カテゴリー「京都四條南座」の41件の記事

2025年1月16日 (木)

観劇感想精選(480) 森見登美彦原作 G2脚本・演出「有頂天家族」

2024年11月22日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、「有頂天家族」を観る。森見登美彦のファンタジー小説の舞台化である。南座では渡辺えりとキムラ緑子による「有頂天」シリーズが上演されたことがあるが、それとは一切関係がない。脚本・演出:G2。出演:濱田龍臣、若月佑美、渡辺秀(わたなべ・しゅう)、池田成志、相島一之、檀れい、有川マコト、盛隆二(もり・りゅうじ)、谷山知宏、林田一高、鹿野真央(女性)、佛淵和哉(ほとけふち・かずや)ほか。

マジックリアリズムなどを特徴とする作風の森見登美彦。「有頂天家族」はアニメ化もされており、叡山電車とのコラボレーションも行われているが、舞台化はなかなか難しい。「夜は短し歩けよ乙女」も何度か舞台化されているが、最初の舞台は東憲司の演出だったにも関わらず、成功作とは言えなかったように思う。俳優も今ひとつであった(主演女優の方が解釈を間違えてましたね。どなたかは書きません)。
「有頂天家族」も過去に舞台化されたことがある。

「有頂天家族」は、狸、天狗、人間によるドラマで、特に狸が重要な役割を果たしており、下鴨家と夷川(えびすがわ)家の抗争が主軸となっている。チェッカーズ主演の「TAN TAN たぬき」という映画があったが、セリフにも出てくるため意識されているのだと思われる。
下鴨家のお母さんは宝塚歌劇団のファンなのだが、この役を宝塚出身の檀れいがやっていて、宝塚の男役の格好をしていたりする(檀れいは宝塚では娘役であった)。
純粋なエンターテインメント作品であり、深読みはしない方が良いと思われる。家族愛を描いた作品で、温かみが感じられる。また下鴨家の次男である矢二郎(佛淵和哉)が、六道珍皇寺の井戸(小野篁が地獄への入り口としていた井戸だと思われる)にこもって、井の中の蛙をやっているなど、京都の名所が絶妙にちりばめられている。また矢二郎は叡山電車に化けるのだが、叡山電車沿線に狸谷山不動院という寺院があり、アニメ版「有頂天家族」とのコラボレーション列車が走っていた。
ヒロインをやっているのは、弁天役の若月佑美。元乃木坂46のメンバーである。30歳なので、ヒロインとしては年齢は高めであるが、今の30歳は若いので(我々の世代の基準なら見た目だけなら20代前半で通じる)、ちゃんとヒロインしている。今年の大河ドラマ「光る君へ」の前半で強烈な印象を残した玉置玲央の奥さんである。
主役の下鴨矢三郎はWキャストで、今日は濱田龍臣が演じる。大河ドラマ「龍馬伝」で、福山雅治演じる坂本龍馬の少年時代役をやった子で、三谷幸喜が作・演出を担当した舞台「大地」にも出ており、その頃は朝から晩までテレビゲームばかりやっていると話していて、共演者のまりゑから、「もっと舞台観なさい、映画観なさい」と言われており、その後、学んだのかどうかは分からないが、舞台俳優としては順調に成長していることが感じられる。

役者は魅力的な人が多い。池田成志や相島一之は流石の面白さである。文学座の鹿野真央も今年37だが、なかなか可愛らしい。今の37と昔の37もやはり違うようだ。ただ森見登美彦作品は小説で読むのが一番のように思う。イメージが重要になってくるのだが、書籍で読んだ方がイメージはしやすい。

Dsc_6900_20250116232601

| | | コメント (0)

2024年12月27日 (金)

観劇感想精選(479) 松竹創業百三十周年「 當る巳歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部 令和六年十二月十四日

2024年12月14日 京都四條南座にて

午後4時から、京都四條南座で、松竹創業百三十周年 當る巳歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎夜の部を観る。

演目は、「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷、「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」かきね、「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」二幕 御所五郎蔵、「越後獅子」

Dsc_7080

「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷。今日、12月14日は討ち入りの日である(ただし旧暦)。というわけで忠臣蔵なのだが、「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷で描かれるのは、本所吉良邸で吉良上野介義央の首を挙げ、浅野内匠頭長矩の眠る高輪・泉岳寺に向かう途中に幕府大目付・仙石伯耆守の屋敷に吉田忠左衛門と富森助右衛門が伝令として寄り、その後、赤穂浪士達(寺坂吉右衛門が伝令に出たため、一人少なくと46名)が仙石屋敷に身柄を移され、討ち入りの子細を報告するという場面である。というわけで、12月14日の話ではない。
配役は、大石内蔵助に片岡仁左衛門、仙石伯耆守に中村梅玉、吉田忠左衛門に中村鴈治郎、堀部安兵衛に市川中車、磯貝十郎左衛門に中村隼人ほか。

大石内蔵助を演じる片岡仁左衛門の長台詞が一番の見所である。仙石伯耆守は、討ち入りを行ってしまったことを残念に思うが(老人一人の命を大勢で狙うという行動に反感を覚える人は案外多いようである)、内蔵助は、自分たちの行動が大儀に則ったものであることを諄々と述べる。そして喧嘩両成敗であるはずなのに、主君の浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はおとがめなしという裁定はあってはならないものであり、また浅野内匠頭の松の廊下での刃傷は短慮からではなく、覚悟の上であり、遺臣である自分たちが主君の本懐を遂げるのは当然と述べ、旧赤穂藩の遺臣は300名以上いたのにそれが47人に減ったことについては、「これが人間の姿」と述べる。仁左衛門の情感たっぷりのセリフは聞きもの。また仙石伯耆守が去った後の、赤穂浪士達の強い結びつきを感じさせるシーンも胸を打つ。
やがて浪士達の引取先が決まり、次々と去って行く。仙石伯耆守は「内匠頭はよい家臣を持たれた」と感慨にふけるのであった。


「色彩間苅豆」かさね。百姓与右衛門実は久保田金五郎は片岡愛之助が演じる予定であったが稽古中の怪我で降板。代役を中村萬太郎が務めることになった。愛之助は今回の公演の目玉で、二階に飾られたお祝いもほぼ全て愛之助宛のものであった。

下総国羽生村(現在の茨城県常総市)に住む百姓の助は、同じく百姓の与右衛門(中村萬太郎)に殺された。百姓とはいえ、与右衛門は元は侍で久保田金五郎といった。
金五郎は腰元のかさね(中村萬壽)と恋仲になったが、不義密通で出奔。その際、かさねと心中する約束をした。その後、助の女房の菊と恋仲になり、助が邪魔になって手に掛けたのである。
物語は、かさねが与右衛門に一緒に心中してくれるよう頼むところから始まる。最初は拒絶する与右衛門だったが、かさねの願いを受け入れることに。しかし、川を髑髏が流れてくる。与右衛門が殺害した助のものであった。更に、かさねが助と菊の娘であることが判明する。そこへ捕り方が現れ、もみ合いとなる。捕り方が落とした書状には与右衛門の罪が書き連ねてあった。
かさねに異変が起こる。左目が腫れ、片足が動かなくなる。亡くなった時の助そのものの姿に与右衛門は祟りを感じ、かさねを殺害する。
橋で息絶えたかさねであったが、亡霊となり、与右衛門を引き戻す(花道から去ったが、花道から再び現れ、舞台まで戻される)。
怪談話である。元々は浄土宗の高僧祐天上人の霊験譚であったようだ。
代役の萬太郎であるが、体のキレも良く、代役として立派な演技を見せた。


「曽我綉侠御所染」御所五郎蔵。
配役は、御所五郎蔵に中村隼人、星影土右衛門に坂東巳之助、甲屋(かぶとや)女房お松に片岡孝太郎、傾城皐月に中村壱太郎、傾城逢州に上村吉太朗ほか。

陸奥国の大名、浅間巴之丞に仕える須崎角弥は腰元の皐月と恋仲になった。しかし星影土右衛門が横恋慕する。不義の罪で死罪になるところを巴之丞の母である遠山尼の温情により国許追放に刑が減じられる。角弥は武士の身分を捨て、町人となって皐月と共に京に向かう。一方、土右衛門も訳あって藩を追われ、同じく京へと出てきていた。

京の五條坂仲之町の廓が舞台である。皐月はこの廓の傾城(「花魁」という言葉が使われるが、正確に言うと京都には花魁はいない。太夫がいるが、花魁とは性質が異なる)となっていた。
廓の甲屋の店先に、子分を連れた土右衛門がやって来る。そこへ現れたのはこの界隈で伊達男として知られる御所五郎蔵。実は須崎角弥である。やはり子分を従えているが、土右衛門の子分は武士、五郎蔵の子分は町人である。浅間巴之丞が上洛した際、土右衛門の子分に言い掛かりを付けられ、これを五郎蔵が懲らしめたことから、両者の間に険悪な空気が漂う。子分達は今にも争いそうになるが、五郎蔵も土右衛門も「手を出すな」と言い、言い合いが続く。しかし、土右衛門が皐月への思いを語ると五郎蔵も激高。一触即発というところを甲屋の女房であるお松が間に入って止める。

舞台は甲屋の奥座敷に移る。浅間巴之丞は傾城(やはり「花魁」と言われる)逢州に入れ揚げており、揚げ代の200両の支払いが滞っている。旧主への恩義のため、金をこしらえようとする五郎蔵。妻の皐月にも金の工面を頼む。しかし皐月は客が取れない。皐月の窮状を知った土右衛門が五郎蔵への退き状を書けば二百両払おうと皐月に申し出る。いったんは断る皐月だったが、五郎蔵も金の用意は出来ないだろうから、これを逃すと命はないだろうと迫られ、やむなく退き状を書くことになる。事情を知らない五郎蔵は皐月に激怒。逢州が五郎蔵を宥める。
怒りに震える五郎蔵は土右衛門と皐月を殺害することを決意。一方で皐月は二百両を五郎蔵に渡す手立てを考えている。土右衛門は身請けのために皐月を伴って花形屋に向かおうとするが、皐月は具合が悪いとこれを断る。怪しむ土右衛門だったが、逢州が自分が代わりに行って顔を立てるからというので納得する。逢州は皐月の打掛を着る。
廓の中で待ち伏せしていた五郎蔵は皐月と思って逢州に斬りかかり、殺害するが、すぐに正体が逢州であることに気付く。そこへ妖術を使って潜んでいた土右衛門が現れ、五郎蔵と斬り合いになる。

イケメン俳優として人気の隼人であるが、声が細く、所作もまだ十分には身についていないように見える。見得などは格好いいのだが。まだまだこれからの人なのだろう。巳之助は堂々としていて貫禄があった。演技だけ見ると巳之助の方が主人公に見えてしまう。
当代を代表する女形となった壱太郎は、繊細な身のこなしと強弱を自在に操るセリフ術で可憐な女性を演じ、見事であった。


「越後獅子」。中村鴈治郎、中村萬太郎、中村鷹之資の3人が中心になった舞で、実に華やかである。布を様々な方法で操るなど、掉尾を飾るに相応しい演目となった。

Dsc_7087

Dsc_7076

| | | コメント (0)

2024年7月 6日 (土)

観劇感想精選(464) 京都四條南座「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月 『壇浦兜軍記』阿古屋」

2024年6月15日 京都四條南座にて

午後2時から京都四條南座で、「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月」を観る。このところ毎年夏に南座での特別公演を行っている坂東玉三郎。今年の演目は、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」で、お得意の阿古屋を演じる。

Dsc_3805

まず坂東玉三郎による口上があり、片岡千次郎による『阿古屋』解説を経て、休憩を挟んで「壇浦兜軍記 阿古屋」が演じられる。
なお今回は番付の販売はなく、薄くはあるが無料にしてはしっかりとしたパンフレットが配られる。表紙はポスターやチラシを同じもので、篠山紀信が撮影を手掛けている。

Dsc_3811

坂東玉三郎の口上。京都に来て東山の方で何か光がすると思ったら、京都競馬場が主催する平安神宮での宝塚記念ドローンショーだったという話に始まり、南座の顔見世に初めて出演した際の話などが語られる。これは以前にも語られていたが、28歳で顔見世に初出演した玉三郎。昼の部は普通に出られたのだが、当時の顔見世の夜の部は日付が変わる直前まで行われ、押して開始が11時半を過ぎる演目があると、客の帰宅に差し支えるというので上演が見送られたのだが、玉三郎の出る演目は前の演目が押したため11時半に間に合わず、舞台を踏めなかったという話であった。
阿古屋についてはその文学性の高さに触れていた。本当は罪人の縁者なので縛られていないとおかしいのだが、そのままでは縄を解かれてもすぐには楽器が上手く演奏できないので、縄を使わなくても不自然に見えないよう書かれているという。また、阿古屋がこの後も出てくるのだが、その時の衣装の方が見栄えがいいそうで、今日演じられる場面は普段着に近いという設定なのだがそれでもよく見えるような工夫が必要となるようである。またこの場は、前後との接続が難しいことでも知られているようで、全段上演した時は苦労したという。
最後は、「南座のみならず歌舞伎座を(大阪)松竹座をよろしくお願いいたします」と言って締めていた。


片岡千次郎による『阿古屋』解説。阿古屋が出てくる「壇浦兜軍記」は、今から300年ほど前に大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃、その後の俗称だと文楽が元になった義太夫狂言で、源平合戦(治承・寿永の乱)が舞台となっており、悪七兵衛景清(藤原景清、伊藤景清、平景清)を主人公とした「景清もの」の一つである。「だた景清はこの場には出てきません」と千次郎。今日上演されるのは、「阿古屋琴責めの場」と呼ばれるもので、今では専らこの場のみが上演されている。片岡千次郎は今回は岩永左衛門致連(むねつら)を人形振りで演じるのだが、この人形振りや、竹田奴と呼ばれる人々が入ってくるのは文楽の名残だそうである。

「阿古屋琴責めの場」に至るまでの背景説明。壇ノ浦の戦いで平家は滅亡したが、平家方の景清はなおも生き残り、源頼朝の首を狙っている。そこで源氏方は景清の行方を捜すためあらゆる手段に出る。禁裏守護の代官に命じられた秩父庄司重忠(畠山重忠)と補佐役の岩永左衛門致連は、重忠の郎党である榛沢(はんざわ)六郎成清(なりきよ)から景清の愛人でその子を身籠もっているという五条坂の遊女・阿古屋を捕らえたとの知らせを受け、堀川御所まで連れてこさせる。そこでの詮議を描いたのが、「阿古屋琴責めの場」である。


「壇浦兜軍記 阿古屋」。阿古屋は、琴、三味線(実際は平安時代にはまだ存在しない)、胡弓(二胡ではない)の演奏を行う必要があり、しかも本職の三味線と対等に渡り合う必要があるということで、演じられる俳優は限られてくる。そのため、今では「阿古屋といえば玉三郎」となっている。
出演:坂東玉三郎(遊君 阿古屋)、片岡千次郎(岩永左衛門致連)、片岡松十郎、市川左升、中村吉兵衛、市川升三郎、中村吉二郎、市川新次、澤村伊助、中村京由、市川福五郎、中村梅大、豊崎俊輔、末廣郁哉、山本匠真、和泉大輔、坂東功一(榛沢六郎成清)、中村吉之丞(秩父庄司重忠)。人形遣い:片岡愛三郎、片岡佑次郎。後見:坂東玉雪。

秩父庄司重忠と岩永左衛門致連が待つ堀川御所に、榛沢六郎成清が阿古屋を連れてくる。阿古屋は花道を歩いて登場。捕り方に周りを囲まれているが、優雅な衣装と立ち姿で動く絵のように可憐である。赤塗りの悪役である岩永は、景清の行方を知らないという阿古屋を拷問に掛けようとするが、重忠は、責め具として、琴、三味線、胡弓の3つの楽器を持ってこさせる。
重忠は、阿古屋に楽器を奏でて唄うように命じる。阿古屋は、「蕗組みの唱歌」を琴で奏でながら唄い、景清の行方を知らないことを告げ、景清との馴れ初めも唄う。
次は三味線を弾きながら「班女」を唄う。平家滅亡後、景清とは秋が来る前に再開しようと誓い合ったが、今では行方が知れないことを嘆く。
最後は胡弓。阿古屋は景清との恋とこの世の儚さを歌い上げる。重忠は、阿古屋の奏でる楽器の音に濁りや乱れがないことから、阿古屋が景清の行方を知らないのは誠として、阿古屋の放免を決める。
名捌きの後で、登場人物達が型を決めて終わる。


音楽劇として見事な構成となっている。3つの趣の異なる弦楽器を演奏しなくてはならないので、演じる側は大変だが、役者の凄さを見る者に印象づけることのできる演目でもある。琴の雅さ、三味線の力強さ、胡弓の艶やかさが浄瑠璃や長唄、三味線と絡んでいくところにも格別の味わいがある。それは同時に地方(じかた)への敬意であるようにも感じられる。


南座を後にし、大和大路通を下って、六波羅蜜寺に詣でる。境内に阿古屋の塚があるのである。まずそれに参拝する。阿古屋塚説明碑文のうち歌舞伎の演目「阿古屋」の部分の解説は坂東玉三郎が手掛けており、傍らには「奉納 五代目 坂東玉三郎」と記された石柱も立っている。

Dsc_3818

Dsc_3820

Dsc_3827

Dsc_3825


その後、六道の辻の西福寺(一帯の住所は轆轤(ろくろ)町。髑髏(どくろ)町が由来とされる)で可愛らしい像を愛でてから西に向かい、三味線の音が流れてくる宮川町を通って帰路についた。

Dsc_3829

Dsc_3832

| | | コメント (0)

2024年3月13日 (水)

観劇感想精選(457) 令和六年 京都四條南座「三月花形歌舞伎」桜プログラム(令和六年三月三日)

2024年3月3日 京都四條南座にて

午後3時30分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」桜プログラムを観る。演目は、「女殺油地獄」、「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの) 将門」。

平成生まれの若手歌舞伎俳優が腕を競い合う南座の「三月花形歌舞伎」。今回は、中村壱太郎(成駒家)、尾上右近(音羽屋)、中村隼人(萬屋)の3人が中心となる。というより目玉がこの3人しかいない。

まず中村壱太郎による口上がある。壱太郎は、「女殺油地獄」のお吉の格好をして1階席後方から登場。ユーモラスな語り口である。「遠くから来られた方」と客席に聞くと、「千葉」と答えたお客さんがいた。千葉なら歌舞伎座も新橋演舞場も近いはずだが、それよりも若手の歌舞伎俳優のファンなのだろう。
その後、階段を昇って舞台に上がった壱太郎。看板になる役者が3人しかいないので大変だという話をした後で、作品の解説を行い、最後は南座のゆるキャラである「みなみーな」と一緒に記念撮影の時間を設ける。壱太郎は子どもたちにも手を振り、「楽しんでいって下さい。凄惨な話ですけど」と述べていた。


今年は近松門左衛門没後300年ということで、「女殺油地獄」の他に、松プログラムでは「心中天網島」より「河庄」が上演される。

「女殺油地獄」。与兵衛を当たり役としてきた片岡仁左衛門の監修による上演である。
どら息子の与兵衛(中村隼人)は、新地で馴染みの芸者である小菊を誘ったものの断られ、その小菊が野崎参りに来るというので、先回りしようとやって来ていた。野崎観音参りには油屋の豊嶋七左衛門(尾上右近)の女房であるお吉(中村壱太郎)も娘と一緒に来ており、茶屋で夫がやって来るのを待っていた。日頃から与兵衛のことを弟のように可愛がっていたお吉は、与兵衛に意見するが、与兵衛は全く聞き入れず、小菊の取り巻きとの喧嘩が始まってしまう。そんな中で、与兵衛は通りかかった高槻藩の小姓組頭である小栗八弥に泥をかけてしまう。八弥一行の中には与兵衛の親戚である山本森右衛門がおり、森右衛門は与兵衛の無礼に怒り、その場で切り捨てようとする。なんとかことは収まり、与兵衛は茶店の中で着替えることになり、お吉も同伴する。やって来た七左衛門は二人の仲を怪しむことになる。
家に帰った与兵衛であるが、ここでも乱暴を働き、義理の父親である徳兵衛と実母のおさわから勘当を言い渡されてしまう。
実は明朝までに返す必要のある借金をこさえていた与兵衛。しかし勘当されたとあっては返す見込みもない。与兵衛の足は油屋豊嶋屋へと向かう……。

与兵衛とお吉の関係を縦糸に、徳兵衛とおさわの人情を横糸とした世話物であるが、実は江戸時代を通して初演時以外は上演されず、明治に入ってから坪内逍遙の評価によって注目を浴び、明治も後年になってから常連演目となり、今では非常に人気のある作品となっている。

人気女形の中村壱太郎であるが、可憐な身のこなしに加えて発声を少し変えたようで、リアルなお吉像を作り上げていた。
中村隼人の立ち回りも素早く、絵になっていた。


「忍夜恋曲者 将門」。承平・天慶の乱で「新皇」に即位し、板東で都に背いた平将門の相馬の古内裏が舞台。将門の娘である滝夜叉姫(壱太郎)が傾城如月に化けて花道から現れ、舞う。相馬の古内裏には、将門の残党狩りを命じられてきた大宅太郎光圀(尾上右近)が現れ、蟇の妖術を使う者が現れるというので見張っているが、まどろんでしまう。そこに如月が姿を見せ、光圀は如月を怪しむ。
その後に語らう光圀と如月であったが、如月が相馬錦の将門の旗を落としたために光圀は如月の正体を将門の娘と見抜き、部下と共に滝夜叉姫と対峙することになる。

壱太郎、右近共に若々しく艶のある舞姿が印象的であった。

Dsc_2383

| | | コメント (0)

2022年12月23日 (金)

観劇感想精選(452) 當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部 「年増」&「女殺油地獄」

2022年12月9日 京都四條南座にて

午後6時から京都四條南座で、當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部を観る。
コロナの影響で3部制となっている南座の顔見世。今年の第3部は、「年増」常磐津連中と、「女殺油地獄」の2本が上演される。


「年増」。出演は、中村時蔵(萬屋)。隅田川を背景とした舞踊である。
コミカルにしてユーモラスな所作の数々が天保時代の粋を現代に伝える。


「女殺油地獄」。近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いた本を基にした義太夫狂言で、私は大阪松竹座で平成19年に観ている。その時の与兵衛は市川海老蔵の代役を買って出た片岡仁左衛門であった。海老蔵が風呂場で転倒して足を怪我したため仁左衛門が代役となったのだが、仁左衛門は片岡孝夫時代に与兵衛役で大当たりを取っており、その時も貫禄十分の演技を見せていた。出演は、片岡愛之助(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、嵐橘三郎(伊丹屋)、中村亀鶴(八幡屋)、中村壱太郎(成駒家)、片岡進之介(松嶋屋)、片岡松之助(緑屋)、中村梅花(京扇屋)ほか。

油まみれになっての殺害シーンが有名であり、映画化されているほか、「GS近松商店」など、舞台を現代に置き換えての翻案作品もいくつか存在している。

どら息子の与兵衛を演じる愛之助が様になっている。素の愛之助についてはよく知らないが、彼の芸風には与兵衛役は似合っているように感じられる。
主に大川(淀川)端のシーン、河内屋内の場、豊島屋(てしまや)油店の場からなり、河内屋内の場のラストなども独特の叙情があるが、見応えがあるのはやはり豊島屋油店の場である。義理の父親と実母が与兵衛に寄せる人情、与兵衛とお吉(孝太郎)の心理戦と油まみれの殺害シーンなど、近松の筆は冴えまくっている。
ラストで、足をガタガタ泳ぐように震わせながら花道を駆けていった愛之助。芸が細やかであった。

Dsc_2082

| | | コメント (0)

2022年11月23日 (水)

観劇感想精選(448) 大竹しのぶ主演 「女の一生」@南座

2022年11月3日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で「女の一生」を観る。作:森本薫、補綴:戌井市郎。出演:大竹しのぶ、高橋克実、段田安則、西尾まり、大和田美帆、森田涼花、林翔太、銀粉蝶、風間杜夫ほか。段田安則が演出も兼ねる。京都市出身の段田安則にとっては凱旋公演となる。また大竹しのぶは今回が南座初出演となる。

Dsc_1879

大阪に生まれ、京都帝国大学文学部に学んだ森本薫。文学座の作家としていくつもの作品を手掛けるも、学生時代に煩った結核が元で、1946年に34歳の若さで他界している。「女の一生」は、森本の最晩年の作品であり、最も有名な一作として挙げることが出来る。戦中の1945年4月に文学座によって初演され、戦後となった翌1946年にプロローグとエピローグが加えられている。プロローグとエピローグを加えた版は森本の死の1ヶ月後に初演された。今回はそれに戌井市郎の補綴を加えた版を採用している。

一貫して堤家の座敷が舞台となっている。堤家は戦災により全焼したため、プロローグとエピローグでは焼け落ちて何もないかつて堤家の座敷だった場所が舞台となる。

第1幕目は、1905年(明治42)の堤家の座敷が舞台である。正月で、堤家の女大黒柱であるしず(銀粉蝶)の誕生祝いが行われている。栄二は赤い櫛をプレゼントし、声楽家志望である次女のふみ(大和田美帆)は「アニー・ローリー」の歌唱を贈り物とする。そんな堤家に、布引けい(大竹しのぶ)がふらりと彷徨い込む。早くに両親を亡くし、育てて貰った叔母からも追い出されたけいは行く当てがなかった。そして旅順陥落の提灯行列を見るために開けてあった堤家の門から入ったのだった。

幼い少女が、中国相手の商売で一財産儲けた堤家の事実上の女主に成長していく過程を描いた作品であり、政治に興味があり、商才に長けるなどこれまでとは違った女性像を打ち出している。だがラストで、どんでん返しではないがそれ以上にインパクトのある転換がけいの口から語られる。森本の迸るような文才が結実した見事にして新鮮なラストである。

第1幕では、堤家の跡取りである長男の伸太郎(段田安則)と次男の栄二(高橋克実)はまだ若くて堤家の舵取りは出来ないという設定であり、段田安則も高橋克実も学生服を着て登場する。有料パンフレットに段田安則も二人の学生姿について「ご笑納ください」と書いており、確かに違和感があるが、「そういうものだ」と思えば違和感があってもなんとかはなる。大竹しのぶも第1幕では少女を演じるが、声や仕草を変えることで、お得意の「化ける」演技を披露。観る者を納得させた。

西尾まり、大和田美帆、森田涼花の若手女優3人も(西尾まりは私と同い年なので、若手のイメージはあっても実際には中堅女優であるが)可憐で、舞台に華やかさを振りまいていた。

Dsc_1887

| | | コメント (0)

2022年3月11日 (金)

観劇感想精選(430) 京都四條南座 「三月花形歌舞伎」(令和4年3月5日 午後の部)

2022年3月5日 京都四條南座にて

午後3時30分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」を観る。平成生まれの若手歌舞伎俳優を中心とした公演である。演目は、「番町皿屋敷」と「芋掘長者」。

Dsc_0259

開演前に、中村壱太郎(かずたろう。成駒家)と中村隼人(萬屋)によるトークがある。
上村淳之デザインの緞帳が上がり、定式幕が下がる中、坂東巳之助の影アナに続いて上手から壱太郎が登場。「今日は土曜日ということでいつもより沢山のお客さんにお越し頂いております」といったような挨拶を行った後、「隼人君、早く出て来ないかなと思ってらっしゃる方も多いと思いますので(中村隼人はイケメン歌舞伎俳優として知られている)」中村隼人が呼ばれる。隼人は花道から登場。拍手が起こるので、隼人は手で更に盛り上げる仕草をして、「パン、パンパン、パン」という手拍子を誘う。

二人は番付(パンフレット)や公演グッズなどの説明を行う。隼人に「宣伝?」と言われた壱太郎は、「紹介」と直していた。
その後、写真撮影コーナーなどがあり、二人でポーズを決めていた。スマホで撮影される方は、電源を切るのではなく、マナーモード(バイブではなく呼び出し音オフ)にしておくのが良いと思われる。
そして二人は、「番町皿屋敷」が南座で上演されるのは51年ぶり(前回の上演は昭和46年8月、片岡孝夫=現・仁左衛門の青山播磨、坂東玉三郎のお菊)、「芋堀長者」に至っては70年ぶり(前回の上演は昭和27年12月、十七代目中村勘三郎の主演)であると紹介する。


「番町皿屋敷」。「半七捕物帖」などで知られる岡本綺堂が大正5(1916年)に書いた歌舞伎である。従来の怪談「番町皿屋敷」を恋愛物に解釈し直したという、当時としては意欲的な作品である。
午前の部と午後の部で配役が異なるが、午後の部の配役は、中村橋之助(青山播磨)、中村米吉(腰元お菊)、中村蝶紫(腰元お仙)、中村橋吾(用人柴田十太夫)、中村蝶一郎(奴権次)、中村歌之助(並木長吉)、坂東巳之助(放駒四郎兵衛)ほか。

旗本と町人が徒党を組んで争っているという、「ウエスト・サイド・ストーリー」のような設定の中、旗本の青山播磨は、腰元のお菊と身分違いの恋仲にある。播磨は旗本なので、当然ながら良い縁談に事欠かない。それがお菊には気がかりである。
そんな中、青山家では家宝である高麗焼きの皿を用いて水野十郎兵衛らを接待することとなる。家宝であるため、1枚でも割れば命はない。だが播磨の心の内を信じ切れないお菊は、わざと皿を割り、播磨が自分を許すかどうか試そうとする。だが意図的に割るところを、折悪しく同僚のお仙に目撃されていた。
お菊が皿を割ったことを、当然ながら播磨は許すが、お菊が皿をわざと割ったことを知り、自分に対する不信故に試そうとしたと悟るや態度を一変させる。自分のことを信じ切れていないということが許せなかったのである。播磨は一生涯掛けてもお菊以上の女には出会えないと知りつつ、お菊の行いを裏切りと感じ、手討ちにするのだった。

理屈では理解出来るが、共感は難しい展開である。旗本とその腰元という身分の違いがあり、この時代、主従関係は絶対ではあるが、それ以上に男女の格差というものが感じられる。「女は男より生まれながらに身分が低い」それが常識であってこそ成り立つ展開であり、今現在の価値観を持ってこの筋書きに心から納得するのは難しいだろう。身分差故の悲恋といえば悲恋だが、お菊の意志は一切尊重されていない。ただ、時代を感じるから上演しない方がいい、筋書きを変えようということではない。往時の世界観を知る上でも上演を行うことは大切だと思う。

やはり歌舞伎はキャリアがものをいうようで、声の通りが良くなったはずの南座であっても若手俳優達のセリフが聞き取りにくかったり、こなれていなかったり、間が妙だったりという傷は散見される。
そんな中で中村米吉の細やかな演技が光る。女声に近い声を発することの出来る女形だが、だんまりの場面や、皿を差し出す時の手の震えなど、セリフ以上に仕草で心理描写を行うことに長けている。将来の名女形の座は約束されたも同然である。


「芋堀長者」。こちらも大正7(1918)年という「番町皿屋敷」と同時期に書かれた作品である。岡村柿紅の作で、六世尾上菊五郎や七世坂東三津五郎らによって東京市村座で初演されている。大正期の上演は初演の時だけ、昭和に入ってからも僅かに3回と人気のない演目だったが、十代目坂東三津五郎がこの作品を気に入り、自らの振付で復活させている。
出演は、坂東巳之助(十代目坂東三津五郎の長男。芋堀藤五郎)、中村隼人(友達治六郎)、中村橋之助(魁兵馬)、中村歌之助(莵原左内)、中村歌女之丞(松ヶ枝家後室)、中村米吉(腰元松葉)、中村壱太郎(息女緑御前)。振付は、十代目坂東三津五郎、坂東三津弥。

松ヶ枝家の後室は、娘の緑御前に婿を取らせたいと思っているのだが、婿にするなら踊り上手が良いということで、歌合戦ならぬ踊合戦のようなものが行われることになる。
そんな中、緑御前に懸想する芋堀藤五郎も踊合戦に加わろうとするのだが、芋堀を家業としている藤五郎には踊りの素養は全くない。そこで舞を得意とする友人の治六郎と共に参内し、面を被ったまま踊るとして治六郎と入れ替わることにする。

まんまと成功する藤五郎と治六郎だが、緑御前に「直面で踊って欲しい」と言われたため、事態は一変。藤五郎は下手な人形遣いによる操り人形のような動きしか出来ず、緑御前達を訝らせる。治六郎が衝立の向こうで藤五郎にだけ見えるよう舞の見本を見せるのだが、舞ったことがないので上手くいく訳もない。緑御前の前で緊張したということにして、藤五郎は緑御前と連舞を行うことになるのだが……。

幼い頃から舞を行っている人達であるため、手足の動きの細やかさ、無駄のなさ、動作の淀みなさなどいずれも見事である。

コミカルな動きが笑いを誘うが、百姓ならではの舞も「荒事」に通じる豪快さがあり、それまでに舞われていた上方風のたおやかな舞との対比が生きていた。

Dsc_0263

| | | コメント (0)

2022年1月27日 (木)

観劇感想精選(423) 《喜劇名作劇場》恋ぶみ屋一葉「有頂天作家」 

2022年1月16日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、《喜劇名作劇場》恋ぶみ屋一葉「有頂天作家」を観る。キムラ緑子と渡辺えりが南座で(南座の休館時は大阪松竹座で)の上演を重ねている「有頂天」シリーズの最新作である。今回は、「現代の戯作者」とも呼ばれている齋藤雅文が1992年に書いた「恋ぶみ屋一葉」を齋藤雅文自身の演出で上演する。
出演は、渡辺えりとキムラ緑子の他に、大和田美帆、影山拓也(ジャニーズJr.)、瀬戸摩純(劇団新派)、春本由香(劇団新派)、長谷川純、宇梶剛士、渡辺徹ほか。

音楽劇という程ではないが、冒頭とラストに歌とダンスのシーンがあり、劇中もいくつかのナンバーが俳優達によって歌われる。

一葉というのは樋口一葉(本名:樋口奈津)本人ではなく、同じ「奈津」という名前を持つ前田奈津(キムラ緑子)のことである(樋口一葉の友人であった伊藤夏子がモデルの可能性もある)。前田奈津は、樋口一葉と共に尾崎紅葉門下であったが、樋口一葉最晩年(といってもまだ24歳だが)の情熱的な活動と出来上がった作品の完成度に惚れ込み、以降は小説家を目指すのを断念して樋口一葉のファンとして樋口一葉同様に荒物屋を営み、一方で、恋文を中心とした代書屋として活動していた。一葉は前田奈津のあだ名であり、自分から一葉を名乗ったのではなく、周りが彼女のことを一葉と呼ぶのであった。

尾崎紅葉門下の筆頭格である通俗小説家の加賀美涼月(渡辺徹。モデルは加賀金沢出身の泉鏡花だが、尾崎紅葉、更におそらくは半井桃水の要素も盛り込まれている)は現在では弟子数名を抱える売れっ子となっている。前田奈津と加賀美涼月は紅葉の門下生時代から親しい間柄で、今でも男女という性別を超えた友人として付き合ってる。前田奈津には加賀美に対する恋心もあったのだが、親友で後に芸者となったきくに加賀美を譲っていた。加賀美ときくの恋は実らず、きくは川越にある農家に嫁ぎ、21年前に他界していた。はずだったのだが、実は生きている。夫の苗字を名乗り、サツマイモ畑で汗を流す日々。夫は朝鮮に渡り、その地で亡くなっていた。きくの舅が、きくと加賀美の仲を完全に裂くために、「きくは亡くなった」と偽りの訃報を加賀美や奈津に届けていたのだ。

加賀美涼月の自宅に、一人の小説家志望の青年が訪ねてくる。川越出身の羽生草助(影山拓也)である。加賀美は、草助が書いた原稿に一応は目を通すが、「表現しようという意欲が感じられない」とこき下ろす。だが、草助に新たに玄関番になることを命じ、門下の書生となることを許す。実はこき下ろしはしたが、加賀美は草助の中に光るものを感じていた。草助が加賀美の文体を真似ようと努力していることも見抜き、新時代の感覚も身につけているということで期待していたのだった。加賀美は家を訪ねてきた奈津にそのことを語る。奈津は、草助が若い頃の加賀美に似ていると言う。

そんな中、きく(渡辺えり)が奈津を訪ねてくる。昔はほっそりしていたきくだが、今は体の幅が倍ぐらいになっており、21年ぶりの再会ということで、奈津はきくに気付かない。
きくが奈津を訪ねたのは、家出した息子を川越に連れ戻そうとしてのことだった。実はきくの息子は草助であり、草助が加賀美涼月に弟子入りすると書き置きを残していたため、東京へと出てきたのだった。

その草助は、先輩書生の片桐清次郎(長谷川純)らに連れられて吉原に遊びに行き、そこで出会った芸者の桃太郎(大和田美帆)に恋心を抱く。草助と桃太郎はすぐさま両思いとなった。
加賀美涼月は、芸者が嫌いであった。弟子達にも「芸者と遊ぶな」ときつく戒めていた。だが、加賀美はかつての恋人であった芸者時代のきくが忘れられず、50歳も間近だというのに所帯を持とうとはしなかった。弟子達に芸者遊びを禁じたのも、悲恋に終わった自身の芸者との関係が傷となり、弟子にも芸者にも自分と同じ思いをさせないためだった。

他の人物は草助についてよく知らないが、母親のきくは当然ながら彼の父親が誰なのかを知っていた……。


樋口一葉、泉鏡花、尾崎紅葉ら明治の文豪をモデルとした架空の人物達が繰り広げる文芸ロマンである。加賀美涼月は通俗作家という設定だが、新派劇と通俗小説はかなり近しい関係にあり、劇団新派文芸部出身の齋藤雅文も通俗であることの誇りを加賀美の口を借りて謳っている。

大和田美帆演じる桃太郎は、泉鏡花の奥さん(伊藤すず。ちなみ泉鏡花の実母の名前も「すず」である)と同じ芸名であり、加賀美涼月と羽生草助が共に泉鏡花の分身として登場し、泉鏡花という作家が重層的に描かれている。尾崎紅葉は鏡花と伊藤すずの交際に反対しており、二人が結婚するのは紅葉が亡くなってからだが、その構図がこの作品でも生かされている。

伏線が上手く張り巡らされ、登場人物の心の機微が綾を成して、いくつもの恋が巧みに織りなされていく。24歳で早逝した樋口一葉ではなく、その志を受け継いだ前田奈津を主人公にしたことで、今生きることの希望がメッセージとして強く押し出されていた。

Dsc_0031

| | | コメント (0)

2021年12月31日 (金)

観劇感想精選(418) 「當る寅歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部 「雁のたより」「蜘蛛絲梓弦」 令和三年十二月十日

2021年12月10日 京都四條南座にて観劇

午後6時から、京都四條南座で、「當る寅歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部を観る。今年も昨年同様、コロナ対策の密集緩和のため、顔見世は3部制で行われる。また、人間国宝であった四代目坂田藤十郎三回忌追善のため、第1部の「晒三番叟」と「曾根崎心中」が追善狂言と銘打たれた他、全編に渡って藤十郎が生前に得意としていた演目が並ぶ。1階では坂田藤十郎の写真展も開催されていた。

Dsc_2802


第3部の演目は、「雁(かり)のたより」と「蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」


「雁のたより」は、3年前の顔見世で、坂田藤十郎の息子である四代目中村鴈治郎が主役の三二五郎七を演じていたが、今回は十代目松本幸四郎が五郎七役を務める。
「雁のたより」は、上方歌舞伎の代表的演目で、昭和以降で五郎七を演じてきたのは、十三代目片岡仁左衛門、二代目中村扇雀=三代目中村鴈治郎=四代目坂田藤十郎、五代目中村翫雀=四代目中村鴈治郎と、全て上方系の役者であり、江戸の歌舞伎俳優が主役を務めるのは今回が初めてとなる。

このところ、上方演目への出演が目立つ十代目松本幸四郎。先代が「ザ・立役」という人だっただけに、同じ土俵では太刀打ち出来ないが、上方狂言への適性は明らかで、今後も父親とは別の分野での活躍も期待される。

Dsc_2794

出演は、松本幸四郎、片岡愛之助、上村吉弥、片岡千壽、板東竹三郎、片岡進之介、中村錦之助ほか。

今回は、片岡仁左衛門の監修による松嶋屋型での上演。鴈治郎がやった成駒家型の上演とは内容が大きく異なる。

見た目が優男ということもあり、上方演目の主役にイメージがピタリとはまる幸四郎。だが、上方俳優の愛之助などとは動きが異なることに気付く。特に腕の動きなどは速く鋭く、愛之助のたおやかな手つきとは好対照で、幸四郎がやはり江戸の俳優であることがよく分かる。
江戸の俳優として初めて五郎七を演じることになった幸四郎。初役ということで、十分満足の行く出来とまでは行かなかったが、佇まいが良く、滑稽さの表出や動きのキレなどにはやはり光るものがある。「華」に関してはやはり上方芝居に慣れている愛之助の方が上のような気がしたが、初役であり、今後の伸びも期待される。


「蜘蛛絲梓弦」。愛之助が五変化を勤める。出演は愛之助の他に、大谷廣太郎、中村種之助、松本幸四郎ら。

Dsc_2795

京都では壬生狂言の演目としても知られる「土蜘蛛」伝説を扱っており、源頼光の土蜘蛛退治に基づく演目であるが、妖怪などは古くから疫病と結びつけて考えられてきたため、今の世相に相応しい作品であると言える。
ちなみに壬生狂言の「土蜘蛛」で使われる蜘蛛の糸は、触ると厄除けになると言われているが、歌舞伎版でも同様なのかは分からない。

土蜘蛛というのは元々は大和朝廷にまつろわなかった豪族達の寓喩であり、葛城氏などが土蜘蛛に喩えられている。

源頼光(松本幸四郎)が原因不明の病に苦しんでおり、物の怪の仕業と見た頼光家臣の碓井貞光(大谷廣太郎)と坂田金時(中村種之助)が寝ずの番をしている。そこへ土蜘蛛(片岡愛之助)が小姓や太鼓持、座頭などに姿を変えて現れ、頼光とその家臣を幻惑していく。「羅生門の鬼」で知られる頼光四天王の一人、渡辺綱の話や鴻門の会の燓噲などの話も登場する。

華やかな演出が特徴的な演目であり、愛之助の達者ぶりも光る。

梓弦は、梓弓のことで、弓は「張る」ので「春」に掛かり、「歌舞伎界の正月」とも言われる南座での顔見世に相応しい。またコロナの冬を越えて春が来ることを祈念していると見ることも出来る。真意は分からないのだが、そう取ると梨園の意気のようなものが感じられる。

なお、今回の口上では、坂田藤十郎の屋号である「山城屋」が掛けられていたり、南座とコラボレーションを行った「鬼滅の刃」を思わせる一節が隠れていたりした。

Dsc_2820_20211231214801

| | | コメント (0)

2021年8月 1日 (日)

観劇感想精選(405) 「坂東玉三郎 特別舞踊公演」南座七月(令和三年) 「口上」 地唄「雪」 地唄「鐘ヶ岬」

2021年7月24日 京都四條南座にて観劇

午後2時から、京都四條南座で、坂東玉三郎特別舞踊公演7月の回を観る。今日が初日である。

Dsc_2041


まず口上があり、その後に地唄「雪」と「鐘ヶ岬」が上演される。

口上では、「本日はお暑い中、また状況の厳しい中、お足をお運び下さりありがとうございます」と述べ、今年の1月に大阪松竹座で口上を行った時に衣装の紹介をしたところ好評だったというので、今回もそれを行い、いつもより長くなるとの断りがある。舞台後方には上手から下手に向かって、春夏秋冬の景色を描いた金屏風が並んでいる。

玉三郎が初めて南座の舞台に立ったのは、昭和46年12月の顔見世興行においてであったが、50年前ということで今とは勝手が違い、上演時間も長い上に初日は押しに押しまくって、午後11時を過ぎたため、玉三郎が出演するはずだった「京人形」は上演されないまま終わってしまったそうである。
また京都は歌舞伎発祥の地、地唄の発祥の地ということで、南座で地唄を披露するのは今になっても「面映ゆい思いが致します」と語っていた。

紹介される衣装は、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」から乳母・政岡の打ち掛け、「壇浦兜軍記 阿古屋」より遊女・阿古屋の打ち掛けなどである。その他に傾城(遊女)を演じる時に使用した打ち掛けや、静御前を演った時の衣装なども紹介される。

阿古屋の打ち掛けは二代目だそうである。初代の打ち掛けは玉三郎独自のデザインであったが、現在の二代目は六代目中村歌右衛門が阿古屋を演じた時に用いていたものを引き継ぐ意匠となっているそうだ。阿古屋は景清(藤原氏の出身だが平家の武将として活躍)の思い人ということで、平家の家紋である揚羽蝶が描かれている。また、中国では最も華やかな花とされる牡丹が、裾を飾っている。ただ玉三郎は人から、「蝶々は牡丹を嫌う」という話を聞き、実際に牡丹の花を観察したことがあるのだが、本当に蝶々は牡丹を避けるそうである。

男勝りの政岡の打ち掛けは、「伽羅先代萩」が仙台伊達家のお家騒動である伊達騒動に取材した作品ということで、伊達家の家紋にある笹が用いられている。


地唄「雪」。振付:梅津貴昶。三絃・唄:富山清琴、箏:富山清仁。
ゆっくりとした動きと細やかな動きが、移ろう時の速さと儚さを表すが、逆に一瞬一瞬の美が映える。時というものを分解する美術だ。
ここに登場する女性に名はないが、大坂・南地の名妓だったソセキという人がモデルになっているそうで、歌詞にも「そせき」の名がさりげなく入っている。


地唄「鐘ヶ岬」。振付:二世藤間勘祖、舞台美術:山中隆成。三絃・唄:富山清琴、箏:富山清仁。
安珍と清姫を主人公とする「道成寺もの」の一つで、歌詞には鐘は出てこないが、玉三郎の口上によると、「京鹿子娘道成寺」を改作した「九州釣鐘岬」を短縮したものが「鐘ヶ岬」だそうである。
舞台背景は枝垂れ桜。舞台上手寄りに鐘が下がっているという舞台美術である。紙の桜が天井からひらひらを舞い落ちて積もり、清姫は床板の桜を足で散らしながら舞う。清姫は鐘に対する恨みを述べ、前半は安珍が僧侶ということで仏教の言葉が並ぶ。扇をクルクルと回し、衣装が黒から白に変わって後半、日本の有名な遊郭づくしである。
江戸の吉原、京の嶋原、伏見・墨染の撞木町(大石内蔵助が通ったことで有名である)、大坂・四つ橋筋の西にあった新町、奈良の木辻、九州・長崎の丸山と続く。
前半と後半の対比が見事であり、可憐さと同時に女の業と男の罪深さが、抑制されつつも漂う香のように静かに確実に観る者に伝わってくる。

Dsc_2044

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD MOVIX京都 NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アップリンク京都 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ ギリシャ悲劇 グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コント コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント トーク番組 ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ポーランド映画 ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロシア映画 ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇場 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 写真 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 宗教音楽 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本フィルハーモニー交響楽団 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 時代劇 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 連続テレビ小説 邦楽 配信ドラマ 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 音楽番組 食品 飲料 香港映画