カテゴリー「ザ・シンフォニーホール」の93件の記事

2021年1月17日 (日)

コンサートの記(684) ベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月10日 大阪・福島のザ・シンフォニーホール

午後2時より、ザ・シンフォニーホールで、ベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送交響楽団(旧・オーストリア放送交響楽団)の来日公演を聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。曲目は「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:ピョートル・オフチャロフ)、交響曲第3番「英雄」。

ベルトラン・ドゥ・ビリーは、1965年、パリに生まれた指揮者。フランスが生んだ久々の大物指揮者といわれ、2002年からウィーン放送交響楽団の首席指揮者の任にある。
以前、ドイツの若手指揮者が払底気味であるという話をしたが、クラシック音楽のもう一方の雄であるフランスもこれといった若手指揮者を生み出せないでいた。そこへ現れた、ベルトラン・ドゥ・ビリー。フランス音楽界の期待を一身に受けている。

「エグモント」序曲。ドゥ・ビリーは古典配置を採用しているが、ピリオド奏法には興味がないようでオーソドックスな仕上がりを見せる。冒頭は弦が薄いものの響きは美しい。バランスは最上であるがきれい事に終始せず熱い演奏を聴かせる。特に後半の緊張感は異様なほどで、この若きフランス人指揮者のドラマティックな音楽性がよく表れていた。

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。寡聞にして知らなかったが、ピョートル・オフチャロフは1981年レニングラード(現・サンクトペテルブルク)生まれのピアニストで、1999年から本拠地をオーストリアのザルツブルクに移し、数々のコンクールで優勝しているという。
オフチャロフのピアノは彩り豊かであり、音の粒立ちも良く、スケール豊かで表情の細やかなもの。かなり優れたピアニストである。
ドゥ・ビリー指揮のウィーン放送響も、オフチャロフに負けじと色彩豊かな演奏を披露する。

秀演が続いていただけに、交響曲第3番「英雄」への期待が高まる。
ベルトラン・ドゥ・ビリーは「英雄」でも正攻法の演奏を繰り広げる。木管の浮き上がらせ方などに才能を感じさせもする。しかし全体としてはいささか面白味に欠ける演奏になってしまっていた。正攻法ならドゥ・ビリーより優れた演奏をするベテラン指揮者はいくらでもいる。今年42歳の指揮者に第一級の「英雄」を求めるのは酷だったか。今後に期待しよう。
ウィーン放送響の技術も一定の水準には達していたが、第2楽章で突然調子外れの音を出す奏者がいたり(余りに妙な外し方だったので私は驚いてしまったのだが、指揮者のドゥ・ビリーも驚いたようで、一瞬、「ん?」という表情を見せていた)まだまだ改善の余地あり。


アンコールではウィーンゆかりの作曲家の作品を披露。まずはブラームスのハンガリー舞曲第1番で自信に溢れた演奏を披露。
続いて、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「雷鳴と稲妻」が演奏されたが、勢い任せの乱暴な演奏であった。ウィーンの楽団ならどこでもヨハン・シュトラウスの名演を繰り広げるというわけではないらしい。
最後はヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。指揮者のドゥ・ビリーが聴衆相手に拍手の合図を送るなど、楽しい時間を過ごすことが出来た。

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2021年1月15日 (金)

コンサートの記(682) 阪哲朗指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)第45回名曲演奏会

2007年1月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団の第45回名曲演奏会を聴く。指揮は京都市生まれの阪哲朗。1995年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して注目を浴びた指揮者である。シンフォニーオーケストラではなくドイツの歌劇場を中心に活躍しているためか、CDなどは出ていないが、評価は高く、特にドイツにおいてはオペラ指揮者として高く評価されている。1968年生まれと若く、広上淳一(1958年生まれ)、大野和士(1960年生まれ)、大植英次(1956年生まれ)、佐渡裕(1961年生まれ)の次の世代の逸材として注目を浴びている一人である。

ニューイヤーということもあってか、後半はオール・シュトラウス・ファミリー・プログラム。前半はシュニトケの「モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン」と、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。

「モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン」は京都市交響楽団の定期演奏会で井上道義も採り上げていた半冗談音楽。井上道義はこの曲を十八番としているようで、京響との演奏では外連味たっぷりの指揮と演技で大いに笑わせてくれた。阪さんは真面目なので(井上が不真面目ということではないが)井上のような悪ふざけはしない。ただオーケストラ団員が指揮に従わず、どんどん勝手に演奏するという演出はする。チェロ奏者やヴァイオリン奏者に指揮台を占領されてオロオロするという演技などは面白い。阪哲朗は指揮者というよりも老舗旅館の若旦那といった風貌なのでオロオロする様は実にはまっている。

モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」は古典配置による演奏。阪哲朗は知的な音楽作りに定評があるので、おそらくピリオドアプローチで来るだろうと予想。果たしてその通りであった。弦楽器のビブラートを抑えてすっきりとした響きを作り、音の強弱を「ミリ単位」という例えを使ってもいいほど細かくつける。これほど強弱に気を遣う指揮者も珍しい。躍動感にも満ちた音楽を創造するが、踏み外しが一切ないのが逆に気になる。こんなに優等生的な演奏でいいのだろうか。

後半のシュトラウス・ファミリーの音楽は、音に勢いがあり、演出も気が利いていて文句なしに楽しめる演奏であった。昨日聴いたウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラのような、ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いていたバンドと同じサイズの編成による演奏も良いが、やはり現代のコンサートホールで聴くにはサイズの大きなオーケストラの方が適している。大阪シンフォニカー交響楽団も澄んだ響きを出しており、好演だ。

ところで阪哲朗という指揮者はいつも涼しい顔をして振っている。同じ京都市生まれで京都市立芸術大学出身であっても、佐渡裕とは正反対だ。

アンコールは3曲。まずヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。阪は演奏の途中で指揮台を降り、残りの演奏をオーケストラに任せて下手袖(ステージ向かって左側)へ引っ込んでしまうという演出をする。だがこれ、阪は事前にオーケストラに告げていなかったようで、演奏を終えたファーストヴァイオリンの奏者達が驚きの混じった顔で阪の去っていった下手袖を振り返っていた。

アンコール2曲目は恒例のワルツ「美しく青きドナウ」、3曲目も恒例の「ラデツキー行進曲」。まずまずの演奏であった。

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2021年1月 3日 (日)

コンサートの記(678) 仲道郁代「デビュー20周年記念ピアノ・リサイタル」@ザ・シンフォニーホール

2006年10月22日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から大阪のザ・シンフォニーホールで、仲道郁代の「デビュー20周年記念ピアノ・リサイタル」を聴く。
モーツァルト、リスト、ショパンというプログラム。

日本屈指の人気ピアニストである仲道郁代。最近はベートーヴェンのピアノ曲の録音に取り組んでおり、丁寧な仕上がりで評価も上々である。ただ今日はアンコールも含めてベートーヴェンの曲は演奏されなかった。

まずはモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」とピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」という、今月初めに聴いたファジル・サイのピアノ・リサイタルと完全に同じプログラム。もちろん仲道さんは変人でも天才でもないので安定した演奏を聴かせる。ファジル・サイのような強烈な個性を持つピアニストも良いが、毎週サイのようなピアノを聴いていたのでは疲れてしまう。仲道のような正統派の演奏を聴くことも大事だ。
技術は非常に高いが完璧とはいかない。プロとはいえ、毎回毎回絶好調というわけではないからこれは仕方ないだろう。ちなみに演奏のテンポはアンコールも含めて全て速めに設定されていた。
煌めくような音色が美しい。彼女のトレードマークともいうべき(?)口の中で旋律を呟く仕草も健在。そういった癖が健在である必要があるのかどうかはわからないが、癖も個性であり、それを見るのも楽しい。
トルコ行進曲ではたまにタッチが弱く感じられる箇所があったが、安心して聴ける演奏だった。
同じ曲目なので(私とピアノとの距離と位置関係もほぼ同じであった)ファジル・サイと比較しやすいが、音の透明度ではサイの方が上。というのもサイは右ペダル(ダンパーペダルという)を要所要所でしか使わなかったのだ(その分、左のソフトペダルはよく使っていた)。こういうところもグレン・グールドを連想させる。仲道郁代は正統派のペダリングであった。右ペダルを使うと音は大きくなり、伸びて表現はより豊かになるが、音が濁りやすくなる。一長一短だが、右ペダルを使わないで名演を奏でるのは難しい。

続いてリスト作品とリスト編曲作品。
まずはよく知られた「愛の夢」第3番。ロマンティシズムより技術が目立つところもあったが、優しげな表情の音の波が耳を心地良くくすぐる。
続いて、3つの演奏会用練習曲第3番「ため息」と、シューマン作曲・リスト編曲の「ミルテの花」より“献呈”。“献呈”の優雅な表情が印象的だった。


後半はオール・ショパン・プログラム。
幻想即興曲と前奏曲第15番「雨だれ」というポピュラー名曲に続き、ピアノ・ソナタ第3番が演奏される。このピアノ・ソナタ第3番が今日の演奏会の白眉であった。スケール豊かで情熱的な演奏であり、技術も構築力も抜群。穏やかなイメージのある仲道郁代だが、この曲の演奏の迫力は凄い。

最後は「英雄ポロネーズ」。かなり速めのテンポで粗い部分もあったが、迫力と説得力のある名演であった。


アンコールの演奏の前に、仲道が、20周年を大勢の聴衆(ほぼ満員であった)の前で迎えられたことを嬉しく思うという旨を述べ、涙ぐむという一幕があった。

アンコールは5曲。ショパンの夜想曲第20番(遺作)、リストの「メフィスト・ワルツ」第1番(村の居酒屋での踊り)、ショパンの「子犬のワルツ」、ロベルト・シューマンの『子供の情景』より「トロイメライ」、エルガーの「愛の挨拶」。

ショパンの夜想曲第20番の冒頭を他のピアニストとは違ってソフトに弾いたことと、「メフィスト・ワルツ」で見せた超絶技巧が印象的であった。

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2020年11月23日 (月)

コンサートの記(670) チェコ国立ブルノ歌劇場 「ドラマティック・アマデウス」2006@ザ・シンフォニーホール リムスキー=コルサコフ 歌劇「モーツァルトとサリエリ」(ステージ・オペラ形式)ほか

2006年7月28日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪のザ・シンフォニーホールで行われる、チェコ国立ブルノ歌劇場の来日公演「ドラマティック・アマデウス」に出かける。

「ドラマティック・アマデウス」は、日本側の企画により、ブルノ歌劇場が取り組むモーツァルト生誕250周年企画公演であり、モーツァルトが11歳の時にブルノに滞在したことにちなみ、11歳のピアニスト、ヤン・フォイテクをソリストにした、ピアノ協奏曲第23番第1楽章とピアノ・ソナタ第11番より第3楽章「トルコ行進曲」の演奏があり、それからリムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」(ステージ・オペラ形式)、モーツァルトの絶筆となった「レクイエム(死者のためのミサ曲)」(ジュースマイヤー版)が演奏される。

ブルノ国立歌劇場はヤナーチェク劇場(大劇場)、マヘン劇場(中劇場)、レドゥダ劇場(小劇場)の総称で、特にレドゥダ劇場は、11歳のモーツァルトが演奏会を開いたり、ブルノが生んだ作曲家、レオシュ・ヤナーチェクが学生時代に足繁くコンサートに通ったという由緒ある劇場だそうである。

今回はオーケストラは室内オーケストラ編成での演奏となる。指揮はピアノ協奏曲第23番第1楽章と「レクイエム」がヤン・シュティフ、「モーツァルトとサリエリ」をパヴェル・シュナイドゥルが担当する。


一番の目当ては、リムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」で、ピーター・シェーファーの「アマデウス」の元ネタの一つとして名高いが、上演は滅多にされないというこのオペラの実演に接するのが目的だ。


ピアノ協奏曲第23番第1楽章と「トルコ行進曲」のピアノ演奏を担当するヤン・フォイテクは1995年生まれで、2002年から2004年まで3年連続でブルノ・アマデウス国際コンクールで優勝を収めた神童だそうだ(1回優勝すれば良いのに、何で3年も連続で出て、しかも優勝を攫う必要があるのかは良くわからない)。その他にもプラハ・ジュニアノートやリトアニアでのコンクールでも優勝しているという。

イベントなので、フォイテクはモーツァルト時代の格好で登場。発想が京都市立×大の自主公演並みだが、まあ許そう。
いくら神童とはいえ、まだ11歳なので、時に指がもつれそうになったり、強弱が大袈裟だったりするが、まあまあ良くは弾けている。

ブルノ歌劇場管弦楽団は、音に潤いがなく、室内オーケストラとしての透明感も生きていない。多分、余り良い楽器を使っていないのだと思われる。


リムスキー=コルサコフの歌劇「モーツァルトとサリエリ」はプーシキンの同名戯曲をリムスキー=コルサコフ自身がオペラ用に台本を書き換えて作曲したもので、全2幕、上演時間約50分の短編である。原作通り、サリエリの長大なモノローグを中心に構成されており、心理劇の要素が強い。ただアリアやオーケストラのメロディーはあまり魅力的とは思えない。
ピーター・シェーファーの「アマデウス」と違うところは、サリエリもまた天才として描かれ、モーツァルトとの仲がとても良いこと。史実でもモーツァルトとサリエリは仲が良かったようで、互いに互いの作品を高く評価している。
サリエリは、当時のウィーンの宮廷楽長であり、ベートーヴェン、シューベルト、リストという錚々たる作曲家の師としても知られ、モーツァルトの四男で音楽家になったフランツ・クサヴァー・モーツァルト(フランツ・クサヴァーという名は、モーツァルトの弟子であるフランツ・クサヴァー・ジュースマイヤーと同一であることから後に様々な憶測を呼ぶことになる)の作曲の師でもあった。サリエリは作曲家として大変な尊敬を集めており、後年には、「私があれほど活躍しなかったら、モーツァルトももっと売れただろうに」というちょっと傲慢な言葉を残していたりもする。

プーシキンの「モーツァルトとサリエリ」は、サリエリが死の直前(1825年)に「私がモーツァルトを毒殺した」と口走ったとされるスキャンダルに題材をとり、1830年に書かれた戯曲である。誠実な音楽家達でなく、人間としては俗物この上ないモーツァルトに神が作曲家として最高の才能を授けたことに嫉妬するサリエリの姿を描いたものだ。
これをオペラ化したリムスキー=コルサコフの「モーツァルトとサリエリ」の初演は1898年12月7日にモスクワで行われ、サリエリ役にシャリアーピン(シャリアーピン・ステーキにもその名を残す伝説的バス歌手)、舞台裏のピアノ演奏をラフマニノフが担当するなど豪華な顔ぶれであったという。

今回はステージ上でオーケストラが演奏し、その横に簡素なセットを置いて、衣装を着た歌手が演技するという「ステージ・オペラ形式」での上演(東京ではオーケストラがピットに入り、バレエ団なども加えた「グランド・オペラ形式」での上演も行われたという)。

指揮は私より1歳年下(1975年生まれ)のパヴェル・シュナイドゥルが担当。31歳なんて指揮者としてはまだ駆け出しの年齢であるが、音楽的な問題は特にない。
リムスキー=コルサコフはオーケストレーションの名手として知られるが、この作品は地味だ。オーケストラの音色も地味であり、プラスには作用していない。

サリエリ役は、シベリアのノヴォシビルスク出身のベテラン、ユリィ・ゴルブノフ。経験豊かだけに歌、演技ともに安定している。
モーツァルトを演じるのはゾルターン・コルダ。このオペラではモーツァルトは脇役なので余り見せ場がないが、まずまずの出来だ。

劇中、モーツァルトがピアノを弾くシーンがある。実際のピアノの音は舞台裏で奏でられるのだが、モーツァルト役のコルダの手元を見ると、コルダも実際はピアノが弾けるようで(実はピアノが弾けない音楽家というのは意外に多い)、鍵盤をなぞる動きは正確であった。


ベテランのヤン・シュティフが指揮した「レクイエム」K.626(ジュースマイヤー補作完成版)は、シュティフのスッキリした音作りが印象的な好演であった。
ソリストは、ソプラノとバスがベテラン、アルトとテノールが若手という布陣。テノールのリハルド・サメクは1978年生まれのまだ20代の歌手。アルトのヤナ・シュテファーチコヴァーも年齢は書かれていないが若いと思われる(30歳前後だろうか。少なくとも30代後半までは行っていないと思われる。ちなみにかなりの美人だ)。

合唱、ソリストともにレベルはそこそこ高い。

終演後、客席からは「まあ、こんなもんだろう」という感じの拍手があり、ステージ上も「まあ、こんなもんだ」という風にそれに応えていた。

一流の演奏会とは言えないだろうが、一流ではない演奏も落ち着いた趣があってまた良しである。

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2020年11月19日 (木)

コンサートの記(669) 下野竜也指揮広島交響楽団第405回プレミアム定期演奏会「“讃”平和を讃えて」大阪公演

2020年11月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、広島交響楽団第405回プレミアム定期演奏会大阪公演「“讃”平和を讃えて」を聴く。指揮は広島交響楽団音楽総監督の下野竜也。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:小山実稚恵)とブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(1878/80年稿に基づくハース版)。

 

鹿児島市出身で、地元の国立、鹿児島大学教育学部音楽科と東京の桐朋学園大学音楽学部附属指揮教室に学んだが下野竜也だが、指揮者としてのキャリアは大阪フィルハーモニー交響楽団指揮研究員として第一歩を踏み出しており、下野にとって大阪は特別な場所である。広島交響楽団の音楽総監督に就任する際にもザ・シンフォニーホールで特別演奏会を開いたが、今年は第405回の定期演奏会を広島と大阪で行うことになった。

 

コンサートマスターは、佐久間聡一。ドイツ式の現代配置での演奏である。チェロ首席は京都市交響楽団への客演も多いマーティン・スタンツェライト。京都市交響楽団からはトランペットの稲垣路子が参加している。

 

広島交響楽団の演奏を生で聴くのは4回目。広島で広上淳一指揮の定期演奏会を聴き、更に細川俊夫作曲のオペラ「班女」も川瀬賢太郎の指揮で聴いている。大阪では、ブルックナーの交響曲第8番1曲勝負となった下野竜也音楽総監督就任記念演奏会に接し、そして今回である。
広島は中国・四国地方の中心都市であるが、ここ数年は交通的には更なる要衝である岡山市が重要度を増している。岡山にはクラシック音楽専用ホールである岡山シンフォニーホールがあり、日本オーケストラ連盟準会員である岡山フィルハーモック管弦楽団が本拠地としてる。更に2023年夏のオープンを目指して新しい市民会館、岡山芸術創造劇場の建設工事が進んでいる。
一方、広島市内にあるホールは全て多目的で、音響面で優れたホールは一つもなく、この点で岡山に大きく遅れを取っていたが、旧広島市民球場跡地の東側に音楽専用ホールを建設する計画があり、広島音楽界の一層の充実が期待される。

広島交響楽団は、中国・四国地方唯一の日本オーケストラ連盟正会員の団体である。1963年に広島市民交響楽団として発足。これまでに渡邉暁雄、高関健、田中良和、十束尚宏、秋山和慶が音楽監督を務めているが、特に秋山和慶とは1998年に首席指揮者兼ミュージックアドバイザー就任以降(2004年から音楽監督に昇格)、20年近くに渡ってコンビを組み、広島東洋カープのために作曲されたカープ・シンフォニーを出演者全員がカープのユニフォームを着て演奏するなど良好な関係を築き続けてきた。
現在のシェフである下野竜也は、日本のオーケストラとしては余り例のない音楽総監督という肩書きで迎えられており、期待の高さが窺われる。

 

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。本来は、ゲルハルト・オピッツがソリストとして登場する予定だったが、新型コロナ流行による外国人入国規制で来日不可となり、小山実稚恵が代役を務める。
ヴィルトゥオーゾピアニストとして名声を高めてきた小山実稚恵だが、今日は煌びやかな音色と抜群のメカニックを生かしつつ、まさに今の季節の空のように高く澄んだ演奏を展開する。希望と平和への希求と喜びに溢れ、ベートーヴェンが示した「憧れを忘れぬ心」を描き出していく。世界的な危機に直面している現在であるが、ベートーヴェンの志の高さに励まされる思いだ。
情熱的な演奏を行う傾向のある小山であるが、第1楽章と第2楽章は音色とリリシズム重視。第3楽章ではクリアな音色で強烈な喜びを歌い上げる。

広島交響楽団であるが、音の洗練度に関しては関西のオーケストラに一歩譲るようである。所々を除いてピリオドの要素は入れないモダンスタイル基調の演奏であったが、金管は緊張があったのか、安全運転気味で本来の力を発揮出来ていないように感じられた。

 

小山のアンコール演奏は、「エリーゼのために」。
本音を隠したまま思慕の念を語るような大人の演奏であり、当然ではあるが、ピアノの発表会で演奏されるような「エリーゼのために」とは趣が大きく異なる。広がりや夢想と同時に苦味も感じられる演奏であり、悲恋の予感に満ちた音楽のような、「エリーゼのために」の別の顔が垣間見える。

 

ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。
ブルックナーの交響曲の中では異色の部類に入る曲であり、物語性が豊かである。そのため、ブルックナー指揮者が取り上げると面白さがなくなり、ブルックナーをそれほど得意としていない指揮者がなかなかの名演を残すなど、出来が読めない曲である。

これまでブルックナーの初期の交響曲で名演を聴かせている一方で、交響曲第7番、第8番、第9番の後期三大交響曲は今ひとつと、ブルックナーをものに出来ないでいる下野。資質的にはブルックナーの交響曲によく合うものを持っているはずだが、単純にまだ若いということなのだろうか。ブルックナーの後期三大交響曲は老年に達してから名演を展開するようになる指揮者も多いため、今後に期待したい。

さて、そんな下野の「ロマンティック」であるが、これはもう日本で聴ける最高レベルの「ロマンティック」と評しても大袈裟でないほどの快演となった。
弦によるブルックナースタートから立体感があり、雰囲気豊かで、夜明けを告げるホルンの詩情、弦楽器の瑞々しさなど、どれも最高水準である。オーケストラが京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団だったら技術面では更に素晴らしいのかも知れないが、広島交響楽団も大健闘。強弱の自在感などは下野の手兵だから生み出せる味わいであり、指揮者とオーケストラとが一体となった幸福な音楽が、ホールを満たしていく。

広響のブラス陣はかなり屈強だが、下野の巧みなバランス感覚とコントロールにより、うるさくは響かない。

第2楽章の寂寥感、第3楽章の騎行なども描写力に優れ、高原の清々しい空気まで薫ってくるかのようである。

第4楽章は曲調がめまぐるしく変わるが、下野は明快な指揮棒により、場面場面と強弱を巧みに描き分け、大伽藍の頂点へと向かっていく。
ブルックナー指揮者としての素質の高さは誰もが認める下野であるが、今この瞬間に開花を迎えたようだ。そういう意味でもとても喜ばしい演奏会であった。

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2020年10月 8日 (木)

コンサートの記(660) 幸田浩子 「美しき日本のうた 秋」2020

2020年10月3日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「美しき日本のうた 秋」を聴く。ザ・シンフォニーホールが、季節ごとに日本を代表する歌手を招いて送るリサイタル。今回は大阪府出身の人気ソプラノ、幸田浩子が登場する。ピアノ伴奏は、作・編曲家でもある藤満健。

大阪府豊中市出身の幸田浩子。幸田姉妹の妹さんである。実姉はヴァイオリニストの幸田さと子(本名:幸田聡子)。150年程度の歴史しかない日本のクラシック音楽界において、「幸田」という特に珍しくもないがありふれてもいない苗字の姉妹が二組いる(もう一組は日本クラシック黎明期の幸田延、幸田幸の幸田姉妹。幸田露伴の妹である)、というのは結構不思議なことだと思われる。日本を代表する音楽家姉妹は他にも何組かいるが、ピアノの児玉姉妹も幸田姉妹と同じ豊中出身である。豊中市には大阪音楽大学もあり、音楽が盛んなところである。大阪府立豊中高校を卒業後、東京藝術大学声楽科に進学し、首席で卒業。同大学大学院を経て、文化庁オペラ研修所で研鑽を積み、イタリアに渡る。ヨーロッパで多くのコンクールで好成績を収め、ウィーン・フォルクスオーパーと専属契約を結んだことで有名になっている。美人クラシック音楽家の一人であり、人気も高いが、容姿以上に(まあ、当たり前であるが)ハイトーンボイスの魅力で高い評価を受けている。二期会会員。

幸田浩子とコンビを組むことも多い藤満健も東京藝術大学と同大学院を修了。作曲専攻で学んでおり、修士作品は東京藝術大学が買い上げている。作曲コンクールで好成績を上げている他、ピアニストとしても活躍。ピアノ伴奏だけでなくリサイタルも開催している。1995年から2008年まで桐朋学園大学講師を務め、2006年からは桜美林大学の音楽専修講師として後進の指導に当たっている。録音なども多く、映画「おくりびと」ではピアノ演奏を担当している。
藤満も西宮生まれの芦屋育ちということで関西人である。

 

新型コロナウイルスの影響で、制限された中での演奏活動が続けられているが、クラシックの中でも声楽は飛沫が前に飛ぶため最も危険とされており、オランダの合唱団でクラスターが発生するなど、自由な活動が行えなくなっている。日本の年末の風物詩でもある第九演奏会も今年は中止が相次いでおり、京都市交響楽団も第九演奏会でなく「チャイコフスキー・ガラ」を行うことが正式に決まっている。
だからといって声楽のコンサートは全て中止というわけにもいかないので、今日のコンサートも厳戒態勢の中、実施される。

まず事前に発売されたチケットは、ソーシャルディスタンスを保つために振替となる。振替となったチケットには、大きい方に氏名、住所、電話番号を記す必要があり、半券といっても小さい方ではなく大きい方をボックスに入れる。
検温もサーモグラフィーは使うのだが、より正確に測定出来ると思われる柱状のものを用い、3人ずつの検温が行われる。出入り口付近担当のスタッフはフェイスシールドを着用しての対応である。また、陽性判定者が一人も登録しなかったことで「無意味では」と問題視された大阪府独自の追跡サービスもQRコード読み取りで登録出来るようになっている。「特典なしでは使って貰えない」という結論が出たのか、ポイントを貯めると景品が当たるチャンスを得るシステムに変わっている。
アナウンスでは、最新式の除菌システムが採用され、また10分でホール全体の空気が入れ替わる換気装置が作動していることが告げられる。

「5mは離れている必要がある」ということで、ステージに近い前から5列程度は未使用となり、他の席も前後左右最低1席は空けてのフォーメーションとなる。

 

曲目は、第1部が、「この道」、「かやの木山の」、「赤とんぼ」、「からたちの花」、「鐘が鳴ります」、「ばらの花に心をこめて」、「ちいさい秋見つけた」、「里の秋」、「花の街」、「ひぐらし」、「舟唄(方戀)」、「希望」。第2部が、「浜辺の歌」、「椰子の実」、「浜千鳥」、「初恋」、「悲しくなったときは」、日本のうたメドレー(藤満健ピアノ独奏)、「このみち」、「奇跡~大きな愛のように」、「糸」、「見上げてごらん夜の星を」

第1部の前半は山田耕筰作品が並び、秋の歌を経て團伊玖磨作品が4曲続けて歌われる。第2部は前半が「海」を歌った作品で固められ、藤満健のピアノソロを経て、近年作曲された作品やポピュラー楽曲で締められるという構成である。

 

前半は、幸田は真っ赤なドレスで登場。昨日、友人から譲られたばかりのものだという。
楽曲の間に幸田がマイクを手にトークを行うというスタイルで進行していく。
大阪出身ということで、「大阪はまさに故郷」ということから始まり、公開での演奏活動が約半年ほど止まってしまったことなどを語っていた。

冒頭から山田耕筰作品が並ぶが、幸田の母校である豊中高校の校歌が、北原白秋作詞・山田耕筰作曲のものということで思い入れがあるそうだ。と言いつつ、歌詞などはもう忘れてしまっていたそうだが、幸田がそういう話をしているということを知った高校時代の友人達が歌詞をコピーして送ってくれたという。多くの伝統校がそうであるように豊中高校も最初は男子校としてスタートしてるため、校歌も「質実剛健」という言葉から始まる男子校風のものだそうである。

美声を生かしたスケールの大きな歌唱を持ち味とする幸田浩子。日本の童謡を歌うにはもっと素朴な声の方が合っているのかも知れないが、美声でスケール雄大でありながら素朴というのはあり得ないので、声の魅力を楽しむ。素朴な歌声を楽しみたいなら他の歌手で聴けば良い。

團伊玖磨の歌曲は聴いたことのないものばかりだったが、歌詞の生かし方が巧みである。「希望」は北原白秋の詩で、シンプルなものであるが、シンプルであるが故の盛り上がり方を見せ、魅力的な仕上がりとなっていた。

第2部の「海」の歌曲集。私は海に囲まれた千葉県出身だけに「海」を扱った曲には思い入れがある。幸田浩子はクリーム色の衣装に着替えて登場。有名な楽曲が並ぶが、「浜千鳥」の計算された歌声と、寺山修司作詞である「悲しくなったときは」の物語性の的確な描写が印象に残る。

藤満健のピアノソロによる「日本のうたメドレー」は、四季を代表する童謡を藤満自身が編曲したものが演奏される。印象派風の編曲による「朧月夜」に始まり、「夏の思い出」、「もみじ」を経て、「雪の降るまちを」が演奏されるのであるが、「雪の降るまちを」の演奏前には出だしがよく似ていることで知られるショパンの幻想曲ヘ短調冒頭の演奏が挟まれるなど、クラシックファンをくすりとさせる仕掛けが施されていた。

「このみち」は金子みすゞの代表的童謡の一つに伊藤康英がメロディーを付けたものである。金子みすゞの童謡に曲を付ける試みは以前から行われているが、金子みすゞの童謡は、独創的な着眼点や日本語の響き自体の美しさを特徴としているため、メロディーが負けることが多く、これまで成功した例がほとんどない。今回の「このみち」も童謡を読んだ時の印象とかけ離れているため、成功とは言い難いように思う。やはり金子みすゞの童謡は童謡として読むべきものなのだろう。
「このみち」は仏教的要素、特にみすゞが信仰していた浄土真宗本願寺派の影響が顕著であり、「サンガ」的解釈をするのが正解であろうと思われる。

 

多くのシンガーにカバーされていることで知られる中島みゆきの「糸」。幸田は後半をオペラ的なアレンジによるもので歌った。こうしたアレンジに好き嫌いはあると思われるが、最後の一節は原曲のメロディーに戻るため、安心感が得られるという良さもある。

 

「見上げてごらん夜の星を」は、当初はお客さんにも歌って貰おうということで無料パンフレットの裏表紙に歌詞を載せていたのだが、コロナなので大勢で歌うのはやはり「よろしくない」ということで、お客さんには心の中で歌って貰うということになる。
実際には小声で歌う人も何人かいたが、マスク着用必須であり、小声ならそうそう飛沫も飛ばないので問題なしだと思われる。

 

アンコールは2曲。まずは、今や日本語歌曲の定番となった感もある武満徹の「小さな空」。「ポール・マッカートニーのようなメロディーメーカーになりたい」と願いつつ、基本的には響きの作曲家として評価された武満徹。歌曲の旋律は「素朴」との評価もあるが、幸田による「小さな空」を聴いていると、広がりのあるメロディーラインが浮かび上がり、生命感に溢れていることが感じられる。「素朴」というこれまでの評価はあるいは誤りなのかも知れない。今日のコンサート全編を通して、この「小さな空」が幸田の個性に一番合っていた。

最後は、沼尻竜典の歌劇「竹取物語」よりかぐや姫の「告別のアリア~帝に捧げるアリア」。初演時に幸田がかぐや姫を演じて好評を博した歌劇「竹取物語」。今年、東京の新国立劇場と、沼尻竜典が芸術監督を務める滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールでの再演が行われるはずだったのだが、コロナのために中止となっている。
幸田の最大の持ち味である高音を駆使した哀切な歌唱となっていた。

 

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2020年10月 5日 (月)

コンサートの記(659) 小林研一郎指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第396回定期演奏会 「わが祖国」全曲

2006年3月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第396回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大阪フィルを振るのは9年ぶりになるという小林研一郎(愛称:コバケン)である。
コバケンの演奏会には東京にいる時は良く出かけたが、考えてみれば、私がコバケンの指揮を見るのも7、8年ぶりだ。
演目はスメタナの連作交響詩「わが祖国」全曲。

「わが祖国」は名曲ではあるが、聴き通すには集中力がいる。CDも何枚か持っているが、いずれも聴き通すには覚悟がいる。気楽に聴ける曲ではないし、気楽に聴くと面白くない曲でもある。

コンサートなら自ずと集中せざるを得ないから、この曲の真価を堪能するにはやはりライヴということになる。

「わが祖国」のコンサートでは、チェコ人のイルジー(イエジー)・コウトが指揮したNHK交響楽団の演奏が二つの意味で印象に残っている。一つは勿論、演奏の素晴らしさだが、もう一つはNHKホールの3階席上部を占拠した修学旅行生のマナーの悪さ。しかし、最初に接したコンサートが「わが祖国」だったりしたら、「もう一生、クラシックなんて聴くものか」と思う生徒が大半を占めてしまうのではないだろうか。長い上に、「モルダウ」を除いてはポピュラリティーに欠ける。芸術性の高い曲だが、ごく一般的な中高生に芸術性なんてわかるはずがない。というわけで、これは教師のミスだろう。そもそも教師も「わが祖国」がどのような曲か知らなかった可能性も高い。こうして日本の音楽教育は音楽嫌いを増やすことになっていくのかも知れない。

思い出はこれぐらいにして、今日の演奏の出来は文句なしである。この間演奏を聴いた下野さんにも佐渡さんにも悪いけれど、やはり現時点では二人ともコバケンさんの敵ではない。

コバケンさんは視覚的にも面白い指揮者である。「炎のコバケン」の異名の通り、情熱の噴出する指揮ぶり。しかし大袈裟というほどでもない。指揮棒を持った右手のみで指揮する場面も多く、左手は要所要所で用いていたが、以前もこのような指揮だっただろうか? 記憶では右手も左手も同程度用いていた気がする。指揮が変わったのか、あるいは曲目からか。

大阪フィルは非常に良く鳴る。下野竜也の指揮でも良く鳴っていたが、比較にならない。

今日はポディウム席で聴いていたが、音に問題はなし。ザ・シンフォニーホールは舞台背後の席も音が良い。

コバケンさんは指揮者として芽が出るのが遅かったからか、謙虚なところがあり、一曲ごとに指揮台から降りて、オーケストラに向かって一礼してから振り始める。普通はそういうことをするとオーケストラに舐められるのであるが、コバケンさんは音楽がしっかりしているからか、逆に好感を持たれているようだ。

「モルダウ」の終結部、二つの和音が鳴る直前のピアニッシモのところで何故か拍手が起こり、会場が白けてしまったのが残念だが(白熱した演奏なので曲が終わってから拍手が起こるのなら自然だったと思う。しかしこんな有名な曲でフライング拍手をしないで欲しい。曲が終わってから拍手するつもりだった人が白けて熱心に拍手できなかったのがわかった)、前半はオーケストラをものの見事にドライブした快演であった。コバケンさんは唸り声も凄いので、それが気になった人もいるだろうが。

「わが祖国」はタイム的には全6曲を通して演奏してもCD1枚に収まる程度なのだが、やはり演奏者も聴衆も集中力が持たないので、3曲目の「シャールカ」と4曲目の「ボヘミアの森と草原から」の合間に休憩が入る。

休憩時間に、「何だあの拍手は」と話題にする人が多い。

後半も快調、「ボヘミアの森と草原から」の悠揚たる迫力に圧倒され、「ターボル」の間をしっかり取った緊張感溢れる演奏に息を呑む。

ラストの「ブラーニク」には私の好きなオーボエソロがあるのだが、オーボエの音がスムーズに出ない。どうやらリード作りに失敗したようである。オーボエソロの美しさが堪能出来なかったのは残念だが、阿修羅と不動明王に毘沙門天が取り憑いたかのような、恐ろしくなるほどスリリングな演奏であった。終演後、いつも以上に会場が沸く。

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2020年10月 1日 (木)

コンサートの記(657) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第395回定期演奏会

2006年2月16日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第395回定期演奏会を聴く。指揮は音楽監督を務める大植英次。
曲目は今年没後10年を迎える武満徹の「ノスタルジア」(ヴァイオリン独奏は大阪フィルのコンサートマスターである長原幸太)と、前任者である朝比奈隆の十八番だったブルックナーの交響曲第7番。

大阪フィルは他のオーケストラと違い、開演直前にオーケストラのメンバーが一斉にステージ上に現れるというスタイルは取っておらず、メンバーが三々五々出て来て思い思いに旋律をさらう、というのが日常化している。
今日はメンバーが出てくるのが普段より少し遅かった。
メンバーが揃い、ソリストが登場して拍手が起こり……、と思ったら出て来たのはソリストではなく、一人遅刻したフォアシュピーラー(コンサートマスターの隣りで弾く奏者)であった。足早に出て来て、席に座り、さっと髪をなでつける。会場から笑いが漏れる。
ソリストの長原幸太と指揮者の大植英次が登場。大植が「しっかりしてくれよ」とばかりにフォアシュピーラーの背中を叩いたので会場は再び笑いに包まれる。

「ノスタルジア」は私が最も気に入っている武満作品の一つ。憂いに満ちたヴァイオリン独奏と繊細この上ないオーケストラが作り出す、「大仰でない悲しみを歌う」曲である。
演奏開始直後は大阪フィルの弦楽合奏に潤いが不足しているように感じられ、「タケミツ・トーン」が出ていないように思ったのだが、オーケストラの洗練度と繊細さが徐々にアップしていき、この世の音楽とは思えないほど個性的な表情が現れる。長原幸太のソロも適度な抑制を持った演奏で、ストイックなこの曲によく合っている。
ただ、曲が余りにも繊細なので、客席から頻繁に起こる咳の音がとても気になる。武満が亡くなったのは10年前の2月20日だから、この時期にプログラムに入れたのだろうが、風邪の流行るシーズンにこの曲を演奏するのは少し無理があるようだ。

メインのブルックナー交響曲第7番。ブルックナーが残した9曲の交響曲の中で最もメロディアスな曲である。ブルックナー入門用の曲として、交響曲第4番「ロマンティック」(「ロマンティック」とは恋人同士がうんたらかんたら、ではなく、「中世の騎士道精神」という意味)を挙げる人が多いが、私は交響曲第7番の方が入りやすいように思う。第1楽章は雄大、第2楽章は哀切、第3楽章はリズミカル、第4楽章は爽快であり、聴き易い。
演奏が始まると同時にステージ上が別世界に変わる。優れたブルックナー演奏にはそうした力がある。大植はマーラーだけでなく、ブルックナー指揮者としても実力者のようだ。フォルテ、フォルテシモなど、強弱記号の処理も曖昧さがない。
第2楽章も哀切なメロディーが心に響く。この楽章の作曲中にブルックナーは尊敬する作曲家のワーグナーが危篤状態にあることを知る。この楽章はワーグナーの死を確信したブルックナーが、ワーグナーへの哀悼の意を込めた鎮魂の曲となっていく。ワーグナーが自作演奏のために作り出した楽器・ワーグナーチューバがこの楽章では大活躍する。ただ、大阪フィルのワーグナーチューバ陣は粒が揃わず雑然とした演奏に終始。全体としては良い演奏だっただけに、これは残念であった。

朝比奈は、ブルックナーの演奏をする際には「ハース版」(ブルックナーは作品を否定されるたびに楽譜を改訂したため、様々な種類の譜面が残ってしまった。それを編纂したのがロベルト・ハースとレオポルド・ノヴァークで、ハースが編纂したものが「ハース版」、ノヴァークのものが同じく「ノヴァーク版」と呼ばれている)の楽譜を用いるのが常だったので、大植もそれに従っているのだろう、と思いきや第2楽章のクライマックスでシンバルの一撃があり、ティンパニとトライアングルが鳴り響いた。シンバル・トライアングル・ティンパニによるクライマックス形成が採用されているのは「ノヴァーク版」のみである。どうやら朝比奈とは違う流儀であることを示すために「ノヴァーク版」を用いたようだ(プログラムには「ハース版」としっかり書かれている。「ハース版」でも打楽器を鳴らすバージョンは存在するようである)。
第3楽章はリズミカルで迫力があり、最終楽章も活気と感動に満ちた演奏であった。
大阪フィルが朝比奈時代から大植時代に完全に移行したことを示す名演であった。朝比奈のブルックナーを聴き慣れた人には不満があるかも知れないが、いつまでも朝比奈の幻影を求めていても仕方がない。大阪フィルは新時代に入ったのだ。

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2020年5月27日 (水)

コンサートの記(638) アジアオーケストラウィーク2004 金洪才指揮 ソウル・フィルハーモニック管弦楽団

2004年10月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪、ザ・シンフォニーホールでソウル・フィルハーモニック管弦楽団の来日公演を聴く。どうでもいいが、一瞬、ソウルフル・ハーモニーと勘違いしそうな名前を持つ楽団である。ソウル・フィルというオケは何故か2つあるようだが(紛らわしいな)、こちらは1945年創設の韓国一長い歴史を持つオーケストラ。

指揮は在日指揮者、金洪才(キム・ホンジェ)。

韓国といえば、20世紀後半にクラッシック界の逸材を多く生み出したことで知られる。特にヴァイオリンのチョン・キョンファ(鄭京和)と、彼女の弟で指揮者・ピアニストのチョン・ミョンフン(鄭明勲)が有名である。ただオーケストラの充実は大分遅れ、10年前のインタビューでチョン・ミョンフンは「(韓国のオーケストラは)日本より20年は遅れている」と語っていた。

しかし、今日の演奏を聴くと大分腕を上げてきたなという感じを受ける。弦がやや薄いが、日本のオーケストラとも十分に渡り合えそうだ。


1曲目は金成珍(キム・ソンジン)の「帰天」。ソプラノ独唱は姜権洵(カン・グォンスン)。チマチョゴリでの登場だ。
ソウル・フィルの音はやや暗め。少し淡泊で墨絵のような味わい。音楽は韓国らしさを感じさせるものだが、露骨に韓国していないのがいい。この曲は今年作曲された新作だ。


ドヴォルザークのチェロ協奏曲。独奏は梁盛苑(ヤン・ソンウォン)。音は相変わらずやや地味、独奏の梁の演奏も渋いが深みがある。これ見よがしのテクニックを披露するのではなく、音を誠実に奏でていくタイプだ。演奏終了後、梁はJ・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番よりプレリュードをアンコールとして演奏した。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、あのブラームスをして「こんな曲がチェロで書けると知っていたら私も書いていたのに」と言わしめた傑作である。


後半の曲はあのブラームスの交響曲第4番。多分狙ったプログラミングのはずである。ソウル・フィルの音は今度はやや華やか。金の指揮も若々しく、名演となった。


アンコールは韓国民謡「イムジン河」のオーケストラ編曲版。しみじみとしていい演奏である。

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2020年5月25日 (月)

コンサートの記(637) アジアオーケストラウィーク2004 本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団

2004年10月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールでベトナム国立交響楽団の来日演奏会を聴く。アジアオーケストラウィーク2004参加団体として招聘されたもの。指揮は本名徹次。本名は2001年からベトナム国立響のミュージック・アドバイザーを務めている。ベトナム国立響は1959年の創設。最初のコンサートでホー・チ・ミン(胡志明)が指揮台に上がってベトナム国歌を指揮したという何とも社会主義なエピソードを持つ。本拠地は首都ハノイ。ハノイは漢字では河内と書く。かなり大阪っぽい。

ベトナム国立響というと大分前にテレビのドキュメンタリーで日本人指揮者、福村芳一を相手に演奏に苦戦している姿が流された。

ということもあって今回は不安だったのだが、杞憂に終わった。世代交代が進んだようで、メンバーは若い。昨日のソウル・フィルは女性メンバーが全員、ドレスではなくスーツで登場したのが印象的だったが、ベトナム国立響の女性メンバーはドレスだったり民族衣装風だったり様々だ。

弦には輝きがある。たまに雑然とした感じになるのは仕方ないだろう。管はやや不安定だ。

第1曲はド・ホン・クァンの「ベトナム狂詩曲」。面白い曲だがやや長い。後半になるとだれた感じがする。

2曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲。ソリストは1981年生まれの若手、ブイ・コン・ズイ。曲自体は渋いものである。ソヴィエト当局の妨害に遭い、初演は7年も遅れた。ブイのヴァイオリンは昨日のヤン・ソンウォンとは正反対でテクニックを前面に押し出す。いかにも熱演という感じだが、力任せの感じは否めず。ずっと攻めのヴァイオリンなので聴いていて疲れるところがある。


メインもショスタコーヴィチ。交響曲第5番。いうまでもなく交響曲としては20世紀最高のヒット曲である。最近、生でショスタコーヴィチを聴く機会が多くなった。それも第5だけでなく、第10、第11などがプログラミングされる。ショスタコーヴィチの大ブレイクはもうそこまで来ている気がする。

冒頭は音に厚みが不足しているが、煌びやかさはあるし、構築もまずまずである。第2楽章はアイロニカルな表情が生きている。第3楽章も悪くはないが、歌にやや不足。表情ももっと豊かに出来るはずだ。第4楽章、トランペットが落ちる。本名のテンポはかなり速い。トランペットが落ちてからは更にテンポを上げる。この楽章がこれほど速く演奏されるのを聴くのは初めてである。ラストも重みがもう少しあればいいと思ったが、このオケの現状を考えるとよくやったと思う。国立のオケとはいうものの財源が不足しているため、メンバーの多くはアルバイトをしながらリハーサル、本番をこなすという。

アンコールではベトナムの曲と、大阪での演奏会ということで「六甲おろし」が演奏された。

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