カテゴリー「宗教」の26件の記事

2025年2月12日 (水)

観劇感想精選(483) 渡邊守章記念「春秋座 能と狂言」令和七年 狂言「宗論」&能「二人静」立出之一声

2025年2月8日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、渡邊守章記念「春秋座 能と狂言」を観る。毎年恒例となっている能と狂言の上演会である。今回の狂言の演目は「宗論」、能は「二人静」立出之一声である。

片山九郎右衛門(観世流シテ方)と天野文雄(大阪大学名誉教授)によるプレトークでは、能「二人静」立出之一声の演出についての話が展開される。『義経記』を元に静御前の霊を描いた「二人静」。静御前は日本史上最も有名な女性の一人であるが、その正体についてはよく分かっておらず、不自然な存在でもあるため、架空の人物ではないかと思われる節もある。正史である『吾妻鏡』には記されているが、公家の日記や手紙など、一次史料とされるものにその名が現れることはない。『義経記』は物語で、史料にはならない。
「二人静」は、元々はツレの菜摘の女と、後シテの静の霊が同じ舞を行うという趣向だったのだが、宝生九郎が「舞の名手を二人揃えるのは大変」ということで宝生流では「二人静」を廃曲とし、観世元章も同じような考えも持つに至った。ただ廃する訳にはいかないので、立出之一声という新しい演出法を行うことにしたという。立出之一声を採用しているのは観世流のみのようである。
二人とも狂言に関する解説は行わなかった。

 

狂言「宗論」。宗派の違う僧侶同士が論争を行うことを宗論という。仏教が伝来した奈良時代から行われており、最澄と徳一の三一権実論争などが有名だが、史上、たびたび行われており、時には天下人を利用したり利用されたりもしている(安土宗論など)。現在の仏教界は共存共栄路線を取っているので、伝統仏教同士で争うことは少ないが、昔は宗派による争いも絶えず、時に武力に訴えることもあった。
出演は、野村万作(浄土僧。シテ)、野村萬斎(法華僧。シテ)、野村裕基(宿屋。アド)。三世代揃い踏みである。
京・日蓮宗大本山本国寺(現在は本圀寺の表記で山科区にあるが、以前は洛中にあった。山科に移る前は西本願寺の北にあり、塔頭は今もその周辺に残るため、再移転の案もある。江戸時代には水戸藩との結びつきが強く、水戸光圀より圀の名を譲られて本圀寺の表記となっている)の僧で、日蓮宗の総本山、身延山久遠寺(甲斐国、現在の山梨県にある。日蓮は鎌倉幕府から鎌倉か京都に寺院を建立しても良いとの許可を得たが、これを断って、僻地の身延山に本山を据えた)に詣でた法華僧(野村萬斎)は、都への帰り道で、同道してくれる都の僧侶を探すことにする。丁度良い感じの僧(野村万作)が見つかったが、よく話を行くと、東山の黒谷(浄土宗大本山の金戒光明寺の通称)の僧で、信濃の善光寺から京に帰る途中だという。
共に有名寺院の僧侶であったことから、宿敵に近い関係であることがすぐに分かる。
浄土宗と日蓮宗は考え方が真逆である。往生を目的とするのは同じなのだが、「南無阿弥陀仏」の六字名号を唱えれば極楽往生出来るとするのが浄土宗、「妙法蓮華経」を最高の経典として日々の務めに励むのが日蓮宗である。日蓮宗の宗祖である日蓮は、『立正安国論』において、「今の世の中が悪いのは(浄土宗の宗祖である)法然坊源空のせいだ」と名指しで批判しており、浄土宗への布施をやめるよう説いていたりする。

互いに自宗派の優位を説く法華僧と浄土僧。法華僧は、嫌になって「在所に用がある」「何日も、数ヶ月も掛かるかも知れない」といって、同道をやめようとするが(「法華骨なし」という揶揄の言葉がある)、浄土僧は「何年でも待ちまする」とかなりしつこい(「浄土情なし」という揶揄が存在する)。
何とかまいて、宿屋へと逃げ込む法華僧だったが、浄土僧も宿屋を探り当て、同室となる……。

法華僧が論争にそれほど積極的ではないのに、扇子で床を打つ様が激しく、浄土僧も扇子で床を叩くが言葉の読点を置くようにだったりと、対比が見られる。性格と態度が異なるのも面白いところである。浄土僧は法然から授かった数珠を持っており、法華僧は日蓮から下された数珠を手にしているということで、かなりの高僧であることも分かる。本圀寺と金戒光明寺という大本山の僧侶なのだから、その辺の坊主とは違うのであろう。
最後は、浄土僧が「南無阿弥陀仏(狂言では「なーもーだー」が用いされる)」、法華僧が「妙法蓮華経」を唱えるが、いつの間にか逆転してしまうという笑いを生むのだが、それ以前から逆転の現象は起こっているため、最後だけとってつけたように逆転を起こしている訳ではないことが分かる。

 

能「二人静」立出之一声。出演は、観世銕之丞(前シテ、里女。後シテ、静御前)、観世淳夫(菜摘女。ツレ)、宝生常三(勝手宮神主。ワキ)。鳴り物は、亀井広忠(大鼓)、大倉源次郎(小鼓)、竹市学(笛)。

大和国吉野。神主が菜摘女に、菜摘川に若菜を採りに行くよう命じる。菜摘女は菜摘川の近くで、不思議な女に声を掛けられる。罪業が重いので、社家の人々に弔ってくれるよう伝えて欲しいというのだ、菜摘女は憑依体質のようで、女が取り憑き、判官殿(源九郎判官義経)の身内と名乗り出る。
春秋座は歌舞伎対応の劇場なので、花道があり、途中にセリがある。静御前の霊は、このセリを使って現れる。
しばらくは共に大物浦や吉野山の話(義経関連のみではなく、後に天武天皇となる大海人皇子の宮滝落ちの話なども出てくる。ちなみに天武天皇も天智天皇の「弟」である)などをしていた菜摘女と静御前の霊であるが、互いに舞い始める。最初は余り合っていないが、次第に二人で一人のようになってくる。
ただ、頼朝の前での舞を再現するときは、菜摘女のみが舞い、静御前は動かない。おそらく頼朝の前で舞を強要された屈辱から、同じ舞を行うことを拒否しているのだと思われる。その他の理由は見当たらない。そして「しづやしづ賤の苧環繰り返し昔を今になすよしもがな」から再び静は菜摘女と一体になり、存在を示す。

近年のドラマは、ストーリーよりも「伏線回収」が重視されているような印象を受けるが(物語は謎解きではないので必ずしも良い傾向だとは思えない)、今日観た狂言と能の演目は、伏線のしっかりした作品である。ただし、ある程度の知識がないと伏線が伏線だと分からないようにはなっている。

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2024年12月 9日 (月)

浄土宗開宗850年記念 法然フォーラム「これからの幸せ in 大阪」@大阪市中央公会堂

2024年11月12日 中之島の大阪市中央公会堂大集会室にて

午後6時30分から、中之島の大阪市中央公会堂(中之島公会堂)大集会室で、浄土宗開宗850年記念 法然フォーラム「これからの幸せ in 大阪」に参加する。応募抽選制で、当選者にだけ葉書が届いて来場可能なシステムになっている。

司会進行役は笑い飯の哲夫。今は仏教好きの芸人として有名で、東京大学で仏教の講座を開き、浄土真宗本願寺派の大学である相愛大学の客員教授も務めるほどだが、初めのうちは仏教好きを隠していたそうである。大学もミッション系の関西(かんせい)学院大学を出ており、誕生日もクリスマスである。ちなみに1974年生まれで私と同い年である。以前、「ムーントーク」というトーク公演を二人で行っていたテンダラーの浜本広晃も1974年生まれだが、彼は早生まれなので同い年ではない。よしもと祇園花月で、「ムーントーク」に二人が出演した際、お見送りがあったのだが、哲夫さんには「同い年です」と言って握手したが、浜本さんは同い年ではないので特に言葉は掛けていない。

まず哲夫と、浄土宗総合研究所副所長の戸松義晴が登場し、今回のイベントの趣旨を紹介した後で、スペシャルゲストのIKKOに出番を譲る。IKKOの出演時は、哲夫ではなくIKKO専属インタビュアーの岩崎さんという女性が仕切りを受け持つ。
IKKOは黒い着物姿で登場。宝づくしの柄で赤い糸が入り、桐の花が誂えられている。
「どんだけー!」と言って、舞台上手側から登場したが、仏教のイベントということで、「どんだけー!」と言っていいのかどうか迷ったそうである。だが、自分と言えば「どんだけー!」なのでやることにしたそうだ。

現在、62歳のIKKOだが、50歳の時に習字を教わるようになり、今では書家として字も売りの一つとなっている。字自体は40代の頃から独自に書いていたそうだが、思ったよりも上手くいかないというので、50歳になったのを機に習い始めたそうだ。
「川の流れのように」「福」「笑門」などの文字を好んで書くという。38歳の時にパニック発作が起こり、故郷の福岡県の田舎に戻って療養していたことがあるのだが、空気や山などに音があることにその時初めて気がついたそうだ。
人生はそのようにちょっとしたことで変わり、頭の中の色に敏感になることや、見える景色を大切にする必要性などについて語った。
音楽は、島津亜矢の「夜汽車」や布施明の「カルチェラタンの雪」が好きだそうで、実際に流して貰っていた。また荒木一郎の歌声が好きだそうである。

「今日の一日に感謝」と書かれた文字がスクリーンに映し出され、一日の中にも様々な気付きがあることを述べる。
最後は、最新の書、「笑」と「笑福寿」の披露。「笑福寿」はIKKOの造語だそうである。六十代に入ってからは、「見ざる言わざる聞かざる」をモットーとしたいとも語った。

休憩時間を挟んで、まず哲夫による一人漫談。漫才師としてはM-1王者にもなっている笑い飯・哲夫だが、ピン芸は得意ではなく、R-1では早い段階で敗退することが多い。今日も「滑った」と語っていた。「ありがとう」の反対は「当たり前」だということや、馬関係の「埒があかない」や「拍車を掛ける」などの話もする。
また相手をうらやむ心を打ち消すには、他人の幸せも自分の幸せとして受け入れればいい、ということで、「自他平等」も唱えていた。
「幸」という字は、元々は手枷を図案化したもので、良い文字ではないのだが(名前に付けるとよくない漢字説もある)、死刑になる時代に手枷だけで済むのなら幸せという解釈も披露していた。
ちなみに、「これからの幸せ」は、全国9カ所で行われ(京都でも初回が行われている。ただしゲストは三浦瑠麗であった)今日が楽日なのだが、毎回参加している戸松義晴によると、哲夫の話は毎回「9割一緒」で、やはり滑るそうで、「本場の大阪なら受けるかと思ったが、やはり滑った」そうである。哲夫は、「浄土宗さんのフォーラムの司会をさせて貰っていますが、実は家は曹洞宗」と明かしていた。ただ家の仏壇の本尊は阿弥陀如来だったそうである。
江戸時代に宗門人別改などの関係で家の宗派が固定されるまでは、意外に宗派の選択は自由で、禅と念仏の両方をやるのが普通だったり、家の宗派とは関係なく、自由に信仰したい宗派を選んでいたりしたようだ。

なお、浄土宗、浄土真宗(真宗)、時宗などの念仏宗は易行であるため庶民に広がって信徒も多く、日本の仏教の信徒数1位は浄土真宗本願寺派で確定(真宗系の信徒は「門徒」と呼ばれる)。2位も正確な数は分からないが、浄土宗、真宗大谷派などの念仏系が争っている。天台、真言なども庶民の信仰者は多いが、どちらかというと上流階級向けの宗派であり、当然ながら上流階級は人数が少ない。

浄土宗は徳川将軍家が信仰した宗派で、江戸時代には優遇された。京都の総本山知恩院には徳川の三つ葉葵の紋が多く見られる。京都には知恩院の北に黒谷こと金戒光明寺もあるが、これらは東海道を挟んだ隠れ城郭寺院となっており、有事に備えられるようになっていた。幕末の京都守護職、松平容保ら会津藩は金戒光明寺を本陣としている。なお会津松平家の宗派は浄土宗でないどころか仏教でもなく神道である。神道を家の宗教とするほぼ唯一の大名家であった。


哲夫の司会、元ABCアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとなっている三代澤康司(みよさわ・やすし)と、奈良県吉野郡の西迎院副住職の女僧・光誉祐華(こうよゆうか)、そして戸松義晴を迎えてのパネルトーク。

三代澤康司は、哲夫の大分年上の先輩になるそうだ。奈良県公立トップ進学校である奈良県立奈良高校の出身で(奈良商業高校出身の明石家さんまが、哲夫が奈良高校出身なのを聞いて驚いたという話がある。ちなみに相方の笑い飯・西田も奈良女子大学文学部附属高校出身で、女子大の附属ということで笑われることもあるが、国立大学の附属であるため、こちらもかなりの進学校である。有名OBに八嶋智人がいる)、奈良高校は今は校地が移転してしまったが、以前は東大寺や興福寺にすぐ行ける場所にあり、仏教的な感性を養うのに最適な環境だったという。
三代澤は、奈良高卒業後は大阪市立大学に進学。大阪市立大学は現在は大阪府立大学と合併し、大阪公立大学(「ハム大」という略称があるようだ)となっている。大阪市立大学を5年掛けて卒業した後で、朝日放送のアナウンサーとなり、4年前に定年退職を迎えたそうである。
三代澤は、「うちは浄土宗」と述べるが、家の宗派が浄土宗であると分かったのは、つい最近だそうで、松本出身の父親(98歳で存命中)の菩提寺を探し当てて、そこが浄土宗の寺院だったそうである。ただ、三代澤の家系は曹洞宗の家が多く、「なぜ家だけ浄土宗?」と思ったのだが、なんでも曾祖父が曹洞宗の寺院の住職と喧嘩して宗門替えを行っていたことが分かったという。

光誉祐華は、お寺に生まれ育ち、佛教大学を出て、実家の寺院の仕事に就いたのだが、信徒がお年寄りしかいなかったため、「若い人を呼ばないと」と思い立ち、若い人のいるライブハウスで、仏教にちなんだ歌をうたうなど、「現代の辻説法」を行っていたという。以前は愛$(アイドル)菩薩を称していた。

「これからの幸せ」についてであるが、出演者の多くが「気付き」という言葉を口にしていた。
「幸せ」というものは、実は「ある」もので、それに気付くか気付かないかに左右されることが多いように感じられる。「幸せ」は創造するものではなく、むしろ創造するのは困難で、今ある「幸せ」に気付くのがよりよい幸せに繋がるような気がする。
三代澤が、スポーツ紙5冊、一般紙4冊を毎朝読んでから仕事に向かうという話を受けて、哲夫が、松本人志や百田尚樹の不祥事が一般紙にも載るようになったことを語っていたが、彼らは幸せを自らの手で切り開いた系であり、それゆえに脆いのではないかという印象も受ける。大きな話に寄りかかるようになり、身近で起こる小さなことに気付きにくくなるからである。

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2024年11月13日 (水)

おとの三井寺 vol.3 「二十四節気の幻想劇」

2024年11月2日 滋賀県大津市の三井寺勧学院客殿(国宝)にて

大津へ。三井寺こと園城寺の国宝・勧学院客殿で、「おとの三井寺 vol.3 『二十四節気の幻想劇』」を観る。作曲家の藤倉大が、三井寺の委嘱を受けて作曲した「Four Seasons(四季)」~クラリネット、三味線と和歌詠唱のための~を軸に、藤倉作品と藤倉が選曲に関わったと思われる作品の演奏に、串田和美によるテキスト、朗読、演出を加えた幻想劇として構成したものである。

午後2時開演で、開場は午後1時30分から。少し早めに三井寺に着いたので、三井寺の唐院灌頂堂、三重塔、金堂などを訪ねた。
三井寺には、延暦寺僧兵時代の武蔵坊弁慶が奪って延暦寺へと引き摺って歩いたという伝説のある弁慶引き摺り鐘などがある。

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三井寺勧学院客殿で行われる「おとの三井寺 vol.3 『二十四節気の幻想劇』」。勧学院客殿は造営に豊臣秀頼と毛利輝元が関わっており、桃山時代を代表する客殿として国宝に指定されている。
床の間(で良いのだろうか)の前に台が用意されて、下手側から順に三味線・謡の本條秀慈郎、クラリネットと選曲・構成の吉田誠、テキスト・朗読・演出の串田和美の順に席に座る。
串田の「じゃ、やろうか」の声でスタート。

藤倉大の作曲と、おそらく選曲も手掛けた曲目は、藤倉大の「Autumn」(園城寺委嘱作品)、バルトークの44の二重奏曲から第36番「バグパイプ」、虫の音による即興、ドビュッシーの「月の光」~スティングの「バーボン・ストリートの月」、ジョン・ケージの「ある風景の中で」、ドナトーニのClair(光)から第2曲、ドビュッシーの「雪の上の足跡」、クルタークの「The Pezzi」からアダージョ、藤倉大の「Winter」(園城寺委嘱作品/世界初演)、端唄「淡雪」(編曲:本條秀太郎)、端唄「梅は咲いたか」、藤倉大の「Spring」(園城寺委嘱作品)、端唄「吹けよ川風」、藤倉大のタートル・トーテム~クラリネット独奏のための、端唄「夜の雨」、藤倉大の「Neo」~三味線独奏のための、坂本龍一の「honji Ⅰ」、藤倉大の「Summer」(園城寺委嘱作品/世界初演)、Aphex Twinの「Jynweythek」、ドビュッシーの「月の光」、藤倉大の「Autumn」(園城寺委嘱作品)のリピート。
楽曲構成は「おとの三井寺」の芸術監督である吉田誠が行い、串田和美の手によるテキストは「詩」とされている。

串田和美が読み上げるのは未来からの回想。かつて日本には四季と呼ばれる四つの季節があり(未来にはなくなっているらしい)、それを更に細分化した二十四節気というものも存在したと告げる。「幻想劇」と銘打っているため、テキストもリアリズムからは遠いものであり、ノスタルジアを感じさせつつ、季節が登場人物になったり、冬の寒さが原因で殺人事件が起こったり(カミュの『異邦人』へのオマージュであろうか)と、異世界のような場所での物語が展開される。だが、四季とは最初からあったのか、人間が決めたものではないのかとの問いかけがあり、人間は賢かったのか愚かだったのかの答えとして、「賢いは愚か、愚かは賢い」というシェイクスピアの「マクベス」の魔女達の言葉の変奏が語られたりした。夏休みの宿題の締め切りが、人類が抱えている課題への締め切りになったりもする。その上で、目の前の現実と、頭の中にある出来事、どちらが重要なのかを問いかけたりもした。フィクションやイマジネーション、物語の優位性や有効性の静かな訴えでもある。

今回メインの楽曲となっている藤倉大の「Four Seasons」~クラリネット、三味線と和歌詠唱のための~は、園城寺の委嘱作品であるが、「Autumn」と「Spring」は昨年初演され、「Winter」と「Summer」は、今日が世界初演で、全曲演奏も今日が初演となる。
季節ごとに鍵となる和歌が存在しており、「Autumn」は、大田垣蓮月(尼)の「はらはらと おつる木の葉に 混じり来て 栗のみひとり 土に声あり」、「Spring」も大田垣蓮月の「うかれきし 春のひかりの ながら山 花に霞める 鐘の音かな」、「Winter」は大僧正行尊(三井寺長吏)の、「(詞書:月のあかく侍りける夜、そでのぬれたりけるを)春くれば 袖の氷も 溶けにけり もりくる月の やどるばかりに」、「Summer」が源三位頼政の「(詞書:水上夏月)浮草を 雲とやいとふ 夏の池の 底なる魚も 月をながめば」。平氏に仕えながら、以仁王に平家打倒の令旨を出させた源頼政であったが、作戦は平家方に露見。以仁王は三井寺に逃げ込み、頼政もそれを追って三井寺に入っている。両者は宇治平等院の戦いで敗れているが、当時、平等院は三井寺の末寺であったという。
和歌のように無駄を省いた楽曲であり、音という素材そのもので勝負しているような印象も受ける。
吉田のクラリネットも本條の三味線も上手いだけでなく、勧学院客殿の雰囲気に合った音を生み出していたように思う。


最後に、三井寺第164代長吏・福家俊彦のお話がある。福家長吏は、この作品が四季を題材にしたものであることから、道元禅師の「春は花、夏ほととぎす秋は月冬雪せえて冷し(すずし)かりけり」を引用し、串田の詩の内容を受けて、最近は理性や理屈が力を持っているが、理性はある意味、危険。理性ばかりが大切ではないことを教えてくれるのが芸術、といったようなことを述べていた。

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2024年10月16日 (水)

コンサートの記(861) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第581回定期演奏会 ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」

2024年9月24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第581回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。
今日は事前にチケットを取らず、当日券で入った。

曲目は、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」1曲勝負である。
第九とほぼ同時期に作曲された「ミサ・ソレムニス」。以前は、荘厳ミサ曲という曲名で知られていたが、「荘厳」という訳語が本来の意味とは異なる(「盛儀の」「正式の」といった意味の方が近い)ということで、最近では、「ミサ・ソレムニス」と原語の呼び方に近い表記が採用されるようになっている。
ベートーヴェンが4年がかりで作り上げた大作である。無料パンフレットによると演奏時間は約83分。宗教音楽ということで、神聖さや敬虔さも描かれているのだが、同時にドラマティックであり、第九が人間世界を描いているのに対し(第2楽章は宇宙的で、第3楽章は楽園的であるが)、「ミサ・ソレムニス」は神に近いものを描いていると言われる。ただ、有名な「心より出で--再び心に届かんことを!」という警句が書かれており、この「神」というのは「音楽」または「音楽の神ミューズ」ではないかと受け取れる部分もある。

「ミサ・ソレムニス」は、傑作の呼び声も高いのだが、上演が難しいということで、プログラムに載ることはほとんどない。私も生演奏を聴くのは初めてである。


午後6時30分頃から、大フィル定期演奏会の名物となっている大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長(裏方トップ)の福山修氏によるプレトークサロンがホワイエである。
大フィルは、ベートーヴェン生誕250年に当たる2020年に「ミサ・ソレムニス」を尾高忠明の指揮で上演する予定だったのだが、コロナ禍により上演中止に。練習などは進んでいて、「1年も経てば収まるだろう」との読みから、翌2021年にも「ミサ・ソレムニス」の上演がアナウンスされたのだが、コロナ禍が長引いたため、やはり上演不可。最初の計画から4年が経って、ようやく上演が可能になった。今日は129名での大規模演奏になるという。大阪フィルハーモニー合唱団は、アマチュアの合唱団であり、「なぜプロのオーケストラの演奏会でアマチュアを歌わせるのか?」という疑問を投げかけられることがあるそうだが、尾高さんも「上手さだけじゃない」と語っているそうで、結成51年目になる伝統が持つ味わいが重要なのだと思われる。
合唱指揮者による指揮から全体の指揮者の指揮に変わるタイミングについても質問があり、今回はリハーサルは合唱指揮者の福島章恭(あきやす)が行った後の本番4日前から尾高によるオーケストラ、合唱、独唱者の全体練習が始まったそうである。ちなみに、大阪フィルハーモニー合唱団のトレーナーは、昨日、京都コンサートホールで歌ってた大谷圭介が務めている。

今回の定期演奏会は変則的で、大フィルは同一演目2回公演が基本であるが、振替休日の昨日がマチネー、今日がソワレとなる。大フィルの定期演奏会は、初日が金曜日のソワレ、2日目が土曜日のマチネーとなることも多いが、1日目がマチネーで2日目がソワレという逆の日程は珍しい。

「ミサ・ソレムニス」の初演は、1824年だそうで、当初はその予定ではなかったが、期せずして初演200周年の記念演奏になったという。

福山さんの説明が終わった後で、来場者からの質問のコーナーが設けられており、大フィルの6月定期と7月定期で予定されていた指揮者が相次いでキャンセルしたが、代役というのは早くから見つけているものなのかといった質問(6月のデュトワの客演は、デュトワが先に指揮した新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏で、「体調がおかしいようだ」との情報がWeb上で流れていたため、早めに代役捜しが行われたと思われる)があった。
実は私もザ・シンフォニーホールが定期演奏会場だった時代に質問したことがあるのだが(トーン・クラスターについて)、何故か福山さんと二人で私も解説する羽目になったため、以後は控えている。

質問コーナーが終わった後でも、福山さんには質問出来るので聞いてみた。なお、福山さんとは何度も話し合っている間柄である。
質問は、大フィルのヴィオラ奏者に一樂もゆるという名前の奏者がいたので、「この一樂さんというのは、一樂恒(いちらく・ひさし)さんのご兄弟ですか?」というもの。一樂恒は、現在は京都市交響楽団のチェロ奏者だが、入団以前は、フリーで、京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団によく客演奏者として参加していた。京都のお寺で演奏会を行うというイベント、「テラの音(ね)」コンサートにも出演したことがあり、左京区北白川山田町の真宗大谷派圓光寺(ここは一般のお寺だが、すぐ近くの左京区一乗寺に臨済宗の圓光寺があり、こちらは徳川家康開基の観光寺で、間違えて真宗大谷派の圓光寺に来てしまう人がいるそうである)で行われた「テラの音」では、チェロを弾く前に(他の仕事があったため遅れて参加)京都市内の高低差について話し、この辺りは東寺のてっぺんと同じ高さらしいと語っていた。
福山さんによると、実は一樂もゆるというのは、一樂恒の奥さんで、結婚して苗字が変わったとのことだった(仕事上の旧姓表記にはしなかったようである)。「ライバル楽団の奏者と結婚」と仰っていた(何度も語ってはいるが、福山さんには正体を明かしていないので、私が京都在住だということも多分、ご存じないはずである)。ここでちょっと核心を突いてみる。「お父さんは、大谷大学の一樂(真)教授(真宗学の教授で僧侶でもある)」と口にする。福山さんがビクッとして顔を一瞬引いたので、実際そうであることが分かる。「いやー、よくご存じで」とのことだった。京都でも一樂という苗字は珍しく、しかも仏教系の苗字。年齢的にも親子ほどの差で、名前も一文字。「恒」というのは「恒河沙(ごうがしゃ)」の「恒」。ということで親子の可能性が高かったのだが、知り合いの真宗大谷派の住職に聞いても、「一樂教授のことは知っているけど(真宗界隈では一樂真は有名人である)、音楽のことは知らない」とのことで確証が持てなかったのだが、福山さんなら多分ご存じだろうということで、聞いてみたのである。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、舞台後方に独唱者と合唱が並ぶので、ティンパニは指揮者の正面ではなく、やや下手よりに据えられる。指揮者の正面の一段高いところに独唱者(ソプラノ:並河寿美、メゾ・ソプラノ:清水華澄、テノール:吉田浩之、バスバリトン:加藤宏隆)が横一列に並び、その背後に横長の階段状の台を並べて大阪フィルハーモニー合唱団が控える。


大フィルとのベートーヴェン交響曲チクルスでも好演を聴かせた尾高。「ミサ・ソレムニス」でも確かな造形美と、磨かれた音、決して大仰にはならないドラマ性といった美点溢れる演奏を聴かせてくれる。

基本的にモダンスタイルの演奏だが、第1曲「キリエ(主よ)」や第5曲「アニュス・デイ(神の子羊)」では、弦楽器がノンビブラートかそれに近い奏法を見せる場面もあり、部分的にピリオドなども取り入れているようである。
大阪フィルハーモニー合唱団も力強い合唱。フェスティバルホールは良く響くが声楽が割れやすい会場でもあるのだが、今日は音が飽和する直前で止めた適度な音量で歌われる。この辺は流石、尾高さんである。

第4曲「サンクトゥス(聖なるかな)」には、コンサートマスターによる長大なソロがあり(ヴァイオリン協奏曲ではない曲で、これほど長いヴァイオリンソロを持つ作品は他にないのではないかといわれている)、崔文洙が甘い音色による見事なソロを奏でた。

もう少し野性味があっても良いとも思うのだが、尾高さんの音楽性にそれを求めるのは無理かも知れない。イギリス音楽やシベリウスを得意とする人である。

ともあれ、取り上げられる機会の少ない「ミサ・ソレムニス」を美しい音色と歌声で彩らせた素敵な演奏だった。「素敵」という言葉が最もよく似合う。

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2024年5月12日 (日)

2346月日(41) 京都文化博物館 「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」

2024年5月1日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」を観る。王城の西の護りを担った松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)が所蔵する史料や絵図、木像などを集めた展覧会。

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松尾山山上の磐座を祀ったのが始まりとされる松尾大社。祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)は、「古事記」にも登場する古い神で、近江国の日吉大社にも祀られている。別名は「山王」。大山咋神は素戔嗚尊の孫とされる。松尾山山麓に社殿が造営されたのは701年(大宝元)で、飛鳥時代のことである。ちなみに、松尾大社の「松尾」は「まつのお」が古来からの正式な読み方であるが、「まつおたいしゃ」も慣例的に使われており、最寄り駅の阪急松尾大社駅は「まつおたいしゃ」を採用している。
社名も変化しており、最初は松尾社、その後に松尾神社に社名変更。松尾大社となるのは戦後になってからである。

神の系統を記した「神祇譜伝図記」がまず展示されているが、これは松尾大社と神道系の大学である三重県伊勢市の皇學館大学にしか伝わっていないものだという。


松尾大社があるのは、四条通の西の外れ。かつて葛野郡と呼ばれた場所である。渡来系の秦氏が治める土地で、松尾大社も秦氏の氏神であり、神官も代々秦氏が務めている。神官の秦氏の通字は「相」。秦氏は後に東家と南家に分かれるようになり、諍いなども起こったようである。
対して愛宕郡を治めたのが鴨氏で、上賀茂神社(賀茂別雷神社)、下鴨神社(賀茂御祖神社)の賀茂神社は鴨氏の神社である。両社には深い関係があるようで共に葵を社紋とし、賀茂神社は「東の厳神」、松尾大社は「西の猛神」と並び称され、王城の守護とされた。

秦氏は醸造技術に長けていたようで、松尾大社は酒の神とされ、全国の酒造会社から信仰を集めていて、神輿庫には普段は酒樽が集められている。今回の展覧会の音声ガイドも、上京区の佐々木酒造の息子である俳優の佐々木蔵之介が務めている(使わなかったけど)。

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「名所絵巻」や「洛外図屏風」、「洛中洛外図」屏風が展示され、松尾大社も描かれているが、都の西の外れということもあって描写は比較的地味である。「洛中洛外図」屏風ではむしろ天守があった時代の二条城や方広寺大仏殿の方がずっと目立っている。建物のスケールが違うので仕方ないことではあるが。

松尾大社が酒の神として広く知られるようになったのは、狂言「福の神」に酒の場が出てくるようになってからのようで、福の神の面も展示されている。松尾大社の所蔵だが、面自体は比較的新しく昭和51年に打たれたもののようだ。

松尾大社で刃傷沙汰があったらしく、以後、神官による刃傷沙汰を禁ずる命令書が出されている。当時は神仏習合の時代なので、刃傷沙汰は「仏縁を絶つ」行為だと記されている。松尾大社の境内には以前は比較的大きな神宮寺や三重塔があったことが図で分かるが、現在は神宮寺も三重塔も消滅している。

PlayStationのコントローラーのようなものを使って、山上の磐座や松風苑という庭園をバーチャル移動出来るコーナーもある。

徳川家康から徳川家茂まで、14人中12人の将軍が松尾大社の税金免除と国家の安全を守るよう命じた朱印状が並んでいる。流石に慶喜はこういったものを出す余裕はなかったであろう。家康から秀忠、家光、館林出身の綱吉までは同じような重厚な筆致で、徳川将軍家が範とした書体が分かるが、8代吉宗から字体が一気にシャープなものに変わる。紀伊徳川家出身の吉宗。江戸から遠く離れた場所の出身だけに、書道の流派も違ったのであろう。以降、紀州系の将軍が続くが、みな吉宗に似た字を書いている。知的に障害があったのではないかとされる13代家定も書体は立派である。
豊臣秀吉も徳川将軍家と同じ内容の朱印状を出しており、織田信長も徳川や豊臣とは違った内容であるが、松尾大社に宛てた朱印状を出している。
細川藤孝(のちの号・幽斎)が年貢を安堵した書状も展示されている。

松尾大社は摂津国山本(今の兵庫県宝塚市)など遠く離れた場所にも所領を持っていた。伯耆国河村郡東郷(現在の鳥取県湯梨浜町。合併前には日本のハワイこと羽合町〈はわいちょう〉があったことで有名である)の荘園が一番大きかったようだ。東郷庄の図は現在は個人所蔵となっているもので、展示されていたのは東京大学史料編纂所が持っている写本である。描かれた土地全てが松尾大社のものなのかは分からないが、広大な土地を所有していたことが分かり、往事の神社の勢力が垣間見える。

その他に、社殿が傾きそうなので援助を頼むとの書状があったり、苔寺として知られる西芳寺との間にトラブルがあったことを訴えたりと、窮状を告げる文も存在している。

映像展示のスペースでは、松尾祭の様子が20分以上に渡って映されている。神輿が桂川を小船に乗せられて渡り、西大路七条の御旅所を経て、西寺跡まで行く様子が描かれる。実は西寺跡まで行くことには重要な意味合いが隠されているようで、松尾大社は御霊会を行わないが、実は御霊会の発祥の地が今はなき西寺で、往事は松尾大社も御霊会を行っていたのではないかという根拠になっているようだ。

室町時代に造られた松尾大社の社殿は重要文化財に指定されているが(松尾大社クラスでも重要文化財にしかならないというのが基準の厳しさを示している)、その他に木像が3体、重要文化財に指定されている。いずれも平安時代に作られたもので、女神像(市杵島姫命か)、男神像(老年。大山咋神か)、男神像(壮年。月読尊か)である。仏像を見る機会は多いが、神像を見ることは滅多にないので貴重である。いずれも当時の公家の格好に似せたものだと思われる。老年の男神は厳しい表情だが、壮年の男神像は穏やかな表情をしている。時代を考えれば保存状態は良さそうである。

神仏習合の時代ということで、松尾社一切経の展示もある。平安時代のもので重要文化財指定である。往事は神官も仏道に励んでいたことがこれで分かる。松尾社一切経は、1993年に日蓮宗の大学で史学科が有名な立正大学の調査によって上京区にある本門法華宗(日蓮宗系)の妙蓮寺で大量に発見されているが、調査が進んで幕末に移されたことが分かった。移したのは妙蓮寺の檀家の男で、姓名も判明しているという。


松尾大社は、摂社に月読神社を持つことで知られている。月読神(月読尊)は、天照大神、素戔嗚尊と共に生まれてきた姉弟神であるが、性別不詳で、生まれたことが分かるだけで特に何もしない神様である。だが、松尾大社の月読神はそれとは性格が異なり、壱岐島の月読神社からの勧請説や朝鮮系の神説があり、桂、桂川や葛野など「月」に掛かる地名と関連があるのではないかと見られている。

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2022年9月15日 (木)

2346月日(40) 京都国立博物館 特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺ー真言密教と南朝の遺産」

2022年9月7日 京都国立博物館にて

東山七条の京都国立博物館で、特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺-真言密教と南朝の遺産」を観る。3階建ての平成知新館の2階と1階が「観心寺と金剛寺」の展示となっている。

観心寺と金剛寺は、南朝2代目・後村上天皇の仮の御所となっており(南朝というと吉野のイメージが強いが、実際は転々としている)、南朝や河内長野市の隣にある千早赤阪村出身である楠木正成との関係が深い。

共に奈良時代からある寺院であるが、平安時代に興隆し、国宝の「観心寺勘録縁起資材帳」には藤原北家台頭のきっかけを作った藤原朝臣良房の名が記されている。

観心寺や金剛寺は歴史ある寺院であるが、そのためか、黒ずんでよく見えない絵画などもある。一方で、非常に保存状態が良く、クッキリとした像を見せている画もあった。

1回展示には、ずらりと鎧が並んだコーナーもあり、この地方における楠木正成と南朝との結びつきがよりはっきりと示されている。

明治時代から大正時代に掛けて、小堀鞆音が描いた楠木正成・正行(まさつら)親子の像があるが、楠木正成には大山巌の、楠木正行には東郷平八郎の自筆による署名が記されている。楠木正成・正行親子は、明治時代に和気清麻呂と共に「忠臣の鑑」とされ、人気が高まった。今も皇居外苑には楠木正成の、毎日新聞の本社に近い竹橋には和気清麻呂の像が建っている。

河内長野近辺は、昔から名酒の産地として知られたそうで、織田信長や豊臣秀吉が酒に纏わる書状を発している。

観心寺や金剛寺の再興に尽力したのは例によって豊臣秀頼である。背後には徳川家康がいる。家康は秀頼に多くの寺社の再興を進め、結果として豊臣家は資産を減らすこととなり、大坂の陣敗北の遠因となっているが、そのために豊臣秀頼の名を多くの寺院で目にすることとなり、秀頼を身近に感じる一因となっている。木材に記された銘には、結果として豊臣家を裏切る、というよりも裏切らざるを得ない立場に追い込まれた片桐且元の名も奉行(現場の指揮官)として記されている。

最期の展示室には、上野守吉国が万治三年八月に打った刀剣が飾られている。陸奥国相馬地方中村の出身である上野守吉国(森下孫兵衛)は、実は坂本龍馬の愛刀の作者として知られる陸奥守吉行(森下平助。坂本龍馬の愛刀は京都国立博物館所蔵)の実兄だそうで、共に大坂に出て大和守吉道に着いて修行し、吉国は土佐山内家御抱藩工、吉行も鍛冶奉行となっている。価値としては吉国の方が上のようである。

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2022年6月 8日 (水)

観劇感想精選(436) 第71回京都薪能 第2日目

2022年6月2日 左京区岡崎の平安神宮にて

午後6時から、左京区岡崎の平安神宮で、第71回京都薪能第2日目を観る。毎年恒例の京都薪能であったが、昨年、一昨年は新型コロナのために中止となり、3年ぶりの開催となる。少し風が強めだが、雲一つ無い好天となった。

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ロームシアター京都(京都会館)、京都市京セラ美術館、京都国立近代美術館、京都観世会館、細見美術館、みやこめっせ、京都府立図書館、岡崎公園グラウンド、京都市動物園など文化施設が並ぶ左京区岡崎であるが、一方で、平安神宮、真宗大谷派(東本願寺)岡崎別院、東天王こと岡崎神社などの伝統宗教や、阿含宗や生長の家、神慈秀明会といった新宗教の施設も集まっており、京都における一大宗教空間でもある。

2日間に渡って行われる第71回京都薪能。2日目の今日は、京都薪能の復活を祝って、神が舞を披露するという演目が並ぶ。左京区岡崎で、そして平安神宮で行われるのに相応しい演目だ。

上演作品は、観世流能「養老」水波之伝(すいはのでん)、金剛流能「龍田」、大蔵流狂言「福の神」、観世流能「小鍛治」白頭(しろがしら)。例年売られているパンフレットがコロナの影響で売れないというので(あらすじや出演者などを記した紙は受け取れるようになっている)、代わりに茂山茂と鈴木実が舞台上に登場して作品紹介などを行う。


観世流能「養老」水波之伝と金剛流能「龍田」は後半部分のみの上演である。

「養老」は、美濃国(濃州)の養老の滝である。雄略天皇(倭の五王の「武」に比定されることが多い)の勅使が養老の滝を訪れた時に楊柳観音(松井美樹)と養老の山神(吉浪壽晃)が現れ、祝いの舞を行う。今回は水波之伝というバージョン(小書=特殊演出)で、楊柳観音も登場して舞う。しっとりした楊柳観音の舞と豪快な養老の山神の舞の対比が見所。

今回は、全ての演目で神の舞があるが、みな個性豊かで舞そのものも雰囲気も趣も異なり、八百万の神の国・日本とその伝統芸能の個性がはっきりと表れている。


金剛流能「龍田」。紅葉の名所として知られる大和国・龍田明神が舞台となっている。南都(奈良)に寄った僧(村山弘)が河内国まで足を伸ばそうとした途中で竜田川の河畔に至る。
龍田姫=龍田神(金剛永謹)が、優美な舞と幣を振り上げての神楽を行う。薪から舞い上がる煙が龍田姫の後ろで霞のようにたなびき、この世ならぬ雰囲気を作り出していた。


大蔵流狂言「福の神」。狂言ではあるが、笑いは取らないという珍しい演目であり、狂言そのものの面白さよりも祝祭性が優先されている印象を受ける。
福の神(茂山忠三郎)が幸せになる秘訣を歌いながら行う舞がユーモラスである。


観世流能「小鍛治」白頭。本来は赤い頭で登場する後シテ(稲荷明神の霊狐)が白い頭で登場するという特殊演出である。
一条天皇が悪夢にうなされるというので、名刀工である三条小鍛治宗近(岡充)の下に橘道成(有松遼一)を遣わす。一条帝は「宗近に御剣を打たせよ」との夢告を受けたという。勅諚に応えるには自分に勝るとも劣らない相槌を打てるものがいないといけないが、それは難しいので宗近は断ろうとするが、伏見の稲荷大社に参拝したところその加護があり、稲荷神(橋本光史)が相槌を務めることになる。

三条小鍛治宗近がすんでいたのは三条粟田口であり、後に三条派や粟田口派となる名刀工集団を生み出した場所だが、三条粟田口は平安神宮のすぐそばであり、舞台になった場所の近くで上演が行われたことになる。
粟田神社の麓に鍛冶神社という小さな社があり、三条宗近と粟田口吉光も祀られている。
またすぐそばには、「小鍛治」の話に基づく相槌稲荷神社という小さな社もあるが、ここは民家が並ぶ路地の奥に存在するため、大人数で行ったり大声を出しながら歩いたりすることははばかられる神社である。

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2022年5月25日 (水)

2346月日(37) 京都国立博物館 伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

2022年5月20日 東山七条の京都国立博物館で

京都国立博物館平成知新館で、伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」を観る。前期と後期の展示に分かれているが、前期は訪れる機会を作れず、後期のみの観覧となった。

2021年が、伝教大師最澄の1200年大遠忌(没後1200年)に当たるということで開催された特別展。最澄の他に、中国で天台宗を確立した天台大師・智顗や、最澄の弟子である円仁と円珍に関する史料、延暦寺や園城寺(三井寺)所蔵の史料や仏像、平泉の中尊寺や姫路の書写山圓教寺などに伝わる仏典や高僧の座像、恵心僧都源信が著した「往生要集」、六道絵より阿修羅道と地獄の絵、延暦寺の鎮守である日吉大社の神輿や曼荼羅図、そして江戸(東京)の東叡山寛永寺にまつわる南光坊天海僧正像、江戸時代の寛永寺の全体を描いた「東叡山之図」、寛永寺を江戸の鬼門除けとなる東の比叡山として開いた東照大権現(徳川家康)の像、更に江戸で一番の賑わいを見せた浅草寺の絵巻などが展示されている。

今の大津に生まれ、近江国分寺に学び、東大寺で受戒した最澄。生まれ故郷に近い比叡山に一乗止観院を設け、これが後に延暦寺へと発展する。一乗止観院は、一乗思想(誰もが往生することが出来るとする思想)に基づくもので、その後、会津の徳一が支持する三乗思想(菩薩のみが往生が可能で、声聞や縁覚、そして無性は悟りを開けないとする)との三一権実争論が繰り広げられることになる。

最澄は、延暦寺にも戒壇院を築きたいと願っていたのだが、なかなか許可が下りず、嵯峨天皇からの勅許が降りたのは、最澄の死後1週間経ってからであった。

ということで、日本の天台宗の歴史においては、最澄よりもその後継者達の方がより任が重くなる。最澄に次ぐ天台宗の大物が、円仁と円珍であった。
最澄の弟子達の中で最も優秀であったとされる円仁は、唐に渡り、9年6ヶ月に渡って彼の地で学んで、「入唐求法巡礼行記」を記す。
一方、空海の親族である円珍も唐に渡り、帰国後は天台座主となるが、園城寺を新たに天台の道場とする。
延暦寺は山門派、園城寺は寺門派を名乗り、抗争が起こるのは後の世のことである。

天台思想は、奥州に伝わり、浄土を模したといわれる藤原三代の都・平泉で花開いた。金堂で有名な中尊寺には金文字で記された一切経が伝わっている。

良源と性空の像が並んでいる。命日が正月三日であるため元三大師の名で知られる良源、書写山圓教寺の開山となった性空は、共に異相であり、常人でないことが見た目からも伝わってくる。

また、空也上人立像も展示されている。空也上人立像は、六波羅蜜寺のものが有名だが、今回は愛媛県松山市の浄土寺に伝わるものの展示である。六波羅蜜寺の空也上人立像同様、口から「南無阿弥陀仏」を表す6つの阿弥陀像が吐き出されている。

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2022年4月 1日 (金)

これまでに観た映画より(290) 「ベルファスト」

2022年3月29日 京都シネマにて

京都シネマで、ケネス・ブラナー脚本・監督作「ベルファスト」を観る。アイルランド・イギリス合作。アカデミー賞では脚本賞に輝いた作品である。イギリス(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)の北アイルランドの中心都市、ベルファストを舞台としたカトリック派とプロテスタント派の闘争を少年の視点から描いた作品。ケネス・ブラナーはベルファストに生まれ、9歳の時までこの街で生活していた。ということで、自身の子供時代を重ねて描いた映画である。

出演:ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、ジュディ・デンチほか。

宗教闘争が鍵となっているが、それには北アイルランドの成り立ちについて知らないと内容がよく分からないことになる。
カトリックの国であったアイルランドであるが、徐々にイギリスに浸食されることになり、遂にはイギリスに併合されてしまう。その過程で、イギリスはカトリックを離れたイギリス国教会(英国聖公会)を樹立させ、更に多くの派が分離してプロテスタント系へと流れていく。ということで、イギリスはプロテスタントが主流、アイルランドはカトリックが主流ということになる。その後、ようやく20世紀に入ってからアイルランドはイギリスからの独立を勝ち取るのだが、北アイルランドはカトリック系の住民よりもプロテスタント系の住民の方が圧倒的に多かったため、アイルランド独立後もイギリスに属することになった。これが火種となる。

映画は現在のベルファスト市の上空からのカラー映像に続き、1969年8月15日のモノクロ映像へと移る。9歳のバディ(ジュード・ヒル)が戦士ごっこを終えて家へと帰ろうとした時のことだ。向こう側から、武装した異様な風体の男達が現れる。男達は火炎瓶を投げるなどして周囲を混乱と恐怖へと陥れていった。バディが住む街ではプロテスタント派もカトリック派も家族のように仲良く暮らしていた。だが、プロテスタントのタカ派青年達がやって来て、カトリックの住民を排斥するために暴力に訴え出たのである。これがIRAなどを生んだことで知られる北アイルランド紛争の始まりであった。実はバディの一家はプロテスタントを信仰しており、直接的に排除される対象ではなかった。後にバディは従姉のモイラによって反カトリック派によるスーパーマーケット襲撃の列に強引に加えられてしまったりする。

一方、バディの父親(本名不明。演じるのはジェイミー・ドーナン)はその日、家を空けていた。北アイルランドでは待遇が悪いため、ロンドンに出稼ぎに出て大工(正確には建具工のようである)をしていたのだ。平日はロンドンで働き、週末にベルファストに戻るという生活をしていたが、ベルファストが物騒になってきたため、週末にロンドンで働いて、それ以外はベルファストにいるという逆の生活を選ぶことになる。経済的に苦しくなることが予想されたが、そんな折り、契約しているロンドンの会社から大工の正社員にならないかという誘いを受ける。それも新居が約束されているという好待遇でである。しかしバディの母親(こちらも本名不明。演じるのはカトリーナ・バルフ)は生まれ育ったベルファストに愛着があり、またアイルランドなまりによって差別を受けるのではないかとの怖れからロンドンに移ることを渋る。

バディは小学校では成績優秀。クラス一の秀才であるキャサリンに好感を抱いている。小学校では、テストがある度に席替えが行われ、成績優秀者が最前列で、点数が低いと後ろに下がることになる。今回のテストでバディの成績は3番。オリンピックになぞらえて「銅メダル」と呼ばれる。あと一つ、順位を上げれば「金メダル」であるキャサリンの隣の席になれる。
そうした事情もあり、また祖父(キアラン・ハインズ)や祖母(ジュディ・デンチ)と別れたくないとの理由もあって「ベルファストから離れたくない」と泣きわめくのだった。


ケネス・ブラナーが自身の子供時代を投影していると思われるシーンがいくつかある。バディの一家は映画好きで、たびたび家族で映画館に出掛けており、映画館で「チキ・チキ・バン・バン」を観るシーンがある。またバディが一人でテレビで放送される西部劇映画を食い入るように見つめている場面がクローズアップなども使って描かれている。また、一家は劇場にも通う習慣があったようで、ディケンズ原作の「クリスマス・キャロル」を舞台化したものを観るシーンも盛り込まれている。夢見る少年にとって、生まれた場所を離れるのは耐えがたいことであったが、ベルファストの状況が日毎に悪化していく中で、母親も移住賛成派に回り、ベルファストを去ることが決定的となるのであった。


人生の最も重要な時期の一つである少年時代の夢と悪夢を絡めながら描いた瑞々しい作品である。状況的には悲惨なのであるが、幼い日の淡い恋心や映画への憧れなど、子供を主人公にしたからこそ可能な、心が軽くスキップするような瞬間が丁寧に描かれている。そしてそうであるが故に、それと対比される暴力や争うことの愚かさが、より際立って見える。

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2022年3月18日 (金)

コンサートの記(767) 沼尻竜典指揮京都市交響楽団ほか びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナー 舞台神聖祝典劇「パルジファル」

2022年3月6日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後1時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホール プロデュースオペラ ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」を観る。ワーグナー最後の舞台音楽作品となっており、ワーグナー自身はバイロイト祝祭劇場以外での上演を認めなかった。

中世ドイツ詩人のヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩「パルチヴァール」が現代語訳(当時)が出版されたのが1842年。ワーグナーはその3年後にこの本を手に入れているが、これを原作とした舞台神聖祝典劇という仰々しい名のオペラ作品として完成させるのは、1882年。40年近い歳月が流れている。

セミ・ステージ形式での演奏。指揮は沼尻竜典、演奏は京都市交響楽団(コンサートマスター:泉原隆志)。演出は伊香修吾。出演は、青山貴(アムフォルタス)、妻屋秀和(ティトゥレル)、斉木建詞(グルネマンツ)、福井敬(パルジファル)、友清崇(クリングゾル)、田崎尚美(クンドリ)、西村悟、的場正剛(ともに聖杯の騎士)、森季子(第1の小姓)、八木寿子(第2の小姓、アルトの声)、谷口耕平(第3の小姓)、古屋彰久(第4の小姓)、岩川亮子、佐藤路子、山際きみ佳、黒澤明子、谷村由美子、船越亜弥(以上、クリングゾルの魔法の乙女たち)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル。合唱はマスクを付けての歌唱である。

ステージ前方に白色のエプロンステージが設けられており、同じ色の椅子が並んでいる。出演者達はここで歌い、演技する。客席の1列目と2列目に客は入れておらず、プロンプターボックスの他にモニターが数台並んでいて、これで指揮を確認しながら歌うことになる。
ステージ後方には階段状の二重舞台が設けられており、短冊状の白色の壁が何本も立っていて、ここに映像などが投影される。
小道具は一切使用されず、槍なども背後の短冊状の壁に映像として映し出される。

びわ湖ホールで何度も印象的な演出を行っている伊香修吾だが、セミ・ステージ形式での上演ということで思い切った演出は出来なかったようで、複雑な工夫はしていない。


「パルジファル」に先だって、ワーグナーは当時傾倒していた仏教と輪廻転生をテーマにした「勝利者たち」という楽劇を書く予定であった。実現はしなかったが、「勝利者たち」のヒロインがその後に、「パルジファル」のクンドリの原型となっている。


ワーグナー最後のオペラとなった「パルジファル」であるが、何とも謎めいた作品となっている。聖杯伝説が基になっており、キリストが亡くなった時にその血を受けた聖杯と十字架上のキリストを刺したといわれる聖槍(「エヴァンゲリオン」シリーズでお馴染みのロンギヌスの槍である)が重要なモチーフとなっている。モンサルヴァートの城の王であるアムフォルタスは、キリストをなぞったような性質の人物であり、聖槍を受けて、その傷が治らないという状態は、危殆に瀕したキリスト教という当時の世相が反映されている。
中世には絶対的な権威を誇ったキリスト教であるが、19世紀も末になると無神論が台頭するなど、キリスト教の権威は失墜の一途を辿っていた。

「アムフォルタスの傷を治す」と予言された「苦しみを共に出来る聖なる愚か者」に当たる人物がパルジファルである。モンサルヴァートの森で白鳥を射落として取り押さえられた男こそパルジファルであるが、彼は自分の名前も、出自も何一つ知らないという奇妙な人物である。白鳥が神の化身であることは「ローエングリン」で描かれているが、パルジファルは特に理由もなく白鳥を射落としている。

「これこそ救済を行う聖なる愚か者なのではないか」と思い当たった騎士長のグルネマンツは、パルジファルに聖杯の儀式を見せる。だがパルジファルは儀式の意味を理解出来ず、グルネマンツによって城から追い出される。

モンサルヴァートの城にはクンドリという不思議な女性がいる。最初は聖槍によって傷つけられたアムフォルタスのために薬を手に入れたりしているのだが、クンドリにはもう一つの顔があり、第2幕では魔術師のクリングゾルに仕えてモンサルヴァートの騎士達の破滅を狙う魔女として登場する。クリングゾルも元々は騎士団に入ることを希望する青年だったのだが、先王ティトゥレルに拒絶され、妖術使いへと身を堕としていた。ただ妖術の力は確かなようであり、魔の園に迷い込んだパルジファルの正体を最初から見抜いている。第2幕ではクリングゾルに命じられたクンドリがパルジファルに言い寄って破滅させようとするのだが、逆にパルジファルは覚醒してしまい、アムフォルタスに共苦する。パルジファルはクリングゾルが放った聖槍を奪い、魔の園を後にする。
そして長くさすらった後で、モンサルヴァート城に戻り、救済者となる。最後の歌は、合唱によるもので「救済者に救済を!」という意味の言葉で終わる。


かなり複雑で不可解な進行を見せる劇であり、最後に歌われる「救済者」というのがイエス・キリストなのかパルジファルなのかもはっきり分かるようには書かれておらず、様々な説がある。

分かるのは、旧来のキリスト教に代わり、あるいはキリスト教を補助する形で新たなる信仰が生まれるということである。少なくとも誰もが疑いを持たずにキリストを信仰出来る時代は終わっている。新たなる何かが必要で、それを象徴するのがパルジファルである。最初は無垢で無知だったのに、突如目覚めて賢人となり、キリストの後を継ぐもの。それは何か。おそらく「音楽」が無関係ということはないだろう。この時代、音楽はすで文学や政治と絡むようになっており、ただの音楽ではなくなっている。
新たなる信仰の誕生、そこに音楽や芸術が関わってくるというのは、決して突飛な発想ではないように思う。
クンドリの原型が仏教を題材にしているということで、仏教がキリスト教を補完するという、おそらく正統的な形についても考えてみる。四門出遊前のゴータマ・シッダールタは、シャカ族の王子として何も知らぬよう育てられた。父王が聖者から「出家したらブッダになる」と預言され、国のことを考えた場合、王ではなくブッダになると困るので、世間を知らせぬようにとの措置だった。だが、四門出遊(ゴータマが王城の4つの門から出て、この世の現実を知るという出来事)により「生病老死」の「四苦」を知り、出家。「抜苦与楽(慈悲)」へと行き着く。そうしたゴータマからブッダになる過程をパルジファルが担い、イエスの化身ともいうべきアムフォルタスの苦を除く。ストーリーとしてはあり得なくもないが、木に竹を接ぐ感は否めない。当時のヨーロッパにおける仏教理解はかなりの誤解を含んでいたと思われる。


沼尻の音楽作りは、いつもながらのシャープでキレのあるもので、スケールをいたずらに拡げず、細部まで神経を通わせている。おどろおどろしさは余りないが、その方が彼らしい。

京都市交響楽団も音色に華があり、威力も十分であった。沸き続ける泉のように音に生命力がある。

歌手達も充実。動き自体は余り多くなかったが、その分、声の表情が豊かであり、神秘的なこの劇の雰囲気を的確に表現していた。

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