カテゴリー「フェスティバルホール」の113件の記事

2026年2月 1日 (日)

コンサートの記(945) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第594回定期演奏会 バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)ほか

2026年1月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮は下野竜也。大フィル指揮研究員として朝比奈隆の下で学んだ指揮者でもある。ちなみに朝比奈の指揮に接した第一印象は、「何を振ってるのか分からないし、それなのに凄い音が出ていて訳が分からない」だったそうである。
現在は、NHK交響楽団の正指揮者、札幌交響楽団の首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラの音楽監督を務め、広島交響楽団から桂冠指揮者の称号を得ている。吹奏楽出身の指揮者だけに広島ウインドオーケストラの音楽監督として吹奏楽の普及にも励んでいるものと思われる。

曲目は、大栗裕(おおぐり・ひろし)の管弦楽のための「神話」、小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番、バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全一幕。出演:宮本益光、石橋栄実、田中宗利)。

いつものドイツ式の現代配置。今日のコンサートマスターは崔文洙だが、最前列の席だったため、崔文洙の隣で誰が弾いているのか見えず。真っ正面のコントラバスと、ヴィオラ奏者達の背中を見ることになる。管楽器はトロンボーンがわずかに見えるだけ。ただ「青ひげ公の城」ではトロンボーンが高い台に上って吹いたため、よく見えていた。

 

大栗裕の管弦楽のための「神話」。「天岩戸」を題材にした作品である。大阪フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者にして、大フィルのための作品も多く書いた大栗裕。下野竜也が大阪フィルを指揮してレコーディングデビューしたのも大栗裕作品であった。
大栗は大阪・船場の生まれ。天王寺商業学校(現・大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)を卒業後、実家の小間物問屋を継ぐが、音楽を志し、旧東京交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)や日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のホルン奏者として活躍。朝比奈に呼ばれ再び大阪へ。関西交響楽団時代の1955年に大フィルに入団し、1966年まで在籍。その後は作曲家として活躍している。
管弦楽のための「神話」は、天岩戸が閉じたところから始まり、どうやったら天照大神が出てくるのか神々が考えるところから始まる。太陽神である天照大神が引きこもってしまったため、この世は闇である。ちなみに天照大神は伊勢神宮(内宮)に祀られてからも、「一人で食事をするのが寂しい」ということで豊受大神を呼び寄せているため(伊勢神宮外宮)、「皇祖神なのにメンヘラ」と呼ばれていたりする。
とにかく鶏が鳴けば朝になったと思うだろうということで、トランペットが鶏の鳴き声を真似る。その後も引きこもりの天照大神だったが、天鈿女命が裸踊りを始め、神々がその滑稽さに笑い転げる(芸術・芸能の神である天鈿女命は大宮姫命と同一視されることがあるが、大宮姫命はどちらかというと文芸系の女神である)。一体何事かと岩戸を少し開けてみる天照大神。そこに鏡が差し出され、鏡を知らない天照大神は何が起こったのか戸惑う。そこへ天手力男命が岩戸を強引にこじ開けるというストーリーである。古事記の中でも特に有名な場面の一つであるため、知っている人も多いと思われる。ちなみに京都市の蹴上にある日向(ひむかい)大神宮には、いかにも「作りました」という感じの天岩戸があり、戸隠神社として天手力男命が祀られている(厄除けの神)。初めて見た時には笑ってしまうかも知れないが、面白いことは面白い。
今日のプログラム全般にいえることだが、土俗的な迫力があり、一種の野蛮な力強さが聴く者を惹きつける。下野も造形をきちんと測った上でだが、いつもより強烈なドライブを見せていた。

 

小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番。小山清茂も音大に学んだ人物ではない。長野師範学校(現・信州大学教育学部)在学中にピアノの音を聴いて魅せられ、独学で作曲をものにする。師範学校卒業後は長野や東京で教員として勤務していた。1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門で1位を獲得。1955年に教職を退いて作曲家として活動するようになっている。
鄙歌とあることからも分かるとおり、洗練とは真逆の古来から地方に残る生命力を音楽として昇華。力強い響きと「和」を感じさせる旋律を特徴とする。
「和讃」「たまほがい(上界と下界の魂のつどい)」「ウポポ(アイヌ語で室内で仕事をしたり儀式を行ったりするときに集団で歌う民謡)」「豊年踊り」の4部からなるが、今日は続けて演奏される。
やはり力強さが要求される曲であり、大フィルのパワーが生きている。大フィルも昔に比べると音に洗練度が増してきたが、こうした演奏も勿論可能である。

 

バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全1幕)。大フィルは2013年に再開場したばかりのフェスティバルホールで、井上道義の指揮で、ハンガリー人の歌手2人を招いて「コンサートオペラ」として「青ひげ公の城」を上演している。
「青ひげ公の城」は、バルトークが完成させた唯一のオペラで、オペラ・ブッファとは異なる猟奇系オペラの代表作である。猟奇系オペラというジャンルはないが、挙げていくと、「ヴォツェック」、「ルル」、「サロメ」、「ねじの回転」などが含まれるだろう。「トゥーランドット」も場合によっては入るかも知れない。
青ひげ公は残忍な王で、数多の人を死へと導いている。「青ひげ公の城」の話が効果的に使われている映画として黒沢清の出世作である「CURE」が挙げられる。役所広司演じる刑事・高部の妻である文江(若くして亡くなった中川杏奈が演じている。中川杏奈という著名人は複数いるようだが、1965年生まれで演出家の栗山民也の奥さんだった人である)は精神を病んでいるのだが、それがかなり重いと分かる場面に「青ひげ公の城」の絵本が使われている。

出演は、宮本益光(ますみつ。青ひげ公)、石橋栄実(えみ。ユディット)、田中宗利(吟遊詩人)。
宮本益光は、バリトン歌手の他に、演出・構成、外国語オペラ詞の上演用日本語訳、執筆など幅広く活動しており、著書の名は、『職業、宮本益光』である。
大阪音楽大学教授としても知られる石橋栄実。澄んだ声を特徴とするソプラノだが、今日は役が役だけに痛切な声を聞かせる。
田中宗利は、劇団ひまわり所属の俳優。京都大学文学部哲学科卒。ピアノやチェロを習い、指揮者としても活動している。

下野、宮本、石橋の3人は、2023年に広島でも「青ひげ公の城」を上演している。

 

譜面の上に置かれた照明以外は光が絞られてスタート。吟遊詩人役の田中宗利が上手側から現れて、この話が昔々の語り継がれてきた物語であるということを告げる。
そして演奏開始。下野の巧みなリードに導かれて、豪快にしておどろおどろしい音楽が奏でられる。やはりこのオペラはオーケストラが強靱でないといけない。
青ひげ公の城にやって来た青ひげ公と、妻となったユディット。青ひげ公が残忍な王であるということはユディットも知っている。だが、ユディットは、家族と婚約者を捨てて青ひげ公の王妃になることに決めた。何故なのかは分からない。帰る場所をなくしたが、ユディットはかなり積極的である。青ひげ公に対して何度も「愛している」を口にする。あるいは帰る場所がないので青ひげ公にすがるしかないのかも知れないが。一方、青ひげ公の方は「愛してくれ」とは言うが、一度も「愛している」と口にすることはない。ユディットが「『愛してる』と言って」と迫っても、別の話をする。愛してなどいないのかも知れない。だとしたら正直だが。
一見、青ひげ公がユディットの行動を制しているように見えるのだが、実際にはそうやってユディットの非常に強い好奇心を引き寄せているようである。まんまと鍵を開けさせ、いくつもの部屋を見せ、最後の部屋へ。鍵を開けたのも多くの扉を開いたのもユディットの責任である。最後の部屋には朝の女と昼の女と夕方の女がいた。ユディットは夜の女となる。コンプリートである。
だが、どの部屋にも血痕があった。涙の湖にだけはなかったが、それは涙の湖だからか。とにかく殺さずに残忍な何かが起こっていたとしてもそれは知るよしもない。涙の湖が本当に涙の湖だとしたら、泣いたのは前にいた3人の女ということになる。会ったときには、たまたま普通の精神でいただけで、ユディットも3人の女同様、泣いて湖に涙を落とすことになるのだろうか。

夜の女になったと分かった時点で、ユディット役の石橋栄実は下手に向かって退場するという演出だったが、さて、どこに向かったのか。最後の部屋以外に行く当てはないが。

各部屋は色のついた照明によって表現される。

オペラではあるが、管弦楽に力強さが求められる。その点、馬力に関しては日本屈指のオーケストラである大阪フィルの力がプラスに働く。
独唱者2名の歌唱も優れており、独唱者を伴った管弦楽曲のような緻密な音楽を見事に再現してみせていた。

Dsc_9543

| | | コメント (0)

2026年1月14日 (水)

コンサートの記(940) 「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤーコンサート」2026@フェスティバルホール

2026年1月11日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤーコンサート」2026を聴く。

ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いたヨハン・シュトラウス管弦楽団の後継を目指して、エデュアルト・シュトラウスの孫で、ヨハン・シュトラウスⅡ世の又甥に当たるエデュアルト・シュトラウスⅡ世を招いて結成されたウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団。常設ではなく、ウィーンのヨハン・シュトラウス・ファミリー好きの音楽達が集結して演奏会などが開かれる。ウィーン・フィルなど、ウィーンの中でも世界的に評価されている団体のメンバーも含まれる。

毎年、元日に開催され、全世界に中継される「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」。ヨハン・シュトラウス・ファミリーの音楽はそれを聴くだけでも十分との思いがあったり、「ウィンナ・ワルツやポルカは正月よりも夏に聴くと涼しくていい」と思っていたりするため、例年はシュトラウス・ファミリーのニューイヤーコンサートを聴きに行くことは少ない(京都市交響楽団は除く)のだが、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の演奏会ということで、今年は出掛けてみることにした。

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の中で、一際輝いているのが、ウィリー・ボスコフスキーの時代。クレメンス・クラウスが始めたウィーン・フィル ニューイヤーコンサートであるが、クラウスは61歳と、指揮者としてはかなり若くして死去。ヨーゼフ・クリップスが2年間引き継いだ後に、ウィーン・フィルのコンサートマスターであったボスコフスキーが指揮台の上でヴァイオリンを奏でながら指揮するという弾き振りを行い、ヨハン・シュトラウスⅡ世もまた弾き振りを行っていたことから人気となり、四半世紀にわたって君臨している。その後、ボスコフスキーはコンサートマスターよりも指揮者としての活動を増やすようになり、非常設ながら手兵として選んだのがウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団だった。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の名声はボスコフスキーが築いたと言える。ボスコフスキーはウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団と共にドイツEMIに多くのワルツやポルカの録音を行い、日本でも東芝EMI(当時)から数多くリリースされた。
ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴史の中で特筆すべき二人目の指揮者は、アルフレート・エシュヴェ。エシュヴェは、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団とキングレコードにレコーディングを行ったが、顔がヨハン・シュトラウスⅡ世に似ているということで話題になり、来日した際はNHKの音楽番組に出演したりもした。

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴代の指揮者は皆、ウィンナ・ワルツやポルカのスペシャリストということで、ほぼ全員が、NAXOS制作による「ヨハン・シュトラウス全集」に参加している。

今回の指揮者は、ヨハネス・ヴィルトナー。NAXOSに比較的早い時期から録音を行っていた指揮者としても知られる。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリン奏者を経て、指揮者に転向。指揮はNHK交響楽団名誉指揮者として知られたオトマール・スウィトナーに師事している。スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ国立歌劇場、ライプツィッヒ歌劇場、ノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレンなどの音楽監督を務め、ライトクラシックの演奏団体であるBBCコンサート・オーケストラの首席客演指揮者なども務めている。2014年からは、ウィーンの「ガルス野外オペラ」という催しの総監督の座にある。
日本では新国立劇場オペラで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」のタクトを担った。

 

そんなヴィルトナーであるが、極端な太鼓腹。しかも下っ腹が膨らんでいるメタボのみならず上の方まで膨らんでいる。見るからに不健康そうだが、本人は至って元気である。腹の出っ張り具合に、女性客達が口々に「凄い! 凄い!」と呟く。

 

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団は、ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いた楽団に近い編成で演奏が行われる。室内オーケストラ編成になるが音は大きめで、空間の広いフェスティバルホールでも全くマイナスにはならなかった。

薄いが上質の紙を使った無料パンフレット付き。オーストリア大使館などが後援しているためか、チケット料金なども含めて良心的な部分が多い。

 

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ「こうもり」序曲、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・フランセーズ「芸術家の挨拶」、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「水彩画」、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「憂いもなく」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のエジプト行進曲、ヨハン・シュトラウスのワルツ「ウィーン気質(かたぎ)」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ「ローマの謝肉祭」、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「休暇旅行で」、フランツ・レハールのワルツ「金と銀」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスの「ピッチカート・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ・シュネル「ハンガリー万歳!」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」

 

編成は変わっていて、指揮台の前にチェロが3台横に並ぶ。
ヴィルトナーは譜面台を用いず、全曲暗譜での指揮。ただピアノ演奏用の椅子が指揮台の前に置いてあったが、これはヴィルトナーがヴァイオリンの弾き振りをするため、ヴァイオリンの台代わりとして置かれたものである。
当初は、ステージ下手側を占めるヴァイオリン群が第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンだと思っていたが、ずっと同じボウイングをしているため、全員第1ヴァイオリンであったことが分かる。第1ヴァイオリンは9名で他のパートに比べて極端に分厚い。第2ヴァイオリンは対向配置で上手の客席側に5人で陣取っていた。その奥がヴィオラ3人である。コントラバスはヴィオラの後ろに3台で構えている。ティンパニは上手奥、スネアが下手奥だが、この二人は様々な打楽器を兼任する。

室内オーケストラ編成だけに、ゴージャスなサウンドという程ではないが、各楽器の光度や透明度は高く、ウィーンの楽団ならではの楽譜に書かれていない部分での緩急、強弱などが示され、日本のオーケストラが弾くウィンナ・ワルツやポルカとは異なった味わいがある。20世紀はどちらかというとそうしたローカリズムではなくインターナショナルが志向される傾向のあった世紀であり、「普遍的であることは良いこと」とされたが、京都人並みに頑固と言われるウィーンっ子は、伝統を頑なに守ってきた。今後も他の国ではシュトラウス・ファミリーの音楽が変わっても(おそらくもっとスマートになると思われる)、ウィーンのオーケストラが奏でるそれはほとんど変化しないのだろう。もっとも、ウィーン交響楽団やウィーン放送交響楽団が必ずしも巧いウィンナ・ワルツやポルカを奏でるかというとそうでもないのだが。両オーケストラ共に実演に接したことがあり、アンコール演奏でシュトラウス・ファミリーの作品を取り上げていたが、普段はウインナ・ワルツやポルカをほとんど演奏していないため、共に荒めであった。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団創設当初はオーストリア放送交響楽団(現・ウィーン放送交響楽団)から参加したメンバーが多かったようだが、今はどうなのだろう。

 

指揮者のヴィルトナーはナビゲーターも務め、「(日本語で)みなさん、ほんま(で言葉に詰まってしまい、ポケットからアンチョコを取り出して)いらっしゃいませ(繋がっていないように思うが、多分、別の箇所を読んだのだろう)」と挨拶し、英語での楽曲紹介も行う。日本語コメントでは、「おおきに」など大阪の言葉をなるべく入れるようにしていた。

楽団員が声を出す曲も多く、ヴィルトナーも、「ウィーン気質」では得意と思われるヴァイオリン弾き振りを行った。ヨハン・シュトラウスⅡ世の楽曲はヴァイオリンが甘美な旋律を奏でる曲が多いが、ヨハン・シュトラウスⅡ世が最も得意とした楽器がヴァイオリンだから、というのはこうして視覚で確認すると一層納得がいく。
数年前にザ・シンフォニーホールで、別のニューイヤーコンサートのアナウンスを女性スタッフが行っていたのだが、「ウィーン気質」を「ウィーンきしつ」と読んでいた。「きしつ」とも読むが、「気質」が「かたぎ」と読まれなくなる日が来るのかも知れない。

レハールのワルツ「金と銀」は日本で特に人気のある曲として知られる。立体感と生命力のある演奏に仕上げてきた。

ポルカ「雷鳴と稲妻」は、スネア(片面シンバル兼任)とティンパニを両端に据えたのが効果的で、視覚的にも楽しめるものになっていた。

ヴィルトナーは、「ピッチカート・ポルカ」のみノンタクトで指揮する。

「美しく青きドナウ」であるが、この曲だけミスが目立つ。大きなミスではないが3つほど。何度も演奏しているだけに却って隙が生まれやすいのかも知れない。

 

アンコール演奏であるが、4曲ある。
まず「一月一日」の管弦楽編曲版。勇壮な感じである。演奏が終わった後で、楽団員全員が「あけましておめでとうございます」と新年の式辞を述べる。

2曲目は、H・C・ルンビェの「シャンパン・ギャロップ」。打楽器奏者が、空気砲使っておひねりか何かを客席に発射する。楽曲自体は余り記憶に残る類いのものではなかった。

3曲目は、エデュアルト・シュトラウスの「テープは切られた」。打楽器奏者がオーストリアの車掌の制帽を被り、「次は大阪、大阪」とアナウンスしてスタートする。打楽器奏者は、汽笛という汽笛の音を出すためだけの楽器も吹く。軽快な走りを見せる曲であった。

最後はお馴染み、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。ヴィルトナーは時折客席の方を見て軽く指揮。「下手側のお客さんだけ」「上手側のお客さんだけ」もやりたかったようだが、聴衆は追いつけなかった。

ヴィルトナーとウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の楽団員は最後はステージの真ん中に向かって一礼。意味は分からなかったがよくやっている習慣なのだろう。あるいはヨハン・シュトラウスⅡ世に向かっての敬意だったのか。

今日は2700人収容のフェスティバルホールがほぼ満員。休憩時間にはザッハトルテが当たるプレゼントコーナーがあったのだが、当選者は10人。ヴィルトナーがおどけながらくじを引く。同じ階の同じ列の人が当選していたが、2700分の10では、やはり当たるのは難しかった。

Dsc_9483

| | | コメント (0)

2025年12月 1日 (月)

コンサートの記(931) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第593回定期演奏会

2025年11月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバあるホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第593回定期演奏会に接する。指揮は、シャルル・デュトワ。
ここ数年は、毎年春から初夏にかけてに大阪フィルに客演していたデュトワ。だが昨年は、来日して東京での演奏会は指揮したものの、すでに体調の悪さは現れていたようで、大フィルのリハーサルにも現れたが、初日の終盤でリタイア。ヨーロッパに戻り、感染症(コロナではないとのこと)と診断されたが、めげずに再来日。予定通り福岡の九州交響楽団への初登壇を果たした。

今回も名誉音楽監督の座にあるNHK交響楽団を指揮してから大阪へとやって来たデュトワ。
N響でも大フィルでもメインとなるのはラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲である。

デュトワにとって、「ダフニスとクロエ」全曲は特別な楽曲である。モントリオール交響楽団の音楽監督に就任後、ローカルなオーケストラに過ぎなかったモントリオール響の実力を大幅にアップさせ、DECCAにレコーディングした同曲がベストセラーとなり、デュトワとモントリオール交響楽団の名を天下に轟かせている。
以後、フランス音楽を中心に録音を軌道に乗せたデュトワとモントリオール響(OSM)。ラヴェル、ドビュッシー、フォーレ、ベルリオーズ、ビゼー、フランクなどのフランス音楽と、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、チャイコフスキー、プロコフィエフなどのロシア音楽を録音。リリースしたCDの約半分が何らかの賞を獲得している。
デュトワは、NHK交響楽団ともDECCAにレコーディングを行っており、OSM相手ではなく個別にオネゲル交響曲全集やルーセル交響曲全集などのフランス音楽の王道からやや外にいる作曲家の作品も録音している。
OSMと決別した後は、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」でOSM盤を上回る出来を示している。フランス国立管弦楽団とは「プーランク管弦楽曲全集」を録音。協奏曲なども含む全集で、プーランクは名声に比して録音が少ないため重要な仕事となっている。

なお、大阪フィルハーモニー交響楽団の来年度の定期演奏会のプログラムが発表になったが、そこにデュトワの名はない。デュトワも先月89歳の誕生日を迎えた。「ダフニスとクロエ」で始まった環が「ダフニスとクロエ」でいったん閉じられようとしているのかも知れない。

 

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番(ピアノ独奏:小菅優)、ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:大阪フィルハーモニー合唱団)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りに陣取る。

オーケストラは90人編成だそうで、エキストラも多い。出演者一覧には、京都市交響楽団の一樂恒(いちらく・ひさし。チェロ)、京都フィルハーモニー室内合奏団の松田美奈子(ヴィオラ)の名が見える。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第22番。モーツァルトのピアノ協奏曲の20番台前半の中では取り上げられる回数が比較的少ない曲である。他の曲が個性に満ちているだけにやや埋もれ気味になるのかも知れない。
映画「アマデウス」では、売れなくなったモーツァルトがウィーンの街を一人で歩くシーンで第3楽章の冒頭が用いられている(選曲&音楽監督;ネヴィル・マリナー)。

小菅優は、日本の若手の代表格的存在であるピアニストだが、そろそろ中堅に差し掛かろうとしている。大きなコンクールに参加したことがないのが特徴だが、マックス・ポンマーが京都市交響楽団に客演した際、ソリストを務めた小菅優が子どもだった頃に参加したピアノコンクールの決勝で協奏曲の指揮を担当したと語っていた。優勝したそうである。マイナーなコンクールを受けたことはあるのかも知れない。
世界的なコンクールで好成績を収めると注目されるが、必ずしも良い成績を収めた奏者が順調なキャリアを築くとは限らない。

編成を小さめにしてピリオドを援用しての伴奏。フェエスティバルホールは空間が大きいので、最初のうちは伴奏が聞こえにくかったのだが、次第に耳が調節される。デュトワ指揮の伴奏だが、かなり陰が濃い印象である。明るい旋律を歌っていても陰が忍び寄ってくる。
小菅のピアノはモーツァルトらしく透明度が高く愛らしいが、こちらも次第に暗いものが底から溢れてくる。
第1楽章と第3楽章のカデンツァは、20世紀を代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンが書いたものを使用。ブリテンはピアノ協奏曲第22番に出てくる様々なメロディーをコラージュしたものをカデンツァとして纏めていたが、最後は不吉な感じで終わる。

もっとも明るいはずの第3楽章。だが、最初はピアノが弾き、ヴァイオリンが同じ音型を返していたものが、終盤では、ヴァイオリンはピアノが弾いた通りには演奏せず、次第に距離が出来ているように感じられる。ピアノ協奏曲第20番や、第23番の第2楽章で露わにした孤独な表情を、ピアノ協奏曲第22番では、悟られにくいように行っているように感じられる。同じ天才のブリテンは当然気付いたはずだ。

 

アンコール演奏は、ショパンの「エオリアのハープ」。駆け抜ける爽やかな風のような演奏だった。

 

ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲。演奏規模、上演時間共にラヴェル最大の作品である。ラヴェルはその後、演奏会用に2つの組曲を編んでおり、特にバレエ音楽の第3部をほぼそのまま転用した第2組曲はコンサートでもたびたび取り上げる。
デュトワの指揮する「ダフニスとクロエ」全曲は、実は以前に1度聴いたことがある。渋谷区神南のNHKホールで行われたNHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられたのだ。だが、その演奏会は、演奏内容以上に、上演中に震度3の地震が起こったことをことでよく記憶している。不幸中の幸いで、合唱だけの部分だったため、演奏は止まらず続けられたが(デュトワが地震に気付いたのかどうかは不明)、楽器の演奏だったら止まっていたかも知れない。震度3にしては揺れた方だった。この日の演奏会はNHKBS2(当時)で生放送されており、私も録画した映像を見たが、地震が起こった瞬間、男声合唱団の人々が天井を見上げる姿が映っており、「大丈夫かな?」という表情をしているのが確認出来た。勿論、カメラも揺れていた。

そんな思い出から30年近く経っての「ダフニスとクロエ」。往時のN響より今の大フィルは音の密度が濃い。また原色系の音色も特徴である。バスク地方に生まれたラヴェル。バスク地方はフランスとスペインに跨がるが、ラヴェルの血には、スペイン的な色合いや賑やかさを好むところがあるように思う。この曲も繊細なフランス的なところがありながら、闘牛を好むようなスペインの狂躁もまた顔を覗かせる。デュトワがフランス人だったら、あるいはもっと熱狂的な音楽を志向したかも知れないが、スイス・フランス語圏出身であるため、適度な上品さが加わり、理想的な演奏となりうるのだろう。
大フィルの技術も高く、大阪フィルハーモニー合唱団も力があった。
濃い密度を保ち、迫力に満ちながら、全体的に匂うような上品さを持ったラヴェル。今後、こうしたラヴェルが聴けるのかどうか分からないが、取りあえず今日はデュトワを聴けて良かった。

Dsc_9172

| | | コメント (0)

2025年10月19日 (日)

コンサートの記(926) トーマス・ダウスゴー指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第591回定期演奏会

2025年9月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第591回定期演奏会を聴く。指揮はデンマーク出身のトーマス・ダウスゴー。ということで、全曲、デンマークの国民的作曲家であるカール・ニールセンの作品が並ぶことになった。

デンマーク出身者としては最も有名な指揮者だと思われるトーマス・ダウスゴー。今世紀初頭に、スウェーデン室内管弦楽団を指揮してピリオド・アプローチによる「ベートーヴェン交響曲全集」を制作。「(当時はまだ)若い指揮者がピリオドでベートーヴェンに挑んでいる」と世界中で話題になった。先行するピリオドによる「ベートーヴェン交響曲全集」としては、サー・サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のものと、バロックティンパニを採用するなど少しだけピリオドを取り入れたニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団のものなどがあるだけ。最も早い時期のサー・チャールズ・マッケラス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の全集は評判は高かったが、おそらく失敗作。マッケラスはその後、スコットランド室内管弦楽団と、第九のみを受け持つフィルハーモニア管弦楽団の2楽団を指揮して全集をリリース。トップクラスの出来となった。今でも定評のあるサー・ロジャー・ノリントン指揮SWR交響楽団盤やパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンの全集が出たのは、ダウスゴーより後だったはずである。

ダウスゴーは、1988年にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭にてレナード・バーンスタインのマスタークラスを受講(バーンスタインはこの2年後に亡くなる。まさに最晩年)。1990年には岩城宏之に師事し、1993年から95年まで、小澤征爾の指名でボストン交響楽団のアシスタントコンダクターを務めている。その後、欧米でキャリアを築き、スウェーデン室内管弦楽団首席指揮者、オランダ国立交響楽団首席指揮者、トスカーナ管弦楽団名誉指揮者、BBCスコティッシュ交響楽団首席指揮者、シアトル交響楽団音楽監督などを歴任し、ほとんどの楽団から名誉称号を得ている。
2019年には、BBC Proms JAPANに参加。ザ・シンフォニーホールでBBCスコティッシュ交響楽団を指揮している。ラストを飾るエルガーの「威風堂々」第1番の中間部の旋律に歌詞が付けられたものは「英国第2の国歌」として知られており、皆で歌うべくプログラムに英語詞のカードが挟まれていた。私もこの演奏会を聴きに来ていたので、多くの聴衆と共に歌ったが、イギリス人でも何でもないのに異様なほどの興奮を覚え、音楽の力、そして恐ろしさを実感した。

さて、ピリオド・アプローチによるベートーヴェンの交響曲演奏で世に出たダウスゴーだが、経歴を見てもピリオド・アプローチに関係がありそうな指揮者は存在しない。どころかピリオドから遠い人達ばかりだ。古楽の知識と演奏法をどこで身につけたのだろうか。

フェスティバルホールのホワイエで行われるプレトークサロンで、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏と聴衆の人々とのやり取りが終わった後で一人、福山さんに伺ってみたのだが、「よく分からない」ということで、「調べておきます」と仰っていた。ちなみに私はプレトークサロンでは滅多に手を挙げない。以前、定期演奏会の会場がザ・シンフォニーホールだった大植時代に、「トーンクラスター奏法」の説明をお願いしたところ、福山さんは上手く説明出来ず、しかも福山さんが私の顔を見て話すので、私もただの客なのに何故か福山さんと二人で解説を行うという訳の分からない展開になったため、懲りたのである。
今日の聴衆は、ニールセンやクラリネットソリストのダニエル・オッテンザマーに関する質問が多かったが、仮に私が「ダウスゴーさんはスウェーデン室内管弦楽団とのピリオド・アプローチによる『ベートーヴェン交響曲全集』を出して、名を挙げた訳ですが、師に当たる指揮者にピリオド・アプローチに強い人が見当たらなくてですね」なんて言ったら、周りから「こいつ、なに意味の分からないこと言ってんだ?」と思われるのがオチである。

ダウスゴーのオフィシャルホームページを読んだところ、ピリオドの知識がありそうな人物が2人見つかる。一人は、ロンドンの王立音楽大学(Collegeの方)で指揮を師事したノーマン・デル・マー。もう一人は、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭で、バーンスタインと共にマスタークラスを開いていたフランコ・フェラーラである。ダウスゴーはフェラーラのマスタークラスも受講している。デル・マーもフェラーラも指揮者にして音楽学者である。
ノーマン・デル・マーの息子は、ピリオドでよく使われるベートーヴェンのベーレンライター版交響曲全集総譜の校訂を行った音楽学者のジョナサン・デル・マーである。
フランコ・フェラーラの弟子には、古楽器オーケストラの指揮を得意とするブルーノ・ヴァイルがいる。
ノーマン・デル・マーやフランコ・フェラーラが直接、ダウスゴーにピリオドを教えたとする情報は見つからなかったが、この2人の周辺には古楽関係者が多いので、2人に直接教わらなくても2人の知り合いの古楽関係者から教わった線も考えられる。

 

曲目は、序曲「ヘリオス」、クラリネット協奏曲(クラリネット独奏:ダニエル・オッテンザマー)、交響曲第4番「不滅」

ニールセンは、1980年代後半に、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団の演奏による交響曲全集がDECCAから発売され、ベストセラーとなったことで世界的な有名作曲家の仲間入りをした。ブロムシュテット盤は今もパーヴォ・ヤルヴィ盤と並び、優れた「ニールセン交響曲全集」の筆頭に挙げられる。ただ、当時は交響曲第4番「不滅」の2台のティンパニが強打を行う最終部のおどろおどろしいまでの迫力が話題となっており、真の音楽性が評価されるのはこれからなのかも知れない。

ニールセンはシベリウスと同い年であるが、現在のフィンランドは指揮者大国で、次から次へと有望株が登場。ほぼ全員が「シベリウス交響曲全集」をレコーディングするため、シベリウスがより身近な存在になりつつあるが、デンマークは指揮者不足であるため、ニールセン作品の録音は他国のニールセンの音楽に共感した音楽家に任せるしかない。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。ドイツ式の現代配置での演奏である。

 

序曲「ヘリオス」。ダウスゴーはこの曲と「不滅」は譜面台を置かず、暗譜で指揮した。全編ノンタクトでの指揮である。
昨日はさりげなく陰を宿した音が特徴の大邱市立交響楽団の演奏を聴いたが、大フィルの輝きと透明度の高い音を聴くとやはり落ち着く。優劣というよりも、いつものベッドで脚を伸ばした時の開放感や、愛用のパソコンで文章を打っているときの充実感などに似た、何年にも渡って触れてきたものへの愛着である。
曲は、弦楽、特に第2ヴァイオリンが奏でる日の出の描写に始まり、コントラバス1台が同じ音を伸ばし続ける日没までを描いたものである。
コントラバスによるラストは長く長く引き延ばされ、集中していないといつ曲が終わったのか分からない。おそらく、録音ではコントラバスの音の最後の方はマイクに入らないのではないかと思う。

 

クラリネット協奏曲。クラリネット独奏のダニエル・オッテンザマーは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席クラリネット奏者である。更に現在は、大阪フィルハーモニー交響楽団のアーティスト・イン・レジデンスとなっており、主に住友生命いずみホールで、自分が主役となる演奏会を大フィルと行う。
プレトークサロンで、福山さんは、オッテンザマーがニールセンのクラリネット協奏曲をウィーン・フィルと録音することを決めた時に同僚から、「こんな難しい曲選ぶなよ。俺ら毎日オペラで忙しいんだから(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は母体となるウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなる自主運営のコンサートオーケストラで、普段は楽団員は歌劇場でオペラの演奏をしており、オペラがオフになる期間など空いた時期にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団としての定期演奏会や特別演奏会、海外ツアーなどを行っている。そのため定期演奏会の回数が極端に少なく、真偽不明だが「定期会員になるのに20年待ち」という話はよく聞かれる)、モーツァルトとか簡単なのにしとけよ」と言われたそうである。そして実際、ニールセンのクラリネット協奏曲は超高難度。録音のための最初のセッションはズタズタのボロボロだったそうで、天下のウィーン・フィルをもってしても初見では歯が立たなかったそうだ。最終的には名盤と言われるだけの水準に達したが。
大阪フィルはきっちりとリハーサルを重ねたのでアンサンブルは整っている。
オッテンザマーであるが、様々な姿勢で演奏する。指揮台の左脇に立ち、左足を一歩踏み出したり、ベルアップを行ったり、中腰になったり。第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの方を向いて、何かサインを送っているような場面もある。難曲なので、ステージ下手側の楽器は、ダウスゴーがある程度オッテンザマーに任せることもあるのだろう。ダウスゴーが上手側を向いて指揮することが多いのもそれと関係あるのかも知れない。
ニールセンが書いたクラリネットの独奏であるが、とにかく音が細かいのが特徴。指の回転を極端に速くする必要があり、これは選ばれたクラリネット奏者しか吹けない音楽だと思う。
伴奏には小太鼓が入るのだが、軍楽隊が鳴らす音のようで不吉であった。作曲されたのは、1928年。日本の年号では昭和3年である。前年にブロムシュテットが生まれ、この年にエフゲニー・スヴェトラーノフが誕生している。
満州事変が起こるのが1931年、ヒトラー率いるナチスが政権を取るのが1933年。スターリンはソ連の最高指導者になる直前まで来ている。まだ大戦にまでは発展していないが、きな臭い匂いのする時代である。

 

オッテンザマーのアンコール前奏。まずガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」冒頭のように伸びやかな音階移動とグリッサンド。その後、超弱音による演奏が続く。それから天井を見上げて高らかに吹くなど様々な音楽が続いた。
曲名であるが、掲示はなく、福山さんによると実は即興演奏だったそうで、タイトルも当然ながらない(無理矢理付けても良いと思うけれど)。

 

交響曲第4番「不滅」。ニールセン最大のヒット曲である。原題は「消しがたきもの」といったような意味である。

余談だが、2016年の大河ドラマ「真田丸」は、毎回、漢字2文字のタイトルが付いていたが、最終回は「視聴者に任せる」として付けなかった。私は「不滅」を選び、ブログ「鴨東記」にパーヴォ・ヤルヴィ指揮の「不滅」交響曲の映像を載せた。死後400年以上が経っているのに、若い女の子から「真田幸村(真田信繁)格好いい!」などと言って貰えてグッズも売れるのだから、これが「不滅」でなくてなんなのだろう。
ただ、三谷さんは、真田信之(大泉洋が演じた)が舵を取る信州真田家が、ちょっとしたことですぐに転封や改易になる江戸時代の荒波を乗り切る過程こそが本当の「真田丸」と考えていたような気がする。ラストのセリフが信之の「参るぞ」なのが暗示的である。

「真田丸」の話が長くなってしまったが、この曲は、ステージの両サイド、端の方に1台ずつティンパニが置かれて演奏されることが多いが、福山さんによるとニールセンの指示は「1台のティンパニはなるべく客席に近いところに設置する」とあるだけで、ティンパニが両端に並ぶのは、「おそらく演奏しやすいから」だそうなのだが、今回はニールセンの指示通り、客席に近い場所としてステージ上手端、ヴィオラ奏者達の後ろにティンパニを置き、もう1台のティンパニは通常通り指揮者の正面の奥に設置される。
実に格好いい曲なのであるが、この曲を作曲した時期のニールセンはプライベートで悩みを抱えており、更に第1次世界大戦も勃発と暗い世相の中で作曲を進めていた。ダウスゴーは、「トラジェディー(悲劇)&トラジェディー」とこの曲の内容を見たようである。4楽章形式ではなく4部形式で、続けて演奏されるが、実質的には一般的な交響曲と余り変わらない。
大フィルは弦も管も威力がある上に輝かしく、ダウスゴーの巧みな指揮捌きもあって、優れた演奏となる。第4部の2台のティンパニのやり取りも威力があるが、フェスティバルホールは全体的な音響が良いので、上手端に据えられたティンパニの方が音が大きいということもなかった。ニールセンが何を望んでいたのか、今となっては分からないが、客席に近い方が味方の響き、遠い方が敵方の響きと取ると「1台のティンパニはなるべく席席に近いところに」とした意味は分かる。ただ単純すぎる。子どもの考えではないので、他に意味があるはずだが、現時点では意図不明である。
なお、初演時のプログラムに載った文章(ニールセンの筆ではないそうだ)によると、「不滅」なるものは音楽とその効用であるとしか取れないないのだが、自分の作曲した作品に「不滅」「消しがたきもの」と付けるだろうか(タイトルは作曲者自身によるもの)。
音楽は生まれた瞬間に消える芸術である。ただエネルギー保存の法則に寄るなら、世界はこれまでの歴史上で演奏された全ての音楽で溢れているということになる。壮大すぎるが。

 

今年度の大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏の中でも上位に入る出来。終演後、客席は大いに沸いた。大袈裟に書くと、ニールセンの音楽が受容されつつある過程に立ち合ったということになる。

Dsc_8778

| | | コメント (0)

2025年8月 2日 (土)

コンサートの記(910) マティアス・バーメルト指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第589回定期演奏会

2025年6月13日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第589回定期演奏会を聴く。元々はロシアの名匠、ウラディーミル・フェドセーエフが指揮台に立つ予定だったが、フェドセーエフは1年ほど前から指揮活動を行っておらず、今回の大フィルと広響への客演はキャンセルとなった。フェドセーエフは、92歳と高齢だが、フェスティバルホールのホワイエで、大フィル事務局長の福山修氏が行っているプレトークサロンでは、「病気ではない」とのことだった。ただ高齢のため、エネルギーに波があり、今は指揮するのは難しいとドクターストップか掛かっているとのことである。

フェドセーエフは、以前も大フィルの定期をキャンセルしたことがあり、その時は、井上道義が代役を務めている。
今回代役を務めるのは、昨年の3月まで札幌交響楽団首席客演指揮者を務めていたことでもお馴染みのマティアス・バーメルト。京響への客演経験もあり、録音も多く、私が初めて買ったアントニオ・サリエリのCDはバーメルトが指揮したものであった。このことから分かる通り、レパートリーはとても広い。スイス生まれ、作曲をピエール・ブーレーズとカールハインツ・シュトックハウゼンに師事。オーボエ奏者として活動したのち、アメリカに渡ってクリーヴランド管弦楽団の音楽監督だったジョージ・セルに指揮を習い、レオポルト・ストコフスキーにも師事。セルの後任であるロリン・マゼールが音楽監督を務めていた時代のクリーヴランド管弦楽団で常任指揮者として活動している。祖国のバーゼル放送交響楽団や、ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズの音楽監督も務めた。広上淳一が音楽監督を務めるマレーシア・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者だったこともある。


曲目は、グラズノフのバレエ音楽「四季」とチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。フェドセーエフが決めたものから変更なしである。

グラズノフの「四季」は、比較的取り上げられやすい曲ではあるが、プレトークサロンで、福山さんの、「『四季』を生で聴かれたことがあるという方」との問いの挙手したのは、私を含めて2、3人であった。私は2018年にアレクサンドル・ラザレフの指揮による京都市交響楽団の定期演奏会で聴いている。ラザレフが実に楽しそうに指揮していた。

なお、大フィルの音楽監督である尾高忠明は、BBCウェールズ交響楽団を手兵としていた時代に「グラズノフ交響曲全集」を作成している。これは名盤であるが、残念ながら尾高さんの指揮でグラズノフの交響曲を演奏しても客は入らないだろう。現状ではグラズノフの知名度は日本では低いので、ロシア人指揮者が何かの折に取り上げたりしない限り、生で聴きたいという人はなかなか現れないと思われる。
ちなみにグラズノフはラフマニノフの天敵なので、グラズノフとラフマニノフのプログラムによる演奏会を行うと、演奏会場に足を運ぶ人がいるかも知れない。
ただ、ラフマニノフは日本で屈指の人気作曲家であるため、敵役となったグラズノフの人気が上がる可能性は低い。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。第2ヴァイオリンが全員女性ということも多い大阪フィルだが、今日は客演に男性奏者1人入った。正楽団員は全員女性である。ヴィオラ、チェロ、コントラバスの客演奏者も1人を除いて女性である。関西のオーケストラは、東京のオーケストラと比べて女性の比率が高いように思う。


グラズノフのバレエ音楽「四季」。冬に始まり秋に終わるという独自の構成。
ロシア人の指揮者だと、お国の誇りの音楽だけあって、威勢よく演奏したりするが、バーメルトはスイス人で、師事した作曲家や指揮者を見れば分かる通り、客観的で分析的な解釈を行う。煌びやかな音を優先させた美演であるが、チャイコフスキーや師であるリムスキー=コルサコフ、そしてワーグナーからの影響が的確に示される。
バーメルトの指揮棒は振り幅が小さく、無駄な動きをなるべく避けているようだ。


チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。チャイコフスキーの交響曲は前期の3曲と後期の3曲とでは作風が大きく異なるが、チャイコフスキーは自身の初めての交響曲が気に入って、何度も改定しているそうである。
後期3大交響曲に比べると面白さでは劣るが、第2楽章における懐旧の念(25歳の時に作曲を初めて28歳の時に完成させた曲なので、懐旧といってもそれほど昔ではないと思われるが)や第3楽章の嘆きの表情など、巧みな描写があり、バーメルトと大フィルもそれをしっかりとした音に変えていく。
第4楽章は大いに盛り上がる。これまで指揮棒のビート幅は小さめだったが、ここでは右手を大きく動かし、ステップのようなものも踏む。
カーテンコールで、バーメルトは各パートを立たせ、いったん引っ込んで再び登場してオーケストラ団員に「立て! 立て! 立て!」という仕草をするが、大フィルの団員達は拍手で称え、バーメルト一人が喝采を浴びた。バーメルトは両手を右頬に付け、「おやすみなさい」のポーズをしてコンサートはお開きとなった。

| | | コメント (0)

2025年7月 4日 (金)

コンサートの記(906) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第587回定期演奏会 エルガー 「ゲロンティアスの夢」

2025年4月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第587回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

桜も散り始め、フェスティバルホール周辺の多くの桜が葉桜となっている。

今日の曲目は、エルガーの「ゲロンティアスの夢」1曲のみ。上演に約90分を要する大作である。エルガーの出世作で、イギリスではよく演奏されるが、日本で上演される機会は少ない。大フィルも、音楽監督がU.K.でポストを持った経験があり、エルガーを得意とする尾高でなかったら取り上げることはなかったであろう。
プレトークサロンで、大フィル事務局長の福山修さんが、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団が7年前に取り上げているが、それ以外の上演は把握していないと仰っていた。おそらくだが、それ以外に上演されたことはないのだろう。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。今日も第2ヴァイオリンは全員女性である。ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは視覚上の理由(背後に合唱が陣取る)からやや下手寄りに位置し、指揮者の正面にはトランペットが回った。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
独唱は、マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト(メゾ・ソプラノ。守護天使)、マクシミリアン・シュミット(テノール。ゲロンティアス)、大山大輔(バリトン。司祭、苦悶の天使)。

「ゲロンティアスの夢」は、オラトリオであるが、エルガーが作曲時点でオラトリオとしていなかったという理由からだと思われるが、今回は曲目は「ゲロンティアスの夢」とのみ表記されている。

 

ゲロンティアスという男性が天国に召される様を描いたもので、イギリスの神学者・詩人であるジョン・ヘンリー・ニューマンの宗教詩を基のテキストとしているが、ニューマンは英国国教会からカトリックに改宗した人物であり、エルガーもカトリックの信者だった。イギリス人の大半は英国国教会(プロテスト)の信者であるため、エルガーはカトリック的な要素を詩から除くことで、反発を弱めようとしている。

二部構成であり、男声歌手二人は始めから登場して歌唱を行う。メゾ・ソプラノのマリー=ヘンリエッテ・ラインホルトは、二部が始まる時に上手側から登場した。

字幕付きでの上演。
エルガーらしいノーブルさと音の輝き、力強さなどを共存させた楽曲である。大阪フィルハーモニー合唱団も優れた歌唱を聴かせる。
オラトリオなので、独唱者の歌唱もいくぶんドラマティックになるが、みな節度を持った歌唱。

死者が天国に向かうまでを描いており、ある意味、英国版の「おくりびと」(人ではなく天使だが)のような楽曲である。

CDを含めて聴いたことのない楽曲であったが、エルガーを振るときの尾高と、大フィルの堅実な演奏力への信頼が共に高まる演奏会であった。

Dsc_82873

| | | コメント (0)

2025年2月24日 (月)

コンサートの記(890) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第585回定期演奏会

2025年2月14日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第585回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。
尾高はヘルニアの悪化により、1月4日の大フィルのニューイヤーコンサートの指揮をキャンセル。丁度、1月の大フィル定期演奏会が行われた日に手術を受けたようだが、間に合った。体調が戻らないところがあるのではないかと懸念されたがそんなことはなく、元気に指揮していた。

今回は、チケットを取るのが遅れたので、少し料金が高めの席、それも最前列である。上手端の席だったので、ヴィオラ奏者の背中とコントラバス奏者とトロンボーン奏者の全身、そしてティンパニ奏者は顔だけが見える。指揮者の尾高は頭が見えるだけ。コンサートマスターの崔文洙の姿は比較的良く見える。

 

曲目は、松村禎三の管弦楽のための前奏曲と、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」
尾高と大フィルは、尾高の音楽監督就任以降、積極的にブルックナー作品を取り上げてきたが、今回の「ロマンティック」の演奏で、習作扱いされる第00番を除く全てのブルックナーの交響曲を取り上げることになった。レコーディングも行われるはずだが、今日は少なくともステージ上に本格的なマイクセッティングはなし。天井から吊り下げられたマイクだけでレコーディング出来るのかも知れないが、詳しいことは分からず。

 

今回の定期演奏会では、先月26日に逝去された秋山和慶氏のために、エルガーの「エニグマ変奏曲」より“ニムロッド”が献奏される。曲目から、秋山の華麗な生涯への賛歌と見て取れるだろう。
エルガーを得意とする尾高の指揮だけに、輝かしくもノーブルな献奏となった。

Dsc_3325

 

松村禎三の管弦楽のための前奏曲。演奏時間約17分の作品である。ピッコロを6本必要とする特殊な編成。ということで、フルート奏者が客演として多数呼ばれているが、その中に若林かをりの名もある。
「竹林」の中を進むような音楽である。オーボエのソロに、複数のピッコロのソロが絡んでいくのであるが、あたかも竹林の間を抜ける風のようである。やがて編成が厚みを増していくが、茂みなど景色が増える林の奥へ奥へと進んでいくような心地がする。

 

ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。版はノヴァーク版1878/80年 第2稿を使用。
交響曲第4番「ロマンティック」は、ブルックナーの交響曲の中では異色の存在である。他の交響曲が叙景詩的であるのに対し、「ロマンティック」だけは叙事詩的。そのため、ブルックナー指揮者の中でも「ロマンティック」だけは不出来という指揮者もいる。
「ロマンティック」というのは別に男と女がうんたらかんたらではなく、中世のロマン語時代の騎士道精神といった意味で、第3楽章などは狩りに出る騎士達の描写とも言われる。
ブルックナー指揮者でもある尾高であるが、きちんと「ロマンティック」らしいアプローチ。大フィルも躍動感のある演奏を聴かせる。
最前列なので、「ブルックナー開始」であるトレモロがリアルに響きすぎるなど、席にはやや問題があったが、演奏自体は楽しめる。
この曲は、ホルンが肝となるが、大フィルのホルン陣は優れた演奏を聴かせる。以前はホルンは大フィルのアキレス腱であったが、メンバーも替わり、今では精度が高くなっている。
きちんと形作られたフォルム。その中で朗々と響く楽器達。ブルックナーの長所を指揮者とオーケストラが高める理想的な展開である。
第2楽章の寂寥感の表出力も高く、心象風景などが適切に描き出されていた。
「ロマンティック」は朝比奈隆もどちらかといえば不得手としていた曲で、録音もこれはというものは残っていない。一応、サントリーホールでのライブ録音盤(大宮ソニックシティなどでの録音を加えた別バージョンもある)がベストだと思われるが、「ロマンティック」に関しては、朝比奈よりも尾高の方が適性が高いと言える。
尾高と大フィルのブルックナーはライブ録音によるものが毎年リリースされていて、来月には初期交響曲集がリリースされるが、今回の「ロマンティック」の録音により「ブルックナー交響曲全集」としても完成したものと思われる。

| | | コメント (0)

2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

Dsc_2741

| | | コメント (0)

2024年12月31日 (火)

コンサートの記(877) ユベール・スダーン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」2024

2024年12月30日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後5時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団「第9シンフォニーの夕べ」を聴く。指揮はユベール・スダーン。

イギリスと並ぶ古楽の本場、オランダ出身のスダーン。2019年には京都市交響楽団の年末の第九を指揮しており、オランダ出身らしいピリオド援用の演奏を聴かせたが、今回も同様のアプローチが行われることが予想される。

今日は最前列ほぼ下手端での鑑賞。フェスティバルホールの最前列端側で第九を聴くのは旧フェスティバルホールを含めてこれが3回目だが(前回の指揮は尾高忠明、前々回の指揮は大植英次。大植指揮の第九は旧フェスティバルホール最終公演となったもの)、指揮者の姿が全く見えない。そのため、予め配置などを確認。指揮台は用いず、譜面台に総譜を置いての指揮。スダーンは基本的にノンタクトで振るが、見えないので確認出来ず(入退場時には指揮棒を手にしていなかった)。ドイツ式の現代配置での演奏である。バロックティンパニが用いられ、指揮者の正面よりやや下手側に置かれる。その更に下手に台が設けられ、第4楽章だけ出番のある大太鼓、シンバル、トライアングル奏者が陣取る。3人とも板付きである。

今日のコンサートマスターは須山暢大。独唱は、今井実希(ソプラノ)、富岡明子(アルト)、福井敬(テノール)、妻屋秀和(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
合唱団は最初から舞台に上がり、独唱者は第2楽章終了後に下手から入場。今日は独唱者が現れても拍手は起こらなかった。

オーケストラ奏者も第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの後ろ姿が見えるだけ。第4楽章のみ登場する打楽器の3人は全身が見えるが、その他はホルンのセカンドに入った蒲生絢子の横顔が確認出来るだけである。ただ蒲生さんは手元も見え、指の動きだけで「この人は上手い」と悟ることが可能であった。

全般的に速めのテンポを採用。特に「歓喜に寄す」の合唱はかなり速い。実演に接したことのある第九の中では上岡敏之の次に速いと思われる。弦楽器は完全にH.I.P.を採用。ビブラートを控えめにし、しばしば弓を弦から放して音を切るように演奏する。音の末尾では弓を胴体から大きく離していた。
版であるが、第4楽章末尾のピッコロの浮かび上がりは完全にベーレンライター版のそれであった。ただ第2楽章は一般的なベーレンライター版の演奏とは異なっており、ティンパニが5つの音を強、強、強、強、弱で叩く場面は全てフォルテで通し(これは京響との第九でも同様であった)、比較的長めのホルンのソロはセカンドの蒲生絢子も一緒に吹いていたため、ソロではなくなっていた。
第1楽章でもホルンが浮き上がる場面があったが、これはホルンに近い席に座っていたためそう聞こえた可能性もあり、どの版を使ったのは正確には分からなかった。
バロックティンパニを使ったことによりリズムが強調され、京響を振ったときと同様、ロックな印象を受ける。
第3楽章冒頭では弦楽がノンビブラートとなり、ガット弦に近いような鄙びた音を発していた。
最前列で音が上方から降ってくるような印象を受けたこともあって、第2楽章はやはり宇宙の鳴動のように聞こえる。

ベートーヴェンを得意レパートリーとしている大フィルらしい重厚さと軽妙さを合わせ持った演奏。ピリオド・アプローチを得意とするスダーンの指揮でベートーヴェンの他の交響曲も聴いてみたくなる。独唱者と大阪フィルハーモニー合唱団も快速テンポをしっかりと歌いこなしていた。


大フィルの楽団員がステージを後にしてから会場が溶暗となり、恒例のキャンドルサービスによる「蛍の光」の合唱が福島章恭(ふくしま・あきやす)の指揮で歌われて、去りゆく令和6年を思い返し、しみじみとした心地となった。

Dsc_7215_20241231164201

| | | コメント (0)

2024年10月16日 (水)

コンサートの記(861) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第581回定期演奏会 ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」

2024年9月24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第581回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。
今日は事前にチケットを取らず、当日券で入った。

曲目は、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」1曲勝負である。
第九とほぼ同時期に作曲された「ミサ・ソレムニス」。以前は、荘厳ミサ曲という曲名で知られていたが、「荘厳」という訳語が本来の意味とは異なる(「盛儀の」「正式の」といった意味の方が近い)ということで、最近では、「ミサ・ソレムニス」と原語の呼び方に近い表記が採用されるようになっている。
ベートーヴェンが4年がかりで作り上げた大作である。無料パンフレットによると演奏時間は約83分。宗教音楽ということで、神聖さや敬虔さも描かれているのだが、同時にドラマティックであり、第九が人間世界を描いているのに対し(第2楽章は宇宙的で、第3楽章は楽園的であるが)、「ミサ・ソレムニス」は神に近いものを描いていると言われる。ただ、有名な「心より出で--再び心に届かんことを!」という警句が書かれており、この「神」というのは「音楽」または「音楽の神ミューズ」ではないかと受け取れる部分もある。

「ミサ・ソレムニス」は、傑作の呼び声も高いのだが、上演が難しいということで、プログラムに載ることはほとんどない。私も生演奏を聴くのは初めてである。


午後6時30分頃から、大フィル定期演奏会の名物となっている大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長(裏方トップ)の福山修氏によるプレトークサロンがホワイエである。
大フィルは、ベートーヴェン生誕250年に当たる2020年に「ミサ・ソレムニス」を尾高忠明の指揮で上演する予定だったのだが、コロナ禍により上演中止に。練習などは進んでいて、「1年も経てば収まるだろう」との読みから、翌2021年にも「ミサ・ソレムニス」の上演がアナウンスされたのだが、コロナ禍が長引いたため、やはり上演不可。最初の計画から4年が経って、ようやく上演が可能になった。今日は129名での大規模演奏になるという。大阪フィルハーモニー合唱団は、アマチュアの合唱団であり、「なぜプロのオーケストラの演奏会でアマチュアを歌わせるのか?」という疑問を投げかけられることがあるそうだが、尾高さんも「上手さだけじゃない」と語っているそうで、結成51年目になる伝統が持つ味わいが重要なのだと思われる。
合唱指揮者による指揮から全体の指揮者の指揮に変わるタイミングについても質問があり、今回はリハーサルは合唱指揮者の福島章恭(あきやす)が行った後の本番4日前から尾高によるオーケストラ、合唱、独唱者の全体練習が始まったそうである。ちなみに、大阪フィルハーモニー合唱団のトレーナーは、昨日、京都コンサートホールで歌ってた大谷圭介が務めている。

今回の定期演奏会は変則的で、大フィルは同一演目2回公演が基本であるが、振替休日の昨日がマチネー、今日がソワレとなる。大フィルの定期演奏会は、初日が金曜日のソワレ、2日目が土曜日のマチネーとなることも多いが、1日目がマチネーで2日目がソワレという逆の日程は珍しい。

「ミサ・ソレムニス」の初演は、1824年だそうで、当初はその予定ではなかったが、期せずして初演200周年の記念演奏になったという。

福山さんの説明が終わった後で、来場者からの質問のコーナーが設けられており、大フィルの6月定期と7月定期で予定されていた指揮者が相次いでキャンセルしたが、代役というのは早くから見つけているものなのかといった質問(6月のデュトワの客演は、デュトワが先に指揮した新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏で、「体調がおかしいようだ」との情報がWeb上で流れていたため、早めに代役捜しが行われたと思われる)があった。
実は私もザ・シンフォニーホールが定期演奏会場だった時代に質問したことがあるのだが(トーン・クラスターについて)、何故か福山さんと二人で私も解説する羽目になったため、以後は控えている。

質問コーナーが終わった後でも、福山さんには質問出来るので聞いてみた。なお、福山さんとは何度も話し合っている間柄である。
質問は、大フィルのヴィオラ奏者に一樂もゆるという名前の奏者がいたので、「この一樂さんというのは、一樂恒(いちらく・ひさし)さんのご兄弟ですか?」というもの。一樂恒は、現在は京都市交響楽団のチェロ奏者だが、入団以前は、フリーで、京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団によく客演奏者として参加していた。京都のお寺で演奏会を行うというイベント、「テラの音(ね)」コンサートにも出演したことがあり、左京区北白川山田町の真宗大谷派圓光寺(ここは一般のお寺だが、すぐ近くの左京区一乗寺に臨済宗の圓光寺があり、こちらは徳川家康開基の観光寺で、間違えて真宗大谷派の圓光寺に来てしまう人がいるそうである)で行われた「テラの音」では、チェロを弾く前に(他の仕事があったため遅れて参加)京都市内の高低差について話し、この辺りは東寺のてっぺんと同じ高さらしいと語っていた。
福山さんによると、実は一樂もゆるというのは、一樂恒の奥さんで、結婚して苗字が変わったとのことだった(仕事上の旧姓表記にはしなかったようである)。「ライバル楽団の奏者と結婚」と仰っていた(何度も語ってはいるが、福山さんには正体を明かしていないので、私が京都在住だということも多分、ご存じないはずである)。ここでちょっと核心を突いてみる。「お父さんは、大谷大学の一樂(真)教授(真宗学の教授で僧侶でもある)」と口にする。福山さんがビクッとして顔を一瞬引いたので、実際そうであることが分かる。「いやー、よくご存じで」とのことだった。京都でも一樂という苗字は珍しく、しかも仏教系の苗字。年齢的にも親子ほどの差で、名前も一文字。「恒」というのは「恒河沙(ごうがしゃ)」の「恒」。ということで親子の可能性が高かったのだが、知り合いの真宗大谷派の住職に聞いても、「一樂教授のことは知っているけど(真宗界隈では一樂真は有名人である)、音楽のことは知らない」とのことで確証が持てなかったのだが、福山さんなら多分ご存じだろうということで、聞いてみたのである。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、舞台後方に独唱者と合唱が並ぶので、ティンパニは指揮者の正面ではなく、やや下手よりに据えられる。指揮者の正面の一段高いところに独唱者(ソプラノ:並河寿美、メゾ・ソプラノ:清水華澄、テノール:吉田浩之、バスバリトン:加藤宏隆)が横一列に並び、その背後に横長の階段状の台を並べて大阪フィルハーモニー合唱団が控える。


大フィルとのベートーヴェン交響曲チクルスでも好演を聴かせた尾高。「ミサ・ソレムニス」でも確かな造形美と、磨かれた音、決して大仰にはならないドラマ性といった美点溢れる演奏を聴かせてくれる。

基本的にモダンスタイルの演奏だが、第1曲「キリエ(主よ)」や第5曲「アニュス・デイ(神の子羊)」では、弦楽器がノンビブラートかそれに近い奏法を見せる場面もあり、部分的にピリオドなども取り入れているようである。
大阪フィルハーモニー合唱団も力強い合唱。フェスティバルホールは良く響くが声楽が割れやすい会場でもあるのだが、今日は音が飽和する直前で止めた適度な音量で歌われる。この辺は流石、尾高さんである。

第4曲「サンクトゥス(聖なるかな)」には、コンサートマスターによる長大なソロがあり(ヴァイオリン協奏曲ではない曲で、これほど長いヴァイオリンソロを持つ作品は他にないのではないかといわれている)、崔文洙が甘い音色による見事なソロを奏でた。

もう少し野性味があっても良いとも思うのだが、尾高さんの音楽性にそれを求めるのは無理かも知れない。イギリス音楽やシベリウスを得意とする人である。

ともあれ、取り上げられる機会の少ない「ミサ・ソレムニス」を美しい音色と歌声で彩らせた素敵な演奏だった。「素敵」という言葉が最もよく似合う。

Dsc_4599

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD MOVIX京都 NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アップリンク京都 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ ギリシャ悲劇 グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コント コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント トーク番組 ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ポーランド映画 ミステリー ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロシア映画 ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇場 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 写真 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 宗教音楽 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本フィルハーモニー交響楽団 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 時代劇 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 講談 趣味 追悼 連続テレビ小説 邦楽 配信ドラマ 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 音楽番組 食品 飲料 香港映画