カテゴリー「ロームシアター京都」の72件の記事

2020年8月18日 (火)

配信公演 ロームシアター京都「プレイ!シアター」 at HOME2020 京都市交響楽団 0歳からのコンサート「ステイキャッスルはもううんざり!」+康本雅子&ミウラ1号 移動型ライブパフォーマンス「どこ行くダンス?ここいる音楽」 in ロームシアター京都+サウスホールバックステージ映像

2020年8月15日 左京区岡崎のロームシアター京都から配信

ロームシアター京都の夏のイベント、「プレイ!シアター」がコロナの影響によって今年は「at HOME 2020」としてオンラインを使っての開催となった。ロームシアター京都のホール等で公演は行われるが、観客としてロームシアターに入れるのは関係者や抽選に当たった人など最小限に絞られ、一般人はYouTubeなどを使っての配信で楽しむことになる。


午前11時からは、メインホールで京都市交響楽団 0歳からのコンサート「ステイキャッスルはもううんざり!」がYouTubeを使って配信される。
チャンネルは2つあり、ロームシアター京都のYouTubeチャンネル1では指揮者の頭に着けたカメラからの映像が流れ、クラシック専門配信サービスであるカーテンコールによるYouTube配信では、上演される人形劇を中心としたオーソドックスな映像が流れる。

指揮は垣内悠希。ロームシアター京都メインホールはステージが広いため、編成も比較的大きめだが、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラはいずれもワントップである。

コンサートマスターは泉原隆志。フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子、クラリネットの小谷口直子、トランペットのハラルド・ナエスといった首席メンバーが顔を揃えている。例年なら8月は音楽祭のシーズンであり、そちらを優先させるメンバーも多いのだが(京都市交響楽団は珍しく8月にも定期演奏会があり、宗教音楽の演奏が恒例となっている)、音楽祭自体が中止になるケースが大半となってしまっている。


糸あやつり人形劇団みのむしによる人形劇が行われ(脚本・演出はヨーロッパ企画の永野宗典と松宇拓季)、オーケストラ演奏がそれを彩っていくという趣向である。

とある国のお姫様(声はヨーロッパ企画の藤谷理子)が、城での生活に飽き飽きして国を飛び出し、ロームシアター京都の楽屋に籠城する。お付きの竜の騎士メロウ(声はヨーロッパ企画の酒井善史)と教育係のガミット(声はヨーロッパ企画の石田剛太)が音楽の力を借りて姫を城に連れ戻そうとあの手この手を繰り出すという物語である。


ロームシアター京都のYouTubeでは、先に書いた通り、指揮者の垣内悠希の頭に取り付けられたカメラからの映像が流れるのだが、カメラが揺れまくってしまっている上に、垣内の息づかいも盛大に聞こえるため音楽に集中出来ない。といういうことでカーテンコール制作のYouTube映像に切り替える。


チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」よりワルツでスタート。有名曲が多く、京響も手慣れた演奏を聴かせる。

各楽部の紹介として、弦楽器がモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」冒頭、木管楽器がチャイコフスキーの「白鳥の湖」より“小さな白鳥の踊り”、金管楽器が大野雄二の「ルパン三世」のテーマ、打楽器がビゼーの「カルメン」より闘牛士のテーマを奏でる。

その後、ルロイ・アンダーソンの「ワルツィング・キャット」、ハーライン作曲(岩本渡編曲)の「星に願いを」、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」より結婚行進曲などが演奏される。グリーグの「ペール・ギュント」第1組曲より“山の魔王の宮殿にて”の演奏の際に、“朝”とクレジットされるというミスがあったが、すぐに直された。“朝”はその次の場面で演奏された。

ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」では、視聴者もチャットに手拍子の絵文字を打ち込んで参加する。

その後は、天岩戸的な展開となり、盆踊りの手拍子が気になったお姫様がドアを開けたところをメロウが引きずり出す。作戦成功をデュカスの「ラ・ペリ」のファンファーレが祝福する。

最後は、久石譲作曲(和田薫編曲)の「さんぽ」(「となりのトトロ」より)が演奏された。


その後、ロームシアター京都のYouTubeチャンネル2で、康本雅子とミウラ1号による移動型ライブパフォーマンス「どこ行くダンス?ここいる音楽」in ロームシアター京都を視聴。ミウラ1号の音楽に乗って、ダンサーの康本雅子がコンテンポラリーダンスを披露しながらロームシアター京都内を移動する。3階共通ロビーに始まり、3階ロビー(サウスホール2階席ロビー)、2階共通ロビーなどロームシアター京都を訪れたことのある人なら見覚えのある景色が映し出されるが、ベランダなど通常は関係者以外は立ち入れない場所にもカメラが入ってダンスが行われ、配信ならではの良さも生んでいた。

ダンス公演の後は、ロームシアターのバックステージの紹介が行われ、サウスホールへののピアノ搬入の模様などが映し出される。ちなみに、例年の「プレイ!シアター」ではメインホールのステージ上や一部の楽屋などは立ち入り可となっていたが、サウスホールの舞台裏に入れる催しは行われておらず、貴重な映像である。

| | コメント (0)

2020年8月 9日 (日)

中川裕貴 「アウト、セーフ、フレーム」

2020年7月31日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで中川裕貴(なかがわ・ゆうき)の「アウト、セーフ、フレーム」を聴く。
中川裕貴は京都市在住の音楽家。チェロの演奏や作曲を行い、パフォーマンスの演出も手掛ける。今回はコンサートとパフォーマンスの境界にある作品の上演である。

ロームシアター京都での公演に接するのは久しぶり。チケットの払い戻しなどで訪れたことはあるが、公演に触れるのは、今年1月18日の室内オペラ「サイレンス」が以来であり、半年以上の月日が経過している。

新型コロナ対策として、入場時の検温があり、アルコール消毒も各所で行えるようになっている。無料パンフレットは自分で取る。
ロビー開場は混雑を防ぐために30分前から1時間前に前倒しになる。

入場者を絞っての公演。全席自由であるが、中央通路より前の席は取り外し可であるため、椅子のある列の前の列の席は全て取り払われて一列置き、横も二つ分の椅子が外されて、「点在する」ように見える状況となっている。

 

出演は中川裕貴の他に、菊池有里子、横山祥子、出村弘美、穐月萌、武内もも(劇団速度)。サウンドデザイン&ライブカメラ:荒木優光。チェロ自動演奏プログラミング:白石晃一。

中川裕貴がマイクを手に登場し、挨拶を行うが、この時からパフォーマンスは始まっている。

4つの部からなり、第1部は「声/性Ⅰ」、第2部は「私たちとさえいうことができない私についてⅣ」、第3部が「Blowwwise with Automatic Play」、第4部が「声/性Ⅱ featuring かっぽれ」である。

中川はまず「音脈分凝」について解説する。本来は音として同一であるものを聴き手が無意識に複数の音脈として聞き分けることになるという現象である。中川は「音脈分凝」の漢字を説明する際、「分」は「4分33秒の分」というなどのギミックを用いる。

また中川は、擬音についても語る。馬の走るギャロップの音、「パッカパッカ」、小さな「ッ」は文字としてはあるが、実際の音となると繋ぎの音で発せられているとは言えない。「パ」と「カ」の二つの音が擬音として用いられているのだが、それは「パッカパッカ」が馬の足音として広く認識されているから何の音か分かるということでもある。また「パ」と「カ」の音に開きがあり過ぎても近過ぎても二つの音として聞こえない。別の音として認識されることも重要になってくる。

無料パンフレットに中川は、「直接的でないこと」、「抽象」、「距離」などをテーマとして記しており、ソーシャル・ディスタンスの時代の音楽を意識していることが窺える。

 

第1部では、予め録音された電子音などが流れる中、女性が二名ほど、一人ずつ登場して、言葉らしきものをマイクに向かって語る。日本語を逆再生した言葉なので意味は分からないのだが、認識出来る単語が浮かび上がる瞬間がある。
その間、中川はチェロで形にならない旋律のようなものを弾いている。「魔笛」の夜の女王のアリア「復讐の心は炎と燃え」のコロラトゥーラの場面に似た旋律も登場するが、意図したのかどうかはわからない。
やがてピアノとヴァイオリンが登場し、ピアノ三重奏となるが、最初の内はヴァイオリンとチェロはピッチカートの演奏を繰り返す。
その後、ピアノが民族舞踊の音楽のような旋律を弾き始め、ヴァイオリンやチェロもメロディーを弾き始めて広がりが生まれる。

 

第2部は更に聴きやすい音楽となるが、中央通路に巨大スピーカーが現れて、和音を響かせる。ステージ上とスピーカーの音は寄り添っては離れる。

 

第3部は、チェロを打楽器として使う試み。壊れたチェロが機械音を奏で、中川はチェロを叩く奏法でそれに応えていく。壊れたチェロは三拍子を刻み始める。
再び巨大スピーカーが現れ、今度はノイズを放つ。
第3部はちょっと長かったかも知れない。

 

「共鳴」と「分離」とその「境界」について考える。例えば「音楽」と「雑音(ノイズ)」について。現代にはノイズミュージックというジャンルがあるが、では、どこまでが音楽でどこからがノイズなのだろうか。勿論、答えは多様である。虫の音を音楽と聞くのは日本人だけという説があるが(実際はそうでもないという意見もある)、この「境界」も受け手が個々に判断すべきものである。「境界」を設けなくても当然ながら良い。

 

第4部は、「かっぽれ」の音楽である。無料パンフレットには、伊福部昭の随想『声無哀楽論』の中に、1934年の東郷平八郎の国葬の際に、アメリカから追悼音楽・演奏としてなぜか「かっぽれ」が届いたという話が載っていたことが紹介されている。中川はアメリカ人は「かっぽれ」を葬送に相応しい音楽と捉えたのではないかと推理しているようである。

日本人は「かっぽれ」がどこで歌われる曲が知っているため、音楽を聴くと背景が浮かぶが、何の知識もなかった場合は、あるいは別種の音楽と捉えられる可能性はありそうである。また、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第3楽章のように悲哀と俗っぽさは一体になる場合もある。

日本的な旋律をピアノとヴァイオリンが奏でる中、中川のチェロは馬のいななきのような音を繰り返す。

こんなことを思い出す。古語の「かなしい」は今でいう「かなしい」とは違い、感情が大きく動いた時に用いる言葉であった。有名な東歌「多摩川に晒すてづくりさらさらになんぞこの児のここだかなしき」の「かなしき」は愛おしいという意味である。
最も感情が動くのはいわゆる「悲しい」時なので意味は固定されたのだが、本来は一体のものという認識があり、語り手と受け手が選ぶものだったのだ。

今日のこの催しも聴き手に委ねた余白の部分があり、そこに広がりと多様性が存在していたように思う。単純に成功とはいえないかも知れないが、豊穣さは確かにある。

Dsc_9278

だが、それらの思念を超えて最も心に響いたのは、単純に「生のピアノの音が聴けた」ということである。体がアコースティックなピアノの音を欲していたのだ。やはり私の楽器はピアノなのである。

| | コメント (0)

2020年1月25日 (土)

コンサートの記(621) 室内オペラ「サイレンス」(アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ)

2020年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、室内オペラ「サイレンス」を観る。川端康成の短編小説「無言」のオペラ化である。無料パンフレットには「アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ」と書かれている。台本・作曲・指揮:アレクサンドル・デスプラ、台本・演出・音楽監督・ビデオ演出:ソルレイ、舞台美術:シャルル・シュマン、衣装:ピエール・パオロ・ピッチョーリ。演奏は、アンサンブル・ルシリン。出演は、ロマン・ボクレー(バリトン)、ジュディット・ファー(ソプラノ)、ロラン・ストケール(語り。コメディ・フランセーズ所属)。フランス語での上演、字幕付きである。

作曲のアレクサンドル・デスプラは、映画音楽の作曲家である。「英国王のスピーチ」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、「グランド・ブダペスト・ホテル」などの音楽を手掛けており、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞作曲賞などを受賞している。
ソルレイ(本名はドミニク・ルモニエ)は、ヴァイオリン演奏、舞台演出、ビデオ演出などを手掛けている女性で、デスプラの公私にわたるパートナーである。2015年に脳疾患を患うも復帰している。「サイレンス」には自身の闘病経験が反映されているという。

演奏を担当するアンサンブル・ルシリンは、ルクセンブルクを拠点とする現代音楽アンサンブル。2014年に初来日して、細川俊夫の「大鴉―メゾ・ソプラノと12の奏者のためのモノドラマ」の初演を手掛けている。

富子役のジュディット・ファーは、アムステルダム音楽院に学び、2011年にオランダ国立オペラアカデミーに入団。ベルギーのモネ劇場やフランスのエクサンプロバンス音楽祭、ルクセンブルク大劇場などで出演を重ねているという。

三田役のロマン・ボクレーは、リヨン国立高等音楽・舞踊学校を優秀な成績で卒業し、リヨン国立歌劇場で学ぶ。世界各地の国際大会で優秀な成績を収め、ハンガリーのARMEL国際オペラコンクールでは優勝に輝いている。

語りのロラン・ストケールは、1973年、フランス・オトマイヌ生まれ。ジェラール・フィリップのアトリエで学び、パリの国立演劇院でも研鑽を積む。ソルボンヌ大学では現代文学を学び、2001年にコメディ・フランセーズに入団。2004年に正団員に昇格し、ルコックシアターなどにも参加しているそうである。

 

アンサンブル・ルシリンは、ステージの後方での演奏。その上にあるスクリーンにソルレイが監督した映像が投影される。

 

アレクサンドル・デスプラの音楽は、武満徹や黛敏郎、西村朗など日本を代表する作曲家の作風を巧みに取り入れ、更に仏教音楽の要素なども用いた「和」の現代音楽を作ることに成功している。弦楽のピッチカートやコルレーニョ奏法なども多用しており、曲調がガラリと変わる場面があるなど、多彩な音楽を生み出している。

 

鎌倉の名越に実在する「お化けトンネル(鎌倉側の名越トンネルと逗子側の小坪トンネル)」の怪談をモチーフにした話である。ここは関東屈指の心霊スポットとして有名で、トンネルの上に火葬場があり、しかも鎌倉時代の城跡で、三浦合戦の激戦地として多くの人が亡くなった場所であることから、「出る」という噂が絶えない。

逗子(川端康成終焉の地でもある)に住む老作家、大宮良房が病気を患い、話すことが出来なくなって、右半身も不随になる。左手は動くのだが、大宮はもう何も書こうとはしない。大宮の20歳年下の友人である三田が大宮の見舞いに赴く。三田はおそらく鎌倉駅からタクシーに乗って逗子の大宮邸に向かうのであるが、その際にお化けトンネルをくぐる。三田はタクシー運転手(ロラン・ストーケル)に「幽霊を見たことがあるか?」と聞き、タクシー運転手はないと答える。

大宮は妻に先立たれており、娘の富子に面倒を見てもらっている。父親の介護に専念していたため富子は魅力的な女性であるにも関わらず婚期を逸しており、その姿が三田には大宮に仕える幽霊のように映り始める。

富子は三田に、大宮が若い頃、文学志望の青年から手紙を受け取ったという話をする。しかしその手紙は次第に狂的になり、青年は精神病院の閉鎖病棟に入れられる。病棟でも執筆がしたいと望む青年だったが、ペンも鉛筆も危険だというので、青年に与えられたのは白紙だけ。青年は白紙に見えない文字を綴り続けた。と、ここまでは本当にあったことなのだが、大宮はその続きを小説にしている。青年がカタカナで綴ったと言い張る文字を母親に見せるのだが、そこには当然ながら白紙しかない。そこで母親はあたかも青年が書いた文字が見えるかのように振る舞い、二人の思い出話などを語り、息子と共に小説を共作することになるという話である。「母の読める」という小説だったが、富子は大宮が実は自分達のことを小説に取り込んだのだと話し、文字が書けなくなった大宮が「娘の読める」として富子の筆で小説を執筆するという構想を三田は思いつく。沈黙の大宮に三田は、左手でカタカナを書き、コミュニケーションを行うように促すのだが、次第にその沈黙には意味があるのだと確信するようになり……。

幽霊の話が富子と結びつき、幽霊のように生き続けるであろう彼女をそのままにするしかないという諦観が、上演終了後も後を引くような話である。三田が富子に恋をしたのはわかるのだが、それが進展するとも思えない。三田もまた富子に対して本音は無言としたまま過ごしていくのであろう。

今日は前から6列目の真ん真ん中ということで、歌手達の動きは見やすいのだが、字幕は舞台両端に出るため、首を動かして確認する必要がある。
字幕であるが、最初は歌詞やセリフの日本語訳が出ていたのだが、途中から地の文も字幕で語られるようになり、文学性の強い上演となる。

ロマン・ボクレーはバリトンではあるが、ハイトーンボイスも得意としており、繊細な文学青年である三田の雰囲気を上手く出している。

ジュディット・ファーは、儚げな印象の富子を雰囲気豊かに演じる。

語りとして様々な役を演じるロラン・ストーケルは、ヴォツェックのようなメイクをしており、この物語が持つ本質的な不気味さを演技でも巧みに表現していた。

 

ソルレイの映像は、トンネルのシーンでは逗子ではなくおそらく首都高のトンネルでの映像を使っており、延々と続くライトに少し違和感も感じる。三田が大宮の家を訪ねるシーンでは、読売ジャイアンツ対阪急ブレーブスの後楽園球場での日本シリーズの模様が映し出される。読売ジャイアンツの王貞治、張本勲、堀内恒夫、阪急ブレーブスの山田久志、足立光宏ら姿が確認出来る。今はYouTubeなどの映像配信サイトでも見ることの出来るものだが、時代と季節が語られており、なかなか効果的な映像であったように思う。

Dsc_8533

| | コメント (0)

2020年1月 6日 (月)

観劇感想精選(335) inseparable 「変半身(かわりみ)」

2019年12月19日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都ノースホールで、inseparable「変半身(かわりみ)」を観る。原案:村田沙耶香&松井周、作・演出:松井周。出演:金子岳憲、三村和敬、大鶴美仁香、日高啓介、能島瑞穂、王宏元、安蘭けい。

村田沙耶香と松井周が共に取材した題材を演劇と小説という形で別々に発表するという試みの演劇版である。村田沙耶香の小説版はホワイエで売られている。

近未来が舞台である。東洋のガラパゴスと呼ばれる離島、千久世島(ちくせしま)ではレアゲノムという化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組み換えに必要なものとして注目を浴びている。その千久世島では、「山のもん」と「海のもん」が抗争を繰り広げている。レアゲノムは山で取れるため莫大な利権を生み、「山のもん」は働く必要もなくなったが、多数派である「海のもん」はその恩恵に預かることは出来ず、漁業も海流の変化で不振である。ということもあってレアゲノムを勝手に持ち出そうとする事件が相次ぎ、自警団が組織された。その自警団の事務所が舞台である。

近未来においては、自由に性行為を行うことや子どもを作ることは許されておらず、生殖免許なるものが必要なようである。自動車と同じでマニュアルとオートマチックがあるようだが、詳しいことはわからない。

自警団に所属しているのは、高城秀明(金子岳憲)と尾形祐美(大鶴美仁音)の夫婦(未来は夫婦別姓なのだろうか)と、本州から来た子持ちバツイチの比留間ルイ(能島瑞穂)、外国出身の田部草太(王宏元)。ただヒトゲノム自体は東京の組織によって管理されており、東京から来た丸和玲香(安蘭けい)が、密輸業者を取り逃した自警団に説教しているところから芝居は始まる。近未来では行動が逐一ポイントによって評価される制度になっているようである。「ドラえもん」にもそんな話が出てきたような気がするが。
秀明は「山のもん」であるが、祐美は「海のもん出身」であり、二人の結婚は隔たれていたものの結びつきの象徴として祝福されている。祐美の父親で、ホテル経営などをしている「海のもん」の代表者、尾形圭一(日高啓介)も自警団の事務所にやって来る。

比留間ルイは、本州出身を名乗っているが、実は外国出身であり、田部草太と二人でいる時には北京語で話す。草太から、「为什么你说日语?(どうして日本語で話す?)」と聞かれたルイは、「あなたと一緒にされたくない」と日本語で答える。
ちなみに草太の父親は本国でデザイナーをしていたが、作品に赤い布を用いたことで共産主義者と見做され粛正されている。北京語を話してはいるが、共産党が支配する中国の出身ではないのか、あるいは中国の政治体制が今とは異なっているのか。

本筋とは異なり、神様(金子岳憲)による「クニウミ」の話が入る。千久世島には独自の国生み神話がある。ポーポーとボウボウという神様が国を生む。ボウボウは始めは一つの点に過ぎなかったのだが、ポーポーの腕を食べて、人間の形らしくなる。生殖器は二つあり、両性具有の神である。ポーポーとボウボウは仲良しの神だったのだが、ある日、ボウボウがポーポーの腕や足を食べてしまい、腹を壊す。だが、ボウボウには口はあっても出す機関は持っていない。ボウボウの腹痛は酷く、ポーポーはボウボウの生殖器の片方でボウボウを突き刺す。そこから出た膿が海になったという話である。途中で、イルコというイルカの神様の話が出てくるが、足が悪いということで流されてしまう。イルコは日本神話の神々でいうと蛭子に相当する。恵比須として祀られることになる神である。

島ではポーポー祭なる奇祭が行われており、秀明の弟である高城宗男(三村和敬)がモドリという儀式の最中に落命している。だが、その宗男が皆の前に現れる。秀明と宗男が少年時代のことを語る内に、どうやら宗男もボウボウのように両性具有者だったらしいことがわかる。宗男は、千久世島が世界初の浣腸器が見つかった場所であるということから、ボウボウ伝説に基づく「ソーシャル・エネマ」を提唱。「山のもん」(成金)や「海のもん」(土俗、貧困)、あるいは東京的(絶対的な価値に基づく管理社会)な価値観を洗い流すことで世界の再創造を行おうとする。

やがてルイがレアゲノムの横流しを行っていたことが発覚して丸和と圭一によって捕縛され、身内から裏切り者が出たということで自警団も解散に追い込まれる。そして浜辺にはイルカたちが押し寄せ、自警団の事務所はイルカ相手の売春斡旋所となってしまう。

ポーポーに相当する秀明が演じる神と、ボウボウに当たる宗男が演じる神、更にイルカの神でもある丸和の3人(3柱か)の会話では、もはや世界を救うことは不可能となっている。レアゲノムも用いてイルカとの合体が成功しつつあるが、それもほんの少しの延命に過ぎない。

舞台は数年後に移る。人々は主にイルカ語を話すようになっている。レアゲノムは他の島に移されており、千久世島はその名に反して見捨てられた島として終焉を迎えつつある。それが変わることはないのだが、ポーポーとボウボウの神話に出てきたように、宗男の体を、祐美、ルイ、草太、圭一が食べるシーンがある。これはポーポーとボウボウの神話に従えば新たなる世界の創造(クニウミ)に繋がる行為であり、一見すると救いがないようではあるが、新たなる世界の創造もささやかながら示されているラストがやって来る。

どことなく1990年代の演劇のテイストが感じられる作品である。SFではあるのが、神話や離島の事情を混ぜるなどしており、未来的な洗練性よりも土着的な味わいが前面に出ているという特徴がある。

Dsc_8229

| | コメント (0)

2019年12月28日 (土)

東京バレエ団×京都市交響楽団クリスマススペシャル バレエ「くるみ割り人形」(全2幕)

2019年12月22日 左京区岡﨑のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、東京バレエ団×京都市交響楽団クリスマススペシャル チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」を観る。指揮は井田勝大(いだ・かつひろ)。キャストは、川島麻実子、柄本弾(つかもと・だん)、森川茉央、鳥海創、湧田美紀、海田一成、永田雄大、政本絵美、加藤くるみ、杉山優一、伝田陽美、宮川新大、三雲友里加、ブラウリオ・アルバレス、岸本夏朱、岡崎隼也、池本祥真、昴師吏功、中川美雪、工桃子、樋口祐輝、岡﨑司、上田実歩、杉山優一、髙浦由美子、南江祐生、菊池彩美、和田康佑。

チャイコフスキーの三大バレエの一つとして知られる「くるみ割り人形」。クリスマスイブが舞台になっているということで、今のシーズンに良く上演される。

 

東京と京都の団体のコラボレーション。チケット料金も安めに設定されているため、入りも上々である。

 

指揮の井田勝大は、東京学芸大学音楽科、同大学院を修了。2003年より来日オペラ団体の公演に制作助手として携わり、小澤征爾やズービン・メータのアシスタントを務めているという。バレエを指揮した経験も豊富だそうだ。現在はオーケストラトーキョー指揮者と広島にあるエリザベト音楽大学の講師を務めている。

井田の指揮する京都市交響楽団は、ロームシアター京都メインホールのピットでの演奏ということもあって、いつもよりも音の密度が薄めに感じられるが、バレエダンサーは踊りやすそうな音楽作りである。

E.T.A.ホフマンの童話をマリウス・プティバが台本化したものをチャイコフスキーがバレエ化した作品であるが、少女がくるみ割り人形に誘われて夢の世界に遊ぶという内容で、筋書きらしい筋書きはない。「ロメオとジュリエット」のように誰でも知っている筋書きなら別だが、バレエは基本的に複雑な物語を扱うことは出来ない。

 

紗幕に雪が舞う様が投影されてスタート。人々がクリスマスパーティーが行われる家にどんどん吸い込まれていく。セットは描かれたものが中心のシンプルなものだが、とても愛らしく、子ども達も喜びそうである。

東京バレエ団のメンバーもかなり優秀という印象を受ける。白人に比べると体格で劣るため、見栄えはさほどしないのであるが、技術面では当然ながら高いものがある。
体格差でいうと、男性の方がより顕著であり、日本人も年々体格は良くなっているが、白人の迫力にはどうしても敵わない。野球やサッカーで見られるのと同じ現実である。女性の方もやはりプロポーションでは白人に勝てないが、愛らしさでカバー出来る部分もある。男性ダンサーも女性ファン向けには愛らしさを打ち出して人気を得ることは可能なのかも知れないが。

Dsc_8264

| | コメント (0)

2019年12月20日 (金)

観劇感想精選(330) ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」

2019年12月12日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、ジョーン・ジョナスの京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」を観る。

ジョーン・ジョナスは、1936年、ニューヨーク生まれ。現在も同市在住である。1960年代にパフォーマンスとビデオを融合させた新たな表現形式を創始し、現在もデジタルメディアとパフォーマンスとの関係を探求し続けている。

 

舞台中央に障子で出来たスクリーンが降りており、そこに映像が投影される。まず映されるのは寒冷地の街の映像であり、その後、アイスランドを描いた地図が映り(左下に首都のレイキャビクがある)、先程の映像がアイスランドのものであるらしいことがわかる。

舞台左手にグランドピアノがあり、その上にキーボードが乗せられている。演奏を行うのは、1975年、テキサス州生まれのピアニストで作曲家であるジェイソン・モラン。グランドピアノには坂本龍一のコンサートでよく見られるような自動演奏機能が付いており、モランはグランドピアノを自動演奏モードにしてキーボードを弾いたり、片手でキーボード、もう片方の手でピアノの演奏を行ったりする。ミニマルミュージックに始まり、即興演奏風になり、再びミニマルミュージックに戻ってくる。北欧の先住民であるサーミ人の伝統歌謡「ヨイク」も効果的に用いられている。

舞台上手にはテーブルが置かれ、助手が映像を映し出したり、ドローイングが行われたりする。

 

アイスランドの作家、ハルドル・ラクスネスの著作、特に『極北の秘教』に影響を受けたパフォーマンスである。近年、世界的な問題となっている氷河の融解を題材としているが、実はラクスネスは氷河がまだ溶け出していない1960年代に氷河の問題を取り上げているそうである。
ラクスネスの著作を題材にしたパフォーマンスは、まず2010年にジョナスが教鞭を執るマサチューセッツ工科大学(MIT)で制作され、講義形式の作品であったようだが、その後、ジェイソン・モランとのコラボレーションを行うようになり、完成形へと徐々に近づいていったようである。

ハルドル・ラクスネスは、1955年にノーベル文学賞を受賞しているが、彼が書いた戯曲のような小説『Under the Glacier(氷河の下で。邦題:極北の秘教)』が今回の公演の軸となっている。『極北の秘教』からのテキストをジョナスが朗読することで進んでいく。上演時間は約1時間。

ジョナスが、舞台中央やや下手寄りに立てられた板に掛かる黒板風のものにチョークで六角形の図形を並べた花のような絵を描き込んでいく。
「完全な死体となった全裸の女が目覚め、棺から出てアイルランド風のパンを焼き(どんなパンなのかはわからないが)、棺担ぎの男達に振る舞った」という民話風のミステリアスな蘇生(Reanimation)の話が冒頭で語られる。その後、北欧(アイスランドではなくノルウェーらしい)の光景である山々や動物達がスクリーンに映し出される。ジョナスは舞台上手のドローイングスペースに行って、映像の輪郭をなぞるような書き込みを行うが、完成する前に映像は先に進んでしまい、ジョナスが描き込んだ絵は残像のように残されることになる。「喪失」が強く印象づけられる。

ラクスネスによると氷河は世界の中心であり、昔、錬金術師に導かれて3人の男が氷河に覆われた火山の噴火口に降り、そこで世界の中心を見つけたという。

ノルウェーの氷に閉ざされた山の麓を走る列車から取られたと思われる映像が続き、ジョナスは草笛のようなものや、角笛のようなものを鳴らす。また紙をくしゃくしゃに丸める音を出す。それは氷河の溶解の音のようでもある。

「歴史は寓話、それも粗末な。それに絶えられず私は神学を学ぶことにした」だが、その神学もやがては信じられなくなるようである。新たな寓話が求められる。

嵐に耐えるユキホオジロの話も語られる。「完璧」の喩えとしてだ。人間がユキホオジロのように鳴き声を交わす生き物でないことを残念に思い、ならば沈黙を求めようとする。氷河は沈黙している。野の百合もまた。

やがて話は冒頭の全裸の女の死体の話に戻る。それは今や完全な死体である。幽霊の話も語られるが、幽霊は常に不完全な存在であり、「世界の流産」と形容される。これは氷河の融解に繋がるメタファーだと思われる。氷河の融解は進んでおり、時間を巻き戻すことは出来ない。それを食い止める夢を描いたとしても、それはかつての氷河の姿に由来する幽霊に過ぎないのではないか。

ただ、時間は解決のための有効な手段として今も考えられており、最後の結論として再度登場する。

「蘇生」を題材にした映像。池の中に白い影が映り込んでいる。やがてその白い影は白い服を着た女性だということがわかり、飛び込み台の上にいる女性はやがて池に飛び込み、泳ぎ出す。その後、映像はアザラシなど、氷河の海で暮らす生物達の映像に突然切り替わる。

タンポポとミツバチの話、ミツバチがタンポポの蜜を吸い、ミツバチがタンポポの花粉を体につけて他のタンポポに移り、受粉が行われることを「超交信」と呼ぶ。これが新たな宇宙的発展の希望と考えられているようである。

世界は悪魔が支配しているという話。ものが燃やされている映像。あるいは焚書を表しているのかも知れない。悪魔はいつまで経っても悪魔であり続けると考えたとしても、神を冒涜したことにはならないだろうという内容が読み上げられる。

山羊などアイスランドの家畜達が映った映像が流れた後で、ジョナスはカウベルなどを鳴らす。スクリーンにはすでに家畜はおらず、雪の畑を延々と歩き出す人の影が映し出されている。やがて右の方に北極海が見え、影は砂浜にたどり着く。

ジョナスは、最初は黒板のようなものが掛けられていた板に半紙を垂らし、墨で魚の絵を描く。

『極北の秘教』からの最後の引用が語られる。「時について」だ。「時の超越性は誰も知ることである。時はエネルギーでも物質でもないが、始まりと終わりを担っている。世界の創成のだ」
スクリーンには魚達の姿が映されている。あるいは他に意味があるのかも知れないが、「始まり」と「魚」は相性が良い。生物の始まりは魚だからである。
ジョーン・ジョナスは、教訓的な表現は行わない人だそうで、あるいは細分化して「意味」として受け取るのは間違っているのかも知れないが、「根源に戻ること」は何事においても重要なのかも知れない。我々はそもそも何を求めてどこからやって来たのかということだ。
キリスト教では、魚は特別な存在であり、題材からいってそちらの可能性もあるのだが、キリスト教徒の少ない日本においてはそうした解釈は真偽に限らず有効性を持たない。先の解釈の方が良いだろう。

Dsc_8152

| | コメント (0)

2019年12月 9日 (月)

コンサートの記(614) Marihiko Hara 《FOR A SILENT SPACE 2019 KYOTO》

2019年12月2日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホール

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールで、Marihiko Hara 《FOR A SILENT SPACE 2019 KYOTO》を聴く。
野田秀樹の「贋作 桜の森の満開の下」の音楽を手掛け、「『Q』 A Night At The Kabuki」ではサウンドデザインを手掛けた原摩利彦。1983年生まれ、京都大学教育学部卒業、同大学大学院教育研究科修士課程中退で、京都を本拠地としている作曲家である。現在は京都のパフォーマンス・アート・グループであるダムタイプにも参加している。ベートーヴェンと坂本龍一に影響を受け、坂本龍一とは後に共演も果たしている。
私は音楽家ではないが、好きな音楽は一致しているようである。

《FOR A SILENT SPACE》は、原摩利彦の室内楽コンサートのシリーズで、劇場での公演は初となる。原も「室内楽と言いながら基本一人なんですが」と語っていた通り、ピアノの他はコンピューターを使って流れる音楽で構成されており、演奏者は原一人である。今後は演奏家を増やしていく計画もあるそうである。

曲目は、「Habit」「Nuage」「Vibe」「山村余情」「Grazia」「Entree」「Carina」「Circle of Life」「Fontana」「Midi」「Memoire」「Inscape」「Nocturne」、映画「駅までの道をおしえて」より「Main Theme」、NODA・MAP舞台「贋作 桜の森の満開の下」より「Waltz」と「Princess Yonaga」、「Confession」「Passion」「Via Muzio Clementi」

演奏時間約1時間20分、ノンストップでのライブである。

コンピューターを使って出すアンビエント系の音楽は、坂本龍一よりも細野晴臣に近い印象を受けるが、ピアノで弾かれる曲はどれもどこか懐かしく、坂本龍一や坂本龍一が影響を受けた音楽家(ブライアン・イーノなど)の姿が仄見えたりする。基本的は鋭さの余りない美しい音楽である。

「贋作 桜の森の満開の下」は、残念ながら観ることが出来なかったのだが(新歌舞伎座での公演は抽選に漏れた)、「Waltz」も「Princss Yonaga(夜長姫)」も野田秀樹の世界観に合いそうな音楽である。実は「贋作 桜の森の満開の下」はテレビ放送されたものを録画はしているのだが、まだ観ていなかったりする。早く観よう。

ラストに弾かれた「Via Muzio Clementi」は、ローマのクレメンティ通り沿いにピアノの弾けるアパートを借りて、一夏掛けて作曲したそうである。それを友人に話したところ、「え? お前、ずっとローマにいて1曲しか書かなかったん?」と言われたそうで、原本人は「1曲書き上げたぞ!」という達成感で得意になっていたのだが、そう言われて、「え? 足りなかったん?」と肩透かしをくらったようになったそうだ。その友人というのが作曲やなんらかの創作をするのか否かで内容が変わってきそうな話であるが。

今の天候が雨上がりということで、アンコールとして「After Rain」という曲が演奏される。三拍子のウキウキした感じの曲であった。

Dsc_8078

| | コメント (0)

2019年10月27日 (日)

観劇感想精選(323) 「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演

2019年10月19日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演を観る。中村勘九郎と七之助の兄弟が15年間に渡って続けている特別公演である。基本的に歌舞伎専用劇場は用いず、日本各地の公共のホールを使った上演が行われている。

演目は、勘九郎と七之助による芸談の後で、「艶紅曙接拙 紅翫(いろもみじつぎきのつつか べにかん)」、「三ツ面子守(みつめんこもり)」、「松廼羽衣(まつのはごろも)」の3つの歌舞伎舞踊が繰り広げられる。

まず勘九郎と七之助による芸談がある。司会は関西テレビアナウンサーの谷元星奈。
勘九郎と七之助がそれぞれ挨拶するのだが、明らかに七之助に対しての拍手の方が大きい。勘九郎もキレのあるいい歌舞伎俳優であるが、華は不足がち。また若い女性にはどうしても女形の方が人気がある。
京都についての思い出から話し始める。二人が子どもの頃、父親である中村勘三郎はずっと南座での顔見世に出続けており、二人も冬休みの間は京都に来て父親と一緒に過ごしていたそうで、京都巡業といっても旅という感じはしないそうだ。一方、勘九郎と七之助が歌舞伎俳優として活躍し始めてからは、不思議なこと勘三郎が京都で公演を行うことは稀になってしまったそうで、2年前に勘九郎と七之助はロームシアター京都メインホールで行われた顔見世に登場しているが、家族の招きが上がるのは20数年ぶりだったそうである。

勘九郎が大河ドラマ「いだてん」で、主役の一人である金栗四三を演じたということで、その苦労話などが語られる。昨年4月からの撮影であったのだが、準備期間も含めて「ずっと走っていたような記憶がある」そうで、舞台では誤魔化せても映像では無理ということで、体作りのことなどを話す。歌舞伎で軽やかな演技を見せている印象のある勘九郎だが、実は「運動は大嫌い」「動くことがそもそも嫌いであり」、運動が得意そうと見られることも多いが、それは勘違いだという。歌舞伎をやっていると下半身が重要になるため腿が太くなるそうで、勘九郎の腿は周囲が62cmもあり、これはスピードスケートの金メダリストである清水宏保と同じ数値だそうである。ただ、マラソン選手でそんなに腿の太い選手はいないということで、腿の余計な肉を落とすことから始めたそうだ。運動の他に糖質カットダイエットなども行ったそうだが、糖質をカットすると怒りっぽくなるので困ったそうである。頭の働きにブドウ糖が必要ということは知られているが関係があるのだと思われる。食事は鶏のササミが中心。飲み物も水だけに限られるそうで、「地獄ですね」と勘九郎は語っていた。昨年の錦秋特別公演時も撮影期間に入っており、地方公演はその土地土地の地方グルメが楽しみなのだが、勘九郎は体作りのためにその土地のものは何も食べることが出来ず、持ち込んだ鶏のササミをずっと食べていたそうである。撮影時のロケ弁も美味しいのだが、やはり食べることが出来なかったそうだ。金栗が引退してからは体を引き締めなくても良くなり、食事制限が解除されてから初めて食べたのはカレーだそうである。三日三晩カレーが続いても大丈夫なほど好きであり、まず家庭の味のカレーを求めたそうだ(奥さんの前田愛が作ったのかな?)。そしてあれほど苦労して体を絞ったのに、「一瞬で元の体に戻った」そうで、「皆さん、ダイエットなんてしないほうがいいですよ」と語っていた。現在上映中の映画「JOKER」に主演しているホアキン・フェニックスも役作りのため体を絞ったが、「戻る時は一瞬だった」と同じ事を語っていたと紹介もする。

七之助も「いだてん」に出演し、最初は当時の落語家役など一瞬登場するだけのカメオ出演だと思っていたのだが、落語家・三遊亭圓生という重要な役どころだったため、残っている圓生の映像は全て見て研究したそうだ。
また現在、BSプレミアムで放送中の「令和元年版 怪談牡丹灯籠」にも出演しており、この作品は京都の太秦で撮影が行われたそうである。実は七之助はこれまで映像の仕事はほとんど断っており、1年に2度映像作品に参加するというのはとても珍しいことだそうである。「いだてん」に出ることに決めたのは、兄が出るということと、脚本が映画「真夜中の弥次さん喜多さん」でお世話になった宮藤官九郎ということも大きかったようだ。
同じNHKのドラマでも撮影の仕方に違いがあり、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」は1台か2台のカメラで撮影が行われるのだが、「いだてん」の現場にはカメラが5台ほどずらりと並んでいて、全て長回しでの撮影が平均で7回ほど繰り返されていたそうである。以前、「龍馬伝」の大友啓史監督が長回しで撮るという話を横浜で行われた「全国龍馬ファンの集い」でしていたが、今回もそれに近い手法が採られていたようである。
長回しは長回しで大変だが、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」はすぐカットのかかる細切れで撮っているため、「じゃあ、次、泣いて下さい」といわれたらすぐに泣かなければいけないそうで、感情の上げ方が難しいそうである。しかもその前の長めのセリフを撮り終えてカットが掛かってから、短いセリフの導入部ですぐに泣かなければならないため、なかなか上手くいかなかったそうだ。

二十代の頃は勘九郎が女形、七之助が立役という時代もあり、七之助は先月、南座での「東海道四谷怪談」でお岩さんを演じていたが、本当にやりたかったのは民谷伊右衛門の方だそうで、子どもの頃から演じてみたい人物のナンバーワンが伊右衛門だったそうだ。七之助の解釈では「伊右衛門は実はいい人」だそうで、お岩さんと実はとても愛していて、お岩さんの顔が薬で変わっていなかったらお梅を捨ててお岩とよりを戻した可能性もあると思っているそうである。お岩さんに対する態度も好きな人に踏ん切りをつけるためのいじめだと捉えているそうだ。

その後、二人で今日の演目の紹介を行い、客席からの質問を受ける。七之助への「女形をやる時には、女性の仕草を研究したりはするんですか?」という質問には、「女を演じているのではなく女形という生き物を演じている」ということで、「内面は女であることを目指しているが、仕草などは女形の先輩が残してきた型を参考に取り入れている」ということで本物の女性の仕草を参考にすることはないそうだ。女形として魅力的に見える仕草は女性のそれとは当然異なっており「所詮男なので」女であることでなく女形であることを目指しているそうだ。「普通の女の人がこんな髪の掻き上げ方したら嫌でしょ?」と型を見せて笑いも取っていた。

静岡公演では、昼公演と夜公演の間に羽衣伝説のある三保の松原を見に行き、その日の夜の公演の芸談で司会を務めた静岡のテレビ局のアナウンサーが、「羽衣が残っているんです」という話をしたため、「松廼羽衣」では特別に羽衣を切るという演出を加えたそうなのだが、三重公演の芸談でそれを明かしたために三重公演でも同じ演出を行うことになったそうで、「今日もそうなんですか?」という質問がある。勘九郎は「わかってます? それは脅迫です。質問じゃなくて」と返す。ただ七之助が「でもやるんでしょ?」と言ったため、今回も「松廼羽衣」は特別演出で行われることになった。

 

「艶紅曙接拙 紅翫」。出演は、中村いてう、中村仲助、中村仲之助、中村仲侍、中村仲弥、中村仲四郎、澤村國久。
富士山の山開きの日に、虫売り、朝顔売り、団子売りなどが集うのだが、芸達者の紅翫(中村いてう)が現れて、歌舞伎の様々な演目の真似を披露して一同を楽しませるという趣向である。主人公のモデルは紅谷勘兵衛という実在の人物だそうで、浅草で芸を披露して人気を博していたそうである。

 

「三ツ面子守」は、9月の南座「東海道四谷怪談」ではお梅を演じていた中村鶴松が一人で舞う。子守がひょっとこやおかめ、えびすなど次々と面を変え、衣装も替えて踊り続けるユーモラスな作品である。鶴松の舞踊は、手の動きがピシッと決まり、愛らしさもある巧みなものであった。

 

「松廼羽衣」。勘九郎と七之助の共演である。勘九郎演じる漁夫の伯竜は凜々しいが、七之助の演じる天女が現れるとやや姿がかすんでしまう。女形と立役の違いもあるが、七之助の方が華はあるようだ。
ともあれ、二人とも稀代の名優であった中村勘三郎の息子であり、譲り受けた芸の巧みさには十分に光るものがあった。

Dsc_7686

| | コメント (0)

2019年10月11日 (金)

コンサートの記(598) 原田慶太楼指揮 京都市交響楽団 「THE MUSIC OF JOHN WILLIAMS:STAR WARS AND BEYOND」@ロームシアター京都

2019年9月29日 ロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、原田慶太楼(はらだ・けいたろう)指揮京都市交響楽団による「THE MUSIC OF JOHN WILLIAMS:STAR WARS AND BEYOND」を聴く。アメリカの映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムズの音楽を取り上げる演奏会。MCは、有村昆。藤岡幸夫司会の音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」の映画音楽特集の回では毎回見かける有村昆だが、生で見るのは初めてである。

原田慶太楼は、今回が京響デビューとなる。1985年東京生まれ。幼少時よりインターナショナルスクールに通い、17歳の時に単身渡米してインターラーケン芸術高校音楽科で指揮を吹奏楽界の巨匠として知られたフレデリック・フェネルに師事。その後、複数の大学で学び、二十歳でジョージア州のメーコン交響楽団のアシスタント・コンダクターに就任。2010年にタングルウッド音楽祭で小澤征爾フェロー受賞。この時からジョン・ウィリアムズのアシスタントを務めるようになる。これまでに指揮をロバート・スパノ、マイケル・ティルソン・トーマス、オリバー・ナッセン、ヘルベルト・ブロムシュテットに師事。今年の夏までシンシナティ交響楽団と同楽団のシンシナティ・ポップス・オーケストラのアシスタントコンダクターを務め、来年からはジョージア州のサヴァンナ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽&芸術監督に就任する予定である。

 

曲目は第1部が、「オリンピック・ファンファーレとテーマ」、「ジョーズ」(The Shrak Theme from Suite from Jaws)、「スーパーマン」(Superman March)、「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(Raiders March)、「E.T.」(Flying Theme)、「ジュラシック・パーク」(The theme from Jurassic Park)、「シンドラーのリスト」(Theme from SCHINDLER'S LIST for Violin and Orchestra)、「ハリー・ポッターと賢者の石」(Hedwig's Theme)。
第2部では、「スター・ウォーズ」全8作からジョン・ウィリアムズと原田がコンサート用にまとめた音楽全曲が披露される。音源にはなっていないため、コンサートでしか聴けないバージョンだそうである。

 

今週の京都市交響楽団のスケジュールは変則的。昨日、同じロームシアター京都メインホールで「ドラゴンクエスト」の音楽を演奏しており、2日続けての演奏会開催となる。原田とのリハーサルは数日前に行い、原田はその後、東京交響楽団のコンサートを指揮してから京都に戻り、ゲネプロを行って本番ということになるようである。

2日続けての公演ということもあってか、楽団員の顔ぶれも定期演奏会とは異なり、コンサートマスターには客演の「組長」こと石田泰尚。第2ヴァイオリン副首席の杉江洋子、ヴィオラ首席の小峰航一、オーボエ首席の髙山郁子、クラリネット首席の小谷口直子らは降り番である。映画音楽に強いエキストラも何人か参加しているようだ。第1部ではホルンの1番は首席の垣本昌芳が吹いたが、第2部では水無瀬一成に変わった。

 

今日は3階席2列目の真ん真ん中という、音響的には最も良い部類に入ると思われる席である。

開演時間となり、楽団員が登場する。定期演奏会ではないので拍手はどうするのかなと思ったが、全員が客席の方を向いて立っている。だが、拍手が起こらない。なんとも妙な光景である。コンサートマスターの石田泰尚が姿を見せてようやく拍手が起こる。
つまり、定期演奏会に来ているお客さんは今日は客席にはほとんどおらず、拍手のタイミングがわかっていないのだ。別に私一人で拍手しても良かったのだが、複数の人が拍手しないとつられて拍手が起こるということはあり得ないので無駄である。複数のスタッフが袖でサクラの拍手を行うべきだったのかも知れないが。
今日来ているのはあくまでジョン・ウィリアムズの音楽が好きな人が大半で、これを機に京都市交響楽団の定期演奏会に通うようになるという人はほとんど現れないと思われ、また普段、定期演奏会に通っている人は映画音楽には興味がないのであろう。ジャンルの分断が起こっている。

 

日本でも活躍の場を広げている原田慶太楼は、若々しく、スケールの大きな音楽作りが特徴。ただ、ジョン・ウィリアムズの音楽性もあるのだと思われるが、ずっと押しの音楽作りを続けるところがあり、「スター・ウォーズ」の音楽は聴いていてかなり疲れたのも事実である。

有村昆は、映画のエピソードなどを紹介。「E.T.」の自転車が飛ぶシーンでは、ジョン・ウィリアムズが自転車が浮き上がるシーンに合わせて指揮することがどうしても出来なかったため、まずジョン・ウィリアムズに自身が最適と思うテンポで演奏して貰い、スピルバーグの方がそれに合わせて映像を作った(撮影したのか編集したのかは不明。話の流れからいって再度撮影した可能性の方が高いが)という話や実はE.T.が乗っていた自転車は日本製であるということ(大阪にあるKUWAHARAというメーカーのもの)、同じモデルの自転車が最近再発売されたことなどを語る。当時、アメリカの子ども達にはKUWAHARA(桑原商会)のBMX用自転車が大人気であり、撮影のために日本からわざわざKUWAHARAのBMXを取り寄せたそうである。ちなみに復刻版であるが5万円以上するそうでかなり高い。

「ジュラシック・パーク」は、CGの使用によって全世界を驚愕させた作品だが、当時はまだCGの精度は高くなく、実際には7分程度しか使われなかったそうで、それ以外は案外アナログな手法が取られていたそうである。

「シンドラーのリスト」に関しては、原田が「自分の作品の中で一番良くコンプリティリー(満足している)な作品」としてジョン・ウィリアムズがこの曲を挙げていたことを語る。原田は日本にいるときからインターナショナルスクール育ちで、その後、アメリカに拠点を置いているため、日本語よりも英語の方がずっと得意のようで、日本語の発音もそうだが、日本語で上手い言葉が見つからず英語の単語を挙げることが何度かあった。
映画ではユダヤ人であるイツァーク・パールマンが濃厚で思い入れのあるヴァイオリンを奏でるのだが、今回ソロを取る石田泰尚はやはり日本人なのでサラサラしている。

「ハリー・ポッターと賢者の石」のHedwing's Themeでは原作者であるJ・K・ローリングから「子どもを思わせるような楽器を」というリクエストがあったため、ジョン・ウィリアムズはチェレスタを選んだという話が二人から紹介される。ハリー・ポッターシリーズではふくろうが重要なイメージとなっているのだが、ヴィオラを中心とする弦楽がふくろうの羽ばたきを表現していると原田は語った。

 

第2部の「スター・ウォーズ」。演奏が始まる前に、有村昆が、「この中で『スター・ウォーズ』シリーズを1作でも見たことがあるぞという方、拍手をお願いします」と言い、盛大な拍手が返ってくる。それはそうである。「スター・ウォーズ」を観たことがないのにコンサートに来ていたとしていたらその方が変だ。ただ原田が「京響の方々から拍手がない」と言い、「でも楽器を持っていたからでしょう」と自らフォローするも、有村が「ご覧になったことありますよね?」と楽団員に聞く。
有村「反応が薄い」
実は第2ヴァイオリンの三瀬由起子さんが、Twitterで「スター・ウォーズ」を知らないということを明かしており、団員に「フォースを守る話」と聞かされても「ホーシ」と聞き間違え、更に「フォースってなんですか?」という状態なので、多分そんな人も多いのだろう。

先に書いたとおり、通して聴くと疲れるのだが、音の鳴りは完璧で、ジョン・ウィリアムズの実力の高さを知ることが出来るし、各曲の個性やインパクトも強烈である。ある意味、どんなクラシック作品よりもアメリカ的な音楽であるといえるのかも知れない。グスターボ・ドゥダメル指揮ロサンゼルス・フィルハーモニックが全曲ジョン・ウィリアムズによるコンサートを行い、ドイツ・グラモフォンからライブ録音によるCDが出ているが、もうアメリカのクラシック作品と捉えてもいいのではないだろうか。ハリウッド映画の音楽、そして誰もが知っているメロディーということで、まさにアメリカの象徴的なものなのだから。

ただ、そう考える日本人は少ないわけで、だからこそ聴衆の分断が起きているのである。アメリカなどでは映画音楽による定期演奏が行われているのだが、日本では難しそうだ。日本の映画音楽も手掛けるべきなのだが、残念ながら知られている日本映画の音楽はそれほど多くはない。京都市交響楽団は、新たな戦略を募集していて、映画音楽やライトクラシックの音楽会で客層を広げようと考える人も多いと思われるのだが、今日の雰囲気だとそれは大して意味がなさそうである。映画音楽を聴く人はクラシックのコンサートには来ないし、逆もしかり。やはりYouTubeなどによる映像配信が最良の手なのかも知れない。ガリシア交響楽団という、世界的には無名なオーケストラを私はよく知っているのだが、それはなぜかといえばYouTubeチャンネルを持っていて、演奏をよく配信しているからである。「百聞は一見にしかず」というが、映像配信なら百聞と百見が共に可能なのだから、昨日行った霊光殿天満宮の額にあった通り「天下無敵・必勝利運」となるのではないか。

 

アンコールでは「スター・ウォーズ」メインテーマ完全版を原田と有村の二人で指揮する。途中で二人はライトセーバーを取り出して指揮。実は有村はライトセーバーが大好きで、TOKYOSAVERZというライトセーバーを使った殺陣ダンスユニットのプロデュースも行っているそうである。

Dsc_7536

 

| | コメント (0)

2019年9月23日 (月)

観劇感想精選(318) 「人形の家 PART2」

2019年9月14日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、「人形の家 PART2」を観る。作:ルーカス・ナス、テキスト日本語訳:常田景子、演出:栗山民也。
永作博美、山崎一、那須凜、梅沢昌代による4人芝居。

ヘンリック・イプセンの有名作「人形の家」の15年後を描いた作品である。ルーカス・ナスは、1979年、アメリカ・フロリダ州オーランド生まれの劇作家。ニューヨーク大学を卒業し、現在は同大学の助教授を務めているという。もともとイプセンの大ファンであり、「人形の家 PART2」は2017年に書かれて初演。これがナス初のブロードウェイ進出作品となったそうである。

新劇のレパートリーとして最も重要な「人形の家」だが、関西で観る機会はほとんどない。一度、兵庫県立芸術文化センターで北乃きいのノラによる上演があり、チケットは取ったのだが、行くことは叶わなかった。

女性の自立を描いたとして、演劇史上に残るマイルストーンとなった「人形の家」。主人公の名前であるノラもとても有名だが、ではノラは家を出た後どうなったのかについて想像を巡らすと、余り良い展開は望めないというのが一般的な回答である。実は「人形の家」の続編として書かれた戯曲はいくつかあるそうなのだが、いずれも悲劇となっている。当時は女性は自立しようと思っても、まず経済的に自立出来る立場には置かれていなかった。「人形の家」ではノラが内職として裁縫をしていることが語られる場面があるが、当時は結婚した女性が労働を行うのは法律で禁じられており、屋内で細々と内職をする以外にお金を稼ぐ当てはなかったのである。

ところが、「人形の家 PART2」で、15年ぶりにヘルメス家に帰ってきたノラ(永作博美)は、ベストセラー作家となっている。書いたのは私小説であり、自身と夫のトルヴァル・ヘルメス(山崎一)との決別を赤裸々に描いたものだった。ペンネームを使っての発表であるため、ヘルメス家の人々は正体がノラだと気がついていなかったが、ノラの書いた小説は多くの女性に感銘を与えた。しかし、感銘を与えすぎて離婚に走る女性が増えたため、社会問題をも生み、ノラも多くの人の怒りを買うことになる。ノラを憎悪する文芸評論家がノラの本名を暴いた。「ノラ・ヘルメス」。ここでノラは自分の姓が結婚時のヘルメスのままになっていることに気づく。夫のトルヴァルは自分が出て行った後に離婚の手続きをしたものだとノラは思い込んできたのだが、実際はそうではなかった。離婚が成立していなければ本の印税などは自分のものとはならない。そこでノラは15年ぶりにヘルメス家を訪れたのだった。

乳母のアンネ・マリー(梅沢昌代)もすっかり老女となり、幼かった娘のエミー(那須凜)も大きくなっていた。だが、アンネ・マリーはエミーらを母親代わりとして育てたことをノラが全く感謝しないことに苛立ち、ノラの行いを社会秩序を乱すものと見なして批難する。エミーも結婚観を巡ってノラと対立。更に実は15年の間にノラは世間によって他界したと見なされるようになっており、トルヴァルも寡夫として周囲の人々からの援助を受けてきたことがエミーによって知らされる。もし今、ノラが生きていて離婚を迫っていると知られたら、トルヴァルは詐欺罪で告訴されるだろうとエミーは告げる。

 

4人の人物が登場するが、基本的にダイアローグの形で話は進んでいく。ノラ役の永作博美だけが出ずっぱりである。1幕5場からなる上演時間約1時間45分の作品。1場のタイトルは「ノラ」、2場が「トルヴァル」、3場が「アンネ・マリー」、4場が「エミー」、5場が「ノラ&トルヴァル」で、タイトルは、背後の壁に光の文字で投影される。

ノラとトルヴァル、アンネ・マリー、エミーの対話が繰り広げられるのだが、そこには多くの誤解、思い込み、すれ違い、価値基準の懸隔など、「わかりあえない」要素が含まれている。
最も大きな対比は、「因習」と「自由」であり、いかにもアメリカの劇作家が書いた作品という印象も受ける。

「人形の家」では、自立したとされるノラだったが、実際には、妻を「許す」だと「教育する」だのと言うトルヴァルの傲岸な態度とその裏に横たわる伝統に反旗を翻したという側面も強い。つまり反抗者だ(と考えてみれば、ノラはペール・ギュントなどと実は近しい存在と見ることも出来る)。一方、「人形の家 PART2」でのノラは作家として新たなる女性の価値観や存在意義を打ち出そうという野心を持っており、かなり積極的で革新的な創造者となることを夢見ている。15年の歳月がそうさせたという解釈なのだと思われるが、ルーカス・ナスがそれ以上に現代における女性の立場を描くために「人形の家」を枕として物語を構築したと見ることが出来るように思う。イプセンの時代にあっては、女性は夫に隷属する存在であったが、現代に生きるルーカス・ナスは、シングルでたくましく生きる多くの女性への吶喊としてこの物語を示しているように思われる。「人形の家 PART2」におけるノラは、まさにトップランナーでありヒロインだ。

Dsc_7354

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドキュメンタリー映画 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 動画 千葉 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画