カテゴリー「宗教」の21件の記事

2022年9月15日 (木)

2346月日(40) 特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺ー真言密教と南朝の遺産」

2022年9月7日 京都国立博物館にて

東山七条の京都国立博物館で、特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺-真言密教と南朝の遺産」を観る。3階建ての平成知新館の2階と1階が「観心寺と金剛寺」の展示となっている。

観心寺と金剛寺は、南朝2代目・後村上天皇の仮の御所となっており(南朝というと吉野のイメージが強いが、実際は転々としている)、南朝や河内長野市の隣にある千早赤阪村出身である楠木正成との関係が深い。

共に奈良時代からある寺院であるが、平安時代に興隆し、国宝の「観心寺勘録縁起資材帳」には藤原北家台頭のきっかけを作った藤原朝臣良房の名が記されている。

観心寺や金剛寺は歴史ある寺院であるが、そのためか、黒ずんでよく見えない絵画などもある。一方で、非常に保存状態が良く、クッキリとした像を見せている画もあった。

1回展示には、ずらりと鎧が並んだコーナーもあり、この地方における楠木正成と南朝との結びつきがよりはっきりと示されている。

明治時代から大正時代に掛けて、小堀鞆音が描いた楠木正成・正行(まさつら)親子の像があるが、楠木正成には大山巌の、楠木正行には東郷平八郎の自筆による署名が記されている。楠木正成・正行親子は、明治時代に和気清麻呂と共に「忠臣の鑑」とされ、人気が高まった。今も皇居外苑には楠木正成の、毎日新聞の本社に近い竹橋には和気清麻呂の像が建っている。

河内長野近辺は、昔から名酒の産地として知られたそうで、織田信長や豊臣秀吉が酒に纏わる書状を発している。

観心寺や金剛寺の再興に尽力したのは例によって豊臣秀頼である。背後には徳川家康がいる。家康は秀頼に多くの寺社の再興を進め、結果として豊臣家は資産を減らすこととなり、大坂の陣敗北の遠因となっているが、そのために豊臣秀頼の名を多くの寺院で目にすることとなり、秀頼を身近に感じる一因となっている。木材に記された銘には、結果として豊臣家を裏切る、というよりも裏切らざるを得ない立場に追い込まれた片桐且元の名も奉行(現場の指揮官)として記されている。

最期の展示室には、上野守吉国が万治三年八月に打った刀剣が飾られている。陸奥国相馬地方中村の出身である上野守吉国(森下孫兵衛)は、実は坂本龍馬の愛刀の作者として知られる陸奥守吉行(森下平助。坂本龍馬の愛刀は京都国立博物館所蔵)の実兄だそうで、共に大坂に出て大和守吉道に着いて修行し、吉国は土佐山内家御抱藩工、吉行も鍛冶奉行となっている。価値としては吉国の方が上のようである。

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2022年6月 8日 (水)

観劇感想精選(436) 第71回京都薪能 第2日目

2022年6月2日 左京区岡崎の平安神宮にて

午後6時から、左京区岡崎の平安神宮で、第71回京都薪能第2日目を観る。毎年恒例の京都薪能であったが、昨年、一昨年は新型コロナのために中止となり、3年ぶりの開催となる。少し風が強めだが、雲一つ無い好天となった。

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ロームシアター京都(京都会館)、京都市京セラ美術館、京都国立近代美術館、京都観世会館、細見美術館、みやこめっせ、京都府立図書館、岡崎公園グラウンド、京都市動物園など文化施設が並ぶ左京区岡崎であるが、一方で、平安神宮、真宗大谷派(東本願寺)岡崎別院、東天王こと岡崎神社などの伝統宗教や、阿含宗や生長の家、神慈秀明会といった新宗教の施設も集まっており、京都における一大宗教空間でもある。

2日間に渡って行われる第71回京都薪能。2日目の今日は、京都薪能の復活を祝って、神が舞を披露するという演目が並ぶ。左京区岡崎で、そして平安神宮で行われるのに相応しい演目だ。

上演作品は、観世流能「養老」水波之伝(すいはのでん)、金剛流能「龍田」、大蔵流狂言「福の神」、観世流能「小鍛治」白頭(しろがしら)。例年売られているパンフレットがコロナの影響で売れないというので(あらすじや出演者などを記した紙は受け取れるようになっている)、代わりに茂山茂と鈴木実が舞台上に登場して作品紹介などを行う。


観世流能「養老」水波之伝と金剛流能「龍田」は後半部分のみの上演である。

「養老」は、美濃国(濃州)の養老の滝である。雄略天皇(倭の五王の「武」に比定されることが多い)の勅使が養老の滝を訪れた時に楊柳観音(松井美樹)と養老の山神(吉浪壽晃)が現れ、祝いの舞を行う。今回は水波之伝というバージョン(小書=特殊演出)で、楊柳観音も登場して舞う。しっとりした楊柳観音の舞と豪快な養老の山神の舞の対比が見所。

今回は、全ての演目で神の舞があるが、みな個性豊かで舞そのものも雰囲気も趣も異なり、八百万の神の国・日本とその伝統芸能の個性がはっきりと表れている。


金剛流能「龍田」。紅葉の名所として知られる大和国・龍田明神が舞台となっている。南都(奈良)に寄った僧(村山弘)が河内国まで足を伸ばそうとした途中で竜田川の河畔に至る。
龍田姫=龍田神(金剛永謹)が、優美な舞と幣を振り上げての神楽を行う。薪から舞い上がる煙が龍田姫の後ろで霞のようにたなびき、この世ならぬ雰囲気を作り出していた。


大蔵流狂言「福の神」。狂言ではあるが、笑いは取らないという珍しい演目であり、狂言そのものの面白さよりも祝祭性が優先されている印象を受ける。
福の神(茂山忠三郎)が幸せになる秘訣を歌いながら行う舞がユーモラスである。


観世流能「小鍛治」白頭。本来は赤い頭で登場する後シテ(稲荷明神の霊狐)が白い頭で登場するという特殊演出である。
一条天皇が悪夢にうなされるというので、名刀工である三条小鍛治宗近(岡充)の下に橘道成(有松遼一)を遣わす。一条帝は「宗近に御剣を打たせよ」との夢告を受けたという。勅諚に応えるには自分に勝るとも劣らない相槌を打てるものがいないといけないが、それは難しいので宗近は断ろうとするが、伏見の稲荷大社に参拝したところその加護があり、稲荷神(橋本光史)が相槌を務めることになる。

三条小鍛治宗近がすんでいたのは三条粟田口であり、後に三条派や粟田口派となる名刀工集団を生み出した場所だが、三条粟田口は平安神宮のすぐそばであり、舞台になった場所の近くで上演が行われたことになる。
粟田神社の麓に鍛冶神社という小さな社があり、三条宗近と粟田口吉光も祀られている。
またすぐそばには、「小鍛治」の話に基づく相槌稲荷神社という小さな社もあるが、ここは民家が並ぶ路地の奥に存在するため、大人数で行ったり大声を出しながら歩いたりすることははばかられる神社である。

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2022年5月25日 (水)

2346月日(37) 京都国立博物館 伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

2022年5月20日 東山七条の京都国立博物館で

京都国立博物館平成知新館で、伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」を観る。前期と後期の展示に分かれているが、前期は訪れる機会を作れず、後期のみの観覧となった。

2021年が、伝教大師最澄の1200年大遠忌(没後1200年)に当たるということで開催された特別展。最澄の他に、中国で天台宗を確立した天台大師・智顗や、最澄の弟子である円仁と円珍に関する史料、延暦寺や園城寺(三井寺)所蔵の史料や仏像、平泉の中尊寺や姫路の書写山圓教寺などに伝わる仏典や高僧の座像、恵心僧都源信が著した「往生要集」、六道絵より阿修羅道と地獄の絵、延暦寺の鎮守である日吉大社の神輿や曼荼羅図、そして江戸(東京)の東叡山寛永寺にまつわる南光坊天海僧正像、江戸時代の寛永寺の全体を描いた「東叡山之図」、寛永寺を江戸の鬼門除けとなる東の比叡山として開いた東照大権現(徳川家康)の像、更に江戸で一番の賑わいを見せた浅草寺の絵巻などが展示されている。

今の大津に生まれ、近江国分寺に学び、東大寺で受戒した最澄。生まれ故郷に近い比叡山に一乗止観院を設け、これが後に延暦寺へと発展する。一乗止観院は、一乗思想(誰もが往生することが出来るとする思想)に基づくもので、その後、会津の徳一が支持する三乗思想(菩薩のみが往生が可能で、声聞や縁覚、そして無性は悟りを開けないとする)との三一権実争論が繰り広げられることになる。

最澄は、延暦寺にも戒壇院を築きたいと願っていたのだが、なかなか許可が下りず、嵯峨天皇からの勅許が降りたのは、最澄の死後1週間経ってからであった。

ということで、日本の天台宗の歴史においては、最澄よりもその後継者達の方がより任が重くなる。最澄に次ぐ天台宗の大物が、円仁と円珍であった。
最澄の弟子達の中で最も優秀であったとされる円仁は、唐に渡り、9年6ヶ月に渡って彼の地で学んで、「入唐求法巡礼行記」を記す。
一方、空海の親族である円珍も唐に渡り、帰国後は天台座主となるが、園城寺を新たに天台の道場とする。
延暦寺は山門派、園城寺は寺門派を名乗り、抗争が起こるのは後の世のことである。

天台思想は、奥州に伝わり、浄土を模したといわれる藤原三代の都・平泉で花開いた。金堂で有名な中尊寺には金文字で記された一切経が伝わっている。

良源と性空の像が並んでいる。命日が正月三日であるため元三大師の名で知られる良源、書写山圓教寺の開山となった性空は、共に異相であり、常人でないことが見た目からも伝わってくる。

また、空也上人立像も展示されている。空也上人立像は、六波羅蜜寺のものが有名だが、今回は愛媛県松山市の浄土寺に伝わるものの展示である。六波羅蜜寺の空也上人立像同様、口から「南無阿弥陀仏」を表す6つの阿弥陀像が吐き出されている。

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2022年4月 1日 (金)

これまでに観た映画より(290) 「ベルファスト」

2022年3月29日 京都シネマにて

京都シネマで、ケネス・ブラナー脚本・監督作「ベルファスト」を観る。アイルランド・イギリス合作。アカデミー賞では脚本賞に輝いた作品である。イギリス(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)の北アイルランドの中心都市、ベルファストを舞台としたカトリック派とプロテスタント派の闘争を少年の視点から描いた作品。ケネス・ブラナーはベルファストに生まれ、9歳の時までこの街で生活していた。ということで、自身の子供時代を重ねて描いた映画である。

出演:ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、ジュディ・デンチほか。

宗教闘争が鍵となっているが、それには北アイルランドの成り立ちについて知らないと内容がよく分からないことになる。
カトリックの国であったアイルランドであるが、徐々にイギリスに浸食されることになり、遂にはイギリスに併合されてしまう。その過程で、イギリスはカトリックを離れたイギリス国教会(英国聖公会)を樹立させ、更に多くの派が分離してプロテスタント系へと流れていく。ということで、イギリスはプロテスタントが主流、アイルランドはカトリックが主流ということになる。その後、ようやく20世紀に入ってからアイルランドはイギリスからの独立を勝ち取るのだが、北アイルランドはカトリック系の住民よりもプロテスタント系の住民の方が圧倒的に多かったため、アイルランド独立後もイギリスに属することになった。これが火種となる。

映画は現在のベルファスト市の上空からのカラー映像に続き、1969年8月15日のモノクロ映像へと移る。9歳のバディ(ジュード・ヒル)が戦士ごっこを終えて家へと帰ろうとした時のことだ。向こう側から、武装した異様な風体の男達が現れる。男達は火炎瓶を投げるなどして周囲を混乱と恐怖へと陥れていった。バディが住む街ではプロテスタント派もカトリック派も家族のように仲良く暮らしていた。だが、プロテスタントのタカ派青年達がやって来て、カトリックの住民を排斥するために暴力に訴え出たのである。これがIRAなどを生んだことで知られる北アイルランド紛争の始まりであった。実はバディの一家はプロテスタントを信仰しており、直接的に排除される対象ではなかった。後にバディは従姉のモイラによって反カトリック派によるスーパーマーケット襲撃の列に強引に加えられてしまったりする。

一方、バディの父親(本名不明。演じるのはジェイミー・ドーナン)はその日、家を空けていた。北アイルランドでは待遇が悪いため、ロンドンに出稼ぎに出て大工(正確には建具工のようである)をしていたのだ。平日はロンドンで働き、週末にベルファストに戻るという生活をしていたが、ベルファストが物騒になってきたため、週末にロンドンで働いて、それ以外はベルファストにいるという逆の生活を選ぶことになる。経済的に苦しくなることが予想されたが、そんな折り、契約しているロンドンの会社から大工の正社員にならないかという誘いを受ける。それも新居が約束されているという好待遇でである。しかしバディの母親(こちらも本名不明。演じるのはカトリーナ・バルフ)は生まれ育ったベルファストに愛着があり、またアイルランドなまりによって差別を受けるのではないかとの怖れからロンドンに移ることを渋る。

バディは小学校では成績優秀。クラス一の秀才であるキャサリンに好感を抱いている。小学校では、テストがある度に席替えが行われ、成績優秀者が最前列で、点数が低いと後ろに下がることになる。今回のテストでバディの成績は3番。オリンピックになぞらえて「銅メダル」と呼ばれる。あと一つ、順位を上げれば「金メダル」であるキャサリンの隣の席になれる。
そうした事情もあり、また祖父(キアラン・ハインズ)や祖母(ジュディ・デンチ)と別れたくないとの理由もあって「ベルファストから離れたくない」と泣きわめくのだった。


ケネス・ブラナーが自身の子供時代を投影していると思われるシーンがいくつかある。バディの一家は映画好きで、たびたび家族で映画館に出掛けており、映画館で「チキ・チキ・バン・バン」を観るシーンがある。またバディが一人でテレビで放送される西部劇映画を食い入るように見つめている場面がクローズアップなども使って描かれている。また、一家は劇場にも通う習慣があったようで、ディケンズ原作の「クリスマス・キャロル」を舞台化したものを観るシーンも盛り込まれている。夢見る少年にとって、生まれた場所を離れるのは耐えがたいことであったが、ベルファストの状況が日毎に悪化していく中で、母親も移住賛成派に回り、ベルファストを去ることが決定的となるのであった。


人生の最も重要な時期の一つである少年時代の夢と悪夢を絡めながら描いた瑞々しい作品である。状況的には悲惨なのであるが、幼い日の淡い恋心や映画への憧れなど、子供を主人公にしたからこそ可能な、心が軽くスキップするような瞬間が丁寧に描かれている。そしてそうであるが故に、それと対比される暴力や争うことの愚かさが、より際立って見える。

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2022年3月18日 (金)

コンサートの記(767) 沼尻竜典指揮京都市交響楽団ほか びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー 舞台神聖祝典劇「パルジファル」

2022年3月6日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後1時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」を観る。ワーグナー最後の舞台音楽作品となっており、ワーグナー自身はバイロイト祝祭劇場以外での上演を認めなかった。

中世ドイツ詩人のヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩「パルチヴァール」が現代語訳(当時)が出版されたのが1842年。ワーグナーはその3年後にこの本を手に入れているが、これを原作とした舞台神聖祝典劇という仰々しい名のオペラ作品として完成させるのは、1882年。40年近い歳月が流れている。

セミ・ステージ形式での演奏。指揮は沼尻竜典、演奏は京都市交響楽団(コンサートマスター:泉原隆志)。演出は伊香修吾。出演は、青山貴(アムフォルタス)、妻屋秀和(ティトゥレル)、斉木建詞(グルネマンツ)、福井敬(パルジファル)、友清崇(クリングゾル)、田崎尚美(クンドリ)、西村悟、的場正剛(ともに聖杯の騎士)、森季子(第1の小姓)、八木寿子(第2の小姓、アルトの声)、谷口耕平(第3の小姓)、古屋彰久(第4の小姓)、岩川亮子、佐藤路子、山際きみ佳、黒澤明子、谷村由美子、船越亜弥(以上、クリングゾルの魔法の乙女たち)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル。合唱はマスクを付けての歌唱である。

ステージ前方に白色のエプロンステージが設けられており、同じ色の椅子が並んでいる。出演者達はここで歌い、演技する。客席の1列目と2列目に客は入れておらず、プロンプターボックスの他にモニターが数台並んでいて、これで指揮を確認しながら歌うことになる。
ステージ後方には階段状の二重舞台が設けられており、短冊状の白色の壁が何本も立っていて、ここに映像などが投影される。
小道具は一切使用されず、槍なども背後の短冊状の壁に映像として映し出される。

びわ湖ホールで何度も印象的な演出を行っている伊香修吾だが、セミ・ステージ形式での上演ということで思い切った演出は出来なかったようで、複雑な工夫はしていない。


「パルジファル」に先だって、ワーグナーは当時傾倒していた仏教と輪廻転生をテーマにした「勝利者たち」という楽劇を書く予定であった。実現はしなかったが、「勝利者たち」のヒロインがその後に、「パルジファル」のクンドリの原型となっている。


ワーグナー最後のオペラとなった「パルジファル」であるが、何とも謎めいた作品となっている。聖杯伝説が基になっており、キリストが亡くなった時にその血を受けた聖杯と十字架上のキリストを刺したといわれる聖槍(「エヴァンゲリオン」シリーズでお馴染みのロンギヌスの槍である)が重要なモチーフとなっている。モンサルヴァートの城の王であるアムフォルタスは、キリストをなぞったような性質の人物であり、聖槍を受けて、その傷が治らないという状態は、危殆に瀕したキリスト教という当時の世相が反映されている。
中世には絶対的な権威を誇ったキリスト教であるが、19世紀も末になると無神論が台頭するなど、キリスト教の権威は失墜の一途を辿っていた。

「アムフォルタスの傷を治す」と予言された「苦しみを共に出来る聖なる愚か者」に当たる人物がパルジファルである。モンサルヴァートの森で白鳥を射落として取り押さえられた男こそパルジファルであるが、彼は自分の名前も、出自も何一つ知らないという奇妙な人物である。白鳥が神の化身であることは「ローエングリン」で描かれているが、パルジファルは特に理由もなく白鳥を射落としている。

「これこそ救済を行う聖なる愚か者なのではないか」と思い当たった騎士長のグルネマンツは、パルジファルに聖杯の儀式を見せる。だがパルジファルは儀式の意味を理解出来ず、グルネマンツによって城から追い出される。

モンサルヴァートの城にはクンドリという不思議な女性がいる。最初は聖槍によって傷つけられたアムフォルタスのために薬を手に入れたりしているのだが、クンドリにはもう一つの顔があり、第2幕では魔術師のクリングゾルに仕えてモンサルヴァートの騎士達の破滅を狙う魔女として登場する。クリングゾルも元々は騎士団に入ることを希望する青年だったのだが、先王ティトゥレルに拒絶され、妖術使いへと身を堕としていた。ただ妖術の力は確かなようであり、魔の園に迷い込んだパルジファルの正体を最初から見抜いている。第2幕ではクリングゾルに命じられたクンドリがパルジファルに言い寄って破滅させようとするのだが、逆にパルジファルは覚醒してしまい、アムフォルタスに共苦する。パルジファルはクリングゾルが放った聖槍を奪い、魔の園を後にする。
そして長くさすらった後で、モンサルヴァート城に戻り、救済者となる。最後の歌は、合唱によるもので「救済者に救済を!」という意味の言葉で終わる。


かなり複雑で不可解な進行を見せる劇であり、最後に歌われる「救済者」というのがイエス・キリストなのかパルジファルなのかもはっきり分かるようには書かれておらず、様々な説がある。

分かるのは、旧来のキリスト教に代わり、あるいはキリスト教を補助する形で新たなる信仰が生まれるということである。少なくとも誰もが疑いを持たずにキリストを信仰出来る時代は終わっている。新たなる何かが必要で、それを象徴するのがパルジファルである。最初は無垢で無知だったのに、突如目覚めて賢人となり、キリストの後を継ぐもの。それは何か。おそらく「音楽」が無関係ということはないだろう。この時代、音楽はすで文学や政治と絡むようになっており、ただの音楽ではなくなっている。
新たなる信仰の誕生、そこに音楽や芸術が関わってくるというのは、決して突飛な発想ではないように思う。
クンドリの原型が仏教を題材にしているということで、仏教がキリスト教を補完するという、おそらく正統的な形についても考えてみる。四門出遊前のゴータマ・シッダールタは、シャカ族の王子として何も知らぬよう育てられた。父王が聖者から「出家したらブッダになる」と預言され、国のことを考えた場合、王ではなくブッダになると困るので、世間を知らせぬようにとの措置だった。だが、四門出遊(ゴータマが王城の4つの門から出て、この世の現実を知るという出来事)により「生病老死」の「四苦」を知り、出家。「抜苦与楽(慈悲)」へと行き着く。そうしたゴータマからブッダになる過程をパルジファルが担い、イエスの化身ともいうべきアムフォルタスの苦を除く。ストーリーとしてはあり得なくもないが、木に竹を接ぐ感は否めない。当時のヨーロッパにおける仏教理解はかなりの誤解を含んでいたと思われる。


沼尻の音楽作りは、いつもながらのシャープでキレのあるもので、スケールをいたずらに拡げず、細部まで神経を通わせている。おどろおどろしさは余りないが、その方が彼らしい。

京都市交響楽団も音色に華があり、威力も十分であった。沸き続ける泉のように音に生命力がある。

歌手達も充実。動き自体は余り多くなかったが、その分、声の表情が豊かであり、神秘的なこの劇の雰囲気を的確に表現していた。

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2021年8月16日 (月)

コンサートの記(739) 広上淳一×京響コーラス 「フォーレ:レクイエム」

2021年8月9日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

ロームシアター京都サウスホールでの「広上淳一×京響コーラス フォーレ:レクイエム」を聴く。午後6時開演。ロームシアターへはバスで向かったが、ロームシアター前に並ぶ木々の枝がいくつか強風によって落下していた。

京都市交響楽団は、世界的にも珍しいと思われるが8月にも定期演奏会を行っており、宗教音楽を演奏するのが恒例となっている。だが、今年はデイヴィッド・レイランドの指揮でモーツァルトの交響曲と協奏曲を演奏するプログラムが組まれたため、ロームシアター京都でフォーレの「レクイエム」が演奏されることになった、のかフォーレの「レクイエム」が演奏されるために8月定期が宗教音楽でなくなったのか、どちらかは不明だが、とにかく定期演奏会以外で広上淳一の指揮によるフォーレの「レクイエム」が演奏される。
広上と京響は、昨日一昨日とベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」のオーケストラ付レクチャー・コンサートを行っており、三連投となる。


フォーレの「レクイエム」の前に、京都市少年合唱団の指導者としてもお馴染みのソプラノ歌手、津幡泰子(つばた・やすこ)の指揮、小林千恵のピアノによる廣瀬量平の混声合唱組曲「海鳥の詩」が京響コーラスによって歌われる。京響コーラスは全員、「歌えるマスク」を付けての歌唱である。

北海道出身の廣瀬量平であるが、京都市立芸術大学の教授として作曲を教えており、京都コンサートホールの館長を2005年から2008年に亡くなるまで務めている。広上と京響は2009年に「廣瀬量平の遺産」という演奏会も行っている。

「海鳥の詩」は、“オロロン鳥”、“エトピリカ”、“海鵜”、“北の海鳥”の4曲からなる組曲で、詩人でアイヌ文化研究家の更科源蔵の詩に旋律を付けたものである。おそらくアイヌ民族の孤独と悲劇が海鳥たちの姿に託されている。
廣瀬の旋律は洒落た感じも抱かせるが、その寸前で敢えて王道の展開を避けて、北海道の冬の空のような暗さが出るよう設計されているようにも思われる。


広上淳一指揮京都市交響楽団と京響コーラスによるフォーレの「レクイエム」は、第3稿と呼ばれる一般的なものや、フォーレ自身が決定版としていたと思われる第2稿ではなく、信長貴富が2020年に編曲した弦楽アンサンブルとオルガンによる版での演奏である。初演は三ツ橋敬子の指揮によって、ヴァイオリンとチェロとコントラバスが1、ヴィオラが2という編成で行われたが、今日はヴァイオリン3、ヴィオラ4(第1ヴィオラ、第2ヴィオラとも2人ずつ)、チェロ2、コントラバス1という編成である。今日のコンサートマスターは、昨日一昨日と降り番であった泉原隆志。ヴァイオリンは泉原の他に、木下知子、田村安祐美。ヴィオラは、第1ヴィオラが小峰航一と丸山緑、第2ヴィオラが小田拓也と山田麻紀子。チェロが佐藤禎と佐々木堅二(客演)。コントラバスは石丸美佳。電子オルガン演奏は桑山彩子が務める。ソプラノ独唱は小玉洋子。バルトン独唱は小玉晃。流石に独唱者が「歌えるマスク」を付けて歌唱という訳にはいかないが、フォーレの「レクイエム」は、独唱者による歌唱が少ないのが特徴である。

ロームシアター京都サウスホールは、旧京都会館第2ホールを改修した中規模ホールだが、多目的であり、残響はほとんどない。クラシックではピアノや室内楽の演奏が行われているが、声楽を伴う宗教音楽が演奏されるのはあるいは初めてかも知れない。残響のないホールで聴くとやはり神聖さを感じにくくなるため、宗教曲に関しては音響がより重要になるのは間違いないようだ。残響のないホールでグレゴリオ聖歌を聴いたことがあるが、予想と異なって平板な印象に終わっている。京響コーラスも独唱者二人も良かったが、声の輪郭がはっきりし過ぎる音響だったため、音響設計のなされたホールでもう一度聴いてみたくなる。
信長貴富が編曲した弦楽合奏は、金管の迫力なども弦楽でノーブルに置き換えるなど、温かな響きを重視したもので、小編成の京響弦楽アンサンブルも精緻にして多彩な演奏を披露した。
広上淳一は合唱メインの曲ということで今日はノンタクトで指揮したが、手の動き、指の動きなどが音楽的で、「やはりこの人は指揮者になるために生まれてきた人なんだろうな」と感心させられた。

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2021年6月 6日 (日)

史の流れに(8) 京都市京セラ美術館 国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」

2021年6月3日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

左京区岡崎にある京都市京セラ美術館で、国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」を観る。日独交流160周年記念企画である。緊急事態宣言による臨時休館を行っていた京都市京セラ美術館だが、一昨日、6月1日から展示を再開している。

京都市美術館が京都市京セラ美術館になってから入るのは初めて。内部が大幅に変わっている。以前は京セラの本社内にあった展示スペースが京セラ美術館という名前だったが、紛らわしいということで、そちらは京セラギャラリーと名前を変えている。

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「古代エジプト展 天地創造の神話」の展示品の多くが石造りや金属製ということもあって、ほぼ全てが写真撮影可となっているが、「個人的に楽しむためのものとしてご使用下さい」となっているので、おそらくWeb上にアップするのはNGだと思われる。

雄のライオンの顔を持つセクメト女神が疫病退散の力を持っているようで、その像がエジプト版「アマビエ」として積極的に撮影するよう促されていたが、お守りとして待ち受け画面に使うことが推奨されているようである。

まず始めに冥界への導き手を務める神であるアビヌスの像が展示されており、続いてアニメーション上映のコーナーがあって、アビヌス(声の担当:荒牧慶彦)が語り手を務めるエジプト版天地創造の神話が語られる。アビヌスが登場するアニメーションは他の場所でも上映されているが、それらに関しては撮影も録画も禁止である。

日本の神話でも天照大神と素戔嗚尊が姉弟でうけいをする場面があるが、エジプトの神々も兄妹で愛し合い、子どもが生まれている。エジプトは歴史が古いので、プトレマイオス朝など紀元前の王朝でも近親婚が普通だったことが知られている。例えば、美女の代名詞の一人であるクレオパトラ7世の最初の夫は、彼女の実弟である。

エジプトの原初の神は、ナイル川をモデルにしたと思われるヌンである。「原初の水」という意味だそうで、ヘロドトスの「エジプトはナイルの賜物」という言葉が浮かぶ。
そこから太陽神であるアトゥムが生まれたが、アトゥムは両性具有の創造神だそうで、自慰によって、大気の神であるシューと湿気の女神であるテフヌトが生まれたという。シューとテフヌトの兄妹が交わることで、大地の神のゲブと天空の女神であるヌトが生まれたのだが、やはり兄妹で結婚したゲブとヌトの仲が余りに良いことに父親のシューが嫉妬し、ヌトの体をつかんで引き離そうとした。ヌトはゲブから完全に体を離そうとはせず、体が弧状に伸び、これが天穹となった。


今回の展示は、クレオパトラなどの実在の人物よりも、エジプト神話の世界の展示が中心となっているが、伝ハトシェプスト女王や、伝ネフェルティティ王妃の像(有名な胸像ではなく頭部の像)なども展示されている。ハトシェプスト女王は即位中は男装していたとされるため、その像も男性化されたスフィンクスとしての装飾を施されているが、顔は柔和で女性的である。エジプトの美女というとやはりクレオパトラ7世が世界的に名高いが、彼女の場合は聡明さなども含めての評価で、純粋な容姿でナンバーワンといわれるのがネフェルティティである。今回展示されている頭部の像なども、今の基準でいっても世界的な美女と評価されるのは確実だと思われる。一方で、ネフェルティティは正体がよくわからない謎の女性としても知られている。古代エジプトの話は、TBS系の「世界ふしぎ発見!」がよく取り上げており、ハトシェプストもネフェルティティも何度も登場している。京都に来てから「世界ふしぎ発見!」も見なくなってしまったが。

ネフェルティティは、古代エジプトの宗教改革者であるアメンホテプ4世王(アクエンアテン、イクナートン)の王妃である。ただ分かっているのは、そのこととアメンホテプ4世王との間に数人の子を設けたということだけである。それ以外の記録はほとんどない。そのため、早いうちに亡くなったという説が生まれたが、正確なところははっきりしていない。アメンホテプ4世王は、突如としてそれまでの多神教的だったエジプトの宗教性を覆し、アテン神(南中した太陽を表す神)1神のみを崇拝する一神教へと舵を切った人物であり、テーベからアケトアテンに遷都するなど、徹底した改革を行ったが、その死後には揺り戻しとしてアメンホテプ4世自身が否定される存在となり、その子とされるツタンカーメン(トゥトアンクアメン)らによって実際に多くの記録などが処分された。そのためその妃であったネフェルティティに関する情報もほぼ全て失われてしまっている。

あの世に再生するための指南書である「死者の書」については、アニメーションなども使って分かりやすく説明されている。死後、魂は試練を経てあの世に向かうのだが、あの世はその時代のエジプトと完全に同じ姿をしていると考えられたようである。死後の世界に行けなかった場合は、怪物アメミットに心臓を食べられて、その人物は消滅する。輪廻転生から逃れるための修行を重視する仏教においては無になることの方がむしろハッピーエンドに近いため、死に対する観念が大きく異なっているのが分かる。


ちなみに、エジプトには世界の終焉伝説があり、蛇に身を変えたアトゥム神とオシリス神が世界の終わりを見届けるという。ただ、世界は再生するそうだ。アトゥムは創造神であり、日没時の太陽を表す神であるが、同時に破壊も司るという、シバ神に似た性格を持っているようである。
アテフ冠を被ったオシリス神の小像の冠の部分には、アトゥム神だと思われる蛇の飾りが施されている。

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2021年5月21日 (金)

NHK「英雄たちの選択」“天平のパンデミック 聖武天皇と橘諸兄 復興への葛藤”

2021年5月5日

録画しておいたNHK「英雄たちの選択」“天平のパンデミック 聖武天皇と橘諸兄 復興への葛藤”を見る。聖武天皇の時代、奈良の都(平城京)では疱瘡(天然痘)が大流行し、藤原不比等の息子で当時の政権と藤原氏の中枢を担っていた四兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂。それぞれ、南家、北家、式家、京家の祖となる)が全員亡くなるなど、政治が大混乱に陥っている。

当時は奈良の都に全てが集中するという中央集権体制。一極集中ということで物資も奈良に集まっては散っていったため日本全土にウイルスが広まり、天然痘によって当時の日本人の3人に1人が亡くなるという惨状を呈する。当然ながら当時の経済の目安であった農作物にも影響が出た。
そこで登場したのが葛城王という皇族から臣籍降下した橘諸兄である。源平藤橘の橘氏の礎を築いた橘諸兄。母親は県犬養橘三千代であり、聖武天皇妃である藤原光明子は異父兄妹に当たる。ということで親族として光明子と聖武天皇から全幅の信頼を置かれての登場であった。

聖武天皇は母親の気質を受け継いだからともいわれるが、精神的に不安定な天皇であり、突然、伊勢や美濃に御幸を行ったかと思えば、都を平城京から恭仁京に移し、更に難波京、紫香楽宮へと遷都。ただでさえ天然痘のパンデミックの後だというのに、天皇が次々遷都するという異常事態に民衆は反発。更に金光明最勝王経を唱えた時期に天然痘が収まったということで、全国に経典を広めるべく、国分寺の建立を発案。ただ、遷都にも国分寺建造にも人力や資材が必要となる。更に聖武天皇は紫香楽宮に盧舎那仏の造営を企画。だが、工事が始まるやいなや、紫香楽宮で不審火が相次ぎ、民衆が離反したことに気づく。
恭仁京遷都については、橘諸兄主導だったという説が紹介される。橘諸兄の本貫地が恭仁京が築かれた今の京都府木津川市に近かったそうで、橘氏の都として築かれたのが恭仁京だったようだ。

橘諸兄自身は盧舎那仏の造営案に名を連ねておらず、造営自体に反対だった可能性が高いが、平城宮に盧舎那仏を築くよう聖武天皇に進言したのは諸兄ではないかともしている。

当時、新羅との関係が悪化しており、「新羅討つべし」との声もあったというが、諸兄は外交より内政を重視し、対朝鮮半島対策として置かれていた「軍団」を廃止し、農民出身者を農村に戻して収穫を増やし、課税を増やすという政策を採る(軍に入っている間は税を取られないという取り決めがあった)。
更に、石高を増やすため、最も語呂の良い日本史用語として有名な「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)」を発布した。それまでは日本の土地は全て国有地であり、三世一身法で三代限りの私有が認められたが、期限付きであったため、積極的な開拓が行われたかというとそうでもなかった。耕してもどうせその土地を国家に取り上げられることになるのだから当然である。墾田永年私財法によって土地の私有を認めることで、開墾が進み、経済も回復したが、土地の私有化の副産物として貴族や有力寺院などが荘園を築くようになり、国家のあり方が変わっていくことになる。だがそれはまだ先の話である。

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2021年5月17日 (月)

2346月日(32) 凝然国師没後七百年「特別展 鑑真和上と戒律のあゆみ」(後期展示)

2021年5月12日 東山七条の京都国立博物館にて

本来なら今日(5月12日)が緊急事態宣言の開ける日だったのだが、今月31日まで延長となっている。一方で、京都国立博物館は今日から営業再開となる。特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」は開催期間の延長はなされず、予定通り16日までであり、今日以外は他の用事が入っているため、行けるのは今日だけ、ということで行く。前期の展示は観たが、後期のみの展示物も比較的多い。国宝の鑑真和上坐像と、籔内佐斗司の新作・凝然国師像にももっとじっくり向かい合いたいという思いもある。前回も両像は頭に焼き付けた、つもりが後で確認すると鑑真和上像の衣の色を覚え間違えるというイージーミスがあり、やはり期間中に鑑真和上坐像と再会して頭に入れる必要がある。

最初の展示からしてまず違う。4月20日から展示が始まった「三国祖師影」である。大谷大学博物館の所蔵品で、日本からは行基、そして聖徳太子の絵が描かれている。聖徳太子に関しては、「観音ノ後身」と記されているのがわかる。インドからは鳩摩羅什(くまらじゅう)、唐からは玄奘三蔵などが選ばれている。

『懐風藻』の選者とされる淡海三船が編纂した『唐大和上東夷伝』の見開き1頁目も後期のみの展示である。

聖武天皇の像は前期に展示されていた単独のものではなく、行基、インド出身で大仏開眼供養の導師を務めた菩提僊那(ぼだいせんな)、東大寺の開山で歌舞伎などでもお馴染みの良弁(ろうべん)を加えた「四聖御影」となっている。

上座部仏教の最大勢力であった説一切有部の史料も展示されている。隆盛を極めた説一切有部であるが、今では説一切有部自体もその後継宗派も一切残っていないということに無常を感じる。

余りじっくり見る時間はないが、前期のように部分的でもパッと見て意味が分かる文章は少ない。
凝然筆の文書も新しいものがいくつ展示されている。内容は分からないが、文字の丸さが特徴となっている。純粋な個性なのか、梵字を真似た書体を好んだといったような理由があるのかは不明だが、かなり不思議な字を書く人であるということは分かる。

戒律から離れた宗派の祖として法然上人と親鸞聖人の絵も展示されている。「親鸞聖人像」は前期と一緒だが、知恩院版「法然上人絵伝」は前期が巻五、後期が巻十の展示である。
くずし字が読めないのだが、冒頭に「後鳥羽院」とあるようなので、承元の法難絡みだろうか。絵からはどういう状況なのかは分からない。門から僧兵の格好をした人物が嘲るような態度で逃げていくのが確認出来るため、念仏停止の場面なのかも知れない。
図録には説明が載っているはずだが、そこまで仏教に詳しくなる必要はないと個人的には思っている。

絵による「鑑真和上像」。前期は東大寺のものだったが、後期は大阪の久米田寺に伝わるものが展示されている。共に鑑真和上坐像を基に書いたものだけに、顔はよく似たものだが、布などの描き方に個性が表れている。

その鑑真和上坐像。弘法大師坐像、興正菩薩(叡尊)坐像と共に、前期と展示が変わっていない。鑑真和上坐像などはよく見ると、睫毛なども描かれていることが確認出来る。大和の西大寺を復興した叡尊は、眉毛がかなり特徴的である。眉のみならず表情も村山富市に似ているが、村山富市は社会党の存在意義をなくし、現在に至るまでの政界の混乱を招いた罪な人なので、生まれ変わりだとかそういったことはないだろう。

前期もあった展示ながら、記憶に残っていなかった朝鮮半島伝来の「梵網経」を見る。「梵網経」は鑑真が受戒の際に用いた大乗経典である。
展示されている「梵網経」は、朝鮮の裴氏から伝わったとあるが、朝鮮系の裴という苗字は今では日本でも有名なものとなっている。「裴」は「ペ」と読む。ペ・ヨンジュンやペ・ドゥナのペである。

新作である籔内佐斗司の凝然国師像は、余り話題になっていないが、やはり大変な傑作であると思われる。出来たばかりの傑作に接する機会は、そうそうあるものではない。

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2021年5月 6日 (木)

NHKオンデマンド 「100分de名著 『歎異抄』」

2021年4月26日

NHKオンデマンド「100分de名著 『歎異抄』」を4回連続で見る。2016年の放送。ナビゲーターは釈徹宗。
最も人気のある宗教書の一つとして知られる『歎異抄(たんにしょう)』。だが、「誤解を招く」として封印されてきた歴史があり、一般的に知られるようになったのは明治時代以降である。明治期に、清沢満之(きよざわ・まんし)、暁烏敏(あけがらす・はや)ら真宗大谷派の仏教学者が「歎異抄」の再評価を行い、特に暁烏敏は『歎異抄』を真宗の最重要書に選んでいる。今は、お東お西ともに『歎異抄』は重要視しているが、原則的にはお東(真宗大谷派)で研究された歴史の方が長い。

作者は正確には分かっていないが、常陸出身の唯円であるとされる(文章の中に唯円の名が登場するため)。ちなみに、親鸞の弟子に唯円という名の人は二人いたそうで、そこからしてややこしくなっている。

親鸞亡き後、真宗の教えはすぐに親鸞が残したものと異なる解釈が幅をきかせるようになり、それを嘆いた唯円が、「異なったことを嘆く」という意味で『歎異抄』を著した。

宗祖亡き後に、異なる意見が現れ、悶着が起こるというのは定番で、釈迦入滅後も意見が割れるのを防ぐために「結集」という、釈迦の教えを確認する会議が何度か行われたが、実際には、釈迦本人の言葉ではない経典が数多く創作され、今、日本に入ってきている経典は、そうした「理想の釈迦の言葉」を目指して創作されたものが大半である。創作というと「捏造」のようにも感じるが、自らが理想とする釈迦の言葉を、人生の伴侶とする形で歴代の人々が紡いでいったものであり、歴史的な価値がある。

だが、宗祖亡き後に、本来と異なると思われる教えが広まることに懸念を示すのも当然の心理である。真宗とは真逆の立場にある日蓮宗でもそれは起こっており、日蓮の高弟の一人であった日興は「日蓮聖人の教えが守られなくなった」として身延山を下り、大石寺を建てている。大石寺は、現在は日蓮正宗の総本山となっており、日蓮正宗は扱いとしては新宗教であるが、歴史は長い(日蓮宗富士門流からの分離)。

真宗の場合は、親鸞本人が新宗派を起こしたという考えを持っていなかったため、更にややこしくなる。
親鸞は承元の法難で越後に流罪となり(越後が流罪の国でなかったため異説もあり)、その後、関東に赴いて師である法然の教えを広め、更に深めていく。研究する上で、参考文献が必要になるのだが、当時の東国は田舎で、書籍は思うように手に入らない。そのことが親鸞が京都に戻る一因となったとされる。さて、京都に戻った親鸞であるが、東国で彼が広めた教えが様々に解釈されるようになり、侃々諤々の様相を呈する。親鸞がかつて本拠を置いていた常陸国は、筑波山があることから修験道の要地でもあり、修験道的な教えが念仏に混じるようになることは想像に難くない。ということで、親鸞は長男である善鸞(ぜんらん)を東国に送ったのだが、善鸞自身が呪術的な要素に染まるようになり、「父から自分だけが受け継いだ奥義」があると喧伝するようになる。親鸞は善鸞をやむなく義絶した。
実は善鸞は真宗出雲路派では、今も二代目に位置づけられていたりする。

実の子が教義を違えたため義絶することになった八十代の親鸞が唯円に語ったことを纏めたのが『歎異抄』である。実の子を見捨てざるを得なかったという親鸞の気持ちはおそらく反映されていると思われる。

「悪人正機説」が最も有名であるが、ここでいう「悪人」とは今でいう悪人とは異なる。
仏教というのは個人的な宗教であり、修行して解脱を目指すのが本道である。だが、日本において修行のみで生きることが出来るのは特別な立場にいる人だけである。僧侶がそうだが、実は当時の僧侶というのはある程度の身分のある人のエリートコースへの階段であり、親鸞も中級から下級の公家であるが日野氏という藤原北家の貴族の血筋に生まれている。日野氏からは後に日野重子や日野富子が生まれているが、それ以前にも足利将軍家に女子を送り込むなど、出家のための戦略に長けた家である。中級から下級であるため公家のままでは大した出世は望めないが、比叡山で僧侶になれば、あわよくば天台座主の座(今でいうと文部科学省大臣兼東京大学学長のような立場)も狙える。ということで親鸞の兄弟は全員、比叡山に入って仏道での出世を望まれるようになった。実際、親鸞の弟などはかなり出世している。
だが、親鸞は9歳で出家し、29歳まで20年間厳しい修行を行うも、一向に悟りの開ける気配を感じ取ることが出来ず、日毎比叡山を下りて六角堂に百日参詣を行う。そこで夢告を得て、吉水の法然坊源空に師事して、易行の道へと進むことになる。

修行に励まなければ極楽往生出来ないというのでは、救われるのは僧侶や僧侶になれる身分の人々だけということになってしまう。善人というのは僧侶などのことで、悪人というのはそうでない人のことである。僧侶以外は救われないという教えは仏教ではないと考えた親鸞が説いたのが、俗に言う「悪人正機説」である。自ら往生出来る人(声聞など)は自ら往生すれば良く、それが出来ない人々を救うのが阿弥陀の本願というわけである。当然といえば当然だが、西洋の「天は自ら助くる者を助く」という発想にはならない。
東国にいた頃、親鸞は貧しい人々とも積極的に接した。動物を殺して生きる猟師や漁師、当時は卑しい階級とされていた商人らが悪人と呼ばれた人々である。このような自ら往生出来ない人を救うことこそが弥陀の本願なのである。
親鸞が生きたのは激動の時代である。親鸞が生まれたのは西暦1173年であるが、その20年ほど前に保元の乱と平治の乱があり、武士階級が台頭。実は親鸞の母親は源氏出身ともいわれており、親鸞本人も武士階級の台頭や源平合戦と無縁ではなかった。戦になると武士や戦場に駆り出された庶民は人殺しをしなくてはならない。これでは往生など出来るはずもないのだが、そうした人々を救うのも阿弥陀如来の本願なのである。

こうしたことに関してはおそらく異論は出なかったであろうが、「南無阿弥陀仏と唱えれば全ては許される」などといったカトリックでいう免罪符に似た極論が出てきたため、こうした異論をたしなめるべく記されたのが『歎異抄』である。だが、極論を排して中道を行く精神が根本にあるため、どうにもフワフワとしてわかりにくいという印象を抱かせることになっている。仏教なので、点検することが一々多いのである。「どうせ救われるのだから何をしても良い」と考える「本願ぼこり」と呼ばれる極論を唱える人々が現れるのだが、「本願ぼこりは往生出来ない」という考え方もまた極論として退けられるのである。ただ、こうした考えは唯円オリジナルと見る向きもあり、それらもまた複雑さの原因となっているようである。

私自身は、五木寛之訳の『私訳 歎異抄』と光文社古典文庫から出た関西弁訳の『歎異抄』を読んでいるのだが、「理解は出来るが納得は出来ない」というのが今の立場である。

なお、ナレーションは昨年4月に亡くなった志賀廣太郎が行っており、落ち着いた語り口を楽しむことが出来る。

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