カテゴリー「フェスティバルホール」の27件の記事

2019年12月 3日 (火)

コンサートの記(611) 準・メルクル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第533回定期演奏会

2019年11月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第533回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大フィルへの客演も多くなってきた準・メルクル。

まずNHK交響楽団への客演で日本での知名度を上げた準・メルクル。日独のハーフである。おそらくN響の年末の第九で、史上初めてピリオドの要素を取り入れた演奏を行ったのがメルクルだと思われる。ハノーファー音楽院で学んだ後、チェリビダッケらに指揮を師事。タングルウッド音楽祭ではレナード・バーンスタインと小澤征爾に師事している。リヨン国立管弦楽団、MDRライプツィッヒ放送交響楽団、バスク国立管弦楽団の音楽監督を務め、2021年からはオランダのハーグ・レジデンティ管弦楽団の首席客演指揮者に就任する予定である。

 

曲目は、ドビュッシーの「子供の領分」(カプレ編曲)、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、武満徹の「夢の引用-Say sea,take me!-」(ピアノデュオ:児玉麻里&児玉桃)、シューマンの交響曲第3番「ライン」

メルクルは、リヨン国立管弦楽団と「ドビュッシー管弦楽曲全集」を、NHK交響楽団とは「ロベルト・シューマン交響曲全集」を作成しており、いずれも得意レパートリーである。

ドビュッシー、武満徹、シューマンの3人に共通しているのは、「夢」を意味するタイトルの入った曲を代表作にしていることである。武満徹は、今日演奏される「夢の引用」の他にも「夢の時」や「Dream/Window」(駄洒落のようだが夢窓疎石のこと)といった夢をタイトルに入れた曲を多く書いており、タイトルに「夢」は入っていないが実際に見た夢を音楽にした「鳥は星形の庭に降りる」という曲も有名である。
ドビュッシーは、今日演奏される「牧神の午後への前奏曲」も牧神のまどろみが重要なモチーフになっているが、ずばり「夢」というタイトルの有名ピアノ曲を書いている。
シューマンは、言わずと知れた「トロイメライ」の作者である。シューマンの名前を知らなくても、「トロイメライ」を一度も聴いたことがない人は存在しないというほどの有名曲である。

というわけで、「夢」をモチーフにしたプログラミングなのかを、開演前に大フィル事務局次長の福山修氏に聴いたのだが、そうしたことは意識していなかったそうで、メルクルの得意としているシューマンとドビュッシーの曲をというリクエストから始まったそうである。大フィルはシューマンは不得手としているためメルクルに鍛えて貰いたいという思いもあったようだ。
その後、「シューマンの交響曲だと「ライン」よりも第2番の方が夢っぽいですよね」と私が話したことから、オーケストレーションと交響曲第2番の第3楽章と第4楽章の話になったのだが、結構コアな話なので、ここに書いてもわかる人は余りいないと思われる。少しだけ書くと、シューマンの交響曲第2番が陰鬱というのは間違った評価だという話である。

 

今日のコンサートマスターは、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターでヴァイオリニストの三浦文彰の父親としても知られる三浦章宏が客演で入ったが、これが抜群の上手さであった。ソロのパートを弾き始めた瞬間に、「あ、これは上手い!」と感じるのだから半端な腕前ではない。関西は人口が多いということもあって、オーケストラも群雄割拠。コンサートマスターも名手揃いなのだが、次元が違うようである。

 

ドビュッシーの「子供の領分」(カプレ編)。原曲はドビュッシーが愛娘のシュウシュウ(本名はクロード=エンマ)のために書いたピアノ曲である。極めて描写的な「雪は踊っている」や黒人音楽の要素を取り入れた「ゴリウォーグのケーク・ウォーク」などの曲は単独でもよく知られている。ただ、個人的にはやはりオリジナルのピアノ曲版の方が好きである。オーケストラで聴くと例えば「雪は踊っている」の雪が風に舞う場面などは迫真性に欠けて聞こえてしまう。
フランス音楽は得意としていない大フィルであるが、メルクルの指揮に乗って繊細で美しい音色を紡ぎ続ける。これに小粋さが加わると良いのだが、現時点の大フィルにそれを求めるのは酷かも知れない。

 

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。フルートが鍵を握る曲であるが、冒頭のフルートは音が大きすぎる上に雑な印象。その後、メルクルが左手で何か指示を出しているように見えてからは少し安定する。ポディウム席だと指揮者が何を要求しているのかよく分かったりするのだが、フェスティバルホールはオペラ対応形式ということで、ステージ後方の席は設けられていない。そのため本当に左手でなんらかの指示を行ったのかも良くは分からない。
立体感のある音響が特徴の演奏であったが、「牧神の午後の前奏曲」としては分離が良すぎる印象も受ける。まどろみの要素が吹き飛んでしまったかのようだ。
この曲の演奏が終了した後では、多くの場合、フルートが単独で拍手を受けるのだが、今回はメルクルはオーケストラ全員を立たせて、単独で拍手を受けるシーンは作らなかった。

 

武満徹の「夢の引用-Say sea,take me!-」。1991年に初演された2台のピアノとオーケストラのための作品である。12の夢を描いたとされる作品で、ドビュッシーの「海」からのそのままの引用が印象的である。
2台のピアノを受け持つ児玉麻里と児玉桃の姉妹は、大阪府豊中市出身。幼い頃に両親と共にフランスに渡り、二人共にパリ国立音楽院に入ってピアノを専攻。姉の児玉麻里は、ケント・ナガノ夫人としても名高い。関西生まれということもあって、京阪神地域で演奏会を行うことも多い二人である。
ドビュッシーの「海」の第3楽章のタイトルは「風と海の対話」なのだが、2台のピアノもまた対話している。2台のピアノとオーケストラも対話していて、武満とドビュッシーもまた対話しているということで、音の背後で縦横無尽なやり取りが行われていることが感じ取れる。
「夢」というのが、いわゆる夜に見る夢のようなものなのか、あるいは「憧憬」として語られているのかはわからないが、後者だとしたらそれはドビュッシーに対してのものであろう。
この曲で武満が書いた旋律は、簡潔で明瞭で温かく、その後に書かれることとなる「系図~ファミリー・トゥリー」を先取りしているかのようである。特に4つの音は印象的で、武満の刻印のように聞こえる。武満が、自分が歩んで来た音楽の原点を振り返るような趣さえある。あたかもショスタコーヴィチが交響曲第15番で引用を多用したように。

児玉姉妹は、元々武器としている煌びやかな音色を生かした切れ味鋭いピアノを弾いた。

児玉姉妹のアンコール演奏は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より“金平糖の踊り”。「夢の引用」では、第1ピアノが児玉麻里、第2ピアノが児玉桃であったが、アンコールでは場所を入れ替え、原曲ではチェレスタが奏でるメロディーを第1ピアノの児玉桃が主に弾いた。

 

ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」。シューマンの4つある交響曲の中では最も人気が高く、コンサートプログラムに載る回数も多い。メルクルは暗譜での指揮である。
シューマンのオーケストレーションの弱さに関しては、彼の生前からいわれていたことであり、19世紀末から20世紀中盤に掛けては、もっとよく聞こえるようにと楽器を足したりオーケストレーションにメスを入れたりということもよくあった。ただシューマン独自の渋い響きを支持する人も多く、例えば黛敏郎などは、「あの音を出すにはあのオーケストレーションしかない」と全面的に肯定している。
フェスティバルホールは空間が広いので、シューマンの交響曲をやるには不利のように思える。スケールがやや小さめに聞こえてしまうのである。
「ライン」交響曲に描かれた滔々とした流れや、巨大な構造などをメルクルと大フィルは音に変えていく。ドイツ文学や神話、叙情詩などが音として結晶化されているのが把握出来るかのようである。
一方で、音の生命力に関してはホールがシューマンの曲には向いていないということもあって、十分に溢れているとはいえないかも知れない。
ただシューマンが曲に託そうとしていた希望は伝わってくる。

「夢だわ!」(チェーホフ 「かもめ」よりニーナのセリフ)

 

「ライン」もなんだかんだで人気曲だけに、実演に接する機会は多いが、その中でのベストはやはり一番最初に聴いたウォルフガング・サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団のものだったように思う。ドイツ精神が音と化してNHKホール一杯に鳴り響いたかのような強烈な体験であった。

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2019年12月 2日 (月)

コンサートの記(610) 以和貴会演奏会「欣求浄土~天台聲明と天王寺楽所」

2019年11月25日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、以和貴会演奏会「欣求浄土~天台聲明と天王寺楽所」を聴く。
天王寺楽所(てんのうじがくそ)は、四天王寺ゆかりの聖徳太子の時代にまで遡る歴史を誇る雅楽集団である。内裏の大内楽所、奈良の南都楽所と共に三方楽所に数えられていた。だが、明治になって三方楽所の楽師達は東京に召され、雅楽局の団員となる。雅楽局の後継団体が宮内庁式部職楽部(宮内庁雅楽部)である。このため、天王寺楽所の歴史も途絶えそうになったが、これを憂いた有志が雅亮会という団体を結成。事務所を大阪木津の浄土真宗本願寺派願泉寺に置き、天王寺楽所を名乗ることを四天王寺から許されている。平成26年に雅亮会の維持のため以和貴会が結成され、天王寺楽所の名は以和貴会の演奏時の名前となったが、この12月の頭に再統合されて、天王寺楽所雅亮会としてスタートする予定である。
事務所が願泉寺内に置かれているためか、浄土真宗本願寺派の大学で音楽学部のある相愛大学の特別受け付けが設けられていたりする。


曲目は、第1部が「欣求浄土の響」と題され、講式「順次往生講式『述意門』より」、極楽声歌「萬歳楽(只拍子)」、聖衆行道「付楽 菩薩」、舞楽「迦陵頻伽」
第2部が「念仏會」で、舞楽「振鉾(合鉾)」、聲明「引聲阿弥陀経(散華)」、雅楽「賀殿」、聲明「引聲阿弥陀経(四奉請)」、舞楽「還城楽」、退出音声「長慶子」


まず、天王寺楽舞協会常任理事で以和貴会副会長の小野真龍から本日の舞台の解説がある。第1部の前半は往生に向かう道であり、力尽きて途中で緞帳が降りる。その後は極楽の描写となり、極楽の音楽である雅楽が鳴って、迦陵頻伽達(少年達が扮する)の舞となる。

第1部前半は、舞台後方に四天王寺の鳥居と、その上に被さるような夕陽が映されている。夕陽を見ながら極楽を思い浮かべる日想観(じっそうかん)である。夕陽は徐々に沈んでいき、下にまで達したところで声歌が終わって緞帳が降りる。
舞台下手から楽師達が登場。演奏途中で、上手の者から順に緞帳の側に向き直る。全員が緞帳の側を向いたところで、緞帳が上昇。舞台背後には今度は阿弥陀来迎図が浮かんでいる。

少年達による「迦陵頻(迦陵頻伽)」の舞は可憐であった。


第2部は背後に阿弥陀如来像の絵が浮かんでいる。

鉾を持った二人の男の舞の後で、僧侶達が登場し、阿弥陀経と唱えつつ散華を行う。花は紙で出来たものを撒いているようだ。

舞楽「賀殿」。4人の男達による勇壮な舞である。舞人達は戻る時に一人一人阿弥陀如来を見上げてから立ち去っていった。
終わった後で、今のことが全て夢だったかのような不思議な感慨にとらわれる。

再び僧侶達による阿弥陀経が唱えられた後で、今度は仮面を被った男による豪快な舞「還城楽」が行われる。とぐろを巻いた蛇を手にしての舞であり、蛇は迦陵頻伽を舞っていた少年の一人が手渡す。おそらく音楽の神様である弁財天とも関係があるのだろう。
同じ古代の舞踏をモチーフにしているためか、音やリズムがストラヴィンスキーの「春の祭典」を連想させるようなものであるのも面白い。
舞は3部に分かれ、徐々に楽器の厚みが増していく。第3部の重厚な音楽は黛敏郎の「舞楽」に近い迫力を持つ。
さて、舞人はステージ下手手前の仮花道から退場するのであるが、仮面をつけているため前がよく見えず、壁に激突するなどかなり危なっかしい。

最後は、「長慶子」。夢枕獏の『陰陽師』でもお馴染みの源博雅が作曲したという華やかな曲である。

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2019年11月14日 (木)

日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスク@フェスティバルホール

2019年11月6日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクの公演を観る。

ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクは、1953年7月1日に作曲家で教育者、更に作家でもあったスタニスワフ・ハディナによって設立された民族舞踊団。100人を超えるメンバーがいるというが、そのうちの54名が今回来日し、日本各地で公演を行う。合唱団、舞踊団、オーケストラから成る団体だそうだが、今回はオーケストラなしでの上演(録音音源だと思われる)。シロンスクは、現在はポーランドとシロンスク県(県都は、ポーランド国立放送交響楽団の本拠地としても知られるカトヴィツェ)の共同運営となっているそうだ。

まずスクリーンにポーランドとポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクの紹介映像が映される。その後、ポーランド広報文化センター職員でピアニストの栗原美穂がポーランド民族衣装を纏って登場し、進行役を務める。

その後、いかにも東欧といった感じの舞踊が繰り広げられるのだが、「シュワ・ジェヴェチカ(森へ行きましょう)」が日本語で歌われるなど、サービス精神にも富んでいる。

シロンスクは、ポーランドの民族衣装2万点以上を保有しているそうで、今回も多くの民族衣装を披露すべく、ダンサーは平均して公演中に10回近く着替えるそうである。

民族舞踊に関しては特に知識もないので見所なども上手くは語れないが、やはり下半身の強靱さは目立つ。隣国ロシアのコサックダンスのような足の動きもあるのだが、器用に軽々とこなせるのは足腰の強さあってこそだろう。そしてバレエでもそうだが、男性のダンサーはやはり日本人とは比べものにならないほど体格が良く、動きがダイナミックである。女性ダンサーも日本人よりプロポーションは良いが、圧倒的といえるほどの差はないように思われる。スポーツでも女子選手は世界の強豪国と互角以上に戦える種目が多いが、男子の場合はお家芸とされる種目以外ではまず勝てない。身体能力においては日本人男性は不利だ。

ポーランドが生んだ最大の作曲家が、フレデリック・フランソワ・ショパンである。ショパンは父親がフランス人、母親がポーランド人のハーフであり、生涯の半分近くをパリで過ごしたため、純粋なポーランドの作曲家とはいえないのかも知れないが(フランス系であったがために青春期に失恋したこともあるようだ)ポロネーズやマズルカといった祖国の舞曲をピアノ曲にしており、愛国心においては祖国の人々に劣ってはいなかったと思われる。

そのポロネーズやマズルカの踊りも当然ながら行われる。ピアノ曲でしか知らない舞曲が実際にどのように舞われるのか興味があったが、リズムの意味が舞踊を見ているとよく分かる。特にリズムにステップが大きく影響していることが見て取れる。

曲芸的な舞やユーモアを取り入れた表現、舞と合唱のコラボや、合唱のみで聴かせる場など、思った以上にバラエティーに富んだ構成であった。

アンコールとして、ラストに踊られた「クラコヴィアク」が再度披露され、その後、スクリーンが下りてきて、シロンスクの出演者達が中島みゆきの「時代」を歌う。スクリーンには「皆さまもご一緒にお歌い下さい」と出て歌詞が投影され、ポーランド人出演者と日本人聴衆による合唱が行われる。大阪の聴衆の良いところは、こうした場面でちゃんと歌ってくれることである。仕事のため行けなかったが、今月2日にはロームシアター京都メインホールでの公演もあった。京都のお客さんはちゃんと歌ってくれただろうか。

同じ歌を歌っただけで本当に心が通じ合えたかどうかはわからない。ただやはりこうした経験は心を温かくしてくれるし、短い時間であっても一体感を得たことで少しだけ優しくなれたようにも思う。

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2019年10月30日 (水)

コンサートの記(602) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第532回定期演奏会

2019年10月25日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第532回定期演奏会を聴く。今日の指揮は音楽監督の尾高忠明。

10月から11月にかけて、大阪府内に本拠地を置く4つのプロオーケストラによる共同企画「とことんリヒャルト・シュトラウス」が開催され、それぞれのオーケストラがリヒャルト・シュトラウスの楽曲を組み入れた演奏会を行うが、今回の大フィルの定期演奏会もその内の一つであり、オール・リヒャルト・シュトラウス・プログラムによる演奏が行われる。

曲目は、「13管楽器のためのセレナード」、オーボエ協奏曲(オーボエ独奏:フィリップ・トーンドル)、交響詩「死と変容」、「四つの最後の歌」(ソプラノ独唱:ゲニア・キューマイヤー)。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。

 

「13管楽器のためのセレナード」。リヒャルト・シュトラウスがわずか18歳の時に書いた出世作である。編成は、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ホルン4、ファゴット2、そして本来はコントラファゴットが入るが、今回はコントラファゴットの代わりにコントラバスを入れての演奏となる。
楽器の選び方からして渋いが、内容も18歳の少年が書いた思えないほどの成熟感があり、後に開化するリヒャルト・シュトラウスの才能の萌芽をすでに感じ取ることが出来る。

 

オーボエ協奏曲。独奏者のフィリップ・トーンドルは、1989年生まれの若手オーボエ奏者。フランスのミュルーズに生まれ、フランス国立ユース・オーケストラやグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラに参加し、パリ国立高等音楽院在学中の18歳の時にシュトゥットガルト放送交響楽団(SWR交響楽団)の首席オーボエ奏者に就任。現在は、SWR響とヨーロッパ室内管弦楽団の首席オーボエ奏者とフィラデルフィア管弦楽団の首席客演オーボエ奏者を兼任している。ザール音楽大学の教授でもある。2011年のミュンヘン国際音楽コンクール・オーボエ部門で優勝。翌年にはボン・ベートーヴェン音楽祭でベートーヴェン・リングを授与された。

チェロが奏でる葉ずれのような囁きに始まり、オーボエがこの世を賛美するかのような音楽を生み出していく。リヒャルト・シュトラウスが81歳の時の曲であり、若い頃は自画自賛をすることの多かったこの作曲家が、晩年に至って世界そのものの美しさに感謝を捧げているような境地に入ったことを示しているかのようである。
トーンドルのオーボエは伸びやかな美しさが特徴。また身振りが大きい。昔、宮本文昭がJTのCM(1996年までは煙草のテレビCMはOKだったんですね)で体をくねらせながらドビュッシーの「ボヘミアン・ダンス」を吹いていたが(CMディレクターの要望によるものだったそうである)それを連想してしまった。

アンコールとしてトーンドルは、ブリテンの「オウディウスによる6つの変容」を演奏する。伸び伸びと吹いた後で、ラストを付け足しのように表現し、笑いを誘っていた。

 

交響詩「死と変容」。オーケストラのパワーがものをいうリヒャルト・シュトラウス作品。大フィルは馬力十分で、弦の輝かしさにも惹かれるが、強弱の細やかさは今ひとつであり、雑然とした音の塊に聞こえる箇所もあった。ただリヒャルト・シュトラウスの魔術的なオーケストレーションを存分に引き出した場面もあり、プラスマイナス0という印象も受ける。

 

「四つの最後の歌」。リヒャルト・シュトラウスの最高傑作の一つに数えられる作品で、最晩年の84歳の時に書かれている。「春」「九月」「眠りにつくとき」の3曲はヘルマン・ヘッセの詩に、最後の「夕映えに」はヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフの詩に曲をつけたものである。

ソプラノ独唱のゲニア・キューマイヤーは、ザルツブルク生まれ。今回が初来日で、アジア来訪自体が初めてだという。モーツァルティウム音楽院で学び、ウィーン国立歌劇場に所属して、「魔笛」のパミーナ役でデビュー。ミラノ・スカラ座、英国ロイヤルオペラ、パリ・オペラ座、バイエルン州立歌劇場など多くの歌劇場でキャリアを積み重ねている。

キューマイヤーの声質は輝かしいというよりも落ち着いたリリカルなもので、「四つの最後の歌」の歌詞を表現するのに優れている。オペラ歌手というよりもドイツ・リートなどに相応しい声のように思えるが、曲に合わせて変えているのだろうか。

尾高と大フィルは「九月」におけるノスタルジア、「夕映えに」での幾層ものグラデーションによる揺れるような響きの表出が見事であった。

 

一昨年はベートーヴェン交響曲チクルスを行い、今年はブラームス交響曲チクルスが進行中の尾高と大フィルであるが、来年度も大型企画が予定されており、1ヶ月ほど先に発表になるという。尾高忠明といえば、現在、日本におけるシベリウス演奏のオーソリティであるため、シベリウス交響曲チクルスだと嬉しく思う。大フィルは史上まだ1度もシベリウス交響曲チクルスを行ったことはないはずである。集客を考えるとロベルト・シューマン交響曲チクルスの方が人を呼べる演目だが、それだと守りに入ったように見えてしまう。
シベリウスがいい。

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2019年8月13日 (火)

コンサートの記(585) グスターボ・ヒメノ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第490回定期演奏会

2015年7月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第490回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はスペイン出身の若手、グスターボ・ヒメノ。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席ティンパニ奏者を経て指揮者となったヒメノ。この秋にはそのロイヤル・コンセルトヘボウ楽団を率いて来日ツアーも行う。
生年などは定かでないか、2001年にロイヤル・コンセルトヘボウの首席ティンパニ奏者に就任。その後、アムステルダム音楽院で指揮法を習い、指揮者としての活動を開始。マリス・ヤンソンスの下でロイヤル・コンセルトヘボウ管の副指揮者を務め、2013年にはクラウディオ・アバドの下でモーツァルト管弦楽団、ルツェルン祝祭管弦楽団、マーラー・チェンバー・オーケストラの各楽団の副指揮者の座を担った。今年の9月からはルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する予定である。

曲目は、レブエルタスの「センセマヤ」、アンドレ・プレヴィンのチェロ協奏曲(日本初演。チェロ独奏:ダニエル・ミュラー=ショット)、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」、レナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”
全て20世紀以降に書かれた作品であるが、いわゆる現代音楽の範疇からは外れた作品が並ぶ。アンドレ・プレヴィン、レナード・バーンスタインという指揮者兼作曲家の作品が並ぶのも特徴である。

今日のコンサートマスターは首席コンサートマスターの田野倉雅秋。

今日は1階の前から2列目上手端の席。管楽器の奏者はチェロ奏者達の陰になって顔がほとんど見えない。大抵のホールではステージに近すぎる席だと直接音と残響のバランスが悪くなるのだが、新しくなったフェスティバルホールは音が上に抜けやすいということもあってか、なかなか良い音で聴くことが出来た。

レブエルタスの「センセマヤ」。シルベストレ・レブエルタスはメキシコ生まれの作曲家だそうで、メキシコ・シティでヴァイオリンを学んだ後でアメリカに渡り、テキサスのオーケストラではコンサートマスターも務めたという。その後、祖国に帰り、メキシコの民族色の濃い作品を作曲しているという。「センセマヤ」はスペイン内戦を題材にした作品であり、「殺せ! 殺せ!」というメッセージを込めたというおどろおどろしい作品である。おそらく5拍子が主体だと思われるが独特のテンポの中で熱い音楽が築かれていく。今日の大フィルの音色はスマート。ヒメノの指揮は端正にして知的コントロールの行き届いたものである。
ちなみにレブエルタスの「センセマヤ」の世界的な紹介を行ったのはレナード・バーンスタインだそうである。


アンドレ・プレヴィンのチェロ協奏曲。NHK交響楽団の名誉客演指揮者としても知られるアンドレ・プレヴィン。映画音楽の作曲家としてスタートし、ジャズの作曲家兼演奏家を経てクラシックの指揮者となり、クラシック作品の作曲も手掛けるようになったという多彩な人である。イギリス王室からナイトに叙されているが、ドイツ&アメリカ国籍であるため「サー」を名乗ることは許されていない。
チェロ独奏のダニエル・ミュラー=ショットは、1976年、ミュンヘン生まれの若手チェロ奏者。ハインリヒ・シフやスティーブン・イッサーリスに師事し、世界中でチェリストとして活躍。ミュラー=ショットのチェロを聴いたプレヴィンは強い感銘を受け、ミュラー=ショットのためのチェロ協奏曲を書いた。それが今日演奏される本作である。2011年6月9日に、作曲者指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の伴奏、ミュラー=ショットのチェロ独奏で世界初演が行われている。。今回は世界初演者のチェロによる日本初演である。

3つの楽章からなるが、いずれもまずチェロが飛び出し、それをオーケストラが追うという形になる。ミュラー=ショットのチェロは磨き抜かれた音を発し、琥珀のような独特の輝きで響く。
第1楽章はポピュラー音楽のような快活さを持ち、第2楽章はメランコリック、第3楽章は伸びやかである。良い意味で映画音楽的なメロディアスな旋律を持つ曲である。ヒメノ指揮の大フィルは旋律を良く歌ったが、あるいはもっと渋い音楽作りを持ち味とする指揮者が振ったら全く印象の異なる曲になったかも知れない。

ミュラー=ショットはアンコールを2曲弾く。まずブリテンの無伴奏チェロ組曲第2番より“デクラマート”。ブリテンの無伴奏チェロ組曲はJ・S・バッハのそれの陰に隠れて知名度が上がらないが佳曲揃いであり、“デクラマート”も優れた曲と演奏であった。続いてはツィンツァーゼ(後で調べたところ、ソ連時代のグルジア=現・ジョージアの作曲家だという)の「チョングリ」.。全編ピッチカートによるリズミカルな小品である。


ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。大フィルのパワーが前面に押し出された力強い演奏。それでいて洗練されている。弦も管も力強いがバランスは取れており、ヒメノの旋律の歌わせ方はお洒落だ。極めて都会的な演奏であり、カオス的な部分を隠すことなくエレガントにまとめ上げるという秀逸な出来だ。アメリカ的な開放感よりも、パリのエスプリがより強く出されており、「『パリ』のアメリカ人」という印象を受ける。


レナード・バーンスタインの「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”。ショーピースとしてよく取り上げられる曲目であるが、実は大阪フィル事務局次長の福山修氏によると、大フィルがこの曲を演奏するのは意外にも今日が楽団史上初になるのだという。朝比奈隆にレナード・バーンスタインの曲は似合わないのでそれは納得出来るが、晩年のレナード・バーンスタインに最も可愛がられた指揮者の一人であった大植英次も大阪フィルではこの曲を取り上げていないようだ(確かに大植指揮の定期演奏会でこの曲を聴いた覚えはないが)。ちなみに大植英次は、バーンスタイン最後の来日となった1990年のロンドン交響楽団とのツアーに同行しており、東京公演では、体調不良のバーンスタインに代わって「ウエストサイド物語」より“シンフォニック・ダンス”1曲のみを指揮している。しかし指揮者の変更が発表されたのが公演当日。しかも当時の大植は全くの無名の存在。ということで、指揮者の交代を不服とした聴衆が終演後もホールに残ってコンサート主催者であった野村證券をつるし上げるという事件が起こっている(野村・バーンスタイン事件)。コンサートの当日にバーンスタインは吐血したことがわかっており、リズミカルな曲の指揮は不可能であったのだが、それは様々な理由から明らかにされなかった。そのため大植もこの曲に良い思い出がないのかも知れない。
“シンフォニック・ダンス”を演奏するのは始めとだという大フィルであるが、この曲を演奏するのに必要なリズム感とスウィング感は完璧にものにしており、楽しさ抜群の演奏となる。力強さだけではなく、リリカルな部分の表現力にも長けている。

この秋のコンセルトヘボウ管との来日ツアーの名刺代わりとして十分な実力を披露したヒメノであった。

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2019年8月10日 (土)

コンサートの記(584) 大阪新音 三ツ橋敬子指揮大阪フィルハーモニー交響楽団ほか モーツァルト 「レクイエム」(バイヤー版)

2019年7月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪新音によるモーツァルトの「レクイエム」を聴く。三ツ橋敬子指揮大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪新音フロイデ合唱団の演奏。ソリストは、ソプラノに並河寿美、メゾソプラノに福原寿美枝、テノールに二塚直紀、バリトンに三原剛と関西の実力派が揃った。

前半がグリーグの組曲「ホルベアの時代から」(ホルベルク組曲)、後半がモーツァルトの「レクイエム」というプログラム。モーツァルトの「レクイエム」は、ジュースマイヤー版ではなく、フランツ・バイヤーが1971年に補作したバイヤー版を用いての演奏である。現在では様々な補作のあるモーツァルトの「レクイエム」であるが、バイヤー版はジュースマイヤー版の和声やオーケストレーションを手直しした版であり、他の版のように大きく異なるということはないため、ジュースマイヤー版以外では最も演奏される機会が多く、録音も様々な組み合わせによるものが出ている。


大阪フィルには大植英次が特注で作らせたという、通常よりも高めの指揮台があるのだが、三ツ橋敬子も身長151cmと小柄であるため、大植用の指揮台が用いられる。
今日の大フィルのコンサートマスターである須山暢大は長身であるため、横に並ぶと三ツ橋が余計に小さく見える。


グリーグの組曲「ホルベアの時代から」。北欧の音楽だけに澄み切った響きが欲しいところだが、大フィルの弦楽の響きは渋め。三ツ橋はスプリングの効いた音楽を指向しているように思われたが、弦楽が今ひとつ乗り切れない。
第4曲の「エア」などは敬虔な響きが良かったが、他の曲は重めで、昔からの大フィルの弱点が出てしまっていたように思う。


モーツァルトの「レクイエム」。字幕付きでの上演である。
大阪新音フロイデ合唱団は大編成ということで、大フィルもフルサイズに近いスタイルでの演奏。フェスティバルホールでの演奏ということでピリオドはほとんど意識されていない。ただ時折、モダンスタイルとは違った弦楽の透明な響きが聞こえたため、要所要所ではHIPを援用しているようだ。

大空間のフェスティバルホールでの大編成での合唱ということで、最初のうちは声が散り気味に聞こえたが、そのうちに纏まりが出てくる。臨時編成のアマチュア合唱団による一発本番だけに、最初から上手くはなかなか行かないだろう。メンバーの平均年齢が高めであるため、声が乾き気味でもある。ただ「怒りの日」などでの迫力はなかなかのものだ。

三ツ橋は自分の色を出すよりも音符そのものに語らせるというスタイルを取っており、モーツァルトと弟子のジュースマイヤーの書いた音楽の良さがそのまま伝わってくる。比較的速めのテンポによるキビキビとした演奏であり、モーツァルトの特長である推進力も巧みに表現されていた。大編成の合唱であるが飽和はさせないという手綱さばきも上手い。ドイツものということで、大フィルも最上のスタイルを見せる。

バイヤー版であるが、モーツァルトの絶筆とされる「ラクリモーサ」のその後の展開などに賛否両論がある。ただモーツァルトは「レクイエム」を作曲途中で他界してしまったため(オーケストレーションも含めて完全に仕上げることが出来たのは第1曲のみである)、モーツァルトの真作による「レクイエム」を聴くには、なんとかしてモーツァルトを生き返らせねばならないわけで、それは不可能。ということで、誰が補作しても完全に納得のいく作品になるわけはなく、そういうものとして受け取るしかないであろう。

打率は高いが大当たりは少ないというタイプの三ツ橋であるが、「レクイエム」は大フィルの威力も相まって彼女としても上の部類に入る出来だったと思う。

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2019年7月25日 (木)

コンサートの記(579) ラドミル・エリシュカ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第489回定期演奏会 ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」

2015年6月9日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第489回定期演奏会を聴く。今日の指揮はチェコの名匠、ラドミル・エリシュカ。
ドヴォルザークの大曲、「スターバト・マーテル」1曲勝負である。

滅多に演奏されないドヴォルザークの「スターバト・マーテル」。私も生では一昨年の夏に広上淳一指揮京都市交響楽団ほかの演奏で聴いたことがあるだけである。録音点数も少ない。

4人の独唱者と合唱を伴う大編成の曲である。独唱は、ソプラノ:半田実和子、アルト:手嶋眞佐子(てしま・まさこ)、テノール:望月哲也、バス:青山貴(あおやま・たかし)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指揮:福島章恭)。
大阪フィルハーモニー合唱団はアマチュアの団体であるが、大阪フィルハーモニー交響楽団専属の合唱団として1973年創立という歴史ある団体であり、朝比奈隆、大植英次らにも鍛えられた高度な合唱力を持つ団体である。客演合唱指揮の福島章恭(ふくしま・あきやす)は東京を本拠地にしている合唱指導者であり、また音楽評論家としても活躍している。

1931年生まれのラドミル・エリシュカ。元々は音楽院での後進育成に重点を置いていた指揮者であるが、札幌交響楽団に客演して大好評。2008年に同楽団の首席客演指揮者に就任し、今年からは札響の名誉指揮者となっている。大阪フィルにも客演して名演を展開。その他にもNHK交響楽団や読売日本交響楽団に客演している。読売日本交響楽団の大阪定期演奏会のタクトも任され、私もザ・シンフォニーホールで聴いたが、大フィルとの方が相性は良さそうであった。
札幌交響楽団とはライブCDも作成しており、スメタナの連作交響詩「わが祖国」やドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は名盤である。
エリシュカと大フィル、大フィル合唱団はヤナーチェクの「グレゴル・ミサ」を演奏して超名演を展開しただけに期待が高まる。

なお、エリシュカは英語が敵性言語として学ぶことが禁止されていた時代のチェコスロヴァキアで青年期を送っており、英語は話すことが出来ず、チェコ語とドイツ語のチャンポンでリハーサルを行うため、通訳を通す必要があるとのことである。
字幕付きでの演奏。大フィルの今日のコンサートマスターは崔文洙。

大フィルの弦は憂いに満ちた響きを出し、エリシュカの実力の高さが窺われる。エリシュカの音楽作りの特徴として低弦をしっかり弾かせてベースを築くということが挙げられる。ドイツ的な発想であり、音全体の重厚感が増す。木管も快調であったが、金管はちょっとギクシャクした印象。先週、北ドイツ放送交響楽団の金管を聴いたばかりで、無意識に比較してしまうのかも知れない。
独唱者はドラマティックな旋律を受け持っており、4人とも優れた歌唱を聴かせる。大阪フィルハーモニー合唱団も安定感がある。

宗教音楽1曲の演奏会を聴くという行為は、コンサートに行くというより儀式に参加しているというイメージに近い。宗教音楽であるため「とても楽しい」という曲は余りない。楽しい音楽は宗教音楽としては俗にすぎるのだ。
また、聴くというより心や鼓膜が浄められるような気分になる。今回の定期演奏会と大フィルのその他の演奏会とでは趣が異なる。

宗教曲というと、やはり、J・S・バッハが偉大であり、彼の音楽に学んだり影響を受けたりということは避けることが出来ない。「スターバト・マーテル」にも大バッハの音楽のような部分もいくつかある。ドヴォルザークの個性は旋律よりも和音に出ており、「これはチェコ音楽だ」とすぐわかるような響きがしていた。

今日私が座った席からはエリシュカの指揮は余り良く見えなかったのだが(特に右手に持った指揮棒が)、端正で、時に左手で指揮棒を逆さに持ち、右手だけの指揮をする。また、指揮棒を右手に持っている時の左手も雄弁である。ディミヌエンドを左手で操る様は見事であった。指揮棒を譜面台に置いてノンタクトで指揮するときは左手主導という特徴もあった。

演奏終了後、エリシュカは喝采を浴びる。エリシュカはオーケストラメンバーも立たせようとしたが、エリシュカに敬意を払って立とうとせず、エリシュカ一人が指揮台の上で再度拍手を受けた。
エリシュカは独唱者一人一人と握手とハグを交わし、大阪フィルハーモニー合唱団のメンバーにも盛んに拍手を送った。

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2019年7月 7日 (日)

コンサートの記(570) billboard classics 「KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2019 THE EURASIAN RENAISSANCE “ロマーシカ” into the GOLD」大阪公演 2019.6.27

2019年6月27日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、billboard classics「KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2019 THE EURASIAN RENAISSANCE "ロマーシカ" Into the GOLD」を聴く。長いタイトルだが、要するに玉置浩二とオーケストラとの共演である。

ゴールデンウィークに、奈良・薬師寺の特設会場で西本智実指揮イルミナート・フィルハーモニーオーケストラと玉置浩二の共演も聴いているが、当日の薬師寺は雨で気温も低め、ということでレインコートを羽織っての参加となったが耐久レース状態でもあった。もっと集中して音楽を聴きたいということでフェスでのコンサートのチケットも取った。指揮が何度も実演に接している湯浅卓雄だったということもある。
大阪公演で共演するのは大阪フィルハーモニー交響楽団。コンサートマスターは田野倉雅秋である。

今回のツアーは、24日に福岡サンパレスでスタート。福岡公演(ビルボードクラシックオーケストラ)と大阪公演、札幌のニューホールであるhitaru(札幌交響楽団の演奏)、東京芸術劇場コンサートホール(東京フィル・ビルボードクラシックオーケストラと東京フィルハーモニー交響楽団が1日ずつ演奏を行う。両者は同一団体)、横浜の神奈川県民ホールでの公演(東京フィルハーモニー交響楽団)は湯浅卓雄が指揮、さいたま市の大宮ソニックシティでの公演(東京フィル・ビルボードクラシックオーケストラ)は円光寺雅彦が指揮を務め、改修を終えたばかりの名古屋・愛知県芸術劇場大ホールでの演奏会(ビルボードクラシックオーケストラ)では柳澤寿男がタクトを執る。その後に特別公演があり、玉置はデイヴィッド・ガルフォース指揮ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》と共演する予定である。メインのタイトルとなる「ロマーシカ」は、ロシアの国花だそうである。

ちなみに、ロシア国立交響楽団《シンフォニック・カペレ》は、スヴェトラーノフ記念となっているいわゆるロシア国立交響楽団のことではなく、かつてロジェストヴェンスキーの手兵として知られたソビエト国立文化省交響楽団の現在の名称である。

今日の指揮者である湯浅卓雄は、1949年大阪府生まれ。枚方市と寝屋川市の境付近に生まれ、区画整理によって寝屋川市になった場所で生まれ育ったが、代々枚方の家系だそうで、枚方への思い入れをコンサート会場で語ったこともある。同志社香里高校卒業後に渡米、シンシナティ大学音楽院で作曲を専攻し、その後、ヨーロッパに渡ってウィーン国立音楽大学で指揮を学ぶ。NHK交響楽団名誉指揮者として知られたロヴロ・フォン・マタチッチのアシスタントとしても活躍。日本では1984年から5年間、群馬交響楽団の指揮者を務めているが、それ以外はヨーロッパでキャリアを築いている。イギリス・北アイルランドのアルスター管弦楽団首席客演指揮者時代にNAXOSレーベルと専属契約を結び、次々と新譜をリリースして日本でも知られるようになり、「頭脳流出」「逆輸入型」とも呼ばれていたマエストロである。21世紀に入ってからは在阪オーケストラへの客演も増え、センチュリー響とはブラームスとロベルト・シューマンの交響曲全集をリリースして好評を得ている。
今月29日にさいたま市大宮で予定されている玉置浩二の公演の指揮は円光寺雅彦に譲り、湯浅は30日に大阪フィルを指揮してベルリオーズの大曲「レクイエム」を上演する予定。フェスティバルホールの2700席はすでに完売である。

湯浅はずっと海外で活動していたため、玉置浩二のことは名前しか知らなかったそうである。

 

今日は2階5列目の24番という中央に近い場所での鑑賞。クラシックなら最上の音のする席の一つだと思われるが、プラグインでの公演なので状況が異なるかも知れない。

 

オーケストラとの共演で聞き映えのする作品ということで、バラードが中心であり、オーケストレーションが必要ということもあってか、薬師寺での公演と重なる曲も多い。

湯浅と大フィルによる「歓喜の歌」(管弦楽版)でスタート。その後、玉置が拍手を受けて登場し、「キラキラニコニコ」で歌が始まる。
「いつもどこかで」、「ぼくらは」、「MR.LONELY」~「プレゼント」~「サーチライチ」のメドレーを挟んで、「ロマン」、「FRIEND」で第1部が終了。
第2部は、湯浅と大フィルによるハチャトゥリアンの「スパルタクス」第2組曲より“スパルタクスとフリーギアのアダージョ”とスタートし、「GOLD」、「行かないで」、「JUNK LAND」、「ワインレッドの心」~「じれったい」~「悲しみにさよなら」のメドレーに続いて「夏の終わりのハーモニー」で本編が終わる。

 

フェスティバルホールでポピュラー音楽を聴くのは久しぶりということもあり、マイクにエコーが掛かりすぎているような気もしたが、ポピュラーとしてはこれが普通の音響なのかも知れない。
クラシック対応のフェスティバルホールということで、玉置が終盤に連続して行ったマイクなしでの歌唱もよく響く。ちなみに薬師寺でも同様のことを行っていたが、野外なので声が余り届かなかった。薬師寺では奉納演奏会の意味もあったが、やはりコンサートは優れた音響を持つ会場で行った方が良い。

「Mr.LONELY」、「FRIEND」、「行かないで」という染みる系の歌を再び聴けたのは嬉しいし、子供の頃に聴いた「ワインレッドの心」や「悲しみにさよなら」をオーケストラ伴奏で再度味わうことが出来たのは貴重な体験である。台風が近づき、大阪はG20でいつもとは違う表情を見せているという状況もあったが、ドラマティックな歌唱が胸に響く。いや、玉置浩二の歌は耳や心だけでなく、全身で聴くものなのだろう。安易に「感動」と言ってしまってはいけないのかも知れないが、体全体が揺さぶられるような感覚に何度も陥った。

玉置浩二は、ゴールドリボン募金の呼びかけ人ということで「夏の終わりのハーモニー」では歌詞の一部を「ゴールドリボンに」に変えて歌う。

 

「夏の終わりのハーモニー」が終わった後、玉置浩二と湯浅卓雄は腕を組んで至近距離で向かい合い、「さあ、これからどうする?」というポーズを見せる。無論、アンコールはあるのだが、ポーズである。

まず、湯浅と大フィルがベートーヴェンの交響曲第6番「田園」第1楽章を演奏。旋律の所々が玉置浩二の「田園」に置き換わる。玉置が登場して、「田園」の熱唱スタート。聴衆も全員が手拍子で盛り上げ、一体となる。玉置浩二は、サビの部分を「愛はここにある。大阪にある」に変えて歌い、1階席は総立ちの聴衆が大歓声を送った。

この曲で終わりでも良かったのだが、アンコール2曲目として「メロディー」が歌われる。玉置はこの曲もラストはマイクなしで歌った。

満面の笑顔を見せた玉置浩二は、最後はエアハグ(なのかな? 自分を抱く格好をする)などを行い、喝采と興奮の中、ステージを後にした。

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2019年7月 1日 (月)

コンサートの記(568) ヨエル・レヴィ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第529回定期演奏会

2019年6月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第529回定期演奏会を聴く。今日の指揮はヨエル・レヴィ。

1988年から2000年まで務めたアトランタ交響楽団の音楽監督時代に脚光を浴びたヨエル・レヴィ。21世紀に入ってからはレコーディングの機会に恵まれないということもあって注目度はやや落ちた感じだが、昨年の京都市交響楽団への客演した際の演奏などから確かな実力の持ち主であることが分かる。
現在は韓国のKBS交響楽団の音楽監督兼首席指揮者として活躍している。
大フィルへの客演はこれで3度目となるレヴィ。日本から近い場所に拠点を持っているということもあって今後も日本のオーケストラに客演してくれそうである。東京のトップオーケストラは無理かも知れないが、日本の地方のオーケストラのシェフになればかなりの評判を呼びそうな気もする。

曲目は、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」、ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」とシンフォニエッタという、チェコ繋がりのプログラムである。

 

今日はいつもと異なり、アメリカ式の現代配置での演奏。京響での演奏会の時もそうだったので、レヴィはこの配置を好むようだ。 今日のコンサートマスターは田野倉雅秋、フォアシュピーラーに須山暢大。

 

モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。レヴィが持ち込んだ譜面での演奏だそうである。バロック・ティンパニを使用し、大きめの編成ながらHIPを駆使した演奏だが、序奏の部分はかなり遅め。ピリオドはテンポを速めにするのが特徴の一つなので、それに反した個性的な演奏である。主部に入るとアッチェレランドしていき、爽快さが加わる。
弦の音がとにかく美しいのが印象的。レヴィはユダヤ人だが、ユダヤ人は昔から美音を特徴とする弦楽奏者を数多く輩出している。また、ユダヤ人のメンバーが多いイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団も結成当初から弦楽の美しさを最大の売りとしてきた。そうしたことから考えると、やはり、ユダヤ人は弦楽の音への感度が他の民族に比べて高いのだと思われる。あたかも往時のプラハの街の空気まで運んできたかのような雅やかな美演であった。

 

ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」。
1970年代後半から1980年代前半に掛けて、チャールズ・マッケラスが行ったレコーディングの数々によって世界的な知名度が上がったレオシュ・ヤナーチェク。ボヘミアではなくモラヴィアの出身であり、モラヴィアの民族音楽研究に取り組み、人生の大部分をモラヴィアの中心地であるブルノで過ごしたというローカルな背景もあって個性的な作風で知られる。マッケラス以外では、やはりチェコの指揮者達が多くの録音を残している。

狂詩曲「タラス・ブーリバ」は、ゴーゴリの小説を元にした管弦楽曲である。
レヴィ指揮の大阪フィルは、描写力に富んだ演奏を展開。力強さ鋭さなどが印象的である。チェコの作曲家の中でも異色とされるヤナーチェクだが、英雄を題材にした楽曲ということもあって、スメタナやドヴォルザークの交響詩に似た部分もある。

 

ヤナーチェクのシンフォニエッタは、村上春樹の小説『1Q84』によって有名となった(書店の『1Q84』売り場ではシンフォニエッタのファンファーレの部分が延々と流れていたりした)が、それ以前からヤナーチェクの楽曲の中では最も取り上げられる機会の多い作品であった。多くの金管奏者を必要とする特殊な編成の楽曲であり、今日もフェスティバルホールのステージ最後部に金管奏者が横一列に並ぶという、抜群の視覚効果を生み出している。
フェスティバルホールも再建なってから6年が経ったが、当初に比べて音の通りが良くなっているようであり、シンフォニエッタでも優れた音響が聴かれる。
レヴィの生み出す音楽はスケールが大きく音圧も高いが、程良い抑制が効いており、最大音響でもうるさくなることはない。
弦の響きの美しさに加え、管楽器の輝かしさも加わり、大フィルの現時点での最高レベルの音楽が鳴り響く。
ヤナーチェクだけでなく、スメタナやドヴォルザークもそうだが、チェコの音楽は意図的に格好悪い要素を加えたり、洗練度を敢えて下げることによって生まれる「味」のようなものを重視している部分が演歌に通じているように思う。スメタナの「モルダウ」の合唱版やドヴォルザークの「家路」などが日本で好んで歌われるのもそうした理由なのかも知れない。

 

実は先月のデュトワ指揮の定期演奏会が満員になった揺り戻しがあるそうで、今日は空席が目立っていたが、レヴィと大フィルを盛大な拍手が称える。最後はレヴィがコンサートマスターの田野倉の手を引いて退場し、演奏会はお開きとなった。

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2019年6月10日 (月)

コンサートの記(561) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第528回定期演奏会1日目&2日目

5月23日と24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

5月23日

午後7時から、大阪・中之島のフェルティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第528回定期演奏会を聴く。今回の指揮者はシャルル・デュトワ。現在、NHK交響楽団の名誉音楽監督の称号を得ているが、例の騒動によって恒例になっていたNHK交響楽団の12月定期への出演などが流れ、結果として大フィルへの客演が実現したのだと思われる。

シャルル・デュトワは1936年生まれ。ズービン・メータやエリアフ・インバルと同い年となり、この年は指揮者の当たり年のようだ。小澤征爾は1935年生まれで1つ年上、ネーメ・ヤルヴィが1937年生まれで1つ年下という世代である。
スイス・フランス語圏のローザンヌで生まれ育ち、生地とジュネーヴの音楽院でアンセルメらに学ぶ。タングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュにも師事している。1964年にベルン交響楽団を指揮してデビュー。ヘルベルト・フォン・カラヤンに認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者に指名されるが、コンサート指揮者になりたいという希望があったため断っている。
1970年に読売日本交響楽団を指揮して日本デビュー。会場は当時のフェスティバルホールであり、聴衆からも楽団員からも極めて高い評価を受けている。
1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任。当初はさほど期待されていなかったようだが、瞬く間に同交響楽団を世界レベルにまで押し上げて関係者をあっといわせる。1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任。1998年には初代音楽監督に昇進し、2003年まで務めている。1991年から2001年まではフランス国立管弦楽団の音楽監督も兼務し、北米、アジア、ヨーロッパの三大陸にポストを持つなど多忙を極めた。1996年のゴールデンウィークにフランス国立管弦楽団を率いてサントリーホールで公演を行っているが、それが私にとって初の来日オーケストラに接する機会となった。

 

演目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲、ベルリオーズの幻想交響曲。デュトワの十八番を並べたプログラムとなっている。
デュトワ指揮の「ダフニスとクロエ」は、NHK交響楽団の定期演奏会で全曲を聴いている。上演中に震度3の地震が起こったことでも思い出深い演奏会である。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。第2ヴァイオリンは今日も客演を含めて全員女性奏者となっている。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。フェルティバルホールという大型の空間であるため、祝祭的な爆発感は感じにくかったが、音の色彩感と縁取りの鮮やかさが見事な演奏である。

 

ラヴィルの「ダフニスとクロエ」第2組曲は、今日一番の出来と思えるハイレベルな演奏。上品だが痛切な音が奏でられ、音楽というものが確実に皮膚から染みこんでくる。
私にとって音楽はなくてはならないものだと確認出来ると同時に、世界にとって必要なものであると確信することが出来た。
「ダフニスとクロエ」第2組曲はオーケストラだけの演奏でも可能だが、今回は合唱入りでの演奏。大阪フィルハーモニー合唱団が美しい声を届ける。
「全員の踊り」のラストの高揚感も流石であった。

 

メインであるベルリオーズの幻想交響曲。基本的にデュトワの演奏はエスプリ・クルトワ路線であり、エスプリ・ゴーロワではない。ということでおどろおどろしさや狂的な要素を表に出すことは余りない(1階席20列45番という席で、直接音が余り届かなかったということもそう感じさせる要因だろうが)が、音に宿るドラマと生命力の表出は見事。フランス音楽のスペシャリストとしての全世界に名を轟かせたデュトワの実力は並みではない。

客席は最初の「ローマの謝肉祭」演奏終了後から爆発的に盛り上がり、「ダフニスとクロエ」第2組曲演奏終了後は、客席が明るくなっても拍手が鳴り続けてデュトワが再登場。幻想交響曲演奏終了後も「ブラボー!」が各所から聞こえ、最後はデュトワがお馴染みとなった「バイバイ」の仕草を行って、演奏会はお開きとなった。

 

5月24日

今日も午後7時からフェスティバルホールでシャルル・デュトワ指揮の大阪フィルハーモニー管弦楽団の第528回定期演奏会を聴く。

今日も1階20列目だが、52番という右端の席。すぐそこが壁であり、反射が良いので音の輪郭がクッキリと聞こえる。そのため、音の迫力がわかり、序曲「ローマの謝肉祭」の狂騒がよりはっきりと把握出来る。一方で、「ダフニスとクロエ」第2組曲では音がはっきりしてるため、昨日に比べると神秘的な雰囲気は感じにくいかも知れない。全てが理想的な席というのはなかなかないものである。

幻想交響曲では、デュトワはアゴーギクを多用。即興性もあり、いつものデュトワとはちょっと違う演奏である。音にはステージの底から沸き起こってくるような迫力があり、昨日感じた蒸留水的な美しさとは少し異なる印象を受けた。今日の演奏の方が私の好みに合っている。

今日は演奏終了後にバンダの鐘奏者を紹介したデュトワ。第2ヴァイオリンの女性奏者が感激の表情を浮かべており、大フィル初登場は大成功であった。

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