カテゴリー「フェスティバルホール」の107件の記事

2025年2月24日 (月)

コンサートの記(890) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第585回定期演奏会

2025年2月14日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第585回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。
尾高はヘルニアの悪化により、1月4日の大フィルのニューイヤーコンサートの指揮をキャンセル。丁度、1月の大フィル定期演奏会が行われた日に手術を受けたようだが、間に合った。体調が戻らないところがあるのではないかと懸念されたがそんなことはなく、元気に指揮していた。

今回は、チケットを取るのが遅れたので、少し料金が高めの席、それも最前列である。上手端の席だったので、ヴィオラ奏者の背中とコントラバス奏者とトロンボーン奏者の全身、そしてティンパニ奏者は顔だけが見える。指揮者の尾高は頭が見えるだけ。コンサートマスターの崔文洙の姿は比較的良く見える。

 

曲目は、松村禎三の管弦楽のための前奏曲と、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」
尾高と大フィルは、尾高の音楽監督就任以降、積極的にブルックナー作品を取り上げてきたが、今回の「ロマンティック」の演奏で、習作扱いされる第00番を除く全てのブルックナーの交響曲を取り上げることになった。レコーディングも行われるはずだが、今日は少なくともステージ上に本格的なマイクセッティングはなし。天井から吊り下げられたマイクだけでレコーディング出来るのかも知れないが、詳しいことは分からず。

 

今回の定期演奏会では、先月26日に逝去された秋山和慶氏のために、エルガーの「エニグマ変奏曲」より“ニムロッド”が献奏される。曲目から、秋山の華麗な生涯への賛歌と見て取れるだろう。
エルガーを得意とする尾高の指揮だけに、輝かしくもノーブルな献奏となった。

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松村禎三の管弦楽のための前奏曲。演奏時間約17分の作品である。ピッコロを6本必要とする特殊な編成。ということで、フルート奏者が客演として多数呼ばれているが、その中に若林かをりの名もある。
「竹林」の中を進むような音楽である。オーボエのソロに、複数のピッコロのソロが絡んでいくのであるが、あたかも竹林の間を抜ける風のようである。やがて編成が厚みを増していくが、茂みなど景色が増える林の奥へ奥へと進んでいくような心地がする。

 

ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。版はノヴァーク版1878/80年 第2稿を使用。
交響曲第4番「ロマンティック」は、ブルックナーの交響曲の中では異色の存在である。他の交響曲が叙景詩的であるのに対し、「ロマンティック」だけは叙事詩的。そのため、ブルックナー指揮者の中でも「ロマンティック」だけは不出来という指揮者もいる。
「ロマンティック」というのは別に男と女がうんたらかんたらではなく、中世のロマン語時代の騎士道精神といった意味で、第3楽章などは狩りに出る騎士達の描写とも言われる。
ブルックナー指揮者でもある尾高であるが、きちんと「ロマンティック」らしいアプローチ。大フィルも躍動感のある演奏を聴かせる。
最前列なので、「ブルックナー開始」であるトレモロがリアルに響きすぎるなど、席にはやや問題があったが、演奏自体は楽しめる。
この曲は、ホルンが肝となるが、大フィルのホルン陣は優れた演奏を聴かせる。以前はホルンは大フィルのアキレス腱であったが、メンバーも替わり、今では精度が高くなっている。
きちんと形作られたフォルム。その中で朗々と響く楽器達。ブルックナーの長所を指揮者とオーケストラが高める理想的な展開である。
第2楽章の寂寥感の表出力も高く、心象風景などが適切に描き出されていた。
「ロマンティック」は朝比奈隆もどちらかといえば不得手としていた曲で、録音もこれはというものは残っていない。一応、サントリーホールでのライブ録音盤(大宮ソニックシティなどでの録音を加えた別バージョンもある)がベストだと思われるが、「ロマンティック」に関しては、朝比奈よりも尾高の方が適性が高いと言える。
尾高と大フィルのブルックナーはライブ録音によるものが毎年リリースされていて、来月には初期交響曲集がリリースされるが、今回の「ロマンティック」の録音により「ブルックナー交響曲全集」としても完成したものと思われる。

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2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

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2024年12月31日 (火)

コンサートの記(877) ユベール・スダーン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2024

2024年12月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。指揮はユベール・スダーン。

イギリスと並ぶ古楽の本場、オランダ出身のスダーン。2019年には京都市交響楽団の年末の第九を指揮しており、オランダ出身らしいピリオド援用の演奏を聴かせたが、今回も同様のアプローチが行われることが予想される。

今日は最前列ほぼ下手端での鑑賞。フェスティバルホールの最前列端側で第九を聴くのは旧フェスティバルホールを含めてこれが3回目だが(前回の指揮は尾高忠明、前々回の指揮は大植英次。大植指揮の第九は旧フェスティバルホール最終公演となったもの)、指揮者の姿が全く見えない。そのため、予め配置などを確認。指揮台は用いず、譜面台に総譜を置いての指揮。スダーンは基本的にノンタクトで振るが、見えないので確認出来ず(入退場時には指揮棒を手にしていなかった)。ドイツ式の現代配置での演奏である。バロックティンパニが用いられ、指揮者の正面よりやや下手側に置かれる。その更に下手に台が設けられ、第4楽章だけ出番のある大太鼓、シンバル、トライアングル奏者が陣取る。3人とも板付きである。

今日のコンサートマスターは須山暢大。独唱は、今井実希(ソプラノ)、富岡明子(アルト)、福井敬(テノール)、妻屋秀和(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
合唱団は最初から舞台に上がり、独唱者は第2楽章終了後に下手から入場。今日は独唱者が現れても拍手は起こらなかった。

オーケストラ奏者も第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの後ろ姿が見えるだけ。第4楽章のみ登場する打楽器の3人は全身が見えるが、その他はホルンのセカンドに入った蒲生絢子の横顔が確認出来るだけである。ただ蒲生さんは手元も見え、指の動きだけで「この人は上手い」と悟ることが可能であった。

全般的に速めのテンポを採用。特に「歓喜に寄す」の合唱はかなり速い。実演に接したことのある第九の中では上岡敏之の次に速いと思われる。弦楽器は完全にH.I.P.を採用。ビブラートを控えめにし、しばしば弓を弦から放して音を切るように演奏する。音の末尾では弓を胴体から大きく離していた。
版であるが、第4楽章末尾のピッコロの浮かび上がりは完全にベーレンライター版のそれであった。ただ第2楽章は一般的なベーレンライター版の演奏とは異なっており、ティンパニが5つの音を強、強、強、強、弱で叩く場面は全てフォルテで通し(これは京響との第九でも同様であった)、比較的長めのホルンのソロはセカンドの蒲生絢子も一緒に吹いていたため、ソロではなくなっていた。
第1楽章でもホルンが浮き上がる場面があったが、これはホルンに近い席に座っていたためそう聞こえた可能性もあり、どの版を使ったのは正確には分からなかった。
バロックティンパニを使ったことによりリズムが強調され、京響を振ったときと同様、ロックな印象を受ける。
第3楽章冒頭では弦楽がノンビブラートとなり、ガット弦に近いような鄙びた音を発していた。
最前列で音が上方から降ってくるような印象を受けたこともあって、第2楽章はやはり宇宙の鳴動のように聞こえる。

ベートーヴェンを得意レパートリーとしている大フィルらしい重厚さと軽妙さを合わせ持った演奏。ピリオド・アプローチを得意とするスダーンの指揮でベートーヴェンの他の交響曲も聴いてみたくなる。独唱者と大阪フィルハーモニー合唱団も快速テンポをしっかりと歌いこなしていた。


大フィルの楽団員がステージを後にしてから会場が溶暗となり、恒例のキャンドルサービスによる「蛍の光」の合唱が福島章恭(ふくしま・あきやす)の指揮で歌われて、去りゆく令和6年を思い返し、しみじみとした心地となった。

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2024年10月16日 (水)

コンサートの記(861) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第581回定期演奏会 ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」

2024年9月24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第581回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。
今日は事前にチケットを取らず、当日券で入った。

曲目は、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」1曲勝負である。
第九とほぼ同時期に作曲された「ミサ・ソレムニス」。以前は、荘厳ミサ曲という曲名で知られていたが、「荘厳」という訳語が本来の意味とは異なる(「盛儀の」「正式の」といった意味の方が近い)ということで、最近では、「ミサ・ソレムニス」と原語の呼び方に近い表記が採用されるようになっている。
ベートーヴェンが4年がかりで作り上げた大作である。無料パンフレットによると演奏時間は約83分。宗教音楽ということで、神聖さや敬虔さも描かれているのだが、同時にドラマティックであり、第九が人間世界を描いているのに対し(第2楽章は宇宙的で、第3楽章は楽園的であるが)、「ミサ・ソレムニス」は神に近いものを描いていると言われる。ただ、有名な「心より出で--再び心に届かんことを!」という警句が書かれており、この「神」というのは「音楽」または「音楽の神ミューズ」ではないかと受け取れる部分もある。

「ミサ・ソレムニス」は、傑作の呼び声も高いのだが、上演が難しいということで、プログラムに載ることはほとんどない。私も生演奏を聴くのは初めてである。


午後6時30分頃から、大フィル定期演奏会の名物となっている大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長(裏方トップ)の福山修氏によるプレトークサロンがホワイエである。
大フィルは、ベートーヴェン生誕250年に当たる2020年に「ミサ・ソレムニス」を尾高忠明の指揮で上演する予定だったのだが、コロナ禍により上演中止に。練習などは進んでいて、「1年も経てば収まるだろう」との読みから、翌2021年にも「ミサ・ソレムニス」の上演がアナウンスされたのだが、コロナ禍が長引いたため、やはり上演不可。最初の計画から4年が経って、ようやく上演が可能になった。今日は129名での大規模演奏になるという。大阪フィルハーモニー合唱団は、アマチュアの合唱団であり、「なぜプロのオーケストラの演奏会でアマチュアを歌わせるのか?」という疑問を投げかけられることがあるそうだが、尾高さんも「上手さだけじゃない」と語っているそうで、結成51年目になる伝統が持つ味わいが重要なのだと思われる。
合唱指揮者による指揮から全体の指揮者の指揮に変わるタイミングについても質問があり、今回はリハーサルは合唱指揮者の福島章恭(あきやす)が行った後の本番4日前から尾高によるオーケストラ、合唱、独唱者の全体練習が始まったそうである。ちなみに、大阪フィルハーモニー合唱団のトレーナーは、昨日、京都コンサートホールで歌ってた大谷圭介が務めている。

今回の定期演奏会は変則的で、大フィルは同一演目2回公演が基本であるが、振替休日の昨日がマチネー、今日がソワレとなる。大フィルの定期演奏会は、初日が金曜日のソワレ、2日目が土曜日のマチネーとなることも多いが、1日目がマチネーで2日目がソワレという逆の日程は珍しい。

「ミサ・ソレムニス」の初演は、1824年だそうで、当初はその予定ではなかったが、期せずして初演200周年の記念演奏になったという。

福山さんの説明が終わった後で、来場者からの質問のコーナーが設けられており、大フィルの6月定期と7月定期で予定されていた指揮者が相次いでキャンセルしたが、代役というのは早くから見つけているものなのかといった質問(6月のデュトワの客演は、デュトワが先に指揮した新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏で、「体調がおかしいようだ」との情報がWeb上で流れていたため、早めに代役捜しが行われたと思われる)があった。
実は私もザ・シンフォニーホールが定期演奏会場だった時代に質問したことがあるのだが(トーン・クラスターについて)、何故か福山さんと二人で私も解説する羽目になったため、以後は控えている。

質問コーナーが終わった後でも、福山さんには質問出来るので聞いてみた。なお、福山さんとは何度も話し合っている間柄である。
質問は、大フィルのヴィオラ奏者に一樂もゆるという名前の奏者がいたので、「この一樂さんというのは、一樂恒(いちらく・ひさし)さんのご兄弟ですか?」というもの。一樂恒は、現在は京都市交響楽団のチェロ奏者だが、入団以前は、フリーで、京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団によく客演奏者として参加していた。京都のお寺で演奏会を行うというイベント、「テラの音(ね)」コンサートにも出演したことがあり、左京区北白川山田町の真宗大谷派圓光寺(ここは一般のお寺だが、すぐ近くの左京区一乗寺に臨済宗の圓光寺があり、こちらは徳川家康開基の観光寺で、間違えて真宗大谷派の圓光寺に来てしまう人がいるそうである)で行われた「テラの音」では、チェロを弾く前に(他の仕事があったため遅れて参加)京都市内の高低差について話し、この辺りは東寺のてっぺんと同じ高さらしいと語っていた。
福山さんによると、実は一樂もゆるというのは、一樂恒の奥さんで、結婚して苗字が変わったとのことだった(仕事上の旧姓表記にはしなかったようである)。「ライバル楽団の奏者と結婚」と仰っていた(何度も語ってはいるが、福山さんには正体を明かしていないので、私が京都在住だということも多分、ご存じないはずである)。ここでちょっと核心を突いてみる。「お父さんは、大谷大学の一樂(真)教授(真宗学の教授で僧侶でもある)」と口にする。福山さんがビクッとして顔を一瞬引いたので、実際そうであることが分かる。「いやー、よくご存じで」とのことだった。京都でも一樂という苗字は珍しく、しかも仏教系の苗字。年齢的にも親子ほどの差で、名前も一文字。「恒」というのは「恒河沙(ごうがしゃ)」の「恒」。ということで親子の可能性が高かったのだが、知り合いの真宗大谷派の住職に聞いても、「一樂教授のことは知っているけど(真宗界隈では一樂真は有名人である)、音楽のことは知らない」とのことで確証が持てなかったのだが、福山さんなら多分ご存じだろうということで、聞いてみたのである。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、舞台後方に独唱者と合唱が並ぶので、ティンパニは指揮者の正面ではなく、やや下手よりに据えられる。指揮者の正面の一段高いところに独唱者(ソプラノ:並河寿美、メゾ・ソプラノ:清水華澄、テノール:吉田浩之、バスバリトン:加藤宏隆)が横一列に並び、その背後に横長の階段状の台を並べて大阪フィルハーモニー合唱団が控える。


大フィルとのベートーヴェン交響曲チクルスでも好演を聴かせた尾高。「ミサ・ソレムニス」でも確かな造形美と、磨かれた音、決して大仰にはならないドラマ性といった美点溢れる演奏を聴かせてくれる。

基本的にモダンスタイルの演奏だが、第1曲「キリエ(主よ)」や第5曲「アニュス・デイ(神の子羊)」では、弦楽器がノンビブラートかそれに近い奏法を見せる場面もあり、部分的にピリオドなども取り入れているようである。
大阪フィルハーモニー合唱団も力強い合唱。フェスティバルホールは良く響くが声楽が割れやすい会場でもあるのだが、今日は音が飽和する直前で止めた適度な音量で歌われる。この辺は流石、尾高さんである。

第4曲「サンクトゥス(聖なるかな)」には、コンサートマスターによる長大なソロがあり(ヴァイオリン協奏曲ではない曲で、これほど長いヴァイオリンソロを持つ作品は他にないのではないかといわれている)、崔文洙が甘い音色による見事なソロを奏でた。

もう少し野性味があっても良いとも思うのだが、尾高さんの音楽性にそれを求めるのは無理かも知れない。イギリス音楽やシベリウスを得意とする人である。

ともあれ、取り上げられる機会の少ない「ミサ・ソレムニス」を美しい音色と歌声で彩らせた素敵な演奏だった。「素敵」という言葉が最もよく似合う。

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2024年6月 9日 (日)

コンサートの記(847) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第578回定期演奏会

2024年5月17日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第578回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調(ピアノ独奏:アンヌ・ケフェレック)、シベリウスの組曲「レンミンカイネン」

今日のコンサートマスターは崔洙珠。ドイツ式の現代配置での演奏である。


モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調。モーツァルトが書いた多くのピアノ協奏曲の中でたった2曲の短調による作品の1曲で、デモーニッシュとも呼ばれる響きや、第2楽章の典雅さなどが有名である。

フランスの女流ピアニストを代表する存在であるアンヌ・ケフェレック。親日家であり、来日も多い。フランス発の音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」の日本公演に何度も参加しており、以前はびわ湖ホールで行われていた「ラ・フォル・ジュルネびわ湖」(その後、独立して「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」を経て「びわ湖の春 音楽祭」となる)にも2016年に出演しており、中ホールで、ドビュッシー、ケクラン、ラヴェルといったお国ものとリスト作品を弾いている。
パリ生まれ。パリ国立高等音楽院(コンセルヴァトワール・ドゥ・パリ)ピアノ科を首席で卒業。パウル・バドゥラ=スコダ、イェルク・デームス、アルフレッド・ブレンデルといった名ピアニストに師事。1968年のミュンヘン国際音楽コンクール・ピアノ武門で優勝。翌年にはリーズ国際ピアノコンクールで入賞している。
1990年にはヴィクトワール・ドゥ・ラ・ムジークの年間最優秀演奏家賞を受賞。最新録音は今日演奏するモーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、伴奏は京都市交響楽団への客演でお馴染みのリオ・クオクマン指揮するパリ室内管弦楽団が務めている。
なお、名画「アマデウス」のサウンドトラックでは、音楽監督を務めたサー・ネヴィル・マリナー指揮するアカデミー室内管弦楽団と共にピアノ協奏曲の演奏を手掛けており、ラストで流れるピアノ協奏曲第20番第2楽章のピアノもケフェレックの演奏だと思われる。

大フィルは第1ヴァイオリン10型の小さめの編成での演奏。フェスティバルホールは空間が大きいが、音の通りに不満はない。尾高の指揮による伴奏は端正だが、その一方で、闇、痛み、孤独、焦燥、毒といったものに欠けた印象があり、綺麗に過ぎるのが物足りない。その分、第2楽章は端麗そのものだった。解釈云々の問題ではなく尾高の音楽性に寄るところが大きいのだろう。
ケフェレックのピアノは尾高とは対照的に内容重視。まろやかな音の背後に痛切な寂寥感が湛えられており、モーツァルトの声に出せない叫びのようなものを感じる。第2楽章も単に美しいだけでなく、歯を見せてにっこりしてはいるが寂しげな表情が見えるかのよう。第3楽章の切迫感も胸に迫るものがある。
音楽性に隔たりが感じられ、ケフェレックと尾高の相性は余り良くないように思われた。

ケフェレックのアンコール演奏は、ヘンデル作曲、ヴィルヘルム・ケンプ編曲の「メヌエット ト短調」。たおやかで煌びやかで寂寞感に溢れた音楽が流れていく。


シベリウスの組曲「レンミンカイネン」。フィンランドの長編叙事詩『カレワラ』に登場する女好きの英雄、レンミンカイネンを題材にした交響詩をまとめたものである。元々はレンミンカイネンを主人公にした「船の建造」というオペラを構想していたシベリウスだが、筆は進まず、結局、オペラの作曲を断念。オペラのための素材をレンミンカイネンを題材にした交響詩へと転用したようだ。オペラのイメージが薄いシベリウスだが、「塔の乙女」というスウェーデン語の短いオペラを1曲だけ完成させており、面白いことにこれまたオペラのイメージが薄いパーヴォ・ヤルヴィが指揮して録音を行っている。

組曲「レンミンカイネン」であるが、最初から組曲として書かれた訳ではなく、4つのバラバラの交響詩として作曲され、後に改定を経て組曲としてまとめられた。

シベリウスを十八番としている尾高忠明。BBCウェールズ交響楽団の首席指揮者をしていた時代に英国で人気のシベリウスを多く指揮する機会があり、日本でもシベリウスは人気ということで、札幌交響楽団の音楽監督時代には、札幌と東京でそれぞれシベリウス交響曲チクルスを行っており、ライブ録音による「シベリウス交響曲全集」も完成させていて評価も高い。
余談であるが、高校の後輩である広上淳一が一時期、尾高の影響でシベリウス作品に熱心に取り組んでいたが、最近はたまにしか指揮していないようである。
尾高は、今から31年前の1993年に大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で組曲「レンミンカイネン」を取り上げたことがあるそうで、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏が行っているプレトークサロンによると、「31年前より大分上手くなった」と尾高は語っていたそうだが、「まだ分からない奴がいる」ということで、手厳しく指示するバチバチのリハーサルとなったそうで、尾高は「今日で大分嫌われちゃったかなあ」と話していたそうである。
大阪フィルでシベリウス交響曲チクルスを行うという話も尾高の音楽監督就任時から出ているそうだが、「集客の問題」で実現していないそうだ。関西にはもう一人、藤岡幸夫という渡邉暁雄直系のシベリウスのスペシャリストがおり、藤岡は関西フィルハーモニー管弦楽団を指揮して1年1曲7年掛けるシベリウス交響曲チクルスを完成させていて、ライブ録音による「シベリウス交響曲全集」もリリース。大阪のシベリウス好きも満足したはずである。日本で人気のシベリウスとはいえドイツ系の作曲家の人気とは比べものにならず、関西フィルが手掛けた後で大フィルがやっても大阪の聴衆がついてきてくれるかということだろう。実際、今日も空席は目立つ。

組曲「レンミンカイネン」であるが、「レンミンカイネンと島の娘たち」「トゥオネラの白鳥」「トゥオネラのレンミンカイネン」「レンミンカイネンの帰郷」の4曲からなる。
この中では、「トゥオネラの白鳥」が飛び抜けて有名で、単独で演奏会のプログラムに載ったり、録音されていたりする。イングリッシュ・ホルンの活躍が印象的な曲である。

「レンミンカイネンと島の娘たち」。大フィルの弦には神秘性と透明感と深遠さが宿り、空から降ってくるような管の抜けも良く、時折、大地が鳴動するような音がする。娘たちとの舞曲だけに華やかでリズミカル。愉悦感にも富む。

「トゥオネラの白鳥」。黄泉の国トゥオネラの川に浮かぶ白鳥を描いた作品である。黄泉の国が題材だけにこの世ならぬ響きが特徴。大フィルの音の瑞々しさが印象的である。イングリッシュ・ホルンのソロを吹く大島弥州夫(宮本文昭が出演したJTのCMを見てオーボイストを志したらしい)は無料パンフレットにもインタビューが載っているが、丁寧な演奏を聴かせた。

「トゥオネラのレンミンカイネン」も黄泉の国の音楽ということで霊感に満ちつつ仄暗い響きで曲は進むが、途中で明るさが増し、快活な曲調となる。尾高と大フィルの明るめの音がプラスに出ている。

「レンミンカイネンの帰郷」。管楽器が英雄的な旋律を奏で、シベリウスらしい透明感と、自然と人間の調和した響きが鳴り渡り、ドラマティックな展開を経て終わる。大フィルは響きに威力があり、尾高による音の設計と推進力も万全である。

4つの音楽からなるということで、交響曲に例える向きもあるかも知れないが、やはりこれは交響詩の連作という印象を受ける。深遠さや雄大さ、叙情味など共通点を持ちつつ曲の方向性と性格が異なるためで、4つの曲を通して楽しむというよりも別個の個性を楽しんだ方が楽曲の本質に近づけるように思われる。

尾高とシベリウスの相性の良さを再確認した演奏会であった。

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2024年4月27日 (土)

コンサートの記(841) 第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」

2024年4月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後1時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」を聴く。関西に本拠地を置く6つのプロコンサートオーケストラが一堂に会するイベント。

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これまでは、大阪府内に本拠地を置く4つのオーケストラ(4オケ)の共演や合同演奏会を行ってきたのだが、今回は関西全域にまでエリアを拡大し、兵庫と京都から1つずつオーケストラが加わった。日本オーケストラ連盟の正会員となっている関西のオーケストラはこれで全てである。

以前、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長(現・事務局長)の福山修氏が大フィルの定期演奏会の前に行われるプレトークサロンで、6オケ共演の構想を話していたのだが、その時点では、「上演時間が長すぎる」というので保留となっていた。それが今日ようやく実現した。
ちなみに午後1時から午後6時過ぎまでの長丁場である。

出演順に参加楽団と演奏曲目を挙げていくと、山下一史指揮大阪交響楽団がリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団がエルガーのエニグマ変奏曲、下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)がアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」とベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団がシベリウスの交響曲第5番、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団がドビュッシーの3つの交響的素描「海」、沖澤のどか指揮京都市交響楽団がプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。


トップバッターの大阪交響楽団は、大阪のプロコンサートオーケストラの中では2番目に若い存在で、本拠地は大阪府堺市に置いている。定期演奏会場は大阪市北区のザ・シンフォニーホールであるが、堺市に新たな文化拠点であるフェニーチェ堺が出来たため、そちらでの公演も始めている。結成当初は大阪シンフォニカーと名乗っており、「シンフォニカー」はドイツ語で「交響楽団」を表す言葉であるが、シンフォニカーという言葉が日本に浸透しておらず、営業に行っても「カー」がつくので車の会社だと勘違いされたりしたため、大阪シンフォニカー交響楽団に改名。しかし、意味で考えると大阪交響楽団交響楽団となる名称に疑問の声も上がり、「なぜ大阪交響楽団じゃいけないの?」という話が各地で起こっていたということもあって、大阪交響楽団に改名して今に至っている。


今回出演するオーケストラの中で一番歴史が長いのが「大フィル」の略称でお馴染みの大阪フィルハーモニー交響楽団である。1947年に朝比奈隆を中心に関西交響楽団の名で結成。戦後の復興を音楽の面から支え続けたという歴史を持つ。1960年に、NHK大阪放送局(JOBK)が持っていた「大阪フィルハーモニー」の商標を朝比奈隆が買い取り、大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。定期演奏会の回数も1から数え直している。
朝比奈隆とは半世紀以上に渡ってコンビを組み、ブルックナー、ベートーヴェン、ブラームスなどドイツ音楽で強さを発揮してきた。京都帝国大学を2度出ている朝比奈隆の京大時代の友人が南海電鉄の重役になった縁で、西成区岸里(きしのさと)の南海の工場跡に大阪フィルハーモニー会館を建てて本拠地とし、練習場も扇町プールから移転している。
フェスティバルホールを定期演奏会場にしている唯一のプロオーケストラである。


兵庫芸術文化センター管弦楽団は、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターの座付きオーケストラとして2005年に創設された、今回登場するオーケストラの中で一番若い楽団である。しかも日本唯一の育成型オーケストラであり、楽団員は最長3年までの任期制で、その間に各自進路を決める必要がある。オーディションは毎年、世界各地で行われており、外国人のメンバーが多いのも特徴。愛称のPACオーケストラのPACは、「Performing Arts Center」の略である。結成以来、佐渡裕が芸術監督を務めている。毎年夏に、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われる佐渡裕芸術監督プロデュースオペラのピットに入るオーケストラである。


関西フィルハーモニー管弦楽団は、1970年に大阪フィルと決別した指揮者の宇宿允人(うすき・まさと)により弦楽アンサンブルのヴィエール室内合奏団として誕生。その後、管楽器を加えたヴィエール・フィルハーモニックを経て、1982年に関西フィルハーモニー管弦楽団に改称。事務所と練習場は大阪市港区弁天町にあったが、2021年にパナソニックの企業城下町として知られる大阪府門真市に本拠地を移転している。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールで、京都府城陽市や東大阪市などでも定期的に演奏会を行っている。


日本センチュリー交響楽団は、大阪センチュリー交響楽団の名で大阪府所管の大阪文化振興財団のオーケストラとして1989年に創設。大阪の参加楽団の中で最も若い。大阪府をバックとするオーケストラで、最初から良い人材が集まり、人気も評判も上々だったが、維新府政が始まると状況は一変。補助金がカットされ、楽団は大阪府から離れて日本センチュリー交響楽団と改称して演奏を続けている。中編成のオーケストラであり、小回りが利くのが特徴。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールだが、大阪府豊中市を本拠地としていることもあり、新しく出来た豊中市立文化芸術センターでも豊中名曲シリーズを行っている。


京都市交響楽団は、1956年創設の公立公営オーケストラ。以前は京都市直営だったが、今は外郭団体の運営に移行している。結成当初は編成も小さく、それでも演奏出来るモーツァルト作品の演奏に磨きをかけていたことから「モーツァルトの京響」と呼ばれた。音響の悪い京都会館第1ホールを定期演奏会場とするハンデを負っていたが、1995年に京都コンサートホールが開場し、そちらに定期演奏会場を移している。近年は京都会館を建て直したロームシアター京都での演奏も増えているほか、公営オーケストラということで、京都市内各地の市営文化会館での仕事もこなす。地方公演にも積極的で、大阪公演、名古屋公演も毎年行っている。
初期は常任指揮者を2、3年でコロコロと変えていたが、井上道義が第9代常任指揮者兼音楽監督として長期政権を担った頃から方針が変わり、第12代と第13代の常任指揮者を務めた広上淳一は人気、評価共に高く、計14年の長きに渡って君臨した。


正午開場で、12時40分頃から、指揮者全員出演によるプレトークがある。司会進行は朝日放送アナウンサーの堀江政生が務める。なお、指揮者のトークの時間は撮影可となっている。

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まず、大阪交響楽団(大響)の常任指揮者である山下一史から。山下は現在、大響常任指揮者の他に、千葉交響楽団と愛知室内オーケストラの音楽監督を兼任しており、東大阪で3楽団合同の演奏会も行っている。いずれも経営の厳しいオーケストラばかりだが、N響や都響、京響のような経済的に恵まれた楽団に関わるよりも危機を乗り越えることに生き甲斐を見出すタイプなのかも知れない。桐朋学園大学を経て、ベルリン芸術大学に進み、ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。ヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントとなり、カラヤンが急病になった際には、急遽の代役としてジーンズ姿でベルリン・フィルの指揮台に立ったという伝説がある(誇張されてはいるらしい)。
大阪交響楽団はこれまで、ミュージックアドバイザーや名誉指揮者を務めていた外山雄三が4オケの共演で指揮を担ってきたが、その外山が昨年死去。作曲家でもあった外山は多くの作品を残しており、オール外山作品の演奏会を今月行うことを山下は宣伝していた。


尾高忠明。大阪フィルの第3代音楽監督のほかに、NHK交響楽団の正指揮者を務める。海外での経験も多く、イギリスのBBCウェールズ交響楽団の首席指揮者として多くのレコーディングを行ったほか、オーストラリアのメルボルン交響楽団の首席客演指揮者も務めている。東京フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者、読売日本交響楽団名誉客演指揮者、札幌交響楽団名誉音楽監督、紀尾井シンフォニエッタ東京(現・紀尾井ホール室内管弦楽団)桂冠名誉指揮者など名誉称号も多く、日本指揮者界の重鎮的存在である。

尾高は、オーケストラが6つに増えたことについて、「来年は8つになるんじゃないか」と述べる。関西には日本オーケストラ連盟準会員の楽団として、オペラハウスの座付きだがザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(大阪府豊中市)、定期演奏会は少ないが奈良フィルハーモニー管弦楽団(奈良県大和郡山市)、歴史は浅いがアマービレフィルハーモニー管弦弦楽団(大阪府茨木市)、いずれも室内管弦楽団だが、テレマン室内オーケストラ(大阪市)、京都フィルハーモニー室内合奏団、神戸室内管弦団などがあり、反田恭平が組織したジャパン・ナショナル・オーケストラも大和郡山市を本拠地とするなど、プロ楽団は多い。
今日演奏するのはエルガーのエニグマ変奏曲だが、尾高はイギリスに行くまでエルガーが嫌いだったそうで、エニグマ変奏曲を勉強したことで好きに変わっていったそうだ。今では尾高といえばエルガー演奏の大家。変われば変わるものである。


今回の演奏会ではどのオーケストラも、楽団のシェフか重要なポストを得ている指揮者が指揮台に立つが、下野竜也は兵庫芸術センター管弦楽団のポストは得ていない。ということで、「本当は、(芸術監督の)佐渡裕がここにいなきゃいけないんですが」と下野は述べ、「どうしても予定が合わないということで、『毎年のように客演してるんだからお前が行け』ということで」指揮を引き受けたそうである。今年の3月で広島交響楽団の音楽総監督を勇退し、今はNHK交響楽団の正指揮者として活躍する下野。元々、NHKの顔である大河ドラマのオープニングテーマを毎年のように指揮して、N響との関係は良好だった。
NHK交響楽団の正指揮者は現在は、下野と尾高の二人だけであり、二人ともに同一コンサートの指揮台に立つことになる。
鹿児島生まれの下野竜也は、子どもの頃から音楽にいそしむ環境にあったわけではなく、音楽に接したのは中学校の吹奏楽部に入部した時から。大学も音大ではなく鹿児島大学教育学部音楽科に進み音楽の先生になるつもりだったが、指揮者になるという夢が捨てられず、卒業後に上京して桐朋学園の指揮者教室に通い、指揮者としてのキャリアをスタートさせている。朝比奈隆の下で、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮研究員をしていたこともあり、大阪でのキャリアも豊富である。
エストニアの現役の作曲家であるアルヴォ・ペルトが作曲した「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」は、イギリスの天才作曲家であるブリテンの追悼曲として書かれたもので、続いてブリテン本人が作曲した曲が続く。合間なしに演奏することを下野は告げた。


昨年の夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校出身の藤岡幸夫。慶應には中学から大学まで通っており、その間、シベリウス演奏の世界的権威であった渡邉暁雄に師事している。慶大卒業後にイギリスに渡り、英国立ノーザン音楽大学指揮科に入学して卒業。その後、15年ほどイギリスを活動の拠点としてきたが、今は日本に帰っている。関西フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を25年に渡って務め、現在は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者でもある。BSテレ東で放送中の「エンター・ザ・ミュージック」の司会(ナビゲーター)としてもクラシックファンにはお馴染みで、同番組のオープニングで語られる言葉をタイトルにした『音楽はお好きですか?』という著書も続編と合わせて2冊上梓している。

シベリウスの交響曲第5番は、藤岡が最も好きな曲だそうで、第1楽章のラストの「喜びの狂気」や「16羽の白鳥が銀のリングに見えた」というシベリウス本人の体験を交えつつ、「生きる喜び」を描いたこの楽曲の魅力や性質について語った。


神奈川県葉山町出身の飯森範親。公立高校の普通科から私立音大に進学という指揮者としては珍しいタイプである。高校時代には葉山町出身の先輩である尾高忠明に師事。桐朋学園大学指揮科に進んでいる。公立高校普通科出身で桐朋学園の指揮科に入ったのは飯森が初めてではないかと言われている。東京交響楽団正指揮者、ドイツ・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦弦楽団の音楽監督を経て、現在は日本センチュリー交響楽団の首席指揮者のほかに、パシフィックフィルハーモニア東京の音楽監督、群馬交響楽団常任指揮者、山形交響楽団桂冠指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督、東京佼成ウインドオーケストラの首席客演指揮者、中部フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者など多くのポジションに着いて多忙である。山形交響楽団の常任指揮者時代にアイデアマンとしての才能を発揮。「田舎のオーケストラ」というイメージだった山形交響楽団を「食と温泉の国のオーケストラ」として売り出し、映画「おくりびと」に山形交響楽団のメンバーと共に出演したり、ラ・フランスジュースをプロデュースしたりとあらゆる戦術で山形交響楽団をアピール。定期演奏会の会場を音響は優れているがキャパの少ない山形テルサに変え、その代わり1演目2回公演にするなど演奏回数増加とアンサンブル向上に寄与し、今や山形交響楽団はブランドオーケストラである。山形交響楽団とは「モーツァルト交響曲全集」を作成するなどレコーディングにも積極的である。現在、日本センチュリー交響楽団とは、「ハイドン・マラソン」という演奏会を継続しており、ハイドンの交響曲全曲録音が間近である。
自称であるが、演奏会前に指揮者が行うプレトークを最初に実施したのは飯森だそうである。山形交響楽団の常任指揮者時代だそうだ。

飯森は、藤岡の楽曲解説が長いのではないかと指摘するが、飯森の解説も長く、藤岡は隣にいた下野に何か囁いていた。
ドビュッシーの「海」は、飯森の亡くなった母が好きだった曲だそうで、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏による「海」(EMI)を愛聴していたそうである。飯森は別荘地としても有名な葉山町出身であるため相模湾が身近な存在であり、葉山の海とドビュッシーの「海」には似たところがあるそうだ。現在、大阪中之島美術館ではモネの展覧会をやっているが、印象派のモネとドビュッシーには共通点があることなどを述べていた。


ラストは、沖澤のどか。京都市交響楽団の第14代常任指揮者で、京響初の女性常任指揮者である。青森県生まれ。東京藝術大学と同大学院で尾高忠明、高関健らに師事。パーヴォ・ヤルヴィや広上淳一、下野竜也のマスタークラスでも学んだ。2007年の第19回アフィニス夏の音楽祭では下野竜也の指導の下、指揮研究員として在籍する。芸大在学中には井上道義に誘われてオーケストラ・アンサンブル金沢の指揮研究員として籍を置いていたこともある。芸大大学院修士課程修了後に渡独してハンス・アイスラー音楽大学ベルリン・オーケストラ指揮専攻修士課程を修了。2019年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、東京国際音楽コンクール指揮部門でも1位獲得。ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーに学び、ベルリン・フィルの芸術監督であるキリル・ペトレンコの助手も務めた。現在もベルリン在住である。
今回の出演者の中では飛び抜けて若い(二番目に若い下野の弟子という関係である)が、京響の常任指揮者には兼任しないことを条件に選ばれている。その後、セイジ・オザワ 松本フェスティバルの首席客演指揮者に就任しているが、夏の短期の音楽祭なので支障はないのだろう。
沖澤は、他の指揮者が話しなれていることに驚くが、藤岡は音楽番組の司会を務めているし、飯森はプレトークの先駆者、下野も京都と広島でトークを入れた子ども向けの音楽会シリーズを行っており、尾高もトーク入りのコンサートをよく開いている。
京都市交響楽団も定期演奏会の前にはプレトークを行っているが、沖澤が出演したのは4回ほど。トーク力が必要なオーケストラ・ディスカバリーというシリーズにも1回しか出演していない。
沖澤は、「ラスト」ということでラストに来るのは「死」という発想から死で終わる「ロメオとジュリエット」を選んだという話をした。また客席には「京都に来て下さい」とアピールした。


山下一史指揮大阪交響楽団によるリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲。
コンサートマスターは森下幸路。なお今日は、兵庫芸術文化センター管弦楽団と関西フィルハーモニー管弦楽団がチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキー・シフト)での演奏。その他はドイツ式の現代配置での演奏である。

大阪交響楽団は、重厚さが売りの大阪フィルや、音の密度の濃さで勝負するセンチュリー響とは違い、大阪のオーケストラの中ではあっさりとした味わいのアンサンブルが特徴であり、庶民的な響きとも言えたが、今回の「ばらの騎士」組曲では音が煌びやか且つしなやかで、以前とは別のアンサンブルに変貌したような印象を受ける。ここ数年、オペラ以外で大響の演奏は聴いていなかったのだが、児玉宏時代に様々な隠れた名曲の演奏、外山雄三時代に将来有望な若手指揮者の登用という他のオーケストラとは異なる路線を歩んだのがプラスになっているのかも知れない。
譜面台を置かず、ノンタクトにより暗譜で指揮した山下のオーケストラ捌きも見事だった。

演奏終了後にも外山雄三作品の演奏会をアピールした山下。トップバッターを務めることについては、「その後の演奏をずっと聴いていられる」というメリットを挙げた。その後に抽選会があり、くじ引きが行われて当選者には今後行われるコンサートのチケットが当たった。
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尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるエルガーのエニグマ変奏曲。コンサートマスターは須山暢大。
大阪フィルは他のオーケストラと比べて低弦部の音が明らかに太く大きい。朝比奈以来の伝統が今に息づいていることが分かる。他のオーケストラは摩天楼型だが、大フィルだけはピラミッド型のバランスである。
音に奥行きと深みがあり、これは大阪交響楽団からは感じられなかったものである。イギリスで活躍した尾高ならではの紳士の音楽が空間に刻まれていく。優雅なだけではない渋みにも溢れた音楽だ。

終演後のトーク。6つのオーケストラの共演を、これまでの4つオーケストラの共演と比べて、「短い曲が選ばれるので仕事としては楽になった」と尾高は述べる。階級社会であるイギリスにおいて、エルガーが労働者階級出身(楽器商の息子)で、上流階級の女性と結婚しようとして相手の両親から猛反対されたという話もしていた。
大フィルに関しては上手くなったと褒め称えていた。
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下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団。コンサートマスターはゲストの田野倉雅秋。
サックスの客演奏者として、京都を拠点にソロで活躍している福田彩乃の名前が見える。
エストニアの作曲家であるアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」。エストニア出身の名指揮者であるパーヴォ・ヤルヴィがよく取り上げることでも知られる。強烈なヒーリング効果を持つ曲調を特徴とするが、あるいはペルトの音楽はライブよりも録音で聴いた方が効果的かも知れない。
間を置かずにベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムが演奏される。200年以上に渡って「作曲家のいない国」などとドイツ語圏などから揶揄されてきたイギリスが久々に生んだ天才作曲家のベンジャミン・ブリテン。指揮者としても活躍し、自作のみならず他のクラシック作品の指揮も手掛けている。指揮者としてもかなり有能である。
シンフォニア・ダ・レクイエムは、大日本帝国政府から皇紀2600年(1940年)奉祝曲として各国の有名作曲家に依頼して書かれた曲の一つであるが、タイトルにレクイエムが入っていたため、「祝いの曲にレクイエムとは何事か」と政府から拒否され、演奏もされなかった。1956年になってようやくブリテン自身の指揮でNHK交響楽団により日本初演が行われている。
兵庫芸術文化センター管弦楽団は、任期3年までと在籍期間の短い奏者によって構成され、メンバーも次々に入れ替わるため、独自のカラーが生まれにくい。その分、指揮者の特性が出やすいともいえる。
若い奏者が多いからか、下野はいつもに比べてオーバーアクション。鋭い分析力を駆使して楽曲に切り込んでいく。各楽器の分離が良く、解像度が高くて音が細部まで腑分けされていく。オケを引っ張る力もなかなかだ。

演奏終了後のトークで、下野は、基本的にソリスト志望の人が多く集まっているため、最初はまとまりがなかったというような話をする。PACオーケストラは多くのオーケストラに人材を供給しており、京都市交響楽団でいえば首席トランペットのハラルド・ナエス、NHK交響楽団では首席オーボエの吉村結実が有名である。
「関西6オケ!」については下野は、「関西でしか出来ない企画」と述べる。東京にはプロコンサートオーケストラが主なものだけでも9つ。関東地方には埼玉県と栃木県を除く全県にプロのオーケストラ(非常設含む)があり、それぞれが忙しいということで一堂に会するのは無理である。
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藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団。コンサートマスターは客演の木村悦子。
日本とフィンランドのハーフで、シベリウスの世界的な権威として知られた渡邉暁雄の最後の愛弟子である藤岡幸夫。自身もシベリウスを得意としており、たびたびコンサートで取り上げ、関西フィルで1年に1曲7年掛けるというシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音が行われて「シベリウス交響曲全集」としてリリースされている。

喉に腫瘍が見つかり、手術を受けたシベリウス。腫瘍は陽性だったが、死を意識したシベリウスはその時の感情をそのまま曲にしたような交響曲第4番を発表。初演時には、「会場に曲を理解出来た人が一人もいなかった」と言われるほどだったが、自身の生誕50年を祝う演奏会のために書かれた交響曲第5番は一転して明るさに溢れた作品となった。初演は成功したが、シベリウス本人は出来に納得せず、大幅な改訂を実行。4楽章あった曲を3楽章にするなど構造をも変更する改作となった。そうして生まれた改訂版が現在、シベリウスの交響曲第5番として聴かれているものである。ちなみに初版はオスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団によって録音され、聴くことが出来る。

藤岡指揮の関西フィルは雰囲気作りが上手く、音に透明感があり、威力にも欠けていない。曲目によっては非力を感じさせることもある関西フィルだが、シベリウスの楽曲に関しては力強さはそれほど必要ではない。疾走感や神秘性なども適切に表現出来ていた。
藤岡は細部まで丁寧な音楽作り。奇をてらうことなくシベリウスの音楽を全身全霊で表現していた。
シベリウス作品は基本的に内省的であると同時にノーブルであるが、それがイギリスや日本で人気がある理由なのかも知れない。

東京生まれである藤岡(学者の家系である)は、東京は情報は多いが、文化度は大阪が上という話をされたと語る。日本初のクラシック音楽専用ホールは、大阪のザ・シンフォニーホール(1982年竣工)で、サントリーホール(1986年竣工)より先という話をする。その他の文化を見ても宝塚歌劇団があり、高校野球の聖地は甲子園で高校ラグビーは花園(東大阪市)と全て関西にあると例を挙げていた。
ちなみに日本初の本格的な音楽対応ホールも1958年竣工の旧フェスティバルホールで、東京文化会館がオープンするのはその2年後である。
なお、司会の堀江の息子である堀江恵太は関西フィルのアシスタント・コンサートマスターだそうで、今日は降り番で家で休んでいるという。
首席指揮者は、普通は1シーズンに20回ほど指揮台に立つが、藤岡の場合はその倍の40回は指揮しているそうで、共演回数は1000回を超えている可能性があるらしい。
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飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団によるドビュッシーの3つ交響的素描「海」。コンサートマスターは松浦奈々。フォアシュピーラー(アシスタントコンサートマスター)に田中佑子。飯森は譜面台を置かず暗譜での指揮である。バトンテクニックはかなり高い。
現在では管弦楽曲として屈指の人気を誇る曲だが、ドビュッシーが恋愛絡みで事件を起こした時期に発表されたものであり、そのせいで初演が成功しなかったことでも知られている。
日本センチュリー響はくっきりとした輪郭の響きを生む。たまにある曖昧さを抱えたドビュッシーではなく全てがクリアだ。音にキレがあり、スケールも大きすぎず小さすぎず中庸を行く。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による太洋を思わせるような名演奏があるが、それとは正反対の性格で、日本なら太平洋よりも日本海、イギリスなら北海といったような北の地方の海を連想させるような響きである。
音の密度の濃さは相変わらず感じられ、それが長所なのだが、「海」に関しては音の広がりがもう少し欲しくなる。

演奏終了後、飯森はホルンの新入りである鎌田渓志を呼ぶ。鎌田は鎌倉にある神奈川県立七里ヶ浜高校出身であるが、司会進行の堀江政生もまた七里ヶ浜高校出身で先輩後輩になるという話であった。
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沖澤のどか指揮京都市交響楽団によるプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。第2組曲を中心とした選曲である。コンサートマスターは泉原隆志。尾﨑平は降り番で、フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)には客演の岩谷弦が入る。
京都市交響楽団の音のパレットはどの楽団よりも豊かで、様々な表情に最適の音色を生み出すことが出来る。
「モンタギュー家とキャピュレット家」のブラスの威力と弦の厳格な表情、「少女ジュリエット」の楚々とした可憐さなどは同じ楽団が出している音とは思えないほど違う。
沖澤の指揮は女性らしく柔らかだが、出てくる音も威圧的ではなく、優しさや悲しみが自然に宿っている。「タイボルトの死」も迫力はあるが暴力的にはならない。「僧ローレンス」の慈しみに満ちた表情と音のグラデーションも理想的である。終曲である「ジュリエットの墓の前のロメオ」も鮮度と純度の高い音が空間を自然に満たしていく。感動の押し売り的なところは微塵もない。

プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」はバレエ音楽の最高傑作だけに全曲盤、組曲盤、抜粋盤含めて名録音は多いが(ロリン・マゼール盤、ヴァレリー・ゲルギエフの2種類の録音、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ盤、チョン・ミョンフン盤など)、1つだけ、今日の演奏に似た音盤がある。シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の抜粋盤(DECCA)で、美音を追求した演奏であり、ドラマ性重視の他の演奏に比べて異色だが、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の一つの神髄を突いた名盤である。私がデュトワ指揮の「ロメオとジュリエット」のCDを買ったのは高校生の頃だが、初めて聴いた時のことを懐かしく思い出した。

演奏終了後のトークで、堀江から「青森生まれで東京で学んだとなると関西には余り縁がないんじゃないですか」と聞かれた沖澤は、「修学旅行で京都に来ただけ。お上りさん」と答え、関西では「歩いているとよく話しかけられる」と文化の違いを口にしていた。今日、会場に来るときも「美術館どこですか?」と聞かれ、一緒に行ってそれから戻ってきたそうである。
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抽選であるが、当選した席は私の席のすぐ後ろ。だが、誰もいない。後ろにいた人が「帰った!」と言い、堀江も「帰った?」と呆れたように繰り返す。結局、無効となり、堀江が「帰るなよ、帰るなよ」とつぶやく中、再度くじが引かれた。

最後はこの公演に関わったスタッフ全員がステージ最前列に呼ばれ、拍手を受けていた。

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2024年4月18日 (木)

コンサートの記(839) ミシェル・タバシュニク指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第577回定期演奏会

2024年4月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第577回定期演奏会を聴く。指揮はミシェル・タバシュニク。

知名度抜群という程ではないが、隠れた巨匠的存在のミシェル・タバシュニク。特に現代音楽の解釈者として高い評価を得ている。1942年、スイス・フランス語圏最大の都市であるジュネーヴの生まれ。生地の音楽院で作曲、指揮、ピアノを学ぶ。ロンドンのBBC交響楽団では当時の首席指揮者であるピエール・ブーレーズの助手を4年に渡って務め、スペイン放送交響楽団では設立当初から初代首席指揮者のイーゴリ・マルケヴィッチのアシスタントとして活躍した。ヘルベルト・フォン・カラヤンにも師事し、ベルリン・フィルの指揮台に招かれている。
ピエール・ブーレーズが創設した現代音楽専門の楽団であるアンサンブル・アンテルコンタンポラン、ポルトガル・リスボンのグルベンキアン管弦楽団、フランスのロレーヌ国立フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を歴任し、2008年よりブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者&芸術監督を務め、2015年からは名誉指揮者。ノールト・ネーデルラント交響楽団では首席指揮者を経て、こちらも名誉指揮者の称号を得ている。
現代音楽、特にクセナキス作品の指揮で高い評価を得ているが、自身も作曲家として活動しており、2016年にリヨン国立歌劇場からの委嘱作品であるオペラ「ベンジャミン、ラスト・ナイト」を初演したほか、ヴァイオリンやチェロのための協奏曲なども発表している。トロント大学音楽学部やデンマーク王立音楽院の教授として、またユースオーケストラの創設者として後進の育成に当たったこともある。


曲目は、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」、ベルクの管弦楽のための三つの小品、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。


モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。モーツァルトがわずか4日間で書き上げたという伝説で知られる曲である。
非常に見通しが良く、爽やかなモーツァルトだ。バロックティンパニを用いているが、ラストを除いては柔らかめの音で通し、最後の最後で音を固くして効果を上げていた。
どちらかというと弦楽主体のスタイルで、音の抜けが良く、テンポも適切。春の宵に相応しいモーツァルトとなった。


ベルクの管弦楽のための三つの小品。ベルク最初の管弦楽曲であるが、同時期に書かれた傑作歌劇「ヴォツェック」を連想させるような響きがある。

新ウィーン学派の中では比較的分かりやすい音楽を書いたアルバン・ベルク。ただ、管弦楽のための三つの小品は、シェーンベルクからの影響も濃厚である。夜の雰囲気が漂うような第1楽章「前奏曲」だが、第2楽章「輪舞」を経て、第3楽章「行進曲」に至ると、豪快にして巨大な音楽となる。100名を超える大編成による演奏だが、広大なフェスティバルホールの空間を揺るがすような大音響が生まれる。第3楽章「行進曲」は、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」と関連のある音楽のようだが、「悲劇的」同様、ハンマーが打楽器の一つとして用いられており、最後もハンマーの一撃で終わる。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。特に有名な序奏で印象的なオルガンが入る曲だが、フェスティバルホールにはパイプオルガンがないので、電子オルガンが用いられる(演奏:片桐聖子)。
絢爛豪華なオーケストレーションを得意としたリヒャルト・シュトラウス。そのため演奏によってはコッテリした厚化粧風になることもあるのだが、タバシュニクの生む響きはすっきりしていて各楽器の分離も良く、ケバケバしさを感じさせない。
名画「2001年宇宙の旅」で用いられた序奏ばかりが有名な曲だが、実際には内容は多彩で、室内楽風になるところもあれば、謎めいた響き、甘美な調べで魅せる場面もあるなど、聴き所の多い作品である。
コンサートマスターによる長めのソロがあるのだが、須山は甘い響きで華麗な演奏を行う。チェロの独奏は近藤浩志が堅実な腕を見せていた。
管楽器も威力があり、輝きにも欠けていなかった。

リヒャルト・シュトラウスは、今年が生誕160年ということで、日本全国で様々な企画が行われるようである。

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2024年3月10日 (日)

コンサートの記(833) エリアフ・インバル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第576回定期演奏会

2024年3月1日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第576回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、今年88歳になるエリアフ・インバル。
東京都交響楽団との良好な関係で知られ、現在は桂冠指揮者の称号を得ている。
マーラーとブルックナーの両方を得意とする数少ない指揮者であり、共に交響曲全集を制作している。ショスタコーヴィチも得意としており、交響曲全集をDENONにレコーディング。交響曲第4番の録音はレコード・アカデミー賞を受賞している。

曲目は、マーラーの交響曲第10番(デリック・クック補筆版)。

50年ちょっとという決して長いとはいえない人生のうちに11曲の交響曲を作曲したマーラー。本業は指揮者であり、作曲は休暇を利用して行われたが、その多くが大作となっている。
交響曲第10番は、ほぼ完成された第1楽章のアダージョを除いては、未完成となっている作品である。ということで、今日演奏される音楽の大半はマーラーの真筆ではない。イギリスの音楽学者であるデリック・クックが、マーラーが残した略式総譜を見ながら補筆完成させたものである。


今日のコンサートマスターは須山暢大、フォアシュピーラーに尾張拓登。チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏である。

大フィルヴァイオリン群の音の抜けの良さが印象的。管は管で重層的な響きを生んでいる。

明るさと暗さが一瞬で入れ替わるマーラーらしい曲調。鋭さやグロテスクな響きもいかにもマーラーである。

そんな中にあって第5楽章における、ヴァイオリンの天上に手を差し伸べるような伸びやかな響きが印象的。マーラーの天への憧れを示しているかのようであった。

高齢となったインバルであるが、年齢をみじんも感じさせない力強くスケール感豊かな音楽作り。都響とのマーラー・チクルスも再び始まるようであり、今後も日本のファンの期待に応えてくれそうだ。

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2024年3月 1日 (金)

コンサートの記(832) 井上道義指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第575回定期演奏会

2024年2月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第575回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、2024年12月30日をもって指揮活動からの引退を表明している井上道義。

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「クラップフェンの森で」、ショスタコーヴィチのステージ・オーケストラのための組曲より5曲、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」(バス独唱:アレクセイ・ティホミーロフ、男声合唱:オルフェイ・ドレンガー)。今日のコンサートマスターは崔文洙。

前半の2曲は指揮台を用いないでの指揮である。

大フィルがウィンナワルツやポルカをやると重心が低めになる傾向があるが、「クラップフェンの森で」も弦楽は重めの響きを奏でていた。


ショスタコーヴィチのステージ・オーケストラのための組曲より5曲。ショスタコーヴィチを十八番としている井上道義。今日も大フィルから鋭い響きや渋さのある輝かしい音を引き出して好演を聴かせる。


ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」。1941年にナチスドイツがウクライナのキーウ(キエフ)郊外のバビ・ヤールでユダヤ人の虐殺を行ったことを題材にした作品である。字幕付きでの上演(テキスト日本語訳:一柳富美子)。実際にはバビ・ヤールではユダヤ人のみならずロシア人やウクライナ人など多くの人種が虐殺されている。

オルフェイ・ドレンガーは、スウェーデンの男声合唱団。アルヴェーンやエリック・エリクソンなどの指導を受けてきた名門合唱団である。

大フィルの音の密度は濃く、威力がある。ただ決してうるさくはならず、常に音楽的である。
オルフェイ・ドレンガーの合唱もアレクセイ・ティホミーロフの独唱も雄弁であり、迫力ある音楽を生み出していた。

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2024年1月27日 (土)

コンサートの記(829) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第574回定期演奏会

2024年1月18日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第574回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大フィル音楽監督の尾高忠明。

曲目は、武満徹のオーケストラのための「波の盆」とブルックナーの交響曲第6番(ノヴァーク版)。

今日のコンサートマスターは崔文ジュ(さんずいに朱)。ドイツ式の現代配置での演奏である。


武満徹のオーケストラのための「波の盆」。1983年11月15日に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマ「波の盆」のために武満が作曲した劇伴音楽をオーケストラコンサート用に再編した作品である。
ノスタルジックな曲想が特徴で、尾高と大フィルもリリシズムに富んだ演奏を聴かせる。ちなみに尾高は、「波の盆」を札幌交響楽団とNHK交響楽団を指揮して二度レコーディングを行っている。


ブルックナーの交響曲第6番。
現在ではオーケストラコンサートの王道となったブルックナーの交響曲。今年はブルックナー生誕200年ということで、日本でも各地でブルックナーの曲が演奏される予定である。
交響曲第3番以降が主なオーケストラレパートリーとなっているブルックナーの交響曲であるが、交響曲第6番だけはスパっと抜け落ちたように演奏回数は少なく、尾高自身も以前振った記憶はあるが、その時のことはもう覚えていないそうで、今年、日本のオーケストラがブルックナーの交響曲第6番を演奏するのも現時点で決まっているのは今回の大フィルの演奏会と札幌交響楽団の演奏会のみのようである。
他の交響曲に比べると特徴に欠けるという部分が大きいように思われる。
それでも尾高と大フィルは、突き抜けた青空のように爽快な演奏を展開。スケールも適度で、弦も管も力強く輝かしい。
他の交響曲に比べて魅力的ではないというのは確かかも知れないが、美しいメロディーにも溢れ、演奏機会がもっと多くてもいいような力作であった。

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