの生殖器の片方でボウボウを突き刺す。そこから出た膿が海になったという話である。途中で、イルコというイルカの神様の話が出てくるが、足が悪いということで流されてしまう。イルコは日本神話の神々でいうと蛭子に相当する。恵比須として祀られることになる神である。

島ではポーポー祭なる奇祭が行われており、秀明の弟である高城宗男(三村和敬)がモドリという儀式の最中に落命している。だが、その宗男が皆の前に現れる。秀明と宗男が少年時代のことを語る内に、どうやら宗男もボウボウのように両性具有者だったらしいことがわかる。宗男は、千久世島が世界初の浣腸器が見つかった場所であるということから、ボウボウ伝説に基づく「ソーシャル・エネマ」を提唱。「山のもん」(成金)や「海のもん」(土俗、貧困)、あるいは東京的(絶対的な価値に基づく管理社会)な価値観を洗い流すことで世界の再創造を行おうとする。

やがてルイがレアゲノムの横流しを行っていたことが発覚して丸和と圭一によって捕縛され、身内から裏切り者が出たということで自警団も解散に追い込まれる。そして浜辺にはイルカたちが押し寄せ、自警団の事務所はイルカ相手の売春斡旋所となってしまう。

ポーポーに相当する秀明が演じる神と、ボウボウに当たる宗男が演じる神、更にイルカの神でもある丸和の3人(3柱か)の会話では、もはや世界を救うことは不可能となっている。レアゲノムも用いてイルカとの合体が成功しつつあるが、それもほんの少しの延命に過ぎない。

舞台は数年後に移る。人々は主にイルカ語を話すようになっている。レアゲノムは他の島に移されており、千久世島はその名に反して見捨てられた島として終焉を迎えつつある。それが変わることはないのだが、ポーポーとボウボウの神話に出てきたように、宗男の体を、祐美、ルイ、草太、圭一が食べるシーンがある。これはポーポーとボウボウの神話に従えば新たなる世界の創造(クニウミ)に繋がる行為であり、一見すると救いがないようではあるが、新たなる世界の創造もささやかながら示されているラストがやって来る。

どことなく1990年代の演劇のテイストが感じられる作品である。SFではあるのが、神話や離島の事情を混ぜるなどしており、未来的な洗練性よりも土着的な味わいが前面に出ているという特徴がある。

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2019年12月28日 (土)

東京バレエ団×京都市交響楽団クリスマススペシャル バレエ「くるみ割り人形」(全2幕)

2019年12月22日 左京区岡﨑のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、東京バレエ団×京都市交響楽団クリスマススペシャル チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」を観る。指揮は井田勝大(いだ・かつひろ)。キャストは、川島麻実子、柄本弾(つかもと・だん)、森川茉央、鳥海創、湧田美紀、海田一成、永田雄大、政本絵美、加藤くるみ、杉山優一、伝田陽美、宮川新大、三雲友里加、ブラウリオ・アルバレス、岸本夏朱、岡崎隼也、池本祥真、昴師吏功、中川美雪、工桃子、樋口祐輝、岡﨑司、上田実歩、杉山優一、髙浦由美子、南江祐生、菊池彩美、和田康佑。

チャイコフスキーの三大バレエの一つとして知られる「くるみ割り人形」。クリスマスイブが舞台になっているということで、今のシーズンに良く上演される。

 

東京と京都の団体のコラボレーション。チケット料金も安めに設定されているため、入りも上々である。

 

指揮の井田勝大は、東京学芸大学音楽科、同大学院を修了。2003年より来日オペラ団体の公演に制作助手として携わり、小澤征爾やズービン・メータのアシスタントを務めているという。バレエを指揮した経験も豊富だそうだ。現在はオーケストラトーキョー指揮者と広島にあるエリザベト音楽大学の講師を務めている。

井田の指揮する京都市交響楽団は、ロームシアター京都メインホールのピットでの演奏ということもあって、いつもよりも音の密度が薄めに感じられるが、バレエダンサーは踊りやすそうな音楽作りである。

E.T.A.ホフマンの童話をマリウス・プティバが台本化したものをチャイコフスキーがバレエ化した作品であるが、少女がくるみ割り人形に誘われて夢の世界に遊ぶという内容で、筋書きらしい筋書きはない。「ロメオとジュリエット」のように誰でも知っている筋書きなら別だが、バレエは基本的に複雑な物語を扱うことは出来ない。

 

紗幕に雪が舞う様が投影されてスタート。人々がクリスマスパーティーが行われる家にどんどん吸い込まれていく。セットは描かれたものが中心のシンプルなものだが、とても愛らしく、子ども達も喜びそうである。

東京バレエ団のメンバーもかなり優秀という印象を受ける。白人に比べると体格で劣るため、見栄えはさほどしないのであるが、技術面では当然ながら高いものがある。
体格差でいうと、男性の方がより顕著であり、日本人も年々体格は良くなっているが、白人の迫力にはどうしても敵わない。野球やサッカーで見られるのと同じ現実である。女性の方もやはりプロポーションでは白人に勝てないが、愛らしさでカバー出来る部分もある。男性ダンサーも女性ファン向けには愛らしさを打ち出して人気を得ることは可能なのかも知れないが。

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2019年12月20日 (金)

観劇感想精選(330) ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」

2019年12月12日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、ジョーン・ジョナスの京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」を観る。

ジョーン・ジョナスは、1936年、ニューヨーク生まれ。現在も同市在住である。1960年代にパフォーマンスとビデオを融合させた新たな表現形式を創始し、現在もデジタルメディアとパフォーマンスとの関係を探求し続けている。

 

舞台中央に障子で出来たスクリーンが降りており、そこに映像が投影される。まず映されるのは寒冷地の街の映像であり、その後、アイスランドを描いた地図が映り(左下に首都のレイキャビクがある)、先程の映像がアイスランドのものであるらしいことがわかる。

舞台左手にグランドピアノがあり、その上にキーボードが乗せられている。演奏を行うのは、1975年、テキサス州生まれのピアニストで作曲家であるジェイソン・モラン。グランドピアノには坂本龍一のコンサートでよく見られるような自動演奏機能が付いており、モランはグランドピアノを自動演奏モードにしてキーボードを弾いたり、片手でキーボード、もう片方の手でピアノの演奏を行ったりする。ミニマルミュージックに始まり、即興演奏風になり、再びミニマルミュージックに戻ってくる。北欧の先住民であるサーミ人の伝統歌謡「ヨイク」も効果的に用いられている。

舞台上手にはテーブルが置かれ、助手が映像を映し出したり、ドローイングが行われたりする。

 

アイスランドの作家、ハルドル・ラクスネスの著作、特に『極北の秘教』に影響を受けたパフォーマンスである。近年、世界的な問題となっている氷河の融解を題材としているが、実はラクスネスは氷河がまだ溶け出していない1960年代に氷河の問題を取り上げているそうである。
ラクスネスの著作を題材にしたパフォーマンスは、まず2010年にジョナスが教鞭を執るマサチューセッツ工科大学(MIT)で制作され、講義形式の作品であったようだが、その後、ジェイソン・モランとのコラボレーションを行うようになり、完成形へと徐々に近づいていったようである。

ハルドル・ラクスネスは、1955年にノーベル文学賞を受賞しているが、彼が書いた戯曲のような小説『Under the Glacier(氷河の下で。邦題:極北の秘教)』が今回の公演の軸となっている。『極北の秘教』からのテキストをジョナスが朗読することで進んでいく。上演時間は約1時間。

ジョナスが、舞台中央やや下手寄りに立てられた板に掛かる黒板風のものにチョークで六角形の図形を並べた花のような絵を描き込んでいく。
「完全な死体となった全裸の女が目覚め、棺から出てアイルランド風のパンを焼き(どんなパンなのかはわからないが)、棺担ぎの男達に振る舞った」という民話風のミステリアスな蘇生(Reanimation)の話が冒頭で語られる。その後、北欧(アイスランドではなくノルウェーらしい)の光景である山々や動物達がスクリーンに映し出される。ジョナスは舞台上手のドローイングスペースに行って、映像の輪郭をなぞるような書き込みを行うが、完成する前に映像は先に進んでしまい、ジョナスが描き込んだ絵は残像のように残されることになる。「喪失」が強く印象づけられる。

ラクスネスによると氷河は世界の中心であり、昔、錬金術師に導かれて3人の男が氷河に覆われた火山の噴火口に降り、そこで世界の中心を見つけたという。

ノルウェーの氷に閉ざされた山の麓を走る列車から取られたと思われる映像が続き、ジョナスは草笛のようなものや、角笛のようなものを鳴らす。また紙をくしゃくしゃに丸める音を出す。それは氷河の溶解の音のようでもある。

「歴史は寓話、それも粗末な。それに絶えられず私は神学を学ぶことにした」だが、その神学もやがては信じられなくなるようである。新たな寓話が求められる。

嵐に耐えるユキホオジロの話も語られる。「完璧」の喩えとしてだ。人間がユキホオジロのように鳴き声を交わす生き物でないことを残念に思い、ならば沈黙を求めようとする。氷河は沈黙している。野の百合もまた。

やがて話は冒頭の全裸の女の死体の話に戻る。それは今や完全な死体である。幽霊の話も語られるが、幽霊は常に不完全な存在であり、「世界の流産」と形容される。これは氷河の融解に繋がるメタファーだと思われる。氷河の融解は進んでおり、時間を巻き戻すことは出来ない。それを食い止める夢を描いたとしても、それはかつての氷河の姿に由来する幽霊に過ぎないのではないか。

ただ、時間は解決のための有効な手段として今も考えられており、最後の結論として再度登場する。

「蘇生」を題材にした映像。池の中に白い影が映り込んでいる。やがてその白い影は白い服を着た女性だということがわかり、飛び込み台の上にいる女性はやがて池に飛び込み、泳ぎ出す。その後、映像はアザラシなど、氷河の海で暮らす生物達の映像に突然切り替わる。

タンポポとミツバチの話、ミツバチがタンポポの蜜を吸い、ミツバチがタンポポの花粉を体につけて他のタンポポに移り、受粉が行われることを「超交信」と呼ぶ。これが新たな宇宙的発展の希望と考えられているようである。

世界は悪魔が支配しているという話。ものが燃やされている映像。あるいは焚書を表しているのかも知れない。悪魔はいつまで経っても悪魔であり続けると考えたとしても、神を冒涜したことにはならないだろうという内容が読み上げられる。

山羊などアイスランドの家畜達が映った映像が流れた後で、ジョナスはカウベルなどを鳴らす。スクリーンにはすでに家畜はおらず、雪の畑を延々と歩き出す人の影が映し出されている。やがて右の方に北極海が見え、影は砂浜にたどり着く。

ジョナスは、最初は黒板のようなものが掛けられていた板に半紙を垂らし、墨で魚の絵を描く。

『極北の秘教』からの最後の引用が語られる。「時について」だ。「時の超越性は誰も知ることである。時はエネルギーでも物質でもないが、始まりと終わりを担っている。世界の創成のだ」
スクリーンには魚達の姿が映されている。あるいは他に意味があるのかも知れないが、「始まり」と「魚」は相性が良い。生物の始まりは魚だからである。
ジョーン・ジョナスは、教訓的な表現は行わない人だそうで、あるいは細分化して「意味」として受け取るのは間違っているのかも知れないが、「根源に戻ること」は何事においても重要なのかも知れない。我々はそもそも何を求めてどこからやって来たのかということだ。
キリスト教では、魚は特別な存在であり、題材からいってそちらの可能性もあるのだが、キリスト教徒の少ない日本においてはそうした解釈は真偽に限らず有効性を持たない。先の解釈の方が良いだろう。

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2019年12月 9日 (月)

コンサートの記(614) Marihiko Hara 《FOR A SILENT SPACE 2019 KYOTO》

2019年12月2日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホール

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールで、Marihiko Hara 《FOR A SILENT SPACE 2019 KYOTO》を聴く。
野田秀樹の「贋作 桜の森の満開の下」の音楽を手掛け、「『Q』 A Night At The Kabuki」ではサウンドデザインを手掛けた原摩利彦。1983年生まれ、京都大学教育学部卒業、同大学大学院教育研究科修士課程中退で、京都を本拠地としている作曲家である。現在は京都のパフォーマンス・アート・グループであるダムタイプにも参加している。ベートーヴェンと坂本龍一に影響を受け、坂本龍一とは後に共演も果たしている。
私は音楽家ではないが、好きな音楽は一致しているようである。

《FOR A SILENT SPACE》は、原摩利彦の室内楽コンサートのシリーズで、劇場での公演は初となる。原も「室内楽と言いながら基本一人なんですが」と語っていた通り、ピアノの他はコンピューターを使って流れる音楽で構成されており、演奏者は原一人である。今後は演奏家を増やしていく計画もあるそうである。

曲目は、「Habit」「Nuage」「Vibe」「山村余情」「Grazia」「Entree」「Carina」「Circle of Life」「Fontana」「Midi」「Memoire」「Inscape」「Nocturne」、映画「駅までの道をおしえて」より「Main Theme」、NODA・MAP舞台「贋作 桜の森の満開の下」より「Waltz」と「Princess Yonaga」、「Confession」「Passion」「Via Muzio Clementi」

演奏時間約1時間20分、ノンストップでのライブである。

コンピューターを使って出すアンビエント系の音楽は、坂本龍一よりも細野晴臣に近い印象を受けるが、ピアノで弾かれる曲はどれもどこか懐かしく、坂本龍一や坂本龍一が影響を受けた音楽家(ブライアン・イーノなど)の姿が仄見えたりする。基本的は鋭さの余りない美しい音楽である。

「贋作 桜の森の満開の下」は、残念ながら観ることが出来なかったのだが(新歌舞伎座での公演は抽選に漏れた)、「Waltz」も「Princss Yonaga(夜長姫)」も野田秀樹の世界観に合いそうな音楽である。実は「贋作 桜の森の満開の下」はテレビ放送されたものを録画はしているのだが、まだ観ていなかったりする。早く観よう。

ラストに弾かれた「Via Muzio Clementi」は、ローマのクレメンティ通り沿いにピアノの弾けるアパートを借りて、一夏掛けて作曲したそうである。それを友人に話したところ、「え? お前、ずっとローマにいて1曲しか書かなかったん?」と言われたそうで、原本人は「1曲書き上げたぞ!」という達成感で得意になっていたのだが、そう言われて、「え? 足りなかったん?」と肩透かしをくらったようになったそうだ。その友人というのが作曲やなんらかの創作をするのか否かで内容が変わってきそうな話であるが。

今の天候が雨上がりということで、アンコールとして「After Rain」という曲が演奏される。三拍子のウキウキした感じの曲であった。

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2019年10月27日 (日)

観劇感想精選(323) 「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演

2019年10月19日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演を観る。中村勘九郎と七之助の兄弟が15年間に渡って続けている特別公演である。基本的に歌舞伎専用劇場は用いず、日本各地の公共のホールを使った上演が行われている。

演目は、勘九郎と七之助による芸談の後で、「艶紅曙接拙 紅翫(いろもみじつぎきのつつか べにかん)」、「三ツ面子守(みつめんこもり)」、「松廼羽衣(まつのはごろも)」の3つの歌舞伎舞踊が繰り広げられる。

まず勘九郎と七之助による芸談がある。司会は関西テレビアナウンサーの谷元星奈。
勘九郎と七之助がそれぞれ挨拶するのだが、明らかに七之助に対しての拍手の方が大きい。勘九郎もキレのあるいい歌舞伎俳優であるが、華は不足がち。また若い女性にはどうしても女形の方が人気がある。
京都についての思い出から話し始める。二人が子どもの頃、父親である中村勘三郎はずっと南座での顔見世に出続けており、二人も冬休みの間は京都に来て父親と一緒に過ごしていたそうで、京都巡業といっても旅という感じはしないそうだ。一方、勘九郎と七之助が歌舞伎俳優として活躍し始めてからは、不思議なこと勘三郎が京都で公演を行うことは稀になってしまったそうで、2年前に勘九郎と七之助はロームシアター京都メインホールで行われた顔見世に登場しているが、家族の招きが上がるのは20数年ぶりだったそうである。

勘九郎が大河ドラマ「いだてん」で、主役の一人である金栗四三を演じたということで、その苦労話などが語られる。昨年4月からの撮影であったのだが、準備期間も含めて「ずっと走っていたような記憶がある」そうで、舞台では誤魔化せても映像では無理ということで、体作りのことなどを話す。歌舞伎で軽やかな演技を見せている印象のある勘九郎だが、実は「運動は大嫌い」「動くことがそもそも嫌いであり」、運動が得意そうと見られることも多いが、それは勘違いだという。歌舞伎をやっていると下半身が重要になるため腿が太くなるそうで、勘九郎の腿は周囲が62cmもあり、これはスピードスケートの金メダリストである清水宏保と同じ数値だそうである。ただ、マラソン選手でそんなに腿の太い選手はいないということで、腿の余計な肉を落とすことから始めたそうだ。運動の他に糖質カットダイエットなども行ったそうだが、糖質をカットすると怒りっぽくなるので困ったそうである。頭の働きにブドウ糖が必要ということは知られているが関係があるのだと思われる。食事は鶏のササミが中心。飲み物も水だけに限られるそうで、「地獄ですね」と勘九郎は語っていた。昨年の錦秋特別公演時も撮影期間に入っており、地方公演はその土地土地の地方グルメが楽しみなのだが、勘九郎は体作りのためにその土地のものは何も食べることが出来ず、持ち込んだ鶏のササミをずっと食べていたそうである。撮影時のロケ弁も美味しいのだが、やはり食べることが出来なかったそうだ。金栗が引退してからは体を引き締めなくても良くなり、食事制限が解除されてから初めて食べたのはカレーだそうである。三日三晩カレーが続いても大丈夫なほど好きであり、まず家庭の味のカレーを求めたそうだ(奥さんの前田愛が作ったのかな?)。そしてあれほど苦労して体を絞ったのに、「一瞬で元の体に戻った」そうで、「皆さん、ダイエットなんてしないほうがいいですよ」と語っていた。現在上映中の映画「JOKER」に主演しているホアキン・フェニックスも役作りのため体を絞ったが、「戻る時は一瞬だった」と同じ事を語っていたと紹介もする。

七之助も「いだてん」に出演し、最初は当時の落語家役など一瞬登場するだけのカメオ出演だと思っていたのだが、落語家・三遊亭圓生という重要な役どころだったため、残っている圓生の映像は全て見て研究したそうだ。
また現在、BSプレミアムで放送中の「令和元年版 怪談牡丹灯籠」にも出演しており、この作品は京都の太秦で撮影が行われたそうである。実は七之助はこれまで映像の仕事はほとんど断っており、1年に2度映像作品に参加するというのはとても珍しいことだそうである。「いだてん」に出ることに決めたのは、兄が出るということと、脚本が映画「真夜中の弥次さん喜多さん」でお世話になった宮藤官九郎ということも大きかったようだ。
同じNHKのドラマでも撮影の仕方に違いがあり、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」は1台か2台のカメラで撮影が行われるのだが、「いだてん」の現場にはカメラが5台ほどずらりと並んでいて、全て長回しでの撮影が平均で7回ほど繰り返されていたそうである。以前、「龍馬伝」の大友啓史監督が長回しで撮るという話を横浜で行われた「全国龍馬ファンの集い」でしていたが、今回もそれに近い手法が採られていたようである。
長回しは長回しで大変だが、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」はすぐカットのかかる細切れで撮っているため、「じゃあ、次、泣いて下さい」といわれたらすぐに泣かなければいけないそうで、感情の上げ方が難しいそうである。しかもその前の長めのセリフを撮り終えてカットが掛かってから、短いセリフの導入部ですぐに泣かなければならないため、なかなか上手くいかなかったそうだ。

二十代の頃は勘九郎が女形、七之助が立役という時代もあり、七之助は先月、南座での「東海道四谷怪談」でお岩さんを演じていたが、本当にやりたかったのは民谷伊右衛門の方だそうで、子どもの頃から演じてみたい人物のナンバーワンが伊右衛門だったそうだ。七之助の解釈では「伊右衛門は実はいい人」だそうで、お岩さんと実はとても愛していて、お岩さんの顔が薬で変わっていなかったらお梅を捨ててお岩とよりを戻した可能性もあると思っているそうである。お岩さんに対する態度も好きな人に踏ん切りをつけるためのいじめだと捉えているそうだ。

その後、二人で今日の演目の紹介を行い、客席からの質問を受ける。七之助への「女形をやる時には、女性の仕草を研究したりはするんですか?」という質問には、「女を演じているのではなく女形という生き物を演じている」ということで、「内面は女であることを目指しているが、仕草などは女形の先輩が残してきた型を参考に取り入れている」ということで本物の女性の仕草を参考にすることはないそうだ。女形として魅力的に見える仕草は女性のそれとは当然異なっており「所詮男なので」女であることでなく女形であることを目指しているそうだ。「普通の女の人がこんな髪の掻き上げ方したら嫌でしょ?」と型を見せて笑いも取っていた。

静岡公演では、昼公演と夜公演の間に羽衣伝説のある三保の松原を見に行き、その日の夜の公演の芸談で司会を務めた静岡のテレビ局のアナウンサーが、「羽衣が残っているんです」という話をしたため、「松廼羽衣」では特別に羽衣を切るという演出を加えたそうなのだが、三重公演の芸談でそれを明かしたために三重公演でも同じ演出を行うことになったそうで、「今日もそうなんですか?」という質問がある。勘九郎は「わかってます? それは脅迫です。質問じゃなくて」と返す。ただ七之助が「でもやるんでしょ?」と言ったため、今回も「松廼羽衣」は特別演出で行われることになった。

 

「艶紅曙接拙 紅翫」。出演は、中村いてう、中村仲助、中村仲之助、中村仲侍、中村仲弥、中村仲四郎、澤村國久。
富士山の山開きの日に、虫売り、朝顔売り、団子売りなどが集うのだが、芸達者の紅翫(中村いてう)が現れて、歌舞伎の様々な演目の真似を披露して一同を楽しませるという趣向である。主人公のモデルは紅谷勘兵衛という実在の人物だそうで、浅草で芸を披露して人気を博していたそうである。

 

「三ツ面子守」は、9月の南座「東海道四谷怪談」ではお梅を演じていた中村鶴松が一人で舞う。子守がひょっとこやおかめ、えびすなど次々と面を変え、衣装も替えて踊り続けるユーモラスな作品である。鶴松の舞踊は、手の動きがピシッと決まり、愛らしさもある巧みなものであった。

 

「松廼羽衣」。勘九郎と七之助の共演である。勘九郎演じる漁夫の伯竜は凜々しいが、七之助の演じる天女が現れるとやや姿がかすんでしまう。女形と立役の違いもあるが、七之助の方が華はあるようだ。
ともあれ、二人とも稀代の名優であった中村勘三郎の息子であり、譲り受けた芸の巧みさには十分に光るものがあった。

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2019年10月11日 (金)

コンサートの記(598) 原田慶太楼指揮 京都市交響楽団 「THE MUSIC OF JOHN WILLIAMS:STAR WARS AND BEYOND」@ロームシアター京都

2019年9月29日 ロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、原田慶太楼(はらだ・けいたろう)指揮京都市交響楽団による「THE MUSIC OF JOHN WILLIAMS:STAR WARS AND BEYOND」を聴く。アメリカの映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムズの音楽を取り上げる演奏会。MCは、有村昆。藤岡幸夫司会の音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」の映画音楽特集の回では毎回見かける有村昆だが、生で見るのは初めてである。

原田慶太楼は、今回が京響デビューとなる。1985年東京生まれ。幼少時よりインターナショナルスクールに通い、17歳の時に単身渡米してインターラーケン芸術高校音楽科で指揮を吹奏楽界の巨匠として知られたフレデリック・フェネルに師事。その後、複数の大学で学び、二十歳でジョージア州のメーコン交響楽団のアシスタント・コンダクターに就任。2010年にタングルウッド音楽祭で小澤征爾フェロー受賞。この時からジョン・ウィリアムズのアシスタントを務めるようになる。これまでに指揮をロバート・スパノ、マイケル・ティルソン・トーマス、オリバー・ナッセン、ヘルベルト・ブロムシュテットに師事。今年の夏までシンシナティ交響楽団と同楽団のシンシナティ・ポップス・オーケストラのアシスタントコンダクターを務め、来年からはジョージア州のサヴァンナ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽&芸術監督に就任する予定である。

 

曲目は第1部が、「オリンピック・ファンファーレとテーマ」、「ジョーズ」(The Shrak Theme from Suite from Jaws)、「スーパーマン」(Superman March)、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(Raiders March)、「E.T.」(Flying Theme)、「ジュラシック・パーク」(The theme from Jurassic Park)、「シンドラーのリスト」(Theme from SCHINDLER'S LIST for Violin and Orchestra)、「ハリー・ポッターと賢者の石」(Hedwig's Theme)。
第2部では、「スター・ウォーズ」全8作からジョン・ウィリアムズと原田がコンサート用にまとめた音楽全曲が披露される。音源にはなっていないため、コンサートでしか聴けないバージョンだそうである。

 

今週の京都市交響楽団のスケジュールは変則的。昨日、同じロームシアター京都メインホールで「ドラゴンクエスト」の音楽を演奏しており、2日続けての演奏会開催となる。原田とのリハーサルは数日前に行い、原田はその後、東京交響楽団のコンサートを指揮してから京都に戻り、ゲネプロを行って本番ということになるようである。

2日続けての公演ということもあってか、楽団員の顔ぶれも定期演奏会とは異なり、コンサートマスターには客演の「組長」こと石田泰尚。第2ヴァイオリン副首席の杉江洋子、ヴィオラ首席の小峰航一、オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子らは降り番である。映画音楽に強いエキストラも何人か参加しているようだ。第1部ではホルンの1番は首席の垣本昌芳が吹いたが、第2部では水無瀬一成に変わった。

 

今日は3階席2列目の真ん真ん中という、音響的には最も良い部類に入ると思われる席である。

開演時間となり、楽団員が登場する。定期演奏会ではないので拍手はどうするのかなと思ったが、全員が客席の方を向いて立っている。だが、拍手が起こらない。なんとも妙な光景である。コンサートマスターの石田泰尚が姿を見せてようやく拍手が起こる。
つまり、定期演奏会に来ているお客さんは今日は客席にはほとんどおらず、拍手のタイミングがわかっていないのだ。別に私一人で拍手しても良かったのだが、複数の人が拍手しないとつられて拍手が起こるということはあり得ないので無駄である。複数のスタッフが袖でサクラの拍手を行うべきだったのかも知れないが。
今日来ているのはあくまでジョン・ウィリアムズの音楽が好きな人が大半で、これを機に京都市交響楽団の定期演奏会に通うようになるという人はほとんど現れないと思われ、また普段、定期演奏会に通っている人は映画音楽には興味がないのであろう。ジャンルの分断が起こっている。

 

日本でも活躍の場を広げている原田慶太楼は、若々しく、スケールの大きな音楽作りが特徴。ただ、ジョン・ウィリアムズの音楽性もあるのだと思われるが、ずっと押しの音楽作りを続けるところがあり、「スター・ウォーズ」の音楽は聴いていてかなり疲れたのも事実である。

有村昆は、映画のエピソードなどを紹介。「E.T.」の自転車が飛ぶシーンでは、ジョン・ウィリアムズが自転車が浮き上がるシーンに合わせて指揮することがどうしても出来なかったため、まずジョン・ウィリアムズに自身が最適と思うテンポで演奏して貰い、スピルバーグの方がそれに合わせて映像を作った(撮影したのか編集したのかは不明。話の流れからいって再度撮影した可能性の方が高いが)という話や実はE.T.が乗っていた自転車は日本製であるということ(大阪にあるKUWAHARAというメーカーのもの)、同じモデルの自転車が最近再発売されたことなどを語る。当時、アメリカの子ども達にはKUWAHARA(桑原商会)のBMX用自転車が大人気であり、撮影のために日本からわざわざKUWAHARAのBMXを取り寄せたそうである。ちなみに復刻版であるが5万円以上するそうでかなり高い。

「ジュラシック・パーク」は、CGの使用によって全世界を驚愕させた作品だが、当時はまだCGの精度は高くなく、実際には7分程度しか使われなかったそうで、それ以外は案外アナログな手法が取られていたそうである。

「シンドラーのリスト」に関しては、原田が「自分の作品の中で一番良くコンプリティリー(満足している)な作品」としてジョン・ウィリアムズがこの曲を挙げていたことを語る。原田は日本にいるときからインターナショナルスクール育ちで、その後、アメリカに拠点を置いているため、日本語よりも英語の方がずっと得意のようで、日本語の発音もそうだが、日本語で上手い言葉が見つからず英語の単語を挙げることが何度かあった。
映画ではユダヤ人であるイツァーク・パールマンが濃厚で思い入れのあるヴァイオリンを奏でるのだが、今回ソロを取る石田泰尚はやはり日本人なのでサラサラしている。

「ハリー・ポッターと賢者の石」のHedwing's Themeでは原作者であるJ・K・ローリングから「子どもを思わせるような楽器を」というリクエストがあったため、ジョン・ウィリアムズはチェレスタを選んだという話が二人から紹介される。ハリー・ポッターシリーズではふくろうが重要なイメージとなっているのだが、ヴィオラを中心とする弦楽がふくろうの羽ばたきを表現していると原田は語った。

 

第2部の「スター・ウォーズ」。演奏が始まる前に、有村昆が、「この中で『スター・ウォーズ』シリーズを1作でも見たことがあるぞという方、拍手をお願いします」と言い、盛大な拍手が返ってくる。それはそうである。「スター・ウォーズ」を観たことがないのにコンサートに来ていたとしていたらその方が変だ。ただ原田が「京響の方々から拍手がない」と言い、「でも楽器を持っていたからでしょう」と自らフォローするも、有村が「ご覧になったことありますよね?」と楽団員に聞く。
有村「反応が薄い」
実は第2ヴァイオリンの三瀬由起子さんが、Twitterで「スター・ウォーズ」を知らないということを明かしており、団員に「フォースを守る話」と聞かされても「ホーシ」と聞き間違え、更に「フォースってなんですか?」という状態なので、多分そんな人も多いのだろう。

先に書いたとおり、通して聴くと疲れるのだが、音の鳴りは完璧で、ジョン・ウィリアムズの実力の高さを知ることが出来るし、各曲の個性やインパクトも強烈である。ある意味、どんなクラシック作品よりもアメリカ的な音楽であるといえるのかも知れない。グスターボ・ドゥダメル指揮ロサンゼルス・フィルハーモニックが全曲ジョン・ウィリアムズによるコンサートを行い、ドイツ・グラモフォンからライブ録音によるCDが出ているが、もうアメリカのクラシック作品と捉えてもいいのではないだろうか。ハリウッド映画の音楽、そして誰もが知っているメロディーということで、まさにアメリカの象徴的なものなのだから。

ただ、そう考える日本人は少ないわけで、だからこそ聴衆の分断が起きているのである。アメリカなどでは映画音楽による定期演奏が行われているのだが、日本では難しそうだ。日本の映画音楽も手掛けるべきなのだが、残念ながら知られている日本映画の音楽はそれほど多くはない。京都市交響楽団は、新たな戦略を募集していて、映画音楽やライトクラシックの音楽会で客層を広げようと考える人も多いと思われるのだが、今日の雰囲気だとそれは大して意味がなさそうである。映画音楽を聴く人はクラシックのコンサートには来ないし、逆もしかり。やはりYouTubeなどによる映像配信が最良の手なのかも知れない。ガリシア交響楽団という、世界的には無名なオーケストラを私はよく知っているのだが、それはなぜかといえばYouTubeチャンネルを持っていて、演奏をよく配信しているからである。「百聞は一見にしかず」というが、映像配信なら百聞と百見が共に可能なのだから、昨日行った霊光殿天満宮の額にあった通り「天下無敵・必勝利運」となるのではないか。

 

アンコールでは「スター・ウォーズ」メインテーマ完全版を原田と有村の二人で指揮する。途中で二人はライトセーバーを取り出して指揮。実は有村はライトセーバーが大好きで、TOKYOSAVERZというライトセーバーを使った殺陣ダンスユニットのプロデュースも行っているそうである。

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2019年9月23日 (月)

観劇感想精選(318) 「人形の家 PART2」

2019年9月14日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、「人形の家 PART2」を観る。作:ルーカス・ナス、テキスト日本語訳:常田景子、演出:栗山民也。
永作博美、山崎一、那須凜、梅沢昌代による4人芝居。

ヘンリック・イプセンの有名作「人形の家」の15年後を描いた作品である。ルーカス・ナスは、1979年、アメリカ・フロリダ州オーランド生まれの劇作家。ニューヨーク大学を卒業し、現在は同大学の助教授を務めているという。もともとイプセンの大ファンであり、「人形の家 PART2」は2017年に書かれて初演。これがナス初のブロードウェイ進出作品となったそうである。

新劇のレパートリーとして最も重要な「人形の家」だが、関西で観る機会はほとんどない。一度、兵庫県立芸術文化センターで北乃きいのノラによる上演があり、チケットは取ったのだが、行くことは叶わなかった。

女性の自立を描いたとして、演劇史上に残るマイルストーンとなった「人形の家」。主人公の名前であるノラもとても有名だが、ではノラは家を出た後どうなったのかについて想像を巡らすと、余り良い展開は望めないというのが一般的な回答である。実は「人形の家」の続編として書かれた戯曲はいくつかあるそうなのだが、いずれも悲劇となっている。当時は女性は自立しようと思っても、まず経済的に自立出来る立場には置かれていなかった。「人形の家」ではノラが内職として裁縫をしていることが語られる場面があるが、当時は結婚した女性が労働を行うのは法律で禁じられており、屋内で細々と内職をする以外にお金を稼ぐ当てはなかったのである。

ところが、「人形の家 PART2」で、15年ぶりにヘルメス家に帰ってきたノラ(永作博美)は、ベストセラー作家となっている。書いたのは私小説であり、自身と夫のトルヴァル・ヘルメス(山崎一)との決別を赤裸々に描いたものだった。ペンネームを使っての発表であるため、ヘルメス家の人々は正体がノラだと気がついていなかったが、ノラの書いた小説は多くの女性に感銘を与えた。しかし、感銘を与えすぎて離婚に走る女性が増えたため、社会問題をも生み、ノラも多くの人の怒りを買うことになる。ノラを憎悪する文芸評論家がノラの本名を暴いた。「ノラ・ヘルメス」。ここでノラは自分の姓が結婚時のヘルメスのままになっていることに気づく。夫のトルヴァルは自分が出て行った後に離婚の手続きをしたものだとノラは思い込んできたのだが、実際はそうではなかった。離婚が成立していなければ本の印税などは自分のものとはならない。そこでノラは15年ぶりにヘルメス家を訪れたのだった。

乳母のアンネ・マリー(梅沢昌代)もすっかり老女となり、幼かった娘のエミー(那須凜)も大きくなっていた。だが、アンネ・マリーはエミーらを母親代わりとして育てたことをノラが全く感謝しないことに苛立ち、ノラの行いを社会秩序を乱すものと見なして批難する。エミーも結婚観を巡ってノラと対立。更に実は15年の間にノラは世間によって他界したと見なされるようになっており、トルヴァルも寡夫として周囲の人々からの援助を受けてきたことがエミーによって知らされる。もし今、ノラが生きていて離婚を迫っていると知られたら、トルヴァルは詐欺罪で告訴されるだろうとエミーは告げる。

 

4人の人物が登場するが、基本的にダイアローグの形で話は進んでいく。ノラ役の永作博美だけが出ずっぱりである。1幕5場からなる上演時間約1時間45分の作品。1場のタイトルは「ノラ」、2場が「トルヴァル」、3場が「アンネ・マリー」、4場が「エミー」、5場が「ノラ&トルヴァル」で、タイトルは、背後の壁に光の文字で投影される。

ノラとトルヴァル、アンネ・マリー、エミーの対話が繰り広げられるのだが、そこには多くの誤解、思い込み、すれ違い、価値基準の懸隔など、「わかりあえない」要素が含まれている。
最も大きな対比は、「因習」と「自由」であり、いかにもアメリカの劇作家が書いた作品という印象も受ける。

「人形の家」では、自立したとされるノラだったが、実際には、妻を「許す」だと「教育する」だのと言うトルヴァルの傲岸な態度とその裏に横たわる伝統に反旗を翻したという側面も強い。つまり反抗者だ(と考えてみれば、ノラはペール・ギュントなどと実は近しい存在と見ることも出来る)。一方、「人形の家 PART2」でのノラは作家として新たなる女性の価値観や存在意義を打ち出そうという野心を持っており、かなり積極的で革新的な創造者となることを夢見ている。15年の歳月がそうさせたという解釈なのだと思われるが、ルーカス・ナスがそれ以上に現代における女性の立場を描くために「人形の家」を枕として物語を構築したと見ることが出来るように思う。イプセンの時代にあっては、女性は夫に隷属する存在であったが、現代に生きるルーカス・ナスは、シングルでたくましく生きる多くの女性への吶喊としてこの物語を示しているように思われる。「人形の家 PART2」におけるノラは、まさにトップランナーでありヒロインだ。

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2019年9月21日 (土)

2346月日(15) 村田沙耶香×松井周 inseparable 『変半身(かわりみ)』プレトークイベント

2019年9月15日 ロームシアター京都3階共通ロビーにて

今日もロームシアター京都へ。午後3時から3階共通ロビーで、村田沙耶香×松井周 inseparable『変半身(かわりみ)』プレトークイベントに参加する。

3階共通ロビーからは、京都市美術館別館の屋根が見え、時が経つにつれて緑色の屋根の色が少しずつ変化していくのが趣深い。遠くには黒谷こと金戒光明寺の文殊塔も見える。

12月に、東京、津、京都、神戸で、村田沙耶香と松井周の原案、松井周の作・演出による「変半身(かわりみ)」という舞台が上演され、村田沙耶香がその作品を小説化するという試みが行われる。

司会は、筑摩書房編集者の山本充が担当する。

「変半身(かわりみ)」は、村田と松井が共に好きだという、奇祭や儀式に取材した作品にしたいということで、創作するに当たって、山本、村田、松井の3人で様々なところに出掛けたという。村田と松井は、対談で出会ったのだが、互いに「変態」という印象を抱いたそうである。松井周の性格についてはよく知らないが、『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した村田沙耶香は作家デビュー後もコンビニ勤務を続けたことで、「かなりの変人」という定評がある。

まず、伊豆諸島の神津島へ。天上山という、高尾山(標高599m)と同じぐらいの高さの山があるというので、山本の提案で登ってみたのだが、高尾山はそもそも標高200mか300mぐらいのところに登山口があるのに対して、天上山は標高0のところから登るため倍ぐらいしんどかったそうで、村田は「死に覚悟した」そうである。山本も天上山を嘗めていたようで、ペットボトル1個だけ持って登山したのだが、村田は「あれ(ペットボトルの水)がなくなったら死ぬんだ」とずっと山本のペットボトルを見ていたらしい。山本はそれを察して嘘をついたそうで、山頂に行くと自動販売機があるだの、素敵なテラスがあるだのといった思いつきを、さも本当のように述べていたらしい。
翌日、また神津島を回ったのだが、山本と松井がお墓に入って写真ばかり撮るので、村田は「罰が当たる」と思い続けていたそうである。子どもの頃から、神様だとか天罰だとかを信じるタイプだったようだ。お墓から出て、道を歩いていたら、突然、黒い人影が現れたので、村田は「ほら罰が当たった」と思ったそうだが、その人影の正体は酔っ払った地元のお爺さんで、倒れて血を流していたらしい。

神津島では、松井は「なんかお洒落なところがある」というので、見掛けた建物に近づいたりもしたそうだ。そこは、リゾートホテルとして建てられ、オープン寸前まで行きながら運営元が倒産したか何かで白紙になり、建物だけが残っている場所だったという。松井と山本は近づいて行ったのだが、村田は「そうしたところには人殺しが潜んでいて殺される」と思い込んでいたそうで、一人逃げ出したそうである。
神津島は江戸時代には流刑の島だったということで、豊臣秀吉の朝鮮征伐の際に、朝鮮で捕らえられて日本に渡り、その後、徳川家康に才気を認められて侍女となるも、キリスト教信仰を捨てなかったため神津島に流罪となったジュリアおたあの祭りがあるそうで、それを見てきたようである。

その後、兵庫県の城崎温泉で10日ほど合宿を行う。演劇祭に参加し、村田は新作の小説を書き上げて朗読を行うというので、ずっと籠もって書いていたのだが、腱鞘炎が酷くなったため、城崎中の湿布を買い求めてずっと貼りながら書いていたという話をする。ちなみに山本はその時、ずっと温泉巡りをしていたそうだ。
城崎で、村田が島を舞台にした作品にしたいと提案し、流れが決まったそうである。

その後、山本と松井は台湾の緑島に向かう。村田は仕事の都合で緑島には行けなかったそうだ。
緑島は台湾の流刑地である。現在はリゾート地なのだが、以前は政治犯の収容所があり、国民党が国共内戦で敗れて台湾に逃れた直後、反国民党派を弾圧する白色テロと呼ばれる恐怖政治が行われ、共産主義者やエリート層などが緑島に送られたという。台湾では1945年に日本統治が終わったばかりであり、緑島に送られた人の中には日本式の教育を受けた人も多かったそうである。
ここで、演劇祭があったのだが、白色テロの際には、転向のための教育が行われ、心からの転向をしないと死が迫るということで、転向を演じるにしても本気でやらなければならず、松井はそこに演劇との共通点を見たようである。

最後に訪れたのは三重県にある神島。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台になった島として知られており、三島が『潮騒』の執筆を行った部屋や机が今もそのまま残っているそうである。
神島自体も時が止まったままのような島で、人口は三島が滞在した時からほとんど変わらない500名前後。ただ、神島は多くの祭りが伝わることでも有名なのだが、それらを継続するのに問題が生まれているそうである。様々な準備や手配や食事の用意やらは女性が行うのだが、今はやりたがる人が少ない。男性の方も高齢化が目立ってきたが、いったん若い人に譲ると年長者はもう参加出来なくなるという決まりがあるそうで、世代交代もままならないそうである。山本などは、「決まりを変えちゃえばいいんじゃなの」とも思ったそうだが、そう簡単にはいかないそうである。

「半変身(かわりみ)」について、松井は、「殉教者のような人を描くことになる」と言い、村田は人間を箱のようなものと認識しているというところから様々な要素によって変化していく、例えば「私はゴキブリを食べないけれど、国によっては食べたりもするじゃないですか」ということで、文化や風習によって変化するということを書きたいようである。
ちなみに本が出来上がる前に、漫画家の鳥飼茜による宣伝イラストが出来たそうで、二人とも鳥飼のイラストに影響されて本を進めるようである。

タイトルに纏わる話で、松井には変身願望があるそうなのだが、「満員電車が好き」という話になり、理由は「込みすぎていて人間じゃないものに変わる」からだそうで、やはり変態っぽいかも知れない。村田は自身の中に謎の怒りがわき上がる時があるということを語る。なぜかティッシュ配りに人に猛烈な怒りを覚えたのだが、原因は自分でも不明だそうである。ただ、自分の中にそうした部分があると知ったのは発見だったそうだ。


オーディエンスからの質問を受ける中で、村田の小説である『殺人出産』の話が出る。10人産んだから1人殺していいという正義の話になるのだが、「正義感がラスコーリニコフだなあ」と感じたりもした。モラルや正義とそのフィクション性を問う作品になるようである。松井は「日本には西洋の神のような超越的な存在がない」ことがややこしさに繋がっていると考えているようで、村田は逆に子どもの頃から神様の存在を感じていて、自然と自律的になり、小説を書くということも神と繋がることと捉えているようである。執筆自体が儀式的ということなのだろう。

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2019年9月 6日 (金)

コンサートの記(592) 「chidoriya Rocks 70th」

2019年8月27日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時から、ロームシアター京都メインホールで、「chidoriya Rocks 70th」を聴く。屋敷豪太プロデュースのロックフェスティバルである。出演は、屋敷豪太、藤井フミヤ、奥田民生、槇原敬之、スティーヴエトウ(パーカッション)、有賀啓雄(ベース)、斎藤有太(キーボード)、真壁陽平(ギター)、トオミヨウ(キーボード)、山本タカシ(ギター)、Dub force、宮川町舞妓・芸妓。

 

前半は、宮川町の舞妓と芸妓による舞と、屋敷豪太のレゲエバンドであるDub forceの演奏。後半は槇原敬之、奥田民生、藤井フミヤのライブとなる。

 

まずは、宮川町の舞妓と芸妓による舞。2曲ほど終わったところで、芸妓と舞妓が横一列になり、手を繋いで後ろ向きで登場する。中に白い着物の男が混ざっているのだが、どう見ても槇原敬之。というわけで、槇原敬之が小唄「酒と女」を唄い、芸妓が舞う。
槇原敬之は、昨日、京都入りして、小唄のお師匠さんとお手合わせをして貰ったそうだが、ずっと正座していたため足がしびれ、小唄よりも足の方が大変だったそうである。

 

レゲエバンド、Dub force。いとうせいこうがヴォーカル的な役割を務めるのだが、正確には歌うのではなくてポエトリーリーディングを行う。毎回「浜辺」を語尾に持ってくるラップ調の(おそらく)自作詩と、田中正造が書いたという詩がレゲエのリズムに乗せて読み上げられる。
詩と詩の合間に奥田民生が登場してギターソロを奏でて去り、その後、藤井フミヤがハーモニカを吹きながら下手から登場し、ステージを横切って上手に消えていった。いとうせいこうが、「今日、色んな人来ますね」と客席に語りかける。

 

後半、平和への感謝の黙祷が捧げられた後で、まずは槇原敬之が登場。2曲歌った後で、屋敷豪太が、20年ほどイギリスで暮らしていた時に、日本で流行っていた槇原敬之の音楽が心に響いたという話をする。ということで屋敷がノスタルジアを感じたという「遠く遠く」が歌われる。
そして、屋敷豪太のリクエストによって、カバーが歌われる。「京都らしい曲」「昭和を感じさせる」「しかもベンチャーズ」ということで屋敷が選んだのは、渚ゆう子の「京都慕情」。「ビブラートが大事」と屋敷が言い、槇原も歌った後で「いつもより嫌らしくビブラート掛けてみました」
屋敷がスネアドラムを交換している間、槇原のトークの時間となり、「『京都慕情』を知ってる人」と客席に聞くが、手を上げたのは半分ほど。ただこれでも「結構知ってますね」という部類に入るようである。「皆さん、京都の方ですか?」と聞いた時も、手を上げたのはやはり半分ほどであった。

最後は、槇原が、「知っている人は歌って下さい。知らない人もなんとなくで歌って下さい」と言って、出世作である「どんなときも」が歌われ、盛り上がった。

 

奥田民生。chidoriya Rocksへは2年連続の登場である。屋敷が2年連続で出てくれたことへの礼を述べるが、奥田は「連続で出ないと……、忘れられる」と言っていた。最近は、野外のライブがことごとく雨で中止となっているそうで、「昔は、超晴れ男だったんだけど」「てるてる坊主代わり。出ると晴れるから」「フェスというフェスに出まくっていた」「最近は、雨男になって来てる。人生、(晴れと雨が)丁度になるようになってるのかな」と語っていた。
「愛のために」が歌われた後で、屋敷が「イージュー」について奥田に聞く。イーは「CDEのE」(3番目)で「ジューは十」、つまり「30歳のライダーでいいの?」
「イージューライダー」は、奥田民生が30歳の時に作った曲なので、意味はそれで合っているそうだ。今は奥田民生も50歳を超えているため、「G(ゲー)ジューライダーでもいいですよ」と語り、「イージューライダー」が演奏される。
屋敷の奥田へのリクエストは、ビートルズナンバーである「Come Together」。奥田民生と屋敷豪太は、昔、井上陽水らと、ジートルズというビートルズのコピーバンドをやっていたそうで、奥田民生がジョージ奥田、屋敷豪太がリンゴ屋敷を名乗っていたのだが、井上陽水はなぜか日本風の井上ジョンという名前だったそうである。
奥田のラストナンバーは、「嵐の海」。演奏中に下手袖から藤井フミヤが手拍子にステップを踏みながら登場して歌に加わり、「全部君のせい」という歌詞を「全部民生のせい」に変えて歌う。ラストは奥田のギターと藤井のハーモニカでのセッションも行われた。

 

藤井フミヤの歌を生で聴くのは2度目。前回は、吹田市にある万博記念公演での情熱大陸ライブで聴いている。もう10年ほど前の話だ。藤井は無料パンフレットにもなんちゃって京都弁によるコメントを寄せていたが、ステージでも京都弁を模したトークを行う。

大ヒットナンバーである「True Love」でスタート。オリジナルに近くなるようにと真壁陽平は12弦ギターを演奏。藤井も喜ぶ。

2曲目は最新アルバムに収録されているという3拍子の曲。藤井は舞台上でくるくる回りながら器用に踊ってみせる。

槇原敬之とのコラボレーションも用意されており、槇原敬之の作詞・作曲、藤井フミヤの歌唱で発表された「着メロ」が二人で歌われる。
槇原が作った曲だが、元々藤井に贈ることを想定した書かれたためか、キー自体は藤井の方が合っている。二人は以前、「ミュージックフェア」で共演したことがあるそうで、槇原はその時のことを覚えているが、藤井の方は「記憶に残ってない」そうである。年を取ったため、物忘れが激しくなったそうで、「嫌なことを忘れられるのはいいが、良いことも忘れてしまって、結局、なにも覚えてない」という状態になることもあるらしい。

今日の客層であるが、藤井フミヤのファンが最も多いようで、ラストで歌われた「NANA」では多くの人が同じ振りによるハンドサインを行っていた。

 

アンコールでは、まず宮川町の芸妓と舞妓が「宮川音頭」で舞う。歌も踊りも一緒だが、歌舞練場で聴くのとライブ会場でポピュラー楽曲の合間に聴くのとではかなり印象が異なる。

それから、宮川町の芸妓と出演者による舞台上でのお座敷遊び「トラトラ」が行われる。体全体を使って行われるジャンケンのようなもので、「虎」「槍」「老婆」という3つの選択肢がある。「虎」は「槍」に刺されて負けるが、「老婆」には勝つ。ただ、「老婆」は「槍」を持った男の母親であるため、母は強しで「老婆」の勝ちとなる。
「トラトラ」で芸妓との勝負に挑むのは、槇原敬之、いとうせいこう、奥田民生の3人。
槇原敬之は「虎」で「槍」の芸妓に負ける。罰ゲームとしてお酒を飲むか、一発芸をやるかのどちらかを選ぶことになるのだが、「お酒が飲めないので」ということで、槇原は和田アキ子の物真似で「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌う。結構似ている。いとうせいこうは「老婆」で「虎」の芸妓に負ける。ということですぐに和田アキ子の物真似で「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌う。
最後は奥田民生。昨年のchidoriya Rocksでも「トラトラ」に挑戦して負けているのだが、「罰ゲームで飲んだ酒、俺のだからね。罰ゲームでもなんでもない」
奥田は「槍」を選ぶのだが、芸妓は「老婆」で来たため今年も負け。「お酒が飲めないので」と嘘を言って、やはり和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌い始めてしまう。和田アキ子の物真似の際によくやられるように、音をハ行に変えて(「はなたにはへて良かった」)の歌唱である。

メンバー紹介があり、藤井フミヤは和田アキ子の「笑って許して」を歌いながら登場して、周りから「本当はやりたかったんじゃないの」と言われていた。

アンコールで歌われるのは、「ありがとう」。奥田民生が井上陽水とともに作った曲だが、奥田はメインボーカルの位置を藤井に譲ったため、藤井から「そんな遠慮することないのに」と言われていた。年上なので藤井に譲ったのだが、藤井は奥田と槇原の年齢をよくは知らない。奥田が自分の方が年上だというので、藤井は槇原に年を聞き、「50です」と槇原が返すと「若いね!」。ただ、奥田が「54」と答えると素っ気ない対応をしたため、奥田に突っ込まれる。どうも奥田は年相応に見えたらしい。藤井フミヤは57歳だそうだが、屋敷から「ダブルG(ゲー)ジュー(100歳)まで生きようよ」と言われているそうである。

最後は、客席に出演者からおひねりやグッズが投げられ、舞台上での記念撮影が行われて、ライブは幕となる。緞帳が下りる際、屋敷豪太と夫人で本公演演出の屋敷朋美が肩を寄せ合い、絵になっていた。

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