カテゴリー「兵庫県立芸術文化センター」の86件の記事

2022年12月 7日 (水)

観劇感想精選(450) 「凍える」

2022年11月5日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「凍える」を観る。作:ブライオニー・レイヴァリー、テキスト日本語訳:平川大作、演出:栗山民也。坂本昌行、長野里美、鈴木杏による三人芝居である。

三人芝居であるが、序盤はそれぞれ一人ずつが独り言を言ったり語ったりするシーンが続き、一人芝居の集合体といった趣である。中盤以降は会話を交わすシーンも出てくるが、三人で会話を行うシーンは存在しない。たまたまかも知れないが、コロナ下に行うには適した作品である(もっとも顔を近づける場面などは存在する)。

犯罪と幼児期の虐待がテーマとなっており、ストレスが脳に与える影響が語られる。人体実験が出来ないため脳については不明の部分が圧倒的に多いが、CTスキャンなどを行うと脳の萎縮した場所などが分かるため、心の傷が脳の傷に直結しているということも最近では分かるようになってきた。

イギリスが舞台であるが、冒頭には鈴木杏演じる精神科医のアニータ(研究医だろうか。デイヴィッドという男性と共同で幼時のストレスが脳に与える影響を研究しており、犯罪者も幼時に虐待などを受けて脳に損傷が見られるケースが多いことを学会で発表する)がニューヨークを去る場面が置かれている。アニータはアイスランド系であり、苗字も変わったものだ。

今から21年前に事件は起きた。ナンシー(長野里美。ちなみに「ナンシー」というのは「アン」の愛称である)の次女で10歳のローナが行方不明になる。イギリスでは幼児の失踪事件も多く、ナンシーと夫のボブ(「ボブ」というのは「ロバート」の愛称である)は失踪した子どもの親達が作る互助会のグループ「炎」に入って活動を続けるが、ローナの行方は知れない。その間にナンシーと夫や長女のイングリットとの関係もきしみ始める。

それから21年が経ち、ラルフ(坂本昌行)が連続児童殺害の容疑で逮捕される。殺害された児童の中にローナの名があった。


犯罪者と心の傷に迫る作品であり、興味深いところも沢山あるのだが、知識として提示されただけで、解決が何一つなされないというのが物足りないところである(解決しようがない問題であり、無理矢理解決させてはいけないのかも知れないが)。ラルフ(「ごめんあそばせ」という男らしからぬ言葉遣いをすることがあり、DVを受けていると思われる母親の姿がトラウマとして焼き付いているのかも知れない)の幼時に対する掘り下げがもっとあった方が物語性も高まるので良いように思われるのだが、グロテスクになる可能性も高いため敢えて避けた可能性もある。
ラルフの狂気の場面は、可笑しくなったり大仰になったりする直前で止まる優れた表現で、坂本昌行の俳優としてのセンスの高さが感じられ、長野里美も鈴木杏も自らの個性を十分に発揮した演技を行っていたように思う。

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2022年12月 4日 (日)

コンサートの記(817) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 「交響曲No.1」@兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール

2022年11月13日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後3時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団のコンサート「交響曲№1」を聴く。

「作曲家が最初に作曲した交響曲の中で最も完成度が高いのは誰のものか?」という話題がたまにネット上で話題になることがあるが、今回はその「完成度の高い交響曲」の最右翼候補であるシベリウスの交響曲第1番とブラームスの交響曲第1番が並ぶという意欲的なプログラムである。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)には客演の川又明日香が入る。KOBELCO大ホールを本拠地としている兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)からは、6月まで在籍していたオーボエの上品綾香や、トランペットのガイルス彩乃(ハーフではなく、東京都交響楽団のトロンボーン奏者であるザッカリー・ガイルスの奥さん)らが客演として参加する。なお、大フィル首席コントラバス奏者のサイモン・ポレジャノフはPACオーケストラの出身であり、今度兵庫県立芸術文化センターで凱旋となるリサイタルを行う予定だそうである。


後にショスタコーヴィチと共に「ベートーヴェン以降最大のシンフォニスト」と呼ばれることになるジャン・シベリウスの最初の交響曲は彼が33歳の時に初演された。ティンパニのロールの上にクラリネットが孤独なモノローグをつぶやき、やがて弦の響きが巨大なうねりとなって広がっていく。

現在の日本においてシベリウス演奏の大家とも言える存在である尾高忠明。札幌交響楽団と「シベリウス交響曲全集」を完成させており、極めて高い水準を示していたが、今日も大フィルから澄んだ涼しげな音色を引き出す。
スケールの大きさ、寂寥感などの表出にも長けており、ティンパニの強打も印象的である。木管楽器のくっきりとした響きなどもシベリウスの優れた肖像を描き出す。


ブラームスの交響曲第1番は、おそらく交響曲第1番の中では最も有名な作品であり、個人的にもコンサートで最も多く接した楽曲である。
20代前半で交響曲の着想を得たブラームスであるが、慎重に慎重を重ね、43歳の時に交響曲第1版を完成させた。実に20年以上の歳月を掛けている(上には上がいて、バラキレフは交響曲第1番を完成させるのに30年以上の歳月を要した)。その間に別の交響曲の着想も得ていたが、結局、交響曲として完成させることが出来ず、他のジャンルの曲に転用している。

尾高は冒頭の悲劇性を強調せず、流れの良い音楽を築く。その後に音楽は白熱して行くわけだが、尾高は熱よりもアンサンブルの構築を重視。「流麗」とも呼べる弦の響きが印象的である。
ロマンティシズムの表出に長けた第2楽章と第3楽章を経て第4楽章も流れの良い音像を浮かび上がらせる。ベートーヴェンの「第九」の歓喜の歌に似た主題も愉悦感たっぷりに弾かれ、幸福な雰囲気がホールを満たしていた。


最後に尾高忠明は、「やっとお招きいただきました。素晴らしいホールです。そしてお世辞ではなく素晴らしいお客さんです」と語り、「西宮北口という駅には初めて降りました。北口と付く駅の名前は珍しいと思います。待ち合わせ場所を聞いたら『西宮北口の南口で』と言われて」と語って客席から笑いを引き出していた。

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2022年7月21日 (木)

コンサートの記(789) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2022 プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」 2022.7.17

2022年7月17日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2022 プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。

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モーツァルトの「魔笛」やビゼーの「カルメン」と共に、音楽雑誌などの好きなオペラランキング1位争いの常連である「ラ・ボエーム」。パリを舞台に、芸術家に憧れる若者とお針子との悲恋を描いた作品である。それまでは芸術というと、例外は案外多いが上流階級が行うものであり、たしなみでもあったのだが、プッチーニの時代になると市民階級が台頭。芸術を楽しんだり、あるいは自分で芸術作品を生み出そうとする市民が現れる。たまたますぐに認められる人もいたが、大半は長い下積みを経験し、芽が出ないまま諦めたり、貧困の内に他界する者も多かった。そんな新しい「種族」であるボヘミアン(フランス語で「ボエーム」)は、人々の目を驚かし、あるいは唾棄され、あるいは憧れられる存在となっていった。

今回、演出・装置・衣装を手掛けるのは、1943年、イタリア・マルチェラータ生まれのダンテ・フェレッティ。多くの映画監督やオペラ演出家と仕事をしてきた巨匠である。フランコ・ゼフィレッリのオペラ映画で美術を手掛け、その後にピエル・パオロ・パゾリーニ作品5本に美術担当として参加。近年はマーティン・スコセッシ監督と多く仕事をこなしている。

フェレッティは、ボヘミアン達の住み処をアパルトマンの屋根裏部屋から、セーヌ川に浮かぶ船に変更。垂直の移動をなくすことで、パリの地上に近づける工夫を施している。個人的にはアパルトマンの屋根裏から見えるパリの光景が、バルザックの小説『ゴリオ爺さん』で語られる最後のセリフ、「パリよ今度はお前が相手だ」に繋がるようで気に入っているのだが、船上で暮らすボヘミアン達というのはそれはそれで面白いように思う。ただ船上に住むとした場合、隣の部屋に人知れず住んでいるミミという女性のキャラクターは余り生きないように思う。今回のミミは、船のセットの前を歩いて後方に回り、船内の部屋のドアの向こうに立って人を呼ぶという設定になる。元々は火が消えたから分けて欲しいという設定なのだが、船の家までわざわざやって来て、火を分けて欲しいというのは変である。ミミはおそらく舞台上手側にある部屋に住んでいて、船の家まで来たと思われるのだが、その場合は、ロドルフォが男前なので、近づきたいがために無理な設定をでっち上げたということなのだろうか。他に理由があるのかも知れないが、思いつかない。


指揮はいうまでもなく佐渡裕。兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)の演奏。ゲストコンサートマスターはステファノ・ヴァニヤレッリ(トリノ王立歌劇場管弦楽団コンサートマスター)、第2ヴァイオリントップはペーター・ヴェヒター(元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席)、チェロ客演首席はレリヤ・ルキッチ(トリノ王立歌劇場管弦楽団首席)。第2幕のカフェ・モミュスの場に現れる軍楽隊のメンバーの中に、元京都市交響楽団トランペット奏者の早坂宏明の名が見える。
プロデューサーは小栗哲家(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主役を張っている小栗旬の実父)。

ダブルキャストによる上演で、今回はヨーロッパの若手歌手を中心としたA組の出番である。出演は、フランチェスカ・マンゾ(ミミ)、エヴァ・トラーチュ(ムゼッタ)、リッカルド・デッラ・シュッカ(ロドルフォ)、グスターボ・カスティーリョ(マルチェッロ)、パオロ・イングラショッタ(ショナール)、エウジェニオ・ディ・リエート(コッリーネ)、清原邦仁(パルピニョール)、ロッコ・カヴァッルッツイ(ベノア/アルチンドーロ)、島影聖人(物売り)、時宗努(軍曹)、下林一也(税官吏)。合唱は、ひょうごプロデュースオペラ合唱団、ひょうご「ボエーム」合唱団、ひょうごプロデュースオペラ児童合唱団。
ひょうごプロデュースオペラ合唱団のメンバーには関西では比較的有名な若手歌手も含まれている。

第2幕のカフェ・モミュスの場では、ステージ上がかなり密になるということで、吉田友昭(医学博士/感染制御医)と浮村聡(医学博士/大阪医科薬科大学大学院感染対策室長)という二人の医学関係者が感染対策の監修を手掛けている。


舞台設定は大きく変えたが、演技面などに関してはいくつかの場面を除いてオーソドックスな手法が目立つ。セットではやはりカフェ・モミュスのテラス席と屋内を一瞬で転換させる技法が鮮やかである。

オーディションを勝ち抜いた若手歌手達の歌と演技も楽しめる水準にあり、特にムゼッタを演じたエヴァ・トラーチュのコケティッシュな演技と歌声が魅力的であった。

佐渡裕指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏も潤いと艶と勢いがあり、私が座った席の関係か、たまに鳴り過ぎに聞こえる場面があったが、生命力に満ちている。在籍期間が最長3年で、常に楽団員が入れ替わる育成型オーケストラであるため、他のプロオーケストラに比べると独自の個性は発揮出来ないが、一瞬一瞬の価値を大事にしたフレッシュな演奏が可能ともなっている。


第3幕の「ダダン!」という音による始まりと終わりについてであるが、個人的には、アンフェール関門(インフェルノ関門)という場所が舞台になっているため、地獄の扉が開く音として捉えている。第2幕であれほど生き生きしていたボエーム達とミミが、第3幕では、ミミの病気やロドルフォのミミに対するDV、マルチェッロとムゼッタの喧嘩などで、地獄への道へと落ちていくことになる。

立場はそれぞれ違えども、ステージにいる人、客席にいる人の多くが、ボエーム達の生活に憧れたか、実際にそういう暮らしを送った人達であり、己の姿を投影することの可能な作品である。

一方で、この時代は女性にとっては残酷であり、地方からパリに出てきてお針子になる女性が多かったが、パリの家賃や物価は高く、多くは仕事をしているだけでは生活出来ず、売春などで小金を稼ぐ必要があった。ムゼッタのように金持ちに囲われ、歌の教師などの職を得るものもあれば、ミミのように売春をしても暮らしは楽にならず、若くして命を散らすことも決して珍しくなかった。女性でも芸術方面で活躍している人もいるにはいたが、彼女達は基本的に上流階級の出身であり、そうでない多くの女性は芸術家(ボエーム)になることも許されず、地獄のような生活を送る人も少なくはなかった。

ミミというのは俗称で(売春をする女性は、ミミのように同じ音が続く俗称で呼ばれることが多かった。ムゼッタの俗称はルルである)本名はルチア。「Lux」に由来する「光」という名の名前である。この作品でもロドルフォの戯曲を燃やす暖炉の明かり、ミミが借りに来る「火」の灯り、カフェ・モミュスの輝き、第3幕での春の陽の光に抱く恐れや、最後の場面での日光に関するやり取りなど、「光」が重要な鍵となっている。

ロドルフォは最後までミミのことを本名のルチアで呼ばない。結婚相手とは考えられないのだ。本名で呼ぶような関係の夫婦となるのに多くの障壁がある。まず金銭面、身分の問題(ロドルフォは売れない詩人、ミミは売春も行うお針子)、そして価値観の違い。ミミはボエーム達のように芸術に関して深く理解する力はなかっただろう。ロドルフォはミミを愛しい人とは思っても結婚相手とは見ておらず、芸術上の同士とも考えていないため、「ルチア」とは呼ばないのである。すれ違いといえばすれ違いであるが、新しい階級を築きつつある一方で、旧弊から抜け出せない端境期(あるいは今も端境期のままなのかも知れないが)の「自由な」「わかり合えない」若者達の悲しさと愚かしさを描く、痛切な作品でもある。

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2022年7月13日 (水)

コンサートの記(787) 日本オペラ「藤戸」@兵庫県立芸術文化センター 2015.3.21

2015年3月21日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて

兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、日本オペラ「藤戸」を観る。兵庫県立芸術文化センター(HPAC、PAC)では、日本人作曲家による日本オペラの上演を毎年行っており、今回で3回目になるが、私がHPACで日本オペラを観るのは今日が初めてになる。

「藤戸」は、源平合戦(治承・寿永の乱)、藤戸の浦の戦いを題材にしたオペラである。原作:有吉佐和子(小説ではなく舞踏浄瑠璃のための台本とのこと)、台本&作曲:尾上和彦、演出:岩田達宗(いわた・たつじ)。初演時のタイトルは「藤戸の浦」であったが、後に「藤戸」に改題されている。

1日2回公演であり、午後2時開演の回の主演は、井上美和と迎肇聡(むかい・ただとし)。午後6時開演の公演の主演は、小濱妙美(こはま・たえみ)、晴雅彦(はれ・まさひこ)。他の出演は2回とも一緒で、古瀬まきを、松原友(まつばら・とも)、以降は波の精としてコーラス(コロス)としての出演で、柏原保典、谷幸一郎、水口健次(以上、テノール)、神田行雄、木村孝夫、砂田麗央(すなだ・れお)、下林一也(以上はバスと表記されているが、日本人に正真正銘のバス歌手はいないといわれているのでバリトンということになるのだと思う)。

今日はダブルキャストを共に観てみたいため、2回ともチケットを取った。

オーケストラピットが設けられているが、小編成での演奏。大江浩志(フルート)、奥野敏文(パーカッション)、日野俊介(チェロ)、武知朋子(たけち・ともこ。ピアノ)によるアンサンブルである。指揮は奥村哲也。奥村哲也は尾上和彦のオペラの指揮を何度も手掛けているが、元々はギタリストであり、高校生の時に日本ギターコンクールで2位に入るなど輝かしい経歴の持ち主である。高校卒業後、ロンドンに渡り、同地の音楽院でクラシックギターの他に指揮法や作曲も学んでいる。帰国後は主にオペラの指揮者として活動しており、関西、名古屋、四国の二期会と共演を重ねている。


『平家物語』に描かれ、伝世阿弥作(偽作の可能性が高く、最近は作者不明とされることが多いが)の謡曲などで知られる「藤戸」。一ノ谷の戦いに勝利した源氏が、源範頼を総大将として児島(現在の岡山県倉敷市児島。かつては倉敷市一帯は入江であり、児島は本当に島であった)を攻めようと対岸の藤戸に陣を張るが船がない。そもそも坂東武者を多く集めた源氏は陸戦は得意だが舟戦は得手とはしていない。宇多源氏佐々木三郎盛綱は何とかして先陣の功を上げたいと思っていたが、手段がない。そこにある漁師が、浅瀬を渡って児島に渡る方法を知っていると聞く。藤戸の浦には浅瀬があり、そこを通れば徒歩でも馬でも渡れるという。盛綱は喜ぶが、この事がよそに漏れてはいけないと、漁師を殺してしまう。能では漁師が幽霊となって現れるのであるが、有吉佐和子は、児島への行き方を知っている人物を漁師ではなく、少年に変えているという。そして佐々木盛綱と少年は二人だけの冒険のように児島への秘密のルートを辿るのだ。ただ、有吉版「藤戸」でも案内役である少年はやはり盛綱に殺されてしまう。そして殺された当人ではなく、母親がその様を聞いて発狂するという展開になる。


尾上和彦は、1942年、奈良市生まれの作曲家。京都市立堀川高校音楽コース作曲科(現・京都市立京都堀川音楽高校)在学中に主任講師に認められて放送用音楽の作曲助手として活動を開始(音楽の仕事が忙しすぎて出席数が足りず、高校は中退したそうである)、17歳にして舞台音楽の作曲家として自立し、オラトリオを始めとする声楽作品やオペラ、器楽などその他のジャンルの作曲を多く手掛けてる。放送禁止歌になった「竹田の子守唄」を発掘したり、小オラトリオ「私は広島を証言する」など、シビアな題材を取り上げていることでも知られる。オペラ「藤戸」は「藤戸の浦」という題で、1992年に米国サンフランシスコで初演。大劇場と中劇場で公演を行っている文化施設での初演であり、大劇場ではヴェルディの歌劇「オテロ(オセロ)」上演時間約4時間、中劇場で「藤戸の浦」上演時間約1時間という同時上演が行われたが、「藤戸の浦」は、「1時間で4時間分の密度のあるオペラ」と激賞されたという。


午後2時開演の回、午後6時開演の回共に、日本オペラプロジェクト総合プロデューサーである日下部吉彦、作曲の尾上和彦、演出の岩田達宗によるプレトーク20分、途中休憩15分、オペラ上演60分という変わったスタイルでの上演。


開演前に、演出の岩田さんに挨拶をし、少しお話を伺う。午後6時開演の前にはオペラ上演に適した日本のホールはどこか伺ったのだが、古典派までだったら大阪府豊中市にある大阪音楽大学 ザ・カレッジ・オペラハウス。大規模なものだと何だかんだで東京・上野の東京文化会館が最適とのこと。東京文化会館は東京初の音楽専用施設であり、都が威信を懸けただけあって入念の音響だそうである。


音楽、ストーリー共に分かり易いものである。音楽は比較的シンプルであり、特に女が歌うときにはミニマル・ミュージックのような同じ音型のピアノ伴奏が繰り返される(歌自体はミニマルミュージックではない)。

岩田達宗の演出であるが、まず中央に白い壁。左右に白く細い紗幕が数本降りている。幕が上がると、女がすでにおり、後ろを向き、正座をして屈み額を膝に付けている。
紗幕にライトが当たると、水色なのか浅葱色なのか(浅葱色だと別の意味が足されるが)とにかく青系の衣装を着た波の精達が見える。地唄に当たる部分は、彼ら波の精と、千鳥という女装をした着物姿の歌手(今回が松原友が務める)が歌う。ちなみに、「藤戸」はこれまでに90回以上上演されているが、いずれも波の精は女声アンサンブルが務めており、尾上の構想にあった男声による波の精が実現するのは今回が初めてだそうである。女声による波の精を聴いたことがないので何とも言えないが、男声による波の精の方が「リアル」だという想像は付く。
白い壁には「戦争」、「平和」といった文字や、源平の武者達の名前などが浮かぶ。

「白」は勿論、源氏の白旗であるが、平氏の赤旗も「赤=血=殺戮」というイメージの重なりを伴い、藤戸の浦の合戦の場面で登場する(赤い布が上から吊され、バックライトで佐々木盛綱の殺陣が浮かび上がった後で、布が天井から落とされ、波の精達がそれを纏って後ずさりし、平氏の退却を表す)。

日本語歌唱、日本語字幕スーパー付きの上演であるが、時折、歌手が字幕と違う言葉を歌ったのはアドリブなのか、或いは言い間違えたのか。意味は通じるので瑕疵にはならないが。

ちなみに、午後2時開演の回では、佐々木盛綱役の迎肇聡が太刀の刃を上にした形で握っているように見える場面が長く、ちょっと気になった。太刀の場合は刃を上にして握るという発想がなく、抜くときは横にして抜くので、刃は下か横を向いているはずだが、ちょっと力が入ったのかも知れない。抜くときは横にして抜いていたので、日本刀と勘違いしたというわけではないようである。

ダブルキャストの出来であるが、午後6時開演の小濱妙美と晴雅彦の方がメリハリを付けた演技となっていた。佐々木盛綱はある意味歌舞伎的わかりやすさが出て晴雅彦の方が迎肇聡よりも面白かったが、女は井上美和の方が伸びやかさにおいて優っていたように思う。


さて、女の歌と、盛綱の歌の歌詞を比較すると、女のものは素朴で情緒豊か(反戦のメッセージも入っているが)、盛綱の歌詞は理屈っぽい傾向がある(言い逃れをしているのだから当然である)。また盛綱は経文を唱えたり「徳義」という言葉を用いるなど、文字としてもお堅い。旋律も女のものは流れが良いが、盛綱の歌は角がある。女にとっては親子の日常こそが大切なのであって、武士道だの勝つだの負けるだの出世だのはどうでもいいのである。

「情」と「理」などと分けてあれこれ言うのは理の仕事なので書くだけ野暮になるわけだが、武士の世の戦は大将が戦場にいるという点においてまだ情の入り込む余地がある。こうして、戦の中にも涙を誘うような物語も生まれる。ただ近現代の戦争は極めて「非情」である。大将が戦場にいない。映像を見ながら指示している。兵隊はいるが、それに対する情もあるのかないのか。
1990年の湾岸戦争で、初めて我々はそれを目にした。不気味なほど綺麗な風景。コンピューターゲームのワンシーンのような映像。そこでは血が流れているはずだ。だが我々にはそれは見えなかった。

あたかも人間がその場にいないかのような不気味で洗練されすぎた戦争。そうしたあらゆる戦争が今もリアルタイムで行われているのが「現在」だ。


勿論、「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は生きにくい」という夏目漱石の言葉通り、情に棹させば解決するものでもないが、理屈と理屈で格闘し、気にくわないなら殺傷ではなく、「個と個で向き合うこと」、それしか戦争を防ぐ方法はないように思える。

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2022年3月28日 (月)

コンサートの記(771) 日本オペラプロジェクト2022 團伊玖磨 歌劇「夕鶴」西宮公演

2022年3月21日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、團伊玖磨の歌劇「夕鶴」を観る。木下順二の代表的戯曲を「セリフの一字一句に至るまで変更しない」という約束の下、オペラ化した作品で、日本が生んだオペラとしては最高の知名度を誇っている。今回は2013年に初演されたプロジェクトの再々演(三演)である。2013年の公演は私は観ていないが、2018年に行われた再演は目にしている。

演出は引き続き岩田達宗が担当。美術も故・島次郎のものをそのまま踏襲している。
今回の指揮者は、1989年生まれの若手、粟辻聡(あわつじ・そう)。京都市生まれで京都市少年合唱団出身。2015年に第6回ロブロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで第2位に入賞。京都市立芸術大学、グラーツ芸術大学大学院、チューリッヒ芸術大学大学院においていずれも首席を獲得して卒業している。京都市立芸術大学では広上淳一に師事。現在は奈良フィルハーモニー管弦楽団の正指揮者を務める。大阪音楽大学講師。
演奏は、大阪音楽大学 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(コンサートマスター:赤松由夏)。

つうと与ひょうはいずれもダブルキャストで、今日は老田裕子(おいた・ゆうこ。ソプラノ)と中川正崇(テノール)のコンビとなる。運ずは晴雅彦(バリトン)、惣どに松森治(バス)。少年合唱は、夙川エンジェルコール。

開演前にホワイエで、岩田さんに前回観た「夕鶴」の解釈について質問したりした。上演内容自体は、今回もほとんど変わりない(プログラムノートも同一である)。

「夕鶴」は、人間と鶴とのすれ違いを描いた悲恋と観るのが一番面白いように私は思う。
実は互いは互いにとって最高のパートナーともいえる関係にある。押しかけ女房のつう(正体は鶴)は、矢で射られて倒れていたところを与ひょうから治療を受けて、その感動から人間となって与ひょうの前に現れる。冒頭の少年合唱による童謡のシーンでメンバーの一人が弓矢遊びをしているが、当時は鶴の数も多く、天然記念物という概念もなく、あったとしてもそれには該当せず、鶴は普通に狩りの対象であった。そんな鶴に優しくしてくれた与ひょうは人間に化けたつうにも当然ながら優しい。
この与ひょうというのがかなり不思議なキャラクターであり、金銭というものにほとんど興味を示さない。示すとしてもそれはつうのためになることだけである。つうが織った千羽織が売れて、熱心に働くことを止めてしまったようだが、それは働くのが嫌になったというよりも、つうと一緒にいる時間を増やしたいからであろう。与ひょうはそれほどつうのことを愛しているのである。

千羽織も、元は与ひょうに求められて織ったのではない。つうの方から織って与ひょうに贈ったのである(民話「鶴の恩返し」とは違い、恩返しのために織った訳ではない)。つうは与ひょうに喜んで貰って嬉しい。ただ、ここはちょっと引っ掛かる。つうの正体は鶴である。「正体がばれたら捨てられる」。つうは当然ながらそう思っただろう。正体が露見する危険を冒しながら、それでも敢えて自分の身を傷つけて千羽織を作るのであるが、そうでもしない限り与ひょうに捨てられるという恐怖を抱き続けていたのではないだろうか。子供達と「かごめかごめ」の遊びをした時の必要以上の動揺を始めとして、常に別れにおびえているような印象を受ける。そうであるが故に、与ひょうのちょっとした変化に敏感になりすぎてしまったのではないか。客観的に見ると与ひょうは終始一貫しておおらかな性格であり(惣どと運ずに、「千羽織をもっと織らせるように」と言われたときも、「(出来の良い)千羽織はつうが作った」とのろけており、金銭欲はほとんど感じられない)、全てはつうの勘違いであった可能性が高い。そのままでいようと思えばいられたかも知れないのだが、怖れが逆に別れへの道を開いてしまった。

与ひょうはつうに千羽織を作るよう頼むが、それはつうと一緒に都に出掛けるためである(「つうも都に行きたいと思っているはず」だと勝手に思い込んでもいるのだが)。だが、つうはそれ以前の与ひょうの「金がいる」という内容の言葉の数々に耳をふさいでしまったため、肝心の「つうと都に行く」ためという、理由となる言葉を聞き逃してしまうという演出を岩田は施す。
ラストで同じ内容の言葉が出て、つうは与ひょうの本心を初めて知るのだが、時すでに遅しである。更には、つうの正体が鶴であったと分かっても与ひょうはそれを受け容れる気でいた。そんな男は他にはいないだろう。だがつうの体はもうボロボロ、そして当時の通念からすれば、恥を掻かされた以上は、死ぬか別れるか、あるいはその両方かしか残されていない。つうは千羽織を二反作った(岩田の解釈では千羽織は二人の「子供」であるが、見る側はそれに従っても従わなくても良いように思う)。一つは売って金にするために、もう一つは自分の形見として。二反織ったためにつうは精も根も尽き果ててしまったのだが、与ひょうはつうと別れる気はさらさらなく、形見として一反余計に織る必要は全くなかったのである。最愛のパートナーとして末永く暮らせる可能性がありながら、分かり合えなかったという悲劇が浮かび上がる。誰もが一度は経験する最愛の人から理解されないという孤独。
単なるストーリーで出来ている訳ではない戯曲とそれを説明するだけでない音楽。木下順二も團伊玖磨もやはり偉大な芸術家である。

粟辻聡の指揮に本格的に接するのは初めてであるが、ドラマティックなうねりと雄大なフォルムを築くことに長けた指揮者である。オペラにはかなり向いていそうだ。

つう役の老田裕子のハリのある声と体全体を使った巧みな心理描写、穏やかな佇まいと柔らかな声を持つ与ひょう役の中川正崇も実に良い。役にはまっている。晴雅彦と松森治の安定感も良かった。

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2022年2月26日 (土)

観劇感想精選(428) 大竹しのぶ主演「ザ・ドクター」

2021年12月4日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「ザ・ドクター」を観る。作:ロバート・アイク、テキスト日本語訳:小田島恒志、演出:栗山民也。出演は、大竹しのぶ、橋本さとし、村川絵梨、橋本淳、宮崎秋人、那須凜、天野はな、久保酎吉、明星真由美、床嶋佳子、益岡徹。

イギリスを舞台とした作品である。

芝居はまず、ルース・ウルフ(大竹しのぶ)の録音された声から始まる。彼女が目の前に死体が横たわっているのを見つけたのでどうすればいいのかを聞いている。しかし、必要なのは「救急車ではありません」「それははっきりしています」と語る。「私は医師ですから」

ルースは、エリザベス(医療)研究所の創設者であり、所長でもある。いわばエリートだ。一方で、同性愛者でもあり、チャーリーというパートナー(床嶋佳子)がいる。

ある日、エリザベス研究所に、堕胎に失敗して敗血症となったエミリーという14歳の女の子が運ばれてくる。主治医は所長で教授でもあるルースが受け持つが、もう長くないことは明らかであった。そこにジェイコブ・ライス(益岡徹)という黒人の神父がやって来る(戯曲の指定もあるが、黒人のメイクはしていない)。エミリーの両親から臨終の儀式を行うよう頼まれたのだ。ルースは医学的見地からジェイコブの面会を拒否。エミリーが「自分は死ぬ」と察してパニックになるのを防ぐ意味もあった。だが、熱心なカトリック信者であるエミリーの両親は、臨終の儀式を行わないと地獄に落ちると信じており、自分達は飛行機に乗って移動中であるため間に合わないが、ジェイコブには絶対に臨終に立ち会うよう言っていた。ジェイコブも責任を感じ、エミリーの病室に向かおうとしてルースと揉み合いになる。ジェイコブは裁判になった時の証拠になるよう、その模様を録音していた。結局、ジェイコブの立ち会いは拒否され、エミリーは混乱の内に他界。ジェイコブは怒り心頭。その後に研究所にやって来たエミリーの父であるローナン(益岡徹二役)も、「娘を地獄に落とされた」と抗議を行う。やがてネット署名も始まって、自体は深刻化する。

一つには宗教の問題がある。ルースは無神論者のようだが、両親はユダヤ教徒。エリザベス研究所にもユダヤ系が多いということで、宗教的な贔屓があるのではないかと疑われた。広報のレベッカ(村川絵梨)もユダヤ系である。また500名の研究所員のうち65%が女性ということで、女性優遇があるのではないかという疑問も生まれる。また新たに薬理学系の教授候補となったユダヤ系女性と黒人男性のうち、採用されたのがユダヤ系女性のファインマンであったことも疑いを加速させる。

結局、ルースは所長の座を辞すのだが、ルースを追求する声は日増しに大きくなり、自宅の前に停めておいた車にもハーケンクロイツの傷を付けられるなど、魔女のような扱いを受ける。そしてルースは「ザ・ディベート」という番組に出演することになるのだが……。

前半は宗教観やジェンダーを巡るシリアスで重い展開となるが、後半はヒューマンドラマへと変わっていく。

「ザ・ドクター」というタイトルがルースのアイデンティティそのものを示している。彼女は女やユダヤ教徒の娘、そして人間である前に「ドクター」である。生まれながらにしてドクターに相応しい気質を持っているのだ。性別、人種、信条によって様々なイメージが生まれ、実体を占領する。だが、彼女には揺るぎない自己像と医師としての誇りと信念がある。ラスト近くのジェイコブやチャーリーとの会話に、それがはっきり表れていた。

大竹しのぶや益岡徹の存在感が見もの。また村川絵梨を舞台で見るのは久しぶりだが、いい女になっていて驚かされた。

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2022年1月 8日 (土)

コンサートの記(757) 沼尻竜典指揮 「オーケストラ・キャラバン~オーケストラと心に響くひとときを~」 九州交響楽団西宮公演

2021年12月21日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後7時から、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、「オーケストラ・キャラバン~オーケストラと心に響くひとときを~」九州交響楽団西宮公演を聴く。指揮は沼尻竜典。

福岡を本拠地とする九州交響楽団。九州唯一のプロオーケストラである。人口からいえば政令指定都市である熊本市や中核市である鹿児島市にもフルサイズでなくても良いのでプロオーケストラがあっても良さそうだが、やはり難しいようである。


オール・チャイコフスキー・プログラムで、バレエ組曲「くるみ割り人形」より“小序曲”~“行進曲”、ヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、交響曲第4番が演奏される。


九州交響楽団を聴くのは初めて。東京の有力オーケストラが関西で公演を行うことは比較的多いが、それ以外の地方のオーケストラは本拠内以外で公演を行うこと自体が余りない。東京での公演ならある程度集客が見込めるが、国内第2位の経済規模を誇る関西地方においても集客面で勝算があるとは言えない状況である。コロナ禍の最中ということもあるが、今日の公演も入りがいいとは言い難い。

九州交響楽団の響きは、これまでに聴いたことのある日本のオーケストラの中では日本フィルハーモニー交響楽団の音に比較的近いように思える。ただ音自体は日フィルより渋めである。

ドイツ式の現代配置での演奏。クラリネット首席に京都市交響楽団の小谷口直子が客演で入っている。


バレエ組曲「くるみ割り人形」より“小序曲”~“行進曲”。沼尻らしい明晰でシャープな音作りで、愉悦感もよく出ている。スケールはやや小さめであるが、この曲に関してはそれで一向に構わない。
チャイコフスキーのオーケストレーションは視覚面でも楽しい。


ヴァイオリン協奏曲ニ長調。ソリストである神尾真由子の十八番の一つである。
白いドレスで登場した神尾は、万全の演奏を聴かせる。メカニックが抜群なだけではなく、タメや細やかな表情付けに由来する彼女ならでは味わいが耳に心地よい。本当に良い曲であり、良い演奏だと思える。沼尻指揮の九州交響楽団も巧みな伴奏を聴かせる。


神尾のアンコール演奏は、シューベルトの「魔王」(おそらくエルンスト編曲版)。ゲーテの詩に作曲した「魔王」は語り手、父親、子供、魔王の4役を一人で歌い分ける楽曲であるが、ヴァイオリン独奏版も同様の一種の演技力が必要となってくる。高度な技術が要求される曲だが、子供が歌う部分の痛切さが印象的な演奏となっていた。


チャイコフスキーの交響曲第4番。解釈面での見直しが進むチャイコフスキーの楽曲。それまでに完成させた3つの交響曲がいずれも抒景詩的であったのに対し、交響曲第4番から第6番「悲愴」に至るまでの後期3大交響曲ではいずれも私小説のような趣を醸し出しており、作曲者の心境の変化が感じられる。

衝撃的に演奏されることが多い第1楽章の冒頭だが、沼尻は悲劇性を抑え、純音楽的な美音で奏でる。のどかに感じられるほどだが、これはその後の展開への伏線だった。
第1楽章も中盤に入ってから、沼尻は大きなギアチェンジを見せ、聴いていて胸が苦しくなるほどの慟哭を歌い上げる。前半との対比により、この曲の異様さがクッキリと浮かび上がる。あたかも地獄を見続けながら必死で正気を保っているような陰惨さが波濤のように押し寄せる。見事な設計である。

第2楽章の孤独に満ちた表情も痛烈。リアルな響きである。私にとっての「リアル」とは「切実である」ということだ。

チャイコフスキーはこの曲を完成させた後、交響曲作曲家としてはスランプに陥る。バレエ音楽などの劇音楽は作曲しており、また憧れの作曲家であったモーツァルトの楽曲研究を行うなど、それなりに有意義には過ごしていたようだが、自身の本領である交響曲が書けないという焦りは常にチャイコフスキーの中にあった。それまでの感情を全て吐露してしまったのが交響曲第4番であり、作曲を終えて空っぽになってしまったのかも知れない。

第3楽章での徹底したピッチカート演奏など、アイデアに溢れているが、どうも音楽の方から勝手にチャイコフスキーの下にやって来たような印象もあり、作曲家自身が制御し切れていない部分も多いように感じる。
交響曲第5番や第6番「悲愴」も同傾向にあるが、この2曲は第4番に比べればまだ抑制が効いているように感じられる。交響曲第4番の荒れっぷりはやはり尋常ではない。

沼尻はスケールや輪郭をきっちりと決めて、その範囲内で音楽の密度や精度を高めていくことの多い指揮者であるが、交響曲第4番においては、そうした自身の得意とするスタイルではなく、この楽曲が持つ異常性を炙り出すことに腐心しているように感じられた。ラストは本当に「狂気のパレード」という印象である。


アンコール演奏は、チャイコフスキーの弦楽セレナードから第2曲「ワルツ」。爽やかな演奏で、交響曲第4番の後で心のざわめきが少しだけ穏やかになったように感じられた。

九州交響楽団。また聴いてみたいオーケストラである。

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2021年12月20日 (月)

観劇感想精選(417) 「Home,I’m Darling~愛しのマイホーム~」

2021年11月12日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「Home,I'm Darling~愛しのマイホーム~」を観る。2019年の英国ローレンス・オリヴィエ賞5部門にノミネートされ、ベスト・ニュー・コメディ賞を受賞したブリティッシュ・コメディの日本初演である。作:ローラ・ウェイド、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:白井晃。東宝の製作である。出演は、鈴木京香、高橋克実、江口のりこ、青木さやか、袴田吉彦、銀粉蝶。
最近話題になることの多い江口のりこは姫路市の出身であるため、今回が凱旋公演ということになる。

ロンドン近郊の一軒家が舞台。ジュディ(鈴木京香)は、元々は部下が6人いるキャリアウーマンだったのだが、会社の経営が傾き、自主退職者が募られた時に、「クビになるのは確実だからその前に」と申し込み、以後は専業主婦になっている。ジュディの母親であるシルヴィア(銀粉蝶)は、娘が専業主婦になったことに納得がいっておらず、ジュディの下をたびたび訪れては不満を漏らす。ジュディの夫であるジョニー(高橋克実。カツラを付けての演技)は、不動産会社に勤務。ジュディはバーミンガム大学卒であるが、ジョニーは大学入学資格試験の日にインフルエンザに罹ったという不運も重なって高校で学業を終えている。高卒ということで、会社では最古参であるにも関わらずなかなか出世出来ないでいるのだが、ジュディにはどうしてもジョニーに出世して貰いたい理由があった。

ジュディの趣味である1950年代風に統一された家の内装。ジュディも50年代風の衣装を好んで着る。「最高に幸せ」という雰囲気で始まる芝居だが、ジュディもジョニーも内心には不満を秘めている。

ジョニーの上司が変わる。若いアレックスという人物だ。ジュディはアレックスというファーストネームから男だと信じていたのだが、実は女性である(江口のりこが演じる)。
部下のことをよく知りたいというアレックス。ジュディとジョニーはアレックスを自宅に招くことにする。ジョニーとアレックスは実に相性が良い。アレックスはロンドン大学のスクール・オブ・エコノミクス(英タイムズ紙による2022年版英国内ランキング5位)を卒業したインテリで、バーミンガム大学(同じく2022年版英国内ランキング25位)出身のジュディよりも高学歴。ジョニーとのやり取りも親密で、ジュディは嫉妬を覚え……。

第2幕冒頭には、会社を辞める前のジュディとジョニーのシーンが挿入されており、ジョニーがキャリアウーマンタイプの女性を好んでおり、ジュディを結婚相手に選んだ理由が仄めかされている。

ストーリー的には特に目新しい展開も、特筆すべき事件も起こらないのだが、夫婦が再び互いに恋するという話でもあり、鈴木京香演じるジュディと高橋克実演じるジョニーが愛らしく、微笑ましい夫婦として映る。特段に優れた舞台という訳でもないのだが、「良いものを観たな」と思える大人のための演劇である。

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2021年8月18日 (水)

観劇感想精選(408) 「森 フォレ」

2021年8月8日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後1時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「森 フォレ」を観る。作:ワジディ・ムワワド、テキスト翻訳:藤井慎一郎、演出:上村聡史(かみむら・さとし)。出演:成河(ソン・ハ)、瀧本美織、栗田桃子、前田亜季、岡本玲、松岡依都美(まつおか・いずみ)、亀田佳明、小柳友(こやなぎ・ゆう。男性)、大鷹明良(おおたか・あきら)、岡本健一、麻実れい。

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ワジディ・ムワワドは、1968年、レバノンの首都ベイルートに生まれた劇作家。幼い頃にレバノンの内戦を避けるためにフランスに亡命し、その後、カナダのフランス語圏であるケベック州に移住している。レバノンはフランスの文化受容が盛んな国のようだ。ケベック州は緻密な心理描写を特徴とする作品の数々が「ケベック演劇」と呼ばれて世界的な注目を浴びている場所であるが(日本で上演された有名作に、井上靖原作・中谷美紀主演の「銃口」や白井晃の一人芝居である「アンデルセン・プロジェクト」などがある)、ムワワドの作風は「ケベック演劇」の本流とは少し距離があるようで、むしろ血脈を描くことが多いスペイン文学や、マジックリアリズムなど独特の手法で評価される南米スペイン語圏の文学と親和性があるように見える。
2000年に「岸 Littoral(リトラル)」でカナダ総督文学賞(演劇部門)を受賞。その後、「岸 Littoral」に始まる「約束の地」4部作で高く評価された。今回上演される「森 フォレ」は、「約束の地」4部作の第3作に当たる。日本では第2作の「炎 アンサンディ」がまず上演され、次いで第1作である「岸 リトラル」が上演されているが、私はいずれも観る機会はなかった。有料パンフレットに「炎 アンサンディ」と「岸 リトラル」のあらすじが記載されているが、「森 フォレ」と共通する部分が多いようである。双子の主題が出てきたり、両親の過去の謎が前2作では描かれているようだが、「森 フォレ」ではそれらを発展させつつ、重層的構造の作品として構築している。

舞台は、ケベック州最大の都市モントリオール、ドイツ領時代のストラスブール(当時はドイツ読みでシュトラウスブルク)、第1次世界大戦中のアルデンヌの森、カナダ北部・マタン、フランスのメッスなどに飛ぶ。時系列も複雑である。
シーン表が有料パンフレットに記載されているが、演劇というより現代音楽のプログラムのようである。

ファーストシーンでは雪が舞い散る中、モントリオールに住むエメという女性(栗田桃子)が自己紹介も含めた長大なモノローグを行う。自分は余りものを覚えるのが得意ではないこと(おそらくワーキングメモリに関する話)、ただ教えられたことに関する記憶力は良いこと、今が1989年の11月16日であること、1週間前の11月9日にベルリンの壁が崩壊したこと、ただそのことに自身が何の興味も抱いていないことが明かされる。語り口と知識の豊かさからエメが聡明な女性であることが分かる。エメの両親は幼いエメを養子に出しており、エメは両親の顔を知らない。
他の人が登場し、11月9日がベルリンの壁崩壊だけでなく「水晶の夜」(1938年11月9日、ドイツ全土でナチスがユダヤ人の商家などを襲撃した事件)の日であるということも告げる。
エメはフランス人脱走兵の幻影を見たということで、精神科医の診察を受ける。

エメは、バチスト(岡本健一)と結婚し、子を授かったのだが、脳腫瘍を患っていることが判明する。今すぐどうこうというはないが余命は15年ほど。しかも脳の腫瘍と思われたものは、胎内にいる双子の片方が脳へと向かい、硬化したものであるということが分かる(この辺はマジックリアリズム的である)。ただ仮に堕胎したならエメの余命が伸びると医師に言われたエメとバチストの夫妻は、一度は堕ろすことに決めるが、そんな時にモントリオール理工科大学虐殺事件が起こる。同年12月6日のことだった。名門・モントリオール理工科大学に銃を持った若い男が押し入り、女子学生ばかり14名が射殺された。生まれてくる子供の性別が女であるということを知っていたエメは、「私は15人目を(堕胎という形で)殺したくない」と語り、出産することに決める。生まれた娘は、ルー(瀧本美織)と名付けられた。だがエメはその後に意識を失う。20年後、パンクロッカーのような格好を好む反抗的な女性に成長したルーは、5年前に亡くなった母親のエメの遺体を父親のバチストが埋葬しようとせず、冷凍保存していることに疑問を抱く。またエメの母、つまりルーの祖母であるリュス(麻実れい)やその先祖にまつわる謎が次々と沸いてくる。ルーはフランス人古生物学者のダグラス・デュポンテル(成河)と共に、先祖に関する調査を行い始める。ダグラスは、第二次大戦中のナチスによる虐殺の被害者の頭蓋骨を鑑定したのだが、その骨がエメの脳腫瘍となった双子の片方の骨と一致することを確認していた。


成河、瀧本美織以外の俳優は、血脈を強調するためだと思われるが複数の役を演じ、また時間と場所が次々と移るため、簡単に把握出来るような内容にはなっていない。だが先祖がどこで何をしており、その結果何が起こったかを辿ることは困難というほどでもない。ただ、名前などの由来などに裏設定があるようで、こうした情報は有料パンフレットを買わないと手に入らない。

時系列順に並び替えると、大元は、1871年、ドイツ・ストラスブール(シュトラウスブルク)に始める。アレクサンドル・ケレールー(大鷹明良)の息子で獣医のアルベール(岡本健一)は、オデット(栗田桃子二役)と結婚し、エドモンという子を設けるが、アレクサンドルがオデットとの間に生んだ(オデットは「見知らぬ男に強姦された」と嘘をついている)義理の娘に当たるエレーヌ(岡本玲)と性的関係を持つ。エレーヌはエドガー(小柳友)と二卵性双生児として生まれたが、エレーヌはエドガーとも性的関係を持つという、かなりグチャグチャドロドロの展開である。やがてエレーヌは双子を産むが、父親がアルベールなのかエドガーなのかは分からない。双子の男の子の方は怪物で、エレーヌを襲い、洞窟のようなところに閉じこもってしまう。女の子の方はレオニー(岡本玲二役)と名付けられ、アルベールがアルデンヌの森の奥に築いた「森」という組織で暮らすようになる。レオニーは第一次大戦中に森に逃げ込んだフランス人脱走兵のリュシアン(亀田佳明)と結ばれて、リュディヴィーヌ(松岡依都美)という女の子を産む。第二次大戦中に、リュディヴィーヌは、サミュエル(岡本健一二役)らが立ち上げたレジスタンス軍団「コウノトリ・ネットワーク」に所属し、反ナチス活動に身を投じる。リュディヴィーヌの親友だったサラ(前田亜季)はサミュエルと結婚。女の子を設ける。実はこの女の子がルーの祖母であるリュスである。

血脈を辿る旅であったが、ルーが確かめたかったリュディヴィーヌとの血縁の輪は、繋がってはいなかった。更にリュディヴィーヌは両性具有者(「リング」シリーズの貞子もそうであることがよく知られている)であり、子供を産むことは不可能で、繋がっている可能性も途切れていた。

だが、この話は血脈が繋がっていなかったという調査報告では勿論、終わらない。リュスが自分のことをリュディヴィーヌの娘だと思ったのには訳がある。「母親の名はリュディヴィーヌという」と伝えられていたのだ。だがリュディヴィーヌの正体はサラであった。「コウノトリ・ネットワーク」に加わったサラとリュディヴィーヌは、アジトを発見されそうになる。リュディヴィーヌは偽名の証明書を持っていたが、サラは本名の証明書しか持っていない。ゲシュタポは「コウノトリ・メンバー」の本名のリストは手に入れており、このままではサラは確実に殺される。サラはこの時すでにリュスを宿していたため、リュディヴィーヌは、サラの証明書とそれに張られている写真を自身の偽造証明書と交換することを提案。結果、リュディヴィーヌとなったサラはアメリカ兵に救助されてカナダへと渡ったが、本物のリュディヴィーヌはダッハウの強制収容所に送られて殺害された。自らを犠牲にして親友とその娘を救おうという「思い」。それがエメを通してルーにまで伝わっていた。血は絶えていたが「思い」はそうではない。

話は複雑だがメッセージはシンプルで力強い。そして観客も含めたここにいる全員が、「思い」をリレーするのだという決意が示されて劇は終わった。


出演者の多くは、他の舞台でもよく見る人達なのだが、瀧本美織の演技を生で見るのはおそらく初となる。朝ドラ出身の女優で、真面目で優等生的な性格といわれている瀧本美織だが、今回はそれとは真逆のタイプの女性を演じる。演技は達者であり、余裕を持って演じているように見える。真面目タイプゆえにどうしても「地味」と捉えられてしまう傾向があるようだが、彼女の場合は器用で華もあり、これからも様々な役柄で活躍出来そうである。

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2021年7月24日 (土)

コンサートの記(733) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021 レハール 喜歌劇「メリー・ウィドウ」

2021年7月18日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2021 レハールの喜歌劇(オペレッタ)「メリー・ウィドウ」を観る。なお、「メリー・ウィドウ」では劇中に選挙の話が出てくるが、今日は兵庫県知事選の投票日で、兵庫県立芸術文化センターの周りを投票を呼びかける選挙カーが回っていた。

佐渡裕の指揮、兵庫芸術文化センター管弦楽団、ひょうごプロデュースオペラ合唱団の演奏で行われる毎夏恒例のオペラ公演。昨年の「ラ・ボエーム」はコロナ禍のため、2022年に延期となったが、今年は無事に開催される運びとなった。ダブルキャストで、明日と23日は休演となるが、それ以外は1日おきに出演者が変わる。

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今日の出演は、高野百合絵(ハンナ・グラヴァリ)、折江忠道(ミルコ・ツェータ男爵)、高橋維(たかはし・ゆい。ヴァランシエンヌ)、黒田祐貴(ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵)、小堀勇介(カミーユ・ド・ロシヨン)、小貫岩夫(おぬき・いわお。カスカーダ子爵)、大沼徹(ラウール・ド・サンブリオッシュ)、泉良平(ボクダノヴィッチ)、香寿たつき(シルヴィアーヌ)、桂文枝(ニエグシュ)、志村文彦(ブリチッチュ)、押見朋子(プラスコヴィア)、森雅史(もり・まさし。クロモウ)、鈴木純子(オルガ)、鳥居かほり(エマニュエル)、高岸直樹&吉岡美佳(オペラ座のエトワール)、佐藤洋介(パリのジゴロ=ダンサー)、伊藤絵美、糀谷栄里子、四方典子(よも・のりこ。以上3人は踊り子)。踊り子役の3人は、関西では比較的名の知れた若手歌手なのだが、ひょうごプロデュースオペラ合唱団の中で踊りも担当する役ということで、無料パンフレットには個別のプロフィールは記載されていない。その他にダンサーとして、高岸、吉岡、佐藤も含めた16人の名前がパンフレットに載っており、助演名義で14人が出演する。

演出は、広渡勲(ひろわたり・いさお)。日本語訳詞・字幕付での上演。訳詞を手掛けたのは森島英子。演出の広渡が日本語台本を手掛けている。プロデューサーは小栗哲家(俳優・小栗旬の実父)。

グランドピアノをイメージしたセットが組まれており、ミニチュアセットが兵庫県立芸術文化センター内の「ポッケ」というスペースに展示されていて、写真を撮ることも出来る。
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オーケストラピットを囲うようにスペースが設けられており(宝塚歌劇でいうところの銀橋)、そこでも歌唱やダンスなどが行われる。

佐渡裕が登場し、客席に顔を見せて振り返ったところで入り替わりがあり、タクトを振り上げてから客席を振り返った指揮者は桂文枝に代わっていて、「いらっしゃーい」というお馴染みの言葉が客席に向かって放たれる。文枝が務めるのは、架空の国であるポンテヴェドロ王国(モンテネグロ公国がモデルである)の大使館書記のニエグシュとストーリーテラー(狂言回し)である。

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ポンテヴェドロ王国の資産を握るほどの大富豪が死去したことから問題が起こる。

その前にまず主人公であるハンナとダニロの関係から。二人は元々は恋人で、結婚を誓ったほどの仲だったのだが、ダニロが伯爵であるのに対して、ハンナは平民の娘。身分違いの恋ということで二人は引き離されることとなったのだ。
その後、ハンナはポンテヴェドロ王国の大富豪の老人と結婚。ところが、十日も経たないうちに(正式には八日後ということになっている)老人が死去。文枝は、「最近、和歌山で同じようなことがありまして、田辺の方だったでしょうか。あちらは事件性がありますが、こちらはございません」と、現在に至るまでのあらすじを語り、ハンナもパリに出てきて、陽気な未亡人(メリー・ウィドウ)として暮らしているのだが、彼女がフランス人と再婚すると、受け継いだ大富豪からの遺産がフランスのものになってしまうということで、元恋人であるダニロに白羽の矢が立つのだが、ダニロはプライドが邪魔する上に、財産目当てと見られることを嫌い、その気になれない。ハンナと別れてからのダニロは駐仏大使館の一等書記官となるも荒れた生活を送っており、有名バー・レストラン「マキシム」に入り浸る毎日を過ごしている。

一方、ポンテヴェドロ王国駐仏公使のツェータ男爵の夫人であるヴァランシエンヌに、パリの伊達男であるカミーユが懸想し、ヴァランシエンヌの扇に「愛している」と書き込んだのだが、その扇をヴァランシエンヌが紛失してしまったことから一騒動起こる。扇は大使館員の手で拾われ、話題になるのだが、ツェータ男爵は自分の妻が関係しているとは夢にも思っていない。

ということで、ハンナとダニロ、ヴァランシエンヌとツェータとカミーユによる騒動を描いたドタバタである。オペレッタということで、筋書きも単純だが、音楽と「人を愛することの素晴らしさ」を存分に味わうことが出来る。音楽によって舞台上と客席が一体になる様は、オペラやオペレッタならではのものである。

歌手達の歌唱と演技も上等。新劇と宝塚歌劇の中間のような演技をする人が多いので、作りものっぽさが気になる人もいるかも知れないが、日本人歌手による日本語上演としてはかなり健闘しているように思う。桂文枝は落語家なので、語りや演技スタイルが浮いているが、そもそもがそうした要素を求められてのキャスティングである。文枝に名演技を期待している人も余りいないだろう。


育成型のオーケストラである兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)は、在籍期間最長3年ということで、個性のある団体にはならないのだが、見方を変えるとどんな音楽にも順応しやすいということで、「メリー・ウィドウ」でもウィーンとパリの良さを合わせたレハールの音楽を洒落っ気たっぷりに演奏する。コンサートマスターは元大阪フィルハーモニー交響楽団コンサートマスターで、現在は日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務める田之倉雅秋だが、元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団第2ヴァイオリン首席奏者のペーター・ヴェヒターを招き、ウィーン情緒の醸成に一役買って貰っているようである。佐渡の生き生きとした音楽作りも良い。

全体的に野球ネタがちりばめられており、ダニロが通う「マキシム」は甲子園店という設定で、文枝が「毎晩、虎になる」という話をするが、ツェータ男爵は巨人ファンだったという謎の設定である。また、ダニロが酔っ払って、「佐藤(輝明。西宮市出身である)、オールスターで打った」と寝言を言ったり、ハンナが「ダニロ」と言うのかと思ったら、そうではなくて「ダルビッシュ」だったりする。


3幕の前に、文枝が客席通路を喋りながら銀橋に上がり、「私と香寿たつきさんとで面白いことやってくれと言われまして。香寿たつきさんはいいですよ、歌って踊れる。私は話しか出来ない」ということで、花月などでもやったことのある病院ネタの創作落語を、今日は立ったまま行う。「病院で薬を貰うようになってから体調が悪化した」という老人の話。元々酒豪で、医師から「1日1合まで」と決められたのだが、それでも体調が悪くなる。医師は、酒の他に「煙草も1日2本まで」と決めたのだが、「元々煙草は飲まない」そうで、無理して朝晩1本ずつ吸うようにしたら頭がクラクラして体調が悪化したとのこと。更に、右脚が悪くなり、医師から「年だ」と言われるも、「左脚も同い年なんですけれど」「左右共に一緒に学校に通ったりしてたんですけれど」と粘るも、「直に追いつく」などと言われる内容であった。
文枝は、佐渡にも病院ネタの話をして貰うのだが、「脚を骨折した」「溝に落ちて骨折した」「病院に予約しないで行ったら、『佐渡さんだ! 佐渡さんだ!』と騒がれた」「脚の診察を終えたが、顔にも傷が出来てきたので、『頭のレントゲンも撮った方が良いですよ!』と医者に言われるも」「医者は興奮していて、自分の骨折した方の足を思いっ切り踏んでいた」という佐渡の話に、「私より面白い話してどうしまんのん?」とつぶやく。

一方の香寿たつきは、十八番である「すみれの花咲く頃」を歌って踊る。ちなみに佐渡裕は、昨年、コロナ禍を乗り切るために「すみれの花咲く頃」の歌声映像や音声を募集して、合唱作品を作り上げている


「メリー・ウィドウ」の「ダニロの登場の歌」は、ショスタコーヴィチが交響曲第7番「レニングラード」の第1楽章の「戦争の主題」の一部に取り入れられているとされる。「メリー・ウィドウ」はヒトラーが好んだオペレッタとして有名で、ショスタコーヴィチがヒトラーを揶揄する意味で取り入れたのではないかとする説もある。


本編終了後におまけがあり、まずレハールのワルツ「金と銀」抜粋に合わせて、高岸と吉岡がパ・ド・ドゥを行い、その後に「メリー・ウィドウ」のハイライトが上演される。最後はステージ上に登場した佐渡が「さて女というものは」を歌い、文枝がPACオーケストラを指揮して伴奏を行うなど、遊び心に溢れた上演となった。

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