カテゴリー「美術」の67件の記事

2025年12月20日 (土)

京都市交響楽団・京都コンサートホール・ロームシアター京都「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」

2025年12月19日 ロームシアター京都ノースホールにて

午後7時から、ロームシアター京都ノースホールで、「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」を聴く。

京都市交響楽団の常任指揮者である沖澤のどか、そして京都を拠点に絵本やポスターなどの絵画制作を行っている夫婦二人組、tupera tuperaを招いて行われるトークショー。女性の方が司会を務めたが、残念ながらお名前は頭に残らず。

ロームシアター京都は来年、開場10年を迎えるが、それを祝した2026年1月10日と11日に行われる「プレイ!シアター」のポスターもtupera tuperaが手掛けているという。「なるべく色々な人を描いたということだが、沖澤は「自意識過剰かも知れませんが私もいるような」と発言。実際、沖澤をモデルにした人が描かれている。ただ遠目なので「指揮者」としか分からないかも知れない。髪が長いので、「ひょっとしたら女性かも」と思うかも知れないが、男性指揮者も髪が長い人は多い。なぜ男性指揮者も髪を長くするかだが、松尾葉子が学生時代の山田和樹に、「指揮者は大きく見えなければいけないと」言い、山田をそれを汲んで学生時代はパーマを掛けていたという話があるため、そうしたことと関係しているのかも知れない。

 

沖澤のどかは、次の日曜日にロームシアター京都メインホールで、「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、これがロームシアター京都でのデビューとなるそうである。
青森県生まれ。東京芸術大学および同大大学院修了。コンクール歴などは語られなかったのでここでも記さない。ベルリン在住。二児の母である。

tupera tupera(ツペラ ツペラ)は、京都に拠点を置く美術ユニット。メンバーは、亀山達矢(三重県伊勢市出身。武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒)と中川敦子(京都府出身。多摩美術大学染織デザイン科卒)の二人。10年ほど東京で活動していたが、「今の時代、東京じゃなくても仕事出来るよね」。ということで移住を決意。中川が京都府出身、亀山も伊勢市出身で京都には馴染みがあるということで、京都市に転居。子どもが二人いたが、「秒の速さで京都弁を覚えた」そうである。亀山は、「京都に来てから東京に行く楽しみが増えた」と語る。今も関西在住の友達より、東京にいる友達の方が多いが、離れている分、会える喜びが増すようだ。

亀山は、小学校1年生の時に出した絵が伊勢市で1等を取ったのだが、実は失敗作だったらしい。だが、賞を取ったことで親から絵画教室に通うように言われ、嫌々通っていたそうだが、高校に進み、進路を考えた時に過去を振り返って、「やっぱり美大がいいんじゃないか」という結論に至り、今に至るまで美術の仕事をしているという。

 

沖澤のどかは、田舎で育ったので、虫取りをしたりツララにかじり付いたり、「ワイルドな」子ども時代を送ったそうである。チェロを習っている姉がおり、沖澤も小学校3年生の時からチェロを習い、小学校5年生からジュニアオーケストラに入ったそうである。ただチェロの練習は苦手で、独習は集中力が続かなかった。ジュニアオーケストラに入ってからも、「弾く真似をしてたら隣で上手い子が良い音で弾いてくれる」というので弾いている真似ばかりしていたそうだ。技術は当然ながら上達しなかったが、オーケストラは好きになったそうである。沖澤は子供用のチェロを弾いていたため、「音大目指すならお姉ちゃんと同じ立派なチェロを買ってあげるよ」と言われたが、当時は音大に行くほど音楽が好きになるとは思っていなかったため、良いチェロを手に入れる機会を逃したそうである。
高校ではオーボエに励んだが、オーボエは学校からの貸与。「自分のオーボエが欲しい」と思ったが、オーボエは高価。そこで、「指揮棒だったら手に入る!」というので指揮者になる決意をしたそうだ。「持たない人もいますけどね」と沖澤は続けていた。ヘルベルト・ブロムシュテットや尾高忠明は若い頃は指揮棒を使って指揮していたが、今は専らノンタクトである。小澤征爾も晩年はノンタクトが増えた。ピエール・ブーレーズのように指揮棒の存在を否定する人もおり、ブーレーズの影響を受けたフランスの指揮者にはノンタクトで振る人も多い。

外国で、tupera tuperaが京都在住と知れると、あちらこちらから、「京都なの? 京都の良いところ教えて?」と質問攻めにあうそうだが、みんな京都という街の存在は知っているようである。沖澤も京都でオーケストラのシェフをやっていると自己紹介すると、「京都の良いところ教えてよ」とやはり同じような結果になるようである。

沖澤も京都市交響楽団から常任指揮者の話を貰った時は、「わーい、京都に行ける」と無邪気に喜んだそうだ。「修学旅行以来」。ただ、常任指揮者の仕事は忙しく、まだ嵐山のモンキーパークと京都水族館、大徳寺にしか行けていないそうで、京都マスターにはほど遠い。大徳寺も塔頭巡りなどではなく、そばにある和菓子の店に娘と入っただけのようだ。京都市交響楽団を指揮する時は、一家で京都の民泊を行うそうで、近所での買い物ぐらいは出来ているようである。ちなみにようやく巡ってきたシェフの座なので、「受けない」という選択肢は、はなからなかったそうである。
なお、自炊はするが料理は得意ではないそうである。「料理が得意な指揮者も多いんですけれど」と沖澤は語っていたが、チョン・ミョンフンのように料理本を出している人もいる。
指揮者の常として、次回振る曲が頭の中で鳴っていたり、雑音が気になったりするそうだ。ベルリンは「大きな田舎」のような街で、快適に過ごせているそうだが、学生時代を過ごした東京は雑音だらけで、ずっと鬱々としていたらしい。最初は芸大から遠い、おそらく家賃の安いところで暮らしていたが、雑音に耐えきれず、大学のそばに引っ越したという(東京芸術大学は、東京の中でも駅前以外は閑静な上野にある)。京都は雑音がしないので快適だが、それでも街中は避け、出雲路の練習場の近くに民泊し、自転車で通っているそうだ。
ちなみに京都市交響楽団のコンサートマスターである泉原隆志も自転車通勤なので、京響は大都市にありながら常任指揮者とコンサートマスターが自転車通勤という風変わりなオーケストラということになる。
沖澤は、自宅にテレビもラジオもCDプレーヤーもないそうだ。昔、シャルル・デュトワは「好きなCD」について聞かれ、「私はCDなどというものは聴いたことがありません」と答え、質問者は「冗談なのかふざけているのか」と思ったそうだが、この調子だと実際にCDを聴いたことがない音楽家は結構いそうである。パーヴォ・ヤルヴィのように「朝比奈隆のブルックナーのCDは全部持っている」というCDマニアもいるが、自分の頭の中にある音を優先させる人もいそうである。

沖澤は、京都での音楽の展望について、「私はいかないんですけれど京都市交響楽団の方が」京都府内のあちこちでミニコンサートを行う計画があるということを話す。今年は沖澤は振らなかったが、京都市内各所の文化会館でまた指揮する予定もあるようだ。
展望とは余り関係がないが、沖澤が新しい「常任指揮者発表記者会見」に臨んだとき、ニコニコ生放送による中継が行われたのだが、後でニコ生のコメントをチェックしたところ、「十二単似合いそう」というコメントがあって嬉しかったそうである。司会者の方が、「着物を着て指揮したことのある方っていらっしゃるんでしょうか?」と聞き、沖澤は「ないです。演奏する方はいらっしゃいますけど」と答えていた。わざわざ着物を着てオーケストラを指揮するというのは絵面としても滑稽であり、単騎西洋文明に挑むドン・キホーテのようでもある。「意味がない」の一言でも済ますことが出来る。

海外での話としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーはティンパニなどのすぐ後ろが客席となっていて、足で音楽を感じられるだとか、先日、ボストン交響楽団に客演した際には、女性チェロ奏者が演奏中に「So Wonderful Sound!」と叫んでいたという話をしていた。「本人は自分が声を出したと気付いてないと思うんですけど」ということで無意識に言葉が出たのだろうとのことだった。

 

亀山は、絵本だけが売り上げが右肩上がりで、他の書籍は電子書籍に食われていると語る。
絵本はめくる行為が重要な意味を持っており、紙の書籍でないとそれは出来ないため、絵本だけが電子書籍に勝っている要因なのではないかと分析していた。

 

中川は、AIの台頭に危機感を覚えていた。今年に入ってから、YouTubeなどで、「実在なのかAIなのか分からない」レベルの人物が溢れるようになってきている。音声読み上げソフトのレベルがまだ低めで、いかにも「文章をコンピューターで読み上げました」といったセリフ回ししか出来ていないため、音声なら見分けは付くし、シナリオも誰でも思いつくような低レベルのものが多いが、こうした中途半端な出来であっても満足してしまう人はいるだろうし、そうした人は嘘も拡散してしまう。見分けのつく人は拡散しないので、ネット上は嘘が上位になってしまう。そしてこの程度のクオリティでも娯楽として商品化したり消費したり出来るのも問題である。

生身の人間が演じる演劇には影響は余りないだろうが(劇場に来ずにYouTubeばかり見ている人が増えるという間接的な影響はあるかも知れないが)、映画やドラマなどは、主役級や重要な脇役陣は流石に俳優に任せるが、端役などはAIが務める時代が来てもおかしくない。AI俳優は危険なアクションに挑んでも怪我をしない。

ただ生身の俳優に出来てAI俳優に絶対に出来ないことが一つだけある。アドリブだ。AIはコンピューターが規定した予定調和の言葉しか喋れないし動けない。アドリブなど即興性の高い演技を行えるのは人間の俳優だけだ。
このところ、アドリブや即興を重視した演技について語る俳優が増えており、彼らはアドリブが巧みだ。決まり切ったことを決まり切ったように行うのがAIの得意技。NGも出さないだろう。だがそこに本当の面白さはないのではないだろうか。
即興の巧みさが演技のバロメーターになる日が来るような気がする。いや、もう来ているのかも知れない。

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2025年12月 3日 (水)

これまでに観た映画より(414) 日本映画「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」アベラヒデノブ監督&武田梨奈さん舞台挨拶付き上映

2025年10月18日 大阪・十三の第七藝術劇場にて

大阪へ。
十三(じゅうそう)の第七藝術劇場で、映画「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」の舞台挨拶付き上映を観るためであるが、阪急十三駅の外に出るのは、実に20年ぶりぐらいである。阪急十三駅ではしょっちゅう降りているが、基本、神戸線、稀に宝塚線に乗り換えるためで、十三駅を目標として阪急電車に乗ったことは久しくなかった。
チケットはネットでの事前申し込み。発券機に予約番号と電話番号を入れるとチケットが発券される。

第七藝術劇場は、サンポードシティビルの6階にある大阪の老舗ミニシアター。何度か閉鎖に追い込まれているが、映画好きの尽力によって再建されている。尖った企画も多く、大阪の中でも特にファンの多い映画館とされる。

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今日観る「ジャパニーズ スタイル Japanese Style」は、アベラヒデノブが、2017年に撮影した作品。5日ほどで全編を撮影したという。タイトルは英語で「袋とじ」という意味であるが、武田梨奈が演じる女性が袋とじを開けるのを特技としているほかに、外国とは違った「日本の流儀=ジャパニーズスタイル」が存在することも意味している。主演した吉村界人と武田梨奈も企画で参加している。劇場公開は2022年。

大晦日。画家の茂田を名乗る長谷川平太(吉村界人)は、元カノをモデルにした作品の目を描くことが出来ずにいた。共同での展覧会で発表する必要があり、長谷川が作品を出さないと展覧会は中止になって、損失は長谷川が埋めることになる。タイ人の知り合いが運転する自動三輪タクシー(トゥクトゥク)で、元カノと別れた空港に向かった長谷川は、倫(りん)という女性(武田梨奈)と出会い、行動を共にすることになる。倫には8歳の時に父親に捨てられた苦い記憶があるのだが、その父親が自分と同い年の中国人女性と再婚することを知らされていた……。

羽田空港と横浜の街で撮影が行われており、中華街やみなとみらい地区の観覧車など横浜の名所が映っている。

元カノの幻影から逃れられない男と、父親から受けた傷と向き合う女の物語である。二人は気が合いそうにも見えるのだが、ラストシーンの後でアメリカに共に向かったのかどうかは観る者の想像に任されている。倫は空港で誰でも出来るようなアルバイトをしており、失うものは何もないため、一緒に行きそうな予感は感じられる。

怒りを抱えている登場人物が多く、カリカリしたようなひりついた感じを受ける映画で、観ていて良い印象は受けないのだが、撮影現場でもそうしたカサついた空気はあり、喧嘩などもしながら撮っていったそうで、それが映画に影響しているのだろう。現場の空気が反映されているという点では成功作と言える。

 

終映後、アベラヒデノブ監督と、主演女優の武田梨奈による舞台挨拶。「虎に翼」では、金持ち弁護士の遺産を独り占めにしようと謀る愛人役を演じていた武田梨奈。生で見るのは初めてだが、想像以上にスポーティーな印象を受ける。スポーツを欠かさずにしている人が持つ雰囲気で、肩周りの盛り上がりなどもそれを裏付けている。空手家でもあり、「芸能界最強女子」とも言われる人だが、柔らかい感じで、自分から行くタイプではないことが分かる。

 

限られた時間での舞台挨拶であったが、アベラヒデノブ監督は大阪芸術大学映画科の出身で、第七藝術劇場には学生時代から思い入れがあったことを述べた。
武田梨奈は、先に記した通り映画が短期間で撮られたことと、現場の雰囲気について述べていた。また二人によると、「上映出来る場所があるかどうか分からない」状況で撮影が始まり、とにかく撮るというスタイルで進んでいったのだが、アベラヒデノブ監督が行方不明になる事件があったそうである。脚本に不備が見つかったため、漫画喫茶に閉じこもってずっと脚本を書いていたそうだ。

 

 

約20年ぶりの十三の街。大阪市の中でも下町の色が濃い場所である。一般の店のみならず、コンビニも出店を設けて声を張り上げている。コンビニがこうしたことを常時行っているところは日本でも余りないはずだ。
メインストリートを少し外れた所に神津神社という社があったので参拝してみる。高木彬光の神津恭介シリーズが好きな人には聖地になりそうだが、今の日本で神津恭介のファンがどれだけいるのか不明である。明智小五郎や金田一耕助のファンは多いだろうけれど。

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2025年11月17日 (月)

美術回廊(89) 京都国立近代美術館 「若きポーランド[色彩と魂の詩 1830-1918]」

2025年3月26日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡﨑の京都国立近代美術館で、「若きポーランド[色彩と魂の詩 1890-1918]」を観る。
中世には強国だったポーランドだが、近世以降は苦難の歴史を歩むことになる。3度に渡って国土が割譲され、国家がなくなるという経験もした。
この展覧会の舞台となる、1890年から1918年の間は、ポーランドは領土を、ロシア、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国によって三分割され、ポーランドという国家は消えていた。この状態は第一次世界大戦が終わる1918年まで続く。

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そんな時代に絵画でポーランドを表現した芸術家のことを「若きポーランド」と呼ぶ。厳密に言うと、ヤン・マテイコに影響された、古都クラクフ(ポーランドの京都と呼ばれることがある)の若い画家達のことである。ヤン・マテイコがクラクフ美術学校の校長を務めており、この学校から多くの才能が育った。
初期のポーランドの絵画は、ギリシャ美術の影響を受けているように感じられるが、次第に独自の作風を確立し、ある時はフランスのジャポニズムの影響を受け、ある時は20世紀前半において世界最先端だったロシアの美術を取り入れたりしながら「ポーランド的」なるものへの追求が続く。

この展覧会は全ての作品が撮影可であり、絵画の変遷を後から辿ることも出来る。

芸術家の苦悩と祖国の苦悩を重ねた作品、チェコのドヴォルザークの歌劇で知られる「ルサルカ」を題材にした不吉なイメージの連作、

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浮世絵の影響を受けたとされる冬景色、もやに霞む古城など、祖国の歴史が反映された作品も多いが、この時にポーランドのアイデンティティとなったのはショパンの音楽のようで、音楽家を描いた絵や、ショパンの「葬送」ソナタにインスパイアされた作品などが展示されている。ショパンは、フランスとポーランドのハーフではあるが、世界的に知られた唯一のポーランド人であった。ショパン自身は二十歳でウィーンへ、そしてパリへと渡り、ポーランドに帰ることはなかったが、生涯、自身をポーランド人と定義づけていた。

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そんなポーランドにも日本美術の影響が訪れ、着物姿の日本人を描いた作品や、日本人ではないが着物を着た女性などが描かれる。

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最終的にはポーランド絵画は写実的な方向に向かうようで、今回展示された作品はいずれも白を強調した作風となっていた。

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2025年9月24日 (水)

コンサートの記(918) 「バロック・オペラ・エボリューション2025 濱田芳通&アントネッロの歌劇『オルフェオ』」

2025年2月16日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「バロック・オペラ・エボリューション2025 濱田芳通&アントネッロの歌劇『オルフェオ』」を観る。

現在、歌劇と呼ばれているジャンルの作品の中では最も古い人気作とされるモンテヴェルディの歌劇「オルフェオ」。バロック・オペラと銘打たれているが、厳密に言うとバロックよりも前の時代の作品である。ただ上演されることは多くはない。また1607年というかなり古い時代(日本では江戸時代が始まったばかり。イギリスではシェイクスピアがまだ存命中である)の作品であるため、現在の歌劇=オペラと同列に語ることは難しい。そもそもこの時代にはまだオペラという用語は存在していない。

歌劇「オルフェオ」以外にも、声楽作品の最高峰を競うと言われる「聖母マリアの夕べの祈り」などで知られるクラウディオ・モンテヴェルディ。ジュゼッペ・ヴェルディを上回る才能を誇ったともされる人である。譜面や記録が残っていないだけという可能性もあるが、モンテヴェルディより前の時代の人気イタリア人作曲家は存在しておらず、イタリア史上初の人気作曲家として偉大な才能であったことは間違いない。イギリス人のジョン・エリオット・ガーディナーがモンテヴェルディ合唱団とモンテヴェルディ管弦楽団を設立してモンテヴェルディ作品に人気向上に一役買ったが、現在、このコンビ(実際にはガーディナーは解雇されてもうコンビではないが)はパワハラ疑惑の渦中にあるのが残念である。

「オルフェオ」は有名なギリシャ神話を題材にしている。日本でも伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の黄泉比良坂の話に似ていることで知られている話である。また、一応、「天国」や「地獄」という言葉が歌詞に出てくるが、古代ギリシャにも日本の神道にも、あの世(「冥府」「冥界」「黄泉国」)というものがあるだけで、生前の行いによって天国か地獄かに分かれるという考え方はない。歌劇「オルフェオ」でも、神々の世界はあるが、あの世はあの世で、上や下や天国や地獄はないようである。

今回、上演を行うのは、濱田芳通率いるアントネッロという団体。アントネッロは1994年の結成で、バロック音楽やそれ以前の音楽をレパートリーの中心としている。今回も古楽器による演奏で、チェロは用いられず、ヴィオラ・ダ・ガンバが低弦を担う(形は似ているが、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェロは別種の楽器である)。ヴィオローネというヴィオラ・ダ・ガンバとコントラバスの中間のような楽器も使用される(ヴィオラ・ダ・ガンバとコントラバスは親戚とされる。この辺がややこしい)。ヴァイオリンやヴィオラはガット弦を張ったもの。コルネットも用いられるが、これも現在のコルネットとは形状が異なる。またこの時代は横笛よりも縦笛の方がメジャーで、リコーダーが活躍する。サクバットというトロンボーンの原型のような楽器が活躍するが、トロンボーン同様、宗教音楽でよく用いられた楽器である。オルガンやチェンバロも当然ながら演奏される。

指揮とコルネット、リコーダーなどを担当する濱田芳通は、東京音楽大学(当初は東洋音楽学校)の創設者の家系に繋がる人である。ただ東京音大には古楽系の専攻がないためか、桐朋学園大学の古楽器科に進み、スイスのバーゼル・スコラ・カントールムに留学。現在は初期オペラの上演などを数多く手掛けている。第7回ホテルオークラ賞、第53回サントリー音楽賞などを受賞。

出演は、坂下忠弘(バリトン。オルフェウス)、岡﨑陽香(おかざき・はるか。ソプラノ。エウリディーチェ)、中山美紀(ソプラノ。ムジカ/プロゼルピナ)、弥勒忠史(みろく・ただし。カウンターテナー。メッサジェーラ)、中嶋俊晴(カウンターテナー。スペランツァ)、松井永太郎(バス・バリトン。プルトーネ)、中嶋克彦(テノール。牧人)、新田荘人(にった・まさと。カウンターテナー。牧人/精霊)、田尻健(たじり・たけし。テノール。牧人/精霊)、今野沙知恵(ソプラノ。ニンファ)、目黒知史(めぐろ・ともふみ。バス。カロンテ)、近野桂介(牧人/精霊)、酒井雄一(アポロ)、田崎美香(たさき・みか。ニンファ)。
演出は中村敬一。

ゲートがあるだけのシンプルなセット。背後のスクリーンに様々な絵画が投影される。

この時代はまだ音楽が舞踊と強く結びついていた時代であり、また宗教音楽が盛んであった。つまりこの二つの要素が濃厚であり、組み合わされている。舞踊音楽のようにリズミカルであり、宗教音楽のように清らかな発声で歌われる。

台本も後の世紀になると削られてしまうような、状況説明の歌詞が多いが、なるべく多くの歌手に出番を作ろうという意図もあったのかも知れない。おそらく、ロマン派以降のオペラになると、「この人いらないだろ」とカットされてしまうような人が割と多く出てくる。

 

よく知られている話だが、あらすじを書くと、オルフェオ(オルフェウス。「オルフェウスの竪琴」という言葉で知られているように竪琴を持っている)がエウリディーチェと夫婦になるが、エウリディーチェは毒蛇に噛まれて命を落とす。エウリディーチェを諦められないオルフェオは冥府へ赴き、冥界の川の渡し守であるカロンテの妨害を眠りに陥れることで突破して、冥界の王であるプルトーネと王女のプロゼルピナを説得して、エウリディーチェを現世に連れ帰る許しを得るが、「決して振り向いてはならぬ」という約束を守れなかったため、エウリディーチェと引き離される。
その後は、このオペラ独自の展開で、オルフェオは父親のアポロに促されて天上世界へと向かうことになる。原作では実は悲惨なことになるのだが、この作品では一応はハッピーエンドということに変えられている。

ストーリー自体は易しいので何の問題もないのだが、「その場にはいるが特に何もしていないと思われる人」が多いので、演出には工夫がいる。そのままだと「この人達は何をしているんだ?」ということになるが、今回はこの時代の絵画に見られるようにポーズを取るなどして、くつろいでいるように見せている。視覚的に美しい演出だと思う。またオーケストラピット浅くし、階段で下りられるようにして、その階段を使った演出も効果的。メッサジェーラはオーケストラピットに降りた後で、今度は客席通路を泣きながら上って去って行った。また出演者が手拍子を行う場面では、ニンファの二人が階段の途中まで降りて客席にも手拍子を促すなど、一体感を生む演出が施されていた。
問題があるとすれば、冥府でのオルフェオとエウリディーチェの場面で、おそらくは歩いているはずのシーンなのだが、二人とも止まっているため、何をしたいのか、また何をしているのかよく分からないように見えてしまう。少しは動きが必要だったのではないか。

エウリディーチェはヒロインではあるが、出番は余り多くないため、実は美味しい役ではないようにも思う。

歌唱面は充実。カウンターテナーが3人もいるということが時代を物語っているが、カウンターテナーだからこそ生み出せるシーンであることが実際に観ていると看取出来る。
衣装も洒落ていて(衣装担当は東京衣装株式会社の村上まさあき)雰囲気の良い芝居に仕上がっていた。

この後にオペラと言われることになるジャンルは、神々の物語で、舞踊や宗教音楽と不即不離であり、状況を説明するだけの歌手がいた。ここからオペラは発展し、一部を除いて人間の物語となり、純音楽的になり、無駄が省かれていく。その過程を確認する上でも、意義深い上演であった。

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2025年8月 6日 (水)

これまでに観た映画より(391) アニメーション映画「この世界の片隅に」

2025年7月28日

ひかりTVレンタルで、アニメーション映画「この世界の片隅に」を観る。戦前、戦中、戦後直後の広島県呉市と広島市を舞台にした戦争映画である。昨日、TBSの連続ドラマを見終えたばかりだが、作品の長さが異なるということで、印象もまた異なる。原作:こうの史代。複数の賞やトップ1を獲得した漫画である。監督:片渕須直(かたぶち・すなお)。
声の出演:のん、細谷佳正(ほそや・よしまさ)、小野大輔、尾身美詞(おみ・みのり)、稲葉菜月、潘(はん)めぐみ、牛山茂、新谷真弓、岩井七瀬、小山剛志(こやま・つよし)、津田真澄(女性)、大森夏向ほか。音楽:コトリンゴ。
上映時間130分にまとめられているため、北條家の近所付き合いの描写はほとんどない。

のんが声優として主役に挑んだことが話題となった作品でもあるが、個人的には80点前後。素朴さや「おぼこい」感じが出ている一方で、場面に合っていないのではないかと感じられるところもある。ただ彼女の声が持つヒーリング効果は心地よい。

淡々とした日常描写に、逆に戦時下のリアリティがあり、それが呉軍港爆撃や広島原爆の悲惨さと対比される。

より重点的に描かれるのは、すずが描く絵で、描写は上手い。もし戦争がなかったら、女子美術学校(女子美術大学の前身。戦前は東京美術学校のような官立の美術学校には男子しか入ることが出来ず、それを憂いて創設されたのが私立の女子美術学校であった)などに行って絵の道を深める手段もあったのかも知れない。
また時折、西洋の名画へのオマージュと思われる場面が現れる。また、ばけもんや座敷童など、この世界のものではないものが登場するが、いずれもすずの想像の産物である可能性が高く、彼女の性質と、「この世界の片隅」に掛かっているようでもある。
右手をなくしてしまったことで、絵はもう描けなくなってしまったすずだが、これまで通りの北條家での生活を望むのであった。

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2025年2月13日 (木)

美術回廊(88) 京都市京セラ美術館 「村上隆 もののけ 京都」

2024年5月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」を観る。

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ポップアーティストの村上隆(個人的には隆の前に「宗」の字を入れたくなる名前)の京都を題材にした新作展である。結構、無茶を言われたようで、未完成のままの開催となった。
2浪して東京芸術大学美術学部日本画科に入学した村上隆。東京芸術大学は同じ大学でも美術学部と音楽学部は別世界で、美術学部は現役生はまれ。多浪入学者の巣窟となっており、2浪3浪は当たり前、5浪、6浪が普通にいる世界で、2浪なら優秀な方。一方の音楽学部はほぼ現役生で占められている。同大学大学院博士前期課程(修士課程)を次席で修了。首席を取れなかったために正統派の日本画家を諦めて方向転換し、博士後期課程に進んで修了。論文が通って博士号を得た。現在はアーティスト集団「カイカイ・キキ」を主宰している。

「洛中洛外図屏風」や四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)をポップにしたもの、永観堂禅林寺のみかえり阿弥陀のパロディ、花々が野球などあらゆることをしているシーン、「十三代目市川團十郎白猿襲名十八番」、ポップな五山送り火、舞妓さんなど、京都にちなんだポップアートが並んでいる。思ったよりも展示は少なかったが、全て写真撮影OKで、多くの人がカメラを向けていた。

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2024年7月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」に新作が展示されたというので観に行ってみる。「村上隆 もののけ 京都」は「全部新作で」との依頼を受けて、京都に関するポップアートを制作したのだが、やはりスケジュール的に無理があったようで、完成しないまま展覧会が開始されている。そのため、途中で新作が加わることになったのである。全作品、撮影可であり、多くの人がカメラやカメラ付きのスマホで撮影を行っている。外国人も多い。

前回も展示のメインだった、「洛中洛外図屏風」。荒木村重の子である岩佐又兵衛筆の「洛中洛外図屏風」をポップアートにしたものだが、登場人物達は桃山時代から江戸初期の格好をしている。
二条城の天守からは、何人かが顔をのぞかせているのが分かる。また、方広寺には、大坂の陣の引き金となった鐘楼が描かれており、何者かが撞こうとしているのが確認出来る。

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今日で終わる祇園祭の「祇園祭礼図」も展示されている。長刀鉾などの鉾や山が見え、橋弁慶山では義経と弁慶の五条大橋での一騎打ちの像が飾られている。
そんな山鉾巡航を木の上から眺めている若い女性がいるが、彼女は何者なのだろう。

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行列の中には、毛利氏から一と三つ星をひっくり返した家紋を授かった渡辺氏の家紋を旗に記した武将も登場しているが、どこの渡辺さんなのかはよく分からない。

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新作としては「梟猿図」が展示されているほか、京都を舞台とした小説『古都』を書いた川端康成象(ギョロリとした目が誇張され、切り取られた腕を手にしている)、金閣寺(鏡湖池に映った逆さ金閣との二重の影となっている)などが展示されていた。

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2025年1月30日 (木)

観劇感想精選(482) 加藤健一事務所 「夏の盛りの蝉のように」

2022年12月25日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都府立府民ホールアルティ(ALTI)で、加藤健一事務所の公演「夏の盛りの蟬のように」を観る。浮世絵師の代名詞的存在である葛飾北斎を中心に、弟子の蹄斎北馬、田原藩家老となる渡辺崋山、遅咲きながら現在では屈指の人気を誇る歌川国芳、更に北斎の娘で、応為の雅号を持つ(北斎がいつも「おーい」と呼ぶので応為を雅号にしたといわれる)絵師となったおえいらを中心とした浮世絵画壇ものである。

作:吉永仁郎、演出:黒岩亮。出演:加藤健一、新井康弘、加藤忍、岩崎正寛(演劇集団 円)、加藤義宗、日和佐美香(ひわさ・みか)。

生涯に93回の引っ越しを行ったといわれる葛飾北斎(加藤健一)。この劇も引っ越しの場面から始まる。時は1816年。おえい(加藤忍)はまだ12歳である。ということで、加藤忍は12歳から50代までを演じることになるのだが、流石の上手さである。
葛飾北斎が引っ越しを頻繁に行ったのは、片付けの能力がなかったためといわれており、片付けが全く出来ないので、引っ越すことで身の回りの整理を行っていた――この場合、行えていたと表現していいのか怪しいのだが――のである。同じ傾向を持った芸術家にベートーヴェンがいる。ただベートーヴェンは若い頃は衣服などを清潔に保ち、手を頻繁に洗うという潔癖なところがあった一方で、葛飾北斎は身の回りの環境にほとんど無頓着であり、末娘で絵師となり、北斎と同居していたおえいも同様の傾向があったようで、二人とも絵以外に興味を持つことはほとんどなかったといわれており、そうした過集中の傾向はこの芝居でも描かれている。

一方、北斎の一番弟子である蹄斎北馬(新井康弘。ストーリーテラーも兼ねる)は、自らの絵に集中するよりも、北斎と浮世絵士達の仲介役を務めている。
北斎を訪ねる門人ともいうべき浮世絵師は、歌川国芳(岩崎正寛)と渡辺崋山(加藤義宗)である。
国芳(よしさんと呼ばれている)は若い頃は手癖が悪く、絵師としてもなかなか芽の出ない日々が続いた。そんな中で和印(春画)に励んだり、武者絵に取り組んだりすることで、未来を切り開こうと必死である。
崋山は、武士身分だけあって潔癖なところがあり、絵には「技術」と「人格」の両方が必要だとして譲らない。
応為ことおえいは、自らの名を出しての作品も発表していたが、北斎名義の作品を出すこともしばしばである。

表現を巡っての対話が主になり、タイトルである「夏の盛りの蟬のように」に繋がる訳だが、北斎は主人公でありながら、いわば中心軸であり、崋山や国芳の絵師としてのスタイルを中心に話は展開していく。武士としての気質を崩せないでいる崋山や、絵を用いて風刺を盛んに行う国芳に対して、北斎は「絵は絵だ」と絶対芸術的な立場をとり続ける(そもそも絵以外のことに興味がないということもある)。それぞれの絵に対するスタンスが物語を動かす原動力となり、蛮社の獄(崋山は抗議の自刃を行う)や天保の改革(国芳の風刺画は幕府にマークされる)などの時代を背景に、己の作品と向き合う絵師の姿が浮かび上がってくる。

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2024年11月 8日 (金)

美術回廊(87) アサヒビール大山崎山荘美術館 「丸沼芸術の森蔵 アンドリュー・ワイエス展―追憶のオルソン・ハウス」

2024年10月14日 京都府乙訓郡大山崎町天王山にあるアサヒビール大山崎山荘美術館にて

京都府乙訓郡大山崎町にある、アサヒグループ大山崎山荘美術館で、「丸沼芸術の森蔵 アンドリュー・ワイエス展―追想のオルソン・ハウス」を観る。私が最も敬愛する画家、アンドリュー・ワイエスの展覧会である。
アメリカ、メイン州のワイエスの別荘の近く住む、クリスティーナ・オルソンとアルヴァロの姉弟に出会ったワイエス。彼らが住む築150年のオルソン家に惹かれ、彼らと30年に渡って交流を持つことになるワイエスが、オルソン・ハウスをテーマに描いた一連の作品の展覧会である。前期と後期に分かれており、現在は前期の展示が行われている。

ワイエスがオルソン・ハウスを題材にした展覧会は、2004年に姫路市立美術館で行われており、その時出展された作品も多い。なお、姫路市立美術館を訪れた日は、私が姫路に行きながら唯一、姫路城を訪れなかった日でもある。

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オルソン・ハウスは、2階建てだったものを無理に3階建てに直した建物でバランスが悪いが、ワイエスの絵画もわざとバランスを崩すことで不吉な印象を与えている。
ワイエスは、「死の青」を用いる。ワイエスにとって青は死の象徴であり、鏡に映った自身の姿を幽霊と勘違いした姿を描いた「幽霊」の習作にも不吉な青が用いられている。「パイ用のブルーベリー」習作や「青い計量器」でも青がクッキリ浮かび上がってどことなく不吉な印象を与える。

また、アルヴァロがモデルになることを嫌がったという理由もあるのだが、本来、そこにいるべき主がいないままの風景が描かれており、孤独が見る者の心の奥底を凍らせる。

代表作の「クリスティーナの世界」は実物は展示されておらず、習作がいくつか並んでいる。クリスティーナの手の位置や、体の向き、指の形などが異なるのが特徴。ワイエスが最も効果的な構図を模索していたことが分かる。

やがてクリスティーナもアルヴァロも亡くなり、オルソン・ハウスは主を失う。小雪の舞う中、佇むオルソン・ハウス。サウンド・オブ・サイレンスが聞こえる。
一方、オルソン・ハウスの屋根と煙突を描いた絵があるのだが、在りし日のオルソン家の人々の声が煙突や窓から響いてきそうで、ノスタルジアをかき立てられると同時に、もう帰らない日々の哀しみがさざ波のように心の縁を濡らす。

1917年に生まれ、2009年に亡くなったワイエス。アメリカの国民的画家の一人だが、日本に紹介されるのは案外遅く、丁度、私が生まれた1974年に東京国立近代美術館と京都国立近代美術館で展覧会が行われ、大きな話題となった。私の世代ではすでに美術の教科書に作品が載る画家になっている。
幼い頃から体が弱く、学校には通えず、家庭教師に教わった。「長生きは出来ない」と医者から宣告されていたワイエスは、画家活動を続けながら、常に死と隣り合わせの感覚であったが、結果として長寿を全うしている。

以前、阪急電車で梅田に向かっているときに、たまたま向かい合わせの前の席の人が嵯峨美(嵯峨美術短期大学。現在の嵯峨美術大学短期大学部)とムサビ(武蔵野美術大学)出身の女性で、私も美術ではないが京都造形芸術大学で、絵にはまあまあの知識があったので、絵画の話になり、アンドリュー・ワイエスが好きだというと、「埼玉県の朝霞市にワイエスをコレクションしている美術館がある」と教えてくれたのだが、今回、ワイエス作品を提供しているのが、その朝霞市にある丸沼芸術の森である。

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アサヒグループ大山崎山荘美術館は、その名の通り、関西の実業家、加賀正太郎の大山崎山荘を安藤忠雄が美術館にリノベーションしたお洒落な施設である。美術作品と同時に、実業家の山荘の洗練度と豪壮さを楽しむことも出来るというお得な美術館。

ベランダから眺めると正面に男山(石清水八幡宮)を望むことが出来る。

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庭園も芝生が敷き詰められた場所があるなど、優しさの感じられる回遊式庭園となっている。


「天下分け目」の天王山の中腹にあり、そのまま道を登ると天王山の山頂(山崎の戦いの後、豊臣秀吉が山崎城を築き、一時、居城としていた)に出ることが出来るのだが、早いとはいえない時刻であり、登山のための準備をしてきていないので、今日は諦める。山城は危険である。

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2024年9月25日 (水)

美術回廊(85) 京都市京セラ美術館 コレクションルーム 夏期「特集 女性が描く女性たち」+やなぎみわ 「案内嬢の部屋1F」

2024年9月18日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館本館南回廊1階にて

京都市京セラ美術館本館南回廊1階で、コレクションルーム 夏期「特集 女性が描く女性たち」を観る。タイトル通り、女性が女性を描いた絵画の展覧会である。5点のみ写真撮影可となっている。“先駆者の試み”、“着飾らない姿”、“よそゆきの姿”の3タイトルから構成。上村松園、伊藤小坡(いとう・しょうは)、梶原緋佐子、三谷十糸子(みたに・としこ)、秋野不矩(あきの・ふく)、広田多津、北沢映月、由里本景子、丹羽阿樹子の作品が並ぶ。

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梶原緋佐子は、疲れた女性や女芸人など、哀愁の漂う女性を多く描いている。

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梶原緋佐子「暮れゆく停留所」

由里本景子の「望遠鏡」は、天体望遠鏡、小型望遠鏡、肉眼で遠くを見つめる3人の女性を描いている。おそらく3人の見つめる先には希望があるのだろう。天体望遠鏡を覗く女性は、片足を台に乗せているのが印象的である。

丹羽阿樹子の「奏楽」は、着物姿の女性二人がヴァイオリンを奏でている様子を描いたものである。一人の女性(右側)はこちらを向き、もう一人の女性は向こうを向いていて顔は見えない。不思議なのは譜面台も譜面も描かれていないこと。こちらを向いた女性の視線は、もう一人の女性の足下を見ている。アマチュアの音楽家が譜面なしでデュオを奏でられるとは思われないのだが、譜面台を描いてしまうと着物が隠れてしまうため、フィクションとしてこうした構図にしたのだろうか。

今回の展覧会のメインビジュアルとして用いられている秋野不矩の「紅裳(こうしょう)」。都ホテルのラウンジのテーブルを5人の女性が囲んでいる様子を描いたものである。5人のうち、視線を交わしているのは手前の二人のみである。二人は後ろ向きだが、互いが互いの目を見ていることは分かる。他の女性のうち、一人はテーブルの中央に浅葱色の花瓶に生けられた花を見つめている。残る二人はどこかをぼんやりと見ている。五角形の構図の中で、バラバラの場所を見ている5人が、逆に緊密な雰囲気を生み出しているのが興味深い。

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秋野不矩「紅裳」

丹羽阿樹子の「達矢」は、女性が弓を構え、上方を狙っている様子を描いたもの。傾いた構図だが、90度の構造と垂直のラインは保たれており、美しくも力強い絵となっている。


「女性が描く女性たち」の作品はそれほど多くはなく、「青磁と染付」、「青々とした緑」、「シルクスクリーンの可能性」、「大量消費がもたらす儚さ」という展示が続く。

「大量消費がもたらす儚さ」のラスト。つまりこの展覧会の掉尾を飾るのが、やなぎみわの「案内嬢の部屋1F」という写真作品である。1997年の作品。当時、二十代と思われる女性が何人も写っている。1997年に二十代ということで、写真の中の女性達は私と同世代と思われる。
中央に動く歩道がある(関西では「動く歩道」のことを「歩く歩道」ということがある。「歩道は歩くでしょ」というツッコミはなしで)。1枚目の写真は、その上に赤い制服を着た案内嬢達が座っている。一番手前の女性は仰向けに寝転んでいるが、寝ているのは気絶しているのかは不明。続く女性達は、座って斜め上の角度を見上げている。凄く歩道の側面はガラス張りのディスプレイになっており、その中に花々が凜とした姿を見せている。女性達の憧れの象徴なのだろうか。同じ角度を見上げている、同一人物と思われる女性が複数写っているようにも見えるのだが、はっきりとは分からない。いずれも華の案内嬢達は、憧れを抱きながら、動く歩道で運ばれ続けていく。残酷な構図である。
2枚目の写真も動く歩道が中央に写っているが、乗っている人は誰もいない。動く歩道の両サイドのガラス張りのディスプレイには案内嬢達が立って並んでいる。女性が消費される存在であることを暗示しており、これまた残酷である。

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2024年7月23日 (火)

美術回廊(84) パリ ポンピドゥーセンター 「キュビスム展 美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」

2024年5月29日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館1階南北回廊にて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館1階回廊(南・北とも)で、パリ ポンピドゥーセンター「キュビスム展 美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を観る。
タイトル通り、パリのポンピドゥーセンターが所蔵するキュビスムの絵画や彫刻、映像などを集めた展覧会。「50年ぶりの大キュビスム展」と銘打たれている。

写実ではなく、キューブの形で描写を行うことを特徴とする「キュビスム(キュービズム)」。抽象画ではなく、あくまで実物をキューブ化して描くのが特徴である。元々は「印象派」同様、どちらかというと蔑称に近かった。パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって始まり、最初は不評だったが、代表作「ミラボー橋」で知られる詩人で評論家のギヨーム・アポリネールがその創造性を評論『キュビスムの画家たち』において「美の革命」と絶賛したことで、次第に多くの画家に取り入れられるようになる。マリー・ローランサンがアポリネールと彼を取り巻くように並ぶ友人達を描いた作品(「アポリネールとその友人たち」第2ヴァージョン。ローランサンとアポリネールは恋仲だった)も展示されている。ローランサンもこの絵においてキュビスムの要素を取り入れているが、結局はキュビスムへと進むことはなかった。

キュビスムの源流にはアフリカの民俗芸術など、西洋の美術とは違った要素が盛り込まれており、それがアフリカに多くの領土(植民地)を持っていたフランスに伝わったことで画家達に多くのインスピレーションを与えた。だが、ピカソやブラックが全面的にキューブを取り入れ、分かりにくい絵を描いたのに対し、それに続く者達はキューブを意匠的に用いて、平明な作風にしているものが多い。ピカソやブラックの画風がそのまま継承された訳ではないようで、キュビスムが後々まで影響を与えたのは絵画よりもむしろ彫刻の方である。
ピカソはフランスで活躍したスペイン人、ブラックはフランス人だったが、キュビスム作品を扱った画商のカーンヴァイラーがドイツ系だったため、「キュビスムは悪しきドイツ文化による浸食」と誤解されて、第一次大戦中にフランス国内で排斥も受けたという。ブラックらキュビスムの画家も前線に送られ、カメレオン画家のピカソはまたも画風を変えた。これによりキュビスムは急速に衰えていく。

ピカソもブラックも楽器を題材にした作品を残している。ブラックは、「ギターを持つ女性」を1913年の秋に描き、翌1914年の春に「ギターを持つ男性」を作成して連作としたが、「ギターを持つ男性」が抽象的であるのに対して、「ギターを持つ女性」の方はキュビスムにしては比較的明快な画風である。顔などもはっきりしている。

キュビスムの画風はフェルナン・レジェ、ファン・グリスによって受け継がれたが、それ以降になると具象的な画の装飾的傾向が強くなっていく。
ロベール・ドローネーは、キュビスムを取り入れ、都市を題材にした絵画「都市」と壮大な「パリ市」を描いたが、マルク・シャガールやアメデオ・モディリアーニになるとキュビスムと呼んで良いのか分からなくなるほどキュビスム的要素は薄くなる。共に個性が強すぎて、流派に吸収されなくなるのだ。

発祥の地であるフランスでは衰えていったキュビスムであるが、他国の芸術には直接的にも間接的にも影響を与え、イタリアの未来派やロシアの立体未来主義に受け継がれていく。

フランスにおけるキュビスムを総括する立場になったのが、建築家、ル・コルビュジエの名で知られるシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリである。ル・コルビュジエは画家としてスタートしており、キュビスムの影響を受けた絵画が展示されている。初期のキュビスムとは異なり、込み入った要素の少ない簡素な画だが、シンプルな合理性を重視した建築家としての彼のスタイルに通じるところのある作品である。ル・コルビュジエは、「純粋主義(ピュリスム、ピューリズム)」を提唱し、『キュビスム以降』を著して、装飾的傾向が強くなったキュビスムを批判し、よりシンプルで一般人の関心を惹く芸術を目指した。

最後に展示されているのは、実験映画「バレエ・メカニック」(1924年)である。坂本龍一が影響を受けて、同名の楽曲を作曲したことでも知られるフェルナンド・レジェとダドリー・マーフィー制作の映像作品で、作曲はアメリカ人のジョージ・アンタイル。彼の作曲作品の中では最も有名なものである。上映時間は13分48秒。
音楽は何度も反復され、映像は断片的。女性の顔がアップになったり、部分部分が隠されたり、同じシーンが何度も繰り返されたり、機械が動く要素が映されたり、マークが突如現れたりと、当時の最前衛と思われる技術をつぎ込んで作られている。キュビスムとは直接的な関係はないかも知れないが、現実の再構成やパーツの強調という似たような意図をもって作られたのだろう。

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