カテゴリー「いずみホール」の15件の記事

2022年8月29日 (月)

コンサートの記(802) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団 いずみ定期演奏会№28「歌を手にしたトランペット」 ハイドンマラソン第2回

2015年9月25日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、日本センチュリー交響楽団 いずみ定期演奏会№28「歌を手にしたトランペット」を聴く。センチュリー響首席指揮者である飯森範親の指揮でハイドン交響曲チクルスを目指す「ハイドンマラソン」の第2回演奏会である。

オール・ハイドン・プログラム。交響曲第77番、トランペット協奏曲変ホ長調(トランペット独奏:小曲俊之)、交響曲第14番、交響曲第101番「時計」が演奏される。

コンサートミストレスは松浦奈々。今日は女性奏者達が思い思いにドレスアップして登場。センチュリー響は(というよりも日本の大半のオーケストラはそうだが)女性団員の方が多いので、ステージ上が華やかになる。


当然ながら古典配置、ピリオド・アプローチによる演奏である。交響曲第77番と第14番には通奏低音としてチェンバロ(独奏:パブロ・エスカンデ)が加わる。ハイドンは初期の交響曲に関しては自身がチェンバロを弾きながら、いわゆる弾き振りをしていただろうと推測されており、初期のハイドンの交響曲を演奏する時には普通はチェンバロが入る。ただ、飯森範親によると、交響曲第77番はチェンバロをいれるべきかどうか微妙な時期に書かれているという。比較的知名度の高い後期の交響曲(ニコラウス・エステルハージ候没後)はチェンバロなしで演奏されていたことがわかっているため、チェンバロ入りだと不都合が出る。交響曲第77番はどちらなのか詳しいことはわかっていないが(ニコラウス・エステルハージ候は存命中だが、ロンドンでの演奏を念頭に入れて書かれており、英国でハイドン自身のチェンバロなしでも演奏出来るよう書かれた可能性もある)、飯森は「入れよう」と判断したそうである。


今日の飯森は全曲ノンタクトで指揮した。


交響曲第77番は、活きの良い演奏であり、ノンビブラートの弦の音色が美しく、管もまろやかに響く。いずみホールは天井が高いため、最後の音が鳴り終わった後も音が天井に留まるような感覚がある。ただ、これはオーケストラが良く鳴った時限定であり、その意味ではセンチュリーは素晴らしい演奏を展開したことになる。


トランペット協奏曲変ホ長調。ソリストを務める小曲俊之(こまがり・としゆき)は、日本センチュリー交響楽団の首席トランペット奏者であるが、名手として知られているらしい。

場面転換の間は、飯森範親がマイクを片手にトークで繋いでいたが、オーケストラ奏者達がさらう音がステージ上までかしましく響いてきたため、飯森が袖に向かって「静かにしてー!」と呼びかける場面があった。

小曲俊之のトランペットは燦々と輝く音色が特徴であり、高いメカニックもあって豊かな歌が展開される。この曲はトランペットとオーケストラとの対話が特徴的であり、小曲とセンチュリー響の掛け合いは、小曲がセンチュリー響の楽団員ということもあって、スムーズかつ温かく進行する。


後半。交響曲第17番。初期のハイドンの交響曲であり、比較的シンプルで分かり易い。センチュリー響は精緻なアンサンブルで聴かせる。


編成が異なるため、交響曲第17番と第101番「時計」の間に転換があり、飯森が再びマイクを手に登場し、交響曲第17番の最終楽章について、「男女が喧嘩をして、男役のオーボエが落ち込んでしまい、弦がみんなでそれを慰める」という解釈を披露する。また、交響曲第101番「時計」の第3楽章について、「オーケストラの妖精のような少女が現れて、彼女にスケベ心を持った男が近づこうとし」という、バレエ音楽的な解釈をしてみせる。第3楽章はトリオ形式だが、実際に聴いてみると、中間部に現れるフルートの旋律が妖精のような少女、なれなれしく近づく男をファゴットが表しているのだと受け取ることが出来た。


交響曲第101番「時計」は、第2楽章がチクタクと時を刻む時計の描写のようだというので「時計」という愛称が付いたのだが、実際は時計を表したものではなく、タイトルも後に第三者が付けたものである。

飯森は、トークで「『時計』の演奏はとても難しい」と語っていたが、それまでの3曲に比べてみると大掛かりな仕掛けが多い上、スケールも大きく、各パート毎の旋律も高い技術がないと弾けないものであることがわかる。

しかし、センチュリー響は大健闘。飯森はピリオドを意識してやや速めのテンポを採用したが、飯森の腕の動きにセンチュリー響は機敏に反応し、立派なハイドン像を築き上げる。


ハイドンの音楽は、モーツァルトやベートーヴェンに比べると内容に深みがないためか、記憶に残りにくいのだが、演奏が行われている間は、幸福な時間に浸ることが出来た。

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2022年8月19日 (金)

コンサートの記(798)「IZUMI JAZZ NIGHT 2015 山中千尋」

2015年8月28日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、「IZUMI JAZZ NIGHT 2015 山中千尋」というコンサートを聴く。世界的な評価を受けている山中千尋のジャズライブ。プログラムは明かされていなかったが、ホワイエにベーシストの坂崎拓也がダブルベースで参加することが紙に書かれて提示されている。

山中千尋のコンサートはこれまでも何回かチケットを取っているのだが、そのたびに何かあって行けなくなるということを繰り返しており、私にとっては遠いアーティストであったが、今日、ようやく実演に接することが出来た。


山中千尋は、1976年、群馬県桐生市生まれのジャズピアニスト(正確な生年月日は公表されていない)。桐生への郷土愛は強く、桐生の民謡である「八木節」(日本で最もノリノリの民謡としても知られる)を必ずプログラムに入れている(若しくはアンコールで演奏する)。彼女の世代ではまだジャズを専攻出来る大学は日本にはなく、桐朋女子高校音楽科ピアノ専攻を経て、桐朋学園大学ピアノ専攻を卒業。その後にニューヨークのバークリー音楽院に留学してジャズを学び、ここで多くのジャズメン達と交流を得る。若い頃からアメリカでジャズピアニストとして高い評価を得ており、ジャズ専門雑誌から表彰を受けたこともある。


スコアを置き、ハンドマイクもピアノの上に置かれ、トークを交えての演奏会となる。上演時間は途中休憩なしの1時間30分の予定であったが、結局、15分ほど押した。


黒のドレスで現れた山中千尋は想像していたよりも華奢な女性である。頻繁にペダルを踏み換えることが特徴であるが、そのため音が濁るということがない。


まず「ロンドンデリーの歌(ダニー・ボーイ)」&「クライ・ミー・リヴァー」を演奏した山中。「ロンドンデリーの歌」の哀感の表出とお洒落な音の崩し方から「絶妙」という言葉が浮かぶ。

演奏修了後に山中はハンドマイクを手に取り、立ち上がってトークを行う。ロンドンデリーではなくロンドンには留学したことがあり、高校3年生の夏にロンドンの王立音楽院に短期留学しているという。本当はそのまま王立音楽院の大学部に進む前提で行った留学だったのだが、当時は山中は英語が上手く喋れず、寮で掃除機を借りようとしたとき、イギリスで掃除機を表す「フーバー」という英語単語が浮かばず(日本で主に教えられるアメリカ英語とイギリス英語は結構違う)、意地悪をされたそうで、若い頃は気弱な方だったためにそれがショックで夏の留学で切り上げてロンドンを去り帰国、音楽教育も日本で受け続けることを選択したという。「クライ・ミー・リヴァー」はその時の沈んだ気持ちをと冗談を言って、客席から笑いを取る。


続いて、自作である「Beverly」を演奏する。山中の故郷である桐生には川が多く流れており、山中の実家も渡良瀬川の支流である桐生川のほとりにあるという。「川のほとりというと優雅な感じですが実際はかなりの田舎」と山中。川の流れをイメージして作曲した作品で、当初は「川下り」というタイトルであったが、「腹下し」などと聞き間違えられることが多かったため、意味の関連性はなくなってしまうが「Beverly」とタイトルを変えたという。

ヴィルトゥオーゾ的なピアノを弾く山中であるが、この曲でもテンポが速く、音も多く、技術的に高度である、川の流れが目に浮かぶような、キャニオニングを疑似体験しているかような(私はキャニオニングをしたことはないが)想像喚起力豊かな良く出来た楽曲である。


次の曲も自作で、「On The Shore(岸辺にて)」。ブルーノート・レーベルから「全曲自作のアルバムを出して欲しい」という要求を受けて書いた曲だというが、要請を受けてからレコーディングまで2週間しかなかったという。丁度その頃、山中の母親が自分の誕生日を自分で祝うために山中がライブのために乗り込んでいたワシントンD.C.にやって来たという。母親は大感激して「他の場所にも行きたい」と言ったそうだ。山中は「でも2週間後にレコーディングに入らなきゃ行けないし、曲も全然書けてないし」と断ろうとしてものの、母親の「レコーディングはいつでも出来るけど、私は来年は死んでるかも知れない」という言葉に根負け。二人でメキシコ旅行に出掛けたという。山中の母親は海外では「常に褒められるため」いつも着物姿。メキシコは40度ぐらいあったそうだが、母親が「千尋、あなたも着物着なさい」と言われたため仕方なく二人で着物を着てビーチを歩いたそうだ。周りはみんな裸なのに、山中と母親だけ着物なので目立ったという。「地獄のような体験だった」と山中は語り、「帯締めのキツさが伝わってくれれば」と演奏を始める。しっとりとしたバラード曲であった。


今度は山中の友人が作曲したという作品。バークリー音楽院で一緒だったブルガリア出身の男性作曲家の作品だというが、彼の一族は全員が医師であり、彼一人だけが医師試験に合格出来ずバークリー音楽院に来たということで、彼は自身のことを「落ちこぼれ」と自嘲していうことが多かったという。今では映画音楽の世界で成功しているそうだ。
曲名は「バルカン・テール(バルカン物語)」。バルカン半島というと「ヨーロッパの火薬庫」として紛争が絶えない地域であるが、それを意識したのか激しい曲調の作品である。


続いて、「今後戦争が起こらないようにと祈りを込めて」、「星に願いを」を演奏。ラストにJ・S・バッハの「神よ、民の望みの喜びよ」の旋律を組み入れるなど凝った編曲である。


山中は「ラグタイム・ハザード」というアルバムを出したばかりだが、それにちなんで今度はラグタイムの曲。バークリー音楽院にもラグタイムの試験があるのだが、学生数が多いため、持ち時間は2分30秒までときっちり決められているという。2分30秒をオーバーしてしまうと、いくら良い演奏をしても成績は一つ下のものを付けられてしまう。そうなると奨学金が受けられなくなってしまうということで、バークリーの学生達はラグタイムの練習を真剣に行っていたという。

山中は、「これは試験ではないので、2分30秒よりはちょっと長く演奏すると思うんですけれど」と言って、「2分30秒ラグタイム」を演奏。興が乗ったのか、演奏時間はタイトルの約倍であった。


ここで時計を見た山中は、「あれ、私こんなに長くピアノ弾いちゃってる。短い曲を選んだはずだったのに」。ということで、ダブルベースの坂崎拓也が登場。坂崎は大阪の出身であり、大阪で活動していたのだが、3年前に活動の拠点を東京に移したという。

山中の坂崎のデュオ。ベートーヴェンの「エリーゼのために」をモチーフにしたものがまず演奏される。山中は幼い頃に「エリーゼのために」に憧れ、ピアノの先生に何度も「弾きたい」と申し出たのだが、「男の人が女の人を好きになるという曲だし、千尋ちゃんにはまだ早い」と言われ続け、結局、十代のうちに「エリーゼのために」を弾くことは叶わなかったという。

誰もが知ってる「エリーゼのために」であるが、山中にいわせると何度も繰り返される冒頭のメロディーが「Too much」という感じで、「今の時代に生きていたらストーカーみたいに思われたかも知れません」と話した。ちなみに、この曲を送られたのはエリーゼではなくテレーゼという説が有力である。ベートーヴェンは字が汚かったため、thereseと書かれたものをeliseと誤読されてそれが広まってしまったとされる。エリーゼとは誰かというのは長年の謎であったが、実はエリーゼではなくテレーゼで、テレーゼ・マルファッティのために書かれたものであると現在ではほぼ断定されている。

山中と坂崎は「ジャズの巨星(ジャズ・ジャイアンツ)」の一人であるセロニアス・モンクをイメージした編曲を行ったそうで、抒情美よりも激しさを優先させた曲調と演奏であった。


続いて、「イスラエル・ソング」と「スパイダー」というイスラエルの曲が2曲連続で演奏されている。いずれも変拍子が多い曲だそうで、聴いていると簡単そうに思えるのだが、演奏するとなるとかなり難度は高いようである。5拍子と6拍子の変拍子が続くそうだが、五芒星や六芒星との関係はあるのだろうか。ちょっとわからない。


ラストは山中の定番である「八木節」。日本で最も威勢が良いといわれる民謡だけに、ロックなテイストの編曲も多いのだが、山中はあくまでジャズの「八木節」として旋律美重視の演奏を披露する。


アンコールは、山中のピアノソロで、伊東咲子の「ひまわり娘」。山中は「私がまだ生まれていない時代の曲」と語る。「ひまわり娘」が私の生まれた1974年のヒット曲だということは知っていたが、調べてみると「ひまわり娘」は、1974年の4月20日リリースで、私より半年以上年上である。リリース時には私もまだ生まれていなかったことになる。

山中の弾く「ひまわり娘」を聴いていて、ふと、ル・クプルの「ひだまりの詩」を思い出す。歌詞のメッセージも曲調も両曲には通じるものがあるように思う。ル・クプルはその後、離婚し、ル・クプルも当然解散。個別での音楽活動を行っていると聞く。


終演後、CDもしくはグッズ購入者限定でのサイン会があり、私も山中のCDを買ってサイン会に参加した。

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2022年8月 5日 (金)

コンサートの記(795) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団いずみ定期演奏会№27 ハイドンマラソン第1回“夜が明け「朝」が来る”

2015年6月5日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、日本センチュリー交響楽団いずみ定期演奏会 №27を聴く。指揮は日本センチュリー響首席指揮者の飯森範親。ハイドンの交響曲全曲を演奏し、レコーディングも行うというハイドンマラソンの第1回演奏会である。今日の演奏会のサブタイトルは“夜が明け「朝」が来る”

ハイドンマラソンは8年掛かりという長期プロジェクトである。ハイドンは104曲の交響曲を書いているが、「ハイドン交響曲全集」はレコーディング史上数えるほど。クリストファー・ホグウッドが「ハイドン交響曲全集」に挑む予定だったが、クラシック音楽界の不況のために未完に終わっている。そのため、8年に渡ってレコーディングを行うということが可能なのかは飯森にも分からないとのこと。

飯森は音楽監督を務めている山形交響楽団とモーツァルトが書いた交響曲を番号のないものも含めて50曲を演奏会で取り上げてレコーディングするというプロジェクトを行い、今度は日本センチュリー響とハイドンの企画をスタートさせる。日本センチュリー響は中編成のオーケストラであるため、ハイドンを演奏するには最適の楽団である。かつて橋下徹が大阪府知事だった時代にセンチュリー響への補助金カットを明言した時に、センチュリー響の音楽監督だった小泉和裕や首席客演指揮者だった沼尻竜典はブルックナーなどの大曲路線を何故か選んだ。確かにブルックナーの交響曲は人気の曲目であるが、大阪フィルの十八番であり、演奏しても大阪フィルには勝てないし客も呼べないということで、「なんでハイドンをやらないんだ?」と歯がゆく思ったものである。飯森はアイデアマンだけに、就任してすぐにハイドンの交響曲連続演奏を決定。再評価が進むハイドンを演奏することで、大阪以外からの客も取り込もうという作戦である。

オール・ハイドン・プログラム。交響曲第35番、チェロ協奏曲第2番(チェロ独奏:アントニオ・メネセス)、交響曲第17番、交響曲第6番「朝」。サブタイトルの通り、ラストに「朝」が来る。

ライブレコーディングというとデッカツリーと呼ばれるマイクの釣り方が王道であるが、今日は天井から下がっているのは常設のセンターマイクだけ。代わりにステージ上に確認出来るだけで8本のマイクがある。最前列のマイク、左右1本ずつは高さ推定3mほどの細い柱の上に乗っており、これがデッカツリーの左右のマイクの代わりになるようだ。


古典配置での演奏。通奏低音であるチェンバロが、奏者が指揮者と向き合う形になるよう中央に据えられている(チェンバロ独奏:パブロ・エスカンデ)。交響曲は第1第2ヴァイオリン共に8人の編成。協奏曲の時は共に6人と一回り編成が小さくなる。

今日は女性奏者達が各々カラフルなドレスを纏って舞台上に登場する。日本クラシック界の宿命、というほど大袈裟ではないが、音大や音楽学部、音楽専攻に在籍している学生の8割が女子という事情もあり、オーケストラの楽団員も当然の結果として女性の方がずっと多い。今日は舞台上がかなり華やかである。


交響曲第35番。中編成でピリオド奏法を採用ということで、冒頭は音がかなり小さく聞こえるが、そのうちに耳が自然に補正される。第3楽章ではコンサートミストレスの松浦奈々と首席第2ヴァイオリン奏者の池原衣美が、ソロパートで対話するような場面があり、視覚的にも聴覚的にも楽しい。また第4楽章はラストがラストらしくなく、すっと音を抜くようにして終わりとなる。


チェロ協奏曲のための配置転換の間に、飯森がマイクを持ってスピーチ。昨日セッション録音を行い、今日のゲネプロでもレコーディングが行われたそうで、今日の演奏会も含めて最低でも3回の録音を行うことになる。そのためか、ノンタクトで指揮した今日の飯森は神経質な指示はほとんど出さず、センチュリー響の自発性に委ねるところも多かった。何度も本番のつもりで演奏して来たので、事細かに指で指示を出さなくても緻密なアンサンブルが可能になったのであろう。
飯森は、「ハイドンの時代にはビブラートという観念がなかった」と語る。一応、「指を揺らす」という技法はあったようだが、感情が高ぶって左手が自然に揺れるということ、もしくは感情の昂ぶりを左手の揺れで音にするという考えで、20世紀に入ってからのように「音を大きくするためにビブラートを掛ける」ということはなかった。そのため音を大きくするのは当時は弓を持った右手の役割だったという。
ちなみにドイツの音楽大学では、モダン楽器専攻の学生であってもピリオド奏法などの古典的な演奏法(Historicaly Informed Performance。略して「HIP」と呼ばれる)を学ぶことは当たり前のようで、日本の音大とは大分事情が異なるようである。
ハイドンマラソン参会者には首から提げるタイプのパスカードが配られる。これにシールを貼り、ハイドンマラソン演奏会全てに参加した方には豪華景品が贈呈されるという。私は残念ながら全部聴きたいほどハイドンが好きではないので完走することはないと思うが。


チェロ協奏曲第2番。チェロ独奏のアントニオ・メネセスは、1957年、ブラジル生まれのチェリスト。16歳の時にヨーロッパに渡り、1977年にはミュンヘン国際コンクール・チェロ部門で優勝。1982年にはチャイコフスキー国際コンクール・チェロ部門でも覇者となる。ソリストとしての活動の他に、1998年から2008年までボザール・トリオのメンバーとしても活躍した。現在はスイスのバーゼルに住み、ベルン音楽院で後進の指導にも当たっている。

メネセスのチェロは典雅な音色を奏で、センチュリー響もそれに負けじと明るい音色を出す。
ハイドンは人生の大半をハンガリーのニコラウス・エステルハージ候の宮廷楽長として過ごした。当時の音楽家の身分は召使いと同程度であり、音楽そのものも明るく分かりやすいものが好まれた。ということで、ハイドンは貴族のお気に召す音楽を書く必要があり、そのことでモーツァルトやベートーヴェンのような毒に乏しく、「浅薄」と後世から評価されかねない音楽を書いた。それは現在、ハイドンが人気の面においてモーツァルトやベートーヴェンに大きく水をあけられている一因となっているだろう。一方でハイドンはハンガリーという、当時は音楽の中心地からは離れた場所にいたため、他の音楽を知る機会が余りなく、自然と自分で工夫を凝らして作曲をするようになっていったという。居眠りしている聴衆を叩き起こす「驚愕」交響曲や、曲が終わったと聴衆に勘違いさせる仕掛けが何度もある交響曲第90番、ティンパニがやたらと活躍する「太鼓連打」、楽団人が一人ずつ去って行く「告別」など個性豊かな交響曲も多い。

メネセスはアンコールとしてJ・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「サラバンド」を弾く。スケールが大きく、渋みもあり、大バッハとハイドンの実力の差を聴いてしまったような気分にもなった。


交響曲第17番は3楽章の交響曲。第2楽章は短調であり、痛切ではないがメランコリックな旋律が奏でられる。第2楽章があることで、次の第3楽章が更に明るく聞こえる。


交響曲第6番「朝」。今日演奏される曲の中では最も有名な作品である。ちなみに交響曲第7番のタイトルは「昼」、交響曲第8番のタイトルは「晩」という冗談音楽のようなシリーズになっている。

第2楽章と第4楽章ではコンサートマスターがヴァイオリンソロ奏者並みの役割を担う。センチュリー響のコンサートミストレス、松浦奈々が巧みな演奏を聴かせる。第2楽章と第3楽章ではチェロにもソリストのような場面があり、第3楽章ではコントラバスとファゴットにソロパートがある。チェロの北口大輔、コントラバスの村田和幸、ファゴットの宮本謙二が優れた演奏を聴かせた。

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2021年2月12日 (金)

コンサートの記(694) 加古隆コンサートツアー2007「熊野古道」@いずみホール

2007年7月1日 いずみホールにて

午後4時30分より、大阪・京橋にある、いずみホールで、加古隆コンサートツアー2007「熊野古道」を聴く。前半は加古がこれまでに作曲した有名曲の演奏、後半は加古の最新アルバムである「熊野古道」の音楽をメインとしたプログラム。
今回の加古隆のコンサートは、臨時編成の室内オーケストラ、そして、東京と大阪では人気サキソフォン奏者の須川展也(すがわ・のぶや)をゲストに迎えて行われる(名古屋、札幌など、その他の地域では室内オーケストラのメンバーでもある番場かおりがゲストである)。

加古隆は、1947年、大阪生まれ。東京藝術大学と同大学院で作曲を専攻した後、パリ国立音楽院に留学し、オリヴィエ・メシアンに作曲を師事。一方、パリではジャズピアニストとしてもデビューしている。現代音楽とイージーリスニング、ジャズの要素を取り入れた独自の作風を持ち、NHK「映像の世紀」、映画「大河の一滴」、「阿弥陀堂だより」、「博士の愛した数式」、テレビドラマ「白い巨塔」(2003-2004。唐沢寿明主演版)など話題作の音楽を数多く手がけていることでも知られる。

加古隆の特徴は、ミニマルミュージックの影響を受けた反復の心地よさと、やや感傷的だが美しいメロディーラインにある。ピアノは左手で同型のモチーフが繰り返され、その上に優美な旋律が右手で繰り出される。
時に曲がセンチメンタル過ぎる場合もあり、私も「大河の一滴」のテーマなどは余り好きになれない。一方で「パリは燃えているか」(NHK『映像の世紀』テーマ曲)などは大好きで、千葉にいる頃はピアノソロ版の楽譜を手に入れてよく弾いていた。
ちなみに私が加古隆の音楽を初めて聴いたのは、藤子・F・不二雄原作の映画「未来の想い出」(森田芳光監督作品。主演:清水美砂、工藤静香、和泉元彌。何だか凄いキャストである)において。映画の音楽を手がけていたのが加古隆であった。

アルバム「熊野古道」では、須川展也がサキソフォンで参加、金聖響(きむ・せいきょう)が指揮を担当しているが、今日のコンサートには金聖響は出演せず、加古本人が指揮も行う(指揮といっても拍子を刻むのが主で、本格的なものではない)。
三重県からの委嘱で作曲され、丁度1年前、2006年7月1日に津市で初演されたという、「熊野古道」は全4楽章からなり、第2、第3、第4楽章でサキソフォンが活躍する。弦楽とピアノ、サキソフォンという編成、ミニマルミュージック風作風ということで、少し弱腰のマイケル・ナイマンの音楽のようにも聞こえる場面もあったが、日本的な旋律は紛れもなく加古隆のものであり、特に第4楽章は感動的であった。

アンコールは須川展也をフィーチャーし、「パリは燃えているか」のピアノ&サキソフォン特別版、そして「黄昏のワルツ」(NHK『にんげんドキュメント』テーマ曲)が演奏される。聴衆は熱狂し、拍手は長いこと鳴りやまなかった。

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2020年10月26日 (月)

コンサートの記(664) 村治佳織ギター・リサイタル2006@いずみホール with シャーリー富岡

2006年5月12日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後2時から大阪・京橋の「いずみホール」で、ギタリスト村治佳織のコンサートを聴く。昨年の12月22日に予定されていたコンサートだが、村治の右手の故障で延期となったものである。

今回のコンサートは、前半がランス音楽をギター用に編曲したものが中心、後半は映画音楽をアレンジしたものが並ぶ。

村治は前半は鮮やかなターコイスブルーの衣装で登場。右手の故障は治ったようだが、長くギターの練習が出来なかったわけで、その影響からか、たまに妙な音を発したりする。「亡き王女のパヴァーヌ」では一瞬、「止まるか?」と心配になる箇所があったが、何とか切り抜ける。

後半は、FM802「SATURDAY AMUSIC ISLAND」のパーソナリティーを務めるシャーリー富岡と村治による映画音楽に関するトークが入る。
シャーリー富岡は前半の村治の衣装を意識したのか、やはりターコイスブルーの上着で登場。村治は後半は白い衣装に着替えていた。

シャーリー富岡、名字と顔から、マイケル富岡と関係があるのかな? と思っていたら、中盤で、やはりマイケル富岡の姉であることが判明。シャーリーの口から、弟がマイケル富岡であることが発表されると、客席から一斉に「あー」という声が起こる。
シャーリーは年間150本から200本の映画を観ているそうで、映画音楽にも詳しいことからゲストとして呼ばれたようだ(昨年予定されていたコンサートでは、作曲家の大島ミチルがゲスト参加する予定だった)。

『ディアハンター』の「カヴァティーナ」、『サウンド・オブ・ミュージック』から「マイ・フェイヴァリット・シングス」(JR東海の「そうだ! 京都行こう」のCMで使われている曲。京都では当然のことながら「そうだ! 京都行こう」のCMは流れていない)。『バグダッド・カフェ』より「コーリング・ユー」、『思い出の夏』より「夏は知っている」(原題の“Summer of 42”でも知られている)、『シェルブールの雨傘』より「アイ・ウィル・ウェイト・フォー・ユー」が演奏される。
ちなみにマイケル富岡の舞台デビュー作が『シェルブールの雨傘』だったそうで、その時、シャーリー富岡がマイケルの姉であることを打ち明けたのだった。

村治の演奏はどの曲もテンポが速めで、抒情味に欠けるきらいはあったが、テクニックは安定していて(一箇所怪しいところはあったが)楽しめる演奏であった。

ちなみにシャーリー富岡が生まれて始めてみた映画は「ウエストサイド物語」で、4、5歳の頃、映画好きだった祖母に連れられて観に行ったそうだ。村治の方は最初に観た映画はよく憶えていなくて、「多分、『ドラえもん』シリーズかなんかだったと思う」とのことだった。

最後の曲は、大島ミチルの「ファウンテン」。村治の依頼で大島が書き下ろしたギター曲である。「ファウンテン」とは「泉」という意味だそうだが、いずみホールとは無関係で、大島が故郷・長崎の平和公園内にある「平和の泉」をイメージして作った曲であるという。
爽やかな佳曲であった。

アンコールは、「アルハンブラの思い出」と「タンゴ・アン・スカイ」を演奏。これは文句なしの出来であった。

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2020年4月13日 (月)

コンサートの記(634) 太田弦指揮 大阪交響楽団第31回いずみホール定期演奏会

2018年10月17日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会を聴く。


午後6時30分開場と、クラシックの演奏会にしては開場時間が遅めなので、大阪城に向かう。山里郭で秀頼公・淀殿自刃の地碑に手を合わせた後、本丸を横切って豊國神社に参拝。鳥居の横の木が何本か倒れているが、台風21号によって倒されたものだと思われる。

大阪城本丸にある大阪市立博物館が内部改修を経てミライザ大阪城としてリニューアルオープンしている。1階にタリーズコーヒーと土産物屋、2階と3階にレストランが入っている。レストランメニューは高そうなので、今日はタリーズコーヒーでブラッドオレンジジュースを飲むに留める。

京橋花月がなくなり、シアターBRAVA!も閉鎖(跡地には読売テレビの新社屋が建設中である)いずみホールも改修工事が行われていたということで、京橋に来る機会が減ってしまっていた。

大阪交響楽団の第31回いずみホール定期演奏会。1日2回同一演目公演であり、昼公演が午後2時開演、夜公演が午後7時開演である。

指揮は今年24歳という、若手の太田弦。

曲目は、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:チャン・ユジン)とシベリウスの交響曲第2番。


太田弦は、1994年、札幌生まれ。幼時よりピアノとチェロを学び、東京芸術大学音楽学部指揮科を経て同大学大学院音楽研究科指揮専攻修士課程を修了したばかりである。2015年、東京国際音楽コンクール指揮部門で2位に入り、聴衆賞も受賞している。指揮を尾高忠明、高関健に師事。山田和樹、パーヴォ・ヤルヴィ、ダグラス・ボストックらにも指揮のレッスンを受けている。


いずみホールであるが、大幅改修というわけではないようである。だた、身体障害者用トイレが新設されており、ユニバーサルデザインに力を入れたようだ。


今日のコンサートマスターは森下幸路。ドイツ式の現代配置での演奏である。


チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
ソリストのチャン・ユジンは、韓国出身の若手女性ヴァイオリニスト。9歳でKBS交響楽団やソウル・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、11歳でソロリサイタルを開催という神童系である。2004年にメニューイン・コンクールで3位入賞、2009年のソウル国際音楽コンクールで4位に入り、マイケル・ヒル国際ヴァイオリンコンクールで第2位入賞と聴衆賞を得て、2013年には名古屋で行われた宗次エンジェル・ヴァイオリンコンクールで優勝している。2016年には仙台国際音楽コンクールのヴァイオリン部門でも優勝を果たした。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を十八番としており、「炎のヴィルトゥオーゾ」と呼ばれる情熱的な演奏スタイルを特徴とするそうである。

指揮者の太田弦であるが、童顔であり、十代だと言われても通じそうであるため、見た目はいささか頼りない。全編ノンタクトで指揮する。

独奏のチャン・ユジンであるが、ヴィルトゥオーゾ的な演奏スタイルである。音楽に挑みかかるような演奏を聴かせ、情熱的であるが没入的ではなく、適度な客観性が保たれている。

今日は前から2列目の上手寄り。1列目には発売されていないため、実質最前列での鑑賞である。この席は音が散り気味であり、オーケストラを聴くには余り適していないように思われる。太田は若いということもあって「統率力抜群」とまではいかないようである。


チャンのアンコール演奏は、ピアソラのタンゴ・エチュード第3番。温かみと切れ味の鋭さを共存させた演奏であり、今日の演奏会ではこれが一番の聞き物とあった。


シベリウスの交響曲第2番。太田はやや速めのテンポで演奏スタート。
金管の鳴らし方に長けた指揮者であり、伸びやかで煌びやかな音像を描く。一方で、金管を鳴らし過ぎたためにバランスが悪くなることもある。
若手らしい透明感のある演奏で、ヴァイオリンの響きの築き方などはかなり巧みな部類に入る。そのために影の誇張はなく、第2楽章や第4楽章では単調になる嫌いあり。
第4楽章でもクライマックスで音が飽和してしまい、音型が確認出来なくなったりしたが、ラストのまさにオーロラの響きのような音色の豊かさは印象的である。二十代前半でこれだけのシベリウスを聴かせられるなら将来有望だと思われる。

拍手に応えた太田は、最後は総譜を閉じて「これでおしまいです」と示してコンサートはお開きとなった。


大阪交響楽団のパンフレットは、月1回の冊子という、NHK交響楽団や読売日本交響楽団と同じスタイルを取っているが、ミュージック・アドバイザーの外山雄三の回想が連載されているなど、興味深い内容の記事が多い。

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2019年12月24日 (火)

コンサートの記(616)「古楽最前線!――躍動するバロック2019 脈打つ人の心―中後期バロック いずみホールオペラ2019『ピグマリオン』」

2019年12月14日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後2時から、大阪・京橋のいずみホールで、「古楽最前線!――躍動するバロック2019 脈打つ人の心―中後期バロック いずみホールオペラ2019『ピグマリオン』」を観る。いずみホールのディレクターでもあった故・礒山雅が企画・監修したバロック音楽のシリーズであり、礒山の遺志を引き継ぐ形で続けられている。

今日は、日本におけるバロックヴァイオリン演奏の第一人者である寺神戸亮(てらかど・りょう)が率いるレ・ボレアードの演奏会である。
レ・ボレアードとは、ギリシャ神話に登場する北風の神々で、東京都北区にある文化施設、北とぴあ(ほくとぴあ)で行われた国際音楽祭から生まれた古楽オーケストラである。「北区から文化の風を吹かそう」というメッセージが込められているそうだ。

今回は、バロックのバレエとオペラの企画である。
演目は、前半が、リュリの「アティス」より序曲~「花の女神のニンフたちのエール」~メヌエット~ガヴォット、コレッリの「ラ・フォリア」、リュリの「町人貴族(変換したら「超人気族」と出たがなんだそりゃ?)」より「トルコ人の儀式の音楽」と「イタリア人のエール」、リュリの「アルミード」より「第2幕第2場の音楽」と「パサカーユ」。後半がラモーのオペラ「ピグマリオン」(演出:岩田達宗)。

岩田さんも神戸のお寺の子なので、寺神戸さんと一緒に仕事をするのに似つかわしい気もするが、それはどうでもいいことである。

寺神戸亮は、ボリビア生まれ。桐朋学園大学に学び、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務めている。その後、オランダのデン・ハーグ音楽院に留学。オランダはイギリスと並ぶ古楽のメッカであり、寺神戸も世界的に知られた古楽の大家、シギスヴァルト・クイケンに師事。レザール・フロリアン、ラ・プティットバンド、バッハ・コレギウム・ジャパンなどのコンサートマスターを歴任し、ソロでも多くのCDをリリースしている。1995年には北とぴあで上演されたパーセルのオペラ「ダイドーとエネアス(ディドとエネアス)」で指揮者としてもデビューしている。現在は、デン・ハーグ音楽院教授、桐朋学園大学特任教授、ブリュッセル音楽院と韓国の延世大学校(ヨンセ大学。日本では「韓国の慶応」として知られる)の客員教授を務めている。ブリュッセル在住。

 

オペラ「ピグマリオン」の演出を務める岩田達宗が司会役となり、寺神戸と二人で進行を行うのだが、二人とも話すのは本職でないため、聞きたいことと言いたいことがチグハグになって、客席からの笑いを誘っていた。

寺神戸は、「バロック音楽というと、イタリアのヴィヴァルディ、ドイツのバッハ、ヘンデルがイギリスに渡って『メサイア』を書くといったことがよく知られていますが」と他国のバロック音楽を紹介した上で、フランスのバロック音楽の豊穣さを述べていた。

 

リュリは、クラシック音楽好きの間では、「指揮中に怪我をしてそれが元で亡くなってしまった作曲家」として知られている。というよりそれでしか知られていなかったりする。
ジャン=バティスト・リュリは、イタリア出身であり、フランスに帰化して「太陽王」ことルイ14世のお気に入りの作曲家として政治分野でも権勢を振るった人物である。
ルイ14世は、音楽とバレエをことのほか愛した王様であり、自らもバレエを踊ることを好み、王立の舞踏アカデミーも創設している。

今日は二段舞台を使っての上演である。舞台にはリノリウムカーペットが敷き詰められており、ここが舞踏のスペースとなっている。レ・ボレアードは後方の一段高くなった特設ステージ上での演奏となる。

弦楽器はガット弦を用いた古楽使用のものでの演奏であるため、音はかなり小さめとなるが、いずみホールは空間がそれほど大きくないのでこれで十分である。いかにもベルサイユ宮殿での演奏が似合いそうな典雅な楽曲が流れる。

バロック時代のバレエを行うのは松本更紗(まつもと・さらさ)。桐谷美玲の本名である松岡さやさに少し似た名前である。どうでもいいことだけれど。
実は松本は、国立音楽大学とパリ市立高等音楽院でヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロの先祖に当たる楽器)を専攻したという演奏畑出身の人であり、演奏家としての活動も行っているようである。元々クラシックバレエを習っており、在仏時代に古典舞踊を学び、2014年にはオペラ「ディドとエネアス」に演奏と踊りの両方で出演。2018年に帰国し、様々な舞踏公演に出演している。
松本がフランスバレエについての解説を行う。バレエには譜面が存在するそうで、小さいがバレエ譜(舞踏譜)を使っての説明も行われた。バレエもベルサイユ宮殿のようにシンメトリーが重要視されたようで、男女が並んだり離れたりしながら、上から見ると一対の動きをしているように進んでいくバレエが理想とされたようである。また、バレエの動きは雅やかだが、それは振りのための振りではなく、日常動作を美しく行うために考えられた振りなのではないかとのことである。

 

コレッリの「ラ・フォリア」。
「ラ・フォリア」というのはイベリア半島由来の音楽であり、ポルトガル起源だそうである。「狂乱する女性」という意味があるそうで、元々は速めの曲調を持つものがラ・フォリアと呼ばれたそうだが、コレッリのものは比較的ゆったりとしている。
この曲は比較的有名な旋律を持っており、誰もがどこかしらで一度は耳にしたことがあるはずである。アントニオ・サリエリがこの曲の主題を用いた「スペインのラ・フォリアによる26の変奏曲」というオーケストラ曲を書いており、今年の夏に延原武春指揮テレマン室内オーケストラの演奏で聴いている。
寺神戸とレ・ボレアードは、高貴にしてメランコリックな曲調を適切に描き出していた。

 

リュリの「町人貴族」より「トルコ人の儀式の音楽」と「イタリアのエール」。「イタリアのエール」は、波多野睦美の歌と松本更紗による仮面舞踏入りである。
「町人貴族」は、モリエールとリュリによるコメディ・オペラ(コメディというと喜劇という訳語になりがちだが、元々は単に「演劇」という意味である)。金持ちになった町人が、貴族になることを願うが「自分には貴族に相応しい教養がない」という自覚があり、様々な道の第一人者に師事していくという、まるですぐそばにあるお城の築城主を主人公にしたようなお話である。この音楽にはトルコ趣味の音楽も登場するが、フランスを訪れたオスマントルコの大使がフランスを下に見るような発言をしてルイ14世を激怒させたという事件があったそうで、仕返しのために書かれた作品でもあるそうだ。「町人貴族」は後にリヒャルト・シュトラウスによってリメイクされているが、大失敗に終わり、現在ではリヒャルト・シュトラウス自身がまとめた組曲のみが知られている。なお、リヒャルト・シュトラウスの「町人貴族」の合間狂言として書かれたのが「ナクソス島のアリアドネ」であり、こちらの方はオペラとして大ヒットしている。
「イタリアのエール」は、イタリア語の歌詞による歌唱。歌詞はその後上演されたラモーの「ピグマリオン」の冒頭によく似ている。
松本の仮面舞踏は即興で行われるそうで、寺神戸によるとリハーサルでも毎回振りが違ったそうである。

リュリの「アルミード」より第2幕第2場の音楽とパサカーユ。パサカーユはパッサカリアのことである。リュリのパッサカリアは大人気だったそうで、聴衆もパッサカリアが出てくるのを今か今かと待ちわびていたらしい。
バロック音楽は音が意外な進行を見せることがあり、リュリの音楽もまたそうである。古典派以降の音楽は、音の進行パターンがある程度決めっているため、上手く嵌まっていく安定感があるのだが、バロック音楽はそれとは少し違う。「バロックと現代音楽は相性が良い」と言われることがあるが、いわゆるクラシック音楽の王道とは違ったスタイルであるという共通点がある。
この曲では、松本が客席通路を通ってステージに上がり、ダンスを行った。

 

ラモーのオペラ「ピグマリオン」。バロック時代のフランス人作曲家としては最も有名なジャン=フィリップ・ラモー。彼の架空の甥を主人公とした『ラモーの甥』という小説があったりする。ラモーが本格的なオペラを書き始めたのは50歳を超えてからだそうだが、最初の音楽悲劇である「イポリートとアリシ」がセンセーショナルな成功を収め、その後、ラモーは30年に渡ってオペラを書き続け、フランスバロックオペラの黄金期を牽引することになる。
ラモーは遅咲きの作曲家であり、フランス中部のディジョンに生まれ、40歳までは故郷や地方のオルガニストとして活動していた。その後、音楽理論書を発刊して成功を収め、パリに出て音楽理論家やクラヴサンの演奏家としての活動を開始。裕福な徴税請負人ラ・ププリニエール家の楽長となって本格的に作曲家としての活動を開始している。
「ピグマリオン」は、1748年8月27日にパリのパレ・ロワイヤルにあったオペラ劇場、王立音楽アカデミーで初演された作品である。大ヒット作となり、革命前までに200回以上上演されたという記録があるそうだ。
バレエの部分が長いのも特徴であり、言葉ではない表現の重要度も高い。

「変身物語」に由来する話であり、ストーリー自体はたわいないというかとてもシンプルなものである。彫刻家のピグマリオンが自身が制作した人形に恋をして、やがてその人形が意思を持つようになり、ピグマリオンの恋が報われるというそれだけの話である。
愛の神が登場し、愛が賛美されて終わる。
出演は、クレマン・ドビューヴル(ピグマリオン)、波多野睦美(セフィーズ)、鈴木美紀子(愛の神)、佐藤裕希恵(彫像)、松本更紗(バロックダンス)、中川賢(コンテンポラリーダンス)、酒井はな(コンテンポラリーダンス)。振付:小尻健太(こじり・けんた。「じり」は下が「九」ではなく「丸」)。
合唱は、コルス・ピグマリオーネス(臨時編成の合唱団)。

岩田達宗の演出は、いずみホールの空間を目一杯使ったものである。まず女性出演者達がステージ上に現れて戯れ始め、ピグマリオンとその分身のダンサーである中川賢は客席入り口から現れて通路を通って舞台に上がり、女性達と手を繋いだり、手と手で出来た橋の下を潜ったりして踊り始める。
やがて舞台から一人また一人と去って行き、ピグマリオンと一体のダンスを行っていた中川賢も下手バルコニーから降りている布の背後へと去って行く。ピグマリオンと彫像だけが残り、ピグマリオンが彫像に対する報われない恋に落ちてしまったことを嘆いている。この時はピグマリオンは愛の神が放った愛の矢を憎む発言を行っているのだが、人形に命が吹き込まれると一転して愛の神を絶賛し始め、愛の矢をもっと射るよう望み出すため、今の時代の視点からは結構いい加減な奴に見える。

ちなみにピグマリオンにはセフィーズという愛人がいるのだが、ピグマリオンは生身の人間であるセフィーズよりもまだ動く前の彫像を選んでおり、彫像に負けたセフォーズの身になってみればたまったものではないが、彫刻家と彫像ではなく、ラモーのような作曲家と作曲作品に置き換えると、案外まっとうなことに思えてしまう。もし仮に私が作曲家だったとしたら、女よりも自作を選んでしまう可能性は結構高い気がする。

彫像が命を得た後で、愛の神が客席後方(いずみホールの客席は緩やかな傾斜となっており、バルコニー席以外の2階席はないが、1階席の後方には2階通路から入る構造となっている)から分身を伴って現れる。

その後、コルス・ピグマリオーネスのメンバーが現代風の衣装で舞台に現れ、客席通路を通って後方へと進み、ピグマリオンとの掛け合いが行われる。更にそれが終わるとコルス・ピグマリオーネスは2階バルコニー席に現れ、最後は舞台上から再び客席に降りて手拍子を行い、観客にも手拍子を促す。

バルコニーにいた愛の神と分身が階段を降りてパイプオルガン演奏スペースに進み、手に手を取って舞い始める。ダンスと音楽の素敵な結婚。ヴァイオリン奏者たちが立ち上がっての演奏を行い、最後は寺神戸もコンサートマスターの位置を離れて舞台前方へと歩み出る。

衣装や空間の用い方により、時代や境界を超えたありとあらゆる愛が讃えられるかのような祝祭性に満ちあふれたオペラ上演となっていた。

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2019年7月21日 (日)

コンサートの記(579) 飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団第26回いずみ定期演奏会

2015年2月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、日本センチュリー交響楽団第26回いずみ定期演奏会を聴く。今日の指揮者はセンチュリー響首席指揮者の飯森範親。

いずみホールは室内楽や器楽の演奏に向いた中規模ホール。日本センチュリー交響楽団も2管編成の中編成オーケストラということで、曲目もそれに相応しいものが選ばれる。
J・S・バッハのブランデンブルク協奏曲第3番、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:萩原麻未)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

J・S・バッハのブランデンブルク協奏曲は、ヴァイオリン4人、ヴィオラ2人、チェロ3人、コントラバス1人、チェンバロ1人という編成での演奏。今日は女性奏者は全員、思い思いのドレスアップをしての登場である。京都市交響楽団の場合だと場所柄、着物姿の奏者もいたりするのだが、大阪だけに流石にそれはない。

飯森はノンタクトでの演奏。譜面台を置き、譜面をめくりながら指揮するが、スコアに目をやることはほとんどなく、奏者の方を向きながら譜面を繰ったりしていたので、全曲暗譜していて譜面を置いているのは形だけであることがわかる。
当然ながらピリオド・アプローチを意識しての演奏だったが、ビブラートは結構掛ける。いずみホールは中規模ホールにしては天井が高く、空間も広いので、徹底してノンビブラートにすると後ろの方の席では良く聞こえないということが起きるためだ。演奏の出来はまずまずである。飯森はどちからというとロマン派以降に強い指揮者なのでバッハが抜群の出来になるということはないと思われる。


萩原麻未をソリストに迎えてのモーツァルトのピアノ協奏曲第20番。場面展開の間、飯森範親がマイクを片手に現れてトークで繋ぐ。萩原については、萩原がジュネーヴ国際コンクールで優勝するより前に広島交響楽団の演奏会で共演したことがあるという話をした。

萩原麻未は、1986年、広島市生まれの若手ピアニスト。2010年にジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で日本人としては初となる第1位に輝き、注目を集めるようになった演奏家である。5歳でピアノを初めて数ヶ月後に広島県三原市のジュニアピアノコンクールで優勝、13歳の時に第27回パルマドール国際コンクール・ピアノ部門で史上最年少優勝という神童系ピアニストでもある。広島音楽高等学校を卒業後に渡仏、パリ国立音楽院卒業、同大学院修士課程修了。パリ地方音楽院室内楽科やザルツブルク・モーツァルティウム音楽院でも学んでいる。

昨年、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団と共演したが、藤岡がプレトークで萩原のことをベタホメに次ぐベタホメで持ち上げすぎてしまったため、「うーん、期待したほどではなかったかな」という印象を受けた。アンコールで弾いたショパンの夜想曲第2番の第2拍と第3拍をアルペジオにするなど個性派であることはわかったが。

ただ今日は飯森範親が持ち上げすぎなかったということもあるかも知れないが、傑出したピアニストであることを示す演奏を展開する。

まず、ピアノの音色がウエットである。モーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、モーツァルトが書いたたった2曲の短調のピアノ協奏曲の内の1曲であり、萩原のピアノの音色はモーツァルトの悲しみを惻惻と伝えることに適している。スケールも大きい。ペダリングもまた個性的であり、優れたピアニズムの一因となっている。
第2楽章の典雅さも魅力的であり、第3楽章では速めに弾いたりするが、それはモーツァルトの切迫した心情を表現するのに適ったものである。

萩原は、基本的に猫背で顔を鍵盤に近づけて弾く。グレン・グールドのような弾き方である。日本では良しとされない弾き方であるが、海外で学んだ結果、今のスタイルに行き着いたのであろう。

飯森指揮のセンチュリー響であるが、先にも書いた通り、いずみホールはオーケストラを演奏するのに必ずしも向いたホールではない。萩原のピアノのスケールが大きく、良く聞こえたのに比べると、センチュリー響の伴奏はピリオド奏法を取り入れているということもあって音が小さく聞こえてしまうという難点があった。

萩原はアンコールとして、J・S・バッハ=グノーの「アヴェ・マリア」を弾く。バッハの「平均律クラーヴィア集第1巻より前奏曲」をグノーが伴奏に見立てて旋律を上乗せした作品である。雅やかで祈りに満ち、それでいて情熱的という不思議な世界が展開された。


メインであるベートーヴェンの交響曲第7番。飯森はこの曲だけ指揮棒を用い、譜面台なしの暗譜で指揮する。古典配置、ピリオド・アプローチによる演奏。飯森は指揮者としてはまだ若いだけに颯爽とした演奏が繰り広げられる。

第1楽章の終盤で、第1拍のみを強調したりする個性的な演奏であるが、おそらくベーレンライター版のスコアを持ちいて独自の解釈をしたのであろう。

第1楽章からアタッカで入った第2楽章は深みには欠けるがそれ以外は上出来である。

第3楽章、第4楽章は燃焼度の高い演奏となる。飯森は右手に持った指揮棒では拍を刻み、左手で表情を指示することが多いが、センチュリー響も飯森の指揮によく応え、集中力の高い演奏を行う。白熱した快演。
少しスポーティな感じはするが全体的には悪くない演奏である。ただ、コンサート全体を通して見ると萩原のピアノのほうが印象深い演奏会であった。

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2019年4月 1日 (月)

コンサートの記(540) 広上淳一指揮京都市交響楽団 モーツァルト連続演奏会 「未来へ飛翔する精神 克服 ザルツブルク[1776-1781]」第1回「溢れ出る管弦楽の力」@いずみホール

2013年10月31日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、いずみホールで、モーツァルト連続演奏会「未来へ飛翔する精神 克服 ザルツブルク[1776-1781]」第1回「溢れ出る管弦楽の力」という演奏会を聴く。いずみホールで今日から来年1月まで5回に渡って行われるオール・モーツァルト・プログラムによる演奏会の第1回である。トップバッターを務めるのは、広上淳一指揮の京都市交響楽団。

京都市交響楽団は、結成直後は今と違って中編成であり、初代常任指揮者であるカール・チェリウスによりアンサンブルが鍛えられ、緻密なモーツァルト演奏を売りとして、「モーツァルトの京響」と呼ばれたこともある。今は大編成のオーケストラとなり、「モーツァルトの京響」という言葉も半ば死語となりつつあるが、今も京響はオール・モーツァルト・プログラムによるコンサートを京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホール・ムラタ」で連続して行っている。

曲目は、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364(ヴァイオリン独奏:泉原隆志、ヴィオラ独奏:店村眞積)と、セレナード第9番「ポストホルン」K.320。

いずみホールは大阪を本拠地とする住友(屋号は泉屋)グループのホールである。住友生命保険相互会社の創立60周年を記念して1990年にオープンした中規模ホール。室内オーケストラや室内楽、ピアノリサイタルに適したホールである。内装は住友のホールらしく豪華。ただ音響はオーケストラ演奏を行うには今一つである。

 

今日は最前列上手寄りの席。演劇なら最前列は良い席なのだが、クラシック音楽の場合、音のバランスが悪くなるため、最前列はホールや演目によってはチケット料金が安くなることもある。

 

ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲のソリストは共に京都市交響楽団の首席奏者。若い泉原隆志(いずはら・たかし)が輝かしく軽やかなヴァイオリンを奏でるのに対し、店村眞積(たなむら・まづみ)は重厚で渋い音色を出す。好対照である。ヴァイオリンとヴィオラ、それぞれの楽器の個性が奏者によってより鮮明になった格好である。
指揮者の広上淳一は、指揮棒を持って登場したが、指揮棒は譜面台に置いたまま取り上げることはなく、結局、この曲はノンタクトで指揮した。
ワイパーのように両手を挙げて左右に振ったり、脇をクッと上げたり、ピョンピョン跳んだりする個性溢れる指揮だが、出てくる音楽はユーモラスな指揮姿とは全く異なる本格化。瑞々しくも力強い音楽が作られ、モーツァルトの音楽を聴く醍醐味を存分に味わわせてくれる。

 

後半のセレナード第9番「ポストホルン」。7つの楽章からなるセレナードであり、第6楽章で駅馬車のポストホルン(小型ホルン)が鳴らされることからタイトルが付いた。
広上はやはり指揮棒を手に登場するが、第1楽章はノンタクトで指揮する。豪華で生命力に満ちたサウンド。広上と京響の真骨頂発揮である。
広上は、第2楽章と第3楽章の冒頭では指揮棒を手に指揮を開始するが、合わせやすくするために指揮棒を使っただけのようで、合奏が軌道に乗ると、すぐに指揮棒を譜面台に置いてしまい、やはりノンタクトで指揮する。楽章全編に渡って指揮棒を使ったのは第5楽章だけで、メランコリックな曲調を潤んだような音色で表現したが、指揮棒を逆手に持って、ほぼノンタクトと同じ状態で指揮する時間も長かった。その前の第4楽章は快活でチャーミング。広上と京響の特性が最も生きたのは、この第4楽章であったように思う。
第6楽章では、ポストホルン奏者が指揮者の横に立ち、ポストホルン協奏曲のような形で演奏される。広上と京響はゴージャスな響きを作り出すが、ポストホルン奏者(ノンクレジットであるが、京響トランペットの紅一点である稲垣路子だと思われる)も負けじと輝かしい音を出す。
最終楽章となる第7楽章は堂々たる威容を誇る快演。非常に聴き応えのある「ポストホルン」セレナードであった。

 

アンコールとして、広上と京響は、「ポストホルン」セレナードの第6楽章を再度演奏した。

 

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2018年12月28日 (金)

コンサートの記(484) 望月京 新作オペラ「パン屋大襲撃」

2010年3月12日 大阪・京橋のいずみホールにて

大阪・京橋の、いずみホールで、望月京(もちづき・みさと)の新作オペラ「パン屋大襲撃」を観る。

村上春樹の短編小説「パン屋襲撃」(糸井重里との共著『夢であいましょう』収録)と「パン屋再襲撃」(同名の短編集に収蔵)を原作に、イスラエル人のヨハナン・カルディが英語でテキストを書き、それをラインハルト・パルムがドイツ語に訳したテキストを用いる。

演出はイタリア育ちの粟國淳。出演は、飯田みち代、高橋淳、大久保光哉、畠山茂、太刀川昭、吉原圭子、井上雅人、7人組のヴォーカルグループであるヴォクスマーナ。演奏はヨハネス・カリツケ指揮の東京シンフォニエッタ。舞台後方にオーケストラボックスがあり、歌手達の指揮は副指揮者である杉山洋一が行う。

上演前に、作曲者の望月京と、演出の粟國淳によるトークがある。初めてオペラを手掛けた望月はこれまで用いてこなかった音楽の引き出しを開けるような感覚があり、「音のコスプレをしているような」感じがあったという。日本語とイタリア語両方のテキストを読んだという粟國が、日本語で村上春樹の作品を読むとグレーの部分が多いが、アルファベットで村上作品を読むと白と黒に分かれるよう感覚になるということと、日本人作家の作品をイスラエル人がオペラ台本化し、ドイツ人がドイツ語に訳したテキストを日本人キャストがドイツ語で歌うというインターナショナルなところが面白いと語った。

オペラ「パン屋大襲撃」の音楽は聴きやすいものであったが、現代作品にはよくあるように成功作なのか失敗作なのかわからない。

ドイツ語の作品ということで、字幕スーパーが両袖に表示されたが、私は前方の中央の席に座っていたので、演技と字幕を同時に見ることが出来ず、作品を十全に味わうことは叶わなかった。

「パン屋襲撃」と「パン屋再襲撃」は村上春樹の作品の中でも比較的解釈のしやすい作品であるが、それぞれのキーとなるワーグナー(ナチスドイツのプロパガンダ音楽であった)と、マクドナルドとコーラ(アメリカ型資本主義の象徴)の対比を音楽でもっとわかりやすく示せれば、より面白いものになったかも知れない。

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