カテゴリー「いずみホール」の11件の記事

2020年10月26日 (月)

コンサートの記(664) 村治佳織ギター・リサイタル2006@いずみホール with シャーリー富岡

2006年5月12日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後2時から大阪・京橋の「いずみホール」で、ギタリスト村治佳織のコンサートを聴く。昨年の12月22日に予定されていたコンサートだが、村治の右手の故障で延期となったものである。

今回のコンサートは、前半がランス音楽をギター用に編曲したものが中心、後半は映画音楽をアレンジしたものが並ぶ。

村治は前半は鮮やかなターコイスブルーの衣装で登場。右手の故障は治ったようだが、長くギターの練習が出来なかったわけで、その影響からか、たまに妙な音を発したりする。「亡き王女のパヴァーヌ」では一瞬、「止まるか?」と心配になる箇所があったが、何とか切り抜ける。

後半は、FM802「SATURDAY AMUSIC ISLAND」のパーソナリティーを務めるシャーリー富岡と村治による映画音楽に関するトークが入る。
シャーリー富岡は前半の村治の衣装を意識したのか、やはりターコイスブルーの上着で登場。村治は後半は白い衣装に着替えていた。

シャーリー富岡、名字と顔から、マイケル富岡と関係があるのかな? と思っていたら、中盤で、やはりマイケル富岡の姉であることが判明。シャーリーの口から、弟がマイケル富岡であることが発表されると、客席から一斉に「あー」という声が起こる。
シャーリーは年間150本から200本の映画を観ているそうで、映画音楽にも詳しいことからゲストとして呼ばれたようだ(昨年予定されていたコンサートでは、作曲家の大島ミチルがゲスト参加する予定だった)。

『ディアハンター』の「カヴァティーナ」、『サウンド・オブ・ミュージック』から「マイ・フェイヴァリット・シングス」(JR東海の「そうだ! 京都行こう」のCMで使われている曲。京都では当然のことながら「そうだ! 京都行こう」のCMは流れていない)。『バグダッド・カフェ』より「コーリング・ユー」、『思い出の夏』より「夏は知っている」(原題の“Summer of 42”でも知られている)、『シェルブールの雨傘』より「アイ・ウィル・ウェイト・フォー・ユー」が演奏される。
ちなみにマイケル富岡の舞台デビュー作が『シェルブールの雨傘』だったそうで、その時、シャーリー富岡がマイケルの姉であることを打ち明けたのだった。

村治の演奏はどの曲もテンポが速めで、抒情味に欠けるきらいはあったが、テクニックは安定していて(一箇所怪しいところはあったが)楽しめる演奏であった。

ちなみにシャーリー富岡が生まれて始めてみた映画は「ウエストサイド物語」で、4、5歳の頃、映画好きだった祖母に連れられて観に行ったそうだ。村治の方は最初に観た映画はよく憶えていなくて、「多分、『ドラえもん』シリーズかなんかだったと思う」とのことだった。

最後の曲は、大島ミチルの「ファウンテン」。村治の依頼で大島が書き下ろしたギター曲である。「ファウンテン」とは「泉」という意味だそうだが、いずみホールとは無関係で、大島が故郷・長崎の平和公園内にある「平和の泉」をイメージして作った曲であるという。
爽やかな佳曲であった。

アンコールは、「アルハンブラの思い出」と「タンゴ・アン・スカイ」を演奏。これは文句なしの出来であった。

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2020年4月13日 (月)

コンサートの記(634) 太田弦指揮 大阪交響楽団第31回いずみホール定期演奏会

2018年10月17日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会を聴く。


午後6時30分開場と、クラシックの演奏会にしては開場時間が遅めなので、大阪城に向かう。山里郭で秀頼公・淀殿自刃の地碑に手を合わせた後、本丸を横切って豊國神社に参拝。鳥居の横の木が何本か倒れているが、台風21号によって倒されたものだと思われる。

大阪城本丸にある大阪市立博物館が内部改修を経てミライザ大阪城としてリニューアルオープンしている。1階にタリーズコーヒーと土産物屋、2階と3階にレストランが入っている。レストランメニューは高そうなので、今日はタリーズコーヒーでブラッドオレンジジュースを飲むに留める。

京橋花月がなくなり、シアターBRAVA!も閉鎖(跡地には読売テレビの新社屋が建設中である)いずみホールも改修工事が行われていたということで、京橋に来る機会が減ってしまっていた。

大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会。1日2回同一演目公演であり、昼公演が午後2時開演、夜公演が午後7時開演である。

指揮は今年24歳という、若手の太田弦。

曲目は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:チャン・ユジン)とシベリウスの交響曲第2番。


太田弦は、1994年、札幌生まれ。幼時よりピアノとチェロを学び、東京芸術大学音楽学部指揮科を経て同大学大学院音楽研究科指揮専攻修士課程を修了したばかりである。2015年、東京国際音楽コンクール指揮部門で2位に入り、聴衆賞も受賞している。指揮を尾高忠明、高関健に師事。山田和樹、パーヴォ・ヤルヴィ、ダグラス・ボストックらにも指揮のレッスンを受けている。


いずみホールであるが、大幅改修というわけではないようである。だた、身体障害者用トイレが新設されており、ユニバーサルデザインに力を入れたようだ。


今日のコンサートマスターは森下幸路。ドイツ式の現代配置での演奏である。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのチャン・ユジンは、韓国出身の若手女性ヴァイオリニスト。9歳でKBS交響楽団やソウル・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、11歳でソロリサイタルを開催という神童系である。2004年にメニューイン・コンクールで3位入賞、2009年のソウル国際音楽コンクールで4位に入り、マイケル・ヒル国際ヴァイオリンコンクールで第2位入賞と聴衆賞を得て、2013年には名古屋で行われた宗次エンジェル・ヴァイオリンコンクールで優勝している。2016年には仙台国際音楽コンクールのヴァイオリン部門でも優勝を果たした。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を十八番としており、「炎のヴィルトゥオーゾ」と呼ばれる情熱的な演奏スタイルを特徴とするそうである。

指揮者の太田弦であるが、童顔であり、十代だと言われても通じそうであるため、見た目はいささか頼りない。全編ノンタクトで指揮する。

独奏のチャン・ユジンであるが、ヴィルトゥオーゾ的な演奏スタイルである。音楽に挑みかかるような演奏を聴かせ、情熱的であるが没入的ではなく、適度な客観性が保たれている。

今日は前から2列目の上手寄り。1列目には発売されていないため、実質最前列での鑑賞である。この席は音が散り気味であり、オーケストラを聴くには余り適していないように思われる。太田は若いということもあって「統率力抜群」とまではいかないようである。


チャンのアンコール演奏は、ピアソラのタンゴ・エチュード第3番。温かみと切れ味の鋭さを共存させた演奏であり、今日の演奏会ではこれが一番の聞き物とあった。


シベリウスの交響曲第2番。太田はやや速めのテンポで演奏スタート。
金管の鳴らし方に長けた指揮者であり、伸びやかで煌びやかな音像を描く。一方で、金管を鳴らし過ぎたためにバランスが悪くなることもある。
若手らしい透明感のある演奏で、ヴァイオリンの響きの築き方などはかなり巧みな部類に入る。そのために影の誇張はなく、第2楽章や第4楽章では単調になる嫌いあり。
第4楽章でもクライマックスで音が飽和してしまい、音型が確認出来なくなったりしたが、ラストのまさにオーロラの響きのような音色の豊かさは印象的である。二十代前半でこれだけのシベリウスを聴かせられるなら将来有望だと思われる。

拍手に応えた太田は、最後は総譜を閉じて「これでおしまいです」と示してコンサートはお開きとなった。


大阪交響楽団のパンフレットは、月1回の冊子という、NHK交響楽団や読売日本交響楽団と同じスタイルを取っているが、ミュージック・アドバイザーの外山雄三の回想が連載されているなど、興味深い内容の記事が多い。

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2019年12月24日 (火)

コンサートの記(616)「古楽最前線!――躍動するバロック2019 脈打つ人の心―中後期バロック いずみホールオペラ2019『ピグマリオン』」

2019年12月14日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後2時から、大阪・京橋のいずみホールで、「古楽最前線!――躍動するバロック2019 脈打つ人の心―中後期バロック いずみホールオペラ2019『ピグマリオン』」を観る。いずみホールのディレクターでもあった故・礒山雅が企画・監修したバロック音楽のシリーズであり、礒山の遺志を引き継ぐ形で続けられている。

今日は、日本におけるバロックヴァイオリン演奏の第一人者である寺神戸亮(てらかど・りょう)が率いるレ・ボレアードの演奏会である。
レ・ボレアードとは、ギリシャ神話に登場する北風の神々で、東京都北区にある文化施設、北とぴあ(ほくとぴあ)で行われた国際音楽祭から生まれた古楽オーケストラである。「北区から文化の風を吹かそう」というメッセージが込められているそうだ。

今回は、バロックのバレエとオペラの企画である。
演目は、前半が、リュリの「アティス」より序曲~「花の女神のニンフたちのエール」~メヌエット~ガヴォット、コレッリの「ラ・フォリア」、リュリの「町人貴族(変換したら「超人気族」と出たがなんだそりゃ?)」より「トルコ人の儀式の音楽」と「イタリア人のエール」、リュリの「アルミード」より「第2幕第2場の音楽」と「パサカーユ」。後半がラモーのオペラ「ピグマリオン」(演出:岩田達宗)。

岩田さんも神戸のお寺の子なので、寺神戸さんと一緒に仕事をするのに似つかわしい気もするが、それはどうでもいいことである。

寺神戸亮は、ボリビア生まれ。桐朋学園大学に学び、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務めている。その後、オランダのデン・ハーグ音楽院に留学。オランダはイギリスと並ぶ古楽のメッカであり、寺神戸も世界的に知られた古楽の大家、シギスヴァルト・クイケンに師事。レザール・フロリアン、ラ・プティットバンド、バッハ・コレギウム・ジャパンなどのコンサートマスターを歴任し、ソロでも多くのCDをリリースしている。1995年には北とぴあで上演されたパーセルのオペラ「ダイドーとエネアス(ディドとエネアス)」で指揮者としてもデビューしている。現在は、デン・ハーグ音楽院教授、桐朋学園大学特任教授、ブリュッセル音楽院と韓国の延世大学校(ヨンセ大学。日本では「韓国の慶応」として知られる)の客員教授を務めている。ブリュッセル在住。

 

オペラ「ピグマリオン」の演出を務める岩田達宗が司会役となり、寺神戸と二人で進行を行うのだが、二人とも話すのは本職でないため、聞きたいことと言いたいことがチグハグになって、客席からの笑いを誘っていた。

寺神戸は、「バロック音楽というと、イタリアのヴィヴァルディ、ドイツのバッハ、ヘンデルがイギリスに渡って『メサイア』を書くといったことがよく知られていますが」と他国のバロック音楽を紹介した上で、フランスのバロック音楽の豊穣さを述べていた。

 

リュリは、クラシック音楽好きの間では、「指揮中に怪我をしてそれが元で亡くなってしまった作曲家」として知られている。というよりそれでしか知られていなかったりする。
ジャン=バティスト・リュリは、イタリア出身であり、フランスに帰化して「太陽王」ことルイ14世のお気に入りの作曲家として政治分野でも権勢を振るった人物である。
ルイ14世は、音楽とバレエをことのほか愛した王様であり、自らもバレエを踊ることを好み、王立の舞踏アカデミーも創設している。

今日は二段舞台を使っての上演である。舞台にはリノリウムカーペットが敷き詰められており、ここが舞踏のスペースとなっている。レ・ボレアードは後方の一段高くなった特設ステージ上での演奏となる。

弦楽器はガット弦を用いた古楽使用のものでの演奏であるため、音はかなり小さめとなるが、いずみホールは空間がそれほど大きくないのでこれで十分である。いかにもベルサイユ宮殿での演奏が似合いそうな典雅な楽曲が流れる。

バロック時代のバレエを行うのは松本更紗(まつもと・さらさ)。桐谷美玲の本名である松岡さやさに少し似た名前である。どうでもいいことだけれど。
実は松本は、国立音楽大学とパリ市立高等音楽院でヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロの先祖に当たる楽器)を専攻したという演奏畑出身の人であり、演奏家としての活動も行っているようである。元々クラシックバレエを習っており、在仏時代に古典舞踊を学び、2014年にはオペラ「ディドとエネアス」に演奏と踊りの両方で出演。2018年に帰国し、様々な舞踏公演に出演している。
松本がフランスバレエについての解説を行う。バレエには譜面が存在するそうで、小さいがバレエ譜(舞踏譜)を使っての説明も行われた。バレエもベルサイユ宮殿のようにシンメトリーが重要視されたようで、男女が並んだり離れたりしながら、上から見ると一対の動きをしているように進んでいくバレエが理想とされたようである。また、バレエの動きは雅やかだが、それは振りのための振りではなく、日常動作を美しく行うために考えられた振りなのではないかとのことである。

 

コレッリの「ラ・フォリア」。
「ラ・フォリア」というのはイベリア半島由来の音楽であり、ポルトガル起源だそうである。「狂乱する女性」という意味があるそうで、元々は速めの曲調を持つものがラ・フォリアと呼ばれたそうだが、コレッリのものは比較的ゆったりとしている。
この曲は比較的有名な旋律を持っており、誰もがどこかしらで一度は耳にしたことがあるはずである。アントニオ・サリエリがこの曲の主題を用いた「スペインのラ・フォリアによる26の変奏曲」というオーケストラ曲を書いており、今年の夏に延原武春指揮テレマン室内オーケストラの演奏で聴いている。
寺神戸とレ・ボレアードは、高貴にしてメランコリックな曲調を適切に描き出していた。

 

リュリの「町人貴族」より「トルコ人の儀式の音楽」と「イタリアのエール」。「イタリアのエール」は、波多野睦美の歌と松本更紗による仮面舞踏入りである。
「町人貴族」は、モリエールとリュリによるコメディ・オペラ(コメディというと喜劇という訳語になりがちだが、元々は単に「演劇」という意味である)。金持ちになった町人が、貴族になることを願うが「自分には貴族に相応しい教養がない」という自覚があり、様々な道の第一人者に師事していくという、まるですぐそばにあるお城の築城主を主人公にしたようなお話である。この音楽にはトルコ趣味の音楽も登場するが、フランスを訪れたオスマントルコの大使がフランスを下に見るような発言をしてルイ14世を激怒させたという事件があったそうで、仕返しのために書かれた作品でもあるそうだ。「町人貴族」は後にリヒャルト・シュトラウスによってリメイクされているが、大失敗に終わり、現在ではリヒャルト・シュトラウス自身がまとめた組曲のみが知られている。なお、リヒャルト・シュトラウスの「町人貴族」の合間狂言として書かれたのが「ナクソス島のアリアドネ」であり、こちらの方はオペラとして大ヒットしている。
「イタリアのエール」は、イタリア語の歌詞による歌唱。歌詞はその後上演されたラモーの「ピグマリオン」の冒頭によく似ている。
松本の仮面舞踏は即興で行われるそうで、寺神戸によるとリハーサルでも毎回振りが違ったそうである。

リュリの「アルミード」より第2幕第2場の音楽とパサカーユ。パサカーユはパッサカリアのことである。リュリのパッサカリアは大人気だったそうで、聴衆もパッサカリアが出てくるのを今か今かと待ちわびていたらしい。
バロック音楽は音が意外な進行を見せることがあり、リュリの音楽もまたそうである。古典派以降の音楽は、音の進行パターンがある程度決めっているため、上手く嵌まっていく安定感があるのだが、バロック音楽はそれとは少し違う。「バロックと現代音楽は相性が良い」と言われることがあるが、いわゆるクラシック音楽の王道とは違ったスタイルであるという共通点がある。
この曲では、松本が客席通路を通ってステージに上がり、ダンスを行った。

 

ラモーのオペラ「ピグマリオン」。バロック時代のフランス人作曲家としては最も有名なジャン=フィリップ・ラモー。彼の架空の甥を主人公とした『ラモーの甥』という小説があったりする。ラモーが本格的なオペラを書き始めたのは50歳を超えてからだそうだが、最初の音楽悲劇である「イポリートとアリシ」がセンセーショナルな成功を収め、その後、ラモーは30年に渡ってオペラを書き続け、フランスバロックオペラの黄金期を牽引することになる。
ラモーは遅咲きの作曲家であり、フランス中部のディジョンに生まれ、40歳までは故郷や地方のオルガニストとして活動していた。その後、音楽理論書を発刊して成功を収め、パリに出て音楽理論家やクラヴサンの演奏家としての活動を開始。裕福な徴税請負人ラ・ププリニエール家の楽長となって本格的に作曲家としての活動を開始している。
「ピグマリオン」は、1748年8月27日にパリのパレ・ロワイヤルにあったオペラ劇場、王立音楽アカデミーで初演された作品である。大ヒット作となり、革命前までに200回以上上演されたという記録があるそうだ。
バレエの部分が長いのも特徴であり、言葉ではない表現の重要度も高い。

「変身物語」に由来する話であり、ストーリー自体はたわいないというかとてもシンプルなものである。彫刻家のピグマリオンが自身が制作した人形に恋をして、やがてその人形が意思を持つようになり、ピグマリオンの恋が報われるというそれだけの話である。
愛の神が登場し、愛が賛美されて終わる。
出演は、クレマン・ドビューヴル(ピグマリオン)、波多野睦美(セフィーズ)、鈴木美紀子(愛の神)、佐藤裕希恵(彫像)、松本更紗(バロックダンス)、中川賢(コンテンポラリーダンス)、酒井はな(コンテンポラリーダンス)。振付:小尻健太(こじり・けんた。「じり」は下が「九」ではなく「丸」)。
合唱は、コルス・ピグマリオーネス(臨時編成の合唱団)。

岩田達宗の演出は、いずみホールの空間を目一杯使ったものである。まず女性出演者達がステージ上に現れて戯れ始め、ピグマリオンとその分身のダンサーである中川賢は客席入り口から現れて通路を通って舞台に上がり、女性達と手を繋いだり、手と手で出来た橋の下を潜ったりして踊り始める。
やがて舞台から一人また一人と去って行き、ピグマリオンと一体のダンスを行っていた中川賢も下手バルコニーから降りている布の背後へと去って行く。ピグマリオンと彫像だけが残り、ピグマリオンが彫像に対する報われない恋に落ちてしまったことを嘆いている。この時はピグマリオンは愛の神が放った愛の矢を憎む発言を行っているのだが、人形に命が吹き込まれると一転して愛の神を絶賛し始め、愛の矢をもっと射るよう望み出すため、今の時代の視点からは結構いい加減な奴に見える。

ちなみにピグマリオンにはセフィーズという愛人がいるのだが、ピグマリオンは生身の人間であるセフィーズよりもまだ動く前の彫像を選んでおり、彫像に負けたセフォーズの身になってみればたまったものではないが、彫刻家と彫像ではなく、ラモーのような作曲家と作曲作品に置き換えると、案外まっとうなことに思えてしまう。もし仮に私が作曲家だったとしたら、女よりも自作を選んでしまう可能性は結構高い気がする。

彫像が命を得た後で、愛の神が客席後方(いずみホールの客席は緩やかな傾斜となっており、バルコニー席以外の2階席はないが、1階席の後方には2階通路から入る構造となっている)から分身を伴って現れる。

その後、コルス・ピグマリオーネスのメンバーが現代風の衣装で舞台に現れ、客席通路を通って後方へと進み、ピグマリオンとの掛け合いが行われる。更にそれが終わるとコルス・ピグマリオーネスは2階バルコニー席に現れ、最後は舞台上から再び客席に降りて手拍子を行い、観客にも手拍子を促す。

バルコニーにいた愛の神と分身が階段を降りてパイプオルガン演奏スペースに進み、手に手を取って舞い始める。ダンスと音楽の素敵な結婚。ヴァイオリン奏者たちが立ち上がっての演奏を行い、最後は寺神戸もコンサートマスターの位置を離れて舞台前方へと歩み出る。

衣装や空間の用い方により、時代や境界を超えたありとあらゆる愛が讃えられるかのような祝祭性に満ちあふれたオペラ上演となっていた。

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2019年7月21日 (日)

コンサートの記(579) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団第26回いずみ定期演奏会

2015年2月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、日本センチュリー交響楽団第26回いずみ定期演奏会を聴く。今日の指揮者はセンチュリー響首席指揮者の飯森範親。

いずみホールは室内楽や器楽の演奏に向いた中規模ホール。日本センチュリー交響楽団も2管編成の中編成オーケストラということで、曲目もそれに相応しいものが選ばれる。
J・S・バッハのブランデンブルク協奏曲第3番、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:萩原麻未)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

J・S・バッハのブランデンブルク協奏曲は、ヴァイオリン4人、ヴィオラ2人、チェロ3人、コントラバス1人、チェンバロ1人という編成での演奏。今日は女性奏者は全員、思い思いのドレスアップをしての登場である。京都市交響楽団の場合だと場所柄、着物姿の奏者もいたりするのだが、大阪だけに流石にそれはない。

飯森はノンタクトでの演奏。譜面台を置き、譜面をめくりながら指揮するが、スコアに目をやることはほとんどなく、奏者の方を向きながら譜面を繰ったりしていたので、全曲暗譜していて譜面を置いているのは形だけであることがわかる。
当然ながらピリオド・アプローチを意識しての演奏だったが、ビブラートは結構掛ける。いずみホールは中規模ホールにしては天井が高く、空間も広いので、徹底してノンビブラートにすると後ろの方の席では良く聞こえないということが起きるためだ。演奏の出来はまずまずである。飯森はどちからというとロマン派以降に強い指揮者なのでバッハが抜群の出来になるということはないと思われる。


萩原麻未をソリストに迎えてのモーツァルトのピアノ協奏曲第20番。場面展開の間、飯森範親がマイクを片手に現れてトークで繋ぐ。萩原については、萩原がジュネーヴ国際コンクールで優勝するより前に広島交響楽団の演奏会で共演したことがあるという話をした。

萩原麻未は、1986年、広島市生まれの若手ピアニスト。2010年にジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で日本人としては初となる第1位に輝き、注目を集めるようになった演奏家である。5歳でピアノを初めて数ヶ月後に広島県三原市のジュニアピアノコンクールで優勝、13歳の時に第27回パルマドール国際コンクール・ピアノ部門で史上最年少優勝という神童系ピアニストでもある。広島音楽高等学校を卒業後に渡仏、パリ国立音楽院卒業、同大学院修士課程修了。パリ地方音楽院室内楽科やザルツブルク・モーツァルティウム音楽院でも学んでいる。

昨年、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団と共演したが、藤岡がプレトークで萩原のことをベタホメに次ぐベタホメで持ち上げすぎてしまったため、「うーん、期待したほどではなかったかな」という印象を受けた。アンコールで弾いたショパンの夜想曲第2番の第2拍と第3拍をアルペジオにするなど個性派であることはわかったが。

ただ今日は飯森範親が持ち上げすぎなかったということもあるかも知れないが、傑出したピアニストであることを示す演奏を展開する。

まず、ピアノの音色がウエットである。モーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、モーツァルトが書いたたった2曲の短調のピアノ協奏曲の内の1曲であり、萩原のピアノの音色はモーツァルトの悲しみを惻惻と伝えることに適している。スケールも大きい。ペダリングもまた個性的であり、優れたピアニズムの一因となっている。
第2楽章の典雅さも魅力的であり、第3楽章では速めに弾いたりするが、それはモーツァルトの切迫した心情を表現するのに適ったものである。

萩原は、基本的に猫背で顔を鍵盤に近づけて弾く。グレン・グールドのような弾き方である。日本では良しとされない弾き方であるが、海外で学んだ結果、今のスタイルに行き着いたのであろう。

飯森指揮のセンチュリー響であるが、先にも書いた通り、いずみホールはオーケストラを演奏するのに必ずしも向いたホールではない。萩原のピアノのスケールが大きく、良く聞こえたのに比べると、センチュリー響の伴奏はピリオド奏法を取り入れているということもあって音が小さく聞こえてしまうという難点があった。

萩原はアンコールとして、J・S・バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」を弾く。バッハの「平均律クラーヴィア集第1巻より前奏曲」をグノーが伴奏に見立てて旋律を上乗せした作品である。雅やかで祈りに満ち、それでいて情熱的という不思議な世界が展開された。


メインであるベートーヴェンの交響曲第7番。飯森はこの曲だけ指揮棒を用い、譜面台なしの暗譜で指揮する。古典配置、ピリオド・アプローチによる演奏。飯森は指揮者としてはまだ若いだけに颯爽とした演奏が繰り広げられる。

第1楽章の終盤で、第1拍のみを強調したりする個性的な演奏であるが、おそらくベーレンライター版のスコアを持ちいて独自の解釈をしたのであろう。

第1楽章からアタッカで入った第2楽章は深みには欠けるがそれ以外は上出来である。

第3楽章、第4楽章は燃焼度の高い演奏となる。飯森は右手に持った指揮棒では拍を刻み、左手で表情を指示することが多いが、センチュリー響も飯森の指揮によく応え、集中力の高い演奏を行う。白熱した快演。
少しスポーティな感じはするが全体的には悪くない演奏である。ただ、コンサート全体を通して見ると萩原のピアノのほうが印象深い演奏会であった。

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2019年4月 1日 (月)

コンサートの記(540) 広上淳一指揮京都市交響楽団 モーツァルト連続演奏会 「未来へ飛翔する精神 克服 ザルツブルク[1776-1781]」第1回「溢れ出る管弦楽の力」@いずみホール

2013年10月31日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、いずみホールで、モーツァルト連続演奏会「未来へ飛翔する精神 克服 ザルツブルク[1776-1781]」第1回「溢れ出る管弦楽の力」という演奏会を聴く。いずみホールで今日から来年1月まで5回に渡って行われるオール・モーツァルト・プログラムによる演奏会の第1回である。トップバッターを務めるのは、広上淳一指揮の京都市交響楽団。

京都市交響楽団は、結成直後は今と違って中編成であり、初代常任指揮者であるカール・チェリウスによりアンサンブルが鍛えられ、緻密なモーツァルト演奏を売りとして、「モーツァルトの京響」と呼ばれたこともある。今は大編成のオーケストラとなり、「モーツァルトの京響」という言葉も半ば死語となりつつあるが、今も京響はオール・モーツァルト・プログラムによるコンサートを京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」で連続して行っている。

曲目は、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364(ヴァイオリン独奏:泉原隆志、ヴィオラ独奏:店村眞積)と、セレナード第9番「ポストホルン」K.320。

いずみホールは大阪を本拠地とする住友(屋号は泉屋)グループのホールである。住友生命保険相互会社の創立60周年を記念して1990年にオープンした中規模ホール。室内オーケストラや室内楽、ピアノリサイタルに適したホールである。内装は住友のホールらしく豪華。ただ音響はオーケストラ演奏を行うには今一つである。

 

今日は最前列上手寄りの席。演劇なら最前列は良い席なのだが、クラシック音楽の場合、音のバランスが悪くなるため、最前列はホールや演目によってはチケット料金が安くなることもある。

 

ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲のソリストは共に京都市交響楽団の首席奏者。若い泉原隆志(いずはら・たかし)が輝かしく軽やかなヴァイオリンを奏でるのに対し、店村眞積(たなむら・まづみ)は重厚で渋い音色を出す。好対照である。ヴァイオリンとヴィオラ、それぞれの楽器の個性が奏者によってより鮮明になった格好である。
指揮者の広上淳一は、指揮棒を持って登場したが、指揮棒は譜面台に置いたまま取り上げることはなく、結局、この曲はノンタクトで指揮した。
ワイパーのように両手を挙げて左右に振ったり、脇をクッと上げたり、ピョンピョン跳んだりする個性溢れる指揮だが、出てくる音楽はユーモラスな指揮姿とは全く異なる本格化。瑞々しくも力強い音楽が作られ、モーツァルトの音楽を聴く醍醐味を存分に味わわせてくれる。

 

後半のセレナード第9番「ポストホルン」。7つの楽章からなるセレナードであり、第6楽章で駅馬車のポストホルン(小型ホルン)が鳴らされることからタイトルが付いた。
広上はやはり指揮棒を手に登場するが、第1楽章はノンタクトで指揮する。豪華で生命力に満ちたサウンド。広上と京響の真骨頂発揮である。
広上は、第2楽章と第3楽章の冒頭では指揮棒を手に指揮を開始するが、合わせやすくするために指揮棒を使っただけのようで、合奏が軌道に乗ると、すぐに指揮棒を譜面台に置いてしまい、やはりノンタクトで指揮する。楽章全編に渡って指揮棒を使ったのは第5楽章だけで、メランコリックな曲調を潤んだような音色で表現したが、指揮棒を逆手に持って、ほぼノンタクトと同じ状態で指揮する時間も長かった。その前の第4楽章は快活でチャーミング。広上と京響の特性が最も生きたのは、この第4楽章であったように思う。
第6楽章では、ポストホルン奏者が指揮者の横に立ち、ポストホルン協奏曲のような形で演奏される。広上と京響はゴージャスな響きを作り出すが、ポストホルン奏者(ノンクレジットであるが、京響トランペットの紅一点である稲垣路子だと思われる)も負けじと輝かしい音を出す。
最終楽章となる第7楽章は堂々たる威容を誇る快演。非常に聴き応えのある「ポストホルン」セレナードであった。

 

アンコールとして、広上と京響は、「ポストホルン」セレナードの第6楽章を再度演奏した。

 

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2018年12月28日 (金)

コンサートの記(484) 望月京 新作オペラ「パン屋大襲撃」

2010年3月12日 大阪・京橋のいずみホールにて

大阪・京橋の、いずみホールで、望月京(もちづき・みさと)の新作オペラ「パン屋大襲撃」を観る。

村上春樹の短編小説「パン屋襲撃」(糸井重里との共著『夢であいましょう』収録)と「パン屋再襲撃」(同名の短編集に収蔵)を原作に、イスラエル人のヨハナン・カルディが英語でテキストを書き、それをラインハルト・パルムがドイツ語に訳したテキストを用いる。

演出はイタリア育ちの粟國淳。出演は、飯田みち代、高橋淳、大久保光哉、畠山茂、太刀川昭、吉原圭子、井上雅人、7人組のヴォーカルグループであるヴォクスマーナ。演奏はヨハネス・カリツケ指揮の東京シンフォニエッタ。舞台後方にオーケストラボックスがあり、歌手達の指揮は副指揮者である杉山洋一が行う。

上演前に、作曲者の望月京と、演出の粟國淳によるトークがある。初めてオペラを手掛けた望月はこれまで用いてこなかった音楽の引き出しを開けるような感覚があり、「音のコスプレをしているような」感じがあったという。日本語とイタリア語両方のテキストを読んだという粟國が、日本語で村上春樹の作品を読むとグレーの部分が多いが、アルファベットで村上作品を読むと白と黒に分かれるよう感覚になるということと、日本人作家の作品をイスラエル人がオペラ台本化し、ドイツ人がドイツ語に訳したテキストを日本人キャストがドイツ語で歌うというインターナショナルなところが面白いと語った。

オペラ「パン屋大襲撃」の音楽は聴きやすいものであったが、現代作品にはよくあるように成功作なのか失敗作なのかわからない。

ドイツ語の作品ということで、字幕スーパーが両袖に表示されたが、私は前方の中央の席に座っていたので、演技と字幕を同時に見ることが出来ず、作品を十全に味わうことは叶わなかった。

「パン屋襲撃」と「パン屋再襲撃」は村上春樹の作品の中でも比較的解釈のしやすい作品であるが、それぞれのキーとなるワーグナー(ナチスドイツのプロパガンダ音楽であった)と、マクドナルドとコーラ(アメリカ型資本主義の象徴)の対比を音楽でもっとわかりやすく示せれば、より面白いものになったかも知れない。

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2017年3月11日 (土)

コンサートの記(282) いずみシンフォニエッタ大阪第38回定期演奏会「満喫!楽聖ベートーヴェン」

2017年2月11日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後4時から、京橋にあるいずみホールで、いずみシンフォニエッタ大阪の第38回定期演奏会を聴く。今回は、「満喫!楽聖ベートーヴェン」と題して、ベートーヴェンを題材にした現代曲と、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が演奏される。指揮は、いずみシンフォニエッタ大阪常任指揮者の飯森範親。

曲目は、シュネーベルの「ベートーヴェン・シンフォニー」(1985年作曲)、ベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」(川島素晴編曲弦楽合奏版。2003/2016)、西村朗(にしむら・あきら)の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」(2007年作曲)、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(ピアノ:若林顕。川島素晴編曲いずみシンフォニエッタ大阪2017年版)

開演30分前からロビーで室内楽のミニコンサートがあり、開演15分前からステージ上でいずみシンフォニエッタ大阪音楽監督の西村朗がプレトークを行う。
西村は、指揮者の飯盛範親と、作曲家でいずみシンフォニエッタ大阪プログラム・アドバイザーの川島素晴もステージに呼び、3人でプレトークを行う。

まず、シュネーベルという作曲家についての紹介。ドイツのシュヴァルツヴァルト地方のバーデン=ヴュルテンベルク州出身であり、飯森は以前、ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督をしていたため、「親しみがあると言いたいのですが」と口ごもる。理由を西村朗が明らかにする、「シュネーベルという人はかなり変な人」だそうである。

「ベートーヴェン・シンフォニー」は、緻密に積み上げられたベートーヴェンの交響曲第5番第1楽章を骨抜きにしてしまおうという妙な意図によって作曲された曲だそうである。


ベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」は、元々は弦楽四重奏曲として書かれたものである。その後、名指揮者であったワインガルトナーによって弦楽合奏のための編曲がなされ、レナード・バーンスタインなども指揮して録音しているが、今回は川島素晴が新たに編曲したものを用いる。川島は、2003年にも同曲を編曲しているが、今回は更に手を加えた譜面での演奏となる。ヴァイオリンの高音を極限まで追求したものだそうである。

なお、オーケストラの調はピアノの平均律などとは違い、高めの音がより高く聞こえてしまうため、調整していると飯森と川島は語る。


西村朗の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」。日本では年末になるとどこもかしこも第九一色になるが、第九演奏前にベートーヴェンの序曲などを前座として演奏すると、定時に遅れてきたお客さんも、「ああ、本編には間に合った」と思ってくれるそうである。そこで第九のための「究極の前座音楽を書いて欲しい」という依頼を受けて、西村が作曲したのが「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」である。飯森によると「思いの外、好評」だそうである。4つの楽章からなり、第1楽章はベートーヴェンの交響曲第1番から第8番までの要素を順番に出し、その後は、8つの交響曲の中でも有名な曲を優先して出していくという構成である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。川島素晴がシンフォニエッタ用にオーケストレーションを変更しており、原譜にはないトロンボーンを加えているという。飯森はソリストの若林顕(わかばやし・あきら)について、「以前も共演したことがあるのですが、大分、貫禄がついた」と述べた。

なお、いずみシンフォニエッタ大阪のコンサートミストレスである小栗まち絵が、昨年7月に行われたいずみシンフォニエッタ大阪のジャック・ボディの「ミケランジェロによる瞑想曲」の独奏が評価され、大阪文化祭賞最優秀賞を受賞したということで、ステージ上に呼ばれ、西村から花束が手渡された。受賞の連絡が来た時に、小栗は新大阪駅のホームにいたそうで、電話の内容が良く聞こえず、いずみシンフォニエッタ全体が賞を受けたものだと勘違いしたという。
小栗は、亡くなった主人(京都市交響楽団のコンサートマスターだった工藤千博)や、相愛大学(大阪にある浄土真宗本願寺派の大学。音楽学部がある)での教育も含めて評価されたのだと思うと述べた。


まずは、シュネーベルの「ベートーヴェン・シンフォニー」。コンサートマスターは佐藤一紀。ベートーヴェンの交響曲第5番は、「タタタターン」という4つの音で積み上げられるが、シュネーベルは、これは「ターター」という音に変え、迫力を殺いでしまう。伊藤朱美子と細江真弓による木琴や鉄琴、マリンバなどは運命動機による演奏を行うが、サン=サーンスの「死の舞踏」のように響く。打楽器の山本毅が特殊な楽器を使ってノイジーな音を出し、ハープの内田奈織も不気味な音を発していた。


川島素晴の編曲によるベートーヴェンの「大フーガ変ロ長調」。この曲では小栗まち絵がコンサートミストレスを務める。飯森範親は、この曲だけはノンタクトで振った。
第1ヴァイオリンの高音が特徴だとプレトークで語られていたが、全体的に第1ヴァイオリンは一番高い弦を主体に奏でる。やがて小栗まち絵がソロを取った時に、第1ヴァイオリンのアンサンブル群が現代音楽で聴かれるような超高音を出し始める。最後は小栗まち絵も含めて第1ヴァイオリンが痛烈な高音を発していた。


西村朗の「ベートーヴェンの8つの交響曲による小交響曲」。コンサートマスターは高木和弘に変わる。
ベートーヴェンの交響曲第1番の冒頭が奏でられるが、そこから曲調はめまぐるしく変わる。交響曲第5番は第3楽章など様々な部分が採用され、「田園」では鳥の鳴き声を真似る場面や第5楽章、第8番はメトロノームの動きを真似た第2楽章、第7番はダイナミックな第3楽章などの要素がちりばめられる。第3番「英雄」はプロメテウス主題などが取られていた。

飯森範親といずみシンフォニエッタ大阪の演奏であるが、やはり現代音楽の演奏を長年続けているため、「手慣れた」という印象を受ける。聴き手を圧倒するだけのものはないかも知れないが、レベルは高く、巧い。


休憩を挟んで、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。ピアノ独奏の若林顕は、東京芸術大学、ザルツブルク・モーツァルティウム音楽院、ベルリン芸術大学などで学んだピアニスト。メカニック抜群のヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして知られており、大阪でも難曲として知られるリスト編曲の第九を年末に演奏するなどの催しを行ってきたため知名度は高い。1985年にブゾーニ国際ピアノコンクールで2位、1987年のエリザベート国際コンクールでも第2位となっている。

若林はタッチも技術も極めて堅固。音には独特の煌めきがあり、明るさを感じさせる部分でも燦々とした輝きではなく、漆器のようなどこか渋みのある光を放っている。
飯森指揮のいずみシンフォニエッタ大阪(コンサートマスターは釋伸司)も溌剌とした演奏を披露。ベートーヴェンの指定では木管とトランペットが2管編成なのだが、いずみシンフォニエッタ大阪は単管であるため、代わりに川島が加えたトロンボーン(トロンボーン演奏:呉信一)は低音部を支えるのに効果的であった。なお、ピリオド・アプローチは採用されていなかった。

喝采を浴びた若林に飯森が、「なんかアンコール弾く?」と聞くような仕草をし、若林が「いや、もう勘弁」という風に首を振ってコンサートはお開きとなった。

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2016年4月 8日 (金)

コンサートの記(237) 三ツ橋敬子指揮 いずみシンフォニエッタ大阪第36回定期演奏会

2016年2月6日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後4時から大阪・京橋のいずみホールで、いずみシンフォニエッタ大阪の第36回定期演奏会を聴く。「魅惑のイタリアン&誕生《第5》!」というタイトルで、イタリアの20世紀音楽、そしていずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督である西村朗の室内交響曲第5番〈リンカネイション(転生)〉が初演される。

指揮はイタリア・ヴェネチア在住の若手、三ツ橋敬子。


曲目は、レスピーギの組曲「鳥」、ベリオの「フォークソングス」より第1、2、3、5、6、7、11曲(ソプラノ独唱:太田真紀)、シャリーノの「電話の考古学」、西村朗の室内交響曲第5番〈リンカネイション(転生)〉(ソプラノ独唱:太田真紀)


いずみシンフォニエッタ大阪は非常設の団体であり、普段は他の団体やソリストとして活動している人が基本的には年2回の定期演奏会のために集結してアンサンブルを繰り広げる。
ちなみに今日は全曲コンサートマスターが違い、レスピーギでは小栗まち絵が、ベリオでは釋伸司が、西村朗の新作では高木和弘がコンサートマスターを務め、シャリーノは弦楽が各楽器一人の編成であったが中島慎子(なかじま・ちかこ)がヴァイオリン代表としてコンミスの位置に座った。

メンバーはいずれも関西出身か関西に拠点を持っている演奏家によって構成されている。古部賢一(日本フィルハーモニー交響楽団首席オーボエ奏者。相愛大学非常勤講師)、内田奈織(ハープ。映画「夕凪の街 桜の国」で音楽担当。京都府出身)、そして京都市交響楽団のトランペット奏者である稲垣路子もレスピーギのみではあるが参加している。


演奏会の前にロビーコンサートがあり、オーボエの古部賢一、クラリネットの上田希(大阪音楽大学卒。現在は大阪音楽大学ならびに京都市立芸術大学非常勤講師)、ファゴットの東口泰之(京都市交響楽団副首席奏者、大阪芸術大学大学院非常勤講師)によって、ミヨーの「コレット」組曲が演奏された。


ステージ上ではハープの内田奈織がチューニングをしていたが(ハープは自力では持ち運べないのでステージ上でチューニングを行う必要があるのである)、それが済んでから西村朗が登場。続いて指揮者の三ツ橋敬子も呼ばれてプレトークが始まる。なお、西村と三ツ橋は東京芸術大学卒業および同大学院修了で先輩後輩に当たるのだが、西村がプロフィールに「東京芸術大学」と新字体を採用しているのに対して三ツ橋は「東京藝術大学」と旧字体を用いている。西村と三ツ橋の出会いは、三ツ橋が「情熱大陸」に出演した際に、西村のクラリネット協奏曲をカール・ライスターのクラリネットソロ、三ツ橋の指揮で初演する模様を収めるというので挨拶を交わしたのが最初だという。三ツ橋は2ヶ月に1度の割合で関西での仕事が入るのだが、大阪ついて「イタリア人というのはお喋りで賑やかなんですけれど、大阪はイタリア人が目立たない街」という表現をする。西村朗によると大阪というのはイタリアンレストランのレベルが高く、本場のイタリア料理よりも美味しい店が沢山あるそうである。

ちなみに三ツ橋敬子は身長151cmと、女性としてもかなり小柄な方であるが、そのためもあってかフォルテの時に思い切って伸び上がった指揮をするなど、身振り手振りが大きくなるため、たまに指揮台から転げ落ちることがあるそうである。

西村によると三ツ橋は幼少期にピアノをバリバリ弾きこなし、作曲もこなして「天才少女」と呼ばれたこともあったそうだが、将来は音楽家ではなく弁護士になりたいとも考えていたそうだ。だが、十代の頃、イスラエルを訪れて、当時のイツハク・ラビン首相の前でピアノの御前演奏を行った際、ラビン首相から与えられた主題によるピアノの変奏曲を即興演奏して大いに褒められたのだが、その後、ラビン首相が暗殺され、「国境や人種を越えて人々を繋ぎ合わせることが出来るのは法律ではなくて音楽だろう」と思うようになり、高校入学と共に指揮の勉強を始めたそうである。ピアニストなどのソリストではなく指揮者を選んだのは「他の人と一緒に音楽を作り上げる作業をしたかったから」だそうである。
曲目解説であるが、レスピーギの「鳥」はバロック以前の楽曲を再構成したものであり、ベリオの「フォークソングス」も既製の楽曲にベリオ独特の特殊奏法を多用した伴奏を付けたもので、いずれも作曲家のオリジナルのものではないそうである。
シャリーノの「電話の考古学」は置き電話や携帯電話などのベルを模した音を楽器が奏でるという作品。13の楽器による小編成の作品である。西村は「シャリーノは途轍もない天才ですが、間違いなく病気ですね。知り合いになりたくないタイプ」と話す。

今日は世界初演となる西村朗の室内交響曲第5番〈リンカネイション(転生)〉は、2015年の9月から12月にかけて作曲されたもので、2楽章からなり、第2楽章にはソプラノの太田真紀による独唱が入る。晩秋に始まり、冬を経て春の描写で音楽は終わる。


レスピーギの組曲「鳥」。バロック以前の旋律を取り入れているだけあって、端正な旋律が奏でられるが、ベルリオーズ、リムスキー=コルサコフと並んで「三大オーケストレーションの達人」に数えられるレスピーギの巧みな管弦楽法により、煌びやかな音がそれに加わる。20世紀の音楽に比べると形式的だったはずの旋律がブラッシュアップされて聞こえる。
三ツ橋の指揮は端正にして明快。指揮棒を持たない左手の指示が相変わらず上手い。


ベリオの「フォークソングス」より。ソプラノ独唱の太田真紀は大阪府堺市出身。同志社女子大学学芸学部声楽専攻を経て大阪音楽大学大学院歌曲研究室修了。東京混声合唱団のソプラノ団員として活動後、文化庁新進芸術家海外研修生としてローマに留学。平山美智子に師事する。ちなみに太田によると平山美智子は若い頃に植木等の声楽の先生だったこともあったそうで、平山曰く「植木等の『スーダラ節』は私の指導の成果が出ている。発音がはっきりしている」のだそうである。

後半のプレトークの時には西村朗と太田真紀がベリオについても語ったのだが、太田によると「(ベリオに)お会いすることは出来なかったんですけれど、噂に聞くと『凄く嫌な奴』だったそうですね」と言い、西村は「私以外の作曲家は大抵嫌な奴です」と応えていた。
ちなみに太田真紀は現在は大阪府富田林市在住だそうだが、富田林は覚醒剤で逮捕された清原和博の出身校であるPL学園の所在地ということで、西村も「今、大変なことに」などと触れていた。

歌自体は20世紀音楽の常道から大きくはみ出たものではないが、やはりベリオらしい特殊奏法満載の伴奏が特徴的である。
太田の声は澄んでいて耳に心地よい。


後半、シャリーノの「電話の考古学」。ステージ下手に陣取った沓野勢津子(くつの・せつこ。京都市立芸術大学卒。メインはマリンバだが打楽器全般を演奏する)が奏でる鉄琴が電話のベルを模し、その後ファゴットが携帯電話のバイブレーションの音を真似た単調な響きを生み出す。最後は金管が着信音のメロディーを奏でる。その間、ヴァイオリンが弓で弦を擦ったり、フルートが穴を一切押さえずにスカスカの音を生んだりと特殊な奏法が次々と繰り出される。
面白い曲であるが、西村の言うとおり神経症的な印象は受ける。


新作である西村朗の室内交響曲第5番〈リンカネイション(転生)〉。第1楽章ではトランペットなどが典雅な旋律を吹く場面もあるが、基本的には旋律よりも響きの美しさで聴かせるという西村らしい作品である。
第2楽章では太田真紀がまず春の息吹を表す吐息を2度発した後で、『新古今和歌集』に収められた2首の和歌、「浅緑 花もひとつに 霞みつつ おぼろに見ゆる      春の夜の月(菅原孝標女)」と「今桜 咲きぬと見えて 薄ぐもり 春に霞める 世のけしきかな(式子内親王)」が断片的にちりばめられる。はっきりと美しく歌われることはないが、これはおそらく人間というよりも精霊が歌うようなイメージを企図しているのだと思える。
私は現代音楽に関しては即断を下すことはまずないのだが、この曲は楽曲としては間違いなく成功作である。

三ツ橋のオーケストラコントロールも優秀であり、いずみシンフォニエッタ大阪の合奏力も高かった。
演奏終了後、三ツ橋と太田によってステージに呼ばれた西村は聴衆の喝采を浴びた。

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2016年1月16日 (土)

コンサートの記(227) 飯森範親指揮 山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2015大阪公演

2015年6月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2015大阪公演を聴く。指揮は山形交響楽団音楽監督の飯森範親。

4年連続4回目となる山形交響楽団のさくらんぼコンサート大阪公演。最初の2回はザ・シンフォニーホールで行われたが、前回からは会場をいずみホールに移している。

曲目は、モーツァルトの交響曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:上原彩子)、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」

開演15分ほど前から、山形交響楽協会専務理事・事務局長の西濱秀樹、指揮者の飯森範親、トランペット奏者の井上直樹、ホルン奏者の八木健史によるプレトークがある。

西濱秀樹は、今年の3月までは関西フィルハーモニーの事務局長であり、関西フィルのプレトークでユーモアたっぷりの話術を披露していたが、4月からは山形交響楽団の母体である公益社団法山形交響楽協会に移籍した。今日も関西フィルの時と同様、ユーモアの効いた話を聞かせる。山形交響楽団の大阪公演のプレトークはこれまで飯森の司会でやっていたが、西濱の話が面白いので司会に登用されたようである。

山形交響楽団(山響)が行ってきた、モーツァルトの――番号のないものも含めて――交響曲全50曲演奏達成を記念してのモーツァルトプログラムによる演奏会。モーツァルトの交響曲は全曲レコ―ディンされており、CDとしてのリリース計画もあるようだが、いつリリースするかなど細かいことはまだ決まっていないらしい。

飯森と山響のモーツァルト演奏の特徴は全面的にピリオド奏法を取り入れていることで、弦はビブラートを極力排し、弦自体をガット弦に張り替える奏者もいる。管は、ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンを採用。フルートも木製のものが用いられる。ティンパニはバロック・ティンパニと呼ばれる旧式のものを採用。

現在のトランペットはバルブが付いているが、ナチュラル・トランペットは押すものが何もなく、口だけで音程を変える。ナチュラル・ホルンもバルブがなく、口と右腕で音程を変化させる。ちなみに、ナチュラル・ホルンは管1本だけでは出せる音が限定されているため、欲しい音がその管にない場合はその音が出せる別の管に変えて演奏するのだという。

ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンの紹介は昨年と同じであったが、ピストン付きの現代のトランペットはナチュラル・トランペットに比べて遥かに音が大きいため、そのままモーツァルトを演奏すると弦と管のバランスを破ってしまうので、モダン楽器のモーツァルト演奏では常に弱音で吹くよう指揮者に指示され、結果、トランペットの音がほとんど聴き取れないという状況が発生しているという。ナチュラル・トランペットの場合は思いっ切り吹いても音が弱いので全体の中で上手くバランスが取れ、モーツァルトの演奏でトランペットを良く聴き取るにはむしろナチュラル・トランペットでの演奏を選んだ方が良いそうである。
ちなみに今日、ナチュラル・トランペットを吹く井上直樹はスイスのバーゼルで本格的にナチュラル・トランペットの奏法を学んだことがあり、またそれほど年ではないが、ナチュラル・トランペットの日本における権威的存在であるという。

古典配置による演奏。今日のコンサートマスターは山響ソロコンサートマスターの髙橋和貴(たかはし・かずたか)、フォアシュピーラーは犬伏亜里(いぬぶし・あり)。第2ヴァイオリンの首席奏者は舘野泉の息子である日芬ハーフの舘野ヤンネである。

飯森範親はモーツァルトの交響曲は2曲とも譜面台を置かず暗譜で指揮する。

モーツァルトの交響曲第1番。モーツァルトが書いた最初の交響曲ということで、モーツァルトの初期交響曲の中ではずば抜けて演奏頻度の高い曲である。

モーツァルトがわずか8歳の時の作品であり、「子供の書いた曲だから」とチャーミングに演奏されることが多いが、飯森は「天才に年齢は関係ない」とばかりにスケールの大きな演奏を展開する。流石はモーツァルトの曲であり、子供の頃に書いた作品でありながら大人にこうした真っ向勝負の演奏で挑まれても曲の内容が負けたり未熟さが露見したりということはない。

山響の弦楽はガット弦の人もいるということで、明るく澄んだ音色を出す。ナチュラル・ホルンは苦戦気味だが、改良された現代のホルンですら「キークス(音外し)」の代名詞なので、慣れないナチュラル・ホルンを楽々操るということは困難だと思われる。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。ソリストの上原彩子は、1980年、香川県高松市生まれ、岐阜県各務原市育ちのピアニスト。3歳からピアノを始め、ヤマハの音楽教室に通う。1990年にヤマハマスタークラスに入会。その後もずっとヤマハのマスタークラスで学んでおり、音楽高校にも音楽大学にも行ったことがないという異色の経歴を持つ。
2002年に第12回チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門に日本人としてまた女性としても初の第1位を獲得する。だが、当時のチャイコフスキー国際コンクールにヤマハが大口のスポンサーとして付いていたため、「不正があったのでは」という声もあった。

上原のピアノは高貴さとスケールの雄大さを兼ね備えたものである。どちらかというと典雅に傾いた演奏であるが力強さにも欠けてはいない。
一方で、第1楽章のカデンツァでは音の濁りが少し気になる。私は今日はステージ下手上方の2階席で聴いており、私の位置からはペダルが見えなかったのだが、おそらくペダリングに問題があるのだと思われる。

飯森指揮の山響は力強い伴奏を聞かせる。上原との息もピタリと合っている。

上原はアンコールとして自身がピアノ編曲した、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」より“あし笛の踊り”を演奏。最近のソフトバンクのCMで使われている曲である。愛らしい演奏であった。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。モーツァルトは最初に書いた交響曲第1番の第2楽章に「ハー二ーヘーホ」で始まる主題を用いており、これが「ジュピター」交響曲の第4楽章で「ジュピター」主題として登場している。おそらくモーツァルトが子供の頃に好んだ音型を振り返って交響曲第41番を書いたのだと思われ、偶然同じ音型になったわけではないと思われる。ただモーツァルト本人も交響曲第41番が自身の最後の交響曲となり、最初と最後の交響曲が同じ主題によって繋がるとは想像していなかったであろうが。

飯森と山響による「ジュピター」はスケールが大きく、力強い。情熱的であり、モーツァルトではなくベートーヴェンの交響曲に挑むかのようなアプローチであるが、「モーツァルトらしさ」というものは固定されているものでなく、ただ何となく漠然と共有されているものなので、そこから少し外れていても構わないのである。
それにしても力強い演奏であり、こうした演奏を聴くと最高神「ジュピター」よりも最強神「ハーキュリーズ」の名前が浮かぶ(「ジュピター」というタイトルを付けたのはモーツァルトではない。誰が付けたのかはわかっていない)。

ピリオドの効果が最も良く出たのは第2楽章。弦楽器の深い音はモダン・アプローチでは出せないものである。

1階席で聴いていると残響を余り感じないいずみホールであるが、ステージ真横の2階席で聴いていると残響が長いのがわかる。反響板のないホールなので席が上にある方が残響が良く聞こえるのだ。しかし、京都コンサートホールにしろ、フェスティバルホールにしろ、いずみホールにしろ1階席の音響が今一つというのはいただけない。高い料金を払って音の悪い席を買う羽目になるのだから。

飯森の指揮は分かりやすく、山形交響楽団を存分にドライブする。

演奏終了後、喝采を浴びた飯森と山形交響楽団。飯森が「山形交響楽団の演奏会はアンコールを行わないんです。本番で全力を出すので疲れてフラフラになるので」と語りかけ、「是非、一度山形へ」というアピールも忘れなかった。

なお、入場者全員に、東根市のサクランボ「佐藤錦」が数個入りのパックでプレゼントされた。更に抽選で山形県産サクランボのプレゼントもあったが私は外れた。

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2015年3月17日 (火)

コンサートの記(177) サー・ロジャー・ノリントン指揮チューリッヒ室内管弦楽団来日演奏会2014

2014年10月2日、大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、サー・ロジャー・ノリントン指揮チューリッヒ室内管弦楽団の来日演奏会を聴く。ノリントンの80歳記念と日本・スイス国交樹立150周年を記念した公演である。ノリントンとチューリッヒ室内管の世界ツアーの一環であるが、日本での演奏会は、ここ、いずみホールでの今日のコンサートのみとなる。ということで、関西のみでなく日本各地からいずみホールまで詰めかけたお客さんもいるはずである。いずみホールがシリーズで行っている「モーツァルト ~未来へ飛翔する精神」の一つとしてノリントンが特別に演奏会を開くことになったのであろう。

オール・モーツァルト・プログラム。ノリントンは現役の指揮者としては最も巧みにモーツァルトを演奏する指揮者の一人である。
交響曲第1番、ピアノ協奏曲第21番(ピアノ独奏:HJリム)、交響曲第41番「ジュピター」が演奏される。

第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンともに5名という編成。古典配置であり、平台などは用いず、管楽器奏者は立って演奏する。今日のノリントンは全曲ノンタクト、暗譜での指揮である。

1934年、英国オックスフォード生まれのサー・ロジャー・ノリントンは90年代に癌を患い、心配されたが、見事に克服。現在、チューリッヒ室内管弦楽団の首席指揮者を務めている。最初は古楽器のオーケストラであるロンドン・クラシカル・プレーヤーズを組織して指揮していたが、その後、モダンオーケストラをピリオド・アプローチで演奏することに専念し、ロンドン・クラシカル・プレーヤーズは解散している。モダン・オーケストラの指揮者としてはカメラータ・ザルツブルクとシュトゥットガルト放送交響楽団(SWR交響楽団)の首席指揮者を長きに渡って務め、特にシュトゥットガルト放送交響楽団とは「ベートーヴェン交響曲全集」を始めとする名盤を作成している。

交響曲第1番は、モーツァルトが8歳の時に作曲したもの。モーツァルト最初の交響曲として、モーツァルトの初期交響曲の中では比較的知られている作品である。

ノリントンは強弱をはっきり付ける。特にピアニシモからフォルテシモへと一足飛びに移行する手段が多用され、ロッシーニクレッシェンドをも凌ぐ効果を上げている。

ノリントンのピリオド・アプローチは、同手法を取り入れている指揮者の中でも最も徹底したもので、ビブラートはほとんど用いず、澄んだ音色を基調としている。ティンパニは小型で硬い音を出すバロックティンパニを採用。マレットの先には何も巻かれておらず、木の棒で叩く感じとなる。トランペットとホルンはモダンタイプを使用。

ピリオド的面白さよりも、放出するエネルギーでもって魅せる演奏。それにしても、モーツァルトは8歳にして哀感に満ちた第2楽章を書いているのだから凄い。

ノリントンは、ラストで客席の方を向くというパフォーマンスを得意としており、今日も交響曲第1番が終わると同時に客席の方に向き直ってみせた。

ピアノ協奏曲第21番。以前、ザ・シンフォニーホールで行われた、ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団の来日演奏会で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏した時もそうであったが、今回もピアノは弾き振りをする時のように鍵盤を客席側に向けて据えられ、ソリストは聴衆に背中を向けながらの演奏となる。ピアノの蓋は取り払われており、ノリントンはソリストと向かい合わせになって舞台の中央付近で指揮をする。楽団員はノリントンを中心に車座になって弾く。ということで、コンサートマスターも第2ヴァイオリン奏者も客に背中を見せながらの演奏である。私の席からだとノリントンの姿は第2ヴァイオリンが陰に隠れる形となり、足元しか見ることは出来ない。

ピアノ独奏の、HJリムは、韓国生まれ、フランス育ちの若手女性ピアニスト。LIMというアルファベットの綴りは、東京ヤクルトスワローズのクローザーであったイム・チャンヨンと同じであるため、漢字で書くと「林」、ハングル読みでイムだと思われるのだが、フランス育ちであるためリムと名乗っているようだ。HJはファーストネームの漢字二字の頭文字を取ったものであると思われるのだが、何という漢字で名前なのかはわからない。
パリ国立音楽院を卒業後、EMI(現在はワーナーに統合)と契約し、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集でCDデビューをしている。

リムのピアノであるが、モーツァルトなのにヴィルトゥオーゾのような弾き方で弾くため、典雅さが後退し、かなり乱暴な印象を受ける。メカニックは達者であるが、音楽よりも技術を聴かされているような気分になってしまうのだ。
ノリントン指揮のチューリッヒ室内管は標準的なテンポでスタートしたが、リムは快速でバリバリ弾く。その速さに意味が感じられず、正直、苦手なタイプのピアニストである。

第2楽章は、映画「短くも美しく燃え」のテーマとして使われたことで知られるが、リムはスラスラ進んでしまうため味気ない。

カデンツァは、ベートーヴェンの「プロメテウス主題」などが用いられた独自のものであったが、アレクサンドル・ラビノヴィチ=バラコフスキーが作曲した新しいものであるという。

リムはアンコールとして、ショパンの夜想曲第20番嬰ハ短調(遺作)を弾く。ザッハリッヒカイトなものであったが、モーツァルトよりはリムの個性に合っているようだ。

交響曲第41番「ジュピター」。
ノリントンは最初の音を弱く抑え、そこから急速に強さを増すような仕掛けを施す。同じような音型が続いても、違った風に演奏するなど細やかな演奏である。拍よりも自在な表現を重視しており、スピードや強調すべき音を変幻自在に操る。現時点で聴くことの出来る最高峰のモーツァルトだと思って間違いないだろう。

ノリントンとチューリッヒ室内管は、アンコールに応えて、「ジュピター」の第4楽章から終盤を再度演奏する。楽器のバランスを微妙に変えての演奏。ノリントンは第2ヴァイオリンに指示を出してから、第1ヴァイオリンへの指示へと移行する際に、時計回りをして一端客席と正対するというパフォーマンスを見せた。

拍手は鳴り止まず、終演後もノリントンはステージに残り、客席からの喝采に応えた。

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