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2021年4月 8日 (木)

コンサートの記(706) 「コバケン・ワールド in KYOTO」@ロームシアター京都メインホール 2021.4.4

2021年4月4日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「コバケン・ワールド in KYOTO」を聴く。指揮とお話を小林研一郎が受け持つコンサート。
本来は、今年の1月23日に行われるはずの公演だったのだが、東京も京都も緊急事態宣言下ということもあり、今日に順延となった。

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現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている小林研一郎と日本フィルハーモニー交響楽団のコンビによる演奏である。
「炎のコバケン」の名でも知られる小林研一郎は、京都市交響楽団の常任指揮者を務めていたことがあり、日フィルこと日本フィルハーモニー交響楽団もロームシアター京都が出来てからは毎年のように京都での公演を行っているが、親子コンサートなどが中心であり(来月5日の子どもの日にも、ロームシアター京都のサウスホールで、海老原光の指揮により「小学生からのクラシック・コンサート」を行う予定)、本格的な演奏会を行うのは今回が初めてとなる。コバケンと日フィルの顔合わせで京都公演を行うのは今回が初めてとなるようだ。

 

小林研一郎は、1940年生まれで、昨年卒寿を迎えた。福島県いわき市出身。東京藝術大学作曲科卒業後に同大指揮科を再受験。芸大は編入などを一切認めていないため、受験勉強をやり直して合格し、1年生から再スタートしている。その頃は指揮者コンクールの多くに25歳までと年齢制限があり、芸大指揮科卒業時には20代後半となっていた小林は年齢で引っかかったが、年齢制限が緩かったブダペスト国際指揮者コンクールに応募して第1位を獲得。その縁でハンガリーでの活動が増え、同国最高のポストであるハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督としても活躍。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者時代には、「プラハの春」音楽祭のオープニングである、スメタナの連作交響詩「我が祖国」の指揮も務めている。
日本では日本フィルハーモニー交響楽団と長年に渡ってパートナーを組み、首席指揮者、常任指揮者、音楽監督と肩書きを変え、2010年に名誉指揮者の称号を与えられている。1985年より京都市交響楽団常任指揮者を2年だけ務めた。最近はインスタグラムにはまっているようで、更新回数も多い。

日本フィルハーモニー交響楽団は、元々はフジサンケイグループの文化放送が創設したオーケストラであり、ドイツ本流の楽団を目指すNHK交響楽団に対抗する形でアメリカのオーケストラを範とするスタイルを採用。渡邉暁雄や小澤征爾をシェフとして、一時はN響と共に日本を代表する二大オーケストラと見なされていた時期もあったが、1972年にフジテレビと文化放送から一方的な資金打ち切りと解散を命じられる。この時、小澤征爾が日本芸術院賞受賞の際に昭和天皇に直訴を行い、右翼から睨まれるなど社会問題に発展している。結局、小澤とそれに従った楽団員が新日本フィルハーモニー交響楽団を創設し、残った日本フィルハーモニー交響楽団は「市民のためのオーケストラ」を標榜して、自主運営という形で再スタートを切った。
渡邉暁雄とは、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音での「同全集」を作成するという快挙を成し遂げており、現在も首席指揮者にフィランド出身のピエタリ・インキネン(インキネンともシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音による全集がリリースされた)、客員首席指揮者にエストニア出身のネーメ・ヤルヴィ(ネーメともシベリウス交響曲チクルスを行っている)を頂くなど、シベリウスと北欧音楽の演奏に強さを発揮する。

そんな日フィルの京都における初の本格的な演奏会ということで、曲目には、グリーグの「ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)」より第1曲“前奏曲”、グリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:田部京子)、グリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より“朝”“オーゼの死”“アニトラの踊り”“山の魔王の宮殿にて”“ソルヴェイグの歌”、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と北欧を代表する曲がずらりと並ぶ。初回ということで自分達の最も得意とする分野での勝負である。

今日のコンサートマスターは木野雅之(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)、首席チェロが「ペール・ギュント」では活躍するということで、日本フィル・ソロ・チェロの菊池知也の名が無料パンフレットには記されている。

日本フィルは自主運営ということもあり、東京のオーケストラの中でも経済的基盤は弱い。今回のコロナ禍によって苦境に立っており、寄付を募っている。

 

グリーグの「ホルベルク組曲」より第1曲“前奏曲”は、指揮者なしでの演奏。弦楽合奏で演奏されることも多い曲だけに、整った仕上がりとなった。

その後、小林研一郎が登場。今日はマスクをしたままの指揮とトークである。「私が出遅れたというわけではありませんで、室内楽的な演奏を聴いて頂こう」というわけで指揮者なしでの演奏が行われたことを説明する。
その後で、コバケンさんは、京都市交響楽団常任指揮者時代の話を少しする。任期中に出雲路にある現在の練習場が出来たこと、また新しいホール(京都コンサートホール)を作る約束をしてくれたこと、京都会館第1ホールで行われた年末の第九コンサートの思い出などである。

 

田部京子を独奏に迎えてのグリーグのピアノ協奏曲イ短調。田部京子はこの曲を得意としており、私自身も田部が弾くグリーグの実演に接するのはおそらく3度目となるはずである。田部の独奏によるグリーグのピアノ協奏曲を初めて聴いた時も日本フィルとの共演で、東京芸術劇場コンサートホールでの演奏会だったと記憶している。

田部京子は、北海道室蘭市生まれ。東京藝術大学附属高校在学中に、日本音楽コンクールで優勝。ベルリン芸術大学に進み、数々のコンクールで優勝や入賞を重ねている。リリシズム溢れるピアノが持ち味で、グリーグなどの北欧作品の他に、シューマン、シューベルトを得意とし、シベリウスに影響を受けた作曲家である吉松隆の「プレアデス舞曲集」の初演者にも選ばれて、CDのリリースを続けている。

先に書いた通り、田部の弾くグリーグのピアノ協奏曲は何度も聴いているが、結晶化された透明度の高い音が最大の特徴である。国民楽派のグリーグの作品ということで、民族舞曲的側面を強調することも以前は多かったのだが、今回は控えめになっていた。
スケールも大きく、理想的な演奏が展開される。

今回は指揮台の前に譜面台は用意されておらず、小林は全曲暗譜での指揮となる。
ゲネラルパウゼを長めに取ったり、独特のタメの作り方などが個性的である。

田部のアンコール演奏は、シベリウスの「樹の組曲」より“樅の木”。田部はシャンドス・レーベルに「シベリウス ピアノ曲集」を録音しており、「樹の組曲」も含まれていて、現在ではナクソスのミュージック・ライブラリーでも聴くことが出来る。
透明感と憂いとロマンティシズムに溢れる曲と演奏であり、田部の長所が最大限に発揮されている。
シベリウスはヴァイオリンを自身の楽器とした作曲家で、ピアノも普通に弾けたがそれほど好んだわけではなく、残されたピアノ曲は全て依頼によって書かれたもので、自分から積極的に作曲したものはないとされる。ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなども手がけていない。ただ、こうした曲を聴くと、ピアノ曲ももっと聴かれても良いのではないかと思えてくる。

 

後半、グリーグの「ペール・ギュント」より。第1組曲に「ソルヴェイグの歌」(第2組曲に入っている)が足された形での演奏である。

演奏開始前に、小林はマイクを手にスピーチ。演奏だけではなく「ペール・ギュント」という作品のあらすじについても語りながら進めたいとのことで、出来れば1曲ごとに拍手をして欲しいと語る。

第1曲の「朝」は非常に有名な曲で、グリーグや「ペール・ギュント」に関する知識がない人でも一度は耳にしたことのある作品である。
この曲は、「モロッコ高原での朝について書かれたものですが、やはり作曲者の故郷の、氷が張った海に朝日が差し込むような、あるいは日本の光景でも良いのですが、そうしたものを思い浮かべて頂ければ」というようなことを語ってのスタートである。
ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読む戯曲)として書かれたもので、イプセン自身は上演を念頭に置いていなかったのだが、「上演して欲しい」との要望を断り切れなくなり、ノルウェーを代表する作曲家になりつつあったグリーグの劇付随音楽ありならという条件の下で初演が行われ、一応の成功はしているが、その後はグリーグの曲ばかりが有名になっている。「ペール・ギュント」のテキストは、イプセン全集に収められていたり、単行本も出ていたりで、日本でも手に入れることは可能である。

「オーゼの死」について小林は、シンプルなメロディーで見事な効果を上げていることを褒め、「アニトラの踊り」の妖しさ、「山の魔王の宮殿にて」(3月で放送が終了した「ららら♪クラシック」のオープニングテーマであった)の毒についても語る。「ソルヴェイグの歌」は、ペール・ギュントの恋人であるソルヴェイグが、今どこにいるのか分からないペール・ギュントを思いながら歌う曲である。コバケンさんは、ペール・ギュントと共にソルヴェイグが死ぬ時の歌と説明していたが、厳密には誤りで、ペール・ギュントが息絶える時に歌われるのは「ソルヴェイグの子守歌」という別の歌で、ソルヴェイグ自身は死ぬことはない。

この曲でもゲネラルパウゼが長めに取られるなど、小林らしい個性が聴かれる。

 

シベリウスの交響詩「フィンランディア」の演奏前には、小林はステージ下手に置かれたピアノを弾きながら解説を行う。帝政ロシアの圧政のように響く冒頭は、小林の解釈によるとギロチンで処刑されるフィンランドの人々を描いたものだそうで、その後に悲しみのメロディーが流れ、やがて戦争が始まる。「フィンランド第2の国歌」として知られる部分を小林はテノールで歌った。

演奏も描写力に富んだもので、抒情美も見事であった。

 

アンコール演奏については、小林は、「よろしかったら2曲やらせて下さい」と先に言い、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲と、ブラームスのハンガリー舞曲第5番が演奏される。
ブラームスのハンガリー舞曲第5番は、スローテンポで開始して一気に加速するというアゴーギクを用いた演奏で、ハンガリーのロマ音楽本来の個性を再現していた。

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2021年4月 1日 (木)

ロームシアター京都 ハンブルク・バレエ団 「ベートーヴェン・プロジェクト」映像上映会

2021年3月21日 ロームシアター京都サウスホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、ハンブルク・バレエ団の映像上映会、「ベートーヴェン・プロジェクト」を観る。

本来は、この3月にハンブルク・バレエ団の来日公演として「ベートーヴェン・プロジェクト」の日本初演がロームシアター京都メインホールで行われるはずだったのだが、コロナ禍によって来日不可となり、代わりに「ベートーヴェン・プロジェクト」とコロナ下に制作された新作「ゴースト・ライト」の上映会が行われることになった。昨日と今日、「ベートーヴェン・プロジェクト」が午後1時から、「ゴースト・ライト」が午後5時から上映される。ということで今日2本とも観ることが可能なのだが、バレエの映像を1日2回観たいと思うほどバレエ好きではない。

「ベートーヴェン・プロジェクト」は、2018年に初演された作品。映像は2019年10月にバーデン=バーデン祝祭劇場で行われた上演を収めたものである。この映像はBSプレミアムの「プレミアムシアター」で放送されており、またDVDやBlu-rayも発売されていて、家庭でも観ることが出来る。振付:ジョン・ノイマイヤー。第1部のピアノ演奏:ミカル・ビアウク。第2部と第3部の演奏は、サイモン・ヒューイット指揮のドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団。映像監督はミリアム・ホイヤー。

第1部「ベートーヴェン・フラグメント」、第2部「プロメテウスの創造物」、第3部「エロイカ(英雄)」の3部からなる。

 

第1部「ベートーヴェン・フラグメント」。プロメテウス主題が登場する「エロイカ変奏曲」が演奏される。3部ともプロメテウス主題が登場する作品が演奏され、人類に叡智を与えたプロメテウスと人類そのものへの讃歌が奏でられる。

ベートーヴェン自身を演じているのは、アレイズ・マルティネス。ベートーヴェン本人も推定身長165センチと、当時の西洋人としてもやや小柄だったようだが、マルティネスも他の男性バレエダンサーと比較して明らかに背が低いダンサーである。女性ダンサーよりも小さいかも知れない。

マルティネスが演じているベートーヴェンは、おそらくまだ若い頃、ハイリゲンシュタットの遺書を書いた時代だと思われる。
ピアノの足に絡みついていたマルティネスは、プロメテウス主題に合わせて踊る。やがて高貴な身分を表すと思われるマントを羽織った男性ダンサーが登場するが相手にされない(貴族に憧れつつも果たせないベートーヴェンの心情を表現したようである)。男性ダンサー二人組と楽しく踊った後で、男女のペアが現れる(女性ダンサーはアジア系である)。男女のペアとも楽しく踊るベートーヴェンだが、結局、ペアはペアのまま去り、先程現れた男性ダンサー二人組も、新たに現れた女性ダンサーに夢中になり、ベートーヴェンに構ってくれず、最後にはベートーヴェンは突き飛ばされて横転してしまう。その後、花嫁衣装のダンサーが現れるが、彼女はピアニストにご執心というわけで、作曲家の孤独が描かれている。やがてベートーヴェンは芸術そのものを恋人とし、人生を捧げることを誓う(セリフがないので「ように見える」というだけで、ノイマイヤーの実際の意図は不明である)。すると、それまですげなくしていたダンサー達が音楽の精として生まれ変わったように快活なダンスを披露し、最後はベートーヴェンを掲げて礼賛する。

続いて演奏されるのは、ピアノ三重奏曲「幽霊」である。不協和音が印象的な作品として知られている。赤いドレスの女性ダンサーが登場し、ベートーヴェンとパ・ド・ドゥを行うのだが、やがて彼女はすでに亡き人となっていることがうつ伏せに横たわることで示される。赤いドレスの女性ダンサーはその後に一度起き上がるのだが、それはベートーヴェンに喪服を着せるためであり、その後、男性ダンサー二人に仰向きに掲げられて退場する。恋人のように見えたのだが、実際はベートーヴェンの母親であるマリアであったようだ。赤い服を着た女性ダンサーはもう一人現れ、こちらが「不滅の恋人」のようである。

突然、金属音が混じり、録音によるピアノの演奏が奏でられる。宿痾となった難聴の始まりである。やがてピアニストのミカル・ビアウクもベートーヴェン役のマルティネスと視線を交わして退場する。悲劇の予兆だが、ベートーヴェンはそれを乗り越えていく。

第2部「プロメテウスの創造物」では、ベートーヴェンの母親役だと思われる女性ダンサーがこれから演奏される曲目について解説を行う。ドイツ語で、日本語字幕もないため何を言っているのかよく分からないが、ベートーヴェン作曲の「プロメテウスの創造物」からの2曲が演奏されると言っていることだけはなんとなく分かる。
第2部は第1部と異なり物語性は低め。天上の描写があり、アポロ神を始めとする多くの神々がベートーヴェンを祝福する。

 

第3部の「エロイカ(英雄)」。こちらも第2部同様、エネルギッシュでバリエーションに富んだ表現が中心だが、第2楽章の葬送行進曲だけは人一人の死というよりも何らかの崩壊が描かれているようであり、強い悲劇性を帯びている。

ハンブルク・バレエ団であるが、東アジア人のダンサーがかなり多い。特にアジア人女性ダンサーは重要な役割を担っている。エンドクレジットで確認したところ、日本人、中国人、韓国人の全てが含まれていることが分かった。日本人女性ダンサーは二人いて、有井舞耀(ありい・まよ)と菅井円加であることが確認出来た。

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2021年3月25日 (木)

楽興の時(41) ロームシアター京都 Holiday Performance Vol.7 正直

2021年3月21日 ロームシアター京都3階共通ロビーにて

3階の音楽サロンで「ロームシアター京都開館5周年記念 自主事業ポスター展」を観ていくことにする。3階共通ロビーに行くと、仮設のステージが設けられ、椅子が並べられている。午後3時半から、Holiday Performance vol.7として、正直というユニットのミニライブがあるようだ。ロームシアター京都の職員となった枡谷雄一郎が責任者を務めているようである。

積極的に聴こうという気にはならなかったのだが、雨の降りがまだ強く、この後、特に用事もないので、聴いていくことにする。
正直は、小林椋と時里充によるユニット(バンド)で、2016年に結成。最近は養生テープとモーターを使った演奏(一種のノイズミュージック)を行っているようで、今日もモーターを使って養生テープを伸ばしたり、回転させたりする時に出る音(ノイズだが)を音楽として提示するという演奏を行った。
ノイズミュージックであり、聴いていて楽しくなるという種類のものではなく、山場があるというわけでもないが、その分、ずっと聴いていることは可能である。

「音楽として聴こうと思えばなんだって音楽になる」(ジョン・ケージ)

この作品も、機械の調子によって生まれる音が異なるので、ケージが提唱した「偶然性の音楽」でもある。

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2021年3月11日 (木)

観劇感想精選(386) COCOON PRODUCTION2021 「マシーン日記」京都公演

2021年3月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後6時30分から、ロームシアター京都メインホールで、COCOON PRODUCTION2021 「マシーン日記」を観る。作:松尾スズキ、演出:大根仁。松尾スズキがBunkamuraシアターコクーンの芸術監督に就任したことを記念して行われる公演で、横山裕(関ジャニ∞)、大倉孝二、森川葵、秋山菜津子による4人芝居である。ジャニーズ、それも関西ジャニーズの関ジャニ∞のメンバーである横山裕の主演ということで、来場者の99%以上は女性である。松尾スズキ作品であり、若い女性が好むような作品ではないと思われるのだが、集客という意味では成功したようである。なお、横山裕が新型コロナに感染したため、数公演が中止になっているが、更に横山がストーカー被害に遭っており、会社員の若い女性が逮捕されたとの報道が今日あった(その後、横山裕のマネージャーへのストーカー行為であったとの報道に変わった)。横山も災難続きのようである。
ジャニーズチケットというものがあるようなのだが、おそらくファンクラブのメンバーであることが必須で、身元はハッキリしているため、そちらでチケットを購入した人は特に何かをする必要はないのだが、それ以外の手段でチケットを購入した人は、半券の裏に氏名と電話番号を記入する必要がある。

「マシーン日記」は1996年の初演。戯曲も発売されているが、再演の度に松尾スズキが筆を加えており、今回のバージョンも発売となっている。松尾スズキの戯曲は基本的に私小説的な要素が強いと思われ、「マシーン日記」の他にも「ふくすけ」などでもいじめと復讐が描かれていたり、ミュージカル「キレイ」でも監禁されるという設定が登場する。松尾スズキ本人は子どもの頃は体育の授業はずっと見学だったというほどの虚弱児童で、大学は芸術学部に入るも、周囲に比べて画才がないことで落ち込み(ただそのことが本格的に演劇を始めるきっかけになる)、大学卒業後に就職したデザイン会社でも、正社員でありながら学生アルバイトに負けてしまうほど仕事が出来ないということで、かなりのコンプレックスを抱いていたようである。監禁された人々は、体が弱く劣等感の塊だった時代の松尾スズキ本人の姿が投影されていると解釈した方が分かりやすいように思う。

演出の大根仁は、ドラマ好きにはよく知られている人で、堤幸彦のオフィスクレッシェンド所属。堤幸彦が見出した才能で、「TRICK」シリーズでいくつかの演出を手掛けたほか、大河ドラマ「いだてん」にも演出として参加している。
映像出身ということで、「マシーン日記」でも映像を多用しているが、ベルトコンベアの動きを映像で出したこと以外は、大きな効果は上げられなかったように思う。

 

通常ならオーケストラピットとして使用出来るスペースに舞台を置き、本来のステージ上に客席を設け、更にオーケストラピット上の舞台を左右から挟む形での舞台上客席も設置されていて、舞台を4面から見る客席配置となっている。今日は私は通常の客席であったが、1階の左側サイド席(バルコニー席)である。バルコニー席の最後列にあるハイチェア席と4階席は未使用での上演となった。

 

小さな町工場である、ツジヨシ兄弟電業(舞台上方に会社名を書いた木製の看板が下がっている)が舞台であり、そこから一歩も出ることなく物語が進むという一杯飾りの作品である。中央に多角形(一見すると円形に見えるがそうではない)の回り舞台があり、周囲を途切れ途切れではあるが、ロープ状のものが囲っていて、プロレスのリングのように見えなくもない。秋山菜津子演じるケイコは、髪型といいメイクといい服装といい女子プロレスの悪役のような格好をしている。客席の配置から言ってもプロレスが意識されていることは明らかである。この回り舞台の中で様々な異種格闘技が展開される。

「オズの魔法使い」より“Over the Rainbow”が流れて芝居が始まる。この音楽はその後の重要な場面でも流れ、更に「オズの魔法使い」の変種の物語であることも提示される。

ツジヨシ家の次男であるミチオ(横山裕)は、1年前の雨の日、「哀れな女工」を強姦した。そのことでミチオは逮捕され、仮釈放となるも、そのまま兄であるアキトシ(大倉孝二)によってツジヨシ兄弟電業のプレハブ小屋に監禁される。右脚を鎖で繋がれており、プレハブ小屋から出ることが出来ない(ミチオが「俺はプレハブ小屋を繋いでいる」と語る場面があり、冗談ではあるのだが、実際にそのように思える瞬間もある)。だが、ミチオは電気修理に関しては秀でた能力があり、月収3万円でありながら、ツジヨシ兄弟電業の修理の仕事のほぼ全てを手掛けていた。勿論、修理の仕事が好きだったというのが主な理由だが、その他にも理由があった。ミチオは子どもの頃からいじめられっ子であり、かつて自分をいじめた人々から受けた電気修理の過程で盗聴器を忍び込ませて盗聴を繰り返し、彼らが不幸になっていくのを楽しんでいた
ミチオが強姦した「哀れな女工」であるサチコ(森川葵)は、ミチオの兄であるアキトシと結婚した。弟のしでかしたことは兄が責任を取るということで結婚したのだが、その理屈にサチコもミチオも納得していない。ただミチオはサチコを受け入れておらず、ある意味、サチコがアキトシと結婚したことに安堵しているようでもある。なお、アキトシも以前に事件を起こしたことがあり、その影響でミチオの就職が取り消しになっている。だがその後、就職先でもかつてのいじめっ子に会ったという話をミチオはしているため、家業以外での地元での就職をおそらく短期間ではあるが経験していることが分かる。ケイコから、街を出るという選択はなかったのかと聞かれたミチオであるが、そのことについては考えたことがなかったようである。アキトシやサチコ同様、ミチオも「ここ」以外の場所での生活に怖れを抱いているようにも見え、また実際は「ここ」に居続けることを欲しているように思われる。
なお、兄のアキトシは、生まれつき左手の指が6本あるという奇形で、その後も飼っているワニに片方の睾丸を食いちぎられるなど、異形のものとなっていた。更に双極性障害(暴力癖が見られるため、重度のⅠ型であると思われる。双極性障害Ⅰ型の場合は入院が必要になるケースも多い)を患っており、心身ともに他者と違うことで暴走に歯止めが利かない。事実上、「ここ」以外の場所には行けない人間である。
アキトシは事件を起こした後、父親によってやはりプレハブ小屋に監禁されたことがあったそうだが、父親の話が出てくるのはここだけで、母親は「アキトシが夜中に母親の名を呼ぶTikTokをやっている」という話にしか出てこない。家族の存在は希薄で、それ故にアキトシは家族にこだわっていることが見て取れる。

ツジヨシ兄弟電業に新たなパートが入ることになる。ツジヨシ兄弟電業初の大卒社員となるケイコだ。ケイコは元中学校の教師で、サチコの恩師でもあった。サチコは中卒のようで、そのことをアキトシから見下されており、度々DVを受けていたが、彼女もミチオ同様、ツジヨシ兄弟電業から出ることが出来ないでいる。ケイコは、サチコのことをMであり、SMが好きなのだと断言する。
ケイコは、理数系であったが体育教師であり、かつてはオリンピックの日本代表になったこともあるほどの陸上選手だったが、両性具有者であったため(つまり彼女も異形者である)、セックスチェック(性別審査)に引っかかり、出場はならなかった。ケイコは、度々音楽が流れるマイケル・ジャクソン(黒人に生まれながら白人であろうとした)のような矛盾を抱えたアキトシやサチコとは異なり、単純な駄目男であるミチオを気に入り、様々な体位での性交をミチオと試みるようになる。ケイコは、サチコの同級生で、やはりいじめられっ子だったマツザワという生徒と結婚しており、単純な駄目男を受け入れることが好きなようである。ただそのことでサチコの夢を二度、いや三度も奪うことになる。
ケイコはミチオのセックスマシーンになることを決め、ミチオもケイコを3号機と名付ける。情を交わした3番目の女という意味で、1号機は中年の女性、2号機はサチコだった。
やがてミチオとの間の子を宿したケイコはミチオをトラウマから強引に解放するためのマシーンとして暴走を始めて行く。

 

大倉孝二と秋山菜津子というキャリア豊かな舞台出身の俳優の中にあって、横山裕は大健闘。ジャニーズは厳しいと言われているが、そのため演技をストイックに磨き抜くタイプが多く、横山もそれに入ると思われる。ダンスシーンも用意されているが、やはり横山のキレがダントツであり、これだけでも観客を魅了するのに十分であった。

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2021年1月22日 (金)

コンサートの記(686) ロームシアター京都開館5周年記念事業 京都市交響楽団×石橋義正パフォーマティブコンサート

2021年1月17日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、ロームシアター京都開館5周年記念事業 京都市交響楽団×石橋義正パフォーマティブコンサートを聴く。出演者側というよりも入場者側の問題だったのか(午後2時を過ぎてから客席に入ってくるお客さんが結構いた)、開演は15分以上押した。

先週の「雅楽――現代舞踊との出会い」とのセット券(S席のみ)も発売されていたが、先週の同じ時間帯に京都市交響楽団は京都コンサートホールでニューイヤーコンサートを行っていたため、京響のファンはニューイヤーコンサートを優先させる人が多かったはずで、多分、それほど売れなかったと思われる。それでもヘアスタイルからバレエをやっているとわかる女の子達が集団で訪れるなど、バラエティに富んだ聴衆が集っているのが見て取れる。

今日の公演はタイトル通り、京都市交響楽団と演出家・映画監督で京都市立芸術大学美術科教授でもある石橋義正のコラボレーションである。

指揮者は園田隆一郎。オーケストラが舞台の後部に控える配置である上に、照明がそれほど明るくないのでハッキリとは見えなかったが、コンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーは尾﨑平であると思われる。管楽器のソロが重要になる曲目が多いということで、フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子も全編出演する。

その曲目は、ストラヴィンスキーの交響的幻想曲「花火」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルの「ボレロ」、ラヴェルの歌曲集「シェエラザード」(ソプラノ独唱:森谷真理)、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。
私の世代だと、これらの楽曲はシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団のCDで初めて聴いたケースが多いと思われる。私の場合も、「ボレロ」だけはアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団盤が初めて聴いた演奏だが、それ以外はデュトワ指揮モントリオール響のCDで初めて耳にしている。丁度、私の十代から二十代初頭に掛けてデュトワとモントリオール響はこれらの曲を録音して次々にリリースしていた。

パフォーマンスの出演は、「花火」が花園大学男子新体操部。「牧神の午後への前奏曲」と「火の鳥」が、茉莉花(まりか。コントーション)、池ヶ谷奏(いけがや・かな)、薄田真美子(うすだ・まみこ)、斉藤綾子、高瀬瑶子、中津文花(なかつ・あやか)、松岡希美(以上、ダンス)。「ボレロ」がアオイヤマダとチュートリアルの徳井義実。
振付は藤井泉が行う。ビジュアルデザインは江村耕市。衣装は川上須賀代。特殊メイクはJIRO(自由廊)。

石橋の演出は全般的に「生命の輝き」を軸としたものである。

 

張り出し舞台にしての公演。「火の鳥」はオーケストラピットの上に板を置いてコントーション(体の柔らかさなども生かした曲芸的なダンス)の茉莉花が舞台前方で踊る場面が続いたのだが、張り出し舞台の前方で踊るとやはりよく見えない(今日は私は3階席にいた)。

オペラやバレエでタクトを執ることも多い園田隆一郎だが、今日は舞台後方での演奏であり、ダンスを確認しながらの指揮ではない。音楽にパフォーマーが合わせる形になるが、その場合はインテンポでの演奏を行えた方が良い。園田はそうした職人芸も持ち合わせているため、演奏自体もかなり高度なものになる。それにしても京都市交響楽団も随分上手くなった。私が京都に移り住んだ2002年にはまだ不器用なオーケストラというイメージだったが、今や別次元である。音の輝き、響きの力強さ、精度、いずれも日本を代表するレベルで、文化都市・京都の顔にこれほど相応しい団体は他にない。

 

ストラヴィンスキーの交響的幻想曲「花火」。今年はストラヴィンスキーの没後50年ということで彼の作品が2曲入っているが、ストラヴィンスキーもバレエ音楽を書いて活躍したのはパリ時代であり、ドビュッシーもラヴェルもパリを拠点とした作曲家ということで、京都市の姉妹都市パリにも焦点が当てられた曲目である。

オリンピックでも日本が比較的健闘している新体操であるが、男子の新体操となるとまだ珍しい。花園大学新体操部は1998年に創部。2020年11月に開催された第73回全日本新体操選手権大会では団体競技の部3位に入賞している。
オリンピックでは「フェアリージャパン」と称され、可憐な舞が中心となる新体操だが、男子の新体操は女子とは別のアクロバティックなものである。男子のシンクロナイズドスイミングを描いた矢口史靖監督の「ウォーターボーイズ」という映画は有名だと思われるが、女子と男子とでは別物という点が共通しており、「ウォーターボーイズ」(テレビドラマ版でも良い)を観たことのある人は男子新体操を思い浮かべやすいと思われる。タンブリングを主体としたダイナミックなもので、銀色のボディスーツにカラフルな照明が映えて、花火と肉体の生命力が存分に表される。

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。出演者達は「花火」の時には指揮台のすぐそばで目立たないように立っていた。
石橋義正のノートによると、「生殖」をイメージしたものであるが、出演者は女性のみであり、将来、人間は有性生殖をしなくなるという仮定の下、細胞分裂による進化を描いたものだという。「牧神の午後への前奏曲」は、マラルメの詩を元にしているが、牧神がニンフ達を追い回すということで、エロティックな振付が行われることもある。今回もそれらしい動きはあるが、女性ダンサー同士なので、それほど性的な意味に固執しない方がいいだろう。ダンサー達は腕と脚をゴムのようなもので繋いで踊る。具体的に何を意味するのかはわからないが、細胞膜、染色体、DNA(螺旋ではないが)といったものと捉えるとわかりやすい。これらは生命体である証であり、ウイルスはこうしたものを持たない。
ラストで紗幕が降り、ピンク色の光が溢れ出る様が投影される。

ラヴェルの「ボレロ」。紗幕に今度は原色系の帯のようなものが投影され、左右に動く。ジャン=リュック・ゴダール監督の映画の冒頭に出てきそうな映像である。
やがて赤いドレスを着た女性の影が浮かぶ。紗幕が上がると、その赤いドレスを着た女性(アオイヤマダ)が踊る。やがて女性は舞台中央にしつらえられたチェアに腰掛ける。上手から男性(徳井義実)が登場し、女性の顔に色々と施しをする。どうもメイクアップアーティストのようだ。こういうような設定の場合は、大体、女性がえらい目に遭うのだが、JIROの特殊メイクにより、徳井がドライヤーを掛けると女性の顔が崩れて血が流れ始める。「ボレロ」自体がラストの突然の転調で聴き手を驚かせる内容であり、演出も音楽に沿ったものである。曲とパフォーマンスが終わると同時に、オーケストラが乗った少し高いステージの部分に「intermission」の文字が投影される。
無申告事件の後、テレビにはほとんど出られなくなった徳井義実であるが、昨年のよしもと祇園花月再始動の際にはオープニングを飾るなど、舞台では活動を拡げつつある。なぜ漫才が本業の徳井義実がパフォーマーに選ばれたのかはよくわからないが、京都市出身で花園大学OB(中退ではあるが。ちなみに「花園大学は同志社大学より格上」だと言い張って、相方の福田充徳に突っ込まれまくるというネタを持っている)いうこともあるのかも知れない。舞台慣れしているだけに洗練された身のこなしで、他の出演者達に劣らない存在感を示していた。

 

後半。まずはラヴェルの歌曲「シェエラザード」。
独唱の森谷真理は、人気上昇中のソプラノ歌手。栃木県小山市出身で小山評定ふるさと大使と、とちぎみらい大使でもある。二期会会員。「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」で国歌独唱を務めている。
紅白歌合戦の小林幸子のような巨大衣装で歌う。頭頂部に泉の噴水のようなオブジェが付いており、演出ノートによると「生命の起源をイメージする海洋生物」ということで鯨の祖先を模しているのかも知れないが、むしろ湧き出る泉のような生命力を表しているようにも見える。
森谷真理の歌声はびわ湖ホール大ホールでも聴いたことがあるが、ロームシアター京都メインホールは空間自体がそれほど大きくないということもあり、臨場感抜群の歌唱となった。私が行ったことのあるホールの中では、ここが一番声楽に適した音響を持っているように思われる。響き過ぎないのが良い。
巨大衣装ということで一人では退場出来ないため、歌唱終了後はスタッフが登場して4人がかりで移動。去り際に森谷真理は客席に向かって手を振る。

ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。ストーリー的には「牧神の午後への前奏曲」の続編としているそうだが、火の鳥は「復活の象徴」としてフェニックス=不死鳥になぞらえられている。舞台上方にはハートや蟹にも見えるオブジェが赤く輝いており、ノートには「火の鳥の卵のようなもの」と記されているが、向かい合った不死鳥を表しているようにも見える。
音楽自体が「牧神の午後への前奏曲」とは違ってダイナミックであるため、生命の躍動がダイレクトに伝わってきた。ノートにも「リアルな生の体験」と書かれているが、臨場感や波打つような生命力は劇場でないと十分に味わえないものであり、コロナ禍を乗り越えて不死鳥のように復活するという人類への希望と賛美もまた伝わってきた。

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2021年1月16日 (土)

コンサートの記(683) ロームシアター京都開館5周年記念事業 シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」

2021年1月10日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」を聴く。

来場者はいつもとは少し異なっているようである。25歳以下無料招待や、留学生のための特別チケットなどもあったようだが、ロームシアターの構造をよく知らない人が多く、少なくとも常連さんは余り来ていない。あるいは招待客が多いということも考えられる。普通に考えて、雅楽とコンテンポラリーダンスという、どちらもマイナーなジャンルの組み合わせで行われる公演に数多の人が訪れるとは思えない。雅楽の演奏を行うのは宮田まゆみ率いる伶楽舎であるが、宮田まゆみが雅楽のスターとはいえ、あくまで雅楽を聴く人の中でのスターである。東儀秀樹のように自作やポピュラー音楽を奏でる人ならファンが多いが、宮田まゆみは雅楽とクラシック音楽のみなので誰もが知っているという存在ではないと思われる。
クラシック音楽好きも、同じ時間帯に京都コンサートホールで井上道義指揮京都市交響楽団によるニューイヤーコンサートが行われるため、そちらを優先させた人が多いはずである。

 

二部構成の公演で、第一部が「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」、第二部が武満徹作曲の雅楽「秋庭歌一具(しゅうていがいちぐ)」による現代舞踏作品「残影の庭-Traces Garden」(振付・出演:金森穣。出演:ノイズム・カンパニー・ニイガタよりNoism0)の上演である。

 

第一部「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」の曲目は、芝祐靖作曲の「巾雫輪説(きんかりんぜつ)」、双調音取/催馬楽「新しき年」(以上、演奏:伶楽舎)、声明「普賢讃」/舞楽「陵王」(演奏と舞:音輪会)。

雅楽では、「残楽(のこりがく)」という演奏法が一般的で、これは次第に音の数を減らして最後は篳篥と箏の掛け合いになるというものである。クラシックに例えると――例える必要があるのかどうかはわからないが――ハイドンの交響曲第45番「告別」のような感じである。箏は「輪説」という自由奏法を行う。芝祐靖(しば・すけやす)は、「輪説」に焦点を絞った新作を依頼され、「残楽」とは逆に箏の独奏から始まって次第に楽器を増やし、全員合奏で終わるという、クラシック音楽に例えるとラヴェルの「ボレロ」のような曲を構想する。だがなかなか思うようには行かず、作曲には苦労したようだ。曲名にある「巾」とは箏の一番高い音のことだそうである。
箏の独奏に始まり、琵琶の独奏が加わり、篳篥、龍笛、笙が鳴り、箏は三重奏、琵琶も二重奏となる。音のボリュームと迫力の変化が楽しい曲だが、雅やかさも失うことはない。雫がせせらぎとなって川に注ぎ、ということでスメタナの「モルダウ」が意識されている可能性がある。

後白河法皇が好んだことで知られる催馬楽であるが、一時期伝承が途絶えており、江戸時代に再興されているが、平安時代のものがそのまま復活したという訳ではないようである。
「新しき年」でも芝祐靖が復元した楽譜を使用。「新しき 年の始めにや かくしこそ はれ」という歌詞が引き延ばされつつ歌われる。

音輪会による声明「普賢讃」。仏教音楽である声明だが、「普賢讃」は日蓮宗の声明の一つである。普賢菩薩を讃える声明と雅楽が融合される。散華の場もある。そのまま続けて舞楽「陵王」。舞人は、友田享。
クラシック音楽愛好者の中には、黛敏郎のバレエ音楽「舞楽」を好むという人も多いと思われるが、その「舞楽」の本家本元の舞楽の一つであり、曲調も似ている。迫力と優雅さを合わせ持ちつつどことなくユーモラスな感じもする舞も面白い。

 

第二部「残影の庭-Traces Garden」。伶楽舎が演奏する武満徹の「秋庭歌一具」は、現代雅楽を代表する作品である。武満は、雅楽について、「まさに音がたちのぼるという印象を受けた。それは、樹のように、天へ向かって起ったのである」(音楽エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』より)とコメントしている。1962年10月、宮内庁楽部の演奏を聴いた時のコメントである。それから約10年が経った1973年に武満は国立劇場から新作雅楽の作曲の委嘱を受け、「秋庭歌」を作曲。その後、1979年に「秋庭歌」に5曲を加えた「秋庭歌一具」を完成させている。
「秋庭歌一具」は知名度も高いが、今回のようにコンテンポラリーダンスとの共演が行われたこともある。2016年に伶楽舎と勅使河原三郎によって行われたもので、この公演はその後、NHKによって放送され、私も観ている。タケミツホール(東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”)での上演であった。

今回の上演では、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・舞踏部門芸術監督の金森穣と彼が率いるNoism Company Niigataによる現代舞踏とのコラボレーションとなる。

武満徹の作品において「樹」は重要なモチーフとなっているが、演出・振付の金森穣が無料パンフレットに載せた文章にも、この新作ダンスが樹という風景を用いた「過ぎ去り日の残影」を描いた旨が記されている。

 

武満徹の「秋庭歌一具」は、中央に秋庭と呼ばれるスペースを置き、左右後方の三カ所に「木霊」と呼ばれる演奏者達を配置して庭の移ろいを描く。「木霊」は精霊であり、移ろいゆく時間そのものを表していると解釈することも可能である。
武満は、有名な「ノヴェンバー・ステップス」や劇伴になるが大河ドラマ「源義経」のオープニングテーマで邦楽器とオーケストラのコラボレーション作品を書いているが、そうした和と洋の対比ではなく、「武満徹が純粋な雅楽作品を書いた」ということ自体が歴史的な意義を持っている。古代中国由来で日本でだけ生き残った雅楽に、日本で生まれ育ったが西洋音楽の道に進み、フランスの評論家から「タケミツは日系フランス人だ」とまで言われた偉大なクラシックの作曲家が己の作風を注ぎ込む。これは時代と場所とが音楽として重層的且つ歴史的に立ち上がることに他ならない。世界で彼にしか書けないと言われたタケミツトーンが、歴史の集合体として生かされており、おそらく日本音楽史上に永遠に残る傑作である。

「庭」を題材にした作品も多い武満だが、時と共に姿を変えゆく庭は音楽との共通点を有し、時の移ろいもまた重要なテーマとなっている。

コンテンポラリーダンスの出演は、Noism0(金森穣、井関佐和子、山田勇気)。衣装:堂本教子。映像:遠藤龍。秋庭の前の空間でダンスが行われる。

まずは三人横並びで同じ動きを始めることでスタート。やがてその動きやポジショニングが徐々にずれていく。キャットウォークから赤い羽織のようなものが降りてきて、井関佐和子がそれを纏う。紅葉を表しているのだと思われる。だが、すぐに井関佐和子は上手に向かって退場。紅葉の時期はほんの一瞬で、秋の盛りが一瞬で過ぎ去ったことを示すのかも知れない。その後は、移ろいゆく時の流れとその回想からなるダンスが展開される。男性ダンサーは二人とも黒系の羽織を着て再登場するが、よく見ると一人は茶色、一人は黒の羽織で色が微妙に異なることがわかる。黒は「玄冬」ということで冬を表し、茶色は赤と黒の中間で晩秋もしくは初冬を表していると思われる。移ろう時の中で秋の思い出が何度もリフレインするが、赤と茶の二人のダンスから、赤と茶と黒の三人のダンスに変わり、季節が移り変わっていくことが表される。
やがて落葉した樹のオブジェが現れる。舞台上方にはいくつものロウソクの明かりが灯っているが、それも次第に下がってくる。背後には橙色の光が投影され、太陽の力が弱まり、冬が近いことが告げられる。赤色の秋の精も眠りにつき、やがて去る。
空白の舞台を囲む三方で雅楽の演奏が続く(「秋庭歌」の場面だと思われる。庭そのものが主役の場とされたのであろう)が、やがて秋の精が現れ、眠りから一瞬覚める。秋が終わる前の、一瞬の夢が展開される。舞台上にはダンスを行っている影の映像が投影され、秋の精も自身の思い出と共に舞う。天上から紅葉の葉が降り、初冬の精と冬の精も現れ、舞台上に投影された中秋の名月を李白のように掴もうと試み、失敗する。
やがて赤い羽織はワイヤーに乗って天上へと帰り、思い出としての秋も完全に終結する。秋の精と初冬の精は手に手を取って舞台から退場。冬の精が一人ポツンと残される。

ダンスを筋書きで描くというのは粋な行為ではないが、おおよそこのようなことが演じられているように見えた。金森のプロダクションノートからは、移ろいゆく今よりも移ろい去ってしまったものへの哀感が強く感じられる。秋の盛りよりもそれが過ぎ去った後を描いたシーンの数々は、一種の幻想美として目の奥に留まることとなった。

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2020年12月27日 (日)

コンサートの記(675) 「加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2020 Vol.39」@ロームシアター京都

2020年12月22日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2020 Vol.39」を聴く。
加藤登紀子は今年の6月に春秋座でコンサートを行うはずで、私もチケットを手に入れていたのだが、コロナのための中止、払い戻しとなっている。というわけでその代わりに、ロームシアター京都での公演に行くことに決めた。おそらく春秋座のコンサートが中止になっていなかったら、そしてロームシアターに通う機会がもっと多かったなら行かなかったと思うのだが、巡り合わせで行くことに決めた。祝い酒が振る舞われるコンサートなのだが、私はお酒が全く飲めないので、本来なら行く気にならないはずだが、今回はこれまたコロナの影響で祝い酒は無理なので、帰る時に月桂冠のボトル1瓶プレゼントということになっている。私も貰ったが、飲めないので誰かにあげようと思う。

 

加藤登紀子は父親と同い年である。というわけで親子ほどどころか実際に親子の関係になる年齢、母親はもっと若いので、女性に限れば親子以上に年が離れているということになる。ということで、客席もそれに近い年齢の方がほとんどで、たまに私より若そうな人がいても親と一緒に来ていたりするため、ひょっとしたら一人客の中では私が最年少だったかも知れない。
東大卒のミュージシャンの走りであるが、文化・芸術方面に行く人も多い文学部出身であるため、それほど意外な学歴というわけでもない。
生まれは当時は満州国の都市であったハルビンだが、幼少期は京都で過ごしており、後に夫となる藤本敏夫が同志社大学に学んでいたため、京都に縁のある人である。千葉県とも縁があり、鴨川市に鴨川自然王国を夫婦で設立。その後、鴨川市に開設された城西国際大学観光学部の客員教授を務めていたこともある(城西国際大学観光学部は鴨川市から撤退し、メインキャンパスのある東金市に移転する予定である)。

ロームシアターの公演に接するのも今年は4度目と少なく、これが今年最後となる。メインホール2回、サウスホール2回、ノースホールはゼロであった。

出演者は、加藤登紀子の他に、告井延隆(つげい・のぶたか。ギターほか)、渡辺剛(わたなべ・つよし。ヴァイオリン)、早川哲也(ベース)、鬼武みゆき(ピアノ)、鶴来正基(つるぎ・まさき。キーボード)。
加藤登紀子のメンバー紹介によると、鶴来は現在、京都市在住だそうで、加藤がKBSホールで公演を行った時に客として来ており、楽屋で「あなた今、京都に住んでるの? 京都も巡るツアーがあるから参加しなさい」と呼びかけたそうだ。
早川哲也のことは、「こう見えて大阪」、渡辺剛は大阪府高槻市の出身だが、高校は京都の堀川高校(当時、堀川高校にあった音楽科出身)だそうで、「この近く」と紹介していた。鬼武みゆきのことは、「月から来た」と紹介していたが、東京理科大学卒業後にキヤノンでシステムエンジニア(SE)をしていたことがあるため、他のミュージシャンとちょっと違うのかも知れない。今年古希を迎えた告井は名古屋出身だそうである。

予定曲として無料パンフレットに載っていた曲目は、「Never Give Up Tomorrow」、「Running On」、「Now Is the time」、「時には昔の話を」、「この手に抱きしめたい」、「石ころたちの青春」、「形あるものは空」、「Revolution」、「愛の賛歌」、「百万本のバラ」、「未来への詩(うた)」。その他に、ジョン・レノンの「イマジン」、そしてギターによる弾き語りのコーナーでは、河島英五の「生きてりゃいいさ」などを歌う。河島英五の思い出話も語られ、河島英五は「酒と泪と男と女」が有名であるが、実際には酒がほとんど飲めない人だったそうで、飲みながら歌うライブでも一人だけヤカンに水を入れてそれを飲んでいたそうである。歌い出す前に腕立て伏せをしたり、加藤の自宅で打ち合わせとなった時も、玄関に入ってきていきなり「パンか何かありますか?」と聞いたそうで、聞くと、「飢えた経験がないので、どんなものか知るために食事をしていない、来る途中で倒れそうになった」と応えたそうで、やはりかなり変わった人だったようである。テレビ番組の収録か何かでスタジオの暗い場所で二人で待機していた時には、加藤がふと「このまま駆け落ちしちゃわない?」と思いついて発言。河島も「いいですね」と応えたそうだが、知っての通り、駆け落ちすることはなかった。「この二人で歌いながらシルクロードを歩いたら、結構、儲かるんじゃない」といった話もしたそうである。加藤登紀子は、1968年頃に多くの人との出会いがあったが、今ではもう会えなくなってしまった人も多い、ただ「会えなくなってしまった人を思うのが本物の歌なんです」と語る。
昨年亡くなった中村哲のために「あなたの行く朝」が歌われ、今年コロナによってフランスで客死(という表現でいいのかどうかわからないが)した高田賢三への追悼の言葉もあったが、その昔(1993年である)、高田賢三が上京したばかりの頃のことを描いたテレビドラマがあり(タイトルは、「ケンゾー・ジュンコの青春物語」)、加藤は高田を教えた文化服装学院の教師、小池千枝役で出演したことがあったそうだ。高田賢三を演じていたのは石田純一で、私もはっきりとは覚えていないが見た記憶がある。石田純一演じる眼鏡を掛けた高田賢三が文化服装学院の仲間と夜の新宿の歩道橋の上を歩いている時に未来への不安を口にするシーンがあったはずである。加藤登紀子のシーンは残念ながら覚えていない。ドラマの主題歌も加藤登紀子の「石ころたちの青春」で、今日はこの曲も歌われた。
小池千枝は、加藤の語るところによると、高田賢三に、「オートクチュールはフランスで完成されてるから、今更日本人がやっても敵わない。プレタポルテで勝負しなさい」とアドバイスして、高田を成功へと導いた人らしい。

ジョン・レノンの「イマジン」は、1番を歌った後(シンコペーションを多用していた)、2番は告井のヴォーカルに代わり、加藤はフレーズの合間に歌詞の日本語訳を語った。

12月8日がジョン・レノンの命日で、その急死から40年、享年も40で生きていれば80歳、「私より3つ上の人」と語った。
レノンが急死した後に、加藤はオノヨーコに会いに行って話したことがあるという。「あなたが刑務所の中の人と結婚した人?」とオノヨーコは聞いてきたそうで(「そういう話し方をする人なんです」と付け足していた)、「そうだ」と答えると、「あなたの旦那さんは壁と戦っているのね。ジョンと私は壁に窓を開けて想像力を拡げることにするの」と語ったそうで、「イマジン」はそうした生活から生まれたそうである。

加藤登紀子の代表曲を1曲だけ挙げるとすると、やはり「百万本のバラ」ということになるのだと思われるが、この曲は元々はラトヴィアの作曲家が1981年に作曲した作品で、原詞も加藤登紀子が書いた日本語詞とは異なる。原曲と原詞は、黛敏郎が司会をしていた頃の「題名のない音楽会」で作曲者のライモンド・パウルス(当時のラトヴィア文化省大臣)の写真と共に紹介されたことがある。YouTubeで原曲を聴くことも出来る

 

アンコールでは、「Power to the People」がまず歌われ、2曲目はタイトルがわからず(三拍子の曲である。急遽曲目が決まったようで、鬼武みゆきのピアノと告井延隆のギター伴奏のみで歌われる。「あなたに捧げる歌」かも知れないが、断言は出来ず)、そしてそこからの流れで、京都と滋賀県のご当地ソングである三拍子の「琵琶湖周航の歌」(旧制第三高等学校=現在の京都大学の教養課程の学生歌)が歌われた。

本編約90分休憩なし。加藤登紀子も高齢故に声の衰えは否めないが歌唱力は健在で且つソウルフル。完成度の高いゴージャスな雰囲気のライブとなった。若い人が聴かないのは勿体ない気がする(とはいえ、現在、多くの大学で「ライブ参加禁止令」が出されている)。

なお、12月27日の加藤登紀子の誕生日(加藤は、「私の7歳の誕生日。うん十7歳の誕生日」と語る)には「ほろ酔いコンサート」のライブ配信が行われ、また来年の5月には春秋座でのコンサートも予定されているそうである。

加藤登紀子は祇園四条にあるロシアレストラン・キエフで定期的にソング&トークイベントを行っていて、来年の4月3日に第55回目が行われるのだが、会費が特選コース料理とワイン付きで2万円と高い。知り合いは行ったことがあって、リクエストコーナーではその場でリクエストした曲を歌ってくれるそうで、楽しそうではあるのだが。

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2020年11月27日 (金)

観劇感想精選(369) 「獣道一直線!!!」

2020年11月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都メインホールで、「獣道一直線(じゅうどういっちょくせん)!!!」を観る。生瀬勝久、池田成志、古田新太からなるユニット「ねずみの三銃士」の6年ぶりの公演である。

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ねずみの三銃士は、毎回、宮藤官九郎の脚本、河原雅彦の演出で公演を行っている。2004年の初公演「鈍獣」で宮藤官九郎が岸田国士戯曲賞を受賞し、3作目の「万獣こわい」は読売演劇大賞優秀作品賞を受賞するなど、評価も高い。2009年に三田佳子を主演に招いて話題を呼んだ「印獣」、2014年には夏帆がキーパーソンを演じた「万獣こわい」と5年おきに公演を行っており、「万獣こわい」の大阪公演のカーテンコールで生瀬勝久が、「また5年後にお会いしましょう」と語っていたが、ねずみ年に合わせたのかPARCO劇場のオープニングに合わせたのか、6年後の公演となった。

宮藤官九郎が脚本を手掛けたテレビドラマや映画には好きな作品がいくつもあり、俳優としても気に入っているのだが、劇作となるとなぜか外れと感じるものが多い。劇作家・宮藤官九郎とは余り相性が良くないようである。今回もロームシアター京都での公演でなかったら行かなかったと思うが、コロナの影響で今年はまだメインホールに入っていないため、なんとしてでも行ってみたかった。劇の内容は二の次である。

これまでポピュラー音楽用とオペラ公演用に適したホールがなかった京都。ポピュラー音楽の方は、「京都で公演を行いたい」と思うアーティストが多いということもあり、盛況であるが、オペラの公演は年に2回程度、今年は小澤征爾音楽塾が中止になったため高校生のためのオペラ鑑賞教室で「魔笛」が上演されただけ、演劇となると更に不振で良質の演劇が上演されることは極めて少ない。メインホールの場合は更に限られて、演劇の公演が行われたのは、ミュージカル「わたしは真悟」に続いて今回が2回目だと思われる。

ストレートプレーにキャパ2000はやはり多いようで、今回は1階席と2階席のみを利用しての上演である。

作・出演:宮藤官九郎、演出:河原雅彦。出演は、生瀬勝久、池田成志、古田新太、山本美月、池谷のぶえ。「ねずみの三銃士」公演に宮藤官九郎が出演するのは初となる。

一見、そうは見えないが、コロナ下における演劇を題材にした作品である。

ねずみの三銃士は犯罪を題材にしたホラーチックな作品を上演するのが常だが、今回も木嶋佳苗死刑囚が起こした「首都圏連続不審死事件」をベースに、上級国民という言葉を生んだ「東池袋自動車暴走死傷事故」、「常磐自動車道あおり運転殴打事件」(ガラケーで撮影を行うシーンあり)など、いくつかの犯罪事件の断片が鏤められている。

まず登場するのは三人の売れない俳優である。パニック障害を患う生汗勝々(なまあせかつかつ。生瀬勝久)、不安神経症レベルの心配症に悩んでいる池手成芯(いけでなるしん。池田成志)、アルコール中毒の古新田太(ふるあらたふとし。古田新太)である。生汗勝々は、日本版「アベンジャーズ」のオーディションだと聞いてこの場所に来たのだが、現れた女性審査員(ぱわ原雅ぴ子。演じるのは池谷のぶえ)の様子も見るからに変であり、戸惑う。実はコロナによって俳優は「不要不急」の仕事とされたため、福島県にある練り物工場で強制労働に従事させられることになり、障害を持つ三人が集められたのはそのためで、オーディションというのは罠だったのだ。

その福島県に住む苗田松子(なえだまつこ)という女性(池谷のぶえ)に不審の目が向けられていた。松子は出会い系サイトで知り合った三人の男性とつき合っていたのだが、そのうちの二人が不審死を遂げており、松子は多額の保険金などを受け取っていた。松子とつき合ったことのある男達の証言によると松子というのは「とにかくいい女」とのことだったが、実際は冴えない太めのおばちゃんである。

苗田松子の事件を取材しているドキュメンタリー映像作家の関(宮藤官九郎)は、妻のかなえ(山本美月)の協力を得て、松子の住む福島に取材に出掛けていた。かなえは、松子が開設していたブログの記事を読破するなど、松子に関するありとあらゆる情報を仕入れていた。そして二人でまず「魔性の女」という映像を作ったのだが、現れた松子は「魔性の女」のイメージとはほど遠い存在である。

かまぼこ工場で俳優を使った松子の人生の再現ドラマ制作が始まる。演じる俳優は当然ながら、生汗勝々、池手成芯、古新田太の三人である。三人はそれぞれ松子の被害者男性を演じる。実は関は自称「保守的」な映像作家で、フィクションについては懐疑的だった。松子の提案で再現ドラマを撮影することにはしたが、実は関の狙いは他にあった。

苗田松子であるが、アナグラムによる前田夏子などいくつかの偽名を使い分けていた。本名は松戸かなえ(松戸という役名は、木嶋佳苗死刑囚が最初の事件を起こした千葉県松戸市から取られたのだと思われる)。犯罪者ではあるが、自分を素材の何倍も魅力的な女に見せるという、俳優の素質にも繋がるものを持った人物である。

関の妻であるかなえも、名前が同じ松戸かなえにどんどん引き寄せられていく。
やがて池谷のぶえと山本美月は二人で一人のかなえ像として男達を魅惑するようになる……。

グロテスクなラストなど、いつも通りのホラーコメディ路線の作品ではあるのだが、実際に描かれているのは、演劇を「不急不要」と決めつけた人々への復讐である。昨日観た野田秀樹潤色の「真夏の夜の夢」もそうだが、今の時期にフィクションの必要性について語ることは極めて重要であり、新型コロナウイルスに罹患した宮藤官九郎がそのことについて何も触れない方が不自然である。
ねずみの三銃士の作品のうち、「鈍獣」は戯曲と映像を観たが、隠れたところで復讐劇が行われているという共通点がある。

正直、好きなタイプの作品ではないし、ヒロインの山本美月も弱いのだが、宮藤官九郎が語りたかったことは受け止めることが出来たように思う。

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2020年8月18日 (火)

配信公演 ロームシアター京都「プレイ!シアター」 at HOME2020 京都市交響楽団 0歳からのコンサート「ステイキャッスルはもううんざり!」+康本雅子&ミウラ1号 移動型ライブパフォーマンス「どこ行くダンス?ここいる音楽」 in ロームシアター京都+サウスホールバックステージ映像

2020年8月15日 左京区岡崎のロームシアター京都から配信

ロームシアター京都の夏のイベント、「プレイ!シアター」がコロナの影響によって今年は「at HOME 2020」としてオンラインを使っての開催となった。ロームシアター京都のホール等で公演は行われるが、観客としてロームシアターに入れるのは関係者や抽選に当たった人など最小限に絞られ、一般人はYouTubeなどを使っての配信で楽しむことになる。


午前11時からは、メインホールで京都市交響楽団 0歳からのコンサート「ステイキャッスルはもううんざり!」がYouTubeを使って配信される。
チャンネルは2つあり、ロームシアター京都のYouTubeチャンネル1では指揮者の頭に着けたカメラからの映像が流れ、クラシック専門配信サービスであるカーテンコールによるYouTube配信では、上演される人形劇を中心としたオーソドックスな映像が流れる。

指揮は垣内悠希。ロームシアター京都メインホールはステージが広いため、編成も比較的大きめだが、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラはいずれもワントップである。

コンサートマスターは泉原隆志。フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子、クラリネットの小谷口直子、トランペットのハラルド・ナエスといった首席メンバーが顔を揃えている。例年なら8月は音楽祭のシーズンであり、そちらを優先させるメンバーも多いのだが(京都市交響楽団は珍しく8月にも定期演奏会があり、宗教音楽の演奏が恒例となっている)、音楽祭自体が中止になるケースが大半となってしまっている。


糸あやつり人形劇団みのむしによる人形劇が行われ(脚本・演出はヨーロッパ企画の永野宗典と松宇拓季)、オーケストラ演奏がそれを彩っていくという趣向である。

とある国のお姫様(声はヨーロッパ企画の藤谷理子)が、城での生活に飽き飽きして国を飛び出し、ロームシアター京都の楽屋に籠城する。お付きの竜の騎士メロウ(声はヨーロッパ企画の酒井善史)と教育係のガミット(声はヨーロッパ企画の石田剛太)が音楽の力を借りて姫を城に連れ戻そうとあの手この手を繰り出すという物語である。


ロームシアター京都のYouTubeでは、先に書いた通り、指揮者の垣内悠希の頭に取り付けられたカメラからの映像が流れるのだが、カメラが揺れまくってしまっている上に、垣内の息づかいも盛大に聞こえるため音楽に集中出来ない。といういうことでカーテンコール制作のYouTube映像に切り替える。


チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」よりワルツでスタート。有名曲が多く、京響も手慣れた演奏を聴かせる。

各楽部の紹介として、弦楽器がモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」冒頭、木管楽器がチャイコフスキーの「白鳥の湖」より“小さな白鳥の踊り”、金管楽器が大野雄二の「ルパン三世」のテーマ、打楽器がビゼーの「カルメン」より闘牛士のテーマを奏でる。

その後、ルロイ・アンダーソンの「ワルツィング・キャット」、ハーライン作曲(岩本渡編曲)の「星に願いを」、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」より結婚行進曲などが演奏される。グリーグの「ペール・ギュント」第1組曲より“山の魔王の宮殿にて”の演奏の際に、“朝”とクレジットされるというミスがあったが、すぐに直された。“朝”はその次の場面で演奏された。

ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」では、視聴者もチャットに手拍子の絵文字を打ち込んで参加する。

その後は、天岩戸的な展開となり、盆踊りの手拍子が気になったお姫様がドアを開けたところをメロウが引きずり出す。作戦成功をデュカスの「ラ・ペリ」のファンファーレが祝福する。

最後は、久石譲作曲(和田薫編曲)の「さんぽ」(「となりのトトロ」より)が演奏された。


その後、ロームシアター京都のYouTubeチャンネル2で、康本雅子とミウラ1号による移動型ライブパフォーマンス「どこ行くダンス?ここいる音楽」in ロームシアター京都を視聴。ミウラ1号の音楽に乗って、ダンサーの康本雅子がコンテンポラリーダンスを披露しながらロームシアター京都内を移動する。3階共通ロビーに始まり、3階ロビー(サウスホール2階席ロビー)、2階共通ロビーなどロームシアター京都を訪れたことのある人なら見覚えのある景色が映し出されるが、ベランダなど通常は関係者以外は立ち入れない場所にもカメラが入ってダンスが行われ、配信ならではの良さも生んでいた。

ダンス公演の後は、ロームシアターのバックステージの紹介が行われ、サウスホールへののピアノ搬入の模様などが映し出される。ちなみに、例年の「プレイ!シアター」ではメインホールのステージ上や一部の楽屋などは立ち入り可となっていたが、サウスホールの舞台裏に入れる催しは行われておらず、貴重な映像である。

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2020年8月 9日 (日)

中川裕貴 「アウト、セーフ、フレーム」

2020年7月31日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで中川裕貴(なかがわ・ゆうき)の「アウト、セーフ、フレーム」を聴く。
中川裕貴は京都市在住の音楽家。チェロの演奏や作曲を行い、パフォーマンスの演出も手掛ける。今回はコンサートとパフォーマンスの境界にある作品の上演である。

ロームシアター京都での公演に接するのは久しぶり。チケットの払い戻しなどで訪れたことはあるが、公演に触れるのは、今年1月18日の室内オペラ「サイレンス」が以来であり、半年以上の月日が経過している。

新型コロナ対策として、入場時の検温があり、アルコール消毒も各所で行えるようになっている。無料パンフレットは自分で取る。
ロビー開場は混雑を防ぐために30分前から1時間前に前倒しになる。

入場者を絞っての公演。全席自由であるが、中央通路より前の席は取り外し可であるため、椅子のある列の前の列の席は全て取り払われて一列置き、横も二つ分の椅子が外されて、「点在する」ように見える状況となっている。

 

出演は中川裕貴の他に、菊池有里子、横山祥子、出村弘美、穐月萌、武内もも(劇団速度)。サウンドデザイン&ライブカメラ:荒木優光。チェロ自動演奏プログラミング:白石晃一。

中川裕貴がマイクを手に登場し、挨拶を行うが、この時からパフォーマンスは始まっている。

4つの部からなり、第1部は「声/性Ⅰ」、第2部は「私たちとさえいうことができない私についてⅣ」、第3部が「Blowwwise with Automatic Play」、第4部が「声/性Ⅱ featuring かっぽれ」である。

中川はまず「音脈分凝」について解説する。本来は音として同一であるものを聴き手が無意識に複数の音脈として聞き分けることになるという現象である。中川は「音脈分凝」の漢字を説明する際、「分」は「4分33秒の分」というなどのギミックを用いる。

また中川は、擬音についても語る。馬の走るギャロップの音、「パッカパッカ」、小さな「ッ」は文字としてはあるが、実際の音となると繋ぎの音で発せられているとは言えない。「パ」と「カ」の二つの音が擬音として用いられているのだが、それは「パッカパッカ」が馬の足音として広く認識されているから何の音か分かるということでもある。また「パ」と「カ」の音に開きがあり過ぎても近過ぎても二つの音として聞こえない。別の音として認識されることも重要になってくる。

無料パンフレットに中川は、「直接的でないこと」、「抽象」、「距離」などをテーマとして記しており、ソーシャル・ディスタンスの時代の音楽を意識していることが窺える。

 

第1部では、予め録音された電子音などが流れる中、女性が二名ほど、一人ずつ登場して、言葉らしきものをマイクに向かって語る。日本語を逆再生した言葉なので意味は分からないのだが、認識出来る単語が浮かび上がる瞬間がある。
その間、中川はチェロで形にならない旋律のようなものを弾いている。「魔笛」の夜の女王のアリア「復讐の心は炎と燃え」のコロラトゥーラの場面に似た旋律も登場するが、意図したのかどうかはわからない。
やがてピアノとヴァイオリンが登場し、ピアノ三重奏となるが、最初の内はヴァイオリンとチェロはピッチカートの演奏を繰り返す。
その後、ピアノが民族舞踊の音楽のような旋律を弾き始め、ヴァイオリンやチェロもメロディーを弾き始めて広がりが生まれる。

 

第2部は更に聴きやすい音楽となるが、中央通路に巨大スピーカーが現れて、和音を響かせる。ステージ上とスピーカーの音は寄り添っては離れる。

 

第3部は、チェロを打楽器として使う試み。壊れたチェロが機械音を奏で、中川はチェロを叩く奏法でそれに応えていく。壊れたチェロは三拍子を刻み始める。
再び巨大スピーカーが現れ、今度はノイズを放つ。
第3部はちょっと長かったかも知れない。

 

「共鳴」と「分離」とその「境界」について考える。例えば「音楽」と「雑音(ノイズ)」について。現代にはノイズミュージックというジャンルがあるが、では、どこまでが音楽でどこからがノイズなのだろうか。勿論、答えは多様である。虫の音を音楽と聞くのは日本人だけという説があるが(実際はそうでもないという意見もある)、この「境界」も受け手が個々に判断すべきものである。「境界」を設けなくても当然ながら良い。

 

第4部は、「かっぽれ」の音楽である。無料パンフレットには、伊福部昭の随想『声無哀楽論』の中に、1934年の東郷平八郎の国葬の際に、アメリカから追悼音楽・演奏としてなぜか「かっぽれ」が届いたという話が載っていたことが紹介されている。中川はアメリカ人は「かっぽれ」を葬送に相応しい音楽と捉えたのではないかと推理しているようである。

日本人は「かっぽれ」がどこで歌われる曲が知っているため、音楽を聴くと背景が浮かぶが、何の知識もなかった場合は、あるいは別種の音楽と捉えられる可能性はありそうである。また、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第3楽章のように悲哀と俗っぽさは一体になる場合もある。

日本的な旋律をピアノとヴァイオリンが奏でる中、中川のチェロは馬のいななきのような音を繰り返す。

こんなことを思い出す。古語の「かなしい」は今でいう「かなしい」とは違い、感情が大きく動いた時に用いる言葉であった。有名な東歌「多摩川に晒すてづくりさらさらになんぞこの児のここだかなしき」の「かなしき」は愛おしいという意味である。
最も感情が動くのはいわゆる「悲しい」時なので意味は固定されたのだが、本来は一体のものという認識があり、語り手と受け手が選ぶものだったのだ。

今日のこの催しも聴き手に委ねた余白の部分があり、そこに広がりと多様性が存在していたように思う。単純に成功とはいえないかも知れないが、豊穣さは確かにある。

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だが、それらの思念を超えて最も心に響いたのは、単純に「生のピアノの音が聴けた」ということである。体がアコースティックなピアノの音を欲していたのだ。やはり私の楽器はピアノなのである。

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