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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2025年12月23日 (火)

観劇感想精選(505) 松竹創業百三十周年 京の年中行事 當る午歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露 夜の部

2025年12月8日 京都四條南座にて

午後4時30分から、京都四條南座で、松竹創業百三十周年 京の年中行事 當る午歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露 夜の部を観る。
例年とは異なり、ポスターには演目が書いてあるだけ、番付も菊五郎と菊之助の屋号である音羽屋の由来となった音羽山清水寺の本堂(清水の舞台)をリアルなタッチで描いた田渕俊夫の「京洛心象 冬詩」が表紙絵となっている。

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演目は、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」、「口上」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」より“浜松屋見世先の場”と“稲瀬川勢揃いの場”、「三人形(みつにんぎょう)」

尾上菊之助に当てて書かれた弁天小僧菊之助が登場する白浪ものが入っているのが特徴である。

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尾上菊五郎であるが、歌舞伎小屋で見た記憶がないので、芸を生で見るのは初めてかも知れない。連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」に登場する条映(東映京都撮影所がモデル)の時代劇スター、桃山剣之介の先代と当代を一人二役(キャラクターも芸も親子でそっくりなので二役に当たるのかは不明だが)で演じていたことが記憶に新しい。

新しい尾上菊之助は、まだ12歳。小学6年生で名跡を受け継ぐこととなった。

不思議なもので、歌舞伎役者は若い頃に苦労した方が伸び、楽しい青春を送った人が悲惨なことになることが多い。四代目市川猿之助などは若い頃に遊び放題、亀治郎から猿之助になってもセクハラし放題(彼はゲイなので相手は男である)で、才能は買われていたが、歌舞伎役者として戻ってくる可能性は極めて低く、市川猿之助という名跡も縁起が悪いのでもう継ぐ人がいない可能性もある。歌舞伎役者だったからかどうかは分からないが、2人殺しているのに執行猶予判決は出ている。
ただ苦労すれば良いというわけでは勿論ない。
市川中車(香川照之)の息子である市川團子も、当初は将来猿之助を継ぐ予定だったようだが(四代目猿之助はゲイなので結婚もしないし子どもも作らないと約束)、猿之助は避けて普通に市川段四郎を継ぐ可能性が高い。團子も明るい青春を送ったようだが(当代の染五郎は青山学院で初等部から高等部まで團子と同学年だったが、勉強が嫌いという理由で中退。團子だけが青山学院大学に進学している)、父親との関係が上手くいっていないという話もある。

かつて、「平成の三之助」と呼ばれた三人(市川新之助、尾上菊之助、尾上辰之助)のうち、菊之助だけが名を変えなかったが、これで平成の三之助も完全に過去のものとなった。市川新之助は海老蔵を経て團十郎を襲名。尾上辰之助はいち早く尾上松緑を名乗ったが、父親を早くに亡くしているため、七代目菊五郎に師事。封建的な歌舞伎の世界にあっては出世は難しいと思われ、大河ドラマ「葵 徳川三代」で徳川家光を演じたのも今後、大役に就くのは難しいからという制作側の配慮があったのかも知れない(尾上松緑本人は以後、映像作品への出演を全て断っている)。

 

「寿曽我対面」。「寿」の字が入っていることから分かるとおり、祝いの時に上演されることが多い演目である。仇討ちものといえばまず曾我兄弟と言われるほど知名度も高い。
工藤祐経(中村梅玉)の館が舞台。工藤氏は、日本の中でも良く知られた苗字で人数も多いが、伊藤氏(伊勢藤原ではなく伊豆藤原の方)、伊東氏(藤から東に変更)と同族である。建築を得意とし、木工頭の称号を得て、伊藤や伊東から工藤に変わる者が多かったようだ。その後、陸奥国(現在の青森県付近)から建築の仕事が多く舞い込んだため、移住する者も多く、現在でも工藤は青森県内最多の苗字となっている。工藤氏や伊豆系伊藤氏や伊東氏は庵木瓜という特徴ある家紋の家が多い。木瓜(もっこう)が建物の中に入っており、建築技術に秀でた一族であることを示している。今回の工藤祐経館も庵木瓜があちこちに貼られている。
祐経が富士の裾野で行われる巻き狩りの総奉行職に任じられたので、多くの大名が祝いのために工藤館を訪れている。この冒頭は、どこかシェイクスピアの「リア王」の冒頭に似ている。小林朝比奈(中村鴈治郎)が、かねてから祐経に会いたいと申し出ている若者が二人いると祐経に上申。祐経は会うことにする。現れたのは実父である河津三郎祐康を工藤に闇討ちされた曽我十郎祐成(片岡孝太郎)と曽我五郎時致(片岡愛之助)の兄弟である。
諸大名が兄弟を「礼儀を知らぬ者」と嘲る中、祐経は二人が河津三郎の息子であると見抜き……。
兄弟ではあるが、性格が少し異なる二人を描いている。松嶋屋の二人による曽我兄弟であるが、昨年は体調不良により顔見世への出演を見合わせた愛之助はまだ調子が戻っていないように見える。
菊之助が、菊若丸という相応しい名で現れ、名刀・友切丸(縁起の悪い名前である)を運んでくる役を演じていた。

 

「口上」。出演は、八代目尾上菊五郎(音羽屋)、六代目尾上菊之助(音羽屋)、片岡仁左衛門(松嶋屋)、中村鴈治郎(成駒家)、片岡愛之助(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、中村梅玉(高砂屋)、中村扇雀(成駒家)、片岡進之介(松嶋屋)、松本幸四郎(高麗屋)、中村勘九郎(中村屋)、中村七之助(中村屋)、中村歌六(播磨屋)。

仁左衛門の先導で、それぞれが口上や祝いを述べていく。菊五郎は、初代尾上菊五郎が京都の人であったこと、清水寺の音羽の滝にちなんで音羽屋を名乗ったことなどを述べる。舞台の下手側の斜め端には清水寺の本堂が、上手側の斜め端には音羽の滝が描かれている。
歌舞伎界ということで親戚が多く、また同世代も多いため、学生時代の話なども語られていた。ちなみに菊之助は青山学院出身だが、歌舞伎界には暁星学園出身者も多い。プロテスタントとカトリックの違いはあれど、ミッションスクールが多いのには訳があるのだろうか? ちなみに八打目菊五郎の世代だと青山学院大学の教養課程はまだ厚木キャンパスに置かれていたが、厚木に通っていては歌舞伎の稽古にも出演にも支障があるため、中退もやむなしであろう。市川團子が現在、青山学院大学に通っているが、今は1年から4年まで青山キャンパスに行くことになるので、歌舞伎との両立は可能である。他の大学中退の歌舞伎俳優も学業よりもキャンパスの遠さが理由になった人はいると思われる。
中村鴈治郎は、菊五郎よりも大分年上だが、菊五郎が企画し、蜷川幸雄が演出した「NINAGAWA十二夜」で菊五郎と共演し、ロンドン公演にも連れて行って貰ったことに今でも感謝しているそうである。

 

「弁天娘女男白浪」。河竹黙阿弥の作であり、弁天小僧菊之助は、尾上菊之助に当てて書かれている。「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まる歌舞伎史上屈指の有名ゼリフもこの作品のものである。元々のタイトルは「青砥稿紙花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」というものであるが、“浜松屋見世先”と“稲瀬川勢揃い”の抜粋上演をする際は、「弁天娘女男白浪」というタイトルになる。「白浪五人男」という別名でも有名だ。

鎌倉時代の鎌倉が舞台である(ということになっている)。“浜松屋見世先”の場。鎌倉雪の下(鎌倉の中では北の方)にある呉服屋、浜松屋。振袖姿の武家の娘と思われる女(菊五郎)が、若党の四十八(よそはち。中村勘九郎)を伴って浜松屋に入って来る。女は様々な品物を並べるが、番頭の与九郎(市村橘太郎)は女が緋鹿の子の小布を懐に忍ばせるのを見て万引きだと思い、店の者達で店を出ようとした女を引き戻し、番頭は算盤を女の額に打ち付ける。
しかし、女が手にしていたのは山形屋と書かれた別の小布であった。
騒ぎを聞きつけた若旦那の宗之助(中村鷹之資)は、店の者達と共に謝るが、四十八は女の正体が二階堂信濃守(鎌倉の雪の下の隣の地名が実は二階堂なのである。二階建ての本堂を持っていた永福寺〈ようふくじ〉が由来。地名で遊んでいるのが分かる)の家臣、早瀬主水の娘と明かし、濡れ衣を着せられた上に若い娘の額に傷を付けられたとあってはこのままでは帰れぬ、皆の首を取った上で切腹すると言い放つ。
鳶頭清二(坂東巳之助)がことを収めようとするが、上手く行かず、浜松屋の主である幸兵衛(中村歌六)が、十両で話を付けようとするが、四十八は百両を要求する。
そこへ、二階堂信濃守の家臣である玉島逸当(松本幸四郎)が現れ、二階堂信濃守の家中に早瀬主水という者はいないと断言。女は仕方なく自身が弁天小僧菊之助であることを、同じく四十八は南郷力丸であることを明かす。
「知らざあ言って聴かやしょう」のセリフは、音羽屋が本家である。本姓である「寺島」(女優の寺島しのぶは菊五郎の実姉である)が登場し、「菊之助」の名が語られる。以前、片岡愛之助の弁天小僧菊之助で同じセリフを聞いているが、趣は大きく異なる。菊五郎の方が現代的で節も抑えがちであり、愛之助はいかにも悪党がしゃあしゃあと語っているという感じだった。ちなみに語られる内容であるが、自己紹介である。それもかなりの駄目人間としての。なので情けない内容を格好つけて話している滑稽さが肝となるのだが、菊五郎の場合はそのままで格好いいので、格好いいのに駄目という残念さが加わるが、語りのスタイルとしてはスマートで外連のようなものは感じられない。本家の語りは代々このようなものなのかも知れない。
ちなみに玉島逸当の正体は、白浪五人男の首領、日本駄右衛門である。
番頭がなぜ弁天小僧の顔面に算盤を振り下ろしたのかは不明。振り下ろした時点では相手が男だとも正体が弁天小僧だとも分かっていなかったはずだが、女性の顔に傷を作ってしまったら何を言われるか分からないのは江戸時代だろうと鎌倉時代だろうと現代だろうと変わらないはずだが。傷さえ付けなければ悪党どもに吹っかけられることもなかったはずである。

“稲瀬川勢揃い”の場。白浪五人男が一人ずつ花道から舞台へと向かう。稲瀬川は、鎌倉を流れる短く小さな川だが、ここでは現実の稲瀬川でなく、江戸の隅田川が稲瀬川になぞらえられている。隅田川は今も東京23区内を流れる川としては荒川などの次に川幅が広いが、今の荒川は放水路で、江戸時代までの隅田川は荒川の水量も合わせた、今の倍ほどの川幅を持つ大河であった(荒川の下流の別名が隅田川。長江と揚子江のような関係である)。
登場するのは、弁天小僧菊之助、忠信利平(片岡愛之助)、赤星十三郎(中村七之助)、南郷力丸、日本駄右衛門。「志ら浪」の文字の入った番傘を差している。
捕り方が大勢現れ、大乱闘の内に五人男が見得を切り、幕となる。

女形として人気が出た七之助は。ここでも上品な美貌の盗賊という女形の持ち味を生かしたキャラ付けを行っていた。

 

「三人形」。江戸の新吉原仲之町。奴(坂東巳之助)、傾城(中村壱太郎)、若衆(中村隼人)の3人が、それぞれのスタイルで舞い始める。
常磐津が遊郭の歴史を歌っていく。弓削道鏡が勅命を受けて遊郭を築いたそうである。ちなみに遊郭という言葉の由来も語られるが、嘘である。
なお、弓削道鏡が遊郭を作った話も、道鏡の一物がかなり立派だったという俗説から来ていると思われる。
若手トップランクの女形である中村壱太郎(かずたろう。成駒家。彼は「女方」表記の方を好むようである)の細やかな仕草が更に洗練度を増しているのが感じられた。

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2025年11月 8日 (土)

観劇感想精選(499) 「市川團十郎特別公演」昼の部「伊達競阿國戯場 三升先代萩」 令和七年十月十一日

2025年10月11日 京都四條南座にて

正午から、京都四條南座で、「市川團十郎特別公演」昼の部「伊達競阿國戯場(だてくらべおくにかぶき) 三升先代萩(みますせんだいはぎ)」を観る。三升という成田屋の定紋がタイトルに入っていることからも分かるとおり、成田屋でしか上演しない且つ出来ない演目である。石川耕士が補綴を行っている。

今回の「市川團十郎特別公演」は、昼の部が自家のための演目、夜の部は「歌舞伎の世界」というタイトルで、有名な歌舞伎の演目のハイライト上演で、おそらく團十郎による解説もあり、明らかに歌舞伎初心者向けとなっている。歌舞伎好きとこれから歌舞伎の世界に入ろうとする客の両取り作戦である。

「三升先代萩」は、仙台藩のお家騒動(伊達騒動)を題材にした「先代萩」の成田屋専売版である。まず團十郎が口上を述べる。挨拶などの後で、背後に人物関係図が下りてきて、「三升先代萩」の解説を行う。江戸時代の話が元なのだが、幕府にあれこれ文句を付けられぬように、室町時代の話としており、山名宗全、細川勝元など実在の人物も登場する。お家乗っ取りを企む悪漢との戦いであるが、團十郎は早替えで計7人を演じ分ける。ということで、結構有名な人も出演しているのに、團十郎以外は基本端役で、團十郎のワンマンショーとなっている。
この時の足利家分家の当主である頼兼を團十郎はかなりのバカ殿として演じている。早替わりは巧みだが、中村勘九郎の方がスムーズに感じる。

最大の特徴は大詰めにある。細川勝元を演じているときに團十郎は、「寄こしてみなさい」といったように、完全現代口語でセリフを発する。歌舞伎で「寄こしてみなさい」というセリフが存在する可能性は低く、「ふん、寄こせ」などのセリフを現代語に改めたものと考えられる。現代の演劇のようなセリフを入れた意図ははっきりしないが、セリフは聞き取りやすくなった。團十郎の弱点は滑舌の悪さという指摘があるが、歌舞伎の言い回しでなく現代語で語られるようなセリフなら発音も明瞭である。そして細川勝元を機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)に見立てたという可能性も考えられる。
十三代目襲名以降、様々な取り組みを行っている團十郎だが、今回の現代口語もその一つだろう。私は、「ああ、そう来たか」と思っただけだったが、「これはもう歌舞伎ではない」と考える人もいるかも知れない。いずれにせよ大胆な試みである。

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2025年7月23日 (水)

観劇感想精選(494) 有吉佐和子作 大竹しのぶ主演「華岡青洲の妻」

2025年7月13日 京都四條南座にて観劇

午後4時30分から、京都四條南座で、「華岡青洲の妻」を観る。和歌山県出身の小説家、有吉佐和子の代表作の一つを有吉佐和子本人の手で潤色・戯曲化した作品。小説家や脚本家が戯曲を書いたり、自作を戯曲化しても上手くいかないことが多いのだが、有吉佐和子は劇作家からスタートした人だけに、不自然でない仕上がりに達している。雨の日に手が空いたので昔話に花が咲くいうのが第1幕と第2幕の趣向だが、同じ趣向のため8年間雨が降り続いているという設定になったりしているが、この辺はご愛敬であろう。初演の演出も有吉佐和子自身が手掛けている。

演出:齋藤雅文。出演:大竹しのぶ、田中哲司、田畑智子、武田玲奈、陳内将(じんない・しょう)、長谷川稀世(はせがわ・きよ)、曾我廼家文童(そがのや・ぶんどう)、小野洋子(文学座。体調不良で降板した波乃久里子の代役)ほか。主要キャストではないが、京都劇場で上演された「リンス・リピート-そして、再び繰り返す-」にも出演していた名越志保も出ている。世界で初めて全身麻酔による乳がんの手術を受けて成功へと導かれた老女・お勘役である。

今日は、上演時間約3時間の演目を、午前の部、午後の部、夜の部の3回公演。その3回目である。俳優の体力が試される。加えてこの蒸し暑い気候。影響が皆無とは言えないようで、セリフを噛んでしまう人も多い。
客の入りも良いとはいえない。大竹しのぶと田中哲司のコンビ、ご当地女優の田畑智子、若手注目株の武田玲奈と、波乃久里子は出られなくなったが十分に魅力的なキャストであるのだが、気候が出歩くのに向いていない。「祇園祭もいいから、家で涼しく過ごしたい」というのが多くの京都人の本音であろう。

「華岡青洲の妻」はかなり有名な作品だけに、大まかなストーリーを知っている人は多いだろう。

世界で初めて全身麻酔による手術に成功した華岡青洲。代々紀州で蘭方医を営む家に生まれ、生地の近くで学んだあと、京に遊学。長く滞在し、当時の日本の最先端のものを含む多くの医術を学んだ。生地(現在の和歌山県紀の川市)に帰って父の跡を継いで医師になる。麻酔による手術を行う方法を工夫し、実母と妻が実験台となり、妻は失明してしまうという話である。その後、青洲は紀伊徳川家藩主、徳川治宝(はるとみ)に謁見して士分となり(元々は農民階級の出身。そして当時、医師は身分の外にいた)帯刀を許される。やがて、世界で初めて全身麻酔を使った乳がんの手術に成功。医師として紀伊国で身分を上げるとともに、自宅を改造した医院兼医学塾の春林軒を興して多くの門人を育てている。

 

溶暗したまま舞台が始まる。仕事をしている女性たちに一人ひとりスポットライトが当たる。糸車を回す於継(小野洋子)、機を織る加惠(かえ。大竹しのぶ)、そして於勝(田畑智子)、紬糸を行う小陸(おりく。武田玲奈)。於継と於勝と小陸が元からの華岡家の人間で、加恵は3か月前に嫁入りしたばかり。加恵は大庄屋の娘で、生家の格は加恵の方が上である。そして青洲はまだ京都に留学中で夫婦にはなったものの、顔を合わせていない。於勝と小陸は加恵より年下で、加恵のことを「姉さあ」と呼ぶ。
於継は根は良い人だと思うのだが、時折、無意識に加恵に厳しく当たってしまうことがあり、嫁姑の関係は、於継の次女である小陸に影響を与えることとなる。

そんな中、いよいよ青洲こと雲平(田中哲司)が帰ってくる。

第1幕と第2幕は続けて上演され、ずっと雨が降り続いている。第1幕では青洲が京都に遊学に行っているため、女達が機仕事をして稼がねばならないが、第2幕では自宅内で診療が行われているため、余計な音は出せず、機仕事はもう行われていない。

 

大竹しのぶは近年、セリフを歌うように発する傾向があり、今回も音楽的な発声を行うことがある。日本の時代劇なので余り合わないのだが、第3幕で姑との言い合いになる時は効果的となる。
初めての場面での加恵は25歳ということで、大竹しのぶも声を若くし、身振りのスピードを速くしている。声は細くなってセリフが聞き取れない場面もあったが、身振りは非常に愛らしい。

於継を演じる小野洋子。誰かを思い出してしまう名前だが、堅実な演技を見せる。新劇の文学座所属だが、演出の齋藤雅文が新派も手掛けていることから、新派風の言い回しに挑戦しているように聞こえる場面もあった。

ご当地女優・田畑智子。見るたびに演技が上手くなっているような感じで、今日も舞台上で生き生きとしている。若死にする役なので2幕で出番が終わってしまうのが惜しい。

若手の注目株、武田玲奈。武田梨奈と名前が似ているが別人である。「NGなし」と言われるほど様々な役に挑んでいる人だが、今回はセリフが紀州弁ということで発声の方に意識を取られている気がした。ただ舞台映えのする人で着物も似合い、これからも見てみたい女優である。

田中哲司の紀州の若旦那といった雰囲気も上手く表れていたように思う。なお、青洲が気付け薬(白湯だと思われる)を加恵に口移しで飲ませる場面があり、客席から息を飲む音が聞こえた。

加恵は麻酔の失敗で失明してしまうのだが、大竹しのぶの目の見えない人に見える演技も巧み。本当に見えていないように見えるだけでなく、見えない目で見ているような趣がある。

ラストのセリフを大竹しのぶは声音を変えて発する。古い表現になるが天女の声のようであった。

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2025年6月 1日 (日)

コンサートの記(903) マルタ・アルゲリッチ特別演奏会 in 京都南座

2025年5月26日 京都四條南座にて

午後6時30分から、京都四條南座で、第25回記念別府マルタ・アルゲリッチ音楽祭関連コンサート マルタ・アルゲリッチ特別演奏会 in 京都南座を聴く。

午後6時開場の予定だったが、気温が低めのためか、南座に着いた午後5時45分にはすでに開場していた。ロビー開場で、午後6時に客席開場となるはずであったが、ドアの隙間からアルゲリッチが弾くピアノの音が漏れており、リハーサルが長引いているということで客席開場が少し遅れる。それまでドアのそばにさりげなく立って、アルゲリッチの弾く澄んだピアノの音を耳にしていた。

世界最高の天才ピアニストと呼ばれるマルタ・アルゲリッチの22年ぶりとなる京都での演奏会である。前回はおそらく京都コンサートホールでの演奏だったと思われるのだが、今回の会場は京都四條南座となった。南座では、翁・シルクロード 特別な想い ゼロからの祈りコンサートが行われており、昨日は、石上真由子や佐藤晴真やテレマン室内オーケストラ、雅楽によるコンサートが行われ、2日目となる今日がアルゲリッチのコンサート。
アルゲリッチはいつの頃からか、「ステージに一人だと寂しい」という子どものような理由で、室内楽や協奏曲の独奏しか行わなくなっていたのだが、別府アルゲリッチ音楽祭を行うようになってから、次第にピアノソロ曲も弾くようになり、今日もピアノ独奏曲がプログラムに含まれている。

耐震工事を含めた内部改修工事を行った南座。松竹が3Dプリンターを使って、以前の通りに復元したのだが、座席の狭さや座席前通路の狭隘さ、三階席の急勾配と階段の段の高さもそのままで、一幕見席も相変わらずなしということで、不評である。ただ音の通りは明らかに良くなっており、クラシック音楽の演奏会場として期待もされたのだが、おそらく昨日今日の演奏会が、改修後初のクラシック音楽の演奏会となる。

チケットはかなり高いので、安めの席を選択。実は南座は大向こうが一番音の通りが良いと知っての計算である。3階席の最後列ほぼ真ん中であったが、やはり音の通りは良く、視覚以外は、目の前で演奏しているかのようであった。

出演は、マルタ・アルゲリッチの他に、川久保賜紀(ヴァイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、上野通明(みちあき。チェロ)。アルゲリッチと共演するに相応しい、日本屈指の腕利きが揃った。

正面に能の鏡板を模した松、側面には竹の松羽目舞台での演奏である。

曲目には変更がある。
まず、川久保賜紀と上野通明による、非常に格好良いハルヴォルセンの「ヘンデルの主題によるサラバントと変奏」に続いて、エルネスト・フォン・ドホナーニの弦楽三重奏のためのセレナードが演奏されるはずだったのだが、アルゲリッチの登場が早まり、川久保と上野が退場してからすぐにアルゲリッチが姿を現す。なお今日はスタッフも含めて全員上手からの登場となった。

アルゲリッチはプログラムにない曲を弾き始める。シューマンの幻想小曲集より「夢のもつれ」。アルゲリッチらしい鮮度の高い演奏であったが、何故か、客席下手側後方から大きめの寝息の音がする。アルゲリッチもその方を振り返って、「この私がピアノを弾いているのに寝るですって?」といったような表情を浮かべていた。

続く2曲は、プログラム通りラヴェルの「水の戯れ」と『夜のガスパール』から「オンディーヌ」
いずれも鍵盤が日の光を反映した水の面に見えてくるような瑞々しい演奏。勢い余って水がピアノから溢れ出そうである。
エスプリ・クルトワやラヴェルが曲に込めたたゆたうような音楽性も、最大限に引き出して見せる。
いずれの曲も、他のピアニストによる生演奏を聴いたことはあるが、やはりアルゲリッチは何もかも違う。
これだけのピアノソロを弾けるのに、何年も何十年も封印してきたのだからアルゲリッチも罪な人である。

 

エルンスト・フォン・ドホナーニの弦楽三重奏曲のためのセレナード。
三人の息のあったアンサンブルが聴きものである。
ハンガリー生まれのエルンスト・フォン・ドホナーニ。高名な指揮者のクリストフ・フォン・ドホナーニの祖父であるが、クリストフは生地のドイツ国籍である。名作曲家や名音楽家を多く生み出しているハンガリーの作曲家だけに豊かな音楽性を感じさせるが、例えばバルトークやコダーイほどにはハンガリー的ではなく、ドイツ音楽の影響が強い。
南座の音響はピアノ向きで、ピアノの後に弦楽トリオを聴くと音がやや細いように感じられた。音の通りは良いが残響がないからでもあろう。

 

休憩は南座らしく30分もある。2階などでは雅楽の楽器や、雅楽に乗せて舞う時の衣装などが展示されている。

1階西側のスペースでは、河原町の清水屋さんがアルゲリッチや川久保さんのCDを販売していたが、良さそうなものは大体買ってしまっているため、買いようがなかった。

 

後半は、ヴィオラの川本嘉子のソロから始まる。ヘンデル(細川俊夫編曲)の「私を泣かせてください」と、カタロニア民謡を原曲とした西村朗の「鳥の歌」幻想曲。いずれも日本を代表する作曲家による作品。西村朗は、追悼コンサートが、彼が音楽監督を務めた大阪の住友生命いずみホールで今年複数回行われる。
いずれも前奏に原曲とは異なる部分が付け加えられていたが、本編の美しさを損なわない仕上がりとなっていた。

 

メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番。
メンデルスゾーンというと、金持ちの家に生まれ、一流の教育を受け、作曲家として神童と認められたほか、絵画の腕前も一級、指揮者としても高く評価されるなど、自身がユダヤ人の家系であることや、38歳で早逝したことを除けば、幸福な人生を送ったかのように見える。彼の人生を評して「行けども行けども薔薇また薔薇」と言われたりもする。
だがこの曲の第1楽章を聴けば、メンデルスゾーンが本当の悲しみを知っている人間であることが分かる。人知れぬ苦悩には直面したことがありそうである。
アルゲリッチは譜めくり人を付けての演奏。譜めくり人を務めるのは京都を拠点として活躍する女性ピアニストである。
アルゲリッチのピアノがベースを奏で、弦楽器がその上を駆けていく。

第2楽章では、冒頭でアルゲリッチが懐旧の趣のあるソロを奏でる。胸にゆっくりと染み込んでいくようなピアノである。
子どもの頃の思い出。まだ小学校に上がる前、父と実家の近くの用水路沿いをずっと歩いて行った。ただそれだけなのに懐かしい風景。それを思い出した。
その後は、弦楽とピアノが明るい音楽を奏でる。

第3楽章ではピアノの煌びやかなソロがあり、弦楽器が優雅な掛け合いを行う。

そして第4楽章では、熱いやり取りが繰り広げられる。三者とも共演というより競演という趣で全力をぶつけ合い、スリリングな演奏となった。

 

喝采に包まれた南座。アルゲリッチに客席から花束を渡す人二名。更にスタッフから三人に花束が贈呈された。

 

メンデルスゾーンのピアノ三重奏第1番第3楽章がアンコールとして再び演奏され、再び魔術のような音楽が南座の空間を満たす。

 

最後は、私が目にした中では上川隆也主演の舞台「隠蔽捜査」(改修前の南座での上演)以来となる南座オールスタンディングオベーション。アルゲリッチも満足そうであった。

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2025年3月30日 (日)

観劇感想精選(487) 令和七年 京都四條南座「三月花形歌舞伎」松プログラム 「妹背山婦女庭訓」より三笠山御殿&「於染久松色讀販」 令和七年三月二十二日

2025年3月22日 京都四條南座にて

午後3時30分から、京都四條南座で、「三月花形歌舞伎」を視る。
毎年3月に、若手歌舞伎俳優達が競演を行う南座の「三月花形歌舞伎」。若手ということでチケット料金も安めで、実力者が多く出るというので人気の公演。南座のホワイエなどを見ると、どうもイケメン枠で売り出そうとしている人達もいるようだ。悪いことではないと思う。番付も若い女性を意識した可愛らしいデザインである。客席には男女ともにお年を召した方が目立つので、若者達を客席に呼び込みたいという意思が感じられる。

人気とは言え、大物歌舞伎俳優は出演しないため、満員からは遠い。ただ知名度の低い人が多いのにこれだけ入るのはたいしたものとも言える。

今回は、松プログラムと桜プログラムの2種類を用意。約20日ほどの公演だが、前半は午前の部が松プログラムで午後の部が桜プログラム。これが折り返し地点で逆になる。明日で公演は終わるので、今日の午後の部は松プログラムの上演である。

松プログラムは、「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」より三笠山御殿と、中村壱太郎(かずたろう。成駒家)が早替わりで5役を演じる「於染久松色讀販(おそめひさまつうきなのよみうり)」の2本が上演される。なお、桜プログラムの2作目もやはり中村壱太郎早替わり5役の「御染久松色讀販」が上演されるが、後半の筋書きと演出、更に壱太郎の演じる役が異なるようである。

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開演前に、中村虎之介(成駒屋)による前説があり、作品解説が行われたほか(「『妹背山婦女庭訓』で藤原鎌足の息子である藤原淡海をやるのは、シュッとして色白でいい男、私がやります」と紹介していた。また「『於染久松色讀販』は、壱太郎さんが5役早替えでやります。あれ、『これ壱太郎さんじゃないかな?』と思っても壱太郎さんです」)、恒例の写真撮影会を南座のゆるキャラである、みなみーなと共に行った。

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「妹背山婦女庭訓」より三笠山御殿。蘇我入鹿(市川猿弥)が悪役である。飛鳥時代が舞台ということになっている。当時、政権をほしいままにしていた蘇我入鹿とその父の蘇我蝦夷が住んでいたのは飛鳥の甘樫丘ということになっているが、本作では奈良の三笠山に御殿があるということになっている。入鹿と敵対しているのは藤原鎌足(中臣鎌足)であり、その子の烏帽子折求女実は藤原淡海(中村虎之介)である。淡海は、入鹿の娘の橘姫(上村吉太朗)と恋仲であり、糸をつけて苧環(おだまき)で彼女のことを追っている。そんな淡海の袖に糸をつけてこれまた追いかけている若い女性が一人、お三輪(中村米吉。播磨屋)である。三輪という名前と苧環、大和国が舞台であることから、「三輪山伝説」が掛けられていることが分かる。
求女は、仇敵である入鹿の娘に取り入ることで、入鹿を討つ機会を狙っている。
そんな求女の正体も知らずに惚れて三笠御殿まで来てしまったお三輪。身分が低いので貴族達のしきたりなど何も知らない。御殿に上がろうとするが、女官達に行く手を遮られる。女官達はこの場では男の声で話し、お三輪を馬鹿にし、もてあそび、散々に苛める。いつの時代も女だけの世界は怖いようである。そうした冷遇に必死に耐えるお三輪が愛らしいが、よく考えるとこのお三輪もかなりやばめの女である。女官達に帰るように言われても、「求女様の顔が見たい」、求女の祝言の声が聞こえてもまだ「求女様の顔が見たい」。当時はそんな言葉は当然ながらなかったが、ストーカー気質であり、かなりの粘着質である。
最後は、お三輪も鬼の形相に変わり、ここで鎌足配下の鱶七(ふかしち。中村福之助)に討ち取られる。蘇我入鹿は、母親が白い牝鹿の生き血を飲んだことで生まれた。そのため入鹿と名付けられ、不死身だが、黒い鹿と疑着の相の女の血を混ぜて笛に入れ、吹くと入鹿は正体をなくすという。
お三輪は、自身が求女の役に立てることを喜んで死んでいくのだが、死に方はかなり悲惨であり、現代人の思考ではついて行けない部分も多いと思われる。

お三輪を演じた中村米吉の繊細な演技と、憤怒の際(疑着の相)のエネルギー量の多さが印象的であった。

 

「於染久松色讀販」。中村壱太郎が、早替わりで、お染、久松、お光、鬼門の喜兵衛、土手のお六の5役を演じる。
ちょっとした小芝居があった後で、久松で現れた壱太郎。茂みの中に引っ込むと、花道を駕籠が通る。丁度、セリの上に駕籠が置かれ、駕籠かき達が話している間にセリから駕籠の中に移ってお染として姿を現す。その後も駕籠は駕籠かき達が話していて動かないが、その間にセリから下に出て舞台に戻り、久松となって現れる。
その後、舞台上でくるりと入れ替わったり、ゴザの後ろにいるときに衣装を変えたりと、次々と早替えを披露。
最後は土手のお六となり、「なりこまや」と書かれた番傘が踊る中、正座して、「本日はこれにて終演といたしまする」と終演を告げた。
単に衣装を変えるだけでなく、キャラクターも一瞬で変える。歌舞伎俳優の凄みを見せた演目であった。

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2025年1月16日 (木)

観劇感想精選(480) 森見登美彦原作 G2脚本・演出「有頂天家族」

2024年11月22日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、「有頂天家族」を観る。森見登美彦のファンタジー小説の舞台化である。南座では渡辺えりとキムラ緑子による「有頂天」シリーズが上演されたことがあるが、それとは一切関係がない。脚本・演出:G2。出演:濱田龍臣、若月佑美、渡辺秀(わたなべ・しゅう)、池田成志、相島一之、檀れい、有川マコト、盛隆二(もり・りゅうじ)、谷山知宏、林田一高、鹿野真央(女性)、佛淵和哉(ほとけふち・かずや)ほか。

マジックリアリズムなどを特徴とする作風の森見登美彦。「有頂天家族」はアニメ化もされており、叡山電車とのコラボレーションも行われているが、舞台化はなかなか難しい。「夜は短し歩けよ乙女」も何度か舞台化されているが、最初の舞台は東憲司の演出だったにも関わらず、成功作とは言えなかったように思う。俳優も今ひとつであった(主演女優の方が解釈を間違えてましたね。どなたかは書きません)。
「有頂天家族」も過去に舞台化されたことがある。

「有頂天家族」は、狸、天狗、人間によるドラマで、特に狸が重要な役割を果たしており、下鴨家と夷川(えびすがわ)家の抗争が主軸となっている。チェッカーズ主演の「TAN TAN たぬき」という映画があったが、セリフにも出てくるため意識されているのだと思われる。
下鴨家のお母さんは宝塚歌劇団のファンなのだが、この役を宝塚出身の檀れいがやっていて、宝塚の男役の格好をしていたりする(檀れいは宝塚では娘役であった)。
純粋なエンターテインメント作品であり、深読みはしない方が良いと思われる。家族愛を描いた作品で、温かみが感じられる。また下鴨家の次男である矢二郎(佛淵和哉)が、六道珍皇寺の井戸(小野篁が地獄への入り口としていた井戸だと思われる)にこもって、井の中の蛙をやっているなど、京都の名所が絶妙にちりばめられている。また矢二郎は叡山電車に化けるのだが、叡山電車沿線に狸谷山不動院という寺院があり、アニメ版「有頂天家族」とのコラボレーション列車が走っていた。
ヒロインをやっているのは、弁天役の若月佑美。元乃木坂46のメンバーである。30歳なので、ヒロインとしては年齢は高めであるが、今の30歳は若いので(我々の世代の基準なら見た目だけなら20代前半で通じる)、ちゃんとヒロインしている。今年の大河ドラマ「光る君へ」の前半で強烈な印象を残した玉置玲央の奥さんである。
主役の下鴨矢三郎はWキャストで、今日は濱田龍臣が演じる。大河ドラマ「龍馬伝」で、福山雅治演じる坂本龍馬の少年時代役をやった子で、三谷幸喜が作・演出を担当した舞台「大地」にも出ており、その頃は朝から晩までテレビゲームばかりやっていると話していて、共演者のまりゑから、「もっと舞台観なさい、映画観なさい」と言われており、その後、学んだのかどうかは分からないが、舞台俳優としては順調に成長していることが感じられる。

役者は魅力的な人が多い。池田成志や相島一之は流石の面白さである。文学座の鹿野真央も今年37だが、なかなか可愛らしい。今の37と昔の37もやはり違うようだ。ただ森見登美彦作品は小説で読むのが一番のように思う。イメージが重要になってくるのだが、書籍で読んだ方がイメージはしやすい。

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2024年12月27日 (金)

観劇感想精選(479) 松竹創業百三十周年「 當る巳歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部 令和六年十二月十四日

2024年12月14日 京都四條南座にて

午後4時から、京都四條南座で、松竹創業百三十周年 當る巳歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎夜の部を観る。

演目は、「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷、「色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)」かきね、「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」二幕 御所五郎蔵、「越後獅子」

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「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷。今日、12月14日は討ち入りの日である(ただし旧暦)。というわけで忠臣蔵なのだが、「元禄忠臣蔵」二幕 仙石屋敷で描かれるのは、本所吉良邸で吉良上野介義央の首を挙げ、浅野内匠頭長矩の眠る高輪・泉岳寺に向かう途中に幕府大目付・仙石伯耆守の屋敷に吉田忠左衛門と富森助右衛門が伝令として寄り、その後、赤穂浪士達(寺坂吉右衛門が伝令に出たため、一人少なくと46名)が仙石屋敷に身柄を移され、討ち入りの子細を報告するという場面である。というわけで、12月14日の話ではない。
配役は、大石内蔵助に片岡仁左衛門、仙石伯耆守に中村梅玉、吉田忠左衛門に中村鴈治郎、堀部安兵衛に市川中車、磯貝十郎左衛門に中村隼人ほか。

大石内蔵助を演じる片岡仁左衛門の長台詞が一番の見所である。仙石伯耆守は、討ち入りを行ってしまったことを残念に思うが(老人一人の命を大勢で狙うという行動に反感を覚える人は案外多いようである)、内蔵助は、自分たちの行動が大儀に則ったものであることを諄々と述べる。そして喧嘩両成敗であるはずなのに、主君の浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はおとがめなしという裁定はあってはならないものであり、また浅野内匠頭の松の廊下での刃傷は短慮からではなく、覚悟の上であり、遺臣である自分たちが主君の本懐を遂げるのは当然と述べ、旧赤穂藩の遺臣は300名以上いたのにそれが47人に減ったことについては、「これが人間の姿」と述べる。仁左衛門の情感たっぷりのセリフは聞きもの。また仙石伯耆守が去った後の、赤穂浪士達の強い結びつきを感じさせるシーンも胸を打つ。
やがて浪士達の引取先が決まり、次々と去って行く。仙石伯耆守は「内匠頭はよい家臣を持たれた」と感慨にふけるのであった。


「色彩間苅豆」かさね。百姓与右衛門実は久保田金五郎は片岡愛之助が演じる予定であったが稽古中の怪我で降板。代役を中村萬太郎が務めることになった。愛之助は今回の公演の目玉で、二階に飾られたお祝いもほぼ全て愛之助宛のものであった。

下総国羽生村(現在の茨城県常総市)に住む百姓の助は、同じく百姓の与右衛門(中村萬太郎)に殺された。百姓とはいえ、与右衛門は元は侍で久保田金五郎といった。
金五郎は腰元のかさね(中村萬壽)と恋仲になったが、不義密通で出奔。その際、かさねと心中する約束をした。その後、助の女房の菊と恋仲になり、助が邪魔になって手に掛けたのである。
物語は、かさねが与右衛門に一緒に心中してくれるよう頼むところから始まる。最初は拒絶する与右衛門だったが、かさねの願いを受け入れることに。しかし、川を髑髏が流れてくる。与右衛門が殺害した助のものであった。更に、かさねが助と菊の娘であることが判明する。そこへ捕り方が現れ、もみ合いとなる。捕り方が落とした書状には与右衛門の罪が書き連ねてあった。
かさねに異変が起こる。左目が腫れ、片足が動かなくなる。亡くなった時の助そのものの姿に与右衛門は祟りを感じ、かさねを殺害する。
橋で息絶えたかさねであったが、亡霊となり、与右衛門を引き戻す(花道から去ったが、花道から再び現れ、舞台まで戻される)。
怪談話である。元々は浄土宗の高僧祐天上人の霊験譚であったようだ。
代役の萬太郎であるが、体のキレも良く、代役として立派な演技を見せた。


「曽我綉侠御所染」御所五郎蔵。
配役は、御所五郎蔵に中村隼人、星影土右衛門に坂東巳之助、甲屋(かぶとや)女房お松に片岡孝太郎、傾城皐月に中村壱太郎、傾城逢州に上村吉太朗ほか。

陸奥国の大名、浅間巴之丞に仕える須崎角弥は腰元の皐月と恋仲になった。しかし星影土右衛門が横恋慕する。不義の罪で死罪になるところを巴之丞の母である遠山尼の温情により国許追放に刑が減じられる。角弥は武士の身分を捨て、町人となって皐月と共に京に向かう。一方、土右衛門も訳あって藩を追われ、同じく京へと出てきていた。

京の五條坂仲之町の廓が舞台である。皐月はこの廓の傾城(「花魁」という言葉が使われるが、正確に言うと京都には花魁はいない。太夫がいるが、花魁とは性質が異なる)となっていた。
廓の甲屋の店先に、子分を連れた土右衛門がやって来る。そこへ現れたのはこの界隈で伊達男として知られる御所五郎蔵。実は須崎角弥である。やはり子分を従えているが、土右衛門の子分は武士、五郎蔵の子分は町人である。浅間巴之丞が上洛した際、土右衛門の子分に言い掛かりを付けられ、これを五郎蔵が懲らしめたことから、両者の間に険悪な空気が漂う。子分達は今にも争いそうになるが、五郎蔵も土右衛門も「手を出すな」と言い、言い合いが続く。しかし、土右衛門が皐月への思いを語ると五郎蔵も激高。一触即発というところを甲屋の女房であるお松が間に入って止める。

舞台は甲屋の奥座敷に移る。浅間巴之丞は傾城(やはり「花魁」と言われる)逢州に入れ揚げており、揚げ代の200両の支払いが滞っている。旧主への恩義のため、金をこしらえようとする五郎蔵。妻の皐月にも金の工面を頼む。しかし皐月は客が取れない。皐月の窮状を知った土右衛門が五郎蔵への退き状を書けば二百両払おうと皐月に申し出る。いったんは断る皐月だったが、五郎蔵も金の用意は出来ないだろうから、これを逃すと命はないだろうと迫られ、やむなく退き状を書くことになる。事情を知らない五郎蔵は皐月に激怒。逢州が五郎蔵を宥める。
怒りに震える五郎蔵は土右衛門と皐月を殺害することを決意。一方で皐月は二百両を五郎蔵に渡す手立てを考えている。土右衛門は身請けのために皐月を伴って花形屋に向かおうとするが、皐月は具合が悪いとこれを断る。怪しむ土右衛門だったが、逢州が自分が代わりに行って顔を立てるからというので納得する。逢州は皐月の打掛を着る。
廓の中で待ち伏せしていた五郎蔵は皐月と思って逢州に斬りかかり、殺害するが、すぐに正体が逢州であることに気付く。そこへ妖術を使って潜んでいた土右衛門が現れ、五郎蔵と斬り合いになる。

イケメン俳優として人気の隼人であるが、声が細く、所作もまだ十分には身についていないように見える。見得などは格好いいのだが。まだまだこれからの人なのだろう。巳之助は堂々としていて貫禄があった。演技だけ見ると巳之助の方が主人公に見えてしまう。
当代を代表する女形となった壱太郎は、繊細な身のこなしと強弱を自在に操るセリフ術で可憐な女性を演じ、見事であった。


「越後獅子」。中村鴈治郎、中村萬太郎、中村鷹之資の3人が中心になった舞で、実に華やかである。布を様々な方法で操るなど、掉尾を飾るに相応しい演目となった。

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2024年7月 6日 (土)

観劇感想精選(464) 京都四條南座「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月 『壇浦兜軍記』阿古屋」

2024年6月15日 京都四條南座にて

午後2時から京都四條南座で、「坂東玉三郎特別公演 令和六年六月」を観る。このところ毎年夏に南座での特別公演を行っている坂東玉三郎。今年の演目は、「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」で、お得意の阿古屋を演じる。

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まず坂東玉三郎による口上があり、片岡千次郎による『阿古屋』解説を経て、休憩を挟んで「壇浦兜軍記 阿古屋」が演じられる。
なお今回は番付の販売はなく、薄くはあるが無料にしてはしっかりとしたパンフレットが配られる。表紙はポスターやチラシを同じもので、篠山紀信が撮影を手掛けている。

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坂東玉三郎の口上。京都に来て東山の方で何か光がすると思ったら、京都競馬場が主催する平安神宮での宝塚記念ドローンショーだったという話に始まり、南座の顔見世に初めて出演した際の話などが語られる。これは以前にも語られていたが、28歳で顔見世に初出演した玉三郎。昼の部は普通に出られたのだが、当時の顔見世の夜の部は日付が変わる直前まで行われ、押して開始が11時半を過ぎる演目があると、客の帰宅に差し支えるというので上演が見送られたのだが、玉三郎の出る演目は前の演目が押したため11時半に間に合わず、舞台を踏めなかったという話であった。
阿古屋についてはその文学性の高さに触れていた。本当は罪人の縁者なので縛られていないとおかしいのだが、そのままでは縄を解かれてもすぐには楽器が上手く演奏できないので、縄を使わなくても不自然に見えないよう書かれているという。また、阿古屋がこの後も出てくるのだが、その時の衣装の方が見栄えがいいそうで、今日演じられる場面は普段着に近いという設定なのだがそれでもよく見えるような工夫が必要となるようである。またこの場は、前後との接続が難しいことでも知られているようで、全段上演した時は苦労したという。
最後は、「南座のみならず歌舞伎座を(大阪)松竹座をよろしくお願いいたします」と言って締めていた。


片岡千次郎による『阿古屋』解説。阿古屋が出てくる「壇浦兜軍記」は、今から300年ほど前に大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃、その後の俗称だと文楽が元になった義太夫狂言で、源平合戦(治承・寿永の乱)が舞台となっており、悪七兵衛景清(藤原景清、伊藤景清、平景清)を主人公とした「景清もの」の一つである。「だた景清はこの場には出てきません」と千次郎。今日上演されるのは、「阿古屋琴責めの場」と呼ばれるもので、今では専らこの場のみが上演されている。片岡千次郎は今回は岩永左衛門致連(むねつら)を人形振りで演じるのだが、この人形振りや、竹田奴と呼ばれる人々が入ってくるのは文楽の名残だそうである。

「阿古屋琴責めの場」に至るまでの背景説明。壇ノ浦の戦いで平家は滅亡したが、平家方の景清はなおも生き残り、源頼朝の首を狙っている。そこで源氏方は景清の行方を捜すためあらゆる手段に出る。禁裏守護の代官に命じられた秩父庄司重忠(畠山重忠)と補佐役の岩永左衛門致連は、重忠の郎党である榛沢(はんざわ)六郎成清(なりきよ)から景清の愛人でその子を身籠もっているという五条坂の遊女・阿古屋を捕らえたとの知らせを受け、堀川御所まで連れてこさせる。そこでの詮議を描いたのが、「阿古屋琴責めの場」である。


「壇浦兜軍記 阿古屋」。阿古屋は、琴、三味線(実際は平安時代にはまだ存在しない)、胡弓(二胡ではない)の演奏を行う必要があり、しかも本職の三味線と対等に渡り合う必要があるということで、演じられる俳優は限られてくる。そのため、今では「阿古屋といえば玉三郎」となっている。
出演:坂東玉三郎(遊君 阿古屋)、片岡千次郎(岩永左衛門致連)、片岡松十郎、市川左升、中村吉兵衛、市川升三郎、中村吉二郎、市川新次、澤村伊助、中村京由、市川福五郎、中村梅大、豊崎俊輔、末廣郁哉、山本匠真、和泉大輔、坂東功一(榛沢六郎成清)、中村吉之丞(秩父庄司重忠)。人形遣い:片岡愛三郎、片岡佑次郎。後見:坂東玉雪。

秩父庄司重忠と岩永左衛門致連が待つ堀川御所に、榛沢六郎成清が阿古屋を連れてくる。阿古屋は花道を歩いて登場。捕り方に周りを囲まれているが、優雅な衣装と立ち姿で動く絵のように可憐である。赤塗りの悪役である岩永は、景清の行方を知らないという阿古屋を拷問に掛けようとするが、重忠は、責め具として、琴、三味線、胡弓の3つの楽器を持ってこさせる。
重忠は、阿古屋に楽器を奏でて唄うように命じる。阿古屋は、「蕗組みの唱歌」を琴で奏でながら唄い、景清の行方を知らないことを告げ、景清との馴れ初めも唄う。
次は三味線を弾きながら「班女」を唄う。平家滅亡後、景清とは秋が来る前に再開しようと誓い合ったが、今では行方が知れないことを嘆く。
最後は胡弓。阿古屋は景清との恋とこの世の儚さを歌い上げる。重忠は、阿古屋の奏でる楽器の音に濁りや乱れがないことから、阿古屋が景清の行方を知らないのは誠として、阿古屋の放免を決める。
名捌きの後で、登場人物達が型を決めて終わる。


音楽劇として見事な構成となっている。3つの趣の異なる弦楽器を演奏しなくてはならないので、演じる側は大変だが、役者の凄さを見る者に印象づけることのできる演目でもある。琴の雅さ、三味線の力強さ、胡弓の艶やかさが浄瑠璃や長唄、三味線と絡んでいくところにも格別の味わいがある。それは同時に地方(じかた)への敬意であるようにも感じられる。


南座を後にし、大和大路通を下って、六波羅蜜寺に詣でる。境内に阿古屋の塚があるのである。まずそれに参拝する。阿古屋塚説明碑文のうち歌舞伎の演目「阿古屋」の部分の解説は坂東玉三郎が手掛けており、傍らには「奉納 五代目 坂東玉三郎」と記された石柱も立っている。

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その後、六道の辻の西福寺(一帯の住所は轆轤(ろくろ)町。髑髏(どくろ)町が由来とされる)で可愛らしい像を愛でてから西に向かい、三味線の音が流れてくる宮川町を通って帰路についた。

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2024年3月13日 (水)

観劇感想精選(457) 令和六年 京都四條南座「三月花形歌舞伎」桜プログラム(令和六年三月三日)

2024年3月3日 京都四條南座にて

午後3時30分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」桜プログラムを観る。演目は、「女殺油地獄」、「忍夜恋曲者(しのびよるこいはくせもの) 将門」。

平成生まれの若手歌舞伎俳優が腕を競い合う南座の「三月花形歌舞伎」。今回は、中村壱太郎(成駒家)、尾上右近(音羽屋)、中村隼人(萬屋)の3人が中心となる。というより目玉がこの3人しかいない。

まず中村壱太郎による口上がある。壱太郎は、「女殺油地獄」のお吉の格好をして1階席後方から登場。ユーモラスな語り口である。「遠くから来られた方」と客席に聞くと、「千葉」と答えたお客さんがいた。千葉なら歌舞伎座も新橋演舞場も近いはずだが、それよりも若手の歌舞伎俳優のファンなのだろう。
その後、階段を昇って舞台に上がった壱太郎。看板になる役者が3人しかいないので大変だという話をした後で、作品の解説を行い、最後は南座のゆるキャラである「みなみーな」と一緒に記念撮影の時間を設ける。壱太郎は子どもたちにも手を振り、「楽しんでいって下さい。凄惨な話ですけど」と述べていた。


今年は近松門左衛門没後300年ということで、「女殺油地獄」の他に、松プログラムでは「心中天網島」より「河庄」が上演される。

「女殺油地獄」。与兵衛を当たり役としてきた片岡仁左衛門の監修による上演である。
どら息子の与兵衛(中村隼人)は、新地で馴染みの芸者である小菊を誘ったものの断られ、その小菊が野崎参りに来るというので、先回りしようとやって来ていた。野崎観音参りには油屋の豊嶋七左衛門(尾上右近)の女房であるお吉(中村壱太郎)も娘と一緒に来ており、茶屋で夫がやって来るのを待っていた。日頃から与兵衛のことを弟のように可愛がっていたお吉は、与兵衛に意見するが、与兵衛は全く聞き入れず、小菊の取り巻きとの喧嘩が始まってしまう。そんな中で、与兵衛は通りかかった高槻藩の小姓組頭である小栗八弥に泥をかけてしまう。八弥一行の中には与兵衛の親戚である山本森右衛門がおり、森右衛門は与兵衛の無礼に怒り、その場で切り捨てようとする。なんとかことは収まり、与兵衛は茶店の中で着替えることになり、お吉も同伴する。やって来た七左衛門は二人の仲を怪しむことになる。
家に帰った与兵衛であるが、ここでも乱暴を働き、義理の父親である徳兵衛と実母のおさわから勘当を言い渡されてしまう。
実は明朝までに返す必要のある借金をこさえていた与兵衛。しかし勘当されたとあっては返す見込みもない。与兵衛の足は油屋豊嶋屋へと向かう……。

与兵衛とお吉の関係を縦糸に、徳兵衛とおさわの人情を横糸とした世話物であるが、実は江戸時代を通して初演時以外は上演されず、明治に入ってから坪内逍遙の評価によって注目を浴び、明治も後年になってから常連演目となり、今では非常に人気のある作品となっている。

人気女形の中村壱太郎であるが、可憐な身のこなしに加えて発声を少し変えたようで、リアルなお吉像を作り上げていた。
中村隼人の立ち回りも素早く、絵になっていた。


「忍夜恋曲者 将門」。承平・天慶の乱で「新皇」に即位し、板東で都に背いた平将門の相馬の古内裏が舞台。将門の娘である滝夜叉姫(壱太郎)が傾城如月に化けて花道から現れ、舞う。相馬の古内裏には、将門の残党狩りを命じられてきた大宅太郎光圀(尾上右近)が現れ、蟇の妖術を使う者が現れるというので見張っているが、まどろんでしまう。そこに如月が姿を見せ、光圀は如月を怪しむ。
その後に語らう光圀と如月であったが、如月が相馬錦の将門の旗を落としたために光圀は如月の正体を将門の娘と見抜き、部下と共に滝夜叉姫と対峙することになる。

壱太郎、右近共に若々しく艶のある舞姿が印象的であった。

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