コンサートの記(960) ミシェル・タバシュニク指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第598回定期演奏会
2026年5月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて
午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第598回定期演奏会を聴く。大阪で良く行くホールは、フェスティバルホール、ザ・シンフォニーホール、住友生命いずみホールだが、いずれも「大阪」がホール名につかない。東京でもサントリーホールやNHKホールには「東京」はつかないが、「東京」がつくホールの方が多い。
今日の指揮者は、スイス出身のミシェル・タバシュニク。今年83歳になる。
ジュネーヴ生まれのタバシュニク。出身地の音楽院で指揮や作曲、ピアノを学ぶ。指揮の他に作曲でも活躍。いずれもピエール・ブーレーズの影響は濃厚で、ブーレーズがBBC交響楽団の音楽監督を務めていた時代にアシスタントを務め、ブーレーズが組織したアンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督を務めたこともある。
近年はブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼音楽監督を務め、現在は名誉指揮者の称号を獲得。ポルトガル・リスボンのグルベンキアン管弦楽団の音楽監督、フランスのロレーヌ国立管弦楽団の音楽監督、ノールト・ネーデルラント交響楽団の首席指揮者を務め、ノールト・ネーデルラント交響楽団の名誉指揮者にも就いている。
新宗教絡みの事件に関与し、無罪となったが、それがなければもっと世界中に数少ない「巨匠」指揮者として有名であったような気がする。その場合は、大阪フィルハーモニー交響楽団には来てくれなかったかも知れないが、
曲目は、ブラームスの交響曲第3番、ストラヴィンスキーの組曲「プルチネルラ」、ドビュッシーの交響詩「海」
前回、2024年に大阪フィルに客演した際、次回の客演については、「是非来たい」。曲目については、「ドイツ音楽ならブラームスの交響曲第3番。フランス音楽ならドビュッシーの『海』」ということで、「両方やられたらどうですか」とその場でプログラムの大半が決まってしまったという。またタバシュニクは現代音楽が得意ということで、ストラヴィンスキーの新古典主義時代の代表作である組曲「プルチネルラ(プルチネッラ)」に決まったという。
コンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーは尾張拓登だと思われる。第2ヴァイオリンは客演奏者も含めて全員女性である。
ブラームスの交響曲第3番。年齢故、足腰が弱っているということで、ステップのある高めの指揮台を使用。指揮台の前に譜面台はなく、暗譜での指揮である。
第4楽章以外はかなり遅めのテンポでの演奏。ブラームスの心情に焦点を当てた解釈である。指揮者によっては、「天地創造」のように演奏し、それゆえ「ブラームスの英雄交響曲」と呼ばれることもある交響曲第3番。しかしブラームスが描いているのはやはり差し迫った悲劇であり、悲哀であるように思う。懐旧の趣も強い。再現部では全てを投げ捨てるかのようなやるせなさである。
第2楽章で少し取り戻し、有名な第3楽章へ。「さよならをもう一度(フランソワーズ・サガンの原作タイトルは『ブラームスはお好き』)」などの映画や松本清張スペシャル「張り込み」などで使われ、大石恵がなぜかポピュラーソングとして歌っている(全く売れなかったようだが)第3楽章。ここでもテンポを緩やかにすることで、取り返しのつかない悔恨として響き。メロディーが美しいだけにより胸が痛くなる。
これら3つの楽章を、最後の第4楽章でテンポを上げて一気にひっくり返してみせる。悲壮な感じではあるが、それまでには感じられなかった強さがある。一気に日差しが溢れてきたかのようだ。曲自体を変えるわけにはいかないので、最後は敗北で終わる。ただ第4楽章冒頭の力強さは、この曲が持つ特性の一部に光を当てていた。
透明感のある音も印象的である。
ストラヴィンスキーの組曲「プルチネルラ」。42名での演奏だそうで、管楽器は中央にぎゅっと固まり、トランペットとトロンボーンのみ上手に少し離れて陣取る。
弦楽器であるが、プルトを組むことはなく、首席奏者を始め、全員が横に人がいない状態で演奏する。
三大バレエでパリを震撼させたストラヴィンスキー。だが彼は常に新しい試みを行う作曲家であり、第一次大戦の勃発でスイスに移り住むと、バロック音楽の要素を取り入れた新古典主義、更には第二次大戦後にアメリカに移ってからは、十二音音楽に接近している。
組曲「プルチネルラ」は、分かりやすいということもあり、三大バレエ以外の作品の中では知名度は高めである。
18世紀の音楽を20世紀の手法でアレンジしているが、プロコフィエフの交響曲第1番「古典」に発想は似ているかも知れない。
雅やかな音楽が奏でられるが、ストラヴィンスキーの作風も含めて、その時代には絶対聴かれなかった豪快な音楽を入れるなど、ストラヴィンスキーは能天気に昔の音楽と向き合っているわけではないことが分かる。
タバシュニクは、この曲では譜面台の上に総譜を用意して、繰りながら指揮していた。
ドビュッシーの交響詩「海」。透明感を生かした独自の海である。どこかの海の光景ではなく、形而上に創造された透明感溢れる海である。スケールは雄大。大フィルの音も力強く、ダイナミックな海となる。
第2楽章では冷ややかな印象も受けるが、形而上の海の故とも思える。大西洋を念頭に置いたような他の多くの「海」とも、太平洋を想起させるような広がりのあるジュリーニとロイヤル・コンセルトヘボウの「海」とも異なる。
そして最終楽章のラストでは、アッチェレランドを伴う豪快なラストを築き上げる。
ブラームスとドビュッシーのラストで好対照をなした。















































































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