カテゴリー「フェスティバルホール」の101件の記事

2024年4月18日 (木)

コンサートの記(839) ミシェル・タバシュニク指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第577回定期演奏会

2024年4月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第577回定期演奏会を聴く。指揮はミシェル・タバシュニク。

知名度抜群という程ではないが、隠れた巨匠的存在のミシェル・タバシュニク。特に現代音楽の解釈者として高い評価を得ている。1942年、スイス・フランス語圏最大の都市であるジュネーヴの生まれ。生地の音楽院で作曲、指揮、ピアノを学ぶ。ロンドンのBBC交響楽団では当時の首席指揮者であるピエール・ブーレーズの助手を4年に渡って務め、スペイン放送交響楽団では設立当初から初代首席指揮者のイーゴリ・マルケヴィッチのアシスタントとして活躍した。ヘルベルト・フォン・カラヤンにも師事し、ベルリン・フィルの指揮台に招かれている。
ピエール・ブーレーズが創設した現代音楽専門の楽団であるアンサンブル・アンテルコンタンポラン、ポルトガル・リスボンのグルベンキアン管弦楽団、フランスのロレーヌ国立フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を歴任し、2008年よりブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者&芸術監督を務め、2015年からは名誉指揮者。ノールト・ネーデルラント交響楽団では首席指揮者を経て、こちらも名誉指揮者の称号を得ている。
現代音楽、特にクセナキス作品の指揮で高い評価を得ているが、自身も作曲家として活動しており、2016年にリヨン国立歌劇場からの委嘱作品であるオペラ「ベンジャミン、ラスト・ナイト」を初演したほか、ヴァイオリンやチェロのための協奏曲なども発表している。トロント大学音楽学部やデンマーク王立音楽院の教授として、またユースオーケストラの創設者として後進の育成に当たったこともある。


曲目は、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」、ベルクの管弦楽のための三つの小品、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。


モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。モーツァルトがわずか4日間で書き上げたという伝説で知られる曲である。
非常に見通しが良く、爽やかなモーツァルトだ。バロックティンパニを用いているが、ラストを除いては柔らかめの音で通し、最後の最後で音を固くして効果を上げていた。
どちらかというと弦楽主体のスタイルで、音の抜けが良く、テンポも適切。春の宵に相応しいモーツァルトとなった。


ベルクの管弦楽のための三つの小品。ベルク最初の管弦楽曲であるが、同時期に書かれた傑作歌劇「ヴォツェック」を連想させるような響きがある。

新ウィーン学派の中では比較的分かりやすい音楽を書いたアルバン・ベルク。ただ、管弦楽のための三つの小品は、シェーンベルクからの影響も濃厚である。夜の雰囲気が漂うような第1楽章「前奏曲」だが、第2楽章「輪舞」を経て、第3楽章「行進曲」に至ると、豪快にして巨大な音楽となる。100名を超える大編成による演奏だが、広大なフェスティバルホールの空間を揺るがすような大音響が生まれる。第3楽章「行進曲」は、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」と関連のある音楽のようだが、「悲劇的」同様、ハンマーが打楽器の一つとして用いられており、最後もハンマーの一撃で終わる。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。特に有名な序奏で印象的なオルガンが入る曲だが、フェスティバルホールにはパイプオルガンがないので、電子オルガンが用いられる(演奏:片桐聖子)。
絢爛豪華なオーケストレーションを得意としたリヒャルト・シュトラウス。そのため演奏によってはコッテリした厚化粧風になることもあるのだが、タバシュニクの生む響きはすっきりしていて各楽器の分離も良く、ケバケバしさを感じさせない。
名画「2001年宇宙の旅」で用いられた序奏ばかりが有名な曲だが、実際には内容は多彩で、室内楽風になるところもあれば、謎めいた響き、甘美な調べで魅せる場面もあるなど、聴き所の多い作品である。
コンサートマスターによる長めのソロがあるのだが、須山は甘い響きで華麗な演奏を行う。チェロの独奏は近藤浩志が堅実な腕を見せていた。
管楽器も威力があり、輝きにも欠けていなかった。

リヒャルト・シュトラウスは、今年が生誕160年ということで、日本全国で様々な企画が行われるようである。

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2024年3月10日 (日)

コンサートの記(833) エリアフ・インバル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第576回定期演奏会

2024年3月1日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第576回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、今年88歳になるエリアフ・インバル。
東京都交響楽団との良好な関係で知られ、現在は桂冠指揮者の称号を得ている。
マーラーとブルックナーの両方を得意とする数少ない指揮者であり、共に交響曲全集を制作している。ショスタコーヴィチも得意としており、交響曲全集をDENONにレコーディング。交響曲第4番の録音はレコード・アカデミー賞を受賞している。

曲目は、マーラーの交響曲第10番(デリック・クック補筆版)。

50年ちょっとという決して長いとはいえない人生のうちに11曲の交響曲を作曲したマーラー。本業は指揮者であり、作曲は休暇を利用して行われたが、その多くが大作となっている。
交響曲第10番は、ほぼ完成された第1楽章のアダージョを除いては、未完成となっている作品である。ということで、今日演奏される音楽の大半はマーラーの真筆ではない。イギリスの音楽学者であるデリック・クックが、マーラーが残した略式総譜を見ながら補筆完成させたものである。


今日のコンサートマスターは須山暢大、フォアシュピーラーに尾張拓登。チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏である。

大フィルヴァイオリン群の音の抜けの良さが印象的。管は管で重層的な響きを生んでいる。

明るさと暗さが一瞬で入れ替わるマーラーらしい曲調。鋭さやグロテスクな響きもいかにもマーラーである。

そんな中にあって第5楽章における、ヴァイオリンの天上に手を差し伸べるような伸びやかな響きが印象的。マーラーの天への憧れを示しているかのようであった。

高齢となったインバルであるが、年齢をみじんも感じさせない力強くスケール感豊かな音楽作り。都響とのマーラー・チクルスも再び始まるようであり、今後も日本のファンの期待に応えてくれそうだ。

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2024年3月 1日 (金)

コンサートの記(832) 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第575回定期演奏会

2024年2月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第575回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、2024年12月30日をもって指揮活動からの引退を表明している井上道義。

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「クラップフェンの森で」、ショスタコーヴィチのステージ・オーケストラのための組曲より5曲、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス独唱:アレクセイ・ティホミーロフ、男声合唱:オルフェイ・ドレンガー)。今日のコンサートマスターは崔文洙。

前半の2曲は指揮台を用いないでの指揮である。

大フィルがウィンナワルツやポルカをやると重心が低めになる傾向があるが、「クラップフェンの森で」も弦楽は重めの響きを奏でていた。


ショスタコーヴィチのステージ・オーケストラのための組曲より5曲。ショスタコーヴィチを十八番としている井上道義。今日も大フィルから鋭い響きや渋さのある輝かしい音を引き出して好演を聴かせる。


ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」。1941年にナチスドイツがウクライナのキーウ(キエフ)郊外のバビ・ヤールでユダヤ人の虐殺を行ったことを題材にした作品である。字幕付きでの上演(テキスト日本語訳:一柳富美子)。実際にはバビ・ヤールではユダヤ人のみならずロシア人やウクライナ人など多くの人種が虐殺されている。

オルフェイ・ドレンガーは、スウェーデンの男声合唱団。アルヴェーンやエリック・エリクソンなどの指導を受けてきた名門合唱団である。

大フィルの音の密度は濃く、威力がある。ただ決してうるさくはならず、常に音楽的である。
オルフェイ・ドレンガーの合唱もアレクセイ・ティホミーロフの独唱も雄弁であり、迫力ある音楽を生み出していた。

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2024年1月27日 (土)

コンサートの記(829) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第574回定期演奏会

2024年1月18日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第574回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大フィル音楽監督の尾高忠明。

曲目は、武満徹のオーケストラのための「波の盆」とブルックナーの交響曲第6番(ノヴァーク版)。

今日のコンサートマスターは崔文ジュ(さんずいに朱)。ドイツ式の現代配置での演奏である。


武満徹のオーケストラのための「波の盆」。1983年11月15日に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマ「波の盆」のために武満が作曲した劇伴音楽をオーケストラコンサート用に再編した作品である。
ノスタルジックな曲想が特徴で、尾高と大フィルもリリシズムに富んだ演奏を聴かせる。ちなみに尾高は、「波の盆」を札幌交響楽団とNHK交響楽団を指揮して二度レコーディングを行っている。


ブルックナーの交響曲第6番。
現在ではオーケストラコンサートの王道となったブルックナーの交響曲。今年はブルックナー生誕200年ということで、日本でも各地でブルックナーの曲が演奏される予定である。
交響曲第3番以降が主なオーケストラレパートリーとなっているブルックナーの交響曲であるが、交響曲第6番だけはスパっと抜け落ちたように演奏回数は少なく、尾高自身も以前振った記憶はあるが、その時のことはもう覚えていないそうで、今年、日本のオーケストラがブルックナーの交響曲第6番を演奏するのも現時点で決まっているのは今回の大フィルの演奏会と札幌交響楽団の演奏会のみのようである。
他の交響曲に比べると特徴に欠けるという部分が大きいように思われる。
それでも尾高と大フィルは、突き抜けた青空のように爽快な演奏を展開。スケールも適度で、弦も管も力強く輝かしい。
他の交響曲に比べて魅力的ではないというのは確かかも知れないが、美しいメロディーにも溢れ、演奏機会がもっと多くてもいいような力作であった。

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2023年12月31日 (日)

コンサートの記(827) ラルフ・ワイケルト指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2023

2023年12月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2023を聴く。今年の指揮者は、数年前に京都市交響楽団にも客演したラルフ・ワイケルト。実はワイケルトは、2020年に大フィルの第九を指揮する予定だったのだが、コロナ禍で来日が叶わず、翌2021年の第九にも登場する予定がやはりコロナで流れてしまい、今回三度目の正直でようやく大フィルとの第九での共演が実現した。

ワイケルトの著書の邦訳が出ており、私も京都コンサートホールで購入したのだが、最新の音楽研究の成果を積極的に取り入れる姿勢が印象的であった。
京響とのモーツァルトでもピリオドを全面的に採用しており、今回の第九でもピリオドで来るかと思われたのだが、結果としては比較的オーソドックスな演奏であった。

今日のコンサートマスターは、須山暢大。独唱は、盛田麻央(ソプラノ)、中島郁子(アルト)、福井敬(テノール)、甲斐栄次郎(バリトン)。合唱は、大阪フィルハーモニー合唱団。


中庸かやや速めのテンポを採用。第1楽章のティンパニのかなりの強打が印象的。ちなみに第1楽章で第2ヴァイオリン首席奏者の弦が切れたようで、ヴァイオリンのリレーが行われ、最後列の奏者がヴァイオリンを持って退場。第1楽章の最後でステージに戻ってきて、第2楽章が始まる前にヴァイオリンのリレーが再び行われた。

第4楽章の「歓喜の歌」の旋律の歌わせ方が優しく雅やかなのが印象的。大阪フィルハーモニー合唱団も独唱者の歌唱も充実していた。合唱の終結部もテンポを落とすことなくインテンポを守ったのも印象的であった。


第九本編終了後は、大フィル合唱団による恒例の「蛍の光」。キャンドルサービスによる歌唱が行われ、過行く2023年の思い出の断片が思い起こされた。

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2022年9月25日 (日)

コンサートの記(805) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第561回定期演奏会

2022年9月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第561回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

オール・ワーグナー・プログラムで、歌劇「リエンツィ」序曲、ヴェーゼンドンク歌曲集(メゾ・ソプラノ独唱:池田香織)、楽劇「神々の黄昏」より(夜明けとジークフリートのラインへの旅~ジークフリートの葬送行進曲~ブリュンヒルデの自己犠牲。ブリュンヒルデの自己犠牲のメゾ・ソプラノ独唱は池田香織)


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。


歌劇「リエンツィ」序曲。トランペットのソロ(信号ラッパを表している)に続く弦楽の典雅な響きは、尾高の指揮ということもあってエルガーの音楽のように聞こえる。「ノーブル」という言葉が最も似合う音だ。ただ、ワーグナーの音楽の特徴は聖と俗の混交にあるため、「上品すぎるかな」とも思ったのだが、金管などには俗な要素も振っており、尾高の解釈の確かさが感じられる。


ヴェーゼンドンク歌曲集。「天使」「とどまれ」「温室にて」「苦しみ」「夢」の5曲からなる歌曲である。チューリッヒでワーグナーと出会い、愛人関係となったマティルデ・ヴェーゼンドンクという絹織物商人の夫人のために書かれた歌曲で、歌詞はマティルデが書いたものである。
ワーグナーは「夢」のみに小規模オーケストラのための編曲を施しており、残りの4曲はフェリックス・モットルによる編曲で演奏されるのが一般的であるが、今回は全5曲をハンス・ヴェルナー・ヘンツェが1976年に編曲したものが採用されている。ヘンツェの編曲も小規模オーケストラのために行われたもので、今日は第1ヴァイオリン6、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが各4、コントラバスが2という弦楽編成。管楽器はフルートとホルンが2管編成である。

日本を代表するワーグナー歌手の一人である池田香織。喉の調子が絶好調という訳ではなかったようだが、落ち着いた声による情感豊かな歌声を聞かせていた。


楽劇「神々の黄昏」より(夜明けとジークフリートのラインへの旅~ジークフリートの葬送行進曲~ブリュンヒルデの自己犠牲)。
朝比奈隆以来のワーグナー演奏の伝統を持つ大阪フィルハーモニー交響楽団。「大フィルサウンド」と呼ばれる重厚な響きもワーグナーには似つかわしい。

尾高はスケール雄大で厚みと輝きのあるワーグナーサウンドを大フィルから弾き出すが、この音は尾高と今の大フィルが出したというよりも、これまでドイツ音楽に徹底して取り組んできた大フィルの長い歴史が生んだものであり、大フィルの歴史が背景のようにそそり立つのが見えるかのようだ。伝統によってもたらされた重層的な響きである。
大フィルの歴史が生んだ音を生かしつつ、尾高は彼らしい見通しの良い演奏を行う。毒こそ控えめだが、堅牢なフォルムと煌びやかな音色がワーグナーそのものの山脈を築き上げていく。
ブリュンヒルデの自己犠牲で独唱を務めた池田香織。池田はブリュンヒルデを当たり役としている。ヴェーゼンドンク歌曲集の時よりもずっと生き生きして見えるのは決して偶然ではないだろう。声に中にブリュンヒルデの命が息づいている。
歌い終えてすっくと佇む池田の姿はまるで慈母のような格好良さであった。

ワーグナーの良さを堪能出来る夜となった。

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2022年7月27日 (水)

コンサートの記(792) ユベール・スダーン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第560回定期演奏会

2022年7月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第560回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、日本でもお馴染みの存在であるユベール・スダーン。

オランダ出身のスダーン。東京交響楽団の音楽監督時代に注目を集め、現在は同楽団の桂冠指揮者。オーケストラ・アンサンブル金沢の首席客演指揮者でもある。安定感抜群のイメージがあるが、オランダ出身ということで古楽にも強く、2019年の京響の第九ではピリオド・アプローチ(HIP)を援用したノリの良い演奏を築いていた。
今日は指揮台を使わず、ノンタクトでの指揮。


曲目は、ロベルト・シューマンの「マンフレッド」序曲と交響曲第1番「春」(いずれもマーラー編曲)、ブラームス作曲・シェーンベルク編曲のピアノ四重奏第1番ト短調で、編曲もの3連発という意欲的な試みが行われる。

ドイツ・ロマン派を代表する作曲家であるシューマンであるが、本格的に作曲家を目指すのが遅かったということもあり、「オーケストレーションに難がある」というのが定説であった。くすんだ音色で鳴りが余り良くないのである。20世紀初頭までは、オーケストレーションに難ありとされた楽曲は指揮者がアレンジするのが一般的であり、当代一の指揮者でオーケストラの響きを知悉していたグスタフ・マーラーがアレンジした「マンフレッド」序曲と交響曲第1番「春」の譜面が残っていて、今回はそれを使用した演奏となる。スダーン自身がシューマンのオーケストレーションに疑問を持っており、それを氷解させてくれたのがマーラーによるアレンジ版だったようだ。

ブラームスのピアノ四重奏曲第1番ト短調に関しては、シェーンベルク自身が疑問を抱いていたようである。シェーンベルクはこの曲が大好きだったが、「ピアノが響きすぎて他の楽器が聞こえない」という不満を持っていた。そこで理想的なピアノ四重奏曲第1番ト短調の響きを求めて、アメリカ時代に編曲したのが今日演奏される管弦楽バージョンである。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置の演奏である。
だが、「マンフレッド」序曲では、舞台下手端にバロックティンパニが据えられており、視覚的にも異様な感じだったが、演奏するとバロックティンパニの響きは異物と捉えられる。

さて、その「マンフレッド」序曲であるが、すっきりとした響きになっている。シューマンのオーケストレーションについては擁護者もいて、例えば黛敏郎は、[あの音色はあのオーケストレーションでないと出ない」とシューマンの望んだ響きを誰より知っているのはシューマンという立場を鮮明にしている。マーラー編曲版は毒気が抜けた感じだが、それを補う形で、スダーンはバロックティンパニを舞台下手端で叩かせたのかも知れない。「マンフレッド」という話自体が異様な内容だけに、それを示唆する要素があるのも良いだろう。


交響曲第1番「春」。冒頭のトランペットの響きが明らかに低いのが一聴して分かる。実はシューマンは当初は今日演奏された音程でトランペットの旋律を書いたのだが、当時のナチュラルトランペットでは上手く吹くことが出来なかったため、改訂する際に音を3つ上げている。現在演奏されるシューマンの「春」はほぼ全てこの改訂版の譜面を採用しており、モダントランペットが華々しく鳴るのだが、ヨーロッパの長い冬が終わって春となった直後を描いていると考えた場合、明るすぎるとシューマンは考えたのかも知れない。マーラーはシューマンの初稿を尊重して音程を元に戻している。
やはり見通しが良くなり、音のパレットが豊富である。非常に情熱的で、シューマンの一面をよく表してもいる。主旋律でない部分の音の動きが分かりやすくなったのもプラスである。第2楽章の冒頭の弦楽の響きなどは、マーラーのアダージェットを思わせ、マーラーの個性も刻印されている。
一方で、やはりシューマンの渦巻くような怨念は一歩後退したような印象を受ける。音の動きがはっきり捉えられる分、原曲の響きが伝えていた不安定感や毒が薄れるのである。シューマンよりは大分年下(丁度50歳差)のマーラーであるが、指揮者だったということもあって旋律や構築はシューマンよりもあるいは古典的。「響かないことで伝わるもの」に関しては、やはり指揮者だけに注意が及ばなかったと思われる。
ともあれ、マーラーの編曲もやはり面白いものであることには間違いない。スダーンと大フィルの造形美も見事である。


ブラームス作曲・シェーンベルク編曲のピアノ四重奏曲第1番ト短調。スダーンの設計の巧みさと、大フィルの上手さが光る演奏となった。

オーケストラの団員が揃い、チューニングが行われ、会場の誰もがスダーンを待つことになったが、そのスダーンがなかなか現れない。舞台下手側の入り口は開け放たれているのだが、誰かが現れる気配もない。そうしている内に舞台上手側の入り口が開いて、ここからスダーン登場。どういう意図なのか理由なのか、あるいは意図も理由もないのかは不明だが、取り敢えずスダーンは、上手から舞台の中央へと進む。

シェーンベルクの編曲であるが、自身の個性を出すのは勿論、やはりブラームスを崇拝していたエルガーのような高貴さ、フランス印象派のような浮遊感など、同時代の音楽技法を意図的にかどうかは分からないが取り入れている形になっているのが面白い。民族的な旋律は、ブラームスが採集して編曲した「ハンガリー舞曲」との繋がりも感じられるが、シェーンベルクの編曲は、ドヴォルザークやバルトークといった国民楽派の作曲家からの影響もおそらく濃厚である。特に第4楽章は民族音楽的、舞曲的で痛快である。安定感抜群の音楽を作るスダーンであるが、京響との第九同様、熱く高揚感のある音作りで大フィルの機能を目一杯使う。興奮を誘う音楽で、演奏終了後の拍手も一際大きかった。

大フィルのメンバーもスダーンに敬意を払って立たず、スダーン一人が喝采を浴びる。
最後はスダーンが客席に投げキッスを送って、演奏会はお開きとなった。

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2022年6月 5日 (日)

コンサートの記(780) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第558回定期演奏会

2022年5月31日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第558回定期演奏会を聴く。指揮はお馴染みのシャルル・デュトワ。

デュトワと大フィルが初共演したのが、2019年の5月定期。大好評で、早速、翌2020年5月の定期演奏会にもデュトワが招かれることになったのだが、コロナ禍により中止に。この頃は大阪だけでなく、日本中そして世界中の演奏会で中止が相次いだ。2021年5月の定期演奏会の指揮台にもデュトワが立つ予定だったのだが、緊急事態宣言によりまたも中止。今回、三度目の正直で、デュトワが大フィルの5月定期を指揮することになった。

昨年はセイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)にも参加したデュトワ。有観客公演は果たせなかったが、演奏会はネットで生配信され、大好評であった。その後、新型コロナウイルスに罹患したことが報じられたりもしたが、無事復帰している。OMFには今年も参加する予定である。

プログラムも2020年5月に予定されていた曲目から変更はなし。ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、ラヴェルの組曲「クープランの墓」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)。


今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。ハイドンとラヴェルは小さめの編成での演奏。「ペトルーシュカ」は客演奏者を多く招いての大編成での演奏である。「ペトルーシュカ」のピアノは、ソリストとしても人気の北村朋幹(ともき)が務める。


ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」。フランスもののスペシャリストというイメージのあるデュトワだが、ハイドンの交響曲のレコーディングも行っていたはずである。
20世紀末にはかなり人気を落としたハイドンだが、21世紀に入ると交響曲全集がいくつも登場したり、全集まではいかなくても選集や人気指揮者による話題盤が作成されたりと持ち直している。大阪でも飯森範親が手兵の日本センチュリー交響楽団を指揮した「ハイドン・マラソン」の演奏会と録音を継続中である。。
デュトワの指揮するハイドンは、流石というべきか響きがお洒落である。小粋さや大見得を切るいたずら心などが伝わってくる。ゲネラルパウゼでの仄かな寂寥感の漂わせ方も上手い。HIPを援用した演奏で、ビブラートを抑えた弦楽の透明な響きも印象的である。


デュトワの十八番であるラヴェル。デュトワはモントリオール交響楽団を指揮してDECCAレーベルに「ラヴェル管弦楽曲全集」を録音しており、デュトワとモントリオール響の出世盤となった。同コンビは、その後、ドビュッシーの主要管弦楽曲や歌劇「ペレアスとメリザンド」などもレコーディングも行っているが、こちらは全集にまでは至らなかった。

「クープランの墓」では、音の洗練が際立つ。まるで生き物のように自在な変化を見せる音。NHK交響楽団の学生定期会員をやっていた時代、正確にはその少し前から何度も接してきたデュトワの音楽作りであるが、本当に独特であり、少なくともフランスものでこうした演奏を行う指揮者の実演に接したことは他にない。「クープランの墓」は人気曲というほどではないが、演奏曲目に組み入れられる機会は比較的多めではある。ただ今日のデュトワと大フィルの演奏は、別格級の一つとみて間違いないだろう。スコアに書かれている以上の音楽を無理なく引き出す術は「驚嘆」の域に達している。
ドイツ的な重厚な響きを特徴とし、時には野暮ったい演奏をすることもある大阪フィルだが、今日の響きは匂うような上品さである。まだマスクで鼻を覆う必要があるが、耳を通して芳香は伝わってくる。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)は、音のエッジが立ち、描写力が高く、大フィルの弦の輝きも「光」そのものに限りなく近くなる。「極彩色」「光彩陸離」「光輝みつ」といった表現が全て陳腐に思えるほどの眩しさを放っていた。日本のオーケストラがこうした響きを奏でることはかなり珍しい。そうした中で音のグラデーションも見事であり、輝き一辺倒の演奏ではない。登場人物の心理状況なども含めて細部に至るまで神経が行き届いており、「ペトルーシュカ」単体でも、今日のプログラム全体を通しても、まるで「音による映画」を観ているような気分にさせられる。音楽が単なる音楽にとどまらない。そうした特別な時間が過ぎていった。
ピアノの北村朋幹の技術も高く、客演3人を招いた打楽器陣の上手さも光っていた。

客席に向かって「バイバイ」ポーズを送ることで知られるデュトワであるが、今日は大フィルのメンバーに向かって「バイバイ」のポーズをしていたのが印象的であった。

これまではエルボータッチやグータッチ、リストタッチやエアによるタッチを行う指揮者が多かったが、デュトワはコンサートマスターの須山暢大と何度も握手。組曲「クープランの墓」演奏終了後に、冒頭のソロを吹くオーボエソロにわざわざ握手しに向かった。そして最後は弦楽最前列の奏者全員と握手を交わした。

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2022年5月30日 (月)

観劇感想精選(435) 「狂言三代 祝祭大狂言会」2021振替公演 2022.4.10

2022年4月10日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「狂言三代 祝祭大狂言会」2021の振替公演を観る。本来は昨年の4月に上演される予定だったのだが、コロナ禍により1年延びた。昨年買ったチケットは有効で、そのまま入ることが出来る。

演目は、野村萬斎による解説に続き、「能楽囃子」(大鼓:山本寿弥、小鼓:大山容子、太鼓:加藤洋輝、笛:竹市学)、「二人袴 三段之舞」(聟:野村裕基、太郎冠者:石田淡朗、舅:高野和憲、兄:野村太一郎)、「月見座頭」(座頭:野村万作、上京の男:野村萬斎)、池澤夏樹の作・野村萬斎の演出・補綴による「鮎」(国立能楽堂委嘱作品。小吉:野村萬斎、才助:石田幸雄ほか)。

中央に一段高くなった舞台があり、そこから上手奥と下手奥に延びる二つの橋懸かりがある。

野村萬斎が3つの演目についての解説を行うが、その前に、昨年行われる予定だった「祝祭大狂言会」について、「狂言会の翌日からまん防だというのでやれやれ(間に合った)と思っていたら中止になった」「荷造りをしていたが、途中で止めることになった」と語る。

「二人袴」に出てくる「通い聟」の制度について述べ、「狂言はエアです」と解説する。

「月見座頭」という不思議なタイトルについては、「座頭が月見をする。といっても見えませんので、月に影響されて鳴く虫の声を聴いて月見をする」と種明かしし、「虫の声もエアです」と述べる。

「鮎」は池澤夏樹による現代狂言だが、鮎を役者が演じるという設定にしたのは萬斎のようである。
内容について萬斎は、「邯鄲の夢」のようなところがあると語っていた。


鋭い響きによって奏でられた能楽囃子(水流を表しているようである)に続いて上演される「二人袴」。元々の登場人物は、聟とその父親という設定のようだが、今回は兄弟という設定に変えて上演される。
初めて袴をはいて歩くという設定の、野村裕基演じる聟のロボットのようなカクカクした動きが笑いを誘う。
以前にも観たことのある演目だが、「表面を取り繕うことの滑稽さ」が描かれているように見える。


「月見座頭」。上京の男(セリフでは「洛中に住まいする者」)と月見座頭が詠む(というより記憶していて語る)和歌が無料パンフレットに記されたものとは一部異なっており、洛中の男は、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」(阿倍仲麻呂)、座頭は、「月見れば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど」(大江千里)と詠む(唱える)。
京都の、おそらく東山あたりが舞台だと思われるのに、洛中の男が奈良を詠んだ歌を自作として披露してしまうのもなんだか可笑しい。

「残酷狂言」とも呼ばれることのある「月見座頭」。風雅に満ちた展開が一変して障害者虐待となる。生きることと人間の残酷さが描かれているが、それでも淡々と生きることを選ぶ座頭が心強くもある。狂言は上の者が下の者にしてやられるという展開の作品も多いが、いうなれば下の者の忍辱のようなものがこの話では表されているのだろうか。


「鮎」。池澤夏樹が自身の短編小説を狂言とした作品であるが、小説「鮎」も実は南米の民話を下敷きにしたものとのことである。

池澤夏樹は狂言のファンだそうだが、それでも小説家が狂言を書くのは大変なことのようで、半分くらいは野村萬斎が補作したそうであるが、違和感は拭いえない。

小吉が都に出て出世するが、全ては一炊の夢であったという「邯鄲の夢」や芥川龍之介の「杜子春」などの系譜にある作品である。歌舞伎のような外連を出すなど、新しい表現にチャレンジしているが、野村萬斎の腕をもってしてもここまでというのはショックでもあった。お客さんには好評のようで、笑い声も大きかったが、狂言の一種の「粋」とは異なる作品が出来上がっているように見えた。

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2022年4月20日 (水)

コンサートの記(774) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第557回定期演奏会

2022年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフィエスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第557回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:藤田真央)とエルガーの交響曲第2番。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の独奏は、元々はフランス人ピアニストであるアンヌ・ケフェレックが担う予定であったが、コロナ禍により来日不可となったため、気鋭の若手ピアニストとして知名度を上げている藤田真央が代役に指名された。


今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置による演奏である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
ちょっと風変わりな青年であるが、天衣無縫の音楽性を持つピアニストである藤田真央(有名人ではあるが一応注釈を入れておくと男性ピアニストである)。冒頭の天国的な響きから聴衆を魅了する。音楽は次第に思索を深めていくが、藤田真央のピアノはピアノの音そのものよりも高い音楽性で聴かせる。「いいピアノだ」という印象よりも「なんて素敵な音楽なのだろうと」、ベートーヴェンの音楽性の高さをありありと示すことが出来るのである。まだ若い故に時にムラッけが出ることもあるが、リリシズムやロマンティシズム、この上ない喜びなどを自在に奏でてみせるのだからその実力に疑問の余地はない。
尾高指揮の大フィルも、ピリオドを取り入れた深くて格好の良い伴奏を聴かせた。


藤田真央のアンコール演奏は、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」よりガヴォット(ラフマニノフ編)。チャーミングにして愉悦感に飛んだ演奏であった。


エルガーの交響曲第2番。
大英帝国の栄耀栄華を描いたような交響曲第1番で名声を博したエドワード・エルガー。彼の交響曲第2番も大いに期待されたが、1911年5月24日にクイーンズホールで行われた作曲者自身の指揮による初演は、演奏終了後に困惑が広がったという。聴衆は交響曲第1番のような壮麗な楽曲を期待していたのだと思われるが、交響曲第2番は旋律も短めで、しかも何度も同じ音型が繰り返されるというものであり、交響曲第1番に比べてモダンな印象も受けるが、その余りの落差に、初めて聴いた聴衆が戸惑ったのもむべなるかなという気もする。

全ての楽章で、当時、大英帝国の首都として世界一の賑わいを見せていたロンドンの街の種々雑多な賑わいが描かれているようであり、楽しい曲ではあるのだが、作風がモダンすぎたのかも知れない。
第2楽章は、「故エドワード7世陛下の想い出に捧ぐと」記された追悼曲であるが、それにしては明るめの印象を受ける。一説には、エルガーが親しくしていた人物の他界に寄せた楽曲でもあるといわれているようだ。
第4楽章のラストは、「高揚」というよりも、「次の時代へと続く」という「その先」を感じさせる終わり方で、効果的である。

エルガーの交響曲第1番は英国音楽史上に燦然と輝く名曲だが、交響曲第2番も、ヴォーン=ウィリアムズを始め、その後の英国人交響曲作曲家に繋がるような曲調であり、英国音楽史上重要な音楽作品と見ることが出来るだろう。

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