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2021年9月 7日 (火)

コンサートの記(741) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第260回定期演奏会

2014年10月10日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第260回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫(ふじおか・さちお)。藤岡が毎年1曲ずつ取り組んでいる「シベリウス交響曲チクルス」の3年目、第3回である。

曲目は、ショパンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:萩原麻未)、シベリウスの「レミンカイネンの帰郷」、シベリウスの交響曲第4番。


午後6時40分頃から藤岡幸夫によるプレトークがある。
藤岡はまず、ショパンのピアノ協奏曲第1番の独奏者である萩原麻未について語る。ジュネーヴ国際コンクールで日本人として初めて優勝した若手ピアニストであることを紹介。藤岡が、いずみホールで行われた萩原のピアノリサイタルを聴いて感激し、以後、東京などでは共演してきたが、関西フィルでやっと共演出来るという喜びを語った。

シベリウスの交響曲第4番についてだが、「今日、来ていただいてこういうことを言うのはどうかとも思うのですが、とっても取っつきにくい」曲だと述べる。藤岡はシベリウスのスペシャリストであるが、「私も若い頃はこの曲がさっぱりわからなかった」そうだ。シベリウスの交響曲第4番に関しては初演の際に曲を理解出来た者が客席に一人もいなかったという言い伝えが有名である。

「シベリウスは、酒や煙草を愛していて、特に大酒飲みであり、酔って乱闘を起こして牢屋に入れられたこともある」と語った後で、「一方で、非常に優しい細やかな人で、自然を愛していた」と続け、「そんな彼が病気になった。腫瘍が見つかり、良性で助かったが、再発の危険を医師から指摘され、酒も煙草も禁じられた」という。酒や煙草は繊細な性格であったシベリウスの自己防衛だったのかも知れない。「酒や煙草を禁じられたシベリウスはストレス発散の方法を日記を書くことに求め、そのため、その当時の心理状況がよくわかる」そうである。「発狂寸前までいった」らしい。シベリウス自身が「暗黒時代」と読んだ日々の中で交響曲第4番は生まれた。「無駄を徹底して削り、管弦楽法も高度なものを用いて、シベリウス本人も『無駄な音符は一つもない』と言ったほど。言っておきますが、交響曲第4番は大変な傑作であります。シベリウスが好きな人の中には『交響曲第4番がシベリウスの最高峰』とおっしゃる方も多くいます(「私=本保弘人」もその一人である)。この曲はいわばシベリウスの音楽がどこまでわかるかの試金石ともいうべきものです」と述べる。

藤岡は、「この曲の第3楽章はシベリウス自身の葬儀で演奏されました。私の師は渡邉暁雄というシベリウスの世界的権威でして、渡邉先生も『自分の葬儀にシベリウスの交響曲第4番の第3楽章を流してくれ』と仰っていましたが、渡邉先生が亡くなったときは、私もまだ若かったものですから実現しませんでした」と語った。

今日はJR西日本やダイキン工業から招待客が多く来ているようだが、クラシックを初めて聴く人にとってはシベリウスの交響曲第4番は手強すぎる。野球に例えると、16打席連続三球三振を食らうレベルである。

シベリウスの交響曲を理解するには、他のクラシックの楽曲を良く理解している必要があるが、それだけでは暗中模索になってしまう。ある程度年齢を重ねていることもシベリウスの交響曲を理解する上での必須条件である。また「ただ悲しみを知る者のみが」シベリウスの楽曲を十分に理解出来る。そういう意味ではシベリウスの交響曲がわからないということは皮肉ではなく幸せであるともいえる。


ショパンのピアノ協奏曲第1番。
ソリストの萩原麻未は広島市安佐南区出身。5歳でピアノを始め、広島音楽高等学校を卒業後、渡仏。パリ国立高等音楽院に入学し、修士課程を首席で卒業。2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝。年によっては優勝なしの2位が最高位ということがある同コンクールで8年ぶりの優勝者となった。それ以前にも第27回パルマドーロ国際コンクールにおいて、史上最年少の13歳で優勝している。

藤岡がベタホメしたので、かなり期待してしまったのだが、確かに良いピアニストである。音は透明感に溢れ、鍵盤を強打した時も音に角がなく、柔かである。ただ、これは時折力感を欠くという諸刃の剣にもなった。メカニックは完璧ではないものの高く、美音を生かした抒情的な味わいを生み出す術に長けており、緩徐楽章の方が良さそうだ、という第一印象を受けたが、やはり第2楽章が一番良かった。他の楽章では一本調子のところも散見される。まだ若いということである。ショパンよりもドビュッシーやラヴェルに向いていそうな予感がした。

藤岡がハードルを上げてしまったため、こちらの期待が大きくなりすぎてしまったが、それを差し引けば、十分に良いピアニストである。

藤岡指揮の関西フィルの伴奏であるが、萩原と息を合わせて思い切ったリタルダンドを行うなど巧みな演奏を聴かせる。今日もチェロを舞台前方に置くアメリカ式の現代配置での演奏であったが、アメリカ式の現代配置だとチェロの音がやや弱く感じられ、低音部が痩せて聞こえる。日本のオーケストラのほとんどがドイツ式の現代配置を採用しているのはドイツ音楽至上主義であった名残であるが、ドイツ式の配置を取ることでチェロの音の通りを良くし、結果として体力面では白人に勝てない日本人に合った配置となったのかも知れない。

演奏終了後、萩原はマイクを持って登場。自身が広島市安佐南区の出身であり、豪雨による大規模土砂崩れが安佐南区で起こったということに触れ、「私はその時、ヨーロッパにいて、テレビでそれを知ったのですが、私に何か出来ることはないかと思いまして」ということで、募金を呼びかける。途中休憩時にはステージ衣装である薄緑色のドレスで、終演後は私服で萩原は募金箱を持ってロビーに立った。私も少額ながら募金を行った。

萩原のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第2番。夜想曲の代名詞的存在である同曲であるが、萩原は左手の8分の12拍子の内、2、3、5、6、8、9、11、12拍目をアルペジオで奏でる。音が足されていたようにも感じたのだが、そこまではわからない。そのため、推進力にも富む夜想曲第2番の演奏となった。


シベリウスの「レミンカイネンの帰郷」。シベリウスがまだ若かった頃の楽曲である。シベリウスの楽曲は後期になればなるほど独自色を増し、他の誰にも似ていない孤高の作曲家となるが、「レミンカイネンの帰郷」を含む「レミンカイネン」組曲ではまだロマン派の影響が窺える。作風もドラマティックである。藤岡指揮の関西フィルも過不足のない適切な演奏を行っていた。


メインであるシベリウスの交響曲第4番。陰々滅々たる曲であるが、20世紀が生んだ交響曲としてはおそらくナンバーワンである。シベリウスの他の曲も、「モーツァルトの再来」ことショスタコーヴィチの交響曲群もここまでの境地には到達出来なかった。

シベリウスを得意とはしているものの、これまではスポーティーな感じであることが否めなかった藤岡の指揮であるが、この曲に関してはアナリーゼが完璧であることは勿論、この曲を指揮するのに必要な計算と自然体を高度な水準において止揚することに成功しており、耳だけでなく皮膚からも音楽が染み込むような痛切にしてヴィヴィッドな音楽を聴かせる。
関西フィルはそれほどパワフルなオーケストラではないが、今日は弦楽パートが熱演。管楽器もシベリウスを演奏するには十分な水準に達している。

絶望を音楽化した作品は、ベートーヴェンやチャイコフスキーも書いており、特にチャイコフスキーの後期3大交響曲は有名であるが、シベリウスはチャイコフスキーとは違い、絶望を完全に受けいれてしまっているだけに余計救いがない。

なお、第4楽章では、チューブラーベルズを使用。シベリウスの交響曲第4番を生で聴くのは3度目であるが、チューブラーベルズを用いた演奏を生で聴くのは初めてである。普通は鉄琴(グロッケンシュピール)が用いられる。シベリウスは「鐘(グロッケン)」とのみ記しており、グロッケンシュピールのことなのか、音程の取れる鐘であるチューブラーベルズのことなのか明記していない。
録音ではヘルベルト・ブロムシュテットやロリン・マゼールがチューブラーベルズを採用している。

チューブラーベルズ入りの演奏を生で聴くと、ベルリオーズの幻想交響曲の最終楽章で奏でられる鐘(これはチューブラーベルズではないが音は似ている)を連想してしまい、ちょっと異様な印象を受ける。明るい音であるため却って不気味なのだ。

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2021年8月12日 (木)

コンサートの記(737) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第451回定期演奏会

2011年9月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第451回定期演奏会を聴く。指揮は日本人指揮者若手ナンバーワンの呼び声も高い下野竜也。

曲目は、J・S・バッハ=ベリオ編曲「フーガの技法」よりコントラプンクトゥスX IX、ボッケリーニ=ベリオ編曲「マドリードの夜の帰営のラッパ」の4つの版、ブルックナーの交響曲第2番(1872年/キャラガン版)。なお、バッハとボッケリーニの曲をベリオが編曲した2曲は下野の意向により、休憩なしで演奏される。

下野の指揮であるが、曲目がメジャーでないためか、台風の影響か、客席は満員にはならなかった。

全曲、アメリカ式の現代配置での演奏である。

バロックの作品をイタリアの現代の作曲家、ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)が編曲した2曲。バッハの遺作「フーガの技法」を取り入れた曲(コントラプンクトゥスとは対位法の複数形)は照明を絞って、ヴィオラとチェロによる開始。音色は渋く、旋律は哀感に溢れている。やがて管とヴァイオリンが加わり、バッハらしい深い音楽が展開される。ハープが「BACH(シ♭・ラ・ド・シ)」の主題を奏で、それが変奏されていく。不協和音の響きが流れ、バッハの死が暗示される。

ボッケリーニの時は照明も曲も一転して明るくなる。行進曲風に始まる、親しみやすい旋律が流れる楽しい曲だ。トランペットとトロンボーンがミュートを付けてユーモラスな音を吹いた後で、ミュートを取って、同じ旋律を吹くと堂々とした凱歌に変わる。下野と大フィルは煌びやかな音で旋律を奏で、リズム感も良く、好演となった。


メインであるブルックナーの交響曲第2番。第1楽章のヴァイオリンの刻み、チェロの歌う主旋律ともに鮮明である。全体的に速めのテンポが採用され、若々しいブルックナーになった。ただ、第1楽章では必要以上にドラマティックになったりする場面もある。

大フィルはブルックナーを演奏する時には、良く言うと澄んだ、悪く言うと無機質な音を出す。非常に明快な演奏だが、ブルックナーはもっとモヤモヤしていてもいいから温かい響きで聴きたいという気もする。

第4楽章も音の動きはよくわかるが、緩やかな場面では、下野ならもっと歌えるはずだ、とも思う。

若い指揮者によるブルックナーの初期交響曲の演奏としては十分高い水準の演奏だったと思うが、この曲の演奏には優れた録音がいくつもあり、また前半の出来に比べると下野と曲との相性が若干落ちるかなという気はする。

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2021年7月 5日 (月)

コンサートの記(728) 阪哲朗指揮山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2021大阪公演

2021年6月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後5時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2021大阪公演を聴く。

毎年恒例の「さくらんぼコンサート」。昨年は新型コロナの影響で中止となったが、今年は東京では山形交響楽団芸術総監督の飯森範親による指揮、大阪では同常任指揮者による阪哲朗の指揮によるコンサートが行われる。

飯森範親の積極的な売り込みと、意欲的なプログラミング、山形を舞台とした映画「おくりびと」にも出演するといった広報戦略によって、「田舎の地味な団体」というイメージを覆し、今やブランドオーケストラへと成長した山形交響楽団。中編成の特性を生かして、特に古典派から初期ロマン派の演奏で魅力を発揮。ピリオド演奏にも積極的で、オール・モーツァルト・プログラムの演奏を行った時には、弦楽器もガット弦に張り替えて、ほぼ古楽器オーケストラとして演奏したこともある。


今日のプログラムは、モーツァルトの交響曲第38番ニ長調「プラハ」、ブリテンの左手のピアノと管楽器のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」(ピアノ独奏:舘野泉)、シューベルトの交響曲第3番ニ長調。


指揮の阪哲朗は、京都市出身の指揮者。両親は山形県の出身である。京都市立芸術大学作曲専修を経て、ウィーン国立音楽大学指揮科に学び、その後はドイツ語圏の歌劇場の指揮者として活躍。1995年には第44回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。現在は東京藝術大学や国立音楽大学の特別招聘教授として後進の育成にも当たっている。日本における自宅は大津市内に構えているということで、びわ湖ホール芸術参与でもある。


山形交響楽団の「さくらんぼコンサート」は、ホワイエで行われる山形物産展が魅力の一つだが、今年はコロナの影響で規模を縮小しての開催。さくらんぼと、山形市に本社を置く「でん六」の新作であるさくらんぼ味のでん六豆の販売のみが行われた。でん六豆のさくらんぼ味は私も買って食してみたが、なかなかの美味である。
なお、演奏会終了後には、来場者全員に、東根市産のさくらんぼがプレゼントされる。


山形交響楽団芸術総監督の飯森範親によると、本番前のプレトーク(変な言い方であるが、他に良い言葉がない)を日本で最初に始めたのは自分自身で、山形交響楽団においてであったそうだが、今回も午後4時40分頃に、パイプオルガンの音による開始5分前の合図があり、午後4時45分頃に山形交響楽団専務理事の西濱秀樹が登場してプレトークが始まる。西濱秀樹は、元々は関西フィルハーモニー管弦楽団の理事長を務めていた人で、赤字続きだった関西フィルの経済状況を好転させた手腕が買われて山形交響楽団に移籍している。

西濱は、「大阪公演には特別ゲストをお招きしております。俳優さんとかじゃないですよ」と言って、特別ゲストであるでん六のゆるキャラ・でんちゃんが登場。でん六の広報担当だと思われる男性も登場して、でん六の新作であるさくらんぼ味の宣伝などを行った。

その後、指揮者の阪哲朗が登場し、曲目の紹介などに移るのだが、さくらんぼの生産で有名な東根市の法被を西濱と二人で来てプレトークを続けることになる。
阪は、「大阪で振るのは久しぶりですが、やっぱり良いホールですね」と、ザ・シンフォニーホールの音響の良さをまず口にする。
西濱によると阪は、関西では「関西出身の指揮者」、山形では「山形県ゆかりの指揮者」として紹介出来る「二度美味しい」指揮者だそうである。

今日やる演目は、先週、山形テルサで行われたコンサートで演奏されたものと同一曲目ということで、そのために前日に違う指揮者と異なる曲目を演奏した後でのノリウチ(「当日に会場に乗り込んで公演を打つ」ことを表す業界用語)が可能になっている。ただ、山形での演奏会ではモーツァルトの「プラハ」がメイン曲目で、大阪とは逆になっているようだ。これについて阪は「元々は事故だった」と語る。大阪でも本来は「プラハ」交響曲がメインになるはずだったのだが、西濱が曲順を変えて書き出したところ、「それでいいんじゃない」ということになり、大阪公演では1曲目と最後の曲が入れ替わることになったようだ。共にニ長調の交響曲であり、20世紀の作曲家であるブリテンの曲を挟んで、オーストリアが生んだ古典派から初期ロマン派を代表する作曲家の同じ調性による作品が対峙するという構図はなかなか面白い。

モーツァルトとシューベルトの共通点について阪は、「どちらともすぐ曲が浮かんで書けてしまう人」と語る。モーツァルトは譜面に修正がほとんどないことでも知られるが(頭の中で全ての音楽が出来上がっていた証拠とされるが、気に入らなかったら破棄して一から書き直したという説もある)「プラハ」に関しては何度もスケッチを重ねていることが分かっているそうだ。

ブリテンの左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」については、阪は「滅多に演奏されなくて、自分が取り上げるのも初めてだが、映画音楽のようなところもある面白い曲」という内容のことを話す。この曲は、ラヴェルに左手のためのピアノ協奏曲の作曲を委嘱したことで知られるパウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄。戦争で右腕を喪う)の依頼によって書かれたものであり、現在は左手のピアニストとして活躍する舘野泉がソリストを務める。ちなみに山形交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者は、舘野泉の息子であるヤンネ舘野が務めており、専務理事の西濱は、「日本のオーケストラで親子共演が聴けるのは山形交響楽団だけ、さくらんぼが貰えるのは山形交響楽団だけ」と宣伝していた。


ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。モーツァルトとシューベルトでは、舞台下手奥に設置されたバロックティンパニが使用され、ホルンもナチュラル使用、トランペットもナチュラルトランペットもしくはバロックトランペットが用いられる。
コンサートマスターは高橋和貴(かずたか)。


モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。阪はこの曲はノンタクトで指揮する。
ピリオドの影響で、モーツァルトの交響曲の演奏はテンポが速くなる傾向にあるが、阪は第1楽章ではやや遅めのテンポでじっくりとスケールを拡げ、第2楽章では中庸のテンポで典雅さを描き、第3楽章では快速で快活さを強調する会心の出来となる。

日本で最もピリオド奏法に長けたオーケストラの一つであり、飯森範親とは「モーツァルト交響曲全集」もリリースしている山形交響楽団。阪との相性もバッチリで、雅やかでありながらパワフル且つ音のグラデーションが鮮やかなモーツァルト演奏となった。

なお、山形交響楽団は、「Bravoタオル」や「Bravo手ぬぐい」を公式発売しているため(今日もホワイエで売られていた)、演奏終了後にそれらを掲げる人も多い。


ブリテンの左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」。この曲では舞台上手奥のモダンタイプのティンパニが用いられる。
20世紀のイギリスが生んだ天才作曲家であるベンジャミン・ブリテン。意欲的な作品をいくつも残しているが、左手のピアノと管弦楽のための主題と変奏「ディヴァージョンズ」も、ブリテンならでは才気を感じさせるもので、ジャズ風の旋律や、映画音楽のような描写的な部分、シンプル且つクラシカルな曲調から現代音楽的な鋭さを感じさせるものまで、1曲の中でありながら振幅の度合いが激しく、それでいて纏まった印象を受ける優れた作品である。

5月に行われた「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2021では、ステージ袖からピアノのところまで右足を引きずりながら歩いて登場した舘野泉だが、今日は車椅子に座って登場。入場時はスタッフに車椅子を押して貰い、退場時などには指揮者の阪が車椅子を押した。

リリカルなピアノ曲の演奏を得意としている舘野泉。今日も冴え冴えとしたタッチで、ブリテンの才気を明らかにしていく。曲調の描き分けも鮮やかで、舘野の器用さが光る出来である。


アンコール演奏は、カッチーニの「アヴェ・マリア」。技術的に完璧とはいかないところもあったが、敬虔な祈りに満ちた感銘深い演奏だった。


シューベルトの交響曲第3番。
31歳という短い生涯の間に、8曲の交響曲を残したシューベルト。だが、前期、中期、後期で作風は大きく異なる。
交響曲第3番は、シューベルトの初期最後の交響曲で、18歳の時に完成している。交響曲第4番「悲劇的」からはロマン派的作風へと大きく舵を取るシューベルトであるが、交響曲第3番は非常に朗らかで、青春の日の歌という趣を湛えている。
全編を通してクラリネットの使い方が巧みで、ウィーンの街を朗らかに闊歩するシューベルトの愉悦感が伝わってくるかのようである。

阪は、右手に持った指揮棒の先を細かく揺さぶったり、左手をグルグル回すといった個性的な指揮姿。身をかがめて指揮することも多い。

中期や後期の交響曲ほどではないが、交響曲第3番にもシューベルト特有の影や毒が潜んでいる。18歳という若さでなぜそのような要素を盛り込む必要があったのか、またその若さで人生の影の部分をいかにして知り得たのかは不明であるが、シューベルトという特異な才能を持った作曲家の核心の部分も丹念に突いた演奏だったように思う。


オーケストラメンバーが退場した後も拍手は続き、阪一人が再び現れて拍手を受けた。

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2021年4月29日 (木)

コンサートの記(713) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第430回定期演奏会

2009年7月29日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第430回定期演奏会に接する。今日の指揮は音楽監督の大植英次。

曲目は、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:クリストフ・バラーティ)とサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(オルガン独奏:室住素子)。


パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストを務めるクリストフ・バラーティは、1979年、ハンガリーのブダペストに生まれ、ベネズエラに育った若手ヴァイオリニスト。祖国であるハンガリーのフランツ・リスト音楽院に学んだ俊英である。

パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番は曲としてはそれほど面白いものではなく、特にオーケストラパートは貧弱だが、「ヴァイオリンの魔神」パガニーニだけに、ソロは華麗であり、それなりに気も利いていて楽しめる。

バラーティのヴァイオリンは音色が煌びやかで情熱的だ。汚い音を出すこともなく、技術も極めて高い。良いヴァイオリニストである。

バラーティは、アンコールとして、イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番」より第1楽章と、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」第2番より“サラバンド”を弾く。バッハはもっと奥行きがあると良かったが、それでも優れた演奏である。


サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。

第2楽章の第2部は大植のヒロイックな音楽作りが発揮され、高揚感のある聴き応えのある演奏となった。ただその他の部分では、音の洗練、技術ともにもっと高いものが望まれる。金管は破裂するような音を出した箇所があっただけに特に。


完璧ではなかったが、楽しめる演奏会ではあった。

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2021年4月10日 (土)

コンサートの記(707) クリスチャン・ヤルヴィ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団来日公演2008大阪

2008年10月11日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、ザ・シンフォニーホールで、クリスチャン・ヤルヴィ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の来日公演を聴く。

開場時間である午後1時の10分前にザ・シンフォニーホールに着いたのだが、先に来て待っているお客さんは2人しかいない。悪い予感がする。

果たして客席はガラガラであった。三連休の初日に一流とはいえない海外オーケストラのコンサートを聴こうという人は余りいないようである。


指揮のクリスチャン・ヤルヴィは1972年生まれ。父親は世界的な指揮者のネーメ・ヤルヴィ。10歳上の兄であるパーヴォ・ヤルヴィも今最も旬な指揮者だ。
クリスチャン・ヤルヴィは2004年からトーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者を務めている。


曲目は、グリーグの組曲「ペール・ギュント」第1番、同じくグリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:上原彩子)、ベートーヴェンの交響曲第5番。


クリスチャン・ヤルヴィは、コートタイプのジャケットを着ていたので、ステージ上だけ冬になったように見える。長髪を振り乱しての指揮。父も兄もツルツルだが、クリスチャンはまだまだ大丈夫のようだ。

「ペール・ギュント」組曲では、正面を向いて指揮棒の振り幅も比較的小さかったクリスチャン。指揮法は父にも兄にも似ていない。

トーンキュンストラー管弦楽団の弦楽は独特の配置。ステージ左手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン。そしてコントラバスはステージの一番奥に横一列に並ぶ。

“朝の気分”では冒頭のフルートが素っ気なかったが、その後は細部を丁寧に詰める演奏が展開される。“オーセの死”の後半で極端なスローテンポを取ったのも印象的。
クリスチャンは、音楽の自然な流れはさほど重視せず、細かい部分に独特の表情を付けていた。


グリーグのピアノ協奏曲イ短調。チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で、日本人初の優勝に輝いた上原彩子。テレビに出演している時の姿は「なんだかなー」で、この人、ピアノ馬鹿なんじゃないかと思ったのだが、本業のピアノは予想以上に素晴らしかった。

エッジの立った音。和音も極めてクリアで、山奥の清流のような清々しいピアニズムを発揮する。ミスタッチもあって技術的に完璧とはいかなかったが、独特のテンポの変化など創造力にも溢れている。上原彩子というピアニスト、やはりただ者ではない。

クリスチャン指揮のトーンキュンストラー管弦楽団も個性溢れる伴奏を聴かせたが、クリスチャンもテンポを自由に動かすタイプなので上原と合わない箇所もあった。上原とクリスチャン指揮のトーンキュンストラー管は相性はさほど良くないようだ。


上原はグリーグの「抒情小曲集」第1集より“アリエッタ”をアンコールとして弾く。これまた清冽なピアニズムを聴かせてくれた。


ベートーヴェンの交響曲第5番。テンポの設定。管楽器の浮き上がらせ方などが、兄、パーヴォの同曲演奏に似ている。基本的に弦楽器にビブラートはかけるが、部分によってはビブラートなし、もしくはビブラートを著しく抑えて古楽器風の響きを出させる。折衷型の演奏である。

クリスチャンの指揮はグリーグの時とは打って変わって激しい。腕をグルグル回す指揮などはパーヴォを思わせる。


CD録音などでは近現代ものしか発表していないので、古典派やロマン派作品に対する実力は未知数だったクリスチャンだが、ベートーヴェン指揮者としてはかなり期待出来そうである。

問題は、まだ頭で音楽を作っている部分が大きいところ。ベートーヴェンなども聴いている時は面白いと思ったのだが、圧倒はされなかったということもあり、コンサートが終わって梅田の街を歩いているうちに感銘がどんどん薄れてしまった。


アンコールとして、バルトークの「ルーマニア舞曲」よりと、ブラームスの「ハンガリー舞曲」第6番が演奏された。ブラームスではクリスチャンは客席の方を振り返ってジェスチャーをして聴衆を笑わせていた。ユーモアの精神を発揮するのはヤルヴィ・ファミリーの共通点のようである。

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2021年4月 4日 (日)

コンサートの記(704) 久石譲コンサート2021 in ザ・シンフォニーホール

2021年3月24日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、久石譲コンサート2021 in ザ・シンフォニーホールを聴く。本来なら2020として昨年の12月23日に行われるはずの公演だったのだが、久石譲が指を骨折したため、延期となっていた。チケットは昨年12月23日のチケットがそのまま使用出来るが、この日に来場出来ない場合は事前の払い戻しにも応じていた。演奏は日本センチュリー交響楽団。久石譲であるが、指の骨折に関しては現在もリハビリ中であり、ピアノを弾く演目はない。

映画音楽の作曲家として名高い久石譲だが、元々は前衛志向の強い現代音楽の作曲家であり、近年は指揮者としての活動も本格的に開始。ライブ録音によって完成した「ベートーヴェン交響曲全集」は高い評価を受けている。なお、久石譲は、今年の4月より日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者に就任する予定である。


曲目は、モーツァルトの交響曲第40番ト短調、久石譲の自作自演となる「I Want to Talk You ~for string quartet,percussion and strings~」、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」


今日の日本センチュリー交響楽団は、ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。コンサートミストレスは松浦奈々。

久石譲は全曲、ノンタクトでの指揮である。


モーツァルトの交響曲第40番ト短調。モーツァルトの交響曲の中でも日本で特に人気のある曲である。モーツァルトが単調で本音を語った数少ない曲とされているが、本当にそうだったのかは今となってはわからない。モーツァルトの後期三大交響曲の作曲の動機は不明とされ、往事はいつか演奏する日のためにまとめて作曲され、初演を待たずモーツァルトが他界したと思われてきたが、交響曲第40番に関してはモーツァルトの生前にアントニオ・サリエリの指揮で初演が行われていることが確認されている。

クラリネット入りの第2版での演奏。

ピリオドアプローチを取り入れた演奏で、弦楽器はビブラートをかなり抑えている。第1楽章はピリオドであることを強調しない自然体の演奏であったが、第2楽章では拍を強調し、音を立体的に浮かび上がらせるという個性が発揮された演奏となっていた。リズム主体の演奏となるため、寂寥感のようなものが後退し、構造的な美と舞曲的側面が露わになる。モーツァルトの純粋な魂が、体を離れてしばし中空で舞っているかのようだ。
第3楽章では低弦を強調し、シンフォニックな響きが強調される。ゲネラルパウゼの生かし方も効果的である。なお、第3楽章までは繰り返し記号を履行していたが、第4楽章では繰り返しは採用せずに終わった。ラストのマジカルな効果を生かすためだと思われる。

なお、第1楽章演奏終了後に、客席から巨大なくしゃみが起こったため、久石の指揮台上で苦笑。後ろを振り返っていた。


久石譲の「I Want to Talk You ~for string quartet,percussiion and strings~」。「I Want to Talk You」は、元々は映画「かぐや姫の物語」の音楽を基にした合唱曲として作曲されたのだが、作曲中に弦楽四重奏団と弦楽オーケストラとパーカッションのための作品にするというアイデアが浮かび、合唱版に先駆けて演奏される。

プログラムノートに久石は、「街を歩いていても、店に入っても人々は携帯電話しか見ていない。人と人とのコミュニケーションが希薄になっていくこの現状に警鐘を鳴らすつもりでこのテーマを選んだ。だが、世界はCovid-19によって思わぬ方向に舵を切った。人と人との接触を控えるこの状況では携帯電話はむしろコミュニケーションの重要なツールになった。この時期にこの曲を書いたことは『あらかじめ想定されていた』あるいは『書くべくして書いた』という何か運命的なものを僕は感じている」と記している。コミュニケーションが変容したわけだが、あるいはコミュニケーションの概念自体が今後は変化していくのかも知れない。ただ接していればいいというのではない。理解しなければならない。そして理解するには最初から「理解しよう」という姿勢でいなければならない。

久石譲はメロディーメーカーであり、ジブリ映画を始めとする多くの映画で名旋律を聴くことが出来るが、真骨頂は現代音楽において発揮される。「I Want to Talk You~for string quartete,percussion and strings~」でも徹底したミニマルミュージックの手法が用いられている。推進力に富み、ノリも良い。
グロッケンシュピールを弦楽の弓で弾くなど、特殊奏法(比較的よく見られる奏法ではあるが)も用いられていた。


モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。
交響曲第40番でもそうだったが、センチュリー響は冒頭ではやや洗練度不足である。ただ、久石は最初から第4楽章に照準を合わせた音楽作りをしているようで、曲が進むたびに演奏のクオリティが上がっていく。
交響曲第40番はティンパニなしの楽曲であるが、「ジュピター」ではバロックティンパニが大活躍。ピリオド奏法が普及するまではよく分からなかったが、往年の作曲家は打楽器、特にティンパニをアクセントとしてかなり重視していたようである。
久石の指揮は独特のタメが個性的であり、速度の自在な変化も特徴であるが、強弱の付け方などはピリオドの原則も生かしている。


アンコール演目は、久石の「魔女の宅急便」より、自作自演であるだけに万全の出来であった。

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2021年2月27日 (土)

コンサートの記(697) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第413回定期演奏会

2007年12月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時より、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第413回定期公演を聴く。
今日の指揮者は音楽監督の大植英次。曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:ルノー・カプソン)とラフマニノフの交響曲第2番。いずれも耽美的な作品である。

大植英次指揮大阪フィルの定期公演といえば、これまでは毎回補助席が出るほどの大盛況だったが、大植が今年に入って定期公演を2度もキャンセルした影響からか、今日の演奏会はほぼ満員にはなったが補助席が出るほどではなかった。

ルノー・カプソンは1976年生まれのフランス人ヴァイオリニスト。ベルリンで学び、クラウディオ・アバドの招きでグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラのコンサートマスターを務めた後、ソリストとしての活躍を始めたという。

カプソンのヴァイオリンは雅やかな音を出す。技術も高く、第3楽章の冒頭で、敢えてひっかくような音を出した他は、汚い音を一切出さない。また、演奏スタイルも面白く、時に体を後ろに思いっきり傾けてヴァイオリンを奏でる。上体をこれだけ後ろに反らせる人を見るのは荒川静香以来である。

大植指揮の大阪フィルも特にファースト・ヴァイオリンが素晴らしく、カプソンに負けじと美しい音を出していた。管は弦に比べると不調で、ホルンは音がずれる場面があったが、これは毎度のことなので気にしても仕方ない。


ラフマニノフの交響曲第2番は、今でこそラフマニノフの最高傑作と評価も高いが、真価が認められるまでにかなりの時間を要した。ロシアでの初演時は大好評を得たが、「長すぎる」との不満も聞かれたため、ラフマニノフはより短いバージョンを作った。その後は長いこと短縮されたバージョンが演奏されてきたのだが、前衛の時代となり、余りにも甘美なこの曲は「ジャムでベトベトの交響曲」などと酷評されることが多くなり、ラフマニノフの死後はコンサートの曲目に載ることも減っていった。

この曲の再評価のきっかけを作ったのはアンドレ・プレヴィンである。彼はこの曲を積極的に取り上げ、カットを廃した完全全曲版をレコーディングするなど曲の普及に努める。
CDの時代になり、CD1枚に収めるのに適当な長さを持つ完全全曲版によるラフマニノフの交響曲第2番は、それまでの不遇が嘘のように人気交響曲となる。前衛の時代も過ぎ去り、甘美なメロディーへの抵抗が少なくなっていたのも大きいだろう。

甘美なメロディーと壮大なスケールを持つラフマニノフの交響曲第2番は、大植の師であるレナード・バーンスタインが好みそうな曲であるはずだが、曲の評価が再び上がり始めていた1990年にバーンスタインが亡くなってしまったためか、それとも他の理由があるのか、バーンスタインはこの曲を録音していない。

ロマン派を得意とする大植の指揮だけに名演が期待される。
冒頭から弦楽は好調、管も健闘する。スケールは大きく、立体感も抜群だ。最も有名な第3楽章で、大植は旋律を粘って歌い、必要以上にアッチェレランドをかけるなどして効果を上げようとしていたが、逆に作為が目立ってしまった。もっと自然に歌った方が美しさが生きると思うのだが。
第4楽章ではお祭り騒ぎのように派手に音が鳴りすぎる場面があった。大植は不満だったようで、再び盛り上がりを迎えたところで今度は抑制を利かせ、完璧に決める。大植は親指を上げて、オーケストラに「グッド」とサインを送った。
問題が全くないわけではないけれど、優れた演奏。音があとちょっと垢抜ければ世界レベルでも通用すると思う。


演奏終了後、爆発的な拍手が大植と大阪フィルを讃える。大植は何度も指揮台に呼び戻され、最後は「もうこれまで」というように大植が客席に向かって手を振り、コンサートマスターの長原幸太が一礼して、演奏会はようやく終わった。大阪の聴衆は素直で、良いときは盛んに拍手するし、そうでないときはそれなりの拍手をする。わかりやすい。純粋に音楽が好きな人が聴きに来ているから、こうした拍手になるのだろう。これが大阪で音楽を聴く楽しみの一つである。

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2021年1月17日 (日)

コンサートの記(684) ベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送交響楽団来日演奏会2007大阪

2007年2月10日 大阪・福島のザ・シンフォニーホール

午後2時より、ザ・シンフォニーホールで、ベルトラン・ドゥ・ビリー指揮ウィーン放送交響楽団(旧・オーストリア放送交響楽団)の来日公演を聴く。オール・ベートーヴェン・プログラム。曲目は「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ独奏:ピョートル・オフチャロフ)、交響曲第3番「英雄」。

ベルトラン・ドゥ・ビリーは、1965年、パリに生まれた指揮者。フランスが生んだ久々の大物指揮者といわれ、2002年からウィーン放送交響楽団の首席指揮者の任にある。
以前、ドイツの若手指揮者が払底気味であるという話をしたが、クラシック音楽のもう一方の雄であるフランスもこれといった若手指揮者を生み出せないでいた。そこへ現れた、ベルトラン・ドゥ・ビリー。フランス音楽界の期待を一身に受けている。

「エグモント」序曲。ドゥ・ビリーは古典配置を採用しているが、ピリオド奏法には興味がないようでオーソドックスな仕上がりを見せる。冒頭は弦が薄いものの響きは美しい。バランスは最上であるがきれい事に終始せず熱い演奏を聴かせる。特に後半の緊張感は異様なほどで、この若きフランス人指揮者のドラマティックな音楽性がよく表れていた。

ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。寡聞にして知らなかったが、ピョートル・オフチャロフは1981年レニングラード(現・サンクトペテルブルク)生まれのピアニストで、1999年から本拠地をオーストリアのザルツブルクに移し、数々のコンクールで優勝しているという。
オフチャロフのピアノは彩り豊かであり、音の粒立ちも良く、スケール豊かで表情の細やかなもの。かなり優れたピアニストである。
ドゥ・ビリー指揮のウィーン放送響も、オフチャロフに負けじと色彩豊かな演奏を披露する。

秀演が続いていただけに、交響曲第3番「英雄」への期待が高まる。
ベルトラン・ドゥ・ビリーは「英雄」でも正攻法の演奏を繰り広げる。木管の浮き上がらせ方などに才能を感じさせもする。しかし全体としてはいささか面白味に欠ける演奏になってしまっていた。正攻法ならドゥ・ビリーより優れた演奏をするベテラン指揮者はいくらでもいる。今年42歳の指揮者に第一級の「英雄」を求めるのは酷だったか。今後に期待しよう。
ウィーン放送響の技術も一定の水準には達していたが、第2楽章で突然調子外れの音を出す奏者がいたり(余りに妙な外し方だったので私は驚いてしまったのだが、指揮者のドゥ・ビリーも驚いたようで、一瞬、「ん?」という表情を見せていた)まだまだ改善の余地あり。


アンコールではウィーンゆかりの作曲家の作品を披露。まずはブラームスのハンガリー舞曲第1番で自信に溢れた演奏を披露。
続いて、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「雷鳴と稲妻」が演奏されたが、勢い任せの乱暴な演奏であった。ウィーンの楽団ならどこでもヨハン・シュトラウスの名演を繰り広げるというわけではないらしい。
最後はヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。指揮者のドゥ・ビリーが聴衆相手に拍手の合図を送るなど、楽しい時間を過ごすことが出来た。

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2021年1月15日 (金)

コンサートの記(682) 阪哲朗指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)第45回名曲演奏会

2007年1月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団の第45回名曲演奏会を聴く。指揮は京都市生まれの阪哲朗。1995年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して注目を浴びた指揮者である。シンフォニーオーケストラではなくドイツの歌劇場を中心に活躍しているためか、CDなどは出ていないが、評価は高く、特にドイツにおいてはオペラ指揮者として高く評価されている。1968年生まれと若く、広上淳一(1958年生まれ)、大野和士(1960年生まれ)、大植英次(1956年生まれ)、佐渡裕(1961年生まれ)の次の世代の逸材として注目を浴びている一人である。

ニューイヤーということもあってか、後半はオール・シュトラウス・ファミリー・プログラム。前半はシュニトケの「モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン」と、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。

「モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン」は京都市交響楽団の定期演奏会で井上道義も採り上げていた半冗談音楽。井上道義はこの曲を十八番としているようで、京響との演奏では外連味たっぷりの指揮と演技で大いに笑わせてくれた。阪さんは真面目なので(井上が不真面目ということではないが)井上のような悪ふざけはしない。ただオーケストラ団員が指揮に従わず、どんどん勝手に演奏するという演出はする。チェロ奏者やヴァイオリン奏者に指揮台を占領されてオロオロするという演技などは面白い。阪哲朗は指揮者というよりも老舗旅館の若旦那といった風貌なのでオロオロする様は実にはまっている。

モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」は古典配置による演奏。阪哲朗は知的な音楽作りに定評があるので、おそらくピリオドアプローチで来るだろうと予想。果たしてその通りであった。弦楽器のビブラートを抑えてすっきりとした響きを作り、音の強弱を「ミリ単位」という例えを使ってもいいほど細かくつける。これほど強弱に気を遣う指揮者も珍しい。躍動感にも満ちた音楽を創造するが、踏み外しが一切ないのが逆に気になる。こんなに優等生的な演奏でいいのだろうか。

後半のシュトラウス・ファミリーの音楽は、音に勢いがあり、演出も気が利いていて文句なしに楽しめる演奏であった。昨日聴いたウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラのような、ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いていたバンドと同じサイズの編成による演奏も良いが、やはり現代のコンサートホールで聴くにはサイズの大きなオーケストラの方が適している。大阪シンフォニカー交響楽団も澄んだ響きを出しており、好演だ。

ところで阪哲朗という指揮者はいつも涼しい顔をして振っている。同じ京都市生まれで京都市立芸術大学出身であっても、佐渡裕とは正反対だ。

アンコールは3曲。まずヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。阪は演奏の途中で指揮台を降り、残りの演奏をオーケストラに任せて下手袖(ステージ向かって左側)へ引っ込んでしまうという演出をする。だがこれ、阪は事前にオーケストラに告げていなかったようで、演奏を終えたファーストヴァイオリンの奏者達が驚きの混じった顔で阪の去っていった下手袖を振り返っていた。

アンコール2曲目は恒例のワルツ「美しく青きドナウ」、3曲目も恒例の「ラデツキー行進曲」。まずまずの演奏であった。

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2021年1月 3日 (日)

コンサートの記(678) 仲道郁代「デビュー20周年記念ピアノ・リサイタル」@ザ・シンフォニーホール

2006年10月22日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から大阪のザ・シンフォニーホールで、仲道郁代の「デビュー20周年記念ピアノ・リサイタル」を聴く。
モーツァルト、リスト、ショパンというプログラム。

日本屈指の人気ピアニストである仲道郁代。最近はベートーヴェンのピアノ曲の録音に取り組んでおり、丁寧な仕上がりで評価も上々である。ただ今日はアンコールも含めてベートーヴェンの曲は演奏されなかった。

まずはモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」とピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」という、今月初めに聴いたファジル・サイのピアノ・リサイタルと完全に同じプログラム。もちろん仲道さんは変人でも天才でもないので安定した演奏を聴かせる。ファジル・サイのような強烈な個性を持つピアニストも良いが、毎週サイのようなピアノを聴いていたのでは疲れてしまう。仲道のような正統派の演奏を聴くことも大事だ。
技術は非常に高いが完璧とはいかない。プロとはいえ、毎回毎回絶好調というわけではないからこれは仕方ないだろう。ちなみに演奏のテンポはアンコールも含めて全て速めに設定されていた。
煌めくような音色が美しい。彼女のトレードマークともいうべき(?)口の中で旋律を呟く仕草も健在。そういった癖が健在である必要があるのかどうかはわからないが、癖も個性であり、それを見るのも楽しい。
トルコ行進曲ではたまにタッチが弱く感じられる箇所があったが、安心して聴ける演奏だった。
同じ曲目なので(私とピアノとの距離と位置関係もほぼ同じであった)ファジル・サイと比較しやすいが、音の透明度ではサイの方が上。というのもサイは右ペダル(ダンパーペダルという)を要所要所でしか使わなかったのだ(その分、左のソフトペダルはよく使っていた)。こういうところもグレン・グールドを連想させる。仲道郁代は正統派のペダリングであった。右ペダルを使うと音は大きくなり、伸びて表現はより豊かになるが、音が濁りやすくなる。一長一短だが、右ペダルを使わないで名演を奏でるのは難しい。

続いてリスト作品とリスト編曲作品。
まずはよく知られた「愛の夢」第3番。ロマンティシズムより技術が目立つところもあったが、優しげな表情の音の波が耳を心地良くくすぐる。
続いて、3つの演奏会用練習曲第3番「ため息」と、シューマン作曲・リスト編曲の「ミルテの花」より“献呈”。“献呈”の優雅な表情が印象的だった。


後半はオール・ショパン・プログラム。
幻想即興曲と前奏曲第15番「雨だれ」というポピュラー名曲に続き、ピアノ・ソナタ第3番が演奏される。このピアノ・ソナタ第3番が今日の演奏会の白眉であった。スケール豊かで情熱的な演奏であり、技術も構築力も抜群。穏やかなイメージのある仲道郁代だが、この曲の演奏の迫力は凄い。

最後は「英雄ポロネーズ」。かなり速めのテンポで粗い部分もあったが、迫力と説得力のある名演であった。


アンコールの演奏の前に、仲道が、20周年を大勢の聴衆(ほぼ満員であった)の前で迎えられたことを嬉しく思うという旨を述べ、涙ぐむという一幕があった。

アンコールは5曲。ショパンの夜想曲第20番(遺作)、リストの「メフィスト・ワルツ」第1番(村の居酒屋での踊り)、ショパンの「子犬のワルツ」、ロベルト・シューマンの『子供の情景』より「トロイメライ」、エルガーの「愛の挨拶」。

ショパンの夜想曲第20番の冒頭を他のピアニストとは違ってソフトに弾いたことと、「メフィスト・ワルツ」で見せた超絶技巧が印象的であった。

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