カテゴリー「宗教」の15件の記事

2021年6月 6日 (日)

史の流れに(8) 京都市京セラ美術館 国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」

2021年6月3日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

左京区岡崎にある京都市京セラ美術館で、国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」を観る。日独交流160周年記念企画である。緊急事態宣言による臨時休館を行っていた京都市京セラ美術館だが、一昨日、6月1日から展示を再開している。

京都市美術館が京都市京セラ美術館になってから入るのは初めて。内部が大幅に変わっている。以前は京セラの本社内にあった展示スペースが京セラ美術館という名前だったが、紛らわしいということで、そちらは京セラギャラリーと名前を変えている。

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「古代エジプト展 天地創造の神話」の展示品の多くが石造りや金属製ということもあって、ほぼ全てが写真撮影可となっているが、「個人的に楽しむためのものとしてご使用下さい」となっているので、おそらくWeb上にアップするのはNGだと思われる。

雄のライオンの顔を持つセクメト女神が疫病退散の力を持っているようで、その像がエジプト版「アマビエ」として積極的に撮影するよう促されていたが、お守りとして待ち受け画面に使うことが推奨されているようである。

まず始めに冥界への導き手を務める神であるアビヌスの像が展示されており、続いてアニメーション上映のコーナーがあって、アビヌス(声の担当:荒牧慶彦)が語り手を務めるエジプト版天地創造の神話が語られる。アビヌスが登場するアニメーションは他の場所でも上映されているが、それらに関しては撮影も録画も禁止である。

日本の神話でも天照大神と素戔嗚尊が姉弟でうけいをする場面があるが、エジプトの神々も兄妹で愛し合い、子どもが生まれている。エジプトは歴史が古いので、プトレマイオス朝など紀元前の王朝でも近親婚が普通だったことが知られている。例えば、美女の代名詞の一人であるクレオパトラ7世の最初の夫は、彼女の実弟である。

エジプトの原初の神は、ナイル川をモデルにしたと思われるヌンである。「原初の水」という意味だそうで、ヘロドトスの「エジプトはナイルの賜物」という言葉が浮かぶ。
そこから太陽神であるアトゥムが生まれたが、アトゥムは両性具有の創造神だそうで、自慰によって、大気の神であるシューと湿気の女神であるテフヌトが生まれたという。シューとテフヌトの兄妹が交わることで、大地の神のゲブと天空の女神であるヌトが生まれたのだが、やはり兄妹で結婚したゲブとヌトの仲が余りに良いことに父親のシューが嫉妬し、ヌトの体をつかんで引き離そうとした。ヌトはゲブから完全に体を離そうとはせず、体が弧状に伸び、これが天穹となった。


今回の展示は、クレオパトラなどの実在の人物よりも、エジプト神話の世界の展示が中心となっているが、伝ハトシェプスト女王や、伝ネフェルティティ王妃の像(有名な胸像ではなく頭部の像)なども展示されている。ハトシェプスト女王は即位中は男装していたとされるため、その像も男性化されたスフィンクスとしての装飾を施されているが、顔は柔和で女性的である。エジプトの美女というとやはりクレオパトラ7世が世界的に名高いが、彼女の場合は聡明さなども含めての評価で、純粋な容姿でナンバーワンといわれるのがネフェルティティである。今回展示されている頭部の像なども、今の基準でいっても世界的な美女と評価されるのは確実だと思われる。一方で、ネフェルティティは正体がよくわからない謎の女性としても知られている。古代エジプトの話は、TBS系の「世界ふしぎ発見!」がよく取り上げており、ハトシェプストもネフェルティティも何度も登場している。京都に来てから「世界ふしぎ発見!」も見なくなってしまったが。

ネフェルティティは、古代エジプトの宗教改革者であるアメンホテプ4世王(アクエンアテン、イクナートン)の王妃である。ただ分かっているのは、そのこととアメンホテプ4世王との間に数人の子を設けたということだけである。それ以外の記録はほとんどない。そのため、早いうちに亡くなったという説が生まれたが、正確なところははっきりしていない。アメンホテプ4世王は、突如としてそれまでの多神教的だったエジプトの宗教性を覆し、アテン神(南中した太陽を表す神)1神のみを崇拝する一神教へと舵を切った人物であり、テーベからアケトアテンに遷都するなど、徹底した改革を行ったが、その死後には揺り戻しとしてアメンホテプ4世自身が否定される存在となり、その子とされるツタンカーメン(トゥトアンクアメン)らによって実際に多くの記録などが処分された。そのためその妃であったネフェルティティに関する情報もほぼ全て失われてしまっている。

あの世に再生するための指南書である「死者の書」については、アニメーションなども使って分かりやすく説明されている。死後、魂は試練を経てあの世に向かうのだが、あの世はその時代のエジプトと完全に同じ姿をしていると考えられたようである。死後の世界に行けなかった場合は、怪物アメミットに心臓を食べられて、その人物は消滅する。輪廻転生から逃れるための修行を重視する仏教においては無になることの方がむしろハッピーエンドに近いため、死に対する観念が大きく異なっているのが分かる。


ちなみに、エジプトには世界の終焉伝説があり、蛇に身を変えたアトゥム神とオシリス神が世界の終わりを見届けるという。ただ、世界は再生するそうだ。アトゥムは創造神であり、日没時の太陽を表す神であるが、同時に破壊も司るという、シバ神に似た性格を持っているようである。
アテフ冠を被ったオシリス神の小像の冠の部分には、アトゥム神だと思われる蛇の飾りが施されている。

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2021年5月21日 (金)

NHK「英雄たちの選択」“天平のパンデミック 聖武天皇と橘諸兄 復興への葛藤”

2021年5月5日

録画しておいたNHK「英雄たちの選択」“天平のパンデミック 聖武天皇と橘諸兄 復興への葛藤”を見る。聖武天皇の時代、奈良の都(平城京)では疱瘡(天然痘)が大流行し、藤原不比等の息子で当時の政権と藤原氏の中枢を担っていた四兄弟(藤原武智麻呂、藤原房前、藤原宇合、藤原麻呂。それぞれ、南家、北家、式家、京家の祖となる)が全員亡くなるなど、政治が大混乱に陥っている。

当時は奈良の都に全てが集中するという中央集権体制。一極集中ということで物資も奈良に集まっては散っていったため日本全土にウイルスが広まり、天然痘によって当時の日本人の3人に1人が亡くなるという惨状を呈する。当然ながら当時の経済の目安であった農作物にも影響が出た。
そこで登場したのが葛城王という皇族から臣籍降下した橘諸兄である。源平藤橘の橘氏の礎を築いた橘諸兄。母親は県犬養橘三千代であり、聖武天皇妃である藤原光明子は異父兄妹に当たる。ということで親族として光明子と聖武天皇から全幅の信頼を置かれての登場であった。

聖武天皇は母親の気質を受け継いだからともいわれるが、精神的に不安定な天皇であり、突然、伊勢や美濃に御幸を行ったかと思えば、都を平城京から恭仁京に移し、更に難波京、紫香楽宮へと遷都。ただでさえ天然痘のパンデミックの後だというのに、天皇が次々遷都するという異常事態に民衆は反発。更に金光明最勝王経を唱えた時期に天然痘が収まったということで、全国に経典を広めるべく、国分寺の建立を発案。ただ、遷都にも国分寺建造にも人力や資材が必要となる。更に聖武天皇は紫香楽宮に盧舎那仏の造営を企画。だが、工事が始まるやいなや、紫香楽宮で不審火が相次ぎ、民衆が離反したことに気づく。
恭仁京遷都については、橘諸兄主導だったという説が紹介される。橘諸兄の本貫地が恭仁京が築かれた今の京都府木津川市に近かったそうで、橘氏の都として築かれたのが恭仁京だったようだ。

橘諸兄自身は盧舎那仏の造営案に名を連ねておらず、造営自体に反対だった可能性が高いが、平城宮に盧舎那仏を築くよう聖武天皇に進言したのは諸兄ではないかともしている。

当時、新羅との関係が悪化しており、「新羅討つべし」との声もあったというが、諸兄は外交より内政を重視し、対朝鮮半島対策として置かれていた「軍団」を廃止し、農民出身者を農村に戻して収穫を増やし、課税を増やすという政策を採る(軍に入っている間は税を取られないという取り決めがあった)。
更に、石高を増やすため、最も語呂の良い日本史用語として有名な「墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)」を発布した。それまでは日本の土地は全て国有地であり、三世一身法で三代限りの私有が認められたが、期限付きであったため、積極的な開拓が行われたかというとそうでもなかった。耕してもどうせその土地を国家に取り上げられることになるのだから当然である。墾田永年私財法によって土地の私有を認めることで、開墾が進み、経済も回復したが、土地の私有化の副産物として貴族や有力寺院などが荘園を築くようになり、国家のあり方が変わっていくことになる。だがそれはまだ先の話である。

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2021年5月17日 (月)

2346月日(32) 凝然国師没後七百年「特別展 鑑真和上と戒律のあゆみ」(後期展示)

2021年5月12日 東山七条の京都国立博物館にて

本来なら今日(5月12日)が緊急事態宣言の開ける日だったのだが、今月31日まで延長となっている。一方で、京都国立博物館は今日から営業再開となる。特別展「鑑真和上と戒律のあゆみ」は開催期間の延長はなされず、予定通り16日までであり、今日以外は他の用事が入っているため、行けるのは今日だけ、ということで行く。前期の展示は観たが、後期のみの展示物も比較的多い。国宝の鑑真和上坐像と、籔内佐斗司の新作・凝然国師像にももっとじっくり向かい合いたいという思いもある。前回も両像は頭に焼き付けた、つもりが後で確認すると鑑真和上像の衣の色を覚え間違えるというイージーミスがあり、やはり期間中に鑑真和上坐像と再会して頭に入れる必要がある。

最初の展示からしてまず違う。4月20日から展示が始まった「三国祖師影」である。大谷大学博物館の所蔵品で、日本からは行基、そして聖徳太子の絵が描かれている。聖徳太子に関しては、「観音ノ後身」と記されているのがわかる。インドからは鳩摩羅什(くまらじゅう)、唐からは玄奘三蔵などが選ばれている。

『懐風藻』の選者とされる淡海三船が編纂した『唐大和上東夷伝』の見開き1頁目も後期のみの展示である。

聖武天皇の像は前期に展示されていた単独のものではなく、行基、インド出身で大仏開眼供養の導師を務めた菩提僊那(ぼだいせんな)、東大寺の開山で歌舞伎などでもお馴染みの良弁(ろうべん)を加えた「四聖御影」となっている。

上座部仏教の最大勢力であった説一切有部の史料も展示されている。隆盛を極めた説一切有部であるが、今では説一切有部自体もその後継宗派も一切残っていないということに無常を感じる。

余りじっくり見る時間はないが、前期のように部分的でもパッと見て意味が分かる文章は少ない。
凝然筆の文書も新しいものがいくつ展示されている。内容は分からないが、文字の丸さが特徴となっている。純粋な個性なのか、梵字を真似た書体を好んだといったような理由があるのかは不明だが、かなり不思議な字を書く人であるということは分かる。

戒律から離れた宗派の祖として法然上人と親鸞聖人の絵も展示されている。「親鸞聖人像」は前期と一緒だが、知恩院版「法然上人絵伝」は前期が巻五、後期が巻十の展示である。
くずし字が読めないのだが、冒頭に「後鳥羽院」とあるようなので、承元の法難絡みだろうか。絵からはどういう状況なのかは分からない。門から僧兵の格好をした人物が嘲るような態度で逃げていくのが確認出来るため、念仏停止の場面なのかも知れない。
図録には説明が載っているはずだが、そこまで仏教に詳しくなる必要はないと個人的には思っている。

絵による「鑑真和上像」。前期は東大寺のものだったが、後期は大阪の久米田寺に伝わるものが展示されている。共に鑑真和上坐像を基に書いたものだけに、顔はよく似たものだが、布などの描き方に個性が表れている。

その鑑真和上坐像。弘法大師坐像、興正菩薩(叡尊)坐像と共に、前期と展示が変わっていない。鑑真和上坐像などはよく見ると、睫毛なども描かれていることが確認出来る。大和の西大寺を復興した叡尊は、眉毛がかなり特徴的である。眉のみならず表情も村山富市に似ているが、村山富市は社会党の存在意義をなくし、現在に至るまでの政界の混乱を招いた罪な人なので、生まれ変わりだとかそういったことはないだろう。

前期もあった展示ながら、記憶に残っていなかった朝鮮半島伝来の「梵網経」を見る。「梵網経」は鑑真が受戒の際に用いた大乗経典である。
展示されている「梵網経」は、朝鮮の裴氏から伝わったとあるが、朝鮮系の裴という苗字は今では日本でも有名なものとなっている。「裴」は「ペ」と読む。ペ・ヨンジュンやペ・ドゥナのペである。

新作である籔内佐斗司の凝然国師像は、余り話題になっていないが、やはり大変な傑作であると思われる。出来たばかりの傑作に接する機会は、そうそうあるものではない。

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2021年5月 6日 (木)

NHKオンデマンド 「100分de名著 『歎異抄』」

2021年4月26日

NHKオンデマンド「100分de名著 『歎異抄』」を4回連続で見る。2016年の放送。ナビゲーターは釈徹宗。
最も人気のある宗教書の一つとして知られる『歎異抄(たんにしょう)』。だが、「誤解を招く」として封印されてきた歴史があり、一般的に知られるようになったのは明治時代以降である。明治期に、清沢満之(きよざわ・まんし)、暁烏敏(あけがらす・はや)ら真宗大谷派の仏教学者が「歎異抄」の再評価を行い、特に暁烏敏は『歎異抄』を真宗の最重要書に選んでいる。今は、お東お西ともに『歎異抄』は重要視しているが、原則的にはお東(真宗大谷派)で研究された歴史の方が長い。

作者は正確には分かっていないが、常陸出身の唯円であるとされる(文章の中に唯円の名が登場するため)。ちなみに、親鸞の弟子に唯円という名の人は二人いたそうで、そこからしてややこしくなっている。

親鸞亡き後、真宗の教えはすぐに親鸞が残したものと異なる解釈が幅をきかせるようになり、それを嘆いた唯円が、「異なったことを嘆く」という意味で『歎異抄』を著した。

宗祖亡き後に、異なる意見が現れ、悶着が起こるというのは定番で、釈迦入滅後も意見が割れるのを防ぐために「結集」という、釈迦の教えを確認する会議が何度か行われたが、実際には、釈迦本人の言葉ではない経典が数多く創作され、今、日本に入ってきている経典は、そうした「理想の釈迦の言葉」を目指して創作されたものが大半である。創作というと「捏造」のようにも感じるが、自らが理想とする釈迦の言葉を、人生の伴侶とする形で歴代の人々が紡いでいったものであり、歴史的な価値がある。

だが、宗祖亡き後に、本来と異なると思われる教えが広まることに懸念を示すのも当然の心理である。真宗とは真逆の立場にある日蓮宗でもそれは起こっており、日蓮の高弟の一人であった日興は「日蓮聖人の教えが守られなくなった」として身延山を下り、大石寺を建てている。大石寺は、現在は日蓮正宗の総本山となっており、日蓮正宗は扱いとしては新宗教であるが、歴史は長い(日蓮宗富士門流からの分離)。

真宗の場合は、親鸞本人が新宗派を起こしたという考えを持っていなかったため、更にややこしくなる。
親鸞は承元の法難で越後に流罪となり(越後が流罪の国でなかったため異説もあり)、その後、関東に赴いて師である法然の教えを広め、更に深めていく。研究する上で、参考文献が必要になるのだが、当時の東国は田舎で、書籍は思うように手に入らない。そのことが親鸞が京都に戻る一因となったとされる。さて、京都に戻った親鸞であるが、東国で彼が広めた教えが様々に解釈されるようになり、侃々諤々の様相を呈する。親鸞がかつて本拠を置いていた常陸国は、筑波山があることから修験道の要地でもあり、修験道的な教えが念仏に混じるようになることは想像に難くない。ということで、親鸞は長男である善鸞(ぜんらん)を東国に送ったのだが、善鸞自身が呪術的な要素に染まるようになり、「父から自分だけが受け継いだ奥義」があると喧伝するようになる。親鸞は善鸞をやむなく義絶した。
実は善鸞は真宗出雲路派では、今も二代目に位置づけられていたりする。

実の子が教義を違えたため義絶することになった八十代の親鸞が唯円に語ったことを纏めたのが『歎異抄』である。実の子を見捨てざるを得なかったという親鸞の気持ちはおそらく反映されていると思われる。

「悪人正機説」が最も有名であるが、ここでいう「悪人」とは今でいう悪人とは異なる。
仏教というのは個人的な宗教であり、修行して解脱を目指すのが本道である。だが、日本において修行のみで生きることが出来るのは特別な立場にいる人だけである。僧侶がそうだが、実は当時の僧侶というのはある程度の身分のある人のエリートコースへの階段であり、親鸞も中級から下級の公家であるが日野氏という藤原北家の貴族の血筋に生まれている。日野氏からは後に日野重子や日野富子が生まれているが、それ以前にも足利将軍家に女子を送り込むなど、出家のための戦略に長けた家である。中級から下級であるため公家のままでは大した出世は望めないが、比叡山で僧侶になれば、あわよくば天台座主の座(今でいうと文部科学省大臣兼東京大学学長のような立場)も狙える。ということで親鸞の兄弟は全員、比叡山に入って仏道での出世を望まれるようになった。実際、親鸞の弟などはかなり出世している。
だが、親鸞は9歳で出家し、29歳まで20年間厳しい修行を行うも、一向に悟りの開ける気配を感じ取ることが出来ず、日毎比叡山を下りて六角堂に百日参詣を行う。そこで夢告を得て、吉水の法然坊源空に師事して、易行の道へと進むことになる。

修行に励まなければ極楽往生出来ないというのでは、救われるのは僧侶や僧侶になれる身分の人々だけということになってしまう。善人というのは僧侶などのことで、悪人というのはそうでない人のことである。僧侶以外は救われないという教えは仏教ではないと考えた親鸞が説いたのが、俗に言う「悪人正機説」である。自ら往生出来る人(声聞など)は自ら往生すれば良く、それが出来ない人々を救うのが阿弥陀の本願というわけである。当然といえば当然だが、西洋の「天は自ら助くる者を助く」という発想にはならない。
東国にいた頃、親鸞は貧しい人々とも積極的に接した。動物を殺して生きる猟師や漁師、当時は卑しい階級とされていた商人らが悪人と呼ばれた人々である。このような自ら往生出来ない人を救うことこそが弥陀の本願なのである。
親鸞が生きたのは激動の時代である。親鸞が生まれたのは西暦1173年であるが、その20年ほど前に保元の乱と平治の乱があり、武士階級が台頭。実は親鸞の母親は源氏出身ともいわれており、親鸞本人も武士階級の台頭や源平合戦と無縁ではなかった。戦になると武士や戦場に駆り出された庶民は人殺しをしなくてはならない。これでは往生など出来るはずもないのだが、そうした人々を救うのも阿弥陀如来の本願なのである。

こうしたことに関してはおそらく異論は出なかったであろうが、「南無阿弥陀仏と唱えれば全ては許される」などといったカトリックでいう免罪符に似た極論が出てきたため、こうした異論をたしなめるべく記されたのが『歎異抄』である。だが、極論を排して中道を行く精神が根本にあるため、どうにもフワフワとしてわかりにくいという印象を抱かせることになっている。仏教なので、点検することが一々多いのである。「どうせ救われるのだから何をしても良い」と考える「本願ぼこり」と呼ばれる極論を唱える人々が現れるのだが、「本願ぼこりは往生出来ない」という考え方もまた極論として退けられるのである。ただ、こうした考えは唯円オリジナルと見る向きもあり、それらもまた複雑さの原因となっているようである。

私自身は、五木寛之訳の『私訳 歎異抄』と光文社古典文庫から出た関西弁訳の『歎異抄』を読んでいるのだが、「理解は出来るが納得は出来ない」というのが今の立場である。

なお、ナレーションは昨年4月に亡くなった志賀廣太郎が行っており、落ち着いた語り口を楽しむことが出来る。

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2021年4月22日 (木)

これまでに観た映画より(256) ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「異邦人」

2021年4月19日 京都シネマにて

京都シネマで、「異邦人」を観る。ルキノ・ヴィスコンティ監督作品のデジタル復元版。アルベール・カミュの同名小説の映画化(公式サイトではなぜか原作が「ペスト」になっている)である。主演はマルチェロ・マストロヤンニで、恋人役でアンナ・カリーナが出演している。
日本初公開時は、英語による国際版での上映だったようだが、今回はイタリア語版での初上映となる。

「太陽が眩しかったから」人を殺したというくだりが有名な不条理文学を代表する作品が原作である。ただこの「不条理」をどう捉えるかで解釈も変わってくる。「自分でもよく分からない」「とにかく謎」という意味であるとするならば、今現在の現実社会ではそうした状態であることの方がむしろ自然であり、もしそうだとするなら不条理というよりも先駆的であるという意味で優れた文学作品であると評価出来る。

ただ、当然ながらそうした「よく分からない」状態は文学作品であるからこそ有効であり、映画にするとどうしても説得力を欠く作品となってしまう。20世紀を代表するヴィスコンティ監督の力量を持ってしてもそれは覆せなかったようで、映像美やカットの面白さが取り柄の作品となってしまっている。原作の文章をモノローグとして用いることが多いが、そうした手法自体が映像的ではない。映画「異邦人」は、映像ソフト化されることがこれまで一切なかったそうだが、あらすじをなぞっているだけであるため、映画として楽しむのは苦しいというのが第一の理由であると思われる。そして今現在から観ると映画化された「異邦人」はごくありきたりの物語に見えてしまう。原作小説自体が映像化に向いていないのだが、筋だけ見ると、カミュが示した世界に現実が追いつきつつあるような、一種の不気味さも感じられる。

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2021年4月20日 (火)

2346月日(30) 凝然国師没後七百年「特別展 鑑真和上と戒律のあゆみ」

2021年4月14日 京都国立博物館にて

東山七条の京都国立博物館へ。凝然国師没後七百年「特別展 鑑真和上と戒律のあゆみ」を観る。

日本に戒壇院を築くべく、何度も渡航を試みては失敗した鑑真和上。天平勝宝5年(754)に6度目の渡海でようやく日本にたどり着き、東大寺に戒壇院を築いて授戒を行い、その後に唐招提寺を築いて、日本における律宗の拠点としている。

今回の特別展の最大の目玉は、唐招提寺の鑑真和上坐像である。国宝に指定されており、教科書などにも必ず載っている。

その前に、戒律が日本に伝わるまでの歴史が文書などで示されている。元の時代にインドや東南アジアを訪れた中国僧の記録である「法顕伝」の展示などもあるが、「皆悉小乗學」という記述があり、東アジアで主流となった大乗仏教が廃れてしまっていることが分かる。

聖武天皇妃で光明皇后の名で知られる藤原光明子が編纂させた文書も数点あり、光明子に関しては、藤原朝臣正一位太政大臣(不比等)の娘で母親は橘氏の出身(県犬養橘三千代のこと)という記述がある。
中には冒頭付近に、「比丘患男根膿」 という記述のある文書もあり、反応に困る。

鑑真和上にまつわる展示としては、坐像以外に「唐大和上東征伝」と「東征伝絵巻」などがあり、日本経済新聞社制作の約5分の映像展示もある。

鑑真和上坐像は、現在は、弘法大師坐像と興正菩薩(叡尊)坐像と同じスペースに展示されているが、弘法大師坐像と興正菩薩坐像は共に元寇の二回目である弘安の役があった弘安年間に作られている。

日本における仏教の戒律の転換点として、伝教大師・最澄の像と弘法大師・空海の遺品、寺門派・園城寺の円珍が残した文書などが展示されるが、平安時代末期から鎌倉時代に掛けては、戒律を離れた浄土宗や浄土真宗の興隆があり、法然上人絵伝や親鸞聖人像(江戸時代、宝暦9年に描かれたもの)なども展示されている。

最後にあたる第五章では、「近世における律の復興」というタイトルでの展示が行われており、明忍、元政(日政)、湛海などの像が並んでいる。

凝然没後七百年ということで行われた展示会であるが、凝然(ぎょうねん。1240-1321)は、東大寺戒壇院で講じた華厳宗の僧であり、南都六宗に天台宗と真言宗を加えた「八宗綱要」を著している。
この凝然の没後七百年を記念した凝然国師坐像を「せんとくん」の作者としても知られる籔内佐斗司(この4月から奈良県立美術館館長に就任)が手掛けており、迫真性に溢れる優れた出来となっている。今回が初公開となるが、今にも動き出しそうであり、語り出しそうである。歴史的展示も素晴らしいが、凝然国師坐像も事故に遭わなければ今後数百年に渡って伝わっていくはずで、歴史の始まりに接したような感慨に浸った。それにしても、こんなところで籔内佐斗司の作品に出会うとは思わなかった。もっと宣伝しても良いのではないだろうか。

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2021年3月12日 (金)

コンサートの記(701) びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー作曲 歌劇「ローエングリン」 2021.3.7 沼尻竜典指揮京都市交響楽団ほか

2021年3月7日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホールプロデュースオペラ ワーグナーの歌劇「ローエングリン」を観る。ワーグナー作品を積極に演奏して、近年では「日本のバイロイト」とも呼ばれるようになっているびわ湖ホール。楽劇「ローエングリンの指輪」に4年がかりで挑み、昨年は最終作である楽劇「神々の黄昏」が新型コロナによって公開上演こそ中止になったものの無観客上演を行い、同時配信された映像が世界各国45万人以上の視聴を記録するなど、話題になった。そして今年は人気作の「ローエングリン」。コロナ第3波が心配であったが上演に漕ぎ着けた。だが、昨日今日と2回公演のうち、今日の公演は、当初は外国人キャスト2名が出演する予定だったのだが、入国制限による来日不可ということで日本人キャストに変更になり、更にエルザ役の横山恵子が体調不良のため降板し、元々カバーキャストとして入っていた木下美穗子が出演することになった。関西は緊急事態宣言が解除され、街に人も多くなったが、余波はまだ続いている。

今回はステージ前方の2ヵ所に台を築いてのセミ・ステージ形式での上演である。映像と照明を駆使し、演技と衣装も凝っていて、セミ・ステージではあるが十分にドラマを楽しめるようになっている。

指揮は、びわ湖ホール芸術監督である沼尻竜典。演奏は京都市交響楽団。演出は粟國淳(あぐに・じゅん)。出演は、斉木健詞(ドイツ王ハインリヒ)、小原啓楼(おはら・けいろう。ローエングリン)、木下美穗子(エルザ・フォン・ブラバント)、黒田博(フリードリヒ・フォン・テルラムント)、八木寿子(やぎ・ひさこ。オルトルート)、大西宇宙(おおにし・たかおき。王の伝令)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーと客演歌手による混成である。

パンフレットは無料ながらボリューム十分で読み応えがあり、びわ湖ホール プロデュースオペラの良心が窺える。

 

京都市交響楽団はステージ前方を歌手達に譲り、舞台の中央部で演奏。舞台奥部にはひな壇が設けられていて、そこに合唱が陣取る。合唱とオーケストラの間には、ビニールを張り巡らした柵が設けられており、飛沫対策が取られている。なお、合唱は全員不織布マスクをしながらの歌唱である。合唱スペースの後ろにスクリーンが下りていて、ここに様々な映像が投影される。

オルトルート役の八木寿子は真っ赤なドレスを纏っており、オルトルートが主役となる場面では照明も赤に支配される。一方、エルザが主役の場面では神秘的な青系の照明が用いられる。

びわ湖ホール大ホールの前から3列目までは飛沫対策のため空席となっているが、ここにモニターが4台ほど設置されており、歌手達はモニターで沼尻の指揮を確認しながら歌うことになる。更に第2幕や第3幕では、金管のバンダが、空席になっている前方席の両側で壁を背にしながらの演奏を行う。

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田尚泰。泉原隆志がフォアシュピーラーに入る。弦楽器の配置はドイツ式の現代配置がベースだが、コントラバスは最後列、合唱スペースの前に横一線に並ぶ。管楽器はコンサートの時とは違い、下手側のヴァイオリン奏者の背後に木管楽器群やハープが並び、上手側のチェロ奏者やヴィオラ奏者の後ろにティンパニなどの打楽器や金管楽器が入る。
バンダが多用されるため、トランペットの客演奏者が多い。またオルガンの演奏を桑山彩子が務める。

それまで歌手達が主役で、管弦楽は伴奏だったオペラだが、ワーグナーはオーケストラと歌手が一体となった一大交響楽を構想し、実現していった。その後、総合的なスタイルは更に追求され、楽劇というジャンルを生むことになる。

ワーグナーは子どもの頃は音楽よりも文学を好んでおり、シェイクスピア作品などを愛読。音楽家よりも文学者を夢見る少年であった。ということもあって、ワーグナーは自身の歌劇や楽劇の台本のほとんどを自ら執筆しており、「ローエングリン」もまたワーグナーが台本から音楽に至るまでを一人で手掛けた作品である。

ワーグナーはかなりハチャメチャな人生を送った人物であり、作曲家としては遅咲き。もっとも早い時期から優れた音楽の才を示していたのだが、人間関係の形成が下手だったり、倫理面で問題があったりしたため、人から受け入れられにくかった。「音楽史上最も性格が悪かった有名作曲家は誰か」というアンケートを行ったら、おそらく1位になるのはワーグナーであろう。その後、革命運動に参加したことで指名手配され、スイスでの亡命生活を余儀なくされる。革命運動参加の直前に完成した「ローエングリン」だが、上演の機会はドイツ国内に限られたため、ワーグナーは自作でありながら長きに渡って「ローエングリン」を観る機会を得ることが出来なかったという。初演は、1850年。フランツ・リストの指揮によりワイマール宮廷劇場で行われた。

 

事件や進行、感情などは全て歌われるため、筋の把握自体はそれほど困難ではない作品である。
先日、NHKオンデマンドで観た2018年のバイロイト音楽祭での「ローエングリン」について書いた際にもあらすじは記したが、もう一度確認しておく。

舞台となっているのは、現在のベルギー北部にあったブラバント公国である。先のブラバント大公が亡くなり、エルザとジークフリートという大公の子が残される。だが、ある日、森に出掛けたエルザとジークフリートは迷子になり、エルザは戻ったが、ジークフリートの行方はようとして知れない。ブラバントを訪れたドイツ王ハインリヒは、ブラバントの貴族、フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵から、「エルザがジークフリートを殺害し、継承権を独り占めにしようとしている」との告発を受け、裁判を行うことにする。
被疑者であるエルザであるが、申し開きをするよう言われても、「白鳥の曳く小舟に乗って騎士がやって来る」といった、否認とは全く関係のない話をし始める。なんとも妙なのだが、実際に白鳥の曳く小舟に乗った騎士(ローエングリンである)がやって来る。そしてエルザの窮地を救うことになる。
フリードリヒは、ブラバントに貢献する数々の人材を生んだ名家出身のオルトルートと結婚した。実はオルトルートは魔女であり、フリードリヒは妻となったオルトルートの助力を得ていて、そのことで自信満々であったが、騎士と決闘してあえなく敗れ去る。

余り触れられていないことだが、エルザもまた予知能力のようなもの、あるいは思い描いた通りの騎士を呼び寄せる力を持っており、明らかに異能者である。「ローエングリン」は実は異能者である女性二人の対決という側面を持っているように思われる。

騎士は名を明かさず、正体を問うてもいけないと人々に誓わせるのだが、エルザにだけは正体を明かす可能性を話す。これがその後の悲劇への第一歩となる。オルトルートはエルザに、「後ろ暗いところがあるから正体を明かせないのではないか」「本当に彼の身分は貴族なのか」と疑問をぶつけ、エルザの心を揺るがす。

結婚式が終わり、二人きりとなった騎士とエルザだが、エルザは騎士に正体を明かすよう迫る。騎士は、「信じる力があれば名など知らなくてもいい」という意味の言葉を繰り返す(「ロミオとジュリエット」のバリエーションのように見えなくもない)。知られたなら全てが終わることを知っているからだ。だが、エルザは騎士を信じることが出来ず、破滅へと向かう。

絶対的な信仰の時代であった中世(それゆえ進歩も滞り、「暗黒の中世」などと呼ばれることになる)が終わり、科学の発展により信仰の屋台骨がきしむ時代が訪れていた。「神」の存在そのものへの疑問である。その代表格であるニーチェはワーグナーのシンパだった。
ニーチェはワーグナーに対して信仰に近い心酔を示していた。おそらくニーチェにとってはワーグナーこそが神に成り代わって世界を再生させる存在でもあったのだろうが、やはりこの関係もニーチェのワーグナーに対する不信により終わりを告げている。

自己を神格化するような性格であったワーグナーは、音楽に多大なる影響を与えたが、それが調性音楽の崩壊という一種のバッドエンドを招いている。

神の時代が終わり、人間の時代が来る。これは政治や宗教のみならず文化でもそうであり、音楽にも当然ながら反映される。そしてその人間の欲望の肥大化が、二つの世界大戦など20世紀の悲劇を招き、音楽も時の政権によって利用されることになるのだが、それはまだ先の話である

 

私個人の話をすれば、――興味がある人は余りいないと思われるが――、京都に移住後、真宗大谷派の門徒としての信仰生活に入るようになった。宗教色の余り強くない関東で育った人間にとって京都で生きるためにはそれは必須であるように思われた。どの宗教や宗派を選ぶかから始まり、最終的には父方の家の宗派である真宗大谷派を選ぶ。人間としての軸の創造である。高村光太郎的に言えば、地理的な意味ではないが「ここを世界のメトロポオルとひとり思」うことにしたのだ。ただ実感するのは、今の時代に宗教色の弱い地域に生まれ育った人間が絶対の信仰を得るのは難しいということだ。親鸞ですら弥陀の本願を信じ切れずに苦悩した、況んや~をやである。
絶対的な信仰は、心のみならずあらゆるものの安寧へと結びつく。最近では唯識思想を学ぶなど、知識が広がることへの喜びも覚える。だがそれは、基本的には知的満足においてである。理論体系に納得することは出来ても信じることは難しい。それが私のみならず現代に生きる人間の宿命である。信じることが出来たなら楽になれることはわかるのだが、それは不可能なのだ。

 

一方で、信念は狂信へと繋がる歴史を生んだ。石原莞爾が構想に関与した満州国は傀儡国家なのは間違いないが、日蓮宗国柱会の人間であった石原は本気で日蓮聖人が説いた理想郷を満州の地に生むつもりだったよう思われる。そしてその信念は、結局、悲劇で終わる。

ワーグナーを愛好したヒトラーはゲルマン民族の優越を信仰した。客観的に見れば異様にしか見えない彼の盲信は、世界的な災禍を招くことになった。

彼らは本気でユートピアの到来を信じており、それが破局へと繋がった。

そうした歴史を知った上で、まだ絶対的な何かを信じることが出来るかということだが、21世紀に入ってから、別の形での「信仰」が顕在化するようになった。従来からあったがそれが強化された形である。それを呼び寄せた者達が破滅へと向かうのは歴史的にも明らかなのだが、人々は宗教とはまた違った形の「信仰」を止めようとはしない。今回の演出では、呼び寄せた者であるエルザの最後は明確には描かれていないが、本来の筋にある彼女の破滅は、呼び寄せながら不信に陥る人間の弱さと罪業の結果であるようにも思う。信じることも信じないことも悲劇である。

 

ローエングリンとエルザのこの世界からの退場と共に、絶対的な神のいなくなった世界が始まる。おそらくそれは絶対王政の終わりとリンクしている。ワーグナーも参加した社会主義革命、それは絶対的な存在を否定する行為でもあり(この時点では却って独裁を招く形態であるとの認識を持っている人はほとんどいなかったはずである)、同時に絶対的な孤独を招く行いでもある。自由を目指す行為は、絶対的な存在の前での平等を崩してしまう。歴史を辿れば、絶対的な神のいなくなった世界では、神に成り代わろうとする英雄気取りの者達が次から次へと現れ、新たな「信仰」を生み、別の形での犠牲者を生んでいった。

 

劇の内容に関する考察はここまで。演奏であるが、なめらかな響きと輝きと神秘感を合わせ持った京都市交響楽団の演奏が見事である。
関西では、びわ湖ホール以外でも演奏を聴く機会の多い沼尻竜典。キビキビとした音運びが印象的であるのと同時に、コンサートレパートリーではややスケールの小ささも感じられる指揮者であるが、オペラの演奏に関してはドラマティックな音楽作りといい、語り口の上手さといい、優れた適性を示している。スケールも雄大であり、彼には絶対音楽よりもこうした物語性のある音楽の方が向いているようだ。沼尻も十八番がなんなのかよく分からない指揮者なのだが(マーラーやショスタコーヴィチは良い)、オペラの指揮に関しては全幅の信頼を置いてもいいように思う。

歌唱も充実。オーケストラよりも前で歌うということもあるが、凄絶なうねりを生むワーグナーの音楽と、それを見事に具現化する沼尻と京響と共に壮大な音の伽藍を築き上げる。
来日経験も豊富な某有名指揮者から、「日本人にワーグナーなど歌えるわけがない」と見下されてもそれを受け入れざるを得なかった時代が、遠い過去のことになったように思える。

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2021年2月 3日 (水)

コンサートの記(690) びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲 歌劇「魔笛」 阪哲朗指揮大阪交響楽団ほか

2021年1月30日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、「びわ湖ホール オペラへの招待」 モーツァルト作曲 歌劇「魔笛」を観る。初心者にも配慮した良質のオペラを提供し続けている「びわ湖ホール オペラへの招待」。客席に子ども達の姿も多く、企画としても成功している。今回は、オペラの中でも一二を争う人気作「魔笛」の上演である。元々はオペラではなく市民向けのジングシュピール(音楽劇)として書かれたものだが、最晩年(といってもまだ三十代半ばだが)の円熟期を迎えたモーツァルトが庶民にも分かりやすい曲を書いたということもあって、名アリア揃いの傑作である。曲調もシリアスなものからコミカルなものまで幅広い。

指揮は阪哲朗。演奏は大阪交響楽団(コンサートマスター・林七奈)。日本語台本と演出は中村敬一が担う。日本語訳詞を手掛けたのは鈴木敬介。装置:増田寿子、衣装:村上まさあき。
ダブルキャストによる公演で、今日はA組が登場。実は、B組は夜の女王として人気ソプラノの森谷真理が出演したり、ザラストロをベテランの片桐直樹が務めていたりと、キャスト的には上なのだが、日程的にB組の回を観るのは無理であった。A組は全員、B組も森谷真理と片桐直樹以外は、びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーによるキャストとなっており、日本初の公共ホールの専属声楽家集団としてレベルは高い。日本語訳詞と日本語のセリフによる上演であり、日本人歌手の場合、演技のレッスンを余り受けていない場合も多いが、びわ湖ホール声楽アンサンブルは、その辺りもきちんとしており、上質とはいえないかも知れないが、一定のレベルに達した演技を見せてくれる。なお、今日明日と映像同時配信が有料で行われ、編集後のアーカイブのみでも購入出来る。

今日の出演は、松本治(ザラストロ)、清水徹太郎(タミーノ)、脇阪法子(夜の女王)、船越亜弥(パミーナ)、熊谷綾乃(くまがい・あやの。パパゲーナ)、迎肇聡(むかい・ただとし。パパゲーノ)、坂東達也(モノスタトス)、市川敏雅(弁者)、宮城朝陽(みやぎ・あさひ。僧Ⅰ。タミーノ役のアンダースタディとしても入っている)、美代開太(みしろ・かいた。僧Ⅱ、武士Ⅱ)、山田知加(やまだ・ちか。侍女Ⅰ)、上木愛李(侍女Ⅱ)、藤居知佳子(侍女Ⅲ)、谷口耕平(武士Ⅰ)。合唱はアルト兼メゾ・ソプラノの阿部奈緒以外は、びわ湖ホール声楽アンサンブルのソロ登録メンバーと客演の歌手が担う。3人の童子は、成人のソプラノ歌手が務めることも多いが、今回は大津児童合唱団所属の3人の女の子が出演する。

 

上演開始前に、演出の中村敬一によるお話がある。中村は、「魔笛」では、フリーメイソン同様、「3」という数がキーとなっているという話から始める。そして千円札に関するフリーメイソントリビアが語られる。千円札の肖像となっている野口英世の向かって右側の目、野口本人の視点からは左側の目が少し変だという話から入る。これは「真実の目」と呼ばれるもので、フリーメイソンの象徴にもなっているものだが、千円札に描かれた富士山にも実は仕掛けがあり、本栖湖に映っているのは実は逆さ富士ではなく、ノアの箱舟で有名なアララト山だという話もしていた。
「魔笛」の背景も語られ、先王の死により、分断が起こってしまったという話もする。
また魔笛がウィーンのリングの外にあるアン・デア・ウィーン劇場(ベートーヴェンの「運命」や「田園」が初演された劇場としても名高い)の前身となる劇場で上演され、観に来たのも貴族階級ではなく一般市民中心。貴族が観るオペラはイタリア語によるものだったが、「魔笛」は外国語を学んだことがない一般市民でもわかるようドイツ語で書かれている。今回の「魔笛」は日本語訳による上演だが、やはり一般向けに書かれたものだから、日本でやる時もわかりやすい日本語訳でやるのが正統という考え方のようである。
コロナ禍の最中であり、喋ったり歌ったりすると飛沫が5mぐらいは飛ぶというので、オーケストラピットから5m以上離れた通常より奥側での歌唱とし、歌手同士も手を握ったり抱き合ったりするシーンをなるべく減らしたソーシャルディスタンス版の演技と演出に変えたという話もしていた。

 

京都市生まれで京都市立芸術大学卒(指揮専修ではなく作曲専修の出身)である阪哲朗だが、これまでドイツでのオペラ指揮者の活動を優先させてきたため、関西で彼が指揮するオペラを聴く機会は余り多くない。
日本でも最もピリオド・アプローチによる演奏を積極的に行っている団体の一つである、山形交響楽団の常任指揮者でもある阪。そのためなのかどうかはわからないが、かなり徹底したピリオドによる演奏を展開。幕間にピットを覗いて確認したところ、管楽器はナチュラルタイプのものではなかったが、ティンパニはやはりバロックスタイルのものを採用しており、聴き慣れた「魔笛」とは大きく異なる清新な響きを生み出していた。オペラは指揮棒を使った方が歌手から見えやすいという定説があるが(ピエール・ブーレーズなどは、「そんなのは俗説だ」と一蹴している)、今日の阪はノンタクトでの指揮。びわ湖ホール中ホールはそれほど空間は大きくないので、指揮棒を使っても使わなくても余り変わりはないと思われる。指揮棒の話はともかくとして、長きに渡ってオペラ畑を歩んできただけに音運びは実に的確で、ツボの抑え方も巧みである。阪の音楽作りを聴くだけでも、びわ湖ホールに足を運ぶ価値がある。
関西のプロオーケストラのシェフは、コンサート指揮者が多いため、阪さんのようなオペラを得意とする人にももっと振って貰いたくなる。

アニメーションを多用した演出であり、序曲が始まると同時に、蜘蛛の巣のようなものや樹木などが背景に浮かぶ。やがて、「魔笛」の登場人物達の絵が浮かび上がるが、王様が死んでしまい、家臣達も消え去って、ザラストロと夜の女王の二人だけが残る。ザラストロの神殿は、ピラミッドやオベリスクが建っていてエジプト風。夜の女王の宮殿は、ヨーロッパ風にも見えるが、アラベスクがあるのでアラビア風のようでもあり、蓮の花などが出てくるため、更に東方の印象も受ける。やがて樹木の葉が落ちて冬枯れとなり。右側が赤、左側が青の背景となる。「魔笛」において重要な試練となる「火」と「水」のイメージである。やがて稲妻が走って大木が二つに割れ、ザラストロと夜の女王の決別が暗示される。王の死以外に何か原因があるのかどうかは分からないが、とにかくザラストロと夜の女王は仲違いをしたようである。

タミーノが大蛇に襲われるファーストシーンでも大蛇はアニメーションで登場する。夜の女王の侍女達により、大蛇は退治されるのだが、侍女達は大蛇のことを「オロチ」と日本古来の読み方をする。実はタミーノの衣装については「狩衣を着ている」という作者であるシカネイダーの記述があり、タミーノ日本人説があったりするのだが、今日は「オロチ」以外に特に和のテイストを入れることはなかった。
侍女達は椅子を三脚持ってくるのだが、それぞれに、「日輪」「星」「三日月」のマークが入っている。三日月はイスラム教の重要なモチーフで、その後の背景の映像にも登場するが、これはやはり終盤の「異なるものへの寛容さ」という演出に絡んでいる可能性がある。

ザラストロは、ツァラトゥストラに由来する名前であり、ツァラトゥストラとはゾロアスター教のことである。火を神聖視するゾロアスター教であるが、水も重要視され、火と水の試練が実際に説かれていたりする。実はこのモチーフはそのまま仏教にも取り入れられており、浄土への道を指す「二河白道(にがびゃくどう)」という言葉になっている。火と水との間に白い小さな道があり、阿弥陀如来が浄土へと招き、釈迦如来が此岸から白道を進むよう促すというものである。ということで、舞台を日本に置き換えることも可能であり、実際に千葉市の市民オペラで舞台を日本にした「魔笛」が上演されたこともある(千葉テレビで放送されたダイジェストを見ただけで、実演に接したわけではない)。

主筋に変更はないが、ザラストロが夜の女王達を倒して終わりではなく、最後の合唱には夜の女王や侍女達も登場し、音楽によってもたらされた和解が仄めかされている。対立を超えるのは、魔法の笛や鈴であり、引き離されたものが音楽によって再び結びつけられる。ベートーヴェンの第九でもそうだが、この時代における最新の思想では、フランス革命に繋がる「自由・平等・博愛」が重視されており、ベートーヴェンもモーツァルトも音楽こそが新たなる世界で大きな働きをすると信じていた、いや、それ以上に知り抜いていたはずである。

「魔笛」に関しては、「ザラストロが嫌い」や「夜の女王が善から悪になることに矛盾を感じる」という声が聞かれたりもするが、「どちらかが善でどちらかが悪」という単純な構図ではないように思われる。モーツァルトもベートーヴェンも、そして「魔笛」の台本を書いて初演でパパゲーノを演じたシカネイダーもフリーメイソンのメンバーであるが、フリーメイソンは思想的には当時の先端を行っており、「自由・平等・博愛」は最も重要視されていた。一方的な勧善懲悪は、当時の精神から見ても時代遅れだったかも知れない。

ザラストロが課した試練の一つに「沈黙」があるが、これはコロナ禍の今に響くものである。会話が最も危険とされるため、劇場や電車内などでのアナウンスにも「会話はお控え下さい」という文言が入っている。私などは沈黙が全く苦にならない質だが、世の中には人と話せないのが苦痛という人も多く、「沈黙」の試練が今現在起こっているということになる。

ただ一方で、スパルタ式では全くない道も示されており、試練から脱落したパパゲーノはパパゲーナを得ている(仏教における聖道門と浄土門のようなものかも知れない)。モーツァルトは、実は思想関連についてはかなり詳しい人であり、自由を重んじていた。精神論に凝り固まるというのも、一種の毒で忌避すべきことである。

「昼と夜」、「光と影」、「男と女」、「情と知」、「自由と試練」、「老いと若さ」など様々な対比があるのが「魔笛」だが、音楽はそうした対比や対立を止揚するのではなくそのまま結びつけ、「そうしたもの」として肯定していく。
分かりやすいが奥深い、それが「魔笛」であり、モーツァルトの音楽である。

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2021年1月16日 (土)

コンサートの記(683) ロームシアター京都開館5周年記念事業 シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」

2021年1月10日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」を聴く。

来場者はいつもとは少し異なっているようである。25歳以下無料招待や、留学生のための特別チケットなどもあったようだが、ロームシアターの構造をよく知らない人が多く、少なくとも常連さんは余り来ていない。あるいは招待客が多いということも考えられる。普通に考えて、雅楽とコンテンポラリーダンスという、どちらもマイナーなジャンルの組み合わせで行われる公演に数多の人が訪れるとは思えない。雅楽の演奏を行うのは宮田まゆみ率いる伶楽舎であるが、宮田まゆみが雅楽のスターとはいえ、あくまで雅楽を聴く人の中でのスターである。東儀秀樹のように自作やポピュラー音楽を奏でる人ならファンが多いが、宮田まゆみは雅楽とクラシック音楽のみなので誰もが知っているという存在ではないと思われる。
クラシック音楽好きも、同じ時間帯に京都コンサートホールで井上道義指揮京都市交響楽団によるニューイヤーコンサートが行われるため、そちらを優先させた人が多いはずである。

 

二部構成の公演で、第一部が「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」、第二部が武満徹作曲の雅楽「秋庭歌一具(しゅうていがいちぐ)」による現代舞踏作品「残影の庭-Traces Garden」(振付・出演:金森穣。出演:ノイズム・カンパニー・ニイガタよりNoism0)の上演である。

 

第一部「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」の曲目は、芝祐靖作曲の「巾雫輪説(きんかりんぜつ)」、双調音取/催馬楽「新しき年」(以上、演奏:伶楽舎)、声明「普賢讃」/舞楽「陵王」(演奏と舞:音輪会)。

雅楽では、「残楽(のこりがく)」という演奏法が一般的で、これは次第に音の数を減らして最後は篳篥と箏の掛け合いになるというものである。クラシックに例えると――例える必要があるのかどうかはわからないが――ハイドンの交響曲第45番「告別」のような感じである。箏は「輪説」という自由奏法を行う。芝祐靖(しば・すけやす)は、「輪説」に焦点を絞った新作を依頼され、「残楽」とは逆に箏の独奏から始まって次第に楽器を増やし、全員合奏で終わるという、クラシック音楽に例えるとラヴェルの「ボレロ」のような曲を構想する。だがなかなか思うようには行かず、作曲には苦労したようだ。曲名にある「巾」とは箏の一番高い音のことだそうである。
箏の独奏に始まり、琵琶の独奏が加わり、篳篥、龍笛、笙が鳴り、箏は三重奏、琵琶も二重奏となる。音のボリュームと迫力の変化が楽しい曲だが、雅やかさも失うことはない。雫がせせらぎとなって川に注ぎ、ということでスメタナの「モルダウ」が意識されている可能性がある。

後白河法皇が好んだことで知られる催馬楽であるが、一時期伝承が途絶えており、江戸時代に再興されているが、平安時代のものがそのまま復活したという訳ではないようである。
「新しき年」でも芝祐靖が復元した楽譜を使用。「新しき 年の始めにや かくしこそ はれ」という歌詞が引き延ばされつつ歌われる。

音輪会による声明「普賢讃」。仏教音楽である声明だが、「普賢讃」は日蓮宗の声明の一つである。普賢菩薩を讃える声明と雅楽が融合される。散華の場もある。そのまま続けて舞楽「陵王」。舞人は、友田享。
クラシック音楽愛好者の中には、黛敏郎のバレエ音楽「舞楽」を好むという人も多いと思われるが、その「舞楽」の本家本元の舞楽の一つであり、曲調も似ている。迫力と優雅さを合わせ持ちつつどことなくユーモラスな感じもする舞も面白い。

 

第二部「残影の庭-Traces Garden」。伶楽舎が演奏する武満徹の「秋庭歌一具」は、現代雅楽を代表する作品である。武満は、雅楽について、「まさに音がたちのぼるという印象を受けた。それは、樹のように、天へ向かって起ったのである」(音楽エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』より)とコメントしている。1962年10月、宮内庁楽部の演奏を聴いた時のコメントである。それから約10年が経った1973年に武満は国立劇場から新作雅楽の作曲の委嘱を受け、「秋庭歌」を作曲。その後、1979年に「秋庭歌」に5曲を加えた「秋庭歌一具」を完成させている。
「秋庭歌一具」は知名度も高いが、今回のようにコンテンポラリーダンスとの共演が行われたこともある。2016年に伶楽舎と勅使河原三郎によって行われたもので、この公演はその後、NHKによって放送され、私も観ている。タケミツホール(東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”)での上演であった。

今回の上演では、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・舞踏部門芸術監督の金森穣と彼が率いるNoism Company Niigataによる現代舞踏とのコラボレーションとなる。

武満徹の作品において「樹」は重要なモチーフとなっているが、演出・振付の金森穣が無料パンフレットに載せた文章にも、この新作ダンスが樹という風景を用いた「過ぎ去り日の残影」を描いた旨が記されている。

 

武満徹の「秋庭歌一具」は、中央に秋庭と呼ばれるスペースを置き、左右後方の三カ所に「木霊」と呼ばれる演奏者達を配置して庭の移ろいを描く。「木霊」は精霊であり、移ろいゆく時間そのものを表していると解釈することも可能である。
武満は、有名な「ノヴェンバー・ステップス」や劇伴になるが大河ドラマ「源義経」のオープニングテーマで邦楽器とオーケストラのコラボレーション作品を書いているが、そうした和と洋の対比ではなく、「武満徹が純粋な雅楽作品を書いた」ということ自体が歴史的な意義を持っている。古代中国由来で日本でだけ生き残った雅楽に、日本で生まれ育ったが西洋音楽の道に進み、フランスの評論家から「タケミツは日系フランス人だ」とまで言われた偉大なクラシックの作曲家が己の作風を注ぎ込む。これは時代と場所とが音楽として重層的且つ歴史的に立ち上がることに他ならない。世界で彼にしか書けないと言われたタケミツトーンが、歴史の集合体として生かされており、おそらく日本音楽史上に永遠に残る傑作である。

「庭」を題材にした作品も多い武満だが、時と共に姿を変えゆく庭は音楽との共通点を有し、時の移ろいもまた重要なテーマとなっている。

コンテンポラリーダンスの出演は、Noism0(金森穣、井関佐和子、山田勇気)。衣装:堂本教子。映像:遠藤龍。秋庭の前の空間でダンスが行われる。

まずは三人横並びで同じ動きを始めることでスタート。やがてその動きやポジショニングが徐々にずれていく。キャットウォークから赤い羽織のようなものが降りてきて、井関佐和子がそれを纏う。紅葉を表しているのだと思われる。だが、すぐに井関佐和子は上手に向かって退場。紅葉の時期はほんの一瞬で、秋の盛りが一瞬で過ぎ去ったことを示すのかも知れない。その後は、移ろいゆく時の流れとその回想からなるダンスが展開される。男性ダンサーは二人とも黒系の羽織を着て再登場するが、よく見ると一人は茶色、一人は黒の羽織で色が微妙に異なることがわかる。黒は「玄冬」ということで冬を表し、茶色は赤と黒の中間で晩秋もしくは初冬を表していると思われる。移ろう時の中で秋の思い出が何度もリフレインするが、赤と茶の二人のダンスから、赤と茶と黒の三人のダンスに変わり、季節が移り変わっていくことが表される。
やがて落葉した樹のオブジェが現れる。舞台上方にはいくつものロウソクの明かりが灯っているが、それも次第に下がってくる。背後には橙色の光が投影され、太陽の力が弱まり、冬が近いことが告げられる。赤色の秋の精も眠りにつき、やがて去る。
空白の舞台を囲む三方で雅楽の演奏が続く(「秋庭歌」の場面だと思われる。庭そのものが主役の場とされたのであろう)が、やがて秋の精が現れ、眠りから一瞬覚める。秋が終わる前の、一瞬の夢が展開される。舞台上にはダンスを行っている影の映像が投影され、秋の精も自身の思い出と共に舞う。天上から紅葉の葉が降り、初冬の精と冬の精も現れ、舞台上に投影された中秋の名月を李白のように掴もうと試み、失敗する。
やがて赤い羽織はワイヤーに乗って天上へと帰り、思い出としての秋も完全に終結する。秋の精と初冬の精は手に手を取って舞台から退場。冬の精が一人ポツンと残される。

ダンスを筋書きで描くというのは粋な行為ではないが、おおよそこのようなことが演じられているように見えた。金森のプロダクションノートからは、移ろいゆく今よりも移ろい去ってしまったものへの哀感が強く感じられる。秋の盛りよりもそれが過ぎ去った後を描いたシーンの数々は、一種の幻想美として目の奥に留まることとなった。

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2021年1月 6日 (水)

コンサートの記(679) クリスマス・オペラ「アマールと夜の訪問者たち」

2020年12月25日 兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて

午後3時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、クリスマス・オペラ「アマールと夜の訪問者たち」を観る。台本と作曲は、ジャン=カルロ・メノッティ。演出と日本語訳詞は岩田達宗(いわた・たつじ)。岩田さんはこのところ、メノッティのオペラの演出を手掛けることが多い。出演は、古瀬まきを(ソプラノ)、福原寿美枝(ふくはら・すみえ。メゾ・ソプラノ)、総毛創(そうけ・はじめ。テノール)、福嶋勲(バリトン)、武久竜也(バス)、水口健次(テノール)。合唱は、堺シティオペラ記念合唱団と宝塚少年少女合唱団。ダンサーとして宮原由紀夫(振付兼任)、佐藤惟(さとう・ゆい。男性)が出演する。日本語歌唱、字幕付きの上演であり、歌手達はマウスシールドを付けて歌う。
兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールは、前から4列目の後ろに中央通路があるのだが、その中央通路より前は全て空席となっており、舞台からの飛沫を観客が浴びないよう工夫されている。

オーケストラは園田隆一郎編曲による室内楽編成であり、指揮はオペラのスペシャリストである牧村邦彦が担当する。演奏するのは3人だけで、關口康祐(せきぐち・こうすけ。ピアノ)、蔭山晶子(かげやま・あきこ。クラリネット)、福田奈央子(チェロ)という顔触れである。アンサンブルは舞台の下手端に陣取って演奏する。
今や関西を代表するソプラノ歌手の一人となった古瀬まきをの主演、母親役をこれまた関西ではお馴染みの福原寿美枝が務め、大阪音楽大学客員教授でもある岩田達宗の演出ということもあって、関西では有名なオペラ歌手も結構観に来ている。

作曲のジャン=カルロ・メノッティ(1911-2007)は、名前からもわかる通り、イタリア出身である。11歳にして初めてのオペラを自らの台本によって書いた神童であり、ミラノ音楽院に学んだ後で、同郷の大指揮者であるトスカニーニに誘われる形で渡米。フィラデルフィアのカーティス音楽院でも学んでいる。メノッティは同性愛者であったが、カーティス音楽院在学中に同じく同性愛者であるサミュエル・バーバーと知り合い、パートナーの関係になっている。当時はアメリカにおいても同性愛は認められにくい傾向にあり、バーバーは生涯そのことに悩まされることになるが、おそらくメノッティの場合も同様であり、また足に障害があったということもあって、生きることの苦悩が作品に反映されている。


「アマールと夜の訪問者たち」は、1950年にNBCから依頼を受けてテレビ用オペラとして書かれた作品であり、最初からテレビ用のオペラとして書かれた史上初の作品である。メノッティはメトロポリタン美術館で出会った絵画「東方三博士の礼拝」にインスピレーションを受けてこのオペラを完成させている。

「アマールと夜の訪問者たち」は、上演時間約50分と短いため、本編上演の前に第1部として、同じ西宮市内に本部のある関西学院大学神学部助教で関西学院宗教センター宗教主事も務める井上智(いのうえ・さとし)のトークと、宝塚少年少女合唱団(今日は女の子のみの出演。合唱指導・指揮:笠原美保)による讃美歌の合唱がある。
東方三博士ということで、3という数字がキーになっており、宝塚少年少女合唱団が歌った讃美歌も3曲全てが三拍子、本編の演奏は3人で行われ、セットも三角屋根のテントや頂点がオベリスクのように三角形になった背景が使用されている。アムールが初めて歌うアリアも三拍子で、設定上も3は重要な数となる。ただストーリーやメッセージは3が軸になるものではない。

井上智の話は、「暗闇の中で見る光」をテーマにしたもので、関西学院大学大学院修了後に岩手県での教会活動に従事した時の思い出に始まり、今自分であることの幸せをこのオペラの中に見出すという解釈を示した。ちなみにクリスマスは12月25日であるが、イエスの生まれた日も季節もはっきりとはわかっておらず(馬小屋で生まれたというのが本当なら少なくとも寒い季節ではなかったはずである)、冬至を過ぎて日が少しずつ長くなる頃が相応しいということで取り敢えず12月25日に決まった。ただ国や地域によっては1月6日をクリスマスとするところもあるという。
一応日本でも有名であるが、詳しいことは知られていない東方の三博士についても解説し、三博士は最初から三博士と決まっていたわけではなく、古い宗教画などを見ると、東方から集団でやって来る博士(王、占い師などそのほかのパターンもある)が描かれていたりもするという。ただ贈りものが三種類であったため、最終的には三人ということになり、今に到っているそうである。また、この三人は人間の人生における形態、つまり、青年、壮年、老年を表し、更に当時知られていた3つの大陸、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの三つの象徴でもあるとされたそうである。王だったり博士だったり占い師だったりするのは理由があり、占術に長けた者が王として君臨することになった神託政治の時代があり(日本の邪馬台国なども「鬼道をこととしよく衆を惑わす」卑弥呼が王座にあるなど似た状況の時代は存在した。弓削道鏡と和気清麻呂の宇佐八幡宮託宣事件なども同じような部類に入ると思われる)、同一視されていたという。

 

主人公の少年、アマール(初演時はボーイソプラノが演じたが、演技力が必要であるため、現在ではソプラノ歌手が務めることが多い。演じるのは古瀬まきを)は、片方の足が不自由だが、想像力豊かな少年である。ただ母親(福原寿美枝)は単なる虚言癖だと見做しており、厄介に思っている。クリスマス直前のある日、アマールは巨大な星を見つけ、それに想像を加えて話すが、母親はアマールに早く寝るよう言いつける。アマールは、当時最下層の仕事である羊飼いをしており、極貧生活を強いられていた。その羊飼いも羊が死んでしまったことで続けられなくなりそうであり、母親は乞食になるしかないと嘆く。やがて、従者に導かれた三人の王様がアマール達の前に現れる。一人は黒人、一人は白人、一人はアジア人(アラブ系)で、みなそれらしい格好をしている。アラブ系の王であるカスパール(総毛創)は老人であり、耳が遠い。
三人の王様は、特別な子を探してやって来たと言い、その子の特徴を語る。その子の特徴はアマールにも当てはまるので、母親はそのことを歌う。やがて村人達(村人達は口の前に布を垂らし、頭巾を被るという大谷吉継スタイルのコロナ対策であるが、いかにも異境の人という見た目であり、自然に見える)が現れ、王達に贈りものをして歓迎の宴が始まる。アラブ風の格好の青年二人がアクロバティックなダンスを披露するなどかなり盛り上がる。ステージの上に階段4つ分の高さのステージがあるダブルステージなのだが、アマールは下のステージに降りて牧童の笛を吹き、一緒に盛り上がる(バッハのようだが「音楽の贈りもの」と受け取ることも出来る)。一方、母親は自分だけが贈りものすら出来ないため輪に加われず、上のステージの下手奥に一人所在なげに佇んでいる。三人の王様が寝静まった深夜、母親は貧困の身である苦悩を歌い、富豪達の想像力の欠如を嘆き、恨む。そして王達の財宝を盗もうとするのだが、従者に見つかってしまい……

ストーリー自体は子どもでもわかるシンプルなものであり、主人公のアマールが少年ということもあって共感も得やすいはずである。ただ、一見するとハッピーエンドに思えるストーリーの裏に、生きることの苦しみが宿っているようにも思える。
なくてはならはいはずの松葉杖を贈りものにしようとしたことで奇跡が起こり、アマールの足が治る。だが、アマールは松葉杖を贈りものとして持って、三人の王(全ての人種と全ての世代の象徴である)と共に星が告げる救世主の下に向かうことを母親に告げ、母親も松葉杖をアマールに背負わせる。補助や導きの役割と同時に不自由と苦しみの象徴である松葉杖を背負って旅をするということは、多くの人々の人生のメタファーであり、旅路は決して前途洋々としたものではないかも知れない。だがそれでもアマールは向かう。

15歳の頃、『巴里の憂鬱』というタイトルに惹かれてボードレールの詩集を購入した。その中にある「人皆キメールを背負えり」という詩が気に入った。不可解さを背負いつつ生き続ける人間存在への確かな眼差しが、その詩には描かれていた。松葉杖を背負って果てしない旅へと向かうアマールの姿が、ボードレールの詩に重なった。
天空を一人で支えるアトラスのように、全人類の悲しみを支える興福寺阿修羅像のように、とまではいかないが、彼こそが希望であり、我々の分身でもあり、代表でもある。それ故に心が躍る。豊かな想像力を武器とすれば、苦悩と宿命を背負ってはいても我々は希望へと到るために歩き続けることが出来る。
私の座右の銘は徳川家康公遺訓だが、最初の行である「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し急ぐべからず」はこの物語にも繋がる。人種や時代は違えど人間の本質はそう大きく異なるものではないし、異なるはずがない。

例年なら日本の年末のクラシックシーンは第九一色になるが、第九の「歓喜の歌」もこれに似たメッセージを持っている。あれは「歓喜! 歓喜! 万歳! 万歳!」という能天気な内容ではなく、共に苦難を生きる人類の旅路を歌ったものであり、まだ訪れていない輝かしい未来への讃歌である。1年の終わりに自分だけでなく全人類の未来を夢見る儀式のようなものがあるというのは、おそらく良いことなのだと思われる。

 

日本社会においてはオペラは根付くのに時間が掛かっており、観たことのない人からは、「外国語を使った高尚で近づきがたい存在」か、「太った男女がわけのわからないことを歌っているへんちくりんなもの」という両極端なイメージで語られてしまうことも多いのだが、オペラとは今に到るまで作品が生き続けている偉大な作曲家のメッセージが込められたものであり、生きるための糧となるものが得られる豊穣なる時間の果実である。

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