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2021年1月22日 (金)

コンサートの記(686) ロームシアター京都開館5周年記念事業 京都市交響楽団×石橋義正パフォーマティブコンサート

2021年1月17日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、ロームシアター京都開館5周年記念事業 京都市交響楽団×石橋義正パフォーマティブコンサートを聴く。出演者側というよりも入場者側の問題だったのか(午後2時を過ぎてから客席に入ってくるお客さんが結構いた)、開演は15分以上押した。

先週の「雅楽――現代舞踊との出会い」とのセット券(S席のみ)も発売されていたが、先週の同じ時間帯に京都市交響楽団は京都コンサートホールでニューイヤーコンサートを行っていたため、京響のファンはニューイヤーコンサートを優先させる人が多かったはずで、多分、それほど売れなかったと思われる。それでもヘアスタイルからバレエをやっているとわかる女の子達が集団で訪れるなど、バラエティに富んだ聴衆が集っているのが見て取れる。

今日の公演はタイトル通り、京都市交響楽団と演出家・映画監督で京都市立芸術大学美術科教授でもある石橋義正のコラボレーションである。

指揮者は園田隆一郎。オーケストラが舞台の後部に控える配置である上に、照明がそれほど明るくないのでハッキリとは見えなかったが、コンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーは尾﨑平であると思われる。管楽器のソロが重要になる曲目が多いということで、フルート首席の上野博昭、クラリネット首席の小谷口直子も全編出演する。

その曲目は、ストラヴィンスキーの交響的幻想曲「花火」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、ラヴェルの「ボレロ」、ラヴェルの歌曲集「シェエラザード」(ソプラノ独唱:森谷真理)、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。
私の世代だと、これらの楽曲はシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団のCDで初めて聴いたケースが多いと思われる。私の場合も、「ボレロ」だけはアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団盤が初めて聴いた演奏だが、それ以外はデュトワ指揮モントリオール響のCDで初めて耳にしている。丁度、私の十代から二十代初頭に掛けてデュトワとモントリオール響はこれらの曲を録音して次々にリリースしていた。

パフォーマンスの出演は、「花火」が花園大学男子新体操部。「牧神の午後への前奏曲」と「火の鳥」が、茉莉花(まりか。コントーション)、池ヶ谷奏(いけがや・かな)、薄田真美子(うすだ・まみこ)、斉藤綾子、高瀬瑶子、中津文花(なかつ・あやか)、松岡希美(以上、ダンス)。「ボレロ」がアオイヤマダとチュートリアルの徳井義実。
振付は藤井泉が行う。ビジュアルデザインは江村耕市。衣装は川上須賀代。特殊メイクはJIRO(自由廊)。

石橋の演出は全般的に「生命の輝き」を軸としたものである。

 

張り出し舞台にしての公演。「火の鳥」はオーケストラピットの上に板を置いてコントーション(体の柔らかさなども生かした曲芸的なダンス)の茉莉花が舞台前方で踊る場面が続いたのだが、張り出し舞台の前方で踊るとやはりよく見えない(今日は私は3階席にいた)。

オペラやバレエでタクトを執ることも多い園田隆一郎だが、今日は舞台後方での演奏であり、ダンスを確認しながらの指揮ではない。音楽にパフォーマーが合わせる形になるが、その場合はインテンポでの演奏を行えた方が良い。園田はそうした職人芸も持ち合わせているため、演奏自体もかなり高度なものになる。それにしても京都市交響楽団も随分上手くなった。私が京都に移り住んだ2002年にはまだ不器用なオーケストラというイメージだったが、今や別次元である。音の輝き、響きの力強さ、精度、いずれも日本を代表するレベルで、文化都市・京都の顔にこれほど相応しい団体は他にない。

 

ストラヴィンスキーの交響的幻想曲「花火」。今年はストラヴィンスキーの没後50年ということで彼の作品が2曲入っているが、ストラヴィンスキーもバレエ音楽を書いて活躍したのはパリ時代であり、ドビュッシーもラヴェルもパリを拠点とした作曲家ということで、京都市の姉妹都市パリにも焦点が当てられた曲目である。

オリンピックでも日本が比較的健闘している新体操であるが、男子の新体操となるとまだ珍しい。花園大学新体操部は1998年に創部。2020年11月に開催された第73回全日本新体操選手権大会では団体競技の部3位に入賞している。
オリンピックでは「フェアリージャパン」と称され、可憐な舞が中心となる新体操だが、男子の新体操は女子とは別のアクロバティックなものである。男子のシンクロナイズドスイミングを描いた矢口史靖監督の「ウォーターボーイズ」という映画は有名だと思われるが、女子と男子とでは別物という点が共通しており、「ウォーターボーイズ」(テレビドラマ版でも良い)を観たことのある人は男子新体操を思い浮かべやすいと思われる。タンブリングを主体としたダイナミックなもので、銀色のボディスーツにカラフルな照明が映えて、花火と肉体の生命力が存分に表される。

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。出演者達は「花火」の時には指揮台のすぐそばで目立たないように立っていた。
石橋義正のノートによると、「生殖」をイメージしたものであるが、出演者は女性のみであり、将来、人間は有性生殖をしなくなるという仮定の下、細胞分裂による進化を描いたものだという。「牧神の午後への前奏曲」は、マラルメの詩を元にしているが、牧神がニンフ達を追い回すということで、エロティックな振付が行われることもある。今回もそれらしい動きはあるが、女性ダンサー同士なので、それほど性的な意味に固執しない方がいいだろう。ダンサー達は腕と脚をゴムのようなもので繋いで踊る。具体的に何を意味するのかはわからないが、細胞膜、染色体、DNA(螺旋ではないが)といったものと捉えるとわかりやすい。これらは生命体である証であり、ウイルスはこうしたものを持たない。
ラストで紗幕が降り、ピンク色の光が溢れ出る様が投影される。

ラヴェルの「ボレロ」。紗幕に今度は原色系の帯のようなものが投影され、左右に動く。ジャン=リュック・ゴダール監督の映画の冒頭に出てきそうな映像である。
やがて赤いドレスを着た女性の影が浮かぶ。紗幕が上に上がると、その赤いドレスを着た女性(アオイヤマダ)が踊る。やがて女性は舞台中央にしつらえられたチェアに腰掛ける。上手から男性(徳井義実)が登場し、女性の顔に色々と施しをする。どうもメイクアップアーティストのようだ。こういうような設定の場合は、大体、女性がえらい目に遭うのだが、JIROの特殊メイクにより、徳井がドライヤーを掛けると女性の顔が崩れて血が流れ始める。「ボレロ」自体がラストの突然の転調で聴き手を驚かせる内容であり、演出も音楽に沿ったものである。曲とパフォーマンスが終わると同時に、オーケストラが乗った少し高いステージの部分に「intermission」の文字が投影される。
無申告事件の後、テレビにはほとんど出られなくなった徳井義実であるが、昨年のよしもと祇園花月再始動の際にはオープニングを飾るなど、舞台では活動を拡げつつある。なぜ漫才が本業の徳井義実がパフォーマーに選ばれたのかはよくわからないが、京都市出身で花園大学OB(中退ではあるが。ちなみに「花園大学は同志社大学より格上」だと言い張って、相方の福田充徳に突っ込まれまくるというネタを持っている)いうこともあるのかも知れない。舞台慣れしているだけに洗練された身のこなしで、他の出演者達に劣らない存在感を示していた。

 

後半。まずはラヴェルの歌曲「シェエラザード」。
独唱の森谷真理は、人気上昇中のソプラノ歌手。栃木県小山市出身で小山評定ふるさと大使と、とちぎみらい大使でもある。二期会会員。「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」で国歌独唱を務めている。
紅白歌合戦の小林幸子のような巨大衣装で歌う。頭頂部に泉の噴水のようなオブジェが付いており、演出ノートによると「生命の起源をイメージする海洋生物」ということで鯨の祖先を模しているのかも知れないが、むしろ湧き出る泉のような生命力を表しているようにも見える。
森谷真理の歌声はびわ湖ホール大ホールでも聴いたことがあるが、ロームシアター京都メインホールは空間自体がそれほど大きくないということもあり、臨場感抜群の歌唱となった。私が行ったことのあるホールの中では、ここが一番声楽に適した音響を持っているように思われる。響き過ぎないのが良い。
巨大衣装ということで一人では退場出来ないため、歌唱終了後はスタッフが登場して4人がかりで移動。去り際に森谷真理は客席に向かって手を振る。

ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。ストーリー的には「牧神の午後への前奏曲」の続編としているそうだが、火の鳥は「復活の象徴」としてフェニックス=不死鳥になぞらえられている。舞台上方にはハートや蟹にも見えるオブジェが赤く輝いており、ノートには「火の鳥の卵のようなもの」と記されているが、向かい合った不死鳥を表しているようにも見える。
音楽自体が「牧神の午後への前奏曲」とは違ってダイナミックであるため、生命の躍動がダイレクトに伝わってきた。ノートにも「リアルな生の体験」と書かれているが、臨場感や波打つような生命力は劇場でないと十分に味わえないものであり、コロナ禍を乗り越えて不死鳥のように復活するという人類への希望と賛美もまた伝わってきた。

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2021年1月16日 (土)

コンサートの記(683) ロームシアター京都開館5周年記念事業 シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」

2021年1月10日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」を聴く。

来場者はいつもとは少し異なっているようである。25歳以下無料招待や、留学生のための特別チケットなどもあったようだが、ロームシアターの構造をよく知らない人が多く、少なくとも常連さんは余り来ていない。あるいは招待客が多いということも考えられる。普通に考えて、雅楽とコンテンポラリーダンスという、どちらもマイナーなジャンルの組み合わせで行われる公演に数多の人が訪れるとは思えない。雅楽の演奏を行うのは宮田まゆみ率いる伶楽舎であるが、宮田まゆみが雅楽のスターとはいえ、あくまで雅楽を聴く人の中でのスターである。東儀秀樹のように自作やポピュラー音楽を奏でる人ならファンが多いが、宮田まゆみは雅楽とクラシック音楽のみなので誰もが知っているという存在ではないと思われる。
クラシック音楽好きも、同じ時間帯に京都コンサートホールで井上道義指揮京都市交響楽団によるニューイヤーコンサートが行われるため、そちらを優先させた人が多いはずである。

 

二部構成の公演で、第一部が「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」、第二部が武満徹作曲の雅楽「秋庭歌一具(しゅうていがいちぐ)」による現代舞踏作品「残影の庭-Traces Garden」(振付・出演:金森穣。出演:ノイズム・カンパニー・ニイガタよりNoism0)の上演である。

 

第一部「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」の曲目は、芝祐靖作曲の「巾雫輪説(きんかりんぜつ)」、双調音取/催馬楽「新しき年」(以上、演奏:伶楽舎)、声明「普賢讃」/舞楽「陵王」(演奏と舞:音輪会)。

雅楽では、「残楽(のこりがく)」という演奏法が一般的で、これは次第に音の数を減らして最後は篳篥と箏の掛け合いになるというものである。クラシックに例えると――例える必要があるのかどうかはわからないが――ハイドンの交響曲第45番「告別」のような感じである。箏は「輪説」という自由奏法を行う。芝祐靖(しば・すけやす)は、「輪説」に焦点を絞った新作を依頼され、「残楽」とは逆に箏の独奏から始まって次第に楽器を増やし、全員合奏で終わるという、クラシック音楽に例えるとラヴェルの「ボレロ」のような曲を構想する。だがなかなか思うようには行かず、作曲には苦労したようだ。曲名にある「巾」とは箏の一番高い音のことだそうである。
箏の独奏に始まり、琵琶の独奏が加わり、篳篥、龍笛、笙が鳴り、箏は三重奏、琵琶も二重奏となる。音のボリュームと迫力の変化が楽しい曲だが、雅やかさも失うことはない。雫がせせらぎとなって川に注ぎ、ということでスメタナの「モルダウ」が意識されている可能性がある。

後白河法皇が好んだことで知られる催馬楽であるが、一時期伝承が途絶えており、江戸時代に再興されているが、平安時代のものがそのまま復活したという訳ではないようである。
「新しき年」でも芝祐靖が復元した楽譜を使用。「新しき 年の始めにや かくしこそ はれ」という歌詞が引き延ばされつつ歌われる。

音輪会による声明「普賢讃」。仏教音楽である声明だが、「普賢讃」は日蓮宗の声明の一つである。普賢菩薩を讃える声明と雅楽が融合される。散華の場もある。そのまま続けて舞楽「陵王」。舞人は、友田享。
クラシック音楽愛好者の中には、黛敏郎のバレエ音楽「舞楽」を好むという人も多いと思われるが、その「舞楽」の本家本元の舞楽の一つであり、曲調も似ている。迫力と優雅さを合わせ持ちつつどことなくユーモラスな感じもする舞も面白い。

 

第二部「残影の庭-Traces Garden」。伶楽舎が演奏する武満徹の「秋庭歌一具」は、現代雅楽を代表する作品である。武満は、雅楽について、「まさに音がたちのぼるという印象を受けた。それは、樹のように、天へ向かって起ったのである」(音楽エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』より)とコメントしている。1962年10月、宮内庁楽部の演奏を聴いた時のコメントである。それから約10年が経った1973年に武満は国立劇場から新作雅楽の作曲の委嘱を受け、「秋庭歌」を作曲。その後、1979年に「秋庭歌」に5曲を加えた「秋庭歌一具」を完成させている。
「秋庭歌一具」は知名度も高いが、今回のようにコンテンポラリーダンスとの共演が行われたこともある。2016年に伶楽舎と勅使河原三郎によって行われたもので、この公演はその後、NHKによって放送され、私も観ている。タケミツホール(東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”)での上演であった。

今回の上演では、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・舞踏部門芸術監督の金森穣と彼が率いるNoism Company Niigataによる現代舞踏とのコラボレーションとなる。

武満徹の作品において「樹」は重要なモチーフとなっているが、演出・振付の金森穣が無料パンフレットに載せた文章にも、この新作ダンスが樹という風景を用いた「過ぎ去り日の残影」を描いた旨が記されている。

 

武満徹の「秋庭歌一具」は、中央に秋庭と呼ばれるスペースを置き、左右後方の三カ所に「木霊」と呼ばれる演奏者達を配置して庭の移ろいを描く。「木霊」は精霊であり、移ろいゆく時間そのものを表していると解釈することも可能である。
武満は、有名な「ノヴェンバー・ステップス」や劇伴になるが大河ドラマ「源義経」のオープニングテーマで邦楽器とオーケストラのコラボレーション作品を書いているが、そうした和と洋の対比ではなく、「武満徹が純粋な雅楽作品を書いた」ということ自体が歴史的な意義を持っている。古代中国由来で日本でだけ生き残った雅楽に、日本で生まれ育ったが西洋音楽の道に進み、フランスの評論家から「タケミツは日系フランス人だ」とまで言われた偉大なクラシックの作曲家が己の作風を注ぎ込む。これは時代と場所とが音楽として重層的且つ歴史的に立ち上がることに他ならない。世界で彼にしか書けないと言われたタケミツトーンが、歴史の集合体として生かされており、おそらく日本音楽史上に永遠に残る傑作である。

「庭」を題材にした作品も多い武満だが、時と共に姿を変えゆく庭は音楽との共通点を有し、時の移ろいもまた重要なテーマとなっている。

コンテンポラリーダンスの出演は、Noism0(金森穣、井関佐和子、山田勇気)。衣装:堂本教子。映像:遠藤龍。秋庭の前の空間でダンスが行われる。

まずは三人横並びで同じ動きを始めることでスタート。やがてその動きやポジショニングが徐々にずれていく。キャットウォークから赤い羽織のようなものが降りてきて、井関佐和子がそれを纏う。紅葉を表しているのだと思われる。だが、すぐに井関佐和子は上手に向かって退場。紅葉の時期はほんの一瞬で、秋の盛りが一瞬で過ぎ去ったことを示すのかも知れない。その後は、移ろいゆく時の流れとその回想からなるダンスが展開される。男性ダンサーは二人とも黒系の羽織を着て再登場するが、よく見ると一人は茶色、一人は黒の羽織で色が微妙に異なることがわかる。黒は「玄冬」ということで冬を表し、茶色は赤と黒の中間で晩秋もしくは初冬を表していると思われる。移ろう時の中で秋の思い出が何度もリフレインするが、赤と茶の二人のダンスから、赤と茶と黒の三人のダンスに変わり、季節が移り変わっていくことが表される。
やがて落葉した樹のオブジェが現れる。舞台上方にはいくつものロウソクの明かりが灯っているが、それも次第に下がってくる。背後には橙色の光が投影され、太陽の力が弱まり、冬が近いことが告げられる。赤色の秋の精も眠りにつき、やがて去る。
空白の舞台を囲む三方で雅楽の演奏が続く(「秋庭歌」の場面だと思われる。庭そのものが主役の場とされたのであろう)が、やがて秋の精が現れ、眠りから一瞬覚める。秋が終わる前の、一瞬の夢が展開される。舞台上にはダンスを行っている影の映像が投影され、秋の精も自身の思い出と共に舞う。天上から紅葉の葉が降り、初冬の精と冬の精も現れ、舞台上に投影された中秋の名月を李白のように掴もうと試み、失敗する。
やがて赤い羽織はワイヤーに乗って天上へと帰り、思い出としての秋も完全に終結する。秋の精と初冬の精は手に手を取って舞台から退場。冬の精が一人ポツンと残される。

ダンスを筋書きで描くというのは粋な行為ではないが、おおよそこのようなことが演じられているように見えた。金森のプロダクションノートからは、移ろいゆく今よりも移ろい去ってしまったものへの哀感が強く感じられる。秋の盛りよりもそれが過ぎ去った後を描いたシーンの数々は、一種の幻想美として目の奥に留まることとなった。

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2020年12月27日 (日)

コンサートの記(675) 「加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2020 Vol.39」@ロームシアター京都

2020年12月22日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時30分から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「加藤登紀子 ほろ酔いコンサート2020 Vol.39」を聴く。
加藤登紀子は今年の6月に春秋座でコンサートを行うはずで、私もチケットを手に入れていたのだが、コロナのための中止、払い戻しとなっている。というわけでその代わりに、ロームシアター京都での公演に行くことに決めた。おそらく春秋座のコンサートが中止になっていなかったら、そしてロームシアターに通う機会がもっと多かったなら行かなかったと思うのだが、巡り合わせで行くことに決めた。祝い酒が振る舞われるコンサートなのだが、私はお酒が全く飲めないので、本来なら行く気にならないはずだが、今回はこれまたコロナの影響で祝い酒は無理なので、帰る時に月桂冠のボトル1瓶プレゼントということになっている。私も貰ったが、飲めないので誰かにあげようと思う。

 

加藤登紀子は父親と同い年である。というわけで親子ほどどころか実際に親子の関係になる年齢、母親はもっと若いので、女性に限れば親子以上に年が離れているということになる。ということで、客席もそれに近い年齢の方がほとんどで、たまに私より若そうな人がいても親と一緒に来ていたりするため、ひょっとしたら一人客の中では私が最年少だったかも知れない。
東大卒のミュージシャンの走りであるが、文化・芸術方面に行く人も多い文学部出身であるため、それほど意外な学歴というわけでもない。
生まれは当時は満州国の都市であったハルビンだが、幼少期は京都で過ごしており、後に夫となる藤本敏夫が同志社大学に学んでいたため、京都に縁のある人である。千葉県とも縁があり、鴨川市に鴨川自然王国を夫婦で設立。その後、鴨川市に開設された城西国際大学観光学部の客員教授を務めていたこともある(城西国際大学観光学部は鴨川市から撤退し、メインキャンパスのある東金市に移転する予定である)。

ロームシアターの公演に接するのも今年は4度目と少なく、これが今年最後となる。メインホール2回、サウスホール2回、ノースホールはゼロであった。

出演者は、加藤登紀子の他に、告井延隆(つげい・のぶたか。ギターほか)、渡辺剛(わたなべ・つよし。ヴァイオリン)、早川哲也(ベース)、鬼武みゆき(ピアノ)、鶴来正基(つるぎ・まさき。キーボード)。
加藤登紀子のメンバー紹介によると、鶴来は現在、京都市在住だそうで、加藤がKBSホールで公演を行った時に客として来ており、楽屋で「あなた今、京都に住んでるの? 京都も巡るツアーがあるから参加しなさい」と呼びかけたそうだ。
早川哲也のことは、「こう見えて大阪」、渡辺剛は大阪府高槻市の出身だが、高校は京都の堀川高校(当時、堀川高校にあった音楽科出身)だそうで、「この近く」と紹介していた。鬼武みゆきのことは、「月から来た」と紹介していたが、東京理科大学卒業後にキヤノンでシステムエンジニア(SE)をしていたことがあるため、他のミュージシャンとちょっと違うのかも知れない。今年古希を迎えた告井は名古屋出身だそうである。

予定曲として無料パンフレットに載っていた曲目は、「Never Give Up Tomorrow」、「Running On」、「Now Is the time」、「時には昔の話を」、「この手に抱きしめたい」、「石ころたちの青春」、「形あるものは空」、「Revolution」、「愛の賛歌」、「百万本のバラ」、「未来への詩(うた)」。その他に、ジョン・レノンの「イマジン」、そしてギターによる弾き語りのコーナーでは、河島英五の「生きてりゃいいさ」などを歌う。河島英五の思い出話も語られ、河島英五は「酒と泪と男と女」が有名であるが、実際には酒がほとんど飲めない人だったそうで、飲みながら歌うライブでも一人だけヤカンに水を入れてそれを飲んでいたそうである。歌い出す前に腕立て伏せをしたり、加藤の自宅で打ち合わせとなった時も、玄関に入ってきていきなり「パンか何かありますか?」と聞いたそうで、聞くと、「飢えた経験がないので、どんなものか知るために食事をしていない、来る途中で倒れそうになった」と応えたそうで、やはりかなり変わった人だったようである。テレビ番組の収録か何かでスタジオの暗い場所で二人で待機していた時には、加藤がふと「このまま駆け落ちしちゃわない?」と思いついて発言。河島も「いいですね」と応えたそうだが、知っての通り、駆け落ちすることはなかった。「この二人で歌いながらシルクロードを歩いたら、結構、儲かるんじゃない」といった話もしたそうである。加藤登紀子は、1968年頃に多くの人との出会いがあったが、今ではもう会えなくなってしまった人も多い、ただ「会えなくなってしまった人を思うのが本物の歌なんです」と語る。
昨年亡くなった中村哲のために「あなたの行く朝」が歌われ、今年コロナによってフランスで客死(という表現でいいのかどうかわからないが)した高田賢三への追悼の言葉もあったが、その昔(1993年である)、高田賢三が上京したばかりの頃のことを描いたテレビドラマがあり(タイトルは、「ケンゾー・ジュンコの青春物語」)、加藤は高田を教えた文化服装学院の教師、小池千枝役で出演したことがあったそうだ。高田賢三を演じていたのは石田純一で、私もはっきりとは覚えていないが見た記憶がある。石田純一演じる眼鏡を掛けた高田賢三が文化服装学院の仲間と夜の新宿の歩道橋の上を歩いている時に未来への不安を口にするシーンがあったはずである。加藤登紀子のシーンは残念ながら覚えていない。ドラマの主題歌も加藤登紀子の「石ころたちの青春」で、今日はこの曲も歌われた。
小池千枝は、加藤の語るところによると、高田賢三に、「オートクチュールはフランスで完成されてるから、今更日本人がやっても敵わない。プレタポルテで勝負しなさい」とアドバイスして、高田を成功へと導いた人らしい。

ジョン・レノンの「イマジン」は、1番を歌った後(シンコペーションを多用していた)、2番は告井のヴォーカルに代わり、加藤はフレーズの合間に歌詞の日本語訳を語った。

12月8日がジョン・レノンの命日で、その急死から40年、享年も40で生きていれば80歳、「私より3つ上の人」と語った。
レノンが急死した後に、加藤はオノヨーコに会いに行って話したことがあるという。「あなたが刑務所の中の人と結婚した人?」とオノヨーコは聞いてきたそうで(「そういう話し方をする人なんです」と付け足していた)、「そうだ」と答えると、「あなたの旦那さんは壁と戦っているのね。ジョンと私は壁に窓を開けて想像力を拡げることにするの」と語ったそうで、「イマジン」はそうした生活から生まれたそうである。

加藤登紀子の代表曲を1曲だけ挙げるとすると、やはり「百万本のバラ」ということになるのだと思われるが、この曲は元々はラトヴィアの作曲家が1981年に作曲した作品で、原詞も加藤登紀子が書いた日本語詞とは異なる。原曲と原詞は、黛敏郎が司会をしていた頃の「題名のない音楽会」で作曲者のライモンド・パウルス(当時のラトヴィア文化省大臣)の写真と共に紹介されたことがある。YouTubeで原曲を聴くことも出来る

 

アンコールでは、「Power to the People」がまず歌われ、2曲目はタイトルがわからず(三拍子の曲である。急遽曲目が決まったようで、鬼武みゆきのピアノと告井延隆のギター伴奏のみで歌われる。「あなたに捧げる歌」かも知れないが、断言は出来ず)、そしてそこからの流れで、京都と滋賀県のご当地ソングである三拍子の「琵琶湖周航の歌」(旧制第三高等学校=現在の京都大学の教養課程の学生歌)が歌われた。

本編約90分休憩なし。加藤登紀子も高齢故に声の衰えは否めないが歌唱力は健在で且つソウルフル。完成度の高いゴージャスな雰囲気のライブとなった。若い人が聴かないのは勿体ない気がする(とはいえ、現在、多くの大学で「ライブ参加禁止令」が出されている)。

なお、12月27日の加藤登紀子の誕生日(加藤は、「私の7歳の誕生日。うん十7歳の誕生日」と語る)には「ほろ酔いコンサート」のライブ配信が行われ、また来年の5月には春秋座でのコンサートも予定されているそうである。

加藤登紀子は祇園四条にあるロシアレストラン・キエフで定期的にソング&トークイベントを行っていて、来年の4月3日に第55回目が行われるのだが、会費が特選コース料理とワイン付きで2万円と高い。知り合いは行ったことがあって、リクエストコーナーではその場でリクエストした曲を歌ってくれるそうで、楽しそうではあるのだが。

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2020年11月27日 (金)

観劇感想精選(369) 「獣道一直線!!!」

2020年11月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都メインホールで、「獣道一直線(じゅうどういっちょくせん)!!!」を観る。生瀬勝久、池田成志、古田新太からなるユニット「ねずみの三銃士」の6年ぶりの公演である。

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ねずみの三銃士は、毎回、宮藤官九郎の脚本、河原雅彦の演出で公演を行っている。2004年の初公演「鈍獣」で宮藤官九郎が岸田国士戯曲賞を受賞し、3作目の「万獣こわい」は読売演劇大賞優秀作品賞を受賞するなど、評価も高い。2009年に三田佳子を主演に招いて話題を呼んだ「印獣」、2014年には夏帆がキーパーソンを演じた「万獣こわい」と5年おきに公演を行っており、「万獣こわい」の大阪公演のカーテンコールで生瀬勝久が、「また5年後にお会いしましょう」と語っていたが、ねずみ年に合わせたのかPARCO劇場のオープニングに合わせたのか、6年後の公演となった。

宮藤官九郎が脚本を手掛けたテレビドラマや映画には好きな作品がいくつもあり、俳優としても気に入っているのだが、劇作となるとなぜか外れと感じるものが多い。劇作家・宮藤官九郎とは余り相性が良くないようである。今回もロームシアター京都での公演でなかったら行かなかったと思うが、コロナの影響で今年はまだメインホールに入っていないため、なんとしてでも行ってみたかった。劇の内容は二の次である。

これまでポピュラー音楽用とオペラ公演用に適したホールがなかった京都。ポピュラー音楽の方は、「京都で公演を行いたい」と思うアーティストが多いということもあり、盛況であるが、オペラの公演は年に2回程度、今年は小澤征爾音楽塾が中止になったため高校生のためのオペラ鑑賞教室で「魔笛」が上演されただけ、演劇となると更に不振で良質の演劇が上演されることは極めて少ない。メインホールの場合は更に限られて、演劇の公演が行われたのは、ミュージカル「わたしは真悟」に続いて今回が2回目だと思われる。

ストレートプレーにキャパ2000はやはり多いようで、今回は1階席と2階席のみを利用しての上演である。

作・出演:宮藤官九郎、演出:河原雅彦。出演は、生瀬勝久、池田成志、古田新太、山本美月、池谷のぶえ。「ねずみの三銃士」公演に宮藤官九郎が出演するのは初となる。

一見、そうは見えないが、コロナ下における演劇を題材にした作品である。

ねずみの三銃士は犯罪を題材にしたホラーチックな作品を上演するのが常だが、今回も木嶋佳苗死刑囚が起こした「首都圏連続不審死事件」をベースに、「東池袋自動車暴走死傷事故」、「常磐自動車道あおり運転殴打事件」(ガラケーで撮影を行うシーンあり)など、いくつかの犯罪事件の断片が鏤められている。

まず登場するのは三人の売れない俳優である。パニック障害を患う生汗勝々(なまあせかつかつ。生瀬勝久)、不安神経症レベルの心配症に悩んでいる池手成芯(いけでなるしん。池田成志)、アルコール中毒の古新田太(ふるあらたふとし。古田新太)である。生汗勝々は、日本版「アベンジャーズ」のオーディションだと聞いてこの場所に来たのだが、現れた女性審査員(ぱわ原雅ぴ子。演じるのは池谷のぶえ)の様子も見るからに変であり、戸惑う。実はコロナによって俳優は「不要不急」の仕事とされたため、福島県にある練り物工場で強制労働に従事させられることになり、障害を持つ三人が集められたのはそのためで、オーディションというのは罠だったのだ。

その福島県に住む苗田松子(なえだまつこ)という女性(池谷のぶえ)に不審の目が向けられていた。松子は出会い系サイトで知り合った三人の男性とつき合っていたのだが、そのうちの二人が不審死を遂げており、松子は多額の保険金などを受け取っていた。松子とつき合ったことのある男達の証言によると松子というのは「とにかくいい女」とのことだったが、実際は冴えない太めのおばちゃんである。

苗田松子の事件を取材しているドキュメンタリー映像作家の関(宮藤官九郎)は、妻のかなえ(山本美月)の協力を得て、松子の住む福島に取材に出掛けていた。かなえは、松子が開設していたブログの記事を読破するなど、松子に関するありとあらゆる情報を仕入れていた。そして二人でまず「魔性の女」という映像を作ったのだが、現れた松子は「魔性の女」のイメージとはほど遠い存在である。

かまぼこ工場で俳優を使った松子の人生の再現ドラマ制作が始まる。演じる俳優は当然ながら、生汗勝々、池手成芯、古新田太の三人である。三人はそれぞれ松子の被害者男性を演じる。実は関は自称「保守的」な映像作家で、フィクションについては懐疑的だった。松子の提案で再現ドラマを撮影することにはしたが、実は関の狙いは他にあった。

苗田松子であるが、アナグラムによる前田夏子などいくつかの偽名を使い分けていた。本名は松戸かなえ(松戸という役名は、木嶋佳苗死刑囚が最初の事件を起こした千葉県松戸市から取られたのだと思われる)。犯罪者ではあるが、自分を素材の何倍も魅力的な女に見せるという、俳優の素質にも繋がるものを持った人物である。

関の妻であるかなえも、名前が同じ松戸かなえにどんどん引き寄せられていく。
やがて池谷のぶえと山本美月は二人で一人のかなえ像として男達を魅惑するようになる……。

グロテスクなラストなど、いつも通りのホラーコメディ路線の作品ではあるのだが、実際に描かれているのは、演劇を「不急不要」と決めつけた人々への復讐である。昨日観た野田秀樹潤色の「真夏の夜の夢」もそうだが、今の時期にフィクションの必要性について語ることは極めて重要であり、新型コロナウイルスに罹患した宮藤官九郎がそのことについて何も触れない方が不自然である。
ねずみの三銃士の作品のうち、「鈍獣」は戯曲と映像を観たが、隠れたところで復讐劇が行われているという共通点がある。

正直、好きなタイプの作品ではないし、ヒロインの山本美月も弱いのだが、宮藤官九郎が語りたかったことは受け止めることが出来たように思う。

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2020年8月18日 (火)

配信公演 ロームシアター京都「プレイ!シアター」 at HOME2020 京都市交響楽団 0歳からのコンサート「ステイキャッスルはもううんざり!」+康本雅子&ミウラ1号 移動型ライブパフォーマンス「どこ行くダンス?ここいる音楽」 in ロームシアター京都+サウスホールバックステージ映像

2020年8月15日 左京区岡崎のロームシアター京都から配信

ロームシアター京都の夏のイベント、「プレイ!シアター」がコロナの影響によって今年は「at HOME 2020」としてオンラインを使っての開催となった。ロームシアター京都のホール等で公演は行われるが、観客としてロームシアターに入れるのは関係者や抽選に当たった人など最小限に絞られ、一般人はYouTubeなどを使っての配信で楽しむことになる。


午前11時からは、メインホールで京都市交響楽団 0歳からのコンサート「ステイキャッスルはもううんざり!」がYouTubeを使って配信される。
チャンネルは2つあり、ロームシアター京都のYouTubeチャンネル1では指揮者の頭に着けたカメラからの映像が流れ、クラシック専門配信サービスであるカーテンコールによるYouTube配信では、上演される人形劇を中心としたオーソドックスな映像が流れる。

指揮は垣内悠希。ロームシアター京都メインホールはステージが広いため、編成も比較的大きめだが、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラはいずれもワントップである。

コンサートマスターは泉原隆志。フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子、クラリネットの小谷口直子、トランペットのハラルド・ナエスといった首席メンバーが顔を揃えている。例年なら8月は音楽祭のシーズンであり、そちらを優先させるメンバーも多いのだが(京都市交響楽団は珍しく8月にも定期演奏会があり、宗教音楽の演奏が恒例となっている)、音楽祭自体が中止になるケースが大半となってしまっている。


糸あやつり人形劇団みのむしによる人形劇が行われ(脚本・演出はヨーロッパ企画の永野宗典と松宇拓季)、オーケストラ演奏がそれを彩っていくという趣向である。

とある国のお姫様(声はヨーロッパ企画の藤谷理子)が、城での生活に飽き飽きして国を飛び出し、ロームシアター京都の楽屋に籠城する。お付きの竜の騎士メロウ(声はヨーロッパ企画の酒井善史)と教育係のガミット(声はヨーロッパ企画の石田剛太)が音楽の力を借りて姫を城に連れ戻そうとあの手この手を繰り出すという物語である。


ロームシアター京都のYouTubeでは、先に書いた通り、指揮者の垣内悠希の頭に取り付けられたカメラからの映像が流れるのだが、カメラが揺れまくってしまっている上に、垣内の息づかいも盛大に聞こえるため音楽に集中出来ない。といういうことでカーテンコール制作のYouTube映像に切り替える。


チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」よりワルツでスタート。有名曲が多く、京響も手慣れた演奏を聴かせる。

各楽部の紹介として、弦楽器がモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」冒頭、木管楽器がチャイコフスキーの「白鳥の湖」より“小さな白鳥の踊り”、金管楽器が大野雄二の「ルパン三世」のテーマ、打楽器がビゼーの「カルメン」より闘牛士のテーマを奏でる。

その後、ルロイ・アンダーソンの「ワルツィング・キャット」、ハーライン作曲(岩本渡編曲)の「星に願いを」、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」より結婚行進曲などが演奏される。グリーグの「ペール・ギュント」第1組曲より“山の魔王の宮殿にて”の演奏の際に、“朝”とクレジットされるというミスがあったが、すぐに直された。“朝”はその次の場面で演奏された。

ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」では、視聴者もチャットに手拍子の絵文字を打ち込んで参加する。

その後は、天岩戸的な展開となり、盆踊りの手拍子が気になったお姫様がドアを開けたところをメロウが引きずり出す。作戦成功をデュカスの「ラ・ペリ」のファンファーレが祝福する。

最後は、久石譲作曲(和田薫編曲)の「さんぽ」(「となりのトトロ」より)が演奏された。


その後、ロームシアター京都のYouTubeチャンネル2で、康本雅子とミウラ1号による移動型ライブパフォーマンス「どこ行くダンス?ここいる音楽」in ロームシアター京都を視聴。ミウラ1号の音楽に乗って、ダンサーの康本雅子がコンテンポラリーダンスを披露しながらロームシアター京都内を移動する。3階共通ロビーに始まり、3階ロビー(サウスホール2階席ロビー)、2階共通ロビーなどロームシアター京都を訪れたことのある人なら見覚えのある景色が映し出されるが、ベランダなど通常は関係者以外は立ち入れない場所にもカメラが入ってダンスが行われ、配信ならではの良さも生んでいた。

ダンス公演の後は、ロームシアターのバックステージの紹介が行われ、サウスホールへののピアノ搬入の模様などが映し出される。ちなみに、例年の「プレイ!シアター」ではメインホールのステージ上や一部の楽屋などは立ち入り可となっていたが、サウスホールの舞台裏に入れる催しは行われておらず、貴重な映像である。

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2020年8月 9日 (日)

中川裕貴 「アウト、セーフ、フレーム」

2020年7月31日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで中川裕貴(なかがわ・ゆうき)の「アウト、セーフ、フレーム」を聴く。
中川裕貴は京都市在住の音楽家。チェロの演奏や作曲を行い、パフォーマンスの演出も手掛ける。今回はコンサートとパフォーマンスの境界にある作品の上演である。

ロームシアター京都での公演に接するのは久しぶり。チケットの払い戻しなどで訪れたことはあるが、公演に触れるのは、今年1月18日の室内オペラ「サイレンス」が以来であり、半年以上の月日が経過している。

新型コロナ対策として、入場時の検温があり、アルコール消毒も各所で行えるようになっている。無料パンフレットは自分で取る。
ロビー開場は混雑を防ぐために30分前から1時間前に前倒しになる。

入場者を絞っての公演。全席自由であるが、中央通路より前の席は取り外し可であるため、椅子のある列の前の列の席は全て取り払われて一列置き、横も二つ分の椅子が外されて、「点在する」ように見える状況となっている。

 

出演は中川裕貴の他に、菊池有里子、横山祥子、出村弘美、穐月萌、武内もも(劇団速度)。サウンドデザイン&ライブカメラ:荒木優光。チェロ自動演奏プログラミング:白石晃一。

中川裕貴がマイクを手に登場し、挨拶を行うが、この時からパフォーマンスは始まっている。

4つの部からなり、第1部は「声/性Ⅰ」、第2部は「私たちとさえいうことができない私についてⅣ」、第3部が「Blowwwise with Automatic Play」、第4部が「声/性Ⅱ featuring かっぽれ」である。

中川はまず「音脈分凝」について解説する。本来は音として同一であるものを聴き手が無意識に複数の音脈として聞き分けることになるという現象である。中川は「音脈分凝」の漢字を説明する際、「分」は「4分33秒の分」というなどのギミックを用いる。

また中川は、擬音についても語る。馬の走るギャロップの音、「パッカパッカ」、小さな「ッ」は文字としてはあるが、実際の音となると繋ぎの音で発せられているとは言えない。「パ」と「カ」の二つの音が擬音として用いられているのだが、それは「パッカパッカ」が馬の足音として広く認識されているから何の音か分かるということでもある。また「パ」と「カ」の音に開きがあり過ぎても近過ぎても二つの音として聞こえない。別の音として認識されることも重要になってくる。

無料パンフレットに中川は、「直接的でないこと」、「抽象」、「距離」などをテーマとして記しており、ソーシャル・ディスタンスの時代の音楽を意識していることが窺える。

 

第1部では、予め録音された電子音などが流れる中、女性が二名ほど、一人ずつ登場して、言葉らしきものをマイクに向かって語る。日本語を逆再生した言葉なので意味は分からないのだが、認識出来る単語が浮かび上がる瞬間がある。
その間、中川はチェロで形にならない旋律のようなものを弾いている。「魔笛」の夜の女王のアリア「復讐の心は炎と燃え」のコロラトゥーラの場面に似た旋律も登場するが、意図したのかどうかはわからない。
やがてピアノとヴァイオリンが登場し、ピアノ三重奏となるが、最初の内はヴァイオリンとチェロはピッチカートの演奏を繰り返す。
その後、ピアノが民族舞踊の音楽のような旋律を弾き始め、ヴァイオリンやチェロもメロディーを弾き始めて広がりが生まれる。

 

第2部は更に聴きやすい音楽となるが、中央通路に巨大スピーカーが現れて、和音を響かせる。ステージ上とスピーカーの音は寄り添っては離れる。

 

第3部は、チェロを打楽器として使う試み。壊れたチェロが機械音を奏で、中川はチェロを叩く奏法でそれに応えていく。壊れたチェロは三拍子を刻み始める。
再び巨大スピーカーが現れ、今度はノイズを放つ。
第3部はちょっと長かったかも知れない。

 

「共鳴」と「分離」とその「境界」について考える。例えば「音楽」と「雑音(ノイズ)」について。現代にはノイズミュージックというジャンルがあるが、では、どこまでが音楽でどこからがノイズなのだろうか。勿論、答えは多様である。虫の音を音楽と聞くのは日本人だけという説があるが(実際はそうでもないという意見もある)、この「境界」も受け手が個々に判断すべきものである。「境界」を設けなくても当然ながら良い。

 

第4部は、「かっぽれ」の音楽である。無料パンフレットには、伊福部昭の随想『声無哀楽論』の中に、1934年の東郷平八郎の国葬の際に、アメリカから追悼音楽・演奏としてなぜか「かっぽれ」が届いたという話が載っていたことが紹介されている。中川はアメリカ人は「かっぽれ」を葬送に相応しい音楽と捉えたのではないかと推理しているようである。

日本人は「かっぽれ」がどこで歌われる曲が知っているため、音楽を聴くと背景が浮かぶが、何の知識もなかった場合は、あるいは別種の音楽と捉えられる可能性はありそうである。また、マーラーの交響曲第1番「巨人」の第3楽章のように悲哀と俗っぽさは一体になる場合もある。

日本的な旋律をピアノとヴァイオリンが奏でる中、中川のチェロは馬のいななきのような音を繰り返す。

こんなことを思い出す。古語の「かなしい」は今でいう「かなしい」とは違い、感情が大きく動いた時に用いる言葉であった。有名な東歌「多摩川に晒すてづくりさらさらになんぞこの児のここだかなしき」の「かなしき」は愛おしいという意味である。
最も感情が動くのはいわゆる「悲しい」時なので意味は固定されたのだが、本来は一体のものという認識があり、語り手と受け手が選ぶものだったのだ。

今日のこの催しも聴き手に委ねた余白の部分があり、そこに広がりと多様性が存在していたように思う。単純に成功とはいえないかも知れないが、豊穣さは確かにある。

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だが、それらの思念を超えて最も心に響いたのは、単純に「生のピアノの音が聴けた」ということである。体がアコースティックなピアノの音を欲していたのだ。やはり私の楽器はピアノなのである。

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2020年1月25日 (土)

コンサートの記(621) 室内オペラ「サイレンス」(アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ)

2020年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後6時から、ロームシアター京都サウスホールで、室内オペラ「サイレンス」を観る。川端康成の短編小説「無言」のオペラ化である。無料パンフレットには「アレクサンドル・デスプラ&ソルレイによる室内オペラ」と書かれている。台本・作曲・指揮:アレクサンドル・デスプラ、台本・演出・音楽監督・ビデオ演出:ソルレイ、舞台美術:シャルル・シュマン、衣装:ピエール・パオロ・ピッチョーリ。演奏は、アンサンブル・ルシリン。出演は、ロマン・ボクレー(バリトン)、ジュディット・ファー(ソプラノ)、ロラン・ストケール(語り。コメディ・フランセーズ所属)。フランス語での上演、字幕付きである。

作曲のアレクサンドル・デスプラは、映画音楽の作曲家である。「英国王のスピーチ」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、「グランド・ブダペスト・ホテル」などの音楽を手掛けており、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞作曲賞などを受賞している。
ソルレイ(本名はドミニク・ルモニエ)は、ヴァイオリン演奏、舞台演出、ビデオ演出などを手掛けている女性で、デスプラの公私にわたるパートナーである。2015年に脳疾患を患うも復帰している。「サイレンス」には自身の闘病経験が反映されているという。

演奏を担当するアンサンブル・ルシリンは、ルクセンブルクを拠点とする現代音楽アンサンブル。2014年に初来日して、細川俊夫の「大鴉―メゾ・ソプラノと12の奏者のためのモノドラマ」の初演を手掛けている。

富子役のジュディット・ファーは、アムステルダム音楽院に学び、2011年にオランダ国立オペラアカデミーに入団。ベルギーのモネ劇場やフランスのエクサンプロバンス音楽祭、ルクセンブルク大劇場などで出演を重ねているという。

三田役のロマン・ボクレーは、リヨン国立高等音楽・舞踊学校を優秀な成績で卒業し、リヨン国立歌劇場で学ぶ。世界各地の国際大会で優秀な成績を収め、ハンガリーのARMEL国際オペラコンクールでは優勝に輝いている。

語りのロラン・ストケールは、1973年、フランス・オトマイヌ生まれ。ジェラール・フィリップのアトリエで学び、パリの国立演劇院でも研鑽を積む。ソルボンヌ大学では現代文学を学び、2001年にコメディ・フランセーズに入団。2004年に正団員に昇格し、ルコックシアターなどにも参加しているそうである。

 

アンサンブル・ルシリンは、ステージの後方での演奏。その上にあるスクリーンにソルレイが監督した映像が投影される。

 

アレクサンドル・デスプラの音楽は、武満徹や黛敏郎、西村朗など日本を代表する作曲家の作風を巧みに取り入れ、更に仏教音楽の要素なども用いた「和」の現代音楽を作ることに成功している。弦楽のピッチカートやコルレーニョ奏法なども多用しており、曲調がガラリと変わる場面があるなど、多彩な音楽を生み出している。

 

鎌倉の名越に実在する「お化けトンネル(鎌倉側の名越トンネルと逗子側の小坪トンネル)」の怪談をモチーフにした話である。ここは関東屈指の心霊スポットとして有名で、トンネルの上に火葬場があり、しかも鎌倉時代の城跡で、三浦合戦の激戦地として多くの人が亡くなった場所であることから、「出る」という噂が絶えない。

逗子(川端康成終焉の地でもある)に住む老作家、大宮良房が病気を患い、話すことが出来なくなって、右半身も不随になる。左手は動くのだが、大宮はもう何も書こうとはしない。大宮の20歳年下の友人である三田が大宮の見舞いに赴く。三田はおそらく鎌倉駅からタクシーに乗って逗子の大宮邸に向かうのであるが、その際にお化けトンネルをくぐる。三田はタクシー運転手(ロラン・ストーケル)に「幽霊を見たことがあるか?」と聞き、タクシー運転手はないと答える。

大宮は妻に先立たれており、娘の富子に面倒を見てもらっている。父親の介護に専念していたため富子は魅力的な女性であるにも関わらず婚期を逸しており、その姿が三田には大宮に仕える幽霊のように映り始める。

富子は三田に、大宮が若い頃、文学志望の青年から手紙を受け取ったという話をする。しかしその手紙は次第に狂的になり、青年は精神病院の閉鎖病棟に入れられる。病棟でも執筆がしたいと望む青年だったが、ペンも鉛筆も危険だというので、青年に与えられたのは白紙だけ。青年は白紙に見えない文字を綴り続けた。と、ここまでは本当にあったことなのだが、大宮はその続きを小説にしている。青年がカタカナで綴ったと言い張る文字を母親に見せるのだが、そこには当然ながら白紙しかない。そこで母親はあたかも青年が書いた文字が見えるかのように振る舞い、二人の思い出話などを語り、息子と共に小説を共作することになるという話である。「母の読める」という小説だったが、富子は大宮が実は自分達のことを小説に取り込んだのだと話し、文字が書けなくなった大宮が「娘の読める」として富子の筆で小説を執筆するという構想を三田は思いつく。沈黙の大宮に三田は、左手でカタカナを書き、コミュニケーションを行うように促すのだが、次第にその沈黙には意味があるのだと確信するようになり……。

幽霊の話が富子と結びつき、幽霊のように生き続けるであろう彼女をそのままにするしかないという諦観が、上演終了後も後を引くような話である。三田が富子に恋をしたのはわかるのだが、それが進展するとも思えない。三田もまた富子に対して本音は無言としたまま過ごしていくのであろう。

今日は前から6列目の真ん真ん中ということで、歌手達の動きは見やすいのだが、字幕は舞台両端に出るため、首を動かして確認する必要がある。
字幕であるが、最初は歌詞やセリフの日本語訳が出ていたのだが、途中から地の文も字幕で語られるようになり、文学性の強い上演となる。

ロマン・ボクレーはバリトンではあるが、ハイトーンボイスも得意としており、繊細な文学青年である三田の雰囲気を上手く出している。

ジュディット・ファーは、儚げな印象の富子を雰囲気豊かに演じる。

語りとして様々な役を演じるロラン・ストーケルは、ヴォツェックのようなメイクをしており、この物語が持つ本質的な不気味さを演技でも巧みに表現していた。

 

ソルレイの映像は、トンネルのシーンでは逗子ではなくおそらく首都高のトンネルでの映像を使っており、延々と続くライトに少し違和感も感じる。三田が大宮の家を訪ねるシーンでは、読売ジャイアンツ対阪急ブレーブスの後楽園球場での日本シリーズの模様が映し出される。読売ジャイアンツの王貞治、張本勲、堀内恒夫、阪急ブレーブスの山田久志、足立光宏ら姿が確認出来る。今はYouTubeなどの映像配信サイトでも見ることの出来るものだが、時代と季節が語られており、なかなか効果的な映像であったように思う。

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2020年1月 6日 (月)

観劇感想精選(335) inseparable 「変半身(かわりみ)」

2019年12月19日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後6時から、ロームシアター京都ノースホールで、inseparable「変半身(かわりみ)」を観る。原案:村田沙耶香&松井周、作・演出:松井周。出演:金子岳憲、三村和敬、大鶴美仁香、日高啓介、能島瑞穂、王宏元、安蘭けい。

村田沙耶香と松井周が共に取材した題材を演劇と小説という形で別々に発表するという試みの演劇版である。村田沙耶香の小説版はホワイエで売られている。

近未来が舞台である。東洋のガラパゴスと呼ばれる離島、千久世島(ちくせしま)ではレアゲノムという化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組み換えに必要なものとして注目を浴びている。その千久世島では、「山のもん」と「海のもん」が抗争を繰り広げている。レアゲノムは山で取れるため莫大な利権を生み、「山のもん」は働く必要もなくなったが、多数派である「海のもん」はその恩恵に預かることは出来ず、漁業も海流の変化で不振である。ということもあってレアゲノムを勝手に持ち出そうとする事件が相次ぎ、自警団が組織された。その自警団の事務所が舞台である。

近未来においては、自由に性行為を行うことや子どもを作ることは許されておらず、生殖免許なるものが必要なようである。自動車と同じでマニュアルとオートマチックがあるようだが、詳しいことはわからない。

自警団に所属しているのは、高城秀明(金子岳憲)と尾形祐美(大鶴美仁音)の夫婦(未来は夫婦別姓なのだろうか)と、本州から来た子持ちバツイチの比留間ルイ(能島瑞穂)、外国出身の田部草太(王宏元)。ただヒトゲノム自体は東京の組織によって管理されており、東京から来た丸和玲香(安蘭けい)が、密輸業者を取り逃した自警団に説教しているところから芝居は始まる。近未来では行動が逐一ポイントによって評価される制度になっているようである。「ドラえもん」にもそんな話が出てきたような気がするが。
秀明は「山のもん」であるが、祐美は「海のもん出身」であり、二人の結婚は隔たれていたものの結びつきの象徴として祝福されている。祐美の父親で、ホテル経営などをしている「海のもん」の代表者、尾形圭一(日高啓介)も自警団の事務所にやって来る。

比留間ルイは、本州出身を名乗っているが、実は外国出身であり、田部草太と二人でいる時には北京語で話す。草太から、「为什么你说日语?(どうして日本語で話す?)」と聞かれたルイは、「あなたと一緒にされたくない」と日本語で答える。
ちなみに草太の父親は本国でデザイナーをしていたが、作品に赤い布を用いたことで共産主義者と見做され粛正されている。北京語を話してはいるが、共産党が支配する中国の出身ではないのか、あるいは中国の政治体制が今とは異なっているのか。

本筋とは異なり、神様(金子岳憲)による「クニウミ」の話が入る。千久世島には独自の国生み神話がある。ポーポーとボウボウという神様が国を生む。ボウボウは始めは一つの点に過ぎなかったのだが、ポーポーの腕を食べて、人間の形らしくなる。生殖器は二つあり、両性具有の神である。ポーポーとボウボウは仲良しの神だったのだが、ある日、ボウボウがポーポーの腕や足を食べてしまい、腹を壊す。だが、ボウボウには口はあっても出す機関は持っていない。ボウボウの腹痛は酷く、ポーポーはボウボウの生殖器の片方でボウボウを突き刺す。そこから出た膿が海になったという話である。途中で、イルコというイルカの神様の話が出てくるが、足が悪いということで流されてしまう。イルコは日本神話の神々でいうと蛭子に相当する。恵比須として祀られることになる神である。

島ではポーポー祭なる奇祭が行われており、秀明の弟である高城宗男(三村和敬)がモドリという儀式の最中に落命している。だが、その宗男が皆の前に現れる。秀明と宗男が少年時代のことを語る内に、どうやら宗男もボウボウのように両性具有者だったらしいことがわかる。宗男は、千久世島が世界初の浣腸器が見つかった場所であるということから、ボウボウ伝説に基づく「ソーシャル・エネマ」を提唱。「山のもん」(成金)や「海のもん」(土俗、貧困)、あるいは東京的(絶対的な価値に基づく管理社会)な価値観を洗い流すことで世界の再創造を行おうとする。

やがてルイがレアゲノムの横流しを行っていたことが発覚して丸和と圭一によって捕縛され、身内から裏切り者が出たということで自警団も解散に追い込まれる。そして浜辺にはイルカたちが押し寄せ、自警団の事務所はイルカ相手の売春斡旋所となってしまう。

ポーポーに相当する秀明が演じる神と、ボウボウに当たる宗男が演じる神、更にイルカの神でもある丸和の3人(3柱か)の会話では、もはや世界を救うことは不可能となっている。レアゲノムも用いてイルカとの合体が成功しつつあるが、それもほんの少しの延命に過ぎない。

舞台は数年後に移る。人々は主にイルカ語を話すようになっている。レアゲノムは他の島に移されており、千久世島はその名に反して見捨てられた島として終焉を迎えつつある。それが変わることはないのだが、ポーポーとボウボウの神話に出てきたように、宗男の体を、祐美、ルイ、草太、圭一が食べるシーンがある。これはポーポーとボウボウの神話に従えば新たなる世界の創造(クニウミ)に繋がる行為であり、一見すると救いがないようではあるが、新たなる世界の創造もささやかながら示されているラストがやって来る。

どことなく1990年代の演劇のテイストが感じられる作品である。SFではあるのが、神話や離島の事情を混ぜるなどしており、未来的な洗練性よりも土着的な味わいが前面に出ているという特徴がある。

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2019年12月28日 (土)

東京バレエ団×京都市交響楽団クリスマススペシャル バレエ「くるみ割り人形」(全2幕)

2019年12月22日 左京区岡﨑のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、東京バレエ団×京都市交響楽団クリスマススペシャル チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」を観る。指揮は井田勝大(いだ・かつひろ)。キャストは、川島麻実子、柄本弾(つかもと・だん)、森川茉央、鳥海創、湧田美紀、海田一成、永田雄大、政本絵美、加藤くるみ、杉山優一、伝田陽美、宮川新大、三雲友里加、ブラウリオ・アルバレス、岸本夏朱、岡崎隼也、池本祥真、昴師吏功、中川美雪、工桃子、樋口祐輝、岡﨑司、上田実歩、杉山優一、髙浦由美子、南江祐生、菊池彩美、和田康佑。

チャイコフスキーの三大バレエの一つとして知られる「くるみ割り人形」。クリスマスイブが舞台になっているということで、今のシーズンに良く上演される。

 

東京と京都の団体のコラボレーション。チケット料金も安めに設定されているため、入りも上々である。

 

指揮の井田勝大は、東京学芸大学音楽科、同大学院を修了。2003年より来日オペラ団体の公演に制作助手として携わり、小澤征爾やズービン・メータのアシスタントを務めているという。バレエを指揮した経験も豊富だそうだ。現在はオーケストラトーキョー指揮者と広島にあるエリザベト音楽大学の講師を務めている。

井田の指揮する京都市交響楽団は、ロームシアター京都メインホールのピットでの演奏ということもあって、いつもよりも音の密度が薄めに感じられるが、バレエダンサーは踊りやすそうな音楽作りである。

E.T.A.ホフマンの童話をマリウス・プティバが台本化したものをチャイコフスキーがバレエ化した作品であるが、少女がくるみ割り人形に誘われて夢の世界に遊ぶという内容で、筋書きらしい筋書きはない。「ロメオとジュリエット」のように誰でも知っている筋書きなら別だが、バレエは基本的に複雑な物語を扱うことは出来ない。

 

紗幕に雪が舞う様が投影されてスタート。人々がクリスマスパーティーが行われる家にどんどん吸い込まれていく。セットは描かれたものが中心のシンプルなものだが、とても愛らしく、子ども達も喜びそうである。

東京バレエ団のメンバーもかなり優秀という印象を受ける。白人に比べると体格で劣るため、見栄えはさほどしないのであるが、技術面では当然ながら高いものがある。
体格差でいうと、男性の方がより顕著であり、日本人も年々体格は良くなっているが、白人の迫力にはどうしても敵わない。野球やサッカーで見られるのと同じ現実である。女性の方もやはりプロポーションでは白人に勝てないが、愛らしさでカバー出来る部分もある。男性ダンサーも女性ファン向けには愛らしさを打ち出して人気を得ることは可能なのかも知れないが。

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2019年12月20日 (金)

観劇感想精選(330) ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」

2019年12月12日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、ジョーン・ジョナスの京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」を観る。

ジョーン・ジョナスは、1936年、ニューヨーク生まれ。現在も同市在住である。1960年代にパフォーマンスとビデオを融合させた新たな表現形式を創始し、現在もデジタルメディアとパフォーマンスとの関係を探求し続けている。

 

舞台中央に障子で出来たスクリーンが降りており、そこに映像が投影される。まず映されるのは寒冷地の街の映像であり、その後、アイスランドを描いた地図が映り(左下に首都のレイキャビクがある)、先程の映像がアイスランドのものであるらしいことがわかる。

舞台左手にグランドピアノがあり、その上にキーボードが乗せられている。演奏を行うのは、1975年、テキサス州生まれのピアニストで作曲家であるジェイソン・モラン。グランドピアノには坂本龍一のコンサートでよく見られるような自動演奏機能が付いており、モランはグランドピアノを自動演奏モードにしてキーボードを弾いたり、片手でキーボード、もう片方の手でピアノの演奏を行ったりする。ミニマルミュージックに始まり、即興演奏風になり、再びミニマルミュージックに戻ってくる。北欧の先住民であるサーミ人の伝統歌謡「ヨイク」も効果的に用いられている。

舞台上手にはテーブルが置かれ、助手が映像を映し出したり、ドローイングが行われたりする。

 

アイスランドの作家、ハルドル・ラクスネスの著作、特に『極北の秘教』に影響を受けたパフォーマンスである。近年、世界的な問題となっている氷河の融解を題材としているが、実はラクスネスは氷河がまだ溶け出していない1960年代に氷河の問題を取り上げているそうである。
ラクスネスの著作を題材にしたパフォーマンスは、まず2010年にジョナスが教鞭を執るマサチューセッツ工科大学(MIT)で制作され、講義形式の作品であったようだが、その後、ジェイソン・モランとのコラボレーションを行うようになり、完成形へと徐々に近づいていったようである。

ハルドル・ラクスネスは、1955年にノーベル文学賞を受賞しているが、彼が書いた戯曲のような小説『Under the Glacier(氷河の下で。邦題:極北の秘教)』が今回の公演の軸となっている。『極北の秘教』からのテキストをジョナスが朗読することで進んでいく。上演時間は約1時間。

ジョナスが、舞台中央やや下手寄りに立てられた板に掛かる黒板風のものにチョークで六角形の図形を並べた花のような絵を描き込んでいく。
「完全な死体となった全裸の女が目覚め、棺から出てアイルランド風のパンを焼き(どんなパンなのかはわからないが)、棺担ぎの男達に振る舞った」という民話風のミステリアスな蘇生(Reanimation)の話が冒頭で語られる。その後、北欧(アイスランドではなくノルウェーらしい)の光景である山々や動物達がスクリーンに映し出される。ジョナスは舞台上手のドローイングスペースに行って、映像の輪郭をなぞるような書き込みを行うが、完成する前に映像は先に進んでしまい、ジョナスが描き込んだ絵は残像のように残されることになる。「喪失」が強く印象づけられる。

ラクスネスによると氷河は世界の中心であり、昔、錬金術師に導かれて3人の男が氷河に覆われた火山の噴火口に降り、そこで世界の中心を見つけたという。

ノルウェーの氷に閉ざされた山の麓を走る列車から取られたと思われる映像が続き、ジョナスは草笛のようなものや、角笛のようなものを鳴らす。また紙をくしゃくしゃに丸める音を出す。それは氷河の溶解の音のようでもある。

「歴史は寓話、それも粗末な。それに絶えられず私は神学を学ぶことにした」だが、その神学もやがては信じられなくなるようである。新たな寓話が求められる。

嵐に耐えるユキホオジロの話も語られる。「完璧」の喩えとしてだ。人間がユキホオジロのように鳴き声を交わす生き物でないことを残念に思い、ならば沈黙を求めようとする。氷河は沈黙している。野の百合もまた。

やがて話は冒頭の全裸の女の死体の話に戻る。それは今や完全な死体である。幽霊の話も語られるが、幽霊は常に不完全な存在であり、「世界の流産」と形容される。これは氷河の融解に繋がるメタファーだと思われる。氷河の融解は進んでおり、時間を巻き戻すことは出来ない。それを食い止める夢を描いたとしても、それはかつての氷河の姿に由来する幽霊に過ぎないのではないか。

ただ、時間は解決のための有効な手段として今も考えられており、最後の結論として再度登場する。

「蘇生」を題材にした映像。池の中に白い影が映り込んでいる。やがてその白い影は白い服を着た女性だということがわかり、飛び込み台の上にいる女性はやがて池に飛び込み、泳ぎ出す。その後、映像はアザラシなど、氷河の海で暮らす生物達の映像に突然切り替わる。

タンポポとミツバチの話、ミツバチがタンポポの蜜を吸い、ミツバチがタンポポの花粉を体につけて他のタンポポに移り、受粉が行われることを「超交信」と呼ぶ。これが新たな宇宙的発展の希望と考えられているようである。

世界は悪魔が支配しているという話。ものが燃やされている映像。あるいは焚書を表しているのかも知れない。悪魔はいつまで経っても悪魔であり続けると考えたとしても、神を冒涜したことにはならないだろうという内容が読み上げられる。

山羊などアイスランドの家畜達が映った映像が流れた後で、ジョナスはカウベルなどを鳴らす。スクリーンにはすでに家畜はおらず、雪の畑を延々と歩き出す人の影が映し出されている。やがて右の方に北極海が見え、影は砂浜にたどり着く。

ジョナスは、最初は黒板のようなものが掛けられていた板に半紙を垂らし、墨で魚の絵を描く。

『極北の秘教』からの最後の引用が語られる。「時について」だ。「時の超越性は誰も知ることである。時はエネルギーでも物質でもないが、始まりと終わりを担っている。世界の創成のだ」
スクリーンには魚達の姿が映されている。あるいは他に意味があるのかも知れないが、「始まり」と「魚」は相性が良い。生物の始まりは魚だからである。
ジョーン・ジョナスは、教訓的な表現は行わない人だそうで、あるいは細分化して「意味」として受け取るのは間違っているのかも知れないが、「根源に戻ること」は何事においても重要なのかも知れない。我々はそもそも何を求めてどこからやって来たのかということだ。
キリスト教では、魚は特別な存在であり、題材からいってそちらの可能性もあるのだが、キリスト教徒の少ない日本においてはそうした解釈は真偽に限らず有効性を持たない。先の解釈の方が良いだろう。

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