カテゴリー「ロームシアター京都」の116件の記事

2025年2月 1日 (土)

コンサートの記(883) CHINTAIクラシック・スペシャル ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)「ジゼル」全2幕@ロームシアター京都メインホール

2025年1月11日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、CHINTAIクラシック・スペシャル ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)「ジゼル」全2幕を観る。

昨年の暮れに来日しているミコラ・ジャジューラ指揮のウクライナ国立歌劇場管弦楽団。昨年の暮れには大阪・中之島のフェスティバ-ルホールでジルベスターコンサートを行い、翌日となる今年の元日にはやはりフェスティバルホールでニューイヤーコンサートを行うなど日本国内で精力的に演奏活動を行っており、ウクライナ国立歌劇場のバレエ部門であるウクライナ国立バレエとして京都で公演を行うことになった。出演は全員、ウクライナ国立バレエのメンバーであり、引っ越し公演となる。
ウクライナの首都キーウ(キエフ)が京都市の姉妹都市ということで、キエフ・バレエとして、またコンサートオーケストラとしての名称であるキエフ国立フィルハーモニー交響楽団(現・ウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団)として何度も京都公演を行っているウクライナ国立バレエだが、「ウクライナ国立バレエ」という名称で京都公演を行うのは今回で二度目となる。

演目となるアダンの「ジゼル」は、比較的人気のバレエ作品で、日本の伝承「七人みさき」に少し似た筋書きを持つ。作曲者のアドルフ・アダンはフランスの作曲家であり、このバレエ作品もパリのオペラ座で初演されたが、その後はロシアで上演される機会が増えている。

出演は、カテリーナ・ミクルーハ(ジゼル)、ニキータ・スハルコフ(アルブレヒト)、アナスタシア・シェフチェンコ(ミルタ=ウィリの女王)、ヴォロディミール・クツーゾフ(ハンス=森番)、アレクサンドラ・パンチェンコ&ダニール・パスチューク(ペザント・パ・ド・ドゥ)、オレクサンドル・ガベルコ(アルブレヒトの従者)、エリーナ・ビドゥナ(バチルド=アルブレヒトの婚約者)、ルスラン・アヴラメンコ(クールランド公爵=バチルドの父)、クセーニャ・イワネンコ(ベルタ=ジゼルの母)、カテリーナ・デフチャローヴァ&ディアナ・イヴァンチェンコ(ドゥ・ウィリ)ほか。
振付:J・コラーリ、J・ペロー、M・プティパ。改訂振付:V・ヤレメンコ。

Dsc_7307

中世のドイツが舞台。体が弱いが踊りが好きな村娘のジゼルは、ロイスという若者と恋仲だが、このロイスの正体は公爵アルブレヒトであり、身分違いの恋である。森番のハンスは、ロイスの正体に疑いを持っている。
村祭りの日に、収穫祭の女王に選ばれたジゼルだが、クールランド公爵とその娘のバチルドが村を訪れ、身分とバチルドが公爵アルブレヒトの婚約者であり、ハンスからロイスの正体がアルブレヒトであると明かされたジゼルはショックの余り息絶えてしまう。何も死ぬことはないんじゃないかと思うのだが、第2幕では、ウィリと呼ばれる婚前に亡くなった処女の精霊達の女王であるミルタがジゼルを仲間に加え(この辺が「七人みさき」っぽいが、ウィリの数は7人どころではない)、墓参りに訪れたハンスの命を奪う。そしてアルブレヒトがジゼルの墓の前に取り残されるというのが本筋なのだが、今回の演出ではアルブレヒトも命を失い、あの世でジゼルとアルブレヒトが一緒になるという結末に変えられていた。

 

美男美女が多いことでも知られるウクライナ。男性バレリーナは高身長で手足が長く、迫力と気品がある。女性バレリーナもスタイルが良く、絵になる。大人数での踊りも手足の動きがビシッと合っており、爽快である。村娘達が黄色いスカートで踊る場面があったが、ウクライナのひまわり畑(イタリアの名画「ひまわり」はウクライナのひまわり畑が舞台になっている)やウクライナの国旗をイメージしたものであると思われる。

「ウクライナの指揮者と言えば」的存在のミコラ・ジャジューラ指揮のウクライナ国立歌劇場管弦楽団は、最初のうちは音が弱く、金管の音色が安っぽいように聞こえたが、次第に乗ってきて、磨き上げられた音による華麗で繊細な音絵巻を描き上げた。オーケストラピットからの音の通りが良いロームシアター京都メインホールの音響もプラスに働いていたように思う。

カーテンコールのみ撮影可であったが、舞台から遠いのと、スマホの性能の限界で、余り良い写真を撮ることは出来なかった。

Dsc_7329

出演者に花束贈呈が行われたが、指揮者のジャジューラは花束をオーケストラピットに投げ込むというパフォーマンスを見せていた(「いらない」ではなくオーケストラを讃える行為である)。

Dsc_7332_20250201010801

| | | コメント (0)

2025年1月27日 (月)

コンサートの記(882) 上白石萌音 MONE KAMISHIRAISHI “yattokosa” Tour 2024-25《kibi》京都公演@ロームシアター京都メインホール

2025年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、上白石萌音 “yattokosa” Tour 2024-25 《kibi》京都公演を聴く。若手屈指の人気女優として、また歌手としても活動している上白石萌音のコンサート。最新アルバム「kibi」のお披露目ツアーでもある。京都公演のチケットは完売。「kibi」はアルバムの出来としては今ひとつのように思えたのだが、実際に生声と生音で聴くと良い音楽に聞こえるのだから不思議である。

上白石萌音の歌声は、小林多喜二を主人公とした井上ひさし作の舞台作品「組曲虐殺」(於・兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール。小林多喜二を演じたのは井上芳雄)で耳にしており、心にダイレクトに染み渡るような美声に感心した思い出がある。ただ女優ではなく純粋な歌手としての上白石萌音の公演に接するのは今日が初めてである。
昨年の春に、一般受験で入った明治大学国際日本学部(中野キャンパス)を8年掛けて卒業した上白石萌音。英語が大の得意である。また、幼少時にメキシコで過ごしたこともあるため、スペイン語も話せるというトリリンガルである。フランス語の楽曲もサティの「ジュ・トゥ・ヴー」を歌って披露したことがある。
同じく女優で歌手の上白石萌歌は2つ下の実妹。萌歌は先に明治学院大学文学部芸術学科を卒業している。姉妹で名前が似ていてややこしいのに、出身大学の名称も似ていて余計にややこしいことになっている。

現在、「朝ドラ史上屈指の名作」との呼び声も高いNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバティ」がNHK総合で再放送中。ヒロインが3人いてリレー形式になる異色の朝ドラであったが、上白石萌音は一番目のヒロインを務めている(オーディションでの合格)。また新たな法曹関連の連続主演ドラマの放送が始まっている。

上白石萌音の声による影アナがあったが、録音なのかその場で言っているのかは判別出来ず。ただ、「もうちょっとで開演するから、待っててな」を京言葉の口調で語っており、毎回、ご当地の方言をアナウンスに入れていることが分かる。

客層であるが、年齢層は高めである。私よりも年上の人が多く、娘や孫を見守る感覚なのかも知れない。また、「『虎に翼』は面白かった!」という話も聞こえてきて、朝ドラのファンも多そうである。若い人もそれなりに多いが、女の子の割合が高い。やはり女優さんということで憧れている子が多いのだろう。なお、会場でペンライトが売られており、演出としても使われる。黄色のものと青のものがあり、ウクライナの国旗と一緒だが、関係があるのかどうかは分からない。

紗幕(カーテン)が降りたままコンサートスタート。カーテンが開くと上白石萌音が椅子に座って歌っている。ちなみにコンサートは上白石萌音が椅子に腰掛けたところでカーテンが閉まって終わったので、シンメトリーの構図になっていた。

白の上着と青系のロングスカート。スカートの下にはズボンをはいていたようで、途中の衣装替えではスカートを取っただけですぐに出てきた。

「『kibi』という素敵な曲ばかりのアルバムが出来たので、全部歌っちゃいます」と予告。「kibi」では上白石萌音も作詞で参加しているが、優等生キャラであるため、良い歌詞かというとちょっと微妙ではある。

浮遊感のある歌声で、音程はかなり正確(おそらく一音も外していない)。聴き心地はとても良い。
思っていたよりも歌手しているという感じで、クルクル激しく回ったりと、ステージでの振る舞いが様になっている。
原田知世や松たか子といった歌手もやる女優はトークも面白く、トーク込みで一つの商品という印象を受けることが多いが、上白石萌音も例外ではなく、楽しいトークを展開していた。

「今日は4階(席)まであるんですね」と上白石。4階席に向かって手を振る。更に、上手バルコニー席(サイド席)に向けて、「あちらの方は見えますか? 首が痛くありません?」、そして下手バルコニー席には、「そして、こちらにも。首がずっと(横を向いていて)。途中で(上手バルコニー席と)交換出来たら良いんですけど」「私も演劇で、ああいう席(バルコニー席)に座ったことがあって、終わったら首がこんな感じで」と首が攣った状態を模していた。ちなみに私は3階の下手バルコニー席にいた。彼女にはオフィシャルファンクラブ(le mone do=レモネードというらしい)があるので、1階席などは会員優先だと思われる。

上白石萌音も上白石萌歌も、「音」や「歌」といった音楽系の漢字が入っているが、母親が音楽の教師であったため、「音楽好きになるように」との願いを込めて命名されている。当然ながら幼時から音楽には触れていて、今日はキーボードの弾き語りも披露していた。

「京都には本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当にお世話になっていて」と語る上白石萌音。彼女の出世作である周防正行監督の映画「舞妓はレディ」も京都の上七軒をもじった下八軒という架空の花街を舞台としており、「カムカムエヴリバティ」も戦前から戦後直後に掛けての岡山の町並みのシーンなどは太秦の東映京都撮影所で撮られていて、京都に縁のある女優でもある(ただ大抵の売れっ子女優は京都と縁がある)。「舞妓はレディ」の時には、撮影の前に、上七軒の置屋に泊まり込み、舞妓さんの稽古を見学し、日々の過ごし方を観察し、ご飯も舞妓さん達と一緒に食べるなど生活を共にして役作りに励んだそうだ。ただ、置屋の「女将さん? お母さん?」からは、帯を締めて貰うときにかなりの力で引っ張られたそうである。着付けは色んな人にやって貰ったことがあるが、そのお母さんが一番力強かったそうだ。そのため転んでしまいそうになったそうだが、お母さんからは、「『こんなんでよろけてたら、稽古なんか出来しません』だったか、正確な言葉は忘れてしまったんですけれども」と振り返っていた。「『舞妓はレディ』を撮っていた頃の自分は好き」だそうである。

「京都には何度もお世話になっているんですけれども、京都でライブをやるのは初めてです」と語るが、「あ、一人でやるのは初めてです。何人かと」と続けるも、聴衆が拍手のタイミングを失ったため、少し前に出て、「京都でライブをやるのは初めてです!」と再度語って拍手を貰っていた。
毎回、ご当地ソングを歌うようにしているそうで、今日は、くるりの「京都の大学生」が選ばれたのだが、「京都なので、この歌もうたっちゃった方がいいですよね」と、特別に「舞妓はレディ」のサビの部分をアカペラで歌ってくれたりもした。「『花となりましょう~おおお』の『おおお』の部分が当時は歌えなかったんですけども」と装飾音の話をし、「でも努力して、今は出来るようになりました」と語った。
また、京都については、「時間がゆっくり流れている場所」「初心に帰れる場所」と話しており、「京都弁は大好きです」と言って、京風の言い回しも何度かしていた。仕事関係の知り合いに京都弁を喋る女性がいて、「いいなあ」と思っているそうだ。京都の言葉では汚い単語を使ってもそうは聞こえないそうである。

京都の冬は寒いことで知られるが、「雪は降ったんですかね?」と客席に聞く。若い男性の声で「まだ降ってないよ」と返ってくるが、続いて、若い女性複数の声が「降ったよ、降ったよ」と続き、上白石萌音は、「どっちやねん?!」と関西弁で突っ込んでいた。「さては、最初の方は京都の人ではないですね」
「降ったり降らなかったり」でまとめていたが、京都はちょっと離れると天気も変わるため、京都市の北の方は確実に降っており、南の方はあるいは降っていないと思われる。

「ロンドン・コーナー」。舞台「千と千尋の神隠し」の公演のため、3ヶ月ロンドンに滞在した上白石萌音。「数々の名作を生んだ、文化の土壌のしっかりしたところ」で過ごした日々は思い出深いものだったようだ。ウエストエンドという劇場が密集した場所で「千と千尋の神隠し」の公演は行われたのだが、昼間に他の劇場でミュージカルを観てスタンディングオベーションをした後に走って自分が出演する劇場に向かい、夜は「千と千尋の神隠し」の舞台に出ることが可能だったそうで、滞在中にミュージカルを十数本観て、いい刺激になったそうだ。英語は得意なので言葉の問題もない。
ということで、ロンドンゆかりの楽曲を3曲歌う。全て英語詞だが、上白石本人が日本語に訳したものがカーテンに白抜き文字で投影される。「見えない方もいらっしゃるかも知れませんが、後で対処します」と語っていたため、後日ホームページ等にアップされるのかも知れない。
ビートルズの「Yesterday」、ミュージカル「メリー・ポピンズ」から“A Spoonful of sugar(お砂糖一さじで)” 、ミュージカル「レ・ミゼラブル」から“夢やぶれて”の3曲が歌われる。実はビートルズナンバーの歌詞を翻訳することは「あれ」なのだが、観客数も限られていることだし、特に怒られたりはしないだろう。
“夢やぶれて”は特に迫力と心理描写に優れていて良かった。

参加ミュージシャンへの質問も兼ねたメンバー紹介。これまでは上白石萌音が質問を考えていたのだが、ネタ切れということでお客さんに質問を貰う。質問は、「これまで行った中で一番素敵だと思った場所」。無難に「京都」と答える人もいれば、「伊勢神宮」と具体的な場所を挙げる人もいる。「行ったことないんですけど寂光院」と言ったときには、「常寂光院ですか? 私行ったことあります」と上白石は述べていたが、寂光院と常寂光院は名前は似ているが別の寺院である。「萌音さんといればどこでも」と言ったメンバーの首根っこを上白石は後ろから押したりする。「思いつかない」人には、「実家の子ども部屋です」と強引に言わせていた。上白石は、「京都もいいんですけど、スペイン」と答えた。

ペンライトを使った演出。舞台上にテーブルライトがあり、上白石萌音がそれを照らすとペンライトの灯りを付け、消すとスイッチを切るという「算段です」。「算段」というのは一般的には文語(書き言葉)で使われる言葉で、口語的ではないのだが、読書家の人は往々にして無意識に書き言葉で喋ることがある。私の知り合いにも何人かいる。上白石萌音は読書家といわれているが、実際にそのようである。
「付けたり消したり上手にしはるわあ」

「スピカ」という曲で本編を終えた上白石萌音。タイトルの似た「スピン」という曲も歌われたのだが、「スピン」は今回のセットリストの中で唯一の三拍子の歌であった。

アンコールは2曲。「まぶしい」「夜明けをくちずさめたら」であった。

「この中には、今、苦しんでらっしゃる方もいるかも知れません。また生きていればどうしても辛いこともあります」といったようなことを述べ、「でも一緒に生きていきまひょ」と京言葉でメッセージを送っていた。

サインボールのようなものを投げるファンサービスを行った後で、バンドメンバーが下がってからも上白石萌音は一人残って、上手側に、そして下手側に、最後に中央に回って深々とお辞儀。土下座感謝もしていた。土下座感謝は野田秀樹も松本潤、永山瑛太、長澤まさみと共にやっていたが、東京では流行っているのだろうか。

エンドロール。スクリーンに出演者や関係者のテロップが流れ、最後は上白石萌音の手書きによる、「みなさんおおきに、また来とくれやす! 萌音」の文字が投影された。

帰りのホワイエでは、若い女性が、「オペラグラスで見たけど、本当、めっちゃ可愛かった!」と興奮したりしていて、聴衆の満足度は高かったようである。

Dsc_2660_20250127014201 

| | | コメント (0)

2025年1月 7日 (火)

コンサートの記(878) 横山奏指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024 「マエストロとディスカバリー」第3回「シネマ・クラシックス」

2024年12月1日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024 「マエストロとディスカバリー」第3回「シネマ・クラシックス」を聴く。今日の指揮者は、若手の横山奏(よこやま・かなで。男性)。

京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024は、9月1日に行われる予定だった第2回が台風接近のため中止となったが、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の語り手を務める予定だったウエンツ瑛士が、そのまま第3回のナビゲーターにスライド登板することになった。

「シネマ・クラシックス」というタイトルからも分かる通り、シネマ(映画)で使われているクラシック音楽や映画音楽がプログラムに並ぶ。
具体的な曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った(かく語りき)」から冒頭、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、ブラームスのハンガリー舞曲第5番(シュメリング編曲)、マーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェット、デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」、ニューマンの「20世紀フォックス」ファンファーレ、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」からメイン・タイトル、久石譲のジブリ名曲メドレー(直江香世子編。Cinema Nostalgia~ハトと少年~海の見える街~人生のメリーゴーランド~あの夏へ~風の通り道~もののけ姫)、ハーラインの「ピノキオ」から星に願いを(岩本渡編)、フレディ・マーキュリーの「ボヘミアン・ラプソディ」より同名曲(三浦秀秋編)、バデルトの「パイレーツ・オブ・カリビアン」(リケッツ編)

 

横山奏は、1984年、札幌生まれ。クラシック音楽業界には男女共用の名前の人が比較的多いが、彼もその一人である。ピアニストの岡田奏(おかだ・かな)のように読み方は異なるが同じ漢字の女性演奏家もいる。
高校生の時に吹奏楽部で打楽器を担当したのが、横山が音楽の道に入るきっかけになったようだ。北海道教育学部札幌校で声楽を学ぶ。北海道教育大学には現在は岩見沢校にほぼ音楽専攻に相当するゼロ免コースがあるが、地元の札幌校の音楽教師になるための学科を選んだようだ。在学中に指揮者になる決意をし、桐朋学園大学指揮科で学んだ後、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程を修了。ダグラス・ボストックや尾高忠明に師事した。
2018年に、第18回東京国際指揮者コンクールで第2位入賞及び聴衆賞受賞。2015年から2017年までは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の指揮研究員を務めている。
趣味は登山で、NHK-FM「石丸謙二郎の山カフェ」のシーズンゲストでもある。
今年の6月には急病で降板したシャルル・デュトワに代わって大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」全曲などを指揮して好評を得ている。直前にデュトワから直接「火の鳥」のレクチャーを受けていたことが代役に指名される決定打になったようだ。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴィオラの客演指揮者には田原綾子が入る。ハープはマーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェットまでは舞台上手寄りに置かれていたが、演奏終了後にステージマネージャーの日高さんがハープを舞台下手側へと移動させた。

 

リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」冒頭と、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」はいずれも「2001年宇宙の旅」で使われた曲である。特に「ツァラトゥストラはこう語った」は映画によって誰もが知る音楽になっている。
「ツァラトゥストラはこう語った」と「美しく青きドナウ」は続けて演奏される。
「ツァラトゥストラはこう語った」はオルガンなしでの演奏。京響の輝かしい金管の響きが効果的である。ロームシアター京都メインホールも年月が経つに連れて響くようになってきているようだ。
「美しく青きドナウ」も端麗で優雅な音楽として奏でられる。

「美しく青きドナウ」演奏後にナビゲーターのウエンツ瑛士が登場。これまでオーケストラ・ディスカバリーのナビゲーターは吉本の芸人が務めていたが、ウエンツ瑛士は俳優だけあって、吉本芸人とは話の流麗さが違う。吉本芸人も生き残るのは100人に1人程度なので凄い人ばかりなのであるが。またウエンツ瑛士は吉本芸人とは異なり、台本を手にしていない。ミスもあったが全て暗記して臨んでいるようだ。俳優はやはり凄い。

ウエンツ瑛士は、「マエストロとディスカバリー」というテーマだが、「マエストロとは何か?」とまず聞く。会場にいる「マエストロ」の意味が分かる子どもに意味を聞いてみることにする。指名された男の子は、「指揮者やコンサートマスターのこと」と答えて、横山の「その通り」と言われる。
横山「先生とか権威ある人とか言う意味がある。コンサートマスターもマエストロと呼ばれることがあります」とコンサートマスターの泉原の方を見る。
ウエンツ「ご自分で『権威ある人』と仰いましたね。大丈夫なんですか?」
横山「自認しております」

 

ブラームスのハンガリー舞曲第5番。ハンガリー舞曲の管弦楽曲版は今では第1番(ブラームス自身の管弦楽版編曲あり)や第6番も演奏されるが、昔はハンガリー舞曲と言えば第5番であった。
ウエンツ瑛士は、この曲が、チャップリンの「独裁者」で使われているという話をする。
ロマの音楽であるため、どれだけテンポを揺らすかが個性となるが、横山は大袈裟ではないが結構、アゴーギクを多用する。ゆったり初めて急速にテンポを上げ、中間部では速度を大きく落とす。
躍動感溢れる演奏となった。
子どもの頃、ハンガリー舞曲第5番といえば、斎藤晴彦のKDD(現・KDDI)の「国際電話は」の替え歌だったのだが、今の若い人は当然知らないだろうな。

 

マーラーの交響曲第5番より第4楽章アダージェット。トーマス・マン原作、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」でテーマ曲的に使われ、マーラー人気向上に大いに貢献している。それまでマーラーといえば「グロテスクな音楽を書く人」というイメージだったのだが、アダージェットによって「こんな甘美なメロディーを書く人だったのか」と見直されるようになった。
ウエンツ瑛士が、「この曲は、『愛の楽章』と呼ばれているそうですが」と聞く。横山は、「マーラーが当時愛していて、後に奥さんになるアルマへの愛を綴った」と説明した。
実は当初は交響曲第5番にはアダージェットは入る予定ではなかったのだが、マーラーがアルマに恋をして書いた音楽を入れることにしたという説がある。第4楽章は第5楽章とも密接に繋がっているので、第5楽章も当初の構想から大きく変更されたと思われる。
ウエンツは、「アダージェット」の意味についても横山に尋ねる。横山は、「『アダージョ』は『ゆったりとした』といういう意味で、『アダージェット』はそれより弱く『少しゆったりとした』という意味」と説明していた。
弦楽のための楽章なので、木管奏者が退場した中での演奏。金管奏者は残って聴いている。
中庸のテンポでの演奏で、ユダヤ的な濃さはないが、しなやかな音楽性が生きており、京響のストリングスの音色も適度な透明感があって美しい。
横山はどちらかというと、あっさりとした音楽を奏でる傾向があるようだ。

 

デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」。ディズニー映画「ファンタジア」でミッキーマウスが魔法使いの弟子を演じる場面があることで知られている。横山は、「三角帽子のミッキーマウスが」と話し、元々はゲーテが書いた物語ということも伝えていた。
実は、「ファンタジア」における「魔法使いの弟子」は、著作権において問題になっている作品でもある。ディズニーはミッキーマウスを著作権保護の対象にしたいため、保護期間を延ばしている。そのため著作権法案はミッキーマウス法案と揶揄されている。この映画での演奏は、フィラデルフィア管弦楽団が担当しているのだが、フィラデルフィア管弦楽団が「ファンタジア」の「魔法使いの弟子」の映像ををSNSにアップしたところ、ディズニー側の要請で動画が削除されるという出来事があった。演奏している当事者のアップが認められなかったのである。

横山の演奏はやはり中庸。描写力も高く、水が溢れるシーンなども適切なスケールで描かれる。

 

後半は劇伴の演奏である。日本では劇伴音楽が低く評価されている。映画音楽もそれほど好んで聴かれないし、映画音楽を聴く人は映画音楽ばかりを聴く傾向にある。アメリカでは映画音楽は人気で、定期演奏会に映画音楽の回があったりするのだが、日本では映画音楽の演奏会を入れても集客はそれほど見込めないだろう。
大河ドラマのメインテーマなども、NHKが1年の顔になる音楽ということで威信を賭けて、当代一流とされる作曲家にしか頼まず、指揮者も「良い」と認めた指揮者にしか任せないのだが、例えばシャルル・デュトワが「葵・徳川三代」のメインテーマをNHK交響楽団と小山実稚恵のピアノで録音することが決まった時、まだ楽曲が出来てもいないのに「そんなつまらない仕事断ればいいのに」という書き込みがあった。どうも伝統的なクラシック音楽しか認めないようだが、予知能力がある訳でもないだろうに、聴いてもいない音楽の価値を決めて良いという考えは奢りに思えてならない。

 

ニューマンの「20世紀フォックス」ファンファーレ。演奏時間1分の曲なので、続けてジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」からメイン・タイトルが演奏される。
「20世紀フォックス」ファンファーレは、短いながらも「これから映画が始まる」というワクワク感を上手く音楽化した作品と言える。この曲も京響のブラスの輝かしさが生きていた。

ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」からメイン・タイトルは、映画音楽の代名詞的存在である。指揮者としてボストン・ポップス・オーケストラ(ボストン交響楽団の楽団員から首席奏者を除いたメンバーによって構成され、セミ・クラシックや映画音楽の演奏などを行う)の常任指揮者としても長く活躍していたジョン・ウィリアムズは、近年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立て続けに招かれている。「ジョン・ウィリアムズの音楽はクラシックではない」と見る人も当然いるが、「クラシックとは何か」を考えた場合、これだけ世界中で演奏されている音楽をクラシックではないとする方が無理があるだろう。
横山指揮による京響は、輝きに満ちた演奏を展開する。力強さもあり、イメージ喚起力も豊かだ。

演奏終了後、ウエンツ瑛士は、「『スター・ウォーズ』が観たくなりましたね。今夜は帰って『スター・ウォーズ』を観ましょう」と述べていた。

 

久石譲のジブリ名作メロディー。ジブリ作品においては愛らしいメロディーを紡ぐ久石譲。北野武作品の映画音楽はもう少し硬派だが、大人から子どもまで楽しめるジブリメロディーは、やはり多くの人の心に訴えかけるものがある。坂本龍一が亡くなり、今は世界的に通用する日本人の映画音楽作曲家は久石譲だけになってしまった。久石譲は指揮活動にも力を入れているので、自作自演を聴く機会が多いのも良い。自作自演には他の演奏家には出せない味わいがある。
今回は久石譲の自作自演ではないが、京響の器用さを横山が上手くいかした演奏となる。私が京都に来た頃は、京響はどちらかというと不器用なオーケストラで、チャーミングな音楽を上手く運ぶことは苦手だったのだが、急激な成長により、どのようなレパートリーにも対応可能なオーケストラへと変貌を遂げている。
久石譲の映画音楽は世界中で演奏されており、YouTubeなどで確認することが出来るが、本来の意味でのノスタルジックな味わいは、あるいは日本のオーケストラにしか出せないものかも知れない。
なお、ピアノは白石准が担当した。

 

ハーラインの「ピノキオ」から、星に願いを。岩本渡のスケール豊かな編曲による演奏される。スタンダードな曲だけに、多くの人の心に訴えかける佳曲である。

 

フレディ・マーキュリーの「ボヘミアン・ラプソディ」。同名映画のタイトルにもなっている。映画「ボヘミアン・ラプソディ」は、クィーンのボーカルであったフレディ・マーキュリーの生涯を描いたもので、ライブエイドステージでの「ボヘミアン・ラプソディ」の歌唱がクライマックスとなっている。
「ボヘミアン・ラプソディ」。全英歴代の名曲アンケートでは、ビートルズ作品などを抑えて1位に輝いている。ただこの曲は本番では歌えない曲としても知られている。フレディ・マーキュリーがピアノで弾き語りをする冒頭部分は歌えるのだが、そこから先は多重録音などを駆使したものであり、ライブエイドステージでも、ピアノ弾き語りの部分で演奏を終えている。「本番では歌えない」ということで、ミュージックビデオが作られ、テレビで全編が流されたのだが、これが「格好いい」ということでヒットに繋がっている。
横山は、ラプソディについて、「日本語で簡単に言うと狂詩曲」と言うもウエンツに、「うーん、簡単じゃない」と言われる。横山は、「伝統的、民謡的な音楽などを自由に使った音楽」と定義した。
横山は「ボヘミアン・ラプソディ」が大好きだそうだ。80名での演奏で、ウエンツは、「クィーンで80人は多いんじゃないですか」と言うが、演奏を終えると、「クィーン、80人要りますね」と話していた。
ピアノは引き続き白石准が担当。メランコリックな冒頭のメロディーはオーボエが担当する。スイング感もよく出ており、第3部のロックテイストの表現も上手かった。

 

ラストは、バデルトの「パイレーツ・オブ・カリビアン」。ウエンツは「映画よりも音楽の方を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか」と述べる。
スケールも大きく、推進力にも富んだ好演となった。

Dsc_7033

 

| | | コメント (0)

2024年10月12日 (土)

コンサートの記(860) 2024年度全国共同制作オペラ プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」京都公演 井上道義ラストオペラ

2024年10月6日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、2024年度全国共同制作オペラ、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。井上道義が指揮する最後のオペラとなる。
演奏は、京都市交響楽団。コンサートマスターは特別名誉友情コンサートマスターの豊島泰嗣。ダンサーを使った演出で、演出・振付・美術・衣装を担当するのは森山開次。日本語字幕は井上道義が手掛けている(舞台上方に字幕が表示される。左側が日本語訳、右側が英語訳である)。
出演は、ルザン・マンタシャン(ミミ)、工藤和真(ロドルフォ)、イローナ・レヴォルスカヤ(ムゼッタ)、池内響(マルチェッロ)、スタニスラフ・ヴォロビョフ(コッリーネ)、高橋洋介(ショナール)、晴雅彦(はれ・まさひこ。ベノア)、仲田尋一(なかた・ひろひと。アルチンドロ)、谷口耕平(パルピニョール)、鹿野浩史(物売り)。合唱は、ザ・オペラ・クワイア、きょうと+ひょうごプロデュースオペラ合唱団、京都市少年合唱団の3団体。軍楽隊はバンダ・ペル・ラ・ボエーム。

オーケストラピットは、広く浅めに設けられている。指揮者の井上道義は、下手のステージへと繋がる通路(客席からは見えない)に設けられたドアから登場する。

ダンサーが4人(梶田留以、水島晃太郎、南帆乃佳、小川莉伯)登場して様々なことを行うが、それほど出しゃばらず、オペラの本筋を邪魔しないよう工夫されていた。ちなみにミミの蝋燭の火を吹き消すのは実はロドルフォという演出が行われる場合もあるのだが、今回はダンサーが吹き消していた。運命の担い手でもあるようだ。

Dsc_4793

オペラとポピュラー音楽向きに音響設計されているロームシアター京都メインホール。今日もかなり良い音がする。声が通りやすく、ビリつかない。オペラ劇場で聴くオーケストラは、表面的でサラッとした音になりやすいが、ロームシアター京都メインホールで聴くオーケストラは輪郭がキリッとしており、密度の感じられる音がする。京響の好演もあると思われるが、ロームシアター京都メインホールの音響はオペラ劇場としては日本最高峰と言っても良いと思われる。勿論、日本の全てのオペラ劇場に行った訳ではないが、東京文化会館、新国立劇場オペラパレス、神奈川県民ホール、びわ湖ホール大ホール、フェスティバルホール、ザ・カレッジ・オペラハウス、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール、フェニーチェ堺大ホールなど、日本屈指と言われるオペラ向けの名ホールでオペラを鑑賞した上での印象なので、おそらく間違いないだろう。

 

今回の演出は、パリで活躍した画家ということで、マルチェッロ役を演じている池内響に藤田嗣治(ふじた・つぐはる。レオナール・フジタ)の格好をさせているのが特徴である。

 

井上道義は、今年の12月30日付で指揮者を引退することが決まっているが、引退間際の指揮者とは思えないほど勢いと活気に溢れた音楽を京響から引き出す。余力を残しての引退なので、音楽が生き生きしているのは当然ともいえるが、やはりこうした指揮者が引退してしまうのは惜しいように感じられる。

 

歌唱も充実。ミミ役のルザン・マンタシャンはアルメニア、ムゼッタ役のイローナ・レヴォルスカヤとスタニスラフ・ヴォロビョフはロシアと、いずれも旧ソビエト圏の出身だが、この地域の芸術レベルの高さが窺える。ロシアは戦争中であるが、芸術大国であることには間違いがないようだ。

 

ドアなどは使わない演出で、人海戦術なども繰り出して、舞台上はかなり華やかになる。

 

 

パリが舞台であるが、19世紀前半のパリは平民階級の女性が暮らすには地獄のような街であった。就ける職業は服飾関係(グレーの服を着ていたので、グリゼットと呼ばれた)のみ。ミミもお針子である。ただ、売春をしている。当時のグリゼットの稼ぎではパリで一人暮らしをするのは難しく、売春をするなど男に頼らなければならなかった。もう一人の女性であるムゼッタは金持ちに囲われている。

 

この時代、平民階級が台頭し、貴族の独占物であった文化方面を志す若者が増えた。この「ラ・ボエーム」は、芸術を志す貧乏な若者達(ラ・ボエーム=ボヘミアン)と若い女性の物語である。男達は貧しいながらもワイワイやっていてコミカルな場面も多いが、女性二人は共に孤独な印象で、その対比も鮮やかである。彼らは、大学などが集中するカルチェラタンと呼ばれる場所に住んでいる。学生達がラテン語を話したことからこの名がある。ちなみに神田神保町の古書店街を控えた明治大学の周辺は「日本のカルチェラタン」と呼ばれており(中央大学が去り、文化学院がなくなったが、専修大学は法学部などを4年間神田で学べるようにしたほか、日本大学も明治大学の向かいに進出している。有名語学学校のアテネ・フランセもある)、京都も河原町通広小路はかつて「京都のカルチェラタン」と呼ばれていた。京都府立医科大学と立命館大学があったためだが、立命館大学は1980年代に広小路を去り、そうした呼び名も死語となった。立命館大学広小路キャンパスの跡地は京都府立医科大学の図書館になっているが、立命館大学広小路キャンパスがかなり手狭であったことが分かる。

 

ヒロインのミミであるが、「私の名前はミミ」というアリアで、「名前はミミだが、本名はルチア(「光」という意味)。ミミという呼び方は気に入っていない」と歌う。ミミやルルといった同じ音を繰り返す名前は、娼婦系の名前といわれており、気に入っていないのも当然である。だが、ロドルフォは、ミミのことを一度もルチアとは呼んであげないし、結婚も考えてくれない。結構、嫌な奴である。
ちなみにロドルフォには金持ちのおじさんがいるようなのだが、生活の頼りにはしていないようである。だが、ミミが肺結核を患っても病院にも連れて行かない。病院に行くお金がないからだろうが、おじさんに頼る気もないようだ。結局、自分第一で、本気でルチアのことを思っていないのではないかと思われる節もある。


「冷たい手を」、「私の名前はミミ」、「私が街を歩けば」(ムゼッタのワルツ)など名アリアを持ち、ライトモチーフを用いた作品だが、音楽は全般的に優れており、オペラ史上屈指の人気作であるのも頷ける。


なお、今回もカーテンコールは写真撮影OK。今後もこの習慣は広まっていきそうである。

Dsc_4812

| | | コメント (0)

2024年10月 5日 (土)

コンサートの記(858) ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.4

2024年9月28日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.4を聴く。

Dsc_4625

炎のコバケンこと小林研一郎が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して行う「コバケン・ワールド」の京都公演4回目。日本フィルハーモニー交響楽団はロームシアター京都で定期的に演奏会を行っており、この「コバケン・ワールド」で今年3回目の演奏会となる。

1940年生まれの小林研一郎。84歳となった今年は、東京ドームで行われた読売巨人軍対広島カープの公式戦前の国歌演奏の指揮と、始球式を行っている。
東京藝術大学作曲科および指揮科卒業。藝大の作曲科時代は、「前衛でなければ音楽ではない」という教育に嫌気が差し、卒業はしたが指揮科に再入学している。今は藝大の入試は、国語と英語と実技のはずだが、当時は地歴も課されたようで、「日本史を勉強し直した」と語っている。
年齢制限に引っかかり、指揮者コンクールに参加出来ないことが多かったが、第1回ブダペスト国際指揮者コンクールは年齢制限が緩かったため受けることが可能で、見事1位を獲得。以後、ハンガリー国内での仕事も増え、ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の常任指揮者を長きに渡って務めた。私が初めて聴いた小林指揮のコンサートも、東京国際フォーラムホールCでのハンガリー国立交響楽団の来日演奏会であった(メインは幻想交響曲。東京国際フォーラムホールCは音響が悪いので、演奏終了後、小林が、「ホールの関係だと思いますが、皆さんの拍手が小さいのです」と語っていた)。ネーデルランド・フィルハーモニー管弦楽団の常任客演指揮者、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務め、チェコ・フィル時代には「プラハの春」コンサートのオープニング演奏会、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の指揮も行っている(リハーサル初日にチェコ・フィルの面々と喧嘩になったことが、「エンター・ザ・ミュージック」で明かされた)。
国内では日本フィルハーモニー交響楽団を指揮する機会が多く、常任指揮者などを経て、現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている。その他に、群馬交響楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団の桂冠指揮者、読売日本交響楽団の名誉指揮者、九州交響楽団の名誉客演指揮者の称号を保持。ロームミュージックファンデーションの評議員でもある。
京都市交響楽団の常任指揮者を2年務めており、出雲路の練習場と京都コンサートホールは小林の要望により、計画が進められている。


曲目は、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、エルガーの「愛の挨拶」(ヴァイオリン独奏:髙木凜々子)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」と「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏はいずれも髙木凜々子)、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」

今日のコンサートマスターは日フィル・ソロ・コンサートマスターの扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)。ソロ・チェロに菊地知也の名がクレジットされている。
ドイツ式の現代配置での演奏。


スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲。20世紀には通俗名曲の一曲としてよく知られていたのだが、最近は録音でも実演でも接する機会が少ない。
小林研一郎は譜面台を置かず、暗譜での指揮。
最初のトランペットソロと続くホルン・ソロは奏者を立たせて演奏させた。
今日はロームシアター京都メインホールのレフトサイド、ハイチェア席で聴いたのだが、音の通りが良く、輪郭もクッキリと聞こえる。座っていて疲れるが、音は良い席であった。
金管は精度が今ひとつであったが、マスとしての響きは充実しており、軽快な演奏に仕上がっていた。小林は指揮をやめてオーケストラに任せるところがあった。

エルガーの「愛の挨拶」(弦楽伴奏版)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」と「カルメン幻想曲」では、髙木凜々子(たかぎ・りりこ)がヴァイオリンソロを務める。

髙木凜々子は、東京藝術大学在学中にブダペストのバルトーク国際コンクールで第2位および聴衆賞を獲得。藝大卒業後に、シュロモ・ミンツ国際コンクール第3位、東京音楽コンクール第2位および聴衆賞、日本音楽コンクール第3位及びE・ナカミチ賞を受賞している。自身のYouTubeチャンネルに数多くの演奏動画をアップしているほか、パシフィックフィルハーモニア東京のアーティスティックパートナーソロとしても活躍している。
連続ドラマ「リバーサルオーケストラ」では、主演の門脇麦のヴァイオリンソロを当てたことで話題になっているが、このことは経歴には書かれていない。

この3曲では、小林研一郎はステージ正面上方から見て\のように斜めになった指揮台の上で指揮した。

髙木凜々子の演奏を聴くのは初めてだと思われる。
緋色のドレスで登場した髙木。かなりの腕利きだと思われるが、技術をひけらかすタイプではなく、的確に音の芯を狙っていくような演奏を行う演奏家である。

エルガーの「愛の挨拶」では、磨き抜かれた音が美しく、歌い方も優しい。

ヴァイオリンの独奏を伴う曲としては最も有名な部類に入る、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。ロマの音楽を意識した曲ということもあり、髙木も荒めの音で入るなど、曲調の描き分けが的確である。左手ピッチカートにコル・レーニョ奏法が加わるなど、難度のかなり高い曲だが、メカニックも申し分ない。

「カルメン幻想曲」も勢いの良い美演。なお、「ハバネラ」演奏後に拍手が起こったため、髙木も小林も動きを完全に止めて拍手が収まるのを待った。
「ツィゴイネルワイゼン」でも「カルメン幻想曲」でも終盤に急激なアッチェレランドを採用。スリリングな演奏となった。


演奏終了後、髙木と小林がステージ上で話し合い、アンコール演奏を行うことに決める。髙木は、「J・S・バッハ、無伴奏ヴァイオリン・パルティータより“サラバンド”を演奏します」と言って演奏開始。典雅な演奏であった。なお、高木はYouTubeにこの曲の演奏をアップしており、聴くことが出来る


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。演奏前に、小林はマイクを手に、「皆さんと交流したいと思いまして」と語り始める。「来年も再来年も京都で演奏を行いたい」と抱負を語った後で、「曲の解説を行います」ということで、実際に日フィルに演奏して貰いながら、聴き所を語る。まず冒頭の運命主題(運命動機)。小林は「ヤパパパーン」と歌ってから、日フィルを指揮して運命主題を演奏。「これが世界で最も有名な運命主題であります」と語る。第2楽章の冒頭を「祈り」と解釈して演奏した後で、第3楽章の冒頭から運命動機の登場までを演奏。
最後は、第4楽章冒頭を2度演奏する。まず、「皆様の耳を聾するような(ママ)」全体での合奏。続いて、管楽器のみによる冒頭の演奏を行った。


小林研一郎の指揮なのでモダンスタイルによる演奏を予想していたのだが、実際は弦楽のノンビブラートなどピリオドの部分も少し入れている。
また、これまで聴いたことのない奏法や異なる響きがある。小林はこの曲も譜面台を置かず暗譜で指揮したが、おそらくブライトコプフ新版の楽譜を用いての演奏だと思われる。
ブライトコプフ新版は貸与のみのはずなので、一般人がスコアリーディングすることは難しい。
まず第1楽章でコントラバスがコル・レーニョのような奏法を行った上で弓を胴体に当てる音を出す。更にホルンが浮かび上がる。オーボエのソロもベルアップで吹く(演奏開始前に、日フィルのスタッフがオーボエ奏者の女性と話し合い、オーボエ奏者の女性が周りの奏者とも話す様が見られたが、このベルアップのことだったのだろうか)。
第4楽章でピッコロが浮かび上がる場所もベーレンライター版とは異なるため、やはりブライトコプフ新版の可能性が高いと見た。

演奏は、スマートさの方が勝っている。炎の指揮者と呼ばれるが、いたずらに熱い演奏を行う訳ではない。音も84歳の指揮者が引き出したものとは思えないほど若々しく、音が息づいている。冒頭は小さく2度振ってから始まるのだが、弦楽のフライングがあったのが残念である。
日フィルも以前はあっさりとした演奏が特徴だったのだが、今日は密度の高い音を聴かせてくれた。第4楽章に入るところで小林は客席を振り返るかのように左手を大きく掲げて外連を見せていた。


なお、本編終了後のみスマホでのステージ撮影が可となっている。

Dsc_4630

小林はマイクを手に、「皆様のブラボー、拍手、声などが励みになります。反応がないと音楽は成り立ちません」と語り、「またお越し下さい」と述べた後で、「日フィルの方々が最も得意とされている曲があります。『ダニー・ボーイ』」とアンコール演奏曲目をアナウンスして演奏に入る。小林のアンコール演奏の定番でもある「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」。しっとりとした愛に溢れた演奏を行った。

| | | コメント (0)

2024年10月 3日 (木)

観劇感想精選(470) 「十三代目 市川團十郎白猿襲名披露巡業」京都公演@ロームシアター京都メインホール

2024年9月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「十三代目 市川團十郎白猿襲名披露巡業」の京都公演を観る。

市川團十郎白猿を襲名し、京都での披露公演は、昨年12月に京都四條南座での顔見世で行われたのだが(所用により行けず)、47都道府県を巡る襲名披露巡業の一つとして、再び京都で、会場を変えて公演が行われることとなった。

演目は、「祝成田櫓賑(いわうなりたしばいのにぎわい)」、「十三代目市川團十郎白猿襲名披露口上」、「河内山(こうちやま)」


「祝成田櫓賑」には團十郎は出演しない。市川團十郎の襲名を祝うための歌舞伎舞踊の演目であり、それ以外の時には上演されないのだと思われる。今井豊成の補綴、藤間勘十郎の振付。
出演は、市川右團次、市川九團次、大谷廣松、市川新十郎、市川升三郎、片岡市蔵ほか。

踊りの家に生まれた右團次だけに、舞踊には迫力とメリハリがあり、魅せる。流れを生みつつ、名捕手のキャッチングのようにビシッと止める様が格好いい。九團次と廣松のコンビも息の合った舞踊を見せる。廣松は立っているだけで艶(あで)な感じが出ているのが良い。


「十三代目市川團十郎白猿襲名披露口上」。團十郎白猿と、中村梅玉が出演する。
まず、中村梅玉が、株式会社松竹からのご提案、諸先輩からのお引き立て、後援してくれるのお客様からのご声援により、このたび市川海老蔵改め第十三代目市川團十郎白猿を襲名する運びになったことを告知する。梅玉は、團十郎白猿のことを、「先代と同じく大きな役者」と讃え、伝統を守りつつ新しいことに挑む、言うのは容易いが行うのは難しいことを成し遂げる力を持った俳優だと賛美し、歌舞伎界に革新をもたらす可能性を示唆する。
また、「河内山」では、團十郎の相手役をずっとやっているが、成長していくのが間近で感じられると褒め称えた。

市川團十郎白猿の襲名披露口上。株式会社松竹からのご提案等、梅玉と同じ言葉を繰り返して、襲名に至る過程と感謝を述べ、代々続いてきた大名跡を受け継ぐ覚悟を口にする。

そこから京都の思い出を語る。子どもの頃、顔見世のある12月には父親(第十二代目市川團十郎)と共に京都に来て、旅館で過ごしていた。父親の帰りが夜遅くなることもあり、その間ずっと旅館で「大変なんだろうな」と思って待っていたと回想する。それでも朝になると父親が、南座まで連れて行ってくれたこともあったそうである。父親が演じる「助六」を初めて観たのも京都においてだった。

ちなみに、「私はロームシアターは初めてでして。これがロームシアターでの顔見世。大好きな京都で二度襲名披露の顔見世が出来て嬉しい」と述べる。

京都での初演目は「連獅子」であったそうだが、「来月、大阪松竹座の襲名披露で、私が親獅子で『連獅子』をやります。京都から(新)大阪までは、新幹線で16分。観に来て頂ければ」と宣伝していた。京都から大阪まで新幹線で行く人はまずいないと思われるが。新大阪駅から地下鉄御堂筋線に乗って、心斎橋まで行くわけだが、新大阪駅は大阪市の北の外れの方にあるので、案外、時間が掛かるはずで、京阪や阪急を使った方が便利だと思われる。ちなみに團十郎は「連獅子」で共演する息子のことを新之助ではなく、勸玄と本名で呼んでいた。

梅玉がそれを受け、「歌舞伎の発展のために尽くす所存。隅から隅までずずずいーっと、宜しくお願い申し上げます」と二人で頭を下げ、頭を上げてから團十郎が「これからもご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます」と言って再び二人で頭を下げた。


「河内山」。正式には「天衣紛上野初花 河内山」で、河竹黙阿弥の作である。出演は、市川團十郎白猿(市川海老蔵改め)、市川右團次、大谷廣松、中村莟玉(かんぎょく)、市川新蔵、中村梅蔵、市川新十郎、市川升三郎、中村梅秋、市川右田六、市川九團次、片岡市蔵、中村梅玉ほか。

江戸が舞台である。下谷の質屋、上州屋の娘である浪路(中村莟玉)が、18万石の大守、松江出雲守(中村梅玉)の江戸屋敷に奉公に出たのだが、美人であったため、松江出雲守に見初められる。しかし浪路には、許婚がいたため、松江出雲守の誘いを断った。松江出雲守は、激怒し、浪路を一室に閉じ込めてしまう。浪路の父親である上州屋の主がこれを知り、親類である和泉屋清兵衛に助けを求める。清兵衛は、江戸城の御数寄屋茶坊主である河内山宗俊(市川團十郎白猿)に相談。河内山は、坊主であることを利用し、上野の東門主(上野にある東叡山寛永寺の主)の使いの高僧、北谷道海として松江出雲守の江戸屋敷に乗り込む。

まず、河内山邸の庭先で、河内山の家来である桜井新之丞(市川九團次)らが、慣れない若侍の格好をして、松江出雲守の江戸屋敷でのことを語っているが、ここで客席の方に向き直って、これまでのあらすじとこれからの大まかな出来事を語る口上役となる。河内山は、礼金200万両を要求している。果たして善人なのか金の亡者なのか、それは見る人にお任せするというスタイルであることを語る。ちなみに「山吹の茶」という言葉が出てくるが、これは金子(きんす)のことだと説明する。
ここでいったん幕が閉じられ、幕が再び開くと、舞台は松江出雲守の江戸屋敷内広間に変わっている。松江出雲守は浪路を手討ちにしようとするが、近習頭の宮崎数馬(大谷廣松)に止められる。諫言する数馬に出雲守は更に怒りを爆発させるが、北村大膳(片岡市蔵)が、数馬と浪路の密通を疑う発言をしたために自体は更にエスカレート。だがここは家老の高木小左衛門(市川右團次)が出雲守を何とかなだめた。
上野の東門主の使いの高僧が来訪したとの知らせがあり、一同はいったん、落ち着く。出雲守は、奥に引っ込み、病気を称する。

高僧、北谷道海は、出雲守がいないのを見とがめ、松江出雲守の家の大事のことだと告げて、出雲守を呼び出す。出雲守は、病気のところを無理して出てきたという風を装う。
道海は、浪路を家に帰すよう出雲守に告げる。渋る出雲守であったが、絶大な権力を持つ東叡山寛永寺の僧である道海は、老中らとの繋がりをちらつかせ、出雲守もこれを受け入れざるを得なくなった。
道海への接待が行われるが、道海は、「酒は五戒に触る」として代わりに山吹の茶を所望する。運ばれてきた金子に道海が手を伸ばそうとした時に、時計が鳴り、道海は思わず手を引っ込める。

場所は変わって、松江出雲守の屋敷の玄関先。道海が帰ろうとするが、大膳が道海を呼び止める。大膳は以前、江戸城での茶会で河内山を見たことがあり、道海の正体が河内山であることを見抜いていた。河内山の左頬には大きなほくろがあるのだが、それが証拠だという。河内山も仕方なく正体を明かす。
大膳は河内山を斬首にしようとするが、河内山は幕府の直参であり、安易に手出しが出来ないことを大膳に教える。また、自分に手を出そうとすれば、この松江出雲守の行状を明かすと脅す。家老の小左衛門が大膳をとがめ、河内山は悠然と帰路に就く。大柄の大膳を「大男、総身に知恵が回りかね」という有名な川柳で揶揄し、「バーカーめ!」となじりながら去るのであった。


歌舞伎の場合、日頃から自宅などでも稽古を繰り返して、役をものにしてから本番に臨むのが常であるが、團十郎の演技はフリージャズ風。動きや感情にある程度余裕を持たせ、予め作り上げて再現するというよりも、その場その場、そして相手によって即興的に合わせた演技を行っているように感じられる。実際にどうなのかは分からないが、少なくともそういう風には見える。セリフが強弱、緩急共に自在というのもそうした印象を強めることになる。海老蔵時代にはこんな演技はしていなかったはずだが、歌舞伎界最高の名跡である市川團十郎を手にしたことで、独自のスタイルを生み出すことに決めたのかも知れない。少なくとも私は、今日の團十郎のような演技をする歌舞伎俳優を見るのは初めてである。

スキャンダルが多く、人間的には好ましくない人物なのかも知れない團十郎白猿。しかし歌舞伎俳優としての才能には、やはり傑出したものがありそうだ。今後、團十郎白猿は歌舞伎界を変えていくだろう。

Dsc_4579

| | | コメント (0)

2024年9月22日 (日)

コンサートの記(856) 加藤訓子 プロデュース STEVE REICH PROJECT 「kuniko plays reich Ⅱ/DRUMMING LIVE」@ロームシアター京都サウスホール

2024年8月25日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後5時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、加藤訓子プロデュース STEVE REICH PROJECT 「kuniko plays reich Ⅱ/DRUMMING LIVE」を聴く。
全曲を現代を代表するアメリカのミニマル・ミュージックの作曲家、スティーヴ・ライヒの作品で固めたプロジェクト。ライヒと共演を重ねている打楽器奏者の加藤訓子(かとう・くにこ)が、自身のソロと若い奏者達との共演により、ライヒ作品を奏でていく。

曲目は、前半の「kuniko plays reich Ⅱ」(編曲&ソロパフォーマンス:加藤訓子+録音)が、「フォーオルガンズ」、「ナゴヤマリンバ」、「ピアノフェイズ」(ビブラフォン版)、「ニューヨークカウンターポイント」(マリンバ版)。後半の「DRUMING LIVE」が、「ドラミング」全曲。

開演前と休憩時間にロビーコンサートが行われ、開演前はハンドクラップによる「Clapping Music」の演奏が、休憩時間にはパーカッションによる「木片の音楽」の演奏が行われた。日本でのクラシックのコンサートでは、体を動かしながら聴くのはよろしくないということで(外国人はノリノリで聴いている人も多い)リズムを取ったりは出来ないのだが、ロビーコンサートはおまけということでそうした制約もないので、手や足でリズムを取りながら聴いている人も多い。ミニマル・ミュージックの場合、リズムが肝になることが多いため、体を動かしながら聴いた方が心地良い。


まず、スティーヴ・ライヒによる日本の聴衆に向けたビデオメッセージが流れる。1991年に初来日し、東京・渋谷のBunkamuraでの自身の作品の上演に立ち会ったこと、1996年に再来日した時の彩の国さいたま芸術劇場やBunkamuraでの再度の公演の思い出を語り、「日本に行きたい気持ちは強いのですが、1991年の時のように若くはありません」と高齢を理由に長距離移動を諦めなければならないことなどを述べた。

「kuniko plays reich Ⅱ」。第1曲目の「フォーオルガンズ」では、録音されたオルガンの音が流れる中、加藤がひたすらマラカスを振り続ける。この上演に関しては音楽性よりも体力がものを言うように思われる。
その後は、マリンバやビブラフォンを演奏。ちなみに木琴(シロフォン)とマリンバは似ているが、マリンバは広義的には木琴に属するものの、歴史や発展経緯などが異なっている。シロフォンがヨーロッパで発展したのに対し、マリンバはアフリカで生まれ、南米で普及している。日本ではオーケストラではシロフォンが用いられることの方が多いが、ソロではマリンバの方が圧倒的に人気で、日本木琴協会に登録している演奏家のほとんどがマリンバ奏者となったため、協会自体が日本マリンバ協会に名称を改めている。
ミニマル・ミュージックならではの高揚感が心地よい。


後半、「DRUMING LIVE」。「ドラミング」を演奏するのは、青柳はる夏、戸崎可梨、篠崎陽子、齋藤綾乃、西崎彩衣、古屋千尋、細野幸一、三神絵里子、横内奏(以上、パーカッション)、丸山里佳(ヴォーカル)、菊池奏絵(ピッコロ)、加藤訓子。

4人のパーカッション奏者が威勢良くドラムを奏で、しばらくしてからマリンバやビブラフォン、ヴォーカル、ピッコロなどが加わる。
リズミカルで高揚感があり、パワフルなドラムと、マリンバやビブラフォン、ヴォーカルやピッコロの神秘性が一体となった爽快で洗練された音楽が紡がれていく。音型が少しずつ形を変えながら繰り返されていく様は、聴く者をトランス状態へと導いていく。
偶然だが、久保田利伸の「You were mine」のイントロによく似たリズムが出てくるのも面白かった。

演奏修了後に、歓声が響くなど、演奏は大成功であった。

その後、カーテンコールに応えて、奏者達がハンドクラップを始める。聴衆もそれに乗り、一体感を生むラストとなった。

Dsc_4134

| | | コメント (0)

2024年9月16日 (月)

観劇感想精選(467) 令和六年「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ、京都より~」第2部 能「花月」、狂言「梟」、能「融」

2024年8月22日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後6時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ、京都より~」第2部を観る。演目は、能「花月」、狂言「梟」、能「融(とおる)」

まず、女性能楽師の鷲尾世志子による作品の説明があり、今年の元日に起こった能登半島地震のチャリティ公演にもなるということが告げられ、それが通訳の女性によって英訳される(外国人観客のため)。


能「花月」。出演は、河村浩太郎、原大。山下守之(アイ)。
7歳でさらわれた花月を巡る物語である。
九州筑紫国、彦山の麓に住む出家が現れ、7歳でさらわれた息子の花月を探して諸国を練り歩いていることを語る。桜が満開の清水寺(「きよみずでら」であるが、能狂言の場合は、音読みの「せいすいじ」と呼ばれる)にたどり着いた出家は、花月という少年が清水寺にいたという話を耳にする。
現れた花月は清水寺の由来に合わせて舞い、鶯を弓で射ようとする。出家はそれが自分の息子だと確信する。
父親に出会えた花月は嬉しさの余り、様々な舞いを披露しつつ、これまでの遍歴を述べるのだった。
日本諸国の「山づくし」が謡われる「鞨鼓舞」が印象深い。

「良弁杉由来」にちょっとだけ似ている展開である。


狂言「梟(ふくろう)」。出演は、茂山忠三郎、山本善之、鈴木実。
「梟」は以前にも、「能楽チャリティ公演」で茂山千五郎家によって上演されているのだが、今回は茂山忠三郎家の忠三郎が主役の法師を務める。実は忠三郎とはちょっとした知り合いなのだが、特に仲が良いわけでもない。

弟が、山に行った兄が放送自粛用語になったので、放送自粛用語に放送自粛用語を……、
あ、これじゃ分からないか。放送自粛用語になったので、法師に祈祷をお願いする。どうも兄は山で梟の巣をいじったようで、梟のような奇声を上げる。法師は祈祷を行うのだが……。
客観的に見ると、エクソシスト系の純粋なホラー作品である。狂言だということにしてあるため笑っていられるが、身近であんなことが起きたら、当時だと山奥に幽閉されそうな気がする。昔はその手の差別が酷かった。


能「融」。今回は後半部分のみの上演である。「融」の発音は、関東では「お」にアクセントが来るが、鷲尾世志子の「融」の発音は、英語のTallに近い。
嵯峨天皇の子であり、嵯峨源氏系渡辺氏の祖である源融。当事国内最大の荘園であった渡辺荘(現在の大阪市内にあったことは分かっているが、実際にどの辺りなのかははっきりしていないようである)の荘官を務め、渡辺氏を名乗った嫡流の子孫は融にあやかり、代々、諱は漢字一文字である(渡辺綱などはその代表例)。
光源氏のモデルの一人ともされており、六条河原町に広大な邸宅を建てて河原左大臣(かわらのさだいじん)とも呼ばれている。

出演は、片山九郎右衛門、有松遼一。

秋の名月の日、東国出身で初めて都に来た僧侶が六条河原院にやって来る。そこで汐汲みの田子を背負った老人と出会う。この老人は、以前、この邸の主だった源融のことを語る。

今回上演されるのは、これより後の、融(後シテ)の亡霊が現れて、舞を披露するが、夜明けと共に月の都へと帰っていく場面である。
後シテの舞に迫力があり、鳴り物の妙も相まって気高さの感じられる上演となっていた。

Dsc_4109

| | | コメント (0)

2024年7月 8日 (月)

観劇感想精選(465) KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」京都公演@ロームシアター京都サウスホール

2024年6月7日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース「ライカムで待っとく」を観る。作:兼島拓也(かねしま・たくや)、演出:田中麻衣子。出演:中山祐一郎、佐久本宝(さくもと・たから)、小川ゲン、魏涼子(ぎ・りょうこ)、前田一世(まえだ・いっせい)、蔵下穂波(くらした・ほなみ)、神田青(かんだ・せい)、あめくみちこ。

1964年、アメリカ統治下の沖縄で起きた米兵殺傷事件を題材に、現在の沖縄と神奈川、1964年の沖縄、そして「物語の世界」を行き来する形で構成された作品である。

まず最初は現在の神奈川。横浜市が主舞台だと思われるが(中山祐一郎演じる浅野悠一郎が、「ウチナーンチュウ」に対して「横浜ーんちゅう」と紹介される場面がある)、神奈川県全体の問題に絡んでくるので、「神奈川」という県名の方が優先的に使われている。
カルチャー誌の記者をしている浅野悠一郎は、編集長の藤井秀太(藤田一世)から沖縄で起こった米兵殺傷事件について記事にするよう言われる。藤井は、横浜のパン屋に勤める伊礼ちえという沖縄出身の女性(蔵下穂波)と親しくなったのだが、ちえの祖父(無料パンフレットによると伊佐千尋という人物がモデルであることが分かる)が沖縄の米兵殺傷事件の陪審員をしており、その時の記録や手記を大量に書き残していた。そのちえの祖父が悠一郎にそっくりだというのだ。悠一郎が見ても、「これ僕だよ」と言うほどに似ている。実は伊礼ちえには別の正体があるのだが、それはラストで明かされる。
悠一郎の妻・知華(魏涼子)の祖父が亡くなったというので、知華は中学生になる娘のちなみを連れて、一足先に沖縄の普天間にある実家に戻っていた。知華の実家は元は今の普天間基地内にあったのだが、基地を作るために追い出され、普天間基地のすぐそばに移っている。実は知華の亡くなったばかりの祖父が、米兵殺傷事件の容疑者となった佐久本寛二(さくもと・かんじ。演じるのは佐久本宝)であったことが判明する。
沖縄に降り立った悠一郎は、タクシーの運転手(佐久本宝二役)から、若い女性が飲み屋からの帰り道に米兵にレイプされて殺害される事件があったが、その女性をタクシーに乗せて飲み屋まで送ったのは自分だという話を聞く。
悠一郎と知華は、亡くなった人の声を聞くことが出来る金城(きんじょう)という女性(おそらく「ユタ」と呼ばれる人の一人だと思われる。あめくみちこが演じる)を訪ねる。金城は、「どこから来た」と聞き、悠一郎が「神奈川から」と答えると、「京都になら行ったことがあるんだけどね。京都はね、平安神宮の近くに良い劇場(ロームシアター京都のこと)があるよ」と京都公演のためのセリフを言う。
ユタに限らず、降霊というとインチキが多いのだが、金城の力は本物で、29歳の時の祖父、佐久本寛二が現れ、金城は佐久本の言葉を二人に伝える(佐久本は三線を持って舞台奥から現れるが、悠一郎と知華には見えないという設定)。

舞台は飛んで、1964年の沖縄・普天間。近くに琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarter)があり、「Ry」と「Com」を取って「ライカム」と呼ばれていた。米軍が去った後でライカムは一帯を指す地名となり、残った。ライカムの米兵専用ゴルフ場跡地に、2015年にイオンモール沖縄ライカムがオープンしている。
1964年の沖縄でのシーンは、基本的にウチナーグチが用いられ、分かりにくい言葉はウチナーグチを言った後でヤマトグチに直される。
写真館を営む佐久本寛二は、部下の平豊久(小川ゲン)、タクシー会社従業員の嘉数重盛(かかず・しげもり。演じるのは神田青)と共に、大城多江子(あめくみちこ二役)がマーマを務めるおでんやで嘉数の恋人を待っている。嘉数は数日前に米兵から暴行を受けていたが、警察に行っても米兵相手だと取り合ってくれないため、仲間以外には告げていない。恋人がやってきたと思ったら、やってきたのは寛二の兄で、嘉数が勤めるタクシー会社の経営者である佐久本雄信(ゆうしん。前田一世二役)であった。雄信は米兵の知り合いも多い。実は寛二にはもう一人弟がいたのだが、その運命は後ほど明かされた。
嘉数の恋人、栄麻美子(蔵下穂波二役)がやってくる。「ちゅらかーぎー(美人)」である。
嘉数らはゴルフに行く予定で、皆でゴルフスイングの練習をしたりする。しかし結局、「沖縄人だから」という理由でゴルフ場には入れて貰えなかった。
嘉数は麻美子を連れて糸満の断崖へ行って話す。嘉数は11人兄弟であったが、一族は沖縄戦の際に全員、この崖から飛び降りて自決した。「名誉の自決」との教育を受けた世代であり、それが当たり前だった。嘉数一人だけが偶然米兵に助けられて生き残った。

現代。悠一郎はパソコンで記事を書いている。「中立」を保った記事のつもりだが、藤井から「中立というのは権力にすり寄るということ」と言われ、「沖縄の人達の怒りや悲しみを伝えるのが良い記事」だと諭される。悠一郎は、「沖縄の人々に寄り添った記事」を書くことにする。

米兵殺傷事件が起こる。平が米兵に暴行されたのが原因で、寛二はゴルフクラブを手に現場に向かおうとするが、やってきた雄信に「米兵に手を出したらどうなるのか分かっているのか」と説得され、それでも三線を手に現場に向かう。この三線は尋問で凶器と見做される。

米統治下であるため、尋問や証人喚問などはアメリカ人により英語で行われる(背後に日本語訳の字幕が投影される)。またアメリカ時代の沖縄には本国に倣った陪審員制度があり、法律もアメリカのものが適用された。統治下ということはアメリカが主であるということであり、アメリカ人に有利な判決が出るのが当たり前であった。沖縄人による陪審員裁判の現場に悠一郎は迷い込み、陪審員の一人とされる。寛二が現れ、「どっちみち俺らは酷い目に遭うんだから有罪に手を挙げる」よう悠一郎に促す。

「物語」の展開が始まる。「沖縄は日本のバックヤード」と語られ、内地の平和のために犠牲を払う必要があると告げられる。
実は「物語」の作者は悠一郎本人なのであるが、本人にも止められない。
琉球処分、沖縄戦(太平洋戦争での唯一の市民を巻き込んだ地上戦)、辺野古問題などが次々に取り上げられる。辺野古では沖縄人同士の分断も描かれる。アメリカ側が容疑者の引き渡しを拒否した沖縄米兵少女暴行事件も仄めかされる。
いつも沖縄は日本の言うがままだった。そしてそれを受け入れてきた。沖縄戦では大本営の「沖縄は捨て石」との考えの下、大量の犠牲を払ってもいいから米軍を長く引き留める作戦が取られた。沖縄の犠牲が長引けば長引くほど、いわゆる本土決戦のための準備が整うという考えだ。ガマ(洞窟)に逃げ込んだ沖縄の人々は、日本兵に追い出された。また手榴弾を渡され、いざとなったら自決するように言われ、それに従った。そんな歴史を持つ島に安易に「寄り添う」なんて余りにも傲慢である。悠一郎が「寄り添う」を皮肉として言われる場面もある。
丁度、今日のNHK連続テレビ小説「虎に翼」では、穂高教授(小林薫)の善意から出た見下し(穂高本人は気づいていない)に寅子(伊藤沙莉)が反発する場面が描かれたが、構図として似たものがある。

最後に、京都で「ライカムで待っとく」を上演する意義について。戦後、神奈川県内に多くの米軍施設が作られ、今も使われている(米軍施設の設置面積は沖縄県に次ぐ日本国内2位である)。横須賀のどぶ板通りを歩くと、何人もの米兵とすれ違う。これが神奈川で上演する意義だとすると、京都は「よそ者に蹂躙され続けた」という沖縄に似た歴史を持っており、そうした街で「ライカムで待っとく」を上演することにはオーバーラップの効果がある。鎌倉幕府が成立すると、承久の乱で関東の武士達が京に攻めてきて、街を制圧、六波羅探題が出来て監視下に置かれる。鎌倉幕府が滅びたかと思いきや、関東系の足利氏が京の街を支配し、足利義満は明朝から日本国王の称号を得て、天皇よりも上に立つ。足利義政の代になると私闘に始まる応仁・文明の乱で街は灰燼に帰す。
足利氏の天下が終わると、今度は三好長慶や織田信長が好き勝手やる。豊臣秀吉に至っては街を勝手に改造してしまう。徳川家康も神泉苑の大半を潰して二条城を築き、その北に京都所司代を置いて街を支配する。幕末になると長州人や薩摩人が幅を利かせるようになり、対抗勢力として会津藩が京都守護職として送り込まれ、関東人が作った新選組が京の人々を震え上がらせる。禁門の変では「どんどん焼け」により、またまた街の大半が焼けてしまう。維新になってからも他県出身の政治家が絶えず街を改造する。それでも京都はよその人を受け入れるしかない。沖縄の人が「めんそーれ」と言って出迎えるように、京都は「おこしやす」の姿勢を崩すわけにはいかないのである。

Dsc_3731

| | | コメント (0)

2024年7月 4日 (木)

コンサートの記(851) 角田鋼亮指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024「マエストロとディスカバリー!」第1回「ダンス・イン・ザ・クラウド」

2024年6月16日 左京区岡崎のロームシアーター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2024「マエストロとディスカバリー!」第1回「ダンス・イン・ザ・クラウド」を聴く。指揮は若手の角田鋼亮(つのだ・こうすけ)。

昨年度までは北山の京都コンサートホールで行われていたオーケストラ・ディスカバリーであるが、今年度はロームシアター京都メインホールが会場となった。トークが重要となるコンサートだけに、ポピュラー音楽対応でしっかりとしたスピーカーのあるロームシアター京都メインホールの方が向いているということなのかも知れない。実際に声は聞き取りやすかった。

オーケストラ・ディスカバリーは、吉本芸人を毎回ナビゲーターとして招いていたが、今年はナビゲーターが発表にならず、あるいはなしで行くのかと思われたが、1ヶ月ほど前に東京吉本の女性3人組、3時のヒロインがナビゲーターを務めることが発表された。オーケストラ・ディスカバリーのナビゲーターを女性が務めるのは初めてとなる。

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーンの森の物語」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、アブレウの「ティコ・ティコ」(山本菜摘編)、ファリアの歌劇「はかない人生」から「スペイン舞曲」、ヤコブ・ゲーゼの「ジェラシー」(日下部進編。ヴァイオリン独奏:会田莉凡)、ピアソラの「アディオス・ノニーノ」(日下部進編)、ガーシュウィンの「キューバ序曲」


今日のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志と尾﨑平は共に降り番で、フォアシュピーラーには客演アシスタント・コンサートマスターとして對馬佳祐(つしま・けいすけ)が入る。フルート首席の上野博昭は降り番。クラリネット首席の小谷口直子は、前半のポルカとワルツ3曲のみを吹いた。
ドイツ式の現代配置での演奏である。


指揮者の角田鋼亮は、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者をしていたということもあって関西でもお馴染みの存在である。中部地方私立トップ進学校である名古屋の東海高校を経て、東京藝術大学指揮科と同大学院指揮修士課程を修了。ベルリン音楽大学国家演奏家資格課程も修了している(日本と違い、国家資格を得ないとプロの演奏家として活動することは出来ない)。2008年にドイツ全音楽大学指揮コンクールで第2位入賞。2010年の第3回グスタフ・マーラー指揮コンクールでは最終6人に残った。
2015年に名古屋のセントラル愛知交響楽団の指揮者に就任し、2019年からは常任指揮者、更に今年の4月には音楽監督へと昇進している。2016年から20年まで大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮者、2018年から22年までは仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者も兼任している。溌剌とした音楽性が持ち味。


ナビゲーターの3時のヒロインは、2019年に「女芸人No.1決定戦 THE W」で優勝している。福田麻貴、ゆめっち、かなでによる3人組で、このうちリーダーを務める福田麻貴はお笑い芸人輩出数日本一の関西大学出身であるが、最初からお笑い芸人一本での活動を志向していた訳ではなく、NSC大阪校の女性タレントコース(現在は廃止)を出て、桜 稲垣早希(現在は、パッタイ早希の芸名を得て、タイのバンコク在住)の後輩アイドルユニット・つぼみ(現・つぼみ大革命)で活動していた。その後、お笑いを活動の中心に据え、自身のお笑い活動の他に作家として他のお笑い芸人に本を提供してもいる。
ゆめっちは吹奏楽の名門・私立玉名女子高校(熊本県玉名市)に音楽推薦で入学し、吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた経験がある。
かなでは、桐朋学園芸術短期大学演劇専攻(俳優座系。出身者に大竹しのぶ、高畑淳子など)を出て舞台女優をしていたところを演技のワークショップで知り合った福田に誘われてお笑いの道へと進んでいる。いいとこのお嬢さんである。
福田がリーダーとしてマイクと台本を持ち、進行を担当する。3人組だと、2人に話を振らないといけないため、話が長くなりがちだが、福田はテキパキとした性格のようで、なるべく短めに話を切り上げるようにしていた。


角田は、日本人としては比較的長身であるため、指揮台も低めのものが用いられる。

ヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。京響は音が美しく、勢いが良く楽しい音楽進行を見せる。
3時のヒロインの3人が登場し、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」の由来(ペチャクチャとしたお喋り)などを紹介する。

今年度のタイトルにある「マエストロ」とは何かという話。角田は、「元々は音楽の先生という意味だったのですが、いつの間にか音楽では指揮者を指す言葉に。『料理の鉄人』の料理人なんかもマエストロです。サッカーのマラドーナやメッシなどの名手もマエストロ」。福田によると台本には「角田鋼亮マエストロ」と書かれているそうだが、角田は「若手とされているので、マエストロと呼ばれるのは恥ずかしい」「指揮者で良いとされる年齢というのは60歳から70歳くらい」と述べていた。かなでが冷やかしで角田に「マエストロ!」と声を掛ける。

ゆめっちが吹奏楽の名門・玉名女子高校吹奏楽部の出身であることが紹介され、「顧問の先生が練習の時はいつも厳しくて、本番の時だけ笑顔になるのが嬉しかった」と話し、角田に「練習の時は厳しいんですか?」と聞く。角田は冗談交じりで「世界で一番優しい」と答え、「50年ぐらい前までは厳しい指揮者もいたが、今は楽団員が上手くなり、一個の音楽家として尊敬されるようになったので、厳しい指揮者は余りいなくなった」と述べた。今、トスカニーニのように楽団員を罵倒し続けて、怪我まで負わせるようなリハーサルをしたら半日持たずにボイコットされてクビになるだろう。カール・ベームのような口が悪くネチネチとしたリハーサルにも付き合ってくれないだろう。指揮者が絶対的な権威から降りたことは楽団員にとっては幸せかもしれない。だが、先日も世界的な指揮者であるフランソワ=グザビエ・ロトによる複数の楽団の女性楽団員へのセクハラ行為が告発され(ロトは一部の事実を認めた)、ロトとレ・シエクルとの来日演奏会が中止に追い込まれたように、指揮者が上の立場を利用して問題化するケースはまだ存在する。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーンの森の物語」。福田は、「美しく青きドナウ」、「皇帝円舞曲」と並んで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の三大ワルツに数えられることを紹介する。
ウィーンの森ということで、ゆめっちが「鳥鳴くんですかね」と期待する。鳥の鳴き声をフルートが真似する部分はある。
今日はコンサートマスターとフォアシュピーラーが京響の専属ではないが、共に美しい響きを奏でる。
角田のしなやかな音楽性が生き、雅やかで潤いに満ちた音楽が紡がれていく。音の美しさだけなら、日本でもトップレベルのウィンナワルツであろう。ただ、山田和樹指揮モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会でも感じたことだが、ロームシアター京都メインホールは音が散りやすいので、フォルムを形作るのが難しいようである。

ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。角田は、3時のヒロインの3人に、「『ラ・ヴァルス』は英語でいうと『ザ・ワルツ』。ラヴェルはワルツが好きだったが、肝心のウィーンではワルツが人気を失いつつあった」と語る。ウィーンでワルツの人気が復活するのは、クレメンス・クラウスが、1939年にヨハン・シュトラウスファミリーの曲目を中心としたウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートを始めてからである。クラウスの指揮するウィンナ・ワルツやポルカは録音はやや古めだがCDがリリースされており、聴くことが出来る。
ラヴェルの作品は、「ボレロ」などラストで「とんでもないことが起こる」曲があるが、「ラ・ヴァルス」もそうした曲の一つである。それが悪かったということではないだろうが、ラヴェルも人生のラストで大変な事故に巻き込まれて、後遺症から快復できないまま亡くなることになる。
角田は、3時のヒロインの3人に、「ラ・ヴァルス」の、「冒頭、雲間から俯瞰でワルツを踊る人々が見える」と作曲者が明かした意図(今回のコンサートのタイトルでもある)を教えていた。
エスプリのようなものは感じられないが、リズム感が良く、冒頭の神秘感の表出も上手い。華やかなワルツの場面の描写にも長け、京響の長所である音の密度の濃さも感じられる。「とんでもないことが起こる」ラストは強調はされなかったが、良い演奏であった。


アブレウ作曲、山本菜摘編の「ティコ・ティコ」。角田はノンタクトで指揮し、リズム感豊かな音楽作り。
演奏終了後、福田麻貴が、編曲者の山本菜摘について、「今注目の人」と紹介していた。

福田が、「次はフラメンコです」と振る。ファリアの歌劇「はかない人生」より「スペイン舞曲」。3時のヒロインの3人はフラメンコに興味があるようだ。
色彩感豊かな演奏で、京響の技術も高い。情熱的な盛り上げ方も上手かった。

ヤコブ・ゲーゼの「ジェラシー」(日下部進編。ヴァイオリン独奏:会田莉凡)と、ピアソラの「アディオス・ノニーノ」(日下部進編)の2曲が続けて演奏される。いずれもタンゴの曲である。
ゲーゼは、デンマークの作曲家兼ヴァイオリニストだが、タンゴに触れ、作曲を行った。
「ジェラシー」もそうしたヨーロピアン・タンゴ(日本では和製英語のコンチネンタル・タンゴの名で知られる)の一つである。
ソリストの会田莉凡は達者なソロを披露。スケールの大きなヴァイオリンを弾く。演奏終了後、会田は客席からの喝采を受けた。

ピアソラの「アディオス・ノニーノ」。1990年代半ばのピアソラ・ブームで一躍時の人となったアストル・ピアソラ。アルゼンチン国立交響楽団が来日演奏会を行い、ピアソラのバンドネオン協奏曲などを演奏したりしたのもこの頃である。私もすみだトリフォニーホールで、アルゼンチン国立交響楽団の演奏を聴いているが、サッカー・ワールドカップ・フランス大会の予選リーグで日本はアルゼンチンと対戦することが決まっており、客席にもアルゼンチンの国旗を掲げる人がいるなど盛り上がっていた。ちなみに日本でのピアソラ・ブームに一役買ったのが、ピアソラの大ファンで、今丁度、京都四條南座の舞台に出ている坂東玉三郎で、彼が音楽誌などに書いた「これからも私はピアソラと共に生きていくのです」という一文が反響を呼んでいた。その後、チェリストのヨーヨー・マがウィスキーのCMでピアソラの「リベルタンゴ」を演奏して話題となり、ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが弾き振りしたピアソラ作品のCDがベストセラーとなった。
ピアソラは元々はクラシックの作曲家になることを熱望していたが、パリ国立高等音楽院で名教師のナディア・ブーランジェに師事した際に、「あなたはせっかくアルゼンチンに生まれたのだからタンゴを書きなさい」と言われ、タンゴを一生の道と決める。売春宿で奏でられる楽器だったバンドネオンを使った楽曲の数々は人生の悲哀を切々と歌い上げ、多くの人々の胸を打った。
「アディオス・ノニーノ」は、父の死に接し、追悼曲として書かれたもので、哀歓と共にスケールの大きさと南米情緒が感じられる楽曲となっている。

かなでは、会田のヴァイオリンソロに、「女としてジェラシーを感じました」と語る。


本日最後はルンバの曲。かなではルンバについて、「掃除機(アイロボット社のロボット掃除機)しか思い当たらない」と言うが、角田が、「タンタ、タンタン」とルンバのリズムを教え、「『コーヒールンバ』をご存じですか」と3人に聞く。世代的にタイトルしか知らないようであったが、「コーヒールンバ」のルンバは裏打ちであることなどを説明する。演奏されるのは、ガーシュウィンの「キューバ序曲」。角田はガーシュウィンについて、「色々なところに旅したり滞在するのが好きな人だった。パリにいた時は、『パリのアメリカ人』を作曲したり。『キューバ序曲』もキューバに旅行して、昼間の賑やかさと夜の寂しさに触れた書いた」と説明する。
ガーシュウィンの「キューバ序曲」は、そこそこ有名で、たまにコンサートのプログラムにも載るが、もっと演奏されて知名度が上がっても良い曲だと個人的には思っている。
角田は、「打楽器に特に注目して欲しい」と言って演奏スタート。抜けるような青い空、輝く太陽、美しい海とビーチ、陽気な人々などの姿が目に浮かぶような楽しい音楽が流れていく。マラカスやボンゴの使い方も効果的で、ケの日でもハレ的なキューバ気質のようなものが伝わってくる。
ラスト付近になると、「タンタ、タタタタ、タンタンタン」というリズムが繰り返され、徐々に盛り上げっていく。ガーシュウィンという才人とキューバ音楽の幸福な邂逅が生んだ傑作である。
京響の明るめの音色もプラスに作用し、角田の生気溢れる音楽作りもあって、ご機嫌なラストとなった。

3時のヒロインは、福田麻貴がお笑いに走らず、メンバーに話を振りつつも進行役に徹していたのが好印象。立場や役割を心得た頭の良さが伝わってくる。

Dsc_0000_burst20240616125733257_cover

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD MOVIX京都 NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アップリンク京都 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コント コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント トーク番組 ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ポーランド映画 ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロシア映画 ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇場 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 写真 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 宗教音楽 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本フィルハーモニー交響楽団 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 時代劇 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 連続テレビ小説 邦楽 配信ドラマ 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 音楽番組 食品 飲料 香港映画