カテゴリー「シアター・ドラマシティ」の57件の記事

2024年12月 2日 (月)

観劇感想精選(478) 彩の国シェイクスピア・シリーズ 小栗旬&吉田鋼太郎「ジョン王」大阪公演

2023年2月11日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後5時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「ジョン王」を観る。彩の国シェイクスピア・シリーズの一つ。出演・演出:吉田鋼太郎。テキスト日本語訳:松岡和子、出演:小栗旬、中村京蔵、玉置玲央、白石隼也、高橋努、植本純米、櫻井章喜ほか。オール・メール・キャストによる上演である。

「ジョン王」は、シェイクスピア作品の中でも知名度が低く、上演されることは今ではほとんどないといわれているが、叙事詩的傾向がかなり強く、登場人物の魅力が余り掘り下げられていない印象を受けるため、それもむべなるかなという気もする。

ジョン王は、英国史上最悪の王といわれることもあるようだが、この劇を観ている限りでは、「最悪」とまでの印象を受けることはない。また、やり取りや展開に納得がいかない部分があるのだが、これは実際にそうしたことが史実としてあったのであろうか。

タイトルロールを演じる吉田鋼太郎(埼玉、愛知、大阪でのみジョン王を演じる)と、先王リチャードの私生児であるフィリップ・ザ・バスタード(先王リチャード獅子心王の息子と認められ、リチャードと呼ばれることになる)を演じる小栗旬の存在感は流石で、出ているだけで舞台が引き締まる。
小栗旬は冒頭で、フードを被った現代の若者(小栗旬も40歳だが)として客席から舞台に上がり、ラストでも冒頭と同じ格好になって客席を歩いて去っていった。その去り行く小栗旬を自動小銃が狙っている。イギリスとフランスの戦争を背景とした作品だが、今なお続くウクライナ紛争など、戦争が過去のものではないことを示しているのだと思われる。

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2024年11月15日 (金)

観劇感想精選(476) 上川隆也主演「罠」

2024年11月3日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

正午から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、読売新聞創刊150周年記念 よみうり大手町ホール開場10周年記念舞台「罠」を観る。ロベール・トマの人気サスペンス作品で、これまでに何度も上演されている。日本テレビの企画・製作。
作:ロベール・トマ、テキスト日本語訳:平田綾子、演出:深作健太。出演は、上川隆也、藤原紀香、渡辺大(わたなべ・だい)、財木琢磨、藤本隆宏、凰稀(おうき)かなめ、赤名竜乃介(あかな・りゅうのすけ)。
よみうり大手町ホールでの上演を経て、昨日今日が大阪。今後、北九州、高松、岡山、愛知県東海市、富山県氷見市を回る。

開演前にはずっと時計の針音が響いている。音楽に関しては何の説明も記述もないが、ピアソラではないかと思われる。いずれにせよ音楽は要所要所にしか用いられない。

フランスのシャモニーの山荘が舞台。黄昏時、ダニエル(渡辺大)が窓の外を気にしている。実は妻のエリザベートが失踪したのだ。警察には届け出ているのだが、行方は分かっていない。ダニエルとエリザベートは3ヶ月前に結婚したばかりである。ダニエルには余り資産がなく、エリザベートも家族は亡くしているが、親戚に金持ちのおじさんがいるようである。

カンタン警部(上川隆也)がやって来る。上川隆也は、声をいつもより低めにして貫禄を出している。カンタン警部がそういう人物であるようだ。喋り方にどこか警部コロンボを思わせるところがあるが、意識しているのかどうかは分からない。
カンタン警部は、右手に腕時計をしている。また、注射器を手にするシーンがあるのだが(注射を打つことに慣れているそうだが、なぜ警部が注射を打つことに慣れているのかは不明)、左手に注射器を持っていた。利き手以外に注射器を持つことはまずない。ということで、カンタン警部が左利きであることが分かる。左利きというキャラクター設定には特に意味がなさそうだが、帽子を取るときは右手で取って、そのまま右手で手にしている(いざという時のために、利き腕の左手を空けておく)、よく観察していると左手を使う頻度が高いなど、きちんと左利きの演技をしていることが分かり、上川の俳優としての技量の高さが感じられる。ちなみに上川は演出の深作健太から、「カンタンはこの物語における○○家」というアドバイスを貰ったそうだが、おそらく「演出家」だと思われる。

エリザベートが帰ってくる。神父のマクシマン(財木琢磨)と一緒である。しかしダニエルは「彼女はエリザベートではない」と断言する。実際、このエリザベートを名乗る女(藤原紀香)はエリザベートではない。マクシマン神父(フランスはカトリックの国なので神父になる)のところで過ごしていたというエリザベート。ダニエルの質問(「新婚旅行はどこに行った?」など)も全て言い当てるが、ジュネーヴのホテルにいたという記憶だけが異なる。カンタン警部は一応、中立を保つが、彼女が本物のエリザベートではないというダニエルの意見には同調する。

エリザベートは次第に偽物であることを露わにし始めるのだが、意図はダニエルには分からない。

ダニエルとエリザベートの結婚式に参加したという芸術家(といっても街角で絵を描いているような貧乏芸術家だが)のメルルーシュ(藤本隆宏)が呼ばれ、「この女はエリザベートではない」との証言を得るが、メルルーシュはエリザベートを名乗る女に銃撃され、入院することになる。銃撃はダニエルが行ったことにされる。

また、エリザベートを看護したことがあるという看護婦のベルトン(凰稀かなめ)も最初のうちは、「彼女はエリザベートではない」と語るも、エリザベートを名乗る女に何かを渡されて証言を覆す。
やがてメルルーシュが病院で死亡したという報告が届く。メルルーシュを撃ったのはダニエルということになっているので、ダニエルが午後8時に逮捕されることになる。一方でカンタン警部は、「彼女はエリザベートではない」と断言するが、ここからどんでん返しが始まる。

ロベール・トマはフランスの劇作家・脚本家・映画監督。1927年生まれというから、指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットと同い年である。1989年に没。「罠」は1960年にパリのブーフ・パリジャン劇場で初演。他にも「8人の女たち」や「殺人同盟」などの作品があり、「フランスのヒッチコック」と呼ばれている。


現在、舞台俳優として活躍している中堅男性俳優の中で、上川隆也は内野聖陽と並んでツートップを張る実力者だと思われる。少し下に阿部寛、堺雅人(最近は余り舞台をやらないが)、佐々木蔵之介が、そのまた少し下に高橋一生が来ると思われる。
現代を代表する舞台俳優だけに存在感は抜群。非常に理知的な演技を行う俳優であるが、今回はそれほど細かい演技は行わず、堂々とした演技を見せている。やはりカンタン警部は劇中の演出家なのであろう。

「代表作のない女優」などと揶揄されることも多い藤原紀香だが、今回は役にピッタリはまっており、予想以上の好演を見せる。この人は王道のヒロインをやるよりもこうしたミステリアスだったり、「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛を込めて~」の悪徳神戸市長のような癖のある役を演じた方が個性が生きるように思う。実は明るい女性の役は合っていないタイプなのだろう。藤原紀香は、女優デビュー時はとんでもなく下手だったのだが(セリフがまともに言えないレベル)、時を経て、演技力もかなり進歩しているようである。

現在放送中のNHK大河ドラマ「光る君へ」の赤染衛門役が好評を博している凰稀かなめの宝塚風ではあるが大仰さのない演技も好印象である。

その他の俳優も充実した演技を見せ、休憩時間なし約2時間の作品であるが、飽きることなく魅せてくれた。良い上演だったように思う。


座長である上川隆也の挨拶。「とう、とう(「東京」と言おうとしたようである。周りの俳優に突っ込まれる)大阪公演も無事千秋楽を迎えることが出来ました。これから皆様とキャスト全員でこの場を借りて1時間ほど芝居の感想を語り合いたいと思うのですが」と冗談を言い、「この後……(聞き取れず。おそらく「バラし」であろう)をしなければならないので、出来ません」と語ってからお礼を述べた。そして「これからもツアーは続きますが、大阪の千秋楽なので一丁締めを行いたいと思います。(客席に)一丁締めって分かります? 一回だけの」と言って、会場にいる人全員で一丁締め(一本締め、関東一本締め)を行った。俳優の退場の仕方にも個性があり、藤原紀香はエリザベートを名乗る女の正体にちなんだポーズを見せて、笑いを誘っていた。

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2022年7月19日 (火)

観劇感想精選(439) 「M.バタフライ」

2022年7月14日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「M.バタフライ」を観る。1988年にトニー賞を受賞した中国系アメリカ人の劇作家、デイヴィッド・ヘンリー・ファン(黄哲伦)の戯曲の上演である。実話を基にした話であり、ジョン・ローンが主演した映画でも話題になっている。テキスト日本語訳は吉田美枝。

出演は、内野聖陽、岡本圭人、朝海ひかる、占部房子、藤谷理子、三上市朗、みのすけ。
演出は、劇団チョコレートケーキの日澤雄介が手掛ける。

主な舞台は中国の首都・北京であり、一部でフランスの首都・パリが舞台となる。

文化大革命前夜とただ中の中国で、己を模索し続けたフランス人駐在員、ルネ・ガリマール(内野聖陽)と、彼が恋する京劇の女形、ソン・リリン(岡本圭人)の二人を主軸に物語は進んでいく。

まずはルネ・ガリマール役の内野聖陽が、今、パリの獄舎にいること、それには京劇の女優が深く関わっていること、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」が大好きであることなどを述べる。ルネ・ガリマール役はとにかくセリフが多い。いわゆるセリフの他に狂言回しの役を担ったり、解説係を務める場面もある。ソン・リリン役の岡本圭人も状況説明のセリフが多く、更に京劇のアクションもこなす必要があるなど、この二人の役はかなりの難役である。


鍵を握るのは、タイトルやルネ・ガリマールの最初のセリフからも分かるとおり、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」である。日本の長崎を舞台にしたオペラで、日本ではおそらく上演回数が最も多いオペラであり、私自身も最も多く目にしたオペラである。
日本を舞台にしているので馴染みやすいが、内容的には、いい加減な性格のアメリカ海軍将校のピンカートンが赴任先の長崎で現地妻を求め、丸山の蝶々さんに白羽の矢が立つが、ピンカートンはちょっと蝶々さんを愛しただけで「コマドリが巣を作る頃に戻る」などといい加減なことを言って、蝶々さんを捨ててアメリカに帰り、蝶々さんに息子が生まれたことを聞きつけると前からいた本妻と共に長崎を訪れ、自身と蝶々さんの子どもを奪おうとする。捨てられて恥をかかされた上に子どもまで奪われることを知った蝶々さんは生きる意味を失い、抗議の意味も込めて自刃する。
だいたいこんなあらすじであるが、「蝶々夫人」の、せめてあらすじを知らないと、何が起こっているのか把握するのが困難な舞台である。

更にこの時代を知りたいなら、「さらば我が愛、覇王別姫」や「ラスト・コーション」といった中国映画も観ておくとよりよいだろうが、純粋に舞台を楽しむだけなら、そこまでする必要はないかも知れない。


「蝶々夫人」も「M.バタフライ」も時間的隔たりはあるが、東洋人と西洋人――黄色人種と白人と置き換えてもいいが――更に男女間の差別があるのが当たり前の時代を舞台にしており、両者の間に広がる巨大な「断絶」を、「融合」へと変えることを試みた本と見ていいだろう。

1960年代初頭、北京に赴任しているフランス人外交官のルネ・ガリマールは、当地の劇場で、蝶々夫人を歌うソン・リリンと出会う。ソンは京劇の女優(というより女形である。京劇には以前は男性しか出演出来なかったが、今では女性役は女優が演じるのが主流になっている)なのだが、ソン(ガリマールは「バタフライ」という愛称で呼ぶ)に理想の女性像を見いだしたガリマールは、男女の駆け引きを用いてなかなか劇場に出向こうとしない。
ガリマールにはヘルガという名の妻(朝海ひかる)がいるが、ガリマールはソンのアパートへと頻繁に通うようになるのだった。


途中20分間の休憩を含めて上演時間約3時間半という長編であり(第1幕約1時間15分、休憩20分、第2幕約1時間50分)、それまでにちりばめられた細工や伏線のようなものが、ラスト15分ぐらいで一気に纏まるが、上演時間が長すぎる上に比較的淡々とした展開であるため、時間が経つのが遅く感じられる、ラスト15分の怒濤の展開で「観る価値あり」となるが、そこに至るまでの忍耐力が必要となる。だが耐えた先に爽快な視界が広がっている。


ガリマールがソンの正体が男(ついでの毛沢東が放ったスパイでもある)であることに気づいているかどうかが焦点の一つとなり、普通に考えれば気がつかないはずがないのだが、ここでガリマールの性意識の問題や「愛」に関する思想などが開陳される。
説得力があるかどうかで考えれば、「ない」と断じることになるなるだろうが、デヴィッド・ヘンリー・ファンの思い切った踏み込みには感心させられたりもする。歌劇「蝶々夫人」で提起された差別のあり方に対し、解決とまではいかないが、「人種や性別などは大した問題ではない」という一つの答えが出されている。


他の俳優も良かったが、この作品はなんといってもルネ・ガリマール役とソン・リリン役につきる。内野聖陽と岡本圭人の上手さと一種の熱さが際立っていた。

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2021年6月 9日 (水)

観劇感想精選(400) リー・カルチェイム作 「ビリーバー」

2010年9月17日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後7時からシアター・ドラマシティで「ビリーバー」を観る。作:リー・カルチェイム、演出・上演台本:鈴木勝秀、出演:勝村政信、風間俊介、草刈民代、川平慈英。

ロサンゼルスが舞台。科学者のハワード(勝村政信)は、サンタクロースの存在を信じている。一方、9歳のスティーヴン(風間俊介)はサンタクロースの存在に否定的であった。ある日、スティーヴンの通う学校でハワードはサンタクロース実在の可能性について講義をする。スティーヴンにはそんな父親の姿が変人としてしか映らず……

信じること、信仰とは何かを問いかける作品。9・11後、神の存在は信じるが、信頼できなくなったアメリカの風潮を題材としている。


神を信じるのは尊いことで、サンタクロースの存在を信じるのは子供っぽいことなのか。神なき社会で何を信じればいいのかを問いかける作品でもある。ビッグバンの後で宇宙が生まれるが、それ以前の状態はどうだったのかという答えのでない質問に、科学と信仰が絡んでくる。ビッグバンは神様が起こしたのかどうか。

黒い立方体を組み立てることで、様々なセットを作り出す演出が面白い。役者達も達者であった。

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2021年6月 3日 (木)

観劇感想精選(399) 井上芳雄主演 ミュージカル「ハムレット」

2012年2月27日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後1時から、梅田芸術劇場シアタードラマシティで、ミュージカル「ハムレット」を観る。原作:ウィリアム・シェイクスピア、脚本・作曲・作詞:ヤネック・レデツキー、演出:栗山民也。出演は、井上芳雄、昆夏美、伊礼彼方、成河(ソン・ハ)、阿部裕、山路和弘、涼風真世、村井国男ほか。

ストレートプレーだと上演時間3時間を超える大作である「ハムレット」を2時間に短縮してミュージカル化したもの。

開演前、舞台上にはデンマークの国旗が下4分の1ほどが何かに被さる形で垂れている。

上演開始、先王ハムレットの葬儀のシーンから始まり、デンマークの国旗が被さっていたものが、先王の棺であることがわかる。ハムレット(井上芳雄)は棺が運ばれていく様を憂鬱な表情で見つめている。

舞台は一転して、オフィーリア(昆夏美)が明るい表情で登場。ハムレットからの恋文を読み上げて浮き浮きしている。

そしてクローディアス(村井国男)とガートルード(涼風真世)の婚儀のシーンとなり、皆は愛の美しさを歌い上げるが、ハムレットは「愛は全てを駄目にする」と語る。

その後、ハムレットがガートルードに向かって言う「弱き者、汝の名は女」、そしてポローニアスがハムレットのことを「He is crasy」だと歌い上げるナンバー(このナンバーは同じ旋律でハムレットによる「Who is crasy」としてポローニアス殺害後に歌われる)を挟んで、ハムレットがオフィーリアに向かって放つ「尼寺へ行け!」のセリフが出てくる。

なお、有名な「To be,or not to be」は日本語に訳されることなく、英語のまま、後半の冒頭の歌詞に登場する。

役者では井上芳雄が抜群の出来。動きにキレがあるし、歌声も、特に高音の伸びが素晴らしい。オフィーリアを演じた昆夏美も小柄な体型からは想像出来ないほどパワフルな歌声を発し、後半の狂気の場面での演技力も高い。

ただ、ミュージカルとしてはまずまずの出来であったが、「ハムレット」としてはやや不満が残る。カットした部分が多いため、心理描写が今一つで、あらすじを追っているだけに思える場面もあった。また追加された場面もさして効果的とは思えなかった。音楽や俳優は充実していただけにそれが残念である。

栗山民也の演出は、ラストでデンマークの国旗が十字架に見えるという仕掛けがなかなか良かったように思う。


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2021年5月29日 (土)

観劇感想精選(398) 「ANJIN イングリッシュ・サムライ」

2010年1月23日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「ANJIN イングリッシュ・サムライ」を観る。徳川家康に仕えた三浦按針ことウィリアム・アダムスを主人公にした日英合作の舞台である。脚本:マイク・ポウルトン、共同脚本執筆:河合祥一郎、演出:グレゴリー・ドーラン(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)。出演は、市村正親、オーウェン・ティール、藤原竜也、高橋和也、床嶋佳子ほか。

名前だけは有名だが、実際はどういう人だったのか余り知られていない三浦按針(1564年生まれでシェイクスピアと同い年であり、そのため英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが制作に参加している)を主人公に、関ヶ原の戦いや大坂の陣の起こる激動の時代を綴る叙事詩である。途中休憩20分を含めて上演時間約3時間半という長編。

セリフは英語と日本語で、舞台両端に字幕が出る。

イギリス人でありながら、旗本・三浦按針となり、イギリス人でも日本人でもなくなったウィリアム・アダムス(オーウェン・ティール)と、名門・北条氏の出身で侍の心を持ちながら宣教師となったドメニコ(藤原竜也)という、自我が二つに引き裂かれた人物が登場する。ただ、彼らの苦悩を描くという点では突っ込みが甘く、せっかくの設定を生かし切れなかったように見えた。その他の点では、優れた舞台であったように思う。

役者は大熱演。特に驚異的な長ゼリフをこなす徳川家康役の市村正親、英語のセリフをこなした藤原竜也(役作りのために2ヶ月に渡ってロンドンで英語の特訓に挑んだという)の二人の演技には脱帽ものである。

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2021年4月21日 (水)

観劇感想精選(391) 三宅弘城×吉岡里帆×荒川良々×赤堀雅秋×風間杜夫 M&Oplaysプロデュース「白昼夢」

2021年4月17日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、M&Oplaysプロデュース「白昼夢」を観る。作・演出・出演:赤堀雅秋。出演:三宅弘城、吉岡里帆、荒川良々、風間杜夫。8050問題を題材とした作品である。

客入れの音楽として、星野源の「ドラえもん」やAdoの「うっせぇわ」が繰り返し流れているが、これらはストーリーに少しだけ関係がある。

高橋家の1階を舞台に、夏から翌年の春までの1年が1幕4場、約1時間35分で描かれる。高橋清(風間杜夫)は妻に先立たれ、次男の薫(荒川良々)と二人暮らし。だが、この薫は47歳になる今に至るまで12年間、2階の自室でずっと引きこもりを続けている。引きこもる前もフラフラと過ごしてきたことが会話の端々から分かる。清は薫が引きこもりを続けていることを特に問題とは思っていないようなのだが、長男でサラリーマンの治(三宅弘城)は、薫の引きこもりに終止符を打つべく、「ひだまりの会」という支援団体に援助を求める。
引きこもり支援団体というと、強引に部屋から連れ出し、自分の会社が運営する施設に入れて親から金をふんだくり続けるという悪徳業者が多いことが有名になったが、「ひだまりの会」は「見守る」ことに主眼を置き、強要はしないという姿勢を特徴としている。

「ひだまりの会」の別府(赤堀雅秋)と石井(吉岡里帆)は、高橋家に足繁く通う。
薫はふてぶてしい態度を取り続け、そのスタンスは基本的に変わることはない。ただ、最初のうちは「小学校に押し入って子どもを殺して死刑になりたい」と語っていたが、その後はそうした犯罪や死を意識することは少なくなる。

変わってくのはむしろ、清や治である。若くて可愛い石井のような社員が高橋家を訪れるようになるのは、石井は実は中学校1年生から6年間引きこもりの経験をしており、元当事者の視線で薫に接することが出来るという理由からだが、石井の存在は当然ながら清や治の心を波立たせることになる。治によると清は石井が高橋家に通うようになってから整髪料を使い始めたり、イオンで見栄えの良い服を買い始め(町の商店は皆廃業してしまったようである)たりしているそうである。治は奥さんとの関係が上手くいっていないことがしつこく掛かってくる電話や話の内容から分かるのだが、石井の魅力に参ってしまい、一時、不倫の関係に陥る。そして石井は上司である別府からも結婚を前提とした付き合いを申し込まれている。
連続ドラマ「カルテット」で魔性の女、有朱(ありす)を演じて注目を浴びた吉岡里帆が、今回も男の心を惑わすモテ系ダメ女を演じている。6年間引きこもっていたということからも分かる通り、リストカットを癖に持つなど感情の起伏が激しい性格なのだが、そうしたところも含めて男を魅せる才能となっているのだろう。

ともあれ、当事者(清と薫)が何も求めていないのに、援助をする側が勝手に押しかけて、却って状況を混乱に導くという皮肉な展開になる。

赤堀雅秋の作品は何度か観ているが、基本的には本音を押し殺した人々を描く淡々とした心理劇で、岩松了の後継者的立場にいる。この芝居でも抑えた展開であるだけに、吹き出した本音がより鮮明に映る。

俳優陣はいずれも完成度の高い演技で丁寧なアンサンブルが繰り広げられる。風間杜夫演じる清にはもっとハチャメチャなことをやらせたくなるし、舞台ではヒットを打ったことがなかった吉岡里帆にも今回のような得意技を生かした内野安打ではなく、クリーンヒットを期待したくなるが、それはまた別の機会を待つことにしよう。

全体として悪い作品ではなく、印象的な場面もいくつもあるのだが、ストーリーの提示に留まっているため、食い足りない印象は受ける。設定に必然性が感じられないのもマイナスポイントである。別府や石井のスタンスがはっきりしない(本当に「いる」だけなのか、レンタルお兄さんやお姉さんといった「疑似家族」的なものなのか、ブレを感じてしまう)というのもそうした印象を生む一因となっている。

赤堀雅秋の本はそれほど好きではないので、今回のチケットも購入が遅れたのだが、コロナ禍ということもあって売れ行きは今ひとつだったようで、それでもまあまあ良い席であった。伸び悩み気味の吉岡里帆の演技の確認と、風間杜夫が今回はどう出るかが気になりチケットを取ったのだが、先に書いた通り、「この二人ならもっとやれるな」という印象は受けた。

ただ毎日のように新型コロナ感染者が記録を更新している大阪で、このような一方的なメッセージ性の強すぎない演劇を観るのもそう悪いことではないように感じる。

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2021年3月26日 (金)

観劇感想精選(387) 上川隆也&斎藤晴彦 「ウーマン・イン・ブラック」2008

2008年7月10日 シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。午後7時より、シアター・ドラマシティで、「ウーマン・イン・ブラック」を観る。原作:スーザン・ヒル、脚本・脚色:スティーブン・マラトレット、テキスト日本語訳:川本燁子(かわもと・ようこ)、補訳:三砂博、演出:ロビン・ハーフォード、主演:上川隆也、斎藤晴彦。

ゴシックホラーの傑作「ウーマン・イン・ブラック」。これまで観た芝居で最も恐かったものを挙げよと言われたら、私は間違いなくこの作品を選ぶ。

「ウーマン・イン・ブラック」は、1987年にロンドンで初演。日本版初演は1992年に萩原流行と斎藤晴彦の主演で行われている。斎藤晴彦は以後、相手役を変えながら、「ウーマン・イン・ブラック」の上演を続けており、今回は6度目の上演となる。本日、7月10日のこの大阪公演がツアー初日であり、この後、広島、名古屋、札幌、福岡、仙台、新潟、東京の順で上演が行われ、9月には同じメンバーで渡英、ロンドンのフォーチュン・シアターでの公演も行う。

アーサー・キップスという元弁護士(斎藤晴彦)が、若い頃の怖ろしい体験を家族や友人に語るために本を書き、朗読の訓練を受けるためにある俳優(上川隆也)を訪ねる。俳優は、この本をそのまま朗読したのでは少なくとも5時間はかかると言い、演劇スタイルでの発表を提案、早速稽古に入る。俳優が若き日のアーサー・キップス(ヤング・キップスと表記されてもいる)を演じ、今のアーサー・キップスはその他の登場人物全てを演じ分ける。

アーサー・キップスは日本初演の時からずっと斎藤晴彦が演じている。ヤング・キップスは萩原流行が2度演じ、西島秀俊が後を受けて1996年に演じている。そして上川隆也が1999年にヤング・キップスを演じ、以後上川は、2003年そして今回と、3度ヤング・キップスを演じている。

私は1999年の「ウーマン・イン・ブラック」と2003年の「ウーマン・イン・ブラック」も観ているので、上川のヤング・キップスは毎回観ているということになる。そもそも、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」を観たきっかけは、上川隆也の主演だったからであり、ヤング・キップスは上川が演じた数々のキャラクターの中でも最もはまっている役だと思える(後記:2008年当時)。上川がヤング・キップスを演じるたびに観に出かけるのは当然であるともいえる。


とにかく恐い劇なのだが、恐怖劇の常として、最初に観たときのインパクトが最も強く、再演ではタネがわかっているために、恐怖はさほど感じないということになる。

私の場合も、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」が最も衝撃的であった。だが、その後は、仕掛けによる恐怖よりも、役者の魅力や、人間存在の怖ろしさの方に目が向くようになったため、恐怖は薄らいでも楽しめるのである。

今回の「ウーマン・イン・ブラック」で新たに発見したのは、愛の恐さと、人間の情念の怖ろしさ、そして人間の業の深さである。特に業の深さについては、私も年を重ねているために、ありありと感じ取ることが出来るようになっている。20代の頃は、業はあっても、そう長くは続かないだろうと軽く考えていたものだが、今は、「いや、これは一生続くかも知れないな」と感じるようになっている。20代ですでに感じていた業のいくつかは、今に至ってもほとんど薄れていないからである。


上川の演技には、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」の時から感心しっぱなしだが、今回はセリフ以外のところに感心させられた。段取り通りに動いているのだが、そうは見えず、その場その場の判断で動いているかのように見えるのがまず素晴らしい。そして、いかにも自然な動きに見えるのだが、良く見ると手の動きなどは最短コースを辿っていて、動きに無駄が全くないことがわかる。


斎藤晴彦は、これまでずっとアーサー・キップスを演じてきただけに、今後も彼以外のアーサー・キップスは考えられないほどの域に達していた(後記:斎藤晴彦は、2014年に73歳で他界した)。

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2021年1月26日 (火)

観劇感想精選(380) 若尾文子主演 ノエル・カワード作「セレブの資格」

2007年4月28日 シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。シアター・ドラマシティで、ノエル・カワード作のコメディ「セレブの資格」を観る。「セレブの資格」の原題は“RELATIVE VALUES”。「セレブの資格」という日本語タイトルのセンスは今一つだと思うが、特に困るほどでもないので(私が興行する側だったらやめさせるけれども)いいだろう。
「プライベート・ライヴズ(私生活)」のノエル・カワードの本ということで期待の公演。テキスト日本語訳:高橋知伽江、演出:高瀬久男、音楽:稲本響。
出演は、若尾文子、柴田理恵、愛華みれ、小林十市、峰さを理、綾田俊樹ほか。
まさか、若尾文子主演の舞台を観る日が来ようとは想像もしていなかった。

1950年代、イギリス・ケント州の、とある田舎に暮らす地方貴族、マーシュウッド伯爵家が舞台である。
先代のマーシュウッド伯爵未亡人であるフェリシティ(若尾文子)の息子で、海外滞在期間の長かったナイジェル・マーシュウッド伯爵(小林十市)が、ハリウッド女優のミランダ(愛華みれ)との結婚を決める。ナイジェルはバツイチ。前回の結婚も上手くいかなかったが、今回は相手が庶民出身のハリウッド女優ということで、フェリシティは息子の結婚に乗り気でない。
ナイジェルがミランダを連れて伯爵家に戻って来ようというその日、フェリシティは、20年間もメイドとして働いているモクシー(柴田理恵)から意外な事実を告げられる。ミランダはモクシーの実の妹だというのだ……

高瀬久男の演出は、「やはり」というべきか、かなりオーソドックス。前半は見応えがあったが、後半はスマート過ぎ、あっさりと終わってしまって多少物足りない。後半の鍵を握る、おつむの余り良くない美男美女の単純な言動は、イギリス人にとっては笑いのツボのはずだが、日本人はそうしたことでは笑いにくいので(何しろ「八百屋お七」を悲劇のヒロインとする国である)、ちょっとしたアレンジが必要だったかも知れない。

若尾文子は高齢に加え、夫(黒川紀章)が都知事選に出馬という気苦労もあってか、他の役者とはセリフのスピードが若干異なっていたり、疲れが見えたりするが、長ゼリフをこなすのを見ているとこちらも嬉しくなる。

柴田理恵は登場するだけで観客の笑いを取っていた。更にセリフを言い間違えても笑いを取っていた。羨ましい。

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2021年1月18日 (月)

観劇感想精選(379) 蜷川幸雄演出 唐沢寿明主演「コリオレイナス」

2007年2月14日 シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。シアター・ドラマシティで、「コリオレイナス」を観る。作:ウィリアム・シェイクスピア、演出:蜷川幸雄。出演は唐沢寿明、白石加代子、勝村政信、吉田鋼太郎、香寿たつき、瑳川哲朗ほか。

「コリオレイナス」はシェイクスピア作品の中でもとりわけマイナー部類に入る。シェイクスピア晩年の作品であるが、初演時から不評であり、その後も駄作扱いが続いている。ただ「優性論」という問題を考える上では現代にも通ずるところのあるテキストであると私個人は思っている。

舞台は紀元前5世紀のローマ。勇猛果敢にして高潔なローマ貴族、ケイアス・マーシアス(唐沢寿明)は、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚い。彼はヴァルサイ人の都市であるコリオライを陥落させた栄誉を称えられ、新たにコリオレイナスという名を与えられる。ローマの新執政官に推されたケイアス・マーシアス・コリオレイナスであるが、彼の高潔ゆえに俗悪なものを見下す性質、極度なまでのプライドの高さ、愛想をふりまくことが出来ない性格などが災いし、市民の代表である護民官のシシニアスとブルータスに毛嫌いされており、ローマ市民からも「傲慢でさえなければ、あれほど出来た人はいないのに」と惜しまれはするものの愛されてはいなかった。

執政官になるには選挙でローマ市民から票を集めなくてはいけないのだが、コリオレイナスはどうしても市民に頭を下げることが出来ず、謙虚であることも出来なかった。コリオレイナスの母ヴォラムニア(白石加代子)は、市民の前で演じるだけで良いとコリオレイナスを説得するが、病的にプライドの高いコリオレイナスは演じるということにさえ嫌悪を覚え……

優れた資質を持ちながら樫の木のように固い性格と渡世術の欠如が災いしたコリオレイナスの悲劇を描く。タイトルロールのコリオレイナスを演じる唐沢寿明は強面にするために頭を坊主に丸めての熱演である。

幕が上がると鏡張りのセットがあり、観客がその鏡張りのセットに映っている。4枚組の鏡の中央の2枚が開くと背後に急階段状の舞台が現れ、一番上の段では四天王の像が客席を睥睨している。
四天王の像があることからもわかるとおり、仏教風のデザインが多く用いられており、元老達やコリオレイナスの衣装も山法師風である。またローマといいながらも、コリオレイナスが大小の日本刀を差し、長刀で戦ったり、ヴォラムニアが清の西太后を思わせる衣装を纏うなど、アジア的要素を多く取り入れている。

良い舞台であった。演出も俳優も良いが(特に俳優陣の殺陣は迫力満点であった)、観ているうちに演出の工夫や演技の巧拙などは気にならなくなり、「コリオレイナス」という作品自体の良さが浮かび上がってくる。観客に「良い演出だ」、「良い演技だ」と思わせる舞台はまだまだ一級品には遠く、「良い作品」だと思わせるのが真に優れた舞台であるとするなら、今日観た「コリオレイナス」はその真に優れた舞台であった。
「コリオレイナス」の登場人物全員が私の分身のようにも見えてくる。それだけ人物が巧みに描かれているということであり、晩年とはいえ、シェイクスピアの筆がさほど衰えていたわけではない証拠ともいえる。もっとも演出で隠してあるが、冷静に考えると妙に雑な箇所があり、シェイクスピアの体調が万全ではなかったことも同時にうかがえるのだが。

民主主義と衆愚政治が隣り合わせであることが示されるが、「コリオレイナス」の悲劇は英雄達だけで成り立つものではなく、愚かだろうが何だろうが、市民が生み出したものであり、市民の存在の大きさと恐ろしさを同時に伝える。歴史の主役は良くも悪くも市民なのだ。
劇が始まる前と、終演後、鏡状のセットに観客達を映したのも、「劇の主役は実は観客=市民」という構図を際だたせるための工夫であると思われる。

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