コンサートの記(945) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第594回定期演奏会 バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)ほか
2026年1月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて
午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮は下野竜也。大フィル指揮研究員として朝比奈隆の下で学んだ指揮者でもある。ちなみに朝比奈の指揮に接した第一印象は、「何を振ってるのか分からないし、それなのに凄い音が出ていて訳が分からない」だったそうである。
現在は、NHK交響楽団の正指揮者、札幌交響楽団の首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラの音楽監督を務め、広島交響楽団から桂冠指揮者の称号を得ている。吹奏楽出身の指揮者だけに広島ウインドオーケストラの音楽監督として吹奏楽の普及にも励んでいるものと思われる。
曲目は、大栗裕(おおぐり・ひろし)の管弦楽のための「神話」、小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番、バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全一幕。出演:宮本益光、石橋栄実、田中宗利)。
いつものドイツ式の現代配置。今日のコンサートマスターは崔文洙だが、最前列の席だったため、崔文洙の隣で誰が弾いているのか見えず。真っ正面のコントラバスと、ヴィオラ奏者達の背中を見ることになる。管楽器はトロンボーンがわずかに見えるだけ。ただ「青ひげ公の城」ではトロンボーンが高い台に上って吹いたため、よく見えていた。
大栗裕の管弦楽のための「神話」。「天岩戸」を題材にした作品である。大阪フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者にして、大フィルのための作品も多く書いた大栗裕。下野竜也が大阪フィルを指揮してレコーディングデビューしたのも大栗裕作品であった。
大栗は大阪・船場の生まれ。天王寺商業学校(現・大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)を卒業後、実家の小間物問屋を継ぐが、音楽を志し、旧東京交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)や日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のホルン奏者として活躍。朝比奈に呼ばれ再び大阪へ。関西交響楽団時代の1955年に大フィルに入団し、1966年まで在籍。その後は作曲家として活躍している。
管弦楽のための「神話」は、天岩戸が閉じたところから始まり、どうやったら天照大神が出てくるのか神々が考えるところから始まる。太陽神である天照大神が引きこもってしまったため、この世は闇である。ちなみに天照大神は伊勢神宮(内宮)に祀られてからも、「一人で食事をするのが寂しい」ということで豊受大神を呼び寄せているため(伊勢神宮外宮)、「皇祖神なのにメンヘラ」と呼ばれていたりする。
とにかく鶏が鳴けば朝になったと思うだろうということで、トランペットが鶏の鳴き声を真似る。その後も引きこもりの天照大神だったが、天鈿女命が裸踊りを始め、神々がその滑稽さに笑い転げる(芸術・芸能の神である天鈿女命は大宮姫命と同一視されることがあるが、大宮姫命はどちらかというと文芸系の女神である)。一体何事かと岩戸を少し開けてみる天照大神。そこに鏡が差し出され、鏡を知らない天照大神は何が起こったのか戸惑う。そこへ天手力男命が岩戸を強引にこじ開けるというストーリーである。古事記の中でも特に有名な場面の一つであるため、知っている人も多いと思われる。ちなみに京都市の蹴上にある日向(ひむかい)大神宮には、いかにも「作りました」という感じの天岩戸があり、戸隠神社として天手力男命が祀られている(厄除けの神)。初めて見た時には笑ってしまうかも知れないが、面白いことは面白い。
今日のプログラム全般にいえることだが、土俗的な迫力があり、一種の野蛮な力強さが聴く者を惹きつける。下野も造形をきちんと測った上でだが、いつもより強烈なドライブを見せていた。
小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番。小山清茂も音大に学んだ人物ではない。長野師範学校(現・信州大学教育学部)在学中にピアノの音を聴いて魅せられ、独学で作曲をものにする。師範学校卒業後は長野や東京で教員として勤務していた。1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門で1位を獲得。1955年に教職を退いて作曲家として活動するようになっている。
鄙歌とあることからも分かるとおり、洗練とは真逆の古来から地方に残る生命力を音楽として昇華。力強い響きと「和」を感じさせる旋律を特徴とする。
「和讃」「たまほがい(上界と下界の魂のつどい)」「ウポポ(アイヌ語で室内で仕事をしたり儀式を行ったりするときに集団で歌う民謡)」「豊年踊り」の4部からなるが、今日は続けて演奏される。
やはり力強さが要求される曲であり、大フィルのパワーが生きている。大フィルも昔に比べると音に洗練度が増してきたが、こうした演奏も勿論可能である。
バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全1幕)。大フィルは2013年に再開場したばかりのフェスティバルホールで、井上道義の指揮で、ハンガリー人の歌手2人を招いて「コンサートオペラ」として「青ひげ公の城」を上演している。
「青ひげ公の城」は、バルトークが完成させた唯一のオペラで、オペラ・ブッファとは異なる猟奇系オペラの代表作である。猟奇系オペラというジャンルはないが、挙げていくと、「ヴォツェック」、「ルル」、「サロメ」、「ねじの回転」などが含まれるだろう。「トゥーランドット」も場合によっては入るかも知れない。
青ひげ公は残忍な王で、数多の人を死へと導いている。「青ひげ公の城」の話が効果的に使われている映画として黒沢清の出世作である「CURE」が挙げられる。役所広司演じる刑事・高部の妻である文江(若くして亡くなった中川杏奈が演じている。中川杏奈という著名人は複数いるようだが、1965年生まれで演出家の栗山民也の奥さんだった人である)は精神を病んでいるのだが、それがかなり重いと分かる場面に「青ひげ公の城」の絵本が使われている。
出演は、宮本益光(ますみつ。青ひげ公)、石橋栄実(えみ。ユディット)、田中宗利(吟遊詩人)。
宮本益光は、バリトン歌手の他に、演出・構成、外国語オペラ詞の上演用日本語訳、執筆など幅広く活動しており、著書の名は、『職業、宮本益光』である。
大阪音楽大学教授としても知られる石橋栄実。澄んだ声を特徴とするソプラノだが、今日は役が役だけに痛切な声を聞かせる。
田中宗利は、劇団ひまわり所属の俳優。京都大学文学部哲学科卒。ピアノやチェロを習い、指揮者としても活動している。
下野、宮本、石橋の3人は、2023年に広島でも「青ひげ公の城」を上演している。
譜面の上に置かれた照明以外は光が絞られてスタート。吟遊詩人役の田中宗利が上手側から現れて、この話が昔々の語り継がれてきた物語であるということを告げる。
そして演奏開始。下野の巧みなリードに導かれて、豪快にしておどろおどろしい音楽が奏でられる。やはりこのオペラはオーケストラが強靱でないといけない。
青ひげ公の城にやって来た青ひげ公と、妻となったユディット。青ひげ公が残忍な王であるということはユディットも知っている。だが、ユディットは、家族と婚約者を捨てて青ひげ公の王妃になることに決めた。何故なのかは分からない。帰る場所をなくしたが、ユディットはかなり積極的である。青ひげ公に対して何度も「愛している」を口にする。あるいは帰る場所がないので青ひげ公にすがるしかないのかも知れないが。一方、青ひげ公の方は「愛してくれ」とは言うが、一度も「愛している」と口にすることはない。ユディットが「『愛してる』と言って」と迫っても、別の話をする。愛してなどいないのかも知れない。だとしたら正直だが。
一見、青ひげ公がユディットの行動を制しているように見えるのだが、実際にはそうやってユディットの非常に強い好奇心を引き寄せているようである。まんまと鍵を開けさせ、いくつもの部屋を見せ、最後の部屋へ。鍵を開けたのも多くの扉を開いたのもユディットの責任である。最後の部屋には朝の女と昼の女と夕方の女がいた。ユディットは夜の女となる。コンプリートである。
だが、どの部屋にも血痕があった。涙の湖にだけはなかったが、それは涙の湖だからか。とにかく殺さずに残忍な何かが起こっていたとしてもそれは知るよしもない。涙の湖が本当に涙の湖だとしたら、泣いたのは前にいた3人の女ということになる。会ったときには、たまたま普通の精神でいただけで、ユディットも3人の女同様、泣いて湖に涙を落とすことになるのだろうか。
夜の女になったと分かった時点で、ユディット役の石橋栄実は下手に向かって退場するという演出だったが、さて、どこに向かったのか。最後の部屋以外に行く当てはないが。
各部屋は色のついた照明によって表現される。
オペラではあるが、管弦楽に力強さが求められる。その点、馬力に関しては日本屈指のオーケストラである大阪フィルの力がプラスに働く。
独唱者2名の歌唱も優れており、独唱者を伴った管弦楽曲のような緻密な音楽を見事に再現してみせていた。













































































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