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2025年2月22日 (土)

コンサートの記(889) 柴田真郁指揮大阪交響楽団第277回定期演奏会「オペラ・演奏会形式シリーズ Vol.3 “運命の力”」 ヴェルディ 歌劇「運命の力」全曲

2025年2月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後3時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪交響楽団の第277回定期演奏会「オペラ・演奏会形式シリーズ Vol.3 “運命の力”」を聴く。ヴェルディの歌劇「運命の力」の演奏会形式での全曲上演。
序曲や第4幕のアリア「神よ平和を与えたまえ」で知られる「運命の力」であるが、全曲が上演されることは滅多にない。

指揮は、大阪交響楽団ミュージックパートナーの柴田真郁(まいく)。大阪府内のオペラ上演ではお馴染みの存在になりつつある指揮者である。1978年生まれ。東京の国立(くにたち)音楽大学の声楽科を卒業。合唱指揮者やアシスタント指揮者として藤原歌劇団や東京室内歌劇場でオペラ指揮者としての研鑽を積み、2003年に渡欧。ウィーン国立音楽大学のマスターコースでディプロマを獲得した後は、ヨーロッパ各地でオペラとコンサートの両方で活動を行い、帰国後は主にオペラ指揮者として活躍している。2010年五島記念文化財団オペラ新人賞受賞。

出演は、並河寿美(なみかわ・ひさみ。ソプラノ。ドンナ・レオノーラ役)、笛田博昭(ふえだ・ひろあき。テノール。ドン・アルヴァーロ役)、青山貴(バリトン。ドン・カルロ・ディ・ヴァルガス役)、山下裕賀(やました・ひろか。メゾソプラノ。プレツィオジッラ役)、松森治(バス。カラトラーヴァ侯爵役)、片桐直樹(バス・バリトン。グァルディアーノ神父役)、晴雅彦(はれ・まさひこ。バリトン。フラ・メリトーネ役)、水野智絵(みずの・ちえ。ソプラノ。クーラ役)、湯浅貴斗(ゆあさ・たくと。バス・バリトン。村長役)、水口健次(テノール。トラブーコ役)、西尾岳史(バリトン。スペインの軍医役)。関西で活躍することも多い顔ぶれが集まる。
合唱は、大阪響コーラス(合唱指揮:中村貴志)。

午後2時45分頃から、指揮者の柴田真郁によるプレトークが行われる予定だったのだが、柴田が「演奏に集中したい」ということで、大阪響コーラスの合唱指揮者である中村貴志がプレトークを行うことになった。中村は、ヴェルディがイタリアの小さな村に生まれてミラノで活躍したこと、最盛期には毎年のように新作を世に送り出していたことなどを語る。農場経営などについても語った。農場の広さは、「関西なので甲子園球場で例えますが、136個分」と明かした。そして「運命の力」の成立過程について語り、ヴェルディが農園に引っ込んだ後に書かれたものであること、オペラ制作のペースが落ちてきた時期の作品であることを紹介し、「運命の力」の後は、「ドン・カルロ」、「アイーダ」、「シモン・ボッカネグラ」、「オテロ」、「ファルスタッフ」などが作曲されているのみだと語った。
そして、ヴェルディのオペラの中でも充実した作品の一つであるが、「運命の力」全曲が関西で演奏されるのは約40年ぶりであり、更に原語(イタリア語)上演となると関西初演になる可能性があることを示唆し(約40年前の上演は日本語訳詞によるものだったことが窺える)、歴史的な公演に立ち会うことになるだろうと述べる。

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柴田真郁は、高めの指揮台を使用して指揮する。ザ・シンフォニーホールには大植英次が特注で作られた高めの指揮台があるが、それが使われた可能性がある。歌手が真横にいる状態で指揮棒を振るうため、普通の高さの指揮台だと歌手の目に指揮棒の先端が入る危険性を考えたのだろうか。詳しい事情は分からないが。
歌手は全員が常にステージ上にいるわけではなく、出番がある時だけ登場する。レオノーラ役の並河寿美は、第1幕では紫系のドレスを着ていたが、第2幕からは修道院に入るということで黒の地味な衣装に変わって下手花道での歌唱、第4幕では黒のドレスで登場した。

今日のコンサートマスターは、大阪交響楽団ソロコンサートマスターの林七奈(はやし・なな)。フォアシュピーラーは、アシスタントコンサートマスターの里屋幸。ドイツ式の現代配置での演奏。第1ヴァイオリン12サイズであるが、12人中10人が女性。第2ヴァイオリンに至っては10人全員が女性奏者である。日本のオーケストラはN響以外は女性団員の方が多いところが多いが、大響は特に多いようである。ステージ最後列に大阪響コーラスが3列ほどで並び、視覚面からティンパニはステージ中央よりやや下手寄りに置かれる。打楽器は下手端。ハープ2台は上手奥に陣取る。第2幕で弾かれるパイプオルガンは原田仁子が受け持つ。

日本語字幕は、パイプオルガンの左右両サイドの壁に白い文字で投影される。ポディウムの席に座った人は字幕が見えないはずだが、どうしていたのかは分からない。

ヴェルディは、「オテロ(オセロ)」や「アイーダ」などで国籍や人種の違う登場人物を描いているが、「運命の力」に登場するドン・アルヴァーロもインカ帝国王家の血を引くムラート(白人とラテンアメリカ系の両方の血を引く者)という設定である。「ムラート」という言葉は実際に訳詞に出てくる。
18世紀半ばのスペイン、セビリア。カストラーヴァ侯爵の娘であるドン・レオノーラは、ドン・アルヴァーロと恋に落ちるが、アルヴァーロがインカ帝国の血を引くムラートであるため、カストラーヴァ侯爵は結婚を許さず、二人は駆け落ちを選ぼうとする。侍女のクーラに父を裏切る罪の意識を告白するレオノーラ。
だが、レオノーラとアルヴァーロが二人でいるところをカストラーヴァ侯爵に見つかる。アルヴァーロは敵意がないことを示すために拳銃を投げ捨てるが、あろうことが暴発してカストラーヴァ侯爵は命を落とすことに。
セビリアから逃げた二人だったが、やがてはぐれてしまう。一方、レオノーラの兄であるドン・カルロは、父の復讐のため、アルヴァーロを追っていた。
レオノーラはアルヴァーロが南米の祖国(ペルーだろうか)に逃げて、もう会えないと思い込んでおり、修道院に入ることに決める。
第3幕では、舞台はイタリアに移る。外国人部隊の宿営地でスペイン部隊に入ったアルヴァーロがレオノーラへの思いを歌う。彼はレオノーラが亡くなったと思い込んでいた。アルヴァーロは変名を使っている。アルヴァーロは同郷の将校を助けるが、実はその将校の正体は変名を使うカルロであった。親しくなる二人だったが、ふとしたことからカルロがアルヴァーロの正体に気づき、決闘を行うことになるのだった。アルヴァーロは決闘には乗り気ではなかったが、カルロにインカの血を侮辱され、剣を抜くことになる。
第4幕では、それから5年後のことが描かれている。アルヴァーロは日本でいう出家をしてラファエッロという名の神父となっていた。カルロはラファエッロとなったアルヴァーロを見つけ出し、再び決闘を挑む。決闘はアルヴァーロが勝つのだが、カルロは意外な復讐方法を選ぶのだった。

「戦争万歳!」など、戦争を賛美する歌詞を持つ曲がいくつもあるため、今の時代には相応しくないところもあるが、時代背景が異なるということは考慮に入れないといけないだろう。当時はヨーロッパ中が戦場となっていた。アルヴァーロとカルロが参加したのは各国が入り乱れて戦うことになったオーストリア継承戦争である。戦争と身内の不和が重ねられ、レオノーラのアリアである「神よ平和を与えたまえ」が効いてくることになる。

 

ヴェルディのドラマティックな音楽を大阪交響楽団はよく消化した音楽を聴かせる。1980年創設と歴史がまだ浅いということもあって、淡泊な演奏を聴かせることもあるオーケストラだが、音の威力や輝きなど、十分な領域に達している。関西の老舗楽団に比べると弱いところもあるかも知れないが、「運命の力」の再現としては「優れている」と称してもいいだろう。

ほとんど上演されないオペラということで、歌手達はみな譜面を見ながらの歌唱。各々のキャラクターが良く捉えられており、フラ・メリトーネ役の晴雅彦などはコミカルな演技で笑わせる。
単独で歌われることもある「神よ平和を与えたまえ」のみは並河寿美が譜面なしで歌い(これまで何度も歌った経験があるはずである)、感動的な歌唱となっていた。

演出家はいないが、歌手達がおのおの仕草を付けた歌唱を行っており、共演経験も多い人達ということでまとまりもある。柴田真郁もイタリアオペラらしいカンタービレと重層性ある構築感を意識した音楽作りを行い、演奏会形式としては理想的な舞台を描き出していた。セットやリアリスティックな演技こそないが、音像と想像によって楽しむことの出来る優れたイマジネーションオペラであった。ザ・シンフォニーホールの響きも大いにプラスに働いたと思う。

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2024年12月30日 (月)

コンサートの記(875) 井上道義 ザ・ファイナルカウントダウン Vol.5「最終回 道義のベートーヴェン!究極の『田園』『運命』×大阪フィル ありがとう道義!そして永遠に!」

2024年11月30日 大阪・福島のザ・シンフォニーホール

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、井上道義 ザ・ファイナルカウントダウン Vol.5「最終回 道義のベートーヴェン!究極の『田園』『運命』×大阪フィル ありがとう道義!そして永遠に!」を聴く。今年の12月30日をもって指揮者を引退する井上道義が、大阪フィルハーモニー交響楽団と行った5回に渡るファイナルカウントダウンコンサートの5回目、つまり今日は井上と大フィルとのラストコンサートとなる。

1946年、東京生まれの井上道義。父親は井上正義ということになっているが、正義は育ての父で実父はアメリカ人である(ガーディナーさんという人らしい)。井上道義は40歳を過ぎてからそのことを知ったそうだ。
成城学園高等部を経て、桐朋学園大学指揮科に入学。グイド・カンテッリ指揮者コンクールで優勝して頭角を現す。若い頃は指揮者の他にバレエダンサーとしても活躍した。
ニュージーランド国立交響楽団首席客演指揮者に就任したのを皮切りに、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督、京都市交響楽団音楽監督兼常任指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督を歴任。
大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者時代(最初は第3代音楽監督への就任を打診されたようだが、荷が重いとして首席指揮者に変えて貰ったようである)は1期3年のみに終わったが、第500回定期演奏会で、朝比奈隆へのリスペクトを露わにした「英雄」交響曲を演奏したり、レナード・バーンスタインの「ミサ曲」を上演するなど、多くの話題を提供した。


今日の演目は、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と交響曲第5番「運命」という王道プログラム。おそらく日本で最もベートーヴェンの楽曲を演奏しているであろう大阪フィルとの最後に相応しい演目である。


「田園」と「運命」とではアプローチが異なり、「田園」は初演当時に近い第1ヴァイオリン8人の小さめの編成での演奏。「運命」はフルサイズで挑むことになる。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。

配置であるが独特である。ぱっと見はドイツ式の現代配置であるが、実は第1ヴァイオリンの隣にいるのはヴィオラであり、ヴィオラと第2ヴァイオリンの場所が入れ替わって、ヴァイオリンの対向配置となっている。具体的に書くと、舞台下手前方から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンとなる。音の低い楽器を奥に置いた格好だ。コントラバスは普通に上手奥に置かれる。同じ編成を誰かがやっていた記憶があるが、誰だったのかは思い出せない。
またティンパニは指揮者の正面奥に置かれているが、「田園」では正面のティンパニではなく、上手奥に置かれたバロックティンパニが使用された。


交響曲第6番「田園」。指揮台を用いず、ノンタクトでの指揮である。
通常の演奏とは異なる楽器が鳴る場面があったり、第5楽章でチェロが浮かび上がるなど、聴いたことのない場面があるが、おそらくブライトコプフ新版の楽譜を使用したのだと思われる。初挑戦の可能性もある。最後までチャレンジを行うのが井上流だ。

弦楽器のビブラートは多めであるが、旋律の歌い方に角張ったところがあるなど、完全にピリオド・アプローチでの演奏である。モダンスタイルのように自然に流さないので、却って鄙びた趣が出て良い感じである。ピリオドではあるが、学問的・学究的な感じではなく、面白く聴かせることに心を砕いているのも井上らしい。
第3楽章や第5楽章では終盤にグッとテンポを落としたのが印象的であったが、「田園」交響曲の性格を考えた場合、効果的だったのかどうか少し疑問は残る。
なお、「田園」交響曲には、ティンパニ、トランペット、トロンボーンなど、第4楽章まで出番のない楽器があるのだが、彼らは第3楽章の演奏途中に上手側入り口からぞろぞろと登場。舞台上手後方に斜めに着座して第4楽章から演奏に加わる。結果としてロシア式の配置ともなった。井上らしい視覚的演奏効果である。
ノンタクトということもあって、それこそバレリーナのような身のこなしで指揮を行う井上。自分を出し切ろうという覚悟も感じられる。

演奏終了後、井上は、「休憩の後、アンコールとして第5をやります」と冗談を言っていた。


ベートーヴェンの交響曲第5番。この曲では指揮台を用い、タクトを手にしての指揮で、視覚的にも「田園」と対比させている。演奏スタイルも完全にモダンだ。ヴァイオリンの対向配置は、「田園」ではさほど意味は感じられなかったが、この曲では音の受け渡しが分かりやすくなって効果的である。
4つの音を比較的滑らかに奏でさせる流線型の格好いいスタート。フェルマータの後の間は短めで、流れ重視のドラマティックな演奏であるが、音のドラマよりも全体としての響きと4つの音からなる構築感を優先させているようにも感じられる。たびたび左手を大きく掲げるのが特徴だが、これは外連のようで直接音楽的に変化があるわけではない。
第1楽章でのホルンの浮かび上がり、ティンパニのロールの違いや第4楽章でのピッコロの音型などからやはりブライトコプフ新版の譜面を用いた可能性が高いと思われる。
若い頃、盟友の尾高忠明と共に「桐朋の悪ガキ・イノチュウ(「チュウ」は尾高忠明の愛称で、「忠」を音読みしたもの)」と呼ばれた井上道義。尾高さんは大分ジェントルになったが、井上さんは、「俺は絶対に丸くなんかならない」という姿勢を貫き通し、やりたいことを全てやるという、最後まで暴れん坊のいたずら小僧であった。
最後の音を、井上は両手で指揮棒を持って剣道のように振り下ろす。今後も井上指揮のコンサートはあるが、関西ではこれが最後。私にとっても最後の井上体験である。ラストの指揮姿は永遠に忘れないだろう。

井上は元バレエダンサーということでクルクル回りながら退場。客席を沸かせる。
再登場した井上に、下手側から花束を手にした大フィルのスタッフが歩み寄るが、今度は上手側から大フィル事務局長の福山修さんが花束を持って登場。男からではあったが両手に花となった。
井上は、「もうアンコールはありません」と言った後で指揮台に上がり、「長い間ありがとうございました」と頭を下げた。


楽団員が退場した後も、鳴り止まない拍手に応えて井上は二度登場。最後は女性楽団員2人がコンサートマスターの崔文洙と共に現れ、女性団員がかしずいて井上に花束を捧げる真似をして(やはり男性から両手に花よりも女性から両手に花の方がいいだろう)、それを崔文洙が賑やかすということをやっていた。

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2024年12月25日 (水)

コンサートの記(873) 広上淳一指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団ほか 「躍動の第九」2024

2024年12月15日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団 広上淳一指揮「躍動の第九」を聴く。
日本の師走の風物詩となっているベートーヴェンの第九演奏会。日本のプロオーケストラのほとんどが第九演奏会を行い、複数の第九を演奏するオーケストラもある。大フィルこと大阪フィルハーモニー交響楽団もその一つで、本番ともいえる第九は、今月29日と30日に本拠地のフェスティバルホールでユベール・スダーンを指揮台に迎えて行うが、その前に、ザ・シンフォニーホールでの第九演奏会も行い、今年は広上淳一が招聘された。広上は以前には大フィルの定期演奏会や特別演奏会によく客演していたが、京都市交響楽団の常任指揮者となってからは、「オーケストラのシェフは同一地区にあるプロオーケストラの演奏会には客演しない」という暗黙の了解があるため、大フィルの指揮台に立つことはなかった。京都市交響楽団の常任指揮者を辞し、一応、「京都市交響楽団 広上淳一」という珍しい称号を得ているが(「名誉指揮者」などの称号を広上は辞退したが、京響としては何も贈らないという訳にはいかないので、折衷案としてこの称号になった)、シェフではないため、関西の他のオーケストラへの客演も再開しつつある。
広上は以前にも大フィルを指揮して第九の演奏会を行っているが、もう20年以上も前のこととなるようだ。

なお、無料パンフレットは、ABCテレビ(朝日放送)が主催する3つの第九演奏会(広上指揮大フィルほか、ケン・シェ指揮日本センチュリー交響楽団ほか、延原武春指揮テレマン室内オーケストラほか)を一つにまとめた特殊なものである。

さて、広上と大フィルの「躍動の第九」。曲目は、ベートーヴェンの序曲「献堂式」と交響曲第9番「合唱付き」。独唱は、中川郁文(なかがわ・いくみ。ソプラノ)、山下裕賀(やました・ひろか。アルト)、工藤和真(テノール)、高橋宏典(バリトン)。合唱は大阪フィルハーモニー合唱団(合唱指導:福島章恭)。

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏。合唱団は最初から舞台後方の階段状に組まれた台の上の席に座って待機。独唱者は第2楽章演奏終了後に、大太鼓、シンバル、トライアングル奏者と共に下手から登場する。

重厚な「大フィルサウンド」が売りの大阪フィルハーモニー交響楽団であるが、広上が振るとやはり音が違う。透明感があり、抜けが良い。広上はベテランだが若々しさも加わった第九となった。

まず序曲「献堂式」であるが、立体感があり、重厚で音の密度が濃く、広上と大フィルのコンビに相応しい演奏となっていた。金管の輝きも鮮やかである。

広上の第九であるが、冒頭から深遠なる別世界からの響きのよう。ベートーヴェンの苦悩とそそり立つ壁の峻険さが想像され、悪魔的に聞こえる部分もある。
第2楽章はあたかも宇宙が鳴動する様を描いたかのような演奏だが(広上自身の解釈は異なるようである)、京響との演奏に比べると緻密さにおいては及ばないように思う。手兵と客演の違いである。それでも思い切ったティンパニの強打などは効果的だ。チェロの浮かび上がらせ方なども独特である(ベーレンライター版使用だと思われ、特別なスコアを使っている訳ではないはずである)。

第3楽章はかなり遅めのテンポでスタート。丁寧にロマンティシズムを織り上げていく。麗らかな日の花園を歩むかのようだ。

第4楽章冒頭は音が立体的であり、大フィル自慢の低弦が力強く雄弁である。独唱者や大フィル合唱団も充実した歌唱を聴かせ、フェスティバルホールで行われるであろう第九とは異なると思われる溌剌として爽やかな演奏に仕上げていた。スダーンの指揮の第九は京都市交響楽団とのものを聴いているが、古楽が盛んなオランダの指揮者だけあって、結構、ロックな出来であり、また聴くのが楽しみである。

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2024年5月15日 (水)

コンサートの記(844) 山下一史指揮大阪交響楽団第271回定期演奏会「外山雄三追悼」

2024年4月26日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪交響楽団の第271回定期演奏会「外山雄三追悼」を聴く。指揮は、大阪交響楽団常任指揮者の山下一史。

日本指揮者界の重鎮として、また作曲家として活躍した外山雄三(1931-2023)。晩年は大阪交響楽団のミュージックアドバイザーを務め、2020年に名誉指揮者の称号を得ていた。
東京・牛込の音楽一家の生まれ。東京音楽学校本科作曲科に入学。在学中に学制改革があり、官立東京音楽学校本科作曲科から国立東京芸術大学音楽学部作曲科の学生へと変わる。芸大在学中に「クラリネット、ファゴット、ピアノのための<三つの性格的断片>」で、第20回音楽コンクールに入賞。作曲家としてのデビューの方が早い。
芸大卒業後は、NHK交響楽団の打楽器練習員となり、その後、指揮研究員へと変わって、1956年9月にNHK交響楽団を指揮してデビュー(盟友である岩城宏之と同じコンサートを振り分けてのデビューである)。その間、林光、間宮芳生と作曲家グループ・山羊の会を結成。作曲家としての活動も活発化させている。
1958年から60年に掛けてウィーンへと留学。少し足を伸ばしてザルツブルク・モーツァルティウム音楽院で、オーケストラトレーナーとしても知られるエーリヒ・ラインスドルフのマスタークラスにも参加している。
1960年のNHK交響楽団世界一周旅行に岩城宏之と共に指揮者として帯同。アンコール演奏用曲目として作曲されたのが、代表作となった「管弦楽のためのラプソディ」である。
当初は現在の3倍ぐらいの長さがあったらしいが、岩城から、「ここいらない」「ここもいらない」と次々に指摘され、今の長さに落ち着いたという。

その後、大阪フィルハーモニー交響楽団の専属指揮者となり、初のシェフのポストとして京都市交響楽団の第4代常任指揮者を1967年から1970年までの3年間務めている。3年は短いように感じるが、この頃の京都市交響楽団は常任指揮者を2、3年でコロコロ変えており、外山だけが短いわけではない。在任中の第100回定期演奏会ではストラヴィンスキーの3大バレエ(「火の鳥」、「ペトルーシュカ」、「春の祭典」)全てを演奏するなど意欲的な試みを行っている。

1979年にNHK交響楽団の正指揮者に就任。私がNHK交響楽団の学生定期会員をしていた頃には、外山に加え、岩城宏之、都響から移った若杉弘の3人がNHK交響楽団の正指揮者であったが、当時のN響は定期演奏会は完全に外国人指揮者指向。4月の定期に日本人指揮者の枠があったが、若手優先ということで、正指揮者は指揮台に立つ機会が限られていたため、N響と外山の組み合わせのコンサートを聴くことはなかった。外山もN響以外の東京のオーケストラに客演しており、私もサントリーホールで日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した自作自演コンサートなどは聴いている。これはライブ録音が行われ、CDとして出ている。京都に来てからは、先斗町歌舞練場で行われた京都市交響楽団の創立50年記念コンサートを聴いている。大響とのコンサートは、大阪4オケの第1回の演奏会で聴いたのが唯一である。

音楽総監督兼常任指揮者を務めていた名古屋フィルハーモニー交響楽団時代には、広上淳一がアシスタント・コンダクターに就任。1年だけだが面倒を見ている。1991年に広上がスウェーデンのノールショピング交響楽団の首席指揮者になった際には外山に「ノールショピング交響楽団のためのプレリュード」の作曲を依頼し、初演してCD録音も行っている。ちなみに名フィルのアシスタント・コンダクターの最終候補2人に広上と共に入り、落選したのは佐渡裕であるが、外山は佐渡に「君はうちとは方向性が違うみたいだから他の場所で」頑張るよう告げている。その後、仙台フィルハーモニー管弦楽団や神奈川フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務め、愛知県立芸術大学では教鞭も執った。民音コンクール指揮者部門(現・東京国際指揮者コンクール)の審査員も長きに渡って務めている。
2023年5月27日に、東京芸術劇場コンサートホールで行われたパシフィックフィルハーモニア東京の演奏会のリハーサル中に体調を崩し、本番は後半のシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」のみを指揮することになったが、本番中に指揮が出来なくなり、車椅子で退場。オーケストラは指揮者なしで演奏を続けた。カーテンコールには車椅子に乗ったまま現れたが、それが公に見せた最後の姿となった。7月11日、自宅にて没。92歳での大往生、生涯現役であった。


大阪交響楽団は、普段はプレトークを行う習慣はないようだが、今日は特別に午後6時40分頃に山下一史が舞台に現れ、プレトークが行われる。
山下は桐朋学園大学で尾高忠明に師事しているが、外山はその尾高の師匠だそうで、先生の先生に当たると話す。
山下と外山の出会いは民音コンクールで、山下がブラームスの交響曲第3番の第1楽章を指揮した後で、審査員の外山が近づいてきて、「君のブラームスが一番良かった」と褒めてくれたそうである。
2022年4月から山下が大阪交響楽団の常任指揮者となることが決まり、外山に電話で報告したのだが、「僕はもう名誉指揮者だから(自由にやりなさい)」と言われたそうである。4月23日には外山の卒寿を祝うコンサートがザ・シンフォニーホールで行われ、そのゲネプロの時に挨拶したのが外山との最後だったようである。
外山の没後、八ヶ岳の外山の自宅を訪ねた山下は、奥さんに「そのままにしてあるから」と言われた自室で、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」の総譜が開かれたままになっていることに気づく。近く「ドイツ・レクイエム」を指揮する予定はなく、研究をしていたようだ。「主にあって死ぬものは幸いである」のページが開かれていたという。
また、外山がいつも腰掛けていたというダイニングルームの椅子からはリビングルームの壁に掛けてある小さな十字架を見ることが出来たという。外山はクリスチャンだった。
山下は帰り際に、外山雄三の追悼コンサートを行うことを決めたという。


曲目は、1960年代、外山が30代だった頃の楽曲から選ばれている。管弦楽のためのディヴェルティメント(1961)、ヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:森下幸路。1966)、バレエ「幽玄」演奏会用組曲(1965)、交響曲「帰国」(1965-66/1977・78改作)。

外山雄三の作品の中では先に挙げた通り「管弦楽のためのラプソディ」が有名で、山下もこれまでに100回ぐらい指揮しているそうだが、今日のプログラムは全て初めて取り組む曲ばかりだそうで、勉強して演奏に臨むという。
「管弦楽のためのラプソディ」は演目に含まれていないが、アンコールで演奏されることが予想される。


今日のコンサートマスターは、今月付でコンサートマスターからソロコンサートマスターに格上げになった林七奈(はやし・なな)。アソシエイトコンサートマスターという肩書きで岡本伸一郎が、アシスタントコンサートマスターの名で里屋幸がフォアシュピーラーを務める。


管弦楽のためのディヴェルティメントは、プラハ交響楽団に客演することになった岩城宏之から、「外国のお客さんに楽しんで貰えるものを」との依頼を受けて書かれたもので、秋田のドンパン節を筆頭に様々な民謡を入れたショーピースで、日本情緒に溢れている。


ヴァイオリン協奏曲第2番。ソリストの森下幸路(もりした・こうじ)は、大阪交響楽団の首席ソロコンサートマスター。桐朋学園大学に学び、シンシナティ大学特別奨学生としてドロシー・ディレーに師事。仙台フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターを経て、大阪交響楽団の首席ソロコンサートマスターに就任。大阪音楽大学特任教授も務めている。
「通りゃんせ」のメロディーが登場する外山節の曲調だが、第3楽章でピッチカートの場面が連続するのが印象的。まるで箏曲を聴いているような錯覚に陥る。
聴くからに「難曲」と思わせる曲であるが、森下の技術は高かった。


バレエ「幽玄」演奏会用組曲。私は外山の「幽玄」が好きで、NHK交響楽団を指揮した自作自演盤(DENON)を何度も聴いているが、鮮烈な響きに始まり、日本的なメロディーをストラヴィンスキー的な鋭さでくるんだような、和と洋の止揚された作風が魅力的である。京響の第100回定期演奏会で、ストラヴィンスキーの3大バレエを取り上げたことからも分かる通り、外山はストラヴィンスキーに大きな影響を受けており、響きにも似たところがある。
バレエ「幽玄」はオーストラリア・バレエ団の監督兼振付師であったロバート・ヘルプマンの依頼で書かれたものだが、NHK交響楽団は1964年に岩城と外山の指揮で行ったツアーでオーストラリアを訪れており、外山作品も演奏されている。ヘルプマンはその公演を聴いて外山にオファーしたようである。


交響曲「帰国」。外山は交響曲作品を何曲も書いているが、何曲書いたと断定することは難しいそうで、通し番号があるのは第2番から第4番まで、しかしそれ以外にも交響組曲や交響連歌と題されたものもあり、第1番の番号を持つものがない。作曲年代やスタイルから考えると、この交響曲「帰国」が交響曲第1番に相当するもののようである。
「帰国」というタイトルが何を意味するのかも不明で、謎めいた作品である。
外山はミュージカル「祇園祭」の音楽も書いているが、「帰国」に聴かれる打楽器の派手な活躍は祭り囃子を思わせ、やはり民謡を引用しつつも鮮烈な響きを生む日本の祝祭感を謳い上げたかのような作品となっている。
ちなみにこの曲は、音響最悪で知られた京都会館第1ホールで、作曲者指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏により1966年1月に初演が行われているが、響きの良いザ・シンフォニーホールで聴くものとは明らかに違う曲に聞こえたことは間違いないと思われる。


演奏が終わってから、各楽器の奏者達が新しい譜面を取り出すのが見える。

拍手に応えて指揮台に上がった山下は、「外山先生と言えばこの曲でしょう」と告げ、「管弦楽のためのラプソディ」が演奏される。お馴染みの曲だけに大阪交響楽団も手慣れており、音色、輝き、迫力共に十分な演奏となった。


山下は1曲ごとに総譜を掲げて敬意を表したが、最後は全ての総譜を抱えて現れ、高々と示した。

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2022年9月29日 (木)

コンサートの記(806) 広上淳一指揮オーケストラ・アンサンブル金沢大阪定期公演2022

2022年9月23日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後2時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、オーケストラ・アンサンブル金沢の大阪定期公演を聴く。指揮は、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)アーティスティック・リーダーに就任したばかりの広上淳一。広上とOEKは、今月18日にシェフ就任のお披露目となる演奏会を行い、同じプログラムで、名古屋、大阪、東広島、境港を回る。

京都市交響楽団退任後は、名誉称号も断り、フリーランスの指揮活動に専念しようと思っていたという広上だが、岩城宏之や井上道義という広上も影響を受けた指揮者の薫陶を受けてきたオーケストラ・アンサンブル金沢のシェフをOEKアーティスティック・リーダーという称号で受諾している。


曲目は、コダーイのガランタ舞曲、ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」(デシャトニコフ編曲。ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」


今日のコンサートミストレスはアビゲイル・ヤング。ドイツ式の現代配置での演奏である。通常のティンパニの横にバロックティンパニが置かれており、「英雄」がピリオドスタイルで演奏されることがわかる。


広上淳一は頭髪をきれいに剃って登場。老眼鏡を掛けてスコアを確認しながらの指揮である。


コダーイのガランタ舞曲。コダーイが子供時代を過ごしたガランタの街で聞いたジプシーの音楽に影響を受けたというガランタ舞曲。いかにもそれらしい旋律で始まり、オリエンタルムードにも富む旋律も登場する。
広上指揮するオーケストラ・アンサンブル金沢は音の分離が良く、ノリの良さと同時に構築力の確かさも感じられる。


ピアソラの「ブエノスアイレスの四季」。聴く機会が徐々に増えつつある作品である。元々は室内楽編成による曲で、室内楽バージョンも演奏会のプログラムでよく目にするようになっているが、今回はウクライナ出身のレオニード・デシャトニコフ(1955- )の編曲による独奏ヴァイオリンと弦楽合奏版で演奏される。曲順は、「ブエノスアイレスの秋」「ブエノスアイレスの冬」「ブエノスアイレスの春」「ブエノスアイレスの夏」の順番だが、ブエノスアイレスのある南半球は北半球と季節が逆転しているということで、「ブエノスアイレスの秋」にはヴィヴァルディの「春」の、「ブエノスアイレスの夏」はヴィヴァルディの「冬」の、「ブエノスアイレスの春」はヴィヴァルディの「秋」の、「ブエノスアイレスの夏」はヴィヴァルディの「冬」からの引用がある。それとは別に「ブエノスアイレスの春」にはヴィヴァルディの「春」からの直接的な引用がある。

特殊奏法も数多く用いられている作品であるが、神尾真由子は切れ味鋭いヴァイオリンで、ブエノスアイレスの四季とヴィヴァルディの四季、合わせて8つの季節を描きあげる。
広上指揮のOEKも雰囲気豊かな演奏を展開。クールな出来である。

神尾のアンコール演奏は、お得意のパガニーニの「24のカプリース」より第5番。超絶技巧が要求される曲だが、音階をなぞる部分も音楽的に聞こえるのが、神尾のヴァイオリニストとしての資質の高さを物語っている。


ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。広上の十八番の一つである。
ピリオドを援用した演奏であるが、かなりゆったりとしたテンポを採用。「たおやか」な表情も見せる演奏で、一般的な「英雄」の演奏とは大きく異なる。
おそらく第4楽章に登場するプロメテウスの主題に重要な意味を持たせた演奏で、プロメテウス主題のみならず、第1楽章から音楽の精が舞っている様が見えるような音楽礼賛の演奏となる。ナポレオンは死んでも音楽は生き残る。あるいは第1楽章の軍事的英雄は、直接的もしくは間接的な「死」を経て、ミューズとなって復活するのかも知れない。
ただ単調な演奏ではなく、第2楽章も濃い陰影を伴って演奏されるなど、適切な表情付けが行われるが、基本的には他の演奏に比べると典雅な印象を受ける。この曲の「ロマン派の魁け」的一面よりも古典的な造形美を重視したような演奏であった。


広上は演奏終了後にマイクを手に登場し、「いかがだったでしょうか?」と客席に語りかけて拍手を貰い、「来週、私はしつこくまた登場します」「『またおまえか』と言われそうですが」と10月1日に行われる京都市交響楽団の大阪公演の宣伝を行っていた。


アンコール演奏は、ビゼーの「アルルの女」よりアダージェット。しっとりとした美演であった。

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2022年6月27日 (月)

コンサートの記(784) 阪哲朗指揮山形交響楽団「さくらんぼコンサート」2022大阪公演

2022年6月23日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、山形交響楽団の「さくらんぼコンサート」2022大阪公演に接する。指揮は山形交響楽団常任指揮者の阪哲朗。山形交響楽団創立50周年記念特別演奏会と銘打たれている。

曲目は、木島由美子(きじま・ゆみこ)の「風薫(ふうか)~山寺にて~」(山響創立50周年記念委嘱作品)、ラロのスペイン交響曲(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、バルトークの管弦楽のための協奏曲。

開演15分前からプレトークがある。まず、山形交響楽団専務理事の西濱秀樹が東根(ひがしね)市の法被を着て登場するが、大阪の人はもう西濱専務には馴染みがないのか(山形交響楽団に移るまで関西フィルハーモニー管弦楽団の事務局長をしていたのだが)、拍手が余り起こらず。西濱専務も大阪出身なので、「冒頭から、二人の方に拍手いただきましてありがとうございます」と、のっけから冗談を言う。ちなみに二人のうちの一人は私なのだが、二人だけだったのかどうかは定かでない。大きめの音を出していたのは二人だったと思われるが。

マスクをして出てきた西濱専務だが、ガイドラインによって、2m離れていればマスクをしなくても話していいということで、マスクを外す。「私は177cmありますので」とステージの上で横になって、一番前のお客さんまで3m以上離れていることを示す(本当に示せたのかどうかは分からない。今日は1列目であるA列と2列目であるB列は発売されておらず、C列が有人最前列となる)。そして今日の指揮者である阪哲朗が京都市生まれの京都市育ちであり、両親は山形県出身であると紹介する。
その後、阪哲朗も登場。やはりさくらんぼの産地である東根市の法被を着てマスクなしでのトークとなる。阪は、ザ・シンフォニーホールについて、「このホールは大好き。(エントランスに)カーペットが敷かれていて、シャンデリアがあって、それまでこんなホールなかった」という話をする。そして、「あれからですから、今年で40周年じゃないですか」と指摘。ザ・シンフォニーホールは1982年開場なので40周年である。日本初のクラシック音楽専用ホールとして誕生。東京にクラシック音楽専用ホールであるサントリーホールが生まれたのは1986年であるため、4年先駆けている。なお、日本初のクラシック音楽対応ホールを生んだのも大阪で、1958年開場の先代のフェスティバルホールがそれである。東京にクラシック音楽対応ホールである東京文化会館が生まれたのはその3年後である。


山形市に本社を置く企業である、でん六の後援を受けているということで、マスコットキャラクターの「でんちゃん」も登場。頭が大きいので、袖から出てくるのに難儀する上に、喋るわけにもいかないということで、でん六大阪支店のKさんという女性(彼女はマスク着用)と共に登場。さくらんぼ味のでん六豆の宣伝を行った。

阪は、邦人作曲家の新作、フランス人作曲家であるラロのヴァイオリン協奏曲(交響曲と名付けられたがヴァイオリン協奏曲である)、バルトークが晩年に書いた管弦楽のための協奏曲(日本での通称は「オケコン」)というプログラムについて、「モーツァルトやドビュッシーなんかも含めて、みんな民族音楽だと思っている」という解釈を語る。
バルトークは、同じくハンガリー出身の作曲家であるコダーイと一緒にハンガリーの民謡を採取して回ったことでも知られるが、それについても「シェーンベルクが十二音技法を生んで、ストラヴィンスキーはリズムに逃げて、バルトークは逃げずに民族音楽で勝負した」という20世紀初頭の作曲シーンを語った。

ちなみに、大阪市の今日の最高気温は30度を超えたが、山形はこの時期まだ朝夕は寒いそうで、阪は新大阪で降りて、気温計時を見て「関西に戻ってきた」と感じたそうである。


今日のコンサートマスターは髙橋和貴、アメリカ式の現代配置での演奏である。
阪は、コンサートマスターの髙橋、フォアシューピーラーのシャンドル・ヤヴォルカイと握手を交わす。


木島由美子の「風薫~山寺にて~」
木島由美子は、福島県相馬市出身の作曲家。福島県立相馬高校理数科を経て、山形大学教育学部特別教科(音楽)教員養成課程卒業。国立大学の教育学部の音楽専攻の中には教員養成ではなく音楽家を養成するゼロ免コースを持つところもあるが、経歴を見ると、最初は作曲家ではなく音楽教師を目指していたようである。作曲を始めたのは卒業後のようで、藤原義久に師事し、第14回アンデパンダン・聴衆によるアンケート第1位、第12回TIAA全日本作曲家コンクール・ソロ部門第2位(1位なし)などに輝いている。

通勤時に山寺駅を使うことがあるという木島。ホームから山寺こと立石寺を見上げながら着想を得た作品のようである。
黛敏郎や武満徹が書くような日本的な響きでスタートし、途中で現れる民謡のようなフルートの旋律が印象的である。

木島は会場に駆けつけており、演奏終了後にステージに上がって拍手を受けた。


ラロのスペイン交響曲。
ヴァイオリン独奏の神尾真由子が、ザ・シンフォニーホールでの本格的デビューに選んだのがこのスペイン交響曲だそうである。
今日は髪に茶色のメッシュを入れて登場した神尾。技術的にも表現面でも万全であり、聴衆はただただ聴いていれば正しく音楽を理解出来る。時に高貴、時に妖艶、時に情熱的、時に洒脱と、移り変わる表情をこの上なく的確に表していた。
阪の指揮する山形交響楽団の演奏も雰囲気豊かで、ヨーロッパでありながら異国情緒たっぷりのスペイン(ナポレオンは、「ピレネーの向こう(スペイン)はアフリカだ」と言っている)の光景を音で描く。

神尾のアンコール演奏は、シューベルトの「魔王」(ヴァイオリン独奏版)。昨年暮れに行われた九州交響楽団の西宮公演(於・兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール)でもアンコール演目に選んだ曲である。語り手、子ども、父親、魔王の4役をヴァイオリンで引き分ける上に、元の歌曲ではピアノが奏でるおどろおどろしい騎行の伴奏まで奏でるという、想像を絶するほど難しそうな曲であるが、神尾はバリバリと弾きこなしてしまう。


バルトークの管弦楽のための協奏曲。本来は2020年の「さくらんぼコンサート」で取り上げられる予定だったのだが、コロナにより中止となり、「リベンジ」という形で今回のメインプログラムに据えられた。
明晰な阪の音楽作りが、透明な山形交響楽団の響きによって明確となり、細部まで神経の行き届いた演奏となる。ザ・シンフォニーホールの響きもプラスに働き、迫力も万全。
ノンタクトで指揮することも多い阪であるが、今日は指揮棒を用いて細やかな指示を出していた。
人気曲なので接する機会も比較的多いバルトークの管弦楽のための協奏曲であるが、ハープを含む弦楽器の奏で方に東洋的な要素が盛り込まれている。

東洋系のフン族が建てたといわれているハンガリー。名前も東洋と同じ姓・名の順番となる。ただ遺伝子レベルでの研究を行った結果は、「モンゴロイドの要素は薄い」そうで、基本的には隣国同様にヨーロッパ人国家と見た方が良く、文化に関してのみ東方からの影響を受けていると見た方が無難なようである。


演奏終了後、客席では山形交響楽団オリジナルの「Bravo」タオルや手ぬぐいの他に、お手製のメッセージボードなどが掲げられ、思い思いに山形交響楽団の熱演を称えていた。

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2022年6月16日 (木)

コンサートの記(782) 沖縄復帰50周年記念 大友直人指揮琉球交響楽団大阪特別公演

2022年6月5日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後3時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、沖縄復帰50周年記念 琉球交響楽団大阪特別公演を聴く。指揮は琉球交響楽団音楽監督の大友直人。

2001年に創設された琉球交響楽団。沖縄初にして唯一のプロオーケストラである。ちなみに沖縄交響楽団という団体も存在しているが、米統治下の1956年に結成されたアマチュアオーケストラである。

NHK交響楽団の首席トランペット奏者を務めていた祖堅方正が、沖縄にクラシックのプロ音楽家が活動する下地がないのを嘆いて設立したのが琉球交響楽団である。
沖縄には、1986年開学の沖縄県立芸術大学があり、音楽学部も1990年にスタートしている。しかし、沖縄県立芸大の音楽表現コース(器楽科に相当)を卒業しても、沖縄県内にはクラシック音楽を演奏する場所がほとんどなく、県外に出て行くしかなかった。そこで祖堅が、N響時代に知り合った大友直人を指揮者として招いて琉球交響楽団を発足させる。
大友の著書『クラシックへの挑戦状』によると、沖縄は伝統芸能や音楽が生活に根付いており、「とても感性豊かな人々の暮らす地域」なのだが、一方で沖縄県や自治体は「西洋クラシック音楽に対しては、慎重なスタンスが取られている」そうで公的な助成が見込めない、また大企業も少ないため、経済的援助も受けることが出来ない、そもそも沖縄では「民間企業がクラシック音楽事業を支援するという土壌」がないということで、設立当初から常設化を目指していた琉球交響楽団であるが、未だに目標達成には至っておらず、定期演奏会も年わずかに2回。学校での音楽鑑賞会などで年間80回程の演奏会を開いているが、団員の全員が他に仕事を持ちながら演奏活動を続けている。

琉球交響楽団は、創設から間もない頃にデビューCDを発売しており、実は私も持っていたりする。沖縄民謡をオーケストラ編曲で奏でるものであった。


曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:清水和音)、萩森英明の「沖縄交響歳時記」

今日のコンサートマスターは、客演の田野倉雅秋。ドイツ式の現代配置での演奏である。
なお、沖縄県立芸術大学音楽学部の出身者が多いと思われるが、沖縄県立芸術大学音楽学部のみならず、音大の学生は約9割が女子ということで、それを反映してか琉球交響楽団も女性楽団員が大多数ということになっている。今日のような客演ではなく所属のコンサーマスターは2人とも女性。今日の第1ヴァイオリンは12人中9人が女性、第2ヴァイオリンは10人中9人が女性。今日大活躍した打楽器奏者も全員が女性である。琉球交響楽団のホームページにある楽団員紹介を見ても大半が女性であることが分かる。


ブラームスの大学祝典序曲。
音に洗練度が不足しているが、燃焼度の高い演奏であり、音楽を聴いているうちに技術面は余り気にならなくなる。
21世紀に入ってからは常に押し相撲のような音楽作りを行うようになった大友直人であるが、今日はのびのびとした音運びで、若い頃の大友が蘇ったような印象を受ける。
前述した大友の著書『クラシックへの挑戦状』には、師である小澤征爾への複雑な思いが述べられているが、最近の大友の音楽作りには小澤への対抗心が現れているのかも知れない。小澤も90年代以降はフォルムで押し切るような演奏が目立っている。
大友直人は、海外でのキャリアはほとんど築いておらず、「世界で最もクラシック音楽の演奏が盛んな街」と見なしている東京を絶対的な拠点としているが、これも小澤の「とにかく海外に出なくては駄目だ」というポリシーの真逆を行っている。30歳になった時に、大友は小澤と久しぶりに会ったのだが、「君、まだ日本にいるのか。もう手遅れだな」と突き放されたそうで、そうしたことも最近の大友の音楽性に反映されているのかも知れない。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
冒頭から弦に厚みがなく、大地を揺るがすような響きは聞こえないし、管楽器の安定度も今ひとつだが、これらも曲が進むにつれて気にならなくなってしまう。ザ・シンフォニーホールの響きがプラスに働いているということもあるだろうが、音楽をする喜びが技術面でのマイナスを覆い隠してしまうのだろうか。不思議な感覚である。
実演を聴くことも多い清水和音のピアノは、堅実かつ堅固で、音の透明度もなかなかである。

清水のアンコール演奏は、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」。叙情味豊かな演奏であった。


萩森英明の「沖縄交響歳時記」の演奏の前に、芸人で作家の又吉直樹による自作テキストの朗読がある。
沖縄出身の父と奄美大島出身の母の下、大阪で生まれた又吉直樹。自らのルーツを辿るテキストを朗読していく。

又吉直樹の父親が沖縄から大阪に出てきたのは、「競輪選手になるため」だったそうだが、後年、又吉が、「で、競輪選手になったん?」と聞くと、「試験会場まで行けんかった」と返ってきたそうで、又吉は「競輪選手になるには、自転車を乗りこなす前に、大阪の複雑な電車網を乗りこなす必要があった」と読み上げて、客席からの笑いを誘う。
奄美大島出身の母親についてだが、奄美大島から大阪の寝屋川市に出てきて看護師として働いていたそうだが、当時、母親が住んでいたボロアパートの隣の部屋に住んでいたのが又吉の父親だったそうである。壁が薄く、隣の部屋の声が聞こえたそうだが、沖縄と奄美大島は距離が近く言葉も似ているということで、又吉の母親は又吉の父親も奄美大島の人だと勘違いしていたそうである。ある夜、又吉の父親が酔っ払って嘔吐していたのを又吉の母親が介抱したのが二人の馴れ初めだそうである。

又吉は幼い頃は貧しく、寝屋川市にある文化住宅という長屋のようなところに住んでいたという。ここも壁が薄く、隣のKさん一家の声や、Kさんが掛けている音楽がはっきり聞こえてきたそうだ。Kさんの家に音楽が掛かっている日は、又吉家はテレビを見るのを諦めたという。

又吉という苗字は、沖縄ではありふれたものだが、寝屋川にはほとんどいない(大阪市大正区には沖縄の人が集団で移住してきており、ここには又吉さんも多いかも知れない)ということで、学校の先生や同級生との初対面時に、「またきち」君と呼ばれることも多かったようだが、間違いを直すのも気が引けたので、数ヶ月「またきち」君だった時代もあるという。小学校時代に2階建ての駐車場で勝手に遊んでいた時に、怖そうなおっちゃんに怒られ、名前を聞かれる。「田中とか中村とかありふれた名前」に偽ろうかと思ったが、素直に「又吉です」と答えたところ、「そんな苗字あるか!」と怒鳴られた経験もあるそうである。

お笑いに関するエピソードとしては、沖縄にある父親の実家に行った時に、カチャーシを付けて踊ったところ、爆笑を取ったそうで、それがお笑い芸人への道に繋がっているようである。なお、その直後に台所で麦茶を飲んでいたところ、父親が入っていて、褒められるのかと思いきや、「おい、あんま調子に乗んなよ!」と言われたそうで、それが芸人としてのスタイルに結びついているそうである。

貧しいながらも一家で焼肉店に行くこともあったそうだが、お金がないために肉を多く注文することが出来ず、母親はカルビ2枚で「あー、もうお腹いっぱい」と言って食べるのをやめたそうである。隣の席では焼き肉がジュージュー焼かれて煙がたくさん出ているのだが、又吉一家の席の煙は蚊取り線香のものと同じような細さだった、といったような話が続く。こうしたやせ我慢というか、遠慮の精神なども又吉に影響を与えているそうである。なお、又吉が売れてからは、両親ともにカルビ2枚でお腹いっぱいどころか、バクバク食べるようになったとのこと。

又吉の話ばかり長くなったが、「沖縄交響歳時記」も沖縄の青い空と青い海が眼前に広がり続けるのが見えるような、爽快な音楽である。
第1楽章「新年」、第2楽章「春」、第3楽章「夏」、第4楽章「秋」、第5楽章「冬」、第6楽章「カチャーシ」の6楽章からなり、基本的には調性音楽であるが、特殊奏法を用いて神秘感を生むシーンがあったり、沖縄の伝統楽器が生かされたりと、多様な表情も持っている。
沖縄の民謡がちりばめられており、音楽としても分かりやすい。
萩森英明は東京出身の作曲家であるが、テレビ番組のための編曲なども数多く手掛けているようで、それがこの曲の分かりやすさに繋がっているように思う。

指揮する大友直人もいつになく楽しそう。若い頃はビビッドな感性を生かした爽快でしなやかな音楽作りを特徴とした大友。琉球交響楽団の技術が万全でなくフォルムで押せないということもあったのかも知れないが、彼本来の音楽性が今日は前面に出ていたと思う。東京や京都、大阪などの強者揃いのオーケストラ相手よりも、琉球交響楽団のようなこれからの団体相手の方が、大友の長所が出やすいのかも知れない。

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2021年10月 3日 (日)

コンサートの記(747) 小泉和裕指揮日本センチュリー交響楽団第170回定期演奏会

2012年4月19日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の第170回定期演奏会に接する。今日の指揮者は音楽監督の小泉和裕。

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第1番と、オルフの世俗的カンタータ「カルミナ・ブラーナ」(合唱:大阪センチュリー合唱団、神戸市混声合唱団、岸和田市少年少女合唱団。ソプラノ独唱:幸田浩子、テノール独唱:高橋淳、バリトン独唱:三原剛)。


小泉和裕は端正な音楽を作る人だが、今日も指揮した通りの音楽が出てくる。安心して聴くことが出来るが、意外性がまるでないのが物足りないところでもある。


ベートーヴェンの交響曲第1番は、まさに「端正」そのもので、音楽の殻を破って突き出てくるものはない。ただ、安定感は抜群である。


オルフの「カルミナ・ブラーナ」。
日本センチュリー交響楽団は中編成の小回りが利く演奏が持ち味のはずだが大曲への挑戦である。字幕スーパー付きの演奏。

清潔感溢れる「カルミナ・ブラーナ」で、世俗的な面はさほど強調されない。日本センチュリー交響楽団は弦も管も好調であり、音に威力がある。独唱者の出来も良く。小泉の指揮もスケールの大きさが適切で、なかなかの好演であった。

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2021年9月 7日 (火)

コンサートの記(741) 藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団第260回定期演奏会

2014年10月10日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、関西フィルハーモニー管弦楽団の第260回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は関西フィル首席指揮者の藤岡幸夫(ふじおか・さちお)。藤岡が毎年1曲ずつ取り組んでいる「シベリウス交響曲チクルス」の3年目、第3回である。

曲目は、ショパンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:萩原麻未)、シベリウスの「レミンカイネンの帰郷」、シベリウスの交響曲第4番。


午後6時40分頃から藤岡幸夫によるプレトークがある。
藤岡はまず、ショパンのピアノ協奏曲第1番の独奏者である萩原麻未について語る。ジュネーヴ国際コンクールで日本人として初めて優勝した若手ピアニストであることを紹介。藤岡が、いずみホールで行われた萩原のピアノリサイタルを聴いて感激し、以後、東京などでは共演してきたが、関西フィルでやっと共演出来るという喜びを語った。

シベリウスの交響曲第4番についてだが、「今日、来ていただいてこういうことを言うのはどうかとも思うのですが、とっても取っつきにくい」曲だと述べる。藤岡はシベリウスのスペシャリストであるが、「私も若い頃はこの曲がさっぱりわからなかった」そうだ。シベリウスの交響曲第4番に関しては初演の際に曲を理解出来た者が客席に一人もいなかったという言い伝えが有名である。

「シベリウスは、酒や煙草を愛していて、特に大酒飲みであり、酔って乱闘を起こして牢屋に入れられたこともある」と語った後で、「一方で、非常に優しい細やかな人で、自然を愛していた」と続け、「そんな彼が病気になった。腫瘍が見つかり、良性で助かったが、再発の危険を医師から指摘され、酒も煙草も禁じられた」という。酒や煙草は繊細な性格であったシベリウスの自己防衛だったのかも知れない。「酒や煙草を禁じられたシベリウスはストレス発散の方法を日記を書くことに求め、そのため、その当時の心理状況がよくわかる」そうである。「発狂寸前までいった」らしい。シベリウス自身が「暗黒時代」と読んだ日々の中で交響曲第4番は生まれた。「無駄を徹底して削り、管弦楽法も高度なものを用いて、シベリウス本人も『無駄な音符は一つもない』と言ったほど。言っておきますが、交響曲第4番は大変な傑作であります。シベリウスが好きな人の中には『交響曲第4番がシベリウスの最高峰』とおっしゃる方も多くいます(「私=本保弘人」もその一人である)。この曲はいわばシベリウスの音楽がどこまでわかるかの試金石ともいうべきものです」と述べる。

藤岡は、「この曲の第3楽章はシベリウス自身の葬儀で演奏されました。私の師は渡邉暁雄というシベリウスの世界的権威でして、渡邉先生も『自分の葬儀にシベリウスの交響曲第4番の第3楽章を流してくれ』と仰っていましたが、渡邉先生が亡くなったときは、私もまだ若かったものですから実現しませんでした」と語った。

今日はJR西日本やダイキン工業から招待客が多く来ているようだが、クラシックを初めて聴く人にとってはシベリウスの交響曲第4番は手強すぎる。野球に例えると、16打席連続三球三振を食らうレベルである。

シベリウスの交響曲を理解するには、他のクラシックの楽曲を良く理解している必要があるが、それだけでは暗中模索になってしまう。ある程度年齢を重ねていることもシベリウスの交響曲を理解する上での必須条件である。また「ただ悲しみを知る者のみが」シベリウスの楽曲を十分に理解出来る。そういう意味ではシベリウスの交響曲がわからないということは皮肉ではなく幸せであるともいえる。


ショパンのピアノ協奏曲第1番。
ソリストの萩原麻未は広島市安佐南区出身。5歳でピアノを始め、広島音楽高等学校を卒業後、渡仏。パリ国立高等音楽院に入学し、修士課程を首席で卒業。2010年に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で優勝。年によっては優勝なしの2位が最高位ということがある同コンクールで8年ぶりの優勝者となった。それ以前にも第27回パルマドーロ国際コンクールにおいて、史上最年少の13歳で優勝している。

藤岡がベタホメしたので、かなり期待してしまったのだが、確かに良いピアニストである。音は透明感に溢れ、鍵盤を強打した時も音に角がなく、柔かである。ただ、これは時折力感を欠くという諸刃の剣にもなった。メカニックは完璧ではないものの高く、美音を生かした抒情的な味わいを生み出す術に長けており、緩徐楽章の方が良さそうだ、という第一印象を受けたが、やはり第2楽章が一番良かった。他の楽章では一本調子のところも散見される。まだ若いということである。ショパンよりもドビュッシーやラヴェルに向いていそうな予感がした。

藤岡がハードルを上げてしまったため、こちらの期待が大きくなりすぎてしまったが、それを差し引けば、十分に良いピアニストである。

藤岡指揮の関西フィルの伴奏であるが、萩原と息を合わせて思い切ったリタルダンドを行うなど巧みな演奏を聴かせる。今日もチェロを舞台前方に置くアメリカ式の現代配置での演奏であったが、アメリカ式の現代配置だとチェロの音がやや弱く感じられ、低音部が痩せて聞こえる。日本のオーケストラのほとんどがドイツ式の現代配置を採用しているのはドイツ音楽至上主義であった名残であるが、ドイツ式の配置を取ることでチェロの音の通りを良くし、結果として体力面では白人に勝てない日本人に合った配置となったのかも知れない。

演奏終了後、萩原はマイクを持って登場。自身が広島市安佐南区の出身であり、豪雨による大規模土砂崩れが安佐南区で起こったということに触れ、「私はその時、ヨーロッパにいて、テレビでそれを知ったのですが、私に何か出来ることはないかと思いまして」ということで、募金を呼びかける。途中休憩時にはステージ衣装である薄緑色のドレスで、終演後は私服で萩原は募金箱を持ってロビーに立った。私も少額ながら募金を行った。

萩原のアンコール演奏は、ショパンの夜想曲第2番。夜想曲の代名詞的存在である同曲であるが、萩原は左手の8分の12拍子の内、2、3、5、6、8、9、11、12拍目をアルペジオで奏でる。音が足されていたようにも感じたのだが、そこまではわからない。そのため、推進力にも富む夜想曲第2番の演奏となった。


シベリウスの「レミンカイネンの帰郷」。シベリウスがまだ若かった頃の楽曲である。シベリウスの楽曲は後期になればなるほど独自色を増し、他の誰にも似ていない孤高の作曲家となるが、「レミンカイネンの帰郷」を含む「レミンカイネン」組曲ではまだロマン派の影響が窺える。作風もドラマティックである。藤岡指揮の関西フィルも過不足のない適切な演奏を行っていた。


メインであるシベリウスの交響曲第4番。陰々滅々たる曲であるが、20世紀が生んだ交響曲としてはおそらくナンバーワンである。シベリウスの他の曲も、「モーツァルトの再来」ことショスタコーヴィチの交響曲群もここまでの境地には到達出来なかった。

シベリウスを得意とはしているものの、これまではスポーティーな感じであることが否めなかった藤岡の指揮であるが、この曲に関してはアナリーゼが完璧であることは勿論、この曲を指揮するのに必要な計算と自然体を高度な水準において止揚することに成功しており、耳だけでなく皮膚からも音楽が染み込むような痛切にしてヴィヴィッドな音楽を聴かせる。
関西フィルはそれほどパワフルなオーケストラではないが、今日は弦楽パートが熱演。管楽器もシベリウスを演奏するには十分な水準に達している。

絶望を音楽化した作品は、ベートーヴェンやチャイコフスキーも書いており、特にチャイコフスキーの後期3大交響曲は有名であるが、シベリウスはチャイコフスキーとは違い、絶望を完全に受けいれてしまっているだけに余計救いがない。

なお、第4楽章では、チューブラーベルズを使用。シベリウスの交響曲第4番を生で聴くのは3度目であるが、チューブラーベルズを用いた演奏を生で聴くのは初めてである。普通は鉄琴(グロッケンシュピール)が用いられる。シベリウスは「鐘(グロッケン)」とのみ記しており、グロッケンシュピールのことなのか、音程の取れる鐘であるチューブラーベルズのことなのか明記していない。
録音ではヘルベルト・ブロムシュテットやロリン・マゼールがチューブラーベルズを採用している。

チューブラーベルズ入りの演奏を生で聴くと、ベルリオーズの幻想交響曲の最終楽章で奏でられる鐘(これはチューブラーベルズではないが音は似ている)を連想してしまい、ちょっと異様な印象を受ける。明るい音であるため却って不気味なのだ。

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2021年8月12日 (木)

コンサートの記(737) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第451回定期演奏会

2011年9月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、ザ・シンフォニーホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第451回定期演奏会を聴く。指揮は日本人指揮者若手ナンバーワンの呼び声も高い下野竜也。

曲目は、J・S・バッハ=ベリオ編曲「フーガの技法」よりコントラプンクトゥスX IX、ボッケリーニ=ベリオ編曲「マドリードの夜の帰営のラッパ」の4つの版、ブルックナーの交響曲第2番(1872年/キャラガン版)。なお、バッハとボッケリーニの曲をベリオが編曲した2曲は下野の意向により、休憩なしで演奏される。

下野の指揮であるが、曲目がメジャーでないためか、台風の影響か、客席は満員にはならなかった。

全曲、アメリカ式の現代配置での演奏である。

バロックの作品をイタリアの現代の作曲家、ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)が編曲した2曲。バッハの遺作「フーガの技法」を取り入れた曲(コントラプンクトゥスとは対位法の複数形)は照明を絞って、ヴィオラとチェロによる開始。音色は渋く、旋律は哀感に溢れている。やがて管とヴァイオリンが加わり、バッハらしい深い音楽が展開される。ハープが「BACH(シ♭・ラ・ド・シ)」の主題を奏で、それが変奏されていく。不協和音の響きが流れ、バッハの死が暗示される。

ボッケリーニの時は照明も曲も一転して明るくなる。行進曲風に始まる、親しみやすい旋律が流れる楽しい曲だ。トランペットとトロンボーンがミュートを付けてユーモラスな音を吹いた後で、ミュートを取って、同じ旋律を吹くと堂々とした凱歌に変わる。下野と大フィルは煌びやかな音で旋律を奏で、リズム感も良く、好演となった。


メインであるブルックナーの交響曲第2番。第1楽章のヴァイオリンの刻み、チェロの歌う主旋律ともに鮮明である。全体的に速めのテンポが採用され、若々しいブルックナーになった。ただ、第1楽章では必要以上にドラマティックになったりする場面もある。

大フィルはブルックナーを演奏する時には、良く言うと澄んだ、悪く言うと無機質な音を出す。非常に明快な演奏だが、ブルックナーはもっとモヤモヤしていてもいいから温かい響きで聴きたいという気もする。

第4楽章も音の動きはよくわかるが、緩やかな場面では、下野ならもっと歌えるはずだ、とも思う。

若い指揮者によるブルックナーの初期交響曲の演奏としては十分高い水準の演奏だったと思うが、この曲の演奏には優れた録音がいくつもあり、また前半の出来に比べると下野と曲との相性が若干落ちるかなという気はする。

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